[1355] 風をあつめて6 2004-08-24 (Tue)越中島の駅を過ぎて潮見駅の手前で京葉線は地上に出る。
電車は湾岸沿いに走っていく。
工場地帯。コンビナートが並んでいる。煤けた煙突、赤と白に塗り分けられた鉄塔。
女の子にとっては珍しいのか、
しばらくの間体ごと窓側に向けて、ガタゴトと流れ去る光景を眺めていた。
やがて木々に覆われた葛西臨海公園のもこもこした姿と
その向こうに大きな観覧車が視界に入ってくる。
「あれだよ」と僕は指差す。
駅で降りてホームに立つ。
舞浜や海浜幕張もそうだが、京葉線のこの辺の駅は広々としている。
ホームが高いところにあって吹きさらしのようになっているからそのように感じるのかもしれない。
久々に来た。自然に近い場所に来ること自体が久々だ。
「どう?」と僕は女の子に聞く。
女の子は僕の方を見上げて何か言いたそうにするが、うまく言葉が見つからないようだ。
笑顔と無表情とが入り混じったような微妙な顔つきになる。
「行こうか」
僕は女の子の肩を軽く叩いて駅前の広場に入っていく。
水族園に向かって歩いていく。
公園内を汽車の形をした乗り物がゆっくりと走っている。
休日を自然に近い場所で過ごそうという人たちが多くもなく少なくもなく。
あちこちに建っている売店で家族連れはフランクフルトや焼きそばを買ったり、
カップルはシェークを頼んだりしている。
「何か食べたいものはある?」と聞く「アイスクリーム」と言うので、バニラのアイスを2つ買う。
大通りのベンチに座る。
背後には観覧車があって、右手には横長に四角いガラス張りの建物が建っていた。展望台だ。
無言でアイスを食べる。僕なんかはあっという間に食べ終えてしまう。
女の子はのんびりとアイスのてっぺんにかじりついている。
身長180cmの僕にとってちょうどいいサイズなので、
女の子からすればとてつもなく大きなサイズのものとなるのだろう。
ふと、ベンチの横に置いていたスケッチブックのことが気になる。
持ち上げて前に持ってきて「見ていい?」と聞く。
女の子は口の周りに白くクリームを残しながら、「だめ!」と言う。
「だめ?」
「だめ」
「どうしても?」
「どうしても」
仕方なく僕はスケッチブックを元の場所に戻す。
「ふー」と大きく息をする。
空を眺める。青い空に中ぐらいの大きさの雲が2つ浮かんでいる。
女の子は軽く足をバタバタさせる。
僕は「じゃあ、どんなものを描いているの?」と聞く。
「かく?」
「そう、色鉛筆で。今日も持ってきたよね。いつも持って歩いてるのかな?」
うん、と言いたげにうなずく。
「何を描くのが好き?」
「えーとね、・・・」女の子は照れて恥ずかしそうにする。
携帯が鳴る。
見てみると教授からだ。出る。「ちょっと待って」と僕は言う。
「もしもし?」
「いやー悪いねえ!オカムラ君」
「や、大丈夫ですよ」
「どうしてる?」
「今、葛西臨海公園にいます」
「カサ・・・?どこだそりゃ」
「京葉線に乗ってディズニーランドの近くの」
「ケイオウ線にディズニーランドなんかないだろう。横浜のみなとみらいか?」
「いや、だからそうじゃなくて」
電話の向こうでかなり騒々しい。誰かが大声で叫んでいる。
確かこの時間は講演会のはずなのに、予期せぬトラブルが発生したのだろうか。
「講演会はどうですか?」
「それがだな、・・・」電波が入りにくくなって教授の声が聞き取れなくなる。
「・・・もうすぐ始まるんでよかったんだが」
何がいいのかよくわからないが、とりあえず「それはよかったですね」と相槌を打つ。
「じゃあ、よろしく頼むよ」
「あ、ちょっと待って!」
「何かね?家内と替わろうか?」
「や、そうじゃなくて」
僕は立ち上がりベンチから遠ざかって、女の子に背を向けて小声で話す。
「この子の名前はなんて言うんですか?いくら聞いても答えてくれないんですよ」
「おお、おお、教えてなかったか。
ナツミっていうんだが、ナッチャンとうちの家内は呼んでおる」
「あーありがとうございます。とても助かりました」
「そろそろ始まるんで切るぞ?」
「はい?」ブツッと切れる。
ベンチに戻る。
女の子に向かって僕は話し掛ける。
「先生から聞いたよ。君はナツミって言うんだね」
僕がこう言った瞬間、女の子は立ち上がって逃げ出すように走り出した。
その顔は悲しそうな、泣きそうな顔をしていたかもしれない。
突然のことで僕は驚く。
追いかけようとするが、ベンチの上のスケッチブックと色鉛筆のケースが目に留まる。
ひっつかんで僕は女の子の後を追う。
体の大きさということもあって僕はすぐにも彼女に追いつく。
[1354] 風をあつめて5 2004-08-23 (Mon)中央線がのんびりと都心へと向かっていく。
いつのまにか女の子は眠りだして、(僕の方ではなく)スケッチブックにもたれかかっている。
携帯を取り出してメールを読む。
恋人から1通届いている。
彼女はイギリスに留学している。時差を考えると向こうは夜だ。
1年上の先輩で、研究科は同じだがやってることは全然違う。
ヴィクトリア朝の産業デザインについて専攻している。
ドクターに進むのを1年遅らせてその分1年だけ留学することにした。
2月に冬学期の試験が終わると同時に旅立って、これでもう3ヶ月以上経過した。
最初は毎日送ってきたメールも2・3日に1通となる。
相も変わらずたわいのないことを書いてよこす。
研究仲間たちとロンドンのソーホーに遊びに行ってどうたらこうたら。
携帯を閉じてしまう。
僕の方に書くことはあるだろうか。
「教授に頼まれて小さな女の子を今水族館へと連れて行くところです」
なんだかおかしな感じがした。
「夏休みになったらロンドンへおいでよ」と彼女は言う。
夏。秋になって冬になって。
その頃には僕も身の振り方を考えなくてはならない。
ドクターに進むか、それとも一般企業に就職するか。
いっそのこと実家に帰ろうか。オヤジからはいつでも戻って来いと言われている。
家業の食品加工工場を継ぐべきかどうか。
県内では手広くやってるし悪い条件の話ではない。
だけど全然その気にならない。
ドクターに進んでからの長い道のりのことを考えるとそれはそれでぐったり来る。
いろんなとこのいろんな教授たちにコネを作って、研究者たちとコマゴマと連絡を取り合って、
論文を書いて学会で報告して。講師になったら若い学生たちに講義して。
こういうのがルーティンワークになったらきっとつまらないんだろうな。
留学もしなくちゃならない。行かないと話にならない。
向こうの大学で博士号を取るぐらいの事をしないとこのご時世、
日本でそれなりの地位に辿り着くことはできない。
「それなりの地位に辿り着く」ことは重要なのだろうか?
考え出すときりがないけど結局は重要なことなんだよな。
地方の小さな私立大学で万年助教授をやってるってのは、やっぱかっこわるい。
一般企業もどうか。もしかしたらサラリーマンが一番気楽なのかもしれない。
だけど僕のように浪人せず、一足先に就職した連中はみんな大変そうにしている。
電車に揺られて残業しまくってお客さんに怒鳴られてヒーヒー言ってる。
2番目の兄は地元の銀行に就職したんだけど、
会えばいつも「おまえはいいよな、好きなことやってて」と愚痴を言われる。
1番目の兄はオヤジの会社そのものを継いだ。
僕に残されているのは半ば子会社みたいな工場だ。
こういうのの一切合財が微妙だ。
あーあ。憂鬱だ。
僕は僕なりに将来のことを考えてブルーになっているのだが、
このことを人に話すと「オマエはまだ甘い」みたいなことを言われる。
そもそも選択肢がいくつかあるというだけで幸せもんなのだそうだ。
どれもこれもパッとしないことが待ち受けていて僕にはちっとも嬉しくない。
このままずっとダラダラ生きていけないものだろうか?
あるいは忙しいなら忙しいでいいからやりがいのあることがしたいものだ。
今この電車の中にもたくさんの大人たちがいるが、
充実した生き方をしている人はどれだけいるのだろう?
そもそも彼らは大人になってよかったと思っているだろうか?
気が付いたら大人になっていて、そのことを後悔し続けている、
そんな人はどれだけいるのだろう?
僕は携帯を取り出してもう1度彼女から来たメールを読む。
返信の文章を書く。書き終えて送信するとまた携帯をしまう。
隣ですやすやと眠る女の子を眺める。
この子にはいったいどんな将来が待ち受けているのか?
僕もまた大人なんだろうな。この子の視点からしたら。
足を前に投げ出して背中を丸めてぐっと下の方まで押し込んで。
四ッ谷を過ぎて次は御茶ノ水。
たくさんの車、たくさんの家、たくさんのビル、たくさんの人々。
あーあ。
なんで僕は今ここでこんなことしてんだろ?
東京駅に着いて僕は女の子を起こす。
「よく眠ってたね」と声をかけるもまた黙りだす。
僕はスケッチブックを脇に抱える。
東京駅の地下は大勢の人たちで混雑している。
それぞれの人たちがそれぞれの方向へと向かっている。
僕は女の子の手をぎゅっと握って京葉線のホームを目指して歩く。
長い道のりを女の子の歩幅に合わせてゆっくりと。
「おなかすいてる?」と聞くと「・・・ううん」と首を振る。
長い長いエスカレーターを下っていく。
土曜ということもあってディズニーランドへ行こうとする
小さな子供を連れた家族やカップル、若い女性たちばかりだった。
子供たちはみんな興奮したようにはしゃいでいる。
京葉線に乗る。
空いている席が1つだけあったので女の子を座らせた。
スケッチブックと色鉛筆のケースを両腕で抱えさせる。
僕の方を見上げて女の子が突然「おさかな?」と質問をする。
僕は「おさかな」と答える。
もう1度「おさかな?」と言うので、
僕はもう1度「おさかな」と答える。
[1353] 「29」編集あれこれ 2004-08-22 (Sun)8月に入って最新作「29」の編集を再開。
ここ3週間でかなり進んだ。
今日はモロッコで撮影した3時間分のテープをビデオカメラで再生しつつ
使えそうな箇所はハードディスクに取り込んでいった。
モロッコのビデオ、ようやく今日になって見た。
旅の思い出として撮ったのではなくて、
あくまで映画で使うという念頭において回していたので、
見ていてあんまり面白いものは出てこない。
列車の中や車の中から撮った風景ショットがたくさんあると
後々使い道出てくるだろうと思ってかなりの分量を撮ったのだが、
現時点での編集プランと照らし合わせてみると不要ということになった。
使うことが決まっているショットをハードディスクに取り込むときは
かなり神経質になって画面を見ているものであるが、
使わないと決まっているものを見てるのでかなりぼけーっとしてしまう。
「あー、モロッコってそういえばこんなだったよなあ」
と懐かしさが半ば入り混じった気分で画面を眺める。
まるではるか遠い昔の出来事を思い出すかのような気分になった。
比較的大西洋に近い都市フェズからアトラス山脈を越えて
砂漠の入口の町メルズーカまで至るドライブに60分テープまるまる1本分をあてていて
山を登るまでは霧が出ていたり寒々とした風景が続くのに
山を越えた途端急に雰囲気が夏っぽくなる、
その一部始終がダイジェストになっていて「ふーむ」と我ながら興味深く眺めた。
車の中ではガイドのイブラヒムさんがカセットテープでかけていたモロッコの曲が流れている。
それが山間の村やオアシス、果てしない地平線と組み合わさるとき、
ちょっとした旅行もののテレビ番組を見ているような錯覚に陥る。「いいねえ」と思う。
3本あったテープのうち1本目がマラケシュのあれこれ、2本目が上で書いたドライブ、
3本目がサハラ砂漠の夜明けを取ろうとひたすら1時間ねばったもの。
真っ暗だった空が紺色になり、灰色になり、
やがて小さな小さな太陽が砂丘の間から顔を出す。
早送りで眺めたら徐々に夜が明けていくのがわかって、ささやかに「おー」と感動する。
その時その場で見たときも思ったんだけど
日の出そのものは意外とあっけなくて特別なものでもなんでもない。
何百万年何億年、っつうかそれ以上の年月繰り返してきたことが
またその日もまた同じように繰り返されたというだけ。
(そのことに思い巡らすとそれはそれでとんでもないことであって感動的なわけであるが)
前にも書いたけど「夜明けを眺める」って時にはそこに至るまでのコンテクストが必要なわけで。
いかに苦労してこの場所へとたどり着いたかとか、
人生の節目となるべき特別なときに夜が開ける瞬間に居合わせたとか、
そんなのがないとね。
今日はアオヤマさんに作ってもらった曲を PC に取り込むということもやってみる。
MD で受け取っている。ふと思うに「これってどうやって取り込むんだ?」
デジタル音源とはいえ、MD プレーヤーからどうやって PC にデータを転送するんだ?
CD-R ならば PC にドライブがついているので簡単にできそうだが・・・。
さいしょのうちはマジで想像つかなかった。
インターネットで調べてみると情報はそんなになかったが、だいたいのことはわかった。
とりあえずステレオミニプラグが両端についたコード買ってきて
一方は MD 側のヘッドホン端子につなぎ、もう片方は PC のライン入力へ。
Windows Media Player とか Real Player で録音ができないかと試してみると
どうもそういうのはできないっぽい。
MP3 がもてはやされた時期から今に至るまで PC で音楽を聞く人ではなかったので
その辺のことにかなり疎い。
フリーウェアで便利なツールがないか探したら見つかった。結構ある。
Vector のリストでトップにあったやつを
ダウンロードして試しに使ってみるとあっさり簡単に音の取り込みができた。
MD の Play ボタンを押したらそのツールでも録音開始ボタンを押すという非常にアナログなもの。
デジタルデータを扱っているはずなのに・・・。
小さな頃やったようにダブルデッキのラジカセでダビングをするようなもの。
画面の中の「録音」ボタンをマウスでクリックするのってなんだか変なもんである。
[1352] 紫色の痣 2004-08-21 (Sat)病院に行く。待合室にて座っている。
まだ若い看護婦さんが病室を歩いている。
薄い水色の制服を着ていて、スカートの下から素足がのぞいている。
両足ともあざだらけになっていることに気付いて、なんだか気になる。
それとなく見つめてしまう。
あざなのかなんなのかよく分からないが、紫色の様々な大きさのものがあちこちにできている。
なんだろう?と思う。
もちろんこんなこと聞けない。
僕は彼女の「昼の生活」「夜の生活」について思いをめぐらしてみる。
だけどこれと言って何も思い浮かばない。
そういえばどこかで誰か女性の足を見かけたとき、同じように紫色の斑点が浮かんでいた。
もしかしたら水泳の選手やグラビアアイドル以外の
世の中の多くの女性が同じようにあざだらけなのかもしれない。
女性経験の少ない僕にはどういうことなのかよくわからない。
・なんらかの皮膚の疾患に悩まされている
・ストレスのたまったとき、自ら傷をつけてしまう(意識的に/無意識に)
・同居人が殴る蹴るの暴行を加える
・キスマークの類い
・女性の肌というものはとにかくそういうものなのだ
・そそっかしくてあちこちの角に足をぶつけまくった
・山登りをしていて特殊な虫に刺された
・遺伝的な病気
このことに気付いてから3日経っている。
このところ女性の足を盗み見てばかりいる。
身の回りの知っている人、知らない人、電車の中で座っている人、
紫色の痣を確認せずにはいられない。
[1351] 朝から最悪の出だし 2004-08-20 (Fri)朝いつも通り6時に起きて会社に向かう。
丸の内線に乗って電車が走り出した頃「あ、社員証忘れた」ということに気付く。
次の南阿佐ヶ谷駅で降りて荻窪行きに乗る。駅を出て家まで引き返す。
朝から最悪のスタート。気分が思いっきり萎えるし、自分自身に腹も立てる。
「チキショー!!」と心の中で関係のないいろんな人に八つ当たりする。
「○○が××なことしてるから、俺が社員証忘れるはめになるんじゃねーか!」
明日土曜日も出社が決まっているし、このところ何かと不機嫌。
プロジェクトが佳境に入っているので仕方ないと言えば仕方ない。
「いつものことじゃないか」ともう1人の自分がなだめにかかる。
家までの道のりがやたら長く感じられる。
早朝、家まで忘れ物を取りに引き返すことほどつまらないことはない。
先週は多少涼しかったのに今週は暑さが持ち直してきて今日の最高気温は35℃の予想。
朝から30℃近い暑さ。ぐったりくる。
いつもとは逆に歩いていると、風景が違って見える。
やけにはっきりと「この時間誰が何をしているのか」が見えてくる。
いつもなら見過ごしている光景も視点を変えた場所から眺めると印象が強くなるということか。
「ここの子どもは夏休みの間、家の前に水をまくのが日課なんだな」
「ここの家の奥さんは左側の刈り込みに鋏を入れた後、右側に移る。ゆっくりと時間をかけて作業する」
「日によって犬の散歩をしている小柄なおばさんとすれ違うが、連れている犬はこんなだったっけ?」
などなど考えて気分を紛らわせるものの、イライラは収まらず。
今日は給料日なのであるがパーッと使いに行くこともできず。
もう8月も後半か。
「涼しいところでゴロゴロしたい」ということばかり考えている。
どっか山奥の別荘に滞在して、本読んでオリンピック見てビール飲んで映画をDVDで見て。
逃げ出したい。投げ出したい。仕事はあまりにもくだらない。
疲れがピークに達してくると
「お客さん殴ったらプロジェクトから外してもらえるだろうか?」
などと真剣に考えている自分がいる。
今日は機嫌が悪いです。
[1350] 日本のロックの名曲ベスト10 2004-08-19 (Thu)ここ1ヶ月ばかり「日本のロックの名曲ベスト10」のことをあれこれ考えていた。
打ち合わせに出たときに「ああ、自分と関係ないなあこの話」と思うと
心の中ではこのことばかり考えていた。顔色1つ変えず、平然として。
(他に暇つぶしによく考えるのは「今、自分に1万円札があるとしたら、何と何と何のCDを買うか?」)
1ヵ月かけて選びぬいたのが以下の10曲。
ただしこれは普遍的な名曲ではなくて、どちらかといえば僕個人の好きな曲ということになる。
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1.RCサクセション 「スローバラード」
なんと言っても簡潔で無駄の無い歌詞にとてつもない情感がこもっているとこですね。
それがあの唄い方で、あの演奏に乗っかって
しみじみとした良さが100倍にも1000倍にもなる。
「悪い予感のかけらもないさ」の1行にそれまでの全てが集約され、
それと同時にその後の2人のはかない未来をも描いてみせるというのはちょっとありえない。
結局のところ歌に出てくる2人はつまらないことで喧嘩して終わってしまったんだろうな。
幸せな瞬間というものは背後に忍び寄る破局があってこそきれいな思い出になる、
そのはかない一瞬が永遠に失われないものとして、ここに閉じ込められている。
2.ユニコーン 「素晴らしい日々」
特にこれといって起伏の無いシンプルな演奏に疲れきった抑揚の無い歌声。
それで歌われるのが事実だけを要約すると「忙しいから会いに行けない」ただそれだけ。
それでいて歌詞の中では諦めきったところでふとした瞬間に出会う
ささやかな奇跡に関して言及されていて、ここ、ものすごく感動する。
普通こんなこと書けない。歌詞にできない。
希望と絶望とが入り混じってどっちでもなくなる、
とてつもなく大きなこともとてつもなく小さなこともその尺度を失ってしまう、
その狭間の中で人生とはどんなものであるか描いてみせる。
そんな奥田民生節の真骨頂ではないか。
ここで描かれていることも
「君に会いに行ける」
というただそれだけのことなんだけれども。
3.The Blue Hearts 「TRAIN-TRAIN」
「リンダ・リンダ」でも「人にやさしく」でも「キスしてほしい」でも
「チェインギャング」でも「青空」でもいいのであるが。
とにかく中学校1年の岡村少年はブルーハーツを聞いて何かに目覚める。
「何か」とは何か?
一言で言ってしまえば青春ってことになるんだろうな。
なので今となってはもう恥ずかしくて聞けない。
カラオケでは必ずブルーハーツだけど。
なお、僕のとってはブルーハーツは3枚目までで、4枚目以後は全然ピンと来なかった。
そこから先僕は洋楽に走っていった。
4.フィッシュマンズ 「Long Season」
アルバム通して全1曲40分というのを選ぶのもどうかと思うが。
でもこれ音楽としてやたらとんでもないんだよな。
その後誰にもたどりつけなかったどこか遠くにある時間と空間をゆるやかに描写して
はかなくてせつない光景が途切れ途切れに続く。
描かれた場所は東京であって、そこは確かに東京なんだけど、
「失われた」とか「幻想の」とかつくことのないリアルな東京なんだけど、どこにもありえない。
つまりここで言う遠さってのは物理的な距離のことを指してるんではなくて
あくまで佐藤伸治の感覚的なものであって、
「僕には東京という街がこんなふうに見えた」ってことなんだよな。
それを淡々と音として定着させたってのはある意味「事件」とすら言っていいと思う。
5.じゃがたら 「都市生活者の夜」
普通の人はこれを聞いたら気持ち悪いといって拒否すると思う。
イントロはまだいいとして、最初のボーカルが入ってきたあたりで。
「なに?この変なメロディー」と。
でもその違和感を乗り越えて全編を聞き通すと見えてくるものってのが確かにあって、
僕の場合とてつもなく大きな感動に包み込まれる。
人間を人間足らしめる根源的なものが描かれている、と言ったら言い過ぎか?
日本語ロック最高の叙情詩であると思う。とにかくスケールの大きさに圧倒される。
その壮大な構想が完璧に音楽化されている。
バックの演奏だけを抜き出したら
「太陽に吠えろ」系の刑事映画の主題歌に使えるんじゃないかと言えば雰囲気は分かってもらえるか。
6.真心ブラザーズ 「素晴らしきこの世界」
フォークで始まって完全にぶちきれて。
「すばらーしーきーこのせかいー!!!」とやけになって繰り返す。最高。
YO-KINGって一見クールな人なのであるが、時々垣間見せる素に戻った時の、
みもふたもない欲望にがんじがらめの自分の開き直った情けなさの
さらけ出し加減とでも言うべきものに「おおお」と深い共感を覚える。
本当にかっこいい人間ならば何事も「バカヤロー」で切り捨てられる。
うらやましい限りである。
7.バービーボーイズ 「女ぎつね on the Run」
KONTAと杏子以外のメンバーたちはどこで何をしているのだろう。
エンリケはバンド活動をしているらしい。小磯はレコード会社に入った。
いまさ(いまみちともたか)はどこで何をしているのか?
地味にスタジオミュージシャンやプロデューサーをしているのだろうか?
20代後半から30代前半に差し掛かった男女関係のあれこれしか絶対歌わせない歌詞と
歌謡ポップスとして完璧なメロディー。今聞くとすごい凝っていたことが分かるギター。
なんでもっと再評価されないのかな。
4枚目の「Listen!」は後世に残る大名盤だと信じて疑わないんだけど、そんなの僕だけかなー。
なお、中学生の頃、「女ぎつね on the Run」というなんともけったいなタイトルを
不思議に思っていたもんだけど
元ネタは Manfred Mann の60年代後半のヒット曲「Fox on the Run」ですね。
ああこれってあの曲のパクリじゃん、っていうギターワークが随所にあり。
Shocking Blue の「Venus」とか。
8.小島麻由美 「ぱぶろっく」
シングルでも何でもなくて、ベスト盤に入っていただけの未発表曲。
なのに心の琴線に触れまくって、超えてはならない一線を何本も踏み越えてしまった。
「女」という生き物がどんなものなのか、どういう情念をもって行動しているか、
非常に分かりやすい形で提示されているように思う。
というか、「男性側が思う女性ってこうだよね」っていうのを
(知ってか知らずか)忠実になぞっているような。
聞いてて僕は非常に切ない気持ちになるんだけど、女性からしてみればどうなんだろう?
9.Flying Kids 「幸せであるように」
Flying Kids と言えば「イカ天」であるが、そういう過去を消し去れたバンドって
Blankey Jet City と Little Creatures ぐらいか?
(人によっては Begin の名前をあげるかもしれないが)
自分で書いといて「そうだなあ、そういえばイカ天だったんだよなあ」としみじみしてしまった。
驚くべきは、その後のバンドの成長を踏まえた到達点として
この「幸せであるように」が生み出されたのではなくて、
「イカ天」登場時の頃からこの歌が彼らにはあったのだということ。
恐るべきアマチュア。
Flying Kids って良くも悪くもこの「恐るべきアマチュア」というスタンスを終始変えなかった、
変えられなかったバンドだと思う。
いろんな意味でプロっぽさは十分に発揮されてたんだけど、その根底にあるものとして、
「青さ」「若さ」ってのがいつまでも保たれていた。
10.くるり 「東京」
去年のフジロックで見たとき、
「くるり、京都出身です。今、東京に住んでます」というMCとともに始まったことを思い出す。
あの時は僕も「わー!」と盛り上がったなあ。見れてよかった。しみじみとした気持ちになる。
現役のバンドの中では最も優秀な存在だと僕は常日頃思っている。
「ワンダーフォーゲル」「ばらの花」も素晴らしいが、やっぱその原点として「東京」だよな。
「東京の街に出てきました。相変わらずわけのわからないこと言ってます」
出だしのこの1行だけで僕は「ああ!」と思いっきり共感させられてしまう。
地方出身者が上京して、不器用な暮らしを送っている。
そんな人ならば誰だった「ああ!」と思うだろう。
次点.スピッツ 「ロビンソン」
岡村靖幸のあの曲も電気グルーヴのあの曲も。イエモンのあの曲もオザケンのあの曲も。
矢野顕子に坂本龍一、はっぴいえんど。最近では GOING STEADY とアジカン。
モーニング娘。のあの曲のことも考えた。
全て泣く泣く切り捨ててこの10曲。
なんか1曲だけ拾い上げるとしたら何かと考えてみた時に思い浮かんだのがこの曲。
3分間のポップソングとしての完成度から言えば上にあげた10曲よりも高い。
「空も飛べるはず」「ハチミツ」この頃のスピッツは神がかっていた。
僕は妹から薦められて「Crispy!」から聞いたのが最初。
なので一応ブレイク前から聞いてたことになる。ちょっとした自慢。
[1349] 「アメリカン・スプレンダー」 2004-08-18 (Wed)土曜日、久々に映画を見にいった。
「アメリカン・スプレンダー」これだけはどうしても見ておきたかった。
ここ3ヶ月映画館から足が遠のいていた。
モロッコ行って帰ってきてバタバタしていて、ってのがあったからか。
土日暇がなかったから、というわけではないんだよな。
不思議なもので見に行きだすと続けて何本も見るようになるし、
それが途絶えてしまうとまたずっと見なくなる。
「21g」も「ベジャール、バレエ、リュミエール」も見逃してしまった。残念だ。
場所は六本木ヒルズの中のヴァージン・シネマ。
14日の土曜日は東京湾華火大会の日だったので、
大江戸線に乗っていると行きも帰りも浴衣を着た若い女の子たちで混雑していた。
映画を見る前に青山ブックセンターに行ってみる。閉まっていた。
経営破綻。僕が聞いた話だと本が売れる売れないというのではなくてバブルの頃の・・・、らしい。
新宿 LUMINE の店は昼の営業時間に出版社が差し押さえに来たものの
「頼むからそれはやめてくれ」と店長が涙ながら交渉したというまことしやかな噂をどこかで聞いた。
六本木の店の中は真っ暗で、人がいない。
「ご支援ありがとうございます。8月9月の再開に向けて云々」というような張り紙がしてあった。
確かどこかの書店が買い取って、営業が再開されるはず。
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「アメリカン・スプレンダー」は
アメリカの同名アングラ・コミックスの原作者ハービー・ピーカーの半生を綴ったもの。
職業は病院のカルテ整理係、趣味はガレージセールを回ってジャズの珍しいレコードを探すこと、
やることなすことさえなくて妻にも2回逃げられた、そんな小市民以下のダメな男。
それが30代のある日一念発起する。
自分の身の回りのしょうもないことをネタにして
知人であるアングラ・コミックスの第一人者ロバート・クラムに絵を描いてもらい、
マンガに仕立てて自費出版してみたら大評判となる(ただし、あくまで地下で)。
そのシリーズが70年代から今でも続いているというある種のアメリカンドリームの体現者。
一時はテレビのトークショーにも出演する。
なのにコミックスの原作だけでは全然食っていくことができず、
カルテ整理係を昼の仕事として続けていくことを余儀なくされる。
安アパートでのさえなくてしょぼくてみじめったらしい生活のまま50代となり、60代となる。
ファンだという女性が3人目の妻となるが彼女もまた彼と負けず劣らずの変わり者。
だけど彼女なしには生きていけなくて、
日々喧嘩しつつも彼女に支えられることで心の平穏を見出していく。
そんなある日彼の体にガンが見つかり・・・。
現実のハービー・パーカーがナレーションを担当したり、
本人や妻、オタク友達が出てきてドキュメンタリーっぽく当時を回想するシーンがあったり、
なかなか凝ったつくりとなっている。
実写とアニメの融合とか。実験的なのにポップ。
サンダンス映画祭でグランプリ。
監督はまだ若い夫婦で、「あーサンダンス世代だなあ」という感じがした。
前の週、映画サークルの先輩たちと神宮の花火大会に行ったとき、
配給会社に勤めている先輩が「あれは絶対見たほうがいい」とみんなに薦めた。
「あの映画の登場人物ってうちらそのままだ」「そう思うと涙なしには見られない」
学生時代に映画を作っていたのが今や30代。
あの頃の残滓を皆いまだ何かしら引きずって毎日暮らしている。
(先輩の1人に漫画家になった黒田硫黄という人がいて、花火大会にも来ていた。大王と呼ばれている。
配給会社の先輩は「大王がスクリーンの中にいるようだ。身につまされる」としみじみ語っていた)
そうだよなあ。
このままだと僕もああなるんだよなあ。
見ててそんなふうに思った。ほんと身につまされる。
や、あれはあれで1つの大きな成功例であって、
(ちっとも食えてなくても、アングラ・コミックス界のゴッドファーザーだ)
僕は今のところああいうところまでたどり着く気配もない。
30代になっても今ここで書いてるような
ちょこちょことした文章を書いてるんだろうけど、
ぼんやりと何のあてもないまま惰性で続けてそうだ。
昼間はどこかで何かしら仕事をしていて、
そいつに生活のほとんど全てが呑み込まれてしまっている。
夜も土日も疲れきって、そんな自分に適当な理由をつけて、たいしたことはしなくなる。
そしてある日突然何もかも投げ出したくなって、完全に諦める。
立派な「普通の人崩れ」みたいなものになっている。
出世もせず、家も家庭もなく、
相変わらずロックのCDを集めては雑然とした部屋に積み上げている、
そんで顔だけは老けて腹も出てきた、
そういう自分の姿が思い浮かぶ。
このままだと、きっとそうなるだろう。
あーあ。
映画が紆余曲折を経ても結局はハッピーエンドで終わるところがなおさら、
ハービー・ピーカーと僕との距離感を思い知らされることになって
鬱屈した気持ちが高まっていく。
映画としてはもちろんああいう終わり方がいいんだけどね。
なんだか悔しいよ。
---
話は変わって、配給会社の先輩は「いい作品なんだけど、人が全然入ってない」と嘆いていた。
単館上映系の作品を六本木のシネコンで流しても客層が合ってないのではないかと。
それもそうだよなあ。
でも初めて六本木のヴァージン・シネマに行ったのであるが
かなりおしゃれな雰囲気で「いいんじゃない?」と僕は思った。
「スパイダーマン2」とか「ディープ・ブルー」を上映するような普通のシアターの他に
「アートシアター」ってのがあって、「アメリカン・スプレンダー」はここで上映されることになっていた。
シネコンなんだけどそういうのも1つ用意されているってのはいいもんです。
客が入らないので普通のシアターに戻しますってことにならないことを祈る。
---
来週末にはいよいよ「華氏911」が。
「フォッグ・オブ・ウォー」というドキュメンタリーも面白そうだ。
サブタイトルに「マクナマラ元国防長官の告白」とある。
アメリカはいかにしてベトナム戦争へと突き進んでいったのか?
これは絶対見に行こう。
[1348] 風をあつめて4 2004-08-17 (Tue)駅で切符を買う。どこに行こうかと思う。
券売機の上に掲げられたJRの路線図を眺める。
赤、黄、緑、オレンジ、青。カラフルな線が入り乱れている。
今、新宿から左側にいる僕としてはどうしてもその右側に目が行く。
どこかに出かける、という気がしない。
わざわざ遠くまで行く必要はないんだけど、せっかくだからできるだけのことはしてやりたい。
女の子は僕の側に立っていて、同じように路線図を見上げている。
「水族館」と心に思い浮かぶ。
遊園地、ディズニーランド、葛西臨海公園、葛西臨海水族園と連想が働く。
しながわ水族館、池袋のサンシャインの水族館、東京タワーの水族館。
都内にはいくつか水族館があるが、ここはやはり葛西臨海水族園だろう。
上京したばかりの頃の僕はちょっとした水族館フリークで
休みとなるとあちこちの水族館を見て回った。
海の近くで育ったわけでもなく、魚が好きなわけでもなく。
特に理由もなくはまった。
静かな、海の底にいるような、あの感覚が好きなのだと思う。
そういえばここ何年か行ってない。
半ば屈み込んで女の子に向かって「水族館で、いい?」と聞く。
「水族館は、どう?」ではない。
もう既に決まってしまったかのような口ぶりで僕は女の子に話し掛ける。
「うん」と彼女は頷く。
切符を2枚買う。1枚は大人、もう1枚は子ども。
切符を手渡す。僕の前に女の子を立たせて、先に改札をくぐらせる。
階段を上ってホームに向かう。
中央線がちょうど行ったばかりだった。
時刻表を見るとあと10分も待たなくてはならないことがわかる。
僕は女の子をベンチに座らせる。
「何か飲みたいものはある?」
「クー」
「クー?」
ああ、と思い出す。「QOO」のことか。
コカコーラの自販機まで行って「QOO」を探す。
オレンジとマスカットがあることがわかる。
オレンジを買う。持っていく。
「はい」と手渡す。
女の子は顔をしかめる。「これ、いや」
「オレンジ?」
「うん」
仕方なくもう1度自販機に戻って今度はマスカットを買う。
オレンジは僕が飲む。
自販機で同じものを買って駅のホームのベンチに並んで座って飲んでいると
「ああ、親子みたいだ」と思う。
「水族館は行ったことある?」
「ない」
「1度も?」
「うん」
「どんな場所か知ってる?」
「おさかな」
「そうだね」
電車がホームに入ってくる。
僕は女の子の手を引いて中に入る。
土曜とはいえ午前中の割と遅い時間なので中央線はそんなに混んではいない。
隅の方に2つ並んで空いている席を見つけて、そこに座る。
女の子を壁際の方にして、そこにスケッチブックを立てかける。
電車が走り出す。
ゴトンゴトンと揺れを感じる。
いつもなら電車の中では本を読んでいるので揺れていても気にならない。
それが今はまるで船に乗っているかのように複雑な揺れを感じる。
僕は目を閉じる。隣には小さな女の子が座っている。
[1347] 風をあつめて3 2004-08-16 (Mon)交差点で立ち止まる。信号は赤。
車の通りがなかったのでいつもの僕なら走ってくところなんだけど、今はそうはいかない。
小さな女の子の手を握っていて、少しばかり緊張する。
「預かる」ってどういうことなのか。その意味を考え出したとき、ちょっと怖くなってきた。
目の前を通り過ぎるものが何もないのに、
2人して前を向いて立ち止まっているのはなんだかおかしなものだ。
僕はしゃがみこんで話し掛ける。
「いつからここにいるの?」
女の子が僕を見上げる。口を開きかける。何かを考えているようだ。
「えーとね、すいよおび。ウェンズデー」
英語で答えられたことに驚く。反射的に「英語できるの?」と聞いてしまう。
女の子は女の子で驚いたように、また口を閉じる。黙りだす。
「あーまたか」と思う。どうしようか?どうしたらうまく話せるのだろうか?
そのとき、信号が青になっていることに気が付く。
僕は立ち上がり「行こう」と言って歩き出す。
横断歩道を渡って、坂を上って行く。
僕が手を緩めた隙に女の子の指の先がするりと擦りぬけると、坂を駆け上がり始めた。
見る見る間に上って行く。
てっぺんで立ち止まり、今度は女の子の方がしゃがみこむ。僕の歩く様子をじっと見つめる。
僕も走り出すべきかどうか一瞬考える。
(そう言えば最近最後に走ったのはいつだ?)
たいした距離ではないので走らない。だけど歩くスピードは速くする。
すぐにも坂の上の女の子に追いつく。
少し息があがった声で「足が速いね」と声をかける。
「かけっこは好き?」
女の子がこくりと頷く。間を置いて、「ううん。でもきらい」
「どうして?」
「おそいから」
「そんなことないよ」
女の子の顔が曇る。もしかしたら学校で嫌な思い出があったのかもしれない。
もうこれ以上このことは触れない方がいいのかなと思う。
また歩き出す。
今度は手を握らない。彼女は僕の数歩先を行く。
どこに向かってるか知ってるのだろうか?
僕は駅の方に向かっているつもりなのだが、それが彼女に言わずとも伝わっているだろうか?
遊園地だろうとなんだろうと駅に着かないことにはどこにも行くことはできない。
どこかおかしな方向に走り出したらそのときは捕まえればいい。そんなふうに思った。
雲の間に隠れていた太陽がまたその顔をのぞかせる。日差しが強くなる。
僕は何の考えもなしに彼女のスケッチブックを頭の上に持っていって日陰を作ろうとする。
ふとした弾みに女の子が立ち止まって振り向いてこっちを見る。
スケッチブックを頭に乗せた僕と視線が合う。
目を輝かせる。笑い出す。
「それってなに?」
僕も立ち止まる。「なにって、なに?・・・スケッチブック?」
彼女はスキップするかのように僕の周りを時計回りに回って一周すると
今度は反時計回りに一周した。
「へんなの」
僕はスケッチブックを下に下ろす。
「だめ」
えー?と僕は思う。スケッチブックを頭の上に持っていくと不満げな顔をやめてまた笑い出す。
仕方なく僕はそのままの姿勢で歩き出す。
女の子が右手を伸ばすので僕は左手でそっと握る。
女の子が英語の歌を歌い始める。童謡のような単純なメロディーを。
聞いたことがあるようなないような。
女の子の発音はそんなにきれいではなく、日本語っぽい。
聞き取った歌詞を紙の上に書くのなら英語ではなくてカタカナの方が合うような。
一通り歌い終えるとまた黙りだす。
ふと僕の口をついて「日曜日は?」と質問が飛び出す。
「サンデー」
「月曜日は?」「マンデー」
「火曜日は?」「チューズデイ」
そのまま土曜日までいって、彼女はすらすらと答える。
すごいね、と僕は驚いてみせる。
大通りに出て、僕はスケッチブックを頭の上から外す。
その頃にはスケッチブックと僕との関係性に興味を無くしてしまっていたのか、
彼女は何も言わない。
人通りが多くなり、車の流れも速くなる。
お互い何も言わなくなって駅までの真っ直ぐな道を歩いていく。
僕は彼女の右手をぎゅっと握っている。
[1346] 青森でお盆を過ごす 2004-08-15 (Sun)14日はほんとなら親戚一同が集まる青森での法事に僕も出ることになっていた。
お盆に合わせて十七回忌と三十三回忌と××回忌と・・・、3人分まとめて行う。
忙しくなってるはずだからと僕はだいぶ前に断っていた。
結果としてやはり帰れなかった。
土日は休めたもののその前後に休みを取れるような状況ではなかった。
朝早く飛行機で青森戻って法事に出てどこかで1泊したらまた飛行機で東京へ。
そんな慌しい疲れるようなこと、いくら法事とはいえしたくはない。
一周忌や三回忌ならともかく。
母親から電話がかかってきて「いとこもはとこもみんな集まったよ」と。
14日は前々から聞いていたように車に乗ってみんなで海岸に出かけ、バーベキューをしたのだろう。
もしかしたら海に潜ってウニを取ったりもしたかもしれない。
夜は花火を見る。
青森県東津軽郡今別町。津軽半島の北の外れの小さな山間の町のささやかな規模の花火大会。
東京で見るような派手なものではなくて、慎ましやかなものなのだろう。
線香花火がそのまま空に打ち上げられるような。
だけど打ち上げ場所のすぐ近くから観ることができて
花火そのものの醍醐味はこっちの方がより色濃く味わえるのではないか。
いつもなら3人しか住んでいない大きな古びた家が
この日だけは10何人と大勢の親族たちでいっぱいになる。
正月は雪で閉ざされるから夏の方が集まりやすい。
昼は冷麦を茹でてその後スイカを切って。
大人たちは高校野球を見ながら昼間からビールを飲んで。
今年はオリンピックを見ているのかもしれないな。
海辺のバーベキューと夜の花火大会と。
僕はこういった光景の全てをビデオに撮って新作「29」に取り込むつもりでいたのだが、やめにした。
特に理由はない。
上で書いたような時間的な制約ってのもあったんだけど、そういうのとは別な何か。
・・・青森は今暑いのだろうか?
どんななんだろうな。
ねぶたも終わった今この時期。
僕は青森の夏の暑さを忘れてしまった。
[1345] アテネオリンピック開会式 2004-08-14 (Sat)朝起きて何気なくNHKをつけたらアテネオリンピックの開会式をやっていた。
相変わらず暑そうなので外に出る気はなく、
インスタントラーメンを鍋で煮て食べながらぼけーっと入場行進を見た。
食べ終わってからも結局最後まで見続けた。
202の国と地域が参加。
世界にはそんなに多くの国があるのかー!という素朴な感動を覚える。
もしかしたら政治的な理由もしくはただ単にスポーツが強くないからという理由で
出場していない国もまだたくさんあるんだろうな。
今から10何年も前、高校の地理の時間に見かけなかったような名前の国が次々に出てきて
「うーん?」と思う。
アフリカの国のいくつかは名前が変わってしまったし、
カリブ海や南太平洋の島国は初めて聞くようなのがけっこうあった。
小さな国だと選手は1人や2人で参加。
メダルをまだ獲得したことがないという国も依然として多い。
一方ではアメリカは1125人なのだそうな。選手と役員を足して。そりゃメダルもたくさん取れるよ。
強いから多いのか、多いから強いのか。よくわからなくなってくる。
ロシアですら454人。ドイツもそれぐらい。
日本は312人(テレビを眺めながらなぜかメモをずっと取っていた)。
最後に登場した開催国ギリシアは724人。
開催国だとたくさんの競技に出られるってことか?
日本選手団はシャクヤクをあしらった白っぽい服を着てうちわを持って登場。
アナウンサーはリラックスしていると言っているが、僕にはダラダラしているように見えた。
国によってはキビキビ足並み揃えて行進していて、そっちの方が好感が持てる。
柔道や女子バレー、シンクロナイズドスイミングなど注目の選手たちが画面に映る。
日本人に限らず先進国とされる国の人たちは
行進しながら自らデジカメやビデオカメラで映像を撮っていた。
オリンピックに出るような世界の名だたるアスリートたちが
ビデオを取りながら歩いてるってのはなんだか不思議な光景だ。
各国の旗手は女性が多かった。日本だとレスリングの浜口京子。
解説を聞いていると女性旗手がこれほど多い大会は初めてなのだという。
4・5人で参加している国に1人だけ女性の選手がいたりすると
たいがい旗手としてその国の国旗を両手に抱え先頭を歩いている。
アフリカや南太平洋の国々に多かったのだが、
民族衣装を取り入れたデザインの服を着ているか、もろに民族衣装で行進していた。
国によっては踊りながら登場。
こういうのを見ていると楽しい。お祭りなのだなあというのがよく伝わってくる。
各国登場の際には開会式に来ていた指導者の姿が映る。
イギリスだとブレア首相。
選手たちと大統領や首相とその夫人がお互いに手を振り合う。
(ブッシュと小泉が仲良く並んで立ってたりしなくて良かったと思う)
イラクの入場で一際大きな声援が寄せられる。パレスチナのときもそうだった。
韓国と北朝鮮が合同選手団として入場。音楽も重たいリズムだけの緊迫感のあるものとなる。
(時々DJが映ってた。生演奏ではなく、彼が曲をつないでいったのだろう。
ターンテーブル3台構成。2台普通に回ってて残りの1台でスクラッチしてたけど
それらしき音は少なくともNHKの番組からは聞こえてこず。
彼は何をしていたのだろう?単なるパフォーマンスだったのか)
今大会ではギリシアのアルファベットの順に入場することになっていたので
思いもつかないような順番で各国が並ぶ。
最後の方はフィジー、チリ、香港の順だったか。
説明を聞かないとアトランダムか籤で決めたかのよう。
なお、チリは108年前の第1回大会に参加した14カ国のうちの1国なのだという。
各国の入場のときにアナウンサーが話すその国の話題を聞いていると
いろいろ「ふーん」と思うことばかり。
ドミニカとドミニカ共和国は別な国であるとか。
モナコは世界2番目に小さい国であるとか(1番小さい国はどこなのだろう?)。
パキスタンはホッケーが盛んでフィリピンはボクシングが強い。
一番驚いたのは「グアムは国だったのか!?」ということ。
行ったことなかったから正直知らなかったけどアメリカの島の1つだとばかり僕は思っていた。
どこの国だったかは忘れたがその国では「旗手になるとメダルが取れない」というジンクスがあって
既に2人有力選手が辞退、今回旗手となった選手は「そんなの関係ない」と自ら立候補したのだという。
入場行進が終わるとスタジアムが暗くなって花火が打ち上げられた。
ビョークが登場して「Oceania」を歌う。
(調べてみると今月発売のニューアルバムに入ってる曲だった)
ビョークが身にまとっていた衣装がスタジアムに広がっていって
選手たちを包み込むという演出がなされていた。
その次は国際宇宙ステーションから中継。
さすがオリンピックの開会式ともなると違う。
オリンピックの旗がスタジアムを一周し、聖火リレーの最後の走者が駆け抜ける。
観客席で目の前で見ていたら感動しただろうなあ。
・・・いつの日かその国へと競技を見に行ける身分になりたいものだ。
それよりも先にテレビで全試合見れるような身分になるのがまず先か。
[1344] 世間は夏休みだよ 2004-08-13 (Fri)日々仕事に追われ、追いかけられる毎日。
やってもやってもキリがない。終わりが見えない。
なのにスケジュール的なエンドだけはおぼろげながらはっきりとしている。
(言葉的に矛盾してるが、このプロジェクトにいる人ならば誰もがそう思うだろう)
机に向かって仕事をしているフリをしながら
カタカタとメッセンジャーを飛ばしあう。
今日はその1コマを提供します。
決して手抜きじゃないよ。
いやあそれにしてもSEという職業は大変だ。
俺、なんでこんな職業についてしまったんだろ?
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お疲れ様です。
○○○さんが今週末
田舎に帰らないようなので
都内温泉ツアー行こうと思えば行けるのですが
まだその気はありますか?
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3にん?
ちょっと寂しいですネェ。
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□□□も行けます。4人。
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?
あとだれだ?
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○○○さん、□□□さん、△△△さん、オカムラで4人。
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おぅ。
みんなどうするって?
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「いってもいいよー」
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そっかー。
肩こりもひどいし。行こうかな☆
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じゃあ行きますか。
16時頃集合して、
18時ごろから同じ建物内の休憩所にて
「ちゃんこ」ぐらいのスケジュールで。
人数が少ないので特に予約はなしで適当に。
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りょーかーい☆
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(この後お互い打ち合わせに入って中断)
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その後状況が変わって、中止となりました。
メール参照。
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今見ましたー。
ざんねーん。
是非是非リスケで。。。
そして火鍋も。。。
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そういえば
火鍋は新橋にもあった。
刀削麺の店に。
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ほぅ。
すっごい食べたい。。。
今週は夜まともなものを全然食べれなかった。。。
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吊革広告とかよく見ると
街のあちこちにあるようです。
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へぇ。。。
××線にはないなぁ。。。
××はわいあんずとかくらい。。。
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そろそろ忙しくなりそうなので
当分どこにもいけないかもな・・・。
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ですね。。。
気前良くいろんな人の手伝いを引き受けてる場合ジャなくなってきました。。。
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僕の場合、今週いきなりやばくなっていた。
なんというか
薄い膜を突き抜けて
向こう側に行っちゃったような感じ。
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どこでもドアくぐっちゃったんだ。。。
もっといいところに行きたかったですネェ。。。
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でも、もう、
「もっといいところ」って
思いつかないよ。
どこにも無さそうな気がしてきた。
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かなり刹那的ですが火鍋屋とか…
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そうだなあ。
うまいもの食いたいなあ。
--------------------------------------------------
最近の楽しみって、それくらいしかないですから。。。
食べることが楽しみ…ってねぇ…
なんかもうちょっと高尚な楽しみがあるといいのですが…
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俺は眠りにつくときが一番楽しい。
終わってるなあ。
土日じゃないとできないようなものではなく
短期間で楽しめるものってないだろうか?
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平日に…ってこと?
この仕事であんな時間に終わってたらまずむりですねぇ。。。
会社帰りのジム通いとか、
ふらりと夕方の下町の路地を歩くとか…
ちょっとあこがれますが…
--------------------------------------------------
ある日ハタと気付く。
「なんでおれはこんなプロジェクトに
関わってなきゃいけないのだろう!?」
「なんで!?どこにそんな義理がある!?」
「そもそも何の意味がある!?」
こんな話してちゃいけないですね。
すいませんでした。
--------------------------------------------------
ふふ。
もう、ずっと前からみんなそう思いながらも
何か見えない力で押さえつけられてここにいるんですよ。
自分の中の知らない力か、他人の力か…?
なんで、こんなヒドイ中でじっとしているのか
疑問に思いながらもじっとしてるんです。
責任感か、行動力のなさか、協調性か、何も考えていないだけか…
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もっともだ。
「目に見えない力」に
生まれた時から死ぬ時まで
ずっと押さえつけられている。
人間は不幸な生き物だ。
--------------------------------------------------
その力に押さえられない人が幸せかと言うと、
そうではなくて奇異の目で見られたり、人から非難を浴びる。
そういう意味ではいずれにしても不幸ですね。
でも、そんな中で作った人と人との間の関係に幸せがあったりする。
どこをSCOPEするかです。。。
できるだけ不幸は見ないように。。。
--------------------------------------------------
さらにもっともだ。
君は大人だ。
--------------------------------------------------
私かなりいいこと書いてますね☆
うふ☆
そうできれば幸せだろうな。。。
とは思いますが、出てくるのは不平不満愚痴悪口嫌味。。。
なさけないですね。。。
--------------------------------------------------
--------------------------------------------------
(以下、さらに延々と続く)
あーあ。
口をついて出てくるのは愚痴とため息ばかり。
早くいろんなものが終わってほしい。
[1343] セミの一生 2004-08-12 (Thu)猛暑。予想通りの猛暑。
38日間連続夏日ということで新記録を達成したようだ。
毎日毎日たくさんのセミが路上で死んでいる。
手足を閉じて仰向けになって。
いつもの年よりたくさん見かけているように思う。
セミって7年間地中にいて、
地上に出てたった1週間鳴いて死んでいくのか。
冷夏の年のセミと猛暑の年のセミと、どちらが幸福なのだろうか?
---
人間もサナギの時期を過ごしたのち、脱皮して変態を成し遂げる生き物だとしたら?
そのときどんな姿となるのだろう。そんなことを考える。
比ゆ的な意味ではなく、現実の出来事として。
空を飛ぶのか、海を潜るのか。
大きくなるのか、小さくなるのか。
色は変わるのか、羽は生えるのか。
その時期が来ると「人間」は集団の中で手近にいた異性と盲目的な生殖活動を行ない、
子孫が誕生した途端死んでしまう。
生まれたばかりの子供たちは青白く破れそうな皮膚をしていて、弱々しく震えている。
本能的に「何か」を探し求めて泣き叫ぶ。
そして何十年もこの地上で生きていく。
---
セミと人間とどちらが幸福なのだろうか?
[1342] エキゾチカ 2004-08-11 (Wed)いつか書こうと思う小説について。
---
人間というものは2つに分けられる。
良くも悪くも自分自身が世界の中心であり「今」「ここ」を受け入れるしかない人と、
「ここではないどこか」を常に探し求める人と。
後者はさらに2つに分けられる。
実際に旅に出て移動と探求を繰り返す人と、今自分のいる場所を変えようとする人と。
彼女は3番目のタイプだった。
都心に近い割と高級なアパートの一室。
7階建ての3階。遠くには高層ビルが見える。
ある日彼女は帰宅途中で目にした小さな鉢植えを机の上に置く。
熱帯に思いを馳せる。
彼女は小さな頃から楽園というものに憧れていた。
南の国。ジャングル。動物たち。絵本の中で描かれるカラフルな風景。
木々の間にハンモックを吊って彼女は眠る。その傍らで小鳥たちが歌を歌っている。
そんな自分を、まだ小さかった頃の自分を、彼女は思い出す。
寒くて灰色のこの日本という国を抜け出して、
どこか南の楽園で「本当の自分」を見つけたい。
彼女はいつだって、一人きりだった。
仕事をしていても休日を過ごしていても。
そのときその場に誰かがいて言葉を交わして、笑いあってさえいても、
彼女は常に漠然とした孤独のようなものを感じていた。
それは体の中に染み込んでしまっていて拭い去ることはできなくなっていた。
少しずつ少しずつ彼女の部屋の中に植物が増えていく。
半ば無意識のうちに花屋へと足が向かい、何のためらいもなくふらっと新しい鉢植えを買う。
もともと荷物の少なかった彼女の部屋は人工的なジャングルのようになる。
クローゼットに着ていた服をしまうと彼女は裸になり、うっとりと植物を眺める。
手に取って優しくなでる。
部屋の中にいるとき彼女はそれ以外のことはしなくなる。食べることさえしない。
白昼夢にふける。いや、彼女だけの新しい「現実」の中へと入り込んでいる。
あるいは同じように植物で満ち溢れたユニットバスの中で何時間も水浴びをしているか。
夜が来て、朝になって。
時間が来ると彼女は服を着て部屋の外に出ていつも通り仕事へと向かう。
何事もなく淡々と日々の仕事をこなす。
周りの人とは普通に話し、普通に食事をする。
頭の中から「熱帯」は消え去っている。
分断された生活。
しかし少しずつ少しずつ彼女の生活は「熱帯」の方へと引きずり込まれていく。
例えばこんな会話を昼に同僚とする。
「ねえ、今度始まった月曜のドラマ見た?××と××が主演の」
「え?見てない。そんなのがあるの?」
「○○さん、最近テレビの話くいついてこなくなったよね。見なくなったの?なんで?」
「・・・どうしてかわかんない」
そしてある日ある種のしきい値を超える。均衡が崩れる。
彼女は部屋の中から一歩も出なくなる。
空腹になれば目の前にある木の実をもいで食べる。
それが現実のものなのか幻なのかはわからない。
少なくとも彼女にとってはどちらでも気にならない。
植物たちは繁殖し続ける。
それはまるで1つの生命体であるがごとく独自の呼吸を持ち、独自の脈動を伝える。
部屋の中をびっしりと埋め尽くす。いつのまにか地面は土になっている。
彼女という存在を優しく包み込む。
いつの日か彼女は言葉というものを忘れる。
ある朝気がつくと彼女は窓の向こうにも熱帯の風景が広がっていることを発見する。
東京(彼女はその名前の結びつきをいつしか失ってしまった)中がジャングルになっている。
そこにはとてつもない光景が広がっている。
何日か何ヶ月かぶりにドアを開けると目の前には緑の小道が伸びている。
彼女は裸のまま、そっと足を前に踏み出す。
彼女は部屋を後にして歩き続ける。
どこまでもどこまでも歩き続ける。
・・・
警察官が2人、管理人から鍵を借りてドアを開けた。
廊下では初老に差し掛かった女性が泣き崩れ、
同じく初老に差し掛かった男性がその肩を抱いている。
閉め切った部屋の中にはむっとする匂いが立ち込めている。
誰もいない。
枯れて茶色くなった植物の残骸が至るところに散らばっている。
白い手袋をした警察官がしなびて小さくなった背の高い植物を手に取ると
それはぼろぼろと崩れ落ちた。
窓の向こうには何の変哲もない東京の風景が広がっていた。
[1341] ノストラダムスの大予言 2004-08-10 (Tue)そういえば最近「ノストラダムス」の名前を聞かないなーとふと思う。
しょうがないよな。「予言」が外れたんだから。
そのうち人々の記憶からも消え失せて、
「あーそんなブームもあったなあ」という扱いになるのだろう。
歴史から抹殺される。
(↑でも具体的に何の歴史だろう?自分で書いといてなんだが)
-----------------------------------------------
一九九九年七の月
恐怖の大王が空から降ってくるだろう
アンゴルモアの大王を蘇らせるために
その前後の期間 マルスは幸福のもとに支配するだろう
-----------------------------------------------
という例のアレである。僕は今でもよく覚えている。
昔々の僕は非常に暗い少年だったので
お小遣いで「月刊ムー」の別冊を買い漁っては
来るべき将来の予言に絶望的な気持ちになっていた。
「ああ、この世界は1999年7月に核戦争かなんかで終わってしまうのだ。
どうしてみんな平然としているのだろう?」
そのとき僕は25歳だ。
まだ10歳ぐらいの僕は大人になった自分の姿を想像できなかった。
「そのとき僕はどこで何をしているのだろう?
そうだ、最終戦争が起こって僕も兵隊になっているのだ」
それが今や29歳。
1999年7月を余裕シャクシャクで乗り越えて。
正直な話、ほんとアホらしい。
いろんな解釈があったんだよなあ。
7月ではなくて、8月だとか9月だとか。
(さっきどこかのサイトで検索したらSeptember は7番目の月なのだそうだ)
「999」とはとても大きな数を意味しているのであって、
特定の具体的な年を指しているのではないとか。
マルスとはもちろん火星のことであって、火星人が襲撃してくるのだとか。
ノストラダムスの生きていたよりもずっと昔、
蒙古人がはるばるヨーロッパまで襲撃してきたのがいつまでも恐れられていて、
アンゴルモアとはモンゴルのアナグラムであるとか。
最近の話だと、これは2001年9月11日のことを指しているのだそうだ。
西暦2000年問題こそが恐怖の大王であると真顔で論じている人もいた。
見掛け倒しだった2000年問題の顛末を思い出すとこれはかなり恥ずかしい。
五島勉の本って読んだことなかったんだけど、
さすがに21世紀になってからは新作が出ていないようだ。
この人については名前しか知らないんだけど
ノストラダムスでベストセラーになってそれで後々まで食ってる人ってことになるのかな。
予言を心の底から信じていたのか、それとも一発当てただけなのか。
そういう意味では僕としては出版界という荒野で砂金や油田を掘り当てた人という感じで。
ノストラダムス長者。(←儲かったかどうかは知らんが)
人生にもいろいろな形があるものだなあとシミジミした気持ちになる。なんだか微妙な人生。
人間がその人生でできることは限られていて
その力を注げるのがせいぜい1つしかないというとき、
その1つがノストラダムスだったというのはなかなか複雑なものである。
それにしても予言が外れて一番嬉しかったのは実は五島勉なのではないか?
ようやく重荷をおろせるってことで。
万が一予言が的中した時、まさか
「恐怖の大王が本当に空から降りてきた、ワーイ」ってことはいくらなんでもないだろう。
結局はノストラダムスみたいなアマチュアか自称プロの予言者ってのが
何百年か前のヨーロッパには腐るほどいて、
書いてることが難解で曖昧なノストラダムスが当たってる(というよりは「外れてない」)ように見えて、
代々好き者たちの間で奇書として再評価されていくうちに
他の予言者たちの書物が淘汰されていったのだろう。
(作家の阿刀田高が「トーナメント理論」と言っているやつですね)
最後に。
予言ってことで言うと新約聖書の最後にある「ヨハネの黙示録」が一番怖い。
それゆえに一番面白い。
反キリストが世の中に現れて、最終戦争(ハルマゲドン)に至るというやつ。
有名な第十三章の第一節。
「わたしはまた、一匹の獣が海の中から上って来るのを見た。
これには十本の角と七つの頭があった。
それらの角には十の王冠があり、
頭には神を冒涜するさまざまの名が記されていた。」
人類の歴史に照らし合わせてみると20世紀後半は第六章にあたるらしいのだが・・・。
[1340] 神宮外苑花火大会「ハナビアンナイト」 2004-08-09 (Mon)昨日の夜、大学の先輩たちと神宮の花火大会を見に行った。
先輩たちはもうかれこれ7・8年は見続けていて、毎年恒例の行事となっている。
今年は僕もそこに加えてもらった。
昨年は雨で順延順延を繰り返していて、確か中止になった。
2年ぶり。去年の分の花火も打ち上げるのではないか?そんな話を先輩たちとする。
18時に待ち合わせる。外苑前駅周辺は花火客で身動きできないぐらいになる。
銀座線に乗った辺りから浴衣を着た女性たちが目につくようになり、
改札を出るともう芋を洗うような大混雑。
青山近辺ってこともあって心なしか浴衣を着ている女性たちが
隅田川の花火大会よりもきれいに見えてくる。
先に行って場所取りをしようとした先輩から、
「いつもの場所が取れなくなった」との連絡が入る。
毎年利用していた日本青年館裏の広場(明治公園)が今年は半分に仕切られ、駐車場になっている。
そのもう半分は見物客用のスペースとなっているがそこは既にいっぱい。
駐車場の方に座ろうとすると警備員がやってきて、しつこく立ち退きを求められる。
例年ならば平日に行われるのに今年は日曜に開催であるため動員数が増えてしまったってことか。
「18時に来ても余裕で場所取りできてたのになあ」
先輩の1人がしまったなあという顔をする。
(今年が日曜なのは、ヤクルトの試合日程によるものなのだろうか?)
外苑前駅から神宮球場に向かって歩いていく。
道路は車両通行止めとなって臨時の客席とされている。
アスファルトの上にビニールシートを敷いて大勢の人たちが花火が始まるのを待っている。
屋台が並んで缶ビールや焼きそばを売っている。
いつもそうしてるからってことで途中の酒屋に立ち寄って僕らは缶ビールを買い込む。
日本青年館、明治公園脇の道路が同じように臨時の客席となっていて、
そこに空いている場所を見つけると新聞を広げる。
みんないい年になったんだから入場料払って中で見たらいいのに、という声があがる。
昔のような貧乏学生ではないのだから無理してただで見る必要はないと。
でもたぶんこうして安っぽく眺めるのがいいんだろうな。缶ビール片手に。
なお、僕は知らなかったのであるが各会場ではライブが行われることになっていた。
指定席にしては高いなあなんて思っていた。
神宮球場のアリーナ席で4500円、国立競技場ではなんと6300円。
「なんで花火を見るためにそんなにお金を払わなくてはならないんだ?」と最初のうちはとにかく不思議だった。
神宮球場では hitomi、フォーリーブス、BON-BON-BLANCO
軟式球場ではあの「マツケンサンバ2」の松平健、鈴木亜美
国立競技場では松浦亜弥に先日モー娘。を卒業した辻と加護のユニット
豪華なんだかなんなんだか不思議な取り合わせ。(hitomi 見たかったな・・・)
僕らが通りがかったときにはフォーリーブスが歌っているのが聞こえた。
「神火」と書かれた紺色のTシャツを着た若者たちの姿をよく見かける。
どうも運営側のバイトのようなのだが、連れ立って暇そうにぶらぶらと歩いていた。
「神宮の花火」って言われ方をするので
打ち上げって神宮球場でやるのかと思っていたらそうではなくて、
その隣の第二球場で行われるもののようだ。
火の粉で芝生が焼けるのではないか、
次の日ヤクルトの試合があったら球場整備員は大慌てで芝生を入れ替えるのではないか、
なんて僕は思っていた。
遅れてきた先輩たちもちらほらと現れ、やがて空も暗くなる。
ちっともうまそうには見えないのにたこ焼きを食べたくなって屋台の前で並ぶ。
よく見るとどこもかしこもヤンキーっぽい若者たちばかり。
ヤンキーというとちょっと違うか。
肌の露出が多く、髪は金髪に近いような女性たちとこれから仕事に出かけるホストみたいな男性たち。
待ち合わせ場所の青山ベルコモンズ前で見かけたおしゃれな浴衣姿の女性たちはいったいどこに消えたのか?
(たぶんお金を払ってどこかの会場の指定席で見ているのだろう)
それにしても隅田川の花火を見ていても思ったのであるが、
どうして不良少年・不良少女崩れな人たちはあんなに花火が好きなのだろう?
「火事と喧嘩は江戸の華」と呼ばれていた頃から
やんちゃな人たちの花火好きってのが遺伝子に刷り込まれているのではないかと思われる。
花火が始まる。
案の定僕らの座っていた道路からは木が邪魔になってあんまりきれいに見えなかった。
気がつくと入っちゃいけないはずの駐車場の方にシートを広げている人たちがたくさんいた。
堤防が決壊したかのように次々と人々が押し寄せている。
だったら我々もと新聞紙を持って中に入る。
日本青年館の建物で下の方が切れてしまうのだが、かなりきれいに見ることができた。
先週の隅田川の花火が比じゃないほど。
夜空に広がる赤や黄色の光の欠片と弾けるような音の塊。堪能した。これぞ花火だ。
打ち上げられた数は1万発ということで隅田川の2万発のちょうど半分。
その分確かに華やかさや派手さには欠けていたが、近くから見れたのだからこれで十分。
光の球が次々に現れては消えていく。
滞空時間の長いもの、短いもの。
光よりも音や勢いに力を入れたもの。
数を競うもの。空間を色鮮やかな光の粒で描こうとするもの。
空の一角が小さな光の束で埋め尽くされたとき、子供のように見とれてしまう。
僕らは黙り込んでただひたすら夜空を見上げていた。
一通り打ち上げ終わって、インターバルに入る。
トイレを我慢していた僕は立ち上がって広場の反対側へ。
長い長い列に並ぶ。
並んでいる間にインターバルが終わって打ち上げが再開される。
その場所からは花火を見ることはできず、音だけが聞こえる。
やがてクライマックスに差し掛かったようで音の大きさが半端じゃなくなってくる。
音が消えて一瞬静まり返る。
そのすぐ後に「本日の花火大会は終了しました」とスピーカーからアナウンスが。
一緒に並んでいた先輩と「あああ」とか「やられた」とか言う。
もったいないことをした。
その後、先輩たちとタラタラ原宿まで歩いていって台湾料理屋に入る。
年に1度花火大会のときに入る店。
2年前はここで松たか子を見かけたのだという。
なかなかおいしい店で夜遅くまで飲んで食べて話をする。
僕はかなり酔っていたので場所が思い出せない。
来年は是非ともスタンドで見たいものだ。
[1339] 久し振りに何の予定もない土曜日 2004-08-08 (Sun)昨日はモロッコから帰ってきて以来久し振りに何の予定もない土曜日だった。
8月から10月頃まで、下手したら土日もなくなるだろうと思って
「遊べるうちに遊んだ方がいい」と
6月・7月の週末は必ずあれこれ予定を入れて舞台を見たり出かけたり。
いろいろ楽しく過ごせたが、その分お金も使ったわけで。
8月・9月はおとなしくしてないとなあと部屋で1人反省する。
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昨日の昼テレビをつけたら高校野球をやっていて、
「もうその季節か!」と驚く。開幕試合。
青森代表が出ている。
最近は卓球愛ちゃんで有名な青森山田高校。
(ちなみに、↑その半生を中国のテレビ局がドラマ化という噂があった)
対戦相手は天理高校。
5回から見始めてその時点では青森山田は3−0で勝っていた。
このところ夏の大会は青森山田か光星学院のどちらかが必ずベスト8入りしていたので
僕が小さい頃のように「へー勝ってる!?珍しいなー」と驚くこともなく、
心の中でたった一言「イイネ!」と呟く。
途中追いつかれて9回にはノーアウト満塁でサヨナラの危機。
これを奇跡的に乗り越え「すげー!!」と思わず立ち上がる。
でも12回まで行って負けてしまった。
負けたけどいい試合だったな。
準々決勝クラスの試合だった。実にもったいない。
もっと地味な県の代表と当たっていたら余裕で勝てる実力があった。
そういえば天理高校であるとか、
近畿の私立の強豪校にわさわさと選手が集まるのはいかがなものか
という意見が教育委員会かなんかで出され、
何らかの措置の結果近畿圏の私立校の平均化がはかられたみたいな話をどこかで聞いたことがある。
もう5年近く前のこと。
ほんとかどうかわからないがその後確かに天理高校の名前を聞かなくなった。
今年また強くなって出てきたということか。
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夜はサッカーのアジアカップの決勝戦を見る。
気になったのは日本側がボールを奪った途端の中国側ブーイングの声の大きさ
(12億の人たちがブーイングしているかのように感じられる)と
頭にネットを巻いた中国のフォワード。
フリーキックの前、ゴール前を固めるために立っているのを見ると
場違いな人が紛れ込んでいることで笑いを誘うコントみたいな感じがした。
でもこの人は中国を代表する英雄的な選手なのだそうだ。テレビの解説曰く。
前の試合で頭を5針縫ってそれでも出場というのは
守護神としてピッチの上で必要とされたということか。
(ヘディングのできないフォワードって致命的ではないか)
解説と言えばこの決勝戦は
「ドーハの悲劇」「ジョホールバルの歓喜」に次ぐビッグなイベントなのだそうな。
サッカーはあんま詳しくないけど、ほんとかいなと疑わしい気持ちになる。
ワールドカップ出場とアジアカップで優勝とだったら
前者の方が意義としての重みがあって難しいのではないか。
開催国と決勝で戦ってアウェイでどうのこうのと言ってるのであるが、
ただ単に勝って当たり前の試合のようにしか見えなかった。
実際のところはどうなのだろう。
素人的な意見で言えば、MVPに選ばれた中村俊輔が相変わらずかっこよかったですね。
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「29」編集再開。
昨日・今日とずっと作業している。
3月に会社の人たちとお台場に撮影しに行った時の場面。
あれはもう半年前か。冬だったんだよなあ。
画面の向こうでみんな楽しそうにしている。
そういう光景を部屋で1人閉じこもって眺めてるのって奇妙なものだ。
[1338] 怒涛の日々 2004-08-07 (Sat)この時期いつもそうなんだけど、仕事が忙しくなる。
世間一般的な「夏休み」とは無縁な毎日。
竹芝桟橋は毎朝、大島に遊びに行く人たちでワクワクした熱気に包まれている。
いいなあと思いながらもそそくさと通り過ぎる。
自分には関係のないものだとして振り捨てる。
怒涛の日々。
気が付くと一週間が終わってる。
振り返ってみると何も残ってない。
何日か前の記憶がない。あるといえばあるんだけど
「味」のようなものがごっそり抜け落ちてしまっている。
喜怒哀楽に結びつくようなもの。
まあ要するに無味乾燥というわけですよ。
作成したドキュメントや送信したメールをたどり直してみて
ああ、僕はこういうことをしていたのかというのがようやくわかる。
僕は僕の心に強く働きかけて、降りかかった出来事を片端から消去させるようにしている。
僕は僕の身を守ろうとしている。
ふとした瞬間に「間に合わない」という言葉が心に浮かぶ。
――― 何が?
――― いろんなものが。
自問自答してみる。
いったい何が間に合わないのか?
@映画の編集が。コンテストの締め切りはもう3ヵ月後だ。
A「群像」への応募が。これも締め切りは3ヵ月後だ。
B今自分がやっている仕事が。やるべきことが多すぎて破綻しつつある。
C今時分が属しているプロジェクトが。まあ去年から言われてたけど。
D夏の(一夏の)思い出作りが。
Eつうか29歳の思い出作りが。
F今公開されているあれとこれとそれの映画が。
G買い込んだ本に対して読んでいくスピードが。
H世の中の出来事についていくスピードが。
挙げていこうとしたらキリがなくなる。困ったもんだ。
---
物心ついた頃から僕らはカヌーを作らされる。
なぜそうしなきゃいけないのかよくわからないまま、大人たちに「やれ」と言われるから仕方なく。
適当にさぼりながらやってきたのでそれはかなり中途半端な出来だ。
ある日突然、また別の大人たちがやってきて「乗れ」と言われる。
カヌーに乗って激流を下っていく。
どこにもたどり着かないまま、濁流はどこまでも続いていく。
そこには大勢の人たちがいて、同じようにカヌーに乗っている。
困り果てて、途方にくれた表情で。
リュックサックに詰め込んだこれまでの思い出たちはいつだって水浸しだ。
岸を見つけると時々一休みする。だらーんとする。
子供たちを見つけると僕らは「いいからカヌーを作るんだ」とさも偉そうに言う。
そしてまた嫌々ながら川に戻っていく。
人によってはいつのまにか豪華なカヌーに交換しているし、
僕のような人はいつまでたっても昔のままの壊れそうなカヌーのままだ。
---
とにかく、いろんなものが間に合わない。
もう2度と間に合わない。
[1337] 歯医者その9 2004-08-06 (Fri)突然ですが、終わりました。
終わってしまいました。
ぼけーっと座っていたら
何の世間話もないままさーっと進んでいって
最後に歯科医が出てきて、次は3ヵ月後と。
え!?と思う。
歯間ブラシの次はデンタルフロスの使い方を、ということになっていて、
「両手の人差し指に巻いたら中指で押さえて、
そうそうそんな感じで、できますね」
いつもならみっちり手取り足取り練習させられるのだが、その日はなし。
なんだか急いでいるような雰囲気があって、
機械的に物事が進んでいって、隙間は一切なし。
僕は単なる「その日最後の患者」でしかなかった。
サービス終了。
今まではいったいなんだったのだろうか?
・・・というか僕は何を夢見ていたのだろうか?
今年もまた早々と夏が終わった。
3ヵ月後、行くべきか行かないべきか。
教わった歯の磨き方、歯間ブラシやデンタルフロスの使い方を放り投げてしまうべきか。
デンタルフロスのレッスンを受けている間に、
「私、実は歯医者に勤めだしてから初めて前歯にフロスを使ってみたんですけど、
とても気持ちよかったです。オカムラさんどうでしたか?」
というこの日最も無防備な瞬間が訪れるも
「・・・よくわかんないです」と素で答えてしまう。
この煮え切らなさがやはりよくなかったのだろう。
この日に限らず全般的に。
嘘でも言いから目を輝かせて「いいですね!歯が軽くなりました!!」ぐらい言うべきだった。
3ヵ月後って言ったらもう11月じゃないか。冬だよ。
[1336] 僕らが旅に出る理由 2004-08-05 (Thu)ある人から聞いた話。その2。
その人は日本中を車で旅するのが好きで、
長期の休みには必ずどっか車で出かけるのだそうだ。
で、その旅の方針ってのが変わってて、
日本の東/西/南/北の端を極めるというもの。
それも制覇して今は変わった形の半島の端まで行くのがお気に入り。
○○を見たい
○○を食べたい
○○に会いたい
というように人はその場所にある何かというものを
求めて旅をするものだと僕は思っていたのだが、
世の中には場所そのもの、その場所の形状、
その抽象的/幾何学的価値に導かれて
旅に出る人もいるのだということがわかって目からウロコだった。
なんでそういうことを始めたのかというと
車を買ったらカーナビがついていて
ふと試しに「日本の右端はどこか?」「どれぐらいの時間で着くんだ?」
と検索してみたら2日ちょっとと出てきたんで試してみたくなったとのこと。
ぶっ飛ばしてみたら確かに3日ぐらいで着いて、そこから病みつき。
(ちなみにその人は思いっきり理系)
何もその人はスタンプラリーのように一目散に目的地を目指して
着いたらハイそれまでって感じではなく、
適当に国道をのんびり走って
珍しいものや興味深いものがあったりしたら
車を停めてみてみたりもする。
日中は道が混んでるので走るのはたいがい真夜中。昼間寝て。
っつうか7日あったら7日とも車中泊という
なぜそこまでする?とも言いたくなるハードな旅。
---
そういえば何ヶ月か前になんかのニュースで見たのだが、
緯度と経度の交差するポイントの写真を撮るってのを趣味で始めたアメリカ人がいて、
今や同行の士が全世界にいるらしい。
地球上のいろんな人があちこちの交差ポイントを撮影してインターネット上で公開。
手軽に撮れることもあればわざわざこのために遠征隊を組んで一大冒険をしたり。
それで出てくる写真がなーんの変哲もないごく普通の風景だったりする。
ある種の価値観からすれば非常に無意味なことなのに
別な価値観からすればユニークな意義が生まれる。
この前書いたエアギターじゃないけど
こういう話に出会う度に世の中まだまだ捨てたもんじゃないなあと思う。
※ニュースそのものはもう見当たらないんだけど、プロジェクトのサイトは見つける。
「the Degree Confluence Project」
http://www.confluence.org/
ほんとなんてことないサバンナや砂漠や森の中ばかりで
何かと考えさせられる。感動させられる。
日本だと田んぼの中だったり。
地球は広い。
人間が住んでいる場所はごく一握りの僅かな場所でしかないのだということを思い知らされる。
[1335] ある人から聞いた話 2004-08-04 (Wed)ある人から聞いた話。
その人は夜、会社から帰って来て着替えると
いつものようにコンビニに出掛けたのだそうだ。
アパートから歩いて5分ぐらいのところにあるセブンイレブン。
漫画の雑誌を何冊か立ち読みして、
牛乳のパックだとか詰め替え用シャンプーだとかそういうものを買って外に出た。
バス停の前を通りかかると誰かが立っている。
顔を上げてチラッと眺める。
年老いた小柄な女性。
細かなフリルのゴテゴテついた白いブラウスを着ている。
胸元には赤いリボンで飾りがついている。
真っ赤なスカート。肩の先まで伸びた長い長い髪。手には何も持っていない。
「なんやけったいなおばはんやなあ」とその人は思ったのだそうだ。
まるで人形のよう。目が青くて髪が茶色いアンティーク・ドール。
なのにその年老いた女性の顔はどこをどう見ても日本人形のそれであって、
そのちぐはぐ感が「妙に印象残った」のだそうだ。
その女性の側を通り過ぎる。無意識のうちに息を止めている。
バス停から10m以上離れたところまで来て、初めて大きく息をする。
バスがすぐ横を走り抜ける。
女性のことが気になって仕方がなく、
乗ってったはずだと思い、そっと振り向くとまだ立っている。
ポツンと1人寂しく立っている。
気にしないでいよう、と思う。とにかく意識しないこと。
早足にすると怖がってるみたいだから、いつもより遅いぐらいのペースでゆっくりと歩く。
いくつもの家の前を、街灯の下を歩く。
角を曲がり、もう1つ曲がる。
曲がるときにふと立ち止まってみる。
恐る恐る首を後ろに回すと視界の隅に映ったのは
のろのろと歩いている老女の姿。
白いブラウス、赤いスカート。
「!!」
心の中で叫ぶ。
だけど声には出さない。出したくなるのをぐっとこらえる。
そこから先は走るようにアパートまで。
階段を駆け上がってバタンとドアを閉じると鍵を掛ける。
生きた心地がしない。
テレビをつける。音を大きくする。
コーヒーを飲んで煙草を吸う。
冷蔵庫にあった缶ビールを何本も開ける。
夜も更けてベッドの中に入る。
だけど眠ろうとしても眠れない。
あの老女は自分と何のかかわりがあるというのか?
自分が何をしたっていうのか?
ようやくうつらうつらできたのは明け方。
ちっとも眠れなかったので会社を休みたかったのであるが、
自分が企画した大事なプレゼンがあったので出ないわけには行かない。
シャワーを浴びた後スーツに着替えて外に出る。
ドアを開けると
老女が立っていた。
階段の下に。1人ポツンと。
息が止まりそうになる。眩暈がする。
会社、休もうかと思う。ドアに鍵をかけて閉じこもる。
一瞬の間に「そうしよう」「いや、だめだ」心の中で行ったり来たりする。
やがて覚悟が決まる。意を決して階段を下りていく。
老女の側を通り過ぎるとピクリとも動かなかった。
通り過ぎるとそのまま歩き去った。
今度は振り向いたりなどしない。
手が震え、背中に汗が噴き出しても絶対振り返らない。
いつもの朝のように駅へと向かった。
その日の分の仕事をなんとか終えて退社時間になる。
どうしようかと思う。
アパートに帰るべきか、それとも2・3日は戻らないべきか。
友達の家に泊めてもらうなんなりして。
そういう選択肢もある。
でもそれはよくないことだと彼は考える。
逃げてたらいつまでたっても解決しない。
ぶつかってみないことには前にも後ろにも進まない。
駅で降りて歩き始める。
例のバス停の前。・・・いない。これで1つチェックポイントを通過。
角を曲がる。・・・やはりいない。これで2つ目。
次の角を曲がる。・・・ここにもいない。3つ目。
アパートの前。心臓がドクドク波打つ。鞄を掴んでいる右手の握力がなくなる。
恐る恐る敷地の中に入っていく。
老女はいなかった。
ほっとする。
何の変哲もないいつも通りのアパート。
階段を上っていく。鍵を取り出してドアを開ける。
開けたら老女がいるんじゃないかっていう
ホラーな展開も考えなくはなかったが、そんなことはなかった。
だけど押入れの隅にいるんじゃないかとソワソワした気持ちがどうしてもするので
部屋のあちこちを確かめてみた。
おかしなところは何もなかった。
それから2・3日過ごす。
何も起こらず。老女の姿を見かけることはない。
もしかしたらどこかでまた見かけるのではないかということがたまらなく怖い。
とりあえず夜出歩くのはやめ、コンビニは駅前のを利用することにした。
幽霊だったのか、単なる頭のおかしい人だったのかはよくわからない。
あの朝誰かに連れて行かれたのか、それとも自発的に立ち去ったのかは分からない。
いなくなったのだとしたらどこに「帰った」のだろう?
「彼女には彼女なりのエリアがあって、そこに俺、立ち入ってしまったんやろな」
と彼は言う。
1つだけ気になったことがあったので僕は彼に質問をする。
「その人の目、見ました?××さんのこと見ました?」
彼は答えて曰く、
「見ぃひんかった。つうか目ぇずっと伏せとったままだったわ。
これが目をマジマジと見られてたんなら
今頃はこの俺もどっか行ってしまうところだった」
ネタにしてほしい話があるというので会いに行った。
2人で夜、ジョッキでビールを飲みながら聞いたのが、以上の出来事である。
[1334] 「今日を生きよう」 2004-08-03 (Tue)インターネット、携帯、コンビニ。
20世紀末に爆発的に普及したこれら文明の利器により僕らの生活はなんとなく豊かなものとなった。
たいがいのものは手に入るようになってなかなか便利になった。
インターネットなんてその際たるもの。
調べものをしたくなったら、ちょっとばかし工夫をすればなんでも情報が集まってくる。
そしてそれはテクノロジーとしてもそこから生み出されるサービスとしても日々進化し続けている。
単純な検索サイトの時代は終わり、「はてな」や「yahoo 知恵袋」のように
質問を登録するとどこかの誰かが答えを書き込んでくれる、そんな素晴らしい時代になった。
利用してみたくなる。
僕はどうしても、どーーーしても、知りたいことがあった。
今から10年ぐらい前、92年か93年ごろ、日清のイカ焼きそばのCMで使われていた
「♪シャーラーララララリポチュデイ、ヘヘイヘーヘイ、シャーラーララララリポチュデー」
という曲は果たしてなんなのか?
このように10年前の記憶を頼りに聞き書きしてみるとひどく間の抜けたものに感じられるが
あくの強いざらついた低い声、それでいてちょっと頼りない男性ヴォーカルと
そのバックでコーラスがやけっぱちになってサビを決める名曲である。
僕の心のベストテン10位内に永遠にランクインするのは確か。
コマーシャルがまだ流れていた頃、高校の演劇部の部室にて
怖くて結局1度も話すことのなかった「不良」の先輩がラジカセでかけていたテープの中で
誰かが、恐らく日本のバンドが、この曲をカバーしていた。
僕は勇気を出してその先輩になんて曲か聞けばよかったのかもしれない。
あるいは、上京直前の頃。
ジーパンの店でかかっていたので思い切って自分と同じぐらいの年の女性の店員に聞いてみたら
「有線なんでわかんないんです。すいません」と言われた。
最後に耳にしたのはこのときだったかもしれない。
質問を入力する際に補足事項として、コマーシャルはきれいな女の子が
ニコニコと笑顔でカラフルな街を歩きながら買い物しているというもので、
「おいしいものだけ大きくなれる」というキャッチコピーがついていたことを付記しておく。
送信ボタンを押す。
・・・数時間後に答えが返ってきた。マジでびっくり。
「テンプターズの「今日を生きよう」ではないでしょうか。ただしバージョンは違うと思います」
テンプターズ?GS?ショーケン?ニッポン?60年代?
そうだったのか!?
でもあれはショーケンの声じゃないよなあ。絶対洋楽でしょう。
これをとっかかりに調べていった挙句出てきたのは The Grass Roots 「Let's Live For Today」
60年代アメリカのポップグループ。
これがそのものずばりかどうかは分からないが、原曲であることには間違いない。
日曜の昼間に質問して、さっそく昨日の夜会社帰りに銀座・新宿のHMVとタワーに寄って探してみた。
自分で言うのもなんだが、こういうことになると異様にフットワークが軽くなる。
銀座では見つからず、新宿南口のHMVへ。
テンプターズの方を見つける。違うんだろうなあと思いつつもなんか気になって買ってみる。
GSって僕聞こうと思って聞いたことないんですね。
いまだに正月のかくし芸大会を真っ先に思い出してしまう堺マチャアキと井上順の、
なんて言ったらバカにされそうなぐらい音楽的再評価著しいスパイダース。
沢田研二というかジュリーのいたタイガース。
「ラブ・ジェネレーション」のジャックス。
いつかそのうち聞けばいいと思って避けて通ってきた。
これをきっかけにそろそろフタを開けることになるか。
タワーに行ってようやく The Grass Roots のベストを見つける。
小走りで家に帰ってパッケージひきむしって聞いてみる。
テンプターズは違った。なかにし礼による日本語詞がついていた。
ショーケンが甘ったるい声で
「シャーラーララララおまえがー、シャーラーララララ好きだよー」と歌っていた。
CDを取り出して The Grass Roots に差し替える。
ベストアルバムの1曲目。もしかしたらこの1曲だけで知られてるグループか?
ギターのイントロ、呟くようなふてくされたヴォーカル。
サビに入る前に「ワンツースリーフォオ」とカウントが入る。そして、
「♪シャーラーララララリポチュデー、ヘヘイヘーヘイ、シャーラーララララリポチュデー」
おー。おー!おー!!
これかあ!!!
・・・でもなんか違う。
90年代に誰かがカバーしたのだったのかな。
ヴォーカルはイメージ通りだったんだけど、
バックの演奏がコマーシャルで聞いたものよりもシャラシャラと音が多いような気がした。
うぉー。死ぬまで探し続けてやる。
でももしかしたらもうかなり昔、イカ焼きそばよりももっと前、
なんかの車のコマーシャルで岡村靖幸の「だいすき」が使われたときには
サビの「君がだ・い・す・き」の部分で
ほんとなら子供たちの合唱が加わるのに、コマーシャルではカットされていたことを思い出す。
そういうものなのかもしれない。
あるいは僕の記憶の中で勝手に音の質が変化していたのか。
そうだ、そうに違いない。
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タワーに行ったら、「Think of One」というグループがインストアライブをやっていた。
フジロック帰りとの張り紙がバックのスクリーンに何枚も。
そういえば今年はフジ行けなかったんだよなあということを思い出し、思わず足を止める。
うねるようなサンバのリズム。
ブラジリアン・パーカッションがフロア一帯に響き渡る。
配られたチラシを見てみたら以下のようなことが書かれている。
「ベルギーの暴れん坊雑食アヴァンギャルドブラス!
4人のブラジル・パーカッション隊とのプロジェクト、シュヴァ・エン・ポーで来日!
2004年・英BBCラジオ・ワールドミュージック賞受賞!!」
ホーン隊とコーラス、パーカッション。ギタリストは曲によってはウクレレ披露。
限りなくフリーで気持ちのいい演奏。
前の方ではリズムに揺られて気持ちよさそうにしている。
北欧出身っていうのがミソ。
気持ちいい音楽を求めてたらここにたどり着いて好きなようにやってますという感じ。
思わぬ拾いもの。
フジだったらフィールド・オブ・ヘヴンかな。
僕も音楽をやるのならこんなふうに大所帯でみんなで音を出すっていうのがいいなあ。
9月1日の水曜に渋谷のオン・エア・イーストでライブをやるようだ。
オープニングアクトはなんと渋さ知らズ。
これは見たい。土日だったらまず間違いなく行くんだけどな。
CDを買ったらメンバーがサインしてくれるとのことだったので
迷わず買ってサインしてもらう。
メンバーの立っていた背後にはタワーのスローガン
「No Music, No Life」がデカデカと。
ほんと「そうだよなー」と思う。
[1333] 「世界の中心で、愛をさけぶ」 2004-08-02 (Mon)「世界の中心で、愛をさけぶ」
小説を読んだことも無ければ映画を見たことも無くましてドラマも見たことの無いのだが、
前から何かと気になっていたので思ったことをいくつか書きたい。
やはりなんと言ってもまずはこのタイトル。
SFファンからすればこれってハーラン・エリスンの短編集
「世界の中心で愛を叫んだけもの」のパクリなんじゃないかって感じがして非常に居心地が悪いってこと。
(原題は「The Beast That Shouted Love At the Heart of the World」なので直訳ですね)
インターネットで検索してみたら同じようなことを考えている人がちらほらといますね。
でも、そういう話をいくつか拾い読みしてみたらどうも、
ハーラン・エリソンのこのタイトルが「エヴァンゲリオン」の最終話のタイトルに転用され、
それが「世界の中心で、愛をさけぶ」へと転用されたという経緯があるらしい。
真偽の程は分からないけれども、なんとなく信憑性がある。
ハーラン・エリソンは60年代にデビューしたアメリカの作家で、
暴力的で退廃的、荒廃した世界観ばかりを好んで書くことにより一躍センセーショナルな存在となる。
時代はSF界においてもニューウェーブが提唱されていた頃。
お子様向け読み物の1ジャンルとしての側面がどうしてもぬぐえなかったSFというものを
もっと異質なものとして進化させようと、オピニオンリーダー的に活動していた。
後年は「スタートレック」のテレビシリーズの脚本を手がけていたりする。
※もちろん彼は全てのシリーズを書いたわけではなく、他にも何人か有名なSF作家が参加している。
今思いつく限りではヴォンダ・N・マッキンタイアとか。
日本ではまとまった作品集としては「世界の中心で愛を叫んだけもの」しか出ていないので残念だ。
困ったことにこの作品集は表題作以外はパッとしないものばかりで、あんまりお薦めできない。
現在入手可能なものとしては河出文庫から出た「20世紀SF」のシリーズの60年代編に
代表作「”悔い改めよ、ハーレクィン!”とチクタクマンはいった」が入ってるぐらいか。
後は古本屋で何十年も前のアンソロジーを探すしかない。
でも見つけて読んでみるとどれも面白い。
アンソロジーにしか収録されなかったってのはもったいない話だ。
日本やアメリカでこの時代に編まれたアンソロジーにはたいがいこの人の作品が入っている。
絶大な人気を誇り、評価が高かったということか。
なお、ハーラン・エリソンの書く作品のタイトルは
「おれには口がない、それでもおれは叫ぶ」というようにその気にさせる秀逸なものが多い。
これも僕はハヤカワ文庫のすごい昔の傑作選で見つけて読んだ。
この辺の話をすると長くなるんで、次に。
あと、あれだよな。
最初僕がこの本のことを知ったのはなんかの雑誌か新聞で記事で
出版当初は全然注目されてなかったのに
とある本屋の店員がお薦めの本として取り上げたのがきっかけでジワジワと売れ出したという話から。
派手に出版キャンペーンとかしなくても、
書店の店員の地味だけど良質な熱意がベストセラーを生むこともある。
出版社がとある本屋でだけかなり売れていることに気付いて、
「これだ!」とそこから先は出版社側で流れを作り出したんだろうけど。
結果として純文学で200万部売るという「ノルウェイの森」以来のベストセラーに。
ここまではいんだけど、そこから先のアレヨアレヨという間の展開がなんだかどうも。
映画になりドラマになり、「セカチュー」と略されるようになり、
なーんか頭悪いというか、ものすごく画一的というか。
(念のため断っておくけど、内容が、ではなくて展開の仕方が)
映画版は予告編さえ見れば全て事足りる、と僕の周りで何人かの人が言っていたのだが
実際のところはどうなのだろう?
涙もろい人には泣けるものなのだろうか?
純愛というものを心の奥でかなり信じていて、そこへと至る過程を常日頃探し求めている、
そんな若い女の子たちにしか感動できないものなのだろうか?
最後に、もう1度タイトルの話。
(読んでないし見てもいないから結局ここしか語れない)
「世界の中心で、愛をさけぶ」ってやっぱなんだかなーと思わずにはいられない。
自分が世界の中心にいるんだから物語的には
その思いは相手に伝わるか、障壁を乗り越えてやがて伝わるかどっちかしかありえない。
あるいはちっとも伝わらなくて悲劇のヒロインとなるか。
そこでもやはり自分というものが中心となる。
(そういう部分が、自己というものが確立しきってない若い子にとって
すんなりと受け入れやすくなるための下地となるのだろう)
僕的には「世界の果てで、愛をさけぶ」だったら手に取る気になった。
どこにいたところで自分にはこの世界に居場所が無い、相手にも居場所が無い。
そんな状況でいかにして愛を伝えるか。
どこにいようがそこは世界の果てだ。
自己を確立した途端、この世界に自分の居場所が無いことに気付く。
大人になるってそういうことじゃないか。
それまで自分を包み込んでいた世界がどんなものか分かった途端、幻想が打ち砕かれ、
寄る辺ない気持ちで日々過ごさざるを得ないから、人は他人を求めるのではないか。
この世界を形作っている様々な次元の様々な物事。
それが重層的に積み重なっている中に自分という存在がマッピングできたとき、
あるいはマッピングできないと分かったとき、
人はいかに自分が無力な小さいものか知ることになる。
そんなとき愛はいかにあるべきか。
そういうところを是非とも語ってほしいものです。
[1332] 隅田川花火大会(続き) 2004-08-01 (Sun)隣に座っていたガラの悪い学生の集団は人数が少ないのにシートだけはやたら広く広げて、
人が通りがかるたびに文句をつける。
自分たちは礼儀正しいつもりでいるのか、「靴を脱いでもらえますか」と注意し続け、
やがて「テメエら靴脱げよバカヤロウ」と怒鳴りだす。
なんなんだこいつらは、と思う。
酔っ払いの見物客ばかりなところにそんな窮屈な彼らの世界で通用しない礼儀正しさを持ち込まれてもなあ。
だったら人で溢れかえってる場所でシートの2つもあれば足りるところを
5つも敷いて独善的に過ごしている彼らのほうがよほど失礼だ。
「朝早くから来て場所を取ったんだから俺たちの場所だ、ここは」という感覚なんだろうな。
何のサークルなのかわからないが、極真空手っぽい。
ピアスに丸刈りや金髪、甚平という出で立ち。
不思議なことに女性のマネージャーもいて、1人かなりきれいな子がいた。浴衣を着ていた。
それとなく見ているとこの子はその荒くれどもとあまり話そうとせず、
1人ポツンと輪の中に座っていた。なんとなく陰のある子だった。
奇妙な掛け声と彼らが共に「大五郎」イッキを始めて暴れだしてもそっと座っていた。
彼らが1人ずつ帰るなりどこか消えてしまっても1人最初の位置のまま座っていた。
漫画の中だと「先輩の女」って感じ。後輩たちが手を出せず、その先輩が一番の荒くれ者っていうような。
こういう非常識な集団と一緒に過ごして学生時代を過ごすのか。
彼らがバカやってる分には彼らとしてはそれでいいんだろうけど、
彼女がそれでいいと思ってるのならまあそれでいいんだけど、
なんだかもったいない。
何が縁で彼らとかかわりを持つようになったのだろう?
格闘技が好きだから?
まだ自分というものがなかったときに彼らの1人に骨抜きにされた?
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花火が終わって、片づけをする人しなくてもいい人ってのも UNO で決める。
夜の屋外、明かりの乏しい場所で UNO をやると青と緑が同じ色に見えてやりづらいったらありゃしない。
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9時半。ボウリングやりたい!という声が女の子たちの方から上がり、ボウリング場へ。
前の日一応調べてみたら浅草にもボウリング場があった。
浅草寺の裏、ROX やフランス座のある辺り。
終わってから1時間以上経っていたのに浅草寺を中心とする道路はまだ混雑していた。
警官たちがあちこちに立ち、交通整理。
(公式サイトの掲示板を見たら警察の対応に対してやたら評判が悪かった)
道端でアイスを売ってると買ってみたり、
てくてくと歩いていくとやがてボウリング場が見つかる。
この界隈は祭りということもあって夜もにぎやかだった。
浴衣を着た男女がほろ酔い加減で歩いている。
ボウリング上の前には芸の神様を奉っている小さな社があって
全部は忘れたけど神様は「踊神」「話神」「唄神」など6人。
古きよき時代の芸人をかたどっていて、
神様の1人はアコーディオンを持っていて、別な1人は落語家のようだった。
花火を見た後でボーリングしようと思う人って何気に大勢いて入れないのではないかと僕は思ったのだが、
入ってみるとそんなことはなく、8人ですぐにも2レーン使える。
ちょうどよく男女4人ずつだったのでペアになって1投目・2投目交互に投げる。
僕としては実に久し振りのボーリング。
2年前に部門のイベントで行ったとき以来。
あの時は30人で行ってブービー賞だったんだよな・・・。60点か70点で。
トコトコと歩いてボテッとボールを落としてガターになる女の子たちよりも低かった。
そんなのが2年ぶりにやってみたところでダメなのはダメで1投目はいきなりガター。
9号の軽いボールを使ってるのに重く感じられてならない。
しかも手首がふにゃふにゃしてコースが定まらない。
1回目のゲームは全然結果が出せず。
2回目のゲームは商品にアイスを賭けようということになる。
お金がかかると緊張感が増すのか、いきなり調子がよくなる。
スペアも取ってストライクも出して4チーム中2位へ。
ゲーム前にはハンデつけるかってことになって
+40点のはずだったのにハンデなしでも堂々2位。
「ボーリングって面白いなあ」なんてちゃっかり思う。
セブンティーンアイスの自販機があったのでおごってもらう。
なお、ここのボーリング場にはキティちゃんのボールがあった。初めて見た。
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ボーリング場を出て駅へと向かう。
行楽地ってこともあるのかあちこちに
記念写真用に顔のところがくりぬかれている例のあれが置かれている。
寅さんのとか、江戸時代のお侍さんと町娘とか。
後輩たちがキャッキャ言いながら写真を撮る。
浅草寺の中を通っていく。夜店はまだまだ商売をしていた。
さすがにおみくじ売り場は閉まっていて、仲見世通りの店もシャッターが下りていた。
それでも灯りは煌々と明るく、意外と眠らない街なのかもなと思う。
ベニヤ板で作ったような安いテーブルの飲み屋があちこちにあって、
どこも大勢の酔っ払い客で繁盛していた。
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1日遊びきってクタクタになる。
家帰るとすぐにも眠り込んで目が覚めると昼の12時過ぎ。
何もする気が起きず床屋に行って髪を切った他は特に何もしない。
浅草ってこれまで何度も訪れたことがあって、
ROXでバイトをちょっとだけしたこともあれば
花やしきも2回ぐらい行ったことあって、
どじょうを食べに行ったことも三社祭を見に行ったこともある。
そんで今回隅田川の花火大会も見たわけだけど。
でもまだまだ見てないもの行ったことのない場所ってあるんだよなあ。
神谷バーで電気ブランを飲んでみたいし
(他の店で飲んだことがあっておいしくないものだってことは知っている)
牛鍋も食ってみたい。
浅草って歩いてると老舗のおいしそうな食べ物屋がとても多い。
また機会があったら行ってみたい。
[1331] 隅田川花火大会 2004-07-31 (Sat)会社の人たちと隅田川花火大会を見に行った。
前の晩は会社の人たちと飲んでいたら終電を逃し、先輩の家に泊めてもらった。
4時に寝て8時に目が覚め、地下鉄に乗って家に戻る。
帰り着いてなんだかんだしているうちに10時。
本来の予定ならば場所取りのため男子は12時に浅草に集合することになっていた。
それが台風が来るためどうも雨らしいという話になり、
だったら雨が降ろうと降らまいと全員3時に集まって
ボーリングをして飲んで帰るか、花火は見れたら見るかって感じに変更された。
10時の時点で快晴。灰色の千切れ雲は空に浮かんでいるものの、雨の降る気配なし。
あーだったら最初のプランに戻って場所取りして花火見ようよと思う。
何人かと連絡して正午に浅草に集まることになる。
ちなみに今日は男子が場所取りなら女子は浴衣を着てくること、買出しをすること。
そういう役割分担になっている。
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浅草へ。集合時間よりも前に着いて僕は1人雷門から仲見世通りを経て浅草寺へと歩いていく。
いろんな国のアジアの人たちばかり。
周りを歩いている人たちは一見みな日本人に見えるものの
話す言葉や肌の色、着ている服装がどことなく違う。
扇子や浴衣を興味深げに手に取ってみてはデジカメやビデオカメラで撮影する。
雷門の前では携帯のカメラで撮ってる人たちが多かったな。これは日本人だろう。
浅草寺で賽銭を投げ、最中アイスを食べてラムネを飲む。
抹茶を冷やして氷を入れたものをあちこちで売ってて、
道行く多くの人が飲んでたんだけど僕は飲まなかった。
ラムネはアジア系のおばさんたちがカキ氷やビールのように露店で売っていて、
大きな容器に水を並々と入れてラムネを並べ、その上に四角く切り出した氷を乗せていた。
これが涼しげで良かったんだけど、1本頼んだらおばちゃんは氷水に漬けたばかりで
ちっとも冷えてないのを、ポンとビー玉を中に落として僕に手渡した。
ケースから取り出して入れたばかりのところに僕が話しかけたからか。
冷えてないラムネは生ぬるくて、甘ったるかった。
浅草の町を10分回って1000円という人力車が何台か客待ちしていた。
いつかまた来ることがあったら乗ってみたいなあと思う。
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会社の人たちと合流して、場所取り。
隅田公園の中、東武線の橋の下に空いている場所を見つけ、ビニールシートを引く。
シートを置けそうな場所はどこもかしこも既に埋まっている。
少年野球場のグラウンドってのがベストポイントらしいのだが、これはもう空きなし。
8時半に開場でその時点ですぐ埋まってしまうのだそうだ。
来年も見るのなら、朝早くから並んでここを押さえた方がよさそう。
僕らの場所は第1会場・第2会場の中間にあってどちらも見れそうなのであるが、
近くの第1会場側は見上げると橋がちょうど邪魔になって肝心な箇所が見えなくなり、
遠くの第2会場側は見ようと思えば見えたけれども、
両サイドを木々に遮られて見ていてなんだか迫力がなかった。
花火って広々とした場所で見ないことにはダメなんだなということを知る。
13時の時点で場所を確保すると、後はひたすら夜になるのを待つ。
暇そうな大学生が寝っ転がり、別なシートではカードゲームに興じている。
昼飯を先に食べてきた僕は留守番をして、他の人たちは食事に出かける。
シートに大の字になる。日差しが強い。シートも熱くなる。
顔にタオルをかけて眠ろうとする。
時折橋の上をゆっくりと大きな音を立てて電車が通り過ぎる。
太陽が雲に隠れるとサーッと涼しくなり、そういう瞬間を見計らって僕は持ってきた文庫本を読む。
太陽がまた顔を出してまぶしくなるとタオルを顔にかけて本を放り投げる。
眠れそうで眠くならない。ぼんやりとする。
細長い公園の中を風が通り抜けていく。
食事から戻ってきた頃には後から合流した人たちも一緒になり、
真夏の真昼の公園で缶ビールを飲みながら人生ゲームをやる。
コンビニで買ってきたポケット版。
コマ代わりの車が指のつま先ぐらいの大きさで、
乗っかる妻や子供はまず間違いなく無くしてしまいそう。
お札も小さくて風が吹くと飛ばされそうになる。
デラックス版と較べて10分の1ぐらいのサイズなのに
全員ゴールインするまで2時間近くかかった。
その後は UNOをやる。懐かしい。
高校の演劇部の部室で放課後猿のようにやってたのが最後か。
もう10年ぶりか。
ルールを思い出せるか不安だったんだけどやってるうちになんとかなる。
ただやってるのもダレてくるんで、あらゆるものを賭け出す。
ドミノピザが1枚1000円でトマトとガーリックのピザってのを売り歩いてて、
それが4切れしかないとなると負けた人は食べれないうえに代金も払う、というような。
次は UNO の1200円、その次は人生ゲームの1800円、
アイスを5個、缶ビールを5本、勝負が白熱する。
出店の缶ビールなんて時間を追うごとに
300円→350円→400円とどんどん値段が吊り上がって行ったので
5本も買うと2000円。これが一番高くついた。
賭けるものがなくなると次負けた人は
浴衣で来る女の子になんでもいいから告白をして、
その次に負けた人は「ちょっーと待ったー!」と往年の「ねるとん」ごっこ。
そうこうしているうちに会社の女の子たちが浴衣を着て現われる。
夏に浴衣。いいもんです。
それにしても若い子ってみな浴衣を持ってるものなんですね。
食べ物を買ってきてもらったので広げて食べる。
空は薄暗くなっていていつの間にか周りでも宴会が始まっている。
どこかの大学のサークルがいわゆる学生ノリで騒いでいる。
辺りを見渡すと至るところに人が立ったり座ったりしていて大混雑。
近くに設置されていた簡易トイレもいつのまにか行列に。
7個あるうちの5個が女性用で2個が男性用になっていた。
「へー。考えたなあ」と昼のうちは思っていたのだが、
夜になって人が増えて並んでみると行列になるのは男性の方ばかり。
手持ち無沙汰な男性たちがダラダラウネウネと並んでいる。
女性の方は下手すると列すらできず。
アイデアはいいものの数の配分を明らかに間違えている。
そのことをトイレから戻ってきて話すと
「これで女性の大変さがわかっていいでしょう!たまにはありですよ!」と言われる。
6時になると空はまだ明るいのに始まりを告げる花火がボンボンと打ち上げられ、
7時を過ぎると再度また始まりの花火が打ち上げられる。
第1会場では尽きることなく花火の饗宴が繰り広げられる。
第2会場はどうしたもんか開始が遅れたのであるがやがて追いついて、
僕らはこちらの花火をシートに座ってあれこれ騒ぎながら眺める。
赤と緑の火花が飛び散るようなカラフルなタイプの花火が多かったように思う。
僕としては色はなくてもいいから大きさや緻密さで圧倒するものの方が好きで、
そういうのってクライマックスにならないと出てこなかった。
黄色っぽい細い光の筋が咲き乱れて夜空にスーッと吸い込まれていくようなやつ。
あと、花火って音なんだなというのを改めて認識する。
自分たちでもやっといてなんだけど
花火にかこつけて宴会をしているような場所で見るような花火は
やっぱ風雅さに欠けてにぎやかなだけ。花見に来て桜を見ないようなもの。
花火の音に浸るっていうようなものでないと「うわーっ!」という気分にはならない。
次に見るのならそういう花火大会がいいなあ。
今公式サイトを見て分かったんだけど、
花火大会ってプログラムがあって、それぞれに題目がついていた。
ポケモン花火「裂空の訪問者」ってのもあった。
(続く)
[1330] 若い女性にビールをぶちまける 2004-07-30 (Fri)【証言A】
あれは7月初めの日曜日のことでした。
以前とある仕事でご一緒させたいただいた方が上京してくるということで、
飲みに行きましょうということになったんです。
あの年は猛暑でしたね。あの日もまた暑い1日だったことを覚えています。
関西の方だったのですが、なぜかその時僕が入りましょうと提案した店はネギ焼きの店でした。
関西の方ってよく、家でタコ焼きを作って食べるのが当たり前で
関東に引っ越してくるときマイ・タコ焼器を必ず持ってくるって言うでしょう?
食べ飽きてるに違いないのに「関西」から連想されて僕の頭の中から離れなかったのは
あの年の正月、生まれて初めて行った大阪で食べたネギ焼きだったんですね。
しかも運の悪いことに待ち合わせの時間の前に新宿駅の東口をブラブラと歩いていたら
見つけてしまったんですよ、ネギ焼きの店を。
普通に東京の食べ物を食べていればよかったんです。
そうしていたらあんなことにはならなかった。
【証言B】
ええ、そのときまでは普通に飲んでいました。
地下にある店で、けっこう待たされました。
そうですね、刻んだネギだけを大量に焼くのがメニューにあったりして、
最初は「何これー?」と笑っていたんですが、
ネギに味がついていて鉄板の上で焼いてみるとおいしかったです。
××さんですか?ええ、既に3杯か4杯は飲んでたと思います。
中ジョッキで。ビールを。他の飲み物は飲もうとしませんでした。
【証言A】
その件については、正直言ってあんまり思い出したくないんです。
後味悪いんで。
彼女たちが店の奥に消えてしまってから、「どうしよう、どうしよう」と思いました。
こういうとき、大人としてどう接するべきなのか。
彼女たちがトイレから出てくると、
彼女たちは食べてたもの飲んでたものをそのままにして店を出ようとしていました。
僕が彼女たちを呼び止めて、とっさの思いつきで言ったのはこういうことでした。
「ここの飲み代は僕が払います」「クリーニング代というわけではないですが」
僕の隣に座っていた子はもうまともに話もできない状態でした。
もしかしたらトイレの中で泣いてたのかもしれません。
(僕自身、正直言ってたかがビールと思うのですが・・・、腹立てて喧嘩になるのならわかります)
なので主にもう1人の子の方と話しました。
気が付くと彼女たちはいなくなっていました。
【証言B】
ええ、かなり驚きました。
「ちょっとー!なによこれー!!」だったと思います。第一声は。
運の悪いことにブーツを履いていたんですよね。彼女は。
だから左足が全部、ブーツの中まで・・・。
××さんですか?彼はほぼ放心状態でした。
お店の人がおしぼりを持ってきて拭いている間、ぼけーっと眺めてるように見えました。
【証言A】
僕、そういうところあるんですよね。
何か起こってしまうとパニクって動けなくなってしまう。
慌てふためくのならまだいいんでしょうけど、完全に頭も体も動かなくなってしまうんです。
【証言B】
仕方がないんで私は立ち上がって、手近にあったおしぼりを何個か渡したんです。
ハンカチも渡したかもしれません。
声もかけました。でも、なんと言ったのかは今では覚えてないんです。
【証言A】
その後ですか?僕らもすぐに店を出て別な店に入りました。
でもビクビクしてましたね。新宿を歩くときは。
や、別に彼女たちが待ち伏せしていて仕返ししてくるとか、
どこかの店で不機嫌そうに飲みなおしてるんじゃないかとか、
うまく言えないんですけど、そういうことじゃなくて。
でも、そういうビクビクしたところは見せたくないんであくまで平常心で振舞おうとしました。
【証言B】
次の店では普通に飲んでました。
最初からあの店に入ってればよかったです。
七輪の上でいろんなものを焼くんです。おいしかったですね。
××さんが何度か行ったことのある店でした。
東京は暑かったですね。
ええ、もちろん京都も暑いですが。
あの年は猛暑でしたね。
あの日もまた暑い1日だったことを覚えています。
[1329] 歯医者その8 2004-07-29 (Thu)その後1ヵ月経過して、また歯医者に行く。
前回、歯の間の歯垢を取るために歯間ブラシを使うように指導され、
夜寝る前に歯を磨く時に続けて使うようにする。だいぶ慣れる。
1ヵ月。長かったような短かったような。
待合室で雑誌を読みながら待っていると
「オカムラさん、中にお入りください」と声をかけられて、顔を上げる。
いつもの人とは違う。
「一番奥になります」と案内され、診療台に腰掛ける。
あの人はどうしたのだろう?と考える。
今日は休みなのだろうか。
「1ヵ月ぶりに会える」と思ってこっちは来てるのに
向こうにしてみれば僕は抱えてる患者の1人でしかなく、
休みを取るのも気楽なものなのかもしれない。
そう思うと「はー・・・」と悲しくも寂しくもなってくる。
しかし、以前話した時、歯科医院には有給というものはなく
体調でも崩さない限り休めないということを聞いている。
並大抵のことでは休みを取れない。
そうだ。そういうことなのだ。
あータイミング悪いなあと自分の運の悪さを嘆きたくなる。
が、ふと思う。もしかしたら何かが起こって急に辞めてしまったのかもしれない。
患者や同僚との間でトラブルがあったとか、健康上の理由とか。
「結婚が決まったので辞めます」だとしたら目も当てられない。
どんどんどんどん悪い方悪い方に物事を考えていく。
暗い気持ちになる。目を閉じる。
というところで「オカムラさん、こんにちは」との声。
目を開けると彼女が笑顔で立っていた。
よかったと思う。救われたようにすら思う。
なんだか慌てて出てきたようだ。何があったのかはわからない。
両手にポリエステルか何かの半透明の白い手袋をはめる。
「1ヵ月のお加減どうでしたか?」と聞かれる。
「歯間ブラシは慣れましたか?」
その後、夏のイベントにはどこか行かれましたか?という話になる。
先週三浦半島にドライブに行ったことを話す。
フェリーに乗って温泉に入った。
その後は無いんですか?と聞かれて
来週末に会社の同僚たちと隅田川の花火大会を見に行くことになっていると僕は答える。
「花火大会いいですね!」
彼女の目が輝く。
「これまでにどこの花火を見たことありますか?」
思い出せない。調布や豊島園の花火を通りがかって眺めたことがあるぐらいか。
「私先週横浜に行ったんですけど、花火大会やってたんですね。
近くにいたんですけど、ものすごい人手で混んでて、私家に帰りたくなっちゃいました」
歯の様子を確認してもらう。
歯磨きがうまくなっているため歯茎の状態がよくなっていると診断される。
「歯磨きの時出血しなくなったでしょう?」と言われて、そう言われてみればそうだと思う。
歯間ブラシの使い方を覚えたら次はデンタルフロスです。
彼女は必殺仕事人のようにテグスを両手に持ち、ピンと張り詰めらせる。
そしてニッコリと笑う。
そこから先ほんとならデンタルフロス講習となるのだが、
歯間ブラシを使ってるところを見せてくださいと言われて
寝そべって左手に手鏡を持ち右手で歯の表側から磨いていたら
今度は裏側から磨いてくださいと指示される、
そして僕は裏側から磨いてみたことは無くどうにもうまく動かせない。
結局この日は裏側から磨くレッスンとなる。
デンタルフロスを使えるようになるとそこから先は
半年に1度程度通って歯の健康状態のチェックとなる。終わりに近付いている。
それが1回分伸びたのだから僕としては「よかった」と思う。
これまでにも何度も書いてきたことではあるが、
最後に彼女に歯を磨いてもらっている時が
今の僕にしてみれば最も幸福な瞬間なのだ。
これをいかにして引き伸ばすか。
このことを考え出すと仕事は手につかなくなるし、土日はぼんやりしてしまう。
(続く)
[1328] 歯医者その7 2004-07-28 (Wed)次の週になって、また歯医者へ。
今回はちゃんと診察台に横たわる。
歯科医の先生が歯茎に麻酔を打ち終わると後は2人きり残される。
歯石を取る。今日は下の右側。
「この前オカムラさんがモロッコとドバイの話をしたんで、
私本屋に行ってどんなとこか調べてみたんですよ。
でもモロッコのはあったんですけど、ドバイってなかったですね」
(口を思いっきり開けて)「ほーでふか」
「友達にも聞いたんですけど、みんなドバイのこと知らないって」
ふーむ、そういうものか。
20代の女性ならば誰もが知ってるのではないかと僕は思っていたのだが、
どうもそうではないらしい。
実際にそこに行く・行けるは別として、
女性たるもの世界のリゾート地には目ざといものなのではないかと。
「それで、モロッコの本を読んだんですけど、すごいとこみたいですね」
(再度)「ほーでふか」
「女性の一人旅は危ないって書いてましたよ。
知らない男に声かけられても絶対ついて行っちゃいけないって。
私なら絶対1人じゃ行けない」
彼女は「1人」ってところを強調して話した。・・・ように僕には思えた。
「それでもう1コ、本見たら覚えたことがあって。
モロッコってお酒を買うのに年齢制限がないみたいですね」
「そうなんですか?」
口をゆすいだ直後だった僕は聞き返す。そんな話初めて聞いた。
あれだけ酒が手に入りにくかった国だったのに。
「それは知らなかったですね」
「えーでも海外に旅行に行くとなったらその国のこと調べるでしょう?」
そりゃそうだけど。だけど少なくとも「地球の歩き方」にはそういうこと載ってなかった。
彼女は何を読んだんだろう?
そういえばこれまでの何回かの治療の間に彼女は
「お酒を飲むことが好きだ」みたいなことを言っていたのを思い出す。
また横になって歯石を掻き出すのであるが、その前に。
「モロッコの食べ物ってどうなんですか?」
「正直あんまりおいしくなかったですね」
「えー?そうなんですか。私世界のいろんなところの食べ物のお店に行って
食べるのが好きなんですよ。モロッコって香辛料が効いてておいしそうなイメージが」
「でも、確かにスパイスはたくさん入っているんですけど、
そもそも味がないんですよ!しょっぱいとか、辛いとか」
「えーそうなんですかあ?」そう言って彼女は笑う。
恒例の歯磨きの時間となる。
最近どういうところに気をつけて磨いてますか?
どういうところが磨きにくいですか?
もう何回も通ってその度に指導を受けているので
僕の磨き方はだいぶ向上していると誉められる。
歯茎の様子を見ただけですぐわかるのだそうだ。
歯石を取るのも今日で一段落。
さらなる歯と歯茎の美容と健康への道を
今後は僕自ら切り開かなくてはならないようだ。
「プラーク・コントロール」という言葉、聞いたことありますか?
ってとこから始まり、歯周病の予防のために歯間ブラシの使い方を覚えて
歯と歯の間のばい菌を取り除くようにしましょうという指導を受ける。
5cm ほどの小さな細長いプラスチック。
その先端部分が折れ曲がり、その先には 2cm ほどのブラシがくっついている。
年上のいとこが歯科衛生士で、家に行くと歯ブラシの横においてあって
「これって何に使うものなんだろう?」と不思議に思ったことを思い出す。
このブラシを歯と歯の間に差し込んで2・3回前後に動かして歯石を取り除く。
説明を受けてやってもらってると簡単そうに見えるのだが、
自分でやってみると非常に難しい。奥歯にうまく入らない。
特に寝そべってたりするともう至難の業。
右手で持って左の上の奥歯なんて不可能に近い。
「どうですか?」と聞かれて
素直に僕は「・・・難しいですね」と答える。
「慣れるまで時間がかかります。どうしてもダメなようなら、他の手段を考えましょう」
そんなふうに彼女は言う。
「とりあえず1ヶ月試してみてください。
そして1ヶ月後に歯の様子を見せてください」
歯科医の年上の女性が最後にちょっとだけ戻ってきて、
「歯石を取るコースは終了しました」みたいなことを言う。
次は1ヵ月後か。
そしてこれで通うのも終わりか・・・。
僕が何も言い出さなきゃ終わりとなってしまう。
無理やり治療を引き伸ばすために
左右の親知らず抜きますぐらいのことはしてもいいかなぐらいに僕は考える。
毎晩寝る前に鏡の前に立って歯間ブラシで歯と歯の間に差し込みながら。
(何日も続けているうちにだいぶうまくなった)
[1327] 歯医者その6 2004-07-27 (Tue)モロッコから帰ってきたばかりの頃、歯医者に行った。
受付で僕の名前が告げられると
いつもの歯科衛生士の女の人がドアを開けて
待合室のソファに座っている僕の前に来て、すまなそうに言う。
「あのう、携帯に留守電入ってなかったですか?」
そう言えば珍しく留守電が入っていた。
だけど夕方会社で聞いたとき、「もしもしこんにちは。○○と申します」とあって
そこから先は電波の調子がよくなかったのか途切れていて、なんかの間違いだと思った。
苗字と声に結びつく組み合わせはなく、誰かが掛け間違えたのだろうと。
「先生今日突然体調を崩してしまったんです。
それでオカムラさんの予約をキャンセルさせて頂こうとお電話したのですが・・・」
携帯に残された伝言を聞くことのできなかった僕は
そんなことになってるとは露知らずいつも通り歯医者へ向かったわけだ。
「申し訳ありません」と消え入るような声で何回か言われる。
となると後は次の予約を取って帰るだけ。
・・・のはずなのであるが、せっかく来てもらったのに、ってことなのかそのまま世間話へ。
「オカムラさん前いらしたとき、旅行に出かけるって言ってたじゃないですか。
どこに行かれたんですか?」
モロッコとドバイ、と僕は答える。
「えー!?」と驚かれる。「すごいですね、それ!」
や、そんなすごいことでもないですよ。僕はそんなことを言う。
「あのあと私考えたんですよ。オカムラさんどこに行ったのかなって。
アメリカか国内かなって私思ったんですけど。
ごめんなさい。私モロッコもドバイ?もよくわからないんです。
・・・旅行お好きなんですか?」
「1年に1度は海外に行きますね」
「他にはどの国に?」
2年前が上海でその前がノルウェーで、と僕は簡単に説明を始める。
上海は大学の先輩が住んでいたから。
ノルウェーに行ったのはオーロラが見たかったから。
そこまで話すと彼女はすかさず質問を。誰もがそうするように。目を真ん丸にして。
「オーロラ見れたんですか!?」
いつの間にか彼女は僕の目の前でしゃがみこんでいる。
僕はオーロラを見たいがために初めての海外一人旅で飛行機を何度も乗り継いで
ノルウェーの北のはずれの小さな空港まで行ってバスに乗ったときのことを話す。
そのバスの中でかすかに見えたのに、その後過ごした何日かでは見ることができなかった。
残念に思う、いつかまたオーロラを見に行きたいと思う・・・。
その後初めて行った外国はどこだったんですかって話になって
「ロシア」と答えるとまた目を丸くされる。
「へー。珍しいですねえ!」
「何でロシアなんですか?」
「大学でロシア語をやっていて、語学研修のツアーに抽選で当たっちゃって」
「ロシア語話せるんですか?」
「や、抽選で当たって行くぐらいだから一切話せなかった」
「じゃあどうやって過ごしてたんですか?」
「片言の英語で」
「英語話せるんですか?」
「中学校程度なら」
「すごーい。私中学校レベルのでも、全然だめ。最初の最初からもうやり直さないと」
「ね、オカムラさん、ロシア語でなんか話せます?」
「え、だから、抽選で当たったぐらいだから」
「でも「こんにちは」ぐらい言えるでしょう?」
「あー。ズドラーストヴィーチェ、かな」
「ズドラ・・・?難しいですね」
「ロシア語って単語がやたら長いんですよ」
かなり長いこと待合室で、他の歯科衛生士たちのいる受付の前で
しゃがんで僕と話し込んでいることに気付いた彼女は
はっと気付いて立ち上がると、引き止めてしまってごめんなさいと言う。
「じゃ、次の予約は来週の××日に。今日は申し訳ありませんでした」
(明日に続く)
[1326] ババヘラ 2004-07-26 (Mon)Yahooニュースにこんなのを見つける。
「ババヘラ」と呼ばれるアイスについて。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040725-00000062-kyodo-soci
関連して、Yahooでは以下のようなページが紹介されている。ウィキペディアによる解説。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%90%E3%83%98%E3%83%A9
メーカーによるオフィシャルサイト。
http://www.babahera.net/about.php
あと、秋田のサイト。
http://www.d1.dion.ne.jp/~hatosan/akita/main/
懐かしいことこのうえない。
ウィキペディアでも「類似」の項目にて取り上げられていたが、
このアイスは青森でも売られていて「チリンチリンアイス」と呼ばれていた。
秋田では道路沿いにパラソルを置いてその下でじっと客を待っているようだが、
青森ではおばあちゃんが小さなリヤカーを引っ張ってゆっくりゆっくりと歩きながら販売していた。
アイスが近付いていることを近所の人たちに伝えるために小さな鐘をチリンチリンと鳴らす。
リヤカーの上にはアイスの入った四角い金属の箱が乗っかっていて、
100円ダマを手に幼い頃の僕が「おばちゃん、1つちょうだい」と言うと
フタを開けてヘラでコーンの上によそってくれた。
おばちゃんは真夏であっても長袖の野良着を着ていたなあ。ひさしの大きな白い帽子をかぶって。
アイスというよりはシャーベットに近い食感なのは全く同じ。
秋田ではバナナ味とイチゴ味のようだが、
青森ではスタンダードな白(あれは何味なのだろう?素のシャーベットのようだ)
に赤や緑に着色されたのを混ぜる。
この赤や緑に味がついていたかどうかは今となっては思い出せない。
おばちゃんによってはチョコ味があったなあ。
地方(あくまで青森県内での地方)によってはリンゴ味もあると聞いたことがある。
メーカーも確か1つじゃなくて、複数あったはず。
青森と弘前ではメインとなるメーカーが違うかもしれない。
もう何年も夏に青森帰ってないから
僕の中では「絶滅したんじゃないか」ぐらいに思ってたんだけど、
そうか、いまだ健在か。嬉しいものだ。
夏といえば思い出す。東京にも進出してこないかな。
オフィシャルサイトを見ると通信販売もしてるらしいが、
やっぱおばちゃんに作ってもらわないと気分が出ない。
今でも100円なのかな。今から20年前は100円だった。値上がりしてるかもなー。
それにしても青森が「チリンチリンアイス」とまだ多少奥ゆかしい名前なのに対し
秋田で「ババヘラ」とみもふたもない名前なのはいかがなものか。
命名したという秋田の高校生恐るべし。
ウィキペディアを見ると販売員の年齢により
「ギャルヘラ」や「アネヘラ」などと区別されるという記述あり。
[1325] 旅行記を書く 2004-07-25 (Sun)やる気が出てくる。
ふとしたことから旅行記のコンテストの締め切りが今月末にあることを知り、
せっかく書いたのだからモロッコ・ドバイ旅行記をまとめて応募してみようかと思い立つ。
先週は会社の昼休みに人知れずコツコツと作業していた。
1日ずつ書かれた横書きで行間開け放題のオリジナルの文章を
一まとめにして縦書きのそれらしい文章に仕立て上げる。
半角英数字で書かれてたのを1個ずつ見つけては全角に置き換えるとか地道な作業もせっせと。
今日は朝早起きしてクーラーの効いた部屋に閉じこもって
全体的な文章の手直しをした。
誤字脱字・表記を直すだけでなく、文章を補ったり削除したり。
分量が分量なのでもしかしたら今日1日じゃ終わらないんじゃないかというのが怖かったんだけど、
ようやくさっき終わった。今、一息ついているところ。
オリジナルの日記では原稿用紙に換算して439枚だったのが
今回の作業で3/4の323枚にまで縮まった。
それでもとんでもない分量だ。
モロッコ・ドバイから帰ってきてからは毎週毎週土日はひたすらこの文章を打ち込んでいた。
こんな長い文章を書いたのは初めてだし、恐らく最後になるだろう。
(僕はもし仮に小説家になったとして、長編を書きたいという気持ちは全くない)
ある程度のクオリティーのものにはなってると思う。
300枚なんて書けるんですよ、誰でも。その気になれば。
時間と熱意さえあれば。
とはいえ300枚という分量を均一な質感で統一し、
一定のテンションを持続させることができているかと言えば
それってかなり難しい。素人ならば。
僕は長年トレーニングを続けてきたのである種の技術力でその辺はなんとでもなる。
自分で読み返して、そこのところはクリアしていると思う。最初の関門。
後は読んだ人がこういうの面白いと感じるかどうかだよなあ。
とは思うものの、今回の旅行記が採用されるとはちっとも思ってない。
まず間違いなくダメだろう。文章力以前の問題。
先日ある人と話して、「でもこれってモロッコ行きたくはならないですよね」と言われた。
「そうか・・・」と思う。
100歩譲って「旅行に行きたくなるか」ってとこでもアウトだろう。
つまりこれは商品性がない。
旅行記で言ったら、アメリカに住んでいる祖母を訪ねて
生まれて初めて日本を出た12歳の女の子の思い出を明るく楽しく綴った
素敵な文章の方なんてのがあったら断然そっちの方が世の中に好まれるだろう。
ハラハラドキドキ、それでいてスイートでキューティー。
向こうでかっこいい男の子に出合って淡い恋心でも芽生えたら最高だ。
そんな旅行記があったら僕ですら読みたい。
あるいは暗くて後ろ向きな話ならば
アジアのとある国を遊びで訪れたOLが拉致・監禁されて堕ちるところまで堕ちて
昼も夜も分からないような場所で××させられて何年かすごした後に命からがら脱出したとか。
それぐらいの凄みがあるのなら、手記として価値が生まれてくるだろう。
結局僕が今回書いた旅日記は凡庸なんだよな。
サハラ砂漠まで行こうが、交通事故に遭おうが。
こんなの面白いのだろうか?とすら思う。
人によっては面白いのかもしれない。そういう人がきっといるのだと思う。そう信じている。
だけどわかりやすい魅力が、それを箇条書きにできるようなポイントがない。
世の中には僕よりも文章がうまくてスケールが大きくて斬新で
普遍的で読みやすい文章を書いている人は大勢いる。腐るほどいる。
そして僕と同じように小説家になりたいと思っていて日夜僕より努力している。
そして自らの商品性を見出してそこに賭けていく。
僕にはまだそれができていない。
道のりはまだ険しい。
でも出さないよりは出した方がいいので、応募はしてみる。
---
応募に当たってはタイトルが必要なんだけど、いいのが思いつかない。
誰かなんか考えてください。よろしくお願いします。
・・・タイトルが出てこない時点で商品性として弱いってことなんだよね。
[1324] スロウライダー 「ホームラン」 2004-07-24 (Sat)クリス君の高校時代からの友人ヤマナカ君が主催する劇団「スロウライダー」の公演を見に行った。
前回「アダム・スキー」が面白かったので引き続き、ということで。
ミキさんと3人で。場所は王子小劇場。
東京は今日も暑く、新宿を歩いていたら汗が出て止まらなかった。
そんなときにもミキさんは日傘をさして着物。前回お会いしたときと同様に。
たいしたものである。
(とはいえ毎日着物ではないようだ。本人いわく「普段着の5.5%」)
タイトルは「ホームラン」となっていて、バッティングセンターが舞台なのに
内容はなぜか電波系というかUFO系。
前回のタイトル「アダム・スキー」には宇宙人の話はちっとも出てこなかったのに。
その辺のはぐらかし感覚にこの劇団のスタンスというか佇まいがよく現われている。
例によって舞台装置は凝りまくり。前回以上ではないか?
どっかの地方都市のバッティングセンターのどこかで見たような風景・風情を完璧に再現。
緑色の鉄骨が四方に組まれていて最初は劇場のを利用しているのかと思ったらそんなことはなく、
よく見たら天井とつながってない。
後でクリス君と話していたらあれは木製で、バットがぶつかったときの音がおかしかったとのこと。
どちらにしてもすごいもんだ。
ステージは1階部分(休憩所)と2階部分(ネットが張られている)に分かれていて階段でつながっている。
バッティングセンターの大きな色褪せた看板が掛けられている。
長年風雨に晒されて、何十年か前のオープン時からそのままといった雰囲気がよく出ている。
「稲中卓球部」から抜け出してきたようなバッターのしょぼい絵も脇に描かれている。
どこから探してきたのか、本物の自販機とインベーダーゲームの台が置かれている。
(よく見ると Caca Cola のロゴが手書き)
サラ金の広告まで貼られている。どっかからかかっぱらってきたのか、それとも自作なのか。
おしぼりを温めておく小さな冷蔵庫みたいなやつとか「○×注意」や消火設備の位置を示す札、
バッティングセンターの注意事項を書き出した看板だとか。
あくなきリアリティーの追求。
クリス君曰く、現実と非現実の境目を行き来するようにして話が進んでいくから、
リアルなセットがどうしても必要となるのではないかとのこと。もっともだと思う。
それにしてもこういう手間暇かかった舞台装置を
毎回ステージの度に構築するとなるとお金もかかるし時間もかかる。
今回のバッティングセンター、いったい何日で作成されたのだろう?
話の構成も舞台装置に負けず劣らず緻密。
両者がきっちり噛み合ってて、
ありがちなようにどちらか一方に物足りなさを感じることはないのだから、
演出力として優れたものがあるなと感心させられる。
この宇宙はトカゲ系とグレイ系の宇宙人たちによる勢力争いが日夜繰り広げられ、
トカゲ系の宇宙人たちは地球人の大多数に金属製のチップを埋め込んでいる。
チップを埋め込まれた人間は奴らの発する電波によって操られているのであるが、
当の本人たちはそのことに気付いていない。
・・・といった「たわごと」を心の底から信じている頭のおかしい若者を取り巻く
地方のカルタ/将棋メーカーの従業員たちによるへなちょこ野球部の話。
これだけならよくありがちなんだけど、
今回の「ホームラン」の設定でユニークなのは
その地方ではUFOは虫のようによく取れるものであって
大きいのが空で静止していても人々はなんとも思わないというところか。
現実と非現実。舞台上の現実と非現実が常に入り混じるようになっていて
見てる方は最初から最後まではぐらかされることになる。
伏線張りまくって後半「ああそうか、そういうことだったのか」と唸らされるタイプの脚本なので
最初のうちは彼ら(宇宙人の存在を恐れている若者と、その若者を持て余している周りの人たち)
による奇妙なやり取りがどこに向かっていくものなのかちっともわからない。
次のシーンで何が起こるのか予測がつかない。
それでも物語はダラダラ拡散することもなく、意味不明な難解さに逃げることもなく、
きっちりかっちり大きな揺るぎない流れに組み込まれて進んでいく。
乗客を見知らぬ世界へと連れて行くのに、その列車にはレールがきちんと敷かれ、時刻通りに運行される。
力足らずで「この役者なんだかなあ」「この演出なんだかなあ」と思わせることがないので、
後はもう観る人の好みの問題なのではないだろうか?
こういう話が好きかどうか、こういう雰囲気が好きかどうか。
僕はこういう話大好きだし、それを語る雰囲気、語り口はもっと好きだ。
ここから先は劇団としての、主宰者としての、演劇に賭ける気持ちの大きさや
抱いている具体的なヴィジョンの非凡さやリアルさに負うところが大きくなってくるんだろうな。
その辺の部分では少しばかり迷いがあるように僕には感じられた。
技術力は高いのに、今一歩踏み込んで突き抜けることができないまま
「こちら側」に踏みとどまっている。
なんだか惜しい。
見終わった後、クリス君が制作の人と話していたのを聞いてたら
どこまで本気なのか分からないけど
「このままじゃ全然駄目だ」「解散だ」と言ってた。
きっと本人たちは前からはっきりと自覚していて
自分に、自分たちに物足りなくなっていて
「こんなんじゃない、まだまだもっと上に行ける」
「でもそれはこの団体で追求できるのか?」
ってことに悩み出しているのではないか。
今回が4回目の公演。
そろそろ次が正念場。勝負のときではないか。
まだまだ飛躍していって「スロウライダー」的な何かを世間に打ち付けて浸透させるか、
奇妙な話をリアルな舞台装置で演じていく劇団として小さくまとまるか。
偉そうな話はさておき。
僕としては見てて面白かった。
前回との大きな違いは小ネタで腹抱えるぐらい笑ったってことかな。
ホラー系の劇団なのに笑えるポイントが随所にあった。
次回の公演がどうなるか期待。
12月らしくて、タイトルが「スロウライダーの死霊伝説」
どこまで本気なのか。
---
新宿の DiskUnion 本館の6階(オルタナのフロアが新装開店されていた)に行ったら
なんと Sonic Youth の幻の1枚目を見つける。9800円。
もちろん買った。値段は問題ではない。
上京して以来10何年と探していたものが見つかった。
そんなわけで今日は記念すべき日だ。
---
帰り、山手線に乗ってたらミキさんに、
「群像」の締め切りが10月31日で、あれは確か長さは50枚からだったと教えてもらう。
そろそろなんか書くか、という気持ちになる。
書くぞ。
[1323] 三浦半島ドライブC 2004-07-23 (Fri)少し遅れて船が到着する。
油壺から来たとき同様島を一周するのであるが、船が揺れる揺れる。
風が強くなっていたからか、それとも地震の影響で津波なのか。
フライングカーペット並みに右に倒れて左に傾いて。
そのたびに波がざっぱーんと。
思いがけずワクワクした気分になるが船酔いする人ならいっぺんでアウトだろうな。
「彼氏に連れられてきましたー」って感じの若い女の子がキャーキャー騒ぎまくる。
船は平然と走っていて乗務員のおじいさんたちも何事もなく仕事しているから
この時間帯はいつも風が強くていつもこんなもんなのかもしれない。
疲れと眠気がここになって出てきてものすごく眠くなってくる。
甲板のベンチに座っててウトウトする。
どんなに揺れてようが関係ない。
船が着いてからどうしますか?三崎に行ってマグロ食いますか?
と先輩に相談するものの「腹いっぱいだからいい」と。
眠いんで油壺の温泉に入って、休憩所で寝てるってのも提案したのであるが、これも却下。
フェリーを降りると海水浴場は何も変わることなくのんびりと海を楽しんでいる人ばかり。
船の上で僕らが直面した小さな大冒険が嘘のよう。
駐車場の方に上っていこうとしたら
偶然会社の後輩夫婦が生まれたばかりの子供を抱えているところとばったり出会う。
とんでもない偶然。驚く。
とりあえず油壷を出ることにする。時間はまだ16時過ぎ。
駐車場近くの自販機を見たら「Mountain Dew」と「スコール」を見つける。
珍しい。神奈川だと売ってるのだろうか。
「スコール」なんてもしかしたら初めて見たのかもしれない。
名前だけはたまに聞くことがあるんだけど。
缶には「愛のスコール」「スコールとは乾杯という意味のデンマーク語です」
「乳性炭酸飲料」「THE ORIGINAL MIX」「SINCE 1971」などと書かれている。
販売者は南日本酪農共同株式会社となっていて、宮崎の会社だった。
もう30年以上売られているのか。たいしたもんだ。
飲んでみたらなにげにうまい。なんだかどこか懐かしい味。
さてどこに行くかってことになったとき、後輩の女の子が
友人が葉山で買ってきたケーキがおいしかったことを思い出す。
「いいねー」という声が上がる。
昼あれだけ食べたので気分的にはマグロよりもデザートの時間。
(結局マグロはホテルで食べた3切れだけ・・・。3食マグロとはいかなかった)
朝来た道を引き返す。とんでもなく混んでいる。
油壺も城ヶ島もそんなに人がいなかったのになぜこれほどまで混むのか?
不思議でならない。
彼らはいったいどこにいたのか?三浦海岸から回ってきたのだろうか。
渋滞。カーナビを見るとどこまでも渋滞を示す線が。
(どうでもいいことですが、なぜカーナビでリアルタイムに渋滞情報を感知できるのか、
その仕組みを先輩に教えてもらった。ペーパードライバーだと世の中知らないことばかりです)
三浦縦貫道路の入口を超えると急に渋滞が解消される。
ここから先は快適なドライブになる。
三浦半島が初めてである以上、葉山もまた初めて。
名前としてはよく聞くけど。御用邸とか「葉山マリーナ」とか。
もしかしたら日本を代表する裏リゾート地なのだろうか?
助手席からキョロキョロ眺めるのであるが、見たところただの田舎。
ところどころ代官山から引っこ抜いてきたかのようなおしゃれな店があり。
御用邸の側を通りかかると「おー」と思う。
探索したら何かと興味深いものがあるんだろうけど、
ヨットをやらない人がここに来ても退屈なだけなんだろうな。
あるいはお金持ちでないと楽しめないとか。
そもそも地図を見たら電車が走ってない。不便そう。
車を持ってなかったらバスで移動することになるのか。
地元の人からしてみればそれでいいのだろう。
全般的にプライドが高そうだ・・・。
ケーキ屋の名前は「鴫立亭」
駐車場に車を停める。格式ありそう。
ほんとかどうかわからんが、皇族の方も召し上がるとのこと。
ジーパンにサンダルの僕なんて入れてもらえるのだろうか?とついつい思ってしまう。
中に入ってみる。
入口すぐでケーキを販売していて、その先が喫茶店のようになっている。
わざわざここまでドライブしてきたと思われるOLっぽい女性たちが入れ替わりに帰っていく。
奥には筋金入りで金持ちっぽいおばさんたち。
ケースの中にはいろんな種類のケーキが売られている。
ショートケーキだろうとチーズケーキだろうと長くて絶対覚えられないような名前がついている。
どれを食べるべきか?よくわからなくなってきて僕は一番地味なチーズケーキにしてしまう。
密かにテンパる。色が3色以上あるものは認識不能となる。
値段はどれも意外と安くて400円ぐらい。
こういうところなら1コ1000円はくだらないんじゃないかってびびっていたのであるが。
逆にコーヒーの方が高くて、600円だった。
チーズケーキが運ばれてくる。
何も考えずバクバク食べてしまって、
食べたあとにハッと「これってうまかったのだろうか?」と思う。
おいしかったのは確か。
だけど普段ケーキを食べ慣れてないのでどれぐらいおいしいものなのかがよくわからない。
駅前のごく普通のケーキ屋のケーキを
お土産にもらって食べることが年に2・3回あるかどうかだから
舌がケーキ慣れしていない。比較できない。
ケーキ屋なんて男性が1人で入る場所ではないでしょう?
男性2人で入るならなおさら。
店の入口には細長いガラスのケースの中にとても大きなデコレーションケーキが飾られてあった。
お菓子の城といったところか。
店の中の雰囲気もヨーロッパ中世の田舎って感じだったなあ。
(どんなもんか知らずに適当に↑言ってるが)
お菓子の家。大人になって適度にうら寂しくなったメルヘン。
魔女が住んでそうでヘンデルとグレーテルを待っているような。
暖炉があって、馬車のような手押し車が置かれていて。
ロウソクの光が似合いそうな。
あと、お菓子のブタやカエルが売られていたことを覚えている。
どのケーキもほんと手軽な値段で、
都心のあのバカ高い高級な店のケーキってなんなのだろう?と思う。
店を出ると後は帰るだけ。
さっき混んでたから高速混んでるんだろうなあと思ったのだが、そんなことはなかった。
汐留までは渋滞につかまらず順調に東京まで戻ってくることができた。
汐留に700万で販売されている1Rのマンションがあるという話になり、
渋滞で停まっていたときに「あれだ」と見つかる。
モザイク状の蟻塚みたいな外見。
汐留でワンルームで700万。高いか安いか。
100万か200万なら買うけどなあ。セカンドハウスとして。
それでも本拠地は荻窪のアパート。
東京駅の地下の中華料理の店でラーメンを食べて解散。
楽しい1日だったなあ。
それにしても温泉またすぐにも入りたくなってきた。
どこか近場にいいとこないものか。
[1322] 三浦半島ドライブB 2004-07-22 (Thu)船を下りる。岸を歩く。
地元の人たちが軒先で涼んでいる。大きな犬を連れている。
船の中から見えたホテルへと歩いていく。
お土産屋や海の幸の食べられる食堂が立ち並ぶ商店街を抜けて、角を曲がり
同じように食堂やお土産屋の並ぶ通りに入る。灯台に続くようで坂道になっている。
中では干物が売られ、店先ではイカやとうもろこしを焼いている。
地元の人相手なのか取れたばかりの魚を
発泡スチロールのケースに入れて売っているところもある。
観光地ズレしてなくてのんびりとした雰囲気を感じる。
海沿いの道に出る。日差しがまぶしくなる。
油壺で見かけたように子供たちが水の中に入って遊んでいる。
ホテルに到着。
フロントにてホテルを紹介するホームページにあった「日帰りプラン」を利用できないか聞いてみる。
入浴と食事、部屋で休めて3000円。
もしかしたら3連休なので予約がいっぱいなのではないかと不安だったのだが、空きがあった。
4000円の「鮪づくし」コースは仕入れの関係上前日までに予約が必要だということでそこは諦める。
部屋に案内されるとさっそく温泉へ。
小さくはあるが露天風呂。海が眺められる。富士山も見える。
「海洋深層水」を汲み上げて温泉としているようだ。顔にかかったお湯を舐めてみるとしょっぱい。
ここの温泉は浸かっている時よりもいったんお湯の外に出て
近くに並んだデッキチェアに腰を下ろしているときの方が断然気持ちいい。
お湯で温まった体を時折吹く風にさらす。
ぼけーっと海を眺めていると漁船がゆっくりゆっくりと視界を横切る。
極楽である。
(しかし、いかんせん海水なので髭剃り後がヒリヒリする)
温泉から出て、売店で缶ビールを買う。
部屋に戻る。料理が運ばれ始めている。
先輩がゴルフ番組を見ている。
「オカムラ君もゴルフやろうよ」と言われる。
ゴルフを嫌ってるわけでもないので「あー機会があったらやってみたいですね」と答える。
話のタネに1度はやってみたいものだ。
でもコースに出る前に何回か練習しなきゃいけないみたいでそれが面倒だ。
ゴルフクラブのセットなんて買いたくないし(置く場所ないし)。
それにしても僕はゴルフ無茶苦茶下手そうだ。
スイングのフォームとか姿勢とかが問われるとなると100%向いてない。
やっても辛くて惨めな思いをするだけだろうな・・・。
料理が全て運ばれた頃、ようやく女性陣が戻ってくる。
天ぷらに刺身に茶碗蒸し、一通り揃っている。
最初のうちはこれらのものがなくて、
「3000円のコースだと寂しいもんだなあ」
「4500円のコースにしとけばよかったなあ」と思ったりした。
これで3000円なんてありえんよ、って驚くぐらいにたくさんの品数。
普段こういうものを食べてない僕からしたら
うまいかまずいか以前の時点で満足してしまう。
客観的に言えばそんなうまいものでもなかったが、
3000円で入浴もついててこれだけ食べれるならもう最高です!と思う。
食べ終わってウダウダしてるうちに部屋を出なきゃいけない14時になる。
次のフェリーまであと1時間以上ある。
ホテルを出て、島の観光をするかとまずは裏にある灯台へ。
道を間違えて1度商店街の方に下っていく。
あちこちで焼いたイカが売られていて、腹いっぱいのはずなのに食べたくなる。
灯台は「明治3年」という日本で2番目に古い歴史を持つようなのだが、
行ってみると普通の小さな灯台で中には入れない。
「こんなちっちゃいのか!」と驚く。
ただ、高台にあるので眺めはいい。太平洋が見渡せる。
ちなみに日本で最初に建てられた灯台は同じく三浦半島にある観音崎灯台。
ペリーが黒船を率いて来航したのはその近くにある久里浜ですね。
灯台から下に下りて行って、岩場・海水浴場を歩く。
その前に店の一軒に入ってイカの半身焼きを買って食べる。
甘いタレをつけてさっとあぶってくれる。おいしい。
海水浴場は油壺よりも大勢の家族が集まっているようだ。
油壺と違ってテントを張っている人たちが多い。
馬ノ背洞門へと向かう。
油壺の砂利以上に歩きにくく、途中でギブアップしたくなる。
痛くて痛くてたまらん。拷問のようだ。
しかも昼間なので砂が熱せられて暑い。それでも僕は男の子なので我慢して歩く。
馬ノ背洞門。長い年月の間に波や風雨にさらされて岩がきれいに丸くくりぬかれている。
上の方はもうかなり薄くなって狭い道のようになっている。
危険なので洞門の中に入らないように、上を歩かないようにと注意書きがなされている。
遠足なのか小学生の集団が散らばっている。
引率している先生が「上、歩こうと思ったら歩けるよ。私は昔歩いたことがある」と語る。
14時40分を過ぎている。
そろそろフェリー乗り場に向かわなければ次のに乗れなくなる。
海沿いに砂利道を引き返すのは気が遠くなりそうだったので、
丘を登っていって島の中心部を突っ切るコースを取る。
ハイキングコースってことになっていて小さな道が整備されているが、
周りをうっそうと茂る植物に囲まれていて
ほんとにこれでたどり着けるのかと心細くなる。
歩いてるうちに「海鵜展望台」に差し掛かる。
切り立った崖の上にあって眺めがとてもいい。三浦八景の1つなのだそうだ。
時間がなかったので先に進む。
しばらく歩いていくと県立公園に出る。そのままサーッと通過。
坂道をテクテクと下っていくとやがて海辺に出る。
馬ノ背洞門や灯台のあった方とは反対側。
他の観光客たちの歩いているのについていくと北原白秋の石碑に出る。
北原白秋は一時期この城ヶ島に住んでいたようだ。
海沿いに歩いていくうちにフェリー乗り場へ到着。
出航の10分前だった。間に合ってよかった。
蒸し暑く、温泉に入ったせいか体も温まり、汗びっしょりになる。
待合室代わりのベンチに座っているといきなり地震が。
地面がグラグラと大きく揺れる。
周りの人たちと一緒になって「地震だ!」「津波は来るのか?」という話をする。
まさか津波が来て船が出ないなんてことはないだろう。
とはいえ出航時刻になっても船が到着せず、不安になる。
[1321] 三浦半島ドライブA 2004-07-21 (Wed)さっきハイキングロードって書かれてるのをそういえば見たと誰かが言い出し、
近くを歩き回って時間をつぶすことにする。
どこがどうハイキングロードなのかはわからず、海水浴場脇の岩場を歩き始める。
・・・大きいのから小さいのまで至るところにフナムシ。わさわさと。うじゃうじゃと。
「フナムシパラダイス」と人知れず名前を付けられる。
サンダルは僕だけで、後はみんなスニーカー。
地面は砂というよりは砂利のようで、貝殻の破片も混じり合って痛いことこの上ない。
歩いてられない。少し歩いては立ち止まってサンダルを脱ぎ、
サンダルと足の裏に挟まった砂利を掻き出し、
また少し歩いては踵を持ち上げてブラブラさせて砂利を落とそうとする。
岩場には釣りをしている人たちが何人かいた。
シュノーケルをくわえて水面に浮かんでいる人たちもあちこちで見かけた。
何が採れるのだろう、何が釣れるのだろう。
岩の斜面にはユリのようなオレンジ色の熱帯っぽい植物が咲いている。
太い鉄製のパイプが崖から下りてきていて、海中に続いている。
そういえば温泉は「海洋深層水」って書いてあったなあ。
汲み上げているのか、それとも排水を流しているのか。
パイプの裂け目を覗き込んだ後輩は「海の方に流れている」と言うのであるが・・・。
階段を上って降りていくと同じような岩場へ。
階段のてっぺんで足を止めて周りの景色を眺める。
海はなかなかきれいだった。
降りた先の岩場にはまた別の海水浴場と海の家があって、
ああこの辺って小さな海水浴場が岩で遮られていくつか連なってるのだなあと知る。
デコボコした岩の上を歩く。潮溜まりの中を小さな魚が泳いでいる。
蟹がのっそり歩いているのを見つける。
海の家脇の小道を登っていくとマリンパークに出る。スタート地点に戻ってきたことになる。
9時を過ぎて日差しが強くなってきて、みんな汗ダラダラとなる。
いつの間にか晴れていた。
先ほどフェリー乗り場に下りていったときの木陰の道に入る。
涼しくて、ここでしばらく一休みする。
フェリー乗り場に行く。空が晴れたので今度は予定通り出航するという。
本来の値段ならば片道1300円なのだが、9時の便が欠航で1時間待ってもらったからと
窓口のおばちゃんは2割引で1040円、往復で2080円にしてくれた。
乗り場にはおじいさんがいて、船会社の上下つながった水色の制服を着ている。
船が城ヶ島から到着するまでの間、僕ら相手に昔話を始める。
こういう話。
-----------------------------------------------------------
私は昔、大きな船に乗ってたんですね。
タンカーって言うと原油を運ぶもんだけどそういうのともちょっと違って、
ナフサとかケロシンとか。
イタリア製の大きな船に乗ってました。
でもあるときを境に乗るのやめちゃったんですよ。
ああいう原料を運んでると石油だからガスが生まれます。
タンクに入れたままにしてると膨張して破裂してしまうから
時々ガスを外に抜かなくちゃならないです。
そのガスも重いから風が吹いてなかったら
船のあちこちの通路に溜まることになります。
そこのところは家庭のガスと一緒です。
だから危険なのは静電気や鉄がぶつかり合ったときに
火がついてボン!と爆発してしまうことです。
船に乗ってるとなかなか家に帰れません。
私は一番長いときで2年半船の上でした。
あるとき、母が危篤だという知らせを受け取りました。
でもすぐには故郷に戻れません。
船の上だったし、自分の代わりをしてくれる人を見つけて、引継ぎをしなくてはいけないんです。
そのときたまたま、荷主の人が亡くなられて
じゃあこの荷物は誰のものから誰のものとなるのかという手続きがあって
船が停泊することになったんです。鹿児島の港でした。
2週間停まりますということになって時間ができて、
会社の人が代わりの人を見つけてきてくれました。
それで私は母のところに戻ることができたのですが、その次の日に母は亡くなりました。
船の人間なのに、母の死に目に間に合うことができて私はとても幸運でした。
その後船はフィリピンに向けて出航したのですが、
ガス爆発で船が真っ二つになって友達がみんなみんな死んでしまいました。
その日を境に私は船乗りをやめることにしました。
私はそれから陸の上で働き始めたのですが
根が船乗りなもので気が付くと少しずつ少しずつ海に引き寄せられるんです。
それで見つけたのが今のこの船の仕事でした。
-----------------------------------------------------------
油壺と城ヶ島の間の僅かばかりの距離を約15分間で走る小さなフェリー。
それを運営する小さな会社。
おじいさんはニコニコ笑いながら
改札係として、到着した船の搭乗口に板を渡す係として日々働いている。
東京から車に乗ってきて今何気なく乗ろうとしていたフェリー。
そこで1人の人間の「人生の行き着いた先」というものに触れる。
不思議なものである。
こんな話もしてくれる。
三崎はマグロで有名だけど、いつの時代も鯨の陰に隠れて主役となることはなかった。
三井や三菱といった商社がヘルシーな食べ物「ツナ」の材料として
大量にアメリカやヨーロッパに運んでいた時期もあったのだが、話題になることもなかった。
戦後、おじいさんが船乗りになった頃の捕鯨船の船乗りは花形職業だった。
第一船が港に戻ってくるとなると大勢の人々が待っていて、船長は花束をもらったものだった。
当時の新卒会社員の平均賃金が月に6千円だったときに船員の年収は80万近かった。
船長ともなるとその4倍はもらっていた。
おじいさんも船乗りとしてたくさんお金をもらっていた。
兄弟全員の家を建ててアパートまで建てたのだという。
だけど船乗りをやめることになったんで、裸一貫一家総出で三浦半島に移り住んできた・・・。
フェリーが油壺に到着する。
乗客は僕ら5人だけ。期せずして貸切。
おじいさんは「岸壁の母じゃなくて絶壁の父が見送りです」と言って笑う。
船が岸を離れる。おじいさんがこちらに向かって手を振ってくれる。
船の中の乗務員は同じようなおじいさんばかり。
もしかしたら僕らよりも数が多かったのだろうか?
3連休の初日、これだけ暑くても5人しか客が乗ってなくて経営は成り立つのだろうか?
そんな余計な心配をしてしまう。
客が僕らだけなのでおじいさんたちも僕らにあれこれ話しかけてくる。
フェリーは油壺を離れ、城ヶ島へ。
青い海を突っ切って白い波飛沫が上がる。
僕は缶ビールを買って飲む。ご満悦。貸切ってのがなんともゼイタク。
遠くには何席もの漁船が。後で聞いたところではイカを釣るのだという。
ヨットやシーカヤックが浮かんでるのも見かける。
ふもとの方が曇っていたので、富士山の頂が空中に浮かんでいるように見えた。
15分ぐらいで城ヶ島に到着。
ここですぐ降りるのではなく、観光船ってこともあって島を一周してから降りることになる。
(帰りに油壺に戻るときも一周してから油壺へ向かうことになる)
ここで何組もの観光客が乗ってきて、残念なことに貸切は終了。
社員旅行っぽい集団やカップルなど。写真を撮ったり甲板の手すりにもたれて海を指差したり。
僕らはアイスクリームを買って食べる。
城ヶ島大橋の下をくぐる。島は1周しても20分ぐらい。とても小さい。
ところどころ観光案内として景勝地の説明を行うテープが流れ、
それが終わると島の民謡に。
先輩は「Kill Bill」のラストに流れる梶芽衣子の「怨み節」に似てないか?と言う。
[1320] 三浦半島ドライブ@ 2004-07-20 (Tue)この前の土曜、会社の先輩や後輩たちと三浦半島にドライブに出かけた。
最初の構想では竹芝桟橋から毎日出ているフェリーに乗って大島に行って
海水浴をするか温泉に行くことになっていた。
・・・が、フェリーは事前に予約が必要で、
この時期、特に3連休ともなると夏の大島へと向かう若者たちだらけ。
もたもたしているうちに予約がいっぱいになってしまっていた。
羽田から飛行機も出ているがこれも残席なし。
「新中央航空会社」というところが府中から飛行機を飛ばしているがこれも無理そう。
仕方なく断念する。
じゃあどこに行こうかってことになって何人かの有識者に相談してみたところ
浮上してきたのが三浦半島。
海水浴場も温泉もあって、マグロがうまいらしい。即決。
海水浴はまあいいとして温泉とマグロですね。
20代後半から30代前半にかけての会社員からすればたまんない話。
ということで三浦半島と決まるものの
「どこっすか?それ」というとぼけた質問が主に若い人たちの間で巻き起こる。
というかそれ以前に僕自身もその地理を把握していない。
正直に言うが、僕は伊豆のある場所が三浦半島だと思っていた。
(もっと正確に言うと名前はわからないが伊豆は半島にあって、強いて言えばその名前は三浦半島)
西から眺めるとこんな感じ。
箱根・伊豆(三浦半島)・鎌倉・湘南・横浜
住んでる人からしてみれば「ありえなーい!」って感じなんだろうなあ。
今地図を見て「そうか、半島が2つあるのか」と改めて認識。
僕が考えたプランとしては、以下のようなもの。
------------------------------------------------------------------
東京→油壺にて温泉マグロ→フェリーに乗って城ヶ島へ、ぶらぶらと観光
→フェリーで油壺に戻る→三崎に移動してマグロを食べる→東京に帰る
------------------------------------------------------------------
三浦半島って温泉がそんななさそうなんだけど
いくつかの旅館・ホテルにあることはあった。
朝7時に東京駅に集合。
僕は前の晩会社の後輩たちと飲んでいたので(新人たちのチーム配属があった)
少しばかり睡眠時間が少ない。土曜に早起きともなると体の中は疲れが残りまくっている。
寝たのは3時だった、という後輩もいた。
みんな時間に遅れず集合したのでささーっと出発する。
カーナビで目的地を設定すると到着予定時刻は8時半。あまりに早すぎる。
僕は思いっきりペーパードライバーなので
車で移動するときの時間と空間の感覚が身に付いていない。
どれだけの距離があってどんな道(特に高速)を通んなくちゃならなくて
それってどれだけ時間がかかるの?ってやつ。
「とりあえず早めに出ておけば渋滞に巻き込まれないんじゃない?」ぐらいにしか考えてなかった。
仕事の愚痴を言ってる間にあっという間に着いてしまう。
飛ばして飛ばして渋滞に遭うことはなく。景色を見る間もなかった。
僕が印刷して持ってきていたとあるサイトのページには
フェリーに乗るとスカイブルーとマリンブルーが溶け合い、みたいなことが書かれていて
「これは見てみたいね」という話を車の中でする。
高速の16号線「横浜横須賀道路」を経て「三浦縦貫道路」へ。国道に出るとひたすら南下していく。
京急久里浜線の終点「三崎口」駅の側を通る。
この辺りから「マグロ」「マグロ丼」「サザエ」「サザエの壷焼き」と書かれた看板がちらほらと。
「おーいいねー」とみんな言い出す。
「朝から食べたら3食マグロだねえ」「いーんじゃない?それでも」などと。
油壺に到着。
普通の住宅地の中に椰子の木が生えている。
そのまま細い道を走っていくとやがて両サイドに土産物屋や食堂、民宿が。
行き止まりには「油壺マリンパーク」
駐車場が3000円だというので「高い」と引き返す。
途中の食堂や民宿のあちこちで敷地を貸し駐車場にしていて、
1日500円だったのでそっちに停める。
8時半過ぎ。
マリンパークが開いてるわけでもなく、温泉のある旅館もまだ入れない。
歩いている人は少なくてここはただの寂れた田舎の観光地だった。
マリンパークももうちょっとリッチな施設かと思っていたのだが、完全に子供向けだった。
ヨットハーバーはもっと別な場所にあるのだろうか。
「終わってる・・・」口には出さないが歩きながらみんなそう思う。
それでいてリゾートマンションの建設が始まっていて、なんだかバランスが悪い。
フェリー乗り場へ。
木陰の遊歩道を降りていく。
東大の地震観測研究所が建っている。
左側は斜面というかかなり急な角度の切り立った崖になっていて
酔っ払って足を踏み外したら転げ落ちて頭を打って死んでしまいそう。
「ひょえー」と思わず言いたくなる。
その崖の向こう、はるか下の方に海が広がる。
セミの鳴き声が聞こえる。
途中から階段になって、降りていくとそこは海水浴場。
途中の立て札に「日本の水浴場八十八選に選ばれた」とあるのだが、
これまたしなびた雰囲気。
ものすごくこじんまりとしていて
これのどこが1/88なんだ?と首を傾げたくなるぐらいの。
「もしかして自選?」という声も上がる。
小さな湾のようになっていて泳げる範囲はわずかばかり。
海の家が2つ、なぜか美術館もあり。
もうこの時間から親子連れが集まっている。
パラソルの下に椅子を並べて両親が寝そべって、まだよちよち歩きの子供が波間へと近付く。
砂浜は左右を岩場に囲まれている。
子供たちが互いに散らばりあって貝や魚が採れないものかと覗き込んでいる。
フェリー乗り場に行く。
小さな小屋が立っていて、パイプを組まれて紙に「改札」と書かれている。
無線の音が聞こえる。城ヶ島と交信しているらしい。
窓口のおばさんと話すと9時の便は欠航になったと伝えられる。
油壺近辺はいいのだが、城ヶ島では霧が出ていて船を走らせられないのだという。
車に乗っている間空はずっと曇っていて、雨が降りそうで、晴れるのかなあと気になった。
今空を見上げると四方八方が灰色の雲に覆われている。
フェリーは1時間に1本就航している。
1時間待ってみることにする。
[1319] エアギター世界選手権 2004-07-19 (Mon)先日、とある人からエアギター世界選手権というものがあると教えられる。
もう1ヶ月以上前のことか。
アメリカ大会での決勝の模様が TBS で映像で紹介され、
J-WAVEなんかでも話題に上ったようだ。
エアギターとは何か?
早い話がギターのモノマネ。
モノマネと言うとなんだか志が低いのでよろしくないが、まあ一言で言うとそうなる。
もう誰だってやったことありますよね。ギターを手にしたことのある人ならば。
歌手だってステージでギタリストの横でそれとなくやってたりする。
今はそれは「エアギター」という名称で呼ばれるようになり、
器楽演奏の1形態・1ジャンルとして世界的に広く認知されるようになった。
年に1度フィンランドにて世界選手権が行われるのは昔から変わらないが、
今やその予選は世界の多くの国々で行われるようになった。
去年は日本での大会も開かれたとか開かれてないとか。
(課題曲は B'z だったらしい)
今となっては割と有名な話題になってしまったので
結構いろんな場所で同行の士が寄り集まって
エアギターを意識的に「演奏」しているのではないか?
どこかの blog で見たのだが、
「エアギターに才能は必要ではない、全てはハートだ」という引用があって、
僕としてはちょっとばかしほろっと来た。
そういう縁があって僕はかなりこの「エアギター」というものに興味を持つようになった。
(今思い出して調べたらここでした。http://sawneybean.blogtribe.org/entry-68a8e2e25b5eb021448cf6c896cceaaa.html)
以下、ここ1ヶ月に僕があちこち調べまわって得た情報。
とにかく、まずは彼ら/彼女たちの熱演を見てほしい。
□今年のアメリカ大会の映像。今年の優勝者 Miri"Sonyk-Rok"Park が登場。
最後に出場者たちでセッションをしているのがおかしい。
http://www.cbsnews.com/htdocs/videoplayer/newVid/framesource2.html?clip=/media/2004/06/23/video625617.rm&sec=201&vidId=201&title=Air$@$Guitar$@$Championship&hitboxMLC=national
□例えば2003年の決勝戦の映像。優勝者「David "C-Diddy" Jung」が登場。
※最後に採点シーンあり。
http://www.omvf.net/mpg/cdiddy2003.mpg
□同じく2002年と2001年の決勝戦。
※こうして見ると2003年と較べてある意味まとも。
http://www.omvf.net/2002/video/zacmonro2002.mpg
http://www.omvf.net/2002/video/zacmonro2001.mpg
□アメリカ大会の公式サイト。
http://www.airguitarusa.com/home.html
□年代もののエアギターがオークションにかけられるというニュース。
http://cgi.ebay.co.uk/ws/eBayISAPI.dll?ViewItem&item=3720968219#ebayphotohosting
□オーストラリア大会のサイト。教則ページとエアギター各パーツのページあり。
http://www.airguitaraustralia.com/
□フィンランドで行われる世界大会の公式のサイト。
その歴史と大会ルールについての説明を行っている。
http://www.omvf.net/2004/index.php?lang=en
※日本語のサイトがないようなのでこのトップページを僕が勝手に今、訳してみました。
【大いなる楽しみ、その魅力 − ギターはもういらない】
エアギターとは実際の演奏器具を用いずに音楽に身を任せること、これに他ならない。
エアギターを演奏することで誰もがロックスターの気分を味わうことが可能となる。
特殊な器具は必要とされず、特定の場所や特殊なスキルが求められることもない。
エアギターを演奏することを通じてあらゆる人々が、
人種・性別・年齢・社会的地位・性的嗜好において対等となる。
ロックミュージックの究極の楽器として
エレクトリックギターがむせび泣くようなフレーズを奏で、
ロックバンドの無数のギターヒーローたちが偶像視され続ける間、
エアギターもまた演奏され続けてきた。
かつては家族の人が出払ったときに鏡の前や
ドアを閉じられた寝室にて「趣味」として追求されてきたものが
今や何千もの一般の観客たちを魅了するステージショーとなっている。
第1回目のエアギター世界選手権大会は1996年にオウル
(訳注:ボスニア湾に臨むフィンランド中部の工業都市)にて開催された。
8年という年月を経て選手権大会は国際的なネットワークへと拡大していった。
エアギター演奏者だけではなく、
メディア関係者やエアギター・ファンによる多くのグループが毎年オウルを訪れている。
滑稽なアイデアとして始まったイベントが今や世界中の人々の注目を惹きつけている。
【ギターなしということ】
オウル・ミュージック・ビデオ・フェスティバルの野外イベント、
エアギター世界選手権大会は参加者を募集している。
第9回目の世界選手権のタイトルをかけた競技会が8月25日から8月27日にかけてオウルにて開催される。
オーストラリア、ベルギー、ニュージーランド、ノルウェー、オーストリア、オランダ、
アメリカ合衆国、フィンランド、フランス、ドイツ、アイルランド、アラブ首長国連邦、
−−−各国の競技会を勝ち抜いてきた優勝者が
Kuusisaari にて行われる8月27日の決勝戦にて集まることになっている。
その他世界選手権への出場を望む人々のための予選会が
決勝戦の前の晩に Rock Club 45 Special にて行われる。
決勝戦は1分間のラウンドを2回行う:
第1ラウンドでは予選通過者たちは自分自身で選んだ曲で演奏を行ない、
第2ラウンドでは主催者側によって選ばれた曲で演奏を行う
(この「規定演技」用の曲は競技者全員にとって同じものであり、
決勝戦が始まるまでは聞かされることがない)。
世界選手権の優勝者は賞品として本物の、
手作りのギター「フライング・フィン」(2500ユーロ相当)が授与される。
毎年メンバー変更を行う中立的な審査団が、
フィギュアスケートに似たシステムを用いて決勝戦の演技に対して点数を付けていく。
評価の基準には以下のものが含まれる。
−−−音楽的な能力、ステージ上でのカリスマ性、ギター演奏に関する技術、
アーティストとしての印象、そしてエアギター精神の豊かさ。
エアギターのイデオロギーに従えば次のようなことが言える。
−−−世界中の人々がエアギターを演奏するようになれば全ての戦争が終結し、
あらゆる良くない物事が消えてなくなることになる。
これは単純な理由による:
エアギターを演奏している間、人は同時にどんな危害を与えることもできないから。
そして演奏の後では危害を加えるという行為はそれほど良い考えには思えないからである。
このことがなぜ、世界中の全ての人々に対して
世界選手権の最後に行われるエアギターの演奏が開かれたものとなっているかの理由となっている:
選手権と全世界のエアギターの演奏はインターネットにより生中継される。
【パフォーマンス向上のためのトレーニングキャンプ】
真のスポーツマンシップに則って、エアギター演奏者たちには世界選手権の直前に行われる
高い水準のトレーニングキャンプに参加する機会というものもまた提供される。
エアギター・トレーニングキャンプは先着順で30人の申し込みを受け付ける。
参加者は以前の優勝者やその他名人の手ほどきにより
選手権の形式に基づいたトレーニングを受けることになる。
キャンプは興味を持つあらゆる人々に開かれている。
そしてトレーニングには例えば以下のような内容が含まれている。
・試合に対する肉体的精神的な準備
・選手権参加時に集まる注目をものともしない方法
・ステージで感じる不安への対処の仕方
エアギターに関する講義が行われ、技術指導もまたなされることになる。
キャンプは8月25日と26日に予定されている。
ここで得られる経験はユニークなものであり、
世界を救うエアーギタースピリットとの出会いが保証されている!
コースの料金は140ユーロであり、
教習料、オウルでの移動料金、25日から26日にかけての宿泊費、
キャンプでの食事とサウナ、そして選手権への参加代金が含まれている。
---
試しにルールの方をいくつかピックアップしてみるとこんな感じ。
1. エアギター演奏者の使用する楽器は目に見えないものであること。すなわち、「エアー」
2. エアギター演奏者はエレクトリックギター、アコースティックギター、
どちらを使用してもよい。 − あるいは、その両方を。
6. 個人的にエアローディーを利用することは認められている。
バッキングボーカル(リアルだろうとエアーだろうと)は認められていない。
エアギター演奏者のドレスコードには特に制限はなく、
彼/彼女は望むのならどんな小道具も追加で使用していい。
エアギター演奏者はリアルなピックで弾いても構わないし、
かき鳴らしてもいいし、フィンガーピッキングでも構わない。
10. 賞品
エアギター世界選手権大会の一番の賞品は本物のエレクトリックギターとする。
11. 世界選手権優勝者の義務
オウルで毎年選ばれるエアギター世界選手権大会の優勝者はエアギター界を前に進めるような
良い知らせを伝えなければならない。つまり、この世界を平和へと押し進めなくてはならない。
---
話は変わるが、エアギターについて調べていくうちに
そもそもフィンランドという国が変な競技ばっかりやってる国だということがわかる。
□奥様運び大会
http://www.moimoifinland.com/thisweek/sonkajarvi.html
□携帯電話投げ大会
http://www.moimoifinland.com/thisweek/030903.html
[1318] ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踏団 日本公演2004 2004-07-18 (Sun)ピナ・バウシュ率いるヴッパタール舞踏団の来日公演を見に行ってきた。
場所は新宿文化センター。
先月 la la la human steps を見に行ったときチラシが入ってて、
「おお、来るのか。行かねば」と思った。
ピナ・バウシュに関してそんな詳しくはないが、名前は聞いたことがあった。
この人もまた現代の舞踏における第一人者。見といて損はないだろう。
プログラムは2つに分かれていて
日本に題材にした新作「天地 TENCHI」と80年に初演された代表作「バンドネオン」
僕は「バンドネオン」の方を見ることにした。
http://www1.ocn.ne.jp/~ncc/pina04/tokyo.html
このページの下の方でも紹介されてるんだけど、
本来ならば向かいあって踊るはずの男女が
向かい合いつつも女は男の肩の上に乗っかっているというこの写真の異様さに
僕は心を奪われた。
(チラシやプログラムではこの写真の大きなサイズのを見ることができてとにかくインパクトがある)
男は女の下腹部に顔を押し付け、女の着ている服は乱れ、肩が露出している。
女の右手が男の左手に重ね合わされている。
女の目は虚ろとなり、どこともない場所を見つめている。
「舞踏」ということになっているが、これはいったいなんなのか?
ピナ・バウシュは1940年ドイツ生まれ。
アメリカに渡っていくつかの現代的なバレエ団にて活動した後、帰国。
ヴッパタール市立劇場のバレエ部門の芸術監督に就任するとその名称を
「タンツテアター・ヴッパタール」に変更。
「タンツテアター」とは「動く演劇」のことであって、
この名の下にピナ・バウシュ独自の舞踏表現を追求していくことになる。
実際の舞台を見る限り舞踏というよりは抽象的な演劇に近いのであるが、
全世界から集まった団員たちにはクラシック・バレエの素養が求められ、
日々過酷なバレエのトレーニングが課されるのだという。
舞台の上ではブエノスアイレスのカフェ・バーが再現されている。
奥にはアップライトのピアノ。
ボクサーの等身大の写真があちこちに飾られている。
壁にはコートや上着が掛けられ、
舞台前方にはびっしりと隙間なくカラフルな鞄や袋の類が一列になって置かれている。
乱雑に並べられた椅子と丸テーブル。
スピーカーとスタンドに立てられた照明が舞台の袖に配置されている。
1人の男が現われると日本語でセリフを語り始める。
肩をすくめて「ナニヲシタライインダ?」
彼の片方の鼻にはティッシュが詰められ、
こっけいな役回りの立場であることが見て取れる。
ドアが開くと男性たちが現われ、ゆっくりと歩きながら
着ている上着を脱いでたたんだりまた羽織ってみたりを繰り返す。
手近の椅子に座ってみたり、また立ち上がったり。
やがて最初の男が一人一人に質問を始める。
「アナタニトッテノまりあノインショウハ?」
−−−「ボクノくらすデイチバンセノタカカッタオンナノコ」
−−−「まりあ・からす、ぶらっでぃー・まりー」
舞台袖に女性たちが現われると同様の質問を繰り返す。
(そう、ダンサーたちは主要なセリフの多くを日本語で話した。たいしたものだ)
1人の男が現われると彼は着ていた衣服を脱ぎだし、女性用のバレエの衣装を身にまとう。
チュチュというのだったろうか、「白鳥の湖」で出てきそうな銀色のやつ。
ぶかぶかで体に合っていない。着ているのが中年男性だけあって
醜悪というか、倒錯した目を覆いたくなるようなみじめな光景となる。
彼は1人でバレエの基本的な動作を練習し始めるのであるが、
誰も彼のことは気付いてないようである。
ある瞬間には女性たちの1人が舞台中央に体を投げ出し、激しく泣き叫ぶ。
同じように誰も彼女のことは構わない。
唐突なシークエンスが次々に現われては消えていく。
男女のペアがあちらこちらで、頬を叩き合ったり、緩やかに踊ったり、
恋愛沙汰を極端にデフォルメした動作を繰り広げる。
古びたタンゴの曲のテープに合わせて。
響き渡るバンドネオン。
やがて、先に書いた場面、向かい合い踊っていた男女が
女は男の肩の上に乗り、静かに何事もなかったかのように踊る場面で
前半部分のクライマックスへ。
踊りなのに踊りではなく、舞踏なのに舞踏ではなく。まして演劇でもない。
濃密でむせ返るような何か、それでいてひどく均衡を崩した何かが展開される。
突然の叫び声とともに男女は地面に腰を落とし、
座って両足を落としたまま(女は男の足の上に自らの足を重ねる)、
音楽に合わせてさらに踊りを続ける。
照明が落とされる。ドアが開くと裏方の男たちが舞台の上に大勢現われて
スタンドに立てられた照明や壁に架けられたボクサーの写真や、
その他あれやこれやの舞台装置をピアノ以外全て片付け始める。
舞台前方を照らし出すわずかばかりの明かりの中で。
鞄を片付け、椅子を片付け、挙句の果てには床に敷いていた絨毯まで引き剥がす。
その間もダンサーたちによる踊りは続く。
タンゴを踊っている男女。所在投げにうろつき回る男女。
男たちは前屈みになって並び、体育の時間でやったように1人ずつ跳んでいく。
そのうちにダンサーも裏方の人たちも消えていく。
何もかもが消えてなくなった舞台だけが残される。
異質なものとしか言いようがない。
見てて僕はゾッとしたような気持ちにもなったし、
初めて目にする類の光景に興奮もさせられた。
表現というか芸術として純粋に高められ、突き抜けたまま完成の域にまで到達したもの。
バレエから始まって独自の世界を確立した表現というものを
「サロメ」やモーリス・ベジャール、 la la la human steps などとこのところ見てきたが、
何かとんでもないものとしてはこれが一番だった。
演劇でもなければ舞踏でもなく、
ダンサーたちによるいくつかのシークエンスを積み上げていく中で
ただただ純粋に表現としての高みへと上り詰めていく。
すごいものを見てしまった・・・。
休憩を挟んで後半へ。
前半がストーリーではないにせよ何か一定のラインに沿って進んでいくようなものであったとすれば
後半は舞台装置と共にそういう枠組みもなくなり、さらに取り止めのないものへ。
水槽の中のペットのネズミに話しかけ、
小学校で先生に受けた体罰をヒステリックに糾弾し、
サッカーのファウルについての講義と実地指導がなされ、
ハイネの「美しい五月」を日本語で朗読し、
男たち女たちに見守られる中でブリッジを披露する。
ステージ中央に集まった男たちが拍手喝采する中で女たちが1人ずつ現われて拍手を受ける、
女たちが一通り登場すると男女役割を入れ替えて同じことをする。しかも2回も。
これらの出来事の間、チュチュを着た中年男性は時折現われては
ゆっくりとした動作で1人きりバレエの練習を続ける。
そして唐突に全てが終わってしまう。
前半とは違って何のクライマックスもなく。
カーテンコールにピナ・バウシュが現われる。
この「バンドネオン」を通じて訴えかけたかったものはいったい何か?
なにもわからない。
その人次第なんだろうな。印象であるとか、感覚であるとか。
ストーリーが自分の中で浮かび上がってくる人もいるだろうし、
何らかの思い出に重ね合わせている人もいるだろう。
来年も来るらしい。これは来年も見てみなくては。
---
この日はその後最近知り合った人と銀座で食事して、遅くまで飲む。
インド料理の店「グルガオン」と沖縄料理の店「リトル沖縄」
どちらもいい店だった。
[1317] 「夏だ!ビールだ!バドガール!」 2004-07-17 (Sat)この前の木曜の夜、会社の有志で「暑気払い」ってことでビアガーデンに行ってきた。
誘われたんで何も考えず「あーいいっすねえ、ビアガーデン」ぐらいの気持ちで行ったら
そこはなんとバドガールのいるビアガーデンだった。
バドガールって言えばもう、あれですよ。
説明要りませんよね。
いろんな会社の忘年会で新人の女の子が着せられたっていう例のコスチュームの。
もう何年前だろうか。
「おい、バドガールの店があるらしいぞ!?」
「なに!どこだどこだ!?いきてー!!」
なーんてその瞬間は色めきたったものの現実には行くことはなく。
その後たまに話題に上っても全く新鮮味のないネタとなり。
それでも頭の片隅に「世の中にはそういうものもある」と留めておいたら
何年も遅れてようやく巡り合うことができた。
場所は数寄屋橋阪急の屋上。(僕にしてみれば HMV があるのでお馴染み)
ちなみに↓のサイトでコマーシャルが見られる。
http://www.kitanokazoku.co.jp/kitanokazoku/bud/ginza.html
バドワイザーカーニバルってことになっていて
キャッチコピーは「夏だ!ビールだ!バドガール! 気分はまさにアメリカン☆」
行くとバドガールがお出迎え。
遅れて参加した僕を席までエスコート。
ついて早々、幹事から「是非とも食べてほしいものがあるんです」と言われ、
なんだろうと待っているとバドガールが2人現れる。
テーブルは女性が6人と僕も入れて男性が2人。
現れたバドガール2人は男性2人の側に立つ。
メニューは「燻製卵」であるという。なにやらイベントに関する説明を受ける。
有無を言わさず始まる。
僕の側に立ったバドガールが使い捨てのお絞りで僕の額をなでさすると
「ハーイ、それではいきまーす、3・2・1!」
ガチッ!
ベタベタな展開だけど僕の額でゆで卵が割られ、
スルスルッと皮をむかれるとアーンと僕の口の中へ。モグモグモグ。
額にはバンドエイドまで貼ってくれる。
手書きのメッセージ入り。
「タマゴに負けるナ!」
ありがたいやらなんなんやら。
枝豆を頼むとボールいっぱいの枝豆とハカリを持って現われ、
なにやら説明をするのであるが、周りの音がうるさくて聞こえない。
1度掴んでハカリに乗った皿の上へ。
「237g」と出てくる。
「あとちょっとだけ」とバドガールが言う。
どうも「250g」ぴったしだとこの枝豆の分がただになるらしい。
もちろんおもいっきし外して「257g」となる。
こんなようなイベントが各種用意されているようだ。
楽しいと思うかどうかはその人次第だし、どれだけ酔ってるかによるだろう。
正直な話、「来てよかった・・・」としみじみため息をつきたくなるような
とんでもない美人やすさまじくメリハリの効いたスタイルの女性はいなかった。
歌舞伎町をダラダラと歩いてそうな若い女の子たちが
バドガールの衣装を着てるだけだった。
かかっていた曲はモロに80年代ヒット曲。
「2人のイエスタデイ」「愛はかげろうのように」 TOTO や U2 もかかっていたな。
店の前方真ん中の部分にはステージが設営され、
キーボード・ギター・女性ヴォーカル(バックは打ち込み)
という編成のバンドが時々現われ、懐メロを演奏した。
僕らがいる間に4曲ずつのセットが2回あった。
スピーカーの真ん前のテーブルだったので演奏の間は話ができなくなった。
「Play That Funky Music」や Cher の「Believe」
2回目のセットの終わりは「YMCA」
客席はやたら盛り上がってアンコールの声が巻き起こり、急遽もう1曲演奏された。
周りはどこもかしこも銀座界隈のサラリーマンたちの集団。
僕らの後ろのテーブルに座っていたどっかの会社のサラリーマンたちの中に
1人競泳用のゴーグルをつけてゴムの帽子をかぶった人がいて、
彼はあえて死語な表現をさせてもらえば「ノリノリ」だった。
挙句の果てにはステージに乱入してヴォーカルの女性と踊ろうとしたのだが店員につまみ出された。
「こういうの日本的でいいなあ」とほのぼのした気持ちになった。
なお、ギターの人は40歳ぐらいの日本人だったが、
残りの2人は同じく40歳ぐらいのアメリカ人(?)だった。
何をどう紆余曲折したら銀座のデパートの屋上のビアガーデンで懐メロを演奏することになったのか。
小さい頃にはロックスターに憧れ、「あたい歌手になるの」と夢見ていたはずなのに、
何をどうしたらバドガールの店に一夏雇われることになったのか。
夏が終わったらどうするんだろうな・・・。
さらになお。
バドガールの店気に入りましたか?と聞かれた僕は「ええ、まあ」と答える。
そしたら「あのね、オカムラさん、九段下にバニーガールのビアガーデンがあるんですよ」との情報が。
バニー!いきてー!!
隣に座ってくれるってとこまではいかなくても彼女たちは隣に立っていてはくれるらしい。
チップをしまうためのポシェット片手に・・・。
今年の夏は暑いようだから、バニーガールのビアガーデン、是非とも行ってみたいものだ。
[1316] her space holiday インストアイベント 2004-07-16 (Fri)「her space holiday」という名前の、宅録エレクトロニカ系ユニットのCDが
あちこちの外資系CDショップにて取り上げられていた。
実質的にはマーク・ビアンチという人のソロ。
ドリーミーなポップミュージックを奏でる人のようだ。
興味を持ったので新宿南口高島屋の HMV で買ってみたら、
インストアイベントのチケットが同封されていた。
サイン会らしい。
6月30日の水曜日。夜20時から。
同時発売の2枚の旧譜を買ったら HMV 独自の特典として
非売品のCD-Rをもらえるとあったのでもう1枚一緒に買う。
CD-Rは以下の2曲入りだった。
「Lydia」 remixed by HER SPACE HOLIDAY / 「Keystroke」remixed by PARK AVE.
家に帰って聞いてみるとなかなかいい。
サンプリングのループに合わせて穏やかなメロディーがそっと響き渡る。
6月30日の水曜日、仕事を早めに終えると新宿へ向かう。
鞄の中には2枚のCDを忍ばせている。
打ち合わせが長引いたので、ちょっと遅れる。着いたときには既に始まっていた。
ライブ。ステージの上にはラップトップのコンピュータが置かれていて、
サンプリングのビートに合わせてマーク・ビアンチが呟くように歌っていた。
(正直、音程というものがあまり感じられず、歌詞を読み上げているようだった)
小さなアコーディオン担当のごつい白人と、
メロディカ(というかピアニカ)担当のこれまたごつい黒人を従えていた。3人編成。
マーク・ビアンチという人は眼鏡をかけ、気弱なのび太君タイプの顔をしているんだけど
元はハードコアバンドにいたようで、その名残からか両腕にびっしりと刺青を入れていた。
5曲ぐらい演奏した。
どれもたぶん最新作からなのではないだろうか。
ヒップホップの要素が多少強い曲やシンフォニックな曲があった。
Suzanne Vega の有名な「Tom's Diner」をサンプリングした曲が印象的だった。
ステージのすぐ脇にミキシングのコンソールがあって、
その辺りが「バックステージ」として関係者が集まっている。
何人かの日本人・アメリカ人(?)が演奏の途中から現れて、関係者たちと再会を喜び合っていた。
HMV の一角、ステージの前は人が大勢集まっていたが、
この中には筋金入りのファンはどれだけいるんだろう?
日本での知名度はどんななんだろう?
まさか HMV のインストアイベントのために来日したのではなくて
日本でライブをするために来たんだけど、そのライブではどれだけ入ったのだろう?
サイン会へ。
1番最初にサインしてもらった子はかなりのファンのようだった。
名前を書いてもらっていた。
僕はライブを見ていた位置がサインを行う場所に近かったため、そのまますぐサインしてもらえた。
「ハロー」と小声で囁かれる。
彼は黒のマジックでCDのブックレットの裏に「Thank you for all of your help !」と書く。
振り返ると小さな行列ができている。
発売されてから思ったほど売れなかったようで、
HMV の店員が「CDをご購入いただけたお客様はサインしてもらえます」と大声で呼びかけていた。
CDを2枚買っていた僕はサイン会のチケットを2枚持ってたんだけど、
もう1枚の方にはサインしてもらわず、エレベーターで降りて地下鉄に乗って家に帰った。
サインしてもらった方のCDを聞く。
なかなかいいじゃないか、と思う。
[1315] 最近ニュースを見てなんとなく考えたこと 2004-07-15 (Thu)最近ニュースを見てなんとなく考えたこと。
■プロ野球
球団が合併して1リーグ制にするとかしないとか。
オーナーたちが集まって勝手に議論して決めようとしていた。
選手会がストの可能性を示唆しても「好きにせえ」と。
「署名に参加した選手は新球団から排除する」はまだいい方で
挙句の果てには清原がどうしたこうしたとか頭の悪い発言ばかり飛び出してきて結果として謝罪。
プロ野球ファンからしてみれば「憤慨する」を通り越して唖然とするばかり。
彼らからしてみれば球団なんて
不動産やバブルの時に買った豪華な額付きの絵画と一緒なんだろうな。
そんで選手ってのは家畜であって、ファンってのは肉を買いにきた民衆ぐらいのものなんだろうな。
長期的傾向としてプロ野球の人気が凋落してきたのは
サッカーでJリーグが発足してワールドカップうんぬんで、
という以前にオーナーを中心とするプロ野球界の構造が腐ってるからだというのがようやくわかった。
今更僕が言うまでもないが、
なんで球団を合併しなきゃいけないの?
ライブドアが買うって言うんだからそれでよかったんじゃないの?
そもそもどこの誰が合併と1リーグ制を望んでんの?
国民投票にかけたらいい。
彼らには「所有」している資格なんて一切無し。
・・・市で運営管理している広島カープの動向が気になる。
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■参議院選挙
今年30にもなるって言うのに、いまだ投票所に行ったことなし。
古今東西のいろんなミュージシャンが投票権を行使しようと主張しているが
こればかりは僕腰が引けたまま。
めんどくさいって言う以前に気になる政治家ってのがいないんだよな。
心動かされ投票したくなるような政治家。
託したくなるような政治家。
その立ち振る舞いだけで信頼できるような大物。
今の選挙制度ならば誰かしらの名前を選ばなくてはならない。
これっておかしい。
自民党だろうが民主党だろうがパッとしないのは明らかだ。
(彼らの言うマニフェストやらを読んでない僕がこういうことを書くと文句が来そうだが)
「該当者なし」ってのが選べるといいのに。
※もしかして僕が知らないだけで実は選べたりするのか?
選べるっていうのなら僕は毎回白紙の投票用紙を投票箱に入れてもいい。
その政策を支持できるかどうかは別として、
選挙戦で共産党がいかに頑張っているかというのが僕の中では一種のバロメーターだった。
その声が届くかどうかに関わらず「外野にいて否定する」という
ああいう存在がないことには物事のバランスはおかしくなる。
今回の選挙ではものすごく影が薄くて、「ああこの国の政治は停滞しているなあ」と思った。
何がどうあろうと小泉政権続投。
日本中で政治というもの全般に盛り上がりを示して
ピリピリしていた時期ならばありえないことなのに。
日本国民が今全体として興味を持っているものってなんなのだろう?
オリンピック?
北朝鮮問題?
景気回復?
今この瞬間はどれでもなさそう。
日本の人々は今何に対しても興味を持っていない。
個人としてはあれこれあるんだろうけどまとまりを見せることは無く。
国力の低下とはこういうことでもある。
[1314] 柏「ボンベイ」・上野「みはし」「蓬莱屋」3/3 2004-07-14 (Wed)博物館を出た時点で既に夕方。
夜をどこかで食べようってことになってアメ横方面へと向かう。
M先輩からトンカツはどうかという意見が上がる。
いわく、上野にはトンカツの有名な店が3つあって、そのうちの1つに行ったことがある。
場所ははっきり覚えてないが、近くまで行けばわかるんじゃないか。
「いいねえ」と即決定。
「かなり高いよ?」「やー、いいよ別に」
アメ横の中を歩く。
チョコレートの叩き売りってのがいるんだよねと誰かが言い出す。
袋にどんどん詰めていくのだそうだ。量り売りみたいなもの。
僕はまだ見たことがない。名物らしいんだけど。
松坂屋の裏にあったはずだとのことでそこまで行ってみると
「蓬莱屋」とだけ小さく看板が出ている割烹のような店を発見する。
入り口から中は覗けないようになっている。
先を歩いていた先輩と「これなんですかね?気になりますね」と話していたら
後から来たM先輩が「ここ、ここ」と。
ショーケースはおろかトンカツ屋のトの字もない。
老舗の旅館と言われたほうがまだ頷ける。かなり分かりづらい。
何も知らなかったらたどり着けない。
こ、これって一見さんお断りの敷居の高い店なのでは・・・。
入るのにためらってしまう。
意を決して暖簾をくぐってみると
あっけなく「いらっしゃいませー」と女将がお出迎え(ってほどでもないが)。
カウンターの席は狭く「うわ、これだけしか客を取らないのか」と思ったら
そんなことはなく、2階の座敷へ案内される。
M先輩がメニューあれだけしかないから、と壁に張られた2枚の札を指差す。
「ヒレカツ定食 2900円」
「一口カツ定食 2500円」
・・・こ、これだけ?
しかも何?トンカツで2900円って?
すげー。自分はこれから何を食することになるのだろうと思わず武者震い。
4人揃ってヒレカツ定食。
ビールも頼む。出てきたのはエビス。さすがだねえと感心する。
エビスのコマーシャルのようだ。
そら豆の小鉢がくっついてきたのであるが、これがまた絶品。
軽くあぶってさっと醤油をかけたってところか。
たかだかこれだけで店の力量がわかってしまう。
恐らく1年中このそら豆を出してるのではなく、季節によって出てくるものは違うのではないか?
だとしたら冬に出てくるのはなんだろう?秋は、春は?
ヒレカツ定食が運ばれてくる。
ヒレカツ、キャベツ、ご飯、味噌汁、漬物。ただそれだけ。
ヒレカツは棒状。これが一口サイズに切られている。
あまりにまん丸なのでヒレってこういう形だったっけ?とつい思ってしまう。
衣は極限まで薄く、ただただ柔らかくジューシーなヒレ肉の塊だけを食べているような気になる。
衣にも肉にも油っ気一切なし。カツとしては質素極まりない。
なのに全体的にホカホカと温かい。なかなか冷めない。
こんなの初めて食べた。
後で調べてみたら高温の油で一気に揚げた後は低温の油へ、と2度揚げするのだという。
これは確かにうまい。
でも僕は根が庶民なのか、衣が厚くて油がジュワーッとなってるのが好きなんですよね。
肉も脂身OKで。
そんなわけでちょっと物足りない。
そういう趣味の問題を抜かして客観的に考えれば、これはもうとんでもない逸品。
7・800円で食べる街のその辺のトンカツと同じようには扱えない。
というか↑とは名前が同じだけの別な食べ物なのだと思えてならない。
先輩たちは無心になってうまいうまいとそれしか言わず一心不乱に食べ続ける。
ご飯の器が小さくてお代わりをする。
もちろん、ごはんもキャベツもおいしい。
腹いっぱい食べ終わって満ち足りた気持ちになる。
実にグルメな1日だった。
「みはし」は東京駅の地下にもあるようなので、また「氷クリーム金時」を食べたい。
まずはそこから。
「ボンベイ」にも行くぞ。
[1313] 柏「ボンベイ」・上野「みはし」「蓬莱屋」2/3 2004-07-13 (Tue)上野駅到着。
A先輩がうまいあんみつ屋があるというのでまずはそこに行く。
公園口を出て坂を南に下りきったところにある「みはし」という店。活気があり、有名そうな雰囲気。
http://www.mihashi.co.jp/top.shtml
下で食券を買って2回へ上がる。
僕は「氷クリーム金時」にする。
カキ氷にアイスが乗っかっていて、下には金時。
去年はカキ氷を食べることのない非常にさえない夏だったが
今年は6月にしてかき氷。出足は好調。
(ただ単に去年が冷夏で今年が6月にして猛暑というだけかもしれないが・・・)
上野のあんみつ屋だけあって子供からお年寄りまでお客さんが幅広い。
席が開くのを待って座るとすぐにも頼んだのが出てくる。
「氷クリーム金時」最高!
クリームはちゃんと牛乳の味がしてまろやかだし、氷もシャキシャキしている。
特筆すべきはやっぱ「金時」
甘いものがダメで小豆から作ったものが出てくると
「そんな甘ったるいもん食えるか!!」と
知らず知らずのうちに不機嫌になってしまう僕ですら
「あー・・・」ととろけてしまってもいいくらいのおいしさ。
べたついてなくてさらっとした甘さ。
それになんというかふっくらとした餡がモチモチっとしていて・・・。
モロッコで買ったデザートローズがちょうど4人分あったので配る。
N先輩にはサハラの砂をお土産に渡す。
これをきっかけに旅行の話をする。
「みはし」を出るとなんとはなしに上野公園へ。坂を上っていく。
涼しい店内からいっきにじとっとした公園に入っていくとすぐにも汗だくになる。
今年の夏は暑いんだろうなあ。梅雨はどこに行ったんだ?
空は曇っていて今にも雨が降りそうなのに、振り出す気配はなし。
夏の灰色の空は青空とは別のどんよりとした暑さを感じさせる。
停滞したよどんだ空気が空と地面の間に漂っている。
いくら暑くても、一雨来そうでも、休日なので公園は大勢の人で賑わっている。
大道芸人たちが周囲に観客の輪を何重にも作っている。
子供たちの前で伝統的なコマの芸を披露する年配の人や
お笑い芸人を目指す若者たち。
芸として完成されていて拍手の大きいものもあれば
まだこなれてなくて観てる人もまばらなものもあり。
茂みの中に石でできたベンチが集まっている場所があったので座る。
相変わらずサッカーの話をする。
あと、音楽の話。
N先輩いわく「サントラを買ったら抽象音楽って書いてあったんだけど、
そもそも抽象音楽ってどういうジャンルなんだ?」
前衛音楽とはまた違うようで。結局はミニマル・ミュージックの一形態?
どこからか「アメイジング・グレイス」の合唱が聞こえてくる。
東京芸大の人たちが歌っているのだろうか?
それともアマチュアの市民団体が広場で練習?
することもないし、歌の聞こえる方にフラフラと誘われてみたくもなるのだが
ベンチに腰掛けてぼんやりと座っているとそれもめんどくさくなる。
茂みの奥はホームレスの人たちの「住まい」があちこちに建っていた。
木々の間に紐を引っ掛けて青いビニールシートを吊り下げている。
場合によっては「壁」をダンボールで補強している。
入り口近くに花瓶や鉢植えを置いている人もいて、
それなりに優雅な生活をここで送っているようだ。
これって好き勝手に誰もがここに来て同じようなことをしていいのではなくて、
ある種の序列があって初めて成立しているようなものなのではないかと僕は思った。
長いこと公園の中で寝泊りしていく中で顔が知られて偉くなってきて
ようやく先に住んでいた人たちに認められて場所を分け与えられるというような。
つまり公園の中の特権階級。
ここに住んでいる人たちは互いに無関心なのだろか、
それともなんらかのコミュニティーを形成しているのだろうか。
やはりそれなりに社会というものがあって、
公園の中で目に見えない動物的なテリトリー争いが日々繰り広げられているのではないか?
長い人だともうここに何十年と住み着いているのかもしれない。
長老。日本という国家の制度から切り離されて好きなように日々暮らしている。
それとなく見ていたら自転車に乗った40代の男性がふらっと現れた。
どうやら住人のようだ。風呂上りらしく、洗面用具の一式をカゴから取り出して家の中にしまう。
外国から来た観光客が興味深げにこれらの家の群れを眺める。カメラ片手に。
どっか行こうかということになってじゃあどこへ?というと
東京都美術館で開催されているフランドル絵画展のことを僕が言っても誰も興味を示さず。
フェルメールにルーベンス、レンブラントが来ているのだが・・・。
替わりに博物館のことを持ち出すと何人かがそれならいいとベンチから立ち上がる。
A先輩とはここで別れて、4人で博物館へ。
東京都国立博物館。初めて入る。
広い敷地の中は本館・平成館・東洋館・法隆寺宝物館と分かれている。
とりあえず東洋館に入ってみる。
古来からの東洋美術がここには収められている。
西はエジプトから、東は朝鮮半島まで。
それが時代別・分野別に陳列されている。
http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=B01&processId=00&mansion_id=M2
3階建てということになってるのだが、中2階があったりしてやたらと広く感じられる。
全部見て回ってるとキリがない。
宋の時代の陶磁器であるとか、ガンダーラの仏像だとか、ジャワの影絵芝居の人形だとか。
途中でみんなぐったりしてソファに腰を落とすと眠り込む。
ようやく全部見終わったら2時間ぐらいかかっていた。
他に3つ建物があるわけで、ここを本当に見学しようとしたら1日仕事になる。大変だ。
あちこちで美大生たちがデッサンをしていた。
これはこれで有意義なものを見たなあという気持ちにさせられたのだが、
僕の中で「でもさあ、博物館って言えば恐竜の化石とか産業革命じゃないの?」という思いもあり。
後で調べてわかったんだけどそういうのって、
「国立博物館」ではなくて「国立科学博物館」の方らしい。全然別の施設となる。
知らなかった・・・。
というか普通知らないか。
中学の修学旅行で来たとき、動物園と美術館とこの科学博物館とが選べたんだよな。
科学博物館の人気が少なかったことをなぜか覚えている。
東洋館の中は静かでひんやりとしていて、
ところどころに置かれているソファもゆったりとしていて座り心地よかった。
入場料は420円。たったこれだけで4つの建物が見学できる。
これなら喫茶店に入るよりもよっぽど疲れがとれる。居心地がいい。
・・・そう思った人が多いのか本館に入ってみたらソファは皆埋まっていて
ほとんどの人が爆睡。疲れきって、人によっては口を開けて。
本館のテーマは日本の美術。
縄文時代の土器から、工芸品の場合つい10年前のものまで。
これ全部見てたら時間がいくらあっても足りないと
1階2階とあるうちの1階だけを駆け足で見て回る。
埴輪や金印、亀ヶ岡遺跡の土偶とか。歴史の教科書の巻頭の写真で見たことのあるものばかり。
そうかそういうのってここにたくさん集まっているのか。
この片足の遮光器土偶の写真って小さな頃から割とよく見かけるけど
あれって青森なんですよね。亀ヶ岡遺跡って。生まれて初めて見た。
ちょっとした感激となる。
ちなみになんで「遮光器」土偶なのかと言えば
目にサングラスのようなものをしているからですね。
宇宙服だの宇宙人だのという説あり。
その他見たものは江戸時代の名工の作とされる刀や薙刀、豪華絢爛とした着物などなど。
尾形光琳作の「硯箱」が特別展示されていた。
[1312] 柏「ボンベイ」・上野「みはし」「蓬莱屋」1/3 2004-07-12 (Mon)6月26日(土)の話。
大学の先輩たちとカレーの会ってことで柏市にある「ボンベイ」に行ってきた。
いつもならカレーの会は半年に1度ぐらいのペースなんだけど
前回巣鴨(千石)の大沢食堂に行ったときに「大辛」を驚異的な速さで間食したA先輩が
「これはまだ人生で2番目の辛さだ」
「人生で一番辛かったのは柏のボンベイで食べた裏メニューのカレーだ」
と語るのを聞いて一堂興味津々。
そもそもカレーそのものがうまい店だというのでこりゃすぐにでも行こうってことになった。
土曜の昼、柏駅に現地集合。都内のバラバラの場所から5人集まった。
「こんなに遠いのか」とみんな口々に言う。
僕の場合荻窪から上野を経由して常磐線快速で柏まで。まだ余裕で通勤圏内とはいえ、さすがに遠い。
さっそく店に向かう。
以前柏近辺に住んでいて、今でも「ボンベイ」のカレーを食べたいがために
電車を乗り継いで柏を1人訪れるというA先輩が道案内。
南口方面をデパート、パチンコ屋、商店街と歩いていって小さな通りに入ると
やる気のない古びたつぶれかかった喫茶店のような店が目の前に。
「ボンベイ」と書いてある。おお、これか。
ここまで外観に気を使ってないのはよほどやる気がないか、
それとも自分の勝負するポイントがどこかはっきりとわかっているかのどっちか。
断然後者であるわけなのだからはるばる遠くから人が訪れてくるのだし、
有名な店として多数のカレー本で紹介され続けるのだろう。
小さな店と聞いていたのでもしかしたら並ぶのかなと思っていたのであるがそんなことはなく。
適度に混んでいたが5人1つのテーブルに座れた。
カレーのメニューは確か7種類か8種類あった。
最も辛い「カシミールカレー」を2人、次に辛い「インドカレー」を2人。どちらもチキン。
僕は店の名前がつけられた「ボンベイカレー」を。これは並みの辛さ。
他にも「ビーフ」「ポーク」などがあった。シチューやドライカレーもあったような気がする。
A先輩は常連として顔を覚えられているようで、
「今日は東京から友達を連れてきました」と言うと店員のおばさんがとても喜んだ。
目が慣れだすと店内の雰囲気がはっきりと見えてくるようになる。
インドっぽい飾りや小さな額入りの絵がいくつか壁に飾られている。
店の中は薄暗く、なんだか昭和40年代・50年代の喫茶店のようだ。
もしかしたら時間がそこから止まってしまっているのかもしれない。
カレーが運ばれてくる。
ここのカレーはあっさりとしたスープ系。
インドカレーはまだごく普通のカレーの茶色い色なのだが、
カシミールの方は赤みがかった色をしている。見るからに辛そう。
一番辛い裏メニューはスープが真っ赤なのだそうだ。
僕が頼んだボンベイカレーは野菜のカレーということになっていて
出てきたものを見たら、カレーのあの銀色の容器(これって名前はなんて言うんだろう?)に
山盛りの野菜炒め。千切りのキャベツにピーマン、タマネギ。
先輩たちのカレーがほんとスープみたいなので
肉の小片がつつましく浮かんでいるものなのに対し、こっちはハンパじゃない量。
全部かけたらカレー皿の上のご飯が野菜で埋まってしまいそうなぐらい。
気が付くと先輩たちは額に汗を浮かべながらカレーを口に運んでいる。
「これはうまいね」と言いながら。
確かにこれはおいしい。ものすごく、ものすごく、ものすごーくおいしい。
スープ系のカレーではここ、最高峰なのではないか?
柏まで来てもいいわ、これなら。カレーのためだけに。
食べ終わったらそのまま引き返して荻窪まで戻ってもいい。
それだけの時間と電車代を払うだけの価値はある。
あっさりとしたスープの中には、・・・いや、書くだけ野暮だ。描写しても仕方がない。
書くなら次また来て、カシミールカレーを食べてみてからにしたい。
毎日食べても飽きが来ないだろうってことだけは記しておく。
それぐらい食べ物として完成され、普遍的な価値を持つに至ったカレーなのである。
【認定】カレー部門:生涯ベスト3入り
食べ終わると小さなカップにコーヒーが入って出てくる。
A先輩は「作りおきのどうってことないコーヒーだけど、辛いカレーの後に飲むと妙にうまい」
以前そんなふうに語っていた。
このコーヒーだけ単品で頼んだらイマイチな思いをしそうだが、
カレーの後というポジションでなら絶妙な味わいを発揮する。
コーヒーうまいなあという気持ちになるし、
それ以上にカレーうまかったなあという気持ちにさせられる。
仕上げとしてこのコーヒーがなかったらこの店ここまで有名とはならなかったのでは?
アクセントというものは非常に大事である。
(なお、A先輩は激辛カレーを食べきったとき、
昔コーヒーだけでなくチロルチョコのような小さなチョコレートももらったのだそうだ)
店内にはいろんな客層の人たちがいて、若いカップルが多かった。
店を出る。午後1時。
わざわざ都内のあちこちから現地集合で柏まで来たっていうのに
その日の目的は早くも達成されてしまった。
することがなくなる。
自然と「柏って何があるんだ?」って疑問が出てくるのだが、誰も答えられず。
昔住んでいたはずのA先輩ですら「知らない」って言い出す始末。
柏レイソルって柏?(当たり前か)
今日試合やってる?
駅に戻って案内用の地図を見たらグラウンドがあったんだけど、ものすごく遠そうだった。
そもそも行ったところでなにもやってなさそうだった。
なお、この日は欧州選手権でフランスがギリシャに敗れるという日だった。
朝早く中継された試合を見てから来た先輩も何人かいた。
「スタープレーヤーが何人いるかじゃなくて、
チームのコンディションがいい国が勝つ時代になって云々かんぬん」
と食べながらもどこか移動しながらも話題は常にサッカー。
引き続き案内板を見てみるのだが、ほんと何もなし。
右側に沼のようなものが広がっていてその周りが公園っぽいのだが、
A先輩いわく「日本一汚染がひどいって教科書に載ってた」とのこと・・・。
デパートだけは高島屋、そごう、丸井とたくさん揃っている。
地元の人たちにとっては便利なところなんだけど、
外の人たちからしてみれば訪れる機会がない、そんな町のようだ。
このままここにいても仕方ないと常磐線に乗って上野まで引き返す。
吊革に揺られて窓の外の風景を眺める。
「川を渡って亀有に入ると急に東京っぽくなるね」とS先輩が言う。
風景ががらっと変わる。
東京に入った途端、なんというか隙間がなくなってしまう。
北千住を通り過ぎるとき、
「北千住って地名としてよく耳にするけどここには何があるんだろう?」
誰も答えられない。
唯一出てきたのがこれ。
「・・・女子高生コンクリート詰め殺人事件の現場」
(続く)
[1311] 旅の思い出 2004-07-11 (Sun)モロッコ・ドバイから帰ってきてもう1ヶ月になる。早いものだ。
なんだか急速に過去の出来事になりつつある。
もしかしたら全て夢だったんじゃないか。そんなふうにも思う。
東京に戻ってくると何事もなかったかのように仕事の日々が続いた。
単調で無味乾燥で同じような毎日を繰り返した。
そもそもこの1ヶ月がどんなふうだったのかがまず思い出せない。
1日が過ぎ去る。そのたびごとにその日を構成していた断片が砂のように崩れていく。
その向こうにあったはずの旅の記憶も少しずつ少しずつ砂の中に埋もれていく。
細部はもう思い出せなくなりつつある。
「モロッコの食べ物ってどんななんですか?」
「レストランに行くといつもモロッコ風サラダってのが出てきてね」
「へー。それってどんなんですか?」
「えーとねえ。赤カブやトマトやニンジンが多かった」
「生ですか?」
「いや、・・・。なんかで和えられていた。でも、えーと、どんなだったっけ?」
---
家に帰ってきて、机に向かう。
モロッコを思い出させるよすがとなるものは
volvic のペットボトルに詰めてきたサハラ砂漠の砂だけ。
お金がなかったし使いたくなかったってのもあったんだけど、
状況的に買わざるを得なかったラクダの革のベルト以外には
今回の旅では特に自分のためのお土産って買わなかった。
これといって欲しいものもなかった。
これはモロッコが波長に合わなかったとかそういうことではなくて。
小さなときにはどこか観光地に出かけると必ずお土産屋で何がしか買ったものだった。
キーホルダーを集めていた。今でも青森に帰ればどこかにあるはずだ。
十和田湖や函館や新島やいろんな場所のキーホルダー。
もうこの年になるとそういうのいらなくなってきた。
記念の品とか。邪魔になるだけ。
(額とか文鎮とか、なんかでもらったら今の僕は即捨ててしまうのではないか)
記憶が、思い出があればそれでいい。
心のどっか奥の方からふとした弾みにひょっこり出てきて懐かしく思う。
そういうものだけがあればいい。
日々の暮らしは身軽な方がいい。
その場所で一緒に過ごした人と久々に会うことがあって
そのときの話ができて楽しい時間が過ごせるなら、
それ以上のものってもうありえないのではないか。
(そう、思い出を分かち合う人がいないからこそ、一人旅はつらいものなのだ)
強いて言うなら、旅先で買った、きれいな写真が印刷された絵葉書が何枚かあればいい。
そうだ、僕は絵葉書をあちこちで買った。
僕の中でお土産という意識はなかった。
思い出をたどっていくためのインデックスとして必要に駆られて買い求めた、
そんな意味合いが強い。
今、封筒の中から取り出して眺めてみる。
砂漠はこんなだっただろうか。
広場に佇む人々はこんなだっただろうか。
何枚かは僕が実際に訪れ、その場の空気を肌で感じた場所が映っている。
あのときの匂いを、光の加減を、囁くような声の調子を、
何よりもまず触覚に伝わってくるような喧騒を、
僕は覚えているはずだ。
その土地をまだ訪れたことのない人が
本屋ならどこでも売っているようなありふれたガイドブックを眺めている。
僕の中の理性的な部分は今そんな感じだ。
その一方で僕の中の別な部分では、小さな何かがその場所と呼応している。
その無数の点を結び合わせていくと僕の中でモロッコの地図が出来上がる。
なのにそれは日々わずかずつその結びつきを失っていく。
ばらばらになってほどけていって、どこにいるべきなのかその場所を見失って。
だけどそれでいいのだとも思う。
思い出というものに対して身軽でないといつか息苦しくなる。
どこにも行けなくなってしまう。
だからこそ人々は常に「ここではないどこか」を探し求め、
また新しいどこかへと旅に出ようとする。
旅に出ることがなければ、日常生活を抜け出すことがなければ、
人々は記憶の砂の中に埋もれ、やがて朽ち果てる。
僕はそう思っている。
[1310] la la la human steps 「ameria」 2004-07-10 (Sat)13日に引き続き、6月19日の土曜日もダンス・パフォーマンスを見に行った。
「la la la human steps」というカナダはモントリオールのカンパニーの来日公演。
モーリス・ベジャールの時と一緒で、僕は音楽からこのカンパニーのことを知った。
ドイツに Einsturzende Neubauten というノイズミュージックのグループ
(「崩壊する新建築」という名前の通りに削岩機やチェンソーといったものを楽器として使用する)
のリーダー、ブリクサ・バーゲルドが昔なんかの雑誌のインタビューに答えているときに、
最近の活動としてこのカンパニーのための音楽を作っていると語っていたのが最初の出会い。
奇妙な名前だったのでずっと忘れないでいた。
(作品で言えばたぶん「Tabula Rasa」の前の頃。
確かニック・ケイヴの来日公演にギタリストして参加したときのインタビューだったはず)
その後、90年代に入って沈黙を守り続ける My Bloddy Valentine のケヴィン・シールズの
最新音源が発表されたというので買ってみたらジャケットに
「la la la human steps」の名前が。
「Exauce」「Salt」の2作品の音楽を集めたものと思われる。
(僕は吉祥寺の Disk Union でたまたま見つけて買った。現在は入手困難と思われる。
なお、今回の「ameria」の音楽を担当した David Lang の名前も作曲者として名を連ねている)
最近ではフランク・ザッパの遺作「The Yellow Shark」の解説にその名前を見つけた。
ドイツの現代音楽を演奏する室内楽団、アンサンブル・モデルンとの共演の模様を伝えるライブアルバムであり、
ザッパが手がけたオーケストラ作品の最高峰。
19の曲が収録されているが、そのうちの何曲かが la la la ... のために作曲されたものであるという。
そんなわけで先鋭的なロックミュージックが好きだと
このダンスカンパニーの名前と遭遇する可能性が高い。
そういえばデヴィッド・ボウイもコラボレーションをしたとかいうのをどこかで読んだことがある。
(プログラムを今見てみたら 1988年の「Look Back in Anger」という作品のようだ)
そんでどういうダンスなのかというととにかく高速らしい。
「e+」から来たメールには「超高速バレエ」とある。「閃光のようなダンス」「速度の快感」とも。
バレエといったら普通みんなゆったり優雅なものを想像するはずなのに
これはいったいどういうことか?一見ありえない結びつき。
エネルギーの奔流としてのバレエってことか。
80年代半ばに登場するやいなやダンス・パフォーマンス界に大きな衝撃を与え、
以来ずっとその最前線に留まり続けている。
演出家・振付師のエドゥアール・ロックはコンテンポラリー・ダンスに関する数々の賞を受賞し、
今や la la la に限らず幅広い活動を行っているという。
会場は「彩の国さいたま芸術劇場」
なんでこういう都心から遠いところでやるんだろう?と初めのうちは不思議だった。
要するにここを基点とする恐らく埼玉県かさいたま市の舞台芸術関係者が
こういうコンテンポラリー・ダンスに力を入れているからなんだろうな。
劇場でもらったチラシを見たらピナ・バウシュの舞踏団が来月来日してここで公演を行うとのこと。
(僕はこの人のことも気になっていたので新宿の方の公演のチケットを買った)
公演プログラムを見ると前作「Salt」は財団法人埼玉県芸術文化振興財団の招聘により
この彩の国さいたま芸術劇場にて6週間のレジデンス製作を経て完成されたある。
そのままこの劇場で初演されたのだそうだ。
さて、その閃光のようなダンスとはどういうものなのか。
舞台の上に男女が現れ、いきなり超高速で手足というか体全体を動かし始める。
フィルムの早回しのよう。
最初のうちは目が慣れず、残像が見える。
なんだこれは!?
あっけにとられてしばらくの間、口あんぐり開けて思考停止して、目の前の風変わりな光景を眺める。
ステージ上方から時折盾のような6角形で先の方が細くなった
特殊な形状のスクリーンがするすると下りてきて映像が映し出される。
静止したダンサーたちを回転しながら撮影したもの。
舞台の上では人が増えたり減ったりしながら「超高速」の様々なバリエーションが繰り広げられる。
超高速でダンサーを投げ上げて一瞬だけふわりと空中に浮かび上がりキャッチするという
このカンパニーが始めて有名になった例のリフトも出てくる。
音楽はヴォーカル、ピアノ、バイオリン、チェロというミニマムな構成で
ルー・リードによる「The Velvet Underground & Nico」の5つの歌詞に
音楽監督 David Lang が新たに曲をつけたもの(!)
僕が把握できた限りでは「I'll Be Your Mirror」「Sunday Morning」「All Tommrow's Parties」
この3曲が新しく生まれ変わっていた。
なんかこれだけでも斬新な試み。
しかもそれらは曲として儚い美しさをたたえたもので、奇をてらった表現では全くない。
(願わくば是非ともCD化を!)
4人のミュージシャンたちは通常はステージ後方にて演奏を行うのであるが、
時々ダンサーたちの側に立って絡むようにして演奏を行う。
ダンサーたちはふとした瞬間に立ち止まり、しどけなく横たわり、
そしてまた次の瞬間には激しく動き始める。
とてつもない運動量。
しかもこれって適当に動いているのではもちろんなくて確固たる「振り付け」が存在する。
これをこなすには正統的なバレエやその他コンテンポラリー・ダンスの素養がきちんとなければならないし、
毎日毎日かなりの時間をトレーニングとレッスンに当ててないとこんな「芸当」できるわけがない。
小さな頃からバレエのレッスンを続け、10代後半から20代に達した頃に疑問を持ち始める。
自分なりの表現というものを求めていった結果このカンパニーと出会い、
「異端」とされる舞踏団にて前衛的なダンスに入り込んでいく。
先週見たベジャールのより正統的なバレエ団で続けていくのも大変だが、
こちらのカンパニーで続けていくこともまた別な意味で大変だ。
それまでダンサーとしてどういう半生を送ってきて、
今こうしてこのような激しいダンスを機械のように正確に再現して世界中を公演して回っているのか。
1人1人に聞いてみたくなった。
どういう出会いがあったのか、手に入れたものは正しかったのか、
あなたのダンスは今後どこへと向かっていくのか?
1時間半の舞台にて表現されている内容は一切分からず。
理解不能だし、理解しても仕方ない。
男女の色恋沙汰だとか、生と死の苦悩だとか、ありがちなモチーフを当てはめて
そこに意味を見出そうとすることは、そしてそうすることによって
安上がりな安心感を手に入れようとすることは、ものすごくつまらないことに感じられた。
ただトータルな表現として「ameria」と総称される何かが存在し、
振付師とダンサーたちの自らと自らの属する集団に対する絶対的な確信によって
異形の物語が唐突に始まって唐突に終わりを迎える。
圧倒的なスピードで全てが展開し、静かに駆け抜けていく。
これはもう観た人にしかわからない。
でたらめなもの、適当に難解で前衛でよしとするいい加減なものではない。
表現として絶対的な「何か」がそこでは展開されていた。
「言葉によって語るのではなくいかにして身体で表現するか」ということはいつか
「言葉によって言い表せないものをいかにして表現していくか」ということにつながっていく。
そのとき、その手段が肉体によるものなのかどうかは些細な問題でしかなくなっているはずだ。
答えになっているかどうかは別として1つの問いかけ、
シンプルでものすごく力強い問いかけを見た、目撃したように僕は思う。
いつか機会があったら、もう1度観てみたい。
これはすごい。
世間一般に「前衛的」とされるダンスが優れた商品として機能し、
世界的な価値を持って流通されることなんてそうそうないわけなんだし。
[1309] モーリス・ベジャール・バレエ団2004年日本公演 2004-07-09 (Fri)もうだいぶ前のことになるんだけど、6月13日の日曜日、
モーリス・ベジャールのバレエ団が来日公演を行うというので見に行ってきた。
(公演が行われることを知るとプレオーダーに申し込んでチケットを入手した)
この人の名前は昔から知っていた。バレエの側からではなくて、音楽の側から。
僕が敬愛してやまないバンド、タキシードムーンの3枚目のアルバム「Divine」は
サンフランシスコからブリュッセルにメンバー総出で移住してきたばかりの頃のタキシードムーンが
モーリス・ベジャールの依頼により
グレタ・ガルボの生涯をテーマとした作品のための音楽として作成したもの。
曲目のほとんどが「Mata Hari」「Grand Hotel」「Ninochka」と
グレタ・ガルボの出演した映画のタイトルにちなんだものとなっていて、
その多くでグレタ・ガルボの声がコラージュされている。
暗くて耽美的で実験的な音。世間一般的に「バレエ」と称するもののイメージからは程遠い。
これに合わせてどんなバレエが繰り広げられたのだろうということが僕はずっと気になっていた。
いつか日本で再演される機会があったら見てみたいものだと思う。もうないのかな。
CDのブックレットにはこのときの公演の模様の写真がいくつか使われていて、
今のところそこから想像するより他にない。
(なお、このときの経験に触発されたのかタキシードムーンは独自の音楽劇「The Ghost Sonata」を作成する)
タキシードムーンだけではなく、電子音楽のジャンルで有名な
ここ10年の間にクラブ系の人たちからも再評価著しいピエール・アンリもその曲を提供している。
そもそも2人の間では若い頃から親交が結ばれていたようだ。
とにかく現代のバレエ界の頂点に立つ神様のような振付師。
バレエに詳しいわけでもなんでもないが、1度は見ておきたい、ずっとそう思ってきた。
モロッコ/ドバイから前日帰ってきたばかり。
微熱があって腹も壊していてなおかつ足のマメが痛くてあることもままならぬ状態。
時差ぼけなのか寝ててもすぐ目が覚めたりで起きていても眠いしだるい。
でもせっかく取ったチケットだしなあ、と這うような気分で会場へと向かう。
バレエを長いことやっていた会社の後輩に聞くと、
彼女はヨーロッパのバレエはあんまり好きではないんだけど、ベジャールは好きだと言っていた。
「でも」と彼女は続けて言う。
見に行くとバレエ教室の先生たちのネットワークに捕まってしまって
おばさん連中に「あら〜あなたは○○せんせいとこの〜」と大変なことになってしまうようだ。
だからうかつに見に行けないと。
それにしてもその世界にどっぷり使った人たちによる狭い社会というのはどこにでもあるもんなんだな。
行ってみると確かにそういう人たちばかり。
昔バレエやっていたような若い女性や、今でもバレエを教えているようなおばさんたちばかり。
男性も結構いる。でも何らかのバレエ関係者っぽい。
妙に胸の開いたシャツを着た細身の男性であるとか。
野田秀樹演出のオペラを観たときもそうだが、ああ自分は今かなり場違いな場所にいるなあと思ってしまう。
公演プログラムを買う。
公演はAとBに分かれていて僕が選んだのはAの方。
演目は「海」「バトリー・フュガス」「これが死か?」「バクチTUV」の4つ。
Bはモーツアルトのオペラ「魔笛」をバレエに翻案したもの。
ただ単純に4つも入ってお得だと僕はAにしたのであるが、
プログラムの写真を見ると「魔笛」の方がすごそう。
バレエとしてのダイナミズムと物語とがしっかりと結びついてるって感じで。
これから見る4作品はどれも小品であって、ベジャールのショーケース的なもの。
プログラムにはベジャールのこれまでの活動の記録が年表になっていて
そこに演出作品のリストが並んでいる。これがまた大変な分量。
2・3年に1本の割合で、ってんではなくてどの年も平均して1年に4・5本は演出しているようだ。
77歳になる今もそう。普通に現役。
今、恵比寿ガーデンシネマでは
「ベジャール、バレエ、リュミエール」というドキュメンタリーが公開されている。
新作「リュミエール」のリハーサルから初演に至るまでの半年間を追ったものであるという。
これはちょっと見てみたいぞ。
プログラムの年表に「タキシードムーン」の名前を見つける。
1981年の「ガルボの幻想」という作品のようだ。
マリシア・ハイデ出演、ブリュッセル、王立モネ劇場 とある。
その上には同じく1981年で「ライト」という作品があって、これの音楽は
ヴィヴァルディ、タキシードムーン、ザ・レジデンツとある。
レジデンツも使われていたか!何の曲なんだろう?
ガイドブックのバイオグラフィーを見てもそんなこと書いてない。
そもそもタキシードムーンはどの曲を?
興味は尽きない。
「海」が始まる。新作。
バレエ教室のエピソードであるとかベジャールの少年時代をモチーフにしたもの。
海(La Mere)−女性たち。母親/愛人。
音楽はワーグナー、ショパンらと並んで
U2「Even Better Than The Real Thing」やハワイ民謡の「Sweet Laiani」が使われる。
場面転換がスピーディーでその場面ごとにつぎ込まれるアイデアが豊富、
躍動感に満ち溢れた作品なのであるが、
体調の悪さゆえにほとんどの部分で寝て起きての繰り返し。
最初と最後だけ見たようなもの。
たぶんこれが今回の演目では最も面白いものであって、もったいないことをしてしまった。
休憩を挟んで、「バトリー・フュガス」
ベジャールの最も初期の頃(1954年)の振り付けなのだという。
ジル・ロマンという男性ダンサーによるソロ。
この人は有名なようで、プログラムのダンサー紹介のページでも1人だけ大きな枠になっていた。
踊りきるとコアなバレエファンが舞台に駆け寄って花束を渡す。
音楽はピエール・アンリのほとんどノイズに近い電子音楽。
それに合わせて1人の人間の苦悩(生と死に関わるものなのだろう)が描かれる。
優れたダンサーと振付師の手にかかれば
セリフがなくても、他の登場人物がいなくても、
バレエの基本動作だけをもとにしてたった1人で全てを表現しきれるのだということ。
素直に「すごいもんだ」と思う。
「これが死か?」(1970年初演)
プログラムにはリヒャルト・シュトラウスの4つの最後の歌曲をバレエにしたものとある。
タイトルはその詩の最後の行であるという。
1人の男性と4人の女性が舞台に現れ、
女性たちが代わる代わる主人公と官能的なダンスをゆるやかに交わしていく。
主人公はその人生において4人の女性を愛したということか。
そしてその記憶を辿り直していると。
4つの歌曲により断片化され、4人の女性となると素人の僕からすると
四季のこと?と思ってしまう。
人生の春/夏/秋/冬をそれぞれ別の女性で表しているのではないか。
どうなんだろうな。
「バクチTUV」
インドをモチーフとした作品。初演は1968年。
舞台には最初3人の男性が座っている。
その後3つの場面が展開され、それぞれ1人ずつ主人公となる。
彼らはその身にまとっている衣装(ジーパンやTシャツなど。それぞれ違う)から
恐らくインドの外の世界、もっと言うとヨーロッパからの訪問者であるように思われる。
彼らにはそれぞれその化身が寄り添い、その化身には女性が伴う。
この3人とはインドの三大神ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァのことか。
化身たちは時々笛を吹くので、もしかしたら単なる道化でしかないのかもしれない。
インド音楽に合わせて男女入り乱れて官能的な踊りを繰り広げる。
「バレエ」という狭い枠組みを軽やかに抜け出て
自らの表現へと飛翔するベジャールの意思というものが感じられる。
さっきとは別な意味で「すごいもんだ」と思う。
カーテンコールではそのベジャールが登場。
この人が神様か!
佇まいが違う。
「サロメ」を見に行ったときにもアイーダ・ゴメスに感じたような
会場に入りきれないぐらいの大きくて突き抜けたような雰囲気。
(プログラムにはアイーダ・ゴメスもまた教えを乞いにベジャールのもとを訪れたそうなのであるが、
いつのまにか生徒を教える側に回っていたというエピソードが載っている)
体を使って表現するということ。
それを極限にまで高めていくということ。
バレエに限らずスポーツであっても同じ。
ストイックに来る日も来る日も追求を重ねていく。
常人には耐え難いぐらい長い時間をかけて磨いていった末にようやく見出す何か。
うつろいやすくてはかない何か。
それが舞台の上で表現されるというのを見るというのは非常に感動的なものです。
言葉というものに頼らず、自らの体を完璧にコントロールし、
動作だけを用いて表現を行うのであるから
僕なんかからすればほんと「・・・すごい」としか言いようがない。
バレエに限らずこういう舞踏をもっともっと見てみたいと思った。
[1308] モロッコ(35)旅の終わり 2004-07-08 (Thu)【6月12日(土)夜 − 6月13日(日)早朝】
ようやく食欲が出てきて、レストラン街に入る。
無性にカレーをたべたくなるのだが、腹の調子もよくないし今食べたらダメだよなあと自制する。
うどんかそばにしとくべきなんだろうな。
一通り店を回って讃岐うどんの店にする。
注文カウンターに並んで支払うような手軽なやつ。
はなまるうどんだとか何年か前からチェーン店が東京にも進出してきているが、入ったことない。
どういうシステムでうどんを注文して出来上がってくるのかちょっとまごつく。
何にしますか?と聞かれて醤油をかけただけのやつにする。
(きれいな女の子がやる気もなくぶっきらぼうな関西弁で応対するのは
東京人の僕からすればとても新鮮な体験でした)
薬味は好きなだけかけてもいいようだったのでゆでたての麺に天かすやゴマ、鰹節をたくさんかける。
大根おろしと混ぜ合わせて食べると「おお、こんなおいしいものがこの世にあったのか!」と感動してしまう。
日本の食べ物はええなあとしみじみする。
周りの席では旅行者だけでなく国内線のスチュワーデスと思われる人たちも食べていた。
この飲食店のエリアも空港の職員がパラパラと歩いていて、今日は何にしようかなあと選んでいた。
空港って社食がないのだろうか。
(あるかもしれないけどその人たちは飽きたから他の店に入りたかったのかもしれない。あるいは時間が遅いから)
JAL側の社食とANA側の社食とがあってどちらも一長一短があり、
JALのスチュワーデスは1度ANAの方で食べてみたいとこっそり思っているのではないか、
なんてことを考える。
食べ終わって、まだかなり時間がある。
海外のお土産を売っている店がいくつかあったので入ってみるのだが、
中国やハワイやオーストラリアといったメジャーな観光地ばかりで
ドバイやモロッコのお土産は扱っていなかった。ドバイはあってもよさそうなのにな。
リゾートとして話題にはなっていてもまだまだ出かける人はそんなに多くないってことか。
インターネットのできる場所を見つけて接続する。
久々に日本語のブラウザ。
メールや掲示板に書き込まれていた内容がようやくわかる。
(掲示板に書き込んでくれた人、ありがとう)
マックに入って時間をつぶす。
今回の旅はほんとマックに逃げてばかりだったなあ・・・。
店員は思いっきりくだけた関西弁で話す。
僕はそれまで日本全国のマックが標準語を話すのかと思っていたのだが違うようだ。
空港の中であるためか、メニューの値段が他の店舗とは異なるし、
他の店舗で実施されているキャンペーンも
ここでは行われていないことをあらかじめご了承くださいみたいなことが但し書きされている。
壁際の席でダージリンティーを飲みながらノートPCに旅日記を書く。
2組の若い夫婦が隅の方の席に陣取っていて、店内を走り回る子供たちを強烈な関西弁で叱る。
21時前になるとキャンセル待ちの結果についての放送が始まる。
僕が最初もらった番号には全然届かず。10番ぐらい前で打ち切り。
さっさとその次の便に変更して正解だったと思う。
時間を持て余し、「そうだ、検疫のところで検査を受けてればよかった」と思う。
出発の時間も迫り、もう時間がない。
(結局のところ微熱は2・3日続いた。腹の調子は次の週ずっとおかしくて病院に行った。
変な病気じゃなきゃいいなあと僕は思っていたのだがたいしたことはなかった。
腹が痛んだり熱が出たり便に血が混じっているのでもない限り、問題にならないようだ)
羽田行きの飛行機に乗る。
本も読み終えて読むものもなくぼんやりと過ごす。
何か読まずにはいられなくて「地球の歩き方」のモロッコ編とドバイ編を読む。旅のおさらい。
1時間前のは満席だったそうなのに今乗ってるのはガラガラ。
1時間違うだけでこんなに変わるのかと思う。
下手すると終電乗れなくなるタイミングだしなあ。
羽田に到着して、リュックサックを受け取って、出口を出る。
12時近い時間ということもあって人はまばら。
恐らく深夜に出るような海外へのフライトは羽田にはほとんどないのだろう。
浜松町行きのモノレールは終電の1つ前だった。
同じシートに座った女性3人組がけたたましく話している。
仙台に行くのはどうこうで青森に行くのはどうこうで新潟だったらどうこうで。
勤務のシフトがどうこうで誰それの契約がどうこうでと。
国内線のスチュワーデスなのだろうか?それにしてはしゃべり方にえらく品がない。
持ってる鞄をそれとなく見るといかにもブランドですって感じだし。
全国をあちこち飛び回って商品販売してるっていう人たちなのだろうか。
ドバイの空港で出発を待っていたとき、
たぶんこの人たち国際線のスチュワーデスなんじゃないかって女性を3人見かけた。
ドバイでは一緒に行動せず、ロビーでその日初めて顔を合わせたようだった。
飛行機に乗っても席はバラバラ。
3人のうちの1人は僕のすぐ横の席で、乗り込むとすぐ眠っていた。
真ん中の席の肘掛を全部上げてベッド代わりにして。
機内食ももらわず。飛行機なんて珍しくもなんともないって風情。
着ている服は3人とも目立たないけれども高価なもので、話し方も身のこなしもスラッとしていた。
日本からドバイ行きのフライトで添乗して、
何日か後の帰りのフライトでもまた仕事するのではなくそのまま帰ってくる、ということか。
(今回の旅行ではスチュワーデスという存在に関して特に意識していたように思う)
浜松町から山手線に乗って東京駅へ。
大きなリュックサックを背負って東京駅の構内を歩く。中央線に乗る。
もう少し早い時間だったら丸の内線で有楽町から通勤定期で帰れたんだけど、まあ仕方がない。
端の席に座る。
目の前では日本の普通の人々が立ったり座ったりしている。電車に揺られている。
モロッコやドバイとは無縁の人たち。普通の人たち。
新宿でたくさん人が乗ってきて車内が混雑する。
バイト帰りの若者たち、飲んで帰ってきた人たち。
イスラム教の国々のように女性たちは男性たちの陰に隠れてその肌を見せないようにするということはなく。
男性たちはコーランの言葉を求めて1つの気持ちになることはなく。
子供たちは手を差し出さず、大人たちは見知らぬ他人というものに対してひどく無関心だ。
荻窪駅に着いてリュックを網棚から下ろし、また背負ってホームを歩く。
足が痛いため家までの道のりがやけに遠く感じられる。
ようやく辿り着く。午前1時を過ぎている。
1週間ぶりの自分の部屋。何も変わっていない。
出てきたときのように雑然としたまま。
締め切っていた部屋の空気がむっとする。
シャワーを浴びて初めて生きた心地がする。
ドバイであれだけ汗をかいてびしょぬれになってそれが乾いてまた汗をかいて。
それが今やっと解放された。
疲れきって布団に入ったはずなのに眠れない。
熱っぽい感じが全身を覆っていてすんなりと眠れそうにない。
それでも疲労感の方が勝っていたようでその後すぐにも眠ってしまったようだ。
午前5時に目を覚ます。
外はひどい土砂降りで屋根を強く叩きつけている。そのすさまじい音がする。
いつ果てるともない雨の音を僕は聞く。
微熱がまだ続いている。
僕は眠れないまま布団の中で目を開けて天井を眺める。
白い壁を眺める。
そして今回の旅のことをその初めから思い返す。
出合った人々、降りかかった出来事。
雨が降り続く。
僕は疲れきった心と体で雨の降り続く音を聞いていた。
[1307] モロッコ(34)日本到着 2004-07-07 (Wed)【6月11日(金)夜 − 6月12日(土)夜】
最初のうちはロビーで席に座っているのはパラパラと少しだけだったのが、
出発時間が近付いてくると席が埋まり始め、やがて足りなくなってくる。
土曜の夜に日本に着く便なのだから、休みを過ごした人たちにはちょうどいいのだろう。
周りのほとんどが日本人。
そのうちの半分ぐらいが30人ぐらいの大きなツアーの人たち。
揃いのTシャツを着た添乗員だけでも4人いた。
僕の隣の席に座っていたのはそのツアーの参加者たちで、会社の社員旅行として申し込んだようだった。
その中の1人が余った現地通貨どうしようと騒ぎ出し、
みんなが俺いくら持ってる、私いくら持ってると口々に額を言い合う。
最初に言い出した1人が「だったら俺、外でなんか買ってくる」と大声で。
「この中に入ってしまったら機内の中にいるのと一緒だから、出ることはできないんじゃないの?」と
別な誰かが賢明なことを言うのであるが、
「大丈夫だろ?すぐ戻ってくれば」と入り口に立っているスチュワーデスのところへ向かう。
彼は外に出て、免税店エリアへ。
やがてサンドイッチを買って戻ってくる。
あーそういうのが可能なら僕もお土産買いに行こうかなと思う。
でも出発まで残りの時間は20分ちょっと。やめておく。それ以前に立ち上がる気にならない。
寒気、微熱、疲れ、足の痛み。それに今眠気まで加わる。
意識を保つのに苦労する。
ここで「具合が悪い」って言ったらどうなるんだろうと考えてみる。
病院に連れてかれるのかな。とりあえず今からのフライトには乗るなって言われそうだな・・・。
こういうときって、次の日検査して「ただの食あたりです。帰国してよろしい」となったとき、
誰が航空券代を出してくれるんだろう?
航空会社の不手際でもなんでもないんだから僕が支払わなければならないんだろうな。
まず間違いなく今回のツアーも格安航空券だから日時の変更は一切できないはず。
ここで買い直すことになったらいくらするんだろう?
もしかしたら正規の値段で買わなきゃいけないんじゃないか?
それってすごく困る・・・。
出発の時間が近付いても機内に入ることができず。
どうしたんだろうと不安になる。
関空から羽田までの乗り継ぎの時間は2時間しかない。
入国審査関係で時間かかるから余裕はほとんどない。
遅れたらどうなるんだろう?また別の不安材料が出てくる。気の安らぐ暇一切なし。
アラビア系の空港職員が機内側入り口に無言で立っている。
同じくアラビア系の乗客が彼と親しげに話して機内の方へ消えていった。
たぶん空港か航空会社の職員なのだと思う。
結局乗れたのは出発時間過ぎてからだろうか。
具合の悪かった僕は機内の通路を歩いて自分の席にたどり着くと
毛布を2枚体にかけてすぐにも眠りだす。泥のように眠る。
いつ飛行機が飛び立ったのかちっともわからなかった。
本来の予定からすれば午前2時半に飛び立って、関空には17時に到着ということになる。
・・・
何度か目が覚める。
その度にトイレに行く。
何度目かに目を覚ましたとき、だいぶ気分がよくなる。
少なくとも本を読めるぐらいには回復する。
「グリンプス」を読み終える。
期待にたがわず素晴らしい小説だった。素直に感動した。
もう1度書くけど、ロックファンならば絶対読んでみてほしい。
ビーチ・ボーイズが「Smile」を完成させた世界。
その架空の世界を現実化させることに、つまり世界を変えることに手を貸した主人公。
この体験によって主人公とその周りの人たちが手に入れたもの、失ったもの。
スチュワーデスが通りかかるとリンゴジュースをもらう。
体の中に染み渡っていく。
あーリンゴジュースがこんなおいしいものだったとは。
到着の時間が近付いて機内食の時間になってもアルコールを取る気にはならず、
リンゴジュースをもう1度もらう。
機内食もまた食べる気にならずトレイをもらっても食べたのは果物だけ。
そういえば機内食にうどんがあったなあと
「Japanese Noodle」とスチュワーデスに言ってうどんを作ってきてもらう。
日清の市販のカップ麺なのにうどんがたまらなくおいしい。
食べ終わってぼんやりしているうちに飛行機はどんどんどんどん東へ東へ進んでいって
中国大陸は大連を後にして黄海の上を飛ぶ。
朝鮮半島に沿って南に下っていってもうすぐ日本列島。
福岡、広島。眼下にはやがて大阪が。
到着予定時間を見ている限りではどうも1時間遅れ。
旅程表を見ると関空到着が17時で羽田行きのに乗るのが18時40分となっている。
これってどうなるんだろう?
間に合うんだろうか?
でもここまで来ると僕だけの話じゃないからなあ。
なんとかなるんだろうな。
この飛行機から乗り換えて羽田に向かう人なんてたくさんいるに決まっている。
楽観と諦めが入り混じった気持ちになる。
飛行機が滑走路に向かって下りていく。タイヤが地面を掴む。
シートベルトを外し、みんな通路に立って飛行機の外に出られるのを待つ。
心なしかソワソワした人が多いような気がする。
飛行機を出て通路を歩くとJALやANAの女性職員がA4サイズの厚紙を持って立っている。
手書きで大きく「××便にご搭乗の○○様 □□様 △△様」と書かれている。
大きな声で「××時の××にご搭乗のお客様はいらっしゃいますかー」と乗り継ぎの便ごとに乗客を探す。
辺りは少しばかり殺気立っていて、少しばかり混乱した空気が漂っている。
次の羽田行きの便に乗ることになっている人は大勢いるようで、
該当する人はとにかくこれを左胸につけてくれとシールを渡される。
これをつけてると優先的にいろんなところを通過できるのだろうかと期待するのだが、そんなことはなく。
「シールをつけてる人はこちらに」と呼び止められるわけでもなく。
入国審査を待つ列に並んでいてもあちこちで「間に合うのかなあ」という声が聞こえてくる。
シールをつけた人たちは不安そうに緊張していて、あるいは苛々していて、
シールを見なくても判断できる。
一方乗り換えのない関西の人や別なフライトだった人は気楽そうに並んでいる。
僕の背後に並んだ人たちはアジアのどこかの地域の売春ツアーからの帰りのようで、
「いやーあの薬はすごいね。あれから2人相手にできたよ」
「でしょう?○○さんなかなか現れないからどうしたのかと思いましたよ」
なんて会話を普通にしている。
検疫審査。飛行機の中で配られる黄色い問診票に正直に昨日夜からの症状を記入したところ
ブースの中の係員からいくつか質問され、検査を今から受けてくださいと言われる。
次のフライトが迫っていて今すぐ乗らなくてはいけないと言うと、
じゃあ仕方ないんでいいですとパスされる。
黄色い紙をくれる。さらに症状が続いて医者にかかられるときはこれを見せてくださいとのこと。
あれこれ依頼事項や注意事項が書かれている。
僕は上の空になって受け取る。
昨晩よりは多少具合がよくなったものの、微熱はまだ続いているし、腹の調子は全然よくない。
足だってマメが痛いままで、急ぎたくても走れない。ひょこひょこと足を引きずって歩いている。
手荷物の受取。
シールをつけた乗り換えの人たちは自分の荷物が出てくるのをまだかまだかと待ち構えている。
自分のを見つけると一目散に税関審査へ。
あるいはエミレーツ航空やJALの職員をつかまえて、乗り遅れたらどうなるのか聞き出している。
どうも今回の便に遅れたら次の便に乗れるようだ。
搭乗手続きの際にその旨伝えればいい。
みんながあちこちでその話をしている。
間に合うかな、もう締め切ったらしいよ、そんな声が聞こえてくる。
僕のリュックサックはなかなか現れず。
ドバイではかなり早い段階で荷物を預けたから、その分コンテナの奥の方に入っているとか。
ジリジリとした気分で待つ。
ようやく出てきたので税関を通過し、JALのカウンターに向かうと搭乗手続きの長蛇の列。
終わった。もう無理だろう。そもそもこの時点で出発の5分前。
20分前には締め切ってキャンセル待ちの人たちに席が譲られるはず。
(そう言えば「サハラ砂漠の砂なんて持ち込んでいいのだろうか?」とあれだけ心配したのに
税関ではパスポートを見せただけでノーチェックだった。左胸のシールのおかげ?)
リュックサックとその他鞄や Virgin の袋などをセキュリティチェックに通して
僕も搭乗手続きの列に並ぶ。
どうも羽田行きの次の便には確実に乗れるのではなく、あくまでキャンセル待ちになるようだ。
なんでだよ?遅れたのは俺のせいじゃないぞ!?と思うのだが
よくよく考えるとそもそもその便を普通に予約して乗っていく乗客がいるのだから
その人たちのための席だというのは当然なわけであって。
困ったことに次の便は満席なのだという。土曜の夜、羽田行き21時20分。
東京に戻るにはちょうどいい時間だもんなあ。
後ろに並んでいた人たちがぼやいている。
「シールを貼ったところで何をしてくれるわけでもない」とか、
「機内に荷物を預けてなかった人はもしかしたら間に合ったかもなあ」とか。
並んでいるうちに僕の番が来て、やはりキャンセル待ち。
21時になったら番号順に呼び出すのだそうだ。
乗れるかどうかはそのときになってみないと分からない。
仕方ないなと思う。今回の旅は初めから終わりまで様々なトラブルに見舞われた。
日本に戻ってきてもかあってのはちょっとがっくり。
番号の印刷されたキャンセル待ちのチケットをもらい、いったん列の外に出る。
搭乗手続きをして荷物を預けたわけではないから大きなリュックサックを背負っている。
これであと2時間は待つのか!と思うとたまらなくなってくる。
長旅で疲れて微熱もあるのにこれではつらい。
ふとキャンセル待ちの便のさらにその次ならどうだろう?と思う。
頭上のフライト案内を見るとその1時間後の22時20分は満席とはなっていない。
キャンセル待ちのカウンターに行って聞いてみるとこの便なら空いているので搭乗手続き可能だという。
確実に帰れるほうがいいのでそっちにする。
今から2時間、乗れるだろうか?と不安になってるよりはよっぽどいい。
羽田に着いてからは終電でギリギリ帰れるだろう。
荷物を預けてとりあえず身軽になる。
[1306] モロッコ(33)空港へ 2004-07-06 (Tue)【6月11日(金)夜】
ようやく22時半になる。
1時間前なら後はホテルで過ごしても邪魔じゃないだろうと思う。
具合の悪さと足の痛みからゆっくり時間をかけてホテルまで戻る。
フロントで荷物を預かってもらってることを告げると
「ああ、○○○号室の?」とすぐにもポーターが運んできてくれる。
このロビーで何時に待ち合わせかと聞かれて23時半と答える。
ロビーのソファに腰を下ろす。
ようやくこの悪夢のような状況から抜け出すことができる・・・。
後はこの気分の悪さを機内で乗り切ることができるかどうか。
リュックサックから薬の入ったビニールの袋を取り出すと下痢止めのカプセルを飲む。
症状が露呈してからたかだが1・2時間では事態が改善されるわけはなく、
トイレに駆け込んで腰を下ろし、絶望的な気持ちになる。
ロビーにはタイから来たのかベトナムから来たのか、
おばさんたちばかりのツアーが到着して、今からそれぞれの部屋に分かれるところだった。
添乗員は大柄で声の大きいエネルギッシュな男性で、
ちょっと何かを言うたびにおばさんたちの間で笑いの渦が巻き起こる。
日本でも中高年の客を中心に「この人とならどんなツアーでも行く」という
カリスマ添乗員がいるものであるが、彼はアジア版のそういう1人か。
おばさんたちがいなくなるとロビーの反対側のソファには日本人旅行者の一団が入ってくる。
それとなく話を聞いていると大阪から来た家族+親類で構成されているらしい。
50代・60代の男女数人とそのうちの誰かの息子。世話役ってとこか。
ドバイでは日本語が聞こえてくることはそれほど珍しいことではないので、
(特にシティ・センターではそう)懐かしい気持ちにはならない。
到着ではなく、帰国。まず間違いなく同じ便で帰ることになる。
カジノのような場所に行った話をしている。
残ったドバイの通貨が今いくらあるかという話も。
(この2つの話題は空港の出発ロビーで待っている間もあちこちで聞こえてきた)
23時30分きっかりに係員が現れる。
リュックサックを運んでもらって車に乗り込む。
特にこれと言って何も言われず、何も聞かれず、空港までのわずかの距離を走っておしまい。
降りたら昨日夜の空港内を案内してもらった旅行会社の係員を見かけるが、僕の応対のためではなかった。
今日到着する誰かあるいは出発する誰かのためなのか。
毎晩毎晩彼は空港で日本人相手に決まりきった定型化された応対をしているのだろう。
出国側の入り口から入ってまずはセキュリティチェック。
それが済むと搭乗手続き。
カウンターは2つのスペースに分かれていて、間違えて僕はエミレーツじゃない方に行ってしまう。
各国の航空会社のカウンターがそれぞれ1個ずつ並んでいる。
空港の職員に聞いてもう片側の方へ移る。
ほぼエミレーツ専用。たくさん並んでいるカウンターがどれもエミレーツ。
長い行列ができている。その中には他に日本人旅行者はいない。
並んでいる間に気付いたのであるが、行列の入り口付近に 5Dh で
荷物をビニールテープでぐるぐる巻いて壊れたりばらばらにしないようにするサービスがあった。
これまでリュックサックをすっぽりと覆うナイロンの袋に入れて荷物として渡していたのであるが
口を閉じることができないためどこの空港でも困った顔をされた。
あれやっといた方がいいよなあと思うも列の半分まで来てしまったのでめんどくさくなる。
僕の番が来てそのまま渡したら案の定困った顔をされる。
口の部分を細いガムテープみたいなので縛られる。
カウンターの女性からは「どこまで?大阪ですか?」と聞かれ、
「イエス、オーサカ」と僕は答える。
渡した航空券が返ってくる。ドバイ−関空間は搭乗券となったのに、
関空−羽田間は搭乗券とならずそのまま戻ってくる。
リュックサックの袋にも「KIX」(行き先関空)とシールが貼られる。
え?と思う。「関空は単なる乗継であって、僕は東京まで行くんだ。
羽田までも搭乗手続きしてほしいし、荷物も羽田まで運んでほしい」と主張する。
乗り継ぎのときどうするんだろう?
リュックサックを受け取らなきゃならない?
でもそうなると1度外に出なきゃいけないんじゃないか?
待てよ、入国審査はどこで受けるんだ?羽田?関空?
羽田発の海外便があるんだから羽田でもおかしくないよな。
でも僕が青森に住んでるとして、青森の空港で出入国の審査を受けるとは考えにくい。
どうなんだ?どうすりゃいいんだ?
なにがどうなるのかわかんなくてパニックに陥る。周りに日本人はいない。
「とにかく羽田まで送ってくれ。出ないと困る」と主張するのであるが
いつのまにか大きな声になっている。
気分が悪くてずっとイラついたまま。
カウンターのお姉さんも困ってしまって
(僕が何度もハネダハネダと言うのをカナダ?と聞き返す始末)
空港の職員を呼び出す。現れた職員は僕の目を見ながら何かを説明してくれるのであるが
カーッとなった僕の耳には何も聞こえない。
それでも「分かりましたか?」と聞かれて「分かりました」と答えてしまう。
職員が行ってしまうとカウンターのお姉さんに僕は
「残った最後の関空−羽田のチケットは関空で搭乗手続きをしなくてはならないのか?」と聞くと
彼女はそうだと答える。
わけがわかんなくなった僕は「もういい」ととりあえずその場を離れる。
どうにかなるだろうという思いと、
「絶対間違ってる。出国ロビーに行ったら
絶対日本人のスチュワーデスがいるはずだからなんとかしてもらおう」
という思いがグルグル交差する。
(旅慣れてる人ならば知ってることですが、これって僕が思いっきり勘違いしているのであって。
関空で入国手続きや税関申請などを行った後国内線に乗り換えるのが正しい。
それまで国内での乗り継ぎを体験したことのなかった僕は知らなかったです)
出国審査。僕の番になったとブースに進むと
後ろから来たアメリカ人?が「ごめん僕の方が先なんだ」とパスポートを提示する。
ブースの中の係員も「この人の方が先に並んでました」と言う。
ま、たぶんそうなんだろうと思う。
今日は1日いろいろ憤っていたのでこれぐらいのことでは動じない。
というか疲れきって無反応。
僕の番になって出国審査はパスポートをパラパラめくってハンコを押すという簡単なもの。
後はもう飛行機に乗って日本に戻るだけとなる。
長い長い通路を歩いていって長い長いエスカレーターを上っていくとそこは免税店エリア。
旅の振り出しに戻ったような気持ちになる。
と言ってもあまりの具合の悪さにそんな感慨に浸っている余裕は一切なし。
トイレに行くと下痢。その後またトイレに行って今度は胃の中のものを全部嘔吐。
そしてまたトイレに行って・・・、と際限なく繰り返す。
その間ベンチに腰掛けてぐったり。あれこれの手続きで最後の力を振り絞ったかのよう。
本を読む気にもならず目の前を通り過ぎる人たちをぼんやりと眺めて過ごす。
免税店でCDを眺める気力もなし。立ち上がろうという力が肉体的にも精神的にも沸き起こらず。
トイレに行きたくなったときだけよろよろっと立ち上がる。
困ったことに会社の人たちに配るお土産をドバイで買おうとしていたのに、
すっかりそのことを忘れたままだった。というか思い出す余力がない。
「まーいいんじゃないの・・・?買って帰んなくても・・・」と思う。
何回目かにトイレに行ったとき顔を洗う。
砂がついているようにずっと思っていたんだけど、砂じゃなくて顔の汗が塩になったものだった。
なめるとしょっぱかった。
顔に塩が、なんていつ以来だろう。
吐いたときに口をゆすぐのに使い切ってしまったので
売店でまたミネラルウォーターを買う。
5ドル札を出したらレジで細かいの持ってないかと聞かれる。
持ってないと答えたら不機嫌そうに、本当に持ってないのかと再度聞かれる。
ミネラルウォーターそのものは1ドルもしなかった。
お金を崩したいがゆえに買ってるとでも思われたのだろう。
困ったことに僕も他にお金を持っていない。
先ほど銀行で両替したとき、千円札2枚と残りはドルでってことになって
5ドル紙幣が返ってきた。手持ちのお金はほんとこれだけ。
(リュックの中には1万円近く入っていたが)
レジの女性は僕の財布の中から札が突き出ているのを目ざとく見つけて
それは1ドル札ではないのか?と聞く。
僕は千円札を2枚取り出して、「違う」と答える。
「・・・OK」と彼女は降参して、4ドルと硬貨を何枚か返してよこす。
ある意味「勝った」と思うのだが、ちっとも嬉しくない。
ベンチに座って無為な時間を過ごしているうちに「そろそろかな」と思って出発ゲートへと向かってみる。
既に出発ロビーの中にて座っている人たちがいて、あーもう入っていいんだなと思う。
僕も中に入る。日本人のスチュワーデスがいたので
さっきの「関空じゃなくて羽田じゃないのか」の件を聞いてみると
関空で受け取って別途搭乗手続きが正しいということがわかる。
[1305] モロッコ(32)夜のドバイをさまよう 2004-07-05 (Mon)【6月11日(金)夜】
19時ごろ。空は暗くなりかけている。
アブラに乗ってドバイの反対側に渡る。
何があるか分からないからそろそろホテルのある右側に戻っていた方がよさそうだ、と考える。
とはいえ戻ってきてもすることがない。
23:30にホテルのロビーで待ち合わせ。
その間することが全くない。これから4時間どうやって暇をつぶせばいいというのか。
1日中歩きっぱなしだった足が疲れ切っている。足と言わず体全体が。
船が向こう岸に着くと僕はとりあえず目の前にあったにぎやかな通りに入っていく。
地図を見たところそのまま行くとゴールド・スークに突き当たるようなので
観光ルートとしては正しい。
入ってすぐのところにあった横道は明かりもついていないような薄気味悪い商店街で、
入り口に立っていた10代後半ぐらいの少年が僕と目が会うと「どうぞ」って感じで手招きをする。
その向こうには何が控えているのか分からないのでもちろん僕は入らない。
歩いていくうちにアーケード付きの商店街へ。
店の明かりが眩いばかりにキラキラと光を放っている。
貴金属を扱っている店が多い。
ゴールド・スークそのものではないようで、ショーウインドウには銀製品が並んでいる。
通りの端から端までびっしりと。眩暈がするぐらい。
これ全部本物なんだろうか?
高級感を演出する気はさらさらなく、とにかくあるもの全部並べてますって勢い。
もしかしたらバッタもんもあるんじゃなかろうか?と疑いたくなる。
秋葉原のジャンク屋に近い雰囲気。
でもイスラム世界の「スーク」ってのがもともとそういうものなんだよなーとも思う。
メインの通りを外れて裏通りに目をやると
安いホテルや喫茶店、食堂、その他雑貨屋が雑然と押し込まれている。
女性用の下着の店をいくつか見つける。
派手な色のけばけばしいものばかり。
気が付くと通りはいつのまにか女性たちの姿も普通に見かけるようになった。
日が暮れたので何らかの戒律から自由になったのではないかと思われる。
とはいえ皆例の黒い衣装で全身を覆っている。もちろん顔も。
そういう女性たちが店に入って水色やオレンジ色の下着を眺めている。
「ふーむ、そういうものなのか」と思う。
彼女たちは黒い衣装の下に何を身に着けているのか?
もしかしたらここで買うような派手な下着を身に着けていて
家の中で夫にだけ見せるのかもしれない。
そこには何が秘められているのか・・・?
通りすがりの旅行者には決して見せようとしない彼ら/彼女たちの生活がそこにある。
通りのベンチに腰を下ろしてぐったりとなって休む。
男性の僕からしたらこういう貴金属を見たところでうっとりとするわけもなく。
通りを歩く人向けに年老いた男性が
トレイに冷やしたジュースの瓶やミネラルウォーターのペットボトルを乗せて売りに来る。
この辺りから体調がおかしくなりだした僕はそういうものを飲む気がしなくなっていた。
腹も減っていない。というか食欲が全くない。
ガイドブックを参考にレストランに入って食事をしていれば時間が過ぎていくんだろうけど、
そういう気にならない。お金もないし。
「さすがドバイ、世界の名だたるリゾートだけある」
と唸るようなおいしいものを食べようとしたら
それなりのレストランに入った方がいいに決まってる。
だけどジーパンに汗で汚れたTシャツを着た旅行者が一人入っていっても場違いだし。
これはホテルのバーに入るのでも一緒。
そういうことをするのがひどく億劫なものに感じられた。
することもなくベンチに座って旅行者たちが通り過ぎるのをぼんやりと眺めて過ごす。
座っていても仕方がないのでまた歩き出す。
適当に歩いているうちにこの辺がゴールド・スークの入り口なんだろうなという箇所に差し掛かる。
「もういいか」と思う。これ以上何も見たいと思わなくなっている。
夜になるにつれて人々でにぎわうようになったように感じられる。
イスラム教徒の国々では夜はどういうふうに過ごすものなのだろう?
これといって特に何もないのではないかという印象を僕は持っていて、
実際こういうスーク以外はどこも閉まってしまうようだった。
その一方でリゾート地区で夜を過ごしている旅行者たちには
ピンからキリまで遊ぶものはいくらでもありそうだ。
自分がひどく惨めなものに思えてくる。
異国の地で1人きり誰とも話さず歩き続けるだけ。
誰かの助けのない限り地元の人向けの食堂や旅行者相手の高級なレストランに入ることのできない
(そういう勇気のない)自分が情けなくなってくる。
でもそれって日本でも同じことなんだよな。
今はそうでもなくなったけど、学生時代の前半ぐらいまでの僕は
食事に関しては誰かに1度連れられていった店でないと入れなかった。
それまで入ったことのない店に1人で入るってことができなかった。
1人でも入れるのはチェーン店で中がどうなってるか分かってる店ぐらい。
心の奥底で何かが引っかかっていた。何かが怖かった。
海外に出るとそのときの自分がまた引きずり出されてくる。
肝心なところで、僕はまだ1人で行動できない。
僕はひどく臆病だ。
スークを抜けるとすぐにも通りは暗くなる。
営業時間を過ぎて閉めてしまった店ばかり。
ひっそりとしている。歩く人も少なくなる。
開いているのは地元の人向けの食堂ぐらいになる。
あてもなく歩く。気力も途絶えかけて死霊のように歩く。
そのうちに両足にマメができて歩く姿もぎこちなくなってくる。
元のアブラ乗り場に戻るつもりでいたのだが、
時折見つかる道路に立てられた地図を眺める限りでは僕はひどく大回りしているようだ。
なんでこんなことにならなければならないんだ?と闇雲に憤る。
こんな意味不明な日程となったことに対して旅行会社を逆恨みする。
ホテルは昼間にチェックアウトせざるを得ないし、帰る場所もない。
ドバイはリゾートホテルに泊まってビーチにスパにエステにショッピングというための都市であって、
金もなく英語も話せない30近い男性が1人リュックサックを背負って来る場所ではないんだな。
それが身にしみてわかってくる。
僕がしていることは東京を訪れた外国人が東京観光だと思って
荻窪から代々木を経て四谷の方までずっと1人で歩いているようなものだ。
時折何かしら物珍しいものには出会うだろうが、
滞在日数が1日しかないのであるならば
そういう「観光」は何か間違っていると言わざるを得ない。
人気のない通りを歩き続けるうちにやがて運河に出る。
少しほっとする。このまま運河沿いの大通りを歩いていけば昨日のホテルまで戻れるだろう。
大通りと運河との間には船着場があってところどころ公園のようになっている。
することもなさそうにベンチに座っている人たちをよく見かける。
夕涼みみたいなものか、誰かを何かを待っているのか。
僕もベンチを見かけると座り込む。
足のマメは順調に大きくなっていって歩くたびに痛む。特に左足。
バスが停まって乗客たちが降りてくる。
通りを隔てて向かいの小さな公園では中学生ぐらいの少年たちがサッカーをしている。
ホテルの前まで来る。
このままずっと後3時間ぐらいロビーにいるってのはどうだろうか。
あるいはロビーの横のバーにいるっていうのは。
それはそれで居心地悪いんだろうななんて思ってしまう。
ホテルの裏側の通りが繁華街になっていたのを思い出す。午前中歩いた。
そっちの方に行ってみる。
朝のうちは閑散としていたのに夜は新宿の靖国通りのように
てんでばらばらに様々な色の看板が光っていた。
もちろん人通りが多い。車の流れも多い。
ケンタッキーフライドチキンを見つけ、その後すぐマクドナルドを見つける。
マクドナルドに入る。何も食べたくない気分だったのでソフトクリームとミネラルウォーターを注文する。
2階の席に上がる。
客としてはドバイの人たちよりも海外の旅行者の方が多かった。
モロッコのマラケシュやフェズで入ったマクドナルドよりも、日本っぽかった。
ソフトクリームはすぐにも食べ終わり、水を時々飲む。
Virgin で買ったCDを1枚ずつ眺める。
冷房がものすごく効いている。異常なぐらい寒い。
こういうものなんだろうか。外が暑いから最大限冷房を入れるってことか。
・・・そんなんじゃない。僕の体がおかしい。熱がある。
ここに来て体調が一気に崩れだす。寒気が止まらなくなる。
荷物を抱えてトイレに行く。下痢が始まっていた。どうにもならないような類の。
疲れで大部分が失われ、わずかに残されていた体力がごっそりと抜け落ちたような気分になる。
公園で飲んだ水だ。そうに違いない。
帰国直前になってなんてことだ。
トイレを出てさっきとは別な席に座る。
ここなら冷房が当たらないだろうかと探りながら。
それでも寒気がして仕方がない。
マックを出ることにする。
外の熱気に包み込まれると逆に気分がよくなってくる。
さっきまではこの暑さに消耗させられてたのに。
さて、どうするか。
目の前にスーパーマーケットがあったので僕は階段を上っていった。2階が入り口。
何を買おうとしたのか今となっては覚えていないが
それが見つからなくてすぐにも店を出ようとした。
出口を通った瞬間、万引き防止のブザーが鳴った。
うぜーと思い無視して階段を下りていく。
下りきったところに店の人なのだろうか男が1人立っていて僕を見ると2階の入り口を指差す。
戻れということらしい。はいはい分かりました、戻ればいいんでしょ?とため息をついて階段を上る。
入り口を入り直すと男が4人か5人立っていて、僕の姿を見ると互いに何かを話し出した。
荷物を見せろと言う。Virgin の袋を渡す。
「CDか」「CDだ」
CDがセンサーに引っかかったらしい。袋を渡されて「行け」と出口を指差される。
気分が悪くて苛立っていた僕は「なんだよ、人を泥棒扱いしといて詫びもなしかよ?」と腹を立てるが
僕の語学力では口げんかをふっかけることはできず。
黙って階段を下りていく。
ホテルの裏の通りのどこかでインターネットと書かれたのを見かけたなあということを思い出し、引き返す。
レストランの中のようだった。入ってみる。中は普通のレストラン。
これのどこがインターネットをする環境なのかと思いながら入り口の店員に聞いてみると
2階に上がってくださいと言われる。
2階の奥に確かにPCが並んでいた。料金は1時間 5Dh 。
さっきのマックよりも寒くなかったので、1時間ずっとこの中で過ごす。
自分のホームページの掲示板に今日1日の出来事を書く。
VirginでCDを買ったこと、とんでもない暑さだったこと、公園で水を飲んだら腹を下してしまったこと。
モロッコと違ってフランス語圏のキーボードではなかったので打ちやすかった。
[1304] モロッコ(31)ドバイ博物館、シェイク・サイード邸 2004-07-04 (Sun)【6月11日(金)夕方】
ホテルの前から船着場まで歩いて行ってもう1度アブラに乗る。
「詰めろ!」「おまえも詰めろ!」と船頭が怒鳴っている。
夕暮。日が暮れ始めている。
異国の人たちとギュウギュウ詰めになって古びた船に乗っていると
いとも簡単に感傷的な気持ちになる。
彼らはどんな仕事をしているのだろうか?
家族とはどんな話をするのだろうか?
どんなときが楽しいのだろうか?
僕は彼らと話すための言葉を知らない。
さっきは気付かなかったが、岸には
「MAX SPEED 7 KNOTS」と制限速度が書かれている。
船を下りてドバイ博物館を探す。
午前中は道を間違えて南の方から行ってしまったので
今回は北の方、オールド・スーク側から探してみる。
お祈りの時間も過ぎたからか夕方になってオールド・スークは大混雑。ラッシュ並み。
人通りがハンパじゃなく増えている。午前中とは比較にならないぐらい活気付いている。
そうかあ、これがドバイの普通なんだなあと思う。
各種の店と安ホテルが立ち並ぶ通りを歩く。
乾いたような風景の通りであっても
湿度は相変わらずムンムンと高く、日中ほどではないにしても汗がツーと流れ出す。
狭い路地に挟まれた壁に貼られた紙にふと目が止まる。
英語でこんなことが書いてある。「部屋あり。女いる」
こ、これはもしかして・・・。
でもここはイスラム教の国であってそういう商売ってご法度なのでは・・・?
僕が意図を取り違えてるのかなあ?
CDを売っている店があったので入ってみる。
Virgin ではほとんどのCDが 55Dh 、2枚組で 110Dh だったのに対し、
ここの店では 50Dh 、2枚組で 95Dh だった。
値段は店で自由に決められるということか。
博物館を見つける。裏手には大きなモスクがあった。
このバール・ドバイ地区の顔として中心的役割を果たしている、そんな雰囲気があった。
博物館の建物は黄土色のレンガを積み重ねて作った砦のような形をしている。
何世紀も、もしかしたら何十世紀も昔の船が飾られている。
その昔には帆を張って大海原をゆっくりと波に揺られていたのだろう。
5Dh 払って中に入る。入場券売り場の女性はきらびやかなスカーフを巻いている。
砦の中庭は砂地になっていて、四方にいくつか入り口が開いている。小さな部屋へと続く。
そのうちの1つはもう十何世紀も前、イスラム教の広まりと共に
このドバイという町ができた頃の甲冑やクロスボウが展示されている。
小さな砦でしかなかったドバイがやがて・・・、とその歴史が解説されている。
別な部屋は改装中で、本来ならば昔の人たちの暮らしを再現させるものだったようだ。
ここまで見て、なんだ博物館って言っても小さなもんなんだなと思う。
ちょっとばかり展示物があるぐらいの。
さらに別な部屋は地下への入り口になっていて、ここからが博物館としての本題。
そういうことか。出てしまわなくてよかった。
階段を下りた先にあるのは蝋人形でドバイの人たちの今と昔の暮らしを説明するコーナー。
鍛冶屋や大工、香辛料を商う商人。子供たちにコーランを教える学校、というか寺子屋。
(子供たちは1年間町の教室に通ってコーランの読み方を教わる)
時代がぐっと下がって現代の雑貨屋。などなど。
結構精密に作られていて、ほの暗い照明に照らされているのを見るとまるで生きているかのよう。
ものによっては実際に仕事をしている場面もビデオ映像で紹介している。
その次は細長い部屋に横長のスクリーンが広がっていて、
20世紀半ばからのドバイの急速な発展を
他の国から来た旅行者たちへと解説するための短い物語が映されている。
60年代に石油が発見され、工業化を押し進めるドバイ。
空港が建設される。海外から企業が進出する。
近代化は間断なく進められているが、昔の伝統とも調和している。
そんな感じの内容。
その次はドバイの自然の特徴的な要素や
砂漠に生きる遊牧民たちの生活を取り上げて解説するコーナー。
ナツメヤシ、砂漠の生き物たち、ラクダ。キャラバン、オアシス。
時間があったので英語で書かれた説明文のいくつかを読む。
砂漠の砂について書かれていたことが印象的だった。
「ドバイの砂漠の砂は貝殻の破片の入り混じった独特な白い色をしている。
内陸に入っていくと鉄分が含まれるようになるので赤い色になる」
そうか、サハラ砂漠の砂があれほどまで赤かったのはそういうことなのか、と納得する。
日本の砂が黄色っぽいのはなぜなんだろうと思う。
中国から黄砂が運ばれてくるから?
だとしたら中国の砂が黄色いのはなぜなんだろう?
次の部屋は太陽と月、星座について語られ、
その次は大広間になっていて、昔の人々が営んでいた手仕事がテーマ。
海の底で真珠を採取を行うのが女性たちの代々の仕事で、これは20世に至るまで続いていた。
(しかし1930年代に日本で真珠の養殖が可能になったことによりこの産業は大きな打撃を受けた)
男たちは船を作った。いつの時代かは分からないが
木造のボートのような船が広い部屋の中心に鎮座していた。
最後にはドバイでの考古学上の発見について。
遺跡の名前は忘れたが、ここでの発掘によって出土した美術品や当時の日用品が多数飾られている。
出口には土産物屋。珍しいところではドバイのスクリーンセーバーってのがあった。
30Dh だったか。ドバイの見所の写真が収録されている。
後は博物館だけあって工芸品のようなものが多かった。
外に出る。モスクの中には大勢の人たちが集まっているようだった。
オールド・スークに戻り、午前中に行きそびれたシェイク・サイード邸へ。
運河沿いの道は午前中閑散としていたのが嘘のよう。
どこもかしこもドバイの中年男性とお年寄り、旅行者ばかり。
ドバイの男性たちはみなすることもなさそうにブラブラとしている。
それでいてだらけた雰囲気はなく、
ただそれが日課であるがゆえに、生まれてこの方それが当たり前のことであるがゆえに、
何の疑いもなくブラブラしている、そんな感じだった。
うだるような夕方の暑さ。大きな音でスピーカーから鳴り響くコーラン。
運河を渡る船。大勢の男たちが乗っている。
雑踏。その果てしない喧騒。
時間が静止してしまったような、あるいは永久に流れる時間の真っ只中にいるような、
そんな瞬間を今過ごしているのだということに僕は突然気が付く。
何かがピタッと僕の中に張り付く。何かがパチンと開いて覚醒する。
そのときの暑さ、聞こえてきた音、心に焼きついた風景、口の中に残ったコカ・コーラの甘ったるい味。
むっとする水分の(本来感じるはずのない)匂い。
五感の全てを使って僕はこの場所をこの瞬間を記憶する。
大勢の男たちの意識がコーランの詠唱へととりとめもなく向かっている。
拡散する意識、収束する意識。漂って、立ち止まって。
そんな不思議な空間が、その光景の全体が、今回の旅の中で最も印象として強く残った。
長い時間を過ごしたモロッコではなくて、
ただ立ち寄っただけのここドバイの方が僕の感覚に強く訴えかけた。
シェイク・サイード邸の近くにはバスの駐車場の大きなものがあって、
何台もの古びたトラックが停まっていた。
家路に着く人々が取りとめもなくそのバスの群れへと向かっていく。
夕暮の太陽がその向こうに見える。
シェイク・サイード邸の前の広場には映画撮影用のクレーンが敷かれ、
カメラマンと大きなマイクを持った男性、演出家らしき男性、その他スタッフが大勢いて、
彼らの前では50歳ぐらいの俳優と女優が出番を待っていた。
撮影会社のものと思われるトラックが停まり、ラクダが2頭とその持ち主がすぐ近くに立っていた。
ラクダは撮影の小道具なのかそれともただ単にいつもここで観光客を待っているのか。
壁には腰掛けるための段がついていて
遊牧民っぽい白い慎ましい民族衣装をまとった子供からお年寄りまでが20人近く座っていた。
彼らもまたエキストラなのかいつもそこでそうしているのかはわからない。
演出家が指示を出して2人が演技を始める。
屋敷の前で男性が立ち止まり女性が何か大事なことを話しかける。
クレーンに乗ったカメラマンが2人の姿を追う。
ドラマなのか映画なのかコマーシャルなのか。
映画だったらもっとスタッフが多かっただろうな。ドラマのような気がする。
なんにせよ、シェイク・サイード邸(と僕が思っている建物)には今入れないようだ。
ヘリテッジ・ハウスへと歩いていく。
広めの敷地の中にはいくつか建物が建っていて
観光客向けに昔の生活を再現させているとのことだったが、
ここは何のための施設なのか結局よくわからなかった。
中に入っても旅行者がちらほらと歩き回っているだけ。
砂漠について説明をする小さなギャラリーがあったが、
ドバイ博物館の後にここを見ても物足りなく思う。
その奥には土産物屋が何軒か立っている。
店の人たちはぼんやりとしていてただの店番的雰囲気。
その近くのテントでは客を迎えて煮炊きして食事をするようになっていたが、今は誰もいなかった。
アラビア系の民族衣装を着てのんびりと歩いている男性や女性のたちの姿があちこちに見られたんだけど、
彼ら/彼女たちの役割はよくわからず。
いつもこうなのか、それともたまたま「谷間」の時間に僕が訪れただけなのか。
ヘリテッジ・ハウスを出てその近くには
「どうぞご自由にお入りください」「本差し上げます」と書かれた小さな建物があった。
日本だと新興宗教っぽいんだけど、ここイスラムの土地ではそんなのありえないしなあ。
気になった。けど怖くて入れず。
そっと中を覗きこむと誰もいなかった。
小さなモスクに男たちが押しかける。ギュウギュウ詰めになっている。
シャワーを浴びるかのようにコーランの声に浸っている。
水に対する渇望に近いものを僕はそこに感じ取る。
シェイク・サイード邸では撮影が続いていた。
扉を開けて役者の男女が中に入っていく。
広場にラクダはいなくなっていた。
運河沿いに歩いていくと食堂が何軒か並んでいて、
そのうちの1つでは大きな串に貫かれたケバブが店頭で料理人に削られていた。
外に置かれたテーブルと椅子は客でいっぱいで、
どこかアジアの国から来たと思われる恋人たちがソーダのようなものを飲んでいた。
[1303] モロッコ(30)シティ・センター 2004-07-03 (Sat)【6月11日(金)夕方】
中に入る。
冷房が効きまくってそれまでの暑さが嘘のよう。
入ってすぐのところにあったカフェに入ってコーラとミネラルウォーターを頼む。
コーラをすぐ飲み干す。
椅子に座るともう立てなくなる。足が棒になった。
水をチビチビと飲みながら30分近くぼけーっと座っている。
完走というか完歩。
よくもまあこんなあほらしいことをやったもんだ。しみじみというかつくづくというか。
店員はアラビア系が多いが、客は皆海外から来たような人たち。
アメリカ/ヨーロッパに限らず、アジア・アフリカ系の人たちもいる。
世界の様々な国と地域からここドバイに来ているんだなあってことがよくわかる。
4時ごろ、ようやく立ち上がる気力が出てきて探索開始。
中は3階建て。とにかくまあいろんなブランドが入っている。思いつくブランドがみんなあるようなもの。
「Jewellery」の店の数が24。「Ladies Fashion」にいたっては71。
これは買い物好きな人にはたまらないだろうな。1日中楽しく過ごせる。
僕はもうお金を使いたくなかったので何見ても買わないつもりでいた。
冷静になって考えたら日本でも買えるものばかりなわけだし。
一応1階から3階まで全フロア歩いてみたものの入ったのは
スニーカーが集まっている店と本屋。あと、「IKEA」
本屋はちょっと気になって入ってみたんだけど、
丸善や紀伊国屋の洋書売り場とたいして変わりない。
(帰りの機内で読むためにあわよくば日本の文庫が売ってたりしないかなー
なんて思ったのであるが、置いてあるわけなかった)
「IKEA」はスェーデンが発祥の地で全世界に展開している家具・インテリアのショップ。
ユニークかつシンプルなデザインの照明器具や各種の棚やカーペットやマグカップなどのあれやこれや、
日常生活に必要ないろんなものを置いている。どれも機能的で品質がしっかりしてそう。
ござみたいなのもあったけどえらく涼しそうだったもんな。
かなりの面積のショップ内には通路が作られていて床には矢印で進むべき道順が示されている。
それに従って歩いていくうちにカーテンならカーテンの、
ソファならソファのコーナーを通り過ぎていくことになる。
扱っている製品がとにかくセンスいいのでこれは日本に進出したら絶対ヒットするだろうと思う。
(今調べてみたら来年秋に日本で最初のショップがオープンするらしい。http://www.ikea.jp/index.php)
たぶん GAP みたいな雰囲気で展開していくはず。
映画館もあって、10個ぐらい映画をやっていた。
今全世界で公開されているのはドバイでも公開されてそう。
(何が上映されていたかはメモし忘れた)
チケットカウンターには大勢の人たちが群がっていた。主に子供・男性。
買い物に付き合わされたものの時間が余って映画を観ることにしたってとこか。
それともただ純粋に娯楽としての映画?
3階の奥に Virgin Mega Store あり。
輸入盤のCDを買うなら東京の方が絶対いいわけだし
まさかここでCDを買ったりはしないだろうけど、まあ試しに覗いてみるか、と足を踏み入れる。
・・・はまる。結果として10枚以上買うことになってしまった。
日本でも余裕で見つかるようなミージシャンのCDはさすがに食指は動かないのであるが
コンピレーションでこんなの見たことないぞ!?ってのばかりであれもこれも欲しくなる。
というか日本だとコンピレーションのコーナーってあんまり見ないんですね。
輸入盤のコンピだといつどこで何が手に入るか分からないから
見つけたその場で買わないと。いつだろうとどこだろうと。
異様にテクノ/ハウス系が充実していた。
「Global Underground」というイギリスのレーベル?が1つのジャンルとして扱われ、
陳列棚1つ占領していた。
この辺のコーナーをウロウロしていると店員のお兄さんが話しかけてきて
お勧めのところに置いてあったCD(「Defected In The House Eivissa '04」)の説明を始め、
今晩彼(ミックスしたDJ)がドバイでプレイするんで、
CDを買ったらチケットをあげると言われるのであるが
残念なことに今晩ドバイを発ってしまうので見に行くことはできず。
でもせっかくなのでこのCDを買うことにする。
あと気になったのは民俗音楽かな。
ヘビメタとオルタナティブが一緒のコーナーになっていたので非常に違和感があった。
「S」だと Slayer と The Strokes が一緒に並んでるような感じ。
日本のミュージシャンのCDは見つからず。
探せばアジアのコーナーにあったかもしれない。
日本限定、輸出禁止商品だったはずの Radiohead のミニアルバム「Com Lag 2+2=5」が堂々と売られていた。
(「はい、チーズ」とジャケットに日本語で書かれてるやつ)
「Defected In The House Eivissa '04」以外に
ここで買ったCDは以下のような感じ。
■Josh Joplin Group 「Useful Music」
アメリカのいたって普通のカレッジチャート系ギターロック。
いたって普通のジャケが気に入ったのでよくわからんけどジャケ買い。
ドバイの Virgin で2枚も売られていたのに日本に帰ってきてHMVのサイトで検索してみても
このグループ引っかかってこなかった。
■Lou Rawls 「Brotherman ! Lou Rawls Sings The Hits」
Blue Note のジャズシンガー。60年代後半から70年代初めまでの曲を集めたもの。
詳しいことはわからないんだけど当時は人気があったんじゃないかな。
ジャケットがよかったのと、「EMI MiddleEast」から出ていて
ヨーロッパやアメリカや東アジアでは販売しないとステッカーが貼られていたので買った。
■Steve Lawler 「Lights Out」
「Global Underground」のコーナーにあり。
暗闇に浮かぶ手というジャケットが印象的だったというのと
このミックスCDだけ他のより売れてたので内容もいいんだろうと思って買ってみた。
これもまた知らない人なんだけど Chill Out 系と思われる。
CDの山をレジに持っていったら例の店員のお兄さんがいて、
これはとてもいいCDだと言ってくれる。
■「FABRICLIVE.09 : Jacques Lu Cont」
■「fabric 12 : The Amalgamation of Soundz」
イギリスの fabric というレーベルのミックスCD。
前者はテクノっぽい人なんだけど
「ツァラトゥストラはかく語りき」に Pixies に DEVO という大変楽しいものでした。
シメは Braian Eno の「Here Comes the Warm Jets」でしっとりと(?)。
このレーベルのシリーズが一通り置いてあって、
James Lavelle や John Peel なんてのもあった。
■「Real Ibiza VI Mixed by Phil Mison」
イビザもの。なんとなく聞きたくなった。
■「amo.te chiado electro pop」
ポルトガルのレーベルから出たたぶんエレポップもののコンピ。(まだ聞いてない)
なんとなく聞いたことある名前として、「Technova」「Queen of Japan」
■「The Gauguin Years : Songs and Dances」
老舗 Nonsuch から出ている民俗音楽のシリーズ。タヒチ編。
確か60年代を中心としたいろんな国のいろんな録音をこのシリーズでは出している。
他のも集めてみたくなった。
モロッコの「ジャジューカ」に繋がるようなものはないだろうか?
■「Brasil - The Greatest Songs Ever」
ブラジル音楽のコンピ。裏の解説を読む限りクラブ寄りらしい。
Astrdid Gilberto の歌う「イパネマの娘」が入っていて、
あと「Brasil」が入っているので買うことにした。
「Brasil」って「未来世紀ブラジル」のエンドクレジットでかかっていた例のサンバで、
Cornelius も前のアルバムでカバーしていた名曲。
聞いてみると新しいところでは Bebel Gilberto
古いところでは Baden Powell と有名なところが押さえられていた良質なコンピだった。
■「The Sex, The City, The Music - Tokyo」
今回最も「お土産」的性質の強いCD。
姉妹編にニューヨーク、ベルリン、パリ、バルセロナ、シドニーなどといった都市があり。
肌もあらわな女性が悩殺的なポーズを取っている写真に
「The Sex, The City, The Music」と書かれているジャケットが特徴。
(東京編の写真は日活ロマンポルノっぽい)
イロモノかと思いきやそうではなく、中身は充実している模様。
東京編は Cornelius, Fantastic Plastic Machine, Mondo Grosso, 石野卓球,
福富幸宏, Mansfield, Qypthone, 砂原良徳といった顔ぶれ。
ニューヨーク編は The Rapture の曲が選ばれていた。
このシリーズって日本でも売ってんのかな。あったら集めたいな。
なお、上の「Brasil」もこれもオーストラリアの「Petrol」ってとこが出していて、
このレーベルは今後要注意かもしれない。
良質なコンピを出すってことでイギリスの Soul Jazz Records みたいな感じとなるか。
・・・CDの話になるといくらでも長くなってしまう。
このシティ・センターの他の興味深かった店としては例えば
「Carrefour」(カルフールと読む)
ドバイで見たときは思いっきり安売り、ディスカウントの店っぽかった。
日本にも既に店舗がいくつかあるようなんだけどおんなじようなんだろうか。
あと、ドバイの民芸品・工芸品の専門店やお土産の店もあった。
高級そうな手の込んだ模様の編みこまれた絨毯であるとか。
2階・3階の中央部分が吹き抜けになっていてそこに特設ステージが設営されている。
これが黄色を基調としつつ虹のように七色にあちこちが飾り付けられていてとんでもなく派手。
大きな音でテクノっぽい音楽を鳴らし、
中で行われているイベントは買い物客の女性相手にプロがメイクをするというもの。
1時間経過して、17時。そろそろ出るかと思う。
帰りはさすがに歩く気にならず。
タクシー待ちの列に並ぶ。
乗り込む。僕としてはアブラ乗り場に行って対岸に渡りたかったんだけど、
この方が手っ取り早いと前の日泊まったホテルの名前を告げる。
とりあえずそこまで行ってくれればあとは自分で歩いていこうと思った。
そんでホテルの名前を告げるのであるが全然通じない。
地図を見せてじゃあホテルまで行かなくていいから
この辺りまで行ってくれと伝えたつもりになっても全然伝わってない。
カードを見せろというのでよくわからずクレジットカードを渡すと
これじゃないホテルのカードだと言われる。
昨日泊まったホテルにそんなのなかったし、そもそもチェックアウトしている。
なんてことこっちが言い出すと話がこじれそう。
走り出したはいいものの途中で車を空きスペースに停めて
じゃあどこに行けばいいんだという話になる。
携帯を持ってるかと聞かれ「ない」と答えると
(日本の携帯がここで通じるわけないよなあ)
「おまえが持ってないから自分の携帯を使わなくちゃならん」と
運転手は携帯を取り出し不機嫌そうに電話をかける。
運転手仲間にかけたのだろう。ようやくホテルの場所が分かる。
その後ブツブツ文句を言われる。
だけどこっちも「なんだ、偉そうにしやがって」と思う。
「4ツ星クラスのホテルの場所も知らないでよく運転手が務まるな」と。
場所が分かるとすぐにも到着する。メーターはどんどん上がっていって
(停まって電話をかけていた間も上がる)料金は 9.5Dh となる。
これまでの旅で片言の英語が通じてたように思ったんだけど
それってほとんど話す相手が旅行会社のガイドやホテルのフロントや空港の職員だったから
どんな発音でも通じるのであって、普通の人にはやはり通じない。
とんでもなくひどい「英語と思われる言語」を僕は日本語訛りで話していたわけで。
[1302] モロッコ(29)炎天下、ドバイを歩き回る4 2004-07-02 (Fri)【6月11日(金)昼】
14時ぐらいにはなっていただろうか。
「もういいや、十分堪能した。ここから出て涼しい場所に行こう。ショッピングセンターに行こう」
そう思って地図を広げる。
ドバイの左側に今僕はいて、ショッピングセンターは左側に固まっている。
右側はそんなにないが、シティ・センターというドバイ1の大きさのシッピングセンターがある。
どっちに行くべきか?
左側には「ワフィー・シッピングセンター」ってのがあって神殿のように豪華だとガイドブックにはある。
どうせ何も買わないのだから見て面白い方がいい。
そっちに心が傾きかける。
道に迷わなければ1時間もあれば着くだろうか。
中を一通り見て歩いた頃には少しは涼しくなっているだろうから
そこからさらに歩いて行ってドバイ博物館へ。で、「シェイク・サイード邸」へ。
これで今日はもういいだろう。
・・・と思いかけた瞬間、ガイドブックをよく読むと「ワフィー」の営業時間は金曜だと16時半から。
これじゃだめじゃないか。
橋を渡り、シティ・センターへと行くことに決める。こちらは15時から。
となると橋が近くにある最も南側のゲートを探して出たほうがよさそう。
今いる場所は園内のちょうど中心辺り。
でもそれはそれで距離があり。
出たところで橋を渡ってドバイの右側に移動してもそこからさらに 2km は歩かなくてはならない。
なんのかんのあって全部で 5km の行程。
バスかタクシーに乗ったほうがいいのではないか。
炎天下にこんなことして何が楽しいのだろう?
だけど金もなく中途半端に時間だけは嫌というほどあり。
これを歩ききってショッピングセンターのマクドナルドで
コーラを飲んだら死ぬほどうまいだろうな、なんて考えてしまう。
炎天下・・・。暑さは一向に衰えず。
そんな中よろよろととぼとぼと園内を歩く。
歩いているうちに1つゲートを見つける。
ベンチに座った年老いた男性が僕に向かってどこの国とも判別つかない言葉で大声で叫んでいる。
頭がおかしそうだった。
このゲートの近辺は子供の遊園地がメインとなった区域のようだった。
レゴブロックを積み重ねたような赤や黄色の派手なパビリオンが建っている。
歩いているといつ果てるとも知れぬ芝生とナツメヤシの木陰が現れては消えていく。
南の方角にはハイアットのとてつもない大きさの建物が聳え立っている。
地面の上に固定されたホースが水をまいている。小さな草花に水を与えている。
その辺りの空気がゆらゆらと揺れている。
子供用なのか汽車の形をした小さな2人乗りの車に乗って、従業員が園内を走っていた。
「アラビアのロレンス」のように白い民族衣装を着た男性の客が
カートのような車を借りて走っていた。
園内の外れの方で子供用のレース場に行き当たる。
F1で見られるようなステッカーが貼られていて本格的な雰囲気を漂わせている。
今日は入場者数が少ないためか誰も走っていない。
土日になるとここも市民が多数押し寄せ、頭上のロープウェーが行き来し、
このレース場も子供たちで埋め尽くされるのだろうか。
気が狂うぐらい暑い。
歩きすぎて足もだるい。
さっき買ったばかりのミネラルウォーターが早くもぬるくなっている。
飲んでもあんまり嬉しくない。
ふと見ると水飲み場あり。駆け寄る。ボタンを押すととっても冷たい水が・・・!
気が付くとゴクゴクと飲んでいた。
あーーー冷たい水がこれほどまでうまいものだとは。
両手ですくって何度も何度も口に運んで腹の中いっぱいになるまで飲む。
腹がおかしくなってもいい、もうどうでもいい、
そのときは本気でそう思った。
とにかくあの時あの水飲み場で飲んだ水はやたらうまかった・・・。
小高い丘があったので登ってみる。
辺りが一望できる。高いところに昇って景色を眺めるのはとても気持ちがいい。
あらためて「広いなあ・・・」と思う。
よくまあこんなのを1人歩ききったもんだと感心するようなあきれるような。
すごい端の方まで来たというのに入場ゲートはなし。
30分掛けてここまで来て、30分掛けて先ほど見かけたゲートに戻る。
ゲートの外に出る。
駐車場を抜けて道路の方へ。歩道を歩く。
右側に道路、左側に公園。目の前にはとにかく大きなハイアット。
公園の外れに巨大な雪だるまみたいなのが造られていて、
門のところには「Snow World」と書かれている。
日本でも遊園地や行楽地で見かけるような、真夏でも雪を体験できる例のあれだろう。
門の裏側は長年の間にガラクタ置き場になってしまったようで、
毛糸の色あせたペンギンがまっすぐな目をして地面に突っ立っていた。
アメリカ人っぽい若いカップルがレンタカーで乗り付けてきて
「なんだ入れないぞ」「中の人呼んだら?」と話している。
そのうちに中からアラビア系の人が出てくる。「今日は休みだ」みたいなことを言うのであるが、
彼の着ていたものはなんとダウンジャケット。
中が氷点下近いから着てるんだろうけど、
この40℃近い気温でそんなもん着て外歩かれると見てる方の頭がおかしくなってくる。
「Snow World」の隣は「Wonder Land」と書かれた遊園地になっていた。
そこから先はしばらく変わり映えのしない光景が続く。
歩いていても疲れるだけ。
こんなことするんじゃなかったと早くも後悔しだす。
でも今更バスにもタクシーにも乗ることはできず。
道路の左側を歩いているってことは車の走る向きは日本と逆。
そもそも普通の道路じゃなくて高速道路のようで、バスの停留所もなし。
タクシーも乗ってくかと声かけてはくれない。
歩いている人の姿は全くなし。前も後ろも。
地元の人すら歩いていない。
一介の日本人旅行者がいったい何をやってんだ?普通こんなことしないよなあ。
どれだけ歩いたのか分からなくなった頃、橋を渡る。
運河の上は風が強く吹き付けてきて思いのほか気持ちがいい。風が汗を吹き飛ばすような感じがする。
結構高さがあるので眺めもいい。運河の両端の街並みが遠くまで見渡せる。
どこまでも遠く見渡せる。
ごく一般的な旅行者ならばこの眺めを味わうことはできないんだろうな。
そう思うと歩くのも悪くなかったな、と思う。
夕暮れ時にここに佇むなら、とてつもなくきれいな眺めが見えるはずだ。
橋を渡り終えてさらに歩く。
ドバイ観光都市の建設を2006年までにというような看板を見かける。
その頃の街の大きな想像図付き。
左側にはゴルフコースが見えてくる。
「ドバイ・クリーク・ゴルフ&ヨット・クラブ」というらしい。
ゴルフでヨットとなると利用するのは裕福な人たちなんだろうなあ。
日本の大企業の役員が休暇で訪れてゴルフをプレイする姿が目に浮かぶ。
芝も見えるが砂漠が近いだけあって心なしかバンカーが多そうなように見える。
中で勢いよくまいている水が外の歩道にまで広がってきて、
歩いていると冷たい飛沫がかかってきて涼しくなる。
飛沫の中を歩くとき、うっすらと虹が見えた。
日陰になる場所もなかったのでとてもありがたかった。
ゴルフ場を抜けるとシティ・センターまであとわずか。
通りのどっち側もビジネス街なのかいろんな企業のドバイ支社のような建物が並ぶ。
最も大きいのビルは今となっては思い出せないけど「Philips」だったかなあ。
日本でも名前を聞く家電メーカーなんだけどな。
ゴルフ場の途中でふと振り返ると僕のようにテクテクと歩いている中年男性の姿が。
地元の人も歩くことあるんだ、と思う。
僕と全く同じスピードで歩いているので、「な、なんだ?」と少しばかり怖かった。
シティ・センターはホテル「ソフィテル」にくっついている。
(上海に行ったとき泊まった。東京だと上野にあるはず)
ビルに書かれた文字が「ソフィテル」と読めたとき、「おーやっとついた」とほっとする。
通りの向こう側にあるので渡らなければならない。
痛む足に気合いを入れて、びゅんびゅん走る車を避けて高速道路を向かい側へ。
(「フロッガー」みたい。分かる人は少ないでしょうが)
とにかくよれよれになって辿り着く。
[1301] モロッコ(28)炎天下、ドバイを歩き回る3 2004-07-01 (Thu)【6月11日(金)昼】
入り口どこだろう・・・と歩いているうちに入場ゲートを見つける。
が、閉まっている。
金曜午前ということでここもまた閉まっているのだろうかと不安になるのだが、
案内のプレートを見る限りそんなことはないようだ。
「今ここは閉まっているから6番ゲートへ行ってください」と貼り紙がしてある。
仕方なくそのゲートを探すしかないのだが、
近くに詳細な案内板が立てられてるわけではないのでどこにその6番ゲートがあるのかわからない。
とりあえず歩き出す。
威厳のありそうな建物がすぐ隣にあって、馬鹿でかい駐車場がその前に広がる。
なんだろう?と建物に近付きかけるのであるが、「Court」と書かれていて・・・裁判所?と思う。
近づかない方がいいんだろうなーとまた適当に歩き出す。
道路に出る。勢いよく車が通り過ぎていく。
次の建物は門のところの壁に「Government of Dubai」と書かれている。
うーむ。ここは政府関係の庁舎が集まっている地区なのか。
そう思って見渡すと瀟洒で機能的な建物ばかり。
広い敷地をどこも背の低い2階建てか3階建てのモダンな建物が占めている。
ホテルのような高層ビルじゃないところがかえって、
権力者の「力」の絶対的な保たれ方を表しているような雰囲気を感じさせる。
通りを隔てた向こうの建物には「British Counsil」と書かれていた。
スピーカーからは演説のような低い朗々とした声が流れ、政府広報?と一瞬思う。
コーランだ。
路地裏だろうと運河を走る船の上だろうと政府の建物だろうと
コーランがあまねく全ての人々に行き渡る時間になった。
ペットボトルの最後の水を飲み干したのはもういつのことか思い出せない。
船に乗る前だったのは確かだ。
水。水。水。水。水。ミズ、ウォーター!!!
とにかく水が飲みたい。いっそのこと、シャワーを浴びたい。
なあ僕は今全世界で使えるクレジットカードを持っている。
どこでもいいから清潔な場所でシャワーを使わせてくれないか?
そんなふうに大声で訴えかけたくなる。
迷い込むうちに医療関係のオフィスが集まっている地区へ。
病院や研究所が建ち並ぶ。
歩いている人たちも白衣を着たり、制服のようなものを着ている。
公園は常に目の前にあって、後は柵の向こうに入るだけなのに入場ゲートが見つからない。
公園の木々が建物の背後に見えている。
暑さでフラフラになった旅行者が「公園の入り口どこですか?」と聞くのもなんか変だなって思ってしまう。
上野を歩いていて上野公園の入り口どこですか?って聞かれるようなものかもしれない。
僕なら怪訝な顔をするだろう。
地元の人には見えていて分かりきっているのに、観光客には見えない何か。
それを聞くべきかどうか。
奇妙なプライドが邪魔してしまって呼び止められない。
それに「ここまで来たら自力で見つけてやる」という意識もあり。
検疫所のような施設の横で自販機を見つけるもミネラルウォーターは売り切れ。
その横にはウォータークーラーが設置されていて、飲料水が出るようになっている。
ありがたいことに誰かが捨てた中が空になったペットボトルの容器が水の溜まる箇所に置かれている。
汚れはなく、つい最近誰かが捨てたもののようだ。
飲まずにはいられない。ペットボトルに入れて持ち歩かずにはいられない。
中を念入りにすすいでペットボトルの中いっぱいに勢いよく水を注ぐ。
ゴク、ゴク!ゴク!!ゴク!!!
あーうまい・・・。サイコーだ。
半分飲み干してまた半分注ぎ足す。
医療施設の側に置かれているウォータークーラーなんだから衛生的にもOKだろう。
ドバイは海水を淡水化していて水道水も飲めるって「地球の歩き方」にも書いてあったし。
少しばかり体力が回復してまた一歩前へ足を踏み出す。
医療関係の建物の間を歩く。
僕の土地勘からすればこの辺りに入り口が絶対あるはずだ。
得体の知れない信念を元にヨロヨロと歩く。
気が付くと太陽は真上にあり、自分の体が作り出す影はないに等しい。
もう絶対40℃超えてるだろうと思う。
日差しと熱気で何もかもがぼんやりとふやけ実体が溶けて消えてしまっている。
幻のようだ。なのに肉体の感じる不快感だけははっきりと、脈打つように今ここに存在している。
あまりの疲労感にめまいがする。立ち止まってうずくまったりしたらおしまいだと思う。
建物を1つ通り過ぎる。
バスが何台も止まっていて、そのうちの1台はパキスタンの大学から来ているようだ。
さらに建物を1つ通り過ぎる。
駐車場。砂利混じりの砂地。
「サハラ砂漠を何日も歩いてたらこういう状態になるんだろうな・・・」なんて思う。
モロッコで垣間見た砂漠の光景よりも、今歩いているような永遠とも感じられる
たかだが 100m 程度の駐車場の方がよほど僕が思い描いていた砂漠の本質に近そうだった。
ものすごくどうでもいいところで大冒険を繰り広げている自分。
1時間近く迷って歩いている。
こんなことなら 100Dh 払ってでもさっきの船で公園の中まで運んでもらうんだった。
道路に出る。渡った先には、・・・入場ゲート。遂に見つける。
車が来ないタイミングを見計らって最後の力を振り絞りサササッと道路を渡る。
ブースの中のアラビア人に 5Dh を払って中に入る。
目の前に広がる青々とした木々や芝生。ようやく辿り着いた・・・。
ジム・キャリーが演じた「マスク」の人形(黄色いスーツに顔面緑色)がお出迎え。
中には人は全くいない。見渡す限り無人の庭園。
奥の方には運河が広がり、その水面がキラキラ輝いているように見える。
よく整備されていてゴミ1つ落ちていない。
今日みたいな暑い日でなかったら居心地いいだろうな。
公園としては日本のものと変わりはない。
世田谷公園だろうと小金井公園だろうと立川の昭和記念公園だろうと。
中の風景を断片的に切り取るように写真に撮って日本人に見せたとき、
誰もが日本の公園だと思ってしまうだろう。
バーベキューのできる広場、ミニゴルフ用のスペース、子供の遊び場。
砂漠を模した岩だらけの丘や植物園とはいかないまでも草花が豊富に植えられた一角があり。
頭上にはロープウェーの線路が延びている。
ベンチに腰掛けて「はー・・・」と一息つく。
公園の作業員のような老人が少し離れた場所から声を掛けてくるが
完全にアラビア語?だったので何を言っているのか分からず。
「わからないんです。すいません」って感じで弱々しく笑う。
手には水の入ったペットボトルを持っている。
「ウォーター」と単語が聞こえたように思う。
歩き出す。カフェテリアないしは売店を探す。
フルーツジュースかコーラ、それとミネラルウォーターを飲みたい。
公園は南北に細長く、全長 3Km あるだろうか。とにかく広い。
北側のゲートから入って、南へと向かう。
端まで行けるかなーと思う。
例によってちょっと歩いてはベンチで休み、またよっこらしょと歩き出すってのを繰り返す。
運河の側まで近付く。
親子が釣りをしている。父親・母親・息子。
旅行者以外の普通の女性の姿を見かけたのはもしかしたらここが初めてか。
芝生沿いの木陰のベンチには若い恋人たちや
子供のいない夫婦なのか中年カップルがちらほらと。
人目を忍んで、って意味合いが強そう。
ひしと寄り添って2人だけの時間を過ごしている。
ちょっと歩くと作業員か清掃員以外に動いている人は見当たらなくなり、
きれいな庭園の中を僕は1人きり取り残される。奇妙な種類の孤独。
なのに高く高く伸びたスピーカーからはコーランの詠唱が聞こえてくる。
日本人の僕からしたらシュールとしか言いようがない。
園内のあちこちに腰ぐらいの高さでオブジェのような方向指示器があり、
どれも同じ方角を向いていたので恐らくメッカの方角を向いているのだと思う。
公園の地図を見てカフェテリアを探すのであるが金曜の昼間だからか閉まっていて、
そこからさらに歩いて売店を探す。
汗だくになる。額を伝う汗が目の中に入ってくる。
ジーパンの中も汗が伝い、トランクスがよじれて大変気持ち悪い。
あれは中学だったか市の体育のイベントで炎天下を歩かされた時以来だ。
売店を見つける。冷蔵庫で冷やされたオレンジジュースとミネラルウォーターを買う。
2本で 7Dh ぐらいした。
すぐさまベンチにてオレンジジュースを飲み干す。
ミネラルウォーターを飲む。
ふーっと生き返る。
[1300] モロッコ(27)炎天下、ドバイを歩き回る2 2004-06-30 (Wed)【6月11日(金)昼】
オールド・スーク近辺は地元の人たち向けの商店街になっている。
貴金属の店、衣服の店、電気製品を扱っている店。
なんつうかヨドバシカメラやビックカメラが街中に展開されているような感じ。
自販機が立っているのを見つける。
コカ・コーラが 1Dh 。ポケットの中を探ってコインを見つけると1本買ってみる。
ぬるいのかなーと思っていたのであるが、案外冷えている。
炎天下に飲むコーラは最高。ゴクゴクゴクゴクと一気に飲み干す。
自販機は日本のように商品の見本が横に2列や3列に並んでるのではなく、
アメリカのように右端にちょこっとボタンが縦に一列になっている。
氷のように冷えたコーラの大きなパネルが前面の大部分を覆う。
コカ・コーラだけではなくペプシも売られている。
「from JAPAN」と書かれた自販機もよく見かける。Pokka が進出している。
オレンジなど果物系のジュースを売っている。
コカ・コーラもペプシも一番下のボタンはミネラルウォーターで、売り切れてることもしばしばだった。
日中ドバイを歩いている間はひたすら自販機でミネラルウォーターを買ってるか
売り切れでコーラを買ってるかどっちかだった。
飲むたびに上半身は腕だろうと首だろうと額だろうと大粒になった汗が噴出してきて、
それが暑苦しいからまた自販機を見かけると冷たいものを買ってしまう。
ものすごい悪循環。
運河沿いに歩いていく。
方角的に言えば南へ。左手に運河。広めの歩道がまっすぐに伸びている。
どこかで右に折れ曲がってドバイ博物館に行きたいのであるが、
どこまでもどこまでも右側は柵が続いている。
その向こうには王宮というか近代的な美術館のような立派な建物が立っている。
ものすごく大きい。というか横に長い。
剥き出しの塊のような日差しが容赦なく押し寄せてくる。
体感温度は40℃を超えている。30℃後半を超えているのは間違いない。
歩道には時々ベンチや屋根付きの休憩所があって、そこに差し掛かるたびにベンチにぐったりと沈み込む。
5分歩いて10分休んで。そんなことを繰り返す。
暑さで歩けなくなるなんてこれまでの人生でそうそうない出来事。
なんかのときのために鞄に入れて持っていた
ミネラルウォーターのペットボトルがゆだっている。完全にお湯。
「もう使うことないだろ」とホテルでタオルを捨ててしまったことを思いっきり後悔する。
こんな思いをしてまで僕はどこに行きたいのか?
芝生に差し掛かるとドバイの人たちが木陰でじっとしている。
休んでるようでもあり、途方にくれてるようでもあり。
芝生には地元の人向けにアラビア語と旅行者向けに英語で禁止事項を謳った標識が立っている。
芝生で寝転がるのを禁止するとか3つの図案があった。違反すると旅行者だろうと 500Dh の罰金。
暑さのせいか歩いている人はほとんどいない。
僕のような命知らずの観光者だけ。
レストランというかカフェテリアっぽい店を見つけるも営業していない。
なんなんだろ?ドバイの街そのものが機能を停止しているような印象を受ける。
街の人たちはいったいどこに消えてしまったのか?
やがて道路に出るのだが、どうも一般道ではなく幹線道路っぽい。
しかもこれまで僕がヨタヨタと歩いてきた方に向かう道路は
「個人の敷地であるため一般の車の通行を禁ずる」みたいなことが書かれている。
おかしいなあと思って地図を見るとこの辺一帯は「ルーラーズ・コート」と書かれていて周りに道路はなし。
僕が側を通ってきたこの立派な建物はどうも
ドバイでも一番の権力者が住むためのもののようだ。
このまま歩いていってもかなり遠回りして迂回して引き返さないことには
ドバイ博物館には到達できないことがわかる。気が遠くなる。
しかもガイドブックをよく読むとドバイ博物館は金曜の場合開くのは15:30から。
ここでハタと気付く。日陰のベンチに座って
これまでモロッコやドバイで見聞きした物事をじっくり考えてみる。
結論。金曜の午前はイスラム教徒にとってお祈りのための休息の時間帯なのだ。
そうとしか思えない。そして12時30分が定められたお祈りの時間。
このことに気付いて他の施設の開館時間・営業時間を見てみると確かにどこも金曜は14時か15時から。
ショッピングセンターですら、そう。
ふ〜。こんな日に「終日フリータイムです」なんてことになってもどこにも行けないじゃん!
歩き回るかアブラに乗るしかすることないじゃないか!
あるいはホテルでじっとしているか・・・。
ビーチの方はそんなではないらしくて、他の多くの人たちがそうするように
スパに入るか砂浜で寝っ転がるかってのが海外から来た観光客の正しい金曜午前の過ごし方なのだ。
こんなことなら日本で「ジープに乗って砂漠観光」でも申し込んでおけばよかった。
どうせ1日だけだしとドバイでどう過ごすか何も考えず何も調べていなかったのが失敗の元。
そうだ、ドバイの人たちは暑いから外に出ていないのではなくて、
金曜午前は宗教的な時間に当たるから家か集会所にて家族と過ごしているのだ。
ぐったりくる。引き返すことにする。
次の目的地クリークサイド・パークまでの距離はここから3km 〜 4km ぐらいなので
歩いていっても辿り付けることには辿り付けるが、
このコンディションでは100%無理。
またちょっと歩いては休みを繰り返し、かなりの距離
(物理的な距離は全然たいしたことないが、心的距離はすさまじい)を戻る。
途中で船(水上タクシー)が2隻停まっているのを見つける。
船の持ち主である若い男性2人が暇そうに世間話をしている。
来る途中も乗ってかないかと声かけられたが、今回は乗せてもらうことにする。
運河を1周して戻ってくると 120Dh だという。高い。
1周しなくていいんでクリークサイド・パークまでだといくらかと聞くと 100Dh。
あまり変わらない。
帰りは客を乗せないでここまで戻ってこなくてはならないからその分高くなると彼は主張する。
「僕みたいな観光客を見つけて乗せて戻ってくればいいじゃないか」とも考えるのであるが、
英語でうまく伝える文章を組み立てられない。
その代わりに地図を見せながら「じゃあここまでだといくらか?」という交渉になる。
結果としてクリークサイドパーク近くまでの船着場まで行くことになってそれでも 60Dh にまで下がる。
交渉成立。
交渉した男性とは別の男性の船が出るようだ。こっちに乗れと言われる。
乗り込むとさっそく走り出す。
それまで暑いさなかを歩いてきただけあって船に乗るとまさに別世界。
風が気持ちいい。屋根があって日陰になるし。
運河沿いに建てられた奇抜な形状のホテルをいくつもいくつも通り過ぎる。
(どれもこれも競い合うようにユニークなデザイン。経済力と国際社会での安定した地位の表れか)
僕は船に乗るのが大好きで海外旅行では必ず川下りをする。
モスクワではネヴァ川を、上海では長江の支流を、
ノルウェーでは川ではないけどフィヨルド・クルーズを。
今回の旅でもやっぱ乗ってしまった。
いやーとにかく海とか川とか船とかっていいもんです。
運河沿いには大小様々な船着場があって、その背後にはホテルの高層ビル。
運河を他にも同じような船が走っている。
僕のように1人きり乗っている人もいれば、
アメリカかヨーロッパから来たと思われる家族が一家総出で乗ってたりもする。
あるいは熟年夫婦。
僕は鞄から日焼け止めを取り出して腕と顔に塗る。
心地よい時間を過ごすのも束の間。
船を操縦する若者がこんなことを言い出す。
「クリークサイド・パークへ行くなら 100Dn 払ってくれ」
・・・またか。
「60Dh と言ったじゃないか」と言っても聞く耳持たず。
「じゃあここで下ろしてくれ。金ないから 100Dh も払えない」ってことになって
橋のすぐ手前で降りることになる。
クリークサイド・パークは橋をくぐった向こう、目と鼻の先に見えているので
「だったら 60Dh でここで降りてあとは歩いた方が賢いんじゃないの?」と思う。
(実はそうじゃなかったことが後で分かる)
一応さっき乗った場所からは対岸ということになる。クリークサイド・パークから見ても対岸。
船着場でもなんでもない、だけどコンクリートできれいに整備された岸辺を歩く。
ここもまた歩道があって運河沿いに歩くことができる。
先ほどの船の若者が背後から何かを叫ぶ。
腕を伸ばして橋の上を指差している。
橋を支えている斜めになったブロックをよじ登っていけということのようだ。
言われた通りによじ登っていく。
手すりを乗り越えて橋の歩道へ。
対岸に渡るためにまたノロノロと歩いていく。
歩いている人は皆無。自転車に乗ってる人が1人追い越しただけ。
橋は現代的なデザインの非常にがっしりとしたもので、
ここ10年か20年の間に国家の1大プロジェクトとして造られたものと思われる。
サムソンの携帯の看板広告が橋のあちこちに立てられている。
日本同様いろんな企業の大きな看板広告が道路の続く限り果てしなく連なっている。
暑さにふうふう言いながら橋を渡り終える。
そのまま道路沿いに歩くのではなく、
橋の下に下りて行って運河沿いに歩いて行ってみることにする。
橋の真下では釣りをしているオヤジたちが何人かいた。何が釣れるのだろう?
[1299] モロッコ(26)炎天下、ドバイを歩き回る1 2004-06-29 (Tue)【6月11日(金)朝】
9時に起きる。今回の旅で初めて目覚まし時計で起こされる。
4時間ぐらいしか寝てないのでさすがに眠い。
朝食。今日泊まったホテルは「地球の歩き方」にも紹介されているところで、
日本食のレストランがあると書かれていた。
レストランが2つあってもう1つの方が本来朝食用のようなのだが、
改装工事中となっていたため日本食の方が利用できた。
これだよこれ!と叫びたくなるぐらい豪華なバイキング。
モロッコで毎朝食べていた甘ったるいパンとお茶だけのコンチネンタル・ブレックファストではなく、
肉があって魚があって野菜があってもう至れり尽くせり。
(アジア系特有の細長くてボソボソした米だったが)チャーハンに焼き鳥まであって、
あれやこれや欲張って何皿もテーブルに運ぶ。
好きな具材を選んで料理人がオムレツまで焼いてくれる。
食べ過ぎて気持ち悪くなるぐらい食べる。
そんで牛乳にオレンジジュースにコーヒーを飲む。
もう昼も夜も食べなくていいだろうと思う。
11時。荷造りをして下に下りる。チェックアウト。
困ったことに旅行会社がくれた日程表を見るとチェックアウトは12時までにしなきゃいけないのに、
空港へと向かうために係員が迎えに来るのは23:30となっていて、しかも場所はこのホテルのロビー。
本来のツアーの日程とは別に組んでもらってるからこんなところに歪みが生じてしまう。
「そんなんどないせえっちゅうねん」とも言いたくなるが、まあ仕方がない。
ドバイを1日とはいえ見て回れるようになったのも乗り換えの便にちょうどいいのがないからであって。
条件がよくなくても訪れないよりは訪れた方がいい。
(でも結局後になってこんなイレギュラーな日程を思いっきり恨むようになる)
23時までホテルで荷物を預かってくれないものか?
でないとリュックサックを背負って大変なことになる。
フロントで頼んでみるとありがたいことにあっさりOKしてくれる。
つたない英語で状況を説明していたら最初はうまく伝わらず
23時にバスで空港まで連れて行ってくれということだと解釈される。
隣に立っていたアジア系のビジネスマンが
「要するに君の言いたいことは夜までその荷物を預かってくれってことだろ?」
と助け舟を出してくれる。
親切な人がいて嬉しく思う。
ホテルの外へ。
いきなり蒸し暑い。日差しがきつい。
困ったことにドバイは1年を通して湿度が100%近く、6月の平均気温は30℃を越している。
とにかく暑い・・・。
カサブランカで買った乾電池はあっという間に切れてしまい、今日もまた乾電池を探すことに。
まずはこれをクリアしてから観光を始めたい。
ホテルの並びにあった日用品の店でデジカメの中の単3の乾電池を見せて
「これと同じのないか?」と聞いても首を振って単4しかないと言われる。
諦めて店を出る。ホテルの裏の通りへ回ってみる。
にぎやかな通りであちこちに日本の家電メーカーの名前が看板に見つかる。
専門店も多いが何でも取り揃えているタイプの店が多い。
日用品、家電、化粧品、玩具、工具、などなど。
日本にもこういう類の店ありますよね。例は今思い浮かびませんが。
そういうのの1つに入ってみる。
最初に入った店ではあることにはあったけど10本パックしかなくてばら売りは不可。
次に入ったもっと大きな店では2本だけのパックを見つける。
ドバイは買い物天国のようで「中東の香港」とすら称されるという。
街の片隅ですらその片鱗を垣間見る。とにかくずらーっと派手な看板を掲げた店が並ぶ。
ヨーロッパに本拠地を持ってそうなとこの系列の店もあれば、ドバイ生え抜きの店もあり。
世界的なブランドが入ったばかでかいショッピングセンターもあれば昔ながらのスーク
(モロッコ同様、市場でみかけるような専門分野ごとに固まった小さな店のことを指す)
が集まっている地区もある。
スークはゴールド・スークやスパイス・スークが有名なようだ。
ここドバイで僕が行きたかったこと、もしくはやりたかったことは以下。
*アブラという水上タクシーに乗る(あわよくば貸しきって川下り)
*ドバイ博物館
*クリークサイド・パークというとんでもなく広い公園
*シティ・センターというドバイ1の大きさを誇るショッピングセンター
リゾート地として昨今OLを中心に有名になってきたドバイの観光と言えば
ビーチ/スパ/ショッピングってことなんだろうけど
リュックサック背負った30近くの独身男性の一人旅からすればどれも無縁なもの。
内陸部の砂漠の方にジープで行ってラクダに乗ってバーベキューってのがあるようだが
今の僕にはまとまった時間も金もなく。
ゴルフコースがいくつかあるようだけどそもそもやらんし。
結局1人歩き回って町を見て回ることになる。
泊まったホテルは「アブラ」乗り場のすぐ近くで、港まで行ってみると
大小さまざまな船が停泊し、その中にボートを2回りほど大きくして屋根を付けた船が
何艘も固まって浮かんでいる一角があった。
ドバイの人たちが次々に乗り込んでいく。
船頭と目が会うと彼は僕に向かってさっさと乗り込めと手で合図する。
港の階段を下りて行って船に飛び乗る。
屋根の下には細長い台があってそれが客席となっている。次々に詰めて座る。
おまえそこに座れ、おまえそっちから回って向こうに座れと船頭が1人1人に指で指示する。
僕もドバイの男性に挟まれて座る。
台がいっぱいになると船が岸を離れて運河を走り出す。時刻表というものはない。
船の真ん中には船底に下りていくための四角い穴が開けられていて、操縦席になっているようだ。
ここにもう1人座っていて船を操縦していたのか、
先ほどの船頭が操縦していたのかは今となってはよく覚えていない。2人乗っていたように思う。
船頭は穴の中に立って反時計回りに回りながら1人1人乗客に右手を突き出し船賃を要求する。
みんな次々に支払っていく。コインを投げてよこす人、こいつと2人分だと怒鳴る人、支払うのを渋る人。
僕も周りの人たち同様コインを差し出す。
いくらなのかわからず 1Dh のコインを渡したらお釣りとして 0.5Dh のコインが返ってくる。
他の人たちと一緒なのが嬉しい。(日本人旅行者だからといってぼられない)
乗っているのは現地の男性ばかり。普通のドバイ市民。旅行者は僕だけ。
女性が乗っていない。というか街でもみかけなかった。
その後何回かアブラには乗ったが、女性が乗っているのは1日を通して1度もみかけなかった。
モロッコ以上にイスラム教徒としての戒律が厳しいと思われるアラビア半島の国にいるからだろうか?
ドバイの街は運河によって真っ二つに分かれている。
南側は橋が2つ造られているものの、北側は橋が渡されていない。
よってアブラが交通手段となる。地元の人の足。
僕の乗っている船は右側の岸から左側の岸へと向かう。
たいした距離ではないので5分ぐらいで着くことになる。
水しぶきを立てて進む船に乗っていると風が当たってとても気持ちいい。
岸に到着すると男たちは立ち上がり船を下りて階段を上っていく。
僕もその後に続く。
とりあえずブラブラと歩き始める。
「バール・ドバイ地区」というようだ。「ドバイ・オールド・スーク」に入っていく。
短い通りの両側に建物が立ち並び、両者は屋根でつながっている。人通りはそれほど多くない。
ここはもともと仕立て屋のスークだったようで、
観光客向けなのか地元の人向けなのかTシャツや長袖シャツを売っている店が多かった。
「Emirates」と書かれたTシャツや「Dubai」と書かれたTシャツが様々なサイズや色で売られている。
「Emirates」Tシャツはデザインが割といいので記念に買おうかとも思うのだが、
色とサイズにちょうどいいのがなくて断念する。
店によっては 10Dh で新品なんだか古着なんだかよくわからないTシャツを売っている。
日本円にすると300円。安すぎ。
古着屋にいるような感覚で長袖シャツの掛けられたラックを見て回る。
安売りの店だけではなく、ちゃんとした(と言うと変だが)仕立て屋が
ガラス窓の向こうの机に座っている店も通りにいくつかあった。
後は両替屋が多かった。銀行ではなくて、両替屋。
体重計におみくじがくっついているようなのを見かける。上海でもこういうの見たことがあったな。
そこから少し北の方に歩き港の方に戻ると
円形の屋根の下にベンチが連なったような休憩所を中心とした小さな広場に出る。
ベンチがいくつも並んでいて、まばらにドバイの男性たちが腰掛けたり寝っ転がっていたりする。
外が暑いのでやる気が起きずだらーんとしているっていうダルダルな雰囲気が漂っている。
地図を見るとそこからさらに港沿いに歩いていくと
シェイク・サイードというドバイの首長が20世紀中ごろまで住んでいたとされる
アラブの伝統的な建築様式の屋敷が改築・保存されているのが見学できるようだ。
その近くには「ヘリテッジ・ヴィレッジ」という近代化以前の人々の暮らしを
海外の観光客向けに今に再現させることを目的とした施設がある。
行ってみようと思う。
海沿いに歩く。うだるような暑さ。辺りには誰もいない。
観光客がわずかばかりと警察官がパトロールで歩いているだけ。
怖くなるぐらいに誰もいない。死んだように静まり返っている。
「シェイク・サイード邸」も「ヘリテッジ・ヴィレッジ」も
その間に挟まれているレストランも人っ子1人いる気配なし。おかしい。
ボードウォークには客のいないテーブルと椅子が力無く並んでいる。
ベンチもまるで死骸のようだ。
開館時間が書かれているプレートを読むとどちらも金曜の朝は閉まっていることになっている。
午後からとなる。ふーん、そんなもんかと思う。
じゃあ午後にまた時間があったら来るか。
引き返すことにする。
[1298] モロッコ(25)さらばモロッコ、真夜中ドバイへ 2004-06-28 (Mon)【6月10日(木)昼 − 6月10日(木)夜】
チェックアウト。11時50分に係員と会う。
車に乗ってムハンマド5世空港へ。(またしてもムハンマド5世・・・)
この時間帯は昼食のため外に出る人たちで道路が混雑すると前の晩聞いていたが、確かに混んでいた。
聞いてみると仕事に戻る 13:30 - 14:30 も混むし、
会社から帰る 18:00 - 19:30 もまた渋滞になる。
日中は概していつも混んでいるようだ。夜になってようやく空いてくる。
市街地をぬける。5日前、モロッコに到着してすぐの時に見た風景が窓の外に広がっている。
懐かしくなる。一瞬前の出来事のようにも感じられるし、遠い昔のようにも感じられる。
不思議な感覚。
高速道路に入る。空港の直前にて係員は車を止め、出国カードに記入をしてくれる。
駐車場に車を停めず空港の玄関にて車を停め、
さーっと荷物を下ろしてそこで係員とは別れることになる。
後は1人で行動。
出発の方の玄関はいきなり手荷物検査のゲートから始まる。
重たいリュックサックを背負って空港の中を右往左往し、
銀行を見つけてモロッコの通貨をドルに交換した後に、搭乗手続きをしてリュックサックを預ける。
ドバイ行き。行きと同じくエミレーツ航空を利用する。
行き先の掲示はあちこちにあるものの
その列の右側に並ぶべきなのか左側に並ぶべきなのかどこをどう進んでいいのかよくわからず、
とにかく他の外国人旅行者の後をついて歩き出国審査を受ける。
入国審査とは違って特に何も言われない。
14:35発。出発まで1時間半近くあった。
免税店が慎ましく(ドバイと比較すると100分の1の規模に感じられる)並んでいる。
モロッコ土産の店に入る。
お土産は全て最後の最後にドバイで買うつもりでいたのだが、
せっかくだからここでもなんか買うかという気分になる。
とりあえずモロッコのお茶の小さい箱を4つと
タルトと書かれた平べったい箱1つとモロッコのお菓子の詰め合わせと思われる細長い箱を2つ。
35ドル。現金の手持ちが少ないのでカードで支払う。
青森の母と妹、大家さんと会社で配る。
自分で買っといてなんだが、どれもあまりおいしそうには思えない。
モロッコ土産として「ローズウォーター」という化粧水が有名なようで
これはしゃれたお土産になりそうであるが、
「あげる相手もいないのに、いったい誰に配るよ?」という思いが頭をよぎる。
これが今回の旅で最もわびしかった瞬間だったりする。
出発ゲートへ。
ここでも手荷物検査。
財布の中まで検査される。
現地通貨ディラハムを持ち出してないかどうかを確認しているのだと思われる。
ドルの紙幣と硬貨ばかり。
僕は財布の中にお守りとしてリボンを穴に通して結んだ5円玉を入れていて(買ったときに入っていた)、
「これはなんだ!?」と聞かれる。
「お守り」と言いたかったのに英語でなんと言うか思いつかず、
「お土産か?」と聞かれてコクリと頷く。
念入りな検査は続く。鞄の中は見られなかったが、上半身も下半身も警官のような男性に触られる。
男性は「ハンドマッサージ」と言いながら笑う。
特に問題はなし。
後は飛行機に乗るのを待つだけ。
コーラを買って飲む。
1時間前。飲んでると突然、今から搭乗開始というアナウンスがあって慌てて飲み干す。
機内へ。
乗客はまばら。
これから7時間半かけてドバイへ。時差の関係で到着は現地時間の午前2時過ぎ。とんでもない時間。
翼の真横に座る。最終確認のためか翼が開いたり開いたりする。
離陸する。
さらばモロッコ・・・。
また来ることはあるのだろうか?
機内食ではチキン。心なしか日本発やドバイ発よりも全般的に機内食のグレードが下がる。
到着前はサンドイッチ2つ。
ひたすら寝てる。
あるいは行きの飛行機でもやっていたアルカノイドそっくりなゲーム「MAGMA ZONE」をプレイ。
2時間かけて4面まで到達するのであるがそこから先進めず。
地球の歩き方の「ドバイとアラビア半島の国々」を読んでどこをどう見て回るか予定を立てる。
前の座席に座った20代前半っぽい男性4人組がかなりやんちゃな人たちで
途中寝てる間以外はずっと大ハシャギ。
しかもスチュワーデスをナンパしていた。出身地を聞いたり。
降りる頃にはちゃっかりメールアドレスをもらってて、「あ、そういうの可能なんだ」と思う。
ドバイ到着。またしても真夜中。
飛行機を降りて階段を上り、到着専用の通路を歩く。
6日前の早朝、カサブランカ行きを待っていたときに見えた通路。
眼下にはきらびやかな免税店の群れ。出発を待つ人たち。
エスカレーターを下っていってさらに通路を歩くと入国審査のゲート。
どこに並ぶかよくわからず、なんとなく外国人用と思われる方に並ぶ。
僕の並んだ列は前の人が何かで引っかかっているようで、時間がかかっている。
僕の後ろに並んだアラブ系のおっさんがイライラしだし、
隣の審査官のブースが開くと僕に向かって「おまえあそこに行け」と言う。
そんなこと言われてもそっちにはそっちで並んでいる人がいるし、
とりあえず僕は英語を一切解さないようなフリをして聞き流す。
ようやく僕の列で1人はけて次の次は僕だということになったとき、
後ろから来た人がいきなり列を無視してツカツカと審査官のところへ。
親しげに話し出す。友人のようなのであるが、旅行者なのか休暇中の空港の職員なのかわからず。
審査がおざなりになる。話しながら旅行者のパスポートをめくってハンコ押して終わり。
僕のときもそう。パソコンに何やら入力して何かを確認するようなことはしていたのだが、
あんまり意味はなさそうだった。
ここをぬけるとアラビア系の係員が僕の名前をひらがなで書いた紙を待っている。
ドバイの旅行会社による旅のしおりみたいなものをもらう。
手荷物受取へ行く。すぐにもリュックサックが出てくる。
その後手荷物検査。ここをパスした後、通路にあった銀行で両替。モロッコと同じディルハム。
(でも交換レートはかなり違う)所持金全部を交換して 200Dh 分となる。日本円にすると6千円ぐらいか。
あちこちにホテルの名前を書いたB4サイズの紙を持った人が立っている。
宿泊先の決まってない人を捕まえるためなのだろう。
空港を出ると真夜中だというのにタクシーの列やなんやかやの列。
このどれかに乗るのか?と思っているうちにすぐにも白いバンが現れ、
これに乗れとリュックサックを中へ運ばれる。
係員の役目はこれでおしまい。なんとも慌しい。あれよあれよという間に、って感じ。
この辺ほとんど記憶がない。
中には2人の人間がいた。1人はドライバーでもう1人の役目は不明。
純然たるドライバーであってもしかしたら英語も通じなかったかもしれない。
バンが走り出しホテルを目指す。すぐにも到着する。ホテルは運河に面した場所に建っていた。
僕を下ろすと白いバンはさっさと消えてしまった。
フロントの女性にさっきもらったばかりの旅のしおりからホテルの予約票を引き出して渡す。
お互い英語で会話するのであるがなにやら噛み合わず。
取り繕うとためかなんなのか「いい腕時計してますね」と言われる。
羽田で買ったおもちゃのような2千円のデジタル時計。僕はぎこちなく笑うしかない。
何時にチェックアウトするか聞かれて、12時頃と答える。
ポーターにリュックサックを運んでもらう。
入った部屋はえらく広かった。
浴室を挟んで2部屋。
2部屋のホテルに泊まるなんてもー生まれて初めてですよ。感激する。
コーヒーを沸かすためのポットもあり(残念ながら壊れていた?)、空調は温度調節が可能。
(モロッコで泊まったホテルはどこも調節ができなかった。あっても ON/OFF ぐらい)
テレビをつけたら NHK まで入る。深夜番組っぽかった。
ゴジラのフィギュアのコレクターが今度はゴジラの中に豆電球を仕込んで光らせることに挑戦、
なんてことを紹介していた。
午前3時過ぎ。ソファにごろんとなってしばらくその番組を見る。
ごつい体格のコレクターが関西弁でまくしたてている。
その後は高校の先生が毎年毎年
定年で引退する先生に似せたフィギュアを作って贈っているという心温まるリポート。
テレビはそれぞれの部屋にあってどっちもつけて NHK を見る。
ベッドがあった方の部屋には机の上に「Time Out」という名前の
ドバイ版のぴあや Tokyo Walker のような雑誌が置かれていて、ペラペラめくってみると
どうも近々ブライアン・フェリーが来てコンサートを行うようだ。
あと、ジェネシスのマイク・ラザフォードによるユニット、マイク&ザ・メカニックスが紹介されていて
(フィル・コリンズ、ピーター・ガブリエルの陰に隠れているが、
彼らもまた全世界的にヒットを飛ばしている。もうみんな50代か・・・)
その紹介の記事のタイトルに「Age Against The Machine」と書かれていた。
大笑い。(分かる人にしかわかんないですね)
風呂に入って寝る。
4時を過ぎている。とんでもない時間。
でもモロッコの時間では23時なんだよな。
朝食が10時までだとすると9時には起きなくてはならなくて、5時間だけの睡眠となる。
なのにあんまり眠れない。
[1297] モロッコ(24)旅行会社訪問 2004-06-27 (Sun)【6月10日(木)昼】
10時近く。もうあんまり時間がない。繁華街を歩くぐらいか。
地図を見て戻り方を考える。
もと来た道を辿った方がいいか。
それとも市街地を突っ切った方がいいか。
後者の場合道が割と入り組んでいて、迷ったら大変なことになりそう。
確実な方がいいかと海沿いの道を引き返すことにする。
たった1時間の間に日は高く昇り、外は蒸し暑くなっている。
モスクの近くの海辺では若者たちがすることもなく時間と暑さを持て余していた。
家々の真っ白な壁が太陽の光を反射する。眩しいぐらいだ。
モロッコに来て最初のうちは天気がよくなかったが、昨日・今日と快晴が続く。
国連広場付近に戻る。
街の中心部の地図を見ると今回の旅で利用した旅行会社のオフィスの場所が載っていた。
行ってみたくなる。
一昨日の事故のことについて、日本で保険の申請を行うに当たって
こちらの旅行会社から送ってもらわなきゃならない書類(警察の事故証明)の確認
というか念押しをしたかったというのが表向きの理由。
とにかく日本人と話がしたかったというのが本当の理由。
旅行会社や航空会社、銀行などの並ぶ通り。
5階建てぐらいのビルの2階(どのビルもだいたいこれぐらいの高さだった)。
看板がすぐ見つかって階段を上り、ドアの前に立ってブザーを押す。
何の反応もない。ノックしてみる。
「どうぞお入りください」と書いてあるのでドアのノブを回してみるのだが、
鍵がかかっているようでビクともしない。
休み?でも、表の看板に書いてあった営業時間からしたら今日は余裕でやってるはず。
しばらくしたらドアが開いて、開けたのは日本で言うところのとび職のような
ヨーロッパ系の若い男性だった。
中は改装工事の真っ最中。壁しか残っていない。
旅行会社の名前を告げ、ここではないのかと聞くと
彼は別な場所にあるオフィスを案内すると言う。
彼の後をついて階段を下り、通りに出てブロックの反対側へ。
とあるビルの前まで連れて行かれ、「ここの上の階にある」と言われる。
サンキューと言って僕は階段を上り始める。
2階・3階・4階と上っていく。
ようやくドアに旅行会社の名前を見つけたと思った瞬間
エレベーターが開いてさっきの彼が現れる。
「エレベーター乗ればよかったのに」みたいなことを言われる。
僕が迷ってないかどうか一応確かめに来てくれたようだ。
心遣いありがたいものです。
中に入るとヨーロッパ系の女性が座っている。受付のようだ。
日本人の担当の方の名前を告げ、
先日交通事故に遭ったものだが彼女に会って話がしたいと言うと
「オー、あなたですか」と目を丸くされる。
どこかに電話をかけ、別なビルにいるということでさらに案内してもらう。
ようやく担当の○○さんに会うことができる。
たかだか5日ぐらいのことなのにネイティブな日本語がやけに懐かしく感じられる。
事故の話をする。今後の手続きについて。会社の名刺の裏にメールアドレスを書いたものを渡す。
その後で僕はそうだ、ついでにと
「乾電池を買いたい」「日本語でインターネットができる場所を知りたい」と要望を伝えると
ちょうど外に出たいところだったのでと連れて行ってもらえることになる。
外を歩きながらモロッコは長いんですか?と聞くと
「そうでもなくて、来たばかりなんです」という答えが帰ってくる。
1年限りの契約社員なのだそうだ。
モロッコにはまって住みついた人なのかなと思うとそうでもない。
日本を出る前に何冊かモロッコを解説するような本やサイトに目を通したのであるが、
みんな一目でモロッコにはまってしまい、
何度も日本と往復しているうちにやがて移住することになったと口を揃えて書いている。
その後サハラの宿で物売りに悩まされた話へ。
どうしても日本人、しかも1人きりの旅行者だとカモ扱いになってしまうのだそうだ。
いくら厳しく指導しても外れの方の地域まで行ってしまうとなかなか浸透しない。
難しいところだという。
これからもずっとあんな感じなのかなー。
日用品を売っている小さな店に入って乾電池を買う。単3アルカリ。
デジカメの電池が先ほどのハッサン2世モスクで切れてしまったため。
単3の2本パックを日本で3つ買って持ってきたのにすぐ使い切ってしまった。
今回あんまり容量の大きくないスマートメディアを1枚しか持ってきてなかったので
撮っては消し撮っては消しみたいなことを繰り返していた。
これが電池の消費を早めることになった。
(僕は変な癖があって、注意してないと画像が微妙に右に傾いてしまう。ビデオカメラでもそう。
なのできれいな場所できれいに撮ったつもりでも後で見て「なんだこりゃ」ってことになる。
帰国後にパソコンに撮りこんだ画像は3分の2が傾いていた。がっくし。
デジカメの小さなウインドウではまっすぐに見えてても、どれもこれも傾いていた)
次はインターネットの店を探す。
どこのホテルに泊まってもインターネットに接続できなかったんですよねーと話すと、
どうも特殊なプラグが必要なことがわかる。
○○さんも日本から持ってきたパソコンが最初のうちは接続できなかったそうだ。
コンセントに挿せましたか?と聞かれて、挿せましたと僕は答える。
日本のと似てるようで違うらしい。
何の話をしているときだったか忘れたが、
ある日本人旅行者は街を歩いていたらいきなり「オカモトコウゾウ!」と声をかけられたと言う。
誰ですか?その人と聞いたら日本赤軍の、とのこと。
パレスチナに潜伏しテルアビブの空港を襲撃した岡本公三。
イスラム教の国々というかアラブ諸国ではヒーロー扱いなのだという。
この時代においても最も有名な日本人なのかもしれない。
で、日本人を見かけるとつい、この名前が出たということか。
「なかなか見つからないですねえ」とか言いあってるうちに
ようやくインターネットのできる場所を見つけることができた。
(こういう場所ってどうでもいいときにはあちこちで見かけ、いざ探そうとすると見つからない)
○○さんとはここでお別れ。
コンピュータ全般のサービスを提供している店、という雰囲気。
その2階へ。図書館の自習室のような感じでパソコンが並んでいる。
5日前に同じくカサブランカでたまたま見つけたインターネットの店以来久々にインターネットに接続。
やはりここでも日本語のフォントはインストールされていない。
それでも一応 yahoo と hotmail のメールを立ち上げてみる。
件数から察するに会社からメールは来ていないようだ。ほっとする。
毎日毎日大から小まで様々なトラブルに見舞われる中、
そういえば会社のことや仕事のことを思い出してる機会なんて
1日のうちでほんの一瞬あるかどうかだったなあ。
ここも30分の使用料は 5Dh。安いもんだ。
(5日前のカサブランカでも「5」って言うので5ドルかと思ったら違った。
5ドル出したのに「違う、5Dhでいい」と。がめつくない)
11時過ぎ。ホテルに戻る。
リュックサックに詰めるもの、手荷物として機内に持ち込むもの、簡単に整理する。
Tシャツやトランクスを捨てる。
(捨てていいようなのばかり持ってきたので、いくつかは泊まるたびに途中のホテルで捨ててきた。
いくつかは寝る前に洗濯して、風通しよさそうな場所に広げて干した)
だいぶ荷物が減る。
[1296] モロッコ(23)ハッサン2世モスク 2004-06-26 (Sat)【6月10日(木)朝】
いつも通り7時に目が覚める。
そう言えば目覚ましを使って起きたことこれまでの旅では1度もなかった。
いつも7時なら7時、8時なら8時、起きたいと思う時間に独りでに目が覚めた。
(目が覚めてしまうのは日本でも時々そうなのだが・・・)
時差ぼけになってもおかしくはないのに今回はなんだかうまくいってるし。
体内時計がうまく働いている?
朝食(特に語るに値するようなことはなし)後、部屋に戻って
昨晩テレビで見たレーガン元大統領の葬儀について何かしら情報が欲しかったのだが、
テレビが映らない。まあ仕方ないかと諦める。
海外のホテルって朝はテレビが映らないものだったか。
モロッコだけ?
8時を過ぎた頃。
11時50分にここのホテルのロビーで係員と待ち合わせ。
(ほんとなら12時に待ち合わせの予定なのだが、
昼休みで外出する人たちのラッシュを避けるため10分早くした)
午前半日空いている。というかせっかくのカサブランカも残り半日しか自由時間がない。
カサブランカ随一の観光名所といえば
「ハッサン2世モスク」のようなのでここに行ってみることにする。
地球の歩き方を参照するとこんなふうに紹介されている。
「1986年から8年がかりで1993年8月に完成した、モロッコ最大のモスク。
20世紀最高の芸術作品のひとつとして、ぜひ見ておきたい見どころだ。
大西洋に面した9ヘクタールの敷地に、モスク内が2ヘクタール。
全敷地には8万人、内部には2万5000人が収容可能。
ミナレットの高さは200mで、世界一の高さを誇る。
ベージュにグリーンの美しい緻密な彫り模様が施され、
ミナレットの3つの玉は、現世、来世、神の世を表しているという。
設計はフランス人のミッシェル・パンソー」
世界3大モスクのうちの1つ。1番大きいのはメッカにあるものだとして、
3番目がここ、カサブランカのもの。
2番目はどこだったかなあ。コルドバのものだったか、カイロのものだったか。
(メモを取っていたノートを見たらサウジアラビアって書いてあった)
ホテルを出て国連広場へ。地下通路へと下りていく。
昨日の夜は無許可で行われている(と思われている)フリーマーケットでにぎわっていたのに
今日の朝はシンと静まり返っている。
ちらほらと通行人の姿が見られるだけ。
その人たちもほとんどがビジネスマン・ビジネスウーマンっぽい。
地上に出る。昨日の夜同様、道路が渋滞している。右を見ても左を見ても車の列。
どの通りも椰子の木?が一列になって生えている。南国っぽい雰囲気を醸し出している。
もともとから椰子の木が育つ土地柄なのか、
それとも観光地としての開発のため20世紀後半になってから植えたものなのか。
港に向かって歩く。5分もしないで港へ。
鉄柵で港湾関係の施設全般がどこまでも囲まれている。
小さな通用口しか開いてなくて、出入りしているのは地元の人たちだけのようだ。
前の晩は入ってみようかとも思っていたのだが、「ま、入らんでもいいか」と思う。
地図を見ると港沿いの通りをそのまま北西方面に歩いていくと「スール・ジェディド通り」となり、
さらにそれをまっすぐ突き進んでいくと「ハッサン2世モスク」に到着するようだ。迷いようがない。
港に沿って歩道を歩いていく。
日がまだ昇りきってないから、それほど暑くない。
右手の鉄柵の間から大きな船が見える。何隻も停泊している。
積荷も見える。遠くにあって何を運びこもうとしているのか、あるいは運び出したのかはわからない。
アスファルトでできただだっ広いスペースを
入り口近くの詰め所の側に立った守衛が1人暇そうに守っている。
左手はメディナ(旧市街)。
フェズのように建物がくっつきあって蟻塚のようになっているのではなくて、
独立した個々の家で出来上がっているようだ。
メディナを過ぎると白い壁をした低い家が連なっている。
歩いていくうちにやがてモスクのミナレットが見え出す。
この距離から見えるってことは相当大きな建築物だ。
道路はカーブに差し掛かり、港の敷地もここまで。遠くまで長く伸びた突堤が見える。
海辺。
僕は歩道を離れ、低い塀を乗り越えて空き地の中へ。
ビル2階分ぐらいの高さの崖になっていて、端まで来ると足元を波が押し寄せていた。
まだ6月の頭、それほど暑くはないのに泳いでいる人たちがいた。地元の人たちだろうか。
僕は生まれて初めて大西洋を自分の目で見た。
太平洋とどう違うのか?と聞かれたら、正直僕にはよくわからない。
ただ、とてつもなく青い色をしていた。
モスクの近くまで来る。
9時15分前。拝観時間は9時、10時、11時、14時となっているのに、人通りが全くない。
観光客ばかりでもおかしくないというのに。休みなのだろうか?
いくつかある入り口にはどれも警察か軍の車が停められ、警察と軍の人間が見張っている。
「おかしいなー」と思う。非常に大きな入り口があって恐らく車で出入りするためのものなんだけど、
ここはチェーンで封鎖され、進入禁止の標識が置かれている。
「私は日本人の観光客なのであるが入っていいか?」と聞いても
たった一言「出てけ」で終わりそうな予感。
道沿いに歩いていくと市街地に入っていく。
とりあえず道なりに進んでいく。
モスクからこの市街地へと伸びた敷地の外れに図書館か学校のような建物が建っている。
きれいなもんだねえと近付いて壁沿いに歩く。黄土色を薄くしたような色をしている。
大きく開いた門のようになっている箇所に差し掛かる。
奥にモスクが聳え立ち、観光客と思われる人たちが中に消えていく。
ああ、こっちが正しい入り口だったんだとわかる。
つい20年前にできたばかり、モロッコを代表する建造物ということでどこもかしこも真新しい。
地面だろうと壁だろうとあらゆるものが静かな威厳を放っている。
広場をトコトコと歩いていく。ミナレット(尖塔)が近付く度に自分が小さくなっていく。
そんな感じがするぐらいに大きい。大きすぎる。
「はあ・・・」とため息が出る。
巨大なもの好きな僕としては「見に来てよかったなあ」と嬉しくなった。
モロッコのいろんな町を訪れた中で
ビジュアル的に最も美しく、最もインパクトのあった場所となるとやはりこことなるだろう。
8万人収容となると、お祈りの時間である金曜の昼は
この広場もモスクの中も信者たちで埋め尽くされてしまうのだろうか?
それってとんでもない光景だろうな・・・。
今はわずかばかりの観光客が点になって散らばっているだけ。
モスクそのものは壁というかアーチを多用した、
なんというかやっぱり壁としか言いようがないものに囲まれている(貧困な語彙が悔やまれる)。
アーチをくぐるとなだらかな階段になっている。
信者のための入り口と観光客のための入り口があって、どちらも地下に入っていく。
後者の階段を下りていくとロビーのようなスペースがあって、各国の観光客が集まっている。
入場券を買う。120Dh。
9時になるとガイドの人たちが何人か現れ、それぞれの人たちが
「英語を話す人いますか?」「フランス語を話す人いますか?」
「スペイン語を話す人いますか?」などなど呼びかけを行う。
自分の話す言葉ごとに分かれてガイドを受けるようだ。
僕は英語のガイドのところに行く。イスラムっぽいショールをかぶった女性。
10人ぐらいの集団になってモスク内の見学が始まった。
最初に見たのは地下の信者のための風呂や着替えの場。
模様のないシンプルな白っぽいアーチの連続。
壁や柱は床近くの低い位置にアラビアっぽい幾何学模様が描かれている。
薄暗い。オレンジ色の照明がうっすらと室内を照らしている。
いったん地上に出て、モスクの中へ。
中を見学する間は靴を脱がなくてはならない。
入り口で渡されたビニール袋に靴を入れて持ち運ぶ。
中へ入る。
・・・言葉を失う。
「とんでもなくでかいです」としか描写できない自分が情けなくなってくる。
今この文章を入力していてもどかしい気持ちでいっぱいだ。
例えばこんな広さ。
横浜のランドマークプラザでもお台場の AQUA CITY でもいいんだけど
ああいうショッピングモールの1階から5階までが1つの大広間になっているというか。
あーイマイチな表現だ。
ま、とにかく大きいんですよ。横を見ても見上げても。クラクラする。
こんなの見たことない。
日本で暮らしている人間からすればありえない。
尺度的にありえない。そもそもの空間の成り立ちからしてありえない。
見た人にしかわかんないわこれ。
フランス人の建築家が設計した20世紀最高の美術品の1つっていうのは決して誇張ではない。
僕もそう信じたくなる。
説明を聞く。
シャンデリアは57個。そのどれもが違う形をしている。イタリア−ベニス製。
ふんだんに用いられた大理石もイタリアのもの。
天井は開閉式(!)
セレモニーのある日やとても天気のいい日には開くのだという。
メッカの方角に向かって細長い造りになっている。
ただ単純な体育館のような四角の箱ではなくて、縦方向の壁沿いには2階部分がせり出している。
細長い部屋の端の方(メッカの方角に当たる部分)は足首の高さにロープが張られて区切られている。
ものすごく高い位置にスピーカー。
人1人立つだけの説教壇のようなものがいくつか見える。
中はひんやりしていて、シンと静まり返っている。
ものすごく密度の濃い静けさ。
ガイドが話していてもその声が吸い取られてしまうぐらいの静けさ。
床がガラス張りになっている箇所があって、下を見ると泉が。
後で地下に下りたときにこのアブルーション(手を洗うための泉)の間に入り、
同じようにガラスを通して上を見上げた。大広間の天井がはるかかなたに見えた。
ここの泉では口・鼻・残りの部分と3回に渡って顔を洗うのだという。
見学は45分間。
つつがなく終わって解散となる。
「なんかすごいもの見たなあ」と心地よい疲れを感じる。
モスクのアーチの陰からカサブランカの海を眺める。
白い建物たち。白い渚。
喧騒を離れるならばここはとてもきれいな町だ。
[1295] モロッコ(22)カサブランカに戻る 2004-06-25 (Fri)【6月9日(水)昼 − 6月9日(水)夜】
ようやく間に合って列車に乗り込み、リュックサックを背負って狭い通路を進んでいく。
今日乗るコンパートメントの番号は1。
通路の端から端まで歩いて「1」の扉を開けて入ろうとするのであるが、開かない。鍵がかかっている。
仕方なく車両の端のドア付近のスペースにて車掌が来るのを待つ。
デジカメで写真を撮っていると
大柄なモロッコ人が現れて「日本から来たのか」と話しかけてくる。
あれこれ話しているうちに列車が動き出す。
「どうしたんだ?座らないのか?」と聞かれて事情を説明すると
彼は「わかった。車掌に鍵を開けてもらおう」と通路を反対側へ歩き出す。
親切な人がいるもんだと思いながらありがたく待つことにする。やがて車掌を伴って歩いてくる。
車掌はドアの前に来て「そうだ。確かに開かないな」みたいなことを
フランス語で言うとそのまま肩をすくめて歩き去る。
先ほどの人は「隣のコンパートメントの空いてる席に座ればいい」と指差す。
とりあえず「Thank you. Thank you very much !」と感謝する。
「2」の開いている席に座る。
フランス人夫婦が乗っていて、2人だけだったところをいきなり邪魔されたのでむっとされる。
そのうち別な車掌が乗車券の確認に来る。
僕の乗車券を見せると事情が分かっているようで、何か言いたそうにするのだが、
僕が日本人だったせいか何も言わず黙って乗車券に穴だけ開けて返す。
いくつか駅を過ぎて気が付くとコンパートメント1に乗客が乗っている。
僕はリュックサックを網棚から下ろすと隣のコンパートメントに移った。
ジム・ジャームッシュみたいなフランス人が僕の席に座っていたので、乗車券を見せて替わってもらった。
その後の検札では乗車券を見せても何も言われず。
アジア・アフリカ・中近東を旅するってこういうもんなんだなあと思う。
時刻通りに列車が出発するだけモロッコはましか。
世界の他の地域では時刻表なんてあってないようなもの。めちゃくちゃだとはよく聞く。
列車に乗るのも3回目だとなんてことなくなる。
風景も見慣れたものとなる。
でもこれも見納めかと4時間の乗車時間のほとんどを風景を見て過ごす。
昼のレストランから持ち帰ってきたアラビアパンを2切れ、水だけで食べる。
19時過ぎにカサブランカに到着。
係員と会う。ビジネスライクにホテルまで車で連れて行ってもらって、ホテルにチェックイン。
明日会って空港に行くまでの段取りの説明を受ける。
「事故に遭ったそうだね」と言われる。どうも僕は有名なようだ。
ポーターに荷物を運んでもらう。
可もなく不可もない部屋に泊まる。相変わらずインターネットには接続できず。
ホテルはカサブランカの中心部に近い場所にあった。
日が暮れかかっている。まだ時間がある、と思った僕は街を見て回ることにする。
鍵をかける。立て付けの悪いドアで試しに鍵をあけようとしたら開かなかった。
というか開け方がわからない。
鍵を指して1回転させてカチッと鳴る。だけど開かない。
逆回転させてまたカチッと鳴る。やはり開かない。
下に下りてフロントで「開け方がわからん」と言うと
暇そうにしていた別のポーターが一緒に上まで上がって開けてくれる。
鍵を差し込んだままちょっとだけ回してドアを押すと開く。
「なんだよー。これぐらい最初に説明してくれよ。恥ずかしいじゃないか」と思う。
こんなんにいちいちチップを払うのってやりきれん。ぐったりくる。
歩いてすぐ大通りに出る。
目の前には国連広場。地球儀の上半分をかたどったような大きなオブジェが地面に。
その向こうにはとてつもなく大きなハイアット。
「地球の歩き方」を参照するとここのハイアットには
「バー・カサブランカ」という映画にちなんだバーがある。
近くまで行ってみたのだが小汚い個人旅行者はお呼びじゃないような雰囲気があった。
試しにハイアットの中に入ってみたのだが、場違いな感じがして早々に退散。
繁華街へ。
まず耳に飛び込んでくるのはクラクションの音。あちこちで鳴らされている。
とにかく車の量がハンパじゃない。マラケシュやフェズに較べて。
首都ではないが、経済やビジネスの中心地。
発展してる分スレてるような印象を受ける。良くも悪くも大都市。
人々の歩くスピードや顔つきが違う。
少なくともここの人たちは観光では食っていない。
それぞれの仕事で生きているような人たちばかりだ。
なんか上海に近いものを感じた。あの勢いの片鱗を感じる。
とはいえ日本で最も雰囲気が近いように感じられたのはなぜか銀座。
荒廃してゴチャゴチャとなった銀座。
都市の位置づけ的にも一緒なのではないか?
そんなわけで銀座で売ってそうなもの・売ってそうなブランドはたいがいここにありそう。
カサブランカの町はそこに新宿西口を足したような雰囲気って言えば
わかりやすいか(かえってわかりにくいか)
ファーストフードの店もあれば、「Cabaret」「Discotheque」と看板を掲げた入り口の薄暗い店もあり。
ちょっと歩いただけでいくらでも見つかるのだから、ここのナイトライフは異様に充実してそう。
港の方に歩いていってみる。
カサブランカは北アフリカ随一の漁獲高を誇る港であると言う。
新鮮なシーフードが食べられるレストランが多いようだ。
(所持金が少なくなりすぎて行けず。残念)
港へ向かう通りには観光客向けの土産物屋が並んでいる。
地図を見ればその背後にはカサブランカのメディナ(旧市街)が広がっている。
港は既に暗くなり門が閉ざされていた。
「今日はこれまでかな」と思い僕も引き返すことにする。後は明日。
髭を剃りたいと思ってありそうな店に入りながら歩く。
モロッコに来てから1度も髭を剃っていない。
髭を剃らないままでいたら空港で検査が厳しくなりそうだ。
モロッコやドバイはまだいいとして日本の税関がやっかい。
特にやばいものを運んでるんではないんだけど、
ペットボトルに詰めたサハラ砂漠の砂がいかにも怪しそう。
「これなんですか?」「サハラ砂漠の砂です」「ああ、そうですか」で終わるとは思えない。
麻薬が隠されてるんじゃないかって疑われてもちっともおかしくない。
没収されるのかな。検査してまた返してくれるのかな。
「100%砂でした」ってことになっても
土壌がどうのこうの生物がどうのこうのというやつでそっちにひっかかりそう。
そんなわけで税関に引っかからないよう、怪しい格好はしてない方がいい。
(僕の先輩はギリシャに行って日焼けして髭を剃らないでいたら税関で精密検査されたと聞く)
日用品を安く売ってるような店を見つけて入ってみたらあることにはあったが、
安全剃刀10個パックみたいなのしかなかったりする。
こんなの買っても無駄になるだけ。まさか日本まで持って帰るわけにいかないし。
国連広場近くのキオスクでばら売りしているのを見つけて買う。
クリームも1番安いのを売ってもらう。
国連広場の地下には通路が広がっていて、大通りの反対側に抜けることができる。
足を踏み入れるとそこは闇市というかフリーマーケットのようになっていて、
TシャツやCDを広げて売っている人たちがあちこちにいた。
そしてそれらの商品を物色している人たちが大勢いた。
部屋に戻る。髭を剃る。
テレビをつけると音声が無い。
というかスクリーンの向こうの光景は何もかもが静まり返っているようだ。
車がゆっくりと走っている。停止する。誰かが降りてくる。
「Live Report」とテロップが上の方に入っている。
よく見ると下に小さく「State Funeral」とある。ロナルド・レーガン死去。
マイクが復活したようで、音声が聞こえ出す。
フランス語のレポーターが低い声で呟くように実況中継している。
ナンシー夫人が一瞬映る。
突然の出来事で驚く。
その後通常のニュース番組に戻ったが、時々また「Live Report」に戻る。
兵隊たちが整列している。棺が運ばれる。
ロナルド・レーガンはそのちっとも評価されなかった役者時代、「カサブランカ」に出演したことがある。
ハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマン主演の今でも語り継がれる名画。
(とはいえ僕はまだ見たことがない)
カサブランカに来てロナルド・レーガンの葬儀に出くわすか。おかしなものだ。
テレビをつけっぱなしにして日記を書く。
フェズでは事故に遭ってからガイドが2人あれこれと世話を焼いてくれたが、
これって特別なことなんだろうな。
わざわざ日本語の話せるガイドが急遽付くことになったし。
もしかしたら休みだったのに一大事と派遣されることになったのかもしれない。
単なる係員レベルではない上級のガイドが3人がかり。
おかげでフェズという町をしっかり見ることができた。
病院で検査も受けることができた。
正直、事故そのものも含めていい思い出になった。
ここまでしてもらって申し訳ない、そんなふうに思う。
[1294] モロッコ(21)フェズのメディナを歩く3 2004-06-24 (Thu)【6月9日(水)昼】
一段落した後でまた迷路の中を歩く。
モロッコの楽器を扱っている店。
アラビア特有のあの大きなパイプ(水煙草?を吸うようなやつ)が並んでいる店。
野菜や果物の地区。今はスイカがベストシーズンなのだそうだ。
様々なショートパスタが山積みになっている店。マカロニやペンネやシェル、ツイスト。
板細工の店。縦 10cm × 横 1m 〜 2m ほどの細工や彩色の施された板。
全てハンドメイドで 1m の小さなものが日本円で1万円から。
細工が細かくなれば高くなるし、長くなればまた高くなる。
モロッコの人たちは客間に飾っているのだろうか。
昔のフンドゥク(宿屋)に入る。
今は織物職人の作業場になっている。
テーブルクロスやカーテン。
幅 20cm ぐらいのを 1m = 100Dh ほどで売ってくれる。
結構きれいなのがあったのだが、結局買わずに出る。
僕がデジカメであちこち撮って、その場で撮ったのを見ているとムハンマドさんが
「日本人旅行者は必ずデジカメを持っている。便利そうだ。
自分も近いうちに小さいのを1つ買うつもりだ」と語る。
昼はメディナ内のレストランで食べるか、と聞かれて「是非」と僕は答える。
それではとムハンマドさんは近道を駆使してレストランへ。
通常の通りではなく裏道や誰かの家の軒先みたいな場所をひょいひょいと伝っていく。
家の中らしき場所へ。廊下では男が2人糸巻きを持って、
壁の端から端まで何重にも糸を伸ばして長さを測っている。
いったいどこに連れてかれるんだ?と思っていたら扉の向こうにはレストランがあった。
吹き抜けの広間はいくつかの区画に区切られ、低いテーブルとソファが並んでいた。
2階は柱廊。四方が廊下になっていてさらにその奥には部屋があるのだろう。
ムハンマドさんにフランス語のメニューを読んでもらい、オーダーを決める。
モロッコ風サラダとブロシェットとフルーツのセット。並んでいる中では2番目に高くて 150Dh。
ミートボールのタジン(モロッコ風シチュー)と迷うが、
モロッコの名物であと何を食べてないかなあと思ったらブロシェットのことを思い出した。
ブロシェットとはいわゆるケバブのことで、羊の肉の串焼き。
飲み物は何にしますかと聞かれ、ムハンマドさんがワインもありますよ、と言う。
じゃあせっかくだからとワインを小さなボトルで頼む。
ムハンマドさんがではまた後で会いましょうと言って消える。
僕は1人きり取り残される。
すっごい立派な内装。贅を尽くした例の手の込んだ細密画的壁や柱。シャンデリア。
天井は開閉式になっているようで日光が燦燦と差し込んでくる。
誰もいなくて1人きり。アラビア風の音楽が聞こえてくる。
ソファーにもたれかかって僕は「はー」とため息をつく。
今自分はどこにいて何をしてるんだ?というのがわからなくなってくる。
目の前で起こっている物事、目の前にある物事については理解可能だが、その意味がわからない。
次から次に情報を受け入れて頭の中で処理していくのだが追いつかない。
自分は今モロッコという国のフェズという街にいて6月の9日で水曜日、午後12時30分。
客観的な状況は把握できるが主観的にはあらゆる物事をどう評価していいかわからなくなる。
どうして僕は今こんな場所にいるのか?
なぜここに1人座って音楽を聞いているのか?
なぜ僕は今食事をしなくてはならないのか?腹が減っているから?そういう時間だから?
そもそも僕は今何を求めているのか?
今この瞬間と、この1週間と。僕は何を求めていたのか。
何を求めているのか。
ワインが運ばれてくる。
普段飲まないのでわからないんだけど、モロッコのワインは世界的にも有名なのだろうか?
赤。グラスに注ぐ。
ほんのりと渋みがあって、おいしい。
モロッコでは確かメクネスがワインで有名な場所だ。
ふと見上げると壁の1つに国王の写真が飾られている。
都会だろうと田舎だろうとモロッコでは国王の写真を至るところで見かける。
雑誌の表紙まで飾ってる。小さな女の子を抱えている写真だった。
そう言えばどの町に行っても必ず「ムハンマド5世通り」「ハッサン2世通り」があって
広場の名前は必ず「ムハンマド5世広場」となる。
今の国王は「ムハンマド6世」でその前が「ハッサン2世」となり、
さらにその1代前が「ムハンマド5世」(ベン・ユーセフ)となる。
1956年に独立を勝ち取ったベン・ユーセフの名前が冠せられた施設も多い。
前菜とサラダが運ばれてくる。
前菜はヒヨコ豆をスパイスで煮たもの。美味。
(もしかしたらモロッコで食べたものの中では一番かもしれない)
サラダはタマネギやその他野菜をペースト状にしたもの、
オリーブ、トマト、ニンジン、赤カブ。
突然ムハンマドさんが現れ、「先ほどイブラヒムさんと連絡が取れたのだが、
彼のために事故の状況を英語で書いてくれないか」と頼まれる。
そう言うとまたいきなり去っていく。
食事の合間にワインを飲みながら昨日警察の調書に書いたようなことをまたノートに記入する。
ブロシェット。付け合せはライス。
ライスの中にアーモンドクラッシュと茶色いブルーベリーのようなもの。
炭火で焼いたが柔らかくおいしい。
お金を使いすぎたなあと思った僕はアラビアパンを2切れこっそり鞄の中に忍ばせる。
ここで食べられるだけ食べて夜はもう食べないことにする。
フルーツはマスクメロンを薄く切ったものとチェリー。新鮮なメロンを一切れ残さず食べる。
食後はコーヒー。えらく濃い。
食べ終わったのが13時前で、13時30分になるまでムハンマドさんが来ない。
何時に来るのか聞いてなかったのが失敗。
支払いも済ませたのにすることもなくソファに座ってるのは非常に心細い。
食べ終わった頃に別な観光客が現れて食事を始め、給仕が何度も部屋を行ったりきたりする。
僕の方を見ることはないし、出て行く必要はないもののとにかく落ち着かない。
ムハンマドさんは両手に買い物袋をぶら下げて現れ、袋の中からは鶏肉の骨が突き出ている。
「いやー今晩家族がフェズに来ることになっちゃって」と彼は言う。
レストランからはさらに近道を通ってメディナの外へ。
駐車場に車が停まっていて、あの年老いたガイドとなんとイブラヒムさんが待っていた。
再開を祝し固く握手しあう。
昨日帰りついたのは深夜だったとのこと。
イブラヒムさんに請われ、昨日警察に提出したのと同じレポートを紙に書く。
下書きはレストランにて書いてある。
絵も描いてくれというので同じように絵も描く。
少し車で走った後商店街に入り、ムハンマドさんがワインを買いに行く。
絵を描き終わるとイブラヒムさんは
すぐにもどこかに向かわなくてはならないようで、そこでお別れ。
「See you next time.」と言われる。
またモロッコに来ることがあったら、イブラヒムさんのガイドを受けたいものだ。
一番最後に言われた言葉は「イン・シャーラ」
英語にすると「God willing」
イブラヒムさんと車に乗ってサハラに向かっているとき、何度も聞いた。
「神のお導きにより、次もまた会えますように」という意味だと僕は思う。
ムハンマドさんが戻ってきて、ワインを受け取る。
ホテルへ。部屋に戻ってリュックサックを担いで下に下りてチェックアウト。
ミニバーを使ったかと聞かれて「No. Nothing」と答える。
絵葉書を1枚買う。
ホテルの外に出ると2人は向かいのカフェで休んでいた。
年老いたガイドの人が10分後の14時25分に出発すると言う。
ムハンマドさんが食事をする。
「パスティラ」というパイ皮に肉などが包まれたもの。味付けは甘いらしい。
出発。駅に向かう前に昨日の病院によって領収書をもらうことになっている。
ムハンマドさんが車を降りて病院の中に入るのだがなかなか出てこない。
列車の時刻は刻一刻と近付いてくる。
年老いたガイドの人が「何やってんだ」と苛立ち始める。
僕もハラハラし始める。15時ちょうど出発なのに40分を過ぎている。
ようやく出てきたかと思ったら今度は旅行会社の都合で領収書のコピーを取らなくてはならないという。
駅に行く途中にあるというので日本で言うところの「Kinko's」みたいなところにに立ち寄るのであるが
入って早々首を振って出てくる。中に誰もいないらしい。
ムハンマドさんは通りを渡ってどこか消えてしまう。
やがて50分近くになる。
ほんと大丈夫だろうか?不安になった頃ムハンマドさんが走ってやってくる。
領収書を受けとる。
駅はその場所からすぐ目の前にあって慌しくトランクからリュックサックを取り出すと駅の中へ。
年老いたガイドの人にまず「今までありがとう。さようなら」と握手して別れを告げて、
駅の中で改札の人に乗車券を見せるときにムハンマドさんにも同じように握手する。
Bのホームで出発すると改札の人に言われる。列車は既に停まっている。
あと5分もしないで出発する。
「それじゃあさよなら」って感じで慌しいまま走っていく。
先頭が1等車なのであるが間違えて末尾の方に行ってしまう。
「あれえ?」と思ってハタと気付き、「しまった!」と逆方向へ走る。
[1293] モロッコ(20)フェズのメディナを歩く2 2004-06-23 (Wed)【6月9日(水)朝 − 6月9日(水)昼】
「サファリーン広場」に出る。
狭くてごちゃごちゃした通りを抜けて日の当たる広場に出る。なんだかほっとする。
(通りはどこも屋根付きなので圧迫感を感じる。というか建物の中が通路になっている)
ここには真鍮細工の職人たちが集まっている。銅製品も扱っている。
大小様々なたらいやきれいに磨かれた深皿や鍋のようなものが道端に並べられている。
これらは商品として売ったりはせず、お祝いの席などのために貸すものなのだそうだ。
大きさにもよるんだろうけど1日借りて日本円で2千円から3千円ぐらいする。
広場では建物の修復が行われていた。
足場が組まれて職人が商売道具を点検している。
改めて周りを見渡してみて意外とどの建物も高いということに気付く。
4階建てや5階建て。窓はどれも小さく格子がはめ込まれている。
増築に次ぐ増築。改築に次ぐ改築によりどの建物もくっついて1つの建物となっているようだ。
これもまた迷路のような通りを形作っている要因の1つなのだろう。
ムハンマドさんは友人に会って立ち話。携帯の番号を交換し合う。
メディナの中を歩いているととにかくやたら友人に会い、その度に立ち止まって世間話をする。
ガイドをやっていると顔が広くなる。人通りも多いのでちょっと歩くたびに誰かしらと出会う。
そうすると僕も立ち止まり、目の前にある店を眺めることになる。
広場からまたちょっと歩くと今度は染色の職人たちの地区。(「セバリン」とかいう名前)
扱ってる素材としては絹が多い。
ジーパンでも何でも好みの色に染めてくれるという。
壁には紫やベージュなど様々な色に染めた布が干されている。
この地区は小さな建物が個別に建っていて、屋根がない。
乾かすとなると日に当てる方がいいからか。
子供たちが頭の上にカゴを乗せて物を運ぶ姿を見た。
また建物の中の通りへ。
干し肉を売っている店。この辺りは食べ物の地区のようだ。
モロッコ人は干し肉が大好きで、ラマダンの時期は
断食をしなきゃいけない昼間の時間が過ぎると目いっぱいご馳走を並べるのであるが、
このときに欠かせない食べ物となる。
女性の服やアクセサリー、糸やカーペットの地区へ。
その後大工の地区へ。結婚式のための豪華な椅子を作っていた。
ムハンマドさんが「1人で中に入ってみても大丈夫」だというので
1人で作業場に入っていく。木材の匂いがツンと鼻に付く。
西洋のものともアラビアのものとも違うような音楽がラジカセから流れる。
端まで行くと別な通路につながっていて、入ってみる。
その突き当りではさらに別な通路につながっていて、とキリがない。
引き返すことにする。
またムハンマドさんと歩きだす。
通りにいきなりバーが設けられていて、くぐって中に入る。
ここから先は動物の侵入を禁止するという意味なのだそうだ。
聖なる場所。観光名所として有名な「ザウィア・ムーレイ・イドリス廟」がある。
ムーレイ(聖人)イドリス2世が祀られている。
近くの壁には賽銭を入れるための小さな穴があった。
ろうそくやその他供え物(細長いビニールの袋に人形のようなもの?が入っている)を売る店が並ぶ。
ここも信者でなければ入れず。入り口から中を見るだけ。
たまたまかもしれないけど男性の姿はなく、
黒い衣装に身を包んだ女性の信者ばかりだった。熱心に祈りを捧げていた。
すぐその前が「ネジャーリン広場」
ここから革の染色を行う職人たちの仕事場を見に行く。
革製品の店に入り、階段を上っていって3階へ。
店の人が案内してくれる。屋上に出る。
目の前には広場のようなものが開けている。その周りを蟻塚のような灰色の建物が取り囲んでいる。
地面はなく、植物の細胞壁のような約 1m × 1m × 1m の枠がびっしりと並んでいる。
その中には様々な色の液体が入っている。
何かのとてつもなく大きな生き物の体内を見るかのよう。
枠の上を職人が歩いている。脇の方にはロバの姿も。
店の人が説明をする。
色は5つ。
・イエロー (サフラン)
・レッド (ポピー)
・ブラウン (ヘンナ)
・ブルー (コバルト)
・グリーン (ミント)
それに対して染める革もまた5つ。
・Sheep
・Cow
・Goat
・Camel
・Lamb
週ごとに色を変え、組み合わせが変わっていく。
サハラ地方でもこういった革の染色も行っているのであるが、
向こうは Donkey の革を使っているのであまり質はよくない。
これら染色職人たちの仕事は「Father To Son」
代々子孫たちに受け継がれていく。
(染色職人に限らずモロッコの職人たちはどうもみな世襲制のようだ)
ここまで説明を受けた後ではっきりと
「ここを訪れた観光客は革製品を買っていくことになっている」と言われる。
またか。もう腹を立てる気もなくなる。控えめに申し出るってんではなくて、
「買うことになっている」と義務扱い。
下に下りていく。
2階が革製品コーナー。
ありとあらゆる革のありとあらゆる商品が床から天井まで隙間なく詰め込まれている。
「これはどうだ」とラクダの革のクッションを薦められる。
「折り畳めばこんなに小さくなる」と畳んで見せるのだが、それでもまだかなり大きい。
広い部屋に住んでいればこういうのもまたよしなんだけど
今の僕の部屋にこれがあってもどうしようもない。
ホテルの部屋で履くのにちょうどいいようなスリッパでも買うかと思う。
でもそれももったいない。これもまた日本に帰ると使い道がなくなる。
自分が履いたものをお土産として誰かにあげるのも気が進まないし。
そんなわけで困ったなあとあちこち見ているうちに目が止まったのがベルト。
ジーパンをずっと履いていたのであるが、
ベルトをし忘れて日本を旅立ったのでとても緩い。
手に取ると店の人が早口であれこれまくしたてる。
何を言ってるのかわからんがこれなら買ってもいいかと思う。とにかくラクダの革らしい。
手持ちのディラハム(モロッコの通貨)がないと言うとUSドルでもいいと言う。
(メディナの中の店はディラハムだろうとUSドルだろうとトラベラーズチェックだろうと何でも通じる。
店によってはクレジットカードも使えるだろうし、日本円OKの店もありそうだ)
45ドル払う。高いのか安いのか自分ではよくわからん。値切るべきだったのだろうか。
日本人価格だったのかもしれない。
案内してくれた人の弟が職人で、長さを調節してくれることになる。
この辺でいいかと聞かれて適当な箇所でいいと答える。
出来上がるとまだ長いので穴をさらに2つあけてもらう。
僕がノートにメモを取りながら歩いているのを見て店の人は
「ボールペンをもう1本持っていたらくれないか」と言う。彼の息子が学校で使うのだそうだ。
日本からは2本持ってきたのであるが、1本は偶然なのかなんなのかインクが漏れて壊れてしまった。
残りの1本がなくなったらメモが取れなくなる。
予備があったらあげてもよかったんだけど、「これしか持ってない」と言って断る。
1階に下りて支払いをする。
僕の買ったベルトを見てムハンマドさんが「これはいい買い物をした」と言ってくれる。
ネジャーリン広場に戻る。
ムハンマドさんがミントティーをご馳走しようというのでカフェの前のベンチに座る。
ムハンマドさんは相変わらず友人を見つけては話し込んでいる。
今日はなかなか暑い日でヨーロッパからの観光客たちは
老いも若きも女性であろうと男性だろうと肌を露出したラフな格好をしている。
手にはカメラやビデオカメラを持って。
彼らを案内するガイドたちもたくさん見かける。
この街にはいったいどれだけのガイドがいるのだろう?と思う。
[1292] モロッコ(19)フェズのメディナを歩く1 2004-06-22 (Tue)【6月9日(水)朝】
7時前に目が覚める。下のレストランで朝食。
メニューは2日前と全くもって同じ。味気ない思いをしながら1人食べる。
昨日の夜同様、日記を書く。
日本語を話すガイド(ムハンマドさん)とは9時30分にホテルのロビーで待ち合わせ。
午前中にフェズのメディナを案内してもらうことになっている。
チェックアウトしなくていいのか聞いてみると
今日の予定からして14時頃まで戻らなくても、それでも特に問題ないようだ。
(概してモロッコではチェックアウトの時間がアバウトで、何時までにと言われることはなかった)
午後は列車に乗ってカサブランカに行く。
年老いたガイドの人の運転で旧市街(フェズ・エル・バリ)へ。
新市街を通り過ぎてまずは王宮。正門の前で車を降りる。
国王がフェズに滞在するときに使用される。
一般観光客には開放されていない。門を見るだけとなる。
全てがハンドクラフト。いつの年代の話だったか忘れてしまったが、
フェズ中の職人が借り出され、2年間昼夜を分かたず作業を行い完成させた。
金色に光るブロンズはオレンジの皮を用いて磨かれている。
ムハンマドさんはかつて1度だけ中に入ったことがあるそうなのだが、
とてつもなく美しい場所だったという。
城壁は白く塗られている。枠は緑色か青。
緑はイスラム教の色。青は「フェズ・ブルー」と呼ばれるもの。インディゴのような色。
確かにマラケシュや砂漠地方では見かけなかった。
門の前は庭園となっている。
観光客の集団が記念写真を撮っている。
王宮のあった場所のすぐ近くには「メラー」と呼ばれるユダヤ人居住区がある。
古くは15世紀から彼らはこの場所で商売を営んできた。
イスラエル建国後は90%のユダヤ人が去り、今はベルベル人たちが住んでいる。
ここからほんの少し行った先に「ブー・ジュルード門」がある。メディナの入り口として有名。
表側はフェズブルーで模様が描かれ、裏側はイスラムの緑色で装飾されている。
ここで年老いたガイドの人(最後まで名前わからず・・・)と別れ、
後はムハンマドさんと歩くことになる。
門をくぐるとそこから先はどこまでも細い通りが続く。
フェズのメディナは迷路のようだと形容されるが、正にそうとしか言いようがない。
この後2時間かけてムハンマドさんにくっついて
右に曲がり左に曲がり建物の中に入り廊下のようなところを抜けて・・・、
と進んでいったのであるが、これはもうガイドなしには100%無理。
いきなり日本人観光客が行ったところで道に迷うだけ。
2・3日かけて探索するのでない限り、ガイドを雇った方が無難だろう。
半日しか時間がないけどとりあえず入ってみるか、
なんてことをしたら列車やバスの時間に間に合わなくなりそう。
通りは人が3人並んで歩けるかどうかという狭さ。
そこに時折ロバやラバに目いっぱい荷物を乗せて運び屋?たちが
「そこどいてくれー」かなにか大声で怒鳴ったりしながら通り過ぎる。
車はおろかマラケシュのような馬車ですら進入禁止。
建物はどれも城壁に同化したような印象を受ける。
入り口(ブー・ジュールド門)付近に限って言えば
人々の行き交うメインストリートに面した建物だと1階を店として2階を家とするか、
2階も店にしたり作業場(衣服を縫ったりだとか)としている。
観光客の立ち入らないような薄暗い路地裏はどこも居住区となっているようだ。
並んでいる店も脈絡がなく、地元の人たち向け?
売られているものにはリーバイスがあったりナイキがあったり。
壁そのものは日干し煉瓦なのに内装はとんでもなくモダンな眼鏡屋やブティックがあったり。
そういう「文明化」されたものだけではなく、日用品も多々売られている。
(パラボラアンテナまで売られていた)
人が商品として扱えるものでここにないものはない、そんな凄みが感じられた。
新品もあれば中古もあり。
こんなのどこで手に入れたんだろう?と首を傾げざるを得ないものも。
パンケーキの様々なバリエーションのようなお菓子が道端で売られている。
タラア・セギーラ通りを下っていって
さらに奥へ奥へと入っていくとどこもかしこも店と作業場ばかりとなる。
店はどこも同じ大きさで、横 2m × 奥行き 4m × 高さ 4m ぐらいの箱というかコンテナのような感じ。
その中にその店で扱っている商品がびっちりと隙間なく詰め込まれている。
香辛料の店。香料の店。布の店。革製品の店。
僕は青森駅前に15年ぐらい前まであったリンゴ市場を思い出す。あの雰囲気に似ている。
店の並びも売るものによってまとまりを持つようになり、
また、職人たちもそれぞれの地区に固まるようになる。
真鍮職人の地区、染色職人の地区、家具職人の地区。などなど。
とにかく人が多い。地元の人たち。観光客。モスクを訪れる人たち。喧騒に次ぐ喧騒。
ぼやぼやしてると背後からはロバが迫ってきてとっさに避けようとすると誰かにぶつかってしまう。
店の主人が客相手に値段の交渉を行う。例によってどこからかコーランの詠唱が聞こえてくる。
子供たちが走り回り、地べたに座り込んだ物乞いが手を差し出す。
グツグツと煮え立つように人々が溢れ返っている。
エネルギーがあちこちの方角に飛び出してはぶつかって撥ね返ってまた別な方角へ。
様々な色彩。様々な匂い。
ああ、これがモロッコというものなのか。
ようやく僕はこの国を特徴付ける何か、
中心部にあって剥き出しのありのままの姿をした何かに触れることができたように思う。
ムハンマドさんはメディナ入り口近くの店の1つに僕を案内する。
銀製品の店。ご主人は日本語がうまい。日本人旅行者が必ず訪れる店なのだろう。
銀 80% 錫 20% という割合の合金に対し加工を行う。金色っぽい色をしている。
銀の割合が高くなればその分値段も高くなる。
その店の最高級のはガラスのショーケースに陳列されていた。
安いのになると銀の割合は 70% となる。
皿がメイン。その他は日本で言えば食卓で塩や砂糖を入れるための小さな器。
店の職人が細かな模様を1つ1つノミで打っていく様子を実演してくれる。
設計書もなく型紙もなく職人は小さな点を勘で1個ずつ打っていくことで
例えば花をモチーフにした模様を描いていく。気の遠くなるような作業。
ここで何か買えば僕の名前か今日の日付を入れてくれるという。
やっぱ何か買わなきゃならないのかー。やれやれと思う。
でもここで扱っているのはどれも質の高いもののようだし、買っても悪くない。
母と妹のために銀色のアラビアっぽい小さな皿を1枚ずつ買っていく。2つで 250Dh ぐらいした。
今日の日付を入れてもらう。
他のも買うならその分は安くすると言われるがそれは断る。
ここの店の商品は他の観光客向けの店とは違って本物を売っている、
その証拠にこのティーポットは、とヤスリを取り出し内側をガシガシこする。
ティーポットは傷もつかない。
いくら火にかけても洗っても質は落ちない、という。
タラア・セギーラ通りを端まで行くと終点に「アッタリーン・マドラサ」という
14世紀に建てられ、17世紀に修復された神学校がある。
中に入る。現在はもちろん使用されていない。修復中。
吹き抜けになった2階建て。2階には生徒たちの部屋があった。
1階の真ん中にはアブルーションと呼ばれる人工の泉。手を清めるためのもの。
ムハンマドさんが説明する。
どの壁も装飾は3段に分かれている。
下は幾何学的な模様の描かれたタイル。
真ん中は漆喰。アラビア文字っぽい装飾が成されている。
一番上は杉。同じく細かな模様でびっしりと埋め尽くされている。
入り口はどれもアーチ型。白い大理石?の円柱がアーチを支えている。
こういう造りはアンダルシア地方の文化が流入することにより混ざり合って生まれたものなのだそうだ。
その後よく見るとあちこちでこういう形式の建造物を見かけた。
少なくともアーチは至るところに使用されている。
大理石はその当時の商人たちが交易によりイタリアから手に入れたもの。
モロッコからは砂糖を運び、砂糖 1kg = 大理石 1kg で取引が成されたという。
現在使用されていないためか、祈りのための部屋にも入ることができる。
壁の一方がメッカの方角を向いている。
ここで今からもう何世紀も前、イマム(祈りを司る役目)の立場にある人が
生徒たちの先頭に立って祈りを捧げたのか。
(前にも書いたけどイスラム教ではその集団において大事な役目を果たす人が2人いて、
1人は祈りを司る人であって、もう1人は祈りの時間であることを大勢の人に告げる人となる)
神学校の外に出る。イスラム教の聖職者っぽい老人が大声で呼び込みをしている。
「フェズ名物!おまえ旅行者か!?だったら、いいからとにかく入れ!!」
この神学校のすぐ近くに「カラウィン・モスク」がある。
9世紀にファーティマ朝の指導者の姉弟
(兄妹?英語でbrother , sister としか言われなかったのでどちらかわからず)
のうち兄の方により建てられた。
妹の建てた方のモスクはメディナを流れる川を隔てて反対側にある「アンダルース・モスク」となる。
こちらは名前の通りアンダルシア地方の影響が濃い建築物であるようだ。
この「カラウィン・モスク」はたぶん僕の聞き間違えではないかと思うのだが、
12万2千人というとんでもない規模の収容能力を誇るという。
(世界3大モスクであるカサブランカのハッサン2世モスクよりも多い?)
なんにしてもこのモスクが北アフリカ地方で最も古く、最も大きなものであったのは確か。
金曜の12時半ともなると近隣のイスラム教徒たちが大勢詰め掛け、中で祈りを捧げる。
ものすごい光景なんだろうな。
(ちなみに祈りの際にはどんな広間であろうと男性が前に座り、女性は後ろとなる)
信者でなければ中に入ることができないので、僕は門の1つから内側を覗いただけ。
水曜の午前中、中に人はそれほどいないがちらほらとひざまずいて祈っている人たちを見かける。
大きなアブルーションから噴水のように水が湧き出ている。
このモスクはとにかく大きいので、このメディナの中に14もの門を持っている。
[1291] モロッコ(18)初めてのCTスキャン 2004-06-21 (Mon)【6月8日(火)夜】
走っているうちに景色のきれいな個所に差し掛かる。
ヨーロッパの山の中のような森林。牧歌的な風景。
(僕は遠い昔にテレビの中で見たスイスや北欧の田園風景を心の中に思い浮かべる)
「イフレン」という町に入っていく。
ヨーロッパの人たちが避暑で訪れる地域。
屋根は斜め。建っている家はどれも小奇麗でお菓子のよう。
小さな湖があって湖畔には遊歩道。さざなみ。木漏れ日。
歩いているのも白人ばかり。
ここは本当にアフリカなのだろうか・・・?
通りのあちこちに兵隊が立っている。
町の警備なんだろうけど割とのんびりした雰囲気。
大学があるというので、となると昨日もこの町を車で通過したはず。
昨日はそれほど印象に残らなかったということは別な道路を通ったということか。
大学はニューヨークから講師を招聘していると聞いた。
何をする予定も立てず、実際何もしない。
そんな過ごし方をするのならかなりの穴場ではないだろうか。
次にモロッコに来ることがあったらここで何日かのんびりしてみたい。
カサブランカに飛行機で到着。
列車に乗って3時間、フェズと並ぶもう1つの古都「メクネス」へ。1・2泊。
メクネスからバスでイフレンへ。
そんなプランとなるか。
(タンジェを訪れれば完璧。で、ジブラルタル海峡を渡ってスペインへ)
イフレンを抜けて、車はどんどん山を下っていき、イムザの村へ。
ここは昨日も通った。よく覚えている。
その後あっという間にフェズの町へ。
ホテルに着くともう1人のガイドが僕を待っていた。
彼は日本語を10年近く独学で学んだということで、かなり流暢に日本語を話した。
チェックインしてリュックサックを置いた後で、
病院に連れて行ってもらって検査をすることになった。
一昨日泊まったのと同じホテル。
(そう言えば書き忘れたんだけど、前回泊まった時はフロントで鍵を受け取って3階に上がり
中に入っていくとベッドで誰かが眠っていた形跡があって、
その横には2人分のスーツケース。間違えて鍵を渡されていた)
ツアーを申し込むときに払った海外旅行保険の証書を持ってくるように言われている。
僕が今日一時的に支払って、後日保険会社に請求することになる。
リュックサックの中を探って書類を捜す。
こんなの入ったところで気休めにしかならんよなあと日本では思っていたのに、
実際に利用するときが来るとは。入っといてよかった。
車に戻ってフェズの町へ。
ホテルは丘の上にあり、坂道を下るとすぐ新市街に入る。
病院は目と鼻の先にあった。
これぐらいならホテルから歩いてでも来れる。
19時を回って空は薄暗くなり、病院は既に閉まっていた。
日本語のできるガイドの人が隣の店の前で椅子に座っている男に声をかける。
話し合っているうちに病院の看板を指差される。
電話番号が書かれている。そこに電話してみろということらしい。
携帯を取り出してかけてみる。つながったようで、用件を伝える。
看板を見るとフランス語でいくつか難しそうな単語が書かれている。
そのうちの1つには「SCAN」とあって、「あ、CTスキャンのことか」と気が付く。
それまでの僕は病院に行って医師の診断を受けるといっても
片言の英語で頭を指差して禅問答のようなことをするのかと思っていた。
「何時間か前は痛かった。今は痛くない」
「どのくらい痛かったのか?」
「とてもとても痛かった」
こんなやりとりを医者としたところで何がどうなるというのだろう。
でもなんらかの証明書をもらうための手続きとしては必要なものなんだろうなあ、
なんて考えていた。・・・違っていてよかった。
今僕は生まれて初めて頭部のCTスキャンを受ける。
今日はもう初めての物事ばっかりだ。
ここまでめまぐるしくいろんなことを経験する一日ってそうそうないだろう。
(大学入学のため上京してきたその日に大学の寮に入って
「入寮コンパ」と称してお立ち台に立たされ
吐くまで飲まされた日のことぐらいしか思いつかない)
病院の前でしばらくの間待つ。
年老いたガイドの人と日本語の話せるガイドの人は
2人ともそれぞれ携帯でどこかと連絡を取り合っている。
やがて若い医師が現れる。1度家に帰ったのが戻ってきたってところか。
中に入る。
4階建ての小さなビルの外見はみすぼらしく、病院の看板もガラスも割られていたのに
一歩足を踏み入れるとなかなかモダンな内装。
国内最新の設備を取り揃えてますって感じ。
壁には証明書が架けられ、風景写真やリトグラフが飾られている。
僕は椅子に腰掛け、医師とガイド2人の計3人が
日本語と英語で書かれた保険の請求書を表に裏にしげしげと眺める。
まあとにかく普通の手順を踏んでいつも通りやりましょう、そんな雰囲気になる。
初診のアンケートのようなものを書くことになる。
ローマ字で Okamura と書くと医者がサッカーのプレイヤーと一緒の名前だと言って喜ぶ。
え?と思う。岡村ってのはいないだろう。国際試合に出てくるような選手では。
僕がきょとんとすると、「ほら、イタリアでプレイしている」と言う。
「わかった」と日本語ガイドの人が笑い出す。「それはナカムラだ」
モロッコではサッカーが盛んで、日本人プレイヤーのことも話題になるのだと言う。
医者が準備のために隣の部屋に消える。
保険会社の手帳を見る。請求に当たっては
医師の診断書、領収書、事故を証明する書類といったものが必要となるようだ。
最初の2つはここでもらえる。最後のもこの旅行中には無理だろうが、もらえることになっている。
これで一応なんとかなるかな。
料金は 2000 Dh となる。日本円にして2万5千円弱ぐらい。思ったよりも安い。
モロッコの健康保険証を持っているわけでもないのに。(そもそも日本では自費だといくらするのだろう?)
現金の手持ちがなくてガイドの人に立替てもらう。
明日ドルで払うことになる。
用意ができたようで、僕は隣の部屋に入る。
機器を操作する部屋と、実際にCTスキャンの装置が置かれている部屋がある。後者へ通される。
「すげー」と思ってしまう。
ベッドの脇にまん丸な穴の開いた例の、巨大なカメラというか昔のフロッピーというか
コインランドリーの乾燥機をでかくして平べったくして中をくりぬいたようなやつがあって。
なんつうか「AKIRA」というか「2001年宇宙の旅」というか。
この穴をくぐって戻ってくれば僕の脳の断面図が撮影されるわけだ。
別に21世紀の最新医療器具でもなんでもないのに、
たいした時代になったもんだなあと感心させられる。
横になれと言われベッドに横になる。ブーツは?と聞くと脱がなくていいと言う。
横たわると手足を固定され、
耳の辺りをなにかものすごく固いレンガのようなものできつく挟まれる。
「目は開けていても大丈夫だ」と忠告されたので開けたままにしておく。
部屋の照明が消されて薄暗くなる。
視界の隅に壁に架けられた風景画が見える。
ウイーーーーンという音が聞こえだす。回転音ではなく、とにかく何かが動いている音。
ゆっくりと一定のスピードで僕の体は頭の先の方に運ばれていく。
穴の中に入っていく。あるところまで行くと静止する。
僕の頭の周りを機械が静かに回転している。幅 1cm の帯のようなものが刻まれている。
その中には何かの切れ端や機械装置の一部分のようなものが
ある箇所はびっしりと詰められ、ある箇所はスカスカに挟まっている。
この帯のどこかあるいは全体で、僕の脳を輪切りにして撮影しているのだろう。
勢いよく回転する機械を見ていると僕は新聞を印刷する輪転機を思い出す。
何周かするとまた少しだけ僕の体というか頭が
ほんのわずかな長さだけ奥に向かってスライドして停止する。回転は続いている。
それが何度も何度も繰り返されていつのまにかかなり深いところまで入り込んでいる。
60年代の宇宙船の中ってこんな感じだったんだろうなあと思う。
一通り撮り終ったようで機械の中から僕の頭が吐き出され、
部屋の中が明るくなり、医者が入ってくる。
耳の周りのレンガが取り除かれ、手足も自由になる。
「何も問題ない。とても健康の脳だった!」と開口一番言われる。
隣の操作する部屋で診断書を記入してもらう。
「機械はドイツのシーメンス製だが、
隣(なにやらコンピューターみたいなのが積み重なっている)のやつは日本製だ」
それからさらにしばらく待つとレントゲン写真が出来上がる。
4×4で16枚。僕の頭脳をスライスした写真。白の蛍光板に貼り付ける。
もう1度、「健康そのものだ」と太鼓判を押される。
ふーむ。僕の頭の中はこうなっているのか・・・。
僕の脳みそは右よりも左の方がわずかに大きいようだ。
その分隙間も多い。大丈夫なんだろうか・・・。
完全に左右対称にならないのは左脳と右脳で役割が異なるからだろうか?
その日サハラ砂漠で夜明けを見たことも
物売りに腹を立てたこともその後交通事故に遭ったこともみんなみんな忘れて、
目の前に映し出された「ある種の自分の姿」というものを食い入るように眺める。
僕ってこんな感じなのか・・・。
もちろんこれはもらえる。
自分自身へのお土産としては最もユニークなものになった。
これとサハラ砂漠の砂さえあれば今回の旅はもう何もいらない。
僕の預かり知らぬところで何か問題が起こったようで、
領収書は次の日もらうことになる。
ひとまず病院を出る。
ホテルへ戻る。
それまで年老いたガイドの人の運転する車に乗っていたのであるが、
ここからは日本語を話す人の車に移る。
「旅行会社カラハアナタニワインを送ルヨウ言ワレテイマス」
とのことだった。今回の事故に関して、旅行会社からの「お詫びの気持ち」ということのようだ。
ホテルのレストランで買うと高いので町の中で買いましょう、と車で市街地へ降りていく。
市民が利用するような小さな通りの小さな店の前をいくつか通る。
人通りは多いがどこも営業時間がちょうど過ぎてしまったばかりで店を閉めようとしていた。
明日また買いに来ることにしましょうということに決まる。
旅行会社からはワインだけでなく、明日の午前中、
フェズ市内の観光案内もサービスとして提供されるという。
頭は打ったもののどこもなんともないようなのだから、
面白い経験もなにかとできたし
結果として事故は僕にしてみれば今回の旅行が台無しとなるような「ひどい」出来事ではなかった。
あのまま無事に帰っていたら僕は今日の夕方と明日の朝と1人でフェズ市内を歩いて
ちょろちょろと何かをつまみ見て、それで全てを終わらせてしまっていただろう。
ディープな部分に入り込むことなく、入り口でちょっと足を踏み入れただけで
「こんなもんか」と小さな満足をしてしまう。
「事故に遭ってよかった」と言うわけにはいかないが、内心密かに「フフフ」と思う。
部屋に戻ると9時近く。
明日十分観光できるのだからと後は部屋でのんびりして過ごす。
ひたすら日記を書く。
[1290] モロッコ(17)交通事故に遭う2 2004-06-20 (Sun)【6月8日(火)夕方】
助手席に座っていても仕方がないので僕も外に出る。
雨がやむと向こうの車のドライバーはタイヤの交換を始めた。
ジャッキで車体を持ち上げるとパンクしたタイヤのボルトを外そうとする。
手持ちの道具では堅く締まったボルトが緩みそうになく、
イブラヒムさんがトランクから専用のねじ回しを取り出して貸してあげる。
確かたまたま通りがかって立ち止まった車から降りてきた人たちが手助けしてあげてたように思う。
足を引きずりながらドライバーはタイヤを外し、スペアをコロコロと運んでくる。
さっきのタイヤは外れたことには外れたが、ボディが歪んでいるのでスペアがはまらない。
大きな石を拾ってきて内側をガツンガツンと殴る。
誰かがハンマーのようなものを持ってきて、これを使えと提供する。
いつの間にか大勢の人たちがそこには集まっていて、何台もの車が停まっている。
誰かと誰かが握手をして事情を説明をする。
表情豊かに「それはお気の毒に」と感想を述べる。
タイヤがうまく交換できた頃、パトカーが到着。
14:30に事故が起きたとして、1時間は経過していた。
髭を生やしたアラビア風の警官が2人降りてくる。
2台の車の間の距離をメジャーで測り始める。
向かいの車は事故の後道路の端まで寄せたというのに測って意味あるのだろうかと疑問に思う。
バカ正直に今の車の位置を測っている。
近付いたり離れたりしながらカメラで2台の車の写真を撮った。
遅れて救急車も到着する。こちらは精力ありそうなご老人。
誰か運ぶ者はいるか?と聞いて回って、例のドライバーが乗せてかれるのかなと思ったのであるが、
なぜか警官たちはその時助手席に戻っていた僕を指差す。
え!?と思う。そりゃ確かに頭は打ったが、
知らない町に連れて行かれ知らない町で一晩過ごすことになったら、その後どうなるだろう?
僕は日本に帰れるだろうか?
なんだかんだ手続きが必要になって書類がいくつもいくつも役所を回って。
その間足止め。
そんなことにならないだろうか?
・・・ありがたいことにそうはならず。たぶん日本人旅行者が乗ってた、程度の話なのだろう。
事情徴収となる。まずはドライバーとイブラヒムさんから。
僕は離れたところにいて関わらないようにする。
谷から上ってきた村人たちが興味津々な表情でこちらを眺めている。
やがて僕の番になる。目撃者なのだから証言してくれと。
まずは僕の国籍や両親の名前やパスポート番号といったことを質問される。
いくつかの項目は自分でレポート用紙に書く。
英語が書けるか?書けるならそのときの状況を書いてくれとペンを渡される。
こんなようなことを書く。
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08/06/2004 about 14:30
My guide and I was going back to Fez from Merzouga.
(he is the driver)
When our car turned around the corner,
the CAR and our var were clushed.
The CAR was slipped and out of control.
Because our car was climbing up the mountain,
our car's speeed was slow.
And when the CAR bumped into our car,
my guide (driver) tried to stop our car.
-----------------------------------------------------
すさまじく自己流な英語。
しかも僕は字が大変汚いのでミミズがのたくったような字になっている。
これは何て書いてんだ?という質問が何度も寄せられる。
文章だけだとわかりにくいだろうと絵も描いてみせる。
こっちの車がカーブを曲がったら、向こうの車が横向きに滑り降りてきた、
というような趣旨の幼稚園児レベルのお絵かきを。
僕の書いた内容を向こうのドライバーに対して警官が説明する。
それまでお気楽な顔をしていた彼は青ざめて思わず両手で顔を覆ってしまった。
ぐったりと肩を落とし、放心状態となった。
「自分は何てことをしたんだ・・・」という罪の意識というよりは
「ああ、なんであの日本人はあんな証言をしたんだ・・・、
これで終わりだ・・・」という絶望的な気持ち。
僕はあの時彼が見せた表情を2度と忘れることはないだろう。
あれほどまでに人間の様々なリアルなものがつまった表情をこれまで見たことがない。
なんだか悪いことをしたように思う。
事故を起こしたのは確かに彼なのであるが。
僕は「何もわからない」で押し通してもよかったはずなんだよな。
でもまあこうするしかなかったのだと思う。
事故の証明書は地元の警察やラバトの裁判所など
あちこちのオフィスを経た上で旅行会社の方で僕に送ってくれることになった。
早ければ2・3日だが、遅ければ2・3週間となる。
その後しばらくしてから、僕の迎えに来たドライバーが到着する。
イブラヒムさんの車から荷物を詰め替える。
イブラヒムさんとはここでお別れ。固く握手して、抱擁も交わす。
「You're a good man」と言われる。
お返しに僕はこんなことを言う。
「You are so kind to me , I enjoyed this travel」
もう1度がっちりと握手をしてその場を去る。
遠ざかる姿にいつまでも手を振った。
イブラヒムさんは最後に中国風に?両手を合わせてお辞儀をした。
僕をフェズまで連れて行ってくれるドライバーはもう60を超えているのだろうか。
かなりの年配だった。
昨日まで日本人旅行者(新婚のカップル)のガイドを務めていたのだという。
彼らがとても暑がったので車の中ではずっとエアコンをつけっぱなしにしていて、
そのせいで彼は風邪を引いてしまった。ずっと咳をしていた。
雨がまた激しく降り出した。
事故現場を離れてみて初めて僕は、
「死ぬのかもしれない」ではなくて「死んでいたかもしれなかった」ことを考えた。
そのことに思い至ったとき、ものすごくぞっとした。
あと1分早かったり遅かったりしたらぶつかったりなどしなかった。
あと1秒早かったり遅かったりしたらもっと派手なぶつかり方をしていたかもしれない。
カーブを曲がるのがあと1秒遅かったら
対向車が飛び込んでくるのに気付くにも1秒遅くなる。
ベストなタイミングでぶつかって
こっちの車がブレーキを踏む余裕などなくなっていたかもしれない。
あと1秒早かったら、判断を誤ってハンドルを切って
ガードレールを飛び出していたかもしれない。
日本で行われる僕の葬儀のことを思い浮かべる。
そこに参列している人々。
僕の知っている人々。
家族。友人たち。会社の人たち。その他お世話になった人たち。
僕の棺。僕の写真。青白くなって横たわる僕の体。
[1289] モロッコ(16)交通事故に遭う1 2004-06-19 (Sat)【6月8日(火)昼 − 6月8日(火)夕方】
町を出る前に小さな店に立ち寄り、
イブラヒムさんはミネラルウォーターを2本買って1本を僕に差し出す。
「Sidi Ali」というモロッコではとてもポピュラーなもの。
あちこちで看板を見かける。
Volvic にデザインがよく似ているので、モロッコ語で「Volvic」と書いてあるのかと思ったら
どうもそうではなさそうだ。
車に乗ってて今日は暑いねという話になる。
確かに今日、窓の向こうはとても暑そうだ。
イブラヒムさんは窓の外を指差して、風がこっちから吹いているから暑くなるんだ、と言う。
昨日の夕方は砂漠にいても涼しかったと僕が言うと「それはラッキーだった」と言われる。
来週になればもっと暑くなる。8月になれば上半身裸になっている旅行者もいるそうだ。
サハラで過ごすには最もいい時期に僕は旅行をしたということか。
全身黒尽くめの服を着た女性たちについて説明を受ける。
あれはアラブの習慣というよりはサハラの習慣なのだそうだ。
部族によって包み隠す度合いが異なり、
ある部族は目だけ出すことはあっても、ある部族は目を出すこともせず完全に覆ってしまう。
エルラシディアという町を通りがかる。
暑いだけあって(?)昨日よりも人通りが多い。
自転車に乗っている人も多い。
この地域は土地が平坦なので自転車がよく利用されるとのこと。
逆ジョウゴ型の塔が立っていて、昨日見たときも気になっていた。
もしかしてモスクの一種だろうかと思って聞いてみたら「Water Tower」だった。
走っていると急にスピードを落とす。
時速 40km ぐらいでトロトロと走る。
見ると警官が立っていてカメラを構えている。
こういうスピード測定はいつでもやってるのか?と聞くと1年中やってるのだという。
通り抜けるとまたスピードを上げる。
対向車がやってくるとイブラヒムさんは窓から手を出してヒラヒラさせる。
どうもこれは「警官が立ってるよ」という合図らしい。
通り過ぎる車の運転手も感謝するように手を振り返す。
どうもこういう習慣が成り立っているようだ。
日本だとパッシングするようなものか。
昨日見たオアシスとはまた別の場所で車を降りて写真を撮る。
疲れて眠くなってウトウトする。
目が覚めた辺りでミデルトの町に到着している。
ホテルで昼食。昨日とは違うホテル。
例によってモロッコ風サラダ(ライス・赤カブ・紫キャベツ・キャベツ・ジャガイモ)、
アラビアパン、そして今回はマスのような魚のソテー。とてもスパイスが効いている。
付け合せに大根とニンジン。大根がよく出てくるのはモロッコで取れるからなのだろうか?
それとも日本人と言えば大根なのだろうか?
デザートにアップルタルト。
アメリカだとヒップホップをやってそうなノリの黒人男性がロビーで楽器を演奏している。
たまに僕の部屋に入ってきて1曲演奏して帰っていく。
横50cm × 縦15cm ぐらいの四角い木の箱に皮を張り、
ギターで言うところのネックの部分が伸びて弦が3本張られている。低い音が出る。
右手の親指と人差し指で弦を弾き、残りの指でボディを叩いてリズムを取る。
ネックの先にはジャラジャラと数珠のようなものがいくつもいくつもくくりつけられている。
彼は演奏しながら歌い、頭にかぶった帽子から伸びた紐の先には
房飾りがついていてグルグルグルグルと回る。
じゃがいもの袋のような民族衣装を着ている。
ホテルを出てまた走り出す。
ガソリンスタンドに立ち寄る。
ネットのないゴールを見かける。
モロッコを車で走ってたり列車に乗ってたりすると頻繁に見かける。
サッカーが盛んだとは聞いている。
でも実際に子供たちがやってるのを見たのは旅全体を通じて2・3回しかなかったな。
昨日来た道を引き返すので目新しい発見はなし。アトラス山脈に差し掛かる。
予定よりも速いスピードで移動しているようだし、早めにフェズに到着して後は町の探索となりそうだ。
そんなふうに思っていた。
のんびりと、旅もメインイベントが終わって後は後半戦かあと。
そんなふうに思っていたのであるが・・・。
ウネウネとうねる山道でカーブを曲がった途端目に飛び込んできたのは
スリップしてこちらに突っ込んでくる乗用車。ブレーキを踏む音。
あ、と思った次の瞬間には衝突していた。
助手席に座っている僕はとっさに窓のある右側ではなく、左側に避ける。
それでも頭が窓か天井かどこかにガツンと当たる。
こっちの車は左側のタイヤ周辺が大破、向こうの車も同じ感じ。
運転席までは被害は及んでいない。とはいえ動けそうにないのは明らか。
イブラヒムさんが車を降りたので、僕も降りる。
向こうの車に乗っていた2人も車を降りる。
3人で何かを話している。僕にはその内容はわからない。
警察を呼ぶだとか救急車を呼ぶだとかそういうことなのだと思う。
僕は離れた場所に立って3人を眺める。
頭の右側がズキズキと痛む。
イブラヒムさんがあちこちに電話をかける。ひっきりなしに電話がかかってくる。
恐らく旅行会社関係なのだろう。どう対応すればいいかって話をしている。
ガイド中に事故を起こしたとなればオオゴトだよなーと他人事ながら思う。
朝、砂漠のホテルに関して苦情を述べた○○さんとまた携帯で話す。
大丈夫ですか?と聞かれて頭を打ちましたが、大丈夫ですと答える。
病院に行きますか?
一応行ったほうがいいんでしょうね。
ガソリンが漏れて坂の下の方まで流れていく。
写真を撮っといた方がいい、とイブラヒムさんが言うので事故現場の写真を撮っておく。
イブラヒムさんはボンネットを開けて
トランクから三角形の形をした停止の合図を取り出して少し離れたところに置く。
事故現場の上下にカーブがある。
トラックやバス、乗用車が曲がってくると手を振っていったん停止させる。
事故現場を指差してゆっくりと通り過ぎてくれ、みたいなことを伝える。
何人かは車から降りて助言を与えて去っていく。
モロッコの人たちの普通の挨拶として、彼らはまずがっちりと握手をする。
事故を起こした車が道をふさいでいるとこの峠で渋滞が起こるということで
向こうの車の方を道の脇に移動させることになった。
パンクしてマフラーが外れた車が恐ろしい音を立ててそろそろと移動する。
運転手は怪我をしたようで具合が悪そうだ。
日差しが強くなって蒸し暑くなったときには眩暈を起こして倒れこみ、
もう1人の人とイブラヒムさんに抱き起こされた。
イブラヒムさんは彼にペットボトルの水を与えた。
なんだか僕は踏み込んではいけない、彼らだけの物事のように感じられて常に距離を取った。
山の向こうを眺めたり峠の下の方までずっと歩いていってみたりした。
ものすごく静かだった。
モロッコに来て初めて僕は鳥の声を聞いたように思う。
ポツポツと雨が降り出す。
見上げると空には厚く入道雲が湧き上がっている。
アフリカで雨か、と思う。
モロッコは大西洋に面しているし、ここはアトラス山脈の山頂近くなのだから雨が降ってもおかしくはない。
遠くでは雷が鳴っている。雨が強くなりだす。
旅行会社の人とやり取りをしているうちに僕は1人フェズへと向かうことになった。
イブラヒムさんを残して。
フェズから別のドライバーが迎えに来る。
ただし、その前に警察の事情聴取を終えなくてはならない。
事故の証明書をもらわないと後でやっかいなことになる可能性がある。
「こっちはスピードを出していなかった。私はブレーキを踏んだ。向こうは居眠り運転だった。そうだろ?」
イブラヒムさんは僕に対してそんなことを言う。
そういう発言を僕にしてほしかったのかもしれない。
居眠りしていたかどうかはわからない。それ以外のことは合っている。僕は「うん」と頷く。
フェズに着いたら、そこで落ち合うことになる別のガイドと病院に行く。
向かいの車に乗っていたもう1人の男性は
乗せてくれる車を見つけると本来彼らが向かうべき方角へと去っていった。
怪我をして片足を引きずる運転手だけが残された。
気分のよくなった彼はフラフラと歩き回ったり、イブラヒムさんと世間話をする。
何台もの車が通り過ぎる。
学生たちを乗せたバスが好奇心丸出しでこっちを見ている。
貧しい労働者たちを乗せたトラック。
カーブで曲がったら倒れるんじゃないかってくらいに高く、そして前にも長く丸太を積んだトラック。
頭はまだ痛む。
激しい雨はみぞれ交じりになる。
近くに雷が落ちる。
僕は助手席に避難する。
イブラヒムさんと事故を起こしたドライバーはガードレールにもたれたまま雨に打たれている。
僕は助手席に座ってフロントグラスにぶつかっては崩れ落ちていく雨の粒を眺めた。
朝、僕はサハラ砂漠にいて夜明けを見た。太陽と眩いばかりの光の帯を見た。
その何時間後かには事故。
横転した車が視界に飛び込んでくる映像がしっかりとまぶたの裏に焼きついている。
聞いていた音楽。男の声。女の声。「We will miss you」
しかも今、アフリカだというのに雨が降っている。土砂降り。
こんな奇妙なシチュエーションって他にあるだろうか?
鈍い痛みのする頭で僕は「もしかしたらこの事故が原因で死ぬのだろうか?」そんなことを考える。
ホテルに帰り着いた僕はシャワーを浴びようとする。
疲れきった僕はお湯をためた浴槽の中で眠り込む。
そして2度と目覚めることがない。
フロントガラスを水がとめどなく流れていく。目の前の風景が歪んでいく。
小さな氷の塊が次々と打ち付けてくる。
雨の音以外には何も聞こえない。
[1288] モロッコ(15)夜明け/旅行者に対する商売2 2004-06-18 (Fri)【6月8日(火)朝】
犬の鳴き声で何度か目を覚ます。
遠吠えってほどではないが、何かを責め立てるような喉の奥からの厳しい鳴き声。
何度目か目を覚ましたとき、時計を見たら4時だった。
ほんとなら5時頃起こされて砂漠に夜明けを見に行くんだろうけど、
案内された頃には既に日が上りかけて空が明るくなってるかもしれないので
僕はこの時間の空がまだ真っ暗な頃から見に行くことにする。
1人起き出して荷物を背負う。
誰かが起こしに来て何度もドアを叩くことのないように、ドアは開けておく。
リュックに全て積めた状態にして。
東の空がほんの少しだけ明るくなっている。
星は既に見えなくなっている。
砂漠をトコトコと歩いていく。小さな砂丘を上っては下りて、
宿から僕の姿が見えるだろうギリギリの地点まで進んでいく。
太陽が砂の間から顔を出すギリギリの瞬間を捉えようと
僕は同じ場所にずっと立ったままビデオカメラを回し続ける。
空が少しずつ少しずつ明るくなっていく。
(撮ったビデオを早送りしたらその様子がわかるだろうと思う)
青から灰色へ。やがて空が完全に白くなる。
そろそろ出てきてもいいはずなのになあと焦りだす。
持ってきたビデオテープの最後の1本のその最後の方。
僕は今年作っている作品「29」の締めくくりはモロッコとサハラ砂漠の映像で終わらせるつもりでいた。
砂漠の夜明けの場面。
なのでここまで来て撮れなかったということになったらとても困ったことになる。
録画をいったん止めようか、いや、止めた瞬間太陽が出てきたら後悔する。
そういう葛藤ではちきれそうになる。
地平線の果てが余りにも白っぽいので
もしかしたら雲が出ていて、その陰に太陽が隠れているのではないかと不安になる。
雲と思しき場所の上方にオレンジ色の光が差し込んでいるようだ。もう出ているのではないか?
4時15分頃からずっと回しっぱなしで、
テープの残りが後10分というところでギリギリ間に合って太陽がその顔を出す。
ほっとする。
変な例えというかありがたくもなんともない例えだが、つるんとした卵の黄身みたいだった。
地面から持ち上げられた、というよりは埋められたような。
ふーむ。こんなもんか。
きれいだとか神秘的とか言う以前に何かがとにかく不思議。
日本で初日の出を見る方がはるかにおごそか。
これって要するに日本で日の出を見るって言うのは何かしらの状況というかコンテクスト、
その場所、そのとき一緒にいた人、そのときの自分の心的状況、そこに至るまでのプロセスなどなど
様々な物事によって十分に意味づけされてることが多いから、
嫌でも「意義のようなもの」を見出してしまうってことではないか。
だけどここサハラ砂漠では圧倒的なまでにあらゆる物事から存在性が剥ぎ取られているから、
そしてその中にこの僕も吸い込まれているから、
ここに来るまでのプロセスなんてものも全く意味をなさなくなる。
単なる自然現象としての、ただただ大きいだけの夜明け。
砂の一粒も太陽も等価なものであって、結局は同じものであって、表面的な見え方が異なるだけ。
遠くの砂丘に人が2人見える。1人はじっと立っていて、もう1人は落ち着きなくあちこち動いている。
日本人だろうか、どこか他の国の人たちだろうか、彼ら/彼女たちは何を感じただろうか?
宿の人たちはみんな眠っていた。
宿の外で眠っている人、屋上に眠っている人、居間で眠っている人。寝袋や毛布に包まって。
部屋に戻って一眠りする。
7時近くなって出発の時間となるが誰も何も言ってこない。
昨日あれだけ気まずいことになったんだから、ほっとかれてんだろうなーと思う。
入り口から外に出ると昨日連れてきてもらったジープがなくなっている。
もしや僕を置いて帰ってしまったのだろうか?
「彼がしかるべき時間に帰ると言わないから、そのままにしておいた」
「彼が何もリクエストを言わないから、こちらでも何もオファーしなかった」そんな感じなのか?
さもしいことに僕は、昨日が昨日だけにあらゆる物事に対して疑ってかかっている。恨みがましく。
半ば呆然としながらそのまま入り口付近に立って荒野を眺めていると
料理人のおばさんが「ブレックファスト?」と声をかけてくる。
僕がうなずくとおばさんは入り口の外のテーブルを指差す。
座ってるとおばさんがあれこれ運んでくる。
旅行会社からもらった予約票には「コンチネンタル・ブレックファスト」と書かれてあって、
ほんとかいなと思っていたら本当にそれらしきものが出て来た。
パンとジャムやバター、ゆで卵、パンケーキ、ミルク。
食べ終わった頃にジープが戻ってくる。
自然な成り行きで帰る時間となる。なし崩し的に宿を去る。
(特に追加のお金を払うことはなかった)
ジープで荒野を走る。
しばらく走ると昨日見かけたホテルが目の前に現れて、その近くに井戸があり、車が止まる。
井戸の側には親子がいて、僕が車を降りた途端6歳ぐらいの息子が近寄ってきた。
ボロボロになった人形を4つ腕に抱えている。
僕に買えということらしい。
やはりいらないものはいらない。
少年は僕の元から付きまとって離れない。しかたなくジーパンから小銭を取り出す。
10Dh 5Dh 1Dh とあったので 5Dh を選んで渡すとこんなことを言われる。
口調から察するにこういう内容。
「こんなはした金なんていらねーんだよ。10Dh よこせ」
目を見るとマジ。ギラギラとしている。
この少年もまたぶん殴りたくなる。でもやっぱ殴れない。10Dh 渡す。少年はプイといなくなる。
ここで僕があげてしまったら他の日本人も同じ目に合う。
というかもう当たり前のことになっているのだろう。
貧しい経済。キャッシュフローがどうこうという以前に心が貧しい経済。
自分は働こうとせず、ただそこに突っ立って通り過ぎる人から
金を巻き上げることが当たり前と思ってる人たち。
それが楽だからか、それとも本当に貧しくて有意義な仕事が行き渡らないからか。
こういう子供たちは学校に通うことができず、あるいは親が通わせず、
旅行者から金をせびることを目的としてただ待っていることを1日中強いられているのだろうか?
あれだけの家に衛星放送のアンテナがあって、携帯が普及してるっていうのに。
仕方なくやってるのではなく、僕には堕落してるとしか思えない。
僕が持ってきた金は僕が自分で日本で働いて稼いだ金であって、こんなことに無駄遣いしたくない。
ゆくゆくはこういう子供たちや大人たちはいなくなるのか。
それとも残り続けるのか。
日本とは習慣が違うのだから世界の特定の地域のそういう人々のことは多めに見てあげるべきなのか、
それとも僕がそうしたければ嫌悪感を表していいのか。
施しをしたくないというのではない。
「くれて当たり前だ、早くよこせ」という態度が非常に不愉快なのだ。
親の方はドライバーと世間話をしていた。
井戸の側に自転車が立てかけられていた。
ドライバーが手招きする。井戸の中を見てみろと指差す。
深い深い井戸が掘られていて、水が湧き出ている。
車に戻ってさらに進んでいくと、テントが張られていて、そこでまた車が止まる。
お茶を飲むとドライバーが言う。
「トアレグ族の家族とお茶を飲む」と旅程表に書かれている。
これがそうか。
一家の主人が歓迎してくれる。ミントティーを淹れる。
テントの中は2つに分かれていて、1つは家族が住むためのものでもう1つは客を迎えるためのもの。
テントそのものの高さはとても低く、座ってちょうど頭がぶつからないぐらい。
飲んでるうちに一家の来歴の話となり、
2年前からここに移り住んだのであるがこの地域は取れた化石を磨く以外にできることはなく、
という話が始まり、「またか」と思う。
案の定、その後家のかまどだ、井戸だ、と案内してくれた後で化石売り場へと連れてかれる。
そんでまた「遊牧民を助けると思って買ってくれ」と。
遠くへわざわざ化石を掘りにいって戻ってくるんだそうな。
化石の入った石を磨いて灰皿にしたものや文鎮のようにしたものが並んでいる。
ドライバーは知ってて連れてきてんだろうし、買わないとだめなんだろうなと諦める。
いいかげん「ノー」と言うのも疲れてくるしアホらしくもなってくる。
昨日の件で「遊牧民を助ける」件に関しては後ろめたくもあったし。
メモ帳に数字のやり取りをしてようやくデザート・ローズ3個で 150Dh に落ち着く。
なにもかもがうんざりする。
朝から最悪の気分。
エルフードの町へ戻る。
昨日のホテルではイブラヒムさんが待っていた。
旅行会社からもらった案内のしおりには
ドライバーにはチップを渡すといいでしょうみたいなことが書いてあったが、誰が渡すもんかと思う。
イブラヒムさんの運転でまたフェズへと戻る。
どうだったか聞かれて、砂漠はきれいだった、星空もきれいだった、
・・・しかし、と上でぼやいたことを説明するとイブラヒムさんは怒り出す。
「Stupid! They should not do that!」
旅行会社に電話をかけてくれる。
日本人の担当者である○○さんと話す。
「注意はしているのですが・・・」「きつくまた言っておきます」とのこと。
うーん。今後は改善されるのか。
[1287] モロッコ(14)旅行者に対する商売/星空 2004-06-17 (Thu)【6月7日(月)夜】
1人の青年が僕のところにやってきて自己紹介をし、「ようこそ宿に」みたいなことを言う。
握手をする。モロッコは初めてか、どんな日程か、みたいな話をする。
人懐っこく、楽しそうに受け答えする。
25歳であるという彼は学校に通ったことはなく、
英語はここに来る旅行者たちと日々接することで身に付けたのだそうだ。
「旅はいいものだ」と彼は言う。「旅こそ、学校だ」
ミントティーが出てくる。
昔はミントティーではなくウィスキーを出したものらしい。
単なる飲み物ではなく、「ホスピタリティー」が込められている。
旅人や客人に対する歓迎の気持ち。
砂漠は気に入ったかと聞かれたので気に入ったと僕は答える。
彼は言う。昔のベルベル人たちはこの辺りからアルジェリア方面に向けて出発し、
やがて52日間かけてトンブクトゥへと旅をしたものだった。
料理人の太ったおばさんが屋上に上がってくる。
ここの言葉での挨拶を教えてもらって、挨拶をし、握手をする。
僕は青年にここの宿のことを聞く。日本人はどれだけ来るのか?
1年に1000人は来るという。昨日は来なかったが、一昨日は2人泊まっていった。
「自分には日本人の友人がたくさんいる。一緒に撮った写真が何枚もある。メールももらう」
ふと下を見ると僕をこの宿に連れてきたドライバーがジープに乗ってどこかへ出掛けるところだった。
「彼は隣の宿に煙草をもらいに行く」
彼の声が大きくなる。「なぜなら砂漠には煙草がないからだ!!」
(うがった見方をすれば、手土産に煙草を持ってこなかった僕を非難しているのかもしれなかった)
下に下りて君に民族衣装を着せてターバンを巻いてあげよう、そして写真を撮ろうということになる。
従業員部屋から黒いマントのようなベルベル人の衣装を取り出して持ってくる。
胸のところには金で刺繍が施されている(模様がなんであるかは覚えていない)。
「遊牧民の手作りだ。いいだろう?」
そしてターバンを2つ持ってきて、どっちか選べと言う。適当に1つを指差す。
巻いてくれる。「似合ってるぞ、鏡で自分を見てみな」と言うので鏡の前に行く。
疲れて埃だらけの僕にはターバンが似合ってるとは思えない。
民族衣装もいくらハンドメイドとはいえ安っぽい代物だ。
戻ると彼は別な衣装を手にしていて、着てみるかと聞くので僕はうなずく。
こっちのは横が全て開いていて風通しがいい。
「気に入ったか?」と彼は言う。僕は困ったような笑みを浮かべる。
そして彼はとびっきりの笑顔でこんなことを言い出す。
「君のために特別に安い値段で売ってあげよう」
僕は即座に「ノー」と言う。
「なぜだ?」
「欲しいとは思わない」
「君のために特別に安い値段で売ってあげようとしてるんだ。なぜいらないんだ!?」
「わかった。じゃあ、いくらだ?」
「だから、君のために特別に安い値段にするって言ってるだろ」
「答えになってない。いらないものはいらない」
同じような押し問答を延々繰り返す。
僕は着ていたものを脱いでその辺に置いてあった椅子の背にかける。
「わかった。だったら絨毯はどうだ?」
彼はひったくるように衣装やターバンを掴んで従業員部屋に戻る。
部屋の中が垣間見える。「アリババと40人の盗賊」の絵本にでも出てきそうな
長くてがっしりした宝箱みたいなのを開けて絨毯を取り出している。
2つ持ってきて広げる。
半ば怒りながら一通り説明をする。
「この部分は遊牧民の刺青を表している。刺青は今で言うパスポートみたいなもので
通行証の役割を果たしていた。そしてこれは・・・」
「いらない」
「なぜだ?遊牧民たちは旱魃に苦しんでいて食べ物を得ることが難しい。
君に見せたような服や絨毯を作って交換することで生活を成り立たせてるんだ。
君には彼らを援助しようという気はないのか?」
もっともな話だとは思う。
だけど目の前の絨毯は救いがたいぐらいに安っぽく、商品的価値があるとは思えない。
本当に遊牧民たちがこれらの品物を作っているのであって、
幼い女の子や年老いた女性が弱々しい手つきで
昼も夜も作っているところに出くわしたら僕は買うかお金をあげたくなったと思う。
だけどこの宿で上のような話をされても、100%信じる気にはなれない。
誰が作ったものなのかわからない。遊牧民に限らず誰か貧しい人たちなんだろうけど。
とにかく僕がいくら支払ったところで
彼がかなりの額をピンはねするのは目に見えていて、それはばかばかしいことだった。
彼の話は続く。大声になっている。
「君は要らなくても、君の母親や妹のために買っていこうという気はないのか?
この絨毯が代々受け継がれていって君の子孫たちによって日本で何百年も使われるんだ。
そして遊牧民たちは潤うことになる。何百年も使えるのだから安いもんだ」
「ノーサンキュー」と言って僕はその場を去る。
ほんとは「ファックユー」ぐらい言ってやりたかった。
余りのしつこさに殴りつけたくなった。
なんでてめえらそんながめついんだ?
日本人相手にいつもそんなことしてんのか?
こんなガラクタを多くの日本人は「旅の思い出」としてニコニコ買ってんのか?
いろんなことが腹立たしくなった。
ここはサハラ砂漠だというのに、悪しき観光商業主義に骨の髄まで毒されてる。
なんだか、ものすごく悲しい気持ちになる。
いったい誰が彼らをこんなふうにさせてしまったのか?
いつのまにか外は暗くなっていた。
もう1度屋上に上る。今度は誰も上ってこない。
日没のときが過ぎて昼間の光の最後のひとかけらが西の空に残っている。
完全に暗くなるまで僕は1人椅子に座って空を眺めた。
居間を通りがかる。先ほどの青年に「音楽は好きか?」と聞かれる。僕はうなずく。
「楽器の演奏はできるか?できるなら一緒に演奏しよう」と誘われるが、僕は「できない」と断る。
彼は「ダブルーカ」というモロッコの太鼓を叩き始める。
これに書いてくれと宿帳を差し出すので僕は名前を書く。
書き上げると立ち上がって部屋に戻る。ベッドに寝そべる。音楽が止まる。
先ほどの少年が食事だと言う。今度は民族衣装を着ている。
テーブルに1人座り、食事を始める。
アラビアパンとモロッコ風サラダ、羊の肉が入ったタジン(モロッコ風シチュー)。
飲み物は?と聞かれたので「水があるからいらない」と断る。
宿の人総出でベルベル人の音楽を演奏する。最後には料理人のおばさんまで加わる。
様々な形の様々な音の出るパーカッションをそれぞれの人が両手に持ち、踊るように叩く。歌う。
1曲終わるごとに僕はパラパラと拍手をする。
2曲演奏した。青年は「後でスペインの曲を演奏する」と言ったのであるが、
僕が彼らの前に出るのをためらったためか、演奏されることはなかった。
食べ終わるとまた屋上に上がり、星空を眺める。
少年が上がってくる。
「明日の朝早く夜明けを見るとき、ラクダに乗って行く気はないか」
僕は「ノー」と答える。「1人で歩いていく」
どうせ乗ったら乗ったで金を取られるんだと思う。
(先ほど飲み物を断ったのも同じ理由。「砂漠までジープで運ぶのが大変だ」とかそんな理由で
通常の2倍や3倍もの値段が平気でつけられるのではないかと僕は思った。
ケチと言われたらそれまでなんだけど)
なんだか侘しい気持ちになる。
砂漠の中まで歩いていって、星空を眺める。
残念なことに宿の明かりがあって、ここの宿だけではなく他の宿の明かりもあって、
完全に暗くはならない。
そのためか東京の何倍・何十倍もの星が見えるが、「零れ落ちてくる」というほどではない。
なんだか夜空がぼんやりしている。
それでも星空というのはいいものであって、砂漠の中に立って時間が経つのも忘れて眺め続ける。
星座に詳しいわけではないので「あれが見えたこれが見えた」って言えないんだけど、
そもそも僕ですら知ってるカシオペア座やオリオン座や北斗七星が判別できない(冬の星座だからか?)。
それぐらいに星の数が多い。
なんであんな書き割りみたいなのっぺりとした水色の平面だったものがこんな星空に変わるんだろ?
昔の人たち、ラクダに乗った商人たちであろうと船乗りであろうと、
星や星座というものに特別な何かを見出そうとした気持ちというのがよくわかる。
部屋に戻ってシャワー室でシャワーを浴びる。意外なことにちゃんとお湯が出る。
居間の方では宿の人たちが話をしている。笑い声が聞こえる。
僕は自分の部屋に戻る。スイッチを入れると電気がつく。
ランプの笠からオレンジ色の光が漏れる。この明かりで僕はノートPCに旅日記を打ち込んでいく。
ドアを閉じると物音は聞こえなくなる。開け放った窓から入り込む風の音だけとなる。
10時になると突然電気が消える。
そういえば宿の建物の近くに発電機を置いた部屋があって、夕方からずっとうなり声を立てていた。
一晩稼動させてても仕方ない。ま、しかたないかと思う。
明日は早起きするのだし、と早々とベッドの中へ。
完全に真っ暗になってしまったのでノートPCのモニタを明かり代わりにして荷物の整理を行う。
[1286] モロッコ(13)ラクダに乗って砂丘へ 2004-06-16 (Wed)【6月7日(月)夕方】
ジープからリュックサックを運んで中に入ると、壁際の台に現地人の少年が昼寝をしていた。
入り口を背にして右側が食事を取るためのスペース、その奥が調理場、
目の前が居間で膝の高さに板が張ってあって寝たり腰掛けたりする。
左側が従業員の部屋のようで、さらにその奥から客室がいくつか並んでいる。
現地人の少年が僕を部屋に案内する。
6畳ほどの広さ。1人用のベッドが1つと、2人用のベッドが1つ。
装飾品と言えるようなものはなく、中はとても質素。
ベッドの上の毛布はアラビア風というべきかベルベル風というべきもの。
(これまで泊まってきたホテルはどこもいわゆる西欧風の普通のホテルだった)
天井からはランプが吊り下げられている。
小さな窓が1つだけあって、網戸から弱々しく風が入ってくる。
廊下に出る。シャワーの替わりとなる鉄パイプが壁から伸びた洗面所が3つある。
トイレも2つある。トイレは案外清潔に保たれていて、日本人旅行者が多いことをうかがわせる。
建物の外へ。大きなテントがあって、片側が完全に開いている。床には絨毯がひかれている。
クッションがいくつか置かれていて、ここでお茶を飲むということか。
砂漠特有の背の低い木々が宿の周囲にちらほらと生えている。
灰色の犬が宿の中と外を自由に出入りしている。
雌の犬のようで、激しく吠え立てながら何匹かの子犬とじゃれあっていた。
少しばかり歩いて砂漠の中へ入っていく。
ブーツがオレンジ色の砂の中にめり込む。
風に吹かれてその表面がさらさらと流れていく。
あー、ついに来たんだなあと思う。
ちょっと離れたところにラクダが5・6頭固まってブラブラしている。
あのうちの1頭に乗ることになるのだろう。
宿の屋上へと上がる階段を見つける。上ってみる。
はるかかなたまで見渡せる。砂漠の入り口。遠くの方に同じような宿がいくつか建っている。
ものすごく遠くをジープが走っているのが見える。
部屋に戻ろうとすると先ほどの少年に会って、ラクダに乗る時間だと言う。
ペットボトルの水やデジカメ、ビデオカメラを用意してラクダのいる場所へ。
ベルベル人?の年老いた男性がラクダの側にいて、これに乗れと指差す。
背の部分に小さな絨毯が敷いてあって、僕はその上にまたがる。
ハンドルのような鉄の棒が括り付けられている。これにつかまってろということのようだ。
男がラクダに声をかけるとムクムクっと立ち上がる。まずは後ろ足、そして前足。
年老いた男にゆっくりと引っ張られてラクダが砂の上を歩き始める。
一歩踏み出すたびにグラグラと揺れる。ものすごく不安定な乗り物。
「スター・ウォーズ」のシリーズの中にこういうの出てきたよなあなんて思う。
トボトボトボトボと歩いていく。
今も昔もこの地域の人たちやアラビアの人たちは
ラクダに乗って毎日毎日変わることのない風景の中を旅してきたのか。
強い日差しの中を。わずかな食料と水だけを手にして。
何十年か何百年か何千年か砂が風に吹かれているうちに丘のようになり山のようになり、
今僕はその上をラクダに乗って上ったり下ったりしている。
思ったほど暑くはなく、もしかしたら30℃ないだろう。
ただ、風は強い。ものすごく、ってほどでもないが常に吹きつけてくる。
僕はたくさんの写真を撮り、ビデオカメラを回す。
いつのまにかかなり遠くまで来ている。
振り返ってみたら宿が見えなくなっていた。
年老いた男がラクダに声をかけるとラクダが立ち止まり、まずは前足、次に後ろ足とうずくまる。
砂丘の上の方を指差され、ピクチャーと言われる。
僕は砂の上を歩き出し、一歩ずつゆっくりと砂丘をよじ登る。
砂が固くなっている場所ならば楽なのだが、
柔らかくなっている場所に差し掛かると足がめり込んでバランスを崩しやすい。
やがて頂上に到達する。
空は完全に水色。砂はオレンジ色。目の前にはもうそれしかない。
笑っちゃうような光景。ほんと何もない。
僕は1つの砂丘の頂点を極めたわけであるがそれはもう単なる「1つ」でしかなく、
どこまでもどこまでも同じような砂丘が続いている。
向こうの方にはもっともっと高い砂丘が聳え立っている。
様々な形と大きさをした砂の固まり。どんなに大きくてもそれはただの砂でしかない。
これをなんと言うべきか?
巨大なるゼロと言うべきか。
質的にはゼロで量的には無限大と言うべきか。
途方もないのにその存在には何の意味もない。
圧倒されるとか唖然とするとかいう以前に考えることをやめたくなる。
なんだかいろんなことがばかばかしくなる。
この世界にポッカリと開いた大きな穴。大きな、大きな穴。
沈黙でもなく虚無でもなく。そこにはただ何もないだけ。
それでいて逆説的に、砂漠そのものには何の価値もなくても、
砂の一粒一粒には無限の意味がこめられているように感じられた。不思議なことに。
普通逆なんだろうけど。感想としては。
砂の一粒一粒には何の意味もなくて
それがより合わさって砂丘を、砂漠をなしているということに意味がある、というように。
でもなぜか僕としては逆だった。
掬い上げて手の平を零れ落ちていく無数の小さな砂とその欠片たち。
こんなことを考える。
この世に存在する物質それ自体には何の価値もない。
あらゆるものが等価で、等しく価値がない。絶対的な基準では。
価値というものはそれに触れる人が自らの基準によって決めるものなのだ。
僕にとってこの砂の一粒一粒に何がしかの意味があるように思われたのならば
そこには価値があるということになる。
他の人にとって価値がないのなら、ただそれまでのことだ。
当たり前といえば当たり前のことなんだけど、今、改めてそんなことを思った。
そういうことなんだよなーと。
砂漠で目に映る数々の物に限らず
日本に帰ったときに目にすることになる数々の物について。
周りの人たちから「価値がある」と囁かれているがゆえに
自分でも「価値がある」と思い込んでいるようなものはないか?
きっとたくさんあるのだろう。
しばらくの間砂丘の上で1人きり時間を過ごす。
ここから先には進むことができない。
そのことを残念に思う。
入り口に来てサハラ砂漠を垣間見ただけ。
ラクダに揺られて3日も4日も進んでいくならばもっともっと違うんだろうな。
思うことや考えることは。
会社員が1週間休みを取って体験できる砂漠って結局この程度か・・・。
甲子園球児ではないがペットボトルに砂を詰めて帰る。
砂丘を下りていくと年老いた男がデザート・ローズと
アンモナイトの化石を砂の上に広げて僕を待っている。
で、何かを言う。何を言ってるのかわからないが「これを買え」ということなのだろう。
これとこれとこれの組み合わせ、あるいはこれとこれとこれの組み合わせで
「100」と砂の上に指先で数字を書く。(アラビア風に0、0、1と右から書いていく)
こんなとこで物売りつけんなよ!と怒りたくもなるが、
デザート・ローズは欲しかったのでまあ 100Dh だし買ってもいいかと思う。
でもずるいよな。砂漠の真ん中で、下手したら向こうはラクダを連れて
さっさと帰って僕を置き去りにすることだってできるわけだから。
ま、こんなこともあるかと思う。(このときはそんなふうに特に深くは考えなかった)
なお、デザート・ローズとは砂が薄い破片のように固まり、
さらにそれが寄り集まることでバラの花のような形を成すに至ったものを指す。
ラクダに乗ってまたトボトボと砂の上を歩き、宿へと戻る。
宿の屋上でペットボトル片手に日没を眺める。
残念なことに砂漠とは反対方向の荒野。
それでも雄大な光景であることには変わらない。
[1285] モロッコ(12)砂漠の村メルズーカへのドライブ 2 2004-06-15 (Tue)【6月7日(月)昼 − 6月7日(月)夕方】
12時。ミデルトという町にて昼食。ホテルに車を停める。
イブラヒムさんは「後でまた」と言ってどこかに消える。
僕は広い部屋の中のいくつも並んだテーブルの1つで1人きり食事をする。
ホテルだけあって室内装飾の全てがモロッコっぽい。
アラビア風とアフリカ風とスペイン風が入り混じったような。
額にはモロッコの風景(山岳地帯の街並み:煉瓦造りの灰色の四角い家が立ち並ぶ)と
「ファンタジア」の1コマ(モロッコの祭り。戦いの再現を行う。馬に乗って銃を撃つ)。
出てきたのはオリーブの漬物。サラダ(トマトとオリーブとタマネギを煮込んだもの。
その上に輪切りのピーマンとスライスしたゆで卵。とてもおいしかった)と
チキンのグリル。香辛料で味付けしてあって黄色くなっている。
ポテトと、アーモンドのような固い豆が付け合せ。
モロッコビール「speciale」を飲みつつ食べる。
デザートはプリン。食後にコーヒー。
「speciale」とコーヒーはツアーの代金に含まれていなかったので自分で払う。35Dh だった。
1人きりのツアーだとこういうときに楽しくない。ポツンと1人食事をする。
食べ終わって車に乗り込む。ホテルの裏側に広場がある。
昨日ここで祭りが行われたのだという。
そう言えば町の入り口では横断幕がかけられていた。
町のあちこちにモロッコの国旗が飾られている。何の祭りかは聞き忘れた。
山道を行く。曲がりくねった道となる。
野生の山羊が山道を登っていく。
オレンジ色の岩肌にあちこちに若者たちによる落書き。訪れた記念なのだろう。
こういうのって全世界共通なんだな。
アトラス山脈の最も高いところを通過する。(1907m)
そのすぐ後にアトラス越え完了の地点へ。ここから「サハラ」ということになる。
メモを見ると13時13分と書かれていた。
遮断機のポールがまっすぐ上に伸びていた。国境沿いのように境界線を示している。
冬になったら雪で閉鎖されて横に倒されるのだろう。
サハラとなった途端、曇っていた空に隙間が見え出し、やがて青空となる。
陽射しが強くなって日焼け止めを腕と首と顔に目いっぱい塗る。
これからどれだけ暑くなるのかわからない。
ついさっきまで、山登りだった頃は寒くて僕は上にシャツを着ていた。
それがもう一気に車内の気温が上がる。
植物は小さくなり、草なのか木なのかマリモのように小さくまとまった固体となる。
完全に荒野。
岩をくりぬいて作ったような、岩と同化したような灰色の家が点在する。
山道を登っていくといきなり視界が開け、前方には湖が広がっていた。
イブラヒムさんが「音楽は好きか」と聞くので「大好きだ」と答えると
ベルベル人の音楽を聞こうじゃないかということになる。
カーステレオにカセットテープを差し込む。
(フロント部分は壊れているのか取り外されていて、このとき初めて取り付けられた)
低い音の弦楽器が爪弾かれ、80年代のリズムボックスのようなパーカッションが入る。
男性が朗々と歌い始め、一通り歌い終えると女性の声が入る。切々とした歌声。
何について歌われているのか、説明を求めなくても分かる。
イブラヒムさん曰く「We will miss you」
ベルベル人の歌の代表的な曲の入ったテープだったようで、
歌手や使われている楽器や曲調が曲によって異なる。
バックがシンセサイザーのもの、生音なんだけどアコーディオンが入るもの、
珍しく曲の途中で大きく転調するもの。
道路はズィズ川に沿ってウネウネと寄り添うようになる。
川の流れるところオアシスあり。
車は岩だらけの真っ赤な峡谷の高いところから見下ろすように走り、眼下では木々が青々と生い茂っている。
ナツメヤシ。ただし、ここは特に夏、日本人観光客にとっては過ごしやすい場所ではないようで、
それはなぜかと言うとここで取れる各種フルーツ
(イチジク・アプリコット・グレープ)に蚊の大群が群がるから。
果物ついでにストロベリーを日本語で何と言うかと聞かれて「イチゴ。イ・チ・ゴ」と教える。
イチゴも取れるということか。
大きくカーブしたところに車を停められるスペースがあって、写真を撮るにはいい場所だと車を降りる。
崖は城壁のような形でレンガが積み上げられ、そこからひょいと男の子が顔を突き出す。
手には人形のようなものを持ち、旅行者が訪れるたびに売ろうとするらしい。
他の場所で出会った多くの子供たちや大人たちのようにあまり熱心に売りつけようとはせず、
イブラヒムさんが何かを言うと「わかった」というような顔をする。
少年とイブラヒムさんはしばらく話し、イブラヒムさんは少年の頭をなでた。
さらに1時間か2時間か行って、また小さな村で休憩。
イブラヒムさんのおごりでミントティーを飲む。
どこで飲んでもそうだが、とにかく甘い。
日本人旅行者の中にははっきりと好きじゃないと言う人もいるようだ。
村の人相手の小さなカフェ。
テレビではインド映画みたいにコテコテのドラマをやっている。全編音楽と歌が鳴りっぱなし。
で、アラビア語。(登場人物の格好から察するに)
この辺の村々にも文明化の波は場当たり的に訪れていて、
昔ながらの古びた日干しレンガ造りの四角い家の屋根に
衛星放送のパラボラアンテナが取り付けられている。
村を遠く離れた場所から見るとどこの家にもパラボラアンテナがついていて
いっせいに同じ方向を向いている、どこに行ってもそんな光景に出くわす。
「アフリカ」と言われて普通の人が思い浮かべるようなイメージとは結構違う。
携帯電話も行き渡ってるし。もちろんテレビのアンテナもあり。
アンテナはたいがい古くてボロボロになっていて、なんかの民族的な飾りのように見えた。
メッカの方角を指し示すものと衛星放送のアンテナの方角と。
彼らの生活はこの2つの絶対的な方角によって規定されているようだ。
道路沿いには電線が張り巡らされ、鉄塔もあちこちに立っている。
モロッコに限らない話だろうが、モスクに必ず併設されているミナレットという正方形の細長い塔の役目は
その地域の宗教指導者がコーランを読み聞かせるための施設なのであるが、
そのてっぺんには必ずスピーカーがくくりつけられている。
時間が来るとモロッコの村だろうとドバイの大都市だろうと辺り一帯にコーランの詠唱が響き渡る。
その度に僕は「全然違う世界に来ているのだなあ」ととても不思議な気持ちになった。
イブラヒムさんはちょっと曲を聞いてはカセットテープを変える。
男性の歌手で1人ずば抜けてうまく、悲しみに満ちた印象的な声をしている人がいて、
イブラヒムさんも「この人がモロッコ全土で1番うまい」と言う。
ライブのテープだったようで、歌い終えると割れるような拍手。
イブラヒムさんは運転しながらリズムにあわせてハンドルを叩く。
僕も指でその辺を叩きながらリズムを取る。
走っている最中に赤茶けた砂が丘のようになっている場所が突然現れ、ドキッとする。
狭い範囲の小さな部分が砂漠の飛び地のようになっている。
「ついに来たか・・・」と少なからず感動する。
16時。「エルフード」の町に到着する。
アルジェリアとの国境に近く、砂漠の入り口の町だ。
(忘れないうちに書いておくが、アルジェリアは正常が不安定であるため、現在国境は封鎖されている。
カミュの小説の舞台となった場所として、いつかは訪れてみたいと思う)
ホテルで休憩する。奥の方にはプールがあって、フランス人が寝そべっているようなリゾートホテル。
ここで 4WD に乗り換える。
イブラヒムさんとはここでいったん別れて、別のドライバーと交代となる。
イブラヒムさんは町のどこかで一晩過ごすようだ。
ドライバーは大柄の、ほんと砂漠で生活してますという感じの男性で、余計なことは何も言おうとしない。
英語も僕以上に片言であったため会話してると
「ピクチャー?」「ピクチャー」「ストップ?」「ストップ」ぐらいになる。
これまではよく整備された国道(そういえば工事現場と雨で崩れた道以外はどこも快適だった)
をひたすらスムーズにぶっとばしてきたのだが、ここからは道はあってないようなもの。
何十年か前に試しに作られたものの、その後忘れられてデコボコと穴が開きまくっている、
そんな「道路」を走る。60km の制限を示す標識が立っている。
やがてそんな道路もなくなって完全に荒野の上を走る。(注:まだ砂漠ではない)
揺れる揺れる。タイヤの下ではじけた砂利が跳ね飛んで車体に当たって銃弾がぶつかったような音をたてる。
窓を開けるととんでもなく強い風が入り込んできて口を開けることができなくなる。
つむじ風が巻き起こると目も開けられない。
強い風が常にビュービューと吹きすさぶ。これほどまでに強かったとは思ってもみなかった。
僕の中での砂漠のイメージとしては、
全くの無風地帯で陽射しだけがじっとりと圧し掛かってるような場所というものだった。
空に雲はなく、四方八方が白っぽい荒野。向かう先に赤茶けた砂丘が広がっている。
地面には前に誰かがジープでここを通ったときの轍が無数に残されている。
遠くをバイクが1台走っている。バイク乗りならこういう場所を1人走るのって夢だろうな。
砂漠の真ん中にホテルがいくつか建っている。(恐らくエルフードの町からジープを借りて泊まりに行く)
野生のラバがヒョコヒョコと歩いている。
1時間ほど走って、レンガで造られた横長の砦のような宿に到着する。
目の前にはサハラ砂漠。赤茶けた砂丘が広がっている・・・。
・・・結論から言えば最悪だった。
砂漠が、じゃなくて宿が。
旅行会社のアンケートに恨みつらみを書きなぐって渡してきた。
さもしい話だが内容を控えておいたのでここにも同じものを載せることにする。
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イブラヒムさんを通じて○○さんにもお伝えしましたが、
サハラ砂漠で泊まった「○○○○」の従業員の青年が
ターバンや絨毯を買わせようとして非常にしつこかったです。
「遊牧民たちは旱魃で貧しい生活をしているというのに
あなたには助ける気持ちがないのか」としまいには怒り出しました。
言い分はもっともですが(とはいえ100%信用できない)
いくらハンドメイドだろうとちゃちなものはちゃちだしいらないものはいらないです。
俗世間を離れたくてはるばるサハラ砂漠まで来たというのに
興醒めというかはっきり言って不愉快でした。
その後とても気まずくなり、食事は夜・朝と食べたものの「テントで宿泊」なんてなかったし、
(これがあの宿の裏にあったテントもどきを指しているならそもそもインチキだと思う)
夜明けを見るというのも1人で起きて歩いて行きました。
(ラクダで行かないかと聞かれましたが、後でお金を取られそうで嫌でした)
こっちとしてはほっといてくれという感じだったし、
向こうの人たちからもほっとかれた感じでした。
帰りに遊牧民のテントに行くっていうのも、最初はお茶を飲むだけという感じだったのに
結局は化石だのデザートローズを売りたいがために
連れてきたのが透けて見えてやはりまた腹が立ちました。
ラクダに乗れば乗ったでまた、化石やデザートローズを売りつけられたし、最悪でした。
砂漠の入り口でボラれるだけの旅でした。
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[1284] モロッコ(11)砂漠の村メルズーカへのドライブ 1 2004-06-14 (Mon)【6月7日(月)朝 − 6月7日(月)昼】
6時に目を覚ます。テレビのリモコンを押すがつかない。画面は暗いまま。
7時になって下に下りていって朝食。
昨日のマラケシュのホテルよりも簡素なコンチネンタル・ブレックファストとなる。
何種類かのパンとオレンジジュースとホットミルクとコーヒーとスープ(「ハリラ」)
チェックアウトしてリュックサックを背負う。
8時30分になって昨晩のガイドと会う。イブラヒムさん。
会うなり「オハヨオゴザイマス」と挨拶される。
日本人相手のガイドが長いようで、日本語そのものは話せないが単語は割と知っている。
彼の車に乗り込む。
出発しようとしたらホテルの従業員が慌ててやってきて、
「昨日部屋のミニバーを使っただろう、払ってくれ」と言われる。
いくらか聞いたら「220Dh」で、高すぎる、と思うが仕方がない。
缶ビール2本とミネラルウォーターのペットボトル1本で2500円払うようなもの。
街中でビール買えなかったし、そもそも時間に余裕がなかったので
利用するしかなかったのであるが、こんな高くつくとは・・・。
とにかく出発。「キョウハナガイネ。ゴヒャクキロメタ」
アトラス山脈を越えて国内を半分突っ切って砂漠の入り口の町エルフードへ。
到着は16時頃の予定。1日ずっとドライブ。
なにげに車はベンツ。
フェズ市内を走る。中心部を離れても時速 50km の非常にゆっくりした運転。
安全のためというよりはあちこちに警官が立っているためのようだ。
フェズの町外れに差し掛かったとき、右手にゴルフコースがあるのを教えられる。
モロッコ人はゴルフをするのかと聞いたら「金持ちだけ」と言われる。
アフリカの小麦色の平原からすれば異質な、緑色の芝生が広がっている。
アトラス山脈をひたすら登っていく。
町を抜けた途端 100km - 120km とスピードを出す。
最初の町「イムザ」を通り過ぎる。標高 116m 。まだまだ序の口。
昔はただの山だったのが、リゾート地として町を作った。
今ではフランス人を初めヨーロッパ人が多く訪れる。
そう言われると街並みはどことなくヨーロッパ的な要素が
フェズやマラケシュよりも強いように感じられる。
そもそも西欧人に合わせて作られたというような。
それでもまだモロッコ的、アフリカ的な雰囲気が色濃く残っている。
さらに上っていく。上っていくにつれサバンナっぽい雰囲気が薄れていく。
「山間部」的風景となる。ゴツゴツとした岩肌が露出し、草は緑色をしているものの背丈が低くなる。
羊や山羊の放牧をしているのをよく見かける。長い棒を持った少年が羊を追う。
ジャンパーを着た青年が羊を横断させる。
(列車に乗っているときは牛の放牧を見かけることが多かった)
ほら、と指差され「リンゴの木」だと。確かにリンゴの木。
赤い花(ポピー)や黄色い花が咲いている。
紫色の、ラベンダーのような花も時々咲いている。
空一面曇っている。灰色の雲が厚く積み重なっている。
アトラス山脈は標高がそれなりにあるため(1900m)、曇りがちなのだという。
学園都市のような場所に差し掛かる。「International University」と説明される。
林の中。杉っぽい。道路沿いには家や店は一切ないものの、丘の上にはきれいな建物がポツポツと立っている。
守衛の立っている門がいくつかあった。学生たちや教授たちはそこをくぐりぬけて上っていくのだろう。
僕らが通りがかった時には特に学生たちの姿は見えなかった。
ここは世界の各地の留学生を受け入れている。
なぜこんな山の上なのか聞いてみたら「リゾートだから」とのことだった。スイスのようなイメージ。
門の側にライオンの彫像が飾られていた。
モロッコの各地にこのようなライオンの像が見つかるとイブラヒムさんは言う。
林の外れに「スキー・ステーション」がある。
アトラス山脈は12・1・2月は雪で覆われる。
「アフリカ」のイメージとは程遠い。モロッコってほんとリゾートの国なんだなと思う。
牧草地へ。遊牧民たちの円形のテントらしきものが2つ並んでいるのに時々出くわす。
また別な場所では巨大なサボテンのような木が生えていたりする。
またある場所ではアリゾナのように土が赤くなる(アリゾナに行ったことはないがそういうイメージがある)。
小さな村にて警官に車を止められ、トランクを開けさせられる。
「どうせたいしたことじゃないだろう」と僕は助手席に座って待っている。
実際たいしたことにはならなかった。
ヒッチハイクしようと腕を伸ばし親指を突き上げる人たちの姿を頻繁に見かける。
どこから来てどこに行くのか。
周りに何もないとんでもない場所で待っている人たちもいて
彼ら/彼女たちはここで何の用があったのだろうと不思議に思う。
女性たちは例の黒い衣装を着ていて、顔を覆っている。
男性と一緒ならば男性が呼び止めるため女性は座ってじっとしている。
女性だけの集団ならばその中で最も若い女性が手を伸ばす。
イブラヒムさんは運転しながら携帯をかけたり、かかってきたのを取ったりしている。
アトラス山脈の上の方であろうと平気でかかってくる。
全国各地で繋がるとは聞いていたが、ここまで繋がるとは。
その後フェズのメディナの中やカサブランカの市場でも
使い古しっぽい携帯が安く売られているのを見かけた。
今ではちょっと人ならば誰でも持っているもの。
かなりの普及率なのではないか。
イブラヒムさんは恐らく旅行会社のいろんな人たちと情報を交換したり確認したりしていたのだと思う。
頻繁に「ワッハ」と言うので後で調べてみたら「オーケー」の意味だった。
小さな村に到着する。恐らく「地球の歩き方」には載っていない。
(もしかしたら「アズルー」かもしれない)
ここで休憩ということになって村の小さな通りを端から端まで往復してみる。
村は小さいもののたくさんの人がいて活気があった。
軍隊のバスが何台も停車していて、モロッコの軍隊の若者たちが大勢村を歩いていた。
ビデオカメラを向けても何も言われない。嫌がられない。軍隊の若者たちであっても。
心が広いのかあるいは無頓着なのか。
カフェ、肉や野菜や果物を売る店、日用品を売る店、電化製品を売る店。
中心部にある店はわかりやすいが、端の方に行って曲がってさらに小さな通りに入ると
何の店なのかさっぱりわからなくなる。
その店の看板(アラビア語)があって「Tide」だの「Knoll」だの「Nescafe」だのステッカーが貼られていて。
で、その店らしきものは閉じられているか、ドアを開けなければなんなのかわからないようになっている。
建物の寄り集まった裏に路地裏のような場所を見つける。
新宿で言えばゴールデン街的な裏寂れた侘しさが漂う。
日本人の旅行者ごときが足を踏み入れてはいけなさそうな気配を察知する。
子供たちはおとなしくスカーフを巻いた母親と一緒にとぼとぼと歩いているか、
想像上のおもちゃを手に元気いっぱいに走り回っている。
カフェの1つでトイレに入る。
この村に限らずどこに行ってもそうだが、トイレはきれいではない。列車の1等車であっても。
日本人が訪れるような場所(観光客向けに誰かに書いてもらった「お手洗い」と貼り紙がしてあったりする)は
それなりにきれいで洋式で水も流れたりするが、
地元の人だけが使うのを想定したと思われるトイレではそもそも日本人の感覚からしてどう使っていいかわからない。
単なる穴のようなもの。
そういえば1等車のトイレにて用を足して、足元の「これだろう」と思われるものを踏むと
便器の底が空いて地面が見え、全てが勢いよく外に流れていった。
ドライブ再開。
しばらくの間荒野のような場所を走る。
あるところまで行くとバスやトラックが列をなして停まっている個所に差し掛かる。
一本道をどこまでもどこまでも先の方まで延々と続いている。僕らの車もスピードを落とし、やがて停車する。
アクシデントかもしれないとイブラヒムさんが言う。
何が起こったのか聞いても「分からない」とお手上げな様子。
窓を開けて辺りを歩いている男性に聞いてみても「さあ」と肩をすくめられるだけ。
「こっちが聞きたいぐらいだ」って感じで。
商人?たちや旅行者たちが手持ち無沙汰にうろうろしている。
後ろから来ていた僕らの車と同じような普通の乗用車が
トラックとバスの列の脇を擦りぬけて先へ先へと進んでいくのを見て、僕らも同じように先へと進んだ。
先頭のところでは軍隊の人間と警察官とが立っていて、暇そうにしていた。
混乱が起きないように見張っている。
どうもこの辺りは工事現場のようで、通常の道路が遮られていて横に仮の砂利道が作られていた。
特に通行止めではないようなので、そっちの方の道をゆっくりと走る。
デコボコした道を突き進むとやがて谷のような場所へと下っていって、底の部分は川のように泥水が溢れていた。
そろそろと車が茶色い水の中に入り込む。
イブラヒムさんは「昨日雨が降ったせいだな」と言う。
つまり雨が降って工事現場の仮の道が崩れてしまったのだということ。
[1283] モロッコ(10)列車に乗ってフェズへ 2 2004-06-13 (Sun)【6月6日(日)夕方 − 6月6日(日)夜】
マラケシュからフェズまで実に7時間かかる。13時16分→20時30分の予定。
今日の残りの時間は移動だけで終わり。
1等車の僕が乗ったコンパートメントには他にモロッコ人?の男性とフランス人学生の若いカップル、
同じくフランス人と思われる30代っぽいセクシーな女性と10代のさらにセクシーな女性とが乗っていた。
フランス人カップルの間には特に会話はなくそれぞれがたわいのなさそうな雑誌や新聞を読んでいた。
どこかの駅でモロッコ人が降りるとそれまで向かい合わせに座っていたのが
女子学生の方が男子学生の隣の席に移ってきて、ごく自然に体を持たせ掛けた。
男子学生はその肩に手を回した。
2人は何も言わず、雑誌を読み続けた。
時々何かしら文章の切れ端のようなものをどちらかが声に出すと2人は見詰め合って、
「ンー、チュッチュッチュッ」と唇を合わせた。
フランス人女性2人は単なる観光客なのかなんなのか
キャッキャキャッキャと絶えずけたたましくお喋りを続け、
アラビア語の歌を互いに歌って聞かせては(ものすごくうまかった)大声で笑った。
右手の甲はヘンナで模様が描かれている。
向かい合わせに座っていて足を伸ばし、お互いの足に絡ませる。
彼女たちはいったいなんなのだろう?と不思議に思う。
彼女たちはやがて眠り出す。足を絡ませたままで。
それがドアの前の席だったのでドアを開けることができなくなる。
またぐのがためらわれる。またいで足に触れようものならなにがどうなることやら見当もつかない。
携帯にかけたりかかってきたりするとまたにぎやかに話し始める。
(モロッコ人だろうとフランス人だろうと列車の中で盛んに携帯で話している。
後日聞いたところではモロッコ全土で携帯が使えるとのこと。
フランス人はどこにいる誰と話しているのだろうといつもものすごく気になった。
もしかしてフランスと繋がる?)
彼と彼女たちはカサブランカでみな降りていった。
カサブランカから乗ってきたのはモロッコ人の親子。
パパ・ママ・小さな息子2人、娘1人。
首都ラバトですぐ下りていく。
特に会話したわけではないが、パパと僕は「グッバイ」と交わした。
親子5人でファーストクラスに乗っているのだから、かなり裕福な家庭なのだろう。
平原。レンガで四角く枠組みを作って屋根をひょいと乗せたような建物が時々目の前を通り過ぎる。
空は青空ではなく一面薄曇り。
海辺を走る。町に入っていく。かと思うとすぐまた田舎になって気がつくと目の前には峡谷。サバンナ。
そう言えば首都ラバト付近では大きなスタジアムを見かけた。
カサブランカ付近の町外れではあばら家が寄せ集まっている地区があった。
ここだけではなくて結構いろんなところで見かけた。
勝手にゴミを投げ捨てて誰も片付けようとしない、そんなゴミ捨て場も散見された。
ただ乗りをしているのか空いている席を見つけるとひょいと座ってまた少しすると去っていく、
そんな若者たちがいるようだ。2等席で買って1等席の車両に何食わぬ顔をして入っていくってことか。
日本でもよくある話。自由席で買って、指定席の空いているところに座り込む。
そういえば座席のカバーにはこんな文章が書かれている。
「Notre Ambition, Votre Satisfaction」
フランスの格言なのだろうか。
ラバトで乗り込んできたのはモロッコ人ばかり4人。そのうちの2人は父と娘のようだった。
娘は僕の隣に座って、英語の本を読んでいた。最初はどこかの国の学生が旅行に来てるのかと思った。
駅に着く度に少しずつ乗客が入れ替わる。
一眠りして目を覚ますとかなり近代的な都市に到着している。
「メクネス」古都として有名。世界遺産にもなっている。
ここで野球帽をかぶった若い男性が乗り込んできた。
僕は窓の外の景色を眺めていた。20時近くで既に空は暗くなり始めている。
突然、「ニホンジンデスカ?」と話し掛けられる。日本語で。
そこからずっと彼と話をする。
彼は日本に住んでいたことがあり、「ガバ」と「ジオス」で英語の先生をしていたのだという。
日本は心の温かい人が多く優しく接してもらったため、日本人にはとても好意をもっている。
どこに住んでたんですか?
「ファーストタイム、チバ。ソレカラ、ニシコクブンジ。ナウ、イナゲ」
思いっきりローカルな話。思わず笑ってしまう。
そして「そうかあ。日本で見かける外国人の中にはモロッコの人もいたりするんだなあ」と考える。
恋人は日本人で35歳。今彼は29歳(僕と同じ年だ)
結婚が決まっていて、今彼女はモロッコの彼の家を訪れている。
彼の家はフェズの1個手前の駅にある。
また日本に戻るのかと聞いたら「日本は物価が高いのでアメリカで働く」そう言って彼は肩をすくめた。
「どんなふうに知り合ったんですか?」
オーハズカシイと前置きした上で彼は小声で言う。「ナンパ」
ワタシカラカノジョニコエヲカケマシタ。
カノジョハエイゴハナセナイトイッタノデ、ダイジョウブワタシニホンゴスコシハナセルトイイマシタ。
そんなこんなで話は続き、彼は「モロッコで日本人を見たのは初めてだ、是非とも家に来ないか」と僕を誘う。
「ワタシノファミリートショクジヲドウデスカ?」
どんなガイドブックを読んでも片言の日本語を話す怪しげな自称ガイドに注意と書いてある。
家にホイホイ着いていったら後で多額のお金を要求された、というような。
・・・いくらなんでも彼はその「怪しげなガイド」ではないだろうと思う。
あれだけ日本語が話せて、今行けば日本人のフィアンセにも会えるって言うし。
せっかくの機会だから行ってみたいなあ!
だけど僕はツアーで旅している身。次のスケジュールが決まっていてそこから離れるわけにはいかない。
ホテルの予約もアレンジされている。
しかも明日はサハラ砂漠に行くという日。
残念だけど、と僕は事情を説明する。彼もまたがっかりする。
その後は僕のツアースケジュールの話となる。
全部で6日間しかないのにマラケシュ→フェズ→サハラ→フェズ→カサブランカと回ると説明したら
「オー!」と彼は嘆く。そんな過密スケジュールありえない、みたいなことを英語で言われる。
どの都市も1日しかいなくてしかも列車の移動ばかり。
そんなのもったいないしとても疲れると。もっともな話。何を言っても目を丸くされる。
サハラはどこに?と聞かれて「メルズーカ」と答えると、
「フェズカラメルズーカ?マラケシュデハナクテ?」とこの日1番に驚かれる。
どうも僕は前日京都にいて明日福岡に行こうとしてるのに
今日いったん東京に戻るというようなことをしているらしい。
かなり無謀。僕が決めた日程じゃないけど。
(ちなみに彼はマラケシュはこれまで行ったことがないとのこと。
僕が京都行ったことがないってのと一緒か)
そんでツアーはいくらしましたか?と聞かれて35万と答えるとまたしても「オー!」
高すぎる。彼が今回モロッコに来るのに支払った航空券代は11万。
あと10万もあれば国内を十分見て回れる。
はあ、そうか・・・。
最後に、どうでもいいことだが、僕の仕事は何かと聞かれて「コンピューター」と答えると
すかさず「アイビーエム?」と聞かれた。
「ワタシノカノジョノムカシノカレシハアイビーエムデハタライテイマシタ」
あと、彼の助言として、モロッコ流のお金の持ち運び方は
硬貨はジーパンのポケットに、紙幣は財布に、なのだそうだ。
(彼もまた無賃乗車?を企てようとしていて、車掌に見つかってお金を支払った)
彼はこれまでの話どおり、フェズの1つ手前の駅で降りていった。
モロッコ人親子と3人だけになる。
僕らの話を聞いていたのか、父親が片言の英語で話し掛けてきた。
ラバトで働いている、ケミカル関係の仕事についていると彼は自己紹介をする。
僕のツアーの日程の説明をすると彼もまた「ありえん」と首を振る。
娘の方からマラケシュの印象を聞かれてうまく言葉が見つからず、
すごい悩んだ挙句僕は「ストレンジ」とだけ答える。
「どうストレンジなの?」と聞かれて、返答につまる。
東京はどんなところかという話に移って、
親娘そろって人口が過密で環境のよくない場所という印象を持っていると語る。
娘の方は割と流暢に話すが、父親と僕はかなり片言。
英語は何年勉強したかという話題になって、父親は指を4本突き出して自分は4年間だと語る。
僕は「・・・10年」と正直に言う。10年?と驚かれる。
10年勉強したのに話せない・聞けないと言うと
「じゃあ書けるのか?」と父親は紙にペンを走らせるジェスチャー。
「・・・書くこともできない」と僕は小声で。
終点フェズが近付いて、サハラの話に戻る。父親はこんなことを言う。
「It's very hot, but ... typical, beautiful . There ... life is hard ...」
駅で降りて歩き出すとまたしても「ニホンジンデスカ!?」と背後から声を掛けられる。
僕と同い年っぽいさらに別な青年が僕に追いついて日本語で話し出す。
ガイドの仕事をしていて明日は砂漠に案内しに行く。
歩きながらアルバムを見せてくれる。これまでに会った旅行者の写真で分厚くなっている。
僕もまた明日砂漠に行くと言うと一緒に行くか?と誘われる。
ノーノーと断る。断ると彼はさっさと消えてしまった。
改札を出ると旅行会社の係員が50歳くらいの頑強そうなおじさん。
僕の名前をローマ字で書かれた紙を持って立っている。
3回目ともなると「ナイストューミーチュー」も「ハウアーユー」に対する返答もかなりこなれてくる。
リュックサックを積んで車に乗り込む。
彼は最初にこんなことを質問してきた。
「マラケシュでドライバーとトラブルがあったのか?」
「?」と思う。
「ドライバーはホテルで君を待っていたが、現れなかった」
あー、そのことか!
あれって僕が1人で駅に行くのではなくて、迎えに来ることになっていたのか。
その可能性もあるにはあったが、違っていた場合
直前までホテルで待ってて駅に辿り着けなかったら目も当てられない。
僕は「1人で歩いて駅まで行った」と状況を説明する。
「ノープロブレム?」
「ノープロブレム」
「オーケー」
ホテルに着くとめんどくさい宿泊カードを彼は全て書いてくれる。
(前の晩マラケシュではドライバーがさっさと帰ってしまったので自分で書いた)
名前や国籍に始まり前の滞在先や次の滞在先、住所、パスポートナンバーなどなど。
「それでは明日8時30分にここで会おう」
そういうふうに決まって彼は去っていく。
この時点で21時近く。
どこかに行こうと思えば行けなくもない。
だけど困ったことにホテルは旧市街(メディナ)とも新市街とも離れていて歩くには遠すぎる。
そもそも腹が減って仕方がないのに、周りには観光客向けの店は何もない。
ホテルのレストランも高そうだ。
結局来る途中にすぐ近くで見かけたマクドナルドに行くことに。
モロッコまで来て昼も夜もマック。
さすがにハンバーガーは嫌だったのでナゲットを。
セットじゃなくナゲットのみで 26Dh となる。
英語の伝わらない店員で、持ち帰りで食べたいというのを伝えるのに無茶苦茶苦労する。
ただでさえ混んでいてカウンターの中はてんてこ舞い。
紙袋に入れてくれ?と伝えたつもりなのにケチャップのパックを1つ掴んで「これ?」と聞く。
ここのマクドナルドは店舗の横に子供用の遊び場として
おもちゃの家みたいなのが建っていて、中で子供たちが遊んでいた。
ホテルに戻ってナゲットをバーベキューソースにチビチビつけて食べながら
冷蔵庫に入っていたハイネケンと「speciale」という銘柄のモロッコビールを飲む。
今日もまた疲れる1日だったのでビールがうまかった。
疲れていたので浴槽の中で寝てしまう。
[1282] モロッコ(9)列車に乗ってフェズへ 1 2004-06-12 (Sat)【6月6日(日)昼 − 6月6日(日)夕方】
どこかで昼を食べておこうと思い、マクドナルドに入ってみる。
もっと地元の人っぽい店に入った方がいいんだろうけど
駅が見つかってなくて焦っていたので、
オーダーしてから食べ終わるまで時間の読める場所で食べたかった。
マックなら注文の仕方も食べ方もわからないなんてことなさそうだし。落ち着ける。
入り口に従業員が立っていて出入りする客のためにドアを開ける。ノリはホテルと一緒か。
中の作りは一緒。テーブルがあってカウンターがあって、トレイを片付ける場所があって。
強いて言えばメニューがアラビア語で書かれているぐらいか。違いは。
旅行者もいれば地元の人たちもいる。一家で食事している人たちもいた。
マクドナルドのこういう光景って全世界共通なのだろう。
僕はビッグマックのバリューセットを指差す。39Dh なので日本と変わらない値段か。
(後日ガイドに聞いてみるとモロッコ人にとってはまだまだ高い価格だという)
リュックサックを下ろして運ばれてきたビッグマックを食べてみる。
「日本のと味を比べてみようじゃないか」なんて最初は思っていたのであるが
よくよく考えると日本のがどういう味だったのかよく覚えていない。
世界各地で味が少しずつアレンジされているらしいが、モロッコ風ってどんななんだろう。
食べてみても普通にビッグマック。「んー?」という感じ。
レタスがあんまり新鮮じゃないなあぐらいしか思うことはなかった。
ポテトはさらに違いが分からず。コカ・コーラに至っては全く同じ?
店内にローラーブレードを履いた子供が入ってきて驚く。お金持ちの子供か。
マックを出て駅探しを再開。
今度はだいたいの目星がついている。
ハーシィ庭園というとてもきれいな庭園の側を通る。
生い茂る熱帯の木々。きれいに刈り込まれた芝生。子供たち。
この世の楽園のようにも思えるが、駅を見つけることが最優先であるため中に入るのはやめておく。
その隣には宮殿のように立派な建物が建っていて、正面に回りこむと国立劇場と書かれていた。
交差点を渡る。キョロキョロしているとトラックに乗った人が「あっちあっち」と指差す。
方角的に合っているらしい。
そのまま歩いていると「ibis」というホテルが見つかる。
地図を見ると駅前に位置しているので目印になる。
ようやく「ああ、見つけることができた」とほっとする。
(このホテルはカサブランカでも駅前にあった。恐らくフェズでもそうだろう)
一応1時間前に到着。
さっきの庭園に戻るというのもありだったが、何が起きるかわからないので駅からは出ないことにする。
することもなく売店で絵葉書のラックをクルクルと回転させて、いいのがないか探す。
1枚 4Dh のようなので切りよく5枚買うことにする。財布の中に 20Dh 紙幣があることを思い出す。
駅舎の中はベンチが全て埋まっていたのでホームに出て外のベンチに座ろうとする。
ここでトラブルが起こる。
改札の人に乗車券を見せると目を丸くされる。
ドア付近には4・5人駅の人がいて世間話をしていた。
その中で1人だけ椅子に座っている人がいて、身なりから察するに偉い人のようだった。
改札係は彼にスーパーのレシートに似たチケットを見せる。
お偉いさんは僕に「ヘイ、今何時だ?」と聞く。
「?」と思った僕は腕時計の文字盤を見せる。
ノーノーノーノーと首を振り、続けてどこから来たのか?と聞く。
日本からだ、と僕は答える。旅行者か?そうだ旅行者だ。
フランス語は話せるか?ノー。スペイン語は話せるか?ノー。アラビア語は話せるか?ノー。
××語は話せるか?(4つ目以後何を指しているのか不明。5つか6つは聞かれた)
お互い意思の疎通を図ることができず。
よくわからないので僕は「今からフェズに行くことになっている、これが乗車券だ」とゆっくり英語で言う。
残り2枚のチケット、昨日使ったのや9日に使うのもとりあえず見せてみる。みんなで3枚を見比べる。
でもダメなものはダメという雰囲気が漂う。
お偉いさんはチケットの日付のところを指差す。
よく見ると「16/06/2004」となっている。今日は6月6日。
昨日旅行会社の係員からもらったチケットは日にちが10日ずれていた。
パニックに襲われる。いったいどうしたらいい?
お偉いさんは椅子から立ち上がり、ついて来いと身振りで示す。
ホームの端にあった駅長室のような部屋に行く。
誰もいない。
おい困ったなあという顔をして今度は改札をくぐって駅舎へ。
乗車券売り場のところに行って
「おい、いいかげんな仕事しやがって」みたいなことを怒鳴る(あくまで推測)。
「16/06/2004」の部分を指で何回もつつく。
ガラスの向こうの売り場の係はチケットを受け取って眉をひそめる。
隅から隅まで眺めると彼はお偉いさんにチケット上部の文字を指し示す。
「おお、そうか」とお偉いさんは納得する。
チケットを僕に返して曰く、「旅行会社で買ったんだから旅行会社で変えてもらえ」
「!?」と僕は思う。
要するにここの誰かの手違いではないのだから、彼らにはどうすることもできないのだということ。
「じゃあ旅行会社はどこか?」と聞くと「歩いて5分、近くだ」と言われる。
それを最後にお偉いさんは僕の元を離れた。
あと、45分もない。
この旅を手配した旅行会社に電話してみる?
それとも彼の言う「旅行会社」を探してみる?
そもそも電話の掛け方がわからない。
公衆電話はたくさん並んでいるのだが、そもそも硬貨は何を使えばいい?
9桁の電話番号のボタンを押せば必ずそこに繋がる?
市外にかけるときには先頭に0をつけろとかそういうことってないだろうか?
歩いて5分なら必ずあるはずだ。僕はそっちに賭けてみる。
外に出て通りに出る。どっちの方角を見ても見渡す限りそれらしきものは見当たらない。
そもそもそこに「旅行会社」があったとして、そこのカウンターにいた人にいったい何を伝える?
うまく何かしら伝えられたところで「うちで買ったものじゃない」の一言で終わりかもしれない。
「冷静になれ、考えろ」と思う。
・・・答えは簡単で、僕は駅に引き返すと乗車券売り場で新しいチケットを買った。
「16/06/2004」のチケットを見せて「これと同じやつを。ただし日付は今日ので」
また来たかと不信がられるので、「交換じゃない。新しいのを買いたい」と伝える。
わかったと頷いてガラスの向こうの男性は何やらキーを叩いてチケットを印刷してくれた。
僕は紙幣を取り出した。254Dh となる。300Dh 分を渡すとお釣と新しいチケットが返ってきた。
これでいい。改札係のところに持っていって例のお偉いさんのところに「買い直した」と伝える。
お偉いさんは肩をすくめる。改札係はパチンと鋏を入れて「行け」と僕にチケットを戻す。
乗り場はどこだと聞くと線路を渡って向かいの「B」を指してナンバートゥーと言う。
出発はいつだ?と聞くともう1度「行け」と言われる。
とにかく僕は言われるがまま線路を渡った。
気がつくと僕の心臓はドックンドックンと強く波打っていて、
ホームの端の地面に腰を下ろすと汗がだらーっと出てきた。
これまで何カ国か訪れたことがあるが、自分1人で乗車券を買って移動するのはこれが初めてだったりする。
しかも長距離の。
(中国で観光用のフェリーとか観光用のモノレールには乗ったことはあったが、庶民の足は初めて)
1度深く深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
まだ安心できない。これで全てうまくいったわけではない、と思う。
僕の英語がちっとも伝わってなくて、僕はもしかしたら違う時間のを買っていたのかもしれなかった。
乗車券には出発時刻は書いていない。列車の番号は記載されているので
駅舎の中のどこかを見れば何時に出発して何時に到着なのかわかるのだろうが、僕には無理。
もしかしたら乗り場さえ間違っているかもしれない。
僕は僕が本来乗るべきだった列車に乗って、フェズに到着したら向こうの係員と接触しなくてはならない。
時間が早かったり遅かったりしたらいったいどうなるのだろう?
30分前。ホームに列車が入ってきて、旅行者たちがいっせいに乗り込む。これなのだろうか?
マラケシュが始発だから早く来ているのか?
(カサブランカでは時間通りに列車が現れて乗客を乗せると5分もしないうちに走り出した)
もし列車の間隔が30分に1本の割合だったら?
車掌と思われる制服を着た人にチケットを見せて「この列車で合ってるか?」と聞くと
「これだ」と答えが返ってくる。サンキューと呟いて列車に乗り込んで席に座る。
それでもまだ安心できない。
30分後、時刻表通りに列車が動き出して検察係にチケットを見せて鋏を入れてもらうまで、
僕はずっとビクビクしたままだった。
1時間後ようやく気持ちが落ち着いてくる。
自力で切符を買うなんてバックパッカーっぽくなってきたなと思う。
[1281] モロッコ(8)マラケシュで馬車に乗る、新市街を歩く 2004-06-11 (Fri)【6月6日(日)朝 − 6月6日(日)昼】
現地時間23時に寝て5時には目が覚める。テレビをつける。
前の晩はサッカーの試合を見ていた。
朝はとりあえずニュース。だけど何が話題となっているのかさっぱりわからない。
1階に下りていってレストランで朝食。コンチネンタル・ブレックファスト。
バイキング形式で選べるようにはなっているもののパンばかり。
肉・魚・野菜はなし。かろうじてスクランブルエッグとオレンジのみ。
飲み物は紅茶・コーヒー・ホットミルク・オレンジジュース・ミントティー。
各種揃ってるのに水はなし。不思議なものだ。
バターやジャムやシリアルは充実している。
ああ、コンチネンタル・ブレックファストってこういうものなんだなあということを知る。
モロッコならではのものとしては「ハリラ」というどろっとしたスープぐらいか。
ひよこ豆が入っている。タマネギやその他いろんな野菜を原型がなくなるまで煮込んだもの。
朝食をレストランで食べてみて初めて、レストランの横にプールがあることを知る。
あーここは高級ホテルだったのか。
旅程表を見ると、この日だけ「係員に会って駅に送ってもらう」と書いていない。
書き間違えなのか何なのか。
駅からホテルまで車で5分もかからなかったし、1人で移動してくれということなのか。
昨日送ってもらった係員は僕が英語をほとんど話せないと分かると
入り口まで送って「Hotel.Goodbye」しか言わなかったもんな。
フェズ行きの列車は13時16分発。
9時にチェックアウトして午前中は1人でブラブラして駅を探すことにする。
ばかでかいリュックを背負ってホテルの外に出る。
(上に着ていたネルシャツをクローゼットに忘れたことに気付いて1度戻る)
門のところに立っていたホテルの従業員が車用のバーを上げて僕を通してくれる。
「ニポンジン?」と聞かれて「ニポンジン」と僕は答える。
彼は喜んで「xxxxx」を知っているかと聞いてくる。
(今となっては思い出せない。ザ行で始まって「・・・マン」だったような気がする)
「What is xxxxx ?」と聞くと日本の「あーアニメ、いや、あー映画」との答えが。
「ほんとに知らないのか?」「知らない」肩をすくめる。
彼は残念そうにして「グッバイ」と言う。僕も「グッバイ」と返す。
モロッコで人気の日本のキャラクターなのか。
午前中をいかに過ごすか。
「マジョレル庭園」という1920年代にフランスの画家が造園して
その後イブ・サンローランが買い取ったというエキゾチックな庭園に行きたかったのだが、
併設のイスラム美術館が日曜は休みだというので諦める。
となると、昨日見た馬車「クチ」に乗ってみるというのが1番面白そう。
ホテルの外を出て歩いているとさっそく1台見つけることができたので乗ってみる。
普通は馬が2台なのに僕が乗ったのは1台。
御者のランクによるのだろうか?なんて思う。
「町を1周。ハウマッチ?」と聞くと 200Dh らしい。1時間か1時間半のコースを選べるようだ。
1時間半となるともっと高くなるのだろう。
オーケーと言うと僕は荷台へ。
御者が前の方を指差して何か言うので、???としていると
どうも御者台の隣に乗れるのだということが分かる。
喜んで御者台に上る。荷物を足元に置く。走り出す。馬に鞭をくれる。ポクポクポクと歩き出す。
やっぱこっちの方が「乗ってる」という感じがしていい。
マラケシュの町を1周する。
御者が自己紹介をする。名前は「ワジン」という。僕も自分の名前を告げる。
日本人だと言うと先ほどのホテルマン同様「xxxxx」と言われる。でもやっぱなんのことかわからない。
人懐こい彼は町のあれこれを指差して片言の英語で説明をする。
もっともホテルばかりだったが・・・。
町のあちこちに同業者が客待ちをしていて、そういうところに差し掛かるたびに彼は冷やかされる。
御者じゃなくても町を行く人であったり、タクシーの運転手だったり。
観光業界にて仕事していて町をあちこち移動していると必然的に顔が広くなるということか。
南の方に行くとフットボール場があって子供たちがサッカーをしていた。
その脇の原っぱではラクダが何頭か暇そうに突っ立っていた。
門をくぐって城壁の中へ入っていく。
ビデオカメラを持っている僕は「モスクは撮ってはいけない」と言われる。
通り過ぎてさらに奥へ奥へ馬車のまま入り込んでいく。
内側の城壁を指差すので見てみるとハゲタカ?が巣を作っている。
いくつか店が並んでいる通りで下ろされる。
店の1つを指差して、「入ってみろ」ということらしい。
中にいた誰かに大声で声をかける。
入ってみる。中は香辛料と染料の店らしかった。
あらゆる壁が一定の間隔で仕切られ、瓶のような形の広口の瓶の中には
木の根っこのようなものだったり色鮮やかな乾燥した葉っぱのようなもの、様々に入っていた。
店の中はちょうどフランスかどこからか来た団体客でいっぱいで、
店員はあれを出したりこれを包んだりその応対にかかりきりだった。
僕は相手にされず(何も買う気はないからその方がありがたい)、瓶を見て回る。
廊下に出ると2階へ上がる階段があって、上も店なのだろうかと上がってみるのだが
途中で壊そうなおじさんが下りてくるのと出会って、
「なんか用か?」みたいなことを言われたのでスゴスゴと引き返した。
馬車に戻る。その後何度か店の前で立ち止まって「入るか?」と聞かれるが「ノー」と僕は断る。
やがて馬車は昨晩訪れた「ジャマ・エル・フナ広場」に差し掛かる。
昨日とは打って変わって落ち着いている。人はたくさんいるが夜ほどではない。
何かをするための場所という雰囲気はなくなり、ただ単に通り道として使われているような感じ。
ここから先にどんどん分け入っていくことはなく、引き返して城壁の外へ。
後はマラケシュの新市街方面を回って僕が呼び止めた議会?の建物で終了。
いくら?ともう1度聞くと「300Dh」と言われる。
「えー!?」と思うが彼の顔は急に商売人となり、あれこれ理由を述べだす。
こんなときに限ってアラビア語となるので何を言ってるのかさっぱり分からず。
時計を見るとなんだかんだで1時間半近くになっていたし
ま、いいかと思って 300Dh 払おうと財布の中を見ると100 Dh 紙幣が見つからない。
(最も大きな紙幣は 200Dh となる)
仕方なく 400Dh 渡すと空っぽの財布の中を開いてみせて、すまなそうに釣がないと言う。
(これはたぶんわざとであって、財布を2つ持ってるのではないか?)
で、御者台を指差しながら熱心に何かを早口で言う。
「あー、+100Dh は御者台の分だとしてくれ」ってことなんだなとわかる。
もう1度「ま、いいか」と思う。
400Dh となるとたぶん馬車に払う額としてはありえないものだし
旅慣れた人なら値切るところなんだろうけど、
普通できない体験をしたと言えばしたのだからよしとする。
それにさっきまで友好的に過ごしていた人とはあまり言い争いたくない。
馬車を降りた僕は恐らく駅はこっちだろうと思う方角へ向かって歩き始める。
10時半頃。まだまだ時間はある。
先に駅を見つけたら「ギリーズ」と呼ばれる新市街を歩いてみるかと考える。
地図から察するに5分もかからないか。
歩いていると「Hello. Are You Japanese ?」声を掛けられて「Yeah」と答えると
恐らく自称ガイドと思われる人で、無視して歩き去る。
彼はその後長い間後ろから「Hello!? Hello!? Hello!?」と叫んでいた。
小さな通りに入ったところに「Cyber」と書かれた看板を見つけ、
インターネットができると近くまで行ってみるのであるが、日曜なので休み。
日曜は休みとして徹底しているのかシャッターを下ろしている店ばかり。
(なのにカフェはやっていて、オヤジたちがミントティーを飲みながらだべっている)
しばらく歩いていくうちに目印となる交差点に出る。
もうちょっと行って後は左に曲がるだけ。
・・・のはずなのに次の目印となる交差点に辿り着かない。おかしい。
そのままずっと歩き続けるうちに予想外に大きな交差点に出てしまう。
ロータリーとでも言うべきか。広場に近い。半円形になっていくつもの道路が延びている。
これまで歩いてきた方向をそのまま進み続ける。
モロッコ・テレコムのオフィスがあったり、マクドナルドがあったり、銀行にブティック。
周りを見渡すとどうも目抜き通りに入ったようで、
たまたま道端で見つけることのできた地図の現在地を見てみると
思ってたのとは全然違う場所に僕はいるようだった。
駅からは遠く離れ、新市街に入っている。いつのまに・・・。
というか最初から間違っていたのだろうか?
スタート地点のホテルの位置について。
方向感覚と地理感にかなり自信のあった僕としてはショック。
まあでも自分の今いる場所がわかったのでほっとする。
そのまま歩いていって通りに先にあるスーパーマーケットを目指す。
小さなウイスキーの瓶が買えないかと思う。
夜飲んで寝て、その空き瓶にサハラ砂漠で砂を詰めて帰るつもりだった。
(3年前アメリカに行ったとき、機内でもらったミニチュアサイズのジンの瓶に
砂を持ち帰ったのと同じことをしたくなった。
サハラ砂漠の砂以外に今回の旅で欲しいものは特になし)
ちょっと歩くとカフェ。目抜き通りだけあってきれいなのが多い。
コンピュータや語学の学校と思われる場所。床屋。革製品の店。
その他日用品や高級品?の店。ハーツとエイビスのレンタカーやホテル。なぜかあちこちに薬局がある。
多くの外国人旅行者とすれ違う。
試しに表通りの裏に入ってみると
庶民向けの雑貨の店や食料品店(肉を吊るした店が多い)、食堂がポツリポツリと建っている。
探していたスーパーマーケットは見つからず。
(「地球の歩き方」の地図にはあったのに、なくなってしまったのだろうか)
とりあえず引き返す。
街を行く女性はイスラムっぽく(?)頭をスカーフで覆っている。
色鮮やかなスカーフに西欧人と変わらないよう服を着ている人もいれば、
全身黒ずくめで黒のスカーフで顔のほとんどを覆っている人もいる。
黒ずくめであってもその下には普通にジーパンのようなものを履いている人もいたり。
住んでいる地域やそこでの慣習、あるいはその日の行動モードで変わるのだろうか?
僕にはよく分からない。
男性にしても同じ。少数のアラビアっぽい服の人、
大多数のアラビア・イスラム・ヨーロッパの折衷型の人。
映画館を見つける。「コールド・マウンテン」と「ラスト・サムライ」が上映されていた。
ツール・ド・フランスな感じで自転車に乗っているヨーロッパ人たちを何度か見かけた。
[1280] モロッコ(7)マラケシュのフナ広場 2004-06-10 (Thu)【6月5日(土)夜】
クトゥビアの脇の小道を進んでいくと大きな交差点に出て、
渡ってそこから先少しばかり通りを進むとマラケシュに来たら何はともあれここを訪れろという
「ジャマ・エル・フナ広場」となる。
食べ物や飲み物の屋台が並び、大道芸人たちがその芸を披露し、
「スーク」と呼ばれる商店街の入り口にもなっている。
(闇市や屋内型バザールのようなものだと思ってほしい)
24時間眠らないと言われているだけあって、僕が来た時にも大勢の人たちで賑わっていた。
夜の方こそ活気付くのかもしれない。
大道芸人を取り囲むようにして小さな円ができている。
ほんとの芸の場合もあれば、音楽を演奏している人たちもいる。
あちこちで音楽が演奏されているので様々なリズムとメロディーでとてもにぎやかだ。
特に何をするわけでもなく、バイクを中心に置いてたむろしている地元の人たちの輪もいくつかあった。
「地球の歩き方」を読むとここの芸人たちや名物である水売りのおじさんたちをカメラに撮る時は
許可が必要で、さらにチップも払わなくてはならないらしい。
構わず撮りまくる。ビデオカメラを向けながら歩く。
僕の存在に気付いて「チップチップ」と言われることもあるが、とりあえず無視する。
広場の奥に行くとオレンジジュースの屋台が並び、
僕はそのままフラフラと足の向くまま歩いて新しい方のスークへと入っていく。
2・3坪ほどの小さな店にサンダルならサンダル、ぎっしり詰まっている。
店が増殖を繰り返していくうちに壁が作られ天井が生まれ、やがて大きな建物になった、そんな感じ。
モロッコの都市は迷路に例えられるんだけどそれもよくわかる。
部屋なのか通路なのか。そんな空間ばかり。
よく見ると通路の奥に大勢のイスラム教徒がひれ伏して祈っている部屋があったりする。
ビデオカメラを持っていくうちに遂にここで止められる。
「この俺様に金を払わないおまえは何様のつもりだ」みたいなことを言われて、
「てめえただ立ってるだけで何偉そうなこと言ってんだ」とムッとするのだが
こんな狭苦しい場所で何されるかわからないのって怖いし、ポケットの中を探って 10Dh 差し出す。
またさらにわめきだすので 5Dh 追加する。
「まあ、許してやるわ」と言われる。うぜーと思う。もういいやと外に出る。こりごり。
観光地で観光だけで食ってる人のがめつさってモロッコに限らずいろんな国にあって
もちろん日本にもあるのであるが、ああいうのって目にするたびに不快に思う。
(今回の場合は僕がルールを守っていちいち許可を取って金を払いながら進んでいればいいのだろうけど、
芸人でもなんでもないその辺のがめついだけの人間に偉そうになんか言われるのはむかつく)
スークの外に出てさらに歩いているといつのまにか食べ物の屋台に。
タジンという煮込み料理の店や、ケバブの店。
地元の人たちばかり座っている店もあれば外国人観光客ばかりの店もある。
ここのどこかで食べようと見て回っているうちに
「こっち来て食べないか。座れ座れ」と誘われて腰を下ろすことにする。
食べ物が段々になって並んでいる。サラダの段、肉や野菜のメイン料理の段、クスクスの段。
様々な料理がそれぞれ皿に盛り付けられていて所狭しと並んでいる。
皿の間は青々としたなんかの菜っ葉で埋め尽くされている。
こういう感じの屋台がたくさんあってどれか1つってのは大変選びにくい。
まん丸で平べったい「アラビアパン」とフォークが渡される。
白身魚のフライ(かと思ったらイカのフライだった)が食べたくてまずそれを指差したら
「サラダを選べ」と言われる。トマトとピーマンのモロッコ風サラダにする。
他にはどういうサラダがあったが覚えてないが、ライスだけってのもあった。
隣に座っていたフランス人の老夫婦がこれうまいわよ、
と身振りでナスの輪切りを揚げたものを指差すので、それも頼んでみる。
後はクスクス。名前は聞いたことがあっても知らない人がほとんどだと思う。
粉のような小麦に野菜(ニンジン・豆など)や肉(鶏・羊など)の煮込みをかけたもの。
家庭によってスパイスの調合が違うというので、インドで言えばカレーに当たるってことか。
正直な話、どれもたいしておいしくない。クスクスは特に味しなかったし。
イカのフライとナスの揚げたものはまあまあおいしかったが。
(腹壊したりしないだろうかと不安だったが、その後特にそういうことにはならず)
全部で 75Dh で、だいたい800円ぐらいになるのかな。
食後にミントティーが出るのだが、ミントがそのまま入っていた。豪快。
ヘンナ(染料)で女性の手に模様を描いているのを見かける。
本格的で上手な人、ほとんどでたらめで下手な人、千差万別だった。
さて帰って寝るかと広場を横切っていると
ハチャメチャに暴れまわってる芸人とその一挙一動を見つめてる観衆の輪に目が止まる。
芸人は輪を外れたところに置いてあったバーベルを振り回して何やら絶叫していた。
観衆はヤンヤヤンヤの喝采。
足を止めて覗き込むと運の悪いことに芸人と目が合ってしまう。
まっすぐに僕のところに近付いてきて周りの人がさーっと避ける。
芸人が右手を突き出してきて、
「あーチップを要求してんだな」とポケットを探ってコインを2枚手の平の上に乗せる。
芸人は「まあ、よかろう」という顔をする。
よく見るとその口の中は歯が右の前歯数本しか残っていない。
ぎょっとしてると芸人は僕の腕をいきなり掴んで輪の中に引っ張り込む。
観衆から盛大に拍手される。
真ん中に座れと指で示されてキョトンとしたまま腰を下ろす。
彼は僕と向かい合う少し離れた位置に立って両手を合わせ何やらお経を読むようにし、
「コニチハ!アリガト!サヨナラ!!」と日本語を絶叫。そして僕に向かってちらっと尻を向ける。
ここでまた一際大きな歓声が上がる。
・・・逃げ出したくなる。
立ち上がると「いいからいいから」と制止される。
次に彼は空手の型のようなポーズを作って何やら唱えた後で「ヤー!!」と叫ぶ。
身振りから察するにどうも同じことを繰り返せと言ってるような気がするのだが、
それで違ってたら恥ずかしいったらありゃしない。
キョトンとしたまま戸惑って何もしないままでいる。
彼は同じことをもう一度する。前よりも唱える文句が少なくなって繰り返しやすくなる。
でも僕はぎこちなく凍りついたまま。「ごめん、もう助けて」って感じで。
固まっていると彼はさらに何か絶叫しながら近付いてきて僕の腕をポンと軽く叩く。
恐らく彼が攻撃をして僕をやっつけたという意味。
一同大爆笑。
逃げ出す。輪の外へ。さらに笑い声と拍手が大きくなる。もう何がなんだかわからない。
気がつくと僕は広場の外にいて帰り道を探していた。
ホテルが立ち並ぶ通りを歩く。
来た道を辿っているはずなのにいつのまにか迷ってしまう。
日本人が1人で歩いていると時々興味深げに見つめられたり、フレンドリーに話し掛けられる。
ただ単に親愛の情を表しているのか、
勝手に日本語ガイドをつとめてお金を巻き上げようとしているのかはよくわからない。
さっきの広場の出来事で動揺しているせいもあってとにかく帰り着きたいという気持ちだけ。
弱々しく笑ってみせて顔をさっとそむける。
ホテルに帰り着くとシャワーを浴びてさっさと寝ることにする。
モロッコ到着から数えるべきなのかそれともドバイの辺りから数えるべきなのか。
とんでもなく長い一日だった。
浴槽のお湯を外に流しだす方法がわからず、お湯をそのままにして寝る。
一晩たったら減ってるかなと思ったらそんなことはなくしっかり作られていた。
ホテルに泊まるときはいつも思うことなんだけど、
携帯用のスリッパを持参しないことには部屋の中で何かと不便だ。
[1279] モロッコ(6)列車に乗ってマラケシュへ 2004-06-09 (Wed)【6月5日(土)昼 − 6月5日(土)夜】
カサブランカ始発ではないので6人用のコンパートメントには既に何人か先客がいた。
アラビア系(モロッコ?)の恰幅のよくて大橋巨泉のようなメガネをかけた男性と、
読んでる新聞や雑誌からフランス人と思われる男性2人。
座って発車するのを待っていると
リュックサックを背負った日本人っぽい若い女性が入ってきて隣の席に座る。
日本人ですか?と聞くと「そうです」と言う。
(今更ながら思うに、モロッコの鉄道で日本人が隣り合わせになるって相当珍しいはず)
あれこれ話し出す。
彼女は6月の初めから3週間休みをもらっていて、
スペインからジブラルタル海峡を経て昨日タンジェに渡ってそこで一晩過ごし、
今日は列車で10時間かけてマラケシュへと向かうのだと言う。
「3週間も休みですか?」と僕は驚く。「それってどんな職業なんですか?」
なんでも彼女は全日空の契約社員で(ということはスチュワーデスか)
詳細は忘れたけどとにかく3週間の休みが取れたのだという。
でも友人たちはそんな長い休みを取れるわけがなく、結果として一人旅。
ほんとはもっとスペインに居るはずだったんだけど
ユーロが余りにも強すぎるのでこりゃお金がもたないと
早々に目的地の1つであるモロッコに渡ることにしたのだそうだ。
タンジェに行きたかったけれども日程的に適わなかった僕はその印象を質問してみる。
港町だったので治安の悪そうな感じがした、とのこと。
もっと詳しい話を聞きたかったんだけど、その後は僕のコースの話になる。
サハラ砂漠に行くと言うと「すごいですね!」と感心される。
彼女はマラケシュでしばらく過ごした後、パリに移動して東京に戻る。
完全なバックパッカー。その日その日の気分で移動して宿を取る。
僕みたいなツアーの方がもっとめんどくさいという。
通路にワゴンを運んでくる物売りや他の乗客たちとのやりとりを聞いてる限り、
彼女は英語もフランス語にも困らないようだ。
語学に堪能ならば旅はなんとでもなるよなあ。
僕が会社の休みが9日間しかなくてそれをフルに使ってモロッコに来てると言うとかなり驚かれる。
休みは3週間あるけれども、早々と帰るのではないかと彼女は言う。
東京に戻って残りの休みはのんびり過ごす。
彼女は髪にチリチリにしたパーマをかけていたんだけど、
「仕事に戻る前にストレートに戻さなきゃならないと」と言って笑う。
僕はこの発言に「女性にとって旅とはどういうものなのか」ってことに関して
その答えの1つを見出したように思う。
やがて僕はビデオカメラで風景を撮るか、寝てるか、風景を眺めるかして、
彼女は本を読むか、寝てるかする。
読んでる本をちらっと覗き込むと村上春樹の「国境の南、太陽の西」だった。
村上春樹のことが好きなのか聞きたくなったんだけど、やめといた。
彼女はタンジールからカサブランカまで列車に乗っているときに1人のおじさんと知り合った。
マラケシュまで一緒に乗っていくことになり僕の目の前の席に座ったのだが、非常に具合悪そう。
頻繁に立ち上がってトイレに行って戻ってくる。
ほんと具合悪そうなときは目の焦点が合ってなくて油汗をかいて、
気を紛らせるためか不自然な姿勢で眠りに就こうとする。
彼女の聞いたところでは昨日非常にスパイシーな食べ物を食べたのだそうだ。
薬を飲んだけど効果なし。
マラケシュに着いたら医者に行くべきだし、自分は心配なので付き添うつもりだと彼女は言う。
具合が多少なりとも落ち着いたとき、おじさんは3人で部屋を取ってシェアしないかと提案する。
だけど僕はツアーで泊まるホテルが決まってるのでダメ。残念なことに。
その後おじさんはマラケシュ近くまで来た時、窓の外を指差して「カナリア諸島だ」と言う。
そう言われると確かに海のように見える向こうに山脈のようなものが見える。
マラケシュはかなり内陸なので「ほんとかいな」とも思うのだが、まあそうなのかもなと思う。
フェズに行くと僕が言うとメディナを絶対見るように、と忠告される。
その一方恰幅のいいモロッコの大橋巨泉のおじさんは
アラビア語の新聞に載っているクロスワードパズルに頭を悩ませていた。
アラビア語のクロスワードパズルってなんだかとても変な感じ。
そんなこんなしているうちにマラケシュ到着。18時30分。
カサブランカの建物が白一色だとしたら、マラケシュはオレンジがかった肌色一色。
列車を下りて彼女は「カレーの匂いがしませんか?」と言う。
確かにカサブランカよりもはっきりと香辛料の匂いがする。
僕は僕の名前をローマ字で書いた紙を持った係員を見つけ、2人とはそこで分かれる。
思えば僕は彼女の名前とかそういうのは何も聞いていない。
うーむ、一期一会。旅ってそんなもの。
係員の運転する車にてホテルへ。駅のすぐ近くにある。
今度の係員は子供を連れている。
僕が英語をあまり話せないと分かると話すことは何もないと判断したのか、特に何も言わなくなる。
ホテルに車を止めるとすぐにグッバイとなる。
カサブランカの係員がくれた予約票をフロントに見せて「ハロー。予約してるんだけど」と僕は言う。
空港の入国カードみたいなのを記入すると鍵を渡される。
ポーターが僕のリュックを背負って運んでくれる。
部屋に入って僕は生まれて初めてチップを渡す。
エレベーターは「0」「1」「2」「3」・・・となっていて、
ヨーロッパ的。日本で言う1階が「0」に当たる。「おー」と思う。
部屋に着いてさっそくノートPCを取り出し、
インターネットに接続できないかあれこれ試してみるもののちっともうまくいかず。
そもそもモデムが反応している気配なし。さっぱりわからん。
電話番号が間違っているとか設定がおかしいとかそれ以前の問題。
早々と諦める。
ベランダに出ると夕暮れの町が広がっている。
外に出て、メディナに向かって歩き出す。
※モロッコの都市は新市街と「メディナ」と呼ばれる城壁に囲まれた旧市街とに分かれる。
都市によって時期に差はあるが
後者は7世紀にイスラム勢力がこの地を席巻したときに各都市に作られたものであり、
前者は19世紀になってその周辺に作られたもの。
「メディナ」の中にはモスクが建てられ、広場があり、場合によってはかつての王宮も残されている。
狭く入り組んだ路地には「スーク」と呼ばれる商店の群れ
(扱う商品ごとに寄り集まっている)が密集していて、人々で溢れ活気がある。
ホテルがフランス通りだったことと駅からホテルまでの道のりから見た光景から
自分の今いる場所のだいたいのところを判断し、
1キロも歩けば着くだろうかと地図を頼りにテクテクと歩く。
道路は車の往来もそれなりに多いのだが、馬車(「クチ」と呼ばれている)ものんびりと行き交っている。
ポクポク、ポクポクと蹄の音がする。
観光客姿の僕を見て「乗ってかないか」と声を掛けられるのであるが、
そんな対した距離ではないので誘いには応じない(早い話が無視する)。
マラケシュは観光で成り立っている都市なのか
歩く通りのどこもホテルばかり。
赤茶けた肌色の壁をした豪華なホテルがたくさん建っている。
シェラトンやソフィテルの名前を見つける。
ホテルはどこも各国の国旗が門のところに飾られている。
マラケシュのメディナが世界遺産に登録されている関係で
最初のうち僕はそれらの建物をユネスコの何かと思ってしまった。
(モロッコ国内には7つの世界遺産がある)
通りのあちこちで老いも若きもベンチに座って休んでいる。
観光客ではなくて地元の人たち。
椰子の木のようなものが一定の間隔で植えられている。
時々馬車が通り過ぎる。
車は変なところで曲がろうとしたり突っ込もうとはするものの
多くはスピードが押さえられていて、のんびり走っている。
歩いているうちに城壁と門が見えてくる。入っていく。
この中からいきなり人や店が密集しているのではなく、
そういうのは中心部まで行かないとない。
僕が歩いたのは恐らく「ハウマン・エル・フェトゥーキ」通りで、
広々とした通りにはアーチで灯かりが点され、
ホテルかそれに類するような豪華な建物と木々が連なっていた。清潔感が漂う。
左手に公園のようなものが見えてきて、中では人々が夕涼み?をしている。
出入り口があったので僕も入ってみる。
目の前には「クトゥビア」と呼ばれる正方形の細長いミナレット(塔)が立っていて、
夜の闇の中を黄色っぽい光に照らされていた。
(モスクにはミナレットが付き物だ)
[1278] モロッコ(5)カサブランカ 2004-06-08 (Tue)【6月5日(土)昼】
到着ロビーを出ると僕の名前がローマ字で印刷された
B4サイズの封筒を持った大柄なおじさんが立っていて、
僕は「ハロー」と言って自分の名前を告げた。現地係員。
両替するかと聞かれてすると答えると向こうだ、と教えてくれる。
3つの銀行の支店が小さなカウンターを出していて、そのうちの1つしか人がいなかった。
USドルをモロッコの通貨へ。ドバイ同様、ディラハムとなる。
日本円からだったかUSドルだったか、レートが「8.xx」となっていたのを覚えている。
銀行の人がお金を数えているのを待っているとおじさんが僕に電話だ、と携帯を渡す。
現地の旅行会社(日本で申し込んだ旅行会社とは別。下請けということか)
の日本人の担当者の方から挨拶される。
今回の旅行は日本で申し込んでいるが、実質的なツアーはここの企画のもののようだ。
係員のおじさんからこの旅行会社作成の詳細な旅程表をもらう。
ホテルの予約票や、鉄道の指定席の券など。
リュックを車に積み込むと出発する。
カサブランカ市街の外れにある、カサ・ヴォワヤジャー駅へ。30分程度のドライブ。
割と開けた場所を走る。
漆喰(日干し煉瓦?よくわからず)の壁でできた集合住宅の群が
平原とサバンナの間にポツンと建っている。そんな印象を受ける。
崩壊寸前のものもあれば、建築途上のものもある。
庭園らしき場所が時々現れる。
都市部で個人所有の邸宅を持っているのは恐らく一握りの大金持ちで、
庭付き一個建ては庶民にはそもそも住む世界の違うものなのだろう。
(農村部はまた別の話)
町らしき場所を通り過ぎたり、畑のような場所を通り過ぎる。
丘の斜面のような場所が墓地になっている。
羊や牛の放牧が行われている。
「ISUZU」「SUZUKI」と書かれた看板や車を見かける。
「TOYOTA」や「HYUNDAI」も見かけた。
(次の日、マラケシュでは「DAIHATSU」のショールーム?すら見かけた。つぶれていたが)
ポンコツじみた乗用車やバスが時々追い越していく。
小型のバイクに乗った人もよく見かける。
晴れた日なので集合住宅からは洗濯物が干されている。
よく見るとあちこちで衛星放送用のパラボラアンテナが突き出している。
その後乗った列車やマラケシュの街でも携帯電話を持っている人を数多く見かけた。
今、横を通り過ぎる車に乗った人も携帯で誰かしらと話している。
この辺の地域はアフリカの中でも裕福なところなんだろうな。
ヨーロッパにも近いし。
サバンナっぽい木々が黄土色の土の上からまばらに生えているのを見ると
「あーアフリカに来たんだなあ」という気持ちにさせる。
木々は熱帯の巨大なパイナップルみたいなものもあれば、もっと地味な温帯風なのもあって。
とにかくいろんな種類の木が固まって群をなしている。
駅に到着する。
係員とはここでお別れ。マラケシュの駅にてまた別の係員に会うことになる。
駅舎はそれほど広くない。
ホームへの入り口に立っている改札係?に旅行会社からもらったチケットを渡す。
ホームは3つあって、駅舎に隣接した1つと、線路を渡って向かい側の2つと。
僕の乗ることになるのは向かい側の方になる。
陽射しは強いが、それほど暑くはない。
日陰に入ると風が冷たいぐらいだ。
何の匂いかはわからないが、日本とは違う匂いがする。
強いて言うならば土の匂いと香辛料の入り混じった匂いか。
時計を見ると14時ちょっと前。マラケシュ行きは15時16分。
発車まで1時間あるので、いったん駅の外に出てみた。
出ようとしても改札係の人に何も言われなかったのでそのまま出てしまう。
カサブランカの街を歩き出す。
駅周辺は中心部からかなり離れているせいか、閑散としている。
駅前なので店が並んでいて開けているのだが、人通りは少ない。車もそれほど走っていない。
「カサブランカ」って確かポルトガル語かスペイン語で「白い家」とかそういう意味で、
確かに町全体が白っぽい。建物のほとんどが白く塗られている。
余り遠出もできないので駅前の狭い範囲を一周するだけにする。
カフェが多い。店の外に並べられた椅子とテーブルに中年男性たちが座って
暇そうにお茶(コーヒー?)を飲んでいる。
インターネットの店を見つける。
(たいがい「CYBER」とか「CYBER CAFE」と書かれている)
入ってみる。入り口に立っている青年が旧式のパソコンの相手に眉間に皺を寄せている。
「インターネットツカテイーカ」と僕は英語で聞くと
「なんたらかんたら5なんたらかんたら」と言われる。
ドバイの空港でも6ドルだったし、結構するもんだなと思う。
2階へ上がれと身振りで示すので階段を上がる。
小さな部屋に簡素な机があって、5台か6台のパソコンが置かれていた。
今から20年前の秋葉原のパソコン教室って感じ。
(それがどんなもんなのか、自分で書いといてよくわからないが・・・)
空いている1台に腰を下ろして使ってみる。
今度のPCはデフォルトがフランス語。オプションでアラビア語。英語は使えなくもない言語。
もちろん日本語は使えない。
「勝手にフォントをダウンロードしちゃえ」とやってみるのだが、
フランス語で上品なエラーが出てきて失敗。
キーボードの配列が日本や英語の「QWERTY」ではなくて無茶苦茶使いにくい。やたら打ち間違える。
例えば「q」と「a」の位置が入れ替わっている。
ピリオドもシフトキー押さないと出てこないし。
僕がPCに向かっている間に何人かの人たちが入れ替わる。
僕の左横ではカサブランカのパソコン少年たちが何やら楽しそうに画面と戯れている。
僕は右端の席に座っていて右横には何もないのだが、
階段を上ってきた青年が僕の右側、後ろ寄りに立つ。
日本人が珍しいから何してんのかなあと見てるのだろうか、
なんて思いながらちらっと振り向いてちょっとだけ見上げると
彼は僕の方を見ているのではなくて、何もない壁と壁の接合面を眺めていた。
「なんだ?」と思うといきなり彼はどこかしらから 50cm 四方の小さな絨毯を取り出して
(もしかしたら至る所に仕込んであるのかもしれない)
地面に恭しく置くとそこにひれ伏して無言で祈り始めた。
「そういうことか」と思う。
モロッコってイスラム教徒の国なんだよな。
(先住民族であるベルベル人は約3割。大半がイスラム教徒)
寝るとか息をするとか食べるとかそれぐらいのありふれた行為として、彼は祈るという行為を行っていた。
気がつくとずっと前から、どこからかアラビア語で何かを話している声が聞こえていた。
あれはコーランの詠唱なのか。
町じゅうに響き渡るような大きな音で放送されている。
イスラムというものを初めて体験する。
これが様々な主義主張により場合によっては
貿易センタービルに飛行機を突っ込ませたりするのだから、不思議なものだ。
出発の時間が来て、ホームに戻る。
ベンチに座っているとだぼっとした、
アラビアのロレンスのようなやつで白じゃなくて派手な色の衣装を着た
かなり太った中年男性が日本から着たのか?と話し掛けてくる。
「Yeah, from Japan」
男性が嬉しそうに笑いだす。
私は日本に行ったことがある。東京、横浜、京都。
「オキャクサマハカミサマデス」
「うわー・・・」と思う。
この人何のために日本に行って(そりゃもちろんビジネスだろう)
どういう人と会って何をしていたのだろう?
何をどうしたら一字一句間違えず↑のセリフを今でも覚えているのか。
うまい質問が思いつかないうちに列車が入ってくる。
「ファーストクラスは先頭の車両だ」と教えてもらう。
男性は降りてきた友人らしき男性と熱い抱擁を交わす。
海外で一人で列車乗るなんてもちろん初めて。
怖いったらありゃしない。
「地球の歩き方」には盗難に遭う可能性が高いので絶対夜間は一人で乗るなとある。
それでなくてもつい気を緩めたらすぐにもリュックサックを持ってかれそうで。
時間も正確かどうかわかんないし。
とにかく乗ってみる。乗らないことには何も始まらない。
[1277] モロッコ(4)ドバイ→カサブランカ 2004-06-07 (Mon)【6月5日(土)朝 − 6月5日(土)時差の関係で昼】
ドバイまでもかなりかかったが、ここからカサブランカまでも長い。約8時間。
7時40分(日本時間12時40分)出発だったのがいつまでたっても離陸しようとしない。
前の便の到着が遅れてて乗り継ぎできてない人たちがいるようだ。
カサブランカに着いたらそのまま列車に乗ってマラケシュ行くことになってるのに、
間に合うだろうか・・・、と不安になる。
でもまあ僕にはどうすることもできないし、こんなこと日常茶飯事で旅行会社の方も慣れてるだろうと考える。
結局1時間遅れで出発。
飛行機からドバイの街並みを見下ろす。
ずっと奥の方までびっしりと建物で埋まっていて、高層ビルの集まっている一画もあった。
帰りに立ち寄ることになるが、どんな都市なのだろう。
機内の乗客はアラビア系の人たちばかり。
女性の顔はみな同じに見える(概して美しいと思う)。
10代も30代も50代と年齢による違いがあるだけ。
人によってはヘンナという染料でアラベスクのような紋様を手の甲に入れている。
飛行機の中だというのに女性も男性もバスの中であるかのように
知り合いのところの座席まで行って立ち話している。
浮かれた子供たちがはしゃぎまわって通路を走る。
(泣いたり笑ったりする子供たちの相手をするスチュワーデスも大変だ)
そう言えば子供用の機内食ってのもあるみたいですね。今回の旅で初めて気が付きました。
どこからかアラビア語の曲が聞こえてくる。
機内放送によるものなのか、それとも誰かのつけてるヘッドホンから漏れているのか。
パンと果物といった簡単な朝食が出された後、また眠る。
機内も暗くなる。3時間ぐらいは寝ただろうか。
起きたときに傍らに入国カードがあったので記入する。
(ドバイのときはなかったので、UAEは不要のようだ)
日本から持ってきた小説を読む。
旅の移動中に読む本をどうするか?
これは活字中毒者からすれば永遠の課題である。
せっかくの旅行なのだから面白いものを読みたい。でもなかなか面白いものには出会うことがない。
いくら面白いからといって全20巻あるうちの途中まで来た7巻と8巻を持ってくるというのもなんか違う。
1冊で読みきってしまう小説でかなりどっぷり入り込めるものか
(そこでは旅の世界と物語の世界とが重なり合ったり平行しあったりする)、
軽めのエッセイで飽きのこなくて疲れないものとするか。
こういうのって日本で通勤時間に読むのを探すのであっても難しい。
今回僕が持ってきたのはルイス・シャイナーというアメリカの作家の「グリンプス」という作品で、
これは大当たりだった。
創現社のSFの文庫から出ていて、この人自身も元はSF(しかもサイバーパンク)出身なのであるが、
これはまごうことなきアメリカ現代文学系の作品。
60年代後半から70年代前半にかけて青春時代をすごした主人公が
折り合いの悪かった父の死や10年連れ添って気持ちのすれ違うようになった妻との別れを通して、
モラトリアムを抜け出し自分自身の生活を見つけるという話。
これが横軸にあって縦軸は
この主人公が自分のイメージする情景を音として再現させるという不思議な能力を自分の中に見つけ、
60年代後半から70年代初めにかけての幻のロックアルバムを完成させようというところ。
具体的にはドアーズの「Celebtation of the Lizard」
ビーチ・ボーイズの「Smile」
そしてジミ・ヘンドリックスの「First Rays of the New Rising Sun」
頭の中でリアルなイメージを紡ぎ出すにとどまらず、
主人公はやがてその世界の中に入り込み、過去の人物たちと接触ができるようになる。
ある種のタイムスリップ。
ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンと出合って「Smile」を生み出す瞬間に立ち会う部分は
ビーチ・ボーイズファンならば「ああ、ブライアンってこんな感じの人だよなあ」と共感せずにはいられない。
60年代後半のロックが好きな人必読の小説。
先週日本にいるうちから読み始めて、あまりの面白さにのめりこんでかなり読み進めてしまった。
既に2/3まで来ていて、もう少ししたら読み終えてしまう。
今回の旅は移動の時間が長いので読む時間だけはありそうなんだけど、
もったいないので帰りの飛行機まで取っておくことにする。
機内食の昼食。
食前酒ってことで飲み物を聞かれて、メニューにあったラム(Bacardi)をもらう。氷と一緒に。
コーラもいるかと聞かれて頷くとコーラもくれる。
これがアラビア語で書かれたコカ・コーラ。「ほー」と思う。
その後何か飲むか聞かれたときビールを頼んでみると
出てきたのは普通のハイネケンでがっかり。
中東でポピュラーなブランドのビールか、アラビア語でバドワイザーと書かれたのを期待してたのに。
(でも酒を買うのに許可証がいるようなサウジアラビアのような国もあるし、
中東オリジナルのビールを探すのは難しいか)
窓の外にはアフリカの大地。旋回すると地平線のかなたまで見える。
砂漠というよりは荒野。時々緑色のものに覆われ、そして山脈。起伏が割と激しい。
僕はこれまでの人生で特にアフリカに対する憧れってのがない人間だったのだが、
それでも「ああ、ついにここまで来たんだなあ」と感慨深くなる。
着陸が近くなったようで、ガイドブックや旅行会社の資料だとか荷物を仕舞う。
することがなくなって背もたれに取り付けられたモニタでゲームをやってみる。
ビデオを捜査するリモコンがそのままコントローラになる。
セレクトボタンやスタートボタンがあって、XやYのボタンがあるので
かなりスーパーファミコンっぽい。
ゲームは10何週類か用意されていて、
飛行機酔いしないためかそれともコントローラを激しく使用してほしくないためか
アクション系は少なくてパズルみたいなのが多かった。
ポーカーやバックギャモンといったテーブルゲーム系が大半。
パックマンやブロック崩し(言い方が古いですね)の亜流みたいなのをやってみる。
ブロック崩しは名前こそ「MAGMA ZONE」に変えられてるものの「アルカノイド」そのもの。
中学・高校の頃ゲームセンターに行ったら僕こればかりやってたんだよなあ。
(あんまりゲーセンに行く子供ではなく、ゲーム全般が下手。友人にくっついていくときは↑が簡単だった)
どちらも1面クリアしたところで「こんなもんか」とやめにする。
ドバイのときに書き忘れたんだけど、眼圧の調整の問題でまた左眼に激痛が走った。
神経の1本1本を引きちぎられて眼球に焼いた針を突き通されるような痛み。
まぶたやその周辺には細かな無数の針を刺すような痛み。
目を閉じて手で覆う。
飛行機が下降を始めて気圧が変化していくと痛みがひどくなる。
焦るように唾を飲み込む。
着陸する頃にはなんともなくなっている。
カサブランカに到着するとき、ドバイほどではなかったがそれでもやはり疼くように痛みが走った。
「ムハンマド5世空港」の施設が見え出す。
サバンナの中に空港があるような、そんな雰囲気。
飛行機の車輪が滑走路を掴むと拍手が巻き起こる。
アエロフロートの飛行機に乗ってモスクワに行ったときもこうだったなあということを思い出す。
この辺りから僕はビデオカメラを回し始める。
入国審査のブースで待っているときに暇だったのであちこち撮っていたら
近くに立っていた旅行者から「ノーフォトグラフ」と忠告される。やっぱダメか。
入国審査では何も聞かれないのではないかと思っていたらそんなことはなく、
審査官から日本語で、
「どこから来たのか」「ホテルはどこに泊まるのか」「何日滞在するのか」と聞かれる。
簡単な日本語で聞かれたのだから今思うと簡単な日本語で返せばよかったのに、
片言の英語でどう答えるか四苦八苦する。
荷物の受け取りの場所に行くとちょうど
僕のリュックサックの袋がトロトロと目の前を流れてくるところだった。
無事に受け取れてほっとする。
制服を着たポーターたちが小さなカートとともに待ち構えていて、
誰か用のある人はいないか探していた。
[1276] モロッコ(3)関空→ドバイ 2004-06-06 (Sun)【6月4日(土)夜 − 6月5日(土)時差の関係で早朝】
フライトは11時間半。長旅。
缶ビールを2本飲んでさっさと寝てしまう。
時々目が覚めて窓の覆いを上げて外を眺めるのだが、上も下も暗闇。
海の上を飛んでいて星は出ていないってことなのか。
西へ西へと進んでいくのでどこまで行っても夜のまま。
ふと目が覚めたときにトレイに水やジュースの入ったコップを運んでいるスチュワーデスと目が合い、
水をもらう。一口飲んでまた目を閉じる。
僕ら乗客が寝ている間も起きてなくてはならないわけで、スチュワーデスって大変な職業だなあと思った。
それでいていつも笑顔で疲れや不快感を見せてはならないわけだし。
体力勝負だとはよく聞くけど、まさにそう。
夢うつつの状態でもう1つ考えたのは、機内食で肉と魚が選べますとしたとき、
みんな肉を選んだら後ろの座席の人の分を切らしてしまうようなことってあるのだろうか?
「申し訳ありません。ビーフはもう無くなってしまったんですよー」と謝る。
その辺の「在庫管理」ってどうなってるのだろう?
意外と2・3日持つようになっていて、
肉も魚も人数分用意しているのをそのフライトで減った分足しているのか。
それとも経験則で大体の量の目安が分かっているのか。
果物やサラダもプレートの中にはあるので鮮度が大事。単なる冷凍食品ではない。
この辺のノウハウってどうなっているのだろうと思った。
機内が明るくなって目が覚める。腕時計を見てみると午前7時。朝食の時間。
窓の外にはいくつか星が見え、眼下には世界のどこの地域なのか海沿いの町が見えた。
旋回を始める。オレンジ色の光が海岸線沿いに並んでいる。
砂の上を飛行機が飛ぶ。
飛行場は霧で覆われている。
ドバイ時間で5時前に空港に到着する。まだ真夜中。
(日本との時差は5時間なので、日本時間だと午前10時頃)
モロッコ、カサブランカへの出発時間は7時40分となっている。
空港から出ることもできないし中途半端に3時間暇になる。
ドバイ国際空港の中をフラフラ歩いて時間をつぶす。
早朝。外は真っ暗。同じように暇な人たちが歩いている。あるいは寝てるか。
寝椅子のようなのがずらーっと並んでいる広い部屋はアラビア系の人たちで占められていて、
若干のヨーロッパ系の人たちが眠っていた。
黒い民族衣装を身にまとった女性たちがうずくまり、集団となって通路に寝ているのも見かけた。
よく見ると人によっては乳飲み子を側に寝かせている。20人ほどの集団に4・5人はいた。
彼女たちはどこから来てどこに向かうのか?
バックパッカーたちはベンチの下の物陰と動く歩道の壁の間の細い隙間に身を押し込めて眠っていた。
気付かずにベンチに座ったら背後で誰かがむくっと起き上がったのでびっくりした。
スターバックスが店を開いていて
起きている人たちの多くはそこで新聞を読んだり連れと話し込んでいた。
コーヒーを飲む気分じゃないし、どうも支払いがドルじゃなくて
現地通貨(Dh:ディルハム)しか使えなさそうだったので、
銀行はあちこちにあるものの両替するのがめんどくさかったのでやめといた。
(コーヒーを飲むためだけに小額を両替するというのはどうも、ねえ)
ちらっと見た限りではメニューは日本と変わらない。
免税店は24時間オープンのようで、どこも旅行者相手に商売を行っている。
衣服や時計やその他宝飾品のブランドは日本のデパートで売られているものと同じ。
「DKNY」だの「GIORDANO」だの並んでいる。
羽田空港ターミナル上の階で三越やその他の高級な店を見かけたが、
これから旅立つというのに誰が買い物なんかするのだろう?といつも気になる。
でも買っている人っているんだよなあ。ここドバイもそう。
食料や酒・タバコの店に入ってみる。
ハイネケンが12缶パックで約10ドル。
おおこりゃ安いなあと思っても今ここで買っても仕方がない。
中東でポピュラーと思われるお菓子(多種多様なのがある)に混ざって
プリングルスやキットカットを見つける。
家電の店では DVD や CD を売っている。
DVD は機内の放送にあった「カレンダーガール」や、
最近公開された「ビッグ・フィッシュ」や「スクール・オブ・ロック」が並んでいて、
「もう並んでんの?」と驚くのだが、よく考えると
これってただ単に日本での公開が遅いってことなんだよな。
CD はアラニス・モリセットやフランツ・フェルディナンド、あるいは N*E*R*D の
ついこの間出たばかりの新譜が並んでいる。
JA RULE だったり 2PAC だったりといったヒップホップ系が多かったように感じられるが、
これはアメリカと同じってことか。
(つまり現地の人相手というよりは外国人向け)
店先の売れ筋商品のコーナーにはジェニファー・ロペスや DIDO など
過去5年間のヒット作が並び、珍しいところでは MOBY の「18」があった。
これってインターナショナルにヒットしてたのか。
これらは1枚どれも 55Dh 均一。たまに 45Dh があるぐらい。
日本円にすると約1500円になるので、そんな安いわけではない。
上で書いたような英米のポップ・ロックだけではなく
「arabic」「budget」「hindi」といったコーナーもあり。
真ん中のは分からないがアラビア圏のものとインド圏のものってことか。
これは音楽のジャンルそのものではなくて、作成された地域を指すようだ。
なのでアラビア語のポップミュージックのアルバムに混じって、
ボブ・マーリーのこれまで見たこともないようなオムニバスが並んでいたりする。
「arabic」がだいたどれも 45Dh で、「budget」「hindi」はその半分ぐらいの値段だった。
これら3つのコーナーではCDと一緒にカセットテープも売られていた。
トイレに入る。大の方は和式。
(和式って言ってるがこれって日本だけのものじゃないんだよなって当たり前のことを今更ながら認識する)
なぜかシャワーが備え付けられている。使うんだろうな。人によっては。
(後で調べたところでは恐らくアラビア地方では紙を使わずに左手で云々というのに関係しているようだ)
個室を出て手を洗っていると、水の出るところに「自動」と書かれている。
最初は何も思わなかったが、よく考えるとこれって漢字。
日本製のをそのまま持ってきて設置したってことか。
インターネットが利用できる部屋があったので利用してみる。40分で6ドル。
自分のホームページを開いてみるとところどころアラビア語になっている。
「すげー」と思ってその感動をそのまま掲示板に書き込む。
日本語フォントがないので、片言の英語で。
その後またホームページのあちこちを見ていると
これってアラビア語ではなくて単に文字化けしているだけではないかってことがわかって
「あちゃー」と思う。俺ってあほじゃん。
でもブラウザの設定をあれこれ変えていくうちに
アラビア語モードにも変えられることが分かり、再現できた。
アラビア語圏だけあって文章が右から左モードと左から右モードが選べるようになっていた。
最初は前の人がアラビア語で見てたのをそのまま使って、
2回目は「日本語フォントないかなあ」といじくってるうちに英語にしてしまったのだろう。
いつのまにか空が明るくなっている。霧も晴れている。
搭乗の時間。ロビーにはもう日本人の旅行客はいない。
(機内に1人日本人らしき人はいたが、そのごカサブランカの空港で見かけたきり。違うツアーか)
日本語を話せるスチュワーデスもいない。
[1275] モロッコ(2)羽田→関空 2004-06-05 (Sat)【6月4日(金)夕方 − 6月4日(金)夜】
金曜の夕方。5時半になると仕事を終え、席のPCの電源を落とす。
下の階に下りて社食でわかめうどんを食べる。
テレビのニュースでは小学6年生の女の子がカッターで友人を殺した事件と、
日本に家族を連れ帰って2週間になろうとしている拉致被害者の会見について。
フロアに戻ると何人かから「行くの?」とか「いいなあ」とか言われる。
「楽しんできてください」とか「ちゃんと帰ってこいよ」とも。
その度に僕は「すんません」と謝る。
バックパッカー用のばかでかいリュックサックを背負って会社を出る。
カジュアルフライデーだったからよかったものの、とても会社員の仕事帰りには見えない。
浜松町の駅で羽田行きのモノレールに乗る。
ホームに立って次のが来るのを待っていると腕時計のバンドが切れる。
ウレタン樹脂が弱くなってたんだろうな。
3年前ノルウェーに行って帰ってきたその日に部屋の中で無くした腕時計。
つい先日掃除をしていたら見つかった。
無くしてから買い直したりはしなかった。そもそも腕時計をしなくなった。
東京に住んでいればあちこちに時計があるし、携帯があれば時間がわかる。
僕の生活に不要なものとなった。
今回旅に出るならあった方が便利だろうと、久しぶりに手首に巻いてみることにした。
仕事中は違和感があるので会社を出てから。
なのにあっという間にバンドが切れてしまった。
せっかく持ってきたのにな、と残念に思う。
でもよくよく考えてみると2年前上海に行ったときは腕時計してなかったはずだ。
あの時はどうやって乗り切ったのだろう?どうやって時間を知ったのだろう?
モノレールに乗っていると夕焼け。空のあちこちを飛行機が飛んでいた。
羽田に到着。
さっそくバンドを探すが、三越とかそういう高級な店ばかりで
バンドだけ売ってるような店ってない。店員に聞いてみても無いと言われる。
困ったなーと思う。
アフリカの都市で時間がわからないってものすごく怖いことなのではないか。
高いのでもいいから、かっこいいのがあったらカードで買ってもいいか、
そう思うものの欲しくなるような時計はなし。
諦めることにする。
団体のカウンターで発券された航空券を受け取る。
隣の国際線乗り継ぎ専用のカウンターで搭乗手続きを行う。列に並ぶ。
空港のJAL側にいたのでJALの制服を着た女性職員たちばかりなのであるが、
1人だけアラビア風な雰囲気のあるクリーム色の制服を着た女性がいて、
搭乗手続きを待つ人たちのあれこれ世話をしている。
どうもこの列はみな僕のようにエミレーツ航空でドバイへと向かう人たちの集まりらしい。
後で「地球の歩き方」を読んでみて分かったのであるが、
エミレーツ航空を利用してドバイまで行く便は関西国際空港からしか出ていなくて、
羽田−関空間はエミレーツ航空と日本航空とのコードシェア便ということになる。
(話が前後するが、↑はドバイを本拠地とする航空会社である)
エミレーツ航空の女性はドバイ行きの飛行機の中でも見かけたので、
恐らくスチュワーデスだったのだろう。
僕ら乗客と一緒に羽田から乗ってきて、そこから先はスチュワーデスとして勤務。
羽田発関空行きは満席。
僕の前に並んでいる中東が好きそうな髭を伸ばしたおじさんと
エミレーツ航空のスチュワーデスとで話しているのを聞いたところでは
金曜の夜のこの便はたいがい混むのだという。
(もちろん、みんながみんなドバイに行くわけではない)
僕の前後にはドバイに遊びに行くと思われる中年に差し掛かった男性たちの集団や
現地の知り合いに会いに行くのか、大きな小包のようなものを預けようとしている男性の姿があった。
僕はすることもなく航空券を眺める。
旅行業界の仕事の長くなった僕は
普通の人ならば英語交じりの意味の不明な暗号の羅列としか思えないような
国際航空券の印字内容がだいぶ分かるようになっていた。
「フライトセグメントが6つあるからやっぱコンジャンクションになるんだなー」
なんてことを。食い入るように眺める。
こんな僕の姿を見た人は何を熱心に見ているのだろうと不思議に思ったかもしれない。
僕の番になり、リュックサックをカバーですっぽり覆ったものを渡したところ、
これでは不安だと言われさらにビニール袋に包まれることになる。
こんなことならカバーを買っても買わなくても一緒だった。
カサブランカまで何度も荷物の積み替えが行われる。果たして無事に届くだろうか。
窓際か通路側のどちらを希望するか聞かれ、通路側と答える。
手荷物検査ではペットボトルが入ってないか聞かれる。
取り出して別にする。関空でもそうだった。
前はこんなことなかったよなー、と思う。
取締りが厳しくなるのはわかるとして、なぜペットボトルが?
出発待ち。
お土産屋や暇つぶしの本やそのた日常雑貨を扱う店に入ると
デジタルの腕時計が2000円から売られている。
あーこんなんでいいんだよなと思い、
どうせ出発まで時間あるからとゆっくり時間をかけてどれにするか選ぶ。
たくさん種類はあるのだが、さすが2000円だけあってどれもたいしたことない。
その中でも僕は最もおもちゃっぽい雰囲気をもったものに決める。
文字はひたすら大きくて、バンドは赤紫。
7色の発光ダイオードが順々にライトとして光る機能もあり。
羽田発の関空行きは当初聞いていたように満席。
金曜の夜だから出張帰りの人たちや単身赴任の帰省なのだろう。
離陸する。東京の夜景が瞬いている。
模型のような町の豆電球の灯かりがどこまでも続いている。
こんなふうに東京の夜景を眺めるのはもしかしたら人生で初めてか、と思う。
機内では先ほど買ったばかりのトラベル英会話の本を読む。
このフレーズあのフレーズみんな知識としては知っているものの
実際口をついて出るだろうか。出ないんだよなあ。
英会話の知識よりも欄外のコラムの方が役に立つ。
トランジットとトランスファーの違い。
前者は同じ航空会社での乗り継ぎを指すのに対し、
後者は別の航空会社だったり、国内線への乗り継ぎを指すのだという。
空港によっては到着後に進むべき出口が両者によって異なる。
3年前、コペンハーゲンの空港にて同じスカンジナビア航空の便で
オスロ行きに乗り換えようとしているのに
「Transfer」の掲示のなされている方はひっそりとしていて人気がなく、
こっちじゃないはずなんだよなあと不安になったのを思い出す。
話し好きなスチュワーデスが僕の斜め前の旅慣れてなさそうな老夫婦の元を何度も訪れ、
笑顔を浮かべながら話し込む。
1時間少々で関西国際空港へ。
海の上を小さな船が浮かんでいる。屋形船みたいなものなのだろうか。
空港の滑走路では赤・青・黄・緑の誘導灯が幾何学的な模様を描いている。
ふと見上げると満月。
22時過ぎ。ここでは乗り換えの時間はほとんどなくて
エミレーツ航空のドバイ行きは今から1時間もしないうちに出発する。
深夜の関西国際空港はシンと静まり返っている。
かろうじてその機能を保っているというような。
免税店はしまってるし旅行者も少ない。
吹き抜けガラス張りの作りがコペンハーゲンやオスロの空港を思わせる。
(近未来的な巨大な場所に人がいないという雰囲気は僕、妙になぜか心惹かれる)
出国審査の後ドバイ行きの登場口に着くと
どことなく異国情緒溢れる香料・スパイスの香りがする。
アラビア風の人たちばかり。日本人はぐっと少なくなる。
それとなく話してるのを聞いてると日本人はみなドバイが目的地のようだ。
僕も今回の旅行をするまで意識してなかったのだが
リゾート地としてのドバイはポピュラーな場所になりつつある。
訪れやすい中東ということで。
アメリカ人っぽい小さな女の子がいて、飛んだり跳ねたりはしゃいでいた。
カメラを向けるとはにかむ。
その後現れた父親は日本人で、女の子は流暢な日本語で話していた。
機内へ。
エコノミークラスであっても座席には小さなモニタがあって、
ビデオが見れてゲームまでできる。
(映画は「カレンダー・ガール」の名前を見つけることができた。後はわからないものばかり)
ドバイ編の「地球の歩き方」を読むとコラムにエミレーツ航空の評価の高さが書かれていた。
スチュワーデスは日本人1人の他にヨーロッパ系の人たちやアジア系の人たち。
日本人スチュワーデスは羽田で見かけたあの人のようだ。
機内のあちこちでアラビア語による表示がなされている。
機内食は和風か洋風を選べるようになっていて、
どちらにせよ豚肉は使用していないと注意書きがなされている。
[1274] モロッコ(1) 2004-06-04 (Fri)突然ですが、僕今日これからモロッコへ行ってきます。
会社を定時に出るとリュックサック背負ってそのまま羽田に行って、関空で乗り継ぎ。
深夜便でドバイ経由でモロッコのマラケシュへ。
帰ってくるのは来週土曜の夜。
こういうツアー。
http://www.ab-road.net/cgi-bin/abnet/abtour/cabw4_01_1.cgi?tourcode=AB105429&toursuffix=1&d_month=6&d_date=5&d_city_code=TYO&proc_flg=1&site_code=01&root_type=98
サハラ砂漠。
ラクダに乗って砂丘を進み、テントで1泊。
砂漠の中で夜明けを見る。
死ぬまでに1度は体験してみたかったこと。
プロジェクトは相変わらず大変なことになっていて
休みも取れずフラフラになりながら仕事している人もいる中で
一週間も休みを取って海外旅行に行くってのはかなりヒンシュクものなんだけど
もー構うものか!!
別に僕自身現時点で全然暇ではないし、今行くってのは仕事をほっぽりだすようなもの。
でも来年3月までどんどん忙しくなる一方だし。
適当な理由つけて休暇の申請してみたら通ったんで、後先考えず僕は旅立つ。
今日になって急に取り消しになったら来週全部無断欠勤で行く。
帰ってきてクビになっててもまあいいです。
---
ほんとはエジプトに行くつもりだった。
「ピラミッドを見たい」人間足るもの1度は見ておくべきだ。ついでにサハラ砂漠も。
そう思って探してみたらどの旅行会社のであっても
エジプト行きのツアーの日程に「サハラ砂漠」って書いてないんですね。
ここで初めて僕は「ああ、サハラ砂漠ってエジプトじゃないんだな」ということに気付く。
アフリカ大陸の1/3を覆うって言うし
エジプトの写真ってどこをどう見ても砂地なのでてっきり
彼の地まで延びているものだとばかり思っていた。
いやーどこかで恥をかくところだった。
そんなこんなでエジプトがトーンダウン。
じゃあサハラ砂漠に行くにはどの国から?となると
モロッコかチュニジア。
アルジェリアは現在政情が不安定なようで旅行会社も扱っていない。
モロッコというとポール・ボウルズが精神的な「亡命」先に選んだ土地。
47年からタンジール(タンジェ)に住み続け、99年にその生涯を終える。
彼がサハラ砂漠に強力なオブセッションを得て書いた「シェルタリング・スカイ」は余りにも有名。
ポール・ボウルズに限らず、バロウズその他大勢の作家が
このタンジールに移住・滞在して作品を発表している。
あるいはストーンズのブライアン・ジョーンズ。
60年代後半に何度かモロッコを訪れ、山間の村「ジャジューカ」にてアッタール一族と録音を行う。
彼が不慮の死を遂げた後その音源は「ジャジューカ」という名前で発表され、幻のアルバムとなる。
モロッコ。どんな場所か行ってみたいとずっと思っていた。
行きたい!!
で、ツアーを探してみたらモロッコに行くのってどこもかしこも
8日間周遊みたいなものしかなくて、
サハラ砂漠に行きつつタンジールも行くとなると10日間は平気で超える。
しかも50万とかする。
よく見ると添乗員付きで行く先々で豪華なホテルに泊まる。
あーこういうのって若い人が行くのではなく、
エジプトと一緒で年配の人たちがゆったり行くものなのだなということがわかる。
金の問題ではなくて、時間の問題。
さすがに10日間も休めんよな。しかも休みに入ってすぐの土曜に出発するもんでもないし。
帰ってきたらぐったりしてさらに休みたくなるだろうし。
いったん諦める。
休暇は取得できたもののあと2週間ちょっとしかないし
もっと気楽なところに行こうかと考える。
そんなとき旅行会社の店先で無数に並んだパンフレットの中でふと見かけたのが
オーストラリア、エアーズロック。
到着後すぐ上って朝日を見て、その次の日はケアンズかシドニーで過ごすという
5・6日間のツアーがどこの旅行会社からも出ている。これは手頃だ。
グレイトバリアリーフも見れたらリフレッシュにちょうどいい。
心がかなり傾く。申し込み寸前まで行く。
・・・のであるが、「これでいいのだろうか」ともう1人の自分が囁く。
男なら初志貫徹。
オーストラリアならもっと直前でも申込できるはずだ。
もう少しだけ探してみよう。
インターネットであれこれ検索する。
本屋に行ってはモロッコ関係の本を漁って専門の旅行会社がないか探す。
日程と予算と希望を入力したら各旅行会社に見積をもらえるサイトってのがあって、
そこで申し込んでみたりもする。
で、あれこれやっているうちに見つけたのが冒頭のツアー。
これも最初は問い合わせしたら満席だって言われたのを何かと掛け合っているうちに
本来ならば8日間だったのを日程を一部変更して9日間としてもらうことで行けるようになった。
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この前の土日のうちに必要なものを買い揃え、詰め終わった状態で今日を迎える。
砂漠にスーツケースで行くのも変だよなあと
バックパッカー用の大きなリュックサックを買うことにする。
新宿駅南口の VICTORIA (1階から8階まで登山・キャンプ用品のとんでもないビル)にて
どんなのがいいかなあと見て回ってると
karrimor のでかっこいいのがあって一目惚れ。即購入。
砂漠のテントで寝るとき用に寝袋も買う。
基本的に着替えと↑の寝袋さえあればいいはずなのに、
なんとなく不安になってデパートの旅行用品コーナーにて
洗濯物を吊るす紐だとか衣服を圧縮してサイズを半分にする袋だとか買ってしまう。
後はノートPCとビデオカメラ、デジカメ用のスマートカード。
モロッコとドバイの「地球の歩き方」
(日程の関係で、最終日ドバイに1泊することになった)
日焼け止めと胃薬、
砂漠の夜は寒いんだろうなあとネルシャツ。
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あー、あとは行くだけだ。
乗り継ぎが大変で、着いてからも列車乗ったりなんなりも添乗員なしで
もしかしたら全部1人でこなさないといけないかもしれない。
(今回のツアーが誰かと一緒なのかどうかって現時点ではわからず)
ちょっと不安になるが、まあなんとかなるだろう。
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今日からの9日間、帰ってきてからの僕は果たして何を考え、何を思うことになるか。
[1273] 犬とか猿とか虫とか人間とか 2004-06-03 (Thu)もしもセックスというものがちっとも気持ちよくないものであるとしたならば
この世界はどうなっていたか?
ここで言う気持ちいいとは精神的なものではなくて、もっと即物的なものだとする。
(えげつない言い方をすればエロマンガの中で(自粛)とか表現されるもの)
生殖活動に対する興味が失われて人類はあっさりと滅亡する、というのはひとまず置いておく。
言葉を交わすこと、見詰め合うこと、
お互いの距離が物理的/比喩的に縮まること・遠ざかること。
そういうことだけで恋や愛というものが育ったり育たなくなったりする。
そんな世界。
どこまでもプラトニックな出来事になる。
それはいいことなのだろうか?
楽しいことだろうか?
そこでは例えば手を握り合うということが最も強い刺激となる。
あるいは口付けを交わすこと。
もしかしたらそこでは体と体のふれあいなんて意味のないことのように思われるかもしれない。
大事なのは心と心がいかに触れ合うか。
生殖活動のためにカロリーを消費することはなくなるんだろうな。
「アナログな方式」とか言われて。
全てが機械化され、コントロールされる。
都会化された地域であるほど人工授精の割合が高くなる。
アナザーワールド東京では95%を超えている。
「ええ、主人と同意の下に優秀な遺伝子を掛け合わせようと・・・」
そうなったとき、逆に、裸になるということは何のためらいもないものになるのかもしれない。
あー今日は暑いなあと感じると、男女構わず
オフィスだろうと地下鉄の中だろうと服を脱ぎ始める。裸になって涼しい顔をする。
隠すものなんて何もない。
そんな人たちが平然と歩き回っている世界。
そうだ、「あの人かっこいい!」「あの人きれいだなあ」という感覚もなくなるはずだ。
(だってそういうのって辿っていくと結局は性的な欲望につながるから)
美醜という判断軸はなくなる。
もしかしたら身だしなみというものもなくなるかもしれない。
顔のつくりとは他人Aと他人Bとを区別するものでしかなくなる。
いや、果たしてそうなのか?
だとしたら人はどういうときに恋に落ちるものなのか。
言動と立ち振る舞いだけから人のランクが決まる?
でもそれって今と一緒と言えなくもないよな。
そんなわけで根源的な質問に立ち返る。
人はどんなときに恋をするものなのか?
人はなぜ恋をするものなのか?
人を好きになるってのはつまるところなんなのか?
で、質問が逆転する。
そんなとき、セックスはどんな役割を果たすのか?
---
例えば電車に乗っていて、吊革広告に20代後半の女性をターゲットとする雑誌の広告が載っている。
直接的に間接的に「セックス特集」となっている。
どんなときに感じるか。どうすれば感じるか。
そういうこと。
(「パートナーとの体の相性」なんて書かれていると、僕はこの年になってもドキッとする)
その一方で男性たちの偏りに満ちた性的欲望を束の間であれ充足させるための雑誌もまた、
大手を振って流通されている。
冷静になって数値化するならばどうしようもない、ありえないようなファンタジーが繰り広げられている。
なのにそこにどうしても惹かれてしまう。虫けらのように。
若くても若くなくても、お金があってもなくても、
多かれ少なかれ人間というものは性欲というものに振り回されている。
そしてこの世界を右であれ左であれ前であれ後ろであれ、「動かす」力になっている。
この世界を動かす最も大きな力。
どうしようもない気持ちになってどうしようもないことをする。
実際にそういうことができる人もいればできない人もいる。
相手がいる人もいればいない人もいる。
自分の中の欲望に素直になったとき、いろんなことがうまくいかなくなる人がいる。
コノセカイハナンテオカシナモノナノダロウ、と思う。
---
あなたの性生活はあなたの生活をどんなふうに規定しているか?
あるいは束縛を、演出を。
あるいは喜びや、悲しみ。
[1272] 歯医者その5 2004-06-02 (Wed)歯医者5回目。前回、
「私は毎晩歯磨きしている時、オカムラさんのこと思い出しましたよ。
ちゃんと丁寧に歯磨きしてるかなーって」
「だからオカムラさんにも毎晩歯磨きする時は私のこと思い出してほしいんですね」
なんて言われている。
僕としてはもう歯医者で歯を治しているという感覚はなく、
気分的にはぶっちゃけた話キャバクラで楽しいひと時を過ごしているのと一緒。
キャバクラ嬢ですら例え嘘でもこんな夢のあるようなことは言ってくれない。
もう毎日でも通いたい。
優しく歯を磨かれたい。
・・・そんな気分でいたのであるが。
昨日の夜行ってみると前回ほど話し掛けてくれない。
世間話っぽい話をすることもなく、ただ淡々と歯石を取る作業が続く。
前回が幻想だったのか。
前回の治療が終わった後、「お疲れ様でしたー」と言われていたにも関わらず、
(しかもたぶん笑顔で)
僕、上の空で歩き去ったんだよなあ。
そういうのがいけなかったのかなあ、なんて考える。
たまにちょっと話し掛けられた時には
「はい」「いいえ」レベルではなくてこちらからもあれこれ返すようにする。
角度によっては歯石が取りにくいようだったら、それとなく口を大きく開けるようにする。
いつのまにか、「どうしたら好印象を与えられるんだろうか」ってことを考えている。
なんだか今日はどことなく急いでいるような感じがして、
ふと時計を見ると終業時間である19時が近付いている。
「この後彼氏とデートだろうか・・・」そんなことを思う。
これだけかわいい人なら彼氏だっているよな・・・。
結局のところ僕はただの患者の1人でしかない。
歯医者のベッドに横たわりながら切ない気持ちになっている僕っていったいなんなのか・・・?
最後に歯を磨かれている時が一番切ない。
(続く)
[1271] 旧芝離宮恩寵庭園 2004-06-01 (Tue)浜松町の駅から竹芝桟橋まで向かう途中に「旧芝離宮恩寵庭園」がある。
朝晩必ず、駅と会社とを往復する間にその横を通り過ぎる。
ビルに囲まれた小さな庭園。
ずっと前から気になってはいたが、入ったことはなかった。
月曜の昼間、会社で仕事していて「うー、疲れた」と気分転換したくなる。
会社を抜け出して散歩しようと思ったとき、ここのことを思い出す。
入場料は150円。気軽に入れる。
ほとんど人はいなかった。
僕のように会社をサボっているサラリーマンが多いのではないかと思ったのだが、
そんなことはなかった。2・3人ベンチで休んでるぐらい。
観光客として外国人やおばさんたちの小さな団体ががちらほらと見受けられた。
(人が少なかったのは5月にしては珍しく30℃を超えていたからかもしれない)
チケットの裏に書かれた解説を読むと
「延宝六年、時の老中大久保忠朝が下屋敷として賜り・・・」とある。
延宝六年というのがどれぐらいの時期なのかよくわからないんだけど、
とにかく歴史的に由緒ある庭園のようだ。
大正十三年に一般市民に開放する。今年はその80周年なのだそうだ。
一周してみる。芝生沿いの道を歩く。
池には橋がかけられ、その下をでっぷりと太った鯉が泳いでいる。
蓬莱山というんだったか、中国の伝説に出てくるような
浮世離れした山をかたどった小さな島があった。
池の中に海水を流入するための水路が江戸時代の頃はあったようだが、
今は真水を引くようになっている。
園の中心にある小高い丘を上る。
すぐ目の前に汐留のマンションとビル群がそびえている。
足元には池がのんびりと広がっているこじんまりとした庭園。
なーんかシュールな光景だなあと思う。
どの方角を向いてみてもそんな感じ。
築地の方面にちょっと行けば姉妹ものなのか「浜離宮庭園」がある。
こちらはフェリー乗り場があったり、菜の花畑やお茶屋があったりとなかなか広い。
都会のオアシス。芝離宮ともども
もっともっと利用するようにした方がいいよなー。
[1270] 悲しみに満ちた世界 2004-05-31 (Mon)会社の帰りにコンビニに立ち寄る。
平日にしては珍しく缶ビールをレジに持っていく。
隣のレジでは髪を金髪にした10代の若者が焼酎か何かの瓶をカウンターに置いて
ビール券を見せる。「これで」
店員が言う。
「差額が113円となりますが、当店ではお釣りが出ませんが、よろしいですか」
なんでだよ?
スーパーでは出たぞ?
・・・当店ではそうなってまして。
なんで出ねえんだよ?
なんでだよ?言えよ。わけわかんねえよ。
コンビニの中がシーンと静まり返る。
天井に取り付けられたモニターからの芸能人の笑い声だけが聞こえる。
僕と向かい合っていた店員はうつむいたまま
何事もなかったかのように僕に小銭とレシートを渡す。
僕は受け取る。缶ビールの入ったビニール袋を掴む。
僕は店を出る。
夜道を歩いていると目の前を背の低いおばさんがゆっくりと歩いている。
泣いているようだ。
声張り上げて号泣、ではなく、一定の間隔でしゃくりあげるような。
歩き続けるうちに僕はそのおばさんを追い越す。
少しばかり気になるんだけど、一切見ないようにする。
振り返ったり、横目で見たりはしない。
忘れるようにする。そのまま歩き去る。
家に帰るって上着をハンガーにかけ、ネクタイを緩めると
缶ビールをゴクゴクと飲み干す。
テレビではイラクで射殺された日本人2人のことを報道している。
僕はテレビを消す。
シャワーを浴びてロフトに上がり、眠ろうとする。
目をつぶらないでしばらくの間天井を眺める。
真っ白な壁紙を眺める。
この世界は悲しみに満ち溢れている。
もう1度繰り返す。
この世界は悲しみに満ち溢れている。
僕はそのまま通り過ぎるべきなのだろうか。
この世界を。あの暗い夜道を。
それとも。
どうしたらいいのだろう?
僕に何ができるだろう?
そんなこと考えない方がいい?
そんなこと考えない方がいい。
眠れ、眠ってしまえ。
僕は目を閉じる。
[1269] 国立→国分寺 2004-05-30 (Sun)ふと思い立ち、国立まで行って「スタ丼」を食べてくる。
半年に1度ぐらいそんな時がある。
先週カレーの会で「スタ丼」が話題になったとき
「あんなまずいもの2度と食う気がしない」という意見が多かったが、
「そうかなあ」と僕は思う。
確かに客観的に言ってうまいかまずいで言えばまずいのだと思う。
でもなぜかあれうまいんだよなあ。
B級グルメとしては都内最高峰のはず。
吉野家から牛丼が消えた日(今となっては「そんな日もあったな」という感じ)
の前後に「じゃあ替わりとなる丼ものは何か!?」
ということでテレビの取材に取り上げられたようだ。
その後店に行列ができたのだという。
前訪れたときの日記に書いたが、
店の名前は「札幌ラーメン」という曖昧なものではなくなって
「スタ丼の店」に替わっていた。
「もうこれでやっていきますよ」という決意表明というよりは
僕ら学生の頃、店のことを「札幌ラーメン」と呼ぶことは決してなく
「スタ丼の店」とか「スタ丼」とか呼んでたから、
そしてそれが大学での伝統だったから、
店の名前をそれに合わせた方が手っ取り早いということなのだと思う。
店内もきれいになった。
内装が総入れ替えされて、小汚いその辺のラーメン屋から多少よくなった。
昔はスタ丼大盛りとラーメン大盛りを食べきったら
壁に名前と学校名を書いた紙を貼ることができたのだが、
今はそういうのやってないようだ。
卒業後何年かの間は訪れる度に
「ああ、××君や○○先輩の名前がまだ残ってる!」としみじみしたものです。
昔は大盛りといえばラーメンの丼いっぱいにご飯が入っているというものだったが、
今もそうなのだろうか?
店内の貼り紙を見たら「通常の2倍の分量です」とあるので、
昔みたいな無茶な分量ではなくなったのかもしれない。
それに昔は普通と大盛りしかなかったのに、「中盛り」というのもできていた。
そもそもメニューも増えてるし。キムチチャーハンとか。
久し振りに食べる味は何も変わってない。
生卵が昔は直接肉の上に落とされていたのが、
松屋のように小皿に分けられて渡されるようになったぐらい。
味噌汁は相変わらずもやしが入っているだけ。
味も何も豚コマをニンニクを摩り下ろした醤油に漬けてるだけ。
学生時代はまって毎日のように食べていた頃、
あの味を家で自分で作れないかあれこれ試してみたのであるが、
結局あれは何も小細工してないのだろうということがわかってあほらしくなってやめた。
そもそも今の学生たちはスタ丼食ってるのだろうか?
・・・荻窪まで進出してこないかな。
---
食べた後は古着屋「Antique John」を覗いた後、
クラプトンという最近?できた中古CD屋に入ってみて、
最後は駅前の DiskUnion で締め。
ちょっと離れたところに DiskUnion の中古センターってのがあったんだけど
今はもうなくなったようだ。2階全部中古っていうとんでもないものだったのに。
不景気なんだろうな。Audio Union もなくなっていた。
大学には足を踏み入れず。さすがにもう知ってる人もいない。
教授たちも休みの日には来ないだろうし。
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時間があったので国分寺へ。
国立は半年に1度ぐらいは訪れるのに、国分寺なんてもしかしたら2・3年ぶり。
国立は来る度に店が入れ替わって新しくなっていってるのに、
国分寺は何も変わってないように感じられた。
「朝日屋洋品店」(古着屋)や「珍屋」(中古レコード屋)が
10年前と同じように店を構えていた。
「珍屋」って今でも「ゆらゆら帝国」の坂本慎太郎がふらっと店に入ってくるのだろうか。
(そういう話をよく聞く)
先週のカレーの会で国分寺が話題になったとき、
元プロレスラーである「輪島」のダンゴ屋が国分寺にある、
「ダンゴ3兄弟」がヒットしたときにインタビューを受けていわく
「うちのダンゴは串に4つ刺さっててうんうんかんぬん」
そんな話を聞いた。
今では店を親戚にあげてしまったとか。
今日に限ってずっと探していた CD がたくさん見つかって、全部買うことになる。
思わぬ出費。
Wire 「The Peel Sessions Album」 Minimal Compact 「Raging Souls」
Eurythmics 「Touch」と Laura Nyro 「walk ths dog & light the light」の日本盤など。
Tuxedomoon の Blaine L.Reininger のソロも3枚見つける。
特に聞きたい気持ちではなかったんだけど、
ここで買い逃したらまたいつ出会うかわからないので買っておく。
最近買いすぎた分そろそろCDをまとめて売り払わないとな、と思う。
[1268] 「ビッグ・フィッシュ」 2004-05-29 (Sat)ティム・バートンの最新作「ビッグ・フィッシュ」を見た。
これは傑作だと思う。
ここに来てティム・バートン一皮向けたというか旬の時期に入ったというか。
これまでの彼は歪んだ、グロテスク(かつコミカル)なファンタジーでいっぱいの
箱庭的世界の創造が好きで好きでたまらなくて
それだけでもう十分という感じがあったように思う。
そしてそこには「他人とうまコミュニケーションがとれない」
「他人にわかってもらえない」
そんな孤独の叫びがシュールな映像の陰にそっと押し隠されていた。
そこに作家性を見出す人もいれば、「暗いね」「オタク」の一言で片付ける人もいて、
(まあ、怪獣映画マニアと目されてもいるし)
ティム・バートンは愛すべき、B級映画の天才みたいな扱いをされてきた。
本来ならばA級の映画が撮れるはずだし
興行的にも成功できる作品も撮ってるのに、
どうしても最後の最後で自らの箱庭的世界で充足してしまう。
殻を打ち破り一歩踏み出そうとしているのに怖気づいている少年/青年のような。
父の死や息子の誕生といった実生活での出来事に触発されたのか、
それとも物事はそんな単純ではないのか、
今回の作品ではこれまでの殻をあっさりと打ち破り
誰が見ても「開かれた」作品となっている。
シュールな物語と映像はこれまで通りなんだけど、ぐっと現実的。
まだ朴訥としているけど外の世界の人たちと
ちゃんと目を見て会話しようとしている彼がいる。
ふわふわと宙を漂って居心地のいい白昼夢の中にいたティム・バートンが
しっかりと地に足をつけてこの大地を歩き始めた。
これまでにも20年近いキャリアがあるのに
大きく変わっていくことを選んだっていうのはとても素晴らしいことだと思う。
言う事全てホラ話ばかりの父親。
「息子が生まれた日、それまで誰も釣り上げられなかった川の主(巨大な魚)を
自分は結婚指輪を糸にくくりつけて・・・」とかそういう話。
周りの人たちには愛されているが息子はそんな父親のことを疎ましく思い、
もう何年も疎遠な関係が続いている。
父親の余命いくばくもないところから映画はスタート。
息子と妻が久し振りに家を訪れる。
病床に付していても相変わらず父親はホラ話/おとぎ話を繰り返す。
おとぎ話という形を借りて、彼の半生が語られる。
「小さな池の中の大きな魚になってちゃいけない」
そう思った若い頃の彼は巨人と共に生まれ故郷の町を出る。
住民たちが皆にこやかにはだしで過ごす夢のような小さな町「スペクター」に通りがかり、
そこからまた旅を続けているうちにサーカスで働き出すことになる。
理想の恋人にめぐり合い、大恋愛の末に結婚にこぎつけるものの兵役に取られ、
パラシュートで降下したアジアのとある国にて出会った
シャム双生児の歌手と脱走劇を繰り広げるのであるが、
妻の元には行方不明による戦死を告げる電報が届き・・・
そんな彼の回想がティム・バートンお得意のシュールな映像で描かれる。
息子は父の真の姿を見たいと主張するのであるが、父は
「いつだって自分は自分のままでいたのに、おまえにはそれが見えないのか」と言う。
父のガラクタを片付けているうちに
息子は「スペクター」の土地権利書や軍隊からの電報を見つけ、
何もかもが嘘ではなかったのだということを知る。
父の本当の姿というものがようやく少しだけ垣間見える。
病室で最期の時を迎えようとしている父。もう話すだけの力がない。
息子は父の替わりに想像力を駆使して語りだす。そのお話の中で
病院を抜け出した2人は車を飛ばして在りし日に巨大な魚を釣ったあの川へと向かう。
川岸ではそれまでのおとぎ話に出てきた全ての人が盛装して2人の到着を待っていて、
その川の中では・・・。
もうこの頃から僕はじんわりと涙が出ていた。
これを書いている今も泣きそうになってきた。
心の中に「男の子」をいまだに宿している男性ならば泣かずにはいられないはず。
(女性の立場からするとどうなのかはちょっとわからない)
---
評論家渋谷陽一の「ロック ベスト・アルバム・セレクション」というガイドブックの中の
XTC「Black Sea」を論じた箇所で、こんなことを書いている。そのまま引用する。
「イギリスの新聞が彼らについて述べたコメントの中で
『頭もいい、才能もある。しかし何かが足りない』という表現をとっているが、
正に言い得て妙という感じがする。彼らについて、その音楽性が低いとか、
知的要素が足りないといった批判をする人間はいないだろう。
しかしいまだに大きくメジャー・ブレイクせず現在の適当な位置での低迷、
といった状況を招いているのは、彼ら自身にロック・バンド的な
ハッタリをきかせる何かが足りないのが原因ではないだろうか。
しかし逆に、その何かが欠落している部分が魅力とも言える」
これってティム・バートンにもそっくりそのまま当てはまる。
「バットマン」を見ても「マーズ・アタック!」を見ても「エド・ウッド」を見ても
僕にはいつも何かが欠落しているような感じがしていた。
ぽっかりと空いた大きな穴。
空虚というのではなく、
上に書いたような「孤独」や「コミュニケーションの欠落」ともある意味違ってて。
描かない・描けない部分により何かを語るというのでもない。
僕にもうまく言えない。
「ビッグ・フィッシュ」を見て、やはり僕はそれを感じた。
他人に対して心を開くようになっても、この人特有の生来の不器用さは何も変わっていない。
映画を作るのが下手というのではない。
他のハリウッドの監督ならば全てスムーズに淀みなく進めてしまうところで
彼はふと「これでいいのかな・・・?」とゆっくりと足を止めてしまい、
空を眺めるようなところがある。
そこがまた不思議な魅力になっている。
今回の映画で初めて、
そのときティム・バートンがその見上げた空に何を見たのか
というのが描かれるようになったと思う。
[1267] 言い訳論 2004-05-28 (Fri)うちのプロジェクトでは毎朝9時から朝礼を行っている。(入社以来初めて)
それまで9時半や10時にのんびり来ていた人たちも9時に来るようになった。
ちょうど9時に間に合わず2・3分遅れてきた人たちはそーっと自分の席へと向かう。
朝礼に間に合わなかった人たちはさらにそーっと、忍びこむようにフロアを歩く。
近くの席の女の子が9時30分頃そんなふうにこっそり席に座ったので
「遅刻だろー」と僕は指摘する。
僕としては彼女が遅刻してこようがなんだろうがどうでもいいのであるが、
そのあまりのこっそりさ加減(「気付かれないように気付かれないように・・・」)が
絶妙だったので指摘せずにはいられなかった。
「えーだってー」と彼女は言う。
「だってなんだよ?」
「犬がー」
「犬がなんだよ?」
「えーと、帰ってきたんです」
「?」
「半年前に家出した犬がー、子供を3匹連れて帰ってきたんですー。
だからもー私としてはー」
「なんだそりゃ」
「アハハハー、こんな言い訳ダメですかねー」
ダメに決まっとる。
そもそもの是非はともかくとして、言い訳の内容が。
犬の帰還というイベントがそれほどまで心を動かされるものであるならば、
30分で切り上げて出社したというのはありえない。
仮病を使ってでも1日休んで再会した犬との交流を慈しむのが人間というものである。
よって言い訳にリアリティーがない。
彼女には悪いが、これは言い訳としては二流ないしは三流と言わざるをえない。
30分遅刻してきたのであるならば、
ジャスト30分の経過を必要とする出来事をでっちあげなくてはならない。
老人に道を聞かれて案内してました、の方がまだいい。
じゃあ僕ならどう言い訳するか。
本来ならばそこへ話が進むべきなのであるが、
僕としては「これぞ一流の例」というのを示すつもりはない。僕ならこう答える。
「あー遅刻ですか?そりゃすいませんねえ。アハハハハ」で終わり。
遅刻したという事実だけを認めて後は適当に流す。小細工のような言い訳はしない。
社会人になって分かったことであるが、仕事のできる人は言い訳なんて聞いてない。
何か問題があったときに聞きたいのはだいたい以下のようなこと。
・何が起こったのか
・何が原因だったのか(客観的な事象として)
・どう対処するか、あるいはしたのか
・再発しないためにはどうするか
喫煙ルームで休憩してるのでもない限り個人的な都合を話したところでジャッジの基準とならない。
そんなわけで必要とされるのは物事を客観的に捉え報告するための冷静さとなる。
求められるのはあくまで現実性。
・30分遅刻しました
・昨日夜遅かったので寝坊しました
・すぐ家を出るようにしました
・夜更かししません(あるいは、目覚し時計を買い換えます)
会社ならこんなんでいい。
まあ、いちいちこんなこと報告されてもうざったいだけだが。
表向きの話はこんなもんだとして、裏向きとして必要なのは「開き直り」だよな。
「遅れてきたぞ、文句あるか!」ぐらいの。
「30分?細かいことこだわんなよ」とか。
要するに居直ったものの勝ち。
これまた社会に出て分かったことであるが、世の中キレたもん勝ち。(このこと前にも書いたな)
キレるという行為のタイミングとパフォーマンスをきれいにコントロールできる人間は
かなり世渡りがうまくなる。出世する。
コントロール不能なんだけどそれなりに理不尽ではなくて、
周りに適度な恐怖感を与えられる人はさらに出世すると思う。
新入社員がそろそろ配属される頃なので、以上のようなことを考えた。
今の僕が新社会人に対して送る言葉としては、
「言い訳することを覚えたら、ろくな大人にならないよ」
[1266] 停滞する/打破する 2004-05-27 (Thu)そこでは色彩がなくなって僕たちの姿は白と黒の線によって描かれる。
遠くから眺めるなら真っ白な地面の上をそれぞれが黒い点でしかなくなる。
手を振って大声で叫んでみてもかき消されてしまう。
砂浜に押し寄せる波しぶきがスピードを落としていってやがて静止する。
ストップモーションの街並みを僕らはうつろいながら探索する。
僕たちは眠っていた。目を覚ますとそこは世界の果てだった。
空が遠ざかる。どんどん小さくなっていく。
僕たちは破片のようになってこの星をさまよう。
白熱する巨大な光が頭上で輝いている。
僕らはその照り返しの中に消し飛ぶ。
---
と、ここまで書いてきたのであるがここから先何も思い浮かばず。
という以前にこういう内容も飽きてきたなあと思う。
なんかもっと斬新なことが書けないものか。
マンネリ。
打破するにはどうしたらいいか。
このままだと完全に行き詰まる。
毎日毎日同じことを繰り返すだけになる。
やがて停滞する。
変わり続けなければ、やがて生命を失う。
この世界の他の誰にも書くことのできないものを書くにはいったいどうしたらいいのだろう?
そういうのって見つかるのだろうか?
僕がこの世界をどんなふうに見ているか。
僕がこの世界で何を見たか。
自分自身を変えないことには何も始まらないということか。
[1265] 「レディ・キラーズ」 2004-05-26 (Wed)今日は会社には行かず、朝からデータセンターに直行して1人きり作業。
カタカタとキーを打ってモニタとにらめっこ。
1人なのをいいことに「うー」とか「ああ・・・」とかボソボソ呟きながら。
(だだっ広いロッカールームのロッカーの1つを開けるとモニタとキーボードがあって、
パイプ椅子に座った僕がそこに背中を丸めて座っている光景を思い浮かべてください。
時々誰かが通りがかる他は周りには誰もいない)
××と××を××しようとして午前中のうちはすんなり進んでいたのであるが、
午後になって高度な××をしようとしだすと××が××なようで××が××してくれない。
「もおっいや!」「こんなのやめやめ!!」
「コード全部引き抜いてやる!!!」
「だから俺はコンピュータなんて信用してねえんだ!!」
ムキーーーーーーッッッ!!!
夕方過ぎると怒り狂わんばかりになる。
自販機でミネラルウォーターを買おうとするのであるが
でかいサイズのしか売ってなくて飲み始めると半分もすればおなかいっぱい。
「もういらねえよ!!」心の中逆切れ。
こんな日はもうこれ以上仕事しても仕方がない。
スケジュールが送れてんだか進んでんだかってのはこの際どうだっていい。
そんなわけで映画を見にいくことにする。
会社に電話して「頭痛い。疲れた。帰ります」と伝えるとソッコーで外に出る。
ほんとならティム・バートンの新作「ビッグフィッシュ」を見たかったんだけど、間に合わず。
コーエン兄弟の新作「レディ・キラーズ」を見ることにする。
トム・ハンクス主演の犯罪もの。
アレック・ギネス主演の50年代イギリスのコメディ「マダムと泥棒」のリメイク。
気分が気分だけに映画見て浮世の憂さを忘れてスカッと壮快になれるといいのであるが・・・。
よりによってこの映画ちっとも面白くない。非常に遺憾なことに。
コーエン兄弟と知らされないで見てたら、
絶対監督が誰か気付かないだろうってぐらい彼らのよさが発揮されず。
「なんでトム・ハンクスがこんなB級映画出てんだ?」と首を傾げたくなるはず。
総じて地味。
今回の製作費の2/3はトム・ハンクスのギャラに消えてしまったんではないか?
と下手なかんぐりもしたくなる。
(トム・ハンクス以外には見たことも聞いたこともない役者しか出ていない)
「未来は今」とか「ビッグ・リボウスキ」とか。
ああいう豪華絢爛な大嘘はもうつけないのかなあ。
昔の作品は「うわーなんでこんなしょうもない話で全身全霊かけて映画作るんだろうなあ」
と腹抱えつつも一映画ファンとしてひたすら感心させられたものであるが
ここ2作はただひたすら作品そのものがしょうもない。
どうでもいい小ネタをいかにして大盤振る舞いするかというのが
コーエン兄弟の醍醐味のように思ってたんだけど、
最近の小ネタは絞りカスのようで。
「ディボース・ショウ」の方がまだ面白かった。
コーエン兄弟とソダーバーグと新作が出たら必ず見に行ってたのに。
両方とも終わってしまったな・・・。
「ディボース・ショウ」と「レディ・キラーズ」って他人の企画で撮った映画なんですね。
「レディ・キラーズ」は最初脚本を書くだけだったのが監督が下りたので自分たちで撮ることになったとか。
その辺が作品としての志の低さ、完成度の低さにつながってんだろうな。
それぐらいなら撮らなきゃいいのになー。
次回作はもしかしたら面白いのではないか。
そんな期待を込めてついつい見に行っちゃうんだろうな。
ちなみに、今日「レディ・キラーズ」のプログラムに書いてあったのを読んで初めて知ったのであるが、
「ファーゴ」の冒頭で「Based on a true story」(これは事実をもとにしている)と出てくる。
あれ思いっきり嘘なのだという。
やられた。
「ありえないなー」と思いつつも僕は本当にあれが実話だと信じていた。
本物の映画にはそういう力がある。
[1264] 風をあつめて2 2004-05-25 (Tue)僕は女の子に近付いて、しゃがんで話し掛けた。
「子供と話す時は子供の視線に合わせて」という格言を思い出す。
「君の名前は?」
何も言わない。こういうとき「君」なんて使っちゃいけないのだろうか?
「知らない人と話すのは嫌?」
相変わらず女の子はじっとしている。
ちらっと横を向いて空中を何か虫のようなものが飛んでいるのを見た。
質問が難しかっただろうか。そんなことないよな。
いくら低学年とはいえ小学生なわけだし。
でも「知らない人」というのは抽象的な度合いの高い概念であって。
あーこんなふうにウダウダと考え出すのは大学院生の悪い癖だ。
しゃがんでるのも疲れてくるし、話を切り上げたくなる。
「僕の名前はトヨヒコ。トヨヒコお兄さんと呼んでくれればいい」
「・・・変な名前」
初めて口をきく。変と言われるのは心外だが、進展があったことは嬉しい。
この勢いでモノゴト進めていかなくては。
「ねえ、どこ行きたい?」
「・・・おうちの中がいい」
僕はしゃがんだままぎこちなく足を動かして振り返り、教授の家を見る。
そうだよなあ。家の中にずっといてこの子にはテレビを見せて
その間僕は本でも読んでればいい。その方が楽だ。
と、思った瞬間玄関が開いて教授夫婦が出て来る。
教授は「お、まだいたか」と言いながらにこやかに手を振りつつ車庫に消えていく。
奥さんが鍵をかける。カバンの中に鍵をしまいながら僕らに近付く。
「それでは、よろしくお願いします。
まあ、ドタバタしてしまいまして。急がないと遅刻しそうなんですよ」
シャッターを開ける音がして、その後ドタン・バタンと騒がしく続く。
車が道路ににゅっと顔を突き出す。
助手席の窓がスーッと開いて教授が、僕に向かって大声で叫ぶ。
「オカムラ君、悪いけどシャッター閉じといてくれないかな!」
窓がしまる。運転席には奥さん。教授は免許を持っていない。
僕は催眠術にかかったかのようにスクッと立ち上がり車庫の入り口へと向かう。
シャッターを下ろす。適度に錆付いていて力が要る。
「じゃあよろしく頼むよー」
そんな声がどこからか聞こえてきていつのまにか車は走り去っている。
ふと我に返って僕は「取り残された」と思う。
僕はゆっくりと歩いて女の子のところへ。
相変わらずポツンと立っている。
話し掛ける。
「さて、どうしようか」
めんどくさいんでもうしゃがんだりはしない。
女の子は麦藁帽子をかぶった頭をわずかばかりそらして、僕を見上げる。
「どこに行きたい?どこか行きたい場所はある?」
ユーエンチ。と女の子は言う。
ユーエンチ?と僕はアクセントもそっくり鸚鵡返しに答える。
コクリと頷く。「行きたい」
しまったと思う。
こんなことになるのなら教授から「先立つもの」をそれとなく請求しておけばよかった。
バイト代の振込みが3日後に控えている今、
読売ランドだろうと豊島園だろうと1人と半分のフリーパスを買うのはかなりの痛手。
花やしきは?子供には面白いのだろうか。
(あれってノスタルジアに駆られた大人たちが行く場所だよな)
デパートの屋上のゲームセンターではダメだろうか?
お金を入れると乗り物がゴトゴトうごくやつ。
でもそんな年じゃないだろうしなあ。
「遊園地では何に乗りたいの?」
「ジェットコースター」
あれって年齢で何歳以上ってのがあったような。それ以前に身長の制限あるよな。
僕はまたしゃがみこんで、目線を下げてから言う。ゆっくりと。
「君はまだ背が低いから乗せてくれないよ」
女の子の顔が曇りだす。今にも泣きそうになる。
焦りだした僕はつい、「僕だってどうしてあげることもできないんだよ」と言ってしまう。
これでは話がこじれるだけだ。
僕は立ち上がり女の子の左手からスケッチブックを取って、その手を握る。
「とりあえず行こっか、どこかへ」
手を引っ張って歩き出すとありがたいことに女の子が黙ってついてくる。
依怙地になって駄々をこねたりしない。
家の敷地を出て、道路へ。
手を離すと何事もうまくいかなくなりそうだったから、
片側に重心の寄った変な歩き方になるんだけどそのまま歩き続ける。
女の子のペースに合わせるためにゆっくり、ゆっくりと。
まだ5月だというのに今日は夏のような暑さで、
強い日差しがサンサンと降りかかってきた。
(続く)
[1263] 歯医者その4 2004-05-24 (Mon)【前回までのあらすじ】
なんだか歯が痛いなあ、詰め物が取れたのにずっとほっといたからだよなあ。
そう思った「僕」は会社の近くの歯医者に通い始める。
行ってみたところ歯科医から歯科衛生士からきれいな人が多い。
歯に詰め物をしたらそれだけでよかったはずなのに
薦められるがまま歯の美容と健康のために歯石を取るコースにいつのまにか突入。
毎回毎回ちょっとずつ歯石を取りながら
きれいな女の人に歯を磨いてもらうことに「僕」は小さな幸福を感じ始める。
3回目から「僕」専門の歯科衛生士が担当につくことになり、
彼女は僕の歯磨きの様子を毎回チェックすることになった。
---
「オカムラさん、お入りください」
名前を呼ばれて僕は診察室の方へ入っていった。
これまでは手前から2番目だったのに、今回は一番奥の診察台に座ることになった。
座って待ってると例の歯科衛生士が僕のところに現れ、
「オカムラさん、こんにちは」と笑顔を浮かべながら挨拶をする。
背もたれが倒され、僕は台の上に寝そべった姿勢になる。
「口を開いてください」と言うので、僕は口を開く。
彼女は僕のここ1週間の歯磨きの様子を調べ始める。僕は目を閉じる。
「オカムラさん、ちゃんと歯磨きしてましたか?」
口をいっぱいに開いている僕は「うー」と声にならない声を出し、うなずく。
次の歯、次の歯と1本ずつ隣に移っていく。
彼女はいきなり、こんなことを言い出す。
「歯磨きしてる時、私のこと思い出してくれましたか?」
え?
僕は目を開く。返答に困る。
思い出したかどうかで言えば、そんな毎日ではないが思い出したことはある。
こんなとき何と答えるべきか?
さらに彼女はかわいい声でこんなことを言う。
「私は毎晩歯磨きしている時、オカムラさんのこと思い出しましたよ。
ちゃんと丁寧に歯磨きしてるかなーって」
「だからオカムラさんにも毎晩歯磨きする時は私のこと思い出してほしいんですね」
ベタだが、天にも昇る気持ちになる。こんなこと言われたの初めてだ。
生きててよかったと思う。
嘘でもいいから、嬉しくなる。
僕は「好意」を持たれているのだろうか?
普通の人(20代後半の独身男性)なら、こんなときどんな反応を返すのだろう?
こんなとき何をどう答えていいかわからず、僕は苦笑するだけ。
単純なトリック。
毎晩歯を磨く時に彼女のことを思い出せば
必然的に彼女から教わったことを思い出すことになる。
力の加減。歯ブラシを当てる角度。
ただそれだけのことだ。
ただ、それだけ。
・・・なのか?
その後歯石を取りながら彼女は僕に話し掛ける。
例えばこんなこと。
思いっきり口を開けて、先の尖った器具で歯茎の中の歯石を取り出しながら、
「痛くないですか?」僕は軽く頷く。
「オカムラさんって我慢強いですね!私ならこういうの絶対我慢できない。
私も病院に通ってるんですけど、月に1度、
歯医者じゃなくて別な病院なんですけど、
予約取ってるのに2時間も待たされるんですよー。信じられます?
私そういうの我慢できないんですよねー」
どんどん世間話に近付いていく。
女の人に話し掛けてもらいながら歯石まで取ってもらえるなんて、
あーいいなあぐらいの逆転した気持ちになる。
でも、ふと気付くと隣の席の会話が聞こえてきて、例えばこんなことを言っている。
男性の歯科医師。女性の患者。
「○○さんって勤めだして何年?」
「えーと今のとこは3年」
「今のとこ?○○さん転職してる方?」
「うん、最初はツアコンやってた。その後は証券会社、で、今の会社は・・・」
タクシーや床屋の感覚。
あるいは歯医者は痛い・怖いという意識を取り除くために、フレンドリーに話し掛けること。
僕は誘われてるのではない。
歯医者もまた、一種のサービス業なのだ。
夢から覚めたほうがいいのか、それとも一時であれ夢に浸った方がいいのか。
僕は目を閉じたまま、彼女の話を聞くことになる。
「間食はしますか?甘いものは?
辛いものの方がお好きなんですか。私も辛いもの大好きなんですよ。
韓国料理でプルコギが私・・・」
銀色に塗られたアイシャドー。その下の大きな瞳。
そこに僕が映っていた。
歯石の除去の後は歯磨きのレッスンになる。
「歯ブラシはどれぐらいの硬さのを使ってますか?」
「今磨いてるこれよりも硬いですか?触ってみてください」
柔らかいのを使って優しく丁寧に磨いた方がいいということになり、
気がつくと僕は帰りに受付で歯ブラシを買っている。
・・・ちょっと待て。
僕の今のこの状態は、恋をしているということなのか!?
(続く)
[1262] 巣鴨「大沢食堂」にてカレーを食べる 2004-05-23 (Sun)昨日の夜はオペラを観た後、池袋で買い物をして巣鴨に移動。
これでもう何回目となったかわからんが、
恒例のカレーの会ということで巣鴨の「大沢食堂」にてカレーを食べる。
(カレーの会は大学の映画サークルのOBたちの集まりで、
なんとなく自然発生的にそろそろカレーを食べたいねえという話題が出ると
店というか趣旨を決めてわらわらと集まってカレーを食べに行く。
カレーとか言いながら日によってはもんじゃ焼きだったりして、結局ただの定期的な飲み会)
カレー好きの先輩の推薦によりここに決まったのであるが、
店を紹介しているホームページをいくつか参照すると「移転するらしい」「移転した」
と書いてあって、どこが正しい住所なのかよくわからず。
とりあえず僕がプリントアウトして持っていった地図は移転前のものだった。
移転前の地図をもとに「じゃ、巣鴨駅集合でお願いします」と告知していた僕は冷や汗物。
最新の最寄り駅は巣鴨ではなく千石だったようで歩けど歩けど到達せず。
先輩が事前に店に電話して正しい住所を調べてなかったらかなり危ないところだった。
(正しくは千石駅を出て旧白山通りを東へひたすらまっすぐ歩いて確かバス停「白山五」の近く)
見つけてみると小さな店で、いたって普通の大衆食堂。
メニューを見てもカレーライスがメインではなく、レバニラやもやし炒めもある。
専門店ではない。
カレーチャーハンやカレーラーメンがある辺りにかろうじて
カレーで知られた店らしき雰囲気が感じられるだけ。
7人で訪れたのであるが、他にお客さんがいて1度に全員が入れないということで
先発隊として僕を含めて4人だけ先に入ることにする。
さっそくカレーを食べてみる。
「並辛」「中辛」「大辛」「極辛」の4種類の辛さを選ぶことができる。(カレーラーメンも同様)
スープ系のカレーではなく、食堂っぽい小麦粉系のカレーだったため、
普通にカレーそのものを味わいたいなあと思った僕は「並辛」にしてみる。
先輩たちは「中辛」「大辛」を選ぶ。
出てきたのは何の変哲もないカレー。豚肉とニンジンが入っている。
何がどううまいかって言い出したらきりがないんではしょるんだけど、
とにかくここのカレーは「うまい」です。
また食べに来てもいいやって思えるぐらいに。
わざわざ千石までそのために来て、テクテク歩いてもちっとも構わない。
「もっと食べたい」と思った僕は続けてカレーラーメンも注文。
これもまたおいしかった。
ラーメンにカレーが乗っかっただけなんだけど、
スープとカレーが混ぜ合わさったとき、トロトロの絶妙な味わいに。
ここが有名なのはカレーのうまさはもちろんのこと、「極辛」の余りの辛さゆえ。
何十倍ものカレーでも全然平気という先輩Aが頼んでみる。
店のお兄さんに「大丈夫ですか?」と念を押される。
ホームページを見ると場合によっては断られることもあるようだ。
出てきたのはハヤシライス?と思ってしまうぐらいに赤いカレー。
タイカレーの赤さではなくて、
こりゃ絶対唐辛子のペーストだけで作ったんじゃないかってぐらいの。
A先輩はスプーンを手に持って最初の一口に手をつける。
一同固唾を呑んで見守る。
「どうすか?」
「・・・辛いね」
A先輩はもう無心になって機械のように一定のペースでスプーンを口に運んでいく。
ライスとルーが少しずつ少しずつ減っていく。
僕は一口分けてもらおうと思ったのであるが、
別の先輩Mが試しにスプーンの先にちょっとつけてご飯を食べてみたところ
「かれええっっっ!!!」とのた打ち回りだした。誇張でなくてマジで。
水の入ったコップを掴むと一気に飲み干す。
A先輩は「水飲むと辛さがひどくなるよ」とぼそっと言う。
怖くなった僕はやめておく。
その後落ち着いたM先輩が言う。「一瞬で毛穴開いた、これ」
やがて先輩が完食。一息ついて曰く、
「手を止めると辛さが襲ってくるから、ペースの配分を考えなくてはならなかった」
汗がツーッと額を流れて、「スポーツに近かった」
食堂のお兄さんも「すごいですね」と驚く。
あれだけの速さで食べきった人はそうそういないのではないか。
小柄なおやじさんとおばさん、
それと息子なのかただのアルバイトなのか20代のかっこいいお兄さんの3人で店を切り盛りしていた。
お兄さんが実質的に店を仕切っているようで、
おやじさんに「いいからそれは、やんなくて!」と常に忙しく指示出ししていた。
おやじさんの立場無茶苦茶弱そうなんだけど店には
若かりし頃ボクサーだったときの写真が大きく引き伸ばされて飾られていて、
昔はすごい人だったんだろうなーと思わせた。
リングの上でトロフィーを持って感極まっている瞬間を写したもの。
ボクシングでかなりのところまで行って、それが何かのきっかけで食堂を開くことになったということか。
人に歴史あり。
料理を作っているのはこの大沢さんなので、
温和な顔してあの辛さのコントロールをしているのはこの人なんだろうな。
今インターネットで調べてみたら、もともとは極真空手の人。
(http://media.excite.co.jp/ism/030/04challenge.html 掟ポルシェによるレポート)
大山倍達をしてもっとも稽古をしたやつと言わしめ、
タイでムエタイ vs 極真空手の一戦に勝利した後にボクサーとしてプロデビュー。
その後キックボクサーに転向。
対戦成績は56勝8敗3引き分けなのだそうだ。(しかも50KO)
あの辛さはタイ仕込みなのか・・・。
様々なスパイスとの格闘の末、孤独な稽古の末に生み出されたものなのかもしれない・・・。
真の男が食うカレーだな。
店を出た後は近くのデニーズへ。
みんな辛い物を食べたばかりなので甘いものが欲しくなる。
僕はカレーライスにカレーラーメンも食べたばかりなのに、チョコレートサンデーをオーダー。
A先輩の偉業をみんなで讃え、
「この才能を生かさないのはもったいない」「テレビチャンピオンに出られるのではないか」と。
「大沢食堂のカレーはどのようにあそこまで辛くしているのかわからない」
「唐辛子で辛くできる限界なのではないか」と先輩は語る。
先輩にしてみれば今日のカレーは人生で2番目の辛さ。
これまでの人生で最も辛かったカレーを食べたのは
柏「ボンベイ」のメニューに載ってないのを出してもらったときなのだそうだ。
ちなみに「ボルツ」の30倍カレーは「今日の10分の1にもならない」とのこと。
カレーの道はまだまだ続く。
[1261] 野田秀樹「マクベス」 2004-05-22 (Sat)野田秀樹の演出する芝居を1度は見てみたいものだ。
そう思って何ヶ月か前に e+ で検索してみたら
新国立劇場で上演されるオペラ「マクベス」が引っかかった。
S席(¥21,000円)に若干の空き。高い・・・。
でもこういう機会を掴まえていかないことには、
いつまでたっても観ることはできないだろう、そう思ってチケットを購入した。
5月22日の昼の回。
初台のオペラシティのビルは
上の方の階にシステム技術関係の研修を開いている企業があるので
これまでに何回か行ったことがある。
新国立劇場のオペラの上演案内を見る度に
せっかく東京に住んでいるのだしいつか何か観たいなあと思っていた。
「あーやっと来ることができた」
「30代以後は1年に1度はオペラに触れたいものだ」
劇場の中のゆったりとした空間を歩きながらそんなことを考える。
ビュッフェでは高級そうな僕にはよくわからないワインや
シチリア産のブラッドオレンジ100%のジュースが売られていた。
僕は「野田秀樹の作品」を観に来たという意識でいたのだが、
周りはどうも普通にオペラを観に来た人たちばかり。
男性はスーツ、女性はドレス(あるいは着物、最低でスーツ)。
ジーパンにネルシャツでプラプラと歩いていた僕はかなり場違いだった。
あー日本でもオペラってドレスコードがあるんだなあ、ってことを知る。
せめてジャケットぐらい羽織らないと。
開演前。
舞台の上には一面に黄色い花が。
オーケストラピットではそれぞれが調律のために音を出し、不協和音を奏でている。
大学の授業でいくつかオペラをビデオで鑑賞したが、
実際に見るのは初めて。しかも自分でお金を出して。
ちょっと緊張する。
少しずつ客席が埋まっていく。
「マクベス」の原作は言わずと知れたシェークスピア。
オペラ化はイタリアの19世紀の作曲家ヴェルディによるもの。
「マクベス」の舞台化ならば僕は1度学生時代に見たことがある。
大学の友人が「パパ・タラフマラ」という劇団に入っていて、
今度「マクベス」をやるというので見に行った。
「パパ・タラフマラ」は演劇というよりはパフォーミング・アーツ?
セリフなしで役者の動きと舞台上に構築されたインスタレーションとで語っていく集団なので
一応事前に原作を読んでいた僕にも
目の前で展開されている出来事が何を表しているのかよくわからず。
「どうも今のこれがかの有名な『森が動いた』の場面っぽいぞ?」といった調子。
(「パパ・タラフマラ」は海外でも積極的に公演を行い、高く評価されているのであるが、
なぜかうちの大学が母体で、友人は入学当初の新人勧誘のときに
他の普通のサークル同様机を並べているのをたまたま見かけたのが縁で入ることになった)
野田秀樹版の「マクベス」が始まる。
「パパ・タラフマラ」版よりはさすがにわかりやすい。内容に忠実。
とはいえオペラだけあって日本語でセリフを語るわけはなく。
歌詞の日本語訳のさらにその抜粋が舞台脇の縦長の電光掲示板に映し出される。
原作では3人の魔女がヒソヒソと話しているところから始まり
この魔女たちが大きな役割を果たすのに、野田秀樹版では魔女ではなく
骸骨となった無数の死霊/亡霊たちに変わっていた。
プログラムを読んだら「踏み荒らされた土地の下に棲む、戦場の死者」と解釈したとあった。
第1幕から第4幕までこの骸骨たちが群れを成して折に触れて登場する。
マクベスやマクベス夫人といった主役や兵士たちといった脇役に混じって。
マクベスは亡霊に魅せられ、操られているのだなというのがよくわかる。
陰の主役と言ってもいい。
オペラは歌詞と曲により個々のシークエンスの長さが事前に決められているので、
場面展開のテンポの速さで知られている野田秀樹にもいじりようがない。
それまでに見たことがないのでなんとも言えないのだが、
ここが「らしい」シーンだなと感じられたのは
王を迎えた夜のパーティーのシーン、
舞台の上の城をモチーフにしたセットが回転する中を
従者たちや亡霊たちが大量に溢れるように現れては消えていくところ。
にぎやかな音楽が鳴っていて、妙に生々しい躍動感があって。
もう1つには、第1幕が終わって幕がいったん下がったときに骸骨たちが幕の前に出てきて、
カーテンコールの真似事をするコミカルな一幕。幕間劇という感じ。
曲の演奏が前提となっている部分はどうにも変えられないけど、
こういう隙間にひょいと新たなものを挿入するのってありだなあと思う。
なるほど、と感心させられる。
3人の魔女=骸骨たちの予言を聞いた地方領主マクベスが
野心的なマクベス夫人にそそのかされて王を殺害し自ら王と成り上がるが、
やがて破滅を迎える。
野田秀樹作品をこれまで観たことないし、オペラも生で観るのは初めて。
そういう僕からしてみれば良くも悪くも
「ふーん、こういうものなのか」と右から左に受け入れるだけ。
どこがどうありがたいものなのか判断はできず。
実は質が高いものだったのかもしれないし、実は質が低いものだったのかもしれない。
(まさか「低い」ってことはないだろうけど)
正直オペラとしてどうだったのかはよくわからんです。
アリアを歌い終えるごとに周りの人と一緒になって拍手して
(人によっては「ウラー」なのか「ブラー」なのか歓声を上げていた。そういうマナー?)
物語を追っていくだけ。
一通り終わってカーテンコールとなって、
例によって何度も何度も嫌ってほど繰り返されるのに野田秀樹が出てくることはなく、
本人を見てみたかったなあと思いつつも諦めて早々と劇場を出る。
野田秀樹の通常の舞台と、なんであれ通常のオペラ、
次はこの2つを観ないことには何も語れない。
[1260] 椎間板ヘルニア 2004-05-21 (Fri)4月上旬の日曜、左肩の肩甲骨の辺りが痛む。寝違えたのではないかと思う。
そのうち治るかとほっとく。いつものこと。
2・3日しても痛みが引かないので「おかしいなあ」と思いつつも
仕事が忙しいのでそのままにしておいた。
痛いといっても日常生活に差し支えるほどではない。
その後2週間ぐらい経過したら痛みが薄れた。
「年取ったから治りが遅いのだな」とそのときは考えた。
ゴールデンウィーク明けからまた痛くなり出す。
肩って捻挫するのだろうか?それが病院行かなかったから再発??
もしかして骨に細かなひびが入っていて固まりかけていたのがまたひびが入ってしまった?
なーんか悪い予感がするなあと思いつつも
仕事が忙しくなって病院に行こうという気持ちにならず。
それが今週になって左腕が時々熱を持ち、
左手の中指がピリピリと痛むようになった。
「やっべー。まじでこれやばくない?」とさすがに怖くなる。
昨日の夕方、社外での会議の後、会社には戻らず、
浜松町の貿易センタービルの14階にいくつかの診療科があると聞いたので
整形外科を訪ねてみる。
貿易センタービルの中にあるだけあってその辺の町医者じゃないだろうし、
完全予約制だったらアポイントだけとって帰ろうと思っていたのだが、
行ってみたら全然混んでなかった。結構穴場かもしれない。
小さな診療科が各種並んでいる。総合病院のミニチュアのようだ。
受付にて聞いてみると僕の前には3人しか患者がいないということなので
そのまま待って診察を受けることにした。
横長の椅子に座って待っていると、いろんな人が次々に診察券を持って受付に現れる。
その中で何人か、決まって初老のサラリーマン風情の男性が、
「ケンインお願いします」と受付に告げ、診察も受けずにカーテンの中へ消えていく。
検印?なんだろう??と思う。
カーテンが開いたままになったときがあったので観察してみると
椅子に座った男性がこちらに背を向けて座っていて、
頭にオウム真理教で話題となったヘッドギアのようなものをつけていた。
ヘッドギアの天辺からは太目の針金?が延びていて、天秤のような器具に繋がっている。
そこから下へと辿っていって「あー、なるほど」とわかったのであるが、
どうも錘で引っ張って首や背骨を伸ばしているようだ。牽引。
世の中にはいろいろな治療があるものだと感心する。
僕の番になる。上で書いたような症状を医者に告げる。
僕が話した内容をすさまじいスピードでカルテに書いていく。
Yシャツを脱いで背中を見せるのかなと思ったらそんなことはなく、
「私のするのと同じようにしてみてください」と
腕を前に出したり、横に水平にして手の平を上にしたり下にしたりする。
痛みを感じますか?と聞かれて「特に感じないです」と僕は答える。
ふむふむと医者はうなずく。
「じゃ、レントゲン撮ってきてください」と言われる。
通路の突き当たりの部屋で首を4枚、肩甲骨を2枚、レントゲンを撮る。
現像したものをまた持っていって、何人かの治療が終わるのを待って再度診察を受ける。
ミニチュアだけあって何もかもスピーディー。30分かかったかどうか。
大きな病院に行ってたらこれだけの流れに1週間に1度通って3週間かかるところだった。
レントゲンを1枚ずつ見ていく。
肩甲骨に異常はないね。
指の先が痛いってことは首から肩、腕、手と繋がる神経ってことになるんだけど、
骨もまた異常はないようだ。
そうなるとね、椎間板ヘルニアの、まだ痛みがそんな強くないようだから初期の段階となります。
椎間板ヘルニア。
はあ・・・。
あんまよくわかってないんだけど、これで死ぬことはないにせよ、やっかいな病気。
持病となって抱えていくような。
そんなイメージがある。
「やっちゃったなあ・・・」と思う。
聞いた瞬間少しばかり途方にくれる。
説明を受ける。
痛みがひどければ薬を処方するのだが、普通は処方せず「牽引」しますとのこと。
あれか。
まさか僕もやることになるとは。
体重いくらですか?と聞かれて「66か7」と答えると、
「11キロ用意して」と看護婦に声をかける。
「はーい」とカーテンの奥から返事が返ってくる。
さっそく治療を受ける。
天秤からぶら下がったヘッドギアに顎を乗せ、マジックテープであちこちを留める。
「10分間です。痛かったらすぐ言ってください」
ボタンが押される。
徐々に顎が持ち上げられ、首が引っ張られ、やがて上半身全体が。
「お、お、お、お、お、」と思う。
無理やり引き伸ばされている奇妙な圧迫感は確かにあるものの、
これまで微妙に歪んでいた背骨が真っ直ぐになるせいか結構気持ちいい。
そして左手中指の痛みがスーッと消えていく。
あーそのものズバリ典型的な椎間板ヘルニアだったんだなー。
ある程度の長さ引っ張られたままになって、それがシューッと元に戻って。
その繰り返しが延々続く。
これ受けてるとき知ってる人に見られたくないなあなんて思う。
正直なところみっともない。少なくともかっこよくはない。
延びたり縮んだりを繰り返している間、看護婦がバタバタと目の前を行ったり来たりする。
初めてなのでちょっと恥ずかしい。
10分後、また医師の診察へ。
気持ちよかったですか?と聞かれて気持ちよかったですと答える。
曰く、20%の人がこの治療で効果はなく、5%の人が悪化します。
残りの75%の人はだいたいこの治療で治ります。
最初の1回目で気持ちよかったという人は75%の方に入ることがほとんどです。
そう聞いてほっとする。
でもこの牽引を最低30回はやらなきゃいけないようだ。
しかも週3回。週1回程度ではほとんど効果なし。
当面の間平日の昼の時間、会社をそっと抜け出して牽引治療を受けることになる。
ま、そのうち治るだろう。姿勢をよくしていれば。
この治療を受けた後、背骨が真っ直ぐになったせいか背を曲げて歩く気がなくなる。
しゃきっと背筋を伸ばして1日を過ごした。
僕は小さな頃から母に「姿勢が悪い」と言われ続けていた。
その後必ず、「体が歪んでると大人になってから痛むよ」と続く。
そのたびに「はいはい」と思う。真剣に受け止めない。
自分だけはそんなことならないだろう、なんて考えていた。
あの頃のツケが確実に降りかかってきた。
あー僕もこれで「大人」の仲間入りだ。
体のことってほんと馬鹿にできない。
夜になってから、左肩ではなく右肩が痛くなってくる。右の中指がピリピリと痛む。
これまで右か左に負担がかかっていたのが、バランスを取るためにこんなことになるのだな。
今日起きてみると痛みはなくなっている。右も左も特におかしくはない。
でもまたほっとくと痛みが戻ってくるのだろう。
牽引行かないとなー。
[1259] sound of silence 2004-05-20 (Thu)昨日の夜山手線に乗ったら、新しいタイプの車両なのか
天井の真ん中に2台並んでテレビのモニターが据え付けられているものだった。
ドアの上方に小さくはめ込まれているのではなく。
駅に着くまでの間、見上げながら映像を眺めた。
山手線に日々乗ってる人ならわかると思うが、
列車専用のコマーシャルと普通にテレビで流れるようなコマーシャルとが流れる。
前者は見ていて何の違和感もない。
問題は後者。出演者の口だけが動いていたり、
「ああほんとならここはきらびやかな音楽が流れてるんだろうな」と思わせたり。
つまり、音が出ない。
本来あるべき場所に音がないというのはかなり奇妙なものである。
「静けさ」と「無音」は似ているようでいて全然違うものである。
「静けさ」は概して心を癒すものであるのに対し、
「無音」は時として恐怖すら引き起こす。
シンと静まり返った部屋の中に1人取り残されていることに気付いた瞬間。
あるいは、圧倒的なまでの音の不在感そのもの。
辺りのそこかしこに散らばっているかすかな物音たち。
それがサーッと引いていってふっと浮かび上がる静けさ。
自分がその何もない空間へと吸い込まれていくような心地よさ。
静けさというものは究極の音楽なのかもしれない。
東京は音が多すぎる。
溢れ出して渦巻いている。
音があってもなくても人間はおかしくなる。
感覚が麻痺してしまう。
早朝の渋谷、人通りの全くない井の頭通りを歩いたとき、
音が全くない瞬間があってなんだか不思議だった。
僕は思わず立ち止まって辺りを見回した。
住みやすい町ってのは
一言で言って静かな町ってことではないだろうか?