[1743] メキシコ(9/5)その15 レストランで食事 2005-09-17 (Sat)ここまで車で来て、ソカロの通りに入ったところで下りて昼食。ここから先の観光は徒歩となる。
「Sanborns」というレストラン。メキシコ各地に店舗があって有名らしい。
ここの店舗の建物は以前は貴族のお屋敷だったという。壁が青いタイルでできている。格式ありすぎ。
入口にはきれいにデコレーションされたチョコレートが売られている。
急遽午後ツアーに参加してよかったのは、こういうちゃんとしたレストランに入れることだ。
さすがにサンダル履きで1人で入るにはためらわれる。
参加してなかったら屋台とかファーストフードやセブンイレブンで食べて終わりになっていた可能性もある。
中は広く、2階は吹き抜け。
赤・白・緑のメキシコ国旗カラーの大きな風船が天井から吊り下げられている。
そして天井は白いガラスで覆われていて、採光できるようになっている。
メニューを見てもよくわからず、全てスペイン語。
Nさんに「とにかくメキシコっぽくて辛いもの」を選んでもらう。
結果、コースとして野菜スープと、「チチャロン」という豚肉の皮に
緑のサルサソースっぽいものをかけて煮込んだものと、アイスクリーム。コロナビールを追加。
ようやくここでコロナを飲むことができる。専用のジョッキとライムも出てくる。
「コロナコロナ」と喜んでいると、みなに「日本で飲めないんですか?」と驚かれる。
日本から来ているのは僕だけで、女性たち2人はなんとバンクーバーから来ていた。
乗り継ぎという意味ではなくて、在住。
(お互い、仕事のこととかそういうプライベートはは聞かずに終わった。名前すら知らず。
1日だけのオプショナルツアーで出会うとそういうところが微妙なまま進んでいく)
出てきたのは、大きな皿いっぱいにヒタヒタにかけられたサルサソースと
その中に豚の皮(初めて食った)とチョリソー、
付け合せにレバーペーストのようななんらかの肉のペーストとトルティージャのチップス。
豚の皮は赤のサルサソースをかけて激辛にする。コロナが進む、進む。
テーブルにはオーダーした料理とは別に最初からオードブルが乗っている。
「ワカモーレ」というアボガドのペーストとトルティージャチップス、
名前はわからなかったが、カリフラワーやニンジンのピクルスのようなもの。
(単純にピクルスなのかもしれない)どちらもうまかった。
デザートのアイスクリームはバニラなんだけどモチッとした食感があった。
トルコのアイスってモチッとしてるという話を聞いたことがあって、
メキシコもそうなのかと思ったら特にそういうわけでもないとのこと。
ただ単にメキシコに入ってくる(恐らく)ネッスルのアイスがモチッとしているだけ。
ガイドのNさんの話を聞く。
1ヶ月にどれぐらいあればメキシコに住めますか?という質問に対しては6万もあれば十分とのこと。
今住んでいるアパートは1LDKで1万5千円。
もう4年も日本に帰ってない。
語学学校を辞めて(?)メキシコをフラフラしている間に、
知り合いに頼まれてメキシコシティの旅行会社で働き出した。
ひっきりなしにタバコを吸う。マルボロ。日本の方がうまいと思うが、アメリカのしか手に入らない。
前は一箱2、30円だったのが、今は190円ぐらい。かなり値上がりした。
日本のタバコは手に入らない。
バンクーバーシスターズ(ガールズと言った方がいいか)の1人がタバコを吸う。
バンクーバーでは7、800円ぐらいして、しかも吸える場所は限られている。
屋内はだめで屋外でしか吸えないとか。
「今、日本は吸ったらいけない場所が増えてるんですよね」と言われて僕は頷く。
「名古屋がそうらしいですね、万博で」とNさんは言う。
日本に住んでいる僕ですら、そんなこと知らなかった。
「そもそも日本って今、暑いんでしょうね」
暑いですよ、と僕は答える。
治安の話になる。Nさんはこれまで特に危ない目には遭ったことがないという。
夜はタクシーに乗る、などなど自衛の手段を講じていれば大丈夫。
むしろ財布を落としたら「落としたよ」と周りが声を掛けてくれるぐらい。
メキシコの人たちは基本的に人がいいという結論に至る。
ただ、観光客っぽい雰囲気丸出しで無防備でいると、危ない人をひきつけてしまう。
昨年はデジカメをひったくられる人が多かった。
首からデジカメをぶら下げているととにかくだめ。
デジカメじゃなく、何かを首からぶら下げていてもだめ。
デジカメは闇に売られ、市場に出回る。
とにかく高額であるため、一般庶民の手には届かない。
Nさんもバンクーバーガールズの2人も、
日本の方が絶対に危険だ、「戻れない、日本で生活できない」と声を揃えて言う。
国立人類学博物館で携帯を持っている学生たちが多かった、
携帯の普及率ってどんなもんなのかと聞くとかなりあるという。
しかし若い人で持っているのは富裕層となる。
あと、日曜だと国立人類学博物館などの施設が無料になるという「地球の歩き方」の記述は間違い。
ヴィザがないことには外国人は無料とならない。
タクシーのことを思い出して聞いてみた。
空港内に見つからなかったと言うと、そういえば最近確かに空港内のレイアウトが変わった。
奥の方にあったタクシーチケットのブースが2社とも空だったのは、メキシコではまあ、よくあること。
そんで見つけたタクシー会社のが450ペソだったと言うと高いと驚かれる。
でも8人乗りに1人だったと言うとそれはそうかもしれないということになる。
ぼられたわけではなく、僕のタイミングがものすごく悪かった。
いろいろと話はしていたんだけど、なかなか会話を転がすことができず。
質問されたらそれに答える、こちらから質問をしてそれに答えが返ってくる。
それはできるがそれをうまいこと発展させることができない。
気心の知れた人になら言えるような気の利いたことも言えない。
社交下手というか人見知りする性格というか。
なんだかもどかしくなんだかもったいない。
パーティーでたまたま一緒のテーブルになって会話してるかのようだった。
これまでどこに旅行しているかという話になったときに
去年はモロッコとドバイに行ったと僕は言った。
「モロッコですか!行ってみたいんですよね」
「ドバイですか!高級リゾートですよね」
という反応が返ってくる。でもそこから先ぱっとしない。
旅行記を出したことを話すべきだったか?
話せば話したでその後大きく展開が変わったのかもしれないのだが。
食べ終わってチップをテーブルの上に置く。
(Nさんに何ドル払えばいいですか?と聞いて10ドルと判定してもらう。食事代の10%)
入り口で支払いをする。コースが84ペソでコロナが22ペソ。
バンクーバーシスターズのもう1人が僕が1日手ぶらで過ごしているのを見て、
「荷物なくて大丈夫なんですか?」と聞く。
僕は「ガイドの人がいればガイドブックいらないし、暑くないから水もいらないし・・・」
女性じゃないしメキシコに1人で来ているぐらいだから財布さえあればなんとかなる。
一応パスポートもボタンのかかるポケットに持ってはいるが。
そもそも日本にいてもなんだかんだ持って歩いてないからなあ。
本と携帯と部屋の鍵と、それぐらい。
[1742] メキシコ(9/5)その14 お土産屋に立ち寄る 2005-09-16 (Fri)ティオティワカン終了。
車でちょっと行ったところにある土産物屋に立ち寄る。
ここでリュウゼツランから作った蒸留酒プルケを試飲できる。
店のオヤジが出てきて解説を始める。
曰く、リュウゼツランは10年で枯れる植物である。
茎?を1本切り取るとナイフで削っていく。
甘い水が取れ、それがアルコールとなり、やがてプルケとなる。
それだけでなく昔は紙として使われ(剥いだ薄手の皮に「MEXICO」と書く)、
樹液はシャンプーや石鹸の替わりとなり、残りの繊維は染色され織物に利用される。
続けて黒曜石を磨いた玉や飾り物の解説となる。渡されたのを僕が眺めてると
他の人たちから「1個や2個勝手に持ってってもわかんないんじゃない?」と言われる。
そしてようやくプルケ試飲へ。
小さなプラスチックの容器に注がれる。
飲んでみると白菜っぽくて正直あんまりおいしくない。
まだまだあるよと今度はテキーラを注いでもらう。
飲む前に「待った」がかかり、ライムを渡され、その上に塩を振りかけられる。
このライムをかじりながら飲めということ。
さすがにこれはうまい。これぞテキーラ。
これで終わりかと思ったら3番目に出てきたのは甘いテキーラ。
でもこれは子供のシロップというか養命酒っぽくてそんなにおいしくはない。
うーんと思っているととっておきが出る。
虫入りのテキーラ。丸々とした白い芋虫がプカプカと浮いている。
ゲゲッという雰囲気が広がり、まあ冗談ですよって感じだったのだが、
ガイドのNさんが誰か飲みますか?と聞いてくるので
「じゃあ僕」と手を上げる。虫テキーラが注がれる。
手の甲、親指の付け根にライムをこすり、その上に塩を振りかける。これを舐めながら飲む。
飲んでみる。実はこれが最高の味わい。手の甲のライムも含めて。
きりっとしていて飲みやすく、それでいてテキーラ特有の胃の中で燃えるような「強さ」が
今まで飲んだ中で1番はっきりしている。これは種類としても上の方に入るものではないか?
買って帰りたかったが、・・・やめておく。
飛行機の中で瓶が割れてしまったら大変な目に遭う。
お土産物屋の中で後はご自由にとなるが、欲しいもの・買いたいものは特になし。
マグカップであるとか、麦藁帽子であるとか、黒曜石で作られたチェスの駒であるとか、
ペーパーナイフ、バレッタ、ブレスレット、首飾り、ネックレス、フォトスタンド、
メキシコのお土産になりそうなものは何でも揃っている。
無理やり買わなくてもよいようで助かった。
外に出てサボテンを眺める。
牧場で放牧しているかのように、サボテンがニョキニョキ生えている。
店の屋根の下には機織機も置かれている。
これで半日観光のメニューは終了。
友人を訪ねてメキシコに来た女性2人組のうちの1人が
「雷お越し」みたいなお菓子を買ったというので分けてもらう。
「雷お越し」そのもの。非常に甘い。ひまわりの種やピーナッツが入っている。
メキシコ人にとっては非常にポピュラーなお菓子らしい。
彼女たちは午後も引き続き同じガイド・車で観光をするというので、
僕も一緒に入れてもらうことにする。
メキシコシティの中心地ソカロを見て回る。
月曜だとメキシコシティはどこもかしこもしまってしまうので実は何も見て回れない。
(ドバイの金曜日のようだ)
それがあって僕はティオティワカンに行くのを月曜にした。
しかし、午前中にこれが終わってしまうと午後することがなくなる。
毎日開いている国民宮殿に行くぐらいか。これもソカロにあるんだけど。
ドライバーはメキシコ民謡のテープをかける。「メキシコ!メキシコ!」と愛国的?な内容。
疲れた観光客は車の中で眠り始める。プルケやテキーラも飲んだことだし。
新婚旅行の2人をホテルに下ろして、午後の部開始。
僕はティオティワカン観光に日本で2人分の代金を支払っていたので、
1人分の代金をこちらの午後観光の追加代金に相殺させることにする。
日本で申し込んでいるとこういうことになる。
1人参加がそのまま1人催行になるのかどうかわからないので、
最低料金としてとりあえず2人分払わざるを得なくなる。
で、他に参加者がいた場合には後で1人分を返却する。
日本に戻ってから1人分4000円が戻ってきてもあんまり嬉しくないし
こっちで使ったほうがいいと考える。
つうかそれ以前に1人で過ごしているととにかく味気ない。これが本音。
旅慣れた人に聞くと、こういうオプショナルツアーは現地の旅行会社に直接頼んだ方が断然いい。
そもそも往復の航空券だけ日本で買って後は現地で、とするべき。
僕も今度からそうしようと思った。
レフォルマ通りに出て、「独立記念塔」へ。
朝、集合場所のホテルに行く前にもこの前を通った。
そのときは「ふーん、こういうものか」ぐらいにしか思わなかったのが、ガイドによる解説がつくと違う。
メモし忘れたんだけど、この人物は誰であり、その下のライオンは何を表していて(希望・平和?)、
というのを聞くと「ほお、そうか」という気分になる。
メモを判別すると何かの300周年ということで1910年に作られたということになるのだが、
メキシコ独立は19世紀だしなあ。
とにかく、これだけは確か。
独立記念日9月16日にはメキシコシティの街はお祭り騒ぎとなるが、
そのときここ独立記念塔を大統領が上ることになっている。
そしてここに上ってもよいことになっているのは大統領だけである。
女性たち2人はガイドのNさんに写真を撮ってもらう。
今日ずっと僕は撮ってもらわなくていいのかと何度も聞かれたが、「いや、いいっす」と断る。
1人で観光地で写真に写っているのってなんとなく嫌。
レフォルマ通りに沿って車が進んでいく。
前にも書いたが、1ブロック進むごとに記念像や記念塔が出てくる。下車せず、車窓から観光。
「クアウテモック記念像」
アステカ最後の王にして、メキシコの英雄の1人。
スペイン人に両足を焼かれるという拷問を受けても、財宝のありかを口にしなかったという。
「コロンブス記念像」
南も含めて「アメリカ」大陸を発見したからということで像が一応建てられているが、
反米感情を持つメキシコ人ははっきり言ってコロンブスのことも嫌いらしい。
「カルロス四世の馬」
現代芸術の賜物としか言いようがない摩訶不思議な黄色いどでかいオブジェ。
タイトルを言われて初めて、「ああ、馬に見えなくもないな」と。
そもそもレフォルマ通りは1864−67年のフランス領だった時代に、
シャンゼリゼ通りを意識して作られたものだという。全長36kmとなる。
「アメルダ公園」
メキシコシティ最古の公園とされている。
作られたのはチャプルテペック公園の方が先だが、開放されたのがアメルダ公園の方が先だということで。
19世紀の大統領ベニート・フアレスの記念碑が立っている。
フアレスは貧しい生まれでありながら立身出世を果たした人で、今でもメキシコ人に人気がある。
「ベジャス・アルデス宮殿」
メキシコで最も格式のある劇場。1903−33年と30年かけて建てられた。
水曜・日曜はメキシコの民族舞踏が全て見れる日ということで人気がある。
[1741] メキシコ(9/5)その13 ティオティワカン遺跡 2005-09-15 (Thu)農業地帯まで来るとほんと田舎。ようやくティオティワカン到着。
「ティオティワカン」とはアステカ語で「神々の住む都」を意味する。
後に「ティオティワカン人」と呼ばれることになった先住民族は150年〜750年にかけて
人口20万の都市を築きあげたが、これが放棄される。
(その理由は、一部の人間が反乱を起こし、全ての富を独り占めにしようとして
火をつけたことによるものだというが、
この文字なし・絵文字のみの文明についてはまだまだ不明な物事が多い)
その後13世紀になってアステカ人がこの都市を発見し、替わりに住むようになる。
アステカ人は「太陽と月の神話」を信仰していて、
この古代遺跡に残された2つのピラミッドはそれぞれ
「太陽の神殿」「月の神殿」と呼ばれることになった。
ティオティワカン人たちが自ら、この遺跡のことをティオティワカンと呼んでいたわけではない。
まずは住居跡に入っていく。
壁はティオティワカン人によるオリジナルのものと、アステカ人が復元したものとに分かれる。
オリジナルは地味な赤茶けたような、赤紫のような滑らかな岩であるが、復元した方はカラフル。
石灰の白い地に紺に赤にオレンジの鮮やかな岩がはめ込まれている。
大きさはこぶし大から大人の頭ぐらいまで様々。
それらの岩の間には小さな濃い色の小石が模様を描くように隙間を埋めている。
オリジナルの方が外側で復元した方が内側という時間の順序を逆にしたような形状となっている。
(その理由は忘れてしまった・・・。壁を強化するためだったらしいが)
オリジナルの壁の赤い色は食用サボテンにくっつく虫コニチールの卵をつぶすことによって得られる。
卵からは赤・黄・緑の3色が取れるが、赤を利用する。
この赤をティオティワカン人は半年に1度塗り替えたのだという。
この塗料・顔料は敷石にも塗られ、よってツルツルとした肌触りを得られた。
ティオティワカンに住む人は裸足で生活し、他の地域に出かけるときのみ靴を履いた。
建物は「タルー・タブレロ」という手法で建造されている。
これは壁の上部を90度の垂直にし、下部を68度の斜めにして上部に差し込むというもの。
現代の建築学においても68度という角度は最も耐久性のあるものであるされているのだが、
それを古代のティオティワカンの人たちは知っていた。科学技術力の高さが伺える。
壁画が残っている個所があって、ジャガー神が描かれている。
上半身が人で下半身がジャガー。神ケツァルコアトルを描いたもの。
神はほら貝を持ち、祈りを捧げている。ほら貝からはひらがなの「し」ような線が延びていて、
これは当時のト音記号であるという。
ピラミッドの中へ。西暦150年、1番最初に作られた神殿。
緑色のワシが黄色いトウモロコシを前足に掴んでいる。豊作を祈っている。
そしてまた外に出て、神官の部屋へ。ここもまた床はツルツル。
神官たちは昼は太陽暦の観測を行い、夜は天文学の観測を行った。
そして異変がないかを探した。この部屋でティオティワカンとしての、全ての意思が決定される。
別名をケツァルコアトルの部屋とも言う。
柱に刻まれたケツァルコアトルは上半身が蛇で、下半身が蝶。
古代はこれらの柱は一本の岩で作られていたそうなのだが、全て反乱者により持ち去られた。
現在残っているのは復元であるが、岩を組み合わせて作られたもの。
埋められていた黒曜石も全て持ち去られた。
この部屋にいる間、鳥の鳴き声が聞こえた。
日本では聞いたことのない、澄んだ、鋭い鳴き声をしていた。
歴史の時間も終わり。
ここから先は自由行動となる。
月のピラミッド、死者の道を500mほど歩いて、太陽のピラミッド。
まずは手近にあった月のピラミッドに上ってみる。中には入れない。外側を上るだけ。
高さ42mで横は150m。太陽のピラミッドと比べて低い。
急な階段を上って行く。半端じゃなく急。
そもそもが2000mの高さにある場所だし、すぐ息が切れる。ハーハー言う。
上っているのはもちろん各国から来た観光客ばかり。
途中からその急な階段もなくなり、表面に突き出た岩を足がかりに上っていく。まるで登山。
サンダルで来たことを後悔する。
頂上へ。ま、実質は5分もかからず上れる。
風が気持ちいい。超気持ちいい。
まっすぐ「死者の道」が伸びていて、その先には太陽のピラミッド。
そして四方八方に広がるメキシコシティ郊外のパノラマ。
遺跡は森林や山岳地帯の中にあるのではなく、村?の中にあって割と開けている。
サバンナのように木々が点在していて、その向こうに山があって・・・。
それが360度広がっている。素晴らしい眺め。
素直に「来てよかった・・・」と思う。
頂上に埋まっている石に世界各地の観光客が白や黒のポスターカラーで名前を書いている。
僕も書きたくなった。
新婚旅行のカップルが上ってきたので、2人の写真を撮ってあげた。
下りていき、「死者の道」を歩いていく。
「死者の道」と言ってもただの砂利道。ティオティワカン遺跡を南北に貫く。
古代の人々は儀式の際にここを恭しく歩いたのだろう。
道々、小さな神殿跡に上れるので上ってみる。
学生と思しき日本人観光客の集団に日本語で話し掛けられる。
「ツアーの集合場所はどこですか?」
「違うツアー、違う旅行会社なのでわからないんですよ」と答えるしかなくて、
ごめんなさいと付け加える。
物売りがのんびりと近付いてくる。
麦わら帽子をかぶったおじさんたちがワラワラと近付いてくる。
鳥笛?とでも呼ぶべきものや工芸品。黄色のタオルに包まれていて、それが目印。
モロッコのときのように嫌でも買わせて買うまで離れない、ということはなく
無視しているとすぐにも離れていく。純朴なところがいい。
太陽のピラミッドへ。高さ65mで横幅225m、段数は248となる。
世界で3番目に大きなピラミッド。敷地面積では世界一。
京都では金閣寺・銀閣寺になんだか似ていて、趣があるのは銀閣寺−月のピラミッド、
その存在そのものでとにかく圧倒するのは金閣寺−太陽のピラミッド。
大きいですね。側から見ても上ってみても。
日が出てきて暑くなる。
着ていた、というよりほとんどずっと手に持っていただけのネルシャツはガイドのNさんに預ける。
同じように急な階段を上っていく。ヒーヒーハーハー言いながら。
頂上へ。風が心なしか月のピラミッドよりも冷たい。もっと気持ちいい。
この頂上でビールを、あるいは百歩譲ってコーラを飲めたらなあ!!
空は抜けるような青く、くっきりとした白い雲が浮かんでいる。
他のツアーの日本人たちも上ってくる。白人たちも多数上ってくる。
足元に積み上げられた岩の数々。
古代の人たちはなんでこういうものを作ったんだろう、と素直に不思議に思った。
これだけの高さと広さを持つものを造るとして、どれだけの時間がかかったのだろう。
どれだけの人を必要としたのだろう。
タイムマシンがあったら、そのときの様子を見てみたい。
ここで行われた儀式を、見てみたい。
これだけ大きいものを造るってのはただ単に
当時の為政者の圧倒的な力を指し示すためだけの理由でなされたのだろうか?
遺跡は多くの物事を語っている。
その内部の絵文字であるとか、そもそもその存在であるとか。
しかし僕ら現代の人間が知りたがっている俗世間的なことは何一つとして教えてくれない。
遺跡自体が1つのメッセージであって、その解釈はそれぞれの人間に委ねられている。
時間の関係上、川を渡った先にあるケツァルコアトルの神殿までは行けず。
だけどちょっとだけ時間があったので土産物屋を覗く。
幅の広い道の両側に市場のように小さな店が並んでいるのであるが、
ほとんどがシャッターを下ろしている。土日は全て開くのかもしれない。
どれも同じようでいて、笛の店、帽子の店、置物の店、仮面の店、衣類の店と扱っているものが異なる。
端まで歩いていって清涼飲料水の店を見つける。コーラを買う。10ペソ。
2つのピラミッドを制覇した後、空は晴れていて日が出ているのに標高が高いためそんなに暑くはない、
そして風が冷たくて気持ちいい。こんな状況で飲むコーラは最高にうまかった。
こんなうまいコーラは久々だ。
[1740] メキシコ(9/5)その12 メキシコシティ北部を走る 2005-09-14 (Wed)車に戻る。
北へ北へ進んでいく。
地上に出た地下鉄の駅が視界に入る。
オレンジ色の車両がホームをゆっくりと走っている。
メキシコシティの地下鉄は1965年、メキシコオリンピックを機にフランスの協力により敷設された。
どこまで乗っても2ペソという安さからか1日になんと450万人から800万人が利用する。
しかし、メキシコはますます車社会になりつつあり、
一家に1台と以前言われていたのが今や一家に2台の時代。
ますます排気ガス排出に拍車がかかる。
ナンバープレートの末尾によりこの曜日は走ってはならないという規制を打ち出しているが、
もちろん守られていない。
とにかく車の数が多く、運転も荒い。
レフォルマ通りでは警官があちこちに立って笛を吹いたり手を振ったり大変そうだったが、
そこぐらいか、交通マナーが守られるのは。
運転免許はなんと、取得するものではなく購入するもの。
年間180ペソ。安すぎ。永久の免許もある。
ガイドのNさんもそろそろ買おうかと言っていた。
大統領が来年変わったら制度も変わるかもしれないから今年中に、とのこと。
買うぐらいだから運転マナーというのは「世襲制」で、お父さんの運転が雑だと子供も雑になる。
お父さんの運転がうまくてそれをみようみまねで覚えるか、教習所(一応ある)に通うか。
Nさんのメキシコシティー・レクチャーは続く。
メキシコシティは階級社会だという話になる。
先ほどの車の話で言えば、上流階級が好む車は日本と一緒で外国車。
アウディ、ベンツ。日本車だとホンダ。
中流階級は日本車だと日産「サニー」が好まれる。
下層階級で人気があるのはフォルクスワーゲンの中古車。
流しのタクシー「リブレ」は専らフォルクスワーゲン。これがあちこちで走っているのは、
そしてそれが下層階級の人たちの乗るものであるとされるのはそういうことか。
中産階級用のセダンタイプのタクシー「シティオ」は日産「サニー」で、
メキシコでの名前は「TSURU」実際見てみたらそうだった。
もう1つ人気があるのは同じく日産の「ブルーバード」で、
メキシコでの名前は「GEISHA」・・・
住居にももちろん階級格差が現れる。
メキシコシティの中心にはホテルの立ち並ぶ上流階級の住む区画があって、
その周りに中流階級の住む区画が広がる。
そしてそのさらに周辺の郊外は貧しい人たちの住む地域となる。
低い山が裾野から侵食されていって、四角いコンテナのような灰色の「家」が増殖している。
これを日本語では「落下傘部隊」と呼ぶ。
地方で仕事にあぶれた人たちが首都メキシコシティに来ればなんとかなるとやってきて、
勝手に家を作って住み着く。
その山がもともと国有財産だったとしてもそこに5年住んだら居住権が与えられるという制度がある。
そうすると木材とトタンだけからなる粗末なあばら家に住む者にもコンクリートを買う権利が生まれ、
家らしくなってくる。やがてガスや水道も引けるようになる。
こうして灰色の家がしっかりとその斜面に固着する。
いつかメキシコシティの山々はこうした「落下傘部隊」で埋め尽くされるだろうと言われている。
こうした郊外の果ての果てに住んでいる人たちは何をして暮らしているかというと
観光客が泊まっているホテルの集中しているレフォルマ通りへと2時間かけて地下鉄に乗ってやってきて、
町行く人相手に新聞やガムを売っている。
もちろん、金になるわけがない。
メキシコシティで仕事にあぶれると彼ら/彼女たちはカンクンに流れる。
旅行好きな人なら知ってるけど、最近知名度の高いリゾート地ですね。カリブ海に面した。
でもここで働くには英語が必須。
下手すると公用語のスペイン語すら話せない人たちも多いのに英語となるとさらにハードルが高い。
そして挫折した彼ら/彼女たちは「自由の国」アメリカ合衆国へと流れていく。
そうすれば英語が学べるから。そうすれば大金が稼げるから・・・。
アメリカ合衆国へと逃れるメキシコ人は年間350万から400万人に及ぶ。
4日に国立人類学博物館に行ったときに老若男女がメモを取っているのを見て
勤勉な国だなあという印象を僕は受けたが、
あれは中流・上流階級の人たちだったのだろう。
スペイン語が話せずにアステカ後を話すという人がまだまだ大勢いるとNさんの話は続く。
そういう人たちのために地下鉄では通常の路線図の隣に、
その駅の周辺図を記号を使って描いたものを貼っている。銀行はドルのマークなど。
駅1つ1つがアステカ風の固有な記号となっている。
(後にソカロを案内してもらったときに、地下鉄の駅へと下りていってこの解説となった)
住居の話に戻る。
落下傘部隊の一角を過ぎると、同じく小さなコンテナのような家が立ち並ぶ一角に入った。
でもこちらは山の斜面ではなく、道路の脇の区画に。
これらは国営団地。塀が立てられ、警備員がいて、とメキシコシティでも最も治安のいい地区らしい。
3LDKで1万5千円という安さ。メキシコの物価は日本の半分と言うのを差し引いても安い。
入居の条件は世帯の年収が月7万円以下であること。
(しかし、入居時にこの年収であって、
その後この条件を上回るようになっても出て行かなくていいことになっている)
メキシコシティの女性は結婚後主婦となることが多いが、
この国営団地では共働きの世帯となることを想定している。
国営団地の一帯を抜けると、工業地帯。火力発電所の煙突が黒い煙を放っている。
メキシコは中南米ではブラジルに次ぐ経済大国ということになっている。
主な輸出品は、金・銅・鉛など。
取引先の上位3カ国はアメリカ・フランス・ドイツの順。4番目に日本。
小泉首相がケサーダ大統領と会談を行い、自由貿易協定を結んだので取引高はさらに増えそうな見込み。
そうなったときメキシコシティで日本語の目にする回数は飛躍的に増えるのではないか。
あちこちで見かけなくもないが、まだまだ少ない。
メキシコの友達となるアジアの国は果たして中国が先か、韓国が先か、それとも日本が先か。
工業地帯の先は農業地帯となる。
メキシコシティの主要農産物は
・トウモロコシ :本来ならば10月末に収穫のはずが、今年は雨季の遅れで11月半ばとなる見込み。
・食用サボテン :サボテンの先に丸い黄色い身ができる。
これを食べるのだが、かつては病院食として敬遠されていた。
今は健康食品・ダイエットブームにより若い人も食べるようになった。
生では食べられなくて、スープにして食べるのが普通。オクラのような味がする。
・リュウゼツラン:プルケという蒸留酒の原料となる。
[1739] メキシコ(9/5)その11 グアダルーペ寺院 2005-09-13 (Tue)メキシコシティを北に進んでいって、グアダルーペ寺院にて停車。
「世界3大奇跡」の1つに数えられる寺院。
(残りの2つはフランスのルルドの泉とポルトガルのファティマ)
ここには行きたかったんだけど遠かったので諦めていた。
普通「メキシコシティ1日観光」みたいなオプショナルには含まれているけど、
僕が頼んだのは「ティオティワカン半日観光」だったので
ティオティワカン遺跡にしか行かないのではないかと。
嬉しいサプライズ。
こういう謂れがある。
1531年12月11日、
信心深い少年ファン・ディエゴはテペヤックの丘にて光る物体を目にする。
それは褐色の聖母マリア様だった。マリア様は少年に向かって語る。
「ここに教会を建てなさい」もちろん少年は地元の司祭に報告するのだが取り合ってもらえない。
落胆した少年が次の日12日、またテペヤックの丘を歩いているとまたしてもマリア様を目撃する。
司祭に信じてもらえないと少年が話すと、ではこれを持っていきなさいと赤いバラを手渡される。
これを目にすれば司祭たちもきっと理解するでしょうと。
(今「地球の歩き方」を見たら、12月にバラは咲かないので奇跡の印となると書かれていた)
少年は着ていたマントにバラの花束を包み、大事に抱えて司祭のところへ持っていく。
マントを開くと出てきたのはバラの花束ではなく、褐色の聖母マリアの像だった。
この一件により寺院がテペヤックの丘に建てられることになった。
そしてこの話は大西洋を渡り、当時のローマ法王にも伝えられ、奇跡と認定された。
少年のマントは今でもこの寺院に祀られている。
12月12日はグアダルーペ・マリア様の日とされ、メキシコシティ中の人が集まって祈りを捧げる。
ワゴン車を下りて、寺院へと歩いていく。
道の両側ではみすぼらしい身なりの人たちが
ロザリオ、キリストを描いた絵、天使や赤ん坊の小さな人形などを、敷物に並べて売っている。
寺院は1709年に建てられた古い本来の聖堂と、1976年に建てられた新しい聖堂から成り立つ。
なぜ新しい聖堂が建てられたのかというと地盤沈下で古い聖堂が傾いてしまったから。
(この後、どこを案内されても地盤沈下で沈んで・傾いてということばかり聞かされる。
メキシコシティはそもそもアステカ人が湖の上に作った浮島の上の都市だった。
それを侵入してきたスペイン人が埋め立てて新たに都市を作り直している。ついでに神殿も破壊して。
これまでの計測では6m下がっていることになる。
沈下するスピードが増してきていて、このところの年間平均では2、3cmだったのが
昨年は13cmも沈下した。でもメキシコ政府は相変わらず「ま、いいか」とおおらか)
旧聖堂と新聖堂の間に、まだ亡くなって日の浅いヨハネ・パウロ2世の銅像が建てられている。
ヨハネ・パウロ2世はその在職中にメキシコを2回訪れたことがあるそうで、
メキシコ人に大変人気があったことから建てられることになった。
旧聖堂の中へ入っていく。ひんやりとした静かな雰囲気に包まれる。
キリストの祀られた祭壇と、信徒のための席と。
聖堂だけあって天井は高く、柱は太く、鈍く輝くシャンデリアのような照明が吊るされ、
窓にはステンドグラスがはめられている。聖人たちの像と、聖人たちを描いた大きな絵と。
全般的に慎ましやかな雰囲気なんだけど、
無口のようでいて年月の重みが多くを語っている、そんな印象を受けた。
新聖堂へ。平べったい、真ん丸い形をしている。
名前は忘れたが高名な建築家によるもので、少年のマントをデザインのモチーフにしている。
ちょうどミサが行われているところだった。子供たちによる賛美歌が歌われていた。
信徒のための椅子が半円形に設えられ、多くの人々が席についている。
敬虔な佇まいの老婦人が、それら椅子ではなく床にそのまま膝をついて祈りを捧げている。
懺悔室がある。赤いランプの灯っている部屋では神父が待っている。
いくつか部屋がある中でランプが灯っていたのは1つだけで、
中では神父が暇そう(と言っちゃいけないか)にしていた。
彼は僕ら観光客を見ていた。
4日の日の分の日記にも書いているが僕はキリスト教というものに興味がある。
信仰を求めているとかそういう意味ではなくて、
古来からそれがいかにして人々の間に入り込んでいったか、その過程とそれが取る姿について。
そういう意味ではイスラム教にも関心がある。
これまで僕は世界のいくつかの場所で修道院やそれに類するものの中に足を踏み入れてきた。
モスクワでカサブランカで、ここメキシコシティで。
その度に僕はこの世ならぬ何かを感じ取った。日常生活から遠く離れた、別の世界へと連れて行くもの。
あるいは、連れて行こうとして連れて行けなかった、その残骸。巨大なる残骸。その沈黙。
様々な歴史がその空間の中で、あるいはその周辺で積み重ねられ、その無言の語りかけを感じる。
僕はこの雰囲気が嫌いではない。むしろ、好きだ。
[1738] メキシコ(9/5)その10 ティオティワカンに向けて出発 2005-09-12 (Mon)今回の旅のハイライト。ティオティワカン遺跡を見に行く日。
待ち合わせの時間が決まっていてそれが気になっているせいか
とんでもなく早い時間に目が覚めてしまう。
午前3時半。時差ぼけか。寝たのは午後10時。
それから眠れなくなる。
村上龍の短編集「空港にて」を読み始める。
1個読み終えては明かりを消して布団に潜り込んでみる、というのを繰り返す。
途中でコニー・ウィリスの「航路」に切り替える。
結局眠れたのは6時過ぎのどこか。目覚ましが鳴ったのは7時半。
日焼けで剥けた皮がホテルの部屋の床のあちこちにボロボロと剥がれ落ちている。
背中の皮と腕の皮と腹の皮。部屋を掃除する人も「この人何なのだろう」と思っているだろう。
みっともないのでシャワーを浴びているときにこれらをゴシゴシこすって落とす。
これでもう大丈夫だろうと思っていたら今度は足の皮が剥けるようになった。
またボロボロと皮が落ちる。
「もー」と思いながら朝、シャワーを浴びてまたゴシゴシと洗う。
昨日・一昨日とそうしていたように Virgin の袋にガイドブックなど詰めて準備をする。
今日は一応虫除けスプレーを腕や足に振り掛ける。日焼け止めも念のため持っていく。
窓の外を見ると車の流れが激しい。昨日静かだったのは日曜だったから、ということか。
ホテルを出て、レフォルマ通りに出る。東に進んでいくと「独立記念塔」に出る。
南に曲がって集合場所のホテルへ。・・・行き過ぎて別の大通り(地下鉄に面している)に出てしまう。
引き返して歩いているうちに見つける。この界隈は軽食堂やレストランが多く、タコスの店もある。
いざとなったらここに来ればいいだろうと思う。
歩いていて気づいたんだけど、メキシコシティは自販機が少ない。というかない。
自転車に乗っている人というのも少ない。
集合場所のホテル「ガレリア・プラザ」のロビーに上がっていくと、
既に旅行会社のガイドの人が待っていた。
今回のオプショナルツアーは地元の、日本人が働いている旅行会社が主催するもの。
なのでガイドの女性(Nさん)も日本人だった。僕よりも年下か。ドライバーはメキシコ人。
僕は日本語を話すガイド兼ドライバーのメキシコ人が1人いるだけだろうと考えていた。
ロビーを見ると僕だけだが、もう1つ別なホテルに寄って、あと3人ピックアップすると言う。
ドライバーが到着してワゴン車に乗り込む。
途中、昨日訪れたチャプルテペック公園の中を通っていく。
古ぼけた乗合バスが乗客を大勢乗せて走っている。
リブレと呼ばれる小さなタクシーがちょこまかと走っている。フォルクスワーゲン。
乗ってみたいが、外国人観光客には薦められないとガイドブックには書かれている。
ホテル「ニッコー・メキシコ」の前に停めてガイドの方が中に入っていく。
先ほどのと今のと、どちらのホテルも僕の泊まっているホテルよりも2つはランクが上だ。
目の前の車には同じようにどこかへ観光に出かける人たちの車が停まっていて、
ガイドに促されて車の中に入っていく。
30代前半と思われる女性の2人組。いいなあと思う。
旅先で知り合った人たちと仲良くなってムフフ、・・・ということを僕はどこか期待している。
そんな僕のところにまず2人乗り込んでくる。僕と同世代ぐらいの男女。
見るからにハネムーン。すぐわかる。妙に甘ったるい雰囲気を漂わせている。
あと、1人。僕のような1人でメキシコに来た男性か。。。
ところが入ってきたのは2人。僕と同世代か1つ上ぐらいの女性たち。総勢5名となる。
ティオティワカンに向けていざ、出発。
チャプルテペック公園の中へといったん戻る。Nさんの解説によれば
チャプルテペック公園とはアステカ語で「バッタのいる丘」を意味する。
車は北へと向かう。
反対車線はラッシュに巻き込まれている。
朝・昼・晩と通勤ラッシュになるのだそうだ。
なぜ昼も?と言うと家族とともに昼食を取る習慣がまだ根強いから。
会社が12時半に終わり、学校も13時に終わる。揃ってみんなで食事を取る。
人口2000万人の世界一の首都がそんなことをしていると排気ガスがとんでもないことになり、
排気ガスの排出量も世界一。
それでいてメキシコ政府はおおらかに「ま、いいか」という態度なのだという。
しかも月曜は土日に別荘から車で戻ってくる人たちも合流する。
中上流階級で別荘を構えている人たちは多い。3LDKで200万円から購入できる。安い。
後ろの座席に僕と、「同世代か1つ上ぐらいの女性たち2人」の3人が座る。手狭になる。
「1人で来てるんですか?出張ですか?」と聞かれる。
1人で旅行してると言うと驚かれる。すごいですね、1人ですか、と。
彼女たちは友人がいるから来てみた、とのこと。
まだまだメキシコシティーは旅行者が1人で来るような場所ではないのかもしれない。
カンクンのついでに立ち寄るとかそういうのかな、メジャーなのは。
彼女たちは土日はサンミゲル・デ・アジェンデに行ってきて、いいところだったという。
車のクラクションがひっきりなしにあちこちから鳴らされている。
そしてそれが微妙に音の調子が異なるのを彼女たちは聞き取って、
「会話してるみたいだ」と言う。
[1737] メキシコ(9/4)その9 チャプルテプック城 2005-09-11 (Sun)「城へ」と書かれた掲示板に沿って進んでいくとやがて坂に出る。上っていく。
スピーカーからスペイン語で男女の会話が聞こえる。メキシコの歴史の解説のようだ。
にぎやかな音が下から迫ってきて、なんだろうと見てみると
おもちゃの汽車が大勢の人々(もちろんその大半は子供)を乗せて坂を登っていくところだった。
その後坂の上や坂の下で見た乗り場は順番待ちの人たちでいっぱいだった。
坂の途中から、メキシコの街を見る。
公園の深い森の向こう、建ち並ぶ高層建築。僕は何枚も写真を撮る。
坂道のどちら側もヤシの木やその他いろんな種類の木々が植えられている。
どんな植物も育つがゆえにどんな植物も植えられている、そんな印象を受けた。メキシコ全般がそう。
城の途中に「国立歴史博物館」があったので立ち寄る。
33ペソ。やはり入場料を取られる。
入場口にいた男性はスペイン語しか話せず、入場料が必要だとわかるまでかなりかかった。
螺旋型になっていて、下っていきながら展示物を眺めるというユニークな構造。
最下層に到着すると今度は外に出て、木々に覆われた小道を上っていく。
16世紀にスペイン人コルテスが乗り込んでアステカ文明を破壊し、スペインの植民地となる。
1824年に独立を果たすものの、今度はアメリカ合衆国と戦争になる。
敗れてテキサスを割譲することになる。
その後近代化を迎えるものの、ナポレオン3世の差し金で
オーストリア出身のマクシミリアン大公による帝政が始まる。しかし彼も抵抗運動にあって処刑。
独裁者の時代を経て1910年にメキシコ革命。1917年に憲法が制定される。
こういった歴史の流れを、精妙な模型を通じて学べるようになっている。
歴史の一断片・一光景を切り取って配置された人形たちと、その解説と。
その背景が教会だろうと船の上だろうと城だろうと倉庫だろうと荒野だろうと、
一方に銃で撃たれるのを待つ人間(西洋人だったり西洋人でなかったり)がいて、
その一方に銃で狙いを定める人間がいる。
ひたすらその繰り返し。半分以上がそういう光景。
革命と戦争。大変な歴史だ。
でもよく考えてみると日本の歴史も切り取って見るとそうなってしまうか。
「○○の戦い」「○○の乱」「○○事件」
現代以前では歴史が動く瞬間のほとんどが戦争や軍隊に絡んでいる。
歴史博物館の先に、チャペルテペック城がある。
ここもやはり入場料を取られる。38ペソ。
城とは言ってもドイツやフランスのものものしいやつではなく、どちらかというと宮殿に近い。
中は名古屋城のように博物館となっている。
スペイン植民地時代から独立、メキシコ革命に至るまでの様々な事物を展示している。
ここもまた人類学博物館同様、歴史の知識がないと辛い。
気を緩めた途端何もかもが一緒に見えてしまう。
宗教的絵画があり、肖像画があり、大きな壁画が部屋ごとに何枚も並んでいる。
珍しいものがたくさん並んでいた(はずな)のでほんとはあれこれ書きたいんだけど、
デジカメで写真を撮っていると「ノーフォトグラフ」と言われるし
メモを取ってると「ノーなんたらかんたら」(で、書くジェスチャー)と言われるしで、
記録じゃほとんどなし。ここには警官がいないなとこっそり撮ったり書いたりしたものばかり。
でも急いでやってるから写真はぶれてるし文字は読めたもんじゃない。
博物館の隣では(城の中を2つに区切っている)、
20世紀初め、メキシコ革命勃発時にこの宮殿に住んでいた独裁者ディアス大統領が
当時使用していたそのままの雰囲気を残すようにしている。
(「地球の歩き方」ではディアスとなっているけど、
僕のメモではマクシミリアンとなっている。どっちだろう?両方?)
望遠鏡、時計、大砲、カメラ、モールス信号機、ドレス、軍服、銀器、玉座。
これらがガラスのケースに収められて飾られている。
ディアスの使用した執務室と、大統領夫妻が使用したサロン、浴室、寝室。
晩餐会のための広間にはシャンデリアが吊るされ、
クロスの掛けられたテーブルの上には銀の燭台が並ぶ。
最上階の屋上は小さな庭園となっていて、真ん中には塔が建てられている。
観光客は入ることができない。何のために使われていたのだろう?
教会だろうか。
こういう場所に来て考えることの1つとしてあるのは
西洋人による侵攻と表裏一体にある、キリスト教を受容するという行為とその過程。
遠い大陸の地で変わり果てたキリストとそれによって表されるものの姿。
支配する側の西洋人と、特にその妻にとってのキリスト教の意味。
支配される側の男たちと、その妻にとってのキリスト教の意味。
前者の遺品としてこの時代に残されたもの:
・カトリックの規範に縛られることで慎ましやかになりながらも、それなりにきらびやかなドレス
後者の遺品としてこの時代に残されたもの:
・小さな家の片隅の小さな祭壇に残された小さなイエス・キリストの絵
この辺りのことについて調べた上でいつか書きたいと思うものの、いつになることか。
調べればいろんな事が出てきて大変なことになりそう。
坂を下りていく。打楽器だけのバンドが演奏して、ピエロも踊っていた。
今日はピエロを何人も見かける。
打楽器の繰り出すリズムは多少まとまりにかけるものの熱狂的な雰囲気があった。
15時。公園を出る。
前とは違う出口を出てみて、人の流れが地下へ飲み込まれていく。
そのまま入り口へと入ってみたら地下鉄の駅だった。
地下街となる。ドミノピザ、本屋、女性の下着を売る店、ジューススタンド。
しばらく歩いてとりあえず上に出てみると屋台が建ち並ぶ、市民の憩いの場のようなところに出た。
そこをまたフラフラ歩いてみる。屋台そのものは公園の中と一緒。だけど声はこちらの方が大きい。
子供の姿は余り見当たらなく、どことなくなんとなく下世話な雰囲気が漂う。その分活気がある。
テントの下に即席のステージが作られていて、キーボードをバックにラップというか
熱く(恐らく若さゆえの恋の悩みを)語っている男性の周りに大きな人垣ができていた。
ハッとして、道に迷うと困ると思い、引き返す。
来た道をそっくりそのまま辿り直してホテルまで戻る。
途中でセブンイレブンを見つける。これは便利だ。ホテルから5分のところとかなり近い。
ビール(飛行機の中で飲んだのと同じ、「Modelo especial」) 9.5ペソ
メキシコのポテトチップ 6ペソ
明日の朝食べるサンドイッチ 8.5ペソ
明日のティオティワカン観光で腹が減ってると困るので買ったスニッカーズ 8ペソ
本当はコロナビールを飲みたかったんだけど、栓抜きがないことを思い出し、諦める。
ホテルの部屋に戻ってぐったりする。16時半。
ルチャリブレを見に行くことに挑戦、
あるいはまだまだ明るいし他の観光スポットを見に行くでもよかったんだけど
とにかく疲れていた。本日は営業終了。
テレビをつけると、スポーツ専門チャンネル(来てからずっとこればかり見ている)では
USオープンの中継が行われ、ヴィーナス・ウィリアムズ対セリーナ・ウィリアムズの姉妹対決。
思わず見入る。テニスには詳しくないけど。
予想通りビーナスの方が勝つ。1セット目は手に汗握る接戦となる。タイブレークに持ち込む。
セリーナの方がアスリートって感じで、ヴィーナスの方は女子テニスって感じ。
着ていたユニフォームの印象ってのもあるんだろうけど。
基本的な強さはセリーナの方が上なんだけど、
しなやかな得体の知れない才能はヴィーナスの方が上、そんな感じがした。
その後、別のスポーツ専門チャンネルでワールドカップサッカーの予選、
イングランド対ウェールズを見る。イングランドが順当に勝つ。
ベッカムの名前がところどころ聞き取れて、ああ、向こうでもやはりスター選手なんだなと知る。
さらにその後、テニスに戻って男子の試合を見る。
サンギネッティ対スリシュハン。(どちらも知らなかったので名前は聞き取り)
こちらも負けず劣らず熱戦。タイブレークへ。
サンギネッティという選手は勝ったときの動作がユーモラスで好感を持った。
シャワーを浴びて小説を読んで寝る。夕食は取らない。
腹は減ってるのか減ってないのか分からない状態で、食べないことにした。
というかレストランを探すとかそういうのが億劫になった。
ベッドメイキングのチップに10ペソ。硬貨で。
昨日は細かいのがなくて20ペソ。紙幣で。
[1736] メキシコ(9/4)その8 国立人類学博物館 2005-09-10 (Sat)通りのこちら側にあって、近付くとまた屋台が増えだして人通りが多くなる。
メキシコ人たち。昼に近付いてみんな外に出るようになったのか。
よく考えると今日って日曜だからそもそもメキシコの人たちが休日を過ごしに来てるんだよな。
観光客の姿はそのメキシコ人たちの中に紛れ込んでしまう。
この人類学博物館は「地球の歩き方」でも4ページ割いているぐらいに、非常に重要な観光スポット。
メキシコ古代文明の全てがわかる。ここに集められている。
まずはここに行ってメキシコの歴史に触れてみたまえ、ということか。
11時30分。日も出てきて暑くなる。
行列ができている。若い人が多い。保護者連れの小学生から、大学生のカップルまで。
大学生のカップルが休日に人類学博物館に来て熱心にあれこれ眺めてるわけですよ。
指さしてあれこれ言い合って。この国は。
物陰でヒシと抱き合ってたりもするけど。
熱心ってことで言えばみんな老いも若きもレポート用紙やノートにあれこれメモを取っている。
展示物の解説を書き取ってるのだろうか。
これが学校の宿題ではなくて自主的なものであるとしたらたいしたものである。
この熱心さ。いつか日本の学力はメキシコに追い越されてしまうのではないか。
中に入る前にセキュリティチェックがある。
中は大混雑。なんでこんなに人が入るのだろうと素直に不思議に思う。
日本ではこんなこと絶対ないよな。上野の博物館とか。
もしかしてメキシコシティは他に娯楽がないのか・・・。
先に売店に入ろうとしたらノーノーと拒否され、
どうもカバンを持っているとよくないようなので手荷物預かり所に持っていく。
列に並ぶ。カバンを持っていくと警官が奥に持っていって引き換え用の札を渡してくれる。
列に並ぶのを億劫がったオヤジとか太ったガキがいきなり列の先頭に割り込んで札を差し出すが、
警官は相手にしない。ちゃんと秩序があるようで好感を持つ。
博物館に入るのは無料だが、展示室に入るにはお金を払わなければならなかった。
38ペソ。地球の歩き方には日曜無料と書いてあるが、
これはどうもメキシコシティの人たちは無料ということのようだった。
だからこんなに大勢の人たちが詰め掛ける。
外国人観光者は日曜も関係なく入場料を取られる。
メキシコの人たちに混ざって並んでいたら警官にチケットを買うようにと言われた。
まあ、仕方ない。
いったん外に出て、ロの字型になっている展示施設へ。これまた端から端まで広い。2階建て。
中庭には噴水がある。
とりあえず手近の展示室に入る。
古代のあれこれを展示している。
床に穴が開いていて人骨共に大きな仮面が埋まっているとか、そういう手の込んだ展示物が多い。
古代人の作った人形であるとか、陶器であるとか、首飾りや甕。
どうも1階は人類の始まりからマヤ・アステカ・ティオティワカンなど
中南米の各遺跡の考古学的資料を展示していて、2階はその遺跡時代から近代に至るまでの
メキシコの人々の風俗を紹介しているようだ。
どういう暮らしを送っていたか、どういう装飾品を身にまとっていたか、どういう工芸品を作ったか。
ちゃんとルートが定まっていて、その通りに進んでいけばすっきり理解できるようになっているのに、
僕はそれを知らなくてとにかく手当たり次第に進んだ。
せめて1階の後に2階を見ればよかったのに、それもランダム。
なので2階でソンブレロをかぶってギターを弾いている人たちの等身大の人形を見た後で
人類の曙ってことでアフリカの類人猿の骨格を見ることになる。
(ちなみに、この類人猿コーナーが最も混雑していた。正規ルートでは最初の個所だったからか)
僕としてはこういうの興味あるから見に来ているわけであるが、
詳しいかと言えばそんなことはない。マヤとアステカとどっちかが古かったのか分かる程度。
マヤもアステカもティオティワカンも見てて区別がつかない。
ゆっくりじっくり見てると何かつかめるのだろうけど、
人も多いし展示物も多いしでどうしても駆け足となってしまう。
すぐにもおなかいっぱいとなる。
遺跡の模型に壁画に様々な出土品に石像にレリーフに古墳・・・。
外に出ることもできて、外は外で当時の人々の住居を復元したものが見れるようになっている。
見ていて何もかもがごっちゃになる。
グルグル目が回りだして、何もかもが目の前を素通りするようになる。
そんなわけで、ここ半年書いていた小説にてユカタン半島のチャック・モールの像について
書いていて、その現物を見るつもりでいたのに、すっかり忘れてしまった。
一応、目玉の1つである「Stone of the Sun」(アステカ文明のカレンダー)は見た。
大人の背丈2人分はあるかというぐらい大きい石の円盤。きめ細かい模様が描かれている。
その他の重要展示物も見たはずなんだけど、何がなにやらわからぬ。見たはず。
とにかく視界に入り込んだものが多すぎてオーバーフロー。
博物館ぐらい1人で回れる。って思ってたものの、
ティオティワカン遺跡を見に行った後で
日本語ガイドの解説を聞きながら回るって方がよかったかもしれない。
解説のほとんどがスペイン語で英語では書かれてないし。
なお、ここはフラッシュを使用しない限り写真撮影フリー。
ビデオカメラも別途料金を払えば可。
メキシコシティの学生たちも携帯で写真を撮りまくっていた。
携帯はかなり普及しているようだ。
モトローラの広告もあちこちで見かける。
日本人らしき姿を見かけたのは1度だけ。男子学生っぽい2人組。
それ以外にはアジア人らしき人すら見かけない。
売店で自分へのお土産を買う:
絵葉書4枚 18ペソ
メキシコシティを写真で綴ったもの 50ペソ
人類学博物館の有名な展示物を写真で綴ったもの 15ペソ
人類学博物館前の広場の屋台にて、昼食。
並んでいる屋台がいいだろうと僕も並ぶ。「RICAS TORTAS」と書かれている。
とりあえずタコスではない。巨大なホットドッグ?
ホットドッグ用のパンを半分に切って、片側のパンにはレタスや豆やタマネギ、アボガドを乗せる。
鉄板の上で肉を焼いてもう片側のパンをその上に乗せる。
この2つを一緒にして出来上がり。
種類がたくさんあって、僕はチョリソー(唯一わかったスペイン語)のにした。チーズ入り。
これが17ペソ。
他の屋台でメキシコのコカコーラを買って飲む。10ペソ。
ちょうど買った頃、小さな広場にて民俗芸能?の披露が行われていた。
高いポールから伸びたロープに足首で吊るされて回転している男たちが笛を吹くというもの。
赤と白の民族衣装を身にまとっている。
人類学博物館に入る前に笛の音が聞こえて行ってみるとちょうど終わったところだった。
後で見ようと思っていてちょうど見ることができた。
日曜は一日に何度も何度もこれを披露するのだろう。大変だ。
見終わると近くの噴水に腰掛けて食べ始める。
ホットドッグは食べ応えあるし、コーラは冷たい。最高。
通りを渡って、向かい側の公園へ。
人出最高潮。
子供向けに写真を撮る店では派手な色の着ぐるみの動物(思い出せない・・・)が子供たちに手を振る。
湖のボートに長い長い行列ができている。
屋台のおばさんやお兄さんが盛んに声を掛けている。
コーラやその他清涼飲料水が大きなバケツのような容器の中で氷で冷やされている。
湖の上のステージでは合唱団が歌っている。
歩き回っているうちにピエロが芸を開始する前のところに出くわす。
ピエロの写真を取ろうとして目が会うと、
彼は「どこから来たのか?」と人懐っこく質問してくる。
「日本」と答えるとにこやかに笑って「メキシコへようこそ!」そして握手をする。
彼は僕のためにわざわざポーズを取ってくれる。
(そして、モロッコのようにお金を要求されたりしない)
こういうことがあると僕は一遍に、「メキシコっていい国だなあ」と思ってしまう。
[1735] メキシコ(9/4)その7 近代美術館/ルフィーノ・タマヨ博物館 2005-09-09 (Fri)前の晩寝たのが午前1時で、目が覚めたら9時40分。
疲れていて、眠い。
なんでだかわからないが、ニール・ヤングの夢を見た。
ライブアルバム8枚組が発売されることになり、その1枚目を聞く。
「Slipaway」「Sedan Delivery」などが収録されている・・・。
なぜゆえにニール・ヤング?
確かに今、聞きたい気分ではある。メキシコでニール・ヤング。
「After The Gold Rush」ではなく、「Weld」な気分。
"Hey, hey, my, my, Rock'n'Roll will never die ..."
身の回りのものをリュックサックに片付けて、部屋を出る。
今日は1日、チャペルテペック公園で過ごす予定。
公園とは言っても、
・国立人類学博物館
・チャプルテペック城
・近代美術館
・ルフィーノ・タマヨ博物館
・国立歴史博物館
などなどメキシコシティの見所が集まっていて、お得。
その分ものすごく広い。
ホテルの外に出る。
通りの角には新聞売りが立っている。
閑散とした裏通りをパトカーがゆっくりと巡回している。
ホテルからはすぐ近く、のはずであるがいかんせん東西南北がわからない。
とりあえず行き当たりばったりに歩いてみる。
レフォルマ通りという大通りに出ると上り車線下り斜線の間が
木々の植えられた遊歩道になっていて
1ブロックごとに記念塔や記念像の建つ円形の公園が造られている。
ちょっと歩くとそこに出るはずなのだが・・・。
少し歩いて恐らく90度違う、また歩いて180度違う、というのを繰り返して
ようやくレフォルマ大通りへ。
遊歩道に据え付けられたブランコに子供が乗っている。
その側に親が幸福そうに立っている。
ブランコには鐘が取り付けられていて、揺れるたびに鐘が鳴る。
方角が分かると後は楽。
5分もしないでチャペルテペック公園の門に到着する。
大通りだというのに日曜のまだ午前中だからだろうか、
レフォルマ大通りを歩いている人はほとんどいない。
ここは繁華街ではないということなのだろうか?そんなはずはないんだけど。
門をくぐってもそれほど人はいない。
空は曇っていて肌寒い。ネルシャツを上に羽織る。
緩やかな人の流れについていくと、大きな広場というか記念碑が見えてくる。
白い像が立っている。誰を現したものなのかは僕にはよく分からない。
その背後には白い壁、周りを白い柱が取り囲んでいる。
屋台が店を出す準備をしている。
タコスの店ばかりかと思えばそんなことはなく、一軒も見つからない。
その代わりにハンバーガーやホットドッグの店が多い。
タコスが牛肉などを挟んだものだとするとその生地のことはトルティージャと言い、
それだけを売っている屋台も多い。
だけど肝心のタコスがない・・・。
食べ物以外の屋台で見つかるのは、帽子の店、使い捨てカメラの店、お菓子や飲み物の店。
それとメキシコならではなのは、プロレス用のマスクを売っている店と、
子供に化粧をするという店。化粧後のイメージの絵を何枚も貼っていて、
どこかの国のお姫様やポップスターをかわいらしく、かつ、ごてごてとしたもの。
額や頬に青や赤に黄色の絵の具を塗った子供をその後公園の中で何度も見かけた。
近代美術館がすぐ先にあったので入ってみる。
日曜だからだろうか、入場無料。
入り口で荷物(Virgin の買い物袋に入れた各種ガイドブック)を預ける。
ルフィーノ・タマヨ、ホセ・シケイロス、ディエゴ・リベラ、フリーダ・カーロなどなど。
フリーダ・カーロは「2人のフリーダ」ではなくて、スイカとオレンジとココナッツを描いた静物画だった。
輪郭のはっきりとした絵を描く人が多い。色彩の感覚はどれも暗い。
濃いオレンジや黄色、茶色、緑、そして黒が基本となる色だろうか。
そしてなんというかシュールレアリスムが入っているというか。
南米の現代文学といえばマジックリアリズム。その挿絵にふさわしいような。
例えばシケイロスは宗教画を描くのであるが、現代的な視点からなされている。
メキシコがカトリックだからとはいえ、盲目的に神を、信仰の場を、美しく描こうとはしない。
民衆の魂が激情として溢れる、奇妙な空間として描かれる。
REMEDIOS VARO の中世を描こうとしてグロテスクになった、
何もかもが機械仕掛けの人形となったかのような絵。
JOSE CLEMENTE OROZO の肖像画。メモしていたのはこの辺りの名前。
興味を持ったからではなくて、たくさん飾ってあったから。
圧巻はルフィーノ・タマヨの描いたとてつもなく大きな作品。
「Homenaie a la raza india - 1952」
1階から地下にかけての吹き抜けを貫く。
黒と紫と赤で描かれていて、不吉な印象を受ける。
この作品はいったい何に対して警鐘を鳴らしているのか?
その次に入ったのはそのルフィーノ・タマヨの名前が付けられた博物館。
公園はレフォルマ大通りで2つに分けられていて、向こう側に渡る。
静かな林の中。子供たちの姿は皆無。
博物館というよりは美術館。ここも入場無料だった。
現代美術を集めていて、建物もまたそれっぽい雰囲気。
「地球の歩き方」を見るとピカソやウォーホルの作品を所蔵しているとあったので
期待して行ってみると、常設展示ではないようで残念なことに見当たらず。
中国とインドの現代芸術作品の展示が行われていた。
なぜゆえにメキシコまで来て中国とインド・・・。
しかもメキシコの現代芸術の作品もなし。旅行者からするとちょっとがっかり。
でもメキシコシティの人からすれば
インド・中国のアートに触れる(恐らく)レアな機会なわけだから否定するわけにはいかない。
最初のうち企画展の趣旨に気がつかず、
「メキシコ現代美術ってアジアっぽいね」などとしょうもない感想を持つ。
描かれるモデルがアジア系−中国系ばっかりってのもあって。
写真の作品の中に漢字が映っていて初めて理解した。
何を描くか?そのために何をキャンバスとするか?
そういう観点で奇抜なものが多い。インドの方もそう。
どこかの民族のフォークカルチャーに基づく織物かと思いきや
近付いて見てみるとコカコーラの蓋をつなげて作られたものだったり。
移動式の屋台の中にぎっしりと詰められたお菓子たち。
その間にスクリーンがあって、MTV の独自のコマーシャルを放映する。
ビデオ作品も多い。
六本木ヒルズの森美術館がオープンしたときに「ハピネス」という企画展をやっていたが、
雰囲気がよく似ている。あれの中国・インド版といった趣。
印象に残ったのは:
WENG-PEIJUN 「On the Wall」という連作の写真。
DAYANITA SINGH のスナップショット。
K.G.SUBRAMANYAN のキュビズムとシャガールの影響を独自に昇華した絵画。
N.S.HARMA 「For You My Dear Earth」緑色だけで、架空の巨大な植物の断面図を描いたもの。
なんじゃこりゃと思ったのは、
どこをどう見ても巨大なペニスとボールだろうというのが
ゴムボートみたいな素材で作られていて、空気を入れて膨らまされていて、中に入れるというもの。
懐中電灯をもって入っていくんだけど、
中に光を当ててみると小さく象の絵が描かれているぐらいでどうってことない。
ボールの方にも入れる。入ることに意味があるアートなのだろうか?
博物館の外に出る。居心地の良さそうなカフェがある。
コーヒーでも飲もうか、ホットドッグでも食べようかと思うが、
もう少ししてからにしようと国立人類学博物館へと向かう。
[1734] メキシコ(9/3)その6 メキシコシティ到着 2005-09-08 (Thu)入国審査はなんてことなく終わって、有名?な税関へ。
パネルが立っていて、ボタンを押せという。
いろいろ調べて仕入れた情報では棒ということになってたんだけど。改良されたのだろうか。
押すと緑か赤が表示され、緑だとスルー、赤だとチェックを受ける。
どちらが出るのか、はランダムらしい。
押してみる。なんか当然のごとく赤になる。
僕の後ろもことごとく赤でチェックを受けている。
これってランダムなんじゃなくて、混雑状況によるのではないか。で、僕のときは空いていた。
チェックとは言ってもリュックサックの中を開けただけ。たいしたことにはならない。
この税関のポイントのすぐ近くに出口。
出迎えなのか客引きなのか、警官が立っていてその近くの柵は大勢の人たちでごった返している。
大勢は大勢であるが、暴動寸前の刑務所で囚人たちが柵を掴んでるような、ああいうところまではいかない。
(僕はそういうのを想像していた)
アジア人観光客ってだけであれこれ声を掛けられて身動き取れなくなるのではないかというとそれもない。
サーッと素通り。何もなし。拍子抜け。
あんまり危険な印象は受けなかった。こちらが頓馬な挙動をしない限り大丈夫ではないか。
タクシーチケットの買える場所を探す。
空港内にあったらしいんだけど、見つからない。
あちこち盛んに工事していたからそれでわかりにくかったのか。
「リブレ」と呼ばれる流しのタクシーを捕まえるとぼられたり、
場合によっては強盗に遭ったりで危険らしい。
なので「Authorized Taxi」という公認のに乗らなくてはならない。
施設の掲示を見たら乗り場があるようなので外れの方まで歩いていく。
行ってみるとタクシー乗り場とは思えないぐらい活気がない。
工事中なのかなんなのか売り場があっても人がいなかったり。
リュックサックをしょってカモが現れたのに誰も声を掛けてこない。
引き返してみる。空港の反対側とかどっかにないものか。
人ごみの中に入っていく。相変わらず僕は空気のように人々の目に付かず、混雑を通り抜ける。
空港の中央出口を出てみると「Authorized Taxi」のチケット売り場のブースがあって、
中では男が1人暇そうにしている。
もう1人の男がその外にいて、そのもう1人の方が僕に話し掛けてきた。
「観光客か、どこまで行くんだ?ソナ・ロッソか?」とスペイン語で。
スペイン語はわからないんだけど、雰囲気と「ソナ・ロッソ」という単語で意味を掴む。
「ソナ・ロッサ」とは僕が泊まることになるホテルのある、メキシコシティの中心部の地名。
ホテルがどうたらこうたらというので、バウチャーを見せてホテル名を告げる。
そのホテルまで乗せていくと言われる。金額は450ペソ。
450ペソ!?日本円にして5千円。
でもまあ仕方ないかと思う。他に見つからないし。
一応「Authorized Taxi」に乗せてもらえるみたいだし。
ものすごく大きな7人乗りのタクシーに1人で乗る。
僕が乗り込むと客引き?の男が運転手に行き先のホテル名を伝える。
走り出す。
メキシコの交通ルールはあってないようなものだと聞かされていたが、まあだいたいのところそう。
もっと荒っぽいのかと思ったらそうでもない。3年前の上海の方がよっぽど危険だった。
メキシコシティの街並みが夕暮れから夕闇へ移り変わっていく。
色とりどりの派手な看板が掲げられている一角もあるが、
もっと地に足が着いたような、ひっそりとした住宅地もある。
ラジオではDJが何かを喋っている。
交差点で停まったとき、火を吹く芸を披露する芸人が
持っていたたいまつのようなものを顔に近づけてゴーッとオレンジ色の火を拭いた。
たいまつを持ちながら車1台1台をめぐって歩く。お金を求めているのか。
僕のところ来るだろうなあと思っていたら案の定近付いてきて止まる。
運転手が彼と挨拶を交わし、世間話のようなことをわずかに話すと、彼はすぐにも他の車のところへ消えた。
ホテルには無事に着く。代金を2重に請求されないどころかチップも請求されない。
実はこれが正規の値段だったりするのかもしれないなんて思った。
7人乗りに1人で乗ってたからこんな値段になったとか。2・3人だったら安くなる。
インターネットのどこかでそういう似たような状況を読んだ覚えがある。
それにしても450ペソは高すぎだよな。
「Casa Inn」というホテル。
「地球の歩き方」にも乗っていて、日本人がツアーでよく利用するとある。
でも日本人は見かけない。(その後ずっと、そう)
チェックイン。片言の英語で。向こうも片言の英語で。
チップを払いたくないのでポーターを雇わずに自分でエレベーターに乗っていたら
カード式のドアを開けることができなかった。
仕方なく引き返してフロントで事情を伝えると、
フロントの女性自ら僕の部屋まで赴いてドアの使い方をレクチャーする。
こいうのってとても恥ずかしい。
ようやく到着。1日の終わり。
テレビをつけるとワールドカップの予選でメキシコ対アメリカをやっていた。
メキシコの方が強いんじゃないのと思っていたらアメリカの方が勝ってしまった。2−0で。
そういえばアメリカもメキシコも代表選手の名前を知らないな。。。
その後メキシコ版「ミリオネイア」みたいな番組を見た。
浴室は残念なことに浴槽なし。シャワーのみ。
四つ星ってことになってるんだけど、冷蔵庫はないし、空調の操作もできない。
寒くて堪らない。。。
現地時点にして午前1時近く。メキシコシティの繁華街にも近い中心部だというのに、割と静か。
車の音しか聞こえない。
[1733] メキシコ(9/3)その5 ロスからメキシコシティへ 2005-09-07 (Wed)気を取り直して歩き出す。
無料シャトルバスが確かに走っているが、目の前で出発してしまう。
どれだけ広いのかわからんが時間もあるし、テクテク歩いてみる。
4番のアメリカン航空中心のターミナルを過ぎて、すぐにも5番へ。
デルタと、アエロメヒコと、その他大勢の航空会社たち。
あれ?6番じゃなくて5番じゃん。間違ってんじゃないか(あるいは僕の語学力が悪いか)。
まあ過ぎたことは仕方なしと5番のエントランスへ。
到着ロビーにて友人や家族を待つ大勢のアメリカ市民たちの前を通り過ぎる。
2階にチェックインカウンターが並んでいて、アエロメヒコを探す。
人の全くいない区画の、客が他に1組しかいないカウンターがあった。
チェックインする。つい先ほど入国審査の際にパスポートに貼った出入国カードの断片が早くもはがされる。
窓際−通路側を聞かれて通路側にする。
窓際の方がいいんだけど、トイレに行きたくなると困る。
ロスまでは日本人ばかりだからそれでもよかったんだけど、
次のフライトでは日本人はごく少数となるから余計な問題は避けたい。
手荷物は預けない。「ほんとに預けないんですね?」と念を押される。
あと、リコンファームの手続きってのをしてみる。
これがなんなのかよくわからない。生まれて初めて。
航空会社のカウンターにて「Reconfirm, please」と言うだけみたいなんだけど、
何をどうしたらOKな状態となるのかわからない。
とりあえず帰りのチケットを見せて「リコンファーム」と言ってみる。
カウンターの中の女性は航空券の束をパラパラとめくって「OK」みたいなことを言う。
チェックインと違って目の前のパソコンに何かを打ち込んで照会したりしない。
不安になる。全然聞き取れなかったが、「5日」と言われる。
なんのことだろう?到着は「3日」で「出発」は「7日」なのに。
でもまあ、これでいいんだろうなと思う。何かがどうにかなったのだろう。
出国手続きらしきものはない。ただ、いくつかのゲートをくぐる。
黒人女性が多い。こういう係員系の要所要所には黒人女性が多かったが、
空港にはヒスパニックなどいろんな人種の人たちが働いていた。
入国審査の隣のブースには名前から察するに中国系の男性がいたし。
セキュリティチェック(手荷物検査)。
枠をくぐると思いっきりブザーが鳴る。
カーゴパンツのポケットの中も全て取り出してカゴに入れたのに。
なんで?と思うとサンダルだった。
そう、今、アメリカは靴も脱がなくてはならない。
出発ロビーへ。
フライトまで4時間もある。非常に中途半端な時間。
免税店やロス土産を一通り見るものの、特に買いたい・買っておきたいものはなし。
先ほど20ドルを予想外に使ってしまったばかりなので、
マックやその他コーヒーショップに入る気にもならず。
いくつかあるロビーのうち、一番人がいないところの一番端に行く。
壁一面ガラスになっていて、小型機がメンテナンスのために滑走路を移動したり、
コンテナを積んだカート(カーゴ?)が現れては消えるのを眺める。
「航路」の上巻を機内で読み終えていたので
読むのを変えようと「パーク・ライフ」を手に取る。
併録作品も含めて、面白くて一気に読んでしまう。
ずっと前から気になっていて、いつか読まなくては思っていたが
思いがけなく読むことができた。ロサンゼルスの空港の片隅で。
これは期待に違わずものすごい小説だった。
今の僕には書けない。悔しい。
特異な登場人物を造形して、その登場人物の様々な言動を通じてストーリーが展開する形式というか。
無駄のない文体。何か不思議な空間へと連れて行かれる。
こういう小説、僕にも書けないものだろうか。
ここ何ヶ月か僕が書いてきたものがくだらなく、質の低いものに思えてきた。
ロスが寒いのか、空港が冷房効きすぎなのかえらく寒い。
ネルシャツを取り出して切る。そういえばロス行きの飛行機の中も寒かった。
ビリビリビリとサイレンが鳴り響く。
5分ぐらい鳴り止まない。誰かが慌てて何かをする気配もない。
始まった時と同様にピタッと音が消えてなくなった。
ロビーにて日本人男性を3人ほど見かける。パスポートや「地球の歩き方」でわかる。
同じ便でメキシコに行くのだろう。
ロシア人男性が、「どういうことなんだ?説明してくれ」と公衆電話で話している。
(もちろんロシア語で。聞き覚えのある言語だったのでそっと耳を傾けた)
ロサンゼルスからメキシコシティへと向かうフライトのロビーでロシア語を聞く。
今自分がいる場所は紛れもなく、国際社会のどこかなのだと思う。
搭乗開始の時刻となる。
案内は完全にスペイン語。英語なし。何言ってるのかマジで全然分からない。
次々に搭乗券を千切って半券を返し、旅行者は飛行機の中に消えていく。
僕が航空券を差し出すとスペイン語で何かを言われて、断られた。
クラスの関係で最後となるのか。格安だと後回し?
他の日本人たちは搭乗券を切られて中に入っていく。
僕に限らず何人かメキシコ人がそういうふうに足止めを食らう。
最後になって乗り込むことができる。
小さな飛行機となる。ロスまで来たのよりも2回りも3回りも小さい。
ロスで週末を過ごしたと思われるメキシコ人ばかり。
もしかしたら買い物のために来てたりするのかもしれない。
僕の隣にはそういうメキシコ人母娘が座っていた。
ロスを出発。
それまで気を張っていた僕は眠くて眠くてどうしようもなくなる。
日本時間にしたら午前3時頃だもんな。
でも腹が減っていて機内食はどうしても食べたい。
頑張って目を覚ましている。ウトウトしながら。
そんでその機内食。
パスタ or チキンでチキンを選択するとライス、ニンジンを付け合せに
醤油で甘辛く味付けしたようなチキンが出てくる。
ここでもまたビールを飲む。
「CERVEZA Modelo especial」と書かれたメキシコ!のビール。
キンキンと冷えていておいしかった。
食べ終わって、寝る。5半時間のフライトのうち、後半4時間は記憶なし。
ロサンゼルス時間にして17:30に到着。メキシコシティでは19:30になるようだ。
時差が1時間と、あと、メキシコシティではサマータイム導入によるもの。
さあ、ここからまた勝負。
入国審査と税関をくぐりぬけて、タクシーに乗ってホテルへ。
[1732] メキシコ(9/3)その4 ロス到着 2005-09-06 (Tue)ロスアンゼルス国際空港到着。
機内から出て、他の人の後をついていく。
今回の旅行で僕が「難所」と捉えていたのは以下の5つ。
@−Bはどれも今日直面することになるもの。
@ロスアンゼルス国際空港にてメキシコシティ行きへの乗り継ぎ
(入国審査を受ける?受けない?)
A帰りのアエロメヒコ便のリコンファーム
Bベニート・フアレス国際空港(メキシコシティ)到着後、いかにしてホテルまで行くか
(というかぼったくられることなく、タクシーを捕まえられるか)
Cメキシコシティ出発日にホテルから(タクシーで)ベニート・フアレス国際空港まで行けるか?
Dロサンゼルス出発日にホテルから(タクシーで)ロサンゼルス国際空港まで行けるか?
どれもツアーだったら、係員にお任せのところ。
これを今回は自分でなんとかしなくてはならない。
ま、できないことはなくて、どうとでもなるんだけど。
乗り継ぎってのはいつも難しい。
着いたその足でそのまま国際線のところに留まっていればいいのか、
それとも1度入国審査を受けなくてはならないのか。
ドバイからモロッコへの乗り継ぎのときは、かなり無頓着にそのまま国際線の出発ロビーにいた。
ロスはどうなのだろう?「地球の歩き方」を見たりインターネットで検索してみたりすると
どうも必ず入国審査を受けなくてはならないみたいなんだけど実際どうなんだろう?
5時間後に乗り継いで他の国に行きますという人もいったんは入国審査を受ける?
そしてすぐにも出国手続きを受ける?それって意味なくないか?
ロス−メキシコシティの航空券には
区間のところにしっかりと乗り継ぎを示す「X」が印字されているぞ。
何も入国審査が嫌というわけではなくて(慣れてなくていまだにドキドキするが)
ただ単にめんどくさいだけ。やらずに済むならやりたくない。
やらなくていいんだよな、と一人合点して後で出発のときにバタバタハラハラしたくないだけ。
どっちにせよロサンゼルス国際空港は出発ターミナルが無数に分かれているようなので、
そのどれかに移動する際に結局は入国審査を受けなくてはならないようだ。
何がどうなるんだろうと思いながら、他の人の後にそのままついていく。
たいがいの人はロスで過ごすのだと思う。
だから、乗り継ぎのことは考えずそのまま道なりに進んでいけばいい。
歩いていると他に選択肢のないまま、入国審査へ。ふーむ、やっぱ必要なのか。
でもアメリカがそういうシステムなのか、それともロスの空港が必要なのか、
やっぱそういうところがよくわからない。
飛行機の中で配られた出入国カードを書いておいてよかった。
とはいえ「米国滞在中の住所」とか書きようがなくて空欄のまま。
「どうしたもんかい」と思いながら列に並んで待っていると、
空港内補助員みたいな日本人か日系人のおじさんがやってきて、
1人1人出入国カードをチェックし始めた。
(こういう補助員みたいなおじさんは成田の出発ロビーにもいた。
2人とも同じようなID証を首からぶら下げていた)
僕の番が来ておじさんは「どこに行くのか」と聞かれ、
「今から乗り継いでメキシコです」と答えると例の空欄には「Transit」と記入された。
ふーん、そういうものなのか。
なお、アメリカ出入国カード(I-94 W 査証免除用)にはこういう質問があったりする。
日本人用に日本語で書かれている。
「今までに、あるいは現在スパイ行為サボタージュ、テロリスト活動もしくは
集団虐殺に従事、参加したことはありますか。あるいはしていますか:
1933年から1945年の間に、いかなる形であれ、ドイツ・ナチ政府や
その関係同盟諸国に関連して迫害に参加していましたか」
アメリカが何を気遣っていて、何に対して注意のアンテナを張っているのかはわかるが、
日本語でこんなふうに書かれているとどことなくなんとなくシュール。
そもそも日本人に限らず、真顔で正直に「はい」にチェックする人なんているのだろうか?
おまけとして、税関申告用紙にはこういう質問がある。
「11.下記の物品を持ち込んでいる。
(c)病原体、組織培養、カタツムリ」
病原体、組織培養はわかる。検疫上の話として、あるいは知的財産の持ち出し・持ち込みについて。
でもカタツムリって・・・?
ナメクジならいいの・・・?
僕の番が来て入国審査となる。
黒人の審査官が「シゴト or カンコー?」と質問してくる。「カンコー」と僕は答える。
特に問題なく終わる。出入国カードの下半分を切り取ってパスポートにホッチキスで貼り付ける。
今から5年前にフォートワースに出張で来たときにはなかったが、
左手の親指、右手の親指の指紋をスキャンされ、顔写真が撮影される。
「ブレードランナー」冒頭で右目網膜のチェックをするシーンのように。
これって、いわゆる9.11のテロの影響なのだろうか。
トランクじゃなくてリュックサックが全てなので機内には預けていない。手荷物受け取りを素通り。
税関も特に問題なし。記入したカードを手渡して終わり。
この先、乗り継ぎかどうかで進行方向が変わる。
「Street」と書かれている通路と、「Transit」と書かれている通路と。
「なるほどね、こういうことか」と思う。僕はもちろん後者に進んでいく。
列に並ぶようになっていて、係員の黒人の女性が立っていてなにやら指示している。
トランクを持っている人はここで預けるようだ(?)
僕は何も預けないので素通り。「いっていいわよ」と言われる。
外に出る。
ここからが問題。無数にある出発ターミナルのどこに行けばいい?
これまで見た限りではどこにも掲示がなかった。それでいて空港はとてつもなく広い。
出発ターミナルは航空会社ごとになっていて、
「地球の歩き方」を見てみたり事前にインターネットで調べてみても
どれもユナイテッドやアメリカンとか大手の名前しか載ってなくて、
僕が乗り換えるアエロメヒコが載ってない。果たしてどこにあるのか。
僕が到着した国際線ターミナルで実はよかったりするのか。
とりあえずふらっと外に出てみる。
するとさささっと黒人の男性が寄ってきて、「volunteer」と書かれたID証を見せる。
「君はどこに行くのか?」と聞かれ、「メキシコシティ」と答える。
「じゃあ、その先の6番のターミナルだ」(指さす)
「すぐそこが4番で、その先だ。5番と間違えないように。シャトルバスに乗るといいだろう」
親切な人がいるもんだと思う。握手を求められて僕は右手を差し出す。
行こうとすると親しげに話し掛けてくる。
「君はどこから来たのか?」「日本からです」「日本か、いい国だ。日本の若者たちは優しい人が多い」
と話したところでおもむろに取り出したファイルを開く。
世界地図が書かれていて、いくつかの国が大きく別枠になっている。
俗に言う、恵まれない国だ。
「子供たちを援助するために募金してほしい」
しまった。
そういうことだったのか。
「20ドルから」
僕はとっさに「お金がない」と答える。実際、なかった。財布は空。
日本で両替していたのを、移し変えてなかった。
ポケットをポンポンと叩く。ないということを彼にも示して、自分にも納得させるために。
彼はそんな僕を放そうとしてくれない。
ポケットに20ドルちょうどあったことを思い出す。空港の中で使うかもしれないと。
仕方なくそれを手渡す。彼はレシートというか領収書をくれる。
もしかしたら本当に募金のためなのかもしれない。活動資金を得るために。
そこにはカリフォルニア伝導教会のロサンゼルス支部と書かれている。
「20ドルの寄付が、飢えている子供10人を助ける」
これが嘘だったらやりきれんよ。
せめて本当に飢えている子供の役に立ってほしい。
教訓:空港の外で待ち構えている人の言うことは絶対耳を傾けないこと。
どこの国であろうと。どれだけ優しそうな人であろうと。
初めてその国を訪れた一介の旅行者ならばなおのこと。
[1731] メキシコ(9/3)その3 飛行機に乗り込む 2005-09-05 (Mon)第1ターミナルへ。もちろん初めて。第2ターミナルと比べると、小さくて物寂しい。
あれこれ見て回りたかったけど時間がないのですぐにもカウンターへ。
無事航空券を受け取り、そのまま出国手続きへ。特に問題なく終わる。
出国ロビーで1時間近く待つ。文庫を読む。なんとなく飲みたくなってコーラを買う。
あと、ペットボトルの水。FRISK も。
時間が来て、飛行機に乗り込む。
今回乗ったのは大韓航空とデルタ航空のコードシェア便。
大韓航空、デルタ航空、イタリアのアリタリア航空、エールフランス、オランダの KLM 航空などが
「SKY TEAM」というアライアンスを組んでいることを知る。
日本の航空会社は加わってないようだ。
日本発とはいえ、機内の第1言語は韓国語で、第2言語は英語。日本語はその次。
でも一応、全てのアナウンスは日本語でなされる。
スチュワーデスも日本語で応対する。
日本人のスチュワーデスも乗っているようだが、韓国人のスチュワーデスと見分けがつかない。
今回座った場所はなんと最後尾。
遂にあれか。前回のモロッコ・ドバイ旅行でも気になったが、
「チキンにしますか、ビーフにしますか?」と聞かれるところを
最後なのでチキンしか残っていないというような事態に直面するのではないか。
(でも結局最後尾から配っていったので結果として回避。。。)
機内食。白身魚の中華風と「・・・」とどちらにしますか?と聞かれる。
隣の人も聞き返していたんだけど、「・・・」が何を言っているのかよくわからない。白身魚にする。
飲み物はと聞かれてもちろん、ビール!
キリンがありますけど、と言われても他の国のにする。
韓国のかというとさにあらず。フランスのビールだった。
(そういえば韓国のビールってほとんど聞いたことがない。どこかで1度見たなあっていうぐらい)
青いバックにラベルには「Kronenbourg 1664」とある。クローネンバーグと読むのだろうか。
機内食は可もなく不可もない味。韓国の航空会社の飛行機に乗ると
ビビンバが出てくるというのを聞いたことがあるんだけど、ガセだったようだ。
その他はカニ風味かまぼこの韓国風サラダ。
パーサーが白ワインを持って通路を歩いているので、何度か注いでもらう。
隣の席のおばさんから2回の機内食で
パンやヨーグルトやオレンジジュースや、いろんなものをもらう。
そういえば僕は久しぶりのアルコールだった。
今週は平日早く帰ってきても一滴も飲まなかった。
日焼け−火傷のせいか、なんか酒を飲む気になれず。そんで今日、解禁。
久しぶりのビールはうまかった。
機内食が出てくるとあちこちでフラッシュがたかれる。
旅行の記念に自分のトレイをデジカメで撮っているのだろう。
みんな考えることは同じようだ。
僕もやるつもりだったんだけど、恥ずかしくなってやめた。
みんな同じ、で言うとアメリカの税関や出入国のカードが配られると、
見渡してみると若者たちは皆一様に「地球の歩き方」を開いてサンプルのように書いている。
今回のフライトはロス行き。僕はロスで乗り換え。
(メキシコシティ直行便は確か JAL が週に2便という状況)
周りは皆ロスに向かう人たちばかり。
学生っぽい若者がたくさん目に付く。
大学はまだ夏休みだし、いいなあ、もう普通にロスとか行っちゃうんだろうなあとうらやましくなる。
手軽に行けて楽しんで帰ってくるというところか。
僕の前に座った2人の女性はこういうとあれだけど
「負け犬」が1人で羽を伸ばしに行きますみたいな感じで、意気投合していた。
1人はフライトの間中、宅建のテキストを読んでいた。
1回目の機内食が終わると、照明が落とされる。
夕暮れ時に眩しくて下ろした窓のカバーを押し上げてみると、日没。
寝る。眠れなくて起き上がって席の照明をつけて文庫を読む。
飛行機に興奮したのか、子供がひっきりなしに泣いている。
眠いけど眠れない頭で時々目の前のスクリーンを眺める。
小柄の女の子主演の映画だった。これまで見た記憶のない女優。
主人公は「マギー・ペイトン」と言って素人なのにレーサーとなって優勝してしまう。
話もよくわからないまま、クライマックスとラストを見てしまった。
その次は囚人のフットボールチームを主題とした感動系コメディ。
アダム・サンドラーが主演だった。
寝たり起きたりを繰り返しているうちに、機内の照明がつく。
2回目の機内食。オムレツかフルーツ盛り合わせで、僕はオムレツにする。
雲の上の夜明けを見る。
分厚い雲の上に、赤、オレンジ、黄色、ライムグリーン、水色、青。
きれいに積み重なっている。
到着までの間することもなく、「旅の指さし手帳 メキシコ編」をペラペラめくる。
数字ぐらい覚えようと思う。
メキシコはスペイン語。
4が「クアトロ」なのはなんとなく知っていたが、1は「ウノ」だった。
カードゲームの「ウノ」はここから来ていたのか。
窓の向こうにロサンゼルスの街並みが広がる。低い山に取り囲まれていて、ところどころ湖がある。
碁盤の目のような都市。その合間にゴルフ場や野球場があったりする。
あれがドジャースのスタジアムだろうか?
高層ビルも見えてくる。ロスを舞台にした映画に出てくるのはあれらのビルなのだろうか?
[1730] メキシコ(9/3)その2 成田空港 2005-09-04 (Sun)快晴。9月に入ったとはいえ、東京はとても暑い。
リュックサックを背負い、ドアに鍵をかけて僕は駅に向かって歩き出す。
ドバイの Virgin で CD を買ったときの買い物袋を手に。
中にはパスポートや HIS から送られてきた各種書類(格安航空券の引換証やホテルのバウチャー)や
「地球の歩き方」や道中で読む文庫本が入っている。
恐らくメキシコシティでもこの買い物袋にあれこれ持ち歩いて歩き回るのだと思う。
ほんとなら肩掛けのカバンなんかがいいんだろうけど、で、一応部屋の中にはあったんだけど、
荷物をとにかく減らしたくて直前になってリュックサックの中から取り出した。
丸の内線で荻窪から銀座へ。山手線で有楽町から上野へ。
京成線の特急で上野から成田国際空港へ。
上野という街はいつ来ても時間が止まってしまっているなあ、
いつまで経っても昭和のままなんだなあなんて思う。
上野公園の坂を下りていくと古びたカバン屋や帽子屋が軒を連ねる古びたビルがあったり、
儲かってなさそうな映画館があったり。
レストラン−食堂も昔なら庶民のご馳走だったんだろうけど、
今はただ時代に取り残されてひっそりとしている。
京成線の特急に乗る。成田まで80分。1000円。
京成線と言えばスカイライナーなんだろうけど、金額が倍になる割には
調べてみたら所要時間は56分で劇的に短くはならない。
時間もあることだし、普通に特急に乗って行く。
上野ではあんまり人は乗ってこなくて「こんなもんか」と思っていたら日暮里でたくさん乗り込んできた。
乗ってる間、コニー・ウィリスの「航路」を読む。
臨死体験がテーマ。
その科学的解明のために、主人公は自ら実験台となって擬似的な死の中に入り込んでいく。
分厚い。上下1200ページある。でもここ3日でもう400ページ読んでしまった。
このペースだと日本に帰る前に読みきってしまうかもしれない。
「宮部みゆき絶賛」と帯にある。
僕は何かにつけて「宮部みゆき絶賛」の本ばかり読んでいるような気がする。
P・K・ディックの「暗闇のスキャナー」であるとか。
それでいて、いつか読まなきゃなと思いつつ、宮部みゆきの書いた小説を読んだことはない。
周りの乗客は成田に向かう旅行者か、その付き添いか。
付き添いは女性の旅行者に対して、その彼氏か、同性の友人か。
彼氏ならまだしもわざわざ友だちのためにお金と時間をかけて成田まで来るなんて・・・、
女の友情というのはすごいもんである。
目の前に座ったカップルは豪快系の彼氏とバックパッカー系の彼女って感じで、
大声で喋りまくっている。嫌でも聞こえる。
話がなぜか沼昭三の「家畜人ヤプー」になる。
彼氏の方は吼えるように、高校時代に読んでモーレツに感動したとかそんなことを言っている。
この沼昭三ってのが実は有名な編集者のペンネームで、とかウンチクを語る。
そしてあらすじの説明。車両の中いっぱいに聞こえるぐらいに。
何千年か先の未来、イギリスと戦争をして負けたことにより日本人は家畜化し、云々かんぬん。
主人公の男女はなぜかタイムスリップしてその世界に入り込み、男の方は去勢され、・・・。
彼女曰く「わー面白そー」「読んでみる?」「読む読む!」
普通、読みたいって思うかよ!?で、彼氏が言う。
「でもさあ、これって女に読ましたくない小説No.1だな」
じゃあ紹介するなよ・・・。
残念なことに、僕自身はいつか読まなきゃならぬと思いつつ、いまだに読んでない。
成田空港到着。
終点1つ手前の第2ターミナル駅でみんなぞろぞろ降りていくので、
リュックサックを網棚から下ろし、僕もホームへ。
改札を出て、パスポートチェックの列に並ぶ。
(ホームには「手荷物検査があります」と書いてあるのに、行ってみるとパスポートのチェック。なんか変)
そこから出ると目の前にさっそく両替屋があったので入る。
銀行ではなく、両替専門の店だった。
手持ちの日本円が7万円あったので、米ドルで5万円、メキシコペソで2万円とした。
それぞれ442ドル、1640ペソとなる。
だいたいのところ、1ペソ=11円ぐらいとなる。
HISで航空券を買っていたら海外のレートを自動的に計算する小さな電卓が
もらえるようになっていたのだが、僕は引き換え用のクーポンを持っていないということで不可。
でもこういうのってどうやって日々レートをアップデートするのだろう?手入力だろうか。
3階の出発フロアへ。各航空会社のカウンターが並ぶ。
JAL が主催のイタリア行きのツアーに大勢人が集まっている。若い女性たちばかり。
公衆電話から母親に電話をかける。今から行ってくるよと。
上の階に上がって本屋に入る。
このペースだと「航路」読み終えてしまうだろうなあと思い、文庫を選ぶ。薄くて簡単に読めるものを。
買ったのは、村上龍「空港にて」と吉田修一「パーク・ライフ」
航空券の引き換え時間は12:55で、到着は11時半。
あんまり腹は減っていなかったけど、12時を過ぎていたのでなんか食べることにする。
1週間ほど日本食から遠ざかるしなあと讃岐うどんの店でカツ丼とうどんのセットを食べる。
先週海の家で食べたのとあんまり変わらないようなカツ丼が出てくる。
カツ丼という食べ物は本当においしいものを作るのは大変難しく、
よほどのことがない限り「並」レベルのものにしか出会うことはない。
その分「食えない」ものに出会うこともない。
時間があったのでふらっと外に出て離着陸するジャンボジェットをぼさーっと眺める。
さらに時間があったので、CD / DVD を売っている小さな店に入る。
よく見るとアダルト DVD が1つのコーナーとなってたくさん売られている。
今から海外旅行するって人がなんでこういうのを買うのだろうか?と不思議に思う。
旅先で見てたら、余りにも侘しいじゃないですか。
はたと思うに、これって外国人観光客がお土産として買って帰るものではないか?
きっとそうに違いない。
そろそろ時間かなと思って HIS のカウンターを探す。
なのに見つからない。E-31ってとこにいかなきゃならないんだけど
E って JAL で、29 までしかない。なぜだ?
よく見ると引き換え場所は第1ターミナルと書かれていた。ここは第2ターミナル。
僕はてっきり、第2ターミナルのあの広いフロアに第1も第2も含まれているものと勘違いしていた。
羽田みたいに、JAL側・ANA側分かれているというように。
第1ターミナルは全然別な建物で電車でもう一駅行ったところにあることがわかる。
そうか、京成線の終点って第1ターミナルのことだったのか。
第1ターミナル行きのバスが出ているようなので行ってみるが、出たばかりのようでまだ当分先。
地下まで下りていって京成線に乗る。初乗り140円。ちょうどよく5分後に来る。
でも券売機で買おうとしても140円のボタンが反応しない。頭上の料金表には出ているのに。
どの券売機を試してもダメ。
カウンターの人に第1ターミナル行きを買いたいんですけどと言うと怪訝そうな顔をされる。
「無料のバスが出てますけど」と言われる。
それでも、急いでいる僕は京成線に乗っていくことを選ぶ。切符を売ってもらって改札をくぐる。
ホームへ。ちょうど上野行きが出て行った後だった。ってことはこのホームじゃない。
だけど、反対方面はどこから乗ればいいのだろう?わからなくなる。焦る。
向かい側はJRのホームで、渡る方法はないようだ。
それでも、階段を上ると「第1ターミナル行き」と掲示がある。混乱する。
もう1度階段を上り下りする。
改札に戻って聞いてみる。駅員にまた怪訝そうな顔をされる。
この京成線は上りも下りも同じホームなのだと言う。なるほど、そういうことか。
まさか単線だとは思いもよらなかった。
東京近辺の鉄道は私鉄の郊外のローカルでもない限り全て複線だと思っていた。
成田国際空港に行く鉄道ともなれば複線でしかるべきでしょ?実はそうじゃなかった。
[1729] メキシコ(9/3)その1 じゃあ行ってくるよ 2005-09-03 (Sat)これまでずっと暇で定時で帰っていたのに、
一昨日の夜から昨日にかけてなぜか障害が多発。
その対応で遅くなる。久々の残業。
つうか他の人たちは終電まで行っちゃいそうな雰囲気だったのを
僕1人だけ先に帰らせてもらった。
家に帰ってきて、出発の準備をする。
基本的なものはもうほとんど済んでいる。
ノートPCで海外ローミングを行うためのソフトを立ち上げてみたり、、
FOMAの提供している、海外でも使えますというサービス
「World Wing」に加入しているかどうかの確認を行う。
どちらも保険。たぶん使うことはない。
ノートPCノ海外ローミングはホテルに寄るなあ使えるかどうかは。
上海・ノルウェーでは使えたけど、モロッコではどこ行ってもダメ。
メキシコシティって微妙だな。
旅行中インターネットはできないことを前提に考える。
右足首の水脹れはきれいに消えてなくなる。
木曜の夜、劇的にしぼんでいった。
日焼け−火傷の跡が残って肌がどぎつく赤に黄色に染まっているぐらいとなる。
(処方してもらったローションのせいか、塗った部分の毛が抜け落ちて肌がつるつるしている)
背中や腕の皮が向けて今、ボロボロと剥げ落ちている状態。
昨日は会社で皮をむきっぱなし。無意識のうちにやってる。
僕が移動する先々で皮膚の破片が落ちていて、汚らしいことこの上ない。
---
7時に起きる。荷造りし直す。
35リットルの大きなリュックを買ったというのに、それもいっぱいになる。
この分だと帰りに荷物が増えていると結構やばい。どうしたもんか。
捨てられるものは捨ててこないとな。
使い捨てトランクスというのを履いてみる。
色は真っ白。弱々しい生地。これはかっこ悪い。人に見られたくないなあ。
今回はカーゴパンツをはいていって
右太股のポケットには無印良品の小さなノートとボールペン、
(いつもそうしてるけど、行った先々で常にメモを取っている)
左太股のポケットにはデジカメ。
たぶん滞在中はボタンのかかる別のポケットに
パスポートも入れて携行するのではないかと思う。
メキシコでは常に旅行者は常に携行してなくてはならないらしい。
---
メキシコシティは標高2240mに位置し、
人口2000万人という世界一人口の多い首都だという。人口過密。
そのせいか治安はあんまりよろしくないようだ。
そういうところにこれから行くとなると気が重くなる。
大変な目に遭いそうなんでホテルに閉じこもりっぱなしになるとか、
実際に大変な目に遭うとか。人相の悪い男たちに取り囲まれ、金品を強奪される。などなど。
実際のところどうなんだろう?
いろいろインターネットで見ていると
「危険」と書いてるところもあれば、
「注意していれば大丈夫」と書いているのもある。
どっちなんだろう?たぶん後者なんだと僕は考える。
どうも旅慣れた人の意見では、「普通」に注意していれば大丈夫なようだ。
観光客気分丸出しでデジカメ持ち歩いて撮りまくってたり、
現金や財布をやたら人目に触れるように派手に出し入れしたりしていなければいい。
まあこれはメキシコに限らず、世界のどこに行っても同じこと。
とりあえず僕はでかいリュックサック背負ってあちこち出歩くのはやめて、
「地球の歩き方」と「旅の指さし会話帖」の入った袋だけを手に街を歩くことにするだろう。
---
洗濯が終わったら、成田に向けて出発する。
フライトの時刻は14:55
メキシコシティとの時差は15時間。
途中のロスでも乗り継ぎに6時間要する。ロスまで9時間半。
到着はメキシコシティの時間にして夜21時ごろ。つまり、日本時間にして明日4日の昼。
これから長い一日になりそうだ。
今、民俗音楽を取り入れた南米各国のクラブミュージックのオムニバスを聞いている。
David Byrne のレーベル「Luaka Bop」のミュージシャンも参加しているので
日本人にしてもスタンスがわかりやすい。
アルゼンチン音響派なんてシーンを聞くことがあるんだけど、どういうものなんだろう?
なんて言ってても今回行くのはメキシコであってアルゼンチンではない。
メキシコの音楽ってどんななんだろう?
マリアッチぐらいしか思い浮かばない。
(黒っぽい正装で、飾りのついた大きな帽子「ソンブレロ」をかぶって、ギターを弾く、あれ)
果たしてメキシコの音楽に触れることはできるだろうか?
[1728] 火傷の話(続き) 2005-09-02 (Fri)性懲りもなく日焼け−火傷−水脹れの話を。
こういう話が苦手な人は、絶対読まないように!
会社を休んだ火曜、病院に行った後、新宿に出て買い物をして帰ってきたら
ジーパンの裾で摺れたのか水脹れが悪化、ってとこまでこの前は書いた。
その後、1日中気になるわけですよ。そわそわそわそわ。
グロテスクなので見たくもないのに、ひっきりなしに見てる。
せっかくの休みが台無し。
少しはしぼんだかなあ、固くなっていったかなあ。
期待に反してどんどん膨れ上がり、みずみずしくなっていく。
諦めきった僕は「育ってるなあ。ヘヘヘ」と心の中で笑う。
水曜は普通に出社。靴下履いて、靴履いて。
気が遠くなってくる。
摺れるんだろうなあ。痛いんだろうなあ。そして。
・・・破れるんだろうなあ。
それでも何食わぬ顔して資料を作ったり打ち合わせをしたり
周りの人にしょうもない冗談を言わなくちゃならないんだろうなあ。はあ。
靴下の中に毒々しい黄色い液体がじわじわと染み込んでいって
ところどころ水が溜まってテラテラと塗れて。
せめてそれだけは避けたい、と思う。心の底から。
夜、8時だっただろうか。
決心のついた僕は会社鞄のどこかで眠っていたソーイングセットを取り出して
マチ針を摘み上げると、台所に持っていってコンロに火をつけて炙り、
ユニットバスの洗面台に右足を乗せて、
ほっこり膨れ上がった水脹れに恐る恐る針を近づけて、
「せーの」と針を押し当てた。プスッという音が心の中でした。
チクッという痛みがする。
物理的にはたいしたことのない痛みなんだけど、
心理的にはものすごい、のた打ち回りたくなるような痛みに感じる。
あー、あーあーあー。
突き刺したはずなのに破れない。意外に皮は固い。
意を決してもう1回突き刺す。別な場所に。角度を変えて。
ちょろちょろと液体が染み出すようになる。ドバッと破れるようにはならない。
その後いくつか突き刺してみるものの、ヤツはなかなかしぶとくて破れない。
ここまできたら仕方がないとティッシュを水脹れにそっと押し当てて、
中の水を染み出させる。
さすがにしぼんでいく。・・・しぼんだ。
「勝った」
そのときはそう思った。
部屋に戻って机に向かう。
ヤツのことが気になる。ピリピリビリビリと痛む。熱も持ち始める。
もしやと思ってみてみるとヤツは膨らみ始めていた!
まだ10分も経過していないのに。
2時間もしないで復調。完全に膨らみきった。黄色く、ツヤツヤとしている。
「負けた」
思えば、2重の意味で。
ヤツの存在そのものと、せっかくの休みを結局ヤツの観察で潰してしまったことに。
それにしても素晴らしい生命力。
マジでなんか他の生き物に思えてきた。
でも僕の一部分なんだよなあ。
これぞ「自分との戦い」ってやつだ。
ぐったりきて寝る。
---
次の日、水曜。
ソーッと、文字通り「腫れ物に触るように」恐る恐る靴下を履いて、
その上にというか周りに靴を履いて外に出る。
いつもと何かが違う自分。ゾクゾクする。
普通に電車に乗って、普通にコンビニに寄って、普通に会社に着く。
普通に仕事をして、普通に人と接する。普通に昼は社食で定食を食べる。
その間ずっと、ヤツのことが気になっている。
気になって気になって仕方がない。
昼休み。そっと靴下を見てみると、例の箇所がじわっと滲みになっている。濡れている。
破れたか・・・。
いっちゃったか・・・。
どれぐらい破れたんだろうな。ミクロな視点で言うと水浸しかな。
その後さらに気になる。仕事どころじゃない。上の空。
定時で帰って来る。
靴下を下ろしてみると、意外なことに破れてはいない。
ヤツは「やあ、僕、元気にしてたよ!」とでも言いたげに靴下の陰からコンニチハ。
僕は、「あぁっ」とか「うぅっ」とか「おぉっ」とが入り混じったような微妙な声をあげる。
しぶとい。それでも心なしか弱っているようだ。肌につやがない。
流れ出した液体は昨日針で穴を開けた箇所か。穴がふさがったかと思いきやそうでもない。
(というか冷静に考えて、雑菌が入って危ないのではないか。
化膿止めのローションを朝晩塗ってはいるが。こんなことやはりするものではない)
---
マジな話、まだ何日か引き摺るんだろうな。
以前ほどの若さもなく、「晩年」という風情を漂わせているが、
ヤツはメキシコにも同行することにもなる。
チクショー。そう思うとかわいいヤツ。
[1727] 今年はメキシコに行きます(その4) 2005-09-01 (Thu)メキシコ旅行の準備を始める。
トハイッテモ、毎年海外に行くのが習慣になってくると
海外旅行というものは人生の一大イベントではなくなってくる。
そういうプリミティブな感動はかなり薄れる。
「準備にかける意気込み」というのでは青森に帰るとの一緒ぐらいになる。
パスポートと航空券(もちろん、成田のカウンターで受け取る)とホテルのバウチャーと
着替えと「地球の歩き方」2冊(メキシコ・ロス)とデジカメとノートPCとノートとボールペン。
上に羽織るネルシャツ。シェーヴァー(充電済み)。
他に何が必要だろう?胃腸薬と頭痛薬と、
海に持っていった日焼け止めと日焼け後のローションと虫除けと虫刺されの薬と絆創膏。
それぐらいか。これだけでいいはずだよな?
根本的な部分の話として、メキシコもアメリカもビザの申請はいらんし。
旅行中に読む分厚い文庫も選んだ。コニー・ウィリスの「航路」上下。(ヴィレッジ・ブックスより)
村上春樹の「象の消滅」と悩んだが、行きの飛行機で読み終えそうだったので、やめといた。
そういえば、メキシコって英語が通じないんだっけ?ってことを思い出し、
「旅の指さし会話帳」のメキシコ編を一応買ってみる。
トラベル英会話やトラブル対応ガイドブックは前回の旅の際に買ったものをまた持っていく。
今回、使い捨てのペーパートランクスってやつをはいてみることにした。
3個パックを2つで6日分。最終日以外はこれで通してみる。
少なくとも荷物は日々軽くなっていくはずだ。
旅先で知り合った女性と×××なときにこの真っ白な使い捨てトランクスを見られたら
非常にかっこ悪いなとも思うのだが、
もう1人の自分が「どうせねーよ。そんな状況」と一刀両断する。ふてくされながら。
Tシャツはこっちで着なくなったものを持っていって、向こうで捨てて帰ってくる。
でも、たくさん持っていくのもなんなので日々、ホテルで洗濯する。
干すための折り畳み式ハンガーなるものを買ってみた。
ハンズで確か300円ぐらいだった。
靴下は履かない。サンダルで通す。
毎度毎度ホテルで履くスリッパを持ってきてなくて「しまった!」と思わされるのだが、
今回はサンダルだから一緒かと割り切る。
この折り畳みハンガーぐらいか、旅行用品売り場のアイデアトラベルグッズで欲しくなったものは。
最近は何を見ても「どうせこんなの使わんでしょう」
「なんか他のもので代用できるでしょう」と思ってしまう。
消しゴムサイズの小さな手動式シェーヴァーが今回の旅行とは関係なく便利そうで欲しくなるが、
使ってみるとかなり不便なんだろうな。
明るいところでも眠れる人なのでアイマスクもいらず、空気枕もいらず。
でも旅行用品売り場に足を踏み入れて「必要なんではないか??」と
悩んでしまう人の気持ちはよくわかる。
たまに、本当に使っている人を飛行機の中で見かける。
空気枕を使いこなせず放り投げている人もまた、見かける。
(↑エアークッションと言うのが正しい?)
腕時計は、前回の旅行で羽田で買った、安物のデジタル時計を再利用。
1時間に1度ピーッと時報が鳴るのだが、止め方が分からなくて、
モロッコ・ドバイから帰ってきてからずっと1時間に1度鳴り続けた。
3年前の型の古いノートPCは、買い換えたいところではあるものの
旅行なんかに行ってるものだからその予算無し。
今度の旅行に限らず何かと使う機会はありそうなので
せめて快適に使えるようにとメモリを増設する。128Mだったのを256Mに。
このノートPCはここまでしか増やせないのだそうだ。
今の感覚で言うとこれでもかなり足りない。今時ないよなー。
(ホテルに置きっぱなしにしたら盗まれるだろうか・・・?でも持ち歩くのは嫌だ)
ここまで来て、問題はこれらを収める鞄。
スーツケースは嫌だった。
なんかスーツケースを持ってウロウロしていたら
観光客目当てのメキシコ人がブワーッと寄って来そうで。
それにそれほどの荷物の量でもないし。
せっかくでかいスーツケースがあるのだからと荷物を増やしてしまいそう。
小さなスーツケースを欲しくもなるが、とにかくなんか欲しくなるという
あらぬ欲望がムクムクと首をもたげだすが、シャットダウンする。
今持っているリュックサックに全て入らなくもない。
でも、パンパン。これ以上何も入らない。
Tシャツ・トランクスが若干減るとはいえ、お土産の類を買っても入れる余裕はない。
このリュックサックも学生時代から10年以上使ったし、
そろそろ新しいのを買ってもいいかと思う。
火曜の休みに新宿に出て、L-Breathとハンズを往復していいのがないか探す。
Noth Face, Gregory, Coleman, ZEROPOINT ...
結局いつも欲しくなるのは Karrimor なんですよね。
「これいい!」というのが出てくるもののやはり、高い。(Gregoryも高いが)
どうしようか本気で迷う。
とりあえず30リットルぐらいの大容量を買わないことには買う意味がない。
でも、でかすぎると今度は機内持ち込みに引っかかりそう。
安いやつだとハンズメッセで5000円で50リットルなんてのが見つかるが、
デザインがイマイチなのでこの旅行が終わったら使わなくなるのが目に見えてる。
次もまたこういう旅行になるとは限らず、スーツケースの方がいい、となるかもしれない。
Life Guard ので高機能で十分な要領のがあって1万円しなかったんだけど、
これまたデザインがあれなのでやめにした。
ZEROPOINT や Norce Face の1万ぐらいで30リットルのが妥当な選択か。
・・・結果、あれこれ理由を自分でつけて、Karrimor を買ってしまう。
高額なやつ。ここに値段は書きたくない。
だけどこれなら普段どこに行くにも使えるぐらいかっこいい。満足する。
ここまで来ると道楽だな。
また同じような旅に出て元を取らないと。
なお、去年のモロッコ・ドバイ旅行で買った冬山登山用の馬鹿でかいザックは
その後使う予定全く無し。トランクルームで眠ってる。
まあそんなこんなで一通り用意が済んで、後は行くだけ。
土曜日が待ち遠しい。
---
母親に週末からメキシコに行くことを電話で伝えると、
向こうから絵葉書を送ってくれという。
記念になるからと。
[1726] 今年はメキシコに行きます(その3) 2005-08-31 (Wed)(さらに続き:先週の話)
月曜になるのを待って、HISのY嬢に電話して、
ツアーではなく、エアー+ホテル+ティオティワカン遺跡半日観光だけにする旨伝える。
Y嬢は快く、変更を請け負ってくれる。
ホテルはツアーと同じものにして、オプショナルも遺跡だけにして、
では航空券はどうしますとかという話になる。
9/3(土)出発、9/8(木)帰国というスケジュールのままとしたとき、
いくつかの航空会社が選択肢に入ってくる。
アメリカンだと乗り継ぎはこうなって値段はこうなって、
ユナイテッドの方が安いけどこういう制限があって、
一番安い大韓航空だとロスに一泊することになって、などなど。
格安航空券の不思議な原理により、
アメリカン航空でダラス乗換えで8日帰国とするよりも、
大韓航空に乗って乗り換え地点であるロスに1泊して9日帰国としたほうが
航空券代としては2万円安くなる。11万円台。
だったら、ロスで1万円以下の安いホテルに泊まった方がリーズナブルではないか?
ロスには行ったことないし。
たとえ半日程度の観光しかできなくても、行ってみたい。
朝のうちはアメリカン航空でと言ってたのを
夕方まで悩んで大韓航空でロス1泊つきに変える。
(そのたびにY嬢にあれこれ調べてもらう。申し訳ない)
これでプランは確定。
なお、「地球の歩き方」を見ていたらメキシコの観光スポットはどこも月曜が休みのようなので、
ティオティワカン遺跡に行くのを月曜とする。
本来ならば(ツアーならば)、3日(土)に着いて次の日4日(日)に
遺跡観光+市内観光となる。でも、日曜に遺跡を訪れる人が多いため、混雑している。
そういう事情もある。
水曜に振込み。
空港税や保険を足しても全部で20万もしなかった。
メキシコ4日+ロス1日でこれだけしかしない。
自分でも満足できるプランとなった。
とりあえずツアーにして、一人参加代金を払っていた頃が遠い昔のように感じられてきた。
さらにまたバックパッカーへと近付いていく。
遺跡以外は全部フリーとなってしまったメキシコシティーの過ごし方を
以下のように計画する。
【9/3(土) 】
日付をまたぐので、成田を3日に出発しても3日のまま。
ロスで乗り換えて、空港に着いてホテルに着くのは夜遅くとなる。
【9/4(日)】ソカロ〜ソナ・ロッサ地区。
定番の国立宮殿、革命記念塔、国立人類学博物館の見学。
チェプルテペック公園にて、近代美術館やその他博物館や美術館、チェプルテペック城を見る。
【9/5(月)】
午前はティオティワカン遺跡観光。
午後はどこもかしこも閉まってるだろうから、街をブラブラ歩いて終わり。
【9/6(火)】地下鉄にトライしてコヨアカン、サンアンヘル地区へ。
フリーダ・カーロゆかりの建物を回る。博物館やディエゴ・リベラと過ごした家の2つ。
レオン・トロツキーが晩年を過ごした家も見る。
※あと、日曜か火曜の夜に、ルチャリブレか闘牛を見たいもんだが。。。
【9/7(水)】
メキシコシティを発って、ロサンゼルスへ。
メキシコシティはこれでいいとして、
このロスをどうしようかというのに悩みだす。
初めてのロス。だけど半日だけ。
でもよく考えてみると、ロスの見るべき場所・観光名所ってなんなんだろう?
そういえば知らないな。ハリウッドやビバリーヒルズ?
ディズニーランドは興味ないし。あとはユニバーサルスタジオか。
結局、現地の旅行代理店の半日観光、夜の観光を申し込むことにする。
モタモタしていたらどこにも行けなさそうだったので。
それに一口にロスと言っても地図を見たら無茶苦茶大きかったので。
観光ではチャイニーズシアターやドジャースタジアムを見るようだ。
そんで9/8(木)にロスを発って、9/9(金)到着。
まあ、こんな感じ。
[1725] 夏を取り戻す、海水浴に行く(その4というか、日焼けで火傷の話) 2005-08-30 (Tue)後日談。ここまで来ると海とは直接の関係はなくなる。
日焼けというか、火傷の話。
土曜に海に行って今日、火曜が4日目。
いまだに背中はヒリヒリと痛く、足は真っ赤なままパンパンに腫れて突っ張っている。
体のあちこちが痛いのに、昨日1日出社。
靴下を履いて靴を履いて、1日オフィスにいたら靴の縁にすれる、すれまくる。
家に帰ってきて恐る恐る靴下を脱いでみたら右足首に水脹れができていた。
ひぃ〜。思わず自分でも「うわっ」と声に出してしまう。
さらに、脱ぐときに指を滑らして引っかいた箇所がその後徐々に徐々に水脹れ化していく。
シャワーを浴びたら水分を補給してさらに膨れ上がる。
黄色いスライムが、ヒルのように僕の足首に張り付いている。
今日はもともと休みの予定。
旅行の準備をするつもりだった。
こりゃいかんとアパートの近くに皮膚科があることを思い出し、
診察開始時間になるのを待って駆け込む。
平日の午前中で患者は少ない。すぐにも自分の番が回ってくる。
海で泳いでどうたらこうたら、日焼け止めを塗り忘れてどうたらこうたらと説明して、
まずはTシャツを脱いで腹と背中を見せる。これぐらいはどうってことない。
そして問題の右足首。
「あー」という言葉があがる。
でも、医者の立場からしたら全然たいしたことのないようで、
化膿や炎症を抑えるローションを出しましょうということであっさりと終わる。
スプレーと自分で塗るのとだとどっちがいいかと聞かれて、
自分で塗るほうが薬の効き目は強いというのでそっちにする。
足は下にあるのでどうしても水分が溜まりやすく、水脹れができやすいとのこと。
僕の足にできたのはまだ浅いものなのでたいしたことない、
万一破れても全然構わないし、
明日出社する際に普通に靴下と靴を履いても問題ないだろうと言われる。
(そうは言われてもこの上に靴下を履くにはそれなりに勇気がいる)
せっかくの機会なので、聞いてみる。
僕「自分のような肌の白い人は日焼け止めではなくて
日焼けオイルを塗ったらどうなるんでしょうか?」
医「日光を浴びると黒くなりますか、それとも赤くなりますか?」
僕「赤くなります」
曰く、(詳細は忘れたけど)僕はタイプAという肌のようで、白人と一緒。
日焼けしようとしても紫外線を浴びるだけなのでお薦めできない、と。
海に行ったときに先輩から借りて日焼けオイルを借りてたら自殺ものだった。
先輩は「貸すよ〜」と言ってたけど。
薬局でローションをもらって帰る。
こんなことなら、無理をしてでも日曜に救急外来に行ったほうがよかった。
あるいは、昨日午前休をとるか。
海水浴と言えども、侮れない。
というか僕、気軽に海に行けない・楽しめない体質ではないか。
改めて突きつけられて「あーあ」という気分になる。
その後せっかくの休みなので新宿に出る。
素足にサンダルとはいえ、ジーパンの裾が例の箇所にすれる。
帰って来て脱いで見ると、たった3時間前に病院で脱いだときよりも成長している!
気の弱い女の子だったらキャーと悲鳴を上げるんだろうな。
でも僕は男の子だから、いい年した大人だから、現実を直視する。
2つ離れた箇所にあったものが、小さい方のが急成長してくっついてしまった。
横長に大きくなる。
ローションを塗るために触るとブニブニしている。
今にも破けそうだが、素足を棚の角にぶつけてひっかいたりしたら一発でいってしまいそうだが、
意外と皮ってものは丈夫でなんとかなるかもしれない。
---
さらに気持ちの悪い話を続ける。
耐えられない人は読まないように。
大学院一年の夏休み、茨城の海に撮影合宿に出かけた。
後輩が別荘を持っていて、使わせてもらった。
僕が監督で、撮影もすることになっていた。
初日の撮影のうち午前の部が終わるとさっそく、サンダルの隙間が真っ赤に腫れあがった。
スケジュールも押してるので昼食後そのまま、撮影を続ける。
夜には立派な水脹れが出来上がっていた。左の足の甲に。
次の日も撮影のため、構わず続ける。その次の日も。休んでる余裕なし。ちょっと冷やしただけ。
空いている後輩にお願いして車を出してもらって火傷の薬やガーゼを買って来てもらい、
それを塗ったりなんだりして撮影続行。
最終日には水脹れはソーセージ大にまで膨れ上がっていた。ここまで来るとご立派。
まじで。誇張じゃなくて。
歩くとブヨンブヨンと揺れる。
それをそのまま車に乗って最終日に東京に戻って、
夜は足をかばいながらアパートの部屋で疲れきってぐったりと寝て、
次の日、大学の中の小さな診察室に見せに行く。
困ったことに「完璧だ」と思って僕が自画自賛していたスケジュールは
撮影後も続いていて、その日の夜夜行バスに乗って青森に帰るところまで引かれていた。
既に切符あり。ねぶたシーズンであるため、ある意味プラチナチケット。
そんなわけで東京の皮膚科に行ってる暇はなく、
(というか大学で見てもらえば金かかんないじゃんとそれだけを考えていた)
診療所にておばさんの医者に目をまん丸くされて応急処置だけを受けて、
その日の夜青森に向けて東京駅を発つ。
ブヨブヨと膨れたソーセージを、左足の甲に貼り付けて。
さすがに到着した翌朝、家に戻って荷物を置くと即、青森市内の皮膚科に見せに行った。
診察が始まる。診療台の上に横になって見守る。
医者は恐る恐るガーゼや油紙をはがしていく。
ここまではうまくいった。
そしてピンセットを取り出し、何かを始めた途端、
ペチャ。
水脹れが弾けて、中の黄色い液体がドバーッと流れ出た。
それまでの説明にて
「水分がまた吸収されて、小さくなっていくのを気長に待っていましょう」
なんて言われてたのが、これにより一気に直りが早くなる。
後は毎日軟膏を塗って終わり。
すぐにも普通の生活ができるようになった。
今でもこの時の後が残っている。
左足の甲が妙に黒ずんでいる。
そんなわけで今この右足にある水脹れを熱した針で割ってみたくなるのだが。
[1724] 夏を取り戻す、海水浴に行く(その3) 2005-08-29 (Mon)何度か泳いだり、ビーチバレーをしたり、
というのを繰り返した後で海の家に戻って昼食。
一番混んでいた時間帯に入ってしまった。
海の家の食事って「まずい」とも言われるが、僕は好き。
味の良し悪しの問題じゃなくて、海の家で食べてるってこと自体がなんだか楽しい。
僕は、生ビール、げそバター、カツ丼を頼む。(海ではずっと飲み続け)
ビールは来てもつまみのげそバターが来ないので、フランクフルトを追加。
他の人たちが食べているカレーライスや焼きソバがどうしても食べたくなって、
カツ丼を食べ終わった後、さらにカレーライスも追加。
カレーはまあ、平日に都心で食ったらイマイチなものなんだけど
海の家で食べるとものすごくおいしく感じられる。不思議。
他の3人はカキ氷を食べていたけど、さすがに僕は腹いっぱいだったのでやめておく。
海の家のおばちゃんは気さくな人で、あれこれ話しかけてくる。
毎年毎年6月になると海の家を建てて、というのを何十年も続けている。
今年の営業も今週末で終わりなようだ。
「そう、9月2日。いつものダンプお願い。人足は3人ぐらいで」と電話で話しているのを聞いた。
海の家をよく見てみると、柱も屋根も嵌め込んだり、ボルトを締めたりと、組み立て式になっている。
毎年毎年建てては崩して倉庫に入れて、夏が来るとまた一から立て直してを繰り返しているのだろう。
海の家ではどこもバイトの学生みたいなのを何人か雇っている。
一夏住み込み?でバイトするんだろうな。みんな真っ黒に日焼けしている。
男子もいて、女子もいて、一夏のいろんな出会いがあるんだろうなあと思う。
いつか小説に書きたいなあと思う。
僕らのいた海の家で働いていた女の子は肌が真っ白で、
毎日ひたすら日焼け止めを塗っているのだろうか?と気になった。
それとも今日だけ臨時で呼ばれた、おばちゃんの姪っ子とか。
学生たちは夏が終わると大学に戻るんだろうけど、
おばちゃんたちはオフシーズンをどのように過ごしているのだろう?
昼過ぎになると砂浜は「芋を洗うような」大混雑。
朝の閑散とした雰囲気が嘘のよう。
泳いで、ビール飲んで、ビーチバレー、を繰り返す。
誰もいないときにはビニールシートに寝っ転がる。
空が晴れてきて、陽が出てくる。太陽!
(朝に塗った日焼け止めをすっかり解けて流れていることを忘れていて、後で大変な目に遭う)
砂が火傷しそうなぐらいに熱くなる。
波が通って行った後の茶色い砂がキラキラと光る。波飛沫はもっと輝いている。
大勢の人たちがはしゃいで、笑い合って、楽しそうにしている。
夏はこれで終わってしまうのだろうか?
いや、なんだか永遠に続いていくようなものに思えた。
たったこれだけの小さな海水浴場であっても、夏は永遠の出来事のように思えた。
午後3時ごろ、引き上げることにする。
この頃には僕は背中や足が真っ赤になる。ヒリヒリと痛い。
「あんた痛そうだよ、背中がピンク色してるよ」と海の家のおばちゃんにも言われる。
砂でいっぱいのサンダルを脱ぎ、水着も脱ぐ。
日焼け止めを塗り忘れたか、波に洗い落とされた部分が真っ赤になっている。
痛くて痛くてたまらない。。。
車に乗る前に、近くの公園まで歩いて、足やサンダルに付着した砂を洗い流す。
御宿を後にする。また来年来てもいいかな、と思う。
疲れ切った僕は車の中で何度もウトウトする。
SPEEDやラルクを聞く。たわいもない話をする。
来た道を引き返して湾岸道路を通っていたら渋滞に巻き込まれるからと、
東京湾アクアラインを利用するルートに変える。
九十九里浜から千葉県を横に横断して、山道を西へ西へ。
木更津からアクアラインに乗る。右も左も海辺。ひた走る。
海ほたるで休憩。屋上に出て、海を眺める。
夕暮。秋が近付いている証拠にトンボがたくさん飛んでいる。
みんな疲れていたので今日は下まで下りていくことはしない。
たこ焼きを買って食べる。
海ほたるから先はトンネルとなる。
出口を出ると空はすっかり暗くなっている。
羽田空港の側を走る。飛行機が飛んでいる。
大森、大井町の辺りから渋滞に巻き込まれる。
それでもなんとか、19時ごろ後輩の女の子たちをそれぞれの家まで送って、
僕が家に帰りついたのは20時半。
(カーナビの指示する通りに進んでいったらm途中だらけで狭かったり、
信号がなかなか変わらなかったり、とんでもない道ばかり走って大変だった)
すぐにもベッドに潜り込んでしまいたかったけれど、その前に。
今となってはヒリヒリを通り越して熱を放ち始めた両足を水風呂に浸す。
足のあちこちが間欠泉のようになって次はこっち、その次はあっちと次々に火を噴く。
水に浸してようやく一息つく。
足はこれでよくても今度は背中や腹が痛い。
御宿を出たときには白かった腹も、家に帰った頃にはきれいなサーモンピンクに染まっていた。
水風呂を出てベッドに横たわるも(もちろん背中がビリビリと痛い)すぐには眠れず。
それでも体の疲労が勝ったのか、いつのまにか眠りの底へ。
目が覚める。・・・もう朝?と思ったら全然違ってて、
先ほど布団に身を投げ出してから1時間しか経過していなかった。
ぞっとした気持ちになる。
足が燃えるように痛むので再度水風呂へ。
足を浸す。本を読みながら、長いこと浸かる。
これが功を奏したのか、次に横たわったら目覚めたのは翌朝。
でも足も背中も腹も痛いまま。
突っ張ってごわごわして、とにかく痛い。色も真っ赤のまま。
一晩ぐらいじゃどうにもならないか、とぐったりした気持ちになる。
今日が日曜でよかった。
これで会社となったら仕事にならない、どころじゃなくて、外に出られない。
スーツなんて着てられない。
10時になるのを待って駅前の薬局に行って、スプレー式の、日焼け後のローションを買う。
高いのを買ったら効果あるのではないかと一番値段の張るものを。
家に帰ってさっそく吹き付ける。
効いてるんだか、効いてないんだか。頼むから月曜には収まっていてくれ。
(寝てる間、ときどき目を覚ましかけて寝返りを打ちたくなったのだが、
痛くて寝返りが打てない。拷問に近い一晩だった)
そんなわけで日曜は何もせず、何もできず。何もする気になれず。
日焼け止めではなくて、逆に日焼けオイルを塗ったらどうなるのだろう?
この僕も日に焼けるだろうか?と思い試してみたくなるのだが、
日焼け止めを塗っても真っ赤になって痛い思いをするのだから
日焼けオイルを塗ったら皮膚が壊れて、ただれて、
大変なことになってしまうのではないかと怖くなる。
どうなのだろう?
幸か不幸か腕と顔は全然日に焼けてない。
なので僕が海に行ったということは誰からも悟られず。
とりあえずこれで今年の夏は終わった。
遅れてきて、最後に間に合った。
[1723] 夏を取り戻す、海水浴に行く(その2) 2005-08-28 (Sun)御宿町は「月の砂漠」ゆかりの地として、記念館や記念像が建てられている。
僕らは砂浜の近くにあった記念像へと裸足で歩いていく。
2頭のラクダに乗った男女の像。砂漠の隊商をイメージしているのだろうか。
アラジンの魔法のランプとお姫様という言い方をしたらわかりやすいだろう。
僕らは像によじ登って写真を取った。
(後で見たところ、みんな同じようなことをしていた)
砂浜に戻ってきて、ビーチバレー、もといビーチボールでバレー。
男女のペアに分かれて、砂の上に大雑把な線を引いて、
すごい適当にイン/アウト、「入った!」「入らない!」を決める。
ふわりと浮かぶボールを追いかけて砂の中にダイブ。
ものすごく盛り上がる。
ペアを変えて、負けたときの罰ゲームを変えて、
その後何度も何度も飽きることなくビーチバレーを繰り返す。
10時・11時と昼が近付くに連れて砂浜も人が多くなってくる。
サーファーたちはいなくなり、海水浴客ばかりとなる。
2・3人の女性だけのグループと、同じく2.3人の男性だけのグループ。
非常にわかりやすくナンパされに来ました!ナンパしに来ました!という雰囲気を醸し出している。
でも、声を掛けたり掛けられたりという光景はついぞ見なかった。
その2・3人ずつ肌を焼いたり、波間に戯れたり。
女性の水着は、もう、ビキニばかり。
ビキニにあらずんば水着にあらずっていうぐらいに。
僕はビキニを着る人ってのはごく少数で、こういう海水浴場では
スクール水着を高級にして多少肌を露出させてるような水着を着ている人ばかりだと思っていた。
日本も素晴らしい国になったもんだ。
目の前のあちこちにビキニの女性がうようよ歩いているわけですよ。どこもかしこも、四方八方。
たまらないです。何もしてないときはじっと、というか、それとなく見とれていた。最高です。
幸福なひと時だった。これなら来年は毎週海に出かけようぐらいに思った。
あと、カップルたち。多かったなあ。
2人して並んで寝てるとか、ボディボードやってるとか。正直な話、うらやましい。
女性は白い人も多かったけど、男性はほとんど真っ黒になっている。
8月も終わりで、何回か海に着ていたりするのだろうか。
なんか僕が一番肌が白い。場違いなくらいに。いかんなあ、と思った。
昼前ぐらいだったろうか。高校生の集団が現われた。
どこかの高校のバスケットボール部の生徒と、顧問の先生と、母親たち。
大きなテントを立て、前方のは生徒たちと先生たち、後ろのは母親たち。
子供たちは我が物顔にはしゃぎまわり、暴れまわり、
砂を掘ってばかでかい山を作って、ビーチフラッグ大会を繰り広げて。
ライフガードの人たちも現われだす。
赤い旗竿を砂浜に立てて、スピーカーからは砂浜いっぱいに放送が。
「赤の旗の間は引き潮が強いため、遊泳を禁止します」
ライフガードの人たちは中に入ってきた人たち(主に↑の高校生)を優しく追い払う。
なお、御宿ではライフガードの大会が、一般と学生とシーズン中に2回行われるようだ。
ビールを飲んだり、ビーチバレーも一段落すると、僕は浮き輪を持って海の中へ。
浮き輪の中でプカプカと波間を漂う。
波が高く引き潮も強いせいもあって、どんどんどんどん沖に沖に流されだす。
気が付くと足がつかなくなっている。
これって一瞬ひやっとさせられる。
僕よりも沖に出ている人は大勢いる。だけど怖くなって、
何食わぬ顔をして、浮き輪から抜け出て浮き輪片手にバタバタと泳いで砂浜に戻る。
浮き輪で言えば、PIZZA-LA のエビマヨマットを持ってた人が結構いた。
5匹(?)ぐらいみかけた。「あれ、ほしいねえ」という話になる。
4人で棒倒しに熱中する。
罰ゲームは際どいものにしないとね、と出てきたお題目は:
「初恋の人の名前、どういう人だったか、どういう状況だったか」
「初めてのチュウ」
「部門の中の人で、実はこの人が嫌い」
「部門の中の人で、実はこの人だったら付き合ってもいい」
[1722] 夏を取り戻す、海水浴に行く(その1) 2005-08-27 (Sat)キーワードは「夏を取り戻す」
そんなわけで会社の人たちと海水浴に行く。場所は千葉県外房の御宿。
混むといけないからと朝早く出発する。午前4時起き。
先輩の家に行って車に乗り込んで、
東へ東へと進んでいって途中後輩の家に寄ってピックアップする。
浮き輪を忘れた、お菓子を買いに行かなきゃ、車の中ワイワイはしゃぐ。
でも僕は前日遅くまで飲んでいて寝てない&二日酔い。テンション低い。
ところどころ会話に参加したり、寝たり起きたりを繰り返す。
BGMはスピッツ「スーベニア」に広瀬香美のベスト。ドライブらしさ満点。
首都高速の湾岸線に入って一路千葉方面へ。
朝7時だというのに東京方面は渋滞になっている。
「え、もうこんな時間から?」と驚く。
千葉方面もその後浦安を過ぎた辺りだろうか、渋滞になる。
僕らみたいな海へ向かう人たちなのだろうか?
まさかそんな大勢なはずはないか。
内房はこれまで何度か行ったことがあるが、
というか自分の映画の撮影で何度も上総湊に行ったことあるが、
外房、九十九里浜は初めて。
ひたすら東へ東へと向かっていった末に太平洋に出るとワーッと歓声が上がる。
「海だ!!」目の前には海が広がる。
女の子たちは窓を開けて「海の匂いがする!」と喜ぶ。
まるで生まれて初めて海を見たかのよう。
砂浜でサーフィンをしている人たちが砂浜を歩いたり波に向かっている。
海水浴の親子もちらほらと見かける。
8月の最後の土曜日。くらげが出てるだのなんだの不安だったが、まだまだ泳げる。
ただし空は晴れてなくて、灰色のまま。一昨日過ぎ去った台風の影響なのか波も高い。
御宿を目指して、さらに南下していく。
霧が出てくる。走っていて深い霧に包まれる。
富士の樹海のようだという話になる。
御宿到着。6時出発で9時になっている。3時間。
港から入って狭い道路に入ってどこに車を停めようかと物色する。
グルグル回る。ホテルや海の家が立ち並ぶ。
公営駐車場があちこちにあって、だったらぼられないかとその1つに停める。
1日で1000円。
車から降りて荷物を下ろし、砂浜に向かっていく。
海辺には海の家が何軒も何軒も連なっている。
駐車場から一番近くの海の家の周りにいた、真っ黒に日焼けした、
ヒップホップ好きですみたいな感じのふてぶてしそうな若者が寄ってきて、
「海の家、うちにしませんか?」と誘いの言葉をかける。
「温水シャワー使い放題、ロッカーがあるのはうちだけ。ラーメンはうちが一番うまいです」
他を見てから決めます、と振り切って、砂浜をさらに進んでいく。
海の家を通り過ぎるたびに同様の客引きに会う。
砂浜に人はまばら。ほとんどはサーフィンをしている人たち。
海水浴客は少ない。台風が過ぎたばかりで波は高いし、8月も終わり。こんなもんかと思う。
天気もよくない。昼は晴れるらしいけど、今のところ空は分厚く灰色。晴れる気配全く無し。
素晴らしく波が高く、ザッパーン!!と砕ける。「こんなん泳げるのか?」と素直に思う。
でもまあ、せっかくここまで来たんだしと泳ぎに入ることにする。
外れの方にあった海の家に決める。
温水シャワー、脱衣所利用、荷物の預かりなどで1日1000円。
この1000円という値段は公営価格でどこの海の家も一緒のようだ。
どこも同じというのが外から来る人にしてみればありがたい。
着替えて、いざ、砂浜へ。一応全身に日焼け止めを塗る。
浮き輪・ビーチボールは海の家のおばちゃんがサービスで空気を入れてくれる。
ビニールシートを広げて、荷物を置いて、トコトコと砂浜を歩いて波打ち際へ。
冷たい!さすがに水は冷たい。入るのがためらわれる。
でも思い切って波の中に進んでいく。ひ〜。
女の子2人は入ることをためらい、おじさんたち2人(30代男性)が水の中寒々しくはしゃぐ。
こりゃかなわんといったん上がって、缶ビールと缶チューハイで乾杯した後、ウダウダと酒を飲む。
「朝の10時から飲んでるなんて最高だなあ」という声が上がる。
隣のグループは地元かどっかから来たヤンキーたちで、
海の家で借りたデッキチェアを並べて眠り込んでいる。
金髪にピアス。元からなのか焼いたのか、誰もが全身これでもか、というぐらいに真っ黒。
世界の何事にも関心がなさそうな同じく金髪で真っ黒な女性たちも何人か同行している。
そこが海であろうとなんだろうと自分が水着を着ていようとだるいことには変わりない、
そんな風情を漂わせていた。ひっきりなしに煙草を吸う。
(その後観察していたのだが、彼女たちは彼らと言葉を交わすことがなかった。
同じ匂いを漂わせていたのに、全然違うグループだったのか)
彼らはどでかいラジカセを持ち込んでいて、ヒップホップやハウスをかけていた。
潮風がよくないのか、しきりに音飛びする。
「スクラッチ?」「んなわけないでしょ」と僕らは言い合う。
[1721] 今年はメキシコに行きます(その2) 2005-08-26 (Fri)(続き)
今からちょうど一週間前、会社帰りにY嬢のいる新宿のHISに寄ってみる。
ペルー行きのツアーはやはり手頃なのが見つからないということでメキシコ行きに変えてみる。
思った通り、メキシコシティ滞在型のならば申込可能だった。
HIS主催のものや他社の主催のものをあれこれ調べてくれる。
パンフレットをかき集めて持ってきてくれたり。
ツアーにしますか?それともエアー(航空券)とホテルだけにしますか?と聞かれて
「うーん」と唸っているとY嬢はサササササとエアーとホテルだけにした場合の代金を調べ始める。
一人でツアーに参加するとなると一人参加代金や一人部屋追加料金を払わなくてはならない。
これがばかにならない。
周遊型だったらまだいいんだけど、滞在型だったら
ツアーと、往復の航空券と現地のホテルだけの手配とを比較してみると
・空港の送迎がついているか
・○○半日観光といったオプショナルツアーが元から組み込まれているか
ぐらいの差でしかなくなる。
なのにツアーともなるとバカ高くなってしまう。一人参加代金プラス10万円とか。
で、どうするか。
Y嬢に試算してもらうと確かに、ツアーだとメキシコシティー6日間滞在で
1日市内+ティオティワカン遺跡観光付きのツアーが30万近くになってしまった。
エアー単体だと格安航空券往復で11万円代ってのがあって、
ツアーのと全く同じホテルに4日間宿泊するとしても、3万円台。全然違う。
これまであちこちの国に行ってるし、
空港−ホテル間の送迎なんていらないと言えばいらない。
でもメキシコシティって治安はどうなんだろうな、と思う。
Y嬢の持ってきてくれた「地球の歩き方」を見ると、
タクシーはぼったくられたり強盗に会うこともあるので注意とある。
プラス10万としても送迎付きのほうが保険という意味で無難か。
でも、それにしては10万は高すぎる。
別の観点から考える。
エアー+ホテルばら売りだと、オプショナルツアーの手配が多少難しくなる。
ティオティワカン遺跡には行きたいが独力で行くのは僕にとってはさすがに不可。
日本語を話すガイドに案内してもらった方がいい。
ということでオプショナルツアーをパーツで追加するんだけど、
そうするとたいがいのそういうのって2名から催行ってことになっていて、
1人で参加となると2人分、料金が2倍になってしまう。
これはこれであほらしい。
もう1つ別な日に遺跡観光のオプショナルを追加したら結構な額となる。
去年のモロッコとは違って、今回は楽に回りたいんだよなあという思いが頭をよぎる。
まあ、いいか、30万となっても。
なんて思う。カウンターに座っていて判断力が緩くなる。
ペルーで50万よりはかなり安いよなあ、なんて。
ツアーで行くことに心が傾きだし、OKを出してしまう。
その場で申込。ツアー参加申込書に記入を行う。
手持ちのお金が無かったので、週明けに銀行振込をすることになる。
Y嬢は言う。
「30日前を切ってしまっているので、いったんお振込みをされてしまいますと、
全額返金することができなくなってしまいます。土日の間にゆっくり考えてみてください」
つまり、この段階ではまだツアー参加確定ではないため、
エアー+ホテル+オプショナルに変更可能ですよ、ということ。
閉店時間をとっくに過ぎていて、どうも僕が最後の客らしかった。
HISの新宿店はものすごく大きく、縦長のワンフロアの端から端までカウンターが延々連なる。
Y嬢の後をついてテクテク歩いていると
いろんな人から「ありがとうございました」「ありがとうございました」と口々に声を掛けられる。
店を出る。
出た瞬間から、ツアーにしたの失敗だったんじゃないの?と考え出す。
でも、引き返すにはもう遅い。
帰りの電車の中、あれこれ考える。部屋に戻ってきてもあれこれ考える。
「地球の歩き方」のメキシコ編を買ってきて読みながらあれこれ考える。
結論があっさり出てくる。
ツアーで行く必要全くなし。エアー+ホテル+ティオティワカン遺跡半日観光だけにする。
市内観光のオプショナルツアーは不要。
メキシコシティぐらいなら自分一人で歩いて回る。地下鉄にも一人で乗れるだろう。
(さらに続く)
[1720] 今年はメキシコに行きます(その1) 2005-08-25 (Thu)超短期間のハードなプロジェクトもスケジュール通りに無事カットオーバし、現在安定稼動中。
1週間の連続休暇を取れることになる。9月頭の週。
遅めの夏休みって感じ。こんな時期に取れるのは入社1年目以来か。
どこに行こう?もちろん、海外に行きたい。
今年どうしても行きたかったのは南米。特にペルー。
ベタだけどマチュピチュの古代遺跡、富士山頂上よりも標高の高い場所にあるチチカカ湖、
世界遺産の街クスコ、そしてセスナに乗ってナスカの地上絵。
これを1人であちこち回るのは大変なのでツアーで行こうと思った。
団体のツアーに紛れ込んでお気楽に。添乗員の案内の元、なすがままに観光スポット到着。
1人旅なんて疲れるだけなので今年はもういい、なんて考える。
休みが決まったのが先週の金曜。その前から各社の主催するツアーの比較を熱心に行い、
どうもHISのが一番コストパフォーマンスがいいという結論に至る。
どの旅行会社も7日〜9日ぐらいのツアーを提供している。
7日間だと、ナスカの地上絵がオプションだったり、チチカカ湖がなかったりする。
HISのは上の4箇所をきちんと押さえていて、なおかつ日本語の添乗員つきで一番安い。
電話して聞く前に、会社の後輩C嬢の友人Y嬢がHISで働いていたことを思い出す。
以前テニスをしたことがある。
(そのときのことをかなり初期の日記にも書いている。「ゆで卵3個」というやつ)
C嬢に最初連絡を取ってもらって、そこから先はY嬢と直接やりとりをする。
「9/3(土)からなんですけど、まだ申し込みできますか?」
すぐにも回答が返ってくる。・・・が、既に満席。キャンセル待ち。
他の旅行会社ので行けるのがないか、探してもらうことにする。昼に電話して夕方まで待つ。
---
ペルーでなければどこにしようか?
日本からツアーで行ける南米としては、まずはブラジル。
でもこれもツアーだと手軽なものはなくて、最短8日間のものだと
イグアスの滝、リオデジャネイロ、サンパウロ、アルゼンチンに渡ってブエノスアイレスと回って終わり。
アマゾン川を遡って行くとかそういうのをやりたいとなると10日間以上のコースとなってしまう。
これはどこの旅行会社もだいたい一緒。
小さな旅行会社ではガラパゴス諸島クルーズを提供しているところもある。
エクアドルの首都キトや最大の都市グアヤキルまではアメリカ経由で飛行機で行って
国内線に乗り換えて、クルーズ船に乗り込む。
独特な進化を遂げ、不思議な生態系を持つ生き物たち、
イグアナやゾウガメがのっそりと歩いているのを観察。
何よりもクルーズってのがバカンスっぽくていい。
でもこういうのってそもそも値段が高いし、一人で行くのもかなり「なんだなあ」というところ。
同じようにイースター島。クルーズ系ツアーが結構ある。
モアイ見たいですよね!
でもこれも高い・・・。しかも、長期間。最低でも8日間。
モアイだけ見て帰ってくるようなのはないんですね。
どうもハネムーン向けが多いようだ。
しかもタヒチと抱き合わせが多い。
なんでタヒチ?と思って世界地図を見てみると割と近いことがわかる。
イースター島だけでも8日間、タヒチだけでも8日間、
イースター島とタヒチを組み合わせても8日間、
なんかこういうのが多い。あるいは9日間。
なんなのだろう?飛行機の関係なのだろうか?
タヒチ行ってみたくて仕方ないんだけど、高いわ期間が長いわで手が出ない。
ゴーギャンゆかりの地を回って6日で帰ってくるようなものはないのか?
2泊ぐらいして終わりみたいなやつ。
そういうのが無いってことはたぶん割に合わないんだろうな。何かと。
グアテマラやコスタリカも行こうと思えば行ける。
グアテマラにてマヤ遺跡ゆかりの地を訪ねる。コスタリカの大自然に触れる。
でも、これもまずペルーやブラジルを見るのが先なのではないか?と思う。
---
そんなこんなでY嬢からの結果報告を電話で聞いてみると、
どこの旅行会社もペルー関係のツアーは満席になっているか、既に締め切っているという。
さすがに2週間前ではどこもダメか。
探せばまだ一応あるんだけど、
ガイドが英語だったり、ガイドすらいなかったり、
1人参加代金が10万円を越すとかで総額50万円になったり。
・・・諦める。
ブラジルで探してもらっても同じようなものなんだろうなと考える。
さて、どうしよう?
メキシコだとどうだろうか。ふと思いつく。
メキシコシティ滞在で5日間とか6日間というツアーは結構ポピュラーなもののようだ。
ペルーやブラジルのあちこちを回るような周遊型だと手配の大変さの関係上
募集人数も限られてくるのだろうが、
一都市滞在型だと航空券とホテルだけみたいなものなので募集人数の上限は無く、
なおかつ割と直前でもOKなのではないか?
そんなことを考えながら、Y嬢のいる新宿の非常に大きなHISへと向かう。
(続く)
[1719] 赤い服、キティちゃん