[1937] さらば神保町 2006-03-31 (Fri)

今日で神保町最後。
客先常駐が半年も続いた。長かった。
いい場所だった。あれこれいろんな思い出が今走馬灯のように蘇る。
「まんてん」のジャンボカレー全部乗せ完食。
「ほん田」のジャンボラーメン完食ならず。
夜は「いもや」のどれかで神保町グルメを堪能。
「さぼうる2」のナポリタンとビーフカレーは絶品だった。
ラーメン屋「味噌や」にはまって、
カレー屋御三家「共栄堂」「エチオピア」「カーマ」は何度も足を運んだ。
カレーで言えば淡路町の「トプカ」や九段下の「KANCHANA」にも遠征した。
ティーヌンのトムヤムクンヌードルや焼きビーフンも完成された味わいだった。
あー食べ物のことばかり。
でも、神保町は食で言えばとにかく最高。
もう、これしか言うことはない。
三省堂といった大きな本屋と古本屋街があるのも魅力。

それ以外の思い出といったら
顧客のオフィスに置いてあったドラえもんのラジコンを
朝早く勝手に操作して空に浮かべてみたり。
17階は眺めがよくて向こうに後楽園遊園地が見えたり。

---
PJとしては久しぶりに楽だった。というか楽させてもらいました。何年かぶりに。
超短期間の大型のPJだったのに、超タイトなスケジュールだったのに、
プロフェッショナルな大人の集まりだったので
無駄口も言わず淡々と進んでいく。
こんなにスムーズなのも珍しい。
お客さんが無理難題を言わない人たちだったってのがよかったんだろうな。何よりもまず。

明日から新年度か。
会社員8年目。ここまで続くとは思ってもみなかった。
来年もぺーぺーのままなのでまあ、気楽にいきます。
会社内における「趣味人」としてのスタンスも完成の域に達しつつあるな。
SEとしてはここから先どこまで行ってもB級のままだし。

来年の今頃は何してんだろうな。
小説家になってたらいいな。
そんでベストセラーを出してマンションを買って、眺めのいいところに住みたい。
隅田川沿いの、夏は花火が見えるようなマンション。
早期リタイア。悠々自適の生活を送る。
本を読んで音楽を聴いて、おいしいものを食べて。

(今の会社でもらえる年収と趣味に金を使い過ぎな性質から考えてみるに
 僕の場合小説家になってベストセラーを出さない限り
 家やマンションを買うことはできないのではないかと最近思うようになった)

小説家になれたら、マジで魂売るよ。売れるの書いてやる。
そんなことを考えながら、会社が暇なのでさっさと帰ってきて、
だけどすることもなくて早ければ夜は10時には寝てる、31歳の春。


[1936] ビリヤード楽しいね 2006-03-30 (Thu)

昨日の夜、PJの打ち上げの前に後輩とビリヤードをやりに行く。
生ビール飲みながら球を撞き合う。楽しいひと時。

後輩とはいつもエイトボールをやってて、どうしても勝てない。
技術だけで勝負だから。
ここ半年の神保町常駐時代に何度かビリヤードをやって、結局1度も勝てなかった。
昨日は途中からナインボールにしたら
かなりなところ駆け引きと運に左右されるものなので何度か勝った。
@がHに当たって落ちていきなり終わりとか。インチキこのうえない。

隣の台で打ってた人はプロなようで、この前来たときも隣で撞いていた。
店の壁にトーナメント戦のお知らせなんかと一緒に
紹介記事みたいなのが貼られていた。
プロと言ってもそれで食ってるということはないようで、
会社帰りにスーツで、友人と来ていた。
「本業は会社員なんだけど、プライヴェートではその道のプロです」
ってのはかっこいいなー。そう思う。

さらにその隣では女性の上級者が1人で撞いていた。
これはこれでかっこいい。
なんかひたすらストイックにフォームというか
肩から右腕にかけてのキューの運びを繰り返していた。
振り子のように、滑らかなスイング?となるように。

僕はほんと下手で、うまくなる気もあんまりなくて、適当に撞いてるだけ。
手玉の前に立っていきなりキューで撞いちゃうような。
コースを計算するとか、深呼吸するとか、試し撞きするとか。
やればいいんだろうけど、「あんま変わんないか」とさっさと撞いてしまう。
手元が狂う。あさっての方向に手玉が転がる。でも、おかまいなし。
あと、非力なもんで力強いショットが打てない。
キレが悪いんだよなあ。
これだけは改善したい。

改善したいと思い出したらまたやりたくなってきた・・・
誰かいないかな。

それにしても。
僕らは5時半の定時にあがってビリヤードの店に入ったんだけど、
その時点でビリヤードやってるおじさんたちって普段何して食ってんだろ?
スーツ着てるでもなく。のんびり球を撞いてる。
たまたま休みだったのか、悠々自適なのか、それとも・・・


[1935] ブレインダメージ 2006-03-29 (Wed)

養老孟司著「バカの壁」を読んだ。これは非常に面白い本だ。
びっくりした。目からウロコの連続。
僕みたいな単純な人間からすれば
養老孟司は知の巨人ではないかとすら思った。

あれこれ書きたいんだけど、この本の内容は要約しても仕方がない、
というか要約して大事な点を箇条書きにしたら
この本のエッセンスはなくなってしまう。
冒頭の「話せばわかるは大嘘」とかね。このフレーズが一人歩きしても意味がない。
面白さを伝えようとしたら結局全部書き写すことになりそうだ・・・

一箇所だけ。
後半こういうことを言っている箇所がある。
犯罪を犯した人の脳についてアメリカで調査した結果について。
衝動殺人を犯す人:前頭葉の機能が落ちている
連続殺人を犯す人:扁桃体といって善悪の判断等にかかわる部分の活性が高い

犯罪者の脳についてデータを取っておくべきだと養老孟司は言っている。
でもそれは、「脳のこの部分がうまく機能していないから犯罪を犯しても致し方ない、無罪だ」
という司法の判断に使いたいのではなく、
犯罪を犯す傾向を示した人をなんらか教育して別な方向に導くことも可能ではないか、
という意味においてのことだった。

教育、再教育の方向性ならばいいだろうけど、
(それでも「人権」を唱える人は多いだろうし、実現にはなかなか至らないと思う)
未然に犯罪を防ぐ方向ばかりがエスカレートした社会にもしなったら?ということを考えた。
そう、「マイノリティ・レポート」みたいなやつ。

全国民は脳の状態についてスキャンを取られることになった。
その後、以下のようなレポートが政府の機関から届く。
「あなたは連続殺人の傾向があります。犯罪を犯す確率70%」
結果として、病状の等級がつけられたり、特定の職業に就けなかったりする。
それどころか、収監されてその後一生隔離されて暮らしていくこともありえる。
あるいは、なんらかの外科手術により「一般人化」される。
人格・人間性の改造・改変・改良。
それまで何も知らずに普通に暮らしていたのに
それまでの自分が否定され、力を持った人たちに「あるべき姿」へと上書きされる。
あなたはどうするか?

もしそれが自分自身ではなく、
あなたの配偶者、子供、両親だったらどうするか?

確率が70%ではなく、30%だったらどうなるか?
世の中はどう判断するか?レッテルはどんなふうに貼られるのか?

科学の進歩ってやつの歪んだ側面。
その犯罪の被害者やその家族ならば
取り締まれ、規制しろ、未然に防げと声高に主張する人も出てくるだろうし、
それを見て「なんでそんなに熱くなってんだろう?」
「なんでそんなにヒステリックなのだろう?」とキョトンとする人も出て来る。
各種人権団体や被害者団体がそれぞれの意見を言うだろう。
(そういうところだけはこれからもずっと変わらないんだろうな)

---
離れ小島に連続殺人ないしは衝動殺人の「傾向のある人」を収監した病棟があって、
高い塀で張り巡らされている。
「病人」(囚人)たちだけではなく、大勢の医師、看護人や科学者も生活を共にしている。
普段の生活、例えばバスケットコートでバスケットボールをする、
食堂でランチを共にするといった局面では両者に区別はないように見えるが、
時として両者の関係は「実験する側/される側」「観察する側/観察される側」となる。
緊張した状況や敵対関係も時として生まれる。
主人公は「70%」の判定を受けて島に送られる。
(誤診や「誰かに貶められた」でもいい。その方が物語りは面白くなるかもしれない)

とある事件をきっかけに、脱獄の計画が水面下で持ち上がる。実行される。
主人公はその脱獄グループの活動に巻き込まれ、行動を共にする。
船(飛行機?)を奪い、島から脱出する。
天候が荒れたりして、どこか別の島へとたどり着く。
そこで新たな避難生活を細々と始める。
グループの構成員は誰もが一見冷静な、罪を犯しそうにない人たちだ。
なのに、食料は乏しく苛立ちは募り、
「救助を求めるべきだ」「いや、戻ったらもう2度と外に出られない」
といった意見の対立から一触即発状態になる。
最初の1人目の、殺人本能が活性化する。
そして2人目の、3人目の・・・
死のサバイバルが始まる。
救助に来た人たちも次々にその餌食に。
果たして主人公は生きて島を脱出できるのか?

どうだろうか、これ。
ミモフタモナイ話だけど、今のハリウッドならこれぐらいの話、普通に作るかな。
殺人シーンを直接描かず、仄めかすだけのスリラーな演出に長けていたら
日本でも作れるかもしれない。
後半はもう、アクション系サスペンス映画ですね。


[1934] エイプリルフールのネタを考える 2006-03-28 (Tue)

日記用の、エイプリルフールのネタを考える。
使い回し感が自分でも否めないが、「僕は宇宙人だ」で今年も行こうかと思う。
成り切って書いたほうが説得力が出てくるので、イメージトレーニングを開始。
どこ?と聞かれたら「火星から」と答える。
何しに?と聞かれたら「観光」と答える。
地球の印象は?と聞かれたら「いやー、楽しいねえ」と答える。
「食いもんはうまいし」「ねーちゃんはきれいだし」

証拠は?と聞かれたらちょっとつらい。
僕は学生時代に宇宙人の出て来る映画を作ったことがあって、
そのときは小指が立っているという設定にした。
地球人そっくりの外見となったとしても
宇宙人というものはど・う・し・て・も、
アンテナのようにピンと張った小指を隠せないのである。
(アメリカの50年代か60年代のテレビドラマを参考にした)

嘘をつくのもイチイチ難しいものである。
※繰り返しになるが、
 これは会う人ごとに「オレ、宇宙人なんだー」と言って回るってことではなく、
 文章に書く方のネタである。
 31歳にもなって会う人ごとにこんなことしてるのはものすごく侘しい。

それでも、ディテールを考える:
火星人はこの地球に1億人規模で潜入している。
そう、50人に1人が火星人。電車に乗って隣に座った人も実は火星人かもしれない。
オリンピックの金・銀・銅も火星人が独占しているかもしれない。
あなたが結婚記念日に奥さん(ないしは旦那)と出掛けた表参道のフレンチで
「これはおいしい」と思って食べたフォアグラのテリーヌを作ったのも火星人かもしれない。
それ以前に、あなたの奥さん(ないしは旦那)がそもそも火星人なのかもしれない。

同じ太陽系で育っているので、身体的な条件は一緒。
無限の命を持ってるってことはなくて、平均寿命は地球人と一緒でだいたい65歳と考える。
先立たれた妻は火星人だった。
火葬場で焼いて、開けてみたらとんでもないことに・・・
「なんだ!?この赤くて青くて丸くて四角いのは!?」

ふう。話題を変える。
UFOは1000人乗りの大型船。とてつもなく大きい。
アダムスキー型は個人用。自家用ヨットのようなものでお金持ちしか所有できない。
一般市民は大型のそっけない貨物船みたいなのでシャトル輸送される。1日に4本。

待てよ。その前に、1億人運ぶとなると、
1000人乗りのUFOで10万回の往復が必要とされる。
1日に4本で、所要時間1日だとしたとき、
10万÷4÷365 = 68.49315
だいたい68年かかる。
先ほど平均寿命を地球人と同じで65歳だとした。
となると、最初に移り住んだ人は既に死亡していることもありえるわけで、
そうなるといつまでたっても1億人とはならない。

あれ?わけがわかんなくなってきた。
何かがおかしい。
でも何が間違っているのだろう?
シャトル輸送の1日の本数を増やせばいいのだろうか?
もっと大型の宇宙船を考えればいいのだろうか?

つうか、それ以前にこれって真剣に考えることだろうか。
むずかしいな、こういうのは・・・
やっぱ「僕は宇宙人だ」は無しにしよう。


[1933] 兵役に就く 2006-03-27 (Mon)

先週の日曜、WBCの準決勝対韓国戦を見ていて、
試合の経過とか内容とか選手のこととか以外に考えていたのは
韓国の徴兵制のことだった。
WBCで準決勝まで進んだため、
該当する何人かの選手の兵役が免除されることになったとか
そういうことをアナウンサーが言っていた。
サッカーのワールドカップでも前回確かそうだったような。
日本でもヒットした「猟奇的な彼女」を見ていたら
主人公は兵役を終えて帰ってきたところから始まる。
韓国では当たり前というか普通のことなのだろう。

詳しいことはうろ覚えなんだけど、
兵役は19歳から20代末のどこかで2年半ぐらい。
高校卒業か、大学2年を終えてからが多いようだ。
ベトナム戦争のときのような「良心的兵役拒否」は認められず。
身体検査を受けて合格したらよほどの事情がない限り全員兵役を経験する。
そうだ、前回のワールドカップを見たときに思ったのは
「兵役のある国には勝てんな、というか兵役のある国のほうが強そうだ。
 なんつうか闘志が違う」ということだった。今思い出した。
単にイメージの問題でしかないですが。

徴兵制がいいかどうかなんて僕にはわからない。
韓国にとって。日本にあったとして、日本にとって。

日本に徴兵制があったらどうなっていただろう。
僕は何も考えず、兵役に就いただろうな。
「みんな行ってるし」ぐらいの感覚で。
(僕は基本的に長いものには、かなり余裕で巻かれるほうだ)
「すぐには就職したくないし、ちょうどいい」
「まだ社会には出たくないし・・・」とすら思うかもしれない。
もしかしたら、全員じゃなくて任意だったとしても、行ったかもしれない。

聞かれたら、
「そりゃ戦争はないほうがいいよ」
「この地上からなくなればいいよ」と答えると思う。というか答える。
だけどそれを「聞かれなくても自ら発言する」ということはない。
そういうどことなくなんとなく反戦なスタンスのまま、
みんなが行くから、僕も軍隊に入る。
訓練を受けて、野営して、行進して、銃を磨く。
それが日常になってしまえば
「疲れたなあ」「風呂入りたいなあ」「早く帰りたいなあ」なんて日々思いながら。
「兵役ったって僕らプロの軍人じゃないから、人を殺すわけじゃないでしょ?」
そんな割り切りを早いうちに覚えて。
サボり方やごまかし方がうまくなって。
だけど時には仲間たちと熱いことを語り合って。
そして除隊の日が来ると「じゃあ」って感じで兵舎を去る。
仲間の肩を叩きながら。「向こうで飲もうぜ」とか約束し合いながら。
そして一緒の連隊にいた人とその後たまに会って飲んだりするのだろう。

そつなくこなして戻ってくる姿が想像つく。
他の人に出来るのなら、僕だって、
どんなにきつくても耐え忍ぶことができるだろう。

だからと言って「あってもいいね」ということにはならない。
やっぱ、ないほうがいい。
と、思う。


[1932] 父の墓参り 2006-03-26 (Sun)

23日は父の命日だったことを思い出す。
毎年この時期の土日、自転車に乗って墓参りに行く。
青梅街道を西に進んで祖母の実家のあった保谷へ。
その後祖母と父の墓のある大泉学園へ。
帰りに石神井公園に寄っていく。
タイミングが合えば、桜を見ることができる。
年に1度のこのコースが僕の中で定着した。
距離にして15kmぐらいか。

8時に起きて朝食後、10時に出発。
今日は曇っていたものの暖かかったので、ネルシャツだけ。
ダウンジャケットもジャンパーも不要。
「春になったなあ」と思う。

途中善福寺公園に寄っていく。
金曜の夜はまだ咲いていなかった桜の木も今日になっていくつか咲いていた。
来週になったらここも花見客で賑わうようになるのだろうか?
まだまだ雰囲気的に単なる「日曜の公園」っぽい。人はまばら。
たこ焼き屋が一軒と、屋台のおでんが一軒出ていた。

自転車をひたすら漕いで保谷へ。
祖母の家のあったところは完全な更地。周りの家もなくなった。
最後に一軒だけ残っている。
道路となる範囲から外れているのか、それとも最後まで粘っているのか。
引っ越した人たちは、隣の家の人たちだとか、みんなどうしているだろう?
一軒新築だけど安っぽい家があって
「好評分譲中」みたいなノボリが立っていたんだけど、
こんなところで家買う人なんているんだろうか?
目の前が更地になってて、大きな道路になることが決まってるっていうのに。

保谷駅の北口に津軽の郷土料理の店があった。
津軽三味線も聞けるようだ。
気になるんだけど、スナックとラーメン屋を足したような雰囲気。
わざわざ保谷まで誰かと来ることもないし、今後も縁はないだろうな・・・

大泉学園。この辺から迷いだす。いつも同じところで迷う。
今年は「こっちでよかったっけ?」「曲がんなくてよかったかな?」と
あれこれ悩んだものの、割とすんなりいけた。
墓参り。寺の境内に自転車を停めて、墓地へ。
墓に水をかけて、お彼岸の日に(恐らく)父の兄が夫婦で
来たときにお供えした花にも水をかける。
線香の束にマッチで火をつける。6つある線香立てに6等分して立てる。手を合わせる。
いつもならこれだけなんだけど、今年は来る途中のコンビニで日本酒を買って供えた。
ワンカップ大関。紙パックじゃなくて瓶の方。
(こういうお供えって、瓶の方がそれらしく思えるんだけどなぜなんだろう?
 小さな頃から見てて、そう刷り込まれてるだけ?)
父は僕が小学生だった頃に亡くなっているので、
「親父と酒を酌み交わす」ということができないまま、この年になった。
父が生きていたら僕は酒を飲みながらどんなことを話すだろう?
そんなことを帰り道、自転車に乗って考えた。

大泉学園の駅から石神井公園まではすぐ近く。
大きな道路を南に下っていくと富士街道にぶつかるので、
それを新宿方面に向かえばいい。
石神井公園は満開とまではいかないものの、かなりなところ咲いてた。
(いつもビールとフランクフルトを買っていたセブンイレブンがなくなっていた)

池沿いの遊歩道を終点まで自転車でゆっくりと走り、その途中携帯で何枚か写真を撮った。
釣りをしている小さな兄弟や、猫を日向ぼっこさせているおじいさんがいた。
ラジコンになっているのか、模型の船を何台も並べているおじさんたちがいた。
船ラジコン同好会といったところか。
昼飯代わりにおでんを食べて、墓に供えたワンカップ大関を飲んだ。
池に浮かぶボートを眺めた。

帰り道は、旧早稲田通りを下井草駅の方へ。
1年ぶりの周遊コースは全部で3時間もかかんなかった。
さて僕は、何歳までこのコースを走れるだろう?
(いつまで荻窪に住むかにもよるんだろうけど)

---
午後は防虫剤を替えたり、ハンカチにアイロンをかけたり、
読み終えた本、寝袋、三脚を駅前のトランクルームに運んだり、
その他あれこれ片付けたりして時間を過ごす。
特典でもらったけど貼ることのなかったポスターも「えいや」と捨てる。
開けると「もったいない」と思ってしまうかもしれなかったので、
開けずに丸まったまま、折って。

日曜だというのに、忙しく過ごす。
本来は小説を書く日だったはずがさぼったので
それぐらいしなきゃな、と思う。


[1931] 「ヒストリー・オブ・バイオレンス」 2006-03-25 (Sat)

朝起きて高校野球を見る。
青森光星学院と岡山関西の試合。
1回裏に光星学院が先制。「いいね」と思い部屋を出る。
見ていたかったけど土曜の午前は通院のためしかたない。
後で結果を見たら6対4で負けてた。残念だ。
光星学院は8年ぶりの春のセンバツだったのに。
青森山田と良くも悪くも2強時代になって、
青森県勢は2年に1度はセンバツに出るようになったように思う。
でもまだまだ勝てない。。

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病院で牽引を受けた後、銀座へ。
昨日のジャンボラーメンがまだ腹に残ってるような気がして、昼は少なめに。
久し振りにケンタッキーに入ってチキンフィレサンドのセットを食べる。
ケンタッキーなんて久しく食ってないよ。
なんか部屋で1人あのチキンを食べるのって
ものすごくわびしい行為のように思えて。
でも次のボーナスの時には10ピースの箱を一人で買って
ビール飲みながら食べるんだぁー♪(← 女子高生風に)
「もう食えない。苦しい。死ぬまで見たくないっ!!」ってぐらいに食いまくる。
ま、別にボーナスが出なくても財布的にはいつでも実行できますが。
でもそういう後押しがないとなかなかできんのよね。気分的に。

僕の小さい頃、いとこのお姉さんが我が家に住んでいた時期があって
時々お土産にケンタッキーの6ピースを買って帰って来た。
育ち盛りの子供としては何よりのご馳走。
懐かしい思い出です。

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東銀座の東劇にて「ヒストリー・オブ・バイオレンス」を見た。
デヴィッド・クローネンバーグ監督の最新作。

大きなサイズの劇場に割と客が入ってて驚く。
しかもカップルとか、女性2人連れとか、高齢者層の夫婦とか。
クローネンバーグの映画って
僕みたいな30代の文学青年崩れ(だけ)が見るものだと思っていた。
どういうことなんだろう?
カップルで見るもんじゃないよね。タイトルからして。
主演のヴィゴ・モーテンセンの人気によるものっぽいね。
劇場には直筆のサインの書かれたポスターが飾られていて、
何人もの女性ファンがデジカメで写真を撮ってた。
入場時には先着で差し上げてますと、生写真をもらった。
確かにいい男だよね。
初めて出演作品を見たけど、いい役者だと思った。表情がいい。
封印していた暴力を振るってしまった後の、家族のところに戻ってきたときの。
内に秘めた複雑な思いが一目で伝わってきた。

平凡な一市民として幸福な家庭を築いてきた男。
事件をきっかけに隠された過去が明るみになり、全てが崩れ去ろうとする。
映画の出来そのものは、まあ、クローネンバーグなんで「うーん」ってところか。
世の中にはもっと完成度の高く、芸術性の高い映画はいくらでもある。
同じぐらい高名な監督と比べたとき、クローネンバーグの映画はいつ見ても
「何かが足りないなあ」「うまくいってないなあ」と思わずにはいられない。
早い話、薄っぺらい。
でも、作家性がものすごく強いので好きになった人はとことん好きになる。
僕もその1人。世の中にはもっとためになる映画はいくらでもあるのに、
「クローネンバーグ?」「見たい!」となってしまう。
グロテスクなものが好きだとか、暴力的なものが好きだ、
とかそういう上っ面を剥いだ下に潜んでいる何かが僕のような人間を魅了する。

「ザ・フライ」はSF映画の古典「蝿男の恐怖」のリメイク。
「デッド・ゾーン」の原作がスティーブン・キング。
「裸のランチ」の原作がウィリアム・S・バロウズ。
「クラッシュ」の原作がJ・G・バラード。
(同名の本年度アカデミー作品賞受賞作ではないですよ。念のため)
こういうところが僕の趣味と思いっきり合致するんですよね。

あるいは、「スキャナーズ」や「ビデオドローム」の
暗闇で何か得体の知れない、だけど影の薄い何かがうごめいているような雰囲気。
どの作品にも漂っている、現実と虚構が焼け爛れて融合するような世界観。
そういう意味では名前が同じデヴィッド・リンチに似てるっちゃぁ似てるんだけど、
両者全然違う。うまく言えない。でも、見た人はすぐにも分かると思う。
乾いてるとか湿ってるでもなく、色の質感でもなく。
ただ、流れてる空気は全然違う。その温度とか、匂いとか。匂いは絶対違う。

ものすごく器用に、形のいびつな、一見不器用なオブジェを作ってるような感じ。
なんかかなり偏った、特殊な作家性。
そこのところはリンチと一緒。
だけど出来上がるいびつなオブジェは180度違うものとなっている。

カンヌのコンペに出品したり、
全米批評家協会賞などアメリカのいくつかの映画祭で賞を取ったり、
と今作なかなか評価が高い。でもまあ客観的に見て、佳作ってとこかな。
クローネンバーグらしからぬラストは賛否両論あるだろうな。
「何の解決にもなってないよ」と僕の後ろにいたカップルは言ってた。
何かが「それでも」続いていくのか、崩壊して終わりを迎えるのか。
予断を許さない雰囲気を残して終わるってのは僕は好きです。

ヴィゴ・モーテンセンを知ったのが一番の収穫。
エド・ハリス、ウィリアム・ハートが出ているのも嬉しい。

結局のところ、暴力は暴力を生むだけなのか?
その連鎖には終わりがないのか?
ヴィゴ・モーテンセンの諦念をたたえた表情が全てを物語っている。
我々は束の間の平和を享受する以外にないのである。
それでも人は、望むのなら、頑張って幸福な家族を築いていこうとするものなのである。
いつか幻に終わるかもしれなくても。


[1930] 棘がある 2006-03-24 (Fri)

昨日高校の友人とメッセンジャーで話していて、ナーバスな思いをさせてしまう。
そして、そういうものの言い方やめたほうがいいよ、と忠告される。
なんか言う前に、立ち止まって考えたほうがいいよ。




またやってしまった。

落ち込んだ。




昔からたびたび言われてる。
「オカムラ君って言葉で、平気で人を傷つける」「棘がある」
「そういうの、言葉の暴力って言うのよ」
「親しき仲にも礼儀ありって知らないの?」

何度怒らせたことだろう。
何人もの顔が思い浮かんだ。
謝って済んだこともあれば、その後こじれてそれっきりになったこともあった。

茶化してふざけてるつもりで、それがどんどんエスカレートしてしまう。
つまらない冗談で人の神経を逆なでする。
本人は面白いことを言ったつもりでいる。
そのスレスレのきわどいところを追求したくなってくる。・・・たちが悪い。

ストレスの有無とかそういうことでは全然ない。
単純に、人間性の問題だ。




僕は普段からほんと、くだらないことしか言ってないように思えてきた。
どうでもいいことを、さも面白いことであるかのように。

口を開くのが怖くなってくる。




「そういうのやめなよ、こうした方がいいよ」と言ってくれる
友人がいることをありがたく思う。

その友人に対してひどいことを言ってしまう僕は、どうしようもない。




落ち込んだ。


[1929] 「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」 2006-03-23 (Thu)

昨日は会社を休んだ。祝日とくっつけて週の半ばの連休となった。
一昨日に引き続き、映画を見に行く。こっちは1人で。
1人となるとミニシアター系。
前から気になっていた「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」
トミー・リー・ジョーンズが主演にして初監督。
いきなり去年のカンヌで主演男優賞と脚本賞を獲得。

テキサスとメキシコの国境沿いが舞台。
カウボーイの初老の男が、殺されたメキシコ人の友人を馬の背に乗せ、
その(間違って)殺した若い国境警備員も無理やり連れて、
「死んだら故郷に埋めてほしい」という生前の約束を守るため
国境を越える旅に出る。

奇しくも「ブロークバック・マウンテン」と二日続けて
現代のカウボーイが主人公の映画を見たことになる。
恐ろしく完成度の高い「ブロークバック・マウンテン」と比較すると、
さすがに「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」はあれこれ隙がある。
でも「ブローク・・・」が姿勢を正して「鑑賞」すべき映画だとしたら
「メルキアデス」はもうちょっとフランクでカジュアルに見れるところがいい。
「男の友情」「約束を果たすため無茶をする」「時代遅れな孤独な男」
というテーマも僕としては非常に好き。
(家族の待つ故郷ヒメネスがどういう場所かわかって、
 その家族というものが実はなんだったのかわかる結末部分は秀逸ですね)

僕は西部劇の雰囲気というものが大好きで、
タイムマシンがあってどこかの時代を見れるというのなら
カウボーイ全盛期を是非とも見てみたい。
生まれ変わったらカウボーイになりたい。時代を遡れるのなら・・・
ああいう無骨な生き方、憧れです。
二日続けて見てて何よりもやりたくなったのは
瓶から直接ウイスキーを飲むってことで、
今部屋の中でやってもしょうがないから、やはり火をおこして焚き火の側で。
燻製の肉を炙って焼きながら。カウボーイハットかぶって。
余計なことは何も口にせず、男のルール、西部のルールみたいなものが
無言のうちに共有されている。
ブーツにワークシャツにバンダナ。でも、似合わないんだろうな・・・
(そういえば先日、オカムラさんは「パンダに似てますね」と言われた)

なーんて西部劇の憧れを書いてしまったが、
トミー・リー・ジョーンズ自身は
この映画のことを西部劇ではないと言っている。
あくまでこれは国境に関する映画なのだと。
なるほどな、と思う。
これまた「ブローク」同様、たまたまカウボーイだったというだけ。
国境を越えるという行為、その難しさ、をメタファーとして
この時代に不器用に生きることの何たるかを語っているわけですよね。
なんかそう考えるとこれって男の見る映画であって、
女性が見てもピンと来ないかもしれない。

「だったら私、西部劇に出てくる酒場の女が憧れです」
という人いないもんかね。

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初回に恵比寿ガーデンシネマで見て、その後昼メシということで
前から気になっていたスープカレー屋「YELLOW COMPANY」へ。
行く途中、大学の後輩にばったり会った。
この近くで働いているのだという。
そいつもカレー好きで、
「YELLOW COMPANY」で食べてきたばかりってことだった。

入って、野菜とベーコンのスープカレーを頼む。
・・・うまい!!

下北沢の「マジックスパイス」もうまいけどこっちも負けてない。
「マジックスパイス」がヴィレッジ・ヴァンガード系の雑多な店だとしたら
「YELLOW COMPANY」はさすが恵比寿にあるだけあって
美容室かカフェのよう。ボサノバが流れてそうな。
恵比寿の奥まった場所にあって、最初外から見ると何の店かわからなかった。


仕事はクリエイター系です、とかバリバリなキャリアウーマンですっていうような
おしゃれなお姉さんたちが連れ立っておしゃれな椅子に座って会話を楽しんでいた。
あるいは1人の時間をゆっくりと過ごしていた。
男性1人という客もちらほらと。
自分の時間を自由に使える会社員であるとか。
カレー屋とは思えない。

ちなみに、かかってた音楽はボブ・マーリー。

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「YELLOW COMPANY」が明治通りにあったのでそのまま歩いて渋谷へ。
レコファンに寄っていく。
センター街の方の店がこの3月で閉店になるようだ。
学生時代から通ってたので少しばかり寂しい。

メンバーカードによる割引もなくなるとあって、
レコファンやばいのかもな・・・と心配する。
もう何年も前になるけど、吉祥寺の広かった店もなくなったしなぁ。


[1928] 「ブロークバック・マウンテン」「シリアナ」 2006-03-22 (Wed)

昨日、会社の映画部で月次鑑賞会ということで映画を見に行った。
「ブロークバック・マウンテン」と「シリアナ」場所は新宿。

見る前に昼は、MYCITYの7階にて食べる。
寿司屋のランチで「小樽丼」ウニ、いくら、ほたて、イカ、・・・
なお、MYCITY は4月から LUNIME になるようだ。

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1本目アン・リー監督「ブロークバック・マウンテン」
アカデミー賞では惜しくも作品賞を逃したけど、
これってやはり同性愛をテーマにしてるから?
アメリカの保守さ加減ってのは揺ぎ無いね。

でもなあ。これってたまたま主人公の2人が
同性愛に捕われていたというだけであって、
本質はシンプルで切ない恋愛映画だよね。
出会いがあって、甘い時間が流れて、別れがあって、
それぞれの生活が始まってそこから逃れられなくなって、
再会して、人目を忍ぶようにして会うようになって、そして・・・
「ゲイだ、ゲイだ」ってそれがまず先に出てくるのはおかしい。
というかそれが先入観を与えるようならものすごくもったいない。
「えーでも、だとしてもただの恋愛映画でしょ?」って言う人がいたら
その「ただの恋愛映画」をきちんと作ることの難しさをまずは問いかけたい。
お手軽なB級ラブコメディーならばいくらでも世の中に溢れてるけど、
「ブロークバック・マウンテン」ぐらいの高い質で
ストレートに恋愛映画を成立させるってことのいかに難しいか。
これって「ただの西部劇」「ただのアクション」を
ストレートに成立させることの難しさと一緒。

何度も言うけど質は恐ろしく高い。
脚本も、撮影も役者の演技も、
それを束ねてそっと後ろに立つ監督の演出も、どれをとっても完璧。
正攻法でここまで完成度の高いアメリカ映画って
クリント・イーストウッドの最近の2作
「ミスティック・リバー」「ミリオンダラー・ベイビー」ぐらいしかなかったな。
僕の見た限りでは。

ブロークバック・マウンテンは夏の日差しの強さも雪に閉ざされたときも美しく、
(CINEMA RISE 製作のプログラムは最初の20ページを映画からのショットに当てている。
 キャプションはなく、写真だけが続く。普通こんなことしない)
役者たちの緊張感の高い演技が最初から最後まで途切れることはなく。
一部の隙もない。
その隙のなさが見る人によっては「疲れる」かもしれない。
僕自身もう一回見たいという気は今のところしない。
あまりにも完璧すぎて、
最初の一回だけで全てを把握したような気分になってしまうから。
そしてそこで自己完結してしまいそう。

いや、もうこの映画については語ることは何もないです。
つっこむポイントがない。
劇場は満席。こういう映画に客が入ってるのはいいことだ。

あ、1つだけ気になることがあった。
これってゲイの人たちが見たらどんなふうに思うのだろう?
劇場にも男2人で来てる人たちが何組かいて、
ガタイが良かったりすると「・・・ゲイ?」と思ってしまう僕は偏見に満ちているのか。
見た後、自分たちに照らし合わせてあれこれ考えるのだろうか?
主人公2人の愛を貫く姿をうらやましく思うのか、
それとも襲い掛かる悲劇に身を重ねるか。

もう1つ。ジャック・ツイスト役のジェイク・ギレンホールって
どこかで見たことあるなあと思っていたら
忘れることのできない佳作「ドニー・ダーコ」の主人公だった。
(映画としての出来は今ひとつなんだけど、この作品のこと好きでたまらない)

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2本目はスティーブン・ギャガン監督の「シリアナ」
(このタイトルにどうしても下品な想像をしてしまうと巷で評判の。
 みんな発想が小学生レベルだよな・・・)

内容は、パンフレットのイントロダクションからそのまま引用するけど
「石油をめぐるCIAとアラブの王族と
 アメリカ司法省とイスラム過激派テロリストの本当の関係」
ってことで、これが2時間の間ひたすらたくさんの人が出てきて
テレビのチャンネルを変えるがごとく細かくシーンが切り替わって、
中東の石油を巡って縦に横に何重にも張り巡らされた
複雑極まりない利害関係に絡め取られていく様子が展開される。

難しい。はっきり言って難しい。
中東情勢とアメリカにとっての石油会社(オイル・メジャーってやつ?)の位置付けが
初歩ながらも頭に入ってないとなんのことやら・・・、
ってのもあるんだけど、そもそも日本人が見てると
中東系の登場人物が出てきたときに
「これって兄だっけ?弟だっけ?」ってわからなくなってくる(僕だけじゃないはず)。
白人のオヤジにも、同じことが言える。
似たような50代の男性が出てきて判事だの重役だのでみんな偉いと
身なりも似たようなものであって、やはり判別できなくなってくる。

寝た。さすがに寝てしまった。
話が分からないわけじゃないし、
編集のテンポがよく、映像もスタイリッシュで見てて飽きない。
それでもウトウトせずにはいられない何かが、この映画にはある。

スティーブン・ギャガンって「トラフィック」で脚本だったんですよね。
そんでスティーブン・ソダーバーグが監督。
見てて何よりも思ったのは
「やっぱあの時期のソダーバーグは神がかってたなあ」ということであって、
「トラフィック」も同じぐらいストーリーが複雑で
登場人物もロケーションも入り組んでいたのに、すっきり見ることができた。
「パズルっぽいなあ」と思わせる以前に
そもそも普遍的な一本の映画として見せ切ってしまう。
これってものすごく大事なこと。
監督としてのソダーバーグのやはりこれは頂点だ。

結局話は「石油はどうせいつか枯渇してしまうし、アメリカとしては
採掘できる間、中東の王族はひたすら浪費してるのが好ましい」
ってことなのだろうか。
その後国家が破産しようがお構いなし。搾れるだけ搾り取る。
怖い国だ、アメリカは。そりゃテロの標的にもなるよ。

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見終わった後、せっかくの新宿なので中村屋でカレーを食べる。
コールマンカレー。おいしかった。


[1927] 「大人の遠足」横浜中華街編 2006-03-21 (Tue)

雨の中JRの新子安駅まで行って京浜東北線に乗る。
せっかくビールを飲んだのにずぶ濡れで体が冷える。缶コーヒーを買って飲む。

石川町へ。中華街来たのは久々だ。
上京一年目のときに大学の寮のブロックの同期たちと「聘珍樓」に行ったのと、
その何年後かに映画サークルの何人かで車に乗って行った覚えがある。
そのときは飲茶の店に入った。
そうだ、その日は確か夜通しドライブするって話になって
鎌倉まで行って朝早く大仏を見たんだよな。
社会人になってから中華街来たことあっただろうか?
桜木町で「みなとみらい」は何度かあって、カレーミュージアムにも行ったことあるけど、
中華街までは来てないかもしれない。

いくつか門をくぐって、大通りへ。
華やかな赤や黄色の光。にぎわっていて活気がある。
「中華街は夜に限るねー」と話す。

18時には中華街に着いてしまって、予約は20時。暇になる。
人込みの中、のろのろと歩く。
みんな、ちょっと興味のあるものを見つけるとふらっと店の中に入って消えてしまう。
お茶にパンダのアクセサリーに蒸し器、中国語のかっぱえびせん(?)あれこれ買ってた。
買うかどうかは別にして、急須に包丁にチャイナ服。
幹事の僕は誰か消えるたびに探し回って
見つけたら見つけたで今度は本体のグループがどっか行ってしまってて、とにかく大変だった。
こんなことなら自由行動で19時半集合にすればよかった。。
本当は山下公園に行くとかそういう話もあって集団行動してたんだけど、
まとまりなくてウネウネ蛇行したりしてるうちに時間がなくなってしまった。。

もうみんな消えるの速い速い。
「いいですか?××さん、見つかって連れてくるんで絶対いてくださいよ!!」と
くどいぐらい念を押してたのに、戻ってきてもだーれもいない。
そんで「お茶屋さんに行っちゃった♪」と笑顔で戻ってくる。
気が付いたら二手に分かれちゃったので、電話かけてもらって
「今どこいるの?じゃあ今、萬珍樓の前にいるから待ち合わせ」と決めたはいいもの、
そのかけた当人が萬珍樓の前から消えて別の店に入ってしまう・・・
A型はつるんでいなくなるし、
B型は1人で好きなようにいなくなるし、
O型は今日のリーダーが自分じゃないとなると好き勝手するし、
(一番たちが悪い。自分が普段そうだけになおさらよくわかる)
まあとにかく幹事大変でした。
僕がキリキリしすぎなのかな。。
でも幹事じゃないとき、僕が一番突拍子もないことしだすことが多々あるから
人のこと言えないんだよな。

前日17日にオープンしたばかりの中華街の新名所
「横濱媽祖廟(よこはままそびょう)」に行ってみる。
でも夜だったのでしまってた。残念。
ゴテゴテしてるけど、きれいだった。

どっかの店でクッキーフォーチュンがあったので試しに買ってみた。
生まれて初めて。曰く、
「好奇心が、さわぎます。
 新しい事を始めながら、今がチャンス」

せっかく中華街に来たのだからと、もちろん出店のあれこれを食べ歩き。
フカヒレ饅頭を食べて、シュウマイを3個串に刺したやつ。
シュウマイは黒豚と海老と豆乳の3種類。うまかった。

歩いているうちに妙に味のある小道を見つける。
いわゆる有名店ではなく、こういう通りに入ったところにある
小さな店でもいつか食べてみたい。
安い大衆食堂みたいなやつ。

時間が来て「萬珍樓」の本店へ。
ゴージャス。優雅でクラシカルで。
この雰囲気はいいよなあ。これだったら僕としては高くてもいい。
食べたのは、ピータン、前菜4種盛り、酸辣湯(スーラータン)、エビチリ、
青梗菜の炒め、チンジャオロース、海老チャーハン、麻婆豆腐、鶏肉のソバ、
海老の酒蒸し、ホタテのマヨネーズソース和え、といったところかな。
さすがに何食べてもおいしい。
もっともっと食えたんだけど
ご当地ものとして「中華街」というビールも飲んだ。

あれこれ話してビールを飲んでおいしいもの食べて。
よい時間を過ごす。

中華街はもっとあれこれいろんな店で食べてみたい。


[1926] 「大人の遠足」横浜キリンビール工場編 2006-03-20 (Mon)

3月18日(土)の続き。午後。

川崎のブックオフで中古CDのセールを物色したりなんかして暇をつぶした後、
京浜東北線で2駅隣の新子安へ。
横浜のベッドタウンなんだろうな。
昼に訪れた扇町とはまた別な意味で何もない。
「オルト横浜」という複合ショッピングスペースが駅の隣にあって、
コーヒーを飲むとしてもドトールかマックぐらいしかなく、ドトールに入る。
アメリカンを飲みながらリチャード・ブローティガンの「西瓜糖の日々」を読む。

時間が来て、待ち合わせの場所へ。
もうみんないい年してるので普通に何人か遅れてくる。
キムさんはものすごく早めに来ていて、
サッカーのグラウンドを見つけると
そこで行われていた小学生のサッカーの試合を眺めていたのだそうだ。
「すげーんだよ。感動するよ。オマエああいうの見たほうがいいよ。
 小学2年生か3年生だけど絶対オマエ負けるよ」力説される。

まあとにかく6人のうち5人揃ったのでキリンビールの工場へ。
新子安の駅からまっすぐ大通りを歩いていくと着く。
敷地は広く、工場も大きい。
入口ではニコニコとした警備のおじいさんが
「こんにちは」「見学ですか?」と声を掛けてくる。

受付を済ませる。
割と早く到着したので時間が余る。
ホールのような場所の一角に椅子が並んでいて、
ビデオで日本のビール製造の歴史がビデオ放映されている。
明治の初め、アメリカ人ウィリアム・コープランドが
横浜の山手に日本最初のビール醸造所を作ったのが始まりとのこと。
ホールの反対側には日本で初のビール宣伝用の車が飾られていた。
色は全体的に白で、ビール瓶の形をしている。
あと、キリンは「チャレンジカップ」を主宰してるからか
サッカー日本代表への応援メッセージを募集していた。

受付をしていて気付いたんだけど、
これって予約せずにふらっと来て見学することも可能だった。空いてれば。
出来立てのビールが試飲できて、見学料なし。太っ腹。
金のない学生の一団が「ビール飲むか」と思って来たりしないだろうか。
僕が学生だったら、絶対やったと思う。2度、3度。

僕らが申し込んだのはクイズツアーだったこともあって、
「高得点取るべし」と各自パンフレットをかき集めて予習に励む。
なお、ビア・ヴィレッジやクイズツアーについては、↓
http://www.kirin.co.jp/about/brewery/factory/yoko/tour/index.html

時間が来て、工場見学&ツアー開始。ガイドのお姉さんにくっついていく。
エスカレーターで上っていってまずはビール醸造の歴史を学ぶ部屋。
エジプト文明にてビールの原型とされる飲み物が作られるようになり、
中世の修道士たちの間で製法が受け継がれていって、というもの。
スイッチを押すと人形が動いたり、映像が始まったりする。博物館っぽい。

そこから先は工場の各工程を。
材料の説明。麦芽3種類とホップ。黒ビール用のカラメル麦芽ってのがあった。
その次は巨大な漏斗が何個も地面に埋められているかようなものすごく大きな部屋。
どれも同じようでいて「糖化槽」「麦汁濾過槽」など異なっている。4種類あったか。
瓶ビールにして20万本が処理されるのだという。
麦芽を砕いてお湯の中に入れて麦汁を抽出して煮沸して、発酵させる。
そして発酵タンクに移す。
高さ20mの細長いタンクがこの工場になんと139本も立っている。
この中で酵母を加えられた麦汁が寝かされてビールとなっていくわけだ。
1日たつとここまで発酵する、4日たつと、7日たつと、と発酵の過程が図示される。
ここでキムさんがガイドのお姉さんにいい質問をする。
Q「ビールにもいろいろ銘柄がありますが、
  これら麦汁を抽出する工程ではどれも一緒なんですか?」
A「いえ違います。麦汁を抽出する初めの段階から、全然違ってるんです」
なるほど。たぶん麦からして「一番絞り」用、「ラガー」用があるんだろうな。

奥の部屋に進んでいくと、
「では、(ビールではなく)麦汁を飲んでみましょう」と
少量入ったカップを一人一人手渡される。
アルコールも炭酸も入っていない。
麦の匂いが強く、味はものすごく甘い。シロップのよう。
この銘柄を当ててみましょう、と5個の缶が並ぶ。
甘ったるいので「淡麗」のグリーンラベルかと思ったら全然違ってて、「一番絞り」だった。

ここから先の工程は瓶詰め・缶詰め・樽詰め。
まずは瓶詰めのライン。この辺りから小学校の社会見学的雰囲気が強くなってくる。
残念なことに土日であるためラインは停止。
平日ならば瓶のぶつかり合う音でうるさくて、中で働いている人は耳栓をしているのだという。
CCDカメラ7台でまずは瓶を検品。
このラインでは1分間に600本もの瓶詰めがなされる。ビデオで見たけどとんでもない速さ。
「日本の科学技術はたいしたもんだ」と素直に感心する。
缶はもっと早くて、1分間に1500から2000本!
すげーすげー、と心の中で連発。

・・・ってな感じで見学が一通り終わる。
その後はキリンビールの歴史と、環境への取り組み。
横浜の山手にはこの日本最初工場にて使われた水を汲んだ「ビール井戸」があり、
ビアザケ通りってのが今も名前として残っている。などなど。

クイズは8問。各工程ごとに1問ずつ。
初めてじゃない人のことを考慮して問題のパターンはその都度変わるとのこと。
「ビールを濾した後の麦のカスは何の原料となるでしょう?」
「ビール瓶はリサイクルされますが、平均して何回再利用されるでしょう?」
といった問題が出題された。
僕は「けっこう当たったはず、6問ぐらいいけてんじゃないか」と思ったのに
フタを開けてみたら3点だった。でもこれが平均点で、最高点は5点。
この5点がなんと僕らのグループから2人出て、1位2位決定戦を行う。
1位の商品はビアジョッキ。2位は携帯のストラップだった。

最後は出来立てを試飲。待ってました!
ラガーを飲む。さすがうまいね。「喉越し爽やか」ってこういうのだね。
いっきにゴクゴクいっちゃうともったいないのでゆっくり味わって飲んだ。
1人2杯まで。おつまみつき。
ラガーと一番絞りと端麗生と3種類選べる。
ここまで来て発泡酒飲む人なんているのだろうか!?
ラガーでしょ?ラガー。

僕らのグループは多かれ少なかれ変わり者ばっかりだったので
あくまで「試飲」だって言ってるのにくつろいで
お土産コーナーで味玉やチーズやサラミを買ってすっかり宴会モード。
いやー、お金払ってこのまま居続けたかった。

お土産コーナーで売られていたのは
ビール入りのうどんとか、ビールゼリーや麦のせんべい、
イメージキャラクターのぬいぐるみやTシャツ、など。
変わったところではホップ柄のネクタイとか。

いや、ほんと、ビール工場、いいね。
今度は調布のサントリーの工場に行ってみたい。

工場の広い敷地の中で迷って
従業員向けの通用口に着いてしまい、鍵がかかっていて出られなくなる。
無理やり柵越えしようとしていたら従業員のおじさんが通りがかって、開けてもらう。
恥ずかしいことをした。

雨が降り出して、濡れながら駅まで歩く。
途中土砂降りになって完全に濡れネズミ。

(続く)


[1925] ニッポン小さな旅(鶴見線扇町編)2/2 2006-03-19 (Sun)

終点、扇町に到着する。
ホームから360度見渡してみるが、
どこを向いても鉄工所や工場、小さなコンビナートしかない。
娯楽や生活のための施設のある雰囲気は完全にゼロ。
時代遅れの工業地帯。
鉄道ファンの男性たちが根室がどうこう釧路がどうこう言いながら通り過ぎる。
似たような雰囲気のローカル線があったのだろう。

ホームを端まで歩いていって無人駅の改札をくぐろうとする。
くぐるも何も自動改札ではなく、駅員が立ってるわけでもない。
一瞬、このまま出てしまえばSUICAの引き落としができなくて無銭乗車できる?と思うが
よく考えたら次乗るときに困ったことになる。
見ると路上パーキングのメーターみたいなのが立っていて、
そこにSUICAをかざすようになっている。
かざす。引き落とし額が表示される。
こんなものがあるとは。近未来っぽいような、パラレルワールドに迷い込んだような。
単線の無人駅であろうとSUICAを利用できるようにしたら
こういう折衷案となったということか。
(無人駅同士を乗り降りしていたら無銭乗車できそうだが・・・)

扇町の地図参照。
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=35.29.55.123&el=139.43.31.329&la=1&fi=1&prem=0&sc=3

駅舎を出る。
笑っちゃうぐらい何もない。
目抜き通りとか「駅前」とかそういう雰囲気の商店街はなし。
僕のような観光客が同じように小さな範囲を行ったり来たりして途方にくれている。
かろうじて小さな個人商店と食堂っぽいのと、
「ビジネス旅館」と称する民宿みたいなのがあるんだけど、どれもシャッターを下ろしていた。
土曜で工場が休みだからか??
ものを買おうとしたら自販機がちょっとあるだけ。
「白鶴」の看板が目に付く。「ああ、ここは白鶴が似合うなあ・・・」と思う。
工場で働いている人たちが夜に安酒をかっくらう姿を僕は思い浮かべる。

南の方、東の方、2つの通りを果てまで歩いてみるものの、
どちらも大会社系列の工場ないしは
港湾施設の入口で行き止まりとなっていてそこから先進めない。
海がすぐ近くなのは肌で感じるのに、高い壁に閉ざされてるような閉塞感を感じる。
火の粉が舞い上がる町工場を通り過ぎたり、
広い敷地を持つ近代的な工場施設がポツンと建っていたり。
打ち捨てられたような線路が何列も並び、
何十年も前に死んでしまったような貨物列車の車両が静止している。
歩いている人は皆無。
町工場の中、あるいは工事現場でかろうじて見かけるぐらいか。
男性ばかり。若かったり、年老いていたり。
土曜だからか。平日だともっと人通りがあるのか。
それでもほぼ男性だけなんだろうな。
大型のトラックだけはひっきりなしにあちこちを駆け巡っている。

情緒と呼べそうなもの、皆無。
こんな何もない場所で日々働いている人たちがいるのか・・・
工場で単純な作業を来る日も来る日も。
そして僕なんかよりも全然給料は少ないはず。
僕らは日々消費社会ってヤツの上澄みにどっぷり浸かって
あーだこーだ偉そうなことを言ってるだけなんだなあ、って思ってしまった。
この国を支えているのは、こういうところで黙々と働いている
名もなき、声なき人たちなのだ。
こういうところでは暮らしていけない、
働くことはできないと素直に思ってしまう僕は
人として間違っているのだろうか?

駅を出て最初の10分でもう見るものはなくなった。
なのに次の電車は1時間先。
腹が減っても食べる場所はなし。鶴見か川崎まで引き返すしかないようだ。
時間だけは有り余っているので無人の大通りを北の果てまで歩いていく。
どこかの化学メーカーのだだっぴろい研究施設、とある物流会社の拠点。
石油メーカーの石油を運ぶトラックが何台も並んでメンテナンスを受けている。
錆付いたバス停がいくつも目に付くんだけど、バスが走っているのは1度も見かけなかった。

さらに別な大通りに出る。商店がいくつかあって人の住んでる気配が多少感じられる。
1つだけ開いている商店はカップラーメンとかそういうのをまばらに売ってるだけ。
その隣に営業している中華料理屋を見つける。
窓越しに中を覗いてみると、工場のつなぎの制服を着た30代や40代の男性ばかり。
最初ためらったものの意を決してドアを開ける。
場末の安普請の中華料理屋。
厨房の中も外もいろんなものがゴチャッと積み上げられている。
何年も前のポスターが油で黒ずんでいるような。
置かれていた電話機は僕が小さなことに見かけた、ピンク色の公衆電話。
テーブルでは働いている人たちのグループが世間話をしながら食べている。
僕はカウンターの隅に座る。
観光客っぽい僕はものすごく場違いだった。
とりあえず目に付いたレバニラ炒めの定食を頼む。
500円と安い。これが一番高いメニューだった。
平日の夜は定食じゃなくて一品料理で清酒か瓶ビールを飲むのだろう。
年老いた夫婦がカウンターの中にいて、おばちゃんが作り始める。
すぐにも出来上がる。傾いたカウンターに食器が並ぶ。
うまくもまずくもない。モソモソと食べる。味噌汁はうまかった。
僕の座った位置では背を向けていたんだけど、
店の中にいる誰もが1台きりのテレビを眺めていた。
キューピー3分間クッキング。
おじちゃんもおばちゃんも客の労働者たちもみな。
この世の中には他に関心をもつべきものが何もないかのように。

店を出て、何もないまっすぐな大通りを引き返して駅へ。
早々と駅の中に入ってベンチに座って電車が来るのを待つ。
僕、1人きり。
電車が入ってきても、乗り込んでくる人は誰もいない。
12時25分初の鶴見行き。
11時20分頃到着して、
結局ここには1時間しかいなかったことになる。

浜川崎を過ぎた辺りから乗客が増えてくる。
終点鶴見ではかなりの人が下りた。
京浜東北線に乗って隣の川崎へ。
初めて来てみたけど、
特にこれと言って語りたくなるようなことはなし。
ブラブラと暇を潰す。


[1924] ニッポン小さな旅(鶴見線扇町編)1/2 2006-03-18 (Sat)

Gazz ! で仲良くなった人たちと「大人の遠足」へと出かける。
横浜のキリンのビール工場見学とその後中華街に出てお食事。
そもそも言い出したのが僕だったこともあって、
見学の手配をしたり、中華街は「萬珍樓」の本店を予約した。
いつのまにかしっかり幹事。O型の宿命。

ビール工場見学は16時からで、
15時に京浜東北線の「新子安」駅に集合。
午前中は浜松町にて整形外科で首の牽引を受ける。
その間暇になるってことで、家に帰るのもなんだし、どっか行こうと思い立つ。
浜松町と新子安の間がいい。
昔常駐していた大森の、よく通っていたラーメン屋「一本槍」で味噌ラーメンを食べて
しながわ区民公園(しながわ水族館がある。仕事に行き詰るとよくここのベンチに座ってた)
でのんびりしようか。レコファンにも行って。
あるいは、川崎ってこれまで下りたことないので探索してみるか。
あれこれ考えてるうちにふっと思ったのは
JRの東京を中心とした路線図を山手線や中央線の車両の中で見上げてるときの
川崎辺りから右下に延びている黄色の用水路のようなあの路線、
いったいなんなのだろう?どんなとこなんだろう?
行ってみたくなる。
ものすごく寂れた、運河沿いの小さな港町を僕は想像する。
町工場と人のいない岸壁と、客のいない大衆食堂。
海が見れるなら、いいじゃないか。
あるいは超近代的な工業地帯か。普段人の立ち入らないような。

浜松町から京浜東北線に乗って鶴見へ。
箱根駅伝の中継所として名前はよく覚えている。
鶴見線という名前だけあって川崎からではなく鶴見から出ていた。
乗るにはいったん鶴見駅の中で自動改札を通らなくてはならない。
鶴見線の各駅は無人駅になるけれども「簡易SUICAを置いてあります」
みたいなことが注意事項として掲げられている。
なんだ?「簡易SUICA」って。SUICAじゃないの?
どっかで切符を買わなくちゃならないのだろうか?
見てるとみんな普通に手持ちの切符やSUICAで改札を通っていく。僕もそうする。

くぐり抜けた途端、単線・ローカル線的佇まいにいっきに包み込まれる。
僕がホームに入ったとき、ちょうど電車が入ってきたところだった。「扇町」行き。
僕は名前の雰囲気からして「海芝浦」ってとこに行ってみたかったんだけど、
ま、いいかと思う。扇町の方が目的地としては遠くみたいだったし。
鶴見線は終点が「扇町」と「大川」と「海芝浦」の3種類に分かれる。
中央線の終点が高尾や八王子や立川のように
同一線路上で「どこまで行くか」となっているのと違って、実際に行き先が異なる。
なので用水路のように路線が入り組んでいるわけだ。

時刻表を見てみると
10時台 00(扇町) 35(海芝浦)
11時台 00(扇町) 30(海芝浦)
となっていて、僕が鶴見に到着したのが10時45分頃。
ちょうど海芝浦行きが行ってしまった直後だった。
1時間に1本では仕方がない。諦める。
今何気なく「1時間に1本」と書いたけど、これってすごいよな。東京の近くとは思えない。
平日だと扇町行きは1時間に2本となって本数2倍。でもまだ、30分に1本。
なお、朝晩の行き帰りの時間帯は本数が増える。

周りをそれとなく見ると
カートに乳児を入れた若い奥さんがいたり、買い物帰りのようなおばさんがいたり、
バス代わりの市民の足といった感じだった。

時間が来て走り出す。
ものすごくゆっくり。さきほど乗った京浜東北線の半分以下?
扇町までの9駅を18分で走ることになっている。なのにこの遅さ。ほんとバスです。
国道、鶴見小野といった最初の駅でバラバラと降りていく。
この辺はまだ普通に町としての川崎の中。ヒップホップ系の落書きがあちこちにあったり。
でもそこから先、川(運河?)を渡ると風景が徐々にそれらしくなっていく。
ローカル線の田舎町、ベンチに座る高校生たちも第一ボタンを外して。
錆付いたような町工場と石油化学コンビナート。白い煙がたなびいている。
線路と平行して有刺鉄線やパイプが走る。
乗客も僕のような「旅行客」となる。
息子を連れたお父さんが何組か。あと、鉄道ファンか。
一駅過ぎるごとに風景はどんどん寂れていく。
人の住んでる気配がなくなって、
工場だけが取り残された町、という雰囲気になっていく。


[1923] 天使たち 2006-03-17 (Fri)

朝起きて外に出ると
街は天使たちの死骸で覆い尽くされていた
魂をなくした、腐敗の始まった、
天使たちの汚れた死骸

どこからともなく現れた飢えた犬の群れが
その匂いを嗅いで、肉を引きちぎった
そして声を限りに吠え立てた
吠え立てた

遠くでは誰かが
猟銃を空に向けて、引き金を引いていた
白い雪のように落ちてくる天使たちに狙いを定めて
引き金を引いた、そしてまた弾を込めた

やがてまた空が真っ暗になって
天使たちの死骸が降り注ぐ
百億もの天使たちが空を漂って
そのときが来るのを待っている

天使たちは死ぬ前に歌を歌う
僕らはその歌声を聞いた
七日七晩それは続いた
そしてこの世界から、天使たちは消えてなくなった


[1922] 朝早い職業 2006-03-16 (Thu)

超朝型。夜超弱い。
こういう人ってIT業界向いてないですよね。
だいたいみんな夜型だし。ペースが合わない。噛み合わない。
(仕事のできる人ほど、天才的な技術や発想力を持ってる人ほど
 夜型という神話がまだ根強く残っているように思う)

もーなんでこんな職業についてしまったのだろう?
就職活動時の会社概要のパンフレットであるとか業界研究本であるとか、
業態や初任給、福利厚生だけじゃなくこういうところも語ってほしかった。
でもまあ、就職活動中だったら
「夜型?でも、なんとかなるでしょう!」と思ったろうからあまり意味がない。

7時から15時までみたいな勤務ができたらいいのに。
そしたらその後は副業(僕の場合小説を書く。職業ではないですが)だったり
遊びだったり家でひらすらゴロゴロだったりに使えるのに。
1日の半分がまだ残ってるって感じで。
17時なり18時に終わるとなると
その後すぐ晩メシになるからどうしても1日の終わりって雰囲気になってしまう。
終わりではないにせよ、「残りの時間」というか
メインが仕事だったときのサブの時間となってしまう。
(夜型の人はまだまだこれからなんでしょうけど、
 朝型の僕からしたらまあ終わりなわけですよ。飲みに行かない限り)

フレックス制の会社なので7時から15時までって勤務も理論上可能なんだけど
普通みんなそういうことしませんよね。「常識」があるから。
(というか起きれないのか・・・)
仕事ってどこまでも後ろに伸びていくもんだし。
こういう観点では誰も前倒しはしない。

さすがの僕もこれはできない。
打ち合わせの時間が17時とか18時とかって普通のことだしね。
それを「フレックス」つって15時で帰ってたら
「こいつ使いにくいなあ」「変人だなあ」と思われるだけである。
僕も常日頃あれこれ変わり者扱いされているが、
そういう観点での変わり者とされるのは絶対いや。
せめてそういうところだけは常識的でありたい。

ってなわけで、IT業界じゃなくて他の業界はどうだろうと考える。
朝早い職業ってなんだろう?
・・・豆腐屋と新聞屋とパン屋ぐらいしか思いつかない。
もちろん、飲んでて終電逃して5時の始発で帰るとき、
働いている人たちは大勢見かける。
朝までやってる飲み屋の従業員、
Rや私鉄、地下鉄で働いている人たち、タクシーの運転手、清掃員など。
でもあれは夜の延長だよな。あるいは24時間営業か。

新聞の配達は無茶苦茶大変そうだ(というか新聞屋という職業が)。
「パン屋っていいなあ」と今思った。
あれはあれで大変そうだけど
おいしいものを作って、買った人がおいしいと思ってくれるとしら
なんてすばらしい職業なんだろう。
そんないいもんじゃないかもしれないですが。
(荻窪の甲州街道沿いの僕がよく通る道についこの間新しくパン屋ができて
 休みの日に通りがかると「これでもか!」とすごくいいにおいしてるんですね。
 ただそれだけで「いいなあ」と思っちゃうわけです)

他に朝早い職業ってないものか・・・?
朝が勝負の仕事。
今思い浮かんだのはえらく気合の入った部活動の顧問をしている学校の先生とか。
意外とないものなのか。
それとも人目につかないのか。
華やかな昼と夜の陰に隠れて、ひっそりとしているものなのか。
縁の下の力持ち的だな。
僕はそういう仕事の方がいい。

ああ、二交代制、三交代制が当たり前の世の中であってほしかった。
世の中の仕組みががらっと変わって。
工場じゃないけど。
「いや、うちの家系は代々、朝組で」なんて会話があちこちで。
妻:朝組、旦那:夜組で子育てとか。

つうかそれ以前に、
日が暮れたら仕事が終わり、日が昇ったら起きて一日を始めるっていう
当たり前(?)のことができるのが一番いい。


[1921] オフィス移転に思う 2006-03-15 (Wed)

今週末、オフィス引越し。
先月急に決まった。
竹芝からゆりかめもでさらに2つ行った「芝浦ふ頭」へ。まいったね。
JRだと最寄り駅は田町となるのか。
荻窪からだとさらに微妙に遠くなる。
しかも田町駅からは歩いて15分?
バスが出てるらしいけど。不便だよな・・・

そんで今日は机の荷物を片付けてダンボールに詰めるために竹芝に戻ってきた。
今日で見納めか。
といっても本社自体は竹芝なのでこれからもちょくちょく来ることになる。
健康診断とか研修とか。
社食が利用できなくなるのは痛いな。
毎日食べてたら飽きるってことに目をつぶれば、一番安上がりなんだよな。
芝浦ふ頭の周辺はこれと言って食べる店もなさそうだし。
あーあ。憂鬱だ。
弁当生活だろうか。やだなあ。
だったら次のPJも常駐がいいなあ。

荻窪のヒューレット・パッカードのビルに常駐とかそういう仕事ないかな。
終電過ぎても涼しい顔していられるし、
その周りで遅くまで飲んでても全然平気だし、
(荻窪で仕事して「飲むぞ」ってんで新宿に出てまた荻窪に戻ってくるとしたら最悪)
それで遅くなっても朝は8時まで寝てられて、9時に間に合うからなー。
昼休みに家に帰ることも可能。
「あー今日は気分が乗らないなあ」と思ったら
こっそり抜け出して2時間ぐらい家で音楽聞きながらマンガ読んでればいい。
(↑普通こんなことしないか。でも僕ならどうどうとやりそうだ・・・)

常駐もとにかく場所ですよ。
お客さんの業界とか業種に興味があるかとか、自分のスキルとかそんなの二の次。
ものすごく面白いものを構築するPJで
お客さんもクリエイティブで話しててポジティブな刺激を受けるとしても、
千葉の幕張だったらさすがに断りたくなる。
荻窪から何時間かかるんだろう?
陸の孤島みたいなのも嫌だなあ。山奥の工場とか。何にもなくて。
それで合宿みたいに寝泊りできるなら
出稼ぎと割り切って実は楽しいのかもしれないけど、通うのなら嫌だな。
そもそもそんな仕事ないか。
大阪本社の仕事を3ヶ月だけやるとか、そんなPJあったらなあ。
今年1年は有楽町に常駐と神保町に常駐で(データセンター常駐もあったな・・・)
なかなかロケーションはよかった。
どっちも食い物(だけ)は充実してた。
データセンター常駐も今となってはなかなかいい思い出だ。
「×××麻婆豆腐店」(センター近くなので名前伏せます)でまた麻婆豆腐食いたいなあ。
あの頃は週に2回は食べてた。あれはうまい。必ずご飯お代わりしていた。
とりあえず都内であれ以上にうまい麻婆豆腐は食べたことない。

それにしても。
これで3回目の引越しか。
入社時が日本橋で、茅場町、竹芝、芝浦。
どんどん不便な場所に移っていってる。
食べ物的にもどんどんグレードが下がってる。
今思うと日本橋は最高だった。
「たいめいけん」のカレーは日本一うまいし、
タンポポオムライスは給料日のごちそうとして絶品だったし。
高島屋の地下の惣菜売り場の弁当もなかなかよかった。
遅い時間に行くと割引になってて、それを狙っていくと売り切れてたり、
というせめぎ合いがスリリングだった。
屋上のベンチでうらぶれたサラリーマンと一緒に鳩を眺めたりもした。
もっと前向きな気分転換として丸善で本を立ち読みしたり。
茅場町は洋食屋「津々井」のハンバーグ丼。
いかにもな雰囲気の焼き鳥屋。
庶務のお姉さまたちと一緒に八丁堀の日本酒が揃ってる店にも何度か行ったなあ。
橋を渡ってテクテク門前仲町の方まで歩いて行って昼を食べることもあった。
そうだ、橋を渡ってすぐのところにある
「亜州食堂」の超激辛淡々麺「ナムギョウ」を額に汗しながら食べたい・・・
(普段汗をかかない僕ですら、噴出して止まらなくなる。あれはすごい)
人生で最も仕事に行き詰まっていたときは毎日のように勝手に散歩に出かけて
どんどんどんどん遠くへ行くようになり、
川沿いの遊歩道をひたすら歩いてるうちにある日月島まで着いてしまった。
全てが懐かしい思い出だ。
竹芝の日々もいつかこんなふうにいい思い出になるんだろう。

僕みたいに無駄に年食った社員なら引越しも「またか」ってとこだけど
若い人たちからすれば入社時からそこで過ごした竹芝から去ることになるので
何かと物悲しい気分になるのではないか。ほんのちょっとどことなく寂しい。
でも、何事もそういうものなんだよな。
3月から4月にかけて終わりと始まりの季節。
なんとなくセンチメンタル。


[1920] 水族館フリーク 2006-03-14 (Tue)

とある方のフォトログにて
「品川アクアスタジアム」に行ったときの写真が公開されていた。
とてもきれいな写真だった。
青空のような水の中を魚たちが翼を広げた鳥のように泳いでいる。
「あー、行きたいなあ」と思う。
そろそろ1周年。
開館当初は確か入場に2時間待ちとかで、大変なことになっていた。
今は夜遅くに行くとけっこう空いているらしい。
カップルばかりみたいだけど・・・。

この日記に何度か書いてきたことだけど
僕は水族館というものが大好きで、
都内近郊の水族館のめぼしいところはだいたい行ったことがある。
葛西臨海水族園、しながわ水族館、池袋のサンシャイン国際水族館、八景島シーパラダイス。
学生時代には水族館をモチーフにした映画も撮った。
そういえば東京タワーのはないなー。小さくて古そうなやつ。
会社の近くにあるんでいつでも行けるんだけど、
こっそり抜け出して片道30分かけて
東京タワーまで歩いて行ったことは何度もあるんだけど、
近いがゆえか、入ったことない。
あと、ここ、品川アクアスタジアム。
(と、鴨川シーワールド)

水族館の何が好きかと聞かれたらうまくは言えない。
とりあえず、魚が好きで詳しいわけではない。
魚はほとんど見ていない。
水槽の向こうの魚の群れやその泳ぐ様は確かにその時見つめてはいるものの、すぐにも忘れてしまう。
じゃあ何が好きなのかと言えば、僕はあの雰囲気が好きだったりする。
ひんやりとして薄暗くて、物静かで抑揚のない環境音楽が小さな音で鳴っているような。
水槽の中の透き通った水を眺めて、その中を何かがゆっくりと動いていて、
眺めていると吸い込まれそうになる。
そういうのがいいんだろうな。

品川アクアスタジアムは魚そのものよりも空間に重点を置いた水族館だと聞く。
だったらなかなかよさそうだ。
魚の解説はなく、大人向け。
これで人が少なかったら言うことないよなー。

ここ、30代前半のサラリーマンが夜にスーツ姿で
1人で行ってたら完全に水族館フェチと思われるんだろうな。熱帯魚マニアとか。
つうか完全に「寂しい人」だよな・・・。
しかもそれで入るのに列を作って並ばされようものなら・・・。
これはかなり気合い入ってないと行けない。
土日に行くのもそれはそれで寂しそうだ。
どっちがましだろう?


[1919] 日曜の午後、自転車に乗って吉祥寺へ 2006-03-13 (Mon)

日曜の昨日、天気がよく暖かかったので自転車に乗りたくなった。
要らないCDもたまってきたので、吉祥寺の DiskUnion へ売りに行く。

土曜も暖かかった。
金曜が寒かったのでダウンジャケットを着て外を歩いていたら暑いぐらいだった。
(土曜は浜松町に通院の後、丸の内のオアゾまで行って
 古奈屋でカレーうどんを食べた。海老天入り。うまいねえ)

自転車に乗るのは久し振り。前乗ったのがいつだったのか思い出せない。
空気が抜けてて走れなかったので、まずは自転車屋に行って空気を入れた。
無印良品の自転車。学生時代から乗ってるから、もう10年になるのか。
(僕は非常に物持ちがいいので、モノによっては高校のときに買った服を着てたりする)
最初にペダルを思いっきり踏むとミシミシ悲鳴を上げて、
その後もカシャカシャヒュルヒュル鳴り続ける。
もう寿命だよなー。新しいのを買ってもいい。
盗まれてくれるといっそ話が早いけど、かといって放置する気にもなれない。
もちろんいつも鍵を掛けている。

昨日は風が強かった。
自転車に乗ってるときもそうだったけど、
吉祥寺の町を歩いているとみんな強風に煽られて大変そうだった。
Disk Union にCDを預けて査定待ちの間、
ふらっと井の頭公園に行ってみる。
3月の天気のいい日曜だけあって、丸井脇の通りはものすごい人、人、人。
焼き鳥屋「いせや」も思いっきり行列ができていた。

公園の中は大道芸人が芸を披露し、
ストリートミュージシャンがあちこちで演奏していた。
大道漫談ってのをやってる年配のおじさんがいて子供たち相手に手品を披露していた。
普段は会社員をやってるか定年退職して、趣味でやってんだろうな。
いかにも素人と思われるお笑い芸人や全身タイツのパフォーマーは
客がゼロで、周りの人も関心持ってなくて、どうにもこうにもやりづらそうだった。

インド系と思われる人たちがチンドン屋のように鉦を叩き、太鼓を叩き、練り歩いていた。
なんだろうなと思う。配ってたカードをもらってしまい、見てみると
ハレ・クリシュナの系列と思われる宗教団体だった。
(ジョージ・ハリソンがはまった例のやつ)

ものすごく人の集まっている一角があって、見るとクラシックの演奏。
バイオリンが2人、チェロとクラリネットという編成の若い男性4人。
クラシックと言っても上半身を派手に揺らして、ジーパンは穴が空いている。
パンクなストリート系クラシック。
「Every」と書かれた円形の看板が飾られてて、「あ」と思う。
この前新聞で紹介されてた。立川かな、普段は中央線をもっと西の方で活動している。
これはいいものが見れた。
その後何曲か聞く。ジブリの映画で使われてたような曲をやってた。名前思い出せず。

無許可なのか、フリーマーケットをやってる人たちの連なってる小道もあった。
よく見るとフリーマーケットというよりは大半は
アートな人たちが自分の作品を売っているというものだった。
うーん。お世辞にもうまいとは言えない。
でもこういう人たちも芸術で食っていこうと思ってるか思ってたわけだよな。
なんか微妙な気持ちになる。

缶ビールを買って空いてたベンチに座って飲む。
風が強かったので、鞄に入れてた本は読まない。
ぼけーっと池に浮かぶボートを眺める。
のんびりとした日曜だった。


[1918] Pale Ramona 2006-03-12 (Sun)

僕が小さい頃の話だ。
父親が電機メーカーのセールスマンだった関係で
州の中を1・2年おきに引っ越していた。
隣の州に引っ越すこともあった。
ハイスクールまで転校生というものを繰り返していた。
友達ができるのがすぐのこともあれば時間のかかることもあった。
まあ、年を重ねるごとにうまくなっていったように思う。

僕が8歳か9歳の頃に住んでいた家はそれまでと違って
ダウンタウンに程近い密集した住宅地だった。
郊外の白い大きな一軒屋から移り住んだのだから、
最初の頃はあれこれ何かと不満だらけだった。

僕は毎日遅くまで近所の子たちと遊んでいた。
ゴムのボールを蹴って野球の真似事をして側溝に落としたりとかそんなのだ。

隣の家には、僕と同じぐらいの年の女の子が住んでいた。
2階の僕の部屋からちょうど向かいに彼女の部屋があった。
記憶があやふやなんだけど、なぜか僕はその子の名前を知っていた。
ラモーナだ。

青白い肌、青白い瞳。ブロンドのふわったとした髪。
夜になって僕が自分の部屋の中でグローブを磨いていると
窓の向こうにラモーナの姿が見える。
僕は近寄って窓を開ける。
彼女が僕のことに気付いて窓の前に立つ。
ラモーナは決して窓を開けない。
何か表情のようなものをニコニコと浮かべているだけだ。
だけど僕は会話をしている気になっていた。
お気に入りのスパイダーマンの大きなポスターを持ち出してラモーナに見せたり、
アルファベットのマグネットを1つずつ見せて単語を伝えた。
そのたびにラモーナは指差して顔をしかめたり、
両手で口を覆い隠すようにして笑ってみせた。

僕が思ったことは、なんで外で遊ばないのだろう?ということだった。
なんで夜しか会えないのだろう?

学校にも通っていなかった。
病気か何かで外に出られないのだと僕は思った。
いとこのジェーンも喘息がひどくなって1年間学校に通っていなかった。
そういうものなのだろうと僕は思っていた。

僕以外誰もラモーナのことを知らなかった。
いつも遊んでいたトムもジョンもラモーナのことを知らなかった。
僕の両親も知らなかった。
そもそも隣の家とは仲が良くないようだった。
無愛想な年配の夫婦が住んでいて、あまり外に出たがらない。
朝外に出てたまたま見かけたときパパが挨拶をしても
そっけない挨拶が返ってくるだけで、それ以上会話には発展しない。
僕の誕生日にパーティーを開いていたら「うるさい」と怒鳴り込んできたぐらいだ。
今思うと、それまでの人生に何もいいことがなかったかのような、日陰の人たちだった。

どうしてああいう人たちのところにラモーナのようなきれいな子がいるのだろう。
不思議で仕方がなかった。
1度だけ会いに行こうとしたことがある。
隣の家のおじさんが玄関のところにいたので僕は「ラモーナは元気ですか?」と聞いた。
おじさんは驚いたように僕を見つめ、「誰のことだ?」と逆に聞いた。
そして家の中に戻っていった。バタンとドアを閉めて。

春が近付いて、僕ら一家がまた別の町に引っ越すことになった。
僕はラモーナにお別れを言いたくなった。
窓を開けてラモーナの部屋の前で待つんだけど、彼女は出てこない。
レースのカーテンがかかったままだ。
小さなゴムボールを窓にぶつけてみても出てこない。
そうこうするうちにありがたいことに隣の家の夫婦が車に乗ってどこかへ出かけていった。
僕はパーカーを上に掛けると、1階に下りてパパとママがリビングで
テレビ映画に夢中になっているのを確かめてから、こっそり外に出た。

ハシゴをそーっとラモーナの窓に側にかけて、1段1段上っていく。
なぜか僕はとんでもなくドキドキした。
3月の風が肌寒かったのを僕はなぜかよく覚えている。
てっぺんまで上って、窓をコンコンと叩いた。
ラモーナは出てこない。もう1度コンコンと叩いた。
カーテンがゆっくりと開いて、ラモーナが出てきた。
僕の姿を見て、ラモーナはひどく驚いた。
2人して長いこと見つめあったように思う。
僕は「その窓を上に押し上げてくれよ」と身振りで伝えるが、
ラモーナは困ったように首を横に振るだけ。
僕はラモーナに手紙を渡そうとした。
今となってはたわいのないことだ。アイスクリームはどこのがうまいとか、
このシーズンはどこのチームがナリーグのチャンピオンとなって
ヤンキースと戦うことになるかとかそういうことだ。
そして最後に「さよなら」と書かれていた。
新しい家の住所を書いて、よかったら手紙を書いてねと。

渡せないことがわかって、途方にくれた。
僕は封筒を破いて中の便箋を取り出すと窓に押し当てた。
ラモーナはゆっくりゆっくりと一行ずつ指で示しながら読んだ。
ところどころクスッと笑ってくれた。
そして最後の箇所に差し掛かると、泣きそうになった。泣き出した。
読み終えてまた僕らは2人して長いこと見つめあった。
そして、どちらともなくさよならと手を振り合った。
そのとき僕はパパやママによくしていたように、
頬にチュッとキスをしようとした。
窓に唇をそっとくっつけた。
ラモーナも背伸びして、窓の反対側で唇をくっつけた。
目を閉じて、うれしそうな、悲しそうな表情を浮かべて。

どこかで物音が聞こえて、僕は慌てて階段を下りた。
それが最後だった。
僕ら一家はその後2・3日して引越しをした。

新しい町で新しい生活が始まると、すぐにもラモーナのことは忘れてしまった。
そしてもちろん、ラモーナから手紙が来ることはなかった。

僕の言いたかったことはただ、それだけ。
ラモーナが「何」だったのかあれこれ詮索してみても仕方がない。

3月のこの季節になるといつも、ラモーナのことを思い出す。
ラモーナは元気にしてるだろうか。
それとも小さなときのままでいて、
誰かがあの窓の向こうに現われるのをいつまでも、そっと、待っているのだろうか。


[1917] 空間という概念の進化について、メモ 2006-03-11 (Sat)

WEB2.0 について最近あれこれ考える。
周りの人たちもちらほらと考えている。
でも僕は基本的に技術に疎いので、全然別な方向性でモノを考えることになる。

以下、最近思っていること。例によって取り止めもなく。
素人が考えたことのなのでとっちらかってます。
むずかしいです。すいません。

「空間という概念の進化について」

【石器時代近辺】
・今、ここという概念しかない。
(そもそも概念というものがないか。感覚と言い換えた方がいいかな)

・空間を時間に結びつけるという発想が、原始的なものでしかない。
 例)*寒くなると、○○にて××が獲れるようになる。
   *狩の最中に死んだものを原始的な墓に埋葬し、
    その位置を記憶して定期的に訪れる。


【文明が生まれる】
・文字や絵文字と、それを書き残す媒体(メディア)が発達したことで、
 どこの国(地域)に何があるかという情報が書き記されるようになる。
 ただしそれは元々が口伝えであるため、嘘や幻や勘違いなど多々含まれ、
 情報としての精度は低い。
 しかし、ここではないどこか遠くについて人々は思いをめぐらすようになる。


【文明が発展する】
・この「世界」というものを図にして記録するための「地図」が生まれる。
 しかも村の見取り図というレベルのものではなく、
 まさしく、この世界を知りうる限り包括的に記述するものとして。

・想像に基づく「物語」が語られるようになる。
 それまで人から人へ、親から子へ語られていたことって
 あくまで「史実」「事実として伝えられてきたもの」だったのではないか?
(すいません、この辺精神発達史的な経緯よくわからず)
 それが歴史上のある段階から、想像力によって生み出されるものにも
 市民権が与えられるようになったのではないか?

→ 架空の世界の地図が描かれ、物語が語られるようになる。
  それは全てが虚構の「天上の世界」かもしれないし、
  誰も足を踏み入れたことのない地域について想像をめぐらして
  地図を補完するというものかもしれない。
 (時代は異なるが、マルコ・ポーロなりコロンブスのような人が
  今のアジアについて記述された文献を読んだときのことを思い起こすとよい)

→ 想像力により虚構を生み出すことと
 「世界」とが必ず結びつかなくてはならない理由はない。

 歴史上のある段階からこの「世界」は認識の対象となり、
 その全体像を把握し記述することが当時の西洋人や中国人にとっての課題となる。
 その一環として「地図」というツールが生まれたわけだ。


【さらに文明が発展する】
・人々はさらに遠くを旅するようになる。航海術の発展など。
 地図の空白が埋められていく。

・測量術も発展する。情報は「正確さ」を求められるようになる。
 恐らく、情報の価値が「物珍しさ」から「正確さ」に
 取って代わった転換点がどこかにあるはずだ。

・今で言うところの「文学」の誕生。
 「記述」という行為がフィクションとして成立するようになる。
 現実の合わせ鏡ではなく、
 あくまでこれは物語なのだという共通認識の上で読み込まれる書物。
 (恐らく、文字として記すものは真実や出来事でなくてもいいんだ、
  という発想の転換も歴史上のどこかであったはず)

・天動説から地動説へ。
 そして、この世界は「地球」という天体の表面なのだという発見。
 象や亀の上に乗っかっているだとか、
 平面が続いてて世界の端で海水が滝のように流れ落ちるというものでもない。
 天体観測の技術は文明の端緒より発展し続け、
 *太陽系における地球の位置、
 *銀河系における太陽系の位置 というものを計測できるようになる

→ この世界とされていたもののサイズを知る。
  地図上の空白が残り少なくなってくる。
  ただ単に誰も訪れたことのない箇所でしかなくなる。想像力の入り込む余地はない。
  南極や北極の一番乗りを文明国家が目指すようになる。

→ この世界は無限の広がりを持つのではなく、
  広大ではあるが有限なのだということを人類は知る。
  有限というか、計測により導き出される点の集合として
  どの場所も絶対的に / 相対的に表せるものだということに気付く。


【近代から現代へ】

・世界地図が完成する。
 そこに地勢図以上のものを人は求めるようになる。
 そこに何かを見出せないか考えるようになる。

・地図の普及が始まる。もはや一握りの特権階級のものではない。
 印刷 / 複製技術の発展と共に、庶民が手に入れることも可能となる。
 
 人それぞれ、手にした地図に知りえたことを書き込むようになる。
 この地域はこの果物がこれだけ獲れるとか。人によってその内容が異なる。

→ 地図と、自分の知っていることとを関連付けて考えるようになる。
  人々はそれを交換し合う。


(このペースで続けていくとキリがないのでかなり話を先に進めてはしょります)

・地図そのものではなく
 地図化(平たく言うとマッピング?)という行為の方が重要となってくる。
 具体的な地点だけではなく、あらゆる出来事に対して。
 その具象に対してどのように意味や価値を持たせるか、
 そしてそれが他の具象と接したときに
 どのようなプロセスを経てその意味や価値が変化するか。
 いかに情報の重み付けを行うか。

 Aという視点からの重み付けにより描かれた地図と
 Bという視点からの重み付けにより描かれた地図とがあって、
 地形図としては全く一緒であるが、
 塗られる色や概念としての境界線が異なるようになる。
 例)アメリカのとある州の地図があって、
   *Aは各地域ごとの共和党・民主党の支持者の数を表している
   *Bは各地域ごとの世代(あるいは人種構成や年収)といったものを表している
 AとBのそれぞれが情報として存在していて、
 それらを重ね合わせることでさらに別な情報が生み出される。

→ つまり、「情報」というものが事実の積み重ねた足し算であった時期が終わって、
  掛け算をすることでさらに価値のある情報となる時期へ。
  連鎖が連鎖を生んで情報は爆発的に増え続ける。
 (もしかしたらそれを処理するためにコンピューターというものが生まれたのかもしれない。
  コンピューターが情報量を増やしたのではなく)

→ 現実的な「地点」がどうこう、
  という事実だけを語っているだけでは足りなくなってくる。
  いつ誰がその「地点」に関して何を言っているか、というのを
  何を語るにあたっても考慮に入れる必要が出てくる。
  何事も文脈 / コンテキストの網に絡め取られて、ってやつ。
  我々は個人として目の前の状況に関してマッピングを続け、
  個人の寄り集まって形成される社会ってヤツの中でも
  その社会の価値観に基づいてマッピングを続ける。

・どの地点 / 場所も常に「情報」というものがまとわりついている。
 いつかそれは具体的な地点 / 場所を不要とし、
 「それに関する情報」だけが一人歩きするようになる。

・情報は具体的な事象について語るもの、であったのが
 その具体的な事象とやがて等価となり、いつの日か逆転現象が生じる。
 現実の世界は情報の総体にとってのオルタナティブでしかなくなる。
(例えば、この世界に存在する全てのデータ量が、
 この世界を百科全書的に余すところなく記述したデータ量を
 上回る日が既に来ているのかもしれない)

→ 話をさらにはしょって、WEB2.0ってのは、この
 「現実の世界は情報の総体にとってのオルタナティブでしかなくなる」
  そんなSFの中で語られていたような未来社会の入口のように
  僕には思えた、と。

→ 虚構の世界は紙の上に記された想像力によって形作られるのではなく、
  実際のデジタルなデータとしてどんどん増殖していくのである。
  インターネットの向こう側の世界に構築されて、
  その世界のほうが現実の世界よりも広がりを持つようになる。
  なぜならばそれは理論上は無限となるからである。
  (ゲーデル的に、実は有限なのかもしれないが)

  そこでは地図は常に書き直されていく。
  この世界に関する記述が絶えず更新されていく。
  世界は常に変容し続け、具体的な形を失っていく。


[1916] 通勤途中にツラツラと考えたこと 2006-03-10 (Fri)

朝ナチュラルに目が覚めて、外が明るい。なのに目覚まし時計が鳴ってない。
見ると昨日の夜セットした時点で止まってしまっている。
(電池を入れるところがゆるくて外れたんだろうな)
「うわっ、やっべー」と慌ててロフトから降りてテレビをつけてみる。
7時ちょうど。9時過ぎかと思ったら全然そんなことはなかった。。
いつもより1時間遅かっただけ。
こんなんで毎日起きれるならもう目覚ましいらないやん、と思う。
僕はなんて健康的なんだろう。

そんなわけで、以下、
朝の丸の内線とその後の都営新宿線にてツラツラと考えたこと。

---
「英語を話せると10億人と話せる」みたいなことが英会話学校の広告に書かれている。
誰が言ったことだったか忘れたが、
「でも日本語が話せたからと言って1億人と話せるわけじゃないじゃん」
非常にもっともだと思う。グウの音も出ない。
言葉を知っていることと具体的に人と出会う・接するということは全然別の次元の話だ。

じゃあ、この僕は生きていく上で何人の人と話せるのだろうか?と考える。
1000人・2000人だろうか。
それともなんだかんだ言って1万人を超えるのだろうか?
誰かこういうの統計とってないものだろうか?

延べ人数だったら、そりゃ毎日多くの人と話をしているはずだ。
でも、その日初めて会話を交わす人となるとグッと減る。
その場限りのコンビニの店員であれ、仕事で名刺交換した人であれ。
「新しい人」と話すことのない日が何日も続く、ってことはざらだろう。
そう考えたとき、「日々同じ人と会って話している」つうか
「日々同じ人としか接しない」ことの重みがなんとなくわかってくる。
ある種の機会損失なわけである。

もちろん、その生涯において
100人としか人と言葉を交わさなかった人と10万人と接した人の間で
「どちらが幸福だったのか?」ってことは全然計りようがないんだけどね。

1億人と話す、に戻る。
どういう職業が最も多くの日本人と話すことになるのだろう?
総理大臣?日本国の代表として。・・・そんなわけがない。
役所の窓口とか、デパートの店員とかタクシーの運転手とか、そういうとこか。

こういう職業は大変だ。
いきなりわけわかんない人が現れてわけわかんないこと言い出して
勝手にわめき散らすことに多々遭遇するわけだよな。
僕には無理だ。
こういうキチガイみたいな人の応対をしている方を町で見かけることが時々あるけど、
自分が直接関わってるわけではないのにものすごくブルーになる。
その日一日鬱々として過ごすことになる。

医者もそういう職業だよな。
昨日も「ちっともよくなんねえよ」って不平を言ってるのが聞こえたけど
そんなこと医者に言ってもな・・・。
数多くの人に日々接して治っただの治らないだの言われてるわけである。
その心理的負担の大きさを想像してみると、はー・・・、他人事ながら途方にくれる。
医者という職業がまず大学として狭き門で、入ってからも勉強勉強、
国家試験に合格しても勉強勉強、開業してからもあれこれ続くのは当然だよな。
頭が下がる。ほんの少しでもパーセンテージを上げる、
って努力をしないとたぶん気が休まらないのだと思う。

そういえば僕の通っている整形外科は
大きなビルの中に用意されている小さな診療所みたいなものなので
曜日によって先生が違ってて、たぶん何かしら本業を持ってて、
副業としてなのかそれとも何かしらのしがらみなのか、
とにかくどこかしらから年配の整形外科の医者が通ってきている。

僕は見てもらう日を決めててこの先生に、と毎回同じなんだけど
人によっては通う都合上全くばらばらになるのだろう。
そう、カルテは毎回別の医者が書いていることになる。
「読めるのだろうか?」といつも不思議に思う。
ドイツ語の筆記体。
あれは別にドイツ語で詩や散文を書いてるわけではなく
ただの箇条書きのメモなので記号の群れのようなもの、
「翻訳」できなくて困るということはない、そんな話を聞いたことがある。

そうは言っても他人のメモって読んでも意味不明なこと多いじゃないですか。
会社で読む伝言メモの、他人に渡す前の自分のためだけの走り書きとか。
買い物メモの言葉のはしょり方とか。「バラ」って花じゃなくて豚肉なわけですよ。
人それぞれ独特。
それが医者の世界にもあるのではないか?
・・・ないからやっていけてんだろうけど。

でも、ほんと気になる。読み間違えてない?
実際のところ、こういう日替わりで診察者の替わる診療所なら
それぞれの医者が気を使ってカルテ書いてるから間違いはないのだと思う。
逆に、1人で開業医を何十年もやってるベテランなら
いつのまにか他の医者が読んでも何のことやらさっぱりわからないようなカルテを
書いてたりするのではないか?中にはそういう人もいるのではないか?

メモとしてわかりづらい以前に字が汚い人とか。
ドイツ語の筆記体のはずなのにどこの国の言葉なのかわからん、っていう。
そういう人いるんだろうな。
字のきれいさは大事だ。人として。

僕はこれまでの人生でどこに行っても
「アナタが一番字が汚い」という扱いを受けてきた。
幼少時代、親から一番怒られたことは書き取りの宿題の字の粗末さだった。
これはもうどうしようもない。今更きれいにはならない。
どうしたらいいんだろう?
漢字の書き取りからまた始めればいいんだろうか?

昔別冊マーガレットとかそういう少女漫画の裏表紙に
「日ペンの美子ちゃん」の広告(まだ健在なのだろうか?)が載ってて、
ペン習字の入会者にはもれなく、カシャカシャと指ではじくだけで
字がきれいになるという魔法のような器具がプレゼントされていたように思う。
もしそれで本当に字がきれいになるのなら、小学校の教育の一環として配るべきだよな。
どうしてそういう気の利いたことをしてくれないのだろう。文部省は。
テレビを見ながらカシャカシャやってるだけで字がきれいになるのである。
なんなんだろう。科学的な実証がないから?
そもそも、あれってどういう仕組みで字がうまくなるのだろう。
・・・結局気休めに過ぎないのだろうか。

そうだ、その手の
「なんでそんなすごいものなら、もっと世の中に普及しないのだろう?」
の最たるものとして「速読法」がある。
あれ、すごいよな。常人の何倍ものスピードで本が読めるなんて。
これこそまず小学校や中学校で教えるべきだ。
日本人のノーベル賞受賞者を何年までに何年という目標を立てるのなら、
まずはこういうところから下地を作るべきだ。
本ですよ、本。本をたくさん読むところから学力は形作られる。
・・・ま、そんな多くの人が実践してないってことは
特殊な健康法の一種みたいなものなんだろうな。

あと、イングリッシュ・アドベンチャーってやつ。
オーソン・ウェルズの朗読する「家出のドリッピー」
あれ1度聞いてみたい。誰か持ってないだろうか?
あれだけ新聞で見かけるのに、
しかも少なくとも僕が中学生の頃からにはあったから
20年近く続いているもののはずなのに、
あれを持ってる人って身の回りで見たことがない。
(この話、前にも書いたような気がする)

高校時代の文化祭で寸劇をやらなくてはいけなくて、
放課後集まって机の上に座って黒板の前であれこれ考えていた。
そのとき出てきたのが「出家のドリッピー」
ドリッピーが出家するんですよ。家出じゃなくて。
誰一人として「ドリッピー」が何者なのか知らなかったのに、
一生懸命になってストーリーを考えてた。
若いっていいわ。

---
こんなわけで。キリないからやめます。
読み返してみて、自分でもあきれるぐらいまとまりがない・・・。

行きも帰りもビジネス書を読んでいるサラリーマンって
いったい何を考えているものなのだろう?


[1915] 新人賞に応募する 2006-03-09 (Thu)

昨年の春から秋にかけて書いた250枚の長編「海辺の記憶」を
今月末締め切りの本格的な新人賞に応募することにした。
何人かの人に読んでもらって感想を聞いて、
大きく内容の変更こそ行なわなかったものの
年明けから細かい部分の手直しを少しずつ少しずつ進めていった。
1日に40ページ分読んで、とかってすると結局読み飛ばしてしまうので
内容に関係なく1日に10ページずつと細かく区切って
ゆっくりゆっくり機械的に、何度も立ち止まって言葉のチェックを行なう。
年末年始に全般的に見直したときにあれこれ誤字脱字を直したつもりでいたのに、
それでもまだまだ誤字脱字は存在した。
今年の1月に映画サークル関係の後輩にいくつか指摘を受け、
3月まで時間があるから引き続きブラッシュした方がいいとアドバイスされる。
その通りにしてよかった。
年末年始で「直したつもりになっていた」バージョンで出していたらかなり危なかった。
(でも実際問題、こういうので賞を取る人の原稿ってどれぐらい
 誤字脱字が残っているものなのだろう?パーフェクトなのだろうか?)

一昨日会社を休んで、最後の修正を終える。
今日はいつもの神保町ではなく、チームの人には
「通院のため、午前中は本社に帰社します」とメールを打って竹芝へ。
早朝こっそりと全文をプリントアウトして、表紙を添えて、
電動の穴あけパンチを借用してきれいに穴を開けて、紐で綴じて、
つい先ほど宛名を書いた封筒に入れて、封をした。
あとは郵便局に持っていくだけだ。どきどきする。
これでもし本当に賞を受賞したら・・・

先ほどの後輩は文芸誌、文芸界の動向に詳しく、
少なくとも最終選考には絶対残るだろうと力強く断言してくれたけど実際どんなもんか。
世の中は余りにも広くて僕なんかまだ全然かもしれない。
そんなことなくて、意外とあっさり行けちゃうかもしれない。
僕自身はこの作品に手応えを感じているんだけど。
果たしてどうなることやら。

これまで何度かコンテストに応募してきたが、かなりなところいい加減だった。
「原稿を綴じること」ってあったら普通は紐で綴じるのに、クリップで留めただけだったり。
それを今回はちゃんと、新人賞応募の手ほどきのようなサイトを
いくつか見つけてきちんと最初から最後まで読んで、
表紙はどう書くべきかなどお手本にした。
綴じる紐も文房具屋に買いに行って、なんかどことなく下手っぽいんだけど一応形になった。
こういうところでマイナスになっていたらもったいない。
それが原因で最後の最後で選ばれなかったら悔やむに悔やみきれない。

結果は半年後。
待つのが怖い。ものすごく怖い。
その間にも今書いてる長編をどんどん書き進めていったり、
以前書いたのを手直しして仕上げたり、やることはいくらでもある。
一仕事終えて今ぐったりしてるんだけど、休んでるわけにもいかない。
今回のがダメだったときに備えて、次の弾を用意しなければ。
まだまだ道のりは遠い。

---
昨日の夜は会社の後輩と神保町でビリヤード。仕事が落ち着いてきたので再開。
ビールを飲みながら1時間半ずっと、エイトボール。
後輩はうまくて、何度やっても一度も勝てなかった。
ナインボールは最後にたまたま9を落としちゃった、で勝つこともあるけど
エイトボールは落とさなきゃならない球が自分と相手ではっきり分かれてるから
実力の差が如実に現れる。

来週もやらなきゃ。


[1914] O型 vs. O型 2006-03-08 (Wed)

昨日は会社を休んで暇だったので
昼も夜も友人たちと入れ代わり立ち代わりメッセンジャーで話していた。
そのときに話題になったこととして、
「この人とはメッセンジャーでダラダラ話しやすいけど
 この人とはそういうの向いてないと感じる人っているよね」というのがあった。
その人と話すのが苦手というのではない。
でも、メッセンジャーという手段で話すのはなーんか違うなと感じるわけです。

共通の友人が例として挙がったのだが、
僕はそいつとは盛り上がってガーッとメールのやり取りをすることはあるけど
定期的に「最近どうよ?」というやりとりは想像しにくい。
これってなんなんだろ?と思ったとき、
そのとき話してた友人はこんなことを言った。

「お互い、O型同士だからじゃない?」

あ、そうか、なるほど。と思う。
そう言われてみると確かにそうだ。
O型は普段顔つき合わしていると「合わない」ことの方が多い。
O型同士って、共通の目的に進んでるときはいいんだけど
それがなくなると一番コミュニケーションとりにくい。なぜか。
人に「合わせる・合わせない」の問題じゃなくて。
A型やB型は話しやすい。AB型は若干話しにくいような・・・

友人はこんなことを言う。
「愛情の裏返しなのでは?O型がO型に抱く愛情?
 思わず衝突しちゃう!みたいな。
 逆に言うと、お互いに解ってもらいたくてつきつめちゃう、みたいな。
 B型は割とドライなので、そこまで求めない、みたいな」

当たってる、ような気がする。
どうなんだろう?
A型とA型同士やB型とB型同士も同じようなことになるのだろうか?

自分がそうだからそう思ってるだけかもしれないんだけど、
ほんとO型ってやっかいな血液型で。
つかみどころがない。(AB型はまた別な意味でつかみどころがない)
血液型占いではよく、「リーダー型、負けず嫌い、ロマンチスト」なんて出てきますが。
そういうわかりやすい部分ではなく、
わかりにくい部分で非常にごちゃごちゃしている。うまく説明できない。
(でもそれってどこの血液型も一緒?)
今思いついたので言えば、
「おおらかと言えばおおらかなんだけど、
 細かいとここだわらないと決めた部分についてはこだわらなさすぎ、
 だけどこだわろうと決めたら1人勝手にこだわりぬく」とか。
O型ってそうじゃないですか?

以前、職場で男性はO型ばかり集まったチームにいて大変だった。
最初は「なんなんだろうなあ」と思っていたんだけど、
後から「O型ばかり集まってる」ことがわかって非常に納得。
目標があったらそこに向かって意識が合ってそつなく進むんだけど、
お互いの連係プレーはかなり下手。非常にぎこちない。勝手にやってるほうがいい。
O型ってチームに1人・2人だけいるとなかなかいいプレーしそうだけど、
O型だけだとまとまらないことこのうえない。
みんなしてオレさま。でも「大人だからやりますよ」みたいな。
人の意見は聞くけど、それはあくまで「意見でしょ」みたいな。

O型の皆さん、そんなふうに思いませんか?


[1913] 「アメリカン・スプレンダー」 2006-03-07 (Tue)

学生時代からちょくちょく通ってた
東京ランダムウォークの神田店が建物の老朽化により
残念なことに2月いっぱいで閉店することになった。
神保町にはいろんな本屋・古本屋があるけど、
ここは独自な雰囲気があって好きだった。
アートな、というか基本はサブカル系なんだけど上品な感じ。
昨年秋に神保町に常駐するようになってから
昼休みはときどきここでぶらっと本を眺めていた。
記念になんか買うかと2月末のある日入って見つけたのが
映画にもなった「アメリカン・スプレンダー」の原作のマンガ。その翻訳。

作者であるクリーブランド在住のハービー・ピーカー自身が主人公。
頭はいいのに大学中退、ジャズの評論を書いて雑誌に載ったりはするものの
表向きの職業は病院でカルテの整理という基本的にさえない生活を送っていた中年。
それがロバート・クラムという知る人ぞ知るアングラ・コミック界の帝王と
若い頃友達だったことから、ある日ふと自分の生活を原作としてマンガにし始める。
ロバート・クラムだけじゃなくいろんな名だたるマンガ家たちに絵を描いてもらって。
これが大当たり。アングラ層だけじゃなく、インテリ層にも。
そんなこんなでポール・ジアマッティ主演で映画にもなって日本でも公開される。
ある意味アメリカン・ドリームの体現者になった。

内容はとにかく暗くて、救いがない。
悲惨だいうことではない。何もなくてドン詰まりであるがゆえの救いのなさ。
病院でルーチンワークを毎日こなして身の回りの人たちと適度に話す。
結婚と離婚を繰り返し、いつだって女に飢えている。
付き合い始めても結局うまくいくことは少ない。
食べてるのはジャンクフードばかり。部屋の中は散らかし放題で掃除はしない。
本を読むことは大好きであちこちの雑誌に寄稿している。
頭はいいのに世間に認められることはなく、自分の鬱屈した気持ちを常に持て余している。
つまるところ何をやってもうまくいかない。
それだけの毎日。それだけを描いている。

そのマンガの中で哲学的なことを語ることもあれば、
ただただその鬱屈した気持ちを延々と垂れ流しているだけのこともある。
ケルアックからブコウスキーに至る流れの末裔にハービー・ピーカーがいて、
日々の何気ない出来事や人間の醜さを文学的に美しく描き出すこともあれば
憤った気持ちをうまく整理できずに破綻していることもある。
早い話が日本でも人気の出たチャールズ・ブコウスキーのマンガ版。
遅すぎたビートニク。

読んでて自分を見ているようだと思った。
「自分のようだ」なんて非常におこがましい。
明らかに僕はこの人以下だ。
マンガにして世に出すだけのバイタリティーはなかったし。
鬱屈した気持ちを抱えていても
それをとことんまで突き詰めて自らそいつと向かい合って
冷静に分析したり笑い飛ばしたりするだけの思いの強さはなかった。
適度にいい会社に入ったらそこにしがみついて
それ以上社会というものを広く深く見てみようとしなかったし。
ハービー・ピーカーと比べてたらほんと僕はひよっこだ。

最初、会社の先輩に読んでもらおうと貸した。
返ってきて開口一番、「いやー、オカムラ君は読まないほうがいいよ」
僕のようにウツウツとした時期に入りやすい人間は
いっきに引き込まれてしまって戻って来れなくなるから、ということで。

結果、ウツにはならなかったけど、あれこれ考えさせられた。



短いのを1個だけ、吹き出しを全部書き写してみます。
「短い週末 無限の世界とありふれた日々」というタイトル。
----------------------------------------------------------
土曜の朝。女も地位もないこの男、
私書箱の郵便チェックへ向かっている。
彼にとっては、これが1週間のハイライトだ。


2、3日おきにチェックして、
手紙が1通も来てないとがっかりだからな。
1週間ぶりだから、何か来てるだろう。
今日こそ、誰かしら返事をくれてるといいが。

(私書箱を覗き込む)ちぇっ。

ったく、期待してたおれがバカだった。
しばらく誰からも手紙がないから、
今日こそは返事の来る確率が高いだろうと思ってたのに。
平均の法則を当てにしてたが、当てが外れたぜ。

悪い状況から抜け出すどころか、
どんどんドツボにはまってくってこともあるんだな・・・

(街を歩く)

事態がどんどん悪化していって、
そのまま死んじまうこともある。
運がそのうち回ってくるかも分からないし、
人生トントンで終わるとも限らないのさ。

平均の法則?そんなものねえんだよ、
このしがない世の中には。

(枯葉が舞う)

うーん、でも待てよ。
幸せになりたいが、もしかしておれは
幸せに固執しすぎてるのかもしれないな。
幸せなんて長続きするもんじゃない。
人生も短い。幸せになったとしても、
結局はすぐに老いぼれて死んでいくんだ。

(ショーウインドーに映った自分を眺める)

幸せな人生を送ったヤツの方が、
わびしい人生を送ったヤツよりも、
死ぬ前は辛いかもしれないぜ。
わびしい人生を送ったヤツは、
死んでも大して惜しいとは思わないからな。

もしかしたら、最も肝心なのは生き続けることかもしれない。
一番長生きしたヤツが、一番の成功者なのかもしれないぞ。

(1人きり、町外れに佇む)

一体、死んだらどうなるんだろう?
きっと、生まれる前と同じような状態に戻るんだろうな。
何も存在しないのか?
まあ理解はできるが、その事実を受け入れられるかが問題だ。
誰でも生きている時の記憶しかないんだから、
無の存在になった状態を想像するのは難しいもんな。
それに、自分が死んだ時のことを考えるのって、
いい気持ちはしないから、みんなあまり考えはしないんだ。
その可能性自体を否定するヤツすらいる。

死後の世界ってあるのか?
最近、かなり巷で話題になってるが、
まあ、現世で起こってることが全てじゃないって思えるのは、
おれみたいな男にとっては嬉しいことだな。

(枯葉が舞う)

今日はこれから何すりゃいい?
まだ土曜の午前10時だが、何もする気が起こらねえ。

家に帰って子供番組でも見るか。
結構面白いんだよな。

彼の週末は終わった。
しかし彼は、きっと来週も同じことを繰り返す。
そうするしかないのだ。

----------------------------------------------------------

僕の文章を長いこと読んでいる人なら分かると思うけど、
僕が落ち込んでいるときに書いている文章と全くもって一緒。
しかも僕がウダウダ長々と書いているのをこの人は簡潔に、
ある意味すがすがしく書き綴っている。
悟りの境地に達しているかのようだ。
僕はまだまだだ。
ああー・・・


[1912] オザケンのCDシングルを集める 2006-03-06 (Mon)

土曜にカレーの会で集まったとき、
副業で音楽ライターをしている先輩から
マリ・ウィルソンのCDと小沢健二のCDシングルを束でもらった。
以前会ったときに話に出て「ください!!」とお願いしたものだ。

もらったシングルのリスト:
「暗闇から手を伸ばせ」(1993)
「今夜はブギー・バック (nice vocal)」(featuring スチャダラパー / 1994)
「強い気持ち・強い愛 / それはちょっと」(1995)
「ドアをノックするのは誰だ?」(1995)
「戦場のボーイズ・ライフ」(1995)
「さよならなんて云えないよ」(1995)
「痛快ウキウキ通り」(1995)
「夢が夢なら」(1996)
「Buddy / 恋しくて」(1997)
「指さえも・ダイスを転がせ」(1997)
「春にして君を想う」(1998)

(ついでに、Cornelius 「Star Fruits Surf Rider」のシングルももらった)

Wikipedia で今調べてみたらこれまでに出したシングルは18枚ってことになってて、
「カローラUに乗って」は自分で持ってたから、足して12枚持ってるということになる。
(「強い気持ち・強い愛 / それはちょっと」と「戦場のボーイズ・ライフ」はかぶった)

もちろんこれらはCDシングルであるため現在は生産されていないし、ほぼ入手不可。
中古で探すしかない。
シングル曲を集めた「刹那」が発売されることになったとき、
ああこれでようやく持ってなかったあの曲やこの曲を
まとめて聞くことができるようになったとものすごく喜んだもんだけど、
その後曲目が大幅に減っちゃって思いっきり残念がった。
「ある光」とか97年以後の曲は全部カットされてた。

もらった中にその肝心の「ある光」(1997)が入ってなくて、
コアなファンの間では代表曲とされているので残念だったんだけど
なんと「春にして君を想う」の隠しトラックとして3曲目に入っていた。
やっと聞くことができた。素直にうれしいです。
(今 amazon で中古で探してみたら \7.980 という値がついていた・・・)

当時は「小沢健二大好きです」と公言してはばからなかったのに
実はリアルタイムに追っかけてたのは「戦場のボーイズ・ライフ」までで、
それ以後はなぜかさっぱり聞かなくなってしまった。
シングルを出していたということも知らなかった。
日本のロックはその後もちゃんと聞き続けていたのに。
たぶん飽きたんだろうな・・・

---
もらったのを昨日全部聞いてみた。
「今夜はブギー・バック 」なんて超懐かしい。久々に聞いた。
2枚目のアルバム「LIFE」っていまだに僕の中で日本語ロックのNo.1なんだよなー。
これを話すとみんなから「えー?」って言われるけど。
学生時代、青春の音。
「LIFE」が BGM として似合うような
ポップではじける青春時代をすごしていたわけでは全然ないのに、
あの頃の時代の音として僕の中でいろんなものとリンクしている。
「ドアをノックするのは誰だ?」を聞いていや、ほんと胸がキュンとなった。
あの音のバブリーな輝き具合はハンパじゃない。

とはいえ、よかったのはやっぱりその頃までだと思う。
「さよならなんて云えないよ」以後の曲は今この時代に初めて聞くと、
今ひとつな感じは否めない。
バックのゴージャスな音は色あせて古びてるし、
オザケンの声・歌い方も(当時は頑として認めなかったが)軟弱だ。
いったい何が良かったのだろう?全体的に軽すぎ。
でも復活作「Eclectic」(2002)を聞いたときは「すげー」と思ったしなあ。
リアルタイムに聞いた方が断然いいってタイプなんだろうな。
どっぷりはまれる。

嫌いになったわけではないです。
「犬キャラ」と「Life」がこの世に存在し続ける限り、
僕は小沢健二のことが好きなのだと思う。永遠に特別な存在。

「Star Fruits Surf Rider」を聞いて改めて思ったけど、
音楽的には小山田圭吾の方が断然いい。
リズムも音色も全然古びてない。
全アルバム今聞いても全然違和感がない。
それでも僕は小沢健二のことを選ぶのだろう。

---
CDシングルっていうフォーマットがどうにも聞きにくいため
PCに取り込んでCDに焼いてしまうことにした。
「刹那」に入ってない曲を集めて勝手に「刹那U」を作る。

こんな曲順になった。

1. 「戦場のボーイズ・ライフ(ボーイズ・ライフpt.2:愛はメッセージ)」
2. 「Buddy」
3. 「恋しくて」
4. 「恋ってやっぱり」(一発録り)
5. 「それはちょっと」(一発録り)
6. 「back to back」
7. 「ダイスを転がせ」
8. 「指さえも」
9. 「流星ビバップ」(一発録り)
10.「ある光(JFK 8'16" Full Length) 」
11.「春にして君を想う」
12.「カローラUに乗って」
13.「ドアをノックするのは誰だ?」("THE LIFE IS SHOW"LIVE)
14.「ぼくらが旅に出る理由」("THE LIFE SHOW"LIVE)
15.「いちょう並木のセレナーデ」(LIVE AT BUDOKAN:1995.05.09)

11曲目までは「刹那」に意図的に収録されなかったシングルの全曲を時代順に。
12曲目からはボーナストラック的意味合い。
我ながらすっきりとした選曲になったと思う。

いやーそれにしてもこういうテープの編集っぽいことって中学・高校以来か。
(3年ぐらい前に1度MDの編集をしただけかな)
あの頃はひたすらテープのダビングばかりしてたなあ。死ぬほど楽しかった。
そしてそのうちの何本かは友達にあげたりして。
懐かしいことこの上ない。
いったん始めたらはまりそうだ。
なんかまたテーマを決めて作りたくなってきた。
大学に入ってからやらなくなったけど、
続けていたら今頃はDJっぽいことを趣味としてやっていたかもしれない。

あと、僕にとってCDは「買って聞くもの」なので
PCに取り込むってこと普段絶対しないんですよね。
さっき覗いてみたら、
映画の撮影や編集をしているときに作ってもらった曲以外で入ってたのは
サニーデイ・サービスの超入手困難な初期のCDだけ。
「Cosmic Hippie」と「SUPER DISCO」
妹が聞きたがっていたので焼いて渡した。
ちなみに2枚合わせて中古で1万もした。高かった・・・


[1911] 影の王国を行く 2006-03-05 (Sun)

影の王国。人間よりもその影たちの方が強い力を持つ国。
影たちの交差するところに会話が生まれる。
影たちの言葉が交わされる。音のない声で。
表情もなく、ただ黒い光の濃淡だけがあるのみ。
影に支配された人々が柱廊を歩く。
支配された人々は立ち止まり、影たちの会話が終わるのを待つ。
召使のように。佇んで。
そこでは「人」という存在はただの器である。
魂は影の中にある。

その国には暗闇というものがない。
神殿の外であれ内であれ、強い光が全ての場所を満たしている。
白色の人工太陽が常に頭上で輝いている。
太陽の数は1つや2つではない。
無数の太陽のそれぞれが奇妙なそれ独自の論理で動き回る。
矢のように天を駆け抜けるもの、じっとして何百年・何千年と動かぬもの。
その軌跡にて図形を描き、影たちに宣託を与えるもの。
余りにも強い光であるため、人々がその方向に目をやることは許されない。
影だけが太陽を見つめる。
影は常に太陽を追い求める。
掟に背いて盲いた人々は魂を失い、惚けたように立ち尽くし、
虚ろな両目を太陽に差し出す。
やがて太陽が地上に降りてきてその身体を焼き尽くす。

使節として私がその国を訪れたとき、宮殿の奥で客人として扱われた。
夜ともなると宝物で飾られた広間には
山海の珍味が並べられ、強い酒が振舞われる。
艶やかな衣装をまとった踊り子たちが舞を披露し、
屈強な男たちが剣を手に古来からの舞曲を演じる。
そしてその全てが無言で行われる。
影たちには何も聞こえないからである。
爪弾かれ打ち鳴らされる楽器もその身振りだけが伝わるようになっている。
歌い手も声を失っている。
宴席では客人たちの、恐れをなした囁きだけが密かに漂う。
私の隣に座っていた商人は
それまでに私が聞いたことのない言語で私に耳打ちした。

影の王が玉座に座り、私は謁見を許された。
器として選ばれたのは凡庸な風貌の、疲れ切った、私と同じような年の男だった。
強い光に照らされてその顔は精彩を欠いている。
深紅の織物の上を影がうごめき、私のことを見つめた。
私は近付いて私の影をそっと供えた。
光の向きが変わり、海のように広がった王の影が私の影を覆い尽くした。

年に一度、新年の夜には
太陽たちが集まって一つの巨大の球となり、この世界の全てを照らし出す。
石畳の広場に集まったあまねくあらゆるものにその光が届く。
影たちもまた一つに融合する。
巨大な太陽は人々を焼き尽くさんばかりにその光を強める。
私のような旅人にはその場に居合わせることを許されない。
影の王国に住むものだけが許された歓喜のときである。
太陽たちが離れ離れになるとともに影たちも、
それを運ぶ人々も散らばってそれぞれの居場所に戻る。
散らばるときに歌が歌われる。
音のない声で。
静かな、言葉のない歌を。


[1910] 町田「リッチなカレーの店 アサノ」 2006-03-04 (Sat)

今年第一回目の「カレーの会」を開く。
店は僕が行ってみたくて行ってみたくて仕方なかった
町田の「リッチなカレーの店 アサノ」
日本で一番うまいカツカレーの店ということになっている。

カレーのためだけに土曜、町田まで行く。現地集合。
新宿から小田急線の各駅停車に乗ったら1時間かかった。
前の日朝まで飲んでて寝てなかったから確実に座って行きたかったわけだけど、
まさかこんなに時間がかかるとは・・・。遠い・・・。
カレーの会で言えば柏「ボンベイ」に行ったときよりも遠く感じた。

ネットで地図を調べて一番近かったので
集合場所をJR町田駅のターミナル口にしたんだけど、
みんな小田急線で来るので場所が分からず。両者の間はかなり距離がある。
僕も含めて土地勘無し。
集合時間になって全員から続々と「場所どこ?」「迷った」と電話がかかってくる。
いや、ほんとすいませんでした。幹事の力不足。

「アサノ」は路地裏の狭くて暗い通りの中でひっそりと店を構えていた。
吉祥寺のハモニカ横丁のような雰囲気。
店はものすごく小さくて、僕ら5人で行って最初入れなかった。
カウンターだけ。7人しか入れない。

ご主人は確か会社を定年退職した後で店を開いたとのことでかなりの高齢。
小柄で、動作は非常にゆっくりとしていて、
失礼ながら「大丈夫か・・・」とまじで思ってしまった。
注文は?と聞かれて全員迷わずカツカレー。
ポークカレーやチキンカレーもメニューにあるんだけど、
頼むと「なにー?」って感じでカツカレーを薦められると
以前どこかで見かけたブログに書かれていた。
実際、「うちのカツは高座豚を使っていてとてもおいしい」と
僕らの後に来てポークカレーを頼んだカップルに向かって
トクトクと噛み締めるように語っていた。
頑固オヤジなんだけど、なんだか非常にかわいらしい。というかお茶目。
カウンターには何の臆面もなく
店を取り上げたあれこれの雑誌やガイドブックが並んでいて、
わざわざ開いて僕らに読めと差し出す。
「お客さんどこでうちのこと聞いたの?」と聞かれて僕は「クレアです」と答える。
そのクレア・イーツもしっかりカウンターの上にあった。
「クレアと、(ゴスペラーズの黒沢薫の)「ぽんカレー」で店にいっきに
 人が来るようになったんだよね」とご主人はしみじみ語る。
その間手は思いっきり止まる。
僕らは「オヤジ、それはいいから早くカレー出してくれ!」と心の中で悲鳴を上げる・・・

とにかく動作がゆっくり。
頼んでから出て来るまで30分はかかっただろうか?
僕らがカツカレーを頼んだら、豚肉を溶き玉子に絡めてパン粉につけるところから始まった。
その辺の下準備無し。こだわってる。
あまりにもゆっくりし過ぎてて、目の前に立ってるのに何をしてるのか分からず。
そのカツを揚げだすまでさらに10分はかかった。
息子さん(跡を継ぐのか?)が手伝ってるんだけど、鼻にも引っ掛けない様子。
「おまえには大事なこと、いっさいやらせないよ。
 わしが1人で全部全部ぜーんぶやるんだよ」と言わんばかりに。
息子さんは今注文はあれとこれが入ってて、
これはここまでやったからと世話を焼くんだけど全然聞いてない。
大変だ。とてつもない忍耐が必要とされる。
そんで手を休めてオヤジさんは「ぽんカレー」を開いて、
「この人店に来て取材したみたいなんだけど、
 何にも言わずに来て食べて帰ったからわっかんないんだよねえ。
 写真も勝手に撮ってったみたいで。
 言ってくれたらもっと見栄えのいいように盛ったのにねえ」と思い出話。
聞いてて僕らは腹がグーグー鳴りっぱなし。
それはもういいから!!

そんなこんなでようやくカツカレーが出てくる。
カツを揚げてもそれをすぐザクザクと切って乗せて出すということはなく、
おいおい冷めんじゃないの?と心配になるぐらいスローモーに物事が進んでいく。
ご飯を皿に盛って、ハカリで重さを量って、
電子レンジでジャガイモとニンジンを温めて、カツを乗せて、カレールーをかける。
最後に絹さやをちょこんと。
「手際のよさ」という概念一切なし。


なのに、「うまい」


おいしい! おいしい!! おいしい!!!


驚きである。カツもカレーも、魔法がかかっている。
そうとしか言いようがない。
スパイシーで爽快感に満ちたルー。
見てるすぐ目の前で電子レンジに入れて温めて
「おいおい・・・」と思った後乗せのジャガイモとニンジンも
(つまり、ルーの中で一緒に煮込んだわけではない)
しっかりルーと調和してる。下茹での加減が絶妙なのだろう。
そしてサクサクのカツ。
あっさりとしてるのにジューシーで、ルーとのコンビネーション最高。

すごいよ、これ・・・

夢中になって食べて、一瞬で食べ終わった。

吉祥寺「どん花」無き今、
淡路町の「トプカ」を抜いて僕の中では、都内で一番のカツカレーだな。
つうか「トプカ」よりもさらに2・3歩抜きん出てうまい。
町田なのが非常に残念だ。
都心にあったら毎週通ってもいい。

カレーそのものとしても、これまでカレーの会で訪れた中では
柏「ボンベイ」に次ぐうまさ。
もう1度繰り返す。
カツもカレーも、魔法がかかっている。

---
その後町田にて午後3時頃だっただろうか?
昼から開いてる居酒屋を見つけて飲む。延々8時頃まで。
ゆっくりまったり語る。
この日一番の話題は
都内でマンションを買うにあたって、子供の数とそれに応じて必要とされる敷地面積と
そこから導き出される間取り選択の可能性、そしてどこの沿線がどれぐらいするか。
みんな30代を過ぎて、やっぱ話題はそういうのが盛り上がる。


[1909] 焼きみかんと焼きリンゴ 2006-03-03 (Fri)

一昨日の話の続き。

高校の友人と話していたら「みかんのバター焼き」を教えてもらった。
デリデリキッチンとかいう番組で紹介されてたようだ。

調理方法はいたって簡単。

・外の皮は剥いて
・薄皮は剥かなくてよろしい
・熱く熱したフライパンにバターをジューッと
・みかんはこんがりキツネ色になるまで

意外とうまいかもしれない??と思う。

腹は減ってるものの
部屋の中には青森から送られてきたみかん一箱。
そんな状態の昨日の夜、ふと試してみたくなった。

白かった薄皮が半透明になって、焦げ目がつく。
ぱっくりと開いた薄皮の向こうには
ほっこりバターの匂いのするオレンジ色の粒々の果肉が。

いっただっきまーす!



・・・正直、うまくもまずくもない。

あったかくてバター味のみかん。
それ以上でもそれ以下でもない。まずいわけではない。
でも誰彼捕まえて「ねぇねぇ試してみて!!」
と言って回るほどでもない。


とりあえず、食べた後、友人に早速報告した。

「てめー。うまくもまずくもないぞ。どうしてくれる」

そもそも、ほんとにそんな料理がテレビで紹介されてたのかが気になる。
この前友人がインフルエンザにかかったときに見た妄想ではないのかと。
しかし友人は、確かに見たと主張する。
「みかんを丸ごとフライパンで焼いてたよ。バターかけながら
 イクエが『ええ〜〜〜焼くんですかあ〜〜〜???』って終始大騒ぎしてた」
とのこと。

その後話題は焼きリンゴに移る。
焼きリンゴはメジャーな食べ物なのかどうか?
実は青森限定なのに、青森県民が勝手に全国区と思ってないか?
でも、神保町の有名なカレー屋「共栄堂」にも
冬季限定メニューとして「焼きリンゴ」あるしなあ。

友人はリンゴの芯をくりぬいてバターを入れて電子レンジで温めるというのを
実家でよく食べていたようだ。意外とうまいらしい。
だけど1個丸ごと食べてるとさすがに途中で飽きてくる。。

こんなことも言ってた。
「あと、母の実家が五所川原の中泉って村でリンゴ農家だったもんで
 小さい頃リンゴの収穫手伝ったりして
 袋はがしたヤツ集めて、超でかいたき火するんだけど
 その中に、アルミホイルに包んだリンゴほおりこんで。
 出荷できないような余ったヤツね。
 1時間くらいで焼きリンゴ。
 あーなつかしい」

↑これはうまそうだ。
焚き火して、焼きリンゴやってみたくなる。

---
気になるので、「みかんのバター焼き」について検索してみたら
そんなものヒットするわけがなく。
でも、「焼きみかん」はあれこれ出てきた。

ごつい旧式のストーブの上にみかんを載せて焼くっていうのは
昔の日本では広く見られる光景だったようだ。
それがストーブではなくファンヒーターやエアコンに
取って代わられることにより、廃れていった。

↓焼きみかんについて詳しく書いたページがあった。
 後者はなんと、日本全国の「焼きみかん」分布図まである。
http://weekend.nikkei.co.jp/kiko/20030117s861h000_17.html
http://weekend.nikkei.co.jp/kiko/20030124s861o000_24.html


[1908]  「ミュンヘン」「ホテル・ルワンダ」 2006-03-02 (Thu)

仕事が落ち着いて暇になってきたので会社を休んで渋谷に映画を見に行った。
「ミュンヘン」「ホテル・ルワンダ」この2本。

奇しくも対立する民族の争いをテーマとして中心に据えた2本を見たことになる。
「ミュンヘン」は70年代イスラエルにおけるユダヤ人とパレスチナ人の対立
(もちろん、それは今に至るまで続いている)を描き、
ルワンダはそれは国内のフツ族とツチ族の覇権争い。

報復が報復を呼び、暴力が暴力を生んでいく過程で
「誰が正しいのか?」という議論は何の意味も成さなくなる。
それぞれの立場から語られる真実や事実が交錯するのみである。
その渦中にいる人はそれぞれの局面において
「自分にとって正しい」と思うことを貫くしかないのだな、ということを見てて思った。
生きるか死ぬかの瀬戸際では迷っている暇などない。
勝利など存在しないが、敗北という名の死はいくらでも転がっている。

第3者が仲介に入って「対話」を行えば済む話なのか?
到底そうは思えない。
答えはない。恐らく、最初から存在しない。これからも存在しない。
当事者にとってはただ憎しみがあるだけ。
神様がいるのなら、どうしてこの世界をこんなふうにしてしまったのだろう?

---
「ミュンヘン」

72年。ミュンヘンオリンピックにてイスラエル選手団が
パレスチナ解放を求める過激派によって誘拐された後、全員殺害される。
イスラエルの秘密組織「モサド」は
過激派の指導者11人を報復として暗殺することを決定。
主人公たちは1人1人と潜伏先を見つけ出し殺害していくが、
報復は報復を呼び・・・

スティーブン・スピルバーグ監督最新作。
さすがの内容。ずしりと重たい内容なのに
サスペンス映画としての押し引きがうまくて3時間があっという間。
(この編集の素晴らしさはただものではない)
そもそも娯楽作品として面白いのに、当事者の「苦悩」が如実に伝わってくる。
なのに息苦しくはない。
社会派でありながら、冷酷・冷徹ではない。
あくまでその場を生きる一人一人の人間のドラマとして描く。

余談として、爆発物のスペシャリストが日々せっせと作ってる仕掛けと繊細な玩具が
次から次に繰り出されて、その辺の遊び心が実にスピルバーグっぽい。

これが最高傑作だとは思わないけど、
ここ何作かではベストではないか。
「シンドラーのリスト」「プライヴェート・ライアン」
という90年代の重要作品を見てないで言うのはかなりあれだけど
「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」か「ミュンヘン」かってところだと思う。

主役のエリック・バナがよかったです。
ジェフリー・ラッシュがかなり映画を引き締めてた。名優の域に達してますね。

---
「ホテル・ルワンダ」

90年代半ばのルワンダ。フツ族とツチ族の民族間の緊張は最高潮に高まり、
フツ族出身の大統領をツチ族が殺害したのをきっかけに国内は内乱状態へ。
フツ族によるツチ族民族大虐殺が始まる。
(なんと100日で100万人が犠牲に。なのに国際的にほぼ知られてない出来事)
西洋諸国は見殺し、国連は無力。腐敗する軍隊は賄賂を握らせないことには動こうとしない。
そんな八方塞がりな状況の中で主人公であるフツ族のホテルマンは
行き掛かり上ツチ族の難民たちをホテルにかくまうことになったのだが・・・
という「ルワンダのシンドラー」の話。「ミュンヘン」同様、これも実話。

平日とは思えない盛況ぶり。
これってアメリカでの公開時に日本では公開されなかったんですよね。
アカデミー賞にノミネートされたことによって配給権が高くなった割に、
主演がドン・チードルなので「客が呼べない」と・・・
しかしその後この映画を見た若者が中心となって
日本でも是非とも上映すべきだと mixi を起点に署名活動に発展し、
5000人を集めて公開に漕ぎ付けた。
http://nikkeibp.jp/wcs/leaf/CID/onair/jp/biz/422454 参照)

それが今スマッシュヒット。
全国公開へと広がりを見せている。
平日の昼間に見に行ったのに、ほぼ満席。
小さな映画館だったってこともあるけど。
土日だと立ち見になってるんじゃないか!?
こういう形で公開が決まって、口コミで客も押し寄せるってのはいいね。

場所は渋谷の「シアターN」
新しい映画館?と思って行ってみたら
実はユーロスペースの跡地をそっくりそのまま利用したものだった。

「ミュンヘン」の後に続けて見るとさすがに
「映画」としての出来は見劣りしてしまうけど、
ドン・チードルの好演もあってなかなかいい映画でした。

エンドロールに流れる主題歌にて、
アメリカが州が集まってできた国だというのなら
どうして「アフリカ合衆国」が不可能なのだろう?
イギリスが王国の集まりだというのなら
どうして「United Kingdom of Africa」とならないのだろう?
と歌われていた。
そうだよな。もっともだ。
国家という単位と民族 / 部族という単位がちっとも折り合わない地域が
この世界にはいくつかある。それぐらいなら、単位を変えてしまえばいい。
国家にこだわらなくてもいい。
それはそれで理想主義的で、また別種の問題を生み出してしまうのかもしれないけど。


[1907] 横須賀に行ってみたくなる 2006-03-01 (Wed)

土曜にアメ横でスカジャンを探して以来、
スカジャンのことが気になって気になって仕方がない。
どこで買うのが一番いいのか?
買わないにしてもショーケースの中に飾られている
ヴィンテージものをあれこれ「すげー」と眺めてみたい。

断っておくが、今更この年でヤンキーやチンピラに憧れているのではない。
なので龍や虎や錦鯉の豪快なやつが欲しい、というわけではない。
じゃあどういうのかというと、エキゾチックなものが欲しい。
日本から見たアメリカ。アメリカから見た日本。
両者が在日米軍という一種独特な橋渡し役により
衣服という形で具現化したものがスカジャンだとしたら、
そういう観点で気合の入ったものが欲しい。
なおかつサイケデリックで、だけど派手派手しくなくてシンプルで地味で。
・・・そんなのあるわけないか。

なお、僕はエキゾチックなものを好む傾向が昔から強い。
アート系のあれこれだろうと音楽だろうと、
エキゾチックな匂いを放つものにはフラフラと惹かれてしまう。
「ここではないどこか」というものが持つイメージを
今ここに混在させるというか。
そのものではなくて、あくまでイメージを。
先日ニューヨーク・バーク・コレクションを見に行ったのもそういうきっかけだ。

夏アロハ、冬スカジャン。
夏ともなるとカジュアルフライデーはサンダルにアロハで出社して
「なんて格好だ」と毎年のように怒られている。
そんな僕としてはアロハも欲しいね。同じく、エキゾチックなやつを。

---
アロハにスカジャンと言えば横須賀でしょう?
と以前横須賀に住んでいた高校の友人にメッセンジャーで聞いてみる。
以下、そのやりとり。

「この前の土曜上野に行く用事があったから
 アメ横でかっこいいスカジャン探したんだけど全然ないのね。
 で、やっぱ横須賀かなと。いい店ない?」

「スカジャンはドブ板商店街で買わなきゃ。横須賀の」

「どこそれ?行けばすぐ分かる?」

「これ→ http://www.dobuita-st.com/ 米軍基地の真ん前。
 戦後米軍によって活気あふれた街」

「で?今は寂れてるの・・・?」

「逆。開発が進んじゃって、古き良きって雰囲気が。
 なんかキレイになりすぎちゃって・・・」

「なるほどな」

「まあでも、戦後から何十年も続いてるスカジャン屋とか
 米軍から卸してるアーミーグッズ屋とかプールバーやら。
 ちょっぴり海外チックな雰囲気が楽しめます。
 夜のドブ板は屈強なネイビーの皆さんがうろうろしててけっこう怖い。
 ポリスも見回ってるよ。日本の警察じゃなく米軍基地内のポリスが」

「おおお怖いな」

「プールバーやらライブハウスやらあるんだけど、結構伝説的な店が多い。
 『かぼちゃ屋』ってライブハウスとか。
 テンソウの鈴木ミチアキが天井にベース突き刺した店とか」

「なんで突き刺すねん」

「興奮して。穴とか多分まだそのまま」

「かっこいいー」

「30年くらい前の話」

「76年かあ。いい年だな」

「そうそう、その位。プールバーはビリヤード台が置いてあるんだけど
 当然勝手にやっちゃだめ。台使ってる人に勝たなきゃダメとか。
 超こだわり。ウチはエイトボールしかやっちゃだめとか。
 まあ、そんな町で毎晩飲み明かしてたんですわ。オイラは」
 19〜23まで。バイク乗って」

「いいなあ。まじでいいなあ。今度つれてってよ」

「もう、よく分からないかも。
 久々に行ったら、お店の人とか変わってたし無くなった店もあったし・・・」

「そうか・・・」

「スカジャン屋は確実にあります。ここね。
 http://www.dobuita-st.com/shop/prince.html
 あとねえ、ドブ板行ったら絶対行って欲しい店。『ハニービー』
 http://homepage3.nifty.com/rurounotami/izakayaroman_07.htm
 米軍基地の出入り口の真ん前にあって
 うちらの親より上位のおばちゃん達がキリモリしてんだけど
 ブライアン・メイみたいなオバチャンパーマなのね」

「ハハハ」

「屈強な海兵隊さん達と、もちろん英語でやりとり。
 まのあたりにするとカツコイイ」

「カツコエエネ」

「『あんた何にすんのさ。早くしなよ』みたいにね。
 ハンバーガーうまいよ」

「いいなあ!横須賀行きたくなってきた」

「今度行くか?横須賀ツアー」

「行きたい行きたい!!」

「よーし!××と○○も誘って行こう〜〜〜〜♪
 ついでに猿島なんかいってみる?」

「どこそれ?」

「横須賀。無人島なの。
 戦績が残ってるみたいだけど」

「最高」

「じゃあもう少し暖かくなったら企画すんべ。
 あ〜ハニービーのフライドライスが食いた〜い。
 ハラ減った」

「俺も」

そんなわけで、近々横須賀行くかも。
初めての横須賀。
あちこちの店を覗いて、そんで味わい深いプールバーで飲んで。
これは楽しみだ。

---
おまけ。その後ついでにこういう話になる。
腹減ったという流れで。

「家?」

「だけど、食い物無し。手頃な。
 カップラーメンの類はあるけど、食べすぎになる」

「じゃあお外に買いに行ってらっしゃい」

「いや、寝るから。
 太るし。食べたら」

「なんらそら。
 空腹に耐えながら寝るなんて_・・・」

「みかんだけはまだ一箱あって」
 さっき一個食べた。飽きるからそれ以上食べない」

「みかん?ひと箱?」

「家から送ってきたやつ」

「みかんって、フライパンで焼いても旨いらしい。
 皮剥いて、薄皮は残してバターで」

「なんだそりゃ。でも、あー。それうまそう」

「デリデリキッチンでやってた・・・・
 ぜひ挑戦してください。
 オイラは挑戦してないけど」

「やってみるわ。適度に焦げ目がつくまで?」

「うん。結果教えてね〜」


[1906] 小諸蕎麦、全部乗せ 2006-02-28 (Tue)

小諸蕎麦「全部乗せ」
頼めば作ってくれそうなんだけど、さすがにこれはきつい。

きつね、たぬき、わかめ、生卵、唐揚、かき揚、海老天、イカ天、
季節もののかき揚ないしは天ぷら、ここまではいい。
さらに、カレー、おろし、とろろ。
ここまで来ると食べ物じゃない・・・
さすがの僕も食べられない。
つうか器に入りきらんよ。
「きつね、たぬき、わかめ、生卵、唐揚、かき揚、海老天、イカ天」
これぐらいだったらまだ食えるかな。
でもこれ、ごってりしてて考えただけで具合悪くなってくる。
神保町「まんてん」の全部乗せよりもしつこい。

そんなわけで。
神保町で常駐し始めてから、昼も夜も外食。
誰か他の人が一緒のときは「いもや」の天ぷらか天丼、
「さぼうる2」でナポリタンかビーフカレー、「味噌や」で味噌ラーメン+コーンバター。
1人のときはたいがいさらっと小諸蕎麦。
入社して何年かオフィスが日本橋、茅場町にあった頃はよく通ってた。
竹芝に移ってからは周りになくなったので行かなくなった。というか昼も夜も社食。
うまいかどうかで言ったら、小諸蕎麦、ま、悪くはないと思う。
安いし。当たり障りなく、毎日食べられる味。
神保町はカツ丼のうまい店ってものが実はなくて
値段と味の比較をしたときに一番まともなのは
小諸蕎麦なのではないかと思う。
まあ立ち食い蕎麦のカツ丼ならば「天久利」のほうがうまいですが。

立ち食い蕎麦ではかき揚げうどんに卵付きを
好物と言っていいぐらいによく食べてたんだけど、
さすがに最近健康のことを考え始めて、
卵をトッピングするのはやめてその代わりにわかめを乗せるようにした。
かき揚じゃなくてたぬき。ないしはイカ天。
汁も全部飲まない。

↑ここだけ抜き出すと多少まともっぽいんだけど、
朝はヨーグルトだけ。
昼は日替わりであちこち出掛けて、ランチ大盛り。
夜は小諸蕎麦。
こういうメニューを毎日繰り返しているかと思うとげんなりする。
というかぞっとする。体に悪いよな。
今こうしている間にも野菜が食べたくなってきた。

仕事の場ではおとなしく淡々と過ごしているが、
昼飯時になると急に張り切りだす。
多いときには7・8人になるグループの中でどこに行って何を食うかその日のテーマを決め、
食ってる間も与太話をしゃべり続け。
午後の仕事が始まるとまたしょぼーんとする。
神保町にいる間に僕は
「昼メシ番長」→「昼メシ統括」→「昼メシ大臣」とどんどん階級が上がっていった。

その神保町も3月いっぱいかな。恐らく。
まだまだ食べてないところもあるので、今のうちに行っとかないと。
残り1ヶ月、なかなか気を抜けない。

なお、昼に1人でメシを食うときには
最近どうしても「まんてん」に行ってしまう。
足がフラフラと向かってしまう。
何がうまいわけでもないのになー。
麻薬が入ってるとしか思えない。

---
「全部乗せ」ってのがどうにもこうにも大好きで、
初めて入るラーメン屋で「全部乗せ」ってのがあったら必ず頼んでしまう。
とんこつ系の店だけじゃなくて、最近は味噌系の店でもありますよね。
1000円ぐらいなのにとても贅沢してる気分になって、いい。

最初に僕が出会った「全部乗せ」は池袋の「光麺」
学生時代のことだ。
以来池袋に行くことがあったら今でも時々「光麺」で食べてる。
おいしいラーメン屋は他にありそうなんだけど、
いくつか回ってみたけど、結局「光麺」に落ち着く。
(ここのことはこれまでの日記で何度もよく書いている)

冷静に考えるとそうそううまいわけでもないんだけどな。
最近の「研究してる」ラーメン屋の代表格みたいなもので、
あれこれ試行錯誤した結果をおしゃれにまとめてるようなラーメン。
はっきり行って味は薄っぺらい。深みがない。
いや、味は極めて重層的。
だけどそれぞれの層がハーモニーを織り成してないというのがより正確な表現か。
麺とスープと具のあれこれと器と店の内装と店員の接客が単に足し算になってるだけ。
本当においしい店はどこかに掛け算が生じてる。
どうってことのない内装でシンプルなラーメンなのに
そこにしかないブレイクスルーが生まれていたりする。
「光麺」は良くも悪くも秀才型で、コツコツと点数を積み上げていくタイプ。
そこに食としての感動はない。

でも感動を求めてるのではなくて
ただ単純に手軽にうまいものを食べたいとき、「光麺」のスタンスはありがたい。


[1905] そういえば今日は母の誕生日だった 2006-02-27 (Mon)

朝起きてトリノオリンピックの閉会式をちょっとだけ見る。
壮大な音楽に合わせて聖火が華々しく燃え上がったり、消されたり、
天使?の格好をしたイタリアの女性たちによるマスゲーム
(某国の影響で最近あんまりいい言葉じゃないんだけど、
 今のところこれしか適切な用語が見つからない)
が展開されたり。

ああ、もう27日かと思う。(2月は早かった・・・)
27日という日付に「あれ?」と思う。何かが気になる。でもなんだろう?
今構築に関わっているサイトがオープン(つまりカットオーバ)の日?
それは確かにそうで会社にいる今、
来てみたら昨晩から徹夜している人たちがフラフラな容貌でキーを叩き、
寝袋を畳んでいた。悲鳴も聞こえる。
しかし、これではない。僕にとって重要なのは。

そうだ。今日2月27日は母の誕生日だったりする。
何歳になるだろう。
・・・59歳か。
はあ、もうそんなになるのか。
来年は還暦に当たる。

還暦って普通何かするんだよな。
親戚を集めて赤いチャンチャンコ着せるようなの。
世間一般的にはやるみたいだけど、
僕の身の回りというか親戚でそういうことしたの聞いたことがない。
なのでこれはしなくてもいいだろう。
でも何かしら、何かをしなくては、とは思う。
1年かかって考えてみるか。
行きたいと何度か言っていたシンガポール旅行に連れて行くとか。
(これって大変なのは、旅行の手配と旅行そのものではなくて、
 妹がその時期休みが取れるかっていうのと、母のパスポートの手配だろう。
 これはめんどうだな・・・)

で、今年はどうするか。
例年母の日には何かしら送ってるが(贈る?)誕生日には何も送ってない。
しかも誕生日だったことを後から気づくことの方が多い。
せっかく今日気づいたのだから電話の1つでもするべきか。
でも僕の方から話すことは何もない。
仕事は忙しいか、風邪は引いてないか、
そういうことを聞かれ、いつもどおり終わるのだろう。
大雪の話を聞かされて。
母とは正月のとき以来話していない。
大丈夫だろうか。

インターネットと携帯の時代になって
身の回りの人たちとのやりとりは友人に限らず、
メールと携帯がメインとなった。
しかし母はそういうの使いこなせそうにないし、
これからも興味を持つことはないだろう。
電話機とその留守電機能が精いっぱい。
なので今後も電話での会話がメインの連絡手段となる。
(あるいは、小包の中に時々そっと忍ばせている手紙か)

電話機は普段全く使うことはなくて
かかってきてもマンションの勧誘か間違い電話なんだけど、
そういう意味では携帯だけがあればいいんだけど、
母からかかってくるかもしれないから残している。


[1904] 雨の日曜日 2006-02-26 (Sun)

朝起きたら雨が降っていた。
雨の降る音を聞きながらぼんやりといろんなことを考えた。
最近のうまくいった物事、うまくいかなかった物事。
うとうとして眠って目が覚めて
取り留めのないことを思いついて
それが他の取り留めのないことに繋がっていって。
一応起きてる間に考えたことなのに、今となっては何も思い出せない。
昨日のこと、一昨日のこと、さらにその前のこと。
あれこれたどっていったような気がする。

何の予定も無かったので
そのままウダウダと布団の中に居続けて
そんな状態で1時間ぐらい過ごしただろうか。
布団の温かさと雨の音が心地よく、
ああもうこれだけがあと一生続くというのでもいいのかもしれない。
そんなふうに思った。
夢を見て、過去の楽しかったことの追憶にゆるゆると浸って。
そんなんでいいのなら、一生そうしてる。

一生そうしてるわけにも行かないので、起き上がる。
とはいえ、することはない。
大家さんに家賃を払って、外に食べに行った後、
洗濯をして、クリーニング屋に行って、戻ってきてからは
小説の作業。なんだかいつも通りの何もない日曜日だ。
ただいつもと違うのは雨が一日中降り続いていて、
音楽を聞くことなく、雨の音だけを聞いている。
音楽を聞くとしても、静かなもの。ギターと歌声だけ、とか。

いつも言ってることだけど、
何もすることのない日曜日に雨が降っているとなんとなくうれしいものだ。
あー明日も日曜で雨が降ってたらいいなー、なんて思う。

イギリスの田舎の方とかそういう広々とした何もない場所で
ものすごく大きな家に僕が1人住んでいて、
窓の側に1人立って、降り続く雨を眺めている。
そんな光景を今思い浮かべた。
雨の音しか聞こえてこない。
そして僕は広々としたダイニングで一人っきり食事を取っている。
温かくもなく、冷たくもない食事を。


[1903] ニューヨーク・バーク・コレクション 2006-02-25 (Sat)

午前中、浜松町の病院で牽引治療を受けた後本屋でブラブラと本を眺め、
昼になると高校の友達と会って、
貿易センタービル38階の中華料理屋でランチを食べる。
ものすごく眺めがいい。目の前にはここ何年かで新橋方面に建った高層ビルと高層マンション群。
天気がよければはるか遠く川口の方まで見れるのだそうだ。
高校時代のことなどとりとめもなく話す。
お互い浜松町で働いているからってことでいつか昼を、と言ってて半年経ってしまった。
ようやくのランチも土曜日わざわざ出てきて。
昼飯を食うというのも意外とむずかしい。

---
山手線でそのまま上野に出て、東京都美術館で「ニューヨーク・バーク・コレクション」を見る。
アメリカの裕福な日本美術コレクター、メアリー・バーク女史のコレクション。
第二次大戦後より蒐集を始め、その内容は縄文時代の土器から江戸時代の屏風まで歴史的に幅広い。
入ってみたらとても混んでいた。「え、こんな人気あるものなの?」と驚く。
ピカソやゴッホじゃないのに、日本美術でも来るものなんだね。
まあ若い人よりは50代・60代の人たちが多かったけど。
若い人たちは僕みたいにJRなんかで配っていたチラシのセンスのよさに惹かれたか。
東京都美術館は芸大や美大の卒業制作の展示も行っていて、そちらもたくさん人が入っていた。

僕は仏像を見て心が和む類の人間ではないので、その辺りは素通り。
室町時代の山水画の掛け軸を食い入るように眺める。
中国の人里離れた絶景や桃源郷を描いた、こういう水墨画けっこう好きだったりする。

そういえば中学の歴史の教科書に出てきた京都の「洛中洛外図」があった。
ものすごく大きな屏風。普通に飾られてたんだけど、
「洛中洛外図」って何種類かあるのだろうか?

展示されているコレクションを一言で言うと「センスがいい」ということになる。
ミモフタモナイけど。
つまり、日本人が集めるとなると
日本の歴史や日本美術の歴史の流れを踏まえたものとなりそうだけど、
現代の外国人の視点から集めたものなので「歴史」意識が希薄。
(無視してるってことはないにせよ)
なんというか「線」としての連続性はなく、「点」の集合となる。
オルタナティブとしての日本美術。
エキゾチックなポップアートとしての日本美術。
墨の濃淡と金や朱や草の色、これら色彩のモザイクとして優れているかどうか。
色彩の絡み合って描かれる具象がバーク女子の気に入るかどうか。
そして最初の、「センスがいい」というところに落ち着く。

今回の発見として、こういうことがわかった。
日本の伝統の絵画はそれまで空を青く塗るという発想がなかった。
なので何も色がなく地のままか、金色の雲で覆われていた。
それが18世紀半ば頃から西洋絵画の影響により空が青く塗られだす。
そうか、確かに背景の青い屏風や掛け軸って見たことがない。
青の絵材がなかったわけではないだろう。
発想そのものがなかった。

---
アメ横で買い物。
気合いの入ったスカジャンを買いたかったのだが、なかなか見つからず。
あれこれグルグル回ってみて、どこも同じものを売っているのだということが分かる。
今ひとつ。
いくつかの店で普通に服を買う。
(そういえば今シーズン、服を買ったのは初めてだ・・・)
土曜の午後だけあってアメ横のメインの通りは混雑していた。
生鮮食品や乾物を売る店では威勢良くだみ声が飛び交う。

かっこいいスカジャンを買いたいと前からなんとなく思っていて、
4・5万ぐらいしてもいいからヴィンテージでいいもの買えないだろうか?
つうかヴィンテージって言ってる時点で10万超えるんだろうなー。
横須賀の方にでも行けばいいのだろうか?
どっか都心で見つけられないかな。

---
その後合流して蓬莱屋でトンカツを食べる。
2900円のヒレカツと一口カツしかないという例の店です。
前回はヒレカツだったので今回は一口カツ。うまい。
串カツも食べてみた。何気にこれが一番うまい。

その後アイリッシュ・パブで飲んだ。


[1902] トリノオリンピック、女子フィギュアフリープログラムを見る(あと、カーリング) 2006-02-24 (Fri)

トリノオリンピック。
青森県出身の僕としてはやはり気になるのは女子カーリング。「チーム青森」
(全員出身地が北海道っていうのが微妙ですが・・・)
上村 愛子、今井メロ筆頭に続々と撃沈する中で
日々少しずつリーグ戦で試合があって、一試合ごとに人気が出ていったように思う。
割とかわいい、ごく身近にいるような普通の女の子たちが
オリンピックという大舞台に立って、
そんで一生懸命ブラシで氷の上を磨いているわけですよ。
はっきり言って「萌え」系の競技だったと思う。日本人(男性)にとっては。
「カー娘。」とか書かれてたし。
映画化されるのもよくわかる。
「シムソンズ」が近日公開で、それとは別の企画も立ち上がっているようだ。
ソルトレイクでもそれなりに話題になってたけど、これでついにカーリングが日本でブレイクするか。
「4年後には私でもオリンピックに出られるんじゃないか」
と思った若者(に限らず中年差し掛かりの人)は結構いるはず。僕も一瞬思った。
惜しくも予選敗退。これで決勝に進んでたらとんでもないことになってたのではないか。

僕が次に青森帰ったら猫も杓子もカーリングやってたりして。
なんかいきなりカーリング王国、青森。
駅前の繁華街をブラシを持って歩くのがおしゃれ(一頃の女子ラクロスのように)。
中高の体育でも採用。カーリングのできる男子生徒が大モテ。
・・・ま、ねえな。

---
そして女子フィギュア。

一昨日の朝起きてテレビをつけたら安藤美姫が終わったばかりで悔しい思いをする。
なんのかんの言っても今回のオリンピックの華じゃないですか。日本人選手の中では。
僕だってそりゃ見たい。

その後見てるうちに荒川静香が出てきてショートプログラム3位に入る健闘。
あれはいい滑りだったなあと思う。
これはひょっとしたらいくかもね、と今日の朝午前5時に起きてフリープログラムを見る。

安藤美姫の入っている組がちょうど始まる。
ショートでよろけたらしいじゃん、フリーはどうなることやら。
4回転ジャンプは出てくるのか?うまくいくのか?
ものすごくハラハラする。生きた心地がしない。勝手に親の気持ちになってる。
・・・結果、転倒。
その後全然ダメで何をやってもぎこちなく、見てて痛々しかった。
正直、終わってほっとした。「蝶々婦人」の鳴っている間が恐ろしく長く感じられた。
同じ組の他のスケーターを見ていても力の差は歴然としていて、土俵が違ってた。

それにしてもあのメイクとピアスと髪型はなんとかならんのか・・・
世の中の人が期待するフィギュアスケート的可憐な雰囲気じゃないよね。
(でもね、僕正直に言ってミキティの現代っ子的キャラクターはとても好きです)

この組の残る
ジョアニー・ロシェットの優雅さ、
エミリー・ヒューズのアメリカンでどんとこいなおおらかさ、
カロリナ・コストナーの、スポーツとしてのフィギュアスケートとは別な何かのある表現力。
みなそれぞれミスを連発していたものの、さすがだなーと思った。

最終組。
サーシャ・コーエンがいきなり転倒。
しかしすぐ持ち直して最後まで気迫で持っていく。貫禄の滑り。新しい女王だな。
そして荒川静香登場。
なんか神がかってたよね。勝負の神様がついているというか。
安藤美姫とはまた別の意味でハラハラする。スポーツの最も緊迫した場面を見つめるって意味で。
ノーミス。少なくとも素人の僕には何も気がつかなかった。
場内で巻き起こるスタンディングオベーション。とんでもない高得点を出して1位に躍り出る。
続けて村主章枝。僕はどっちかといえば村主の滑りの方が好きだな。どことなく潤んでて。
これまたノーミス。最後のグルグルグルグル・・・と回った辺り、
なんか全員の中で最も凄みを感じた。3位につける。
5番目のキミー・マイズナーが伸びず、荒川静香はこの時点で最低でも銀メダルが確定する。

そして最後に女王イリーナ・スルツカヤが登場。前回ソルトレイクでは銀。
世界選手権や欧州選手権では数々の優勝を誇るのに、オリンピックでは金が取れない。
スポーツの世界ではよくあるドラマだよね・・・。
僕はこのスルツカヤが女王に敵なし、
ダントツで金メダルをかっさらうのではないかと思っていた。そして有終の美を飾る。
が、序盤でまさかの転倒。
この瞬間僕は荒川金メダルか?とテレビの前で興奮して立ち上がる。
スルツカヤは女王のオーラとしてはものすごかったけど、精彩は欠いていたと思う。
素人の僕からしても本調子じゃないんだなというのがすぐにも見て取れた。

そのスルツカヤが終わる。
・・・荒川、金メダル!!
日本人、というかアジア勢では初の、フィギュアで金メダル。
表彰式で君が代が流れる。
右にイリーナ・スルツカヤ、左にサーシャ・コーエンを従えて真ん中に立つ荒川静香。
なんかすごい映像だった。

日本人がオリンピックで金メダルを取った瞬間をリアルタイムで見たのって
もしかしたらこれが初めてかもしれない。
少なくとも意識して見たのは。
早起きしてよかったよ。見れてよかったよ。まじで。
ほんと、もう、日本人でよかったよ。

それにしても今日は臨時で国民の祝日にならないものか。
世界中に君が代が鳴り響いたんだからさ。


[1901] ブッククロッシング 2006-02-23 (Thu)

会社の先輩から「ウェブ進化論」という本を借りて読む。ちくま新書。
著者である梅田望夫はシリコンバレーでの生活が長く、現在は「はてな」取締役。
この業界にいたら、以前 CNET JAPAN にて連載していた「英語で読むITトレンド」というブログか
はてなダイアリーの「My Life Between Silicon Valley and Japan」
どっちかのブログにいずれ突き当たると思う。

インターネットというものが従来の WEB1.0 から WEB2.0 へと進化を遂げていくという視点から
いかに google や amazon が革命的存在であるかを語っている。
まあ要するに google はネットのこちら側ではなく
「向こう側」に巨大なインフラを構築して
従来では考えられないような低コストでのサービス提供を可能とした、ってわけです。

この本から学んだこと、さらに興味を得て読むことになる別の本のことはいずれまた書くとして、
今日書いておきたいのは中で紹介されていた「ブッククロッシング」のこと。
ネットの向こう側で、こちら側ではなくリアルな世界での
「オープンソース現象」の例として取り上げられていた。

「オープンソース」って言うと Linux の開発がよく語られるわけですが、
ソースコードをネット上に公開して世界中の人々と共有してみんなで開発して
問題が発生するとみんなで解決に向かう、そしてそのソフトウェアは日々進化していくというものです。
知的関心の高い人たちが自発的に集まって、ボランティアとして開発を行なう。
従来のソフトウェアは企業の中で、プログラマーを囲い込んで秘密裏に、
かなりのコストをかけて開発されるものであって、そのソースコードは絶対公開しないものだった。
そこからするとオープンソースってのはとんでもない発想の転換であって、
インターネットとそれが世にもたらすものが発展する上での重要な起爆剤の1つとなった。

こういう理想的な物事の進み方がリアルな世界でもできないものか?
それが「オープンソース現象」ということになる。
世界各地の人々が自発的に集まって
無償で問題の解決に当たって、世の中をよりよいものに変えていく。

「ウェブ進化論」の中での「ブッククロッシング」に関する紹介文を引用します。
-----------------------------------------------------------------------------
ブッククロッシングとは、読み終えた本をカフェや駅などの公共空間に放置し、
その本を偶然手にした人に読んでもらい、
世界中を勝手に無償の図書館にしてしまおうという活動であり、
これも広義の「オープンソース現象」と言える。
2001年に米国で始まり、会員数は40万人を超え、
登録書籍数は300万冊に近づこうとしており、
英国の公共放送BBCも最近支援を始めた。

システムの仕組みは、
(1)まずブッククロッシングの会員になる(無料)、
(2)同サイトでステッカーを入手し本に貼って公共空間に放置する、
(3)本につけられたID番号ごとの情報を同サイトで管理する、
つまり、ID番号をたよりに、その本をどんな人が読みどんな感想を持ったか、
その本がどの場所を旅してきたかなどの記録を追跡できるかもしれない、というものだ。
-----------------------------------------------------------------------------

基本的にすごくいいアイデアだと思う。

■ブッククロッシングの団体としてのサイト
http://www.bookcrossing.com/

■日本語で紹介しているサイト
http://www.sankei.co.jp/enak/2005/may/kiji/08bccross.html
http://homepage3.nifty.com/hapilaki/bc/

このような「ブッククロッシング」の流れに乗らないまでも、
最近では地下鉄の駅で「ご自由にお読みください」って感じで本棚が置かれていることがある。
家で埃をかぶっているぐらいなら、見知らぬ誰かでもいいから読んでもらった方がいい。
しかも、その本がどういう人の手を渡ったものなのかイメージができて、
その本を読んで思ったことを共有できるというのならなおさら、いいことだ。
その本が旅してきた歴史を知るということはそれだけで1つの物語になる。

でも、どうなんだろうね。うまくいくのかな・・・
こういう動きを知っている人はごくわずかだと思う。本が好きな人であっても。
インターネット上の世界とは違うから爆発的な広がりはなくて、
緩やかにしか進んでいかないことが予想される。
誰もがすぐに思うことだけど
こういうのって現実的なコストの問題が出てくるからどうにもこうにも動きようがない。
上記の産経新聞のサイトでは、ブッククロッシングのサイトは
「サイトでステッカーやしおりなどのグッズを販売、その収益で運営している」とある。
細々と、人々の善意に支えられて進めていくより他にない。
一番の正攻法なのでそれでやっていくべきなんだけどね・・・
「ウェブ進化論」でも書かれてるけど、
google や amazon が本の中身を検索・閲覧できるようなサービスを提供しようとすると
すぐにも出版業界が「本が売れなくなる」と噛み付く。訴訟も辞さない。
でも、こういう「ブッククロッシング」の団体については誰も噛み付かない。
つまり脅威とは全然思われていない。
(そもそも「図書館の存在は出版業界の将来を脅かす」とは誰も言わんし)

そもそも僕みたいな、
・本は新品で読みたい
(あんまり人から借りたくないし、入手困難じゃない限り古本で読みたいわけでもない)
・家で埃をかぶっていてもいいから、本棚に並べていたい
という人も世の中にはまだまだ多いだろうし・・・

まあとにかく、支援とまではいかないまでも
共感を感じたのでここに書いてみました。

---
それにしても話はちょっとそれて電子書籍ってどうよ?

僕からするとあれって広まるように思えないんだけど。
本や雑誌の体裁でないと読めない。
百歩譲ってプリンタに印刷して読むか。
ニュースぐらいだったらまだ電子媒体でいいんだけど、小説の類は絶対読めない。

僕が旧人類なのかな・・・


[1900] ekys(街で見かけるグラフィティアート) 2006-02-22 (Wed)

都内在住の人ならば見かけたことがあるかもしれないが、
電信柱や街の寂れた掲示板や店の壁に白地に黒の丸っこい文字で
「ekys」と書かれたステッカーが何枚か貼られているのに出くわすことがある。
竹芝の会社の近くで先日見かけたし、住んでる荻窪でも見かけたような気がする。
注意深くあちこち出かけるたびに探し回ったりはしないが、
かなりの確率でどこに行っても遭遇しているはず。
それぐらい見慣れたものとなった。

こういうの、いつ、誰が、どれぐらいの範囲で、どんなふうにして
貼って回っているのだろうと不思議に思う。
ステッカーもわざわざ作ったんだろうな。
なんらかのグラフィティアートの集団が組織的に(かつゲリラ的に)行なっているのか。
それとも実は一個人が地道にやっているのか。

調べてみたらいくつか取り上げているブログが見つかった。
かなり核心にたどり着いたのが↓
http://778.jugem.jp/?eid=34

※GNGB というこのブログは
「ここには「ファミコン・ゲーム音楽カバーバンド」
 レビュー&リンク集(海外編)と同国内編しかないです」
 と謳っていて、それはそれですごい。
 The Protomen 気になる。

読んでみて、はー。なるほどと思う。
(ここまで調べて、情報が集まっていることに感心させられた)
並んで貼られる家からヒゲが生えているように見える絵(これは僕、記憶がない)は
どうもイカらしい。ほんとかどうか真偽のほどはわからんが。
こういうアングラなものって何がどこまで真実なのか?

---
この手のグラフィティアートは結局落書きであって
法律違反なのか否かという論議をネット上やニュースでよく見かける。

街の美化の一環として、美大卒のイラストレーターに頼んで
「きれいな」グラフィティアートを地下道の壁に描いてもらったというニュースを
以前見たことがある。
(要するに「彼ら」は空いてる空間があると埋めてしまうし、
 自分よりうまいと「リスペクト」するから手を出さないという論理)

下手なものもあれば、素人が見ても「お?クールだね」と唸ってしまうものもあり、千差万別。
後者だと、空間がそこに何かが描き込まれるのを待っていて、ピタリとはまったかのような印象さえ受ける。

どちらにせよ描かれた側からすれば落書きでしかなくて、
ほんとにうまいと情状酌量の余地が人によってはなくもない。
今の風潮はそんなところか。

真夜中にヒップでホップな人たちがスプレーをカシャカシャ振って描いてるのだろうか。
ときどきとんでもなく高い場所にあったりして、
律儀にもハシゴを持ち出して?それを仲間が下を押さえて?などと考えてしまう。

---
ステッカーでいうと、以前ライブを見たことのある
「ザ・ラジカルズ」というインディーズのバンドのを
八王子や高円寺で見かけたことがある。
他にもあちこちで見かけたことがあるような気がする。

何年か前、解散するまでライブを毎回見に行っていた「ウォンバット」の対バンだった。
なんだか忘れられないバンドだ。


[1899] 高校の同窓会って普通なにをするものなのか? 2006-02-21 (Tue)

高校のときの友人たちと mixi でつながって、・・・という話をこれまで何度か書いてきた。
同窓会やろうぜ!ってことになり、先月集まって飲んだときもその話題がメインとなった。
サイトの立ち上げは順調。つい今日の朝、できました!というメールを受け取った。
僕の役どころとしてはドメインを取得してレンタルサーバーを借りて、
プライバシー・ポリシーや FAQ のページの文面を考えた。
サイトのデザインはそれを専門で仕事としている友人が担当。かっこいいものになった。

---
mixi で引き続きあれこれ検討が続く。
最近出てきた懸案としてこんなのがある。
「開くのはいいんだけど、でもその3時間なら3時間の間に何をしたらいいんだろう?」
はた、と困る。
普通、どうしてるものなの?同窓会って。
これまで同窓会ってものに出たことがない。
僕も含めて、少なくとも今回の中心メンバーは。
仲間内で集まるようなクラス会は何度か行なわれても、
全クラス450人をターゲットとする同窓会なんて仕切るの初めて。
これまでそういうのあったのだろうか。僕らの学年では。
それすらわかってない。
ノウハウがなく、何をするにも手探り・・・。

まあそれぞれ社会人としてあれこれ経験してるから形にはなるんだろうけど。
会場を借りるとか、同窓生に案内を通知するとか、先生を招待するとか。
外堀は埋められる。
でも、じゃあその中でどういうイベントをやったらいいの?
ってことに気づいたとき、「およよ???」ってことになった。
ほんと、普通、何するものなんだろう。
乾杯の挨拶とか先生の挨拶とかがあって、終わりには締めの挨拶みたいなのがあって。
その途中の時間。
まさか結婚式の2次会じゃないんだからビンゴゲームをやっても仕方ないし。
(それなりに盛り上がりそうには思うけどね)
クラス対抗歌合戦をやってもアホらしいし。
久々に合う人たち、場合によっては10年以上も会っていない人たちばかりなのだから
そういう人たちとたくさん会ってたくさん話せばいい。
いろんな思い出話とか、「あいつどうしてんの?」みたいなやりとりはいくらでもあるだろうし。
余計なものは何もいらない。
と僕は思うのだが、それだと中だるみしそうだなあとも思う。

「それではしばしご歓談ください」とすると「イベントがあったほうがよかった」と言われそうで、
じゃあ「これからイベントをやります」とすると「ずっと話だけしてる方がよかった」と言われそう。
どっちもありそうな感じがする。

クラスで1人ずつ代表を決めてスピーチをするとか考えたけどそれはそれで寒そうだし。
10クラスもあって10人もいたらさすがに飽きるというか半分以上聞いてないだろう。
それとも内定式や入社式の後の懇親会でやるような友だち作り系ゲームか。
(僕自身はこういうのだいっ嫌い)こういうのやりそうな雰囲気になったら断固阻止。
お盆の時期なんで、まあ出席できるかどうかわからないんだけど。

・普通同窓会ってこんな流れです
・こういうイベントがあります
・こうすると盛り上がります
・こうすると盛り下がります
・高校の同窓会の連絡が来ても、○○を理由にいつも欠席している

などなど経験のある人はぜひとも教えてください。
よろしくお願いします。


[1898] 滋賀園児殺害事件(グローバル化ってこういうこと?) 2006-02-20 (Mon)

滋賀の幼稚園で園児2人が殺傷された事件。
犯行に及んだのは同じ幼稚園に娘を通わせていた母親だというのが世間に衝撃を与えた。
娘が他の園児となじめない、母親もまた他の母親となじめない、
しかも言葉の壁もあって気軽に周りと相談もできない。
心に壁を作って(作られて)、追い詰められての突発的な殺人。

「自分の娘がほかの子どもとなじめないのは、周りの子どもが悪いからだ」
「このままでは、娘がだめになってしまう。だから、子どもを殺した」
(京都新聞のサイトより引用。
 http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2006021900071&genre=C1&area=S00
という自供を読むとほんとやりきれない。

刺身包丁で2人の幼い命を奪ったという事実は事実だし、どうすることもできない。
月並みな感想だけど、こういうことが2度と起きることのないような社会になってほしい。

人からあれこれ聞くにつけて子育てというものはかなり大変なものであるし、
それが言葉が皮膚感覚で伝わらない異国ともなるとなおさら大変だ。

裕福な人たちが異国に移り住んでそこで子育てというのは昔からあった。
そこにはそういう人たちのネットワークが形成され、交流が図られる。
仕事の都合上同国人が全くいない地域に移り住んだ場合、
そこの人々に受け入れてもらうようにする。
外国人が日本で暮らすのも一緒。
一昔前はそういうことができる人は限られていたし、
豊かな経済力があれば異国で生活を築くという行為はどうにかなった。
でもそれはあくまで、「一昔前」の話。

グローバル化ってこういうこと?
これからは様々な社会階層の人たちが仕事を求めてあちこちの国に移り住み、
その国で生活しようとする。
そこには摩擦が生じやすいので今回のような事件が発生しやすくなる。
(そういえば日系ペルー人が広島の小学1年生女児を殺害した事件はその後どうなったのだろう?)

これは日本という国がある種閉鎖的だからなのか?
そういう構造を持っているからなのか?
他の国の人が他の国に移り住んだとき、同じような事件が発生しているのか?
例えばアメリカにヒスパニック系の移民が急増したときに
それと同時にあれこれの事件や問題が急増したとされる。
これも同じことなのか。規模が違うだけなのか。
日本はまだ移り住んでくる人、発生する事件がまだまだ少ないから
ニュースとして取り上げられるんだけど、
もしかしたらグローバル化著しいアメリカでは悲惨な事件は日常茶飯事?

日本だからこそ起きやすい事件なんだけど、
日本だからこそまだその数は少ないし、少ないままでいられるのではないかって結論になるのか。
移民・難民を寛容に受け入れる雰囲気はこれから先もあんまりなさそうだし。

片やインターネットが発展し
地球上のありとあらゆる場所で発せられる意見がリンクするようになり
コミュニケーションの壁は取り払われつつあると喧伝されているが、
というか実際そういう世の中だが、
リアルの世界では全く別種のグローバリゼーションが進行しているようだ。
どちらにせよ「穏やかな地域社会のルール」とでも呼ぶべきものが
機能しなくなりつつある。
というか生活を貫くメインのルールではならなくなりつつある。

こういう世の中になったとき、
意識的に小さなコミュニティで閉じていくことによって
身を守ろうとしていく人も出てくるだろうし、
コミュニティという概念を皮膚感覚で必要としなくなる人も出てくるだろう。
僕が小さなときと比べて、いろんなことが過渡期にあるような気がする。
これって、21世紀の始まり、最初の10年間という時代のせいでもあるように思う。


[1897] 一松で寮の飲み会 2006-02-19 (Sun)

昨日の夜、小平市「一松」にて寮の飲み会。
サイノウさんの「結婚おめでとう」が趣旨となる。
寮時代の仲間が集まる。
今回の集まりのことは「公開処刑」と呼ばれていただけあって
サイノウさんは予告どおり豪快にぶっつぶれて、
帰りの西武多摩湖線・中央線はサイノウさんの周りをみんなで取り囲んで大変なことになる。
「酔ってねえよ!一人で歩けるって言ってんだろ!ウィーッ」ってな感じ。
その次の瞬間には誰彼構わず「来てくれてありがとう」と握手を求める。

飲んでる間は恒例の「自己紹介」「近況報告」「えぼし」を
1人ずつお立ち台に立ってやって、飲んで飲まされる。
十年一昔のお約束の持ち芸やネタが披露され、「またかよ」と言いつつもゲラゲラと笑う。
あいも変わらず各自の女性論が槍玉に挙げられ、
モラトリアムと社会的責任の引き受け方について議論が戦わされたりする。
もちろん僕もお立ち台に立つ。
これといって話題もなくあっさりとしたものだったけど。

僕はこの日、写真係に徹した。
寮時代はあれだけ飲み会を開いていたのに、
誰も「写真を撮る」という発想が無かったため残っている写真が少ない。
寮の飲み会がどれだけ激しいもので、どれだけ楽しいものであったか
言葉で語ってもあんまり伝わらなくていつももどかしい思いをする。
今からでも遅くはないと今回撮ってみた。
ついでに始まる前に大学に行ってすっかり様変わりした校舎も撮ってきた。
校舎というよりもあれはただのマンションでしかないけど。

寮を出てもう10年以上経過してるのか。
年収の格差もハンパじゃなく生じた。
フリーターから、「キャッシュでマンション買いました」まで。
1人ずつ包み隠さず年収を言いあう。
僕は平均的なところだった。

「一松」はもう現役の学生が飲みにくることはあんまりないようで、
店はおばちゃんが1人で切り盛りしていた。
女子寮生が日替わりでバイトしてたもんだけど、いつのまにか途絶えていた。
僕らみたいな昔を懐かしむ世代がメインの客となるのか。
上の2階で飲んでたら下にはたまたま僕らの代の寮委員たちが来て飲んでいた。
ものすごい偶然なのか。
途中から合流して一緒に飲んだ。
僕ら年に一回会ってる北2Aブロックの連中は
お互いに「こいつら変わんねえな」と思ってるんだけど、
久々に見た寮委員は太ったり年取ったり、それとなく変わっていた。
もうみんな30を超えている。

それにしてもいつも書いてんだけど、
こういう集まりに来るメンバーがこのところ半分以下に固定されてしまって
それも少しずつ少しずつ、一人減り二人減り、疎遠になっていく。
ただ単に関東近辺から移ったという人もいれば、
どうにもこうにも仕事が忙しいという人もいてそれはまだいいんだけど、
言葉通り行方不明になった人もちらほらと。
みんながそのことを寂しく思う。
寮時代はあれほどの結束を誇ってたのに、
疎遠になるっていうのは「結局それだけのものだったんだな」と。

---
せっかくの写真をフォトログにしてみました。
ちょっとでもあの頃の雰囲気が伝われば・・・
http://gazz.221616.com/bg_uentrydtlinp/blog_id-1361/entry_id-9341/


[1896] だらだらと、チャット記録 2006-02-18 (Sat)

昨日の夜は荻窪で飲んだ。
前から気になっていた教会通りの店へ。
1軒目は「東京 三猿(トウキョウ スリー モンキーズ)」
和風のダイニングバーってことになるのかな。
http://www.tokyo3monkeys.com/

2軒目は「Bar Switch」
大人向けの、ジャズやソウルのかかってる渋い店。
http://www.kyokai-dori.com/switch/

午前2時までゆったり待ったりと飲んで
例によって僕が眠りだしてお開き。
(酒に酔って眠るのではなく、ただ単純に非夜更かし体質)

荻窪で飲むのって、デラ君にベースをあげるってんで来てもらって飲んだとき以来。
それも4・5年近く前のことだ・・・
基本的に誰と飲むにも僕が「行く」方だからな。

今日の朝起きるも、微妙に眠くて二日酔い。
それでも通院のため浜松町へ。
帰りに昼、新橋に寄って「せんば 自由軒」にてインデアンカレーを食べる。
ウスターソースをかけて、のっかってる生卵と一緒にかき混ぜる。おいしい。
新橋のお客さんのときには何度か来たことあったけど、いつもオムライスとかだった。
カレーは食べたことなかった。不覚だ。

帰ってきてPCを立ち上げると、友人からメッセンジャーが届く。
今日はぐったりしてるので、以下そのやりとりを載せておしまい。

(これまで年に1回程度その都度相手を変えて
 メッセンジャーのログを載せてるわけですが、こういうの楽でいい。
 我と思わん方は申し出てくれると嬉しいです)

-------------------------------------------------------
トモダチ: あっオカチャンだ
トモダチ: イエーイ
オカムラ: イエー
トモダチ: 会社?
オカムラ: 家ー
トモダチ: ハウス?
オカムラ: アパート
トモダチ: 休みなんだ、いいねえ・・・・
オカムラ: イエー
オカムラ: 会社?
トモダチ: そだよ〜
オカムラ: さっき俺浜松町にいて帰ってきたばかりなんだよね。
トモダチ: あっそうなの?
オカムラ: 知ってたらメシでも食ったのに。
トモダチ: なんだあ。
オカムラ: シゴトじゃなくて通院で。
トモダチ: 基本的に日曜以外は浜松町にいます
トモダチ: 病院?浜松町に?
オカムラ: 椎間板ヘルニア
トモダチ: あれま!
オカムラ: 前から。
オカムラ: 週に2回か3回通ってる。
トモダチ: 痛い?
オカムラ: もうだいぶましになったんだけど、肩とか腕が微妙に痛い。
トモダチ: 週に2.3回って大変そうだね・・・
オカムラ: 平日に通いたいから浜松町にしたんだけど、
トモダチ: うん
オカムラ: 今は神保町で常駐だし、何かと大変。
トモダチ: あー
トモダチ: 整体みたいなこと受けてるの?
オカムラ: オウムのヘッドセットみたいなのを頭につけて
トモダチ: おお
オカムラ: 首(頚椎)をひっぱる。
トモダチ: おおおお
オカムラ: 10分間。
オカムラ: あまり、人に見せられない姿です。
トモダチ: なんかすごそう・・・
トモダチ: でも効果あるんだ・・・
オカムラ: あるね。首を伸ばすと、スーッとする。
トモダチ: パソコン向かって姿勢固まってること多そうだから
オカムラ: 病気じゃなくても、なかなか健康にいいとおもう。
オカムラ: そうそう。パソコン向かってるとね。

トモダチ: 運動したいねえ
オカムラ: スキューバやってるからいいじゃん。
トモダチ: 運動?って感じしないんだよねえ
トモダチ: 汗かかないし
トモダチ: 運動というより、脱力
オカムラ: そうだね。スポーツとはちょっと違う。
トモダチ: 脱力&呼吸
トモダチ: 癒しだね。
オカムラ: ダーツとかビリヤードとかボーリングをスポーツと呼ぶか?
オカムラ: というのとちょっと近い。
トモダチ: ボーリングはスポーツっぽい
トモダチ: なんとなく・・・
オカムラ: 「スコア」があるとスポーツっぽい?
トモダチ: ボール投げる所が・・・・
オカムラ: ビリヤードも球技なんだけどな。
トモダチ: はははは
オカムラ: なんでアーチェリーはスポーツでオリンピックもあるのに、
トモダチ: うん
オカムラ: 似たようなダーツはだめなのか。
トモダチ: あっそうだね
オカムラ: でしょ?
トモダチ: うん。

トモダチ: 少し話し違うけど、接待ダイビングってあればいいのにって思う
トモダチ: 接待ゴルフじゃなくて
オカムラ: それ何スンの?
トモダチ: お客さんにダイビングさせるの
トモダチ: 接待で(笑)
オカムラ: ダイビングする人ならいいけど、
オカムラ: やらない人には酷じゃねえか?
トモダチ: だから、ダイビングがゴルフ並みにメジャーになればいいのにって。
トモダチ: お金は同じくらいだし
トモダチ: 老人にもできるし
オカムラ: そうだなあ。
オカムラ: 「認知されてる」って意味ではメジャーなんだけど、
トモダチ: うん
オカムラ: 「実際の人口」は少ないよね。
トモダチ: そうなんだよね
オカムラ: 俺もやってみて思ったけど、あれは金かかりすぎるわ。
オカムラ: 趣味をアレ1つにしないともたない。
オカムラ: だから僕には無理だった。
トモダチ: まあね・・・
オカムラ: もっとお金がかからなくて、ある日ふと「やるか」ってんで
オカムラ: ふらっとできたら僕も続いたんだけど
トモダチ: でも、今私の行ってるショップ、器材レンタル無料なんだ
トモダチ: 潜り代だけだよう
オカムラ: 機材無料?でも年会費とかあるんじゃないの?
トモダチ: ないない
オカムラ: へー。いいね。
トモダチ: 2ダイブ¥12000位
トモダチ: 手ぶらで行けちゃう。
オカムラ: でも僕も忘れちゃってるからなあ。
オカムラ: せっかくライセンスとったのに。
オカムラ: 運転免許証と一緒だ。
オカムラ: ペーパーダイバー。

トモダチ: 何年ぶりとかで来る人多いよ
トモダチ: 簡単な潜り方から徐々に慣らしてくれるよ
トモダチ: 今度みんなで行くか!!
オカムラ: あー。
オカムラ: 行きたいといえば行きたいな。
トモダチ: 少し気合い入れれば、パラダイスです。
オカムラ: 俺、MAUIでとったんだけど、PADIで潜らせてくれるの?
オカムラ: 敵対関係にあると思ってんだけど。
トモダチ: 大丈夫だよ
トモダチ: ライセンスさえあれば。
トモダチ: どこのでも
オカムラ: MAUIのインストラクターはPADIのこと悪く言ってた。
トモダチ: なんでやねーん
オカムラ: なんかそういうのも、ダイビングに遠ざかった理由のひとつ。
トモダチ: そんなんは全然感じ無いなあ。雰囲気はショップによるらしいよ
オカムラ: ちょっと待って。ライセンスがそもそも今見つからない。
トモダチ: 紛失・・・・・?
オカムラ: あーそうか。
オカムラ: 紛失するとどうなるの?
トモダチ: ????
オカムラ: 再発行?取り直し?
トモダチ: ライセンス番号がわかれば再発行してもらえるのでは・・・・?
オカムラ: でもそれでもらえるってのも変だよな。
トモダチ: 取得したショップに聞いてみれば?
オカムラ: もう何年も行ってないからな。
オカムラ: メール来ても無視してるし。
オカムラ: 行けば行ったで、「うちで潜れば」って話になるし。

オカムラ: つうか今ほんとに仕事してんの?
オカムラ: 電話番?
トモダチ: じゃなくて、
トモダチ: 今日はわりとヒマなのだー
オカムラ: 帰れば?
トモダチ: 一応定時6時半だもーん
オカムラ: 休日出勤?
オカムラ: うちの会社だと休日はいつ来ていつ帰ってもいいけど。
トモダチ: 休日?
オカムラ: 土曜は休みじゃない?
トモダチ: 土曜普通に出勤
トモダチ: 今まで一度も、週休二日って体験したことない
オカムラ: あ、そうなのか!
オカムラ: じゃ、今年土曜が祝日の日が4日あるじゃん。
オカムラ: 俺なんかだと、「ちぇっなんだよ」
オカムラ: って思うんだけど、(トモダチ)は恩恵をこうむるのか!?
トモダチ: そういうことかもね
オカムラ: さすが(ある種)ガテン系・・・
トモダチ: でも、「祝日」はわりと出勤。
トモダチ: 代休もらえるけどね
トモダチ: あ〜
オカムラ: でもだんなは土曜休み?
トモダチ: そう。
オカムラ: 新妻をおいてダイビング行っちゃうんだ?
オカムラ: 新妻でもないか。
トモダチ: 戸締まりじゃない、取締役は土日休み〜
トモダチ: 晩婚です
オカムラ: 取り締まってるねえ。

オカムラ: 前にも言ったけど、(トモダチ)は人生の勝ち組だよ。
トモダチ: なんらそら
オカムラ: 少なくとも負け犬ではないだろう。
トモダチ: 勝負すらできてんのかわからんぞ
オカムラ: なんつうか自分の人生に勝ったのではないか?
トモダチ: ええー?
オカムラ: いやー勝ってるよ。他の大多数の人々に比べれば。
トモダチ: 全然勝ってないよお〜
トモダチ: だってぜんぜん思った通りになってないもの。
オカムラ: でも負けてないでしょ?
トモダチ: え〜?
オカムラ: えー。これ以上何を望む?
トモダチ: 負けてるかもお〜
トモダチ: おれっち・・・・・まけてるかもお〜〜〜〜〜!!(気づいちゃった)
オカムラ: ごめん。
オカムラ: じゃあ俺も負け組。
オカムラ: ↑何のフォローにもなってない。
オカムラ: つうか
オカムラ: なんかそれ、「私まだエベレスト上ってない」って言うようなもんじゃないか。
トモダチ: ええええええ〜〜〜〜(爆)
トモダチ: ヒマラヤいってきます。
トモダチ: 一緒に、ヒラヤマ目指そう!!
オカムラ: 俺小さいころ、ヒマラヤが言えなくて、ヒラヤマって言ってた。
オカムラ: 「せかいいち、たかいやまはヒラヤマです」

オカムラ: 仕事戻りたまえ。
トモダチ: ありがとう。おいら実は負けてることに気づいたよ
トモダチ: さっ、ダメ上司仕事に戻りまーす
オカムラ: 部下を叱責してくれ。
オカムラ: 意味もなくプリプリ怒ってるとか。
トモダチ: 叱責!叱責!
オカムラ: 断罪!断罪!
トモダチ: 叱責されないように気を付けます・・・・
トモダチ: じゃあねえ
オカムラ: じゃあね。


[1895] 神田「ほん田」・絵文字 2006-02-17 (Fri)

昨日の夜神保町の顧客のオフィスを出て、
会社の人たちと神田の方まで歩いて「ほん田」というラーメン屋に入った。
とにかく安い。ラーメン300円で大盛りは無料。
半チャーハンのセットにしても450円だったかな。
昼はゆで卵がサービスでついてきて、夜は半餃子がサービス。
ありえない。「価格破壊」という言葉を久々に思い出す。
神保町・神田界隈は学生が多いからこういう店が成り立つんだろうな。
昼は行列になっているようで、夜に行っても満席。
学生とサラリーマンばかり。
僕は「スタミナ丼」を注文する。こういうメニュー大好き。
この手のラーメン屋に入ったら注文しないではいられない。
豚ばら肉とニラと玉ねぎをタレで炒めたようなやつ。
これで生卵が乗ってたら言うことないんだけどな。
でもうまかった。こういうジャンクな食い物はいくつになってもやめられない。
「大盛りにしますか?」と聞かれて「いや、普通で」と言ったんだけど、
それでもかなりがっつりな量。しかもしつこく脂っこい。
今日の朝、午前3時に胃がもたれて目が覚めた。こんなの初めてだ。

僕の中では神保町界隈では
「いもや」「さぼうる」「味噌や」に続くホームランだな。
他のメニューも食ってみたい。
ジャンボラーメンってのがあって、15分で完食したらただになる。
完食しなくても750円。安い。
僕ならいけそうだ。
「まんてん」の裏メニュー、ジャンボカレー全部乗せも制覇したしな。

---
話はがらっと変わる。
絵文字のエキスパートとでも呼ぶべき人が世の中には大勢存在して、
mixiや Gazz ! のような SNS サイトではちょこっとしたコメントでも
絵文字を駆使して書き込まれる。
いつもいつも「すげー」と唸らされる。

達人、モンプチ先生が使用されていたものをいくつか(こっそり)ピックアップしてみる。

(* ̄ノ∀ ̄) <

(´▽`*)アハハ

・゚・(ノд`)・゚・。

バンザーイ!! ★\( ̄▽ ̄ )/クル\(   )/クル\(  ̄▽ ̄)/★バンザーイ!!

∵ゞ(>ε<;)ぶっ

(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

(;゚д゚)ァ....

(*´・д・)(・д・`*)ネー


すごいもんだよね。
もちろん自分で作ってるのではなくてネット上でテンプレートが出回ってんだろうけど。
こういうの思いついてサクサク作れる人ってすごいよな。尊敬する。僕にはできない。

というか僕のポリシーとしてこういうの使わない。と心に強く決めている。
(笑)なんてのも使いたくない。
言葉の連なりそのもので
「今、自分は笑っている」というのを表現できなくてはならないと思っている。
文章修行の一環として。

でも絵文字の威力は無視できんよな。
こういうのってインターネットならではだ。


[1894] 岡村訳「Pale Blue Eyes」 2006-02-16 (Thu)

冬になると、Lou Reed の歌が聞きたくなる。
先日、何年かぶりに The Velvet Underground の3枚目を通して聞いた。
ヴェルヴェッツの中では2枚目「White Light / White Heat」が一番好きなので
これはさすがによく聞く。というか「Sister Ray」だけを。
もちろん、1枚目の「The Velvet Underground & Nico」もよく聞く。
「Sunday Morning」と「All Tomorrow's Parties」が入ってるから。

これまで3枚目の「The Velvet Underground」のことは
地味で起伏に乏しいアルバムだと思っていた。
しかし久しぶりに聞いてそのよさがわかった。
一人きりの夜、これは繰り返し聞ける。
寂しげな Lou Reed の声が、心にそっと染み渡る。

このアルバムの中で有名な曲はなんと言っても「Pale Blue Eyes」
訳してみたくなった。

なんとなく、「僕」「君」ではなく、「ボク」「キミ」にしてみた。
英語的によくわからない言い回しが多かったので、かなり意訳。

---------------------------------------------------------
時々、うれしい気持ちになるんだ。
悲しい気持ちになることだってある。
そしてまた、うれしい気持ちになって、その繰り返し。
だけどほとんどの場合、キミはボクを狂おしい気持ちにさせる。
そう、キミのことを思うと、どうにかなってしまいそうになる。
今、ボクの心の中に映っているのは
キミの寂しそうな瞳。
キミの瞳の中をボクはさまよっている。

キミのことを高い山のてっぺんのように思う。
キミはボクにめくるめく思いをさせてくれた。
そんなキミがボクの全てだと思っていた。
だけどボクには手が届かなくて、
いつかキミのことを見失ってしまった。

もし、この世界をボクが見たままに
風変わりで嘘のないものにできるのなら
ボクの目の前に置いた鏡の中にキミを立たせる。
そう、ボクの目の前に置かれた鏡の中に。

人生ってヤツを笑い飛ばすことができたら。
彼女は言う。お金ってなんだか私たちに似ている。
嘘つきで、何の役にも立たない。
そう。みんなみんな、どうにでもなってしまえばいい。

キミがボクにしてくれたこと、ボクがキミにしたこと。
全てが昨日という過去へと消え去っていった。
そしてボクは1人きりでもう1度そのことを思い返してみた。
事実は単純だ。キミは結婚していて
まあ要するに「いいトモダチ」でしかない。
そしてそれは過ちであって、罪深いとさえ思う。
今、ボクの心の中に映っているのは
キミの寂しそうな瞳。
キミの瞳の中をボクはさまよっている。


[1893] 浪人をしていたら 2006-02-15 (Wed)

この時期駅や電車は予備校の広告一色となる。
さすがにこの僕も受験というものが遠い昔の出来事となり、
この手の広告を見かけても反応を示すことがなくなった。
大学時代なんかはあれこれ考えたものだったけど。

現役生のときに受けた大学がことごとく落ちて浪人生になっていたら
人生は今頃違っていたのだろうなと思う。
入った大学は少なくとも年度が違うだろうし、
大学そのものも変わっていたかもしれない。その可能性も高い。
そしてそれは出会う人たちが全然違っているということを意味する。
いつも言ってることだけど、大学以後に出会った人たちが僕に与えている影響は大きい。
ものすごく大きい。
寮で出会った人たち、勉学の場で出会った人たち、バイトでであった人たち、
映画サークルで出会った人たち。

予備校に通ってたらそこで出会う人たちってのがいるんだろうな。
浪人していた人たちは高校の友達だけじゃなく
予備校の友達ってのもいて、それはちょっと羨ましかった。
入学当初に再会して「おまえもここ受かってたのか!!」みたいな場面に何度も出くわした。
実際現役生よりも予備校生のほうが友達の幅が広かったように思う。

僕が大学に落ちていたら。
青森で自宅生なんてできるわけがなくて
(塾も予備校もやり手のものはないから参考書と問題集に頼るしかない)
みんなと同じように仙台の予備校で寮に入ることになる。
駿台か代ゼミか河合塾の御三家。
(今でもこの3つが御三家なのだろうか?)
話を聞くと時々集まって飲んでたりしたそうだ。
そうだ、センター試験の後からすぐにもどこの予備校にする?って話をしている連中がいて、
結局そいつらのほとんどが高校の卒業式の頃、どこの予備校にした?って話をしていた。

僕は予備校に入ってたら、性格的に猛勉強していたように思う。
たまにロックのCDを聴いて、小説を読んで、映画を見るだけ。
あとは1日に15時間ぐらい勉強してただろうな。
志望校は夏の辺りで東大に変えて。
もし「浪人したら絶対東大に入れるけど、どう?」って運命の神様に囁かれたら
そのときの僕はどうしただろう?
そっちを選んだだろうな・・・
人によっては「今年はダメだけど来年なら」という4カ年計画で大学を考えていた人もいると思う。
でも母子家庭の僕は「浪人してはいけないよな」という雰囲気を感じ取っていたから、
とてもじゃないけどそんな選択ありえなかった。というか当時考えもしなかった。
夏から短期集中決戦でどこまで行けるか?
そんなだったからうまくいったのかもしれない。

さらにあと一年となったら途中で息切れして、ストレス溜め込んで人間がゆがんで、
犯罪行為すれすれのことが隠れた趣味となっていたかもしれない。
僕の性格からすれば、そっちもまたありえる。
あちこちに卑猥な落書きを書くことに始まり、万引きがやめられないとか、
放火の味を覚えるとか・・・。すれすれじゃなくて犯罪ですね。
性欲の対象もゆがみそうだ。寮の部屋で悶々としてそうだ。
そう考えると、浪人しなくてよかったもんだ。

今思うと浪人をしてた人のほうが世の中を1年か2年多く見ていた分、大人だった。
(現役生たちは多かれ少なかれナイーブなところがあった)
それと同時にどこかしらマニアックな言動の人が多かったように思う。


[1892] ジェレミー 2006-02-14 (Tue)

そこには宇宙空間が広がっていた。
漆黒の闇。
その遠く向こうにとてつもなく大きな存在が真っ白な光を放っていて、
さらにその背後には無数の、透き通った輝きがあった。
ジェレミーは目を閉じた。
裂け目に向かって、強い力で体が引っ張られていくのを感じた。
風に煽られるような。突風が吹き荒れて裂け目の中へと吸い込まれていく。
足元を救われて倒れこむとジェレミーはモールの床にしがみついた。
何か右手に触るものが、しっかりと床に固定されていて引っかかった。
恐る恐る目を開けると、ショーウインドウには亀裂が走っていた。
そのささくれ立った筋が天井に向かって伸びていった瞬間、大きな音を立てて粉々に砕け散った。
とっさにジェレミーは両腕で顔を覆った。
分厚い破片がいくつか勢いよくぶつかってきた。
中に飾られていたジャケットや冬物のコートが鈍い音を立てて空中を飛び交う。
つかまるものがなくなって体が強い力で引きずられる。
あわてて床の上を手探りで探すが、ガラスか何かの破片以外に見つからない。
片手で顔を覆いながら薄目を開ける。強引に身をよじって背後を見つめる。
裂け目はさらに広がっていた。
マネキンがフッと吸い込まれるところだった。
いや、もしかしたら生き残っていた誰かなのかもしれない。
そうだ、もしかしたらあれは・・・
その瞬間、ジェレミーの体は浮き上がっていた。
ふわっとした感覚に包まれたのも最初だけ、
次の瞬間には全身を無理やり持ち上げられ、空中の一点に向かって運ばれていた。
その速さとか体を貫く強烈な痛みを感じている余裕はなかった。
最後の瞬間に目にしたものは真っ暗闇の向こうに浮かび上がる青と白の惑星、地球の姿だった。
地球は大小さまざまな裂け目で覆われ、かろうじて球体を保っていた。
ジェレミーは宇宙に放り出された。
分解された細胞の一つ一つが燃え尽きていった。

---
試しにこういうの書いてみたんだけど、難しいもんだ。
まだまだ全然文章能力が足りないな、ということを思い知らされた。
今日これから一日仕事しなきゃいけないのに、朝からものすごくへこんだ。
基本的にリアルなアクションものは書けない。
臨場感ないよなー。

テーマは超ミクロなブラックホールに飲み込まれた地球。
地球最後の日。
そこでは次元がゆがめられている。
時間と空間が瞬間的に奇妙な接合を果たし、すぐにも破綻する。

修行あるのみ。
またこういうの書こう。次はSFっぽくないやつ。


[1891] ノイズ/無音 2006-02-13 (Mon)

誰もいない部屋にテレビというか
モニター/スクリーンが置かれていて、スイッチはONになっている。
だけど何も映ってなくて真っ白なままか、ノイズ、
あるいは何らかの映像が映っている。無音で。
こういう光景がときどき映画の中に出てくる。
最近だと何かな、ヴィクトル・エリセの
「マルメロの陽光」の中に出てきたのを見たなあ。

こういうの妙に惹かれる。
それってたぶん僕だけじゃなくて、割といるのだと思う。
でなきゃそうそうお目にかかるはずがない。

何かのメタファーであることは間違いない。
現代社会におけるメディアやテクノロジーの空虚さ?
人間が潜在的に抱えている「孤独」に対して、
メディアやテクノロジーは本質的に無関心であるということ?
ま、だいたいこういうところかな。

ポイントの1つに、「音がない」というのもあると思う。
人はあるべき場所に音がないと不安に感じるもの。
映画でも「無音」は大事な、見てる人に印象付けたいときに使われる。
雑踏の中、子供たちのにぎやかな笑い声、派手に鳴らされるクラクション、
主人公はそこに子供を殺害した犯人を見つける。探しに探した末に遂に出会う。
その瞬間、無音になったりしますよね。

意味のない映像が羅列されたり、完全なノイズとなっているというのも、
映画の中のスクリーンにちらっと出てくると魅力的に感じらるのはなぜなんだろう?
実生活でそんな場面に遭遇したら鬱陶しいだけだろうけど。

映像はノイズ、かつ、無音という組み合わせがうまくいくとドキッとする。
あーなんか次はそういうの作りたくなってきた。
逆に、映像はブランクなのに音だけが続く場面があったり。
そういうのが交差する映画。
頻繁にそういうのばっかりだとあざといけど、ここぞというところで。
(というか前の映画にも、その前の映画にも「無音」はあったな)

ああ、あとは誰もいない部屋というのを
ものすごく意味のある場面にするというのをやりたいな。
これ、難しい。
「人のいない部屋」ならばすぐにも用意できて
カメラをセッティングしたらすぐにも撮れるけど、
ただの「人がいないだけの部屋」にしかならない。
人の痕跡が残っていて、その不在の重みが忍び寄ってくるような状況じゃないと。
どうやって撮ればいいんだろう?
アングル、照明、小道具。
前後のシーンのつながり。
難しいね。。


[1890] 天気のいい土曜日 2006-02-12 (Sun)

椎間板ヘルニアの治療のため、
昨年12月より会社の近くの整形外科へと毎週土曜午前中に通院。
昨日行ったら病院がしまってた。
というか病院といっても
各診療科が独立した小さな医院となったのが集まっているフロアなんだけど、
行ってみたらエレベーターから降りてすぐのフロア入口のシャッターがそもそもしまってた。
なんでだろう??と不思議に思う。
エレベーターを降りてビルの外に出てしばらく歩いてから初めて気がつく。
建国記念日で祝日だったわけだ。
今年は祝日が土曜にぶつかるのが4回もあるハズレの年で、その1回目が昨日だった。あーあ。
あと3回もあるのか。そのたびに歯痒い思いをするのか!

わざわざ来たのになんだかな、って思ったので竹芝の本社に行く。
この日の作業で必要な電卓が机の中、常駐先に持って行きたい本もある。
わざわざ取りに戻るほどの物でもないんだけど、こんな機会でもなければ、ってとこで。
天気がよかったので竹芝桟橋にふらっと上がる。
川の向こうのお台場の写真を携帯で撮ってみようかと。
ちょうどクルーズの大きな船が出航したばかりで、
大勢の人が桟橋の手すりにもたれて眺めていた。
霧笛がとどろく。雲ひとつない青空の下を大きな白い船が桟橋を離れる。

会社の中へ。フロアには誰もいない。がらーんとしている。真っ暗。
なんとなくこれも写真に撮る。
僕が新人とか若手と呼ばれていた頃は
昔は土日だろうとけっこう多くの人が普通に仕事してたものなのに。
時代は変わった。
机の上にキムさんから「オカムラへ」と貼られた小さな袋が置かれていて、
開けてみると手のひらの上に乗るような小さな、ピンク色の造花の鉢植えだった。
(この辺りの用語弱いので適切な表現できず)
なぜゆえに?誰から?
まさかキムさんが僕のために買ったのではあるまい。
「???」と頭の中クエスチョンマークだらけにしてフロアを出る。

神保町に移動して、仕事。
本当はスケジュールの見直しがなされたのでクリティカルな作業はなかったのだが、
金曜にあれこれポカをやらかしていたので
月曜の朝までに必要な資料をことごとく作れずじまいだった。
それを土曜に作る。とほほ。でも仕方ない。
「やれますよ」「すぐできますよ」って言ってしまって向こうはそれを期待してたのだから。
なんにせよ元々土曜か日曜のどちらかは出ることになるのだろうなと心積もりあったので
別にたいして気にならない。

浜松町の駅の前で、ふと目の前の東京タワーが目に留まる。
歩いていってみたくなる。
そのまま歩いていって近くまで。増上寺の境内にて写真を撮る。
今書いている小説でちょうど東京タワーの展望台に上るという場面があったので
中に入りたかったんだけど、そんなことしてたら時間がなくなるので今回は見送り。
蝋人形館に入ってコズミックジョーカーでCDを買ってしまう。。

今月は以前ネットで注文したCDが届いた他は、
今のところ1枚も買っていない。
まあ給料日後にはまたたくさんの量を買ってしまうんだろうけど。
欲しいCDはそりゃもちろんあるが、今すぐ買わなきゃってものでもない。

しばらく立ち止まって東京タワーを眺めた後、
仕事に行かなきゃとまた歩き出す。


[1889] 「ローリング・ストーンズ誌が選ぶ、2005年ベストアルバム50!」 2006-02-11 (Sat)

今月号の Rockin'on を見ていたら、
「ローリング・ストーンズ誌が選ぶ、2005年ベストアルバム50!」
という特集の翻訳があった。
僕が持っているのをリストアップしたら↓となった。

2. The Rolling Stones 「A Bigger Bang」
3. The White Stripes 「Get Behind Me Satan」
4. Fiona Apple 「Extraordinary Machine」
7. Beck 「Guero」
8. Bright Eyes 「I'm Wide Awake, It's Morning」
9. Sufjan Stevens 「Illinoise」
15. Gorillas 「Demon Days」
20. System of a Down 「Mezmarize」「Hypnotize」
22. Madonna 「Confessions on a Dance Floor」
24. The Mars Volta 「Francis The Mute」
26. Queens of a Stone Age 「Lullabies To Paradise」
35. LCD Soundsystem 「LCD Soundsystem」

12枚か。これって多いのか少ないのか。
普通の人からしたら多いよな。
でもたぶん昔の僕からしたら少ない。

ちなみに1位は Kanye West 「Late Registration」
普段こういうの聞かない僕でも、話題らしいと気になって
買おうかどうか迷ったんだけど結局買いそびれた。
買わなきゃ!聞かなきゃ。
37位の Missy Elliot 「The Cookbook」も聞いてみよう。

あと気になったのは
Wide Right 「Sleeping on the Couch」
ものすごく気になる。ジャケットがいい。
でも amazon でも HMV でも検索して出てこない。

それにしても最近の Rockin'on はこういう特集が多いね。
編集長が山崎洋一郎氏になってからの傾向かな。
僕はこの人とても好きなんだけど、
こういう傾向とは真っ向反対な人だと思っていた。
他の雑誌の言うことなんて聞きたかない、
俺は俺の耳だけを、インタビューした相手の言葉だけを信じる。
そういう人だと思っていた。
でも、こういう Rockin'on も嫌いではない。
最近はディスク・レビューしか読まなくなってしまったけど。

高校のときのバイブル。
この雑誌がなかったら僕の人生はまた違ってただろうな。
最初に手に取ったのが Cross Beat だったりしたらちょっと違ってるはず。
あの当時の Rockin'on は Dinosaur jr. に代表される音楽というかジャンクを
「殺伐」と呼んでいた。そして僕は「殺伐」なものが好きになった。

---
ベスト10に入っている6枚は僕としても異論無し。
そこから下は、うーん、いいのかどうかよくわからない。


[1888] サイトとしてのHMV論(を書きたいのであるが・・・) 2006-02-10 (Fri)

僕の印象として、オンラインで CD を買えるサイトとしては
HMV のサイトと amazon この2強による独占状態なのではないかと思う。
(感覚的な印象でしかないので、実際はタワーの方が売れてるのかもしれない。
 すいません。統計情報を持ってません)

HMV のサイトについてはいつか何か書きたいと思っていた。
僕が入社した当時の99年は
EC サイト構築が新時代のビジネスとしてもてはやされていた時代であって、
僕が初めて所属した PJ は CD やビデオを販売するサイトの構築を行なっていた。
そしてちょうど同じ頃、HMV のサイトがオープンした。
輸入盤がネットで買える!いちいち都内の店舗を探し回らなくてもいい!と興奮したものだ。
あれから7年。ずっと利用している。
その変遷をずっと見守ってきたつもりだ。
ときにはクレームのメールを送ったり、電話もかけた。
これまでの購入総額は100万を超える。
yahoo ! と google を抜かせば、一番見ているサイトは僕の場合 HMV だったりする。
ぼんやりと新譜の紹介を眺めていることもあれば、
普通誰も知らないようなバンドの普通誰も知らないような昔の作品を
ふと思いついて検索してみたりしている。

7年もってるってのはすごいことだ。
その間、例えばアメリカから CDNOW が進出してきて、早々に撤退した。
(その CDNOW も amazon に吸収された)
僕が配属当初に関わった EC サイトも何年かがんばったけど、
結局サービス停止となった。

時間があったら HMV のサイトについて
レポートのようなものを書いてみたいんだけどな。
IT 業界にいて EC サイト構築に主に関わってきた人間として。
この7年間であれこれ HMV のサイトも進化を遂げ洗練されてきたけど、
ユーザーの利便性、システムの合理性/コストという観点からして
ここがポイントなんだろうなと気になる点は以下の2つ。

@商品の検索とそのリスティング
A配送(パッケージング)

HMV のサイトはここの部分が定期的に作り変わっている。
試行錯誤が伺える。

@の検索はこういうサイトの「肝」ですよね。
豊富なカタログを謳っているのならそれが的確に、確実に、少ない手順で引き出せるということ。
その検索に要する所要時間がユーザーにストレスを与えないものであること。
検索結果のソートがスムーズであること。
(タイトルのアイウエオ順で最初表示されたものが、発売日や価格順で「瞬時」にソートできること)
そもそも見やすい、操作しやすいということ。
(HMV もあるとき、20件表示とか50件表示とかやめましたよね)
などなど。

こういう検索は Oracle Text がいいのか、
それとも無駄のないカタログマスタを作成して、データのメンテナンスを日々行なって、
検索のチューニングをひたすら繰り返してを地道に続けるか。

HMV のサイトはこの検索ロジックをつい最近大きく入れ替えしたように思う。
昔はひっかかったものが出てこなくなったり、
大物アーティストを検索しても出てこないというような不具合が一時期、こっそり頻発していた。
たぶん何食わぬ顔をしてバグ修正していたのではないか。
※間違いだったら、ものすごくごめんなさい。

Aは要するに物流。
今はどうかよくわかんなくて、お手軽に ASP でできてしまうのかもしれないけど
(いや、そんな簡単に適用できるわけがない)
ECサイトにおける2大障壁は決済(クレジットカード決済)と物流だった。

物流って言っても考えるべきは2種類あって、
商品・配送データの連携方法と、実際の配送。

前者について。
(HMVの場合自社で在庫を持っているから楽かもしれないけど、
 自前で在庫を持っていない会社が EC サイトで CD を売ろうとすると
 卸の会社に発注するためのデータ連携も発生して、たぶんそっちの方がめんどくさい。
 在庫の薄い商品が発注された際のステータス管理とか)
僕が新人だった頃は全銀 BASIC 手順で EDI というたいへんなものだった。
今は SOAP がメインなのかな。サイト周辺の関係するシステムとのデータ連携は。
なんにせよ技術革新がなされるたびに
速さとか安定性の追求のために絶えずそれが反映されていくから、
ずっといたちごっこが続いているように思う。・・・話が長くなり技術的になるので割愛。
(その一方でカード決済は接続先が固定的なカード会社であるわけだし、
 落ち着いてきた感がある)

で、この部分については HMV のサイトについては何もわからないんだけど、
後者の「実際の配送」ってとこで言えば
1年か2年に1回ぐらい具体的なパッケージが形状が変わっているし、
それに伴って送付状も少しずつ変わっているように思える。
以前は CD 1枚が送られてくる場合はそれがぴったり包まった分厚い封筒みたいだったのが
今はたった1枚であっても
商品を包んだビニールを底に固定したスカスカの大きな箱で送られてくる。
たぶんこれが一番合理的なんだろうな。
昔は商品の発送数量や形状に合わせて箱を何種類か用意していたのが、
「大きな箱」とたぶん「もっと大きな箱」ぐらいに淘汰されたのではないか。

もちろんこの話は単純に箱のコストの問題ではなくて、
そこに商品を詰める配送センターのオペレーターの作業効率も絡んでくる。
HMVはあるときから商品によっては24時間で発送可能となった。
これは恐らく配送センター内の大きな倉庫に売れ筋商品を置くようになったわけで、
その図書館的な棚の区分けみたいなのを工夫しないことには業務が追いつかない。
(なお、この倉庫には受注されたけどキャンセルされた商品もここにストックされているはず。
 時々マニアックな商品が24時間で発送可能となっているのはそれが理由なのだと思う)

あと、僕の記憶が確かならば、
以前はヤマト運輸だったのがサイトオープンから2・3年目で佐川急便に変わった。
これってシステム的に大きなインパクトだよな。
何かがあったのだと思う。ただ単に契約的な何かかもしれないし、
HMV の求めるサービスの質を提供できるかどうかで意見が食い違ったのかもしれない。

---
取り止めがなくて申し訳ない。文章とっちらかり過ぎ。
あれこれ書きたくて追いつかない。

まだまだあるんだよな。
調べたいし、語りたいこと。

・キャンセルされた商品の扱い。どこをどう経由してどこに収まるか。
(なお、メールか電話ではなくて、サイトからキャンセルが行なえるようになったのは
 HMVが先駆者的に速かったと僕は思う)

・バックオフィスの業務。問い合わせ管理や請求管理、売り上げ管理、顧客管理もろもろ。

・結局リアルな店舗を持ってるところがサイトを作った方が強いんだよな、
 という今となっては当たり前なこと。「ブランド」の力ってやつ。

・都内では撤退してしまった完全に落ち目な virgin は
 サイトオープン当初はネットで買えなかったし、
 買えるようにはなったものの最近サービスを終了してしまった。

・リアルな店舗と、サイトとの融合。緊密化。
 立ち上げ当初は HMV のサイトはリアルな店舗とは完全に別物って感じがあったけど、
 例えば HMV の店舗だけの初回特典(つまり、タワーや新星堂にはないという特典)が
 サイトで買っても同じようにもらえるようになった。

・ビジネス戦略の軸。
 今はどうかわからないけど、何年か前に調べた時点ではタワーのサイトって
 単純に店舗の1つという扱いをされてたんですね。
 で、確か HMV のサイトはそういう並びになかった。
 もっと大きな位置づけをされていたように思う。
 リアルに商品を販売している企業が EC サイトを立ち上げるっていうとき、
 そのサイトがどこの部門に属するのかって大きな問題ですよね。
 販売や営業のセクションなのか、それとも「新規事業」ってことでポーンと外出しされるか。


などなど。

今日はここまで。
後日、きちんと書く機会はあるのかな。。




つうか僕の言ってること、業界7年目にしてはかなり浅いよね。。


[1887] カットオーバー前 2006-02-09 (Thu)

顧客の神保町のオフィス17階。
今目の前には後楽園遊園地のジェットコースターと観覧車が見える。
その向こうに東京ドーム、その手前には30階はありそうな東京ドームホテル。

おもちゃのようなジェットコースターがゆっくりと線路を上っていって
ストンといっきに落ちていく。
観覧車が目には見えないぐらいのミクロなスピードで回っている。
ホテルのガラス張りのエレベーターが2基、絶えず上昇と下降を繰り返す。
疲れた僕はそれをずっと眺めている。
カットオーバー前。

平日の昼間、ホテルに泊まっている人たち、遊園地で遊んでいる人たち。
いいなあと思う。

世の中にはたくさんの人がいて、たくさんのことをしている。


[1886] 落ち着いたらやりたいこと 2006-02-08 (Wed)

カットオーバー6日前。
2月14日が第一弾リリース、3月14日が第二弾リリース。
(誰かが何かに当てつけたかのような意味深な日程だ)

これまで余裕ぶっこいていたのが、ここに来てズドンと来た。
首が回らなくなる。やばい。結局いつも通りやばい。

終わったらやりたいこと、やることになってること、
やらなきゃいけないことをリストアップしてみる。
こういうことを考えてなんとか乗り切る。

2月14日を越えたら、だいたい暇になるだろう。


・「ミュンヘン」を見に行く。
 「クラッシュ」「僕のニューヨークライフ」「ホテル・ルワンダ」も見たい。

・「jackass」のDVDを見ないと。ボックスセットであと2枚。

・新人賞応募のため、「海辺の記憶」の最終的な細部のチェック。3月末まで。
・新作長編「お茶漬けとマシンガン(仮)」をまたコツコツと書く。

・町田市にある「カレーの店 アサノ」で日本一うまいとされる「リッチなカツカレー」を食べる。
・あー、あと国立でスタ丼が食べたい。

・ビール工場見学ツアー。
  → 横浜のキリンの工場に行ってそのまま中華街。3月?

・10月からほったらかしのドラクエ[を終わらせる。

・自転車に乗って遠出。

・寮の連中が集まって「結婚報告会」(「公開処刑」という名目でメールが回ってる)

・映画部の年間活動何たら報告書と予算の書類をでっち上げて総務に提出。
・映画部の「みんなでショートフィルムを作ろう」企画をそろそろ動かす。
・会社で撮った「世界の終わりに」「29」「on fire」をDVDに焼いて関係者に配る。

・3月の祝日の辺りを狙って青森に帰る。正月帰れなかったし。
 何もせずひたすらダラダラする。
 最近出た村上春樹のを何冊かもってって読む。至福の時間。
・妹をけしかけて温泉に行けたらもっと最高。

・高校の同窓会のサイトを立ち上げる。
(サイト立ち上げ&当面のメンテナンスの責任者っぽい立場を先日引き受けた)
 デザインは別な友人がかっこいいのを作っていて
 僕はまずドメインを取得したり、レンタルサーバーを借りたり。
 今はFAQやプライバシーポリシーの文言で頭を悩ましている。

・何ヶ月も読んでない「Rockin'on」「Rockin'on JAPAN」に目を通す。

・ビール片手にビリヤード。

・とりあえず飲みたい。
 (しんみりと語る、ドンチャン騒ぎ、両方)
・とりあえずうまいもの食いたい。辛いやつ最高。

・今、神保町の顧客のオフィス17階から見える
 後楽園の観覧車かジェットコースターに乗りたい。


こうやって挙げてみるとけっこうあるもんで、
僕は僕なりになにかとアクティブなものなんだなと思う。


つうかこんなこと書いてる場合じゃねえよ!!


[1885] 静止画像 2006-02-07 (Tue)

夜眠っているときに見る夢を夢足らしめているものは
その流れ行く変化の有様なのだと思う。
常に様々な断片が現れては消えていく。
様々な背景、様々な人物、様々な小道具。
どうしてこうも、と思うぐらい目まぐるしく落ち着きなく変わっていく。

人は眠っている間の全ての時間で、夢を見ているわけではない。
しかもREM睡眠の全てでもない。
僕が聞いた話では、夢というものは目覚める瞬間になって形作られるのだという。
REM睡眠の間にうごめいていた潜在意識の動きが、
目覚める瞬間になって人間の日常生活にとって理解しやすいように組み立て直される?
そんなところだろうか。
(だから人は目覚まし時計の鳴る前後数秒の間に途方もなく長い時間を扱った夢を見る)

こんなことを思った。
もし夢というものが移ろいやすいものではなく、
人によっては固定したものであったならば。
夜、眠っている間、静止画像だけがその脳裏に浮かび上がっている。
変化は訪れない。
これは地獄ではないだろうか?
夢を見ている永遠に近い間の時間、一つの光景の前から逃げ出せないのである。
目を閉じてもその映像だけが広がっている。

しかもそれが見る当人にとっては意味を成す写真のようなものであったり、
毎晩その光景ががらっと変わるというようなものならまだ多少いい。
もしそれが幾何学的に意味のない図形であったり、
毎晩毎晩全く同じ映像を見続けるのなら。
そしてそこに固定した「音」まで加わるなら。
恐らく発狂するだろう。

REM睡眠時に発生した不定形なイメージの断片を
目覚める瞬間に再構成するにあたってのプロセス。
もしもここに障害が発生したら。
そう、途中で中断してしまったら、見る側には静止画像が続いているように思えるだろう。
あるいは別の障害で、音と映像が際限なくループするとか。
これはこれで別種の地獄だ。
その人は夢の中に陥って、二度と目が覚めないように思う。

色のない夢を見る人、音のない夢を見る人。
現実世界で文字通り悪夢のような体験を送って、それを夢の中で再現する人。
夢を全く見ない人。
様々な形態があって、どれもこれもデリケートな物事のように思える。

夢というものは興味深い。
僕の場合、年々関心が深まっていく。


[1884] 流刑地にて 2006-02-06 (Mon)

雪原を走る鉄道が、遠くに消えていく。
その音も雪の中にかき消され、やがて何も聞こえなくなる。
無人の駅舎に寄りかかり、地平線の果てまで続いている雪原を眺めた。
ぐるっと見渡してみてもいくつかの建物以外何も見えない。
流刑地の小さな村が、寄席集まったみすぼらしい小屋があるだけである。
凍えそうな寒さ。コートの襟を立てる。裏地が何の意味も成さない。
トランクを持ち上げ、ホームの上を雪原に向かって歩き出す。
吹雪は止まったかと思うと突如別な方角から吹き荒れる。
雪が伴うこともあれば、風だけのこともある。
空は灰色の雲が厚く重なり合う。

駅舎へと引き返す。
粗末な造りの待合室とその隣に鍵のかかった倉庫があるだけ。
待合室の引き戸を開けて中に入ってみる。
時刻表とやぶれかけた防災運動のポスターと風景画、
壁際に木の長椅子がくくりつけられているだけ。
時刻表を見ても月に二本ここを通ることがわかるぐらい。
その一本が先ほど通過した。次は二週間先となる。
風景画は額に入っているわけでもなく、
雑誌か何かの切抜きのようだ。
白樺の林が描かれている。
ここに来る途中、列車に揺られている間に果てしなく白樺の林が続いていたように思う。
あれは昨日のことだったか、それとも一昨日のことだったか。
列車には乗客がほとんどいなかった。
車掌以外と話すことはなかった。
食堂車で朝と昼と夜と一人きり食事を取って、
窓の外の移り変わる、時として一日かけても何の変化もない景色を眺めた。

駅舎の外に出て、雪で覆われた階段を下っていく。
「村」へと至る小道は誰も利用していないようで、雪が降り積もっている。
歩いていると一歩ごとに踝まで雪の中に埋まる。
村の入り口にて立ち止まる。
シンと静まり返っている。
ここに人が住んでいるのだろうか?
耳を澄ますとかすかに物音が聞こえる。
これらコンクリートの小屋の中で動いている機械たちのたてる、単調な物音。
煙突はあっても煙はなく、壊れた車が吹き晒しの中に見捨てられている。

出迎えるものもなく、家の一つ一つの前を通り過ぎる。
ゆがんで、崩れかけた何かしらの残骸が増殖して、その途中で凍り付いている。
そんな印象を受けた。
どれもこれもが灰色か黒い色をしている。
色彩というものが失われている。

村のはずれに一つだけ大きな建物があった。
集会所か何かの役割を果たしているのだろう。
立ち止まり、眺めてみる。
何の掲示もなく、人の済んでいる気配はない。
門をくぐり、中に入っていく。
扉の前で立ち止まる。
扉に手をかける。
深く息を吸うと、肺が凍りつきそうになる。


[1883] ひとりごと 2006-02-05 (Sun)

これまでの人生のほとんどいろんな場所・局面において僕は変わり者扱いされてきた。
しかも、そこでの「一番の変わり者」って感じだった。
みんながそう言う。冗談かもしれないけど。

何をするでもない。
奇矯な振る舞いをしてニヤニヤ笑ったりするわけではない。
箸の持ち方がおかしくて好き嫌いが多くてニチャニチャ音を立てて食べてるわけでもない。
乳幼児や死体に性欲をおぼえるということもない。
いつだって1人、屋上で空を眺めてるなんてことはしない。
人よりちょっとばかしマニアックで音楽とか小説とか
のめりこんで集めまくるけど、誰彼構わず聞かせたり勧めまくったりはしない。
いたってフツーの人だと自分では思っている。
これまでの人生ではちょこちょこといいことがあって、
人より少しばかり落ち込みやすくてそれが表に出やすくて、
(でも多かれ少なかれ誰だって、たくさんたくさん落ち込むもんでしょ?)
いろんなことを諦めて、それでもその分何かを手に入れて。
フツーですよ、フツー・・・
ねえ?

なんだろうな。そういう雰囲気を発してんだろうな。
確かに僕は人と仲良くなるのが苦手だ。
初対面の人と打ち解けるのに時間がかかり、
初対面の人ばかりの場所となるともうだめだ。
苦手だから最初のうち、1人ポツンとして誰とも話そうとしない。
そしてそのときに何かを発してんだろうな。
そんな気がする。

具体的な行為じゃなくて、なんか得体の知れない、人と違う雰囲気。
何かが過剰で何かが大きく足りなくて、
押さえ込んでるはずなのにどこかしらから滲み出して、漂っている。
そいつは今にも泣きだしそうで、噛み付きそうな、もろくて壊れそうになってる。
以前僕の印象について、ある人はそんなふうに語った。

人としての常識や、会社員としての常識についていくつか欠けてたりするんだけど、
自分が常識だと思っていることについては律儀に守る。そういう人。
なのでおかしな振る舞いはあんまりしないし、おとなしいもんだが、
どこか大事な部分で人と違うように考え、人と違う言動を発してしまう。

---
最近何をしていても「ボタンを掛け違ってる」と思うことが多い。
仕事してると特に。仕事以外にも。
ボタンを掛け違っていても寒さをしのげればそれでいいし、
人目を気にしなければそんなことどうでもいい。
でも、・・・でも。
掛け違っているものに気付かないのならまだしも、
気付いてて直さないのはどうかと思う。
そしてそれがすぐに直すときと、
何もかもが億劫になって投げ出したくなって
掛け違ったまま開き直ってるときがある。
もちろん、後者のほうが多い。
あーあ。

かっこよく掛け違っていたらそれも「スタイル」足りえるけど、
なかなかそんなふうにはならないもんだよね。

あー今日も僕はウダウダとかっこ悪い。


[1882] どうして宇宙人は僕を迎えに来てくれないのだろう? 2006-02-04 (Sat)

この広い宇宙に、宇宙人という存在がいるのなら
どうして彼らは僕を迎えに来てくれないのだろう?
小さな頃から、たぶん10歳の頃から、ずっと念じ続けてきた。
届いてないのだろうか?僕の声が彼らに届かないのだろうか?
20年間待ち続けている。
これで僕はもう31歳だ。
どうして、来てくれないのだろう?

僕をこの地球という星から連れ去ってほしいと思う。
どこか別の星に連れて行ってほしいと思う。
僕が今地球人であるなのは何かの間違いであって、
まだ小さな頃に置き去りにされて、救出されるのを待っている。
この肉体を脱ぎ捨てて、新しい姿に早く生まれ変わりたい。

僕は真夜中の川辺に立ち、
まばゆいばかりの光が頭上から降り注ぐ光景を想像する。
赤と黄色と、そしてそれらを圧倒する真っ白な光。
僕の体はふわっと持ち上げられ、宇宙船の中に吸い込まれる。
遅くとも次の日には太陽系を離れていて、銀河系の中心へと突き進んでいく。
僕は彼らの言葉を学び、全てを受け入れる。

地球という星は今危機に瀕している。
このままだと僕は名も無き地球人として朽ち果てることになる。
ああ、その前に、手遅れになる前にこの僕を救い出してくれ。
僕をその箱舟に乗せてくれ。
僕以外の人間を連れて行くのなら僕は嫉妬する。
僕は流刑なのか?ここは流刑地なのか?
ここはどこなんだ?
僕は誰なんだ?

この広い宇宙に、宇宙人という存在がいるのなら
どうして彼らは僕を迎えに来てくれないのだろう?
僕はIT関係の会社でSEとして働きながら、
朝晩地下鉄に揺られながら、
時には地球人の友達と酒を飲みに行って、
時には1人きりでこの星の海を見に行って、
そんな時間を過ごしながら、
心の奥底でずっと待っている。
待ち続けている。


[1881] 兄さんの日 2006-02-03 (Fri)

昨日に引き続き。
じゃあ今日は「2・3の日」→「兄さんの日」じゃないか?と思って探してみたら
全然そんなものはなかった。毎月23日は兄さんの日だとか。
でも、11月23日は「いい夫婦の日」同様、「いい兄さんの日」だった。
探してみてもサイトはないようだし、後押ししている団体もない。
これって何のための記念日なんだろう・・・?
具体的に何をすればいいんだ?この日に。
(自分が兄として振舞うのか、それとも自分は弟として誰かに接するのか)

兄さんというか、アニキの日。
あってしかるべきだよな。
常日頃お世話になっているアニキを敬い、奉る日。
一緒に銭湯に入って、背中を優しく流してあげる日。
女には見せられないような差し入れをする日。
「ゴッドファーザー」でも「傷だらけの天使」でもいいが
男の映画を見て、共に熱い涙を流し、
そしてそっと木綿のハンカチーフをアニキから受け取る日。

・・・違うよな。

記念日は何事も語呂合わせが基本だから、弟の日が作れない。
お姉さんの日も妹の日もない。はず。

と書きかけたが、もう一度検索したらあった。

・弟の日  3月6日
・兄の日  6月6日
・妹の日  9月6日
・姉の日 12月6日

なんで3ヶ月ごとに6日なんだ?
世の中どうなってんだろう?

さらに調べた。
妹の日ってのがまずあって、
これはおとめ座の中間の日が9月6日だからってことで決まったようだ。
この日にはなんと、その年活躍した「妹」を対象に「日本妹大賞」ってのが与えられるとのこと。
が、そこから先、「日本妹大賞」で検索しても肝心なものがヒットしない。
歴代の日本を代表する「妹」って誰よ?
知りたいよ。誰か教えてよ。
主催者である畑田国男氏が個人的にやってるだけ?

今、気になって仕方がない。


[1880] 夫婦の日 2006-02-02 (Thu)

うわ、もう2月か。早いもんだ。
ついこの間年末年始だったように思うのにな。
もたもたしているうちに春が来そうだな・・・

---
どうでもいいことですが、
世の中に星の数ほどある記念日の1つに「夫婦の日」ってのがあることを思い出し、
語呂合わせでもしかして今日がそれじゃないかと思って調べてみたら全然違って、
毎月「22日」がそうだ、ということでした。
年に1回ぐらいじゃ足りなくて、毎月ないと夫婦という関係性は成り立たないようだ。
難しいもんです。

なお、11月22日はその中でも特別に「いい夫婦の日」に制定されている模様。
サイトまであった。
http://www.fufu1122.com/
トップページを開くと、「パートナー・オブ・ザ・イヤー2005」ってのが発表されてて、
愛川欽也・うつみ宮土理夫妻が選ばれていた。
なんだか微妙です。
愛川氏のプロポーズの言葉を引用します。
----------------------------------------------------
たくさんの花のなかから顔をだして、
「大好きな花をプレゼント、僕もプレゼント」と言った。
----------------------------------------------------

http://www.fufu1122.com/year/index.html
ページでは理想のカップル20位までを紹介していて、
第9位は大和田獏・岡江久美子夫妻。
はあ、この2人は夫婦だったんですか。
第10位 桑田圭祐・原由子夫妻、
第11位 渡辺徹・榊原郁恵夫妻よりも上位。
なんだか感慨深い。
なお、第6位に佐々木健介・北斗晶夫妻。なんかちょっとうれしい。

この団体は各業界の企業が協賛してなりたっていて、かなり本格的に活動しているようだ。
試写会だのなんだのたくさんイベントをやってる。
名誉会長は桂文珍。

「夫婦という関係を通じて、ゆとりあるライフスタイルを」なんて標語が目白押し。
僕みたいな人間からしたら、かなりくらくらきた。
まあ結局は新規のマーケットの開発を目的としてんだろうけど。

---
世の中には、幼児を車の中に置き去りにしてパチンコをやって死亡させてしまう夫婦もいれば、
痴呆の始まった妻の介護に疲れきって殺してしまい、夫自らも自殺するという夫婦もいる。
親を喜ばせるためだけに結婚式を挙げて、
旅行から帰ってきて離婚した、なんてケースを聞くこともある。

いろんな人の話を聞いたり読んだりしていると
多かれ少なかれ、世の中の夫婦は何かしらの問題を抱えているように感じられる。
何かが壊れてしまってそれを隠し通したまま終えるか、
その壊れてしまった何かが暴発して、悲惨な出来事として露呈するか。

身の回りの夫婦はみな順風満帆のように思えるが、
それはたぶんネガティブなことはいちいち人に言わないだけのことなのかもしれない。
単なる愚痴なら言うこともあるだろうけど、
それよりも深刻な事態については他人に話したところでろくなことにならない。
よほど親しくない限りは。

この年になると結婚する人が出てくるのは珍しくもなんともなくなり、
周りでは離婚する人もチラホラと出始めている。

年を追うごとに
生きていくという行為はどんどん、どんどん、複雑怪奇なものになっていく。
ように思える。


[1879] リネージュ/オンラインゲーム 2006-02-01 (Wed)

会社の先輩に「リネージュ」というオンラインゲームをやっている人がいて、
その話を昼飯や夕飯どきによく聞かせてもらう。
この手のこと、僕はとても疎い。全く知らなかった。
でも調べてみると日本でも20万人が会員となっていて、
韓国ではなんと200万人にもなるという。
アメリカにも会員が多数存在する。

いわゆるロールプレイングゲーム。
キャラクターに扮してファンタジーな世界を旅して
そこで出会った他のキャラクターたちとパーティーを組んで
敵を倒し、経験値やお金を手に入れて武器を買い、スキルアップする。
やることは非常にオーソドックスだ。
昔はそのソフトの中で閉じられていたものが
インターネットの時代になって、リアルな(?)パーティーが組めるようになった。
ファイナル・ファンタジーがネット対応となったとき話題になったもんだけど
今はどうも「リネージュ」の時代らしい。

先輩は夜にやってたり、土日にやってたりするみたいだが、曰く、
「いやー、ニートには勝てない」
どうも1日中プレイしているツワモノがゴロゴロいるらしい。
「何して食ってんだろう?」「いつ寝てんだろう?」という話になる。
韓国ではプロのオンラインゲーマーってのまでいるらしい。

この手の話ならばまだいいのだが。
武器の取引が闇(?)で行なわれていると聞く。
闇商人みたいなのがバーチャルな世界をウロウロしていて、
持ってる武器を売ったら「現実の銀行口座」に振り込まれたり、
その逆、時間のない人が高級な武器を買って手っ取り早く戦闘能力を高めるために
「現実の銀行口座」にお金を振り込んだりしているらしい。
なんかおかしい。
一日中プレイしてるニートが、ひたすら敵を倒して金を手に入れて武器を買って
それを売り払って、現実のお金を得ている。
もしかしたらそれで食ってる人もいるのかもしれない。
噂では中国の若者が「仕事」としてそれをやっているらしい。
ゲームを楽しむという感覚はゼロ。日がな一日中敵を倒しているだけ。
同じモンスターだけを。
敵と戦っているときに「武器を落とす」ということもあるようで、
(確か戦闘中に死んだときかな)
それを目的として、敵と戦っていて苦戦しているプレイヤーに
さらに敵の集団をけしかけるようなことも行なわれると聞く。

ドラクエですらまだ終わらしてない(これでもう3ヶ月ほったらかし)僕には
こういうの向いてるはずもなく、というか全てをほっぽり出してやってるに違いなく、
うかつに手を出せない。
やったら負けだ。

いかにもロールプレイングなものじゃなくて、
もっと日常生活に近いものが繰り広げられているゲームがあったら
そういうのはやりそうな気がする。
町があって、僕の住んでいる家があって、
通りを歩けば他の人たちと出会って会話を交わすようなもの。
インターネットが発達しかけた時期から
この手の試みが何度か行なわれているのは知っているが、
大々的にブレイクした例は見たことがない。一定以上、ユーザー数が増えない。
でもいつか、とてつもないものが現れると思う。
学校から帰ってきて、会社から帰ってきて、
そっちの方に接続してその中の生活を楽しむ。
現実とゲームとの間の境目がシームレスなものになる。
たぶん、現実の生活でできることがその中でもできるようになる。
公共料金の支払いが、ゲームの中のコンビにでも行なえるとか。

---
僕は今どっちかっつうと
進化し続けるオンラインゲームよりも
子供の頃にファミコンや MSX でやったゲームをもう1度チマチマと遊んでみたい。
スーパーマリオを、グレードアップ一切なしで、全く当時のままで、やりたいんだけど。
ツインビーとかさ。


[1878] 僕が僕であることを形作っているもの(幼年期) 2006-01-31 (Tue)

ふと、僕が僕であることを形作っているものってなんだろう?と思う。
これまでに出会ってきた様々な出来事や、人々、読んだ本や聞いた音楽。
試しにリストとして挙げてみたくなった。
僕という人間のモザイクが出来上がるはず。

が、・・・大変なことになった。キリがない。
とりあえず、書けるだけ書く。

僕がこれまでに書いた文章やこれから書く文章は
全てこれらの記憶にその起源を持つはずである。

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・1歳までを過ごした東京都東久留米市のことはさすがに覚えていない。
 だけど僕はその後青森で育っていても
「僕は東京生まれだから」という意識が常にどこかにあったように思う。
 東京の大学に入ったのも当然の帰結のようだった。
「ああ、戻ってきた」と感じた。

・青森市。物心が着いた頃。父の働く新聞社に何度か行ったことがある。
 鍋焼きうどんを食べた。「刷り込み」効果によるものか、
 鍋焼きうどんがその後好物の1つとなる。

・新聞社の階段を歩く僕を、僕は上から眺めている、
 そんな不思議な光景が脳裏に焼き付いて離れない。

・母は僕に幼時向けのABCの学習用の絵本を買ってきた。
 だけど僕は興味を示さず、開こうとしなかった。
 父も母も英語ができなかったのだから、仕方ないか。
 黄色い表紙の本だった。

・青森市本町のアパート。港の近く。3階か4階。
 1コ下の階に同じような家族構成の一家が住んでいて、
 同い年の女の子と遊んだ記憶がある。
 その子は引っ越したかなんかして、一緒の幼稚園に行くことはなかった。

・ある夏の夜、窓を開けてテレビを見ていたら、父か母が外を指差した。
 真っ暗な空に赤い光が浮かんでいた。UFO?
 夢か現か今となっては真偽は不明。

・なんか今思い出したテレビ番組。
 「噂の刑事トミーと松」
 「Gメン'75」
 「プリンプリン物語」

・もちろん、ウルトラマンと仮面ライダーにはまる。
 「ザ・ウルトラマン」「ウルトラマン '80」
 「スカイライダー」「仮面ライダー スーパー1」といった辺りがもろ。
 とにかく大好き。
 でも、ごっこで遊ぶよりは部屋の中で番組を見てる方が好きな子供だった。
 ウルトラマンの怪獣大百科を毎日毎日飽きもせず眺めてた。
 50円ぐらいで5枚ぐらい入っているカードを買って集めて、交換してた。

・戦隊ものも好きだったな。もちろん。
 「バトルフィーバーJ」「デンジマン」「サンバルカン」
 タイムボカンシリーズで言えば「オタスケマン」や「ヤットデタマン」
 他にアニメはなんだろうな、たくさん見てたな。「イデオン」はこの頃?
 欲しいものはとにかく超合金の変形するロボットだったな。

・父がとにかく歌好きだったので、アニメの主題歌のテープを買ってもらうことが多かった。
 いつも聞いてたように思う。

・初めて買ってもらったマンガはドラえもんの15巻で、
 僕が熱を出して寝ていたとき、枕元に置かれていた。擦り切れるまで読んだ。
 それ以来ドラえもんが僕という人間の物の考え方の基本の一部をなすようになる。
 他のマンガだったら全然違う人間になっていたかもしれない。

・いつ頃から「妹」の存在に気付いたのかわからない。
 気が付いたらそこに妹がいた、生活をともにしていた、という感じ。

・幼稚園はキリスト教系の。
 高校のときにふらっと行ってみたら教会は残ってたけど
 幼稚園はなくなっていて、たまらなく寂しい思いをした。

・ある日雨が降っていて、幼稚園の外で泣いていたことを今思い出した。

・僕はままごとばかりしている子供だった。
 一個下の女の子と毎日毎日飽きもせずおままごと。

・まあそれでも男の子の友達がいないわけではなくて、
 母と一緒にそれら男の子の家に行くことも多かった。

・母のいない日に、父が作り置きのシチューを温めた。
 それを食べることになっていたので、
 その日友達の誕生会があっても、僕は何も食べなかった。

・そうだ、そこは今思うとどこかのスナックの中だった。
 僕の育った青森市本町というのはネオンの瞬く飲み屋街で
 幼稚園の子の中には親がそういうスナックをやっている子もいたわけだ。
 飲み屋街のど真ん中のアパートに住んでいた。

・小さい頃、そういう飲み屋街やきらびやかで大きなイメージを持っていたんだけど、
 高校生になってその辺りを歩いてみたら、
 2・3ブロックしかない狭い通りでしかなくて驚いた。
 しかも寂れかかっていた。安っぽいきらびやかさだった。

・住んでいたアパートはとても小さくて、台所兼食堂の部屋ともう一部屋あるだけ。
 そこに夜ともなると一家4人が川の字のように布団を敷いて眠っていた。
(子供が入ってはいけない、父の部屋があったように思う)

・誰でもあるだろうけど、両親が××××をしていて、目を覚ましたことがある。
 そうだ、今思うとあれはハダカだった。
 テレビをつけられて僕はそれを見た。

・新聞社勤務ということもあって、父の帰りは不規則だった。
 父はよく、玄関で「おばけだぞー」と言っていた。
 僕と妹は父を迎えに行く。

・夜遅く帰ってきて、酔っ払ってることの方が多かったのだと思う。
 父と母はそのことで喧嘩をよくしていたはずだ。
 そういうときの母は不機嫌だった。
「給料の大半を飲んで使ってしまう」とその後僕が大きくなってから聞かされた。

・アパートの横は駐車場で、緑色の金網に囲まれていた。
 隣にすし屋があって、1コ下の男の子と僕はよくその駐車場で遊んでいた。

・何か祝い事があるとそのすし屋に入った。
 魚が苦手な僕は特別にトロと卵だけの鉄火丼みたいなのを作ってもらっていた。
 引っ越しても中学生になる頃までは年に一回ぐらい、
 一家ですし屋におじゃますることがあって、
 この鉄火丼を作ってもらっていた。思い出の味。

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いや、ほんと止まらない。

31歳の今に至るまでを最初書くつもりだったんだけど、
このままだと果てしない。

もしかしたらまた、続きを書くかもしれない。


[1877] 高校の同級生たちと集まって飲む 2006-01-30 (Mon)

土曜の夜は新宿の「やまちゃん」にて高校の同級生たちが集まって飲んだ。
気が付いたら朝まで飲んでた。

(「やまちゃん」って名古屋の手羽先界を「風来坊」と2分するわけだけど、
 僕としては「風来坊」の方が好きだな。手羽先はたくさん食ったけど。
 結局のところどっちも安い居酒屋なわけですね)

(これでもう3週連続で、金曜か土曜に朝まで飲んでる。
 そんなこともあって3週連続で、年明けから書き始めた小説が中断している。
 よろしくないね。でもまあ仕方ないか・・・)

高校の同級生と集まって飲むなんて何年ぶりだろう?
4・5年ぶりかもしれない。
それも高校の同級生というよりは演劇部のほうだったのでもっと狭い集まり。
今回はもっと広い範囲となった。
総勢8人かな。高校時代には恐らく話したことのない人も中にはいた。

この飲み会のきっかけも mixi から。
ずっと連絡の取れてなかった人たちが友人として
あれよあれよという間に芋づる式に増えていった。
高校の同じ代のコミュニティも作られた。
(でも、なかなかコミュニティに人が増えない。同窓生が見つからない。難しい)

僕が誰とも連絡を取ってなかったってことは
他の人からすれば「あの人は今?」みたいな状態になっていたわけで。
であった人とのつながりは絶やさないように、
今後はそういうところマメにしなきゃな、と思う。
でも今後は SNS サイトがツールとして使い勝手がよくなってきたから、
比較的「切れ」にくくなると思う。
誰かを知っていれば、とにかくリンクリンクで繋がっていける。

この日のメインの話題は、「同窓会」
有志が集まって取り仕切って、お盆の時期に青森で行うことになった。
一学年450人で、400人集めたいね、最低200人はいきたいと鼻息が荒い。
まだだいぶ先の話だけど、
ゆっくり時間をかけて告知して草の根的に連絡していって、
とにかく人を集めようということらしい。
こんな大々的なのはもしかして卒業以来初めて?

行けるかな、この時期。
大学時代は必ず8月は帰ってたけど、場合によっては一ヶ月いたけど、
社会人になってからは
お盆だろうとねぶたの時期だろうと8月に青森に帰れた試しがない。

2軒目で朝まで、ケンケンガクガクと同窓会の準備の話をする。
誰を代表とするべきか、取りまとめは各クラス別に行うべきか、などなど。
そんな中、僕は告知用のサイトの立ち上げを取り仕切って、
運営管理をすることになった。
レンタルでサーバーかドメインを借りて、
簡単なページを作って掲示板を載せるぐらいか。
つうかこういうのってお手軽にブログでもいいのかもね。

はー、盛り上げたいもんだ。
その後どうなったのだろう?会ってみたいね、という人もたくさんいるし。
これ、いけなかったらまじで残念だ。


[1876] 『変態映画』バトン 2006-01-29 (Sun)

高校の映画友達から回ってきました。
それにしてもよくもまあ、こんなバトンを思いつくもんだ。

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1.PC/本棚に入ってる『変態映画』

何を持って変態とするのか定義が難しいんだけど、
(例えば、猟奇的・カルト的ってこと?)
DVDラックの中で該当しそうなのは

スティーヴン・ソダーヴァーグ「スキゾポリス」
アレハンドロ・ホドロフスキー「エル・トポ」
ミヒャエル・ハネケ「ファニー・ゲーム」
ヴェルナー・ヘルツォーク「小人の饗宴」

DVDで持ってないけど、
ミヒャエル・ハネケ「ピアニスト」は最高の変態映画だと思う。
あと、パゾリーニの「ソドムの市」

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2.今妄想してる『変態映画』

ディヴァインの出てくるやつ。
「ピンク・フラミンゴ」とか。

あと、ラス・メイヤーの諸作、
「ファスター・プッシーキャット キル!キル!」とか。
なんか今、無性に見たくなってきた。
調べたら8枚組ボックスセットがあるようだ。欲しい!!
学生時代にBOX東中野で回顧展を見に行ったことを思い出した。
最初はまともな構造の映画を作ってたんだけど、
どんどん映画作りが下手になるというか
どうでもよくなっていってる様が素晴らしかった。
映画の文法が破壊されてなくなってた。
フェロモン出しまくった女が映ってればそれでいいっていう。
そういえば何気にラス・メイヤーって音楽がいいですよね。

ついでに、70年代から80年代のアメリカのB級ホラー映画。

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3.最初に出会った『変態映画』

「美女と液体人間」
小さな頃から気になってて、でもまだ見たことがない。
子供心にこういうの怖くてたまらなかったです。
僕が液体人間になってしまったらどうしよう、
とかってマジで考えてたりして。
 
50年代末だったかな。
東宝ってこういう特撮ものよく撮ってましたよね。
「電送人間」「ガス人間第一号」「マタンゴ」など。
 
つうか今思ったんだけど、ここで言う変態って
言い換えると「エロ・グロ・ナンセンス」だよな。

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4.特別な思い入れのある『変態映画』

ドゥシャン・マカヴェイエフ「スィート・ムーヴィー」

是非ともDVD化してほしい。
もう1度見たい。

最高。美少女が全身チョコレートまみれになったり。
そしてそれを映画監督が
ニヤニヤ笑いながら撮影してるシーンが出てきて。
「もっとチョコレートを!」なんて言ってるわけですよ。

筋らしい筋はほとんどないのですが、
とてつもないエネルギーで駆け抜けて
ひたすら圧倒されます。

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5.自分にとって『変態映画』とは

愛と憎しみの歪んだ姿、というか狂い咲き。

愛ですよ、愛。
伝え方が下手なだけなんですよ。

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6.最後にバトンを回したい5人

例によって、Chris 君とミキさん。
なんかあるでしょ?

実はこういう切り口って映画がとても語りやすいことがわかった。

最後に。大きな声では言えないが、
大林宣彦監督の諸作って、かなりの・・・


[1875] 「天麩羅いもや」「勝慢」 2006-01-28 (Sat)

(Gazz に書いたブログを加筆・修正したものです。
 このところ食べ物についてばかり書き込んでいた)


昨日の夜は天麩羅の「いもや」へ。
天麩羅の方は初めて入った。

神保町はカレーの町なだけでなく、「いもや」の町でもある。

・天丼のいもや
・天麩羅のいもや
・トンカツのいもや

どれも安くておいしい。庶民的。
こんなおいしいものがこんな安くていいのか!?
いっつも思う。ありえない!!
というか普通のその辺の店の方がおかしい。努力が足りないですよ。

食べたのは海老定食。
アツアツサクサク、口の中でぷちっとはじける海老が4匹。
あと、みつばと南瓜。これで800円は安い。

天丼もさあ、500円と安いのに「てんや」の100倍うまい。
ごま油で揚げられてて、とても香ばしい。素材の張りも違う。
(てんやは嫌いじゃなくて、実はよく食べてるんだけど。荻窪では)

上京したばかりの大学一年生の頃、
某所から奨学金を受け始めたら、そこに寄付している人から葉書が届いた。
年配の方だった。
(ランダムに、大学一年生に振り分けていたものと思われる)
「いもや」というところで天麩羅を揚げています、みたいな事が書かれていた。
僕が返事を書くと、そこから何回かやり取りが続いた。
いつか食べにいらっしゃいとあったんだけど、結局行かずじまいだった。
当時西部多摩湖線沿線に住んでいて、都心の神田・神保町方面は余りにも遠かった。
昨日揚げていた人が、実は13年前に僕に葉書を送った人かもしれなかった。

神保町にいる間にまた食べに行こう。

---
今日、土曜も出社。(今年初というか、今PJ初)

昼は「普段行けないところに」と思い、淡路町まで足を伸ばす。
「勝慢」のカツ丼。
都内ではここがNo.1と推す人も多い。「dancyu」でも絶賛されていたようだ。

土曜だというのに、行列こそできていないものの満席。
僕が食べ終わった頃には外で待っている人もいた。

大カツ丼。1600円。(ちなみに普通のカツ丼はない)
大きなどんぶりにご飯大盛り、
その上に分厚い揚げたてロースが
とろっとした卵にからまってざくざくと乗っかっている。
なかなかうまかった。

「なかなか」と歯切れが悪いのは
僕にとってこれまでの人生でダントツにうまかった
カツ丼は吉祥寺のレンガ館の地下にあった「どん花」であって、
やはりこれには及ばないから。
(もうこの話は何回も書いてますね)

はまってた時期は毎週、欠かさず「どん花」のためだけに吉祥寺まで通ってた。
それぐらいうまかった。カツカレーもうまかった。
なのに、ご主人の体調が思わしくなく、
店を開けたり閉めたりを繰り返した末に、閉店してしまった。
(行っても閉まってたってことも何度かあった)

今となっては幻の味。

その後の僕はうまいカツ丼とカツカレーを求めて、
噂を伝え聞いては都内のあちこちの店に入ってみた。
そのたびに、「・・・違う」と感じた。
これって一生続くんだろうな、
もう2度とめぐり合わないのかもな、と最近思う。

上京して早13年。
心の底から「うまいっ!!」と唸ったのはこの3つ。
・日本橋「たいめいけん」のタンポポオムライス、カレーライス
・柏「ボンベイ」のボンベイカレー
・吉祥寺「どん花」のカツ丼、カツカレー

このうち、「ボンベイ」も「どん花」も健康上の理由で
店を閉めてしまった。
「たいめいけん」はなくならないだろうけど、
3つのうち2つが幻となってしまったわけで、
僕としてはたまらなくさびしい。

もう一度食べられるなら、
カレー一皿10万円でも払いたい。
泣きながら食べると思う。

一生忘れられない、思い出の味。

---
追記。

いつもそこにある、というのを当たり前に思っていて
「おいしいなあ」とニコニコして食べていたものが
ある日突然この世から消えてしまう。失われる。
これって怖いことだし、それ以上に悲しいことですよね。

替わりになるものを探そうとする試みが
僕の場合、いつのまにか日々の
「おいしいものを食べたい!」という欲求に進化ていった。
(なのでなんとなく、恨みを晴らすようなところがある。
 自分の自由にできるお金が増えて、本格化したとも言える。

小さな頃から毎日おいしいものを食べ慣れていて、
今でもおいしいものが普通に目の前に並ぶような
幸福な人ならば、こんなふうにならないだろうな。


[1874] 人々が寄り集まって娯楽として歌を歌う 2006-01-27 (Fri)

昨晩寝ながらツラツラと考え事をしていたら、
ドラえもんの中で、部屋の中に集まっている面々が歌を歌っている場面が
何度か出てきたなあということを思い出した。
「夏は来ぬ〜♪」なんて。
あくまで昔の方の。10巻台ぐらいまでの。

人々が寄り集うとき、「歌を歌う」という行為が普通の娯楽だった時期が確かにあった。
この日本という国には。
昔の日本映画を見てもそういう場面が出てきたように思う。
居間にピアノがあって、家族で歌う。友人たちが集まって歌う。
楽しそうに。ほがらかに。
(ああいうのって実は映画の中だけ?)

みんなで歌を歌うってことがそもそも楽しいことであるわけだし、お金もかからない。
動き回る場所も必要としないし、時間も関係ない。
家の中に限らず、ピクニックに行けば木陰なんかで。

そうだ、おそらく昔の小学校では遠足に行けば
みんなで歌を歌っていたのではないかと推測されるが、
たぶん今の小学校ではそんなことしてないだろう。
もしかしたら、木陰で1人歌う女の子ってのも絶滅したのかもしれない。
もちろん歌うのは最新のヒットチャートのガチャガチャした曲ではなくて、
中学校の音楽の時間に習うような、記憶の底にひっかかる、素直にメロディーのいい曲。

こういう、娯楽として「その辺で」歌を歌う、
みんなで歌うという行為がこの国からは失われてしまった。
歌は歌われる。盛んに。
でもそれはあくまでカラオケボックスで。場所を限定しないとしっくりこなくなってしまった。
これって日本人固有の「恥」の感覚がおかしな方向に進んでしまったからなんだろうな。

あるいは、(プロの)歌う人とそれを買う、消費する人に分かれてしまったというか。
スポーツだろうと絵を描くのだろうと、学校では習うことは習う。
でもずば抜けてうまい人ってのがいて、専門的な学校に進んで、やがてプロになる。
歌もまたそういうものになってしまった。
歌がうまくて歌うことが好きで、人前で歌っているうちに認められた、
という人は今でもいるんだろうけど、少ないんだろうな。
どっちかっつうと流通経路としてきっちり定義されたオーディションなどを経て
商品として育てられていく。
そうだ、歌うという行為もまた商品になってしまったのだ。
そしてそれはコンテンツやパッケージというフォーマットで提供されるか、
歌われるためのステージがないことには成立しない。
そして素人には「披露」の場がないので、カラオケボックスに行くしかない。
部屋に友人たちが集まったときに歌を歌うというのはひどく奇妙な行為となってしまった。
日常的な行為として、成立しなくなった。手続きというかお膳立てが必要。
情操教育の一環として、親が小さな子供に対して歌うぐらいだ。

マンションやアパートの防音の問題もあるしね。
うるさいと苦情が来たり。
とにもかくにも世知辛い世の中だ。

---
いや、意外と歌っている人たちは多いのかもしれない。
誰も言わないだけで。
歌ってる人たちにしたら当たり前すぎて。
「いやー、この前家でメシ食っちゃったよー」
「家で風呂に入っちゃったよー」なんて誰もわざわざ話題にしない。
そういうのと同じで。
休日の夕食後に家族で歌ったりするのが普通な家も、一定の割合で存在しているに違いない。

だから、もし仮に僕が初めて「彼女」の家に
挨拶みたいな感じで訪問して、食事を振舞われた後で
「オカムラ君、君も一緒に歌わないかね」とパパに笑顔で誘われるようなこともあるかもしれない。
「君はなかなかいいテナーを出すんじゃないかと、先ほどから思ってたんだよ」
ママは既にピアノの前でスタンバイしている。もう逃げられない。
「テナーが1人増えたら、私たちのコーラスもこれからは厚みが増すね」なんて言われて、
日曜の夜ごとに訪問して合唱することを暗に求められたりしたら。
当惑する僕に「いいんだよ、下手でも」と優しく諭されたりでもしたら。悪夢だ。
そして彼女はきょとんとした面持ちで僕のことを見ている。
「どうして?」「歌わないの?」とでも言わんばかりに。
・・・僕はその彼女の前からフェードアウトすると思う。
きっぱり分かれようとして、その理由に歌を挙げるわけにもいかないし。

---
ドイツのビアホールって山のようにソーセージとジャガイモが出てきて、
みんなして肩組んで歌っているようなイメージがあるんだけど、
そういうのもやはりなくなっているのだろうか。
日本にも昔は歌声喫茶なるものがあったようだけど、それもなくなった。
酒場でも歌われない。カラオケスナックぐらいだ。
そうだ、沖縄の人たちは都内の沖縄の店に集まってみんなで歌っていると聞く。
そういうところに細々と、古きよき日本の文化が残されているのかもしれない。


[1873] 社会とその抑圧 2006-01-26 (Thu)

こういう社会を仮に考える。

結婚という行為、あるいは家庭を持ち、子供を生み育てるという行為と、
恋愛感情とがまったく切り離されている社会。

配偶者は他人から与えられる。
配偶者が決定される仕組みとしては例えば、
・まったくのランダム
・遺伝子の配列により、最適な因子を持つ子孫を設けることが可能となる組み合わせ

何も考えず、そういうものだとして、誰もがそれを無条件に盲目的に引き受ける。
書類を受け取って、手続きを行なって、ある日突然2人の人間が1つの場所で生活を始める。
そして政府が策定する標準的なプランにだいたいのところ基づいて、受精を行なう。
機械のように生殖活動を行なう。
生まれてきた子供を育てる。
生まれてきた子供については愛が芽生えるかもしれない。
しかし、両親の間には愛が存在しない。愛着としての愛ではなく、恋愛としての、愛。
後付けで形成されるかもしれないが、その可能性は一般的に言って低い。

その一方で人類からは恋愛感情は失われない。
「家庭」とは別な場所で色恋沙汰が盛んに繰り広げられる。
愛に満ち溢れた生殖活動を行なう。
ただし、あくまで戯れとして。
手違いで生まれてきた子供は、政府によって認められることはなく、廃棄される。
それを避けたい場合は、こっそり配偶者の子供として偽って育てることになる。
そしてそのことが政府の目に偶然にも見つかってしまった場合、・・・

「全体主義社会」についての小説がかつていくつか書かれ、
こういう社会もネタとして考えられたと思う。
その社会ではたぶん恋愛感情というものすら否定される。
家庭は単なる人間の集まって構成されるグループの一種でしかない。
薄暗い、機械の動く音しか聞こえない工場で働く夫が発狂して自殺した。
政府は代わりの人員を妻にあてがった。
そういうやつ。

---
抑圧する。
心の中のどこかの部分を削ぎ落とし、奪い去ることで
その集団を支配しようとする。
そういう政府があるのかどうか、かつてあったのかどうか実際のところよくわからない。
誇張されたフィクションなのかもしれない。
あるいは関わった誰もが忘れようとしたのかもしれない。
しかし、ナチス・ドイツという実例はあった。
スターリン時代の旧ソ連、第2次大戦中の日本も、どこかしらその傾向があったのだと思う。

---
人間が人間じゃなくなるってどういうことなのだろう?
と最近よく考える。
人が人を殺めるにあたって見出される理由は
どんどんおかしな方向へと突き進んでいる。
そういう「事件」として現れる次元の話と、
もっと根源的な、人間性の変容の話と。

そしてその変容をもたらす要因としての、社会とその抑圧。

うまく考えがまとまらない。
今日はこれ以上書けない。


[1872] ペットやぬいぐるみ、サボテンや写真 2006-01-25 (Wed)

部屋で一人でいるとき、
ペットやぬいぐるみ、サボテンや写真に話しかける人がいる。
女性の場合、かなりの割合でいるのではないかと思う。
実際のところどうなのかわからない。
(とりあえず僕はそういうことしないです。
 僕がやってたら本当にやばいと身の回りの人は思うでしょう)

人はどこの誰であれ、多かれ少なかれ他の人に話しかけずにはいられない生き物だ。
そういう意欲がなくなったらかなりの危険信号。
人は孤独から逃れようとする。様々な手段を利用して。
すぐ側に気安い話し相手がいなかったら
見知らぬ他人よりはペットを選ぶ、まあこれは当たり前のことだろう。

人工知能の研究・開発が進んで
一頃のAIBOぐらいの感覚でロボットが買えるようになったとき、
それは遊び相手として買うのではなく、やっぱり話し相手だよな。
孤独から逃れるための代替物として。
夜、仕事から帰ってきて話しかける。
食事をしながら話しかける。
寝る前に話しかける。
今日こんなことがあったよ、あんなことがあったよ。
辛かったこと、楽しかったこと、むかついたこと、嬉しかったこと。
その一つ一つに、ロボットがまるで家族や親しい友人や恋人のように応える。
辛かったんだね、それはこうしたらいいよ、ボクもその人に会ってみたいな。

そのうち、依存症に陥る人もいるだろうし、
話している相手が人間なのかロボットなのかという区別や差異に
興味を持たなくなる人も出てくるだろう。

スクリーンに映し出される映像か、あるいは具体的な形を持つものか、
様々な感情の入り混じった表情を浮かべることすら可能になる。
一目見ただけでは人間と見分けがつかなくなる。アンドロイド。
旧世代の人間は話し相手がロボットであるということを
顕在的に・潜在的に意識するだろうけど、
新しい世代の子供たちは生まれたときから人工知能に囲まれて、
そういう分け隔てにそもそも意味を感じなくなるのかもしれない。

いや、人間の本能ってものにはかなりの力があって
どれだけ時代が移り変わっても
人間とロボットの違いを明確に感じ取るのかもしれない。

どちらとなるにせよ、何かしらの危機感が人類全体に生まれるだろう。

---
SFによく出てくるテーマとして、
アンドロイド禁止令やアンドロイドの氾濫ってのがある。
あるいは、人間とアンドロイドとの間での恋愛。
例えば有名なものを挙げるならば前者としてはやはり
P・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」であり、
後者としてはエドマンド・クーパーの「アンドロイド」などがある。

人間に憧れるロボットたち、人間を憎むロボットたち。
ロボットに憧れる人間たち、ロボットを憎む人間たち。
このテーマはSF特有のものかと言うと実はそうではなく、
その根底にあるものはひどく普遍的である。
肌の色合いの異なる人たちへの根源的な違和感、嫌悪、憎しみ。
異なる人種や民族間での対立により引き裂かれる恋人たち。
ただその表象がロボットにすり返られたというだけである。

---
人工知能を持つ、ペットやぬいぐるみ、サボテンや写真について考える。

「大切な人」「大切だった人」の記憶や思考パターンをデジタルな記録に置き換え、
これらの中に埋め込む。

妻が亡き夫の写真を手に取り話しかけると、写真の中の夫が妻にそっと語りかける。

人工知能で実現されるものは人間の知能とは限らず、犬の知能というのもありえるかもしれない。
ならばそれはサボテンの知能であってもよく、
完全に無機物(プラスチックと金属)で構成された種子が発芽し、
固有のアルゴリズムに基づいて植物そっくりに育っていく。
一定の条件を満たすと枯れていく。
300年後ぐらいにはそういうもので溢れ返っているかもしれない。

元は無機物で、プログラミングによって動くものであるから、
容易に他の種と融合していく。植物だろうと動物だろうと。
暴走するプログラムが恐るべきスピードで奇妙な「生物」を生み出していく。
なんかそういう物語とか漫画とか映画ってたくさんありそうだな。


[1871] マリーゴールド 2006-01-24 (Tue)

「妹」は私そっくりだった。いつも一緒にいた。
揃いの服を着て、連れ立って学校に出かけた。
クラスは違ったけれど、休み時間になると一緒に遊んだ。
手をつないで家まで戻ると、よくおままごとをしたものだ。
互いの理想とする「旦那様」は似通っていて、
いつもはそれぞれに旦那様がいることになっていたものの、
時として一人のかっこいい男性をめぐって
(今思うとほほえましい)争いを演じることもあった。

食事の時間は大きなテーブルに並んで座って、夜は同じベッドに眠った。
同じと言っても窮屈そうに1つの枕に頭を並べてという意味ではなくて、
二段ベッドの上と下になって、ということだ。
毎晩私たちはお話をした。
学校でこんなことがあったよ、という話になることもあれば
想像上の波乱万丈な冒険談となることもあった。
その中で私たちは、あるいは私たちのどちらかは、
お姫様となって大きなお城に住んだり、
太陽系の外に出る世界初の女性宇宙飛行士となっていた。
時として上と下を交換し、パジャマも交換した。
そんなとき私たちのママ(あるいはパパ)は
どちらがどちらなのか次の日の朝いつも間違えた。

やがて中学生になり、高校生になる。
それでも私たちは仲良しのままだった。
私がボーイフレンドを見つけると、妹はその「弟」に恋をした。
私が2階の窓から外に出て夜遊びをするとき、妹も一緒になって抜け出した。
4人で車に乗って遠くへと出かけた。湖を眺め、歓楽街を歩いた。
夜が明ける頃になると戻ってきて、
クスクス笑いながらそっと静かに2階の窓を開けて、ベッドにもぐりこんだ。
それから何時間かしてママに起こされると
不機嫌そうにダイニングへと降りていってトーストを食べる。
ママもパパもすっかりお見通しだ。だけど何も、言わなかった。
「あらあら困った子たちね」という表情を浮かべつつも
そこには、「だけど私たちもそうだったのよ」という仲間意識がほのかに漂っていた。
そう、ママにも「妹」がいて、パパにも「弟」がいたのだ。

いつも一緒だった。
宿題を写しあって、日記を交換して。
2人ともニンジンが嫌いで、水色が大好きで。
揃いのテニスラケットを買ってもらって、
2人同じタイミングでボーイフレンドに振られて思いっきり泣いて。
大学の入学式には2人並んで座って、
「いつまでも一緒にいられますように」とギリシア語で彫られた
銀色の小さなペンダントをかけていた。
これは誰も知らない、2人だけの秘密だった。

だから、19歳最後の夜、「妹」と引き離されることになったとき、
私はどうしようもない気持ちでいっぱいになった。
泣きじゃくって、手がつけられなくなった。
土くれになって消えてしまう妹の替わりに私はなりたかった。
パパもママも、誰もがみんな人生で1度必ず経験すると言っていた。
ことあるごとに言っていた、だけど私は信じなかった。
私たちだけは違うと思っていた。
誰かの計らいで、何らかの手違いで、
私と妹が末永くともに生きていくことがありえるのでは、
いや、むしろそうなってしかるべきだ、そう思っていた。
願いは聞き届けられない。この世界の誰であろうと、それは変わらない。
世界中の「妹たち」「弟たち」は20歳を迎えることなく、その役目を終える。

パパとママと私と妹、4人で最後の、静かな食事を終えた頃に家のチャイムが鳴った。
そして妹は真っ白な防護服を着たエージェントに両側から付き添われて、
外の遊歩道をゆっくりと歩いて行った。
妹は振り返って私の方を見てそっと手を振った。
泣き崩れた私は目の前の光景を眺めるだけで精一杯だった、
手を振り返すことはできなかった。

---
あれから6年が経過した。
大学を卒業した後、私は大きくもなく小さくもない会社で普通に働き始めた。
仕事の仕方を覚えて、平凡な毎日が過ぎていった。
ついこの間、それまで2年間付き合っていた恋人と別れた。

私が1人で暮らすこじんまりとした部屋。
その窓辺に私はマリーゴールドの小さな鉢植えを置いた。
そこだけポツンと寂しく華やいでいる。淡い黄色の花びら。
私はそのマリーゴールドを眺める。眺め続ける。

マリーゴールドを見ていると「妹」のことを思い出すとか、
そういうことを言いたいのではない。
確かに私は妹を、妹と過ごした日々を、思い出す。
だけどその記憶は今となってはうっすらとしたものとなっている。
頼りなくて儚くて、今にも消え入りそうな。
あのときの私に妹が言った言葉、私に向けた笑顔、
私のために色を塗った画用紙、私に送ったサイン。
その、1つ1つ。
いつの日か記憶の底から失われていく、思い出。

今、私の側にはこの小さな鉢植えしかなくて、
陽だまりの中で輝くマリーゴールドを私は眺める。
椅子に座って、1人きりで、眺め続ける。

水をやらなければ、と思って私は立ち上がる。
キッチンでグラスに水を注ぐ。
窓辺に戻る。

窓辺でポツンと寂しく、佇んでいる。


[1870] 「キング・コング」「THE 有頂天ホテル」 2006-01-23 (Mon)

会社の映画部の月例鑑賞会、今年最初は「キング・コング」「THE 有頂天ホテル」の2本。
超エンターテイメント作品の海外・日本代表の激突。
おいしくっておなかいっぱい。
どちらも有楽町の日劇PLEXでした。

---
「キング・コング」

言わずと知れたモンスター映画の王様のリメイク。
「ロード・オブ・ザ・リングス」3部作のピーター・ジャクソン監督の手になるもの。
僕は「ロード・・・」を1本たりとも見ていないという
映画ファン失格な人間であるが
(だって3時間は長いし、それが3部作ともなれば・・・)
そんな自分を恥じてしまった。
やられたよ。
ピーター・ジャクソンは今一番面白い映画を安定して作ることのできる監督の一人に確実に入る。
最初の状況説明みたいなシーンが終わってからはひたすら手に汗握る展開の連続。
「キング・コング」だというのに恐竜から逃げ惑い戦う様が中心に据えられていたり、
例のエンパイア・ステート・ビルによじ登る名場面が出てきたり。
あれよあれよという間に3時間終わってしまう。
素直に「活劇」というものを受け入れられる人ならば至福の3時間ではないか。

CGを駆使した映像のすごさでぐいぐい引っ張っていって
そればかりを楽しむんでも全然いいんだけど、
「モンスターの悲しみ」ってのがきちんと描かれていたところに僕は好感を持った。
キング・コングがちゃんとキャラクターとして成立してんですよね。
何も言わないのに、雄弁。
ニューヨークの公園、周りはクリスマスの電飾で赤や黄色の光が瞬いている、
コングはナオミ・ワッツを手に握って凍った湖の上を滑って楽しむ。
これはいい場面だった。
こういう映画的にエンターテイメントを結果として「突き抜けてしまう」場面が
きちんと用意されているところが、ピーター・ジャクソン監督のすごさなのだと思う。
ニューヨークの劇場、コングを見に集まった大勢の上流階級の観客相手に
ショーを演じている場面って
プリミティブな映画的狂気がそこはかとなく立ち込めていたように僕は感じた。

面白い。お薦めです。
絶対大画面で見たほうがいい。

---
「THE 有頂天ホテル」

日劇PLEX で見て13時と16時の席は完売。大ヒット街道を歩んでいるようだ。
13時の回はしかも舞台挨拶があった。知ってたらこっちを見たなー。
僕らは16時の回を見た。

今やあちこちで引っ張りだこの三谷幸喜の監督第3作目。
僕は第1作「ラジオの時間」が初めての三谷幸喜体験で、これ文句なく面白かった。
「THE 有頂天ホテル」ももちろん面白かった。
腹抱えて笑ってばかり。
(最近テレビでお笑いの番組、特に過激で先鋭的なお笑い番組を見てないから、
 こういうウェルメイドな喜劇の方が僕には合っていたのかもしれない)

よくできている。とにかくよくできている。
脚本が。演出が。役者の演技が。
エンターテイメントとして申し分ない夢のような2時間を過ごせた。

でも、普段パゾリーニだのタルコフスキーだの難解で前衛的で文学的な映画ばかり見て
ありがたがっている僕のようなチンケな映画ファンとすれば何かが物足りない。
薄味、というかある種の味、映画の「風味」がごっそり欠けている。
薄っぺらい。一本調子で。
でもこれはやっぱうがった見方なんだよな。一般的に。
そういうゲージュツを求める向きを
「いいじゃん!!楽しいんだから!!!」と強引に勢いで捻じ伏せる力を
十分すぎるほどこの映画は持っていて、確かに見てる間の僕は説き伏せられていた。
早い話、よくできた笑い以外になーんにもないんだよね。
手品は手品でも、トリック重視ではなく
詩的な雰囲気をそこに込める人も中にはいるわけで。
どちらかといえば僕はそういう人を好きになる。
でも三谷幸喜にそういうのを求めてもなあ。

要するに、「THE 有頂天ホテル」は面白かった。
たぶん間違いなく今年の面白かった日本映画になると思う。
だけど、三谷幸喜が4本目、5本目、6本目を撮るとき、どうなるのだろう?ってのが気になる。
ずっとこの路線?
だとしたら緩やかに後退していかないか?
全く同じだけの笑いと感動のインパクトをそこに現出させるのならば、
どこかで大きく方向転換するか大化けする必要がありそうだ。
役者のアンサンブルも素晴らしく
見てる間は楽しく笑ってるんだけど、
帰りの電車の中でふとそんなことを考えてしまった。
こんなの、余計なお世話ですよね。

(果たして、この作品を見て「自分も映画を撮りたい!」とか
 「喜劇役者になりたい!」とかあるいは「ホテルマンになりたい!」とか
 思う若者って出てくるだろうか?僕は出てこないように思う。
 つまり、「THE 有頂天ホテル」は「THE 有頂天ホテル」として自足してしまっていて
 極度に閉じられている。でも閉じられているがゆえに
 あの濃密な構築された笑いを提供できるというわけだ。痛し痒し。)

それにしても、自分はとことん、松たか子という女優が
好きになれないのだなあということがわかった。
女優の中では一人だけ下手だったように思う。棒読み。
その反面、戸田恵子の株が僕の中で急上昇する。
え!40歳超えてんの?
僕と同い年ぐらいかと勘違いしつつ「いいなあ」と思いながら見てた。
(どちらも松井と噂になり、と今書こうと思ったんだけど、
 それって戸田菜穂の方ですね。危なかった)

篠原涼子も YOU もよかった。
YOU はあの手のキャラで今後の日本映画に欠かせない存在になると思う。
あと、こういう映画に出てくるときの西田敏行は最高に面白い。


[1869] 「大人ROCK」 2006-01-22 (Sun)

会社の後輩の女の子からメールが来て、
今度の土曜にライブをやるのでビデオを撮ってくれないかと頼まれる。
空いてたので「いいよ」と即答。
当日は朝まで飲んでて二日酔いで睡眠不足、なおかつ大雪で大変だった。
でも、行く。もちろん。
知り合いのライブに行くのも最近ないことだし。

場所は渋谷。「大人ROCK」というイベント。
爆風スランプのバーべQ和佐田が主宰で、社会人バンドを集めるという企画。
なかなかいい趣旨だと思う。
が、後輩のバンドの1個前がひどいもんで、ほんと社会人バンドそのまま。
趣味でやってるだけです、っていうような。
月に2回スタジオで練習してます、でも全員揃いません、って感じの。
なので演奏がアマチュアリズムそのものだし音が全然合ってない。
ユニコーンと奥田民生のカバーが主体で、「服部」で登場してオリジナルを挟みつつ
「CUSTOM」「車も電話もないけれど」「スターな男」「おかしな2人」などなど。
帰ろうかと思った。まじで。寝て過ごせたら。そう思った。
それにしてもユニコーンをカバーしているバンドの演奏を聴いて改めて思うに
ユニコーンだろうと奥田民生だろうと演奏がうまいことがまずありきだし、
うまかったところであの雰囲気はなかなか出せないもんなんだな。
(両者の雰囲気は民生の曲と声以外は全く別物ですが)

後輩のバンド。
Ego-Wrappin' や小島麻由美といった新しいところのカバーと
ブルースの定番「Route 66」など。
歌も演奏もなかなかうまくて「ほー」って思った。
個々のポテンシャルはなかなか高い。
でも、今年に入って初めて全員顔合わせして練習したとかで
バンドとしては急ごしらえ、微妙に、ほんと微妙な部分で噛みあってない。惜しい。
そのバンドならではの風味というか粘りとして薄い。
だけど十分聴ける。聴かせる。
このまま続けていけばなかなかいい感じになりそうなのに、
どうもこれが一回きりだというのがなんだかもったいない。

持ち時間は1時間で、その間カメラ回しっぱなし。
去年この後輩の加わっていたバンドの撮影をしたときは
貸切で周りが皆会社の人たちって事もあって
僕はあちこち動き回って撮ってたけど、
今回は狭い場所でそうもいかず、椅子に座って位置は固定。
曲の展開に合わせてカメラを振ってみたりズームしたりを淡々と繰り返した。

で、後輩のバンドが終わった時点で帰ろうと思ったんだけど、
その次の出演者がものすごくうまくて、そのままさらに1時間聞き入ってしまった。
「Setsu-oh」という女性。ジャズシンガー。
今インターネットで調べてみても詳細はよくわからず。気になる。
普段は会社員らしく、MCでそういうことを言っていた。神戸出身。
バックはギター2人。この2人が超絶技巧系でとにかくまずそれだけで聞かせる。
客席のあちこちで「すげー」という声がぼそっと口をついて出る。
僕も何回も「すげー」って言ってしまった。
ボサノバならボサノバ、ブルースならブルースと
曲ごとにだいたいの雰囲気が決まってるんだけど、
その枠組みをさらっと壊して緻密で繊細なフレーズで全く別の音楽へと織り上げていく。
ここまでうまいギター、久々に生で聞いた。2人ともうまい。
「Gontiti」なんて言ってたけど。匹敵する。舌を巻く。
バッキングとソロを同時に奏でて1秒ごとにその役割を交代するというか。
ソロになるとバキッベキッとパーカッシヴな音も出てくるんだけど、
攻撃的で荒れた音にはならず。
なんつうか切れ味いい刃物を試しているような、しかも居合い抜きで。

そして「Setsu-oh」の声と歌。
最初楽屋口から覗く顔はおどおどして、平たく言えば貧相な感じだった。
ギターを抱えたオヤジ2人が出てきて椅子に座るし、
始まるまでは「なんだこりゃ?会社員フォークか?」と思うことしきり。
が、歌いだすと豹変する。
「女」になる。切なげな顔つき。ライトが当たって、そう、艶っぽくなる。
物憂げに、女が女であることの悲しさや嬉しさをその声と歌でいっぱいに表現する。
背中にゾクゾク来た。
ライブでここまで「出会った」感を得たのは
5年前のフジで初めて渋さ知らズ以来かもしれない。
それぐらいこの人はすごい!!
こんなすごい人がアマチュアだなんて、おかしい。
このレベルの高さ。これならお金を払ってでもまた見たい。
同じ曲を毎回やるのでもいいから、また見たい。
客席には30代半ばの女性の姿がちらほらと。
ライブの噂を聞きつけて足を運んだのだろう。
歌ったのは、後輩のバンドと偶然重なって「Route 66」や
「Fly Me To The Moon」に Norah Jones で有名な「Don't Know Why」
Stevie Wonder で CM に使われた「Overjoyed」
そして最後に、The Carpenters 「(They Long To Be) Close To You」感涙。
また聞きたい・・・

---
見終わってから、(出てた子とは、別の)後輩の女の子と飲んだ。
蕎麦で飲む。焼酎の蕎麦割を初めて飲む。
おいしくて何杯も何杯もグイグイと飲む。
旅行の話など、する。
これまでに行った国のこと、これから行きたい国のこと。


[1868] 東京でも雪が積もった 2006-01-21 (Sat)

昨日は仕事を通じて出会った人たちというか
そこから仲良くなった GAZZ の人たちと飲みに行った。
夜の10時スタート。あっさりと終電を逃し、カラオケへ。朝まで。
(年末年始、会社でのカラオケのお誘いはドタキャンだったのに。すいません)

久々にはしゃぐ。久々に心の底からはしゃいだ。
熱唱している姿や、帰りのホームでサザエさんのあれを踊ってるところを
ばっちり写真に撮られた。
覚えている限りで僕が歌った(というかがなったというかマイクを奪った)曲は
「日本印度化計画」
「童貞ソー・ヤング」
「拝啓、ジョンレノン」
「人生は上々だ」
「Loveマシーン」
などなど。
(知ってる人は知ってますが、やってることはいつも同じです)

---
帰り道から既に雪は降り出してたんだけど、昼頃目が覚めて外に出て驚く。
積もっている。
「うっすらと」というレベルではない。
空は荒れていて、吹雪のよう。青森にいるかのような錯覚を覚えた。

雪の中を歩く。
傘は差さない。ダウンジャケットは塗れて、頭の上に雪が降り積もる。
それでも傘は差さない。
子供の頃、冬になると毎日外で、雪の中で遊んでいた。
緩い坂をソリで滑ったり、かまくらというか秘密基地を作ったり。
雨の中では遊ばないのに、雪だとどんなに降ってても平気。
吹雪だろうと意に介さない。
そんな子供だったので、雪が降っているときに傘を差すのは今でも違和感を感じる。
青森の人はみんなそうだ、ということではない。
正月に帰省したとき、必ず母親は「傘、差しなさいよ」みたいなことをこぼす。
でもどうしても、性格のこういう部分って直らない。

雪は夕方頃まで降ったのかな。
こんなに積もったのは何年ぶりだろう。
少なくとも去年はこんなに積もらなかったように思う。
(というか、毎年一度はこれぐらい降っているのに、
 それでも毎年、「何年ぶりだろう」と思っているのではないか)


[1867] エル 2006-01-20 (Fri)

昨日はエルに会いに行く日だった。
木曜の午後、15時から15分間が僕の時間として割り当てられている。
僕は適当な口実を作って毎週、仕事を抜け出して地下鉄を乗り継いで会いに行く。
高層マンションの一室。入り口で4桁の数値を入力する。
エレベーターで23階(エルは素数が好きだ)。
ドアの前で再度4桁の数値を入力する。
この数値は毎週その都度変わる。何らかの方法によって伝達される。
そうだ、今週は土曜に渋谷駅前の交差点に立っていたら
SUPER LISA に一瞬だけ「2053」と表示された。
今週のキーだということはすぐにもわかった。
廊下を歩く。3番目の部屋。
ノックするまでもなく、咳払いがドアの向こうから聞こえた。
エルが待っていた。いつものように書斎の肘掛椅子に座っていた。
スーツ姿の僕は一人用のソファーに身を沈める。
エルはサングラスだけじゃなく、今日はマスクもしていた。
「そろそろ花粉が飛び始めるんでね」とエルは言う。

僕はエルに、報告することになっていた。
「この世界を形作り動かしていく法則」について知りえたものを。
他のメンバーに会ったことはないが
僕のような人間があちこちに散らばっていて、
この現実世界の些細な断片について報告を行ない、
エルがそれをより大きなシステムへと組み立てる。
その法則について詳細は詳らかにはできない。
(いつの日かエル自身がその法則へと成り代わるのではないかと僕は考えている)

僕は一連のライブドア事件について報告を行なった。
森ビルで行なわれた強制捜査。粉飾決算。関連会社の副社長が沖縄で自殺。
いわゆる「ライブドア・クラッシュ」にて東証のシステムがダウン寸前となる。
もちろんこのような「事実」をエルが知らないわけではない。
続けて僕は報告を行なう。
なぜ発覚したのが火曜だったのか?
ヒューザーの小嶋社長の証人喚問が行なわれるのがこの日となっていて、
国民の視線をそこからそらしたかったからだ、というのがもっぱらの噂である。などなど。
(それぐらいの操作ならばエルには簡単なことだ。そう思うが、そこの部分は口には出さない)
そして僕は楽天のポイント騒動との関連についても触れる。

僕は額に汗しながら長々と説明を続けた。ハンカチで何度もぬぐいながら。
しばらくの間、エルは頷くこともなく黙って聞き続けた。
ようやく口にしたのはこういうことだった。
「我々はつまらぬ男を祭り上げてしまったものだ」

僕は驚く。やはり、あなたが。

「そうだ。やつも最初はただの東大中退のしがないベンチャー崩れだった。
 シミュレーションを行なうためにランダムにピックアップしたらやつがひっかかった。
 やつの会社を大きくしてみた。上場させてやった。
 そしたらどうだ。やつは己の力を過信した。
 選挙に出る。テレビ局を買収する。恋人をミスコンで優勝させようと画策する。
 これはまだいい。男の夢だからな。・・・しかし。
 ライブドアオートのあのCM、あの男がくるくる回っているだけのシロモノを
 CMとして公共の電波に乗せ、挙句の果てにはユニットを組んでCDデビューを果たす。
 なあ、19号よ。これはちと、やりすぎではあるまいか?」
「私は本当ならばやつにロケットを買わせ、月まで行ってほしかった。
 そのような酔狂ならば私の好みだったのだが。
 この国で最も最初に月の地面を踏むのがあの男だったとしたら。
 これほど皮肉な冗談はあるまい」

エルとの面会の時間は終わってしまった。
私は部屋を出て、エレベーターに乗って地上へと降りていった。
東京は寒かった。僕はコートの襟をそばだてた。

地下鉄に乗ってオフィスへと戻る。
フロアでは大勢の人たちが働いていた。
何も知らない、大勢の人たち。
そしてこの中では僕、19号だけが真実を知っている。


[1866] いつか死すべき生きものたちへ 2006-01-19 (Thu)

昨日の午後、具体的な時間は覚えていないが、急に奈落の底に落ちていった。
やりきれない気持ちでいっぱいになり、まともなことは何も考えられなくなった。
それでも、仕事中だったから、普通に振舞って周りの人たちとも普通に接した。
夜になり、最初の一人が帰るためにオフィスを出ると僕も家路に着いた。
いつもより早かった。待ちきれなかった。

地下鉄のドアにもたれる。
何が起きたのかわけがわからなくなった。
ある瞬間を境に全てが反転した。
悲しくなる、その直接の原因を数え上げようとしてもうまくいかない。
具体的な理由は何一つとしてない。
しかし今思うと何もかもが少しずつ僕を、この僕を悲しみの淵に追いやろうとしていたのはわかる。
このところの何気ない瞬間の一つ一つに、実は陰に隠された意味があったのだ、そのことに気づかされた。
目にしたもの、他人と交わした会話、手に入れたと思ったもの、やり過ごしたもの。
底なしの沼が口を開けていたかと思うとその次に気付いたときは
その中を限りなくずぶずぶと落ち込んでいった。
包み込む空気が過剰になる。青く澱んだ、銀色の空気。
死んでしまいたくなった。
消えてしまいたくなった。
僕なんて、今この瞬間にも消え去ってしまえばいいと思った。

地下鉄を降りて、何事もなかったかのように駅前の通りを歩いた。
いつも行く床屋が店を閉めるところで、
店主の方が僕に向かって笑顔で「こんばんは」と言った。
僕は笑顔を浮かべて会釈をした。それ以上のことはできなかった。
通り過ぎて僕は震えがした。
震えが止まらなくて、壊れてしまいそうになった。

アパートに帰り着く。午後8時。
こんな時間に、眠れるわけがない。
無限に近い、永遠に近い時間が横たわっているように思えた。
何も読まなかった。何も聞かなかった。
焼酎のボトルがあったので、お湯で割って飲んだ。
味がしなかった。熱さも感じなかった。
空になるとまた焼酎を注いで、ガスコンロでお湯を沸かした。

飲みながらこんなことを想像した。
今ここに拳銃があったなら。

・・・ぼくはその銃口を口に咥えて、引き金を引く。

バン

感じるはずのない痛み。
それを僕は何通りもの方法で想像する。

銃口をもう一度口に咥える。
引き金を引く。何度も何度も引き金を引く。

バン、バン、バン

泣きたくなってきた。
だけど、涙は、出そうになかった。

やがて、どうでもよくなって、寝た。眠った。
夢を見た。凡庸な夢を見た。
もう忘れてしまった。

そして今に至る。
今、この瞬間に至る。

顧客のオフィス、17階のフロアから、朝日の当たる東京を見下ろす。
この時間、遊園地の観覧車はまだ静止している。
高層ビルのエレベーターが上昇と下降を繰り返す。
鳥たちが当てもなく空を飛んでいる。
無数の建物、無数の人々。

僕は昨日の夜の悲しみを思い出す。
そして僕は銃口をこめかみに当てて、
引き金を引いた。


[1865] 他人の夢が見えるようになった 2006-01-18 (Wed)

他人の夢が見えるようになった。
絶えずイメージが入り込んでくる。
「入り込んでくる」という言葉を今使ったが、
それで済むような生易しいものではない。
侵入とか侵略とか言う方が近い。

例えば、そうだ、電車に乗っていると眠っている人がいると
その人が見ている夢が僕の意識の中にも伝わってくる。
忍び寄ってきて心の片隅を乗っ取られる。
不定形でぐにゃぐにゃとしたイメージの奔流。
気違い染みた色彩のうねりと方向感覚の統合。
まるで意味を成さない会話。
たわいなさすぎる過去の思い出。
真っ赤な虫が僕の足元を這いずり回り、
そのたくさんの触手を使って踵から踝へと上り始める。
悪夢になればなるほど、画像が鮮明になる。

眠っている人が絶えず夢を見ているのではないのだ
ということは僕もよく知っている。
目覚める瞬間に潜在意識に蓄積された破片が一斉に結線され
組み立てられるものなのである。
目の前に広がっている海が
突如として巨大な像を作り上げて僕を取り囲む。
不気味な呼吸を繰り返す何かが彼方でずっと潜んでいて、
法則性のかけらもなく襲い掛かってくる。
それが僕の日常になった。
略奪と、蹂躙。磔にされて死を待つようだ。

夜は地獄だ。
僕が眠ろうとする、不眠症の果てに眠れることがある、
僕は僕の夢を見る、それははっきりと分かる、
しかしそれは近くの家やアパートに住む人々の夢に妨げられる。
数多くの人々が繰り返すレム睡眠とノンレム睡眠の周期、
その波が僕の元に次々と押し寄せる。

僕は僕の精神が完全に崩壊し尽くすその最後の瞬間が来ないうちに、
一日のうちの何時間か何分か
正常な意識をかろうじて取り戻して人として行動できるうちに、
山奥か無人島にでも逃げ延びてそこで一人きり生き延びる他ない。
しかし僕は痛む頭でこんなことを考える、
もし鳥たちや虫たちもまた、「夢」を見るものだとしたら。
人気のない山奥で僕の感覚がどんどん研ぎ澄まされていく。
百億の虫たちが百億の夢を見る。

今の僕にははっきりと分かっている。
精神を病んだ人は、精神を破壊された人は、
他人の夢が見れるようになった人たちなのだ。
そしてそのことを誰にも語ることのできないまま、静かに朽ち果てていく。
僕もまたその一人だ。
そこに加わった。

これを読んだ人は僕を助けてください。
僕をここから連れ出してください。
誰か、そう、誰でもいいから。
この僕を。
助けてください。

だけどあなたの夢は見せないで。
僕の側で眠ろうとせず、
そうだ、僕の側にも近寄らないようにした方がいいかもしれない。
もしもこの病気が伝染性で、あなたにも感染する。
そういうものだとしたら。


[1864] 阪神・淡路大震災から11年 2006-01-17 (Tue)

朝早く起きてテレビをつけたら、NHKのニュースでは
「阪神・淡路大震災から11年」というタイトルが映っていて、
神戸市中央区からの中継となった。
竹の筒に入れられた無数の蝋燭が静かに灯され、並べられていた。
大勢の人々が無言で集まっている。
その向こうのビルでは部屋の明かりを使って「1.17」と描かれていた。
5時46分になって黙祷が始まる。
1分間、黙祷が続いた。
その後、坂本九の「上を向いて歩こう」が歌われた。

---
アメリカにとって「911」という日付に特別な意味が与えられたのなら、
日本では「117」と言えるかもしれない。
その出来事がもたらしたインパクト、直接的な・間接的な被害の大きさ、教訓、傷跡。

この年はその後2ヶ月してオウム真理教が地下鉄サリン事件を巻き起こす。
他の人もそうかもしれないが、僕はどうしてもこの2つをセットとして考えてしまう。
阪神・淡路大震災に直面された方からすれば一緒にしないでほしいと思うかもしれない。
でも、「日々の暮らしは安全が保障されていないのだ、
それはちょとしたきっかけでもろくも崩れ去ってしまう」
という危機意識をこの国の人に与えたという意味ではどちらも同じぐらいの重さを持つ。

そして僕は当時この2つの出来事に何の関係もなく、
テレビの向こうのニュースとして眺めていた。僕は20歳だった。

阪神・淡路大震災の朝のことは今でもよく覚えている。
僕らは寮でいつものごとく朝まで麻雀を打って、
徹夜明け、食堂でテレビを見ながら
寮食のうどんかあるいは時間が早かったので自販機のカップラーメンを食べていたと思う。
ニュースは「神戸・大阪に地震がありました」ぐらいの淡々としたもので
僕らは「ふーん」って感じだった。
地震なんてこの国で暮らしていて珍しくもなんともない。
僕だって小さいときに日本海中部地震を体験している。
今思うと不謹慎だよな。その後死者の概算が画面上で
100人・1000人という単位で分刻みのごとく増え続けていって
余りのことに「すげー・・・」なんて口走ってしまった。

そうだ、僕らは数日前の成人式にも出ることがなく、寮で麻雀を打っていた。
阪神・淡路大震災の後も何事もなかったかのように、
寝て起きてまた麻雀を打っていたのではないか。
そして地下鉄サリン事件だ。
僕らにしてみれば、2年から3年に上がる時期
(僕らの大学では唯一、進級できるかどうかの判定がある時期)であって、
それまで住んでいた寮は1・2年生用だったので
3・4年生用の寮に引っ越すだとかアパートを借りるだとかでそれなりに忙しく、
ゼミは何を取ればいいだろうか、どれが楽だろうか
(人によってはどれが有意義だろうか)ってのが最大の関心事だった。
そしてそれまでの寮生活を名残惜しむかのように
毎晩のように盛大に部屋で飲んでは暴れていた。
安い焼酎を瓶から直接飲んでベランダから民家に向かってロケット花火飛ばすとかさ。
どうしようもないよな。
でも、そういうものなんだよな。

歴史的な事件に関して、そのときどこでどうしていましたか?と聞かれたとき、
その周辺にいた人じゃなければいつも通りの日常生活を送っている確率の方が断然高いわけで。
そしてそれがものすごくしょうもないことをしていたとしても今更取り返しがつかないし、
取り返しがついたところで何がどうなるわけでもない。
自分という人間がまだ生きていることを感謝「してみる」だけか。
その場限りで、すぐに忘れてしまうだけのつたない感謝を、心の中で。

天変地異かテロ行為か。
僕らはいつ死んでもおかしくはない世の中に暮らしていることを知らされた。
だけどそのことは普段、忘れてしまおうとしている。


[1863] Mika Sasaki & Various Artists 「Memories of Sasakisan」 2006-01-16 (Mon)

デラ君が mixi に書いていたレビューからこの作品のことを知った。

ちょっと長くなるけど、Yuichiro Fujimoto 氏の解説が
非常に的確なので(抜粋して)引用します。

「佐々木はいわゆるミュージシャンでもなければアーティストでもない普通の女性で、
 デザインなどを仕事にしているが、
 音楽を学んだこともなければ、楽器を演奏した事もない。
 恐らく、普段音楽を(CDを買って)聴くという事もほとんどしていないだろう」

「佐々木は自分の携帯電話に着信メロディーの自作機能がついている事を見つけたときから、
 ずっと日々の日記のような感じで作り始めた。
 その作業は(作業と言ってしまったほうが似合うのだ)、
 音を作り終えるまで全く聴かずに、自分の中で決められたルールで、
 メールを打つように組み立てていき、あっという間に一曲は完成する」

「このCDは佐々木の曲に、彼女の曲を素材として世界中の様々なアーティストに送って 
 彼らの解釈で作り直してもらった曲のコンピレーションである。
 ただのリミックスアルバムではなく、彼らはそろって彼女の曲を気に入り、
 楽しんで自分たちの音楽に取り入れて作り直した曲を提供してくれ、
 トータルでちょっといい雰囲気をもったものとなった。
 もちろん彼女の音をようやく世に出す事が出来た事に一番大きな喜びを感じている」

まず、世の中にこういう「音」が存在するのだということに驚く。
勇気が出てくる。何かがほんのちょっとおかしくて、くすっと笑ってしまう。
たぶん最初はなんかの冗談だったのではないか。
ユーモラスな着想があって、それを淡々と続けていって、
いつの日かそれがこの世界にちょっとずつ広まっていく。
素晴らしいことだと思う。
日記のように綴っていったというのがいい。

彼女の音を聞いた世界のいろんな国の人(ドイツ、スペイン、韓国など)が
彼女の音と戯れてまた別なものを生み出して返信したという展開もまた、素晴らしい。
世の中には「コラボレート」という言葉が氾濫しすぎているが、
これこそ真の「コラボレート」だと思う。

普段流通している、店頭に並んでいるCDの音楽ってのが
いかに制約が多くて不自由なものなのか思い知らされる。
この世の中にはたくさんの「音」があるのに、
ユニークで心地よいものはもっとたくさんあるはずなのに、
僕らが目にして手に取ってトレイの中に押し込む音楽は
そういう意味ではどれもこれも似たり寄ったりだ。
メロディーと楽器の構成と演奏する人が違っているだけ。
その背後にある何か大きなものは、どれも同じ。

もっと聴きたい。何よりもこの佐々木さんの原曲だよね。

オリジナルなものは、まだまだいくらでもこの世界には転がっている。
見つけてないだけ、見つかってないだけ。

---
AOKI Takamasa とツジコノリコの、現在フランス在住の2人による「28」の後に聞いた。
なんだかよく似ている。
音楽をつくりたいという気持ちの根底にあるものは一緒だと思う。

---
ツジコノリコは昨年リリースラッシュ(?)で
「28」「BLURRED IN MY MIRROR」「DACM」この3枚を買って聴いた。
もう1枚コラボレートものがあったんだけど、それはまだ入手していない。

振り返ってみると結局昨年も一番「いい」と思わされたアーティストは
ツジコノリコだったように思う。
マジカルでファニーでキュート、
シンプルでドリーミーでスイート。

---
昨年一番よかったアルバムはそういえばなんだっただろうか。
ベタだけど、The White Stripes の「Get Behind Me Satan」だろうか。
他に思い出せないな。どういうのがあったか。
日本は特にないな。強いて言えば UA と豊田道倫の「東京の恋人」ぐらいか。
新しく知って「おお」と思ったのは Animal Collective ということになる。

印象的だった出来事は
菊地成孔のオーバーグラウンド化と渋さ知らズのメジャーデビュー。
あれこれいろんな意味で考えさせられる。

Bjork のライブは相変わらずよかったです。
これと Aimee Mann しか昨年は観てないってことになるのか。寂しいな。


[1862] 初めてのオフ会 2006-01-15 (Sun)

「初めてのオフ会」というフレーズは「はじめてのおつかい」に似ている。語感が。
それはともかく。

久々に午前3時という時間まで飲んでいて、久々に二日酔い。
今何もする気になれず。1日が早くも終わった。
まあ、今日も夜飲みに行くんだけど。

朝起きたら電気つけっぱなしで、
机の上にはなぜかコーヒーのペットボトルが置いてあって蓋がなくなっていた。
(飲み物・食べ物を放置することはありません)
たぶん飲んでるうちに「寝よ」と思ったんだろうな。
つい何時間か前の自分は。
バスタブにお湯が入ったままだった。
「寒い」「とにかく寒い」と思ったことは覚えている。
お湯がいっぱいになるまで待って、その間布団乾燥機で布団を温めた。
記憶があるのはそこまでで、なぜか僕は全裸で寝ていた。どういうことだ。

夜に弱い僕は最後の頃、ほとんど寝てた。
阿佐ヶ谷で飲んでたのでタクシーで帰った。
オフ会的なものに出るのは生まれて初めてだったので
「どんなもんだろう?」と最初はびびってたんだけど
(集まった中で元々知ってる人は1人だけという状態で参加)
なんか結局しっかりと2次会にもいた。
中央線の終電がどうでもよくなっていた。

最も嫌いな状況はなんですか?って聞かれたら
知らない人たちの中に入っていくことと答える。
既に仲いい人たちの集団に入っていくのであれ、
お互い知らない人たちをごちゃっと集められて
「さあこれから仲良くなれ」と言われるのであれ。
そんなふうなものの例。前者としては転校生的状況、
後者としては中学校や高校の入学式直後。そして入社式。
考えただけでぞっとする。
僕の身の回りの人たちからしたらよくわかってることだけど、
僕は人と打ち解けるのに時間がかかる。とてもかかる。かなりかかる。
たぶん最初はポツンと1人きりで誰とも話さない。

そんな自分が、よく頑張ったよな。
というか頑張りはしなかったけど。何も。
ネット上ではそれまで話をしていて、
共通の話題があって集まってるのだから、そこのところは楽。

たぶん後にも先にもオフ会的なものに出るのはこれが最後だろう。
ああ、今、具合悪い。だるい。眠い。


[1861] 未来は僕らの手の中 2006-01-14 (Sat)

昨日の夜急遽、会社帰りに元同期の女の子2人と有楽町で飲んだ。沖縄料理の店。
元同期。2人ともとっくの昔に会社を辞めている。
僕だけがズルズルと残り続けている。

30代に差し掛かり、僕の知っている限り同期の男性たちの多くは
結婚して子供が生まれて、人によってはマンションを買っている。
普通に仕事をしていたらそろそろ昇進の時期だ。
人生設計というものがしっかりなされていて、
日々あれこれありつつも概ねその決めたとおりに歩んでいる。
そんな話になった。
相変わらずフラフラしてる僕は
「いや、いいよ、俺は。そろそろ小説家なるから」なーんて
何の根拠もない自信に基づいた相変わらずの夢を語るだけ。

誰それと誰それが結婚した、離婚した、
そういえばあいつはどうしているのだろう?
ノロノロとしたものではあっても着実に時の流れは過ぎ去っていって、
いつのまにか予想外の場所に押し流されている。
ブルーハーツはかつて「未来は僕らの手の中」と歌っていた。
そうだ、いつだって未来は僕らの手の中にあった。今でも僕らの手の中にある。
だけどその未来は、不定形ななんだかよくわからないものとして日々形を変えながら
ただ両手の中でゴロッとしてるだけ。常に持て余している。
そんな得体の知れないものを手にしているのが嫌になって、
多くの人はそれをどこかにそっと捨ててしまう。確実なものをその手で掴もうとする。
大人になるっていうのはきっとそういうことなのだろう。

---
2人のうちの1人は会社を辞めた後、全然違う業界に移っていった。
学校に通ってその分野の知識を習得している。

彼女は学生時代にモロッコに行ったことがあって、その話を聞いた。
ジブラルタル海峡を渡ってタンジェへ。そしてフェズへ。
ヘナ(モロッコ特有の染料)で両手の手のひらにも甲にも
びっしりと模様を描いてもらった。
日本に帰って来ても当分の間それは消えなかった。

---
酔っ払って帰ってきてさっさと寝た。

朝起きて小説の続きを書く。新しい長編のまだ最初の方。
書いてて楽しい。僕は今、このために生きている。
週末に書いて、いつか世に問う小説のために。

未来はまだ、僕らの手の中にある。


[1860] 「マルメロの陽光」「ファニーゲーム」 2006-01-13 (Fri)

この前の3連休は初日がゲルハルト・リヒター展、
2日目・3日目は午前中から昼にかけて新しく書き始めた長編の作業。
3日目の午後、DVD を2本見た。だいぶ前に買ったけど見てなかったもの。

スペインの監督ヴィクトル・エリセの「マルメロの陽光」('92)と
オーストリアの監督ミヒャエル・ハネケの「ファニーゲーム」('97)

どちらも現代映画界を代表する孤高の天才。
だけどその資質は180度違う。

---
「マルメロの陽光」

ヴィクトル・エリセ監督と言えば、10年に1度しか作品を作らないことで有名。
「ミツバチのささやき」が73年、「エル・スール」が82年。
そしてこの「マルメロの陽光」が92年。
一昨年公開されたオムニバス「10 Minutes Older」の中の10分の短編が
そこからさらに10年ぶりに完成した作品だというのだからすごい。
寡黙を貫く。
こんなペースでも全世界の映画ファンに忘れられることなく、
常に作品が待望されているのは、もうただ単に作品が素晴らしいから。
この素晴らしさなら、10年に1度で全然いいよね。

「マルメロの陽光」はスペインを代表する実在の画家、アントニオ・ロペス=ガルシアが
自宅の庭のマルメロの木を描く過程を追った、ドキュメンタリータッチの作品。
(どこまでが作られた出来事なのかさっぱりわからない)
2時間に渡って淡々とマルメロを描かれ、家族や友人との語らいがなされるだけ。
なのに食い入るように見つめてしまう。
天候が悪くて今日も描けなかった、
旧来の友人と話しているうちに自然と昔の歌を思い出して2人で歌いあった、
陽光のもとはじけるように実ったマルメロを描きたいのに
日差しの美しい瞬間は1日のうちでも少なく、
結果として今年もマルメロを描けないままに終わった、
そういう何気ない出来事の1つ1つが大きな意味を持ち、ドラマとなる。
そして少しずつ、絵が完成していく。
冷静に考えて不思議としか言いようがない。
魔法がかかってるとしか、説明ができない。

映画好きにとっては至福の時間。
全編を覆う静謐さ、光と影・色彩の妙。一言で言って、豊穣な映画。

「ミツバチのささやき」をまた見返してみたくなった。

---
「ファニーゲーム」

ミヒャエル・ハネケ監督の出世作。
今、世界で最もすごい作品を量産している監督のうちの一人。
「ピアニスト」の成功もあって、
ここ2・3年ですっかりメジャーな人になってしまった。
PFF のプログラムで特集上映が組まれたとき、「誰それ?」って感じだった。
なんだかピンと来てあの時見に行ってよかった。
「71フラグメンツ」「コード:アンノウン」忘れようにも忘れられない。
DVD 化求む。1枚1万円でも買う。ボックスセット5万とかでも買う。

不条理とか不安とか「不」のつく感情を観客に与える手腕は並大抵のものではない。
確実に感情が操作される。
「ファニーゲーム」も見てて確実に不愉快な気分になった。
だけどそれも極上のエレガントな不愉快であって、下品なものとはならない。
いろんな物事を紙一重にさらりとかわしつつ、
神経を逆撫でするという行為ただだけを器用に、冷静に、理知的に行う。

ジャンルと言えばスリラーってことになるんだけど、ほんと怖かった。
(僕は最近ブームの和製ホラーを全然見てないので比較できないのが残念だ・・・)
避暑地に来た家族が得体の知れない若者たちに
ジワジワとあっさりと死に追いやられる、ただそれだけ。
その過程がじーーーっくりと描かれる。

剥き出しの悪意を見せつけられるということはどうしても受け付けない、
そんな人は絶対見ない方がいい。
心臓の弱い人も。ショックな場面の連続で、ということではなくて、
今にも何か起こるのではないかという緊張感で心臓が疲れきってしまうから。

実際、人に危害を加える直接的な場面はほとんど出てこない。
音や声、その場面を見つめている登場人物の表情、そして「間」だけで全て語ってしまう。
良質なスリラーの第一条件みたいなもの。

とりあえず、平和に暮らす婦女子は見てはならない。

ミヒャエル・ハネケは映画の構造そのものが不条理か、
内容が不条理だったりするんだけど、
「ファニーゲーム」は「ピアニスト」同様、構造そのものはシンプルで
語られている出来事や登場人物が不条理な方。
今年のカンヌに出た「Cache」はどっちなんだろう。
「コード:アンノウン」のように構造そのものが不条理なのをまた見たいもんだ。

余談。殺戮にまつわる場面で
スプラッター映画のカリカチュアとして鳴り響くハードコアな音楽は
ジョン・ゾーンの名前があったから Naked City か。
97年のオーストリア映画で Naked City 。ふーむ。何かと感慨深い。

あと、得体の知れない若者たち2人のうちの主犯格の方は
爆笑問題の太田に似ていて、そう考えるともう1人は田中に見えてくる。
爆笑問題の太田が2時間にわたって、
ニヤニヤ笑いながらひたすら見てる人の神経を逆撫でするのだから
こんな怖いことはない。


[1859] 人体実験 2006-01-12 (Thu)

こういうことをふと考える。
「なぜ人を殺してはいけないのか」

それは本能的なものなのか。それとも後天的に学ぶ価値観なのか。

サルからヒトに進化し始めたばかりの頃、
彼らは/彼女たちはヒト殺しをしただろうか?
それは頻繁に行われることだっただろうか?

まてよ。サルはそもそも同類を殺す生き物なのか?
よくわからんぞ。
というか、他の生き物で
本能的に同類を殺すよう遺伝子にプログラミングされているものはないはず。
互いに殺しあうのはヒトだけだとどこかで読んだことがある。

そこからこういうことを考える。

どこかの無人島に子供たちを集めて、そこで子供たちだけで生活をさせる。
最初は食べ物をこっそり与えつつ、その量を徐々に減らすなどして。
やがて自ら食べ物を探しに行くようになる。
ある程度陰で生きる方策を指し示し、絶命しないようにする。
こんな感じで100年、200年のスパンで観察を行う。
原始的な生活となるから、言葉を身につけることはないかもしれない。
衣服を着ることもなく、掘っ立て小屋を建てることもない。

こうした状態で長い長い年月を経た何代か後の世代は
無邪気に殺し合いをするだろうか?
人口が増え、原始的な社会が形成されるようになったとき、
同胞を「殺す」ということになんらかの意味を感じ取るようになるだろうか?

さらに長い年月を経て、
そこにもなんらかの宗教が生まれるものと思われる。
その神様は、互いを殺すことを禁じるだろうか。
それとも、「殺す」という概念そのものが欠落した、
その良し悪しについて考えてみようともしなかった神様となるのだろうか?

---
何も無人島に集めて「実験」する必要はない。
ものすごく現実的でない。
もしかしたら、例えば、19世紀末のイギリスから出帆した船が
大西洋上のどこかで難破、大きな無人島に漂着。生活を始める。
そこから100年かかっていまだ見つかっていない、
そんな人たちが実はどこかにいたりするかもしれない。
言葉を忘れて、文明国の慣習を忘れて、
世代を経るごとにどんどん野性に返っていく人々。

見つかったとき、文明国の人たちは彼ら/彼女たちを連れ戻そうとするだろうか?
そして言葉や、物事の作法を、
21世紀の社会に暮らしていくことの何たるかを教えるのだろうか?
単純な手作業を覚えさせて、職に就けるのだろうか?
彼ら/彼女たちにも基本的な人権があるのです、働くことの自由を享受するのです、
資本主義社会に積極的に導いてあげようじゃないですか。
働かざるもの食うべからずの理念はあまねく全てのヒトに当てはまるのです。
ってことになるのか。
(イギリスって例に出したけど、どこの国でも可。アメリカでも中国でも。
 元となる国の違いによって、漂着民のその後もかなり変わりそうに思える)

彼ら/彼女たちにとって「殺す」という概念はどういう意味を持つだろう?
文明化のトレーニングを受けた後、それはどう変わるだろう?


[1858] 悪夢 2006-01-11 (Wed)

なんだか嫌な夢を見た。悪夢。

青森に帰省すると、家の雰囲気が暗い。
どうしたのかと母に聞くと道路の反対側の土地を某宗教団体が買占めに走り、
買われた土地はどんどん更地になっていってるのだという。
外に出て見てみる。確かに以前あった家が3軒ほどなくなってぽっかりと穴が開いたかのよう。
が、通り全部更地になっているという事態にはまだ至っていない。
でもこれから先そうなるのは目に見えている。

今のところその宗教団体は土地を買い占めている、というだけであって
何も建てようとはせず、信者が現われることもない。
なのでどこかに何かを訴えようにも分が悪い。
当面、事態を見守るだけ。

その宗教団体はオウムのような過激派ではなく、
仏教を母体とし、西日本では根強い信者を持つかなり大きな勢力だった。
ガラクタを寄せ集めて化学プラントを立てたり
傍目から見たら奇怪としか思われない修行をするわけではない。
目の前に何かが建ったところで信者が集まってきて
肌合いの異なる人たちばかりが通りを歩いて空気が変わることぐらいだろう。
だけどそれは、住人にとっては大きな変化だ。

---
ここから先、道路に面した居間を封鎖して、他の部屋にどうこうという
夢特有のぐにゃりとした展開を迎え、
なぜかその後あれよあれよという間に津軽半島が水没してしまった。
その話はどうでもいい。

こういうおかしな夢なら、毎晩のように見る。

---
夢の話に戻る。起きてから考えたこと。

たとえ今は更地でしかないとは言え、
我々は無言の圧力を感じながら生活するわけである。
心地いいわけがない。
結果としていつの日か出て行かなくてはならなくなる。
建物が建ちだしたりなんかしたら特に。
具体的な嫌がらせ行為に向こうが出たわけではなく、
こちらが一方的に不快感を感じただけであっても。
負けは負けだ。

出て行くって言っても誰かが補償をしてくれるわけではない。
どこか他の土地に家を建て直すってことは
おいそれとできることではない。
しかも60近い母親が1人きりで暮らす。
となるとアパートか、老人ホームの類か。
ここのところに考えが至ったとき、別の種類の悪夢が見えた。

---
まあ、とにかく。
このテーマ、もう少し寝かせて
あれこれ展開させたら短編に仕上がりそうだ。


[1857] ゲルハルト・リヒター回顧展 C 2006-01-10 (Tue)

見てて心奪われるのはやはりフォト・ペインティングにより製作された絵画。
「蝋燭」もその中の1枚。
初めて現実の作品を見て、「なんだこれは!?」と笑い出したくなった。
リヒターの一連の作品を写真で見ると全体的に細部がぼけている。
ピントがずれているかのように。
これって、そのままピントがずれているかのように描かれているものなんですね。
写真をひたすら大写しにして
それを模写しているのだからピントがずれるのも当たり前か。
近付いて眺めると細部をぼかすように緻密な筆遣いで描かれているのがわかる。
でもそれだと全体像が掴めないし、その細部の位置づけもよくわからないので
次はかなり離れた場所に立って眺めてみる。
1つの絵を鑑賞するのに何度も何度も前後の位置を移動するってのは
これまでなかった経験。
そしてもちろん、どんなに離れて立っても、絵はぼんやりとした光景のまま。
でもそんなふうにして描かれる雲や草原の風景、日常生活のひとコマは
普遍的に美しい。
構図、描かれるテーマとその背景の組み合わせとその形象、色彩の美しさ。

この手法により描かれた別な代表作、
「ベティ」と「1977年10月18日」が見れたら、もう言うことなかったな。
「ベティ」は現代アートが好きな人ならどこかで写真を見たことがあると思う。
http://www.athens.co.jp/sp/0510_richter/ 参照)
白地に赤の花模様の服を着て、ブロンドの髪を結った「ベティ」が
体はこちらを向いてはいるものの、捩じらせて背後を見つめているので
その顔が、その表情がどうなっているのかわからない。
「ベティ」はそのとき何を見つめ、何を思っていたのだろう?
「後ろを向いている女性の絵」でしかないのに、
あれこれ気になって想像を掻き立てる。
これは背景が何もない黒だというのもひとつのポイントなんだろうな。
素晴らしい絵だ。

「1977年・・・」はこの日起こった
「バーダー・マインホフ」事件の一連の記録として描かれたもの。
テロリストの死体、生前の姿、活動の拠点となった部屋、広場に集まった人々。
同じコマを描いた作品が並んでいても、それぞれにおいて
「ピントの合い方」が少しずつ異なっている。
画集の中の写真で見ていても背筋が寒くなるのを感じる。
記録/記録すべきもの、記憶/記憶すべきもの
そこに立ち向かうときの冷徹な姿勢というか眼差し。
実物をいつか見てみたい。
ピカソの「ゲルニカ」と並んで、僕にとっては
その作品を見ることを第一の目的としてその国を訪れたいと思わせる、永遠の憧れだ。

記憶と記録って書いたけど、僕が感じた印象として、
リヒターの描きたいことの中心は常にそこにあるのではないかと思った。
記憶というものはいかにして意識の表象に上がってくるのか、
というのがフォト・ペインティングにより描かれた作品。
http://www.dic.co.jp/museum/exhibition/richter/
  ここの「モーターボート」や「バラ」を参照)
記憶であるからこそ、当人にとっては鮮明に感じられていても細部はぼやけている。
夢の続きのようなものとなっている。
その一方で抽象的な絵画の方は
それを実際にストアしている頭脳の中を断片的に捉えたものなのではないか。
(同じく、「アブストラクト・ペインティング」を参照)
切り刻まれたイメージの不安定で不定形な群れ。
人間にとっての「意味」というものを剥ぎ取られている。
リヒターの絵は何か重要なことを示唆しているように僕には感じられてならない。
ものすごく明確なコンセプトを有している。
なのにそれをうまく言葉では言い表せない。
でもその作品を前にすると、直感的に伝わってくる。

あと面白かったのはガラスを素材にした一連のシリーズ。
単純に大きなだけの鏡に始まり、
ガラスに自ら銀色を塗ってみたものもあれば、深紅で塗られた鏡もあり。
そこに見つめている自分の姿が映る。
作品を通して、奇妙なフィルターをかけられた自分の姿を目にするわけだ。
その意味は何か?この現象や行為の意味は何か?と問われると
やはりこれもまた言葉では難しい。
1つ言えることは、これらの鏡が提示しているものはなんらかの答えではなくて、
あくまで「問いかけ」なのだということ。

リヒターじゃないけど、マーク・ロスコの部屋ってのがあって、
薄暗い照明の部屋の壁一面に、マーク・ロスコの巨大な絵が飾られていた。
例の赤、紫、オレンジ、茶色、黒で四角形を描くというやつのバリエーション。
マーク・ロスコだけで一部屋。
こんなに並んでると無言で押し寄せてくるようでちょっと気味が悪い。
とはいえこれはこれで絵画的な体験。

---
美術館の外に出ると大きな池があって、取り囲むように散策路が続いていた。
せっかくだからとバスの時間を遅らせて一渡り歩いてみることにした。
広い原っぱやテニスコートがあって、その向こうに林。
林の中を歩く。夕暮に差し掛かった光が木々の間から差し込んでくる。
リヒターの絵画を見た後だったからというのもあるんだろうけど、
風景がやけに優しく、美しく感じられた。
自然の中を歩くことに安らぎを見出す。
冬ですらこれだけ感銘深いのだから、
新緑の季節や紅葉の季節ともなるともっと美しい場所となるのだろう。

ここはとても良質な美術館だ。
遠くて大変なんだけど、次に何か面白い企画がなされたときはまた来てみたいと思った。

---
帰りのバスはほぼ満席。
美術館にいざ入ってみると閑散どころか、多くの美術ファンで賑わっていた。
みんな遠くても来るものなんだね。


[1856] ゲルハルト・リヒター回顧展 B 2006-01-09 (Mon)

美術館の中へ。
順路に従っていくとまずは常設展となる。
このコレクションがすごい。
いきなり、クロード・モネの「睡蓮」
モネといえば美術の教科書的に「睡蓮」がまずに思い浮かぶが、
ここにあったのか!?と驚く。
でもよく考えたら「睡蓮」もシリーズみたいなもので何枚かあるんんだよね。
そしてルノワール、ボナール、マティス、ブラック。
ピカソは2枚。54年の「シルヴェット」を見てゾクッとする。
描かれたシルヴェットの目が凄いんですよね。
冷たく覚めた狂気っていうか。
この世ならぬものを見つめているのか、それとも果てしのない倦怠なのか。
いわゆるキュビズムの時代がとっくの昔に終わっているので
人がそれなりに人の形をしているわけなんだけど、
それでもなんか全然違う生き物に見えてくる。
シルヴェットは当時の愛人の1人なのかな。

藤田嗣治、シャガール、
別室に移ってレンブラント(1枚きり、レンブラントのためだけの小さな部屋)、
さらに別室でマレーヴィッチやカンディンスキー、
一番奥が日本の美術ってことで棟方志功の版画や17世紀の屏風。
個人というか一族でここまで集めたってたいしたもんだよなあ。
それを美術館にしてしまうんだもんな。
感心することしきり。

そしてリヒター。
現代ドイツ最高の画家とされる。ヨーロッパを中心に影響度大。
60年代から引き伸ばした写真を元に写実的な絵画を描く一方で
(フォト・ペインティングという独自の手法)
70年代からは抽象的な絵画も同時並行に描く。
その抽象的なのもただひたすら灰色に塗りたくられたものもあれば、
色彩と具象が鮮やかな、テーマ性豊かなものものある。
ガラスを素材にしたオブジェや、写真にペンキを塗ったものもある。

そしてこの人が凄いのは
この時代はこういう作品を作った、次の時代はこういう手法に移行した、
という時系列に沿った展開をしてなくて
以前の手法に軽々と戻ってそれで作品を完成させるところ。
なので、抽象絵画と写実的な絵画が同時並行的に製作されることになる。分け隔て無し。
個々人の中での時間軸という概念がないのかもしれない。
その作品がいつ生み出されたのか、
そしてそれがどれだけの命(その時代に対する批評性、時代を超えた批評性)を保つか、
ただそれだけが意味を持つ。
この作品は60年代に生まれたが、この作品は90年代だった。
ただそれだけの事実があって、
作品そのものの意味は作品そのものに問わなくてはならない。
リヒター自身の経歴とは一切リンクせず、個々の作品が自立/自律している。
そんな印象を受けた。
まあ、でも、リヒターの作品は一目見て分かるぐらいはっきりとリヒターなんだけれども。
要するに、芸術家と作品とが馴れ合ってない。
いい意味で突き放している。

作品については↓を参照。
http://www.dic.co.jp/museum/exhibition/richter/

「蝋燭」のシリーズが有名。
今回は1枚しか出展されてなかったんだけど、見ることができてよかった。
僕がリヒターのことを知ったのはご多分に漏れず
Sonic Youth の80年代末の最高傑作
「Daydream Nation」のジャケットに使われていたから。
灰色の壁をバックに、蝋燭が一本すらりと立っている。
オレンジ色の透き通るような、儚げな炎。
最初写真かと思っていたらよく見るとキャンバスに描かれていた。
写真でいいじゃん。なんでこんなことするの?
というのがリヒターに関心を持ち始めたきっかけとなる。

(続く)


[1855] ゲルハルト・リヒター回顧展 A(総武本線に乗って佐倉へ) 2006-01-08 (Sun)

駅に戻ってまた総武線に乗って千葉へ。
この辺りはどうも東京都心の会社で働く人たちのベッドタウンのようで、
大きな団地がいくつもいくつも立ち並ぶ。
日が出ていたからそのバルコニーというバルコニーにて布団が干されていて
これはこれで壮観だった。
そしてその周りを住宅地が取り囲んでいる。
海洋生物を思わせた。

塀で囲まれた更地に砂利が撒かれて、
そのあちこちに水の入ったペットボトルが置かれているのを見かけた。
ただ単に猫避け?それとも電波を受信している人が電波避けに?
猫が1匹、そのペットボトルの1つの傍らできょとんとうずくまっていた。

総武本線に乗り換えて佐倉へ。
銚子行き。成田方面だったら方角的に全然違うんじゃないの?と思ってしまう。
間違ったの乗ってんじゃないかと不安になる。
とにかく千葉については土地勘全く無し。
4人が2人ずつ向かい合って座る形式の古びた車両に乗る。

窓の外の風景が急激に田舎となる。
田んぼが広がり、ビニールハウスが立っている。
小さな頃から見慣れた光景ではあるが、東京近郊で目にしたのは久々か。
駅前もこじんまりとしてスナックだとか焼き鳥屋。

感慨深いのは「四街道」ってこんなところだったのかということ。
日本にてヒップホップがオーバーグラウンド化した90年代半ば、
「四街道ネイチャー」ってグループがあった。
スチャダラパーらとともにLBネイションの一員だったはず。
なのでその名前を覚えていたんだけど、こんな田舎だったとは・・・。
すごいな。これでヒップホップか。(地元の)悪いやつらはみんなトモダチ。

あと、うちの会社の社員寮のある「都賀」を初めて見た。
こんな遠くから通ってるのか。若者たちは。はー。そりゃ終電も早いよな。
川村記念美術館に行ったことのある社員はどれだけいるだろう?
そういう美術館があると知っている社員も、少なそうだ。
まあ仕方ないか。そういうのと全然関係ない会社だし。

---
佐倉到着。さらに田舎。というか典型的な郊外。
美術館があるとは到底思えない。
どうしてこのような辺鄙な場所にあるのだろう?
それはこの川村記念美術館というのが
ここ佐倉市の大日本インキ化学工業株式会社の研究所の広い敷地の中にあって、
創業者である川村一族の集めたコレクションを一般に公開するのが
そもそもの目的だったからだそうだが。

偉いことに、土日は1時間に2本程度、
美術館と駅までを結ぶ無料のバスが出ている。
佐倉市が援助しているのか、大日本インキ化学工業の好意か。
とりあえずバスが来るまでの時間、屋根付きの停留所にてぼけーっと待つ。
日差しが出ていて思いがけず日向ぼっことなる。
駅前は笑っちゃうぐらい、感心するぐらい、なーーーんにもない。
藤子・F・不二雄の「エスパー魔美」は
ここ佐倉に住んでたという設定だったよなー?
えー?こんな田舎に?全然風景違うじゃん。
・・・いや、違う。佐倉は苗字だ。
ってな具合に考えることもかなりどうでもいいことばかり。

やがてバスが来る。乗ったのは4人。
3連休の初日、昼の13時。
この人数で採算が取れるのか、余計な心配をしてしまう。
バスは郊外の寂しい町を走っていく。
マックがあって、大型スーパーがあって、
儲かってなさそうなラーメン屋だとか、そういうのの前を通り過ぎる。

20分ほど走って川村記念美術館、というか大日本インキ化学工業の敷地の中へ。
両側に林の連なる道路を駐車場へ。
ここは工場と美術館だけではなくテニスコートや運動場、池に散策路もあって
ちょっとした公園のよう。

入場券を購入して中へ。
美術館への小道を辿っていくと目の前に大きな池が広がる。
そもそもこの景色がいい。
環境が素晴らしく、「わざわざ来てよかったな」と思う。
美術館と郊外の自然公園。
俗っぽい言い方であれだけど、一粒で二度おいしい場所だ。

※川村記念美術館 HP
http://www.dic.co.jp/museum/index.html

(続く)


[1854] ゲルハルト・リヒター回顧展 @(まずは稲毛で「シバ」のカレー) 2006-01-07 (Sat)

ゲルハルト・リヒターの回顧展が昨年11月より行われていたことを知る。
今月で終わり。「やばい、行かなきゃ」と思う。さっそく調べる。
場所は?「川村記念美術館」とある。どこ?
千葉県佐倉市。・・・ってどこ?
・・・成田の手前?・・・遠いよ。いくらなんでも。

気が遠くなる。わざわざそこまで行く?総武線乗り継いで。
・・・行くしかないだろう。そこにしかないのなら。
幸いなことに出社の可能性高かった3連休も
PJ全体でチャッチャカ仕事が片付いて休めることに。
だったら行くべし。覚悟を決める。

朝起きて浜松町まで行って首の牽引治療を受けた後、山手線に乗って東京駅へ。
東京駅地下のコンコースを歩いて、
さらにエスカレーターで下へ下へと降りていって総武線のホームへ。
中央線沿いの生活を送っていると総武線って影が薄いけど、千葉方面では大動脈(たぶん)。
東京駅から反対側に向かって乗ることがそんなになくて
これまでよくわかってなかったんですが、
総武線って中央線と平行に走ってる各駅停車と
横浜方面から来る快速と2つあるんですね。
で、そのうち東京駅に止まるのは後者、千葉−横浜間を結ぶ快速だけのようだ。
頭の中でごっちゃになっていて、わけがわかんなかった。
荻窪から総武線に乗ると東京駅はそもそも停車駅にない。
なのに東京駅には総武線の停まるホームがある。
これまでまともに考えてみたことはなかったけど、
なんとなく、ほんとなんとなく、心のどこかで釈然としない気持ちでいた。
ようやく話を理解した。千葉に住んでる人からしたら常識なんでしょうけど。
(ま、かなりどうでもいい話ですね。
 でも中央線沿線住民としては総武線の存在する意義について普段ピンと来てないため、
 かなりぞんざいに捉えているわけです)

ついでに言うと、総武線のホームと京葉線のホームは
どちらも地下の深いところに降りていくため、
それが混乱に拍車をかける。

---
稲毛で下りて、有名なカレーレストラン「シバ」へ。
柏ボンベイなき今、千葉といったら「シバ」となるのか。
前々から気になっていたのでこの機会に訪れてみた。

稲毛って言ったら、モロッコで長距離鉄道に乗っていたときに
隣り合わせて話をした日本語の堪能な青年が
「稲毛の語学学校で先生をしていました」と語っていたのを何よりもまず思い出す。
ふーむ。ここか。
稲毛に住んでいる人には悪いけど、何にもないところなんだね・・・。
店の開く時間よりも早く着いてしまったので北口と南口とそれぞれ歩いてみた。
休日、これまで訪れたことのなかった町をぶらりと歩くのは楽しいもんです。
だけど目に入るのはチェーン店の居酒屋とかファーストフードばかり。
あとなぜか本屋。
バスに乗れば京葉線の走っている海沿いに出て、
そちらには大きな公園があるようだが、さすがにそこまで行ってる暇はなし。
ただ当てもなく駅前の通りをブラブラと歩く。

それにしてもモロッコの青年はその後どうしただろうか?
年上の日本人女性と結婚することになっていたようだが。

「シバ」開店直後に入ったのに先客あり。
その後すぐ満席となる。人気あるんだなあ。
僕が頼んだのは「サービスダーリ」というランチセットみたいなもの。
チキンカレー、ベジタブルカレー、ほうれん草のサグマサーラ、豆のスープ、
チャイがセットになって1100円。手頃な値段。
常連じゃないっぽい人たちはみんなこれにしていた。
通っぽい人はヒジキのカレーを「いつもの」って感じでオーダーしてた。
カレーのガイドブックを参照すると店側もこのヒジキのカレーが一押しで、
奇を衒って作ったものではなく
アーユルヴェーダ(インドの医食同源?)の考えに基づいて、
あれこれ試行錯誤した結果完成したものであるという。

食べてみる。うまいね、さすがに。
なんか水っぽくて全般的に独特の臭みがあるような気もするんだけど、
それはそれで「シバ」の味か。
インド風のようでいて、インドから離れていったような。
これが「シバ」です。と言っているような。
やー、いいんじゃないですか。
混んできて並んでいる人がいたので
チャイがゆっくり飲めなかったのが残念だった。

(続く)


[1853] 郷土料理の店を探す 2006-01-06 (Fri)

大雪のニュースが連日続く。
昨日一日秋田新幹線は運休、今日の午前中も運転を見合わせるのだという。
民家が倒壊したというニュースも長野県や石川県で相次いだ。

正月に母から電話がかかってくる。
12月から、1日に何度も雪かきしなくてはならない日が毎日のように続いていて
それだけでぐったり疲れて何もできない、という話だった。

---
昨年後半 mixi でバタバタとつながった
高校時代の演劇仲間たちと新年会をやることになり、
「だったら都内にいくつかあると思われる、青森の郷土料理の店はどうか?」
と僕が提案する。
言い出したのが僕だったので自分で検索してみる。
いくつか見つかった。あるところにはあるもんだね。


□新橋「青森 郷土料理のお店 北つがる」
http://r.gnavi.co.jp/a406000/

□六本木「津軽郷土料理の店 魚とめしMORIMORI 六本木店」
http://www.enjoytokyo.jp/OD003Detail.html?SPOT_ID=g_a000600
http://r.gnavi.co.jp/a000600/

□上野「青森みちのく料理 ひがし北畔」
http://www.gurupita.com/clients/0002132749/detail

□亀戸「津軽料理・庵」
http://www.geocities.jp/anankameido/


メニューを見ると「貝焼味噌」「ふきの炒め」「ゴロ煮」
とかいった名前が並んで、「ああ、青森だなあ」としみじみした気持ちになる。
だけどどの店も「じゃっぱ汁」も「けの汁」が載ってなくて「あれ?」と思う。
青森・津軽の郷土料理と言ったらまずこれでしょう。
たぶんあるところにはあるんだろうけど、
東京の人にはよくわからないということで WEB でははずしているのか。

---
このときの演劇仲間とは自分の高校の演劇部だけじゃなく、もうちょっと幅が広い。
いくつかの高校の主だったメンバーのネットワークみたいなものがあった。

高2の春、この集まり(プラス、いくつかの高校の演劇部)で自主公演を行った。
駅ビル「ラビナ」5階のホールを貸し切って。
(今思うと誰がどういう手続きをしてどこから費用が出て
 貸し切れたのだろうってのがとても気になる。各校演劇部の予算から?
 高校によっては補助が出たみたいだけど。
 もう1つ不思議なのは、客がたくさん入ってほぼ満席になったことだ)

この日僕は司会だった。

今思うとすごいことをやったもんだよな。
もしかしたらその後青森市の高校演劇関係で
こういうことを試みた若者っていなかったのではないか?
高校単独では自主公演はあるかもしれないけど、
市内の高校から錚々たるメンバーが寄り集まって
1つの舞台を作ったってのは後にも先にもこれっきりかも。
新聞にも取り上げられたようだ。

なのにその詳細は失われたまま。
写真がいくつか残っているだけ、見るとみんなとんでもない衣装を着ていた。
「どこの国のお姫様だよ?」ってのが何人もいる。

このときの集まりとニアリー・イコールの面子のコミュニティが mixi の中にこっそりあって、
公演の様子をみんなで思い出しあったんだけど、誰も詳細はうまく語れず。
どういう話だったのか?
それぞれ印象的なシーンのことしか覚えてない。
台本がなくて即興ってのもその要因の1つか。
とりあえずタイトルは「おおわだばく」
僕はそのタイトルすら忘れていた。

ビデオ残ってないかな。何で残してないんだろうなー。
僕は司会じゃなくてビデオカメラの操作をすればよかった。
当時僕は映画部員として、学園祭があったりするとあれこれ撮ってた。
そういう映像が実は10何年も経って
「あのときこうだったよねー」と重宝がられてると聞いた。
軽音のステージとかね。

とにかくあの頃はいい時代だった。
演劇にまつわるあれこれはほんと楽しかった。


[1852] 「ノーマ・レイ」など 2006-01-05 (Thu)

昨日に引き続き、正月に見た映画の話。

「ノーマ・レイ」「道」「アリゾナ・ドリーム」「パパは、出張中!」の4本。

---
「ノーマ・レイ」

これまでどうしても見たかった作品の1つ。
新宿のツタヤにもなかったのに、この前ひょっこり DVD 化された。もちろん即買い。
79年のアメリカ映画。
歴代のアカデミー賞作品に関するガイドブックを読んでたら出てきて、
その紹介の写真を見てものすごく惹かれた。

主人公は南部の貧しい町で劣悪な環境の下、工場で働く未婚の母。
労働組合活動に目覚めてあれこれ奮闘するものの
経営者からはやっかいもの扱いされて遂に地元の警察に逮捕されることに。
追い詰められた工場の中で機械の上に立って
「UNION」のプラカードを掲げて仲間に連帯を呼びかける、というシーン。
演じるサリー・フィールドは自分の行いに強い信念を持ちつつも、
これから自分や家族の身に巻き起こる出来事を思うと
不安で押しつぶされそうになって泣きたくなる、
そんな切ない状況が写真を見ただけでも伝わってくる、
女優人生で一生に一度できるかどうかの素晴らしい表情をしていた。
(最近だと「チョコレート」でハル・ベリーにアカデミー主演女優賞をもたらし、
 「ロゼッタ」でエミリー・ドゥケンヌにカンヌの主演女優賞をもたらしたのと
 並ぶぐらい重要な表情だと思う)
調べてみるとサリー・フィールドはこの映画で数々の女優賞を総なめ。
アカデミー主演女優賞とカンヌの主演女優賞をダブルで獲ってるのは
近年ではこの人と「ピアノ・レッスン」のホリー・ハンターぐらいか?

で、実際見たらすごかった。
「UNION」のシーンで涙が出た。
ものすごい存在感で場を圧倒する。
これを感動と呼ばずして何を感動と呼ぶ。
映画史上に残る名場面だ。

---
「道」

フェデリコ・フェリーニ監督の54年の作品。いわゆる映画のクラシック。
愛を知らない粗野な旅芸人と、彼に買われた頭の弱い女、この2人の物語。
映画のお手本というか教科書のような映画だ。

最後、主演のアンソニー・クィンが海辺で1人男泣き。号泣。
「ある子供」を思い出す。
どちらも、最後に主人公が心の限りに泣いている様を映し出して感動を呼ぶ。
このご時世、なかなかできないことである。
「ある子供」だって、「普通こんな方法論では映画撮らないよ」という
非常に特異な撮り方を押し進めていって、最後あの場面へと至った。
泣くとか笑うとか怒るとかそういう感情のわかりやすい描写を
一切排してそれまでの場面を積み上げていって、最後の最後に感情をぶちまける。
ある意味ものすごく不自然だ。ありえない。
・・・というかこれぐらい不自然なことをしなければ
最後に「泣く」という行為をもってこれないのである。
それぐらい映画というジャンルはルールがややこしいものになってしまった。

それが「道」では人というものが非常に素直に撮られていて、
主人公2人の怒ったり笑ったりする姿がとても自然だ。
そういう当たり前な物事を当たり前に展開していった末に
クライマックスとして「泣く」のである。
どうして映画はこういう素直な撮り方ができなくなってしまったのか。
この映画が作られたのはもう50年以上前のことだ。
映画はそれ以来進化したのか。それとも、退化したのか。

それにしてもやっぱフェリーニはいい。
サーカスの場面の躍動感と祭りの後のはかなさとか。
「8 1/2」をもう一回みたい。どうして DVD にならないのだろう。
ものすごくほしい。
最後の登場人物総出で海辺で輪になって踊ってロケットが打ち上げる場面は
僕の映画作りの原点にして目標だ。

---
「アリゾナ・ドリーム」

エミール・クストリッツァ監督がアメリカで撮った作品。
確か当時コロンビア大学に招かれて映画論の講師をしてたんだよな。

ジョニー・デップ主演。何気にまだ無名に等しいヴィンセント・ギャロも出ている。
あと、懐かしのフェイ・ダナウェイも。
(板についていないコメディエンヌぶりがいやはやなんとも・・・)

エミール・クストリッツァ大好きです、と言いつつ
実は「アンダーグラウンド」以後しか見てないので
これではいかんなと思い見てみた。

僕のように「アンダーグラウンド」以後の
エミール・クストリッツァにはまった人からすれば随所に
「ああ、クストリッツァらしいねー」というシーンが随所に出てきて
その都度「なるほど」と思うことになるんだけど、
そもそもこれってどうなんだろうな。
公開当時にこの作品を見て面白いと思った人は
単純にジョニー・デップのファンがほとんどなのではないだろうか。

監督は誰でとか、主演は誰でとか、
以前や以後の作品と比較してどうこうで、というのを取っ払って
作品は作品として、独自に存在するものとして鑑賞するべきなんだろうけど
クストリッツァの映画はそういうところからはみ出るアクの強さが魅力だからなー。
そのアクが弱いと作品自体弱いようにどうしても感じてしまう。
「アンダーグラウンド」以後と比較するとどうにもゆるくて薄味で冗長。
「アンダーグラウンド」以後も冗長と言えば冗長なんだけど、
その鬼気迫るぐらいの冗長さをとことん突き詰めて過剰さで埋め尽くして
どうにもとんでもないところにいってしまってるから、面白い。

「北北西に進路をとれ」とか「ゴッドファーザー」の真似をする
ヴィンセント・ギャロがなかなかおかしい。
それぐらいかな、見所は。
あと、若々しいジョニー・デップの魅力。

---
「パパは、出張中!」

これもエミール・クストリッツァが監督。
ユーゴ時代に撮った出世作。

ちなみに、フィルモグラフィからすれば、以下のようになる。
「パパは、出張中!」(1985)
「ジプシーのとき」(1989)
「アリゾナ・ドリーム」(1992)
「アンダーグラウンド」(1995)
「黒猫・白猫」(1998)
「SUPER 8」(2001)
「ライフ・イズ・ミラクル」(2004)

この「パパは、出張中!」にてカンヌで1回目のパルムドールを受賞。
(「アンダーグラウンド」で2回目の受賞、「ジプシーのとき」は監督賞)
これってユーゴから出てきてやんわりと政治批判をしていて、
子役が瑞々しいってところから受賞に至ったのだろうか?
なんか東欧から独特な雰囲気の監督が出てきたぞ!?ってのもあったろうけど。
この年のカンヌを調べてみたら、以下のような作品がコンペに挙がっている。

アラン・パーカー「バーディ」
ドゥシャン・マカヴェイエフ 「コカコーラ・キッド」
ジャン=リュック・ゴダール 「ゴダールの探偵」
ヘクトール・バベンコ「蜘蛛女のキス」
ピーター・ボグダノヴィッチ「マスク」
ポール・シュレイダー「Mishima: A Life in Four Chapters」
クリント・イーストウッド「ペイルライダー」
寺山修司「さらば箱舟」

「コカコーラ・キッド」しか見てないで言うのもなんですが、
(というか唯一見てるのが「コカコーラ・キッド」ってのもなんですが)
もしかして小粒な年だったのかもしれない。
激戦な印象は受けない。
結局のところ、物珍しかったんだろうな。
ユーゴから来た「パパは、出張中!」という作品が。

「アリゾナ・ドリーム」から比較してさらに薄味。
脚本を自分で書いてないし。
それでもアコーディオンという小道具や
登場人物総出のパーティーのシーンなど
その後欠かせない重要な要素が既にあれこれ出ているのが興味深い。
(主人公の兄の少年は最初から最後までアコーディオン弾きっぱなしで、
 ラスト近くの結婚式のシーンでも弾いている。思いっきりクストリッツァ的キャラ)

「アンダーグラウンド」が直径1mの巨大ピザに
エビやカニ、ベーコン、サラミ、ソーセージ、
ナス、トマト、マヨネーズをかけたジャガイモなどなど
何でもぶちまけて箱を空けたら湯気でむせ返るようになっているような作品だとしたら
「パパは、出張中!」はレギュラーサイズでアンチョビ、オリーブにバジルとつつましいもの。
そう考えると見比べて後者の方が好きという人は結構いるかもしれない。
80年代までの旧ソ連・東欧圏的映画のフィルムの質感
とでも呼ぶべきものもそこはかとなく漂ってるし。
もしかしたら、「パパは、出張中!」の方が普通の人にとって受け入れやすいのではないか。
(長さを別にすれば)

それにしてもこの10年後に「アンダーグラウンド」を撮る人の作品とは思えない。
しかも「アリゾナ・ドリーム」の次って・・・。
突然変異なのか、それともそれまでずっと我慢して溜めに溜めてたのか。


[1851] 「ザ・ロイヤル・テネンバウムス」など 2006-01-04 (Wed)

年末年始の休み4日間にしたことは
大掃除・箱根駅伝・小説を書く・DVDを見る、きっちりこの4つだけ。
あとは寝る・食べる・飲む・風呂に入るの繰り返し。

見た DVD 7本について、感想を。
クリス君から借りた3本(夏に借りてようやく見た)と、
冬のボーナスで買った4本と2回に分けて。

まずは前者、
「ザ・ロイヤル・テネンバウムス」「マイノリティー・リポート」「ファイト・クラブ」
この3本。
はっきり言って、自分が買った4本よりもこの3本の方が見てて面白かった。
何事も明快で、メリハリはっきりしてて、年末年始にふさわしい。
自分が買ったものはゲージュツ的で暗いものばかり・・・。

本当は年末年始、大晦日や元旦に映画館で映画を見るつもりだった。
そういうのもオツかなと。
でも見てない DVD がたくさんあったのでまずはそれを片付るのが先だと思った。

---
「ザ・ロイヤル・テネンバウムス」

(実はこれだけ年末年始に見たものではなくて、その2・3週間前に見たもの)

先日、映画部の後輩から「ライフ・アクアティック」見ましたか?面白いですよ。
と言われて、「いやー、見てないわ」と答えた。
あれ見たかったんだけどな。
なんとなくタイミング合わなくて公開時に見に行かなかった。
今改めてこの「ザ・ロイヤル・テネンバウムス」を見て後悔した。
「ザ・ロイヤル・テネンバウムス」を見てたなら、
絶対ウェス・アンダーソン監督の次作「ライフ・アクアティック」は見に行ったと思う。
はー、残念だ。

このウェス・アンダーソンって監督は才能あると思う。
ポップで楽しくてヒットする映画を作る一方で、
ちゃんと自分なりのものの考え方や世界観がにじみ出ている。
両者が不可分の統一体になっている。
ポール・トーマス・アンダーソンの映画を思い出した。似てると思う。
全くもって独創的な脚本なんだけど、奇をてらい「すぎる」ようなところはなく、
ちゃんと「こちら側」から映画を作る。
一歩間違えばわけがわかんなくなるような独りよがりな芸術性は
無いか、あるいはしっかりと押さえつけてて、
「映画とは何よりも多くの人たちとのコミュニケーションである」という理念に徹する。
ってとこかな。

3人の「元」天才兄弟姉妹たちと
それを育てたんだか育ててないんだかとにかく奇っ怪なオヤジ、
その「失われた」家族の風景を取り戻すという設定がそもそも秀逸だと思う。

---
「マイノリティ・リポート」

普通に面白かった。
さすがスピルバーグ。これからは公開される作品全部映画館で見ようと心に決めた。
エンターテイメントであることをどこまでも突き詰めていくことで
他に並び立つもののない芸術性に至る、
そこにスピルバーグ本人の(これまでも隠し味的にまぶされてきた)芸術性が加わる。
現存する最高の映画作家の1人だ。少なくともアメリカという国では。
映画サークルの後輩たちに聞いた話では
「ミュンヘン」はどうもすごいことになってるらしい。見に行かなくては。
(この後輩たちも浮世離れしたところがあるので
 どこまで真に受けるべきかってのがあるんだけど)

これ、ディックの原作からかなり飛躍してるね。
ディックの原作も今手元にないので正確に言えないんだけど、
30ページか50ページぐらいしかなかったはず。
単純なプロットがあるだけの短編。
予知能力者によって犯罪を防止する社会で、
その防止局に勤めている主人公が身に覚えない殺人犯として予知され、逃亡を企てる。
いや、ほんと原作というよりは原案。
それがここまでグレードアップするのか。
なんで「宇宙戦争」は同じように膨らませなかったのだろう。

未来社会を描写するに当たって、奇妙奇天烈なガジェット(小道具)が
全編に渡ってあれこれ出てきてそれを見てても面白い。こういう映画の楽しみ方の1つですよね。
それにしても思うのは、こういうガジェットの方向性を定めた
「ブレードランナー」って映画はほんとたいしたもんだ。
どれだけテクノロジー(撮影技術上のテクノロジー、現実の生活におけるテクノロジー)が
発展したところで、どこまで行っても「ブレードランナー」の延長線上にあって
斬新な未来社会の描写ってもう何年・何十年も出ていないような気がする。
そんな画期的な未来のビジョンを描いたリドリー・スコットが近年は
「ハンニバル」だの「キングダム・オブ・ヘブン」だの撮ってるのはいったいなんなのだろう?
退化してるのか?あれと「エイリアン」が突然変異だったのか?
(前にも書いたことだけど)いつも気になってる。
僕にとって映画の七不思議のひとつ。


---
「ファイト・クラブ」

はっきり言って今回見た中ではこれが一番面白かった。
何がどうなるのかよくわかんなくて、興味津々で見てたというか。
見終わったあと冷静に思い返してみるとものすごくどうでもいい話で、
ヒロインのヘレナ・ボナム・カーターの役どころも
はっきり言って「いらないんじゃないの?」ってなものなんだけど、
見てる間全然そういう疑問がわかない。
見終わった後もあえて口を差し挟む気にならない。
有無を言わさず襟首を掴んで見てる人をグイグイ引っ張っていって
それだけで十分「いいものを見た!」という気分にさせられる。

実はデヴィッド・フィンチャーってすごい監督なんじゃないか?
「エイリアン3」でなんじゃこりゃって思って
「セブン」はブラッド・ピットとモーガン・フリーマン、
あと何気に重要な役で出演してたケヴィン・スペイシーにばかり目がいっていて
その真価がわからなかった。
「ファイト・クラブ」の次の「パニック・ルーム」ってのはよくわかんないんだけど、
その後何年も撮ってないってのは気になるな。どうしてんだろ。
(調べてみたらソダーバーグ監督の「フル・フロンタル」に「出演」しているらしい)

あと、ブラッド・ピットの出てる映画って不思議と見ててハズレがない。
(これまた前にも書いたことなんだけど、少なくとも僕が見た限りでは、)
どれ見てもブラピが浮いてて、他の人はきっちり役を演じてるのに
ブラピは奇人変人を演じてるブラピでしかない。
そこにばかり目がいってしまって
どうにも映画そのものの出来をどうこう語る気持ちにさせなくするようだ。
ブラピをけなしているのではない。むしろ好き。
でも「今回はどんなふうに映画をぶち壊してんだろうなー」って見方を
どうしてもしてしまう。心の奥底のどこかで、こっそりと。
意外と器用な役者ではあるんだけどな。体の動きとか。


[1850] 箱根駅伝 2006-01-03 (Tue)

昨日・今日とテレビで箱根駅伝を見た。
見たと言っても換気扇の掃除をしたり本棚を片付けたり、あれこれしながらだけど。
そんなの年末までに終えとけ!って感じですよね。

終わってしまって今、心地よい疲れ。
今年もまた様々なドラマがあってよかった。
王者駒沢は史上3校目の5連覇ならず。
これと言って調子のよさそうな選手はないなかったのに
往路を30秒差の2位で終えて、復路8区でトップに立ったとき、
さすが駒沢、選手の層が厚いなーと感心させられた。
それがまさかのダークホース亜細亜大が9区で大逆転、逃げ切り。
法政も史上初の復路(のみ)優勝。
日大、日体大、東海といった優勝候補が順当に勝つのではなくて
意外な大学が意外な力を発揮して上位を勝ち取るというのは見てて本当に面白い。
だからこそ毎年見るのだと思う。
亜細亜なんてスター選手不在で下馬評は高くないのに、
コツコツと順位を上げていって念願の初優勝。これぞ駅伝だよな。
山梨学院もケニアからの留学生モグスだけが頑張るのではなく、
残りの走者も地味ながら着実に快走してたすきを繋げた。
予選会で1人気を吐いてかろうじて通過にもっていったというモグスが
予選終了後にチームメイトを集めて
「駅伝はみんなで走るものなんだよ!」と檄を飛ばしたとか。
(いい話だと思う。この逸話は2日間に渡って何度も繰り返し語られた)

箱根駅伝が終わると、正月が終わったような気分になる。
あー、早く来年の駅伝が見たい。

来年は是非とも、
見てるのが青森だろうが東京だろうがもっと別な場所だろうが、
1人で見てようが誰かと見てようが、
何もせずひたすら中継だけを見てビールを飲んで酔っ払ってたい。
つうか1度ぐらいはコースで旗振ってみたいな。
箱根の坂だと最高。温泉宿に正月泊まって。

---
ここ何年かを振り返ってみて
箱根駅伝をきちんと見れた年は、これまでいい年だったように思う。
余裕があるから見れるのだし、
年の初めに余裕があるとそれがそのまま1年続くように思える。

去年は両日とも仕事で見ることができなかった。
だからなんとなくイマイチな年だった。

---
それにしてもサッポロのCMはいいねえ。
箱根駅伝のためだけのやつ。
今年は女子高生が箱根駅伝のコースになぞらえた風景を走るというもの。
キャッキャと騒ぎながら坂道を駆け上がったり。
毎年ゴージャスなエビスもいいし。
「あのテーマ曲、今年はこう来たか」
「ふーむ、やるなあ」と毎度のことながら感心させられる。
今年はボサノバっぽいアレンジになってた。

それにしても今年は橋爪功が温泉につかって、
今ごろ××を走ってんのかっていうやつやってないのだろうか。見かけなかったな。


[1849] 元旦の振り替え休日 2006-01-02 (Mon)

昨日一日は早起きして
「海辺の記憶」を全部読み返して細部を書き直した。
さすがに疲れた。
夕方から「アリゾナ・ドリーム」と「マイノリティー・レポート」を見て寝た。
どちらもいい映画だった。でも、玄人好みかな。

今日もまた早起きして箱根駅伝を見た。
その後一昨日大晦日に書いた短編小説の書き直し。
フェデリコ・フェリーニ監督の名作「道」を鑑賞。
これから、「ファイト・クラブ」を見る予定。

両日とも昼は母が作って宅急便で送ってもらったカレーを食べて、
リンゴも皮剥いて食べた。
夜は焼きそばとか焼きうどんを作ってビールを飲みながら食べた。

これだけだと短いので、
Gazz ! に書いたブログですが
こちらに残しておきたかったので転載します。
元々は年末と年始にリアルタイムに書いてます。
「2005年最後に」は完全に酔っ払って書いてた。

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「2005年最後に」

はー、あと30分で新年がどうこう以前に、31歳になる。
ドキドキします。
でも31歳って中途半端な年だね。ものすごく。

1年のサイクルがカレンダーの日付と自分の誕生日と
普通2つになるものですが、僕なんかだとものすごくシンプルです。
みなさんも元旦が誕生日となることをお薦めします。

そんなわけで。

■2005年最後に見た映画
 「ノーマ・レイ」
 最後も何もついさっき見た。
 今年も終わりだし泣きたいなと思って見て、やっぱり泣いちゃった。
 やはり「UNION」のシーンで。
(初DVD化されたのを見つけて買って、初めて見ました)
 普通知らんよな。こういう映画。残念だ。70年代の「エリン・ブロコビッチ」

 とにかく70年代のアメリカ映画が僕にとっては
 映画史上最も素晴らしい時代と地域であることを再確認した。


■2005年最後に聞いた音楽
 Rip Rig & Panic 「I am cold」

 これはですね、入手困難なんですよ。
 Rip Rig & Panic って今回初CD化?しかも即廃盤。
 Disk Union もよくやったよね。独占販売?
 たぶんこれから高値がつくんだろうね・・・

 僕だって洋楽オタクの端くれ、なんとか3枚全部入手できました。
 3枚目はなんと今日になって届きました。
 聞いたのは2枚目。
 フリージャズ × 80年代UK NewWave(ex. The Pop Group)
 有名なところでは、若き日のネナ・チェリーが参加。

 こういうのが普通に手に入らない世の中って嫌だな。


■2005年最後に読んだ(読んでた)小説
 ケヴィン・J・アンダースン&ダグ・ビースン「無限アセンブラ」

 ええ、そうですよ。愚にもつかない中途半端な誰も知らないSFですよ。
 ビジネス書も読まんとこういう2流のSFサスペンスを
 会社の行き帰りに読んどるわけですよ。だから出世しないんだよね。
 しかも古本屋で二束三文で買いました。

 僕自身がこの本を擁護すればいいんでしょうが、
 はっきり言ってそんな面白くないです。
 途中で放り投げるのも嫌なのでダラダラ読んでます。


■2005年最後に食べたもの
 今日荻窪駅前の西友で買った、・・・これはなんだ?
 イカの、・・・唐揚じゃなくて、とにかくさっと焼いただけのもの。

 (そして先ほどのマヨネーズの話に至る) ※

■2005年最後に飲んだ酒
 
 「満寿泉 濃醇原酒 酔」

 先週大学の先輩サイノウさんの結婚式にて引き出物でもらった富山の地酒。
 さすがサイノウさん。というかリクエストしたミウラか。偉いよ。
 2本あってもう1本も正月に飲むつもりだったのですが、
 今週前半につらいことがあったのでさくっと空けちゃいました。

 熱燗にして飲みたいなあと思ったのですが、
 それまで自分の部屋で日本酒を飲むという習慣がなく、
 どうやって熱燗というものを普通作るのかよくわかりませんでした。
 まあ電子レンジで温めればええよねと
 とりあえず細長いマンガに出てくるような徳利を買ってみたのですが、
 細長すぎて電子レンジの中に入りませんでした。
 なので仕方なくマグカップに移し変えて温めました。
 それでもうまかったです。

 サイノウさんの結婚で一時代終わりました。
 今年30歳になった僕には非常に考えさせられる出来事でした。

 僕涙もろいんで、今、あれこれあって泣きそうです。
 来年はいい年にしないとな。

 寝ます。おやすみなさい。いい夢見れますように。


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※ マヨネーズの話(「2005年最後に」の直前に書いた)


 (酔ってます)

 忘れないうちにどっか書いとこうと思いました。

 スーパーでもコンビにでもいいですが、
 惣菜の中のマヨネーズの小さい袋を入れたまま
 電子レンジに入れると
 マヨネーズが卵とそれ以外の油?とに分離するんですね。
 なんか今茶碗蒸しを思い出しました。

 まあそんなわけで、みなさん、よいお年を。

 
 
 
 つうか僕マヨネーズ大好きなんだけど
 常に持ち歩いてていろんなものにかけて
 昼も夜も食べたいと思ってるんだけど、
 変な人と思われるのが嫌なので自重してます。
 大人だから。
 それに太るし。

 以上。
 よろしくお願いします。


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「2006年最初に」


■2006年最初に見た映画

 「アリゾナ・ドリーム」
 監督エミール・クストリッツァ、主演はジョニー・デップ。
 ヴィンセント・ギャロが出てますね。
 
 クストリッツァのファンを自称していながらこれまで見てなかった。


■2006年最初に聞いた音楽

 Nina Simone 「Here Comes The Sun」

 いわゆるジャズヴォーカルもの。60年代の有名な人です。
 今年はこういうのやソウル・R&Bを攻める予定。
 大人の音楽を聞こう。

 その後聞いたのは、Guided By Voices のベスト。
 こういうアメリカのギターロックはいくつになっても大好き。


■2006年最初に読んだ(読んでた)小説

 2005年最後と一緒にしかならないのでパス。

 そういえば今もう1つ読んでる本は
 アメリカ・コラムニスト全集P
 「ナット・ヘントフ集 ジャズに生きる」

 著名な評論家ナット・ヘントフが
 50年代から60年代初めにかけてのジャズ黄金期について書いたもの。
 40年代やそれ以前の歴史も踏まえて。
 珠玉の文章。一気に読むともったいないので寝る前に少しずつ読んでる。


■2006年最初に食べたもの

 青森から送られてきたカレーとリンゴ。
 
 こういう人が実は多いのではないかと思うのですが、
 母親の作るカレーが一番好き。店のどんなうまいカレーよりも。
 僕もそうです。

 ※部屋にはリンゴとミカンが大量にあって困ったことになっている。
  リンゴが配っても配ってもなくならない。


■2006年最初に飲んだ酒

 サッポロ黒ラベル。やっぱり今年もビール好き。


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あ、あと年賀状を送っていただいた皆さん、ありがとうございました。

僕の方から書いた何枚かは住所不定で戻ってきました。
こんなふうにして人は疎遠になっていく。

明日も、箱根駅伝と小説の書き直しで終わる見込み。
これで正月休みは終了。
明けたら春まで仕事が怒涛らしいんだけどどうなることやら。
新しい長編のネタが固まりつつあるんだけどな。書いてる時間あるかな。
これが目下の関心事。

タイトルは「お茶漬けとマシンガン」
30代になってみたりこれからなったりという
年老いた若者たちの群像劇。悲喜こもごも。
あー書きたい。時間がほしい。


[1848] 新年の抱負 2006-01-01 (Sun)

あけましておめでとうございます。
はあ、31歳になりました。

31歳という年についてあれこれ思うことはあるけど、
とりあえず今年の抱負です。


1.
もっともっとおいしいものを食べる。
そのための時間と労力とお金は惜しまない。
※ただし、現実的な範囲内で。

銀座資生堂パーラーの価格1万円の伊勢海老・アワビ入りカレーが
差し当たっての目標です。


2.
小説を書く。もっと書く。
後はもう、タイミングかチャンスの問題だけだと思ってるから
書いてあちこち出してみるだけ。

昨日大晦日・今日元旦と早起きして、年末年始返上して
昨年書いた250枚の長編「海辺の記憶」の全面的な書き直し。

昨日はさらに青森ローカルの文学賞に応募するために10枚の短編を書き上げた。
(短編そのものはいいんだけど、賞の趣旨と微妙に食い違ってるため望みは薄い。
 でもまあいい。きっかけはともかく書くことと応募することに意味がある)

明日・明後日は箱根駅伝を見つつ、
あともう1個未完成のままになっている短編を仕上げたいところだ。


3.
痩せる。健康に心がけるようにする。

身の回りの男性たちよりは野菜を食ってるように思うんだけど、
野菜をちょっとやそっと食べてるだけではダメなので
もっと包括的に健康というものに注意を払うようにする。
そろそろマジで、世代的にいきなり倒れたりするんだよな。


以上。こんなとこかな。

「楽しく過ごす」ってのが当面のスローガン。


[1847] 東京ミレナリオ 2005-12-31 (Sat)

一昨日29日も昨日30日も仕事。
ようやく昨日が仕事納め。
(納めたというよりは中断したというのに近いが)

今日は何よりもまず、部屋の掃除。一応年内に間に合う。
青森からみかんが届く。リンゴじゃなくてみかん。
あと、母に作ってもらったカレー。温めて食べて正月3が日を過ごす。

---
昨日は早めに顧客のオフィスを出て、大手町へと向かった。
目当ては東京ミレナリオ。
人間さもしいもので、それまで「ふーん」ぐらいにしか思ってなかったものも
今年で休止となると俄然見たくなる。慌てて駆けつける。

永代通りから曲がると大勢の人だかり。行列になっている。
2時間待ちだという。ひー。とにかく並んでみる。
隙だらけだったので途中から横入り。
はるかかなた遠くにキラキラと眩く「ミレナリオ」(というのか?)が光り輝いていた。
はー。これは確かにきれいだ。いいもんだ。

あちこちで携帯のシャッターがカシャカシャと鳴る。
デジカメを持ってきてないので、携帯で撮ってみる。
実は携帯で写真を撮るのはこれが生まれて初めて。
(いつも書いてることだけど、IT業界に長くいながら
 IT技術とされるものについてはピンからキリまで興味がない)
結構簡単に撮れるもんなんですね。しかもちゃんと映ってる。
僕が3年前に買ったデジカメよりも、
今年の夏に買い換えた携帯の方が画質がいいのかもしれない。

外堀通りはとにかくごった返す人の波。
しかも脇の通りからも大きな塊となった人の流れが
警官によって交通整理されながら次々に流入してくる。
ちっとも前に進まない。牛歩のごとし。
要は信号待ち。
遠くの信号が青になって、それが赤になって、さらにしばらくたった頃、
ようやく前に進む動きがさざなみのように伝播してくる。
ギュウギュウ詰めってほどではないのが救い。
子供連れの家族に老夫婦にカップルに女性2人連れに幅広い層の老若男女が
まだかまだか進まないのかと気長に待っている。

そういえば交通整理のため拡声器を持って
「お進みください」「青になるまでお待ちください」と呼びかけてるのは
バイトの若者たちを抜かせば、みな婦人警官だった。
警視庁の粋?な計らいなのか。いかついおっさんよりは断然いい。
その中の1人はアイドル並みにかわいくて、1日署長みたいなものかと思ってしまった。
いやー逮捕されたいねえ。追いかけられて捕まりたい。
夜の遠目で見てたから目の錯覚だったかもしれないけど。

近付いて「はっ」と気付いたんだけど
ミレナリオが飾られているのはこの夏常駐したお客さんのオフィスの真裏ではないか。
僕らが仕事していた会議室の窓からちょうど目の前に見えたのではないか?
そのまま常駐し続けてたら設営してるところなど、舞台裏が見れたかもな。
というかこの期間眩しすぎて仕事にならなかっただろう。
年末で何かと浮き足立つ時期でもあるし。

1時間ぐらい待って、光のアーチの中へ。
「立ち止まらないでください」「立ち止まって写真を撮影しないでください」って
そればかり大声で聞こえてくる。
でも誰も聞く耳持たず、立ち止まっては携帯やデジカメを頭上に掲げ、
あるいは誰かと仲良く記念撮影。
僕も何枚も何枚も写真を撮った。

正直、すぐ目の前で見るとたいしたことない。
もっと豪華絢爛たる光のシャワーみたいなのを僕は想像していた。
そんなでもない。
ああ、こういうのって写真かあるいは遠くから見るものなんだな、と思った。
並んでのろのろと進んでわざわざ見るほどのものではない。

しかも僕みたいな30過ぎたおっさんが1人でポツンと見るものではない・・・。

結局今年もまた、1人で終わった。


[1846] 今年を振り返る(残り) 2005-12-30 (Fri)

1年を振り返ってたらきりがないもんですね。
今年の後半を駆け足で。

---
春に部門を異動したら超短期間の忙しいPJに配属された。
5月から8月。
それが終わったら今度はさらに超短期間のさらに大変なPJに配属された。
そして今に至る。
年末年始は休めそうだけど、年明けからはひたすらテストで土日なくなりそう。
それが3月までは続く。

今のPJのお客さんのオフィスが神保町にあって、9月末からずっと常駐。
神保町と言えばカレーでしょ?ってことでカレー熱にいっきに火がつく。
神保町界隈を制覇して中央線の店にあれこれ行きまくる。
今年のカレーを総括すると、心に残った店としては
中央線沿線:「トマト」(荻窪)「プーさん」(武蔵小金井)「ナタラジ」(荻窪)
      「カレーリーフ」(東中野)「伽哩人」(中野)
神保町界隈:「共栄堂」(神保町)「トプカ」(淡路町)「KANCHANA」(九段下)
      「さぼうる2」(神保町)「北京亭」(水道橋)
その他  :「SUNLINE」(白金高輪)「もーやん」(西新宿)「夢民」(汐留)

来年行きたい店は、
「香鈴亭」(国立)「資生堂パーラー」(銀座)
「CURRY BAR HENDRIX」(千駄ヶ谷)「リッチなカレーの店 アサノ」(町田)
などなど。まだまだたくさんあるよ。
千葉の店もあれこれ行ってみたいなあ。「シバ」とかね。
誰か車出してくれるなら山梨にあるという糸井重里絶賛の「糸力」にも遠征したい。

※カレーがらみのトピックで言えば今年は「柏ボンベイ閉店」がショックだった。

---
8月にPJが一段落して、予想外に暇になる。
何年ぶりなのかわからないぐらい久々に海水浴場に出かける。会社の人たちと。
無邪気にはしゃいで楽しかったけど日焼けして足にやけど。

そして9月にメキシコ旅行。
メキシコシティー、ティオティワカン遺跡、そしてロス。
日本では航空券とホテルだけ手配して、あとは現地の旅行会社にて半日ツアー申し込み。
メキシコシティーはとにかくひたすら歩いた思い出が。
暑いのにからっとしていて風は涼しく、人もいい。親切な人が多かった。
おすすめですね。危険なところに足を踏み入れさえしなければ。
ロスはまた行きたい。というかアメリカに行きたい。
でも、来年はぜひとも南米だな。ペルーでナスカの地上絵か、ブラジルでイグアスの滝。
あるいは北欧再訪か。

成田に帰ってきてその足で前のPJの打ち上げ。
関係各社集まって屋形船に乗る。
今年は春にも会社の人たちと屋形船に乗っていて、初めてにしていきなり2回乗れた年だった。

---
あと何があっただろうか?

割と最近の話だけど
前のPJがらみで Gazz ! というブログ/SNS系サイトにあれこれ書くようになったことと
しばらくほったらかしだった mixi がひょんなことから高校時代の友人たちとつながるようになり、
これまた頻繁に利用することになったことかな。

以前の日記に書いたことではあるが、
今年は映画・音楽・文学といった作品に出会う年ではなくて、人に出会う年だった。
仕事は忙しかったけど、楽しむときは楽しんだ。
来年は大人としてもっと遊べるようになりたい。

そうだ、最後思い出したんだけど
2月20日の猪木の誕生日に全日と新日のベルトを賭けた試合を国技館で見た。
これはおもろかった。
その後会社の同期と2人で両国ってことでちゃんこ鍋を食べに行った。


[1845] 今年を振り返る(映画部) 2005-12-29 (Thu)

昨日に引き続き、今年のキーワード「映画部」について。
昨年末勢いで「映画部」なるものを立ち上げて、今年の4月より本格的に活動を開始。
何をどうしたら軌道に乗るのだろうとあれこれ悩んだものの答えは出ず、
有効な手が打てないまま1年が終わった。
苦し紛れに月に1度映画を見に行ったことと
突如降って沸いたように「世界の終わりに」の撮影を行って完成させたこと。
必要最小限のことはやったけど何もかも僕が中心で
僕の思いつきとスケジュールありき。
これはいかんよな。

人が集まって形作られる組織ってやつをいかにして有機的に動かしていくか。
わかりそうでわからない。
部員たちが自発的に「こういうことが面白そうだからやってみたい」と手を挙げてやってみる。
それを周りの人たちがサポートする。部長はその方向性を影になり日向になり導いていく。
会社の部活動なのだからそういうものであるべきだと僕はなんとなく思ってきた。
というか最近にしてようやくそう思うようになってきた。
来年のキーワードは「脱岡村」
僕が映画を撮らなくてよくて、どちらかというとプロデュースする立場にありたいものだ。
作品のプロデュース、あるいは、なんか楽しいことのプロデュース。

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「世界の終わりに」について。

この年になってもちゃんと継続して作品を作ってるのって偉いよ、と最近あちこちで言われる。
好きでやってるのだから偉いも何も、ってのが言われた本人の気持ち。
商業映画の監督になる気持ちは今更全くない。それでも作ってる。楽しいからね。

野球に草野球があるのなら、映画に草映画ってのがあってもいいと思う。
映画をつくるという気持ちが沸き起こって映画をつくり始める、
専門学校で技術を学ぶ、映画業界で職に就く、っていうのが
どうもあいまいなまま一緒くたにされてるのが今の自主映画界・日本の商業映画界のような気がする。
もっとコアなところで活動している自主映画の人のことはよくわからないけど。
そんなんじゃなくてもいいのになあ、もっと気楽に、
カルチャーセンターで講座があってみんなで合唱をするってのと一緒でもいいのになあと思う。
そりゃ作った作品は評価されたいし、見た人を何かしら感動させたい。
作っていくうちに脚本とか撮影技術とか演出とかどんどんうまくなって
より良質な作品を提供できるようになるべきだ。
だけどそれは今個人の魂が職人的に高まっていくしかないのが実情。
どうして今の映画業界・映画産業はこんなにも閉じられているんでしょうね?
裾野が広まっていくことによって生まれるべきものが、今、一切育たない。

愚痴っていても仕方がない。
というか日本映画界に対しては特に思うところのものはないんだけど。
今のところ、これからも、一観客を脱することはないだろうし。

作品について。
完成して1ヶ月たつが、なんだかよくわからなくなってきた。
これまで作ってきた作品の中では最も受け取りやすいものになったとは思う。
映画というパッケージ/フォーマットとしてはこれまでで最もまとまったものを作ったし。
なので、高いハードルそのものは超えた。
でも、それによって提供されるものとしては今ひとつであって、
端的に言って取り立てて面白いものではないのだと思う。
出てくれた人たちには大変申し訳ないんだけど。

1つには準備不足ってこともあるし、1つには僕の魂の込め方ってのもある。
前者としては音の撮り方にもっと注意を払うとか、
各シーンの状況の構築をもっと綿密に行うとかいろいろやるべきことは他にあった。
撮影が1日にしかないのならば特に。
ドラクエなんてやってる場合じゃなかった。

後者については、気合が入ってないとかいうことでは決してない。
でもどこか薄味なんだよな。
どうしても「砂の映画」とか「29」とか
私小説的ドキュメンタリー風なものの方が僕は圧倒的に好かれて
脚本があって物語りになっているものはつまらなくなってしまう。
僕が持てるだけのもの全てをぶちまけて自分というものをさらけ出すのではなく
どうしても一歩引いた立場から語ろうとしてしまう、
ってのがいろんなことを中途半端にしてるのだと思う。
「29」ってのがぶちまけすぎで、人によってはなんだか息苦しいぐらいなのを
整理してコンパクトに僕の中のこの部分だけ、というふうに提示しようとしたのが
「世界の終わりに」のはずなんだけど。
なかなか難しいもんです。

演出というものが
「場を提示する」「その作品という世界観/空間を構築する」ってことだとしたら、
僕は昔からずっと、身の回りの与えられた人員とその関係性の中から
糸を見出していって形作るっていう方法論を続けてて
(というかそれしかできない)
今作のそれは完成の域に達したと思う。
「世界の終わりに」という価値観や空間は構築できた。
これはこれでなかなか難しいことが達成できたはず。
でもそれが面白いかどうかは別問題・・・。

あーうだうだ思い悩んだまま時間だけが過ぎていく。

それにしても自分のこと、自分の作品のこととなるといつも暗いことしか書けない。


[1844] 今年を振り返る(本の出版) 2005-12-28 (Wed)

今年を振り返る、の続き。春先から夏ごろを中心に。
と思ったんだけど、今回は以下の2点に話を絞ります。
・モロッコ本の出版
・会社に映画部を作った

どちらも4月5月の話。

どうも長くなりそうなので、まずは本の話だけとなるか。
タイトルは「突然ですが、僕モロッコ行ってきます」

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改めて、本を買っていただいた皆様、ありがとうございました。
身の回りの非常に多くの方々に「買ったよー」と声をかけられて嬉しかったです。

今年一番の出来事ってこれなんだろうな。
とりあえず何か形あるものを残すことができたわけで。

会社の近くの本屋に平積みになってたり
荻窪の LUMINE の中の本屋に並んでたり
お台場の本屋で見かけたり。
新聞の広告の隅っこに載ってたり。
自分でも「すげー」って思った。
見知らぬ人が手に取ってるのを目にしたら感極まって気を失ってただろうな。
さすがにそれはなかったけど。

amazon では今でもちょこちょこと売れているみたいで
モロッコで検索して買うのか
それとも最近だと Gazz ! で知り合った人が買ってくれたか。
(10月11月にまとめて売れたので Gazz ! 効果はあったと思う)

いや、ほんとありがとうございます。
何度も何度も繰り返しになりますが。
何人かの方には自分のホームページやブログで紹介してもらったりして。
それもまたありがとうございました。

でもどれだけ売れたんだろうな。
出版社に問い合わせれば答えてくれるはずなんだけど、怖くて聞けない。
再版となれば連絡が来ることになっていて、
それが来ないうちは何部売れようがたかが知れてる。
たぶん絶版になる方が早いだろうな。
初版を売り切ったとしてもペースが遅かったら再版なんて冒険はしないだろうし。

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で、その後となるんだけど。
本を出したことにより何かが変わったかといえば何も変わらない。
大手出版社から出したわけでもないし。
空前のモロッコブームが起きてたら
モロッコ旅行の達人扱いされてエッセイの依頼なんかがあったかもしれないけど。
結局自費出版で本を出した人と大差ない。実際そういう出し方だったわけだし。

小説家になったかといえばなったとは到底思えない。
大きな一歩を進んだとは思うけど、まだまだ道は遠い。
本を出した後、リュックサックに詰めて担いで全国行脚でもすればよかったか。
こういう本出したんですけど読んでくれませんか、何か仕事ありませんかと
配って歩くような地道な営業活動。
同じように本を出して、そういうことした人もいるんだろうな。
職業として小説家になれる人なれない人の差ってのは
そういうバイタリティーも1つあるはず。僕にはなかった。

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小説を書く、で言えば今年は250枚の長編を書いた。
4月から9月にかけて半年かかった。土日にこつこつと。
忙しいプロジェクトにいたのに。パワーがあったな。
「このままじゃいけない!!」と思ってたからだ。
初めて自分の望むレベルで書けたのでとても満足している。
日本文学界における売れる作品とはなんぞやってものを一切無視して書いたので
好き放題できたというのも満足の一因。まあ自己満足だけど。
しばらく寝かして読み返してどこか応募しようかと思っていたら
仕事が忙しくなってしまった。
やばい。なんとかしないと。
今のままでいいから出そうかな。
とりあえず2人の人に読んでもらって賛否両論。
(否ってほどでもなかったけど)

コンテストに応募して結果が出るまでの間ってのは、
「もしかしたらいけるんじゃないのかな」っていう前向きな気持ちがあって
日々の暮らしも明るくなるんだよね。
だからそのためだけにも応募したい。
結果がわかるとものすごく落ち込むことになるけど。

今年はあと、 Yahoo! 文学賞に応募して結局だめ。
いけると思ってたんだけどな。珍しく自信があった。
ノミネート作品10本って言ってたのがふたを開けると5本になってた。
もしこれが10本のままだったらいけてたかな。
どれぐらいの選考まで残っただろうか。
第1次の選考は余裕で通過したはず。
怖くてその5本のノミネート作品は読めなかった。
自分が井の中の蛙だとわかって落ち込みそうで。
落ち込むだけだったら、知らないほうが身のためだと思った。
(最近思うに、いくらプロとなったところで
 自分の中ではどこまでも井の中の蛙が続くのではないか。
 井戸がもっともっと広くなる。
 そこから脱出したいと思う気持ちが、書き続ける意欲となるのではないか)

結局、自分が「こうだ!」と思ったものを書いていくしかないんだよね。
そしてそれを周りの人に読んでもらって客観的な意見をもらう。
素人が「自らの商品性」みたいなことをあれこれ余計なことを思い悩んでもしょうがないし。
それはプロの編集者がどうこうすることだ。

才能がないとは思わない。いくらなんでも。
でもそれはものすごく小さなものでしかない。僕の場合。それはとっくの昔に諦めがついた。
後はずっとひたすらそれを磨き続けるのみ。
ニッチなところでいいんで隙間を見つけてなんとか入り込む。
まあ少なくとも来年は磨き続けます。


[1843] 結婚式で富山へ その5(12月24日) 2005-12-27 (Tue)

ホテルに戻ってチェックアウト。
12時にロビーに集合で、サイノウさんの家に行くことになっていた。
が、行ってみんなに会うと話が微妙に変わってて、
まずは富山の海の幸を食べに行こうと・・・。
さっきラーメンとカツ丼のセットを食べたばかりの僕は思いっきり失笑を買う。

新郎新婦(僕らと一緒にホテルに泊まってた)含めて全員揃ってタクシーで寿司屋へ。
「寿司栄」という大きなファミリー系寿司屋へ。地元では有名と思われる。
入るといきなり大きな声で70近い職人が「いらっしゃいませ!!」
こういう店って本当にうまいか、極端にまずいかのどっちか。ドキドキする。
前者でよかった。富山の海の幸はほんと、うまかった。
寒ブリ、ソイ、キジハタ、焼白子、白エビ、ガスエビなどなど海の幸を堪能。
アジやヒラメやしめ鯖といった定番も豪快に新鮮でさすが日本海。
もちろん、富山の地酒を飲む。銘柄は忘れたけど。

昼間っから酒にビールに最高このうえなし。
幸福な瞬間だったなあ。祝い事で訪れて、うまいもん食って。
みんなニコニコしてあれこれ語って。
今年最高のイベントだ。
いい面子が集まった。こんな集まり、もう、そうそうないんだよな。
学生時代はしょっちゅうあったような気がするけど、社会人になってしまうとなかなかない。
映画サークルの歴戦の猛者、酒豪揃いが集まって朝も昼も夜も酒びたり。
人生という尺度で言っても最高の出来事の1つとして思い出されるだろうな。
サイノウさんが結婚するってことで僕は以前の日記で
ひとつの時代が終わってしまう、寂しいし悲しいってことを書いたけど、
この2日間でそんな気分になることは1度も無かった。
楽しい気分で過ごしていたのもその反動ではしゃいでるのではなくて、
ただ純粋に楽しかった。
何の不安も無く、何の迷いも無く。
目の前の食べ物と酒と、一緒にいる仲間たちを楽しんでいればよかった。

はー。僕が結婚するというとき、こういう楽しい時間と場所を生み出せるだろか。
できないよな・・・。これはサイノウさんだからこそできたんだよな。
何をどうしても僕はこの人に追いつけない。
もう一生頭が上がらない。

寿司屋を出てこの日のもう1つの目玉、サイノウさんの家に行く。
以前から豪邸だとは聞いていた。
門から玄関まで歩いて10分かかるとか。
ほんとかいな?と思っていて、ずっと見てみたかった。
しかし今回は残念なことにガレージに車を入れて裏口から入ることになった。

富山名物のかぶら寿司に湯豆腐、
さっき食べたばかりだというのにあれこれ出て来る。


[1842] 結婚式で富山へ その4(12月24日) 2005-12-26 (Mon)

8時半に目を覚ます。
なんとなく下に下りていく。
今回の宿泊、朝食つきだったりしないかと期待する。
コーヒー、クロワッサン、スクランブルエッグを食べたい気分だった。
残念なことに朝食なし。旅行じゃなきゃつかないか。
部屋に戻って浴槽にお湯を入れて浸かる。
ポットで沸かしてお茶を飲んで、デジカメで撮った写真を整理する。

10時になって下に下りていく。
後輩の1人とラーメン屋を探すことになっていた。
外は雪。構わず外に出る。
クリスマスイブだというのに、人通りが全くない。
大雪だからか、それとも10時という時間が早すぎたか。
ホテルに置いてあったガイドマップにラーメン屋が2軒載っていて、
そのうちの1つが近くだったので行ってみる。
営業時間が11時からになっていたので入れず。

することもなく、引き返してホテルの真ん前に立っていた富山城を見物する。
広い敷地の中は工事中。天守閣みたいなのが歴史博物館だというので入ってみる。
客は僕らだけ。富山城の歴史を研究し、後世に語り継ごうという趣旨の施設。
パネルや映像を見ると、富山城は戦国時代から江戸時代を経て
何度も何度も破壊や火災に会っていて、その都度築城されたものの明治時代に解体。
第2次大戦が終わった後、富山復興のシンボルとして天守閣が作られる。
でもこの天守閣も文献を頼りにオリジナルのものを再現するというものではなく、
(たぶん満足な資料がみつからないのだろう)
姫路城を参考に作ったという県外の観光客からすれば「・・・」な
微妙なスタンスのシロモノ、というか城。
鉄筋コンクリートだし。きれいなのはいいんだけどね・・・。
展望台に至る階段はまるでモデルハウスのロフトのようだった。

展望台に出て富山を眺める。
3階か4階という高さのせいもあるんだろうけど、
低い位置から眺める富山の町はこじんまりとしていた。

これでもまだ10時半。
繁華街に出て他のラーメン屋を探すべしと昨日飲み歩いたアーケードまで行ってみる。
ぼちぼち店が開きかけていたものの、ほとんどの店は11時から営業のようだった。
珍しいことにこの商店街は歩道と見せかけて車が入れるようになっている。
車が停められるアーケードって初めて見た。

広場にて機械仕掛けの人形を見かける。
1mぐらいの大きな木製の人形が両手両足を広げたポーズで高い位置に据えつけられていて
人形の下の円盤を回すと鐘が鳴る。もちろん鳴らしてみた。

ラーメン屋は見つからず。というか飲食店が少ない。これは気のせい?
映画館がいくつかあった。一館ミニシアター的なところがあって
「ヴェラ・ドレイク」をやっていた。客は入ってるだろうか。いい映画なんだけどなあ。

アーケードの下はにぎわっているものの、その外を出ると途端ににぎやかさがなくなる。
今、地方都市ってどこもこうなんだろうな。
推測するまでも無く富山もまた郊外に発展して、かつての中心部は緩やかに寂れていく。
それを何とかしたいってことでアーケードを作って特徴づけたんだろうけど。
アーケードの商店の立ち並ぶ反対側は
クリスマス気分ぶち壊しなぐらいに思いっきり豪快に工事していた。

そういえば、ホテルやこの商店街で
あちこちで合併して新しい富山市がどうのこうのと目にした。
平成の大合併ってやつか。
でも僕らにしてみればどことどこが合併してどうなったのかということはわからない。
いい方向に進んでいけばいいのだろうけど。
青森もあちこちで合併してたけど今はどうなってんのかってのが気になりながら歩いた。

ラーメン屋が見つからず、トボトボ戻って最初行ったラーメン屋に入った。
「末広亭」昭和6年創業ってことで歴史あり。昔は屋台だったのだという。
ラーメンそのものは古きよき何の飾りもない昭和のラーメンで懐かしい味。よかった。
でもセットで頼んだカツ丼はNG。久々にまずいカツ丼ってのを食べた。
カツがそもそもなってないし、汁がべちょべちょ。
・・・富山まで来て名物でもなんでもないカツ丼食べて怒ってる俺ってなんなのだろう。
ここはワンタンメンが有名で、来る客来る客みんなラーメンかワンタンメンだった。
いくらカツ丼が食いたい気分だったからといって、
旅先で名物じゃないものを食べるってのはやはり勇気のいることだ。


[1841] 結婚式で富山へ その3(12月23日) 2005-12-25 (Sun)

そして披露宴。
会場が無茶苦茶広い。というか天井が高い。
たぶん富山市内でも一番の場所なんだろうな。
「オカムラさんも撮ってよ」ってことになり、
新郎・新婦入場からノザキ先生のスピーチまでをビデオで撮る。
後輩たちが撮ってるのを見て、いてもたってもいられなくなった。
「撮る撮る俺も撮る!!」ってな勢いで。
でもなかなかうまく撮れなくてしょぼーんとする。
5分間に渡って人が話しているのをズームしてみたり、会場に向けてみたり、
少し移動してみたりカメラを低い位置に持っていったり
あれこれやってみるもののどうしても画面が単調となってしまう。
好きなように動き回っていいならまだなんとかなったろうけど、
そんなの周りの人にとってはうざいだけだし。
難しいもんだな。
後で編集されるんだけど、僕の部分は怖くて見れないな。
つうか編集してるときに「オカムラさんのとこ下手だな」と言われるのが目に見えてる・・・。
今更ながら自分の才能の無さを思い知らされた。
(僕の映画は、仲間内では「才能ないけど好きだよ」という扱い方をされている。
 今回も飲んでてそういう話になった。
 30過ぎたしいいかげんやめればいいんだけどね・・・)

お世辞じゃないけど披露宴はとてもいいものだった。
ノザキ先生はじめ、みんないいスピーチをしていた。
最後の新郎のお父さんのスピーチは後々語り草となりそうなぐらい素晴らしかった。
というかその後飲んでて夜も次の日もずっとみんなその話ばかり。
内容についていろんな事情の説明が必要になってくるのでここには書けないけど。
サイノウさんという今も昔も10年以上に渡って僕らの映画仲間での中心にいた、
早い話がカリスマな人のさらにそのお父さんって言ったら僕らにしてみれば
「ゴッドファーザー」のマーロン・ブランドみたいなもんで。
まあ早い話が人間の大きさというか器ってのは自然と滲み出るものなんだねえということ。

料理は高級。
(披露宴の料理について描くのはなんかさもしい気がするが)
メニューに書いてあるものが理解できず。素材も調理方法も。
名前がどれもこれも100文字超えるようなやつ。
食べても「うーん?たぶんうまいんだろうねえ」って感じ。
次の日、サイノウパパは開口一言、
「昨日の料理たいしたことなかったろ」と一刀両断。
「あれはみんなに不評だった。みなさまには
 遠いところからわざわざお越しいただいたのに申し訳ないことをした」

披露宴が終わって、会場を移動して、2次会。
その前にホテルにチェックインして荷物を置く。
15時半ぐらいだったのに既に空は暗い。雪も降り続けている。
2次会の始まる前にもビデオを回す。
「新郎新婦に対して一言お願いします」ってやつ。
酔ってて気の大きくなった僕は知らない人たちばかりの集団に入っていって
「どうも!一言お願いしたいんすけど!!」とカメラを構えて1人1人聞いて回る。
これも途中でバッテリーが切れてあえなく終了。
僕がカメラなど用意したわけじゃないんでなんとも言えないんだけど、
あれはサイノウさんに悪いことをした。
この辺の手配、僕が段取っとけばよかったと思った。でしゃばりかな。

2次会の司会はサイノウさんの高校の同級生2人で、
1人は猪木の格好でもう1人はHG。エロサンタ系の格好をした。
この冬、忘年会でHGの格好をした人が大勢いるんだろうな。

飲んでて話し込んでいるうちに
すぐ目の前で始まってたチーム対抗のゲームが始まってることに気がつかないまま過ごす。
途中から参加したものの、たぶん最下位で終わる。

最後に新婦の高校時代の友達ってことで地元の音楽グループ?が演奏する。
(バンドというとまたなんか違う)
スチールパンを持ち込んだりしてかなり本格的。
ボンゴにマラカス。演奏されたのは The Boom の「風になりたい」
ケンの2次会でも「風になりたい」が演奏された。
最近はやりなのだろうか?
たった2回出くわしただけではやってるように感じる僕もなんだけど。
プロ、セミプロ、アマチュアが入り混じって演奏するのにはいい曲なのかもしれない。

この2次会が終わった時点でまだ20時にもなってない。
僕ら映画グループは町をフラフラ歩いてよさげな店を探していたら
サイノウさんの妹と出くわし、「富山といえばここ」って店に案内してもらう。
「秋吉」とかいう名前で、「きよし」と呼ばれてたな。この略し方が地元っぽい。
焼き鳥屋。中に入ってみると高校生に水商売のお姉さんに
小さな子供を連れた親子と大勢の人でにぎわっていた。そういう正に地元の店。最高。
席待ちで並んでいたらウーロンハイが5秒で作られたのを見た。
2階の大きな座敷に入ってテーブルを一列占領する。
隣のテーブルに座ったのが新婦の高校時代の友人たちで、「おー!」って感じで即入り乱れる。
青森出身の子が向こうのテーブルにいて、「じゃあこっち来なよ」ってことで話したりした。
なんでだかわからないが富山では猫ひろしが(局地的に?それともたまたま?)はやっているようで
向こうのテーブルでは「猫ひろし!」「猫ひろし!!」とコールがかかって
「ニャー!」「ニャー!!」と乾杯してた。僕らもニャーニャー言ってた。
新郎新婦不在のままなのに盛り上がる。いいねえ地元は。
僕らのような初対面の人たちが一緒になっても何も構わず。一緒に盛り上がる。
「いいねえ富山の人は!!」と僕らはいいあう。
いや、ほんとみんな人がいいね。純朴で、素直で。

どうでもいいけど、店を出た後で雪に足を滑らせて思いっきり転んだ。
俺としたことが。恥ずかしい。
会社に履いていってる革靴が完全に雪道仕様じゃないんだよな。
スニーカーじゃなきゃいいってもんじゃなかった。

そこからさらに4次会へ。
サイノウさんと合流し、サイノウさんの弟におしゃれ系の店に連れてってもらう。
ヴィレッジヴァンガードをバーにしたような薄暗い店。
コアメンバーだけとなってひたすら文学と映画と音楽の話をする。

雪の降る人気のないアーケードを歩いてホテルに戻る。
午前1時を回っていただろうか?
後輩たちは部屋でさらに飲んだという。
疲れ切った僕は風呂の中で寝てた。