[2325] ツアーでペルー その2(4月21日) 2007-04-23 (Mon)

第一旅客ターミナル、北ウイングへ。
HIS のカウンターを探す。ぐるっと回って、かなりはずれの方に見つける。
「4つの世界遺産を巡る旅 ペルーハイライト9日間」
今回の添乗員を務めるKさんと初めて顔を合わせる。
行きのリマまでの航空券と
Kさん直筆による今回のツアーの流れと注意事項あれこれの資料のコピーを受け取る。
コンチネンタルのカウンターにてチェックインしてから、またここに来てくださいと言われる。
添乗員付きツアー初めての僕は
こういうチェックインすら添乗員の方が全員分やってくれるのかと思っていた。
実際はそうではなかった。

ツアーのタグをスーツケースにつけることを強く念押しされ、
飛行機が無事到着しない場合もありえるので
一日分の着替えはスーツケースから取り出しておくことを何度も薦められた。
タグはつける。しかし着替えは「ま、いいだろう」と思ってそのまま。
1日・2日到着が遅くなって、そのまま着続けても僕は特に気にしない。

すぐ目の前まで、コンチネンタルのチェックイン待ちの行列が果てしなく長く伸びている。
その列の最後尾に加わると僕の後ろにさらに続々とスーツケースを手にした旅行者が増えていった。
恐らくアメリカ人と日本人が半々か。
列に並んで少しずつ前に進みながら、先ほど受け取った資料を読む。

@ヒューストンを経由してリマの空港に到着するまでの流れ
Aアメリカとペルーの出入国カードと関税申告書の書き方

B簡単なスペイン語会話(抜粋すると)
 −おはようございます ブエノス・ディアス
 −お願いします ポルファボール
 −さようなら アスタ・マニャーナ/アディオス

Cペルーの諸情報(抜粋すると)
 −トイレについて
  リマ滞在中のシェラトンホテル以外のトイレは全てトイレットペーパーを流すのは不可。
  そばにあるゴミ箱に捨てる。すぐに詰まってしまう。
  又観光地、ドライブインのトイレにはトイレットペーパーは無いところが多い。

 −高山病について
  甘めのキャンディを持ち歩くとよいです。又、1日2リットルはお水を飲みましょう。
  高地では腹式呼吸を心がけ、その都度体感気温に合わせた重ね着をしましょう。
  高山病の症状は一般に頭痛、吐き気、寒気です。
  症状が出たら、添乗員にご相談下さい。がまんは禁物です。

 −その他
  ペルーでは、特にアンデス地方では、一般の方の写真を撮らないで下さい。
 (民族衣装を着た方、インディヘナ等)
  観光用のモデルがいます。但しチップ必要です($1〜$2)。
  地元の子供たちも、サービスの代価としてチップを求めたりします。(目安US$1)
  ペルーのホテルは全てチェックイン時全員のパスポートを預ける必要があります
 (コピーを取る為)。

@を読むと通常のツアーでは参加者が集合して顔合わせすることになっているのだが、
今回のツアーは出発が土曜でチェックインカウンターの混雑が予想されるため、
集合しての顔合わせ無しで各自出国するとあった。
確かにこれだけ並んでいたら時間かかるよなー。
辺りをそれとなく見回してみると、同じツアーに参加すると思われる人たちが
HIS から事前に送られてきたビニールのケースを持っている。中には日程表が入っている。
みなそれぞれどことなく緊張しているように見えた。

@にとんでもないことが書かれていた。曰く、
「アルコール飲料は全て有料($5 or ¥600)」
コンチネンタルってそうなの?今回初めて乗るけど。
僕としてはがっかり。これだけでダークな印象を抱く。ケチ!
こういうツアーだったら仕方ないけど、
個人の旅行だったらもう絶対コンチネンタルなんて利用しない、と心に決める。

チェックインカウンターも心なしか
他の旅行会社よりもいちいち時間がかかっているように感じられる。
スーツケースのX線チェックを受けて
カウンター前の列に加わってからが、特にそう。
全然進まない。
外国人旅行者はことごとくカウンターの係員となんらかの交渉を始めて、
そのやりとりでとにかく時間がかかる。
支払った航空券の料金に見合うだけのサービスを求めているのか。
それとも勝手の違う異国の地であれこれ不安に思うことを問い合わせているのか。
僕みたいな「この手のこと、何事もどうにでもなる」と思ってる人間は
パスポートと航空券を渡して後はお任せ。
窓側と通路側だったら通路側に座りたいんだけど、聞かれないからそのまま。
そういうのってなんかめんどくさい。

どうでもいいことであるが、カウンターの人たちが使っている PC を覗き込んだら
キーボードはあるのにマウスがなかった。
ノート PC で使うようなポインティング・スティック。
これって場所を取らないようにという工夫なのか。

スーツケースを預ける。
経由地ヒューストンで受け取る必要はなし、リマまでスルー。

そういえば、スーツケースのチェックの際に同じツアーと思われる人が引っかかってて、
チラッと見ると灰色のO2パックのボトルが見えた。
高山病に備えて、ということか。
そういうの全く持ってってない僕は大丈夫なのだろうか、
ちょっと楽天過ぎないかと思わなくもなかった。

チェックインを済ませて搭乗券を受け取り、また HIS のカウンターに戻る。
オイル・サーチャージを支払う。3万1000円。高い。でもこれは仕方ないのか。
各自成田でセキュリティ・チェックと出国審査を受けてください、とのこと。
ツアーとしての最初の集合はヒューストンの空港で飛行機を降りたところとなる。
僕の前に同じツアーの人が立っていて、
彼に対してなされたのと全く同じ説明を繰り返し聞く。
僕の番が済むと次の人たち相手にまたしても同じ説明がなされる。


[2324] ツアーでペルー その1(4月21日) 2007-04-22 (Sun)

10時に部屋を出る。
13時半にツアーのカウンターで集合だから、だいぶ余裕があるんじゃないかと思う。
前日が給料日で、ブックオフで見かけてだいぶ前から買おうと思っていた
Fountains of Waine の1枚目と2枚目の国内盤、
これを買いに行って戻ってきてからでも遅くないかなー、と一瞬考える。
間に合うだろうかと考えた末、やめておく。
(残念なことに、帰国してから探しに行ったら無くなっていた・・・)

下はカーゴパンツ。これはもう、一昨年のメキシコ旅行以来定番。
左股のポケットにデジカメ。
右股ポケットには無印良品の小型ノートとボールペン。
空港近辺では航空券や搭乗券にパスポート。
すぐ取り出したいものを入れておくのに便利なことこのうえない。

履いてったのはオニツカタイガーの赤。
カーゴパンツが緑で、組み合わせとしてどうかと最後まで悩んだ。
でもこれって持ってる中で履き心地が一番よくてお気に入りなんだよなあと。
歩いてて鏡があると、気になって見てしまう。
目立つよなあ、これ。でも出てきてしまったものはもう仕方ない。
ツアーの間、派手好きな人と思われてたろうな。

スーツケースを引きずって荻窪の駅へ、丸の内線に乗って有楽町へ。
昨年のオハイオ旅行の教訓により、JRで東京駅からってのはリスクが高すぎるので
(空港までの本数が少なかったり、
 じゃあってんで成田行きに乗ったら空港まで行かないものだったり・・・)
今年は上野から京成線に乗っていくことにする。
これなら分かりやすくて間違いが無い。
しかもJRに比べて安い。
70分ほどで到着する。

京成線の中ではずっと、ロアルド・ダールの「あなたに似た人」を読んでいた。
その週、会社の行き返りに読んでたから、21日の時点で既に半分読み終わっていた。
ロアルド・ダールの代表作とされてるのかな。面白いねえ。
最近では「チャーリーとチョコレート工場」の原作者として知られる方が多いのかな。
非常に、英国的。どこをどう切り取っても。文体が、内容が。
徹底して底意地の悪いブラックユーモア。
だけどそれは読む人を人を楽しませたいがゆえのものであって、
怖いことばかり書かれているのに妙に人懐っこい。
有名な「南から来た男」を読んだときはゾクゾクした。
ハヤカワのミステリの文庫から出ているけど、これ推理小説じゃないよね。

---
出発前日20日に会社の人たちと唐辛子料理の店に行って
「これで腹こわしたらアホだよね」って話をしていた。
起きてみてなんともなかったものの、部屋を出る直前に冷蔵庫の中で
この1週間で賞味期限の切れそうなものを探していたら牛乳のパックが出てきた。
もったいないと思って飲み干す。
これがよくなかったみたいで電車乗ってたら腹が痛くなる。
山手線にて途中、降りようかどうか迷う。
東京駅。一瞬、大丈夫かなと思ったが、
通過した途端グルグルグル〜といっきにつらくなった。
神田駅で下りてトイレを探す。
その後成田空港の売店で正露丸糖衣Aを買って飲んだら、腹の調子はよくなった。
ツアーの間も問題なし。気力の問題なのだろうか。
帰ってきた途端、空港にて腹が下ってトイレに駆け込んで、
以来29日からずっと不調なまま。

---
成田空港の駅に着いて、すぐ見つけた店で両替。
10万円を米ドルにして、825ドルとなる。
ペルーの通貨に替えるのではなく、あくまでドル。
観光地で買い物をする分においてはどこでもドルが使えるようだ。
リマの空港に到着してから現地通貨(ソル)にも両替したが、
ほとんど使うことはなかった。トイレチップぐらい。

2週間以内に帰国するならば、
円をドルに替えたときのレートそのままでドルを円に買い戻すサービスを
500円で提供しますがいかがいたしますか?とブースの中の係りの女性に聞かれる。
円が暴落したときの保険のようなものか。
まさかレートがこの一週間で大きく変わることはないだろうと断る。


[2323] ツアーでペルー(出発直前) 2007-04-21 (Sat)

7時起き。
スーツケースにシェーバー、目覚まし時計など詰め終わって準備完了。
ガスの元栓もしめた。
あとは行くだけ。今、一息ついている。
10時には部屋を出て、13時半成田集合。15時半頃、出発。
なんかあんまり実感はないなあ。
ここ何日か働いていると、特に。俺って本当に来週行くんだっけ?って感じで。

その仕事も一段落ついて、あとは周りの人たちに任せる。
たぶん、と言うまでもなく、あれこれ大変なんだろうけど。
昨日はPJのメンバーと飲みに行って、「赤ちり屋」という唐辛子料理の店に。
辛いものばかり食べて
「腹が下って、飛行機の中、大変なんじゃない?」と茶化されるが
今日起きてみたらなんともなかった。よかった。
「赤ちり鍋」にハラペーニョの七味を振りかけて、
激辛10倍の「スーパーハバネロチキン」ってのも食べた。
(食べてるうちはなんともなかったけど、
 しばらくしてから唇がヒリヒリしてとんでもないことになった)

昨日・一昨日と家に帰るとツアーの添乗員の方から留守電が入っていた。
ツアー参加の最終確認とご挨拶ってことで。
日中は会社なので返答もできず。

一昨年メキシコ行ったときに利用した
使い捨てのトランクスが1個余っていたので今日履いてる。
相変わらず旅行中はカーゴパンツ。
太股のポケットには無印良品の一番小さいノートとデジカメ。

行きも帰りもコンチネンタル航空、ヒューストン経由でペルーへ。
アメリカに入国するのでスーツケースには鍵をかけない。
ペットボトルも持ち込み禁止か。

---
今回の旅行中に読もうと思っている本:

ロアルド・ダール「あなたに似た人」
 既に読み始めてて、会社の行き返りに読んでると時間を忘れる。
 この人の短編は面白いねえ。いわゆる「奇妙な味」というやつ。

エルモア・レナード「ラム・パンチ」
 タランティーノの「ジャッキー・ブラウン」の原作。

グレイス・ペイリー「最後の瞬間のすごく大きな変化」
 翻訳は村上春樹。アメリカの女性作家の短編集。

フィリップ・K・ディック「スキャナー・ダークリー」
 昔、創元社から「暗闇のスキャナー」というタイトルで出ていた。
 昨年新訳でハヤカワから出た。
 ディックの代表作の1つ。宮部みゆきがなんかのベスト1に挙げてた。
 リチャード・リンクレイターが
 「ウェイキング・ライフ」みたいな感じでアニメ映画化している。
 昨年末公開されて見逃した。
 学生時代に読んで、切ない思いをした。

サキ「ベスト・オブ・サキT」
 中古で見つけた。サンリオじゃなくて、ちくまの方。
 これも「奇妙な味」系の短編集。
 なお、読んでない本の山の中を漁っていたら
 サンリオの方ももってたことがわかった。

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初めてのツアー。大人数の。
しかも1人。
浮いてしまっていつも1人ポツンとしているんじゃないか・・・
ってことを気にしてる。


[2322] 恋愛小説 2007-04-20 (Fri)

ここ何日か考えている小説。

Aという国から来た男性「A」と
Bという国から来た女性「B」の2人がCという国で出会う。

なんらかの事情でAもBもCという国に流れ着いて、
そこで定住的な生活を送ることを余儀なくされた。
AもBも自国の言葉しか話せず、Cの国の言葉を話すことができない。
異邦人同士のAとBは偶然/必然的に出会い、惹かれあう。恋に落ちる。
異国の地で2人きりの生活が始まる。

しかし、AはBの言葉を知らないし、BはAの言葉を知らない。
Cの言葉も覚えなくてはならない。
片言の会話、単純な絵、仕草、表情といったもので2人は意思の疎通を図っていく。
そういう状況で2人の愛の行方がたどっていく(何かが深まっていく)過程と
互いの言葉とCの言葉、Cという国の中で
2人の住む都市の地理や習俗といったものを学んでいく過程とが平行して描かれる。
見知らぬ国で生活することから生まれるハプニング。
共通の友人ができて部屋に招く、招かれるといった出来事。

「小説」というものの持つ性質上、
この2つの過程の描く線はなんらか反比例していかなくてはならない。
AとBの2人は互いの言葉もCの言葉も覚えて、Cでの生活も順調なものとなって、
2人は末永く幸せに暮らしましたとさ。
そんなハッピーエンドは普通求められない。
一般的な恋愛小説のハッピーエンドを演出したいならば
わざわざCの国、Cの言葉という設定を持ち出す必要はない。

普通、こういう小説はこんなふうにして終わる:
2人はCの言葉を覚え、Cの国の人らしく振舞えるようになった。
視界が広まって、孤独感も癒されていった。
AとBが互いを必要とするきっかけ、接点も薄れていく。
2人の思いはすれ違うようになり、別れを迎える。

あるいは:
Cという国の中で日々感じている疎外感はどこまでいっても拭い去ることができない。
AとBの結びつきがより深まっていく。
2人はCから外に出ようという結論に達する。
それは2人の故国であるAかBに戻ることかもしれないし、
全く別のDという国かもしれない。2人が旅立つところで小説は終わる。

さらにあるいは:
Cという国の中で日々感じている疎外感はどこまでいっても拭い去ることができない。
AとBの結びつきがより深まっていく。
泥沼のような日々。よじれてもつれあう恋愛感情はやがて暴発して、破綻を迎える。
別れ。AとBはそれぞれの選択をする。
それは故国に戻ることかもしれないし、Cにとどまるということかもしれない。

こんなふうに考えていくと、
恋愛小説の図式って表にするとこんなふうになることが分かる。
ハッピーエンドも含めると4通りの象限となる。

   恋愛
障壁 ○ △
   △ ×

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もしこれを本当に小説として書くとしたら
Aは大学院をドロップアウトして放浪する研究者で、
Bは小国からの政治的難民で、Cという国は、・・・
というような設定を現実世界に求めてリアルさを追求するよりも
僕の場合全て架空の国にしてしまうと思う。ある種の寓話として描く。

そのとき僕は上の4つの象限のどれで書くことになるのか。
それはそのときになってみないとわからない。


[2321] 最近の仕事のあれこれ 2007-04-19 (Thu)

最近の仕事のあれこれ。

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昨日、客先の打ち合わせで泣き言を言う。
「一ヶ月考えたのですが、解が見つからないんです」
お客さんによっては「バカモン!出直して来い!!」となるところが、そうはならず。
周りの人たちがあれこれフォローしてくれる。方向性と落としどころが定まる。
みんな優しいよね・・・
SEとしての引き出しの少なさと
それ以前に人としての器の小ささを嫌でも感じてしまって、自己嫌悪。

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プログラミングをろくにやらないまま、やっても適当に自己流でやっただけで
SEという職についてしまった僕はここ何年かそういうの自分で手を動かすこと全くなし。
設計資料を書いたり、懸案事項の整理や調整がメインタスクだった。

今回のPJでは2月以後障害対応や問い合わせ対応ばかり。
時間があるときもないときも自分から率先して(ってほどでもないが)
あれこれ調べ物をしている。
管理的な仕事よりも結局「現場」の最前線が好きなわけですよね。
SQL を書いてもらったり自分で書いたりしてデータの状態を見る。
場合によってはデータの間違いを補正する。

単純な select ぐらいしかできなかったのに
それ以上に高度な SQL を自分で書くなんて何年ぶりだろう。
いつのまにか副問い合わせや外部結合も書けるようになっている。
若い頃にはお手上げだったのに。
僕は内部結合と外部結合の違いがどうしても理解できなかった。

select するだけではなく
SQL PLUS を利用するときの表示項目の調整のコマンドを打ったり、
テーブル内のカラム名表示のコマンドを打ったり。
ま、初歩っちゃ初歩だけど昔はそれすらできなかった。

むしろ今、SQLを書くことが楽しい。とすら言える。
試しに書いてみてうまくいかず、試行錯誤してようやく思ったような結果が返ってくる。
「ああ、こういうときにはこう書くんだなあ」ということを体で覚える。

技術に関することを覚えるのって久方ぶりだなあと
しみじみした思いで日々過ごしている。

---
仕事のあれこれ書こうかと思ったけど、他に何も思いつかなかった。

よって今日はここまで。


[2320] 肉づくし 2007-04-18 (Wed)

昨年のPJが社長賞ってのをもらって、賞金が入る。
豪勢なもの食べようぜ!ってことで行ったのが銀座のすきやき割烹「吉澤」へ。
http://www.ginza-yoshizawa.com/

ここの肉づくしコース。特上の方。
1.食前酒
2.先付
3.前菜五種盛
4.牛肉の刺身
5.霜降り肉の握り寿司
6.牛肉たたきサラダ仕立て
7.すき焼又はしゃぶしゃぶ又はオイル焼 
8.お食事
9.香の物
10.水菓子
http://www.ginza-yoshizawa.com/niku-tukusi.htm

名前がすごいよなー。「肉づくし」
松坂牛を味わいつくす。
霜降り肉の握り寿司なんて生まれて初めてですよ。

メインはすき焼き。
ぐつぐつ煮えた鍋が運ばれてくるとか、女将が最初焼いてくれるとか、
もうそういうレベルじゃないんですね。
焼いてくれた上に1人1人器に入れてくれる。
僕らはもう、食べてるだけでいい。
ラードの敷かれた黒い鍋の上で肉をさっと焼く。
色が変わる頃にタレを注いで、満遍なく染み透るまで絡める。
湯気の立つ肉が溶き玉子の中に・・・
最高ですわ・・・

はしゃぎまくりの僕らは皿の上の特上霜降り肉を前にして
恥も外聞もなく、携帯で写真を撮りまくった。

こういうところの1人分って足りないんじゃないの?って最初は思ってたけど、
十分お腹いっぱいになる量だった。

一人頭2万円ぐらいいったのかな。
将来大金持ちないしは小金持ちになったらまた来るぞと思ったのでした。
というか、特選でなかったらボーナスの出たときにでも普通に、
年に1度のご馳走として食べてもいいよね。

---
そういえば日記に書いてなかったけど、
3月の頭に浜松町にある「正泰苑」という焼肉屋に行ってきた。
http://www.yakinikutengoku.com/minato/shotaien_shibadaimon/

とろけるような上カルビ塩もうまかったけど、
(最初なんの肉を食べてるのかわからなかった・・・)
春野菜のナムルだとかトロロのユッケなど
サイドメニューも充実してたのがグー。
ホタテ焼きは焼いたあと
磯辺焼きみたいに海苔巻いて食べたり。

最後のデザートは「塩アイスクリーム」
アイスなのに、塩味。でもおいしい。

1万円もしたけど、それでもいい。納得の味。

---
2月の頭には荻窪の「焼肉割烹 たいが」ってとこにも。
ここもまたうまかった。
http://r.gnavi.co.jp/a259600/
うまかった。特上カルビ \2800なり。

「シビレ」という部位の肉も食べた。鶏肉みたいな味。
さんざん食って1人1万円となる。

---
「たいが」に「正泰苑」に「吉澤」
今年はもう、肉の年だね。


[2319] 旅行の準備 2007-04-17 (Tue)

来週の今頃はペルー(のはず、絶対)。
週末は旅行の準備に明け暮れた。

土曜。
HIS から留守電が入っていて、旅程表が届いたというので取りにいく。
オイル・サーチャージと入国税は3万1000円となる。
出発日当日空港にて支払う。
アメリカ行きの便について
機内持ち込みでペットボトルの飲み物が禁止となっているなど、注意事項の説明を受ける。

新宿に出て西口のヨドバシでデジカメの予備のバッテリーを買う。4000円弱。
あれは先々週だったか、たくさん撮ってもいいように2GのSDカードは既に買ってあって。
そうだ、バッテリーもあったほうがいいとふと思った。
土曜はその後六本木へ。国立新美術館と東京ミッドタウン。

帰ってきて、一度部屋に戻ってから駅前の西友に買い物。
5階の生活用品の売り場にて歯ブラシのセットやウェットティッシュを買う。
2階の無印良品で小型ノートを買う。メモ帳代わり。
海外旅行に行くときは必ず利用している。なんかあるたびに取り出して書き込むためのもの。
でも今回は大人数のツアーだからことあるごとに書いてたら怪しく思われそうだなー。
向こうで酒が飲みたくなって、でも見つからない。
そういう状況を危惧してウィスキーを買ってスーツケースに詰め込んでおこうかと考える。
西友には大きな瓶のしか売ってなくてやめておく。
現地で何かしら見つかるだろうし、スーツケースの中で割れたら最悪だ。
アメリカの空港で開けられて勝手に持ってかれるかもしれないし。
(こういう被害かなり増えてるみたいですね)
最後コンビニに寄ってブラックブラックガムを買う。

日曜。
トランクルームにスーツケースを取りにいく。
戻ってきて着替えを詰める。
上に着るものをどうするか迷って、セーターと長袖シャツだけにする。
この時期ペルーの海岸部(リマなど)は夏の終わりで、
日中は30度まで達するようだ。
山岳部(クスコやマチュピチュなど)に行くと朝晩冷え込む。
でもさすがにダウンジャケット辺りは不要みたいで。

薬のあれこれをプラスチックの袋2つに分けて詰める。
胃薬や風邪薬といったスーツケースの中に入れて持ち運ぶものと、
虫除けのスプレーや虫刺されの薬、マキロンや日焼け止めといった常に持ち運ぶもの。

海外用のプラグを引っ張り出す。ペルーはCタイプ。
(こういうのイチイチ探すたびにあれこれ引っ張り出して
 「これなんだっけ?」「捨てるか」と不要なものの整理が始まってしまう・・・)

持ってくのは上記の細々したものとこれら着替えぐらい。
スーツケース半分しか埋まらない。
海外旅行ももう慣れたもんで、
余計なものを持ってってもしょうがないことはよくわかっている。
デパートのトラベルコーナーで売ってるような
なんとかグッズみたいなのは結局使うことがない。
便利だなあと思ったのはガムテープぐらいか。

HMV やタワレコでたくさん買ったときやなんらかのキャンペーン時に配っている
紐がついていて口を絞れるタイプになった大きな袋。
あれがあると重宝する。というか、これさえあればいい。
買ったものがスーツケースの中で散らばらないようひとまとめにしたり、
使用済みのTシャツや靴下を入れておいたり。

モロッコ行ったときから結局毎回使っている
成田で1000円で買った安っぽいデジタルの腕時計を今回も旅のお供に。
買ったの3年前なのにまだ電池が切れない。

あと、当日持ってくものとして目覚まし時計とシェーバー。
忘れちゃならないのはスリッパ。
いつもいつもホテルの部屋の中で「スリッパがあれば・・・」という思いをしてきた。
今回こそは絶対忘れない。
新品を買うほどのものでもないので、当日持っていく。

---
ゴールデンウィークを1週間先取り。
ほんとは全然そんな暇じゃないんだけど。
というか蓋開けてみたらこの時期もまたとんでもなく忙しかったという・・・

でも行っちゃいます。ごめんなさい。

---
「モーターサイクル・ダイアリーズ」の原作、
というかチェ・ゲバラによる南米旅行記を今読んでいる。
ちょうどペルーに差し掛かったところ。
クスコやマチュピチュに関する描写が素晴らしい。


[2318] "Camouflage"/ David Thomas Broughton 2007-04-16 (Mon)

昨晩はデラ君の主催するイベント "Camouflage" / CMFLG を見に行く。
目当てはイギリスから来たフリーフォークシンガーである David Thomas Broughton
デラ君が絶賛しているので、音は聞いたことないけど興味を持った。

場所は渋谷の O-EAST の横の「Lounge Neo」
クラブっぽい場所。
ビルの5階と6階で、5階がフロア、
6階がガラス張りのバルコニーのようになっているという面白い構造。
VIP ルームとなっている。でも、音はよく聞こえない。
僕は5階のソファーに座って DJ の音を聞きながら、
始まるまで半ば眠って過ごす。
(何人かいた中で僕好みのオシャレなノイズ的な曲を
 ところどころかけていた人がいて、よかったと思う)

急遽決まったイベントのようで、出演者は2組だけ。
1人目の Yuri Miyauchi (Rallye) はデラ君のイベントに何度か出演している人のようで、
ラップトップ+ギター。
ナチュラルな音。木漏れ日の下で聞くといいような。

で、肝心の David Thomas Broughton なのですが!
すごかった・・・
こういう人初めて見た。
デラ君のサイトではこういう紹介をされている。
「John Fahey や Nick Drake、Smog や Songs:ohia などとも比較されるその歌は注目です」
http://www.cmflg.com/infonew.html
見終わった後で思う。
フリーフォームなフォーク弾き語りって意味では通じるものがあるけど、
John Fahey, Nick Drake , Smog のどれとも違う。
なんだろうかね。
Four Tet がギターだけで弾き語りをやったらこういう感じになるんじゃないかな。
ギター+声+αでどこまでできるかってことを同じように追求すると思う。

ループマシンって言うのだろうか?
弾いたフレーズをその場でサンプリングしてループさせるやつ。
よくミュージシャンがステージで演奏している間に足で踏んで
もう1度踏むとその間のフレーズが際限なく繰り返される。
使い方によってはループした音に重ねられた音が加わって新たなループとなる。
David Thomas Broughton はこれを駆使して
ギターと声をどんどん重ねていって緻密な織物へと仕立て上げていく。
巡礼中の修道士が運命的な場所を見つけて
人気のない森の奥に大聖堂を建てていく光景、とでも言うべきか。
最初はイギリス風牧歌的フォークだったのが
見る見る間に音の大聖堂へと変貌し、
曲によってはその行き着く果てとしてとてつもないノイズの奔流が生まれる。
しかもそれが基本的にギターと歌声だけ、
時としてリズムボックスを模した声、
椅子を引きずる音、椅子を水の入ったペットボトルで叩く音、
その場にある物を組み合わせるだけで生み出されるのだから驚かされる。

ノイズの奔流は更なる高みを目指して上り詰め、
ふとした瞬間に突如消えてなくなる。一瞬の儚い静寂。
そしてまた新たなギターの1フレーズを爪弾くところから全てが始まる。
この瞬間がぞくっとする。
(ビートルズの「Abbey Road」で言ったら
 「I Want You」の後に「Here Comes The Sun」が始まる瞬間を思い浮かべるといいかも)
もう1度書くけど、こういう人初めて見た。
デラ君はどこから見つけてきたのだろう?

ライブに足を運びステージを見ることが
鑑賞ではなく、体験、
それまで見たことのない異形のものに出会う体験となることってそうそうない。
昨晩は何年ぶりかでそれがあった。

急遽決まったライブで客の入りが少なかったのが残念だ。
見ることのできたほんの一握りの人は後々自慢できるかもしれない。
本人は望まなかったかもしれないけど、
記録としてビデオを撮っておくべきだったのではないか?
次また日本で演奏することがあったなら、僕は撮りたい。

---
もちろん、この手の音楽は万人受けするタイプでは全然なくて、
僕としても誰彼構わず薦めたりはしない。
新宿のタワレコの「Avant-Pop」コーナーが好きな人向きっていうと分かりやすいだろうか。

あと、物販で売ってた CD を買って家に帰ってからさっそく聞いてみたんだけど、
CD はこのライブの凄さの10分の1も伝えるものではなくて、
特にこれと言って印象に残ることのないアシッドフォークだったのが残念。
ライブ映像が YouTube に転がっていると思うので、そちらを見たほうがいい。
(今探したら20個見つかった)

要するにこういうループマシンを多用した演奏って
CD で聞いちゃうとただの多重録音にしか聞こえないわけで。
やっぱライブですよ、ライブ。生で見なきゃ。

そんなわけでデラ君にはがんばって
これからも "Camouflage" / CMFLG 続けてもらって
また David Thomas Broughton を日本に呼んでほしい。
よろしく。


[2317] 国立新美術館、東京ミッドタウン その2 2007-04-15 (Sun)

(昨日からの続き)

せっかく来たのだからと、
「大回顧展モネ 印象派の巨匠、その遺産」と
「異邦たちのパリ 1900 − 2005 ポンピドー・センター所蔵作品展」両方見ていく。

モネの方。
世界各地に散らばるモネの作品を一堂に集めて、
なおかつモネが与えた影響を20世紀美術の中からピックアップして
それも平行して展示するという内容。
前者は有名な「睡蓮」のシリーズにポスターに使われている「日傘の女」など。
後者はジョルジュ・スーラ、アンドレ・ドラン、
ピエール・ボナールといった時代の近い人から、
マーク・ロスコ、ジャクソン・ポロック、ゲルハルト・リヒター、
ロイ・リキテンスタインといった後代の人たちまで。

面白くもなんともない感想なんだろうけど、
「モネの絵ってきれいだな」って思った。
これまでモネに関心を払ってきたことはなかった。
「あの時代のあの手の絵を描く人(つまり、王道の人)」
「睡蓮がオークションに出るたびに高額で競り落とされる人」ぐらいの認識でしかなかった。
人類普遍の一般的美術基準からして最も美しいと言っていいレベルの絵をこの人は描く。
そのごく当たり前の事実がこれまで僕には見えていなかった。
あの色彩感覚、光の扱い方。
緑は若々しく、川面はゆったりと日を反射している。
美しい風景を、美しく、あるがままに描く。
美術とされるものって長いことそれを目的としていたんでしょ?
20世紀以後はともかく。
でも19世紀最後、その頂点として到達したのはモネなのかもしれない。
そう思った。
決して写実的ではないけど、彼の心の目に映った風景の美しさは永遠に残されることになった。

続いて、「異邦人たちのパリ」の方。
まあ、要するにその名の通り、ポンピドー・センターの所蔵している作品の中から
芸術の都パリに集まってきた外国人たちの絵画を抜き出したもの。
スペインからはピカソ、ミロ、ロシアからはシャガール、カンディンスキーなどなど。
日本人としては藤田嗣治の諸作。(改めて作品を眺めたけど、僕はやはり全然好きになれない)
うーむ、まあ、有名な人たちの作品が集まった可もなく不可もない展覧会ってとこか。
オブジェにビデオ作品まであって扱ってる対象は幅広いんだけど、
で、そういうのを作ってる
僕がこれまで名前の聞いたことのなかった人たちの作品はよかったんだけど
結局はピカソで釣って人を集めてるというか・・・
来た人の何割かは新しくオープンした場所だし、
東京ミッドタウンに近いからって理由なんだろうな。
たまには芸術に触れてみようか、ピカソの作品もあるらしいぞ、みたいな。
それは悪いことじゃないし、僕もピカソがあるって言うと見たくなるほうだし。
でもこういうのって「なんだかな・・・」と思わなくもない。
デパートの催事場で駅弁博覧会みたいなのやってて
「峠の釜めし」や富山の「ますのすし」に群がるのとなんとなく似てる。
「え?峠の釜飯は今回はなし?じゃ、行かなくてもいいか」

よかったのは写真だな。すごくよかった。
エロティックなマン・レイの諸作に始まり、ブラッサイのほのかな憂いに満ちた影、
パリの風景を切り取ったアンドレ・ケルテス。
そして当時の知識人のポートレートを撮影したジゼル・フロイント。
ポートレートはアンドレ・ブルトン、ヴァルター・ベンヤミン、
アンドレ・ジッド、ジャン=ポール・サルトルなど。なんだかえらくかっこいい。
図録から名前を引っ張り出してるんだけど、
イジス、トーレ・ヨンソン、ウィリアム・クラインもよかった。
僕としては20世紀は写真・映画のほうが
現実を切り取って批評的に語る上ではより効果的な手段だったように思う。
その反面、絵画は芸術のための芸術へと向かっていった。

地下のスーヴェニアショップを眺めた後、外に出る。
夏のように暑い日で、日差しが眩しかった。

近くの東京ミッドタウンへ。歩いて5分の距離。
中に入ると人また人で大混雑。
何がなんだかよく分からなくてくらくらした。余りにも洗練され過ぎていて。
これは物を売っている店なのかそれとも展示スペースなのか?
早々に出てしまう。
話の種に見学して終わり。

それにしても美術館の間からそうだったけど
喉が渇いてもカフェの類は長蛇の列、
自販機があるわけでもなく水飲み機があるわけでもなく。
ようやく外の公園で見つける。
公園は公園で大勢の人がいて・・・

まあ、またそのうちブームが一段落したら来るとしよう。

フロアガイドと一緒に配っていたレストランガイド見たら
どの店もゴージャスでため息が出た。
ニューヨークの店が日本に、とか。はあ。行きたいよ。


[2316] 国立新美術館、東京ミッドタウン その1 2007-04-14 (Sat)

遠縁の叔父が属する美術団体が
六本木にできたばかりの国立新美術館で展示を行うというので見に行ってきた。
ついでに東京ミッドタウンも、と思う。もちろん、両方とも初めて。

まずは国立新美術館へ。
都知事選にも出馬した黒川紀章が設計した斬新なデザインの建物。
足を踏み入れると、最近流行りなテイストのモダン一点張りの空間。
悪くはないけど、飽きられるのも早そうな・・・
美術館ってもっと単純で落ち着いててもいいと思うんだけどね。
叔父もこんなことを言っていた。
「この美術館は建築家の発想で作られていて、美術を見る人の視点に立っていない」

まあそれはさておき、展示室の中へ。
僕はこういう公募団体の展覧会ってのは初めてで、どんなもんかよくわかっていなかった。
・・・見てもよくわからず。
今の日本の絵画界ってのがどんななのか状況を知らないんだけど、
はてさて何が良しとされているのか?
なんつうか大半がセザンヌかピカソかゴッホのどこかに行き着きそうで、
作品によってはもろにそのまま。
「日本人が真似してみました」それ以上でもそれ以下でもない。
独自の何かを表現として生み出している、と感じられたのはごくわずかだった。
同時開催のモネ展の3倍の広さがあってたくさんの作品が並べられている。
駆け足で見ていくしかなくて、足を止めて眺めたのは数えるぐらい。

あと、見に来てる人たちが普通にデジカメで写真を撮ってて、誰にも何も言われない。
そういうものなのか。

日本の各地にこういう美術館があって、
大型の企画展と並んでこの手の公募展や美大の卒業制作の展示会が
発表会として日々行われているんだろうな。
外国の街並みを描いた風景画。身の回りの人をデッサンして描いた絵。
とにかく前衛なだけでよくわからないもの。
ほとんどの人たちが恐らく、絵で食べていない。
絵画教室で教えたり絵に関わる仕事の人が多いように思うが、
全然違うことをしている人も多いのだろう。
名もなき絵描きたちが仕事の合間に生きがいとして、趣味として、描いた作品たち。
奈良美智や村上隆に代表される
一部の現代アートの若手クリエイターたちだけが華々しく脚光を浴びていて、
それ以外のことがどうなっているのか
熱心な美術愛好家でもない限り情報が伝わってこない。
でも、裏側というものはどこの世界にもあるのだ、
頂点から下の階層でひしめき合う人たちは大勢いるわけだ。
そして僕のような出品者の友人や親類、
あるいは熱心な賛同者のみがその作品に触れることになる。

この日は地上3階建ての美術館の各階で同じような公募展の展示が行われていた。
3つの団体が展示していて、16日まで。
18日からは別の3団体が30日まで展示。
そしてまた別の団体が入れ替わって展示を行う。
これが一年中続くのか・・・
上野の東京都美術館がこれまで、こういった公募展の会場として利用されてきた。
そのうちの多くがここ国立新美術館に移ってくるようだ。
東京都美術館自身がコレクションを蒐集して展示することはなく、
例えば新聞社の共催する企画展だったり、公募展がメインの箱貸し系の美術館だった。
国立新美術館が新しいできたばかりの美術館とはいえ同じ匂いが感じられるし、
東京都美術館ともどもこれからどうなっていくのだろうと、気になった。

一通り眺めて最後にもう一度叔父の作品を見ておこうと
引き返して歩いていたら、ちょうどばったり叔父と会う。十何年ぶり。
フロアで立ち話。
こういう公募展の展示がここ国立新美術館で行われるのは初めてのことであって、
何もかもが手探りで大変だったと叔父は語る。
これまでは長年東京都美術館で行ってきたから勝手が分かっていた。
それが新しい場所ともなるとそもそもどう展示していいのか、ルールからして変わってくる。
国立新美術館の天井を見上げると果てしなく正方形のブロックに分かれていて、
パネルを自由自在に組めるようになっている。
つまり、展示室の壁が固定じゃない。
ここがこういう場所だからこういう配置で、という発想ではなく
これら作品を配置するためにどういうフロア構成とすべきか?
というところから始めなくてはならない。
そう聞くとかなり大変そうな気がした。
しかも他の団体が既にやっていたら参考にするんだろうけど、それもなし。
むしろ他の団体が聞きに来て写真を撮ってるぐらい。

このパネルに絵画を飾る方法もまた一苦労らしく、
どういう素材で貼るべきか何ヶ月も研究したようだ。
パネルは借り物なので傷をつけるわけにはいかない。
しかし、粘着力が弱いと絵画が床に落ちることになりかねない。
粘土を使って、テープはこれでと試行錯誤を繰り返す。
などなど。

(続く)


[2315] 「パルプ・フィクション」再見 2007-04-13 (Fri)

前回の「ショーシャンクの空に」で味をしめて、
プレゼンルームを貸し切っての社内鑑賞会、第2回目。
こんなでかいスクリーンがあるなら何を見たいだろう?って考えたときに
思い浮かんだのは「パルプ・フィクション」
今この時期、もう一度見てみたくなった。

公開は94年。もう13年も前。そんなになるのか・・・
僕は上京2年目。大学2年生。
彗星のように現われてカンヌを制覇。
一躍時代の寵児となったクエンティン・タランティーノ。
あらゆるメディアを席巻したかのようで、いや、あの頃の勢いはすさまじかったなあ。
寮の後輩と見に行って「すげえ!」「面白れえ!」って興奮した覚えが。

その後、時間軸をパズルのように組み替える
タランティーノ的映画が雨後の竹の子のように出てきてそればっかりになった。
でも「パルプ・フィクション」を超える作品はついぞ現われなかったように思う。
(いいところまで行ったのは「LOCK, STOCK & TWO SMOKING BARRELS」だけかねえ)
パズルとしての精度はどこまでも向上したかもしれないが、
それって映画的完成度とイコールになるわけがなくて。
っつうかそこをイコールにしようとすればするほど、映画としてつまらなくなるわけで。
愛ですよ、愛。映画に対する愛情の深さ。映画を作る喜び。
それがどこまで込められているか。そこんとこ、直球勝負。
「パルプ・フィクション」の圧倒的な素晴らしさはやっぱそこですよ。
タランティーノのワクワクした気持ちが見る側にもダイレクトに伝わってくるという奇跡。
もっと言うとそのワクワクがそのままエンターテイメントになっているという奇跡。
当時タランティーノはそのパズル的脚本ばかり取り沙汰されていたけど、
今はそんな話誰もしない。
彼の熱くほとばしる映画オタク魂がどれほどのものかで評価され、
毎度毎度そのボルテージが下がらないから、
いまだタランティーノは愛されているのである。

見た後でそんなこと考えたけど、見てる間は頭空っぽになって全くもって夢中。
いやー面白かった。13年前の作品なのに全然古びてないのに驚く。
映画の殿堂入りだね。そんなのがどっかにあるとしたら。いや、どこかにあるべきだ。

サミュエル・L・ジャクソンのクライマックスのあの演説は
何度見ても映画的醍醐味としてパーフェクト。
ブルース・ウィリスがジャンク屋で日本刀を手にするシーンは
公開当初は荒唐無稽に思ったけど「kill Bill」を見た今では
「ああ、なるほどなあ」と思わず頷く展開だったり。
「見たのこれが2回目です」的楽しみ方もしっかりと堪能。

それにしても。
見直してみて記憶の中で細部がかなり変わってた。
ユマ・サーマンとジョン・トラボルタがツイストを踊るシーンは
もっとエキセントリックなものだと思っていた。
ブルース・ウィリスは最後大金を手にして去っていくのだとか、
ジョン・トラボルタはトイレでコミックを読みながら撃たれるのだとか。
そういう記憶違いが無数にあった。
ま、そんなことはどうでもいいか。

「レザボア・ドッグス」ももう1度見ないとなー。

クエンティン・タランティーノの次回作は
ロバート・ロドリゲスと競作するホラー映画「Grind House」とのこと。
これも早く見たいね。

あの当時は相当スリリングに感じられたパズル的ストーリーも
今の視点から見直すと非常にシンプルでストリート。
「ちょっとひねった」ぐらいのもんでしかない。
だけど、タランティーノは絶対そこで勝負してないね。
「そういうの、面白いんじゃない?」ってんで、やってみただけだろ。


[2314] iPodについて思う 2007-04-12 (Thu)

今更ながらの話。
iPod あるいはそれに類する再生機器の類を僕は持っていない。
昔 Mac ユーザーだったし、apple という企業はとても好き。
だけど持ってない。
興味がない。持ち歩いて音楽を聴こうという気になれない。

会社の行き帰りの地下鉄の中といったわずかばかりの時間であっても
常に音楽に触れていたい!というわけでもないし、
現実逃避の一環として音楽を聞いてるわけでもない。
そういう理由がまず挙げられるんだけど、
それ以前に iPod という機器がハードディスクの容量にもよるけど
かなり大量の曲を詰め込めるというところにあるのではないかと。

逆にこういうのがあったら欲しい:
30曲ぐらいしか入らない。アルバム2枚と4・5曲ぐらい。
選びに選び抜いた曲を持ち歩く。
今日の気分・今週の興味に合わせて入れ替えを行なう。
持ち歩いているリストが何よりもモノを言う。
そこにその人のセンスが現れる。
その情報がネット上で共有される。
有名人が持ち歩いている曲のリスト。
あるいは無名の人ではあってもツウ好みの「この人わかってるなあ」的なリスト。
ある意味、DJのセットリストみたいなものだ。
(持ってないから分からないけど、既になんらかそういう機能あるのかも)

何万曲と入った中から聞く曲を選ぶってのも選ぶ行為ではあるけど、
それはちょっと違う。
そんなとき、iPod はただの収納箱に過ぎない。
海外で何ヶ月あるいは何年と暮らすのならば、絶対欲しいけど。

---
「選ぶ」という行為がそもそも贅沢なことなわけですよ。
しかも制約が設けられた中で
どれだけのバリエーションを持たせることができるかというのは一歩上の贅沢であるし、
(それはつまり、選ばれる元にどれだけの幅広さがあるかということになる)
その中から好きなように選ぶことができるってのは最上級の贅沢。

僕ら日本人は日々の暮らしの中で
何事も選択の余地のあることが当たり前になってしまっているが、
(スーパーマーケットの陳列棚、保険のプラン、シネコンで上映される映画 etc.)
ちょっと引いたところから眺めるならば
選択の余地がなく1つしかない、
あるいは何もなくゼロのままの物や状況ってのがいくらでもある。
日本人だからこそ資本主義消費社会的に多く見えてるけど、
他の国ならばこうもいかないということも多いだろう。

今の日本人はそこのところ無自覚になってないか!?

---
なのでそういうところにこだわった iPod があってもいいよなあ。
ただのハードディスクレコーダーではなくて。
名前をつけるならば、「iPod Classic」
結局のところ iPod という商品がどこかにおもちゃ的な要素を潜ませているのならば
そういうものであってもいいのではないか。
ある種不便だからこそ、面白い。

「Classic」と名付けたとしても無駄にレトロっぽく大きいのは困りもので。
やはりボディーは小さい方がいいね。


[2313] Tuxedomoon のニューアイテム 2007-04-11 (Wed)

Tuxedomoon の新譜が出てないか時々 HMV や amazon のサイトを探す。
先日、2点見つける。
「Bardo Hotel Soundtrack」という CD と
「The Super 8 Years with Tuxedomoon」という DVD の作品。
どちらも HMV のサイトでは取り扱ってなくて、amazon のみ。
どういう経緯で販売されることになったのだろう?
HMV で売ってないとしたら DVD だともしかしてリージョンが合わないのかも?
だったら買ってもめんどくさいだけだよなあと思いつつも
ポチッとクリックして買ってしまうのがマニアの悲しいサガ。
届いた DVD をプレーヤーに入れたら普通に再生できてホッとする。

---
「Bardo Hotel Soundtrack」はその名の通り映像作品に付けた音楽。
純然たる新作ってことになる。
Crammed Disc から「Made To Measure」のシリーズとして発売されている。
(このシリーズ、80年代からまだ続いてるんですね。驚愕)

メンバーは
Blaine L. Reininger , Steven Brown , Luc Van Lieshout , Peter Principle
と黄金期の4人。
(と言っても80年代にこの4人がフルで揃ったことはないはずか)
これで Winston Tong が加われば完璧なんだろうけど、もうそれはないんだろうな。

音は聞いてすぐわかる、いつも通りの Tuxedomoon 節。期待を裏切らない。
Blaine L. Reininger のあの、柔らかい空気を引き裂くようなヴァイオリン。
Steven Brown のクラリネットの音色。
Peter Principle のリズムを刻む気のないベース。
僕自身は「Cabin in the Sky」よりも Tuxedomoon らしくていいなあと思った。
途中で「Jinx」と「Loneliness」の断片が聞こえてくるのも懐かしい。

---
「The Super 8 Years with Tuxedomoon」は
Steven Brown が80年代に8ミリで撮影した映像をまとめたもの。
これと言ってストーリー・構成はなく、コラージュに近い。
サンフランシスコのバンドゆかりの地を紹介する場面が何度かつなぎとして出てきて、
あとは取りとめもない夢を見ているかのような記録映像の羅列。
「Holy Wars」や「Suite en sous-sol」録音時のスタジオの風景といった
ファンならば「おおっ」と思うものも時々出てくる。

よほどのマニアでなければ見る必要はないけど、
他に入手可能な動いている Tuxedomoon の映像となると
「Downtown 81」ぐらいしかない現状では貴重な作品と言える。

普通にライブの映像や「The Ghost Sonata」の記録映像、
あるいはモーリス・ベジャールの「Divine」が出てくると嬉しいんだけどなあ。

---
今ふと気になって YouTube で Tuxedmoon を検索してみたらいくつか出てきた。

□「Tuxedomoon - Ghost Sonata (segment)」
http://www.youtube.com/watch?v=GQFK2WwBkyo
「The Ghost Sonata」からの抜粋。
こんな感じだったのか・・・
奇妙な美しさに彩られた作品。完全版が見たくなるね。

□「Tuxedomoon - In a manner of speaking」
http://www.youtube.com/watch?v=ePzLD1xvXGc
「Holy Wars」収録の代表曲のクリップ。彼らもクリップを作っていたんですね。

□「Tuxedomoon - Jinx」
http://www.youtube.com/watch?v=0ptNZu_EAMY
「Desire」収録曲のクリップ。
彼らの摩訶不思議なセンスがマイナスに作用した作品のような・・・

□「Tuxedomoon - Desire」
http://www.youtube.com/watch?v=P52_L6dm_M0
映画「Downtown 81」からの抜粋。壁にグラフィティを書いてるのはバスキア。

□「TUXEDOMOON (feat. WINSTON TONG) - THE STRANGER (LIVE 2005)」
http://www.youtube.com/watch?v=nNW0JFOzozE
□「Tuxedomoon (feat. Winston Tong) - Jinx」
http://www.youtube.com/watch?v=lcHFtKrBZKE
今回最も驚いたのがこれ。
再結成後の2005年のライブのゲストになんと、Winston Tong が。
僕は袂を分かっていたものと勝手に思ってました。
でも、歌声はよれよれ・・・

□「Tuxedomoon ? Suite En Sous-Sol: Courante Marocaine Live」
http://www.youtube.com/watch?v=f8bey3igpTI
これも2005年ごろのライブか。

□「Tuxedomoon - Nervous guy/Volo vivace」
http://www.youtube.com/watch?v=wkwHN7VVuxs
80年代のどこか。イタリアのテレビ番組に出演したときのスタジオライブ。

---
僕が以前、Tuxedomoon のディスコグラフィーについて書いたときの文章。
http://d.hatena.ne.jp/okmrtyhk/20050204


[2312] 世界戦争が始まるよ、今夜 2007-04-10 (Tue)

今日の夜、この世界は終わってしまう。
ニュースではそんなこと言ってないけど、誰もが知っている。
隠してる、隠されてる。学校に行ってもみんなその話。
戦争が始まって、それは一瞬で終わってしまって、みんな死んでしまう。
何人かは登校してこなかった。
家族と、あるいは、一人きりでどこかに行ったのだと思う。
逃げだすために。可能ならば、この世の果てまでも行くつもりで。
そんなこと、できっこないのに。

父は帰ってこなかった。いつも通り残業続きで大変なのだろう。
私が朝起きたときには既に家を出た後だった。
仕事をするためなのか、残された仕事を整理するためなのか。
今となっては何も意味をなさないのに。
それでもそうするしかないのは人間という生き物の悲しい習性によるものなのか。
それとも、今日が昨日の続きでいつも通りの一日だという幻想にすがりつきたいのか。
いや、幻想を抱くまでもなく、今日という一日はいつも通りの一日だった。
電車もバスも普通に動いていた。電気もガスも使える。
この世界は何事もなかったかのように、続いている。続いていた。
電車の窓からは「真実を明るみに出せ」と叫ぶデモ隊の長い行列を見かけたけれど。

「母さん、戦争が始まるってほんと?」
母と二人だけの夕食。
私は今日になって初めて、家族を相手にこの話題を持ち出してみた。
それまで梅が散ったとか桜が咲いたとかそういうことを一方的に話していた母が、
急に困りだして何も言わなくなった。
おかずに箸を伸ばす。ご飯を口元に運ぶ。
「死んじゃってもいいの?」
母は母で思うところのことがあったのだろう、あるいは何も考えたくはなかったのだろう。
そしてそれは例え私が一人きりの娘であったとしても、触れてはならない部分なのだろう。
そっとしておくにこしたことはない。
母も私も、テレビを眺めた。当たり障りのないバラエティー番組が大声ではしゃいでる。
全ての喧騒を振り払うかのように、くだらないことを精一杯やり通そうとする。
私はハハハと声に出して笑う。

食べ終わってダイニングを出て行こうとすると「皿、洗ってくれない?」と母が言う。
私の方を見上げるでもなく、テレビを見るでもなく。
「やだよ」と私は答える。
皿を一枚一枚きれいに洗って拭いて片付けようが片付けまいが
この世界は今夜終わってしまう。
それがこの人にはわからないのだろうか?
それとも父と一緒で、世界が終わろうが終わるまいが
例え皿の一枚であってもきちんとしていたかったのか。
だったら、自分で洗って片付ければいい。
とにかく私は、めんどくさいと思って、その場を立ち去った。

自分の部屋に戻って、ベッドに身を投げ出す。
携帯を眺める。メールが二通と着信が一つ。友達から。
読んでみる。だけど返事は返さない。
今さら一緒に過ごすわけでもないのに。
会ったところで、何がどうなるわけでもないのに。
もう何年も前、「世界の終わりには君と一緒に」ってマンガを読んだことを思い出す。
だけどどういう話だったのか、何一つ思い出せない。
世界が終わってしまう話だったのか。そんなこと、全然関係なかったのか。
今、この世界は、
最後の瞬間を迎えるにあたって一緒に過ごしたい人がいて、実際にそれを果たしている人と
その思いがかなわない人と、そういう相手がそもそもいない人と
この三種類に分かれているのか。
でも、それって、だからなに?

私はすることもなくて、携帯の中のメールを一つ一つ消していく。
読むものもあれば読まないものもある。
なんだか悲しくなる、ような気がした。
だけど、涙は出てこない。錯覚。そう思うことにした。
友達のこととかメールを消すことが悲しいのではない。
もっと別のところにある形にならない何かが悲しいのだ。
・・・疲れてしまった私は、携帯を閉じて放り投げた。

眠ってしまおうとした。
明日目を覚ますことがないって分かっていても、それでいいんじゃない?
目を閉じる。
過去のあれこれをとりとめもなく、思い返す。

携帯が鳴る。
メール?しばらくほっとく。
一応、見てみることにした。
父からだった。
「交通機関がどこもパニックで、人が多すぎて乗れそうにない。
 何時間かかるか分からないが、歩いて帰ってみようと思う。
 間に合わないかもしれない。
 そのときのために前もって、さようならと言っておきたい」

私は立ち上がると、窓のところまで歩いていって、カーテンを開けた。
都心の方は高層ビルが聳え立ち、いつもと変わらない眩さを放っていた。
ヘリコプターが東の空を横切っていく。
もう一台、上空で停止しているのが視界の片隅に。

カーテンを閉じて、私はまたしてもベッドに身を投げ出した。
眠ってしまおうとした。

私は呟く、
「世界戦争が始まるよ、今夜」

横になって目を開けて、斜めになった部屋の中を眺めながら、
私はもう一度だけ、呟く。
声にならない声。
遠くから聞こえてくる、サイレン。


[2311] 日本の政治をダメにする人 2007-04-09 (Mon)

今日は都知事選の投票日だったのか。

生まれて初めて、
「・・・投票所に行ってみようかな」
なんて考えてみたりする。

だけど、杉並区からの通知が部屋の中どこを探しても見つからない。

ま、いいかと諦めた。

たぶん、これまで1度も投票したことないので
選挙権が剥奪されたのだろう。
こいつにやるだけ無駄だ、不適格だ、と。

なお、昨日後輩に聞いた話では、2chにて
「誰に投票するのでもいいけど、
 出口調査では外山恒一に」という運動があるようだ。
(反政府組織指導者と名乗っている人)

---
ってことを昨日の夕方 mixi に書いた。開票前。

友人から即、メッセンジャーが飛んできて、
選挙期間中にそう言うこと書いたらまずいのだと指摘される。
ソッコウ消した。
候補者の名前を出すのはいいのだが、
誰がどういう感じで投票されているのか、またはどれだけ人気があるのか
ということは公の場で書いてはいけないのだとのこと。選挙が終わるまで。
1つ勉強になった。

あと、この年で「いまだ投票所行ったことない」って発言もどうかってとこだよな。
マジな話、この年で投票所行ったことないので
行ったらヘマしないかと怖くてたまらない。
予想外なことでおっちょこちょいなことをしでかすのではないかと。
なのでもう、どうしても行けない。
これまで何回か書いてきたけど、投票しない理由はただそれだけ。

インターネットで投票できるようになったら、投票します。

先日、泡沫候補に都民の税金が使われるのだとしたらもったいないって
偉そうに書いたけど、
ほんとの無駄は僕みたいな人相手にお金が使われているところにある。

でも、いつも思うことだけど、誰に入れていいのかよくわからない。
投票しなければいけないと思って
ただそれだけで適当に入れた票ってなんか意味あるだろうか?

そんなわけで石原都政3期目に突入。

---
おまけ。先の後輩と交わした話。
(mixi で消した後、なんか替わりに載せとこうとして書いたものです)

後輩:
「過去を変えるために未来から来たロボット」っていう意味では、
 ドラえもんとターミネーターは並列ですね。

岡村:
 そうね。
 目的のためなら手段を選ばんってところも一緒。


[2310] 幻の世界 2007-04-08 (Sun)

子供の頃のことを書こうと思って、ここ2・3日あれこれ考えた。
だけど何も思い浮かばなかった、
というか書くに値するようなエピソードは何も思いつかなかった。

替わりに思い出したのは、その当時抱いていた様々な物事に関する恐怖心だった。
内向的で運動神経のよくない僕は
友達と遊んでいるよりは一人きり本を読んでいるのが好きな子供だった。
その本というのも「超常現象の謎」みたいなのがほとんどだった。

毎朝毎朝、小学校に行くのが苦痛でしょうがなかった。
ある朝教室に足を踏み入れると、
そこは4年2組であるはずなのに僕の知っている「友人」たちは誰一人としていない。
彼らは僕を「なんだこいつは?」という目で眺める。誰かが最初にからかい始める。
僕は教室に背を向けて廊下を駆け出す。泣きながら。
でも、そうしたところでどこにも行き場はない。
もしかしたら、僕の住んでいた家ですら変わってしまっているのかもしれない。
僕は4次元の世界の中で迷子になる。
そんな状況を思い描いては「今日こそそうなるんだ」と思い詰めていた。
幸いにも、それが現実化することは一度としてなかった。
だけど何かの弾みでそれが現実化することはあったのかもしれないと思う。
得体の知れない恐怖に押しつぶされた僕の、頭の中の配線が焼きついてしまって。
あるいは、実際に4次元の世界の中に迷い込んで。

こういう疎外感、逆さまの現実逃避ってのは僕だけではなくて、
案外いろんな人が小さい頃に感じていたものなのだということを最近になって知る。
普通のこと、とまではいかないまでも、ある程度の割合で存在するもののようだ。

僕は僕が抱いていた空想について誰かに話すことはしなかった。
頭がおかしいと思われるだろうから。
話した相手が4次元から来た人ならば、
秘密を知ったってことで絶対連れ去られるだろうから。
誰かに話せばよかったのかもしれない。きっとそうするべきだったのだろう。
そして頑なに閉ざしていたココロの扉をそっと開けてもらえたかもしれない。

しかし、年上の人に相談したとして、
それが幼少時の不安感というものに全く理解のない人だったら。
あるいは、同世代の子供で、同じ空想を抱いていて、
もっともっとその世界に入り込んでいたとしたら。
仲間を見つけたと思った彼は僕にその秘密を打ち明ける。
僕はその秘密から脱け出せなくなる。
空想の世界は際限なく広まって、現実の世界との接点をどんどん塗りつぶそうとする。
彼の世界の中でしか通じない言葉で書かれた手紙を受け取って、
僕はその手紙に返事を書かなければいけないと思い込む。

いや、こういうのって特殊なことでもなんでもなくて
子供たちの間には、少人数のグループの間で共有された
彼ら/彼女たちだけのもう1つの世界ってのがあって、
それは様々な現われ方をしていたのだ。お姫様的なものだったり。
そして現実の世界と空想の世界と2重の生活を
僕らは多かれ少なかれ送っていたのだ。

僕のそういう空想(妄想?)のピークは小学4年だったように思う。
そこから先は現実が100%の世界の中で生きている。
だけど世の中には今でも空想の中に入り込んだまま、
現実と区別できなくなっている人ってのもいるはずなのだ。
僕と彼の違いはどこにあったのだろうか。
以外と紙一重だったのではないかと考えるとぞっとする。

・・・そうだ。僕はまだ空想の世界に住んでいるのかもしれない。
子供の頃に構築した完璧な空想の世界に入り込んで脱け出せないまま。
全てが夢。全てが幻。
その世界は僕が死ぬその最後の一瞬まで存在し続ける。
いや、その世界は僕が死んだ後も存在し続けるのだ。
僕の不在のまま、あるいは、僕の魂に永遠にとりついて。


[2309] 植木等ナイト 2007-04-07 (Sat)

昨晩は音楽に詳しい先輩と飲むことになり、新橋へ。
最初は飲み屋に入って食いつつ、音楽談義。
ポリスが来日するらしいとか、レッチリの「Funky Monks」はいいよねとか。
最近の新譜でお薦めを聞いたら
ジョアンナ・ニューサムってことで僕も買ってみようと思った。

その後近くのロックバーへ。
70年代前半のシンガーソングライターに詳しいってことで
地下に下りる階段はその当時の名盤の数々のジャケット
(縮小サイズのカラーコピー?)でびっしりと覆われている。
いい感じだなあと思って入ってみたら聞こえてきたのは日本人の歌声。
誰?すぐ気付く。植木等。
そうかあ。追悼の意を込めて「植木等ナイト」みたいなイベントなんだろうな、と思う。
期待してたのと違ったものの、入ってしまったものは仕方がない。席に着く。
カウンターとテーブルが2つだけのとても小さな店。10人ちょっとしか入れない。
周りをそれとなく伺うと聴き入ってる人はいなくて、それぞれ客同士がおしゃべりしている。
植木等にはなんの興味もなさそう。
何曲か流れていくうちにだいたいの状況が分かる。
常連さんがマスターに「これかけてよ」とCDを渡したのだ。
その常連さんは40か50ぐらいのおっさんで
曲が始まると誰が聞いてるわけでもないのにニコニコと解説を語りだす。
「ここから何曲かは映画で使われたもので・・・」
「この曲は大瀧詠一アレンジによる・・・」
うーん。植木等という稀代のコメディアンに対して敬意を表するのはやぶさかではないが
音楽的に面白いかどうかってのは僕にはよく分からず。
(ちなみにこの夜、「スーダラ節」を聞くことはなかった)

一連の曲が終わって「What's going on」のライブ音源が店に流れたとき、
ああいいなあとしみじみ思った。
僕はマーヴィン・ゲイに詳しくないんだけど、この人のだろうか?
声が若々しく、バックの演奏も瑞々しかった。
こういう曲を大きな音で聞けるのはいい。
終電が近づいて、それ以上聞くことはなく店を後にした。

ロックバーの常連となって、
自分の聞きたい名盤を大きな音でかけてもらうのはありかもね、と思った。
CDじゃなく、アナログで。


[2308] 僕は父に恋をする 2007-04-06 (Fri)

僕がこの年にもなって女性とお付き合いをした経験がないのは、
これまでずっと僕が潜在的にマザコンだからだと考えていた。
理想の女性を思い描くと、多くの部分で母親の人となりが重なってくるのではないか。
これまでの人生において僕のことを最もよく知っている女性でもある。
そして僕はいまだに、母の言いつけにはなんのかんの言いつつもことごとく従ってしまう。
僕は母という存在から逃れられないのだ・・・

・・・違う。そういうことではなかった。
最近になって分かった。
眠れない夜、心の中で思い描くのは幼いときに生き別れになった父の姿。
閉じたまぶたの裏にそっと浮かび上がる、たくましい父の背中。

父が今ここにいるのならば銭湯でも温泉でもいい。
父の背中を流してやりたいと思う。
そして僕は父に背中を流されたい。
幼い頃、父と公園でやったキャッチボール。
帰りにいつも駅前のスーパーでお菓子を買ってくれたっけ・・・

一人きりの夜、僕は父のことを考えると胸が高鳴る。
高鳴って鳴り止まない。
悶々とした気分を抱え、いてもたってもいられなくなる。
そんなとき僕はランニングシューズを履いて外に出る。
夜の街を走る。疲れきってクタクタになるまで走る。
何も考えられなくなって、布団の中にもぐって眠る。
父の夢を見る。

夢の中で僕は父と二人きりだ。
岸壁の上に立って荒れ狂う海を眺めたこともあれば、
古びた鉄道の客車で向かい合っていたこともある。
父は何も言わないし、僕も何も言わない。
記憶の中の父はいつまでも若いままで
そして僕は少年に戻っている。
駅に着くとそこは色褪せた風景以外に何もなくて、父は僕の手を握る。
父と僕は足を踏み出し、風景の中へと溶け込んでいく。
いつもそこで目が覚める。

父の側に寄るとタバコの匂いがした。
セブンスターだったか、ハイライトだったか。
夢から覚めたとき僕は時として、その匂いを感じ取ることがある。
そこはかとなく漂っている。
錯覚かもしれない。しかし僕はその只中にいる。
そんな時僕は目を閉じてその残り香を嗅ぐ。
父の名前をつぶやく。
そしてそれを何度となく繰り返す。


[2307] 尖った部分 2007-04-05 (Thu)

ある種の褒め言葉の1つに「あの人は敵に回したくないなあ」というのがある。
文脈によっては敬遠の意思を表すことも多く、むしろそちらの使われ方の方が多いのかもしれない。
だけど含みを持って使われるとき、
「あの人を味方につけたいなあ」と言われるよりも人が受ける印象・効果は強い。
端的に言って「あの人は敵に回したくないなあ」の方がかっこいい、というか凄みがある。
諸刃の刃になるのかもしれないけど、他の人にはない尖った部分があるということで。

これまでの人生でそういう人に何度か出会ったことがある。
頭の回転が速くて切れ者だったり、
ポジティブな意味での存在感というか威圧感がすさまじかったり。
こちら側のこともあれば向こう側のこともあった。
癖はあるけど、概して、仕事ができる。

今この年にして考えることではないけど
社会人としてどうありたいか?と自ら問うたときに思い浮かぶのは
「あの人は敵に回したくないなあ」と一目置かれるような人でありたい、と。
なんでそう思うのかっては簡単で、僕がそういうのとは対極にあるから。
かといってその対極とは「あの人を味方につけたいなあ」ではなく、
プラスにもマイナスにもならず、そういう観点では限りなくゼロに近い凡庸な人。
一言で言うと「その他大勢」

社会人として早いもんでもう9年目。
僕もまた「その他大勢」の一人に成り果てた。
尖らせるに値するものがなかったのか、方法や環境など尖らせ方がまずかったのか。
それ以前にぐうたらなまま過ごして尖らせることを怠ったからか。
何にせよ「尖る」ということについては無自覚で来たね、この年まで。
自分に関係するワードだとも思わなかった。

今思うと身の回りで、程度の大小はあれ尖ってるところのある友人ってのは
昔から尖ってるということに敏感で、自らそれを追い求め常に磨いて、発信していた。
感性のアンテナをいかに広げるかって言い方をしてみたり。
その分野でどんどん交友関係を広げていったり。
この年になるとそれはだいたいのところ
その人の個性として定着したように感じられる。
で、そういう人は例外なく面白い。接していて、楽しい。

僕がなんか若い人に対して言うとしたら、そういうことになるね。
どこか1つでも持ち味を見つけて、それを磨いて、
他の人にはない存在感を勝ち得ること。

そんなことをツラツラと思ったのは
新入社員が勢ぞろいしている大きな研修室にてクラブ紹介として映画部の発表をしたり、
お客さんのところに行けば「新人が今日配属されて」という話になったり、
4月頭ならではの浮き足立った雰囲気をあちこちで感じるから。

その他大勢として生きるのはやっぱつまらんよね。


[2306] 「モーターサイクル・ダイアリーズ」 2007-04-04 (Wed)

南米ペルーに旅行することを書いたところ、
「モーターサイクル・ダイアリーズ」を勧められる。
公開当時ものすごく気になったんだけど、
忙しかったのか他に見たいのがあったのか、見れないまま。
先日荻窪駅前のブックオフに入ったら中古で見つける。
しかもコレクターズ・エディションで
ボーナス・ディスクに「トラヴェリング・ウィズ・ゲバラ」
という長編ドキュメンタリー(というかメインキング)付き。
即購入して先週末の土日に見た。土曜が本編で日曜がメイキング。

1952年。
医学を志すエルネスト青年は友人アルベルトと共に、バイクで南米を旅して回る。
故国アルゼンチンを出て、チリ、ペルー、コロンビア、ベネズエラ。
2人は行く先々でその土地の貧しい、虐げられた人々に出会う。
束の間の触れ合いを繰り返すうちに、
エルネストはこれらの人々のために生きていくことを決意する。
理想と使命権に燃えた革命家チェ・ゲバラの誕生である。

青春映画にして、ロードムーヴィー。
映画そのものの出来から言えばあと一歩というところなんだけど、
(監督の若さゆえか、手堅く作りこまれてはいても、ざっくり心を打つものはない)
そういうのとは別の観点で忘れられない作品だった。
映画を貫く瑞々しさと誠実さ。
「ああ、この若者がゆくゆくはチェ・ゲバラになるのか」
という視点で眺めていても全然違和感がなく、嘘がない。
素直にエルネスト・ゲバラ、アルベルト・グラナードに好感を持つ。

これまでチェ・ゲバラについてはなんとなく「かっこいいなあ」
ぐらいにしか思ってなかったけど、
見終わってさっそく原作のゲバラの旅行記を買いに行った。
ボリビアでの最後の日々を綴った「ゲバラ日記」共々
角川から出てて、今でも普通に売ってる。
旅の間は「モーターサイクル・ダイアリーズ」読むぞ。

僕としてはやはり、2人の訪れる土地の風景の美しさに心惹かれた。
ペルーならばマチュピチュやリマの古い街並み。
あれを今月後半見に行くのかと思うと心躍る。
チリのサンチャゴだったかな、あのケーブルカーも乗ってみたくなった。
映画見てて一番行ってみたくなったのは実はペルーじゃなくて、チリ。
うー行きたい。

---
「トラヴェリング・ウィズ・ゲバラ」は2時間のドキュメンタリーなんだけど、
今や80を越えたアルベルト・グラナードが撮影に同行して、
50年前の旅を再体験するというもの。
でも、アルベルト・グラナードが主体かっていうとそんな感じでもなく、
半分は普通のメイキング。とはいえ気になるのはやはりこの老人の立ち振る舞い。
ゲバラと共に南米を旅した、歴史の生き証人。
50年以上前のことをよく覚えていて、
撮影のときにも「実際はあの位置にバイクがあった」といった助言を随所で行う。
あの当時に南米を横断するなんて、バイク乗りにとっては生きる伝説だ
みたいなことを言われる。

メイキングなので主に映るのは今の南米の風景。
「モーターサイクル・ダイアリーズ」が
50年前の南米の姿を再現したものだとしたら、
両者見てその比較を行うってのも見方の一つかもしれない。
意識的にそうしたわけではないけど、僕はそういう見方をした。
南米に行きたい!という思いがやはり強まった・・・


[2305] 墓参り、石神井公園の桜 2007-04-03 (Tue)

日曜は父の墓参りに行った後、石神井公園に桜を見に行った。
この時期恒例の行事。
何年か前は別々に行ってたけど、去年からだろうか、
帰りに石神井公園というのが僕の中で定着した。

朝起きて自転車に乗って、近くの自転車屋でタイヤに空気を入れて、
青梅街道をひたすら西へ。第一に目指すは旧保谷市の庁舎。
道路になるために取り壊された祖母の家跡地を見に行く。
これが全行程で一番長くて1時間ぐらい延々自転車をこぎ続けることになる。
もう道路になっただろうか?と思ったら全然道路になってなくて
風景的に去年と何も変わらず。
ゆっくりしたもんだなあ。土地買収はもう何年も前なのに。

一駅分自転車に乗って大泉学園にて墓参り。
境内は桜が咲いていて、近くに住んでいる人が散歩がてら満開の桜を眺めていた。
僕は父の墓にサントリーのウイスキーの水割りの缶を供えて、
線香を上げて、缶を持ち帰る。
父の兄夫婦はまだ来てないのか、この時期いつも花が供えられているのに
今日はきれいに片付いたままだった。何もない。

手を合わせて、もうこれで15年目か・・・と思う。
早いもんだ。
大学に入るために上京したのがついこの間のような気がするのに、
いつのまにか人生の半分近くを東京で過ごしているのだから。
上京当時は祖母と一緒の墓参りだったが
それもいつのまにか一人で行くようになり、やがてその祖母も亡くなった。

大泉学園から石神井公園へ。
花見客で大混雑。公園の入口で焼き鳥を売ってる店を見つけるもてんてこ舞い。
行列に並んで焼き鳥と生ビールを買う。空いてるベンチを見つけて座って食べる。
三宝寺池をぐるっと回ってみる。
今がちょうど満開で散り始めることもなく。
今年はいいときに見たと思う。

石神井池に面したイタリアンレストラン「ロニオン」はこの日も大行列。
毎年毎年桜を見に来て毎年毎年気になっている。
いつか行ってみたいもんだが・・・

自転車に乗ってると暑くて、1日中Tシャツ1枚で過ごした。
冬はもう終わり。春なのだなあ。


[2304] 終電後、始発まで 2007-04-02 (Mon)

なぜ終電が午前0時台で始発が午前4時〜5時台なのか?
頑張ればもっと遅くしたり早くしたりできそうなのものであるが。
ずっと前から気になっている。
利用したことないけど、1月1日だと初詣用に夜中も運行している。
なので、できるはず。

ニーズがないからか?・・・ありそうだけどなあ。
あと1時間遅くなったらだいぶ違うのに。
でも終電を遅くするとタクシー業界が儲からなくて、という圧力はありそうだ。
逆に始発を午前3時に早めたらどうなる?
車両がガラガラで鉄道会社にとっては嬉しいことなさそうだ。

終電後始発までの時間にして4時間ぐらいの間に
車両やレールなどのメンテナンスを行なっているのだと思われる。
これが縮まったら十分な余裕を持って作業できない。
ここのところが一番の理由なのではないか。

他の国だとどうしてるものなんだろう?
24時間鉄道が走っている国なんて聞いたことがない。
でも、ロンドンやニューヨークの地下鉄は年中無休かもしれない。
映画見てると、真夜中の逃走劇でニューヨークの地下鉄走ってるじゃないですか。
あれはあくまで営業時間内の話?

---
終電逃した時刻でも、都心ならば少し後に深夜バスが走っているはず。
乗ったことないがどんなもんなのだろう?
ギュウギュウ詰めで奥まったところに座ったら下りられないのではないか。
しかも酔っ払いばかりで大変なことに・・・
というのを今、想像した。

---
学生時代、特に上京したばかりの18や19の頃、
始発で帰る朝を迎える度に1つ大人になったような気がしたものだ。
中央線に乗って、明け方の少しずつ明るくなっていく空。
いつのまにか眠っていて、もたれ合って、起こし合って。
駅を出て目の前にマックがあったりすると
入ってモソモソとポテトを食べたりなんかして。

終電が乗り換えの駅までで、そこから先一駅だからと歩いたことも何度かあったなあ。
何人か連れ立って歩いていると妙にテンションが高かったりして。
あの頃はタクシーなんてめったに乗ることがなかった。
そんな金もなかったし、そもそもそういう雰囲気なかったし。

なんとなくの印象だけど、今の若い人たちはお金があったら
こういうときすぐタクシー乗ってそうな気がする。


[2303] エイプリルフール 2007-04-01 (Sun)

このことこれまで書くわけにいかなかったので書かなかったんだけど、
実はこの3月末で退職しました。というかしてました。
で、今日が無職1日目。
まあ実際は昨日の土曜からなわけですが。
とりあえずこの土日はなにもしねえ。
してやんねえぞと心に決めて、ひたすらウダウダしてる。
明日月曜になったら就職活動を始める。
でも、明日は明日で
「まあ今日一日焦んなくても、明日でいいんじゃん?」と思ってしまいそうだ・・・
辞めた次の日が土日ってのは魔物だね。
まじでこのままダラダラ行きそうだ。やばい。
あーそれ以前に役所行ってあれこれ手続きしないと。
保険証とかさ、どうしたもんだろう。
無職の間普通、人は国保に入るのだろうか?例えそれが1ヶ月や2ヶ月だとしても。

せめてリクルートエイブリックやインテリジェンスに登録しようかな。
エイブリックだとこっちがお金払う必要はなくて
インテリジェンスだと確か決まったら年収の1割を払うのだったか。
なんとなくインテリジェンスの方がいい企業紹介してくれそうな気がする。
でも年収600万で転職してそのうち60万を支払うのか。それって痛いよな。
それでその企業に合わなくてまたすぐ辞めるとしても戻ってくるわけではない。
悩ましい。エイブリックだと結局派遣社員登録で妥協してしまうんじゃないか・・・
あー家が畳屋だったら。継ぐのになあ。

辞めた理由はこれまで何度となく書いてきたけど
SEという業界になんの興味もない割りに忙しいばかりで小説が書けないから。
これで僕も32歳、そろそろ断ち切らないとってことで
9月末ぐらいから上司と相談を始めてPJが落ち着く3月末で一区切りにしましょうと。
3月に入ってから部長と面談をして、最終確定となって判子押してもらった。
そこから先は竹芝本社の人事部の人に会いに行って
年金だの退職金だの書類もらって提出して、
最後の日、金曜は入館証を受付に置いてって。
警備の人が「ご苦労様です」なんて言ってくれてちょっと恥ずかしい。
それ以上に一番恥ずかしかったのは部門の一人一人を回ってクッキーを配ったとき。
別にこれまで話したこともなかったのに「お世話になりました」とか言ってみたり。

こういったゴタゴタを忙しいPJで障害対応しながらこなすわけだから大変だった。
落ち着いてる時期でもなんでもなく猫の手だろうと孫の手だろうと借りたい状態。
残る人のことを考えると申し訳なくて休みを取ることもできず、
結局この前の木曜の1日しか有給消化できなかった。
送別会すらなし。先週・先週なんて徹夜してたって状態でどこにそんな暇が。
あー辞めた会社のことをグチってもしょうがない。

それにしても今日から正式にフリー。
身分を保証するもの、何もない。
これまではどこそこの会社の社員ですってんで守られていたものが、これからはなし。
それって何がどうなるのだろう?ってのが実はまだイメージできてない。
以外とどうでもいいものなのか、思いがけないところで不自由にぶち当たってしまうのか。
怖いんだよな・・・
ほんと。怖くて、心細くて、どうしようもないよ。
今ここに一人きりでいることが寂しくてしょうがないよ。たまらないよ。

世の中の人はどんな気分で会社を辞めているのだろう。
辞めたあと、どんな気分でいるのだろう。

なんでもいいから会社見つけて入んないと。
働いてないと、給料もらってないと不安で不安で仕方がない。
8年間の会社員生活の間に僕は牙を抜かれて飼いならされて
すっかり会社人間になってしまっていた。
そのこともまた、寂しい。
自分という存在がものすごくものすごくものすごくちっぽけなものに感じられて、
そんで今負け犬というか負け組。
世の中の人たちから否定されているような気分。
それが思い込みに過ぎなくて、
誰よりもまず自分自身が自分を否定しているのだということはわかってはいても。

何をしたらいいのか分からない。
何ができるのかも分からない。
何をしたいのかも分からない。
何を考えても堂々巡り、落ちていくだけ。

せっかく小説を書くために辞めたのに、今、全然そんな気分じゃない。


[2302] 桜は既に咲いていた 2007-03-31 (Sat)

先日の休みに床屋で髪を切っていたら「お花見の予定は?」と聞かれた。
え?と思う。もうそんな季節か!

いや、もう3月末で「お花見」という文字を
あちこちで目にしていることは自分でも認知している。
だけど今の自分には全然リンクしていなかった。

僕は「桜ってもう咲いてるんですか?」なんて聞いてしまい、苦笑される。

このところの忙しさで視野がものすごく狭くなっていて、
桜が咲いていること、全然気がつかなかった。
今日土曜で休みになって昼まで寝て、
起きて駅まで歩いていったらあちこちで桜が咲いているのを目にした。
風に散った花びらが路上を覆い始めている。
アパートの前の家の桜が咲いていることすら、僕は気付いていなかった。

当然のごとく、今年は花見の予定もなし。
今日辺りはあちこちの公園で宴会が行われているのだろう。
明日は自転車に乗って石神井公園に桜を見に行こうと思った。

---
今日は疲れきっているので
音楽聞きながら3週間分の新聞をまとめて読んで、ただそれだけ。

何にもしてないのに、もう夕暮だ。

先日ハンズで買ったシューズラックを組み立てて玄関口の靴をそちらに移して、
トランクルームに段ボール箱を2つ持っていって
(年末と2月末に母からリンゴが送られてきたときのもの)
映画のパンフレットを詰めた。
それぐらいか。
これだけでもかなり仕事した気持ちになる。

することもないし、「もう寝ようかな」ぐらいの気分。

---
母から送られてきたリンゴ、今シーズン最後の1個を食べ終わる。


[2301] 今回の都知事選 2007-03-30 (Fri)

このところ朝6時台のNHKを見ると、
ニュースじゃなくて都知事選の政見放送となっている。
痛々しくてテレビを消す。

立候補者は全部で14人。
ドクター中松であるとか元足立区長であるとか
それなりに知名度や実績のある人も立候補しているが、
この人はいったいなんなのだろう?
という候補者も例によってわさわさといる。
http://www.senkyo.janjan.jp/election/2007/13/00005580.html

ストリートミュージシャン、タクシー運転手、風水研究家はまだいいとして、
勝訴証拠評論家とかディレッタントとかって何なのだろう?
(なお、ドクター中松の肩書きは国際創造学者となっている)

目的はなんなのだろうか?
都知事として都政を改めたいのだろうか?
・・・なんかそんな気はしないんだけどね。
一部の人は端的に言って売名行為やお祭りに乗っかってるだけだったり。
「ディレッタント」ってのも結構だけど、優雅に好事家として都政をやられてもねえ。
まあ当選することもないか。

ある朝これら泡沫候補の一人が真顔でこれまでの経歴や
そこから導き出される都政のあり方を語るのをたまたま聞いて、ゾッとした気持ちになった。
その言葉一つ一つではおかしなことは言ってない。だけど全体として、おかしい。
何かがちぐはぐなのに、それを心の底から信じていて、
「私に課せられた使命」として立候補したのだとしたら。

---
当選するのは今回も石原慎太郎なんじゃないかな。
なんだかんだ言ってまだ人気あるし。
その都政のあり方について昨今あれこれ言われてるが、
ほんとのところどうなのかはわからない。
息子たちがどうとか、金の使い方がどうとか、都庁に出てこないとか。
それを「メディアが大袈裟にバッシングしている」
という論調に持っていければ勝機はあるのかもしれない。
つうか、そんなの石原慎太郎は屁とも思ってないだろう。

---
上記サイトにマニフェストを載せてないどころか、
顔写真も載せてない候補者のなんて多いことか。
やる気あるんだろか?

こういう泡沫候補のために
東京都民の税金が何がしか使われてるのだとしたら、
はっきり言って嫌だ。


[2300] 「ドリームガールズ」 2007-03-29 (Thu)

土日出た分の振り替え休日を今日、突然取る。
9時ごろには起きて映画をはしご、と思っていたが目覚ましかけても起きられず。
結局昼まで寝てる。
「ドリームガールズ」か「ラスト・キング・オブ・スコットランド」どっちか見ようと
とりあえず銀座に向かう。
外は最高気温20度を越えて夏のよう。
「ラスト・キング・・・」にしようと
確か日比谷のみゆき座だったよなーと行ってみるとやってない。あれ?
先週までだったのか。
そんなわけで「ドリームガールズ」を見ることにする。

見所はなんと言ってもジェニファー・ハドソン。
主役はデスチャのビヨンセのはずなのに、
圧倒的な歌唱力とその存在感で完全に食っちゃってる。
オーディション番組出身、デビュー作でいきなりアカデミー助演女優賞。
シンデレラガールというかアメリカンドリームというか。いいよね、そういうの。

ビヨンセはパッとせず。
美人だし歌もうまいけど、スクリーン映えしない。
ジェイミー・フォックスやエディ・マーフィーはじめ
役者陣がしっかりしてたからよかったけど、
これ一歩間違えてたら音楽界のスーパースターが主演するってのだけが売りの
なんちゃって映画になってたんだろうな。

ビヨンセが悪いわけじゃないんだけど、
要するにアーティストとしてのタイプの問題。
ジェニファー・ハドソンのようにパワフルな声で売るわけではなく
楽曲と踊りとグループなら他のメンバーとのバランス感覚などなど
トータルなプロダクションで作り上げて魅せていく。
こういう人だと他人の土俵である映画できれいに輝けるわけがない。
主役のはずなのに映画を支配してなかった。
ビヨンセに比べれば太って顔もイマイチな
ジェニファー・ハドソンの方が100倍も活き活きとしている。
これだから映画は面白い。

2時間の娯楽作品としては及第点だけど、
映画そのものとしてはまあそこそこな出来。
オリジナルのミュージカルの方が絶対面白いと思う。
物語として薄味だった。
ミュージカルだから複雑なストーリーにはどうしてもならないってのはあるけど。
その分こういう映画だと役者のアンサンブルとか存在感のぶつかり合いが成否を決めるはずなのに
ビヨンセが遠慮がちだから
周りががっちり外を固めてても真ん中に妙な隙があって。
ガツンとした見ごたえがない。

とりあえず映画館は平日だというのに人がたくさん入ってました。


[2299] 休みをいただく 2007-03-28 (Wed)

トラブル続きで出ずっぱりでったのが今日ようやく一息ついた、かもな状態。
25日に大掛かりな業務イベントがあって先々週はその準備段階で忙しく
先週はそのテスト動作であれこれあって忙しく
今週は稼動してみて予想通りトラブルが起きてその対応でてんてこ舞い。
このPJでこれまでで最も大変な障害対応となる。
先日も書いたけど日付またいでタクシーは当たり前。
月曜はタクシー通り越して始発で帰って火曜も終電。
今日はバッチ処理起動結果の早朝確認。
疲労はピークに達し、歩いててもフラフラ。
このまま来週まで続いたら、死ぬ、はないにせよ精神的にどっかやられてしまいそうだった。
これでもう3週間は休み無しみたいなものだったし。
月曜火曜の集中対応でようやく光が見えて顧客の怒りも沈静化。
長かった。ほんと長かった・・・

明日、誰よりも先に休みが取れることになった。
休みがこんなにありがたいものだったとは。
よく会社では「休みをいただく」という表現をする。
「社会人って変なもんだなあ」と常々思ってきたが、
なんだかようやく意味が分かった。
確かに、「いただく」ものなのだ。

あー明日何をしよう。
映画を見よう。そうしよう。
「ドリームガールズ」か「ラスト・キング・オブ・スコットランド」か。
さーてどっちにしようか。

でもなあ。仕事も気になるんだよなあ。
あのメールに返信しなければ。
あれのテストしなければ。
昼まで寝て、映画見たら会社行って来ようかなあ・・・


[2298] 空白の日々 2007-03-27 (Tue)

つらいときに話ができる人がいればいいのに、と思う。
昨日・今日と心の底からそう思った。
愚痴を言いたいわけではない。
ただ、話がしたいだけ。
なんてことのない話を。
途切れ途切れの言葉の切れ端でもいいから。

悲しくて、悲しくて、やりきれないことばかり。
何もない真っ白な平原に一人きり突っ立って、途方に暮れている。
あるいは嵐の中を何かにつかまって漂流している。
暴風雨の中を目を開けることができず、
その掴まっているものがなんなのかわからない。
どこかにたどり着けるならば万に一つの幸福だろう。

朝起きて会社に出かけて仕事をして、その間周りの人たちと会話を交わす。
笑ったりもするし怒ったりもする。
そしてまた会社を出て家に帰ってシャワーを浴びて眠りに就く。
自分自身の時間となると完全に一人になって、それっきり。
泥のように眠って終わり。
もう何日も何週間もそういう毎日が続いて。

もしその話をする相手がいたとしても今の僕には話すことがない。
何も思い浮かばない。
疲れきって、「最近暖かいね」ぐらいを言うのが精一杯だろう。
僕の替わりにその人が話し始め、
それを聞いているうちに僕はいつのまにか眠ってしまっているだろう。

そんなふうにして月日は過ぎ去っていく。

たくさんの空白。
言葉にならない日々の切れ端。
浮かんでは消えていく思い。感情のいくつか。
死んだように眠るだけ。
夢を見る。だけどその夢を覚えていない。

空白の日々。


[2297] 東京タワー 2007-03-26 (Mon)

今度の日曜は2人とも暇で、だったらどこかに行こうかという話になる。
メールをいくつかと、電話を1回。
僕にはこれと言って行きたい場所もなかったし、彼女にもなかった。
服を買うとか映画を見るとか、
お互いいつのまにか行きたい場所は1人で行くようになっていた。
僕は中央線沿いに住んでいて、彼女は横須賀線で鎌倉よりも先。
会うとしても月に1度か2度。
微妙な距離の遠さは結局のところ縮まることはなかった。

「東京タワー」と彼女は言う。「見たことない」
地方出身の人は小さいときに修学旅行で訪れたり、上京した際にわざわざ見に行ったりする。
しかし東京育ちだと、・・・という話はよく聞く。
それは神奈川に住んでいても同じなのかもしれない。
というか埼玉、千葉、神奈川といった電車ですぐ東京に行ける範囲の人たちって
東京タワーほとんど行ったことないのではないか?そんなふうに考えた。

昼過ぎ。15時。JRの浜松町の駅で待ち合わせる。
2人とも揃って10分ぐらい遅れる。僕の方がちょっと遅かった。
彼女はタバコを吸い始めたところだった。吸い終わるのを待った。
そんなに急いでるわけでもないけど、
目的地があるのならばさっさと行きたい性分の僕には
それがひどくのんびりしているように感じられた。
意に介さず、彼女は近くの工事現場を眺めながらゆっくりと煙を吐き出した。
「今日はあったかいね」「春が近いしね」そんな話をした。
浜松町の駅は羽田に向かう人たちが大きなボストンバッグを抱えたり、
スーツケースを転がしていた。
どこかへと旅立つ人たちのことを僕は羨ましく思った。

向こうに聳え立つ東京タワーを目指して歩き始めた。
「どっか別の場所にテレビ塔建てるんでしょ?東京タワーってなくなるの?」
「わかんない。わざわざ取り壊す必要はないし」
「いつまでもあのままだといいね」
そうだね、と僕は言う。
だけど僕にしてみればこの世界に東京タワーがあろうとなかろうと
現実的にあんまり変わらないような気がした。
ココロのどこかで寂しさを感じたとしても。
世の中には、無くなったときにもっと悲しく思うものがいくらでもある。あるはずだ・・・
・・・もちろんそんなことは今、口にしない。めんどくさいから。
替わりにこんなことを言う。
「なくなったら、風景が味気なくなるよね」
「でしょ?」
「うん」

途中に増上寺という大きな寺があって、門をくぐって中を歩く。
参拝客がちらほらと歩いていた。
ハトの群れが地面の上の何かをついばんでいる。ふとした瞬間に一斉に飛び立つ。
青空。
東京タワーの赤と白の鉄骨がやけに眩しく感じられた。
立ち止まって眺めた。
彼女は鞄の中からデジカメを取り出して、
時間をかけてアングルを決めると、シャッターを押す。
「いい写真が撮れた」
「見せてよ」
「後で。行こうよ」
カメラを鞄の中にしまって、彼女はもう歩き出している。

プリンスホテルの前を通り過ぎる。大通りを渡る。
到着。見上げてみる。
「わーっ」と言いながら彼女は動こうとしない。
「すごいよ、ねえ」
ああ、すごいね。僕もそう思う。
このタワーを作るために大勢の人たちが関わって、それ以上に多くの人たちがここを訪れて。
そういう歴史。できたのは昭和33年だったか。長いような短いような、歴史。
その重みが無言で今、目の前に。
僕はそんなことを考えた。
彼女は何を、考えているのだろう?

「けっこうするね」なんて言いながら、入場券を買ってエレベーターの中へ。
上昇を始める。制服を着た女性が観光客に向かって、タワーの案内を始める。
目の前には東京湾・お台場の光景。見る見る間に変わっていく。
ものすごく高いところから眺めると、東京は全然違う。

1つ目の展望台へ。
ぶらっと一周する。霞ヶ関方面。横浜方面。
富士山は、・・・見えない。遠くのあれがそうだろうか?
アジアだったりヨーロッパだったり。
外国から来た人たちがあちこち指差しあって何かを大声で叫んでいる。
写真を撮ってくれと身振りで頼まれて、僕は少し離れたところに立ち、
韓国か中国から来た家族全員が納まるようにフレームを決めて、
こういうとき、なんて言うべきかわからなくて無言でシャッターを押した。
彼女の姿が見当たらなくて、探す。
デジカメで遠く向こうの風景を撮っていた。
隣に立つ。どこまでもどこまでも果てしなく建物が連なっている。
東京のとてつもない広さ、大きさにほんの少し怖くなる。

最上階の展望台へと上がる。
「高いね」
「うん、高いね」
17時を過ぎて、夕暮れが近付いていた。
東京を覆う、うっすらとしたオレンジの光。
それが一周した後にはまた輝きを増していた。
「眩しい」彼女は両手でひさしを作る。
「東京ってこんななんだね」
僕は何も言わない。
ただ、隣に立って、彼女の目に映るものを僕も眺める。
東京の全てが、光の中で溶けてしまいそうになる。
そんな錯覚に僕はとらわれた。
思わず僕は「消えていく」と呟いていた。小さな声で。
彼女は僕の方を見て、「え?なんて言ったの?」と聞いた。
「・・・なんでもない」と僕は答える。
「ねえ?」
彼女はポツンとした声で囁いた。

そろそろ下りようか、と言って僕は歩き出した。
ガラスの向こうの東京に背を向ける。
わずかばかり歩いた。
そして立ち止まった。

振り向くと彼女はまだそこに立っていた。
僕は彼女を待った。
彼女は動き出そうとしなかった。
彼女は僕を見つめていた。
僕も彼女を、見つめていた。


[2296] グチしか出ねえよ 2007-03-25 (Sun)

日付をまたいでタクシーで帰ったって日も数えていいならば
これでもう2週間以上連続で出社したことになる。
1日フルに休んでずっと寝てたなんて日は遠い昔のよう。
こんなときに限って予定が割と入ったりして
昨日はほとんど寝てないで海に焚き火行っちゃって帰りは死んでたし
この前の日曜は仕事した後、夜から高校の同級生と飲んでた。
土曜は朝まで仕事して昼と夜、知り合いの演劇鑑賞。
タフなのだろうか?
上司からはよく、「オカムラはタフだなあ」と言われる。
いつだって忙しいPJに放り込まれて、どうにかこうにか生き残るからだ。
そしてまた傭兵のごとく次の修羅場に放り込まれ・・・

今、仕事がとんでもない状況になってて、
週に2回は終電か始発かタクシーか。
何がなんだかよく分からない。
今日もまた半ギレになる状況があった。
「あーそーすかぁ。また徹夜すればいいっすか?」
明日から月曜かと思うと憂鬱だ。
平日過ごして土日になったとして、その土日もまた出社かもしれない。
どこまで行っても先が無いようで、憂鬱になる。
いったい何してんだろう?俺。
「金になるなら別にいいよ」と割り切ってはいるものの。
ちょっとばかり小銭があったところでこの世は何にもままならない。

今週半ばに休みを一日取る予定で
(というか日曜出た分の振り替え休日を取らなくちゃいけなくて)
土日も休みのはず。でもなんだか全然当てにならない。

来月のペルー旅行だけが今を生きる望み。唯一の望み。
なんだかペルーが、マチュピチュやチチカカ湖がこの世の楽園に思えてくる。
全て振り切って、行っちゃうよ。
残業代もたんまり入ってるし、パーッと使っちゃうよ。
楽しいんだろうなあ・・・
これで楽しくなかったら、僕はもう死ぬしかないだろうな。

今年は何年かぶりにフジロック行こうかなと思い立ち、
日曜の夜ならこれまで苗場プリンス取れたよなあと
旅行会社のサイトを覗いてみたら
苗場プリンスはツインルームなくなったって話で抽選。
こりゃあかんな。
というか当たったら3人部屋に1人で宿泊となる。高くつく。
ま、当たんないだろうなぁ。
The Cure 来るらしいからさ、見たいんだよな。絶対。
日曜のオオトリ、グランドフィナーレになるはず。
何で単独来日がないんだろ。ドームでいいじゃん。
生きて動いてるロバスミを僕も死ぬまでに一度見てみたい。

せめてサマソニは見に行こう。絶対見に行こう。

ばっくれていいならばっくれたい。
泣いてても始まらないから、とりあえず寝る。
寝てるときが一番幸福だ。
「あぁー今日も1日が終わった」と布団に入るとき。

リアルな世界の僕は今、口を開いてもグチしか出ねえよ。


[2295] 焚き火の会 2007-03-24 (Sat)

会社の映画部の焚き火の会。
これまでは撮影の後にやっていたもんだけど、
今回は撮影すっ飛ばしていきなり焚き火。もうそれだけが目的。

場所は例によって、千葉県の木更津・君津の先、上総湊海浜公園。
会社に集合して、レンタカーを借りて、
アクアラインに乗って海ほたるでもう一台の車と合流。
海ほたるは大勢の観光客で賑わっていた。
春先の暖かな日。みんな行きたくなるんだろうね。
全員そろって出発。
高速は袖ヶ浦で下りて、木更津郊外の大きなマックスヴァリューで買出し。

木曜の夜が朝4時半まで仕事でタクシー。
金曜の夜がそこまで行かなかったけど、午前1時半まで会社にいてタクシー。
布団に入ったのが3時ごろで、そこから7時起きで出かける。
眠いったらありゃしない。帰りの車はほとんど寝てた。

海水浴場は駐車場にたくさん車が停まっていて
「しまった」「大勢人がいてできなかも」と思うが、
砂浜に下りたらなぜか人の姿無し。
あれはいったいなんだったのだろう?

今回は天気が悪かったせいか、風が強くて大変だった。
天気予報では夕方から雨となっていてずっと雲行きが怪しかった。
最後のものが焼きあがった頃、雨が降り出して慌てて撤収。
間に合ってよかった。

今シーズンはこれで終わるけど、来シーズンはまたやりたいね。
11月か12月ぐらいかな。

□今回焼いたもの

・サツマイモ
 ホイルに包んで焼き芋。

・ノルウェーサーモン
・豚コマ
・エリンギ
・しいたけ
・野菜炒めの元
 アルミホイルで包んでホイル焼き。今回最もうまくいった食べ物。

・ソーセージ(バーベキュー用に串に刺したもの)
 200円で買った網焼き器で焼く。この手のものはずれなし。

・はんぺん
 最初串に刺して焼いたら風が強くて砂まみれに・・・
 これも結局ホイル焼き。

・ほたて
 ホイル焼き。ホイルがなくなってわざわざ買いに行き、
 ついでに日本酒も買って酒蒸し風に。

・ちくわ
・鶏の唐揚げ
・焼きイカ(既に焼いてあって、酒のつまみ用)
・焼きおにぎり
・ソーセージ(ハーブ入り)
 これら最後の方は個別に包んで全部ホイル焼き。

・マシュマロ
 串に刺して日に炙って焦げ目がついたところを食べる。

□教訓

・風が強いことを考慮した対策が必要。
 キッチン用の油はねガードがあるとよいかもしれない。

・バーベキューセットがあるに越したことはない。
 風がないなら、絶対こっちの方が焼きやすい。
 今のところ「ホイルに包んで火の中へ」以外に調理方法がない。

・勢いでたくさん食材を買いこんでも結局余る。
「足りなかった」ぐらいで終わるのがいいのかも。
 足りなかったら買出しに行く、ぐらいのスタンスがいい。

・炭を持ち運ぶためにちゃんとしたトングは必須。

・軍手やビニールシート、クーラーボックスも必須。
(僕が持っていったのは行き返りの車内用にBGMのCD3枚だけ・・・)

・使い捨てのレインコートがあると、なおよし。

・火が強すぎても焼きにくいもんであって。
 でも最初のうちは「わー焚き火だー」とたくさん木をくべて
 大掛かりな焚き火にしてしまう。
 よって、焚き火用の大きなのと調理用の小さなのと分けるのが望ましい。

□その他
・レンタカーは8人ぐらいのが乗れるのを12時間借りて、
 ガソリン代を事前精算するタイプの契約にしたら1万5000円。
 思ったよりも安かった。

・帰りにゴミを捨てるところがなくて、
「どこで捨てる?」「会社行ってこっそり捨てる?」などと悩む。
 レンタカー会社に電話してゴミを捨てるところないですか?と聞いたら
「ゴミはそのままでいいですよ」とありがたい回答が。
 レジャー施設に行ったものの「ゴミは持ち帰りましょう」となっているところが多く、
 レンタカーに積んだはいいもののその後困ってしまう人って多いんだろうな。
 ゴミの廃棄込みでこの値段だったらなかなかお手ごろだ。


[2294] 「mash up award 2nd」で後輩が受賞 2007-03-23 (Fri)

会社の後輩が
サンとリクルートが主催するコンテスト「mash up award 2nd」に応募して
2つの作品で3つの賞を取った。

■本人のブログ
http://dev.chrisryu.com/2007/03/mash_up_award_2nd_.html

■作品のうちのひとつ「wordarium --- 言葉の水槽」
http://www.wordarium.net/

■紹介された記事
http://www.atmarkit.co.jp/news/200703/22/mashup.html

@ITにどちらも2作品とも取り上げられていて、べた褒め。
たいしたもんである。

先日会ったときに
「授賞式に呼ばれたんだけど、当日にならないとどの賞なのかわからない」と言ってた。
それが結局大きな賞をもらったみたいで。
いいよなあ・・・

「年下の後輩たち」と思っていたのに
いつのまにか僕よりも大きくなって、先を行っている。

こういうの、会社で仕事しながら時間をやりくりして作ったのだろう。
偉いよなあ・・・
今の僕にはそういう体力がない。気力もない。
というか技術もアイデアもない・・・
あーあ・・・
僕ってただのサラリーマンに過ぎないんだねえ。骨の髄まで。

この後輩が会社を興した際には僕も雇ってもらって、
庶務でもやらしてもらおっかなーと思っている。
蛍光灯、付け替えるよ。


[2293] 眠りに落ちていく 2007-03-22 (Thu)

眠りに落ちていく瞬間っていったいどうなっているのだろう?
目を覚ましている状態との境目ってどんな状態なのだろう?
布団の中に入ってうつらうつらしているといつのまにか眠っている。
ゆるやかな移行期間が介在しているのか、それともふっと切り替わるのか。
ある瞬間を境に記憶がなくなっているのだろうけど、
その瞬間を体験したことがない。恐らく誰しも、ない。

時々、眠りへと入っていきそうになって失敗してガクッとなることがある。
あれがそうなのだろうか。きっとそうなのだろう。
だけどあれは失敗した瞬間からこちら側へと引き戻されるときの感覚だ。
そのとき例え一瞬ではあっても扉が開いて、向こう側が垣間見えたはずなのに、
その扉をくぐる感覚や「向こう側」に広がっていた光景は
結局のところ失われてしまっている。

その瞬間、どこまでもどこまでも奈落の底へと落ちていくような感覚がある。
なぜ「落ちていく」のだろうか?
そのとき僕は、というか人は、どこにたどり着いたのだろう?
暗闇の中を突き落とされる。
あるいは、それまでそこにあった地面がなくなる。
不吉な思いと共に目を覚ますことになる。
心臓がドクドクと高鳴る。

ある種の比ゆ表現として人は眠りに「落ちていく」と言う。
しかしそこから引き戻されるときも「落ちていく」わけだ。
このことに何か意味がありそうなんだけど、恐らく何もないのだろう。

眠りというものを一時的な死になぞらえることがある。
それが死であるならば、そこには天国と地獄がある。
夢の中で穏やかな天国の心地を味わうものもいれば、
既にして地獄の苦しみに苛まれるものもいる。
いや、一時的な死とはそういう幻想ではなくて
果てしなく広がる暗闇を、無を、先取りして
その身に慣らしていくことを指しているのではないか。

ある種の見方に照らし合わせて言えば
生きている間とは死ぬための準備期間に過ぎない。
そして夢を見るという行為はそれまでの人生の走馬灯ということになる。
夢を見ることがなかったら、
人の一生というものはひどく無味乾燥なものになっていただろう。
人間という生き物は情緒と呼ばれるものを欠落したまま進化したかもしれない。
生まれてはただただ死んでいくだけの、生き物。

眠りという名の橋渡し。
眠りの向こう側へと渡れなかったとき、
僕はオルフェウスのことを思う。
先立った妻を冥界から連れ戻そうとしたが、
冥界の王ハデスとの「決して振り返ってはならない」という約束を忘れて
彼は妻の顔を見るために振り返ってしまう。
彼は1人きり現世へと突き落とされる。
これまでに生を受けたあらゆる人間がオルフェウスの生まれ変わりである。
僕らはみな、呪われた生き物である。


[2292] 生き急ぐ 2007-03-21 (Wed)

人と一緒に街を歩く。
女性とだと「速い」とか「もっとゆっくり歩いて」と言われる。
あるいはふと気付いて振り向くと一生懸命になって追いつこうとしている。
男性とだと、時々はっきり言う人がいて、
「そんなペースで歩いてたら女性にもてないよ」と忠告される。

これって僕のダメなところを端的に表していると思う。
基本的に一人好き。
自分のペースを大事にして、いつのまにか他人が視野から消えている。
ゆっくり歩かなきゃと思い出すこともある。
だけど歩いているうちに忘れてしまう。
しかもかなり早い段階で。

食べるのも早い。
早食いかつ大食いなので「いいことない」と人によく言われる。

歩くのも食べるのもなんでそんなに早いのか?と聞かれて
「生き急いでる」と答えるとたいがい笑われる。
絶対そう見えない。
むしろ「どこにいても一番長生きしそうな人」と言われる。
喜んでいいんだかなんなんだか。

決断も早いかもなあと自分では思うが、
これは人に早いとか遅いとか言われたことがない。
そもそも僕は決断力という軸で見られてないのだろう。
思い切った決断とか、ないから。
むしろ「ふらっとモロッコ行ってきました」というような
「ふらっと」感の方が人目に分かりやすいのだと思う。

他人の目には自分がどう映ってるもんだか。
知りたくもあり、知らずに済ませたくもあり。
知らないでいたほうがいいことばかりなのだと思う。

最近僕は忙しくてイライラしてることが多く、
気がつくとずっと貧乏ゆすりばかり。
周りの人からは貧乏ゆすりのイメージを強くもたれているはず。
これは絶対だ。
わかっちゃいるけど、やめられない。

生き急いでるから、じっとしてられないわけですよ。


[2291] 卒業写真 2007-03-20 (Tue)

卒業式、送迎会シーズン。
帰りに地下鉄乗ってると、そういう感じのほろ酔いの人たちが
ヤイノヤイノ騒いでいるところに出くわすことが多くなった。
花束を抱えていたり、女の子は振袖着ていたり。

「そーいえば、そーいうの縁遠くなったもんだなあ」なんて思った。
学生時代までは毎年毎年、自分が該当しなくても
入学式や卒業式は必ず儀式として行なわれて身近な儀式だったけど、
会社に入ってしまえば入社式なんて役員とか人事でもない限り
出席するのは一回限りだし、退職式なんてセレモニーも普通存在しない。
(定年退職ならば会社によってはあるかもしれないが、少なくともうちの会社にはない)
身の回りの雰囲気で「ああ、そういうシーズンなのか」と感じるだけ。

---
卒業式の定番ソングを街でよく耳にする。
今年、誰かがカバーしている荒井由実の「卒業写真」を聞いて
「あーいいなー」と思っていたら、
また別な場所で本人のが有線で流れてるのに出くわした。
いい曲だよなあ。歌詞もいい。
「そういえば僕も持ってたはず」と部屋の中を探してみたら
荒井由実の2枚組ベストが出て来た。
ユーミンは全く興味ないんだけど、
特に80年代後半からのバブル時代のBGMであるかのようなユーミンには
正直いいイメージ抱いてないんだけど、
荒井由実時代の素朴な名曲の数々は素晴らしいと思う。
「卒業写真」なんて自分に重ね合わせようないんのに、
聞いてるとココロのどこかでふんわりと切なくなってくる。

「あの日にかえりたい」もいいよねえ。
日本を代表する名曲の1つだと僕はもう。
「ルージュの伝言」「やさしさに包まれたなら」
知ってるのこれぐらいで、荒井由実・ユーミンについては何も知らないに近くて
これ以上のことは何も語れない。
でもこの4曲さえあれば・・・

高校にユーミンが大好きな女の子がいたもんだけど、
今どこでどうしてんだろうなーなんて思う。
アルバムを毎年買い続けて、コンサートにも通って、
今でも聞いてるんだろうな。


[2290] サイレン 2007-03-19 (Mon)

僕の住む街はいつだってサイレンの音が聞こえている。
現れては街のどこかを掠めて、遠ざかり、消えていく。
そしてまた別の音が、別の方角から。
その姿は見えない。

僕はこの街に来てからずっと、西日の差し込む部屋、
何もない床に横たわって天上を見つめながら、それらの音を聞いている。
それがいくつ聞こえてきただろうか、ふと気まぐれに数えてみる、
途中で疲れ切って、ばかばかしくなってやめる。

僕は僕がこれまでに出会った人たちのことを思い出す。
名前しか思い出せない人もいれば、その背格好しか思い浮かばない人もいる。
一様にその顔はどれもぼんやりとしている。
その人たちと交わした会話。その断片を僕は呟いていた。
そんな自分に気付いたとき、僕は立ち上がり服を着替え、部屋の外に出る。
そして街の中へと入っていった。喧騒の中へと。

今、目の前を一台の青い車がゆっくりと通り過ぎていった。
無機的なサイレンの音をスピーカーから鳴らしていた。
人々はそこから目をそむけ、立ち去ろうとした。
僕は好奇心に駆られて、その車がやってくるのをちらちらと眺めていた。
すると助手席に座っていた男と目が合った。
その男は僕を見つめていたのではなかった。
ただただ、目の前に広がっている世界に対して目を向けているだけの風情であった。
そしてまた別のサイレンが別の方角から聞こえだす。
別な色の車が。別な人を乗せて。全然別の目的のために。

僕は僕がこれまでに出会った人たちのことを一人一人忘れてしまおうとする。
薄暗い部屋の中、たった一つしかない椅子に座って、やることといったらそれだけ。
ある日、自作のサイレンを手の中で回してみた。
それは鈍い音を立てて、しばらく単調に鳴り響いて、
途中で疲れ切って、ばかばかしくなってやめると、音がしなくなった。
僕の部屋の中のサイレンの音は僕にしか聞こえない。
僕の部屋の中のサイレンの音は僕のためだけのものだ。
僕にしか、聞こえなかった。

僕はサイレンを手に、街を歩いた。
鞄の中に隠して、いつでも取り出せるようにした。
そのときの僕の気分は、いつもとは違っていた。
見ると、街を歩く全ての人がそんなふうにしていた、ように僕には感じられた。
老いも若きも、男も女も、それぞれのサイレンを抱えている。
様々な色の、様々な音の、サイレン。

それらの音が聞こえてこないとき、
そのときどれだけの喧騒が沸き起こっていたにせよ、街はひどく静かに感じられる。
僕は立ち止まって鞄の中のサイレンに手を伸ばす。
それがそこにあるということを知って、また歩き出す。
当てもなく歩く。さまよう。

僕はこの街の中で知っている人はいない。
恐らくこの街に住む人は、誰だってそうだ。


[2289] PASMO 2007-03-18 (Sun)

今日、東京は PASMO の利用開始。
さっそく昼、丸の内線の通勤定期を PASMO に切り替えてきた。
新製品・新サービスに疎くて食指が動かない僕にしては珍しく、
サービス開始直後に入手。
まあただ単に通勤定期が切れる直前で更新が必要だったので
どうせなら18日まで待ってみるか、としてただけですが。

荻窪駅に行ってみるとJRの緑の窓口は長蛇の列。
東京メトロの定期券売り場はそんなでもなかったけど、珍しく行列になっていた。
今日発売の記念 PASMO ってのがあったみたいだけど、
「当駅ではおかげさまで販売終了しました」って貼り紙をしてた。
朝のうちに即完売したんだろうな。

これまで使ってた3月24日までの普通の磁気の定期券を PASMO に切り替えて更新。
見てたら、これって
3月24日までの磁気定期券 → 3月25日からの PASMO 定期券とするのではなく、
3月24日までの磁気定期券 → 3月24日までの PASMO 定期券 
 → 3月25日からの PASMO 定期券 というように2段階で更新してた。
ふーん、と思う。一発で変えられない。めんどくさいことしてんなー・・・
システムの移行期間だから、暫定的にこういう運用フローになってんだろうな。
あるいはそこに金かけるメリットはないと切り捨てたか。
こんなことをイチイチ考え出してしまうのは職業病だな・・・

職業病で言うとこのシステムを導入するに当たってのテストは
とんでもない量のテストケース作成と実施の手間がかかったはずであって
想像すると気が遠くなる。たぶん僕らが普段やってることと2桁は違う。
あと、SUICA の改札機と PASMO の改札機を作ってるメーカーって見た目からしてたぶん一緒で、
今回の特需でかなり儲かっただろうな・・・

さっそく使い始める。まず初めに感想として思ったのは
財布の中に SUICA と PASMO と両方入れてる僕みたいな人は絶対使い間違える、ということ。
どっちかの通勤定期券に統合できるみたいだけど、
僕のように丸の内線で銀座まで、そこから歩いてJRの有楽町で乗り換えみたいな
接続してないイレギュラーな乗換えだと定期券が一緒にならない。
(問い合わせたことないけど、たぶん無理だと思う)
これって丸の内線乗ろうとして SUICA 使って引き落とされたりしてしまう。
これまで、急いでいたりボーっとしていたりしたとき
JRの改札で 丸の内線の定期を入れてはじかれたりしてたのが、
これからは意図せずとも乗れてしまう。
そんなしょっちゅうあることではなくて、あったとしても月に1回だとしても
これってなんかやだなあ・・・
どうにかして防げないかなあ。
素材も形も暑さも一緒で表面にコーティングされているデザイン、
特に色だけが違うってなると絶対間違える。

---
青森について考えた。
この前帰省したときに青森駅がようやく自動改札になって驚いたぐらいだから
同じJR東日本だったとしても、あと何十年かは導入なんてありえないだろうな。
電子マネーが当たり前になる世の中でもない限り。

バスだってそう。
利用者の大半が、高齢者向けの乗車券を「見せる」だけでいいお年寄りであるならば
導入するメリット全くない。

あ、今思い出した。
この前帰省したときにバス乗ってたらこんなアナウンスが。
僕以外ほとんどお年寄りばかり。
「乗車券ははっきり見せるようにしてください。
 最近間違えて診察券を提示される方が増えてます」
おばあさんからしてみたら
なんとか券ってのばかり持たされて収拾がつかなくなってて
どれ見せてもいいやって気分なのだろう。


[2288] 演劇、2本 2007-03-17 (Sat)

今日は演劇を2本見に行った。

昼は「on fire 」に出てもらったコタニさんが出演するもの。
「トワイライト★クラブ」というミュージカル?と
ストリートダンスのライヴ。
場所は吉祥寺。
コタニさんと会ったのは Top-Team-Theaterの「on fire」の上映以来か。

---
夜はクリス君とスロウライダーの公演を見に行く。
http://www.slowrider.net/
場所は三鷹の芸術文化センター。
ここは以前公演を行ったことがあって、そのときの印象は余りよくなかった。
脚本はよかったんだけど、役者の演技・存在感・ひいては演出力?がハコに負けていた。
しかも演目は第3回公演の「アダムスキー」の再演。
煮詰まったのか、さらなるステップアップに向けての含みがあるのか・・・
「またやるの?大丈夫?」と他人事ながら心配になる。

結果として、「よかったです」となって、ほっとする。
正直、面白いかどうかで言えば初演の「アダムスキー」の方が上だった。
初めて見たスロウライダーの公演だったので出会い頭の衝撃ってこともあるんだろうけど。

でも、劇団としてのスキルというか総合力で言ったら今回の方がはるかに上。
役者の演技で言ったらこれまで見た中では今回が一番いい。
初演が若さと勢いとセンスで7−0で勝った試合だとしたら、
その後のチームが地道に素振りと足腰の強化を続けて、
バントも絡ませつつ3−1で買った試合というか。
見てて面白いのはもちろん前者だ。
しかしシーズンを通して勝ち抜いて、生き残っていけるのは後者だ。
これ、とても大事なことだと思う。
7作目の「トカゲを釣る」辺りでシフトチェンジがあったのではないかと僕は捉えていて、
それがうまくいったのではないかと。
とにかく脚本が成熟度が違うよ。
初演の脚本はあのメンバーでなきゃ面白くなかっただろうけど、
今回の脚本は他の劇団が演じても面白くなったのではないか。

「月の女王」という展開は新しい試みで僕としてはとても興味深かった。
なきゃないで作品が全然成立するものではあったけど。
あれって今回象徴的な意味しかもってなくて、
もっと有機的に作品本来のストーリーと絡み合えたなら
ゾクゾクすることになったのではないかと思う。そこがちょっと残念。
次回作はこの試みをうまく活かす何かが行なわれるのではないか、と予想する。

あと、設立メンバーの芦原さんが今回出てないのが、
出てないのにもかかわらず良い舞台になっているのが気になった。
昔よく出てた青木さんも出なくなったしねえ。
同じく昔から出てた日下部さん・夏目さんは今回も出てて、
とてもいい演技だったように思う。
クリス君とも話したが、僕らスロウライダーのおっかけみたいなもんだな・・・

---
今日たまたま、
日清のカップヌードルのCMソング集ってのを見つけて買った。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1224645

懐かしい曲ばかり。
1.「日清カップヌードル ハッピーじゃないか」笠井紀美子&デューク・エイセス
2.「ボーンフリー・スピリット」ロブバード
3.「そして僕は途方にくれる」大沢誉志幸
4.「翼の折れたエンジェル」中村あゆみ
5.「ff(フォルティシモ)」ハウンド・ドッグ
6.「ガラス越しに消えた夏」鈴木雅之
7.「地図をください」遊佐未森
8.「太陽と埃の中で」CHAGE & ASKA
9.「CHANGE YOURSELF」布袋寅泰
10.「ONLY YOU」The Platters

3曲目から7曲目までは僕が小さかった頃のだから懐かしいことこの上ない。
パリ・ダカール・ラリーの映像のイメージが思い浮かぶ。
あの頃のカップヌードルのCMはかっこよかった。
これらの曲が一緒に聞くことができてとても嬉しい。

「そして僕は途方にくれる」や「翼の折れたエンジェル」に「ガラス越しに消えた夏」
久々に聞いたけど、これってほんと名曲だなあと思った。


[2287] タクシー帰り 2007-03-16 (Fri)

最近毎週必ず徹夜している。今日もそうだった。
顧客の業務イベントに合わせて、不具合対応もピークへ・・・
チームのメンバー全員が終電を逃して、
それでも午前1時にはみな引き上げてその後飲みに行っただろうか。
僕はやるべきことが残っていたので、オフィスに留まった。
終わったのは午前3時。
先週・先々週と始発を待ったけど今回はどうにも帰りたくなって
会社の前に停まっていたタクシーに乗った。

荻窪駅まで、と僕は言う。
運転手は40代ぐらいだろうか。
「新宿西口から青梅街道でいいですか?」と聞かれる。
「いいですよ」と答えると
「サービスで高速乗ってもいいですけど」と言われる。
え?と思う。今時のタクシーはそれがサービスとして普通なのだろうか??
特に急いでるわけでもないし、「や、いいです」と断る。
「じゃあ、下走ります。信濃町の方に出てトンネルをくぐります」
東京の道に明るくない僕は「おまかせします」と言わざるをえない。
トンネルってどこだろう?なんて思いながら。

その後会話が多少続く。
「会社にはまだ人が大勢残ってるんですか?」
「いや、僕が最後でした」
「でも、あのビルはよく電気ついてますよね、夜遅くでも」
「夜遅い人たちばかりの会社だと、自分が最後だと思わないから
 消す習慣がないんじゃないですか?」
ああ、なるほど、と納得される。
今日は僕が最後だったので一応、電気を消してきた。

そんなこんなで、走っているうちに目の前には東京タワーが。
オレンジ色に染まって光り輝いている。
大きく聳え立つ。
真夜中。思わず見とれる。吸い込まれそうに思う。
赤羽橋から曲がる。

六本木のツタヤ。ヒルズ。
青山方面に抜けて、新宿御苑の地下トンネルへ。
トンネルとはここか。新宿御苑の地下にあったとは知らなかった。

運転手はスピードを出すのが好きみたいで
曲がり角でグイッと行ったり、車と車の間をすり抜けたり、
ヒヤヒヤさせられる瞬間が何度かあった。
酔っ払いがひょろっと現われたら轢いてたんじゃないかって思う。
ああ、だから高速乗りませんかと言われたんだな。
目の前に車が見えなかったら、ありえないぐらい飛ばした。

新宿を過ぎてウトウトしだす。
気がついたら着いていた。
疲れ切った一週間もようやく終わり。
長かったような短かったような。

今から寝ます。おやすみなさい。


[2286] 二日酔いでとりとめがない 2007-03-15 (Thu)

昨晩は前のPJが社内で賞を取ったということで
その賞金で久々にメンツが集まって銀座の「すし好」で宴会。
気がついたら午前3時になっていた。タクシーで帰ってきた。
来月の旅行に備え、今月は金を使わないにしようと努力していて
これまでかなり節約できてたんだけど、ここに来て思わぬ出費。
せっかくただで飲めたのになあ・・・
まあそれはさておき。
そんな飲んだ覚えはないのに、なぜか二日酔いで具合が悪い。
二日酔いって最近なかったのになあ。どうしてだろう。
4時に帰ってきて8時まで寝て4時間睡眠。眠い。
今日も仕事忙しいのになあ。
ほんとなら休みだったはずが出社してるぐらいだし。
二日酔いなので考えてることが取りとめなくて、まとまりがない。
あー早く帰りたいなあ、寝たいなあ、と考えることはそればかり。

3月も半ば。
昨晩食ったタラバガニの炭火焼はうまかったなあ。
昨日の昼休み、銀座にいたので HMV でブラブラしていたら
JAZZ のコーナーで Mary Lou Williams の「アンデスの黒いキリスト」を見つけた。
しかも国内盤。
以前探したときは輸入盤すらなかったのに。
このジャケットはかっこいい。
買おうかどうか迷っているうちに携帯に電話がかかってきて障害発生。
またか・・・、と思いながら急遽会社に戻る。
どうしたもんか、毎日毎日手を変え品を変えいろんな障害が起きる。
そういえば先週の金曜は1度に3箇所から
「緊急で対処お願いします」というのが押し寄せてきて、
Aの作業をやってるとBの担当の方から電話がかかってくる。
「まだですか?」
「今、トラブっててAを急ぎでやってるんですけど」
「ちょっと、それ困りますよ。Bだって期限がせまってるんですけど」
「なんとかします。あと30分だけ待ってください。お願いします」
とか電話口で言っててようやく切れると、
今度は通り掛かったCの関係者から「さっきのやつ、裏は取れた?」
こういうときに限って僕しかいない。
昨晩飲んでたときにDJをやってる先輩から今度のイベントのってことで
小さなフライヤーをもらう。場所は渋谷。
よくよく考えたらその日は夜、スロウライダーの公演を見に行くことになっていた。
いけるだろうか。
ああ、それにしても昨晩のタラバガニはうまかった。
一番太くて長い足を僕がもらって食べた。
あれは写真に撮っておくべきだった。

・・・こんな感じ。考えてることとしては。
言葉にするとある程度まとまりあるように流れてるが、
頭の中はもっととりとめがない。
再現するように書くこともできるが、めんどくさいのでやめる。
試しに書いてみると、
「タラバガニアンデスの銀座障害発生ああ昨日の昼は暖かかったああ眠いなあ」


[2285] 休日の食生活について 2007-03-14 (Wed)

休みの日にどんなもの食べてるのか書いてくださいとリクエストがあったので書きます。
※基本的に岡村日記はリクエストを受け付けています。

スタンスとしては、自炊はするけどたいした物は作らない。
丸美屋の麻婆豆腐の素を買ってきて作るんだけど
ネギと挽肉は自分で足して入れる、というような。
で、2食分作って次の日も電子レンジで温めて食ってる。
そういうレベル。
手の込んだものは作らない。
学生時代に一度揚げ物に挑戦したことがあって、見事に失敗。
以後試したことはない。

年明けにも1度書いたけど
12月・1月によく作って食べてたのは鍋焼きうどん。
でももうシーズンは過ぎたね。
家に小さな土鍋があると冬の食生活は潤うね。
来シーズンはもっと別な鍋にトライしたいと思う。

何かにはまるとそればかり作ってて、今はまってるのはラーメン。
家賃を払いに行くと大家さんが袋の醤油ラーメンをくれる。
それが結構な分量たまったので、
最近それをなんとかしなくちゃと食べ始めた。
こんなふうにして食べてる:
駅前の西友で「野菜炒めのもと」みたいなのを買ってくる。100円。
もやしと、カットしたキャベツとチンゲンサイとニンジン、タマネギが入っている。
あと、豚コマ。懐の具合とか気分の大きさによっては
190円台のたくさん入ってるのを買う。
しみったれた気分のときは一番少ない170円台のを買う。
あと、刻んだネギも買う。100円で2食分ぐらいになる。
これら炒める。途中でバターを入れる。
炒め終わって、器の中へ。
上からゴマの摩り下ろしたのをたくさん入れる。
後はラーメンを茹でてその器へと移す。

醤油ラーメンだろうと味噌ラーメンだろうと一緒。
味噌ラーメンだと挽肉の方が多いけど。あと、コーンも足す。
2日続けてラーメンと決まっているときは
味付け玉子が2コ入ったパックを買ってきて1コずつ入れてたんだけど
このところ玉子食べ過ぎは体によくないよな、と自粛。
(それにしても最近のスーパーはなんでも使い切りサイズで売ってるんですね)

頑張ってかなり減らしたんだけどまだ10袋以上ある。
もらわなきゃいい?
でも、嫌いじゃないし。食い物はもらって困らないし。
強いて言うなら「たまにはとんこつか味噌にしてもらえれば・・・」ってとこかな。

---
祝日の夜はビールを飲むってことで
脂っこいものだったり、塩分が多かったりするような
酒のつまみをかなりの量、食べてた。
花粉症の季節になってやめた。
そしたら少しずつ腹の贅肉が減っていってるようにも感じられ、
なおかつ金もかからず節約になる。

これを4月以後も継続していこうと思う。


[2284] 眠らない人々 2007-03-13 (Tue)

人という生き物が睡眠という習慣を持たない、
つまり一切眠らないものであったならば。
24時間起きているのが普通であったならば。

まず思うのは、「眠る」目を閉じてレム睡眠に入るという行為は不要であっても
疲れた体を休める必要があるのは変わらないと思われる。
なのでベッドやソファーベッドのようなものがなくなるかというとそういうことはない。
人は横たわり、目を開けて本を読んだりテレビを見たりしながら、休息の時間を過ごす。
あるいはその方がリラックスできるからという理由で目を閉じるかもしれない。
しかし、目を閉じたところでどこまでも暗闇が広がっているだけであって
それ以上のことは何もない。その暗闇の中で何時間も過ごすことになる。

いや、そんな中途半端な習慣は不要で、
疲れたら椅子に座ったり寝っ転がったりというのを小刻みに繰り返すものだとしたら。
人類は24時間動き続ける。全人類、何十億もの人たちが。目を覚ましている。
経済効果はいかばかりのものなのだろうか?
例えば生産の追いつかない工場では3交代制が当たり前になる。
工場に限らず、夜勤という考え方は存在しない。
それは労働力の確保というだけではなく、
夜勤に当たっての手当ても不要ということを意味する。

企業によっては24時間いつ出社して帰ってもいいということになるだろうか?
たぶんそれは効率が悪いから、昼間の時間は働くという原則は変わらないと思う。
そして、日が暮れて暗くなってからは夜が明けるまで際限なく個人的な時間となる。
一晩中飲み歩いたり遊び歩くかもしれないし、
スポーツや勉学、あるいは家族共に過ごすための時間となるかもしれない。

そうなったとき、人間の階級は2つに分かれざるを得ない。
昼間働いて夜を自由に過ごす人たちと、そのために奉仕する人たちと。
いや、昼の間各種サービスを提供する人がまた大勢いるというだけのことか。

逆を考える。
人間という生き物はどうしても
12時間から18時間ぐらい眠らないことには動けないものだとしたら。
でもそれはそもそも文明が発達しないか。
原始人の時代。寝てばっかりだったらオオカミに食われておしまい。

そうじゃなくても。
例えば、今よりもさらに文明の発達した時代には
より多くの睡眠時間を持てる者こそが社会的上位者となっているかもしれない。
生活に余裕があるってことで。
あるいは、理由は不明であるが人類の平均睡眠時間が年々僅かずつ増加していって
500年後には平均的な人間は1日に2・3時間しか起きていないとか。
そういう設定のSFが書けないものか考える。
科学技術が発達してなんでもかんでも機械に任せられるようになったら
そういう生活となっても十分やっていけるかもしれない。

そもそも人類の平均睡眠時間は
20世紀以後、増えているのか、減っているのか。
どちらの傾向にあるのだろう?


[2283] 焚き火 2007-03-12 (Mon)

会社の映画部で今月後半の土日、焚き火をやろうという企画がある。
たぶん場所は、これまで僕が映画の撮影で使ってきた千葉県の上総湊の海水浴場となる。
2年前に「世界の終わりに」という作品を作ったときに
この浜辺で撮影をして、その後焚き火をした。
それが好評だったので「またやりたいね」という話になっていた。

それ以前の作品「砂の映画」「on fire」でも撮影の後は焚き火をやっている。
海辺の撮影の後、焚き火は欠かせない。
砂浜に打ち上げられた木切れを探して火を起こして、
肉や野菜を焼いてビールを飲むために、その行為を楽しむために、
わざわざ海まで行って撮影をしているようにすら思う。

焚き火というものには心そそられる何かがあって、ワクワクさせられる。
しかもそれが日々日常的に行なっているのではなくて年に1度ともなるとなおさらだ。
火を起こすという行為そのものがワクワクするものであって、
うまくいくと「おっ!ついた!!」と素直に嬉しくなる。
こういうのって人としての本能なのかもしれない。原始人と一緒。
そしてその火が少しずつ少しずつ大きくなっていって
ゆらゆらと炎が揺らめいて、
目の前の風景もまた熱でゆらゆらとなっているのをぼんやりと眺める。
楽しいとかそういうの通り越して、時間を忘れてしまう。
串に刺したウインナーにほんのりと焦げ目がついて、
アルミホイルの中の芋が焼きあがって、
ホタテに醤油をかけるとジュワーッという音を立てる。
後はビールで乾杯。

こんな楽しくて手軽なイベントなのに、
残念ながらいつでもどこでもできるってものではない。
今恐らくどこの公園も焚き火禁止だろう。
川原ですらだめかもしれない。
バーベキューをやるにしても場所が限られているくらいだ。
所定の用紙に必要事項を記入して管理事務所に提出する。
様々な注意事項を守って時間内に終わらせること。直火は禁止。

僕らはいつもゲリラ的に焚き火を行なってきた。
よくもまあこれまで咎められなかったものだ。
僕はいつもその場の責任者的立場にあるから、
心の底ではどこかヒヤヒヤしている。
だからこそ楽しいってこともあるんだけどね。

ほんとならシーズンともなれば毎月1回ぐらいやりたいところ。
杉並区焚き火同好会なんてものがあったら加わりたいね。
でも、そんなのあるわけないよなー。
それにそういうのがあったところで
ものすごくものものしいものになるんだろうな。
何事も焚き火指導員みたいな人の指示の元に行なわれ、
「そこの君!炎からは1m以上離れてください!!」といちいち注意されるような。
で、最初と最後に消火訓練。
「こういうのを燃やすとダイオキシンが発生する」と講釈があったり。
(杉並区は諸々の事情により、ダイオキシンに神経を尖らせている)
・・・違う。これって断じて、焚き火ではない。

焚き火ってやっぱその場の思いつきで軽いノリで始めないと。
例え前々から計画していたとしても。

なんか今書いてたら無性に焚き火がやりたくてウズウズしてきた。
早く来ないかなー。


[2282] 「ショーシャンクの空に」 2007-03-11 (Sun)

金曜の夜、会社のプレゼンルームというスクリーンありの大きな会議室を借りて
映画部の活動の一環として「ショーシャンクの空に」を見た。
映画館と比べたらそりゃもちろん小さいが、ホームシアターよりは大きい。
DVDを見るにしても大画面のほうが断然いいのは当たり前で。
どうしてこれまで思いつかなかったのだろう?
これからは毎月のようにここ借りて映画見ようと思う。
申請書を出してるので会社から怒られることもないし。
あと、こういうのって一応個人的な視聴の範囲内であって、
公の上映にはならないでしょ?お金取ってる訳ではないし。
仲間が集まって見るというときに、借りた場所がたまたま会社だったというだけであって。

その第1回目に見る映画として「ショーシャンクの空に」は非常にいい映画だった。
いや、これ、ほんといい。どうしてこれまで見てなかったんだろ?
学生時代に見てたら忘れられない1本として常に心の中に抱き続けただろうな。

希望というものがあって、
そこに至るまでの過程とその実現した姿とを
ここまではっきりと素直に描いた映画ってそうそうないよね。
きれいに澄んだ青空のよう。
あの素晴らしいラストシーンは生涯忘れることができないと思う。
どうして映画は、ああいう単純明快な感動を描くことができなくなったのだろう?
どうして避けるようになったのだろう?
僕らが見たいものは結局のところああいうものなのだ。
現実の世界にはああい希望はないのだから、せめて映画の中でそれを体験したいのだ。

僕は話の内容を何も知らないで見た。
で、後半ああいう展開になるのだとは夢にも思わなかった。
驚いた。唖然とした。なので僕はここに何も書かない。
いろんな人に予備知識ゼロで見てほしいと思う。
あえて言うならばモーガン・フリーマンは相変わらずいい演技というか存在感だったし、
ティム・ロビンスはもっとよかったと思う。
そして、このところずっとご無沙汰だったけど、
スティーヴン・キングの小説を読みたくなった。
あの文体をフランク・ダラボン監督はどのように映画へと導いたのか。
興味は尽きない。
次作の「グリーン・マイル」も見てみたくなった。

そういえば誰かが言ってたんだけど、
どうしてスティーヴン・キングの小説は
シリアスなものを映画化すると名作になるのに、
ホラーはちゃちな駄作になるのだろう?
駄作は言いすぎだけど、でもどうしてもマニアックなものになっちゃうんですよね。


[2281] 念願のペルー行ってきます 2007-03-10 (Sat)

昨日、そろそろ海外旅行に行きたいって書いたわけですが。
その後あれよあれよというまに物事すんなり決まって行って
気がついたら今日の昼、HISに行ってツアーに申し込んでいた。
空き席があって代金も全額払ってきた。

昼、上司と面談する機会があって来期の仕事の話をしたついでに
「4月の3週目休みたいんですけど」って言ってみたら
あっさり「いいよ」ってことになった。
来期の大型PJも本格化するのは
5月のゴールデンウィーク明けからってこともあり。
何人かとネゴって休みを確定させた。
来年度分のリフレッシュ休暇1週間を4月早々に取ってしまう。
普通こんな人いないみたいなんだけどね。ハハハ。
ゴールデンウィークも1日と2日休んだら、何連休なるんだ?
・・・すげー!16連休だ!!
会社員生活初の快挙。

旅行は4月21日の土曜から9日間。
行き先はペルー。
昨日は会社の先輩から「イスタンブールいいよ」とメールをもらって
エアーとホテルだけ押さえて6日ぐらいで?とそっちにも心が傾きかけたんだけど、
こんなに長く休めるのだし、せっかくの機会だから行ってこようかと。
探せばナスカの地上絵だけ見て6日間で20万ってのもあったけど
行くならそれなりにあれこれ見たいし。
あれは3年ぐらい前からかな。
「ペルー行きたい、マチュピチュとナスカの地上絵を見たい」と言い続けて、
一昨年は休みが取れたのに直前過ぎてツアーが取れずで断念している。
ようやく3年越しに悲願達成。嬉しいねえ。

申し込んだのはこのツアー。
http://e.his-j.com/shop/tour/voyage/02A_10/TI-DLL0009
あれこれ旅行会社のツアーを比較して、
マチュピチュ、チチカカ湖、ナスカの地上絵、
世界遺産の街リマとクスコも訪れて
9日間で30万切ってて一人参加代金が3万ってのがリーズナブルだなあと。
どこも似たような日程のツアーを組んでるんだけど
ATBはもうちょっと高いし、JTBなんかだと40万近くになる。

(プラスして、オイルチャージが3万円ぐらいかかるとのこと。
 結局36万か・・・
 他の旅行会社だと最初から含まれているのだろうか?
 ってのが気になった。
 これが別途だと言うのならHISは安く感じるよね)

ツアーは添乗員付き。見知らぬ人たちと一緒。
生まれて初めてだよ、そういうの。
25人の定員で僕は18人目だった。
たぶん近いうちに25人埋まってしまうんだろうな。

こういうのって年配の方が多いのだろうか?
熟年夫婦が引退後の旅行。
でもそういうのだともっとクラスが上の旅行となるのか。
果たしてどういう人たちが集まってくるのか。
そういう集団行動が嫌じゃないから僕はいいけど、
変ちくりんな人がいなきゃいいなあと思う。

添乗員付きともなるとあれこれ楽そうだ。
流れに乗ってきれいな景色を眺めてるだけでいい。
どこそこ行くために何時何分に・・・、
と自分で考えて焦ったりするようなことは皆無。
それはそれで旅の醍醐味であるが、
そういうのが全くないのもたまにはいいかと。
南米ペルーを一人で回ってたら時間かかりそうだし。
どこに行くにも1人だとさすがに心細いし。

もしかしたらツアーの間は日本語しか話さないかもしれない。
空港の入国審査ぐらいか、英語でなんか言うのは。
あとは、もの買うときに「This」とか「Two」とか「No No No」とか言うぐらい。
いやー楽チンだ。

そんなわけで今、さっそく本屋で買ってきた
地球の歩き方のペルー編を見ながらニンマリしている。
あーまだあと1ヶ月はあるのか。
早く来ないかなー。

心残りなのは4月28日に渋谷のHMVで行われる
ツジコノリコのインストアライブに行けないことだな。


[2280] 海外旅行について考える時期となった 2007-03-09 (Fri)

今やってるPJも3月には一段落して
4月以後また大変そうなPJを手がけることになりそうなんだけど
4月中は実は立ち上がりきってなくて暇なんじゃないか、
だったら1週間のリフレッシュ休暇を取って今度は海外に出ようと考える。
2月に取ったばかりとはいえ青森帰っただけだし。
スペイン、イスタンブール、ニューヨーク、北欧・・・
どこにしようかとあれこれ旅行会社のサイトを見ていると時間が経つのを忘れる。
時間も金もないから5日か6日でトータル20万以下のでないとなー。
エアーとホテルと現地旅行会社のオプションで半日観光くっつけて。

この時期あれこれ見てるとツアーのところには
「学生旅行」ってのがあって、他のツアーよりも若干安い。
3月限定の卒業旅行シーズン。
そういえば僕は卒業旅行なんて行かなかったなあ・・・
行こうとも思わなかった。
早い話あの頃は海外旅行にあんまり興味がなかった。
(誰かに誘われるってこともなかったし・・・)
修士論文を提出して卒業を待つ間も映が撮ってたしなあ、ずっと。

周りの人に聞くとけっこうみんな行ってるもんであって。
サークル仲間なんかとワイワイ。
話に聞くとすっとこどっこいなエピソードばかりで、正直うらやましい。
一生の思い出だよな。

今思うと、去年行ったオハイオ旅行が卒業旅行みたいなもんか。
青春時代の終わりとしての。
あの頃の写真を見るとほんと懐かしい。
この僕がなんの屈託もなく笑ってるんだもんなー。
あれを超える楽しい旅行って、もしかしたらもう二度とないかもしれない。
普通のツアーではめったに行けない場所へ、友人たちと訪れるなんて。

---
JTBを利用することなんてまあないんだけど、
ツアーの内容の比較にはよくJTBのサイトを利用する。
年々進化してて、「すげー」と思う。
以前旅行系のシステムに関わっていただけにとても気になる。
例えば検索系のユーザーインタフェースが
どんどんリッチなものになっていって、非常にスムーズ。
キーボードで入力するとかプルダウンリストで選択するなんてないもんな。

今見ててびっくりしたのが
ダイナミックパッケージ検索ってので、
旅行先と出発日と滞在日数を入力したら
エアーとホテルを組み合わせて旅行代金とフライトプランを表示してくれる。
この検索システムの実現はなかなか大変だったろうなあ。

サイトがどんどん進化してるってのは
早い話会社として潤ってて毎年かなりの予算がつけられるってことで。
そんなの日本だとJTBだけだろうな。1人勝ち。

・・・今、ニューヨークで検索していたらとても行きたくなった。
よし、行こうじゃないか。


[2279] Switch カサヴェテス特集をようやく入手 2007-03-08 (Thu)

Switch の Special Issue の1つ
「映画監督ジョン・カサヴェテス特集」が日曜に、届いた。
発行は1990年。もちろん絶版で、通常の書店では入手不可。

学生時代から探していた。
持っていた先輩がうらやましかった。
これまであちこちの古本屋で探したもんだった。
神保町に行くたびに必ず探した。
それが先日、amazon に中古で出ていることを知って即オーダー。
\5,000という値段がついていた。
amazon も時々覗いてたんだけど、出品されたのを見たのこれが初めて。

包みを破って、手に取って、この幸福感というか、満足感というか・・・
長年探していたものがみつかったのだからこんな嬉しいことはない。
内容は200ページびっしりジョン・カサヴェテスのみ。

本人へのインタビューや評伝、
出演作品や監督作品リストと言ったデータの他に
ゆかりの人のインタビューや文章がたくさん載っている。
妻ジーナ・ローランズ。
監督作品の常連だったピーター・フォーク、ベン・ギャザラ、シーモア・カッセル。
なんと音楽担当のボー・ハーウッド。
慕い続ける映画人として、ヴィム・ヴェンダース、ロバート・アルトマン、
ジョン・ルーリー(出演が叶わなかったと言う!)、リチャード・ドレイファス、
ドン・シーゲル、ジム・ジャームッシュ、黒澤清、
ジョン・セイルズ、ピーター・ボグダノヴィッチ・・・

まだまだ全然読んでないんだけど、
手に取ったときの重みから全てが伝わってくる。
愛に満ち溢れている。
編集に関わった人たちの思い。
インタビューに応じた、原稿を書いた、多くの人々のカサヴェテスに対する思い。
そして何よりもカサヴェテスが映画に対して抱いていた思い。

ようやく手に入れた。これは一生の宝物だ。

DVD もほとんどそろえたし、
「Love Streams」さえ DVD になってくれたら後は言うことがない。
僕の晩年はカサヴェテスの作品を繰り返し鑑賞して、
その都度新しい発見をしていくことに費やしていくのだと思う。


[2278] 街中で撮影をする行為の是非 2007-03-07 (Wed)

日曜日、クリーニング屋に行こうとして歩いていたら
向かい側から薄着の女性が歩いてきた。
キャミソール1枚。
最高気温が20℃近い温かい日だったとはいえ、さすがにそれはないだろう。
そんなことを思いながらすれ違う。
ふと見るとすぐ後をビデオカメラを持った男性がぴったりくっついていて、
モニターを眺めながらそーっと歩いている。

ああ、と思う。撮影なんだな。
自主制作映画なのか、なんらかのマニア向けの映像なのか、
はたまたアダルトビデオなのか。

クリーニング屋の帰りに来た道を辿っていたら、またこの男女とすれ違った。
この界隈をひたすら往復して、イメージ通りの映像となるのを求めているのだろう。

女は20代後半か。取り立てて美人でもないが、ブサイクでもない。
男は40代半ばぐらいか。背が高いが、小太りでメガネをかけている。
なんらかの趣味のネットワークで知り合って、
男性が女性に対して金銭を支払うことで成立する類いの関係を僕は想像した。
今時の自主映画ならば、学生映画であってもちゃんとしてて
脚本や機材を持ったスタッフが何人か同行しているはずだ。

「変なことしてんなー」と思う。
うげーって感じで否定的な印象を抱く。

でも、よくよく考えてみると
学生時代に僕が映画を撮るっつってやってたこともこれと大差ない。
僕1人カメラ持っていて、出てくれる人が1人いて、街中で撮ってる。
「変なことしてんなー」といぶかしい気持ちを抱きながら
素知らぬフリをしてすれ違った人たちばかりだったのだろう。今思えば。

今回目にした光景を「変なこと」として捉えて
目を背けたくなった僕は
遂に映画を卒業したってことなんだろうな。

---
そういえば。
観光スポットなど、一頃に比べてビデオカメラを持ってる人が少なくなったように思う。
肖像権や個人情報保護とかそういうので、
不用意に人にカメラを向けることができなくなった。あるいは避けるようになった。
今、ビデオカメラを持って東京の街を歩いているのは、
ケーブルテレビ局の撮影班や映像の専門学校の生徒といったプロやセミプロたち、
あるいは海外からの観光客がほとんどなのではないか。

小学校の運動会でビデオの撮影ってのも今はかなり大変なんだろうな。
ヒステリックな人もいるだろうし。
屋外では周りに誰もいないことを確認するか、あるいは同意を得るか。
自分の家の中ぐらいしか満足に撮れない。

もしかしたら今って、高校の卒業式でもらうアルバムも
部外者が個人を特定できないように
名前や顔写真の載らないものになってたりするのではないか。

今、学生映画もあれこれめんどくさいことになってるんだろうな。
撮れない場所、撮ってはならないシチュエーションが10年前よりも格段に増えたはず。
それを強行突破するだけの気概のある若者がいてくれると嬉しいけど、
下手したらそれって法を破ることにもなりかねなく。

なんにせよせせこましい世の中だ。
・・・なんて、思ったりした。


[2277] 月の土地を買った。 2007-03-06 (Tue)

以前 mixi に書いた日記。
---------------------------------------------
昨晩友人と飲んでたら
月の土地を1エーカーにつき
2,700円で買えるということを教えてもらった。
さっそく購入した。
近々証明書が届く。

http://www.lunarembassy.jp/index.html

火星や金星の土地も売ってる。

あとは僕の買った土地が
高速道路になるとか政府の施設が建つとかで
値上がりするのを待つばかりである。
200年か300年あとの子孫のための、資産ができた。
---------------------------------------------

この後日談。
A3サイズの封筒が届いた。その内訳:
・月不動産の権利書
・月の憲法
・月の地図
・所有権宣言書
(1980年にアメリカ合衆国、旧ソビエト、国連に提出した土地所有権の宣言書)

権利書には僕が購入した区画が記されていた。

---------------------------------------------
Number of issued 1 accre
Area J-5, Quadrant Bravo Trot, Lot Number 062/1706
This property is located 003 squares south and 018 squares east of the extreme
northwest corner of the recognized Lunar chart.
In Addition, this property is loacted in Mare Humorum.
---------------------------------------------

「Mare Humorum」とは「湿りの海」のこと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%BF%E3%82%8A%E3%81%AE%E6%B5%B7

海の中の1エーカーの土地。
周りは見渡す限り、平原となっているのだろう。
そこに1人きり降り立つ自分の姿を思い描く。
そこに建てた家を思い描く。

月の表面にそれぞれのオーナーが思い思いに建てた家のことを思い描く。
月の表面に色とりどりの様々な形の家が建っている。
そしてそこには誰もいない。
大勢の人間の大勢の想像の家だけが建っている。

---
記載してもらう購入日は「2007/01/01」とした。
まあ、自分自身への32歳のバースデープレゼントってとこだ。


[2276] 遠くなりにけり 2007-03-05 (Mon)

大学院時代に一緒に学んだ年上の方から、
研究成果を文章にしましたとリーフレットが送られてきた。
専門の研究者ではないが、
修士課程終了後も生涯の研究テーマについて独自に研究を続けている。

僕は大学院で学んだことが仕事に役立つわけでもなく、それっきり。
いろんなことを忘れてしまった。
ロシアのことも。現代文学理論のことも。
ミハイル・バフチンのポリフォニー理論であるとか。
あの当時貪るように読んでいた現代文学の作家たちのあれこれの小説
(もちろん翻訳もの)の「読んだ」という記憶しか残っていない。
後は、研究とは関係のない様々な思い出だけ。

僕はその頃から小説家になりたいと思っていて
「その役に立つかも」とか時間の猶予という意味で大学院に入った、ようなものだ。
だからその後小説を書き続けているならば
小説とは何か?いったい何なのか?という命題に向けて
僕なりに研究というか探求が続いていることになる。

それまで読んでいたミハイル・バフチンのポリフォニックな言語哲学と
テリー・イーグルトンという文芸批評系の哲学者の書いた
「文学とは何か」に出会ったときの衝撃。
断片的に僕の中に残されているのはそれぐらいか。

無駄な時間ではなかった。
人生の寄り道として、むしろ有意義であった。
あの時代がなかったら僕は、今よりももっとつまらない人間になっていたと思う。

文学とか文芸とか文化とかまたそういうのを研究できたらなあ。
小説家を諦めたら僕はそっちの方向に進むんだろうなあ。趣味として。
音楽と映画と小説とを統合するもの。
まあサブカルチャーって呼ばれるものになるんだろうけど。
どこか特定の時代か事象か人に絞って、知られざる出来事を追求していく。
昔からそういうのに片足突っ込んでるようなもんだが。本格的に。
何らかの系譜というか、ある種の文化事象のつながりを縦にも横にも追い求める。
80年代アメリカ各地のインディーな音楽と映画との結びつきとか、そういうの。


[2275] 「ディパーテッド」 2007-03-04 (Sun)

昨日、お台場のシネマ・メディアージュで「ディパーテッド」を見た。
ほんとは「ドリーム・ガールズ」を見たかったんだけど、時間が合わなくて。

本年度アカデミー賞を受賞。驚いた。
僕は絶対「バベル」だと思っていた。
予告編を見たけど、あんなに面白そうな映画ちょっと他にはなさそうじゃないですか。
監督がメキシコ人だからかなあ。カンヌで評価されて嫌われたのかなあ。

そんなわけで僕はあんまり「ディパーテッド」には興味がなかった。
マーティン・スコセッシの最新作であるとはいえ。
主演がディカプリオってのも僕的には萎えるし。
香港映画「インファナル・アフェア」3部作のリメイクで、
それを1作にまとめているってのもストーリーが薄味になってそうだし。

が、見てみたら以外と面白かった。思わぬ拾い物。
2時間半の長さが気にならなかった。
起承転結がはっきりしていて、見せ場がちゃんとあって、
登場人物の心理描写がしっかりしていて。
よくできた娯楽作品として申し分ない。
それにディカプリオがよかったんだよな。いい演技してた。見直した。
「タイタニック」で大スターとなったとき、
「この顔のどこが一体いいんだ?」と悪態をついてそれっきりだったのを、
ようやく撤回する気持ちになれた。
今回マット・デイモンの演技よりも数倍よかったよ。

でももっともいい演技してたのはマーク・ウォールバーグかなあ。
僕がこの人好きだってのもあるけど。
あれすごいよ。実在の刑事にしか見えない。
アカデミー賞の助演男優賞にもノミネートされた。受賞に至らなかったのが残念。
今回は「リトル・ミス・サンシャイン」のアラン・アーキンとなったが、
僕としては断然マーク・ウォールバーグの方が存在感あったと思う。
(アメリカ人俳優たちにアラン・アーキンへの憧れがあったから、ってはあると思う)
上司役のマーティン・シーンもよかったねえ。

役者のアンサンブルとしてはえらく冴えてて、充実してた。
だけどスコセッシの作品としてはなんとなく物足りないというか、毒気がないような。
思うのは、リメイク元の「インファナル・アフェア」の方が断然面白いんだろうなあってこと。
映画ファンでありながら、僕公開当初から話題だった
「インファナル・アフェア」って見てないんですよね・・・
香港映画自体全然見てないし。
あー3本まとめて見たくなってきた。
ついでに、「ゴッドファーザー」も3本まとめて見たくなった。

---
今年のアカデミー賞のうち、
「バベル」「クィーン」「ラストキング・オブ・スコットランド」は面白そうだね。


[2274] 日本科学未来館にプラネタリウムを見に行く 2007-03-03 (Sat)

友人に誘われてお台場の日本科学未来館にプラネタリウムを見に行くことになる。
http://www.miraikan.jst.go.jp/

ここのプラネタリウム「MEGASTAR-II cosmos」は
500万個もの恒星を映し出すことが可能、
世界で最も最先端であるということでギネスにも認定されている。
この「MEGASTAR-II cosmos」って
企業ではなく一個人が製作したものだということでも以前話題になったもの。
「あ、あれか!」と僕は思いだした。これってすごいよね。
製作者大平貴之市のHP http://www.megastar-net.com/

ここのプラネタリウムはものすごい人気で、
配布する整理券がすぐにもなくなってしまう。
休みの日の午後ふらっと訪れて
「プラネタリウム見るか」ってつもりでいると見ることができない。
朝早くから整理券を求めて並ばなくてはならない。
僕もそうした。朝10時開館で、9時半にお台場到着。
入場口を探してみると、もうその時点でかなりの人数が並んでて驚く。大勢の親子連れ。
友人と首尾よく整理券を入手して、初回の10時半の回を見ることになる。

6階のシアターの中へ。
リクライニングシートを倒して、真っ白なドームを眺める。
プラネタリウムなんて小学校のときに青森市の文化センターの中で見て以来だ。
(今思えばあれってすごい建物だったなあ。
 昭和40年代の「未来の21世紀」のまま時間が止まっているというか。
 白黒のテレビ電話があったりした。今でもまだ文化センターはあるのだろうか?)

今回見たプログラムは「偶然の惑星」というもの。
2月24日に始まったばかり。
http://www.miraikan.jst.go.jp/j/info/2007/if_0215_01.html

夕暮れ時のように照明がスーッと落ちていってやがて真っ暗になる。
小さな光点がいくつか現われ、なんだろう?と思っていると
それは太陽系の惑星であって、それぞれが複雑な軌道を描いて消えていく。
そして目の前に満天の星空が映し出される。
白いヴェールのような天の川・・・
ゆっくりゆっくりと回転する夜空。

太陽系、そして地球という惑星が今ここでこのような姿となっているのは
いくつもの偶然を経てなされたものであるということ。
アニメーションを通じて優しく語りかけがなされる。
「偶然」を謳うだけであって、
途中に出てくるイメージ映像や詩の朗読はランダムな内容となって、
毎回組み合わせが変わるようだ。
見終わって僕自身の正直な感想としては、「もっとシンプルなものがいいな・・・」
「山口とも」が担当していたガラクタを楽器にした音楽もごちゃごちゃしていたし。
僕としては「右の方をごらんください。今輝いているのがさそり座です。
ギリシア神話では・・・」というようなオーソドックスなのがよかったなー。
単純な音楽だけが聞こえてて、天体が回ってるというのだけでもいいかもしれない。

他にもプログラムがあって、
レイ・ハラカミが音楽を担当しているのや
忌野清志郎がナレーションを担当しているもの。
http://www.miraikan.jst.go.jp/j/exhibition/d_gaia.html
どっちかといえば、そっちの方を見たかった。

---
ここにあるものはプラネタリウムだけではなく。

他の階では最先端の科学技術を紹介するためのあれこれの展示が用意されている。
ゲノムであるとか、ロボットの進化だとか。
僕らは「しんかい6500」や宇宙ステーションでの宇宙居住棟の模型の中に入り、
ヴァーチャルリアリティーの映像でお台場を空中散歩したりするなど、
体験型のコンテンツが多かった。
メインのターゲットは子供ってことになるんだろうけど、大人も楽しめる。
子供向けの視点と大人向けの視点とがしなやかに融合しているような印象を受けた。

あれこれ眺めてるとボランティアのスタッフがあれこれ詳しいことを説明してくれる。
海洋ボーリングの仕組みであるとか、居住棟の中でのシャワーの浴び方とか。
ボランティアと書かれたゼッケンを着た科学ファンたち。
偉いなあと感心させられる。
科学の楽しさを伝えたくて、土日、無償でも引き受けているわけだ。
(年配の方が多かったけど)

僕が興味を持ったのは宇宙飛行士の顔写真のシールを、その年毎に貼ったコーナー。
57年、スプートニク2号に乗せられたライカ犬に始まり、
61年のユーリ・ガガーリン、
「ライトスタッフ」で描かれた NASA のアラン・シェパードやジョン・グレン、
69年のアームストロング船長。
ウニや植物のシールなんかもあったりして。
日本人で初めて宇宙に飛んだ、
「これ本番ですか?」の秋山さんのシールもちゃんとあって、ほっとした。
恐らく本人が来館したときのものなのだろう、
あちこちに宇宙飛行士たちのサインが残されていた。

お土産のコーナーでは
プラネタリウムのプログラム用の限定版レイ・ハラカミのCDも欲しかったけど
結局見なかったしなあとやめておく。
その代わりにロケット打ち上げの秒読みのCDというのを見つけ、買った。


[2273] 既にして3月 2007-03-02 (Fri)

既にして3月。
今年はもう2ヶ月過ぎてしまった。
この時期仕事が落ち着いているはずが、ちっともそういうことはなく。
ドタバタと慌しく過ごして1日が終わり。その繰り返し。
何もない毎日。
やばいよね。このままだと今年もまた何もせず終わってしまいそう。
「今年の目標ってどんなだったっけ?」
ってそれすら思い出せない。
もしかしたら、目標なんて立ててなかったかもしれない。
3月がこのペースで過ぎ去っていき、恐らく4月も・・・
何も生み出せないまま、夏が来て、冬になって、
「あれ?」と思ってるうちに正月が来てまた1年が終わってしまう。
次はもう、33歳だ。
30から31、31から32は特に感慨はなかったけど、
さすがに32から33ってのは30代の四半期をまたぐわけで。
中間決算も出してみないといけないわけですよ。

何もかもが袋小路で打開策もなく。
この前、旧来の友人と飲んでたら
「おまえ人生設計どうなってんの?」という話になり、何も答えられず。
このままだと、何もない40代になってしまうんだろうね。
CDだけは増え続けて、週末それをぼんやり聞いているだけの。
中途半端な仕事をして、家も建てず、結婚もせず。
趣味の分野で名を上げるでもなく。

「転機」が訪れるのをただ待っているだけなんだよな。
待ってるだけではなくて呼び込まなくてはいけないんだろうけど、
じゃあ具体的にどういう転機が来てほしいのか??
そういうイメージというかヴィジョンが全くない。
最終的な目標がないから、○年後の自分の姿ってのも思い浮かばない。

どうして自分はこんなにも腑抜けなのだろう?
腑抜けになってしまったのだろう?
どうして他の人はちゃんとしてるのだろう?
それはそう見えてるだけなのか?

こういうことは考えてはいけないのか。
でも考えなきゃ、結局ぼんやり目の前のことをやり過ごして、
なんだかんだ自分に対して自堕落に過ごした理由を言い聞かせるだけ。
そうは言っても考えても何も出てこないし。
あーもう5年以上、こんな感じでグルグル回ってる。
CDだけは増え続けていく(最近はDVDも)。

総じて言えることは、
こういうことをウダウダ考えれば考えるほど
やる気というものが失われていく。
何に対するものであれ。

あー。うあー。うおー。
あーあーあーあーあー。


[2272] 徹夜明け 2007-03-01 (Thu)

先日、だいぶ前の PJ のお客さんと会って飲む機会があった。
「お互い大変でしたね」という話になる。
確かに大変だった・・・
その業界・業務特有の難しいところをよくわからないままシステム化して
作ったはいいものの日々障害対応に追われる毎日。
僕が今所属している PJ とよく似ている。

いろいろと懐かしいことを思い出したが、
何よりもまずしみじみとした気分にさせられたのが
あの PJ でのリリース作業は必ず深夜だったなあということ。
金曜の夜に始まって、土曜の朝まで。
移行作業を行って動作確認をして、明け方始発過ぎの電車に乗って帰る。
疲れきって泥のように眠る。
あの頃は大変だったけど、今となってはそれもなんか懐かしい思い出だ。

その後の PJ ではリリース作業はだいたい昼間か早朝で、
今回の PJ もこれまではそうだった。
昨晩、たまたま深夜リリースとなる。
最初聞いたときは「げっ」と思ったけど、「ま、それもいいか」って気分になる。
作業している間に日付をまたいで、終わったら1時半。
他のメンバーはタクシーで帰ったけど、
僕は朝まで仕事して次の日は休むってことにする。徹夜。
山手線は3本目ぐらいので、丸の内線は始発で帰ってきた。

あの頃と体力的に変わってなくて
2時3時まではそれまで通り仕事ができていたのに、
終わって電車に乗り込む頃には眠くて眠くてたまらない。
1度眠ってしまったら何往復かしてしまいそうになるので必死に堪える。
駅を出てフラフラになりながらアパートまで戻る。
駅の辺りではまだ暗かったのが、
のんびり歩いて帰り着く頃には空は水色っぽい白に染まりきっている。
「あーめんどくさい。どうしようかなあ」と思いながらシャワーを浴びる。
髪も乾かさず布団に潜り込む。
空は明るい。
なぜかちょうど今日はいつも会社に出て行く時間ぴったりに帰ってきた。
テレビをつけたら毎朝見てるニュースのいつものコーナーだった。

徹夜で仕事して、一段落して会社の広いオフィスに一人きり。
まったりのんびり始発電車を待っていたあの時間の、ある種、間の抜けた優雅さ。
「あと1時間か・・・」と思いながらインターネットでダラダラ。
「あー徹夜明けのカップヌードル(ノーマルの BIG)は
 どうしてこんなにおいしいんだろう」と思いながら。

昼頃目が覚めて、今、ぼんやりしている。予定なし。したいこともない。
会社に電話をかけて状況を聞く。緊急の出社は不要そう。
今日は何もせず、CD を聞いたり、DVD を見たりで1日が終わるか。

平日の昼間、することもなく部屋の中にいるってのは
なんだかとても「ムフフ」な気分であって、ただそれだけで楽しい。
ちょっとしたゼイタク。
たまにだったら徹夜もいい。


[2271] Beck 2007-02-28 (Wed)

先週のリフレッシュ休暇の後半、
青森から戻ってきてからは DVD ばかり見ていた。
DVD として買ったものではなく、
CD の初回限定盤にボーナス DVD としてくっついていたものばかり。
おまけなので見なきゃ見ないでいいんだろうけど、
「せっかくなので見ないと」と思ってしまう貧乏性。
多大な時間を割いて1つ1つ見てる。時間がいくらあっても足りない。
今回見たのは Number Girl の「記録シリーズ」や Oasis のベスト、
Chavez のアンソロジー、Daft Punk のベストなどなど。
その中に Beck 「The Information」があった。
全曲ビデオクリップを作成していて、それを全て収録したもの。
(こういう試み、最近割りとよくありますよね。
 今思い出したところでは Super Furry Animals かな。
 Beck の前作も確かこういうことやってたね)

「The Information」
昨年末、新作アルバムとして聞いたときには印象としてパッとしなかった。
だけどもう1度映像付きで聞いてみたらなかなかよかった。
これは聞ける。いいアルバムだと思う。
Beck のこれまでの音楽的遍歴が全て織り込まれていて、
整理するものは整理して、混沌とした方がよいものは混沌としたままで。
聞けば聞くほど味が出てきそうだ。
今回2回目聞いて、よーく耳を澄ませると
摩訶不思議な音があちこちでこぼれだしていて。

でもビデオクリップ集はどれも今ひとつだったな。
どういうコンセプトなのかよくわからないけど、チープで。
狙ってやったことなのか。たぶんそうなんだろうな。
相変わらず Beck という人は捉えどころがない。
曲ごとに監督を変えていて、ミシェル・ゴンドリーも監督してるみたい。
でもどの曲か分からず。
1曲だけ(「Movie Theme」)秀逸なクリップがあって、もしかしたらこれかも。

Beck の「Loser」が日本でもヒットしたのは僕が大学2年生の頃だから
94年のことか。あちこちで流れてた。
あれは今聞いても非常にいい曲だと思う。
Radiohead 「Creep」みたいに、
当人にしてみれば過ぎ去ってしまった過去なのかもしれないけど。
2作目の「ODELAY」が素晴らしいアルバムで、あちこちで絶賛されていた。
僕は今もこれが最高傑作だと思う。
時代の要求にあれだけはっきり明確な答えを返したアルバムはそうそう無いと思う。
その後のアルバムももちろん全て買った。
暗かったり明るかったりごちゃごちゃしていたり静かだったり。
いろいろあったけど、どれも Beck の音が鳴っていた。
だけど、どれも1回聞いただけで終わり。
「Midnite Vultures」も「Sea Change」も。
そろそろまとめて、聞き返す時期なのかもしれない。
聞いてみよう。
今なら分かる音、今だからこそ聞こえてくる音があるに違いない。

---
「Beck」と言えば、ハロルド作石の同名の漫画。
そのうち読んでみようかなーとのんびりしていたら
いつのまにか30巻近くまで出てるみたいで。やられた。

「ゴリラーマン」が僕が中学生のときか。
あれも読み返してみたいなあ。


[2270] この人を見よ 2007-02-27 (Tue)

いわゆる小説家以外で、
「この人の書く文章は素晴らしい!」と昔から心酔している人が1人いる。
名前を一條和彦と言って、本職は何かわからないけれど
時々 Rockin'on に原稿を書いたり、CD のライナーノーツを書いている。
Rockin'on は僕が高校の頃からいまだに書き続けているから、
もう15年以上続いていることになるのか。
この雑誌の中で今、唯一「読む」に値する「文章」だと思う。
(松村雄策もいいけどね)

ロックの雑誌なので、原稿の中では
毎回一組のアーティストについて取り上げて書くことになる。
なのに一見無関係な物事に関する記述が途中、どんどん挟み込まれていく。
文章は常に何層かの緻密な階層構造を持ち、イメージの乱反射となるのだが、
それはやがて結末の一点へと集約することになる。
その結末はいつだって鮮やかで残酷なものであって、
読むたびに「やるなあ」と唸らされることになる。
これこそ天才の書く文章だと思う。

この人のこれまでの文章を抜き出したものが本にならないかなあと願うのだが、
それは無理な話。多くの人が手に取って売れる商品にはならないだろう。
今思えば切り抜いてスクラップしておけばよかった。
でも残念なことに古い Rockin' on はどれも捨ててしまっている。

ということを考えながらネット上をブラブラしていたらこの人のブログを見つけた。
http://hangwire.exblog.jp/
見ると過去の Rockin'on の原稿がいくつかピックアップで掲載されている。
「これだよ、これ!」と興奮する。
2005年の秋で更新が止まっていて、いつ消えるか分からないから、
次の日の朝会社に出てすぐ全ページプリントアウトした。
いつか時間が出来たらゆっくりと読み返したい。

読んでないのでまだ分からないんだけど、
あのときの文章がそのまま載っているのか、それとも手直ししているのか。
後者だった場合、この人のことだからがらっと変えてそう。
そもそもこれらの過去原稿は
ネット上で公開して問題とならないものを選んだのか、
それとも自分で気に入っているものを選んだのか。
興味は尽きない。

最近だと、豊田道倫の「東京の恋人 live」のライナーノーツを書いていた。
他の媒体だとどこに何を書いているのだろう??


[2269] 部分的な禁酒 2007-02-26 (Mon)

先週より花粉症、本格化。
外出するときはマスク着用を徹底。
朝晩とアレルギーの薬(アレグラ)を欠かさず服用。

ここまでしても、前の晩アルコールが入ったりすると
薬の効果がなぜか切れてしまって鼻水が止まらなくなる。
(他の人はどうなのだろう?僕だけ?)

鼻水を我慢してでも飲みたいか?
酩酊と症状を秤にかけて、外で人と飲むときはしょうがない。
それは楽しいことなのだから次の日辛いことになっても致し方ない。
しかし、家で1人で飲むのはやめにしよう。
そういう結論に達する。
ここ3年ぐらい、この時期いつもそう。

休みの日の夜は必ず家で缶ビールか焼酎お湯割りを飲んでいたのをやめにする。
部分的な禁酒ですね。
自分に課して最初のうちは物足りなく思うものの、次第にどうでもよくなる。
このルール、心を鬼にしなくてもけっこう守れる。
(夏だったらビールが飲みたくて飲みたくて仕方がないけど、
 この季節はそんなことがないというのも大きいかもしれない)

「なんだ飲まなくてもやっていけんじゃん」と思うのだが、
4月になって花粉症の季節が終わると
「あーよかったよかった」と自分にご褒美のつもりで飲み始めて、
それが延々2月まで続くことになる。

まあ要するに理由があればやめられるけど、
裏を返すと理由がなかったらやめないというわけで。
そのことを考えると4月以後も理由をつければいいのだな、ということに思い至る。
でも、見つからないんだよな・・・
強制力のあるもの。

ビールを飲んでいると油っこいものや辛いものや塩分の強いものを食べたくなるし、
たとえ腹八分目を過ぎていっぱいまで食べたとしても
飲んでる間は食べたくなるし、食べてる間は飲みたくなって
際限なく進んでしまうことになりかねない。
健康によくない。少なくとも、太る。
もちろん、金もかかる。
家で週末に飲まないとなると、この防止になっていいことばかりなんだけどね。
ああ、でも飲まずにはいられない・・・

精神的にアルコール依存症に近いのだろうか?
絶対そうだよな・・・


[2268] 今回の青森帰省について、あれこれ 2007-02-25 (Sun)

今回の青森帰省について、あれこれ。

---
青森で雪の降らなかったことがいまだに気になっている。
「いやー今年は暖かいねえ、暖冬だねえ」とノンキに言ってる場合ではない。
異常気象だ、と思うのは「不都合な真実」を見たばかりだからか。

---
黒石市で訪れた造り酒屋の銘柄「菊乃井」
http://www.applet1181.jp/furusatobin/kikunoi-top.htm

どっかで名前が聞いたことがあるように思って調べてみたら
東京にも店を構える京料理の老舗だった。
http://www.kikunoi.jp/
記憶に残っていたのはこちらかも。

---
高校の同級生たちが青森市でよく集まる店があるようで、
時々「誰それと会ったよ」みたいな話を耳にする。
だけど僕はこれまで1度も行ったことがなかった。
(年末年始とかお盆とか分かりやすい時期ではなくて、
 会社が暇になった時期に取りとめもなく
 ふらっと青森に戻ってきてまた帰るってことをしているからか、
 そもそも誰とも会うことがない)

この店の親父が入院していて、もう先は長くない・・・
と友人からメールが届く。
容態が思わしくないと聞いて、
わざわざ週末に青森まで戻ってお見舞いに駆けつけたのだが
既に意識は朦朧としていたのだという。
友人のメールは悲しそうだった。

ちょうどその頃青森にいたわけであるが、
僕はその店を訪れたことないし・・・
複雑な気持ちになる。

---
青森とはあんまり関係がないが、
青森市 AUGA の中の Village Vanguard で見かけた本に
「テヘランでロリータを読む」というのがあって、
これってあちこちの書評で取り上げられていたなあと思い出す。
いつか読んでみようと思った。

---
母が言ってた「古遠部温泉」のことが気になる。
山奥の秘湯。観光で行くというよりは、どちらかといえば湯治用か。
http://www.hikyou.jp/aomori/furutoube/furutoube.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~ue3t-cb/spa/furutobe/furutobe.htm
http://www.rakuda-j.net/onsen/ktohoku/furutobe.htm
http://www.hitou.net/data/21aomori/hurutobe01.html

写真見てると行きたくなってくる。
次は是非ともここに。


[2267] 青森版平成の大合併 2007-02-24 (Sat)

以下、青森県に興味がなかったらかなり退屈な話です。
そういう人は是非とも読み飛ばしてください。

前回、昨年夏に帰ったときは3日間と短期間だったので気付いてる暇がなかったが、
今回は6日間だったので何かにつけて余裕があった。
家の中に地元の新聞社が出している「平成の大合併 あおもりマップ」ってのがあって
眺めてたら面白くて6日間の間どこかしらページをめくっていた。
そもそも地図ってのが面白いもんであって
僕は小さい頃地図を眺めてばかりの子供だったんだけど、なんかそれが再燃したような。

「へー!こんななったんだ!?」という驚きがまずはあって。
知らない間に無茶苦茶合併されていた。
市がポコポコと増えてた。
「つがる市」に「平川市」
聞いても元がどこなのか見当もつかない。
「つがる市」は木造町、柏村など。こちらはなんとなくわかる。元々北津軽郡だし。
でも「平川市」ともなるとどうにも。
前は平川町や尾上町でしたと聞いても、そもそもその平川町・尾上町に聞き覚えがない。
そんな町あったっけ??
県の南半分なので、北半分で育った僕にはあんまり縁がなかったんですね。

そんな感じでどんどん合併や編入で、青森県は「市」ばかりとなってしまった。
「町」がごっそり増えた。その分「村」が少なくなった。
そんなんでいいんだろうか?とつい僕なんかは思ってしまう。
いや、この場合何がよくて何がよくないのか、パッとは思いつかないけど。
青森ったら田舎でしょ?だったら村でしょ?なーんて勝手に決め付けてる僕がいけないのか。
僕が今地図を開いて見つけた村は
六ヶ所村、東通村、蓬田村、新郷村、田舎館村、西目屋村、この6つだけ。
以前は20を越えていたはずなのに・・・

合併して市になったところで、名前が変わるだけで急に何かがよくなったりするわけではない。
就職率や下水道の普及率が上がるとか。優れた教育を受けて子供の偏差値が上昇するとか。
政治経済のよくわかっていない僕は素直に、よくわかってない。
どういうメリットがあるのだろう?
村という単位が行政の区分として小さすぎて効率が悪いのか?
どこもかしこも多かれ少なかれ農業と漁業を営む過疎の村のはず。
それは村のままだったほうが小回りが聞いてよかったのか、
それとも合併して大きくなった方がスケールメリットが生まれるのか。

30過ぎた僕なんてこれから一生、金木は金木であって五所川原とは呼ばないんだろうなあ。
青森に住んでたらまだ少しずつ馴れていけるものの、
僕みたいに東京に住んでいるといつまで経ってもなれることができない。
「つがる市」と言われてきょとんとし続けるのだろう。

それにしても。地図を見てない人にはわかりにくいが、
それまで蟹田町、今別町、三厩村と並んでいたのが、
蟹田町と三厩村が合併して(平舘村も一緒に)、外ヶ浜町となった。
つまり、今別町を間に挟んで2つに分かれている。
こういうのって気にならないのかなあ・・・
将来的に今別町も組み入れるのかな。
県外の者が何言ってやがると怒られそうだけど、
僕としては違和感というか無理やり感が多大に・・・
そもそも町政として不便じゃないのか。

旧市浦村も中泊町を挟んで五所川原市となった。つまり飛び地。
っていうか、ここすごいことになっていて
下から五所川原市、金木町、中里町、五所川原市、小泊村だったのが、
平成の大合併により同じく下から順に
五所川原市(旧五所川原市+金木町)、中泊町、五所川原市、中泊町となった。互い違い。
これって、・・・これでいいのだろうか?
なんつうか、あの、その、人として。
市浦村は隣接する中里町や小泊村と仲が悪かったのだろうか?
でかいところに吸収された方がいいと五所川原市を選んだのだろうか?

まあ、とにかくこういう疑問点が次から次に出てくるので
合併後の地図を見ていると飽きないわけです。


[2266] 青森帰省6日目 2007-02-23 (Fri)

(2月21日)

7時に目が覚める。母が朝食を作る音が聞こえる。
外は雪が降っていた。6日目にして初めて、青森市に雪が降るのを目にした。

朝食までの間、「宇宙船とカヌー」という本を読む。
世界的に有名な宇宙物理学者フリーマン・ダイソンと
その息子にしてカヌー乗りのジョージ・ダイソン、2人の評伝。
著者ケネス・ブラウワーはもともとジョージの友人だったようで、ジョージ寄りに話は展開する。
相反する方向に進んでいった父と子。
父は太陽系を軽々と飛び越えアルファ・ケンタウリまで行かんとする宇宙船の青写真を描き、
息子は若いうちに家を出て
カナダのブリティッシュ・コロンビアとアラスカを手製のカヌーで往復し、
多くの自由な人たち(芸術家、イルカの研究者、インディアンなどなど)と出会う。
ジョージ・ダイソンのこの冒険譚の合間に
フリーマン・ダイソンの壮大な宇宙計画が語られるのだが、
共にこれからの人類が暮らすべきコロニーはいかにあるべきかを追い求めるという点で
表裏一帯重なり合う。互いについて暗示的な関係となる。
これもまた、素晴らしい本だった。
帰りの新幹線の中でいっきに読んだ。
家を飛び出してもう何年も会っていない息子に、遂に父親が会いに行く。
2人の正反対に伸びた道はどこで1つに交わるのか?
・・・感動的。
ジョージ・ダイソンがあれこれ学びながら
カヌーをつくって旅に出る光景を読んでいるだけでも楽しい。

「長いお別れ」「オリガ・モリソヴナの反語法」「宇宙船とカヌー」
この3冊は今年読んだ本のそのままベスト3になるのではないか?

朝食は昨晩のカレーとサラダ。

家中に掃除機をかけて、部屋を雑巾で拭き掃除する。
母が古いポスターを処分してくれというので、取っておくものを選ぶ。
古い映画のや(「ゴジラ」「レインマン」etc.)
CDを買ったときの特典(ブルーハーツ、レベッカ、XTC etc.)
などなど、ほとんど捨ててしまう。
ビートルズの「Let It Be」のアルバムジャケットのポスター、
ストーンズの「Aftermath」の頃のと「Steel Wheels」の頃のポスター、
この3枚だけは残すことにする。
ビートルズの「Abbey Road」のアルバムジャケットのポスターを
以前母が額に入れてくれていて、
この3枚を同じようにしたくて値段を聞いてみたら1枚5千円かかるとのこと。
けっこうするね。まあそのうちやるとするか・・・と今回は諦める。

10時過ぎに家を出る。
雪は雨に変わる。
母には見送ってもらわない。
バス停まで歩いていると遮断機が下りて津軽海峡線が通り過ぎる。

バスを待つ。
そういえば土曜も同じ時間帯に同じバスを待った。
そのとき僕と同じような年頃の女性を見かけて、今回もまた見かけた。
僕みたいな年の男性がこの時間にこんな場所にいるのが珍しいのか、
彼女は僕の方をチラッと見た。
派手な格好をしている。
だけど、上から下まで青森市で買ったような服だ。
東京とか大都市の匂いがしない。
恐らく仕事に出かけるのだろう。
昼から夜店通りのどこかで働く、そんなところだろうか。
顔に見覚えはない。
中学校は一緒だとして、僕の上なのか、下なのか。

バスは相変わらずお年寄りで混んでいた。駅西口で降りる。
LOVINA の本屋で本を眺めようかと思ったら、休み。
AUGA へ。
PAX で +/- と Black Rebel Motorcycle Club アルバムを買う。
土曜に来たときに買おうかどうしようか迷って、買わなかったもの。
給料日直後だったし、まあいいでしょうと買うことにした。
引き続き、Village Vanguard で The Detroit Cobras の1枚目、
Linda & ... の3枚目(このグループの正式名称がなんなのかよく分からず)を
買うつもりでいたら、店内でかかっていて気に入って
Sotte Bossa というグループの「Innocent View」というアルバムを買う。
名前の通り、ボサノヴァ系の音。男性プロデューサーと女性ヴォーカリストのコンビ。
主に90年代以後のヒット曲をカバーする。
「チェリー」「イージュー★ライダー」「やさしさに包まれたなら」「遠く遠く」「夜空ノムコウ」
など。反則と言っていいぐらいの選曲。

青森駅へ。
八戸までの特急を待つ。写真を何枚か撮る。
雨が強くなって、やがてみぞれになる。

特急の中では、缶コーヒーを飲みながら「宇宙船とカヌー」を読む。
野辺地を越えて八戸に近づいたら、急に晴れた。以後、雨は降らず。

乗り換えて、八戸駅で駅弁を買う。
「大間のマグロづけ炙り丼」1680円。
月曜だったか、火曜だったか。
夕食を食べながらテレビを見ていたら全国駅弁ベスト100ってのをやってて、
上位にランクインしていた。
マグロといえば今や大間は有名。取れたてのマグロをさっと炙って・・・
確かにうまかった。
番組では1位は富山のマス寿司、2位は峠の釜飯と
超有名な駅弁が当然のごとく定位置を押さえていて、
3位はなんと崎陽軒のシウマイ弁当。驚いた。
食べたことあるし、もちろんおいしいけど、そこまで駅弁として愛されてるとは。
でもよくよく考えてみるとこのシウマイ弁当の飾りのなさ、
駅弁の本来あるべき姿かもしれない。

一緒に、昨日母の友達というか僕の同級生のお母さんが家に来て
母とおしゃべりして帰ってった時にもらった菓子パンを食べる。
3種類5個あってどれもモチッとしていてうまかった。
部屋で本を読んでいて、部屋を出て挨拶すべきかどうか迷って
結局めんどくさがって部屋から出なかった。
僕もいい年してるんだから挨拶のひとつぐらいちゃんとしておけばよかった。

「宇宙船とカヌー」を読んでいるうちに東京に到着。
ダウンジャケットでは暑かった。

仙台を過ぎた頃から鼻がムズムズしてきて、
どうやら東京は花粉が飛びまくっているようで。
次の日22日は鼻水が詰まって目が覚めた・・・


[2265] 青森帰省5日目 2007-02-22 (Thu)

(2月20日)

朝8時起床。朝食後掃除機をかける。
昨日も帰ってきてから温泉に行ったときのことを打ち込んでいったが、
今日もまた引き続きその作業を夕方まで。
昼は鍋焼きうどん。
冬に帰省したときは必ず1度は母の作る鍋焼きうどんを食べる。

「モリガ・オリソヴナの反語法」は昨日夜読み終わり、
その圧倒的な読後感が冷めやらぬうちに
今度は「神の子供たちはみな踊る」を読み始める。
阪神大震災を創作のきっかけとした連作短編集。
薄くて活字が大きいのですぐにも読み終わる。
うーん。村上春樹のこれまで書いた中では、僕としては今ひとつだな。
村上春樹の思考パターンを受け継いだロボットが書いたかのよう。
どこをどう取っても村上春樹の文体と内容なんだけど、何かが足りない。
つーかね、どっちかと言えば村上龍の短編に似てる。

夕方、銭湯へ。
前の日は銭湯が休みの日だったため混んでるかと思ったらそうでもなく。
一人きりになって湯船に浸かった。
そういえば初日だったか、中学の同級生によく似た男性が後から入ってきた。
顔馴染みのじいさん連中に挨拶する声も記憶通り。
でも、銭湯の中ハダカでいるときに見知らぬ人に声をかけるのはさすがにためらわれる。
違ったときのバツの悪さと言ったらない。

帰り道、線路のところの焼き鳥を買う。屋台というか、立ち食い。
帰省して夜、銭湯に入る度にいつも気になっていた。
しかしいつだって客がいて混んでいる。
近くに住んでいる人、近くの工場かなんかで働いている人、部活帰りの中学生。
多いときには車が何台も停まって、焼き鳥が出来上がるのを待っている。
珍しく停まってる車が1台で、外で待ってる人も1人だけだったので
これならいけるんじゃないかと意を決して暖簾をくぐる。
タン、レバー、鶏皮、ねぎ皮を1本ずつ注文する。
もっと買いたかったけど、母が夕食を作って待っているので
ビールのつまみにちょっとだけ。
すぐできるかと思ったら車で来てた人が何十本という単位で注文してて
それが焼きあがるまで待たされることになる。
せっかくの風呂上りなのに冷めてしまいそうに・・・

品書きは焼き鳥とお好み焼きとおでん。
そんなしょっちゅうではないが、
中学生のときは僕も友人に連れられてここでお好み焼きを食べたもんだ。
豚玉が150円。なのにけっこうでかい。
焼き鳥も1本40円から。
この安さが相も変らぬ人気の秘密か。
僕が中学生の頃からだからどう少なくとも20年は続けているわけで。
おじいさんが焼き鳥をひっくり返して、おばあさんがお好み焼きを焼いて。
2人とも年を取ったもんだ。
いつまで続けられるのかな・・・

夕食は母が作るカレー。
これは次の日ビニール袋に1食ずつ移して、
東京に持って帰って休みの間食べることになる。
あと、母が「活きがよかったから」と買ってきたホタテ。

その後、夜は昨日に続き馬肉の燻製と自家製の鶏のハムでビール。

青森で過ごす最後の夜。早いもんだ。


[2264] 青森帰省4日目−2 2007-02-21 (Wed)

(2月19日後半)

「エルムの街」へ移動。
柏のイオンがつがる市で「エルムの街」が五所川原市と別々な市となっているが、
両者の間に距離はほとんどなくて車だと10分あったかどうか。
僕がここに住む高校生だったら、休みの日は自転車で往復するだろうな。

ここ何年か青森絡みで何かと「エルムの街」の名前を聞いていて、前から気になっていた。
http://www.elm-no-machi.jp/
とにかく大きいらしい。行ってみると確かに大きかった。
これはすごい。東京では見たことがない。
中に入る。柏のイオンが閑散としていたのに対し、こちらはかなり人が入っていた。
月曜の朝だというのに!駐車場もそれなりに埋まっていた。
2階建てで半分がイトーヨーカドー、残り半分がテナント。
「COMME CA ISM」「ABC Mart」から「ダイソー」「銀だこ」まで。
ネイルサロンに駄菓子屋にコレクター向けの Zippo の店に。
「津軽ラーメン街道」ってので各地のラーメンが6店舗。
なんでもある。これだけ揃っていたら人によっては
仙台や札幌、東京といった大都市に出る必要性を感じることはなく、
地元にいても何も困らないってことになるだろう。
見方によっては、(ある種の部分は)東京と遜色ない生活を送れる。
宅配便さえ届くなら、インターネットで何でも買える時代だし。

輸入食品とワインを扱う「Kaldi Coffee Farm」は逆に、東京に欲しいとすら思った。
東京にも店があるのかなー。
五所川原に住む人が独力でやってたらすごいけど。
(今調べたら、どこにでもあることが分かった・・・ 
 住んでいる荻窪にも・・・ http://www.kaldi.co.jp/

柏イオンの文教堂ほどじゃないがそれなりの大きさの本屋があって
そこで「+81」を見つけてなんとなく買ってしまう。デザインとかクリエイターとかそういうの。
河出書房から出ている。知らなかった。
10周年記念特集とあって、10年も続いているのか!と驚く。

新星堂がこういう日に限って棚卸。12時になるのを待って入る。
例によって、青森で売れ残っている CD を探す。
大当たりを見つける。2枚。
Astor Piazzolla が Kip Hanrahan のプロデュースにより
ニューヨークで録音した3部作のうちの2枚目
「The Rough Dancer and the Cyclical Night」の日本盤。
これ最近ずっと探してたんだよなあ。たぶん店頭在庫のみだろうと。
(なお、1枚目は有名な「Tango Zero Hour」こちらは今でも入手可)
もう1枚も Astor Piazzola のもの。
「モダン・タンゴの20年」というタイトルで、
44年から64年までの自身の作曲した曲を振り返るというもの。
これ、初めて見た。98年発売。よく残ってたなあ。
(レーベルが「OMAGATOKI」だったので新星堂のみの発売なのかもしれない)
要するにロックのコーナーならばある程度入れ替わりが激しいのが、
アルゼンチン・タンゴのコーナーなんて誰も見向きもしないし、
話題の新商品なんてのもめったに出てこないから
何年もほっとかれるってことになるんだろうな。

「エルムの街」を出て、次に向かうは「立倭武多の館」これも五所川原市。
http://www.tachineputa.jp/

この頃、雪がハラハラと舞い降りて寒かった。駐車場を見つけて入る。
五所川原の「立倭武多」(たちねぷた)は最近、弘前のねぷたよりも人気があるのだという。
全長20mにもなる、細長いねぷた。
弘前のねぷたが四角い箱に絵を描いたものであるならば、
こちらは青森ねぶたのように立体というか姿かたちを作りこんだもの。
とてもダイナミック。確かに夏祭りとしてはこちらの方が見応えがある。
毎年一体ずつ製作する。祭りの夜、前年度のと前々年度のと
三体が市内をバラバラに練り歩き、市の中心部で相まみえるという趣向。
明治末期まで続いていた巨大な立ねぷたが廃れていったのが
(青森市もそうだけど電線に引っかかるとかで小さくなっていった)
今から10年前に有志が集まって
実に90年ぶりに当時の図面を元にねぷたを復元させたのが始まり。
以来毎年続く。青森の夏祭りとしての認知度向上も著しく、
青森ねぶたと共に日本各地で披露され、
今や地上6階の「立倭武多の館」まで建ってしまった。
この勢いがそのまま祭りにも現れているんだろうな。
こういう町おこしっていいよなあ。成功例だ。
僕が高校の頃なんて五所川原って言われても何があるか知らなかったくらいだったのに。

展示室に入ると、いきなり立ねぷた。吹き抜け4階分。これはすごい。
これが3体並んでいる。これ飾ってあるの見るだけでもオールシーズンいけるよね。
エレベーターで4階まで上がって、
後はスロープでグルグル回りながら下まで下りていくという造り。
周囲の壁にはその歴史だったり製作過程だったりといった展示がなされている。
吊るされた大きなスクリーンにて立ねぷたを紹介する映像ってのも流れるけど、
それぐらいで他余計なものなし。立ねぷただけというシンプルさがいい。
製作中なのか役割を終えたのか部分だけの立ねぷたが飾られていたり、
立ねぷたに色を塗ってみようのコーナーもあるようだ。
いいもの作ったよなあ。
青森県の観光名所で見るべきものとして僕はこれを一番に押すね。
三内丸山遺跡よりいいと思う。

6階の展望レストランで昼食。
6階って言うと東京だとたいしたことなさそうだけど、五所川原だと十分高いんですよね・・・
おまかせ定食と味噌おでんを食べる。
定食は(今日2回目の)貝焼き味噌とイカの刺身と焼いたハタハタ、
イカとネギの和え物、小鉢はジュンサイ。
これで1050円は安いね。
おでんはホタテ、コンニャク、ウドが串に刺したもの。
貝焼き味噌には青森県外の観光客向けに作り方を説明した紙がくっついている。
「お願い:貝は持って帰らないでください!2500円もするんです!」とあった。
記念に持って帰る人が多いんだろうなー。

食べてると団体客が入ってきて、
ちらっと見ると「ストーブ列車の旅」みたいなことが書いてあった。
五所川原から出て金木の方まで向かう津軽鉄道。超ローカル。
これが冬の間ストーブを乗せて走る。
全国的に珍しいので、各地から鉄道ファンや旅行好きな人が乗車しようとする。
目的地への移動ではなく乗ることそのものに目的がある鉄道。
金木は斜陽館もあるし、県外から来て冬に太宰治ゆかりの地を訪れる人は必ず乗るんじゃないかな。

1階のホールにてあれこれ掲示を見ていると、
かつて東北一の富豪と称された豪商、佐々木嘉太郎氏が五所川原に建てた大豪邸の写真が。
皇族の方が宿泊されたこともあるという。
今でも残っていれば重要な文化施設となったはずが、
昭和19年の五所川原全体を襲った大火事により焼失。
後地に残されていたレンガが3個、
ここ「立倭武多の館」の1階カウンターの壁に残っているというので係りの人に見せてもらった。

「立倭武多の館」を出て、後は帰るだけ。
妹が金木の方に用があるというので、寄り道していく。
津軽鉄道で言えば金木の1つ手前、「嘉瀬」の辺り。
途中、吉幾三の建てた喫茶店(?)「いくぞうハウス」を見かける。冬なので営業していなかった。
ここ嘉瀬の馬肉屋がうまいってことで妹が馬肉の燻製を買う。1つもらう。

寄り道ついでに有名人(?)羽柴秀吉の豪邸っつうか有名な温泉を見に行く。
http://www.geocities.jp/tono_hideyoshi/
都知事選にも出てヘリコプターでパフォーマンスとかしてる人。
僕は最初都知事選で知ったけど、この人実は青森だったんですね。知らなかった。
で、この人はただの変わり者ではなくて実際は、実業家・資産家。
青森県内に温泉を持っていて、それがここ金木にある。
これがまた御殿のような・・・、とにかくなんというか一見の価値あるモノで。
1つの共和国に見立てて、私道を勝手に国道1号線と名乗ったり、
国道天守閣があったり、「防衛庁」を名乗る施設にはミサイルが立っていたり。やりたい放題。
これで温泉に客が入るってのが驚きだ。
月曜の昼だというのに駐車場に車が何台か止まっていた。
お湯そのものはいいのだという。
でも女湯はどこもかしこもピンクに塗られているようで・・・
http://www.odagawa.co.jp/

※HP を開設したはいいが、更新されていないようだ。
こちらを見たほうが面白い。マジでこういうのが建っている。
http://www.odagawa.co.jp/old_hp/

なお、羽柴秀吉の次男は
「たけしの元気が出るテレビ」の「口ゲンカ王」に出ていた三上大和である。
あれは僕が高校生だったときか。
今、どうしてるのだろうと Wikipedia で調べてみたら
その後俳優になってVシネマを中心に活動中とあった。

後はもう、ほんと帰るだけ。
家路につくまでの間、寝たり起きたりしていた。

夜、前の日に黒石で買った「菊乃井ヌーヴォー」を冷で飲みながら金木の馬肉屋の燻製を食べた。
どちらもおいしかった。

今回は思いがけず、黒石市、岩木町、柏村、五所川原市、金木町とあちこち回ることになった。
充実した2日間だったと思う。
還暦の母は満足してくれただろうか?


[2263] 青森帰省4日目−1 2007-02-20 (Tue)

(2月19日前半)

寝ているうちに何度か目を覚ます。
ストーブは消えているものの、喉が渇いて仕方がない。
ポットの中の水を飲んだり、我慢してみたり。
ペットボトルのミネラルウォーターを買ってこなかったことを悔やむ。

トイレに行って帰ってきたらジーパンのチャックが上にも下にも下がらない。
トランクスをファスナーに思いっきり引っ掛けていた。
仕方なくトランクスを無理やり引っ張る。当然のごとくトランクスは破れる。
昨日からあれこれ散財していて財布には余裕があるというのに、
こういうのは別であって。あーもったいないとクヨクヨすることしきり。

明け方母が目を覚まし、温泉に入りに行ったことを夢うつつで知る。
タイマーがセットされていた6時半になってストーブがつく。
僕も起きだして温泉に入りに行く。
まだ外は暗く、湯船に浸かっていたら
屋根の雪が落ちてズサーッと大きな音がして驚く。
浴室は既に先客あり。ま、1人だけだしよしとするかと思っていたら
あれよあれよというまに4人・5人と入ってきて大混雑。諦めて出てくる。

戻ってきて部屋でテレビを見ていると、朝のご用意ができましたとのことで大広間へ。
7時半。他の客たちと一緒になって食事。若い人たちの姿はなく、お年寄りばかり。
月曜の朝だからそんなもんか。
昨日だったらまた違うんだろうな。
県の内外から温泉に入りに来る若者たちの姿で雰囲気が若返るのでは。

食事は至ってオーソドックスな旅館の食事。
焼鮭、海苔、佃煮、などなど。
貝焼き味噌がついていて、おっと思う。
そういえば昨日のお膳は「貝焼き味噌がついてなかったなあ」とちょっと残念に思った。
青森が誇る郷土料理だというのに、ついてない。
朝のメニューに回っていたとは。やるなあ。
貝焼き味噌とはホタテの貝殻の上に
だしと味噌と具材(ねぎや貝柱など)を載せて、鍋のように火をつける。
だしが煮えてきた頃に溶き玉子を入れて、グツグツとしてくるのを待つ、というもの。
ホタテのダシがほのかにしみてきて、おいしい。
僕自身は青森の料理としてはこれが一番好き。

食べ終わって、さらに温泉へ。今回5度目。
8時前。この時間ならばさすがに人がいないだろうと。
ヨミが当たって1人きり。やったね。
最後の最後、温泉の中で心置きなくボケーっとしまくる。

出てきて、部屋に戻る。ワイドショーを見る。
この日の話題はもう、前の日の東京マラソンと藤原紀香の挙式が全て。
昨日の夜から事あるごとに繰り返しこればかり見ている。

8時半になって宿を出る。
帳場で支払いをする。3人で4万弱だったので安いもんだよな、と思う。
同じ内容でも青森の観光ホテルだったら5万ぐらいはしそうだ。
小島旅館はお勧めですね。
皆さんも機会があったら、是非。
http://kojimaryokan.com/index2.html

外に出ると雪が風に舞っている。
青森に来て4日目、ようやく雪が降っているのを見た。
送り迎えに出てきた旅館のおじいさんが、今の積雪は例年の4分の1だと言う。
「それでは、気をつけてお帰りください」という声に送られて旅館を後にする。

車に乗って嶽温泉を後にする。
雪のぱらつく中、リンゴ農園ではおじいさんがリンゴの木に上ってなにやら作業している。
百沢温泉と岩木山神社を過ぎた頃、
母が突然、バッグを忘れてきたことに気付く。引き返すことになる。
また嶽温泉へと向かう。岩木山神社と百沢温泉と上り道。
途中何度か自衛隊の大型トラックとすれ違う。
戦車のようなキャタピラで道路を進んでいくずんぐりとした形の乗り物もあった。
生まれて初めて見た。
嶽温泉近くまで来ると若い自衛官たちが荷物を背負い、手にはスキーの板を持って歩いていた。
近くに演習場があるんだろうな。しかも、温泉が出るやつ。
彼らの顔を見ていると心なしか楽しそうだった。

無事バッグが見つかり(宿の人が帳場にて預かっていた)、今度こそ出発。
ラジオでは全国各地の様子ってことで、ちょうど青森の話題に。
八戸の方でこの土日に「えんぶり」祭りが行われたという話。
八戸から岩手県北部に伝わる行事で、駒の格好をして踊る。
青森というと「ねぶた」や「ねぷた」で夏祭りのイメージがあるが
雪に閉ざされた冬にも祭りがあるんですね、と
アナウンサーと一緒になって僕も「ふーむ、そうか」と思う。

この日行く場所として僕のリクエスト通り、
柏村(現、つがる市)のイオンショッピングセンターの中にある青森県唯一の HMV と
五所川原市に何年か前にできた大きなイトーヨーカドー「エルムの街」
両者は割と近く、さしあたり五所川原方面へと国道を北上していく。

まずは柏のイオン。朝10時オープン直後。
大きいだけで他にとりえのない、ま、日本全国どこでも見つかるようなショッピングセンター。
マクドナルドがあって、本屋は文教堂、他に何があるか覚えてないけど、「Right-On」があった。
画一化する日本。青森も例外なし。
文教堂はとても大きくて、これだけ大きかったら文句はなし。
青森市の本屋よりも実は品揃えがよかったりするんじゃないか?と思う。
今回の帰省ではいつにもまして本を読んでいる。
このペースで行くと帰りの新幹線で読むものなくなるかもな、と文庫を物色する。
村上春樹の「神の子供たちはみな踊る」をそういえばこれ、まだ読んでなかったなあと購入。

月曜の朝10時のショッピングセンターは客の姿、ほとんどなし。
だからこそなのか車椅子に乗った障害者の方々とヘルパーの方々がのんびりと館内を回っていた。

肝心の HMV はというと。
妹から「小さくてがっかりするよ」と言われてたので期待してなかったが、ほんと小さかった。
規模で言うとお台場 Aqua City のと同じぐらいの大きさ。(と言ってもわからんか普通)
超小型 HMV ですね。ミニチュア。とはいえ中は純然たる HMV で見た目はそのまま。
でも、なんでわざわざここに進出してきたのだろう?全国制覇したかったから?
売れてんのかなー。気になって仕方がない。
店員は現地採用なのだろうか、それとも東京から派遣されてるのだろうか。
せっかくの記念に今日・明日と家で聞く CD を買おうとする。
東京でも買えるものではなく、青森だからこそ売れ残っているものをと思うが
HMV ともなるとそういうのはないか。
Feeder の4枚目と、たまたま目に止まってジャケットがかっこよかった
「Boys of Brasil」というバンドの EP を買う。


[2262] 青森帰省3日目−2 2007-02-19 (Mon)

(2月18日後半)

陶房を出て、あとは旅館に向かうだけ。
天気のいい日なのに、岩木山の山頂だけは雲に覆われている。吹雪かも。
車でひた走る。少しずつ少しずつ、雪が深くなる。
だけど新しく積もった雪ではないようだ。日々にさらされた、古びた雪だった。
(青森も黒石も弘前も、今にも雪が融けきってしまいそうになっていた)
リンゴ農園にリンゴの木が立っている。
今この季節ならば普通、風雪にじっと耐え忍ぶ姿のはずなのに、
雪は足元にわずかに層をなしているだけ。なんだか間が抜けて見える。

途中通りがかった岩木山神社にお参りをする。
雪を踏みしめながら斜面を上っていく。
いくつもの鳥居や門をくぐりぬける。
有名だという「五本杉」の足元を歩く。
お参りに来ている人たちがちらほらといる。多くが家族連れ。
雪球を投げて壁にぶつけている高校生2人組がいて、
「神社の中だというのに不謹慎な・・・」と思っていたら
「雪球厄落とし」というものだった。
見ると小さな的がある。ここに見事当たると、厄落としになるという。
2人は何度投げても当たらない。
若い人たちでもだめなのだから僕には到底当たるはずもない。トライせず。
禊所で手を洗い、うがいをする。
近くに住む人たちなのか、ここの湧き水を大きなペットボトルに詰めて帰っていた。
お賽銭を上げて、「今年こそ小説家になれますように」と願い事をして、神社から出る。

車に戻って山道をひた走る。百沢温泉を通り過ぎる。
そこからさらに10分以上走ったところに嶽温泉があった。ようやく到着。
いくつか旅館が寄り集っている。
その中の1つに僕らが泊まる「小島旅館」があった。
車を降りるとすぐにも硫黄の匂いがしてきた。
駐車場の雪を溶かすためにお湯を引いてるのか、白い湯気が湧きあがっている。

入ってみると何の変哲もない日本中どこ行っても見つかるような普通の温泉宿だった。
しなびた、ってほどでもないが、ほどよく枯れている。
そういう場所を求めていたのだから、イメージ通り。
玄関入ってすぐのロビーと呼ばれている場所には
使い古したソファーが主のように置かれていて、健康器具が隅に転がっているような。
自販機と申し訳程度に置いたお土産用のお菓子と、付近の観光名所のパンフレットが並んだ棚。

3階へと案内される。「一番」と名前の付けられた部屋へ。もちろん畳敷き。
床の間があって、掛け軸が2つと枯れ木のオブジェ、貴乃花の手形をプリントした皿。
襖を開けて、テラスには椅子と灰皿を置くための小さなテーブル。
寸分の狂いもない、典型的な日本旅館の部屋。
このステレオタイプは恐らく昭和の時代からずっと変わりがないのだろう。
昭和のどこかの時代に確立されて、それっきりそのまま。
誰も変えてほしいと思っていない。旅館とはそういうものだと信じて、日本人は生まれ育つ。

僕らの泊まった部屋は残念ながら岩木山の反対側に面していて、
どちらかと言えば秋田方面、白神山地の方を向いていた。
白い雪の間に葉を落とした木々が半々ぐらいか。
テラスからはこじんまりとした嶽温泉の集落が見えた。
景気は良くも悪くもなく、そこそこな雰囲気が伺えた。
巨大資本が入り込んで大きなホテルを建てようものならひとたまりもないだろうけど、
まあそんなことはないだろう。

宿帳に記入する。
お食事は何時になさいますか?と聞かれて7時と答えたら驚かれた。
旅館のおばさんは「普通6時ですよ、あっても6時半ですけど」となんとも申し上げにくそうに。
「遅くに宿に入られた方ならば7時ということもありますけど・・・」
じゃあってんで6時半にする。
暗黙のルールみたいなものがあるようだ。

母は「お茶を飲んで30分休んでからにしないと返って疲れるんだよ」と言うものの、
僕は全く意に介さず温泉へ。4時前ぐらいか。
2階の浴場へと下りていく。
露天風呂はなく、浴室は1つだけ。
最初宿を選んでいたとき、このことを物足りなく思ったものだが、ま、いいかと思った。
こういう山奥まで来たのだから
商売っけのある気の利いた旅館ならば露天風呂は必ずあるだろうと。
それがそうじゃないんですね。

湯船は広々としていて、熱めのとぬるめのと浴槽は2つ。
ぬるめの方に入って乳白色のお湯の中に浸かる。
ぬるめといってもちょうどよい温度で、熱くもなく絶妙。
お湯は真っ白でほんの少しぬるっとしている。ほのかに硫黄の匂いがする。
浸かっていると体が見えなくなる。濃い霧の中にいるかのよう。
手の平を水面に近づけて初めて見えるぐらい。さすが源泉100%を謳うだけある。
僕以外にもう1人しか浴室にはいなくて、湯気であんまりよく見えない。
貸切のようで嬉しくなる。
思いっきり足を伸ばして、「ああ温泉だなあ。来てよかったなあ」と思う。
こんなとき、これからの将来のことだとか書いてる小説のことだとか
じっくり考えるべきなんだろうけど、そういう気持ちにもなれずただひたすらぼんやりとする。
取り留めのないことばかり浮かんでは消えていく。

温泉は好きだけど長々と入っていられない僕は早々に出て部屋に戻る。
入れ替わりで母と妹が入りに行く。
ビールを飲みたかったが、我慢する。食事の前にもう1回入りに行くつもりで。
寝そべってストーブの真ん前に陣取って「オリガ・モリソヴナの反語法」の続きを読む。
5時になると時報代わりに「りんごの唄」のメロディーが流れた。

その後母が戻ってきて、再度温泉へ。
子供4人の大所帯の家族が入っていて、
父親が1人ずつ男の子女の子順番にドライヤーで髪を乾かしていた。
ちょっと入っただけで上がる。
帰り際に今度は缶ビールを買う。
母か妹がつけたテレビを見る。NHKで「サイドマン・ブルース」という番組だった。
名前から察するに脇役列伝ってところなのだろか?
この回は角野卓造がゲストだった。「渡る世間は鬼ばかり」の。
ビールを飲みながらボケーっと眺める。この人が文芸座出身だということを知る。意外。

母が温泉の話をする。
おばあちゃんが入ってきて、話していたらどうも宿の従業員らしく。
「この付近ではここのが一番大きな浴槽なんですよ」
「他は露天風呂を持ってるけど、お湯を薄めないと2箇所に引けないからうちはやってない」
「熱いのとぬるいの2つの温度の浴槽を用意するのって大変だったんだよ」
といったことを聞く。
旅館の敷地の外れに離れがあって、
住み込みで働いているおばちゃん、おばあちゃんたちが
そこで寝泊りしているということも教えてもらう。
そうか。この近くに住んでいる人たちが働きに来ているのではなく、
みなそれぞれいろいろな過去や事情(ってほどのことでもないか)があって
ここで住み込みで働いているのだ。たぶん。

温泉の話で言えば、あちこちの温泉に行っている母曰く、
今青森近辺の温泉で気になるところは「後生掛温泉泉」と「古遠部温泉」この2つ。
なお、後者は「ふるとおべ」と読むようだ。

テレビを見る以外にすることもなく、腹も減ってきて
しまった、ご飯は普通に6時にしておけばよかったと後悔する。
6時になってそのままNHKでパレスチナ問題を扱った番組を見る。
世間は普通に日曜の夜なのだなあ、ということをその時なんとなく思った。

6時半になってお食事の用意ができました、と声が掛かる。
「あれ?部屋で夕食のはずが・・・」とがっかりする。
「るるぶ」を見ていたら夕食は部屋で、とあったのでそこが気に入って選んだのに・・・
大広間なのだろうか?
案内されて向かったのは2階の別の部屋。なるほどね。
そこにお膳が用意されていた。
僕らが泊まっていた部屋に似ているが大きく違うところとしては押入れがなくて、
昼間に入浴と休憩だけのお客さんが来たときに使う部屋なのだろうと母か妹が言う。
そういうことか。で、食べている間に布団を敷くってわけか。

お膳は11品。12000円の一番上のコース。
思い出せるのを挙げてみると、
・マイタケの釜飯(いわゆるマタギ飯ってことで嶽温泉ではポピュラーなメニュー)
・マイタケの土瓶蒸
・天ぷら(海老、しし唐、マイタケなど)
・刺身(トロ、生鮭など)
・鍋、茶碗蒸、蟹の足
などなど。基本はマイタケ尽くし。
デザートは焼きリンゴ。この旅館の名物。
冷めていてもおいしかった。持って帰ってお土産にしたいぐらい。

こんなに食えるだろうか?と大食いの僕ですら不安に思う。
いや、僕なら全部平らげて他の人の分も食べるけど、
普通の宿泊客はこれ、全部食べきれるのだろうか?
それともこういう旅館の料理というのは豪勢さを目で楽しむためのものであって、
半分以上残したところでなんてことないのだろうか?
いつも気になっている。もったいないなあとその都度思う。
腹いっぱいになっても詰めるだけ詰め込む。

「さんまのからくりTV」を見る。
3年か4年ぶりに見たら、セイン・カミュもボビー・オロゴンもいなくなっていた。
最後のご長寿早押しクイズもなし。

ビールだけじゃなくて、熱燗も頼む。
たくさん飲んだのに、さらにまた温泉に入りに行く。
この日3回目。
このときは他に誰も入ってなくて1人きり、今度こそ貸切。

戻ってきて、テレビを見てたのか、「オリガ・モリソヴナの反語法」の続きを読んでたか。
テレビでは「顔−1」という顔芸世界一を決める特番。
その後、「行列のできる法律相談所」
島田伸介曰く、「今クールで面白いと思ったドラマは2つあって、
「華麗なる一族」と「ハケンの品格」どちらも裏番組じゃないか!!」
「華麗なる一族」にどうしても出たいとアピール。
見てるうちに眠くなって、寝る。


[2261] 青森帰省3日目−1 2007-02-18 (Sun)

これまで同様、8時起き。
朝食の後、家中に掃除機をかける。

今回の帰省のハイライト、嶽温泉の小島旅館で家族3人1泊の日。
連れてってくれる妹が車に乗って来るのを待つ。

その間、米原万理「オリガ・モリソヴナの反語法」を読む。
昨晩から読み始めて、余りの面白さにやめられなくなった。
昨日まで読んでいた「長いお別れ」に負けず劣らず面白い。今回の帰省は大当たりだ。
「オリガ・モリソヴナの反語法」は03年のドゥマゴ文学賞を受賞している。
池澤夏樹が審査員だった年。
いやあ、これはすごい。とにかくすごい。
小説好きな人がいたら誰彼構わず「いいから読んでみてよ!」と薦めたくなる類の本。
歴史の思いがけない箇所にスポットライトを当て、その激流の中で翻弄される人間たちを描く。
見事に描ききった作品が面白くないわけがない。
(まだ全部読んだわけではないけど、本全体に漂っている勢いでひしひしと感じる)

妹が来て、しばらくしてから出発となる。11時半。
車に乗ってどこで食べる?と聞かれる。
特に僕の中ではプランはなし。「どこでもいいよ」と答える。
せっかくだから青森市の外がいい、というだけ。
嶽温泉は旧岩木町、現弘前市にあって岩木山の麓、南西側にある。
その途中のどこかだったら、どこでも。
僕としては五所川原にある巨大なショッピングセンター「エルムの街」ってのと
柏のイオンの中にある青森県内唯一の HMV に行きたかったんだけど、
少なくとも「エルムの街」は日曜で混んでいるから明日の方がいいと言われる。

そうこうしているうちに黒石市にある「Buffet 豆のや」ってとこに決まる。
国道七号線を折れ曲がる。
「豆のや」は「こみせ」の中にあった。
「こみせ」とは日本の道百選に選ばれたことのある、古きよき日本の佇まいを残す通り。
民家や商店が軒を連ね、家屋の前の歩道に屋根がかかっていて、端から端まで繋がっている。
三味線の演奏会の行われるおみやげ物屋が中心にあって、
そこを挟んで酒造が2つ、「玉垂」と「菊乃井」
「玉垂」はNHKの大河ドラマ「いのち」のロケで使われたことで有名。
(あれはもう、20年以上前・・・?)
くす玉の形に真ん丸く整えられた植え込みが2階の軒からぶら下がっている。
http://www.net.pref.aomori.jp/kuroishi/Sight_Seeing/Sig_Komise.html
http://www.jomon.ne.jp/~kkk/k_komise.htm

「豆のや」で昼食。昼はビュッフェ形式。
いろんなものが小鉢や小皿にちんまりと乗っかっている。
1300円で食べ放題、ってことになってるんだけど
どれもこれも大豆系、ないしは大豆タンパク系なので
いろんな種類があったところでどれも一緒。
豆腐ハンバーグ、大豆タンパクの焼き鳥、変わり豆腐、
湯葉を固めてチリソースをかけたもの、など。
夜は旅館でたくさん食べるだろうからと一通り少しずつ食べてみてそれで終わり。
この手の食事、うまいかって言われたらうまいんだろうけど、
なんつうか健康食品を食べてるみたいで、あんまり嬉しくない。

「豆のや」を出て、「こみせ」を歩く。
「菊乃井」で試飲ができるようなので、入ってみる。
由緒ありそうな酒蔵。どれぐらいの歴史があるのだろう?
屋号の染め抜かれた暖簾がかかっていた。凧もいくつか。
桃の節句の時期も近く、豪華なひな飾りがどっしりと構えていた。
仕込みの時期なのでこの時期は酒蔵見学はできないとのこと。残念。
一番小さい瓶で「菊乃井ヌーヴォー」というのを買う。しぼりたて。
帰ったらさっそく飲んでみようと思う。

その隣のお土産物屋へ。
ここの「つゆ焼きそば」なるものが今、黒石名物になりつつあるらしい。
というか名物に仕立て上げようとしているのか。
店の奥が食事処になっていて観光客が行列をなしていた。
どういうものなのか見なかった。あんかけ焼きそばみたいなものなのか。
なんとなく、深皿で食べる汁少なめラーメンのような気がする。
店内はひっきりなしにこの「つゆ焼きそば」のテーマソングが流れていた。
地元ミュージシャンが演奏したのか。正直しつこい。
ここで会社のお土産用にリンゴチップスなど買う。
リンゴの飴と、八甲田山麓の熊笹のお茶。

店を出る。母が黒石のお菓子に有名なのがある、
是非とも大家さんに渡したいということでその和菓子屋を見つけて入る。
こみせの並びにある、「まつむら」という店の「干梅」
四角くて平べったいお餅の中にあんこではなくて梅を練ったものが入っている(と思われる)。
ここもまた由緒ありそう。
店に入ると和菓子の陳列されている棚はさらっと小さなもので、
その背後にはものすごく大きなガラス棚が左右に2つ。
今の店主なのか先代なのか、さらにその先代なのか、
道楽(と言ったら失礼か)で買った古道具・古美術品の数々が飾られている。
壷や器のようなもの、粋な模様の団扇。地球儀なんてものもあった。
どの時代のものなのか僕には分からず。
弦を4本張った原始的な楽器が2つ壁に掛けられていて、
例えて言うならば「まんが日本昔話」で鬼が弾いてそうなやつ。
店の人にどこの国のですか?と聞いてみたら
「東南アジアの方らしいんですけど・・・」って困りだして、はっきりした答えは得られず。

車に乗って温泉へと向かう。
NHKのラジオがつけられていて、喉自慢の時間帯だった。
この日は会場が石川だっただろうか。
これは!という人は現れず、よくて鐘2つ。
その後、公開放送のバラエティーショーとなる。
テレビでは喉自慢だけだったとしても、
普段はその後あれこれ出し物が続いているのだろう。
会場に集まったお客さんを午後いっぱい楽しませるために。
歌に、クイズに、その日の出演者みな総出でコメディ仕立ての寸劇まで披露。
(ゲストの山本譲二が伝説の漫才師に扮していた)
名前を忘れたけど、「なーんでか?」の人も出てた。

田舎館村を通り過ぎる。
村の庁舎はお城の天守閣のような形になっている。地元の名物。
もう1つの名物として田舎館村は毎年毎年、田んぼに実る稲で絵画を形作るのだという。
ここには何を植える、というのはコンピューターで決める。
田植えと刈り取りはボランティアを募って。
モナリザなど描いたそうな。
最初のうちはなんだこりゃってなものだったのが、
年々続けているうちに絵がうまくなっているとのこと。
http://www.vill.inakadate.aomori.jp/ 参照。

7号線に戻って弘前へ。
弘前市に入って、城の近くを通って岩木山を目指す。

宿の入りは15時から。
まだ時間があるね、どこか見るところはないかって話してたら
「鳴海要記念陶房館」ってのが目に止まり、母が興味を持ち、入ってみることになった。
http://www.city.hirosaki.aomori.jp/gaiyo/shisetsu/kyouiku/htm_toboukan/toboukan/toboukan.html

僕はこの人のことを知らなかった。青森で生まれ、青森で活動していた陶芸家。
東京芸大の助手を務めた後で、青森に戻る。04年に亡くなる。
釉薬として「りんご釉」を開発するなど、青森ならではの陶器を追求する。
展示室で代表的な作品を見た後で(正直僕はこの人の作品は肌に合わないと思った)、
私設の方に窯に案内しましょうか?と誘われ、是非と中を見せてもらう。
「津軽窯」という名前。昭和40年に作られる。
鳴海要が自ら住んでいた場所だったため、別室には煮炊き用の炉があったりする。
大きくてがっしりとした窯。所狭しと積み重ねられたレンガと薪。
焼き物のことは何も分からない僕ですらその風格を感じとることができた。
僕と違って焼き物好きな母は「立派な窯ですねぇ」と感心することしきり。
「今はもう使われていないんですか?」
係りの方曰く、03年に鳴海要が亡くなって
次の年にお弟子さんたちが集まって、1年ぶりに日を入れたとのこと。
「せっかくの窯なのだから使えばいいのにと思いますよ。
 最近は市民講座で学ぶ人も増えていて陶芸の裾野が広がっているのに、もったいない」

隣の陶房へ。その死の何年か前に建てられたもの。
晩年過ごした家は青森市に構えていたのだが、
いざ作陶となるとこの陶房に何日もこもっての作業となる。
よって風呂場など生活に必要な部屋も揃っている。
ふすまの引き戸がモダンな模様の陶器となっているなど、こだわって建てた意思が随所に伺える。
部屋の真ん中に電動のろくろが2つ並んでいる。
でもここを使うことは結局のところあんまりなかったんだろうな・・・

なお、鳴海要の奥さんはだいぶ年の離れた人でまだ若く
(鳴海要が60を過ぎてからの結婚だった)
青森市で息子と共に喫茶店やバーを開いているらしい。
作品をそのまま器として使っている。贅沢なことだ。
(店は「苧麻」と書いて「からむし」と読む。http://www.karamushi.com/


[2260] 青森帰省2日目 2007-02-17 (Sat)

昨晩は22時には寝た。
20時の時点で限りなく眠かった。
新幹線と特急での移動の疲れと、たぶんこれまでの仕事の疲れ。
さすがに早すぎるだろうと半ば無理して「長いお別れ」を読み続けた。続きも気になって。
見たいテレビもなく。ちなみに昨晩の夕食はハンバーグだった。
もしかしたら母の作るハンバーグなんて10年ぶりかもしれない。

寝ていたら23時頃携帯が鳴る。
驚いて目が覚める。最初の一瞬、障害発生で呼び出しの電話だと思った。
どうしてここまで追いかけてくるんだ?とぐったりした気持ちになる。
携帯を見たら妹からだった。
旅館の地図を印刷してきたのを東京に忘れてきたというのと
あさっては何時に出発できそうか、昼はどこかで食べれそうかメールで聞いていた。
その返事。地図は心配ない、午前中までには着くとのこと。

そこからまた寝て、朝8時に起こされる。
ごはん、味噌汁(わかめ、油揚げ、高野豆腐、ねぎ)、漬物、
目玉焼き、ソーセージ、サラダ。
ご飯は昨晩五穀米だったのを白米に変えてもらった。

家中に掃除機をかけて、10時過ぎにバスに乗って新町へ。
今日もまたバスは混んでいた。
母に聞いたら、本数が減ったのだという。

駅西口で下りたので、LOVINA に入る。
4階の本屋と新星堂跡地の古本屋に入るが、何も欲しいものはなし。
AUGA に移って、4階の無料インターネットコーナーへ。
持ってきたノート PC が使えなくて、
昨晩は Yahoo のメールのチェックと mixi でのやりとりは全て携帯で。
普段携帯を使わない僕としては珍しく現代人らしいことをしてるなあという気持ちになった。
パケット代がどれぐらいになるのだろう?という心配もしてみたりする。
自分がどういう契約をしているのか、月々いくら引かれているのか、
大雑把には覚えているもののこまごまとしたことは全然知らない。
携帯でメールをやりとりする人も何人かだけだ。
その何人かともそんな頻繁にやりとりしているわけではない。

AUGA の PC で改めてメールチェック。
特にこれと言って問題はなし。
Yahoo の方にはなんかあったらメールを送ってきてくれと会社の人には言ってある。
メールも届かず、携帯も鳴らず。
何事もなく平穏無事に過ごしているのならばいいのだけれど、そんなことあるわけないし。
休みの間は日々の仕事から解放させてあげようと気を使ってくれているのだろう・・・

夜店通りで古着屋回り。
この前の夏来たときにはまだ営業していた店が貸し店舗になっていたり、
ただ単に休みなだけなのかもしれないけど、シャッターを下ろしていた。
それ以前に夜店通り自体が開いてない店が多い。不況のどん底まで近付いたように思う。
それでも何軒か開いていて、覗いてみる。欲しいと思った服はなし。
アスパムの方まで歩いていって「CONVOY」に入る。CONVOY にもこれはという服はなし。
居合わせた客と店員が SAMURAI JEANS の話をしていて、
青森でも取り扱っているのはここだけってことで。
それぐらい品揃えはいい店なんだけど、今回はどうにも。
刺繍の入ったジーンズで「いいね」と思うのがあったけど、サイズが合わなくて断念。
REPLAY で割といい色のがあったので買おうかなあと悩む。
「割と」レベルなので今回は見送り。
2月のこの時期ってたぶん仕入れの谷間の時期なんだろうな。
ま、しょうがなし。
そんなわけで今回は珍しく青森で服は何も買わないということになる。

来たついでにアスパムの裏まで行って陸奥湾を眺める。
人の姿はほとんどなし。
海は春先のような青い色をしていた。遠くの山も雪が少ない。

そうだ。そういえば。
「霊波之光」とかいう宗教団体が
青森のこの地域(安方)に進出しようとしているみたいで、
それに反対する地元商店街のノボリがあちこちに立っていた。

昼食。「さくらの百貨店」の裏の通りにベトナム料理の店を見つけて気になったものの
心は既に「味の札幌」の味噌カレー牛乳ラーメンと決めていたので、振り切る。
歩いていく途中でダーツバーを見つける。青森にもあるんだ、と驚く。
(僕の所属する PJ ではダーツが大流行していた時期があって、
 なにかっつうと2次会はダーツになった。
 僕は買わなかったけど、何人かはマイダーツを購入した)

味噌カレー牛乳はいつも通りの味。うまかった。
全く変わらない味を嬉しく思う。

「さくらの」に戻って地下の食品売り場にて
母から言われてた鶏胸肉300gとケチャップとマヨネーズを買う。
鶏肉はハムにして東京に戻る時に持たせてやるという。昨晩食べた。
あっさりしていておいしかった。

他に見るものはなし。
あとは最後に AUGA に立ち寄るだけか。
新町には岡田書店、成田本店と大きな本屋が2つあったんだけど、
なぜかこの時期どちらも改装工事中。
本を買うにも買う場所がない・・・
ほんと今、新町は何もない。

AUGA でまずはヴィレッジ・ヴァンガードに入る。
本と CD を眺める。今青森市で最も気が効いている本屋と CD 屋は
ヴィレヴァンかもしれない。それはちょっと寂しい。
Linda & ... の3枚目と The Detroit Cobras の1枚目を見つけ、
どちらも東京で探そうとしたらめんどくさそうだし、買おうかなあと思う。
(ま、ネットですぐ買えるんだけどね。だけどそれは今1つ楽しくない)
あれこれ悩んだ末に、帰りの日に買うことにする。
珍しいは珍しいんだけど、今青森で聞きたい気分でもなく。

昨日同様、PAX へ。
廃盤系の日本盤がないかもう1度ちゃんと見ていたら
Feeder , +/- , Black Label Motor Cycle Club の
それぞれ2・3年前だったり4・5年前の日本盤を見つける。
Feeder と +/- は前から気になっていたし、買うことにする。
Feeder は日本人がベースの UK バンドだよなあぐらいのことしか知らなかったけど
昨年出たベストアルバムのジャケットがなかなかかっこよくて
そのうちいつかと思っていた。売れ残っていた CD 2枚ともジャケットがかっこよくて
まずは3枚目の「Echo Park」ってのを買った。
発売は01年で、今までこれ、売れ残ってたのか・・・
+/- は Bloodthirsty Butchers とツアーしたんだったか。
僕が買った04年の日本限定のミニアルバムは
ブッチャーズの吉村秀樹が絶賛のコメント文を寄せている。
この日はほんとなら、Cursive の昨年出た新譜を買うつもりだったんだけど、
これは東京戻ってもあるだろうと先送り。

一通り用事が済んで、バスに乗って家に帰る。
シネマ・ディクトで「エンロン」を見ようか迷う。
巨大企業エンロンが崩壊した顛末を追うドキュメンタリー。
都内は10月か11月ぐらいに公開したと思う。
それがようやく青森まで来た。
見たかったんだけど、上演時間まで2時間近く待たなくてはならなかったので諦めた。

買ってきた CD を聞こうと思ったのに、
ミニコンポが寒さでいかれててトレイが動かない。なんとか動いても CD を読み込まない。
今の気分に合うものってことで
テープで Todd Rundgren のシングル集の1枚目を聞く。名曲ぞろい。
「Be Nice To Me」「I Saw the Light」「Hello, It's Me」「A Dream Goes On Forever」...

「長いお別れ」を読み終える。
素晴らしかった・・・
登場人物の1人1人が脇役に至るまで血が通っていて魅力的で、うんうんかんぬん、
そういう月並みなところから始まってあれこれ書きたいけど
長くなりそうなのでやめておく。
村上春樹訳が出て来たらそれを読んで、なんか書きたい。
村上春樹がこの作品が好きなのも読んですぐに分かった。
よく似ている。ものすごく似ている。
比喩の使い方が特に。
比喩と地の文との混ざり具合と、それがもたらす効果の質と量と。
あと、文体の乾き方の度合い。

母が地元の新聞から切り抜いていた、
青森県内各地のうまい店を紹介するコラムを読む。「青森フード記」というタイトル。
今の若い人が東京で修行して、故郷に戻ってきて店を出すというパターンを幾つか見つける。
偉いもんだ、と思う。

夜はポトフ。
前の晩もそうだったが、銭湯から帰ってきてチビチビ缶ビールを飲む。


[2259] 青森帰省1日目 2007-02-16 (Fri)

7時に目が覚める。新幹線は10時ちょい前。
8時半に家を出て9時半に東京駅に着く。
駅弁を物色。「吹き寄せ弁当 冨有の華」というのが目に止まって買う。
季節の弁当ということで、冨有は「ふゆ」と読む。1300円。
崎陽軒のシウマイもビールのつまみに、とついでに買う。450円。ちょっと贅沢。
青森に着いたらすぐいつもの床屋に行こうと、渡すお土産を買う。
本屋に入るが、特に読みたいものはなし。

指定席は金曜、平日だというのに満席。
この週末、八戸で「えんぶり」祭りが行われるからだろうか?
(参考)http://www.infoaomori.ne.jp/~koutoku/enburi.html

新幹線に乗って、さっそく駅弁を食べる。
けっこううまかった。おしながきを書き写す。
・ほっけねぎ味噌焼
・玉子焼
・有頭海老煮
・慈姑(くわい)揚げ
・帆立見立て焼
・むかご磯辺揚げ
・わさび蕗
・花咲さらだ
・帆立昆布ご飯(あきたこまち使用)
・季節の煮物
 −信田巻
 −小芋煮っころがし
 −茄子揚煮
 −鹿の子こんにゃく
 −蓮根
 −梅花人参
 −絹さや
・河豚竜田揚げ
・鮭化粧揚げ
・紫芋素揚げ
・しし唐
・わらび餅

食べ終えて、乗る前に買った500の缶ビールを1本と
車内販売の350が2本。飲み干す頃には眠くなり、うたた寝。
目が覚めたら仙台を過ぎていて、ところどころ白く雪が残っている。

今年の暖冬は本当で、八戸で特急に乗り換えて三沢を過ぎても雪はほんのわずか。
青森駅に降り立っても、何これ?と驚くぐらい。
2月のこの時期ともなるとまだまだ雪が厳しいのであるが。
3月後半と言ってもおかしくはない。

AUGA の中の PAX で珍しい国内盤を探す。
(廃盤になって東京では見つからないのに、青森では売れ残っているもの)
The Black Crowes のベストを見つける。新品。
中古で探しても見つからなかったのに。もちろん買う。

新町を歩く。
金曜だというのにティーンエイジャーの姿をちらほらと見かける。
制服だったり、私服だったり。学校をサボっているのか。ま、いいけど。
平日午後の新町を歩いている人がそもそも少ないので、目立つ。

床屋へ。いきなりふらっと現れて驚かれる。
前回半年前に戻ったときは休みだったから、もしかしたら2年ぶりかも。
東京駅で買ったお菓子を渡したら、
お返しにとコージーコーナーのシュークリームをもらう。

髪を切って、家に帰る。
油川方面のバスはお年寄りばかりで混雑していた。
座るわけにはいかないので、ずっと立っている。
右を向いても左を向いてもおばあさんばかり。
金曜の午後3時半。
病院に行った帰りのピークの時間帯なのかもしれなかった。
高齢化が進んでいるのか、それともたまたまなのか。
バスの窓から風景を見ていたら
それまで見たことのなかった宗教法人の看板を見つける。

バス停を下りる。ほんと雪がない。
水溜りで小学生の女の子が、ゴムの長靴を履いてジャブジャブと遊んでいた。
これだけ雪がなかったら雪かきをする必要もなく、
今年の母は楽だったんだろうなあと思う。

家に帰って PC を立ち上げる。
AIR-H でインターネットに接続しようとしたらつながらない。
年末に契約のグレードを変えた際に、
ユーザー ID の頭か後ろに何か文字列が追加になったことを思い出す。
そしてその文字列が思い出せない・・・
なんのための AIR-H なのか。
せっかく契約してるのだから使わないと損なのに。
年に1回か2回しか使わないのに3万ぐらい払っている計算になる。
その1回が今回パーとなった。とほほ。


[2258] 明日から青森帰ります 2007-02-15 (Thu)

明日から会社を休んで青森に帰省。
1月末に僕ら担当分のシステムが段階リリースの末ようやく最終カットオーバを迎え、
「いやー、2月後半ともなれば暇だろう」と思って休みを申請したのであるが・・・
2月25日にシステム全体のカットオーバーで
このところあれこれ準備や不具合対応ばかり。ちっとも暇にならない。
はっきり言って休んでる場合じゃない・・・!
でもまあこうなってしまったものは仕方ないので
周りの人に後を託して、後ろ髪引かれる思いありつつも割り切って休みに入ります。

だけど来週いっぱい休みのはずが、
週の半ばに東京戻ってきたらその後は出社の可能性大。
24日・25日の土日も出社かも。
なんかもう無茶苦茶な状態だ。ハハハ。

それはさておき、今回の帰省の目的は前にも書いたけど
母が還暦のため家族で温泉旅行に行くというもの。
宿も見つけて、手配した。後は行くだけ。
日月で温泉、その前後は青森でブラブラしたり、家でのんびり本読んでたりの予定。

---
今回の帰省中に読むのはこの3冊。
 −レイモンド・チャンドラー「長いお別れ」
 −米原真里「オリガ・モリソヴナの反語法」
 −ケネス・ブラウワー「宇宙船とカヌー」

厳選に厳選を重ねて、選び抜いた3冊。
面白そうだな、読みたいなーと思って買っても帰省のためにとっておいた。

「長いお別れ」は有名ですね。
ハードボイルド。フィリップ・マーロウのシリーズ。
村上春樹の新訳が今度出るみたいだけど、その前に読んでおこうと。
昨日から読み始めているが、いやー素晴らしいね。この文章。
新幹線の旅の中でゆっくり味わうにふさわしい。

「オリガ・モリソヴナの反語法」は昨年亡くなられた米原真里の代表作。
冷戦時代の東欧・旧ソ連での人々の生活を日本人の目で
描かれているみたいなので興味を持ったんだけど、文学的にもすごいらしい。

「宇宙船とカヌー」は高名な宇宙物理学者フリーマン・ダイソンと
その息子にしてエコロジストのジョージ・B・ダイソン、この2人の評伝。

このところの僕の気分として、
帰省は行きの新幹線の中で本を読んでるときが一番楽しい。


[2257] 時間を売る 2007-02-14 (Wed)

古来より人は身一つしかなくても、持てるものを売り払ってきた。
豊かな黒髪であったり、血液であったり。
臓器だったり、幼い子供だったり・・・
世界最古の職業は娼婦だとも言われる。

何百年先の話になるか分からないが、
テクノロジーが発達した社会では
人は時間というものを売ったり買ったりするようになると思う。
比喩的な意味ではなくて、文字通りに。
物理的な時間の塊なのか、意識の中での時間の流れなのか、
それはそのときになってみないとわからない。

(前者ならば、例えば25歳の人間が1年という時間を売ったとき、
 その1年が経過しても心身ともに25歳のままだが、
 後者ならば肉体は26歳になっていて精神は25歳という
 タイムラグが生じるだろう)

富める者は優雅なひと時を過ごすために「時間」をどんどん買い漁り、
貧しき者は何の記憶・思い出もないたくさんの空白を抱えて年老いていく。

時間の差し出し方というのが例えば
ベッドに横たわりCTスキャンの器具のようなものに取り囲まれるとするならば
あるいは映画に出てくる冷凍睡眠のように透明なケースの中での凍りついた眠りとなるならば
生を受けてから死ぬまで、あるいは一定の年齢に達してからやはり死ぬまで、
その機器に接続されたままの「人間」も存在することになるだろう。
貧しき国の貧しき社会の片隅で
大勢の人間が年齢や性別に関係なく、積み重なったケースの中で眠っている。
生まれたときから何世代も前の負債を一身に背負っていて、
こういうやりかたでしか返済の仕様がない。
若くして子供を作ったらというか機械的な生殖活動を終えたら
(その子供もまた返済用だ・・・)
あとはケースに入って何十年も先の死を迎えるだけ。

そんな光景を思い描く。
この話はまだ実現性に乏しいが、もっと別なことは実現しそうに思う。
例えば100年もかからないうちに、
臓器売買用に培養される意識のない「人間」
(人としての固体、あるいはその断片)
が非合法にプラントの中で、・・・ということはありえるのではないか。

金があるなら欲しいものは手に入れたくなるだろうし、
ニーズがあればそれをどんな手段を使ってでも提供する人が出てくる。
20世紀はそういう時代だったし、21世紀はさらにそれが押し進められるはずだ。
手に入れる側と差し出す側の2極分化はなおいっそう激しくなると僕は考える。


[2256] ゴッドファーザーのテーマ 2007-02-13 (Tue)

なんで暴走族の人たちはゴッドファーザーのテーマ曲を
ファファファ・・・と弾いてるのだろう、というのが前々から気になっている。

いつだったか年末年始の特番を見ていたら
大晦日の夜から元日の朝にかけて
八王子を起点に暴走族が結集して初詣っつうことで富士山を目指し、
警察もその対処に苦戦している、これが毎年の行事となっているという話が出てきた。
テレビを見てるともうあちこちでゴッドファーザーのテーマが鳴ってる。

この曲、全国的な傾向なのではないかと思われる。
知らず知らずのうちに広まっている。
たぶん、あのファンファン鳴るやつで出せる音の数と
あの曲のあの箇所の音の数がマッチしてるから、ってことなんだろうな。
直接的な理由として。

「ゴッドファーザー」という映画のこともよく知らず、
「先輩が鳴らしててかっこええから」って理由で受け継がれていく。
だとしたら嘆かわしい。
アル・パチーノとロバート・デ・ニーロが兄弟としてしのぎを削ってて
そこに父親がマーロン・ブランドだぞ!?
ってな話は99%通用しない。
イタリア系のニューヨーク・マフィアに敬意を表してるんならまだいいけど。
(よかないか)

「先輩、この曲何すか?」と聞かれて、
「おう、昔のヤクザ映画から来てるっちゅう話や」
「へー。高倉健っすか?」
「じゃねえの?」
みたいな会話も1度や2度交わされたんじゃないか・・・

天国にいるはずのニーノ・ロータも遠く海を離れた地で
自作の曲がここまで愛される(?)
とは夢にも思わなかったに違いない。

今日もまたこの国のどこかでゴッドファーザーのテーマが鳴り響く。


[2255] 「水曜どうでしょう」 2007-02-12 (Mon)

最近というかここ1・2年、
周りの人から「水曜どうでしょう」が面白いとの声をことあるごとに聞いて、
ずっと気になっていた。
会社の後輩がDVDを全部持ってたので何枚か借りて
この3連休は夜に少しずつ見ている。

昨日今日と「原付ベトナム縦断1800キロ」を見て、
引き続き最初期の(サイコロで全国旅するやつ)を見ている。

面白いね。これは確かに面白い。
腹抱えてヒーヒー笑うことはないけど、
なんつうか人が人であるがゆえの優しさみたいなのを
どこかに抱えてて。見てて温かい気持ちになる。

この面白さもひとえに
4人のパーソナリティーってことになるのかな。
やっぱすごいのは大泉洋であって、
この才能と存在感が北海道に眠っていたというのは
驚きというほかない。
それが今や「東京タワー」や「ハケンの品格」か。
こういうサクセスストーリーもあるんだなあ。

電波少年系の番組が一頃世界の各地で無茶なことをしてた。
でも、僕はなんとなく面白く感じなかった。
逆にどことなく違和感を感じた。
あれはただ、無茶なだけ。
なんつうか詩情とでも言うのかね、それがはっきりと欠落していた。
ま、電波少年の方が
即物的にヒャッヒャッヒャと笑えたけどね。
つまり、その場限り。
あの中で出てきた芸人もほとんどが言葉悪いけど使い捨て。
まあ芸人の質ってこともあるんだろうけど。
とにかく先細りしていくしかない構造だった。

あの4人が核となってメンバー構成が変わることなく、
番組とともに成長していった大泉洋が
ブレイク後も番組を捨てることなく出続けているということの温かさってのが
やっぱあるんだよね。


[2254] 花粉症の季節 2007-02-11 (Sun)

今年もまた花粉症の季節・・・
昨晩は鼻がつまって目が覚めた。遂に来たか。
先週アレグラをもらいに行って服用し始めているが
昨晩は思いっきりビールを飲んでいたので効き目がなくなったようだ。
今日は暖かい日なので盛んに飛んでいるようで、今こうしていてもムズムズする。

昨日母と電話で話したとき、
青森はまだまだ雪も降ってるし寒いよという話とともに
そろそろ杉の花粉が飛び始めているのを感じる、というのを聞いた。驚く。
それがほんとだったら来週末の青森帰省もなんか少し憂鬱・・・

ニュースでまだ聞かないから今年の傾向がわからないんだけど、例年並みなんだろうか。
特に多くも、特に少なくも無いんだろうな。
中規模の地獄。

4年前にレーザーで焼いたのも今年ぐらいから何の効果も無くなるはずで。
あれまた焼きたいとは思わないし。あーあって気分である。

せめて酒を飲んだ次の日もアレグラが効いてほしい。
今、それが切実な願いである。

杉花粉への耐性が低いっていうのは
己のキャパシティーの小ささを表しているようで、
なんかかなり嬉しくない。


[2253] 今年のアカデミー賞予想 2007-02-10 (Sat)

今年はこれといって目玉も無く、分散の年でしょう。

□作品賞
 「バベル」
  鉄板中の鉄板。

 「リトル・ミス・サンシャイン」はいい映画だけど小粒だし、
 「硫黄島からの手紙」も作品賞ってほどじゃないなあ。
  それにこれで取ったらクリント・イーストウッド3回目になるし。
  取り過ぎ。逆にアメリカ映画はやばいということになる。
 「ディパーテッド」はスコセッシでしょ?
  スコセッシとアカデミー賞は相性悪いからねえ。
 「クィーン」はよくわからず。でも、おもしろそうだね。

□監督賞
 アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ「バベル」
 カンヌでも監督賞。

 作品賞から「リトル・ミス・サンシャイン」が「ユナイテッド93」と入れ替わってる。
「ユナイテッド93」もねえ・・・
 面白いけど、これが監督賞ってのはちょっと違う気がする。

□主演男優賞
 フォレスト・ウィッテカー「ラストキング・オブ・スコットランド」
「クライング・ゲーム」に出てた人ですよね。

 ウィル・スミスとディカプリオはないでしょう。
 個人的には「アラビアのロレンス」が忘れられない
 ピーター・オトゥールにあげたいところだが。

□主演女優賞
 ヘレン・ミレン「クィーン」
 
 対抗馬はネロペ・クルスじゃないかな。
 受賞経験ありのメリル・ストリープとジュディ・デンチは不利。

□助演男優賞
 マーク・ウォールバーグ「ディパーテッド」

 そろそろもらってもいいんじゃないかと。
 元 New Kids on the Block だと知ってる人も少なくなってきたのでは。

□助演女優賞
 ジェニファー・ハドソン「ドリームガールズ」

 よくわからんけど、前評判高いから。話題性もあり。
 菊地凛子はないと思われる。残念ながら。

□脚本賞
 「バベル」

 あるとしたら「クィーン」じゃないかな。
 「硫黄島からの手紙」でポール・ハギスが獲得したら
 3年連続でなんかしら賞に関わってることになるよ。
(「ミリオンダラー・ベイビー」と「クラッシュ」)
 最近の脚本賞は若手の登竜門になりつつあるから、
 「リトル・ミス・サンシャイン」にあげたいところだけどね。

□脚色賞
 「あるスキャンダルの覚え書き」

 なんとなく。

□外国語映画賞
 「パンズ・ラビリンス」

 他にもいろいろな賞にノミネートされてるから。
 脚本賞、撮影賞、作曲賞など。
 そういう作品は強い。

□撮影賞
 「トゥモロー・ワールド」

 ヴェネチアでもこの手の賞を取ったようなので。

□編集賞
 「ユナイテッド93」

 単純に、これ賞に値するから。
 あの臨場感は編集の賜物だと思う。

□ドキュメンタリー長編賞
 「不都合な真実」

 昨日見たばかりだけど、これ絶対取ると思う。面白い。


---
予告編で面白そうなのは
前にも書いたように思うが「ドリームガールズ」と
スピルバーグが制作、マイケル・ベイが監督で「トランスフォーマー」
これってあのトランスフォーマーですよね。
それに「スパイダーマン3」このシリーズはハズレなし。


[2252] 「不都合な真実」 2007-02-09 (Fri)

土日出た分の振り替え休日をきちんと取りなさいってことで今日は休み。
今週ずっとトラブル連発でその対応ばっかりやってて、昨日でいったん収束したものの。
休んでる場合じゃない。でも休む。
渋谷の HMV でツジコノリコの新譜を買って(インストアライブの整理券を入手)
浜松町の貿易センタービル14階の内科で花粉症の薬をもらう。
(椎間板ヘルニアの牽引治療を受けていた頃に、ついでに内科でもらうようになった)
東京駅地下の「くじら軒」でチャーシュー・パーコー麺に味付け玉子追加を食べて、
来週末の帰省に備えて団子を買って送った。
店員のおばさんは僕が伝票に書いた住所を見て、「あら、私の実家と近く」と驚く。
野木和公園のほうだと言う。
八重洲ブックセンターとオアゾの丸善で小学館文庫の中上健次選集を探す。
店頭在庫のみ。「十九歳の地図」「地の果て 至上の時」「日輪の翼」を見つけて買うものの
肝心の「岬」「枯木灘」が見つからず。代表作はなくなるのも早いね。
で、「不都合な真実」を見た後で出社。
来週の段取りの打ち合わせだけ顔出して、終わったら即帰る。

---
アル・ゴア。クリントン政権にて副大統領を務め、
2000年の大統領選挙にてブッシュに敗れる。
この敗れ方の是非についてはあれこれ取り沙汰されているので、
この人の名前をまだ覚えてる人も多いのではないか。
(「華氏911」など、参照)
それでなくても、情報スーパーハイウェイ構想って主唱者はこの人ですよね。

あと、僕が今個人的に思い出すエピソードとしては
夫人が、猥褻な歌詞は子供に聞かせるべきじゃないとして
アルバムにステッカーを貼るとかレイティングするとか言い出して、
かのフランク・ザッパが猛反対、公聴会で発言をしたってこともあった。
そのときにできたアルバムが「Frank Zappa Meets The Mothers Of Prevention」

大統領選挙での敗北後、アル・ゴアはライフワークの地球温暖化問題に本腰を入れ、
全米のみならず世界各地で講演を行うようになった。その回数は1000を超えるという。
その講演の模様がメインで、
アル・ゴアの日常生活がちょこちょこ間に挟まるという構成のドキュメンタリー映画。
昨年のアメリカで大ヒット、アカデミー賞のドキュメンタリー部門の受賞は固いとされる。

面白い映画だった。思わぬ拾い物。
数値データを効果的に図表やイメージにしたものを背景に映しつつ、
地球温暖化問題についてアル・ゴアが語る。
さすが大統領候補だっただけあって、その語り口は親しみがありつつ、力強さも秘めている。
思わず聞き入る。英語が分からないとしても、その立ち振る舞いと口調だけで多くが伝わってくる。

見終わって「やばい」とこの僕すら思った。この地球がいかに危険な状況に陥ってるか。
「何かしなくちゃ」「できることはないだろうか?」と考えた。
月1で土日にできるボランティアとかそういうところからなんかできないか、
なんてことを見終わった後ずっと考えていた。
環境問題や地球温暖化問題についてはあれこれ日々目にするので
「そうだよなあ、まずいよなあ」とその都度思うことになる。だけどすぐにも忘れる。
でもこの映画を見終わった後だと、
忘れたり人任せにしてるわけにはいかないなと思わずにはいられない。
ココロに深く訴えかける作品ではない。
観測事実を元に淡々と語っているだけ。
それが逆に説得力を持つ。

何よりもアル・ゴアの魅力なんだよな。
誠実さ、強い意志、温和なユーモア感覚。
かっこいいとすら思う。
政治家だから恐らく裏の顔とか汚いこととかいろいろあって
そういうのはもちろん映画には出てこないんだけど、
これだけの活動をしてるのならば、全然ありでしょう。
これぞ政治家だ、政治家のあるべき姿だ、と僕は素直に感動した。
壮大な理想に向かって長い年月をかけてコツコツと突き進んでいく、
その分野の第一人者の言葉を真摯に受け入れていく、
ヴィジョンを様々な人たちに語りかけていく、問題を共有して仲間に引き入れる。
日本の政治家にはこんなすごい人出てこないかもな。
(アル・ゴアを持ち上げすぎの映画にベタにはまってるだけかもしれないけど・・・)

エンドクレジットに
この映画を見たあなたが行うべきこと、みたいなのが出てくるんだけど、
そのなかの1つにアフリカのことわざがあった。
If You Pray, Move Your Feet. 「祈りとともに、行動せよ」
いい言葉だと思う。

最後に。映画のサイトは
http://www.futsugou.jp/
それにしてもすごいドメイン名だ。


[2251] The Molmott Undeground & Pico! 2007-02-08 (Thu)

この世界だか宇宙だか言うものが
実はキチガイの神様によって遊びで作られたものだとする。
試作品45号とかいう名前で
ラベルが貼られて部屋の片隅にガラクタと一緒に転がっている。
他の世界だか宇宙だか言うものはもっと全然違うものだ。
頭が3つで手が1本の知的生物が暮らしているとか
酸素の濃度が異なるとかそういうレベルではなくて、
そもそも陽子とか中性子とかいう仕組からしてまるっきり的外れなぐらいの。

キチガイの神様にはもっとキチガイかあるいはかなりまともなママかパパがいて
いつも「部屋を片付けなさい」と怒鳴り散らしている。
それがもう何回も続いてさすがにうざくなってきて
「チェッ、しょうがねえなあ」と部屋を片付けることにする。
これまでに作った宇宙は全部捨てることにする。ゴミとして廃棄。
この宇宙にして200億年だか2000億年ぶりぐらいに
(そんなの神様の心の中では一瞬だ)
取り出して手に触れる。そして、ポイッと。

この宇宙、試作品45号は
神様たちの住む住宅地のハズレにあるゴミ捨て場にて
頭が3つで手が1本の知的生物ばかりがウジャウジャと繁殖している試作品46号や
そもそも陽子とか中性子とかいう仕組からしてまるっきり的外れな試作品47号や
結局何も生み出せず無のままの試作品48号と混ざり合う。
やがてゴミ回収車が拾い上げて、焼却場へと持っていく。灰になって死滅する。

そしてまたキチガイの神様は「なんか作ってみっか」と
別な新しい宇宙だか世界をプラモデルか理科の実験のように作り始める。
できそこないがいくつか生まれて、放り投げる。
すぐにも忘れてしまう。

神様の頭の中には人類とか大自然とか文明とか愛とか憎しみとか
そういうものの考えは全くない。
余りにもミクロな出来事過ぎてその視界に入ってくることはない。想像も及ばない。

この宇宙とか世界とか言うものは、そういうものなのだと思う。


[2250] 然別湖コタン 2007-02-07 (Wed)

朝、NHKのニュースを見ていたら
「然別湖コタン」というものが紹介されていた。
北海道に然別湖という湖があって(僕は初めて知った)
この季節になると凍りついた湖の上に
エスキモーの家イグルーみたいなものが作られていて、
中はバーやロッジになっているのだという。
「氷上露天風呂」まである。
http://www.nature-center.jp/07kotan-free.htm

すげーと思った。これは行ってみたい。
スウェーデンでオーロラツアーとなると「ユッカスカルビ」というところで
「氷のホテル」ってのが有名であるが。
日本でもやろうと思えばやれるんだよね。

「氷上露天風呂」ってどうやって実現してんだろ??
湖の中で沸いてる??そんなわけないか。
お湯を運んでいるのだろうか??
写真を見る限りで思うに
なんらかの断熱材で作られた円形のプールでお湯を沸かしているような。

---
オホーツクの流氷もいつか見に行ってみたいしなあ。
このところのニュースによれば
冬のオフシーズンの格安ツアーの代名詞みたいに扱われてるけど。
1泊2日で観光もついて1万円台もあるのだとか。
もちろん飛行機だったかJRだったか東京から往復、ホテル代込みで。

今、こんなのを見てる。
http://www.hokkaidotour.net/special/ryuhyo2007/

---
暖冬の影響で今年は青森県金木町(旧名称、合併後は五所川原市)の
冬の名物地吹雪体験ツアーが初の中止になったのだとか。

□中止のニュース
http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20070111-141200.html

□今月に入って、ようやく再開のニュース
http://mytown.asahi.com/aomori/news.php?k_id=02000000702050004


[2249] 2007-02-06 (Tue)

こういう話を思いつく。

---
あなたは小さな頃から「声」が聞こえる。
何の変哲もない声だ。これと言って特徴もない。
男性なのか女性なのかも分からない。

あなたは声が聞こえるということを周りの人たちに話せないまま、育つ。
幼年時代から思春期に至る段階の間に様々な戸惑いを経て、
自分以外にはこの声が聞こえることはないのだ、ということを知る。
他の人たちが同じように声を聞くことはないのだ、ということも学ぶ。

声はあなたに、指図をする。
何をするべきか、何を避けるべきか。
とある瞬間にふと訪れて、声は去っていく。

あなたは、声の言う通りに行動する。

1年以上声が現われないこともあれば、毎日のように声が囁くこともある。
その後の人生を左右する重大事に差し掛かっても
これまでのように示唆してくれないというときもあれば
その日の夕食は何にするかといったごく簡単な出来事に対して意見を言うこともある。

あなたは、声の言うことに対して逆らおうとはしなかった。
常に従順に従い続けた。
それが正しいことなのだと信じて。

そしてあなたは今、死の床に横たわっている。
大勢の人に見守られているのかもしれないし、
1人きり誰もいない部屋にいるのかもしれない。

声が聞こえる。
「あなたは今、死ぬことになった」

あなたはその言葉を受け入れる。死の中へと、落ちていく。

---
ただ、これだけ。


[2248] マンションが出来上がる 2007-02-05 (Mon)

建設中だった芝浦アイランドが着々と完成に近付きつつある。
http://www.shibaura-a2.com/top.html
マンションの建設がいつのまにか終わって、
夏ごろからか付属施設が少しずつ形作られていった。
来月オープンの大丸ピーコックであるとか、
マンションのエントランスであるとか、周辺の遊歩道であるとか。
毎日その前を通っていると気がつかないが、
時々立ち止まって眺めたとき、
「え?いつのまにこんなのができたの?」と驚くことになる。
小さな小さな、ミニチュアの町を1つ作るようなものである。

朝通り過ぎるだけだが、実にいろんな業者が出入りしているものである。
マンションそのものを作っているときは大勢の「現場」の人たちで賑わっていて、
それが一段落すると自販機を設置する業者であるとか、植木の業者であるとか。
マンションを施工している会社と
大丸ピーコックを施工した会社は同じだったのだろうか。
同じだったとしてもその下で実際の作業を請け負っているところは別かもしれなくて。
めまぐるしく人々が入れ替わっていく。
運河沿いのスペースを小さな公園らしく整えていく作業が秋頃から行なわれた。
土だけだった場所を埋め立てて、コンクリートで固めて、芝生を植えていく。
これら全て「この工程が終わったら次の人にバトンタッチ」ではなくて、
スケジュールが事前に綿密に決められていて、その通りに進んでいく。
その日そこに初めて来た植木の業者は、前の工程が完了していることを前提としている。
1日や2日の遅れも許されない。
その分の工賃を誰が出すのか?という切実な問題になる。
(「働きマン」にそういう場面が出てきたなあと思い出す)

システム開発ではスケジュールの1日や2日の遅れ、
別工程への入りの遅れが発生することはざらであって、
それに慣れている、それが起こりうることをリスクとして見込んだ上で物事が進んでいく。
そういう立場の僕なんかからしたら
建設現場を仕切っている人たちなんてのはとにかく「すげえな」と思わざるを得ない。
もちろん設計書と寸分たがわず作るのだろうし。
プログラミングのミスであるとか、設計時の認識のズレとか、
そもそもの要件の取り違いだとか、そういうのはありえない、もしくはゼロに近い・・・
(僕は年を追うごとに、IT業界は建設業界を見習うべきという考えを強くしている)

マンションはモデルルームの公開が始まったようだ。
完全予約制。見てみたいなあと思う。
買う予定も資金もない若造にも見せてもらえるのだろうか?
1度見てしまったら、この僕も「マンション欲しいなあ」と思うようになるのかもしれない。


[2247] 「リトル・ミス・サンシャイン」「マリー・アントワネット」 2007-02-04 (Sun)

土曜に見に行った映画2本について。

まずは渋谷のシネクイントで「リトル・ミス・サンシャイン」
家族の再生をテーマとした一見地味な作品ながらも、全米で口コミで評価が高まり、
昨年の夏の興行収入成績トップへと躍進、今年のアカデミー賞作品候補にまで上り詰めた。
無名に近い脚本家と監督が成し遂げたアメリカン・ドリーム。
(「40歳の童貞男」がヒットしたばかりの
 スティーヴ・カレルが出てるってのもポイント高かった模様)

売れない成功論を振りかざす父親を筆頭に負け犬一家が
娘の美少女コンテスト「リトル・ミス・サンシャイン」出場を機に
おんぼろの黄色いバスに乗ってカリフォルニアまで旅に出る、
プチ・ロードムーヴィーにしてホームドラマ。

この娘がまたミス○○に憧れてのぼせ上がってるだけでしかない小太りのメガネっ子で、
「おいおい、そりゃねえだろう」と暗雲立ち込める結末を予想させるんだけど、
結果正にそうで。都合よく奇跡など起こりやしない。それがまたいい。

前半は薄味な感じで、「まあ新人監督だからなあ」と思わせるんだけど、
後半からぐぐっとまとまりだしてクライマックスの美少女コンテストまで一気になだれ込む。
出場してる他の子たちは5歳・6歳とは思えないぐらい完成されたミス○○のミニチュアばかり。
そこに一緒になって並ぶ、1人だけポーズの取り方すら知らない
小太りメガネっ子の姿が痛々しくてたまらない。
やがて順番が来ておじいちゃんに振付けてもらったという「ダンス」の披露となり、
これがまた思わず目を覆いたくなるような大醜態。
「ごめん。もう見てられない。頼む。許して」と僕は心の中で祈るような気持ちになる。
だけどそれがちょっとしたことをきっかけに、感動の名場面となってしまう。
壊れかけた家族が立ち直って、1つになる。
僕は唖然とした。鮮やかなまでに突き抜ける瞬間ってのがあった。
確かにこれは口コミで話題となって、アカデミー賞の候補になるだけのものがある。
映画を見る感動ってのがここにはっきりと現われてるんだもんな。

でもこれが作品賞を取れるかって言うとそれはちょっときついだろうなー。
ほどよい佳作ってとこか。

このダンスのシーンの素晴らしさはしばらくの間、ことあるごとに思い出すと思う。

なお、エンドクレジットに流れる曲などいくつかで、Sufjan Stevens が使われている。
どっかで聞き覚えのある声と歌、楽器のなり方だなあと気になってクレジットを見ていたら
名前が出てきた。
あんまり知られないままになってしまうのかな。もったいない。

---
銀座に移動して、「マリー・アントワネット」を日劇PLEXの11階で。
16時の回がほぼ満席。あの広い客席が埋め尽くされていた。
しかも女性ばかり。
全てを多い尽くすケーキとドレスと靴とシャンパンの洪水。
花束とアンティークな家具と髪飾り。瀟洒でかわいいものだけで成り立っている王国。
女の子の夢がここまで豪華絢爛に、ここまで何の臆面も無く描かれた作品ってなかっただろうな。
少女漫画の実写化。一言で言うとそういうことになる。

賛否両論あるだろうけど、僕はこれ面白かった。
否定的な人は「とりとめがなくて、ストーリーがない」ってのが不満なんだろうけど、
ソフィア・コッポラにそれを求めてもしょうがない。
「ロスト・イン・トランスレーション」だってそうだったじゃないですか。
2時間なら2時間と言う時間を使って、なんらかの感覚・感触を伝えること。
彼女の望むことは恐らくただそれだけであって、
マリー・アントワネットの史実そのものではない。

ソフィア・コッポラ独特の
そのシーンで起こる出来事とその映像を通じて
人として誰もが感じる曖昧な感情をサラリと描く手法は今回さらに研ぎ澄まされたように思う。
あれだけのケーキとドレスと取り巻きたちに囲まれながらも
マリー・アントワネットが抱いた孤独感や無力感ってのがそこここで瑞々しく描かれている。
ちゃんとそういうのを切り取れるからこそ、映画が映画として成り立っているのではないか。
だから、これでもかこれでもかと
女の子的ガジェットで全てが埋め尽くされていても息苦しくならない。
そのときマリー・アントワネットが食べたケーキのキュートな甘さを伝えたいのではない。
ソフィア・コッポラが伝えたかったのはその儚さだ。

儚さ。
それは映画という表現媒体が誕生以来描き続けてきた普遍的なテーマの1つであって、
ソフィア・コッポラは臆することなく今回もまたそこに挑んでみた。
そういう意思がはっきりと感じ取れたので、僕としてはこの作品を高く評価したいと思う。

あと、音楽。
「クエンティン・タランティーノか、ソフィア・コッポラか」ぐらいに
縦横無尽に自分の好きな音楽を使いまくって結果オーライにしてしまう類稀な才能。
いやー。僕としては冒頭でいきなり Gang of Four 「Natural's Not in It」の
この世の気に入らないもの全てを切り裂くギターのリフが聞こえ出した時点で
「やられた!」と思った。ゾクゾクした。
ヴェルサイユ宮殿の享楽の日々に New Order「Ceremony」が背景として流れて、胸が高鳴った。
マイブラの Kevin Shields がリミックスした Bow Wow Wow のジャングル・ビート。
UK New Wave だけじゃなくて、おなじみ Air や Aphex Twin のアンビエント系サウンド、
普通に当時のバロック音楽も使われていて。
ケーキに興味のない僕なんかにしてみれば
このサントラの方がよっぽど豪華だなあ、すごいなあと唸らされるもんであって。

ことあるごとに僕は言ってるけど、Gang of Four が大好きで、
映画館という場所でこれまでで最も大きな音で聞くことができた。
そのことだけでもソフィア・コッポラに感謝である。


[2246] 映画部の新年会 2007-02-03 (Sat)

会社の映画部の新年会を開く。
タイスキが食べたいなあと有楽町のコカレストランに入るが、
タイスキの席はいっぱいってことで普通の方の席へ。
1次会が終わって22時半。何人かでもう1軒入った。
中央線の終電近くまで飲んだ。
映画の話も多少したけど、ほとんどが映画に関係ないことばかりだった。
まあなんでもよくて。楽しい時間が過ごせたならば。

映画部は結局2006年度はほとんど活動できず・・・
解散した方がよいのではないかと考えた時期も僕の中にあった。
僕の忙しさに左右されているとしたら、結局それって部活動でもなんでもないよなあと。
思い悩んだまま、誰にも相談しなかったけど。
それが「忘年会しましょう」「新年会しましょう」って声が出てきて、また集まることができた。
こういう縁をおろそかにしてはいけないもんである。

僕自身が今映画を作るモードに無いため、さてどうしたもんかってとこなんだけど、
最近思うに映画じゃなくてもいいんだよな。
社員が休日に集まって楽しい時間が過ごせたら、なんでも。
とりあえず夏に合宿しようかという話が出て、
「あーそれでもいいかもな」と思う。
「まずは映画ありき」で考えていたら何も進まない。
行くと決めてあれこれ計画して動いてるうちに
いつのまにか形になっていくだろう。それでいい。
悩んで悩み続けて動けてないままだと、何も始まらない!

直近のイベントとして来月3月は焚き火をしようかと。
車に乗って、買出しをして、海辺まで行って。
木切れを集めて、あれこれ焼いて食べる。
場所が見つからなかったら、いつものあの海に。

---
You Tube や Google Video の時代なので、
作るとしたら1分未満とか、長くても5分ぐらいのショートフィルムがいいんだろうな。
それだったら2ヶ月ぐらい企画して、撮影も2・3日で済みそうだ。

これまで撮ってきたような
30分から1時間のでストーリーがあって、みたいなことを考えていると
いつまでたっても先に進まない。

ショートフィルムの撮影を都内のどこかでやって、終わったらその近くで飲んで。
ぐらいのことをちょこちょこできたらいいよね。
来年度、まずはそこから。


[2245] ノアの方舟 2007-02-02 (Fri)

ノアの方舟は実在したのだろうか。
トルコ共和国東部に位置するアララト山には今でも船の残骸が眠っているとされる。
20世紀初頭、帝政末期のロシアが大掛かりな調査隊を派遣し、
それなりに成果を収めたようであるが、
ロシア革命の混乱の中で失われてしまったという。
(ありがちな話ですね)

調べてみると、聖書学者の見解によれば
ノアの洪水は紀元前3000年頃の出来事であるようだ。
まあ洪水そのものはなにかしらあったのだろうけど、
ノアの家族以外は生き残らなかったというのはさすがに大袈裟ではないか。
ってなところか。

このときノアは動物たちをつがいで船に乗せて救ったとされる。
船に乗せられなかった動物たちは残念ながら絶滅した。
伝説上・想像上の動物たちのいくつかはこのとき、失われたものだという話もあるが・・・

---
僕のような人間だとノアの箱舟的テーマは大好きで、
それはもちろん歴史ものとしてではなくて、未来世界のSFとして。
世界の終わりとその救済。
破滅する地球。特定の一握りの人間だけが選ばれて、宇宙へと旅立つ。
SF小説でよく描かれるテーマだし、藤子・F・不二雄のマンガにもいくつかあったように思う。
手塚治虫の「火の鳥」にも類似のテーマがなかったっけ?
宇宙船ではなく、タイムマシンで過去へ、
あるいは地下深くのシェルターやコロニーでというようなバリエーションを含めると
かなり裾野が広がる。

そこには選ばれた人間と選ばれなかった人間のサブテーマや
選ばれた人間のその後の生き方というサブテーマがある。
前者だと家族のうち子供だけが選ばれるとか、恋人の片方だけとか。
後者だと絶え間ない孤独や罪の意識だとか。
もっと前向きに、ただ単に新しい場所での新しい生活を描くというものもある。
そうだ、変わり果てた故郷の姿というサブテーマというものもある。

僕もそのうち何かしら書きたいのであるが。
例えばこういうの:

ある朝主人公は目覚めると宇宙船の中にいる。
大勢の見知らぬ人がいて、彼らもまた戸惑っている。
異性からの使者が現れて言う。
地球という星は突如勃発した世界戦争により死滅した、
私たちは事前に危険を察知して地球人をランダムに選んで救出した。
これからとある惑星にあなたたちを送り届ける。
そこを第二の地球として捉え、生活を始めてほしい。
・・・やがて地球人たちはその惑星へと到着する。
地球と全く同じような大気分布で、海も山も森林もある。
彼らはそこに原始的な村を作って暮らし始める。
しかしそれはノアの方舟でもなんでもなくて、
宇宙人が単なる好奇心から始めた実験に過ぎなかった。
そのことを知った地球人たちは・・・

---
コロニーと言えば今、「バイオスフィア2」の実験のことを思い出した。
90年代初め、アリゾナの砂漠の中に建てられた
閉鎖的なドームの中で地球を模した環境を人工的に作り出し、
その中で男女の科学者8人が自給自足の生活を行なったのだが、開始から2年で中止。
その理由の1つはドーム内のゴキブリの異常繁殖だったらしいんだけど・・・
考えただけでゾッとする・・・

↓このサイトがあれこれまとめてます。
http://sogoods.net/mainarchives/2006/06/post_42.html


[2244] NHK朝5時台の女性アナウンサー 2007-02-01 (Thu)

昨日mixiに書いた話を元に。

---
「どういう女性が好みなのか?」
「芸能人で例えると誰?」

みたいなことを割りとよく聞かれる。
知人との飲み会の場で、僕が30代前半で結婚の予定無しみたいな話になるといつも、そう。
そのたびに「テレビ見ないからわからない」と答えてた。
顔と名前が一致するってことで中谷美紀と答えたこともあったが、
実際問題最も好きなたいぷかというとそうでもない。

が、最近「この人だ!」という女性が現れる。
http://www.nhk.or.jp/a-room/ana500/ana/00531.html

今年の1月からNHKの朝5時・6時台のニュースのアナウンサー。
僕が唯一テレビを見ている時間帯。

噛んだり言いよどんだり
アナウンサーとしてはまだ今ひとつだけど、きれいな人だ。

この話をmixiに書いたところ、幸薄そうだ・・・というコメントが返ってくる。
そうだ。確かに僕は、ほんのりと幸薄そうな人が好みかもしれない。
本気で幸薄かったら困るけど。

まあつまるところ、「清楚な人」ってことになるんだろうな。
これからはそんなふうに答えることにしよう。

---
それまでこの時間帯を担当していた女性アナウンサーはどうなったのだろう?と思う。
今日の Yahoo ! ニュースでたまたま、結婚・妊娠で降板という記事を見かけた。

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/entertainment/announcer/?1170296284

なるほどな、と思った。

そういえば。朝のこの時間帯の男性アナウンサーは
町で見かけた話題のようなコーナーの後、駄洒落を言うことになっているようで、
時々「あちゃー」な内容のものがポロリとこぼれる。
そんなとき女性アナウンサーも困ってしまい、場が凍りつく。
だったら言わなきゃいいのに・・・
まだまだだなあ、NHKって。

---
話し変わって。
母校青森高校を wikipedia で探してみた。
出身校の有名人の項目にて「春日井静奈」という人を見つける。僕の4つ下か。
「タレント、女優。1997年ユニチカ水着キャンペーンモデル」とある。
知らなかった。

画像を検索してみる。
・・・残念なことに(?)この手の顔は好きではない。


[2243] Barbee Boys 2007-01-31 (Wed)

昨年末にバービーボーイズのアルバムが
リマスタリング&紙ジャケで再発されていたことを知る。
これは買わなきゃ、全部揃えなきゃ!と思う。
が、給料日でたくさん買い込んだ後。来月まで我慢することに決める。
CDで持ってないわけではないので、取り出して聞いてる。
そんなわけで人生何回目かのバービーブーム到来。

何度も何度もことあるごとに言ったり書いたりしてきたが
僕にとって80年代はバービーボーイズとレベッカ。愛してやまない。
小学校の時から今に至るまでずっと好き。聞き飽きない。
むしろ今聞く方が発見がある。
どっちも音楽的なルーツが見えそうで見えないのが一緒。
パンクでもハードロックでもない。ディスコでもロカビリーでもない。
それまでの日本のロックとのつながりも直接的には感じ取れない。
強いて言えば結局は歌謡曲+ギターロックってことなんだろうな。バービーの場合。
恐らくあの手のギターロックのバンドは当時日本中にたくさんいたのだろうけど、
最も音楽的教養量を誇り、最も洗練されていたのがバービーだったのだと思う。
レベッカもそうだけど単一の核となるルーツがなく、
古今東西のあらゆる音楽(というかポップミュージック)を耳を頼りに取り込んでいって
無意識下でごった煮にした後で、バービーなりレベッカという超強力なフィルターで抽出する。
だから何を聞いてもバービーで、何を聞いてもレベッカだ。
その個性が鮮やかにプリントされている。

先日改めてバービーの歌詞カードを読んだ。
まともに読むのは初めてかもしれない。
「なんじゃこりゃ」と驚いた。感覚的な単語の羅列でしかない。
ナンセンスというか、ノンセンス。
「男女の掛け合い」が中心的なコンセプトだったから見た目は話し言葉なんだけど、
僕はもっとストーリーというか歌としての骨格みたいなものがあるものだと思っていた。
そうじゃない。むしろ記号の群れというか、なんつうか呪術的なものを感じた。
それはつまり、印刷された単語としては何の意味を持たないが、
あの2人が歌として声に出すことで初めて生命に満たされるということ。
歌として聞くと違和感全くないのに、歌詞として読むとここまで意味不明なバンド、
僕の知っている限り他にはなかった。

歌詞ありきではまずなくて(これをいきなり紙に書いてたらある意味天才だ)、
そして実は曲ありきでもなくて、
もしかしたら、いまみちともたかは曲と歌が一遍に生まれていたのではないかと思う。
でないとここまでぴったり歌にはまる言葉って見出せない、と素人ながら僕は断言する。
中村一義が登場したとき、言葉と歌のコンビネーションの絶妙さを絶賛されたもんだが、
その系譜はいまみちともたかに遡っていけるのではないか・・・

最近は椎名林檎の東京事変がライブで「C'm'on Let's Go !」をカバーして、
MCでもいまみちともたかのことを言ってたりするようだ。
そんなのもあって今の若い人たちもバービーを知る機会がちょっと増えたのかも。
www.hmv.co.jp のバービーのアルバムに対する書き込みを見ると、そんな感じがする。


[2242] カレー天丼 2007-01-30 (Tue)

いつだったかの新聞にて農林水産省が、海外に無数に存在する日本料理店のうち、
ちゃんとしたところにお墨付きを与えることで正しい日本料理を広めようじゃないか、
みたいな制度を始めるというのを読んだ。

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070110k0000e040072000c.html

日本と言えばいまだに
「ゲイシャ、フジヤマ、ハラキリ」なイメージを多分にもたれている海外にて、
すっとこどっこいな日本食がまかり通ってるのだと思われる。

槍玉に挙がったのが「カレー天丼」
カレーの上に、トッピングで海老の天ぷら3本。
「ああ、日本食を誤解してる」ってことらしいんだけど、
「これ、うまそうじゃね?」と思うのは僕だけか!?
メニューとして絶対いけるはず。
(この店のがうまいかどうかは別として)

カレーうどんの古奈屋に「えび天カレーうどん」ってメニューがあって、
最初はぎょっとするものの食べてみたらうまかった。かなりうまかった。
天ぷらの衣は、クリーミーなカレーのスープに意外と合う。
激辛じゃなくて、ピリッと辛いぐらいにするのがポイントだと思う。

どっかでカレー天丼ってのを出さないかなあ。
カレーか天丼のチェーン店でやっても
「変り種トッピング」程度でたいしたことないだろうから、
老舗の蕎麦屋か天ぷら屋が裏メニューとして。
実はまかないでよく食ってました、みたいなやつ。
蕎麦屋のカレーに天ぷらは絶対、合う。

---
「おかしな日本食」にもいろいろあるんだろうけど、
この議論って「じゃあ、カリフォルニアロールはどうなるんだ?」ってことになるはず。
ロスの寿司バーで発明。日本にも逆輸入。
今ではこれも日本で普通に見かける、ポピュラーなメニューとなった。
厳格な人はこれって日本食と認めないだろうな。
確かに僕も微妙に思う。似て非なるというか。
寿司バー的店で出てくるのはよいが、
それなりに値段の張る和食の店の座敷で出されたら違和感を感じるかもしれない。

広い括りで言うと日本というイメージに沿う食べ物なんだけど
日本食じゃないということになるのか。
だとしたら日本食って何だ?

寿司飯、新鮮な海産物、メニューとしてのそもそものコンセプト。
どこをどうとっても寿司なのに、見かけというかアイデアが全然違う。
生まれも育ちも違うからってことで異国のものになってしまうのか。

---
そういえば、学生時代に寮があった西武多摩湖線一橋学園駅の駅前にあった
「戸隠」という立ち食い蕎麦屋。夜明けまで営業していて
徹夜して麻雀を打ってたときとか飲んでたときとかカラオケに行ってたときとか、
サンダルを突っかけてよく食べに行ったものだった。
ここの牛メシが絶品だったんだけど、
裏メニュー的にカレー牛メシってのがあってこれまたうまかった。
松屋の「カレ牛」のように皿の上に半々になってるのではなく、
丼の中で、ご飯の上にカレー、さらにその上に牛。生卵を乗せるとさらによし。


[2241] 今年のアカデミー賞候補 2007-01-29 (Mon)

先日、アカデミー賞のノミネート作品が発表される。
本命は「バベル」かねえ。これ、面白そうだよ。カンヌでも監督賞。
菊地凛子が助演女優賞ノミネートってなってるけど、
正直僕も「誰それ??」って感じでした。
「バベル」はもう1人アドリアナ・バラザという人が
同じく助演女優賞にノミネートされている。
1つの賞の候補に同じ映画で2人となっていると不利かもね。
「バベル」の監督はアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ。
「21グラム」と「アモーレス・ペロス」を見たことあるけど、どちらも面白かった。
「バベル」はゴールデン・グローブ賞も取ったし、作品賞・監督賞は確実でしょう。
見事獲得した場合、メキシコ出身の監督って初めてかもしれない。
「炎のランナー」や「ガンジー」のようにイギリス人の監督のケースはいくつかあるけど。

「硫黄島からの手紙」が対抗馬かというとそんな気はしない。
クリント・イーストウッドは既に「許されざる者」「ミリオンダラー・ベイビー」で2回取ってるし、
3回目ともなるならもっと華々しいものじゃないとだめなんじゃないかな。
個人的には「父親たちの星条旗」の方が好きなんだけど、
見たらノミネートは音響賞と録音賞だけだった。
(ちなみに、この2つの賞の違いって何なのだろう??)
話題となった二宮和也の助演男優賞は結局ノミネートされず。これは残念。
取れるかも?と盛り上がっていたのは日本だけなのかな。

最多ノミネートは「ドリーム・ガールズ」の8個。
でも笑っちゃうことにこれ、作品賞にも監督賞にも主演女優賞にも名前はなくて、
歌曲賞で3つだったりするんですよね。
確率で言ったら3/5になるんでかなり高いけど、これで取れなかったら・・・
対抗馬はピクサーのアニメ「カーズ」と
元副大統領にして民主党大統領候補アル・ゴアが環境問題を訴える
ドキュメンタリー「不都合な真実」(これが歌曲賞ってのもなんかすごい)
「ドリームガールズ」は予告編を見てると普通に面白そうで。
なんたって主演がビヨンセだもんな。ファンじゃないけど、見てみたい。
今も昔も相変わらず全世界で最も光り輝くディーヴァの1人。
スクリーンの中を存在感で圧倒しまくるのだと思う。

作品賞の候補の1つ「リトル・ミス・サンシャイン」がとても面白そう。
この映画のこと、どっかで聞いたことあったけど、忘れてた。
まだ公開されているので、早いうちに見に行かなくちゃ。


[2240] ミドルネーム 2007-01-28 (Sun)

「日本人もミドルネームがあるとよかったのに」と思ったことがあった。
特に意味はないけど。
黒船来航で明治維新の際に
「日本人も先進国の仲間入りを果たすべく、ミドルネームを持つべし」
となってもおかしくはなかった。
なぜならなかったのか!?
もしかしたら今頃、みな「ジョン」とかそういうのが間に挟まっていたかもしれない。
「岡村・ジョン・豊彦」
でも、ジョンがミドルネームって人はいないか。

明治の始め頃、キリスト教に改宗した人が
クリスチャンネームを与えられてそれを名乗っていた、
ということもあったのではないかと思われる。想像に過ぎないけど。
それまで名前だけしかもっていなかった平民も
日本人足るもの苗字を持つべしってことで統一され、
それと同時にミドルネームに当たるような
通称もつけてはならない、となったのではないか。

ちなみに、ジョン・レノンのミドルネームはウィンストンだった。
ジョン・ウインストン・レノン。
69年にオノ・ヨーコと結婚した際にミドルネームを「オノ」に変更している。

「ミドルネーム工房」というものを見つける。
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/yatchin/middlename.html
さっそく試してみたら、
「岡村・スープカレー・豊彦」となった。
なんとぴったりな名前なのだろう。


[2239] モルモン教 2007-01-27 (Sat)

僕が高校生の頃、青森市の繁華街で白人の2人組をよく見かけた。
真っ白な半袖のシャツを着て清潔感溢れるナイスガイって感じで、
自転車に乗ってることが多かった。
青森はそんなに国際色豊かな町ではないので外国人の姿を見かけることは少ない。
三沢の米軍基地から観光かなんかで来ているガタイのいいアーミーたち(主に黒人)や
道端にアクセサリーを広げて売っているヒッピー崩れみたいな人たちぐらい。
白人男性の姿はほんと珍しかった。

彼らは何者なのだろう?何をしているのだろう?
休日ともなると必ずどこかしらで見かけた。
英会話学校の教師?そもそもそういう学校ができたという話は聞いたことがない。
高校でも話題になり、事情通の誰かが「実はね・・・」と真相を明かす。
彼らはモルモン教徒だった。
布教活動のために、わざわざ本州最北端の田舎の地青森まで来ていたのだった。

その頃の僕のイメージとして、
「世界まるごと HOW MUCH」に出演していた
ケント・ギルバードやケント・デリカットが敬虔なモルモン教徒だと知っていたぐらい。
枕詞に必ず「敬虔な」とつくことから、厳格な戒律のようなものがあるのだと思っていた。
そして僕はユタ州のソルトレイクシティを閉鎖的なコミュニティのように捉えていた。

今もあまりそのイメージは変わらない。
酒もタバコもコーヒーもだめ、もちろん中絶などもってのほか。
清廉な生活を求める人たち。
モルモン教徒の作家オーソン・スコット・カードのSFではない小説のいくつかに
ところどころそういう描写が出て来て、イメージが裏打ちされる。
それが人として当然の生き方であるかのように、
それ以外の生き方が理解しがたい奇妙な習慣であるかのように、扱われている。

青森市の2人組は常にフレンドリーな雰囲気を身にまとっていた。
うっかり目が合えば「ハイ!」と言ってくるぐらいの。
(だから僕みたいな田舎の内気な若者は彼らの姿を目にすると目を伏せた)
「一緒に遊びましょう」との誘いに乗ったツワモノが何人かいて、
彼らがくっついていった先は普通の市民公園。
何事もなくバレーボールをして終わったという。
その後モルモン教の教えを語られることもなかった。ただ普通に交流しただけ。
モルモン教の信者を増やしたいのではなくて、
明るいイメージを広めたかったのだろうなとそのとき考えた。
たぶんそうなのだと思う。

彼らがその後どうなったのかは知らない。
15年経った今もまだ同じような活動を続けている?代々入れ替わって。
大学進学で上京して、夏休みのたびに帰省したが、見かけたかどうか覚えていない。
そもそも高校3年間ずっと見かけていたのか、
それともある年の夏のことだけだったのかもはっきりしない。
雪に閉ざされる冬、彼らの姿を目にした記憶がない。全くない。
さすがに青森の寒さと雪の多さには耐えられなかったのではないかと思う。


[2238] マトリョミン 2007-01-26 (Fri)

卓上テルミンってのがあったらほしいなあ。
机の上に置いといて、暇なときとか気分転換が必要なときに
右手と両手をチョイチョイ動かしてヒュイーンと音を出したいなあ。
なーんて心の片隅でこっそり思って早数年。
卓上テルミンは見つけられなかったが、
「マトリョミン」ってものが世の中に存在することを知る。
マトリョーシカ+テルミンでマトリョミン。
ジョークかと思ったら本気で売ってた。おもちゃじゃない。
http://mandarinelectron.com/products/index.html
すごい会社が世の中にあるもんだ・・・
「ロシアっつったらさ、マトリョーシカとテルミンじゃねーの?」
っていうノリで手先の器用な人が遊びで2つ足してみた。
始まりはきっとそういうことなのだと思う。

そのとき思ったことが
「ロシアっつったらさ、ウオッカとキャビアじゃねーの?」
「KGBと赤の広場じゃねーの?」
だったらそこから先新しいビジネスは何も生まれなかったわけで、
人の発想というものはすごいもんだとつくづく感心させられる。

上記のサイトを見ると
全国にちらほらと「マトリョミン教室」「マトリョミンクラブ」があるようで、
い、いつのまに・・・。と驚く。
グレード試験まである!!
僕が知らなかっただけで、今この国でも割とポピュラーな楽器なのか?
ライブでテルミンを使用するバンドはいくつか見かけたが、
そのうちマトリョミンを奏でるメンバーのいるバンドも出てくるかもしれない。
ジョン・スペンサーはテルミンの替わりに、ここ日本ではマトリョミンを!!

でも、どこをどう考えてもこれってシュールだよな。光景として。
マトリョーシカを前にして両手を上下左右に動かしてる映像を
音声なしで見たら、絶対怪しい。
音が出ていても怪しい。

でもほしいなあ。4万はさすがに高いなあ。
この会社ではマトリョーシカに着せるフワフワしたコートまで売ってて、
この僕ですら、「か、かわいい・・・」と思ってしまった。
ごく普通のマトリョーシカに着せて飾っとくだけでもいいかも。
マトリョーシカの船とかブランコも、どっかで見かけたら絶対衝動買いしてた。

---
マトリョーシカ。
僕が今から10何年も前にロシア行ったときに、お土産で買ってきた。
ロシアの歴代大統領のと、アメリカの歴代大統領のと。
どちらも人にあげてしまった。
市場で1000円ぐらいで買ったもの。
あちこちの露天商的土産物屋で必ず売ってた。

マトリョーシカってなんとなく哲学的なように思う。
事物「A」の中には「A’」が内包されている。その連鎖。
しかしその行き着く先は「無」であるというところ。
(「無」ゼロかもしれないし、1かもしれない)
マトリョーシカの中にマトリョーシカ、さらにマトリョーシカってんで
永遠に続くようでいて、実はあっさりと有限であるところ。
なんだかとても示唆的だ。

「ロシア文学の本質はマトリョーシカに表される入れ子構造にあり」
なんて論文がいとも簡単にでっち上げられ、
僕なんかだとけっこうすんなり信じてしまうだろうな。
「ペレストロイカも入れ子だったじゃないですか。奥までたどり着いたとき・・・」
とかね。真顔で言われたら、実態を知らなくても
「そ、そうね」と知ったかぶりしてしまいそうだ。


[2237] 音楽バトン 2007-01-25 (Thu)

mixi で大学の先輩たちが答えていた「音楽バトン」です。

■1.初めて好きになったアーティストは?

 大きな声では言えないが、C-C-B

■2.初めて買ったCDは?

 The Blue Hearts 「TRAIN-TRAIN」(アルバムの方ね)

 中1から中2かな。ブルーハーツが全てだった。
 
 「僕たちを縛りつけて一人ぼっちにさせようとした
  すべての大人に感謝します。1985年日本代表ブルーハーツ」
  って言うのが今でもかっこいいと思う。

 次に買ったのもブルーハーツで、
「リンダ・リンダ」と「人にやさしく」のシングルだったはず。

■3.今持っているCDの枚数は?

 6000枚から7000枚はあると思う。
 最近は数えるのやめました。
 数えるの不可能になってきたし、
 枚数がわかったらきっとめまいがして落ち込むから。

■4.今一番好きなアーティストは?

 Ryan Adams

 このところ「Love is Hell」をよく聞いている。

 その次は今更ながら、Guided by Voices かな。

■5.一番最近買ったCDは

 Chavez 「Better Days Will Haunt You」
 90年代のアメリカのバンドの2枚組アンソロジー+DVDのセット。

■6.普段言わないけど実は好きなアーティストは?

 ・・・思いつかない。
 昔はモー娘。が好きだったが、今は興味なし。

■7.解散して残念だなぁ〜って思うアーティストは?

 星の数ほどあるけど、最近後追いで集めだしたってことで
 six. by seven と shed seven ってことにします。

■8.初めに思いつく一人のアーティストは?

 Joni Mitchell 

■9.初めに思いつく二人組のアーティストは?

 Flipper's Guitar

■10.初めに思いつく3ピースのアーティストは?

 The Police

■11.初めに思いつく4人バンドのアーティストは?

 Television

■12.初めに思い付く5人バンドのアーティストは?

 バービーボーイズ

 紙ジャケ・リマスタリングでアルバムが再発されたみたい。
 揃えなくちゃ!!

■13.好きなサウンドトラックは?

 ・「炎のランナー」(Vangelisの例のやつ)
 ・「キャバレー」(映画じゃなくてミュージカルの方)
 ・「Waking Life」(リチャード・リンクレイターのアニメ)

■14.最近一番よく聴いてる曲は?

 ・Ryan Adams がカヴァーした oasis の「Wonderwall」
 ・Pizzicato Five 「きみみたいにきれいな女の子」

■15.音楽聴くときに使ってるものは?

 家の普通のミニコンポ。

 iPodの類は興味ないのでもってない。
 ダウンロードしてPCで聞くということもしない。

■16.好きなアルバムorシングルは?

 1. The Beach Boys 「Pet Sounds」
 2. Can 「Future Days」
 3. Penguin Cafe Orchestra 「Music From The Penguin Cafe」
 4. Tuxedomoon 「Holy Wars」
 5. My Bloody Valentine 「Loveless」
 6. Gang of Four 「Entertainment!」
 7. Faust 「So Far」
 8. The Velvet Underground 「White Light / White Heat」
 9. This Heat 「Deceit」
 10. Bo Deans 「Joe Dirt Car」

 以下、
 11. The Police 「Synchronicity」
 12. Carole King 「Tapestry」
 13. Spiritualized 「Ladies & Gentlemen We Are Floating In Space」

 と続く。
 日本だと、・・・以下略。

■17.今、一番気になるアーティストは?

 先日ベストを出したばかりの奥田民生の今後の展開。

■18.今まで一番聴いたアルバムは?

 The Police 「Synchronicity」

 いつもよく言ってることだけど。

■19.一番好きな曲は?

 今日の気分として、
 Strawberry Switch Blade 「Since Yesterday」(ふたりのイエスタデイ)

 ってことにしときます。あるいは、
 Charlene 「I've Never Been To Me」(愛はかげろうのように)

■20.バトンをまわす音楽好き5人

 まあ、誰でもご自由に。


[2236] product design 2007-01-24 (Wed)

スーパーの2階の衣料品売り場で売ってるような服、と言ったらイメージは伝わるだろうか。
2000円か3000円ぐらいの安いトレーナー。安っぽいロゴ入り。
今現在の僕は「こんなの着る人いるんだろうか?」なんて思うけど、
スーパーの2階なんて場所で大量に売っているってコトは、それなりに売れるわけだ。
服に金をかけることに興味の無い人は世の中にたくさんいるのだろうし、
服に金をかけることのできない人はもっといるのだろうと思う。

こういう服って見事なまでにどれもこれもいけてない。
例えば、ダウンジャケットだと妙に縫い目が目立つようになってたり。
でも、これはこれでデザインしてる人がいるはずなんだよな。

どういう人がデザインしているものなんだろうか?とふと気になった。
それなりの資格をもった服飾デザイナーが
「この層をターゲットにした2000円の服だから、この程度でいい」と
意図的にデザインを貶めているのか。仕事は仕事と割り切って。
それとも、やはりいけてないデザイナーがいけてない仕事をしているのか。

かっこわるいだけのロゴならば入れなければいいと思う。
なぜどれもこれもゴテゴテと何かしら張り付いているのだろう?
こう言ったら反感を買うかもしれないが、ある種の貧乏性なのだろうか。
無印良品やユニクロの服も同じような値段なのに、
シンプルで機能的で、より「価値のある」商品であるように思える。

なんらかの理由により、意図的にデザインを貶めているのだと僕は考える。

---
この世界はありとあらゆる目的のために様々な場所で日々生産される
ありとあらゆる形と大きさと色の product で満たされている。溢れ返っている。
その全てがデザインという過程を経て生まれてきたものだ。
Yシャツ、キーボード、ボールペン、ペットボトルの容器、DVDプレーヤー。
当たり前と言えば当たり前のことだ。
だけど普段暮らしていてそのことに思い至ることは無い。

僕らの生活はどこかの誰かが意思を持って形作った物に取り囲まれて成り立っている。
今この部屋にある物の1つ1つに、それをデザインした人の意思が宿っている。
そんなことに思いを馳せると、途方もない気持ちになる。

---
もちろん、社会の教科書的にデザインだけでなく
その製品を工場で生産した人やそのラインを監督した人やそれをパッケージに包んだ人や
それをトラックに積んで運んだ人やそれを陳列棚に並べた人や、
今もっと前にその原料を生成した人がいる。なんてことも考える。
どれだけの人を介在して今この消しゴムは僕の目の前にあるのか。
いや、ほんと、大変なことだ。
どれもこれもがそうなのだ。

逆に、僕の日々行っていることが
どこかの誰かの使っている何かに結びついているのだろうか?
パッと見思いつかないけど、必ずどこかにつながっていくのだろう。
社会ってそういうものなのだ。
無数のそういうものの組み合わせや積み重ねなのだ。途方も無い規模での。

---
いかん。これ以上考え続けるととんでもないことになる。

取り留めなく考えたけど、今日はここまで。


[2235] 初雪 2007-01-23 (Tue)

この前の土曜、暦の上では「大寒」の日、東京はほんの少しだけ雪が降った。
降った、と言えるほどではないかもしれない。まして積もったりもしない。
あれは11時頃だっただろうか、外に出たら白い粒が風の中を漂っていたというだけ。

東京の穏やかな灰色の空の下でそんなふうに雪を見つめるとき、
こんなふうに言うとあれだけど、胸がキュンとなる。
「雪だ・・・」と思う。
嬉しい、というのとは違う。なんと言うか、ザワザワした、うずくような気持ちになる。
青森で育ったことによる習性か。
その季節で初めての雪に出会った瞬間、いろんなことを考えるし、いろんなことを思い出す。
雪というものに囲まれた生活の感触を思い出す。
街の匂い、風の冷たさ、暗くなった空の色。

---
今年は世界規模での記録的な暖冬で、
ニューヨークではハワイ並みで半袖だとか
ヨーロッパは500年ぶり(!)とか1300年ぶり(!!)の暖冬だとか。

東京もまた、暖冬。
しかしあんまりそういう気がしない。このところ寒いし。
年なのかな。十分寒いよ。

毎年毎年暖冬のような気がする。
なので本来の東京の寒さってものがわからなくなった。
夏は暑い年そうでもない年があるのに、
冬だけは年々暖かくなっていってるような印象がある。ニュースの上では。

---
そういえば去年の今頃はレミオロメンの「粉雪」がヒットしていたのか。
僕ですら、シングルを買った。

いいバンドなんじゃないかと思ったんだけど、
結局その後アルバムは買わずじまい。


[2234] 納豆問題 2007-01-22 (Mon)

納豆問題。
荻窪駅前の西友に行ったら本当に納豆がなかった。棚が空っぽ。
メーカーの生産が追いついていませんと貼り紙がしてあった。
「すげー」と思った。
「あるある大辞典」で取り上げられて以来、かつてないほど規模で納豆ブーム。

・・・のはずが。
データ捏造が発覚して、暗転。
茨城の生産者は大増産のはずが、逆に在庫を持て余すことになりかねなく。
納豆に対するマイナスイメージすら生まれかねない。
天国と地獄。

ココアしかり寒天しかり。
番組で取り上げられたからブームになるって言うの、なんだかなあと思う。
前々から世の中にあるものじゃないですか。
しかも誰でも知ってる。
これが、舶来もので全然知られてなくて、
だけど味がよくて健康にもいいっていうならわかるよ?

日々いろんなものをバランスよく食べていればいいのに。
そんな結論に落ち着くのだと思う。何事も。
ココアが健康にいい、ってそりゃなにかしら体にいい成分が含まれているのは当たり前。
だけどココアだけでは人は生きていけない。
「1日に30品目食べましょう」と言うほうがよっぽど説得力がある。

---
ダイエットと言えば、炭水化物を取らないのがいいとよく聞く。
ご飯の代わりに豆腐にするとか。
僕も最近、土日はご飯を食べないように心がけている。
・・・ってその分ビールを飲んでいるから意味ないんでしょうけど。

ダイエットと言っても結局は余計なものを食べなきゃそれで済む話だと思う。基本は。

僕はこのところあちこちで大食いのイメージをもたれているが、
「そんなに太ってないですね」と時々言われる。
(腹は出てるけどね・・・)
ただ単に、大食いした次の日は腹が減らないからそんなに食べないし、
普段からあんまり間食もしないし夜食も食わないからである。
大食いは趣味のようなものであって、習慣ではない。

---
会社に社食があって、夜も営業していて、仕事も夜忙しいからそこで食べてる。
これが毎日早く帰って自炊するならば
夜は納豆ご飯に冷奴と浅漬け、味噌汁みたいなものになると思う。
毎晩それでいいんだけどね。質素な方がいい。

なんか今、無性に納豆が食いたい。
どこかで話に聞いたキムチ納豆が食べたい。


[2233] 「ラブモード2007」 2007-01-21 (Sun)

(・・・ってタイトルで書けと言われたので)

昨日の夜は高校の同級生が集まって新年会。
こういう集まりがまた復活するようになった。嬉しいもんです。
今回は10人だったけど、徐々に徐々に人数を増やしていって、
いつの日か盛大な同窓会をちゃんとやれればいいなあ。
昨年夏に1回企画倒れになっちゃったし・・・
(同窓会サイトの立ち上げで手伝ったので、ちょっと当事者意識を持っている)

池袋に集まって1次会は焼肉、その後近くの居酒屋に入る。

どういう経緯だったか忘れたが、途中からひたすらいじられた。
「オカムラ君は本当に彼女を作る気があるのか。やる気があるのか」
という疑問から始まり、みんなでこの際なんとかしてやろうっていう流れに。
でも、どういう人がいいのか?って聞かれて、最初からしてしどろもどろ。
イメージの無いところにゴールは無い。
「背丈は?」「いや、特に希望は」
「性格は?」「まあ、普通に」
「芸能人で言ったら誰?」「テレビ見ないからわからない」
全く持って要領を得ない。

なんかないの?1つぐらいあるでしょ?
ってんでなんとなく思いつきで「映画に詳しい人がいい」とポロッと言ったら
隣の子が「いるよ?1人。じゃあ今からメール送ってみる」ってすぐにも打ち始める。
写真も撮られる。「笑え!いいから笑顔で!」とみんな必死。
好きな映画3つ挙げてみようかってことで
「アンダーグラウンド」「(ジョン・カサヴェテスの)こわれゆく女」「パリ・テキサス」この3つ。
「暗い」「知らない」「最近の、もっとわかりやすいの、ない?」とダメ出し。
そんなこんなでメールが送信される。
もう1人いるよ、と2人目にもメール。
本人があたふたしている間に物事がどんどん進んでいく。恐るべし、同級生。

次の課題は初めてのデートを迎えるに当たってのコーディネート。
「あなたが着るべきは、そうね、レザーのジャケット。
 白いシャツの上がいいんじゃない?
 今はいてる黒のジーパンはそれでいいから、あとはショートブーツ」

ってな話をしてるところにさっそく1人目からメールが返ってきて、即NG
「パリ・テキサス」が受け付けないと・・・

「大丈夫!まだいける!!」とやたら励まされた。
それと同時に、「ここまでうぶな人新鮮だ」とまで言われた。天然記念物を見るかのよう。
「東京ってさ、すれた人ばっかりだけどさ。
 東京にまだこういう人が同級生として、いるなんて・・・
 同窓会っていいもんだね」

同窓会として集まるのはいいのだが、
これから先ずっとこれがネタとして扱われるのか・・・


[2232] 「jackass number two」 2007-01-20 (Sat)

池袋のシネマサンシャインに「jackass number two」を見に行った。
http://paramount_mtv.weblogs.jp/
都内ってここだけなんですね。新宿や渋谷でもやってるのかと思った。
人気ないのかな・・・

映画って言ってもストーリーがあるわけでもなく
新ネタで総集編ってな感じの1本目と基本は全く一緒。
久々に「jackass」のメンツが集まって往年のノリでばかやってます、っていうだけ。
MTVで「jackass」終了後、
中心人物のジョニー・ノックスヴィルは(ほんとかどうか知らんが)ハリウッドスターとなり、
バム・バマージェラは自分の番組を持ち、
クリス・ポンティアスとスティーヴォーは「Wild Boys」をスタートさせた。
その他のメンツもそれぞれのキャリアを育んでいった。
そんなわけで今回の「number two」はなんとなく同窓会っぽい。
とは言っても回顧的な雰囲気は無く、
それまでのブランクが一切無かったかのように
これまで通り何も変わらず、バカをやっている。頼もしい限りだ。
でも、やっぱ老けたなあとは思う。みんな30代後半ぐらいになってんじゃないか?

チケットを買って場内に入ると特製ゲロ袋が手渡される。
いつ吐いてもいいようにと。
毎度のことだけど、これ見る人によっては絶対吐くよなー。
今回は馬の×××を食べたり、×××を飲んだりってのが出てきた。

前作は日本でゲリラ撮影を敢行してたけど、今回はインド。
なのにほとんどインドのシーンが出てこない。
ことごとくエンドクレジットに回されていた。
バックダンサーを従えてきらびやかな宮殿で
インド映画っぽく踊るシーンもあったりするのに、これもおまけ扱い。
「とりあえずインド行ってみね?」みたいなノリで行って、
撮ってみたけどあんまり面白いものは撮れなかった、ってなとこじゃないかな。
それがもしほんとだとしたらかなりなところ彼ららしいけど。

いやーそれにしても。見てて死ぬほど笑った。笑わされた。
年末に前々回の M-1 の録画を見たけど、あれよりも笑った。
スクリーンの向こうで jackass の面々が笑ってて、
場内の観客も声を出して笑う。何のためらいも無く。アーハッハッハとあちこちから。
一体感があったなあ。
ここまで笑い声に満ち満ちた映画ってこれまでなかったよ。
(ま、普段そういう映画見ないんだけどね・・・)

スカッとストレス解消になって大満足。
スクリーンで見たせいもあるけど、
これまで見た jackass のモロモロの中ではこれが一番面白かった。

僕的に最高に愉快だったのは最初の、
×××に袋をかぶせて穴から突き出して、檻の中の蛇と対決、ってやつ。


[2231] 中学生にして携帯を持つ 2007-01-19 (Fri)

今時の中学生や高校生はみな携帯を持っているのだろうか?
検索していくつか見てみたら今から3・4年前のデータであっても
全国平均として高校生で90%を超え、中学生で60%を超えていた。
例えばこういうサイト参照。
http://www.shouhiseikatu.metro.tokyo.jp/kyouiku/shouhisha/105/1.htm

たぶんこの割合は07年となってもそれほど変わらないと思う。
「中学生が携帯を持つのはまだ早い」
「非行の原因となるのではないか」と考える親は日本でもまだまだ多いはず。

僕はとりあえず今、その是非を問いたいわけではない。
本人が必要と思ってて両親も必要と思ってれば持ってればいいんじゃないの?と思う。
さっき「非行」って書いたけど、世の中に携帯があろうが無かろうが
不純異性交遊に走る男の子や女の子はいつだっているだろうし、
いじめもなくならないだろう。
時代が変わればツールが変わる、というだけのことでしかない。

今僕が思ったのは、僕の時代に携帯があったらどうなっていたか?ということだ。
青森市の郊外。かなり外れの方。
何にもすることがない。塾に行くわけでもない。冬になると雪に閉ざされる。
校庭でゴムボールで野球をやったり、誰かの家に行ったり。あと、部活動。
そんな毎日だった。
その頃はまだ新しもの好きだった僕は携帯を欲しがっただろう。
もしかしたら手に入れたかもしれない。
でも、いったいいつ誰とどこで何を話すのだろう?
メールだろうか?

思春期に入ったばかりの男の子が憧れの女の子のメールアドレスを教えてもらったり
どこからか回ってきて偶然知ったりってんでドキドキする。
どうせそういう状況を夢見て欲しくなるんだろうけど
あんまそんなときめく瞬間ってのはなくて、
「今から野球やんね?」とか「予習やった?」とかその程度の内容のメールを、
僕同様「他にメールを送る相手がいない」者同士で送りあうのだろう。
想像して僕はゾッとした気持ちになった。
あの頃、携帯なんてモノがなくてよかった。

誰からかメールが届くのを待って、一晩中それとなくソワソワしているのに
誰からもメールが届かない。そんな日があったら、絶望的な気分になるじゃないか。
そしてそれが14歳とか15歳だったら世界の終わりみたいなもんじゃないか。
この年になるとそんなのどうでもいいけど、
だから10代の子供たちはあんなにメールを送りあっているのだと思う。

僕が住んでいた、あの何もない住宅地に住む子供たちの多くが携帯を持っているのか。
そう思うと何かがなんとなく不思議な気持ちになる。
いったいどんなことを話してるもんだか。
東京の子供たちと本質的にあんまり変わらないのだろうか?
言葉が方言だというだけで。

いや、もしかしたら今時の子供たちはどことなく方言が混じっているけど、
僕らよりはるかにきれいな、標準語に近い言葉を話しているのかもしれない。
なんとなくそんな気がする。
今から何十年か前、テレビの普及によりこの国の言葉は画一化の方向に向かったのでは。
子供たちが見たいと思って見るテレビの中で話されている言葉を
子供たちが真似するのは当然であって。
それがまたこの時代になって、
携帯の普及によりさらに画一化の方向へと向かうのではないか。
根拠は無いけど、なんとなくそう思う。


[2230] うまい棒 2007-01-18 (Thu)

今週、僕のいるPJではうまい棒ブーム。
月曜の朝、めんたい味30本入りが
リーダーの机の上に差し入れとして置かれていたのが発端。
「こんなに食えるかよ!?」と最初は誰もが思ったものの、結局しっかり食ってる。
やめられない、止まらない。
「昨日の夜間バッチ、異常終了のメールが来てましたよ」と相談しながら、うまい棒をボリボリ。
「まずいじゃん、それ?ログ見てみた?すぐ見てよ」と答えながら、うまい棒をボリボリ。
水曜の夜にはなくなって、昨晩買いに走ったらしく、
さっき出社したらサラミ味30本入りが投入されていた。大人買い。
(僕としてはもう、今日、3本目・・・)

話題もうまい棒ばかり。
「作ってる会社年商100億いくらしいよ」「すげーなー」
たまたまテレビで取り上げられてたかなんかで、年間の生産本数は3億。
日本国民は年間平均して3本はうまい棒を食っているという計算になる。
ガリガリ君の会社と並んで隠れた優良企業だな。

※販売元「やおきん」のサイトでは
「なんと1日に140万本、月になんと3千500万本も生産されているんだ!!」
とあるので、×12ヶ月で年間4億2000万本となりそう。
http://www.yaokin.com/faq/

もう何年というか何十年(!)自分で買ったことはなかったので
今でも10円というのは嬉しい驚きだった。
発売当初より継続して、コストを下げる努力を欠かしたことがないというわけで、
素直に「偉いなあ」と思う。日清のカップヌードル並みにバンバン新商品も投入してるし。
Wikipedia を見たら「マリンビーフ味」とか「レッドロブスター味」ってのがあった。
どんな味なんだ・・・

そういえばチロルチョコもまだ10円なのかな。
もっと、そういえば、だと駄菓子屋って最近全く見ないね。
東京で見かけないだけでなく、青森でもほぼ残ってないんだろうな。

なお、僕は「うまい棒」と「うまか棒」を時々思いっきり間違える。
そんな人は多いと思う。


[2229] モンティ・パイソン 2007-01-17 (Wed)

伝説の「Jackass」その映画版の続編が公開されることになった。
http://paramount_mtv.weblogs.jp/

僕は「Jackass」の存在を知って以来、心の中で密かに信奉してきた。
つらいときに「Jackass」の DVD を見ると救われた気持ちになる。
・・・余りにもあほらしすぎて。
大の大人が無邪気に「これ、くだらねえんじぇねえの?」「じゃ、やるか」ってんで
その場の思いつきを手間暇かけて、体を張って実行する。
で、まずは自分たちで笑ってる。心の底から。「やっぱくだらねえ」って言いながら。
(日本でも同じような趣旨の番組はいくらでもあるけど、
 僕の場合アメリカ人がやってるってことになぜかピピッと反応するようだ)

僕はもう、この世界のある瞬間、「Jackass」というものが
ある種の勢いと、ハッピーなマインドに則り形作られたというだけで
この世界はまんざら捨てたもんではないなと思う。

早く映画見に行かなきゃ。

で、思い出したのが「モンティ・パイソン」
手っ取り早く言うとイギリスのコメディアンのグループで
69年にBBCで始まったコメディ番組「空飛ぶモンティ・パイソン」で絶大な人気を誇り、
その影響は今に至るまで続いている。
たぶん、先進国の間では。

(今 Wikipedia で知ったんだけど、
 プログラミング言語「Python」ってモンティ・パイソンから来てるみたいね)

メンバーの1人が後に「未来世紀ブラジル」を監督するテリー・ギリアムで、
「The Rutles」の創始者の1人エリック・アイドルも中心人物だった。
そんなこともあって前々からちょっと気にはなっていたんだけど、
「ま、そのうち」と思いながら早何年。
ふと、amazon で検索してみたら DVD が今でも入手可能なことが分かったので取り寄せてみた。
「ベスト・オブ・モンティ・パイソン」と
映画「モンティ・パイソン・アンド・ザ・ホーリー・グレイドル」

さっそく見てみた。先に「ベスト」の方。「空飛ぶモンティ・パイソン」からのセレクション。
70年前後のものなのでさすがに腹抱えて大爆笑ってことはない。
ところどころクスクス笑うぐらいか。
でも、「当時はこれ、とんでもないシロモノだったんだろうな」ということが十二分に伺える。
ビートルズの初期の曲を聴いて、「録音技術が低いですね」なんて言うのと一緒。
コトの本質はそこにあるのではない。
最初にこういうのやりだしたのは誰か?って歴史的意義。

徹底したナンセンス、破壊的なまでのパロディ、情緒というものを一切無視した諧謔精神。
今となっては「笑い」を取るうえでは当たり前のことだけど、
その基礎を築いてやりたい放題やりまくったのがモンティ・パイソン。
「Jackass」はその進化系の1つとして現時点での究極だろうし、
(僕はテレビを見ないので日本やアメリカの深夜番組で
 もっとすごい実験は日々行われているのかもしれない)
志村けんや松本人志も直接の影響化にあるのかどうかわからんけど、
モンティ・パイソンが切り開いた方向性の先に位置づけられると思う。

僕は国内・海外問わずお笑いの歴史に詳しくは無く、
モンティ・パイソン以前のお笑いのイメージというのは
陽気な音楽に合わせて駄洒落を言ったり変な振付でタップダンスをしたり、
あるいは「奥様は魔女」みたいなきっちりしたストーリー展開で
勘違いが巻き起こす愉快な大騒動を描くというもの。
どこまで行っても明るくて、この世界は眩しいくらいに陽気だと言わんばかりの。
そこに対して異議申し立てをしたのがモンティ・パイソンなのではないか。
この世界は表だけじゃなくて、裏もあるよね。
負の部分があるからこそ、笑えるんだよね。
テレビの中ではきれいごとばかりだけど、
僕ら普段日常生活ではもっと腹黒いことで笑ってるよね。
モンティ・パイソンは初めて、それを公共の放送でやってのけた。ということ。

腹がよじれるぐらいに笑いたいとなったら
現代の他の何かを見ればいいんだけど、
モンティ・パイソンはなんつうか雰囲気がいいんだよね。
「俺たちはこれが面白いと思ってるからやってる」という自信と
「全く新しい面白いものを作ってやるんだ!」という勢いが漲っている。
日本のお笑い番組で時々うっすらと漂ってる「やらされ感」がない。

残念なのはモンティ・パイソンの映画の中で最も評価の高い
「ライフ・オブ・ブライアン」の DVD が現在入手不可なのだということ。
キリストの生涯を徹底的にナンセンスなパロディに仕上げたもの。
見てみたいなあ。