[1064] 29 2003-11-07 (Fri)「on fire」完成。プロジェクトとして終了。
素直に今、「次を撮りたいな」と思う。
来年1年間で2本ぐらい作れたらいいなあ、と構想を練っている。
1本は会社の人が出てくる短編。明るい雰囲気の。
宇宙人とか着ぐるみとかいろいろ言われているものの、内容は未定。
とにかく楽しいものがいいねえ。
アクションでもラブコメディでも、出てくれる人が「やりたいなあ」というものを。
(ということで関わってくれる人、募集。社内・社外問わず)
もう1本はその対極にあるものを。長編でひたすら暗い作品になるはず。
タイトルは決まった。「29」
来年1年間、1月1日の誕生日から12月31日「20代最後の日」までの自分を中心に。
虚実入り混じる擬似ドキュメンタリーを。
(学生時代の僕を知ってる人なら「砂の映画U」と言った方がわかりやすいだろう)
とにかく、これまでの人生を総括する。
今から始めて来年末まで少しずつ、何か思いつくたびに撮っていく。
何がどうなるか結末は未定。自分自身想像がつかない。
撮り方も決まっていない。イメージ映像を背景に心情を綴ったものとなるか、
事件・出来事を積み上げていく形になるか。
もしかしたら春ぐらいには「終わらせ方」がわかって
そこに向かって突き進んでいくのかもしれない。
秋の終わりになってもただダラダラ映像を撮りためているだけかもしれない。
もちろん、早々に飽きてしまって、あるいは行き詰まって、放り投げるかもしれない。
半年後・1年後の自分が何してるかなんてわからないよな。
冒頭のシーンが頭の中に思い描けて、いてもたってもいられなくなる。
始めの一歩を踏み出すことがとにかく大事なので、飛び込んでみた。
昨日からさっそく、撮影を開始した。
会社の窓から見える東京タワーの映像。
そのクローズアップ。
テロップが重なる。「僕のいる会社からは東京タワーを見ることができた」
その次のシーンは海辺になる。
夏に「on fire」の撮影で行った海、というかこれまでの作品で何度も登場した海。
来月のどこかの休みで僕は1人電車を乗り継いで千葉の木更津の先を訪れ、
冬の波打ち際のショットを撮影する。
そこにこれまでの映画の断片をつないでいく。
「僕は学生時代映画を作っていた」
さらにその次は正月。雪で閉ざされた青森で迎える29歳最初の朝。
そこにタイトルバック「29」を刻み込む。
ここまでは頭の中で出来上がったが、そこから先は未定。
もう1本の短編のメイキングを組み込むとか、
同じく28・29・30ぐらいの人のインタビューを撮るとか、
まあ、なんかあるだろう。
冒頭が東京タワーなので、その展望台から見える夜景がどこかに挟まるだろう。
故郷青森を離れ、東京で暮らしている自分。
昨日は雨、今日は霧で、きれいな絵は撮ることはできず。
いくら風景ショットとはいえ会社の中でビデオカメラを持って歩いていると怪しいので、
フロアに人が全くいない早朝しか撮影ができない。
当分タイミングを見計らってトライし続けるのか。
「17」とか「18」とか「19」ってのは映画なり小説の題材になりやすいのに、
どうして「28」とか「29」とか「30」ってのは避けられる傾向にあるのだろう。
29歳は19歳と並んで、人生の大きなターニングポイントのはずなのに。
自分の人生ってやつに失望を覚え始めるリアルな年代であるからか。
それともそんなもの誰にとっても描くに値しない退屈なものだからか。
30歳を前にして誰しもがあれこれ考えるはずなのに、多くのことは語られない。
この作品の製作を通してこれまでの人生を振り返る。
僕の僕による僕のための映画。
いろんな人に少しずつ関わってもらうことになるんだろうけど、
もしかしたら完成しても他の人には見せないかもしれない。
ある程度の水準にしか達しなくて、
他人にアルバムを見せるようなものにしかならなかったら、
よほど興味を持った人にしか見せないということになるだろう。
そんなの他人を巻き込んで作る意味があるのかといえば、正直言ってないかもしれない。
それでも、撮る。
映画の完成に向けて模索する様がそのまま映画になるんだろうな。
[1063] ベリーダンスを見に行く 2003-11-06 (Thu)昨日の夜、会社の有志でトルコ料理屋へと赴き、ベリーダンスを鑑賞する。
場所は新宿3丁目。
http://members.at.infoseek.co.jp/B_Hasan/index.html
トルコのビール「EFFES」で乾杯。その後ワイン(詳しくは覚えていないがトルコのものだろう)。
コース料理だったので、スープ、前菜、ナンのようなパンに始まり、
何種類かのケバブ、ポトフのような煮込み料理、サワークリームをかけた水餃子のようなもの
(昔モスクワでも食べた。グルジアから伝わったものか。世界のあの地域一帯で広く見られる?)
などと続く。
8時になるとベリーダンスが始まる。
店の明かりが薄暗くなり、舞踏のための音楽が店内いっぱいに鳴り響く。
肌も露な衣装を身にまとった女性がススススッと
四方をテーブルで囲まれたわずかばかりのスペースに入ってくると
すぐにも身をよじり腕をくねらせ、胸や腰を突き出す。
30歳ぐらいか。ふくよかな体つき。
というか胸がとても大きく、僕はずっとそこばかり見ていた。釘付け。
いやー、もー、揺れるんですよ。踊ってると。張りのある乳房が。
どんなに激しい動きになっても背筋はピンと伸びたまま。
そして笑顔を絶やさない。
もう何年も、もしかしたら何十年も踊ってんだろうな。
しなやかで全ての瞬間において迷いが無い。
10分か15分ぐらい1人で踊った。
その後客席を回り、人によっては携帯で写真撮影。
男性客を奥の方から引っ張ってきて一緒に踊らせる。踊らせようとする。
素人であるためものすごくぎこちなく、
元がセクシーな踊りであるがゆえにかなりユーモラスな光景が繰り広げられる。
客席からはやんやの喝采。
ショーはつつがなく終了し、ダンサーはまたススススッと消えていなくなった。
店内は女性客が多かった。
ある種の憧れがあるからか。
踊っているところを見ているそれらの女性たちの表情も
羨望の眼差しあり、あっけにとられていたり、人それぞれ。
踊りそのものはどことなく健康的で「淫靡」な匂いが全く無かったから、
まさに「鑑賞」って雰囲気だった。
正直なところ僕はもっと妖しげでエロティックなものを想像していた。
アクロバティックでもなかった。
リンボーダンスとごっちゃになっていたのか、
それまでベリーダンスとはなんの縁もなかった僕は
髪を振り乱し、地面にこすりつけんばかりな激しいものを頭の中で思い描いていた。
アジア系の民族舞踏によくあるように、その背筋は微動だにしなかった。
料理に戻る。
デザートはライスプリンとアイスクリーム。
前者はミルク粥を固めたようなもので、
後者はトルコ特有の粘り気があり、スプーンで掬うと伸びるもの。
雪見大福の皮というか、メレンゲというか。
一応残さず食べたが、両者ともにかなり苦手な部類。
最後はトルコティー。
ダンサーは着替えるとササッと店から出て行った。
普段何してんだろうなと思う。
この店でのショーは水曜だけのようで、他の曜日は別の店で踊っているのか。
それとも日本人相手に踊りを教えているのか。
それにしても。
今年は「日本におけるトルコ年」のようであるが、巷では全くトルコのことを耳にせず。
むしろワールドカップのあった去年の方がトルコという国は身近だった。
なにかしら市民の目に触れるイベントってあったのかな。
サッカーの親善試合でもあれば盛り上がったのに。
トルコはフィンランド、ハンガリーと並んで世界一の親日国なのだそうだ。
[1062] 「ポロック」 2003-11-05 (Wed)日比谷シャンテに「ポロック」という映画を見に行く。
演技派の俳優エド・ハリスが初監督した作品。
アメリカの40年代を駆け抜けた画家、ジャクソン・ポロックの伝記を映画化したもの。
抽象絵画界(そんなのあるかどうか知らんが)で頭角を現し、
アクション・ペインティングという手法を開発。酒びたりの破滅型の天才。
愛人を乗せて飲酒運転、スピードを出し過ぎて事故死。享年44歳。
ジェームズ・ディーンに例えられることもあるという。
絵が描けなかったら、
(その絵すら妻の画家リー・クラズナーの支えがなければ描けないのであるが)
ただのダメ人間。でもいったんカンバスに向かってしまえばひたむきに己の表現を追求する、
そんなポロックをエド・ハリスが静かな抑制の効いた演技で熱演。
派手さはないものの良心的な佳作。
ポロックの絵は有名なので、ちょっと現代美術を齧ればすぐにもぶつかることになる。
素人目にはランダムに撒き散らされたとしか見えない絵の具の跡に
「・・・子供の落書き?」と誰もが思わずにはいられない。
だけど、誰にも真似できない。
この世ならぬものを垣間見てしまって心奪われ、
その手で捉えようとするのであるがいつもすり抜けてしまう、
これでもかこれでもかと追い求める、叩きつける、
自分の存在だとか表現とかいうものの全ての瞬間をそこに焼き付けようとする。
ロック界で言えばジミヘンのようだ。
伝説的なものもひっくるめて、僕はポロックの絵に惹かれてしまう。
ベタな言い方であるが、僕はこの画家に最も「宇宙」というものを感じる。
映画の公開を記念してポロックが住んでいたロングアイランドのアトリエや
ニューヨーク近代美術館やグッゲンハイム美術館を回るツアーがJTBで企画されていて、
今年のリフレッシュ休暇でそれに行くのもいいなあと思っていたのであるが、結局かなわず。
確かもう締め切っていて、出発は今月末。
あれはもうおととしだったか、上野の美術館にニューヨーク近代美術館展を見に行って
初めてポロックの絵と対面。ミーハー的な気分で感激した。
生で見ると圧倒される。
普通の絵画だと作品名の札のところに「油彩」とかしか書いてないのに
ポロックのは釘とかボタンとかコインと「原材料名」が書かれていて感動した。
[1061] テープ 2003-11-04 (Tue)失業して3ヶ月。新しい職も見つからずブラブラしているだけの毎日。
半ば引きこもり。図書館に行って本を読んでたり、ビデオを借りて部屋で見ていたり。
学生時代のようにまた映画でも作ろうかと脚本を書いてみたりする。
まったくうまくいかず、出だしの数ページで放り出す。
そんなある日大学時代の友人から電話がかかってくる。
挨拶もそこそこ僕は「なんか仕事ない?」と聞いてみる。
「そのことで電話した」と彼は言う。
「おお!」と心の中で叫ぶ。やっぱ持つべきものは友達である。
でもよくよく聞いてみると、僕の中で仕事っていうのは「就職先」のことであるのに対し
彼の言うのはあくまで単発のバイトのことだった。
それでもまあいいや、たまには日銭を稼ぐか、と詳しく聞いてみると内容は
彼がこれまでに撮りためたビデオテープを編集してほしいというものだった。
よくありがちな子供の成長記録。両家の親にプレゼントするのだという。
そういえばやつは就職してすぐ結婚したんだよな。
子供の年齢を聞くともう7歳だという。え?もうそんなにするの?と驚く。
娘が生まれたってんで大学の同期の連中とお祝いしたのがついこの間のように感じられる。
そうか、俺もオマエも30になるもんな。
子供が小学校に上がっていても全然おかしくないよな。
この前の土曜、テープを受け取る。
どうせ僕の方が暇だからと電車を2本乗り継いで、××線の××駅へ。
駅前のドトールに入る。アイスコーヒーを飲む。
「ほんとは家に上がってほしかったんだけど、嫁さんが出かけてて」とか
「夜飲みながらってのがよかったんだろうけど、予定が入ってて」とかなんとか言われる。
僕は「ま、いいよ。忙しいんだろうし」と言う。
彼の仕事の話とか、共通の友人の消息だとか、そんなことを1時間ほど話して別れる。
彼からは前金として1万円、もらう。
1ヵ月後に出来上がってればいいよ、ってことになる。
僕はビデオカメラ(デジタルのが出回り始めた頃の旧式のと、最近買った小さいのと2台)と
テープを30本ほど入った紙袋を受け取る。
「いい暇つぶしになるだろ?」と彼は言う。
会社を辞める前、学生時代から数えて実に5年ぶりに映画を撮った。
その関係で編集機材は揃っている。
僕はその日の夜からさっそくビデオを見始めた。
缶ビールを飲みながら、ノートにメモをつけていった。
年代順に見るのがやはりいいだろうと1番日付の古いカセットを取り出す。
1本目の最初は試し撮りだった。
かなり腹の膨れた彼の奥さんを撮ったもの。
ビデオカメラというものを操作するのが彼にとって物珍しい行為のようで、
しきりにズームしてみたり、明るさを調節するものだとかあれこれボタンを押してみたりする。
ビデオカメラをグレーの服を着た奥さんの臍の辺りへと近づけ、
「X線のレンズがあれば、おなかの子が」とか言ってる。
「やあだー」とか言いながら、2人笑いあう。
よくまあこんな恥ずかしいものを他人に見せる気になったものだと僕は感心する。
残りの29本もずっとこんなのばかりなんだろうな。
得体のしれない羞恥心で見てる僕の方がいたたまれなくなる。
次の撮影は生まれたばかりの子を初めて家に連れて帰った日の夜。
奥さんの母親が出ずっぱり。あやしたりなんだりで大活躍。
彼のカメラも震えてばかり。大声で何か言っているのであるが、よく聞こえない。
産着にくるまれた彼の娘のアップ。カメラを向けた途端泣き出してしまう。
この日は3時間分見たところで「もういいか」という気になる。
布団の中に入ってあれこれ考える。
家庭生活というもの。その喜びの頂点を捉えた映像を見せ付けられると
何か言葉にならないものが僕の中を駆け巡って、複雑な気持ちになる。
昼間はジョギングをしたり映画を見たり、求人誌を見たりしながら過ごして、
夜、3・4本ずつテープを見るのが日々の習慣として定着する。
3日もすると慣れてくる。単なる記録映像でしかなくなる。
初めて公園に連れて行った日、初めて父親の実家を訪れた日、
初めての誕生日、初めての動物園、初めての運動会。
僕の中で小さな女の子の成長の過程が一瞬の映像としてつながりを持つようになる。
かわいい子だった。
仕草の1つ1つが素直で、僕は気がつくととあるシーンを何度も何度も眺めていた。
巻き戻しボタンを押して再生ボタンを押す。
明け方近く、そんなことを機械的に繰り返している自分がいる。
天子や悪魔が1人の人間の中で同居する。
これは子供というものの普遍的な性質なのだろうか?
2週間後。全てを見終わって、ノートに構成の案や
使用するテープの個所の大まかなメモができあがったところで具体的な編集作業を開始した。
いくら友人の娘とはいえ、これまで直接会ったことのない人間の人生の断片を
再構築する作業というのは奇妙なものだった。
僕の感覚・気分によって選び取る断片とその長さ、そしてその長さは微妙に異なってくる。
場合によっては全然異なる人生の「印象」AとBを生み出すことも可能だ。
その子のアップを中心とした映像をメインにするか、
それとも周りの人が映っていてその関係性を示唆するものにするべきか。
例えばその子の表情は笑顔の優れたものを丹念に選び取るべきなのか。
具体的なイメージを喚起する風景ショットを
僕の手持ちの映像のストックの中から嵌め込むことは許されることなのか。
やがて「娘」の映像が僕の中で一人歩きするようになり、
想像上の架空のキャラクターとして僕の生活に影を落とす。
その泣いている顔や笑っている顔が現実の記憶として
様々ヴァリエーションで動き出すようになる。
僕はこの子のことをよく知っている。
彼女の人生を生み出したのはこの僕だ。
1本のテープが出来上がる。30分という短いものだ。
友人に渡したら喜ばれた。「そのうち、家に来てくれよ」と言われる。
僕は自分の部屋に戻って夜になるのを待つ。
昼間友人に渡したオーソドックスなタイプAを見た後で、
僕はタイプDを2回繰り返して見る。
その後でタイプFを。
映像という形で永遠に焼き付けられた彼女の姿。
僕だけに許された、彼女の全て。
[1060] 学園祭に行く/「on fire」微調整 2003-11-03 (Mon)日曜から月曜にかけて。
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日曜の午後、学園祭に行く。後輩たちの作品を見る。
自分の作品を上映してもらう。
今回は新人たちの作品が多く、
中には8ミリで撮った映像をDVに落として、という志の高い新人もいた。
頼もしい限りである。
この年になると学園祭そのものには興味はなくなり、あちこち見て歩くことはなし。
同時期に開催される国立の大学通りのお祭り、天下市でもお好み焼きやたこ焼きを買ったりはせず。
母校の先輩ということで「くらたま」倉田真由美が呼ばれて講演を行ったらしく、残念なことに昨日。
ゲストは高橋がなり。これは見たかったなー。
OB会までの間に暇ができると、DiskUnionに行く。
サニーデイ・サービスのインディーズ時代のCDが見つかる。
もちろん後のフォーク路線でもなんでもない頃のやつ。
7800円。音楽的に興味ないんだけど、
ここで逃すともう2度と目にすることないかもしれないと思い、買うことにする。
メジャーデビュー直後のEPもあって、ついでにそれも買う。
これも珍しいやつ。
夜になってOB会。卒業したばかりの若手は何人か来ていたようだけど、
ある程度より上の代になると僕だけ。
ここ何年かOB会に出る人の数が減ってきたけど、ここまで来たか。
どうすんだろうな・・・、これから。
2次会に出た後、3次会。終電逃して、タクシーで帰って。
結局去年と同じ流れ。
去年タクシーで帰ったときは7000円かかって、
「たっけー」とか「寝てるときぼられたんじゃないか」と思った。
今回もそれだけかかって、「そんなにするもんなのか」ということがわかる。
たいした距離じゃないのにな。
1次会では寄付を求められ、気前よく万札を出す。
とにかく金を使いまくった。
年に1度の祭りだし、ま、いっかと思う。
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「on fire」の上映に関して。
映画サークルの若者たちだけあって、みんな目が肥えてる。
脚本上のうまくいってないところがビシバシと指摘される。
「よかったです」と言ってくれたのは1人だけ。
この作品の完成度というか力というか立ち位置がよくわかった。
「車の中のやりとりを充実させるべきだったんじゃないですか?」
「ニルスが1人だけ死ぬ理由がよくわからない」
などなど。
自他共に納得できる脚本を完成させてから
撮影に望むべきなんじゃないかという話を飲みながらどこかでしたように思う。
だけどそれを待ってるといつになるかわからないしなあ。
撮れるタイミングってのもあって。
それを逃してしまうと次はいつになるものやら。
今回の撮影は「見切り発車」のようなものだったけど、
あの脚本を今の視点から直したいかといえばそうは思っていない。
良くも悪くもあの形で着地というか離陸してしまっているものなので、
何をどうするべきだったのかについて、僕は今でもあれでいいと思っている。
迷いなし。後悔なし。
でもそれが他の人にとって面白くない、共感が得られないというのなら
僕の物書きとしての力量が足りないってことなんだろうな。
全く別な視点からの感想の方が多かった。
「働きながら映画を撮ったのってすごいですね」「励まされます」というもの。
僕の中で確かに今回そういうポイントもあったので、
そっちの方は成功したのだからまあいいやと思わないでもない。
果たして次は作るべきなのか?
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月曜、軽い二日酔い。何もする気なし。
日曜の上映会で気になった箇所をいくつか手直しする。頭から見てみる。
「on fire」これでもう、いいだろう。
今度こそ完成。
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僕としては今回作ってみて「よかった」と思う。
手伝ってくれる人がいて、見てくれる人がいて。
なんのかんのあったけど今僕はいろんな人に感謝したいと思っている。
野暮ったい言い方だけど。
[1059] 「KILL BILL」/「一粋之夢」/「マトリックス」 2003-11-02 (Sun)1日遅れで土曜のことを。
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昼ごろふと「KILL BILL」を見に行こうと思い立ち新宿へ。
コマ劇場裏の映画館に行くと、40分近く前に着いたのに
ロビーでは次の回を待つ人が既にずらっと並んでいる。
タランティーノ人気いまだ健在なのか、それともただ単純に予告のポスターにて
黄色のトラックスーツを着て日本刀を振りかざすユマ・サーマンがかっこいいからなのか。
「レザボア・ドッグス」を見て「こいつすげー」と思い、
「Pulp Fiction」で全世界の人々同様「やられた!」と感激したものの
「Four Rooms」がかなりイマイチで
オリバー・ストーンが監督した「ナチュラル・ボーン・キラーズ」も中途半端で
結局「ジャッキー・ブラウン」を見ることがなかった僕。
久々に劇場へと足を運んで「行ってよかった!」と素直に思う。
タランティーノ復活。
面白いわ、これ。
自分を裏切った組織に対する復讐劇、全編人切りまくり撃ちまくり殺しまくり、
そうとしか要約しようがないのになんか非常に「充実」したものを見せられたような感じ。
それはタランティーノが映画オタクで、
古今東西のいろんなB級映画のエッセンスを放り込んでいるから、というのではなく、
ほんともう映画を作るのが楽しいから作ったっていうのが
ナチュラルに伝わってくるからなんだと思う。
カンフーにマカロニウエスタンに東映ヤクザ映画に東宝怪獣映画、なんでもかんでも
ぶち込んであるのは「だって、その方が面白そうじゃん!!」っていうだけなんだろうな。
映画に対する愛情、この1点。キラキラと輝かんばかりの憧れ。
それがなんの打算もなく「いかにして観客を楽しませるか」っていうのとダイレクトに繋がってるから、
タランティーノの見たいものがそのまま観客の見たいものになってしまうというとんでもないマジック。
やってることにいささかも迷いがなくて、
タランティーノって世界で最も幸福な映画監督だと言っていいだろう。
「徳」のようなものすら感じる。
相変わらずセリフやディティールのセンスが最高。
ただ一箇所気になったのは青葉屋の一大アクションシーン、
余りにも正等派過ぎて切ること・切られることにのみアイデアを注ぎ込んでいるような。
もっと突拍子もなくて荒唐無稽だったらよかったのになあ。
「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」の1シーン。敵に追われ追われて舞台は中東の飛行場。
三日月刀を手に悪漢がジリジリと迫ってくる、
映画を見ている人はここから息詰まる殴り合い・蹴りあいが始まるんだなと固唾を呑むのであるが、
インディ・ジョーンズはなんと腰からピストルを取り出してパンと撃って終わり。
やれやれと首を振りながら。
見てる人は唖然とするし、思わず笑ってしまう。
なんかそういう突拍子もないアイデアがあってもよかったよなあ。
青葉屋にて何十人も相手にユマ・サーマンが1人で立ち回り、
これってものすごい見せ場なんだろうけど、ここだけなんかちょっと長すぎた。
アクション映画の伝統に敬意を払ってるのはよくわかるし、潔いんだけど。
そうは言っても、2時間あっという間。
ここまで時間を短く感じた映画は初めてだ。「え?もう終わり!?」みたいな。
早く続きが見たい。来年の春が待ち遠しい。
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3連休ってこともあるのか、あるいは映画の日ってこともあるのか(1000円で見られた)、
コマ劇場裏の広場にはテントが張られていて、見終わった後の半券でクジが引けるという。
ガラガラと回すとオレンジ色の球が出てくる。
下から3つ目の賞らしい。他の賞は商品名が書かれているのにF賞だけ「お楽しみ」とある。
後で中を見てみるとヨーヨーだったりマクドナルドで配ってたキティちゃんグッズだった。
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見終わった後、新宿にて「一粋之夢」という展示会に顔を出す。
会社の知り合いが参加しているグループが開いたもの。
お茶を飲みながらその場にいた人たちと話をする。
アメリカのテレビドラマに見る宇宙人の見分け方、
「アマデウス」がいかに優れた映画であるか、
絵がうまくなるにはとにかく描き続けるしかないのか、などなど。
いろんな人が参加しているようで出展されたものはどれもこれも雰囲気が違う。
描きたいもの、表現したいもの。上手い/下手と感じさせる何か。
ニューカレドニアの海辺の夕暮を撮った写真が吸い込まれそうなくらいに美しく、
図鑑を見ていたら目に留まったという猿を描いた絵がなんかすごく気になった。
知り合いの描いた絵は旅先の風景を描いたもの。
本人による「人物を描くのって難しい」というコメントがあった。
おそらく旅先で撮った写真を元に描いているのだろう、と僕は思った。
何も見ないで記憶とか思い出とかで描いたらいいのではないか。
絵画ってその多くは一瞬を捉えたものになるんだろうけど、
写真という形で切り取られた一瞬と
描く人の頭の中で形作られた一瞬とでは重みが違うんだろうな。
そういうのが人物の描き方に現れているのではないかと僕は考える。
(感想ノートにも書いたことだけど、失礼なことを言ってすいません)
それで食ってるわけではないんだから
その人が好きなように描いていればそれでいいんだろうけど。
お世辞とか社交辞令を書くのもなんだし、
こういうのの感想って難しい。
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歌舞伎町にいたので、沖縄食堂「やんばる」でゴーヤ・チャンプルー定食を食べる。
うまい。他にもどっかうまいゴーヤ・チャンプルーはないものか。
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部屋に戻って、「on fire」の編集し直し。
昨日の上映会で「ああ、ここ間延びしてるなあ、短くしたいなあ」って箇所が
いくつもいくつもあったため。
日曜は学園祭で上映するし、今日、土曜の夜にやっとかなくてはならない。
あちこち切りまくって全体で1分程度短くなった。
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「KILL BILL」を見ていたら、「マトリックス レボリューションズ」の予告編が流れた。
見てると無性に第1作が見たくなった。いまだに見てない。
今確かDVDが1500円で売ってんだよなあということを思い出し、買いに行く。
夜、早速見る。
こんな面白いものを俺はこれまで見逃してたのかと後悔する。
「リローデッド」をDVDで買って、
予習つうか復習した後に「レボリューションズ」を見に行こうと思う。
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こうやって振り返ってみるとあれこれ忙しくいろんなことをした1日だった。
[1058] 会社で上映会 2003-11-01 (Sat)金曜の夜、会社でこっそり「on fire」の上映会を行った。
人の少ない茅場町の方のオフィスで、「打ち合わせ」と称して一番広い会議室を借りて。
定時後、電車と地下鉄を乗り継いで茅場町へ。
たかだか1ヶ月ぶりなのに妙に懐かしい。
プロジェクターを運んで、ビデオカメラに繋いでみて、
会社の備品のスクリーンが使えるかどうか試してみて、音の大きさを調節して、
そんな作業をしていると学生時代に戻ったみたいだった。
上映会の前日、もしくは当日の朝。
集まりの悪いサークルだったので、割と部員はいたのに
僕ともう一人ぐらいで準備しているってことが何度かあったな。
教室の窓にベタベタとガムテープで暗幕を貼って。
ビデオデッキの位置とスクリーンの位置を少しずつずらしていって
ベストなとこで固定しようとする。
「右の方下がってない?」ってんでプロジェクターの下にノートをかましてみたり。
今日の僕は同期の2人が準備の間顔を出してきて
「なんか手伝うことある?」と声をかけてくれる。ありがたいものです。
会社のスクリーンはどうにもボロボロで使い物にならず。
会議で誰も使ってなかった理由がこんなときにわかる。
仕方なくホワイトボードに映し出すことにする。
7時を過ぎてパラパラと人が集まりだす。
普段からよく話してる人、それとなく付き合いのある人、これまで接点のなかった人、
全部で10人ぐらいになった。
もしかしたら2・3人でこじんまりと、もしかしたら20人ぐらいの大盛況で、
なんて事前に考えていた。ちょうど平均、ってとこか。
なんにせよわざわざ仕事の手を休め来てくれた人のことはありがたく思います。
上映終了後、「面白かった」とか「ちゃんと映画になってる」などと言われるものの
果たして見るに値するものだったのかどうか。
どうなんだろうなあ。
普通の会社員って素人の作る映画って普段見る機会がなくて
映画って言うと「踊る大走査線」や「マトリックス」なわけで。
レストランのコース料理と友達の家に行ったら食わせてくれたメシぐらいの差があること、
佇まいとしてわかってもらえただろうか。
そんな中多少なりとも「おいしい」と思ってもらえたのなら、こんな嬉しいことはない。
[1057] 金属的な色彩 2003-10-31 (Fri)以下、ふとしたことから気になってインターネットで調べてみる。
短期間でがさっと漁ったものであるし
そもそも化学は高校のとき追試を受けていたくらいなのでかなり覚束ない。
情報としてはところどころ間違っているかもしれない。
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絵の具の原料とは大雑把に言って
顔料とそれを固着させるもの(油やアラビアゴム、合成樹脂など)とに分かれる。
アラビアゴムを使うと、水彩絵の具になる。
顔料と一口に言っても金属系のものもあれば植物や貝に含まれるもの、
化学的に合成されるものとがある。
絵の具として12色・24色のチューブにパッケージ化されていて
見た目には単なる「色」でしかないにしても、
その中身は全然別な物質ということになる。
金属系のものが数多く存在する。
化学的に合成するものがあれば、天然の顔料として土の中に含まれる者もある。
「セルリアンブルー」は錫酸コバルトを主成分とし、
「コバルトブルー」はアルミン酸コバルトというもののようだ。
その他、例えば以下のような感じ。
「シルバーホワイト」 鉛白
「クリームイエロー」 クロム酸鉛
「イエローオーカー」 水酸化鉄
「バーミリオン」 水銀
「ビリジアン」 水和酸クロム
「エメラルドグリーン」 銅+砒素
「バライタグリーン」 マンガン酸バリウム
「マラカイト」 塩基性炭酸銅
「ローアンバー」 酸化鉄
「ローシェンナ」 水和酸化鉄
名前の中に思いっきりそれらしきものが含まれているものもある。
「ジンクホワイト」 亜鉛華
「チタニウムホワイト」 酸化チタン+亜鉛華
「チタンホワイト」 酸化チタン
「チタンストロンチウムホワイト」 チタン酸ストロンチウム
「カドミウムイエロー」 硫化カドミウム
「カドミウムレッド」 硫化カドミウム+セレン化カドミウム
「ミネラルバイオレット」 燐酸アンモニウム+マンガン
「クロムレッド」 クロム塩酸+水酸化鉛
「アイアンブルー」 フェルシアン化カリウム+硫酸鉄
「マンガニーズブルー」 マンガン
「濃口コバルトバイオレット」 リン酸コバルト
「淡口コバルトバイオレット」 砒酸コバルト
「コバルトグリーン」 酸化亜鉛+酸化コバルト
「フタロシニアングリーン」 塩素化銅フタロシニアン
金属系の顔料は原料が高価なことから実際には余り流通していないようだ。
他の色を混ぜ合わしたもので代用していたりするらしい。
また、上記物質は原料としてそもそも化学物質なわけで
組み合わせによっては危険なもの、単体でも毒性を持つものがある。
キャンバスの上、画用紙の上、
色彩を隣接させ、重ね合わせることで生み出され、絵画と称されるもの。
それは視点を変えて眺めると
子供たちによる無垢な理科の実験のようなものでもあるわけだ。
化学的に美しい組成を持つ絵画。そのようなものも存在するのかもしれない。
[1056] 六本木ヒルズに行ってみる 2003-10-30 (Thu)午前中、社外で打ち合わせ。11時半に終わる。四ッ谷。
午後、2時より社外で打ち合わせ。新橋。
ものすごく半端な時間の空き方。
竹芝の会社に戻ればメールの1本でも返信できるのだろうが、
昼休みたるものメシを食って一服しなくてはならない。
「どうします?」と10月からの上司と相談し、
なんとはなしに六本木ヒルズへと向かうことになる。
とんかつ屋でカツ丼を食った後、12時半。
13時半には六本木を出なくてはならなくて1時間ぐらいしか余裕は無い。
それでも行く。
四ッ谷からなら南北線で六本木一丁目まで1本で行ける。
しかし、六本木そのものではない。2人ともその辺りの土地の事情に詳しくない。
もちろん、オープン以来「ヒルズ」には行ったこともない。
「こういうときって、迷って歩き回ってようやくたどりついた頃に
あ、戻んなきゃってことになるんですよね」と僕は言う。
それでも、行く。
六本木一丁目で降りて地上に出ると何やらこじゃれた雰囲気。
「泉ガーデン」というらしい。
「ここが六本木ヒルズだよ」と嘘つかれたら信じてしまいそう。
サントリーホールがあって、周りは大使館がちらほら。
斬新なデザインのビルとマンション、ギャラリー。典型的な再開発地域。
プチ六本木ヒルズっていうか飛び地。
テクテクと歩いてヒルズを目指す。
高いビルが1つでーんと聳え立っていて、「ああ、あれだな」と思う。
「遠くに見えるからといってそこを目印に行こうとしても、
なかなかたどりつけないよね」と上司は言う。
六本木まではなんなく到着する。
だけどいざ着いてしまうと、周りは高めの建物ばかりで
聳え立っていたビルがどこにあるのかわからなくなってしまう。
間違って余計な交差点を渡ったりする。
これか!と中に入っていく。脇のデパートみたいなのから。
「これ、どこからどこまでを六本木ヒルズと言うのか?その範囲は?」
と僕は思う。上司もそう思う。
広い、というのではなくて、境界線が曖昧。
どうやらビルだけじゃなくてその周りの一帯も範囲に含まれるようだ。
エスカレーターを上ったり斜面を歩いたりしているうちに2階か3階に出る。
人工的な滝があったりなんなりでモダンな雰囲気の広場。
平日の昼間だというのに人がたくさんいる。
近くから来たのか、遠くから来たのか、観光客が多そう。
心ゆくまであちこち見てるわけにはいかないので
とりあえず展望台まで行ってみることにする。
53階という高さ。
入り口と展望台そのものとが違う建物にあって、
入り口の1つ上の階で通路が渡されているという摩訶不思議な造り。
さすが六本木ヒルズ。意味も無く斬新なデザイン。
エレベーターに乗るとあっという間。
その昔池袋のサンシャインの展望台を上ったときも「はえー」と感心したものであるが、
もう比較にならない。
気のせいか天井全体に広がったライトの色が少しずつ微妙に変わっていったように思う。
53階ともなると眺めはすごい。
東京タワーを見下ろすんだもんな。
その向こうに会社のビルを探し、「あれか!」「ちっちぇー!」と唸る。
一周してみる。
四方八方ぎっしりと建物が広がっている東京ってたいしたもんだ。今さらながら感心する。
足元に青山墓地。
「この前売り出ししたよねー」「何百倍にもなったやつでしょ?」
そんな会話をする。
つい先日オープンしたばかりの森美術館が同じ階にあって、
開館記念の展覧会「ハピネス」を見る。
時間が無くて駆け足。
これがもう噂通りの無節操。
時間と空間というか地域と歴史を思いっきり、清々しいぐらいに無視。
センスのいい人がまとめると、ここまでごちゃごちゃでも
なんぼでも意味ありげなまとまりが生み出されるものなんだな、と驚かされることしきり。
オノ・ヨーコのリンゴがあったり、
ピカソがマネの「草の上の昼食」のパロディをしていたり、
この作品新しそうだなーと額の脇の札を見てみたら描いたのは僕よりも若い画家だったり!
2階分のギャラリーがあったにもかかわらず時間切れで下の階のは見ることができず。
つうか上の階のもかなりあわただしく。
これは一見の価値あり。すごい。
休みの日にもう1度見に行こうと思う。
詳細は後日。
[1055] 悟りを開く 2003-10-29 (Wed)つまるところ「人生」とか「生きる」ってのは単なる暇つぶしなのではないか。
最近そんなふうに思うようになった。
だからそこには大袈裟な意味合いなんてものはなくて、
結局は瞬間と瞬間の積み重ね、そこに抱く感情の積み重ねでしかなくて、
その連続性に何かしらの錯覚を感じているだけなのではないか。
どこにも出かけず誰にも会わず社会的にたいしたことをしていない人も
あちこち出かけいろんな人に会って端から見て楽しそうなことをしている人も
そこには表面的な違いしかないのであって、
立ってるのと座ってるのと寝てるのとでは
どこにどのように差があるのかという議論をしてるのとあんまり変わらない。
生命というものの断続性のON/OFFが
慣習的に余りにも多くの意味合いを持つようになって
人類とか人間というものは高尚になり過ぎている。
僕は何も野生に帰れと言っているのではない。
深く悩んだところで余計な皺が増えるだけ、
惰性でぼんやり生きていくのもそんな悪いものではないのではないか、
何事もどうにでもなって
そのほとんどが自分の預かり知らぬところで決められて動いているのだから、
ただそれを甘受するのでもいいのでもないか、今そんな気持ち。
流れに身を任せようが、自ら意思決定し行動することを心掛けようが、
得られるものも失うものもそんなに大差は無いのではないだろうか。
一個人としては。
死ぬときは死ぬし、生きているときは生きている。
ただそれだけなのだから、もう何も怖くない。
開き直って目の前の物事を右から左に移していく。
こんなことを考えている僕って今かなり「ふぬけ」なんだろうな。
でも、まあ、それも仕方ないかと思っている。
いろんなことに諦めがついた。
後は余生。
適当に働いて適当に生きていく。
[1054] 「Let It Be ... Naked」 2003-10-28 (Tue)ビートルズの新譜「Let It Be ... Naked」が発売される。
ビートルズ関連の商品としては久々に「おおっ」と思う。
これは是非とも買わないと。
90年代以後に発売された「BBC Live」も「Anthology」も
あんまり興味が湧かなかったが税金だと思って一応買っている。
でも1度聞いたきり棚で埃をかぶっている。
「Free as a bird」ってそんないい曲か?
「Real love」はやっぱ「Imagine」のサントラの方が断然いい。
オリジナルのアルバムさえあればそれでいいんだよなあ。
だいぶ前にも書いたことではあるが、
僕の中で最も好きなアルバムはもう長いこと「Let It Be」ということになっている。
冒頭の「Two of us」から「Dig a pony」という流れがとにかく心に染みる。
今回のオリジナルヴァージョンではプロデューサーだったフィル・スペクターが
編曲したオーケストラのバックやコーラスが無くなって純粋にビートルズの演奏だけになるらしい。
これってどういう音になるんだろう?
ウォール・オブ・サウンドで有名なフィル・スペクターが
オーヴァープロデュースだと昨今言われてはいるものの
「The long and winding road」はこれまでの形で耳慣れているし、っていうか全然これで問題ない。
「Let It Be」というアルバムはやはりあのままにしておきたい。
今回のアルバムの意味合いとしては
裸のビートルズはどんな演奏をしていたのかという一種のドキュメンタリーなんだろうな。
「Anthology」の一種の亜流。
(どうせならいつかアップルの屋上で行ったセッションもCD化してほしい)
そんなわけで商品の詳細を見てみようとHMVのサイトを覗いてみると、
「お客様からのレビュー」のところではたくさんの書き込みが。
さすがだなあと思うのであるが、よく見るとほとんどの人が10点満点中の1点という評価。
なんでも東芝EMIがCCCD(コピーコントロールCD)で発売するというのが気に食わないようだ。
音質が最悪、場合によってはプレーヤーが壊れてしまうことすらあるのに
それでもCCCDで作成する神経がわからない、
しかもそういった声に対する(?)東芝EMIの対応としては
日本盤だけ先行発売する(ことで売上を確保する?)というもの。
東芝EMIには失望したとみんなして書いている。
中には「不買運動」を起こそうという人も。
UK盤は通常のCDであるため、そっちを買うと。
CCCDの音質の悪さが問題なのか、
本音としてはそもそもMP3やCD−Rにコピーできないことが問題なのか、
僕にはよく分からない。
欲しくなったらとりあえず買ってしまう一方で
年がら年中外出先で常に音楽を聞いているわけでもない僕からすればコピーの必要は無いし、
これまでCCCDの音質の悪さっていうのに気がついたほど僕の耳はよくはない。
安易にコピーなんかしてほしくないというレコード会社の言い分ももっともだと思う。
だけどあのビートルズの音源をCCCDで出すっていうのも「みみっちい」話だとは思う。
ああ、単なる商品でしかないんだなあという姿勢がうかがえて、がっかり。
レコード会社からすればビートルズは(当分)永遠に売れ続けるドル箱なのは確かだが、
世界的な音楽遺産として認定され、もっと緩やかに扱われてもいいのではないかとも思う。
本人たちだって今アルバムが売れなきゃ食ってけないというのでもないだろうし、
レコード会社だってビートルズだけで商売してるのではないんだから。
ま、とりあえずは聞いてみてそもそも音楽として面白いかどうか。
早く聞きたいなあ。ワクワクする。
たぶん僕は日本語の解説が欲しくて日本盤を買うと思う。
それと普段聞くように輸入盤も。
[1053] 「アララトの聖母」 2003-10-27 (Mon)日曜の夕方、アトム・エゴヤンの新作「アララトの聖母」を見に行く。
都内での上映は1箇所のみ。
日比谷シャンテだったのが途中から日比谷スカラ座に変更になったようだ。
1915年に起こったトルコでのアルメニア人の大量虐殺をめぐる物語。
(アトム・エゴヤンのルーツはアルメニア系移民。カナダ在住)
虐殺を生き延びた画家アーシル・ゴーキー、
幼い頃の彼を登場人物に事件を映画化しようとする監督、
ゴーキーに詳しいことから映画の撮影に加わる美術史家の女性、
映画の現場を手伝うことからやがてアララトへと旅立つ息子、
アララトから帰ってきた息子を空港の税関で尋問する年老いた男性、
これらの人物のそれぞれの記憶/語り、
そしてゴーキーの代表作「芸術家と母親」を軸に、
重層的な物語が展開される。
映画内映画としてトルコ人とアルメニア人との戦闘と
そこから発生する大量虐殺の場面が描かれ、
その映画の撮影現場を中心に様々な登場人物が入り乱れ
(その関係は知らず知らずのうちに結びつき合っている)、
フィクションとノンフィクションとの境界線が意図的に曖昧にされ、
難解な映画であることは否めない。
過去(歴史的な過去と、つい最近の出来事としての過去)と現在とを行ったり来たりして、
どこが「現在」なのかやがてわからなくなる、そんな迷宮のようなつくり。
それでいて個々の映像は美しく、重厚でありながら詩的という
まるでテオ・アンゲロプロス(「旅芸人の記録」)の映画のよう。
アトム・エゴヤンもここまで来たか。
とんでもない完成度。芸術的な観点で、今年を代表する1本なのは間違いない。
アルメニア人の大量虐殺が行われた、トルコ政府は未だにその事実を認めようとしない、
その記憶/歴史は風化しようとしている。
そもそも何を訴えかけようとしているのかがはっきりしていて、
これでもかこれでもかと様々な視点/立場で
それぞれにとっての事実を語らせるという姿勢が見ててぐっとくる。
カナダに移り住んだトルコ人の2世にとって大量虐殺という史実はどんな意味を持つか。
自分の父を殺した原因であると信じて疑わない女性が研究しているアーシル・ゴーキーと
その絵画が自分にとって持つ意味とは何なのか。
前々作「スイート・ヒアアフター」がカンヌでグランプリ。
カナダの小さな町で起こったバスの転落事故をめぐるやはり詩的で迷宮のような物語。
あれが気に入った人なら是非とも見てほしい、
・・・というところなのだが「アララトの聖母」は今週金曜で終わり。
もったいないものだ。
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日曜の夜はその後大学の先輩のウェディング・パーティーに出席。
僕らの映画サークルと仲の良かった人。学園祭の委員長だったりする。
「この人は幸せな結婚をしてほしいなあ。するんだろうなあ」とみんなで言っていたものであるが、
実際きれいで優しそうな人を見つけて、突然のゴールイン。
ほのぼのした気持ちになった。
[1052] 最近の微妙な出来事 2003-10-26 (Sun)最近の微妙な出来事。
**********************
その1:
大学の先輩(♂)が「だめんずうぉーかー」に出ているという情報を入手。
「だめんず」としてではなく、取材に出かけたデートクラブの男性の一人、ということらしい。
ライター家業をこなしていくうちにそんな仕事が舞い込んできたのか。
やらせなのかマジでバイトしてたのかはわからない。
買ってきて読んでみると確かにそれらしき回が。
でも、似てない。似てなくもないが、どっちかといえば似てない。
なんつうかどうでもいい特徴だけをわざわざピックアップして描いたっていうか。
資料として撮った写真を元にしたんだろうけど。
それにしても、先輩。
マンガに書かれていることが事実ならばヨーコ会長とジェットコースターに乗って、
写真のコーナーでピースしてたらしい。
ええなあ。
**********************
その2:
9月は暇だったので10時に会社いったり、平日休んでたりしていた。
朝起きるとNHKの連続小説をやっている。浅草のうなぎ屋の若女将の話だったか。
なんとなく見てしまう。
見てると、「こころ、部屋を出る」「たくみ、きよ川を訪れる」などと
登場人物の行動が逐一簡潔なナレーションで解説される。
「すげー。斬新な演出だなあ」と思いながらずっと見ていた。
リフレッシュ休暇で青森に帰ったとき、
母親が見てるのでやはり「こころ」を見ることになる。
見てて「あれ、ナレーション入んないじゃん」と思う。
そこでハタと気づく。
僕の部屋のテレビはある日たまたま2ヶ国語放送に設定した後
リモコンが行方不明になってずっとそのまま。
あれは目の不自由な人のための「解説」だったのだ。
**********************
その3:
地下鉄に乗っていると急に腹が痛くなった。
次の駅で降りてトイレを探す。
あった。
駆け込んで大の方を見るとラッキーなことに空いてる。
中に入ってまず、携帯電話や財布などジーパンのポケットから取り出す。
いくら我慢の限界に近づいていても冷静に対処することを忘れない。
ベルトをはずし、ジーパンを下ろす。
「あ、トイレットペーパーないじゃん」
紙がないのではなく、そもそも備え付けられていない。
地下鉄ならよくある話ですね。
「ふーあぶねえ」「さすが、オレ」と思いジーパンを履き直す。
こんなときに限って、まったくの手ぶら。
入り口にティッシュの自販機があるだろうと
いったんドアの外に出て「あった」と財布からお金を取り出し、
投入口に入れてると、
急に現れた中年の男性が大の個室に入ってしまった。
ドアが閉まる「バタン!」という音。
「そこ、僕の!」と言うわけにもいかず、
他にトイレがないか探し回ることになる。
[1051] 消防車/防災訓練/ハロウィン 2003-10-25 (Sat)上井草スポーツセンターに行くと、「杉並区合同検査会場」と書かれた看板が立てられていた。
消防車が何台も止まっている。
2階のグラウンドが貸切になっていて、何かしらのイベントの準備が行われていた。
直径1mほどのオレンジ色のプールがあちこちに置かれ、そのうちのいくつかにはホースがのびている。
横一直線につながった白いテントの下にパイプ椅子がずらっと並べられている。
消防士特有の青いつなぎのような服を着て青い帽子をかぶった人たちと、
自衛官や警察官のような紺色の服を着た人たちがパラパラと集まりだしていた。
青の人たちは「現場」の代表ってことで、紺色の人たちは「管理」ってことなのだろうか。
とにかく何かしらの運動会のようなものがこれから始まりそうで、
前者が競技に出て、後者が品評会を行う、そんな感じだった。
グループ対抗で何か行うらしく、4・5人の集団がリヤカーの上に
ポンプとホースが装備された小型の消防車をのんびりと
グラウンドまで引っ張っているところを走ってて何度か追い越した。
これからいったい何がどんな風に行われるのだろう?と興味が沸いたのであるが、
走ってたのが11時半、だだっ広いグラウンドを埋めるポツポツとした人たちの群れを見る限り
この分だと1時ごろまで何も始まらないかと思い、待つのはやめる。
帰り道自転車に乗っていると、慌てて自転車を漕いでいる紺色の制服を着たおっさんと2回、すれ違う。
そういえば昨日、会社で防災訓練が行われた。そんなことがあるの、すっかり忘れてた。
昼の2時。たまたま昨日に限って6階にノートPCを持ち込んで作業していると、
誰かよその部門の若者が恥ずかしそうに「火事だ!!」と叫ぶ。
そのすぐ後、社内放送で「6階の喫煙ルームで火災が発生しました。
6階の人は係員の指示に従って避難を始めてください」と言われる。
ぞろぞろのろのろと非常階段を降りていく。
「最近忙しいの?」とか「あれうまくいった?」とか世間話があちこちで聞こえる。
1階に下りていくと消防署の人がいたり、
社内の防災委員の人たちが机を持ち出して「情報の取りまとめ窓口」みたいなものを用意していたりする。
一般の社員が何をすることになっているのか、イマイチ僕はわかっていない。
前の人たちに続いて何も考えず歩いていく。会社のビルを1周する。
「煙体験」と書かれたテントの中に入っていくってのもやった。
入り口付近には「この煙は無害です」と書かれている。
テントの中に入って白い煙の中を歩く。やはり何も考えずぼーっと。
1周し終えると駐車場の入り口から地下に入っていって、
これからどうするんだろう?と思いながら歩いているとエレベーターに乗ることになり、
6階で降りたらそれでどうも終了らしい。「変なの」と思わないでもない。
席に戻ると社内放送がまた入って、
「6階の火が強くなりました。依然として消火活動が続いています。
8階と9階の人も避難を始めてください」ってことで、
のんびりとした雰囲気の中、訓練はまだまだ終わらないようだった。
ジョギングから戻ってきてふと家の近くの電柱を見ると、
消火器を格納しておく赤い鉄の箱が設置されているのに気づく。
いつからあったんだろう。僕が引っ越してくる前からずっとあったんだろうな。
中学校のとき、バスケ部やバレー部の生徒が練習の前に体育館でサッカーを始め、
ボールがぶつかって消火器が破裂、白い粉が当たり一面に撒き散らされる、
部員たちは顧問の先生に説教される、そんなことが何度かあったのを思い出す。
近くの小学校ではハロウィン絡みの何かがあったようで、
子供4・5人に対し親が1人という構成の小さな集団があちこりの通りを歩いていた。
子供たちは黒や白やオレンジといった色の使い捨てのレインコートやゴミ袋を服の上にまとっている。
その表面には折り紙で折ったのか、例のカボチャが貼り付けられていた。
その他にも骸骨を意識した模様だとか、子供の数だけ、いろいろと工夫されていた。
それぞれの家を訪れると子供たちの母親がお菓子を配る、ってことにでもなっているのだろうか。
日本にもハロウィンが定着する日が来るのか。
吉祥寺に買い物に行ったらユザワヤの前には巨大なカボチャが飾られていた。
[1050] 葬儀における常識の有無 2003-10-24 (Fri)火曜の夜にKさんの通夜に出席したことをこの前書いた。
その続きといえば続き。
いかに自分が世間一般の常識が無いかという話。
当日、通夜に行くべきだよな、どうしようかなと思い、
黒っぽいスーツを着て、黒っぽいネクタイをする。
定時を過ぎると電車に乗って斎場のある駅へと向かう。
駅で会社の元同僚たちと待ち合わせることになっている。
山手線に乗っていてふと、「通夜って香典を持っていくんだっけ?」ということに気づく。
何の用意もしていない。普通いるよな。「やっべー」と思う。
駅で会ってすぐ元同僚たちに聞いてみると「当然じゃない!?」と驚かれる。
近くのローソンで「御霊前」と書かれた袋を慌てて買う。
同僚たちにはついでに「こういうときっていくら包むものなん?」と聞く。
相場は3000円のようだ。
「明日の告別式にも出席するのなら今日の通夜では出さなくてもいいけど、
今日の通夜だけならば持っていくべき」とのこと。
こういう「ルール」は地方によって異なる。
斎場の受付に到着して、この「御霊前」をどのタイミングで渡すべきなのか一瞬迷う。
記帳を済ませてからなのか、それともその前なのか。
今から思えばどっちでもよかったんだろうけど、かなり焦ってしまった。
細かいことを言えばさらに、この袋を差し出す方向。
文字が相手に向いてるのが正しいのか?名刺みたいに。
たぶん自分向きだったように思う。
袋に書く名前もその場で書いたし。
頭の中が真っ白になって、故人の冥福を祈るどころではなくなる。
元同僚たちのするように見様見真似で手足を動かして焼香を終える。
2階にどうぞと勧められて上がったときに、
自分は今までスーツの前のボタンをしてなかったことに気付く。
とにかく落ち着きが無かった。
親戚以外の人の葬儀は実はこれが初めてだったりする。
親戚の人の葬儀だと「御霊前」は一家の代表ということで母が渡したり、
東京で僕1人出席というときもタイミングを見計らって
故人の家族の人にそっと渡すということばかりだった。受付という概念が無い。
それに親戚たちに囲まれた葬儀だと気持ちに余裕があるから
同じ見様見真似でももっと堂々とできる。
難しいものだ・・・。
[1049] 「マンマ・ミーア」 2003-10-23 (Thu)会社のイベントで「マンマ・ミーア」を見に行った。
劇団四季が汐留シオサイトに新しく作った劇場「海」にて上演。
ABBAの往年のヒット曲を散りばめたミュージカル。
ニューヨークに始まり、全世界で大ヒットしたものの日本版。
いきなり書くのもなんだけど、ものすごくつまらんかった。
一緒に見ることになった会社の人たちには悪いけど。
日本版、日本語版ってことでかなり無理してるんじゃないかっていう気がした。
サイズの合ってない服を着てバタバタしているような雰囲気。
全編にわたって違和感を感じた。
これって僕だけ?
そもそも僕としては、歌ってないとこでのあの大げさなセリフの発し方がとにかく嫌。
劇団四季に共通なのかどうかはよくわからんが。
大掛かりな学芸会みたいで、見てて寒かった。
ところどころ散りばめられていたギャグの類いもほとんど受けてなかったし。
(オリジナルの脚本にあったものを日本向けにアジャストしたのだろうか)
つうか、ABBAの曲はABBAの歌・演奏で聞く方が断然夢があって、
日本人が大勢で合唱するのはなんか違う。
ABBAの曲、例えば「Dancing Queen」に満ち溢れているきらびやかな魔法の力が
ごっそり削ぎ落とされて、単なる大音量のミュージカルナンバーに成り下がっていた。
ニューヨークやロンドンではもっと違うノリだったんだろうな。
断然迫力があったのではないか。
劇団四季のは日本人に媚びてるように思えた。
その分迫力がなくて、ちまっとしていて、精彩に欠いていた。
全編英語のままの方が面白かったかもしれない。
英語の話せない日本人が70年代に洋楽に憧れたような、
そんなノスタルジアを擬似的にも味わえたならよかったのに。
あんなのただのヒットソング集、歌謡レビューじゃねえか。
「ライオンキング」のときは世間一般で言う「感動」こそしなかったものの
素直に「面白いなあ」「すごいなあ」と思った。
「劇団四季って侮れんな、力があるな」と唸らされた。
それだけにがっかり。
(機会があったら「キャッツ」を見てみたいとは思う)
最後の最後、ABBAの曲を出演者全員で歌い踊る場面があって、
ここで客席の人たちも立ち上がって一緒に踊るってことになっていたのであるが、
2階席は会社の人たちばかりだったのでほとんど立ち上がらず。
僕の周りでちらほらと立っていたぐらいか。
以前見たことのある人いわく、今日は客席の反応が悪かったせいか曲が少なかった、
前見たときはもっと曲が多かった、とのこと。
もちろん僕も立ち上がらず。
「つまんなかった」と言ったら「そんなのオカムラさんが病んでるからですよ」って言われた。
「マンマ・ミーア」来年2004年の8月31日まで公演が決まっているのだそうだ。
[1048] Kさんの死 2003-10-22 (Wed)月曜の「業連」(業務連絡を社内システムで掲示したもの)を見ていたら
「職員ご逝去のお知らせ」が出ていて、何気なく開いてみるとKさんの名前があった。
享年36歳。嘘!?と思う。
Kさんは何年か隣の部署にいた人。
正直に言わせてもらうと、僕としては苦手なタイプだった。押しが強いというか。
避けていたと言ってもいい。
先日他の部署に移ろうかなと考えていたとき、「××はKさんがいるから嫌だな」なんて思った。
ついこの間のこととはいえ、我ながらひどい話だと思う。
それでいて、10月頭に竹芝の本社に移ってきたときにエレベーターでばったり会って、
「おおオマエ、元気にしとったか」と声をかけてもらっていたりする。
業連には昨日21日が通夜とあって、「・・・行かないとな」と思う。
なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
Kさんの突然の死と僕が心の中で思ったことっていうのは直接の繋がりはないんだろうけど、
「うしろめたさ」がどうしてもついて回る。
棺の中のKさんを見たとき、何がなんだかよくわからなくなる。
僕は普段、死ぬだの生きるだのってことを書いたりしている。映画も作った。
・・・現実の死というものは「レベル」が全然違う。
真っ白くなって横たわっているKさんの存在というものは
重くもあり、完全な無のようでもあり、そこにいるのに、そこにいない。
大柄なKさんは心臓の調子が悪くなり、一時期入院していた。
金曜の真夜中に家の近くのコンビニで倒れたのだそうだ。
「金曜の夕方、電話で久しぶりに話したんだよ・・・」という人もいた。
通夜が行われた斎場にはその当時一緒に働いていた人たちが
僕の覚えている限り何十人と集まった。
その大半が会社を辞め、新しい職場で働いている。
Kさんのために集まった人たち。
Kさんは多くの人に慕われていた。
Kさんの死を前にして、僕は何を思えばいいのかがよくわからない。
[1047] 世界の終わる日#2 2003-10-21 (Tue)浜辺を歩く。貝殻を拾う。寄せては返す波を見つめる。
僕はジャンパーのポケットに両手を突っ込んで砂の上に座り込む。
子供たちが走り回って叫び声をあげる。
毛糸の帽子をかぶって、毛糸の手袋をしている。
それぞれの色が決まっていて、赤の子もいれば、青や緑の子もいる。
「そろそろ帰ろう」と僕は立ち上がり、子供たちに声をかける。
子供たちがトコトコと僕の側に寄ってくる。
僕は黄色の子の手を繋ぐ。黄色の子は「いつものお話をして」と僕に向かって言う。
ゆっくりと歩きながら、僕は話し始める。
「僕のお父さんがまだ小さかった頃、この世界にはたくさんの人がいました・・・」
僕らが住んでいるような2階建ての建物なんか比べ物にもならないほど
高い高い建物がいくつもいくつも空に向かって聳え立ち、
丘の上の風車が生み出す「電気」が辺り一面に満ち溢れていた時代。
僕は大人になった日、初めてその写真を見せてもらった。
何人もの人の手を経て色あせて擦り切れてしまった写真。
色とりどりの服を着た大勢の人間たち。
何に使うのかよく分からない器具を手に、何かをしている。
空を飛ぶもの、海の上を進むもの、この地上をとてつもない速さで駆け抜けるもの。
僕はもう何年もカメラとフイルムの原理を解明し、写真というものを
この世界に再現させようとしているのであるが、うまくいかないでいる。
いくつかの書物を漁っていくうちに
紙の上にぼんやりとした影を焼き付けることに成功しただけ。
そこから先のことはどうしていいのかわからない。
僕はこの風景を記録として残しておきたいと思った。
後の世代の「人間」たちのために。
言葉が失われていっても、写真ならば何かが伝わるかもしれない。
人間たちがかつて持っていた、ゼロの年よりも前の記憶は、
今この瞬間にも少しずつ少しずつ失われていっている。
言葉という形でこの世界に繋ぎとめられていたものが、消えてなくなっていく。
子供たちにはいくつかの物事を説明することができない。
僕自身理解できない、想像もつかない物事がいくらでもある。
僕はそのことを歯がゆく思う、悔しいとすら思う。
僕がこの子供たちに対してしてやれることはそんなにない。
海に連れてゆくことぐらいしかできない。
この地球という星はものすごく大きなものであって、
僕たちのような生き残りがあちこちに散らばっているのではないかと父は言う。
父が子供だった頃、離れた場所を結ぶ仕組みがいくらでもあったという。
そのために使われたガラクタのいくつかは僕の部屋の中に飾られている。
僕はそのうちの小さなものを時々手に取って、両手で包み込み、過去の世界に思いを馳せる。
僕はその使い方がわからないのに、どんなふうに動くものなのか分からないのに、
懐かしさのようなものを感じる。
交易で訪れる商人たちが、近々遠くまで旅に出ると聞く。
僕はついていってこの世界の果てを見てみようと思う。
広い世界のどこかには過去の時代の生活を取り戻したところもあるかもしれない。
「・・・夜空に浮かんでいるお月様まで、行った人がいるんだよ」
僕は話し終えて、黄色の子の手をぎゅっと握り締める。
黄色の子が立ち止まって、僕の顔をじっと見上げる。
僕は手を離し、毛糸の帽子を軽く叩いた後で、「行こう」とささやく。
村が近付いて子供たちの何人かが走り出した。
いつものように競走になって、みんな、僕の目の前から消えていった。
僕は1人きりになってそのままゆっくりと歩き続ける。
夕暮れ。夜が近付いている。
この世界は暗闇の中に包み込まれる。
[1046] ゴリポン結婚 2003-10-20 (Mon)昨日、大学の寮の先輩のウェディング・パーティーがあった。
学生時代のあだ名は「ゴリポン」
ビール瓶を垂直に立ててイッキ飲みをしながら
胸を叩いて「ウホウホ」とゴリラの真似をする、そんな愛すべきキャラクターである。
僕らからすれば新婦を見るのは今日が初めて。
きれいな人・気立てのよさそうな人だとみんなで評する。
ゴリポン先輩は「相手が人間でよかった」とか「美女と野獣」とか言われることになる。
僕らは下品で有名な寮の出身者なのでこんなときには容赦しない。
「新郎たっての希望で」ということで行われた鏡開きの小さな樽、
結局それをほとんど1人で全部飲ませる。
なんだかんだ突っ込んではイッキ飲み。
終わりの頃には完全に酔っ払いのオヤジ。
誰彼捕まえてはヒシと抱きしめてひげ面をジョリジョリやるか、
僕がされたようにディープキス、あるいは肩組んで飛び跳ねたり。
挙句の果てには股間を突き出して「×××舐めろ」
(↑これはその後お気に入りになって、何度も何度も連呼されることになる)
とにかくご機嫌。
次の店に入ってもペースは衰えず。
さすがに酒は飲めない・飲まさないもののぶっ飛んで呂律は回らず。
あちこちゴロゴロ転がってはTシャツをめくって丸々と太った腹をさらす。
卑猥な言動、あるいは幼児(というか野生に)退行した言動で、とにかく本能丸出し。
周りにいた人は「もーしょーがねーなー」といじくって遊ぶ。
粗相があるとその都度奥さんがあきれたりたしなめたり。
「これからこいつの相手すんの大変だよー?考え直した方がいいよー」と
みんなが口をそろえて言う。
人間ここまで自らを解放できるのかと僕なんかはむしろ感心してしまった。
結婚式の2次会ってやつにこれまで何度か出席したが
新郎はいつだってこれ以上ないってくらいに上機嫌。
いつかは僕もこうなる日が来るのか。
終始ニコニコして大はしゃぎな。
ゴリポンは最後ぼそっと
「寮の連中はいくつになっても損得抜きで接することができるからいいよな」と呟く。
僕らが事あるごとに行っていた「一松」でまた飲みたいものだとしみじみ語る。
最近では誰かの結婚式でもない限り大勢で集まることはなくなってしまった。
今度そういうの企画しないとなあ。
今回もまた入寮初日のとんでもない「歓迎」についての話になる。
麻雀の点数が壁にびっしりと記された部屋で
ビールのケースをひっくり返したやつに1人ずつ立たされて、自己紹介。
紙コップにはビール、最後の締めは日本酒をスリキレで10杯。
この話題になると最近はいつも「ああいうのまたやりたいよねえ」としんみりした雰囲気に。
(「でもできないよねえ」という諦めが強くある)
60を過ぎてみんな悠々自適の生活になったら、
どっかの旅館に集まって「自己紹介」を再現させたいものだ。
同期のやつとそんなことを言い合う。
[1045] 世界の終わる日#1 2003-10-19 (Sun)この世界はあと3時間で終わってしまうことになった。
国際社会で孤立している例のあの国が全世界相手に宣戦布告を行った。
午前0時になると一斉に核ミサイルを四方八方に打ち込むのだという。
その数は実に500を超える。
なんでそんなことをしなければいけないのかはよくわからない。
その国の元首からしてみればとにかくそういうものなのだという。
国民たちは今この瞬間にも着々と核シェルター内に誘導されているようで、
「よって人類滅亡の危機は我が国が存在し続けることで回避される」そうだ。
日曜の夜、僕はテレビを見ながらウィスキーの水割りを飲んでいた。
明日は会社だし昼には大事な会議が入っているから、早く眠るつもりだった。
スポーツニュースをなんとはなしに眺めているとまずはテロップで速報が入って、
そこから先は「番組を中断して」「ただ今入りました情報によると」と緊急事態に。
乱れ飛んだ情報をなんとか整理して小刻みに伝えようとし、
その合間に例の国の元首による声明が何度も繰り返される。
「落ち着いて対処してください」と地震やその他災害のときのように避難の心構えが語られる。
恋人は今どこでどうしているのだろうと思う。
こんなときに限って2週間、大阪に出張だ。
携帯にかけてみてもつながらない。
全国の人たちが誰かに連絡を取ろうとしてかけまくって、回線がパンクしてるってことか。
3時間あれば大阪に行けなくもないな、でもJRも動いてないだろうな。
テレビでは「ロスで暴動が発生しました」とブレまくった映像が写っている。
出歩いていたら東京も同じようなことになるのかもしれない。
何度も何度も恋人の番号を試してみる。
ピンポンパンポーン「ただ今かかりにくくなっております」と
NTTドコモのテープの音声が繰り返されるだけ。
何をどうしていいかわからず、あちこちに電話をかけてみる。
時計を見ると21時半。残り2時間半。
でたらめにかけているうちに姉につながる。
「大丈夫!?そっちはどう!?」とヒステリックに。
受話器の向こうでは生まれたばかりの娘が泣きじゃくり、
3歳の長男が怒ってんだかはしゃいでるんだかしている。
とにかく部屋の中でバタバタ走り回っているようだ。
「父さんと母さんは?」
「私だって知らないわよ!?」
何かドデカイもの、タンスか食器棚が倒れるような大きな音、
続いて姉の「キャーッ」という叫び声がしてそこで電話が途切れる。
途切れるっつうか受話器が放り投げられてそれっきり、
部屋の中で慌てふためいている姉と子供たちの模様がまるで
盗聴器で聞いているかのように伝わってきた。
しばらくして僕は電話を切った。
ベランダに出て煙草を吸う。
さて、どうしようか。今更ながらそんなことを考える。
9階の高さから眺めるならば、東京の夜景は何も変わらないように見える。
だけど足元を見ると人々が右往左往している。
車に乗ってどこかへと急発進する人たち。
スピードを上げて走り去る。行けるところまで行こうってことか。
もしかしたら、例えば長野の山奥にいたら助かるのかもしれない。
そうしようかな、でももう遅いんだろうな。
首都高は渋滞で動かなくなっているだろう。
「あーあ」と思う。何をどうすることもできない。
ただそのときが来るのを待つだけ。
これはもう酔っ払うに限ると僕はウィスキーをストレートで飲んで、
この前叔父にもらったシャブリのプルミエを探す。とっておいたズワイカニの缶詰を空ける。
テレビの向こうではニュースが続いている。
めまぐるしく画面が切り替わるが、どれも同じものを繰り返しているのだということに気づく。
時折、新しい情報が追加される。「交渉が決裂しました」だとか「国連安保理の声明」だとか。
テレビ局の人たちは最後の最後までニュースを流し続けるのか、偉いなあと感心する。
シャブリを半分あけたところで携帯が鳴る。恋人から。
妙に落ち着いた声で「どうしてる?」と聞かれる。
「どうもしてない。そっちはどう?」
僕らは何も言うことがなくなる。
僕は泣きそうになる。「こういうときに何もできないのって、どういうことなんだろう?」
泣きそうになる、ではなくて僕は既に泣き出している。
「誰だってそういうものなんじゃないの?」と冷静になって彼女は言う。
「君は強いね」
「強いんじゃないのよ、・・・」そこで彼女も泣き出してしまう。
2人してしばらく泣く。
涙も収まったところで、酔いの回った僕はこんなことを言う。
昔の映画に『渚にて』というのがある。第3次世界大戦が勃発した後の世界を舞台にして、
グレゴリー・ペックとエヴァ・ガードナーが主人公だ。日本にも同じような映画があった。
クライマックスに差し掛かると、世界は本当に終わりを迎えようとする。あらゆる人々が息絶える。
主人公の男女も目の前に迫った死というものに対峙し、心を決めなければならなくなる。
映画の常として、主人公の男女は離れ離れになっている。
側にいて抱き合ったりなどしてる状況にない。
そんで2人は無線だったりモールス信号だったりそんなもどかしい手段で
「愛してるよ」「愛してるわ」って伝え合うんだ。
そして、死んでしまう。
「なあ、月並みなことしかいえなくて悪いんだけどさ、愛してるよ」
電波が弱くなって、ところどころ途切れるようになる。やがてブツッと切れる。
これが単なる電波の問題なのか、
それとも電話会社のシステムが稼動しなくなったせいなのかは僕にはわからない。
携帯も電話も、つながらなくなってしまった。音声のメッセージすら流れない。
もしかしたらそのうちこの部屋の電気も消えてしまって、
真っ暗な中でそのときが来るのを待つようになるのかもしれない。
僕はベランダに戻って、「寒いなあ」と思いながら煙草を吸う。
新宿のビル群は何事もなかったかのように聳え立っている。
いくつかの窓には明かりが点っている。
ゆっくりゆっくりと煙を吸って、ゆっくりゆっくりと煙を吐き出す。
いろんなことを思い出す。小学校から高校まで。大学から社会人になるまで。
思い出が走馬灯のようになっているってことは今自分は死ぬことになっているんだな、と思う。
ここにいて空を眺め続けるのならば、ミサイルの姿を見ることができるだろうか。
せっかくだから見てみたいものだと僕は思う。
僕はまたしても涙を流す。ばかばかしくなって体が震えてくる。
目が覚めたとき、僕はどこにいるんだろう?
どんな姿をしているんだろう?
誰が側にいてくれるのだろう?
色彩や言葉や音楽といったものはこれまで通りだろうか?
僕は僕だろうか?
さよなら。誰にともなく僕はつぶやく。
[1044] もうええわ 2003-10-18 (Sat)上期を振り返り下期の目標をそれぞれ発表しあう、
そんなイベントが昨日の午後あった。
いつもいつもやっているもの。
話すことのない僕は最近常日頃考えている、
「SEという職業に幻滅した、IT業界に興味がなくなった」
「SEとしても会社員としても目標なんてないんです」
ということを話す。
事実上の「辞めます」宣言。
その後、部の宴会が銀座で。
1次会の前に有志で0次会をやって、その後2次会はカラオケだったので
音痴な人たち何人かで離脱して飲みに行く。2軒。
景気もよくないし、どこのプロジェクトも大変。
こんなんでいいんだろうか、という話をする。ケンケンガクガクと。
1次会直後、部長と顔を合わせてしまう。
「辞めるんか」「そうか」と言われる。
「この腰抜け野郎が」みたいな目で見られる。
終電近くなって丸の内線に乗ろうとすると
ばったり大学の友人に会って、高円寺で飲む。
店が朝までやってるのをいいことに3時まで話し込む。
しょうもないことから、人生のあるべき姿まで。
最近読んだ本や職場のどうしようもない状況、いろんな情報を交換し合う。
扱う額の桁が違うので、僕よりも彼の方が境遇が大変そうだった。
「そんなに小説家になりたいのなら、そんなはっきりしているのなら、やるしかないんじゃないか?」
「なれる・なれない、うまくいく・いかないってのはその後からついてくるものなんじゃないか?」
そんなふうに言われる。
飛び込んでみないことには何も始まらないってことか。
何も無理やり会社を辞めたいのではない。
遅くても8時か9時には帰ることができて、
来週どこかで1日休みたいと思えばそれが可能で、
もちろん土日に出てくることもない、
そんな状態で日々を過ごせるならばありがたく続けさせてもらうと思う。
生活費を稼ぐために。
今関わっているプロジェクトはまさに正反対の状態。
これからどんどん忙しくなっていってこのままだと正月もゴールデンウィークもなし。
土日も「どっちか1日休めたんだからいいだろう」ぐらい真顔で言われそうな。
1ヶ月2ヶ月忙しいのならまだ我慢できるけど
それが半年あるいは1年以上続くのならばもうこれ以上関わりたくない。
なんでそこまで犠牲を強いられなくてはならないのだろうと思う。
SEとして生きていく覚悟があるのなら非常にいい経験になるんだろうけど、
今の僕からすれば付き従うだけの意味がよくわからない。
結局は価値観の相違ってことになるのか。
[1043] 続・マーケティング 2003-10-17 (Fri)「マーケティング カフェ」という本を電車の中で読む。
ものすごく薄い。帯には「2時間で読めて、20年使える」とある。
いわゆるマーケティングというものの入門書。
これまでこういう分野とは無縁だったせいか、
「面白いなあ」と思う。かなり素直に。
いろいろ読み漁ってみたいものだ。
どっかで講義・演習を受けられないものか。
ああ、たぶんこういうことなんだよなあ、僕のやりたいことは。
SEなんかよりはよっぽどしっくりくる。
何の経験もないのにこの業界に移るのって難しいんだろうな。
個人的な繋がりがない限り。
しまった、学生時代は文学の研究ではなくマーケティングをやればよかった。
今、そう思ってしまうぐらい感化されている。
どうやって極めよう?
[1042] 夜、歩く 2003-10-16 (Thu)昨日は早く帰れたので、例によって走りに出かけた。
夜の8時という時間だとジョギングをしている人よりも
ウォーキングをしている人のほうが多い。(涼しいからか?)
たいがいは2人連れ。
1番多いのは10代か20代の若い女性2人組。
ついで多いのはおばさん2人組。
そして熟年に差し掛かった夫婦。
ウインドブレーカーを着てせっせと歩いている。
夫婦が何も言わず黙々と真夜中のジョギング走路を歩いているのはちょっと怖い。
真剣に歩いてたらそうなるんだろうけど。
普段から会話がないのだろうか、それとも言葉はなくともってやつなのだろうか。
余計なお世話ながらも気になってしまう。
楽しそうに話し合いながら歩いている夫婦を見かけると、なんか心が和む。
どっちが健康的かって言えばどっちとも言えない。
無言で歩いている夫婦は「お遍路」的な感じがする。
若い女性2人組が歩きながらダイエットの話をしているのが聞こえてくると、
なんかそのウォーキングもあんまり健康に役立ってそうな気がしないのはなぜか。
1人で歩いてる人も割といる。
1周650mのグラウンドの周りを1人で歩いているのってどういう気分なのだろう?
走ってる僕とたいして変わらないのだろうか。
おばさんっぽい人が1人でせっせと歩いてるのを見ると
「ああ、この人は一緒に歩く主婦仲間がいないのだろうか」と
これまたおせっかいながらもあれこれ考えてしまう。
真夜中、無人のだだっ広いグラウンドの周りを
反時計回りに一定のスピードで歩いている人たちの群を
どっか高いところから俯瞰で眺めるなら、
かなりシュールな光景となるだろう。
[1041] 赤い砂漠 2003-10-15 (Wed)「この前のあれどうでした?」
「この前のあれって?」
「火星。行ったでしょ?出張で」
「あーあー火星ね。や、もー大変だったよ。1泊しかしなかったし」
「1泊?そんな短かったでしたっけ?2・3日行ってませんでしたか?」
「行きと帰りが機中泊でさ。とんでもねえよ。ケチな会社だ」
「それって疲れますよねえ」
「ああ。そんでもってその夜行が大変でさあ。
後ろの方の席ではオヤジたちが酒盛り始めんのね」
「マジッすか?」
「マジマジ。火星から出稼ぎに来たオヤジたちが
もうドンチャン騒ぎ始めるわけよ。ワンカップ大関持込で」
「注意されないんですか?」
「シャトルには操縦士しか乗ってないからねえ。
それに彼らもまたかわいそうだからさ。地球でこき使われて。なんか言うのもかわいそうでさ」
「・・・火星で泊まったホテルはどうでしたか?」
「いかんせんプリンスホテルだからねえ。日本語通じるからよかったけど。
最初その辺のビジネスホテルになりそうだったからそれから比べるといいんだけどさ」
「眺めはよかったりするんですか?」
「いやいやとんでもない。商業地区のでかいドームの中だからこっちにいるのと何も変わらない。
そりゃリゾート地にでも行けば赤い砂漠が見れたんだろうけどな」
「・・・でもよかったですね。僕まだ地球出たことないんですよ。月どころかステーションも」
「それかわいそうだなあ。営業のヤマダ君なんて新婚旅行で金星の近くまで行ったらしいぞ」
「すげー」
「すげえよな」
「着陸したんですか?」
「まさか。オマエ何も知らないんだな。地球の科学はそこまで進んでないんだよ」
[1040] 恋人が部屋にやってくる 2003-10-14 (Tue)恋人が部屋にやってくる。
ついさっき電話があった。
待っている間、私はすることも無くて煙草を吸う。
ベランダに出て通りを行く人を眺める。
傘を持った人が何人かいたから、今日は雨が降るのだろうか。
バイト先のユウジ君から携帯にメールが来て、
「明日替わってくれませんか。お願い。やばいっす」と言っている。
「しょうがないなー」と私は返事を返す。
ベランダでゆっくりとキーを押して、送信ボタンを押す。
2本目の煙草に火をつける。
恋人がこの部屋に来るのは2週間ぶりだ。
電話で話すのでさえ、1週間ぶりだ。
昔の私なら、どこで何してるのだろうと気にしてしかたがなかったと思う。
「いい?」と聞かれたから「いいよ」と私は答えた。
だから今、彼は私の部屋に向かっている。
音楽が聞きたくなる。
CDを探す。オペラのアリア集。
目を閉じて歌声に耳をすませる。
もちろん私には何を歌っているのか聞き取れない(イタリア語なんてわかんないよね)。
恋の歌なのだろうか。たぶんそうなのだろう。
電話がかかってくる。いつもこの時間にかかってくる、無言電話。
「どうせ」と思って受話器をとらない。
留守電に切り替わって、「彼」は何も言わずただ黙り込んでいる。何か言いかけたままの雰囲気が怖い。
私は息を潜めて、ただじっと聞いている。ソファーにうずくまったまま身動きが取れなくなる。
ふとした瞬間に切れて、ツツーツツーという音がしばらく続く。
恋人がこの部屋にいるとき、無言電話はかかってくるのだろうか。
かかってきたら、どんな反応を示すのだろう。
ベランダに出て、3本目の煙草を吸った。
背後から女性の歌声がかすかに聞こえた。
雨が降り出した。
ユウジ君から「サンキュー。助かったー」とメールが返ってくる。
「この借りは」とあるが、そこで文章が途切れている。
慌ててたのだろうか。思わずクスッと笑ってしまう。
だったらどこかに連れてってもらおう、そしておいしいものでもおごってもらおう、と思う。
8月の日曜、バイトのみんなで海に行ったことをふと思い出す。
恋人が部屋にやってくる。
待っている間、私はすることも無く煙草を吸っていた。
ベランダに出て通りを行く人を眺めた。
遠くに、傘も差さず歩く恋人の姿を見かける。
私は部屋の中に戻って、コーヒーをいれた。
[1039] 3連休の3日目をダラダラ過ごす 2003-10-13 (Mon)上井草スポーツセンターに行くと「体育の日」なので
少年野球大会やテニスコート無料開放などのイベントが行われていた。
風邪を引いたわけでもないのに体が重く、フラフラする。
自転車に乗ってるとペダルを民家から低く出っ張ってるところに何度かぶつけ、
走ってるととにかくだるい。スピードも出ない。
おかしいなあといつもより1周少なく、3周でダウン。
疲れが今になって出てきたのかなあと考える。
家に帰って気付く。昨日の夜焼酎とワインを飲みすぎたせいだ。
酒の種類が変わると二日酔いの現れ方も変わる。
駅前の大戸屋で食べて、西友で買い物をして戻ってくる頃、雨が降り出した。
余りにも眠かったので昼寝をする。
雨がどんどん強くなる。夢うつつの中、台風のようだと思う。
一時とんでもなく雨脚が強くなって、目が覚める。
夜寝ていて寒くなかった。むしろ暑かった。
明け方目を覚まして、布団をかけてないで
しかも腹を出して寝ている自分に気付いたのであるが、そのまま。
昼に出歩いても半袖姿の人を多く見かけた。
天気予報を見ると今日は29℃まで上がることになっていた。
3連休は毎日昼まで寝て、その後はブラブラして夜はずっと飲んでいて、そんな調子。
あれを片付けなきゃ、これを読み終えなきゃ、
そう思っていたものは多かったのにほとんど何もはかどらず。
それにしても3連休ってゼイタクだ。
どこかに行く計画の立ってない限り、
決まっていつもダラダラのんびり過ごして終わり。
[1038] 「on fire」第1回お披露目 2003-10-12 (Sun)主演であるコジマさんのマンションにて第1回目の「on fire」お披露目。
部内の若手何人かを呼び、夕方から夜にかけて
奥さんの手料理を頬張りつつビールを飲みながら和気あいあいと行われる。
1回目は普通に見て、2回目はあれこれみんなで解説を入れながら見る。
一例:
首吊り自殺をしたニルスを介抱するベイオウルフとジュディ。
ニルスの体を地面に横たえらせたとき、思いっきり「ガチャッ」という音が。
クリス君曰く「あーこの瞬間に僕の腕時計、ガラスが割れたんですよ」
「このときの撮影は地面に寝てると蟻にかまれまくるし、
コタニさんは思いっきり僕の体叩くし、もー大変でしたよ」
みんなで見るってのはこそばゆいというかなんというか。
今まで一人きりで見てたのをみんなで見てみると、やっぱなんか違う。
「ここのつなぎ、もうちょっと余裕があってもよかったかもなあ」
みたいなことがとても気になる。
「そもそも脚本の時点でここはうまく書けなかったからなあ」
というところに差し掛かると「ひー」とこっぱずかしくなってくる。
出演した人・関わった人は
「自分のとこ、こんなふうになったのか」
「あのときのあれ、大変だったなあ」
という視点でどうしても見てしまうから、
作品そのものが面白いのかどうかは二の次。
どうだったのかなあ。面白かったかなあ。
というかそれ以前に話がわかったかなあ。
飲んでるうちに次回作の話になって、
雪山で遭難したカップルが山小屋で寒さに凍えていると
全身緑色の宇宙人(女性)が3人現れて
画面を横切って消えるというものになった。
あるいは、貞子対宇宙人。
[1037] どん花・ビーチボーイズ・縁日 2003-10-11 (Sat)昼までずっと寝てる。起きてまず走りに行く。
帰ってきて、着替えて、吉祥寺へ。
「どん花」でカツカレーが食べたいなあと思っていたのであるが、
レンガ館モールの地下に行ってみたら閉店の張り紙が。
「店主の体調不良により店を閉めることになりました。
長らくのご愛顧ありがとうございました」と。
ええーっ!?
店主のおじいさんの体の調子がよくないというのは前々から知っていた。
行ってみたら臨時休業だったということがこれまで何度かあった。
それにしてもなあ。急すぎるよ。
先週カツ丼食べたのになあ。あれが最後だったか・・・。
カツカレー食べたかったなあ。
店の存在を教えてもらってもう何年にもなるが、
実を言うと今年になってからほぼ毎週土日のどっちかに食べに行っていた。
カツ丼かカツカレーを。飽きることなく。
あーこんなことなら親子丼もエビ丼も食べておくんだった。
これから僕の中で「幻の味」になってしまうのか。
あれに匹敵するだけのカツ丼とカツカレーに出会うことは果たしてあるのだろうか。
非常に残念だ。
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青森に帰ったとき、とある中古CD屋にて
ビーチボーイズのCDがたくさん揃っているのを見かける。60年代のと70年代のと。
どれも廃盤というマークがくっついていて、定価よりも割高になっている。
「まさか。東京では普通に売ってんぞ」
「青森の人相手だと思ってアコギなことしてんなあ」
なんてことを思う。
しばらく前からビーチボーイズの波が僕の中に押し寄せるようになり
ここ1・2週間で本格化。まさにビッグウェーブ。
探してみると確かに一頃よりも品数が少なくなっている。
HMVのサイトを見てもいくつかのタイトルは注文できなくなっている。
ほんとに廃盤だったのか!
慌ててあちこち回って買い揃えようとする。
60年代のほとんどと70年代初期のスタジオ盤はまだまだなんとかなりそうだったが
ライブアルバムや評価・セールスの低いものは店頭在庫のみのようだ。
吉祥寺の店をいくつか回って何枚か入手。
勢いあまって輸入盤のボックスセットまで購入。
東京で手に入らなかったものは妹に買ってきてもらおうとするか。
70年代の「Holland」と「Love You」(「Carl & The Passions」は不要)
それにしても「Pet Sounds」恐るべし。
このところ頻繁に聞いている。
「Wound't It Be Nice」に始まり「Caroline No」で幕を閉じる至福の一時。
地上に舞い降りた天使たちのイノセントな歌声。ティーンエイジャー・シンフォニー。
洋楽を聴いてこれでもう10何年になろうとしているがこの年になってはまることになろうとは。
山下達郎も萩原健太もポップミュージックマニアは
みんなフェイバリット、どころか永遠の名盤としてNo1に挙げている。
ビーチボーイズって「夏に浜辺にアメ車で乗り付けてサーフィンやって
女の子に声をかけて白い歯見せ合って笑ってるようなバンドだろ?」
ってなイメージがどうしてもぬぐえなくて、
21世紀になってもぬぐえなくて、かなり損してる。
嘘でもいいから、未完成でもいいから、「Smile」発売しないかな。
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「FROZEN BEACH」が脱稿。
15枚という短さ。これぐらいにしかならなかった。でもこれでいいんだろうな。
他の人に読んでもらうには。
とはいえ「on fire」同様、
「これって他の人にはあんまり面白くないんじゃないかな」と思ってしまう。
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夕方、窓を開けて本を読んでいると、どこからか祭囃子が聞こえてくる。
そして「今年も無事に開催することができまして・・・」と挨拶。
そういえば今日近くの神社で縁日なんだよなってことを思い出す。
電柱に張り紙があった。
夜、夜店のもさっとしたたこ焼きが食べたくなって買いに行く。
通りは無数の提灯がどこまでも続いている。
近くとはいえ出勤に使う道から外れているので、
神社は引越し当初にあちこち歩いて以来
これまで足を踏み入れていない場所にあったりする。
こんなところに銭湯があるのか、なんて発見がある。
神社の小さな敷地は人でぎっしり。
やぐらが組まれてカラオケのマイクとモニターが置かれている。
誰も歌ってなくて、飛び入りで誰かが上がってくるのを待っているようだった。
おじいさんとおばあさん、小さな子を連れた母親ばかり。
家に帰るまでのしばしの間、
たこ焼きの入ったプラスチックの容器があったかくて心地よかった。
[1036] 10月10日は体育の日 2003-10-10 (Fri)今日が体育の日でなくなったのはいつのことか。
特定の日にちでないと都合の悪い記念日系の祝日とは違って
こういう祝日を月曜に持ってくるというのは確かに気が利いている。
でも小さな頃、10月10日は休みということで育ってきた世代の人間としては
なんとなくしっくりこない。成人の日もそう。
今でも体育の日ってのは各地でスポーツ系のイベントが催されているのだろうか。
子供向けのはありそうだが大人向けってのはあんまりなさそう。
10月10日が「体育の日」に制定されたのは
1年中でこの日が最も晴れの確率が高いから、というのは有名な話。
だとしたらこの日を何か他のことに使えないものか。
映画を作っていた僕としては「じゃあこの日に野外で撮影」というふうに考える。
世の中にはいろいろな趣味があって、晴れてないと楽しめないというものは多い。
せっかく土日を待っていたのに雨が降って中止、
あーあとがっかりしたことは誰しも経験あるはず。
そんなわけで10月10日は一昔同様国民の祝日にするべきである。
もちろん名前は「晴れの日」
老若男女誰しもが外に出て1日を過ごせばその分何かとお金を使ってしまうということで
ささやかながらも経済効果があるはず。
今日衆議院が解散するというのならこの「晴れの日」ってのを誰か主張して選挙に出ないものか。
マニフェストに大きく記載。僕なら一票入れる。
同じように1月15日も祝日に戻せばいい。
お題目が思いつかないのでとりあえず「雪の日」
同様に祝日が無くて寂しい6月と8月にはそれぞれ「雨の日」と「雷の日」を設ける。
「雷の日」は8月13日に。ご先祖様が雷に乗ってやってくるとかそういうことにして。
なんでお盆は祝日にしないんだろ?僕にしてみればかなりナゾである。
[1035] 田酒 2003-10-09 (Thu)昨日の夜、とある会合にて
日本酒を山のようにというか水のようにというか、とにかくたくさん飲んだ。
新しく入ったと言われたら飲んでみて、お薦めのと言われたら飲んでみて。
場所は八丁堀にある「はねもん屋」
1年前に同じような趣旨・同じようなメンツで飲んだときもここ。
各地の日本酒が揃っているということで、メニューを見てみると田酒があった。
「おお」と思い頼んでみると、運良く今手に入ったばかりだという。
まだ封を切ってないのがドンとテーブルの上に置かれる。
グラスにすり切れまで注がれる。
こぼれそうになるのを慌てて口をつける。
キリッとした味わいが口の中に広がる。喉の奥を流れていく。
席の向こうで「米の風味がするよね」という声があがる。
日本酒の種類としては無骨なものに入ると思う。
詳しい人ならば言わずと知れたことではあるが、「田酒」は青森の酒である。
というか家のすぐ近くで作っている。
小さなときからいつも利用してきたバス停の真ん前に建物がある。
高い塀に囲まれた、小学校1つ入るんじゃないかってぐらい広い敷地。
「ここはお酒をつくっているんだよ」と聞かされて育ったものの、
それが田酒で有名な「西田酒造店」と結びつくようになったのはつい最近。
小学校・中学校と仲の良かったやつが水族館の職員とか紆余曲折を経て
今ここでコンピューター関係の仕事をしていると
だいぶ前に帰省したときに母から聞いたことがある。
ホームページを見てみたら結構しっかりしている。
http://www.densyu.co.jp/
もしかしたら彼が担当しているのかもしれない。
ここで作られる田酒はほとんどと言っていいほど東京に送られる。
料亭や割烹。あとは熱心な酒販店に多少入荷されるだけ。
青森では実は飲めない。少なくとも、そんな気軽には飲めない。
「西田酒造店」自体では販売をしていない。
それでも母は知人が中で働いていることから、毎年2本だけ入手することができた。
でもそれも必ず2箇所の親戚に送ってしまう。
僕が飲むことはない。
5・6年前、その親戚に不幸のあったとき、
送るわけにはいかないからと我が家で1本飲んでみたことがある。
それが生まれて初めての機会で、昨日がやっと2回目。
その初めて飲んだのは青森市内限定で販売される商品。
東京のとは種類が違ったりする。
気分的なものもあるんだけど日本酒は田酒が1番うまいように僕は思う。
毎年1本でいいから確実に入手できるルートを確保できたらなあ。
[1034] 常識力検定 2003-10-08 (Wed)日曜日に南口の紀伊国屋で本を探していたら資格のコーナーのところに
「常識力検定」の問題集というのがあるのを見つけた。
世の中には色彩だの漢字だのいろんな検定があるものであるが、こんなものもあるのか。
ある意味検定界の極北、最果てだ。
これに落ちたら常識がないってことになるよなあ。恐ろしい。
かと言って逆にこれに受かったからといって常識ある振る舞いができる人だと
周りに認知されるものでもないので、検定としての立場は微妙。
履歴書に「常識1級」と書かれてたりしたらなんかうさんくさそうだ。
その人が常識あるかどうかってのは
普段の言動を常日頃観察することによって自ずと滲み出てくる類いのものであって
ペーパーの試験で測れるものはむしろウルトラクイズ的な雑学知識。
気休めにしかならない。
とはいえ話の種に受けてみようかなあと思う。
年に2回試験があって、次は11月16日(日)のようだ。
この日は確か簿記3級の試験の日でもあって
勉強して受けてみようかなあとも夏ごろは思っていたのであるが
今から始めても間に合いそうにない。
常識力検定に切り替えることにする。
「日本常識力検定協会」ってのがあるみたいで、ホームページもある。
http://www.josikiryoku.com/index.html
どこまで本気でどこまで社会に貢献している団体なのかよくわからないが、
インターネットでよく見かけるようなお遊びでではなさそう。
ホームページを見てみると
・3級は中学校卒業程度
・2級は高校卒業程度
・1級は就職試験程度
となるようだ。
だとしたらオレ1級に余裕で受かんなきゃいけないはずなんだよなあ。
だけどいきなり1級で受けて落ちたらかなり恥ずかしい。
1級ともなると海外での行動に関する知識も問われるようだし。
半ばシャレで受けるのだからここはやはり3級としてみるか。
とりあえず、一緒に受けてもいいという人、募集します。
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話は変わるが、昨日の昼休み会社を出て浜松町の駅に行こうとしたら
近くの貿易会館ってとこで「2003 ジャパン・ケーキショー東京」ってのをやっていた。
その参加者や関係者たちがビルの周りに大勢いた。(みんな胸に揃いのシールをつけていた)
東京都洋菓子協会が主催とあるのだから、あの「ケーキ」だよな。
ショートケーキ500個無料配布とかそういうイベントがあったりするのだろうか。
ホームページを探して中を見てみたところだいたいの催し物はわかったが
どういう雰囲気で行われているのかは掴めず。気になる。
http://www.yogashi.net/jc/jc-2003.htm
とにかく思うことは、世の中は広い。いろんな団体があるものだ。
[1033] GOING ZERO 2003-10-07 (Tue)男の子を拾う車を運転している男の子が道路に立っている
遠くからこっちをじっと眺めているスピードを落とす
乗せてと言うどこへと聞くどこでもと言う
助手席のドアを開ける男の子が座席に座り込む
青い色の半ズボンを履いている灰色のスニーカーを履いている
アクセルを踏む車が加速を始める派手な音がする
男の子は1度オープンカーに乗ってみたかったんだと言う
太陽は真上にある日差しが刺す痛いと感じる
「これで何日だ?まだ見つからないのか?」
「最初の質問に答えるのならば4日になります。
次の質問に答えるのならばまだ、ということになります」
「もう1度やつの名前を教えてくれ。すぐ忘れる」
「K02B4Cになります。タイプはJ05」
「前の報告では南の方角に向かっていると聞いたが。
徒歩ならばそろそろD市の北の外れに到着する頃だ」
「こんなことなら全部の被験者にマイクロチップを埋め込むべきでしたね」
おなかがすいたと言うパーキングエリアに入る車を停める
ハンバーガーとコカコーラとフライドポテトをオーダーする
チーズバーガーとオレンジジュースとフライドポテトをオーダーする
おねえさんピンク色の服似合うねと男の子が言う
この薄手のワンピースのことを指していると考える
さっきから隣の席の男の人3人がこっちを見ている肩の紐がずれていたので直す
マニキュアが剥げかけている塗り直すことを予定に入れる
音楽が聞こえるハンバーガーを飲み込む
どこに連れて行けばいいともう1度聞くおねえさんの行きたいところへと言う
「今さらどこへ向かおうとしてるんだ?
これまでのテスト報告からパターンは解析できないのか?」
「やつは優秀な部類でしたからね。下手な痕跡は残さない。裏目に出ましたね」
「民間人にはもう接触したのだろうか。大変なことになるぞ。
その前に捕まえたい。何としても」
「調査官の手配はしてあります。D市を中心に既に行動を開始しています」
「見つかり次第廃棄するようには伝えてあるか?
古い言い方をすれば、やつはロボットに過ぎない」
空が暗くなるモーテルに入るカードで支払うテレビをつける
おねえさん働いてるのと男の子が聞く働いていないと答える
じゃあ何してるのと聞く何もしていないと答える
シャワーを浴びる体についた汚れを洗い落とす男の子がプールで泳ぐ
プールの周りに他の人たちも集まっているにぎやかな雰囲気がある
テレビを消す照明を消す眠りにつく朝になる朝食をとる
男の子を起こす車に乗る時間であることを伝える
今日はどこに行くのと聞かれる何も決めてはいないと答える
アクセルを踏む車が走り出す車が加速を始める
[1032] Oh! 透明人間 2003-10-06 (Mon)以下、オレってほんと後ろ向きな人間なんだなという話。
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今日何書こうかと考えているうちに思いついたお題目。
「もしも僕が透明人間になったら」
で、考え始める。
いきなり壁にぶち当たって自分で自分に「うーむ」と言ってしまう。
こういうこと。
「透明人間になったところで空を飛べるようになるわけではない」
空でも飛べない限り透明人間になったことの利点を享受できない。
晴れて透明人間になれたところで遠くに出かけるには
電車に乗るか自動車に乗るかしなきゃいけないわけですよ。
これっていかがなものか。
自動車も自転車も自分で運転するわけにはいかない(ある意味目立つからね)。
なので何かしらの公共機関を利用しなくてはならない。
・バスに乗ろうとして一番後ろの列に立つ。いざ自分が乗るときになると
誰もいなくなったものと思われてドアが閉められてしまう。
・新幹線に乗っても指定席には座れない。(そもそも予約のカウンターに行くわけにいかない)
空いてる自由席に座ってると誰かが腰掛けてくる可能性があるので
常に客室の内側か外側の通路で立ってなくてはならない。
このとき、誰かにぶつかるといけないので居眠りは不可。
・満員電車の中に人の形をした不自然なスペースが。
触ってみるとどうも人間のようだ。
車内は騒然とし、あなたは引っ立てられる。
上に何も着れないから夏だけしか行動できないし、冬はもう浮浪者同然。
夏はどこ行くにも徒歩。
それが嫌なら住んでる部屋を一生出ない、
何らかの業者に頼んで毎週毎週食料品や日用品をアパート・マンションまで運んでもらう。
ただしこれも金が続く限り。
人と顔を合わさずメールとインターネットと電話の声だけで
なんとかなりそうな気がしないでもないが、人はそれでどこまで仕事できるだろうか?
こうなってくるともうあれですよ、女湯に忍び込んでなんて言ってる場合ではないわけで。
入ったところでのぼせあがってフラフラになるまで洗い場にいて、
出てきても着るものがないから湯冷めして風邪を引く。
神様がいきなり現れて「なんでも1つ願いを」と言うので
思いつきで「透明人間にしてください」と答える。
最初のうちはウハウハなことを考えてウッシッシなのであるが
やがて上に書いてきたようなしょぼい困難に次々と直面して辟易。
そんな小説を書いてみたところで、・・・つまんないだろうな。
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それにしても男性の場合は定番中の定番「女湯」ってのがあるが、
女性の場合、透明人間になったとき、どこに行って何をしたいものなのだろうか?
「透明人間になったらあなたは何をしたいですか?」という質問は
その人の抱えている欲望をほんの少しズレた角度で表面化させそうで
案外面白いものなのかもしれない。
[1031] スポーツ用品店にて 2003-10-05 (Sun)ジョギングの習慣が定着。
これからの季節どんどん寒くなっていくのを見越してランニングウェアを買いに行く。
昨日今日とカットジーンズにTシャツといういつもの格好で走っていたが、
そろそろそんなふうにはいかなくなる。
新宿へ。
南口に出て FLAGS の OSHMAN'S と LUMINE のムラサキスポーツを見てみるが
これというものはなし。
Victoria の別館にて「ランニングウェア」と書かれた階があるのを見つけ、行ってみる。
アディダス、ナイキ、プーマと揃っていて、アディダスの地味なやつを買う。
この階は半分がランニングウェア、もう半分がテニスウェアになっていて、
僕があれこれ商品を眺めていたとき、テニスのほうでは
中学生らしき女の子たちの集団が大ハシャギしていた。
どれがいいあれがいいサイズがないこの色でなきゃいや!
3つある試着室は彼女たちで占有されて次々から次に着たいのを持ってきては
試着室の前で先に待っていた子と「えー?それー?」「だめー?」みたいな会話を交わし、
カーテンが開いて中から現れた子を見てはキャーキャー身悶える。
かしましいことこの上ない。
でもまあこの子たちはこれが楽しいんだろうからしょうがないよなーと思う。
20代になっても40代になっても「女の子たち」はこういうことを続けていくんだろうな。
なんだかものすごく生々しかった。
似たようなことをしてなくもない。
中学生だったとき卓球部だった僕は同級生たちとある日、たぶん日曜だったと思う、
自転車で片道30分かけて青森市の繁華街へと出掛けていった。
2年生になって試合に出ることもありそうだから、ユニフォームを買うことになっていた。
新町のフクシスポーツの別館、上の方の階の片隅にひっそりと卓球コーナーがあった。
この日僕らはラケットやラバークリーナーやそれらのものを持ち運ぶための
平べったいバッグも買うことになっていた。
卓球に詳しい人ならよく知っていることではあるが、
ラバーには表面の粘着性やキメの細かさ、裏面の素材や厚さなどの要素が、
ラケットにはそもそも何の木を用いていてどんな加工がされているかなどの要素が、
それぞれバリエーションとしてあって
組み合わせ次第でいかようにもオリジナルなものが選べる。
オマエどんなのにするオレはもう決めてきてあるこのラケットにこのラバーを貼る。
津軽弁丸出しの中学生のガキがいっぱしの評論家であるように
「1枚ラバーで裏無しのやつは・・・」と語るのだから今となってはかなり恥ずかしい。
試合に出たところでどうせ1回戦か2回戦で負けるのに。
それまでの僕らは初心者用に軽めのラケットにペラペラのラバーが貼られて、
球が2個おまけでくっついている「ブルーリボン」というセットを使っていた。
新しいラケットだ!自分専用だ!ということに興奮しながら
僕らは田んぼの中に作られた道を自転車を漕ぎながら帰っていく。
その日の夜はカッターナイフでラケットの形にラバーを切っていって
ゴム用のボンドで貼り付ける。
ほんとなら専用の機械で切って専用の接着剤を使うところなんだろうけど、
僕らはそんなこともちろん知らなかった。
ラバーの端がうまく切れなくてギザギザになったラケットを
次の日の放課後早速持ち寄って練習を始めた。
ちょっとすると「貸してよ」と互いに交換する。
サーブのときに球に回転をかけてみて「けっこうかかるね」みたいな事を言う。
あ、書いているうちに話がどんどんそれていった。
まあ何にしても中学生が集まってみんなで
スポーツ用品店で初めての何かを買うときってのは
興奮でいっぱいになってとにかく楽しいものです。
今日はそんなことを思い出した。
[1030] 応援の娘 2003-10-04 (Sat)カナコがバッターボックスに立った。
5回裏。下井草レッドベアーズは4−2で鷺宮バッファローズに負けていた。
「無理だと思ったら振んなくていいぞー」監督の声はカン高くて聞こえにくい。
隣のグラウンドでは小学生たちの試合。
ブカブカの黒いヘルメットをかぶってちょこまかと走っている。
ネット裏のベンチでは顔にタオルをかけてノリアキが眠っている。ユニフォームはまだ真っ白なまま。
その隣のベンチではミホが同じようにベンチを占領して、携帯の画面を眺めている。
ファミマの店長と布団屋のオヤジが地べたに座り込んで話し込んでいる。
「あのピッチャー県大会でベスト8まで行ったらしいで。センターやったけどね」
「どこの県?」「新潟」「新潟でベスト8ってすごいんか?」
店長の奥さんが2人にアサヒスーパードライを渡す。
「私の分、サイトウさんにあげる」「おーありがとお」
ネットにもたれこんで若者が3人コンビニ弁当。
「来年のジャイアンツ、堀内だろ?」「信じらんねー」「客なくなるよな」
「でも、強くなるんだろうなあ。堀内だと」
カナコの膝下をボールがすり抜けていった。「ストライク!」
カナコは思わず「ひっ」と声を漏らしてしまう。
棒のように突っ立っていた体が思わずのけぞった。
こっちのみんなも向こうのチームもみんながカナコのことを笑っているように見えた。
「いいぞいいぞー。カナコは立ってるだけでオーケー」とシゲアキが野次を飛ばす。
「向こうのチームの1塁の横に立っている人も女の人だけど、
あの人は私よりもダンゼン経験ありそうだ」とカナコは思う。
同じようにただ突っ立っているだけなのに、彼女はまだ私のように場違いな感じがしない。
「私も出たい」とカナコが言った。
おにぎりを作ってくるだけじゃなくて、1回でいいからあの球を打ってみたい。
コーチにごくごく基本的なことを教えてもらう。
「膝をもっと楽にして・・・」「違う、その握り方はテニスの・・・」
思い切り振ってみたら「びゅん!」という音がした。
「あ、これなんだ」とカナコは考える。
「じゃあ、カナちゃんも今日は代打で出てみるか」
カナコはコーチ(30代前半、今年一人息子が小学校にあがった)に向かってニヤッと笑う。
奥さんと息子が今グラウンドのすみっこでキャッチボールをしている。
奥さんが下からフワッとボールを投げて、息子が両手を胸の前で合わせて捕らえようとする。
2ストライク2ボール。
「ヘッドスライディングって痛いのかなー」とカナコは思う。
今日はスニーカーでよかった。赤のアディダス。先週洗ったばかりの。
1塁のずっと奥にいる人が1人だけユニフォームが違うのは今日誰かの替わりなのだろうか。
あの人めがけて打ってしまおう。遠くまで飛んでったらいいな。
ネット裏のノリアキがむくっと起き上がる。「打ったの?」
ミホがだるそうに携帯を小さなリュックサックの中にしまう。
店長は布団屋のオヤジに向かって日本の教育問題について一席ぶち始める。
店長の奥さんはまた別な誰かの奥さんに向かって「暑いわねー、いつまで続くのかしらねえ」と言う。
ネットにもたれた若者3人組が立ち上がり、室内プールの方へと向かう。
「ゴミって持ち帰んの?」
「おじさん、弁当ありがとー」
「それにしてもカナコさんの作るおにぎりってうまいね」
「走れ走れ!いいから走れ!!」監督が立ち上がって手をメガホンのようにして叫ぶ。
歓声に次ぐ歓声。
何が起こっているのかよくわからず、ポカンとする。
手にしたバットを足元にそっと置くと、カナコは1塁に向かってとりあえず全力で走ってみた。
青空。10月の風。何もかもがスローモーションのように感じられる。
シゲアキが何かを大声で伝えようとしているのが耳に飛び込んでくる。
カナコは今、全力で走っている。
こんなときって、ヘッドスライディング?
[1029] 夢の中に父が出てきた 2003-10-03 (Fri)夢の中に父が出てきた。何年ぶりだろう。
(父が出てくることがないというのではなく、家族が出てくるということがそもそもない)
夢の中の設定では、僕は父に実に十何年ぶりかで顔を合わせたということになっていた。
父は特定の職に就くことはせず、住む場所も転々としていた。
昔引き起こした何かからずっと逃げ続けているようだった。
怯えたりはせず、かといって飄々とすることもなく
降りかかった運命をただじっと受け入れている、そんな雰囲気があった。
これは何を表しているのだろう?
わかりそうでいて、今1つわからない。
[1028] 9階まで階段を上がる 2003-10-02 (Thu)仕事場が竹芝の本社に変わって3日目。
たまたま今日フロア間での引越しがあって、3階から9階へ移ることになった。
昼休み、試しに階段で1階から9階まで歩いてみる。
「たいしたことないだろう」と最初は思っていたのに、上ってみたら結構大変だった。
9階の自分の席に戻ってきた今、額や腕が汗でじっとりとしている。
ジョギングを始めたとはいえまだまだ運動不足か。
これからは1日2回は階段の上り下りをしないとなあと思う。
普段から僕はエスカレーターやエレベーターではなく階段を利用する。
家と会社を往復する間やどこか行ったときの駅なんかで。
「それぐらいしか運動することないしなあ」という気持ちがあるからなんだろうな。
それにエスカレーターの場合、あのスピード感が嫌い、というのもある。
遅いよな、日本のエスカレーターは。もたもたしている。
よほど暇なときでもない限りイライラする。
デパートでエスカレーターに乗るときは必ず、空けられた右側をグイグイと上がっていく。
(たまにカップルや女の子2人連れがベタッと右側に突っ立ってるとかなりイライラする)
何気にせっかちな性格。
じっと立ってて30秒で着くエスカレーターと
自分で2分かけて歩いていく階段とだったら僕は断然階段の方を選ぶ。
自分の足でってのが1番信用できる。
心の奥底にそんな気持ちがある。
[1027] 夢遊病ってどういう状態なのだろうか? 2003-10-01 (Wed)夢遊病ってどういう状態なのだろうか?
ドラえもんではよくジャイアンが鼻からチョウチンぶら下げて
まるでゾンビのように両腕を前に突き出してフラフラ歩いているのを見かけるが、
(藤子不二夫Fは何をヒントにしたのだろう?)
実際の夢遊病ってのはどんな状態になるのか?
寝てるとむくっと起き上がってなんかしでかすのだろうか?
昼間にやっているようなことを?
でもそんなだったら2階の窓から飛び降りたりキッチンで包丁を取り落としたり
危険なことだらけだよなあ。
そこまではしないか。
部屋の中をノソノソ動き回って壁にぶつかって
そこで倒れて後はグーグー寝る、そんなとこか。
人というものは布団の中で寝返りを打ったり、モゾモゾ動き回ったり、
「寒いなー」と夢うつつの状態で起き上がって足元の布団を引っ張り上げたりするわけだから
起き上がって何かしでかすまではあと一歩のように思える。
なのにそこまで到達できる人間はいないようだ。
これはいったいどういうことなのか?
訓練次第では人は起き上がって、作業ができるようになるかもしれない。
机にたどり着くまで一苦労、椅子に座れるようになるまで一苦労、
鉛筆を握って紙の上に字を書くまでにさらにもう一苦労。
少しずつ段階を踏んで、−−−あちこちぶつかって、その度ごとに痛い目にあって目を覚まして。
朝起きて紙の上のミミズののたくったような文字に失望して。
そんなことを繰り返すうちにいつの日か昼間と同じように自由自在に動き回れるようになるものなのかも。
夢の中である種の意識が覚醒して自分の体を操縦する。プチ・マジンガーZのように。
左足を踏み出せ、右手を伸ばしてみろ、「何かがぶつかった」、手のひらを開いて掴まえろ。
慣れてくると自動操縦できるようになる。
あるいは目を開けられるようになる。・・・そう、人は眠らなくてもよくなる。
意外と実は僕は既にそういう体になっていて、
夢の中で目覚めるもう1人の僕がこの体を利用しているのかもしれない。
[1026] 夏が終わった 2003-09-30 (Tue)朝起きるとなんだかとても寒い。
気温が下がっているのに、布団をかけて寝ていなかった。
こんな日に限って玄関の小窓を開けっ放し。風でスースーしてる。
念のため風邪薬を飲んでおく。
あー、もう、こういう季節になったのか。
新しいプロジェクトについて通達を受ける。
すぐにも行ってくれと言われて、竹芝の本社へと向かう。
非常に規模が大きく、部門全体で取り組んでいるようなプロジェクト。
滅茶苦茶忙しいのに先が長い。
他のプロジェクトにいた人たちもどんどんここに取り込まれていってる。
ついに僕の番が来た。
忙しくなるんだろうな。毎日遅くなって土日も出てきて。
こういうのはもうたくさんだと思っていたはずなのに、
ぼやぼやしているうちに巻き込まれてしまう。
2週間前に上司と今後のことについて面談したとき、スパッと「辞めます」と言えばよかった。
あのときびびって言えなかった僕はなんてダメなやつなんだ。
優柔不断。
あの忙しさだと「辞めます」と言っても
「忙しいから後にしてくれ」とまともに取り合ってくれないんだろうな。
終わった。
午後は茅場町に戻る。
12月になるとオフィス全体が竹芝に移転するし、茅場町もこれが見納めか。
最後の散歩に出かける。
トボトボと歩き続けるうちに今日はついに月島の商店街にまで到達。
もんじゃで有名な通りをブラブラ歩く。平日の午後はさすがに人がいない。
その後引き返していつもの川沿いの公園のベンチに腰を下ろし、川を眺める。
「何をどうしたらいいんだろうなあ」
そんな弱々しい気持ちが頭の中でグルグル回っている。
僕はまたしても決断を先送りしてしまった。
自己嫌悪でどうしようもなくなる。
昨日に引き続き荷物を整理する。引き出しの中の書類はほとんど全て捨ててしまった。
5時半になって会社を出る。家に着いて6時半。
風邪薬が切れたのか、寒気がして喉が痛くなってきた。
外は完全に真っ暗。強い風が吹いていて寒いと言っていいくらいになっている。
それでも今日が、平日に走ることのできる最後の日かもしれないと思いジョギングに出かける。
走るとき上に着るのにちょうどいいのがなくて、カットジーンズにTシャツといういつもの格好で。
頭を空っぽにして走る。
走っているうちに体が温まってきて、外気を「涼しい」と感じるようになる。
心地よくなってきて、いつもなら4週走って終わるのに今日初めて5週目を走ってみた。
あともう1週行けそうだな、これならいくらでも走れそうだなと一瞬思う。
だけどそれも何かの間違いなんだろうなと思い直して5週でやめておく。
家に帰ってきて、今から眠りにつく。
嫌でも明日という日がやってくる。
いつまでこんなことを続けてんだろうと思う。
割り切って働くより他ないんだろうか。
今日をもって夏は終わってしまった。
[1025] 久々の出社 2003-09-29 (Mon)久々の出社。
例のプロジェクトにまつわるメールは一通もなし。
例の顧客からの問い合わせのメールもなし。
先週の金曜に会社の人たちとの飲み会にて「この1週間音沙汰なかったね」と聞いて
半信半疑だったのが、ここに来てぼんやりとした確信に変わる。
完全にキレたってことか。
これで終わり。
僕のいないこの1週間の間にどんなことが起きているだろう、と不安で不安で仕方がなかった。
常に最悪の方へ最悪の方へと考えてどうしようもない気分になっていた。
そんな自分はいったいなんだったのだろう。
杞憂だったのならいいのだが・・・。
フロアがひっそりとしているように感じられた。
僕のいない間に全てが過去の出来事になってしまったかのようだった。
例のプロジェクトに関わっていた人たちは誰も僕にそのことで話しかけたりはしなかった。
することが何もなくなった。仕方なく机の上や引き出しの中を片付ける。
小説家志望の知人が書いた大作を読み始める。
そんなふうにして暇をつぶして、午後は休みを取って家に帰ることにした。
引き出しの中にはここ4年半の間に溜め込んだ
「とりあえずとっとこう」と放り込んでいた無駄な印刷物ばかり。
いつか整理したいなあと思いつつ何年も何年も手がつけられず。
ダンボール1箱分の書類をゴミ箱に捨てて、さっぱりとした気持ちになる。
帰ってくる。祖母の家の件について、市役所の用地課に電話をする。
青森で話し合ってきた内容を伝える。
いつものように走りに行く。
これまでは鬱屈した気持ちを忘れるために走っていたのであるが、
今日はなんだか気分が違う。
解放されている。
平日の午後、青い空の下、黙々とグラウンドの周りを走る。
テニスコートでは主婦のサークルなのだろうか、熱心にテニスの試合をしていた。
グラウンドでは最初ゲートボールをやっているのだと思っていたらどうも違っていて、
ゴルフクラブでバドミントンの羽根を打って
開いた傘を逆さにしたようなネットに入れるという競技が行われていた。
2・3人のグループに分かれて、あちこちに傘が開いている。
最近お年寄りの間で人気のスポーツなのだろうか。みんな盛んにクラブを振っている。
黄色と黒がまだら模様になったロープが細長くグラウンドにひかれていて、それがどうもコースらしかった。
競技者はそれぞれ自分用の小さな芝生を手にしていて、それを羽根の前に置いてクラブで打つようだ。
そこではどんなことが行われているのか把握できたとき、
なんだかシュールな光景に思わずギョッとしてしまった。
その後ずっと小説の作業。
春ぐらいに日記に書いた掌編「FROZEN BEACH」の書き直し。
必要とされる箇所にスッと言葉が出てきて、今日のところはうまくいった。順調。
昼、会社で、帰る間際に上司から「明日の朝次の仕事の話をする」と伝えられる。
いったい何をやらされることになるのか。戦々恐々。
[1024] 「ローマの休日」 2003-09-28 (Sun)新宿のテアトルタイムズスクエアに「ローマの休日」を見に行く。
公開50周年記念のデジタル・ニューマスター版。
日曜ってこともあって午前中の回だったのにほぼ満員。
半分がお年寄り、半分が若者。
オードリー・ヘプバーンが青春時代の憧れだったという人も会場には多かったんだろうな。
見終わって思うことは月並みなこと。
1.オードリー・ヘプバーンきれいだなあ
2.グレゴリー・ペックかっこいいなあ
3.監督のウイリアム・ワイラー職人のいい仕事してるなあ
4.男女のロマンスとしていい話だったなあ
5.ローマの街並みがきれいだったなあ
老若男女問わず多くの人がこういうことを感想として抱くのだと思う。
「誰だって」と言ったっていいだろう。
これってものすごいことなわけですよ。
主演も監督も脚本も撮影もいい。
50年代、映画の黄金時代の名だたる作品たちはみんなこれが当たり前なのか?
こういうのを映画って言うんだよなあ。
普段気難しいアート系の作品ばかり嬉しがって見てるオレってなんなんだろ。
やっぱそこには何か大事なものが欠けていたのかもしれない。
見た人がみんな「ローマの休日」の世界にひたってスイートな時間を過ごす。
こんな映画90年代以後あったと言えるだろうか?
しいて言えば「タイタニック」?
それにしてもオードリー・ヘプバーンの魅力。
これがもう、やられる。
僕が見に行こうと思ったのは「デブラ・ウィンガーを探して」を見に行ったときの予告編、
スクリーンの向こうの皇女としてドレスを身にまとったヘプバーンの
凛とした佇まいとはにかんだような笑顔にジンと来るものがあったから。
今日も見てて目が潤んできた。
なんでこんな輝いてんだろ?
在りし日の映画スターってこんなにまばゆいものなのか!?
ラストの記者会見でのシーン。
お互い思っていることを口に出さず、ただ見つめ合うだけの2人。
そのクローズアップ。表情、視線、息遣い、それだけで全てを語ってしまう。
そしてその後、グレゴリー・ペックが1人その場を去る場面。
思い出しただけでため息が出てくる。
この頃の映画、僕はこれまで敬遠してきたけど
「こうなったらもう見るしかないな」そんな決意を抱かせた。
---
夕方、吉祥寺へ。
中古CD屋を回った後に、パルコの地下に新しくオープンしたHMVへ。
それなりにゆったりしたスペースにはなっているものの
枚数的にはたいしたことはなさそう。
新宿のMYCITYにあるよりも半分ぐらいか。
たまたま探してたジョナサン・リッチマンとルナが
そもそも棚のインデックス自体ないことから、だいたいの取り扱い規模を把握。
吉祥寺ならタワーで買うことはあってもHMVでわざわざ買うことはないだろうな。
とはいえこれで HMV もあるわけで吉祥寺ってますます住むのに魅力的な町になってきた。
将来的にはここに居を構えたいものだ。
[1023] 日大三/残暑/外道 2003-09-27 (Sat)昼ごろ、走りに行く。
今日のグラウンドは野球が行われている。4つあるうちの3つで試合。
中学のが1つ、高校の練習試合が2つ。
ネット裏で選手集めてやけに監督(コーチ?)が気合い入れて説教してんなあ
というのをよく見ると昨年の春甲子園で優勝した日大三だったりする。
応援のため駆けつけた母親たちは揃いのTシャツ(白地にピンクの文字)を着ている。
天気がいいのでシーツや枕カバー、バスタオルやバスマット、いろんなものを洗濯して干す。
最近寒い日が続いていたようであるが、今日は30℃近くまで上がったようだ。
季節外れのセミが1匹鳴いているのが聞こえた。
クリーニング屋に行こうと外に出ると近くの家の子が僕に話しかけてきて、
ダンゴ虫を見つけたので見てくれと僕の手のひらの上に小さな虫をのせる。
夜、この前買った「外道」のベストにくっついていたDVDを見る。
73年、あの田原総一郎がプロデュースしたというテレ東の番組が発見されたもの。
当時の外道は熱心なファンがバイクでコンサート会場に現れるというガラの悪さが
当時社会問題化されていた暴走族と結び付けて解釈され、
ブッキングされても当日になって出演を拒否されることがしばしば。
そんな外道を取り巻く状況、そこからあぶりだされてくる日本の若者の状況を
田原総一郎が自らペンキ屋やガソリンスタンドのあんちゃんにマイクを向けることで切り取る。
ドキュメンタリーとして問題提起するために作っているんだろうけど
2003年の今見ていて思うのは
僕が生まれる直前の日本の風景への(理論的にはありえない)ノスタルジアと
若き日の外道のかっこよさ。
かっこいいよなあ。こりゃ当時の荒くれものたちを惹きつけて離さないわ。
番組はコンサートの途中で主催者側から「音が大きい」と中止を告げられても
意に介さず客席に飛び込んでいって肩車されてギターを弾きまくる加納秀人の姿のショットで終わる。
あの頃のロックは何もかもが不純物で、それゆえに何もかもが純粋だった。
(なお、「暴走族」という言葉は後になって定着したものであって、
番組内では「狂走族」や「サーキット族」と呼ばれている。歴史を感じさせる)
[1022] サッカー/丸の内・神田/泥酔寸前 2003-09-27 (Sat)久々にジョギング。上井草スポーツセンターのグラウンドに行くとサッカーの練習。
どこかの大学のサークルなのだろうか。50名近くいたんじゃないかな。
揃いのユニフォームを着るのではなく、各自が好きなように着ている。
そのせいか非常ににぎやかに見える。
大学のサークルなんじゃないかってのはあんまり上手な感じがしなかったのと、
いかにも最近の女子大生っぽい子たちがグラウンドで暇そうにしてたから。
グラウンドの隅っこで黙々とネットに向かってボールを蹴りつける若者が何人かいる。
走っているうちに紅白戦のようなものが始まる。
大家さんのところに家賃を払い、そのついでに青森土産のお菓子と、
家の近くで取れたトマトを送ってもらったのを持っていくと、
「青森で地震あったみたいだけどお母さんは大丈夫だった?」と聞かれる。
朝何時だったか揺れで目が覚めたのであるが、あれは東京の地震ではなく北海道の地震だった。
北海道や宮城県では津波の恐れがあるという。
早速母に電話してみると青森はたいしたことなかったという。
昼、東京駅へ。祖母の家の件に関して父の兄と会うことになっている。
地下街の天ぷらやでつまみながらいくつか大事な話をする。
その後はずっと飲んでいる。お互いビールが好きだから、ずっとビールばかり。
店を出るとその日は夜まですることがない。
僕が「丸ビルって行ったことなかったので上ってみるつもりだった」と言うと、
じゃあ行ってみようかってことになる。
36階で降りてぐるっと回る。高級な店が並ぶ。
35階に展望台のようなものがあるので、エスカレーターで降りていく。
新橋〜お台場方面が目の前に広がる。
あのガラス張りのビルがどうでこうで、そんな話をする。
時間もあるしということで神田方面まで歩いていって飲みに行く。
おじさんが昔、定年退職する前は
この辺りで働いていてよく神田で飲んだってのもあるんだろうけど、
昔僕の父もこの辺で働いていていてたまに飲んでるところに出くわすこともあった、
そんな思い出のためでもあるように思う。
東京駅から丸ビルにかけての道路のあちこちに牛をテーマにしたオブジェがいくつか飾られていた。
体をサッカーボールのように塗られて、背中にゴールポストを背負っているような。
なんらかのイベントの一環としてこれらのオブジェが展示されているのだろうか。
歩いていくうちにとある通りに差し掛かる。
今では産経・読売・日経と新聞社が並んでいる。
おじさんの入社した昭和35年ごろはこの辺はまだ空き地が多く、よく野球をやったものだという。
一軒の飲み屋に入る。昔よく訪れたことのある店のようだ。
午後2時という時間なのに開いているが、客は他にいない。
「昔早番があけてこのぐらいの時間に来ると何組か客が既に入っていたもんだけどなあ」
不景気だからかなあとおじさんは言う。
さらにビールを飲んで、後はサワー。かなり酔っ払う。
最初の店はおじさんが払ったが、こっちの店は僕が払う。
それじゃあ、ってことで神田の駅で別れるのであるが、そこから先することがない。
ほんとなら新宿に行って「ローマの休日」を見るつもりでいたのだが、
これだけ酔っ払ってたらすぐにも眠ってしまいそう。
というかそれ以前に電車乗ってると具合が悪くなりそう。
歩いてると酔いもさめるだろうかと、そのまま神保町へとフラフラ向かっていく。
多分こっちなんだろうなあと適当にぼとぼと歩いているうちにたどり着く。
いつもの古本屋で何か早川文庫の珍しいものはないか一通り眺めてみるが、特に目を引くものはなし。
トイレに行きたくなっても地下鉄の駅にもどこにもトイレも見つからず、仕方なくドトールに入る。
ついでに一休みと思うのだが、これだけ酔ってるとアイスコーヒーを飲んでもちっともおいしくない。
カバンから文庫を取り出し読み始めても頭の中に入っていかない。
すぐにもドトールを出て、銀座方面へと歩き始める。
皇居の方に進んでいって、大手町、丸の内、東京駅の地下街を歩いて八重洲に出て
ついでに八重洲ブックセンターを覗いていく。
ヘロヘロになって自分が何しにここに来ているのかよくわからなくなる。
6時ごろ銀座に着いたのであるが、次の飲み会が始まるのが8時半、中途半端に時間をもてあます。
数寄屋橋阪急の HMV に入った後、日比谷方面に歩いていってシャノアールを見つけると上に上がっていく。
ソファーに沈み込みアイスコーヒーを頼んで文庫を読んでいるうちに眠ってしまう。
周りは会社員ばかり。バイトの店員たちがカウンターにて途切れることなく世間話をしている。
ウエイトレスの子が僕の席にてグラスに水を注ぎ、お茶を入れてくれたところで目が覚める。
シャノアールにお茶のサービスってあったのかと夢うつつの中考える。
夜になって会社の飲み会へ。新橋近くの鳥良へ。
僕が入社時に上司で2年前に別な会社に移ったYさんを迎えて当時の部下たちで、という趣旨。
昼に死ぬほど飲んで食った僕は何も手をつける気にならず。
アルコールは体が受け付けようとしなくて、乾杯でビールに手をつけただけ。
酒が切れてきて二日酔いのような状態になる。
飲み放題をいいことにひっきりなしにグレープフルーツジュースを飲む。
おなかは減っていないのであるが、鳥良名物の手羽先の唐揚だけはしっかりと食べる。
せっかく昔の上司にあっているのに思い出話にはほとんどならず、みんな今の仕事の愚痴ばかり。
その内容もここ2年間でみんなサラリーマンっぽくなってきたとYさんは妙な感心をする。
店を出た時点で11時近く。他の人たちはもう一軒行くようであるが、
これ行ったら終電逃しそうだし、
体調がよくないっつうかボロボロになるまで疲れてるしで僕は帰ることにする。
岡村君にしては途中で帰るの珍しいねと言われる。
[1021] 東京に戻る日 2003-09-25 (Thu)東京に戻る日。例によってあっという間だった。
朝食の後、家中に掃除機をかけて、さらに、自分の部屋を雑巾で隅々まで拭く。窓も表裏。
青森は断続的に雨が降り続いて、東京も今日は降っているようだ。
これまで天気がよかったのにな。
青森を発つのが2時近く。青森市街へと出て母と食事をすることになる。
雨の降る中母とバス停に向かい、バスに乗る。
祖母の家を売る件について書類を用意するにあたって印鑑証明が必要で、
そのためには印鑑登録が必要で、さらにそのためには実印が必要で。
この機会に作るか、ということになる。
夜店通りの印鑑を彫る店に入って、どういうのにするか選ぶ。
アメリカ水牛ってのがあって値段も手ごろなのであるが、
「一生使うものだからお母さんが払う」と象牙で作ることに。
妹の分も用意しなきゃいけないからということで、2人分。
10万近い大金を預金口座から下ろすのか。
ふう、と心の中ため息をつく。何かがやりきれない気持ちになる。
「トヨヒコの財布ボロボロになってるから」と道路を隔てて向いのカバン屋に入り、財布を買う。
社会人になったときに買ってくれたのと同じ素材の財布を。
その頃は茶色かった財布も今では使い込んで真っ黒になっている。
財布代も母が「いいからいいから」と出してくれる。
昼食。どこに行きたい、何を食いたいって聞いても母の口からは何も出てこない。
僕も取り立ててどこに行きたいという店はない。
ケンと下北半島を巡っているときに「青森市のうまい店」という話をしていたときに出てきた、
場所と名前があやふやになっていたスパゲティー屋のことを思いだし、そこに行ってみる。
母がアスパムから1本目の通り、丸海ラーメンの近くだったと言う。
あった。母の覚えていたとおり。
僕はボンゴレを注文する。母は日替わりランチを注文する。
日替わりランチについてきたスープやサラダをちょっと食べては、
「お母さん食べ過ぎると体によくないから」と僕によこす。
ミートソースのスパゲティもほとんど残して僕が食べることになる。
いつのまにか仕事の話になる。
「正月に帰ってくるときにはトヨヒコも会社を辞めてるのかねえ」
・・・わかんないよ、と僕は呟く。
「これをやりたいという仕事が見つかったら、会社を辞めなさい」と母は言う。
次が見つかったら、ではない。
いつだって母親の言うことは正しい。
雨が降り止まない。新町に戻る。
実印ができたときに東京に送ってもらうためのあらかじめ詰め物がなされた封筒を
成田本店3階の文房具売り場で母の替わりに探して、買う。
そこで「じゃあ」と別れ、僕は駅に向かう。
特急に乗って八戸へ。新幹線に乗り換えて東京へ。
東京は寒くなっていた。
Tシャツの上にネルシャツでちょうどよくなっていた。
「着いたよ」と母に電話をする。
「それはよかった」と母が受話器の向こうで言っている。
泣きたくなってくる。何もかもが悲しい。
どうしていいのかわからなくなってくる。
[1020] 小休止 2003-09-24 (Wed)朝から夕方まで、机に向かい小さなノートPCにここ3日分の日記を入力する。
それだけで1日が終わった。
祖母の家売却にあたって市役所の用地課の人たちが作成してくれた書類に目を通す。
その内容に関して、夜、食事をしながら母に話す。
そのとき、仕事の話もする。
そろそろ辞めようかと思う。心身ともにしんどくなってきた。そんなこと。
「トヨヒコはやりたいことあるの?」と聞かれる。
小説家になりたいという以外にないな、と答える。
そこから先、話が行き詰まってしまう。
似たような会話は毎年のようにしている。
いつも答えが出ない。
短いながらも仕事から離れて、落ち着いて考えるための休暇。
考えれば考えるほどどうしていいかわからなくなってくる。
1.SEという職業は嫌だが、当面の安定した生活のため今の会社を続ける
2.小説家になることをあきらめず、そっち方面に踏み出してみる
これまでこの2つの間で揺れ動いていたのであるが、
青森に帰ってきてみると第3のポイントから目を反らしていたことに気付かされる。
3.青森に戻ってきて母の面倒を見なくてはならない
毎年毎年少しずつ体力の衰えた姿を目にする。
東京に呼び寄せてもいいことないんだろうな。さらに健康を損ないそうだ。
本人はその時が来たら老人ホームに行くからとは言っているが、果たしてそれでいいのか。
どうしたものやらさらにわからなくなる。
養うべき妻子もなく、結婚を考えている恋人もなく、家や車のローンもなく、
特に問題となる借金もない。
他の人に比べればいたってシンプルな状況のはずなのに。
とりあえず目先のプランとしては以下のような結論に達する。
A.例の顧客との間ですっきり片付かず、何らかの要求が上がってきて
作業をしなくてはならないのなら、それを一段楽させた時点で会社を辞める。
(気が滅入るだけのくだらん仕事であって、やってくうちにどうせまた気分がどん底まで落ち込むから)
B.僕のいない間に例の顧客の件がすっかり片付いていて新しいプロジェクトに移れるのなら
心機一転その仕事に取り組んでみる。ただし期限を区切り、
今年いっぱいか今年度いっぱいでやはり会社を辞める。
どちらにしても次の職場を探しながら、今の会社で当分働く。
コンピューター関係の仕事には2度と就きたくない。
本気になって見つけなくてはならない。
それよりも、小説を書くこと。
9月10月、11月12月、1月2月。
2ヶ月に1本の割合で30枚程度の短編を完成させようと心に決める。
何を書くかはだいたい決まった。
これまで仕事の忙しさにかこつけて、
毎日日記は書いてるよってのを言い訳にして、
「書くこと」から逃げていた。
もうこれ以上先延ばしにはできない。
[1019] ダイエットジュース/「シティ・オブ・ゴッド」/銭湯にて 2003-09-23 (Tue)7時半に起こされる。
昨日もそうだったが、今日も熟睡。
青森に着てからの3日間であちこち回ったことの疲れもさることながら、
溜まっていた会社での疲れもあるんだろうな。
NHK朝の連続ドラマ「こころ」を見ながら朝食。
「トヨヒコの分も作ったから飲んでくれ」とダイエットジュースなるものをコップ1杯飲まされる。
母が所属している登山会に下半身が麻痺していく病気にかかっている人がいて、
最初は普通に病院に通って西洋医学で直そうとしていたのであるが、
病気についていろいろな本を読み様々な治療法を試していくうちに、自然療法に行き着いたのだそうだ。
その道の権威に会いに行き、教えてもらったのが以下のレシピ。
その人は今でも下半身の筋肉がほとんど動かないのであるが
登山に出かけゆっくりゆっくりと頂上を目指すのだと母は語る。
先日車を自分で運転してこの家まで来て、ジュースの作り方を教えてくれたのだという。
以下、そのメモをほとんど原文のまま。
******************************************
ダイエットジュース・レシピ
○バナナ 1本
リンゴ 1/2コ〜1/4コ
みかん 1/2コ
※ これをベースに季節の果物何でもOKです。皮のまま使用。(ニンジン)
○生姜 親指大1コ 皮のまま使用
○クコの実 大サジ1 水につけて戻しておく
○にんにく粉末 小サジ1
○アロエ 粉末 小サジ1
○あしたば粉末 小サジ1
○ケール 粉末 1袋
○大地の粉 1袋
○カスピ海ヨーグルト又は飲むヨーグルト 200cc位
その他ジュース、牛乳、豆乳、水等好みで飲みやすい濃度に加減して入れる。
そしてミキサーで廻すと出来上がり。
あくまでもおいしく飲みやすく自分流に味付けして下さい。
(以下、各種粉末の注文先リスト。ファンケルのような有名なところから、個人の農家まで)
******************************************
「大地の粉」って何?って聞いてみたら
国産大豆を粉末にしたものにハトムギエキスやオリゴ糖を足した健康食品らしい。
出来上がった代物はベージュにワインレッドを足したような上品な色使いで
口に入れてみるとドロッとしている。
飲まなきゃ母がかわいそうだから一息にぐいっと飲み干す。
「どう?おいしいでしょ」と言われて、
こりゃ明日も明後日も作られたらかなわんと心を鬼にして「おいしくない」とバッサリ切る。
「そう?」と寂しそうにされる。
「でもお母さんこれ飲んでから体の調子がいいんだけどなあ」
作りすぎたんでもう1杯でいいから飲んでくれと頼まれて2杯目を飲む。
気が遠くなってくる。
いくら体にいいものを集めたジュースであっても
体が欲してないときに飲んだら意味はあんまりないのではないか、素直にそう思った。
青森に来て1日や2日飲んだところで特に効果はないんじゃないかな。
食べ終わって、家中に掃除機をかけて、自転車に乗って青森市の中心部へと向かう。
いつもの床屋で髪を切る。
待ってる間「美味しんぼ」のカレー対決編を読んで手に汗握る。
床屋を出た後、新町、特に夜店通りをぶらつく。時折、古着屋っぽいところに入っていく。
買いたくなったような服はなし。
三沢の寂れ具合を見て青森もそうなんではないかと思い、そういう視点で通りを歩いてみると
三沢ほどではないにせよ青森もシャッターが閉じられているところが結構ある。
社会人になった辺りからなんとなく感じてはいた。今回現実としてはっきりと認識する。
いつも必ず立ち寄る店でジーパンを見る。
店員が僕のジーパンを見て「お客さん、いいの履いてますね」と言ってくれる。
のであるが、僕の返答としては「正月にここで買ったんですけど・・・」
お互い微妙な雰囲気になる。
アウガ3階のパラダイスレコードで海賊盤のCDを何枚かとビーチボーイズの未発表曲集を買う。
海賊盤って普段は絶対買わないんだけど、
時間があったのでふと棚を見たときにいくつか聞いてみたくなったものが出てきた。
Pavement の97年来日公演と、Belle & Sebastian の99年「The Bowlie Weekender」を収録したもの、
そしてビーチボーイズとグレイトフルデッドが71年にフィルモア・ウェストで共演したもの。
デッドのはこの前国立の Disk Union に行ったとき別の体裁のものを見かけたのであるが、
デッドがビーチボーイズの曲をやってるだけだったら意味ないしなあ、
それに共演していてもこの頃ってブライアン・ウィルソンがいるわけじゃないしなあってんで
やめておいたもの。結局やっぱ欲しくなった。
同じく3階の village vanguard にて国井律子「アタシはバイクで旅に出る。」の2巻を買う。
昨日の夜・今日の朝と1巻を読んで、はまった。
あちこちハーレーで出かけて温泉に泊まってうまいもの食って日本酒を飲むという連載を
まとめただけのものなのに、なんか癒される。
そうかあ人間、日々の暮らしにちょっとした旅が必要だよなあと思う。
五感をめいっぱい働かせてその日その時出会うものを楽しむということ。
この僕ですらバイクの免許を取りたくなったぐらいだから、かなりのものである。
4階の PAX でレヨナの「sunroad」を購入。
午後2時、夜店通りのシネマディクトにて「シティ・オブ・ゴッド」を見る。
何年か前に営業を開始して以来常に
こういうミニシアター系の作品を買い付けて上映しているのだから偉いものだ。
今週末からは「フリーダ」を上映する。
これからも頑張ってほしいという期待も込めて入場券を買う。
「シティ・オブ・ゴッド」はブラジルの作品。
昨年のカンヌのアウト・オブ・コンペティション部門に出品されて賛否両論。
その暴力描写ゆえに監督は「第2のスコセッシ」と呼ばれる。
ブラジルでは空前の大ヒット。
16歳未満禁止となったのであるが前大統領が「あらゆる子供たちが見るべき」と異例の擁護。
リオ・デジャネイロのスラム街「シティ・オブ・ゴッド」が舞台。
60年代から80年代に至るまでの子供たち−若者たちの物語。
ギャングのボスとしてのし上がっていくことしか頭にない者。
恋やファッションに目覚めてギャングから抜け出ることを願う者。
スラムを抜け出してカメラマンを願う者。
ヤク中がひどくなった挙句ギャングの闘争に身を投じていた者。
そして無数の貧しい子供たち。
ギャング団の成長、そして対立するギャング団の抗争という図式を取ってはいるものの
単純なジャンル映画に陥ることはなく、
ああ、ブラジルってこういう暗い部分を抱えているんだなあ、という悲しい現実が嫌でも伝わってくる。
テンポが良く娯楽作品としてよくできてるんだけど到底「娯楽」としては受け止められない。
救いというものが一切ない日常生活。そこで生まれ育つとそれが当たり前になる。
命というものはひどく安っぽいものになる。
リオだけではなく地球上の多くの国の多くの地域がこうなのかということを考えると
なんだかなあと思う。日本人であることをありがたく感謝するのみ。
帰ってきて、近くの銭湯に入りに行く。
いつからか家では風呂を沸かすことがなくなり銭湯に通うのが普通になった。
最初はなんとなく嫌だったものの今では慣れてしまっている。
足を伸ばして熱い風呂に入っていると気持ちいい。
銭湯ではなくて、一応温泉ということになっている。
上がってきて服を着ていると
番台のおばちゃんと客のオヤジが陽気に大声で話している。
オヤジ曰く、しょっちゅう脱衣所や浴室で会うので
そのうち話をするようになった人がいるのであるがどこの誰なのか未だにわからない。
「したばって今更あんだの名前なんてすんだって湯船で聞ぐわげにいかねしのお」
その人からオヤジあてに銭湯へとキノコを持ってきてくれたのだというが
どうしていいのかわからない。
「確がに春先にキノゴの話はすたから、わだしあでなんだろうけどねえ」
この日、本来ならば妹が休みで弘前から来ることになっていたのであるが
最近弘前で殺人事件があったようでその取材で休み取り消しとなる。
[1018] 下北半島を巡る旅(2の続き) 薬研温泉→仏ヶ浦→脇野沢→十三湖 2003-09-22 (Mon)仏ヶ浦を出て、蟹田までのフェリーの出る脇野沢へと次は向かう。
またしても道は曲がりくねっている。
「疲れないか」ってケンに聞いても「や、特に」と言われる。
「首都高に合流したら渋滞してたって方が疲れるか」と言うと「そうだな」と笑う。
右に急カーブ左に急カーブと繰り返しているうちにやがて視界の隅に海が見えてくる。
陸奥湾。着いたねえ。やっとだな。
時刻は13時過ぎ。新鮮な寿司が食いたいとケンが言うので、
脇ノ沢の中心部をゆっくりと走ってそういう店はないかと探す。
マップルに「マリンハウス」という施設が紹介されていたので車を停めてみる。
中に入ってみるとこれはその日取れた海産物、
ホタテやその他魚を量り売りするためのものであって、食堂はなかった。
2階には網や浮など漁業に関する用具が展示されていた。
1階・2階を貫いた細長い円筒形の水槽があって、その中を魚たちが泳いでいた。
名産であるいのししを用いたカレーのレトルトが売られていて、
買おうかどうか迷った挙句やめといた。
そういえば僕は寺山修司の記念館で豪華なパンフレットを2種類買った他は何も買っていない。
小さい頃はキーホルダーだの絵葉書だの
どこかに行く度に何かしら買わずにはいられない子供だったのに。
その建物の隣が乗船券売り場と待合室で、そのさらに隣が食堂だった。
どうもこの一角が観光の中心地らしい。
乗船券売り場でカーフェリー用の乗船券を買い(車体の長さによって値段が変わる)、
食堂で遅めの昼食を取る。
ケンはソイの刺身定食を、僕は先ほどから気になっていた焼干ラーメンを注文する。
ソイは脇野沢名物のようで、白身の魚。刺身を一切れもらうとコリッとした歯応えがあった。
2人ともホタテの貝焼きをそれぞれ追加する。
焼干ラーメンは具はイカとホタテが一切れ入っているだけの貧弱なものだったが、
海産物のダシが効いてるのか、スープはやたらうまかった。
麺は柔らかめ。焼干が織り込まれているのが特徴。
「名物にうまいものなし」とはよく言ったものだが、たいがいそう。
でもこの焼干ラーメンはそんなに悪くはない。
食べ終わって、「これからどうしようか」という話になる。
フェリーが出るまで後2時間もある。
こんなことなら旅館を出るとき、割り切って大間まで行って
マグロの取れる港を見に行くべきだったなあと僕は言う。
昨日の朝の時点でのプランには大間まで行くってのあった。
でもまあ、仕方ない。
来年の年賀状にプリントするための写真を撮りたいと僕が言い出して、
野猿公苑に行くことにする。さっき来た道を引き返せばどこかにあるようだ。
だけど道路に立てられていた案内図を見てみると海沿いに回っていっても行けそうだ。
そうした方が気が利いているねと走り出すのであるが、
海沿いの集落を走っているうちにやがて行き止まり。
さっきの案内図と同じのが近くに立てられているのでよく見てみると
海沿いの道は車用ではなくて、徒歩で散策するためのものだった。
その後野猿公苑を探したときもわかりにくかったし、あれこれ思い返してみると
青森県全般として標識が不親切だなあという感想に至った。
家に帰りついて新聞を開いてみたら青森県の観光について
青森県民に聞いたアンケートが載っていて、
行政への要望のところには僕と同じ意見が5位に入っていた。
野猿公苑は先ほど仏ヶ浦から来たときに立ち寄った道の駅に隣接していた。
この辺一帯は1つの公園のようになっているらしい。
小さな丘を上がっていくと、猿を飼うときの匂いなのだろうか、ツンと鼻につく空気が漂っている。
自動券売機にて入場料200円を払うと領収証が出てくるのであるが、見せるべき係の人がいない。
事務所のようなものが建てられていて右側の部屋に老人が1人座っていたが、僕らには興味なさそうだった。
左側の部屋には剥製、鹿だとか恐らく下北半島で捕獲された様々な動物のもの、が展示されているのが
見えたのだが、事務所自体の入り口がごく普通の民家の玄関のようになっていて
自由に入っていいものなのかどうかわからない。やめておく。
いわゆる猿山があって、猿たちがうろちょろと上ってみたり飛び跳ねたり、じっとしたりしていた。
金網の中での飼育も行われていて、細長い真四角の小屋のような金網がずっと続いていた。
猿たちは盛んに蚤とりをしていた。
猿たちがいるのは基本的にこの2箇所。
もしかしたら野生の猿がひょいと現れるかもねと敷地の奥の方まで歩いていく。
滑り台、スロープが板状ではなくて、金属の筒を隙間なく並べることで滑りを良くしたもの、
ちょっとした児童公園で見かけるような、そんな滑り台が置かれてたりするのだが、
メンテナンスされているようには見えなかった。
というか子供たちに利用されないのでゆっくりと死につつある、そんな感じがした。
斜面を上って行くとテニスコートが2面あったが、
1つはネットが外され、もう1つはだらりと垂れ下がったネットがボロボロになっていた。
雑草の生えた、だだっ広い、平らなだけの空間が所在なげに広がっている。
さらにその奥の林の中へと入っていく。
下っていったところに、ピンクとオレンジの混ざったような色の薄い壁を3方だけ作り、
天井はなく、壁の高いところにはライトが据え付けられた、そんな「建物」があった。
床にあたる部分が雑草で覆われていたので最近はもう使われていないのだと思う。
昔はなんらかの実験が行われたのだが、今となっては打ち捨てられている、そんなとこか。
テニスコートの近くの林には2階建ての木造の建物がひっそりと立っていて
ある程度手入れはされてそうだったから、あれは研究室として時折使用されているのだろう。
まあそんなわけでここは完璧に近いぐらい終わっていた。
こんなところに閉じ込められている猿がかわいそうだった。
とにかく予算がないんだろうな。必要最小限、猿たちを食わしていくだけしかもらえない。
ほんとなら観光客の入場料で賄いたいところなのであるが、
あまり人が入らないので金をかけられない、さらに寂れていく、そんな悪循環を勝手ながら想像した。
昼に訪れた「マリンハウス」も作った後はほったらかしになっていて
壁に大きくくっつけられた「マリンハウス」の文字のうち、「マ」が剥げ落ちていて
建物の中も全体的に手入れがされていない、そんな感じだった。
僕が予想するに、県内の多くでこういう状況なのではないか。
90年代のどこかぐらいで青森県も観光に力を入れようと上のほうで思い立って
各市町村にあれこれお金をかけて作らせたのであるが、
その後知事が変わったのか、予算が取れなくなったのか、単純に熱意が冷めたのか、
これらの施設を改善していく方向には向かっていない。
あるいは各市町村で温度差があって観光に力を入れていないところもあるのか。
昨日見た三沢の寺山修司記念館も航空科学館も今はきれいな施設であるが、
もし例えば三沢の文化系か観光系の担当者が変わってしまってその人に熱心さが欠ける場合、
これらの施設もただ立っているだけで後は腐っていくだけのものになりかねない。
野猿公苑を見終わってもまだ1時間余っていた。脇野沢は他に見るものもなさそうだった。
港の方に戻って、丘の上にある愛宕山公園にて時間をつぶすことにする。
辺り一面桜の木が植えられていて春になればここはきれいだろう。
丘を下っていくと海辺に作られた公園に出る。
割ときれいに整備されていて、これならいいやと思う。
埠頭にて海を見ているとヨタヨタと歩いてきたお年寄りの方に声をかけられる。
「あんだだちどっからきたのお」
ケンは自分は三沢から、僕の方を指差して「東京から」と言う。
「東京がら来た人さ釣りばさせればいんでねか?」と勧められるが、いや、いいですと断る。
その後ひとしきりケン相手に話をする。三沢と聞いて、娘が三沢に嫁いでいったとかそういうこと。
そんでまたヨタヨタと歩き去る。
海沿いに作られた遊歩道を歩き、愛宕山公園の丘をぐるっと1周して戻ってくる。
遊歩道とその近辺はきちんと手入れされていてきれいなものだった。
脇ノ沢の若い男の子と女の子は夜になるとこの辺りで会うのだろうか?そんな話をケンとする。
車に乗って、フェリー乗り場で順番を待つ。
小型の車が3台先に乗り込んで、大型のバスが1台真ん中に入って、僕らの車と他何台かがその後に続いた。
100人ぐらいの客室と、デッキ。
喉が渇いた僕は1人ビールを飲み、客室につけられたテレビでやっていたワイドショーを見る。
女子中高生を狙った通り魔は××駅を中心とした半径500mの円の中で犯行を繰り返し・・・。
15時20分、予定通りに船が出港する。
日が照りつける中デッキに座り込んで、海とその向こうの下北半島を眺める。
時々、反対側のデッキにも腰を下ろしてみる。津軽半島。
相変わらず海は青い。立ち上がって眺めると向こうには八甲田山も岩木山も望める。
八甲田山のふもとにはちょこんと雲谷高原が見える。
冬はスキー場で有名だ。青森市の人たちはここにスキーをしに出かける。
客室に戻るとアニメのトランスフォーマーをやっていた。
ケンは座席に沈み込んで眠っていた。
僕はコカコーラ片手にデッキに戻る。
東京からきたと思われる若者3人組がフラフラと騒いでいる。
大学生だろうか、1人はアンティークのカメラを首からぶら下げている。
蟹田到着。
16時20分。予定通り到着なのであるが、ここからだと金木の斜陽館には1時間近くかかる。
斜陽館は17時まで。諦めることにする。去年に引き続いて今年も断念。
蟹田から十三湖に向かって、その後金木方面へ、そして青森市油川へ。
そんなルートを辿って帰ろうかということになる。
津軽半島のこの辺なら僕はしょっちゅう車で通ってるってことになっているのに、
いきなり曲がる場所を間違える。でもそこから先は見慣れた光景。
いつもなら今別へと右折する道を直進する。国道339号線に入る。
しばらく走るとすぐにも十三湖が見えてくる。車を降りて夕暮れの湖を眺める。
駐車場と湖の間のわずかばかりの空き地にて大根を細く薄く削ったものを干している。
最初見たときなんだろうこれ、と思った。
ほんとならもっと大掛かりに観光地化されシジミラーメンという名物が食べられたり、
キャンプ場や子供の遊び場も整備された場所がもっと行った先にあるのだが、
今日はそこまで行かない。車に戻って金木へ。
目の前にはずっと岩木山。
右手にははるか先まで広がる稲穂。夕暮れの光を浴びて黄金色に輝いている。
「ああ、いいねえ」とケンが言い、僕も「いいねえ」と言う。日本人を意識する瞬間。
今年の冷夏でも稲は大丈夫だったろうかとケンが呟く。
金木。斜陽館は案の定閉まっている。5時を10分ほど過ぎた時刻。
一応車を停めてみる。向かいにある土産物屋に入る。ここもまた閉まりかけている。
太宰治の新潮文庫やその他研究書などが展示・販売されている。
太宰を読むならどれがいい?とケンに聞かれて。僕はこう答える。
「最初なら『走れメロス』がいいんじゃない?
はまって、ある程度読んだら『グッドバイ』がお奨めで、
青森にかなり詳しくなったら『津軽』を読んだ方がいいね。俺は『津軽』が断然いい」
母の住んでいる油川と金木は国道で結ばれている。
これに乗っかれば簡単にいけそうなのであるが、その26号線を探すのが難しい。
標識も分かる人にしか分かんないような地名で書かれていて、どこ向かってんだ、これ?という状態。
行きすぎたんじゃないか、これじゃないか、そこ左折したらすぐ右折。
2日間で最も行き詰まるナビゲーションが繰り広げられる。
やったこさ乗りこんで後はまっすぐ進むだけになる。
この26号線の峠の青森側を小学生や中学生のころ、自転車を必死になって漕いで途中まで上って、
そこからシャーッと降りていく、そんなことを何度かやったことがある。
地元の人たちが八十八ヶ所と呼んでいる個所を通過し、油川に到着。
日は完全に暮れている。
家に到着。
ケンに上がってもらって、僕の住んでいた部屋を見せて、
母と3人で近くの鰻屋に行ってご飯を食べる。
ケンの持っていた青森県の道路地図をパラパラとめくって、
母は白神山地に今度行くならどこそこの旅館が、といった話をする。
家に帰ってきて、疲れきった僕は夜の9時には寝てしまった。
下北半島、堪能。当分行かなくていい。
[1017] 下北半島を巡る旅(2) 薬研温泉→仏ヶ浦→脇野沢→十三湖 2003-09-22 (Mon)6時に目が覚める。もう1度寝る。7時に目が覚めて、お湯に入りに行く。
1人きりだったので今回はゆったりした気持ちになる。朝風呂で極楽ゴクラク。
昨日の夜、朝食の時間は何時にしますか?と旅館の人に聞かれてとりあえず8時と答えたのであるが、
そんな時間に食べようとするのは僕らだけで他の人たちは既に食べ終わっていた。
大広間で2人きり朝食。(昨日は開いている部屋を2人だけで使わしてもらったので快適だった)
旅館の一般的な朝食。温泉地なので温泉卵あり。
温泉卵の殻の剥き方ってどういうのが正しいんだろう?
殻を途中まで剥いていった後で口の上まで持っていって飲み込んだ。
食べ終わってチェックアウト。
1泊1万で生ビールや岩魚骨酒を足して1万3千円になった。これは高いか安いか。
お金に余裕のある人は「ホテルニュー薬研」に泊まることをお勧めします。
ホテルの中に露天風呂もあるようだし。
昨日は青森県の太平洋側三沢市から下北半島の東の付け根に位置する尻屋崎へとひたすら北上し、
その後は西へ西へと進んでむつ市を経由して恐山へ、そこから北に少し走って薬研温泉へ。
今日はさらに西へと向かって下北半島の反対側へ。半島横断。
陸奥湾に面した仏ヶ浦を見たあとで南に下って脇野沢へ。そしてフェリーに乗って津軽半島へ。
地図を見るとたいした距離じゃないってことで薬研温泉から仏ヶ浦のある佐井村まで
山道を行ってみることにする。行ってみるも何も他に選択肢がないのであるが。
すぐにも砂利道。本当に国道か?と疑いたくなる。ところどころ舗装されている。
こういうのってなんなのだろう?
最初はアスファルトで舗装はしたものの後はずっとほったらかし、
年月が過ぎ行くうちに道が崩れてとりあえず砂利を敷いたというものか。
とにかく具合の悪くなるぐらいデコボコ。
それまでクラシックのオムニバスを聞いていたのであるが
気が滅入るってことでオールディーズに変更。
「ルイジアナ・ママ」なんてのを聞いてると「イケイケ、アハハ」という気持ちになる。
音楽の力は強い。
途中、ケンが急ブレーキ。「どしたの?」と聞くと「サル」
地図から目を離し前方を見やると猿が2匹道路を渡って山の中へ消えていくところだった。
「あそこにもいる」とケンが指差した先を見ると木の上にも2匹いた。
後で脇ノ沢の「野猿公苑」に行ったとき、脇野沢村が野生のサルの北限と案内板に書かれていた。
今走っている佐井村ってのは脇野沢村よりも北なので、
僕らはたぶんかなり珍しいものを目にしたことになる。
生息の世界最北端と認定された地域の猿が減少傾向にあるということで
天然記念物として保護されることになり野猿公苑も作られたのであるが、
以後増加する傾向にあり、群がいくつか分かれていったのだという。
僕らが見たのはそのうちの1つだったのかもしれない。
また進み始める。前も後ろも車なし。
対向車は1度きり。割とかわいい女の子2人連れで、「いいなー」と思う。
こういう子たちと旅館で一緒だったらなあ。この僕だって声かけるよ。
習志野ナンバー。こんなところまで来てるのか。
連休ってこともあってナンバープレートを見る限り
関東方面から来てる人たちってのを様々な場所で見かけた。
さらに進む。砂利道で曲がりくねってもいるのでスピードが出ない。出せない。
20分ぐらいで抜けられるんじゃないかって言ってたのが、1時間もかかってしまう。誤算。
佐井村に着いて、脇野沢村まで地図上は40kmあるかないか。
でも曲がりくねった山道を走るのならかなり時間がかかる。
あと1時間で津軽半島行きのフェリーが出る。
仏ヶ浦を抜かして直接フェリー乗り場に行っても間に合うかどうか。
10時50分の蟹田行きのフェリーを逃すと、次は15時20分。
いいよ、しかたない、10時のは諦めようということになる。
いざ走り出してみてこれでもかこれでもかと曲がりくねった道をひた走り、
やっぱコリャ無理だよなという結論に達する。
気を取り直して仏ヶ浦。るるぶにはこう書いてある。
「風雪の厳しい津軽海峡の荒波と風が、長い時間をかけて海岸線の凝灰岩を削り上げていったもので、
冬の厳しい姿と夏の穏やかな姿の両方を持っている。この2kmに及ぶ奇岩の連なりは、それぞれ
『如来の首』『五百羅漢』『一ツ仏』『親子岩』『十三仏観音岩』『天竜岩』
『蓮華岩』『地蔵堂』『極楽浜』などの名称が付けられており、(以下略)」
まあ要するに波風にさらされて削られていった巨大な岩が群をなして屹立している一帯であり、
僕としては青森を代表する景勝地であると思う。この眺めには圧倒される。
駐車場に車を停めて、崖を這うようにして作られた階段を長々と下りていく。
階段はゆったりしているし周りは木々に覆われているしで気持ちのいいのだが、
この距離帰りはきつそうだな、と思う。
砂浜に到達するとさっそくおばちゃんに声をかけられ、遊覧船に乗らないかと言われる。
20分乗って1人760円だというので、それぐらいなら乗ってみてもいいやとお金を払う。
小さな漁船を改造したもの?に乗り込む。底はガラスになっていて海底を眺めることができる。
船が走り出すとおばちゃんがあの岩の名前があーでこーで隣の岩があーでこーでと
にぎやかに解説してくれる。訛りがないので、もともと土地の人ではないのかもしれない。
船を運転しているのは旦那で、船が出る合図のサイレンが鳴ると共に現れた太り気味の女の子は娘なのだろう。
波は穏やかで空は今日も晴れている。
岩木山も見えるし、北海道の半島も奥の方まで見える、こんな眺めのいい日は年に何回あるか、とのこと。
青森出身の僕でさえそう思う。こんな晴れてる日のことってあんまり記憶にないなあ。
2日続けての晴天。もしかしたら今日は台風が来るかもしれなかったのに、逸れていった。
晴れ男なのは僕なのかケンなのか。
「海がエメラルドグリーンでしょう」
「ええ」
「あれはね、岩がそういう色をしていて、それが海底に沈んでいるからなのよ」
さっきから気にはなっていたが、ここは南国か!?と思ってしまうぐらいきれいなエメラルドグリーン。
後で岩の周りを歩いたとき、確かに緑色っぽい岩があった。
緑色っぽいものだけでなく、赤みがかってるもの、もろそうなもの硬そうなもの、様々な岩があった。
船の上から見ているとどれも同じように見えたのであるが、
近寄って実際にその上を歩いてみると千差万別。
仏ヶ浦の南の端まで来てボートは引き返す。
せっかくだからと底を見てみる。ガラスのせいなのか、何もかもがエメラルドグリーンを薄くしたような色。
ウニがゴロゴロ転がってたねえとケンが後で指摘した。
浜辺に戻ってきて、その後は仏ヶ浦を実際に歩いてみる。大粒の砂の上や波で洗われた岩の上。
緩やかな傾斜を持つ大きな岩を登っていって、ずっと奥の方まで行く。
船の上でおばちゃんは声が自然に反響する祠のようなところがあると語っていて、
それらしき場所に差し掛かると学生時代から今に至るまで合唱を続けているケンは
朗々とした声を発してみた。反響というほどはっきりとはしていないが、声がよく通る。
まあまあかなとケンは言う。
高い岩の上で立ち止まって景色を眺めていると先ほどの遊覧船が目の前を通り過ぎる。
案内してくれたおばちゃんがこちらに向かって手を振るので、こっちからも大きく手を降り返す。
今回の下北半島の旅で訪れた個所で
今後機会があったら他の人を誘って案内したい場所はどこかと聞かれたら
僕はもうまず間違いなくここ仏ヶ浦を推薦する。
浜辺に戻ってくるといつのまにか観光客が増えている。
佐井村から仏ヶ浦までの遊覧船が到着したからのようだった。
ツアーで来ている一群の人たちがいて、添乗員の女の人がもったいないぐらい美人だった。
ツアーに同行しているカメラマンが記念写真を撮るための足場を
木のベンチを組み合わせて作ろうとしていた。
仏ヶ浦に遊覧船で来たところでみやげ物の店の類は何もなし。
アイス売りの小屋があるだけ。リンゴ味のアイス、200円。
食べてみると昔小さい頃町でおじいさんおばあさんが
アイスの入った冷蔵庫を載せた小さなリヤカーを押して売っていた
安っぽいアイスにリンゴの味付けをしたものだった。
僕としては懐かしい限り。
今ではこういうアイスも売って歩くお年よりの方も少なくなってるんだろうな。
案の定、帰りの階段でフーフー言う。
熊に注意と看板が出ている。
昨日今日と訪れる場所のどこも、いかにも熊が出没しそうな場所だった。
遊覧船のあの一家、というか小学生の娘、
今日は月曜なのに学校行かなくていいのだろうかと余計な心配をする。
学校行ってないってことはないだろうしなあ。
この辺の村になってくると割とアバウトで今日みたいな休みに挟まれてる日は
休校になっているのかもしれない。その分夏休みが1日少ないとかでバランスをとって。
それにしてもこういう古びた村で育つ子供というもの。
この話は昨日からずっと、車の中でしていた。
特に六ヶ所村から東通村へと至る太平洋沿いを走っていて時々見かける、
森の中を切り開いてポツンと固まっている、家が10もない小さい集落。
こういうところで生まれ育つ子供たち。
明らかに東京の子供たちとは与えられるものが違う。
どっちが幸福なのだろう?
手に入れられるかどうかは別として物には満ち溢れている方がいいのだろうか。
それとも元から何もないっていう方がいいのか。
男の子も女の子も高校に通うために県内の町や市に出て下宿して
卒業後は何人かは戻って、何人かは青森や八戸といった市で、
場合によっては札幌や盛岡や仙台、もしくは東京で就職することになる。
頭がよければ、大学進学というのもあるかもしれない。
東京に出てきたとき、彼ら/彼女たちは何を見て、何を考えるのだろう。
何を手に入れて、何を失って、どこに落ちていくのだろう。
ある意味僕だって似たようなものであるが、
僕の境遇は恵まれたものであり、その後辿った運命はレアケースだ。
[1016] 下北半島を巡る旅(1) 三沢→尻屋→恐山→薬研温泉 2003-09-21 (Sun)7時半に起きて、朝食。
従姉妹の旦那に車に乗せてもらって、三沢の駅へ。
2人の姪のうち上の方が一緒に乗っていく。
下の方は老人会の敬老の日にまつわる行事に借り出されて、お遊戯を披露することになっている。
先週今週と休みの日はそれでつぶれている。
幼稚園の園長先生がそういうことに熱心なのだという。
乗っている間上の子は後部座席で1人、ビーズで何かを作ることに熱中している。
父親が「目悪くするよ」って注意しても言うことを聞かず。
昨日の夜もせっせと手を動かしていて、何を作っているのか聞いてみると、
「これ」と目の前に広げていた「4年の学習」か何かのカラーの写真を指差す。
フラワーなんとかとかいうものだった。
蕪島方面へと向い、鮫駅の前を通ってしばらく港沿いに走る。左右ともコンビナートの群れ。
百石町、下田町と過ぎていってさらに北上。階上から1時間ほどで三沢に到着する。
下田と言えば大きなジャスコがあって、昨日書いた「八戸フォーラム」が完成するまでは
八戸には映画館は一軒もなく、みんな車に乗って下田まで来て映画を見ていたのだという。
一軒一軒つぶれていって、市なのに映画館がなくなってしまったという状況がしばらく続いた。
その下田にあるという映画館はいわゆるシネコンで、
全国上映されている当り障りのないヒット映画を見ることができる。
何もない寂れた地方の田舎町にシネコンがあるという状況も何かバランスが悪くて
僕は違和感を感じる。何もないよりははるかにマシなんだけれども。
三沢といえば古牧温泉。
ここの名物社長が線路に横たわり、電車にはねられて死んだという話を昨日聞いた。
健康ではあったけれどもかなりお年を召していたから・・・。
地元の人からでないと聞けない話。
従姉妹の旦那と姪っ子と別れた後、すぐにもケンと会うことができた。
ケンと2日間下北半島・津軽半島を車で回ることになっている。
小学1年生のときに1年だけむつに住んでいて
新聞記者だった父の運転する車であちこち見て回った僕は土地勘があることになっている。
ケンは大学の1・2年生用の例の寮のときに一緒の階だった。
化学メーカーに就職して5年ぐらい千葉の工場で働いた後、今年の春三沢の工場に転勤になった。
青森出身でもなんでもない。なのにあと3・4年は三沢にいることになる。
「はー、かわいそうだ」と僕は転勤の話を聞いたとき正直にそう思った。
東京生まれの東京育ちの人間が何の因果で青森なんかに。島流しのようなものじゃないか。
車で会社の近くまで案内してくれたとき、工場は湖に面した緑の中にあって
働く環境としては非常に過ごしやすそうだった。僕からすればかなり羨ましい。
ケンもゴミゴミした東京を離れてのんびりできるのだから悪くはないと言うのだが、
実際のところどうなんだろうな。
車に乗せてもらって、さっそく三沢の繁華街を案内してもらう。
唖然とする。短い通りが一本あるだけでそのほとんどでシャッターが下りている。
休みではなくて、閉店。どこもかしこもシャッター街。痛いものを見てしまった。
これだと何も買えないね、と僕はあたりまえのことを言う。何も買えない、とケンは言う。
だけどこれらの店が開いていたところで気の利いた本は買えないしなあ、と続けて言う。
月に1度は東京に出る用事があるのでそのときまとめていろんなものを買うのだそうだ。
ケンのような立場のような人ならばそれでいいが、この町で育つ子供たちはどうなのだろう?
どこで何を手に入れるのだろう?
三沢市の今年最大のイベントは新日本プロレスの興行と、大介・花子のショーであるという。
若者たちが生まれ育った町を捨てるのも当たり前だ。
米軍基地の周りを走ってもらう。
去年の暮れに行った福生・横田基地によく似ていると思った。
広々とした敷地にアパートのようなものがゆったりと建っていて
建物の壁がクリーム色であるというただそれだけで。
あちこちに進入禁止の標識が立っている。
外周に沿ってフェンスが張り巡らされ、その上には鉄条網。
どこまで行ってもそれが続く。
高校時代青森に住んでいた頃、三沢にホームステイができて英語が学べるという話を聞いたことがある。
どれくらいの期間の間滞在できたのかは覚えていない。3日だったか2週間だったか。
今の僕ならばあの頃の僕に対して「視野を広げるために」行ってこいと言うだろうが、
あの頃の僕はさして興味を持たなかったのだと思う。
ケン曰く、敷地内には大学があって、許可が取れれば米軍関係者でなくても通うことができるのだという。
MBA だって取得可能。ケンの会社の人が1人通っている。
日曜の午前中。外国人が三沢の通りを歩いているというのは見かけなかった。
普通の一般市民さえほとんど見かけなかったが。
基地の中で全て完結して生活できるようになっていて、めったに外には出てこないのだという。
出てきたとしても観光のため、八戸や青森に行ってみるだけ。
思い出してみれば福生もそうだ。
しばらく基地沿いに進んでいくうちにやがて小川原湖の側を走るようになった。
自然公園の中を、右手に基地、左手に湖。
小川原湖のうちでも米軍専用の「ビーチ」というものがあって、そこはやはり鉄条網で囲われている。
雰囲気が日本の海水浴場とは違っていて、アメリカ映画に出てくるビーチのイメージが少しばかり感じられた。
そのまま走っていくうちにケンの会社の側を通りがかり、さらにそこから少し行くと寺山修司記念館へ。
今回僕が行きたかった場所のうちの1つ。
(ちなみに、僕のリクエストは三沢で寺山修司記念館、金木で斜陽館、あとは温泉。
ケンのリクエストは下北半島と津軽半島は回ったことがないので行ってみたいというもの)
湖に面した公園の中にあるだけあって、空気はきれいで眺めがいい。
道路隔てた向こうでは牛の放牧が行われている。白と黒の乳牛ではなく、茶色の食用のやつ。
せっかくきれいな場所なのに、デジカメの電池が切れてしまって写真が撮れず。残念。
記念館の中へ。午前中だからか、人はそれほど入っていない。できてまだ2・3年だったか。
寺山修司が率いていた劇団「天井桟敷」の写真やポスターをパネルにしたものや
ケースの中に飾られた自筆の絵葉書といったものから足跡を辿る、記念館としては一般的なスペースと、
その隣にここ独自に工夫された展示スペースとがある。
後者は薄暗い円形のドームの中に机が12個並べられていて、
それぞれの引出しには手紙や学級通信やボクシングのグローブ、
その他様々なゆかりの品が時代やテーマ(天井桟敷、スポーツ、競馬など)ごとに納められていて、
それを備え付けの懐中電灯で照らしながら閲覧する。
机の上に自身の監督作が映し出されたり、
寺山修司が作曲した小学校の校歌の歌詞が入っている引出しを開けるとその校歌が流れたりと
いろいろな工夫がなされている。
僕は寺山修司の映画って実はまだ見たことがない(というか書いたものも1冊しか読んだことがない)。
壁のスクリーンに映し出された「書を捨てよ町へ出よう」はストーリーのないイメージの連続。
でもなんだかすごい。東京に戻ったら借りてきて見ようと思う。
「さらば箱舟」は当初「百年の孤独」というタイトルで製作が進められていたのであるが、
ガルシア・マルケスによりクレームが来たため、やむなくタイトルを変更したのだと言う。
そんなことを壁に掛けられたパネルを読むことによって知る。
屋内から散策のための小道へと出るドアがあって、外に出てみる。
湖畔の林の中、小高い丘を登っていく。
目の前に小田原湖が広がる。快晴。涼しい風がそよと吹く。
この清々しい光景を見るためだけでも来てよかったなあと思う。
丘の上には石碑が建てられていて、3つの短歌が刻まれている。
その内の1つ。
「君のため一つの声とわれならん失いし日を歌わんために」
展示されているいろんな物に囲まれていると
寺山修司がいかに天才か、嫌でも思い知らされる。
あれだけの世界観、僕にはどうしたところで追いつけない。背負いきれない。
いくら文章がうまくても小説家にはなれない。
他の人が読みたくなるような、金を払いたくなるような文章を書かなくてはならない。
自分のためならば誰でもいくらでも書ける。
では他の人が読みたくなるようなっていうのがどういうものなのかといえば、
今の僕からすれば確固たる個性、世界観の提示ってことなのではないかと思う。
そんなことを考えた。
寺山修司記念館を出て、次に向かったのは近くにある航空科学館。
これもつい最近完成した。
行ってみると森の中に(青森県にしては)非常にモダンな建物が。
オスロかコペンハーゲンの国際空港かと思ってしまうような。
ここはもう親子連れで大賑わい。
非常に大きな建物の中で1階は旧式の飛行機を復元したものが並べられ、
2階と1階の1部には子供たちが風の抵抗であるとか重力であるとか
航空機やロケットが空を飛ぶための原理や仕組みを学び、
プラズマといった自然現象の成り立ちを学ぶためのスペースが設けられている。
まあどの町にもよくある類の子供のための科学館。
コックピットに乗れるとか、そういうもの。
とはいえ大人の僕でも十分楽しめる。
世界で初めて太平洋を横断したミス・ビードル号を復元したものを目にすると
「わあ」と子供っぽい感動がよみがえってくる。
2階の細長い通路では壁にケースが埋め込まれていて
いろいろな時代の世界各国の模型飛行機が展示されている。
これはこれでマニアにはたまらないだろう。
三沢を後にして、あとはひたすら下北半島の太平洋沿いを北上する。
目指すは尻屋崎。下北半島のマサカリ形の右端。
寒立馬という馬と東北最初に建てられたという灯台が有名。
道はひたすらまっすぐ。六ヶ所村を通り過ぎ、横浜町へ。
森の中を走り、小さな集落が出てきて、ときにはある程度の大きさの村になり、
そんな光景が何度となく繰り返される。
僕とケンはお互いの仕事の話をする。
これからのこととか。とにかく大変だよなあと。
僕はこの時期1週間休んで青森に来ることになった経緯を話す。
「るるぶ」や「マップル」で通り過ぎる町や村の名所・観光地を調べる。
途中の標識で「ヒバの埋没林」とあるのを見つけ、立ち寄る。東通村。
小さな集落の中にそれはある。
車で細い通りをクネクネと進んでいって、こじんまりとした駐車場に車を停める。
ケンと2人、山道の中を歩いていく。
途中同じく観光客のような老夫婦に出会い、「こんにちは」と挨拶を交わす。
その先でもう1人村の人らしき老人にすれ違った他は人に会うことなし。
しばらく歩いて埋没林の広がる沢に到着しそこを歩いてまた駐車場へと戻っていく間、
周りはシンと静まり返っていた。小川のせせらぎと僕らの足音のみ。
埋没林というと水の中からヒバが生えているのではないかと思ったのであるが、
小川の水量が減っているのか、そんな特殊な光景ではなかった。
古びた傷だらけになったヒバがすくっと立っているだけ。
とはいえ長い年月の間に風雨にさらされる中で
折れ曲がり断ち切られたヒバに1本1本出会うたびに
自然の寡黙な冷徹さというべきか、
そうとでも呼ぶべきものを思い起こされて心がちょっと引き締まる。
車に戻ると後は一路尻屋崎へ。
陸奥湾に出て、港を中心とした集落を走る。
鉱山を掘っているらしき会社の施設を目にする。
周りには何もない。ほんとに何もない。
「三沢でまだよかったよ」とケンは言う。僕もそう思う。
尻屋崎到着。
13時近く。まずは昼食。ケンはラーメンを注文し、僕はおでん定食。
うに丼といった海産物系もあるのだが、そういう気分にはならず。
ケンは名物であるツブ貝のおでんを一串追加。
僕のにも入っている。ツブ貝はどうにも苦手なのでケンに食ってもらう。
そうするといたって普通のおでんになってしまう。
「ま、いっか」と思って食べる。
寒立馬は1頭もいなかった。
この辺りは確か江戸時代からの馬の放牧地帯で、厳寒の冬、雪が降る中でもあくまで放牧。
寒さを耐え忍びスクッと立っている姿がいつの時代も感銘を与えてきた。
僕も小さい頃見たことがある。
今日のこの時間は馬たちはどこかに行ってしまっているのか。山の方へと上っているとか。
真新しい馬糞だけは至る所に固まって転がってはいたが・・・。
海辺へと下りていって、大きな岩がゴロゴロしている中を手のひらをそっと海水の中に浸してみる。
空が完全に晴れているせいか、海は完璧なまでの青色。
いつも見ているのが陸奥湾の中の海で、今日が太平洋側だからだろうか、
青森の海ってこんなに青かったっけ?いつもは灰色じゃなかったっけ?と思う。
鮮やかな紺碧の海。
あと見るべきものは灯台。これは近くから眺めるだけ。もちろん中には入れない。
中を見学できる灯台ってどこかにないものだろうか?
岬と灯台。見渡す限りの海。
僕はこういう光景がたまらなく好きである。
尻屋崎からむつを経由して、恐山へ。大間港も見たかったが、時間的に無理だろうということになる。
海を離れ、内陸部へ。標識を頼りに進んでいく。やがてむつ市の中心部へ近付く。市街をかすめる。
去年の今ごろ、同じように休みを取って青森に戻ってきたとき、
妹の運転する車で母と3人でむつ市を訪れた。何もかもが消えてしまったような印象を受けた。
例え市とはいえここまで寂れるものなのかと怖くなった。
だから運転席のケンが「オカヤン、むつって何か見るものある?」って聞いたとき「ない」と即答。
「先を急いだ方がいいんじゃない?」
恐山の前に、釜臥山の展望台に立ち寄る。ウネウネとうねる山道を乗り越える。
駐車場を下りるとさらに階段があって、かなり上る。そこが真の?頂上。もちろん上っていく。
ここは自衛隊の施設の中と言ってもいいような場所で、
すぐ近くにあるもう1つある山頂とともにレーダー施設のようなものが建っている。
到着すると小さな社と、何に使っているのだろう?薄い緑色の巨大な球形の施設。
海辺のコンビナートにガス会社が持っているような。
時々迷彩服を着た自衛隊の人が現れてどこかに消える。
それはさておき、眺めは素晴らしかった。
標高は900m弱。下北半島では1番高い山。
目をこらすと半島の先っちょにさっき訪れた尻屋崎の真っ白な灯台が微かに見える。
むつ市外が眼下に。そして陸奥湾。
天気がいいから、八甲田山も岩木山も余裕で望める。反対側はすぐ目の前に北海道。
青森県でこんなに眺めのいいところってあるだろうか?手軽に車で来れるような。
八甲田山も岩木山もそれなりに大変な山だしなあ。
夜見たらむつの夜景がきれいだろうなあ、そんなことを思いながら下りていく。
すぐ下に小さな湖があって、その側に何やら石灰のような灰色の地面がへばりついている。
「あれが恐山か」とケンが言う。
車で山道を揺られ揺られ進んでいくと、すぐにも恐山へ。
硫黄の匂いがきつくなる。
僕はこの時期、恐山は山を閉じているのだと思っていた。
7月の1週間だけ開いている。
どうもそれは間違いで、春先から秋の終わりまで一応開いているらしい。
ただしイタコはいない。いるのがその7月の1週間ということになる。
調べてみたら10月にもイタコが口寄せをする時期があるようだ。
今回初めて知ったのであるが、中には温泉も宿泊施設もある。
誰でも利用できるというものではなさそうであるが。
夕方5時前。日が暮れかけている。
いたって普通の寺院らしき造りの個所を抜けると、そこから先はよく知られた地獄のような光景。
賽の河原には石が積み上げられ、その側で風車がカラカラと回っている。
荒れ果てた白い道の端々で湯気が立ち、ゴボゴボと何かが湧き上がっている。
硫黄の臭気にやられたのか、歩いている途中で急に頭痛に襲われる。
湖のほとりに出る。水は澄み切っていて、向井側の山頂がはっきりと湖面に写っている。
湖の底からも湧きあがっているようで、
砂の中を何かがスッと浮かび上がり、揺るやかな波紋を形作る。
夕暮れの湖は景観としてはきれいなものなのであるが、
恐山だけあって何かしら胸を締め付けるような重苦しい雰囲気があり。
あんまりゆっくりもしてられないので、薬研温泉へ。恐山からはそんなに遠くない。
一車線しかないような狭い道路が細々と続く。
僕だけがそう感じているだけかもしれないが、最近青森で温泉といえば薬研。
谷地だったり蔦・酸湯といった八甲田山のふもとがこれまでメジャーだったが、
そろそろ薬研が新しいスタンダードとなるか。
かっぱの湯、夫婦かっぱの湯という大間町町営の無料の露天風呂があり、
ケンは是非ともそこに入ってみたいという。
ただしどちらとも利用時間は短く、夫婦かっぱの湯は5時まででその時点でアウト。
かっぱの湯は日没までなのでなんとか入れるんじゃないかってことで急いでみる。
心細い山道を抜けた先に薬研温泉の看板を見つける。
さらにその先を川沿いに少しばかり進んでかっぱの湯を発見。
途中の道路にて駐車している車が4台あって、
あれは川のどこかに温泉が沸いてるってことなのだろう。
かっぱの湯はなんと露天で混浴。「混浴」男の夢ですね。
でも喜び勇んで下りていっても案の定オヤジばかり。ふー。
とにかく入る。
川の側に石を積み上げてセメントで固めたような、そんな湯船。
周りは自然。というか、湯船の中をソロソロと歩いていると
コケや砕けた葉っぱがお湯の中で舞い上がってずっと漂っている。
そうかー、自然の露天風呂ってこうなんだなあと感心する(ここだけかもしれないが)。
お湯はぬるめ。薬効はわからん。一通り健康なので興味なし。
地元の人と観光客とちらほらとお湯に漬かっている。
人があんまりいないのをいいことにケンがザブンと平泳ぎ。
コケがふわふわ浮かんでいるのが気になる他はなかなかいい温泉で。
それにしてもあれですよ、股間の毛にコケが絡みついているのを眺めながら入る温泉って
あんまり気持ちがパッとしないものです。
お湯から上がって脱衣所で服を着ているとあちこちに黒のマジックで落書きがなされている事に気付く。
全国から訪れた若者たちの思い出。
その多くというかほとんどが誰それが誰それのことを愛しているというようなたわいのないもので
行楽地ならばよく見かけるもの。
女性が書いたものもあって、「ああ、やっぱ混浴だったんだなあ」と無闇に悔しくなる。
ふと考えるに、これを書いた若者たちはみなマジックを持ってここの風呂場まで下りてきたのだろうか?
マジックってそんなやたらめったら持ち歩くものだろうか。
この温泉に「旅の思い出をご自由にお書きください」と用意されてるわけなさそうだし。
それとも例えば、バイクで日本全国を旅しているとか
電車やバスで各地のユースホステルを回っているとかいう若者たちの間では
何気にマジックが必需品だったりするのだろうか?
かなりどうでもいいことであるが、気になった。
本日の宿へ。
「ホテルニュー薬研」というのが1番立派で有名なようであるが、そこには目もくれず。
つげ義春みたいなしなびた温泉宿がいいねえとお互い言っていたので、そんな民宿になる。
その一帯でもっとも歴史がありそうではあるが、もっとも経営がうまく行ってなさそうな旅館。
しなびているという価値観とはちょっと違う。
海の幸山の幸一通り食事が出てそれなりのものではあるが、たいしたことはなし。
風呂はスキー場の民宿にあるような小さなもの。
かっぱ温泉に入っておいてよかったと思う。
とはいえ、この旅館「おすすめ」とされていた岩魚骨酒、
薬研清流の水で作られた酒に名物である岩魚の焼干を入れて燗にしたものは大変おいしかった。
普通に冷酒として飲んでもうまいんだろうな。
そこに岩魚の朴訥とした風味が混ざって、体がさらに温まった。
食事の前に近くを散歩してみようってことになるも
完全に日が落ちて灯かりもなく、引き返す。
酒のつまみを近くの売店で買う。
さんまのからくりテレビを見ながら、どこまでがやらせか?という話をする。
ウルルン滞在記の特番を途中まで見たあとは
NHK スペシャルで北朝鮮から帰ってきた5人の拉致被害者のここ1年を扱ったものを見る。
いやーこんなにテレビ見たの久々だよとケンが言う。僕もそうだ。
疲れているせいか見ている間にウトウトと眠ってしまう。
布団に入った瞬間記憶がなくなる。
[1015] 八戸/「座頭市」/姪っ子2人 2003-09-20 (Sat)リフレッシュ休暇初日。
8時起床。荷物を整理する。ガスの元栓を閉める。
一昨日東京駅の大丸で買ってきた仏壇に上げるための箱菓子を
「そうだ、何も今日手で持って運ぶ必要ないじゃん」
と袋を2重にして宅配便で送ってしまおうと思いつくのだがガムテープが見つからず。
出発の時間を前にして慌ててコンビニに買いに行く。そんなドタバタが多少あったりする。
東京駅のホームで新幹線が来るのを待つ。
今日乗るのは臨時のやつ。
連休で東北に旅行に出かける人たちのことを当てこんでるってことか。
初めて知ったのであるが、着いたばかりの新幹線は
入ってきた方向とは逆方向に出て行くため、
車両の中の座席は清掃中にとあるタイミングで自動的に半回転するようになっている。
素人劇団の操作する人形劇のようにノソノソと。
「ふーむ、こうなってたのか」と感心する。かなりどうでもいいことですが。
新幹線が走り出す。座席の埋まり具合は9割ぐらいか。
上野・大宮でポツポツ人の入れ替わりがあって、仙台・盛岡でどっと下りる。
盛岡でしばらく停車して、それまで連結されていた秋田行きが切り離される。
ビール飲んで駅弁を食べて、文庫を読んでうたた寝をして。
今日読んでいるのはコーマック・マッカーシーの「すべての美しい馬」
監督や主演は忘れてしまったが、映画化されている。
日本でも読書好きな人の間では知られている小説であるように思う。
第2次大戦後のテキサス。生家の牧場が人手に渡ることになり、
16歳の少年が馬に乗って友人とメキシコへと向かう。そんな話。
荒野を何日も何日もかけて馬で進んでいく描写ばかり。
黙って馬の世話をして後は酒を飲んで女性と問題を起こしていればいいのだから
いい職業だよなあ、なんてことを考える。
昔々、「仕事」なんてものは難しいものではなかった。
今目の前にしていて手を動かしているものさえ黙々とこなしさえしたら
それ以外の瑣末な出来事(例 会社同士の契約関係)は視界の外にあってよかった。
読んでる本を置いて時々ビールを口に持っていくとき、つい、そんなことを考える。
ふとした瞬間にこの前怒らせた顧客の顔がちらつく。
本を読んでいてもうまく現実逃避できない。
この1週間、ずっとそうなのだと思う。
13時過ぎに八戸駅到着。
本八戸駅まで行くために久慈行きか鮫行きに乗り換えなくてはならないのであるが、
次のは15時。2時間待たなくてはならない。目を疑う。
こんなんでJRは本当に八戸に観光客を呼ぼうとしているのか?
八戸市街も種差海岸もこの電車乗らなきゃ行けないんじゃないの?
まさかレンタカー借りろってこと?
駅の外に出ると八戸市街行きのバスが停まっていたのでそれに乗って本八戸まで行く。
僕はこれでよかったんだけど、蕪島にウミネコを見に行くために来た人はどうすんだろう?
八戸駅自体の周りは相変わらずなんにもなくて、
3年前に来たときから変わってるのはホテルが建てられたことぐらいか。
とりあえず地元の人はこの八戸線ってものを使ってなさそうだった。
完全な車社会で、高校生の通学やお年寄りの方にしか普段は必要とされていないのかもしれない。
バスに揺られて市街地へ。
今日は青森県で「バスの日」ということで、各地で催し物が行われているようだった。
(書いている今の時点では忘れてしまったが)
何十年か前の今日、青森県で初めてバスが走ったのだとのこと。
夜にテレビでニュースを見ていたら
会場にてバスの吊り革やブザーを販売している模様が映し出された。
三日町で下りる。
角にあったイトーヨーカドーが撤退して「Cino」に変わり、
そこの5階が「八戸フォーラム」というシネコンになっている。
シネコンといってもワーナー・マイカル系のではなくて
市民の手作りによるものだと後で聞いた。株を発行してとか、そういうもの。
12日にできたばかり。
建物自体はまだ工事中で5階の映画館と6階のゲームセンターだけが営業中。
先週青森に戻ることが決まったとき、インターネットで調べてみたら
八戸では「マトリックス・リローデッド」が上映中だということがわかる。
東京ではもうやってない。見逃した。「こりゃみたいな」と思う。
今夜泊めてもらう従姉妹のとこに電話したとき、
13時頃に八戸に着くって言ったらその時間に迎えに行くと言われた。
だけどそれを「映画見るからいい」と断る。
何をわざわざ八戸まで来て映画見なきゃいけないのかと不思議がられる。
そこまでしたのにいざ行ってみたらプログラムが変わっていて、
15時の回ってのがなくなってて18時の回しかなくなっていた。
迎えに来てもらうのが18時、それを21時まで延ばしてもらうのは
いくらなんでも「なんだなあ」と思い、断念。
「座頭市」を見ることにする。
始まるまで1時間あったので、本八戸の目抜き通りをブラブラする。
3年前とほとんど変わっていないようだが、どことなく寂れた感じがする。
前回訪れたときに見つけて入ってみたセンスよさげなCD屋がなくなっていた。
東北地方ではよくあることだが、VIVRE は「さくら野」百貨店に変わっていた。
今日新幹線で仙台や盛岡を通過するたびにシックなピンク色の看板が目についた。
もちろん青森市新町も変わっている。
何年か前に帰ったとき、いきなり変わっていて驚いたことを覚えている。
商号を変えたのではなく、VIVRE が売却したのだという。
土曜とはいえ人通りは少ない。若者もそれほど歩いていない。
できたばかりの「Cino」は珍しがられて、
町の人たちが「どんなもんか」と覗いてはいたが。
Village Vanguard の入っている若者向けのファッションビルにて時間をつぶす。
ここも各階それほど客は入っていない。
Village Vanguard の文庫のコーナーを眺めているうちに
ムラムラと本が買いたくなってくる。あれこれ読みたくなる。
なにも八戸で買わなくても、と思わなくもないのだがいてもたってもいられなくなる。
荷物を増やしたくないので映画を見た後で改めて買いに来る。
買ったのは以下の6冊。
レイ・ブラッドベリ「キリマンジャロ・マシーン」
ジョー・R・ランデズール「バッド・チリ」
ジャック・ケッチャム「オフシーズン」
国井律子「アタシはバイクで旅に出る。」
フエンテス「アウラ・純な魂」
「20世紀アメリカ短編選【上】」
「20世紀アメリカ短編選【下】」
ブラッドベリはこの本最近見かけることがなく、もしかしたら絶版なんじゃないかと思ったから。
2番目と3番目は知らない作家なんだけど、何かピンと来るものがあった。
4番目もまた知らない人なんだけど、ハーレーに乗って旅をする女の子のエッセイらしい。
酒と温泉を求めて、というのがいい。文庫の隣のバイクのコーナーでたまたま目に付いた。
パラパラめくってみるとハーレーにまたがった写真が多い。きれいな人だなーとそれだけで買い。
下3つは岩波文庫。岩波文庫買うのっていつ以来だろう?
最近久しく書店の本棚すら覗いてない。
アメリカ短編集はとんでもない代物で、上巻が20世紀前半、下巻が後半。
【上】
オー・ヘンリー/イーディス・ウォートン/セオドア・ドライサー/ジャック・ロンドン/
シャーウッド・アンダソン/キャサリン・アン・ポーター/ジョン・ドス・パソス/
F・スコット・フィツジェラルド/ウィリアム・フォークナー/アーネスト・ヘミングウェイ/
ジョン・スタインベック/アースキン・コールドウェル/ネルソン・オルグレン
【下】
ウラジーミル・ナボコフ/ユードラ・ウェルティ/バーナード・マラマッド/
ソール・ベロウ/ジーン・スタフォード/カーソン・マッカラーズ/J・D・サリンジャー/
カート・ヴォネガット・ジュニア/トルーマン・カポーティ/フラナリー・オコーナー/
ジョン・バース/ドナルド・バーセルミ/ジョン・アップダイク/フィリップ・ロス
あー書き写してるだけでワクワクしてくる。
どこかに酒を飲みながらこういう作家の話のできる女の子っていないものか。
いたらその子のことをすぐにも好きになるのに。
座頭市を見る。
100席ぐらいの小さな部屋が半分埋まったぐらい。
全国的に大ヒットってことになっているが、青森まではその熱狂が伝わってきてないようだ。
東京ではどれぐらい入っているのだろう?
思い出してみると学生時代、「日本で好きな監督は?」と聞かれたら
北野武と答えていた僕も最近はめっきりご無沙汰。
最後に見たのはなんだろう?「キッズ・リターン」か。それまでのは全部見たが、どれもビデオ。
その後の「HANA-BI」も「菊次郎の夏」も「Brother」も「Dolls」も
どうしたわけか劇場に足を運ぶことはなく。タイミングとか気分とかそういう問題で。
「座頭市」が初めてのスクリーンでの北野作品の鑑賞、ということになる。
見てて思い浮かべたのは宮崎駿の「千と千尋の神隠し」
トトロまでは見てたのにそこから先見てなくて
初めて映画館で見たのが「千と千尋」という状況が似ているといえば似てるってことなのだろうか。
個人的に遠ざかっているうちに世界的な評価は高まっていって
久々に見てみるとアクが抜けてものすごく完成度が高まっている。
こんなのを作ってたのか!と驚かされる。
昔の北野映画特有の「間」が潔く捨て去られて
カットをつなぐスピード感を重視。いたって「普通」の映画になっている。
「ふーむ」と唸らされることしきり。
クレジットを見ると北野監督は編集も自ら手掛けているようだ。
「間」はなくなったかというとそうではなくて
カットとカットの繋ぎ方で生み出すのではなく、
映画そのものの存在感で表現しているように僕には感じられた。
円熟の境地へと達したのか。実験的な部分に嫌味がない。
娯楽作品として安心して見ていられる。素直に面白かった。楽しめた。
(最後の謎解きは「なんだかなあ」とは思ったが)
ミハル屋の前で従姉妹の旦那に拾ってもらって車に乗って階上へ。
この辺はここ3年で変わったかと聞くと、特に変わってはいない、
イトーヨーカドーが町の外れに移転して大きくなったぐらいか、とのこと。
18時半ともなると空は真っ暗になっている。
八戸を出て階上やその他の地域へと帰っていく人たちの車の列で、道は混雑している。
たまたまつけたラジオで紹介された「レヨナ」のニューアルバムがなかなかいい感じで、
青森にいる間に買って聞いてみようかと思う。
運転席と助手席に座って、映画の話をする。
映画館で初めて見た映画は「宇宙戦艦ヤマト」だなあと従姉妹の旦那は言う。
高校に見たのは2本ぐらいで、社会人になってからも同じぐらいしか見てないなあ。
トヨヒコ君は映画が好きなのかと聞かれて、よく見ますねと僕は答える。
小学校の頃、トラックで村に巡回してくる映画は何度か見たという。
トラックの後ろに小さなスクリーンと映写機があって、というもの。
30年前の日本にはそういうものがあったのか。
従姉妹の家に到着。すぐ食事。
ホタテは塩焼きにバター焼き、イカメシに焼き鳥に、とにかくたくさん出てくる。
たらふくご馳走になる。
姪っ子2人に東京で買ったキティちゃんのカレンダーとランチボックスの包みをそれぞれ渡す。
喜んでもらえる。下の子はランチボックスよりもラッピングに使われていた
留め金代わりの黄色いプラスチックの車の方を喜ぶ。
開けることができて、中にこまごまとしたものを入れることができる。
下の子はそこに海で拾ったというものすごく小さな貝をいくつか入れて、
僕に「ほら見て見て」と差し出す。
上の子は3年会わないうちに小学4年生になっていた。早いものだ。
この前会った時はキャッキャとはしゃいでいたのに、今夜は言葉少なげ。恥ずかしそうにしている。
子供たちが寝てしまうとすることもなくなる。
勧められるまま缶ビールを次々に飲み干して、テレビを見るだけ。
中村トオルがマチュピチュ遺跡の「天空の仮面」というのを訪れるという特番と
世界ふしぎ発見、ブロードキャスター。
疲れきっていたので、見ている間にウトウトする。
11時を過ぎて、眠ることにする。
食事のとき、来年のお盆は祖父の13回忌ということでいとこはみな集まることになっていると聞く。
何人か名前があがって、その誰にも最近会っていない。
ここ何年間か14日は海辺でみんなでバーベキューをやっているのだという。
来年はいつもより盛大なものになりそうだ。
14日は今別や三厩で花火大会なので、それも見ることができる。
[1014] 「デブラ・ウィンガーを探して」 2003-09-19 (Fri)昨日の昼、遂に顧客と対決。そして衝突。
「あなたがこの前やりたいといっていたことを検討してみたらこんなにも懸案事項があって、
実現させようとしたらこれだけの金額がかかるんですよ」
というのを素直に持っていったら、バカヤローってことになった。
さらっと書くとそういうことなのだが、
ほんとはもっとドロドロしていて、ばかばかしかった。
この件についてはいろいろ思うところはあるんだけどこれ以上のことを書くわけにはいかない。
ある意味この業界ではよくある話。
6月末から僕を蝕んでいたプロジェクトから離れられる
(というか絶縁される、たぶん)かと思うと
胸のつかえが取れて久々に晴れ晴れした気持ちになった。
マネージャークラスの人たちからするとそれこそバカヤローなのかもしれないが。
夜、家に帰る途中のコンビニで寿司を買って、ビールを飲みながら食べた。
こんな嬉しいことはない。
最初のうちは「よかったよかった」とそればかりなのであるが
どんどん後味の悪さばかりが大きくなってくる。
「チキショー!」「これでいいのかよ!」と思う。
「オレだって一応SEのはしくれだ。もっとなんかできたのではないか!?」
コンクリートの壁をコブシで何度も叩きたくなるほどの憤りを覚える。
でも一晩開けて今日になってみたらかなりどうでもよくなっていた。
ま、こんなこともあるか、と。
とにかく、ウツ状態からは脱したように思う。
会社に行くのであるが、
プロジェクトが無期限停止のような状態になったのですることがない。
「岡村君空いてるらしいよ」ってんで
連休明けに頼まれたバイトっつうかインストール作業があるだけ。
UNIXがらみなのでよくわからないことだらけ、
昨日帰る時点で完全にお手上げになったので他の人にバトンタッチしようかとしていたのが
いろんな人のちょっとした助けにより
今日になってスイスイ進むようになって、昼過ぎには無事終わってしまう。
いい感じだ。これで心置きなく休みが取れる。
昼休み、給料日なのでサーッと銀座に出てCDを買ってサーッと戻ってくる。
3時ごろ、9月に入ってからの日課になっていた散歩に出る。
会社のビルを出てテクテクと歩いていく。
ここ2週間、気が重くなる一方だったものを少しでも軽くするために
やむにやまれず外に飛び出していた。
毎日毎日続けていくうちに距離が伸びていってしまいには月島まで通うようになった。
今日はほんとすることがなくなって気楽な「お散歩」に。
同じくプロジェクトの谷間で暇そうにしていた後輩を誘って
隅田川を隔てた向こう岸へと、橋を渡り進んでいく。
高層マンションがあちこちに立っている小奇麗な、高級な一角。
川に面した公園のベンチに座る。
おもちゃのような犬を連れたおばさんが時折通りがかるぐらいで、辺り一帯はものすごく静か。
のどかで、たわいのない話をしていて、夏の終わり。
夕暮に近づいて空は陰り始めている。
暑いというよりは暖かいといった方がよさそうな日差しが肌に降り注ぐ。
なにがあったわけでもないんだけど、
今日あのベンチで眺めた川のことはこれからの人生で何度となく思い出しそうな気がする。
定時に会社を出ると、渋谷に向かう。
「デボラ・ウィンガーを探して」という映画を見る。
女優ロザンナ・アークェットが監督のドキュメンタリー。
40を過ぎて「女」としては成熟に向かっているのに
若くないというだけでハリウッドは彼女たちをお払い箱にする。
そんな現状をどう思うか。自分にとって女優という職業とはいったいなんなのか。
その一方、妻として母として、家庭というものとどう向き合うべきなのか。
女優ならば誰もが思い悩んでいたのにこれまで明るみに出なかったこと。
これを34人の女優たちにインタビュー。
シャロン・ストーン、メグ・ライアン、ホリー・ハンター、
妹であるパトリシア・アークェット、フランシス・マクドーマンド、
「ブレードランナー」(!)に出演していたダリル・ハンナ、
グウィネス・パルトロウ、シャーロット・ランプリング、
ウーピー・ゴールドバーグ、ジェーン・フォンダ、
その他日本ではなじみが薄いが、幾多の映画に出演してきた女優たち。
笑ったりはしゃいだりため息をつきながら語るそれぞれの人生。
機関銃のように繰り出される言葉の群れにただただ圧倒される。
彼女たちは自分の好きなことを職業としているはずなのに
苦悩というものは常に付きまとうものであって。
女優である前に1人の女性なのであるから、
思い悩むことは「普通の人々」とそれほどかけ離れていない。
スクリーンの向こうのスターだからといって特別なことは何もない。
誰だって不安を抱えているんだし、あれこれ考えている。
そんな当たり前のことを僕はこの映画を見て改めて認識した。
「ふー・・・」と見ているこっちもため息をつきたくなる。
余談ではあるが、ロザンナ・アークェットは
80年代にTOTOのメンバーと深い仲にあって、
「ロザーナ」という彼らの代表曲(全米第2位)は
彼女のために捧げられたものであるとのこと。
人に歴史あり。
[1013] カウンセリング 2003-09-18 (Thu)どうしていいのかよくわからなくなって、ただただ不安に怯えている毎日。
気分がどん底まで落ちていって、遂にプツッと切れる。
この前までやっていたプロジェクトの次期フェーズ。
こんなの絶対できないよ、と思うのは僕だけのようで
なぜうまくいかないのかを理論的に説明できない。
根拠のない、得体の知れない不安感。
これが精神的なものから起因するのか、
それともこれまでの4年半のSE生活に基づく野生の本能からなのか、
僕自身よく分からない。
なんにせよSEという職業には疲れた。幻滅した。夢も希望もない。
これからも、ない。
そんなわけで上司と面談する。「辞めようと思っています」そんなこと。
いろいろ話していって言われたことを要約すると
「自分を変える努力をしないと、次の会社に行っても同じことを繰り返す」
「落ち込んでる状態で下した判断は後で絶対後悔することになる」
この2つ。
最終的には「最後は自分で決めろ。好きにしろ」ということになる。
「この先どういう方向で成長したいのか、何をしたいのか」と聞かれても
「どうしていいのかよくわからない。何もしたくない」と答えるだけ。
「どういうふうに環境を変えたら働けるのか」と聞かれても同じように答える。
のんびりしたいだけなんです。食っていければそれでいいんです。
僕やっぱ小説家になりたいという以外に人生の目標ってものがないんですね。
なんにせよ1度会社の「健康相談室」に行って
室長のおばちゃんと話してみた方がいい、と言われて、
会社の健康診断がたまたま今週行われることになっているので
昨日の昼、茅場町から竹芝まで行って、そのついでにカウンセリングを受ける。
「鬱なんじゃないかと思うんです」
というところから始めて、現状を説明する。
ボタンが掛け違ったままここまで来てしまったような気がするとか、そういうこと。
朝は普通に起きれて会社に来ることができる、駅のトイレで吐いたりして引き返したりはしない。
友達と飲んだりすることがあってそのときは楽しい、その後で落ち込むとしても。
この程度のことでは鬱とは言わないのだそうだ。
病院に行くのはまだ早い。
結局のところ僕は
「小説家への道へと踏み出したい」という自分と
「母子家庭出身であるがゆえに安定した収入をどうしても望んでしまう」という自分とで
常に引っ張りあっていて決断が下せないという緊張状態が長く続いていることが
現在の無気力状態として現れているのであって、
それが根底にある以上、いくら病院に行って薬をもらったところで根本的な解決には至らない。
そんなことを言われる。
ああ、そうか、と思う。
とにかく休みなさいよ。
週末に郷里に帰るのなら、もう少し長く滞在して、違った環境で頭を休めてみたら。
例え1週間でも、休んでみると全然違うわよ。
上司同様、今の谷間の時期に判断を下すのはよくない、まともな判断能力が働かない、
という助言を受ける。
そのときまでは「とにかく辞めるんだ」としか思っていなかったが
それもそうだな、といったん保留にする。
どちらを選ぶのも自由。
だけどもしここで当分働くことを選んだときは、あなたに必要なのは
精神科や心療内科のお医者さんではなくてカウンセラーの方ね。
専門の人が毎週金曜に来ることになっているから、
しばらく受けてみるのはどうかしら。
竹芝の本社ビルを出て、浜松町の駅に向かって歩く。
偶然部門の後輩に会って、近くの Tully's で冷たい飲み物を飲む。
暑い日が続いている。
後輩は後輩で仕事のことを思い悩んでいる。
「みんな、こうなんだろうな」と思う。
隣の席に座っているスーツ姿の若い男女も、今は笑ってはいるが
会社に戻ったとき、家に戻ったとき、あれこれ考えているのだろう。
僕だけじゃない。
「みんな、どうしてんだろうな」と思う。
こんなとき、どうやって乗り切ってんだろう。
疲れきったとき、壊れそうになったとき、1人きりどうしようもなくなったとき。
強さってどうやって見つけたらいいんだろう。
[1012] ようやく、夏休み 2003-09-17 (Wed)夜寝ていると携帯が鳴る。起き上がる頃には切れている。目が覚める。
会社の先輩からだろうか。
今度顧客に持っていく資料のことでわからないことがある、というような。
こんな時間にかけてこられてもなー。
本当に大事な用ならすぐまたかけて来るだろう、とそのままほっとく。
夢の中の世界に戻ることはできず、眠ってるような眠ってないような状態が続く。
その後長い長い時間が過ぎて、もう1度携帯が鳴る。ロフトを降りていく間に切れる。
鞄の中から携帯を取り出してみると会社の誰かからではなくて、大学の友人から。
三沢に転勤になったのでオカヤンが青森に来るときには会おう、
そんな話を前からしてて、今度の週末に戻ることになったので
じゃあ車でどこ回ろうかというやりとりをメールでしていた。
彼のリクエストとしては津軽半島・下北半島はまだ行ったことがない、
僕のリクエストとしては「温泉に行きたいねえ」ってのがあって、
だいたい以下のようなプランとなる。
僕は土曜に新幹線で八戸まで行って親戚の家に泊まり、日曜の朝三沢にて合流。
そこから下北半島を回って恐らく尻や咲屋崎や大間崎を見て薬研温泉の宿に一泊、
月曜は脇ノ沢からフェリーに乗って津軽半島の蟹田町へ。
竜飛岬は見るだろうしその後小泊方面に出て十三湖を通って、青森市に戻る。
僕としては三沢にて寺山修司の記念館に行きたいし、金木町の斜陽館も行きたい。
そんなわけで折り返し電話をかけてみる。
温泉に宿をとってみようとして調べてみたら、
一泊8千円から1万円はするけどオカヤンそれでもいい?という話。
「ええよええよかまへん」となぜか関西弁にて返答。「よろしくたのんます」
23日の休日も妹がどっか連れてってくれるかもしれなく、
ここまで来るともう見るものがない。十和田湖・奥入瀬か、白神山地か。
ようやく、夏休み。
[1011] 傷跡 2003-09-16 (Tue)先週のいつだったか、ふと左手を見ると中指の背の部分に傷ができていた。
長さは1.5cm、それほど深くはない。乾き具合からして1日程度経過している。
ぎょっとした。いつのまに?と思う。
血は流れたのだろうか。流れなかったから、気がつかなかったのだろうか。
どんなことをしたらこんな傷がつくのだろう?
いつ何が起きていたのだろう?
とりあえず、ほっとこうと思った。
今日の朝クリーニング屋のビニール袋を破って半袖のYシャツを取り出したら
細かな赤い点がポツポツとついていた。
これだったのだろうか。
いや、先週出したものを昨日受け取ったのだから、最低でも1週間はずれている。
つまり先週着てたものは昨日出したってことになる。
それに血のついた個所は主に胸の辺りだ。
じゃあ2週間前のどこかの時点でも顔や首に血を流していたのか、僕は。
中指の傷はカサブタになって、それが少しずつはげていって。
今日の昼、わずかばかり残っていた赤黒い塊を指で削いでしまった。
薄いピンク色のきれいな皮膚が一筋残された。
改めて自分の両手を裏表眺めてみると
細かな傷の名残がいくつか残されていることが分かる。
これもその中の1つになるのか。
この傷のことを思い出すことはあるのだろうか。
思い出したところで僕にはそれ以上のことは何も思い出せない。
[1010] 3連休も終わりか・・・ 2003-09-15 (Mon)今日はいつもよりも早く、9時前から走り始める。
軟式野球の大会は今日は休みのようで、
リトルリーグや草野球のチームが
それぞれのグラウンドの周辺にポツリポツリと集まり始めていた。
早朝ってほどでもないが、
人気のないグラウンドを見ながら走るってのもいいもんだ。
帰ってきてもう2年か3年前に買っておきながら
ずっとほったらかしにしていた R.E.M. のツアーの DVD を見る。
曲目は90年代前半のアルバムからのものがほとんど。
様々な場所に仕掛けられたカメラがライブの様々な瞬間を切り取る。
背後の巨大スクリーンに映された映像が時折織り交ぜられる。
バックステージショットもなくただただライブの映像だけなのに、面白い。
よくできている。「Everybody Hurts」であるとか、スローな曲を見せるのがうまい。
最後は「世界の終わる日」で大盛り上がり。観客と大合唱。
この曲はほんといい曲だ。
ふらりと吉祥寺へ。
その前に荻窪ルミネの4階のサンリオショップへ。
次の週末に青森に帰省する際、新幹線が八戸まで延びたことだし、
八戸の親戚の家に一泊させてもらう。
姪っ子2人のためのお土産を買おうと思う。
女子高生ばっかりだったらどうしようと最初はびくびくしていたのだが、
そんなことはなく、子供連れの主婦が多かった。
これなら僕もふらふらと店内を見て回れる。
何を買うか大体の見当をつけたところで店を出る。
サンリオの袋を持って電車乗りたくないよなー。帰りでいい。
またしても「どん花」でカツ丼を、と思って行ってみたら休みだった。
ここのことを教えてくれた先輩が「体調を崩してときどき休む」って言ってたことを思い出す。
変な話、地震がマジで来たらどうしようってのも頭の片隅にはあって、
じゃあ何か準備するかっていったらそんなことは一切してなくて、
だけど最後にもう1度だけあれ食っておきたいなってものだけはしっかりと叶えておきたい、
そんな虫のいい考えがないわけではなくて。
そんなわけで「休み」となっているとなんだかひどくがっかり。
近くのラーメン屋に入るも、釈然とせず。
ロフトでCDラックを探すが、渋谷にあったものと同じものはなかった。
吉祥寺にもサンリオの店があって入ってみるものの
こっちはどうも「本格的」なようで
荻窪の店のような子供向けの一般的な日用品を扱っているのではなく、
長野限定茄子キティ、栃木限定いちごキティ、とかそういうのがずらりと。
その他ご当地ものと、どう考えても大人向けなお椀やクッション。
なんか違うと思ってここでは買わず。
帰りに荻窪ルミネにて小学生の子にはカレンダーを、幼稚園の子にはランチボックスを買う。
部屋で雑誌を読んでいるうちにいつのまにか夜。
3連休もこれで終わりか。
映画の編集も終わりほんとすることがなくて、日々だらだらしてるだけ。
それでいて朝は走ったりしたので「何かをやった」という感覚は強い。
ある意味充実した3連休だったなあ。
真夏のように暑かったってのもなんか夏休みっぽくてよかった。
やっぱ1人で部屋の中にいるのっていいなあ。
これが結婚してたり恋人がいたりすると、1人になる時間って少なくなるんだろうな。
1人ものでよかったよかった。
ずっとこのままでもいいのではないかとすら思った。
それにしても地震はいつになったら来るんだ。
地震にかこつけて東京からばっくれるというのもそれとなく夢想にしてたのにな。
「行方不明」になって、どっか西日本の方で、名前を明かさず人生やり直し。
ホテルの清掃係とか、そういう職業で。
[1009] 3連休2日目 2003-09-14 (Sun)今日も走りに行く。昨日よりもだいたい1時間遅い時間。
今日もまた暑い。グラウンドでは引き続き、中学生たちによる野球大会が行われている。
2日目ともなると昨日よりも細かいことに目が行くようになる。
何よりもまず女の子たち。
髪が不自然なぐらい茶色で暑さのせいか思いっきり肌を露出させた
渋谷の道端で座り込んでダラダラしてるのが似合うような女の子たちが
2・3人、野球部員たちの間でアイスを食ってたりする。
グラウンドでは4試合行われているのでその場には8校いるわけでであるが
大半の学校でそういう子たちの姿が目に留まった。
なんなのだろう、と僕は考える。マネージャー?
ジャージっぽいのにTシャツを着て首にはタオルを巻いて髪を結わえたような
由緒正しきマネージャーっぽい子がクーラーボックスを運んでいるのを見かけたりはする。
でもそういう子のほうが少数。
友達の彼氏が出てるから見にいこっか、ってとこなのだろうか。
「女の子」以外にも女性たちはちらほらといる。
彼女たちが大人になったらああなるだろうって感じの
割と派手めな服装の、20代後半から30代前半っぽい女性たち。
日傘を差して、ばっちりと化粧をして。
母親たちなのだろうか?それにしては若すぎる。
最近の母親たちは年齢を曖昧にするのがうまくなったのだろうか?
もしかしたら学校の先生なのではないか。クラスの子が出てるっていう。
それにしてもみんながみんなばっちりと決めている。
都内の中学校の軟式野球の大会に顔を出すには地味な格好ではだめ、
そんな不文律がいつのまにか確立されているのではないか。
なんてことを考えながら、ハーハー言いつつ僕は走り続ける。
硬式だったらこんなんじゃなくて何かにつけて「オス!」「オース!」と
飛び交ってるようなお堅い雰囲気なんだろうな。
同じ暑さであっても硬式と軟式とでは「夏」として感じるものが違いそうだ。
軟式だとクラスの子が普段着で見に来て帰りに一緒にマックでシェークでも飲んでる。
たわいのない話をみんなとしてて、
勝ったかどうかよりも何か楽しいことがあったかどうかが大切な、夏。
走り終わった後でグラウンドを去ろうとすると入れ違いにとても怖そうな2人連れが。
ほんとに中学生なんだろうか。金髪にヒゲ。
1人は手にバット。ケースに入れず、ボロボロになったバットをむき出しで。
「・・・野球やりに来たんだろなあ」と一応思う。ユニフォームは着ていない。
渋谷で同じようにバット持って歩いてたら即補導だな。
それにしても思うことは
都内の私立?の中学校ってどんな格好してても自由なんだろうなあってことと
最近の中学生って外見上はほんと高校生・大学生っていっても通じるってこと。
あまりに暑いので夏らしくレゲエを聞く。1日中そればかり。
今日も借りてきた DVD を見る。
昨日見た「メリーに首ったけ」が入れっぱなしになっていた。
普段ならそんなことしないんだけど、
今日はなぜかメイキングなどいわゆる特典映像を見てみようという気になる。
「ビデオクリップ」というのを見てみたら本編最後に
エンドクレジットともに流れる映像/曲を抜き出したものだった。
昨日も思ったけどこれがよくできていて、
そのシーンに出てきたキャストがエキストラもスターも勢ぞろいで1つの歌を歌う、
それが全シーン分撮ってあってそれをつなぐ、というもの。
恐らくその場で適当に作った振り付けで。
こういうのっていいなあ。楽しそうなんだよな、みんな。見てて頬が緩んでくる。
この映画、一番いい場面はここだな。
あと、ところどころ出てきて簡素なドラムセットを叩いている男とともに
ギターの弾き語りをしている男、どっかで見たことあるなあと
パッケージを見てみたらびっくり。ジョナサン・リッチマンだった。
70年代からやってる人だからもう50近いはずなのに、
なんだあの若々しい顔は。飄々としすぎ。
よく出てくれたなー。見る人が見たら「すげー」って思うはず。
最後に××されるのっていいのかなあ。
怖い人じゃないから快諾してくれたんだろうけど。
今日見たのは「ギャラクシー・クエスト」
アメリカの(架空の)人気SFシリーズに出演している役者たちが、
宇宙の果てで番組を見ていた宇宙人たちに本気にされて
他の星との戦いに連れ出されるというドタバタもの。
映画のできはともかくとして昨日・今日と見た3本の中では僕はこれが1番好き。
「エイリアン」シリーズでのし上がり、その後鳴かず飛ばずの
シガニー・ウィーバーが主演というかヒロインだってあたりが泣ける。
この人もそろそろ50か。にしては若いなあ。
[1008] ジョギング2回目、立川、「じみへん」 2003-09-13 (Sat)昨日は久しぶりに残業。8時まで仕事をしている。
帰ってきてすぐ自転車に乗ってスポーツセンターに向かうものの
開館時間は21時までとあって、引き返す。
わざわざそういう施設まで自転車で行って走らなくてもいいじゃないか、
家の周りの道路を走ればいいじゃないか、と思うかもしれないが、
ジョギング初心者の僕としては走ってる途中の信号待ちってのがうまくできそうにない。
それにそもそも気分が出ない。
今やってるようにトラックをグルグル走ってるだけ、という方がなんか性に合ってる。
今日は朝7時に目が覚める。
上映会用に、この前完成した映画のスナップショットを作成する。
ここぞというショットだけを厳選していくと
けっこういい絵を僕は撮ってたんだなあということに気づかされる。
大半は凡庸なショットでしかないとしても。
9時ごろ、ジョギングに出掛ける。
自転車に乗りながら「今日は天気いいなあ」なんて思っていたのであるが、
スポーツセンターに着いて走り出してすぐ「こりゃ完全に真夏だわ」と。
なんで空がこんなにくっきりと青いんだ?
日差しの強い中わざわざ走ってたのは僕1人だけ。
広いグラウンドは4つに区切られ、中学生たちによる野球の大会が行われていた。
角を曲がるたびに違う試合を眺めることになる。
反時計回りに走って、首は常に左を向いている。
一塁コーチャーが声張り上げ、ベンチからは監督の指示。
グラウンドの外では親たちや友人たちが金網にへばりつくようにしている。
日陰の場所を探して寝転がってる野球部員たち。
女の子たちがキャーキャー騒ぎながら携帯でなんかしている。
2アウト、2塁。ピッチャーゴロ。「あーあ」という声。
おとといよりも1周多く、4周走った。これで2.5kmか。
走り終えてベンチに座り、自販機でジュースを買ってベンチに座って飲む。
野球の続きを眺める。
帰ってきて、することもなく、水曜みたいに吉祥寺でブラブラするかなと思う。
中央線に乗ってるうちに、ふと、このまま国立まで行こうかなと考える。
そのまま乗っていく。
まずは DiskUnion にて中古の CD を物色。
Flipper を見つけ、珍しいなあと購入。
The Who の「Join Together」も見つける。
90年ごろの再結成ツアーで「Tommy」を全曲再現しているというもの。
ピート・タウンゼントが気に入っていないということで今は廃盤。
ずっと探してた。
「スタ丼の店」でスタ丼を食べる。
店内改装されていてこぎれいになっていた。
食べ終わって近くのコンビニに行くと、昼時だったせいか学生たちばかり。
テニスサークルの練習の合間。サンドイッチを買って、大きなペットボトルのお茶を買って。
さて、これから何をしよう?
教授がいたら会いに行こうかと思って行ってみるのだが、
僕が所属していた研究科の建物は入り口が封鎖されていて入れない。
建物の脇のほうに小さな裏口のようなものを見つけるものの、これも鍵がかかっている。
教授や学生にだけしか知らされていない番号を入力することになっている。
防犯体制がしっかりしたものになったということか。
という以前に今はまだ夏休みだからか。
8月末に世間では夏休みが終わるのだなあなんてことを思っていたのであるが、
大学だったらまだまだ9月末までずっと休み。
うらやましいものだ。構内のテニスコートでは果てることなくラリーが続いている。
道路を渡り、敷地の反対側にある古い方の研究棟へ。
こっちの裏口(無数にある)は鍵も何もなくなんなく入れた。
であるが、会おうとしていたもう1人の先生は不在。
廊下を歩いていてもその階全体で明かりのついていた部屋は1つだけ。
用という用もなく、それも果たせず、後は帰るだけ。
時計を見るとまだ1時にもなってない。
中央線を逆方向、立川に行ってみようかと思う。かれこれ5年は行ったことがないはず。
知ってますか?「国立」市という名前は国分寺市と立川市の間にあるから
名前を最初の1字ずつもらってできたものだということを。
まことしやかに言われてるが、ほんとのところはどうなのだろう?
立川は大きく変わっているようで何も変わってなかった。
確かにデパートはさらに増えたものの、それ以外は相変わらずのようだ。
というか、デパート以外に何もない町。
他にあるのは昭和記念公園という国営の大きな公園と場外馬券売り場。
この辺ではもっとも大きな町なのであるが、なんかバランスがおかしい。
サークルの後輩が高島屋で働いてるので行ってみるのであるが、案の定いない。
4年前に聞いた売り場だからなあ。今では違う階なのかもしれない。
そのまま出てくるのもなんなので上の階へとどんどんエレベーターで上がっていく。
最上階のレストラン街からさらに階段を上って屋上へ。
昔、この屋上で撮影したことがあった。あの時も夏だった。
今日がひどく暑いせいか、人はまばら。
女子高生2人と、カップル。おばさんが2人。日陰でぐったりしている。
5年前に撮影で来たときはもっと客がいてにぎわっていたが、どうしたんだろう。
いくつかあったベンチもなくなっている。
コーラが飲みたくなったのに自販機もない。
高島屋を出て、せっかくだから昭和記念公園まで行ってみることにする。
途中だだっ広い歩道があって、強い日差しの中のろのろと進んでいく。
左手に自動車道、右手に公園の壁。
5分ぐらいの距離でしかないのに、どこまで行っても続いてそうに思えてくる。
「暑い」ということを実感する。
公園の中を歩く。サッカーボールを蹴りあう親子。
芝生に寝転がって肌を焼く男性。ピクニックをする若者たち。
奥の方に入っていくには入場料が必要で、400円と高かったので入るのはやめにする。
どうせベンチに座って噴水を眺めるだけ。
家に帰ってきても、2時。早起きしたせいか1日が長い。
その後は会社の後輩から借りっぱなしになっていたDVDを見る。
「ジャッキー・ブラウン」と「メリーに首ったけ」
「ジャッキー・ブラウン」は言わずと知れたクエンティン・タランティーノ作。
面白いといえば面白いのであるが、長いといえば長い。
「レザボア・ドッグス」「パルプ・フィクション」で
若い頃興奮した自分としてはかなり薄味。
セリフのセンスは例によってすごくいい。
今日の気分としては「メリーに首ったけ」の方が面白かった。
なんでこんなのがヒットするんだろう?って首を傾げたくなるぐらい
「笑い」としてはゆるくてぬるいんだけど
ビール飲みながらボケーッと見る分にはこれぐらいのゆるさがちょうどよかった。
悪くはないと思う。
それにしてもあれですよ、ヘアジェル。普通気づかないかなあ。
日本だったらカルピスだと思って飲んだってことになるのか。
や、どう考えてもありえない。
殺人者に間違えられるってのはまだありだとしても。
その後テレビを見ていると、リーダーから電話。
「休みのところ悪いんだけど、心配になって」と。
「大丈夫、まだ死んでません。今日はジョギングしたし、映画も見たし」と僕は言う。
その後1時間にわたって話し込むのであるが、要約すると
「嫌なプロジェクトだからって途中で放り投げるのは、君のこれからの人生にとっていいことない」
「自分も経験したことなんだけど、何のあてもなくやめてしまってもやっぱいいことない」
これから何をどうしたらいいんだろうなあ、と思う。
話を聞いている自分、考え事をしている自分。
「とりあえず、この休みが終わったら精神科に行って診察を受けてみますよ」と僕は言う。
その後、「じみへん」を読む(中崎タツヤの)。最近すごくはまっている。
こんなことを言っているページがあった。
「つーか生きること自体に意味があるんだろうかって」
「そのことはオレもけっこう悩んだよ。でさ結論は、人生って意味ないんだよね」
「でもそれじゃ・・・」
「そう、なんもかもやる気なくなっちゃうんだよな。でもふと思った。
確かに人生には意味がないかもしれないけれども日々の生活には喜びがあるじゃないかって。
生きることについて考えたい人は考えればいいけど
オレ達のような俗人は日々の生活の中にある喜びを糧に生きていけばいいって。
腹がへってる時食べる一杯のうどん、おいしいじゃないか。
もう一歩ふみこんで言うと、生活の喜びというのは結果ではなくて経過なんだよ」
目からウロコ。なにぶん「じみへん」なので
世界征服をたくらむキラー様と子分Bという設定だったりするのであるが。
うだうだ悩んでいるときにたまたま読んだマンガで多少楽になる自分。
「じみへん」という辺りがかなり、なんではあるが。
[1007] 走る(というかジョギング) 2003-09-12 (Fri)今度お客さんのところに持っていく見積ということで打ち合わせをしていると
上司と、上司の上司が大(ってほどでもないが)喧嘩を始める。
「バカヤロー!提案は美学じゃねえ。取るためにやるもんだ」
うんうんかんぬん。
3人しかいない会議室で僕はおいてけぼり。
挙句の果てにはお互い切れまくって最後には僕のこと要らないと言われる。
そんで「オマエ、オカムラに失礼だぞ。謝れ」みたいなことに。
そもそもこのプロジェクト自体僕もうこれ以上関わりたくないしなー。
お客さんと向き合ったりシステムのことについて考えるだけでも気が滅入ってくるのに
中で揉めるようになったらもう終わりだな、と思う。
なんで俺「辞めます」の一言が面と向かって言えないんだろ?
乗りかかった船だからとバカ正直過ぎないか、自分?
そんなわけで8月末にただ忙しいだけの開発が一段楽しても
9月に入ってからは今後のプロジェクトの方向性ってことで日々悩んでいる。
目の前のちんけな売上のためにやっぱやんなきゃいけないのかあ・・・
と鬱々としているだけで一日が過ぎていく。
あーでもないこーでもないと過去のことをクヨクヨし、
未来のことにとてつもない不安を抱く。
そして目の前にある物事について考え出すとショートする。
こんなんで10日経過。
こりゃどうにもならん、内側から自分を変えていく必要があるんじゃないか?と考える。
でも、どうやって?
鬱屈した気持ちを発散させることが必要だ。それには何よりもスポーツだ。「体動かしてー」
昨日夕方4時にそんなことを思い立つ。
とはいえ、会社帰りにいったい何ができるだろう?
通勤鞄しか持ってきてないのに。
後輩の女の子に相談してみたところ
「泳ぐってどうですか?銀座で水着買って」と言われる。金かかり過ぎ。
そういうのってたいがい買っただけで満足して実際プールまで行かないんだよなあ。
ショッピングでストレス解消。
それは今回なんか違う。
そんなわけで結局ものすごく妥当な案ということで家帰ってからジョギングをすることにした。
5時半に出て6時半に着いてカットジーンズにテニスシューズという出で立ちで
自転車乗って杉並区のスポーツセンターへと向かう。
ちなみにテニスシューズは3年前に2・3回履いただけに終わったというシロモノ。
西武線の上井草駅の近くにあったはず、というのを覚えていた僕はとりあえずそっち方面に向かう。
初めて行く場所なのでペダルを漕ぎながらえらく時間が掛かるように感じる。
道迷ってグルグルしている間に疲れてかなり足を使ったってことになったら
アホだなあなんて思っているうちにいつのまにか到着。危なかった。
小奇麗な駐輪場にマウンテンバイクを停めてグラウンドのある2階へと向かう。
ジョギングコースを走り始める。四角いグラウンドの周りを走るだけの650mの短いコース。
グラウンドは使用されていなくて真っ暗。テニスコートだけが明るい。
試しに1週走ってみて、「なんだ余裕じゃん、まだまだ走れるね、俺」なんて思う。
続けて2週目に入る。
走っているとそれまで頭の中でウダウダ悩んでいたことがきれいさっぱり消えうせる。
そんな自分に気付く。仕事のこと、考えようともしなくなる。
いいね、と思う。走るってこんな気持ちのいいものなのか!
3週目に入った辺りで右胸が痛くなり、腿の辺りもこわばってきた。
初日だし無理をせず、3週目を走り終えた時点でやめておくことにする。
来るときは上りばかりだった道が帰りは下りばかり。
坂道をシャーッと滑っていくと吹き付ける風が汗びっしょりの体に冷たくて気持ちいい。
家に帰って飲んだボルヴィックがうまかった。
会社帰りに駅前の西友で買った出来合いの餃子すらうまい。
これが人間の本来あるべき姿なんだなあ。
今日も帰ってきたら走るし明日からの3連休も毎朝走る。
そのうち忙しくなってきたら平日に「今日は走れねえな」つって不機嫌にすらなるかもな。
オカムラ、20代後半にしてジョギングに目覚める。
たかだか2km走っただけでなんだか偉そうな自分。
それもまあいいか、と今は思う。
[1006] 16日前後に関東に地震が来るらしいとの噂を耳にする 2003-09-11 (Thu)16日前後に関東に地震が来るらしいとの噂を耳にする。
掲示板だったり、中吊り公告だったり、人から直接聞いたり。
「揺れてるな」ぐらいのものではなく、阪神大震災規模のものが。
来る来る言われ続けていつのまにか20世紀は21世紀になり。
そうか、ついに来るのか。
試しに逃げてみた方がいいのだろうか?青森にでも。
戻ってきたとき、CDラックが崩壊して
目茶目茶になった部屋のことを想像するとげんなりする。
それ以前に部屋自体なくなってるかもしれない。
一財産ある部屋だからなあ。
とりあえず連休は金もないし部屋の中にいて様子を見よう。
なんてことをツラツラと考える。
あれこれ備えといて不安に思っていると、たぶん地震は来ない。
これからの仕事のことを考えると憂鬱なことばかり。
地震で何もかも消えて無くなれ!と思わなくもない。
都内某所のあの一帯だけ局地的に地震が起きないものかと小学生みたいなことを考える。
北朝鮮からミサイルが飛んでくるという噂があったときにも、同じようなことを考えた。
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話は変わるが、一昨日9日の夜、火星が月に大接近。6万年に1度だったか。
夜空を見上げたら確かに月の側に星が光っていた。
次にこういう光景が見られるのは6万年後か。
そのときには地球は、人類は、どうなっているのか。
西暦62003年という未来。
[1005] 撮影日誌40:完成 2003-09-10 (Wed)昨日は後輩の送別会の後、同期とサシで飲んでたら余裕で終電を逃した。
同期はタクシーで帰り、僕は会社に戻って応接室のソファーに寝た。
午前2時という時間ではフロアには誰もいない。
ソファーに横になると泥のように眠った。
6時になって目が覚めて、いつもとは逆方向に地下鉄に乗って家に帰った。
シャワーを浴びてロフトへ。徹夜明けのような気分。
今日は休みを取ることになっていてよかった。
9時半に目が覚め、眠いのに眠れない。
ほんとなら今日はカレー同好会の突然の会合で
千葉県柏市まで行って「ボンベイ」という店の極辛カシミールカレーというのを
食べることになっていたのだが、言いだしっぺの先輩が急用のため、中止。
予定がなくなる。
なお、昨日の夜飲んでて「明日会社休んで柏まで行ってカレー食べる」って話をしたら
「もしかしてボンベイ?」と言われる。
地元ではかなり有名な店のようだ。
映画の編集作業を少しばかりやったあとで、ふと、
要らなくなった本を売りに行こうと思い立つ。
荻窪駅前の BOOKOFF に iBook のマニュアルや資格試験の本をたくさん持っていく。
CD も何枚か持っていく。
結果として180円。コンピュータ関係の本はどれも値段がつかなかった。
あてにしてなかったので「ま、こんなもんか」と思う。
昼の12時。そのままふらっと総武線に乗って吉祥寺へ行く。
カレーの食べたくなった僕は
レンガ館地下の「どん花」にてカツカレーを食べる。
タワーレコードやパルコブックセンターをぶらぶらした後で井の頭公園へと向かう。
池を前にしたベンチが空いているのを見つけ、
腰を下ろし冷たく冷えた三ツ矢サイダーを飲みながら
ヘンリー・ジェイムズの短編集を読む。
仕事で疲れきった魂がわずかであれ休息を見出したという意味で
ささやかながらも「幸福」な気分を味わうことができた。
眠くなった僕はベンチにそのまま横になる。
平日の午後。恋人たちの笑い声。
終わりつつある夏を惜しむかのように無数の蝉たちが鳴いている。
目の前には青々とした木々の葉っぱ。その向こうにぼんやりと広がる灰色の空。
灰色の空。
やがて目を覚ます。夢は見なかった。
硬いベンチに直に寝ていたせいか、頭痛とめまいがしばらくの間続いた。
部屋に戻って編集を再開する。
いくつかのシーンで音のバランスをいじって、少しずつ間を詰めていって。
残っている作業はもうそれぐらい。
それらの作業も終わって、最後にもう1度一通り最初から通して眺めてみて、
「これでいいだろう」と思う。完成。
意外とあっけなくその時がくる。
今から僕は1人、祝杯をあげる。
[1004] 疎遠体質 2003-09-09 (Tue)昨日の夜することがなくて、買ったばかりのパソコンをいじっているうちに
「アドレス帳」という機能があることに気付く。
Windowsにそういう機能があることは前から知ってはいたものの
会社のパソコンでそれを利用する気にはなれず。頭の片隅で眠っていた。
その一方でいつか家のパソコンに住所録ソフトを入れて
その都度いろんな紙切れに走り書きしたいろんな人の住所をなんとかしたいなとは思っていた。
ここに来て急に噛み合う。
年賀状に宛名の印刷をしたいわけでもないし、「アドレス帳」で十分だ。
何らかの形で電子データにしたいだけ。
早速カタカタと入力を始める。
高校で出合った人だったり大学で出合った人だったり様々な人の名前が出てきて、
そのほとんどの人がここ2・3年、あるいはそれ以上会ってない。
僕はマメな方ではないので、人とはすぐ疎遠になる。
「なんとかしなきゃなー」とは社会人になってからこれまで何度も思ってきたのであるが、
性格というものはなかなか変わらないものであって。
今こうしている間にも僕のことは大勢の人々の間で忘却のかなたに。
毎秒何cmか何mか何百mという速さで。
大学の寮や映画サークルの人たちとは今でもしょっちゅう会っているので問題ないのだが、
問題は高校から前の人たち。
昨日の夜年賀状を整理していて、高校のクラスメイトから今年来たのは一通だけという
寂しい状況に改めて気付かされ、人としてこれでいいんだろうかと思った。
メールのやり取りもなし。
僕だけじゃなく、青森に残らず、上京したまま東京に居着いた人たちは
案外みんなこんなもんなのかな。
たまにばったり誰かに出くわして、あるいは連絡が取れて話してみると
何人かはそんな感じのようだった。
そもそもみんな住む世界が違ってしまったのだから、
例え高校の同級生とはいえ接点が保ちにくい。
思えばそこにはいろんな人がいて、いろんなその後があった。
ミュージシャンになってCDを出した人、文学賞を取って本を出した人。
わいせつ罪で捕まった人、海外に移住した人。
故郷に戻って家業を継いだ人、医者や弁護士になった人。
卒業以来ずっと青森の市役所や県庁で働き続ける人、ごく自然に母親や父親になった人。
大勢の行方不明になった人、そしてそれよりも多くの、普通の人。
こんなふうに考えると僕も普通の人ってことになる。
誰かが僕に連絡を取ろうとすることもなく、僕の方から連絡を取ることもなく。
日々波風立たず働き続ける。
誰かが僕の名前をふと思い出したとき、どんなことを思い浮かべるのだろう?
[1003] 同人誌への参加 2003-09-08 (Mon)僕の知っている人が多数参加している自主映画団体、Top-Team-Theater にて
このたび文芸部門を発足させ、小説を主体とした同人誌を発行することになった。
Top-Team-Theater そのもののメンバーではないが
上映会に毎回顔を出して打ち上げで飲んでいるという僕に
主催者であるサンノ君から「やりませんか?」とのお誘いが来る。
(ゴールデンウィークに前後不覚になるまで飲んだ際、僕が殴ったという彼である)
「やります。やります。やらせてください」と2つ返事でOK。
久々に小説という形で作品を書いてみようかと思う。
昨日の夜、発足のための会合が行われる。
企画書というか提案書が配布され、サンノ君がプレゼン。
何部刷るべきか、価格はいくらにするべきか、コストはどれぐらいか、
そういう話から始まり、それ以前に
「そもそも雑誌としてどういう方向性を持つべきか?」ということに議論は流れていく。
硬派に小説のみで攻めるか、それとも「なんでもあり」にしてしまうか。
毎回テーマというか特集を決めてそれに沿って書いた方がまとまりが出るんじゃないか?
ちょっと待て。僕ら文章に関しては素人なのにそんな器用なことができるのか?
対談がやりたいねえ。少年ジャンプの末尾のああいうバカページが欲しいなあ。
などなど。
話がまとまらなくなってきて結局「とにかく各自が書いたものを持ち寄ろう」ということに。
その後飲み会。
歌舞伎町の近くにある、ペンギンが店の中にいるという居酒屋。
確かにガラス張りの小さなスペースにペンギンが2羽トコトコと歩いていた。
これかわいそうだよなあ、と思う。
なんで歌舞伎町の雑居ビルの7階の居酒屋に
ペンギンが閉じ込められてなきゃいけないんだろ?
1週間リフレッシュで外に出て休みを取るとは掲示されていたものの
そんなんじゃどうにもならないほどストレスがたまってそうだ。
「文芸」的な話はほとんど出ることはなく、1番盛り上がった話題はファミコンネタ。
こんなゲームあったねー、あんなゲームあったねー、みたいな。
・・・クソゲーって言ったら「バンゲリングベイ」だよなー。や、あれは名作だ。
スーパーマリオってすごかったよなー、どっから土管にもぐるって発想が出てくんだろ?
「スパルタンX」とか「プロジェクトA」とかジャッキー・チェンのやつはハズレないね。
「忍者じゃじゃまる君」って知ってます?ハットリ君じゃなくて?・・・
「高橋名人」対「毛利名人」という話題がピーク。
あのとき、毛利名人は高橋名人に勝った。コロコロコミック史上、最大の事件だった。
高橋名人は現在ハドソンの専務であるが
当時フリーだった毛利名人は今どこでどうしてんだろ?
どっかの4畳半で裏寂れた生活をしていたら泣けるよな・・・。
同人誌の創刊号の特集では「毛利名人は今」を是非とも取り上げなくちゃならない。
そんな結論に達する。
僕らの世代なら誰だって買うだろ。1万部は固い。
そんなふうにして発足の会はお開き。
映画も完成間近だし、次は小説に取り掛かる。
[1002] 撮影日誌39:編集ほぼ完了 2003-09-07 (Sun)8月末をもって仕事が一段楽したので、
先週は毎日定時にあがって家で編集作業をしていた。
金曜は休みをとって、役所に行った他は用事はなく午後はずっと作業をしていた。
土曜ともなると1日中机に向かっていた。
気がつくと昼間にはほぼ出来上がっている。
土曜の夕方には最後に流すテロップが出来上がり、
夜、全てつなげてみた物を試しに端から端まで見てみた。
「ここもっと短くできるなあ」ってのがいくつか出てきてそれを編集し直して
後は音楽を入れるだけか。
これまで長かったような短かったような。
現時点での長さは37分。
これでもまだ人によっては「いくらでも切れる」ってとこなんだろうけど
僕にはもうこれ以上は難しい。
それでもこれから何回か通して眺めて
ちょっとでも切れそうなところは切っていく。
37分という長さ。
学生時代なら同じような内容の映画が平気で1時間以上したかと思うと、
少しは成長したなと思う。
人から「どうだ?」と聞かれても今はまだよくわからない。
自分では脚本や撮り方に関して
こういうところが、ああいうところが、下手だなあとそればかり。
とはいえ僕は僕にできるだけのことをした。やりきったと思う。
面白いかどうか、後は見る人次第。
そもそも「よくわかんない」っていう人も多いんだろうなあ。
気がつくとロードムービーっぽくなっていた。
そこのところの雰囲気については
自分としてはいいものができたな、と思っている。
[1001] 丸の内線が止まった 2003-09-06 (Sat)野暮用でちょっとだけ会社へ。3時ごろ行ってすぐ帰ってくる。
帰りの丸の内線。「国会議事堂前」駅に到着したとき、いきなりブザーが鳴る。
しかも2ついっぺんに。何事かと思う。
その直後電車が止まって、車内の証明設備が全て消える。
ホームには着いていたのでドアが開く。
いや、ドアが開いていた状態でブザーが鳴ったのかもしれない。
今となっては思い出せない。
中央線で人身事故があっても
ブザーが鳴ったり停電にはならないよなあと思う。
丸の内線で、っていうところが珍しい。僕にとっては初めてかもしれない。
車掌からのアナウンスが入る。
「国会議事堂前と赤坂見附の間のホームに人が入り込んで・・・」
終電近くのJRならよく聞く話であるが、
地下鉄の場合どうやって入り込むのだろうと不思議に思う。
1度だけだが、「国会議事堂前方面に向かって歩いていた」という情報も。
驚くだろうな。地下鉄を運転していたら目の前に人が現れたら。
ふらふらと歩く姿がライトに照らされて、はっとして急ブレーキ。
(轢いてしまった場合、地下鉄だとその後が大変だろうなと僕は考える)
今僕が乗っているのが国会議事堂前に止まっているのだから、
そんな事態にはならなかったってことか。
仕事帰りでもないし、そんな急いでない僕は
小説を読みながらのんびりと時間を過ごす。
村上春樹の「スプートニクの恋人」
(9月はSFから遠ざかって、しばらく普通の小説を読む)
気長に待っている間にやがて電車が走り出す。
10分もかからなかった。
「線路に立ち入っていた人は無事に保護されました」
そりゃよかったね、と僕は思う。
その人はいったいなんのために線路に降りたのだろう?
そんなひどくありきたりな疑問が心の中湧き上がるが
すぐにもどうでもよくなってしまう。
今から10年前の夏、モスクワで1ヶ月滞在していた。
そのときは地下鉄での移動が多かった。
はっきりと印象に残っている物事は3つ。
1.大理石で建てられた壮麗な駅が多かったこと
2.幼児を抱えた子供のジプシーがよく乗り込んできて金をせがんできたこと
3.走っているとしょっちゅう電気が消えること
あるポイントに差し掛かるとふっと電気が消え、そしてまたふっと明るくなる。
それでも構わず地下鉄は走っている。
世界的に見てこれが普通なのか、それとも日本がしっかりしすぎなのか。
「丸の内線でも止まることがあるんだなあ」ということにしみじみして電車を降りる。
「それに引き換え○×線は雨降っただけでも止まってしまうし、多すぎだよなあ」
これってどちらがおかしいのか?
[1000] 祖母の家の手続き 2003-09-05 (Fri)これまでに何度か書いてきたことではあるが、
祖母の住んでいた家が市に売却されて道路になる。
4年前の夏、祖母がなくなった辺りから計画が本格化して
説明会であるとか家屋の調査だとか少しずつ少しずつ行われてきた。
3年かけて用地の接収を行うという、その3年目。
遂に祖母の家もその対象となった。
市の用地課から「1度ご挨拶がしたい」との連絡があったので会社を休んで会いに行った。
わざわざそこまでしてもらう必要は無い、
平日ならば会社の近くまで伺う、休みを取るというのならばご自宅まで
と電話の向こうで言われたのであるが
せっかくのことだから市役所の裏に建っている祖母の家の様子を見ておきたい。
朝の9時という時間にバスに乗って電車に乗って、××市まで出掛ける。
駅を出てしばらく歩く。ひからびた、何にも無い商店街。
車が通りかかると避ける隙間を探すのに苦労する、そんな狭い道を歩く。
大きな道路を作りたがるのもなんだかよくわかる。
そのうちここを訪れることもなくなるのだな、と思う。
祖母の家に立ち寄る。
周りは普通に家が建っていて、普通に生活が行われているようだ。
角にあった家が一軒だけ、更地になっている。
年配ではあるが頑強そうな、2人の職員から今後の流れに関して説明を受ける。
青森に帰り母と妹といつまでに何を決めておかなくてはならないか、
何を用意しなくてはならないか。
母は全て僕に任せるに決まっている。手続きは極力僕が行うようにしたい。
僕が主張したかったことはただそれだけ。
土地家屋がいくらになろうと、税金をいくら払うことになろうと、
僕としてはどうでもよかった。
お金がいらないというわけではないが、
母と折り合いが悪く特に世話をしたわけでもない祖母の家が
たまたま買い取られることによって得ることになるお金。
あまり気持ちのいいものではない。
相続の按分について、次の年の確定申告の仕方について、親切丁寧に説明してくれる。
一介のペーペーのサラリーマンである僕に。
「岡村さんの場合は現在住んでいる人がいないという特殊なケースですので」
とわざわざ税務署まで足を運んで僕ら一家の間でどのように受け取るべきか
相談までしてきてくれるのだという。
こんな僕に何度も頭を下げるのだから、
道路を1つ作るというのは、彼らにしてみれば
ものすごく大きくて大変なプロジェクトなんだろうなあ。
向こうとしては年内に手続きを全て完了させたいようで、それはこちらとしても同じ。
「とにかくお任せします」「一番面倒の無いようにしてください」
僕の言うことはただそれだけ。
更地になってしまえば手のひらに乗ってしまいそうな、わずかばかりの土地。
そこにずっと戦後から祖母は住んでいたのかと思うと
僕が1人動き回って売却手続きを行うのはなんか気が引ける。
誰も住まなくなって4年になる小さな木造の家は
今にも壊れてしまいそうで、雑草があちこちに生えていて。
いつの日か何の変哲も無い道路になったとき、
僕は自転車で訪れて「ああ、この辺だったなあ」と思うのだろう。
[999] 神宮で野球を見る 2003-09-04 (Thu)昨日の夜、神宮球場に行ってヤクルト−横浜戦を見た。
同期と後輩と3人で。
この日はお客さんのところにて
8月末でいったん構築作業が完了したシステムの
機能追加に関しての打ち合わせがあったのであるが、
まあいろんなことがあって僕は1人
「こんなのうまくいかないよお・・・」と不安になっていた。
リーダーには「もうだめです。降ります」と泣き言を言った。
前の晩はあれこれ考えてると眠れなくなって、寝付いたのは午前3時。
「死んだ方がマシだ」と死に方をあれこれ考えているうちに涙が出てきた。
「とにかく行ってみようよ」と電車に揺られトボトボとお客さんのところへ。
ふたを開けてみると先週向こうの担当者が言ってたことと
今日になって向こうのキーマンが言うこととが全然規模が違ってて、
「なんだこれならできるじゃないか」ということに僕ら一同ほっとする。
というか拍子抜け。
「岡村君、昨日死んでたら全くもって犬死だね」とまで言われる。
会社に戻ってきて、あー今日はもう疲れた、仕事したくないと思う。
ほんとなら前の日見ることになっていた神宮球場での試合を急遽見に行くことになる。
その前の日の火曜からベイスターズとの3連戦。調べてみたら神宮。
今年この時期のベイスターズとの試合なんてガラガラで客が入ってるわけがない、
そんな話を同期として先週のどこかの時点で見に行くことを決めたのであるが、
火曜の昼にもう1度確認してみた同期が
「なあ、今日神宮じゃなくて長野ってなってんで」と耳打ち。
危ういところだった。気付かないまま神宮球場まで足を運ぶところだった。
部内の何人かの人に行きましょうって声をかけてあったのでお詫びのメールを送った。
夜18時ごろになってそろそろ出るかということになる。
ついさっきお客さんのところから帰ってきたはずなのに空は完全に真っ暗になっている。
ん?と思いフロアの端まで行って、窓の外を見るとちょうどそこへ雷が鳴った。
そのまま見てると1度や2度ではなく、何度も何度もひっきりなしに空が光った。
「やばいんじゃねーか」という話もしてみるのだが、
今日の天気予報では0%になってたしなあととりあえず球場に向かってみることにする。
会社を出た時点では一滴も降ってなかったのが途中で土砂降りになる。
雷鳴は途切れることなく鳴り響く。
もう何年ぶりになるのか、稲光というものを目にする。
暖かい空気と冷たい空気とのなんだかんだで急速に発達した積乱雲がどうのこうので
とにかく夏の終わりを感じさせた。
銀座線に乗って「外苑前」まで。
「雨やんだかなあ」とか「そう言えばキャッチボールってしてないなあ」とか言い合う。
地下鉄を降りて地上に出てみると
雷は相変わらずどこかで鳴ってはいるものの雨はやんでいた。やんだばかりのようだった。
球場までの途中、ビールや焼き鳥を売る出店では雨が降ったということでどこも割引をしていた。
チケット売り場にて偶然、営業の人たちと会う。
彼らは指定席を買ってどこかへと消えていった。僕らは外野の自由席を買う。
中に入ってまずは食い物の調達。
神宮名物だという「ウインナー盛り」と枝豆。ビールはスタンドの中で買うことにする。
売店の人いわく、雨でずっと中断していたんだけどついさっき再開したとのこと。
外野席へ。もちろんヤクルト側。
外野は割と埋まってはいたものの、内野席ともなるとガラガラだった。特に横浜側。
雨ってこともあったしどうってことないカードだし1万人も入らなかっただろうな。
僕らが席を見つけて座った途端、ベイスターズの村田がソロホームラン。2回の表。
「いきなり、なんだよ」と思いつつビールで乾杯してしばらくしたところで
次の回で同じくベイスターズの内川という若手?が追加のソロ。
嫌な展開だなあと思っていたらその裏でヤクルトは
エラーも絡めて打者一巡4点を取って逆転。「お、いいねえ」と思う。
点が入るたびに外野席では緑色の傘(今日初めて現物を見て、
思ってたよりも小さいことがわかった)が振られ、東京音頭の大合唱。
あー僕も傘かメガホンを買おうと横浜が攻撃のときに席を立ち
売店付近をうろちょろしているとしばらくしてから人々がどっとなだれ込んできた。
どうもまた雨が降り出したらしい。
応援グッズを買うのはやめて、腹の減っていた僕はもつ煮を買って食べる。
枝豆はしょっぱいだけだったが、ウインナー盛りとこのもつ煮はうまかった。
その後横浜が同点に追いつき、逆転。
芝が濡れてるのかエラーも多く、あんまりしまりのないゲームだった。
中盤からしてシーソーゲームになるかと思いきや後半はヤクルト打線も沈黙し、淡々とした展開。
かなりダレダレだった。
雨による中断が長かったせいか、僕らが7時に到着した時点で2回の表。
終わったのは10時。負けてるし最後の方は見てて疲れた。
外野席にいたせいか、昨日は応援団の方が見てて面白かった。
施設の応援団「報燕会」があちこちで巨大な旗を振り回し、
ことあるごとにトランペットが派手に吹き鳴らされる。
名物団員のような人たちが揃いの法被のようなものを着て応援の指揮を取り檄を飛ばす。
外野席が1500円で神宮で年間60回ぐらい見ても毎年10万か、
趣味としては結構いいものかもなと同期が言う。
プロ野球の私設応援団の団長の人生ってのもある意味面白いもんだろうな。
あーあの旗を僕も振ってみたいなあと僕は思った。
[998] 汗をかかない体質 2003-09-03 (Wed)会社で昼、外に辛いものを食べに行く。
バクバクと食べて一足先に箸なりスプーンを置く。
「かれー」と内心思いながらも平然としている。
「相変わらず食べるの早いですねー」とはよく言われるが、
こういうときはそれ以前に「岡村さんって汗かかないですねー」と感心される。
真夏、顧客のところへ行くときに
みんなはジャケットなり上着を脇に抱えて炎天下の街路を歩くが、僕1人上着を着ている。
「あちー」とは思うもののやはり顔には出さない。
汗もそうそう長時間歩かない限りかかない。
これでいいのだと僕は思っていた。
クールな自分。今まではそう思っていた。
が、昨日になって突然気付く。
汗をかかないってことは普通なら対外に排出される老廃物が
体の中に蓄積され続けているのではないか?
汗をかかない人間は汗をかく人間よりも早く癌かなんかで死んでしまうのではないか?
「ふーー・・・」と思う。
でも僕だけではないだろう。
例えばモデルとかそういう美人な女性たちはどうなのだろう?
ああいう人たちはどことなく余裕がありそうで、それでいて人知れず努力してそうだから
ジムなりフィットネスクラブとかいうところで適度に体を動かしてそうな感じがする。
老廃物がどうこうって言う前にその美しさを保てない。
モデルじゃなくてもいい。
会社ではひたすらデスクワークをしていて、休みの日家ではずっとゴロゴロしている、
そんなんでも美しいままでいられるのならばその人はかなりの特異体質ってことにならないか。
僕は今いろんなシチュエーションで
美しい女の人が汗をかいている様を想像している。
朝も8時を過ぎたばかりで会社にはまだ人はほとんどいない。
とある状況を思いついて僕は1人ニヤニヤする。
この夏、冷夏をもろともせず飲んだビールの量と
かいた汗の量とを比較することに思い至ったとき、
僕がいかに不健康な生活を送っているかってことに気が付く。
体動かしたいなあ。何かしたいものだ。
[997] 兄貴から電話があって、「明日俺の替わりに会社出てくんないか」と言われる。 2003-09-02 (Tue)兄貴から電話があって、「明日俺の替わりに会社出てくんないか」と言われる。
学生時代には何度か講義を受けに行ったことがある。
出席が必要で、でないと単位が取れないやつ。
他人の大学ってのが物珍しいということもあって
「どうしても」というのをいくつか替わってやった。
一卵性双生児であることの利点。
なんとなく顔かたちが似ていればパスできる場所ならばどこででも入れ替わり可能。
・・・とは言っても兄貴が僕のためになんかしてくれたことはないのだが。
「会社ったって俺に仕事ができるわけないじゃん」
兄貴の会社の仕組みがよくわからないという以前に
大学卒業以来フリーのライターで食っている僕には
そもそも社会常識というものがある種の面ではバッサリ欠けている。
「大丈夫だって。明日はずっと大会議室で研修を受けてるだけだから。座ってればいい」
その研修は兄貴の恋人も受けることになっているから、
いざとなったら彼女に助けてもらえばいいと言う。
兄貴の恋人は同じ会社の同期で、部門は違うもののつきあって4年になる。
今では僕の方とも親しい。なんとかなるか、と思う。
「1日座ってるだけの研修なんてくだらないよなあ。ま、そのうち焼肉でもおごるよ」
夜になって兄貴が原チャリに乗って、隣町から社員証を届けに来る。
「首から下げといて、受付で警備員が立ってるから、
ちょっと取り出して一瞬だけ見せてまたしまえばいい」
そのカードに写っている顔はどう見ても僕のものだ。
偽造されたカードが出回っているようで不思議な感じがした。
久しぶりにスーツに袖を通し、朝の山手線に乗ってラッシュにもまれる。
地図を見ながら兄貴の会社を探す。
「万引きして捕まるのはキョロキョロしてるやつだよなあ」なんてことを考える。
会社が見つかり、何食わぬ顔をして入っていく。心臓がバクバク鳴る。
警備員の前で社員証をかざすのであるが反応なし。首をかすかに降ることすらしない。
でも見せなかったらなんか言われるんだろうな。
でかい声で「おはようございます」とは言われた。
僕は無言で通り過ぎる。
受付の奥にエレベーターがあるからそれに乗って最上階まで行って
降りたら左の方に大きな会議室がある。トイレは右の方。
本社で勤務してない人が慣れてなくてウロウロしてることがあるから
おまえもなんとかなるだろう。昼食は外で食ったほうがいいだろうな。
そんで、とにかく具合悪そうにしてろ。
誰かに声かけられたら顔をしかめて首を縦か横か適当に振れ。
時間が早かったので会議室はほとんど人がいない。
入り口近くにテーブルがあって女性社員が座っていて、白い紙に一覧表が書かれている。
どうもそこで自分の名前を述べて出席をチェックしてもらうらしい。
兄貴の名前を探しているとその女性社員が話し掛けてくる。
「あらあ、オカムラ君じゃない」いきなりカウンターパンチ。
いきなり過ぎて助言通り具合悪そうにする暇もない。
「相変わらず忙しいの?」と聞かれて「相変わらず忙しい」と答える。
「暇になったら今度飲みにでも行こうよ」と言われて、
「暇になったら今度飲みに行こう」と返す。
兄貴だったらこんなときどんなふうに接するのだろう?
「・・・もしかして体の具合悪い?」「・・・ちょっとね」
僕はプリントの束を受け取って後ろの方の長テーブルの隅に陣取る。
9時きっかりに講義が始まる。
時間ギリギリになって兄貴の彼女(ヒトミさん)が現れる。
どこに座ろうか部屋の中を見渡していると僕の顔が目に止まって
目を丸くして驚く。口も開きかける。
平然さを装いながら僕のテーブルにやってきて、隣に座る。
小声で「どういうこと?」と聞かれる。
「どうもなにも。・・・とにかく、おはよう。あれ?兄貴から聞いてない?」
企業の経営理念に関して、コンサル会社の偉そうな人が偉そうにたわごとを語る。
一緒に受けている周りの人からすれば意味のある内容なのかもしれないが、
僕にしてみればまあ一言で言ってちんぷんかんぷんだった。
高校や大学の授業でやったように紙切れになんか書いてヒトミさんにそっと渡して、
そんなやり取りで時間をつぶそうと思ったのであるが、
ヒトミさんはなんだかとても熱心に講師の話を聞いていた。
それに、なんだか腹を立てているようだった。
仕方なく僕も熱心に聞いているフリをする。
ところどころプリントにいたずら書きをしてメモを取っているように見せかける。
「あれが明後日締め切りなんだよなあ。こんなことしてる場合じゃないよなあ」
ということをとりとめもなく考える。
昼休み。どうしようか、と迷う間もなく向こうから「外、出ない?」と誘われる。
エレベーターに乗って下へと降り、ビルの外に出て、駅の方へと歩いていく。
歩きながら僕は午前中の講義の内容について質問をする。
そもそもあれは面白いものなのかどうか。会社員として役に立つものなのかどうか。
そんなに面白いものではないけどところどころ役には立つ、という答えが返ってくる。
通りは駅へと向かう、あるいは駅からどこかへと向かう、そんなサラリーマンばかりだった。
駅ビルの地下のレストラン街に入る。
夜はバーとして営業している店で、ランチを食べる。
「ねえ、あの人今日サボって何してるか知ってる?」
知らない。と僕は答える。
「あの人会社辞めようとしていて、今日別な会社の面接受けてんのよ」
え?と思う。
「それってなんかずるくない?」
「それってなんかずるいよ」
ひとしきり話をした後で「あーあ」とヒトミさんは呟く。
僕らは外に出て会社へと戻った。
午後もずっとぼけーっと話を聞く。
企業というものはどうも最大多数の最大幸福であるらしいことがわかった。
夕方になって一通りお話が終わった。
立ち上がって伸びをしているところへヒトミさんが
「この後時間ある?飲みに行かない?」と言う。
「いいですよ」と僕は答える。
1時間待ってくれない?メールとかチェックするから。
ヒトミさんは僕より先にさっさと会議室を出て行った。
もっと都心よりの場所で、というので僕は先に移動して、
CD屋を回ったりしながら時間をつぶした。
夏は一段楽したものの外を歩いていると暑かったので
喫茶店に入ってアイスコーヒーを飲んだ。
ガラスの向こうをたくさんのサラリーマンが歩いていた。
僕は鞄からノートを取り出して、
明後日までにでっち上げなければならない文章について考えをまとめようとした。
「ウルトラマンシリーズがハリウッド映画に与えた潜在的な影響」
というもので、僕自身はそんなもん影響も何もないだろうが、と思った。
兄貴が僕の替わりになんか書いてくれないものだろうか、
その時僕が考えていたのはそんなことだった。
それぐらいしか、頭に思い浮かばなかった。
[996] 1年の2/3が終了 2003-09-01 (Mon)いやあ8月も終わってしまい今日から9月。
2003年も2/3を消化したってことになる。
まだ1/3残っているが、今年を振り返ってみると思い出すのは仕事のことばかり。
「なんでもいいから28歳の思い出作りしないとなー」と
日々考えるのであるが、ネタになりそうなものは何もない。
そうだ、去年大学の友人の結婚式で引き当てた
ディズニーシーのペアのチケット、有効期間は1年で、9月までだったような気がする。
行かなきゃ、一緒に行ってくれる人がいなかったら1人で2回行かなきゃ、
と机の引出しを探してみるものの見つからず。
割とどうでもいいことなので燃えない。
少しばかりガサガサやってダメだったらすぐあきらめる。
行く気あったらもらった時点ですぐ行ってたよなあ。
デタラメに地図を開いて適当に海辺っぽいところを見つけて
電車に乗ってふらりと海を見に行こうかと考える。
海ねえ。9月の海ってどんなんだろか。
そういえば九十九里浜って行ったことないんだよなあ、
なんて方向に想いは取りとめもなく広がっていく。
鎌倉ってどうだろう、とか。
車乗れたらなあ。(← 免許は持ってるがペーパー)
プライベートでは40分ぐらいの映画が1本、
これから仕上げることになる短編小説が1本か2本。
あとそれ以外の時間って何してたんだろう?何してるんだろう?
相変わらずCD買って聞いてただけ?
いろんなことがどんどん消え去っていく。
日々何も変わらないのに体力だけは衰えていく。
最後に女の子の肌に触れたのはいつだっただろう。
女の子と2人でどこかに出かけたのはいつが最後だっただろう。
何も始まらないし、何も終わらない。
毎日の日々がそんなふうになってしまったのはいつからのことだろう。
[995] 撮影日誌38:編集に没頭 2003-08-31 (Sun)土日の大半を編集をして過ごす。
少しずつ形になってきた。
大袈裟さに言うと生き物が生まれつつあるような感じ。
撮ってたときには「これはいいショットだ」と思っていたものが
いざつないでみたらそうでもなかったり。
その逆にOKテイクが撮れたのに保険でもう1度撮っといたものの方が
全体の流れにフィットしたり。
どれもとりあえず2・3度撮るというやり方が今回はうまくいっている。
このペースで行けば9月後半には完成しそうだ。
早くて半ばの3連休。
「今回はバッサバッサ切ってテンポのいいものを」と最初は考えていたのであるが
あれこれ試行錯誤しているうちにいつものだらーんとしたペースに落ち着いてしまう。
切れないんだよねえ、長回しが。
昔と違ってかなり意味のある長回しをしているつもりではあるものの
見てる人にしてみればどうなのか。
作業がある程度進んできて編集が楽しくなってきた。
明日もあさってもずっとずっと編集していたいものだ。
そろそろ次回作のこと考えないとなあ。
[994] 世界陸上男子マラソン 2003-08-30 (Sat)夜、何気なくテレビをつけてみたら世界陸上をやっていて、
男子マラソンだというのでそのまま見続けた。
見続けたと言ってもそんなマジマジと眺めるものでもないので
昼に買った「よりぬき じみへん【20世紀版】」を読みながら。
昼、吉祥寺でブラブラしていると
「そうだ、最近漫画読んでないなあ」と
パルコブックセンターに行って何冊か買い込む。
夕方新宿に出たときも、南口の紀伊国屋に行ってまた何冊か買う。
「だめんず・うぉーかー」の最新巻だとか。
今日から編集作業を本格的に再開。
1ヶ月ぶりにあれこれ機能を触ったら
悲しいぐらいにいろんなことを忘れてた。
買ったばかりのデスクトップにビデオカメラを接続しようとしたら
IEEE1394っていう端子がないことがわかり、DELLに問い合わせてみる。
インターネットでオーダーしたときにチェックを忘れていたようだ。
PCを開けて中に市販のを差し込むとこってありますか?
とただそれだけを聞きたいだけなのに
一言なんか伝えるたびに
「お客様の確認・責任で購入されたものなので」とか
「市販の製品についてはDELLではサポートできません」とか
くどくど言われてうんざりした気持ちになる。不愉快にすらなる。
別にクレームをつけたくて電話してるんじゃないのになあ。
これだけかたくなに自衛の態度を取ろうとするのは
世の中には知ってか知らずか
無理難題を押し付けようとする人がかなり多いからなんだろうな。
えらそうに怒鳴りつけて、ただでなんかさせようとする人だとか。
そんな人ばっかりなんだろうなと思うと憂鬱になる。
夕方、IEEE用のインタフェースボードを買いに行く。
中を開けて早速取り付ける。何の問題もなくできあがる。
男子マラソン。
苦労人「清水」のフィルムが何度も何度も繰り返され、
そうかあ、今回いい成績でなかったら廃部かあ、
と応援したくなるも、いかんせんマラソンは見てて
「ああ!」とか「おお!」と思う瞬間ってなかなかないもので。
気がつくと「じみへん」に没頭している。
なんてことない普通のマラソン。
最初で無名の選手が先頭に出てくるんだけど
いつのまにか先頭集団に呑み込まれて、
その中ひょいと勝負に出てくるのがいて。
油谷が5位、他みんな10位台。
「日本、団体では金です」とアナウンサーが言ってるが
そもそもマラソンに団体ってあったのか。
5キロ10キロの最初の方で先頭に立つ無名のランナーってのは
何のためにああしてるのかってのがいつも気になる。
アピールのためなのだろうか。
世界水泳が終わって、世界陸上。
なんだか年がら年中やってるような気がする。
アジア陸上なんてのもあってごっちゃになってるのだろう。
オリンピックやワールドカップの予選も含めて、
世界中で毎日のようにビッグイベントが行われているように感じられる。
[993] またクヨクヨと将来のことを考える 2003-08-29 (Fri)SEという職業も将来的には街の電気屋のようなものになってしまい
テレビの修理と同じような感覚で日々何ものかを修理していくか、
あるいは工学的な専門性が極度に高まって
僕のように文系の大学を出てSEごっこをやってるような人間は淘汰されるか、
このどっちかだろう。
今まで通りのSEというものがこれからも必要とされるのであるならば
建築学科のように大学の授業にて
要件定義から設計・開発・テストを経て運用だのなんだのという工程を
一通り学ぶようになるはずであって、
そんな時代が来たら僕はもう用済みだ。
経験則でいろんなことを吸収しては来たものの徒弟制のようなもので
よく言えば職人、はっきり言ってしまえばでたらめ。
インターネットが流行りだした頃のように
「なんだかよく分からないから知ってるやつに頼むしかない」
という時代はもうとっくに昔に終わってしまったのであって
このご時世、生半可な知識ではビジネスにならない。
僕の身の回りの人たちを見渡すと
売り物になるものを持っている人っていうのはごく一握りだ。
「人生失敗したなー」と最近つくづく思う。
コンピューターというものに個人的な興味のない僕は
好きでやってる人たちに絶対勝てない。追いつけない。
「興味があろうがなかろうが雇われてるのだからやらざるを得ない、それが仕事だ」
と今までは思ってきたが、それもどうか。
体力的にも精神的にもしんどいだけの仕事に闇雲に乗っかってる僕はただのアホなのか?
こんなの30にもなって続ける仕事じゃないよなあ。
次探すのめんどくさいから今の会社にいますってんじゃそのうちもっと痛い目に会いそうだ。
そんなわけで宣言。
そろそろ今の会社辞めます。転職します。
近々上司に訴えかけます。
バイトでHMVの店員をやってる方が僕にとっては幸福なのではないだろうか。
できもしないことを客に「できます」だの「やります」だの言って
コストがかさんでしかも質の低いものしかできあがらない。
いつもいつもその場しのぎ。
僕はここ何年かずっとそんなことばかりしてきた。
今僕が巻き込まれてやらされていることは頭の悪い詐欺のようなものだ。
耐えられない。
[992] 「パンチドランク・ラブ」 2003-08-28 (Thu)忙しかったプロジェクトもようやく一段楽し、映画を見に行く余裕が出てきた。
しばらく見てなかったなあ。最後に見たのっていつだろう?
5月に「めぐりあう時間たち」を見て以来か。
長いようで短い3ヶ月。
思えばいろいろあったなあ。
映画を撮り始めたり、1年半僕を蝕み続けたプロジェクトをやっと離れたかと思えば
次は次で何かと大変なプロジェクトで突貫工事。
冷夏なまま8月は終わるのかと思いきやここに来て普通に暑く。
僕の中でいろんなものがめまぐるしく変わっていって季節感というか時間の感覚がおかしい。
それはさておき、5時半に会社を出れそうなことが分かって
「そうだ、映画を見よう」と思い立ち現在公開中のものを調べてみたところ
目に止まったのが「マグノリア」のポール・トーマス・アンダーソン監督の新作
「パンチドランク・ラブ」
ああ、これもうやってたのかあ。というよりよく終わってなかったなあ。
スティーブン・ソダーバーグの「ソラリス」も
スタニスワフ・レムの原作もアンドレイ・タルコフスキーの元の映画も
ソダーバーグの映画もみんな好きなのに
どうしても都合がつけられないままあっという間に終わってしまったもんなあ。
上映時間2時間という時間すらやりくりできない、というわけではない。
時間に余裕があっても心に余裕がなければ映画って見に行けないもんなんだなあ
というのがよくわかった。
みなさん「マグノリア」は見ましたか?
僕の周りではトム・クルーズ扮する伝道師ばかりが話題になっていましたが、
最後に例のアレが降ってくるシーンに妙な説得力があったり、
エイミー・マンの曲の使い方が秀逸だったり、なかなか秀逸な映画でした。
その前の「ブギーナイツ」も監督2作目とは思えないぐらい腰の据わった映画。
「マグノリア」を見て、この監督天才なのではないかと思いかけたが、
「パンチドランク・ラブ」を見て僕は確信。やっぱ天才だわ、この人。
何がどう、って言ったら
登場人物の描き方・音楽の使い方・映像の撮りかた・
しょうもないエピソードの組み入れ方といった個々のパーツの良さもさることながら
それらを組み合わせて1つの「作品」としたときの思い切りのよさというか清々しさ。
何の迷いもなく「僕はこれが作りたかったんだ!」というのを
見てる人に直球で投げつけてくるような感覚。
話を要約したらものすごくありがちで
だけどエピソードを数え上げていったら支離滅裂で、
そんな難しい素材を手際よくポンポンと放り投げてくる。
見てる方はただそれを受け止めているだけで
なぜかワクワクした気持ちになってくる。少なくとも僕はそうなった。
不思議としかいいようがない。
派手なアクションシーンがあるわけではなく見目麗しいロマンスがあるわけでもない。
アメリカのごく普通のちょっと頭のいかれた人たちがドタバタ大騒ぎしてるだけ。
なのにこの映画の中には「夢」があって、いともたやすく魔法をかけてくれる。
ハワイのホテルでようやく再会した2人がひしと抱き合い
その背後を人々がにぎやかに行き交う、そこは全てシルエットなのに
その奥では鮮やかな色彩でハワイのビーチが広がっている、
予告編でも流れていたけど、あれは心に残る素晴らしいショットだった。
どうやって撮ったのだろう?
その場の思いつきで、というのなら天才だと思うし
いや、脚本を書いた時点で完璧に頭の中に思い描いていた、
というのならやはり天才である。
平日だったせいか恵比寿ガーデンシネマはガラガラ。もうすぐ終わってしまいそう。
もったいないことこのうえない。
なお、「パンチドランク・ラブ」とは「強烈な一目惚れ」のこと。
[991] 流しそうめん挙行 2003-08-27 (Wed)この前の日曜、かねてよりの懸案だった「僕の部屋で流しそうめん」を遂に実行に移した。
僕自身はこの日そんなことをする予定ではなかったのだが、
昼間いきなり先輩たちが現れアパートの僕の部屋のドアをノックして
「オカムラァ、そうめんやるぞ!!」と叫んだのだった。
何で僕の部屋で流しそうめんをやらなければいけないのか?
僕の部屋はやたら縦に細長くなおかつロフトがあって高低差があるからだった。
まあつまりうなぎの寝床。
こんな部屋でわざわざ食わなきゃいけないものって言えば「流しそうめん」以外ありえない。
「いつかやんなきゃなー」という話にはなっていた。
先輩たちはわざわざ新宿のハンズで青竹や、
それら青竹を繋ぐための水に濡れても大丈夫な透明のガムテープを買ってきていた。
それに駅前の西友でそうめんの束。刻んでパックに入ったねぎ。そばつゆ。
「オカムラ、ゆでる鍋あるよな?」と言われて僕は
流しの下(最近自炊しないので久々に開けた)を探す。
水道の蛇口をひねって銀色の大鍋にいっぱい水を入れてガスコンロにかけた。
沸騰するまでしばらく待つ。換気扇の紐を引っ張ってファンが回りだす。
その間先輩たちはさっさと作業に取り掛かり、青竹を繋ぎ始めた。
N先輩がロフトに上がり、敷きっぱなしの布団を隅に押しやると
下にいたT先輩と連携して瞬く間に長い長い青竹のスロープを作り上げた。
「先輩、流す水どうすんですか?」
「あ、そうか、そうだな。それは考えとかんかったな」
N先輩は「ホースでどう?」と言う。
T先輩は「そんなのいかにもうまくなくない?」と言う。
結局僕がひとっ走り近くのファミマに「南アルプスの天然水」を10本買いに行く。
今年は夏が終わりかけてようやくにしてぎらつくような日差しが戻り
ちょっと外に出るだけで汗だくになる。
もんのすごく重いコンビニの袋を両手で抱え、フラフラになりながら
「ま、これぐらい苦労したんだからおいしいに決まってるだろう」と思う。
試しに水を流してみて、継ぎ目が漏れてるようでロフトが水びたし・・・。
といったような雑多な困難を乗り越え、
試しの数本がちゃんと下まで届くことを確認した後、
「じゃあ茹でるか」ということになる。
その前に。
T先輩の「なんかさあ、足りなくない?」の声に「なんですか?」って聞いてみたら
「あれが足りないんだよ、アレアレ」
なんすか?
「ピンク色のさくらんぼ。あれないと雰囲気でないよねー」
えー?
「オカムラさあ、悪いけど買ってきてくんない?コンビニにあるんじゃねえの?」
N先輩も「せっかくここまで用意したんだから妥協するのもなんだ」みたいなことを言う。
結局じゃんけんになってそれでも負けた僕がやはり買いに行くことになる。
缶詰のさくらんぼはすぐに見つかったものの、なんかひどく疲れる。
僕が買いに行ってる間、先輩たちは冷蔵庫を勝手に開けて缶チューハイを飲み始めていた。
器は3つ。ガラスの透明なやつが3つバラバラでどうにかこうにか揃う。
僕はそうめんを茹で始める。結わえていた紙を破き、鍋の中へ広げる。
硬かった麺がすぐにもしんなりと柔らかくなる。
時々かき混ぜる。かき混ぜながらぼんやりといろんなことを考える。
茹で上がってザルに掬い、水で冷やす。
真っ白なそうめんが今目の前にある。
「先輩、できました!」
「よし!」
ロフトに上がったN先輩が最初の一玉を箸で青竹へと移そうとする。
「行くぞー」
能天気な声がN先輩から発せられT先輩と僕は器を左手、割り箸を右手に持ちながら
固唾を飲み、待ち構える。
どっかで蝉が鳴いている。
クーラーがカチリと切り替わる。
「じゃあ、せーの」とN先輩がそうめんを流したのであるが、・・・。
(続く)
[990] 夏祭り 2003-08-26 (Tue)会社からの帰り、荻窪駅の北口を出ていつもの狭い商店街を歩いていると
コンビニや喫茶店の前ではフランクフルトや焼き鳥が売られていた。
「ビールいかがですかー」「サワーいかがですかー」とにぎやかな声。
神社では縁日。焼きとうもろこしやあんず飴の屋台。
地べたに座り込んで不良少年や不良少女たちが
煙草をふかしながらたこ焼きを食べていた。
あちこちにそういう集団があった。
「ああ、ヤンキーっていつでもどこでもいるもんなんだなあ」なんてことを考える。
青森での高校生活が終わって、上京してきて以来、
不良少年たちはこの世から消えてなくなったかのように僕は思っていた。
彼ら/彼女たちは普段どこにいて何をしているのだろう。
街中に溶け込んで目立たなくなってしまっているのか。
今日のような夏祭りになるとふっとその存在が浮かび上がってくる。
大学2年か3年の夏、青森に帰った僕は
高校のクラスメイトたちとねぶたに出た。
可もなく不可もない標準的な衣装を着て、囃子に合わせて跳ねていた。
青森市街を練り歩き、夜も深まって一周した頃、
ふと見ると目の前には「カラス」と呼ばれる集団がいた。
地元の不良たちが「推奨されない」白と黒だけの衣装を身にまとって
暴走族のように傍若無人な振る舞いをするというもの。
いつの頃からか青森市に生まれ、定着していった。
その夜、その集団にて最も中心的なポジションにいた浅黒い男は中学の同級生だった。
でんと構えて、大音量で鳴り響くお囃子とは何の関係もない踊りを踊っていた。
特攻服のような真っ白な浴衣に黒長靴という、カラスの中でさえ異質な格好をしていた。
クラスの中心にいてみんなを笑わせるのが好きだったやつ。
小学校の時にはゲームの貸し借りもしたことがある。
あれから10年近く経つが彼は今どこにいてどうしてるのだろう。
どこかの時点でカタギになったか、それとも・・・。
今さらながら夏祭りと不良少年/不良少女たちとの関係が気になる。
僕は季節というものや祭りというものに何の関係もない10代を過ごしていた。
今だってそうだ。
エアコンが常に効いた、体の内側と外側の温度がほとんど変わらない生活。
そこには取り立てて感情の起伏もなく、
反抗することもなければ危険な出来事もなかった。
それでいいのかって言えば、まあそれでいいわけで。
だけどその分夏祭りとは常に、当事者としてその場にいることはできなくて
部外者としてガラス1枚隔てて光景を眺めているような感覚のもの、
何かが希薄なものになってしまう。
[989] 恋をしようよ 2003-08-25 (Mon)いつも通り朝は6時に起きて6時半には丸の内線に乗る。
7時過ぎに銀座に到着して日比谷線に乗り換える。
丸の内線のホームから階段を上がって、階段を下りて。
茅場町で降りるには日比谷線のホームを端から端まで歩かなくてはならない。
丸の内線のホームを出たところで僕の目の前にいる女の子の存在に気付く。
端から端まで歩ききって日比谷線のホームの先頭に立っていると
その子が遅れて、僕の立っているところまでやってくる。
電車が来るのを待つ間、彼女は僕の背後に立つ。
電車が来て、乗り込む。彼女は座席に座り、僕はドア付近に立っている。
どこかで見かけたことあるな、と思う。
南国風の顔立ち、猫系。小麦色の肌。首筋に軽い火傷か皮膚炎の跡。
僕はかすかに彼女なりのフェロモンを感じ取る。
茅場町で彼女は立ち上がり、僕と一緒に電車を降りる。
しばらく歩く。改札を出たときにそっと辺りを見渡してみると彼女の姿はない。
そんなもんか、と軽くがっかりする。
地上に出て横断歩道を歩き、もう1つの出口の側を通り過ぎると
彼女が階段を上ってくるところが視界に入る。
そのまま僕はペースを落とさず進んでいく。
会社までの5分ほどの道のりを僕は1人歩く。
会社の入っているビルの1階のコンビニで朝食を買い、出てくると
ちょうど彼女がビルの中に入っていくのが見える。
1階の証券会社の中へと消えていく。
彼女は受付か事務ということか。
この証券会社の人たちは普通に朝が早く、
僕と同じぐらいの時間に多くの人が出社してくる。
毎日7時半に出社しているうちに僕は彼女のことを何度か見かけ、
心のどこか奥底で無意識のうちに彼女の姿を覚えていたのかもしれない。
さて、僕はどうする?
明日の朝もいつも通り7時半に会社に着くようにして
どこかに彼女の姿がないものか探す。
今さら何を、と思わなくもないから本気で探す気はない。
だけどもう1人の自分は探さずにはいられないだろう。
探した、見つかった。さあ、どうする?
次の日も会えないものか期待する。
それだけ?
それだけ。
それでいいの?
でも、世の中そんなもんでしょ?
今日の朝歩いていて何度も視界に入ってきた僕のことなんて
意識の端にすら上らなかっただろう。
一瞬心の中で何かが動いたとしても昼頃には忘れてしまっているに違いない。
記憶に残ったとしても
彼氏がいて、友達と彼氏の話をしているのかもしれない。
明日の朝僕の姿を見かけて、場所を移るかもしれない。
・・・それでも、そんなんでもいいから、
恋をしようよ。
[988] 真夜中の事故 2003-08-24 (Sun)昨日の夜、門前仲町方面へ飲みに行った後の帰り、
永代橋を渡っていると頭上では何台ものヘリコプターが飛んでいた。
どこかへと向かっているのではなく、
スピードを落としながら旋回していて、
何かを、誰かを、探しているようだった。
手を伸ばせば届きそうなぐらい、低いところを飛んでいた。
「なんだろうね」と話し合いながら歩く。
前方では赤い光が点滅していて誰かが「パトカーだ」と呟く。
「事故」の看板。
交差点は強力なライトで照らされ、
時間のある歩行者たちがパラパラト歩道に立ち止まり
あれこれ指差しあっていた。
通り過ぎた後で聞いた話では、僕は気付かなかったが、
道路は血が一面に広がっていた個所があったという。
なんだったのだろう、単なる交通事故なのだろうか。
それにしてもだとしたらなんであんなにもヘリコプターが出動していたのだろう。
逃げ惑う「容疑者」を探していた?
それとも事故に遭ったのが有名人で、あれは報道のヘリだった?
今そのことを思い出し、いくつかニュースのサイトを見てみるも
それらしき情報は見当たらず。
何があったのだろう?
休日のオフィス街は車こそいくらでも走ってるものの
歩いてる人はまばらで、閑散としていた。
頭上鳴り響く場違いなバラバラバラという音が現れては消えていった。
幻でも見てたのではないかという気がしてきた。
[987] 世間は夏休み2 2003-08-23 (Sat)今週はそれまで割と順調に来てたのだが、木曜午後になって何かと問題が発覚。
大きなところでは以下の2つ。
1.本番環境を再度構築し直す必要が出てきた。
2.システムテストを行ってみて、結合テストでのテスト項目・観点に
不備があったことがあったことが発覚。
社内での結合テストのやり直しと大量に見つかったバグの修正。
金曜1日かけて開発メンバーみんなで主に2の作業を行う。
一通りテストしてみて、他にバグがないかどうか洗い出す。
終電の時刻まで黙々と手を動かし、
何度も何度もチェックポイントのためのミーティングを設け、状況の確認を行う。
上の人たちも交えた話し合いの結果
「土曜はみんな出てきて作業を続けるしかないね」ということになる。
新人の子以外の開発メンバー4人、正式に出社が確定。
僕としては「昼ぐらいに出てくればいいんじゃない?」と思っていたのだが
「いや、平日のように9時に来た方がいい。
例えば昼なんかに早く終わるなら終わるでその分早く帰ればいい。
12時ごろ来て、時間が足りなくなって日曜も、というのは馬鹿馬鹿しい」
との意見が強く、9時出社となる。
終電で帰って7時に起きて、出社。
疲れが全然とれず、夕方過ぎから体力的につらくなってきて頭が回らなくなる。
ぐったりしたまま、できそうなことをちょっとずつだけやって、後は打ち合わせ。
バグが収束したと判断できたのは夜の9時過ぎ。
その後軽く飲みに行った。
8月末がカットオーバーで9月1日がサービスイン。
土曜の昼にテストをしながらふと思う、
「ああ、夏休みの宿題に追われてるみたいだ」
(僕は小学校の夏休みの宿題なんて必ず最初の1週間で
全て終わらせるような子供だったのになあと思う)
夏休みの宿題っていうか夏休みを利用したグループワーク。
なんとなくそんなノリがこの日はあった。
来てた4人も4年目・5年目・6年目と世代も近かったせいか、
あんまり仕事してるっていうヤな感じはなかった。
最後の追い込み。ああ、あと一週間で「夏休み」が終わる。
[986] 世間は夏休み 2003-08-22 (Fri)客先での作業を終え水天宮に到着。
会社の近くのIBMのビルの前を通りがかると
敷地内でマツダの試乗会をやっていた。
昼間は通り抜け自由なので先輩と中を通っていった。
なにやら他にもイベントをやっているようだと
それとなく見てみると
今日はIBMのオープン何とかとかいうイベントのようで
子供が親の職場を見にくるというものだった。
ビルの中でスタンプラリーをやっているらしい。
ものすごく大きなビル。ゴールは社長室だろうか。
アメフトの選手と露出度の高い衣装を身にまとったチアガールが
わいわい騒いでいる一角があって、子供たちが親とともに並んでいる。
一緒に写真を撮ったり
投げたボールの飛距離を競ったりしていた。
先輩と「ああ、世間は夏休みなんだな・・・」と話す。
8月は寒い日が続いていたが
ここ2・3日それなりに暑くなって蝉が鳴いている。
顧客の本社を訪れていたので長袖のシャツを着てもちろんその上に上着。
「ああ、夏なんだよなあ」と思う。
プロジェクトはここにきていくつか問題が降りかかってきて
「今年の夏は残暑が厳しいようですよ」と
何日か前に後輩が言っていたことを思い出す。
プロジェクトが無事に終わることができたら
そのときには8月も終わり・・・。
なんだか疲れてるなあ。
[985] 山に登る 2003-08-21 (Thu)このところ会社内外の人たちと話していると
「高校時代山岳部で」という内容になることが何度かあった。
たまたまなのかそれとも僕がそういう人を呼び寄せているのか、
僕の身の回りには少なくとも3人は元山岳部だった。
そしてその3人とも現役で山を登ったりはしていない。
なぜか必ず、「実は昔・・・」という形で切り出された。
というのはまあ、どうでもよくて。
今の僕の気分はなんとなく「ああ、山登りたいなあ」というもの。
半日かけて一歩一歩少しずつ進んでいって
山頂にたどり着いたときの広い眺めを見てみたいなあ・・・、と。
人生は山登りに例えられる。
よくわかる。的確な比喩であるように思う。
仕事というかプロジェクトも、そう。
ある程度の期間を必要としてゴールのあるものはみんな、そう。
でも山に登ってるなら
今自分がどこにいてその頂までどれぐらいかかるのかわかるんだけど
人生もプロジェクトもどこがそのピークなのか
ぱっと見ぜんぜんわかんないんだよなあ。
誰か教えてくれるといいのに。
特に人生の場合。
そこにどんな光景が広がっているかといえば
おそらく多くの場合
何の変哲もないいつも通りの日常生活の1コマなのであって。
そのときには同じ光景でも見え方が変わるのだろうか。
人によっては何かが垣間見えるってこともあるだろうし、
光り輝いてるってこともあるだろう。
誰か、何か、見えたって人はいるのだろうか。
[984] オーヤマさんに会う 2003-08-20 (Wed)去年上海に行ったときにお世話になった映画サークルの先輩オーヤマさんが
休暇で日本に来ているそうで、タツジン先輩と3人で新宿で飲む。
後からヤンマとタチバナが2人揃って合流。
タチバナなんてもう5・6年ぶり?
北朝鮮と中国との国境沿いの湖でナゾの怪獣が20頭も現れた、
というニュースがニュースステーションのトップでやってたが
その後音沙汰ないなあというような話をした覚えがある。
この日は大学の寮の友人ジンからも京都から久々に電話がかかってきて
「携帯買ったんだよー」とのことであったが
店の中で騒がしく、ほろ酔いでもあったので
向こうが何を言ってるのかよく分からず、適当なことをしゃべっているうちに切れる。
この日、仕事の話としては
顧客に提出するドキュメントにて
「バージョン管理」と書くべきところを「バージン管理」と書いていたことに気付き、
なんか情けない気分になる。
[983] 撮影日誌38:映画というもの 2003-08-19 (Tue)そういえば映画見てないなあ。
気が付いたらソダーバーグの「ソラリス」も終わってた。
最近どんなのをやってるのかさえ知らないんだよな。
今更ながら自分は映画が好きなのだろうか?と思う。
学生時代レンタルビデオに通って貪るように見て
今でも普通の人よりは多い本数を年間見ているはず。
学生時代あれだけ作品を作って今でも作ろうとしている。
好きといえば好きなのに「大好き」というほどでもない。
文学や音楽はなきゃ死ぬだろうぐらいに大切なものであるが
映画がこの世から消えてなくなっても僕はなんとも思わないだろう。
そういうジャンルがあったことをいつか忘れてしまうだろう。
人はなぜ映画というものに惹かれるのだろう?
豪華絢爛な虚構の世界がエンターテイメントとして機能性に優れているからか。
それともあの暗闇に魔術的なものがあるのか。
とっくの昔に映画は生誕百周年を迎え、
21世紀になっても依然として世界の各地でプロ・アマ問わず作品が作られ続けている。
何が彼らをそこまで魅了するのだろう?
そもそも僕が映画を作ったのはなぜなのだろう。
大学の寮の同じ階の先輩が映画のサークルにいて引っ張られたから?
その映画サークルは人がいなくて僕が部長になったから?
周りでみんな映画を作っていて楽しそうだったから?
・・・何がどうなっていたのだろう。
そのときそこに僕がいたのはたまたまだったのだろうか。
新しい映画を作るにはものすごく労力を必要とする。
身の回りのいろんな物事を振り捨てて映画だけをやっている。
無から形あるものを生み出すわけであって
完成する頃には肉体的・精神的な疲労はそのピークに達している。
そんでその出来上がったものは個人的には愛着はあっても
世間的にはたいしたものではない。
本数を重ねていくうちにある程度はうまくなるものの、
そこから先に進むことはかなり難しい。
もっともっといろんなものを振り捨てないことには
どうにもならないのかもしれない。
なのに僕はあのCDが欲しい、あのライブが見たいとかいうことに
うつつをぬかしている。いつだって映画以上に心を奪われている。
映画を見ても僕は結末を忘れていることが多い。
結末と言わずストーリー全体を忘れていることもある。
覚えているのはその作品の印象、というか手触りだけ。
映画は僕の目の前にふっと現れ僕の体を通り過ぎ、消えてゆく。
鮮やかな、あるいはモノクロームの映像/記憶の断片。
僕は何を作ろうとしているのだろう?
[982] 撮影日誌37:編集作業再開に向けて 2003-08-18 (Mon)このところ仕事が忙しく、その合間をぬってフジロックに行ってたりしたものだから
編集作業はほとんど進んでない。
会う人会う人、会社の人だろうと映画サークル関係の人だろうと
「どう、編集進んでる?いつごろ完成しそう?」と聞かれる毎日。
聞かれるたびに「8月末」「9月半ば」「10月の頭」とどんどんずれ込んでいく。
よくないですね。本人はやる気がないわけではないのだが
やっぱ学生時代のように部屋に閉じこもって
「これから1週間、バイトも休んで編集するぞ!!」というような追い込みがないと
なんとなく気持ちが盛り上がらない。
休みのたびにチョコチョコって言うとほんと趣味っぽい。
じゃあやらないかっていうとやらずにはいられないないので、
そろそろ仕事も落ち着いてくるし、また今週からボチボチ編集作業に取り掛かることにする。
日曜は届いたばかりのコンピュータのセットアップをしていた。
ビールをこぼして使い物にならなくなったマックに見切りをつけ、
個人用として思い切って新しく買ったもの。
編集は会社で新しく僕用にリースするノート PC を週末家に持ち帰って、
ということにしてしばらくそれでやっていたのであるが、
会社のほうでも最近セキュリティのことをうるさいぐらいにあれこれ言ってて
なにかと煩わしくなってきたし
それ以上に気になったのは会社のノート PC に
同じようにビールをこぼしてしまったらしゃれならないってこと。
どうせ買うことになるのなら最初から買っておけばよかった。
今回の映画では機材の調達にばかりお金がかかって総額50万は余裕で超えてる。
ボーナスが全てこれに消えた。道楽にしては金がかかり過ぎか。
ヨドバシみたいな量販店で買うと余計なソフトがこれでもかと入っているのがうざったいと
今回は DELL のパソコンをサイトから買うことにした。
会社もずっと DELL で、それで特に問題はなかったので、なんとなく信頼している。
スムーズに編集作業できそうなスペックのものが15万で買えた。
他のメーカーのなら20万はしたんじゃないだろうか。
何に使うか目的がはっきりしてるなら DELL ですね。
OS は XP で、これを使うのは初めて。
フレンドリーさが圧倒的に増していて、
一応 IT 業界に籍を置いている僕なんかからすればかなり違和感を感じた。
どうやったら C ドライブの下のシステムファイルを直接触れるのだろう?
家のパソコンでそんなことしたくもないのだが、職業柄気になってしまう。
Premierを入れたり、PhotoShop を入れたり、ウイルス対策ソフトを入れたり、
マイクロソフトのサイトで「重要な更新」ってやつをアップロードしたりで1日が終わる。
世間では「ブラスター」とかいうウイルスが出回り
初心者がかなりトラブってるようで、
会社のは至れり尽くせり日々情報が出回ってくるが
家のほうはほっとくと何もしなくなってくるのですぐにも感染してしまいそう。
気をつけないとな、と思う。(そう思うのも最初のうちだけかもしれないが)
インターネットにはあっさり接続できて
(マックで使っていた ADSL 用ルータが覚えていたようだ)
メールもすぐ設定できた。
思えば僕もコンピュータに詳しくなったものだ。
ま、そんなわけで来週から編集をバリバリと。
当分土日予定ないし金もないし。
それにしてもノートよりやっぱデスクトップのほうが使いやすい。
ビールをこぼしてもキーボードを変えるだけで済む。
[981] 夜のドライブ 2003-08-17 (Sun)(昨日からの続き)
集まったのが早かったせいか、食べ終わってお茶を飲んでも夜の9時にもなっていない。
タツジンさんの車でドライブってことになる。
この雨の中いったいどこに行こう?って感じなんだけど
とりあえず僕が「お台場」と言うと「他にないしなあ」ととりあえず向かってみることになる。
道がわからず皇居の辺りをウロウロしているところにアライさんの携帯が鳴り、
奥さんから「流せるオムツかと思ったら流せないタイプのもので、トイレがつまった」
ついてはトイレの詰まりを治すやつを探してきてくれないかという指令が下る。急遽目的地変更。
ドンキホーテに行けばあるんじゃないの?
でも都心だとどこにある?ってことになってとりあえず渋谷へ。
渋谷には確かに店はあるけど女子高生がわざわざ
ドンキホーテでトイレの詰まりを治すやつ買うか、普通?そんな意見も出る。
246号線を西へ西へと進んでいって一路渋谷へ。
僕は上京11年目にして初めて、赤坂と青山が道路で繋がっていることを知る。
というか近所だったんですね。
初めてということで言えば渋谷界隈を車で走るってのも今回が初めて。
こんなときでなければ気がつかないんだけど渋谷って駐車場がない。見当たらない。
渋谷に車で来ることって普通ないよねえ。
仕方なく店の近くで路駐してサーッと店の中を探す。
実を言うと僕はこれまでドンキホーテに入ったことはなくて、ほんと今夜のドライブは初めてづくし。
「おお確かにごちゃごちゃしてるわ」というひどく大雑把な感想を抱く。
でも予想してたほど無秩序じゃない。
中は若者だらけ。
彼ら/彼女たちは彼ら/彼女たちなりにそれぞれにいろんなものを必要としていて
夜の渋谷の一角でピンからキリまで様々なものを探している。
奇抜な何かではなくて、彼ら・彼女たちの生活にとって必要なもの。
だけどローソンにもマツキヨにもハンズにも売ってないような何か。
何かが渦巻いている。荒廃したものでも退廃したものでもなくて、
とにかく「何か」としか言えないもの。
その後新宿歌・舞伎町の店舗にも行ってみて、その思いを強くする。
詰まりを直すあれはあることにはあったものの洋式のは品切れになっていた。
普通のはすぐ見つかって洋式のってないのかと店員に聞いてみたら隣にあると言われる。
こんなごちゃごちゃした店内でどこに何があるのかを
把握してるってのはすごいものだとアライさんが感心する。
意図的にごちゃごちゃにしているのであって在庫管理のノウハウは意外にきちんとしているのか、
それとも人間どんな環境でも慣れるものであって、それなりにやっていけるということなのか。
ドンキホーテでも売ってることはわかったが、品切れ。
そんな絵に書いたような展開になり、次行こうぜと新宿へ。
道を間違えて逆方向代官山方面に向かった後、明治通りを北上して新宿へ。
歌舞伎町の店に入る。
今度はちゃんと洋式のを見つけることができた。
歌舞伎町の店では1階でセーラー服やチャイナ服を売ってるというのはほんとだった。
買う人いるのだろうか?
地方から修学旅行で来た高校生(もちろん男子)たちが面白がって買うのだろうか?
今夜のドライブの目的が無事達成される。
そのままアライさんの家まで送ってくかってことになり明治通りをさらに池袋方面へ。
川越街道をしばらく走って
学生時代バイトで通ってた大山駅近辺を通り過ぎ、懐かしく思う。
その後環七を南に下っていってタツジンさんの住む高円寺へ。
タツジンさんが駐車場に車を置きに行っている間、駅前の四丁目カフェで時間をつぶす。
タツジンさんが戻ってきてまた世間話をする。
そういえば映創会近辺の人間でライターをやってるのって多いねって話になる。
××は月10万ぐらいになるらしいねとタツジンさんが言うと
ライター業としては先輩に当たるモッティーは
「じゃあ、月に4・5本抱えてるのか」と推測する。
「え、10万稼ぐにはそんなに仕事しなきゃいけないんですか!?」と僕は驚く。
10本抱えて2日に1度仕上げて20万稼ぐってのが人間としての限界なんじゃないかと
モッティーがあの業界の大変さを解説してくれる。
手広くやって本数を多くするか、
それともその分野で少しずつ知名度を上げていって枚数を増やすか、
このどちらかしかなくてどちらも大変そう。
後者の方がましであるが、人気のある分野では狭き門。
僕も昔(学生時代)はライターになりたいと考えていたものであるが、今はそんな気持ちはない。
そういう分野に足を踏み入れなくてよかったと思う。
気がつくと終電の時間。
中央線はあることにはあったが出発時刻の表示はなし。高尾まで、立川までとしか書かれてない。
この3日間の大雨で小田原近辺はJRが止まっていたのだという。
それにしてもずっと降り続け。
これが一段落すると今度は9月末まで一滴も降らないという極端なことになるんじゃないか
そんなことを思いながら電車に揺られて荻窪まで乗っていく。
昼は会社で仕事をしてから夜、たいめいけんへ向かった。
疲れる1日だった。
とはいえその後のドライブでは普段なら電車でしか行くことのない場所を
改めて車で回ってみたことになるのでかなり新鮮な体験だった。
[980] 第5回カレー大会 2003-08-16 (Sat)2年前の夏になんとなく始まった
映画サークルの先輩たちと行く「カレーを食べる会」も今回で早5回目。
2回の火鍋やこの前の餃子スタジアムも足すなら8回目ぐらいか。
インドカレー・タイカレーとアジア系ばかり攻めてきたが
今回は僕の提案で日本橋「たいめいけん」のカレー。
「たいめいけん」と言えば「タンポポオムライス」で有名な洋食屋。
オフィスが日本橋から移転するまではよく食べに来ていた。
今でもたまに行く。何を食べてもうまい。
ここさえあればもういいわけですよ。
もちろんカレーもうまくて僕は「東京で1番」だと思っている。
初めて食べた入社1年目のとき、僕は最初に食べたハンバーグのあまりのうまさに感激して
続けてカレーも食べてみたという逸話を残している。
今でも同期にあのときのことを笑われる。
アライさん・タツジンさんと僕といういつものメンバーに
今回はモッティーとそのご近所さんという5名。
東京駅で待ち合わせて道を知っている僕が先導する。
たいめいけんのテーブルは基本4人がけで、
土曜の夜とはいえお盆で人がいなくてなおかつ雨が降り続いてるせいか
店内はガラガラなのになかなか入れてもらえない。
列に並びながら「カレーは650円なのになんでハヤシライスは1500円もするのだろう?」
と話していたらあの店の名物?給仕が説明してくれて、
なんでもカレーは普通のポークだけど
ハヤシは最高級の牛のヒレ肉を使っているからなのだそうだ。
わかったようなわからないような。
その「ポーク」だってとろけるような逸品であって
高級な食材であることには変わりなさそう。
5人そろって一番安いメニューであるカレーをオーダー。
僕なんかは瞬時に食べ終わる。
みんなから出てきた感想としては「毎日食っても飽きない系だね」というもの。
僕が主張する「東京一」に関しては「うまいのは認めるが、・・・」と留保する。
各自それぞれ自分の中での「東京一」の店を持っていて、それはやはり譲れない。
次回はタツジンさんの推す半蔵門の「ガンジス」となりそうだ。
食べ終わってせっかくだからと「タンポポオムライス」を一皿だけ追加。
小皿に取って分けて食べる。
「こっちは確かに東京一だ」との声も出るが、
「でもそんな較べられるほどオムライスって普段食べないよね」という冷静な意見も。
なんにせよこのオムライスに関しては全員一致で「うまい」ということになって
案内した僕もほっとする。
バターと卵をたっぷり使ってる以外には特殊なことは何もしてなくて、
調味料で凝ったことはしてなくて、
これはほんと料理人の腕で作られるものなのだなあとモッティーが感心する。
たいめいけんを出て、東京駅方面へとぶらぶら歩いて
「ボナール」という喫茶店に入る。
ここは日本橋で働いていたころにも入ったことはなかった。
本格的な雰囲気が感じられるんだけど
いかんせんコーヒーは毎日浴びるように飲んではいても
「飲めればそれでいい派」なので細かな味の良し悪しはわからず。
カフェオレを飲みながらいつものごとく世間話をする。
鈴木清順の幻の作品について。今ユーロスペースでレアもの特集をやってるらしく、
「春桜」というのがとてもよかったらしい。
80年代の「チゴイネルワイゼン」「陽炎座」などに連なる系統の作品。
鈴木清順は弘前高校出身で、弘前高校同窓会がお金を出して作った
「同窓会」という作品があると聞く。
でもこれは相当にわけのわからないものであるとのこと。
清順独特のタッチでとりとめもなく思い出を語るもの。
「ノスタルジアを喚起させる」ような瞬間は一切なし。
「他人の子供のホームビデオを見せられるのはまだわからなくもないが
他人の高校の同窓会の映像見せられても困るだけだよなー」とアライさんが一刀両断。
あと、僕らの映画サークルの近辺で唯一出世した漫画家黒田硫黄の話。
ジブリが製作したアニメ「茄子 アンダルシアの夏」の原作ってことで
一般市民にも知名度が上がるかと思いきやなかなかそうはならないようだ。
記者会見では小池栄子の隣に立っていたのに
興行成績は振るわず、そろそろ公開打ち切りらしい。
新聞で評を目にしてもジブリジブリと書かれてはいても
原作者の名前は出てこなかったもんなあ・・・。
昨日は昨日で僕以外の同じようなメンツで飲んでいたようで、
そこに黒田硫黄も顔を出したと聞く。
昨日はほんとなら神宮球場で花火大会を見るということになっていた。
雨で次の日に延期。そんで今日も雨だから今年は中止になったらしい。
こういうときの用意してた花火ってどうなるのだろう?
空調がものすごくしっかりした倉庫にしまっておいてたら1年後に使えたりするのだろうか?
どっか他の花火大会に回されるのだろうか?
でも普通ああいう大会は段取りが大切だから
何ヶ月も前から打ち上げ用花火の手配ってしてるだろうしな。どうするんだろう。
ヤクルトが神宮で勝つたびにボンボンと打ち上げるのだろうか。
ちなみに、毎年最後に行われる花火大会ってのは土浦のものらしくて、
花火師たちにとっては1年の締めくくりとしての総括の意味があるのだそうだ。
モッティーがハワイでアメリカ風の花火大会を見たときのことを話しだす。
独立記念日を祝うためのもの。
日本的な情緒は一欠けらもなくて、ひたすら派手に連発に次ぐ連発。
これはこれでショーとして圧倒されるのだろうなといつか見てみたいなあと思った。
(続く)
[979] プロジェクト終盤 2003-08-15 (Fri)午前中、顧客の一団が茅場町の我がオフィスを訪れて
現在開発中のシステムの動作確認というイベントがある。
朝早く来てデモ環境の設営をする。
前日の夜確認したときにはうまく動いていたのに、
今日の朝になってあちこち動作に不具合が出る。
既に顧客は到着していて別室に案内している。
あーでもないこーでもない。
原因を究明すべきか間に合わせの何かを仕込むか。
時間は刻一刻と過ぎてゆき、わけがわからなくなってくる。
とんでもなくテンパって「あーもうどうでもいい」と投げ出したくなる。
バタバタしているうちに始まって頭の中真っ白に近い状態のまま
手は何かを動かし口が開いて何かを言っているうちに
一応なんとか終わる。
後で聞いた話では顧客の偉い人の印象としては
「ま、あんなもんだろう」ということであって、
前日の夜になっても完成の目処は立たず
「なんだこりゃ!きちんと動いていないじゃないか!!」と
怒鳴られることも想定していた僕としては
可もなく不可もなくという状態にまで漕ぎ着けたというだけで
今回はもうかなり「よし」としたい、そんな気持ち。
2ヶ月という短期間で設計・開発・テストまで全工程を終える
突貫工事のようなプロジェクト。
それなのにXMLデータベースなるものを初めて使用し、
技術的に分からないことばかり。暗闇の中を手探りで進んでいく。
開発フェーズに入って1週間が過ぎ2週間が過ぎても
機能といえそうなものは全然形になっていなくて
「そろそろ俺も年貢の納め時かな・・・」と真剣に考えた。
いろんなことが不安になっているのに
それを口に出して説明することができない。
「いや、もう全部がリスクなんです!全体で1つの懸案なんです!」と言ってるだけ。
人を増やし、みな夜遅くまで仕事している。
日々手は動を動かしタスクは片付けているのに全体像が見えてこない、
ミクロな視点では急激なスピードで進んでいるはずなのに
マクロな視点では1mm足りとも進んでいるように感じられない。
よくまあここまでこれたもんだ。
でも「終わらせられそうだ」というだけ。
規模感を思いっきり見誤って当初想定していたよりも工数が膨れ上がり典型的な赤字プロジェクト。
もうこの年になると「終わらせただけで偉い」って雰囲気でもなくなってくるし、
プロジェクトの進め方がそもそも行き当たりばったりでいいところなかったし、
あんまり達成感はない。無理やり終わらせただけ。
前のプロジェクトで1年半やっていたような力任せで体力勝負ってのを
結局今回も繰り返していてそこには何の成長もない。
ある種の経験にはなったものの。
といったことを考える。
くよくよしててもしょうがないので「第1回中間打ち上げ」と称して
開発メンバーと月島に行ってもんじゃ焼きを食べる。
ビールがやたらうまかった。
[978] マーケティング 2003-08-14 (Thu)マーケティングの勉強をしたいなあと思う。
1年程前から漠然とは考えていたものの実行に移したことはなし。
もしこのままIT業界に居続けるのなら
「+α」がないことには生き残れないのではないかということをふと思ったのが発端。
ITそのもので食っていけるほどの技術/知識、というか素養がないことに最近諦めがついた。
プロジェクトリーダーやマネージャーとしてやっていくのも自分としては向いてない。
(できるかどうかということではなくて、僕はそこに喜びを感じない)
30を過ぎたら企画やプロデュースの方にフィールドを移したいのであるが
そのためにはどうしたらいいか。
「マーケティング」っていってもその実態はほとんど何も知らない。
ニュースで耳にしたときに何を指しているのかがわかる、という程度。
どれだけの時間をそこに費やしたら何を得られるのか、
どこに行って何をしたら学問的な基礎や現実的なノウハウを学べるのか、
そもそも企業のマーケティング部の人たちって普段何をしているものなのか、
全然イメージがつかめてない。
でも、なんか楽しそうだ。
知ってると知ってないとではビジネスパーソンとして
とんでもなく大きな差が出るような何か、というだけでなく
人生を過ごす上での1つの有意義な視点/ものさしになり得るもの、
という感じがする。
勉強してみようかなあ。
会社が金出してくれて大学院に行けないか、
みたいな甘っちょろいことばかり最近は夢見ている。
[977] 夏はどこに行ったのか 2003-08-13 (Wed)忙しさは今週がピーク。1日が一瞬で終わる。
書くことも無いし書いてる時間も無い。
朝起きてニュースをつけて
「お盆をふるさとで過ごす人たちの帰省ラッシュ」
というフレーズを聞いて
ああ、もう8月も半ばなのかとぐったりする。
先週両国で風呂入ってちゃんこを食べたものの
それ以外は特に何もすることはなく
あっという間に8月が終わってしまいそう。
映画の編集すらできず。
海に行きたいなあ。花火みたいなあとぼんやり考える。
今週金曜に行われる神宮球場の花火大会も誘われたものの
まず間違いなく行けず。
青森の母親の実家では今日親戚・いとこたちが集まって
ビールを飲みながら高校野球を見ているのだろう。
2時か3時になればみんなで車に乗って隣町へ墓参りに出掛ける。
心の奥底で蝉が鳴いている。
[976] スローライフ 2003-08-12 (Tue)昨日の昼、会社の先輩と食べているときにスローライフの話になった。
「日本でスローライフを実践できるような場所は果たしてあるのだろうか?」
「なさそうですよね」
「いったいいつになったら日本にも広まるのだろう?」
日本では・・・無理そうだ。
海外でももしかしたらごく一握りの人しか享受できないもののような気がする。
大多数の貧しい人たちの食うや食わずの労働の上にそれは成り立っていて
お金のある人しかそれを買うことはできない。
ニセモノのスローライフ。
「近頃またヒッピーが復活してるらしいね」
「そうなんすか。何してるんですか?」
「見たことも聞いたことも無いような植物からパンを作ってる、とか」
「ああ、そういう人たちですか」
もっともスローライフに近そうな人たちなのであるが、なんかうらやましくない。
南の島で穀物や果物を育てながら
雨が降ったら屋内で本を読んでるような生活。
僕はそんなものを想像し、抱えている全てのものを投げ出してそこに行ってしまいたい、
今すぐにでも走り出したい、そう思うのだがそんな場所はどこにもない。
条件の整っている場所自体はあるのかもしれないが、
日本で普通に生まれ育った僕がいきなり放り込まれても語学力も生活力も無い。
ただただのんびりしていればよくて
それは突き詰めると気分の問題なのか。
あくせくしない。
無闇に他人にものを欲しがらない。
「与える」ことを前提にした生活。
僕らの毎日が本来あるべき姿をしていないのなら
それはニセモノなのだろうか。
何もかもが虚構の上に成り立っているとか、そんなような話をいつだって見聞きする。
目を閉じてもそこには何も無い。
楽園はどこにあるのだろう?
[975] 夏バテ 2003-08-11 (Mon)夏バテというのでもないが、この時期常に元気が無い。
暑いからというよりもクーラーにあたりまくっているから。
タイマーをセットし忘れて夜中にOFFにならず、
朝までつけっぱなしだったりすると
起きたとき風邪引いたように喉が痛くなっている。
会社入って1年目の年はクーラーかけっぱなしで寝ていて
日中はとにかく体がだるかった。
4年目・5年目ともなると大体の設定の仕方がわかってきて
冷房ではなくてドライで27度、午前3時に切れるようにする。
クーラーが関係してるのかしてないのか
この時期はなんか書こうと思っても何にも書けないことが多い。
イマジネーションが働こうとしない。
右から左に駄文を連ねるだけ。
[974] 夏の1日 2003-08-10 (Sun)昨日に引き続き会社で仕事をする。
台風が通過して今日はやたら暑い。夏らしい日差し、照りつける熱さ。
妹からメールが来ていてお盆は帰ってくるのかと。
今年もやっぱ忙しくて帰れないと返事を出す。
久しぶりに映画を作っていると一言添える。
クーラーの効いたオフィスに午後ずっといる。
新しい環境に現時点でのソースコードと
顧客に納品するデータとを移してみて、
「お、動いた」ということで今日のところはもういいかと思う。
昼前に起きてクリーニング屋に行く途中
マンションの前に止待っていた若葉マークをつけた車がヨタヨタと走り出し、
狭い道を後ろから来た車とぶつかる。ゴリッという音がして車に傷がついた。
若葉マークをつけた車を運転するのは60代近くの男性。
ぶつかった方は50代近くの男性。
僕はぶつかった瞬間に居合わせたのであるが、どっちが悪いのかよくわからなかった。
あんなにヨタヨタしてたってことは後ろの確認はしてないで
いきなり走らせようとしたんだし、
後ろから来た方は狭い道にしては割とスピードを出していた。
少し先の路地に入って車を止める。
これはいったいどうなることかと思うのだが、立ち止まって眺めるのも失礼かと通り過ぎる。
帰りにそこをまた通ると車も人もきれいさっぱり消えてなくなっていた。
話は簡単について何の問題もなかったということか。
夕方になって、そろそろ会社を出るかと思う。
今から家に帰っても中途半端な時間の空き具合。
会社を出てブラブラと歩いて
東京駅の大丸にてお盆に仏壇に供えるお菓子を買って、
そのまま銀座まで行こうかと思う。
その途中で「たいめいけん」が空いていたらカレーでも食べよう。
夜は枝豆を食べながらビールを飲むことにするか。
夏の1日が終わる。
[973] 風呂付き宴会 2003-08-09 (Sat)フランスに1年間留学が決まり、今月末には旅立ってしまうミウラの送別会ってことで
映画サークルのOB・OGたちで集まって宴会を行う。
場所は両国にある健康ランドのような場所。
時間のある人は先に一風呂浴びてから宴会場へ、という流れ。
最近仕事が怒涛のように忙しくなってきた僕は久々に休日出勤。(実は今期初めてだったりする)
台風で外は暴風雨になっているせいか、フロアは僕1人だけ。
薄暗いフロアにて自分の机の周辺だけ明かりをつけ、
激しい雨風の音を聞きながら仕事しているとなんか自分の部屋にいるようでかなり落ち着く。
もくもくと作業をこなし何かとはかどった。
一仕事終わった頃ちょうど、出なきゃいけない時刻になる。
これで後は温泉入って飲み会かと思うと「ふー、たまんねー」と心の中ニヤニヤする。
両国ってことで近くには「江戸東京博物館」があるのでこの機会に行ってみたかったんだけど
仕事してたので諦める。側を通ってみると想像してたよりもかなり大きな建物で
この中にはいったい何があるのだろう?と思う。
集合時間よりも多少早めに到着。
例によって飲み会ともなるとみんな割と時間にルーズで、
早く来るメンツ・遅く来るメンツ、昔と全然変わらない。
ほとんどの人は宴会からの参加のようで、風呂に入ったのはごく少数。
フロントで鍵のついたリストバンドとタオルや甚平のような館内着をもらい、2階男性用フロアへ。
3階は宴会場で4階と5階は女性用フロアのようだ。女性の方が浴槽の種類が多いらしい。
もともとの建物自体がそれほど大きくは無かったので「うーむ」と思っていたら
案の定大浴場はそんなに広くなかった。1つの部屋がいくつかの浴槽で区切られている。
大浴場がいくつもいくつもあってそのうちの1つはジャングル風呂で、
もちろん露天風呂があって、なんなら子供用の滑り台もあって、
ってのを思い描いていた僕からしてみればかなり貧弱。
でもまあ温泉ではしゃぐ歳でもないし
足を伸ばせる大きな浴槽でゆったりできればそれでいいよなとも思う。
ヒノキの浴槽、寝そべりながら入る浴槽、
ミントかなんかの青くてひんやりした水質の湯、漢方・薬草系の湯、と一通り入ってみる。
後輩たちと仕事の話をする。
みんな2コ下で大学院に行った僕と同じ年に社会人になっていたりする。
「中堅社員になって最近何かと大変になって、あれこれ考えるようになった」
「なんかあったときの対処の仕方だとか、人間性を試される機会が多くなった」
「学生時代思いっきり遊んでたやつ、あるいは1つのことを極めたやつ、
社会に出て強いのはこのどっちかのタイプだよなあ」
浴槽に腰掛け足だけお湯に浸しながら股間にタオル、そんな格好で
20代後半に差し掛かり30を目の前にした男たちがしみじみと人生ってやつを語りあう。
サウナがあるので入ってみる。
足を伸ばせる浴槽ってのは実はついこの間フジロックで泊まった民宿がそうだったので
あんまり有り難味が無かったのであるが、サウナはもう何年かぶり。
近くに住んでて常連客のようなオヤジたちがどっしりと腰を降ろし世間話に興じている。
サウナ慣れしてないせいかすぐにも我慢できなくなり退散。
小学生だったときスイミングスクールに通っていたことがあって、
泳ぎ終えた後必ず、コーチたちと最後にサウナに入ることになっていた。
あの頃はもっと長く居れたよなあ。
あるいは家の近くの銭湯で入っていたサウナ。極限まで入ってた後の水風呂は最高だった。
ちょろっとしか入っていなかった今日の僕からすれば水風呂もただ冷たいだけで浴びる意味なし。
なんだかもったいない。
4時に入り始めて、宴会は6時から。4時半にはみんな飽きだす。
「実は俺温泉に長く入ってらんないんだよね」と僕が言うと「俺も俺も」と。
それでもしばらくの間はいくつかの湯を交互に入って
温泉というものを楽しもうとするのだが、5時にはギブアップ。
そこから先は大浴場を出て甚平に着替え、缶ビールを飲みながらだらりとする。
座敷のテレビは高校野球をやっていて、どうでもいい与太話をして笑って。
最高に気持ちのいいひと時。
これでこの後宴会となると熱海で一泊してるかのような錯覚に陥る。
宴会は両国ってこともあってちゃんこ鍋。
テーブルごとにしょうゆ味の海鮮と味噌味の肉とで鍋が分かれている。
3時間僕はひたすら目の前の鍋を食べ続け。
いくらでも腹の中に入って最後のおじやまでそのテーブルでは僕だけ1人もくもくと。
久々に会う人、そうでもない人、話しながら。
もしかしたら僕としてはもう10年ぶりぐらいになるのか、山手線ゲームと王様ゲームが始まる。
王様ゲームでは僕は後輩ヤマダ(もちろん男)に上唇を噛まれ、
別の後輩アカギ(やはり男)とチュッとキスをした。
2次会が終わって、女の子たちは消えてなくなって、
キャバクラに行くだのピンサロに行くだの、いややっぱ普通に飲むだのって混沌とした状態で
とりあえず総武線乗ったはいいが新宿に行くだの吉祥寺まで行くだのとしているうちに
新宿駅のホームでブラブラしているうちに1時を過ぎ中央線の終電。
吉祥寺まで行くかと乗ってるうちにみんな眠りだして、
眠くなった僕は「ごめん」と荻窪で降りる。
明日も会社に出るんじゃなかったら
朝まで飲んでてもよかったんだけどなあなんて思いながら。
[972] 傘がない 2003-08-08 (Fri)朝起きてテレビをつけると
(最近は部屋で音楽を聞かなくなって、テレビを見るようになった)
天気予報では台風10号が接近して徳島県沖では暴風域に入り、
東海地方から西では大雨、今後関東地方も雨になるとのことだった。
「傘持ってこうかな」と考える。この僕が。
梅雨のときであってもその時降ってなければ絶対傘を持って歩かない。
学生時代も社会人になってからもいつだって、そう。
そんで帰りに濡れ鼠。
会社着くまでは雨が降らず。
昼、顧客を訪問するときに駅へ向かう途中でザーッと通り雨。
会社までは傘を持ってきていたのに
このときはそんなことすっかり忘れていてフロアに置いたまま。仕方なく濡れたまま歩く。
その後夜遅く会社を出たときは雨は全然降っていなくて案の定傘はフロアの傘立てに。
歩いてる途中で「あ、しまった」と気付く。
予想通りの結果。
珍しく持ってきたら肝心なときに降らない。
傘ってのがとにかく嫌いなんですよね。
[971] ねぶた・岐阜 2003-08-07 (Thu)ねぶたは今日が最終日か・・・。
毎年毎年「今年こそは夏に青森に帰って」と思うものの
この業界・この会社・この部門がそうなのか、
それともたまたまなのか、8月はいつだって忙しい。
昨日会った会社の人は「来週は私1週間夏休みを取りますんで」と言ってて
かなりうらやましかった。
「次の部会は15日の金曜か。・・・お盆に関係してるやつなんていないよな?」
なんて部長が自ら言ってんだもんなー。
社会人になってから「お盆」にはとんと縁が無くなった。
津軽半島最先端の町今別にある母親の実家には
今でもいとこたちが集まってるのだろうか。
高校野球が今日から始まる。
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昨日地下鉄に乗ってたら岐阜のどこかをIT産業の中心地として発展させ、
日本のシリコン・ヴァレーとなることを目指しているという広告を読んだ。
高速道路や新幹線の整備により、
東京には2時間半、大阪には1時間半ほどで到着できるのだという。
写真の中には無機的な工業団地が映っている。
なぜ岐阜なのだろう。うまくいくのだろうか。
一緒に乗っていた先輩・後輩と
「そもそも岐阜って何があるのだろう?」という話をする。
名所も食べ物も有名人も3人いて1つも思いつかなかった。
岐阜に限らない話ではあるが
その地域にIT産業のための工業団地だけがポンと用意されたところで
実際にそこに働くことになる人たちには何の魅力があるのだろう。
風俗街も遊園地も、海水浴場すらなさそうな場所。
閉じ込められて働いて働いて働いて、
土日どっか行くにしても車に乗って遠出しなくてはならない。
人間はロボットじゃないんだからさ。
[970] ヒロシマ 2003-08-06 (Wed)朝10時に社外で打ち合わせ。場所は新宿。
出社せず直行することにしたので朝はゆっくり寝ていられる。
8時に起きてとりあえずNHKをつけてみたら
広島での「平和記念式典」の中継だった。
9時に出ればよかったのでそのまま眺め続けた。
今年で58年目になるのだという。
この1年で5千人近くの犠牲者が亡くなった。
ブッシュ大統領は広島を訪問すべきだとの主張がなされる。
今年初めて北朝鮮に招待状を送ったが、返事は来なかった。
国際社会の中で「ヒロシマ」「ナガサキ」は
第2次大戦の悲劇の代名詞として定着しているように
僕は思っていたのだが、実際のところはどうなのだろう。
式典には大勢の外国人の姿があった。
政府要人ではなく普通の人たちのように見えた。
彼ら/彼女たちにとって広島はどんな町に見えただろう。
セミが途切れることなく鳴いていた。
空気が揺らめいていた。
8月の広島は暑さが厳しそうだった。
[969] FUJI ROCK FESTIVAL '03 (10) 7/28 2003-08-05 (Tue)渋さが終わって携帯を見てみると12時半。
余韻の中のんびりと Board Walk を歩いて White Stage へ、そして Green Stage へ。
Green Stage ではクロージングバンドってことで
Manu Chao っぽいラテン系の熱っぽいバンドが演奏していた。
Board Walk を歩いているときから耳に流れてきた。
去年すごく評価を受けてたから Manu Chao がシークレットゲストなのか!?
とも思ったのだが、ちょっと違うみたいなんで
ちょっとだけ足を止めて眺めて僕は会場を去る。
大勢の人たちが大きな群れのように出口へと向かう。
Green Stage ではまだ多くの観客たちが大音量に合わせて踊っている。
フォークダンスのように輪になって、
とんでもないスピードでグルグル回っている若者たちがいて、
彼らはものすごく楽しそうだった。
Oasis Field では遊び足りない子供たちが夜を徹しての乱痴気騒ぎに加わっていた。
2日間のライブが終わって疲れきった僕は1人きり歩いていった。
苗場プリンスの自分の部屋に辿り着いた僕は
泥だらけのジーパンとスニーカーを脱いでベッドに倒れこんだ。
風呂に入っているうちに眠ってしまっていた。
はっと目が覚めて浴槽を出て時計を見ると2時を過ぎていた。
明日月曜は9時ごろに目を覚ませばいいか。目が覚めるだろうか。
そんなことを思いながら今日もまた深い眠りの中へと落ちていった。
やはり物音で目を覚ます。隣の部屋でなにやら女の子2人が話をしている。
7時半。あと1時間は寝れるなと思いまた目を閉じる。
きっかり8時半に目を覚ます。
夢を見たような見てないような。
昨日は久しぶりに夢を見ることはなく完全な熟睡。
下の宴会場に降りていってバイキング形式の朝食。
1人で苗場プリンスに泊まってフジロックも終わった月曜の朝、
窓際のテーブルに座ってるともの侘しい気持ちと疲労感で
なんともいえない気持ちになる。
とりあえず思考はほぼ停止している。
食べ終えて部屋に戻り、リュックを背負ってチェックアウト。
ホテルの中は外国人が多く恐らくミュージシャンかその付き添いか。
日本人の女の子が背の高い白人男性に握手してもらって嬉しそうにしている。
渋さ知らズのメンバーが連れ立って歩いているのを昨日の夜・今日の朝と見かける。
渡部真一か不破大輔なら無理やりにでもサインを貰うのであるが
あんまり目立たない役割の人たちだったのでそのままやり過ごす。
バス乗り場にてしばらく待つ。
キャンプサイトから引き上げてきた人たちばかり。
みんな疲れてそう。
バスに乗っていてウトウトする。
降りるときたくさんの荷物を持った女性のカートを1個手伝ってあげる。
フジロックにいた間助け合いの精神のようなものがよく謳われていたが
僕が人のためになんかしたのはこのときだけ。
新幹線の切符を買ってホームへ。
平日ってことも関係してるのか来たときとは違ってすぐ乗れるって事はない。
1時間待たされた。
越後湯沢発だけど後発で各駅停車のと
新潟発だけど先発でほとんど停まらないのとが2つ近い時間で出発するようだ。
どっちにしようか迷って後者にする。
といってもただ単にたまたまそっちの方のホームにいて
もう1コの方に行こうとすると階段を下りてまた上がるのがめんどくさかっただけであるが。
自由席はほぼ満席。どうにかこうにか3人がけの席の真ん中に空いてるのを見つける。
両端はサラリーマン。車両はサラリーマンばかり。
新潟から日帰りの出張で東京へ行くってことなのか。
彼らが書類や雑誌を広げている中、僕は缶ビールを飲んでいる。
飲み終えた僕はまたウトウトする。大宮や上野に着くたびに目を覚ます。
通路も乗客でびっちり埋まっている。座ることができてよかった。
向かい側のホームの越後湯沢駅発のは2階建ての車両で
余裕で席が空いてたなあということを思い出す。
寝て過ごすのならそっちの方がゆったりできてよかったかもな。
丸の内線に乗るため東京駅で山手線に乗り換え、有楽町まで行く。
去年・一昨年と中央線で帰るとき、車両の中には
僕のように入場券代わりのキミドリ色のリストバンドを巻いていた人がいて、
日常生活にまだ完全に戻りきっていない最後の余韻のようなものを感じることができた。
山手線の中には日焼けした男性が1人同じくキミドリ色のリストバンドをしていて
「ああ、おんなじだ、仲間だ」と思う。
この世界のどこかにいつだって仲間がいる。
ただそれがどこの誰なのかがわからないだけ。
フジロックにてその多くに出会う。
部屋に帰ってきてリュックサックの中を開ける。
洗濯を始める。
泥だらけだったスニーカーは白く乾ききっていて、
部屋の中ではそれだけがフジの名残となっている。
[968] FUJI ROCK FESTIVAL '03 (9) 7/27 2003-08-04 (Mon)この日のトリは僕としては Orange Court で渋さ知らズオーケストラ。
Green Stage では Massive Attack をやるようではあるが、僕としてはもちろん渋さ知らズ。
昨日とは違って Orange Court ではステージの前に客席の方まで伸びた足場が組み上げられ
その上に板が渡されていて、即席の花道。これってもちろん渋さのダンサー用なんだろうな。
僕はその端に陣取って渋さが始まるのを待つ。
他の出演者のライブならば機材の入れ替えや PA の確認の間長いこと待たされるものなんだけど
渋さの場合隙あらばって感じで入れ替わり立ち代り
いろんなミュージシャンやパフォーマーが出てきてなんかしてくれる。
この日は出演者が全員揃わなくてなかなか始められないというハプニングがあって、
白塗りの舞踏集団「大豆鼓ファーム」による前座の後、
本編開始までかなり間があったのだが、渡部真一とフルートの室舘彩を中心にして
ミュージシャンが1人か2人ずつ花道にやって来てはちょっとずつ技を披露していった。
前座の大豆鼓ファームはピアノ佐々木彩子を中心とした
渋さ知らズ抽出メンバーをバックにパフォーマンス。
白塗りの若い男女が肌も露な格好で音楽に合わせて踊る。というか「舞踏」をする。
今回はよく見ると白塗りの女性たちの中に1人かなりきれいな子がいて、「おお!」と思う。
女性の衣装はみな白い布を巻いただけのようなもので、
体を動かしていくうちに人によってはそれがずり下がってくる。
そのかわいい子の布も落ちてしまって、乳首が丸見え。
形のいい2組の乳首は体の他のパーツ同様真っ白く塗られていて、
「あー眼福、眼福」と心の中手を合わせる。
なんでこんなかわいい子が白塗りで踊ってなきゃならないんだろうな。
彼女は何を求めてあのステージに立っていたのだろう?
なんだかかなり生真面目そうで、
盛り上がった男性パフォーマーがステージの上でパンツを脱いだとき、
他の白塗りの子は耐えられず苦笑していたけれど
その子は眉1つ動かさず唇をぎゅっとかみ締めていた。
僕の真ん前で彼女は踊っていたのでなんなら足首に触ることぐらいはできたなあ。
恒例の竜をかたどった銀色の巨大な風船が登場。
でもよく見ると今晩のは竜じゃなくてもっと金魚っぽいものだった。
これが観客たちの頭上を漂って一周する。
大豆鼓ファームがつつがなく終わるとそこから先は果てしなく、前述の一芸大会。
ステージの上には初めて見るミュージシャンもちらほら。
チェロを抱えたオヤジは午前中見たキセルのようにノコギリを演奏し
その後座っていた椅子をそのノコギリで切り始める。
男同士でキスをするメンバーもいた。
(そういえば Primal Scream でもマニと誰かがキスをした覚えがある)
地底レコードの社長まで登場。
不破大輔が客席に近づいてくると一際大きな歓声が。
「朝までやれー」の声に「今日は娘が来てるので・・・」とのこと。
早く帰んなくてはならないようだ。
(不破大輔は指揮者として立つダンボール箱から降りて
花道を客側へと近付いてくることが多かった。
あそこまでパフォーマーっぽい不破大輔もなかなか見られないだろう)
今回の渋さはダンサーに女性のサポートが多く、いつものさやか&ぺロのコンビだけではなく
チアガールに「おしゃもじ隊」にその他盛りだくさん。
チアガールは高校や大学のクラブ活動ではなく
どっからどう見ても歌舞伎町から連れてきたような女の子たち。
多分そういうショーを夜な夜なやってんだろうな。
何かっていうとミニスカートがまくれあがって中のフリルが四方八方から目に飛び込んでくる。
花道を飛んだり跳ねたりしててなかなかそれらしいものの
4人いるうちの4人目はよく見ると男だったりしてとにかくハチャメチャ。
男たちは「うぉーっっっ!!!」と始終大歓声。
位置的に「かぶりつき」で見ているのに近い僕が手を伸ばすと
ハイソックスや太ももに触れることができた。
「おしゃもじ隊」は振袖を着た女性2人。
しゃもじを両手に音楽に合わせてもじもじと即興で振りを決めて踊る。
これはまたこれで「うぉーっっっ!!!かわいーっっっ」と歓声鳴り止まず。
本編が始まってもこの2人は出ずっぱりで
彼女たちはもしやさやか&ペロに続く新しいフロントダンサーか!?
とかなんとかやってても一向に本編の始まる気配無し。
ダンドリスト不破大輔は業を煮やしたのかステージの上ほとんどメンバーがいなくて
椅子だけあってガラガラの状態でスタート。MC 渡部真一は
「今日のステージはロックフェスティバルじゃなくフジ歌謡ショーだ!」と雄たけびを上げ、
シンガー反町鬼郎が昭和の歌謡曲「黒い花びら」を歌い始める。
それが終わるといきなり「本日のスペシャルゲスト」として
スターリンの遠藤ミチロウ(!!!)が登場。
弾き語りに渋さ知らズのその場にいたメンバーがバックをつける。
(歌いだすと片山広明が思いっきり顔をしかめてて、嫌いなんかなと気になった)
音楽的にはそれほど高揚するものではなかったが、いやーなんかすごいもの見させてもらった。
これだけでも見に来た甲斐があった。
僕は周りの人たちと意味もなく何度も「ミチロオ!ミチロオ!!」と叫んでた。
ここで1曲歌い終わると次に紹介されたのは
「裏の山で昆虫採集をしている少年がいたので声をかけてみたら
歌を歌えるよってんで連れて来た」という「たま」の知久寿焼(!!)
なんか無駄にゴージャスなゲスト。
ステージには足場を組んだりスクリーンもないのに映像を映し出したり、
若い女の子たちのダンサーが多いし、どうしたんだ!?金を使いまくって!
フジはお祭り騒ぎだから大盤振る舞いなのか!?
いやーやるなあと感心すること仕切り。
それはさておき「たま」はとんとご無沙汰。
僕も「さよなら人類」ははまった方で
あの頃は中学生だったろうか青森の CD 屋でアルバムを買ったらサイン色紙を貰えた。
今となってはかなり懐かしい思い出。
知久寿焼が歌ったのは2曲。この人もまた心の琴線に嫌でも触れてしまういい曲を書く。
2曲目の「夜の音楽」ってのがものすごく切ない曲でしんみり。
この後でまた遠藤ミチロウに交代。
次に歌ったのは Bob Dylan の「Knockin'on Heaven's Door」のカバー。
恐らくミチロウが書いた日本語詩によって、破滅的なメッセージソングになっていた。
メジャーで売ろうとしたら拒否されてしまうような、猥雑で暴力的な歌詞。ミチロウ節健在。
スターリン結成時で既に30前後なんだから、もう50近いはずなんだよな。
それなのにいまだに現役でパンクロッカー。
音楽的に今やってることがどうかっていうとまあ最先端でもなんでもないんだけど
彼の存在ってのは一時代の象徴としてやっぱでかいよなあ。
今日その歌声を初めて生で聞いて、意外に歌がうまいことを発見。
スターリン時代の曲を聞いてるといかに奇矯か、
いかに神経を逆なでするかってとこに耳が行くんだけど
こうやって人生の紆余曲折を経て今ここに立っている彼の声は
朗々として心に染み渡るかのようだった。
ミチロウがステージを去って、ついに本編開始。
さすがに時間が押してたのかいつもの定番を5曲ぐらいやって終わってしまう。
その5曲ともどれも優に10分を超えるのだからそれだけでもかなりの分量になるのだが。
「渋旗」からが多かったように思う。
「DA DA DA」はレゲエ調のアレンジになっていて雰囲気が全然違っていた。
新曲っぽいのもやった。
おととしのフジで聞いて以来の「天城越え」も聞けた。反町鬼郎がいるからか。
最後はもちろん「本多工務店のテーマ」
始まりにあたって下着だけに白いYシャツを着た
とても胸の大きい女の子が突如ステージに現れ、
「そこに天使たちが現れた」といった感じの詩を朗読。
高揚感をもたらすような内容の詩に煽られてババーンと仰々しく
「本多工務店のテーマ」がそのオープニングを決める。最高の出だし。
渡部真一が客席にダイブすると伊郷俊行もいつのまにか現れ、同じくダイブ。
それにしてもこの女の子のエロさがたまんなくて目が離せない。
音に合わせ踊るその胸元に視線がくぎ付け。
男たちはみな「やりてえー!!」と思ったに違いない。
劇団かなんかにいる子なのだろうか。黒い長い髪に真っ白な肌。
普段何してる子なのだろう?気になって仕方がない。
そんなわけで今日の渋さ知らズは一言で言うと「エロ渋さ」
ここまでフジロックでやっていいのだろうか。
永遠に語り継がれるに違いない。
もしかしたらこういう趣向のステージは今後何度渋さ知らズのライブに足を運んでも
見れないかもしれないと思うと「一期一会」という言葉の重みを思い知らされる。
本多工務店のテーマとその後のマーチが終わって1人ずつ退場。
最後までステージに残っていたチェロのオヤジは
どこからか取り出した小型のチェンソーでチェロを破壊。
最後の最後に去ったのは例によってギターの「さるへん」
アンコールは例によってなし。
観客の呼び声によって不破大輔がさやか&ペロ、白塗りの男2人を伴って
出てきて何度もあちこちに向かって「ありがとう」と頭を下げる。
こっちこそ「ありがとう」って感じだった。
その場にいたみんながそう思ったに違いない。
エロさを抜きにしても、普段見ることのできない得体の知れないものを垣間見せて
我を忘れる体験をさせたってことで。
とにかく今夜も熱かった。
アンコールの替わりにミュージシャンたちが
1人2人ずつ花道を進んできてお辞儀をする。みんな盛大な拍手で迎える。
片山広明は遠藤ミチロウと肩を組んで現れた。
やけに心に残る名場面だった。