[1646] 架空の土地の地図を描く 2005-06-12 (Sun)

用事のない土日は部屋に閉じこもって小説を書いている。
気が付いたら、いろんなものを同時並行で進めていた。

・書きかけの長編小説1つ(半分ぐらい)
・書きかけの短編小説1つ(出だしだけ)
・書き終えて手直し中の短編小説2つ(そのうちの1つはこの前の土曜に一気に書き上げた)

アマチュアにしては頑張っている。
今抱えているものだけで作品集が1冊、(自費出版で)出せるだけの厚さになるなー、なんて思う。
以前友人の同人誌に載せた「ドライブ」もそこに加えて。

小説に関しては調子いい。非常に調子いい。
後はこれがいかにして日の目を見るか。
(自分のHPで公開とか、友人にメールで送るというレベルじゃなくて)

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小説を書く上で最近コツというか確実なことが1つ分かったのでここに書いておく。

それは、
架空の土地を舞台にした小説を書くのなら、
まずはその土地について地図が書けるぐらいに緻密な想像をしておくこと。
当たり前といえば当たり前なんだけど、
これができてない作家志望の若い人たちは多いのではないか?
少なくとも僕はできていなかった。

今更ながらリアリティーってもんは非常に大事だと思う。
もちろんこれはノンフィクションだといいってことではない。
どこまで想像力を駆使して1つの世界を作り上げるかということ。
安っぽいペラペラの書割のような背景をバックに展開する小説なんて
やっぱ誰も読みたくない。
現実の世界と作品の中の想像上の/虚構の世界とがどのような継ぎ目を持ち、
どのようにリンクしていくか。
小説の醍醐味の1つはそこにあると思う。
映画監督であれ、小説家であれ、はたまた絵描きであれ、もしかしたらミュージシャンであれ、
完璧な1つの「世界」「世界観」を提示できるかどうかが資質として1つのポイントとなる。
そこにその人の作家性というものが存在する。
そこで描かれる世界とは情報量が多くて
ひたすら細部が描かれていたらそれでいいというものではなくて、
シンプルに何もなくても、たった1つの確固たる情念さえ宿っていればよかったりする。
(しかし、その境地に達した人はどのジャンルであってもごく僅かである)

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そんなわけで僕も仕事から離れている時間の多くを、
今書いている長編小説の舞台となる土地についての考察/探索に費やしている。
ここにグラフィカルに地図を書くわけにはいかないので
箇条書きで、かなりはしょってざっくりと、まあこんな感じ。

□時代背景
・近未来の日本。西日本と東日本とに分割され、東日本は大統領制に移行している。
 20年前に内戦が勃発したことが分割の原因となる。

□舞台となる土地
・そこは名前がなく、ただ単に「村」と呼ばれる。
・西日本の半島にある、海沿いの小さな村。
 電車や車に乗って来るよりは、日に2本出ている定期船に乗った方が早い。
・小さな漁港があるため、主な産業は漁業ということになる。
・村の中心部に位置する小さな丘の上に「教会」があって、その裏には墓地がある。
・丘のふもとには村で最も栄えている通りがある。
 酒場がいくつかあるぐらいで、村には
・通りのその中心には四辻があって、東の方には坂があって上った先に住宅街に出る。
 西の方に歩いていってもやがて住宅街となる。
 主人公はその西側の方にて以前「宿」を営んでいた家の一室を与えられる。
・村の北のはずれ、もう1つの丘を上っていった上に「病院」がある。
 周りは半分を林で囲まれ、何もない。残り半分は小さな集落である。

こんな感じ。
でもまだまだ足りない。
実際に小説に描くかどうかは別として、もっともっと細部を想像/創造していかなくては。
その世界の中で呼吸して、いきていかなくては。
戻ってこれなくなってもそれでいい。
自分の描く作品世界の中で死ねるのなら、作家として本望である。


[1645] 祖母の七回忌 2005-06-11 (Sat)

祖母の七回忌、祖父の二十三回忌、父の(1年遅れの)二十三回忌。
これら全て兼ねた法事が行われた。
親族、と言っても父の兄の家族と「立川のおばさん」とそれに僕のこじんまりとしたもの。

「七回忌」って何を着ていくものだろう?と困る。
ジーパンにTシャツでいいのだろうか?
まさか。でも喪服でもないだろう。
インターネットで調べてみるとどこかに、
四十九日以後徐々に喪服からくだけたものになっていきます、みたいなことが書かれていて、
間を取って普通のスーツを着ていく。
この間買ったばかりでまだ新品と言っていい、灰色の光沢のあるスーツ。
ネクタイも派手ではないけど明るめ。Yシャツは一応、白。
・・・行ってみたら僕以外みんなきちんと黒で、「しまった」と思う。
やはり黒が無難か。せめて黒っぽいスーツを着ていけばよかった。

久し振りに正座をして、焼香のときに足元がふらつく。
お経が読まれた後、副住職による法話。
諸行無常と縁起について。でも足が痺れて聞いてる側はそれどころじゃない。

祖母と、祖父と、父と、掛けることの列席者の分の大変な数の塔婆を裏の墓地に持っていく。
この歳になって初めて、墓には水をかけるものではなく
(よくわからないけどそういうものだと思っていた)、
きれいな布に水を含ませて拭いてあげるものだということを知る。

終わった後でみんなで食事に出掛ける。
こういうとき、僕はうまく親戚の人たちと話ができない。
引っ込み思案なところがクローズアップされる。
ビールをひたすら飲んで出来上がった頃に
話の流れが「おいしいもの」になって、そこからようやく話ができるようになる。
「光麺」だとか「大勝軒」だとかラーメン屋が話題の中心となる。
覚えているのは、
・久喜にとにかく量が多くて有名な蕎麦屋がある。この前テレビでも紹介された。
 普通盛りを頼んでも、「山」盛りとなる。笑っちゃうぐらいに高い山となる。
 それで500円ぐらいなもんだから、ちっともおいしくないのに行列ができている。
 カツ丼もまた蓋が乗らないぐらいにうず高くなり、かき揚はハンパじゃなく「広い」らしい。
・上野というか御徒町、アメ横ガード下に有名な餃子屋があり。「昇龍」
 とにかく餃子が大きいとのこと。
 小さな店に行列の先頭から10人ぐらいずつ入れられ、
 その10人が食べ終わると次の10人が、というシステムらしい。本当だろうか。

帰りは車で送ってもらう。
注がれるままホイホイビールを飲み過ぎ、かつ日ごろの疲れもあって、
家でCDを聞いていたら眠ってしまった。
いかんいかんと思ってロフトで横になったら目が覚めず、起きたらすっかり夜になっていた。


[1644] 僕の音楽遍歴 その9(高校3年@) 2005-06-10 (Fri)

高校3年の時に一大転機が訪れる。
それは「輸入盤」というものの存在を知ったことだった。
そしてさらに、東京には「輸入盤をメインに扱う店がある」ということを知って愕然とした。
一切知らなかったわけではない。
あるということは知識として知っていた。だけどリアルなものとして認識できていなかった。
青森市に住んでいるとそもそも手に入るものは国内盤のみ。
中古CD屋にてたまに見かけるぐらい。
高2の頃、ジャスコの中の大きな家電の店の一角のCDコーナーにて輸入盤が扱われるようになった。
今でも覚えているけど、そこでは高校卒業までの間に
Roxy Music 「VIVA! ROXY MUSIC」と The Sugar Cubes 「It's It」そして
何の予備知識も無くジャケットに惹かれて 10000 Maniacs 「Blind Man's Zoo」この3枚を買った。
CDケースが縦長の薄っぺらい紙箱の中に入っている昔のアメリカ仕様でそのまま売られていた。
(青森市では売れるわけが無くて、その後何年か後には確か店ごと無くなった)
でもこれって、国内盤が出るぐらい有名な人たちのを売っているわけであって、
僕も普通の店に国内盤が見つからなくてレンタルにも無いからこれらを買ったわけであって、
気分的には青森駅 LOVINA の新星堂で国内盤を買うのとあまり変わらない。

高3の夏にとある事情で上京し、そこで知り合った人に教えられて
初めて渋谷のHMVに行ったときはテンパった。
夢中になって何時間も過ごした。
今の場所ではなくて、今はパチンコ屋になってしまった ONE OH NINE の地下にあった頃の話だ。
国内盤の出ることの無いアーティストのアルバムというものが
この世にはたくさんたくさん、たっくさん存在する。
これは17歳の僕にとっては衝撃的なことだった・・・。
その日上野から乗ることになっている寝台特急の時間はまだまだ先で、
1万円というお小遣いで何のCDを買うべきか真剣になって悩んだ。
Can 「Monster Movie」と Gangway のコンピレーションを買ったことは覚えている。
(Gangway のことは全然知らなかったが、HMVにて大きく扱われていたのでつい買ってしまった)
残り2枚がなんだったのかは今、思い出せない。
再度上京したとき、Can 「Soundtracks」「Delay」を買ったことは覚えている。
輸入盤の店はその後の僕の人生(というか金銭感覚)を大きく狂わせる。

輸入盤こそ扱っていなかったが、青森市には BE BOP という気の利いたCDショップがあった。
いいセレクションをしていたと思う。店の内装もおしゃれだった。
新町に本店があって、サンロードの中にもう1軒あって、
バブルの頃には小さな店をもう1件夜店通りに出していた。
この夜店通りの店はかなりセレクトショップ的な位置付けで、さすがにすぐ店を畳んでしまった。
でもこういう店があったおかげで、高校生だった僕はかなり救われた。
なーんにもなくて息詰まるような青森市で青春時代の前半半分を過ごしていた僕にとって
持て余す好奇心のアンテナをくすぐるようなものは他になかった。
もちろん当時にはインターネットなんてなかった。
そもそも情報というものが全国的に大きな、ざっくりしたもの以外に流通しないようになっていた。
ここではいろんなCDを買ったなあ。
大学生になっても帰省するたびにここでたくさんCDを買った。
ここでCDを買うという行為そのものが嬉しいことだった。
Can で言えば ALFA から出ていたボックスセットの3巻目
(奇跡の名作「Future Days」が入っている)が売られていて、高2の冬にそれを買うと、
1年後まで売れ残っていた4巻目を高3の冬に買った。
ビートルズのアナログの海賊盤もここで何枚か買った。
以前の回で万引きしたと書いたのは、もちろんこの店だ。
この店で埋もれてしまって返品されるよりは、
お金が全く無くても聞きたくて聞きたくてしょうがない僕が盗んででも聞くべきだと
そういう理由で、店に敬意を表しながら万引きをした。すいません。今謝ります。
BE BOP の作っていたフリーペーパーでは地元が誇る、
有名になりかける寸前のグループ Sing Like Talking の連載があったりした。
残念なことに僕が大学生の時にこの本店もなくなってしまった。
青森市に不況の波を感じるようになったのはこの頃のことだ。。。

僕の人生を狂わすもう1つの要素、中古CD屋は高校の頃の青森市には
市役所の近くの「佐々木レコード社」か
夜店通りの古本屋「ブックサプライ」ぐらいしかなく、
ここもまた定期的に通って珍しいものが無いか探した。
「佐々木レコード社」では Neil Young 「Weld」や Patti Smith 「Horses」を買った。
「ブックサプライ」ではほんと、いろんなものを買った。数え切れない。
閉店するつい最近に至るまで、帰省するたびにここをチェックしていた。
あ、あと「Black Box」とかいう名前のも1軒あったな。
夜店通りを転々と移転し続け、いつのまにか閉店した。
ここが確信犯的にマニアックな品揃えで、
たった1人きりの暗い感じの店長は相当ロックに詳しそうだった。

高2かの時期で他に言っておきたいこととしては、
法律上の規制かなんかで
全国的にレンタルで洋楽のCDが取り扱い不可になるというムードが一時的に高まったことだ。
僕にしてみれば死活問題だった。顔が青くなった。まじで。
その一方でいくつかの店では洋楽の在庫を1枚300円で投売りを始めたので、
僕は小躍りしながら買い漁っていた。
(その中の1枚にあったのが The Honeymoon Killers でそこから Crammed Disc への興味が始まる)
結果として洋楽のCDは取扱不可にはならなかったはずだ。
でもその後どこのレンタルも洋楽の新譜をあまり増やさなかったのは覚えている。
まあ結局は大学進学の時期だったので、
高2の僕が一大事と感じたほどの大した影響は無かった。

・・・振り返ってみると音楽しかない高校時代だった。
後は演劇部の部室にいるか、昼休みに大富豪をやってるか、家で勉強しているか。
それしかなかったから、ロックにのめりこんだんだろうな。


[1643] 無観客試合 2005-06-09 (Thu)

疲れている。眠りたい。早く帰りたい。
ちょうどいいタイミングでサッカーの試合。
プロジェクトの若者たちはみな「サッカー見るんで早く帰ります」と宣言している。
僕も便乗して早く帰ることにする。
というか僕も試合を見たい。
来年ドイツで開催されるワールドカップへの出場が決まる大事な一戦。
普段とりたててサッカーファンじゃないとしても、
「や?見なきゃならんだろう?」という気持ちになる。

3月に北朝鮮にて行われた北朝鮮−イランの試合にて観客が暴徒化したことにより
FIFAの措置により第三国タイでの無観客試合となる。
こういったとき、これまでの北朝鮮ならば
その後の試合をボイコットするのではないかと思ったのであるが、
プロジェクト内の北朝鮮の事情に強いキムさん(仮名)曰く、
「そのようなことをしていたのではいつまでたっても強くなれないので、
 国際試合を経験するためにもボイコットしないことを将軍様が命じた」のだそうだ。

家に帰ってきてテレビをつけてみるとバンコクの国立競技場が映っているが、観客がいない。
がらーんとしている。
なのにバンコクのホテルには大勢の日本人サポーターが押し掛け、
(朝のニュースでは「いてもたってもいられなくて、とりあえずタイまで来てみました」と語っていた)
代々木の国立競技場も満員となっている。
全体的になんだか奇妙な雰囲気。「おかしなもんだなあ」とつい口に出して言ってしまった。
試合が始まってみると「これはまるで練習試合か?」と錯覚してしまうぐらいに
非常に淡々としたものに感じられて、
サッカーが今のような人気の無かった頃に
たまたまテレビをつけたら試合がやっていたときのことを思い出した。
僕の子供の頃は熱狂的な応援団というものは存在しなかった。
観客はただひたすら、固唾を飲んで試合を見守っていた。
ここ10年の日本人サポーターの声援の大きさというのは神懸かっている。
多少インフレ入ってると思った。

淡々としているのは中田ヒデ、中村俊輔がイエローカード累積で出場できなかったというのもあって
どことなく華が無いように見えたというのもあるかもしれない。
(怪我で高原・小野も元からいないし)
ボールをキープしている率は圧倒的に日本が高いのに、
中盤にどことなく覇気が無いのか決め手に欠けて点に結びつかない。

無観客試合だとベンチの指示や選手同士のやりとりの音声が拾え、
より「リアル」な中継となるのではないかと言われていた。
確かにそのようなものとなった。
普段とは違ってあちこちに配置されていた大型のマイクが目についた。
(大きなライブやコンサートの会場ではマイクを様々に配置して音を拾う技師と
 大きなコンソールを前にしてミキシングを行う担当の人がいるものだが、
 こういうスポーツの中継でも大掛かりにそういうのが行われているのだなと改めて認識する)
激しくて鋭い、短い単語だけになった叫び声が時々耳に飛び込んでくる。
スタジアムには観客がいないはずなのに日本を応援する大合唱が聞こえてくる。
うねるような大きな声の塊が全てをうっすらと覆い尽くしている。
代々木の国立競技場の音声をミックスするという「演出」かと思ったら、
なんとスタジアムの外に集まった日本人サポーターたちによる声援だった。
すごいもんだな、と感心させられた。

終了間際、田中のパスを受けての大黒のシュートはよかったな。
キーパーをすり抜けて、映画の1シーンのようだった。

北朝鮮の選手たちはみな同じ背格好、同じ顔に見えた。髪形が同じだったせいか。
最後の最後に乱闘騒ぎを起こしかけてレッドカード。
怒りに肩を振るわせて退場するフォワードの選手をなだめようとする
同僚の選手の姿がなぜか印象に残った。


[1642] 僕の音楽遍歴 その8(高校2年) 2005-06-08 (Wed)

高校に入って行動範囲が広がった。
あれこれ興味を持ち外に出かけていった、ということではなくて
ただ単に自転車通学で片道最速で40分かかったから。
(しかも青森市内ってなんかあるわけでもないし。。。)
いつも同じルートを行き帰りすると飽きてくるから遠回りしたり寄り道するようになる。
帰りに友達と一緒になるとたいがいそうなる。
そういう寄り道の一環としてレンタルCD屋回りに精を出す。
市内のありとあらゆるレンタルCDに通ってた。
そんな僕の趣味を知ってる友人たちから
「ちょっと遠いけどどこそこに新規オープンしたよー」と教えてもらうと
家とは全然反対方向だろうと行ってみた。
当たり前のことなんだけど店によって品揃えが微妙に違ってて、
ここにしかないCDってのがそれぞれどこの店にもあって、
そういうのの在庫のリストというかカタログが僕の頭の中で常に更新されていた。
県内有数の進学校に通っていても、偏差値の高さをそういうところに使っていたわけです。
その当時買ったり借りたりしたCDは(まだそんな枚数もなかったということもあって)
何曲目のタイトルは○○で、というのもきちんと把握していた。

今では信じられないが、当時の小遣いは5千円。
ほぼ100%レンタル代かCDに消える。
それに毎日、ジュース代として100円もらってた。
これもジュースは買わないで貯めておく。
10日我慢して1000円になるとCDを2枚借りに行く。テープを2本買う。
非常にストイックな生活だった。我ながら感心する。
そんな切り詰めた中で買ったり借りたりするCDだから
あれこれ悩んだ末のセレクションになる。自然と質が高くなる。
青春時代の有り余る情熱とエネルギーと時間を費やしてふるいにかけるわけだ。
なくなく諦めたものだってある。
あの当時が一番勉強になった。
自分で自分を、基礎から叩き直したというか。

90年から91年という時代に洋楽を聞き始めたわけなのであるが、
今思っても当時は特別な時代だったように思う。
イギリスではマンチェスタームーブメントが勃発、
アメリカではオルタナティブの時代に突入。
(僕が大学に入った頃、この2つの時代の激流がもたらした成果として
 前者はブリットポップに結実し、後者はグランジへとつながっていく)
毎月のようにとんでもない新譜が発表され、レンタルしてもしても追いつかない。
お年玉はもちろんCDに消える。
The Stone Roses , Happy Mondays , My Bloody Valentine ...
Dinosaur Jr , Pixies, Sonic Youth, Nirvana ...
Primal Scream 「Screamadelica」なんて
ほんのちょっとしたタイミングの問題で当時聞けなかったんだよなあ。
お金が無いとか、借りようとしてもいつも貸し出し中だったとかで。
Rockin 'on では毎月のようにとんでもないニューカマーが現れる。
Ride の赤ライド、黄ライドってのが輸入盤で東京では話題になっているのに
青森ではもちろんそんなの聞けるわけが無い。
この2つが一緒になったコンピレーション「Smile」が発売されたときは嬉しかったなあ。
今でこそ時代を変える一大傑作として崇められている
Nirvana 「Nevermind」も My Bloody Valentine 「Loveless」も
Rockin 'on では合評扱いになってなくて、普通の枠扱いだったんですよ。
Nirvana の方には「売れそうだ」なんて書いてあったけど。

こういう新譜を割と多く扱っているレンタルが
青森市ではジャスコ・サンロードから観光通りを南へ、八甲田山の方に自転車で走って行くとあって、
あれはアコムがやってる店だったかなあ。とにかく通い詰めた。
ここにしかないCDってのがたくさんあって、僕にしてみればパラダイスだった。
店員の趣味だったのだろうか。
高3の途中ぐらいから新譜はどうでもいいような売れ選ばかりとなって、僕の熱意も冷めた。

話は前後するが、高1の冬から Rockin'on を毎月買い始める。
1月号で買い始めにはちょうどよかったのと、表紙が Led Zeppelin だったから。
しかもジミー・ペイジもロバート・プラントも痩せていた4枚目までの頃。
あの表紙じゃなかったら買ってなかったかもな。そして Cross Beat 派になっていたかも。
毎号がバイブルみたいなもので、全ての記事やインタビューを目を皿のようにして読んだ。
(今でも毎月途切れなく買ってるけど、会社員になってさすがに
 ディスクレビューとインタビューを1つか2つぐらいしか読まなくなった)

そういう縁があったせいか(もしかしたら順番は逆かも)、
「ロックに詳しくなりたい」と思って買ったガイドブックの著者は渋谷陽一。
新潮文庫から出ていた「ロック―ベスト・アルバム・セレクション」
(これは今でも普通に買えるはず。何気にロングセラー)
この中で紹介されているCDの数々を目にして15歳の僕はため息をついた。
「こんなに全部買えない。。。」
自分が行きたかった場所の地図を与えられて
そのとてつもない広さと地形の多様さを知り、唖然とする。
その地名や解説の文章を読んでそこがどんなところなのか想像してワクワクする。
どれだけ時間をかけてもほんの少しずつしか探索の進まない自分をもどかしく思う。
最初から最後まで全てのページを一通り読んで、
高1の僕は「では、どこから聞き始めるか」と考える。
パンクに興味を持っていた僕にしてみれば77年以後のものが面白そう。
それ以前のロックは、特に60年代は、
ブルースの影響が色濃くて自分には無縁のものに感じられる。
あるいは単なるポップミュージックか。
70年代前半から半ばにかけてもそう。
例えば The Eagles 「Hotel California」は有名な曲なのでその名前ぐらいは知っていた。
でもアルバム通して聞いてみようとまでは思わない。

「ニューウェーブ」という言葉に僕は心を惹かれる。
パンク以後の、実験性の高い音楽。
たぶん僕がそのとき自分の置かれていた、
自分に対して抱いていた状況が反映されていたのだと思う。
何らかの屈折した思い、どことなくなんとなく感じていた孤独。
家族や友達がいても、自分の居場所がないような、何かが違うような、漠然とした不安。
転校を繰り返していた僕は
その地域で小さい時から育まれてきた友人関係というものに溶け込むことができない。
スポーツのできない子供だったのでそういうところで活躍もできない。
家に閉じこもって本を読むことが何よりも好き。
その本といっても四次元がどうのUFOがどうのという超常現象系ばかりだ。
そんな暗い小学生時代をなんとか乗り切り、
中学・高校と明るい部分も広がっていきつつも、
暗い自分は一皮剥くとすぐ下に広がっている。
今でもそれを引き摺っている。
「ニューウェーブ」の何がいいかと言えば、技術至上主義ではなくて、
若さゆえの衝動を元に自己表現しようとしていたことだ。
自分にしか為しえない、フリーキーで突拍子も無くて、寂しくて攻撃的で臆病な表現。
ギターを性急に掻き鳴らし、ドラムは例え下手であっても未知なるリズムを叩きつけ、
キーボードが虚無的なフレーズを奏でる。

最初のうちはイギリスを中心に XTC, The Cure , The Police といった
メロディーの際立っているものを聞いていた。
それがやがて The Pop Group, Gand Of Four, Wire, PiL といった
先鋭的なものへと重心が移っていく。
Mute と日本で契約していた Alfa が頑張っていたこともあって
Cabaret Voltaire や Throbbing Gristle や Einsturzende Neubauten の国内盤や
ボックスセットが出ていた時期だ。(音楽的な時代が異なるが、Can もボックスセットが出た)
こういうのを予約してでも買っていた若者は青森市では相当珍しかったのではないか。

アメリカのパンク・ニューウェーブを聞かなかったわけではない。
渋谷陽一の「ロック―ベスト・アルバム・セレクション」を見ていた中で
どうしてもこれが欲しいと思って、レンタルにも無くてCDを買ったのが
Television 「Marquee Moon」
官能的でヒステリックで繊細なギターの旋律、特に表題曲のイントロを聴くと今でもゾクゾクする。
「この世のものとは思えない、凄惨な音」と誰かが評していたが、全くもってその通りだと思う。
金属的で無機的で、それでいて人間的でどことなくつたない音の向こうに
ひっそりとした孤独が広がっていた。


[1641] 僕の音楽遍歴 その7(高校1年) 2005-06-07 (Tue)

高校に入った頃から洋楽趣味が全開になる。
無駄に意味も無いところで変に潔癖な性格が災いして、
「これからはもう邦楽なんて聞くもんか」なんて心に固く誓ってしまう。

中学生時代にビートルズを聴き始めて一通り極めると、「次」を求めたくなった。
それまで洋楽に対して全く詳しくなかった僕が
ビートルズ以外に初めてレンタルCD屋で借りたのは
Led Zeppelin の4枚目と The Clash の1枚目。
なんとなく名前は知ってて、有名だったので「まずはここから聞いてみるか」と思った。
※なお、当時はほんとわかってなかったから、どうもこれが話題らしいと
 コリー・ハート(懐かしいですね)を借りてきたりしていた。
 ・・・もちろん1回しか聞かなかった。

Lez Zeppelin の4枚目なんて洋楽初心者が初めに聞くもんじゃないよな。
余りにも完成度が高いんだけど、それが普通だと思ってしまった。
その前に聞いてたのがビートルズだったのでなおさら。
中学生で丸坊主で土日も学校のジャージだけを着て暮らしていた僕からしてみれば
とんでもなく衝撃的な作品だった。
「これがロックか!」「これがハードロックというものか!!」
でも、不思議なことにそこからハードロック・メタルに進んでいくことは無かった。
僕がLed Zeppelin で好きになった要素は
・音の強度、圧倒的な存在感(例「When The Levee Breaks」)
・ボンゾの叩きだす破天荒なグルーヴ(例「Misty Mountain Hop」)
・垣間見えるエスニックというかエキゾチックなフレーズ(例「Four Sticks」)
であって、
代表曲とされる「Stairway To Heaven」のギターソロがどうこうってふうにはならなかった。
(これまた不思議なことに)自分でギターを弾こうって気にもならなかったし。
分かる人には分かる話ですが、この例で上げた3曲ってどれもB面なんですよね。
普通4枚目って言ったらA面の
「Black Dog」「Rock And Roll」「Stairway To Heaven」なんでしょうけど。
これって象徴的なことだよなーと今ではしみじみ思う。
僕のその後の音楽的趣味をよく表わしている。
A面が王道サイドだとしたらB面は異物サイドとでも呼ぶべきものであって。
A面ももちろん好きだけどどうしてもB面の方に目が行ってしまう。
その後の人生において文学も映画も、どんな感じのものが好きですか?と聞かれると
「得体の知れないもの」と答えてしまうような人間となる、
もしかしたら分岐点かもしれなかった。
あるいは、ここで表面化した。

・・・なのでその後一通り Led Zeppelin を聞いてみて4枚目以外に好きなのは
7枚目の「Presence」だったりする。
一見つるりとした滑らかな手触りのハードロックなんだけど
最も訳の分からないアルバムだから。他のどのアルバムよりも底知れない闇が広がってるから。
得体の知れない凄みがあって、得体の知れないファンキーさがあって、
得体の知れない音の塊が鳴ってるから。
純粋に音楽的に聞くならば1枚目か2枚目ってことになるんだろうけど。
でも実は「Presence」を聞いたのは高3ぐらいで、
4枚目を中学生の時に聞いてそこからしばらく Led Zeppelin からは遠ざかっていた。
余りに圧倒的な完成度ゆえに「これ以上のものはないんだろうな」と
直感的・本能的に知ってしまったから。

そして今でも4枚目を聞いたときの衝撃を再体験したくて、
僕は手当たり次第に、普通の人からすると尋常じゃない量とスピードの音楽を消費しているのだと思う。
いろいろと聞いていった末に辿り着いた地点が Led Zeppelin の4枚目だとしたら、
幸福な音楽人生を過ごせただろう。
そして極め尽くした達成感ゆえに、ロックというジャンルから足を洗っただろう。
そういうことにはならなくて、僕はもう10何年も「悪魔に魅せられた」状態だったりする。

---
その一方で The Clash の方は1枚目じゃ物足りなくて、
その後すぐ他のアルバムを次々と借りてきてテープにダビングした。
ブルーハーツ仕込みのパンク好きってのが根っこにあるから、
すぐにも親しみが湧いたのだろう。

Led Zeppelin の4枚目と並べるとものすごい両極端。
音が余りにも軽くて薄っぺらい。
でも、身近に感じて何度も何度も繰り返し聞いて生活の糧としたのがこっちだったりする。
出会いというものはつくづく奇妙なものである。
1曲目の「Janie Jones」のツッタカタッタ、ツッタカタッタというドラムの音を聞くと
今でも新鮮な、「ウォーッ!」という気持ちになる。
「White Riot」「London's Burning」というのが
曲の中身以前に概念としてかっこよく思えた。
ブルーハーツ並みに燃えた。

あれこれ聞いたけどやっぱこの1枚目の「白い暴動」だよな。今でもそう思う。
ストーンズ同様、「London Calling」の良さが分かったのは
やはり20代に入ってからだったりする。
「Sandinista」は今も昔も好きです。
2枚目は今も昔もピンと来ない。

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当時非常に「いい!」と思っていたのに
The Clash を聞いてたのってたぶん僕だけだったんだよな。高校の学年全体でも。
Sex Pistols は何人か持ってる人いたけど。
洋楽といえばメタル。
友人たちの多くがメタルを聞いていて、それ以外のジャンルには興味を持って無さそうだった。
なので「オカちゃん、これいいから聞きなよ」と勧められて借りるのは
Yngwie Malmsteen や Greate White などなど、
国と地域、時代を問わないコテコテのメタルの数々。
LAメタルよりはジャーマン系の方が多かったような印象がある。
借りたうちの半分は全然体が受け付けなかった。
なんというか、ハードロック・ヘヴィメタルの美意識の中に閉じこもっているもの。
今でも全然だめ。どれだけ音楽的な関心領域が広がっても。
残り半分は今でも聞いたりする。
Mr.BIG, Metalica, Whitesnake あと最近はさすがに聞かなくなったけど、
Pretty Maids とか。これらと比較するとあんまり知名度は無いけど、
Pink Cream 69 というバンドは非常にいい曲を書いていた(ただし2枚目まで)。
Metalicaの5枚目が出たときなんて「事件」だったなあ。
レンタルに並ぶと早速借りに行った。
「オカちゃん、あれ聞いた?」「聞いた聞いた!」ってな感じ。

今でこそ Metalica はロック界全体での大物で
Rockin'on で表紙になってもおかしくないぐらいだが、
当時はまだハードロック・メタルとそれ以外のロックは全然住む世界の違うものだった。
Metalica の5枚目がその垣根を越え始めた最初のアルバムだったように僕は記憶している。
その後 Faith No More のようなミクスチャー、
Jane's Addiction のようなオルタナティヴ、
Nine Inch Nails のようなインダストリアル、
さらに時代は下って Korn のようなヘヴィ・ロックが台頭してジャンルは融合しあう。
スラッシュメタルが人気を博し、例えば Anthrax が再評価されるようになる。

メタルを聞いてる友人たちのほとんどが軽音でバンドをやっていて、
文化祭となるとその手の曲の演奏をしていた。
僕は何度かそういうののビデオ撮影をした。
軽音の凄腕メンツが集まったバンドは確かこっそり学校を休んで
仙台で行われたアマチュアのバンドコンテストに出て、優勝した覚えがある。

80年代のハードロックの名盤はやっぱ
Guns N' Roses 「Appetite For Distruction」
高校の頃に借りて聞いた時には「勢いがあるねえ」ぐらいにしか思ってなかったけど、
今聞くとこれメチャクチャとんでもない。
どうしたらあんな曲が書けて、あんな演奏ができるんだ?
「Rocket Queen」みたいな曲、他では聞いたことがない。

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そう言えば中学校の時に洋楽って言ったら周りはユーロビートだったなあ。
特にヤンキー系の連中が聞いてた。
運動会でもユーロビートに合わせてみんなでラジオ体操系の踊りもさせられたもんだ。
今でもあるのかな。時々見かけるような気がする。
ユーロビートって結局なんだったのだろう?
位置付けとか意味合いとか実体ってなんだかよくわからない。


[1640] 僕の音楽遍歴 その6(中学校3年) 2005-06-06 (Mon)

どういうきっかけなのかは覚えてないが、ビートルズを聞き始める。
英語の授業に役立つからなのかもしれないし、
洋楽を聞くということがかっこいいことに感じられたからかもしれない。

中1か中2の冬休みに「Past Masters」の Volume 1 , Volume 2
2巻組のテープを買ったのが最初。
でも最初のうちは聞かなかった。よくわからなかった。
そもそも英語の歌を聞くという行為の意味が。
それがある日突然ピンと来て、本格的に聞き始める。
本格的と言うとまああれだけど、要するに休みの日は一日中聞いてるような状態である。
中3から高1ぐらいにかけてがピークで、高3までは普通にヘビーローテーションだった。
どれだけ洋楽にのめりこんで詳しくなっていっても、1番はビートルズだった。

「Past Masters」を繰り返し聞いてた時期があって、それが物足りなくなってくると
中3ぐらい(89年ごろ?)には青森市内にもCDレンタルの店が増え始めたということもあって
アルバムをちょこちょこ借りてきてはテープにダビングするということを繰り返した。
受験も終わって合格してという春休みに
それまで聞いてないやつをまとめて借りてきて、全部揃った。
その中には62年のデビューの前の音源なんてのも入っていた。
最初の頃は何がオリジナルのアルバムだったのかがよくわかっていなかった。

たぶん中3のことだったのではないかと思うが、ひたすらビートルズについて学習した。
シンコー・ミュージックから出ているビートルズ関係の文庫を買っては読む毎日だった。
歴史や音楽観や発言やその他いろんな物事について。
青森市で手に入りそうなものは片っ端から吸収していった。
今となってはいろんなことを忘れてしまっているが、
当時はいっぱしのビートルズ博士の気分だった。

---
それまでブルーハーツばかり聞いていてパンクな思想が身につき始めていた
僕はもちろんジョン・レノンに憧れた。
反抗的で、拗ねたところがあって、孤独で、普遍的な愛を求めていて。
ビートルズの曲の中でも、ジョンの曲ばかり好きになった。
ポールの曲は出来過ぎというか技巧的で、一言で言うと甘すぎた。
ジョンの曲は天賦の才能に導かれて作っているようなところがあって、
剥き出しの魂が込められているように感じられた。
後期で言えば「Revolution」「Don't Let Me Down」「Across The Universe」といった辺りだ。
(今では中期の「Day Tripper」「Girl」「Paperback Writer」の方に天才を感じる)
人間という未完成な存在が、神様に近付くためにもがいている、そんな印象を僕は受けた。

ジョン・レノンが死んだ日のことをなぜか僕は覚えている。
僕はまだ5歳で、幼稚園に通っていた。
テレビではずっとその暗殺事件について語っているか、
ビートルズの歴史を辿ってジョンの曲を流していた。
大勢の外国人がブラウン管の向こうで大声で泣いていた。
政治家とは別の、何か大事な人が死んでしまったんだなということが子供心に伝わってきた。

僕がその後ビートルズを後追いで聞き始めた頃には、神様は死んでしまっていた。

---
高校生だったときに洋楽を聞いていた人ならば誰もがやるように、
僕もテープの編集ばかりしていた。
ビートルズのテープは死ぬほど作った。自分の好きな曲ばかり集めたやつの。
いつ作ったとしてもこういった曲が入る。思いつくままに上げてみる。
「Dear Prudence」「A Day in the Life」「Here, There, And Everywhere」
「Hello Goodbye」「Let It Be」「I Feel Fine」「Yes, It Is」「Help !」
「Something」「We Can Work It Out」「Sexy Sadie」「Julia」「Till There Was You」
「No Reply」「All I've Got To Do 」「Two Of Us」「I Want You」「Come Together」

1番好きな曲は「A Day in the Life」で、その次は「Dear Prudence」かなあ。
これは高校のときからほぼ変わらない。
「A Day in the Life」はもっとランクが低くて、
20代後半になってからかな。僕の心の中で No.1 になったのは。
中学生の時は「We Can Work It Out」が1番だった。今ではそれほど魅力を感じないけど。

「Yesterday」や「Hey Jude」といった定番は元からあんまり好きではない。

好きなアルバムで言えばいろんな変遷を経て、今では「Let It Be」だ。

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高校生までで余りにも聞きすぎたために、大学に入ってからは全然聞かなくなった。
今もほとんどというか全く聞かない。
嫌いになったかというとそういうわけではない。
結局のところ、ロック50年の歴史の中で最も偉大なグループはというとビートルズなのは間違いない。
いつかまた僕もビートルズに戻っていくのだと思う。
そしてまたテープを作るんじゃないかな。
そのときにはMDかCD−Rか、なんになってるかわからないけど。

それにしてもいつかビートルズのアルバムを全部揃えようと思っているのだが
(実は全部持ってなかったりする)
いつかデジタル・リマスターされるはずと踏んでいるのでずっと買わずにいる。
「Beatles 1」はデジタル・リマスターされた曲が収録されているので、
残りの曲全部もデジタル・リマスタリングされているのではないか。
それとも今現時点でもイギリスのどこかで延々と作業が続けられているのか。

---
あと、よく書いてる話として、
「Anthology」も「Live at the BBC」も「Let It Be Naked」もみんな出る度に買ってたけど、
どれも1度聞いておしまい。何回も聞くものではないな。
「税金」だと思って毎回買ってる。

高校生の頃、青森市で手に入るビートルズのブートレッグを買い漁った時期がある。
正直に告白するけど、万引きすらした。
ほとんどがデモを集めたもの。主に「ULTRA RARE TRAX」のシリーズ。
「Swingin' Pigs」とかいうレーベルのもので
サングラスをして葉巻を吸ってる豚のイラストが描かれていた。
観客の声しか聞こえない、武道館公演のやつも買った。

ビートルズについて語りだすと、
特にアルバム1枚1枚のそれぞれの曲の話になると長いから、
とりあえず今日はこの辺で。

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ちなみに、ストーンズは
中学・高校の時には何がいいのかさっぱり分からなかった。
そのよさが分かり始めたのは20代に入ってからだ。
ゴダールの「One Plus One」を見たりとか、そんなんで。
今では断然ストーンズの方がいい。
あのダーティーでセクシーでワイルドで、だけど寂しがり屋で、
その裏返しでそっけなくてぶっきらぼうな感じ。たまらない。
男として憧れるのはやはりストーンズだ。
ビートルズは優しすぎる。


[1639] 幽霊 2005-06-05 (Sun)

恋人の幽霊が現れた。

あれは午前0時になったばかりのタイミングだったと思う。
僕は部屋の電気を消してベッドに潜り込もうとしていた。
ふと見ると真っ暗な中に青い微かな光がぼんやりと漂っていた。
パチパチ、パチパチと静電気がはじける音がした。
空気がひんやりと張り詰めている。
僕の目の前にモヤモヤとしたイメージが浮かび上がって、次第にそれが鮮明になっていく。
それはやがて彼女の像として形をなした。
「像」と呼ぶのは、彼女の姿が完全に静止していたからだった。
静止画像のような、ホログラフのような、そんな姿だった。
両手は手の平をこちらに向けて胸の前で固まり、何かを探るような、あるいは、
何かを拒否するような、必死でガードしているような身振りを示していた。
その両目はここではないどこか別の世界の何かを見つめ、
何かを強く訴えかけるような、何かに困惑しているような表情を浮かべていた。
彼女は助けを求めていた。

「驚く」とかいう以前に、そのときは頭の中の何もかもが消し飛んでしまっていた。
僕は部屋の中で立ち止まったまま、凍ったようになってその像を眺めていた。
どれぐらいの間そうしていたのかはわからない。
彼女の姿は突然ふっと消えてしまった。
5秒間のことだったのかもしれないし、5分間のことだったのかもしれない。
部屋の中には暗闇だけが残された。

その日は彼女の命日だった。
その1年前に彼女は事故で死んだ。

---
「彼女は何を訴えたかったのだろう?」
それからずっと、僕は考え続けた。
成仏できずに現世をさまよって、
実は常に僕の周りを、今、この瞬間にも漂っているのだろうか?
そしてこの僕に対して何かを言おうとしているのだろうか?
何を言いたかったのか。
それはわかるような気もするし、永遠にわからないような気もする。

彼女を突然失ったことに対する苦しみ、悲しみ。
その中を僕は1年間ひっそりと生きてきた。
周りの人に対しては何も変わらぬように接してきたつもりではあるが、
心の中では常に沈み込んだようになり、鬱屈したものを抱えていた。
時としてそれは暴発し、やり場の無い気持ちを押さえ切れずに眠れない夜を過ごした。
この世の中のあらゆるものを呪い、罵った。

そういったものの全ては、今思えば、実は僕を中心とした
あくまで僕のための感情だったことがわかる。
僕は彼女と向き合っているのではなく、僕自身と向き合っていた。
彼女の「幽霊」が現れたことで
僕はこの世界がもっと複雑なものであることを知った。

---
この一件があってから、僕は彼女の写真を自宅の机の上に置くことにした。
それまでは彼女の写真の束を厚手の封筒に入れて引き出しの奥深くに仕舞い込んでいた。
取り出して写真立ての中に入れた。
一番いい笑顔の写真を選んだ。
僕は別に彼女の写真に話し掛けたり、同じように笑いかけたりするようなことはしない。
だけど、日々の暮らしの中で何かがあったとき、
悲しいとか苦しいとかそんな単純な言葉では捉えきれない、
複雑な気持ちに直面した時、彼女の写真を手に取って眺める。


[1638] 書き疲れた 2005-06-04 (Sat)

昨日は作業工程の一区切りということで夜遅くまで仕事していた。
(今回のプロジェクトでは一区切りじゃなくても毎日遅いが)

まあ、日本 vs バーレーン戦にさえ間に合えばいいかと思っていた。
つまり終電で帰れればそれで十分。欲は言いません。
そんなふうな態度でいたら本当に遅くなった。

家に帰ってきて缶ビールを飲みつつ始まるのを待つ。
日本時間にして午前1時半開始という微妙な時間。
前半34分の小笠原の先制ゴールはばっちり目撃したが、
後半は30分ぐらいから眠ってしまっていて、
目が覚めたらジーコ監督の記者会見だった。
あちゃーと思ったけど、勝ってたからいいです。

---
布団に入って10時ごろ目を覚ますが、眠くてたまらない。

母からの要望で、父が新聞社の青森支局で働いていたときに
お世話になった方々に本を送ってほしいとのことで、全部で3冊送ることになった。
まずはその3冊分の厚めの冊子小包用の封筒を駅前の西友の中の文房具屋に買いに行き、
部屋に戻ってその封筒に宛名を書いて本を入れた。
同封する手紙は前の晩は3通、帰ってきてからサッカーの始まるまでの間に書いてある。
そしてまた駅前の西友の中の郵便局に持っていった。

僕の父が死んだのが今から20年以上前で、
生きているならばもうとっくに定年を迎えている。
その当時一緒に働いていたか上司に当たる方たちであるため、皆かなりのお年となる。
今回の3冊の前に先々週1冊、やはり母からの要望で
当時の支局長だった方にお送りしたところ、長めのお手紙を頂いた。
ありがたいものです。

先月半ばにこれまでの人生でお世話になった方々に本を送ったところ、
何人かの方から丁寧にも手紙や葉書をもらって、叱咤激励された。

---
昨日の朝、地下鉄に乗ってたら短編のアイデアが思い浮かび、
今日の昼から夜にかけてずっと書いていた。20枚いっきに。
まだまだ手直しは必要だけど、とりあえず書ききった。
思いっきり疲れた。
(よって、今、書くということが非常に苦痛)

風変わりなものを書きたくて始めたんだけど、
どっちかというと奇妙奇天烈なものになってしまった。
何かいても一緒なんだなあ・・・、と思ってしまう。

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夕方、突然空が暗くなり、いきなりバケツをひっくり返したような土砂降りに。

雨が降り始める前、空が黄色っぽい灰色に染まった。


[1637] GW中に見たビデオ 2005-06-03 (Fri)

ゴールデンウィーク中に借りてきたDVDのメモを日記に上げるのを忘れてた。
今日は設計書納品の日でバタバタしていて何も書けないので、代わりにこれを。

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「ソラリス」

ソダーバーグ監督の方。
ソダーバーグだったらこのところの作品はいつも劇場で見ていたのだが、
この頃は仕事が忙しくて見に行くことができなかった。
アンドレイ・タルコフスキー監督のSF映画の超名作「惑星ソラリス」のリメイク。
というかスタニスワフ・レムのSF文学の超名作「ソラリスの陽のもとに」の再映画化というべきか。
最初ソダーバーグが「ソラリス」の映画化をすると聞いたとき、「ええー?」と驚いた。
この2つ、なんか全然結びつかない。

この後に撮られた「フル・フロンタル」「オーシャンズ12」と見ていくと
ソダーバーグは知的に、スタイリッシュに、どんどん洗練されていってるのがよくわかる。
だけどその分中身がなくなっていってるなあというのが正直な感想。
映画という手段を通して世の中の人々に訴えかけたいことってこの人にはもうなくなったのだろうか?
知的でスタイリッシュな作品でそこそこ面白いものになったらもうそれでいいのだろうか?
「セックスと嘘とビデオテープ」の頃には確かに何かがあったように思う。
映画として表現せずにはいられない何か。
それが「トラフィック」で頂点に達し、そこから先は明らかに下り坂。
なんだか残念だな。

うまいことはうまいんだけど、十分うまいんだけど、ただそれだけ。
その分存在感も、存在意義も小さい。
タルコフスキーの「惑星ソラリス」は作品そのものが哲学として成立していたが、
ソダーバーグの「ソラリス」は哲学について語っているだけの作品である。
結局のところは自殺した妻とその妻を忘れられない男の話。
ソラリス上の軌道を回る宇宙ステーション(現在)で起こる出来事と
地球(過去)で起こった出来事が重なり合うという趣向で、
「ソラリス」はただ単に背景、小道具でしかない。

感想や評価を検索してみたら「ソラリス」については誰も彼もがボロクソに言ってた。

タルコフスキーの「惑星ソラリス」は
(実は)原作者スタニスワフ・レムの意図していたものと違っていたようで、
レムは気に入らなかったらしい。
ソダーバーグのはさらにかけ離れていると思う。

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「カレンダー・ガールズ」

今度出る旅行記になぜかこの「カレンダー・ガールズ」の名前が出てくる。
しかも2回も。
行きの飛行機の中でやってたというのと、ドバイの空港の中でDVDを売られていたというので。
なのにまだ見ていない。見とかないとなー、と思った。
これまた公開時に見逃してしまった。ものすごく興味があった。

イギリスの片田舎の誰も知らないようなのどかな村が舞台。
最愛の夫を病気で亡くした友人を励ますために
その記念の品を病院に寄付しようというのをきっかけに
いい年をしたおばさんたちが集まって
地元の婦人会のカレンダーにてヌードになったところバカ売れ。
一躍有名になり、評判はアメリカにも飛び火してハリウッドにも呼ばれ・・・、
という実話を悲喜こもごも交えてさらりと描く。

これ、いい映画だと思う。
見ててとても楽しかった。清々しかった。
映画としてはイマイチな部分もところどころあるんだけど、嘘がなくて。誠実で。
奇をてらわず、何の迷いもなく「普通」になることを選んだのが成功している。
等身大の軽いユーモアでおばさんたちの奮闘振りをさらりと描く。
劇場で見てたら涙ぐんだかもなあ。

日々の生活に必要なのは
息詰まるような「常識」を打ち破るちょっとしたユーモアと
行動力、それをほんの一押しするささやかな勇気なのである。

---
「猟奇的な彼女」
韓国のヒット作。結構話題になったと思う。
これは見に行くかどうか迷って、結局見に行かなかったもの。
見に行けばよかった!
やられた。

美人だけど変に正義感を振りかざしたり酒乱だったりで
突拍子もない行動を取るシナリオライター希望の女子大生に
妙に好かれてしまった優柔不断な兵役帰りの男子学生とが織り成すラブコメディー。
もう恐ろしくベッタベタで「なんだかなあ」と思ってしまうような展開も多々あるものの
これでもかこれでもかとベタに徹した分
最後の泣きの部分にすっと入り込める。
これ、泣くわ。

「何かお薦めの恋愛映画ないですか?」と聞かれることがあったら
僕は迷わずこの作品を挙げる。
そんな僕は屈折してる?
・・・というか恋愛経験に乏しい?

おばはんたちが韓流、というか「冬のソナタ」にはまった理由が
なんとなくわかったような気がした。
ストーリー物はやはり輪郭がくっきりしている方がいい。
今見ててどういう感情を抱くべきなのかはっきりしていて、
その感情を寸分たがわず抱かせるような演出がきっちりなされているということ。
変に曖昧な「芸術」など意識せず、観客を「乗せる」ことに命を掛ける。
笑わせるなら笑わせる、泣かせるなら泣かせる。
韓国映画はこの基礎体力がしっかりしている。
監督の感性やセンス、あるいはどこかの誰かのマーケティングだけでは
作品を作らないんだろうな。

なんといっても主演のチョン・ジヒョンがいいなあ。
「僕の彼女を紹介します」見に行けばよかった。

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話は変わるが、レンタルのDVDなりビデオを借りてくると
新作紹介として予告編が必ず流れる。
これって何のためのものなのだろう?
DVDでレンタルになっている時点で紹介されている作品もレンタルになっているだろうから、
「面白そうだな」と思ってもDVDを買うのではなくレンタルしてしまうのではないか。
そしたらあんまり利益にならないのでは。

そもそも作品がレンタルされたとき、
そのコミッションはメーカーに支払われるものなのだろうか?
支払うとしたとき誰がどれだけ借りたかってのは
店側の自己申告制になってしまいそう。
どういうふうになっているものなのだろうか。


[1636] 僕の音楽遍歴 その5(中学校2年A) 2005-06-02 (Thu)

ブルーハーツ以外に当時僕がその他はまっていたのは
レピッシュとアンジー、ユニコーン、筋肉少女帯。

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ブルーハーツの次に好きだったのがレピッシュ。
僕の周りでは聞いてる人が結構多かった。
2枚目の「Wonder Book」が出て、ミニアルバムの「ANIMAL 2」を挟んで
3枚目の「Karakuri House」を出した頃。

「Wonder Book」は死ぬほど聞いた。
1曲目の「Our Life」がテレビのコマーシャルに使われ、
2曲目の「リックサック」がシングルとして話題になり、
それ以後の曲も捨て曲なしの一聴して耳に残る(というかこびりついて嫌でも忘れられない)曲ばかり。
僕は他に「爆裂レインコート」や「room」が好きだった。
なお、「Time Slip Boy」という曲は本当は「昭和生まれ」という名前だったんだけど、
昭和天皇崩御ということもあって自粛したという経緯があるようだ。

1枚目も「イージンサン」「Love Song」「Laura」「パヤパヤ」と名曲ぞろい。
ファンに最も人気が有るのは実はこの1枚目なのかもしれない。

そんで人気が最高潮になって出された(と僕は時代の空気を感じた)のが
3枚目の「karakuri House」
プロデュースはトッド・ラングレン。
当時はよく分からなかったけど、今だと素直に「すげー」と思う。
若さで押すニューウェーブ・スカ・パンクから
このアルバムで音楽的に一皮剥けて、
その後のレピッシュの方向性を定めた1枚目・2枚目とも劣らぬ傑作アルバム。
これがやっぱピークだったな。
当時なんかの電化製品のテレビコマーシャルにて使われた「Rinjin」が有名か。
変な曲(だけど名曲)ぞろいということではこれが最高潮。

その後は浮き沈みを経て今でも活動してるのが嬉しいところ。
若手バンドからの信任も厚い。
いつのまにか大御所になってしまった。
低迷した時期もあったんだけど、
「ポルノポルノ」「Q」と90年代後半に入ってまた名作を連発した。
エキセントリックかつウェットな部分を体現していた上田現が
まさかのプロデューサー業でのヒットにより脱退。
(↑「元ちとせ」ですね)
その後はさすがにパワーダウンしているように思う。

僕が中学校の時にはレピッシュのメンバーを主人公にした少女漫画もあった。

---
アンジー。
これもどういうきっかけで聞くようになったのか覚えてないんだけど、
3枚目の「蝿の王様」が14歳の頃だった。
当時の青森では深夜に「なんだわけ天国」という番組をやっていて、
水戸華ノ介が準レギュラーであるかのように毎週出ていた。

※この番組にはレピッシュも時々出ていた。
 確か最終回スペシャルってのがあって、青森の海辺でフロントの3人が
 アコースティックな編成で「イージンサン」を演奏した。
 この番組は当時の(青森からすれば)最先端なロックを紹介する番組で、
 高校2年頃にフリッパーズギターの「恋とマシンガン」かなんかのビデオクリップを見て
 (白い服を来て白いベレー帽をかぶった小柄な2人 キャンバスを脇に抱えて美術館を歩き回るやつ)
 「なんだこりゃ」と思ったりした。
 青森には「渋谷系」なんて言葉はリアルタイムに届かなかった。

非常に玄人向きなバンドなので
どうしてこれが売れた(そんなには売れてないか)のか不思議に思う。
中谷のブースカのギターや水戸華ノ介のキャラクターってナチュラルにキワモノで、だけどカリスマ的。
曲は非常によかった。
唯一無二の雰囲気があった。
1枚目の「溢れる人々」は構成に語り継がれるべき名盤だ。
日本のロックの中でも最も「やさしさ」「正直さ」に満ちたバンドだったと思う。

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ユニコーンは夜中9時頃にラジオ番組があって毎日欠かさず聞いてた。
メンバーが日ごとに2人ずつ入れ替わり立ち代り出てきて喋るんだけど
奥田民生が出てくることはほとんどなかった。
J-WAVE だろうと FM 東京だろうと NHK FM だろうと
僕はラジオというものを普段聞くことはなく、
この30年の中でもラジオを聞くという行為が日常的だったのは14歳のこのときだけ。
ただそれだけでも、特異な時期だ。
「オールナイトニッポン」の影響を僕は受けていない。
高校では聞いてるやつもいたけど。

「大迷惑」にて一躍「なんだこりゃ?」的に有名となり、
「服部」というこれまた人を食ったようなタイトルのアルバムでブレイク。
坂上二郎と一緒に歌った「デーゲーム」というシングルがあったりして、
とにかくやることなすことハチャメチャだった。
そんな意味で中学生にとっては非常にとっつきやすいバンドだった。

その当時のイメージのままで僕の中でユニコーンはいったん止まってしまって、
その後高校生の僕は日本語のロックは聞かない洋楽の時代に突入する。
今思うと非常に残念ながら「ケダモノの嵐」のリアルタイムに聞いてない。
名作「ヒゲとボイン」も名曲「働く男」や「素晴らしい日々」の入った「スプリングマン」も。
大学生になって後追いで聞いて、僕は涙することになる。

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筋肉少女帯も大槻ケンヂのラジオ番組を当時聞いてた。
かなりしょうもない内容だったなー。
弾けもしないのに毎回ギターを弾いて曲を作ってたり。

「Sister Strawberry」に収録された「キノコパワー」「マタンゴ」で
なんだこりゃ?と気になりだし、遡って「釈迦」の破天荒さで、
その次のアルバムの「日本印度化計画」の無茶苦茶さで、
僕の心をがっちりと掴んだ。

さらにその次の「サーカス団パノラマ島に帰る」に収録された
「元祖高木ブー伝説」はお茶の間にも浸透して、
いつのまにか筋少は(確か)武道館公演も行うほどのビッグネームに。
バンドブームってこともあったんだろうけど。

ナゴム時代の曲を集めたアルバム再発されないかなあ。
ケラの空手バカボンと一緒だったか、空手バカボンとしてやったやつ。

なんか今思い出したんだけど、
NHKにて「バンドスタンド」という番組があって
旬のバンドを集めて各地でライブをやるというイベントが
2年連続ぐらいで行われた。
あれってよかったなあ。
普段テレビで見ることの無いマイナーなバンドも出ていて。
この番組で初めて動く姿を見たバンドがたくさんあった。
筋肉少女帯もその1つ。

---
この時期(89年前後)他に書いておくべきものとしては、イカ天がブームだったことと、
女子中学生の間では光GENJIの人気がとんでもないことになっていたということ。
ヤンキー系の女の子ですら「あっくんがぁ」とか一時期言ってた。
あれは凄かった。。。
今30前後の女性の皆さん、あなたは誰のファンでしたか?

僕が解説するまでも無いがイカ天は Flying Kids や青森出身の「人間椅子」に始まり、
「たま」や意外なところでは Blanky Jet City, BEGIN, Little Creatures を排出。
スイマーズやブラボー、宮尾すすむと日本の社長などユニークなバンドも数多く。
僕もかなり興味を持ったけど、リアルタイムに音を聞けたのは「たま」だけだった。
意外に GLAY や突然ダンボールなんかも出てたんですよね。
「天才たけしの元気が出るテレビ」に出ていた「AURA」とか。
(↑もちろん毎週見ていた)
今では割と悪く言われている「イカ天」やバンドブームであるが、
青森という地の果てにも様々なバンドの話が伝わるようになったので
僕からしてみればとてもいいものだった。


[1635] 僕の音楽遍歴 その4(中学校2年@) 2005-06-01 (Wed)

どういうきっかけなのかは覚えてないが、ブルーハーツにはまる。
「Train Train」がテレビドラマの主題歌になったとき?
いや、もう少し前から名前だけは知っていたような気がする。
その頃には音楽雑誌を時々立ち読みするようになっていて
「チェルノブイリ」のシングルが話題になったことや
「リンダ・リンダ」の存在は既に知っていたと思う。
とにかく生活の全てがブルーハーツ一色に染まる。
寝ても冷めてもブルーハーツのことばかり考える。

「パンク」というものに、「パンク」という概念に憧れる。
安全ピンの刺さったTシャツに中指を立てるようなパンクもそうだが、
もっと、なんというか、行動理念としてのパンク。
アンチテーゼ。この世に対するあらゆる物事に対しての。
表立っては反抗期らしい反抗期の無い、大人しい14歳の僕は
思春期特有の鬱屈したモヤモヤした気持ちをぶつける先を求めていたのだと思う。
何かがうまくいかないのなら、また別な何かに対して「ノー」と言いたくなる。
その「ノー」を具体的な行動にしたり、
誰かに向かって声に出して突きつけることができないから
その屈折した気持ちは内へ内へと向かう。
部屋の中で音楽を聞くだけになる。
ブルーハーツさえあればいい。
「何かについておかしいと思って、否定すること」を、肯定すること。
この世界では何が正しくて何が正しくないのか、教えられたような気がした。
(そして今でもそのときの気持ちを引き摺って、僕は生きている)

「Train Train」に至るまでの3枚のアルバムを入手して聞いた。
語録集である「ドブネズミの詩」を買って貪るように読んだ。
中学は坊主の学校だったというのに、マーシーに憧れてバンダナを巻いた。

中学2年の冬、ブルーハーツのライブと言うかコンサートに行った。
自分の意志で行くコンサートはこれが初めてだった。
全国ツアーの一環として青森市文化会館で行われた。
当時の青森市では1番大きな会場ではないか。
「チェルノブイリ」は「六ヶ所村」と言い換えられて歌われた。
ヒロトは痙攣しているかのように奇妙に体をよじらせたり、飛び跳ねたりしながら、
時々音程を外しながら歌っていた。
僕にしてみれば生まれて初めて会う、神様だった。
等身大の、2階の後ろの席で見ればやけに小さな、神様だった。
クラスの友人と2人で見に行った。
終わった後で、2人でずっとバスにも乗らず興奮したまま歩き続けた。
その頃僕は詩の真似事を書き始めていて、その「パンク」な詩を披露した。
バス代が足りなくて、降りるときに運転手に怒られた。

「人にやさしく」「終わらない歌」「リンダ・リンダ」「キスしてほしい」
「英雄にあこがれて」「チェイン・ギャング」「僕の右手」「青空」・・・
正直な話、今となっては一切聞かない。
客観的になれないってこともそうなんだけど、
はっきり言って「痛い」んだよな。いろんな意味で。
2枚目の「Young & Pretty」のマーシーの曲は聴き返してみたいのだが、
まだ当分僕には無理そうだ。

3枚目の「Train Train」で出会って、そこで終わり。
4枚目の「Bust Waste Hip」からは聞かなくなった。
僕が行ったコンサートでも「Bust Waste Hip」からの曲は先行してやっていて、
アルバムが出たときにももちろん発売と同時に買ったのだが、
なんだか自分の中でブルーハーツは終わってしまったような気がした。
初期パンクの衝動だけで闇雲に拳を壁に叩きつけて
「チキショー!痛てーよ」と言ってるような若々しいブルーハーツはいなくなって、
グループサウンズ的パンク、歌謡曲的パンクとしての側面が強調されたように感じられた。
今思えば音楽的には面白いコトを試みていたのかもしれないが、
15歳の悩める少年にとっては全然必要なものではなかった。
「情熱の薔薇」は何がいいのかさっぱりわからなかった。
5枚目以後はアルバムを買うことも無くなった。
解散したと聞いても「・・・そうかあ」ぐらいにしか思わなかった。
The High-Rows も聞かない。
街でかかってて「この曲いいかも」と思うことはあっても、
怖くて手に取れない。

とは言っても、今でもカラオケに行ったら絶対ブルーハーツの曲を歌ってしまう。
歌うというよりは叫ぶというかがなるというか。
他の人が入れてたらマイクをうばって勝手に全部歌ってしまう。

---
深夜に放送されていたレナウンのコマーシャルでブルーハーツの曲が使われていた。
「リンダ・リンダ」のバージョンと
「キスしてほしい」のバージョンとを見たことがある。
派手に着飾った女の子が何人か出てきて、音楽に合わせて踊るというものだ。
実際の曲の発表順とは逆に、「キスしてほしい」の方がコマーシャルでは先だったように思う。
僕のブルーハーツ初体験はこれ。
衝撃だった。ものすごくキュートだった。
そうだ、売れ始めのブルーハーツというのは何よりもキュートでキッチュな存在だった。


[1634] 僕の音楽遍歴 その3(中学校1年) 2005-05-31 (Tue)

中学校に入った頃から、いわゆる歌謡曲からバンドものに興味を持つようになる。
そうは言っても青森市の北の外れに住んでいる少年の元には
そんなに多くの情報が集まってくることは無い。
結局はベストテンやトップテンが頼りとなる。
クラスの女の子の中には「明星」なんかを読んでる子もいたが、
さすがに男の子の僕がそういうのを読んだりはしない。

中1の冬、お年玉でカセットテープを買いに行ったことをよく覚えている。
雪が降っている寒い日だった。
青森市の駅前の商店街にある「成田本店」の地下にある
「PAX」という小さなミュージックショップ(今でもある)。
86年から87年にかけての頃。
CDはチラホラと出回り始めぐらいのものでしかなく、
レコードもまだ売られてはいたものの、当時はカセットテープ全盛時代。
壁一面がカセットテープが埋め尽くされていた。

これからはバンドの音楽を聞こうとして僕は何を買うか迷った。
長いことウロウロしてあれこれ考えた末に2つに絞られた。
・TM NETWORK「Self Control」
・レベッカ「Poison」
どちらも当時かなり話題になっていたと思う。
どちらを買うべきか本当に迷った。決め手に欠けていた。
結局買ったのはレベッカの方で、特に理由は無かったように思う。

強いて言えば「Self Control」には
一躍 TM NETWORK が有名になった「Get Wild」が入ってなくて、
知ってる曲がないというのは心細かったからではないか。
ステージの上にコンピューターやキーボードを山のように積んで
囲まれた中で演奏する小室哲也を見て「なんだこれは?」と度肝を抜かれた。
その頃僕が最も興味を持っていたものが
いわゆるマイコンとかパソコンとかだったからものすごく気になった。
それでいて「Get Wild」がコンピューター音楽っぽいものではなくて
肉体的で疾走感がありつつもシャープな楽曲だったからその落差が印象的だった。
コンピューターやキーボードを山のように積むというのは何も
小室哲也が初めて導入したことではなくて
Y.M.O. が既にやっていたことなんだけど、その当時の僕は Y.M.O. なんて知らなかった。
「Rydeen」ぐらいはは聞いたことあっただろうけどね。
(それにしてもその後の、90年代中頃の小室哲也の活躍には驚かされた。
 「業界をサヴァイヴ」って感じで。最近見ないけどどうしているのだろう?
 どうでもいいが、華原朋美が同い年だということを知って最近複雑な気持ちになった)

そんなわけでレベッカと出会った僕は「Poison」の世界にどっぷりと浸かった。
雪が降り積もり外に出ることの無い冬休み、毎日毎日繰り返し聞いていた。
あのアルバム独特の暗くて儚くて、だけどグラマラスな雰囲気ってのが
僕の音楽的趣味の方向性の確立に一役買っていたように今では思う。
「Time」や「Rebecca W」ではなくて、あくまで「Poison」
他のアルバムももちろんいいんだけど、
出会ったのが「W」だったらあれほどまで好きにならなかったと思う。

その後遡って昔のアルバムを聞いていった。
当時青森市の安方の方の商店街に、元々はレンタルの店なんだけど
カセットテープをテープ代込みで千円ぐらいでダビングしてくれる店があって、
気の利いた音楽(ロック)がたくさん並んでいた。
元のテープの表紙や背表紙もきれいにコピーしてくれる。
そこに行く度に僕はワクワクしていた。
レベッカの昔のはそこでダビングした。
ボウイや尾崎豊や大江千里なんかも一緒に。
ボウイはかっこいいと思ったものの、それほどはまらず。
「Marionette」も、それの入っていた「Psychopath」も気に入っていたんだけど
まあなんというか僕にはかっこよすぎたんだろうな。
カセットテープで買った「Last Gigs」は一頃愛聴していた。
中学校の友人たちに貸したら回り回ってなかなか返って来なかった。
(それにしても「Instant Love」って昔から手を変え品を変え再発されすぎだよな)
なお、尾崎豊はあんまりピンと来なかった。
周りでは好きな人が多かったけど。

---
当時レベッカ並みに聞いていたのがバービーボーイズ。
チェッカーズを聞いていた従姉妹が次にのめりこんだのがバービーだった。
当時青森でもものすごく人気があった。理由はよく分からない。
新聞に毎週青森市か青森県のシングルチャートが載っているのだが、
その年は1年間ほぼ1位をバービーボーイズが独占していた。
「なんだったんだ!?7 days」の次が「女ぎつね on the run 」で
さらにその次が「チャンス到来」入れ替わり立ち代り1位を奪取。

かっこよかったなあ。。。
時々僕は書くんだけど、バービーボーイズって日本語ロックの
ある意味頂点の1つのバンドだと思っている。
今でもそう思っている。
なんでもっと評価されないんだろう?
男女の色恋沙汰しか書かない歌詞って
あの頃はそれが当たり前のように思って聞いてたんだけど、
当時のロックでは他に無かったし、今に至るまでありそうでなかなかない。
あのレベルまで徹底したものは。
それにあのギターのフレーズ、楽曲のセンス。
(前にも書いたし、キリがないからこの辺でやめます)

ライブを見てみたかったバンドの1つだ。
「Break」「Listen !」と「Black List」は今でも普通に聞ける。
思い入れもたぶんに有るんだけど、
20年近く経った今でも全然色褪せてない。。。
それと同時に80年代後半の雰囲気も真空パックされている。
明日書くことになるブルーハーツの方がもっともっとのめりこんだんだけど、
今となっては聞くことがない。
だけどバービーなら普通に聞ける。


[1633] 僕の音楽遍歴 その2(小学校後半) 2005-05-30 (Mon)

アニメの主題歌、というかアニメそのものへの興味がたぶん小学校5年生ぐらいに無くなる。
この頃「ベストテン」や「トップテン」といった番組を見始める。
こういうのって鶏が先か卵が先かという話に近い。
アニメに興味が無くなったから見始めたのか、
それとも歌番組に興味を持ち始めてアニメから卒業したのか。

見始めたきっかけはご多分に漏れず、クラスで話題になり始めたため。
今の小学生たちにとってはどうなのかわからないけど
歌番組を見るのが一般的になって、話題として大きな位置を示し始めるっていうのは
1つの境界線を超える行為だったように思う。
純朴な子供から、思春期への入口というか。
誰それが誰それのことを好きになってどうこうという1番の話題に双璧を為すものとして
歌や歌手、特にアイドル的な歌手・グループの話題があったように思う。
表裏一体。分析してみれば絡み合うものがあるはず。
(それはまた別途)

「トップテン」は日本テレビで月曜の午後8時から、
「ベストテン」はTBSで木曜の午後9時から。
「トップテン」は放送時間帯にリアルタイムに見ていて、「ベストテン」は見ていなかった。
たぶん9時にはベッドに入る健全な子供だったからだと思う。
(とにかく夜更かしさせない方針の家だったので今でも深夜は弱い)
中学校に入るか入らないかの頃にようやく我が家でもビデオを買ってからは
89年の放送終了まで欠かさず、録画した「ベストテン」を毎週見た。
確か「ベストテン」が終わった直後になぜか
「トップテン」の方も引き摺られるようにして放送終了したんだよな。
これはこれで1つの時代の終わりを表わしていたように思う。
この手のランキング形式の番組は例えば「カウントダウンTV」に引き継がれていったわけだけど
やはり何かが大きく違うと思う。
なんというかバブリーな盛り上げ方というか。やらせでもなんでもありの。
毎週が一種の祭りだったように今となっては感じられる。
受け取る側もそりゃ大変なもので、
今週の1位は○○だろうか、それとも××だろうかと結構ハラハラさせられていた。
4週連続1位とか5週連続1位の曲が出てくると「うわーすごいなー」と素直に感動していた。

そう言えばどちらの番組もランキングってのは実は厳密なものではなくて、
レコードの売上枚数や番組に寄せられたハガキの数や有線でのリクエストが元にはなっているものの
割と恣意的なものだったと解説されているのをつい2・3年前にどこかで読んで、
「そうだったのか・・・」とほろ苦い思いをしたことを覚えている。
一喜一憂していた僕ってなんだったのだろう。
小泉今日子の曲が1位に返り咲いて「すげー」と思ったとか、
光GENJIがそれまでほとんどなかった初登場1位を成し遂げたとか。

そんなわけで僕も歌番組を見始めたわけなのだが、
1番最初にはまったのは恥ずかしながら「C-C-B」
最初に買ったレコードというかカセットテープは「C-C-B」のアルバムで
「Romanticが止まらない」と「スクールガール」が入っているやつ。タイトルは「すてきなビート」
クリーム色がバックのジャケットでメンバー5人がなぜか組み体操をしているというもの。
ただ単純にきっかけは「ベストテン」を見始めたその日に
「Romanticが止まらない」が出てきたというだけのことなのだと思う。
卵から孵ったばかりのヒヨコが目の前に合ったものを親だと信じ込んでしまう
「刷り込み」のようなものか。

そこから先は寝ても冷めても「C-C-B」だったねえ。
「C-C-B」の新曲が何位になるかってのは一大事だった。
親戚に会った時にお小遣いやお年玉をもらったりすると即行で C-C-B のカセットテープを買いに行ってた。
(そんで親からも親戚からも呆れられていた)
写真集を買ったりもしたなあ。で、学校に持っていて女の子たちに見せて。
「Lucky Chanceをもう一度」「空想Kiss」とか
歌謡曲としてはなかなかよかったと思う。
ブレイクする前にロート製薬かどこかの目薬かなんかのコマーシャルで使われた「瞳少女」もいい。
「僕たち NO-NO-NO」って今聞いてもいいアルバムなのではないかと僕は思っていて、
「ジェラシー」という曲はシングルになってないけど名曲だと思う。
C-C-Bのラジオを当時聞いていたらファン投票で並み居るシングル曲を差し置いて1位になっていた。

「トップテン」に登場するたびに毎回その演奏をラジカセで録音していた。
こういう番組では口パクで実際には演奏してないどころか
歌ってもいないのが常識ということは露知らず・・・。
中学校に入った時にそのテープを友人に聞かれてしまって思いっきり笑われてしまった。

正月に親戚が集まっているときにテレビを見ていて、
C-C-B が出る番組があるとわかると泣いたり拗ねたりまでしてチャンネルを変えてもらった。
思い出したくないというか、思い出されたくない過去だ。

---
C-C-B 以外に当時を振り返って思い出すとなるとやっぱチェッカーズかな。
世を挙げて空前のチェッカーズ・ブームだった。
出すシングルは全て1位になって、主演映画が作られて。
1つ上の従姉妹が非常にはまっていた影響で
僕もそのアルバムを何枚かテープに落としてもらって聞いた。
親戚の家に行くともうそればかりかかっていた。
僕らの世代の人なら誰だってあの当時の曲はそらで歌えるはず。
この間もカラオケで「ジュリアに傷心」が大合唱になった。

後は中森明菜かなあ。
「飾りじゃないのよな涙は」「ミ・アモーレ」「Desire」とヒット曲を連発していた頃は
それこそ「歌姫」の称号にふさわしく、
それがその後ああいう、なんつうか有為転変を迎えるとは。
小学生の頃の僕には予想もつかなかった。
今の若い人には想像もつかないだろうな。絶頂期の中森明菜の凄さっていうのは。

---
今、amazon で調べてみたら今から10年前にボーナストラック追加で再発されたCDが
中古でプレミアがついていて、
「すてきなビート」¥5,478
「僕たちNO-NO-NO」¥6,138

となっていた!

それにしても、ベストテンやトップテンではチェッカーズや中森明菜の陰に隠れていて
「あんまり売れてない」という印象を当時は持っていたけど、
あれだけ売れれば十分立派だよな。今思えば。


[1632] 僕の音楽遍歴 その1(幼年期編) 2005-05-29 (Sun)

昨日、音楽系のライターをやっている大学の先輩とあれこれ1日かけて音楽のことを話した。
話していく中で僕のこれまでの人生において
どういうときにどういう音楽と出会って、どんなふうに興味を持って
どんなふうにその知識を深めていって、今それらの音楽についてどう思うか
辿っていくことになった。

せっかくの機会なのでそのことについて書いてみたいと思う。

---
僕が小学校一年生のときに交通事故で亡くなった父親は音楽の好きな人だった。
音楽と言ってもクラシックではなく、ジャズやロックでもなく、
平たく言うと演歌だった。
コブシのきいたド演歌というよりは、歌謡曲よりの演歌だった。
フォークというのでもない。
うまく例は挙げられないが、八代亜紀とか小柳ルミ子とか寺尾聰とかその辺ではないだろうか。
世はカセットテープ全盛の時代で、
たくさんの色とりどりのカセットテープが父の机の上にはあったと思う。
歌うことが何よりも好きで、自分で歌ったのを吹き込んだテープもあったはず。
ギターも弾いていた。

父は新聞記者だった。
テニスも得意で家には会社の大会で優勝したときのトロフィーがたくさんあった。
父の使っていたギターとカメラとテニスラケットを僕は形見として持っている。
そのどれか1つでも興味を持てばよかったんだけど、
不思議なことにそういうことにはならなかった。
スポーツマンだったところは受け継がれず、歌のうまさも遺伝しなかった。

でも、まあ、音楽好きなところは何がしかの影響を受けているのだと思う。
よほど複雑な事情があって歪んだ家族に育ってない限り、
まだ幼い息子は「父の好きなもの」に対して何かしら興味を持つものである。

父は自分が歌手やカラオケのカセットテープを買うとき、
そこに僕や妹もいるならば時々
アニメの主題歌や童謡の入ったカセットテープを買ってくれた。
20何年も前の大型のラジカセで
(それは僕が中学生になってミニコンポを買う・買ってもらうまで10何年以上現役だった)
それらのテープを擦り切れるぐらいに聴いた。
たぶんこれが原体験なんだろうな。
外で遊ぶような活発な子供ではなく、家の中にいることを好んだ。
テレビでアニメがやっていない時間ならば
アニメの主題歌の入ったテープを聴いた。

どういうのが入ってたかはさすがに覚えていない。
アニメだったら「ボルテスX」「マジンガーZ」「ガッチャマン」とかその辺だと思う。
あるいは「花の子ルンルン」とか。「タイムボカン」シリーズとか。
75年頃から80年代初めまでのもの。

「ドラえもんの歌」や「ぼくドラえもん」、
「青い空はポケットさ」や「ポケットの中に」(名曲ですね)といった
ドラえもんの主題歌大全集みたいなのがあったのは確か。
後、ドラえもんで言ったら大長編の「のび太の宇宙開拓史」の音声部分を
そのまま収録したテープも買ってもらったことがある。
当時はビデオなんてものもなく、あったとしても買えるほど裕福な家庭ではなく、
このテープから流れてくるセリフや音楽や効果音を聞いて
実際の映画を思い浮かべたものだ。
武田鉄矢が作詞した主題歌「心ゆらして」もいい曲だった。
大長編ドラえもんに関するテレビ番組にて
「今度の主題歌はどういう感じにしましょうか?」というのをテーマに
藤子不二雄の2人が武田鉄矢と対談をしていたことを僕は今でも覚えている。

こういうテープを僕はいつまで聞いていただろうか?
青森市に住んでいた幼稚園の頃から
むつ市に引っ越した小学1年生の頃までは確実に聞いていた。
父が死んで青森市に戻ってからは聞かなくなったかもしれない。
ただ、アニメが好きなことには変わりはなく、
主題歌をテレビからラジカセで録音することは続けていたように思う。
いくつかのテープの中から
お気に入りの曲を集めたテープを作るようなこともしていたのではないか。
(そんな気がするのだが、そこまでしてないような気もする。正直分からない)
80年代半ば。「ボトムズ」とか「バイファム」とかその辺り。

トランスフォーマー系の変形ロボットが何よりも大好きで
おもちゃと言えばそういうのばかり欲しがった。
寝ても覚めても変形ロボットばかり考えていた。
デパートのおもちゃ売り場に連れて行ってもらうとずっとそればかり眺めていた。
小学4年ぐらいまでか。
ようやく買ってもらった小さなロボットを持ち込んでベッドの中で遊んでいた
パジャマ姿の僕はそのロボットに関する架空のアニメを想像し、
架空の主題歌を作っては真夜中に1人歌っていた。

(続く)


[1631] 銀座、晴海界隈で音楽を語りつくす 2005-05-29 (Sun)

27日金曜日は仕事が割りと早めに終わると会社の人たちとカラオケに行った。
3時間か4時間か浜松町のビッグ・エコーにいた。
酔っ払った僕はいつどんなふうにしてカラオケボックスを出て電車に乗ったのか
その辺全然記憶なし。
眠りこけて目が覚めたときには中央線の終電で武蔵小金井だった。
愕然とする。
タクシー乗り場は長蛇の列。かなり長いこと待たされた。
荻窪までタクシーで引き返して4500円。
非常に無駄な出費で自己嫌悪。
下りて速攻で道端にゲロを吐く。

---
大学の先輩に音楽系のライターをやっている人がいて、
「自分に負けず劣らずCDを買っているオカムラに話を聞きたい」ということで
1日かけて銀座〜築地〜晴海〜月島をブラブラ歩きながら音楽の話をする。
先輩は「Music Magazine 増刊 ザ・ゴールデン 80's」というので
いくつかのバンドのディスクガイドを手がけ、
最近の仕事としては「別冊宝島 音楽誌が書かないJポップ批評」のシリーズの1つ
サンボマスターにて原稿を書いている。

銀座山野楽器の前にて13時に待ち合わせをして、
札幌に本店を持つスープカレーの店「スパイスピエロ」にて食べながら話す。
黒カレーのスペシャルという骨付きチキン、牛タン、オクラ、茄子、ラビオリ
などが入ったカレーを食べる。割とうまい。
皮付きのジャガイモがゴロッと丸ごと入っている。
先輩は何か調査していることがあるようで、ノートを開き、
「14歳のときに何を聞いていたか?」と質問される。
88年から89年にかけて。
ブルーハーツに熱中してビートルズも聞き始めた頃。
世間的には暗黒の80年代が終わろうとしていて、
イギリスでは Second Summer of Love が到来、
アメリカでは Pixies が Sonic Youth が Dinosaur Jr. が・・・、とグランジの下地が作られ、
日本では空前のバンドブーム。イカ天なんかがあったり。
そんな世の中の流れが普通にテレビのニュースを見ているだけでは
一切伝わってこない青森市に住んでいた14歳の僕は
どこで音楽を聞いて、どんなふうにロックというものに興味を持ち詳しくなっていったか。
(この辺のことは書きだすとキリがないので明日改めて書こうと思う)

店を出て歩き始める。
銀座4丁目界隈は歩行者天国だった。
築地に向かって歩いていく。
ところどころ公園や川縁のベンチやデニーズで休みながら
勝鬨橋を渡り、晴海トリトンスクエアに入ってみたり、
火力発電所や緑地帯を眺めつつ晴海通りをぐるっと回って鉄橋を渡って月島へ。
(橋の上からは朝潮運河に浮かぶ古びた漁船や屋形船やボート、船着場の寂れた家々が見えた)
月島ではもんじゃ焼きは食べず、焼きトンの店を見つけてそこに入った。
「タマヤ」という名前の店で、なかなかよかった。
1日10本限定の豚トロの串焼き他、全種類の串焼きを食べた。
イカのゴロ焼きもおいしかったし、ホタテの山葵和えもおいしかった。また来るぞ。

そんな感じで1日を過ごし、店を出たら23時を過ぎていた。
実に10時間近く音楽の話をしていた。
会話を試しに(わかりやすいところで)いくつか再現、再構成してみる。

「Scritti Politti の1枚目ってCDになったんだっけ?」
「ついこの間『early』っていうのが出てましたよ」
「1枚目が出る出るって言って結局出なかったんだよな」
「『Cupid & Psyche 85』って80年代の音として完全無欠でしたね」
「日本のミュージシャンはみんな影響された。バンドものだけじゃなくて」
「歌謡曲が特にそうですよね。・・・あれだけ完璧なのを作ってしまったら
 その後のアルバムがつまらなかったのも仕方ないですよね。
 Miles Davis が吹いてるってのもあったのに」
「Steely Dan が一流のスタジオで一流のミュージシャンを雇ってやってたことを
 Scritti Politti は手軽に自宅の一室でやってたというような雰囲気があって、
 それがミュージシャンに受けたのかもしれない」
「そう言えば Steely Dan がアメリカで大受けしたのは
 一見知的でクールで洗練されたゴージャスな音のようでいてジャズの影響が強いんですけど、
 そのジャズって言うのも彼らが子供のときに見ていたテレビ番組でかかっていたような
 B級のジャズの方で、なんてことを評論化が言ってて
 一皮向くとそういうのが隠れてるってのがたまらないんでしょうね」

「昔のCDが再発されないってことで言えばまずは Virgin か。
 Van Der Graaf Generator の国内盤って中古屋でも全然見かけないよな。
 あと、A&M」
「Supertramp なんてのも A&M でしたよね」
「商売する気あるんだろうか。
 Burt Bacharach と Carpenters がカタログにあればそれでいいんだろうか」
「Squeeze もそうですね。そういえば『リアリティ・バイツ』って映画あったじゃないですか、
 あれで主人公たちが冒頭で車に乗って『Tempted』を歌ってて。
「『Tempted 』を?マジで?」
「要するに向こうでは、アメリカでもイギリスでもものすごい大物で。
 一時代を象徴する。日本とは違って」
「もったいないよなー。日本盤が出ないのって。
 今再発されてないのが最も多い時期ってのはCD出始めの頃の音源。
 例えば町田町蔵で言うと、最初LPで出た INU の『メシ喰うな!』はCDで再発されるけど
 80年代半ばぐらいのLP/CDの切り替えの時期に出たのって
 なかなかCDで再発されない。日本のロックはそういうのばかり。
「『どてらいやつら』の辺りですね」
「まあ、町蔵のは最初宝島からカセットブックで出てたってのが状況を難しくしてるんだろうけど。
 WAVEがレーベルやってた頃のも手に入らない。
 Compact Organization のはみんな入手不可。Mari Wilson とか」
「Mari Wilson 僕すごい欲しくて探してるんですけど見つからないんですよ。どこ探しても」
「あー俺、WAVEで出たやつなら全部持ってるよ」

こんな話をずっとしてた。
デニーズで隣のテーブルに座った男性5人組は車のパーツのオタクの集まりだったようで
各自持ち寄ったファイルや昔のカタログを集めたバインダーを大事そうに広げていた。
「うわー・・・」とか思ったんだけど、
今考えてみたら僕らも同じようなものだった。

都内の中古CD屋で No.1 は中野ブロードウェイのレコミンツで意見が一致する。
(レコミンツに置かれた「裸のラリーズ」はさらなる高値をつけているという)

お薦めの中古CD屋を聞いたら、
明大前の「モダンミュージック」と神保町の「タクト」と「ジャニス」

その他、覚えている話。

・R.E.M. の音楽って捉えどころがなくて、何がどういいのか具体的に説明できない。
「Out Of Time」で91年にビルボードの1位になったけど、
 その後ロックで1位になった作品が出て来るのは何年も後のこと。
 そのとき1位になった作品っていったいなんだったろう?

・90年代末に椎名林檎に夢中になった人って言うのは
 80年代末に筋肉少女帯に夢中になった人と同じタイプではないか。

・The Cars のビデオクリップって質の良さで有名だけど、
 あれはあくまで MTV 出始めの頃に斬新だったというだけで
 今見るとそんなたいしたことはない。

・The Velvet Underground のアルバムではどれが好きですか?というので
 その人の人間性が分かる。
 「Sister Ray」が入っている2枚目と即答した僕は妙に納得された。
(ちなみに、1枚目の1曲目の「Sunday Morning」は新宿高島屋のエレベーターにて聞いたことがある。
 67のリリース当時は見向きもされず、その後伝説化/神格化。そして今、ミューザックと化している。
 1つの音楽の辿る足取りとしては相当不思議なものである)

・同じような話として、音楽には関係ないが、
 ドラクエVIでビアンカとフローラのどっちと結婚したかでやはりその人の人間性が分かる。
 そりゃもちろんビアンカだよなあという話になる。
 が、ビアンカを選ぶ人は実生活で結婚が遅れる傾向にある。
 フローラを選ぶ人は例えば、ドラクエで言うならば戦闘がうまかったりで、そつがない。
・僕の思い出。
 中学校時代にヤンキー系の女の子の家に行ったら
 部屋の中に置いてあった20枚ほどのCDの中に唯一あった洋楽は TOTO の「聖なる剣」
 このエピソードだけで当時 TOTO がどれだけ売れていたのかよくわかる。


今日のお礼に、とお土産にもらったCDは Jackie Mittoo という人の
「Jackie Mittoo in London」というもの。
さすがにこの人のことは知らない。
(調べてみたらジャマイカのオルガンプレーヤーで有名な人だった)

Mari Wilson のアルバムと小沢健二の「壊れる前」のシングル(「ある光」など)を
譲ってもらう約束をする。マジで頼みます。

家に帰って、amazon で町田町蔵の「どてらいやつら」を中古で購入。
7000円という値段がついていた。。。


---
先輩はわざわざ僕のホームページの「購入したCDのリスト」を
最初から全てプリントアウトして持ってきていた。

「どうしてここでこの時期にこれを国内盤の新譜で買うかね!?」
などと「ヘタな小説を読むよりよほど面白い」とのお褒めの言葉を頂く。


[1630] ドイツ100枚の素晴らしいポスター展 2005-05-27 (Fri)

丸ビルにて「ドイツ100枚の素晴らしいポスター展」というのが先週から開催されている。
入場無料だし、せっかく丸の内で仕事してるのだからと昼休みに見に行ってきた。
http://www.marunouchi.com/doitsu-poster

何か用があって丸ビルに足を踏み入れるのはこれが2回目だったりする。
これまでとんと縁が無かった。
1度目はもう2年か3年ぐらい前に展望台(?)に上ったとき。
ポスター展の会場は2階から4階のショッピングゾーンの中にあって、
この部分をウロウロするのはこれが初めて。
昼休みを過ごす会社員たちや観光客で賑わっている。
明るさとか知性とかクールな雰囲気とかそんなのがむせ返るぐらいに満ち満ちていて、
一言で言って活気がある。いいなあと思う。
僕もこのビルで働きたい。。。
ここで働いている人たちが素直にうらやましい。

3階に上がってみると「マルキューブ」というロの字型のアトリウムの壁に、
カラフルだったり構図が大胆だったりで人目を引くポスターがずらーっと並んでいた。
ドイツの現代のグラフィックデザインの秀作たち。
今年は「日本におけるドイツ年2005/2006」ということになってるようで
(なんか毎年毎年、フランスだったりイタリアだったりするものなんだなあ)
その一環として行われたようだ。

「物を書く」ことを日々続けていく中で
モチベーションやエネルギーを低下させない、
あるいはインスピレーションを得るという意味で
こういう展覧会にふらっと入って斬新なデザインを目にするのは非常に効果的。
あちこち出かけていろんなものを見たり聞いたりするのも大事だけど、
俗に言う「クリエイター」たちが生み出した優れた作品に触れるのは直接的な強い刺激になる。
仕事で疲れた心もリフレッシュされる。

図録が買いたかったんだけど、
ドイツのオリジナルの展覧会用に作成されたのを輸入した物で
1冊も5000円もするので諦めた。
というかこういうポスターのどれでもいいから、自分の部屋の中か会社の壁にでも貼りたい。
こういうものに囲まれる中で日々の生活を送りたい。
そう思う。

---
丸ビルというと、いつだったか
牛にまつわるオブジェが周辺にたくさん飾られているのを
たまたま通りがかったときに目にしたことがある。
あれも海外の名のあるアーティストの作品を集めたものだったように思う。
(わざわざ「牛をテーマに」ということで新規に作成させたものなのかもしれない)

---
丸ビルまで歩いていくとき、2階建てのバスの2階部分がルーフトップ
(こういう言い方するのだろうか?屋根が無いってことなんだけど)
となっているバスを見かけた。
今日みたいな天気のいい日に乗ってたら気持ちよさそうだった。

ポスター展の帰りに、丸ビルの隣の三菱ビルの1階が
ちょうどそのバス乗り場だということを知る。
パンフレットをもらう。
皇居を中心にぐるっと回って50分のコースらしい。
いつか天気のいい日に乗ってみたい。


[1629] 「29」社内上映会 2005-05-26 (Thu)

昨日の夜、映画部の公式イベントとして「29」の社内上映会を行った。
映画部ということにはなっているが、
「29」は映画部結成前に作った僕の1人プロジェクトみたいなもの。
その辺ちょっと微妙なんだけど「ま、いいか」と思う。

上映にあたっては、本社1階のプレゼンルームという大きな会議室を借りた。
楕円形型に席が配置されていて、
5個のプロジェクターが5箇所にあるスクリーンに映像を映し出すという
正にプレゼン用の部屋。普段は社外の顧客を招いて、といった場合に使う。
「借りる」と書いたけど、これまでは社内制度上、業務でしかこういった会議室は利用できなかった。
それを今回僕はあちこちに問い合わせをして部活動でも借りられないか働きかけを行った。
結果として社内制度が変わった。
ほんのちょっとしたことでしかないが僕が社内の仕組み・ルールを
いい方に変革したわけで、なんかこういうのって気分がいい。

定時後、常駐先から竹芝本社に戻ってきて準備を始める。
プレゼンルームはAVシステムが完備されている。
1つのコンソールで全て集中的にコントロールできるようになっている。
スクリーンの上げ下げ、何種類かある照明の調整、上映ソースの切替などなど。
プロジェクターは5個、それぞれ全然別な映像を出力できるようになっていて
至れり尽せり。
ここに僕が持ってきたビデオカメラを接続する。
が、赤白黄色のコードを所定の外部入力の端子に繋いでも映像も音声も出てこない。
初心者でもすぐ利用できるようにマニュアルも用意されていて
あちこちコンソールをいじってみるもののうまくいかない。
設置されているビデオデッキの入力端子に差し込もうとしたら黄色の映像のが無くて、
映像のはSの端子か同軸ケーブルの端子しかない。
逆にビデオカメラにはSの端子がない。
試しに赤白の音声のケーブルをつないでみたら音だけは出てきた。
でもこれじゃ意味が無い。
結局全方位スクリーン5台上映を諦め、
大型のテレビの前にみんなでギュッと集まって鑑賞することになる。
せっかくのプレゼンルームがもったいない。
こんなことならビデオテープに落としたものも用意すればよかった。

予定より30分遅れで上映開始。
僕は一番後ろに座って、みんなどんな感じで見てるのだろうと気にしながら鑑賞する。
眠ってたり下を向いて暇そうにしているのを見かけるとやはり、
「ああ・・・」と侘しい気持ちになる。
個人的で暗くて取り止めが無くて抑揚に欠けて、何よりも長ったらしいから、
まあ多くの人にとっては面白いものではなかっただろうな。残念ながら。
次回作は「短くて明るくて笑えるもの」と思うが、果たして作れるだろうか・・・。

その後、中央線の終電ビッチリまで飲み続けた。



そういえばプレゼンルームを出るときに
スクリーンを上げ忘れて出しっぱなしで帰ってしまった。
怒られるのかな。


[1628] the end of the world / world's end 2005-05-25 (Wed)

世界の終わりについて書きたくなった。
世界の終わり、世界の果て。

いつの頃からかわからないが、
僕はこの2つの概念にずっと魅了され続けてきた。
大学生の頃だっただろうか、それとも高校の時からか。

突き詰めると僕の書きたいものはこの2つでしかないのだと思う。

孤独。絶対的な孤独。
見方を変えるならばそういうことなのかもしれない。
誰もいない場所に、誰もいなくなった場所に、1人でポツンといること。
その光景。

耳を覆うような静けさ。
朝も昼も夜も無い。
そこは常に鈍い色の力の無い光で満たされている。
そして一日を通してその光に変化は無い。
時折、緩やかな風が吹いている。
そこはプラスチックとアルミニウムの混合体のような無機的な平原なのかもしれないし、
人気の無い砂浜なのかもしれない。
地平線の果てまで続く草原。
地平線の果てまで埋め尽くされた高層ビルの群。
僕は1人きりでただ、歩き続けるより他にない。
歩き続けて、疲れきって、ポケットに両手を突っ込んで、佇む。

この世界はある日突然終わってしまえばいいのだと思う。
生きている人々には何の苦しみも無く、プツッと途切れてしまうような。
その次の瞬間から何もかもが消えてなくなって、
無/虚無だけが広がっているというような。
(そもそも「無」というものに広がりはあるのだろうか?)

それでいいのだと思う。

そして。
今、自分のいる場所は常に、「世界の果て」なのだということ。
逆に自分のいる場所こそが常に「世界の中心」だと考えるような人もいるが、
そういう考えは僕に言わしてみればゾッとする。寒気がする。
疎外感?
ただ単にそういうことなのかもしれない。

あるいは、違和感。
この世界に対して本質的に抱く違和感。
誰もがそれを意識的に、無意識的に、感じているはずだ。
感じなければ、嘘だ。
正直な生き物として、誰だってそいつに対しては目を背けたくなる。
そしてそれゆえに
そいつに対していかに対峙したか、
しっかりと目を見開いてそこに何を見たか、
自分という存在の中に何を見出したかで
その人の価値が決まる。
僕はそう思っている。
違和感と、そこから派生的に生み出される孤独と。

孤独という名前の薄暗い何かが
古びた体にツタのように絡み合って覆い尽くそうとする。
僕らはいつだって、寄る辺ない気持ちで1人きり生きている。
この余りにも巨大な「世界」というものは
僕らを優しく、あるいは優しさの裏返しとして無関心を装いながら
そっと迎え入れているようなフリをしている。
そして僕らは喜んでそれに、そいつに、騙されようとする。

そんな世界は、なくなってしまえばいい。
いっそのこと僕1人だけになってしまって、
敗北者の烙印を押されて、罪人のように永遠に彷徨っていたい。
そういうこと。

そしてこの世界が終わることはない。
僕らは中途半端に生き続けて、
ある日突然中途半端に死んでしまう。


[1627] コード化、情報量、ネーミングルール 2005-05-24 (Tue)

5月頭より、とある成長著しい勢いのある会社に常駐している。
オフィスは丸の内、東京国際フォーラムの裏のビル街の中にある。
ロの字型のフロアが細かく区切られてその中に企業がテナントとして入っている。
その区切られた中の1つの大部屋が
顧客の本社の会議室ルームということになっていて、
その中の最も大きな空間の1つを何ヶ月か借りきって仕事をしている。
会議室ルームには大小様々なミーティングスペースがあって、
それぞれ「丸6左4橙」「丸6右8緑」などと名前が付けられている。
(そんで僕らのいる部屋は「丸6右12」となっている)
ここで働き始めてからすぐ、「名前を表わしている」ということはわかったが
どういう意味なのかまでは完全に把握できなかった。

・「右」「左」は会議室ルームの入口から見たときの、そのミーティングスペースの位置を示す
・右端の「色」はそのミーティングスペースに設置された椅子やテーブルの色を示す
・その隣の数字は椅子の数を表わす

ここまではピンと来た。
だけど最初の2桁「丸6」がわからない。
どの会議室も固定で「丸6」で始まっているというところに着目したらすぐにわかったんだけど、
僕はずっとこの「丸」は椅子やテーブルの形のことなのではないかと思っていた。

正解は「丸の内の6階」ということになる。

この5桁のコードの意味がわかったとき、「はー、頭いいなあ」と感心させられた。
さすがは勢いのあるベンチャーだ。

普通会議室の名称なんてものは「5−3」などと付けられて
5階の3番会議室ってことなんだろうけど味も素っ気もない。
というか5階はよくても、3番目って何?どこ?何の3番目?ということになる。
その会議室を使い慣れてる人で無い限り具体的なイメージが湧かない。
しかも、仮に新宿と代々木にオフィスがあった場合、
「今日の会議は5−3です」
「どっちの?」
「新宿の方の5−3です」
というような会話になりかねない。なんか意味が無い。
つまり、全社標準的なコード化がなされてなくて
ネーミングが曖昧なものだったりする。
まあどの企業もこういう場合
「新宿の5−3」「代々木の5−3」と無意識のうちに使い分けて
暗黙的に、慣習的にコード化がなされてるんだろうけど。

「丸6左4橙」というふうに付けられていると
全体の中での位置関係の定義があり、それが細分化されていくことになる。
もっと特筆すべきはそれぞれのミーティングスペースの区別が
椅子の数や色でなされていることであって、
視覚で訴えるものをコード化していると普通とてもイメージしやすい。
感覚的に「あー、あれか」となる。
(1度行ってみないことにはどの部屋のことなのかわからないという欠点はあるが)

「頭のよさ」と一口に言ってもいろんなものがあるけど、
その1つとして例えばこういうことが成り立つと思う。
「大量の情報をコンパクトな形に圧縮し、受け手側にスムーズに伝達できること」
冗長なのは困る。
かと言ってなんでもかんでもコード化して短縮して詰め込めばいいってものでもない。
瞬時に理解できてこそ、意味のあるものになる。
その辺のバランス感覚の良さを僕は「丸6左4橙」のケースに感じた。

日々いろんな企業と接していく中で
こういう観点に限らず何らかの形で「やるなー」と感心させられたとき、
その企業からは多くを学んでみたいという気持ちになる。

今日は単に会議室のネーミングルールの話ってことになるんだけど
こういう工夫って案外どこでもやってんのかな。
うちの会社だけか?「5−3」なんて言ってるのは。

---
話は全然変わるが、
同じフロアの別の会社では女子社員はみんな一昔前の事務職っぽい制服。

いい。とてもいい。


[1626] 追い詰める夢 2005-05-23 (Mon)

こんな夢をよく見る。去年ぐらいから月に1度は見る。
僕は博士課程に進むか、編入試験を受けて大学に入り直している。
気がつくと月日が過ぎ去っていて、
僕は授業を1つも出ることの無いまま遊び呆けている。
そんな状態で夢がスタートする。
唖然とする。
履修登録の届けも出していない。
従って取得できる単位はゼロとなることが決まっている。
どうしよう・・・と思うが、夢の中の僕は具体的な行動に出ることは無い。
大学に掛け合うとか、講義に出てみるとか。そんなことはしない。
ただ、これまで通りダラダラとした日々を過ごすだけである。
それまでそこにあった何かしらの流れのようなものに引き摺られ、
夢の中の時間が過ぎていく。

(しばらくするとまた別の夢の中に入り込んでいく。
 僕はそれまでと全然違う場所にいて、全然違う状況の中を生きる。
 複数の夢と夢の間は続いているように感じられるが、
 恐らく途切れ途切れになっていて途中には何もない暗闇が挟まっていて、
 それを僕が経験するとき、濃縮されて継ぎ目の無いものに見えるのだろう。
 だけどこれは別な話)

この「授業に出ていなくて履修登録してなくてこれからの半年なり1年を無駄にする夢」って
何を意味しているのだろう?
月に1度は見るってのは決して誇張ではなくて、
多ければ月に2回か3回は見ているかもしれない。
何かが気がかりで、何かを訴えかけたいはずなのであるが、
もう1人の自分(つまり、普段の起きているときの僕)はそれがなんなのかわからない。
心の中で何かがひっかかっているはずなのである。
なのにそれが何なのかわからない。
気持ち悪く思う。
不快だ、というのではなくて得体が知れない、という意味で。

僕は何か大事なことをするべきはずなのにそれを忘れてしまっている。
普通に解釈するとそういうことになる。
でもその大事なこと、大切なことっていったいなんなのだろう?
思い当たるフシが無い。
具体的なものではなくて、抽象的なものなのだろうか?
しかも今ここで為すべきという短期間のものではなくて、
もっと長い期間に関わるものだったりしないだろうか?
現実の世界でも僕はある日ふと、
取り返しのつかないことになってしまっていたことに気付かされて呆然としてしまう。

そう考えるとそれがなんなのか分かる気がする。
そのことに向けていろんな余計な物事を切り捨て始めているように
自分では思っていてもまだまだ足りないということだ。
土日に細々と小説を書いているだけでは追いつかない、辿り着かない。
持てるだけの全てをそこに注がなくてはならないのではないか?
今はそういう時期なのではないか?

・・・全然違ったりして。


[1625] Rip Rig & Panic 2005-05-22 (Sun)

機体が右に大きく傾いた。
大きな、鈍い、くぐもった音がした。
続いて機内の後部では金属同士が派手にぶつかり合う音がした。
小型のコンテナがスチュワーデスの使うワゴンを通路にはじき出した。
隣の席の人たちと顔や頭がぶつかり合った。
他人の体がのしかかり、押しつぶされそうになった。
ほとんどの席で機内食のプレートがずり落ちてその中身が床や衣服へと広がった。
トマトソースのかけられたチキン。
パストラミソーセージとレタスのサラダ。
オレンジ色のチーズ。イチゴジャム。プラスチックのナイフ。
最初の悲鳴があがった。
その瞬間から、悲鳴が次々に広まっていった。
金切り声の連鎖がどんどんヒステリックさを増していく。
痛みを訴える声や周りの人々の安否を気遣う声も上がる。
機体はすぐにも水平に戻った。
束の間の静寂。安堵のため息が漏れる。
しかし、1、2、3・・・、3秒後にはまた機体が右に傾いた。
ただし、前ほど急な角度ではなかった。
立ち上がり、わめきだす初老の男性。
隣の席の子供をしっかりと抱き寄せ、凍り付いたまま顔を上げようとしない若い女性。
子供は怯えた声で泣きじゃくっている。
「見ろよ」と誰かが窓の外を指差す。
何人かがその声につられて、右側の窓の方を向いた。
何人かが下げられていた窓の覆いを上に押し上げた。
翼が白と灰色の混じり合った煙に包まれていた。
火のようなものがチラチラと揺らめいた。
回転音が下がっていく時の音が聞こえた。
「おい、どうなってんだよ?」
スチュワーデスがファーストクラスの方から現われ、
座席や天井のトランクにつかまりながらゆっくりと一歩ずつ前に進んだ。
スチュワーデスは自分に向かって噛み締めるように話した。
「乗客の皆様、どなたか、お医者様は、いらっしゃいませんか?」
もう1人のスチュワーデスが現われた。
「皆様、お怪我はありませんか?落ち着いて、自分の席に座るようにしてください」
パニックに駆られた、なじるような声が上がる。
スチュワーデスは深呼吸をして、もう一度口を開いた。
「今から、救命胴衣の身につけ方について説明、・・・」
スチュワーデスが突然倒れこんだ。すかさず悲鳴が上がった。
目の前の席に座っていた男性の乗客がにじり寄って助け起こそうとした。
揺さぶっても何の反応もない。男性は何度も何度も揺さぶった。
そのとき、ガクンと機体が下がった。
混乱した叫び声が一際大きくなった。
客席上部のモニターに映っていた映像がブツンと途切れて真っ暗になった。
天井のライトがいくつか消えた。
立ち上がっていた何人かがバランスを崩し、倒れこんだ。
何人かはまた立ち上がり、何人かは倒れたままとなった。
座っていた乗客のうちの何人かも力が抜けて、ねじ切れたようになって崩れた。
最初の方のスチュワーデスは慌てふためいたままファーストクラスの方に戻っていった。
中年の女性がふらふらと立ち上がり頭上のトランクを開けると
おぼつかない手つきでボストンバッグを引き摺り下ろそうとして、その中身をぶちまけた。
座席の下から救命胴衣を見つけた学生風の男性が必死になってそれを膨らませようとした。
いくつかの短い言葉のやり取りだけで自然発生的に
20代や30代の男性たちのグループができて、彼らは席を立って前の方に進んで行った。
キャビンの隅に男の子が1人、無邪気な顔をして立っていて、彼らのことをポカンと見つめていた。
彼らのうちの何人かが通路の途中で脱落した。
機内前方のビジネスクラス、ファーストクラスはひどい有様だった。全滅だった。
吐瀉物が撒き散らされ、窓には食べ物がぶつけられ、
大量の血を流してうずくまっている男性とも女性とも見分けのつかない乗客がいた。
3人の男が操縦室に入った。
スチュワーデスが2人、折り重なるように倒れていた。
操縦席では操縦士も副操縦士も2人とも操縦桿にもたれかかるようになって事切れていた。
いくつかのディスプレイでは冷静に数字が切り替わっていった。
ここで2人の男が倒れた。
最後の男が操縦席を出て、廃墟のようなファーストクラス、ビジネスクラスと引き返していって
よろめく足取りで、通路に倒れた人々を避けながら、機内後方のエコノミークラスへと向かった。
先ほどの小さな男の子が無邪気な表情のまま、
仰向けになって壁にぶつかってもたれたまま、倒れていた。
今ではもう誰も悲鳴を上げてはいなかった。どんな話し声も聞かれなくなっていた。
男がエコノミークラスに辿り着いたとき、通路は人々の体で足の踏み場もなかった。
緊急事態にあることを示す壊れかけのサイレンのような音が機内いっぱいに広がった。
男は空いている席の一つに座ろうとして、そのまま頭から崩折れていった。
飛行機は落下を始めた。
機首が下がって、重力に捉えられた。
操縦席のシールドからは山並みとその向こうに広がる地方都市が見えた。
テレビ搭が、野球場が、背の高いビルが、無数の家が見る見る間に近付いていった。

墜落する飛行機の姿を見つけ、逃げ惑う人々の姿はなかった。
地上でもまた大勢の人間が倒れていた。誰もが死んでしまっていた。
シンと静まり返った物音一つしない静かな町の中に、
つんざくような音を立てて飛行機が落ちていった。


[1624] 体調不良/昨日は発売日 2005-05-21 (Sat)

今日は本当ならば会社の後輩たちと富士急ハイランドに行くことになっていたが、
ドタキャン者続出のため前日になって中止になった。
今日一日空いてしまった。
実はその方がありがたかったりする。僕の体にとっては。
5月から加わったプロジェクトは今月いっぱい、客先常駐。
丸の内にあるお客さんのオフィスの会議室を当面借り切って
その中にこもって設計書を書いているのだが、
こういうのってどうしても疲れる。
良くも悪くも常に気が抜けなくて肩が凝る。
先週末はあまりの具合の悪さに寝込んでしまった。
今日起きてみても、先週ほどじゃないにせよどことなくなんとなくだるい。
腹の調子がどうにも悪い。

先週買って、裾や袖を直してもらったスーツを池袋まで取りに行く。
その後池袋や新宿で店を回って何枚かCDを買った。
新宿のタワレコ7階のイベントスペースでは「TOrcH」という
ジャズのグループのインストアライブが行われていた。
当日配布されていたチラシにはこんなことが書かれている。
「スモーキー・ヴォイスの歌姫初来日。カフェ・ジャズ決定版!」
出てきたのはギター、ウッドベース、ドラムの3人の白人と、黒人のシンガー。
(今調べてみたら本当はメンバーにはトランペットとサックスもいるようだ)
なかなかいい演奏だった。
ふらっと入ったバーで彼らの演奏が聴けたら最高だろうな。
ドラムはインストアってこともあるのかバスドラとシンバルとスネアだけ。
そのスネアを手やマレットで叩いたりもするんだけど、ほとんどの曲でブラシ。
スネアの表面をこすったり、なでたり。うまいもんである。
ブラシで演奏するのって初めて見た。
スティックは使わない。そういうところ、妙にジャズっぽい。

---
昨日は「突然ですが、僕モロッコ行ってきます」発売日。
会社の近くの本屋に何冊か配本されていることを、出版社から教えてもらっている。
夜、会社の飲み会があったので常駐先から浜松町に戻って本屋に行ってみる。
旅行記のコーナーの棚のアフリカのところを見ても並んでなかった。がっかりする。
ま、仕方ないかと思う。
もしかして、と平積みになっている台の上を見てみたらなんとそこにあった。
「ひー」と思う。なんかこっぱずかしい。
自分の本が本屋にあって、その他の普通の本と一緒に扱われてるのを見たとき
初めて感じた感情が恥ずかしさ。
自分という人間の小ささを思い知る。
「すいません、いいんでしょうか?」と本屋の人に聞きたくなる。

恥ずかしさの次にやってくるのは感慨深さ。
店の中を意味もなくグルグルと回って感慨に浸る。そのまま本屋の外に出た。
今思うに「平積み」の現場を写真に撮っておけばよかった。
もったいないことをした。
あと2・3日もしないで平積みではなくなって棚の中に戻るか、返本か。
出版社から送られてきた配本先リストには入荷された数も記載されていて、
この書店に何冊送られてきたのか実は僕は知っていた。
平積みになっている数と入荷した数とが一緒だったので、
それって結局この書店ではまだ一冊も売れてないということ。
「あー、・・・誰も買ってくれてない」と侘しい気持ちになった。

それでも、飲み会に行ったら何人かの人から「買ったよ」と声を掛けられた。
(でもまだ届いた人はいないようだ)
買ってくれたみなさん、ありがとうございます。


[1623] 物流というもの 2005-05-20 (Fri)

青森で過ごしたゴールデンウィーク。
友人とドライブをして津軽半島の先っぽから北海道を眺め、
その後青函トンネル記念館を訪れてトンネルの底へと降りていったときに
ふとこんなことを思った。

「北海道にはどうやって大量の物資を運んでいるのだろう?」

素朴な疑問。
普通に考えて、JR貨物で本州と北海道とを往復するか、フェリーで運ぶしかない。
津軽半島と松前半島の間には橋が架けられているわけでもないし、
青函トンネルはあくまで鉄道用である。
本州の中を駆け巡る長距離トラックにて日々たくさんの物資があちこちに運ばれているが、
果たして北海道にはどのように運んでいるのか?
例えば北海道全体に無数のコンビニがあって、その中では無数の商品が売られている。
これらの商品はいつどのようにして運ばれるものなのか。

トラックごとフェリーで運ぶのだろうか?
青森−北海道間を結ぶフェリーにはいくつかルートがあるが、
どれもそんなに大きなものではない。
それに本数もそんなにあるわけではない。
旅行客には知らされることの無い荷物運搬用の船はありそうだけど
それで送れる量には限りがあるのではないか。
JR貨物にしたってそう。
僕は津軽半島を縦断する線路の割と近くに住んでいて
貨物列車を目にするのは普通のことだったけど、そんなしょっちゅう見かけたわけではない。
とにかく、途切れなく常に大量の物資を運び続けないことには
北海道全土にまで行き渡らないのではないか。

これって小学校の社会の時間で習いそうなことだ。
なんか授業に出てきたような気もするし、
NHK教育テレビでトラックの走っている姿を見たことがあるような気もする。
だけど、実際にはどんな仕組みになっているのか、あんまりピンと来ない。
世の中全般のいろんなインフラストラクチャの仕組みについて
僕らは知らないことばかりである。
そしていろんなことを知らないまま、日々暮らしていけている。

離島の生活について考える。
確かに、大都市並みに様々な物品が溢れているということはない。
定期船など何かしらの手間暇かかる手段で限られたものが運ばれている。
もっとスケールを大きくして沖縄ではどうか。
やはり船なのだろうか。
あらゆるものが、コンテナに詰められて、船で運ばれるのだろうか。
さらにスケールを大きくして四国や九州ではどうか。
大型貨物船?いや、四国や九州は大きな橋が掛けられている。
これらの橋の存在はその地域に住む人たちにとって大動脈のようなものなのだろう。

もしかして北海道の中を走っている長距離トラックは
ひたすら北海道の中だけをぐるぐると回っているのだろうか。
あるいは、実は、北海道の中では
大型の長距離トラックというものは走っていないのかもしれない。

何がどうなっているのだろう。
気になって仕方がないんだけど、
どういう本を読んだりどういうサイトを見たらいいのかがわからない。
結局行き着く先は小学校の社会科の教科書となるのだろうか。
それはそれで何かが少しばかり変な気がする。
大人向けに社会のハードウェア的な仕組みを解説するものがない。
あるのかもしれないけど、少なくとも僕は知らない。


[1622] その他の雑酒A 2005-05-19 (Thu)

昨年より「その他の雑酒A」が世の中でちょっとしたブーム。
かなり売れてるらしい。
だけど僕は全然ダメ。
サッポロの「ドラフトワン」を発売当初に
「どんなもんだろ?」と飲んでみたら「なんだこりゃ?」と顔をしかめてしまった。
先日、キリン「のどごし<生>」とアサヒ「新生」も飲んでみたが、やっぱダメ。
まずくて飲めたもんじゃない。
苦味のある炭酸系清涼飲料水にアルコールが入ってるだけの
それこそ「雑」な酒に思える。
いくら安くてもこんなもの飲めない。

そもそも僕は発泡酒も認めない。
ビールが飲みたいけれども節約のため気分だけ浸りたいというときに仕方なく選択するもの。
好き好んで買ったりはしない。
とあるおしゃれな店に入ったとき、メニューに
「ビール(発泡酒です」)と書かれていてムッとしたことがある。
店のモラルを疑いそうになった。
発泡酒はビールにあらず。ビールは発泡酒にあらず。
ビールとだけ書いていて発泡酒を出しているような安っぽい店より100倍マシだけど。

---
以下、最近ビール関連で思ったこと。

「その他の雑酒A」の原料は麦ではなく、例えば
ドラフトワンでは「エンドウたんぱく」となっている。
こんなのを原料としているとビールじゃない、
麦でなければビールじゃない、
思わずそんなふうに言いそうになる。
だけど昔は麦以外の原料からも作られていたんですよね。
とうもろこしとか。(コロナは確か副原料がとうもろこしだったんじゃないか)
エジプトやメソポタミアの古代文明でも
様々な原料によるビールの原型のようなものを飲んでたようだ。
いろんなものから作られていた時代から「ビールは麦だ」の時代になって、
また21世紀になって元に戻ったということか。
そう考えると無下に「その他の雑酒A」の存在を否定できない。

調べてみると1516年にバイエルン侯ヴィルヘルム4世が発令した「ビール純粋令」により、
ビールの原料とは「大麦、水、ホップだけ」とすると法律として決められたとのこと。
(後にこの酵母が加えられ、4つとなる)
これが今に至るまでドイツ国内で守られ続け、
ドイツのビールの品質は自然と高いものとして保たれていく。
そして他の国でもこの基準に自然と従うようになった。
なんとビールの原料はこの4つである、というのはかのワイマール憲法でも謳われていたという。
(参照 http://www.asahibeer.co.jp/library/beer_century/europe/german4.html
 ビールの歴史がこと細かく記述されていて、なかなかためになる)

---
あと気になるのは地ビールか。
これ、行った先々で見かけると必ず飲んでみるけど、
正直な話「これはうまい!」「買って帰りたい!」と思うものに出会ったことが無い。
その土地で取れるものを副原料としてみんな工夫してるんだけど
ビールそのもののシュワッとした爽快な味わいを持ってるものって少ない。
水っぽかったり、ベタッとしていたり。
ビールとは別な苦さがあったり、なんとなく酸っぱかったり。

---
ビール工場見学もしくは酒蔵見学に1度は行ってみたいと言い続けてるけどいまだ実行できず。

調べてみたらキリンの工場が横浜にあって、
サントリーの武蔵野工場が府中にあるらしい。府中なら気軽に行けそうだ。
でもキリンのだとビール作りが体験できるらしい。

できたてを飲むのっておいしいんだろうなー。


[1621] 本を出します その14 2005-05-18 (Wed)

発売日まであとわずか。
amazon では4月末から予約・注文可能で、
セブンアンドワイで注文した後輩は先週末の時点で本が届いていた。

クリス君初め、何人かが amazon のアフィリエイトで
僕の本を扱ってくれるというので、僕自身もアフィリエイトプログラムに登録した。
リンクをクリックされた回数や実際に購入に至った件数が表示され、
著者としては気になって仕方ないので毎日毎日確認してしまう。
あと、amazon だと売り上げランキング。
恥ずかしながら1日に何度も見てしまう。
そして「あー、また下がっている・・・」と。
このところ 100,000 番台近辺をさまよっているが、
先週一時、8,000 番台にまで上昇して、昨日も 6,000 番台まで上がった。
このときは「おー!!」と思った。さすがに。
でもどうも1冊売れるだけでこれぐらい跳ね上がるものらしい。
それにしても 100,000番台って何冊売れたことになるのだろう?
100番台ともなるとどれだけ売れてることになるのだろう?

なんにしても amazon で買ってくれた方々、ありがとうございます。
もう届きましたか?

先週いきなり amazon での表示が「在庫切れ」になって、
「そんなあ」と思った僕はなんとかならないかと出版社に問い合わせをしてみた。
なんかの手違いだったようで出版社を通じて amazon にデータの修正(?)をしてもらった。
そこそこ売れて当初の amazon 用販売部数(というものがあるかどうか知らんが)を
売り切ったがゆえの在庫切れとは到底思えず。問い合わせてよかった。
売れるに越したことがない。販売ルートは切らさないこと。
でも半年後に amazon で「在庫切れ」になっていたら
これは本当に売れなくて絶版なんだろうな。

---
出版社から手紙が来て、毎日新聞の5月22日か29日の広告に僕の本も載るとのこと。
他の5月の新刊と一緒に1行割り当てられることになる。
こういうのって母親が喜びそうだ。

母親ってことで思い出したが、
できたばかりの本が出版社から4月後半に送られてきたときに、
さっそく母親にも送っといた。
毎日少しずつ読み進めたようで、
ゴールデンウィークに青森に来たときには半分ぐらいまで来ていた。
こんなことを言われた。
「母親からしてみれば、この本を読むことはサスペンスに近いものだ。
 次はどんな危険な目に合うのだろうと。
 トヨヒコはもうとっくの昔に日本に帰ってきているのだし
 なんともなかったんだろうけど、母親からしてみれば怖くて仕方がない」

---
先週は親戚や大学でお世話になった方たちに手紙を添えて本を送った。
厚手の封筒に1冊ずつ詰めて、大きな紙袋に放り込んで会社まで運んで、
昼休みに郵便局へと持っていった。
「書籍小包」という制度をよく知らずに普通で出そうとしていた僕に対し、
郵便局の人は親切にも書籍小包扱いにしてくれた。

---
先日出版社から「ここの本屋に配本しました」というリストが送られてきた。
それぞれ若干数配本されたようだ。

【都内】
・ブックストア談 浜松町店
・阪急ブックファースト お台場店
・三省堂書店 八王子店
・八重洲ブックセンター 荻窪ルミネ店
・ブックファースト ルミネ新宿1店
・リブロ 吉祥寺店
・井荻書店
・高円寺文庫センター

【関西】
・ジュンク堂書店 三宮駅前店
・ジュンク堂書店 三宮店
・旭屋書店 なんばCITY店


今度の土日にこっそり見に行って「おお、ある!」と感動に浸ってこようかと思う。

配本されたけど棚には並んでいなかったら、ショックだな・・・。


[1620] 「ボーン・スプレマシー」 2005-05-17 (Tue)

昨日に引き続き、「ボーン・スプレマシー」

マット・デイモン扮する記憶を無くしたCIAのトップ・エージェント、
ジェイソン・ボーンを主人公としたシリーズの2作目。
1作目「ボーン・アイデンティティー」は残念ながら見ていない。
マット・デイモンには興味があっても、作品そのものにあんまり興味がわかなかった。
でも2作目の方はなぜか見に行きたくなった。特に理由はない。
新聞の映画評にて好意的に書かれていたからだろうか。

面白い映画だと思う。よくできている。
でも体力的につらかった僕は前半うつらうつらしてばかりだった。
声を大にして言うけど、これは作品が面白くなかったからではなくて
あくまで僕が疲れきっていて睡眠不足だったため。
そんで「ターミナル」を見て乏しい体力を使い切ったため。

ゴア、ナポリ、ベルリン、アムステルダム、ニューヨーク、モスクワと
世界中で展開するストーリーの豪華さ。
そしてトップクラスの技量を持つスパイによるアクションと駆け引き。
まさに「007」シリーズのよう。
最近の「007」シリーズは学生時代に1本劇場で見ただけだが、
非常に軟弱なものだった。はっきり言ってつまらなかった。
この「ジェイソン・ボーン」シリーズがそのまま「007」となって、
マット・デイモンが第何代目かのジェームズ・ボンドになればいいのに。
でも、いかんせんマット・デイモンは
女にもててもてて困るというキャラではないんだよな。うーん、無理か。

最後のカーアクションが手に汗握る。秀逸。
モスクワのシーンで、ということになっているけど
本当にモスクワで撮影したのだろうか、というのが気になった。
よく見るとモスクワの名所が映っている。インツーリストホテルとか。
普通に走っている部分や単に風景をインサートした部分はモスクワで、
派手に車がぶつかって大変なことになる部分はアメリカかどっかで撮影して、
それを合成したのだろうか。
見てて何の違和感もない。たいしたもんだ。映画技術はここまで来たのか。

それにしても苦悩する天才役をやらしたら
マット・デイモンの右に出るものがいないのは何なのか。
というか何に出ているのを見ても苦悩する天才に見えてしまう。
例えば「オーシャンズ12」を見ていても、
こいつ役柄としてはかなりしょぼいけど実は天才という設定になってるのだろうか?
なんて勘ぐってしまう。
こういうのって損なのか得なのか。

---
土曜の初回だというのに、新文芸座は混んでいた。
「ボーン・アイデンティティー」は満席に近かった。
映画ファンにとって新文芸座の存在は大変ありがたい。
先日亡くなられた岡本喜八の回顧上映もあるようだ。

ちょっと前の新作を公開ということで、新池袋文芸座では今後
「Ray」「ブリジットジョーンズ きれそうなわたしの12か月」
「きみに読む物語」「ネヴァーランド」
「パッチギ」「モーターサイクルダイアリーズ」
といった2本立てがあるようだ。
どれも見逃していたから、なんとかして見に行きたい。
「モーターサイクルダイアリーズ」は特に。

---
土曜は見終わった後、3人で午後3時から居酒屋で飲む。
こんな時間に開いてるのもすごいが、酒もつまみも格安だからか、繁盛している。
学生っぽい人たちはほぼ皆無。中高年サラリーマンか、熟年夫婦ばかりだった。

その後僕は池袋で買い物。夏用のスーツを買う。
RECOfan と DiskUnion に立ち寄る。

帰って来るとものすごく具合悪くなっていた。
ジョッキでビールを飲んだ後に日本酒をグイグイ飲んでいたからか、
肩凝りが一向に治らず、疲れが取れないからか。
風呂を沸かして入ったらすぐにも眠り込んでしまった。
これではいかんと9時には布団に入った。
眠り続けて目が覚めたのは日曜の午前9時。12時間以上寝た。
さすがに肩の痛みはだいぶ治まった。

日曜は小説の続きを書いた。
最近の土日はコツコツと小説を書いている。


[1619] 「ターミナル」 2005-05-16 (Mon)

14日の土曜に映画部の第2回映画鑑賞会を行う。
この週は新しいプロジェクトでの仕事が本格的に忙しくなってきて
週の後半は毎日、常駐先のビルを出るのが23時。
そんなわけで無茶苦茶疲れていた。
金曜はずっと肩凝りがして、土曜にはそれがひどくなっていた。
(僕は体質的にめったに肩凝りにならない)
今回は集まるメンバーも少ないし、やめようかなあとも思うが、
「火を絶やしてはならない」という気持ちも強くあって、予定通り見に行くことにした。
ただ、見に行くものは直前になって変えた。
5月は「交渉人 真下正義」にしますと前々から言ってたんだけど、
かなり混んでそうだったのでまたの機会に。
池袋の新文芸座にて「ターミナル」「ボーン・スプレマシー」の2本立てを
やってるということがわかって「見てー!」と部長権限でそっちにする。
どっちも1月2月の「地獄」の時期だったので思いっきり見逃した。
顧客の新システムが稼動開始直後。
あれやこれやの対応で死にそうに忙しく、
時間をやりくりして見に行けたところでたぶんずっと寝てた。

---
「ターミナル」

トム・ハンクス扮する、東欧の小さな国からニューヨークに来た主人公が
祖国のクーデターの関係でパスポートもヴィザも無効になって入国できなくなり、
空港から出られなくなったまま空港の暮らし始める。
最初はあれやこれやトラブル続きだったのが空港職員の友達も増えて
その生活も楽しくて前向きなものになる、という話。
やろうと思えば空港から脱出したり亡命もできたはずなのに、
みんなにそのことを勧められるのに、
「自分には約束がある」「そのためには待たなくてはならない」と主人公は一歩も譲らない。
ヴィザが下りる日のことをひたすら待ち続ける。

恥ずかしながら泣いてしまいました。
(20代後半から涙腺が緩くなって、30代に入ってさらに緩くなった)
主人公ビクターが「ピーナッツの缶の中身」、ニューヨークまで来た理由を
キャサリン・ゼタ・ジョーンズ扮する恋多きスチュワーデスに説明する部分。
「そりゃ待つよ!」と思ってしまう。

泣ける映画かというとそういうわけではなく、どっちかというと圧倒的にコメディー。
大人が見て十分に笑えるコメディー。
トム・ハンクスの演技もいいんだけど(「レディ・キラーズ」なんかよりはよっぽどいい)
これって監督のスピルバーグの仕事が素晴らしいんだろうな。
この人はある意味映画界の長嶋茂雄みたいなもんだから
作ってる自分がワクワクした気持ちで撮っていたら
出来上がった作品にもワクワクした温かい気持ちが宿ってしまう。
そのキラキラした感覚がフィルムのあちこちで光っていて心地よく映画が見れてしまう。
今回の映画では実際の空港での撮影が困難なため、空港そのものをセットで作成して
その中にマクドナルドや yoshinoya や Hugo Boss などの本物の店舗を出店させたのだという。
なのでどこからどう見ても空港そのもの。
ものすごく大きなおもちゃを与えられてニコニコした気持ちでいっぱいのスピルバーグ。
それがスクリーンを通して伝わってくる。見てるこっちもニコニコしてくる。
こういうのが何の臆面もなく撮れるというところにスピルバーグの天才を感じる。
70年代から00年代に至るまで、フィルムにマジックを宿らせる才能、
映画というものに夢中になれる才能はスピルバーグがずっとナンバーワンだったのだと思う。
今、最も信頼できる監督なのではないか?
「稀代のフィルムメーカー」という呼び名は今でこそふさわしい。

同じくトム・ハンクスが出演した「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」も面白かった。
ものすごく面白かった。
スピルバーグは今が旬?そう言われてみるとずっと旬だった。
プロデュースした作品のことを考慮すると特にそう思う。
60近い今に至ってもずっとその勢い衰えないのには舌を巻くより他にない。

劇場で観ることができてよかった。
思う存分楽しい気持ちに浸ることができた。

今回見ていて気が付いたのは、
良質な映画となるキーポイントの1つに「小道具の活かし方」というものがあるんだなと。
役者とその背景だけではなくて、
スクリーンに持ちこめるもの全てに意味とこだわりを与える、考えてみるのだということ。
粋な小道具はストーリー展開にちょっとしたひねりを、ユーモアを、もたらす。
「ターミナル」で言えば、トム・ハンクスの手形のコピーであるとか。
こういうのがサラリと書けるようになったら、脚本家として一人前なんだろうな。


[1618] カレーの会「マジックスパイス」 2005-05-15 (Sun)

(いまだにゴールデンウィークの話を引っ張ってるのもなんですが・・・)

ゴールデンウィーク5日の木曜日、
久し振りのカレーの会ということで下北沢の「マジックスパイス」に行ってきた。
今話題のスープカレーの店。
北海道で人気に火がついて、今いくつかの店が全国展開している。
「マジックスパイス」はその1つ、というよりは先駆けの店のようだ。

夕方17時集合。
僕はその前に来て、中古CD屋と古着屋を回った後で、店の下見をする。
「混んでる、行列ができてる」と事前に聞いてて、行ってみると確かに店の外に人が溢れていた。
でもまあ先日行った宇都宮の餃子ほどではない。
後で大学の先輩たちを引き連れてもう一度来ると混雑は多少ましになっていた。
中に入ってレジにて名前を書くとポケベルを渡される。
外で待っていて順番が来たら鳴らしてくれるというわけだ。
店内はスパイスの香りというか匂いがそこはかとなく漂い、
ここはヴィレッジヴァンガードかと疑いたくなるぐらい、
装飾品がごちゃごちゃしていた。
(人によってはこれだけで拒否反応を示すのではないかと思われる)

外で20分ほど待つ。
「スープカレーってどんなんだろう?」という話になる。
3人いて3人とも実はどんなもんかよくわかっていない。
話には聞くが実物を雑誌やテレビで見たことがない。
「サラサラの薄めのカレーとどうちがうんだ?」
「もしかして透明?」
「ご飯はつかなくてあくまでスープとして食べる?」
正解は「透明」見た目はスープそのものだった。
スープというよりは冷麺に近い。

チキン、ビーフ、ポーク角煮、シーフード、ベジビーン、キーマなどがある。
それに辛さが下から 覚醒/瞑想/悶絶/涅槃/極楽/天空/虚空 と選べる。
(スパイスは別料金で、上に上がるほど高くなる)
トッピングもいろいろあって、
舞茸、キクラゲ、山くらげ、もち、などなど普通カレーに入れないものが多い。
激辛好きの先輩がチキンの虚空、
もう1人の先輩がベジビーンの悶絶(普通の辛口ぐらい)、
僕はチキンの瞑想(中辛ぐらい)にチーズを追加で頼んだ。
あと、モモと呼ばれるネパール風水餃子も。

マジックスパイスはインドネシア風のスープカレーということになっているが、
赤を基調とした内装はなんか東南アジアのごった煮のよう。
雑貨を販売しているコーナーもある。
店員同士はインドネシア語なのかベトナム語となのかタイ語なのか
オーダーを伝え合うとき、わざわざどこかの国の言葉を使っていた。
日本人でも日本語は話さず。
壁や柱には「マジックスパイス」紹介の新聞記事の切抜きが至るところに貼られている。
僕の座っていた席の近くに貼られていたのは
自伝も出した名物社長下村氏のインタービューだった。
東京の医大を中退した後故郷の札幌に戻り、飲食店を経営。
子供のとき医者である父に連れられてインドネシアを旅行したことが
スープカレーを生み出すヒントとなる。
それまでの店を畳み、人生を賭けてスープカレーに一本化したところ大当たり。
今の夢はニューヨークに店を出すことであるという。
なお、今調べていたら分かったのだが、
最近話題の女性シンガー「一十三十一」はこの下村氏の長女だった。

チキンカレーが運ばれてくる。カレーじゃなくてどう見てもスープ。
だけどこれがうまい。
なんか悔しいけどうまい。チキンも柔らかい。
サフランライスにかけてガツガツ食べた後、スープは全部グブグビと飲み干してしまった。
でもこれをカレーと呼ぶべきかどうかは迷ってしまう。
カレーではあるが、カレーライスではないよな。絶対。
カレーのいとこ、みたいな感じ。

スパイスなのかなあ、やっぱり。
気になったのはジャガイモを使ってないこと。
北海道でカレーに絡みそうな食材といえばジャガイモが真っ先に思い浮かぶのに、
ベジビーンには入ってなかったし、トッピングにもなかった。
キクラゲはあるのに、ジャガイモがない。
煮崩れすると味をぼやかしてしまうからか。
外で食べるカレーにジャガイモが使われることってあんまりないから、
欧風でもインド風でも使わないから、ってただそれだけのことなのかもしれないけど。
そういえばニンジンもなかったような気がする。

激辛好きの先輩は最上級の辛さ「涅槃」をスイスイと食べきる。
「食えない辛さじゃないね」と一刀両断。
昨年「大沢食堂」にて食べた激辛の足元にも及ばない。

2軒目は普通に飲もうということになって下北沢をブラブラ歩いて沖縄料理の店に入る。
もう1人の先輩とその奥さんがここで合流。
カレーの話をする。
下北沢でスープカレーといえば「カレー食堂 心」というのも有名らしい。
これまた北海道に本店がある。
渋谷センター街の入口にできたカレー屋も(名前は Little Spoon だったか)
ここの系列らしい。

あと、渋谷といえば「ムルギー」
カレーの会を主宰しておきながらここに行ったことのない僕は「バカモン!!」と怒られた。
次回は、夏になるのかな、ここ「ムルギー」か横浜のカレーミュージアムへ遠征か。

去年の夏に行った柏「ボンベイ」はビルの建替えのため来年の1月まで休業中。
再開したらまたすぐにでも行きたい。
休業期間中、「ボンベイ」の料理人はどこで何をしているのだろう?
まさかインドに行ってたりしないか。


[1617] 宇都宮餃子ツアー 4/4 2005-05-14 (Sat)

16時を過ぎて、さて、では「正嗣 宮島本店」で食べてしめるかと
並んで座っていた階段からよっころしょと立ち上がる。
宇都宮市街をテクテクと歩いてパルコのある大通りまで戻る。
「正嗣 宮島本店」は相も変わらず長い長い行列ができている。
並ばないことには何も始まらず、最後尾に加わるより他にない。
ぼけーっと与太話をしながら並ぶのであるが、
10分・20分経過してもちっとも先に進んだ気がしない。
僕は別に行列が嫌いな方ではなく、
おいしいものが食べられるのならばいくらでも並ぶが、
聞いてみると後輩たちは皆普段行列に並んでまでして食べたりはしないという。
まあまた次の機会に、と別な店に行ってしまう。
今日並んでいるのはわざわざ宇都宮まで来たから特別であるとのこと。

「本店」ということは「支店」があるのかと僕が素朴な質問をすると
後輩の誰かが駅で配ってた宇都宮地図を取り出して、しばらく探して、
駅の反対側のかなり外れの方にもう一軒あるようですよと言う。
暇を持て余していた僕は今日2回目の偵察に出かけることにする。
どんどん動いてカロリーを消費しないことには餃子がおいしく食べられない。
というか何もせず立ったりしゃがんだりして同じ場所で待っている方が疲れが出そうだった。

駅に向かって宇都宮の大通りをモソモソと歩く。
夕暮れ時で街がオレンジ色に染まっている。
たいした距離ではないはずなのに、やけに時間がかかる。
駅の構内をくぐりぬけて駅の反対側に出る。
こっちはもっと閑散としている。
地図に書いてある通りに線路に沿って歩いていく。
まあそのうち着くかなと思っていたらこれがまた間違いで、
なかなか目の前の道路を渡れず地下道をくぐったり歩道橋を渡ったり、小さな大冒険となる。
さらに歩く。また次の歩道橋を上って下りる。
完全に住宅地の中。
本当にあるのかと疑い始めたところに、それはあった。
確かにあった。でもそれは、・・・。
携帯で報告する。
「ハロー、ハロー」と後輩が言う。僕は
「・・・(小声で)もしもし、もしもし」
「どうでしたか!」
「・・・(ごにょごにょ)」
「聞こえないですよ?」
「・・・持ち帰り専門店だった」
携帯の向こうで爆笑してるのが聞こえた。
並んで持ち帰りで買ってる人たちはいたのに、店内で食べている人たちはいなかった。
住宅地の中ってことは、今晩のおかずとして買っていく人のためなんだろうな。家で焼いて食べる。
落胆して肩を落として、来た道を引き返す。
ここが中で食べられるとしても僕が辿ってきた大冒険を
携帯で説明して後輩たちに来てもらうのは至難の業だ。
時間だけが無駄にかかって道に迷って、どっちも疲れきってしまう。
30分かかってここまで歩いてきて、30分かかってもとの宮島本店へと戻る。

完全に夕暮。
最後尾がまた延びている。
その最後尾近辺に金属の棒を三角形に組み合わせたものを左右に配して
「CLOSED」と書かれた金属の板を取り付けたものが置かれている。
今日はここまでということか。
後輩たちのところに戻って話を聞いてみると
この「CLOSED」を無視して列に加わっている人も若干いるという。
17時ぐらいに店のおばちゃんが今日はここまでと「CLOSED」を置きに来た。
なのに時々見に来ては列がまた増えている。
そのたびにプリプリと怒って店の中に消えていく。
「CLOSED」の辺りでその日の分の餃子がなくなるのだろうか?と僕は思った。
それもあるけど、正しくはそうではなくて、
20時が閉店の時間だとすると、
路地裏にある店から通りの端まで並んでそこから更にはみ出して大通りに折れ曲がって、
というのが3時間待ちだとして、
逆算して17時にその日の行列の終わりを宣言したということ。

3時間待ち。
実際僕らも16時半に並び始めて、餃子にありつけたのは19時半だった。
食べ物でここまで並んだことはない。
与太話をずっと続けて、僕らは立ったり座ったり、足裏マッサージの話をしたり、
携帯でゲームをやったり、パルコで暇をつぶしたりしながら、
そして前の人が残り20人になったとこっそり数えて
そこから先が登山の9合目のように辛い思いをしながら、
隣の隣ぐらいにある、同じく宇都宮餃子会の店なのに
さっきは客がいなくてガラガラだったのを見て不憫に思ったのに、
今は満席になっていてささやかながら行列ができているというのを見かけて
「ああ、よかったよかった」と胸をなでおろしたりしながら、
ひたすら3時間耐えて、ようやく「正嗣 本店」の餃子にありついた。

店のおばちゃんはひたすら電話を取って、
「並んでる人たちの分だけです。すいません」とか
列に並ばずに入ってきて「持ち帰りできますか?」と聞いてくる観光客に対してやはり同じように
「並んでる人たちの分だけです。すいません」と言い続けだった。
店はこのおばちゃんと餃子を焼くおじいさんの2人だけで切り盛りしていた。
おじいさんは円い鉄板が2つと水餃子の入った鍋の前でひたすら餃子を焼き続け、
おばちゃんはカウンターを片付けたり、冷凍の餃子をお土産様用に箱に詰めたりしていた。
(その間時々外に出て「ああまた列が伸びてる」とプリプリしていた)
休む暇なし。カウンターで15・6人入れるかどうかの小さな店。これが限界か。

「注文は?」と聞かれる。「いくつ?」と。
メニューは焼き餃子と水餃子が170円、冷凍の餃子が160円。これだけしかない。
「ライスもビールも置いていません」と貼り紙してある。
「これだけ待ってそりゃないよー」
「餃子にライス、餃子にビールって最高の組み合わせなのにー」と思う。
でもこの店が餃子を味わうというただその一点にのみ存在するのならばそれも正しいか、と思う。
それにただでさえ行列が長いのにライスやビールで長居されたら回転が更に遅くなる。
行列の後ろの方にいるとちっとも減ってるように見えなかったのに、
中で何モタモタ食べてるのだろうと思ったのに、いざ中に入ると
皆焼きあがった餃子を食べてすぐにも出て行くだけなのでかなりの回転スピードだった。
これだけの速さであれだけ並んで、それをずっと捌いているのか。これは大変だ。

僕は焼き餃子と水餃子をそれぞれ1つずつ頼む。
おじいさんは円い鉄板の蓋を開けると油を
ティッシュペーパーのようなもので真っ黒になるまで吸い取らせ、
鉄板をきれいにすると油を注いでそこに餃子を、注文があった分だけ無造作に並べた。
そしてすぐ、水餃子の鍋から取ったと思われるお湯を鉄板の中にジャボーッとかけて蓋をした。
水餃子の鍋の中は白濁したお湯が入っているだけで、
ラーメン屋の大鍋のように野菜や鶏がらが入っていてダシを取っているということはなかった。
鍋がふきこぼれると蓋を開けて驚いたことに水道水をこれまた無造作にドボーッと入れた。
そしてまた蓋をした。
見ていて分かることは、ここには何の秘密もない。特別なことは何もしていない。
あるとしたら朝か昼に仕込む餃子そのものの味わいと、
おじいさんの絶対的な焼き加減と茹で加減である。

出来上がった餃子がカウンターの上に置かれる。
僕は事前に小皿にしょうゆ、ラー油、酢で作ったタレにくっつきあった餃子を切り離して
(ベタついてないので箸を入れると餃子と餃子がすっと離れる。もちろん皮もはがれない)
きつね色にこんがりと焼けた、トーストのような餃子を口に運ぶ。
野菜の旨み、口の中でほのかにはじける肉汁がラー油と混じり合い、
そしてホクホクとした、

・・・ああ!もうこれ以上何も書きたくない。

これを炊き立ての白いご飯と一緒に食べられないのは犯罪だ。

「輝楽」の餃子は確かにおいしかった。十分すぎるぐらいうまかった。
だけど「正嗣」まで来るとこれはもう芸術だ。
余計なものが何もなく、あっさりとその頂点を極めている。

続いて水餃子。
これはもうお湯に餃子が入っているだけ。茹でてるだけ。
なのにそのスープを飲むとなんだか芳醇なスープを飲んでるような気になってくるのはなぜだ!?
そんで最後は焼き餃子のタレを入れてスープを飲み干した。
あー、贅沢・・・。

なのにこの2つを食べてもたった340円。ありえない!!
ありえないよ・・・。

「追加注文は忙しい場合にはお断りすることもあります」と貼り紙がされていたが、
これは追加する側にとっても断る側にとっても、今となってはよくわかる話。
僕だって、もう1皿焼き餃子を食べたかった。

おばちゃんがしきりに、今日並んでいる人の分が足りるかどうかわからないと言っていた。
それでも後輩たちは家のお土産用に冷凍のや、焼きあがったばかりのを買うことができた。

「正嗣」で食べることができて宇都宮まではるばる来た甲斐があった。
「正嗣 宮島本店」は宇都宮餃子会に入っていない。
餃子マップの話をうっかりした観光客には「うちと関係ないから」とピシャリ、それまで。
のれんわけして「正嗣」の名前のついている店が宇都宮にいくつかあるようで、
そのいくつかは宇都宮餃子会に入っている。
先ほど「正嗣」のホームページを見たら店舗紹介のところに
それら餃子会入りした店の名前がなかった。
なんか複雑な大人の事情があるんだろうな。
ま、どうでもいいか。僕らには。

宇都宮駅に戻って快速に乗る。
疲れ切って眠ってしまう。
また宇都宮に来ることはあるのかな。あったらいいな。
「輝楽」で食べて、「正嗣」で食べて。そのためだけにまた来てもいいな。

あーおいしい餃子が食べたい!

そういえば駅の反対側にある「餃子の像」を見逃した。


[1616] 宇都宮餃子ツアー 3/4 2005-05-13 (Fri)

「2軒目行くべし」と店の外に出る。
すぐ近くなので「正嗣 宮島本店」に行ってみたらとんでもない長さの行列ができていて
やられた!と思う。並んどけばよかった。
「正嗣」は夜にして、僕のリクエストで「輝楽」へ行く。
ちょっと行列ができていて中に入るまでしばらく待つ。
うまいことカウンターの席が6つ空く。並んで座る。
かなり年季の入ったカウンター。壁も、テーブルも、椅子も。
何もかもが不揃いで、商店街が不要になったのを譲り受けたのではないかと思われる。
そしてそれが、もしかしたら何十年も使われてるのかもしれない?
と思うぐらいどこもかしこも中華料理の油で真っ黒くなっていた。
もちろん厨房の中も相当年季が入っている。
これで繁盛しているのだからまずいわけがない。
店と同じぐらい年季の入った店主と思われるおじいさんが餃子を焼き、チャーハンを作り、
ものすごく小柄なおばあさんが麺を茹でる。
僕は名物の水餃子と焼き餃子、それに誰かがおいしそうだと言ったのでタンメンも注文する。
さっき餃子にライスにビールを食べたばかりで腹いっぱいなのに。

すぐにも焼き餃子が出てくる。
野菜のたくさん入った柔らかな餃子がこんがりきつね色になっている。
僕的にはシンフーの餃子よりもこっちの方が好き。
誠実で丁寧な味わいがあったから。
(シンフーが誠実さや丁寧さに欠けるというわけではもちろんない)
餃子が餃子であって、それ以上そこには足すものも引くものもないという
シンプルかつ、奥行きのある味わい。これなら毎日食べられる。
水餃子が400円、焼き餃子が280円、タンメンが450円。安い。
たくさん食べて1000円ちょっと。
他には野菜炒めライスや広東面や普通のラーメンもあった。
どうしてこういう大衆食堂が他にはないんだろう?

少し遅れて出てきたのが水餃子。これがまた絶品。
基本的なスープはタンメンと一緒か。多少薄口になっている。
最初はそのスープの味だけで餃子を食べ、次の餃子は焼き餃子のタレで食べて、
最後はスープの中にラー油を小匙一杯と酢を同じぐらい、醤油を数滴入れて食べる。
(↑カウンターにそうやって食べるとおいしいと貼り紙してあった)
うまい!!
タンメンも食べて腹いっぱいなのに全て飲み干してしまった。
味の決め手はラー油なのかな。
この日入ったどの店もラー油の入った小さな壷の中に唐辛子の粒がたっくさん沈んでいる。
これをすくって、小皿の中に入れる。
どの店も餃子そのものはもちろん、ラー油にも独自のこだわり・製法があるのではないか?

「輝楽」また訪れて食べたい味である。

2時半頃になる。もう何もする気になれず。
どこかを見て回るぐらいなら休みたいという意見が多くなる。
その一方で腹ごなしにボーリングをしてもいいかなあという案も出てきて
自転車で通り掛かった警官に聞いてみたところ
あることはあるが駅の反対側まで歩いていくことになり、
かなり遠いということがわかって断念する。
そう言えば「輝楽」まで来る途中に小さな丘があって、
そこに神社があったなあということを思い出し、まずはそこへ行くことにする。

交差点に差し掛かったところで春木屋という大福屋を見かける。
後輩の1人が、以前宇都宮に来たときにここで買って食べたという。
店先を覗いてみる。
ここはどうもジャンボ大福というのが有名なようで(残念なことに売り切れで実物は見れず)、
注文があればさらに大きな超ジャンボ大福も作るという。
ジャンボドラ焼きは直径20cmはあっただろうか。
甘い物好きな後輩たちが小物を買ってその場で食べる。
僕は「黒カレー」の持ち帰り用ルーというのに目がいく。
隣に喫茶店があって、ショーケースにカレーも並んでいるのだが、ルーが真っ黒。
なんか気になって1つ買ってしまう。530円と割と高い。
次の日食べてみたら結構おいしかった。
苦味のある癖のある味が評価の分かれるところと思われるが、僕はおいしいと思う。
このルーの色は黒ゴマによるものか。

神社の階段を上っていく。
二荒山神社。なんとなく風が涼しくなったように感じられる。
観光地として割とポピュラーなようで大勢の観光客が拝観していた。
僕らはそのまま通り過ぎて別の出口から丘を下りていく。
しばらく歩いて、八幡山公園へ。
「ツツジ撮影会」と立て看板が入口に立っている。
中に入るとピンク色のツツジがあちこちに咲いている。
こちらもまた小高い丘になっていて、階段を上っていく。
上っていった先には屋台が並んでいた。
「みんみん」も店を出していたが、その日の販売を終了した直後のようで片付けに入っていた。
もう腹いっぱい、食えない、と思っていたのに食い意地が張っている僕は
ついついアイスクリームを見つけると「あー冷たいもの食べたい」と1コ買ってしまう。

丘の端にアドベンチャーブリッジという吊り橋がかけられていて、
道路を挟んで向かい側のもう1つの丘に渡ることができる。
橋へと向かう途中の階段に腰を下ろすとみんな疲れ切って立ち上がれなくなる。
僕は元気のある後輩の1人と吊り橋を渡り、子供用の遊園地をブラブラ歩き回る。
広場の端から端まで渡されたロープに滑車がくっついていて、
捕まって向かい側までガラガラガラと勢いよく移動する、
こういう遊び場ではよく見かける例のやつを僕らは子供たちに混じって楽しむ。
その後滑り台、板ではなくてアルミかなんかの細い円柱がゴロゴロ回転することで
滑りをよくしたタイプの滑り台に乗った。

吊り橋を戻る。
みんなはまだ疲れきってぐったりと座り込んでいる。
腹ごなしをしないことにはどうしようもない僕は1人公園内にある宇都宮タワーを上る。
いわゆるテレビ搭。でもそんなに高くない。
300円払って入場券を買ってエレベータに乗るんだけど
30階とかそういう高さにはならず2階までしかない。
展望台には「日本一の地平線の町宇都宮」と書かれていて、笑ってしまう。
こんなの言ったもん勝ちじゃん!
よく言えば、目の付け所がうまい。
宇都宮は四方を山に囲まれてはいるが、基本的に平野のようだ。
確かに方角によっては遠くに地平線が見える。
360度見渡してみるがこれと言ってみるものはなし。
典型的な地方都市のようだ、宇都宮は。


[1615] 宇都宮餃子ツアー 2/4 2005-05-12 (Thu)

テクテクと長いこと宇都宮の大通りを歩く。
空は晴れていて外に出るにはとてもいい日。
なのに青森に負けず劣らず閑散としている。
ゴールデンウィークなのにどこの店も閉まっている。人通りも少ない。
恐らくこの辺が目抜き通りだろうという箇所に差し掛かるとさすがに人の流れが増えた。

「みんみん 本店」のある路地裏に入っていく。
付近を歩いている人がいないので「ああ、並ばずに入れるものなんだな」と思った次の瞬間、
・・・「本日定休日」の札が。ありえん。ゴールデンウィークらしくない。
駅ビルの店舗では営業していたようだが、さすがに戻る気にはならず。
ふと見ると目の前には行列ができていて、宇都宮で行列と言ったら餃子以外にありえないと並んでみる。
「シンフー」だった。
大阪の餃子スタジアムでついこの間食べたばかり。でもまあいいかと思う。

行列はなかなか前に進まない。
大通りに出てすぐ近くにパルコがあったので「るるぶ」を探しに行く。
上の階の本屋までエスカレーターで上っていく
さらにその上にはタワレコがあったが、長居しそうになるのでやめておく。
「るるぶ」がようやく見つかる。
・・・のであるが、宇都宮の餃子は2ページぐらいしか紹介されていなかった。そんなもの?
「ガイドのとら」というのを見つけて、こっちは4ページ割いていたのでこれにする。
写真入の紹介を見るとどこの餃子もおいしそう。
きつね色にパリッと焼けた餃子にふわっと羽根がはえている。
具沢山のスープの中にふかふかの餃子がぷかぷかと浮かんでいる。

「みんみん 本店」「シンフー」の近くに「正嗣 宮島本店」というのがあって、
ガイドブックを見ると「みんみん」と人気を2分する店だという。
「みんみん」に向かう途中通り掛かったんだけど
店は開いているのに客が入っていないので
「ああ、これは卸しの店なのだな」と僕は思ってしまった。
開店は14時からとなっていて、僕らは仕込みをしているところを見たわけだ。

行列に戻ってみると全然進んでなくて驚く。何人分か進んだだけ。
向かいにある総菜屋は忙しそうに店主のおじいさんとおばあさんが
あれこれおかずを作っているのに誰も買いに来ない。かわいそうに思う。
空腹を堪えて待ってる人がちょっとつまめるものを作って売ったら売れるのにな、
と後輩の1人が言う。

ガイドブックを見て、他によさげで空いてそうな店がないか探す。
「輝楽」という店をよさそうに思う。
偵察に出かける。そこが空いてそうならそっちに切り替えるつもりでいた。

パルコの裏へ。アーケードのある商店街となっていて、ここがどうも中心部の繁華街のようだ。
「ばるち亭」というカレー屋があって客がたくさん入っている。
「おお、食べてみたい!」と思う。
その後後輩たちに「気になる気になる」と力説したのだが、
後でもう1度見てみたらなんてことはない、「バルチック」カレーの系列店だった。
よく見たら例のロゴマークが看板に入っていた。
その近くには「宮たこ」というたこ焼き屋があって
女子高生や若者たちが群がっていてこれはこれでおいしそうだった。

アーケードの商店街の中に「輝楽」を見つける。
創業昭和35年というだけあってものすごく店構えが古い。
早い話小汚い。地震があったらすぐにもぺしゃんこになりそう。
が、行列こそできてないものの、中は満員。
小汚い店で客が入ってなければどうしようもないが、
満席というならばその店には何かがある。何がどうあろうとうまいに決まっている。
後輩に携帯で「ここはなかなかよさそうだ」と電話する。
すると後輩が言うには、シンフーは今団体のお客さんが出て行って行列がかなり進んだとのこと。
だったらせっかく並んでいたのだからシンフーがいいねということに決まる。
シンフーへと戻る。

戻ったはいいもののまだまだ中に入るには程遠い。
日は高くなり、気温も上がっている。プチ炎天下。
その後さらに30分は待っただろうか?
店に入って食べ始めたのは13時30分頃だった。
4人用の簡素なテーブルに簡素な椅子があるだけ。
6人がけの丸テーブルが1つだけあって、うまいこと僕ら6人はそこに座ることができた。
ここのメニューは豊富で、いろいろな具材を用いた餃子がある。
普通のニンニク入りの餃子、カレー餃子、海老餃子、イカ餃子、タコ餃子、わかめ餃子、
明太子餃子、ピリ辛餃子、渡りがにの餃子、1日限定30食までのふかひれ入りの餃子、などなど。
全種類を一皿(6個入り)ずつ注文する。一皿だいたい200円ぐらい。安い。
あとスープと、僕だけご飯。
生ビールで乾杯。

壁には宇都宮と餃子の歴史を記したポスターが貼られている。
曰く、餃子の餃とは「食に交わる」と書くと。
「ははぁー」ともうこれだけでありがたい気持ちになる。
宇都宮が何で餃子の町となったのか?
これは実は90年代の初めに、宇都宮市役所が
かんぴょう以外に何の特産もない宇都宮に名物を作ろうとしたとき、
調べてみたらたまたま宇都宮の餃子消費量が全国で1位だという事が分かり、
ならばこれで売っていこうということになったとういだけのもの。これが始まり。
よく考えてみると餃子という食べ物は
どこでも作ることができてどこでも食べることができる。
水の良し悪しに大きく左右されるとか、材料の制約もない。一定の鮮度を保てるならば。
日本のどこか全然別な場所で「うちは餃子の町だ」と言い出していたら、
そして大々的に展開されていたら、早い者勝ちで負けていたことになる。
そう考えると不思議なものである。
その後宇都宮の餃子という認識はあれよあれよというまに
しっかりと根を下ろし、全国的にも定着した。
そもそもなぜ宇都宮で餃子がたくさん食べられていたのか?
これは太平洋戦争中に中国東北部の大連に駐屯していた部隊が宇都宮に引き上げてきたときに、
戦時中に食べた餃子が忘れられないと持ち帰ってきたことがきっかけらしい。

そんな餃子の町宇都宮であるが、実際訪れてみると僕の中で思っていたイメージは全然違っていた。
餃子専門店は確かに宇都宮にたくさんあるけど、宇都宮市全体に散らばっていて
月島のもんじゃ商店街のようにどこもかしこも餃子屋ということはない。
僕は餃子屋しかない餃子横丁のような、ものすごく濃ゆいものを想像していた。
ブラブラ歩きながらとある店先で6個入りの焼き餃子を買って食べたら
向かいの店で今度は水餃子を、みたいな食べ歩き。
大阪の道頓堀でたこ焼きでも食べているかのような。
今回初めて訪れて、ここまで並ぶものだとは思ってもみなかった。
もっと手軽に食べられる方がいいなー。

シンフーの焼きたての餃子が皿に盛られてイッキに出てくる。
どれがどの餃子なのか、素人目には何も分からず。
辛い系のは見た目が赤いので分かるが、それ以外のは食べてみないと分からない。
食べてみても、僕はラー油をドバッと入れて辛くしてしまったので細かい味の違いが分からない。
というか「うまい」「おいしい」というだけで大満足なので
どの餃子だろうと細かいことにこだわる気になれず。
生ビールをゴクゴク飲み干すと2杯目は宇都宮の地ビール「餃子浪漫」にする。
地ビール特有の濃い目の茶色い色と苦味の利いた味をしていた。
とにかく目の前の皿の上の餃子をバクバクバクバクと口に運び続けて、ご満悦。

窓の向こうは切れ目なく行列。
腹をすかせた子供たちがガラスにおでこをくっつけて僕らが食べるのをじっと見つめていた。


[1614] 米倉涼子とアジアンヌードル 2005-05-11 (Wed)

(本来は宇都宮餃子ツアーの続きを、と思っていたのだが)

先日仕事の移動の関係で有楽町の東京国際フォーラムの中を歩いていたら、
広場に即席のブースが設置され、赤や緑のチャイナ服(というかあれはアオザイと呼ぶのか)を着た
すらっとした長身のきれいな女性たちが
カップヌードルらしきものが入った袋を手ににこやかに立っていた。
この辺りは昼時になるとミニバン系の車が何台も駐車して、
屋台っぽく弁当やカレーを売っているのでそういうのの1つかと思った。
「やけに気合の入った屋台があるなあ」と。

きれいなお姉さんたちが何人かいる中で一際美しい人がいた。
一般人とは違うオーラをサンサンと放っていた。
テレビ局のカメラが撮影しに来ていて、その人は笑顔で質問に答えていた。
僕は立ち止まったりせず、そのまま歩き続けて有楽町の駅で山手線に乗った。
「誰だったかなあ」と思う。ちらっとしか見てないけど顔に見覚えがある。
思い出せないままその日が終わる。

で、昨日 yahoo のニュースを見ていたら、
日清の新商品「アジアンヌードル」のお披露目記者会見にて
CMキャラクターの米倉涼子が登場、というのがあって「あっ!」と思う。
場所は東京国際フォーラムと書いてあった。
あれは米倉涼子だったのか!

ものすごく大ファンで寝床にポスターを貼っているとかそんなことは全くなく、
正直顔と名前が一致しないぐらいなのだが、常日頃「いいなあ」とは思っていた。
「この人よくポスターやCMで見かけるけど名前が思い出せない」って感じで。
ジョージアのあれ(サラリーマン姿のやつ)とか最高でしたね。

なんだか惜しいことをしたなあ。
いや、特に握手してもらったりサインしてもらったり
携帯で写真を撮ったり一緒の写真を撮ってもらうとかそういうことを言っているのではない。
そのとき米倉涼子が呼吸していた空気を僕ももっと吸い込んでおけばよかったとか、
そういうことでもない。
なんというか、もっとちゃんと見ておけばよかったなあと。ただ単に。
あーあ。もったいない。

とりあえず今、米倉涼子のことしか頭にない。
あー。俺と1年しか年が違わんのか。


[1613] 宇都宮餃子ツアー 1/4 2005-05-10 (Tue)

ゴールデンウィーク後半戦の初日、3日の火曜日、
わざわざ宇都宮まで行って餃子を食べ歩いてきた。

そもそも言い出したのは僕。
4月頭の大阪出張にてナムコ・ナンジャタウンの餃子スタジアムを訪れた際に
宇都宮の餃子を食べて「餃子もいろいろあるけど、やっぱ宇都宮の餃子が
 シンプルなのに風格があって一番飽きが来ないなー」と思ったのがきっかけ。
後輩たちから参加者を募る。
車ではなく、電車で、しかも鈍行で行く。

9時に東京駅に集合。
前日の夜指摘されて気付いたのであるが、
僕は宇都宮に行くために宇都宮線に乗るとしたら東京駅からだと思っていた。
上野駅なんですね。
結果として東京組と上野組と両方に分かれて集合となる。

5月3日宇都宮に行くぞ、ぐらいのことしか僕は考えてなくて
11時頃着いて餃子を食べたら途中の時間が空くからなんか適当に過ごして
17頃夜の分の餃子を食べて帰ってくる。
それ以外のプランは全くなし。
その昼間の空いた時間をどう過ごすか考えるために
栃木の「るるぶ」を入手しておこうと先週思っていたのだが、
なぜか浜松町の本屋では売り切れ。青森でも入手できず。
ついでに東京駅構内の本屋でも売り切れ。これって偶然?
なぜみんな宇都宮というか栃木に行きたがるのだろう?
茨城のはどこに行っても売れ残ってたぞ?

そんなわけで宇都宮で何をしたらいいのかわからない。
観光名所に何があるのかすら分からない。
インターネットで調べたものの、温泉は近くにないし、
美術館が2つあるようだが、どちらも市街地からは遠い。
県立美術館は行けなくもない距離だったが、歩くには遠かった。
「宇都宮は餃子の街だ」という認識はあっても
それ以外の観光資源を知らない。
実はこれと言って目立つものは何もないのかもしれない・・・。
栃木といえば日光だしなあ。

東京駅集合組の3人が集まり、上野駅に向かおうとしたのであるが、
ここで「しまった!」ということになる。
普通に券売機で切符を買おうとしたら距離が遠すぎて買えないんですね。
仕方なく「みどりの窓口」で並んで買おうとしたらゴールデンウィークだけあって長蛇の列。
どこか空いてるカウンターはないものかと丸の内北口から南口へとわざわざ移動する。
南口の小さなカウンターにて並んでいると後輩の携帯にメールが届いて
「初乗りで入って後で清算すればいいんじゃない?」と。
そんなこと思いもしなかった。あほですね。特急や新幹線に乗るわけでもなかったのに。
そんなこんなで上野まで行って残りの3人と合流。
「なんでこんなに遅くなるの?」と不思議がられる。
初乗りで買った切符は駅構内の臨時切符売り場で宇都宮行きのものに買い換える。
これが後で正解で、宇都宮に着いて改札前の精算所を見てみると行列ができている。
「初乗りで・・・」と考えてた人が多かったということか。

宇都宮線に乗る。上京12年目にして乗るのは初めて。
栃木に行く機会なんてこれまでなかったし、大宮・浦和に行くのなら京浜東北を利用していた。
各駅停車で100分近くかかると聞いて気が遠くなる。
各駅とは言っても浦和までは快速なみにすっ飛ばす。
尾久・赤羽・大宮しか止まらない。
この中間の駅も律儀に止まっていたら気が狂うところだった。。。

ゴールデンウィークってこともあって
子供を連れて帰省する家族連れや
観光で栃木県のどこかへと向かうお年寄りの方たちが多かった。
餃子目当てに宇都宮へという僕らのような若者たち
(ガイドブックを熱心に読んでるようなの)は見当たらない。
今日は宇都宮で「餃子祭り」だというガセネタが6人の間で一瞬流れ、
だとしたら全国の餃子ファンがこの車両に乗り込んでて
大変なことになっているのではないかと思った。
(後日調べたら11月だということがわかった。全然違う)

11時半、JR宇都宮駅到着。
駅前の交番で「餃子マップ」なるものを配っているというのを事前に聞いてたので探してみる。
交番じゃなくてもあちこちで配っていた。
同じように折り畳みで観光客向けの宇都宮の地図があった。その両方を頼りに駅の外に出る。
5月3日が憲法記念日であるせいか、右翼の街宣車が張り切って市内をグルグルと回っていた。
駅を出るとさっそく餃子の店がある。が、チェーン店っぽくてそそらず。

改めて餃子マップを眺めた僕らはまずは一番有名な「みんみん」へ行こう、
いくつか支店があるようだが宇都宮まで遠路はるばる来たのだから
どれだけ並ぶことになろうと本店に行こうと決める。

いっけん普通のラーメン屋も「餃子あります」的雰囲気で営業している。
でも「餃子マップ」には載ってない。
「餃子マップ」に載るには「宇都宮餃子会」に入ってなくてはならないようだ。
その「宇都宮餃子会」がどういう基準で入れるものなのかよそ者の僕らにはわからない。
宇都宮で餃子を出している店ならば誰でも申請できる?
それとも逆にかなり厳しい基準があってちょっとやそっとの餃子では入れない?
(ガイドブックを見るとどの店も特色のある餃子を出している)
入れば入ったで入会金と年会費を払って、月島のもんじゃのように材料の共同購入が必須?
加盟79店舗の一覧をよく見るとラーメン屋のチェーン店「天下一品」が入っていたりする。

なお、この「宇都宮餃子会」は池袋の餃子スタジアムにて「来らっせ」という店を出していて
日替わりで加盟店舗の餃子が食べられるようになっている。
池袋で食べたときはとてもおいしかった。
このとき初めて、「さすが宇都宮の餃子はうまいな」と思った。
「来らっせ」はここ宇都宮にもあるので、
僕らみたいな「ここに行きたい」という強い要望のない観光客ならば
まずはここで食べて、そこで気に入った餃子があったらその店に行くといいのかもしれない。
さらになお、ここ「来らっせ」ではカレー餃子丼なるものがメニューにあるようだ。

カツカレーを出してる店ですら餃子がメニューにあった。
カレー!カツカレー!!と思うが餃子を食べに来ているのだから我慢する。
(夜、帰りに通り掛かったら行列ができていた。
 夜になるといろんな店で行列ができていた。行列になってなくても、満席にはなっていた。
 その一方で客が全然入ってない店も割りとあった。
 宇都宮はこのどちらかであるような印象を受けた)


[1612] 西荻窪→東高円寺 2005-05-09 (Mon)

昨日、8日(日)のこと。
この日は先日書いたケンの奥さんが演出する芝居の公演を見に行った。
(なんだか今年のゴールデンウィークはケンに会ってばかりだ)
「蜘蛛」というタイトルで場所は西荻窪「遊空間がざびぃ」
この劇場のプロデュース公演だった。
http://homepage3.nifty.com/gazavie
終戦直後の東京。お互いに「過去」のある男女が一緒に暮らし始めるが、
実は男の素顔は連続殺人鬼であって・・・、という内容。

ケンと待ち合わせて会場入り。
ケンは終わってから奥さんに渡すのであろう、駅前の花屋で花束を買っていた。

公演は2時間近く、かなりの長編。
席は50ほどでそれがほぼ埋まった。
ケン曰く、ほとんどが役者やスタッフの関係者たちということのようだ。

見終わる。
ケンが厳しい感想を書いてやってくれということもあって
僭越ながらアンケートに手厳しいことを書く。
こういうのってアンケート読んだときどんよりとした気持ちになるものであるが、
そもそもアンケートに何も書かれることのないまま劇場を去られるよりはましと思う。

公演自体が悪いわけではない。
それなりの水準に達していたと思う。役者はみなよかった。
だけど例えばレーダーチャート
(甲子園の中継で言えば投手力、打撃力、守備力などの五角形や六角形のグラフ)
に表せば照明、音響、大道具、演出、などなどどの項目も
それなりの点数となってきれいな円形となるが、
平均的なサイズにまとまっていて突出したものがない。
可もなく不可もなく手堅くまとまってはいたが、「おや?」と思う瞬間もない。
不揃いでも、拙くても、表現せずにはいられない何かがあって、
どこか1つでも抜きんでたものがある方が、
見ている人の心に引っかかるのではないかと思う。
全国の中学・高校を巡回して公演しているのではなく
こういう小さな劇場でやっているのだから、なおさら特に。
魂が込められていないというわけではない。それとは違う。
演出家の気遣い、気配りがきちんと舞台の隅々にあったと思う。
なんだか物足りなく、もったいない。
もっと濃密なものにもできたはず。僕ならそうする。
もっと愛憎渦巻くドロドロしたものに。

(実在の殺人鬼「ペーター・キュルテン」と芥川龍之介の「蜘蛛の糸」がモチーフになっていて
 蜘蛛の動きを体現するダンサーがいたのに、そして役者の演技はみな抜群によかったのに、
 これらが有機的にかみ合っていなかった)

ケンが厳しく書いてくれと言うのも、複雑な気持ちなんだろうな。
奥さんの人生の目標が演出家というとき、
進むも退くもどっちに転んでも旦那としては手放しに喜べない。
「とりあえずなんでもいいからほめといてくれ」としないケンは大人だ。

---
やりたいことを続けてそれなりの水準に達した人って、実は腐るほどいる。この世には。
そこから先一歩突き抜けることってかなり難しい。
そういう人たちが大勢、30になっても夢を諦めずに続けているというのだから
やりきれない気持ちになる。
僕もその1人だ。その1人に過ぎない。
でも、続けるべきなんだな。できることはそれだけ。
諦めてやめてしまったら、それで全てがお仕舞い。

---
これから新幹線で青森に戻るというケンとどこかで食事を、ということになる。
気になるカレー屋に行ってみたらランチの時間が終わって店を閉めていた。
そのまま路地裏を歩いているとジャズが聞こえてきた。
近くまでいってみると「Riddim」という店で、
15時からアルトサックスとベースのデュオが演奏すると貼り紙がしてあった。
アルトサックスは女性で、ベースは外国人の男性だった。
中に入ろうとすると店員が出てきて、ライブなのでチャージを取ることになりますと言われる。
外のオープンカフェにいる分にはチャージが取られないそうなので、
じゃあと外の席に座ることにする。音も十分聞こえるし。

僕はギネスを飲む。
リハーサルが終わって15時になるのに演奏が始まらない。
かわいそうなことに中に客が1人もいなかったりする。
15分ぐらいしてから演奏が始まった。店員相手に。なんだか残念なことだ。
思わず聞きほれるほど鬼気迫る演奏というのでもないが、そんな悪くはなかった。
オープンカフェでジャズの生演奏が聞けるとは西荻窪っていいとこだな、と思った。
1曲終わって店員が拍手。2曲目が終わって僕らは店を出た。
貼り紙に書かれた名前をなぜか覚えていて、アルトサックスは池田美和子という人だった。

こういう場所で何気なく聞くジャズなら、デュオ形式が一番いい。聞きやすい。
サックスとベースか、ピアノとベース。

---
夜は久しぶりに「千鳥格子」のライブを見に行く。
もしかしたら「29」の撮影をしていた去年2月ごろ以来かもしれない。
場所は東高円寺駅近くの「UFO CLUB」

1年振りに見た率直な感想として、
レベルアップは格段になされているが、スケールのアップは?と思った。
演奏力そのものは向上している。
特にドラムのタニグチ君。3年前に初めて見たときとは全然違う。
野獣のように叩きまくっているように見えて、しなやか。
楽曲のアレンジ能力も上がっている。
ギター、ベース、ドラムのコンビネーションが
ありそうでなかなかない摩訶不思議なものとなり、
千鳥格子にしかない曲、曲調というのがしっかりと形成されている。
同じ曲でも毎回毎回アレンジが異なる。
曲が会うたびに別な表情を見せる。進化している。

が、伸び悩んでいるようにも見えた。
(「オカムラさんが真ん前に立っていたので3人とも緊張しました」と言ってたが。
 それが原因だとしたら大変申し訳ない。僕は一番前で腕を組んで微動だにしなかった)

これまた僭越ながら「何が足りないのだろう?」と考えた。
何が弱点なのだろう?

すぐわかった。
ナイトウ君のボーカルだ。
悪いわけではない。
ナイトウ君の歌い方というのがもう最初の頃からはっきりと確立されていて、
1つの味になっている。
・・・のであるが、巻き舌・舌っ足らず系の歌い方だと
何を歌っているのかさっぱり聞き取れない。音程も不安定になる。
この危なっかしい感じがいい、という極みにはまだ達してなくて
まだどことなく照れ隠しが入っているように僕は思う。
端的に言ってモゴモゴしている。
これはもったいない。
いい歌メロを書いてるのに。
そしてそれを聞かせるだけの高いアレンジ・演奏能力があるだけになおさら。
(歌詞のない叫び声になるとナイトウ君やたらかっこいいんだけどね)

千鳥格子の3人の求めているものと違っていたら大変申し訳ないのだが、
僕だったらこうしたいなあというのがすぐ思いついて、それは、
女性ボーカルを入れること。
コーラスじゃなくてフロントとして。
クリアな声を持った人がナイトウ君のメロディーと歌詞を歌う。
系統としては陰りのあるブルース系の人。探すの難しいけど。
そしたらこのバンドかなり大化けしそうな気がする。

ナイトウ君とツインボーカルで。
最後から2番目にやったアコースティックな感じの曲は
女性が歌って、ナイトウ君もコーラスで入るというふうにしたら
涙ものの名曲になりそう。

現実的じゃないかな。というか方向性と違うか。
3人でこんなふうにやってるだけで満足ですというのなら、それはまたよし。
でも「もっと多くの人に聞いてほしい」とか
「あわよくばCDを出したい」というのなら
ちょっと考えてみてほしい。
ほんとに女性ボーカリストを入れるかどうかは別として。


[1611] ケンの奥さんの芝居の稽古を見に行く 2005-05-08 (Sun)

先日青森に帰省してケンと津軽半島を回って僕の家に泊まったとき、
夜飲みながらいろいろな話をした。
その中でケンの新婚の奥さん(前嶋のの)が演出する芝居のことが出てきた。
5月の6日(金)・7日(土)・8日(日)に西荻窪の「ガザビ」という場所で
タイトルは「蜘蛛」
http://homepage3.nifty.com/gazavie
こんなふうなことが書かれている。
「実在した連続殺人鬼ペーター・キュルテンの記録を元に、その男の像を描く」
「昭和二十年代、終戦直後の東京。通り過ぎる雑踏の中で男はただ女を愛した」
まあ、これだけではどんなだかよくわからんのだけど
隣の駅だしゴールデンウィークだし、見に行ってみようと思う。
ケンとは8日の昼の会にするかということに決まる。
ちなみにペーター・キュルテンって手塚治虫が漫画に描いてますよね。

ケンはゴールデンウィーク後半に東京に行くようで、
そのときに公演前の練習に顔を出すという。
「ああそういうの興味あるなあ、見てみたいなあ」と思い、
くっついていくことにする。4日(水)の夜に行ってきた。
高校時代は演劇部。
大学時代は早稲田の劇団の手伝いをしたこともあった。
ああいう現場の雰囲気を久し振りに覗いてみたくなった。

4日は夕方、新宿のツタヤでDVDを借りた。
会員証の期限が切れるため、更新を兼ねて毎年この時期借りに行く。
ゴールデンウィークで時間があってたくさん見れる時期だしちょうどいい。
今回借りたのは「猟奇的な彼女」「カレンダー・ガールズ」ソダーバーグの「ソラリス」
ここ何年か劇場で見逃したもの。

19時に西荻窪駅待ち合わせ。そのまま北口にある公演会場へと向かう。
2日前なので、会場入りして通しのリハや照明や音響の合わせを行っているようだ。
行ってみたらまさに照明の段取りの真っ最中。
「そこでサスを入れて」「これぐらいでいいですか?」
舞台前方に立つ役者にライトが当たる。
「もうちょっと弱くなんない?」「でも前のシーンで似たのやりましたよ?」
というような感じ。
あと1時間はかかると言われて、じゃあメシでも食うかといったん外に出る。

僕は西荻窪にそんな詳しいわけではなく、適当に歩いているうちに駅前に出る。
商店街から路地裏に入るとやけににぎやかな焼き鳥屋があって
客がびっちり入っていて煙がもうもうとたちこめている。
「すげー」と思ってここにする。
西荻窪名物なんだろうな。「戎」という店。
焼き鳥が1串90円でとにかく安い。
店員も客の注文を聞いたりジョッキを運んだりでとにかく忙しい。
カウンターに座ってると絶えずぶつかってくる。
店長と思われるおやじが常に怒鳴っている。
「おい、注文取ったのかよ」
もちろん店員たちも声張り上げっぱなし。もちろん注文や連絡事項は全員唱和。
「ハツなくなりましたぁ!!」「ハツなくなりましたぁ!」「ハツなくなりましたぁ!」
いいですね。こういう焼き鳥屋。
荻窪駅にも北口に「鳥もと」という似たような気になる焼き鳥屋があるが、
もう長いこと住んでても入ったことがない。
1人じゃさすがにこういうところは入れない。
(そもそも僕はこういう飲み屋だろうとバーだろうとスナックだろうと1人で入れない性分)
みんなが頼むので「ピリ辛コンニャク」と「マカロニサラダ」を僕らも頼んでみた。
値段が安いのでそれなりの味なのだが、
こういう繁盛していて景気のいい店で食べて飲んでるとなんだかおいしく感じられた。
それぞれビールを大ジョッキで3杯、小ジョッキで1杯飲む。
(この店には生中というものがない)
かなり酔っ払う。ずっと青森の話をしていた。
今日は何しに西荻窪まで来たのか、趣旨を見失う。2時間飲んでた。

劇場に戻る。
驚いたことに(驚くことでもないか)まだ照明の合わせが続いていた。でも、かなり最後の方。
「4時間押してます」とのこと。
「では58番のキューで奥に当てて」というのをずっとやってる。
そのたびに役者が所定の位置に入って。大変だ。
僕とケンはそれを1時間ほど見学する。何気に最終シーンを見てしまった。
この日はこれだけで終わってしまう。
ゲネプロ(照明・音響も入った最終リハ)前の通しの稽古は明日に回されることになった。
「明日1日しかなくてうまくいくのだろうか」なんて心配してしまう。
IT業界だとリリース2日前にこういう状態ならば
上司に怒鳴られるわお客さんも切れるわでリリース延期になるけどなー。
でもなんとかなっちゃうんだよな。演劇もシステム開発も。

久々に現場の空気を吸うのはいいもんだった。
客席後方には照明の卓が後ろにあって音響もその隣に。
テーブルの上には様々な飲みかけのペットボトルや食べかけのお菓子が散乱している。
かなり修羅場。

この公演のため、新婚でせっかくのゴールデンウィークだというのに
ケンと奥さんは全然顔を合わせる機会なし。
奥さんは舞台のことで頭がいっぱいのようだ。。。

うまく行くことを祈っとります。
(と言っても最終日だが)


[1610] 青森帰省4日目 2005-05-07 (Sat)

(本来ならば5月1日日曜日のこと)

ケンが泊まったので3人で朝食。
僕が友人を連れてきて泊めるのは大変珍しいことで
大学のときに映画サークルの後輩ヤマダ君が
東京から何日か泊まりに来たとき以来、これで2回目。

家中に掃除機を掛けて、部屋の中の埃を雑巾で拭いて、
荷物を整理してボストンバッグに詰めて東京まで運んでいくものと
宅急便で送ってもらうものとを選り分けた頃には家を出る時間となっている。
あっという間の4日間だった。
せっかく1年ぶりに戻ってきたのだからもっとゆっくりしたいところなのだが、仕方ない。
明日は仕事で、新しいプロジェクトに加わる初日だ。

ケンの車で青森市街まで送ってもらう。
時間があったので「ラビナ」の新星堂に入ってブラブラとCDを眺める。
The Velvet Crush 「Heavy Changes」がなぜか「新譜」として売られていた。
97年発売。青森のこういう店は商品の回転が鈍い。
他にも古い古い、東京では既に廃盤で入手不可な物も新譜として売られていた。
「Heavy Changes」はもしかして8年間ここで眠っていた?
定価で買う必要はないんだけど、せっかくだからと不憫に感じて買った。
東京に戻って部屋の中でさっそく聞いた。

青森駅で駅弁を買う。ホタテ釜飯。
青森〜八戸間では食べず、八戸から新幹線に乗ったときに食べる。ビールを飲みながら。

岩波文庫の「20世紀アメリカ短篇選」の下巻を読む。
主に第2次大戦後の作品が並ぶ。
巻頭の作品はウラジーミル・ナボコフの「ランス」
元は亡命ロシア人であるのにアメリカの短篇選に選ばれるのが嬉しい。
ユードラ・ウェルティ、バーナード・マラマッド、ソール・ベロウ、
ジーン・スタフォード、カーソン・マッカラーズといった
日本の読者には比較的馴染みの浅い名前が続いた後で、
J・D・サリンジャー、カート・ヴォネガット・ジュニア、
トルーマン・カポーティ、フラナリー・オコナー、ジョン・バース、
ドナルド・バーセルミ、ジョン・アップダイク、フィリップ・ロスと
最重要作家たちが並ぶ様は目次を見ているだけでも圧巻。ため息が出る。
やはり印象に残ったのはサリンジャー。
「ナイン・ストーリーズ」にも収録されている「笑い男」
どうしてこうも活き活きと少年たちを描けるのだろう?
どうやったら人生のささやかなほころびをここまで繊細に描けるのだろう?
僕は大学合格の電報を受け取って東京に向かう新幹線の中で
「ライ麦畑で捕まえて」を初めて読んで、
大学2年生の夏、語学研修生として1ヶ月過ごしたモスクワの空の下で
「ナイン・ストーリーズ」を、
特にその冒頭の「バナナフィッシュにはうってつけの日」を読んで
僕は「正式に」小説家になろうと決意した。
その日のことが思い出された。

新幹線は何事もなく東京に到着した。
中央線に乗って荻窪へ。
部屋に入って荷物を片付ける。大家さんにお土産を持っていく。
11時に青森を発って、15時には東京について16時には部屋の中。

「ブラックジャック全巻制覇するぞ!」と意気込んで帰ったものの
10巻から17巻までを読んだだけ。
残りをまた青森に戻って読まなければ。
秋ぐらいにはまた青森に戻りたいもんだ。


[1609] 青森帰省3日目(「津軽」を訪ねて)E油川〜蓬田〜油川 2005-05-06 (Fri)

後は帰るだけ。
前回も道に迷ったが今回も道に迷った。
しかも同じような場所で。この辺の国道は非常に分かりにくい。
県道36号線で下っていって五所川原に入った辺りで(同じく県道の)26号線に入れば
そのまままっすぐ東に進んでいくだけで油川に到着するはずなのであるが、
そもそも自分が今どこを走っているのか分かりにくくて、
36号線に乗ってるのかどうかすらわからない。地元の人でないと。
前回同様どうも隣を平行して走っている国道339号線を走っていたようで
「これはどうやって26号に入ったらいいんだ!?」と地図を見ながら行ったり来たり。
(後から振り返ってみて)一番やっかいな・ややこしい箇所に差し掛かる。
左が金木で右が青森と書かれた掲示があって
金木から来たんだから右だろうと曲がっていくとそれが間違いで
そのまま進んでいくととんでもない方向(弘前方面)に行ってしまう。
ここは左の金木の方に折れるのが正解。
でも心情的にどうしてもその選択ができないんだよなあ。とっさには。

26号線は県道というよりは農道や林道と呼んだ方がよさそうな
山間部をむっつりと進む裏寂れた道路である。
日も全然当たらない。溶けきらない雪がそこかしこにベターッと残っている。
行き交う車もほとんどない。
津軽半島を横断するのだから便利そうな存在に思えるのに、あまり利用されていない。
夕暮れ時。空は少しずつ少しずつ暗くなっていく。
木々の間を走り抜けるのでさらに暗く感じる。
油川に出る頃には夕闇も半分ぐらいとなる。

家に帰りつくと玄関にて出迎えた母曰く、蓬田のおばさんからさっき電話があって
カニ(毛蟹:トゲクリガニ)をもらったから取りに来なさいって。
今から車で蓬田まで行ってくれない?
僕自身は毛蟹がそんな好きではないのでめんどくさいし、
だけどケンが行ってもいいというので車に戻って蓬田へと向かうことにする。
戻ってくる前に携帯にかけてくれたらよかったのにと僕が母にブーブー言うと
かけてもつながらなかったとのこと。
たぶん26号線を走っていたときのことなのだろう。
朝と同じように陸奥湾沿いに国道280号線を走る。
夕暮れも終わり近く。建物は全て濃い青の中に溶け込んでいる。
奥内、後潟。この辺はまだ青森市の範囲だ。
そろそろかなと思ったところでケンにゆっくり走ってくれと頼む。
蓬田に入っておばさんの家が見えてきてもいい頃なのに記憶の中にある家が見つからない。
気が付くと蓬田の役場や駅を通り過ぎていて、そんなはずはないと思う。
母に電話をかけて、おばさんの家がわからなくなったので
おばさんに家の前で立っていてもらうようにお願いする。
ここ何年かは訪れていない。様子が変わっているのかもしれない。

引き返してゆっくりと走っていると
真っ暗な国道に面しておばさんが塀にもたれて立っているのが見えた。
車を敷地の中に入れる。
おばさんはさらに小さくなったようだ。
「年を取ったから驚くよ」と母は言っていたが、その通りだった。
僕らはおばさんと呼んでいるが、母の母の姉なのであるから、もう相当な年だ。80近い。
何年か前に手術をしていて、声があまり出ない。
しわがれた声で「よくきたな」と言われる。
家に入って腰を下ろすと長居してしまうので玄関先でカニを受け取るだけにする。
缶の十六茶をケンと僕と2人分もらう。
僕らが車を出すとおばさんは長いこと手を振っていた。

帰りは280号線ではなくて、バイパスを通ることにした。
油川から蟹田まで280号線と並行して走っている。
一直線でかなりスピードを出していける。ただし周りには田んぼしかない。
朝もここを通ってくるのでもよかったのだが、ドライブって気分ではなくなる。
青森市に向かうか蟹田から先に向かう人たちが無言でスピードを上げていく。

夜はケンと母と3人で食事に行くことになっていた。
「油川にもイタリア料理の素敵なところができてね」と母が言う。
「へぇー」と思う。そうは言ってもまあそんなたいしたことないだろうと
たかをくくっていたら、行ってみたら青森とは思えない、
東京から切り取って置いたかのようなしゃれた店で驚いた。
若い夫婦2人だけで切り盛りしている。
東京で修行して戻ってきて、去年店を出したようだ。
前は蕎麦屋だった。両親がやっていた店を畳んで、息子が新しく何もかも作り変えたと。
(ここに以前蕎麦屋があったかどうかの印象はない)
何よりも内装がすごい。どこで誰に頼んで作ってもらったのだろう?
まるで青山か西麻布のよう。
椅子やテーブルもカラフルなデザインで、まあ少なくとも青森では入手不可だろう。
音楽もクラブジャズ系のがかかっていて、これだって恐らく青森のCD屋では見つからないもの。
東京の友人に送ってきてもらったものだろうか?
後で支払いの際にちらっとレジの裏を見たらCD−Rが積まれていた。

ワインをデカンタで頼んで僕1人がグイグイと飲む。
3000円のコースは東京では5000円から7000円は取られそうな、
ありえない分量のものだった。
前菜は5種類。自家製のパンに生ハムを添えて食べる。
ホタルイカのパスタにニョッキをホワイトソースで。
本日の肉料理はチキンのバジル風味。
(正直、酔っていたからメニューをあまり覚えていない)
デザートのクリームケーキもアイスもみんな手作りなんだろうな。
若い夫婦2人だけで全て仕込んで。たいしたもんだ。
店の名前は「アデッソ」
口コミだけで客が増えているのだという。ホームページなどで宣伝したりはしない。
妹が評判を聞いて、母を連れてきてランチを食べた。
こういう店には頑張ってもらいたいもんだ。
来年の今頃も店はあるだろうか?
あることにはあるけどテンションが落ちてるようなことはないだろうか。
青森にありがちなケース。最初だけ。
でもこれで1年もってるみたいだからな。
店のテーブルは全て埋まっていたけどみんなコースで頼むから回転は悪い。
それでいて値段が安い。儲からないんじゃないかと余計な心配をしてしまう。

ケンはつい3週間前に披露宴があった。
奥さんを青森に呼び寄せることを考えていたのだが、
突然の人事異動で東京に戻ることになったようだ。
当初の話ではあと3年は青森にいるはずだったのに。
そんなわけで青森には5月・6月のあと2ヶ月いるだけ。
6月には奥さんを連れてきて1ヶ月暮らして青森をあちこち見て回る。
白神山地をまだ見てないんですよねえという話になると
登山好きな母の目が輝きだす。
僕を相手にそういう話は一切しないので、
ケンが多少青森の山と温泉に興味を持っていることを知ると
あの山はああでこうで登ったときはああでこうで
あの温泉はああでこうで近くにはあれがあってこれがあってと止まらなくなる。
例えばこういう話。
白神山地と言えば西側、西目屋村から入るルートが一般的であるが
それ以外にも登山者向けのルートがいくつかあって、
黒石市の人たちがボランティアで管理している一帯を去年歩いてきた。
きれいに手入れされていて、なぜかそこは下草が生えていない。
幻の県道を歩くという趣旨のハイキングで、
黒石市南部の六郷地区から県内では温泉で有名な、八甲田山の城ヶ倉までを歩き通す。
15キロはあるだろうか。
津軽と南部とを結ぶものとして14世紀にはこのルート既にあったようで、
1930年には秩父宮が行軍されたのだが、
その後第2次大戦のゴタゴタもあり、結局は整備されないままとなってしまった。

店を出たのは21時過ぎ。
夜も遅いし家に泊まっていけばどうかと母は言い、ケンもそうすると言う。
ケンと2人で銭湯に行く。帰省すると毎晩行く油川温泉。
もちろん昨日も一昨日も入りに来ている。足を伸ばして風呂に入れるのは気持ちいい。
店じまい前の時間だったようで銭湯の人が排水溝や床を洗っていた。

家に戻って、冷蔵庫にあったものをつまみにケンと飲む。
将来のことなど話す。
今でも覚えているのは三沢のスナックの話。
土日に1人で飲んでいても味気ないとき、
独身寮の他の人たちは余り飲まないので
ケンは地元のスナックに飲みに行った。
そういう店で働いている女性たちは水商売だけで暮らしているのではなくて、
ほとんどみんな昼間の仕事を持っていた。
昼間の仕事だけでは食えなくて、夜の仕事だけでも食えなかった。
三沢には女性の求人がなく、あったとしても契約社員だったり、給料が安かったり。
夜の仕事も時給1000円とかそんなもの。週に3日ほど働く。
なので昼は保母さんです、というような女性が化粧をして三沢のスナックで働いている。
恐らくたいして娯楽施設のない(と言ったら失礼か)三沢には
東京や青森ほどじゃないにせよたくさんのスナックがあって、
女たちはそこで働き、男たちはそこで金を落としていく。
三沢に限った話ではない。津軽半島でも、青森県全域でもだいたいそうだろう。
今日回ったあちこちの観光施設やお土産屋のいくつかでは
割ときれいな女性が暇そうに与えられた仕事をこなしていた。
彼女たちは夜は地元のスナックで働いているのかもしれない。
もしかしたら結婚していて仕事を終えると普通の主婦なのかもしれない。
青函トンネルの底で観光客相手に毎日毎日同じことを話し続けているきれいなガイドの人が
夜は地元のスナックで働いているとしたらこんな侘しいことはない。
本州の最果て、竜飛岬で。

昨日・一昨日と僕は1人で部屋で飲んでいた。
結婚式の引き出物でどこからかもらったという焼酎があった。
ケンが泊まることが分かっていたなら残しておいたのだが、
1人でほとんど空けてしまっていた。
壜は珍しい形をしていて、
底の方に切れ込みがあって2人の挙式を記念するカードが挟まれていた。


太宰治の「津軽」を求めてドライブした一日もこれでおしまい。

最後に。
平成の大合併にて3月から4月にかけて
青森県の中でも大幅に地図が変わってしまった。
今日回った所でいえば、
・金木町、市浦村、五所川原市 → 五所川原市
・三厩村、平舘村、蟹田町 → 外ヶ浜町 (今別町を挟んで飛び地となる)
・中里町、小泊村 → 中泊町
・青森市、浪岡町 → 青森市


[1608] 青森帰省3日目(「津軽」を訪ねて)D小泊〜金木 2005-05-05 (Thu)

竜飛岬を後にする。
津軽半島を長方形と見立てたとき、今度は左側を南へ南へと下っていく。
岩木山がずっしりと聳え立っている。麓がうっすらと雲に覆われている。
右側には日本海、左側にはいくつもの峠。曲がりくねる山道をひた走る。
日陰の日の当たらない斜面には5月になろうというのに雪がまだ積もっていた。
白いきれいな雪の塊ではなくて、
溶けきらずに平べったく抜け殻のように横たわる、ところどころ黒っぽく汚れた雪。
木々はまだ芽を出さず、ほとんどがまだ秋や冬のように茶色い枝のままだった。
わずかに青々とした箇所があってまだらな模様となっている。
あと1週間か2週間したらここも新緑の季節となるのだろう。

競技用のプロ仕様の自転車を投げ出して道端で眠っている男性がいた。
倒れたり怪我にあったのではなく、きちんと両腕両足を揃えて眠っていた。
「まさか死んでんじゃないよな・・・」とケンと僕は一瞬不安になる。
だけど引き帰したりはしない。あくまで疲れて寝てるだけだろうと。

小泊村に入る。
ケンが寄りたい箇所がある、そこには「タケ」と太宰の像がある、と言う。
僕はここにそのようなものがあるとは知らなかった。
タケと聞いて「ああ!」と思った人はなかなかの通である。
若くして津島家の女中となり、幼年時代の太宰治の子守を勤める。
「津軽」のクライマックス、太宰は津軽を彷徨した末に当時小泊村に嫁いでいたタケに会いに行く。
村では運動会が行われていて、太宰とタケは隣り合って座り、
何十年ぶりの再開だというのに2人は何も言わず、ただ黙って子供たちの走る姿を眺める。
不思議と温かい涙を誘う名場面である。
あの太宰が「私はこの時、生まれてはじめて心の平和を体験したと言ってもよい」とまで語っている。
着いてみると確かにその2人の像があった。
太宰は写真でよく見かけるあの姿形をしていて、
タケは想像通りの優しそうなおばあさんで、背中を丸めてちんまりと座っていた。
泣けてくる。

横にある記念館に入る。入場料は200円と安い。村で経営しているのだろう。
記念館はかなり立派なもので、タケと太宰の出会いと再会とその生涯を中心とした展示物が飾られていて、
パソコンで情報の検索ができたり、小さなビデオシアターまであった。
なのに悲しいことに客は誰もいない。
こんな立派なものを作ったというのに。
パンフレットには入場料300円と印刷されていたのを、
薄手の白い紙でシールを貼ってわざわざ200円と値段を下げている。
なんだか物悲しい。もったいないなあ・・・。
「津軽」を最後まで読み通した人ならば「タケ」という名前に少なからず心揺さぶられるが、
そんな人世の中では圧倒的に少数派なんだろうな。
「タケ?誰だそれ?太宰?興味ないな」そんな人ばかり。
いいも悪いもない。そういうものなのである。残念なことに。
ケンはボソッと「タケさんは小泊村の一番の観光資源なんだろうな」と感想を言う。
そう、小泊村はその特色を一言で言えば「太宰の子守をした女性が嫁いだ先の村」
ということになって、それ以上のものは何もない。
「津軽」のあの場面と現代との落差にえもいわれぬ気持ちになる。
時間が来てタイマーが作動したのか、無人のビデオシアターから音声が聞こえ出した。

映像コーナーで晩年のタケさんの生活を撮影した短いフィルムを見る。
テレビのドキュメンタリーだったのだろう。
何気ない生活の一こまなのになぜか涙ぐみそうになるがこらえる。
コンピューターで合成した太宰の声が「津軽」を朗読するというのがあったので聞いてみる。
予想に反して太宰の声が割りと甲高かったのでちょっとがっかりする。
受付では太宰の色紙が売られていた。直筆の原稿から転写したもの。
「人間失格」の冒頭部分のがあったので僕は会社の机に飾っておこうと1枚買う。
「私は、その男の写真を三葉、見たことがある」の部分。
日々の暮らしに流されそうになったら、これを見て自分を戒めるわけだ。
「津軽」のもあったが、気持ちが和んでしまいそうだったのであくまで「人間失格」

小泊からさらに南に下っていって金木町を目指す。
太宰が生まれ育った場所。「津軽」ゆかりの地を訪ねて回ったこのドライブも終着点だ。
もちろん目的は斜陽館。ようやく見に来ることができた。
僕の住んでいた油川から金木までは直線距離にしたらかなり近い。
僕が高校時代に自転車で通った距離の2倍ぐらいか。
なのに電車で行こうとするとローカル線をひたすら乗り継ぐことになって
行って帰って来るならば1日がかりだ。
青森に帰省するたびにそれでも電車乗っていこうかと何度か思ったがその度に諦めた。
妹に車で連れてってもらえそうなこともあったが、それも直前になってぽしゃった。
前回1年半前にケンと2日がかりで下北を回ったときには
蟹田までフェリーで渡って最後に斜陽館を訪れることになっていたのに、
閉館時間に間に合わなくて悔しい思いをした。

目の前には十三湖が広がる。前回は車を停めたが、今回は素通り。
川岸のあちこちで畑を焼いている。
オレンジ色の大きな炎。灰色の煙がもうもうと舞い上がっている。最初は火事かと思った。
中里町を通り過ぎて金木町に入る。
芦野公園は桜が満開で屋台が軒を連ねていた。
通りをゆっくりと道なりに進んでいくとやがて斜陽館が見つかった。

ああ遂に!そう思いながら足を踏み入れる。
でもはっきり言って拍子抜け。
「太宰」と聞いて心に思い描くドロッとしたものを濾し取ったような薄暗い部分、
あるいは陽気でありながらどことなくグロテスクな部分、あるいは陰影に満ちた苦悩、
純粋無垢な真っ白な清らかさを求めているのにどこまで手を伸ばしても届かない一筋の光、
そういう、澱んだ、得体の知れないものは微塵のかけらも感じさせなかった。
あるのはただただ戦前の旧家の、無口で無骨な歴史の重みだけ。
特定の時代の名残を残す民俗学的価値、「遺物」としか僕には思えなかった。
斜陽館は戦後津島家から売却され、その後旅館として生き残り、10年前に町に買い取られた。
その間にアクはひたすら綺麗に払い落とされたようである。
戦後はまだある種の生々しい雰囲気が漂っていたのであろうが、
太宰の亡霊が残っているようでは旅館は人が呼べない。
全国の太宰ファンを集めているだけでは経営が成り立たない。
ここは本当に太宰の生家なのだろうか。何かの間違いではないだろうか。
どこをどうしたら後に「人間失格」を書くような人間を生み出す家となるのだろう。
それともただ単に太宰治がモンスターだったのか?
古い気質を持ったあらゆるものから飛び出して、その破滅を願うような・・・。
「この父はひどく大きい家を建てたものだ。風情も何もないただ大きいのである」
年月を経て死に絶えたこの建物は太宰が評したそのままの風体と成り果てた。

向かいのお土産物屋「マディニー」に入る。
ケンが「他には何を読んだらいい?」というので僕は
「走れメロス」「ヴィヨンの妻」「グッド・バイ」を薦める。
「走れメロス」は中学か高校の国語の時間に読んだ・読まされたとき、
あまりの白々しい正義感に「なんだこれは?」と嫌悪感を催した人も多いと思う。
だけど今にして思えば、僕なんかは身につまされる。
無償の思いで友を助けに行くなんて。
たぶんこれを書いた当時の太宰はこういう内容の作品を書くことで
自らの文章で救われたいという気持ちがあったのではないだろうか。
この荒みきった薄汚れた世界で誰も口に出して言わないのなら、
この私が書かなくてはならない。そして誰よりもその真実でこの私を救いたい。
僕は今そんなふうに思う。


[1607] 青森帰省3日目(「津軽」を訪ねて)C竜飛岬 階段国道など 2005-05-04 (Wed)

この時点で13時半。昼食をどこでという話になる。
03年版の「るるぶ」を見るとここ竜飛岬では2件の店が紹介されている。
もちろんここ津軽半島の海沿いはどこも海の幸がメインだ。
ホタテやウニが乗った海鮮丼や刺身の定食。
どちらも似たり寄ったりで、ホテルにくっついている方の食堂に僕はNGを出す。
寂れた観光地の一番でかいホテルにくっついている食堂がうまかった試しがない。
そのためもう1軒の方に行ってみようということになる。

ついでにここに書いておく。
僕は「るるぶ」05年版を持ってきていて、ケンは03年版を車に乗せていた。
どっちも同じ厚さなのだが05年版は見た目がきれいでオールカラーの写真ばかりで
03年版の方が情報の扱いが丁寧で各市町村ごとに見所が紹介されている。
それで比較してみるとどうも03年版の方が情報量が多いということが分かった。
03年版だと各市町村について最低でも1つは何かを、無理やりでも紹介していたが、
05年版だとそれがなくなって
県外の人でも知ってるかもしれないかなり有名なものばかり取り上げるようになっていた。
03年版だとあった平舘村、中里町に関するデータがどこにもない。
普通同じもので異なる年の2冊があったら情報そのものが更新されているように思うが、
「るるぶ」の場合、似て非なる全く別の情報誌になっていた。
なので僕とケンは03年版・05年版の両方を常に持ち歩いて、
多くの場合03年の場合を参照することとなった。
これってこれでいいのだろうか?
平舘村の人ががっかりするのではないか。
僕らみたいな蟹田から竜飛岬までドライブする人たちが途中通り抜ける平舘について
ちょっと気になったんで調べてみる気になって「るるぶ」を参照しても何も載ってない。
なので素通り。
まあ別に怒ってるわけでもないし、重箱の隅を突付くような話なんだけど。
世の中のニーズは05年版の方に向かっていると言えばそれまでのことか。

「るるぶ」にあったもう1軒の店が見つからず、
車を降りて歩いているうちに有名な「階段国道」を見つける。
「おーこれか」と下り始める。
日本で唯一、車が通れない国道。339号線に含まれる。
当時(いつだろう?)の役人がそこがどんな地形かよく確かめもせず
地図にピーッと線を引いしまったがゆえに仕方なく階段を整備することになったとかならないとか。
竜飛岬の上から真下の漁村まで下りていくことができる。
「国道です」と言われなければ、まあいたって普通の階段/遊歩道。
でも目の前には陸奥湾が広がっているので景色はなかなかいい。
(360段近くあって、帰りは大変だった・・・)

下りた先は寂れた漁港。
どこか食べられる場所がないか探してみたら津軽半島の最果てに似つかわしくない
「ミッキー食堂」という名前の、
しかし色褪せた看板にミッキーマウスやミニーマウスが描かれて
古びたところは最果てにふさわしい、そんな食堂があった。
客寄せのカラフルなのぼりが何本も立っている。ガラガラかと思いきや客が入っている。
壁に貼られているメニューには刺身やウニ・いくら丼など。
「これってどうだろうか・・・?」とケンと言い合う。
「思い切って入ってみようか・・・?」
ちょうどそこへ店から食べ終わった客が出てくる。
その後ろからは店を切り盛りしていると思われるおばちゃんが。
この地方では典型的な外見をしている。
パンチパーマっぽいチリチリの丸いパーマをかけてそれを茶色く染めて、
着ているものは紫色のハデハデな、
ところどころラメ入りっぽい薄手のカーディガンみたいなやつ。
僕とケンは無言で、「やめようか」と視線を交わす。

この歩いていった先に太宰治の石碑がある。
やはり「津軽」から取られた、
「ここは本州の袋小路だ・・・」から始まる一節が刻まれている。
石碑があるというだけで他に何もない。
他には誰もこれを見に来ている人はいなかった。
周りに広がるのは護岸ブロックと漁港に繋がれた小さな、使い古された漁船たち。
今も昔もここは確かに袋小路だ。
他にはどこにも行きようがない。後はただ、引き返すだけである。

階段国道を上っていって、上った先で目に入った食堂に入る。
14時を過ぎていてあんまりゆっくりしていられる時間はなかった。
「るるぶ」で紹介されていたもう1件の店は夜逃げしたのか、営業していなかった。
ケンは海鮮丼を頼み(「今日はウニとひらめの刺身がつきます」とあった)
僕はツブ貝、海老、ホタテ、イカの入った竜飛岬ラーメンを頼む。
食べている間僕とケンは何も言わない。淡々と口に運んでいく。食後に感想も語らない。
そもそも海老やイカやホタテが一緒に入っていてラーメンとしてうまいものになるのなら
東京のいろんな店でやってるよなー。
やってないってことは個性の強いもの同士放り込んで
味が奇天烈なものになってしまうってことなんだろうな。
まあ、せっかくこういう観光地に来たのだから
冷静に考えてみたらおいしくなりそうにないものでも
なんか「食べなきゃ損」みたいな気持ちになってしまうし、
カレーライスやただのラーメンを食べるぐらいなら、
こういうものを食べた方が少なくとも話題のネタになる。
食べ終わってお金を払って、余計なことは何も言わず、店を出る。
・・・3軒あるうちの「るるぶ」で紹介されていた2軒から外れていた1軒だからなあ。

竜飛岬の展望台へ。
お土産物屋で口直しに味噌おでんを食べる。
青森特有なのか、白味噌に砂糖と生姜が入っていて濃厚なタレになっているものを
おでんにかけて食べる。ゆで卵、こんにゃく、さつま揚げ。1個50円。安い。
そのほかにもハンペンや大根があって、これを全種類食べたほうがよほどいい昼飯になった。
竜飛の水を使った水出しコーヒーをケンが買ったので僕も買う。
青森では最近これがはやっているのか、八甲田の水を使ったものなどいくつか種類がある。
一缶550mlという大きさで缶コーヒーサイズではなく、むしろコーヒーの缶詰。
買ってその場で飲むものではなくて、自宅用。

灯台を見学する。
ここの灯台は中に入ることができる。
内側の壁には日本地図が貼られていて、中に入って見学可能な灯台の印がついている。
そんなに数はないようだ。
後で母にこの話をしたら「竜飛の灯台はいつでも中を見れるのではなく、
普段は閉じられている。いいときに見に行った」と言われる。
大勢の観光客がこの岬の展望台を訪れていた。
竜飛は他の地域とは違って「本州の最果ての地」として昔から多くの観光客を惹きつけてきた。
灯台の中の暗くて狭い空間に人が大勢入り込んでいる。
人一人動くだけで精一杯の狭い階段を観光客同士が身をよじらせてすれ違う。
外に出るとそこには日本海が広がっている。青と灰色とが混じり合った水平線。
灯台の外には海軍の観測所として、
コンクリートで作られた円形の隠れ家のようなものが展望台の地面に半ば埋め込まれていた。

展望台の下には「津軽海峡冬景色」の記念碑まであって、
観光客がボタンを押すと1曲流れてくるようになっている。


[1606] 青森帰省3日目(「津軽」を訪ねて)B竜飛岬 青函トンネル記念館 2005-05-03 (Tue)

海沿いの漁村を通り抜けると
岬へと向かう分かれ道になっていて小高い丘の上の方へと坂道が続く。
まず見えてくるのは風力発電用の白い風車。ほっそりとした形をしている。
強い風に吹かれて3枚の細い羽根がクルクルと回っている。
竜飛ウインドパークとその展示館。
その隣にあるのが青函トンネル記念館。この2つの建物はつながっている。

トンネル記念館の方に入る。
ここの目玉は「記念館駅」から海底トンネルにある「体験坑道駅」へと下りていけること。
(確か、青函トンネルの中にある「竜飛海底駅」とは違うはず)
ケーブルカーで底まで行って、ガイドがトンネルの中を案内して、戻ってくるという45分間のコース。
この切符が記念館の入場券込みで900円。
今インターネットで調べてみたらこのケーブルカーはJRではなく私鉄であって、
しかも日本一短い私鉄なのだとのこと。

出発の時間まで時間があったので記念館の展示を見る。
いかにして青函トンネルが開通したか、その歴史を解説するもの。
どちらかというと子供向き。○○科学館って感じの。
それにしても青森に住んでいた僕にしてみれば
青函トンネルの工事って子供心に世紀の大事業のように思えたものだ。
貫通の日なんて青森県全体が興奮に沸き返ったような気がする。
懐かしいなあ。貫通に至るまでの長い間、
工事絡みのニュース・話題が毎日のように何かしら紹介されていたように思う。

ウインドパークの展示館へ。
東北電力が管理・運営しているせいか、口当たりよい展示施設となっている。
つまり、可もなく不可もなく当たり障りのない内容。こちらもまた子供向き。
風力発電の仕組み、そもそもの風の仕組み、
などなどがパネルや簡単な実験機器を通して手軽に学習できるようになっている。
風速15mを体験というコーナーがあって、訪れた人は誰もが皆ブースに入っていた。
六ヶ所村の原子燃料サイクル施設のアピールもそれとなくさりげなく入っている。
大間や東通村の原子力発電所のことも。
(正直今の僕には原発関係の施設の建設がいいんだか悪いんだかよくわからなくなってきた。
 長いことかかって丸め込まれたのだろうか?
 少なくとも六ヶ所村の原燃施設の職員の待遇はものすごくいいらしくて、
 仕事が尋常じゃなく忙しくなってきてわけがわかんなくなってくると
 僕は六ヶ所村の施設に雇ってもらうことを夢想する)

風力発電の施設は日本各地にあるようだけど印象としてはどこもまだ試験導入段階のようで、
設置されている風車は1〜3基とかそれぐらいのもの。
それに対して竜飛岬のウインドパークは11基と日本一の設置数になっている。
竜飛岬の年間の平均風速は10mを超えるという。
いつだってピューピューと風が吹き荒れている。

時間が来たのでケーブルカーに乗り込む。
オレンジ色の車体はもともとの造りが斜めになっている。
駅の床に置かれた予備の車両を見たらきれいな平行四辺形だった。
これから下っていく坑道が斜めに掘られているため、それに合わせた形になっている。
駅と坑道の間は「風門」で遮られ、
発射の合図とともに分厚い鉄の扉がゆっくりゆっくりと持ち上げられていった。
錆付いた金属同士が擦れあったり、ウインチで巻き上がられたりする大きな音とともに
ピリャーン、、、、ピリャーン、、、、とソナーのような音が聞こえてくる。
風門が完全に上がるとケーブルカーがのっそりのっそりと下り始めた。
テープによるアナウンスがにぎやかな音楽とともに社内に響き渡る。
これから行く体験坑道の仕組みやその歴史について。
なのにスピーカーの調子が悪いのか音がものすごく割れている。
ガイドの女性も運転手もそれが当たり前になっていて何も気になってないかのようだった。

9分間かけて斜坑を下っていく。到着地点の深さは140mとなる。
斜坑は普段は換気や排水や保守作業用の資材運搬に使われる。
普段乗ることのない乗り物に乗っていて、普段接する機会のない場所に向かうのであるから、
30過ぎたいい大人なのにどうにもわくわくしてしまう。
単調な景色の繰り返しであっても気にならない。
灰色のくすんだコンクリートの壁と太い鋼管がどこまでも連なる。
海水が染み出てくるのだろうか、その壁や鋼管にところどころ塩が付着していた。

海底に到着。入れ替わりで1コ前の回でガイドを受けた人たちが上っていく。
トンネルの中は自由に見学可能ではなくて、ガイドの女性に付き従うことになる。
体験坑道の中にはその当時実際に使用された工具や機械類が並べられ、
トンネルを掘るに当たって用いられた工法の説明がなされる。
「注入」「コンクリート吹き付け」ともう1つ、
今では思い出せないが青函トンネル掘削に当たって生み出された3つの重要な技法が採用された。

20年以上もの長期に渡り、延べ1,370万人が工事に従事し、そのうち34名が工事中に死亡。
そんなふうに聞くと、置いてある工事用の車両やハンマーや削岩機といったものの1つ1つに
様々な人々の怨念とまでは言わないものの何か薄暗いものがべっとりと染み付いている。
トンネルの中そのものがどうしても薄気味悪く、
ここに1人で下りてきて歩いていたら「何か」を見てしまいそうだ。
今でも作業し続ける人々であるとか・・・。

時間が来て上りのケーブルカーに乗る。
ガイドの女性は次の回の人たちへの案内のため、引き続きトンネルの中へ。
1日に何度も何度も観光客を迎えてその都度同じ事を話し続けるのか。
海の底のトンネルというロケーションもあって
単調という以上に陰鬱な仕事のように感じられる。
割ときれいな人だったなあ。
もう何年も何年もこのガイドをやってきて、これからも何年もガイドを続けるのだろうか。
本州の最果て、この津軽半島のさらにその最果ての岬のトンネルの底で。
いたたまれない気持ちになる。
そういう人生もあるんだなあと思う。

僕は最前列に陣取ってソロソロと上っていくケーブルカーからの光景を食い入るように眺める。
なんだか僕は深い井戸の底にいて、ものすごく高いところに光が見える。そんな感じだった。
そしてその光がゆっくりゆっくりと近付いてくる。

地上に戻ってお土産のコーナーで会社の人にお菓子を買って外に出る。
「はろうきてぃ 青森限定 さくらせんべい」と
「みちのく限定 カール カキミソ味」
カキミソ味なんてよく作るよなぁ・・・。


[1605] 青森帰省3日目(「津軽」を訪ねて)A高野崎〜三厩 2005-05-02 (Mon)

平舘を過ぎて、津軽半島を長方形と捉えたときの上辺の部分に入る。
今度は西へ西へと進んでいくことになる。
灯台を見つけたので停車する。
観光客向けに立てられた地図を見ると高野崎とある。
ほんのまだ小さなときには来たことがあるかもしれないが、
僕としてはここを訪れた記憶は全くない。
崖の上に灯台が建っていて、
緩やかな崖は階段が整備されていて下の磯の方まで下りていくことができる。
下から見上げると崖は土ではなくて、
溶岩が不ぞろいに固まったような黒くゴツゴツとした岩の群でできている。
磯もまたそのような岩でデコボコとしている。
藻のような茶色い海草が波間に漂っている。
潮の引いた岩の間に海水が溜まっているが、
小さな蟹が這っていたり魚が迷い込んだりはしていない。
幼稚園ぐらいの子供を連れた家族が熱心に何かいないか探していた。
磯はいくつかの固まりに分かれていて、半円形の橋が2つ、渡されていた。
風がとんでもなく強い。もちろんその風は冷たくて、体が寒くなってくる。
風に吹かれていると穏やかなはずの陸奥湾の波も荒れているように見える。

その海を隔てたすぐ目の前に北海道の低い山並みが広がっている。
空が晴れているのでくっきりと見える。

上に戻る。
食堂が2軒あって、そのうちの1つで「貝焼き味噌」があったので作ってもらう。
手のひら大の大きなホタテ貝を器として、
そこに味噌を溶いた水を入れて火に掛け、
ホタテやカキやウニを細かく刻んだものと同じく刻んだ青ネギを入れて
煮立ってくると溶き卵を入れる。
青森名物。
青森で有名な郷土料理ってどんなのがありますか?と
このところ何回か聞かれたけどうまく答えられなかった。
けの汁もジャッパ汁もいちご煮も説明が難解で。
でも「貝焼き味噌」があったではないか!
確かに観光地や郷土料理の店ならどこでもたいがいはこれを出している。
小さい頃、熱を出して学校を休んでいるとよくこれを食べさせられたなあ。
母親が作って。おかゆと一緒に。
家で食べるものなのでもちろんホタテもカキもウニも入っていない。
味噌と卵だけ。だけどホタテ貝そのもののダシがほのかに効いていて
それをふうふう言いながら食べるのはおいしかった。
そういえばもうずっと食べてないよ!と思う。
ここの店はバーベキューのコンロで網の上にホタテ貝を置いて焼いてくれる。
ついでにホタテの串焼きも焼いてもらう。
出てきた貝焼き味噌をケンと2人で突付く。
ああ、これは東京でも食べたい。
というかホタテ貝を送ってきてもらって家で作って食べよう。

竜飛岬へ。今回のドライブのメイン。
ケンはぜひ1度見てみたかったという。
竜飛岬のある三厩村のすぐ隣の今別町に親戚の家があるので
僕はこれまで何度か来たことがある。
だけどそれもお盆で集まっていた親戚のおじさんのうちの誰かが気が向いたときに
暇に任せてふらっと甥っ子や姪っ子を車に乗せて連れて行くものだったので
着いてしばらくすると「じゃあ帰るぞ」と車でまた引き返すだけ。どこにも入らず。
なので有名な階段国道は見たことがないし、義経寺も行ったことがない。
地元の人たちってそんなもんです。

今別町に入ると僕もどこに何があるのかけっこうわかっている。
「あの向こうに役場があってね」とかかなりどうでもいいことをケンに対して解説する。
昔いとこに連れられて釣りに来た川を通り過ぎるとき、懐かしいなあと思う。
もう10何年以上前に法事があったときに親戚みんなで入りに行った温泉が
夜逃げ同然で(こういうのはこの地方では多々あり。ドライブインなど特に)営業をやめていた。

青函トンネル入口公園は特に何もないので立ち寄らず。
(ほんとトンネルの入口があるだけ。でも昔ここでやはり学生時代に映画の撮影をした)

三厩村に入ってすぐの義経寺(ギケイジと読む)に立ち寄る。
ここはまあ普通の寺であって、説明を受けなければ義経と何の縁があるのかよくわからない。
石碑が立ってるとか、義経の像があるとか観光客向けのわかりやすいポイントはない。
一応お参りをする。
急な石段を上っていると高野崎で見かけた親子とすれ違う。
この日あちこちのポイントで、「あれ、どこかで見かけたな」という人たちと何度もすれ違った。
たぶんみんなだいたい同じようなスピードで同じようなルートでドライブしているのだなと思う。

ここで見るべきは「厩石」という巨大な岩。義経寺の真ん前にある。
長い年月のうちに風雨で削られて荒々しい形となったもの。
NHKの大河ドラマでも今やってるんだろうけど、
源義経は兄頼朝より都を追われ弁慶など腹心の部下とともに北へ北へと逃げ続けた末に
岩手県の衣川で死んだということになっている。
実はそのとき義経は逃げ延びていて、さらに北へ向かううちに
この竜飛岬まで辿り着き、北海道(蝦夷)へと渡った、というのがこの地方に伝わる伝説。
その後大陸に渡ってチンギス・ハーンになったというバリエーションもある。
青森県新郷村(津軽ではなく南部地方)にはキリストの墓なるものがあるが、
これよりは信憑性があるのではないかと思う。
伝説ではこういうことになっている。
蝦夷に渡ろうとして果たせずにいた義経が荒れ狂う海を鎮めるために岩の上に座って
観音像を前に三日三晩祈りを捧げたところ3日目に白髪の老人が現れ、3頭の龍馬が与えられた。
空も穏やかとなり義経はその龍馬に乗って海を渡った。要約するとそんな話。
(龍馬とは何ぞや?と思いながら僕は石の側に立てられていた案内板を読んでいた。
 日本語の解説の下に英語訳が書かれていてペガサスと訳されていた)
で、義経寺にはその観音像が祭られていて、厩石は義経が祈った岩ということになる。

車に戻って竜飛岬へ。
うねうねと曲がりくねり、どこよりもまして細い国道をノロノロと走る。
寂れた、ひなびた、漁村が続く。
小さな今にも壊れそうな小屋に紐が渡され昆布が干されている。

どうでもいいことであるが、ケンから聞いた話では
青森では今、テレビのニュースのトップが「卓球愛ちゃんが久し振りに登校」だったりするんだそうな。
ニュースがないんだなあ。
というか明るい話題がないんだなあ・・・。

ちなみに今最も大きな話題は浪岡町元町長の選挙違反。
青森市との合併にまつわるなんたらかんたらでお金をばら撒いたのではないかと。
新聞記者である妹は今それで忙しいらしい。
昨日は弘前に連れてってもらうことになっていたのが仕事で取りやめになってしまった。


[1604] 青森帰省3日目(「津軽」を訪ねて)@油川〜蟹田〜平舘 2005-05-01 (Sun)

この日は大学時代の寮の友人、ケンと1日かけてドライブ。
ケンのリクエストで津軽半島をぐるっと回ることになっている。
1年半前にもケンとは下北半島を回っている。
三沢をスタートして尻屋崎や恐山を見て、薬研温泉に泊まって、
次の日は脇野沢からフェリーに乗って蟹田に渡り、十三湖まで行って帰ってきた。
その道中で僕が何度も、太宰治を読むなら「津軽」が最高傑作だ、
特にここ青森で読むのなら、と心酔するように語っていたことを思い出したのか、
最近になってケンはその「津軽」を手に取って読んでみたのだという。
そして今回のドライブではそのゆかりの地を尋ねてみるということになった。
蟹田からずっと海沿いに走っていって竜飛岬へ。
小泊を経て僕のリクエストである斜陽館へ。
まさに太宰尽くし。

朝9時に近くの小学校まで迎えにきてもらう。
さっそく海沿いの狭い国道280号線に出て北へ北へ民家の立ち並ぶ中をひた走る。
空は雲1つなく晴れていて、それを映し出して海は、津軽の海にしては珍しく真っ青な色をしている。

まっすぐ一直線を進んでゆくと蟹田町には30分もしないで到着した。
そのまま観瀾山公園という丘の上へと車で上がっていく。
ここには「津軽」の中で蟹田のNさんと紹介されている中村貞次郎氏が
太宰治の死後、昭和31年に建てた石碑がある。
井伏鱒二が「正義と微笑」から「かれは人を喜ばせるのが何よりも好きであった!」
という一節を選び、それを佐藤春夫が書にしたものが彫られている。

丘の上から見下ろす蟹田の街並みというか風景は思いのほかよかった。
何の変哲もない、何の特色もない田舎町なのに、
なんでだかはわからないが大きく開けた爽快な眺めだった。
僕はこの場所のことを知らなかった。
今度誰か県外の人が来たらここまで連れてきて案内したいとすら思った。

だけど意地悪く僕はこんなことを考えてしまう。
これだけ家が立っているのに、ここの人たちは何で生計を立てているのだろう?
港はあるが小さいし、その他の人みんなが農業や林業というわけもあるまい。
観光に力を入れているようにも感じられない。
青森県全体が不景気で新しい産業は興らない。
企業の誘致も難しい。来るのは原子力関係ばかり。
穏やかな風景が広がっているようで一皮向けば生活はどこも厳しい。甘くはない。
こういう印象はこの後どこに行ってもそう思った。
せめて観光に力を入れている雰囲気が感じられたならばよかったのだが、
どこもきれいな道の駅や観光施設は作るもののその後作りっぱなしで
呼び込む磁力を見出そうという気構えが感じられない。
大きなお世話か。要するにそれだけの余力がないってことなんだろうな。予算もないし。
施設を作るところまではたぶんどこでもスムーズに進むのだと思う。
もともとこの村にはこういう観光資源があります、それをアピールするきれいな施設を建てましょう。
ここまでなら計画書も予算取りも簡単だ。
そこから先の難しさって、・・・この話題、よそ者が口を挟むものじゃないな。

車で下まで下りていって、港の横の公園へ。
蟹田だから蟹を食べたいとケンが言う。
9時半という時間でもどこか開いているかなあと歩いてみる。
小さな小屋が立ち並ぶ一角があって、これってそれっぽいなと思うが
行ってみたらどこも閉じられていて閑散としている。
つり用具貸し出しの店だったり、海の家だったり。
夏しか営業しないんだろうな。
(上の話につながるが、どこの村も夏だけをターゲットとしているようだった。
 どこの村もあるのは海水浴場とキャンプ場とバーベキューの広場や太宰ゆかりの石碑・・・)

トップマストという灯台を模した形をした、
展望台と休憩所とお土産屋が一緒になった施設に入る。
特産品の蟹(「トゲクリガニ」いわゆる毛蟹)は
3匹ほど一緒にしてパックに包まれて売られているが、
残念なことにその場で食べるような用意はされていない。
2階の喫茶店にもカニはなし。
県外から来た観光客からそういうニーズってないのだろうか?
店員の若い女性たちが暇そうにしている。
(余計なお世話ながら、こういう田舎町のこういう観光施設のレジという人生って
 どんなもんだろうといつも気になる。そもそも収入になるのだろうか?)
ほたてバターせんべいというのを買ってみる。
道中食べる用と会社へのお土産として。

上の階に上ってみる。階段をひたすら上る。いい運動になる。
外に出る。張り出し部分はところどころ下がコンクリートの床じゃなくて
鉄格子のようになっていて高所恐怖症ではない僕もギョッとする。
眺めとしては高さがある分だけ観瀾山公園の方が眺めがいいが、
こっちの方が海が近い。手に届きそうな近さ。
遠くの防波堤では釣りをしている人たちがポツリポツリといた。
じっと眺めていても彼らは微動だにしない。
腰を下ろしたままそこに根が張ったかのようだった。

車に戻って出発する。
母の実家のある今別町大川平に向かうときには
いつもここ蟹田で折れ曲がって山の中のルートに入っていく。
そっちの山道の方が僕としてはなじみがあるのだが、今日はそのまま海沿いに直進する。
平舘村へ。
失礼を承知で言うが、津軽半島にいくつもいくつもある何もない村の1つだ。

灯台があるので車を降りる。
中には入れない。無人。
近くには恐らくタンカーかそれに類する巨大な船がその役目を終えたときに取り外された
霧笛が無骨にゴロッと飾られていた。
海辺はブロックを積み重ねられてきれいに段々となっている。そこにたえず波が押し寄せる。
蟹田では感じられなかった、生々しい潮の匂いがする。
僕らの他には観光客は誰もいない。ゴールデンウィークの中日だというのに。
寂寥たる雰囲気。
遠くを婆ァ様が1人腰を曲げてトボトボと歩いている。

以前の冬、正月だったか、親戚のおじさんに車に乗せてもらってここに来たときに
廃墟となったドライブインを見つけた。
その年の夏にわざわざ高校の友人に車を出してもらってそのドライブインまで来て
勝手に中に入って撮影をした。
学生時代最後の年に撮っていた映画で使うためだ。もう8年近く昔のこと。
今でもあるかなあと思ったのだが、さすがに見つからなかった。

平舘は「津軽」でも太宰が訪れている土地なのであるが、
(確か平舘としてではなくて、「外ヶ浜」として)
特に太宰にまつわるものはないようだ。ある意味潔い。
あったらあったで「猫も杓子も、うーん」と思ってしまうが、
なきゃないで「利用しなくていいのかよ!?」と思ってしまう。
人は身勝手なものである。


[1603] 青森帰省2日目 2005-04-30 (Sat)

昨日の夜は家に帰って荷物を置いた後、斜め向かいにある幼馴染の家に行った。
そこに呼ばれてささやかな宴会が行われた。

※このことは、実は、初めて書くんだけど、僕はその幼馴染と来年結婚することになりました。
今までずっと書かないようにしていたんだけど、
というか「私のことは書かないで、お願い」と固く言われてたので
そんな素振りすら見せてなかったんだけど、
ここまではっきり決まった以上公表してもいいかということになりました。
僕自身ずっと隠してきて誰にも言ってこなかったことなので、
何人かの身の回りの人に紹介するまでは
当面この日記でも名前とかあんまり出したくないなーと思います。

小さなテーブルの上に刺身が2皿置かれていて、瓶ビールが並んでいる。
「トヨヒコ君はスーパードライが好きだったよなあ、用意しといたよ」と言われながら、
さっそくコップに注がれる。
彼女のお父さんはキリン派なので僕はラガーの詮を抜いてコップに注いだ。
男2人で乾杯となる。
そこに彼女が唐揚げの入った皿を持ってくる。
彼女はお酒が全然飲めない。
唐揚げを1個だけ食べてまた台所に戻った。
「仕事はどんな調子だ」とお父さんが聞いてくる。僕はコップの中のビールを空けて言う。
この前会った時に話した大変なプロジェクトからようやく抜けることができた、
(↑だから今ようやく青森に挨拶に来ることができたわけで・・・)
次もまた忙しいところに回されそうだ。
「月並みなことだけどな、体だけは気をつけてくれよな」と僕は言われる。
「ちゃんと家に帰るような亭主にならないと、何を言われるかわかったもんじゃないぞ」とも。
いつのまにか隣に座っていた彼女が「よしてよ」と笑う。僕にビールを注ぐ。

たぶんみんな聞きたいことだからここで書いときます。
2・3年前から彼女が仕事で東京に来るたびにちょくちょく会ってたんだけど
お互い30になって彼女も「つらい」とか言い出すようになり、
そんでまあこういうことになったと。
こういうのって青森側に伝わるのは思いの他早くて、年明けてから僕が仕事で忙しくしている間に
「両家の間」で僕抜きにいろんなことがそれとなく決まっていった。
既成事実となる。というかなった。
これから先は僕も青森に頻繁に帰ってきて
実際に結納だの披露宴だのに向けて進めていかなくてはならない。
住む場所はこれまで通り東京だからそれも見つけなくてはならない。
彼女は仕事も見つけなくてはならない。
大学を出て5年ぐらいは東京で働いていたから土地勘はあるものの、ブランクが長くなってしまった。
「なんだ青森に戻ってくればいいじゃないか。仕事ならなんとかしてやるぞ」と
彼女のお父さんにはいつも言われるものの、僕としてはその選択はありえない。

気がついたら、僕がその3年前に彼女と東京で撮った写真がテレビの上に置かれていた。
この前来たときにはそんなのなかったのに。
「お母さんが置いたのよ」と彼女は言う。

今後の段取りに関する打ち合わせの予行演習をしてるんだか
過去の思い出話に浸ってるんだか
若い2人への人生指南をしてるんだかごちゃごちゃになってきて、
喋ってるうちに彼女のお父さんが眠ってしまったので僕は家に戻った。
じゃあねと言って彼女にキスをした。

---
今日は花見に行った。彼女の運転する車で。
青森で桜と言えば弘前城なのでそこまで見に行くのでもよかったのだが、
そしてちょうど今弘前で開催されている奈良美知展を見に行くのでもよかったのだが、
彼女がついこの間弘前には友達に会いに行ってきたばかりだというので
近場の合浦公園に行く。近くとは言っても青森市の反対側だ。

朝の10時。バイパスではなくて木材港の方に出る。海沿いに走る。
「青森レインボーブリッジ」という身もふたもない名前の橋を渡る。車はガラガラだった。
アスパムを背に市街地に入っていく。国道に出て東へ、浅虫温泉の方に向かう。
車の中で取り留めのない話をする。
「サキコのところに子供が生まれたよ」とか。
「女の子?」
「ううん、男の子」
「どっちに似てる?」
「サキコ、というかサキコの妹に似てる」
「サキコの妹って、俺、会ったことあったっけ?どこで何してんの?」
「商業を出て、中三の1階で化粧品売り場にいたあと、札幌だったか小樽に行った。嫁いで」
「じゃあたぶん知らないんだろうな。サキコに妹がいたことすら知らんかった」
ずっとこんな感じで。

合浦公園の駐車場に車を停める。
同じような世代のカップルや親子連れ、もっと若い世代のカップルや親子連れが多かった。
昨日の東京は30℃近くまで上がったみたいで、青森も20℃を超えていた。
今日はそれほどではないが、上にネルシャツを着てると暑くて、僕はTシャツだけになった。
缶ビールを買って飲んで、ベンチに座って屋台のイカ焼きを食べた。
桜はまだ五分といったところだった。
「まだ咲いてないな」と僕は言った。
4月の頭に会社の後輩たちと千鳥ヶ淵の桜を夜に見に行ったことや
その次の日に屋形船に乗ったことを話した。
電話やメールで既に伝えていたことではあったけど、
ベンチに並んで座って話していると伝えるべきディテールは変わってくる。
イカ焼きはやっぱ青森で食ってる方がうまいなとか、そういうこと。

合浦公園の隣には青森市の運動公園があって、野球場や体育館がある。
そこで何かの試合があったのか
汗だくのTシャツを着た坊主頭の中学生の集団が通り過ぎていった。
僕は僕が中学生だった頃のことを思い出した。
思春期。女の子のことばかり考えてただもうそれだけだった時代。
クラスでも男子ばかりだとそういう話しかしなくて
だけど実際に行動できるやつはほんの一握りで。
「3組の×子はもうやっていて相手は大学生だ」とかそんなことが一大事だった。
そんなある日市内の中学の生徒が集まって年に1回試合をするというスポーツの大会があって
そしてそれは競技ごとにこの運動公園か三内丸山遺跡の近くの方の青森県の運動公園が会場になっていた。
(ちなみにその頃はまだ↑遺跡が見つかっていなかったのですよ。あれは僕が大学に入った頃の話)

まあ話が長くなってしまったが、その頃の僕は自分の部屋の中では、授業中の白昼夢の中では
彼女のことを何気に意識していたけれども、実際には話すことなど全くなかった。クラスも違ったし。
むしろ廊下の向こうから来るのが分かったらそれとなく避けていたぐらいだ。
それぐらい意味もなく自意識過剰だった。ま、仕方ないよな。そんな時期なのだから。
誰かに彼女のことを聞かれても「小学校の時には話はしてたけどな」ぐらいにしか答えない。
それがかっこいいことなのだと思っていた。悲しいことに。あほらしいことに。
そんなわけであるから僕と彼女は中学生時代、ほとんど話したことがない。

で、また話が長くなってしまったが、ここでやっと「そんなある日」に戻ってくるのだが、
この合浦公園で彼女と会った。
会ったというよりはもっと正確に言えば僕のいた集団が彼女のいた集団と接近してすれ違った。
僕は卓球部で彼女はバレー部だった。
卓球部はいつも小さな方の体育館で練習していて、バレー部は大きな方の体育館だったから、
そういう場所でも普段顔を合わせることもない。
すれ違う前後の瞬間に彼女は僕の方をちらっと見たような気がする。
そして隣にいた女の子に何かを話した。それはこっちを見ながらだったように思う。
そして僕は僕でちらっと見た。というか傍から見たらそれは「睨みつけた」に近かったかもしれない。
その頃僕が知覚していた限りの世の中はみなおしなべてヤンキー文化の真っ只中にあって、
「女を無視する」ということがいかに硬派な行為とされていたことか。
もう1回書くけど、今思うとかなりあほらしい。

僕と彼女が大人の男女として再会して、そこから
いろんな物事が始まっていったのはそのときから少なくとも10年以上後のことだ。
高校は全然別なとこに行ったし、大学も同じ関東とはいえ、かなり離れていた。
もう何年も忘れてしまっていた。
・・・忘れたわけはないか。つまり、リアリティーのある存在ではなくなっていた。
そして僕は時々こんなことを考える。
あのとき、中学生のときにどっちかが勇気を出して言葉を発していたらどうなっていただろうか?
そしてそれをきっかけにその時付き合いだしていたら今の自分たちはあっただろうか?
たぶんないだろう。
彼女は「えー?あったかもよー」ぐらい言うかもしれない。そんで「ふふっ」と笑うかもしれない。
どうなんだろうな。

ベンチに隣り合わせて座って、何気に手を重ねたりしながら、考えるのはそういうことだったりする。
だけど僕はこのことを口に出して言わない。
いつか言うかもしれないけど、それは今じゃないから。

---
せっかく車で来たんだから遠出しようということになってそのまま国道を東へ走っていって
浅虫温泉を通り過ぎ、野辺地を通り過ぎ、
横浜町まで行って「湧水亭」で昼を食べた。ここのみそ田楽はなかなかうまい。

帰りの車の中で陸奥湾を眺めた。空が晴れていたので海は青く輝いていた。
いい感じだった。これでいいんだと思った。

明日は車2台出して彼女の一家と僕ら一家とで
八甲田山経由で十和田湖を見に行くことになっている。














嘘です。

この日は家から一歩も出ないで「ブラックジャック」を読んでました。


[1602] 青森帰省1日目A 2005-04-29 (Fri)

青森駅到着。ボストンバッグを駅のコインロッカーに預ける。まっすぐ家には帰らない。
「味の札幌」でいつものように味噌カレー牛乳ラーメンを食べる。
うまい。なんであんなにうまいんだろう。

「味の札幌」は以前「ブックサプライ」があったところに移転していた。
「ブックサプライ」は昔僕が高校時代からよく足を運んだ古本屋で、
割とたくさん中古CDが置いてあったので大学生になっても会社員になっても
帰省するたびに必ず1度は立ち寄った。
典型的な店員が値段を分からないでつけている店で、
青森であんまり有名でなかったりすると半端じゃなく安かった。
Flipper's Guitar の「ヘッド博士の世界塔」を600円で買った。
Underground Resistance の初期の曲の入った「Remix」のコンピレーションもだいたいそんな値段で買った。
その反面河村隆一や福山雅治なんかだと高くなる。
Foetus, KMFDM, PIG など インダストリアル系のCDを買っては売ってる人が
なぜか青森のこの辺にいるようでそういうののいくつかは僕のところに流れた。
その「ブックサプライ」もここ1・2年のうちのどこかの帰省のときに閉店していた。

ラーメンを食べ終わった後、これまたいつもの床屋へ。
待っている間、実に1年1ヶ月前に読んだ「美味しんぼ」の続きを読む。
カレー編を読み終わってラーメン編に移る。
(僕の中で手塚治虫フィーヴァーが終わったら次は「美味しんぼ」になりそうだ)
「あの、今度、本を出すことになって・・・」とカバンから本を取り出して渡す。
いきなりのことだったので驚かれる。そりゃそうだよな。

髪を切った後は夜店通りの古着屋巡り。またしても店がいくつか入れ替わっていた。
平日だったので高校生の姿はなく、高校卒業後1・2年ぐらいして
どこかで働いている茶髪の若者が彼女を連れて買い物、そういう光景が目立った。
僕はあちこちの店に入ってめぼしいものをピックアップした後で
もう1度それらの店に戻って試着して買った。夏に着る半袖のシャツや長袖のシャツなど。
もうここ何年か東京で服を買うことはめっきり少なくなって
青森に帰省したときにまとめて買っている。
東京の休日にて服を買うためだけにどこかに出かけるということがなくなった。
着るものに興味がなくなったのではなくて、
若い頃なら、学生時代なら、どこかの街に出かけて半日かけて
あれこれの店に入って結局何も買わないことになってもなんてことはなかったが、
今だとそういうのって億劫なんだよな。
(なんかこういう話、青森に帰るたびに書いてるような気がする)

「CONVOY」へ。
カーゴパンツを買うつもりでいた。あるいはジーパンでいいのがあったらそれでもいいかと。
最近はジーパンもここでしか買わなくなっている。
店員に「REPLAY」穿いてますねと言われて、ここで買ったものなんですという話になる。
あれこれ薦められてカーゴパンツを1本買う。
本当は灰色とカーキ色の中間のような微妙な色合いのジーパンでとてもいいのがあったのだが、
大きなサイズしか残ってなくて諦める。

前にも書いたかもしれないが、青森にも「A BATHING APE」がある。
買える人・買って着る人がいるのは驚きである。
(着たところで大方周りの人はわからないのではないか)

AUGA のパラダイス・レコードにて中古CDを買おうと思って行ってみたら
残念なことに店がなくなっていた。
青森にしては珍しくマニアックなのも売ってたのにな。
だからお客さんの入りも悪く、
いつ行っても若者向けの派手なファッション・ビルの一角とは思えないぐらい閑散としていた。
僕はたまに帰省するたびにここでごっそりCDを買っていた。
いろんな掘り出し物をここで見つけた。Peter Ivers の国内盤だとか。
ソフトロック、ガレージパンク、などきちんとジャンル分けされていて
扱われている商品が東京と遜色ない。
僕みたいな客がたくさんいたらよかったんだろうけどねえ。
1年に1度か2度訪れてみては時間をかけて棚を眺め、たくさん買っていく。
普段住んでる場所じゃないからちょくちょく来ることはできない。
前回買おうと思ったけどやめたのが半年後にもまだ売れ残ってたりして
「ああ、まだこれあったのか!」なんて再会があったりして。
こういうのってとても楽しい。
そういう楽しみがなくなって青森に戻ってくる理由がまた1つ消えてしまった。
それにしても「ブックサプライ」もなくなって
この辺の人たちは今後どこに中古CDを売るのだろう?ブックオフ?
ああ「お宝物」がどこかに眠ってるかと思うともどかしい気持ちになる。

AUGA ではアルフォンス・ミュシャ展が今日からちょうど4日間で開催されていた。
へー青森にミュシャ?と思う。しかも入場無料。絵葉書までくれる。
なんか怪しいんだけどとりあえず行ってみる。
受付でアンケートを書かされる。住んでる場所だとか何でこの展示会を知ったかとか。
あと、好きな画家。クリスチャン・ラッセンだとかヒロ・ヤマガタの名前が並んでいる。
「しまった、あの会社か」と思う。
ミュシャのオリジナルのリトグラフや絵葉書や、雑誌の切抜きが並んでいる。
そういう意味では本物。でも見てるとあれこれ話し掛けてくる。
男性の係員のあと、女性の係員が入れ替わり立ち代わり。
がっちりキャッチしたら逃したくないようだ。
ミュシャに興味がおありですかと聞かれて、「ええ、まあ」と答える。
東京でついこの間展覧会があったけど僕は見に行けなかった。
(このときのポスターを見たら、多くの人が「あれか」と思うはず)
余りにもフレンドリーに気さくに、あれこれ話し掛けてくるので答えないわけにもいかなくなる。
(↑どっちかというと宗教団体のようだ)
東京に住んでて、見に行きたくても見に行けなくて、
今たまたま帰省して見かけたので入ったみたいなことを僕は話す。
デザイン関係の仕事ですか?と聞かれて全然関係のないIT関係だと僕は答える。
ミュシャの好きな人はグラフィックデザインの人だったり、漫画家の卵だったり、
ゲーム業界のデザイナーだったりとそういう専門的な職業の人の傾向が高いのだという。
どれか気に入ったのはありますか?と聞かれて、適当に「あれ」とか「どれもいいですね」と答える。
買わせようという気なのだろうか?
オリジナルのリトグラフはどれも80万から100万ぐらいした。
「ローンを組んだら」買えなくもない額。長居したら買わせようとするのだろうな。
ま、裕福になったらミュシャの小さなリトグラフは欲しいところではあるが。

東京ではこういう展示会にいらっしゃることはありますか?
どういうのを見ますか?例えばラッセンは見ますか?
・・・げんなりしてくる。
僕はラッセンを飾っている会社は信用しない、仕事したくないとすら思っているため
その僕が自分でラッセンを買うことなどありえない。金もらっても自分の部屋に飾りたくない。
「東京に住んでらっしゃるのなら、あれこれ足を運ばれてらっしゃるんでしょうね。
 どういうのがよかったですか?」と聞かれて、
例えばジョージア・オキーフとか答えようものなら話が長くなりそうなので
というかさらに長い話をまくし立てられそうなので、
「ピカソとかですかねえ」みたいなことを答える。
この機会にリトグラフを作成する機器の体験がどうのこうのと引っ張り込まれそうになったので
「すいません。電車の時間が近付いているんで。2時間に1本なんです」
みたいな適当なことを言ってほうほうの体で会場を後にする。
青森では1枚でも売れるのだろうか?
というか本当にあれはオリジナルなのだろうか?
疑い出したらキリがない。

駅ビル LOVINA の新星堂に入ったら、今青森で話題の「マニ★ラバ」のCDが売られていた。
yahoo ニュースで取り上げられていたのだが、
青森ではもう長いことベストセラーの1位なのだという。
30日には東京に進出する前の故郷出発ライブを行う。場所はなんとアスパム。
青森市内の工業高校出身。「あー、あそこか」と思う。
中学の同級生も何人かそこに進学した。

夕方になり、バスに乗って家に帰る。
1年1ヶ月ぶりの家。
洗面所には僕のコップが用意され、僕の歯ブラシがそこに立てかけられていた。


[1601] 青森帰省1日目@ 2005-04-28 (Thu)

昨日をもって1年半在籍していた例の困難なプロジェクトから離脱。
5月の頭からまた同じような大変なプロジェクトに加わることになる。
2日も6日も休めない。というか休んでいいのかどうかよくわからない。
(世間の人たちはこのどっちかを休むというのが多そうだ。
 威勢良く10連休にするのはちょっと控えて、
 とりあえず1日は出ますよみたいなある種の日本人的奥ゆかしさ)
僕の場合4月いっぱいは前のプロジェクトに所属していることになっているから
休みを取るならば4月のうちに。
そんなわけで4月の最終営業日、休みをもらって青森に帰ることにする。
日曜まで、4日間。正月に帰ってないからかなり久しぶり。
前帰ったのは去年の3月に法事で。しかも1泊しただけ。
1年と1ヶ月帰っていなかった。これは今までで1番長いことになる。

朝7時に起きて東京駅へ。
ボストンバッグには着替えや前日に買った手土産の菓子折りが入っている。
空いてるのではないかと中央線の先頭車両に乗る。
なんだかいつもより丁寧にブレーキをかけているように見えるのは兵庫の事故の影響か。
先頭に乗ったので運転席が見える。
レールの上を車両が滑るようにゆっくりと走っていく。
快速電車とはいえ、そんなにスピードが出ているようには見えない。
これが遅れを取り戻すため急ぐと時速100キロを超えて走るようになり、
カーブに差し掛かったところで転覆するのか。
今この瞬間事故が起きてマンションに突っ込んだら僕は確実に死ぬ。

崎陽軒のシウマイが売られていたのでお土産に買う。
高い方。その日のうちに食べなきゃいけない。
4月の頭に大阪へ出張で行った際、行きの新幹線の中でシウマイ弁当の話と
お土産用のシウマイは買ったその場で食べられるものなのか、
やはり温めなくてはならないのかという話をしてた。
それ以来ずっと崎陽軒のことが気になっていた。

東京駅の東北新幹線のホームにはお年寄の団体が多かった。
盛岡辺りは今が桜の盛りだからなー。
なお、4月28日今日の時点で青森(弘前公園)はまだ三分咲きだそうだ。例年より遅い。

新幹線「はやて」が八戸に向けて走り出す。
駅弁を食べながら缶ビールを飲む。
岩波文庫の「20世紀アメリカ短篇選」の上巻を読む。至福の時間。
上巻は戦前の作品を年代順に集めている。
オー・ヘンリーに始まり、イーディス・ウォートン、セオドア・ドライサー、ジャック・ロンドンといった
まだ19世紀リアリズムの影響が色濃い作品群が前半にあって、後半は
ジョン・ドス・パソス、F・スコット・フィツジェラルド、ウィリアム・フォークナー、
アーネスト・ヘミングウェイ、ジョン・スタインベック、アースキン・コールドウェルとビッグネームが続く。
アメリカ文学好きには堪らない、こたえられない珠玉のセレクション。
フォークナーは相変わらずとんでもないし(「響きと怒り」に繋がる、「ある裁判」が収められている)、
フィツジェラルドは上品で軽快でひねりがきいていて、
ヘミングウェイには「さすがだ」と唸らざるをえない。
でもこの中で1番面白かったのは
「タバコ・ロード」で有名なコールドウェルの「スウェーデン人だらけの土地」
1年半前、例のプロジェクトに移る前に青森に帰ってきたとき、
八戸のヴィレッジ・ヴァンガードで見つけ、そのうち読もうと思って買った。
だけど余りにも素晴らしい書物であることは分かっていたから、
会社の行き帰りに居眠りしながら安易に暇つぶしとして読むわけにはいかなかった。
ずっと「寝かせて」いた。読むべき日が来るのを待っていた。
仕事のことを忘れることができて、文学そのものに没頭できる幸福な時間。
そしてそれが今日だというわけだ。実に1年半かかった。
無我夢中でページをめくった。200ページ読んでいたらいつのまにか八戸に着いていた。

仙台を過ぎた辺りからお年寄たちはソワソワしだし、
「向こうに桜が見えた」と誰かが指差すとみんないっせいにそっちを向く。

盛岡の山々にはまだ雪が残っていた。

お年寄以外に今回の移動で目に付いたのは、1歳になるかどうかの小さな子供を抱えた母親たち。
たまたまなのか僕の乗った車両には3組のそういう母親が乗っていた。
1歳になるかならないかという時期の子供を抱えた母親にとって
ゴールデンウィークは実家に帰るとてもいいタイミングということか。
近くの席のお年寄たちは飽きることなくそういう子供たちに話し掛け、あやしていた。

ワゴンの車内販売が通りかかったので缶ビールを買ったら
アサヒのスーパードライの缶に楽天イーグルスのロゴがプリントされていた。

八戸で乗り換える。青森まで直通の特急。三沢や浅虫温泉では止まらない。
なのでなんだか早く着いたように感じられた。
8時28分東京発、11時31分八戸着。11時38分八戸発、12時32分青森着。
4時間で青森に着く。昔は半日がかりだったのがだいぶ近くなった。
三沢や野辺地の辺りでは4月も終わりだというのにところどころ雪の残っている場所もあった。
乗っていると会社の携帯に電話がかかってきて、トラブルが発生したとの連絡。
僕がいなくてもなんとかなったようでよかった。
それまでの担当者がプロジェクトを抜けた途端トラブルが発生するとはなんだかマーフィーの法則的だ。


[1600] 本を出します その13 2005-04-27 (Wed)

日曜の朝、宅急便で大き目のダンボール箱が2つも届く。
なんだろうと思って見てみると出版社からで、中には出来上がった本が50冊入っていた。
「もうできたのか、早いなー」と思う。発売予定日の1ヶ月前。
まあこれぐらいにはできてないとうまく流通できんのだろうな。

試しに1冊取り出してパラパラとめくってみる。
ちゃんと本になっている。
「ほー」と思う。
1冊だけサンプルで届いたのならここでかなり感慨深い思いに囚われるんだけど、
50冊も届いちゃうと感慨は薄まる。
「こんなにあってどうしよう」という気持ちの方が強くなる。
正直こんなにいらない。身の回りの人に配る用の50冊ということなのだが、
配る相手は今のところ50人もいない。
というか本当に身の回りの人みんなに配ったら誰も買わなくなる。。。
そんなわけでダンボール箱の中に何十冊も同じ本が積み重なっているのを見ると
不良在庫のように見えてしまう。悲しいことに。返本の山とか。

---
パラパラとめくってて、「あっ」と致命的な失敗に気付く。
この本に本来あるべきなのに足りないもの。
・・・それは、モロッコの地図。
モロッコのあちこちを見て回っているのにその地理関係がわからないと
読んでる人にとってはイメージが湧きにくい。
しまった。親切じゃない。

既成の地図だと使用料が発生するとか権利がどうのこうのということなら
僕がWORDやVISIOでちゃちゃっと作成するのでもよかったんだよな。
主な都市やサハラ砂漠のだいたいの位置がわかって、
モロッコがアフリカの北西の端にあることがイメージできるものがあればそれでよかった。

ああ残念だ。

---
写真は鮮明に映っている。
各ページ見てみて文章だけだとピンと来ないが、
写真がレイアウトされていると「おー」と思う。本っぽい。

誤字脱字を見つけると怖いから自分では読みたくない。読み返したくない。
1つ見つけるたびにかなり落ち込むんだろうな。。。


[1599] JR福知山線脱線事故/ハインリッヒの法則 2005-04-26 (Tue)

JR福知山線の脱線事故。
僕が思ったのは70名を超える亡くなられた方々やその家族の方々のことではなくて、
この事故を引き起こした運転手のことだった。

直前の駅で車両の先頭がはみ出してしまい、
後退してホームのあるべき位置に戻すのに1分以上かかった。
JR西日本では列車の遅延に対して厳しく、減給といった処分に該当するのだという。
(ニュースで初めて知ったのだが、JR東日本ではこういう規定は特にないのだそうだ)

小さなミスを犯す。
 → リカバリしようとして無茶なことをする。(自分だけの判断で、こっそりと)
 → 取り返しのつかないことを引き起こしてしまう。

身につまされる。
同情する、とまではさすがに今回の件、言うわけにはいかない。
あくまで、身につまされる。

上で挙げたようなフローはもっと小さなレベルなら、
僕らの日常生活にいくらでも転がっている。
システム開発・運用という職業に携わっているならそういう機会はいくらでもある。
実際僕も今回のプロジェクトではそういう危機が何度でもあった。
1月の最も忙しい時期、徹夜が続いたりで最も無茶苦茶だった頃、
自分のやった作業がミスして、というのが何回かあった。
なんとかこっそり隠し通せないかと祈るような気持ちとなることもあったし、
実際にそれとなく取り繕ったこともあった。
誰にも気付かれないまま過ぎ去っていったものもあれば、
割と大きめな障害となったものもある。

つくづく思った。
こんなとき自分1人で解決しようとしてはならない。
何も常に公明正大であれ、と言いたいのではない。
僕だって人間なのだから隠し通せるなら隠し通したい。シラを切りたい。
だけどそれが取り返しのつかないことになったときの怖さ、
取り返しのつかないことになったことを知ったその瞬間の
奈落の底に突き落とされるような絶望的な気持ち、
これを味わうことの方がもっと嫌だ。

その小さな過ちが周りの人に露呈するのは単純に確率の問題なのかもしれない。
そしてその確率は意外に低い。
だからと言ってそこに賭けることはできない。
常日頃の行為として当たり前のように毎回賭けていくことは、
普通の神経を持った人ならば不可能なことなのではないか。

「ハインリッヒの法則」というものがある。
1件の重大な事故の陰には29件の軽目の事故があって、
さらにその陰には300件のひやっとするような出来事があり、
という例のあれだ。円錐やピラミッドの図と共に紹介される。
今回の列車事故がその頂点の1件に該当しますと簡単に割り切るわけにはいかないが、
(遺族の人たちの気持ちを考慮に入れず、あくまで抽象的に考えるならば)
だいたいのところそういうことなのだと思う。
僕はいつも300件の方にいて、時々29件の方に足を踏み入れていた。
1件の方に入らなかったのはただ単に確率やタイミングの問題だった。

---
大きなトラブルとなることは多々あるが、
社会問題としてニュースとして取り上げられることは多々あるが、
人が死ぬということはない。
そういうところだけはIT業界でよかったと思う。
首が飛んだり、破産する人はいるけれど。。。


[1598] 「デザート」に関するお伺い 2005-04-25 (Mon)

日曜の夕方、下の階の大家さんに5月分の家賃を払いに行く。
大家さんの玄関先を出たところで
自転車に乗ってふらっと現れたおばさんと目が合ってしまう。
そんで「ちょっとそこのあなた!!」という感じでがっちりキャッチされる。
この地区での20代から30代までをターゲットとした市場調査なのだという。
新宿だと西口のヨドバシカメラの辺り、
吉祥寺だと伊勢丹とレンガ館モールの間の通りでよくやってる。
おばさんが白い書類の入ったクリアファイルを持って待ちゆく人を呼び止めている。
僕もこれまで何回かアンケートに答えたことがある。
最初はなんか怪しい感じがしたものの慣れてしまうとなんてことない。
ただ純粋に市場調査のようである。終わったら図書券かJCBのギフト券をもらう。

おばさんはこの仕事のプロなのか有無を言わさずあれよあれよという間に
勢いよく自分のペースに巻き込み、僕を断りきれない状態に持っていく。
「ま、ええか」と僕は思う。自分の住んでる場所の近くで答えるって嫌なもんだし、
それを周囲の人に見られたりするのも嫌なもの。でももう仕方ない。
おばさんはイソイソと年季の入った頑丈そうなノートPCというか専用の端末の電源を入れて
その間質問の記載されたA4サイズの資料を確認している。
ノートPCにてとあるデザートに関するコマーシャルを再生するので
それを見て回答していってほしいとおばさんは言う。

デザート。
あんまり興味がない。もちろん出されたら食べる。喜んで食べる。
だけど自ら買って食べるようなことは少ない。
コンビニに弁当を買いに行った時、同じぐらいの熱意を持ってデザートを選ぶようはことはしない。
なのでまずはデザートと聞いて思い浮かぶメーカーをあげてくださいと言われても
グリコ、森永、明治ぐらいしか思い浮かばない。
具体的な製品名をと言われると皆無。
言われたら「ああ、それ」というのも多々あるはず。だけど自分からは思い出せない。
デザートにもいくつか種類がありますが、どれをどれだけの頻度で食べますか?と聞かれて
ケーキやプリンの類いは皆無、ヨーグルトはほぼ毎朝会社で食べている。朝食代わりとして。
そんなわけで今回の調査ではデザートの中でもヨーグルトが対象となった。

それにしても。ほんと興味がなくただ漫然と毎朝食べているので
お召し上がりになっている商品名は何ですかと聞かれても、ちっとも思い出せない。答えられない。
それぐらいデザートというものに対して関心が薄い。
毎日食べているというのに。不思議なものである。
(今日も会社に向かう途中のコンビニで買って食べたので銘柄がわかった。
 明治の「ブルガリアヨーグルト」のプレーンだ)

その後のアンケートではこの春出たとあるメーカーのとあるヨーグルトに関して
テレビコマーシャルの商品発売前のバージョンと発売後のバージョンとを見せられて
その印象を高級感があるか、知的か、先進性があるか、
などなど様々な観点から質問されてそれを5段階評価で答え、
その次に駅に貼るポスターについて同じような感じで進んでいった。
正直な話どれもあんまりいい広告とは思えず、
「この商品を買ってみたいか」という究極的な質問については
「5.の全くなしです」と答えてしまった。
おばさんは1日のノルマがあるのかとにかく早く終わらせたいようで、
「ハイ次」「ハイ次」とどんどん進んでいった。考える暇を与えない。
僕の回答はあくまでサンプルに過ぎず、
血の通った意見として必要としているのではなかった。

アンケートの回答はおばさんが自らPCに打ち込むかアンケート用紙に記入していったのだが、
最後に署名のようなものを求められた。名前と住所と電話番号。
この個人情報保護の時代にこんなの書きたくないなあと思うが、どうしても書いてくれという。
後でセールスに使うことはありませんからと。
最初にもらったリサーチ会社にて発行した回答依頼書にもそういうことが書かれている。
表札を見ただけで適当に自分で回答を捏造する調査員がいるため、
そういうことがなされていないことの証明として使うとのこと。
表札にて僕の名前は出ているし、住所は番地までは不要とのことだったので仕方なく書く。
電話番号も正直に。今思うと電話番号はでたらめを書いてもよかったよなあと思う。
こういう人間って騙されやすいのかな。用心する度合いが低いお人よしってことで。

先ほど挙げた「個人情報保護」だったりキャッチセールスに対して神経質になってたりで
こういう市場調査もやりにくくなってるんだろうな。昔と違ってかなり。
アンケートを取るだけとはいえ、大変な職業だ。


[1597] 一升瓶を空ける 2005-04-24 (Sun)

月曜に部の宴会があって、場所が社内だったこともあって
(通称「2パブ」2階の社食の左側半分が夜はパブとして営業されている。
珍しい形式だということでテレビ局が取材に来たこともある)
お開き後に余ってた一升瓶を5階の自席まで運んだ。
もちろん、酔った勢いで。大盛り上がりで「ウォー!!」とか叫びながら。
8割方入った「男山」
その日はそれを飲むことはせず、普通に居酒屋に行って2次会となった。

火曜・水曜・木曜と足元に隠し続ける。
誰か飲まないか?と誘っても「今日は早く帰る」「忙しい」とか言われて
いいですよと言ってくれた数少ない人たちとも
仕事が終わるタイミングが合わなかったりで結局飲めずじまい。
このまま席に置いててもな、と金曜の夜、家に持って帰ることにする。
(この週は月曜から木曜まで毎晩外で何かしら飲んでたのに、
金曜だけは予定がないというなんとも不思議な日々だった)

会社で飲むとしたら会議室でこっそりか竹芝桟橋で地べたに何か敷いて座るか。
つまみをコンビニで適当に買ってきて。お台場の夜景を見ながら。
花見シーズンだったら外で一升瓶を囲んでても自然な行為だったのになあ。

僕は普段あんまり日本酒は飲まない。
家で買って飲むことは全くない。
家で飲むなら専らビールかサワー。たまにジン、ラム、ウイスキー。
最近焼酎も買うようになったが、ワインと日本酒はないな。
なので部屋の床に栓の開いた一升瓶があるというのは初めてのことであって
なんだか微妙に違和感を感じる。存在感をそれとなく主張している。
「ふーむ」と思う。何が「ふーむ」なのかよくわからないが。

普段家で飲むことがないということはお猪口の類は部屋にないということになる。
先日、冬の寒い日に初めて自分で焼酎を買ったときはお湯割にしたので
慣れるとマグカップでもそれほど違和感がなくなったが、
日本酒でさすがにそういうことはできず。湯飲みを探す。
が、食器棚を奥の方まで探してみてもかなり大きなものしか見つからなかった。
そんなわけで僕は普段湯飲みでお茶を飲むということもしないことに思い至る。

金曜の夜にその大きな湯飲みで1杯飲んで寝る。全然減らない。
土曜の夜に5杯飲んでかなり減った。
あと2割ぐらい残っている。
「一晩で一人で一升瓶開けた」なんて剛の者の話を時々聞くが、僕には無理だなと思う。

ちなみにこういうものを作った。前にもよく作ってたが。
青森からするめが送られてきたので水で戻して、
トマト・たまねぎなどの入った野菜ディップと
燻製トマトのオリーブオイル漬けを買ってきて一緒に炒める。

僕はやっぱりビールがいい。
ドイツに旅行してひたすらビールとウインナー三昧の日々を過ごすのを夢見る。


[1596] 母親の作るカレー 2005-04-23 (Sat)

先週末、母親から宅急便でカレーが届く。
作ったばかりのをビニール袋に1食分ずつ詰めて
さらに何重ものパッキングをしてダンボール箱に入れて発送する。
今日みたいな土曜はそれを温め直して食べている。
「いつ食べるか分からないし」と冷凍室に入れてしまったから
ジャガイモやニンジンはなんだか似て似つかぬものになって味が落ちた。
でも仕方がない。
先週末、凍らせる前に食べたときはとてもおいしかった。
誰だってそう思っているはずだが、母親の作るカレーが世の中で一番おいしい。

その家ごとに、その人ごとに、自分なりの完成したカレーというものを持っている。
思えば母の作るカレーは僕の小さな頃から同じ味だったように思う。
具も変わらない。
その時によって豚肉が薄切りのときかモモ肉となっているかの違いぐらいしかない。
ルーはゴールデンカレーの中辛とバーモントカレーの甘口を半分づつ混ぜ合わせて使う。
試しにジャワカレーにしてみたことがあったが、すぐまたいつものに戻った。
じゃあ僕がカレーを作るときにはそういうふうにするかといえばそんなことはない。
再現させようという気持ちになったことはない。
いつかまた青森に帰ったときにあのカレーが食べられるという思いが頭の片隅にあるので、
僕は僕で自分なりのカレーを作ろうとする。
全然違うものができあがる。
ちなみに僕は必ずリンゴをすりおろして入れるか、
いいリンゴが見つからなかったときやただ単にめんどくさいときはリンゴジュースを入れる。
そういうちょっとしたこだわりって誰しもが持ってますよね。カレーについては特に。

ああ、僕は可能ならばいろんな家庭の、いろんな人の、いろんなカレーを食べてみたい。
百人百様。誰のを食べてみても「へぇー」と思うはず。
※我と思わん方がいらっしゃいましたらご一報ください。

友人・知人、身の回りの人がどういうカレーを作るか、想像してみると楽しいかもしれない。
こってりしたのが好きな人、あっさりとしたのを好む人。
スパイスにこだわる人。とにかく手間暇かけて煮込む人。
理想は小学校のときに食べた給食のカレーだという人。
自分では作らず、レトルトカレーなんだけど独自の食べ方を追及している人。

そういえば外で食べるカレーならば鶏肉や牛肉となるのに、
家で作って食べるカレーのときは断然豚肉がおいしく感じられるのはなぜなのだろう?

---
母親の作るカレーが一番うまいからといって、
母親の作る料理が全てうまいとは限らない。

大学進学のために上京。何気に東京でいろんなものを食べている。
そして夏や冬に帰省する。
その何回目かに気が付いてかなりショックだったのだが、
自分の母親は料理を作るのがそんなに好きではないし、作るのがそんな上手でもない。
僕はこのことを知ったとき、割と大袈裟に言えば、
世の中の見方が変わった、視界が広がったように思う。
その時僕は大人になった。というか僕の子ども時代が終わった。

高校時代までは手を変え品を変えあれこれ作っていたのが、
僕がいなくなり妹もいなくなりとなると献立がかなりシンプルなものとなり、
しかもメニューのサイクル化が極端に進んでいた。
働き出して帰省するのが年に2・3日ともなると
出てくるもの・作られるものはいつも一緒である。
帰って来た初日は牛や鰹の叩きが出てきたり、
東京では食べられないような新鮮な刺身が出てきたりして
「おー」と思って食べているのだが、
よくよく考えると僕の母親は何も作ってない。味噌汁ぐらいしか作ってない。

それでも必ずカレーだけは作ってくれて
僕は「これだよこれ!」と思って食べている。

---
カレーさえうまければ僕はその人と結婚すると思う。

逆に、容姿端麗で仕事ができて周りの人の受けもよく、
いろんな部分で魅力があってあれこれポイントも高いのに
カレーだけはヘタだ、あるいはカレーなんて作る気もしない。
そんな人だったらノーサンキューだと思う。

もう1回書きます。
僕にカレーを食べさせたいという人がいましたらご連絡ください。


[1595] 守るとか守らないとか 2005-04-22 (Fri)

以下は先日、暇な午後に世代の近い後輩の女の子(既婚)と交わしたメッセンジャー。

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これまた話は変わるのですが、
友達が7年付き合った彼から「女として守ってあげたいと思わなくなった。
でも人としては好き。
結婚はどうなるかわからない」と言われたんだって。

結婚てなんでしょね???
やっぱり「守ってあげたい」とか「支えてあげたい」とかっていう、
勢いがなくちゃだめなんでしょうかねぇ。。。

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「守りたい」とか「守られたい」とか
普通の人はどれだけ思っているものなのだろう?
俺はゼロなんだけど、それがモロモロよくないのかな。

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私も守ってもらおうなんて気さらさらないけどなぁ。。。
まぁ、男性のほうが力が強いっていう意味で、
重いものを何気なく持っていってくれる人のほうが良いとは思うけど…

守るって…何を???と思ってしまいます。
生活は、自分で働いて守ります。自分の身も自分で守ります。
何を守るんだ???

---------------------------------------------------------------
でも歌の中ではよく、「君を守りたい」って言うじゃないですか。
多くの女性はそれを聞いて「いいなあ」と思ってると。

「支える」というか「支えあう」というのだったらなんかわかる。

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「守る」なんて、男のエゴですよ。

けっ。。。
と思いますがね。。。

まぁ、どちらかと言えば、ワタクシカワイゲノナイオンナなので、
極めて参考にはならないと思いますが。。。

---------------------------------------------------------------
結局「守る」という行為「守ってる」というステータスに
酔ってるだけなのだろうか。

---------------------------------------------------------------
ステータスと言うか、
「守ってる」気になっている。。。
だけなのでしょう。。。

何を守りたいのかわかんないもん。
「彼女の全てを…」
なーんて言った日にゃ、笑い転げてやる。。。

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○○さんに聞いたら
「え!?守られたいじゃないですか!!」
って真顔できょとんとされそうだ。

---------------------------------------------------------------
案外、冷静に笑ったりして。。。
聞いてみましょう!

(中略)

あ、「あなたの笑顔を守ります」といわれたらドッキリしちゃうかも。。。

---------------------------------------------------------------
どっちかだったら、俺も守られたい。

---------------------------------------------------------------
そらそうだ。。。

---------------------------------------------------------------
俺って泣き言ばっかり言ってそうだ。

---------------------------------------------------------------
それを、笑い飛ばす人が良いんでしょうか?
それとも、一緒に困ったねぇ。。。
って言ってもらうのがいいのでしょうか?
一概には言えないけれど。。。

---------------------------------------------------------------
笑い飛ばす人がいいねえ。

---------------------------------------------------------------
^^
相当男前な、女性を探さなくてはですね。。。

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だから見つからなくて
困ってるんだよね。昔から。

---------------------------------------------------------------
男の人って、おだてるとするする木に登る人が多いじゃないですか。。。
で、それがどこかって、たいてい、男性は単純だからわかるんですよ。。。

ですが、岡村さんの木に登るつぼがどこかとても分かりにくい。
もしくは、登ってることにこちらが気づかない。。。

岡村さんのこと好きになった人がいて、
その子が一生懸命岡村さんの気をひこうといろんなツボを押すのだけど、
押せてない気がして、切なくなって終わってしまうことも多いのでは???

---------------------------------------------------------------
確かに木に上ったりしないな。
「文章うまいですね。面白いです」とか言われたりするとそりゃ嬉しい。
でも木に上ったりはしない。
「こういうときこそ謙虚にならなきゃ」と身構えしてしまう。

そういう意味ではつぼがないんだよね。

あるいは一生懸命つぼをおしてるんだけど
俺がものすごく鈍感か。

---------------------------------------------------------------
^^
謙虚なんですよ。。。
少し木に登って、すぐ降りてきちゃうから、
登ったのかどうか分からないんだと思います。。。

女性的と言ったら失礼かもしれないですけれど、そんなかんじかも、。。

---------------------------------------------------------------
女性的な気はしないけどねえ。
母親と妹の3人家族だったから知らず知らずのうちに
そういうところ気にしてんのかもな。

---------------------------------------------------------------
どうでしょね?

うちなんて、オンナ3人、オトコ1人。
だけど、私はかなりオトコっぽい。
必ずオトコ兄弟がいると思われますが、いません。。。

母曰く、「私が男っぽいうえ、お父さんが男っぽくないからだ」
と言います。。。

---------------------------------------------------------------
なるほど。
共同体の中においてはそれぞれ役割のバランスが取られるわけだな。

このやりとりをしていてわかったのだが、
「おねえさんのいる店」を僕が好まないのは
おだてられることに魅力を感じないからだ。

---------------------------------------------------------------
なるほど!
そういうことね☆

でも、そうなら、××さんとか好きそうだけどなぁ。。。
おだてられて、木に登ってる振りをしているだけなのかな???

---------------------------------------------------------------
いや、××さん割と好きなんじゃないの?
どこそこの店の誰それを気に入ってて
みたいな話をだいぶ前聞いたぞ。

---------------------------------------------------------------
私にはそんなに好きじゃないと・・・
私から点数稼いでどうするんだ??

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将を射んと欲すれば、まずは馬から。

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将はだれだ???


[1594] 映画部初会合 2005-04-21 (Thu)

昨晩、映画部の初会合を行った。
直前に慌ててアジェンダを作成し、特に話すことも考えずに開始。
新入社員たちも来てるのにその場の思いつきで話す。
とはいえ何を言うべきかだいたいのところは決まってるものだし、
でたらめなことを話したつもりはない。
でもさすがに「淀みなく」って感じではなかったな。
不慣れなものでかなりぎこちない。久々に緊張した。
一応アジェンダに則って話を進めていってみんなに意見を求めたりするのだが
なんだか高校のときのクラス会のようだった。
これから何回か積み重ねていけばもっとスムーズになるだろう。
と、期待する。

その後飲みに行く。
大門のところにある沖縄料理屋に行きたかったのであるが、
雨風強くなりそうだったので隣のビルの蕎麦屋系居酒屋に入る。
新入社員たちと話すのは楽しいもんだ。
会社ずれしていない、若々しい、まだ学生的ノリを色濃く残した雰囲気。

映画作らないとなあ。

タイトルだけは思い浮かぶんだけど「これだ!」という内容にまで発展しない。
最近ツラツラと考えてるのはビデオレターもの。
失踪した友人が残したビデオレターを見つけ、
その中で語られていた人に届けに行くというロードムービー。
あるいは、フィクションじゃなくて、
身の回りのいろんな人のビデオレターを撮って繋げる形式の作品。
どちらかだけだと物足りなくてこの2者を結び付けられると
虚構と現実の結びつきがどうのこうのって感じで
なんかいいものができそうな気がするのだが、
そこから先なかなかいいアイデアが出てこない。

---
「29」はPFFで1次選考すらひっかからなかったので今、非常にへこんでいる。
そもそもああいう作品は評価されないのか。
それとも作品としてまだ完成度が低いのか。
他人の心に訴えかけるものがないということなんだろうな。

【業務連絡】
会社での上映会を5月後半のどこかの水曜か金曜に開催します。
会議室を借りれたら会議室で、「やっぱだめ」ということになったらどこかの貸会議室で。
ようやくお披露目です。
だけどものすごく暗いです。


[1593] お台場で観覧車 2005-04-20 (Wed)

昨日の夕方、ふと、麻婆豆腐が食べたくなる。
お台場デックスの中の「台場小香港」に麻婆豆腐の専門店があることを思い出す。
以前行った時は微妙に混んでて入れなかったんだよな。
仕事を定時に終えると後輩たちを引き連れてゆりかもめに乗ってお台場へと向かう。

平日の台場小香港はやばいぐらいに客が少ない。
実際のところどうなのか、店が入れ替わったのかどうか、詳しいことはわからないが
バイキングだの回転飲茶だのチェーン店の定食屋っぽいのだのばかりで
本格的な店はなくなってしまったような気がする。元からこうだったのか。
麻婆豆腐の店もガラガラで店員が暇そうにしていた。
外の券売機で食券を買う。麻婆豆腐、ライス、スープ、ザーサイのセット。
杏仁豆腐や豆乳が追加されたセットもあった。
前に来て諦めたときは激辛と普通が選べたように思うが、今は選べなくなっているようだ。
カウンターの席に6人並んで座る。僕はビールを頼んでザーサイをつまみに1人チビチビと飲む。
やがて麻婆豆腐が運ばれてくる。ご飯にかけて食べる。結構辛い。
ぶつ切りのネギが入っているのが印象的。
まあそこそこいけてるのだが、麻婆豆腐の専門店なら
木場のイトーヨーカドーの隣の「深川ギャザリア」の中にある
陳健一麻婆豆腐店の方が断然うまい。ここよりも安いし、辛さも3種類選べる。
ここの近くで仕事をしていた時は週に1度必ず食べていた。
Aが大辛でBが中辛、Cが甘口(辛さゼロ)。
AとBの中間で、とか、Cにトッピングで辛いラー油だけ別出しで、とか
凝ったオーダーもするようになった。
こってり系なんだけど、辛さそのものは深みがあって爽快なもの。
さすが料理の鉄人が専門店として出店するだけはある。
比較するとデックスの店はなんというか
1種類の唐辛子をたくさん使うことで出てくる一枚岩的な辛さだった。
そもそもザーサイ1つとっても陳健一の方がツヤツヤした食感があっていい。

その後、下の階でアイスクリームを食べる。
3人先に帰って、残りの3人で砂浜まで下りていく。
お台場から対岸の東京の夜景を見る。
あちこちで瞬いてにぎやかなはずなのに川を間に挟むとなんだかひっそりとしたものに感じられる。
その川の上に屋形舟がポツリポツリと浮かんでいてほんのりとした淡い光を放っている。
昼は暖かかったのに夜になるとぐっと冷え込んで寒いぐらい。
カップルたちの姿も少ない。

1時間前に駅に降り立った時、「観覧車だ!」と後輩の1人が言っていた。
それを思い出した僕は「乗ってみる?」と後輩の女の子2人を誘う。
パレットタウンの方へと一本道の通路を歩いていく。
お台場と言って思い出すのはレインボーブリッジとフジテレビの社屋と観覧車。
青やピンクに染まった艶やかな姿が会社から毎晩見えるのにこれまで乗ったことがなかった。
トヨタのショーケースを通り抜けて観覧車の真下へ。
すぐ目の前にして見てみるとものすごく大きい。
地上から115mで1回転16分。
世界最大の観覧車ということでギネスブックにも載っているという。
料金は1人900円。4人以上だと6人まで3000円。
通常のゴンドラ型とシースルー型とを選べることになっていて、
シースルーは数が少ないからか30分待ち。ゴンドラの方にする。
乗る前に記念撮影がある。ただでもらえるのかと思ったら帰りに500円で販売していた。
枠の中に他の組の写真が並んでいるのが、僕ら以外みなカップル。
そうだよなあ。観覧車って普通カップルが乗るもんだよなあ。
ただ単に景色を見たいがために乗ったりはしない。
乗り込むとアナウンスで「今日は何度2人きりになりましたか?」問い掛けられ、
その後ずっと恋する若い男女のデートの模様をモチーフにしたアナウンスが
「わーきれい」とか言いながら続いた。僕ら3人は恥ずかしそうに笑うしかない。

先ほど砂浜で見たのと同じように、東京タワー方面の夜景を眺める。
眺める対象は同じものなのに
高さが加わったり、観覧車でゆっくり回ってるという状況があったりすると風景が全然違うものになる。
眼下にお台場を見下ろす。
恋人たちが群集い、楽しそうに時間を過ごすお台場。
その遥か向こうに東京。どこまでも遥か彼方まで東京。
観覧車はゆっくりゆっくりとその頂点を目指して進み続ける。

頂点に達した頃、後輩たちはキャーキャー騒ぎ始める。
「た、た、た、立ってみていいですか?」
立ったら立ったで「手、離してみていいですか?」
パッと手を離して「うわー」「うおー」
生まれて初めて観覧車に乗ったかのような大はしゃぎ。
素朴に「女の子っていいなあ」と思う。
シースルーだと座ってる真下まで見えるはずであって。さらに絶叫だな。

16分はあっという間に終わる。
その後なんとはなしに併設の東京レジャーランドのお化け屋敷に入る。
女の子たちはついさっきとはまた別の次元でキャーキャー叫びまくる。
「帰りたーい」「もう出ます〜」半分泣きが入っている。
無人で仕掛けが動くだけの単純なものなので僕自身は全然怖くない。
上から何か落ちてきたときにタイミングが合ってたりするとギョッとするぐらい。
もう何年も前に富士急ハイランドで
思わず腰が抜けそうになった体験をしたのと比べたら全然たいしたことない。

お台場の駅に向かう途中で見つけたカフェのような店に入って軽く飲んで帰る。

4月に入ってからプロジェクトが一山超えて毎晩のように飲んでいる。
先々週はほんと月曜から金曜まで飲んでいた。
先週は水曜と金曜だけだったが、今週は月曜から飛ばして結局火曜も飲んでしまった。
はっきり言ってお金が続かない。
1月の死ぬほど働いて死ぬほど稼いだ時の残業代を掘り崩して飲んでいる。
でも楽しいときってなかなか続かないからなあ。
そのときが来たら惜しまず楽しまなくてはならない。
このまま飲み続けてゴールデンウィークに突入か。
とりあえず食い過ぎで太った。かなり太った。


[1592] つらつらと 2005-04-19 (Tue)

昼休み、会社の外に出て竹芝桟橋から海を眺めた。
空は晴れていて温かく、気持ちよかった。
広場ではどこかの会社の社員たちがサッカーをしていた。
レストランクルーズの船がちょうど出るところで、
にぎやかな音楽と共に埠頭から少しずつ離れていった。
僕のようにブラブラとなんとはなしに過ごしている人たちがちらほらといた。
新入社員の頃のことを思い出した。
やさぐれて、友達を作ろうとしない僕は1人で店に入って昼食を食べて、
食べ終わると研修会場の近くの公園のベンチで小説を読んで過ごした。

船を眺めた。
フェリー。タグボート。タンカーのような大きな船。
遠洋漁業の漁師はさすがに大変だが、
なんかそれ以外で航海を専門とする職業について小さな頃からずっと憧れている。
タンカーの航海士であるとか、海洋の調査・研究のための船であるとか。
孤独と向き合う性質の職業というイメージがあるからだろうか。
実際のところはよくわからない。
どれだけ精神的・肉体的にきついのか。素人には窺い知れないものなのだろう。
見渡す限り単調な海面が続く。
僕はシンと静まり返った(実際にはどれだけ物音がしてようと)通路を歩いて
とある部屋に入って計器の値をチェックする。
また別の部屋に入って計器の値をチェックする。
食事をとる。同僚たちと雑談をする。眠る。
目が覚めたとき、窓の外には昨日と全く同じ光景が広がっている。
僕は制服に着替え、計器のチェックを開始する。

---
世の中には船に乗るのが仕事の人たちがいる。
飛行機に乗るのが仕事の人たちがいる。
宇宙船に乗るのが仕事の人たちがいる。
新幹線に乗るのが仕事の人たちがいる。
人力車に乗るのが仕事の人たちがいる。
カヤックに乗るのが仕事の人たちがいる。
もちろん、自転車や自動車に乗るのが仕事の人たちがいる。
A地点からB地点までその運送手段を移動させること、
そしてそこに生まれる付加価値を提供すること。

その仕事の危険さ。死と向かい合う度合い。スピード。
その運送手段の歴史、誕生と発達の歴史。
習熟に当たって必要とされる期間。得られる資格。

今目の前をゆっくりと通り過ぎていく船を操縦するには
いったいどれだけの訓練を必要とするか。

---
学生時代に訓練なり指導を受けたりで国家資格をとって
それでその後暮らしていくというのに憧れる。今さらながら。
そういうのってもちろん今からでも始められるんだけど、取りたい資格はなし。
学生時代なのか、それとも高校のときなのか、
そういう選択をした人を純粋にすごい・偉いと思ってしまう。

---
来週末、久し振りに青森に帰ろうとかと考え、新幹線の切符を取る。
が、休みはまだ申請していない。まあいいか。
行き帰りの新幹線の中で何を読むかが目下のところ一番の関心事。
・「ブラックジャック」をひたすら読む
・最近書き始めた小説を書き進める
・妹に運転してもらって弘前城の桜を見る
・可能なら温泉にも行きたい
などなど。
来週末帰ったとして、さらにその次はいったいいつになることか。

---
最近また「じみへん」にはまって昔のを読み直している。
でも最新刊はあんまり面白くなかった。盛りを過ぎてしまったか。


[1591] 実験動物としての人類の末裔 2005-04-18 (Mon)

例えば、こういうことを考える。

純粋に地球上の生物として進化を遂げたのは男性(女性)だけで、
女性(男性)という存在は実は宇宙人によって与えられたものなのではないか。

地球上に生命が生まれる。単細胞生物のごく原始的なもの。
どこからかやってきた宇宙人たちが観察を始める。
それが今でも続いている。何十億年も。
時々彼等は手を加える。
単性生殖だった生き物については「相手」を与えて有性生殖にする。
そうすることでさらに進化させる。
無理やり雄/雌を区分しているようなものなので
どちらかは地球上で生き残るにはもろい生き物となる。
なので宇宙人たちはその片側については
自分たちで操作した遺伝子を持たせることで強化させる。

そんなわけで、話をはしょるが、男女間は分かり合えない。分かち合えない。
同性に対して持つような連帯意識を異性に対しては持ちえない。基本、生物学的に。
両者の間で精神的な結びつきを見出すことも理論的には可能であるが、結局のところわかりあえない。
そしてそれゆえに両者は惹かれあう。
自分がもって生まれた、その社会の中ではぐくまれた行動原理では解せないぐらい
不可解な存在であるがゆえに、惹きつけられる。
時として理性というものをかなぐり捨ててでも求める。求め合う。

・・・ということも実は宇宙人たちは計算に入れていたとしたら。
男女ものすごくぴったり合いすぎているならば肉体的・精神的な反応の起伏は皆無となり、
例えば生殖という行為は非常に味気ないものとなる。
周期的にその時期が来たので始まって終わりましたというような。5分もかかりません、というような。
「そこに至るまでの長いプロセス」と
「その行為における様々なヴァリエーション(雑多なイマジネーションに基づく)」と
「それが終わった後のアフターフォロー」と、
単純に始まって終わることを良しとしない何か気まずいものを人は宿命的に抱えていて、
僕らはいつのまにかそいつを、その摩擦全般を、「文化」と呼ぶようになっている。
セックスという行為は一方では儀式・祭礼と結びつくことで高尚な行為へと昇華を遂げ、
一方ではみもふたもないゴシップとして流布される。
そういうことの全てが宇宙人たちのプログラム/プロジェクトに基づいたものだとしたら。

宇宙人の大学生が宇宙船に乗って地球を訪問し、
夏休みのレポートの一環として無作為抽出した個体をサンプルとして実験を始める。
「えーい、こいつとこいつをくっつけてしまえ」と
手にした銃のようなものからピンク色のビームが発射され、
撃たれた男女が何の理由もなく突然恋に落ちる。
そしてそれを昔から人は「運命の赤い糸がつながっている」と呼んできた。
その姿を垣間見ることのできた人たちが彼等のことを「キューピット」と呼ぶようになっていた。
もしもそういうものだったとしたら。

・・・そんなわけで僕は恋なんてしない。
だってそれは宇宙人たちに屈することになるから。


[1590] 浅草→浜離宮→汐留(早慶レガッタ戦、水上バス) 2005-04-17 (Sun)

S嬢が関西からやってくるというので午後半日東京を案内する。
別に東京初めてでもないし、最初はただ単に会って食事でもという感じだったのが
いつのまにか「案内」になっていた。
こんなプランを考える。
浅草で昼食 → 水上バスに乗る → 浜離宮 → 汐留
天気もよくて温かく、桜も咲いてるだろうし、眺めはいいだろうと。

浅草で行った店は「大黒屋」天ぷらで有名な店。
待ち合わせの時刻少し前に来て下見してみたら行列ができていた。
そもそもこの陽気のせいか浅草は人でいっぱい。
仲見世通りは場所によってはギュウギュウとなっていた。
別館の方に入ってみる。
番号札をもらってしばらく入口で待つ。
2階に通されて板わさを食しつつビールを飲む。
名物の天丼はカラメルにつけたのか!?ってなぐらいに真っ黒で
最初見たときは「これって本当にうまいのだろうか」とついつい疑ってしまう。
だけどこれが食べてみたらうまかった。非常にうまかった。
外見は非常に濃ゆいのに、ベタついてない。むしろさらさらしている。
タレが妙にしょっぱかったり甘かったりもしない。
天ぷらとご飯の間に染み渡って、引き立て役に徹する。
また来るぞ。次は大海老4本の天丼だ。

津軽三味線を道端で演奏している人を見かける。

水上バス乗り場は大混雑。
しかも早慶レガッタ戦が今からここ隅田川で行われるということでフェリーの運航もストップ。
1階待合室で行列を作ったままかなり待たされる。
でもその分思いがけず早慶レガッタ戦を見ることができてよかった。
浅草を歩いていたら早慶戦の分厚いパンフレットを手にした
20代後半から30代ぐらいの男性をちらほらと見かけた。
早稲田か慶応のOBなんだろうな。
もちろん誰もがガールフレンドなり奥さんを連れている。
1人寂しく見に来てるような感じの人はいなかった。。。

フェリー乗り場対岸のアサヒビールの本社ビル付近では
何台も太鼓が並んで祭囃子が聞こえ、
吾妻橋では欄干に大勢の人たちがもたれかかって今か今かと待ち構えている。
やがて一艘のボートが川下からグイグイと水面を突き進むのが視界に入ってきた。
8人乗り。人間が漕ぐボートとしてはかなり早い。
一糸乱れず力強く漕いでいる。
10秒以上遅れてもう一艘が吾妻橋の下をくぐった。
エンジ色のゼッケンだったので早稲田なのではないか。
さらに遅れて何台ものモーターボートが続く。
競技の審判員が乗ったのや、テレビ東京のカメラクルー。
あれって川下からひたすら漕ぎ続けてどこまで行くのだろう?
今調べてみたら両国橋をスタートして駒方橋、吾妻橋、言問橋と過ぎていって
桜橋と白髭橋の中間がゴールで全長3000メートル(!)。
僕らが居合わせた「対抗エイト」は最後のメインレースだった。
早慶レガッタ戦は今年で100周年なのだという。
朝9時スタートでカヌーエキジビジョンや教職員のレースなどいろんなレースがあって
「東大・一橋OB招待エイト」なんてのもあった。
知らんかった。一橋も絡んでいたとは。
これは僕がボートと無縁の学生時代を送っていたからか、
それとも学内外の行事にあんまり興味のないダラッとした学生だったからか。

対抗エイトが終わって、ようやくフェリーが到着する。乗船。
550人とされる定員のうち外国人観光客が半分ぐらい?
あと目に付いたのは、外国人の彼氏を連れた女の子たち。
「和装を好む会」とかいうような集まりで着物を着た大勢の女性たちが
フェリー乗り場の前で記念撮影をしていて、最後の方に乗り込んできた。
フェリーは川を下り、いくつもの橋をくぐっていく。
乗っている間ずっと各地の名所や橋の謂れが船内アナウンスされる。
中央大橋を過ぎた辺りで展望デッキに上がれるようになり、
キャビンから外に出る。風を切って気持ちいい。
残念なことに桜は全て散ってしまっていて見る影もない(先週見といてよかった)。
最初出たときからして既に満員だったのが
デッキに上がれるとなると大勢押し寄せてラッシュ時に列車のようになる。

浜離宮到着。
S嬢の帰りの飛行機の時間が近付いていたため、さっと通り抜けるだけ。
早慶戦で足止めをくらってなければ園内を一周するつもりだったんだけど。
まっすぐ出口に向かって途中ちょっと反れて菜の花畑の中を歩く。
目の前には汐留の高層ビル群。シュールといえばシュールな光景。
庭園内はのんびりしている人たちばかりで心地よさそうだった。

最後に汐留でお茶を飲んでお別れ。
慌しかったけど楽しんでもらえたらよかったです。


[1589] 大学の寮の友人、ケンの披露宴とその2次会に行く 2005-04-16 (Sat)

大学の寮の友人、ケンの披露宴とその2次会に行く。

会場は市ヶ谷。時間が来るまで2階の控え室にいたら
その場に居合わせた新婦側友人に当たる女性たち※が
ここでドリカムが雑誌に出たときのインタビューが行われたという話をしている。
確かに優雅でなんというかロココ調な雰囲気があった。

※学生時代、ホモと呼ばれていた新郎はもちろん男性の友人しか招待していない。

フラワーシャワーが行われますというので下に下りて庭に出る。
参列者は小道の両脇に立ち、新郎新婦が表れると白い花びらをかけて「おめでとう」と祝福する。
これまでいろいろな披露宴に出てきたが、これは初めて。
・・・こういうことをしたがるやつだっただろうか、奥さんの希望だろうか、なんて思う。

披露宴が始まる。
新郎の紹介の時に趣味は「クワガタの飼育」だとされる。
そんな話誰も聞いたことがない。場内爆笑となる。
「乾杯」の発声はまだ幼稚園児と思われる男の子によって「かんぱーい」と大きな声で。
いたってオーソドックスな場所でオーソドックスな披露宴をやるのかと思いきや
ところどころシュールに崩れている。こういう部分は新郎らしい。

新婦は音楽大学を出てその後働きつつも演劇の道を志していた人だけあって、
出席している友人たちもそういう関係の人たちばかり。
よってマリンバの演奏があったり、ピアノ演奏により女性コーラスがあったり、
(しかもどちらもこの日のために曲を作ってきた)
2次会ではフュージョン系のバンドの演奏やストリート系のダンスがあったり、
次々から次にいろいろな催し物があった。
新郎は新郎で学生時代よりずっと合唱をやってきた人なので
現役の男声合唱団の人たちが力強い歌声を披露し、
(わざわざ新郎の住む青森から来てくれて参加した人もいた)
2次会では学生時代のサークルの人たちが大勢集まって大学の校歌を歌った。
ここまで多芸多才な披露宴・2次会は初めてだった。
僕の場合機会があってもこうはならないだろうな。
映画サークルの友人たちが集まるだろうから同じく広い括りで芸術系ってことにはなるだろうけど
披露宴・2次会でリアルタイムに披露できるものは悲しいことに何もない。
持つべきは音楽系の友人である。

2次会は赤坂のイベントスペースを貸しきって120人入ったという。
学生時代は途中入寮ってこともあって地味な印象も若干もたれていたのに、
仲間内の中では最も派手で豪華な披露宴・2次会を開くことになるとは。。。
新郎は小さい頃からの夢でしたと「ヤングマン」を熱唱しながら入場。
最後は「風になりたい」を出席者みんなで合唱。

その他、披露宴でユニークだった出し物といえば
新郎の会社の友人たちによる「万歳三重奏」というもの。
その会社に代々伝わるという「伝統芸能」なのだそうな。
やることはいたって簡単。
10人ぐらい出てきて代わる代わる新郎のことを褒め称えて
最後に「万歳!」と付け加えてみんなで「万歳!!」と唱和。
「嬉しいときには必ず下半身を露出させていたクロちゃんに万歳!」「万歳!!」
「悲しいときには必ず下半身を露出させていたクロちゃんに万歳!」「万歳!!」
「いつでもどんなときでも下半身を露出させていたクロちゃんに万歳!」「万歳!!!」
というのや、
「僕がインフルエンザで3日間寝込んでいたときに消毒薬だといって
 焼酎をもってきたクロサワ君に万歳!」「万歳!!」
という感じでひたすら万歳。いい話系だと
「僕が今の奥さんと出会うきっかけを作ってくれたクロサワ君に万歳!」「万歳!!」
なんてのが出てきて、
最後は参列者一同起立して
「新郎・新婦をここまで育ってくださった両親に万歳!」「万歳!!」
「今日の新郎・新婦の幸せがいつまでも続くよう万歳!」「万歳!!!」
と締めくくる。
これ、簡単で準備もそんなに要らない割に
笑わせる人ほろっとさせる人それぞれカラーを出すことができて、とてもいい。
どこかで一回試してみたくなった。

---
寮の連中と会って話すことはと言えば、花粉症のことばかり。
「なんだよ、おまえもかよ」と同期4人いて4人とも花粉症だった。
そのうちの1人は以前「KW乳酸菌」入りのヨーグルトがいいと僕に薦めていて、
毎日必ず食べることで今年は花粉症の全く影響なしだと言う。
これは体質の問題なのか。自分の体にぴったり合う対処法を見つけた。
なんにせよシーズンの3ヶ月前から欠かさず食べなくてはならないのだそうだ。

---
ケンは3年前から仕事の都合で青森(三沢)に住んでいて、
あれはもう1年半前になるのか、僕が仕事で息詰まって青森に里帰りにしたときに
2人で下北半島を回って温泉宿に泊まった。
夜、岩魚の骨酒を飲みながら結婚しようかどうか悩んでいるという話をしていた。
下北半島の最果てに近い山奥の宿に泊まっていても、きちんと夜、電話していた。
もちろんその人と結婚したのであって、「ああ、よかったなあ」と思った。

まだ当分は青森だろうから、1度ぐらいは三沢におしかけないとな。


[1588] 金曜の夜、中央線の終電にてとりとめのないことを考える 2005-04-15 (Fri)

仕事が終わってから会社の人たちと新橋で焼肉を食べて、その後白木屋で飲んでいた。
終電だと思って先に帰る。
危機一髪、中央線の終電だった。武蔵小金井行き。空いている座席があったので座った。
酔っている。それでなくても眠い。
文庫でSFを読んでいて、水道橋の駅を通過したところまでは覚えていたが、その後記憶なし。
目が覚めたら中野。
ものすごく長い間眠っていたように思っていてもそんなに時間が経過していなかった。
不思議だなあと思う。こういうことってうまくは言えないが、「不思議だなあ」と思う。
中野から高円寺の駅に行くまでの短い間にまたしても眠ってしまい、
高円寺から阿佐ヶ谷に行くまでもやはり眠ってしまう。
その都度目を覚ます。
これはやばい、武蔵小金井で「終点ですよ」と起こされたら困ったことになると
がんばって起きていようとする。睡魔との闘い。
傍目にはぼけーっと座っているようでいてその人の中では壮絶な戦いが繰り広げられている。
案外そういう人が多いのかもしれない。
終電車に乗っているあの人、この人。
バイト帰りの学生や飲んで帰って来た会社員や、その他半数以上の何してるのかよくわからない人たち。
終電で間に合うようにそれまでいた場所を離れ、終電に乗ってまた別な場所へと向かう。
自分の家なのか、友達の家なのか、それとももっと別な何かなのか。
世の中には眠らない人間がいて、仕事もしてなくて、実は人間ですらなくて、
ただただ移動のための移動を続けている、刻一刻と移動し続ける、
宇宙から来たとか別な次元とか未来から来たとかで
今この2005年4月16日午前0時52分を「僕ら」の監視・観察のため過ごしている、
そんなのがこの終電に1人ぐらいは紛れ込んでいる。
というようなことを考える。阿佐ヶ谷から荻窪までの短い間の、さらにその一瞬の間に。
その宇宙人かなんかは着ていた服を脱ぎ捨てさらに肌色の皮膚を脱ぎ捨て、
緑色のゼリーみたいなものや、ピンク色のトカゲみたいなものとなる。
アパートの一室で。
僕の住んでいる部屋からそんなに遠くもない、隣の番地のアパートの一室で。
そしてそのことを誰も知らない。
家賃を払い、コンビニで食料を買って、テレビをつけて深夜の番組を見る。
煙草を吸って、缶ビールを飲んで、携帯でメールを送る。
実はそれは「携帯」ではなくて母なる星との通信機だ。
アンテナが4本立ってるとき、送受信が可能となる。
だけど地上では電波が弱くて、地磁気の影響で安定した場所がなくて、
彼か彼女かそいつかは常にアンテナが4本立つ場所を探していなくてはならない。
「大事な情報を転送しといたのに何で見てなかったんだ!」と後から怒られることもあるかもしれない。
そのたびに赤か黄色のそいつは「すいません」と謝る。
日本語か、地球上のその他の言葉か、あるいは自分たちの星の言葉で。

金曜の夜、中央線の終電にてとりとめのないことを考える。
一週間の仕事を終えて同僚たちと飲んで楽しい時間を過ごして、明日は土曜で休みだ。
それなのに僕は地球に潜入している宇宙人のことを考え、
その一方では荻窪を寝過ごして西荻窪や吉祥寺に行ってしまわないために
身動きの取れないまま苦労していた。
今この2005年4月16日午前0時52分は過ぎ去っていって
また新しい瞬間が生まれては消えていく。
たくさんの人々を乗せて中央線の終電が走り去る。
吐き出された僕はホームに降り立って階段を下りていく。


[1587] 「エターナル・サンシャイン」 2005-04-14 (Thu)

昨日に引き続き、映画部の第1回鑑賞会で見た「エターナル・サンシャイン」を。

これは多くの人が見るべき作品だと思う。
映画に詳しい人も、そうでない人も。独り者もカップルも。
あらゆる若者が今見ておくべき映画ではないか。

喧嘩別れした恋人(ケイト・ウィンストレット)に
自分の記憶を消去されてしまった主人公(ジム・キャリー)が
逆ギレしてじゃあ自分も消すかと記憶除去サービスの会社にて手術を受けるのであるが、
その手術の過程で2人にまつわる過去の記憶を遡っていったところ
古い記憶になればなるほど付き合い始めた頃のキラキラした思い出となるものであって
主人公は「消すのはやめてくれ!」と叫ぶようになり、記憶の中の恋人を連れまわって
自分の頭の中で逃走劇を繰り広げるという藤子・F・不二雄的SFラブストーリー。
その一方で記憶除去サービスの会社のしょうもない社員たちが繰り広げる
脱力系のエピソードが絡み合って、物語は予想外の展開を迎える。

まさに「予想外の展開」
今作でアカデミー賞の脚本賞を(ようやく)手にした天才チャーリー・カウフマンによる
奇想天外なお話は先が読めるようでいて「そう来るか!」と唸らされることばかり。
二転三転するんだけど90年代のハリウッドにあったような
これ見よがしなどんでん返しではなく、さらっとしていて必然性がある。
トリックじゃなくて、どちらかといえば魔法。
「マルコビッチの穴」を見たときにはあざとくてやりすぎな感じがしたんだけど、
「エターナル・サンシャイン」の完成度はとんでもなかった。

同じぐらい天才なのが監督のミシェル・ゴンドリーなんだろうな。
初監督作「ヒューマンネイチュア」もチャーリー・カウフマンの脚本であって
残念ながら僕はまだそっちの方は見ていない(ゴールデンウィークに是非とも借りて見なければ)。
なので監督としてどれぐらいの飛躍があったのかわからんのだけど
今作はビョークのビデオクリップで一躍有名となった奇抜な映像の集大成って感じで、
だけどそういうのの寄せ集めではなくて、
そこから一歩高いところに上って新しい地平に立ったかのような清々しさがあった。
「記憶を消されていく」過程を表現する鮮烈な映像を見ているだけでも十分に楽しい。
カラフルでポップ、ゴージャスでところどころローテク。
最近のハリウッドならCGで、お金はかけるがお手軽に済ませるところを
ちゃんと実写で撮ってるっぽいのが見てて嬉しい。
子供のときの記憶に逃げていくとキッチンに辿り着くのであるが、
ジム・キャリーの背丈よりも何もかもが大きい。
これって合成じゃなくてどうもわざわざそういうセットを作ったようだ。
ケイト・ウィンストレットと流しをお風呂にしてポチャポチャと漂う部分は
プログラムを読んだら実際にそういう巨大な流しを作ったと書いてあった。
2人が初めて出会った日に過ごした思い出の家が少しずつ消えていく場面では
実際に家を壊していた。

こういうのってローテクだといいってもんではなくて
本物のセンスと結びついてないとちっともうまくいかない。
ポスターにも使われていた
凍りついたような海辺に2人が家庭用のベッドで寝そべっている光景。
これってただ単にベッドを持ち込んで置いただけ。
でもこういうことってなかなかできない。
しかもそれをスタイリッシュに描くことはさらに難しい。

ニューヨークの街並みをサーカスの象がパレードをするシーンって
サーカスが来た時に居合わせてそのまんま撮っただけなんだろうけど
なんだか魔法がかかっているかのようだった。
こういう魔法を引き起こせる力を持ってると、監督として本物だ。

奇抜な脚本も妙にセンスのいい映像と結びつくことで良質な作品となり、
「新しい」という評価を得る。
今後こういう作品が増えていくんだろうな。いいことだと思う。
金をかける部分が変わってくる。
何よりも大事なのはアイデアということになる。

映像と脚本が主役の映画のようでいて
何気にきちっと役者の演技もいい。
ケイト・ウィンストレットもいいのだが、ジム・キャリーだよな。
この人うまいんだけどなあ。
うますぎて物真似に見えてしまうのが玉に傷。
どの映画を見ても器用貧乏という言葉を思い出す。
それに今回ブラッド・ピットばりの無精髭を生やしていてセクシーにすら見えるのに
「マスク」やその他の若い頃の顔芸がどうしてもちらついてしまう。
本格的な演技派への道のりはなぜかどうしても遠い。

「スパイダーマン」シリーズのキルスティン・ダンストや
「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズのイライジャ・ウッドも主要登場人物として出てくる。
だけどスター然とした無駄な輝きは一切無しに撮られている。
この辺りは最近話題の若手監督には共通して見られる要素。
いい役者を使う。だけど媚びない。あくまで自然に撮る。

以上、ダラダラと書いてきたけどこれはとてもいい映画です。
「サイドウェイ」「エターナル・サンシャイン」と
アメリカの秀逸な映画が続々と日本に入ってきて映画ファンとしては嬉しい限りです。

---
それにしても自分は冬の海フェチだということに気付かされた。
冬の海+ラブストーリーというだけでオールOKになってしまうのではないか。
冬の海+父と息子の物語というのも可。

「エターナル・サンシャイン」は冬の海の寒々しい風景が妙に美しい映画だった。


[1586] 「コーヒー&シガレッツ」 2005-04-13 (Wed)

日曜、会社に作った映画部の初めての公式行事として映画鑑賞会を開催する。
映画部も本来ならば映画をつくるのを目的としたクラブなのであるが、
映画をつくるってのはなかなかそう簡単には立ち上がらないものであって。
まあ今後の活動方針としては映画をキーワードに会社員生活を楽しく過ごせればいいのではないかと。
ゆるーくゆるーく転がっていければそれでよし。

見に行ったのはジム・ジャームッシュ監督の最新作「コーヒー&シガレッツ」と
最近話題の俊英フィリップ・カウフマンがアカデミー脚本賞を獲得した「エターナル・サンシャイン」
この2本。どちらも選択としては僕のカラーが強い。

土曜の夜は結局井の頭公園で3時ごろまでウダウダしていて睡眠時間は5時間ちょっと。
「ああ、これは寝てしまうんだろうなあ」と思っていたら
案の定どちらを見てるときにもウトウトと眠り込んでしまった。

---
「コーヒー&シガレッツ」は短編のオムニバス。
喫茶店やどっかの休憩室で1人か2人の客と、場合によってはウエイターが出てきて
不思議な密度の時間を過ごすというのがどの作品にも共通する枠組。
もちろん重要な小道具として出てくるのがコーヒーと煙草。
光と影というよりは白と黒を描いたモノクロの映像。
ほんとは自己主張が激しいはずなのに、どこか一歩引いたところから流れてくる音楽。
ジャームッシュ節は相変わらず。
好きな人はもうこれだけで十分うっとりとした時間を過ごせるだろう。

11本の短編のそれぞれの登場人物とその組み合わせがまたすごくて、例えば
□スパイク・リーの妹と弟であるジョイ・リーとサンキ・リーが客に扮して、
 スティーヴ・ブシェミがウェイター
□イギー・ポップとトム・ウェイツ
□ケイト・ブランシェットが一人二役
□The White Stripes のジャック・ホワイトとメグ・ホワイト
 (結局この2人は兄弟でもなんでもないんでしょ?)
□ウータン・クランの GZA と RAZ の客に対して、ビル・マーレーがウェイター
などなど。通好みではロベルト・ベニーニ、スティーヴ・クーガン(「24 Hour Party People」)、
アルフレッド・モリーナ(「スパイダーマン2」)といった名前にひっかかるか。
なんだか小粒に豪華。
僕なんかだとこういうキャスティングだけで非常に興味深く面白く見られるんだけど、
この手のことに疎い人が見たらこの面白さ半減するんだろうな。
「知らなくても見れる」というほどサービス精神溢れる作品ではない。
The White Stripes を知ってるからこそ、
テスラ・コイルの実験を大まじめに繰り広げてその失敗について語ることの
じわっと来る奇妙さが伝わってくる。
これをアメリカのその辺の男女と思って見ていたら今ひとつ盛り上げらない。
ただただおかしなことをしている人たちの風景で終わってしまう。

イギー・ポップとトム・ウェイツにしてもそう。
これがどこかの無名の人たちがやっていたらちっとも笑えないだろう。
あくまでイギー・ポップとトム・ウェイツという一見ありえない組み合わせだからこそ、
そして両者のキャラクターの持ち味があってこそ、成り立ってるものなのである。
じゃあ、この2人を捕まえてきてカメラの前のソファーに座らして
コーヒーと煙草を置いて即興で10分間喋らせたら
誰が撮っても面白くなるかと言ったら必ずしもそうはならない。
ジャームッシュが手がけたからこそ、作品として1つのまとまりを見せたのではないか。
こういうのは素人が撮ろうとしてなかなか撮れるものではない。

僕みたいに映画を撮ったことのある人が見ると
このコーヒーと煙草だけの地味な作品には学ぶところがたくさんある。
登場人物が2人だけで、最小限の小道具でどこまで間を持たせられるか。
しかも何の事件が起こることもなく、ただただダラダラ話しているだけ。
例えば構図をどうするか。
Aが話しているときには近付いてAだけを映して、Bが話しているときにはBだけを映して、
という1人ずつの構図にするか。それとも引いたところから2人を撮るか。
音楽はどのタイミングで途切れて、どのタイミングで再び鳴り始めるか。
立ち上がってその場を出て行く(画面から消える)という行為は
個別のシーンでどのような意味を持つか。
・・・まるで教科書のようだ。
「よくできてる」と思う。

見た目は薄味。
最初の方のは「うーん」と首を傾げたくなるような感じだったのが
後半に向かうに連れてしっくり来るようになる。
ケイト・ブランシェットのところから尻上がりに面白くなっていって、
最後から2つ目、ウータン・クランとビル・マーレーで
ボタンの掛け違った面白さはそのピークに達する。
そして最後の、ビル・ライスとテイラー・ミードの老優2人がゆったりと過ごす時間の中で
「コーヒーと煙草のある空間」はなにやら哲学的な終焉を迎える。
芳醇な余韻を残す。

でもまあ結局は
*ジム・ジャームッシュのファンで監督作を何本も見ている人
*登場人物の半数以上を知っていて、それだけで「見たい」と思った人
*映画製作を志したけど、アマチュアのままの人
これらの人が見るべきであって、
雑誌で「おしゃれな映画」だと紹介されていたということで
何も知らずにカップルで見に行ったらかなり肩透かし。

映画を見るという行為はいつだって大変難しいものである。


[1585] 屋形船に乗って夜桜見物B 2005-04-12 (Tue)

北千住の桟橋にて停泊。
屋根の上に上がれるというので行ってみる。
窓の向こうに桜を見ていたときはいまいちピンと来ていなかったが、
外に出て目の前に桜並木を目にしたときはさすがに「おー、いいねえ!」と思った。
升酒を飲みながら風にそよぐ桜の枝を眺める。
船の上からってのがものすごく気持ちがいい。
こっちも揺れていて、桜も揺れていて、シンクロすると桜に酔ってるような感じになる。
みんなで記念撮影をする。
辺りを見回すとあちこちに屋形船。
夏が書き入れ時かと思っていたのだが、このシーズンもまたお客を呼ぶチャンスなんだろうな。

船が引き返す。下に戻ると一大カラオケ大会。
団体対抗みたいなノリになって、自然と各グループが一曲ずつ持ち回りで歌う流れになる。
この頃になるともう酒がかなり回っていて、
カラオケも「みなさん一緒に歌いましょう!!」という雰囲気で手拍子や歓声も船全体で。
どこからともなく「マツケンサンバ」が始まると各グループから何人か前に出ていって
それぞれ思い思いの「マツケンサンバ」を踊る。
なんつうか「日本人っていいなあ」なんて思ってしまった。
その後グループの垣根はなくなり、酒を注いだり注がれたり。
(僕の田酒はどこかに持ってかれてしまった・・・)
後輩の1人は完全に向こうのテーブルに行ってしまって、上機嫌になって顔を売っていた。
最後は船のお兄さんに「歌え」コールが巻き起こり、サザンを歌わせた。
「歌わんと船から下りんぞ!!」ぐらいの無茶苦茶なムードが漂っていて、なんだか熱かった。
後日聞いたら、乗合船でカラオケで盛り上がったのは初めてのことだったそうだ。

船がお台場の桟橋に到着。下船。
屋形船、堪能しました。
次は夏、花火の季節に是非ともやりたいものだ。
今から予約してもいっぱいで間に合わないかなー。

---
その後新橋に出て2次会。カラオケ。
僕は例によってRCサクセションの「いい事ばかりはありゃしない」を歌う。
というか歌ったのはサビの部分だけで
残りの部分は今の心情と今回の一連の出来事の一部始終を切々とセリフにして語った。

---
終電近くになってさあ帰るかとなったところで携帯が鳴る。
映画サークルの先輩サイノウさんの携帯からで、出てみるとサイノウさんではなくて後輩だった。
酔っ払った口調で言うには
「昼からずっと井の頭公園で花見してんすけど、オカムラさん今から来てくださいよー」
日曜は会社に作った映画部の初のイベントである
映画鑑賞会が朝からあったのでさっさと寝てしまいたかった。
なので「用事があるから」って断ったら、そいつが言うには
「あのサイノウさんが結婚宣言したんですよ。一大事です。まじで今すぐ来てください」
確かにそりゃ一大事だなと思う。
一番弟子(?)としては何を差し置いても駆けつけなくてはならない。
井の頭公園での花見のことは前から聞いていて、でも屋形船があるから断っていた。
が、やっぱ顔を出した方がいいなあという気になる。
サイノウさんに「おめでとうございます」もとい
「俺を置いてどこ行っちゃうんですか!?」と問い詰めなくてはならない。

で、午前1時という時間に井の頭公園に到着する。
開口一番サイノウさんには「おまえそれ、ガセだぞ」の一言。・・・。言葉を失う。

井の頭公園はドロドロの状態。泥酔して酔いつぶれた若者たちや
何が何と混ざり合ってるのかちっとも判別つかないような食べ物が散乱しまくったビニールシート。
大勢の警官が赤く光る警棒を持ってどこかの花見客の集団を取り囲んでいた。
千鳥ヶ淵、隅田川と花見の一番きれいな部分をそれまで見てきたのに、
今度は最下層の部分を目にすることになる。
「夜は10時で終了です」と横断幕も掲げられているのに、思いっきり無視されている。

缶ビール2本ほど飲んで、最近ご無沙汰だった人たちとあれこれ話す。
これはこれで楽しかった。
ほんとはこの機会に朝まで飲んでたかったんだけどそうもいかないので
タクシーに乗って家に戻る。午前3時。
映画2本見なきゃいけないのに、睡眠時間は5時間。
案の定、見てる間は睡魔との戦いで結局途中で寝てしまった。。。

---
この一週間で僕の体重はどれぐらい増えたのだろう。


[1584] 屋形船に乗って夜桜見物A 2005-04-11 (Mon)

目の前には会席料理がずらりと並んでいる。
黙々と食べ続ける。外の桜も眼中になし。
(僕はこの日朝も昼も食べず、ひたすら腹を減らそうとしていた。
 前日までの暴飲暴食で腹いっぱいの状態がずっと続いていた。。。)

メニューを書き写す。

■先付
鰆の田楽風焼きもの
菜の花とゼリーの不思議な味わい
本日のおすすめ小鉢

■サラダ
春野菜のサラダバリエ

■季節の一品
浅利の酒蒸し

■御刺身
真鯛、鮪、サーモン、かんぱち、アオリイカ、帆立、蛸

■天麩羅
活穴子、海老、キス、生海苔のかき揚げ、たらの芽、筍、アスパラ

■御飯物
豪華海鮮ちらし

■鍋物
カワハギと渡り蟹のうどんすき

■香の物
季節のお漬物色々

■デザート
チョコレートケーキ バリエアングレーズソース

僕はずっと天ぷら食い放題だと思っていたのだが、どうもそうではなかった。
というかこれだけあったらいくら食っても食いきれず。
最初のうち出ていたものは全部きれいさっぱり平らげていたが、
鍋やちらし寿司は結局残した。
ケーキももちろん誰か女の子にあげてしまった。

天ぷらは、まあ、天ぷら屋で食べた方がうまいんだけど
揚げたてが次々に出てきてそれを船の上で食べられるのだからそれだけでもう満足。
刺身も青森で食った方が断然うまい。でもそれを言い始めたらキリがない。
僕としてはむしろ「うどんすき」の方がよかった。
カワハギを1人で食ってうどんも1人で食っていた。
生海苔のかき揚ってのは初めて食べた。ご飯が欲しくなった。

酒は飲み放題。
持ち込みOKってことだったので
僕は家から「田酒 山廃」を持っていく。2月に親戚からもらったもの。
いくら手に入りにくい銘酒とはいえ家で1人で飲むのも気が引けるってことで
今回のような機会が来るのを待っていた。
一升瓶を鞄に入れて持って歩くのはさすがに重かった。
でもその甲斐あって、いやーうまかった。
水のようでいくらでも飲める。やばい。
また手に入んないかな。。。

船は隅田川をひたすら北上していく。
勝鬨橋を初めいくつもの橋を潜り抜けて行ったようなんだけど、気が付かず。
誰かが窓の外の桜並木に気付いて歓声を上げたとき、僕も「どれどれ」と眺めてみる。
金曜に千鳥ヶ淵の見事に咲き誇った桜を見たすぐ次の日だったので
あんまり「桜」という気にはならない。
「うーん、この程度かあ」とボケーッとした感想を抱く。

浅草の、去年の夏、隅田川の花火を見た公園の脇を通り過ぎて懐かしい気持ちになる。
この頃、小さな船が横付けして漁師のおじさんが窓越しに話しかけてくる。
何かと思ったら佃煮売りだった。後輩の女の子がオキアミの佃煮を買う。
その場で開けて食べてみる。
ご飯にかけて食べるものなので直接食べたらしょっぱかった。


[1583] 屋形船に乗って夜桜見物@ 2005-04-10 (Sun)

昨日の夜は会社の人たちと屋形船に乗って
鍋に天ぷらにひたすら食いまくりながら隅田川の夜桜を眺めた。

念願の屋形船。
これまでことあるごとに「屋形船」「屋形船」と言ってたものの行動力のなさゆえに実現できず。
平日やろうとしたら仕事の都合で行けなくなる人が出るのではないか、というのを心配したり。
なかなか手が出せずにいた。
それがつい最近後輩の1人が
「屋形船をやってるとこに知り合いがいるよ」と言い出して
そこから先はとんとん拍子に話が決まる。
土日にやれば遅れる人もいないのではないかということになる。

---
お台場の青海駅の桟橋から18時30分出航。

17時頃到着して Venus Fort に入ってみる。ここは初めて。
各種ブランドの店が並んでいてこれといって僕の興味を引くものはなし。
適当に歩いていった先に「Mega Web」というトヨタが手掛けている車の博物館みたいなのがあって、
時間があったのでフラフラと見て回る。
(外にも同じ名前の施設があって、新車の展示場のようだった)
ヴィンテージカーとでも言うのだろうか、
国産の古い型のや外国のだとフォードのマスタングやシトロエンやアルファロメオなどなど、
僕でも名前を知っているような車がピカピカに磨かれて、
乗ってくれる人を待っているかのように、今に走り出すかのように展示されていた。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のデロリアンもあった。
ミニカーが陳列されているコーナー(ショップもあり)や
車に関する書籍・雑誌が集まっているコーナー、修理工房、
往年の名レーサーの写真が壁いっぱいに貼られていたりして
車好きにはたまらない場所なんだろうけど
いかんせん僕は車そのものに対しても運転することに対しても関心薄。
「男」としてこれでいいのだろうかと思ってしまった。
一番興味を持ったのはメッサーシュミット(飛行機じゃなくてスクーターの方)。
斬新というか奇抜なデザイン。未来の乗り物のよう。
上で挙げた名車もなんかそんな感じがした。レトロフューチャーってことか。

ヴィレッジ・ヴァンガードがあったので待ち合わせまでの残りの時間はここでつぶす。
どこの店舗であれ、入ったら必ず何かしら買わずにはいられなくなる。
ここは魔物が住み着いている。
今回僕が買ったのは「Cult TV & Film Themes」というその名の通り
古きよき時代の有名なドラマや映画の主題歌を集めたもの。
「James Bond Theme」「Thunderbirds」「The Pink Panther」「Batman」
といった定番が収録されていて
映画ファンには「M*A*S*H」が入っているのが嬉しい。
でもこれはアルトマンの映画のじゃなくてテレビシリーズの方かな。
こういうのを1枚持っておくと何かと便利なのではないかと思った(でも何に?)。
もう1コ買ったのは「いかチョコ」
割きイカの上にたーっぷりとチョコをかけたというシロモノ。
正気の沙汰とは思えない。最初から冗談のつもりなのだろうか、メーカーとしては。
待ち合わせの時間が来て後輩の女の子に渡したら
「いらないです!」と付き返され、その後次々とたらい回し。

青海駅から桟橋が見えて、乗ることになっていた屋形船が見えた。
僕の中でのイメージとしてもっとぼろくて全部襖と障子でできてるようなのを想像していたんだけど、
どちらかというと水上バスに提灯がぶら下がっているようなものだった。
駅は海の近くだけあって風が強く、日中の気温は20℃を超えていたとはいえ肌寒かった。

乗り込む。定員確か50人ぐらいで他にもいくつか団体客が既に席についていた。
15人から貸切OKで今回の参加者は14人。それでも実は貸切ができたらしい。惜しいことをした。

出航の時間になるも先輩が1人遅れてて
「まだ車に乗ってる」「渋滞に巻き込まれている」というすっとぼけた連絡が入る。
宴会のための屋形船なのになぜゆえに車で来る!?
残念ながら置いていく。
そんなわけで船が岸を離れる。
いつのまにか日も暮れて空も暗くなり、
お台場の夜景とレインボーブリッジを後にして隅田川を上り始める。

どうでもいいがこの日の僕の格好はオーバーオール。
30歳にしてオーバーオール。


[1582] 千鳥ヶ淵で夜桜 2005-04-09 (Sat)

昨日の夜は会社の後輩たちと仕事の後、千鳥ヶ淵の夜桜を見に行くことになった。
後輩の1人が去年仕事帰りにふらっと見に行って、
余りの美しさに今年も見に行くことを決めたというもの。
(去年はその「ふらっと」の前に別の後輩と3人で一緒にラーメンを食べていたのであるが、
 僕は仕事に戻って彼女たちは千鳥ヶ淵へと向かった。
 「あの当時落ち込んでいたオカムラさんを連れて行けばよかった」とその後よく言われた)

定時ちょっと過ぎに会社を出る。
会社の他の人たちもみんなそれぞれ飲み会や花見の予定があるようだ。
駅へ向かう途中の公園では桜の木もないのに花見っぽい宴会が行われていた。
思うに花見という行為は桜が咲いたからどうこうというのもあるが、
春になって暖かくなり、外で酒を飲んでもOKな季節になったことを喜ぶためのものではないか。

直接千鳥ヶ淵というか九段下まで行くのではなく、
せっかくだから皇居を半周散歩するのはどうかと僕は提案する。
東京駅で下りて丸の内オアゾで待ち合わせる。
オアゾの地下にフォー(ベトナムのヌードルですね)が立ち食いで食べられる店があるというので
「見に行きましょう」とか言ってたのが結局「食べよう食べよう」ということになる。

※同じメンツで昼は会社の裏のインターコンチネンタルホテルのアジアンな店のバイキングで
腹いっぱい食べている。(曜日で内容が変わってて、きょうはタイの日だった)
今週は月曜の飲み会に始まり、大阪食い倒れ出張もあって、ひたすら飲み続け・食べ続け。
胃が壊れてしまってずっと満腹なのに「でももっと食べたい!」そんな感じ。
これは確実に太るね。

オアゾのB1Fの「コム・フォー」という店。
「スパイシーフォー」に温泉卵をトッピング。
揚げ玉やもやしとコリアンダー(?)の炒めものが入れ放題。
他にもナンプラーみたいな調味料やレモンの果汁、チリソースといろんなものが置いてあって
それ全部たくさん入れて食べる。うまい。これはうまい。
「333」という名前のベトナムビールも飲む。
なんかもうこれだけで腹いっぱいになって、満足してしまう。

オアゾに来たので丸善で手塚治虫の漫画を買う。(「きりひと賛歌」を。先週は「奇子」を読んだ)
行列が出来ていたので何かと思ったら林真理子サイン会だった。
初めて間近で見る林真理子はかなりなところふてぶてしかった。

永代通りから大手門まで歩いていって、そこから皇居に沿って神田方面に向かって歩く。
この辺も桜が咲いてるかと思ったらそうでもない。
枝垂桜がいくつか。そもそもまだ咲いてない。
夜。外国人観光客がカメラ片手にポツリポツリと立っている。
歩いているとたびたび、走っている人たちに追い抜かれたりすれ違ったりする。
ランニングをしている集団がオールシーズン、どの時間帯でも見られる。
あと、お堀の中の白鳥か。することもなくフラフラと水の上に浮かんでいる。

真向かいの三井物産のビルからカルガモの親子が引越しをするという例のポイントに差し掛かると
「そういえばこの辺に将門の首塚があるよね」と寄り道をして見に行く。
この辺は大企業や官公庁ばかり。そんで金曜。
入社して間もない新入社員たちがワラワラと群れ集って酔ってたりこれから酔おうとしたり。
三井物産のビルの前ではまだ僕よりも若いと思われる既に酔っ払った「先輩」社員が
それら新入社員たちの前でタクシーを捕まえて乗り込むところだった。
まだ8時だというのに家に帰るのか、別な店に行くのか。
日本を代表する大企業は羽振りがいい。
将門の首塚の周りでは蛙の石像が鎮座している。
何も知らない後輩たちに対して「この右手前のが『一の蛙』、奥のが『二の蛙』」と
その場の思いつきで適当なことを教える。「へー。そうなんですか」と感心される。

皇居に戻ってまたテクテクと歩き、一ツ橋の辺りでいったん離れて神保町の方に向かって歩く。
(大学入学当初、ここから小平まで終電後走らされるという寮の行事があって
 もちろん僕も参加させられたのであるが、
 最初から最後まで歩いただけでちっとも走らなかったことを思い出す)
靖国通りに出るとその通り沿いに九段下へ。
この辺りから人通りが増えてきて、武道館を過ぎると大混雑で完全に人の流れがストップ。
警官がうじゃうじゃいて交通整理をしていて、
千鳥ヶ淵に入る人は列に並んでくださいと街行く人にひっきりなしに呼びかけている。
僕らも列に加わる。・・・最後尾からじゃなく、途中から。よくわかってないフリをして。
ここでひたすら待たされる。
万博じゃないのに、ただ桜を見るというだけでこれほどまでに待たされるとは。

でも待った甲斐があって確かにここ、千鳥ヶ淵の夜桜は見事なものだった。
ライトアップされていて、それが場所によっては白だったり黄色だったりで桜の色が変わる。
歩道の右側に生えている桜の木が頭上はるか高くで咲き誇り、
そのまま歩道の左側にまで枝が枝垂れかかる。お堀の下の方まで枝が、桜の花びらが伸びている。
枝の向こうに果てしなく枝が連なり、桜の見える光景がいくつもいくつも折り重なる。
そんな桜並木がずっとずっとどこまでも続く。
桜で覆われたトンネルを歩くかのよう。トンネルと言ったら風流じゃないな。
とにかく桜の花びらで作られた「屋根」が僕らを包み込んでいて
風がそっと吹きぬけるとその屋根がふんわりと揺れ動く。
花びらが舞い下りる。
強い風が吹いたときには吹雪のようになり、粉雪の中を歩いているかのようになる。
お堀の対岸も桜でいっぱいで、咲き誇った白い枝の連なりは雪山のようだった。
それが真夜中の水面に映って、漂う。移ろう。
日本人でよかったと思う。
こういう景色を観ることができて、それを美しいと思うことができて。

ゆっくりゆっくり人の流れに沿って桜並木の下を歩き、終点まで行ってしまうと隣の歩道を引き返す。
靖国通りに戻ってきて、靖国神社に入る。
花見をしている人たちでものすごいことになっている。
立ってる屋台も数え切れない。
たこ焼き、フランクフルト、チョコバナナ、といった定番だけではなくいろんなのが集まっている。
屋台という枠組みを通り越して大きくて立派な店構えをしているところも要所要所にある。
これはすごい。まるで屋台のワンダーランドだ。

串焼き系が多く、海老の串焼きが去年はあったよと聞いていたので
「食いてえ!」とワクワクしていたのであるがどこを見ても海老は売り切れ。
その代わりにホタテの串焼きを食べる。
後輩の食べていた牛タンの串焼きを一切れ分けてもらう。
その後鮎の塩焼きの屋台で1串、焼き立てが出来上がるのを待って買う。
屋台では「鮎の塩焼き」と書かれたおじさんがひたすら鮎に串を刺して、
粗塩をこすり付けて、炭火の周りに並べていって時々串の向きを変えたりと大忙しで、
もう1人「マグロの塩焼き」(だったかな)のゼッケンだったおじさんが
ひたすら炭をかき混ぜて熱の通りをよくしようとする。
いくら屋台の食べ物とはいえ、こんな塩焼きがまずいわけがない。
焼きたてのジュワーッとした鮎に塩がほどよく滲み込んでいて。
鮎は魚の王様だな、ほんと。

他に食べたものとしてはベビーカステラにシャーピンという中国風おやき。
このシャーピンの店があちこちにあった。
最近の都内の屋台情勢では1つの勢力をなしつつあるのだろうか。
野菜や肉がはいっているということでおやきというよりは平べったくした餃子みたいだった。
ドイツのソーセージの店があったので、バイエルンソーセージを買ってみる。
中で焼いていたのはドイツから来たと思われるきれいなおばさんだった。

身も心も腹いっぱい。桜に食に。すっかり堪能しました。
これが今年の花見のピークではなく、実はまだ前夜祭。
今日の夜は屋形船に乗って隅田川の夜桜見物ということになっている。
念願の屋形船。天ぷら食い放題。


[1581] 最後の大阪出張(道頓堀「大たこ」「赤鬼」編) 2005-04-08 (Fri)

心斎橋の「神座」でラーメンを食べ終わったあと、せっかく来たので道頓堀を見てみたいと僕は言う。
じゃあ、と行ってみることになる。
だけど3人ともこの辺の地理感覚はなし。
とりあえず右に曲がってアーケードのある通りに入っていく。
21時近くでほとんどの店が閉まる時間帯ではあったが、派手な格好の若者たちで賑わっていた。
歩いてて「活気あるなあ」と思う。肌で感じる。
前を見ても後ろを振り向いてもびっしりと店が並んでいる。

アーケードを出て戎橋を渡る。
この辺から俗に言う道頓堀界隈ということになるのだろうか?
とりあえず目の前にはかの有名な大きくて派手なグリコのネオンが輝いていて、
橋を渡りきったとこには「かに道楽」の例の蟹がその巨大な足を動かしていた。
(後日聞いたところでは阪神優勝の年に「目」がなくなったのだという)
その先には「くいだおれ」の人形が立っていた。
川の向こうのドンキホーテには出来たばかりだという観覧車が回っている。
これぞ大阪。コテコテギンギラギンの街並み。
隙間なくどこもかしこもびっちりと飲食店とゲーセン。
「すげー」と感極まる。くらくらきた。
これまで何度も大阪に出張で来ていたけど、梅田ばかりでいつも物足りなく思っていた。
ようやく大阪を見た気になる。「これだよこれ!」とはしゃぎたくなる。
通りを歩いているとたこ焼きやにかに道楽ともうそういうのばかり。
すし屋と居酒屋とラーメン屋。古い店構えのものからモダンなものまで、
街全体が「いいから食ってけ」と言ってるかのよう。

では、ということでたこ焼きを食べる。
事前に聞いてきた「赤鬼」「大たこ」のうち、「赤鬼」をまず見つける。
カリカリの皮を噛むと熱くて濃ゆーいダシが口いっぱいに広がる。
「はー、これが大阪の、本場のたこ焼きかあ」なんてことを言う。
たこ焼きとして無駄なところのない、シンプルなものなのに個性は人一倍強い。
東京で食べられるたこ焼きがいかに完成度の低いものであるか。
ベチャッとした皮やちまっとしたタコや味のない生地。
「銀だこ」ぐらいだよなあ、うまいと思えるのは。
(ああいう油で揚げるギットリしたたこ焼きは関西風ではなさそうな気がする)

次は「大たこ」こっちは行列が出来ている。
外国人観光客が半分に、地元の若者たち。
(あちこち写真を撮ってたりビデオを回している外国人が多かった。そりゃそうだよな)
「大たこ」の方はさらにシンプルな気がした。
初めて荻窪の「春木屋」でラーメンを食べたときのような
「え、こんなものなの?」というあっさり感。
スープや具が、というのではなく全体としてのあっさり感。
過剰なところは一切なく、何の変哲もなく、ただただ完成したものを提供するという。
そういう意味では初めて食べたときには拍子抜けするんだけど、
これはじわじわと後から来るものなのではないかと思う。
気が付けばスタンダードになってるような。
また道頓堀に来たときは普通にまた「大たこ」と「赤鬼」のたこ焼きを食べ比べてそうだ。

---
行きはタクシーだったのを帰りは心斎橋駅まで歩いて、地下鉄(御堂筋線)に乗る。
出口を間違えて梅田の地下街を上ったり下りたりウロウロと歩き回る。

---
次の日、7日は本当ならば1度顧客のオフィスに顔を出して
様子を伺うことになっていたのであるが、
特に作業もないということになったのでホテルからそのまま帰ることになる。

帰りの新幹線の中ではもちろん駅弁を食べる。・・・腹はすいてないのに。
「春」弁当。小さい魚(名前思い出せず。キスではない)の天ぷらやたけのこご飯など。
そして「富士山」ビール。
今回はこれを飲むことができてよかった。
午後は出社して普通に仕事することになっていたので、1本だけ。

---
いやーとにかく食いまくってた。
もう思い残すことはない。

今度は仕事じゃなくてプライベートで大阪に来るぞ。

次は是非とも「くいだおれ」で食べてみたい。
ちっともうまそうに思えないんだけど、話のタネに。


[1580] 最後の大阪出張(「神座」編) 2005-04-07 (Thu)

6日。6時半に起きて、ホテル1階のレストランにて朝食。バイキング形式。
今日の作業に関して、サポートメンバーは顧客オフィスに
8時集合でいいということになっているのに、本職のメンバーは6時集合。
「今日の作業はどこまで熾烈さを極めるのだろうか」
「食うや食わずの状況になるかもしれん」
「食えるうちに食っておこう」
そう思い、腹いっぱい食べる。・・・後で後悔する。とにかく食べ過ぎ。

仕事の内容については割愛。
割とつつがなく終了して20時頃終了となる。
この日の分もホテルを取っていたので
「無理して東京に戻らず、明日の朝でいいよ」ということになる。

昼の作業の間、ちょっと余裕が出てくるとみんなの口から出てくる話題は
「早く終わったら飲みに行こう」
「大阪と言ったらあの店」
そんなこんなで仕事の終わったサポートメンバー3人組(岡村含む)は
心斎橋にあるというラーメン屋「神座」を薦められ、
たこ焼き屋なら「赤鬼」「大たこ」に行ってみなとレクチャーを受ける。

ホテルに戻って荷物を置いたあとタクシーに乗って御堂筋をひた走る。
僕らが東京から来たと言うとあれこれ説明をしてくれる。
あれが今何かと話題の大阪市役所だ、その向こうにあるのが日本銀行の大阪支店だ、
ここが船場と呼ばれる地区で高架下は店が並んでいて・・・。
(タクシーの運転手は乗り降りの際にドアを開けてくれたり、非常に丁寧な物腰で驚かされた)

心斎橋到着。
通りのすぐ入口にあって、「神座」がすぐ見つかる。すぐ入れる。
行列は出来ていない。東京で話題の店ならなんでもかんでも行列になってるのにな。
やたら細長い店内の壁には有名人のサインがずらりと並んでいる。
「RAG FAIR」や「La'cryma Christi」といったミュージシャンや
誰のがあったか思い出せないがお笑い芸人なんかが多かった。
そんな中松本人志やローリング・ストーンズのを見かける。ストーンズは唯一額入り。

分厚いチャーシューの入ったラーメンに煮卵とネギをトッピングする。
ネギは小皿に山盛りになって出てきた。
スープはあっさり系。具材として白菜が使われている。
大阪のガイドブックを見るとよくここのラーメンが載ってますよね。
果たしてどんなもんかと思って食べてみたらこれがまたものすごくうまかった。
最近のゴテゴテギットリとんこつ系のラーメンが多い中で
野菜の甘味を生かした味は「爽快」とすら言ってもいいと思う。
これなら何杯でも食える。
生涯ベスト5に入るなー。これは。
東京にも進出していて新宿店は歌舞伎町のコマ劇近く。
渋谷店も確か5月だったかにオープンと書いてあった。
また食べなきゃ。次はラーメン雑炊だな。

大阪にはいくつも店舗があるようで、その後道頓堀まで歩いていったら
また「神座」を見つけた。この道頓堀のが最初の店となるようだ。


[1579] 最後の大阪出張(餃子スタジアム編) 2005-04-06 (Wed)

月曜の昼、「急で申し訳ないが明日の夜から大阪行ってくれ」と言われる。
つまり、昨日の夜。作業としては顧客のオフィスにて帳票の突合せ作業のサポート。
プロジェクトから抜けることの決まった僕としてはアルバイトのようなものだ。
出張で大阪行くのもこれが最後だろうし、
いくら仕事とはいえ可能な限り大阪を楽しんでこなくては損だ。
ただし楽しむと言っても観光や遊びではなく、あくまで目的は「食」
おいしいものを食べて食べて食べまくりたい。

昨日の夕方、同様の目的で出張する先輩と後輩と3人で品川から新幹線に乗って新大阪へ。
この日は単に移動日だったのでホテルにチェックインして寝るだけ。
営業終了までに到着できるようなら駅を出てすぐの餃子スタジアムに行くことになっていて、
そのせいか僕は変にテンションが高く、2時間半喋り続け。
天ぷらがどうのこうの、ウイスキーがどうのこうの。

餃子スタジアムはナムコがやってるもので池袋と一緒。
よってゲームセンターの中にある。
池袋のは入場料を払った覚えがあるが、大阪のは無し。
エスカレーターで上がって行くとそのままスタジアムの中に入っていける。
大きさは池袋のと比べると半分ぐらいだろうか。こじんまりとしている。
お客さんはあんまり入っていない。
そのせいか餃子とは無縁の「タルト博覧会」なるものを開催していた。
なんと海外のも含めた100種類ものタルトが集まっているという。
まあ僕としては甘いものがそれほど好きではないし、気分はがっつりと餃子。
空いている席を見つけると荷物を降ろし、
手当たり次第目に入った店の餃子をオーダーする。
大阪という土地柄かコテコテの名物的おじさん・おばさん(奇抜なかぶりものをしているなど)が
フロントに立ってる店がいくつかあった。

全国から店が集まっているということで
宇都宮の店、横浜の店、福岡は久留米と博多の2つ。
信州や四国の店もある。九州は熊本もあったかな。
今パンフレットを見たら滋賀や奈良ってのもあって、
そう考えると東北や北海道って餃子が盛んではないんだなあというか、
九州のはとんこつ系の餃子となってるのを見ると
西日本特に九州の食はいろんなものを自分の色に染めるだけのバイタリティがあって
すごいよなあと感心させられる。

純粋にうまいかどうかで言えばそれなりにうまかったが、
いくつかの店のは作りおきだったのか食べてみても「アツアツ」じゃなかった。
そうなるとおいしいなあと思った店はどれも出来たてが食べられるところ。
頬張って「アチチチチ!」とならないと
わざわざスタジアムまで来て食べている意義がないではないか!
(2年か3年前に池袋で食べた時はどこで食べてもおいしかった記憶がある。
 盛り上がりというか意気込みがすごかった。今でもあんな感じなんだろうか)

お客さんが少ないこともあって頼んだ餃子がすぐ出てきて、次から次にテーブルに並ぶ。
「全店制覇しようぜ」って最初のうち言ってて、気がついたら実際に制覇していた。
もう食えないってぐらいに餃子を食べて満ち足りた気分になる。
会社帰りにちょっと一杯飲むのだとしたら餃子にビールは最高の取り合わせ。
もっとお客さんが入っててよさそうなのにな。平日だったからかな。

---
泊まることになったビジネスホテルは
東京で言ったら歌舞伎町のようなところにあって風俗系の店のど真ん中。
あちこちに客引きが立っていて関西弁であれこれ誘いの言葉を掛けられるのは
ちょっとばかり怖いものだ。
きらびやかな「案内所」の中に NTT DOCOMO の代理店が入っていたりするのは
大阪ならではのものなのか。


[1578] 映画部のクラブ紹介をする 2005-04-05 (Tue)

昨日の夕方、新入社員向けのクラブ紹介があった。
発足以来実質的に活動していないとはいえ、「映画部」も参加することにした。
直前になって慌ててパワーポイントで資料を作成した。
定時終了後の18時に10階の会議室へと向かう。
1番大きな会議室では新入社員たちが終日オリエンテーションを受けている。
その最後に各部代表が出てきてマイク片手に挨拶するというわけだ。
サッカー部はここ、バスケ部はここ、と会議室内にてスペースが割り振られて、
解散後バラバラになって興味のあるクラブのところへ話を聞きに行く。

隅の方で後輩と座っていて、「誰も来なかったら侘しいなあ」と話す。
映画、もっと正確に言って映画製作に興味のある人なんてどれぐらいいるものなんだろう?
不安になる。
その反面、ゼロならゼロでその方が気が楽だな、とも思う。
しばらく待ってたら、パラパラと新入社員たちが集まってきた。
最初は1人・2人だったのがいつのまにか10何人と(割と)大きく膨れ上がった。

入社後(あるいは内定式の後?)できた友人たちのグループでまとまって聞きに来て
というのがやはり多くてそういうのって様子見な感じが強いんだけど
(「マトリックスみたいなの作れますか?」という質問が出る)、
1人でやってきて「映画部に入りたいです」と門を叩きに来る強者も何人かいて、驚かされた。
特撮に興味があるという男の子や学生時代映画を作ってましたという女の子がいたりする。
映画部の説明をする。こういう映画を作って(映画部としてではなく、僕がなんだけど)、
出演者のほとんどが社員で、というようなこと。
最頻出の質問はどれぐらいのペースで活動していますか?というもの。
入社1年目の頃だと活動的に過ごすことを求めるためか、
せっかくクラブに参加するのならどうも月1とか週1とか頻繁に活動していてほしいもののようだ。
あるいは大学出たてだから「サークル」に属しているのが自然なのか。
でも残念ながら社会人が映画を作るとなるとコンスタントな活動は難しく、
「非常に不定期」「実績からすると年に1度集中的に」答えざるを得なくなる。
(月に1度みんなで映画を見に行くってのも今後はやるんだけど)

後で「しまった」と思ったんだけど
来た人の名前をノートに控えておけばよかった。
せっかく来てもらったのにこちらからは連絡が取れない。
果たして何人が自主的に映画部へと再アプローチを取ることになるか?
何人か入ることになるんだろうな。
「やっべー。映画撮んなきゃなあ」と苦笑い。

サッカー、バスケ、テニスといったところは黒山の人だかり。
スポーツ系はやはり強いね。
将棋部は我と思わん者を募って対局をしていたようだ。

それにしてもクラブ紹介って大学みたいで懐かしかった。
今この時期も盛んにやってんだろうな。


[1577] 人間の指はなぜ5本なのか 2005-04-04 (Mon)

ぼけーっとどうでもいいことを考える。

人間の指はなぜ5本なのか。
4本でもなく6本でもなく。これには理由があるのだろうか。
(というかあったのだろうか)

指が5本なのに対し、ベースの弦が4本でギターの弦が6本。
これはおかしくないか!?
・・・ほんとどうでもいい。

神様がこの地球を7日間で作ったときに
人間というやつのフォルム/形状はどんなふうにしようかと悩んだはずだ。
腕の先に手というものがあってさらにその先に指というものがあって。
それを何本にするべきか?
ものすごく考えた末に5本としたのか、それとも適当だったのか。
ドラえもんのようなマジックハンドでもよかったはずなのにな。
(もちろん、神様がいたとしての話)

---
今ここまで書いてきて別なことを考え出す。

もしも新しい生き物をデザインすることができるとしたら。
そしてそれに生命を与えることができるとしたら。
単細胞生物。虫。鳥。哺乳類。それよりももっと進化した生物。

ピンク色のものすごーくフワフワした子犬であるとか。
手の平サイズの牛とか。

何世紀か先の未来では割と手軽にそういうことが可能となるのではないか。
遺伝子の組換えが自由自在に行えるようになるとかそういうの。
高校の生物の時間で実習が行われ、
ペットショップでは簡易作製キットのようなものが売られる。
でも、ものすごく気持ち悪い虫を作られたり、とんでもない病原体を作られたり、
人間そっくりだけど人間じゃない何かを作られたりしても困るので
あれこれ思いっきり制限がかけられるんだろうな。
体毛の色が変わったり、その程度か。

応用として、人間も瞳の色や髪質など割と簡単に変えられるようになるんだろうな。


[1576] 墓参り→石神井公園 2005-04-03 (Sun)

天気がよかったので自転車に乗って父の墓参りに行く。
いつもなら命日である3月27日の近辺に行くのだが、先週行きそびれた。
2週間遅れての墓参りとなる。
早いもんで上京して11年目。毎年欠かさず大泉学園まで通っている。
(去年だけは青森で23回忌の法事が行われたため、それで済ませた)

祖母の家のあった保谷、お墓のある大泉学園、帰りに石神井公園というコース。
それまでバスと電車を乗り継いで行ってたのを
年に1回自転車で回るようになったのは5年ぐらい前のことか。
片道1時間弱。自転車に乗るにはちょうどいい距離となる。

青梅街道をひたすら西へと進んでいって、西東京市の市役所のある通りに差し掛かると曲がる。
祖母の家は市役所のすぐ裏にあったのだが、市の道路になるということで一昨年取り壊された。
久々に来てみたら近隣の家のほとんどがなくなって、更地になっていた。
市で買い取ったということで細かく区切られた土地がそれぞれ柵で覆われ、立て札が立っていた。
「無残」というほどでもないが、なんだか物悲しい風景となっている。
道路が出来上がるのは確か3・4年先なんだよな。
その頃には全然変わってしまってんだろうなあ。

大泉学園へ。
一駅分なので10分もしないで到着する。地図を見ると線路沿いをひたすらまっすぐ。
・・・のはずなのであるが、毎年同じところで迷ってしまい、今年も迷った。
今年ようやく地理関係がわかった。線路と道路と「○○寺」の関係が。
大通りを1本外れたところに「○○寺」があるのだが、
その大通りをずっと走っていながらその脇道を毎年毎年素通りして
いったん大泉学園の駅まで行ってからウネウネと道に迷った末に寺に到着する、
なんてことをこれまでしていた。あほらしい。
毎年その前を通っておきながら気が付かなかったのか!

大泉学園では見事な駅前再開発施設である「ゆめりあ」を遠巻きに眺めて
すごいものが建ったものだなあと感心したあとで
PARCOの姉妹店のようなもの(?)の「NOSVOS」に入ってみる。
なぜか毎年子供の頃からここに足を踏み入れてしまう。
西武線沿線にしてはおしゃれなものが建っているもんだなあなんて思っていたのであるが、
不景気が骨の髄まで達しているのかここも今となってはただの雑居ビルのようになっていた。
2階には100円ショップが入って、3階のLIBROは客が入ってなくて店員が暇そうにしていた。
昔、あれは大学進学のため上京するかしないかの頃だろうか、小さなCDショップがあって
ジム・ジャームッシュの「Stranger Than Paradise」の
ジョン・ルーリーによるサントラを見つけて買った覚えがある。

墓参り。境内はまだ桜が三分咲き。
他に参拝客はいなくて、がらんとした墓地を1人歩く。
毎年毎年僕が来るときはなぜか他に人がいない。誰とも出会わない。そんなものなのか。
みんなお彼岸の日に来るから、少し外れた日に来ると誰もいないってことか。

石神井公園へ。
いったん大泉学園の駅まで戻って、ひたすら南へ南へと下っていって
富士街道にぶつかると今度は東へ。
石神井公園の右側の方に入る。入口近くのセブンイレブンでは書き入れ時ってことで
店員が外に店を出して焼き鳥を焼いたりしている。
フランクフルトを買って食べる。
2年前か3年前もここで全く同じものを買ったのを覚えている。
初めて訪れた場所でした事ってのはその後習慣化されるってことか。

石神井公園もまた三分咲き。
見事に咲いているのは2・3本で、つぼみのままのものも多かった。
そんなこともあってか花見客はまだ少ない。
身動き取れなくなるぐらいの年もあったのにな。
フランクフルトをつまみに、ベンチに座って缶ビールを飲む。
池をスイスイと進むボートたちを眺める。もうやたらめったらボートが浮かんでいる。
手で漕ぐのではなくて、白鳥やゴンドラの形をした足で漕ぐボート。
あれに乗ってみたくなるが30代男性が1人あれに乗ってたら不気味だよなと思いやめにする。
これまでの人生で僕はボートというものに乗ったことがない。

帰ろうかと自転車に乗って公園の端にある出口に着いた頃にムズムズした気持ちになり、
もっとビールを飲みたくなる。売店でおでんを買って食べる。
2本目の缶ビールを飲みながら、ビールがおいしい季節がまたやってきたなあと思う。
(春・夏・秋のことを指すので季節と呼ぶのはなんか変か)

4月9日が東京での花見のピークとなるか。
この日僕は3つ重なってて、2つは諦めることになりそうだ。残念。
それにしても今年の桜は遅いね。


[1575] できるかな 2005-04-02 (Sat)

昨日の夜、会社の後輩たちと外で食事をしていたときに思い出してした話。
話題は「才能について」というものだった。

以下、記憶違いやとんでもない誇張があるかもしれないが、ご了承いただきたい。

---
大学一年のときの学園祭にて「ノッポさん」が来て講演会をするというので見に行った。
「え、ノッポさんですか!?」と後輩の1人が驚く。
(勘違いする人がいるといけないので念のため注釈するが、「ゴンタ君」の方ではない)

「できるかな」の放送が終了し、
芸能活動の一線から退いた「ノッポさん」こと高見映氏は水泳教室に通い始めた。
健康維持のためとまあ、暇だったのだと思う。
ノッポさんは平泳ぎを習う。スイスイと泳ぐ。

講師の先生曰く、「あなたは大変才能がある!!」

フォームがよかったりするらしい。
名前の通り長身でスラリとしているのが平泳ぎに適しているのか。
パントマイムやタップダンスをやっていて身のこなしが軽やかだったのがよかったのか。

100年に1人の逸材だとのこと。
アマチュアの試合に出ると余裕で優勝してしまう。
講師の先生曰く、「もっと若い頃に水泳をやっていたらオリンピックに出れたかもしれない」
なんだかもったいない話である。

若い頃に平泳ぎに出合っていたら人生がガラッと変わっていたわけで
そしたら「できるかな」も「ノッポさん」も存在しなかった。
そう考えたとき、僕らからしたらどちらがよかったか。
当人にしてみれば知らず知らずのうちに「ノッポさん」となることを選んでいたので
その当時は選択肢なんてなかったんだろうけど。

「オリンピックの水泳選手となることと
 ノッポさんとして子供たちの人気者となり人々の記憶に残ることと
 どちらを選びますか?」
こんな究極の選択が天秤に掛けられるのだとしたら人生とはひどく奇妙なものだ。

---
何のとりえの無いとされる人でも何かしら才能を持っているとよく言われる。
でもそれがなんなのかわからないまま、表に出ることの無いまま、多くの人は年老いて死んでいく。
僕もあなたも何かしらもっていて、それはものすごく風変わりなものだったりするのかもしれない。
サーカスの綱渡りをさせたら実は、とか。
あるいはありふれてるけど、タイミングによっては一生縁が無いもの。
蕎麦やうどんを打つこととか。焼き物の壷を作るとか。

トランプで大富豪をやってると自由自在に革命を起こせる。
例え持ち札が少なくてもトリッキーな革命を引き起こし、
1ゲームの間に2回も起こしたりして他のプレーヤーたちが恐慌を来たす。
そんな才能。天才の名をほしいままにする。
これって、・・・実は僕。高校時代の昼休みに気付いて「これはすげえ!!」と一瞬盛り上がったものの
その後今に至るまで長いこと盛り下がる。
僕に与えられたものはこれだったのか・・・。
せめて麻雀だったらプロとしてやっていけたかもしれないものを、
大富豪じゃ食っていけないよな。

※我と思わん方は僕に挑戦してください。いつでも受けてたちます。

---
それにしても、ノッポさんとして20年近くテレビに出続けたという人生。
高見映氏の生涯は「ノッポさん」の一言に集約される。


[1574] 異動通知 2005-04-01 (Fri)

4月1日。世間ではあちこちの会社で入社式が行われている。
「フレッシュ」とか「スタート」とかそういう言葉がニュースのあちこちで飛び交っている。

異動通知があって、他の部門に移ることになった。
これまでの6年間ずっと同じ部門にいた。遂に離れることになった。
なんだか寂しいものである。
すぐ隣の部門であってフロアも同じなのであるが、
慣れ親しんだ人たち(僕が会社を辞めずにいたのはこの人たちのおかげだろう)の集団からはじき出され、
ほとんど知らない人たちの集団の中へと入っていく。
・・・馴染めないんだろうな。
入社以来寄る辺ない気持ちになったことがこれまで何度も何度もあったが、
今日もまたものすごく途方にくれている。
居場所がない。なくなった。
1人きりポツンとしていて、知らない人たちの間にいるかのような気持ちになる。

自分で望んだことなのだから仕方がない。
もっと正確に言うと「招いたこと」ということか。
3月に入ってまたしてもおかしくなった。
上司にメールで喧嘩を売り、別な機会では部門長の機嫌まで損ねた。
何をやっても空回り。
自分の抱えている不安だとかそういうものをうまく外に出すことができず、
どうしようもなくなって暴発させる。
これまではずっと押さえてきたつもりでいたが、コントロールできなくなった。
その果てに上司と食堂で面談をして、説教され、「出て行くか」ということになった。

6年も在籍していて愛着のある部門から離れることはものすごく辛いことだ。
半ば後悔している。
こんな気持ちになるぐらいなら、あのときもっと耐えていればよかった。
今さらどうにもならないのだから、ただ黙って受け入れるしかない。

ここ何年間かは「このプロジェクトはもう嫌だ」と逃げ出してばかりいた。
厳しい目で見たら最初の1個以外は全部僕は「逃げ出す」形でプロジェクトを移っている。
最悪だな。
子供は子供のまま、拗ねていじけて、さらに依怙地になりつつある。
上司たちからは「扱いにくい問題児」と思われているだろうし、
なんだか僕はいつのまにか落ちこぼれてしまっていた。


今日はエイプリルフールです。

と言えたらいいのに。


[1573] 本を出します その12 2005-03-31 (Thu)

出版社より色校が届く。カラーの部分の試し刷りのようなもの。
・カバー、帯
・表紙
・本扉

なんだかそれらしいものに仕上がっている。
表紙は実際に使われるのと同じ紙にカラー印刷されている。
手で触ってみる。
「あーこんな感じになるのか」と思う。
ISBNのコードが振られ、裏表紙にはバーコードも入っている。
そのことに何よりも「おお」と感動させられる。
書籍として曲がりなりにも一人前という認定をされたようなものだ。
自費出版だと確かISBNのコードが振られることはないはずで。

以前デザイナーの方が作成したばかりの見本を
普通のカラーコピーでもらったときの表紙はベタッとしていて
「果たしてこれでいいのだろうか」と悩みだし、
「ここの色は変えたほうがいいのではないか」なんて
素人ながらも意見を言っていたものであるが、
編集の方から実際に出来上がったものとなると
また雰囲気が変わりますと言われたのでそのままにしておいた。
確かに変えなくてよかったと思う。OKを出す。

2回目の校正作業終了後の
さらなる文章の手直しもメールのやり取りで昨晩完了。
これで僕の側の作業は一通り終わった。
後は実際に印刷・製本されるのを待つだけ。

---
営業の方からも「出版オプションのご案内」というのが届く。
一言で言うと著者の身内のための販促で使うあれこれを有料で行いますよというもの。
・書籍献本発送代行
・書籍紹介チラシ作成
・書籍案内ハガキ作成
・書籍案内ハガキ発送代行
さらに新聞広告や雑誌広告まである。
上の4つについては具体的に金額が○○○枚で×万円とそれぞれ価格が決まっているが、
新聞や雑誌の広告を打ったらいくらぐらいかかるんだろう。
「時価」みたいなものなんだろうな。

利用しなきゃ追加費用は発生しないというので僕はこういうの一切利用しないことにする。
あんまりそういうことする気はない。
やるとしたら全部自分で。
身の周りの人たちへの「本が出ました」という連絡は自らメールを書くし、
お世話になった人に本を送るときは自ら手紙を書いて梱包する。
その方がお金がかかったとしても。

---
ぼやぼやしているうちに本が出来上がって発売日が来てしまう。
実感があるようなないような。
無名の人が出す本なので、まあぶっちゃけた話書店に並ぶことはほとんどないと思う。
実用書でもないし。
埋もれたまま、消えていくんだろうな。
後ろ向きだけど、現在の出版事情を考えるとそういうふうに思わざるを得ない。
この本が売れる根拠、書店の人が置いてくれる根拠って今のところ全くない。
住宅街の真ん中でいきなり開店し、
客が全然入っていない喫茶店や食堂の類いを僕は今思い浮かべている。

なんかの間違いでいいから、売れてくれないものだろうか。
切にそう願う。


[1572] 「もののけ姫」 2005-03-30 (Wed)

昨日ぽっかりと休みができてしまったので
会社の後輩からだいぶ前に借りてそれっきりになっていた「もののけ姫」のDVDを見る。
面白い。すこぶる面白い。これは大画面で見たかった。
「もののけ姫」公開初日に僕は従姉妹の住む仙台にいて、
何か映画を見ようという気分になって同じく公開初日だった「スピード2」を見た。
今となってはものすごく悔やまれる。ま、それなりに面白い映画ではあったんだけど。

---
「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」が宮崎駿の2回目のピークであったように思うし、
(もちろん1回目は「ナウシカ」「ラピュタ」「トトロ」の辺り)
そうなるとどうしてもこの前見た「ハウルの動く城」と比較してしまう。
こういうことなのではないかと考えた。

「もののけ姫」では善と悪の対立という構図が物語構成上の大きなポイントとなっている。
ただしこの善と悪はそれぞれの登場人物についてはっきりと
「この人は善」「この人は悪」と線を引いて分けられるものではなく、
1人の人物の中においても善と悪とが同居していて、
その人の置かれた状況においてその都度不可分な混合物の割合が異なってくるというようなものである。
それは例えば「エボシ御前」や「シシ神」といったキャラクターを見れば明らか。
村落的共同体の中、それより高位に位置する「社会」というものの中、
さらにそれよりも高位(?)に位置する「地球環境」というものの中に置いてみた時、
「エボシ御前」は善にもなるし悪にもなる。
森の生き物たちのものだった「シシ神の森」を人間にとって住みよいものに無理やり変えようとする
エボシ御前は朴訥とした村の人たちには心の底から慕われているといった具合だ。
それぞれの人・動物にはこれまでの生き方によって裏打ちされた
それぞれの生きるための「論理」があり、それに導かれてその瞬間における行動を選択する。
こういう重層的なキャラクターたちが入り乱れて1つの大きな戦いへとなだれ込んでいくのだから
何よりもこのストーリーの緻密さと濃厚さに「すごい」と唸らされてしまう。
そしてその善悪のごった煮を提示して見せる一方で
映画のコピーにもあった「生きろ」というメッセージを投げかけるのだから
宮崎駿監督の「哲学」は明快であって、心に響きやすい。
何事も割り切ることの難しいこの現実の世界を我々はただただ「生きていく」しかなく、
そしてどうせ生きていくのなら力強く肯定的に生きていく方がいいに決まっている。
そういうことなのだと思う。

「千と千尋の神隠し」はこのようなとっつきやすい善と悪という二項対立の図式を飛び越えた
もっと言葉にしがたいものを描いていたからこそ、さらなる評価を得たのだと思う。
そこにあるのは善悪を超えた生きる意志のぶつかり合いである。
そのぶつかり加減の豊穣さが織り成す豪華絢爛たる御伽噺が世界の多くの人たちの心を捉えた。
何と何が折り重なっているのか1度見ただけではわからないぐらいの複雑さ、繊細さ、
そしてそれが露骨に表明されているのではなく個々人の人格において統合しているというものすごさ。
ミクロなものを突き詰めていくことにより、壮大なマクロを描ききってしまうことに宮崎駿は成功した。

・・・という観点から見たときに「ハウルの動く城」はものすごく後退しているように感じられる。
この人は善です。この人は悪です。で、戦います。主人公は大冒険を繰り広げます。
そんな見せ場があります。以上、終わり。
そういうものとしか思えない。非常に薄っぺらくて表面的。
前2作から期待していた多面性、豊穣さ、トリッキーな繊細さ・緻密さは皆無。

ひっかかるのは、宮崎駿がその才能を使い果たしたから、
というかいろいろな物事を放棄したからこうなったわけではないのが画面の端々に感じられることだ。
何か思うところがあって今回こういう作品になった。

それは結局のところなんだったのだろう。
もしかしたらそれはひどく簡単なことで、
前2作でアニメという枠組みを利用した「芸術映画」を極めることに腐心した(かどうかはわからんけど)
宮崎監督はその行き着くところまで行ってしまってその作品で求めたい何かが変わってしまった、
アニメという枠組みで「アニメ」を描きたいという原点に立ち返りたかったのではないか。
だとしたら小難しい理屈や図式は抜きにして、どんどんいろんなものは削ぎ落としていった方がいい。
宮崎駿はアニメに戻った。

難しいのは時間は絶えず進んでいくものであって、
螺旋的な道筋を選択することでいったんはスタート地点に縦軸・横軸的には重なる地点に戻ってきたとしても
時間軸としては遥か彼方前の方に進んでしまっている。
だからこの「ハウルの動く城」は「ルパン3世・カリオストロの城」と単純な比較は出来ないし、
どうしても「カリオストロの城」の方が面白い。
世界を征服する前の、「良質なアニメを作るんだ」という純粋無垢な輝きに満ちているから。

こんな不利な状況でも原点に立ち返ったのならば宮崎駿はやっぱすげえなと思わざるを得ない。
「ハウルの動く城」が実際問題面白かったのかどうかは別として。

結局のところ作品を真価を決めるのは
アニメというものに心をときめかせる子供たちであって
あれこれ難しく考えがちな大人たちがあーだこーだ言うことではないんだろうな。
今回の作品については子供たちにこそ、その声を聞きたい。
子供たちが無我夢中になって笑顔を浮かべて「おもしろかった!!」って言ってもらえたら
宮崎駿としてはそれで十分なのだろう。
そして僕たち大人たちは差し出されたものに対して小難しいこと考えずに、
批評的な観点からあら捜しをするようなことをせずに、
目の前にあるアニメをそれが良質なものであるのならひょいと受け取って口に運んで
おいしかったらおいしいというべきなんだろうな。
材料は何であるとかどこそこの何を製法として用いたとかそんな裏方の出来事は勘ぐらないで。
そういう姿勢が今、求められる。
「ハウルの動く城」はそのための啓蒙だったのだ。
この作品を観てあれが足りないこれが足りないとブーブー言っている大人たちは
自由な心を忘れてしまっている。

だけどそれは今の僕たちにはひどく難しい物事であって、
そう簡単にどうこうすることはできない・・・。
より複雑なもの、より「芸術的」なものをありがたがってしまう僕等は間違っているのか?

---
それにしても宮崎駿って巨神兵が大好きなんだねえ。


[1571] 忘れた頃にやってくる 2005-03-29 (Tue)

昨日の夜は早く帰ることができたので
何もすることがなく早々と布団に入って寝ていた。
こんなときに限って携帯が鳴る。嫌な予感がする。
叩き起こされて案の定、トラブル。夜の11時に会社へと向かう。
トラブル対応で徹夜確定。
現場に到着してみると原因が割とすぐ分かり、応急処置。
午前3時には一通り作業が終了する。
始発の時間まで待つ。
会議室で椅子を並べ、その上で寝転がる。
お台場の夜景が目の前に広がっている。
赤や黄色の無数の灯りが水面を漂っている。
ダウンジャケットを上に羽織って眠る。
こんなこともあろうかとダウンジャケットを着てきてよかったと思う。

目が覚める。夜が明ける瞬間だった。午前5時過ぎ。
オレンジ色の光が青い色と混ざり合っている。
ぼんやりと眺めているとそれが少しずつ無味乾燥な灰色、白へと薄らいでいく。
ものすごく長い時間を眠ったような気がして、
実際には2時間しか経っていなかった。

朝早い時間の山手線・丸の内線に乗って帰ってくる。
部屋に戻ってきて泥のように眠る。
ついさっき目が覚めた。今日はもう休みにする。

残念なことにサッカーは明日なんだよな。
今日は昼も夜も特にすることがない。
映画を見に行くことも考えるが、微妙に眠い。

トラブル対応の間、いろんな人を疑っていろんな人に腹を立てていた。
理不尽なまでに。
怒りのメールをあちこちに書いた。
「子供だな」とも思うが、「子供で何が悪い!」と開き直る。
いいんですよ、子供で。
今でも何かにつけて思い出され、腹が立つ。
今日はとにかくクールダウン。


[1570] 下部温泉 2005-03-28 (Mon)

先週先々週と会社の周りの人たちが1週間のリフレッシュ休暇を取っている。
1年に1回取得できる。年度末までに取得できなかった場合
次年度に持ち越しということができないため、この時期に慌てて取る人が多い。
このプロジェクトでは3月なんて火の車で休みどころではないのではないかと考え
早々と昨年6月に取得したのであるが、
そして「俺って先見の明があるなあ」なんて心の中でニヤニヤしていたのであるが、
周りのみんながこの時期に取ってしまうとなんだか損した気分になる。
既に取得しているのに「俺にも休みくれよ!不公平だ!!」とすら思ってしまう。
人間とはなんとまあ身勝手な生き物であることか。

いっそのこと、来年度は4月や5月にさっさと取ってしまおうかと考える。
プロジェクトの都合とかそういう現実的な制約を取っ払い、あくまで単なる空想として。
さて、今年はどこに行こうか。
海外。昨年行くことを考えたオーストラリアのエアーズロックか。
それとも頑張って中南米を攻めるか。北欧の都市を回ってみるか。
ハワイやグアムやサイパンでのんびりするというのも捨てがたい。
なにげにニューヨークも見てみたい。
ナイアガラ瀑布とセットのツアーなんてのがよくある。

というのが次々と出てくる一方で最近よく考えるのが
山奥のしなびた温泉宿で何もせず1週間かそこら過ごすというもの。
このところ、むしろこっちに惹かれている。
1週間の休みを取らなくても、3連休に休みを1日つけて4日も過ごせたら十分。
宿ではひたすら何もしない。温泉に入って、上がってきたら本を読むだけ。
これこそリフレッシュではないか。
ふらりと一人旅。ローカル線を乗り継いで、ガタゴトと揺られて、
山奥の川が流れてるような温泉郷へ。

時期は別にして、プランを考え始める。僕の中に今、具体的なイメージがある。
学生時代の最後の方で訪れた山梨の温泉宿。
「下津温泉」と覚えていたのであるが検索してみたら出てこなかった。
そもそも下津という地名は和歌山の方のようで、どうも「下部温泉」が正しいらしい。
どこに入ったのか旅館の名前は思い出せないが、
そのうちの1つで僕等は空いている部屋で休憩をして、温泉に入って、
ほうとうの入ったカレーを食べた。ほうとうなのでかぼちゃともやしが入っていた。

あと10日もしたら入社式という時期。季節はちょうど今ごろ。
「山中湖のほとりのドライブインにトランポリンがある。撮影で使いたい」ということで
後輩たちが夜、車を出してロケハンに出かけるというので僕はくっついていった。
徹夜して走って青木ヶ原近くまで行って樹海を見て、夜明けの山中湖を見て、
その帰りに温泉に行きたいねえという話がどこからともなく出てきて、
道路地図を見て見つけたのが下部温泉。
川沿いに宿が並んでいて、ものすごくひなびていた。
午前9時ごろか。適当に入った旅館にて物置のような部屋に通された。
3時間か4時間で1人3000円ぐらいだった。
残念なことに温泉そのものの印象は全くない。
鮮明に記憶に残っているのは「ほうとうカレー」と徹夜してぐったりした雰囲気。
カレーは最初3000円に含まれていたのではなくて、
僕等が部屋でゴロゴロしてると旅館のおばちゃんが部屋に入ってきて、
「あんたたち学生?おなかすいてる?ご飯食べる?」ということで持ってきてもらったものだ。
たぶんまかないか前の日の残りで作ったものなのだろう。
あと覚えているのは帰りにたまたま立ち寄ったコンビニにて
バドワイザーのクラシックとかライトとか珍しいのが売られていたので
買って帰り道ずっと飲んでいたこと。

ドライブインは見つかったもののトランポリンは夏のみということで撮影には使えず。
「樹海の近くにお化け屋敷がある。道路工事中で行き止まりになったところに建っている」
ただそれだけの情報だけで真夜中に地図を見ながら探し回ったり。
あれはもう7年前のこととなるのか。早いなあ。


[1569] 僕の中では今日から春になった 2005-03-27 (Sun)

僕の中では今日から、「春」になった。
温かくて、ダウンジャケットが要らなくなった。
先週まで着てたのに、というか昨日まで着てたのに、
日当たりのいいところを歩くならば今日はもうTシャツ1枚でもいいぐらいだ。

天気がいいので自転車に乗って吉祥寺に行く。
ユニオンでCDを売る。
査定待ちの間、井の頭公園に行ってみる。

丸井の通りから公園の中まで、ものすごい人手。桜はまだ咲いてないのに。
丸井の通りは久々に来てみたらおしゃれな食べ物屋がまた増えてて、
カレー屋に入ってふらっとカレーを食べたくなる。
「いせや」からはもうもうと景気よく焼き鳥の煙が。
はんぱじゃなく行列ができている。

缶ビールに焼き鳥を買ってどこかで、としたくなるものの
こちらは花粉症でマスクをしている身。
とてもじゃないが屋外で鼻と口を露出できない。
来週か再来週、天気がよかったら自転車で石神井公園に行って桜を見よう。
そして焼き鳥を食べながらビールを飲もう。

---
家に帰ってきて、Yo La Tengo のこの前出た3枚組のベストを聞く。
素晴らしい。余りの素晴らしさに涙が出そうになる。
なんでこのバンド、こんなにいいんだろう。
なぜか学生時代の幸福な思い出が次々に思い出されて、それで泣きそうになる。
学生時代最後の年、来日公演を見に行ってその終了後、
興奮した僕はアイラ・カプランに握手を求めに行った。
後輩の撮影合宿に同行した僕は何をするでもなくビデオカメラを回していた。
戻ってきてその日のうちに編集をした。
最初と最後に Yo La Tengo を使った。
そういったこと。

そこでは幸福な記憶が鳴っている。
聞く人の頭の中をそっと、優しく掻き乱す。
Yo La Tengo はその長い活動の歴史の中で常にそういうバンドであり続けて、
僕ら洋楽青年たちの熱い支持を受け続けている。
1度でも Yo La Tengo のことが好きになったなら、
日常生活のいろんな場面でこのバンドの音楽が BGM となって、
いつのまにかいろんな思い出と結びついている。

願わくばこの幸福がいつまでも続きますように。

「Tom Courtney」は永遠の名曲。
僕はその映画の中で、オープニングではアイラのエレクトリックな方を使って、
エンディングではジョージアによるアコースティックな方を使った。
もう1度書く。
得体の知れない幸福感が押し寄せてきて、僕は今泣きそうになっている。


[1568] 味噌煮込みうどん 2005-03-26 (Sat)

昨日は周りの人たち(主に偉い人たち)が休みだったり出張だったりでほとんどいなかった。
午後になって集中力が途切れる。
仕事をしなかったわけではないが、生産性は落ちる。
その日やってたことが4時半に一段落すると、そこから先何もできなくなる。
業界紙などを読んで暇をつぶして5時半になって会社を出る。

後輩の女の子たちを誘って、
東京駅地下街にできた味噌煮込みうどんの店に行く。
後輩たちはすぐ出られなかったので
一足先に出た僕はオアゾで本を眺めて暇をつぶす。

ビールを飲みながら、味噌煮込みうどんを食べる。
味噌煮込みと言えば名古屋。
名古屋出身の子がいて、
「俺テレビで見たんだけど、味噌煮込みうどんは鍋から直に食べるんじゃなくて
蓋にとって食べるってほんと?」って聞くと
確かに名古屋の人はそういうふうに食べるとのこと。
でも別に慣習的なマナーとか地方ルールとかではなくて、ただ単に「熱いから」らしい。

熱々の鍋が運ばれてくる。こってりとした味噌がグツグツ煮えている。おいしい。
うどんは固め。これでもまだ柔らかい方だと後輩は言う。
初めて食べる人は「煮てない」ってクレームを出すぐらい、本場では固いもののようだ。
煮込みうどんと言ったら僕はうどんを煮込むものだと思っていたのであるが、
煮込むのは具材だけであって、うどんは最後の最後に入れるものだと解説される。
うどんの上に乗せた卵が半熟になった出来上がり。

最後に鍋にご飯を入れておじや風にして食べる。最高。
おじやを食べていると僕は「日本人でよかった」と思う。
名古屋の子は蓋の上にご飯を乗せ、
その上にだしの染み込んだ半熟卵を移してつぶして広げて食べていた。
「やられた!!」と僕は思う。
そんなうまそうな食べ方があるとは。「先に教えろよ!!」と僕は怒る。
また来て、次はあれをやらないと。

---
家に帰ってサッカーを見る。ワールドカップのアジア予選。
(うまいもの食ってサッカー見て。なんていい1日なんだ)

ヤフーのニュースを昼間に見ていたらダルパパ(ダルビッシュの父親)が
今日は2−1でイランが勝つとインタビューに答えているのを見つけた。
その通りになった。
なんか隙間の多いスカスカな試合だったな。
何が足りないかと言えばサッカーに詳しくないのでよくわからんのだけど※
気迫のようなものでなかったかと。
戦術とか何とか言う前に。
すごいメンツばかり揃ってて(一昔前の)オールスターみたいな布陣だったんだけどな。
小野に高原に柳沢も出てきて、おまけにシンデレラボーイ大黒。

中田ヒデがよくないのかね、あれは。
スポーツ新聞では連日、日替わりで誰それが中田にマジ切れって書かれていた。
福西の日もあれば、中村の日もあった。
試合が終わって、今日ヤフーのニュースを見るとやはり、中村俊輔は中田に否定的なようだ。

※昼休みに世間話をしていてたときに僕はドーハの悲劇で日本はイランに敗れて、
 あの当時イランの選手は負けたらマジで死刑になっていたので、必死だったなんて言っていた。
 あとで考えてみるとあれってイラクの話であって、鞭打ちの計ではなかったかと。

---
今日はCDを聞きながら漫画を読んでダラダラ過ごして終わり。
藤子・F・不二雄の「T・Pぼん」と手塚治虫の短編集。
最近は「アドルフに告ぐ」を読み返してから手塚治虫にはまってて
週末になると文庫になった短編集を買いあさっては読んでいる。
やっぱこの人は天才だ。この人を超えられるような、そんな漫画家は今後出てくるのだろうか。
(僕が一番好きなのは藤子・F・不二雄なんだけどね)


[1567] 時間を止める能力 2005-03-25 (Fri)

時間を止める術を授かった。
ただし、困ったことに僕に可能なのは止めることだけであって、再開する方法はわからない。
それが10秒後なのか1週間後なのか、
いつどんなふうにして時間というものが再び流れ出すのか、その時になってみないとわからない。
不便といえば不便だ。
時間を止めて、高価な物品を窃盗しようとしているときや女性に性的ないたずらをしているとき、
その真っ最中にひょいと再開しだしたらたまったもんじゃない。
理屈はどうあれ、僕は現行犯逮捕だろう。
もっと月並みな行為。例えば、「歩く」
そもそも街を歩いているときにいきなり僕が目の前に現れたとしたらそれは非常に不自然な状態だ。
なので静止した人たちの間を動き回ることもためらわれる。
再開した瞬間にまた止めればいいんだろうけど、
時間を止めるなんてこと、そうそう簡単にできるものではない。

結局は当り障りのないことにしか使うことができない。1人きりの場所にいることが必須。
締め切りが迫っているのにその品質に納得の出来ていない仕事をしているときとか、
あるいは自分に休暇を与えたくなったときか。
休暇と言ってもテレビやラジオのない山奥の山荘に閉じこもるわけにもいかない。
すぐ近くに人が生活している気配がないと
僕の寝ている間に世界がまた動き出しても気が付かなかったりする。
時計の電池が切れていたりするとこの世界が止まってるのか動いてるのかがわからない。
気がつかないままでいたら会社を何日も無断欠勤してしまう。

僕がこの能力に目覚めた時、
そう、あの時、青白い小さな彗星のようなものが僕の頭上に現れ、
しばらくの間留まり、そして僕の中に入り込んだ。
夢でも見ていたのかもしれない。
だけど、時間を止めるなんていう力が事実としてあるのだから、夢の一言で片付けるわけにもいかない。

---
という出だしで、その後の展開。

家の中に閉じこもっているわけにもいかず
「僕」が静止した街を歩いていると、同じように止まってしまった時間の中を動いている人間を見つける。
共に驚く。「あなたも、止められるんですか?」というような会話を交わす。

2人は旅に出る。
この能力がいったい何のために与えられたものなのか、探るために。
そのもう1人の人物は少年でもいいし、老人でもいいし、うら若き乙女でもいい。

やがて、1人、また1人と仲間が見つかる。

集団が形成される。・・・だけど彼等の集団としての目的、存在意義はどうしたらいいだろう?

---
時間が止まっているため、テレビもラジオも放送が止まってしまっている。
テレビは画像が静止しているのだろうか。それとも、俗に言う砂嵐の状態になるのだろうか。
音楽は、たった1つの音が無限大に引き伸ばされて鳴り続けている。

はるかかなた上空で飛行機が静止している。

時間の止まっている間に
主人公がCDプレーヤーのボタンを押すと音楽が流れ出すというのはありだろうか?
そもそも水道の蛇口をひねると水が出るのだろうか?

インターネットは使えるのか。電気はどうなる?

時間だけではなく、全てが停止した世界となるのではないか。

---
時間が止まっている時にたまたま、自殺しようとしている人や殺人を犯そうとしている人を見つける。
主人公はこれをどうするべきか。やめさせる?
でもたった1人でも救ってしまったならば、
彼の存在意義はそういう危機的状況に陥った人を探して、救助することになってしまうのではないか。
だけどこの場合、何もかもが静止しているならば危機的状況を判別することは大変難しい。
口論をしていて、1分後にカッとなって絞め殺したとしても分からないわけだ。
止まっている間は2人の人間が言い争いをしている様子が凍りついているものとしてしか認識できない。
崖の上のガードレールを車が飛び出しているような見た目にわかりやすいものでないとどうにもならない。

---
普通の時計は止まっているのに、
「時間静止者」(今思いついた造語)がその行為に及んだ時にも時の流れを計測できる
そんな特殊な時計が研究所にて発明される。

---
時を計る。「時計」と書いて「とけい」と読む。
なぜ、「じけい」ではないのだろう。何も考えず音読みしたらそうなる。
誰が「とけい」と呼び出したのだろう。
最初は何て呼ばれていたのだろう。
音に漢字を当てはめたのか、中国から単語が先に伝わってきたのか。
ちょっと待て。日本に時計がもたらされたのはいつのことなのか。
江戸時代にオランダから?
つうか、時計の発明っていつ?
18世紀・19世紀のようでもあるし、もっともっと前のことのような気もする。
歯車を用いるものじゃなくて
水時計のようなものなら紀元前にもギリシャにあったんだっけ?
地面に線を引いて影の長さを計るとか。

---
タイムマシンに乗って過去に遡る。

100年前に移動して1日を過ごした。
このための移動時間に行きと帰りで前後1時間ずつ必要とした。

100年前の1日がどういう扱いになるのかはなんとなくわかるけど、
移動に際して要した1時間ってのはどこに消えてしまうのだろう?
現実の時間軸ではどこにマッピングされるものなのだろう?

移動時間なんてものは必要なくて、瞬時にその時代・その時間に移動できるようになるのか。

---
時間を止め続けていた結果、主人公は周りの人間たちよりも早く年老いてしまう。

時間が止まっている間に、彼は死を迎える。


[1566] 万博 2005-03-24 (Thu)

「愛・地球博」が明日から開幕らしい。
社食で食べながらテレビを見ていると昼も夜もニュースではその紹介ばかり。
こんなパビリオンがありますとか、リニアモーターカーがどうこうとか。

30も過ぎてしまい、こういうの全く興味がない。残念なことに。
小さい頃なら行きたくて行きたくてたまらなかったのだろうけど。
行けたら行きたいが、わざわざ休みを取ってまでして見るものでもないかと。
混雑した場所は疲れるだけだし。 (← 発想が完全に年寄りだ。。。)
それぐらいなら名古屋見物をしたい。

21世紀初の世界博であって
世界博の日本での開催は大阪の万博以来だという。
「はあ、そうだったのか」と思う。
つくばの科学万博は大々的に開催されていたが、あれは違うのか。
この万博の成功により日本の各地で万博モドキが雨後の筍のように乱発されていたことを思い出す。
我故郷青森でも「青函博」というのが行われた。
ちょうど青函トンネルが開通したばかりの頃で、青森市と函館市で同時開催だったはず。
僕は小学生だっただろうか。家族で1度か2度、行ったことがある。
伊奈かっぺいのサインをもらったことを覚えている。
(元青森県民として伊奈かっぺいのことはバカにできない。
 この人のライブのテープは死ぬほど聞いて死ぬほど笑わされた)

北海道では「食の祭典」というのがあったんだよな。
余りにも人が入らなくて、当時の知事が自主的に何ヶ月か給料を半額カットした。
なぜかこの顛末をことあるたびに思い出す。
というか北海道と聞いてほぼ真っ先に連想するのはこのことだったりする。
人というものはしょうもないことばかり記憶しているものである。

どこも収支はよくなかったと聞く。成功したのは数えるほど。
その後どこでも行われてないってことは儲からないものなんだろうな。

21世紀になってもう5年目になるのに、それまで開催されなかった。万博不人気?
愛・地球博の前、20世紀最後に行われた世界的な万博はバンクーバーのものだっただろうか。
そもそも万博とは19世紀にロンドンで開かれたのが最初だったか。
僕の記憶が確かならば当時は産業革命真っ盛り。(← こういう大事なことは記憶が覚束なくなるものである)
世界の様々な国々の様々な新商品の見本市という位置付けだった。
このご時世、全世界的に珍しい物事もなくなり、
テクノロジーは日々進化しているもののエジソン的なとんでもない発明はとんと聞かない。
アインシュタイン級の発想や大発見もない。
もう何年も開かれていなかったっていうのは
「万博」という形式できらびやかに行われるイベントが
この地球には似合わなくなったということか。
それともただ単に不景気なだけか。

青島都知事は東京都を舞台とした博覧会を白紙にしたんだったか。
東京で行われるのなら、僕も見に行きたかった。


[1565] ウルトラマンもの 2005-03-23 (Wed)

先週、会社で仕事をしていたら
久々にオフィスに顔を出したシンタロウが僕のところに寄ってきて
「次の映画、ウルトラマンにしましょうよ!」と笑顔で言う。
「ウルトラマンってなんだよ!?」
「とにかくウルトラマンなんですよ」

という話をこの前の日曜に映画を見た後でクリス君にしたところ
「じゃあ、こういうのどうですか」と提案される。

展開するとこんな感じ。
------------------------------------------------------
【主な登場人物】
女:20台半ばぐらいの女性
男:20台半ばぐらいの男性

【Scene1】
以下の映像を数秒ずつ切り替えていく。
ブレまくってピントもずれていて、
素人が撮影してニュースに採用されたかのような映像となること。
1. 逃げ惑う人々
2. 破壊された建物
3. ウルトラマンと怪物が戦っている
  (着ぐるみ着用となるか)

※怪獣の鳴き声のようなものが大音量でバックに流れていること。


【Scene2】
ニューススタジオ。(・・・を模したセットを作成する必要あり)
ニュースキャスター(男)
 「お昼のニュースです。本日、東京湾より現れた怪獣○○○○○が芝浦方面より上陸、
  地球防衛軍によるファーストアタックも虚しく、
  進路を北西にとって現在新宿方面に向かって移動中です」
ニュースキャスター(女)が怪獣の上陸ルートと予想される進路を記したフリップを手にしている。
ADがA4サイズの紙をニュースキャスター(女)にさっと手渡して消える。
ニュースキャスター(女)
 「ただ今届きました情報によりますと、さきほどウルトラマンが現場に到着、
  怪獣の×××××に苦戦したものの、最後は△△△△△△光線にてやっつけ・・・」


【Scene3】
男の部屋。男はベッドにうな垂れたように腰掛け、女は部屋の真ん中に立っている。

女「ねえ!どういうこと!?突然、なんでそんなこと言い出すの!?」
男「ごめん。もっと早く言えばよかったんだけど」
女、遮るように「どうして!?どうして!?どうして!!」
 (女、うずくまり、泣き崩れる)
 「・・・別れようなんて」

男、立ち上がって、ほんの一瞬、女を見下ろす。
手近の壁のところまで歩いていって壁にもたれかかる。
沈黙。

女、泣き続ける。
沈黙。

男、ぼそっと「・・・帰らなきゃならなくなったんだ」
沈黙。(女、泣き続ける)

男「もっと先のことだと思ってたんだけど、急に、今日の夜、帰らなければならなくなった」
沈黙。(女、泣き続ける)

女、顔を上げて、「どこへ・・・?」
男「M78星雲。・・・聞いたことあるだろ?」
女、何も言えず、ただ黙って男を見つめ続ける。
男「今まで黙ってたんだけど、実は、俺、ウルトラマンだったんだ」

女、立ち上がる。「何よ!それ、どういうこと!!」(激昂)
「嘘なら嘘で、なんでもっと普通のことが言えないの!?私のことバカにしてるの!?」
女、詰め寄る。男の服を引っ張る(ないしは男の上半身を思いっきり何度も叩く)。
「ウルトラマン!?聞いて呆れるわ!!
 ・・・証拠はあるの?あるなら出しなさいよ!!見せてよ!!」

男「ごめん。いくら□□子のことが好きでも、地球人には秘密を見せちゃいけないことになってるんだ。
  それに地球上にいられる3分間の今日の分を、さっきの怪獣との戦いで使い果たしてしまった」

女、男の頬を平手打ち。泣きながら部屋を出て行く。

男は部屋の中にたった1人取り残される。
壁際を離れ、ベッドの上に腰を下ろす。
煙草を取り出して火をつける。

初代ウルトラマンのテーマ曲が背後でかすかに流れる。

(続く)


[1564] 本を出します その11 2005-03-22 (Tue)

再校ゲラが届いて、月曜は1日部屋に閉じこもってそのチェックを行う。
作者による原稿の手直しはこれが最後。
初稿のゲラの確認と文章の修正の時には
編集サイドからもたくさん赤が入って僕の方もたくさん直しを入れたのであるが、
今回はそういうのもぐっと少なくなる。
文章としては完成形に近付いている。

初校のときにも再校のときもそうなんだけど、編集の方からは
大幅に加筆・修正された場合は発売日の変更や追加料金の発生することがあります、
と太文字で注意書きがなされている。
たぶん「大幅に加筆・修正」をしたがる人が世の中には多いんだろうな。
このエピソードのことを思い出したのでどうしても書き加えたいとか
小説だったら結末を変えたいとかそういうの。
僕の中で今回の旅行記は既に「過去のもの」であるため
僕自身は「これはこれ」とあっさり割り切ってしまっている。
よほど文章が変じゃない限り、手直しする気はない。直したのは文体だけ。
編集側で求められた場合のみ、情報を足したり引いたりしてみた。

「過去のもの」という言い方をしていると思い入れが無いみたいだけど、
もちろんそんなわけではなく。
2004年6月に書いた文章であるならば、
2004年6月に感じたこと・思ったものをそのままの形で残しておきたいというだけ。
そのとき思い出せなくて書けなかったことってのは
結局僕にとって大事なことではないのだから、
今になってどうこうしようとしてもあんまり意味が無い。
ただ、文章がおかしい箇所はたくさんあったから
それはもっと推敲してから出したかったとは思う。
(可能ならば前半部分は全部書き直したい)

今回の旅行記の文章は僕の中では下手な部類に入るので実はかなり恥ずかしい。
周りの人たちは「そんなことないよ」って言ってくれるんだろうけど。
こういうのって作者にしか分からない細部みたいなもんなのかな。

印刷所にはこの前の表紙が入稿されているようなので
今週にはその見本が届くことになっている。
発売日まで2ヶ月を切った。
じたばたしても仕方がないんだけど、じたばたする必要は無いんだけど、
いまなんとなくじたばたしたい気持ち。


[1563] 「ローレライ」 2005-03-21 (Mon)

引き続き、「ローレライ」
こちらからクリス君の奥さんが合流。
「サイドウェイ」を見終わっていったん外に出るとシネマ・メディアージュは大混雑。
映画に人が入っている。いいことだ。

「ローレライ」は大きな劇場で上映されてほぼ満席。
今年を代表するヒット作となるのではないか。

太平洋戦争末期、役所広司が艦長で妻夫木聡が特攻隊員役の潜水艦もの、・・・といった紹介は割愛する。
見てて普通に、面白かったです。いいんじゃないかな。

でもどうしてもハリウッドの同趣旨の映画と比較してしまうのでそんなことしだすと
「物足りないなあ」と思ってしまう。日本映画の限界をまざまざと感じられた。
「踊る大捜査線」で特大のヒットを当てたフジテレビが作るのだから
それなりにお金がかかってて、勢いがある。
だけど、そもそもの土台というか枠組み、作品としてのではなくて日本映画としてのそういうものに
なんというか「まだまだ感」をどうしても持ってしまう。
一言で言って密度が薄いんですね。さらっと描く・濃ゆーく描くという話ではなくて。
第2次大戦末期の潜水艦映画で娯楽大作としたらもっともっとむせ返るような密度が必要なんですね。
緊迫した雰囲気。暴発する葛藤。ソナーの音1つ1つが神経の奥深くを掻き毟る。
少なくともあの潜水艦の中はきれいすぎた。
もっと、猥雑なものなのではないか?戦時中の潜水艦の中は。
絶えずいろんな音が鳴り響いていて、絶えずいろんなわめき声が発せられているのではないか?
ハリウッドならばそこまで到達するだろう。
しかも見てて不快感を一切感じさせることの無いまま。
方向性は2つあって、さらなる物量作戦に出るか、あらゆる分野の撮影スタッフの質を高めるか。
そういう意味で日本映画はまだまだハリウッドに追いつくことはできない。
経済環境が激変しない限り、永遠に無理なのかもしれない。
日本映画は、小さくて地味でも良質な映画を目指すべきなのだろうか?

見てて考えたのはそういうこと。
クリス君とも見終わった後で話したんだけど
CGはものすごいことになってて実写の部分と区別が付かないぐらいなのに
ナチが開発した人間兵器「ローレライ」を操縦する少女パウラがドイツ語の歌を歌うとき、
口パクが合ってないんですね。
この辺の詰めの甘さが歯がゆい。「技術」をもってしてもどうにもならんのか。
妙に説明的なセリフがあちこちに出てきてばかりだし。
潜水艦映画ってある種固有のカタルシスさえ得られるかどうかが大事だから、
個々のセリフって聞こえなくても実はいいんですよね。
敵に襲われる、果たして生き残れるのか、それとも海の藻屑となるか。
その軸さえ揺ぎ無ければ成功は保証されてるのに。
なのに恋愛映画の要素を持ち込んでみたり・・・。

ピエール滝が大真面目で演技していて、なかなかよかった。
戦前は銀座のパーラーでアイスクリームを作っていたという無駄に細かい設定が最高。

---
見終わった後、京料理の店に入って「ローレライ」についてあれこれ言い合う。
その後予告編の話になる。
「踊る大捜査線」シリーズの番外編「交渉人 真下正義」は面白そうだなあ。
「踊る」シリーズは映画はおろかドラマの方もこれまで一切見たことないんだけど。

あと、気になるのは「タッチ」
予告編では朝倉南だけ出てくるんだけど、これがものすごく似ていない。
いいのだろうか?この時点で僕はがっかり。長澤まさみなんだけど。
上杉達也・和也に至っては果たしてどうなることだろう。
「タッチ」って僕はもう大好きでこれまでの人生で何回も読み返してきていて
神聖不可侵な「タッチ」像みたいなのが出来上がってる。特に「朝倉南」像。
それを侵されるようで怖い。
あの独特の陰のある感じはスクリーン上に再現できるのか。
監督が「ジョゼと虎と魚たち」の犬童一心だから
作品そのものは期待できそうではあるが・・・。


[1562] 「サイドウェイ」 2005-03-20 (Sun)

金曜の夕方、会社から出ようとしたらばったりクリス君と会う。
「3連休暇ですか?だったら映画見に行きましょうよ」ということになる。
クリス君がその時見たかったのは「ローレライ」か「エターナル・サンシャイン」で、
僕が見たかったのは「サイドウェイ」
そんなわけでじゃあまず1本目は「サブウェイ」にしましょうと決まる。
2本目は「ローレライ」

お台場のメディアージュに行けば両方見れることがわかり、
11時の初回を見た後、14時の回を見てそのままお台場で食事という
無駄の無いスケジュールが出来上がる。

メディアージュではJCBのカードを見せると1本につき300円引きなのだという。
2本で600円。これは大きい。
普段は100円割引程度のクーポン券ならばめんどくさくて使わない僕でも
これは利用しないとなと思う。
クリス君曰くけっこうこのサービスを行っているところは多いとの事。
知らなかったな。もしかしたらシネコンのほとんどで導入していたりするのか。
だとしたらこれまでかなり損してるな。

---
「サイドウェイ」
舞台はカリフォルニア。
人生も下り坂に差し掛かった2人の中年男性が主人公。

【マイルス】
 ・小説家志望。書きあげたばかりの大作がようやく出版されるか?という時期。
 ・普段の仕事はしがない中学校の英語教師。
 ・2年前に妻と別れ、そこからずっと落ち込んで悶々とした生活を送っている。
 ・ワインにやたら詳しい。
【ジャック】
 ・職業は俳優。昔はドラマ出演があったりで華やかだったけど今はCM出演ぐらいしか仕事が無い。
 ・一週間後結婚することになっていて、マリッジブルー。
 ・妻の父が不動産業をやっていて、手伝わないかと誘われている。
 ・自分はかっこいいという強い自信を持っていて、女をナンパしてヤルことしか考えていない。

こんな2人がジャックの独身最後の1週間を祝して2人だけで
あちこちドライブしてワイナリー巡りとゴルフ三昧を楽しもうということになっている。
映画はそこで巻き起こる等身大のごくごく小規模なてんやわんやを描いている。
というかただそれだけ。
途中出会ったワインに詳しい女性2人とうまくいったりいかなかったりという様子がメインに据えられる。

話を要約してみてもどうにもパッとしなくて淡々としてそうなのだが、
これがまたものすごく面白い。言葉では伝えられない面白さ。

そもそもこの2人の人物造形がうまくいってるところがポイントか。
僕が上で挙げたような性格ってかなり細々としたものになるんだけど
これって僕が分析しながら見てたわけではなくて見てたら誰でも指摘できるようになっている。
つまり、登場人物がリアルに描けている。素直にスッと伝わってくる。
演じた2人もそれぞれ成りきっていた。
マイルス役のポール・ジアマッティは「アメリカン・スプレンダー」の主人公ハービー・ピーカーで
強烈な印象を残していたのに、僕は見ててそのことを思い出さなかった。
あとでパンフレットを眺めてて初めて知った。それぐらいマイルスに徹していた。

女性2人もリアルなんだよな。
夜を過ごすために訪れた部屋に置かれた小物とその散らかし具合とか。
今でこそウェイトレスだが将来はワイナリーで働くために週に2回学校で学んでいるとか。
そもそも「美人じゃなさ加減」のリアルさとでも言うべきか。
男性側主人公が思いを寄せることになっているとしたら
たいがいの映画ではきれいな人をキャスティングするところを、
この映画では「うーん、まあ、きれいな方ではないか」ぐらいの人を持ってきてしまう。

アメリカの30代後半の人たちってこんななんだろうな。アメリカに限らず日本でも。
とにかく思うのはそういうこと。
若い頃は成功を夢見て、それなりのものを手にしたり失ったりしていく中で
そこそこのポジションに落ち着いてしまう。
それを黙って受け入れるか、もうちょっとあがいて見せるか。
・・・身につまされてしまう。

---
この映画はかなり秀逸な作品で
僕の中では今年見る映画のベスト5にまず間違いなく入るはずなんだけど
その面白さを伝えられないことを歯がゆく思う。
これまで書いてきたことを読み返してみても
「いや、そういうことじゃないんだよなあ」と頭を抱えてしまう始末。

この面白さの感覚ってアメリカの現代文学を読むのと一緒なんだろうな。
その魅力(ムードやトーンと言ってもいい)の質感には
同時代の文学につながるものがあるはずだ。
他にはなくてこの作品だけが持つ「輝き」ってやつ。そうとしかいいようが無い。

こういう作品がアカデミー賞の作品賞や監督賞にノミネートされて
脚色賞を獲得するのだから、アメリカの映画界は非常にまっとうだ。

お台場のメディアージュの日曜の初回で客は10人程度。もったいない。
「なんか面白い映画やってないかなあ」
「だけどゴテゴテしたアクション映画も食傷気味だしなあ」
「人間をうまく描けたコメディをどこかでやってないかなあ」
なんて思っている人は絶対観たほうがいい。


[1561] 花粉症で死ぬ 2005-03-19 (Sat)

昨日・今日と温かくて雨も降ったせいか花粉が飛びまくっているように感じられる。
鼻をかんでばかり。辛いです。

今週から症状が本格化。
外に出るときはマスクをして歩いて、点鼻薬をこまめにつけていたんだけど、抑え切れなくなってきた。
レーザー治療効果なし。
あるいは、レーザー治療をしたからこそ今のこの状態で済んでいるのか。
昨年の30倍も飛んでいるのなら、
1日中途絶えることなく鼻水を垂れ流し続けていてもおかしくはない。
鼻にティッシュを詰め込むようななりふり構わぬ生活。
幸い、そこまでひどくはない。

今年はもう目が痒くて痒くてたまらない。
目からも花粉を受容してるんだったかな。
外を歩くときはゴーグルをしようかとすら思う。
さすがに目はレーザーで焼けないし。

床屋に行く。
ご主人はもう30年来、花粉症と付き合っている。
もちろん30年前には「花粉症」なんていう言葉はなかった。
医者の間でも知られてはいなかった。「鼻かぜの一種?」みたいなもんで。
薬をもらいに行っても「外に出て運動しなさい」と言われるぐらい。

花粉症談義となり、「これはもう直らないね」という結論に至る。
医学の力をもってしても症状を抑えることしかできない。

こんな話を聞く。
「最近気付いたんだけど、ヘビースモーカーの人は花粉症にならないね」
言われてみると確かにそうだ。周りで花粉症の人のほとんどが煙草を吸っていないように思う。
何か相関関係があるのか。
ご主人も、「あたしも煙草をやめた後から花粉症が始まったねえ」と言う。

もう1つ。
作家の椎名誠はアトピー性皮膚炎がひどいらしく、なおかつ花粉症もち。
でもこの2つが同時に出ることは無い。
アトピーがひどい年は花粉症が弱まり、アトピーが弱い年には花粉症がひどくなる。
そういうもんか。

---
僕の場合は今のところ杉だけのようなのだが、
いつかヒノキやブタクサでもアレルギー症状を起こすようになるのかもしれない。
そうなったら大変だ。

3月末になれば収まるのであと10日間の辛抱と
今年は医者にも行かず飲み薬も服用していないのだが、
もしこれが4月も続くとしたら。。。

早く春が来てほしい。


[1560] モモンガ探しています 2005-03-18 (Fri)

早朝、犬を連れて散歩している人をよく見かける。

今日ふと思ったのであるが、「猫を連れて散歩している人って見たことないな」

犬も猫も飼ったことないけど、
猫がそういう類いの行為に向かない気まぐれな生き物だということはよく聞かされている。

猫に首輪をつけて、そこから飼い主の右手にまで紐が伸びている光景を目にしたことはない。

---
「犬を探しています」「猫を探しています」というのがよく電柱に貼られている。
この前、「モモンガ探しています」というのを見つけた。
アパートの近辺で3箇所も見かけた。
探せばもっと見つかるだろう。飼い主は必死に違いない。
女の子っぽい手書きの文章に愛くるしいモモンガの写真。
もう1回繰り返すが、「モモンガ探しています」
日常生活ではなかなかお目にかかれないフレーズだ。
ここはオーストラリアの森の中じゃないんだから。
(モモンガってオーストラリアというイメージがあるんだけど、違う?)

ペットとして買うことに興味のなかった僕が
モモンガという生き物について考えることは1年のうち、トータルで3分もあるだろうか。
どういう動物なのかあんまりわかっていない。大雑把かつ断片的な情報があるだけ。
リスみたいなやつで前足と後ろ足の間に膜があって、
木々の間を飛んでいる写真が思い浮かぶ。
あれって飛んでいるのだろうか。それともただジャンプしているだけなのか。
鳥のような翼じゃないから滑空しているだけ?

東京都杉並区荻窪駅近辺の住宅地で飼い主はどのようにしてモモンガを飼育していたのか?
庭に木が何本か生えててその間を飛べるというような住環境でなかったら
モモンガとしてはストレスが溜まるのではないか?
非常に短絡的に考えて、「そりゃ機会があったら逃げるよな」と思う。
今ごろは井の頭公園や石神井公園で野性に帰っているのではないか。

どこかの国から輸入されてきた珍しい動物たちが
飼い主の手を逃れて、あるいは見捨てられてその辺の公園で野性に帰っている。
予想外な場所で予想外な生き物たちが奇妙な生態系を生み出している。
やがて人間たちに対して復讐を行うようになる。
変なところに巣を作って詰まらせてしまうとか、あちこち食いちぎって断線させるとか。
人呼んで「モモンガの逆襲」

---
僕もペットを飼って、毎朝毎晩話し掛けようかな。
朝起きたとき、夜遅く帰ってきたとき、話し相手がいるというのはいいことだ。

何がいいだろうか?


[1559] 今、非常に書く気が出てきた短編のプロット 2005-03-17 (Thu)

例えば、他人の死を引き受ける力が人間にあったとしたらどうだろうか。
魂の交換といった形で。

病床に横たわる息子の手を母親がそっと握りしめ、立会人が「いいんですね?」と声をかける。
母親は無言のまま、頷く。
息子はその瞬間から母親の体を通して、この世界を生きていくことになる。

とある独裁国家の元首が影武者を呼び寄せる。
宮殿を模した公邸の、この世では3人しか知ることのない部屋。
真夜中。香が焚かれ、どこからか女性の歌声がかすかに聞こえる。
レコードやラジオによるものなのか、それとも誰かがどこかで歌っているのか。

・・・などなど物語はいくらでも生まれる。



莫大な借財と引き換えに。あるいはなんらかの手違いで。
あるいはその部族の掟として生まれながらにそのような運命に位置付けられていたものとして。
死にゆく抜け殻のような体の中で目覚めた青年が生や死、
自らが生きてきた時間について考察を巡らす。
絶え間ない痛みと日に何時間か、かろうじて明瞭になる意識の間で。
その腕や足を動かすことはできない。首を傾けることすら適わない。
弱々しくその目を開けたとき、見えるものは真っ白な天井だけ。
その光景すら滲んで、うっすらとしたものとなっている。
時折、その病室を訪れる誰かが誰かがその脈を計ったり、皮膚を撫でさすったりする。
外界との接触はただそれだけ。
幻想と考察と記憶とが渾然となった記述が続く。

死は、その場ですぐ訪れることもあれば
何日にも渡って引き伸ばされることもある。

【物語の結末】
誰かがその青年の死を同じように引き受ける。
でも誰が、なぜ?何の目的で?
青年は新しい体(新しい目)を通してその亡骸を眺める。
自分というものがつい先ほどまで「住んで」いた体。
彼は病室のドアを開け、外の世界へと出て行く。
鏡に映った新しい自分の姿を見つめる。
その時彼は何を思うことになるか?


[1558] 海賊 2005-03-16 (Wed)

マラッカ海峡にて日本船籍のタグボート「韋駄天」が襲撃され、
乗組員である日本人2名(船長・機関士)とフィリピン人1名が拉致される。
海賊による襲撃。
マラッカ海峡は海賊行為が多発している海域であるという。

海賊と言われてまず思うのは「そんなのまだいるのか」ということ。
頭の中に思い浮かべるのは「黒ヒゲ危機一髪」的な古き良き時代のデフォルメされたイメージ
(片目に黒の眼帯・縞模様のシャツ・真っ黒なヒゲ・頭になんか巻いてる)。
むさくるしい船長が携帯用の望遠鏡を覗いてかよわそうな船を見つけると
大砲を撃って「もろども、行けー!!」
そんでブラブラと甲板で酒を飲んでいた手下たちが「うわー!!」と叫ぶような。
あと、北欧のヴァイキング。

そんなわけでNHKのニュースで「海賊」と言われても
牧歌的なものが連鎖反応で出てきてしまうのでしっくりこない。
どう頑張っても縞模様のシャツの男たちが頭の中で現実化されるだけ。
早い話が凶悪に思えない。
「日本人がいたじょー」「つかまえろー」「わーい人質だー」
不謹慎ながらもそんな1コマを想像してしまう。なぜかハタ坊チック。
(家族の皆さん、船会社の皆さん、海上保安庁の皆さん、すいません)

---
昔「小さなバイキングビッケ」というアニメがあって、子供の頃の僕はよく見ていた。
「マジンガーZ」だろうが「タイムボカン」のシリーズだろうが
テレビであれだけアニメを見ていたのにほとんどがどんなもんだったか忘れてしまった中で
今でもこの作品のことはよく覚えている。それだけ良質な作品なのだろうと思う。
その名の通りバイキングの子供「ビッケ」が主人公で、
毎回毎回騒ぎが巻き起こるんだけどトンチで切り抜けて解決というまるで北欧版「一休さん」
考えるときに鼻の下を人差し指でこするんですよね。バックの音で「クリリリリン」って感じの音がして。
今でも再放送されたりするのかな。
してほしいな。見たいぞ、すごく。
「大草原の小さな家」と並んで、僕に子供がいたら是非とも見せたい番組だ。

驚いたことに公式ホームページがあった。けっこう根強い人気があるのかもしれない。
http://www.vicke.ne.jp/hp/index.html
2004年は初回放映より30周年だったのだそうだ。
公式グッズまである。
ホームページではアニメからの画像が紹介されていて
余りの懐かしさにジーンと来た。鼻の奥がツーンとなった。


[1557] 落ちていく 2005-03-15 (Tue)

この1年を振り返れ、とのお達しが来る。
そんで「やったこと、わかったこと、次にやること」を発表しろと。
まあ要するに会社の行事としてそういうのがあるわけですよ。
かったるいことこのうえない。

正直な話「振り返りましょう」と言われても、もう何も思い出せない。
健忘症なのかもしれない。
精神のメカニズムってのはよくできたもので、
無駄に辛かったことやただただ疲れるだけだったこと
なんてのは忘れてしまえるようになっているのかもしれない。
少なくとも最近の僕はそうだ。
「おまえがこの日の行動記録はこうなっている」
と誰かに突きつけられたら嫌でも思い出すんだろうけど。
そんなファンタジーを想像しなくても、
会社のPCから送ったメールの送信履歴を開いてみるだけで十分辿り直せる。
でも、そんなことは絶対にしたくない。
もう何も思い出したくないのだから、忘れるがままにしておきたい。
どこにその扉があるのか僕は知っているはずなのに、
そこに近付くことをひたすら避けて、
「知らない、僕は知らないんだ」と言い張ろうとしている。

記憶。
年末や正月の頃ですら危うい。
去年の春や夏のことなんてもっての他。
仕事からほんの少し離れたちょっとした物事ならかろうじて覚えている。
大阪に向かう新幹線の中で日差しが温かく気持ちよかったこと。
時間の感覚が狂ったままホテルとデータセンターを往復する毎日が続いている中で
午前3時に川面に映っている満月を眺めたこと。
しばらくそこに立ち止まってどうしようもない気持ちになったこと。
川面に映る月はゆらゆらと動いていて、
その小さな白い光の固まりはやがて溶けて消えてしまった。

---
年を追うごとにどんどん追い詰められていって
自分の居場所も行き場所もなくなりつつあるように感じられる。
そこには何もない。どこまで行っても何もない。
でも他に仕方がないから、そこにいるしかない。
凡庸な暗闇に呑み込まれて手探りで辺りの雰囲気を探る。
ただそれだけの毎日が続く。

目の前の仕事をこなして給料をもらって食事して寝る。
それを永遠に繰り返していくうちに肉体と精神が擦り切れていく。
残されたものは何もない。
より正しく言うならば、目の前に残されているものは何もない。
人はなぜ働くのか、働けるのか。
今の僕には不思議なことこのうえない。

---
頑張れホリエモン。
僕はライブドアを支持します。

既成の秩序なんてぶち壊してしまえ。
そしてこの国をおかしなことにしてくれ。

疲弊しきったこの社会を一瞬でいいから、誰でもいいから、
切り裂いて塗り替えてくれ。

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今の僕は奈落の底に向かって、為す術もなくただただ落ちていくだけだ。


[1556] 汐留 2005-03-14 (Mon)

昨日は仕事の関係で1日を汐留で過ごした。
(昼は Pedi の中の「夢民」でカレーを食べた。ここのカレーはおいしいですね)

汐留って昔JRというか国鉄が保有していた土地を
再開発して出来た場所だったような記憶がある。
気がついたら現代的なビルが立ち並び、ちょっとした観光スポットにもなっていた。
なんだかあっという間だった。話題になってから実際にものが出来上がるまで。
一夜にして作られたという印象がある。

再開発ってことで言えばお台場だってそう。
僕が上京したときぐらいがちょうど再開発完了の時期で、
ゆりかもめも開通し、フジテレビの新社屋が東京の新しい名所として脚光を浴びていた。
昔はほんとなーんにもなかったと聞く。釣をしに行くぐらい。
人工的に作られた地区に大勢の人が押し寄せる。東京らしい話だ。

それにしても。
汐留ってなかなか洗練された場所のように思えるが、実際のところ遊ぶような場所はなんにもない。
本来はオフィス街のようなもの。
それ以外にあるのは劇団四季の劇場と日本テレビの新社屋ぐらいではないか。
それでいておしゃれなレストランや気のきいたバーのようなものが充実していて、不思議な場所だ。
カップルや女性のグループをよく見かけるのは
あれは昼や夜に食事しに来ているのだろうか?
それともただただ目新しいだけ?

コーヒーショップだと思って入ったところは
アカデミー賞公認シェフの店ということのようでそのシェフの(?)サインが飾られていた。
なんかよくわからんが「すごいなあ」と思ってしまう。
(でもアカデミー賞公認ってなんなのだろう?監督公認ではなくて?)

昨日汐留のリブロに入ったら汐留のガイドブックが売られていて、
オールカラーでそれなりに厚い。
中を見てみたらほとんどがレストラン・バーの紹介。

実は汐留は何気に食の一大テーマパークとなりつつあるのではないか、なんて考える。
新橋は新橋で汐留とは正反対の雰囲気の飲食店が多いし、
いっそのことこの一帯は「食」「飲」をキーワードに進んでいくべきなのではないか。
(そもそも新橋って名前は知られてても観光客が訪れるような場所ではない。
 ガード下でオヤジたちが飲んでて年末にその模様が中継され、
 「今年一年の景気はどうでしたか?」と質問される、
 そのためにある場所と思われてないだろうか?関東以外の人たちからは)

---
お金はかかってもランチではおいしいものが食べられるのだから汐留で仕事がしたい。
六本木ヒルズでもいいなあ。


[1555] 本を出します その10 2005-03-13 (Sun)

昨日の夜、宅急便で出版社から表紙の案が2種類届く。
どちらもサハラ砂漠がモチーフになっていて、1つは写真、1つはイラスト。
イラストの方はラクダがバーンと中心に据えられていて
その後ろからは朝日が、という非常にインパクト大なもの。
編集の方からはこちらの方でどうですか?と薦められているが
僕的にはオーソドックスに写真の方にしたいと考える。

表紙ができてくると本としてかなり完成品のイメージが見えてきた。
帯もちゃんとついている。
あーあと何ヶ月かするとこの世に商品として、形あるものとして
具体的に存在するようになるのか。
そう考えるとなんだか不思議なもんである。

---
仕事の関係で今日は出社。
ただし竹芝のオフィスではなく、汐留にて作業。
昼食を食べに外に出たとき、地下にリブロがあった。
旅行記のコーナーがあって、割とたくさん本が置いてあった。
以前出版社から「どこを重点的に営業しますか」という問合せがあって
(日本全国のあらゆる書店に対して新人の第1冊目をプッシュすることなど不可なわけで、
 出版社の方で営業してくれる店舗はものすごく数が限られてしまう)
僕は会社の近くがいいだろう、と出版社から送られてきたリストの中にあった本屋のうち、
浜松町・汐留近辺の本屋の名前をたくさん挙げておいた。
このリブロもその中の1つ。
もしかしたらここに並ぶのかもと思うと我ながら「すげー」と思った。
まあ、置くかどうかは本屋側の判断なんだけれども。
・・・で、可能性はそんなに高くはない。

学生時代からリブロをよく利用していた人間からすれば
リブロに置いてもらえたとなればかなりの達成感だ。

---
今一番恐れているのは、
僕の友人知人が「せっかくだから買おうか」ということになったとき、
近くの本屋になくて amazon.co.jp などのサイトで購入しようと考える、
だけど amazon.co.jp では在庫なし。
その一方で割とあちこちの本屋に置いてもらえたものの
誰も買うことなく在庫として眠ったままになっていてやがて返本扱いとなる。
ものすごく運のいい人、あるいは「優しい人」しか手に入らない。
amazon.co.jp なんかは便利だから家からヒョイと買ってしまうけど、
わざわざ本屋に出向いて注文してくれる人はどれだけいるだろう・・・。

「買うよ」といってくれた人たちにはたいがい、
入手しにくいだろうから amazon で買ってくれと言ってるんだけど、
もしかしたらこれはよろしくないのだろうか。

・・・なんて感じで、傍から見るとかなりどうでもいい物事に対して不安になっている。


[1554] 憲法9条 2005-03-12 (Sat)

先月末、京都でジンと飲みながら話していたことをもう1つ思い出した。
「憲法9条について」

どういう結論に至ったのかは思い出せないし、
そこに至るまでの間何を話していたのかさえ思いだせない。

だけど、僕はこんなことを言ったことを覚えている。
「憲法9条、憲法9条とよく人は言うが、だったらその前の8条がなんで
 その後の10条がなんなのかみんな知ってるのか?
 そもそもこの国の憲法の第1条ってなんなんだ?」

もちろん僕は知らない。
その後調べてみるということもしなかった。
うろ覚えの知識で適当にその日思ったことをあーだこーだ言ってるだけ。

こういうことをよく知らないから憲法9条について語る資格は無い。
そういうわけでは決して無い。
語らないよりは語った方がいい。

だけどもうちょっとこの国のことは知っておくべきなんだろうな。

「学校で習ったけど忘れてしまいました」
そんな人ばかりだったら、いつかこの国はおかしなことになるのだろう。
足元をすくわれて躓いてしまうだろう。
僕ら自身が、というよりは僕らの子供たちが。


[1553] マラカス 2005-03-11 (Fri)

Mars Volta の新作の初回限定盤にはDVDがついていて(この手のもの最近非常に多いですね)、
中身はというとライヴの映像。これがまたすごくて、
「こんな音楽主義的バンドがまだこの世にいたのか!?」と感心させられるシロモノ。
ロック/音楽の枠組みを広げようと
目の前の巨大な何かに対してナイフを突き刺してその傷口を切り開こうとする、
そんな衝動に貫かれつつもそれはまた刹那的なものでしかないという儚さも漂わせた、そんなバンド。
この前出た2枚目は今年を代表する1枚と言っていいでしょう。

そのライヴの中でヴォーカルのセドリックは薄暗い照明の下、マラカスを高く掲げていた。
もちろん、安易なラテン・ムードの演出のためなどではなく、お茶目でもない。
その魂を振って鳴らすものとして、マラカスを手にしていた。

フロントの人間がマラカスを持っていてその姿が様になっているロックバンドは
たいがい音楽的に優れているように思う。
今具体的な例を思いつかないが、分かりやすい例ではハッピー・マンデーズ。
イギリス、80年代末から90年代初期にかけてのマンチェスターを代表するバンドの1つ。
僕はその映像を見たことはないが、このバンドにはやたらハイテンションな「ベズ」というダンサーがいたという。
楽器を演奏するわけではなくステージではマラカスを持つ程度だったというが、
この人抜きでは当時ハッピー・マンデーズを語れなかった。
ギターその他の楽器のメンバーの名前はたぶん今となっては誰も思い出せないが、
ヴォーカルのショーン・ライダーとベズのことは誰もが覚えていると思う。
凡庸なバンドならば楽器を演奏しない人間をメンバーには加えたりはしない。
音楽的にも精神的にも余裕がないからだ。
何もしないがその存在感はでかい、そういう人間を受け入れるには
それなりに音楽的にしっかりしていないといけない。つまりはバンド側の器の大きさ、懐の深さ。
(でないか、あるいは演奏できる側の人間が余りにも素人で演奏できない人間と大差ない場合だと成り立つ)

今、歌わない/演奏しないフロントマンがマラカスを持っている例を挙げたが、
歌う/演奏するフロントマンがマラカスを持つ例ももちろんある。たぶんこっちの方が多い。
そしてまた申し訳ないことに分かりやすい例を思いつかないのだが、
なんか今ふと、フリッパーズ・ギターの2人のうちのどちらかが
ステージでマラカスを持っていた写真のことを思い出した。
あれだけ批評性の高いバンドのことなのだから
それこそラテン・フレーヴァーの導入のためなわけがない。
その時その空間にて「何か」を語るものとしてその右手にはマラカスが必要だったのだ。
安直な言い方をさせてもらえれば何らかの「記号」「象徴」としてマラカスが利用されていた。
マラカスという楽器がこれまでに使用されてきた歴史的・地理的背景があって
それが恐らくどこかの時代にて特定のシニカルなマンガ的イメージが定着した。
メキシコ人は必ずあの大きな帽子をかぶってその手にはマラカスを持っているというような。
そのイメージを裏返す、逆手に取ることで
彼等はマラカスという楽器に別の価値を与えようとした、見出したというわけだ。
(その新たな価値は何もフリッパーズ・ギターの2人が発見したわけではなく
 マンガ的イメージの裏には常に隠された別のイメージというものが常にあったわけです。
 昼の子供のためのイメージが上記マンガ的なものだとしたら、
 夜の大人のためのイメージとでも呼ぶべきものが何事にもあるはずであって)

そんなわけで、かなり話をはしょるが
マラカスという楽器はなかなか難しいものなのである。
素人が持ってもなかなか様にならない。どうしても照れてしまう。
たぶんあなたも他の人がトランペットやギターを手にしている演奏会にて
自分の役割がマラカスだったりしたら照れくさい思いをして困ってしまうことになるでしょう。
それなりの必然性をもってマラカスを手にステージの上に立つには
勇気か音楽的経験か確信犯的な意図がどうしても必要なのである。

同じような位置付けの楽器にタンバリンというものがある。
これはこれでまた難しい。
(タンバリン担当と言って真っ先に思い出すのは元スパイダースの
 というか堺正章の相方といった方が通りがよさそうな井上順。
 現代のバンド構成しか頭にない若い人ならば
 「えー?タンバリンだけの人?ありえなーい」ということになるだろう)

チベタン・フリーダムにソロで出演した忌野清志郎がタンバリンの人と2人だけで演奏していた。
このタンバリンの人はフジロックでの忌野清志郎と矢野顕子のユニットでも
3人目のメンバーとして演奏していた。
この人ぐらいうまくなるとタンバリン専門というのもありになる。
シャラシャラシャラという鳴らし方も機械のように正確になる。

でもまあ普通タンバリンを持つとしたらやはり何かしらの「イメージ」のためとなる。

誰だったか忘れたが洋楽のミュージシャンのライヴを見ていたら、
コーラス担当の女性がタンバリンを持っていた。
なのにその人の腕は微動だにせず、そのタンバリンは何の音も発しなかった。
(というかマイクが拾わなかった)
その立ち姿は凛としていて非常にかっこよかった。
タンバリンの意外な使い方としてこういうのもある。


[1552] ハガキの振り分け 2005-03-10 (Thu)

2週間前に京都でジンと飲んでいたとき、郵政民営化の話になった。
お互い政治に関する難しい話を長々と議論できる方でもないので
その後いつのまにか話題は郵便局でのハガキの振り分け方法について、となっていた。
僕はこんなふうに思っていた。
官製ハガキの枠内に記入された文字を機械が読み取って自動的に振り分ける。
昔テレビで見たことがある。見たのは小学生や中学生の頃のことかもしれない。
機械が読み取るものなので枠内の数字の記入ははっきり正確になされなくてはならない。
はみ出したり極端に小さかったりするとエラーとしてはじかれる。

これは今、違う、というか進化しているのだそうだ。
それぞれのハガキの表面には人間の目には見えない塗料でバーコードが塗布され、
紫外線だったか赤外線だったか忘れたが光線を当てることでそれが読み取られ、
それを元に郵便番号の振り分けを行うのだという。
つまり工程として「機械が数字を読み取って振り分ける」というものだったのが
恐らく「機械Aが数字を読み取ってバーコードを塗布する」
「機械Bがバーコードを読み取って郵便番号ごとの振り分けを行う」という2段階の作業となった。
間に複雑な作業段階が1つ挟まることになり
素人の目からすればその分手間やコストがかかりそうなのであるが、
たぶんこの方が速かったり正確だったり大量処理に向いていたりするのだろう。
ポストから集められたハガキの束が町の中央郵便局へと運ばれ、
ものすごく大きな機械がものすごく大きな音を立てて動いている光景を僕は想像する。
僕の書いたハガキはその中をグルグルとくぐり抜けて
自動的に適切なカテゴリーへと吐き出される。

試しにハガキを手にして、様々な角度から見上げたり見下ろしたりしても
バーコードらしきものは見えない。
「ほんまに印刷されてんやろか」と不思議に思う。

年末になると郵便局の年季の入った名人が下駄箱のような枠の中に
年賀状を1枚1枚とてつもない速さで手作業で振り分けていくのがテレビでよく紹介される。
NHKのニュースの1コマで、上野のアメ横の賑わいなんかと一緒に。
ああいう「名人芸」もそのうちなくなってしまうんだろうな。
名人芸は名人芸なんだろうけど、「伝統芸能」ってほどのものでもないし。
21世紀が深まっていくにつれ、また1つ職人の技が失われるわけだ。

というかこのインターネットの時代に
そもそもハガキというものは今後どういう運命を辿るのか?


[1551] 花粉症? 2005-03-09 (Wed)

昨日の午後、熱がまた出てきたということで再度病院に行って診察を受けた。
微熱があるという以外に兆候がないので可能性は低いが、
という医師の前提の元インフルエンザの検査を受けてみたところ、判定は「感染なし」
インフルエンザだったらどうなるだろう?
今週いっぱい会社を休むことになるだろうか?
「ま、それもいいかあ」と思って、誰に何の仕事を替わりにやってもらうか、
どの仕事は遅れてもいいか、頭の中では割り振りを考えていた。
微妙に残念な気持ちとなる。

「まあ風邪なんでしょうね」という診断結果となる。
依然として微熱が続いている。が、それ以外に風邪の症状はなし。
はっきりさせたい。この状態はなんなのか?

今日の朝、目が痒くて鼻水が止まらなくて、ハッとする。
「そうか、花粉症か・・・」
今週になって温かくなって花粉の飛散が本格化。
一定量の基準を超えたので体が反応しだした。
そんでシーズンの初めだから熱が出た。
以前の年も確か熱が出たような覚えがある。

それにしても昨年レーザーで焼いたのは効果なかったのか!?
あれだけ痛い思いをしたのに無駄だったのか・・・。
あーあ。
1年と1週間ぐらいしかもたなかった。
昨年快適だったのは稀に見る飛散の少ない年だったからか。

今日の朝は鼻水が止まらなくてずっと鼻をかんでばかりいた。
コンビニでマスクを買った。
これからは会社の行き帰りにマスクをしようと思う。

昨日のインフルエンザの検査にて
鼻の奥に細い麺棒を押し込んで粘膜をグリグリとこそげ落とすということをした。
これを異物と感じ取って鼻が過剰に反応しているのかもしれない。
この直後から鼻水が止まらなくなった。
これが原因だといいのであるが・・・。
花粉症が大変だからどうこうというよりは、
せっかく受けたレーザー治療は効果を発揮してほしいという意味で。

---
話は変わるが、風邪を引いているところに
インフルエンザにかかったら大変なことになるんだろうな。
そんな羽目になって「ダブルパンチだ」という人の話は聞いたことがない。
どっちかに(というかインフルエンザに)吸収されてしまうのだろうか?
両方いっぺんに、というのを想像してみただけで辛そうだ。


[1550] インフルエンザ? 2005-03-08 (Tue)

昨日、朝起きた時はなんともなかったのに出社後寒気がしだす。
徐々に徐々にひどくなっていって風邪薬を飲んでもよくならず。
午後休みを取って病院に行く。
熱を測ってみたら37度を超えていて、それを見るとさらに具合が悪くなった。
37.3度。人間、具体的な数値で示されると妙に説得力を感じてしまうものである。

診察を受ける。
風邪かと思ったのだが、いつものように喉が腫れず、鼻水も出ないと
症状を説明すると、インフルエンザかもしれないねと言われる。
ただ、今の体の状態だとまだ初期だから検査しても出てこないかもしれない、
明日も熱があったらまたここに来るか、
家の近くのかかりつけの病院に必ず行きなさいと指示を受ける。
念のため解熱剤と抗生物質を処方してもらう。

この薬が効いたのか家に帰ってきてのんびり過ごしていると
熱が下がってだいぶ具合がよくなる。
なんだろ?食中りかなんかだったのか?と思う。なんだか少し腹の調子がおかしい。
とりえあずいつもより早めに寝る。

僕は普段、熱だけが出るということは全くない。
風邪かインフルエンザになったとき、症状の一部として出てくる。
「30も過ぎたことだし体の作りが変わってきたのかな」
なんてことを布団の中で考える。

朝いつも通り6時に起きて、そんなに具合は悪くない。
これなら会社に行けるかなと思うが、
前の日「明日は午前休取ります」と宣言していたので
せっかくだから午前は休むことにする。二度寝。
9時ごろ目を覚ます。
ゆっくりリンゴを剥いて食べたりココアを飲みながら音楽を聞いてボケーッと過ごす。
「さて、そろそろ出るか」とスーツに着替えて外に出る。
地下鉄に乗る。

下りた辺りからなんだか喉が痛く、なんだか少しフラフラする。熱っぽい。
もしや、と思う。
・・・インフルエンザかもしれない。
今、会社の中にいるの。後で病院に行ってみる。

入社後これまで2回インフルエンザにかかったことがあって、どちらも即倒れた。
僕はいつも風邪を引いたときは喉と鼻と寒気がメインで腹に来たり頭痛がすることはない。
それがインフルエンザになるとほぼ逆転する。腹と頭。めまいとむかつき。熱が続く。
2日がかりでジワジワと来るってのは初めてのケースだが、
これってやっぱりインフルエンザなのだろうか。。。

乞うご期待。