[2034] ポルトガル−フランス戦 2006-07-06 (Thu)

準決勝ポルトガル−フランス戦を見るために4時起き。
さすがに眠い。昨晩寝たのは22時なんだけど、なかなか寝付けなかった。

ポルトガル、勝てば初の決勝進出ってことになるんだけど、果たせず。
さすがにフランスは強かった。
貫禄があったなあ。
フランス代表の出てくる試合を今日初めて見たんだけど
大会前、前評判の低いチームには見えなかった。
なんなんだろ、あの一貫した守備の堅さ。
98年大会で優勝、02年大会で無得点で予選リーグ敗退。
その時々でムラがあって、今は波に乗っているということ?
にわかサッカーファンだとそこまでわからず。
これからは欧州選手権だとかきちんと追いたいなあとしみじみ思った。

見てて思うにやはり、ジダンのかっこよさ。ここに尽きる。
これで優勝したら「ジダンのジダンによるジダンのための大会」とされた98年大会をもじって、
「ジダンのジダンによるジダンの引退のための大会」ってことになるよな。
いや、なんとなくフランスが優勝するような気になってきた。
イタリア−フランスで決勝戦かあ。
いったい誰が予想したろう?

ポルトガルもロナウドが例のごとくドリブルで切り込んで行ったんだけど
デコ、マニシェの中盤が徹底的にマークされて仕事できず。
パスも通らずシュートもきれいに撃てず。
決定的な好機は2回ぐらいかな。
後半のパウレタのシュートと、フィーゴのヘディング。
あれが入ってたらなあ。
逆にフランスにとってチャンスはPKの1度きりで、
それを確実にものにした、というかジダンが決めた。
神がかってるチームとそこまで到達できなかったチームの差を見たような気がした。

イングランド戦でPKを3本止めたGKリカルド。
後半戦終了間際は自ら前線まで飛び込んでいった姿が熱い。
オーバーヘッド気味にボールを蹴り込んでいた。すげー。
チームとしてのあの熱気が、前半戦中盤の停滞したムードの中にあったらなあ。

試合終了後、ユニフォームを交換したフィーゴとジダンの姿が印象に残った。

---
6時に試合が終わって、8時まで寝る。
今から出社。客先直行でよかった・・・


[2033] イタリア−ドイツ戦 2006-07-05 (Wed)

朝6時前に起きてテレビをつけたら、準決勝イタリア−ドイツ戦だった。
後半ロスタイム、0−0のまま延長戦へ。
午前4時開始。前日、早起きして「見ようかなあ」と一瞬考えたものの、
まあいいかとやめておいたのが、結局、延長戦から見ることになった。

今回、僕はイタリアのことなんて考えたこともなかった。
ドイツが勝つんだろうな、とばかり思っていた。
それが、延長戦後半のさらに終盤、
「こりゃあまたしてもPKかな〜」ってところでイタリアが先制。
(これ、ふらっとわき見している間に決まって、思いっきり見逃してしまった・・・)
さらに、延長戦前半終了間際に投入されたデルピエロが2点目。
これはちゃんと見た。華麗なシュートだったねえ。

開催国ドイツが負けるかあ。
予選リーグ前にイタリアの決勝戦進出を予想していた人って
世の中にどれぐらいいるんだろう?

明日のポルトガル−フランス戦は4時起きで絶対見なきゃ、と思った。
ポルトガルが勝って、決勝戦はイタリア−ポルトガル。
ポルトガルが初優勝でワールドカップの長い歴史の中でも
ようやく8カ国目の優勝国となる。
これがフランスが勝って、さらに優勝でもしたもんなら・・・
今大会かなりのダークホースではないか。

あーこうなると決勝も見たいなあ。リアルタイムで。
3位決定戦は週末だから早起きして見れるか。

今日は遅くとも21時には寝て、
そのためには19時には会社を出て、
・・・なんてことを考え出すと
「ま、仕事は適当に終わらして」と思ってしまう。
さっさと帰ろう。


[2032] 3連休は青森に帰ります 2006-07-04 (Tue)

ふと思い立ち、次の3連休に青森に帰ることにした。
この機会を逃すと次、いつ帰れるかわかったもんじゃない。
仕事は決して暇じゃないしむしろ佳境なんだけど、
まあなんとかなるんじゃないかと。
今日の朝、通勤途中に有楽町の駅のみどりの窓口で切符を手配してきた。

前回帰ったのは昨年のゴールデンウィークだから、14ヶ月ぶりとなるか。
不思議とこういうのって、つい先日のように思えるが1年以上前のことなんだよな。

土曜は朝8時の新幹線に乗って昼には青森に着いて
ブラブラして新町の辺りで服とか見たりして、
日曜は家でのんびり、月曜の昼前に青森を出る。

帰って何するかって言うと何もしない。
本を読むだけかな。
もっとはっきり言うと、
行きの新幹線の中で駅弁を食いながら缶ビール飲みつつ、
村上春樹の「象の消滅」が読みたいだけだったりする。
前にも書いたことがあったけど、この本、特別な時間に読みたかった。

もう一冊持って行くのは、中国の作家である高行健の「霊山」
この作品で中国人初のノーベル文学賞受賞。
「東洋のオデュッセイア」と称されるぐらい壮大な物語であるらしい。

本を読むだけなら東京でもできるけど、
まあ母に顔も見せたいしな・・・
肉じゃがかカレーが食いたいなあ・・・

もしかしたら寿司をご馳走するぐらいのことはするかもしれない。

---
妹にメールを送ったら3連休は休めず、
しかも今連載を抱えていて7月は休みなしとのことだった。
車乗るなら貸すよと言ってるが、もう何年も乗ってないから運転できるわけがない。

白神山地のほうまでドライブとか、できたらよかったんだけど。

ま、何もせずのんびりするか。

あとは3連休出社とならないことを祈る。


[2031] 今年上半期を振り返る 2006-07-03 (Mon)

7月に入った。2006年も半ばが過ぎた。
早いもんだ。もう夏だし。

思い起こすとどういう半年だったかといえば、
・・・仕事していたことしか思い浮かばない。
出版社の件と、土日に小説書いたことか。
3月までは神保町で恵まれた食生活だったのが
4月以後芝浦ふ頭へのオフィス移動に伴い、
一転してめまいのするほどの貧しい食生活に。

ゴールデンウィーク後半にシンシナティ行ったのが
まず間違いなく今年最高に楽しかったイベントになりそう。
(下手したらこれが今年唯一の海外か・・・?)

あ、あと、GAZZ ! 関係でいろんな人に会って飲むことが多かった。

それぐらい?

読んで面白かった本といえば、今思い出したのは
オーソン・スコット・カード「消えた少年たち」
マイケル・パタニティ「アインシュタインをトランクに乗せて」
この2冊。

よく聞いたCDは、新譜じゃないけど、
Blink182「Enema of the State」
This Heat 「Deceit」
ダントツでこの2枚。

新譜の中で今年 No.1 になりそうなのは
Eels「With Strings: Live at Town Hall」かな。
レッチリも TOOL も宇多田ヒカルも、
大御所の新譜はことごとくだめだった印象がある。

CDで今思い出したのだが、
今年上半期のCD購入金額はまだ50万超えてなくて、なかなかいいペース。
もしかしたら夢の100万円台「割り」も達成可能かもしれない。
今年から一応意識して買う量を減らし始めた。
僕の中でも買いつくした・揃えた感もあるし。
UKだろうとUSだろうと「期待の新人」のアルバムに飛びつかなくなって
評価の定まったものしか買わなくなってきたし。

貯金ですよ、貯金。浮いた分は。

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そんで今年後半はというと・・・

仕事が引き続き忙しいのがわかっていて、土日は小説を書いて。
それぐらいかな・・・

今年はもう谷間の年だな。


[2030] ポルトガル−イングランド戦 2006-07-02 (Sun)

昨日に引き続き、準々決勝のポルトガル−イングランド戦を見る。
今回僕が気になるというか、贔屓にしていた国は
アルゼンチン、ウクライナ、ポルトガル、イングランドこの4カ国。
どれも優勝を狙える強い国で(ウクライナは今一歩格下か)
どれもベスト8には残ったが、
このうちアルゼンチンとウクライナは先日敗退してしまった。
残るポルトガルとイングランドが対戦。
どっちにも勝ってほしいし、どっちにも負けてほしくない。
どちらかと言われたら51:49でポルトガルかな。
ポルトガルの南米系な
ドリブルで前に進むサッカーはやっぱいいね。
フィーゴ、ロナウドにボールが渡ると胸が熱くなる。
「いけ!!」と思う。

前半戦終わって実力伯仲。
ベッカムとフィーゴ、ルーニーとロナウドってことで図式もわかりやすく。
攻めてるのはポルトガルなんだけど、イングランドの守りも固い。
後半戦を迎えるに当たって、
ランパード、ジェラルドを要するイングランドの方が
「なんか」ありそうな気がした。

負傷によりベッカムが戦列を離れ、替わりにレノンがピッチに。
左足をどでかい氷袋で冷やしているベッカムが悔し涙に暮れているシーンが映る。
ルーニーが相手選手を小突いてレッドカード。退場。イングランド10人となる。
そんでクラウチが登場。
走ってたりボール持ってたりするのを見るとなんかマンガみたいだ。ほんと面白い。
10人になったイングランドが不利かというと
ポルトガルの方が疲れが見えてたりして。
どちらも執念と気迫、闘志丸出しでプレーしてるんだけど、
イングランドの方が若干まとまっていたか。
その後フィーゴが交代してポスティーガ。
0−0のまま延長戦に突入。
そして両者一歩も譲らないまま、PKへ。
ランパード、ジェラードが外す。
その一方でポスティーガ、ロナウドが決める。
ポルトガル、40年ぶりの準決勝進出。

いやーとにかくすごい試合だった。
僕が見た中ではダントツでいい。緊迫感があって。
(例えば、イングランド予選リーグ初戦のパラグアイ戦と比較)

ポルトガルのスコラーリ監督は前回大会のブラジルに引き続き、12連勝となった。驚異的。
(イングランドの代表監督就任を要請されたが、断ったという)
これでポルトガル優勝したら、2大会連続無敗で優勝となる。
ここまで来たらポルトガルには是非とも優勝してほしい。

あと、今ヤフーのニュースを見たら、ポルトガルのGKリカルドは
PK戦で3本のシュートを止めたことになるんだけど
これってW杯史上初めての快挙であるようだ。

---
ブラジル−フランス戦はまあブラジルが勝つでしょう、見るまでもないと寝る。
朝起きてフランスが勝ったと知り、「え!まさか!?」と驚く。
徹夜してでも見ておけばよかった。
ブラジルが負けるのか・・・
それともジダンが神がかっていたのか。
結果は1−0で、ブラジルは無得点に終わる。
こんなこともあるのか・・・
相変わらずフランスはブラジルに対しては不思議な力を発揮する。

こうなったらここから先の予想としては、
・ドイツ−イタリアはドイツ
・ポルトガル−フランスはポルトガル

ってことで優勝はドイツと思われる。
個人的にはポルトガル初優勝に期待なんだけど。

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最後に、大学の先輩がこの日の2試合を以下のように評していた。
なるほどと思ったので引用します。

「英国期待の若手が一発レッド。10人で必死の守り、PK戦、そして敗退。
 世界最強ブラジルを翻弄するアルチザン、ジダン。
 8年前、1998年に観た二つの光景が再現されたそんな日でした。」


[2029] ドイツ−アルゼンチン戦 2006-07-01 (Sat)

昨日は、お客さんが開発パートナー(つまり、僕ら)向けに開いた
セキュアなWEBアプリケーションの設計と開発に関する研修に参加。1日コース。
場所は神保町。驚いたことに僕らが3月まで常駐していたビルの真向かい。
よって、昼と夜と神保町メシを堪能。
昼は「エチオピア」でビーフと野菜のカレーに、豆のサラダを追加。
夜は「味噌や」で味噌ラーメンにバターとコーンを追加。
その後一緒に参加した後輩とビリヤード。
昼休みには「@ワンダー」でハヤカワ文庫の珍しいのを探す。
ストルガツキー兄弟の「波が姿を消す」の初版を見つける。1890円。買う。
「研修終わっても会社には戻らないですよ」と事前に伝えてある。
この日1日休みみたいなもの。

夜はその後、大学時代の友人オータとオーミネに会って有楽町で飲む。
オータからメールが会って、今度飲もうよってことになっていた。
オーミネと連絡が取れたようで、「じゃあ今日にしようか」と急遽。
有楽町のガード下の焼き鳥屋で外に並べられたテーブルで、
と探してみるもののどこもいっぱい。
居酒屋っぽい店もいくつか当たってみたけど、満席。
「津軽海峡」という焼酎を置いてある地下の店を見つけ、入る。
津軽料理の店かと思ったけど、そうじゃなかった。普通の安居酒屋。
オータと飲むのは1年ぶりで、オーミネは3年ぶりか。
(去年の夏、偶然吉祥寺のハモニカ横丁で偶然会ったが)
寮時代の誰それがどうしたとか、
平均年齢32歳にして思う会社員として働くことのあれこれ。
遅くまで飲む。
「ドイツ−アルゼンチン戦が始まる」ってことで店を出る。
オータと丸の内線に乗って帰る。

帰って来ると既に試合は始まっていて、15分経過。0−0のまま。
汗をかいていたのでまずはシャワーを浴びる。
25分頃からちゃんと見出したか。
ワインを開けて飲む。
前半終わって居合い抜きのような試合。
といか居合い抜きの始まる前のような試合。

後半に入って、アルゼンチンが先制。「おっ」と思う。
しかしその後ドイツはクローゼがヘディングで押し込む。今大会5点目。
1−1のまま延長戦に入って、この辺りから「死闘」モードに入りだす。
どっちも負けられない。当たり前の話だけど。
居合い抜きから実際の合戦のようになる。
結果、PKでドイツの勝利。
あの歓声はなー。ドイツ有利だよ。
なお、PK直前、カーンとレーマンが握手をした。
これは心に残る名場面だった。

今大会、「アルゼンチンが優勝するんじゃないか?」と僕は周りの人に言っていた。
「決勝はアルゼンチンとブラジルでしょ?」と。
特に理由はない。なんとなく。勘というか雰囲気というか。
うーん。このままだとドイツ対ブラジルってことになるか。で、ブラジルが優勝。

会社の先輩が買って読んで「面白い」と言っていた
「オシムの言葉」を僕も買って読むことにする。
旧ユーゴ代表監督、しかも内戦直前。
これだけで読むに値するよなー。
ジェフ市原どころの話じゃない。
とてつもない歴史を背負っている。


[2028] 太田さんちのハヤシライス 2006-06-30 (Fri)

この前の火曜、午前中に顧客のところで打ち合わせの後、
「小ぶね」でハヤシライスを食べた。
雑居ビルの2階にあるのだが
ビルの入り口には「太田さんちのハヤシライス」と
小さな暖簾のようなものがかかっているだけ。
知る人ぞ知る隠れ家っぽい雰囲気。
気がつかずに通り過ぎ、興味を持たずに通り過ぎる人が大部分なのではないか?

ここに入ったのは2回目。
夜はスナックなのだろうか?カウンターで10席の小さな店。
メニューはハヤシライスのみ。座ると注文を聞かれることなく、ハヤシライスが出てくる。
60ぐらいのママは元宝塚だったようで
壁のあちこちに宝塚のスターたちの小さな色紙や札が貼られ、
(名前を今思い出せないが有名な女優のがいくつかあった)
カウンターの奥には森光子の名前の書かれたボトル(?)が置かれていた。
宝塚90周年のときに全生徒が勢ぞろいしたときの大きな写真も飾られている。

ハヤシライスはバターの味が濃くて、微妙に甘ったるい。
だけど僕としてはとても好きな味。
牛肉もたまねぎもたくさん入っている。
洋食屋の、というよりは、お袋の味。
じっくりコトコト煮込んで、手間暇かかってそう。
サラダがついて、これで800円は安い。

僕らが入ったときは13時半の昼の営業時間の最後の頃で、
(1日限定25食ってことになっていて危うかった)
客は僕らだけ。
テレビには「徹子の部屋」
ゲストは草刈民代。「Shall We ダンス?」のことを語っていた。
同行の方に「僕、大学1年のとき、社交ダンスやってたんですよ。体育会系で」と話すと、
「へー。大学で社交ダンスってあるんですか?」と驚かれる。
ママが会話に加わってくる。
「そうよ。東大にだってあるんだから」

その後バレエの話になる。
ママの孫がバレエ教室に通っていて、
そこは草刈民代も関わっているという由緒あるところ。
発表会(公演?)ともなるとプリマとして踊ることもあるそうだ。

あるとき、プログラムは「ドン・キホーテ」となっていて、
これはものすごくパワフルというかエネルギッシュな内容。疾風怒濤とでも呼ぶべきか。
優雅にソソソと踊るような世間一般的なバレエのイメージとは異なる。
通常、抜粋されたものが演じられるんだけど
その日の草刈民代は全パートを踊りきった。
孫の発表会を見に行ったママはそれを見てとても心打たれた。なんてすごいのだろうと。
大のバレエ・ファンだというママの娘もまた、後日鑑賞して感激したとのこと。
草刈民代がすごいのかドン・キホーテがすごいのか、
よくよく考えたらどっちを伝えたかったのかわからなかったけど
とにかくまあそういう話。

インスタントでよかったら、と小さなカップに珈琲をサービスされる。
すぐにも飲み終える。「さて、行きますか」と立ち上がる。
同行の方が2000円札しかない、と差し出すと「いまどき珍しいわねえ」と言う。
僕は「沖縄に行くとたくさん出回ってるみたいですよ」と先日誰かから聞いたのを受け売りで話す。
曰く、首里城が図柄に採用されているから。
「なるほどねえ」とママは笑顔になる。

小さな店を出て、僕らはビルの外に出た。
梅雨の合間の東京は蒸し暑かった。
だけどハヤシライスのふんわりとした余韻に包まれてほんの少しばかり、夢見心地。

まあ、そんなこんなでいい感じの店です。


[2027] 予告編あれこれ 2006-06-29 (Thu)

日曜に映画をハシゴしていて、予告編で気になったのは何と言っても
「世界の中心で、愛をさけぶ」の韓国(というか韓流)版、
「僕の、世界の中心は、君だ。」

すげーよ、これ。何の臆面もなくこういうの作るかね?
見てー。金払って劇場でみるのはノーサンキューだけど、
誰かが DVD 借りたら集まって鑑賞会をしたい。

予告編かチラシのキャッチコピーが
「世界の中心で、愛をさけぶ」+「韓流」となっていて、
もう向かうところ敵無しだよね、これ。ある意味。
(もちろん皮肉で言ってんですよ?)

どれだけの人の食指が動くんだろ?ヒットするんだろうか?

なんかどうも、ただ単に
韓国版「世界の中心で、愛をさけぶ」でしかないみたいなんだけど。
例のテーマ曲も韓国版。
島も行きます。
なぜか若い2人をつなぐアイテムはコロッケみたいです。
(コロッケ??と笑いたくなったけど、真剣なんだろうな・・・)

韓流ブームも思いっきり下り坂だと言われてる昨今なのに。
買い付けてしまったから仕方ないのかな。
それとも、その他一般の映画よりはまだ集客数が見込めるのかな。
上映される頃、「韓流おばさん」って生き残ってるのだろうか?

つうか、それ以前に
「世界の中心で、愛をさけぶ」の客層と「韓流」の客層って一致すんの?
相乗効果ならいいけど、実は噛み合ってないんじゃない?

---
どうでもいいけど、第2回日本本屋大賞受賞作の映画化、
恩田陸原作の高校青春もの「夜のピクニック」は
略して「夜ピク」らしい。
http://www.yorupic.com/

なんか、やらしい。

---
もう1つ。これまた、ものすごく気になった。
「いかレスラー」の監督の最新作。

「ヅラ刑事」
http://www.duradeka.com/

モト冬樹演じる主人公の必殺技が「モト・ヅラッガー」
前売り券を買うとなんと、ハゲヅラがついてくる。
場内どよめきと爆笑の渦。
女性ばかりの客層の中で、ここまで失笑を買えるとは。
恐るべし。必見かもしれない。

サイトを見たら、
「勇気ある<ヅラ>割引実施!!
 劇場窓口でヅラを全部取り外したら無料!!!」とある。

やる人いるのかな・・・

他の出演はイジリー岡田、ウガンダ・トラ、
なべやかん、ドクター中松、飯島愛・・・
あっぱれなまでにB級。もちろんレイトショー。
ここまで来ると「魂」を感じる。


[2026] 「嫌われ松子の一生」 2006-06-28 (Wed)

(いわゆる「ネタバレ」系のことを書いてますが、
 この映画はストーリーがばれたところでビクともしないと思う)

昨日に引き続き。「嫌われ松子の一生」
これはすごい。必見。★5つ級。

「腹抱えて」ってほどじゃないけど随所で笑えたし、
最後ほろっと泣けてきた。 つつーと涙が出てきた。
ビジュアルアートやストーリーが
上っ面で荒唐無稽なのは百も承知で、っつうか狙い通りで、
意に介さず「これでもか!」「これでもか!」「これでもか!!」と
突き進んで捻じ伏せていくパワーが圧倒的。
中谷美紀の女優魂と中島監督の世界観ががっぷり四つ。

1人の人間の一生というか生き様をきっちり描いて
ここまでエンターテイメントとして成立した作品は
最近ないんじゃないかな。お薦めです。
今年No.1の邦画かもしれない

僕らの見た回の次の回は立ち見でした。
大ヒットっぽい。でも、単館上映か・・・?
だとしたらもったいないな。

客席の8割方が女性。カップルか、女性2人連れか。
中学校の先生だったはずがソープ嬢に刑務所にヤクザの情婦、
最後は引き篭もり(おまけに光GENJIのおっかけ)とどこまでも転落していく。
なのに主人公は男と愛し愛されることを明るく朗らかに求め続ける。
どんな不幸のどん底でも本人からしてみれば
ハッピーでお花畑が咲いていて、歌まで歌いだす始末。
自分の気持ちに正直過ぎ。自分に嘘をつかない。
そんな姿に女性たちはどこかしら自分と重ねあわせる?
自分には到底できそうにないことを映画の中の主人公に託す?

中島監督は前作「下妻物語」が話題になったわけですが。
それ以前の経歴としては
ドラマでは「世にも奇妙な物語」「私立探偵濱マイク」といった話題作を手がけ、
CMではサッポロの名作「LOVE BEER ?」を作ってるんですね。
なるほどなーと思った。

主人公松子が男のクズみたいなのと
くっついて同棲しては悲惨な目に遭うのを繰り返すのは
結局のところ満たされなかった家族からの愛の裏返しだったわけですが。
ラストで、その家族のところに戻っていくシーンはほんと素晴らしいです。
泣けました。今思い出しても、ほろっと来ます。

スカパラの谷中敦がギンギラギンの格好でソープ「白夜」の支配人として出てくる。
これがはまり役で、とてもかっこよかった。

中谷美紀は僕、「ケイゾク」が20代以後唯一全回見たドラマだ、
というぐらい好きだったりします。
いやー。よかった。
きれいだなー。この人は。
中谷美紀がソープ嬢やヤクザの情婦になるのだから、・・・


[2025] 「花よりもなほ」 2006-06-27 (Tue)

日曜は映画部の月例鑑賞会。
今月は渋谷で「花よりもなほ」と「嫌われ松子の一生」
まずは「花よりもなほ」
どちらも面白かった。大当たりの組み合わせだった。
今旬な人たちの日本映画。

「花よりもなほ」は「誰も知らない」の
是枝監督の最新作。さすがに手堅く面白かった。

そりゃやっぱ、なんかとんでもない領域に踏み込んで
なんかやばいものを映し出していた「誰も知らない」と比較してしまう。
そこからすると、ちょっと落ちる。映画としての完成度というか存在感が。

でも、まあ、いいか。
肩の力が抜けた人情系時代劇。
貧乏長屋を舞台に繰り広げられる丁々発止のやりとり。
素直に面白かった。

「敵討ち」が題材だと、これまでの日本映画の図式からしたら
最後は絶対壮絶な敵討ちとなるのが筋。それ出てこないと観客は納得しない。
それが見てるとどうにもこうにも
「人生いろいろあるよねえ」ってことで
クライマックスは敵討ちのシーンとなりそうになくて、
「あれれ、どうすんだろ?これ」と不思議な気持ちでいっぱいになる。
それが最後は、・・・。
ああ、なるほどねえと思う。
いい脚本書くよね。
もちろん、撮影もきれいでした。

面白いです。でも★4つかな。

古田新太、寺島進、遠藤憲一、中村有志、上島竜平、木村祐一、香川照之といった
豪華(?)な脇役陣も魅力。
(たぶん知名度の割にギャラの低めな人たちを集めたと思われる)

宮沢りえがなかなかよかった。
あのとき運命のいたずらで貴乃花と結婚していたら今の姿はないわけで、
そう思うと感慨深い。
なにげに息の長い女優となった。
今の若い人たちはヘアヌードだ!!見せていいのか!?
と社会現象になった「Santa Fe」を知らないのかな。
知らないんだろうなー。

もちろん、岡田准一もいい。
V6の人だってのは今日パンフを見て久し振りに思い出しました。

ほんとならこの映画「たそがれ清兵衛」と比較して語るべきなんだろうけど、
残念ながらまだ見てないんだよな・・・


[2024] 出版社倒産、その後(その2) 2006-06-26 (Mon)

どうしようか迷った挙句、
一応僕も倉庫に眠っている本を引き取ることにした。
5月末に、本のタイトルや名前・住所・電話番号とともに
身分を証明する書類ってことで保険証と運転免許証をコピーしたものを
FAXで倉庫業者に送って、次の日電話してみた。
今回の出版社倒産の件で担当の方はてんてこ舞いで、
常に何十件と対応に追われていたようだ。
電話口で「すぐには対応できない」と謝られる。

調べてもらったら僕の本は159冊、保管されていた。
最初に500冊刷ったうち、
50冊は出版社が各所に配って、50冊は僕が受け取ったのだから、
1年で200冊ほど売れたということになる。
はー。けっこう売れたもんだね。
amazon では月に何冊か継続して売れていたから、
あと一押しなんかがあったら完売したのかもなー。
そう考えると残念だ。

1冊につき引き取り料というか保管料は
定価の2割を支払わなくてはならない。
破産管財人が掛け合った結果、そういう結果となった。
159×1000×0.2で3万ちょいとなる。
それぐらいなら払ってもいいかなと考える。
プラス送料、冊数や厚さ・サイズにもよるがだいたい5000円ほど。

1週間ほどしたら引き取り料の見積もりをお知らせできると思います、
と倉庫会社の人に言われる。
しかしその後音沙汰なく、「ああ、忘れられたのかなあ」と思う。
「ま、いいか」と諦めがつく。
それはそれでいいか。そういうものなのだ。

3週間ほど経過して、
ようやく先週中ごろ留守電にメッセージが。
結局209冊倉庫に保管されていて、
正確な金額は忘れたが、4万3千円ぐらいになるとのことだった。
プラス送料。5万円ぐらいになる。
けっこうな額。
「だったら、もういいや」と思う。
確かに、自分で書いて出した本は自分の分身のようなものだ。
だけどこの200冊、手元に置いていたところで恐らく
ただの紙の山にしかならない。
amazon のマーケットプレイスで売ろうかとも考えたが、
たぶんそんなに売れないだろう。
2ヶ月に1冊売れるかどうか。手間の方がかかりそうだ。

とはいっても全部裁断されるのは忍びないので、
間を取って50冊だけ引き取ることにした。これなら1万円ちょっと。
倉庫会社に電話して、そのむね伝えた。
担当の方は忙しそうだった。
入金期限を聞いたら今月いっぱいでお願いしますと言われる。
今回の碧天舎の件、倉庫会社としてはなんとか今月でけりをつけたいのだそうだ。

そのうち届く50冊をどうしたもんか。
何年かかけてゆっくりと配ることになるんだろうな。
僕がいつか結婚するときに2次会の景品にするとか。
万が一小説家になれたらサイン会の特典にしよう!と思いつき、色めきたつが、
その瞬間思いっきりわびしい気持ちになった。

とにかくこれで本の件はおしまい。

何度も何度も書いてますが。
買ってくれたみなさん、ありがとうございました。


[2023] 出版社倒産、その後(その1) 2006-06-25 (Sun)

碧天舎倒産、その後。
日々は淡々と過ぎて行き、「ああ、そんなこともあったなあ」ぐらいのものとなる。
もう何年か先には本を出したことすら忘れてるかもしれない。
事件は風化していく。
一時期あれほど 盛り上がっていた mixi のコミュニティも沈静化。
在庫の本を倉庫から取り戻すことが出来たとか、
じゃあその本をどうやって売ろうかってのと
出せずに終わった本をどこか他の出版社と交渉中だとか
(でも、結局は似たような自費出版系のようだ・・・)
そういうのがちょこちょこと話されるぐらい。
「被害者の会」とか「集団訴訟」とか最初のうちは血気盛んな人もいたけど、
いつのまにかそういうムードも消えていった。
積極的にいろんな人と意見交換をしていた人が
ある日突然 mixi から退会していたりする。
なにかあったのだと思う。

結局この件は、この国で日々生まれては消えていく
様々なニュースのうちの1つに過ぎなかったわけだ。
本を出すことに生きがいを見出していた
大勢のお年寄りの方たちはどうしているのだろう?
完全に泣き寝入りなのだろうか?
この国の片隅のどこかで、ひっそりと。1人きりで。

それでもまだ、自費出版でいいから本を出したいという人がいるんだろうな。
もしかしたら今回のささやかな騒ぎを知らないまま、という人も多いのかもしれない。
いいことなのかどうか、今の僕にはわからない。
出したければ出せばいいのだし、お金があるのならその人の自由だ。
ただし夢は見ないこと、リスクは自分で追うこと。
何事もそういうものなんだよな・・・

事件の真相については日経ビジネス6月に詳しい記事が載っている。
決定版だと思う。
マスコミで取り上げられるのも、これが最後だろう。

碧天舎で本を出して、倒産騒ぎの混乱の中、
どうにかならないものかと情報を求めているうちにたまたま僕のブログを見つけて、
連絡を取ってきた何人かの方々。
その後どうしているだろうか?
幸あらんことを。

僕はなんの役にも立てませんでした。


[2022] 世界が知るべき10のニュース 2006-06-24 (Sat)

今日も出社。
銀座駅で「R25」がラックに残っているのを見つけて、持ち帰る。
最初の方に、以下のような記事があった。
見開き2ページなので扱いは大きい。

引用する。(ところどころ略してます)
----------------------------------------------------------------------
国連では、報道機関が報じなくなったニュースの中から、
毎年10件を選びだし「世界がもっと知るべき10のニュース」として公表、
注意を促している。
去る5月15日には06年版が発表された。
そのうちいくつかを紹介しておこう。

 1.内戦で荒廃したリベリアの復興
 2.不法移民対策強化のあおりを受ける難民・亡命希望者
 3.コンゴの人道状況
 4.紛争の犠牲者となっているネパールの子供たち
 5.治安悪化で後手に回るソマリアの干ばつ対策
 6.忘れられた多数の難民
 7.パキスタン地震の復興
 8.不法に拘束される子供たち
 9.水をめぐる紛争と協力
10.和平プロセスが停滞するコートジボワール

紛争などが発生した直後はさかんに報道されるが、
長期化すればするほど関心が低くなっていく。
10のニュースは、国連のサイト上でも発表している。
http://www.un.org/events/tenstories/
----------------------------------------------------------------------

2.6.8.9.あたりはニュースというよりは
この世界が陥った状況として、なんとなく知ってはいた。
あくまで、「なんとなく」
地球の裏側の抽象的な事実として。
現実としてそれは「ある」のだろうけど、
「スペインでは闘牛が盛んです」というような知識と何も変わらなかった。僕の中では。
そしてその「知識」のことを普段の生活の中で意識することはない。
「あーあ」と思う。
(この「あーあ」がどういう意味なのか、それぞれの人の理解に任せます)

世の中はワールドカップ一色のように思う。
日本に限らず、世界中で。
しかしそれも先進国と、後進国とされるうちの出場国ぐらいのものなのかもしれない。
実情としては。いや、きっとそうだ。
ただ単純な事実として、
ワールドカップを見たくとも見ることのできない子供たちが世界には多いのだろうし、
ワールドカップというものをそもそも知らないという子供たちはもっと多いのだろう。

コートジボワールは今回出場しているけど、内戦状態にあったとは・・・
試合を見ていれば、解説の中でそのことにもちらりとは触れたかもしれないが。


[2021] 岡村訳「Road To Nowhere」 2006-06-23 (Fri)

昨日に引き続き、
その Talking Heads 「Road To Nowhere」を紹介。
試しに訳してみました。
これまでいろんな曲を聴いてきてたぶんそれは何十万ってとこになるんだけど
(少なくとも1万枚は聞いたことがあるから)
その中でベスト10を選んだら確実に入ると思う。

マーチのリズムに合わせて
「It's all right」というコーラスが
声の限りに繰り返される。
この曲に関して David Byrne は
「世界の終わりに向かってるんだけど、ただしにぎやかなものにしたかった」
と語っている。正にその通りの曲調になっている。

---
そうだ僕たちは、僕たちがどこに向かおうとしていたのか、知っている
だけど僕たちがかつてどこにいたのかは、知らなかったりする
そして僕たちは、僕たちが何を知っていたのか、知っている
だけど僕たちがそこで何を目にしていたのかは言えなかったりする
僕たちは小さな子供だったわけではない
何が欲しいのかちゃんと知っている
未来ってやつは確かにそこにあって、
あとはそこに向かうための時間が欲しいだけ

僕たちは終わりなき旅に出ている
君も加わらないか
どこに向かうのかは分からない
そんなのどうだっていいじゃないか、とにかく来なよ

今日の朝、うまくいくような気がしたよ
そして、そう、君も知っている通り
僕たちはパラダイスを目指そうとしている
さあ、行こうよ、行くんだよ

君は今、いったいどこにいるのかと不安に思うかもしれない
気にしても仕方ないよね
いいんじゃないの?あとは時間がなんとかしてくれる
連れて行くよ、とにかく、君を連れて行くよ

僕たちは終わりなき旅に出ている
僕たちは終わりなき旅に出ている
僕たちは終わりなき旅に出ている

僕が心の中に思い描いている町があって
そこに連れて行くつもりでいる
大丈夫だよ、baby 、みんななんとかなるよ

そしてそこはとてつもなく遠い
だけど僕らも少しずつ近づいていく
大丈夫だよ、baby 、みんななんとかなるよ

さあ君も来ないか
そしてこの歌を一緒に歌おう
大丈夫だよ、baby 、みんななんとかなるよ

やつらはなんだかんだ言ってくるだろう
そして君のことをばかにもするだろう
だけど大丈夫だよ、baby 、みんななんとかなるよ

僕たちは終わりなき旅に出ている
僕たちは終わりなき旅に出ている
僕たちは終わりなき旅の途中だ


[2020] 人にやさしく 2006-06-22 (Thu)

以前、新しい環境に飛び込むことに不安を感じている友人と
やり取りしていたときのこと。

自分はただ頑張れって言ってほしいだけなのに、
どうしてオカムラ君は素直に「頑張れ」って言ってくれないのか?
ってことで話がこじれてしまった。
ただ一言言ってくれるだけで元気になることだってあるのに、
どうしてそういうちょっとした気遣い・優しさがないのか。

僕としての理屈はこういうこと:
頑張る人は、人に言われなくても頑張るし、頑張ってる。
僕がそういう状態のときに「頑張れ」って言われると余計なお世話っぽくて腹が立つ。
逆に精神的にへばっていて頑張れないときは何を言われようが頑張れない。
なので「頑張れ」と言われることは非常に嫌。「わかってないなあ」って感じで。
一番言われたくない言葉なのかもしれない。
その裏返しで、人にも言いたくない。
当たり障りのない発言を求められているときに当たり障りのないことを言おうとして
「ま、頑張ってください」って言うときぐらい。
(あと、会社で「頑張れ」って言われると「結果出せ」みたいで嫌なんだよな・・・)

その後友人と話し続けて「そうか」と思ったのだが、
世の中には例えば「頑張れ!」という発言と
その裏に込められた優しさに勇気付けられる人もいれば、
僕みたいに「そういう気分の話じゃなくて、
具体的にどうしたらいいかはっきり言ってくれよ」という人もいる。
どっちが多いのかよくわからない。
だけど、普通に考えて前者の方が多いのではないか。
そして僕はこれまで「世の中そういうもんだ」
という可能性について全然考えずに、日々生きてきた。
いや、わかってはいたつもりだ。だけどピンときていなかった。
だから僕は「冷たい」「優しくない」「ドライ」と言われることがこれまでに何度もあった。
ようやくわかった。

相手の優しさを受け取るのが下手で、それを返すのが下手。
つうか、相手の優しさを感じ取れないような無感覚な人間ではない。そこは違う。
相手の優しさを受け取ったことを「表現する」のが下手なのだ。
無表情なまま「あ、そ、ありがと」だけで何事も済ませていたり。
もうちょっと笑ってみるか。
でもそれって、思うのは簡単だけど、果たして実践は出来るのか。
今の僕にはものすごくハードルが高い物事のように思える・・・

最初は「ありがとう」って思ったとしても次の瞬間、
「割と当たり前のことされただけだよなー」って考え出して
めんどくさくなって口に出さなかったり。言い方がぞんざいだったり。
ちゃんと口に出して相手に伝えなきゃいけないよな、と思った。
好意を受け取ったその瞬間に。素直に。
せめてそこから。

---
「頑張れ」と言われるのは嫌だとして、
じゃあ何を言われても嫌なのかというとそうでもない。
「大丈夫だよ」とか「なんとかなるよ」ってのは言われてほっとする。
なので僕もそういうことは周りに言ってるつもりだ。
顔つきがドライなまま言ってるんだろうけど。

歌を聞いててもそうだなあ。
「Baby, it's alright」って歌詞に出てくるのはたいがい好きだったりする。
今とっさには思い出せないけど、U2「Achtung Baby」の中の曲だったり、
Talking Heads の「Road To Nowhere」だったり。

夜1人で聞いていて、ほんの少し気分が軽くなることがある。

その内容がなんであれ、他人に対して言葉を投げかけるということは
やはり大事なことなのだ。


[2019] 母と中村屋 2006-06-21 (Wed)

先日、中村屋のことを書いていたら思い出した。

まだ小学生のことだ。高学年だっただろうか。
父の三回忌かなんかで母と妹と三人、青森から上京した。
父の命日は三月二十七日、春休みの時期だった。

法事があって、父方の親戚に会ったりという日々が続いた。
僕と妹はもちろん子供だった。
そこでどんな大人の会話があったのかは、わからない。

母の友人に会う、というようなこともあった。
本を買ってもらったことを覚えている。

そんな中である日、新宿の中村屋に夜、食事に出かけた。
母は二十代になって上京して、中村屋の近くのお茶道具の店で働き始めた。
恐らく給料日ともなると月に一度の贅沢ということで食べに行ったのだろう。
昭和四十年代の話である。

母と妹と三人。それぞれカレーを注文する。
インドカリーではなく、コールマンカリーを食べた。
今でもはっきりと覚えている。
トマトとヨーグルトを使用しているとか、
ロシアから来た詩人から教わったとか、そういったことがメニューに書かれていた。
青森の片田舎の母子家庭から来た少年にはとてつもないご馳走に思えた。
皿が運ばれてくる。僕はぺろっと食べ終わって、「おいしいなあ」と素直に思った。

食後に母はコーヒーを注文した。
何を思ったのか、小瓶に入った粉チーズをスプーンですくって
コーヒーカップの中に入れようとした。
それを見た僕は慌てて「お母さん、違うよ。それチーズだよ」と言った。
さも分別ありそうに。スプーンの上の黄色い粉末はどこをどう見ても砂糖じゃない。
それに対して母は「入れてみないとわからない」と言ってきかない。
僕が見守ってる中、粉チーズをはらっとコーヒーの中に入れた。
そして一口飲んでみた。
「そうね、トヨヒコの言う通り、砂糖じゃなかった」

母はウエイトレスを呼び止めて、
「間違えて粉チーズを入れちゃって」と謝って、
コーヒーを替えてもらった。寂しく笑いながら。
僕はそれを見て「恥ずかしいなあ」と思った。
小さくなって消えてしまいたくなった。
東京の一等地でなんて恥ずかしいことをしているのだろうと。
ウエイトレスも心の中では「田舎者だなあ」と笑ってるのではないかと。

コーヒーが運ばれてくる。母は今度は間違えることなく、
シュガーポットに入っていた真っ白な砂糖を、銀色の小さなスプーンですくって入れた。
ゆっくりとかき混ぜた。母は何も言わずにコーヒーを飲んだ。
飲み終えて、僕らは店を出た。
次の日には、寝台列車に乗って青森に帰った。

この出来事を思い出すことがこれまでの人生で何度もあった。
最初のうちは恥ずかしさと共に。
その後は、単なる人生のエピソードとして。
「母と僕」みたいなカテゴリーにうまく括られて。

この歳になってこんなことを思うようになった:
あれは母なりのささやかな、この世界/社会に対する抵抗だったのだと。
姑と折り合いが合わず、葬儀の際には「あなたと結婚したから息子が死んだ」とまで言われる。
一人きりで二人の子供を育てなくてはならなくなって、日々の暮らしもカツカツ、
それが何年も続いて、これから先何年も続く。
そんな状況での三回忌、上京。
姑にあれこれ言われても平然としてなくてはならなく、
連れて回る子供たちは見るもの全てに「あれがほしい」と言ってばかり。
昔を思い出し、ちょっとした贅沢がしたくなって入った店でウエイトレスに、
ありえないような要求を、だけどものすごく些細な、要求をする。
お金を払う客として、何かわがままを言ってみたくなった。無意識のうちに。
そういうことだったのではないか?

母にこのことを聞いても覚えてないと言うと思う。まず間違いなく。
こと細かく説明して見せても
「あい変らず頭が悪いねえ、お母さんは」と言って終わるのだろう。
母の人生にとって重要な事件でもなんでもないし、
この出来事をもって母という人を一言で語れるもんでもない。
なのにこれからも僕は母のことを思い浮かべるたびに
このことを合わせて思い出すことが多いのだと思う。
一番最後の最後まで、心に残る思い出なのかもしれない。


[2018] レトルトのカレー 2006-06-20 (Tue)

この前の日曜日、給料日の2日前(つまり今日が給料日)ってことで
金もなく、今月は特に金もなく、昼に食べたのはレトルトのカレー。
しかも100円もしないやつ。S&Bの「なっとくのカレー」辛口。

「意外といけるね」と思う。
100円カレーの王道を行く味。これですよ、これ。レトルトたるもの。

物足りないかなーと思って前の日に駅前の西友で買った
同じく100円のコロッケを電子レンジで温めて乗せてソースをかけて食べたら、
逆にビンボくさくなった。不思議なものである。

---
前にも書いたように思うが、
スーパーに行けば並んでいるのは高級なレトルトカレーばかりで違和感を覚える。
どこそこの店の味を再現ってことで有名な店の名前を持つ商品が目立つところに置かれ、
「ククレカレー」や「カレーマルシェ」や「ボンカレー」といった老舗が
脇に追いやられているのはいかがなものか。

中村屋のカレーが300円とリーズナブルな価格設定で割とうまかったとしても、
実際に店で食ったほうがうまいに決まってんじゃん!!
「中村屋の雰囲気は味わえるけど・・・」ぐらいのものならいらんのですよ。
それを食べるぐらいならボンカレーの方が絶対いい。
ボンカレーはボンカレーでしかなくて、それで何十年と生き残っているわけである。
どっちが偉いか、言うまでもない。

中村屋が嫌いって事ではなくて、むしろ大好き。
僕の生涯の中でベスト3に入る。
その中村屋のカレーを、遠くに住んでいてどうしても食べられないという人向けには
かなりの値段だが、缶詰めもある。
そちらの存在は理解できる。

レトルトのカレーで300円を超えるのは、物珍しくて1度は食べるけど
そしてそれなりに「おいしいね」と思うものの、2回目を食べることはない。
繰り返し食べるものとして選ぶのはむしろ「めいらく」のカレーの方である。
レトルトで500円を超えるカレーを食べるぐらいなら、
近所のココイチで食ったほうがうまいんじゃないか?

---
ま、つまりラーメンで言ったら「ラ王」は好きじゃないっていうのと一緒。
あんな値段でインスタントってなんかおかしい。
それでいくとエースコックの「スーパーカップ」はほんと偉い。
200円を超えない価格設定でどこまで冒険ができるか?
しかも決して高級化へと向かわないところが素晴らしい。
「大盛りイカ焼きそば」もそうだな。
自らの立場というものをしっかり把握している。
勘違いしない。はき違えない。

カレーもラーメンも「どこそこの有名店の味を再現」ってやはりどこか不毛に思う。
出尽くした感はあるのに、キリがない。過当競争。
各社メーカーが生き残りを賭けて必死で商品開発。日本各地の有名店と交渉に注ぐ交渉。
どんどん入れ替え、少し経てば消えてしまう。飽きられるのも早くて、
そのサイクルが早くなって、どこかで破綻しそうなんだけど。
実際のところ売れてるんだろうか?

嬉々として商品開発に手を貸している店もどうかと思うしなあ。
このブームいつまで続くんだろう?

---
カップラーメンのサイトをあちこち見ていたら、
日清のカップヌードルの限定復刻版が売られていたことを知る。
ビアンコ、ブタホタテドリ、みそ、チキン、ビーフ。
えー!食べたかった!!
2001年のことなのでもうだいぶ前のことですが。

商品開発ってことで言えば、
僕は日清のカップヌードルの企画・開発に携われないかなあと
学生時代本気で考え、就職活動も試験を受けようとした。
(文型の大学院卒を募集してなかったので諦めた)
ああいうユニークな商品開発ならばOKである。


[2017] 日本−クロアチア戦 2006-06-19 (Mon)

引き分けか・・・
前半、オーストラリア戦よりはピリッとしてたけど、
後半は30℃を超える暑さで消耗したか。
熱を出していたという中村俊輔はやはり精彩を欠く。
中田英寿は惜しいシュートもあったし、一番仕事をしたのではないかと。
まあオーストラリア戦よりは断然良かった。緊張感あった。

8年前の予選リーグで1−0で負けた試合を僕は見ている。
そのときのクロアチアは第3位か。
それから考えると引き分けるようになっただけでもたいした進歩なのか。
日本にいて日本のニュースを見ていると
いかにも日本が強そうに思えてくるがそれは錯覚でしかなく、
結局昨日の引き分けは順当な結果というとこか。

ブラジルに勝てるかな。ありえないよな・・・
しかも2点差つけて勝つなんて。
クロアチアがオーストラリアに負けたらその時点で元も子もないし。
ブラジルは決勝トーナメント進出を決めて、主力選手は温存するようだ。
今大会イマイチとの誉れ高いロナウドは下げてしまうのか。
ニュースによれば、カフーとロベカルも温存候補のようだ。

木曜の朝午前3時半キックオフともなるとさすがに見ることはできない。
朝結果を知るのみ。
神風は吹くのだろうか。


[2016] ポルトガル−イラン戦 2006-06-18 (Sun)

昨晩22時からの試合ということで、ポルトガル−イラン戦を見る。
フィーゴが出ている。前回大会でも注目の的だった。
だけど、僕の見た試合で負けて決勝トーナメント進めず。
アメリカ戦だったか、韓国戦だったか。
なんとなくの気分として、ポルトガルには勝ってほしかった。
かつての「黄金世代」の中ではルイ・コスタもいなくなり、
フィーゴただ1人が残るだけとなる。
一応、今回も優勝候補の一角。
初戦を見たセリエAのどこかのチームの有名な監督が
「今年の優勝はポルトガルだ!」と叫んだとか。

前半終えて0−0のまま。
圧倒的にポルトガルが押してるのに、どうしても点が取れない。
フィーゴだけじゃなく、ミゲル、デコ、クリスチャン・ロナウドといい感じではあるのに。
試合運びがピリッとしない。
それでも後半デコのシュート、ロナウドがPKを決めて2−0で勝利。
ロナウドはフジゼロックスのコマーシャルに出てますよね。闘牛のヤツ。
なかなかいい足技だなあと素人ながら思った。
今後は彼がポルトガルを引っ張っていくのか。

決勝トーナメントは実に40年ぶりとのこと。
黄金世代の活躍により90年代前半のワールドユースで2度優勝、
世代が入れ替わっても一昨年の欧州選手権で準優勝。
なのになぜかワールドカップだけ勝てない。

歓声の大きさは僕が見たどの試合よりも大きかったように思う。

話変わってワールドカップと言えば
Master Card のコマーシャル。「Priceless」のやつ。
今回使われてる曲は「Fever」
いろんな人が歌っている。これは誰のバージョンだろう?


[2015] シュラスコ 2006-06-17 (Sat)

昨日の夜、Gazz ! 「ビバ・みそじライフ!」の飲み会(いわゆるオフ会?)で
表参道の「BARBACOA GRILL」ってとこで
ブラジルのシュラスコ料理を食べる。
http://www.wondertable.com/app/tenpo/tenpo?code=Barbacoa

シュラスコっていわゆるあれですよ。
テーブルの間を焼いた肉を刺した
1m近い長さの豪快な串を掲げた店員が歩いていて、
呼び止めて切り分けてもらうというやつ。

肉は全種類制覇したかなあ。
ピッカーニャ(牛のランプ肉)、クッピン(セブ牛のコブの部分)、
ペッパーステーキ、ガーリックステーキ、ハラミ、
豚肩ロース、ラム肉、、チキンのグリル、ソーセージ、
焼きポテト、焼きパイナップルなどなど20種類近くのシュラスコと
サラダバーも充実。
バナナのフライなどブラジル料理もたくさんあって
いやーほんと久し振りにうまいもの食った。
もう食えない、限界ってとこまで飲んで食った。
飲み放題はひたすら生ビールを。

2軒目は適当に入った東方見聞録で飲んでて、結局朝まで。
恋愛論、エッチな話(例えば「ぐびなま。」小西真奈美を××に見立てて)、
サッカー代表あれこれ、昔ぐれていたときのこと、
結婚の是非(集まった全員30代か30代リーチで、独身・・・)などなど。
久々の「朝まで」
僕はけっこう調子よくてウトウトしたのは一回だけかな。
あとはずっと起きていられた。
8人集まって、初めて会った人が4人。
でも楽しく時間を過ごせた。
またこのメンツで飲みそうな気がする。人数も増えて。
恋愛の話になったときは「オカムラさん、受身だからよくないんですよ!」
「性欲が物欲に摩り替わっちゃってるでしょう!!」と指摘を受ける。

6時ごろ帰ってきてシャワー浴びて寝る。
12時にいったん目が覚めて、その後また寝る。15時に起きる。
腹いっぱいで今何も食べる気になれず。
先週と違って出社して仕事する必要もなく、今日は1日グダグダして過ごすことに決める。
空は曇っているのになんだか蒸し暑くて(暑さで目が覚めた)、
ボブ・マーリーのベストアルバムを聴きながらぼけーっとする。
夜はサッカーの中継を見ようかなと。

昨日は表参道の店だったこともあって、表参道ヒルズに足を踏み入れてみる。
いい感じの雰囲気の建物だなあと思った。


[2014] in a model room 2006-06-16 (Fri)

僕が死んで幽霊となってみてわかったのは、
この世界はこれまでに地球上に生きていた全ての人たちが幽霊たちとなって
あちこちを彷徨っていて、ひしめきあっているのではないのだということだ。
僕は僕以外の幽霊を見たことがない。
1人きり。この地上とその上空をすることなくフラフラしている。

最初の頃は生きていた時に住んでいたアパートの中で過ごしていた。
しばらくは空き室だったのがやがて見も知らぬ他人が住み始めたので出て行くことにした。
他人の赤裸々な生活ってものは最初のうちは得体が知れなくて面白いんだけど、
そしてそれを僕は来る日も来る日も眺めてたんだけど、
それがやがて何日も何日も同じ出来事の繰り返しになってくると
ゾッとした気持ちが拭えなくなってきた。
出て行くことにした。
(言うまでもないが、生きていたときの親類や友人の生活を覗き見るのはもっとゾッとすることだ)

人が住んでなくて、居心地のいい場所を探しているうちに
モデルルームに行き着いた。都会の中では必然的な選択だ。
山奥の使われてない別荘ではさすがに寂しいし。
昼間は新宿や渋谷を歩いたり、上空で昼寝したりして、夕方戻ってくる。
夜は完全な空き家だ。
ベッドの乱れも直されている。トイレだってきれいだ(使うわけじゃないけど)。
モデルルームのダブルベッドに潜り込んで、僕は眠る。
1週間すると飽きてくるので、別のモデルルームへと移り住む。
新築のマンションの最上階って言うのも楽しい。

他の人たちはどこでどうしているのだろう?
他の幽霊たち。いないのだろうか?
僕だけがなんかの手違いで取り残された?
だとしたら、どうしたらいいのだろうか?
これが永遠に続くのだろうか?
なんかの問題でこの地球がなくなってしまっても、僕は宇宙空間に漂い続ける。

モデルルームに設置されたテレビは電源が入ることもあれば、入らないこともある。
僕はまず最初にその辺りを確認して、入らないようならば他の家を探す。
夜はカーテンを閉めて明かりが外に漏れないようにして、テレビを眺める。
深夜番組ばかりを。
世の中の動きを知って、若い芸人たちのコントを見て、
使い道のなさそうな物ばっかり売ってるテレビショッピングに笑う。
テレビを見るぐらいにすることがない。
この世界にはたくさんの人間たちがいて、たくさんのことをしている。
それをたくさんのカメラが捉えていて、たくさんのチャンネルに配信される。
僕はそれを眺めている1人になる。

例えば今、外は雨が降っていて、朝が来ても僕はそのままそこに居続けた。
住宅販売の会社の人がやってきて鍵を開けて入ってきた。
黒いスーツを着た、若い女性だった。あちこち整えて簡単に掃除をした。
ダイニングのテーブルの上に書類を広げて、携帯で誰かに話をした。
客らしい客は1人も来ない。
雨が降っている。
僕はそのテーブルに向かい合って座って、その人のすることを見つめている。
もちろん僕に気づくということはない。

なんだかそんなふうにして日々が過ぎていく。

僕は幽霊だ、もうずっと長いこと幽霊だ。
そして日々、することがない。
何万年、何億年経とうと、僕にはすることがない。

リビングルームのソファーに座って、僕は降り続く雨を眺める。


[2013] スペイン−ウクライナ戦 2006-06-15 (Thu)

会社としては水曜は「早帰りの日」
PJのリーダー(というかキャプテン)は
僕らプロパーもパートナーも日々遅くまで仕事してるので
「たまには早く帰るか」と20時を目処に帰宅するようにというお達しを。
まあフロアに残っていた主な面子が予選リーグを見たかっただけですが。
スペイン−ウクライナ戦。

試合に間に合うように帰ってきてペヤングの「超大盛り」を食いながら
ビール飲みつつテレビ観戦。

それにしてもペヤング。食べる前は非常にうまそうに思えたのに、
さすがに途中で飽きてしまった。おなかいっぱい。ゲフ。
2食分が入ってるだけなんだもんな。
今日の朝になってもまだ、おなかいっぱいのまま・・・
恐るべし。
学生時代にあったら金ないときにひたすらこればかり食ってたかもしれない。

試合は結局4−0でウクライナの負け。
かなり期待してたんだけどな。ガチガチに固かった。
「初めてのワールドカップ出場」というプレッシャーがそうさせるのか。
他の国と当たってたらよかったのにね。
昨日の試合は事実上のグループHの1位・2位決定戦みたいなもんだった。

シェフチェンコは全然仕事させもらえず。
最後の最後にチャンスがあっただけか。
ゴール前にボールが進んだかと思えばオフサイドばっかり。
スペインの戦術(というか小細工)も一貫してる。老獪だよなあ。

次に見るは土曜のポルトガル−イラン戦か。
これはまあ、それほどそそらず。
あとはチェコの試合を見たいのだが・・・

なお、先ほどのキャプテンが大のサッカー好き。
おととい休んだ。まじで。理由は言うまでもない。
昨日の朝来るなりこんなことを言ってた。
「なんで日本が勝てないかわかったよ。
 ・・・俺がドイツ行ってないからだ」


[2012] 梅雨入り 2006-06-14 (Wed)

先週半ばだったか、関東地方も梅雨入り。
日曜も降ったりやんだりしていた。
春先から、週末になると決まって雨だったように思う。
いつもそうだというわけではないけど、そういう印象がある。

今日の朝、テレビをつけてニュースを見ていたら
明日からの一週間はずっと雨になっていた。
関東地方だけじゃなく、全国的に。

朝雨が降っていたので傘をさして会社に行って、夜やんでたとする。
傘のことなんて忘れてしまって置きっぱなしになる。
何回かそういうことが続いて、
ビニール傘も含めて何本かアパートにあったのが全部会社に。
この前の日曜、コンビにに行こうとして1本もないことに気がつく。
折り畳みの傘ならあるけどそれってなんか変だなあと思う。
近所に出るだけで折り畳みなんて・・・

梅雨が明けたら夏か。
今年の夏もまた、仕事して終わる。
フジロックもサマソニもなし。
お盆は帰省できず。よって、立ち上げに関わった高校の同窓会も参加できず。
夏らしいこと、なんかできるだろうか・・・
8月半ばにカットオーバーだった去年と違って
今年は9月いっぱい忙しいスケジュールになっている。

---
クールビズ2年目。

今日は顧客との打ち合わせがないので、
6月に入ってから初めてノーネクタイ、半袖。
会社では周りみんな普通にネクタイなし。打ち合わせに行くときだけしめるとか。
僕はネクタイにそんな抵抗のない人間なので
打ち合わせから帰ってきてもそのままネクタイをしている。

真夏になったら僕もしなくなるけど、この時期じゃまだねえ。
ありがたみがないというか。

それにしても梅雨の時期にクールビズにして、どうすんだよ。
そもそも寒いよまだ。
「冷やし中華始めました」をあちこちで見かけてこの前食ったけど
こんな寒々しい梅雨空に食ったところでちっともおいしくない。
梅雨明けのギンギンとした夏の日差しの中で見かけてこそ、「おっ!」と思うのに。
前倒し前倒しの世の中で季節感がなくなるのはいいことないよね。

---
昨日の午後、顧客との打ち合わせの後、1人銀座に寄って、
クレジットカードでキャッシングできる場所を探す。
給料振込みの手違いによりかなり倹約した生活を送っていたが、
それでもついに金が底を尽きる。
2万円あればあと一週間余裕だと思って
VISAのキャッシュディスペンサーを探す。
有楽町マリオンの西武と阪急に入ってみるものの、見つからず。
普通デパートの中にあるはずなんだけど?
困ったなあ、とマリオンの吹き抜けの中を歩いてたら目の前にあった。
三井住友VISAカードが。
あー助かったと思う。

・・・が、引き出そうとして入力していたら、
暗証番号が違うとカードが戻ってきた。
え、××××じゃないの?銀行と一緒で。
じゃあ、なんにしているのだろう?

普段カードを使うことがあっても
店頭でサインをするかWEBで買うだけなので
暗証番号を使う機会ってものがない。
2回試してあきらめる。
3回だめだったら受け付けなくなるんだよな。
めんどくさいことになった。
一応カード会社に暗証番号を確かめた方がいいかな。


[2011] 日本−オーストラリア戦 2006-06-13 (Tue)

多くの人が観戦したと思うので僕が書くまでもないが、
昨日夜の日本−オーストラリア戦で日本は1−3で負けた。
惜敗とかそういうレベルではなく、惨敗。

前半26分に中村俊輔の「え?なにこれ?」的な
ふわっとしたシュートが決まって先制。
前半1−0で折り返す。
これで逃げ切れるかなあと思ったら
後半39分で追いつかれ、バタバタと崩れていって
いつのまにか1−3で終わっている。ロスタイムにも点取られてるし。

終わった。
ワールド・ベースボール・クラシックで神風吹きまくったし、
今回はもうさすがにないだろう。
以後オーストラリアが2戦負けて、
日本がクロアチアに大勝ちして、ブラジルと引き分ける?
ありえるのか、そんなの?
あるいは、「クロアチアとブラジルに勝てばいい」とか。
ありえないよな・・・

クロアチア戦も見るけど、
ここから先は純粋にサッカーを楽しむだけだな。世界の強豪の。
とりあえず明日はウクライナ−スペイン戦を見たいもんだ。

オーストラリアってガタイはいいけどそんな強そうに見えなかったけどなあ。
キューウェルとビドゥカってのしか目に付かなかったけど。
後半最初に入れ替わったカーヒルが最後の10分で連続2得点なんて、
3人目に交代のアロイージが3点目。
ヒディンク・マジックとしかいいようがない。

柳沢と高原がなあ。いいところにはいるんだけど、そっから先が・・・


[2010] お話しましょう 2006-06-12 (Mon)

気がつくと土日、誰とも話さずに、会話せずに過ごしている。
もう何年もずっと。
明示的に人と会って飲んでたりしない限りは。
そりゃそうだよな。1人暮らしなんだから。
僕の場合、電話して話すということもない。
電話も携帯も、その日用があって待ち合わせをしているときぐらいしか使わない。
メールのやりとりが多少あるぐらいか。

クリーニング屋に行っても話をする必要がない。
コンビニで「温めますか?」と聞かれても首を振るだけ。
(それだって意志の疎通だと言われるかもしれないが、なんかコミュニケーションっぽくない)
メシを食いに行っても、最初に食券を買うシステムだったらやはり口を開かない。

時々、無性に人と話がしたくなる。
だけど、僕にはそういう友達っていない。
用があるときに話すだけ。飲んでるときに話すだけ。
「何の用もないけど、とりあえず何か話がしたくて、あるいは声が聞きたくて電話した」
そういう行為、この31年の人生で1度もない。
僕の身のにいる人は思い浮かべて欲しい。
僕がそういう電話かけたこと、1度もないでしょ?
強いて言えば上京直後、高校の友人とつながっていたくてかけたときぐらいか。
そしてそれも何年かしたら、そういうことしなくなった。

仕事が大変なことになってきている。土曜に出るのも当たり前。
そして日曜は休めたとしても、1人きり部屋の中にいる。
これっていいことなのだろうか?
せめて外には出たほうがよくないか?コンビニとクリーニング屋以外に。
中央線か丸の内線に乗って。

そう思って昨日の昼、新宿に出てみた。
雨が降っているというのに南口のあの辺りから高島屋まで大勢の人がいた。
友人たちや、恋人同士連れ立って。あるいは家族。
僕は完全に口を閉ざして1人きり。
混雑したエレベーターに乗って目の前の光景が流れてゆくのを眺める。

僕はいつまでこうしているのだろう?
これがずっと続くのだろうか?

そんなことを思う。
何かが間違っている。だけど、どうすることもできない。

HMV でなんとはなしに CD を眺めた。
だけど欲しいと思ったものはなかった。
探していたものも見つからず。

---
帰りのエレベーターの中でばったり、会社の先輩に会う。ものすごい偶然。
「ああ、今日も誰とも話さずに終わるのか」そう思っていたところだった。

ちょこっと話す。
「おう、オカムラ、今日は CD 買ってないのか?」
「ハハハー。そんな毎日買ってるわけではないですよー」
「HMV に来たって言うのに、オカムラらしくないなー」
「ハハハ。そういうこともありますよ」
みたいな。

「ああ、今日も誰とも話さずに終わるのか」
そう思って沈みかけたところに知ってる人に出会う。
不思議なものである。


[2009] イングランド−パラグアイ戦 2006-06-11 (Sun)

ようやく1試合見た。イングランド−パラグアイ戦。
(ようやくもなにもまだ2日目だけど)

22時スタートという時間でよかった。
よく考えると12日(月)の日本−オーストラリア戦も
18日(日)の日本−クロアチア戦も22時スタートだから十分見れるわ。
12日は夕方に顧客との打ち合わせを入れて直帰の予定だし。

---
試合を終えて。
40年ぶりに優勝を目指すという
イングランドが無難に勝つんだろうなーと思っていたらその通りだった。
ベッカムが開始3分でゴール。
(実際はパラグアイ側のオウンゴールであるが)
これってなんか象徴的な気がした。
けっこう行くかもね。スター性があって充実したチームって感じがするし。
今回かなり注目してる。僕的に。

でも後半はダレダレだったな。
パラグアイの方が押してたけどこれといってチャンスがなかったのは
イングランドがああいうだらーんとした雰囲気でも勝てる方程式が
事前にきちんと成り立っているからか。

それにしても気になるのはクラウチ。
試合前の選手紹介のビデオで
ゴールを取った時に披露した壊れかけのロボットが
ダンスしてるような映像が流れたんだけど、あれってなんなのだろう?

---
にわかサッカーファンなのでワールドカップと
なぜかオリンピックのときぐらいしかサッカーの中継は見ない。
チャンピオンズリーグも気になるけど、
あとで結果を知って「ふーむ」というぐらい。
まあワールドカップやオリンピックは世界規模のお祭りだからね。
だったら見たくなるってのが人情というもの。

そもそもオフサイドの定義を今ここで述べよと言われたら
なんかものすごく曖昧なことを書きそう。
「3人でラインが」とか。じゃあラインって何よ?

---
あと気になるのは、ウクライナ。
アンドレイ・シェフチェンコを見たいね。
なんで知ってるかと言えば
去年の予選の頃ナンバーの別冊で
「欧州蹴球記 辺境から来た偉人たち。」ってのが出てて
なんとなく興味を持って買って読んでみたのがきっかけ。
往年の「マジック・マジャール」の紹介や、
2人のキーンを生んだアイルランドはダブリンを訪ねて、など。
これは面白い読み物だった。
14日(水)のスペイン−ウクライナ戦はなんとしても見たいな。

サッカーの雑誌で言えば2月末かな、コンビニで見つけた
「STAR SOCCER」の創刊号。これまだ続いているのだろうか?
特集は「神なき時代に捧げる7人のカリスマたち」ってことで
ジョージ・ベスト、ヨハン・クライフ、ディエゴ・マラドーナ、
エリック・カントナ、ロベルト・バッジョ、ロナウド、中田英寿、ロナウジーニョ。
昔 Rockin' on にいた鹿野淳が編集長ってこともあって
なんかスポーツ系の雑誌と色合いが違う。
カルチャーとかアートとしてのサッカー。


[2008] 4年前 2006-06-10 (Sat)

ワールドカップが始まる。
お客さんとも「次の日本戦って月曜でしたっけ?」みたいな話をする。
しかし、今回はPJの余りの忙しさに、見てる暇無しになりそうだ。
時差の関係もあって平日は100%不可。
今晩のイングランド−パラグアイ戦が見れるかどうか?ってとこか。
と言いつつも今日、今、会社出て仕事してますが・・・

「もう4年経つのか」と思う。早いもんだ。
ついこの間のように思う。
8年前のですら、ついこの間のように思う。
新宿コマ劇前の広場は大変なことになっていたとか、
その頃はまだルーキー扱いだった小野が
たった1人ゴールに向かってドリブルしていた姿だとか。

4年前って僕、何していたのだろう?ということを考えた。
27歳か。
旅行系のWEBサイトの仕事をしていて、1年中忙しかったんだよなー。
それ以外に思い出せること、ないな。
映画も撮ってなきゃ、小説も書いてなくて、ほんと何も何もしてない時期だったし。
目標もなく、ただぼんやりと流されて生きていた。仕事してるだけ。
「30代に入る頃には自分はこうなってなきゃいけない」
というようなことは全然考えもしなかった。
フジロックを見に行ったことぐらいしか、思い出せない。
もしかしたら、今思い返してみると人生の谷間の時期だったのかもしれない。
もう1度戻りたいか?って聞かれたら「別に」って感じ。
今現在の方が断然いい。

次、4年後は35歳か。
何してんだろうな。想像もつかない。
結局はSEやってるのだろうか。そこそこ出世して。
それとももう全然別なことをやってるのだろうか?
2010年か・・・


[2007] 「世界の優しい無関心」 2006-06-09 (Fri)

昨日の続き。具体的な話。
タイトルは「世界の優しい無関心」とすることにした。
僕が思いついたのではなく、元々の出所はカミュの「異邦人」のラストの一節。
これを見つけて自分の自主映画のタイトルにしたのが、映画サークル「映創会」の後輩。
(ちなみにこの作品は「ぴあフィルムフェスティバル」で入選した)
僕は今から10年も前にこのタイトルに出会って、ずっといいなあと思ってきた。
素敵なタイトルじゃないですか。
最初は単なる言葉の連なりとしていいなあと思っていた。
だけど、最近になってこの言葉の持つ意味がわかってきた。
今なら「世界の優しい無関心」をテーマに書けるんじゃないかと思うようになった。
(後輩にはまだOKもらってないけど)

つまるところ小説としては主人公がこの言葉、
カミュのこのフレーズに出会って
自分なりにあれこれ考えて結論(というか思った / 感じたこと)を導き出して、
最終的な行動に出るわけである。
ストーリーは、というか作者の思考はこれを最終目標として突き進むことになる。
この社会で生きていくとはいったいどういうことなのか?
何を差し出して、何を受け取るのか?
この世界とはどういうものなのか?
我々はどういうものに包みこまれているのか?
そう、それが「世界の優しい無関心」に集約される。
「冷たい」無関心なのではない。あくまで「優しい」なのである。
良くも悪くも我々はそれぞれが1人きりであって、
その孤独がどうしようもないことになったとき、
僕らを包み込み、導き、許すものが僕らの知らないどこかにあるのだ、ということ。
あるいは、そっとしといてくれるのだ、ということ。

その一方で。
この世界を動かす目に見えない大きなシステムがあって、
表向きは人と人とのつながりとしての「世界」から
疎外されているように感じるということ。
だけどその中にしっかりと組み込まれているのだということ。

孤独、疎外感が人生への不安へとつながっていく。
同じような仲間を見つけて、小さな群れを作るようになる。
しかしそこにも、システム、この世界のルールが入り込む。入り込んでいる。
群れは、崩壊する、あるいはより大きな群れに吸収される。

人によってはそこに人生というものに対する無力感を得るかもしれない。
昔からの夢を諦めるかもしれない。

東京と、その生活の中で。

諦めたら、そこには何があるのだろうか?
諦めなかったら、そこには何があるのだろうか?

---
主人公は学生時代に映画サークルにいて、今は普通の会社で働いている。
29歳にして、人生こんなことでいいのかと思う。日々悩んでいる。
なのにやりたいことが見つからない。
日々流されている。

ちょっとしたきっかけを元に
当時映画サークルに属していた何人かが1つの家の中で共同生活を始める。
行きがかり上、主人公もそこに関わるようになる。
映画サークルの友人の中には今でも諦めずに撮り続けているのがいて、
その生活を追ったドキュメンタリーを撮り始める。

映画の破綻、共同生活の破綻。
あるものはそこに留まり、あるものは新しい場所を見つけて飛び出していく。
そんな中、主人公の見つけるものは?

---
ストーリーの概略そのものは単純で、登場人物もはっきりしているのに、
テーマとの結びつきが難しい、というわけです。


[2006] 小説を書くという行為 2006-06-08 (Thu)

1月から書き始めた小説が難航している。かなり難航している。
前作「海辺の記憶」の比じゃない。
前のは内容的に、書きながら考えるってことができたけど、今回はそうは行かない。
考えて方針を決めてから書き進めていかないと途中「だめだ、違う」ということになる。
書いては消して、1歩進んでは2歩下がっての繰り返し。
難易度が高い。というか、書いていくうちにどんどん難易度が高くなっていった。
単純に「こういうストーリーがあってそれを書きました」ってだけじゃすまなくなってきた。
小説というものを形作る様々なレイヤーのそれぞれについて
隅々まで神経が行き届いていて、かつテンションの高いまま、結びついていくというか。
うまく言えない。

とにかく、これまで直線的・平面的だった文章を立体的にしなきゃいけないと感じた。
立体的とはつまり僕らが日々暮らしている世界に直結していて、
非常にリアルなものだということ。
それをあるがまま描きたい。この世界を動かしているルールについても描きつつ。
こんなことできるのだろうか?
・・・やらなきゃいけない。
ここで今できないのなら、小説家になることは諦めた方がいい。
凡百の「小説家志望」の人たちと一緒のままだ。
今の僕の文章は、深みと奥行きに欠けている。
このままだと作者の頭の中で形作られた文章の域を出ない。
何かもっと大きなものがあって、それは1つの世界であって、
それは現実の世界と虚構の世界とが複雑なレベルで絡まりあったものだ。
それが描けるようにならないといけない。

一言で言うと読者への確固たる「世界観の提示」そこに尽きる。
それができないのなら単なる言葉遊びに過ぎない。
今の僕は言葉遊びだけで小説を書いている。
今書いている小説はその世界観というやつを構築できずにふにゃふにゃしたまま書き始めて、
書いていくうちに構築できるかなと思っていたけど、それは甘かった。
「違う、なんか違う、とにかく違う」の繰り返し。
どうにかこうにか形にはなってきたけど、それでもまだまだ薄っぺらい。

その世界の中を僕が生きている、ぐらいのリアルなものにしなきゃいけない。
僕がそこで見たもの、漂っていた匂い、出会った人々との会話。
その体験を1つ1つ掛け替えのない言葉で綴っていく。
キチガイじみている。
果たして、こんなことできるのだろうか?

少なくともこれだけは言える。
作者がリアルに感じてないものを、読者がリアルに感じることはないだろう。
そして僕が「違う」と思ったものを人に読ませるわけにはいかない。
ここでいうリアルとはもちろん「現実に即している」という意味ではなく、
一部の隙もなく臨場感に満ち溢れているということである。

今の僕にできることは、それが完全にリアルなものではないにせよ、
1つ1つピースを拾い上げて組み上げていって
なんとかその近似値に近づいていくというただそれだけである。

天才ならば、文学に限らず映画だろうと音楽だろうと絵画や演劇だろうと
その作品の世界観というものが先にあって、自らそれに語らせる。
残念ながら、僕にはその才能はないようだ。

だけど、続けるより他なくて、そこにどこまで近づけるかというのが
恐らく僕にとって永遠の課題となるのだろう。

その裏に何かとてつもなく大きなものが広がっていることを感じさせる、
すぐそこに潜んでいていることを予感させる、
そしてその断片の息遣いの1つ1つが手に取るように分かる、
そういう小説が書けるようになりたい。
優れた長編や短編はみな、そういうものじゃないですか。


[2005] 「ジャズ構造改革 熱血トリオ座談会」 2006-06-07 (Wed)

「ジャズ構造改革 熱血トリオ座談会」ってのを書店で見つけて、読んだ。
トリオとは、後藤雅洋、中山康樹、村井康司、
このジャズ批評界の第一線というよりはご意見番の3人。

僕は知らなかったけど、
村井康司はスイング・ジャーナル誌のジャズ・ディスク大賞の選定委員で、
後藤雅洋は元ジャズ喫茶のオヤジの文筆家。
(そのせいか、ライバル?の「辛口JAZZノート」で有名な寺島靖国をやたらこき下ろす)

中山康樹がこの中では一番有名かな。
「マイルスを聴け!」だったり。入門書もたくさん書いてる。
ジャズじゃなく、ビートルズやボブ・ディランなど昔のロックについての造詣も深い。
昨年読んだのでは「ビーチ・ボーイズのすべて」が抱腹絶倒の最高な読み物だった。
僕は今かなり、この人の言うことを信じている。
言ってることはともかくとして、語り口が面白いから。
(僕の中で寄って立つ批評家は 渋谷陽一 → 大鷹俊一 → 中山康樹 と変遷している)

座談会はジャズとジャズ批評の未来を憂える、ってのがテーマかな。
そしてそのジャズは「終わって」しまっている。

「構造改革」ってたいそうな名前になっているけど
批評家自身がジャズ界の改革なんてできることはないわけで。
自分たちが演奏してるんじゃないんだし。
中山康樹が本文で何度も繰り返すように
過去の優れた名盤に戻ってそれをひたすら聴くべし、
批評家はそこに新しい視点を見つけるべし。
ただそれだけが主張。
目新しいことではない。

でも、ジョシュア・レッドマンに代表される現在のアメリカの状況や
ウィントン・マルサリスの功罪、
日本だったら例えば菊地成孔や大友良英といった人材を検証しながら
話が進められていくので「あーなるほどな」と思わされることも多い。
ジョン・ゾーンが評価されているのに出会うと僕のような人は嬉しいし、
キップ・ハンラハンの名前も出てくる。

ものすごくジャズに詳しい人ならば
「何言ってんだ?こいつら」かもしれないし、
初心者ならば別な意味で「何言ってんだ?こいつら」かもしれない。
でも、僕ぐらいの「普通の人よりはけっこう知ってる」ぐらいの人が読んだら、
なかなか面白い読み物だと思う。
余りの面白さにすぐ読みきった。

でもあくまで読み物。
研究書ではないし、ガイドブックや入門書でもない。
スタンスとしても提言や宣言でもない。
そこのところは注意して読むべきだよな。
「構造改革が必要だ」としか言ってないわけですよ。

---
そんで今、「マイルスを聴け!」の第6版を読んでいる。
ほんと面白いねえ。中山康樹の文章は。
音楽の好きな人は1度触れてみてほしい。
「ブハハハハ」と笑えると思う。


[2004] オハイオ旅行を振り返る 2006-06-06 (Tue)

早いもんで、オハイオ旅行から一ヶ月近く経過。
遠い昔の出来事のようだ。
つうか別の世界の出来事っていうか。
その後怒涛の忙しさで仕事してたし。

今回の旅行のよかったところはやはりこの2つ。
@友人たちと出かける旅行ってのが初めてだった
Aツアーでは見ることのできない、普通のアメリカが垣間見れた

友達と一緒だと、いやー、楽でいいわ。
例えば、空港でうろうろしていても
終始「なんとかなる」「聞いてみっか」ってお気楽なムード。
一人旅だとどうしてもあれこれ不安になって落ち着かないんだよなー。

というかそれ以前に
そのとき思ったことを日本語でポンポン会話できるって、いい。
きれいな景色を見たとか、面白いものをみつけたとか、これうまいね!とか。
普通そういうのが旅行の楽しいところだよな。
今回も「すげー」「でけー」「うめー」の連発。
かなりプリミティブな感想ばっかり。
そしてそこからしょうもない冗談につながっていく・・・
ずっとそんなだったなぁ。

という中で見たアメリカ。
中西部、といってもかなり東の方。
ロスからもニューヨークからも遠い、普通のアメリカ。
郊外の住宅地、ハイウェイとドライブスルーばかりのアメリカ。
ファーストフードとチェーンのレストランとどでかいスーパー。
これが全土に広がっていて、
タコベルだとか K-Mart だとかどの州に入っても同じ店ばかり。
恐るべき画一化。少なくとも外見、店構えはどこも一緒なのだろう。
どこまで行っても、マック、マック、マック。西海岸から東海岸まで。
ボブは「シンシナティもマイアミも風景は変わんない」と言っていた。

旅日記にも書いたけど、それぐらいの圧倒的な力がなければ
チェーン店としての存在感を確立してのし上がっていけないんだろうな。
州ごとの様々な差異(気候かもしれないし、気質や嗜好かもしれない)
をいったん全て飲み込んで目立たなくしてしまう。
たった1つの強固な意志に全てを集約する。
それが「ブランド」の力ってもんだ。
初めて皮膚感覚で分かった。
日本だとあくまで製品に対するブランドという関係性に思える。
あるいはその製品を集めた店に対する、ブランド。
アメリカだともっと大きなものでくくっている。
まず存在感があって、そこから製品が生まれてくる。
日本だと逆かな。個々の製品のイメージの積み重ねがブランドになっている。
とにかく、ブランドの「意思」を感じたわけですよ。
日本のような「イメージ戦略」みたいなヤワなものではなく。

なんかそういうののせめぎあいというか
微妙なパワーバランスの上に日常生活というものが成り立っている。
大勢の人たちがそのブランドを確固たるものに保つために日夜黙々と働き、
そのブランドを消費するためにお金を使っている。
一見安定しているように見えて、意外と不安定かもしれなくて、
それをスパッと描いて見せたのが
「ボウリング・フォー・コロンバイン」だったりするのかもしれない。
そう、僕はかつてのマイケル・ムーアが
「ロジャー・アンド・ミー」で描いていたような素のアメリカを垣間見ることができた。
貧困層に足を踏み入れたわけでもないし、たった3日で何が見れる?ってもあるけど、
これはとてもいい経験になった。

海外から来た観光客が東京や京都といった、
観光地としての心構えがあって体裁が整っていて
いつでもプレゼン可能な土地を訪れるのではなく、
青森や盛岡を訪れるようなもんだよな。
観光スポットはあるものの、
ふらりと訪れた異邦人の受け入れに当たって都市としての総意はあやふや、みたいな。
東京を見ただけではやっぱ日本は語れなくて、
そのまま車に乗って熊谷だったり木更津まで行かなくては見えてこない日本もあるわけですよ。
そしてそっちの方が圧倒的大多数なわけですよ。
アメリカだって、そう。

もっともっと見てみたくなったし、
少なくとも3ヶ月ぐらいどっか滞在して
さらに深くて細かくて微妙なものを見聞きしてみたくなった。
日々の生活を肌で感じてみたい。

あと、英会話学校通いたくなった。毎度のことですが。
帰国して成田空港からの京成線乗ってると、NOVAの広告が貼ってるんですね。
あれってうまいよなーと思った。
なんかもうその足で入学の申し込みをしに行きたくなってしまう・・・

---
なお、最近知ったのだが、Air Force Museum を見に行ったオハイオ州デイトンは
80年代より長らく活動してきて数年前に惜しくも解散した
Guided by Voices の出身地なんですね。


[2003] Talking Heads 再発事情 2006-06-05 (Mon)

昨年後半、Talking Heads のボックスセットが出た。
以前出たベスト集成的な「Once in a lifetime」ではなく、
オリジナルアルバムを集めたもの。
リマスターで Dual Disk(表がCDで裏がDVD)仕様。
米 Rhino から。ここってよくこういうの出しますよね。
Sire から版権が移ったのか。

Talking Heads 大好きな僕としてはもちろん「欲しい!!」となるのだが、
タイミング悪くて買い逃す。そしたらあっという間に消えてなくなっていた。
初回限定少量生産だったか。まじでやられた。

バラで出始めたので、じゃあそれ買えばいいやと思ったものの、
「そのうち日本盤出るんじゃないの?」とほっとく。
もたもたしているうちにそのバラ売りも店頭で見かけなくなる。
大きいところはまだ見てないけど、吉祥寺では HMV もタワレコも在庫なし。
肝心の日本盤は出る見込みないようだ。
どうも版権の問題で相変わらず、Wea からで旧来のリマスター前の音源。
これを買っても仕方ない。というか持ってるし。
またしてもやられた。
(つうか日本盤は今年の2月に再発されたんだけど、
 旧来のリマスター前の音源で輸入盤より高かったら
 こんなの誰も買わないんじゃないか?

その代わりに出回り始めたのが、英 EMI からの再発。
こちらは Dual Disk ではなく、CD + DVD の2枚組となっている。
これはこれでリーズナブルな製品のように思えたんだけど、
困ったことに EMI からなのでコピーコントロール。なんか嫌。
暇ないので普段やらないけど、Talking Heads ならば PC に音を取り込んで
オリジナルのベストを CD-R に焼きそう。
(「Psycho Killer」はいろんなバージョンを集めて・・・)

先週、金がないってことで Talking Heads 全部売ってきちゃったんだよな。
ノンキに7月のボーナスで買い揃えようと思っていた。
だけど Rhino は入手困難になりつつあるから
早急にあちこち駆け回って店頭在庫を押えなくてはならない。
7月を待ってなどいられない。
手違いで給料が少なく振り込まれて、今月金がない。
だけど今回についてはカードを使ってでも、全て買い揃えなくてはならない。
これは、僕にとっては1つのミッションだ。

そんなわけでさっそく、土曜の昼に国立に行った帰りに
(ふと思い立ってスタ丼を食いに行った)
吉祥寺に立ち寄って、 Disk Inn で見つけた Rhino 盤在庫4枚をまずは買う。カードで。
「More Songs」「Remain in Light」「Speaking in Tongues」「Naked」
残りは手に入るかなあ。今、いてもたってもいられない。
これ、吉祥寺の大きな Disk Inn だから販売されてて
かつ売れ残っていたのであって、同じ系列だからってことで
荻窪の新星堂なんかにいったところでそもそも取り扱ってるわけがない。
新宿の HMV なんかもアウトだろうな。
そもそも www.hmv.co.jp でも Rhino 盤在庫ないみたいだし。
出てくるのは国内盤か英 EMI のみ。
たぶん、あるとしたらレコファンかな。しかも大森店みたいな小さいとこ。
あー。8枚のうち7枚まで見つけられたけど最後の1枚が見つからない、
なんてことになったら悔やんでも悔やみきれない・・・

肝心の音。
さっそく「Remain in Light」を聞いたんだけど、
音はさすがによくなってて、買ったかいあり。
音のうねりが違うね。アフリカの密林をズンドコズンドコ突き進む。
なおかつ、クリアーな音。
(でもボーナストラックは DVDの方に入れてほしかった。
 CDはオリジナルのトラックリストだけの方が嬉しい。
 レコーディング時のアウトトラックが4曲入っていた。
 アウトトラックって聴く側からしてみたら
 どこまでいっても未完成でしかないものだし、原曲には勝てない)

そんで「Naked」
いいね!ブラスのキレが違う。ギターのカッティングも瑞々しい。
「Remain in Light」以外では僕は最終作のこのアルバムか、
デビュー作の「Psycho Killer '77」をよく聞く。
「Naked」はエキゾチックでポップなアルバムとしては最上級の作品。
ここから先、確かにグループとしては進みようがないよなー。
David Byrne がソロに転じたのもよくわかる。
というかソロでしかない・・・
ボーナストラックは「Sax and Violins」を入れるのなら、
「Lifetime Piling Up」も入れてほしかった。

あーほんと、Talking Heads は聞いてて気持ちいい。


[2002] スカンピンな生活 2006-06-04 (Sun)

5月20日の給料日。
心の中で鼻歌を歌いつつ、朝、コンビニのATMで引き出そうとまずは残高を見てみる。
なんか予想よりもかない低い額しか入ってない。
「ええー??」と思う。
出社して慌ててPCを立ち上げて給与明細を見てみたら、
なぜか残業代が¥0になっていた。
問い合わせしたら手違いだということがわかって一応ほっとしたけど、
振込みは来月の給料と合わせてにしかならないという。

諸般の事情によりこの振込口座は元々すっからかんで、
もう1つの自由な口座もこのところすっからかん。アメリカ行ってお金使ったし。
7月のボーナスで手持ちのお金も増えるんだけど、
それまではあと1ヶ月ちょっと、
慎ましく暮らしてれば今月の給料+残業代で
なんとかやってけるでしょうというつもりでいた。
なのにその予定が、ガラガラと音を立てて崩れ去った。

どうしよう。
かなり切り詰めて生活しないといけない。
独身貴族を満喫したこってりした食生活がまずカットアウト。
CDは10枚か20枚しか買えない。
土日は缶ビールじゃなくて発泡酒だな・・・
飲みにいけない。映画も見にいけない。

・・・こんなことを思い、実際にそういう生活を始める。
毎月恒例の給料日後のHMVで買出しでもCDは12枚しか買わなかった。
あれこれ必要なものを買ってしまうとそこから先の日々はひたすら食費のみ。
エンゲル係数が余裕で50%超えるんだろうな。
どうしても出なきゃいけない会社の飲み会に参加するために
わざわざCDを売りにいって1万円の金を作る。
そこで行われた1回1000円の賭けダーツに「勝てばいいし」と参加するものの
2回やってどちらも負けて出費を増やす。あちゃーですよ。
ビールも飲んでない。発泡酒。つまみもご飯のおかずも缶詰め食ってたり。
土日も家に閉じこもってる。文章書いたり、以前買ったDVDを見たり。
余りにも切り詰めた生活にどうしようもなくなって
昨日、つい、耐え切れなくなってCDを10枚近く買ってしまった。カードで。
支払いは次の給料日後だから安全だろうと。

あと、2週間近く残ってるのか・・・
給料日は豪勢に買いまくりそうだな・・・
反動で・・・
怖い・・・
自分が怖い・・・

それにしても、僕って
残業代に100%依存した生活だったんだなー。
改めて気づかされた。


[2001] 31歳、6月(忌憚なく語る) 2006-06-03 (Sat)

(Gazz ! に書いた裏日記を手直しして転載です)

昨日の夜もまた丸の内線、終電。
ホームで待ってたら中野富士見町行きが入ってきて、ドアが開く。
階段を駆け下りてきた女の子たちが
「すいません!これって渋谷まで行きますか!?」
と本を読んでいた僕に、大慌ててで。
とっさな質問だったもんで僕はなんか勘違いして、
今自分がいる駅をなぜか赤坂見附だと思って、
「じゃあホームの反対側の銀座線か」と後ろを指差す。
「ありがとうございます!!」と彼女たちは
ちょうどやってきた(丸の内線の)池袋方面に向かって駆け込む。

「あっ」と思う。我に返る。
全然違うじゃん。
あーものすごく悪いことした・・・
しかも終電近い時間に。
けっこうかわいかったな。今風の・・・
どうしたかな。怒ってるだろうな。
「なんだよ!あのサラリーマン」って。

---
半年に1度の上司との目標管理面接。
今回からやっかいなことに
3年後の目標とか書いて言わなくちゃいけなくなった。あーあ。
「そんな先のことわからないです」
「日々食えてれば、まぁそれでいいんですけどねぇ」
そんなふうに心の底では思っていても
僕だって一応30過ぎた大人なのでそういうことは一切言わない。
その場しのぎの思いつきでアーダコーダ語る。あーあ。

昇進の話になる。
昨年は僕の「どうでもいいです」的態度により、取りやめ。
「なんでそんなに自信がないのか?」
「アピールが足りない」
はあ、そうですか。そうですよね。わかってますよ。
でも、いつだって自信はないしアピールする気もない。
小説家になれない人生だっていうなら、
あとはもうほんとどうでもよくて、のんびりやってければいいんだけどねえ。
適度に残業代が入ってきて、映画見てCD買って聞いてれば。
ときどきうまいものが食えれば。そして年に1度海外に旅行に行ければ。
後は余生。それ以上のことは望まないです。
家を持たなくてもいいです。
女の子にもてなくてもいいです。
日の当たらないアパートで。ひっそりと。本とCDに囲まれて。

僕はもう、諦めがつきました。
土日に小説を書いていくだけです。
それしか、やりたいことや目標がないんです。
別にネガティブな気分で落ち込んで、卑屈になってるのではないです。
要するに、今の会社で昇進するってことに何の魅力も感じてないんですよ。
いろんなことが乖離している。
そんで、ただの収入源としか思っていない。
辞めて次探すことにメリットを感じてないだけ。
そんな人、会社にいない方がいいですかね?

だったら目標管理面接でもそう言えばいいじゃんってことになるんだけど、
そこまではしない。のらりくらりと。ずるいよね。
僕は何を期待してるのだろう?

---
昼、客先で打ち合わせの後だったので
Sun-mi の4階(和食)で豚のやわらか煮。
しぐれ煮見たいなのかと思ったら角煮だった。
夜、コンビニ弁当。
どうせ遅くまでいるだろうと、ボリューム弁当だったかそういう名前のを。
野菜が入ってなくて、チキンカツがご飯の上にどどーんと乗っている。

とりあえず夜アパートに帰ってきたのち、
缶ビール飲みながらポテトチップスを食べた。
カラムーチョのホットチリ味。
ああ、そんなわけで来年32歳か。

---
仕事がどこまで行っても終わらなくなってきた。加速度的。
雪崩のようにいろんなことが押し寄せてくる。

会社で「メンタルヘルスチェック」を受けろとお達しがあって、
(僕だけじゃなくて、部門みんなですよ、一応)
ストレスありまくりの結果だった。あーあ。
今は特に落ち込んでることもなく、慢性的な疲労にあるのでもない。
忙しいさなかにもそれを淡々とやり過ごしていくのが
何年もかけて少しずつうまくなっていったと僕は思っていた。
それでもいつだって僕はストレス漬けのようだ・・・


[2000] 「遊星より愛をこめて」 2006-06-02 (Fri)

ウルトラセブン 第12話 「遊星より愛をこめて」

分かる人はこれだけで分かりますよね。

http://www.youtube.com/results?search=Ultra+Seven+EP12&search_type=search_videos&search=Search


参考
http://www.bekkoame.ne.jp/~cokanba/process.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~hunter-j/page002.html

http://homepage1.nifty.com/H-YAMATO/spel.html


---
そんなわけですが。

問題はウルトラセブンのこの回そのものより、「小学二年生」の付録なのではないか。
永久欠番にした番組制作サイドの判断はかなりの過剰反応だったのではないか・・・
この内容が差別的であって子供たちに悪影響を及ぼすというのなら、
ウルトラマンのシリーズってもっと他にもグロテスクなものがありそうに思うのだが・・・

小さい頃、何よりもウルトラマンにはまっていた僕は
怪獣大百科のような本を何冊も持っていて、
50円で袋の中に何枚かカードが入っているというのももちろん集めていた。
本屋に行けば、ウルトラマン関係のものを立ち読み。
ある日小学生よりはもっと年上向けだった本を立ち読みしていたら、
スペル星人のことをほのめかす記事に出くわした。
「幻の第12話」ってやつである。

その後も時々思い出したり、どこかで言及に触れては
「見てみたいなー」と心の底で思っていた。
禁止されているのだから、見たくなる。
YouTube に転がっているとは。すごい世の中である。
(コマーシャルのない映像なんだけど、出所はどこなんだろう?)

実際に放送されたのが67年だとしたら、もう40年も前の話か。
どうなんだろう。解禁にしてもよくはないか。
変な噂ばかり流布してる方が問題にならないか。
そんなおかしな内容ではないと僕は思う。
もしこれがダメだというのなら、
この社会のどこかにヒステリックな歪みが残っているということだ。
(むしろ問題とすべきは、この回の内容のたわいのなさ・無邪気さなのかもしれない)

「ちび黒サンボ」が規制を受けたときに感じた違和感を、やはりここでも感じる。
差別的な意見を第一に言いたくて、絵本が書かれたわけではないんでしょ?
ヒステリックに騒ぐ人がいて、たまたま槍玉に上がってしまって、
世の中にはもっと悪意のあるものが溢れているのに、これだけが抹殺された。
そういう過剰な自浄作用みたいなもののほうがよっぽど怖い。

僕は別に「言論の自由」ってやつをお題目として掲げたいわけでは全然なくて、
いつもその辺かなり無頓着なんだけど、
その人が表現として目的にしたものとは全然違う次元の話で
後になって突如規制がかかってしまうのは「うーん」といつも思ってしまう。

規制に反発したいがためだけの子供っぽい「言論の自由」はたいがい嫌だけど。
いつぞやの荻窪のサウンドでもとかさ。

---
ウルトラセブンはやっぱ「メトロン星人」ですかね。
諸星弾の部屋で待っているメトロン星人。


[1999] 真夏日 / ディスコン 2006-06-01 (Thu)

今日から6月。え!もう!?って気分。
1年の半分近くが過ぎたのか・・・
このままだとこれといって何もしてないまま、一年が終わってしまう。
来年32歳かと思うとぞっとした気持ちになる。

---
今日の東京の最高気温は30℃ということになっている。
真夏日。

昨日の気温も30℃近く、家に帰ってきたらムシムシと暑かった。
夜も寝苦しかった。
6月でこれだけ暑かったら、8月はどうなるのだろう?
暑い夏はいいのだが、無駄に暑いのは嫌だ。

毎年のことだけど、夏と言ってもこれといって何があるわけでもなく。
なんでかわからないけど、8月はいつも忙しい。
今年の8月は去年や一昨年よりも忙しくなるのが今からわかっている。

今日の朝、夏用の薄手のスーツを取り出してクリーニングのカバーをはずして着込む。
そういえば会社も今日からはクールビズとなる。
6月から?早過ぎないか?
経費節減につながりそうなことは何でもしますということか。

先週・先々週と雨が降ったりやんだりで
入梅かと思ったらまだそんなことはないようだ。

---
朝、NHKのニュースを見ていたら、
「ディスコン」というスポーツが紹介されていた。
2つのチームに分かれて、
赤と青のディスクを床の上のポイントめがけてひょいと投げて点数を競い合う。
見た目はカーリングに似ている。

参考サイト
http://www.tokushima-sports.or.jp/jiten/discon.html

割と楽しいのではないかと思った。
運動神経よりも運とかその場のノリで勝負が決まりそうだし。
ビール飲みながらでもできそうだし。

これぐらい手軽なスポーツなら土日にやりたいなあと思った。
ニュースではお年寄りたちがワイワイ騒ぎながら興じている光景が映し出された。

ふと思うに、最近ゲートボールをやっている老人っていうのを見かけない。
僕の住んでいる場所がそうなのか。
それとも日本全国的にそうなのか。
話題にも聞かないように思う。
いつのまにか廃れてしまって、例えばこういうディスコンや
「ターゲットバードゴルフ」といった競技に流れていったのではないか?
と僕は推測している。

---
夏も近づいて、一頃のカーリングブームはかなり下火になっているのではないか?

オリンピックの直後、
東京都心でカーリングのできる場所はみな
予約が何ヶ月先もいっぱいになっていたようだが、忘れられたりしてないか・・・


[1998] カーネーション「夜の煙突」「からまわる世界」 2006-05-31 (Wed)

最近の若い人は知らないと思うけど、
カーネーションってバンドがあって僕は昔から好きだ。
一番大好きなお気に入りってことではないんだけど、なぜかよく聞く。
学生時代から知っててもあんまり熱心には聞かず、
身近に聞くようになったのは社会人になってから。

家に帰ってきて、気がつくとベストアルバムをCDのトレイに乗せている。
忙しい時期に夜遅く疲れきって帰ってきて、
シャワーを浴びて寝る前に1曲しか聞く時間がないってときも
そのベストアルバムの中のどれかの曲を選んで聞いている。
そして、布団の中に潜り込んで眠る。

そんな時期が年に何回か訪れる。
今、またそういう時期に入ったようだ。
今回は「夜の煙突」ばかり聞いている。
いろんなバージョンのを日替わりで。
いくつかあるライブアルバムの中で、必ず取り上げられている。
名曲、とされる。

歌の中で主人公は、
煙突にまつわるなんらかの工事みたいな仕事についている。

サビの部分でこんなふうに歌われる:

「はしごをのぼる途中で
 ふりかえると僕の家の灯りが見える」

なんてことない一節なんだけど、
このところ、僕の心を捕らえて放さない。
美しい光景だと思う。
夜の町並み。
いまどき煙突があるぐらいなのだから、
どこか時代に取り残されたような、
昭和の時代の暖かさが残されたような、
そんなのどかな町なのだろう。
にぎやかだけど眠りにつくのが早く、
まだ一家団欒というものの名残が残されてそうな。

そんな町で、なぜか、主人公は真夜中に煙突をのぼっている。
いったい、なんのために?
誰に会うために?
君に会うために?

平日は仕事して仕事して仕事して、一瞬で一週間が過ぎ去って、
そして今、土曜の昼。東京は雨が降っている。
部屋の中で、またしても「夜の煙突」が入っているライブアルバムを聞いた。
1曲目は「からまわる世界」
こういう歌詞だった。

--------------------------------
何もかもがいやになる時もあるのさ
ある日 国道ぞいをただ歩いていたら
意味もなく君に会いたくなったよ
何時に電話しても
僕の話 聞いてくれるかい
君が欲しい
どうかしている

(中略)

いつまでも会えない
このままじゃ会えない
からまわる世界で
からまわる世界で

意味もなく君に会いたくなったよ


[1997] 立ち直る 2006-05-30 (Tue)

4月、新しいPJに配属された。
「すごいお客さん」を相手にしている隣の「すごい部門」からうちの部門に対して
「こういう仕事あるんだけど、やんない?」って話が来て、
そのときたまたま空いてた僕が参画することになった。
右も左も分からなくて、慣れるのに大変だった。
スピード感、方法論、意思決定ルート、などなど。などなど。
一言で言ってしまえば既存システムのリプレースってことになって、
現行システムのことは隣の部門の人たちもお客さんもよくわかっている。
なのに僕ら新規参入者にはいろんなことがいろんなレベルでわからない。
純粋に機能面のことであるとか、物事も進み方であるとか。
分かってる人たちがどんどん先に進んで行って、その分どんどん置いていかれる。
キャッチアップするだけで1日が終わる。
僕が物事を考えたり、決めようとする余地は全くない。
「なんだ、オレ、いらないじゃん」と考えるようになる。
少しずつ少しずつ自分の殻に閉じこもっていく。

気が付くと、「うつ」(と言っていいのかな)の2歩手前ぐらいのところまで来ていた。
やばかった。4月後半から5月前半にかけて。
心が動かなくなっていた。
そのPJのことになると、何もかもをシャットダウンしようとする。
暗い部屋の隅っこでうずくまって、両手で顔を覆って、ガタガタと震える。

話しかけられると、話はできる。
PJ外の人たちとは普通にこれまで通り会話できていたし、
PJ内の人たちとも話しかけられれば、受け答えできる。
だけど、PJの人たちに対して僕の方から話しかけるという「作業」は
ものすごく労力を要する、苦痛な出来事になっていた。

どうしようか、と考えた。
PJを出て行って、これまで一緒にやってた人たちのPJに出戻りできないか、
そればかりを願った。こっそりそういう相談もした。
「やめます」この一言を、言おう言おうとしてなかなか切り出せないまま、
日々だけがズルズルと過ぎていった。

この状態が永遠に続くとなるならば、地獄である。
神経が磨り減っていって、どこかで完全におかしくなっただろう。
会社にとってもコストの無駄でしかない。
何もしないでウツウツとしているだけの要員を食わせていくわけである。
「どうして、こういう僕をこのままここに置いとくのだろう?」
不思議で仕方がなかった。

・・・
15日の週半ば、ようやく立ち直った。

何がうまくいったのか、よくわからない。

@ゴールデンウィークに無理やり休みをとって
 友人たちとアメリカに行ったのがリフレッシュとなったのか。

A1ヵ月半が過ぎてPJのことがだいぶ分かってきたからか。

Bそれまで苦手としていた、PJ内の核に当たる人と腹を割って話したからか。
(僕が話したわけではなく、向こうの思っていることをあれこれ語ってもらった)

C時間が解決してくれたのか。

たぶん、全部、なのだろうと思う。
そのトリガーがBだったのは確か。
16日の火曜の夜、2人でお客さんのところに打ち合わせに行って、
その帰りに寄ったカフェで遅くまで話をした。

隣の部門で出会って1ヵ月半しか経っていないのに
僕がどういう人間であるか見抜いて、
閉じこもっていた僕の扉を開いて、外に連れ出したわけである。
すごい人だとしか言いようがない。
というか「すごい」という以前に「ありがたい」ことだと思う。

どういう大人の事情があったのかは分からないけど、
さっさと見切って
「こいつは使い物にならない。放り出そう」とはしないで、
「なんとか使える力を引き出そう」としたわけである。
「いまどき、そういう考え方の人がいるんだ・・・?」と素直に驚いた。

・・・
僕は立ち直った。

運良く僕は立ち直ることができた。
だけど、その間、周りが見えていない間に、
同じくPJに配属された後輩の女の子が
1人きり思い悩んで、抱え込んで、
そして先週の火曜、ついに倒れてしまった。
金曜になってようやくそのことを知らされた。

複雑な気持ちになった。

よくあること?
そんなふうに言ってしまっていいのだろうか?

先週の月曜の夜遅く、その子と久しぶりに話した。
やつれてしまっていた。
疲れているだけだと僕は思ってしまった。

「オカムラさんと話すの久し振りですね」と言われた。
「ま、うまいもの食べると元気になるよ。
 ボーナスが出たらパーッと食べに行こーぜ」
そういうことを僕は言った。

「この子は偉いなあ」
「1人で黙々と仕事してるなあ」
常日頃僕は感心していた。
実情はそうじゃなかった。
1人きり、どこかで助けを求めていたのである。
そして少しずつ少しずつ、奈落の底に落ちていった。

僕を含めて、周りの人たちは
そのことに気付くことができなかった。

・・・
話すということの重要性を僕は今、痛みのように強く感じている。

何気ない冗談。ちょっとした確認。朝の挨拶。
思ってることや考えていることを、
お互いが近づいて、言葉にして伝えようとしなければ、
やはり伝わらないのだ。

人間という生き物は、そうすることによって生きていくものなのだ。


[1996] オハイオ隊、遠征(その28)5/8日本到着 2006-05-29 (Mon)

機内に乗り込む。
日本人スチュワーデスからのアナウンスによれば、
今回のフライトには新入社員が7名乗り込んでいるのだという。
そんな感じの初々しい、なんかどこか学生っぽさの残る、
あどけない雰囲気の女性たちばかりだった。
ワゴンの前後に2人ついて運んでいるとき、
なにか起きるとヒソヒソ話してクスクス笑いあったり。

機内食。もちろんビール。もちろん、ジャパニーズ・ビール。
来たとき同様、「KIRIN ICHIBAN」だった。飲む。
「このコク。このキレ。突き刺さる喉越し。さすが Made in Japan」
感心することしきり。ほんともう日本のビールさまさま。
グビグビ飲み干したときのあの芳醇な存在感がたまらない。

1本飲み終えると今度はアメリカのビールが懐かしくなって、
2本目のビールはミラーのドラフト。今回の旅行では大変お世話になりました。
食事の内容:
テリヤキチキンにピラフ、
パン(バターはすっかり溶けていた。新入社員だから何かを間違えた?)
フルーツはスイカに細長いアメリカのブドウ、
ハムサラダ、コーヒーケーキ。

食べ終えて寝たり起きたりをひたすら繰り返す。
3時間か4時間まとまって寝たりしていたと思う。
タクもジュンコもそんな感じか。2人は例によってゲームをやっていた。

アラスカの上空を通り過ぎる。
例によって夜食には「きつねらあーめん」が出てくる。
通路を挟んで隣の席のアメリカ人は中の具を全部、お湯を入れる前に捨てていた。
おいしいのだろうか・・・?

古代というか「ロード・オブ・ザ・キング」辺りの時代を舞台にした映画が上映されていた。
弓や剣の修行をしている子供たちが主役で、ライオンと話ができて、
クライマックスは戦のシーンってやつ。
そのうち日本でも公開されるのか。それとももう終わったのか。

本を読みたいなあと思ったのに、ライトがつかなくなる。
肘掛のボタンを押しても反応しない。ま、いいかとまた眠る。

目が覚めてやってた映画は「The Interpreter」
ジャンルはサスペンスか。監督はシドニー・ポラック。
ニコール・キッドマン、ショーン・ペン、キャスリン・キーナーと
いい感じの配役だったので、公開当時見たかったんだけど見逃した。
(シドニー・ポラックって世間一般的にはアカデミー賞を受賞した
 「愛と哀しみの果て」なんだろうけど、
 僕からしてみれば60年代末の「ひとりぼっちの青春」と「泳ぐひと」ですね)

また眠る。
朝になっている。日本到着間近。
機内食:
チキンヌードル or パスタってことでチキンにする。パスタはジュンコからもらう。
さすがにビールは飲まない。

機内のアナウンスで「現地の天候は曇り、気温は17℃」と聞く。
5月にしては寒そうだ。

あー着いちゃうんだなあ・・・
って感慨に浸っている間に機体は成田の滑走路に滑り込む。
フライトは13時間近くかかった。けっこうかかるもんだ。
到着時刻は15時。日付変更線を超えて9日になっている。

機内は中国系の人たちが多く、台北や北京への乗り継ぎの便があるようだった。
僕らは入国手続きへ。
いつも通り、これといって何もなく終わる。
スーツケースを受け取る。
今回初めて目にしたんだけど、機内にダンボールを預けている人がいた。
そういうの可能なのか。寸法と個数と重量さえ満たしていれば、OKなんだろうな。
税関も無事通過。
「どちらからですか?シカゴからですか?」「はい」
「他の国は訪問してますか?」「いえ」
これで終わり。
去年はメキシコ帰りだったので、リュックサックのポケット全部開けられた。

あれこれ終えて、3人で空港のスターバックスにて残念会。
(日本について残念に思うの会)
来年も行きたいねえ、ラスベガス行って
ついでにグランドキャニオン見るか!という話になる。
あと、「僕らが持ってったお土産結局喜んだのかねえ」と。
「嬉しかったらその場でバクバク食い始めたんじゃないかなあ。
 そうしなかったってことは・・・」
「いや、2人とも30過ぎたいい大人なんだからさ、
 そういうことしないように心を決めてて、
 僕らをもてなすことを最優先にしてたんだよ」

京成線の特急に乗る。スーツケース抱えて、3人掛けのシートに。
成田の駅を出たところで、巨大な機体がすぐ目の前を飛行機が横切っていった。

僕は終点まで乗っていったけど、
ジュンコとタクは途中の駅で降りていく。
スーツケースをゴロゴロ転がして、JRの上野駅へ。
山手線に乗って東京駅で中央線へ。疲れきって座っていく。

荻窪で降りて、またゴロゴロ転がしていく。家に帰りつく。
19時だったか。夜になっていた。
母親に「着いたよ」って電話して、大家さんにお土産を持ってって、
荷物を整理して、洗濯をして、スーツケースをトランクルームに運ぶ。
めんどくさくなる前にと全てその日のうちに終える。

あれこれ片付いて、
日本食が食いたくなって荻窪駅 LUMINE の讃岐うどん屋へ行く。
これぞ「和」なやつってことで、「生醤油海老天」を食べた。
刻んだネギをたっぷりかけて、すだちをギューッと絞って。
最高です。日本食バンザイ。

たった5日行ってるだけで恋しくなってるのだから、
ボブ・コムギちゃんはもっともっと、もぉーーーっと恋しかったに違いない。
そんなことを考えながら、うどんを食べた。

(おしまい)


[1995] オハイオ隊、遠征(その27)5/8日本へ 2006-05-28 (Sun)

飛行機を降りて通路を進んでいくと、国際線乗り継ぎのターミナルに出た。
C20とかそういう番号のロビーに。
さて、ここからどこに進むべきか。今回の待ち時間は4時間ある。
外に出て観光している暇はない。おとなしく空港内で過ごすことにする。
どこから乗るのか確認したい、と「DEPARTURE」のモニターを見てみる。
「NARITA」行きを探すが、見つからない。
ここじゃないのだろうか?
空港の地図を見ると、ユナイテッドの名前がターミナル5に。
ここはターミナル1、反対側。
「ああ、そっち行けばいいのか、じゃあシャトルに乗るか」と歩き出す。

進んでいくとC18ロビーにインターネットを利用できるサービスが。
15分で5ドル。高い。でもタクはメールを確認したいとクレジットカードを差し込む。
出てきた yahoo.co.jp はトップが文字化け。
日本語フォント入ってないのかなあと諦めかけて
それでもログインしてメールの方まで進んでいったら、なぜか文字化け解消。
メールが読めた。でも、全部が明朝体なのでものすごく違和感あり。
ジュンコはコレクトコールで旦那に電話。

そういえば、コンコースBとコンコースCを結ぶ地下通路がちょっとした名所だって
「地球の歩き方」に書いていたよね、とエスカレーターを地下に降りていく。
動く歩道の天井に、赤や黄色、白に青とジグザグに走る細いネオンサイン。
稲妻って言ったら言い過ぎだけど、瞬いて消えていく。

シャトルはコンコースBから出ていたので、ちょうどよく。
乗り込んでターミナル5へ。
2、3、5、なぜか4がない。話しているうちに乗り過ごして終点のパーキングへ。
これがまたハンパじゃなく広い。東京ドーム何個分?
そういう形容をしたくなるぐらいに広い。
この端から端まで歩いたら、もしかしたら30分はかかるかもしれないな、そう思う。
まだ朝だというのに、たくさんの車が停まっている。

ターミナル5で、DEPARTUREのモニターの前に立ち「NARITA」を探すが見つからず。
「あれー?」と思っていると、空港の職員の男性が話しかけてくる。
にこやかな恰幅のいいおじいさん。
「ターミナル5は国際線の到着だけだよ。ターミナル1が出発だね」
ええー?僕らがさっきそこから来たばかりなのに。どういうこと?
でもどこをどう見ても確かにユナイテッドの国際線がなかったので引き返すことにする。

またシャトルに乗ってターミナル1へ。
降りてすぐの通路にあったモニターで探してみたら、すぐにも見つかった。
ジュンコかタクが「あ!」と叫ぶ。「NARITA」じゃなくて「TOKYO」だった。
なんですぐ思いつかなかったのだろう・・・
じゃあその出発ロビーはどこかというと「C18」とあって、
さきほどタクがインターネットをやって、ジュンコが国際電話をかけた場所。
乗り継ぎで降りた「C20」の目と鼻の先だった・・・
動き回る必要、なかったのね・・・
うまいことできていたのに、その恩恵に預かることができず・・・

いったん国際線ターミナルの外に出てしまったので、再度セキュリティチェックを受ける。
靴を脱いだり、ベルトを外したり、めんどくさい手続きを経てまた中に入る。

気を取り直して食事を取ることに。
「マックでいい」とタクは言うが、僕は「この際もっと他のものに」と主張。
長い長い通路を端から端まで進んで、どこにするか決める。

DUTY FREE では日本語でこんな看板が。
「春がやってきました。ゴールデンウィークをご家族・ご友人とお楽しみください」
英語と日本語の看板しかないってことは、免税店に群がるのは日本人ばかりってことか。

ヘッドセットをしている人を多く見かける。
携帯にくっついてて、話す。アメリカでの普及率は高いのだという。
「車椅子の普及率も高いね」とタクは言う。

シカゴスタイルのホットドッグがあるカフェを見つけるも、行列ができていて断念。
ハンバーガーやピザ、チャイニーズなど軽食を提供する店の集まってるフードコートがあって、
そこで食べることにする。僕は途中で見つけたスタンドでホットドッグを買う。
シカゴ名物なのだろうか?そう思うと食べたくなった。
僕の買った店では6種類の具材から好きなのを挟んでもらえることになっていて、
僕はチリ、タマネギ、緑色に着色されたタマネギ、トマトを選んだ。
椅子に座ってて食べて、周りを見渡すとそれなりに日本人っぽい人が多い。
日本語も聞こえてくる。
タクが2日目に Jungle Jim's で「珍しい。なんだろう、これ」と買って
それ以来忘れていた「Blue Corn Chips」を食べる。
中のチップスの色は青みがかった黒。
そもそも青いコーンなのか、それとも、まだ熟してない青いコーンということなのか。
素朴な味わいだった。

食べ終わって、タクが煙草吸いたいと言い出す。どうしても一服したい。
ライターをまずは入手したい。でもどこにも売ってない。
喫煙所もない。隅から隅まで歩いて、見つからない。
「外に出る?それしかないよ」
「出たところでライター持ってる人探すの難しいよね。空港の中で売ってないんだから」
そういうことになって諦める。

C18のロビーへ。
ユナイテッド専用となっていて、何かとあれこれサービスしてくれるようだ。
でもその内容はよくわからず。ファースト、ビジネスクラス用か。
席を見つけて腰を下ろし、小説の続きを読む。

機内で飲むミネラルウォーターを買おうと店を探す。
買おうとしたのはいいが、有り余った小銭で支払おうとしたらうまく行かず、手間取る。
ダイム(10セント)とペニー(1セント)を勘違いして数えて渡す。
足りないと言われる。「どうして?」と思う。後ろに行列ができていて、焦りだす。
仕方なく紙幣で払う・・・
今回の旅行ではうまくコインを使うことができず、苦労した。
州税が外税方式なので、何か買おうとして例えば値札が「3.28」ドルとなっていても
レジのところで加算されてしまう。なので並んでいる間に用意できない。
しかもオハイオ州は6.5%というなんとも暗算で計算しにくい値で、計算する気になれない。
レジで初めていくらになるかわかる。
店によっては相手が旅行者だろうとなんだろうと早口なので、聞き取ることができず、
仕方なく10ドルとか大き目の紙幣を渡す。小銭ばかりが増えていく。
日本も内税で表示するようにしたんだし、アメリカもそうしてくれたらなあ、と何度か思った。

ロビーに戻るとジュンコから、出国手続き要るみたいよ、と言われる。
そういえばボブが言ってた。
ATMみたいなのが置かれているから、入国審査のときみたいに
右手の人差し指、左手の人差し指、顔写真を撮っとかないといけない。
手続きの簡略化なんだろうな。去年のロスではなかったような。
行くと確かにロビーの入口のところにあって、係りの女性があれこれ指示してくれる。
終わるとレシートみたいなのが出力される。巨大なQRコードみたいなのが印刷されている。

いよいよ搭乗。列に並んでいたら、
目の前に立っていたアメリカ人女性の着ていたTシャツには
こんな文章が印刷されていた。
「SHIZUKA 私はベター・ザン・ユーです」
これは日本・アメリカどちらで作られたTシャツなのか?


[1994] オハイオ隊、遠征(その26)5/8さらばシンシナティ 2006-05-27 (Sat)

5月8日(月)から9日(火)のこと。

4時起き。さすがオレ。何もなくても目が覚める。
というか1時間おきに目が覚めた。
タクも目を覚ます。
テレビをつける。バスケットの試合をやっている。
ダラス対サン・アントニオのプレーオフ。鬼気迫る攻防戦。
5時半に出ることになってたものの、
前日のうちに全て準備してしまったのですることがない。
試合についつい見入ってしまう。

ジュンコを起こしに行く。
やがてボブとコムギちゃんが起きてくる。
5時ごろ。ボブは僕らを空港に送った後、いったん戻ってきて出社。
月曜日なんだよな・・・

車にスーツケースを運んで、出発。
夜明けのシンシナティのハイウェイを走る。
何もかもが深い藍色に包まれている。
明かりが灯っているのは終夜営業のファーストフードだけ。
この町に住む、この国に住む、大勢の人たちが眠りについている。

なのに、話題はこんなこと:
「キアヌ・リーブスって来日するたびにラーメン食ってるらしいよ。
 この前は恵比寿の店に行ったんだって。来日はそれが一番の楽しみ」

「トイレの個室に入ったとき、トイレットペーパー長く伸びて
 出しっぱなしだったりするじゃん。あれってなんなんだろうね?」
「ストレスの解消?」

音量を絞ったFMから聞こえてくるのは、Pink Floyd 「Dark Side of the Moon」
アルバムのA面。

そして、コムギちゃんがこんなことを:
「日本から来たお客さんが帰った後、みんなが帰った後、
 泊まってたゲストルームがガラーンとしてるのを見るのって寂しいんだよね」

窓の外はまだ、夜空に星が瞬いている。
川面に映るダウンタウンの摩天楼。

「日本に帰ってきたら、どこに住むの?決めてる?」
「決めてる」
「そういうのって前もって日本に来て住むとこ探せるの?」
「いや。帰ってから。2週間ぐらいホテルに暮らして、見つけたら即入居。
 事前にインターネットで、いくつか候補調べとくんだろうね」

空港へ。
チェックイン。
カウンターにはユナイテッドの係員の女性が1人だけ。
別な旅行者の応対をしている。
僕らは自動チェックインと思われる機械を操作する。
ジュンコがEチケット番号の入力を行う。
プリントアウトが出てくる。これで終わるかと思いきや、
結局は係員があれこれ手作業で何かしなければいけなかったようで、
このプリントアウトを手渡す。
スーツケースを預ける。
搭乗券みたいなのが返ってくる。

ボブとコムギちゃんとはここでお別れ。
5人で写真を撮る。
僕らは2人が通路の端まで行って、
エスカレーターに乗って消えていくまで手を振る。
気付いた2人が振り向いて手を振り返す。

ギフトショップに入る。
シンシナティの絵葉書を4枚(3枚買うと1枚ただ)と、
シンシナティ名物と書かれたチリパウダーを3袋買う。8.24ドル。
ここで働いているレジのおばちゃんは日本人だった。日系人かもしれない。
もう50か60は行ってるだろうな。ネームプレートには「MIYUKI」と書かれていた。
日本語でやり取りする。
アメリカのお菓子、チョコレートの類は
どうにもこうにもおいしそうじゃないのでやはり買わず。
シンシナティはケンタッキー州にも含まれているということで
(というか厳密に言うとこの空港はケンタッキー州の中なので)
ケンタッキー土産も置いている。
でもこれが、見事に馬関係。「ケンタッキー・ダービー」ってやつ。
馬のキャラクターのマスコットやダービーの写真。他に名物はないのか!?
なお、オハイオ州の人たちは
ケンタッキー州の人たちのことを田舎者だと思っているようだ。

アメリカの本や雑誌の中に「JUMBO SUDOKU」を見つける。
日本生まれの「数独」世界を席巻中。
CDがほんの少し売ってあって、見てみたら
「STYX」「O'JAYS」「Hall & Oates」「Tom Jones」「Ike & Tina Turner」
たいがいがベスト盤。ああ、これがアメリカで一般的に聞かれてる音楽なのか・・・
最近のないよね。

出発ロビーへ。
セキュリティチェックでタクがライターが見つかって没収。
行きでは見つからなかったのに。残念がる。

デジカメを前日のうちに撮りきって、写真を撮るために携帯の電源を入れる。
することもなく、あれこれところ構わず撮る。
飛行機と通路以外に、他に被写体がないのでジュンコとタクを撮りまくってうざがられる。

(ここでの出来事だったのかどうか記憶がおぼつかないんだけど)
タクは「Diet Dr.Pepper」を見つけて飲む。
今回の旅行でタクは「Dr.Pepper」を飲み続けてばかりだった。
あのケミカルな味わい、僕は一切受け付けない・・・
その「Dr.Pepper」に「Diet」があるなんて・・・
味が想像つかない。

アナウンスで呼び出されて、搭乗カウンターにて先ほど受け取ったチケットを引き換え。
どうも先ほど受け取ったのは搭乗券ではないようだ。ややこしい仕組み。なんなのだろう?
シカゴでもそうだった。引き換えなくてはならなかった。ユナイテッドだけ??

タクからスイカのガムをもらう。まごうことなき、スイカの味がした。

やがて搭乗の時間となる。
ギターのケースを抱えた20代半ばぐらいの女性の姿を見つける。
荷物はそのギターとコーヒーの容器だけ。
ミュージシャンの卵、なのだろうか?

7:43出発、7:50到着。シンシナティとシカゴの時差、1時間。
飛行機がバスかなんかの感覚でさらっと離陸して、空を飛んでいく。満席。
シカゴ日帰り出張の人たちが利用する時間帯なのかもしれない。
3人バラバラになって座る。
僕は小説を読んで過ごす。
すぐにもシカゴ、オヘア国際空港に到着する。


[1993] オハイオ隊、遠征(その25)5/7ゴリーズバーガー 2006-05-26 (Fri)

一通り見たし食べ物系のお土産を買うかと、
Cincinnati Mills内のスーパーマーケット「bigg's」へ。
http://www.biggs.com/

とにかくなんでもあって、安いらしい。
2台のショッピングカートいっぱいにあれこれ日用品や食品を
全く同じだけ詰め込んだのが並んでいて、
1つが bigg's のでもう1つが他店のもの。
総額を計ってみた札がデカデカと貼り付けられていて
「bigg's の方が安い!」というアピール。

でも「Jungle Jim's」の方が大きかったかなあ。
あれは遊び心満載だったけど、こっちはただのスーパー。
牛乳だったら牛乳、どでかいボトルが棚いっぱいに並んでいる。
棚の配置も合理的に理路整然と。
僕が普段行く荻窪駅前の西友を
縦にも横にも高さにも全て2倍のサイズにしたかのよう。通路も広い。

タクがバッファロー・ウイングのソースを買って帰りたいというので、つられて僕も買う。
他にお土産として買ったのは、ジャムを数種類と
なんとなく目に留まった DELMONTE の缶入りオレンジ。約12ドルだったか。
家のお土産用にコーヒーを買おうかどうか迷って、
インスタントじゃないとわかってやめておく。
チリソースも欲しかったんだけど、迷って結局やめる。
昨年メキシコ旅行で買ったときのチリソースが今でも残っている。
探せば日本でも手に入るし。

Jack Daniel のコーヒー豆ってのが
「dark」「darker」「darkest」の3種類売られていた。
「darkest」は凄そうだ・・・。飲めるだろうか?

瓶詰めのコーナーで「ガチャン!」と音がして、
振り返ってみるとおばちゃんが瓶を落として割ったところだった。
「どうしましょう・・・」と途方にくれている。
こういうときに役立つ英語を知ってるわけでもないので、見てみぬフリ・・・
しばらくしてから気になって見に行ったら
何事もなかったかのようにきれいになっていた。

食べ物を選び終えると、次は日用品へ。
タクはお土産に絆創膏を買うのだという。
なんでそんなのが??と最初思った。
アメリカのって「tatoo」って但し書きがなされてて
アニメのキャラクターがパッケージに描かれている。
なるほど。刺青チックに肌に張るのだろう。
Garfield に Curious George 、Chicken Little 、
プーさんにキティちゃんまである。

日焼けオイルまで、「SUPERSIZE」
重そうだ・・・

食器だのなんだのあれこれ見た後で、なぜかみんなの関心は便座へ。
「日本の便座ってすごいよなー。アメリカ来て初めて分かった」
「ウォシュレットって日本にしかないんだよな」
「便座が暖まるとかねー」
どうもそういうことらしい。

Cincinnati Mills を出て、家路に着く。
夕食は「食い損ねたファーストフードの数々をテイクアウト」「裏庭でバーベキュー」
この2つの案が出て、せっかくだからと両方を満たすことにする。

アメリカの家庭らしく、当然のようにバーベキューセットがあって、
ハンバーガー用のパティもパンもある。
ボブのもう1つの愛称が「ゴリ」
よって「ゴリーズバーガー」と呼ぶことになる。
「Wendy's」のように店を出してでかくなったらすごいよな、
と帰りの車内で盛り上がる。「今日の裏庭が1号店だ」と。

ファーストフードは「Taco Bell」と「Arby's」
両方とも朝晩よくテレビでコマーシャルを見た。
Taco Bell はタコス(つまり、メキシコ系)、
Arby's はローストビーフ・サンドイッチ(ギリシア系)となる。
Taco Bell は日本でも話題に上がることあるかな。
それぞれドライブスルーで1人分だけ買う。
「Grand Soft Taco」2.48ドル、「Roast Beef & Swiss」4.19ドル。
「Swiss」はスイスチーズのこと。Arby's の方が全般的に高かかった。
高級なファーストフード?ローストビーフが高いのか。
僕らが買いに行ってる間、コムギちゃんがスーパーに野菜を買いに行く。

帰ってきてさっそくバーベキュー開始。
ガレージからボブがいそいそとセットを運んできて、
コンロに炭を入れて火をつける。
炭は以前近くに住んでいた日本人夫婦が帰国する際に譲り受けたもの。
チップ入りってことで燻すような効果がある。
僕とタクは折り畳みの椅子やテーブルを組み立てて並べる。
コムギちゃんとジュンコが野菜を切って運んでくる。

履いてたカーゴパンツにバーベキューの匂いが付いたら
周りの人が嫌なんじゃないかとのタクの指摘により、ボブから短パンを借りる。

僕らが心置きなく飲めるようにとコムギちゃんがビールを買出し。
準備が終わって、コムギちゃんが帰ってきて、肉を焼き始める。
全員揃って、ビールで乾杯。
裏庭でバーベキューができるなんて。すごいよなー、アメリカ。
日本じゃなかなか難しい・・・

肉も野菜も焼きあがって、パンに挟んでゴリーズバーガー。
ハンバーグ、玉ねぎ、ピーマン、ピクルス、トマト、ケチャップ、マヨネーズ。
かぶりつく。

うまーい!!

みんなでかぶりついたところを記念写真。
ビール飲んで。笑いあって。
こういう楽しい瞬間って人生に何度あるだろう?

トウモロコシにフランクフルトに。
あれこれ焼いて食べる。もう食えないってぐらいに。
「スタミナ源タレ」欲しいよねーって声がどこからかあがって、「欲しいよねー」と。
これ、青森出身の人ならばみんな思うこと。

パーティーの主人として堂々とバーベキューを仕切って慣れた手つきで肉を焼く、
そんなボブの姿がかっこよかった。しっかりとアメリカの夫婦の旦那役をつとめている。
僕にはできないよな・・・

バーベキューを終えて、後片付け。
そして荷造り。
古新聞と Zip Lock をもらってジャムや割れ物を包んで、
さらにネルシャツで覆って、スーツケースに。

シャワーを浴びて、髭を剃る。
それまでずっと伸ばしっぱなしだった。

青森の母のために絵葉書を書く。
メキシコ行ったときもモロッコ行ったときも書いた。
「今度海外行ってくるよ」と電話したとき、母からのリクエストはいつもそれだけ。
シンシナティの絵葉書が買えてればよかったんだけど、
機会がなかったのでシカゴのシアーズタワーで買ったものを。
コムギちゃんに切手と、「United States Postal Service」のシールをもらう。

翌朝は4時起き。早めに寝るはずが
寝る前もひたすらバドライト、ミラーライト。寝たのは午前0時か。
名残惜しくもこの日の夜が最後。
「この時期、晴れが3日続いたのってすごいことなんだよ」と言われる。


[1992] オハイオ隊、遠征(その24)5/7Cincinnati Mills 2006-05-25 (Thu)

オハイオも最終日ということで、お土産を買いに行く。
「アメリカならではの、でっかいモールがいいよね」ってことで
連れてってもらったのが「Cincinnati Mills」
http://www.cincinnatimills.com/static/node1416.jsp
シンシナティの北側にあって、2階建ての平べったいモール。
外から見るといくつかの郊外型大型店舗が1つにつながりあったかのよう。
もちろん、駐車場もでかい。

まず入ったのは「Outdoor World」というその名の通りアウトドアの店。
日本でアウトドアというとキャンプとか登山とかそういうのだけど、
ここはアメリカ。普通に猟銃が売ってた。ボウガンも。
「銃社会アメリカ」はー。買えちゃうんだ。
壁一面にライフルが並んでて、普通に、男たちが手にとってみようかどうか迷ってる。
ボウガン売り場を子供が歩いていたりする。
いいんだろうか?と思う。いいんだろうな・・・
ちょうどレジで買おうとしている人がいた。
なんかボウガンのイメージとは違う感じの人。・・・何に使うのだろう?
っつうかこの人に限らず普段何にボウガンを使うんだろう?猟?防犯?
売り場にはモーターボートも売られている。何台も並んでいる。
日本でもこういう光景探せば見つかる?
価格帯で言えば1台2万ドル前後。だいたい200万円か。
それぐらいで買えるものなのか・・・
迷彩系に塗られた小さなジープが100万しなかったなあ。
あれ輸入して日本で走らせることはできないかな。

トラベル用品の店でジュンコがウエストポーチを購入。
パスポートや財布を入れるためにごついのはしてたんだけど、
初日の成田から「もっと小さいのがいい」と言い続け。
ようやく最終日にて購入を決意・・・
このメンバーでは英語が一番苦手なのに、店員とたった1人で交渉。
周りの4人は店の外でハラハラしたりニヤニヤしたりしながら見守る。

「Wish Well Coin」というのがあった。
「願いの井戸」ってことか。アメリカではコインが一般的なのかな。
逆さにした巨大なホルンみたいなのが置いてあって、
コインを投げ入れると螺旋のスロープを下っていくかのように
ゆっくりと何周も何周も緩やかな円を描いて底に開いた穴に落ちていく。
2人同時に向かい合った位置から投げ入れて、
先に落ちた方(あるいは後に落ちた方だったかな)の願いが叶う。

最初のうちはみんなで固まって行動してたんだけど、
「The Body Shop」のような店に入った時点で、僕は興味なし。
ジュンコやタクは自分用にあるいはお土産用にあれこれ見たくて
長くかかりそうだったから、僕はここから単独行動。
性格的にまずは一通り全部見てみないことには気が済まない。
早足でせかせかと見て回る。

次から次にテナントが立ち並ぶ中で
「Jeans Mate」のような店にまずは入ってみた。かなり大きい。
店の片側はコの字型の壁を組み合わせて、それ全部がびっしりとTシャツの棚。
1つ1つの列が全て同じTシャツのサイズ違い。
どこまでも連なっている様は壮観。
どれも1枚6.98ドルという安さ。
安いんだけどこれと言って欲しいものはない。無理に買っても着ることはない。

この手の物量系・安売り系のファッションの店がモールの中には多かった。特に女の子用の。
あと多かったのはスポーツ系の店かな。スポーツ用品っていうのではなく、
メジャーリーグだとシンシナティ・レッズのユニフォームのレプリカを売ってるような。
アイスホッケーやバスケのユニフォーム、チームにちなんだキャップなど。
店によってはスタープレイヤーの直筆サイン入りの写真をショーウインドーに飾っていたりする。
僕は今回の旅行では野球帽みたいなのをかぶってたいなーと思ってたんだけど、
そもそも前日・前々日は買う暇なく。
そんでこの日あれこれ見たんだけど、明日出発だしなあと思うとなかなか買う気になれず。
買って帰っても日本では絶対土日にかぶらないだろうし。
もちろん日本でも探すことはなさそう。

キャップ専門店を見つけ、中に入る。
おばさんから「ハイ!1個買ったらもう1個はただよ」と声かけられ、
四方の壁全てに掛けられた帽子という帽子を見て周る。
おおこれはヤンキースだ、これはドジャースだマリナーズだと見つけるものの
そういうのをかぶりたいわけではなく。

日本でも行楽地で見かけるような、
アイドルやミュージシャンのグッズを売ってるような店があったりする。
カバンやTシャツにそのキャラクターが描かれている。
Weezer, The Postal Service, Taking Back Sunday のTシャツを見つける。
Weezer 好きとしては買いたかったんだけど、これもやめとく。
僕も大人になったもんだ。
買ってから必要かどうか判断するようなことはなくなった。
同じ店の全然別の場所に Metalica, Sublime, Korn のTシャツがあって、
恐らくこれらは全く別のジャンルとして扱われてるのだと推測される。
前者がエモで後者がオルタナティブ?(Sublime は逆だと思うが)
日本だと好きな人じゃない限り一緒くただけど、
アメリカの歴然たるジャンルの壁みたいなのをなんとなく感じた。
この店は髑髏系や暗黒な雰囲気を醸し出した装飾品も充実。
こういうの、ほんとどこでもあるんだな。

1時間かけて1階と2階の全てのストリートを見て回って、どうもパッとせず。
「落ちぶれてるよ」とボブが事前に言ってたけど、ほんとだった・・・
ところどころ店がしまってるし。
日本関係の物品を売っている店も閉店。
そもそも客の姿は少ないし。シンシナティやばくないか。
今から6年前か、フォートワースを出張で訪れたときに
連れてってもらったモールはこんなもんじゃなかった。
全部回りきれなかったし。Virgin があったんだったかな。
欲しいものばっかりで「何を買わないか」が重要なテーマだった。
(Blue Note とパンクのアルバム・カヴァー集を買った覚えがある)
が、ここシンシナティのモールでは欲しくなったもの何もなし・・・
CDの店がなかったしなあ。本屋も見つけたのは1つだけ。
結局は巨大なスーパーマーケットか。
日本で言ったら絶対イトーヨーカドー。

唯一CDを置いてそうな店を見つけて入ってみるもなんだか様子がおかしい。
元々は本や雑貨を売る店の一角。
Rock や Contemporary Pop のコーナーも見たことないグループばかり。
そもそも置いてる数が少ない。
Gospel が同じぐらい、あるいはそれ以上にフィーチャーされている。
保守的なアメリカ中西部ってこんな感じなの?
「Praise and Worship」「Modern Woship」という棚があって
手にとってCDをとってみると、妙にグループのメンバーの写真が溌剌としている。
タイトルは「Jerusalem arise !」や「17 Christian Hits」
教会での説教のライブ盤もあった。
ここでハタと気付く。教会関係の店なのだ!
見渡してみると十字架やハートをデザインにあしらったものばかり。
「Accompaniment Tracks」と書かれた棚では
教会か学校で合唱の時間に使うための伴奏として
2・3曲入った簡素な装丁のCDが棚に山積みとなっている。
「Karaoke」や「Espanol」のコーナーもある。
店一押しの売れ筋商品のところでは
「Hawk Nelson」ってバンドが最も目立つようになっていて
キリスト教関係のバンド?
なんとなくパンクっぽくて関係なさそうだけど・・・
買おうかどうか迷って、やめといた。
教会のライブ盤も欲しかったんだけどなあ。ある意味怖いもの見たさで。
でも一度聞いて「こんなもんか」とわかったらそれ以上いらないし。やはり買わない。

シネコンが2つあった。アメリカも映画といえばシネコンか。
「M:i:III」(ミッション・インポッシブルの3作目)や
「Scary Movie 4」(絶叫計画4)が上映されていた。
あと、「The Sentinel」「RV」「Silent Hill」ってのをやっていた。

2階の端のほうに軍隊関係の店?を見つける。
壁際にいくつか仕切られたブースと机があって、ノートPCで何かを見ている男性が2・3人。
20畳ぐらいの広いスペースでは真ん中にアメリカの国旗を売っている。
あれはなんだったのだろう。
その向かいにはギターショップ。
だけど入口でボディチェックか何かを受けなければならなく、
そのための従業員が何人も立っている。
なんなんだ、このものものしさは。入るのをやめる。
チラッと覗いたら店の奥にギターがブワーッと。

子供用に暗闇の中でゴルフごっこのできる遊び場があったり、
とある一角ではいきなり社交ダンスのレッスンが行われてたり。
お土産屋っぽい店では「10分で戻ります」との札が掲げられシャッターが下りたまま、
誰も帰ってこない。通りがかるたびに気になった。

「American Eagle Outfitters」という、日本だったらどこだろう?
まあ Jeans Mate よりはワンランク上な店で4人を見つけて合流。
タクとジュンコは色違いで、厚手の同じデザインのTシャツを買っていた。

女の子用の服を売っている店の名前が「DEB」
ジュンコが見つけて「ねえ、見て見て!」と。デブですか。笑う。
ガチャガチャ(地方によってはガチャポン?)もあった。
「Gacha USA」中に何が入っているのかは・・・、確認し忘れた。

興味深かったのは「Teddy Bear Stuffers」という店。
その名の通りテディ・ベアのぬいぐるみに自分で綿を詰めるというもの。
子供向け。でもこの日は客がいなくて、
綿飴の機械を横に倒したようなのがカラカラとむなしく回っているだけだった。
なんだか寂しい光景だったけど、
日本にもこういうのがあったら受けるのではないかと思った。


[1991] オハイオ隊、遠征(その23)5/7シンシナティ美術館 2006-05-24 (Wed)

「エデンパーク」という丘の上の住宅地へ。
ここは打って変わってきれいな場所。芸術家たちが好んで住む一角。
こじんまりとした白い木造の家が建ち並ぶ。
僕らが訪れた日は快晴。
燦燦と日光が降り注いでどの家もキラキラと穏やかに輝き、天国のようだった。
余生はここで暮らしたい、と思わせるほどの。

緑多い丘をどこまでも上っていった頂上に美術館があった。
http://www.cincinnatiartmuseum.org/greatart/

入場は無料、特別展だけは有料。
レンブラント展をやってたんだけど、
有料だし時間もないしで残念ながら見れなかった。

入るとまず古代文明の部屋ってことで、
エジプトのピラミッドから見つかった棺(中ではミイラが眠っているらしい)など。
その奥にアフリカ。反対側の部屋にはミロの大きな壁画。
本来はシンシナティのホテルのために描かれたものがこちらに移されている。

1階は2003年にオープンしたばかりの「the cincinnati wing」
(シンシナティの芸術家たちの作品)やアメリカの黒人たちの作品を集めたコーナー、
その他アメリカの美術・工芸品の数々(絵画に限らず衣服や食器、家具もあったと思う)。

反対側はアジア(特に西アジア)の美術品となっていた。
日本のコーナーでは刀のツバやツカ、短刀のコレクションがケースの中に。
そしてなぜか、「はっぴ」が飾られている。なぜ?
もっと、こう、他にあるじゃない。日本の着物としては・・・
複雑な気持ちになる。
西アジアってことでは「ダマスカスの部屋」ってのがあって、
18世紀シリアのムスリムの住んでいた部屋を移設。
(シンシナティ在住の富豪が買い取ったものを譲ったようだ)

2階はヨーロッパの美術。
宗教画の時代から印象派以後、現代美術まで幅広く展示している。
以下、僕が見た絵のリスト。

Jean-Francois Millet 「GOING TO WORK」(1851-1853)
Edouard Manet 「WOMEN AT THE RACES」(1865)
Claude Monet「ROCKS AT BELLE-ILE, PORT-DORMOIS」(1886)
Vincent van Gogh 「UNDERGROWTH WITH TWO FIGURES」(1890)
Pablo Picasso 「STILL LIFE WITH GLASS AND LEMON」(1910)
Edward Hopper 「SUN ON PROSPECT STREET (GLOUCESTER, MASSACHUSETTS)」(1934)
http://collection.cincinnatiartmuseum.org/results.jsp?view=detail&pos=39&id=77456
Henri Matisse 「THE RUMANIAN BLOUSE」(1937)
Joan Miro 「MURAL FOR THE TERRACE PLAZA HOTEL, CINCINNATI」(1947)
Andy Warhol 「Pete Rose」(1985)
http://www.cincinnatiartmuseum.org/greatart/tour_contemporary.shtml

※これらは美術館のサイトのデータベースにデータあり。
 ホッパーとウォーホルは画像も見れます。
(規約に同意しますか、と聞かれるので同意するを選んでください)

ピカソやゴッホやモネなど、有名な芸術家の作品は実物が見たくなったら
(日本に来てれば)都心の美術館で見ることができるけど、ホッパーは初めて。
これは嬉しかった。思いがけなく見ることができて、感激。
一番いい作品の類ではなかったけど。
僕としてはもう何年もホッパーが一番好きな絵描きだ。
ウォーホルの「ピート・ローズ」はシンシナティ・レッズにちなんだものですね。

他、美術館のサイトにデータがないけど、
ぼくが見たってことでメモった芸術家たち。

Peter Paul Rubens, El Greco, Pierre Bonard,
Amadeo Modigliani, Georges Braque, Marc Chagall,
Mark Rothko, Diego Rivera, Rufino Tamayo, Nam June Paik

ナム・ジュン・パイクはもちろん、ビデオ・インスタレーション的作品。
2mぐらいの高さのタンスのようなのが立ってて、
その中にモニターがいくつも埋め込まれていて、
映像のコラージュがチカチカと切り替わっていくというもの。
2階と3階の間の踊り場に展示されていた。
3階に上がると完全に現代アートで、もうわけわからず。
誰も見物客がいなくて、学芸員の男性が相当暇そうにしていた。

1階同様2階もアメリカの19世紀の美術・工芸品が充実している模様。
オハイオ州に本拠地のある P&G のコレクションってのがあったり、
珍しいところでは19世紀末のティファニーのシュガーボウルが展示されていた。

あと、全然名前を知らないんだけど、
今回見て気になって、帰りにギフトショップで絵葉書を見つけて買った絵画。

John Singer Sargent 「A VENETIAN WOMAN」(1882)
http://collection.cincinnatiartmuseum.org/results.jsp?view=detail&pos=45&id=89295
Edward Timothy Hurley 「THE MIDNIGHT MASS」(1911)
http://collection.cincinnatiartmuseum.org/results.jsp?view=detail&pos=4&id=24626

最後に、今回見れなかったものの
実はこういう絵画もシンシナティ美術館では所蔵しているというリスト。
貸し出してるのかな。広重も歌麿も棟方志功もなかった。

Henri Matisse 「THE RUMANIAN BLOUSE」(1937)
Henri de Toulouse-Lautrec 「AU MOULIN-ROUGE」(1892)
Joseph Mallord William Turner 「LYME-REGIS, DORSETSHIRE, ENGLAND」(Circa 1834)
Pierre Auguste Renoir 「MLLE. JEANNE SAMARY」(Circa 1878)
Paul Cezanne 「THE BRIDGE OF TROIS-SAUTETS (LE PONT DES TROIS-SAUTETS)」(Circa 1906)
Utagawa Hiroshige 「NO. 57, GROUNDS OF KAMEIDO TENJIN SHRINE (KAMEIDO TENJIN KEIDAI)」(1856)
Kitagawa Utamaro 「THE COURTESAN ICHIKAWA OF THE MATSUBA ESTABLISHMENT」(Late 1790s)
Edgar Degas 「DANCER IN HER DRESSING ROOM (DANSEUSE DANS SA LOGE)」(Circa 1879)
Wassily Kandinsky 「KLEINE WELTEN, IV」(1922)
Shiko Munakata 「CHILDBIRTH」(1959)

中庭は美しい庭園となっていて、オープンカフェ。
でも時間がなくてコーヒーは飲めず。
駆け足だったのでレンブラント展に限らず、無料の企画展も見れなかったのが残念。
ミニチュアアートや肖像画のだったみたいだけど。
常設展の図録があったら買いたかったのに、売ってなかったのも残念。

見終わって、外に出て、眺めのいい丘の上へと歩いていく。
木々の向こうに、シンシナティのダウンタウン、摩天楼。素晴らしい景色・・・
車に乗ってもう一箇所、オハイオ川を見下ろす見晴らしのいい場所へ。
川にかかる黄色の橋がバッチリ見える。
川の向こうはケンタッキー州。
ケンタッキー州は奴隷制度容認派でオハイオ州は奴隷制度反対派。
よって19世紀後半、奴隷たちは川を泳いでオハイオに逃れようとしたのだという。

丘の上に真っ白な教会が建っている。
その周りはこじんまりとした家並み。あちこちの家にベランダがある。
「バルコニーとベランダってどう違うの?」と誰かがふと、素朴な疑問を口にする。
たまたまこの日電子辞書を持ってきていたコムギちゃんが取り出して調べてみる。
その違いは、バルコニーが屋根なし、ベランダは屋根あり。
これまでなんとなく雰囲気で使い分けてた。この違い、知ってましたか?

車に乗って、坂道を下って行って、ダウンタウンへ。
日曜なので通りは閑散としている。教会へ行く人が多いからだ。
近代的なビル街なのに、人の姿がない・・・
現代美術センターの前を通り過ぎる。タフト美術館もこの辺りか。行きたかったな。
スタジアムが2つ、大きいねえ。フットボールのとメジャーリーグのと。
なぜかスタジアム前の交差点の歩道には無数のTシャツが山となっていた。
たぶん、この日行われた「Cincinnati Flying Pig Marathon」の途中で
脱ぎ捨てられたものなのだろう。
川沿いのニューポート水族館近くの橋を渡って、ケンタッキー州へ。
シンシナティのこちら側はニューポートと呼ばれる。

この川沿いにあった「Hooters」はオハイオ州立大学の女学生たちが集まっているので、
オハイオの中でもレベルが高いとのこと。
「Hooters」っていうと僕なんかだと
「朝までダンス」といったヒットを80年代に飛ばしたロックバンドを思い出すんだけど
普通はレストランのチェーンのことを指す。http://www.hooters.com/
http://www.narinari.com/special/200408-01/ こういうサイトが参考になる)
スタイルのいい美女しかウェイトレスに採用せず、制服はタンクトップ。
素晴らしいですね。
今回の旅行の間に何度か行く話は出たのに、残念ながら行けず。
別にメシがうまいってわけじゃないってことで。


[1990] オハイオ隊、遠征(その22)5/7アメリカンスタイルのビュッフェ 2006-05-23 (Tue)

5月7日(日) オハイオ旅行、4日目。
午前9時起床。
午前4時だっただろうか。2階のボブの部屋から話し声が。夢うつつで聞く。
日本で友人の結婚式があって、
その2次会に国際電話でスピーチを述べるのだと前の日言ってた。

朝テレビを見てるとCMで聞き覚えのある音楽が。
日本のガレージ・ロッキン・ゲイシャガールズ「The 5.6.7.8's」の「Woo Hoo」だ!
タランティーノの「Kill Bill」でフィーチャーされてたんですよね。
それが縁でアメリカでもCMにも使われるに至ったか?
一回聞けば忘れない、非常にキャッチーな曲。

持ってきたニール・スティーブンスン「ダイヤモンド・エイジ」の
上巻450ページがもう少しで読み終わる。
上巻はスーツケースに入れて、帰りは下巻だけを持ち歩きたい、
そう思って頑張って急いで読み終える。

この日はシンシナティ美術館に行って、
その後ダウンタウンをちょっと見るってことになっていた。

前日がチャイニーズのビュッフェだったので、この日はアメリカンスタイルのビュッフェへ。

車の中でタクが「前の車、ナンバープレート「DQN」だ」と気付く。笑ってしまう。
「なんかかわいそうだねぇ・・・」「知らない方がいいよねぇ」と。
(最近さすがに見ないね、この言葉)
アメリカン=言葉本来の意味でヤンキー、ナンバープレートに「DQN」
(あんまり関係ないけど、今見つけた。http://dqname.selfip.net/

コムギちゃん曰く、ナンバープレートの番号は好きに付けられるため、自分の名前も可能。
車を買ったとき、最初どうしようか悩んだようだ。
名前って言ってもたぶん英字と数字の組み合わせなんだろうけど。

ガソリンスタンドに寄る。自分で給油する。
タクとジュンコと僕は中の小さなコンビニへ。
パンク系、だけど年を食ってそうな兄ちゃんがレジにいる。
顔は青白くて、鋲とピアスに特徴ありって感じの。
なんとなく、この地域からはぐれて他にありつける職がなさそうな気がした。

道のあちこちに共和党や民主党の看板が立っている。
背の高いやつじゃなくて、足元の高さの。
日本と違ってアメリカはこういう看板多いですね。
選挙の話になって、オハイオはブッシュ派が多いとボブは語る。
中西部ってやっぱそうか。

「オハイオの人は目が合うとニコッと笑ってくれるよね」と誰かが言う。
「人がいいよね」
それに対してタクは、こんなことを言う。
「それに比べるとユタはもっと田舎だった。排他的。
 モルモン教だから厳格なんだよね。煙草吸ってるような人は、排斥される」

道路に何か転がっていて、見ると鹿の死体だった。

「そういえば、Wendy's 1号店行ってみたい」と僕は言う。
「あーあれはコロンバス。こっから2時間かかる」と、ボブ。
「なんだ。シンシナティじゃないの?」
「行ってもたいしたもんじゃないよ」
「でも、なんかあるでしょ?記念の写真とか」
「あー。創業者のおじいさんと、その孫娘の写真が飾ってある。
 看板見るときれいじゃん、ソバカスの浮かんだ女の子。
 でも実物見るとブサイクなんだよね・・・」

なお、お隣ケンタッキー州には、ケンタッキー・フライド・チキンの1号店がある。

入った店は「GOLDEN CORRAL」
モーニング・ビュッフェが州税入って7.55ドル、
プラスしてテーブルに置いたチップ1ドル。
アメリカンな食い物を朝食で食い放題ってのは
想像しただけでなかなかえぐいものありますが。
おいしかったですよ。
この日覚えてるだけで
マッシュポテトにスクランブルエッグに
ハムとソーセージとハッシュドブラウンとワッフル・・・
オムレツとベーコンとスープが2種類とジャガイモの炒めもの、
レタスとトマトとサラダ菜にドレッシングをかけて
デザートにアイス。コーヒーは4杯お代わり。
(だって注ぎに来るんだもん)
あと、コムギちゃんが頼んで作ってもらったオムレツ、具材全部入り。
今回の旅行、確実に太ったな・・・

11時に入ったら、モーニングとランチの入れ替えの時間帯で、
一通り食った後も、「ああああれ食べたい!!」ともう一皿。
ランチにしかないクリームスープを飲んでみたり。

店内のBGMは70年代と思われるカントリーっぽい曲調のニール・ヤングと、
10000 Maniacs (曲名思い出せず)

タクやボブはフライドチキンやフライドポテト、ハンバーグっぽいものを食べていた。

コムギちゃんは最近好きだという真っ赤なゼリーを皿に乗せて戻ってくる。
見た目が鮮やか過ぎるので「これっておいしいの?」って思わず聞きたくなる。
おいしいと言う。「カロリーないし」
いわゆる「ジェロ」(JELL-O)ってやつ。
「知ってる家の子がずっとアメリカで育ってて、
 学校で食べるランチボックスの好物が
 ピーナッツバターにグレープゼリーのサンドイッチ。
 3月に日本に帰ったんだけど、アメリカと違って
 食べ物残しちゃいけないから嫌だって言ってた」

また車に戻る。
シンシナティ市街へと向かう。
何がきっかけだったか、お土産の話になる。
タク曰く「コールガールのチラシってよさそうじゃない?ピンクチラシ」
「あ、いいかも」と僕も思う。
単純にあけすけなものもあれば、意外と凝ってるのもありそうで。
なんかそこにアメリカの一つの断面が見えそう、って言ったら美化しすぎか。
(ラス・メイヤーの「Faster, Pussycat ! Kill ! Kill !」みたいなのを僕は想像している)
でも実際は実行せず。

グレイハウンドのバスと、そのターミナルを見かける。
一度乗ってみたいな・・・。そして全米を旅してみたい。

ダウンタウン到着。車を停めたかったのであるが、
北側のやばい地域に面した通りに入ってしまったのでボブは慌ててUターンする。
僕みたいな旅行者には小汚そうな雰囲気は感じるものの、なんてことない
赤や黄色のアパートが建ってるだけの地域に見えるのだが、住んでる人にすれば別か。
車で走ってる分にはいいとしても
信号が赤になって停まったとき、人が寄ってくるのだそうだ。
この地域の中は荒れていて、こそ泥たちが盗みを働く。
しかし、このこそ泥たちは
ボブ夫婦の住んでいる裕福な地域には遠征してこないのだという。
棲み分けができている・・・
階層がはっきり分かれていて、入り込もうとしない。
貧しきものたちは貧しきものたちの間で奪い合う。


[1989] オハイオ隊、遠征(その21)5/6ステーキハウス 2006-05-22 (Mon)

僕とタクが朝から「Tボーンステーキ〜♪」と言ってたからか、
夕食はステーキハウスへ。
「Applebee's」http://www.applebees.com/
どっちかと言うとスポーツバーみたいなもんらしいけど。
食事もおいしいってことで。

それにしても朝、チャイニーズビュッフェで死ぬほど食って
ジェットコースター乗りまくった上で
それでも平然と「ステーキ!!」と言ってる僕は果たしてなんなのか?
「鉄の胃袋」と称される。
他の人は微妙に腹の調子が悪かったり・・・

ステーキハウスの中へ。
構造は日本のファミレスと一緒なんだけど、
真ん中にバーカウンターがあって、その上に大型のモニターが。
ここでスポーツ中継。
が、今日はシンシナティでメジャーリーグ(レッズ)の試合も
フットボール(ベンガルズ)の試合もなし。
なので店内は盛り上がらず。いつもより人が少ないという。
「なんでかねえ。それにしても少なすぎる。ガラガラ」という話に。
「そういえば、明日、日曜はシンシナティ・マラソンなんだよね。
 だからみんなゆっくり休んでる?」
とコムギちゃんが言う。「そんなことないか」って笑いながら。

(正しくは、Cincinnati Flying Pig Marathon
 http://www.flyingpigmarathon.com/Flying
 8日に空港行ったら、「Welcome To Cincinnati !」の歓迎の垂れ幕と共に
 このマラソンの名前がデカデカと。なぜ、空飛ぶ豚?
 サイト見るとピンクの豚の着ぐるみを着てる。
 今年の女性の優勝者はその後シンシナティ・レッズの試合で始球式を果たしたようだ)

全員まずはビールを頼もうとする。
すると、ウェイターはIDカードを見せてくれと言う。
そうか。アメリカでアルコールを頼もうとすると要るんですよね。
(前の日行った Rooster では聞かれなかったけど)
困ったことに持ってるのは運転免許証を持ってるボブと
パスポートを常に持ち歩いていた僕だけ。
他の3人はどうするか?
「ここはいったん引き上げて家に取りに帰っていいか?」
とボブが聞いたら、
「わかった。自分のサービスする客が減るのも困る。見せてもらったことにしよう」
とウェイターが寛大な計らいを。話の分かる人でよかった。
チップを多めに払うか、・・・となるが、
このウェイター、ただ単に仕事熱心じゃないというだけのことであって
その後オーダーしようとしたらいつまでたっても現われず。
「裏で煙草吸ってんじゃねえか?」って言ってたらそれがその通りで、
帰りにパーキングから車を出そうとしたら隣のマックの裏口でこっそり煙草を吸っていた。

肝心のステーキ:
「HOUSE SIRLOIN & LUMP CRAB CAKES」
7オンスのサーロインとカニの入ったパンケーキのセット。
ミディアムレアで。
日本で言うところのミディアムが、アメリカではミディアムレアに該当するということにより。

おいしかったかどうかで言ったら、うーん。
高いところ行ったら極上のアメリカのステーキが食えるんだろうなあ・・・
14ドルじゃやっぱ日本のファミレスのステーキと一緒か。
他に食べたのはオニオンリングとバッファロー・ウイング(骨なし)と。
みんなでちょっとずつシェアして食べる。
カニパンケーキをあげたり、マッシュポテトをもらったり。
アメリカのマッシュポテトはさすがおいしくて、そればっかり食ってた。
残りはドギーバッグをもらってつめていく。
次の日誰も食べず。結局ゴミ箱行きだったか・・・

支払いはカードで。チップの分までカードなんですね。
いくら払うか記入する欄があって。

帰ってきて、またビールを飲む。
ミラーライト、バドライト。
遊び疲れて、午前1時には寝ただろうか?

King's Island で撮ってもらった「Xtreme Slyflyer」のDVD を見ようとしたら
僕ら3人が飛んだのは通常のプレーヤーでは再生できず。
(PCでは見ることができた)
ボブのは再生できるけど、音声が入っていなかった。
何だこのクオリティ!!
みんな腹を立てる。

思い出したので今書いておく。
いつだったか、こんな話をボブから聞いた:
アメリカで仕事と言えば誰でもできるようになっている。学力も経験も問われない。
そんなシステムを作り上げている。
(働き口を求めてメキシコから不法に国境を越えてくる人たちのことを僕は思い浮かべた)
その一方で、そのシステムを作る人ってのがいて、
これはほんの一握りであって、ごく一部の頭のいい人たちなのだ。
そういう人たちが、アメリカという国を動かしている。


5月23日(火) オハイオ隊、遠征(その22)5/7


[1988] オハイオ隊、遠征(その20)5/6ジェットコースターあれこれ 2006-05-21 (Sun)

「Dodgems」にて休憩。
日本の遊園地にもよくあるけど、
小さな車から伸びた鉄の棒が天井と磁石かなんかでつながっていて、それに乗ってゴーカート。
ぶつかったりぶつけられたり。
(としまえんだとこういうやつ。http://www.toshimaen.co.jp/park/auto.html
僕らは5人で鬼ごっこをしようと言ってたんだけど、
そういうのもうっちゃって走り回ってるうちに
小学校高学年ぐらいの男の子が「ハイ!」と言って思いっきりぶつけてくる。
そんなのばっかり。周りの車とゴチャッとなって制御不能になって
それを抜け出そうとアクセル踏んでる間に、時間切れ。楽しー。

その次に乗ったのは「The VORTEX」非常に正統的なジェットコースター。
King's Island の中では最大級の乗り物の1つ。
「Sling Shot」のてっぺんから見えて、気になって僕がリクエスト。
割とすぐ乗れた。普通に面白い。
力づくで上って行って、力づくで降りていくようなコースター。
待ってる列にいた小さな子供が興奮して、降りてきた人たちに対して
「オマエ叫んだか!?」「叫ばなかった!?そいつはすげえな」と叫んでいた。

(それにしても思ったのは、こういうジェットコースターのレールの設計って
 誰がどんなふうにして行うものなのだろう?
 そういう設計者・技術者がいるはずなんだけど。かなり特殊な技能だよな。
 ジェットコースターの数から言って世界に何人もいるとは思われない)

その「The VORTEX」から見えて乗りたくなったのが「The Beast」
これがすごい!!!正に絶叫。
なんかの偶然でオハイオ州シンシナティに行くことがあって、
さらに縁があって King's Island に入ることがあったら、絶対乗ってみてほしい。
これはマジで怖かった。
園内でもかなり人気のあるジェットコースターの1つで、これも1時間待ち。
でもその甲斐はあった。
何がすごいって、もしかしたら乗る人もいるかもしれないから書きたくないんだけど、
というかいないか、普通。
発想としては単純。
木製のジェットコースターがあって、途中、コースターが小屋の中に突っ込むんだけど、
これが完全に暗闇。暗闇の中を突き進んでいくコースター。
これね、初めて体験するととんでもないよ。怖い。
どこに出て次に何が起きるのか分からないし。
これ考えた人は天才だなあ。
もしかしたら以前はこの暗闇の中に
いきなりゴースト(ビースト?)の映像が出たりしたのかもしれない。
でもそこまでやったら心臓が止まる。
列を作って並ぶ場所も木造の小屋を意識していて、
森の中で「何かが出る」「保障しない」と掲示されていて、期待感を煽っていた。
それがあったんで何か出てくるのかも?と思ってた。
でも、何も出なくてもこれは十分怖い。
10個乗った中では文句なくベストでした。

「The Beast」に行く途中、「Dippin' Dots」というアイスを食べた。
見た目はプランター向け肥料・・・
1cm 程度の大きさの白い粒々。5ドルもした。
アメリカでは今流行っているようだ。
「アイスよりも冷たい」ってのが売り物で、確かになんかやばいぐらい冷たかった。
チョコレート味。おいしい。
日本にもあるみたいだ。
http://www.dippindots.ne.jp/

緑色の大きなカエルのぬいぐるみを抱えた人を見かける。
夕方以後、こういう戦利品(?)を手にした人が多くなったように感じた。
何かのゲームで当たったのだろう。
ものすごくばかでかいボールだとか。

The Beast の行列は1階から階段を上って2階へ。
この途中に木製の細長い鐘撞き搭みたいなのがあって、
四角いトンネルが上から下までつながっていた。
その途中の台のような空間にコインの山ができていた。
日本だと神社の池に硬貨を投げ入れるようなものか。
僕もコインを投げる。拍手を打つ。
それを見たアメリカ人の子供が僕の真似をした。

並んでいるときにモニターを眺めていたら「TOP GUN」のテーマ曲「DANGER ZONE」を
ケニー・ロギンスが歌うことになったきっかけが紹介されていた。
最初は TOTO がテーマ曲を手がけることになっていたのが、降板したのだそうな。

The Beast も出口で写真を売っていて、
これが余りにも愉快な写真だったので買うことにする。10ドル+オハイオ州税。
ボブ曰く。「これいいよ〜。オカチャンの顔すげえよ。飾っとくと魔よけになりそう」

次はタクのリクエストで「TOMB RAIDER」この辺から夕暮。
けっこう待たされる。怪しげな洞窟(?)を意識したセット。
外には竹が生えていた。竹の子も。
ドームの中に入って行って、最初は「TOMB RAIDER」の映像が流れ、
これから先いかなる冒険が待っているか紹介される。
それが終わると乗り物へ。
これはなんというか、遠心力に頼らず力づくで一回転するフライングパイレーツが
回ってる間にいくつかのポイントで静止して、
そこにスポットの照明が当たると氷山になっていたり、そういうの。

背負っていた鞄を置く場所がなくて、
背負ったままで乗ろうとしたら「ノーノー」と断られ、預けることになる。
終わったあと預けた係員はいなくなってるし、
どこで受け取るのか分からず、いったん外に出る。
不安になったタクが僕と一緒に中に戻る。手近の従業員に聞いてくれる。
手荷物を返却する場所がありますよってことだったんだけど、
聞いてる間に次の回が始まろうとして扉が閉まってしまい、焦った。

最後に乗ったのが、「Fear of Flight」
パークのマップには各乗り物の絶叫ランクみたいなのが記されていて、
「FACE/OFF」や「The Beast」は最高の5となっていた。
他に「5」と言えばこれで、じゃあ最後これでしめようってことになった。
でもマップを見てもこれがなんなのかわからず。
他のはジェットコースターだったりイラストになってたのに
これだけは倉庫みたいなのがあるだけ。

入ってみると、いきなりUFOの格納庫。
行列はその中に入っていく。何がなんだか分からず。
乗り物なの?それともオバケ屋敷?
あちこちのモニターからインチキ・ニュース映像が。
CNNならぬパラマウントのPNNってことで。
何言ってるのか分からなかったけど、宇宙人に関する発見により
軍隊と科学者とニュースレポーターとの間で緊張が走っている、そういう内容だった。
それがいきなりブチッと遮られ、
倉庫いっぱいに女性のアナウンスが早口かつパニック気味に。
これが何回か繰り返されたんだけど、それが毎回違う。
ボブやコムギちゃんですら何言ってるのか聞き取れず。
閉館時間の20時を過ぎてるから帰れってことじゃないの?とボブは言うが、
だったら従業員に追い出されるはず。それがない。
周りのアメリカ人は悠々として順番待ちのまま。出て行こうとしない。
たぶん、演出だったのだと思う。
宇宙人襲来。

で、結局これがなんだったかと言うとやはりジェットコースター。
これもそれなりに怖い。
ドームの中を縦横無尽に組まれたレールがすぐ目の前で入り組んで交差していて
そこを全速力でコースターが駆け抜ける。「間」というものが一切ない。
一回転したままさらにどっか潜り抜けて行って方向感覚無視。
縦なのか横なのか。後ろなのか前なのか。
そもそも普通ジェットコースターって走り始めはゆっくりなものなのに、
これだけいきなりビュッとフルスピードで入っていく。
これが何よりも度肝を抜く。
これと The Beast は日本でも受けるかもね。輸入すべし。

閉館時間を過ぎて、パーク内は閑散としだした。
乗り物はどこも走ってないし、ゲーム系も店じまい。

ゲートまでの途中で見かけたヘナの刺青屋の前にあった看板。
漢字を頬や腕に書いてくれるのだが(何人か見かけた)
微妙になんか間違ってる。

 Love = 愛
 Dream = 夢

これはいい。だけど、

 Peace = 平 ← 和の方がよくない?
 Strength = 量 ← なんで?

なんだかむずがゆい気持ち。

ってことで、King's Island 終了。
絶叫マシーンを心行くまで堪能した。
あーまた乗りたい。
今、ものすごく富士急ハイランド行きたい・・・


[1987] オハイオ隊、遠征(その19)5/6空を飛ぶ 2006-05-20 (Sat)

駐車場からだったり、King's Island を外から見てて最も気になったのが、
「Xtreme Skyflyer」というバンジージャンプ系のアトラクション。
吊るされた人が空中を跳ね飛ばされて、空を飛んでるように見えなくもない。
「やっぱあれでしょう」ってことになる。
バンジージャンプは一地点から飛び降りて上下の動きだとしたら、
この「Xtreme Skyflyer」は
二地点を結ぶ搭の間に張られたワイヤー(?)の間を飛ぶので
上下もそうだけど、前後の動きもある。
果たして空を飛ぶような感覚は得られるのか?

怖いものが苦手なコムギちゃんは最初遠慮していたものの
みんなに説き伏せられて飛ぶことに。
飛ぶときは夫婦でってことか。
2人で飛ぶときはがっちり2人がくっついて離れないようにしてないといけない。
3人でも飛ぶことができて、僕とジュンコとタクが一緒に。
僕らの目の前で3人組のアラブ系(?)の親子が空を飛ぼうとしていて、
3人並んで人括りにされている様子を誰かがボソッと「ししゃもみたいだ」と言う。
(3人して顔も似てるし・・・。背丈が微妙に違うだけ)
これが僕らの間で大いに受けて、「ししゃも」「ししゃも」と呼び合う。失礼ながら。
「ししゃもが飛んだ!」なんて。
まあ僕らもししゃもになったわけですが。

ここは別途料金が必要で、追加料金が10ドルと、オハイオの州税(6.5%)
「たっけー」と思う。
でも日本でもそれぐらいするか。
別料金だったり、こういうのがそもそもティーンエイジャー向きじゃないからか、
並んでる人は少なくてすぐにも自分たちの番になる。
係員の若い男性が全て準備をやってくれる。
首から膝までの厚手のエプロンみたいなのを掛けられ、
それにはあちこちから金具や留め具が出ていて、繋いだり縛ったり。
準備ができて、前の人のフライングが終わると僕らは飛び込み台(?)の方に向かう。
2台あって、隣はボブ・コムギちゃん夫婦が飛ぶところだった。

台のところで待っていた係員2人から
さらに念入りに全身の金具の締め付けがなされ、足首が縛られ身動き取れなくなる。
3人で腕を組んで「飛行中は絶対離すな」と指示される。
合体してししゃも完成。
その瞬間、「ガタン!」と床が降りて、
足場を無くした僕らは吊り下げられて水平の姿勢となる。
これが一番怖かった。「ウォ」とか叫んだ。
英語で説明があれこれ早口で言われ、よくわからないうちに始まってしまう。
ウイーーンとゆっくりゆっくり後方の鉄塔から伸びたウインチが巻き上げられ、
体が高く高く持ち上げられていく。これは怖い。
ジェットコースターとは別の怖さ。座席がなくて吊り下げられてるんだもんな。
ものすごく高いところまで行って、止まる。
「眺めがいいなあ」とか思う暇なし。3人して「こえーよ・・・」と呟く。
下にいる係員から「3.2.1.」とカウントダウン。
「いい、いくよ・・・?」
発射係に任命されたタクが腰のところの紐を引っ張る。留め具が外れる。

その瞬間、奈落の底へ落下。急降下。
ヒェェェェー・・・

声には出さないものの、心の中で悲鳴。3人とも。
ウァァ・・・ぐらいは言ったかもしれない。
怖くて目ェつぶってしまった。
視界には落ちていく先の地面しか見えない。
景色をちらりとでも見るには
思いっきり首を持ち上げなくてはならなくて、重力と空気の抵抗上、それかなり無理。

気が付くとゴムが極限まで伸びきっていて、びよーんと今度は上に引っ張られていく。
ゴムがねじれたのか前後一回転して、前方・上方に向かって進んでいく。
空を飛んでる?

ここまで来ると余裕ができてくる。
あとは上下に行ったり来たり。
これってバンジージャンプじゃなくて、
初心者向けのスカイダイビングに似てるな、なんて思った。

何往復か行ったり来たりした後で下の係員が吊り輪みたいなのを差し出す。
これを掴んで下に下りるということになっている。
最初は失敗。2回目に僕が掴んでうまくいった。地面に下ろされる。
ゆっくりゆっくりそろそろと下ろされて1つ1つ金具を外されていく。
地面に立ったとき、ヒー・・・と思った。

僕らの次に飛んでいくのは、女性が1人で、だった。勇気あるなあ。
(ボーイフレンドが下で見てて、彼女1人だけが飛んだのだった)

出るとチケット売り場の裏側にて DVD を売っている。
そういえば敷地の隅からビデオカメラで撮影していたな。業務用?の大型のヤツ。
僕らが近づくとリプレイされる。「いい顔してるねぇ」とボブが腹抱えて笑う。
怯えたり、それが嵩じて笑ったり。
落ちていく瞬間はこの世のものとも思われぬ表情をしている。
写真と DVD でだいたい26ドル。高い。
しかしこんなの他に手に入らないので買うことにした。

ボブ・コムギちゃんに聞くと、2人の前に飛ぶことになっていた小さな女の子2人組は
釣り上げられて頂点まで達してカウントダウンが始まってから、
「怖い!!」ってことで取りやめにして下ろされたのだという。

1コすごいの制覇したね、ってことでその次もまたすごいやつ。
「Sling Shot」
その名の通り、巨大パチンコから球が空に向かって打ち出される。
これはもっと高くて、別料金20ドル。
それでも「Xtreme Skyflyer」より並んでて、
また1回にかかる時間が5分ぐらいで1度に2名ずつなので結局1時間近く待たされた。
少しずつ日が暮れていく。
僕らの前はどこかの高校のクラスメイトたち?で
男同士女同士仲良し2人ずつペアになって列を作っていた。
どうもそれぞれ普段行動するグループが違うらしく、めったに一緒になって話はしない。
だけど時折先生みたいなおじさんやおばさんがやってきて写真を取ったり
なにやら話しかけていて、そのときは一応会話を交わす。
僕らの前にいたのはクラスの中でもヤサグレ系なのか、だるそうに座ってた。
頻繁に先生がやってきては声を掛けていく。
短めのホットパンツに上はフードつきのパーカー。
日焼けを避けるためなのか暇つぶしなのか時折フードをかぶる。
マニキュアにペディキュア。

King's Island に1日中いて、
日本の女子高生とは体つき、というか発育が全然違うよなー
なーんて素直にそういうことばかり考えていた。
これで10代後半か・・・
そりゃ日本は勝てないよな・・・

話はちょっと変わって。
休日ともなると10代半ばと後半がメインの客層か。
その一方で働いている従業員は若く、20代前半から後半が多かったように思う。
土曜だったのでバイトも多かったのかもしれない。
射撃ゲームみたいなところにいたのはさすがにバイトだろう。
だけどコントロールブースの中でジェットコースターの操縦だったり
先ほどの「Xtreme Skyflyer」の係員はさすがにバイトじゃなくて従業員のはず。
みんな若いんだよね。
高校や大学を出て、ここの従業員となったのかもしれない。
日がな一日中、ジェットコースターの停止と発車。
そりゃもちろん神経は使うし裏方として重要な仕事であるが、
これを毎日毎日来る日も来る日もやっているとしたら、
・・・労働量とは別の意味で大変である。賃金も高いとは思われない。
相手にするのは1台のコンソールと目の前のコースターだけ。
大学や専門学校で習う類の特殊技能は必要とされない。たぶん。
単純に先輩や指導員から習い覚えた経験だけ。
若いうちはとりあえずこういうところで働くんだけど、
そのうちどっか別なところに働き口を求めるようになるんじゃないか。
そんなことを思った。
アメリカがどれぐらい不況なのか好景気なのかわからないけど、
そしてそれがオハイオ州ではまた違うんじゃないかと思うけど、
もしかしたら他に就職口もなくてここに決まったというような若者もいるかもしれない。
(King's Island で配ってるマップや駐車場の電光掲示板でも常に
「従業員募集」(Now Hiring)と出ている)

そう、中学や高校のときは
単純に親のお金で客として楽しんでいた子供たちのうちの何人かは
その後ここで従業員として働くのである。来る日も来る日も同じことを繰り返して。
列に並んでてそういうことに気付いたとき、ちょっと切なくなった。

「Sling Shot」のことを巨大なパチンコと書いたけど、仕組みはこんなふう。
球形の枠組みの中に2人掛けのシートがあって、
それが両脇の鉄塔から伸びたワイヤーにつながっている。
球は地面の薄くて平べったい台の上に電磁石か何かで固定されている。
その背後では巨大なバネがギューッとこれでもかこれでもかと縮んでいく。
球体がガクンと後ろ向きに倒れる。
バネが極限まで縮んで、3.2.1.とカウントダウン。
ゼロの瞬間電磁石がオフになって、ピューーーンと飛んでいく。
両脇のワイヤーの限界まで空高く打ち上げられる。

打ち上げられる瞬間、「え?何が起こってるの?」って感じ。
遊園地の乗り物って落ちていくことでスリルを味わうのだとしたら、これは全く逆。
こういう感覚、日本にもあるかもしれないけど、僕は初めて。
怖いというよりも気持ちいい。エェェェェー??って笑ってた。
そんで頂点に達して下に下がるとき、球体がグルングルン、グルングルン回る。
これすごい。三半規管がえぐられる。
何の飾りもなく何の容赦もなく物理的な法則に従って回るだけ。こういうのも初めて。
ゴムが伸びきった瞬間、球体が上空で静止する。長いこと静止する。
下で見てて「なんであんなことするんだろ?」「早く下ろした方が人がはけていいだろうに」
と思っていたんだけど、ようやく理由が分かった。
眺めがいいのである。向こうに見えるエッフェル塔の展望台と同じ高さか。
この遊園地もものすごく広いんだなあとしみじみさせられるんだけど、
それ以上に、はるか遠く、遊園地の外までオハイオ州が地平線のように広がってるのが壮観。
遠くをどこまでも森林が覆っている。自然が多いんだな。
あーこのために静止するのか。
一粒で三度おいしい。20ドルの価値はあった。


[1986] オハイオ隊、遠征(その18)5/6King's Island 2006-05-19 (Fri)

13時から20時までほぼ1日いて、ところどころだらだらとライド待ちもしながら
数えてみたら計10個のアトラクションを楽しんだ。

1. FACE/OFF
2. Congo Falls
3. Xtreme Skyflyer
4. Sling Shot
5. Dodgems
6. The VORTEX
7. THE BEAST
9. TOMB RAIDER: The Ride
10. Flight of Fear

いくつかは Kings Island のサイトから写真が見れます。
http://www1.paramountparks.com/kingsisland/attractions/category.cfm?ac_id=18

「FACE/OFF」や「TOMB RAIDER」もそうだけど、
映画会社のパラマウントだけあって、近日公開の「The Italian Job」
(パーク内に設置されてるあちこちのモニターで予告編を見たけど、面白そうです)や
「Top Gun」なんて名前のライドがあったりする。

ゲートをくぐると目の前には噴水のある広場。
その向こうに「エッフェル塔」実際の縮尺の1/3のサイズだったかな。
今日もまたがっつり快晴。いいんでしょうか?こんなに晴れて。
大勢のアメリカ人がニコニコと笑顔で行き交っている。
天気がいいとはいえ僕らは半袖のTシャツでは寒いくらいだったのに、
アメリカ人たちは老いも若きもみんな薄着、軽装。下、短パン。
女の子によっては水着なんじゃないか?ってな露出度合い。

中学ぐらいの男の子たちの何人かは
なぜかバスケットのボールを抱えたり、ドリブルしながら歩いている。
見渡すとあちこちで見かける。
これ、邪魔じゃないか?乗ったりするのに。
人生のこの時期特有の変にかっこつけたがってるのだろうか?
それもあるかもしれないけど、パーク内に何箇所かバスケットのゲームがあって、
ゴールに何回ボールを入れられたかで商品(つまり、バスケのボール)がもらえる。
これなんだろうな、と思った。
「オレ、バスケうまいんだぜ」っていうアピールには変わらないんだろうけど。

外から最も目立つ木製コースター「Son of the Beast」はいまだ持って工事中。
まずは2番目に目立つというか
単純に入場ゲートに近い絶叫系ジェットコースター「FACE/OFF」
もちろん、あれですよね。
ジョン・トラボルタ、ニコラス・ケイジの2大スター(?)共演。
監督はジョン・ウー。
そこから名前が来てるわけです。
でもただ単に宙返りジェットコースターなのでつながりはよくわからず。
手に汗握る、華麗なるアクション・エンターテイメントってこと?
ま、名前はどうでもいいです。

で、とにかく人気の乗り物なので待たされること1時間。いきなり大変でした。
四方八方に設置されているモニターで映画のメイキングや長めの予告映像を見たり、
4人のうちの誰かとアメリカのことを話したり思い出話にふけったりで時間が過ぎていく。
周りはアメリカのティーンエイジャーばっかり。
なんだかムンムンします。
グループでキャッキャ騒いでいたり、
男女のペアがイチャイチャしてたかと思えば
突然ギューッと抱きしめあって人目をはばからずキスしたり。
さすがアメリカ。

典型的な女の子たち:
ブロンドで露出度の高い服を着て、歯科矯正している。
ピアスは当たり前でバッチリゴテゴテなメイク。
そんな女の子たちばかり。
2人か3人で携帯を覗き込んだり、曲を音出して聞いている。
箸が転がっただけでも楽しそうだ。
が、この子たち、たいがい軽く太ってるんだよね・・・

今回の旅行で目にしたアメリカ人の大半が日本の基準で言ったら、デブ。
若くてきれいな顔立ちな女の子が普通に腹が出てて
腰に肉が乗ってる光景を幾度となく目にした。
かわいいのに・・・。なんだか悲しい。
アメリカ人から比べたら、日本人の女の子はみんなガリガリだよ!!
いや、でも、どっちがいいかって言ったら日本人的痩せ具合のほうが絶対いい。

1時間の間待ちに待ってようやく乗ることができた。
僕とタクはさらに時間をかけて順番を待って、先頭に乗る。
僕らの前は1人きりで先頭に乗る女の子。
ストイックな佇まい。「ジェットコースターだけが生きがいなんです」みたいな。
走り出す瞬間、ニコッと堪えきれずに笑みを浮かべる。
「あれはいい笑顔だ」とタクは断言する。
ジェットコースターはまあ昇ってって一気に下ってグルングルンと回転して
向かい側の端まで行ったら、今度は逆方向にレールを辿っていくというもの。
コースターの通る真下は風が強く、
すぐ目の前をビューッと通り過ぎていくときにこの風に煽られて、ちょっと怖かった。
日本だとこんなすぐ近くを通行できるってことないよね。

コースターが戻ってきて、乗りこむ。
まあ普通のジェットコースターです。普通に心臓が止まる。
「あぁーッ!」とか思わず情けなく叫んでるぐらいの。
久し振りの回転コースター。いいねえ。気分が若返るよ。
たまんないね。あの一気に落ちていく感覚。
楽しかった。グレイト。オーイエー。
世界が逆さまになって地面に突っ込んでいく。

次は目の前にあった「Congo Falls」
これは単純。ボートみたいなのに乗って、少しばかり上って、下り落ちるだけ。
でも、落ちていく先は浅いプールの中。コンゴの滝ってことですね。
外から見てると水しぶきがバッシャーン!!と。
乗ってる人ずぶ濡れ。
日本の遊園地だとこういうの、
極力濡れないように使い捨ての雨合羽みたいなの貸してくれるんだけど。
そういう細かい気遣いなし。
「乗ったら濡れる。当たり前じゃないか!嫌なら乗るな!!」
そんな感じ。アメリカ流。

乗る。ノロノロノロノロと上って行って、ダーッッッ!!
バッシャーーーーン!!
横から、頭上から、滝のように降り注ぐ水流。
やっぱずぶ濡れ。全員容赦なくびしょ濡れ。
降りてから笑いが止まらない。アッヒャヒャヒャ!!
降りて歩道橋みたいなのを上って外に出るんだけど、
ちょうど次の人たちがバッシャーンと水の中飛び込んでいくところで、
歩道橋の上で見ていたら、僕らのいるところまで勢いよく水が襲い掛かってくる。
やはり笑いが止まらない。
なんか一番テンション高かったのがここかもしれない。

肌寒いのに濡れて、寒いことこの上なし。
太陽の下で乾かしたいなあとブラブラ歩きながら次に乗るのを決める。
フリー・フォール系のがあって僕らとしては乗りたかったんだけど
待ってる人がかなりの列になっていたし、
その待ってる場所が屋根つきで乾かないし、ってんでやめる。
これはこれで乗りたかった・・・、残念。


[1985] オハイオ隊、遠征(その17)5/6今度こそ、King's Island 2006-05-18 (Thu)

7時に目が覚める。
悲しいことに、仕事の夢を見ていた・・・
9時半まで寝る。

コムギちゃんがジューサーで作ってくれたイチゴジュースを飲む。
砂糖が入っていないのに十分甘い。
テレビをつけると土曜の朝だからなのか、子供番組っつうかアニメばかり。
ピカチュウとか。
スポーツ系はどこもやってない。
カントリー専門のチャンネルを見つけてずっとそこでビデオクリップを見る。

ボブの車のカーステレオではいつも、ハードロック専門のFM局がセットされていて
(Pantera, Systems of a Down, Nirvana から Led Zeppelin まで。
 なぜか Pink Floyd も。Pink Floyd は今でもアメリカで大人気なのだという。
 最終日午前6時、空港に向かうときに「Dark Side of the Moon」の前半部分を聞いた。
 いつだったか「Another Brick In The Wall Part 2」のカバーを聞いた)
5日の日、飽きてきた僕はカントリー専門局を聞かせてもらった。
眠くなってやめた。

カントリーって音楽として定義が難しいと思う。
日本人が「カントリー」と聞いたときに思い浮かべる、
陽気にバンジョーかき鳴らすようなヤツもカントリーといえばカントリーなんだけど、
それはこのジャンルの一部分でしかない。
しかもこの現代においては、ど真ん中ではない。
オルタナティブでコンテンポラリーなカントリーはポップであるし、ロックのようでもあるし。
カントリー専門のチャンネルでビデオクリップを見ていると
「ああ、確かにカントリーだな」と思うものの、
そういう先入観無しで聞いたら「ロック?」と言ってしまいそうだ・・・
見てて出てくるミュージシャン全然わからず。
アメリカはジャンルの壁が相当高いみたいだけど、ロックとカントリーはかなり違うみたいね。
聞いてる層もかぶらないようだ。
それでもカントリー風のロックやポップスがあったり、ロックやポップス風のカントリーがあったり。
どういう基準で分けてんだろう?分からない・・・
衣装?そんなのがなくてもアメリカ人ならすぐ見分けが付く?
「俺はカントリーです」って名乗ればカントリー?信条の問題?
とりあえず最新のビデオクリップの音を消して映像だけ見るならば
ロックもポップスもカントリーも区別が付かないように思われる。
よほど露骨にカウボーイハットやウエスタンブーツに執着してない限り。
そういうクリップ、なかったんだよなー。
カントリーなのにバーで肌もあらわな女性と戯れてもてまくり、みたいな。
日本人の僕からすると「えぇー?」
こういう王道にジャンルはない。

前の日 king's Island へ行けなかったので今度こそ、ってのが今日の過ごし方。
さすがに土曜はやってるでしょう、と。

朝食兼昼食は「Twin Dragon」という中華系ビュッフェへ行くことになる。
朝ウダウダと過ごしてさあ行くかという気分が固まるか固まらないかの頃、
ジュンコが「あ、今日本で何時?午前0時前?旦那に電話していい?」と言い出す。
ボブの携帯から国際電話でフリーコール。
それを見てタクも「じゃあ俺も彼女に電話する」と。
が、どちらも留守電となる。留守電に吹き込む。
また時間を開けて掛けなおすかと思いきやそんなことはせず、
「まあいいや。かけたということが大事。出ないのが悪い」と。

いざ出発。
外に出ると芝生の上でカモがじっとしてる。
写真を撮ろうとして遠くからそーっと近づいても、一向に気にしない様子。
だけど写真を撮るのにちょうどいい近さまで来ると、
ぴょこっと気が付いてふわっと飛んでいく。
日本の鳥と違って警戒心は低い模様。
ボブの借りているアパートメントの一帯は瀟洒な雰囲気。
中心部分には人工的な(?)池があって、その中では夜も噴水が稼動している。
カモの親子が何世帯かここを根城にしていて、通りがかるたびによく見かけた。
オハイオはグース(雁かな、日本語だと?)も多い。

「Twin Dragon」はバイキング。チップを含めて1人8ドルぐらいだったか。
それで腹いっぱい、食えるだけ食った。
アジア米のチャーハンにチンジャオロースみたいなの、ミートボール、各種炒め物、
イカ・エビ・カニ(風味かまぼこ)はサラダだったり炒め物だったりあちこちに入っている。
麻婆豆腐や酢豚、エビチリは残念ながら無し。
酸辣湯のスープがうまくて何杯もお代わりしてしまった。
牡蠣の中華風グラタンみたいなのもあったな。
広い店内にけっこう客が入っている。
僕らみたいなアジア系も多かったが、普通にアメリカ人も。

クォーター(25セント硬貨)の話になる。
アメリカでは今、全50州が
それぞれ独自のデザインのクォーターを順繰りに発行するということをやっていて、
ボブやコムギちゃんも全州集めようと頑張っている。
全州発行し終えるまでに実に2008年までかかるという。
http://wedder.net/coins/50states/index.html 参照)
しまった!オハイオのがあったらいい記念になったのに!と、たった今思った。
旅行用財布の中の今、手元にある硬貨を見てみたら、普通のクォーターばかり。
1枚だけヴァージニアのが見つかった。残念だ。。

支払いをするとフォーチュン・クッキーを1人1個もらえる。
こんなことが書いてある。

表:「Ultimately, we must learn to trust ourselves.
   Lucky Numbers 37,14,28,36,7,10」
裏:「LEARN CHINESE-EUROPE Ou-Zhou 欧州」

素晴らしく当たり障りのない内容。
しかもラッキーナンバーがこんなに順不同で出てきても、覚えられないよ。

ハイウェイに乗る。
タクがフェアレディZを見かける。
僕は車のことほんと何も分かってないんで何が何の車なのか全然区別が付かない。
タクとボブの会話からすると、
フェアレディZは日本と比べてかなりたくさん走っているらしい。
コムギちゃんは半年前にこっちに来て生活を始めたとき、車を買った。新車で。
何年もいないんだから中古車の方がいいんじゃない?とも思うのだが、
新車を買った方が売るときにいいとのこと。日本車だと特に。
アメリカの中古車ってのはダメそうなのかなりダメそうだもんなあ。
(ボブ曰く、業者が日本と比べていい加減で、1万キロは誤差の範囲らしい)
自分が1人目のオーナーです、ってことなら確かに高く買ってくれそうな気がする。

よく見かけるってことではメーカーではシボレーをよく見かける。
「CHEVROLET」をシボレーを読むって今回の旅で始めて知りました。
「シェヴロレ?」とかって思ってた。まじで。
車種で言えばピックアップトラックばかり。
なんかアメリカ人が好きそう。

そんなこんなで King's Island 到着!
さすがに今日はやってる。ジェットコースターが動いている。
歓声やにぎやかな音楽が聞こえる。
駐車場にも車が停まっている。
「オーッ」「イエーッ」とか軽くはしゃぎながら入場ゲートへ。
空港並みのセキュリティ・ゲートをくぐって
(遊園地の中でテロを警戒?アメリカは神経質だ・・・
 というか人の集まる場所は目的の如何に関わらず要警戒ってことか)
パークの中へ。

あ、なんか書き忘れてたんでここに書くんだけど、
4日の日に初めてのドルでの買い物の後、お釣りとして戻ってきた紙幣は
手書きで表も裏も枠のところにびっしりとメッセージが。
「HAPPY BIRTHDAY JOHN OVER THE HILL "50" "50" "50"」
この繰り返し。
なんなんだろう?
まだティーンエイジャーにも満たない子供が、友達に精一杯のメッセージ?


[1984] オハイオ隊、遠征(その16)5/5Jungle Jim's 2006-05-17 (Wed)

Brass Armadillo を出て、帰宅。
20時を過ぎたぐらいだっただろうか。空が暗くなりだしている。
緯度の関係か、日本よりも日が暮れるのが遅い。
21時頃夜となる。

帰りに、「Jungle Jim's」というユニークなスーパーがあるというので寄っていく。
http://www.junglejims.com/
「Jungle Gym's」ではない。スペルが違う。
ジムという冷凍倉庫で働いていたおじさんが始めたスーパーで、
あるとき冷凍倉庫の中から出てきたら髭が凍ってて、
それが何のきっかけだったのか忘れたけど、
そこから「Jungle Jim」というニックネームとなったのだそうな。
道端の小さな露天商から始めて、いまや巨大なスーパーのオーナー。
アメリカンドリームの一種ですね。
他に店舗はなくて、ここシンシナティだけなんだろうけど、
このスーパーはオハイオ名物と言っていいかもしれない。

ジムおじいさんはここをスーパーでありながら
テーマパークでもありたい(!)という夢を今に至るまで持ち続けていて、
日々その実現に向けて頑張っている。
スーパーの中でモノレールを走らせるってのがその1つで、
実際モノレールの車両はあるんだけど
まだ店内に線路の敷設までは至ってなくて、
店の外にそのモノレールが宙に浮き上がる形で飾られている。
中には乗客代わりに人形を乗せている。いい話だなあと思った。
そういうのに始まり、店内にはでーんと消防車が食品棚の上に鎮座していたり、
ロビンフッドの一場面が人形で再現されていたり。
冷凍食品コーナーにはぬいぐるみのペンギンたちがいた。
そういう仕掛けがあちこちにいっぱい。

「International Market」を謳ってるだけあって、
世界の食材が手に入る。もちろん日本のも。割高みたいだけど。
でもどれも見かけたことないようなメーカーのものばっかりだったような。
麻婆豆腐の元も、どこのメーカーだ?一応日本っぽいけど・・・、みたいな。
日本では見たことないようなワサビドレッシングなんてのも見かけた。
アーミッシュ用、ユダヤ人用、インド人用などなど
世界の様々な地域からアメリカに来てる、
あるいは様々な信条の人向けの食材が売られている。
そして酒。世界の酒が手に入る。日本のビールも。
これはすごい。こういう店、日本にも欲しい!
青森や東京でいくつか同じような趣旨の専門店に入ったことあるけど、規模が違ってた・・・

いろんなものがあった。ここにいるだけでかなり面白い時間が過ごせる。
トム&ジェリーでしか見たことないようなおっきな穴あきチーズ、
20kg 入りのピーナッツの袋(セメントの袋かと思った)、犬用の骨も1mの長さ。
ミニッツメイドは日本では洗剤が入っているような大きなポリタンクで。

会社へのお土産にアメリカのお菓子と煙草を買う。
煙草はこれまで見たことないやつ。パッケージに大きく U.S.A. と書かれている。
カートン2つで60ドルぐらいか。
タクもボブもジュンコもみんなして「たけー」と口々に。
タクは日本で吸ってたアメリカの煙草を買おうとしたら
5ドルもしたのでやめたという。

寿司やナチョス系のチップスなど
Jungle Jim's であれこれ夜食べるものや飲むものを買いこんで車に乗り込む。
「White Castle」のハンバーガー食べたいねという話になって、ドライブスルーに寄っていく。

(アメリカはほんとドライブスルー文化だ。
 ドライブスルー・ファーマーシーなんてのもあるようだ。
 マツキヨがドライブスルーになったら・・・、便利?)

「White Castle」のハンバーガーはアメリカの食文化に反してとても小さい。
慎ましい手のひらサイズ。2口で食いきってしまうような小ささ。
前の日食ったバーキンのワッパーがバケモノに思えてくる。

ボブの家でビール飲みつつ、夕食。
キリンと「Wicked Ale」というやつ。(http://www.peteswicked.com/ 参照)
シンシナティ名物「スカイライン・チリ」という
溶けたチーズの上ににチリというかミートソース?が乗っかったもの、
韓国産キムチ(日本のキムチは手に入らない)
アメリカ人がスナック替わりに食べる小さなニンジン、などなど食べる。

最後の頃になってケーキが出てくる。
先日の誕生日に買ったものなのだそうだが、余っている・・・
アメリカ名物の砂糖よりも甘い、食べると頭がズキーンと痛くなるようなケーキ。
チョコレート風味のスポンジの上に、
茶色い、カラメルを10倍甘くしたような何かが乗っかっている。
一口もらってやめといた。

所得格差の話になった。オハイオで働く日本人の。
ダントツで裕福なのはトヨタの社員らしい。全身シャネルの奥様がいるとか。
シンシナティに本社がある P&G の社員は実はそんなもらってないようだ。
本社が日本にある企業のアメリカ法人の駐在員ならばかなり余裕のある生活となるが、
こっちに本社がある企業の場合、単なる長期出張みたいなもの。
トヨタに話を戻して、トヨタに限らず自動車メーカーが進出してるみたいなんだけど、
そのメーカーのアメリカ法人なり支社の社員と、
本社にくっついてアメリカに進出した下請けの工場の社員とではやはり待遇は異なる。
その工場に日本人は1人だけだったり。大変だ。
かわいそうなことにこういう格差は、子供たちの通う学校にも反映されるようだ。
高級車で送り迎えを受ける子供もいれば、スクールバスに乗る子もいるんだろうな。
通う学校も違うかもしれない。同じでも、一緒に遊ぶグループとはならないかもしれない。

ジュンコが日本から持ってきた
旦那とパラオで潜ったときの DVD が大スクリーンで上映される。
シパダン島を訪れたときのもの。
自然保護のため法律によりリゾート施設が閉鎖されて、人が住めなくなった。
ダイビングのさなかに休憩するのは可ということでようで
宿泊先のカパライ島から毎日(?)船で通ったようだ。
旅の間、ジュンコからはマレーシア渡航のあれこれのトラブルを聞かされた。
飛行機が飛んだだの飛ばないだの。
なんか強く印象に残った話を1つだけ。
こういうリゾート地が必ずしも安全ではないのは
何年か前のバリ島でのテロからも明らか。
あるとき、パラオではイスラム過激派がダイビングに来ていた観光客10何人かを拉致。
その後どうなったか聞き忘れたけど、これって怖いよな。

見てる間にタクが寝てしまって、お開き。
美しい南海の映像が流れる中、気持ちよく床に突っ伏していた。

最後に。
煙草を吸うために頻繁に外に出るタクに対し、ボブはこういう助言をする:
「煙草を吸いたい気持ちって1分半しか持たないから、
 その1分半をなんとか頑張って乗り越えればいい。そしたら、やめられる」


[1983] オハイオ隊、遠征(その15)5/5Brass Armadillo 2006-05-16 (Tue)

Air Force Museum を出て、シンシナティに戻る。
来る途中で見かけたアンティーク・ショップのモール
「The Brass Armadillo Antique Mall」に行きたいとのジュンコの主張で、
寄っていくことにする。

さらにその途中でお茶をってことで「Waffle House」という
チェーン店のダイナーというかコーヒーショップというかワッフルの店に立ち寄る。
http://www.wafflehouse.com/

この辺り、寝てなくて眠くて車の中でずっとウツラウツラしていた。
僕としては「えー?ワッフルー?」って気分で、コーヒーだけにするつもりでいた。
腹も減ってないし。
しかしこれが店に入ってみんなでワッフル食ってると僕も食べたくなってくる。
キッチンの中にはワッフル焼き器が上下で6個ぐらい並んでいただろうか。
次々に焼きあがっていく。
出来立てアツアツの湯気の出そうなワッフル。
これにトローリとしたメイプルシロップをかけて、バターと生クリームを塗る。
いい匂いがしてたまらなくなって僕も食べた。
というか僕が一番食べてた?・・・悲しいサガ。
2枚は普通のでもう1枚はピーカン入り。
ピーカンってナッツの一種なんだけど、
日本だとペカンという言い方のほうがしっくり来るかな。
結局どっちもおいしい。

「Waffle House」は全米各地に支店を持つチェーンのようだ。
今試しにサイトでオハイオ州の店舗数を出してみたらなんと、57個。
もしかしてアメリカではマック並みの存在感?

中は典型的なダイナー。ドアや仕切りの板は木目調。
壁に掛けられた額には店のモットーが絵入りで掲げられ、
店の隅にはジュークボックス。
ウェイトレスがコーヒーポットを手にキッチンを歩いて、
マグカップが空いてると注いでくれる。
このコーヒーが薄いのにおいしい。何杯も飲めてしまう。
これぞアメリカのコーヒー。
なんでこういういい意味で自己主張のないコーヒーが、
日本では売られていないのだろう?

日本だと僕、ワッフルを食べようという気になったことがない。
一頃ベルギー・ワッフルの店がいくつかできたけど、もちろん食べることはなかった。
それがアメリカという本場(?)に来るとついつい食べたくなるのだから、不思議だ。
すごくおいしい。
でも日本に戻ってきた今、こっちで食べようとは思わないな・・・
冷めてたら特に・・・

Brass Armadillo へ。
モールと言っても通常のアメリカのショッピングモールのように巨大なものではなく、
こじんまりとした建物。でもそれぐらいでも中学校の体育館ぐらいはあったかな。
1つの店があれこれ分野別に商品を並べているのではなく、
4畳半ぐらいの広さで区切ったスペースをブースとして個人に貸し出して、
借りた人はそこで自由に物を売るという仕組み。
フリーマーケットの屋内版というとイメージしやすいか。
http://www.brassarmadillo.com/cincistore.htm ここに写真があります)
なのでブースごとに何に出くわすかわからない。
売ってるものとしては食器やちょっとした家具、その他家財道具、衣類や本が多い。
もちろんアンティークなのでどれも古びて、モノによっては相当年季が入っている。
どれも同じようなものを並べているようで、よく見るとどれも違う。
最初は圧倒されるんだけど、
目が慣れてくるとどのブースもそれぞれの味があるってことが分かってくる。
個人で出してるんだから、その家庭の雰囲気とでもいうのかな。
のんびりとしたところもあれば、きっちりしたところがあったり。
色が統一されてるような印象を与えるところもあれば、
やんちゃな子供が散らかし放題みたいなカラフルなところもあり。
このブースは1ケ月200ドルで貸し出し。
もっと小規模で、棚の中のショーケース1列分だけというレンタルもあった。
入館証みたいなのを首からぶら下げている叔母さんや叔父さんたちが
自分とこのブースの陳列物の配置を直したり、追加したりしていた。

珍しい、あるいは気になった商品としては:
・木製の動物の人形ばかり集めて売ってるブースがいた。
 大きいものは2mを越すキリンなんてのがあった。
・小さなショーケースで手作りのルアーだけを売ってるショーケース。
・1975年シンシナティ・レッズ優勝の際の記念ペプシ(12ドル)など、
 各年代のコーラやその他清涼飲料水のビンを、
 場合によっては栓をしたまま!中身ありで売っている。
・ものすごく年台もののボーリングのピンのセット一式
・錆びた注射器
・エキゾチックな鞄やドレスを集めている人
(小さなハンドバッグで花と鳥をあしらった模様のがあって、
 とてもきれいで、なんか妙に欲しくなった。やめといたけど)
・スターウォーズ・グッズあれこれ
(これをアンティークと呼ぶべきなのかどうか、微妙)

もっといろいろあったんだけど、メモに取らなかったので思い出せず。残念。

店内では50年代から60年代の曲が低い音量でそっと流れていた。
The Byrds「Turn ! Turn ! Turn !」
The Monkees「Daydream Believer」
Little Eva 「Locomotion」など。オールディーズがぴったり合う。

レコードを売ってるブースがいくつかあって、
僕に分かったところではプレスリーやストーンズのジャケットが飾られていた。
ザ・カーズやブルース・スプリングスティーンもあり。
だけどCDはどこも売ってないんですね。DVDも。
たぶん Brass Armadillo の方針なんだろうけど。ビデオはあったけど。

来る途中コムギちゃんとジュンコ、タクは
「ファイヤーキング」のことばかり話題にしてて、「なにそれ?」と僕は全然知らなかった。
「ファイヤーキング」とはブランド名で、40年代から70年代にかけて
アメリカで製造された耐熱ガラスの食器を指すようだ。
乳白色の質感ととろっとした滑らかな手触り、
シンプルだけどワンポイント何かをあしらった家庭的なデザインが特徴。
売りに出されてるのを見せてもらって、「あー、これか!」と僕もわかった。
↓こういうサイトで購入可能。
http://www.firekingstore.com/
http://www.ilovefireking.com/
熱心なマニアがサイトを立ち上げてて、買い付けて日本への輸出も行っている。

コムギちゃんが今かなりはまっているようだ。
ペアのマグカップで色違いや、深皿。
ジュンコやタクが見つけたものを手に取ってみると確かにかわいらしい。
持ってるだけで生活に潤いを与えそうな類の食器。
色は白だけじゃなくて、オレンジや赤、ターコイズブルー、ライムグリーンなど。

「うーん、食器はいいや・・・」と思っていた僕は買わず。
母や妹へのお土産としてよかったかもしれないけど。
ファイヤーキングに限らずちょっとした食器を探してみたけど、
これといって欲しくなったものはなし。
シンシナティの夜景、オハイオ川では花火大会という写真が
額に入っているのが売られていて、15ドルで手頃だったので買うことにした。
これなら青森の家で飾るのになかなかいいだろうと。

あと、自分用に買ったのは
・パンナムの広告ページを3種類
(どこかの都市の上を飛ぶパンナムの機体、リオの海水浴場の夏、ヨーロッパの休日)
・「The Best of LIFE」(LIFE誌の 1936-1972 までのベストセレクション。
 ロバート・キャパのスペイン内戦での有名な写真「崩れ落ちる兵士」など)

いやー。もっと時間があったらゆっくり見たいところではあるんだけど・・・
ここもまたかなり駆け足。
掘り出し物、たくさんあったんだろうなー。

入ってすぐのところには、
各アンティークの価格表みたいな本が分野別に売られていた。
レコードのを買おうかどうか迷って、やめた。
たまたま開いたページがフィル・コリンズのいけてないジャケットのやつで、
買い取り価格1ドルとかってなっていた。


[1982] オハイオ隊、遠征(その14)5/5Air Force Museum 2006-05-15 (Mon)

Air Force Museum へ。つまり、アメリカ空軍の博物館。
http://www.wpafb.af.mil/museum/

Caesar Creek 州立公園を出て、しばらく田舎町を走る。
あちこちの道路沿いにトラクターが停まっている。
ふと見ると「Amish」と看板に書かれた白い家が建っている。
恐らくアーミッシュの作った日用品や工芸品(?)を売っているのだと思われる。
今 Wikipedia で調べてみたらアーミッシュが居住しているのは
ペンシルヴァニア州とオハイオ州とのこと。
僕らが車であちこち往復した近くに、
アーミッシュがその静かな生活を送っている村があったのかもしれなかった。

前を走る車のバンパー近くに、リボンをかたどったステッカーが貼られている。
先日読んだ「ルート66をゆく アメリカの保守を訪ねて」(松尾理也著、新潮新書)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106101572/qid%3D1147496672/249-6416580-0203516
には以下のように記述されている。ちょっと引用します。
(ちなみに、この本は読みやすくとても面白いです。アメリカという国がよくわかります)

-------------------------------------------------------------------------------
ハンドルを握って前の車の背中を眺めていると、
バンパーやトランクに黄色いリボンを模したステッカーが貼られているのが目につく。
リボンの形は、エイズ問題への取り組みを訴える「赤いリボン」や、
北朝鮮拉致被害者救出運動のシンボルである「青いリボン」と同じ形だ。

一目見ただけでは、何を意味しているのかよくわからない。
が、近づいて目をこらすと、リボンとともに
「われわれの兵士のために祈ろう」とか
「われわれの兵士を支えよう」などと書かれているのがわかる。

「黄色いリボン」は、兵士たちの無事の帰還を祈るシンボルだったのだ。
-------------------------------------------------------------------------------

タクが気付いてボブにリボンのことを聞く。
リボンをつけて走ってる人は、以前と比べてぐっと減ったという。
「9.11」のこともこの辺だと人によっては
「あれはニューヨークの出来事だから」と他人事のように捉えているようだ。
アメリカの中心部ともなると、大西洋岸のニューヨークなんて
「どこか別の国」ぐらいの感覚なのかもしれない。

デイトンの街へ。
オハイオ州の中では小さな方の部類の市か。
ライト兄弟が生まれ育った土地として知られる。
よってアメリカの「航空発祥の地」
Air Force Museum がここにあるのもそれが縁か。
デイトンについては↓このサイトが役に立つかな。
http://www.wetwing.com/wright/dayton/dayton.html

とある場所を通りがかったら、塩を作るための小さな塩湖が広がっていた。
合成着色料が混ざっているかのようなきれいな、毒々しいまでの水色。
なんでここにあるのかよくわからないんだけど、塩が取れるんだろうな。
そういえば前日空港からボブの家まで向かう途中のハイウェイ沿いにドームが建っていて、
何のために使うのかといえば冬に道路が凍結しないように撒く塩水の原料。
この日走っていてまた同じようにドームを見つけ、
見ると入口が開いていて中は本当に塩の山。

ハイウェイを降り損ねて間違えて1コ先の出口へ。
空軍の施設近くの丘の上にライト兄弟記念館があった。
しかしここは取り立ててみるものがないということでそのまま素通り。
この丘の上で、ライト兄弟は世界で初めて飛行機を飛ばした。

ハイウェイを辿り直して、Air Force Museum 到着。
ものすごく広い敷地/草原にかまぼこ型ドームが3つ、
その脇の公園には記念撮影用なのか
いろんな時代のいろんな飛行機が何機も停められていた。
到着したのは15時半で、17時には閉館。駆け足で見学する。
IMAX のシアターも併設されてるんだけど、見てる時間なし。。
入場は無料。

1個目のかまぼこは2つに区切られていて、
片方がライト兄弟時代の複葉機から第一次大戦までの、飛行機そのものの発展の歴史。
もう片方が第2次大戦まで。
床に置かれているもの、ものすごく高い天井から吊り下げられているもの、
あちこちに歴史的な飛行機。しかも本物。
博物館全体で展示数は300機を超えるようで、
航空機や戦闘機のマニアにとっては1日いても飽きないだろうな・・・
(僕があれこれ説明するよりは、冒頭のURLから辿っていって写真を見たほうが早いでしょう)
この手の博物館としては世界一の規模だという。

ライト兄弟の実験から10何年もしたら原始的な航空戦が始まってるんですね。
技術の進歩というか、戦争と結びついたときの技術の進歩ってほんと早い。早すぎ。
第1次大戦までは複葉機でプロペラが木製だったのが、
第2次大戦の頃には現代のような形に発展・洗練していく。
ダグラスやボーイングといったメーカーの名前も登場する。
ポチャッとかさばってるかちっちゃかったのが、
ギュッと身がしまりだしてメタリックになっていくというか。
また、機体にピンナップガールや瀟洒なロゴが描かれるようになる。

展示物はアメリカのだけじゃなくて、世界各国のものも。
ドイツのメッサーシュミットや日本だとゼロ戦。
飛行機だけじゃなく、戦争の歴史そのものも残そうとしている。
アウシュビッツの遺品や、マッカーサーの日本占領。
詳しく見てる暇がなかったので
展示物にどういう説明がなされているのかじっくり読めなかったのが残念。
(日本とアメリカでは戦争にまつわるあれこれの解釈が違いそう・・・)

B-29の横には、いわゆる「Fat Man」が並べられている。
本物のわけないか。レプリカかな。
「長崎に落とされた原子爆弾」と説明書きがなされ、キノコ雲の写真が・・・
機の反対側には「Little Boy」もあった。

第2次大戦ゆかりの品として展示されているものの中には
アジアのいろんな国を訪れた米軍の兵士が中国や日本のなど
手に入れた紙幣をテープで繋いでハワイのレイのようにしたものがあった。

第1次大戦と第2次大戦のかまぼこの間の通路では
アメリカを代表するコメディアン、
ボブ・ホープの慰問活動を讃えるミニ企画が展示されていて、
モニターではベトナム戦争だろうか、
年老いたボブ・ホープが大勢の兵士たちの前に立って
何かを語りかけているカラーの映像が映し出されていた。
(Wikipedia によると30年代より芸能活動を開始、慰問活動は第2次大戦から
 なんと湾岸戦争まで!2003年に100歳!で亡くなっている)

あと、この通路には世界各国の米軍基地の旗(?)が展示されていた。
沖縄も三沢もあった。三沢はなぜかシンボルマークが鳥居だった。
沖縄は島の形だったかな。

巨大かまぼこと比較すると割と小さな目な展示室があって、
アメリカの宇宙開発の歴史が半分と、子供向けの実験コーナーが半分ずつ。
宇宙開発のほうはパネルにて解説と、歴代の宇宙飛行士たちの写真がメイン。
初期アポロの飛行士ジョン・グレンや月面着陸のアームストロング船長を見つける。
あと、観光名所によくあるような顔の部分だけくりぬかれて記念写真を撮るためのボード。
バックは宇宙空間で、写る人は宇宙服を着ている。
僕ももちろん顔を出して写真を撮った。
実験コーナーは、遊びながらあれこれ学ぶためのもの。
日本でもいろんな博物館や記念館にありますよね。
フライトシュミレーションや浮力かなんかでロケットの模型を高く打ち上げるのとか。
空母の滑走路に飛行機をはみ出さずに着陸させようというゲームで盛り上がる。
あと、興味深い展示物としてロス五輪の開会式で出てきたんだったかな、
「X-JET」という乗り物。気球の人が乗る部分だけが単独で空に浮かぶようなやつ。
それの実物が飾られ、飛んでる様子のビデオが流されていた。

次のかまぼこのテーマは朝鮮戦争とベトナム戦争で
その次のかまぼこは冷戦時代のものかな。
このあたりになってくると僕には違いがよくわからなくなってくる。
飛行機もやたら大きくなってくる。
第2次大戦までの戦闘機がだいたい1人乗りか2人乗りだったのが、
後の時代のは兵員輸送用の機体ともなるとやたらばかでかいもんで。
また、小型のだと迷彩色に塗られた機体が増える。

前者のほうは何に使われるのか記念式典場があったり(空軍のイベント?)、
戦闘機のコックピットに入れたりした。
後者の目玉は何と言ってもステルス。
平べったくて大きくて、それまでに展示されてきた「飛行機」とは全くの別物。
その他の戦闘機も流体力学(?)とかそういうのの応用なんだろうけど
F1用の車体に似てくる。
この辺もしっかり見たかったんだけど、閉館時間が近くてとにかく駆け足。

最後、これらの奥にドームがあって、ロケットのコーナー。
寝かされているのではなく、
空に向かって正に今打ち上げられんばかりの姿勢となったロケットの数々。
「すげー」「なげー」と思わず口に出して言ってしまう。
なんだか荘厳な雰囲気すら感じる。宇宙ですよ、宇宙。
その手前の通路にはアポロの着陸機。
時間がなかったのが残念。また来たいなー。もっとゆっくり見てみたい。

お土産のコーナーもさっと眺めただけ。
唯一買ったのが「Airclaft Listing」と題された小冊子。1.34ドル。
展示されている飛行機のリスト。博物館のパンフレットの替わりに。
そういうの置いてなかったんですね。

外に並んでいる飛行機を見に行く時間もなく・・・
駐車場の向かいは公園になっていて、どうも見た限りでは墓地のようだった。
墓地と言っても日本のああいうのではなく、
様々な色と形の記念碑があちこちにポツポツと建っていた。


[1981] オハイオ隊、遠征(その13)5/5Rooster 〜 化石掘り 2006-05-14 (Sun)

バッファロー・ウイングとはその名の通り
ニューヨーク州バッファローという街で生まれた手羽先の唐揚。
チリソースというかタバスコで味付けされていて、独特の酸味と辛さが特徴。
名古屋で言ったら「風来坊」並みにスパイシー。両雄並び立つね。うまい。
今いくつかサイトを検索してみたら
「アメリカで唯一、おいしい食べ物だ」とする意見がちらほら。
そうかもね。現時点で僕もそう思う。
(ちなみに、このブログすごい。http://uswing.exblog.jp/m2005-09-01/
 日本人が「全米バッファローウイング選手権」に出場したときの記録)

行ったのは「Rooster」という店。
ここは辛さの段階を豊富なバリエーションの中から選べて、
最上級は何かというと
「Very Hot」とかそういうハンパな名前じゃなく、
なんと「Special Killer」(その下の段階が「Killer」)
もちろん僕は「Special Killer がいい!」と主張。
「えー・・・やめようよ」という声も上がるも、断固 Special で。
なお、最下級はなぜか、「Teriyaki」

店に入る前に、すぐ近くにあるボブの働いているオフィスをちょろっと見学。
と言っても敷地内に車で入って通り抜けるだけ。

店はアメリカの、ハイウェイ沿いの郊外でよく見かけるような、
いくつかの店が横一直線に連なった細長い建物の中。
この手の建物はチャイニーズであるとか、インド料理や日本料理、
(比較的)小さなスーパーやその他ファーストフードが一緒になっている。
シンシナティ近郊のどこに行ってもこういうのばかり。
恐らく、アメリカ中の「郊外」がみんなみんなこうなのではないか?

中に入っていくと薄暗く、赤い照明の中、どのテーブルもアメリカ人ばかり。
観光客が入る類の店ではなく、本物のアメリカ人が利用する店。
僕らが入っていったら人目を引いたようで、一瞬視線が集まった。

6人掛けの大きなテーブルに座る。
隣にはえらくガタイのいい男たちがマッチョな昼食。

真っ赤な壁にはネオンサイン、
ボクシングの試合や派手なアメ車の写真、女優のシールが貼り付けられた額、
映画「Easy Rider」のポスター、2台のハーレーにまたがった
ピーター・フォンダ、デニス・ホッパー、ジャック・ニコルソン。
これぞアメリカ。
僕のような日本人が思い描くような古きよき時代の、アメリカ。

まずは飲み物のオーダーってことで、僕とボブはミラー・ライト。
タクはコーラ、ジュンコはアセロラのジュース、コムギちゃんはウォーター。
出てきたのはどれもキングというかジャンボというか。
水までジャンボサイズって何・・・
「大きいことはいいことだ」
アメリカの第一原理は絶対これだろう。

そんでもって肝心のバッファローウィング。
辛さ Medium を20本と Special Killer を5本。
一番喜んだ手前、僕は初めに Special Killer を食べてみる。

辛い!

でも食えない辛さじゃないね。日本のカレーの20倍だとか、ああいうのじゃない。
よかった。ほのかに酸っぱくてうまい。
ビールで辛さを拭った後、Medium へ。ボキャブラリーが貧弱でなんですが、劇ウマ!!
いい!最高!!
これはビールが進むなあ。本格的な店が日本に進出したら絶対受けると思う。
つーかケンタッキーも醤油味とかチンタラしたものを出してんじゃなくて
バッファロー・ウイングを出せばいいのに。
手羽ですよ、手羽。これからは。

「男は黙って Special Killer」という標語の元男性陣は1人1本ずつ食べる。
女性陣は当然のごとくパス。
結局僕1人で3本食べたような気がする・・・
Medium も少なく見積もって、5本か6本。
あー。次アメリカ行くことがあったら、また絶対食べよう。忘れられない味。

他食べたのは、ポテト、ブリロー、セロリのスティック。

店内が薄暗かったのでデジカメで写真撮るときにフラッシュをたいていたら
タクに「やめたほうがいいよ」と注意される。

食べ終わってタクはウェイトレスを呼び止めて灰皿をもらう。
「あるの?」とコムギちゃんが聞く。
「さっきどっかのテーブルで吸ってたよ」
店内で煙草が吸える店ってのはアメリカではかなり珍しいようだ。
この Rooster のように多少「荒くれ」てないと雰囲気的にそぐわないのかな。
裏を返すと、タバコというものは
日本以上に公共の場から締め出され、喫煙人口も少ないわけだ。たぶん。

トイレに行くと、男性用が「Rooster」で雄鶏、女性用が「Chic」で雌鳥と書かれていた。

店を出て、次に向かうは Caesar Creek の州立公園。
ハイウェイ71号線(75号線だったかな?)をデイトン目指して北上。その途中にある。

車の中でのコムギちゃんとジュンコの会話:
「日本食って買えるの?」
「けっこう買えるよ。変なのばっかりだけど。高いし。普通の食べ物の3割増かな」
「えっ!高い〜。どこで買うの?スーパー?」
「うん。たいがい、スーパー。
 でもスーパーで売ってるものだと、野菜が新鮮じゃなかったりする」
「それヤだね」
「あと、賞味期限が日本の感覚と違うものも多い。牛乳が1ヶ月とか、豆腐も1ヶ月とか」
「えー!それおかしいよ」
「でしょ?」
「スーパーでしか買えないの?」
「ううん。近所の牧場で卵買ったり。コロンバスまで行けばアスパラ狩りのできるところがあるよ」
「アスパラ狩るの?アハハ。
 ・・・そういうどこそこで何が買えるって情報は日本人から仕入れるの?」
「うん。すごいよ。こっちの奥様ネットワーク。オハイオは日本人ばかり。
(トヨタと、シンシナティに本拠地のある P&G が、日本人の多いベスト1&2となる)
 私も、こっち来て長くなる奥さんからあちこち連れてってもらった。
 今日スーパー行くけどどう?って電話かかってきて、行きます!って」
「どこからそういうネットワークに入ってくの?旦那さんの会社から?」
「どっちかって言うと、英会話教室から。こっちではみんな通ってる。
 でもいろんな人がいる。何年もいるのにちっとも話せない人とか。
 日本人同士の結びつきが強くて日々接してるから、困んないんだよね。
 全然英語話せなくても」

いつの間にか車は田舎を走っていて、
菜の花畑が一面に広がっていたり、
秋の収穫からそのまま放置されたトウモロコシ畑が茎だけを残していたり。
Caesar Park 到着。
化石を掘るには公園管理事務所にて手続きをするのが正しいようだが、
僕らはトイレに立ち寄っただけ。実際は手続きしようがしまいが現場に誰もいないのだそうな。
(確かにいなかった・・・)

休憩のため車から降りると、青々とした木々に、透き通った湖。
空気がきれい。肺いっぱいに吸い込む。
雲1つない青空から降り注ぐ日差しをいっぱいに浴びて、緑が眩しい。

再度車に乗って、ちょこっと行って化石の採掘場へ。
山の中の一本道を進んでいくと急に両側が開けて原っぱになる。
そしてその前方の端が断層になっている。

僕ら以外には道の反対に車が一台止まっているだけ。穴場?
さっそく断層にて化石を探す。
小さな貝殻が混じっている石ならばすぐに見つかり、
ものすごくラッキーならばアンモナイトを発見するとかしないとか。
恐竜の骨はさすがに無理か・・・
人によっては化石堀りにはまって、一日中でもいたいと。
土を払うための歯ブラシ片手に・・・

みんなして真剣になって斜面に落ちてたり、断層に挟まっている石をひっくり返す。
貝殻程度ならばすぐにも見つかる。
小さめので一個見つけて僕はよしとし、
その後見つけた巻貝っぽい化石はジュンコにあげた。

断層からはどこから沸いてくるのか、水が滴り落ちている。
それが地面にたまって水溜りになっている。
見るとおたまじゃくしが泳いでいた。
ボブが言う。「懐かしー。何年ぶりに見ただろ」


[1980] オハイオ隊、遠征(その12)5/5朝、King's Island へ 2006-05-13 (Sat)

遅くまで騒いでて、寝たのは午前2時半。
タクが「オレ、いびきうるさいから」って何度も詫びるように言ってて、
ほんとにいびきをかいて寝てた・・・
最初のうち寝れなかった。寝ても1時間おきに目が覚めた。
でもその原因はいびきじゃなくてどっちかといえば時差ぼけ。
日本だと夕方。眠いわけがない。

そんで起きたのは7時半。
タクが最初に起きて、テレビをつけてメジャーリーグの試合結果を見ていた。
その音で目が覚めた。
タクが煙草を吸いに外に出る。戻ってくると今度は僕が外に出る。
裏庭の写真を撮った。芝生が青々としている。
部屋に戻ると、ちょうどイチローのコーナー。
「ああ、やっぱ向こうでもスターなんだな」と思う。
「松井出ないかなあ」とタクが言う。
でもヤンキースの試合がなかったからか、松井が出てくることはなかった。
そのままぼーっとテレビを眺めたり、小説を読んだ。

9時頃だっただろうか。コムギちゃんが起きてくる。
さっそくキッチンでなにやら作り始めて、
やがてお茶碗におかゆを1人ずつ、
そしてビーフンのサラダ、ひじきのサラダがそれぞれボウルに。
「何かおなかに入れたほうがいいでしょ」と。

遅れてジュンコとボブが起きてくる。
食べながらジュンコがコムギちゃんと世間話。
「アメリカ人の友達できた?」
「アメリカ人?できなーい。外国人ばっかり。
 ドイツ人にロシア人にスェーデン。みんなアメリカの悪口言ってる。ハハハ」
「集まってホームパーティーとかしてるのー?」
「うん。五目寿司を作ると喜ばれる。
 みんなしてレシピを教えてって。混ぜるだけなのにね」

ジュンコはコンタクトをしたまま寝たのか、
空気が乾燥していてコンタクトが痛いという。

この日は King's Island に行くことになっていた。
パラマウント映画社の運営するテーマパーク。
大阪のユニヴァーサル・スタジオ・ジャパンみたいなもの。
http://www1.paramountparks.com/kingsisland/
上記公式サイトを見るとパラマウントは全米各地にテーマパークを展開していて、
カリフォルニア州やノースカロライナ州にもあるようだ。
ラスベガスにはなんとスタートレックのテーマパークが。
http://www.startrekexp.com/
マニアにはたまらないだろうな。

通常の入場料だと50ドルだけど、
インターネットで事前に申し込むと38ドルにディスカウントだと言うので迷わずそっちに。
1人1枚ずつ、Eチケットをプリントアウトしてくれる。
(そういえば書き忘れていたけど、ユナイテッドの航空券もEチケットだった)

ついでに、ボブのPCでインターネットを使わせてもらう。
メールを確認して、Gazz ! にオハイオに来たよとブログを書き込む。

10時過ぎに出発。快晴。
ボブの運転する車に乗って King's Island へ。
金曜日。空いてるだろうとボブはわざわざ会社を休んでくれた。

こんな話が出てくる:
「ポケモン?今でも流行ってるよ。こっちでは。子供がピカピカ言ってる」
「ポケットモンスターって俗に男性器を表すみたいね・・・
 だから絶対ポケモンって略したまま」

「銃?この辺は平和。銃声聞いたことない」
「俺もないな。オハイオでは」
「日本よりよっぽど安全。
 でも、この前ローカルニュース見てたら、中学生が学校に銃を持ってきてたんだって」
「えー??なにそれ」
「AとBとCの3人がいて、AがCに売りつけようとしてBを仲介役にしたんだけど、
 ロッカーに銃を入れてたCが怖くなって、告白しちゃったんだって」
「まあ、銃は普通に売ってるよ。日本でも売ってんじゃん。猟銃とか」

「見て!UPSのトラックってさ、ドアがないんだよ」
「あ。ほんとだ。どうして?」
「配達しやすいようにじゃない?郵便局のもそう。しかも右ハンドル」
「右?日本みたいに?」
「右だと道路に面してて、手を伸ばせばポストだからだと思うよ」
「なるほどねー」

途中、ジュンコとタクのかけてる眼鏡が
ジェットコースター乗ってるうちに落ちないようにと
「マイヤー」という大きなスーパーに立ち寄って、
スポーツ用品売り場にて眼鏡にくっつけるストラップを買う。
自分たちで探していたら見つからず、
売り場を歩いていたおばさんの店員2人に聞いてみたら
2人して全然違う場所に僕らを案内した・・・
ものすごーく広いスーパーの中を右往左往する。
ついでにタクはチェリーコークを買う。懐かしい味。おいしかった。

また車に乗り込む。
ものすごーくひょろ長い赤と白の鉄塔(ラジオ局の送信用)の脇を通り過ぎる。
深海底から生えている海草のようだ。
「ものすごく悪い電波が出てそうだ・・・」と誰ともなく言う。

やがて行く手には搭というか灯台のような建物が。
ボブが指差して曰く、「King's Island のエッフェル塔」

その後しばらくして、ボブが次に指差した先には
ベージュ色の小さな1階か2階建ての小さな平べったい建物が。
今度は何かと思ったら Voice of America の初代放送局とのことだった。
こんなところにあるとは。シンシナティだったのか。

King's Island 到着。
広い広い広ーい敷地のすぐ手前には子供用のカラフルな滑り台が顔を覗かせ、
遠くには大掛かりな宙返りジェットコースターやフリーフォール。
白い木製のジェットコースターもちらりと見える。
僕らは「うおーっ!!」と盛り上がる。

・・・が、様子がおかしい。
駐車場が閑散としていて、
ジェットコースターもフリーフォールも動いてる気配なし。
「もしかして、閉まってる・・・?」

オーッ!ノーッ!!

「そんなのありかよー!」みんなブーブー。
特にボブ。わざわざ休みを取ったというのに・・・
僕らより先に駐車場に車を止めて園内に向かって歩いていった
若いアメリカ人男性2人組がちょうど戻ってくる。
ボブが聞いてみると、やはり閉園日だった。
ぐったり。

諦めて、予定を変更してドライブということになる。
本当は次の日に行くことになっていたデイトンにある
Air Force Museum (アメリカ空軍の博物館)へと向かう。
あと、デイトンとシンシナティの間にある州立公園で化石堀り。

その前に、バッファロー・ウイングを食いたいというタクのリクエストにより、
ボブお薦めの店にて昼食。


[1979] オハイオ隊、遠征(その11)5/4シンシナティ到着 2006-05-12 (Fri)

終点に到着。空港。20時頃か。出発1時間前。
先ほどビートルズの「While My Guitar ...」を演奏していた人はいなくなって、
黒人の年老いたアルトサックスに変わっていた。
うまいんだかへたなんだかよくわからない音色。

中に入って、セキュリティ・チェックを受ける。
ここはアメリカなので、靴を脱がなくてはならない。
みんな靴を脱いでいる。

免税店や土産物屋、軽食のスタンドと並んで
ブラキオサウルスの骨格の標本模型が飾られている。
高さ5mはあるだろうか?
「180 million years ago」と書かれている。1億8千年前?

CDを売ってる店があって、入ってみる。
Jack Johnson のこの前出た「Curious George」のサントラが大きくフィーチャーされていた。
あと、Pearl Jam の新譜が出ていた。知らなかった。Phish もあったな。

コーヒーを飲もうという話になり、コーヒースタンドへ。
しかし1軒目はなぜかコーヒーはないと言われ(?)
2軒目に入ったスターバックスでは今度はラテがないと言われた。
いつもだいたいブラックで飲んでる僕はそれでもよかったけど、
ジュンコとタクは大憤慨。「スタバにラテがないなんてどういうこと!?」
ミディアムサイズで、って言ったのに
出てきたのは日本のグランデよりもでかいサイズ。さすがアメリカ。やはりの大きさ。
1.87ドル。
ミルクのポットがあったので、それを混ぜてみる。
「Whole Milk」と「Low Fat」とかに分かれていた。
普段スタバを利用しないのでよくわかってないんだけど、これって普通?

コーヒーを飲みながらロビーで待つ。飲みきれない量。搭乗時刻が迫る。
僕は熱いのを無理して飲みきる。2人は機内にそのまま持ち込んだだろうか。

シンシナティ行きはもちろん飛行機が小さくなっていた。
日本で言うと羽田−青森間サイズ。一緒なんだね。規模が。

タクとは隣り合わせるが、ジュンコとは離れて座る。
本を読んでいるうちに離陸する。タクはゲームをやっている。
上り続けていって一定の高度に達したら飲み物のサービスとなって、
飲み終えたらすぐにも下り始めて、到着してしまった。1時間ぐらいか。
なんかもう、市民の足。
距離にして 500km ってことでこれまた東京−青森間に近い。
(飲み物のサービスでハイネケンって言われたら5ドルと言われたのでやめた)

ついにシンシナティ到着!!
薄暗い通路を歩き、出口に向かっていたらその途中でボブとコムギちゃんが待っていた。
感動の再会。ボブとタクががっちり握手。
僕はボブに「久し振りだなあ」と言われる。久し振りも何も高校卒業以来か・・・
コムギちゃんとははじめまして。

Baggage Claim にて長いこと待たされてスーツケースを受け取るまでの間に、
さっそくちょこちょこと日本食のお土産を渡す。
機内に持ち込んだ「コメッコ」や「たけのこの里」
コムギちゃんが「キャーッ!!」と大きな声で喜ぶ。

スーツケースをピックアップすると駐車場に向かって
ボブの運転する車で家まで向かう。
思いっきり真夜中。
「こんな時間に来た連中は初めてだよ」と笑われる。

空港を出る。
シンシナティの空港そのものはケンタッキー州にあるのだそうだ。
シンシナティはオハイオ、ケンタッキー、インディアナ、この3つの州にまたがっている。
ハイウェイを走っているうちに「ようこそオハイオへ」の看板が。
そしてすぐ、シンシナティのダウンタウンが見えてきた。
シカゴに比べたらおとなしいもんだけど、高層ビルがいくつかと、球場が2つ。瞬いている。
(なお、これぐらい大きかったら州都でもいいはずなのに、そうではない。
 オハイオ州の州都がコロンバスという小さな町になったのは
 シンシナティとクリーブランドという
 大都市2つの間で州都をめぐる争いになったことの仲裁策だった)

ダウンタウンの北半分側は僕らのような日本人は脚を踏み入れてはいけない場所だという。
荒廃してスラム化した地域。
ユタに滞在したことのあるタクは、ユタにはこういう場所はなかったなと語る。
だけどその分、シンシナティのような街の明るさはなく、田舎だったとも。

マリオットやラマダ・インといったホテルのチェーン、
マックやウェンディーズといったファーストフードのチェーン、Kマートやウォルマート。
色鮮やかな看板が数限りなく通り過ぎる。
消えては現われ、消えてはまた現われ。住宅地との繰り返し。
「アメリカはどこもこんな感じだよ」とボブは言う。
「去年フロリダに行ったけど、全く一緒だった。何も変わらない」
そうなのかもしれない。
僕が5年前に出張でフォートワースに来たときもこんな感じだった。
こういうチェーンの店が強いってことは、あまりにもその力が強すぎて
アメリカという国を画一化させてしまうのかもしれない。
あるいは、それぐらいの強い力がなければ、
チェーン店として勢力を拡大できないのかもしれない。

タクが「バーガーキングのワッパーを食べたい!」と雄叫びを上げ、
遅い夕食はバーガーキングのドライブスルーへ。
ワッパー、ポテト、コーラのセット。
日本から撤退して久しく、懐かしい味と喜ぶ。
(と言っても、僕は実は食べたことがなかった・・・)

そうこうしてるうちにボブの家に到着。
アパートメントだと言われていたが、日本とは違って、正しくは住宅の貸し出し。
このアパートの一角の入口から家までがかなりの距離となり、
中には噴水まであって、池にはカもが泳いでいた。
日本人ばかりなのかと聞くとそんなことはなく、周りでは1家族だけだとのこと。
たぶんアメリカの中の上クラスが住むところ?

ガレージを開けて車を入れて、スーツケースやその他荷物を家の中へ。
広い・・・
日本だったらこんな家住めないだろうなあ。
しかも30代前半の普通のサラリーマンだったら。
トイレは1階と2階に3つ、バスルームは2つ、部屋は4つだったか。
1階はキッチンと広々としたダイニング兼リビング。
(キッチンとダイニングの間は正方形の吹き抜けになっている)
両腕を伸ばしたぐらいの大きさのサイズのテレビ、その下は暖炉(ただし、フェイクでガスの)
ふかふかした、人1人寝られるゆったり寝られるサイズのソファが2つ。
はー・・・
僕もアメリカ駐在員になりたくなった。

さっそく一大お土産披露大会。
タクとジュンコが持ちこんだその他の日本食は、
ごはんですよ、瓶詰めのウニ、つぶあん、一口サイズのもち、
お好み焼きの素、ふえるワカメ、さんまの蒲焼の缶詰め、などなど。
テーブルいっぱいに広がって(マジで)山となり、みんなで笑いながら写真を撮った。
他に日本のテレビ番組のDVDや「MORE」や「FLASH」といった雑誌に
リリー・フランキーの「東京タワー」やなぜか三島由紀夫の「潮騒」といった本。

ワッパーにかぶりつきながらバドライトを飲む。
ドイツ人が「ウォーター・ビール」と呼ぶバドライト。
でもサイコー。ワッパーもウマイねー。日本撤退がもったいない。
さっそく日本の番組ってことで出発前日の「ザ・ワイド」
平塚の猟奇的な死体事件(親子の関係が入り乱れていて謎が謎を呼ぶ)や
歌舞伎町に店を構える不動産屋(歌手を目指して上京してきた女の子がキャバクラで働く)
といった取材を眺めながらビールを飲んでいると、日本とちっとも変わらない。
友達の家に集まって飲んでいるかのよう。
でもここはアメリカなんだよなあ。
そう思いながらポテトに手を伸ばし、キングサイズのコーラを口に運ぶ。

シャワーを浴びた後、ベッドメイキング。
客用の寝室はジュンコ専用となり、
男性人2人僕とタクは居間のソファがそのままダブルベッドになった。
タクが右側に転がり込むとすぐにも眠り込んで、僕は左側に寝た。
時差ぼけなのかなんなのか、僕はしばらくの間眠れなかった。

なお、ジュンコのスーツケースは荷物検査で開けられていたようだ・・・
ボブの家について早々、お土産を取り出すために開いたら
「あ〜っ!なにこれ〜!!」と大声で。
米国運輸保安局発行の
「Notice of Baggage Inspection」の白くて細長い用紙が出てきた。
僕とタクは入っていなかった。
運悪くジュンコだけが当たってしまった・・・
開けられたというだけであってそれ以上のことはなかったみたいだけど。


[1978] オハイオ隊、遠征(その10)5/4シアーズ・タワーとユニオン駅 2006-05-11 (Thu)

やがて曲がるべき通りを見つけて、
しばらく歩いていたらすぐにもシアーズ・タワーが見つかった。
高い。さすがに高い。現在、世界第3位の高さ。
つい10年前までは世界一の高さを誇っていた。
(でも僕はもっともっと高いビルを想像していた・・・)
展望台「Skydeck」の入口を見つけて中に入る。
高いところ大好き。もちろん入りますよ。
いったん地下に下りて、空港のようなセキュリティチェックを受けて
金属の持込がないことを確認された後、カウンターでチケットを買う。11.95ドル。
いきなり展望台に上がるのかと思いきやそういうことはなく、しばらく待たされる。
次の回まで「14:23」といったようにカウントダウンの掲示板が。
両開きのドアが閉じられている。あの向こうにエレベーター?
なんだろう?とおとなしく待つ。
パラパラと人種も年代も様々なアメリカ人観光客のグループが「待合室」へ。
することもなく、行楽地に置かれているようなコインを入れて遊ぶのに群がる。
日本人の妻とアメリカ人の夫、妻の両親というグループを見かける。
国際結婚をした娘の新天地を一度見てみたいとして訪れたのだろう。

タワーの係員が入ってきて、何かを早口に告げる。
アメリカ人たちがドアの前に集まりだし、ベンチに座っていた僕らも立ち上がる。
ドアが開く。中に入る。
そこには、長いベンチと前方にスクリーン。
??まさか、展望台なんて物は何もなく、バーチャルな映像を見せられて終わり?
やがて音楽と共に映像が始まる。
題してシアーズ・タワーの歴史。
シカゴの発展していく様子を追った記録映像に続いて、
シアーズの社長?がタワー建造を思い立った経緯や
建築家がタワーの形を思いついたきっかけ
(ディナーパーティーで煙草をまとめて手にしていたら1本ぴょこんと飛び出て・・・)
を再現映像とし、今も生き残る当時の関係者のインタビューで構成。
工事現場の映像が続き、シアーズ・タワーは1974 年に完成する。

この後ようやく、エレベーターへ。103階という高さを瞬時に上り詰める。
(地球の歩き方を見たら1分って書いてあったけど、体感時間は10秒だった)

そして広がるパノラマ・・・

・・・すげえよ!!
目の前に五大湖のうちの1つミシガン湖が広がってるんだけど、
これがまた大きいなんてもんじゃない。まるで海。目の前水平線。
最初、なぜか「太平洋?」って思ってしまった。
光景としては今回の旅行でベスト。ダントツで。
「こんな壮大な眺めを見るためには
 こんな高いところに上らなきゃいけないんだなあ」
なーんて思った。素直に感心した。
こんなでかい湖のほとりで暮らしているのなら、
対抗したくて高いビルを建てたくなるのもなんだかよくわかる。
足元には林立する摩天楼ってのもたまらない。
でも全然シアーズ・タワーの高さに足りてなくて子供みたいなんだよね。
いやー、とにかくすごいよ。グレート。アメリカバンザイ。

シカゴ土産の絵葉書を4枚買って、1.76ドル。
3枚はモノクロの渋いヤツ。

下りのエレベーターを待つスペースには
詩人 Carl Sandburg による次の言葉が大きく書かれていた。
「Show me another city so glad to be alive」

どこの国も同じようなもんで、出口の手前にはお土産屋。
シカゴ版モノポリーなんてものを見つける。
あとはひたすらシカゴ・ホワイトソックスやシカゴ・ブルズのグッズ。
ジュンコとタクはアル・カポネグッズないかなあと探す。

シアーズ・タワーを出て、次に向かうはユニオン駅。
「アンタッチャブル」に出てくる階段での銃撃のシーンの舞台が、ここ。
川を渡り、少しばかり歩く。裏口らしきものを見つけて恐る恐る入ってみる。
これがまた、バカデカイ。天井がやたら高く、長方形の劇場のよう。
(モロッコのカサブランカで見た、ハッサン2世モスクの広間のミニチュアのよう)
負けず劣らず大きな星条旗が天井から下げられている。
例の階段は割と小さく、地味。
大理石なのかな、ゴージャスなようでいて歩いてみると段が微妙に歪んでいる。
駅という割に人はほとんどいなくて、観光客だけだった。
実際のホームに当たる部分は奥のほうにあって、そちらは市民たちでにぎわっていた。
帰りに別な通りを歩いていたら、
駅の地下入口に通じる階段があって、そこに大勢の人が吸い込まれていた。

時間もなくなってきて、地下鉄の駅に戻る。
夕暮のシカゴ。
川面に映る様々な形をしたビルの姿が美しい。奇抜なデザインを競い合っている。
あるいは、ビルの窓ガラスに反射する強いオレンジ色の光。
(ビルは黒い色をしていたものが多かったように思う)

繁華街の店は閉まるのが早いようで、
先ほど来るときに通りがかった店もその多くが閉店していた。
特に食べ物系。19時にはディナーの時間が終わってしまう。

地下鉄の駅まで無事に戻ってくる。
ブルーラインに乗って、空港へ。席が埋まっていて最初のうち、座れない。
路線図を眺める。シカゴの地下鉄は通りの名前をそのまま駅名にするそうで、
そのせいか同じ名前の駅がいくつかある。ハーレムとか、カリフォルニアとか。
同じ路線なのに、始点と終点とがコの字型になっていると、やはり同じ駅名が出てくる。
紛らわしくないのだろうか?気になった。

半ばを過ぎて席が空いて、座り込む。
日の沈む寸前のシカゴ。斜めに差し込んでくる盛りを過ぎた日差し。

シカゴの印象:
色褪せたレンガ。錆付きかけた剥き出しの鉄骨。
街全体がくすんだ色をしているのに、なんだかほんのり温かい。
無口なのに、何かを語っている。語るべき何かがある。


[1977] オハイオ隊、遠征(その9)5/4シカゴのダウンタウンへ 2006-05-10 (Wed)

駅の黒人の係員の人から親切な説明を聞いて、1 Day Pass を買う。5ドル。
(僕らがまごまごしていると近寄ってきて、ゆっくり説明してくれた)
地下鉄に乗り込む。
しばらく待ってると走り出す。
すぐにもブルーラインは地上に出る。ハイウェイに沿って、シカゴの街並みを走り抜ける。
まだ郊外を走ってるからか、シカゴの街は自然が多くて隙間が多いという印象を受けた。
理路整然と区画され、進化でもなく衰退でもない緩やかな生命活動が続いているような、
典型的なアメリカの都市。飾り気のないベッドタウン。
一度地下に戻って潜り抜けると、ハイウェイから離れ、さらに都市っぽくなってきた。
というか恐らく貧困層が住むような崩れかけたアパートが連なっている区画に入った。
しかし殺気立ったりはしていない。
上半身裸の黒人がベランダで揺り椅子に揺られながらひなたぼっこをしているのを見かけた。
どこの家もレンガ造りで、地味な色をしている。それが道路の果てまで連なっている。

飛行機であまり眠っていないジュンコとタクは
電車の揺れが心地よいのか、すぐにも眠ってしまった。
僕はそのままダウンタウンまで行くことに決める。着いたら起こせばいい。
様々な人々が白人も黒人も乗り込んでくるが、みな普通の市民のようであって、怖くはない。
僕らのようなアジア人が乗っていても、好奇心の対象とはならない。
僕は窓の外の風景を眺める。

シカゴの地下鉄、バス、高架鉄道をひっくるめて「CTA」という。シカゴ交通局。
正しくは「Chicago Transit Authority」
この字面どこかで見たことあるなあと思っていて、帰国した今思い出した。
Chicago の1969年のファーストアルバムのタイトルだ。
「朝もやの2人」(If You leave Me Now)に代表される
AOR / バラードのグループとしてのChicago の姿はまだこの頃はなく、
若者的野心に満ちた、ギラギラとしたブラスロック。
現実を変えようという意識を持った、カウンターカルチャーとしてのロック。
そうだよ、シカゴって Chicago だよ。
その街を僕も歩いてみたんだなあと思うと、ものすごく感慨深い。
「ああ、この雰囲気に包まれた音楽だったのか」というのを実際に肌で感じることができて、
単なる洋楽のグループという位置づけを超えて、身近に感じられるようになった。
それにしてもすごい名前だよな。今思うと。
僕の知る限り、ニューヨークやロサンゼルス、あるいは東京や大阪という名前のバンドはない。
曲のタイトルの一部になることはまあよくあることだとしても、
よもやバンド名にまでしてしまうとは。
なんというかシカゴ独特の連帯感ってのがあるんだろうな。
シカゴって、同名の、有名なミュージカルもあるし。
不思議な街です。

ブルーラインがダウンタウンの「Clark」駅に到着する。
下りてホームを歩き、人の流れに沿って階段を上って出口へ。
地上への階段があって、その先にはシカゴの繁華街。キター!!

まっすぐ南に何ブロックか下って行って、
Adams という通りに出たら西に歩いていけばシアーズ・タワーに到着する。
・・・のであるが、東西南北がわからない。
碁盤目状になっていてどっちにむかっていいものやら。
地図を広げていると親切なアメリカ人が近付いてきて、
「シアーズタワーに行こうとしてるんだけど、どっちですか?」と聞いたら
方角を指差して、この通りをいくつ越えたら、曲がってさらに・・・、と詳しく説明してくれた。
親切な人に出会って、うれしい。

さっそく歩き出す。
様々な店が立ち並ぶ。洋服の店だったり、ダイナーだったり。
「Tokyo Lunch Box」という日本食のファーストフードの店があって気になった。
あんまりおいしそうではなかったけど・・・
珍しいところでは「Shoe Repair」を看板に掲げた店があって、
店の前半分のスペースはどうも靴磨きのためのものだった。
背の高い台が客の座るのを待っていた。

シカゴのダウンタウンを特徴づける高架鉄道が
線路を軋ませながらすぐ頭上をゆっくりと通り過ぎる。
ダウンタウンを囲むようにして走るため「LOOP」略して「L」と呼ばれ、
今では逆にダウンタウンの中心部、囲まれた範囲のことを「LOOP」と呼ぶようだ。
この高架鉄道が絵になるんだよなあ。
線路も車体も古くて、かっこいい。交差した瞬間とか。
シカゴは高層建築が多く、このダウンタウンには数多くの、
モダンなデザインの高層ビルがあった。これもまたかっこいい。
その下を高架鉄道がかすめていくわけである。
大きくて新しいものと小さくて古いものとの対比ってとこか。

歩いていたらとある通りで通行人が倒れていて、
通りがかりの人だろうか、応急処置として人工呼吸を施していた。
僕らが通りを渡った頃、サイレンが鳴り響いて無茶苦茶大きな消防車が到着した。
救急車じゃなくて消防車。しかも日本で見かけるよりも倍の長さの。
そうか、救急車ってないのか、アメリカでは。
いや、違うぞ。テレビ番組で見たことあるぞ。
「とにかく緊急事態」ってことで通報した人が消防車を呼んでしまったのか。


[1976] オハイオ隊、遠征(その8)5/4シカゴ到着 2006-05-09 (Tue)

空港の通路を歩いていく。入国審査までとてつもない距離を歩く。
オヘア国際空港はユナイテッド航空のハブ空港であって、
「地球の歩き方」によれば「世界一忙しい空港」と称されているという。
通路は無味乾燥なものではなくて、どことなく温かい。無骨で無口な温かさ。
その後、街を歩いていみて改めて感じたけど、これがシカゴという街を貫くトーンなのだと思う。
歩いていて、あちこちにシカゴ名物を紹介する大きなプレートを目にする。
シカゴ・ブルースであるとか摩天楼とか。
そういう一角を過ぎると今度はステンドグラスで飾られた通路へ。
中世の教会っぽい簡素な模様のだけではなく、様々な職人が様々に作ったものを持ち寄ったようで、
中にはマイケル・ジョーダンをかたどったステンドグラスもあった。
歩き疲れた人のためのなのか、ベンチが一定の間隔で置かれている。
このベンチも地元のアーティストが装飾したのか、カラフルだった。

入国審査。
列に並んでしばらく待つ。
中国から来たと思われる全身ピンクのジャージのおばさんが勝手が分からずまごまごしている。
ときどき係員が見かねて話しかけて説明するんだけど、上の空で明らかに聞いていない。
僕らの番が終わってもおばさんは相変わらずブースの前で右往左往していた。
中国の人がいたら助けてあげればいいのに、と思った。
飛行機の中でもこのおばさんは1人右往左往していて、
席の離れた旦那のところへ足しげく通う。空の旅が不安なのか。
ビジネスクラスの方に入ろうとして
スチュワーデスに「ノーノー」と断られたりしたことが何度かあった。
あのおばさんはその後どうなっただろうか?
無事にシカゴで過ごせただろうか?
その後出国できただろうか?

タクが「天井すげーよ」と言って指差す。
見ると波打っている。灰色の強化プラスチック?で作られた壁面が規則正しい曲線を描いている。
そしてその開いている箇所から様々な配管が覗いていた。
それを見てタクは「質実剛健だなぁ」と感想を述べる。

僕のときの入国審査で聞かれたのは入国の目的(観光かどうか?)と滞在日数だけ。
なのに係員の女性が凄んで詰問してくるのでこちらも答えるのがたどたどしくなる。
税関申告書の方のシートを見せたとき、何を持っているかと聞かれた。
とっさに僕は「SUSHI」と答える。
「What Kind ? EBI ?」
「Yes. Kani, too」
「Ok」
すっとこどっこいなやり取りを交わす。
右の人差し指、左の人差し指、顔の写真を撮られて、ようやく解放される。

Baggage Claim でスーツケースを受け取って、税関へ。
「さあ勝負だ」「開けて1つ1つ説明しなきゃいけないんだろうな」と
心の中でドキドキしながら進んでいく。
が、税関申告書を渡したらあっさり通過できてしまった。拍子抜け。
ジュンコは持ってきた食品のリストとその英訳まで用意したというのに。
こんなことなら空港で見かけたアジの開きやほっけ、
日本のスーパーで売ってるラーメンやカレールーも持ちこめたなあ。
思いっきり肉がパッケージに写っている丸美屋の麻婆豆腐の素も。
3人でブーブー言う。
でもこれもいくつもの便が到着して立て込んでる時間帯だったからか。
他の時間、他の空港ならばきちんとチェックされたかもしれない。

ここまで来て、「遂にアメリカだ!!」という気分になる。
そのまま歩いていると出口へ。
外国人用の乗り換え窓口みたいな部屋があって、呼び止められる。
僕らがスーツケースにつけていたタグを見て係員のにこやかなおじさんが
「シンシナティまでか。荷物をここで預けるように」と指示をする。
言われるがまま、スーツケースを預ける。
「ターミナル No.1に進みなさい。上に上がるとシャトルが走っている」

身軽になった僕らは空港内を歩く。
そのときはターミナル5にいて、ターミナル1にてシンシナティ行きに乗り換え。
15時ごろ。出発は21時。6時間もある。
さて、どうしよう?
とりあえずターミナル1の場所を確かめようとシャトルに乗ってみる。無料。
成田空港で走ってるようなああいうシャトルというかモノレール。割と小さめ。
窓の向こうにオヘア国際空港の風景が広がる。とてつもなく大きい。
横長のターミナルの建物、飛行機が点在する滑走路、その外側を走るハイウェイ。
ロスの空港も大きかったが、こちらも負けていない。
「すげーなぁアメリカ」と呟く。

ターミナル1で下りる。
「We're Glad You're Here !」という市長の挨拶が書かれた垂れ幕でお出迎え。

チェックインのカウンターが横長にどこまでも連なる。
ターミナル1は主にユナイテッドの乗り降りのためのもののようだ。
他に見かけたのはルフトハンザぐらいか。
「Ted is happy to see you」といったような
「Ted」の登場するキャッチフレーズをあちこちで見かける。
でも Ted って誰なんだろう?

シンシナティ行きの便を見つけて、ひとまず安心する。
「中、入っちゃう?」とジュンコが言う。「でも、あと6時間もあるよね」
僕としてはせっかくだから外に出てシカゴの街並みを見てみたい。
とはいえどこの大きな空港もそうだけど、
シカゴの街中に空港があるわけではないので
中心部まで行くには何らかの交通手段を利用しなくてはならない。
見ると、バスターミナルや地下鉄の掲示が。
「とりあえず歩いて行ってみようよ」と僕は言う。
タクは気が進まないみたいだったけど、時間もあるしってことで3人揃って歩き出す。

地下通路を進む。
殺風景な何もない通路を抜けると、
その先では長髪長身のストリート・ミュージシャンがギターを弾きながら
ビートルズの「While My Guitar Gently Weeps」を歌っていた。
地下鉄の駅までの通路には、大きな壁画が2つ飾られていた。
1つは地球上のあらゆる地域の原始的な生活について、
もう1つは現代のシカゴでの生活について、
文学で言うところのマジック・リアリズム的というか、
それぞれシュールで大胆な筆致で描かれていた。

5分ぐらいで地下鉄の駅に到着。
タクが記念にチケットを1枚買う。
路線図を見る。いくつかの路線があって入り組んではいるものの、
この駅を始発とする地下鉄(ブルーラインと呼ばれる)に乗っていけば
1本でダウンタウンまで行けるようだ。
15駅ぐらいあって、「地球の歩き方」を見ると45分かかる。
割と遠い。それでも俄然行きたくなる。
タクがやはり「えー・・・怖いよ」と渋るんだけど、
僕が「大丈夫大丈夫」と説得して、無理やり乗車決定。
タクは「何駅か行ってそこで降りてお茶を飲んで帰ってくるんでどうか、
その途中で危なそうに感じたらすぐに引き返す」という提案をして、
僕は口では「それでいいよ」と了承するものの、腹の中ではダウンタウンまで行く気満々。


[1975] オハイオ隊、遠征(その7)5/4機内 2006-05-08 (Mon)

シカゴ行きの機内。日本人の姿は少ない。アメリカ人の方が多いだろう。
アジア系は中国や韓国の人たちと思われる人たちも多い。

若くてきれいなスチュワーデスが乗ってることはなく、40代のおばさんばかりが目に付く。
離陸前の空調の効いていない機内で「Safety Card」と言うのか、
緊急時の避難方法をガイダンスするための冊子をうちわ代わりにして扇ぐ。

滑走路に出てさあ離陸かと思いきや、機長からのアナウンスがあって引き返すことになる。
エンジントラブルがあったようだ。整備のためドックに戻る。
実際に離陸できたのは30分後か。3人で拍手する。
「飛び立ったぞ!」「アメリカだ!!」

航空機が好きで、羽田空港近くの城南島海浜公園によく飛行機を見に行ったというタクは
ユナイテッドの機体は尾翼があーでこーでとこと細かく解説してくれる。
主翼の端に垂直の小さな翼を立てることで燃費がこれだけ向上して、などなど。
ちょうど主翼の付け根の座席に座ることができたこともあって、かぶりつきで眺める。
「離陸の瞬間、フラップがこんなふうに動いて」と目を輝かせる。
(到着間際に、タクに主翼の写真を撮ってもらった)

機内放送が始まる。
これがなんかうまくいかなかったようで、予定してたのとは別のチャンネルになる。
都市の中で行われるカーレースものっぽい番組で「Tokyo Drift」という回だったのが
(どこかのビルの地下駐車場でスタートし、レースクイーンたちが色めき立っていた)
あえなくブチッと切られる。
中国語の字幕つきで映画となる。何の映画だったかは忘れたが、コメディだった。

出入国カードと税関申告書が配られて、記入する。
税関申告書どうする?と相談する。
素直に「食べ物あり」のところにチェックを入れる。
だけど、「肉あり」のところにはチェックを入れない。
僕ら3人とも、ぱっと見で肉っぽいものないしなーということで。
(食品そのものはOKなものが多いけど、肉は全般的にNG)

機内食の時間。3人でビールを頼み、めでたく第1回目の乾杯。
キリンの一番搾りだと思っていたら、
よく見たら「KIRIN ICHIBAN」というアメリカ向けの製品だった。
機内食はメインは「チキン or ビーフ」ってことで
パスタ、ニンジン、ブロッコリーを添えたビーフ、
別の皿には焼き鮭、枝豆、パイナップルという不思議な組み合わせ、
レモンクリームのケーキ、パン。
日本で作られたものなのだろうか?だけどアメリカ人向けに?
鮭にご飯がないのは非常に不自然・・・

機内食前後に飲み物のサービスが3回あって、僕は3回ともビール。
酔っ払って眠った方がいいだろうと。
食後のコーヒーを飲んだ後、本を読んだり、眠ったりを繰り返す。
疲れてはいないが、なんとなく眠かったり眠くなかったりといったような状態。
タクは GAME BOY をやりながらいつのまにか眠っていた。
日本を夕方に発って、東へ東へと進んでいくのだから、外はすぐにも真夜中になる。
しばらくの間、真夜中が続く。

ふと見るとスクリーンは映画が終わって、
目的地までの距離であるとかのインフォメーションの画面になった。
(この画面ってどの国のどの航空会社の飛行機に乗っても共通で出てきますよね。
 どこで作ってるのだろう?どこの会社が引き受けたシステムなのだろう。なにげに気になる)
外の気温は−51℃で、「バナナで釘が打てるんだなあ」
なんてことを思ったことをなぜか覚えている。

その後どれぐらいの時間が経過しただろうか。
夜食の時間になる。ENJOYと書かれた青い箱(ランチボックス?)が配られる。
中にはバナナとレモンクッキーと小さな「きつねらあーめん」のカップ。
間違いではなく、「らあーめん」なぜこのような表記?
しかもうどんじゃなくて?
パーサーがお湯を注ぎに来る。4分待つ。
食べてみたら本当にラーメンだった。キツネ入りの。
超違和感。なんだかずれてる。コンセプトは惜しいんだけどね。
味は、・・・そんなおいしいものでもない。薄味。というか大味というか。
カップを見ると横に「TOYO SUISAN」と書かれている。
ありえない!東洋水産って言ったら「赤いきつね」でしょ?
なぜあれをそのまま提供しない!?
なぜわざわざ質を落とす!?

食い終わってまたしばらくして、うとうとした後にモニターを見ると
アラスカを越えてカナダ北部の太平洋岸上空を飛んでいた。
Prince Rupert と Queen Charlotte Sound と表示されている。初めて見る地名。
Queen Charlotte Sound ってそういう名前のパンク系のバンドがどこかにいそうだ。

何度かトイレに行く。乗客に配られた白い手拭が狭い通路の上に落ちていた。
おばさんスチュワーデスは右足で器用に座席の間に押し込む。何事もなかったかのように。

映画は「ボーン・スプレマシー」にその後、「トロイ」?
ぼけーっと眺める。

眠る。起きると、朝の到着前の機内食の時間。
ビールはさすがに飲めず、牛乳をもらう。
オムレツ(or パスタ)、ハッシュドポテト、細長いつくねのようなもの、
オレンジジュース、果物(メロンなど)、パン。

約12時間のフライトがつつがなく終わり、シカゴのオヘア国際空港に到着する。
機長最後のフライトだったようで、
記念のセレモニーとして放水車が集まって機体にホースが向けられる。窓という窓が水浸し。
出口には機長が立っていて、乗客たちと握手していた。
(僕はしなかったけど、ジュンコは握手してもらってた)
50代ぐらいのアメリカ人の機長はその白い制服にみんなで寄せ書きがなされていた。
Good Luck ! と書かれたり、手書きのハートのマークが添えてあったり。
なんかそういう1人の人間の人生の節目の瞬間に立ち会えたことを不思議に思う。
世界の反対側の航空会社でパイロットとして勤務してきた男性との接点なんて、そうそうない。
どういう人生だったのだろう?とわずかばかり思いを馳せる。


[1974] オハイオ隊、遠征(その6)5/4成田にて 2006-05-07 (Sun)

上の階に上っていくとおしゃれなカフェがあって、ようやくジュンコ・タクと合流。
「すんません、すんません」と僕はひたすら謝る。
コーラを飲む。さっそく写真を撮り始める。交互に。パシャパシャと。
スーツケースにバンドをかけてなかったので、バンドをかけようとする。
僕は正しい締め方を知らなくて、いつもユルユルになる。
ジュンコから聞いて掛けようとするのだが、
めんどくさかったので結局ジュンコに締めてもらった。
「アメリカってスーツケースに鍵掛けちゃいけないんだよ」って言われて、
鍵を探して LOCK から OPEN にする。
抜き打ちの荷物検査で開けられる、
鍵が掛けられていたら無理やりこじ開けられるってのは常識みたいで、
実際、事前に見といたコムギちゃんのブログでは鍵を壊された
(でも、航空会社が替わりのスーツケースを買ってくれた)と書いてあった。
バンドだけ締めて鍵をかけない。
去年行ったときはどうだったっけ?
そうだ、スーツケースじゃなくてリュックサックで行ったから預けてないんだ。

14時前。フライトの時刻まで3時間ある。
航空会社のカウンターにてチケットを受け取る。
(旅行会社のカウンターで受け取るのではなく、直接航空会社のカウンターで)
行きの分だけ。帰りの分は現地で受け取る。
ほんとに?と不安になってカウンターの人に確かめた。

今回はユナイテッド。初めて。
「マイレージのカード作った?」とジュンコがタクと僕に聞く。
「いんや」と気のない返事をすると、
「マイル入んなよー、もったいないよー」とジュンコに言われる。
もったいないのレベルを超えて「信じがたい」とまで言われる。
女の子ってみんなそうだよなー。
今回何マイルだから、あと何マイル貯めると
どこそこまでただで行けるんだよー!!と力説されるが柳に風と受け流す。
もちろん貯めた方がいいってことは分かってるけど、なにかとめんどくさい。
(やっぱ入ろうかと、10日の今調べてみたら
 搭乗券をアメリカに送んなきゃいけないみたいでやはりめんどくさいのでやめた。
 機内で手続きできたみたいだけど、あれが最後のチャンスだったか)

身軽になって空港を探索。4階へ。
外国人向けのお土産屋にて寿司Tシャツを見つけて喜ぶ。
大きく「SUSHI」とプリントされていて、
エビとかプラスチックかなんかで作られた立体のネタが浮き上がっている。
ジュンコは機内で暇つぶしにやる PSP のゲームを探す。
これと言って面白そうなものはなく、買うのは諦める。
PSP の英会話練習ソフトを持ってきていて、それをやっていたようだ。
タクが持ってきたのは GAME BOY で、
行きと帰りの飛行機で熱心に「Mother 3」をやっていた。

コムギちゃんが食べたがっていたカリカリ梅を探す。
最初入った食品系お土産屋でさっくり見つける。
(僕もジュンコも日本のスーパーでは見つけられなかったのに)
このお土産屋にて、冷凍のアジの開きやほっけを見つけ、買うべきかどうか迷う。
20時間までなら、冷凍状態でなくても大丈夫とある。ギリギリ間に合う。
ボブ喜ぶだろうなー。だけどなんか、なんとなく没収されそうだ・・・
やめておく。

本屋に入る。
なぜか僕は目に留まった葛飾北斎の富岳三十六景の絵葉書が
「かっこいい」と欲しくなって買う。
ジュンコはお土産用、かつ機内の暇つぶし用に女性誌をいくつか買っていた。
ルパン3世やOL進化論の英訳のペーパーバックを見つける。

フロアの奥の方にはユニクロまで入っている。
一時の成長神話が廃れてこのところ色褪せた間のあるユニクロであるが
こんなところまで進出してるのか!と驚く。
でも便利だろうな。
海外で着る衣料を買い足したいとき、ユニクロの安くてシンプルな服はちょうどよさそう。

「バイプレーン」という航空機グッズ専門店があって、これは面白いと思った。
スチュワーデスになりたい女子学生向けの雑誌や航空法の本、
航空機マニア向けの DVD や世界の航空各社の機体の模型が販売されている。
男の子向けのおもちゃの空港一式や、
女の子向けのアメリカ人スチュワーデスの人形と機内食のカートのセットなんてのもあった。
僕はエイ出版社から出ている、「レトロエアライン デザインブック」ってのを見つけて、
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4777904512/qid%3D1147243228/249-6416580-0203516
ついつい買ってしまう。
航空機・航空会社マニアでもなんでもないけど、
この手のレトロフューチャー的なものって大好きなんですよね。
本で扱ってる内容は機体に限らず、
ステッカーやポスター、スチュワーデスの制服まで。いいです。
今眺めてうっとりしてます。
飛行機とかそもそも「空」ってのは自分の中の男の子の部分を惹きつけてやまないですね。
自分の中にもそういうのがあるってことを再認識しました。

青森の母に「今から行ってくるよ」と電話をかける。
「みんなそろったか」と聞かれて「うん」と答える。
「楽しんで行ってらっしゃい」と言われる。

5階のレストラン街で昼食。
昼を食べてきた僕はビールにおつまみのセット。
真昼間から飲むビールはうまい。たまらない。
「あれ?飛行機に乗る前って飲んじゃいけないんだっけ?」と一瞬わからなくなる。
「ま、いいか。一杯ぐらいどってことない」と割り切る。へべれけでなきゃいいか。

出国手続きをしようと2階に戻る。
ユナイテッドのカウンターは長蛇の列になっている。主に外国人ばかり。
早めにチェックインしといてよかったと思う。

セキュリティ・チェックと出国審査を何事もなく通過。
(ジュンコは小銭で引っかかったようだ・・・)
「セキュリティ・チェックってペットボトルがダメじゃん、あれってなんで?」
と積年の疑問を僕が口にすると、
タク曰く、「9.11のとき、ペットボトルに催涙ガス入れてたからみたいだよ」とのこと。

ワシントン条約で輸入を禁止されている動物が飾られているケースの前を通り過ぎたときに
大亀(の剥製)を目にして、
「こんなのどうやって生きたのを持ち込むのだろう?」と3人で議論になる。
機内に預けたらコチコチに凍ってしまうだろうし、手荷物にするには大き過ぎる。
実際は船便なんかで密輸する?

「米国産牛肉の持ち込み禁止」の掲示を見かける。
今思うと日本から米国なのか、それとも米国から日本なのか。
見かけたときは米国に向かうところだったので
「なんで米国産牛肉を米国に戻しちゃいけないのだろう?」と不思議に思ったんだけど、
実際は逆の話で、日本に持ってきちゃいけないってことか。
だったら普通に納得する。
それとは別に一般的な通関の話として米国には肉類の持込を禁止とあるから、
そういうのとごっちゃになって、かなり混乱した。
前にも書いたけど、僕らは手土産に何を持っていくべきか、どこまで許容されるのか、
カレーのルーがダメならラーメンもダメなのではないか?などなどかなり悩まされた。

機内で食べるお菓子とミネラルウォーターを買おうということになる。
僕の買ったお菓子系は天津甘栗、スニッカーズ、フリスク、ブラックブラックガム。
結局食べたのは甘栗だけ、残りの3つはアメリカにいる間も食べることはなくて、
最終日の出発直前にボブとコムギちゃんにあげることにした。

そういえば、空港内のあちこちの店にて
小さなカニをそのままの姿で袋いっぱいに詰めたのを見かけた。
おつまみ用?日本のコンビニでもこういうの見かけないのに。
外国人が好きなのか?中国や韓国の人が好きでよく食べてるとか??

マッサージチェアを見つけて、お金も払わず3人して座り込む。
ガラス張りの壁に面していたので、
今から乗り込むユナイテッドの 747 の機体が目の前にあった。
写真を3人で撮りまくった。

ジュンコは旦那に、タクは恋人に、今から日本を出るよと電話を掛ける。

登場時刻が来て、エコノミーの僕らはやたら待たされた後で、機内へ。
さらば日本。これから、アメリカへと向かう。


[1973] オハイオ隊、遠征(その5)5/4成田まで 2006-05-06 (Sat)

16時55分に成田発。余裕を見て13時集合となっている。
4月29日だったか、ゴールデンウィーク初日の成田空港の人手はものすごく、
30日に打ち合わせと称して飲んでいたときにニュースを見たジュンコが
出国手続きだったかチェックインが2時間待ちになっていたと語っていた。
まさか4日頃までそれが続くとは思えなかったが、一応早め早めに。
成田には2時間半もあれば着くかな?と10時半にアパートを出る。

格好はTシャツにカーゴパンツ、上に一枚長袖のシャツ。
カーゴパンツのポケットには
メモを取る用の無印良品の小型ノートとボールペン、デジカメ。
前回メキシコ行ったときと一緒。カーゴパンツはほんと旅行に便利。
(スーツケースには長袖シャツの替えを2枚とセーター。
 セーターは着ることなかった。今のオハイオの気候はだいたい東京と一緒だった)

丸の内線で東京駅まで行って、
成田空港までの切符を買って改札をくぐって、かなり下の階へと下りていく。
11時半前。エアポート快速があるかと思いきや、ない。
この時間帯、千葉行きしかない。2本続けて。
成田エクスプレスも12時03分。
どうしよう?と思う。成田エクスプレスなら確実。
だけど追加でお金がかかるし、13時にも遅れるだろうな。
やっべーと思いながら、時刻表を探そうと
スーツケースをゴロゴロ引きずりつつ歩いていたら
ホームに入っていた千葉行きが発車の合図。
とりあえず乗ってみる。
千葉に行けば行ったでそこから先またなんかあるだろう。
千葉発成田空港行きみたいなヤツ。
ないわけないよね。でなきゃ千葉方面の人は成田行くのにどうしてる?

空いてる席はなく、ドア脇にスーツケースを置いてその上に腰掛ける。
ニール・スティーブンスンの「ダイヤモンド・エイジ」の上巻を読む。
SFという括りを超えて、今この人は
壮大かつ面白い物語を生み出せる世界のトップランナーの1人ですね。

読みふけっているうちに船橋、津田沼とあっという間に千葉へ。
12時10分頃。さて、どうしよう。
車内放送を聴いていると成田経由銚子行きの成田線が30分に出るという。
エアポート快速の名前は出てこない。
これしかないんだろうなあとホームを移動して、乗り込む。
思いっきりローカル線。今からアメリカに向けて旅立つとは到底思えない。
周りをそれとなく見渡してみて、僕みたいにスーツケースを抱えている人は1人もいない。
電車がのんびりと千葉駅を離れる。
最悪成田の駅からタクシーで空港まで行けばいいかと考える。
車内放送では、13時02分に成田着とのこと。
あー遅刻。僕としたことが。
(B型の2人が時間通りに着いて、
 O型で普段時間をきっちり守る僕が遅れるのは、ちょっとシャク)
ローカル線が東千葉、都賀、四街道と一駅ずつ通過する。
1月に佐倉の美術館にゲルハルト・リヒターの回顧展を見に行ったときのことを思い出す。

ジュンコからタクと僕あてに携帯のメールが届いて、
「京成線乗ってる?同じ電車かもね」
それに対してタクから返答。
「乗ってるよー。京成特急♪次の駅は八千代台。同じ電車かな」
すかさず、ジュンコ「同じじゃーん (^O^)」
完全に乗り遅れてる、オレ。
「・・・すんません」と素直に事情と善後策を携帯で打って知らせる。
「時間は超余裕あるからあわてないでね〜!」とジュンコから返信が来る。
慌てたところで電車がスピードを上げてくれるわけでもない。
諦めてそのままおとなしく乗っていく。

成田駅に着く直前、ジュンコからメールが。
「京成線。13時14分成田発があるよ〜それにのれるんじゃないかな」
おお、と思う。それに乗るか。
駅のアナウンスでは30分にエアポート快速とか言ってるし。
ここから30分待てば確実に着くことは着くんだろうけど、大幅に遅れる。
待ってる2人に申し訳ない。わざわざ早く来てるって言うのに・・・
迷わずJRの駅を出て、京成線を探そうとする。
一歩外に出て「成田は佐倉と違ってけっこう都会なようだなぁ」
なんて思うが、そんなことでのんびりしてるわけにはいかない。
なのに、見渡してみても京成線のありそうな気配なし。どこ?
若干焦ってるってこともあって地図が見当たらない。
道行く人に聞いてもいいんだろうけど、その前にタクシーの列が視界に入ってきて、
「ま、いいや」とタクシーに乗ることにする。
JRだと成田、空港第2ビル、成田空港と駅の数は少ない。すぐにも到着しそう。
初乗りで行けちゃう?だったらいいや、この際。

・・・が、これが思いっきり間違い。
初老の運転手は「読みますか?」と運転席から週刊現代を手渡すんだけど、
「いや、いいです」と断る。
どこに空港があるのだろう、いつ見えてくるのだろう、と気が気じゃない。
行けども行けども成田の市街地。けっこうでかい。「ええっ!?」と焦りだす。
やがて成田空港まで2kmと掲示が出てくる。「まだそんなにあるの?」と驚く。
メーターはどんどんどんどん上がっていく。1000円なんて序の口、2000円を超える。
それでもまだ、空港は近付かず。ホテルやゴルフコースの看板をいくつも通り過ぎる。
ようやく空港の敷地内に入っても、そこからがまた広い。
結局3000円超えてしまった。痛い出費。
自分で選択したのだから仕方ないとはいえ、あほらしいことこのうえない。
こんなことなら素直に成田エクスプレスに乗ってればよかった。まだ安く済んだ。

【今回の旅行で一番の教訓】
・安く速く行きたかったら京成線に乗るべし

・JRだったらエアポート快速の時刻を事前に調べるべし
(今調べてみたけど、これ1時間に1本しかないよ。
 で、僕は出てった直後に東京駅に着いていた)

・時間に余裕がなかったら、迷わず成田エクスプレスに乗るべし
 ゆめゆめ乗り継ぎで、などと考えるべからず

なお、空港の玄関口到着寸前の箇所でセキュリティのチェックが行われていた。
電車で来てもチェックしますよね。改札を出てから。
同じように、「出発ですか」と聞かれて頷くとパスポートの提示を求められた。

そんなわけでとりあえず成田空港到着。13時30分頃。30分遅れ。
ここでハタと気がつく。
この前飲んでたときにジュンコが「第1」って言ってたんで、
第1ターミナルに来てしまったけど、ほんとにこっちでいいんだろうか?
あれこれ乗り換えて大変な思いをしてタクシー代まで払ってここまで来て
「あ、第2だった」なんてことになったらばかばかしいよなー。
さらにお金がかかるし、時間もかかる。
ジュンコに電話してもタクに電話してもつながらない。
もしや、移動中・・・?まだ到着してない?そんなのないよー。
だったら僕も30分待ってエアポート快速で来ればよかった・・・
もう1度掛けてみたら今度はつながった。
タクは「第1で合ってる」「今、入口奥の3階でコーヒー飲んでる」という。
スーツケースを引きずってそこまで行く。エスカレーターに乗る。


[1972] オハイオ隊、遠征(その4)旅のサマリー 2006-05-05 (Fri)

※帰ってきて、10日の今、遡ってこの日記を書いています。
 リアルタイム(去年のメキシコ)や、ちょい遅れ(一昨年のモロッコ)ではなく、
 今回は完全に振り返り型になります。
 つまり、向こう行ってる間は書いてる暇がなかったわけです。
 一人旅じゃないんで一人きりになれないんですね。当たり前か。
 でも、その分楽しい。

まずは旅がどんなもんだったか、どういう日程だったかサマリーです。

今回行ったのは、この3人。
3月頃かな、いつのまにか自分らを「オハイオ隊」と呼ぶようになっていた。
隊長:ジュンコ
1号:オカムラ(旅慣れてることになっている)
2号:タク  (10年近く前にアメリカに1年いたので、英語が話せることになっている)

訪問先はオハイオ州シンシナティ近郊のボブの家。
この4人は高校の同級生で軽音・演劇部つながりとなる。
(僕以外は夜遊び仲間か・・・)
ボブはとある日本企業の現地支社に赴任していて、
奥さんであるコムギちゃんと暮らしている。

---
日程について。

以下、隊長ジュンコが整理してくれた行き帰りのフライトをそのまま引用。

□行き
2006/05/04 TOKYO(NARITA) 〜 CHICAGO (O'HARE)
・発16:55
・着14:25(日本時間 5日04:25)※シカゴ時差14時間
・フライト11時間30分

(乗り換え)
2006/05/04 CHICAGO(O'HARE)〜 CINCINNATI
・発21:05(日本時間 5日11:05)※シカゴ時差14時間
・着23:12(日本時間 5日12:12)※シンシナティ時差13時間
・フライト1時間07分

□帰り
2006/05/08 CINCINNATI 〜CHICAGO (O'HARE)
・発07:43(日本時間 8日20:43)※シンシナティ時差13時間
・着08:05(日本時間 8日22:05)※シカゴ時差14時間
・フライト1時間22分

(乗り換え)
2006/05/08 CHICAGO (O'HARE)〜TOKYO (NARITA)
・発12:07(日本時間 9日02:07)※シカゴ時差14時間
・着05/09 15:00
・フライト12時間53分

実際はこんな感じ。
今回はきちんと支出をメモったので、それも書いときます。
単位はもちろんドル。日本で両替したときは 1ドル = 116円 だったか
なお、金額にはオハイオ州の州税 6.5% が上乗せされています。

食い物全般は日本よりも若干安かったけど、
その他のものはそうでもないかな、という印象。

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□5月4日(木)
 昼、成田集合
  → 夕方、機内に乗り込んで日本脱出
  → 時差の関係で同日の昼、シカゴ到着
  → シカゴのダウンタウンへ、シアーズタワーとユニオン駅を見物
  → 空港に戻って、夜、シンシナティ到着
  → 迎えに来てくれたボブ夫妻と会う
  → ボブの家までドライブ、途中 Burger King に立ち寄る
  → 日本からのお土産を盛大に披露

【支出】
・CTA 1Day Visitor Pass ($5.00)
 ※CTA はシカゴの交通機関の総称みたいなもの

・Sears Tower 入場料 ($11.95)
・Sears Tower の展望台で買った絵葉書4枚 ($1.76)

・シカゴの O'Hare Airport 内の Starbucks ($1.87)
 ※何を飲んだか覚えていない。ラテ系ではないんだけど。
  Midium Size なのにやたら大きかった。

・Burger King ($4.00)
 ※シンシナティ 夕食として「ワッパー」などを買って、みんなで割った。

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5月5日(金)
 朝、ウダウダと過ごす
  → King's Island に行ったら閉園日だった・・・
  → 予定を変えて、ドライブ
  → Rooster にてバッファロー・ウイングを堪能
  → Caear Creek にて化石掘り
  → Dayton の Air Force Museum を見学
  → とてもアメリカンなダイナー Waffle House にてワッフル
  → 帰り道、The Brass Armadillo にてアンティークな掘り出し物を探す
  → その後、Jungle Jim's というアメリカ的な巨大スーパー
  → 夜はボブの家にて、White Castle のバーガーなど食べながら飲む

【支出】
・King's Island 入場料 ($38.00)
 ※インターネットで買うと割引。ほんとは確か $5.00

・Roosters で昼食 ($10.00)
 ※ビールやバッファローウイングなど、みんなで割った。

・Air Force Museum にて展示品に関する簡単なパンフレット ($1.34)

・The Brass Armadilloで購入したアンティーク3種 ($27.62)
 - シンシナティの写真(オハイオ川にボートが浮かんでいるという夜景)
 - パンナムの広告ページ3枚
 - 「The Best of LIFE」(LIFE誌の 1936-1972 までのベストセレクション)

・JUNGLE JIM'S アメリカ煙草 ($64.35)
・JUNGLE JIM'S スナック菓子3種 ($7.43)

・JUNGLE JIM'S, White Castle ($22.50)
 ※夕食としてあれこれ買って、みんなで割った。

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5月6日(土)
 朝、さらにウダウダと過ごす
  → 中華系ビュッフェ Twin Dragon にて死ぬほど食いまくる
  → King's Island で一日中、絶叫マシーンを乗りまくる
  → ステーキハウス Applebee でバドワイザー飲みつつ、サーロイン
  → 帰ってきて、ちょろっと飲む

【支出】
・Twin Dragon モーニング・ビュッフェ (約$8.00 チップ含む)
・King's Island
 - Xtreme Skyflyer 搭乗時の追加料金 ($10.65)
 - Xtreme Skyflyer 搭乗時のDVDと記念写真 ($26.24)
 - Sling Shot 搭乗時の追加料金 ($21.30)
 - The Beast 搭乗時の記念写真 ($10.64)
 ※前日買った 1Day パスで全て乗れるかと思いきや、すごいのは別料金だった・・・

・ステーキハウス Applebee ($26.00)
 ※夕食としてあれこれ買って、みんなで割った。ステーキそのものは $13.99

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5月7日(日)
 朝、ウダウダと過ごす
  → アメリカンなビュッフェ GOLDEN CORRAL にて前日同様、食べ放題で食いまくる
  → シンシナティ美術館でピカソやゴッホを鑑賞
  → アメリカ的巨大モールにてお土産を買う
  → ボブの家でバーベキュー、「ボブーズ・バーガー」がオープン

【支出】
・GOLDEN CORRAL モーニング・ビュッフェ ($7.55)
 ※プラスして、チップ ($1.00)

・Cincinnati Art Museum 絵葉書4枚 ($2.98)

・bigg's お土産用食品あれこれ ($12.55)
 ※ジャム3種、DELMONTEの缶入りオレンジ、バッファロー・ウイング用のソース

・Taco Bell, Arby's など ($2.00)
 ※テイクアウトを買ってみんなで割った。

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5月8日(月)
 早朝4時起きで空港へ、ボブ夫婦とお別れ
  → シンシナティ出発、乗り換えのシカゴへ
  → シカゴ空港内でまったり過ごす
  → 成田行きに乗る、機内食を食べてる以外はたいがい寝てる

【支出】
・Cincinnati Airport 絵葉書4枚、チリスパイス3個 ($8.24)

・O'Hare Airport シカゴスタイルのホットドッグ ($3.74)
・O'Hare Airport ミネラルウォーター ($1.62)

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5月9日(火)
 15時頃、日本到着
  → スタバで残念会の後、京成線で都心へ
  → 帰宅、さっそく日本食を食いに行く

※成田空港の両替したら
 $177 余ってて → \19.186(Rate Cash \108.40) となった。
 $500 持ってってあんまり使わなかった。

---
振り返ってみるとあれこれいろんなことをしているけど、
実感としては一瞬の出来事のよう。
たった1日前に帰ってきたばかりのはずなのに、遠い昔の出来事のよう。

以後、詳細を。


[1971] オハイオ隊、遠征(その3)出発直前 2006-05-04 (Thu)

オハイオ、今から行って来ます。
13時に成田に集合して、出発は16:55で、航空会社はユナイテッド。
昨日の夜、大学の後輩と飲みすぎてほんの少しばかり二日酔い。
しかも食いすぎ。
(荻窪で立ち飲み「金魚」→「やきとん558 荻窪ホルモン」→「野方ホープ」)

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昨日、駅前の西友にお土産の日本食あれこれを買いに行った。

・新潟ぬれせんべい \239
・銀座ろくさん亭 五目ちらし寿司 \378 ×2
・うちのごはん 蟹めしの素 \448
・駿河湾産桜えび 炊き込みご飯の素 \575
・桃屋の五目寿司のたね \533 ×2
・北海道産 焼鮭ほぐし \522
・四川の味 麻婆ペースト \519
・四川豆板醤 \268
・健多郎 カラダにプラス 野菜の旨み塩味(日清のラーメン) \100 ×2
・中華三昧 北京風拉麺(海鮮醤のきいた塩ラーメン 3袋入り) \298
・即席マルタイラーメン \136
・屋台九州味棒ラーメン(同じくマルタイ) \136
・月島もんじゃ振興会協同組合 月島もんじゃ焼き \280
・月島もんじゃ振興会協同組合 月島もんじゃ焼き(もち明太子) \280

リクエストにあった「丸美屋の麻婆豆腐の素」は
パッケージに思いっきり肉が写ってるのでやめといた。
その代わりに麻婆豆腐用のペーストと、あるといいかなと豆板醤。

ラーメンはどうかなー?ってとこなんだけど
一応買ってみて、パッケージにやはり肉が写ってないものにした。
となるとどうしても塩ラーメンになってしまう。

ネットで検索してみても
税関は必ず食品の申告をしたほうがいいとか
(持ち込み有りと申告して肉が入っていたときは没収で住むけれども、
 食物の持ちこみ無しと書いて提出して、スーツケース開けられて見つかったときの方が
 虚偽の申告を行ったとして罰金を取られる、など)、
申告しなくてもけっこう行けてしまうとか、
あれこれ書いていてどっちなのかよくわからない。
とりあえず有りということにして税関を通ろうかなあ。
このリストのうち、果たして没収されるものは出てくるのか?
それ以前に英語で説明ができるのか?
ぬれせんべいやもんじゃ焼きを?

それにしてもスーツケースの中身ほとんどがこれら食い物になっちゃったよ。
なんかおかしい。あとはTシャツとか着替えだけ。
これだったらスーツケースで行く必要ないんじゃないか・・・?
でも帰りも会社その他で配るお土産でいっぱいになるか。
オハイオ隊隊長のジュンコからも夜電話かかってきて
「荷造りしたら、食べ物ばかりに・・・。こんなもん?」と。

海外旅行も身近なものになったから、
あれこれ持ってく必要ってないんですよね。
パスポートと航空券さえあればなんとかなる。

お笑いのDVDはクリス君に焼いてもらった。
「ガキの使いの絶対に笑ってはいけない」シリーズ2作と、M−1の決勝。

機内で読む本の選択にはやはり困っちゃって、今回はこんな感じ。やっぱSFになる。
ニール・スティーブンスン「ダイヤモンド・エイジ」上下
ウィリアム・ギブスン「モナリザ・オーヴァードライブ」
トマス・ディッシュ「334」(サンリオの中古です)
ニール・スティーブンスン今読んでるけど、面白いね。

その他の準備としては:
一昨日、出社して朝早くネットで海外旅行の保険を申し込む。一番安いやつ。
その後、昼に会社を出たついでにドルに両替。500ドル。
58,000円もかかった。
(「世の中、円安なのだな」と思う。円が安いか高いか考えるのはこんなときぐらいだけ)
これぐらいかな。


さーて、そんなわけで。行ってくるか。


[1970] 日常の風景 2006-05-03 (Wed)

昨日の夜、遅くまで仕事して、
荻窪の駅を出てアパートまでの帰り道、
ふと前を見ると50代ぐらいのさえない男性が自転車を押していて、
70代ぐらいのその母親がその横をとぼとぼと歩いていた。
男性の話し方にはなんだか変な癖があって、早口で甲高い。
パチンコの出る台と出ない台の説明をしていた。
どうも毎日のように同じことを説明しているのに、
母親にはそれが飲み込めないらしい。
「前日のが1桁の番号のものが・・・」興奮して話している。
2人ともみすぼらしい格好をしている。
2人で日がな一日パチンコをやっているのだろうか。
「それ以外に、この人生でやることが、できることが、ないのかもしれない」そう思った。
見ていて、気が滅入ってきた。
足を速めて追い越した。
背後から聞こえてくる男性の声が、耳にこびりついて離れない。

パチンコに興味をもつ、知的障害を抱えた子供の、年老いた姿と
そのさらに年老いた保護者なのだ、ということに思い至ったとき、
いたたまれない気持ちになった。
どうしようもない気持ちになった。

---
今日の昼、なんとなく松屋に入った。
牛めしに卵、味噌汁は豚汁に変更して、サラダ。
見ると、カウンターには気の触れたおばさんがいた。
荻窪の北口に住んでいる人ならば1度は見たことがあるだろう。
ブクブクと太っていて、一年中薄着でピンクや赤の派手な服を着ていて
(どこで買うのだろう?誰が買うのだろう?)
夏なんかだとサンバイザーをかぶっていて、
服同様派手な色の大きな鞄には何かがパンパンに詰まっている。
(今日のは赤に青に白の格子柄)
髪は茶色に染めている。
いつも道路をブラブラと歩いている。
立ち止まってじっと固まっていることもある。
見知らぬ誰かに話しかけていることもある。

松屋のカウンターにて、
誰が聞いてるわけでもないのに、一人きり、大声で話し続けている。
文法的には日本語のはずなのに、全然聞き取れない。
耳慣れないモゴモゴした単語で発話のほとんどが成り立っている。
「お父さん」「ありがとう」そういう単語が聞こえたような気がした。

食べ終わった食器が彼女の前に置かれていたから、お金を払った客なわけだ。
しかし店員たちはその存在が目に映らないかのように振る舞い、
(まあ松屋の店員というものは誰が客だったところで同じようなものだが)
来た客に牛めしを出したり、サラダの数を数えたり、奥のほうで談笑したりしていた。
店内には都会風の洗練された和風 R&B が流れている。
僕は牛めしをモソモソと食べる。
他の客も同じように、黙りこくってオーダーしたものを食べている。
何事もなかったかのように。
だけどどことなく居心地悪そうに。無関心を装って。
途切れることなく続く、架空の誰かとの、にぎやかなおしゃべりを聞きながら。
耳を塞いでも、それは聞こえてくる。

---
昨日の男性、今日のおばさん。
こういう人たちにとって、この世界はどんなふうに見えているのだろう?

どんなふうな意味をもつのだろう?
僕らと同じようなものが見えているのだろうか?
同じものが聞こえているのだろうか?

そこには、何があるのだろうか?
その目には何が映っているのだろうか?

この世界は、美しいものなのだろうか?
あるいは、そもそもそういう感覚が存在しないのか。

---
憲法記念日。
荻窪駅前では第九条を守れ、とタスキを掛けた年老いた人たちが
ビラを配り、演説を行っていた。
黙って通り過ぎていく人たちばかり。駅の中に飲み込まれていく。
それでも彼らは、道行く人に根気よくビラを渡そうとする。

---
東京は今日もよく晴れている。
5月にしては暑いくらいだ。

青空。

青空の下を、僕は一人きり、歩いた。


[1969] ソーシャルアート、その可能性 2006-05-02 (Tue)

3月の暇な時期に会社の先輩と WEB2.0 についてあれこれ話しているときに、
その実現するものとして何があるだろうか?ってことで
新しいタイプのコミュニティが生み出されるのではないか、
その実践の一形態として「ソーシャルアート」があるのではないか、
という議論がなされた。

先輩からは「アートという戦場 ソーシャルアート入門」(フィルムアート社)
という本を見せてもらい、すぐ自分も買いに行った。
冒頭にてソーシャルアートの定義が書かれていた。引用します。

*************************************************************************
「社会のなかには、詩によってしか解決できないものがある」
これは、ロシアのフォルマリスト、ウラジミール・マヤコフスキーの言葉です。
社会には、詩=アートでしか解決できないものが存在する、と彼は考えたのです。
(中略)
ソーシャルアートとは、作品作りと並走しながら大衆(オーディエンス)を
巻き込んでいくダイナミックな社会づくりなのです」
*************************************************************************

こういった宣言の是非について考えてみたり、
具体的な「作品」についてあれこれ本の中からピックアップするのは
長くなりそうなのでやめときますが、
一箇所だけ、僕の心に触れたトピックを紹介したいと思います。

*************************************************************************
イタリアのアーティストで、以前ベルギー、ゲントの町で行なわれていた展覧会
「Over the edge」に参加していたアルベルト・ガルッティ(Alberto Garutti)は、
ゲントの病院と繋がった公園の中の街燈のいくつかが、
病院からの新生児誕生の知らせと同時に、
うっすらと一時的に光り輝くシステムの作品をつくりました。
実際にその場でその光景を目にしたとき、
ひとつの「希望のアート」であると思いました。
その記憶は、最近の自然災害が多発しているホープレスな世界状況の中で、
われわれが唯一希望を持てるかもしれないと信じられるわずかばかりの場所として、
アートのソーシャルなフィールドがあるのだと感じさせてくれました。

(p.128 現代美術家、川俣正氏の文章より)
*************************************************************************

これ、素晴らしくないですか?
光景を思い描いてみてほしいです。

この風景がラストシーンとなる映画を作れたらな、と思った。
人が人として生きることの意味を問いかけ続け、思い悩み、
他人を傷つけ、自らも傷ついた主人公が
彷徨の果てに一人きり最期にたどり着く場所がこの街燈の下。
そっと包み込むように明かりが灯される。
赦しを与えるかのように。
そして観客はこの世界に生を受けた、
新しい生命のことを一つの祝福のように考える。

人は一人で生きているのではないのだということ。
ごくごく当たり前のことのはずなんだけど、実感することは少ない。
見知らぬ誰かともどこかで繋がっている。かすかに触れ合うことだってあるかもしれない。
その可能性に思いを巡らし、開かれてゆくこと。
そんなふうに生きていけたらいいな、と思った。


[1968] オハイオ隊、遠征(その2) 2006-05-01 (Mon)

昨日の夜はオハイオ隊メンバーが有楽町に集まって、飲みつつ打ち合わせ。
打ち合わせといってもたいして決めることはなくて、
成田での集合時間と向こうに持ってくお土産をどうするかぐらい。
その他準備と言っても特にすることはなかったりする。
各自着替えや歯ブラシとパスポートを持ってきて、航空券を空港で引き換えるだけ。
あとは飛行機の中での暇つぶし用として
PSP がどうこうとか、iPod がどうこうとか、それぐらい。
海外旅行も手軽になったもんだ。
何十年か前の、海外旅行が生涯に一度行くかどうかの一大事だった頃とは偉い差だ。
地球の反対側へと行くというのに、
僕らの気分も夏休みに親戚のおじさんの家に泊まりに行くってのと大差ない。

向こうに持っていくお土産をどうするか?
日本企業から現地工場(?)に2年ほど派遣されている駐在員とその妻。同年代。
まだあと1年半近く(?)任期は残っている。
恋しいのは日本食と、日本のお笑い。
「何がほしい?」と聞いてみると以下のようなリストが送られてくる。

・日本のテレビを録画したビデオ(DVDでも可)

・五目寿司のもと
・美味しそうなラーメン(ラ王とか、中華三昧とか)
・お抹茶
・乾燥わかめ
・芽ひじき(乾物)
・切干大根(乾物)
・カリカリ梅
・丸美屋マーボ豆腐のもと
・アジのたたき
・しめさば
・生うに

生ものはダメだったり、肉は確かダメなんじゃなかったっけ?だったら魚は?
税関のサイトを参考にする。
http://japan.usembassy.gov/fukuoka/wwwh3customs.html
http://www.cbp.gov/xp/cgov/travel/clearing_goods/agri_prod_inus.xml#General%20List%20of%20Approved%20Products

こういうリストが掲載されている。米国持ち込み可の食品。

 Aloe Vera (above ground parts)
 Bat nut or devil pod (Trapa bicornis)
 Breads, cakes, cookies, and other bakery goods
 Candies
 Cannonball fruit
 Chinese water chestnut
 Coffee (roasted beans only)
 Fish
 * Flower bulbs
 Fruits, canned
 Garlic cloves (peeled)
 Lily bulbs (Lilium spp.) for planting
 Maguey leaf
 Matsutake
 Mushrooms
 Nuts (roasted only)
 Palm hearts (peeled)
 Sauces, canned or processed
 Seaweed
 * Seeds for planting or consumption
 Shamrocks leaves without roots or soil
 St. John's Bread
 Singhara nut (Trapa bispinosa)
 Tamarind bean pod
 Truffles
 Vegetables, canned or processed
 Water chestnut (Trapa natans)

「魚」と大括りにされてるものもあれば、
「(地面よりの上の部分の)アロエベラ」と細かい指定のものもある。
「Matsutake」もありますね。
それにしても、「St. John's Bread」ってなんなのだろう?
EXCITEの翻訳サービスで訳してみたら今、「セントジョン教会パン」って出てきた。
これって何?

それはさておき、
魚はよしとされても生ものはだめっぽい気がするので、
昨日話してて、欲しいものリストの下3つ、
「アジのたたき」「しめさば」「生うに」は
避けた方がよさそうなのではないか?という方向性となる。
他には何がいいだろう?
梅干だの納豆だのいかにも日本食っぽいものは今のアメリカだったら手に入りそうだけど、
もっとマイナーなものは入手困難で、かなり恋しいのではないか?
岩海苔とか。明太子とか。
岩海苔とかかなり微妙だよなー。
税関で取り上げられないだろうか。かまぼこがぎりぎりの線かな。
イカの燻製とかあたりめとかどうなんだろう。

なんか噂では、税関でスーツケースを開けさせられて怪しげな食品が出てきたとき、
「ほんとにこれは食えるのか、ここで食ってみろ」と強要されるらしい。
水で戻してない切干大根を「さあ、食ってみせろ」と言われるとつらい。

他にも役立ちそうなページを見つける。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=998753
http://www.atom21.co.jp/okusama/dairyNO.280.html

肉じゃなかったら生ものっつうか瓶詰め程度のもの(生うにとか)はOK?
あと、税関に必ず申告しなくちゃならない?
めんどくさいなー。
開けて「これは何か?」と聞かれても答えられそうにない。
丸美屋の麻婆豆腐の素って英語でなんて言えばいいんだろう?
切干大根も説明が難しいだろうなあ。

そんなこんなで打ち合わせと称した飲み会が終わる。
それにしても今、ゴールデンウィークで成田は混雑しているようで、
銀行の両替も出国手続きも行列がハンパないらしい。
早めに行かなくては。


[1967] バトン系2題 2006-04-30 (Sun)

このところ Gazz ! で答えたバトンを2つほど、手を加えて載せます。
すいません、手抜きです・・・
 
それにしても、バトンって元々誰が書いたんだろう?
日本(海外?)最初のバトンってどんなだったんだろう?
見たいです。知りたいです。
知ってる人がいたら是非とも教えてほしいです。

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□コーヒーバトン

【01】あなたはコーヒーを、1日に何杯飲みますか??

 缶コーヒーを中心に、3杯から5杯ぐらい。

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【02】ブラックやカフェオレなど、どういった味のコーヒーが好みですか??

 普段喫茶店で飲むときはブラック。家も。缶コーヒーも。
 カフェオレも好き。どちらにせよ砂糖は入れない。

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【03】コーヒーの温度には、気をくばるほうですか??

 缶コーヒーだったり、家で沸騰したお湯でインスタントだったりするので、
 温度の違いなどあったもんじゃない。

 そりゃやっぱぬるくなったコーヒーは飲みたくない。

 あ、そうだ。アイスコーヒーはあんまり好きじゃない。
 夏もホットコーヒー。
 ランチでアイスコーヒーかアイスティーがつきますってときは必ず、アイスティー。

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【04】あなたがコーヒーを飲みだしたのは、いつごろぐらいからですか??

 小学校の早いうちから。母がコーヒー好きだったので。

 なので、大人の飲み物って気がしない。

--------------------------------------------------------
【05】気に入っている喫茶店・コーヒーショップ等があれば、教えてください。

 ない。コーヒーの味を語れるわけでもないので、どこでもあんまり変わらない。
 ここに行くと落ち着くという店もない。

 1人で暇をつぶすときだったら、安ければどこでもいい。それこそドトールとか。

--------------------------------------------------------
【06】コーヒーを飲むと、どんな気分になりますか??

 気分が変わるということはない。
 煙草を吸う人が煙草を吸うときの気分なのだと思う。たぶん。

--------------------------------------------------------
【07】コーヒーは、どこで飲むことが多いですか??

 職場。あるいは家。
 土日に1人で出歩いていて、店に入ってコーヒーを飲むことはまず、ない。

 待ち合わせのためどっか入って時間をつぶすことはある。
 あるいは複数の人と行動してて、
 「とりあえずお茶を」ってことももちろんあるけど。

--------------------------------------------------------
【08】コーヒー豆で味は変わりますか?? また豆種は気にするほうですか??

 豆の違いはいくつか分かる方だと思う。
 キリマンジャロはこういうので、とか。
 酸味の違い、苦味の違いでしかないですが。

 そんなわけで豆種は気にしません。
 ビールも好きですが、ビールだったら何でもいいってのと一緒です。

--------------------------------------------------------
【09】缶コーヒーは、お好きですか??

 好きも嫌いもない。
 ペットボトルの水を好きですか?というのと一緒。
 そうでもしないと手に入らない。

 スターバックスやタリーズでいちいち買ってたら高いし。
 近くにあるわけでもないし(特に今の職場)。

 家ではインスタント。コーヒーメーカーがあるわけでもなく。

--------------------------------------------------------
【10】このバトンをコーヒーが好きな方へ、まわしてください。

 他、答えたい人、ご自由にどうぞ。



 なんかかなりぞんざいな答えになっちゃうんだけど、
 コーヒーそのものは好きなんですよ。とても。
 味がどうこうじゃなくて、そもそもの存在感が。

 だから好きも嫌いもなくて、かけがえのない生活の一部なわけですよ。


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□カラオケバトン


【01】一番最後にカラオケに行ったのはいつですか?

マジであのときが最後。
1月?(GAZZ ! の)モンプチさん、fireさん、manavu君の4人で朝まで。

http://gazz.221616.com/bg_uentrydtlinp/blog_id-41/entry_id-6744/
http://gazz.221616.com/bg_uentrydtlinp/blog_id-17/entry_id-6887/

最近全然行ってません。
去年も1回か2回だけ。

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【02】初めてカラオケに行ったのはいつですか?

高校卒業のとき。
周りはみんな普通に行ってたけど。
歌は苦手だと思ってた僕はことあるごとに拒否ってました。
でも、飲んでて行きがかり上、行かざるをえなくなりました。

大学入ってからは
一時期毎日のように連れてかれて、抵抗感なくなりました。

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【03】あなたの18番は?

RCサクセション 「スローバラード」
Going Steady 「童貞ソー・ヤング」

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【04】最高何時間歌ったことがありますか?

覚えてないけど、5・6時間はあると思う。
終電なくして朝までってやつ。

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【05】今日はカラオケ無料開放デーです。何時間?

上と同じ質問になって、5・6時間?
朝までとなって、最後の方は寝てる。
非徹夜体質につき。

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【06】愛する人に捧げるとしたら何の曲を歌いますか?

歌を捧げることは絶対ない。
(逆に、愛する人の歌う歌ってのも聞きたいと思わない)

とりあえず、Going Steady 「童貞ソー・ヤング」は歌わないと思う。
↓こういうのぜったいやらない。

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【07】よく歌うアーティストは?

レベッカ
ブルーハーツ(特に、「リンダ・リンダ」「TRAIN-TRAIN」は絶対)
RCサクセション
BOOWY
筋肉少女帯
アンジー(あったら)
レピッシュ(あったら)
モーニング娘。(最近は絶対やらない)
Going Steady
ローリング・ストーンズ

※結局ここに戻ってきたくなるという意味であって、
 レパートリーがこれしかないというわけではない。

 つうかね、最近の歌知らないんですよ。まじで。
 邦楽のCDもたくさん買ってるはずなのに。

 この中で若手となったら Going Steady しかないのってどうなんだよ、オレ。

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【08】初めて歌う曲、誰と一緒のときに入れますか?

よほど気心知れてる人でないと・・・

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【09】人が歌ってるときってどうしてる?

酔ってたら、他人が歌ってるのも全部自分が一緒になって歌ってる。
その曲知ってようが知ってまいが。
かなり迷惑だと思う。

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【10】歌はどこで、どんな風に練習しますか?

練習なんてするわけないじゃないですか!
風呂の中で歌うなんて、ありえない。


[1966] ノザキのコンビーフ 2006-04-29 (Sat)

コンビーフ大好き。
体によくはないだろうな、と思いつつも
週末部屋でビールを飲んでいるときは最近いつもノザキのコンビーフ。
お金が(気分的に)あるときは高い方の、普段は馬肉入りのニューコンビーフ。
一晩をこの一缶でチビチビと過ごす。
玉ねぎがあったら炒めるけど、だいたいは生のままで。
箸でちょこちょこ切崩しながら食ってると、楽しい。

ノザキって会社があるのかと思いきや、ないみたいですね。
ノザキはブランド名であって現在は「川商フーズ」ってとこが販売している。
以前はノザキという会社があったんだけど、
倒産したかなんかでここが買い取ったってとこだろうか?
http://www.kawasho-foods.co.jp/business/index.html
↑サイトを見ていると、この会社「GEISHA」というブランドでカニ缶を初めとする
各種海産物の缶詰めも出しているらしい。この名前すごいな。

やはりそうだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%95
「野崎産業」ってとこから営業譲渡されたとある。

話は川商フーズのサイトに戻って、
「戦後間もない1948年に国産第1号となる「ノザキのコンビーフ」の販売を開始とある」
もっと歴史がありそうかと思ったら、そうでもないのね。
つうかそれ以前に写真に写っている馬鹿でかい缶のコンビーフ、あれ食ってみたいよ!
どこで手に入るのかなあ。欲しい!食べたい!!
業務用なのかなあ。

あれこれ検索してみたら
1800円の高級米沢牛コンビーフってのもあるみたいで。すげえよ!!
http://www.asahi-net.or.jp/~wf5t-hrd/niseko/yonecon/yonecon2.htm
これ、今、どうしても食ってみたい。どこで手に入るのか?
僕みたいな人間からしたら舌がとろけるんじゃないか。昇天。

あの味もさることながら
なーんかあの缶の形と、巻いて開けるスタイルがいいんだよなあ。
「お料理メモ」がおまけにくっついていたり。
あと、あの深緑をバックにした、茶色い牛の絵。うまそう。
牛肉の大和煮やウインナーの缶を時々見かける。あれもうまい。

最近はノザキのコンビーフをスライスしたものを
レトルトに入れたのが販売されている。
もちろん食ってみたけど、うーん、物足りない。

来週アメリカに行ったとき、
本場のコンビーフを食べる機会があったらいいなと思う。


[1965] 五月病 2006-04-28 (Fri)

4月も終わり。
己の小ささというか、ダメさ加減を嫌というほど思い知らされた1ヶ月だった。
仕事もそうだけど、仕事以外のことでも。
一言で言って無能。何一つまともにできない。

仕事は空回りした挙句何も生み出せず、今日、事実上の戦力外通告。
しょうがないよな。
僕はスケジュールの管理であるとか懸案の管理であるとか、仕様の把握だとか、
そういうのちゃんとできない人間であることがはっきりとわかった。
なんとなくしかわかってなくて、いざ自分でやってみようとしたらできない。
できないならできないでできるようになるために
筋道を立てて進めていくべきなんだろうけど、
どうしていいのかわからない。
これまで上の人に決めてもらってたもんな。大事なことは。
自分で考えて、それを実施することができない。
怖いから動けないってこともある。
わからない、できない。身動き取れない。
下手になんかしてみて結果うまくいかなくて、
さらにまた壁を作ったり物事に距離を置いて閉じこもろうとする。

「じゃあできないままでいいのか?」って聞かれたら
「もう、いいです」と答えている自分がいる。
「SEとして食って生きたいという気持ちはもうないです」
「自分で退職を決断できないので続いているだけです」
「できなくていいです。できたところで、何もうれしくないです」

わからないならわからないでそれでも前に進めるために
PJ管理であるとか、仕様把握であるとか、現状分析であるとか、
何らかの確固たる手法というか寄って立つ方法論が
8年目ともなれば1つぐらいあって
間違っててもいいからそれを元に進めていくってもんだろうけど、
僕はこれまで会社で長いことその場しのぎでやってきたから
これと言って何も身についていない。
新しい状況になるとどう対処していいかわからない。
時間が解決してくれるだろうとノラリクラリやり過ごすつもりでいたが、
それだけでは何も生まれない。
月曜は何人かの前で「僕、いなくていいですよね」と言ってしまった。
事実上のギブアップ宣言。

人と仲良くなるのに時間がかかるタイプだというのも状況の悪化に拍車をかける。
誰とも話できなくて、1人で抱え込む。
そして誰かから状況を聞かれるとその場しのぎの取り繕いをしている。
社会人としてそういう技術だけは本能的に身についている。

この年でこんなだともう、つぶしがきかないよなあ。

青森帰って引き篭もりたい。


[1964] 「ジム・ジャームッシュ INTERVIEWS」 2006-04-27 (Thu)

あれは去年の秋だっただろうか。
映画サークルの後輩で現在大学院の博士課程にいるミウラと西荻で会って飲んでたら
「今度ジム・ジャームッシュのインタビュー集の翻訳を出すんですよ。
 オカムラさん、よかったら訳注を書いてくれませんか。
 音楽関係のところ。詳しい人が書いた方がいいでしょ」
と言われる。
僕は「やるやるやるやる。ノーギャラでもなんでもいいからやる」と即答。

その後音沙汰なく、しばらく翻訳の作業が続いていたようだ。
年が明けて、あれってどうなったのだろうと思っていた3月頭、
ミウラから「そろそろお願いします」と
訳注を書かなくてはならない人物や出来事のリストが送られてくる。
その数50は超えていただろうか。
仕事の合間にこっそり、あるいは土日に家でがっつり、どんどんリストを埋めていった。

John Lurie や Tom Waits といった映画に出演しているミュージシャンに始まり、
「イヤー・オブ・ザ・ホース」を撮ったことで親交の深い Neil Young のアルバムや曲目の数々、
(「Like a Hurricane」「Cortez the Killer」「Cinnamon Girl」etc.)
ニューヨーク・パンク、ニューウェーブのあれこれ、
(Patti Smith, Television, Heartbreakers, Ramones, Blondie, Talking Heads, CBGB's etc.)
日本人の音楽好きでも余り知られてないような地味なグループやトピック、
(Spinal Tap, Blurt, HORDE TOUR)
バルトークやシューベルトといったクラシックの作曲家、
Gene Vincent, Link Wray, Carl Perkins といった50年代のいわゆるロカビリーの人たち、などなど。
普段聞かない音楽もあって、何かと大変だった。

Grateful Dead について書いたのはこんな感じ:
「1965年、サンフランシスコにて結成。
 西海岸のヒッピー・カルチャーの中心的存在となる。
 1996年、中心人物であるジェリー・ガルシアの死により解散。
 熱狂的なファンたちが「デッド・ヘッズ」と呼ばれるコミュニティを形成し、
 デッドのライブを求めて共に旅を続けた。
 解散後の今もオフィシャル・ブートレッグが年に数枚発売されるなど、人気は根強い。」

インターネットで検索したり、アルバムの解説を読んでみたり。
こういうのって情報に乏しいマイナーな項目よりも
実は Bob Dylan のようなビッグネームについて書くことのほうが難しいことがわかった。
書くべき事がたくさんありすぎてどこを切り出そうってのもあるし、
そもそも恐れ多いってのもあり。
結局最後まで残った。

こういうの書いてく作業って僕みたいな人間にはとても楽しくて、
どんどん変に調子付いていって、
途中段階で送ったらミウラに「ちょっとやりすぎ」みたいな指摘を受けてしまった。

「My Way」(Sid Vicious)について書いたのはこんな感じ:
「フランク・シナトラ(または勝新太郎)で有名な人生賛歌。
 それをたかだか20歳ちょっとの若造が歌う。
 しかも顔に似合わず可愛らしい声で。
 人々の抱くイメージ通りに、
 最も分かりやすくパンクの何たるかを体現した「名唱」である。」

まあ、そんな感じで書きあがって、本も無事に、先日出版された。
僕の原稿締切から1ヵ月後。
すごいスピードで制作が進行したんだろうな。
ジャームッシュの新作「ブロークン・フラワーズ」の公開とも時期を合わせたいってのもあって。

ミウラからは一冊もらえることになってんだけど、さっそく自分で買いに行った。
僕の書いた註がしっかりと載ってる。
訳者の後書きにはこんなふうに書かれてた。
「ニューヨークパンクマニアで現在作家活動もしておられる岡村豊彦さんには
 音楽関係の註の大部分をつくっていただいた。」

関われてとてもうれしい。
僕が自分で全部書いたモロッコの旅行記より、大勢の人が手にとって買うわけことになるわけだし。
大きな本屋の映画コーナーに普通に並べられて。
「ブロークン・フラワーズ」の公開されている映画館にも置かれる。
自分の本よりもうれしいかもしれない。

この本に関して、実際のところは
編集担当や僕の他に註を手伝ったのは僕の知ってる人というか、
映画サークルつながりの人たちだったりする。
こういうコネクションって大事だよなあ、と思った。

「JIM JARMUSCH INTEARVIES 映画監督ジム・ジャームッシュの歴史」
編集ルドヴィグ・ヘルツベリ 翻訳三浦哲哉(東邦出版)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4809405346/qid=1146177978/sr=8-3/ref=sr_8_xs_ap_i3_xgl74/249-7039047-4725947


[1963] 赤い靴 2006-04-26 (Wed)

その日、早く帰ることができたので、
オフィスを出ると私は、いつもと反対の方角に向かって歩き出した。
通勤に利用しているのとは別の、もう1つの駅。
階段を下りていって、改札をくぐって、ホームに立つ。
並んでいる列の最後尾に私も加わる。
アナウンスがあって、すぐにも地下鉄が入ってくる。乗り込む。
手摺につかまって、目を閉じた。
みんなでコンビニに買いに行って、夕方に食べたアイスのことを考えた。
どんな味だったのか、私は、忘れてしまっていた。

ショーウインドーをあれこれと眺めていると、靴屋の前で足が止まった。
「そうだ、靴を買いたい」そんなことを思った。
たくさんの靴の中から、なぜか真っ赤なピンヒールが気になった。
いつもの私はそういうの、履くことがない。
週末も、もちろん平日のオフィスにも。
気がつくと私はサイズを試していて、
狭いフロアを小さく円を描くようにして何度か歩いて、
カードで支払いを済ませていた。
私は、靴の入った大きな箱、その箱の入った大きな袋を、
誰かにあげるケーキのように、大事そうに抱えて、アパートまで帰って来た。
心の中で私は、クスクスと笑っていた。

テーブルの上を片付けて、買ったばかりの靴を飾る。
クッションの上にペタリと腰を下ろして、それを眺めた。

赤い靴。

いつのまにか私は、小声でそっと童謡を口ずさんでいた。
「イージンサン」ってどんな人なのだろう?
小さい頃ずっと気になっていて、
大人になってからも、時々ふっと思い出すことがあった。
私の中には、遠い国から来た、牧師のような人のイメージがあった。
黒い服を着ていて、にこやかな、だけど陰りのある笑顔を浮かべている。
これは、隣に住んでいた子が、私と違って、
キリスト教の幼稚園に通っていたからかもしれない。
(ミヨちゃんは今、どこで、どうしているのだろう?)

私は1度だけだけど、その幼稚園に行ったことがある。
クリスマスの前だろうか、とにかく冬のことだった。
おぼろげな記憶の中、そこではバザーのような催し物があって、
幼稚園の生徒たちによる、素朴な劇が披露されていた。
見知らぬ場所が怖かったから、私はお母さんの手をぎゅっと握ったままだった。
迷い込んだどこかの部屋は薄暗くて、かすかに賛美歌が聞こえてきた。

そういった記憶が、「イージンサン」と結びついている。
そうだ、私も遠くに連れ去られてしまうのだ、
お母さんからも、お父さんからも引き離されて、1人きりで、連れて行かれるのだ、
ある日突然、そういうことに「気づいた」私は、泣きだした。
ワンワンと大きな声で、泣きだした。

赤い靴。
真っ赤なピンヒール。
私はゆっくり時間をかけて箱の中にしまって、
部屋の中を見渡して、差し当たり、押入れの奥にしまった。
とりあえず、明日さっそく履く、ということはないだろう。
この靴に合うような服を、私は持ってないってこともあるし。

赤い靴を履いた私は、女の子に戻っている。
夕暮れ。見知らぬ街の見知らぬ公園で、私は、ブランコに揺られている。
誰かが来るのを待っている。
お母さんなのかもしれないし、イージンサンかもしれない。
1人きりで寂しくなった私は、声をかけられたら、
誰にでもついていってしまうだろう。
今の私ですら想像のつかないような、遠い異国の地。

私は、連れ去られてきた、同じような女の子たちと、
大きな、寮のような場所で暮らし始めて、
その国の食べ物を食べて、その国の言葉を覚え、
集められて、その国の歌を歌うのだろう。
そして、年を重ねて、大人になっていく。
その国の男の人と出会い、
(私と同様に連れ去れてきた人かもしれないし、もともとその国の人かもしれない)
休みの日には公園に出かけたりして、
やがて一緒に暮らすようになり、子供が生まれる。
そしてその子が、ある日ブランコに揺られていると、
また別の遠い国のイージンサンが現れて、その子を連れ去っていく。

そんなことを考えた。
とりとめもなく。
そしてそれ以上のことは考えないようにした。遮った。
テレビをつけて、眺めた。
くだらないことばかりやってて、笑ってしまった。
時間が来て、眠りについた。

夢の中で私は、知らない国の歌を、1人で、
どこか見知らぬ場所で、歌っていた。
赤い靴を履いて。


[1962] 「立喰師列伝」 2006-04-25 (Tue)

昨日の続き。日曜に見た押井守の「立喰師列伝」
映画部の後輩と一緒に見る。渋谷のシネクイント。

押井守って映画界では割と有名で話題にもよく上るんだけど、
アニメってこともあってその作品を見てる人は実は少ないのではないか?
という印象を持っている。
ただ単に僕が見たことないから勝手にそう思ってるだけですが。
これまでパトレイバーのシリーズって見たことないし、
その劇場映画化であって海外でも高く評価を受けたという「Ghost in the Shell」や
その後の「アヴァロン」も「イノセンス」も見ていない。
フィルモグラフィーの初期、タツノコプロ時代の「ガッチャマン」や「ゼンダマン」
その後の「ニルスのふしぎな旅」「うる星やつら」「スプーンおばさん」は
もちろん見たことあるけど、どれが押井守の演出した回なのかはわからない。

結論から言って「立喰師列伝」は、こういう僕のような人が見るべき作品ではなかった。

立ち食い蕎麦屋にふらっと現れては、その独特の存在感で圧倒し、
あれこれ能書きを垂れて結局は無銭飲食を成し遂げる、
そんな「立喰師」ってのが昭和の時代に存在した、という話。荒唐無稽が基調。
列伝ってことで「月見の銀二」「ケツネコロッケのお銀」「冷やしタヌキの政」など
ユニークなキャラクターが次々に紹介される。
それと共に戦後の闇市、昭和オリンピックといった時代の変遷が語られる。
復興をとげ、バブルへと突入していく日本ってのが裏のテーマ。

それはそれでまあいいんだけど、というか面白い設定なんだけど、
映画そのものが面白いかどうかってのは、どうかねえ。

映像は「スーパーライブメーション」という手法で、つまるところ紙芝居。
背景の画像に、デジカメで撮った画像を加工してはめ込んで動かす。アニメではない。
動きのある映像にしたかったら、コマ撮りした写真を並べるというだけ。
これで2時間見せきっちゃうのはすごいとは思うが、
その分映像としての情報量が減ってしまうから台詞でカバーすることになる。
ひっきりなしにナレーターがしゃべり倒す。
時代の状況であるとか、「立喰師」の振る舞いであるとか、その能書きであるとか。
休む間もない。それが「ついていけない」ってことはなくて
割と絶妙な匙加減で「多いかなー」と思わせるのであるが、
こういうのってそもそもどうか。
「写真の連続+語り」という構造の映画って誰でも思いついて実際僕も作ってみたんだけど、
(FLASHで映像作品を作る人が増えた今、こういうのかなり多そうだ)
見た人の評判ってよくないよね。長いものだと。動きがなくて飽きるとかそういうことで。

早い話長いよ、これは。
押井守本人もプログラムの中で「実は映画は前半で終わってるんだよね」と語っている。
ミモフタモナイ。
高度経済成長の時代を語り終えて、70年代になり80年代になってくる後半は単なるドタバタ。
立喰師とファーストフード業界とのどうでもいい攻防戦。
だったら1時間ぐらいの作品にして、昭和へのノスタルジアで一本筋を通せばよかったのに。

あと、これら立喰師ってのが実はそれまでの押井作品に出てきたサブキャラたちであって、
それを再集合させて主役を張らせたってところがなんだかなあと。
見る人が見れば「おお!ケツネコロッケのお銀だ!!」ってことになるのか。
押井守の全作品をマニアックに見ていれば見ているほど、余禄が大きくなる。
言ってみればマニア向けのボーナス。
だったらDVDで発売すればいいのであって、劇場公開するべきではない。これ全国?
「なんか話題みたいだし、映画見るか」って人だと「・・・何これ?」ってなると思う。
そしてそういう一見さんにとっても間口の広い、面白いもの足りえてるかといえば
動きの乏しい写真を無理やり動かして語り倒しているのだから、まず何よりも見てて疲れる。

押井守にしてみれば今回ものすごいやりたかったことの実現であって、楽しかったんだろうけど、
これは自己満足だ。それ以上でもそれ以下でもない。
立喰師を演じた人たちも押井守の周りで一緒に仕事してた人たちだって言うし。
プログラムでは最期にこう語って締めくくっている。
「この仕事を30年弱やってきて出会った真に愛すべき人間たちに出演してもらった。
 彼らと同時代に生きられたことが嬉しい。映画という形で彼らの記憶を留めたかった」

よほどのファンでもない限り、見に行くべきではない。
僕はこれ、忘れることにした。
「Ghost in the Shell」には興味持ったけど。


[1961] 「ラストデイズ」 2006-04-24 (Mon)

日曜は渋谷に映画を見に行った。
シネマライズで「ラストデイズ」
シネクイントで「立喰師列伝」この2本。

---
まずは「ラストデイズ」について。

ガス・ヴァン・サント監督の最新作。
ニルヴァーナでギターとボーカルだった
カート・コバーンの自殺に至るまでの最期の2日間をモチーフにしている。

メジャーデビュー後、突然の大ブレイク。
カート・コバーンはグランジ・ムーブメントの教祖に祭り上げられる。
興味本位のマスコミには常に追いかけられ、
自分の知らないところで巨額のビジネス商品として扱われるようになる。
名声とともに次回作へのプレッシャーが高まっていく。
それと共に「理解してくれる人はどこにもいない」という孤独感も増していく。
自分を見失っていく中で薬物中毒となり、奇行とそれが引き起こすトラブルばかりの毎日。
リハビリ施設から脱走、行方不明となった挙句、自宅にて猟銃自殺。1994年4月5日。
90年代ロックの最大の偶像にして、伝説的存在となる。
ジミ・ヘンドリックス、ブライアン・ジョーンズ、ジム・モリソンといった
偉大なロックの殉教者の連なりに自ら望もうと望むまいと
有無を言わさず加わってしまったわけだ。
「自殺ではない。このどうしようもない世の中の犠牲者として殺されたのだ」
「イエス・キリストの生まれ変わりとして、僕らの替わりに死んだんだ」
若者たちの間で、狂信的なストーリーが共有される。

その死の直前、カート・コバーンは何を見て、何を聞いて、何を思い、何を感じたのか。
今となってはそれは誰にもわからない。
しかし、「恐らくこういうことだったのではないか」という再現をあえて行なってみるということ。
追悼なのかもしれないし、ガス・ヴァン・サントはもっと別なことを求めていたのかもしれない。
死に魅入られた人間の極限状態をありのままに描きたい、であるとか。
とりあえず、その試みは成功しているように思う。
全編に渡って架空のロックスター「ブレイク」が夢遊病のようにぶつぶつ言いながら
森の中、荒廃した屋敷の中を取り留めなく歩き回る。ただ、それだけ。
何かに出会うということはない。
ギター、チーズマカロニ、取り巻きの若者、
様々な物や人は確かにそこに存在するが、全てが素通りしていく。
既にして亡霊となり、この世には存在してないかのようだ。
その死について何の推測も行なわない。ただただ、進行する状況だけが描かれる。
ブレイクの耳にした、そこにはあるはずのない川のせせらぎや鐘の音、人々の声とともに。
見てて、「そうだな。こういうことなんだろうな」と思う。思わせる。
なぜ彼は死ななくてはならないのか?
必然性が感じられる。そこには嘘はない。
ただしそれは、死んで当然の人間が死んでしまったという、ただそれだけのことでもある。

ガス・ヴァン・サントが描きたいもの、描きたい世界観があって、
それは忠実にフィルムの中へと置き換えられた。
そういう意味では成功した作品と言えるだろう。
しかし、これがそもそも映画として面白いかどうかで言ったら、やはり今ひとつ何かが物足りない。
前作「エレファント」の延長線上にあって、そこからはみ出ることはない。
語りの構造は全く同じ。
なので見てて、全てが想像ついてしまう。
「最後に自殺するんだな」というのは歴史的事実であるし、
映画としてのゴールがそこにあるのは最初から明白だ。
しかしそこに至るまでの過程をどう描くか?
「エレファント」を見た人に、カート・コバーンの死というモチーフを与えたときに思い描く
全くそのままのものが提示されたとき、その人は安心感を得るだろうか、
それとも、得られるのは居心地の悪さだろうか。

娯楽映画ならば前作と同じ路線というのもいいだろう、
というか変ってしまったら困るだろう。
しかし芸術系の映画でそれをやられたら話は別だ。
その時点でそれは、芸術ではなくなってしまうような気がする。

つまり、「エレファント」で切り開いた地平の、
さらにその先っていうものが「ラストデイズ」にはなかった。
ストーリー的には「エレファント」のあのラストから物事が始まっていて
より深い内容を提示できていたのかもしれない。
しかし映画としての存在感は「エレファント」よりも小粒だった。それは否めない。
「エレファント」の弟的作品。
(「ジェリー」から始まる三部作だということもあって傾向を揃えてるんだろうけど)

結局これを見てもカート・コバーンの死について何がわかるわけでもないし、
何か「思い」が変わるわけでもない。僕自身は
「エレファントはこの世ならぬものすごい何かを描いていた、やっぱすごい作品だったんだな」
という感想、これに尽きる。

面白いことは面白い。
カート・コバーンの人生に興味のある人ならば特に。
いちいち「エレファント」と比較するのは間違いなのかもしれない。
見て損をすることはない。その辺の作品よりはよほど面白い。

でも、そもそも全編に渡ってダークというか陰鬱な空気が漂っていて
重苦しく逃げ場がない雰囲気。
こういうの苦手な人には馴染めないまま終わるかも。
好きな人はとことん好きになる。


[1960] オハイオ隊、遠征(その1) 2006-04-23 (Sun)

昨年後半に高校時代の友人たちと mixi でつながるようになってから、
mixi を飛び越えて仕事中だろうとなんだろうとメッセンジャーで話すようになった。
高校の同窓会サイトを立ち上げるってイベントも年明けにあって、
そういうのでまずは盛り上がった。メール含めて。
その後もタイミングが合えばダラダラ話してたりする。

ある日、
「そういえば、××が出張で2年オハイオ州にいるんだよね。行ってみたいね」
そんな話がどこからともなく出てきた。
すると、行きたい!行きたい!とすぐにも手が挙がった。僕含めて。3人。
遊びとなると物事パパッと手際よく決まっていく。
ゴールデンウィーク後半でチケットががくっと安くなる4日出発。9日戻ってくる。
思いっきり平日なんだけど、無理やり休んで行く。
胸には辞表を忍ばせて。
(PJが忙しいのでそんなの行ってる場合じゃないんだけど、行くものは断固行く。
 ダメと言われたら、ばっくれる)

格安航空券も手配してしまった。
向こうではシンシナティの近くだという家に泊めてもらう。
後は行くだけ。
「オハイオ隊」なるものが結成される。

・・・のであるが、


「オハイオ州」


って言ってもよくわかってない。3人とも。


「どこ?どの辺?」


から始まる。(僕はオレゴン州と勘違いしていた)
アメリカの白地図を渡されて「オハイオ州に色を塗れ」と言われたら
まず間違いなくトンチンカンな回答をしそう。
(正解は、参照 →http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%AA%E5%B7%9E

つうかまず、何がある場所なのかわかってないわけですよ、そもそも。
僕からしてみれば、
・クリーブランド: Pere Ubu を産んだ土地
・アクロン : DEVO を産んだ土地

ってなことで70年代末アメリカン・ニューウェーブの聖地なわけです。

・コロンバス :映画化もされた、フィリップ・ロスの「さよならコロンバス」
あとはこれぐらい。思い出せるのは。

でもこれって観光名所ではないよね・・・

さしあたりシンシナティ近辺で
じゃあ、ってんでピックアップしてみたところ出てきたのは以下のようなリスト。
この辺りが近いらしい。

■Paramount's Kings Island(テーマパーク)
http://www2.paramountparks.com/kingsisland/

■Air Force Museum (ゼロ戦、ステルス、原子爆弾など・・・)
http://www.wpafb.af.mil/museum/index.htm

■Wendy's 1号店
http://www.wendys.com/

■化石発掘(お持ち帰り可)
http://www.ohiodnr.com/parks/parks/caesarck.htm


プラス、僕が見たいもの。例によって美術館。どれもシンシナティ。

■Taft museum of art
http://www.taftmuseum.org/

■Cincinnati art museum
http://www.cincinnatiartmuseum.org/

それにメジャーリーグかな。試合を見たい。
ホットドッグ食いつつビール飲んで
球場中で歌われる「私を野球に連れてって」を聞きたい。

クリーブランドまで行けるなら
「Rock'n'Roll Hall of Fame & Museum」
http://www.rockhall.com/
いわゆる「ロックの殿堂」に行きたいもんだ。
エルヴィス・プレスリーやバディ・ホリーに始まり、
ジミヘンや、・・・いや挙げてくとキリがない。
地球の歩き方を見てると、
デヴィッド・ボウイやボブ・マーリーのステージ衣装が飾られているとある。

あと、クリーブランドは5大湖の1つエリー湖の近く。
これも見たい。でかいんだろうなー。

でも、シンシナティからクリーブランドには4時間ほどかかるみたいなので、
かなりの強行軍かホテルに宿泊を覚悟しないといけない。
うーん。

・・・ってな感じであれこれ悩んで、
話が進んでんだか、進んでないんだか。

続く。
それにしても、海外出張を除いたとき、
一人旅じゃない海外旅行ってこれが初めてだよ。


[1959] 夏が近付く 2006-04-22 (Sat)

給料日後の土日だったのであちこち出歩いて買い物。
今日は暑かった。Tシャツ1枚でもいいぐらい。
あれこれ忙しいってことで断ってしまったんだけど、
僕が今所属しているユニットでは今日
木場公園でバーベキュー大会ってことになっていた。
こんなに天気がよかったのなら、行っとけばよかった。
今頃焼いてんだろうなー。ビール飲みながら。

これまでが冬の入り混じった春だとしたら
これからは夏の入り混じった春になるんだろうな。
気が付いたらいつのまにか桜も散ってるし。
夏が近付く。
ぼやぼやしてる間に、あっというまだ。

僕の住んでいる2階のアパートのドアを開けた向かいの家は
玄関の上がトタンのひさしとなっていて、
そこを茶色い三毛猫がゴロゴロと転がっている。
絶好の転がり日和なんだろうな。
あー僕も猫になりたい。

---
来月のオハイオツアー用に
デジカメ用のスマートメディアを買いに神保町まで行く。

僕は富士フィルムのデジカメを持ってたのですが、
もうスマートメディアって生産してないんですね。
店頭在庫のみ。
SDカードとかいろんな規格が世に出回って、淘汰された。
新宿のヨドバシではもう扱ってないとのことだったので、
「以前見たことがあるなあ」と神保町のセレクトインきむらやに行ってみる。
あった。まだ多少在庫があるようだ。まとめて買っとこうかな・・・
悩んで、やめた。1枚だけにしておいた。
デジカメを買い直した方がいい。
常に鞄に忍ばせたりはしてなくて、どうせ旅行のときぐらいにしか使わないし。
携帯があれば日々の生活で写真は撮れるし。
夏のボーナスでデジカメを買おう。小さなヤツ。

ついでに「まんてん」でカツカレーを食べる。
久し振りに神保町に来て「何食べよう。さぼうる?いもや?味噌や?」
とあれこれ迷うかと思いきや、「まんてん」即決。
いまだ病み付き・・・


[1958] だめなSE 2006-04-21 (Fri)

怖い夢を見た。

こんな夢だ。
昨日のお客様とのPJキックオフの顔合わせがそのまま出てきた。
メンバー紹介の時間。
マネージャーが「アプリのリーダーのオカムラです」と紹介する。
僕は立ち上がって「よろしくお願いします」とお辞儀をする。
すると、顧客の最も偉い方が僕に向かってこういうことを質問する。

「アプリのリーダーか。じゃあ君はこのシステムをどんなふうに作りたい?」

どうも、何も。
そんなこと考えたこともなかった。

返答に困ってしまう。
口が開けない。みんなが僕を見ている。見つめている。
居心地の悪い時間が流れていく。

---
アプリケーションの開発を行う。
それをリーダーとしてどういうものとしたいか。

そういう視点で物事を考えたことはこれまでなかった。
今考えてみても思い浮かばない。
今回のシステムを僕はどうしたいのか。どういう観点で作ろうとしていたのか。

単純なレベルで
「軽くてサクサク動きます」でも「操作性に優れています」でもなんでもいい。
そういうキャッチフレーズならすぐにも思い浮かぶが、
それはまあ、つまるところ違うよな。大事なのはそういうことじゃない。
(もちろんこれはこれで大事だけど)

じゃあ何か?

だけど悲しいことに、
深い視点や広い視野に基づいたポリシーなんて今の僕からは逆さに振っても出てこない。
かっこいいことを掲げる必要はない。
それはわかっている。なのに、出てこない。

「お客さんから出てきた要望をなるべく取りこぼしなくつくります」
「スケジュールをなんとかまもります」

それぐらいのことしか言えない。
そして面白くもなんともない、
「言われてただ作りました」というだけの凡庸なシステムができあがる。

もちろんそこにやりがいはない。
達成感であるとか、お客さんと何かを共有してやり遂げたという意識であるとか。

目標がなければ、到達する場所ってどこにもないのである。
迷子のまま、徒労感だけがのしかかる。
脇道にそれて、ズルをして休むことばかり考える。
そしてどこにも辿り着かない。
ばかばかしくなってくる。
怖いことに、悲しいことに、
ばかばかしく思う気持ちさえ、いつのまにか磨り減って麻痺しだす。

こんなんでいいのだろうか?と思う。
さすがに焦る。
だけど最初の質問に立ち返って、
「じゃあ君はこのシステムをどんなふうに作りたい?」と問われたとき、

嘘でもいいから言えることは、今の僕には何もない。


[1957] 朝、食べない 2006-04-20 (Thu)

最近、朝食べたり食べなかったりする毎日が続いている。

入社当時は豪勢なピザトーストを作るのに凝ってたりしたのだが、
何年目だったか、あるとき仕事が忙しくなって会社に朝着いてから
来る途中のコンビニで買ったおにぎりやサンドイッチを食べるようになった。
そうすると家で食べているよりも時間が多少なりともできることになる。
これはいい、と朝時間があっても会社で食べるようになった。
朝からカップラーメンやコンビニ弁当を食べたりすることもあったけど、
そのうちそういうのもなくなって、ここ何年かはヨーグルトに落ち着いた。
飽きた日はおにぎりやカレーパンなど。
昼・夜と豪快に食ってると太るだけだよなーと朝は軽めに。
本当は朝に一番食べるべきだってよく聞くけど。

今回のPJは10時にお客さんのところで打ち合わせだったりするので
夜が遅くて朝起きるのも遅く、起きてそのままお客さんのところに行く。
家で朝食べる習慣が(土日も)なくなったので、食べずに行く。
昼まで何も食べない。
昼はがっつり食べる。

---
よくないよなあ。わかってるけど、どうにもならない。
朝も食べて昼も食べてたらかなり太りそうなんだけど?
みんなどうしてんだろう?
(一応言うけど僕毎日昼は大盛りってことではないよ)

朝食べないと脳に血が回らないとはよく聞く。
午前中は仕事にならなくなると。
でもなあ、たいした仕事やってるわけじゃないしなあ。
億単位の金が動くとか、国家の舵を握っているとか。
号令1つで千人単位で首が飛ぶとか。
しがないサラリーマンとして
みみっちい誰でもできることをちょぼちょぼやってて
あと30年か40年ぐらいしたら死ぬわけですよ。
だったらもう朝食いらないなあと思ったら
食わなくったっていいですよね。
それぐらいでは人は死なん。

というか食わなかったり・食っても軽いのに慣れてしまってるので
体がもうそういうものとして出来上がってんだよね。
朝食べるとむしろ調子悪い、ぐらいの。

朝起きて煙草とコーヒーだけのいわゆる「チャンピオンの朝食」が憧れですね。
「Blue in the Face」という映画の中で
ジム・ジャームッシュがハーヴェイ・カイテル相手に滔々と論じてた。
この「チャンピオンの朝食」ってのがいかに素晴らしいか。

---
学生時代ないしは社会人なって初めの頃食べていたピザ・トースト。

・パンは4つ切り
・市販の雪印とかのピザソースをこってり塗る
・みじん切りの玉ねぎを乗せる ※
・缶詰めのマッシュルーム(スライス済み)を散らす
・ピザ用のチーズを満遍なく広げる
・ピザ用に最初からスライスしてあるサラミをあちこちと
・輪切りのピーマンもちらほらと ※
・オーブントースターで焼く
 サラミがジュージュー言って焦げ目がつくまで
・焼きあがったら「これでもか!」とタバスコをかける
・牛乳が一緒だといい感じ

※毎日切ってるとめんどくさいので何日かまとめて切っておく


[1956] 本を出した出版社が倒産した その10(その後のこと5) 2006-04-19 (Wed)

昨日の朝日新聞にも、倒産のことが取り上げられていた。

フジテレビでもワイドショーで取り上げるみたいだ。
取材協力というか情報提供の依頼が僕のところにも来た。
僕は mixi のコミュニティに話を振っただけなんだけど、
その後何人かの人が熱心に情報提供を行なったようだ。
出版者の元社員の方に連絡を試みたり。

昨日18日の夜、家に帰って来たら碧天舎の封筒が届いていた。
「なんだろう?」と思って裏を見てみたら破産管財人の名前が。
何か決まったのかもな、と開けて読んでみたら
あれこれ進展して方針が定まったということで、その連絡だった。
書かれていたことを要約すると以下の6つ。
カッコ内は僕の補足です。

1.挨拶
FAXによる問い合わせが多数来ているが余りにも多すぎて個別に対応しきれない。
よって文書で統一的な対応を連絡する。

2.出版契約等の解除
碧天舎との出版契約は全て解除となる。
著作者は今後別な出版社と出版契約を結んでも問題はない。

3.原稿の返還
破産管財人の管理下にあるものは4月末までに順次著作者へと返還を行なう。
ただし、この頃までに返還がなされなかった場合は、
破産管財人の管理下にないものと捉えてほしい。
(たぶん、単純に見つからないとか誰のものか判明しなかったとかいうケースもあるだろうし、
 僕のように出版が1年近く前だと、返せるものは既に返されているだろう)

4.今後の出版
破産手続き開始後、「数多くの出版社」から様々な協力の申し出を受け、
諸般の事情を検討してみたのであるが、
破産管財人から他の出版社への引継ぎは行なわないこととした。
各著作者が直接、他の出版社と協議を行なってほしい。
(つまり、碧天舎の預かった原稿や出版物が一律どこかの出版社へと引き継がれて
 製作や販売が行なわれるということはない)

5.在庫書籍の著作者各位への頒布
倉庫に存在する在庫の書籍については、
倉庫業者に対して著作者であることを証明する書面を示した上で、
6月15日までの間、業者の担当の方に連絡し、在庫の確認を行なったのち
現金引換、現金書留または振込送金にて代金を前払いすることで、
定価の2割相当額で購入することが可能となった。
ただし、この購入に当たっての印税は発生しない。
また、6月15日を経過した場合は断裁処分となる。

---
まあ、こんな感じ。
僕的には終わった。これが知りたかったことの全て。
引き取ろうかどうしようか。300冊あったら6万になっちゃうんだよな・・・
これはけっこう大きい。
しかもその300冊を今後どうするか?
(いや、残り何冊なのか全然わかってないですが)
amazon のマーケットプレイスで売るのもありだけど、そんなすぐにはさばけないよな・・・
それ以前にどこで保管しようか。
トランクルームで眠ることになるか。
実は、使い道がない。

僕はこの決定でよしとするんだけど、今回の連絡では
自費出版・共創出版をしようとして契約して
振り込んだ直後に倒産してお金の返ってこないという
最も困難な状況にある人については何も触れられていない。
(諦めるより他にないということなのだろうか)

大きく分けて著作者(債権者)の立場は
「既に出版してる人」「まだ出版してない人」この2つに分かれるんだど、
前者は方向性が定まって一部沈静化(?)し、後者は引き続き暗中模索となるか。
なんだか思いっきり運命を分けたように思う。

mixi のような情報源を利用できず、
地方に住んでいて周りに相談相手のないお年寄りの方であるとか、
カードローンを組んだばかりで支払いが残っている方とか、
それぞれの人が様々な事情を抱えたままなのは何も変わらない。

あと、最大の謎である「なぜ倒産したのか?」
これは依然として闇の中。今のところ明らかになっていない。
いつか明るみに出ることはあるのだろうか。


[1955] 芝浦ふ頭にオフィス 2006-04-18 (Tue)

竹芝の本社オフィスから、
ゆりかもめで2つ先の芝浦ふ頭の雑居ビルにオフィスが移転することを先月書いた。
その後のことを書いてないな、ということに気づいた。

一言で言って、

「なーんにもない」


良くも悪くも。

【悪くも】
食う場所がない。とにかくない。
ビルの某社の社食を僕らも利用できるのだが、評判は芳しくない。
パーキングエリアなどと呼ばれる。
その他で食事可能な場所は3軒だけ。
割とおしゃれめなレストランと、港湾労働者向けの食堂と、
いつ見ても客が1人か2人かゼロの怪しげなダイナー。
これだけをグルグル、グルグルと果てしなく回ることになる。
神保町で散々食いまくった時期が夢や幻のようだ。つい先日のことなのに。
「全部回りきれねーよ!!」って騒いでたのに。
夜は社食もどこもやってないので、メインはコンビニ弁当。
そのコンビニも近くに1軒しかない。やばい。

港湾労働者向けの食堂は件の社食よりはいける。
が、ジャンパーを着た若かったり年老いたりする労働者や
裏寂れた会社員と一緒になって食べていると正直気が滅入ってくる。
不況がとことんまで進んで
こういうところであと30年はメシを食わなければならなくなったら、
どこかの時点で発狂するか引き篭もりになりそうだ。

田町まで行けばそりゃもちろんあれこれあるが、
往復してたら昼休みが終わってしまう。

田町駅まで遠いってのもなんだよなー。
歩いて15分かかる。
ゆりかもめではなく、僕はJRを利用している。
駅からビルまで無料のバスが出てるみたいなんだけど、僕は利用していない。
僕は歩くのが好きなので、歩きたくなる。
運河にかかった橋を渡ったり、高層マンションの建築現場を通り過ぎたり。
眺めは悪くない。

【良くも】
上で書きかけたんだけど、眺めはいい。
レインボーブリッジの正にぐるっと回転する部分がすぐ目の前にある。
あと、港ってのがいい。コンテナとかそういうあれこれ。いい感じに寂れてるし。
それにモノレール。天王洲アイルまでいくやつ。
運河沿いの街並みがあって、見上げると走っている。
上下線が交差する瞬間はとても絵になる。
バックを例の建築中の高層マンション「芝浦アイランド」にして。
いい映像が撮れそうだよなあ。

僕らの入っているビルも吹き抜けがあって、吹き抜け好きにはたまらない。
僕らの会社のビルじゃないから、全般的にセンスがいい。

【その他】
僕らの入っているビルは上の階がマンションになっている。
茅場町時代のビルもそうだったなあ。
上の階をマンションにすると建蔽率だったか税金だったかが
都の方で優遇されるってことで。

で、そこに志村けんが住んでいるってもっぱらの噂。噂は噂に過ぎないですが。
朝出社するとビルの前で高級そうな車を洗ってる人がいて、これってもしかしたら付き人?
あと、藤原紀香が住んでるという噂も。
芝浦近辺のマンションは何もないのが逆にいいってことで
芸能人が多く住んでいると聞く。汐留にもお台場にも近い。
スーパーもコンビニもないけど、それって芸能人にはなんの関係もないだろうし。
何をするにも車に乗って。

【悪くもA】
僕らIT業界の会社なわけですが。
こういうところにいたら腐ってくよ。刺激が無くて。
IT業界で働いている人にとって
必要なものは何よりも外からの「刺激」なんじゃないかと最近思うんだけど。
ここにいたらぼけるね。自分たちだけで居心地のいい「村」を形成して。自給自足。
嘘でも六本木ヒルズに移転したら、
今世の中で何が動いているのか皮膚感覚で分かるのではないか。
あの会社はああいうものを求めている、ああいうものを提供しようとしている。
そういう情報ってインターネットでも日経コンピュータ系の雑誌でもそりゃ確かに得られるけど、
足で歩いてその場に行って目で見たりざわざわした音を聞いたり
その空気に包まれなきゃわからないことってどうしてもあるでしょ?
それがなくなっちゃうんだよね。神経尖らせる必要性が無くなる。
まあそれは竹芝にいる頃から変わらないんだけど。

だったらお客さんのところに常駐している方がいい。
早くどこか行きたい。
今のPJはそれがなさそうで残念。
銀座・新橋界隈なのでかなり食には期待してたんだけどなー。


[1954] 本を出した出版社が倒産した その9(その後のこと4) 2006-04-17 (Mon)

その後。
mixi を見ていると、15日の土曜日、突然原稿が宅配便で送られてきたという報告が。
「元社員一同」の名でメッセージが添付され、
応募時の原稿や、校正後の原稿、データの入ったフロッピーなど。
しかし戻ってきた内容は人それぞれまちまちだったりする。
破産管財人からの指示がようやく出て、
(3月31日付で解雇された)元社員の有志数人で作業したようだ。
これが今後も継続してなされるものなのか、
それともこれ以上の作業が状況的に難しいのかはわからず。
どれだけの人に返却がなされたのかも。
(結局元社員の心ある人に頼らないとやはりことは進まないのか、
 債権者説明会で社長は自ら原稿を返却すると言ってたではないか、
 やはりあの人は嘘つきだという意見が出てくる)

読売新聞に記事が出ていて、
文芸社や新風舎が自費出版業界のイメージダウンを恐れて
出版引継ぎを検討しているとあったようだ。
これもどうなることやら。
もちろん向こうもビジネスだからただでやってくれるわけはなくて、
追加で費用を払わなくてはならないと思われる。
僕はもちろん、そこまでして出す気はない。
文芸社や新風舎から出すことがそもそもかっこいいことに思えないし。

ちなみに、業界の動向として文芸社や新風舎の方が
一般的に碧天舎よりも出版費用がかなり割高となるようだ。
原稿を送ったらセミナー勧誘の電話がかかってきたり、それが高級ホテルで行われたり。
もうほんと自費出版ビジネスの「やり手」な感じ。
あまりよい印象はもたれていない。
一方で碧天舎の元社員の方たちは原稿を熱心に読んでアドバイスしたり
赤を入れたり(僕もそうだった)
良心的な人が多かったという書き込みを mixi で随所に見かける。
今回の件では元社員も被害者なのだ、ということを強く思わされる。

債権者説明会前後にいったん話が出て
その後意見の対立というか意見の錯綜しすぎにより立ち消えとなった
「被害者の会」設立の話が、金曜の日テレのワイドショーでの
社長の受け答えを見た人たちにより「許せない」と再燃する。
刑事告発は単なる制裁にしかならないので問題の解決とはならず、
民事告発は弁護士にかけるお金と回収できるお金が見合わない、
よって当面は破産管財人に対する要望の窓口となるべきではないか
という合理的な提案がなされる。

ワイドショーの話で言えばたまたま見ていた母曰く、
「テリー伊藤がこんなことを言ってたんだけど
 山本社長は姉歯の事件で言えばヒューザーの伊藤社長とそっくりだって」
なんかそう言われると、なるほど、としっくり来る。

それにしても、法律のことよくわかってないで言うのもなんだけど
なんで山本社長は負債を溜め込んでいきなり倒産とせず、
負債を徐々に減らすようにして民事再生(会社更生?)して
再建という方法を取らなかったのか?

おまけに。
Google Alert にキーワード「碧天舎」でピックアップされたものを残しておきます。

■ニュース
ビブロス破綻の原因、自己破産した碧天舎の債権者説明会開催
http://www.gamenews.ne.jp/archives/2006/04/post_728.html

自費出版「碧天舎」が倒産、250人「お金返して」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060412-00000506-yom-soci
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20060412i506.htm?from=main5

自己破産の碧天舎、債権者説明会
http://www.shinbunka.co.jp/news/2006/06-04-06-02-news.htm

オタク検定とBL小説・漫画のビブロス倒産
http://animeanime.jp/biz/archives/2006/04/bl46.html

自費出版 ある専門会社の倒産
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060409/mng_____tokuho__000.shtml

■ブログなど
碧天舎ってどんなですか
http://www.aichi-books.jp/cgi-bin/resbbs/bbs.cgi?mode=all&loadno=26&resp=1

ビブロス・碧天舎倒産
http://stella.cocolog-nifty.com/starchartlog/2006/04/post_9c3a.html

(2002年ごろ?碧天舎より出版の話のあった方のサイト)
http://www1.linkclub.or.jp/~izumi-k/kirokusitu/nikki4.html


[1953] 大人ロック2回目 2006-04-16 (Sun)

冬のいつだったか、会社の後輩に頼まれてライブの撮影を行った。
渋谷のライブハウスで「大人ロック」というイベントに出演。
結成一ヶ月目にしてそのときが初めてのライブ。
またやるんで撮ってくださいとのことで、昨日の夕方また行ってきた。

行ったらイベントの発起人(?)松田一志のバックバンドの演奏。
バカテク系・元ハードロックっぽい人たち系のフュージョン。
テクニックありそうなのに、演奏が噛み合ってない感じ。ソロも力任せな。
でも、ベースは爆風スランプのバーベQ和佐田なんですよね。
この人はうまい。チョッパー、バキバキ。
ボーカルの松田一志が登場。
うー。フュージョン系80年代歌謡曲?
聞いててちっとも面白くない。僕にとっては聞く価値なし。考え事して過ごす。
関西人だからなのか無理やり俺色的に盛り上げようとしてて、それがまた僕的にイヤ。

で、後輩のバンド「WAYA」
ギターが抜けて、女性のサックスが加入。
ボーカル・ギターと並んでフロントな立場の楽器というか
撮りやすい楽器なのでソロともなるとそっちばかり撮ってしまう。
割とうまかったように思う。生のサックスを聞き慣れてないだけかもしれない。
ライブ全体としては、うーん。前のライブの方がいいかな。
なんか今回は焦って無理やり前に進んでるように感じられた。
MCで自ら言ってたけど、ボーカルのスキャットは課題だ。
緊張してガチガチなんだよな・・・
緊張してたら、唄うたいにはなれないではないか。
曲目は「Sunny」「Route 66」「Songbird」など。

前回と違って、次のバンドを見たりせず、そそくさと帰ってくる。

僕の撮影も前のほうがよかったな・・・
最初フロアの端で撮ってて、アングルのいじりようがなく多少横に振ってズームするだけ、
動きがないのもなんだなあと途中から最前列付近の椅子に空きを見つけて座る。
下から見上げるアングルになって「これはいい」と思ったものの
今度は距離が無さ過ぎて全体像が撮れない、っつうか
ずっとズームアップしてるような感じ。これはこれで平坦。
難しい。というか、テーブルと椅子のあるライブハウスでの撮影は難しい。


[1952] 本を出した出版社が倒産した その8(その後のこと3) 2006-04-15 (Sat)

続きを書く。
テレビ局からの依頼はまあ後ろ向きなわけですが、
一番最初にメールが来た新聞社の取材は受けてみることにした。
日付で言えば昨日となってしまうけど、取材があったのはつい先ほどのこと。

メールには僕のブログを読んで「冷静さ」に関心を持ったとあった。
そこか、と思う。なるほどな。
「ブログに書いたのが全てです」といったん返答したところ、
「それでもお話を伺いたい」とのことで、
だったら会って話してみたいという気持ちになった。

仕事を終えて、銀座のとあるホテルのロビーで待ち合わせ。
候補には帝国ホテルもあったんだけど、さすがにそれは気後れする。

記者の方は目印のために僕の本を抱えて待ってることになっていた。
(絵に描いたような、取材の待ち合わせっぽいです)
わざわざ amazon で取り寄せたのだという。
売れたところで僕のところにお金が入るわけでもないし、
礼儀として購入しただけなのかもしれないけど、
一冊でも誰かの手に渡って断裁を逃れたとなると作者としては嬉しい。

はじめましてとお互い挨拶して1階の喫茶店へ。
「食事はなされましたか?」と聞かれたのに
僕は会社を出て来る途中でラーメン屋に寄ったばっかり。
不謹慎ながら「ちぇっ」と思う。

取材は淡々としたもの。
債権者説明会の当日の模様であるとか、僕が出したときの出版社の雰囲気とか。
僕は出版社から送付されてきた資料や契約書など一切合財持ってきていて、それを見せる。
僕が最初に受け取った出版社のパンフレットを手にとって、
(そのうちのいくつかは写真に撮って新聞で使うかもということでお貸しした)
「特におかしな内容はないですよね、普通の出版社に見えますよね・・・」と記者の方は言う。
僕もそう思う。当時そう思ったし、今でもそう思う。
刊行物の案内を見ると、AVの男優だったりするが、少しばかり名のある人も本を出している。
(自費出版希望者をメインに据えたビジネスを展開する前のことか?)

僕自身は本を出せたし、流通されたし、騙されたという気持ちはない。
僕の知る限り去年の前半まではまあ普通の「自費出版ビジネス系」出版社だった。
それが去年の後半もしくは年末に何かがあったのではないか?
そういう話になる。
「そこがこの件で一番わからないことなんですよね」
自費出版なり共同出版ならば著者が決して安くはない費用を負担しているわけだし、
それに基づいて本を製作して流通させればいい。
手堅く経営していれば、顧客の集まる限り経営の傾く分かりやすい要因は見当たらない。
なのにどうしたらこういうことに?
どこか闇のような部分があって、
そこにとんでもない額の資金が吸い込まれてしまったのではないか?
黒字だったビブロスをも飲み込んでしまうような。
どちらともなく「そんな気がしますよね」とはなるものの、
その原因究明そのものが今回の新聞社としてのターゲットではなく、話はそこで止まる。
まあ仕方がないか。

聞かれたことを話し、記者の方はメモを取る。45分ぐらいか。
僕がブログに書いたことの全体像、あるいはその補足のようなことを網羅的に聞かれた。
最後に、「作家志望なんですか?」と聞かれて「ええ」と答えた。
「でも次はこういうのじゃなくて、新人賞を取ることで、と思っています」
個人的なことはこれぐらい。
そんな感じであっさりと終わり。
いやー役に立ったのか。もっと「怒ってる」人の方がよかったのか。
それでも初めから終わりまで何度も何度も
本日はありがとうございましたと頭を下げられる。

社会部ではなく、文芸部の方だったので
他の自費出版系の出版社の動向は知らないかと聞かれた。さすがにそこまでは知らず。
文芸社とか新風社とか、どうなんだろう?
実は、碧天舎と大差なくて、碧天舎がタッチの差で早かっただけだったりしないか。

今日はどう帰られますか?と聞かれ、
「え?定期があるんで地下鉄で」と即答してしまう。正直者。
もしかしたらタクシーチケットがもらえた?と後から気がついた。
上に書いたメシの話もそうだけど、小市民的にいやしい。

原稿はコピーを取っておくこと。
写真などオリジナルは絶対出版社に渡さないでコピーを渡すこと。
新聞社だからと言って出版に詳しいわけではなくて、
忠告するとしたらそれぐらいなのだそうだ。
「昔の新聞のコピーを見つけることぐらいしか、頼まれても何もできませんけど・・・」
と苦笑される。
そしてレジのところで「では、これで」となる。

今すぐ記事になるわけではなく、当面先のようだ。
出来上がったら僕のところにも事前の確認のため記事を送ってくれるようだ。
名前はどうしますか?と聞かれて、「出さないでください」とする。
僕は「31歳、会社員」として登場することになる。

お世辞かもしれないけど、「メモ取るのうまいですね」と言われる。
同僚の記者に僕のブログのプリントアウトを見せたら、「これはわかりやすい」とのこと。
(よく考えたら「文章がうまいですね」と言われたほうがいいか・・・)
「議事録といえばオカムラ」「オカムラといえば議事録」と
ことあるごとに言われてきたわけですが、
(ビジネス文書として上手という意味ではなくて、やたら長かったりするから)
これで新聞記者からもお墨付きを得たわけです。
なーんて、素直に喜んでみる。

丸の内線に揺られて帰ってくる。
金曜の夜、22時。周りは酔っ払いが多い。

僕のしたことがなんかの役に立つのなら、いいのだが。


[1951] 本を出した出版社が倒産した その7(その後のこと2) 2006-04-14 (Fri)

日テレの今日の朝のワイドショーにて
「自費出版会社が倒産」ということで取り上げられた。
平日の朝なのでもちろん見ていないのだが、
社長自ら出演し、被害にあった著者も何人か出演したようだ。
電車に乗っていると友達からメールが届く。
「社長が今 4ch 出てるよ〜
 出演者に超糾弾されてる
 すごい」

家に帰って来ると母からも留守電が入っていた。
「トヨヒコが本出した出版社の社長が、今、
 倒産したあれで、言い訳言ってるよ」

僕はいいとして母が何と思うか。
「息子は東京で詐欺にあった、お金を騙し取られた」
と思われてたら、なんだか嫌だな・・・
親戚にも本を配っているし。
母はたぶん「息子が本を出した」ということで
喜んで周りに配ったのだと思う。
そのときの姿を思い浮かべるとつらい。
つらいというか、ゾッとした気持ちになる。

実は日本テレビの方からは昨日、
「岡村日記」を読みました、取材に協力いただきたい
ということで僕宛にメールが届いていた。
読んだのが夜遅かったし、
僕だけじゃなくてあちこち当たって
まあ誰か見つかってなんとかなってるだろうと思ってそのままにした。
この件でテレビに出るってのもなんだか気が進まないし。
(薄暗い部屋で、声を変えて、顔にモザイクをかけられて、
 ボソボソと証言している僕の姿を思い浮かべた)

番組が放送されたということは証言する人が見つかったってわけだし、
それはつまり言いたいことがある、どうしても言いたい人がいるということだ。
そういう人の方がやはり、望ましいと思う。テレビならば。

日テレだけじゃなくて、
家に帰ってきてメールを見たら他のテレビ局からも同様の依頼がなされていた。
mixi の参加者に連絡をお願いしたいということだったので、
スレッドを立てて依頼内容を書き込んでおいた。
僕のこの件の関わり方って、これが精一杯か。
自分から率先して状況を切り開くような意欲も時間もないし、
それ以前にそもそもそれほど怒ってない・・・

マスコミ関係者に限らず、何人か日記読んだ人から個人的にメールをもらった。
どういう物事を僕に期待しているのか、
とにかくお会いしたい、話がしたいという人もいて驚いた。
メールを頂いた方には皆結局、mixi を紹介して、
そのうちの何人かは招待メールを送るという対応を取った。
それ以上のことはしなかった。というかできなかった。

mixi の碧天舎のコミュニティでは今、
あちこちのルートを通じてなされた
マスコミ各社からの取材依頼のスレッドが立っている。
大手新聞各社に、テレビ局。
読売新聞は既に記事を発表し、朝日新聞は明日とのこと。

一連の報道で、何がどうなっていくのだろう、と思う。
この事件の闇の部分が明らかになるのだろうか?
社長の社会的責任が問われて、制裁が加えられるのか?
「こういう事件があって、被害者がいて、救われないままとなりそうだ」
「自費出版業界って実はこれこれこういうものなのだ」
という単発の紹介となって終わりとなってしまわないか。
読者や視聴者の反響がなかったら、一度きりとなってしまうんだろうな。
マンションの耐震強度偽装問題とは性質が違うし、
ライブドアの株主1200人が訴訟を起こしたってことで
新聞の一面に載ってたけど、そういうのとも違う。
社会的な関心は得られないのかもしれない。

マスコミが社会的な制裁を下すのではない。煽りはするかもしれないが。
それは結局、事態に直面した人々の連帯がなすものなのだ。
そこまで、たどり着けるだろうか。
被害者として意思表明する人の絶対数はそれほど多くないだろうし、
その全体像を掴んで、束ねていくような組織もない。
小さな一個人の「負けてたまるか」という思いが
散発的に先行きのあぶり出しを行っているだけ。
管財人と交渉する団体もないと言えばないし、
倒産に至る経緯を明るみに出す機関もない。
見ててはがゆいが、世の中、そういうものなのか。


[1950] だめな人 2006-04-13 (Thu)

どうしてこういうことになってしまったのか?

なってしまうのか?

---
先日何人かで話していて、こういうことを言われる。
「オカムラさんって、恋人には自分の好きなこと、ガーッと語りそうですよね」

それは違うよ、と否定する。
音楽か、映画か、文学か。
その人が僕と同じ趣味を持っていて、なおかつ興味を深堀りするタイプの人ならば
そういうこと話したりもするかもしれない。

でなきゃ、マニアックなことなんて話さないと思う。
その人がその物事に興味ないならばなおさら。
その人の興味のあることだけ、その人と話して有意義なことだけ、話す。
でなきゃ聞き役になる。
僕自身はあんまり話さないのではないか。
その人の言ってることを聞いてるほうが楽しいかもしれない。

よくわからない。

---
僕、この年にもなって好きな人の前にいると何も話せなくなってしまうんですよ。

黙ったりどもったりで一切口をきけなくなる、というのではなくて。
話はできる。なんとか。
でも、つまらないことしか言えなくなるんだよな・・・
必ずしも気の利いたことを言う必要はない。それはわかっている。
でも、でも・・・
(まあ、言えるに超したことないけどね)

友人や身の回りの人に話しているように
自然にあれこれ言えればいいのに、それができない。

気心知れた人たちと昼飯にでも行こうものなら大変ですよ。
僕1人でどうでもいいことベラベラと喋ってる。
笑わせようとする。
笑ってくれるとうれしくて、また何か言う。

それができない。どうしてもできない。
ぎこちなくなってしまう。普通の会話すらできない。

場数を踏んでないからか。
「年齢=彼女いない暦」ってやつ?
この年になっていまだそうだと、普通「ひく」よね。女性は。

もう、諦めるしかないんだろうな。

---
そう、この前もそうだった。

せっかく二人だけで会ってたのに、何も言えなくなってしまった。
楽しそうに笑ってくれた瞬間は一度としてなかった。
当たり障りのない会話をずっとしてて、噛み合わないまま。
途中からどうしようもない気持ちになった。
「きれいですね」「あ、ああ、きれいですね」
「寒くなってきましたね」「あ、ああ、寒くなりましたね」
返す言葉が見つからない。

もうだめだと思った。

そして、それっきり。

どうすることもできない。何をどうしたところで間違いのようで。
臆病になって、怖くなって。

消えてしまいたくなる。落ち込む。
会社にいるときは平然として笑ってたり笑わしたりしてても、
心の奥底では沈み込んで途方にくれていた。

未練は残っているわけですよ。
でもそれをどうしていいのかがわからない。
プラスの方向にも、マイナスの方向にももっていけない。
なす術も無く、今はただ日々をやり過ごすだけ。

---
意気地なしな僕がこんなことになってしまうのも当たり前のことだ。

ここから先、この人生において積極的に女性にアプローチすることは
もうやめにすることにした。
中途半端なことをしてまた相手に気まずい思いをさせるだけだ。
失敗を恐れていたら行動できないのは確かだが、
それでやってみたところで失敗する以外にない物事ってのもやはりあるわけだ。
それが痛いほどわかった。

---
どんな曲だったか忘れたが、ムーンライダースにこんな詩があった。

「物は壊れる、人は死ぬ。三つ数えて、眼をつぶれ」
あの時以来、なぜかずっとこの詩のことばかり思い出している。

死んでしまいたい、とかそういうことではない。
そういう気持ちは取り立ててない。

でもなぜか、いつも思い出している。

今はただ、いろんなことを忘れようとして、惰性で生きていくだけ。
何かが間違っているのはよくわかっている。
でも、どうすることもできない。

三つ数えて、眼をつぶれ。


[1949] 本を出した出版社が倒産した その6(その後のこと) 2006-04-12 (Wed)

4/6(木)10時から12時までの
説明会が終わると僕は1人地下に下りて、レストランで食事を取った。

外に出ると昼休みの日比谷公園。
暖かな春の午後、大勢の会社員が食事をしたり同僚と楽しそうに話していた。
日差しが素晴らしく、新緑が眩しかった。

そのとき僕は世の中の何たるかを知ったように思った。
弁護士会館の中で過ごした2時間は強烈なインパクトのある出来事だった。
それと同じぐらい、平和な日比谷公園が僕の心に焼きついて離れなかった。
この人たちには今回の事件はなんの関係もない。
そしてそれが正しいことであって、
世の中というものは何事もなかったかのように、いつも通り穏やかに緩やかに動いている。
世の中の巨大な仕組みのようなものの存在を、僕は肌で感じとった。

---
この問題について話し合うために
mixi に承認制のコミュニティが作られ、僕も参加した。
意見や情報が積極的に交換されている。僕も知ってることを書き込んだ。
トピックの内容を見ていると最初の方で混乱が生じて、
被害者の会を結成するかどうか訴訟を起こすかどうかで意見の対立が見られたりした。
たぶん、こういうときどこにでも見られることなんだろうと思う。
とりあえず情報だけは無数に飛び交っている。
建設的かつ前向きに物事が進んでいくことを期待する。

amazonにて在庫で残っていた2冊の本もこの件が関係するのか、週末に売れてしまった。
これで僕の本はほぼ公に入手不可能となった。
他の書店サイトで在庫持ってるとは思えないし。

碧天舎について実は僕としてはそんな悪い印象は持っていない。
担当していただいた2人の女性の方はきちんと応対してくれたし。
(他の出版社を知らないのでどうにも比較できないけど)
そのうちの1人、編集の方は昨年のどこかの時点で退職のはがきを頂いた。
これは倒産の件とは全然関係ないと思う。
もう1人、企画の方は年明け後も残られていたようだ。
そして解雇された。
会社の経営状況についてどこまで知ってたのだろう。聞かされていたのだろう。
うすうす噂では聞いていても、正式なことは聞かされてないまま
突然の業務停止と自宅待機となったのか。

社長の非はどこまであったのかもよくわからないまま。
結局のところ「詐欺」だったのかどうか。
会社を立て直せると信じて最後まで粘ったのか。
ずさんな経営はそれ自体が罪なのか。
(まあ罪なんだろうけど。資本主義社会では)

僕は僕の本を倉庫から取り出すべきなのか、
それはどうしたらいいのか、わからずにいる。
(相談相手と情報源は mixi だけ)
そりゃやっぱ本は取り戻したい。
でも部屋に200冊とか300冊とか在庫を抱えることになったらそれはそれで困る。
おおっぴらにただで配って歩いたら、お金出して買ってくれた人に申し訳ない。
ほんと、どうしていいかわからない。

これから先、この事件はいったいどうなっていくのだろう?

mixi のコミュニティに入っている人が50人ぐらい、
先日の債権者説明会には350人が出席。
(地方在住で出席できない人も多かっただろう)
一方で amazon で入手で扱っている碧天舎の本が種類にして1200冊だったか。
つまりそれぐらい関係者はいるってことだ。
これから先、どういうふうに連帯して物事が進んでいくのか。
誰も「被害者」の全体像を捉え切れてないないようだし。
一部の血気盛んな人たちが切り込んでいくのか。
それとも集団として大きくなることで社会的な存在感を求めるか。
裁判を起こすにしても社会的な制裁を与えるのが目的となるのか、
それとも多少なりとも出版費用を回収するのが目的となるのか。

※4月9日の東京新聞でこの件、取り上げられていた。
 もちろん僕のこれまでのメモ書き程度の文章よりもよくまとまっている。
 本当に興味のある人はこの記事を入手して読まれることをお薦めします。

最後に。この件、破産管財人にしても代理弁護人にしても
年に何万とある破産の単なる1ケースでしかないんでしょうね。
ドライというかクールというか。
まあそういうふうに割り切って進めていかないと
法律の仕事は成り立たないんでしょうけど。


[1948] 本を出した出版社が倒産した その5 2006-04-11 (Tue)

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□発言(17)
「詩集を出したばかりだった。出した出版社がつぶれたことを
 置いてもらった本屋に伝えに行ったところ、
 あなたの本は価値があるので本屋としては置きますよと言われた。

 この売り上げはどうなるのか?」

 ※一見いい話だな、と僕は思った。
  でも「価値がある」というのは碧天舎の出版物が本屋に買取らせる仕組みに
  なっていたことを柔らかく著者に伝えたものなのかもしれない。
  この場合通常、自由に返本できない。
  なので本屋としては売り切りたかったのかも、といううがった見方が可能である。

【回答】
「売り上げは取次の口座に入る」
 ※これが、貸借対照表の「取次売掛金」の箇所に還元されるのか。

 ※この話の前後に、印税は今後どのような形であれ支払われることはない
  という説明が代理弁護人よりあった。

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□発言(18)
「あんた、本出せたんだからいいじゃないか!

 契約してそれっきりの人が先だ!」

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ここで、被害者の会による訴訟の件が再度出てくる。

しかし代理弁護人より、以下説明がなされる。
・経営者側はこの状況ではとてもじゃないが、訴訟を受けられそうにない。
・破産財団を相手取って訴訟を起こすのは可能だが、
 破産財団自体に非があるわけではないので勝訴となる見込みはない。

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倉庫業者に連絡を取った人が戻ってくる。

□発言(19)
「一般的な相場として、定価の1割程度で在庫の引き出しは可能とのこと」

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□発言(20)
「問題がバラバラに話されているが、整理したい。
 倉庫に眠っている在庫があり、
 方や引継ぎ先の出版社の交渉がなされているという話がある。
 ここがスムーズに取りはかられるようにしたい。

 販売を引き継いでくれる出版社が現われたのに、
 在庫は全て中古市場(ゾッキ市場)に流れました、では元も子もない。

 きちんとした情報提供が今後なされるようにしたい」

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□発言(21)
「契約して出版費用を振り込んでいながら、出版されていない人は
 一体何人いるのか。社長は知らないのか」

【社長による回答】
「250人強になる。出版工程には様々な段階があるが、
 お金を預かっているのに何もしていない方については100人強となる」

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□発言(22)
「まずはその100人を救済すべきではないか」

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□発言(23)
「自分の本に関する個人情報を守りたい。
 デザインとか版組みであるとか、誰にどう頼んでどこまで進んでいるのか」

【回答】
「先ほども回答したが、ステータスを管理した表はビルの中のPCの中となる。
 PCにアクセスすべきかどうかは破産管財人が決める」

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□発言(24)
「4月20日に発売されることになっていた。
 製本所に確認したところ、製本そのものは済んでいるという。
 (本もそうだが)私にとっては原稿は『死んだ子の亡骸』のようなものだ。
 返してほしい。ビルに引き取りに行きたい」(場内拍手)

 ※本を指していたのか、原稿を指していたのかメモを読み返してみると不明。

【回答】
「社長は『現場』を知らないので、できない」

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□発言(25)
「だったら社長は元社員に頭を下げて、残務整理をするべきではないか」

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□発言(26)
「(判読不能)の責任はどうなるのか」

【回答】
「あなたの弁護士に相談してください。僕はあなたの弁護士ではない」

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□発言(27)
「夢と希望をこの本に託していた。この本を流通させてほしい。
 社長にはその責任があるのではないか。」

 ※この人かどうか定かではないが、
 「金が戻ってこないのはもうどうでもいい」という発言があった。
 同じようなニュアンスで話している人は多かった。

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□発言(28)
「破産ってことはどうせ金は戻ってこないんだろう?
 あんたたちは今回一回こっきり頭下げて『すみません、すみません』だけ言っといて
 終わったら『あーあ、終わった』とか言いながら茶でも飲むんだろう?」

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□発言(29)
「ここにいる人の全てが出版費用を一括で払ったわけではないと思っています。
 私は分割にしたのでクレジットの会社へのローンが残っています。
 出版社が破産したということは
 この支払いは今後しなくてもよいと考えていいですか」

【回答】
「それはクレジットの会社とあなたが直接交渉してください。
 基本的に支払いは発生します」

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□発言(30)
「どうせいい答えは求めてないよ。

 あんたたちは逃げてる!(場内拍手)

 私は夢や希望をあなたたちに託してきた。
 この本は25年間かけて書いてきたんだ。
 原稿や写真は返ってこないのか!?

 言い訳するな!

 私の人生のライブラリー10冊のうち1巻と3巻を預けたんだ。
 これを返してくれ。欠けたらどうにもならないんだよ。

 私のライフワークを奪われたんだ。
 社長の胸倉をつかんでやりたいよ。

 卑怯者!!

 説明会はこの1回限りか!?

 ※84歳男性。代理弁護人の「12時なので説明会は終わりにします」的発言を受けて、
  それまでの怒りを爆発させて声枯らして怒鳴り続けた。
  見てて辛かった。本当に辛かった。
  発言こそしなかったものの、こういうお年寄りばかりなのだ。

  閉会間際にはこのお年寄りの方は社長のところに詰め寄っていた。
  社長はひたすら頭を下げていた。
 
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□発言(31)
「引継ぎの出版社については、7月31日まで連絡はないのか?」

【回答】
「なんらか通知があるはず」

 ※これが、引継ぎ先の出版社が見つかった際にそこからなされるのか、
  破産管財人からなされるのかは不明。

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□発言(32)
「社長は著者に原稿を返してから、従業員を解雇すべきではなかったのか」

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□発言(33)
「この件はニュースでは扱われないのか?」

【回答】
「それはマスコミが決めることです」

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□発言(34)
「従業員がいないから原稿を返せないのなら、
 社長と取締役が管財人の補佐として手伝えばいいではないか。

 そういったことが決まったときの報告はどのようになされるのか?」

【回答】
「社長を補佐として役立てるよう、管財人には申し送りします」

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□発言(35)
「さきほど外でお世話になった社員の方に会った。話を聞いた。
 自分としては原稿の返却の件などお手伝いしたいのだが、
 命令により止められていると聞いた。これはどういうことなのか?」

【回答】
「そのような命令はこちらからは出していない」

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□発言(36)
「これまで様々なことが言われたけど、社長、あんた、
 言われたこと1つもメモしてないじゃないか!?
 これが終わったら、次、何をするつもりなんだ!?

 あなたたちの誠意が、何にも伝わってこない」

------------------------------------------------------
この後、代理弁護人が閉会を告げる。

12時を過ぎて既に帰っている人も多く、
場内は立ったままあちこちで話し合っている人や
帰ろうとしている人たちでガヤガヤしていた。

強硬な姿勢を示していた人の何人かはロビーで集まって今後のことを話していた。


[1947] 本を出した出版社が倒産した その4 2006-04-10 (Mon)

※以下、メモに書き綴ったものを、その順番で記していきます。
 回答は断りのない限り、代理弁護人によるものです。

 僕の聞き間違いや記憶違いがあった場合には大変申し訳ありません。
(この文章を見つけて指摘された方がいましたら、修正します)

 また、全てをメモしきれて、ここに書けたわけでもないです。

 整理して構成を変えたほうが読みやすいかなとも思ったのですが、
 記録として生々しく残しておいた方がいいと考え、このままにしておきます。
 ただし、明らかに似通った発言は割愛しました。

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□発言(1)
「3月20日に発売予定となっていたが、3月14日から連絡が取れなくなった。
 製本されていることは確認した。出版者の名前を削ってなんとかして販売したい。
 出版社に預けたCD−Rや完成した版下用のPDFファイルを返却してほしい」

【回答】
「私物に関しては管財人で判断することになる」

------------------------------------------------------
□発言(2)
「1・2年前から今の経営状態だったとしたら、なぜ我々と契約したのか?」

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ここで、倉庫に在庫として眠っている本は
差し当たり作者に戻ることはないという話が代理弁護人より出てくる。
倉庫業者は債権者の1人として「留置権」を主張しているので、
やはり破産管財人の今後の動きに期待するしかないが、
倉庫の代金を支払う立場の人間がいないので在庫の本は裁断される可能性がある、
あるいは、商品として価値のある本は二束三文で
神田のゾッキ本市場に売りに出されるかもしれない、ということだった。
(ゾッキ本市場とは倒産した出版社の書籍が売りに出される市場)

------------------------------------------------------
□発言(3)
「1月27日に契約を行った。そしてそれっきりになっている。これは詐欺だ。

 振り込む額が175万と大きかったので、一度は契約を延期することにした。
 しかし、原稿を読んだ友人がこれはいいほんだからと100万出してくれた。
 そしてようやく契約することができた。
 なのにこういう状態になって、本も出ず、私は友人に100万を返す手立てがない。
 この100万を返してほしい」

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□発言(4)
「3月31日に破産の手続きを行ったということだったが、
 その後も3月3日締め切りのコンテストや出版相談会の告知が
 ホームページ上で行われていたが、これはなんなのか?
 経営状態が悪化していたのならやめるべきではなかったのか?

 ※3日に東京地方裁判所から通知が来たとき、気になって僕も碧天舎のホームページを見た。
  確かにトップページには普通に3月3日締め切りのコンテストが書かれていた。
 「どうなっているのだろう??」と不思議に思った。

【回答】
「4月5日にホームページ製作業者がトップページの差し替えを行った」

□これに関して、発言(5)
「トップページだけでは意味がない。他のページにはこれまで通りアクセスできる」

【回答】
「(代理弁護人である)私はサイトの閉鎖を勧めたが、
 破産管財人である弁護士の方がこのような方法を取られた」

 ※4月8日現在で、他のページへもアクセスできなくなっている。

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□発言(6)
「出した本を他の出版社に引き継げないものだろうか?
 原稿から新たに本を作り直す、あるいは製本された本から碧天舎の名前を削って」

【回答】
「管財人が現在、何社か交渉中である。
 最終的な手段であるが、製本された本のページを写真に撮って
 そこから落として新しくページを組み直していく技術もあると聞いている」

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□発言(7)
「倉庫から自分の本を取り返したい、あなたたち(出版社側)は
 あてにしてないから自分で倉庫と交渉したい」

【回答】
「倉庫業者との和解交渉は原則可能で、金額が折り合えば出庫できるのではないか」

 ※しかし代理弁護人はどの倉庫の名前を知らないと言う。
  すかさず「社長なら知ってるだろ!」との声が上がる。
  社長が立ち上がり倉庫業者の名前を言うと、
 「じゃあ連絡先を教えろ!」ということになる。
  知らないとなると、「だったら今すぐ調べろ!」
  最初以外発言のなかった取締役が立ち上がり、携帯片手に外に出る。
  しばらくした後、取締役が戻ってきて倉庫業者の住所と電話番号を読み上げる。
  みな熱心にメモを取る。
  すぐにも若い男性が携帯を握り締めて席を立って外に出て行く。
  さっそくその倉庫業者に連絡をとってみようとしたわけだ。

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□発言(8)
「書店に置いてもらった本はどうなるのか?」

【回答】
「本屋としては返本したいが、取次業者が拒否することになる。
 amazon は独自に倉庫を持っている」

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□発言(9)
「以前、賞金百万円の出版コンテストに応募した。
 1636人もの応募者がいたのに、該当作なしとのことだった。
 これはおかしいと思って私は直接出版社を訪問して社長と面会をした。
 そしたら『共創出版』を勧められた。
 そのとき私は社長に、この会社は潰れないかと聞いた。
 社長はそのとき大丈夫だと言った。

 この1年だけの貸借対照表を見せるのはおかしい。
 少なくとも3年分のをここに持ってきて説明するのが筋ではないか」

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□発言(10)
「先ほど従業員は全て解雇されたので
 どれが誰の原稿なのか分からないと話があったが、
 残務整理は誰もしていないのか?

 あなたのところの元社員には、
 手弁当でも著者の私物を返そうという人が出てこないのか!?」(場内拍手)

□関連して、発言(11)
「普通、進行管理を表で管理していると思うが、これは残っていないのか?」

【回答】
「進行管理表はPCの中にあるが、これは今差し押さえられて
 誰もアクセスできない状態にある。パスワードもわからない。
 従業員には退職前に進捗管理表のステータスを最新にしてはもらっている」

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□発言(12)
「印税の支払われ方がおかしい。契約内容と違う。
 規定通りの月に印税が支払われたのはいいが、
 まだ全部売り切ったわけではないのに
 出版した500部全ての印税が支払われた。これはおかしい」

 ※この人の場合どうなのかわからないけど、
  僕の契約書ではそうなるのが正しくて、
  僕の場合きちんと銀行口座に振り込まれていた。
  出版印税とかいって、実売動向による印税とは別なのだそうな。

 ※なおこの人は「社長はかかる事態に関してどういう対策を取ったのか」
  ということを問いかけたかったようなのだが、
  話が長くて要点がわからない、
 「出せたからいいじゃないか」というムードに押し切られてマイクを奪われた。。

------------------------------------------------------
□発言(13)
「ビブロスと碧天舎の関係はどうなっているのか?
 先ほど碧天舎は何年も赤字経営だったと聞いたが、
 社員の給与はどのように支払っていたのか?
 
 出版費用を用意できないため出版の時期を先延ばししようとしたら、
 担当の方に早く出しましょうと6月20日の発売日を設定された。
 契約の締結を急ぐように求めている雰囲気が伺えた。
 なお、契約に当たっては、銀行振り込みではなく現金で持ってきてほしいと言われた」

 関連して、発言(14)
「独自に調査したところ、2月3月分については支払われていないと聞いた」

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□発言(15)
「3月20日に発売予定であったが、3月14日に手紙が届いてそこには
 『編集予定の変更を余儀なくされました』とあって、
 担当の編集者とはその後連絡が取れなくなった。
 3月31日に破産したとしても、3月20日の時点ならば倒産していないのだし、
 少なくとも電子書籍のダウンロードはできてしかるべきだ。なぜできないのか。

 もう一冊以前出した本については『増刷の遅れ』の連絡が一通来ただけだった。

 碧天舎はつぶれないのかと、私は再三確認してその都度大丈夫だと言われてきた。
 母は今回出来上がる本を楽しみにしていた。

 不眠が続くなど今回の件で心身ともにダメージを受けた。
 精神的苦痛を与えられたということで裁判を起こすつもりだ」

【回答】
「裁判については、あなたの弁護士と相談してください」
「3月20日ダウンロード開始の電子書籍については、
 3月半ばより実質的に社員が出社していないため作業できなかった」

------------------------------------------------------
□発言(16)
「集団訴訟を起こすべきだ!被害者の会を結成すべきだ!!」(場内拍手)


(続く)


[1946] 本を出した出版社が倒産した その3 2006-04-09 (Sun)

(あとは、実際の説明会の流れに沿って)

ホールに、碧天舎の取り締まり役、社長、代理弁護人の3人が入ってきて席に着く。
場内は静まり返っている。

40代から70代ぐらいの男性が圧倒的に多いように感じられた。
同じような世代の女性もちらほらといて、
僕のような30代前後の男女も少数だけどいることはいた。

静かとは言っても開戦前夜のようなピリピリとした雰囲気。
司会役の取締役が最初の挨拶のために口を開くと、もうその時点で罵声が飛ぶ。
「聞こえねぇんだよ!!」
マイクを使って話そうとすると、
「ゆっくり言え!!」

録音していいもか?とどこからか質問が出て、
構いません、というような回答が返ってくる。
写真もOKなようで、何人かがデジカメや携帯で写真を取り出す。
「あ、いいんだ」と思った僕も携帯で何度か写真を撮った。

まずは社長の挨拶ということで、立ち上がり、
配布資料にもあった文章を元に話し出すのだが、
「読んでるだけじゃないか」という非難の声が上がる。
社長は「私が自ら考えたことを記したものです」と答えるんだけど、
納得した雰囲気は生まれず。
「誠意が足りない」ということなのだろうか。
(でもこの場で泣こうが土下座しようが何をしても許されないだろうとは思う)

この時点で発言する人、質問する人出てくるが、
代理弁護人がまずは式次第にのっとって進ませてくれと主張し、いったん落ち着く。

清算貸借対照表の説明に入る。
まずは資産のいくつか。
「取次売掛金」としてトーハンに対して700万円の売掛金があることになるが、
これも実際に本が売れなければ出版社側に支払われることはない。
今更この段階でそれは難しくて、
むしろ返本扱いとなってしまう可能性のほうが高い。売りにならない。
オフィスとして借りていたビルの「保証金」も1700万残っているが、
撤退するに当たっての清掃やレイアウトの戻しなどの費用を引くと何も残らない見込み。
などなど、資産としては3600万残っていることになるが、
実際的な資産の残高は約300万円ということになってしまう。
この300万円から破産財団が形成される。

ここで代理弁護人に対して、
「この300万円からあなたの給料が出ているのか?」という質問がなされる。
残り少ないお金が弁護士の費用に消えてたらとんでもない、という気持ちの表れなのだろう。
しかし代理弁護人は「給料は私の所属する事務所から支払われます」と一蹴する。

関連会社に関する説明へ。
「ビブロス」(ボーイズラブ系のマンガで有名)、
「ハイランド」の2社も4月5日付で破産となった。
※他に2社、アニメの製作とPC向けゲームソフトの会社も破産したが、
 これは実施的に休眠状態にあったという。

ビブロス自体の業績はよかったのだが、碧天舎の破産に引き摺られての破産であるようだ。
実は碧天舎はここ何年かずっと赤字経営であった。
社長は私財を投じて碧天舎の再建に当たったが、
ついにこれ以上の事業の継続は困難であると判断するに至ったとのこと。
社長自らも近日中に自己破産の申請を行う。
社長は1月の時点では経営再建は可能である判断していたため、
「全ては私の経営能力のなさである」(ゆえに詐欺ではない)と繰り返し弁明していた。

従業員は3月31日付で解雇された。退職金も解雇予告手当てはなし。

貸借表の右側、負債の方に話が移る。
当然、株主への配当はなし。
前受け金として2億を超える額が記されている。
これはつまり「本を出しませんか」ということで「作家」から集めたお金ということになる。
破産した以上、これを返すことはできない。

ここで場内は、その後の果てしない怒りのピークの1回目を迎える。
「金は返せないのか!?」
「返せないって言うんなら、社長は一人一人訪ねて回って謝るべきだ!」
「いけしゃあしゃしてんじゃねぇよ!!」
「預けた金、一体何に使ったんだよ!?」
「詐欺じゃねぇか!!」

収拾がつかなくなりだして
代理弁護人は再度、一通り説明させてくださいと沈静化を求める。

代理弁護人は「出版契約」について話し始める。
(僕としては最も聞きたかった項目だ)
破産管財人が全て近々に契約の解除を行うとのこと。
これはよかった。

が、出版前の状態で社内に残っていた原稿について話が及んだとき、2回目のピークへ。
曰く、「ビル内に残ってはいるが、従業員を解雇してしまったため、
どの原稿が誰のものなのかわからない状態となっている。ビル内も立ち入りが許可されていない」

破産管財人(だったかな?不明です)に問い合わせたら
「原稿が散乱している状態です」とFAXが返ってきたぞと怒声が飛ぶ。

この後なし崩し的に質疑応答へと雪崩れ込んでいく・・・
大勢の人たちが説明を伺いたくて、やり場のない怒りをぶつけたくて、
マイクを求めて挙手したり、勝手に大声で話しだした。

(続く)


[1945] 本を出した出版社が倒産した その2 2006-04-08 (Sat)

詳しいことはよくわからないままなんだけど、
まずは配布物を読んだり説明会を聞いて知りえた状況を整理したい。
というか出席した「債権者」についてまとめておきたい。
(いかにして倒産に至ったのか調べて書こうとしたら、とてつもない作業量だ・・・)

通常債権者としては個人だったり法人だったりで
碧天舎に出資している人や支払いが滞っている人たち、
あるいは取次や倉庫、印刷や製本の会社、ないしは元従業員ってことになるんだろうけど、
集まって、発言しているのは碧天舎言うところの「作家」の人たちばかりだった。
出席してはいたのかもしれないけど、そういう立場の方からの質疑応答はなかった。

その「作家」もみな同じような境遇かというとそうではない。
僕が把握した限りでは、少なくともその場には3種類の人たちがいた。
「痛み」の順番と言ってもいいかもしれない。
@よりもBに当たる人のほうが、「詐欺だ」と焦り、憤っていたように思う。

(ただし、「痛み」というのは具体的な金銭的被害や社会的信用の失墜の度合いで
 単純に計れるものではないのだということをことわっておきます。
 心理的ダメージという意味では、人それぞれ受けた重みが違うはず)

これはつまるところ、どの時期に出版契約を交わしたかによる。
もちろん、これは早ければ早いほどよい。

--------------------------------------------------------------------
@本を既に出版している。

 【問題】
 ・店頭在庫はどういう扱いとなるのか、売れたらどうなるのか
 ・倉庫に眠っている在庫はどうなるのか。断裁されるのか。

 ・印税は入るのか。
 ・在庫が売り切れて本来増刷となるべき状況になったら、どうなるのか。

--------------------------------------------------------------------
A原稿を出版社に預けていて、校正段階だったり、
 印刷して発売待ちのまま止まっている。

 【問題】
 ・預けた原稿は返してもらえるのか。
  絵や写真、電子データとして著者側から預けたもの、
  あるいは印刷前の完成したPDFデータは返してもらえるのか。

 ・印刷されたけど書棚に並ばなかった本はどういう扱いを受けるのか。
 
 ※もちろん、振り込んだお金が戻ってくるわけではない。

--------------------------------------------------------------------
B契約をして振込みを行なったが、その後音沙汰がない。
 
 【問題】
 ・本の製作に当たってなんの作業もなされなかった。
  なのに、倒産してしまったので、振り込んだお金が戻ってくることはない。

 ※説明会で聞くところでは、 「契約を急がされた」
 「出版スケジュールを早めるよう求められた」という人もいたようだ。
 「振込みではなく、直接現金で持ってくることを求められた」人もいる。

--------------------------------------------------------------------
僕は@に該当していて、
しかも出してもう1年近く経過していて、周りの買ってくれそうな人も
みな買ってくれたあとで、これ以上売れる見込みはほぼなかった。
(amazon を見てると、旅行記ってことで月に1・2冊は売れてたが)

正直、傷は浅い。
増刷になるとは思っていなかったし、
この本で食ってけるとは、その足がかりになるとは全然思っていなかった。
この本を出すことによって、身の回りでは話題になったものの、
社会的地位が上がったり下がったりしたこともない。
いわば、「作家志望だった青年がとにもかくにも、まあ一冊出せましたよ」という人生の記念。
(それでも買ってくださったみなさん、ありがとうございます。本当にありがとうございます)
原稿や電子データも返却されている。

倉庫に眠っている在庫、何百冊になるかわからないけど
自腹を切って倉庫代を払って引き取るかどうかだけがほぼ唯一の問題と言っていい。
それをどこか他の出版社から引き続き販売できるとは全然期待していない。

僕には、あの説明会にいる「資格」などなかったのかもしれない。
始まる前まで、「興味本位」とか「高みの見物」という気持ちがあったことは
正直に言っておかなくてはならないと思う。

---
話を戻します。

大ホールでは、@ABこの3者と出版社社長と代理弁護人とが向き合っていた。
「作家」が説明を求め、時として糾弾し、代理弁護人が回答を行なう、
場合によっては社長自ら当時の状況を釈明し、頭を下げて謝罪の言葉を述べた。

最初のうちは@ABという区分けはなく、「作家」対「出版社」という構図だけがあった。
それが徐々にヒートアップしていって後半、
それぞれの人たちの問題提起が大体のところなされた辺りから収拾がつかなくなってくる。

@の人たちが質問をしていたらBに該当すると思われる人が野次を飛ばし、
「あんたは本が出せたからいいじゃないか。マイクをこっちによこせ」と叫びだす。
質問の機会を求めて手を揚げている人が絶えずあちこちにいて、
業を煮やして次々にマイクもなく発言しだす。
理路整然と状況をまとめたい、具体的な事情や経緯を聞きたい、
自分の置かれた境遇を理解してほしいと思ってマイクを手にした人も当然いたけど
とにかく腹を立てて何かを言わずにはいられない人も多かった。
(その場にいた人は誰もがそう感じたのではないかと思うけど、
 代理弁護人のものの言い方がなんというか「ぞんざい」で、それが混乱に拍車をかけていた)
「社長とにかく謝れよ」と言ってる人が一方にいて、立ち上がり謝ると、
もう一方では「オマエが謝ったところでしょうがねぇんだよ」と野次が飛ぶ。
ずっとその繰り返し。

12時の終わりの時間が近づいても質問の挙手が途絶えることはなく、
終了の時間ですと代理弁護人が告げると、場内騒然となる。
「何の解決にもなっていない」「この後いったい何がどうなるのだろう」
失望した人は早々に退席したし、意気投合した人たちはその後もロビーで話し合っていた。

こういう債権者説明会って、どの業界でどんな会社であってもこういうものなんだろうか?
というか場の雰囲気は企業の倒産というレベルじゃなくて、
テレビのニュースで見るような「被害者の会」が「集団訴訟」のさなか
企業や政府を糾弾するという攻撃的なムードになっていた。
で、実際にそういう流れになりつつあるところで説明会は終わった。
今後どうなるのだろう?

当日の状況をを要約すると以上のような感じだった。
様々な立場の人が様々な問題提起を行なった。
しかしその解決に当たって、現実的ないしは前向きな方向性は何も示されず。

説明会の各論については、明日以後。

続く。


[1944] 本を出した出版社が倒産した その1 2006-04-07 (Fri)

月曜、会社から帰ってきたら郵便受けに東京地方裁判所からの封筒が入っていた。
心臓が止まった。
普通に暮らしていたら、心臓止まると思う。
このご時世、いつどんなときにトラブルに巻き込まれるかわかったもんじゃない。
そして遂にこの僕がトラブルに巻き込まれたわけだ。
酔った勢いで違法なアダルトサイトを見て100万円の請求書が発行されたのに
気付かずにほっといてたとか。
なんか、やらかしたのではないか。

刑事ではなく民事だというのがせめてもの救いか。
でも思い当たるフシが全くない。
恐る恐る開けてみる。

「債権者説明会御案内」とあった。
・・・債権者??

よく読んでみる。
僕が昨年出した旅行記「突然ですが、僕モロッコ行ってきます」の出版社である
「碧天舎」が倒産したということだった。

破産管財人が管財業務を進めた後、
裁判所での正式な債権者集会が行われるのは7月末。
それまで出版社側から何の説明もなしというわけにいかないから、
急だけどその説明会を開くということか。
「今日の事態を迎えるに至った経緯、今後のスケジュールについてご説明致したく」とある。

破産。
平たく言えば出版業界の競争の激化により資金繰りが困難となった、ということだった。

封筒にはこの説明会ご案内と、会場の地図、そして「破産手続開始通知書」が同封されていた。
 @破産者に対して債務を負担している者は、破産者に弁済してはならない。
 A破産者の財産を所持している者は、破産者にその財産を交付してはならない。
とある。
普通に暮らしていればこういうの、無縁だと僕は思っていた。
でも、30年も生きていれば、出くわすこともあるんだな・・・

変な言い方だが、後学のため、
6日の木曜に行われるこの説明会に行ってみたくなった。
世の中がどんなもんなのか、見てみたくなった。
上司の了解を得て、6日の午前は休みを取った。

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破産については、「青天の霹靂」ってことでもなかった。
日本には小さな出版社が星の数ほどあるし。
どこが倒産したっておかしくない。

しかも碧天舎のような自費出版で出したがっている人を相手にした商売って、
そんな景気のよさそうなものとは思えない。
「本を出したい、自費出版でいいから」という人が世の中には数多くいて
1年間に出版される書籍のうち、3分の1だったか3分の2だったかが自費出版なのだという。
(僕なんかも結局のところ、全額出したわけではないけれど、
 店頭や amazon で買える自費出版みたいなものだ)

それでも儲かりそうな感じがなんとなくしない。
薄利多売。イメージの問題でしかないけど。

そして今、同じ分野の出版社では文芸社や新風社など
新聞にもバンバン広告を出していて勢いのあるところがその存在感を増している。
碧天舎は競争に負けたということか。

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先週、mixi にて見知らぬ方から突然メールが来て、
そこには、6月出版予定だったのに
出版社より「スケジュールを見直したい」という手紙が届いて、
その後電話をしてもつながらなくなった、とあった。
どういうことなのか情報を集めている、
岡村さんも知っていたら何か教えてほしいということだった。
3月20日発売予定だったのに出版されなかった人もいるようだ。

僕はノンキにもその人への返事には、
「いや、僕は普通に出せて特に困らなかった、編集の人たちも普通だった、
 人生の思い出作りとして出した意味合いが強く、今のところ何も困っていない、
 この本で食ってくつもりがあるわけでもないし」
みたいなことを書いてしまった。
今、後悔している。

実際にはとてつもない心身の苦痛を受けている人がいるのだということを
僕は6日の説明会に出るまで、考えもしなかった。

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6日朝、丸の内線に乗って、霞ヶ関の弁護士会館へ。
もちろんこういうところに来るのは初めて。
2階の大ホールへ。
受付で「債権者説明会・式次第」とその他配布資料を受け取る。
式次第、社長の挨拶というかお詫びの文面、「破産手続の流れ」それに「清算貸借対照表」
実質的な資産残高約300万円に対し、負債は8億6千万。

大学の階段教室のような会場には既にちらほらと「債権者」が座っていて、
まだ数は少ないのに、どんよりと重苦しい雰囲気を発していた。
僕は後ろの方に座った。
10時になると大勢入って来て、広い会場は席が足りないぐらいになった。

司会役の碧天舎取締役、社長、代理弁護人の3人が向かい合うようにして、前の席に座る。
正確にはなんと言ったのか覚えてないんだけど、
司会が最初に「皆様、本日はわざわざお越しいただき・・・」と言うか言わないかのうちに

「聞こえねぇんだよ!!」

と罵声が飛ぶ。
その後2時間の間、代理弁護人が何を説明しても、野次や罵声や怒号が飛び交った。

怖くなってきた。
「こういうのって荒れるんだろうな」と思っていたけど、想像以上だった。
風邪引いて寒かったってのもあるんだけど、ずっと細かい震えが止まらなかった。
剥き出しの敵意に対する怖さだけじゃなく、
僕は場違いのところにいるんじゃないか、
この人たちの受けた痛みを僕は共有してなくて
僕もまた敵の1人と思われてしまうのではないか。
そんな怖さがあった。

(続く)


[1943] 日本の首都をハワイにする 2006-04-06 (Thu)

首都移転の話が何年かおきに現れては消える。
北関東・南東北や、近畿にパンク寸前の首都機能を移す。これは現実的なのか否か。

先日、こういう話をした。

「日本の景気回復のためにもアメリカからハワイを買い取って、ここを日本の首都とすべし」

首都だったらそりゃ何かと行かないわけには行かないし、
企業はバンバン出張するだろうし、その往復の費用が収入となる。
そしてハワイで使った遊行費が丸々日本のものとなる。
国内消費が拡大する。
こんないいことないのではないだろうか?
ついでにカジノも作ったりして。

日本語は既に通じるみたいだし、気候はいいみたいだし。
人は穏やかでギスギスしてなさそうだし。

みんなが休暇を取っていきたくなるような場所にこそ、この国の礎を築くべし。

なんといっても21世紀は観光の時代だ。
国内から海外への観光客は年々順調に増え続けているにも関わらず(ハワイ含む)、
海外からの観光客(いわゆるインバウンド)がなかなか増えないのが課題とされる昨今、
「観光立国」を目指すこの国としてはなかなか素敵な解決策のようにも思える。

「霞ヶ関」の官僚たちもみな、アロハを着て仕事してる。
国家公務員T種の試験を受けるときも、受かって省庁回りするときもアロハ。
国会議員たちもみんな、アロハ。
で、「永田議員のメール問題」とかを討論。
自民党は赤っぽいのを着て、民主党は青っぽいのを着て区別するとか。

だめっすかねえ。
最後にこういうこと検討してよ、小泉さん。


[1942] 「サラエボ旅行案内 史上初の戦場都市ガイド」 2006-04-05 (Wed)

Gazz ! のレビューで取り上げてた人がいたので、
「サラエボ旅行案内 史上初の戦場都市ガイド」という本を amazon で取り寄せて読んでみた。
日本での発売は94年。当時話題になったのを覚えているが、買わずじまいに終わった。
もちろん現在は入手不可。中古で倍の値段がついていた。

これまで住んでいた街が突如戦場になる。
それまで仲良く暮らしていた人たちが政治や宗教で対立して、殺しあう。

舞台は92年から始まった内戦で荒廃したサラエボ。
(94年の NATO による空爆まで、戦闘状態にあった)

ミシュラン風のガイドブックという体裁を取りながらも、実際は
閉じ込められてそこで生き抜いていかざるを得なかった人たちの貴重な記録。
ここまで的確に、簡潔に、「当時の状況」というものを瞬間パックした作品はないのでは。
寓話的でありながら、何もかもがリアルだ。
(戦火の中での日常生活の1コマを切り取った無数の写真もリアルだ。
 路上に残る血痕、炎上する車両、破壊された建物、ベンチに佇む老人、笑いあう子供たち)

例えばこんな項目がある。
「市内郵便:
 サラエボは分断されているので、手紙が別の地区に住む人々に着くには、
 国外郵便と同様の経路をたどることになる。
 分断された地区から別の地区へと手紙が届くのに45日以上かかることもある。
 伝達手段は赤十字だけという地区もある。
 そんなときはわずか数百メートルの距離を行くために、
 手紙はジュネーブまで飛ぶのである」

この本が何よりも素晴らしいのは
「平和への祈り」だとか「明日への希望」というのが
素直に、そこはかとなく折りこめられていて、
しかもそれがユーモアという手段でなされているところである。

池澤夏樹氏が解説の一部で以下のような指摘をしている。
「3日間の砲撃は悲劇だが、1年を超える砲撃は日常であり、時として喜劇に転化する」

そう、戦火のさなかにありながらも人々の「日常」の暮らしは続いていた。
食料や生活物資に乏しく、電気も止められ、水の入手すらもままならない。
そんな中でも知恵を絞り、人々は
「映像をつくり、本を書き、新聞を発行し、ラジオ番組をつくり、
 カードをデザインし、展覧会や公演を催し、街の再建のための青写真を描き、
 新しい銀行を見つけ、ファッションショーを企画し、
 写真を撮り、祝日を祝い、生活の体裁を保って」いた。
(池澤夏樹氏の解説ではなく、本文より抜粋)

死と隣り合わせの、窮乏の中ただただ生き延びるためだけの悲惨な生活ではなく、
そこにはこれまで通りの生活を続けたい、取り戻したい、再建したい、
そんな人間として当たり前の希望があった。
それを支えたのがユーモアだった。
そこのところまでを描けている、記録として残している、
というのはものすごいことだし、とにかく、素晴らしいことである。

今から5年ぐらい前かな、やはりサラエボの内戦にて
ボスニアとセルビアの中間地帯に取り残されたそれぞれの軍の兵士たちの
悲喜劇を描いて話題となった映画「ノーマンズ・ランド」
これも強烈なぐらいのユーモアに満ち溢れていた。
明るいからっとしたユーモア、どす黒いブラックユーモア。
これら渾然一体となって
平和とは何か、民族の対立とは何か、人はなぜ生きるのか、殺しあうのか、
一生懸命になって問いかけていた。
この映画のことを、思い出した。

僕らの住んでいる国が交戦状態、あるいは内戦状態となって
それが日常の生活として入り込んできたとき、
僕らはユーモアを保てるだろうか?
周りの人たちと、悲惨な状況をくだらない冗談で笑い飛ばせるだろうか?

笑い飛ばせなくなったときが、全ての終わりなんだろうな。
集団の中の人間として、1人の人間として。

最後にもう1項目引用します。
「動物園:
 動物園はピオニルスカ・ドリナにあるが、閉園している。
 この動物園で生きているのは2頭のポニーと数羽のクジャクだけ。
 ほかの動物たちは、すぐ近くの前線にいる勇敢な狙撃兵たちの標的にされた。
 残った動物たちも飢えと渇きのために徐々に死んでいった。
 飼育係は怖くて動物のそばに行けなかったという。
 サル、ラマ、ラクダ、トラ、オオカミ、ライオン −−− みんな死んだ。
 11月3日最後の1頭が逝った。クマだった。
 その無垢な死は世界中に報道された」


[1941] スロウライダー「トカゲを釣る」 2006-04-04 (Tue)

昨日に続き、日曜の話。
午後、待ち合わせのため駒場東大前の駅で降りる。
出口は2つあって、さてどっちかというとき、片方は人というか若者が大勢向かっている。
とりあえず僕もその流れに乗っかる。改札を出て階段を下りていく。
そしたらすぐ目の前に東大の駒場キャンパスがでーんと聳え立っていた。
「おお・・・」といたたまれなくなる。
周りみんな東大生。ここは歩けない・・・。
早々に退散する。
なんか電車に乗っていたかわいい子2人がこの駅で降りて、
「わー久しぶり。テストのとき以来」とか言ってるんですよ。
東大生か・・・。だからなんだっつうとあれですが。

クリス君、ミキさんと会ってアゴラ劇場にてスロウライダー観劇。
前作「むこう岸はエーテルの国」が三鷹市芸術センターというステージも客席も広くて
その広さに飲み込まれたような公演だとしたら、今回は良くも悪くもサイズが手ごろか。
ストーリーは例によって例の内容。
構造も一緒か。
日本の片隅にとある特殊なコミュニティがあって特異な生活を送っていて
そこに紛れ込んでくる部外者、
そのコミュニティに内在する論理でもって途中殺される被害者、
最後になんらかの結論に達してなんらかの行動を起こす人。
圧倒的な権力を持つ人、弱者としてチマチマと虐げられる人、とにかく突飛な人。
入り混じる群像劇。
凝りに凝ったステージや小道具、
卓越した言葉遊び的ギャグもいつも通りのハイレベル。
今回は上演時間が短くてあっさり終わってしまう。唐突に。
それがいいという人もいるだろうし、僕みたいに「うーむ」という人もいるだろう。
クリス君なんかは「これまでの集大成だ、いい」と言ってたけど。
まあ賛否両論なのは小劇場としていいことだ。

終わり方がやはり気になるんだけど、
これまではどん詰まりの困った状況になって終わっていたのが、
今回はある種の決意に基づいた行動で幕切れ。
これはこれでいいんだけどその先を暗示してほしかったね。
その先はやはり何もなくて闇雲なままなのか、
展開の可能性に3つぐらいあって
そのうちのどれかを選んだのだろうとほのめかされるか。
どっちかではあってほしかった。
このままだと尻切れトンボ過ぎないか。
まあ、個人の好き好きの問題か・・・
やっぱ僕としてはこれまでの最後に向けての一ひねり二ひねりが好きだったので。

これはこれでいいんだろうな。
新機軸っつうか前向きな試行錯誤ってことで。
クリス君いわく、作・演出の山中君は今回晴れ晴れとした顔をしていたと。
だったらいいよね。

次回作はブローティガン原作で「西瓜糖の日々」となっているんだけど
これ、ほんとだろうか!?この前読んだばっかり。
ストーリーそのものはちっとも合ってないけど、
その世界感というか枠組み、
スロウライダーの語りたいことには合っているようには思う。
新しい試みとして、ほんとにやってほしい。

---
見終わった後3人で渋谷に出て、マークシティでお茶を飲もうとするが
店はどこもかしこも混んでいる。いつ行ってもそうだけど。
いつだったかも同じように探して見つからなかったときに
マークシティを出て見つけた喫茶店に、今回も入る。

その後ミキさんと日本橋に出てモンプチさんとその息子のやっくんと一緒に
「たいめいけん」に入ってお食事。
タンポポオムライスを食べる。さすがおいしい。
いつ行っても変わらぬ味。それを保っているというのがうれしい。

スターバックスに移動する。
やっくんの持っていた NINTENDO DS の最近噂の脳年齢を計るというのをやらせてもらう。
余裕で20代出せるだろうと思っていたのに、なんと!
あまりの字の汚さに書いた字が読み取ってもらえず、
書き直して時間がかかりまくったり間違って判読されたりで
結果は「64歳」という判定。とほほ。


[1940] 永福町、明大前 2006-04-03 (Mon)

今書いている小説の舞台の1つを、これまで行ったこともないのに
なぜか永福町か明大前の辺りとしていた。
これまで行ったことなくて、なんとなくのイメージであれこれ書いていたので
読み返してみてもしっくり来ない。リアリティに乏しい。
架空の土地について記述してるのではなくて、実際そこに住んでる人もいるわけだし。
知ってる人が読んだら違和感を感じるだろう。

そんなわけで昨日、日曜の午前中、行ってみることにした。
午後は同じ井の頭線の駒場東大前にてスロウライダーの公園を観ることになってるし。

荻窪駅南口のバス乗り場から関東バスの「芦花公園行き」に乗る。
こっちからバスに乗ってどこか行くなんて何年ぶりだろう。
バスは環八沿いに南へと下っていく。
のんびりと進んでいく。

高井戸の駅にて井の頭線に乗る。各駅停車。
すぐにも永福町に着く。下りる。
永福町と明大前は隣り合わせているのに共に急行が停まったりする。
どれだけ大きいものなのだろう?とこれまで思ってきた。
それが、駅を出て「なんだ、こんなものなの?」とがっかりする。
駅前と呼ぶべき空間がちまっとあるだけ。
大きな商店街があったり、駅ビルやデパートが建ってたりするのかと思っていた。
目の前には大通り(井の頭通り)が広がってたりするが。
中央線で言ったら、三鷹みたいな位置づけなのだろうか。
気を取り直して、井の頭通りを渡って中野方面へと歩いていってみる。
やはり何もない。どこまで行っても住宅地。
住んでる人には悪いが、隙間が多くスカスカな印象を受ける。間延びしたというか。
「これは違うな」と早々に引き返す。
腹が減ってたなのでどこか入りたいと思っているところに「永福町 大勝軒」を見つける。
でもこれもなんか入る気せず。並んではいたけれど。
駅に戻って井の頭線に乗る。

明大前。ここもまた何もないといえば何もないところだった。
大きそうな街の雰囲気があるのに、駅前の空間もわずかばかり。
ぐるっと回ってみて、甲州街道があってなんとなく
その広々とした大通りに「活気がある」ように思えるぐらい。
昔誰かから明大前にいい中古CD屋があると聞いた記憶があるんだけど、
いったいどこにあるのだろう。街が小さいのに、それらしいものは見つけられない。
ラーメン屋を探す。11時だというのに開いてないかぱっとしない店ばかり。
一風堂を見つけ、「ま、いいか」と入る。
「あかまる」全部乗せに替え玉、ランチのセットのライスと餃子。
前は「しろまる」を食べて「まあまあかな」ぐらいだったんだけど、
「あかまる」はうまいんじゃないかと思った。

食後、ガード下を抜けて住宅街を探して歩いてみる。
永福町と違って閑静で高級そうな雰囲気がある。マンションも建っている。
そういう一角もあれば、もっと普通の庶民的なせせこましいところもある。
築40年というような今にも壊れそうなアパートも残っている。
「これか、これだな」と思う。小説のイメージにぴったり。
入り組んだ路地。坂が上ったり下ったり。
桜が咲いている。塀沿いに竹の植えられた大きな家。
バイクの修理をしている30代半ばぐらいの男性。
キャッチボールをしているガタイのいい中学生ぐらいの兄弟。
個人の建築事務所。儲かってなさそうな不動産屋。
踏切。遮断機が下りてカンカンカンカンと鳴る。小田急線が通過する。
「消費生活者ネットワーク」のポスターをあちこちに見かける。
キャリーカートと言うのか、ゆっくりと引きずっている品のよさそうなおばあさん。
小型のショベルカーにより壊されたばかりの跡地、その隣に駐車場。
小説の中に出て来る「家」のモデルとなりそうな、古びた大きな邸宅を2つ見つける。

携帯であちこち写真を撮る。
生垣沿いに邸宅を道路からこっそり撮るときとか
このご時世だし中から人がでてきて不審者と思われても致し方ない。
ほんの少しヒヤヒヤする。
マンションを撮ってたらそのマンションから人が出てきて、さすがにジロジロと見られた。
この界隈で誘拐だのなんだの起きたら、僕が真っ先に怪しいと思われる。
「エンジ色のジャンパーを着た、30代初めぐらいの男性がうろうろして写真を撮っていました」

駅に戻って、さらに井の頭線を何駅か下って下北沢へ。
レコファンでCDを物色するが、待ち合わせまで余り時間もなく、
またすぐ駅に戻ってまた井の頭線に乗る。駒場東大前の駅へ。午後一時。

そういえば明大前の駅では僕が乗ろうとした時間に無茶苦茶大勢のスーツを着た若者たちが。
入学式?いや、そんな初々しくない。
入社式?いや、2日の日曜に?しかも午後一で解散??
ラッシュのようにもみくちゃになって乗って、下北沢へ。
「団塊の世代が抜けた後のマーケティングが・・・」とか言ってる子がいたので会社説明会か。


[1939] 2006-04-02 (Sun)

先週末、先々週末とあちこち花見に出かける。
日本人はなんであんなに桜が好きなのだろう?
桜がらみの曲も毎年ヒットしてるし。

僕だって桜が咲くと見に行きたくなる。
道端で咲いてると立ち止まって眺めたりする。
真っ白な花びらが咲き誇ってるのを
遠くに見て近くに見て「いいなあ」と思う。
若いころは「桜なんて宴会のための口実だよ」なんて思ってた。
「外で騒げれば何でもいいんだよ」
それが30を超えるとしみじみ「桜いいねえ」と思う。
これって日本人の遺伝子なのだろうか?
もしかしたら、意外とそういうものなのかもしれない。

桜の木の下には死体が埋まっているからだろうか?
坂口安吾と梶井基次郎が書いていた。
これはイマジネーションの問題ではなくて、
戦国時代、合戦が行われた後、
累々たる死体の山を隠すためなのだろうか、それとも弔うためなのだろうか、
桜の木を植えたという逸話から確か来ている。
この世に残した無念を死せる肉体と魂いっぱいに抱えて、
それを養分として桜が咲き乱れ、やがて散っていく。
凍えるような、凛とした白さか。それとも血のように真っ赤だったのか。
当時の人たちは桜に、「春に咲く風流な植物」以上のものを見ていたはずだ。
だとしたら桜を見ながら酒を飲むという習慣も、
元は名も無き屍を偲んで、その鎮魂の意を込めて
酌み交わされたものがゆえんであるはずだ。
実際どうなのかはわからないけど。

思えば、日本に限らず祭りというものは
死と豊穣、この2つに密接に結びついたものだった。
そもそもこの2つ自体が表裏一体の関係にあった。
豊穣のために生贄が捧げられるのが当たり前の時代 / 地域もあった。
豊穣が得られなければ、すぐそこに死が口を開けて待っていた。
それが良くも悪くも形骸化して
祭りそのものだけが今に伝えられている。
生活のアクセントや、観光資源や、
文化として守り伝えるべき伝統芸能、そういうものとして。

・・・なーんて難しいことは花見の間に考えることは無く、
酔っ払ってるだけですが。


[1938] 善福寺公園で花見 2006-04-01 (Sat)

午後、荻窪つながりのUさんと自転車に乗って善福寺公園へ。
先週、墓参りのついでに寄ったときにはほとんど人はいなかったのに、
今日は大勢の花見客でにぎわっていた。
屋台もおでんに焼き鳥にたこ焼きにたくさん出ていた。金魚掬いまであった。
池のボートは長蛇の列となっている。
あちこちでビニールシートを広げて宴会。
僕らもビニールシートを広げて座った。
Uさんがわざわざ作ってくれた「花見弁当」を食べた。わーい。
本当はビールが飲みたかったんだけどUさんは飲めないというし、
350の缶ビールが1本500円というとんでもない値段になっていたのでやめた。

天気がよくて暖かく、桜は満開。散り始めていない。
絶好の花見日和。目の前を行く人は笑顔で通り過ぎていく。
子供連れの家族が多かったように思う。

Uさんとは淡々と、とりとめなく話をする。
これと言って話すこともなく、ただあれこれと。のんびりとしたもんだ。
その後、池を一周する。
道路を渡って公園の反対側へ。
広場では野球やバレーボールをやっている子供たち。
こちら側の池も一周してみる。
桜としてはこちらの方がきれいだった用に思う。

帰りに、井草八幡宮に寄ってみる。
荘厳ってほどでもないけどそれなりに格式があって
明治神宮のような雰囲気がある。
源頼朝が植えたとされる天然記念物の老松があったようだが、
30年前に枯れてしまったという。

日が暮れると途端に風が出てきて寒くなる。
この時期、夜はまだ冬のようだ。

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帰ってきて、夜、大学の先輩方との花見に出かける。
東武東上線上板橋駅の平和公園。
寒くなってきたとのことで先輩たちはファミレスに移動していた。
この日は花見というかこの春引っ越す先輩の送別会のようなもの。
先輩に会えればそれでいい。
途中、平和公園の桜を見る。宴会をしている人たちがちらほらといる。
桜の名所でもないんだけど、なかなかきれいな桜だった。

ファミレスでだらだら時間を過ごす。
昼から花見をしているから取り立てて話すこともない。
そこに僕が加わっても同じ。

沖縄で仕事していた先輩から泡盛をもらう。
昼の花見で余った缶ビールももらう。