[3198] 無駄に冷夏、涼しくはない 2009-09-15 (Tue)

今年は冷夏となった。
梅雨明けしても曇り空の日が多く、雨も多かった。
30℃前後の毎日。涼しいというよりは、生ぬるかった。
蒸してるのには変わらないし。

8/15(土)のバーベキューの後、転んで怪我して、
8月後半は右腕に包帯を巻いて暮らしていたので、
個人的には冷夏でとても助かった。
猛暑で熱帯夜が続いていたら気が狂ってたと思う。
汗だくになっても思うようにシャワー浴びれないし、
かさぶたになった傷が包帯で蒸れて痒くなっただろうし。

93年以来の冷夏だという。
93年って僕が上京した年で、「なんだ、東京の夏もそんなに暑くないな」と思った。
寮の2段ベッドで寝ててもそれほど寝苦しくない。
翌年が打って変って猛暑。7月から暑かった。
この年、8月はたまたまモスクワで過ごすことになった。
そうじゃなかったら死んでたと思う。
8月末に帰ってきて、みなげっそりしていた。

以後、毎年猛暑だったような印象がある。

バルセロナの夏が懐かしい。もう2か月も前のことになる。
気温は高くてもカラッとしていて、風が冷たい。日陰に入ると涼しい。
本来、夏ってそういうもんだよな。

東京が異常なまでに蒸し暑いのは、高層ビルが風を遮っているからだろうか。
擬似的な盆地となる。
地面がアスファルトやコンクリートに覆われているというのも、よくない。
街中に木々を増やせば改善されるだろうか。
少なくとも緑の多い風景は涼しげに感じられる。
次の都知事選、「東京の街に街路樹を増やします」という公約を掲げた候補がいたら、
是非とも投票したい。
「芝生30%増量」とかね。
花々や木々を植えることに対して奨励金を出せばいいのだろうか。

来年は猛暑か。
どっちかしかないんだろうな。
どっちに転んでも異常気象。
エルニーニョ現象が起きると日本では冷夏となる仕組み、
何度聞いても忘れてしまう。


[3197] 今更ドラクエ、しかも8 2009-09-14 (Mon)

8月、仕事が暇で、かつ編集学校も次の講座まで2か月間が空いて、公私共に暇になる。
しかし、海外旅行に行ったこともあり金が全くない。

世の中ではドラクエ9が話題。やりたくなる。
でも、やるとなったらソフトだけじゃなくて DS も買わなくちゃならない。
そんな出費今できない。
かつ、のめり込んでもうそれしかしなくなるんじゃないかというのが怖い。
冒険そのものは短くても、クリアした後があれこれ遊べるらしいじゃないですか。

ということで、代替案として
後輩から長いこと借りっぱなしになっていたドラクエ8を
この夏終わらせることを思い立つ。
終わり近くまで来てたんだけど、忙しくなってほったらかしてそれっきり。
ごめん、クリス君。今更返されてもいらんよね。

8/11(月)の夜、4年ぶりにプレステ2の電源を入れる。
ちゃんと動いて以前のデータが残っていたことに何よりも驚く。
(消えててイチからやり直しだったら絶対やめてた)

4年もやってないとストーリーがどこまで進んでて
自分がどこにいて何をしなきゃいけないか、すっかり忘れてた。
それどころかどのボタンが何なのかすら忘れていた。

なんか山の上っぽい白黒の村にいて、近くの洞窟の中ボスで手こずっていたはずなのに、
なぜかストーリー前半に出てきた地の果てっぽい何もない修道院でセーブしてた。
この意図がさっぱり分からない。何をしてたんだ?自分。
ただで泊まれる宿屋を利用したかったのだろうか?でも1万ゴールド近く持ってたしなあ。
ケチケチしてたのだろうか。

修道院の近くに船が着いていたのでとりあえず乗ってみる。
でもどこに行ったもんか考えはなく。
とりあえずボケーッと適当に進んで行って、時々遭遇する弱っちい敵を倒して、
気が向いた時に地図を見てこの辺行ってみるかと。
ここ来ただろうか?と歩いてみて、敵の強さで判断してみる。
どこもかしこも敵は弱くて、うーんどこに行ったもんかと。
あの白黒の村にはどうやって行ったらいいのだろう?
鳥のようなものに乗ってたように思うが、どこに行ったのだろう?なぜ、今更、船?
たぶん、船では行けないような場所だったはず。
2時間かけてウロウロして
「そうだ、ルーラで移動すりゃいいじゃん」とようやく思いつく・・・

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続き、8/14(金)の夜。
4年前、ここの洞窟でものすごく強い中ボスにてこずったんだよあ、
まずはこいつを倒さないといけないなあと洞窟を延々さまよう。
何時間もかけて全ての分岐を辿る。どう見ても洞窟は空っぽ。
最上階に出てみると、いかにもなんかいそうな空間がガラーンとしている。
もしかしてこれ、倒してしまっているんじゃないか・・・
ようやく気づく。

そして、そこから先どうしたもんかわかんなくて、
鳥に乗って世界中をあちこち行ってたところで飽きて、
11日の修道院でセーブしてそれっきりになったのだ。
ようやく謎が解けた。
しかし、それってドラクエそのものの謎ではなく・・・
鳥に乗ってブラブラとしていくうちにようやく、鳥じゃなきゃ行けない村の存在を知り、探すだす。
見つけて村に入って、この日は終わり。
酔っ払った状態でやってたので、
次何しなきゃいけないのか、ストーリー上大事なセリフを聞いてもすぐ忘れる。

鳥に乗ってるときにスライムしか出て来ない場所を見つける。
ウロウロしているとはぐれメタルが6匹出てきたりする。色めき立つ。
何回か遭遇して、この夜は2匹倒す。
何歳になっても改心の一撃が出てはぐれメタルを倒したときはとてもワクワクする。

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8/22(土)

ラプソーンを倒したと思ったら、すぐにも強くなって復活。
倒すためには全世界に散らばるオーブを探せとのこと。
いったいいつになったら終わるのだろう。

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8/26(水)

気が付いたらあっさりクリア。
それにしてもエンディングが長い。
この後にもさらに冒険は続くのだろうか?

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やり始めたらやはり火がついて、
7がプレステで出てるからそれをやるべきかどうかに迷う。
でも100時間ぐらいかかるみたいで。どうしよう。


[3196] 有楽町・新橋、東京の夜を堪能 2009-09-13 (Sun)

8/11(火)のこと。
一緒に仕事をしている大阪の方が、出張で会う度に
「新橋で飲みたいんですよー。東京連れてってくださいよー」とのことで
それがようやく実現。
(なお、この日は静岡で震度6弱の地震が発生。
 大阪から移動しようとして新幹線に閉じ込められたという・・・)

20時を過ぎて神保町のオフィスを出て、まずは有楽町へ。
ガード下のいわゆる「焼き鳥ストリート」で飲む。もちろん、外で。
ビールケースをひっくり返して作ったようなテーブルに丸椅子。
ガード「上」をひっきりなしに新幹線が通り過ぎる。
日帰り出張で大阪に帰る人たちのピーク時なのか、5分に1本ぐらいの頻度で。
新幹線の線路の下に建物があって、それが古びた焼鳥屋だというのは不思議な光景だ。

程よく飲んだ後、新橋駅まで歩いて酔っ払いサラリーマンの聖地、SL前広場へ。
酔っぱらってる僕は高くなった花壇を乗り越えてSLの側へ。
中に入れねえかなーと思うが、扉に手が届かず。SLって大きい。

テレビ局が取材に来てないか広場をキョロキョロしていたら、発見。
女の子10人の写真を貼ったパネルを持った女性と、テレビカメラを肩に担いだ男性の2人組。
近づくと「街頭インタビューお願いします」となる。
女の子10人ってのは AKB48 の(主要?)メンバー10人のことで、2つ質問を受ける。
「どの子と結婚したいですか?」
「どの子が癒されますか?その子に何をしてほしいですか?」

もちろん僕、AKB48なんて知らないんですね。興味無い。
なのでどちらの質問も超適当に答える。「あーじゃーこのこー」
次の日調べてみたら、1つ目の質問は誰だったか思い出せず、
2つ目の質問は小嶋陽菜という子のようだ。
何をしてほしいですか?と聞かれて、酔っ払ってテンションの高い僕は
「ひざまくら!ひざまくら!してくれたら100万出す!!」
いやー、採用されたんじゃないかな。
日テレ 9/4(金)24:55「MUSIC FIGHTER」で放映されるとのこと・・・

ここでいったん解散して、何人かで新橋ガード下のバドワイザー・カーニバルへ。
入ったら大騒ぎ。黒人シンガーがカラオケで歌ってて、前からいた客たちが大はしゃぎ。
・Ricky Martin 「Living La Vida Loca」
(言わずと知れた郷ひろみ「ゴールドフィンガー」元ネタ。
 サビは原曲通りの「Inside Out Upside Out」ではなく、「アーチーチーアーチー」で歌ってた)
・Village People 「Y.M.C.A.」
・(アンコールで)Queen 「I Was Born To Love You」

いきなりのクライマックスに、途中から入るとかなりヒク。
バドガールがパラパラみたいに踊ってて、その横でかなり酔っぱらったおっさんがヘコヘコ踊ってる。
そこを中心として老いも若きも男も女も群がって、店の中が一体になってワサワサと盛り上がっている。
これ、どっかの会社の集まりなんだろうなあ、入りにくいなあと思って
立ち上がるのも面倒で椅子に座って見てる。
すると黒人シンガーは僕らのテーブルまで来て、僕にマイクを向けて「Y.M.C.A.」のサビを歌わせる。
ショーが終わって、各自のテーブルに戻っていく。何事もなかったかのようにそれぞれ飲み始める。
1つの会社かと思っていたのは、全然別のグループたちだった。
なんだったんだのだろう、あのまとまりは。
しかも潮が引くようにサーッと何事もなかったかのように収まっていく。

店の造りは安っぽく、女の子の店員がバドガールだというだけ。
その女の子たちもまた安っぽく。
店に言われるがままマニュアル通りにはしゃいでいるような。
超格安キャバクラ。

生搾りグレープフルーツサワーを頼むと、バドガールが搾ってくれる。
掛声と共に搾るんだけど、まあ適当。心は入ってない。
このときに僕らは手拍子を求められる。

名物のおでこで割るゆで卵を全員1回ずつ。
僕の貼られたカットバンには「マザコン」と書かれていた。
他の人のには「イケメンキター!!」ってのがあった。
その頃には僕らもはしゃいでいる。

そんなこんなで東京の夜を堪能した一夜だったのでした。

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追記。

9/4(金)の「MUSIC FIGHTER」は無事(?)採用され、
知ってた人からはあちこちから「見ましたよ」の声が。大笑いされる。
「もしかして映ってませんでしたか?」という問い合わせもあり。

YouTubeのURLを教えてもらう。
http://www.youtube.com/watch?v=MrW-nsJ5mLI

どっかに映っています。
AKB48のメンバーからは「いやー・・・」とほんと嫌そうに。


[3195] 夢のディズニーランド 2009-09-12 (Sat)

あるとき mixi に書いたことだけど、こういうことを考えた。

・一人で、ディズニーシー、その後、
・一人で、アンバサダーかミラコスタに泊まる、翌日、
・一人で、ディズニーランド

 → その心象風景をレポートとして綴る

※そもそも、アンバサダーとかってシングルの部屋あるんだろうか?
※ディズニーなんとかって中学の就学旅行以来行ったことない

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別にディズニーランドにもう一度行ってみたいとか、ディズニーシーを見てみたいとか、
そういう気持ちは皆無。
この世で何が一人ポツンとして寂しいかってのを考えた結果が、こうなった。

孤独なんだろうな。
初日はディズニーシー。
列に並んで、アトラクションに乗って、というのを淡々と繰り返す。
賑やかな音楽。楽しそうな笑顔。キラキラとした海辺。

夜、ホテルに泊まってすることもなくて、
持ってきた小説を読みながら缶ビールを買って飲むだけなのだろう。
出張の夜にビジネスホテルに泊まるのと一緒。
花火とかパレードの見える部屋を選んで、ガラス越しに無言で眺める。

次の日、ディズニーランドで同じことを繰り返す。
日が暮れてきて、帰ってくる。
電車に乗る。周りは、楽しそうにしているカップルや親子連ればっかりだ。
お土産の入った袋を手に。子どもたちはミッキーの耳のような髪飾りをかぶっている。
たぶん僕は何事にも無関係なように、小説の続きを読むのだろう。
ギフトショップに入ったところで欲しいものはなくて、手ぶらのまま。
誰も僕がディズニー帰りとは思わない。

もしかしたら、2日間、誰とも一言も話さずに済ますことも可能かもしれない。

楽しいことなんて、何一つないんだろうな。
こんな僕が帰ってきて「ディズニーランド楽しかった!!」って報告してたら、
そんなことができたら、
ディズニーランドってほんとすごいよ。

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これ、土日でやろうとしたら10万ぐらいかかってしまうのではないか。
ホテル代が高くて。
ディズニー直営ホテルじゃなかったらもっと安上がりに済みそうだけど、それだと意味がない。

孤独のなんたるかを考えるために、ここまでする価値はあるだろうか?

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それにしても、なんで女の子はディズニーランドとかディズニーシーってのが好きなんだろう?
理論的にも感覚的にも、分かりそうで分かんない。

「楽しい」からなんだろうか。だとしたらそれは何が楽しいのだろうか?
退屈な日常生活から抜け出して、お姫様気分を味わう?
その手のありがちな理由なのだろうか。

言葉では言い尽くせない「魔法」があるから、なのだろうか?

今の僕は「どうせ」とハスに構えていて、その魔法に積極的に身を委ねることができない。
ディズニーランドを夢の象徴と思っていない。
そういう僕は、端的に言って不幸なのだろうか?


[3194] 7/31 - 8/7 2009-09-11 (Fri)

7/31(金)

5時半頃目を覚ます。完全に時差ボケ。
朝から旅日記を本格的に書き始める。

痔の状態が芳しくなく、7月の間ずっと我慢していたらどんどんひどくなっていった。
6月末か7月頭に内側が切れて、痛みがずっと続く。
朝イチで病院に行くことにする。
平日の午前中だったから待ち時間は少なく、すぐ診察できた。
医者からはボロボロだ、あちこち切れていると言われる。
挿入する薬や塗り薬などもらう。
この日は一日中曇りで真夏とは思えないほど涼しく、
思いがけず早く終わったことから
帰りに大田黒公園に寄って、
持ってきていたカート・ヴォネガットのエッセイ集を読む。

昼はラーメンを茹でて食べようと西友で野菜やひき肉を買う。
11時に帰ってきてすぐ作って食べるつもりが、
眠くなって布団に横になったら気がついたら3時間経過。
14時になっていた。唖然とする。
ラーメンを茹でて食べる。

そんなこともあって旅日記は余り進まず。700行ぐらいか。
24日(金)の朝から25日(月)の昼まで。25日分は終えたかったのだが・・・

夜は昨晩に引き続き、富士宮の焼きそばを作って食べる。缶ビールを飲む。
午前0時頃眠る。

フルトヴェングラー指揮のベートーヴェンの交響曲のCDを聞き直す。

---
8/1(土)

4時半頃目を覚ます。
旅日記をひたすら書く。
この日は25日(土)の昼から27日(月)の昼まで。かなりいけた。1100行ほど。
眠かったけど、時差ぼけを治すために我慢する。
でもどうにも耐えきれなくて、昼、1時間だけ寝る。1時間で目が覚めた。

5時から書き始めて、休憩したくなって10時に部屋を出て駅前まで出掛ける。
大戸屋で昼を食べようと思っていたのに、しばらく行かない間に
開店は11時からに変わっていた。仕方なく、松屋でカレ牛。
昔はこんなうまいもんないよなあと思っていたのに、
約1年ぶりに食べたらそんなでもなかった。

この日は1日中曇りで涼しかった。
午後、日が出たときがあって、多少暑くなった。

夕方、西友へ。温野菜ディップとコールスローミックスを買う。
夜、21時頃まで書き続けて、疲れて、缶ビールを飲む。
野菜だけでは物足りなくなって、以前母から送ってもらった馬肉の燻製を切って食べる。

夏のボーナス前にHMVにオーダーして届いた現代音楽のあれこれを聞く。
特に耳に残るものはなし。

0時頃眠る。

---
8/2(日)

時差ボケが直ったのか、がっつり寝た。
雨が降り出した頃から半ば目が覚めて、夢うつつ。
降ってるなあ、まだもう少し寝ていよう・・・
どれぐらい経っただろうか。
電話が鳴って起こされた。母からだった。
実は、僕がスペインに出かける直前に叔母が亡くなっていたのだという。
叔母は小さい頃の僕によくしてくれたが、
大人になってからの僕は冷たかったように思う。
従姉妹の結婚式の夜だったとのことで、見届けてから、なんだろうな。
話変わって、北里ファームのコンビーフを取り寄せて送ってもらう。
他に何かいらないかと聞かれて、特になし。
強いて言えばということで、りんごジュースを一箱。

時計を見たら12時。丸々12時間寝ていたことになる。
雨の降る中、大戸屋に行ってカツ丼を食べる。
待ってる間、カート・ヴォネガットのエッセイ集を読む。

1日中雨が降り続く。
午前中寝てたということで、旅日記はほとんどはかどらず。
27日(月)の昼から28日(火)の昼の分まで。600行ぐらいか。
夕方休憩を入れつつ、21時半まで書く。

夕方、クリーニング屋。その後西友へ。
フランクフルトソーセージが安売りされていて、
夜はそれを茹でてオリーブオイルで炒めて食べる。
缶ビールとウィスキーソーダ。
最近聞いたCDの解説を読んで過ごす。

この日聞いたCDの中では、
Tara Jane O'neil と Tortoise の新譜、
Conor Oberst の去年のアルバムがよかった。

昨日から見つからなかったシェーバーを部屋の中で探し回る。
ゴミ箱の中に間違って捨ててないかとか。
案の定、冷蔵庫の裏だった。
冷蔵庫脇に積み上げていたクリアケースとかあれこれ取り出して大変だった。

午前0時半頃眠る。
Rockin'on JAPAN のトータス松本のインタビューを読む。

---
8/3(月)

リフレッシュ休暇明け。
午前中はたまっていたメールを読んでいるだけで終わってしまった。
PJはこれといって大きな動きなし。良くも悪くも。

昼、あっさり日本的なものが食べたく、静邨でかきたまそば。
これではやはり腹が減って、夜、ラーメンを食べに行きたくなるが我慢する。
帰ってきてコンビニで納豆巻きと5種類の豆入りサラダ(だったか)。

定時で帰るつもりが打ち合わせが入って、終わったら20時を過ぎている。
夜、旅日記の続きを打ち込むつもりが、はかどらず。
28日昼のスペイン村のことだけで終わり。
昼休みにはオフィスで29日のことを書いた。

Caveman Hughscore を聞く。最近こればかり聞いている。
続けて、The Innocence Mission 「Befriended」も。名盤。

松岡正剛「日本数奇」を読み始める。

---
8/4(火)

昼、由○でとんこつラーメン。替え玉。腹いっぱいの状態が夜まで続く。
この日はPJでは巨牛荘に行くことになっていたが、今月は金がないのでパス。
会社の人たちとも距離を置きたかったし。

定時で帰ってきて、旅日記の続きを書く。28日夕方分。
昼休みに30日分を書いて、これでほぼ打ち込み終わった。
若干28日夜分が残っているのと、手直しがまだ未着手。

西友で焼き鳥を買う。最後1本余ったということでタレの皮を1本サービスしてくれる。
ほんとは帰国した日に食べたかったんだけど、旅日記が書き終わるまで我慢しようと決めた。
今日完成の目処がたったため、帰りに買った。
23時頃まで書いて、その後焼き鳥にビール。一人で打ち上げ。

暇な時には今週末に迫ったサマソニのタイムテーブルを見て過ごす。
Soulwax は見るとして、2 Many DJ's も見たいよなあ。
でも、23:20開始で終わりは 0:30 となっていてどこをどう見ても終電が終わってる。

せっかくの機会だし、見たい!
周辺のホテルにシングルで空きがないか探してみるも、やはりどこも無し。
かろうじてとあるホテルで最後の1室を見つけて予約する。
1万円を上限として、として探していたらちょうど1万円だった。

最近、何時になろうと帰りの電車でやたら眠くて、
本を読んでても辛くてしょうがない。ウトウトしてる。
時差ボケがまだ続いているのだろうか。

HatHut レーベルのフリージャズをまとめて聴く。
当たりはずれ大きいんだけど
John Zorn の 「News For Lulu」はなかなかよかった。
音楽というものをよく知ってるよね。
John Zorn , Bill Frisell, George Lewis の3人。

---
8/5(水)

眠い。とにかく眠い。なんなのだろう?夏バテか?時差ボケか?
とにかく日々眠くて今日はひどかった。
午後ずっと眠くてウトウトしかけるか、気分転換に外をブラブラするか。
仕事が全然進まない。普段なら1時間で終わるところが3時間はかかってしまう。
帰りの電車でも寝てる。21時頃帰ってきて、22時に寝る。即爆睡。

昼、一人だったので徳萬殿。玉ねぎのカレー炒め定食を食べる。
ご飯が普通サイズで大盛りだということをコロッと忘れ、山盛りで来る。
玉ねぎもまた、山盛り。腹いっぱいで夜は食べず。

それにしても。今年は93年以来の冷夏だという。
暑くはないけど、微妙に涼しくもない。
朝は熱帯夜の名残はないもののなんとなく空気が生ぬるい。

サマソニに備えて、帰りに新宿のタワレコに寄って
例の黄色いタオルを買おうかと思うが、見つからず。
完売したか、もう生産・販売してないか。

---
8/6(木)

出社している人がえらく少ない。夏休み?
いつもは6人で食べている昼が、2人だけ?
どこにする?って聞いたら「まんてん」と言うので、じゃあそうすっかと。
例によってカツコロ一緒。

夕方、定時で出て、神宮球場に花火を見に行く。
まずは渋谷のタワレコで明日のサマソニに向けてタオルを買う。
「色即ぜねれいしょん」仕様。
昨日新宿では見つからず、もう販売してないのかと
念のためタワレコのサイトを見てみたら普通に売ってた。
新宿だけ売り切れてたのかも。

先輩2人と青山ベルコモンズで待ち合わせる。
待ってる間、地価の Cibone に入ったら欲しいCDばかりでついつい買ってしまう。

先輩たちと合流。
今年は初めて、会場の中へ。秩父宮ラグビー場。
花火がよく見えた。

信濃町で飲んで、もう1人後輩が合流して、四谷三丁目の
「李さんの家」という中華料理屋へ。ここはとてもうまかった。

---
8/7(金)

サマソニの項を参照。


[3193] サマソニ09 その13(8/8:Linkin Park) 2009-09-10 (Thu)

サマソニ2日もいよいよ大詰め。
夜も演奏が続くとは言え、マリンスタジアムではオオトリの Linkin Park が出場。
誰がどう見ても、ここが今日のメインイベント。
メッセを出る。その前に生ビールを買って飲む。
Tom Tom Club の余韻も覚めやらぬ中、冷たいビールが心地よい。
空はすっかり暗くなって、涼しい風が吹いている。歩きながら、飲む。
スタジアムからは B'z のテクニカルなギターソロが聞こえてきた。
最後の曲だろうか。

スタジアムに着いてみたら、
Lブロックはアリーナ前方も後方も入場規制がかかっているとのこと。
列を作って並ぶ。折り畳まれたホースのように何重にもなって、いったい何百人待ってんだ?千を超えてる?
うーん、こりゃ確実に入るにはアリーナではなくスタジアムの方がいいだろうか?
悩む。いや、ここまで来たんだから入れることに賭けてみよう。
スタジアムからは B'z を見て外に出る観客たちが果てしなく吐き出され続ける。

一通りその波も収まって、中に入る。
アリーナ前方はもう無理そう。後方に潜り込む。果たして全員入れたのだろうか?
見渡してみるとスタジアムはほぼ全席埋まっている。ものすごい光景。4万人ぐらい入るんだったか?
赤や青や緑に光るおもちゃの腕輪があちこちで瞬いている。
これが今、Linkin Park の登場を待っているのか・・・
昨日の Dragon Ash でも半分以下の埋まり具合だったのになあ。
一昨年の Black Eyed Peas も割と余裕でアリーナに入れた。
そう考えると、Linkin Park の人気ってすさまじい。
もしかして今、日本で最も人気があるのか?
アリーナ前方で見るなら、その前の B'z
いや、さらにその前の Hoobastank からスタンバってなきゃいけなかったのかも。

10分遅れで登場。場内割れるような歓声。
「Minutes To Midnight」からの(実質的な)1曲目「Given Up」から始まる。いきなりサビの大合唱。
圧倒される。なんかもうこのサイズで演奏するのが、聞いてもらうのが当たり前という、
Linkin Park のスケールの大きさ。
目の前にいるというだけで、感無量な気持ちになる。

僕は最初、Linkin Park というバンドのことを
「どうせ新世代のスタジアムロックでしょ?」
「どうせまた安易にヒップホップとヘヴィ・ロックでしょ」とバカにしていた。
それが Jay-Z とのコラボレーションで「お?」と思い始め、
「Minutes To Midnight」で完全にやられた。
よくできてるよ、これ。今でもよく聞く。
何よりも曲がいい。全曲耳に残る。なかなかそんなアルバムはない。
時々、「全曲シングルカットできる曲のよさ!」「まるでベストアルバムのような内容!」と
謳ってるのをたまに見かけるけど、
聞いてみてもやはりシングルと言えそうなのは1曲か2曲ってことが多くて。
全曲シングルカットできるのって、このアルバムぐらいだよ。
90年代以後で他に思いつくの Oasis の2枚目しかない。
「Minutes To Midnight」の何がいいかって、30分か40分ぐらいであっさり終わってしまって、
後に爽やかな余韻を残すのがいい。いつ聞いてもパリパリと新鮮なレタスのようなロック。

僕の方から言いたいことは特にない。
僕が最も好きな曲「Shadow of the Day」をやってくれたのは嬉しい。
「Minutes To Midnight」の曲は全部やったんじゃないかな。
あとは、「Meteora」からいくつか。もちろん「Numb」とかね。
Mike Shinoda は途中からキーボードを弾いた。1人でラップも披露した。
時々カンペを見ながら MC をたどたどしい日本語で。
「アリガトウゴザイマス。ニホンニモドッテコレテウレシイデス」

いったん本編が終わって、アンコールかと思いきや。
ドラムが運ばれてきて、すげー、Mike Shinoda はドラムも叩くのかよ。
ツインドラムでバトルか?としょうもない勘違いをしていたら始まったのが、
Dead By Sunrise というこの前アルバムが発売された Chester Bennington のソロとなるグループ。
3曲を披露。正直、いらなかったな・・・
Linkin Park よりもハードロック寄りな音なんだけど、ポップさが全然足りない。
その辺のバンドよりは全然水準が高い。だけどごくごく普通のスタジアムロック。
Linkin Park のあの6人の奏でるロックの桁外れ感を思い知った。

アンコールでまた3曲。
最後はもちろん、スタジアム上空に花火が打ちあがった。
1時間20分ぐらいやったのかな。
フルサイズのツアーには及ばないけど、ヒット曲しかやらないというコンパクトさが逆に良かった。
曲順は違うけど、この前出たライヴアルバム
「Road To Revolution: Live At Milton Keynes」に雰囲気は良く似ている。

大勢人が集まっただけにスタジアムから出るのに一苦労。
21時半過ぎ。こりゃ、メッセに着く頃には中田ヤスタカも始まってるな、
というかスタジアムからどっと流れてこっちも入場規制かもな、もういいやと思う。
そのまま海浜幕張の駅まで行って帰ってくる。

いつも思うことだけど、
京葉線から下りて東京駅の構内を歩いている間は
サマソニのリストバンドをしてる人たちがあちこちにいて、
これが中央線に乗ったら激減して。寂しい気持ちになる。
今回は丸の内線に乗って、皆無。祭りの後の儚さでいっぱいになる。

帰ってきて、青と茶色の2日分のリストバンドを鋏で切り落とす。
Talking Heads が無性に聞きたくなって、「Naked」をセットした。


[3192] サマソニ09 その12(8/8:Metronomy 〜 Tom Tom Club) 2009-09-09 (Wed)

Metronomy の4人が登場。振り返ると場内は満杯に近い。
Snoozer が昨年のアルバム No.1 に選んだとか、注目のグループ。
プレスのカメラマンもぐっと増える。
最初は「Nights Out」のオープニングを飾っていた、あの不気味でユーモラスな序曲を
3人が1つのシンセに群がって、1人がギターで主旋律を奏でて、合作のように披露する。
これだけで場内は興奮した歓声が。
打ち込みで簡単にできることをこの4人はバカ正直に生で再現してみせるんですね。
その後、「Nights Out」の曲が続く。

僕は「Nights Out」を持ってて何度か聞いてたんだけど完全に誤解してて、
ただのダンスアクトだと思っていた。打ち込みとヴォーカルとドラムみたいな。
そうじゃなくて、4人でバンドなんですね。あくまで。
ギター、ベース、ドラム、キーボード(時々サックス)の。
打ち込み一切なし、全て自分たちで音を出す。
この潔さ、いいね。
このサマソニ、打ち込み主体の音ばかり聞いてたので妙に新鮮だった。

正直よく分からないのが、メンバーは3人となっていて
写真とかビデオクリップを見ると白人男性3人組なんだけど、
出てきたのは白人男性2人と白人女性と黒人男性の4人。
メンバーチェンジしたのだろうか??それとも1人なんか事情があってピンチヒッター?
でも、サマソニの写真を見るとこの4人なんですね。
女性はキーボードかと思いきやドラムだった。

右胸には例の白い円盤。曲によっては白く光ったり、点滅したり。
ストラップで肩に掛けて、そこからコードが長く延びている。
そんな手軽に扱えない機材のようだ。
ベースやギターのシールドだけじゃなくてこのコードもとなると動き回るのにめんどくさそう。

あと、特筆すべきはあのギクシャクとした振り付け?
自分とこの演奏が終わって、他のメンバーがキーとなるメロディーを弾き始めると
ロボットのようにピッと腕ごと人差し指をそっちに向ける。決めのポーズっぽい。

演奏が意外とうまくて(特にベース)、ギターは妙に高い位置に抱えてて。
4人から出てくる音楽は人懐っこく、ハートウォーミング。
「聴ける」ライヴだったと思う。

Metronomy が終わると、DANCE STAGE からはサーッと人がいなくなる。
最前列もほぼ皆いなくなって、僕はその隙に真ん中へと移動する。
もう全然人がいなくて、Tom Tom Club の時にはガラガラなんじゃないかと心配になる・・・

・・・開演5分前。Metronomyほどじゃないけど、フロアは結構埋まった。
でも、年齢層が極端に高くなる。
40代を過ぎて、いまだにロックが好きな人の集まり。どこにこれだけの人が隠れていたのだろう?
もちろん若い人の姿も多い。半々ぐらいか。

Tom Tom Club は Talking Heads のベース、 Tina Weymouth とドラムの Chris Frantz 夫妻によるグループ。
(Talking Heads の The Other Two というか、The Other Two の方が New Order の Tom Tom Club なのか)

最初は仲間内のお遊び程度だったのだと思う。Talking Heads のサイドプロジェクトに過ぎなかった。
それがシングルをリリースしてみたら「Wordy Rappinghood」(邦題は「おしゃべり魔女 」)が大ヒット。
一躍本家に劣らぬ人気者に。
シリアスに音楽の可能性を追求する Talking Heads (2002年にはロックの殿堂入り)の裏面として、
楽しさ・陽気さを素直に打ち出した Tom Tom Club もまた、ファンにとっては重要なバンドになっていく。
なお、米米クラブの名前って Tom Tom Club から来てるんですよね。
あと、最初の頃のメンバーには、Adrian Brew がいた。その辺も Heads とかぶってる。

僕にとっては思い入れの深い、深すぎて語りきれない、
伝説の Talking Heads の2人がステージに立つという何よりもそこが一番の理由で
今回 Tom Tom Club を見たいと思った。

伝説なんですよ、伝説。単なる再結成じゃない。
その Tom Tom Club が遂に登場!感慨深げな歓声が上がる。
Chris Frantz はすぐ分かる。Tina Weymouth は・・・、どっちだろう?
プラチナ・ブロンドの女性が2人仲良くステージ中央まで。
背の高い方がタンバリンを手に4本並んだマイクの右端へ。
髪をお下げにした方がベースを抱える。こっちが Tina か。いやーよく似てるなあ。
途中のメンバー紹介で私の妹と言ってて、そうか、と思い出す。(名前は Victoria Clamp)
結成当時の Tom Tom Club って確か3姉妹が揃ってたんですよね。
1人抜けて1人残ってる。

全部で7人。残りのメンバーは、
ギター、DJ、キーボード兼パーカッション、コーラス兼ラッパー兼パーカッションのジャマイカ人。

ステージ下や袖に観光客っぽいアメリカ人たちが何人もいて、
ビデオを撮ったり、デジカメで写真を撮ったり。
(彼らの1人は記念に日本人オーディエンスをと思ったのか、僕の写真を撮っていった)
たぶん、メンバーの家族たちなんだろうなあ。
基本は Chris & Tina 夫婦のファミリー&フレンズ・バンドだから、
「今度日本に呼ばれたんで行くんだけど、みんな行く?」みたいなノリで。
袖にプラチナ・ブロンドの若い女性が眠ってる赤ん坊を抱えてて、その側に旦那と思われる男性が立っていて。
たぶん、Tina か妹の Vitoria の娘なんじゃないかな。

演奏は正直、ゆるい。いくらパーカッションのメンバーがいて
黒人のファンキーなラッパーがいたところで、
往年の80年代頭の Talking Heads のズンドコハレハレには全然及ばない。
Tina のベースはいいとして、Chris のドラムがもう年老いてるんですね。新鮮なアイデアがない。
初心者向けドラム教則本そのままのビートを淡々と叩いて、なおかつモタモタしている。
その Chris のドラムが演奏の中心になっているから、全体としてグルーヴは何も生まれない。
でもその Chris がニコニコしながら叩いてて、
「楽しんでるかーい」なんて言ってると見てるこっちも「ま、いっか」と思ってしまう。
ファミリー・バンドが楽しく演奏している光景そのものがショーになっているという、
The Beach Boys か、Tom Tom Club か。
僕としては充分楽しかったですよ。それに見れて素直に、嬉しかった。

2曲目に「Genius of Love」途中に「Punk Lolita」ってのと「You Sexy Thing」ってのを挟んで(たぶん)
最後の1個前がタイプライターの音と共に「Wordy Rappinghood」
そして最後になんと、「Take Me To The River」
Taling Heads の曲って絶対やらないだろうなと思っていたから、かなり驚いた。
そうか、元々カバー曲(Al Green)なんだからやってもいいんですね。

(Talking Heads のリーダー、David Byrne と残りのメンバーの確執は根深く、
 再結成はありえないと David Byrne は語っている。
 Chris Frantz かギターの Jerry Harrison による「メンバーをドアマット扱いした」という発言が有名。
 つまり、残りのメンバーにとっては Talking Heads は David Byrne のものであって、
 Talking Heads に対していい思いしてないんだよね・・・
 3人は「No Talking, Just Head」というアルバムまで出している)

聞いてて心の中にカーッと熱いものがこみ上げてきた。
僕もまた、「Take Me to the River, Drop Me in the Water」と歌う。
会場全体が1つになって歌う。いい瞬間だった。


[3191] サマソニ09 その11(8/8:YUKSEK 〜 Birdy Nam Nam) 2009-09-08 (Tue)

隣の DANCE STAGE に移動。思いがけなく多くの人が入っている。
ステージにはラップトップやターンテーブルに囲まれた白人男性が
変調されたマイクに向かって歌っている。
YUKSEK というらしい。僕は知らなかった。
サマソニの紹介を見るとフレンチ・エレクトロの新鋭、ポスト DAFTPUNK / JUSTICE とのこと。
そう言われると日本では人気出るだろうね。
周りでは気持ちよさそうに踊っている人たちばかり。
フレンチなので奇矯な音が入りつつ、全体的に丸くてふわっとした感じ。
いや、音そのものは尖ってるんだけど。カラフルなんですよね。
というか何よりも感じるのは、エスプリ。

終わって、最前列の柵を獲得。
セットチェンジで30分待つ。
座り込んで「人にはススメられない仕事」の続きを読んで、気がついたらうたた寝。
最前列は皆座り込んでいて、疲れたのか眠っている。
見渡すと壁沿いに座り込んだ人たちもまたぐったりとしている。
中には昨日から来ていてほぼ徹夜の人だっているのだろう。
フロアに人はいなくて、ペットボトルやプラスチックのカップが散乱している。
ペットボトルの水を撒いて、水溜まりとなっているところもあちこちに見受けられる。

Birdy Nam Nam が登場。
サマソニの紹介文をそのまま引用させてもらうと、
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
パリ出身のエレクトロ・バンド。
4人のターンテーブリストが4つのターンテーブルを"生の楽器"のように操り
スピンすることで生まれた進化型スタイルの DJ バンド。
02年に DJ の世界大会で見事優勝を手にしているが、
個々の DJ としても Crazy B は DMC フランス大会で優勝7回、
DJ Pone は同大会で4度の優勝を手にしている超実力派のスター DJ 集団だ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

4人がターンテーブルを操って音を出すとなったらそりゃすごいと思った。
昔、「Scratch」という、その名の通り世界を代表するターンテーブリストたちの
神業を撮影したドキュメンタリーを見に行ったことがあって、
Q-bert や Cut Chemist が出ていたんだけど、
その中に4人並んでという場面があってとてつもない迫力があった。音もすごかった。
それを思い出した。生で見てみたくなった。

この時間帯、マリンスタジアムでは Placebo が演奏していて
最近のUKの中では好きなバンドなんだけど、迷った挙句に Birdy Nam Nam へ。
裏では Ego-Wrappin' で、これも見たかった。

4人が登場する。音を出す。割とオーソドックスなリズムとウワモノ。
正直、これ、わざわざ4人がかりで出す必要あるのだろうか?と思ってしまった。
でも良く見るとベースの音が右端の人の左腕とタイミングがあってるし、
実はほんとに楽器としてスクラッチしてるのか?
残念なのはステージの下のフロアからだと、
ステージの上の動きが何となくしか見えないんですね。
カメラで撮影してスクリーンに映し出すというのもできたはずなのに。もったいない。
そこのところが見えたら、印象が違うんだろうな。
いや、もしかしたら彼らはただ単に音を聞いて楽しんで盛り上がって欲しいだけであって、
「どうだこの繋ぎすごいだろ?」ってのをアピールするつもりはサラサラないのかもしれない。

4人並んだうち、真ん中の2人が優勝しまくりのスターなのかな。
対照的なキャラで1人は寡黙な裏方職人的で、
もう1人は Guns N' Roses「Appetite For Destuction」の真っ黒なTシャツを着て、
堂々とステージの上でタバコを吸っていた。1人だけ髪が長い。DJというよりは、ロッカー。
この2人がスクラッチしているときに出てきたリズムの効いたメロディーは確かにかっこよかった。

フランスから来た DJ っつうと実情を知らず、
おしゃれな人たちというイメージを勝手に抱いていたけど、
4人とも地味っちゃ地味で着てる服もその辺で売ってそうなチェックのシャツだったりして、
ターンテーブルを操作していなかったらペンキ職人のよう。
でもみんな凄腕なんですよね(たぶん)。

僕が想像していたのは、ヒップホップで言ったら The Roots のようなこと。
生楽器で演奏するのをターンテーブルでっていう。
でもそんな感じじゃなくて、攻撃的なエレクトロに近かったな。
要するに、ターンテーブル8個あったら8曲同時に重ねて流して不協和音込みで
音の洪水を作り上げるとか、そんなではなかった。

ターンテーブルとそれぞれの前に灰色の Mac Book が並んでて、
なんだ、ストイックにターンテーブルだけで音を出すんじゃないんだと。
しかも4人がせっせせっせと絶えずスクラッチしまくってるわけじゃなくて、
1人だけ音を出して3人は休んでるっていう局面も何度かあった。
フランスから来たプレスの男性がビデオを撮っていて、DJブースの裏に回ってきたときは
4人が並んでターンテーブルに背を向けて記念写真みたいに撮っていた。
その間もリズムトラックは淡々と流れて・・・

4人ともプロの DJ ということもあって、フロアを煽るのが好き。
「今すごいことしてるのはこいつ」と隣でスクラッチしてるメンバーを指差してみたり。
そういう1つ1つの動作が決まってた。

終わって、次は Metronomy となる。
これ目当ての人が多いみたいで、最前列のほとんどの人は Birdy Nam Nam から引き続き陣取っていた。

話変わるけど、SONIC STAGE と DANCE STAGE って接しているのになぜ隣の音が聞こえてこないのだろう。
(ときどきベースの音だけ聞こえることはあるけど)
しかも壁らしい壁はなくて、薄い幕が張られているだけ。しかも天井付近は透明で向こう側が透けて見える。
この幕にものすごく高性能な防音効果があるのだろうか?

22:30 からの LADY GAGA の時には入場規制が想定されますとアナウンス。
ものすごく見たいけど、大ヒットした「Pokerface」を生で聞いてみたくはあったけど、
終わったら 23時半で中央線の終電がかなり危うい。
見れないかも、ぐらいだったらさっさと諦めようと決める。
その代わりに 21:40 から始まる中田ヤスタカ(capsule)の DJ を見るべきか。
23時頭の京葉線に乗れたら、中央線は充分走っているだろう。
そこのところに悩みが移っていく。


[3190] サマソニ09 その10(8/8:te 〜 Little Boots) 2009-09-07 (Mon)

開演30分前。最前列が隙間があったので入り込む。
にんにくの匂いが気になるが、まあフェス向けにそんなに入ってないだろうと前向きに考える。

te' とはギター2人、ベース、ドラムの4人によるインスト・バンド。ヴォーカルなし。
インストって言ってもジャズ・コンボみたいなのではなく、
一番近いのはハードコア・パンク経由のポスト・ロック?
いや、ポストでもなんでもなくて、今、ここにある爆音。
ヴォーカルがない分、曲名やアルバム名が日本語として振るってて。
アルバムのタイトルは順に、
 1st「ならば、意味から解放された響きは『音』の世界の深淵を語る。」
 2nd「それは、鳴り響く世界から現実的な音を『歌』おうとする思考。」
 3rd「まして、心と五感が一致するなら全て最上の『音楽』に変ずる。」
なんとなく文章としてつながっているように思えるのがすごい。

僕が持っているシングル
「美しき旋律も、音を語る言を持たずしては心にも『留』めがたし。」の曲名はこんな感じ。
 1.「美しき旋律も、音を語る言を持たずしては心にも『留』めがたし。」
 2.「大胆は無知と卑劣の子であって、他の資格よりはるかに『劣』る。」
 3.「声をもって、心の底を叩いてみると、どこか『哀』しい音がする。」
 4.「嫌いなものは殺してしまえばいい、それが『人間』のすることか?
   憎ければ殺せばいい、それが『人間』というものではないのかね?」

たったこれだけでもこのバンドが独特の立ち位置にあるのが伺える。

残念ながらギターの hiro(黒田洋俊)が闘病中ということで、
サポートのメンバーでライヴを続けているようだ。
オフィシャルサイトには「悪性リンパ腫」ってあったんだけど、これってつまり癌なのでは・・・

PAのセッティングにはメンバー4人が立ち会う。
一通り終わって、そのままセッション風に短いナンバーを演奏する。
これがいいっちゃいいけどゆるいもので、初めて te' のライヴを見る僕からしたら
「なんだ、こんなもんか」と。なし崩し的に本編が始まったものと誤解していた。
サクッと終わって、4人がいったんステージから去っていく。
その後に始まった本編はとんでもなかった。
ハイテンションというよりはハイヴォルテージでガンガン突き進む。
目の前のもの全てをなぎ倒しながら。
特にドラムがすごい。クールな顔して鬼神のごとく叩きまくる。
1曲叩き終わるごとに立ち上がって、スティックを握ったまま両腕を宙に向かって突き上げる。
あれはかっこいいねえ。見ててこっちも吠えたくなる。
ベースはベースで歌わないけどマイク担当らしく叫んでて、「Oi!Oi!」と僕らを煽る。
ギターは1人がカッティング主体で、一人はアルペジオ。
静:美しいメロディーを奏でた瞬間、動:爆音を撒き散らす。
見てると、しなやかな獣がコンクリート・ジャングルを全力疾走しているかのようだった。

MCでは「どうも酒井のり子です」とか「サマソニに出れて、マンモスうれピー」とか言ってた。
リーダーの kono が慌てて両腕でバツを作って、頼むから今日それはやめてと。
なんにしてもこの日のサマソニのあちこちで、酒井のり子の話題ばかりを聞いた。
この日の夜、覚せい剤取締法違反容疑で酒井のり子が逮捕される。

te' が一瞬で終わる。これはいつか、ちゃんともう一度見たいね。
最後の曲ではサポートの眼鏡のギタリストが勢い余って転んでた。かっこいい。

次は Little Boots を見るために SONIC STAGE へ。メッセに戻る。
開演直前に到着したため、即に満員に近い状態。
新世代のエレクトロ・クイーンとして日本での人気も高い。
可能な限り前の方に行ってみる。周りの女の子たちばかり。なんとなく見やすい。

メンバーはシンセが一人と、ドラムが一人。
Little Boots もまた機材を操作する。
サンプラーなのかな、小さい銀色のだったんだけど、
今出してる音に合わせて背面の液晶モニターにそのリズムを表す図形というか模様が表示される。
もう1つ、シンセなのかな。これにタッチパッドみたいなのがついていて、
手の平を近づけるとヒューンと音がして、遠ざけると音が小さくなる。テルミンみたい。
そういうのも時々使ってた。
あと2曲目で、元祖アナログシンセだと思うんだけど、
ボールペンのようなスティックで細長い金属の部分に触れて線を引くと音が出る。
そういうのを首からぶら下げて演奏していた。(音が出ていたようには思えなかったけど)
大人の科学の付録のアナログ・シンセサイザー SX-150 の製品版みたいなものなんじゃないかな。
http://otonanokagaku.net/magazine/sx150/index.html

名前の通りすんごい小さい人で、でも、ブーツは履いてなかった。
紫色のスパンコール入りの衣装を着ていて、左腕は袖あり、右腕は袖なし。

7・8曲やったのかな。
アルバムはなかなかいいと思ったけど、ライヴは・・・、それほででもなく。
笑顔で踊りながら、歌ってはいるんだけどなんか淡々としていた。
でも会場は盛り上がっていた。サビを知ってる曲になると女の子たちが皆、歌う。
将来に期待。

続いて、DANCE STAGE で Birdy Nam Nam と Metronomy と Tom Tom Club の3連発。
ここからは長丁場、最前列をキープしたら絶対離れないつもりでいたため、まずはトイレに行く。
後ろに並んでいた海外からの若い男性が僕に話しかけくる。
掃除のおばちゃんを見て、「That's good working」
「Good Woking ?」と聞き返す。
「Cleaning」と彼は答える。なるほど。
フェスの命は、いかにしてその場をきれいに快適にするかだもんな。

Official Bar で水分補給用にクリスタル・ガイザーを買う。250円。高い。
この後、ビールも飲まず、水も唇を湿らすだけに留める。
ここで買ったクリスタル・ガイザーは結局中身が余って、家まで持って帰ってきた。


[3189] サマソニ09 その9(8/8:間々田優 〜 ジャンクガレッジ) 2009-09-06 (Sun)

土曜の分のリストバンドを引き換えて、これで左手首に2本(8/7が青、9/8が茶)となる。
この日はトリの Linkin Park 以外に取り立てて見たいものはなし。
「何を見るか迷ったら日本人女性シンガー」というルールの下、
ISLAND STAGE へ間々田優を見に行く。
アコギ弾き語りの激情系シンガーソングライターであるらしい。

メッセから小道を歩いて、マリンスタジアム側へ。
今日は曇り。白っぽい灰色の空。
スタジアムの脇にホセ・クエルボ(テキーラですね)のブースがあって、その隣の店でカクテルを売っている。
まだ時間が早くてフローズン・カクテルができないということで、フィズ入りのをオーダーする。600円。
このクエルボのブースでは昨日、黒のビキニの女性たちが艶やかな踊りを披露して観客を集めていた。

ISLAND STAGE に入る。
アメリカから来た高校生だろうか、バックステージパスをもらっているのか
ステージ脇を一群になって通り過ぎる。修学旅行で日本の音楽ビジネスを見学中?

最前列が空いている。
周りの観客ははまだ20歳になったかならないかの、間々田優の同世代の女の子たちばかり。
柵にもたれてカクテルを飲む。ステージ上では PA のセッティング。
間々田優本人が出てきて、リハーサルと称して声を出し(ただし歌わない)、ギターを弾く。
とても小柄な人だ。白地に、少し青で模様の入った浴衣を着て、素足。
真っ黒に近い、お歯黒のようなペディキュアを塗っている。
「私、自他共に認める雨女なんですが、今日は晴れてよかったです。
 皆さん、今日は来てくれてありがとう」

いったん舞台袖に引き上げて、5分後ぐらいに戻ってきて演奏開始。
小柄でかわいらしい顔立ちなのに(そう、浴衣着て彼氏と花火大会を見てそうな)
曲が盛り上がってくるとまるで逆ギレのようにギターをかき鳴らし、激しく叫ぶ。
どこかにちょっと不思議系の入ってる人で、
その分これまでの人生、多少生きにくかっただろうな、と思う。

バックのメンバーはなぜかおっさんばかり。ギター、ベース、ドラム、3人ともたぶん40過ぎてる。
ベースは5弦。それが2本、ステージに。見るからにうまそう。
キーボードだけは若くて、まだ20代か。でもあれこれ経験を積んでるような落ち着きが漂っている。
バックがしっかり、何でもできるセッション・ミュージシャンを集めて枠を作ってあげないと
間々田優のような若くて純粋な(というか天然な)シンガーソングライターが
フロントに立って演奏するのって難しいんだろうな。

1曲目がどん詰まり激情系で、2曲目が普通にポップ。3曲目がしっとり。
最後の曲は神にピンクのフサフサの飾りをつけて、アイドル「ママッキー」に扮して、
アイドルの大変な生活をキャピキャピと歌い上げた後、後半かなぐり捨ててまた激情。
たった4曲で終了。もしかして間違えて1曲飛ばしたのに気づいてないんじゃないか?
と思ったんだけど、時間を見たらしっかり30分経過していた。

どうでもいいけど、WOWOWなのかな。ドリーに乗せた撮影のカメラが2本入ってたんだけど
事前に打ち合わせができていないのか、それとも仲が悪いのか、
左側担当が真ん中に寄ってくると右側担当が真ん中で撮っててぶつかる、
あるいは慌てて助手が裾を引っ張って促すという。
ちゃんと撮れてるのかなあ。気になった。
この2組のカメラ、次に見た te' でもこの組み合わせで、その後話し合ってなかったのか、
同じようにぶつかりそうになっていた。

次に見るつもりの te' まで1時間半近く空く。
メッセのフードエリアにて、昨日大行列だったジャンクガレッジのまぜそばが
どれだけのもんなのか食べに行ってみる。

マリンスタジアムの近くに通りがかると、リズミカルにたくさんの打楽器の重なり合う音。
サンバ・パレードが行われていた。

メッセの中へ。まだ11時だというのに、普通に行列。4列に並んで待つ。
看板を見るとテレ朝が提供していて、六厘舎という店がサポートしているようだ。
まぜそばが700円で、スペシャル・トッピング(マヨネーズ、チーズ、ベビースター)が100円。
看板の写真には自己主張強そうな黄身が乗っていたけど、夏場なので残念ながら提供せずとのこと。
スペシャル・トッピングのアリナシと、にんにくのアリナシが選べる。
メニューはまぜそばのみで、注文時にはこれらのアリナシのみを伝える。
スペシャル・トッピングありで、にんにくありだと、アリアリ。
スペシャル・トッピングなしで、にんにくなしだと、ナシナシ。
なんだかラーメン二郎のよう。
ジャンクなラーメン屋でこの手のアリアリ、マシマシみたいな符丁でオーダーする店って
今後かなり増えそうな気がした。

来店したアーティストが色紙を残している。他の店では色紙って見たことない。
スガシカオ、土屋アンナ、school food punishment、THE BAWDIES
もしかしたら3日間の間にもっと増えていたかもしれない。

45分ぐらい待ったかなあ・・・
注文だけで40分、出てくるのに5分。
あらかじめ1回に茹でて提供できる分量が30人ぐらいずつなのかな、それぐらいと決まってて、
30人分のアリアリ、アリナシ、ナシアリ、ナシナシを聞いて、1度そこで注文を取るのはストップ、
注文した人はアリ・ナシの組み合わせによって異なる引換券をもらって別に並び、
それぞれのトッピングが出来上がったらアリアリの人から順に一気に受け取っていく。
また30人分のアリ・ナシのオーダーが始まる。そんな仕組み。
僕はスペシャル・トッピングありで、にんにくなしにしようかと最初は考えてて、
だって、ライヴで隣に立っていた人がにんにくくさかったら嫌じゃないですか、
でも、なんかせっかくだから入れて食べてみたかったし、
それにアリアリが最初に配られるみたいなんで、余り時間がなかったし。

受け取って、Offical Barでビールを買って、昼食時で空いてるテーブルもなく、地べたに座って食べる。
ひたすら混ぜる。スペシャル・トッピングの3つと、ほぐしたチャーシュー、キャベツ、もやしかな。
確かに、いける。ビールにも合う。
でも、麺・具共に看板の写真ほどの分量はない。大盛りがあればよかったのに。
これ、実際に店舗で食べてみるとかなりうまいのでは。
東大宮にジャンクガレッジの店舗があるみたいなので機会があったら行ってみたいけど、遠いかな。
六厘舎ってのは東京駅地下街にあるみたい。でもまぜそばはなしで、つけそばの店となっている。

急いで食べて、ISLAND STAGE に戻る。


[3188] サマソニ09 その8(8/8:ゴーストタウン幕張のホテルに泊まる) 2009-09-05 (Sat)

予約していたホテルへ。
少し歩くと、人通りが途絶える。
幕張のシンと静まり返った高層ビルの間を、ちらほらと歩いている人が見える。
タワレコや audio-technica のブースでもらった肩掛けのビニール袋を背負ったカップルたちが
手をつないで寄り添うように歩いている。

それにしても幕張ってなんでこんなにホテルが多いんだろう?
普段どれだけ利用されているのだろう?誰が利用するのだろう?
千葉マリンスタジアムでロッテの試合があるときに?
それともサマソニみたいなビッグ・イベントがあるときに?
あるいは何らかのカンファレンスがあちこちで頻繁に開催されていて、
全国・全世界から人が集まっている?
高級ホテルも多くて、どういう仕組みなのかとても不思議。

ホテルの中へ。フロントに1人だけ。名前を告げる。
午前1時近くという遅い時間にふらっと現れて大丈夫なのだろうか?とちょっと不安だった。
事前に電話の1本でも入れといた方がよくはないか?
でも、予約時にプリントアウトした紙をどうも荻窪駅から東京駅に向かう
丸の内線の中で落としてしまったみたいで見つからない。
これを拾われていたずらされないか、
勝手にキャンセルされたり誰かが替わりに泊まったりしないか、
No Show 扱いでキャンセルとなっていないか。
ライヴの始まるまでのセッティングの時間に暇だとそんなことばかり考える。
まあ結局そんなこともなく普通にチェックイン。事前に先払いされているし。
(本人を確認する身分証明書だとか、予約時に使ったクレジットカードの提示を求められなかったので、
 その気になれば誰かが僕になりすまして泊まることも可能だったわけだ)

8階の部屋へ。
「広い部屋をご用意しております」と言われて行ってみると、確かに広かった。
いつも泊まるビジネスホテルとは格段に違う。
シングルルームに空きがなかったのか、ベッドはツイン。
机だけじゃなく、ダイニング用の小さなテーブルもあった。
テーブルには皿にフルーツが盛られている。ぶどう、みかん、バナナ。どれも2つずつ。

自販機でペットボトルのミネラルウォーターと500mlの缶ビールを買う。

着ているものを脱いで簡単に洗濯をする。お湯で濯ぐ程度。絞って、浴室に干しておく。
Tシャツ、トランクス、靴下、タワレコのタオル。

浴槽にお湯を入れて、湯船に漬かる。はーっと一息つく。
日焼け止めを塗り忘れた腕の裏側が真っ赤になっていて、お湯をかけるとヒリヒリした。

風呂から出る。下着の類は全て洗ってしまったので全裸となる。
バスローブみたいなのがベッドに掛けられていたので利用してみるものの、着慣れてなくて落ち着かず。
結局全裸に戻る。

テレビをつけてみるが、見る気もなくてすぐに消す。
缶ビールを飲みながら「人にはススメられない仕事」の続きを読む。
せっかく珍しくビジネスホテルじゃないホテルに泊まっているというのに楽しみ方を知らない。
・・・ってそもそもそんなものないんだろうけど。
とにかく他にすることがない。

「人にはススメられない仕事」というか、このハップとレナードのシリーズ、
腕っ節は強いが社会的には負け犬の2人が事件に巻き込まれ、
与太話をしながらも大暴れして無理やり解決、「毎度お騒がせします」というノリが心地よい。
読んでるうちに午前2時を回って、明日も早いと布団の中に入る。

その後、何度か目を覚ます。
5時頃、カーテンの隙間から覗く朝日が眩しくて起こされた。
起き上がって締めたついでに浴室へ。Tシャツもトランクスも靴下も全然乾いていない。湿ったまま。
浴槽は乾いたというのに。頭が回らず、そのままにして眠る。
その後1時間おきに目を覚ます。

8時になって、そろそろ起きなきゃなと思う。
下着は相変わらず濡れている。奇跡は起きず。
ドライヤーにしばらく当てて乾かしてみるが、効果なし。
浴室ではなくクローゼットに掛けておくことにする。最初からそうしてればよかった。

ポットに電源を入れてお湯を沸かす。
またお風呂に入って、出てきてからポットのお湯でティーバッグのお茶を作って飲む。
朝食代わりにみかんを2個、バナナを2本食べる。
下のビュッフェは料金に含まれていない。というか、含まれていなくて良かった。

いつだったか朝起きてNHKのニュースを見ていたら、
YouTubeかどっか動画投稿サイトにチンパンジーのバナナの食べ方ってことで、
上からじゃなくて下から皮を剥くといいってのが紹介されていたのを思い出した。
世界のあちこちから天才だという賞賛の声があがる一方で
いや、フィリピン(だったか)では元々下から剥いて食べているという指摘もあり。
喧々諤々の議論が続いて、じゃあ当のチンパンジーはどうやって食べているのか?という話に。
NHKの取材班が動物園に行ってチンパンジーにバナナを与えてみたところ、
あるチンバンジーは下から剥いて、あるチンパンジーは上から剥いて、
まあ結論は「気分次第」ってことになった。
何の解決にもなっていない。とりあえず僕はこれまでの人生でそうしてきた通り、
上から剥いて食べた。

「人にはススメられない仕事」の続きを読む。
9時になって出る準備をする。歯を磨いたり、なんだり。
下着は結局乾かず。再度時間をかけてドライヤーで乾かす。
靴下は中にドライヤーを突っ込む。そうしたら結構乾いた。
靴下って踵から乾いていくものなんですね。次に爪先。
トランクスやTシャツはどうやっても乾かず。
まだ湿ったまま仕方なく着る。
タワレコのタオルもべっちょりしたまま。
でもこれは元々、日中からトイレの手洗い場で水を含ませているから違和感はない。

9時半、チェックアウト。外に出る。
見ると即にパラパラとまばらに、会場に向かう人たちの列が連なっている。


[3187] サマソニ09 その7(8/7:Ghostland Observatory 〜 2 Many DJ's) 2009-09-04 (Fri)

DANCE STAGE に戻る。
Ghostland Observatory ってのが演奏中。
かなり空いてて、最前列の2列目にスペースを見つける。
この分なら終わって1列目を奪取できるだろう。

この Ghostland Observatory ってのが素っ頓狂で訳分かんなくて。
ドラキュラの格好をした大柄のシンセ奏者と、
長身で髪を三つ編みにしてサングラスを掛けたヴォーカルの2人組。
このヴォーカルがあちこち世話しなく動き回りながら
ハイテンションなハイトーン・ヴォイスで Axel Rose ばりの絶叫。
なんなんだろ。サマソニの紹介を見たらロラパルーザのメインステージに登場とある。
周りの外国人の客たちには受けていた。
僕にはサタデー・ナイト・ライブのなんかの物まね芸としか思えない。
音も2世代前のエレクトロみたいなもんだし。
でも、振り返ってみるとこの音で気持ちよさそうに踊っている人が結構いた。
不気味な時間だった。

そして遂に、2 Many DJ's !
最前列でしっかりと見る。
ステージ上に DJ ブースが現れないまま時間となり、Stephen が大きなラジオ・レシーバーを手に登場。
日本のクイズ番組かなんかが流れて、いじってノイズになって、また番組に戻ってと。
それだけで場内大歓声。
Radiohead もそうだけど、ラジオ・レシーバーって楽器的飛び道具として妙に人気がある。
これって日本だけ?

David と共に DJ ブースが運ばれてくる。
David も Stephen も今度は黒の夜会服仕様。

曲は、The Chemical Brothers 「Hey Boy, Hey Girl」から始まる。
「Hey Boy, Hey Girl, 2 Many DJ's Here we go !」ってやつ。
最初のうちは普通に曲をつなげていって、途中からマッシュアップ・タイムが始まる。

僕が聞いたことあろうとなかろうと、覚えている限りで、だいたいの曲順としては以下の通り。
アルバム『』ないしは曲名「」で。

・Gossip『Standing In The Way Of Control』
・「jack Is Back」
・「Bonkers」
・Zombie Nation
・MGMT『Oracular Spectacular』
・Eurythmics 「Sweet Dreams」
・YMO 「Rydeen」
・Guns N' Roses 『Appetite for Destruction』
・The Clash 「Rock The Casbah」
・Queen 「Another One Bites The Dust」
・Major Lazer『Guns Don't Kill People: Lazers Do』
・Aphex Twin「Windowlicker」
・Tiga「Mind Dimension」
・「AA247」
・『Fame』のサントラ
・Slayer『Reign In Blood』
・Dolly Parton「9 to 5」
・Michael Jackson 「Off The Wheel」「Don't Stop 'Til You Get Enough」「Billie Jean」
・Sheila E『The Glamorous Life』
・AC/DC「Dirty Deeds Done Dirt Cheap」
・Walter Murphy「Fifth of Beethoven」
・「Saturday Night Fever」
・Tiga「Shoes」
・Can「I Want More」
・『International Deejay Gigolos』
・Justice「PhantomII」
・New Order「Blue Monday」
・Max Romeo「War In A Babylon」
・Prodigy「Out Of Space」
・Nirvana「Lithium」

うーん、ロック系しか分からず。
ダンス系はタイトルが印象に残ったもの以外はことごとく取りこぼしている。
それにしてもこれだけでもすごいセレクション。
ヒップホップ系の曲のサンプリングで「大ネタ使い」とされていても
どれがどうなのかさっぱり分からないことが多い僕ですら分かるという、
これぞ本当の「大ネタ使い」

これらを重ね合わせて曲を成立させるだけでなく、
(Max Romeo「War In A Babylon」/ Prodigy「Out Of Space」が分かりやすく、その真骨頂だった。
 というか今調べてみたら、「Out Of Space」は「War In A Babylon」をサンプリングしている?)

後ろのスクリーンに、今掛けている曲のジャケットを元にしたアニメが映し出されて、これがすごい。
MGMT だとこんな感じ。
背景の蒼い空に月が昇っていく。
星が次々に現れてはあるべき位置に移動していく、やがて MGMT の文字となる。
水面をイルカがジャンプする。
MGMT の2人が遠くから現れて、
音に合わせて腕を振りながらこちらに近付いてくる(つまり大きくなっていく)。
ものすごく手が込んでいる。
こういうのを、全曲で。もちろん、もっと単純なのもたくさんあったけど。
これだけ曲があったら、こういうアニメを専門で作るクリエイターが雇われてるんじゃないか?
しかもあちこちの DJ セットで(たくさんかぶるとしても)
それぞれ異なる曲が必要だから、アニメのストックがもっと必要。

このアニメが曲と完全に同期取れていて、どうやって実現しているのだろう?と不思議。
2ちゃんで調べても、話題に上がっていてもどういう仕組みなのか結局分からず。
凄腕の VDJ がいるか、あるいは 2 Many DJ's の2人が映像に合わせて曲を動かしているのか、
あるいは、DJ と称しつつも実は事前に全ての曲が繋げられているか。
3番目じゃないことを祈る・・・
2人して右側に回ったり左側に回ったり、CDを入れ替えたり、すごい一生懸命になってやってたけど。

YMOだと「Solid State Survivor」のアルバム・ジャケットだった。
これ、教授が眼鏡を外して、細野晴臣がギクシャクと踊りだして。
「Sweet Dreams」だと Annie Lennox と Dave Stewart の頭に紙袋がかぶせられたり。
2 Many DJ's のシンボル、茶色の紙袋はいろんなところでかぶせられていた。

それにしても僕が今回感じたのは、まだまだ僕は不勉強だということ。
僕の隣にいた僕と同い年ぐらいのカップルはなんかかかる度に「あの曲だ」と当てあって、
女性の方は Gossip や Tiga を一緒になって歌ってた。
そんな人ばかり。場内大合唱。僕はそこまで詳しくはなかった・・・

・・・と思ったりもしつつも、いや、楽しかった。こんなの初めて見た。
生で見れて感動した。
2 Many DJ's のミックス CD だけ聴いてると「ふーん、よくできてるね」で終わってしまう。
プログラミングしたらできそうだし。
でも、これ、ほんとに生でやってるんですね。しかもシンクロする映像付きで。
今思い返しても「すげー」しか出てこない。

僕としてはベストアクト、誰が何と言おうと、Soulwax / 2 Many DJ's ですね。

DANCE STAGE を出て、午前0時半。終電は終わっている。
至るところに、まだまだ大勢の人がいた。
パチンコの台が眩いフードエリアは不夜城のようだった。
まだこの時間になっても食べ物を出す店があって、並んでいる人たちがいる。
いろんな方角から音楽とそのリズムが聞こえてきて、喧騒もまた果てしない。
ライヴは朝5時まで続く。
メッセの外に出る。
することもなく階段に座り込んでいる女の子たち、男の子たち。
ライヴの興奮を語り合っている人もいれば、眠り込んでいる人もいる。
メッセから離れて歩いていく人は少ない。
ホテルを取ってある僕は、駅の方に向かって歩いていく。


[3186] サマソニ09 その6(8/7:Soulwax 〜 Aphex Twin) 2009-09-03 (Thu)

そして遂に、Soulwax!!
裏バージョンの 2 Many DJ's と合わせて今回のサマソニで最も見てみたかったもの。
フェスで来なくても、次に来日するときがあったら絶対見ようと思っていた。

ベルギーの Stephen Dewaele と David Dewaele を中心とするグループ。
というかこの2人は 2 Many DJ's としての活動の方が世界的に知られてるんだろうな。
全然関係なさそうな2つの曲を片方はヴォーカルを、片方はオケを取り出して
1つの曲として重ね合わせてしまう、「マッシュアップ」という手法のオリジネイターとして。
(以下、5/14に書いたことをそのまま転用)
Soulwax の偉大なところって、
2 many DJ's でマッシュアップを「発明」して、自ら楽しみながら普及させたこともそうなんだけど、
そこから Soulwax という生身のロックバンドに戻ってきて、
さらにそれを、Nite Versions というダンスアクトへと進化させたところにあると思う。
マッシュアップありのリミックスした楽曲を生で演奏するっていう。

僕としては、Soulwax とは
今世界中で最も音楽的に野心的な「ロック」バンドであり、
最もユニークなコンセプトメイカーであるように思う。

DJ TASAKA が終わって、首尾よく最前列をキープ。
待つこと30分。機材がステージに運ばれてくる。
向かって左側がドラムセットで、右側に David の扱うアナログ・シンセ、
真ん中に Stephen のマイク。もちろん、セクシーなシンガー御用達のガイコツマイクですよ。
つまり、昨年出たアルバム「Part of the Weekend Never Dies」の DVD で見たセットのまま。
背後に掛けられた大きな幕には「Part ...」と書かれている。
僕の後ろに立っていた学生2人組が
僕もそうだったけど、全く同じセットだということに興奮していた。
「これまで何度も DVD で見てきたアレが遂に見れる!」って感じで。

暗くなって4人がステージに現れる。
4人はもちろん白の伊達男スーツを着ていて、
David は蝶ネクタイをきちんと締めて、Stephen はだらんと外している。
演奏が始まる。曲もまた、DVDとだいたい一緒、・・・だと思う。
興奮して見ていたからというか、
音に激しく反応して飛び跳ねて首を振り、体を前後左右に動かしていたからよく分からず。
少なくとも、コンセプトは同じ。Soulwax というよりは、これは Nite Versions なのだと思う。
日本では知名度の観点から、Soulwax と呼んだ方が分かりやすいってことなんだろう。
とはいえ曲の構成はさすがにたぶん違うんだろうな。
とにかく、リミックスされた曲の生演奏がノンストップで繰り広げられ、一瞬で終わった。
いやあ、熱かったねえ。周りは熱狂の渦だったよ。
これがビートであり、アタックなのだ。
DJ TASAKA に聞かせたかった。
片や DJ で片や生でドラムを叩いているというのは余り関係がない。
何と言うか、享楽的かつストイックという矛盾する姿勢を保ちつつ、突き進みかつ音に身を委ねる。
全てのことが1度に行われていて、それがビートに結実する。

冷静になって考えると、あの音の核となっているのは連打されるバスドラと
アナログ・シンセのギュオギュオキュイィィーーーーンという変調の軋みか。
いや、分析してもつまらない。
やはり、Soulwax / Nite Versions は素晴らしいバンドだった。
機会があったら、是非見るべき。

次は、Ghostland Observatory というのを見て最前列をキープしつつ、
2 Many DJ's に備えるのが当初の予定だった。
しかし、意外と早く終わって隣の SONIC STAGE での Aphex Twin が始まっている気配はなく、
もしかして頭から見れるかもと移動することに決める。
僕と同じことを考えてる人が多いみたいで DANCE STAGE から出るのにえらく時間がかかった。
入ってみると、まだ始まってなくて、ホッとする。
できる限り前に近付いて見るようにする。

ステージ上には、かなり高い位置に演壇のような、宇宙船のコクピットのような DJ ブースが設置され、
灰色の Mac Book が置かれているのが見えた。
その背後に3つの大きなスクリーンと、DJブースのフロント部分に小さなモニター。
横にはモノリスのように突き出した、真っ黒な真四角の細長いスピーカー。
始まる。演説が読み上げられ、その内容がスクリーンに流れる。
機械が人類を支配することについて、人類に向かっての声明文のような内容。
いつのまにか、Aphex Twin こと、Richard D James が DJ ブースに座っていた。
光の加減だったのか、遠くから見る僕にはなぜかそれがのっぺらぼうに見えた。

音が流れ出す、押し寄せる。
ねじれてグニョグニョしていて、形がない。
リズムは正確に一定のパターンを繰り返しているはずなのに
どこを取っても曖昧で常に揺れ動いて変化しているように聞こえる。
1つ1つの音がそれぞれポリリズムを孕んでいるかのよう。
映し出される映像もまた古典絵画をよじってグニョグニョさせたもので。
一言で言って映像も音もグロテスク。
それが悪趣味、生理的不快感の一歩手前で留まるから、
Aphex Twin の音は謎めいているのに気持ちよくて、中毒性を帯びるんだろうな。
ノイズ的要素が強まった瞬間、大きな歓声が上がる。
これは確かに、機械が人間の感覚を操作しているようであった。

あるところまで来て、音は単純で分かりやすいものとなる。
それと共に映像も変化する。
幾何学的な図形が回転しながら細分化して行き、螺旋模様を描く。

正直、僕は Aphex Twin の良い聞き手ではなくて、曲を全然覚えていない。
名盤とされる「Selected Ambient Works 85-92」だって
あれだけ熱心に廃盤となった国内盤を探した割には、ほとんど聴いてない。
なのであの曲をやった、断片的に取り上げた、というのは判別できないんですね。
全部即興で音の素材から「曲」を作ったのかもしれないし、
全部アリモノを繋げただけなのかもしれない。
でもまあどっちでも良かった。

後半、最後にもう一度グロテスク路線に戻ってくる。
Richard の顔が散々いじられまくる。
自分の顔でここまで遊べるというかグシャグシャにできる人って
どういう感覚の持ち主なのだろうと思う。
途中から、映像の一部分を極端に引き伸ばす手法が多用される。
つまり顔が映っていたら目や歯が画面の外まで突き出すという。
これがイギリスなのかアメリカなのか、例えば太っちょがスパイダーマンの全身衣装を着てるだとか
日常生活の変なスナップショットが次々に羅列されて、それがグチョグチョに引き伸ばされる。
それが終わったら熊のぬいぐるみの顔が Richard で、音に合わせて目が飛び出て。
最後は、屠殺場で豚が殺される場面だとか死体を解剖しているだとか外科手術だとかそういう映像のコラージュ。
気分を悪くした女性は多いだろうな。隣に立っていた人は顔を覆っていた。
これ、絶対映像を極端に乱しているけど排泄しているところだろうな、とか。
常人には理解できない、ユーモアのセンス。

そんなこんなありつつ、でも、見てよかったと思った。
すげーと唸った。頭では理解できないとしても、
我々が日々生きている次元を超越するぐらいすごいってのは嫌でも、皮膚感覚で伝わってきた。
なんだか、後になってジワジワ来る。
見た後よりも、次の日、さらにその次の日。
Soulwaxも素晴らしい体験だったけど、Aphex Twin はまた別の意味での貴重な体験だった。


[3185] サマソニ09 その5(8/7:the HIATUS 〜 DJ TASAKA) 2009-09-02 (Wed)

ここまで終わって、16時半。
次に見るつもりの the HIATUS まで1時間近くあって、
朝から何も食べてなかったので幕張メッセの大きなフードコートに移動して、
そこそこ並んでいた広島焼きの店で牛筋焼き\1000と、味噌漬けホルモン焼き\600を買う。
Official Bar で生ビール(\600)を買って、空いてるテーブルに座って急いで食べる。
それなりに値段が張ったので、割とうまかった。

MOUNTAIN STAGE へ。モッシュ・ピットに行けたら行けたけど、大変なことになりそうだと自重。
後ろ側の最前列近く、つまり真ん中ぐらいのところで見る。
場内が暗くなり、ステージ袖から円陣を組んで声を出すのが聞こえて、歓声が上がる。
5人のメンバーが登場。
ELLEGARDEN が昨年活動休止となって、ヴォーカル・ギターの細見武士がソロとして始めたグループ。
期待は大きく、春に出たアルバムはオリコンで1位になった。
Rockin'on JAPAN のインタビューでも絶賛されていた。
ベースが元 thee Michelle Gun Elephant のウエノコウジ。
ギターだったアベフトシが先日、42歳の若さで亡くなったことを思い出す。

ギター2本の轟音がステージを覆う。
今日1日過ごして、ここまで全うなギターロックを聴くのはこれが初めてだということに気づく。
かなり遅れて昨年後半、ELLEGARDEN のベストを買って、いいじゃんと思った。
でも the HIATUS は言われてるほどには良さが分からず。
そういう自分にとって、今目の前の演奏もまたピンと来ない。
内容はとてもいいんだけど、今の自分はこういうの欲してないんだなと。

細見武士の純真な少年を思わせる声、全身から伝わってくるひたむきさって好きなんだけどね。
「carry」って単語を口にするとき、なんかゾクゾクする。
「carry on」とか「carry away」とか。ELLEGARDEN の頃からよく使ってた言葉だと思う。気のせいかな。
細見武士って人は「carry」って言葉に自分を託しているのではないか。
運ぶとか保持するとかいろんな意味があって一言では言えないけど。
「carry on」だと続ける、進める。そういう気持ちなのだと思う。

中盤で「Little Odyssey」をピアノだけで歌った。
これはとても心に響いた。切ない歌声がどこまでも広がっていく。その場にいた多くの人に届く。
今回のサマソニでも屈指の名場面だったのではないか?

最後の曲の前、
「真剣に歌いたいんだけどサマソニ楽しくて、つい顔がにやけてしまうのは勘弁してください」
と言っていた。つくづく、まっすぐな人だなあと思った。

あと、プラチナブロンドのギターの人がかっこいいね。
髪型といい、長身でチェックのシャツを着ていたのといい、Sonic Youth の Thurston Moore のよう。
演奏のスタイルはまるで違うけど。
激しいカッティングを繰り返して荒々しいポーズを決めるところがなかなかよかった。

次は、Soulwaxを絶対最前列で見ようと DANCE STAGE へ。
DJ TASAKA が即に始まっている。
前の方に進んでいくと、前から2列目のところに空いているスペースを見つけることができた。
(DANCE STAGE は他と違ってガツガツしてないから、フロアに余裕があるんですね)

で、この DJ TASAKA なんだけど、僕は全然好きになれず。
フロアは盛り上がって皆、踊ってたけど。
僕も体は反応していたけど。
なんつうかねえ、この人のビートは、というかこの人の選んだビートは
モサモサしていて、コクはあってもキレがない。
それ以前に音楽としての新しい発見がないんですね。
こんな音が、こんなリズムが、こんな組み合わせが、この世にはあるのか!?という発見。
手堅くて完成度は高いんだけど、安全地帯の中に踏み止まっているような。
一言で言うと、尖ってない。突き刺さってこない。
でも、予定時間ぴったりに終わった。そこは評価に値する。
この人、優しくてとてもいい人なんだけど、付き合ってると退屈するんじゃないか・・・と思った。

後ろのスクリーンには恐らく口紅のCMなど、
様々な映像のコラージュを組み合わせたものが流れていたんだけど、
そもそもこういうのもまた手法として使い古されているような。

台の上に巨大なデスクトップのPCらしきものが置かれていたのが、
あれはいったいなんだったのだろう?と気になった。

終わって、今、外は大雨で
BEACH STAGE と River Side Garden は演奏を中断しているとアナウンスがあった。


[3184] サマソニ09 その4(8/7:七尾旅人) 2009-09-01 (Tue)

さて、七尾旅人。以下、思い出せたことを全て書きます。
でも、記憶が間違ってることが大半かもしれません。

River Side Garden の芝生の前の方をしっかりキープする。
まさか、サマソニで見れるとは思ってもみなかった。
僕はこの人、天才だと思っている。定義不能の天才。
そこをあえて一言で言えば宅録弾き語りとなるか。
初期の入手困難なマキシシングルも amazon の中古で 8000円ぐらいで出品される度に買い求めた。

むき出しのアコースティックギターと黒のリュックサック、
網目の粗いテンガロンハットみたいなのをかぶって、
江戸時代の職人が着るような黒の上下、その下にはピンク色のTシャツ。
指の分かれた黒い靴下を履いて、下駄。
機材のセッティングをしている間、ステージ上のスタッフに神経質そうにあれこれ注文をする。
うまくいかなくて、自分でやりだす。見てると、優しい人なのか怖い人なのかよく分からない。
マイクに向かって「ア、ア、マイクテスト、テス、テス」と何度も繰り返す。
ガムテープで補強したと思われる譜面台と、パイプ椅子の上にサンプラー。
1人でやるのかなと思いきやそうじゃなくて、ドラムとキーボードも後ろにセッティングされている。
マイクテストなのか機材の準備なのか、声にエフェクターを掛けたりループさせたり
あれこれやってるうちに唐突に始まる。いきなり、10分押し。
「どうも始めまして、B'z です」と言って、「おどろよベイベー」と
「Easy Come, Easy Go」をものすごくゆっくりしたペースで弾き語る。
これがまた、うまいんですね。
例の七尾旅人のあの声と歌い方に乗っかると、普遍的な、とんでもない名曲のように聞こえた。
(まあ、B'z のシングル曲って基本的にどれも名曲なんでしょうけど)
あの、大人になりきれない子供が、拗ねてふてくされつつも、
この世にたった一つだけ存在する真理をまっすぐ追い求めるかのような。

サンプラーにも「Easy Come, Easy Go」が入っていた。
「好きなんで、いつも入れてるんです」どこまで本気なのか・・・
ウォーミングアップが終わって、「冗談です。七尾旅人です」と。
そして1曲目を始める。一昨年出た3枚組み問題作「9.11 FANTASIA」の中の「airplane」
この曲を、ウッドストックのような往年のロックフェスへの敬意をこめて歌いたいと七尾旅人は言う。
戦争に反対だとか、そういうことを言ってたあの時代。
昔のフェスってそうだったじゃないですかと。
いつだって、戦争に行くのは貧しい人たちだ。
今も世界のどこかで貧しい黒人が戦闘機に乗って空を飛んでいる。
ジミヘンはウッドストックでアメリカ国歌を演奏した。
あれ、最初は国歌なのにだんだんと戦争の情景をギターで表現するように変わっていく。
あれを僕は、この「airplane」という曲でやりたい。
(やがて、キャラクターに入り込む)
ウッドストックにも俺、新人枠で出てたんだけどさ、ジミヘンすごかったよね。
俺が2歳年下で・・・

そして聞いた「airplane」はやはり天才だった。
歌も演奏も気の向くまま、あっちゃこっちゃに行ってしまう。
だけど、何か、七尾旅人にしか表せないものを表現している。
七尾旅人にはこの世界はこんなふうに見えているという、その全て。
「私を乗せて 飛行機よ舞い上がれ
 あの娘が見た景色を 何度も見せてくれ」
単純なフレーズを、調子を変えて何度も何度も繰り返す。
サンプラーからの音を使いつつも、基本は自分の声とギターだけで。
その移ろいゆく様が、そのまま、七尾旅人にとってのこの世界なのだ。
それがダイレクトに、痛いほど伝わってくる。

終わって、譜面台に乗せた右側のクリアファイルから、恐らく歌詞の印刷された紙を左側に移す。
次の曲は、「パンクジャズ」(と呼んでいた)
ここで、サポートとして石橋英子という人が登場。キーボードとドラムを演奏するという。
「ヨシキからいい部分を抽出したような、仲間内では目の見えるスティーヴィー・ワンダーと呼んでます」
この人のジャジーな寄り添うピアノと、ドラムになったら突然暴れ太鼓になるというギャップがすごかった。

この River Side Garden は風が強いようで、かなりてこずっていた。
「フォークの人はなんでフェスに呼ばれないんですかね。風が吹くと演奏できなくなるからですかね。
 友達の豊田道倫がパラダイス・ガレージってのをやってるんですけど、
 こういうフェスに呼ばれるとこって見たことないですよ。
 あ、ある。大阪の春一番ってやつ。
 彼には出てほしいね。サマソニのメインステージに。
 で、『毎日オナニーやってるよ、時々チャーハン作ったよ』ってメインステージで弾き語りしてほしい」

その次は昨日作った曲というのを披露。
「ライヴで即興で曲を作ってやるのはよくあるけど、作って18時間って曲をやるのは珍しい」
この曲の中で「君たちにはチャゲアスの飛鳥になってほしい。一緒に歌おう」ということで
「どんどん季節は流れて」というフレーズを歌わせる。
昨日作ったばかりだから構成がよく分かってなくて、と言いつつ歌い始める。
だけど途中で「やめた。だめだ」
僕らの声が小さい、温まってないってことで次の曲へ。「まずはこれを歌ってからにしよう」
そう言って次の曲は「あの娘はスーパースター」(「パンクジャズ」もそうだけど、これも新曲?)
YouTubeなんかによくあるんだけど、その辺のバンドの曲よりも、
茨城のヤンキーがカラオケで歌ってるのを見た方がすごい。
誰だって、すごいんだよ。
そんな思いが込められている。
この曲に「ベイベ、ベイベ、ベイベ」と3回繰り返す箇所があって、そこを歌う。
これは七尾旅人も満足したようで、よし!と昨日作った曲を歌い直す。
七尾旅人は嬉しくなったようで、歌い終わって、「最高」と。
「忙しくて終わったら僕、すぐ帰っちゃうけど、僕には君らがアクトだった」

最後の曲?が今度出るシングルの「Rollin'Rollin'」
ラッパーの「やけのはら」と競演。
これが終わって時間切れかと思いきや、「1曲踊ろうぜ」
その前にまた話し始める。「僕は歌で会話する人になりたくて、歌い始めたんだよね」
そう言って、「どこから来たんですか?」と節をつけて弾き語る。
「こんなかで誰が一番遠くから来てる?自分だという人は?」
品川、という声が上がる。「そんなの近すぎるよ。そこの男性、あなたは?」
僕の右斜め前に座っていた男性が指差され、新宿と答えると、「ったく、もう・・・」ってブーたれて、
「じゃあ僕が一番遠くからかな。ブータンから」(100%嘘のようでいて、意外とほんとかもしれない)

そんで、始めるよと「みんな、立って」
立ち上がると、「いや、ステージまで来て」みな押し寄せる。
「みんなさ、ステージに立っていいんだよ。あ、女の子だけね」
そしてサンプラーからはムーディーな黒人が歌うヒップホップみたいなのが流れる。
七尾旅人はどこからか取り出したピンクのジュリアナ扇子を手に踊る。

時間切れ終わりってことで唐突に終わる。
ボタンを押し間違えたのか、老人が朗々と詠唱するのが流れる。「これおじいちゃんの歌ね」
最後、ステージに押し寄せる観客に一人一人握手。「いてて。指がちぎれる」
観客が多すぎて、全員には握手できず。僕は残念ながら握手できず。
ステージの上のピックや扇子やあれこれをリュックサックの中に詰めて、
譜面台とギターを抱えて撤収。
そして、「今着てるこのピンクのTシャツ、売ってるから買ってよね」
「ブログを見てね。恋バナとか恋バナとかたまに人の悪口とか恋バナとか書いてます」と。
ついでに、「明日は B'z って名前で出演します!横でギター弾いてる小さい方です!!」

周りは、何やらすごいものを見てしまったと興奮している人たちばかり。
やはり、天才だった。


[3183] サマソニ09 その3(8/7:Dragon Ash 〜 グッドラックヘイワ) 2009-08-31 (Mon)

次に見たのは、Dragon Ash を千葉マリンスタジアムで。
ここから急に大物へ。こういう機会でもなければ見ないだろうと。
まだ日中ということもあって、アリーナ前方は楽に入れる。
「La Bamba」のカバーで始まった。
冒頭の「Para bailar la Bamba 」というフレーズが「サマソニ調子どうだ」となって、
以下サマソニ向けの替え歌。途中、力技で転調して他のラテン系の曲にスイッチして戻る。
余裕シャクシャクの横綱相撲。その後もマッシブなラテン系な曲が続く。
今、日本で最も実のある音楽をやってるのはこいつらなんだなあと思う。
最近アルバムを買ってなくて、最後に買ったのは「Lily of Da Valley」か。全然昔。
ラテンにどっぷり漬かってからというのは気になりつつ、なぜか手が出ず。
こりゃ買わなきゃと思った。

何年か前にダンサーが2人加入したと聞いて、なんだそりゃと思った。
kj という人は音楽至上主義だとばかり認識していたからだ。
でも、見てすぐ分かった。確かに、必要だ。その場が華やかになるというだけじゃなくて。
声や音だけじゃなく、ヴィジュアル面でのメッセージを担っている。
何より、踊ってて楽しそうなんだよね。
長身のダンサーの方が登場の場面にて、
Dragon Ash と染め抜かれた大きな黒い布を両手でしっかりと握って振り回す。
これがかっこよかった。

もっと見たいなあと思いつつ、
今日の目当ての1つ七尾旅人の時間が迫っていたのでスタジアムを後にする。
というかこういうフェスで1時間弱のステージを見るより、
ちゃんとしたライヴを見たほうがよさそうだ。
チケット取るの難しそうだけど。

今日2度目の River Side Garden へ。
キーボードとドラムの2人が演奏していた。結構人が集まっている。
コーラを買って、芝生の後ろの方で飲みながら聞く。一番後ろでも十分近い。
演奏を聴いて、「おっ」と思う。
何かがあるんですね。ただ、うまいだけじゃない。編成がユニークなだけじゃない。
ジャズがメインとしてあるんだけど、基本的にいろんなジャンルの音楽の旨味が詰まっている。
タイムテーブルを見てみると、名前はグッドラックヘイワ。
帰ってきて調べてみたら、2人とも SAKEROCK のメンバーだった。
キーボードの方は即に脱退してるけど。

僕が酔ってたからかもしれないけど、暴れ狂う京劇みたいな曲があって、
聞き間違えでなければメトロスのカバーがあった。
最後の2曲か3曲で、フルートがゲストで参加。
アンコールっぽくラストの曲はパンクな短いナンバーだった。
いい。これはいい。この日一番の、「このままもっと聞いていたい音楽」
福原美穂もそうだけど、土曜の夜帰ってきてすぐ、HMVでCDをオーダーした。

途中のとぼけたMCが良かった。
「みなさんは B'z 見るんですか?」
「B'z 明日だよ」
「じゃあ今日は?」
「俺は、Aphex Twin 見ようかどうか迷ってる」
「何その、Aphex Twin って?」(ドラムの方なんだけど、とてもミュージシャンとは思えない発言)
「Richard D James って人がソロでやってるんだよ」
「そういえばさ、今日ね、移動の間にドラクエやろうとDS持ってきたのね。
 で、フルートのソガ君なんかと駅前で待ち合わせしてて、DS閉じて、
 すれ違い通信ってすれ違った人のコメントが入ってくるモードにしたらさ、
 『今日は Aphex Twin 見るぉ。』ってコメントが入っててさ。ふーんって。
 だから僕も、『今日、River Side Garden で14:20からグッドラックヘイワ、ライヴやります』って
 コメントを配ろうかと思ったんだけど、やめちゃった」
「…それやったらすごい、あざといよね」

七尾旅人を待つまでの間、Seaside Village からはなにやら素人っぽいレゲエの演奏が。
MCが「俺もスタジアムで歌いてえ。そしたら女にもてるから」とかそんなしょうもないことを歌っている。
うるさくて、いらなかった。
ステージに登場した七尾旅人が、なんだあれはと目を細める。


[3182] サマソニ09 その2(8/7:lecca 〜 SHAKABONE 〜 福原美穂) 2009-08-30 (Sun)

BEACH STAGEへ。ここ3年間毎年来てるけど、初めてだったりする。
名前の通り、目の前には砂浜が広がっている。
ちらほらと青い晴れ間ののぞく曇り空、千葉の海。
ここ幕張は海水浴禁止ってことで海に入っている人はいなかった(ような気がする)。
OFFICIAL BAR とフードの店がいくつか。
今年からビールの販売は各店ではなく OFFICIAL BAR に統一されたようで、ここでビールを買う。
ステージへと向かう。最前列が空いていて、柵にもたれながらビールを飲んで過ごす。
海を目の前にしながらの冷たいビールはいつ飲んでも最高にうまいもんです。
振り向いて眺める。
屋根と床があるだけの簡単な休憩所があって、そこに寝転がってる人たちがいる。
あれは気持ちよさそうだ。
達人ともなったらここに陣取って一日中、BEACH STAGE の音を聞きながら
海を見て過ごすというのもありだなー。
というか1度ぐらいはそういうことしてみたい。
あれも見たいこれも見たい、次はあっちのステージでその次はこっちで、
うわーってなる僕には絶対無理だけど。

10時半、lecca 登場。DJとダンサー2人という構成。
leccaは「夏はここ、サマソニから始まる!」と宣言。
レゲエというよりはヒップホップかなあ。音を聞いた限りでは。
今年30歳になったということで、三十路の女性への応援歌的曲が途中で出てきたり。
自らがパーソナリティーを勤める番組で
リスナーから寄せられたメッセージを元に書いた曲ってのを最後に歌う。
うーん、僕としては音楽的に興味なし。
セクシーなダンサー2人ばかりを眺めてた。
後に、ある日オリコンのチャートを見ていたら
アルバムだったかな、10位内に入っていた。
実はもうかなりの人気の人なんですね。

次は、River Side Garden にて SHAKABONE というグループを見る。
マリンスタジアムを横目に、サマソニ会場の南側を横断する。
Seaside Village というキャンプ場の横。
エリアに入ると、Coleman がキャンプ用品を販売していた。
カメヤマローソクが提供する、白くて大きな、
縦横高さ10cmぐらいのキャンドルが無数に並べられて模様を描いていた。
これ、夜になると火が灯されてきれいなんだろうな。

River Side Garden はとてつもなく簡素なステージで、観客席は芝生。
寝っ転がって見るのに最適。
フードの店はなく、ドリンクとカクテルの店があるのみ。
お勧めがモヒートというカクテルとのことで、それにしてみる。
ホワイトラムをベースに生ミントの葉っぱとライム、ソーダ水。
飲んでみるとミントが涼しげで、ラムとライムという組み合わせがよくて。
芝生でボケーッとしながら飲む。

SHAKABONE の演奏が始まる。
サマソニのサイトには紹介文がなかったけど、
調べてみたらヴォーカルの女性と、アコーディオン/キーボードの男性のデュオらしい。
ラテン系のクラブ・サウンドとのこと。
サポートメンバーとして、ドラム、ベース、ギターの3人。
なるほど、アコーディオンっていいよね。確かにラテンっぽい。
これ、なかなかいいかも。
こういう野外のステージもいいけど、どっかの小さなライブハウスで
歌とアコーディオンとアコースティックギターみたいな編成で聴けるとよさそうな。

客は最初全然いなくて、数えてみたら僕を入れて10人。
でも、キャンプサイトにいた人たちが「お、音楽やってるぞ」って感じで少しずつ集まってきて。
こういう雰囲気いいですよね。夏フェスっぽくて。
メッセのステージやスタジアムでがっつり聴くのもいいけど、
サマソニは音楽に触れる、楽しむなら BEACH STAGE と River Side Garden がいいなあと思った。
River Side Garden って他の日だとカジヒデキや曽我部恵一に The Pastels(!)が出るみたいで。
いい感じだったんだろうなあ。曽我部恵一なんて似合いすぎだよ。見たかったなあ。
Ametsub は昔、デラ君のイベントで見たことがあるように思う。

次、また、BEACH STAGEに戻って福原美穂。
この日の昼は、野外で日本人を見てばかりとなる。

またしても最前列で見る。
福原美穂って全然知らない人だったんだけど、なんかピンと来るものがあって見てみることにした。
結果、大当たり。今回のサマソニで最大の掘り出し物。今後、売れると思う。
古代ギリシャのような、インディアンのような白い衣装
(首の周りなどところどころにカラフルな赤や黄色)を着て登場。
いきなりアカペラ。
これが、神懸り的にうまい。うまいなんてもんじゃない。
英語詞ってこともあり、日本人とは思えなかった。
前の2人、lecca と SHAKABONE もうまかったけど、桁が違う。
何よりも声量が違う。歌う、じゃなくて、発する。全身全霊をこめて。声域も広い。
オフィシャルサイトのバイオグラフィーを見たら、
去年の2月に日本人で初めてロスの黒人教会で歌って「奇跡の子」として称賛されたという。
手には何だったか覚えてないけど小さなパーカッションの類を持っていて、最後にそれを鳴らした。
1曲でノックアウト。
そもそもさ、歌を歌ってるのがもったいないぐらい美人なんだよね。
衣装も相まって、歌の女神のよう。

その後、バンド編成に。ギター、ベース、ドラム、キーボード、コーラス。
途中の曲では観客たちにサビの部分でタオルを振らせて、
(これは lecca でもあった。夏フェスの定番か)
最後の曲では「everything gonna be alright」というフレーズを皆に歌わせた。
その1個前の曲ではアメリカの黒人シンガーばりのとてつもないシャウトが聞けた。

The Beatles「Get Back」のカバーも出てきた。
まだメジャーデビューして間もないのに、
知られた曲や売りたい曲だけじゃなくてカバー曲をフェスに持ってくるという辺りに
大物としての器を感じた。

残念なのは、日本語詞の曲となるとなんか普通のその辺の歌手っぽくなっちゃうんですね。
新曲で「LET IT OUT」というのをやってて、「鋼の錬金術師」の主題歌とのことなんだけど、
別にアニメだからどうこうということじゃなく、なーんか普通のジャパニーズな定番ヒット曲。
せっかくいい物を持ってるのだから、
アメリカの乾いた土の匂いのする、ゴスペルやソウルを歌って欲しいと個人的には思う。

この頃快晴となり、空は眩しいほどの青空。
福原美穂はステージの上で嬉しそうにしていた。

MCでこんなことを言った。
「自分がなぜ音楽をやるのか、よく分からないところがあります。
 でも、日々に何かを残したくて音楽をやってます。
 音楽は、強くしてくれます」


[3181] サマソニ09 その1(8/7:今年もまた、幕張に到着) 2009-08-29 (Sat)

8/7(金) サマソニ初日。
今年は10周年記念ということもあってか、8/7(金)-8(土)-9(日)の3日間の開催となる。フジロック並み。
この金曜が、Soulwax / 2 Many DJ's 出場ということもあって僕的には最も気になる曜日。
会社休んで見に行く。前の週、リフレッシュ休暇でスペイン行ってきたばかりなのに、と顰蹙を買う。

見に行ったのは金・土の2日間。
(中途半端なことをせず、どうせなら金土日と3日間行けばよかったと後で後悔した)
金曜は 2 Many DJ's を見たら終電逃して帰れないからとホテルまで予約した。
万全の体制で臨んで、十分楽しみましたよ。

なお、サマソニってこれまで土日の出演者を東京・大阪でスワップしてたじゃないですか。
アーティストは2日続けて演奏する。
これ、3日間になったらどうなるんだろう?ってのが気になった。
 8/7(金)東京 → 8/8(土)大阪
 8/8(土)東京 → 8/9(日)大阪
 8/9(日)東京 → 8/7(金)大阪
こんなふうにスライドするようだ。
途中1日開く人もいるわけですよね。
8/9(日)のマリンスタジアムでオオトリのbeyonce なんて正にそう。
間の1日が休息に当てられるからこの方がいいよね。
普通ははるばるアメリカやイギリスから10何時間もかけて日本に来て、ちょっと休んで、
リハーサルをしてサマソニ出て、次の日には大阪へ(東京へ)というハードなスケジュール。
よくやるよなあといつも思っていた。
それにしても東京−大阪間の移動ってどういう仕組みになってるのだろう?
東名高速で専用のバスなのだろうか、それとも新幹線なのだろうか、あるいは飛行機?
あんまり知名度の高くない若手は公共の交通機関を利用して、
大物はゆったりとしたリムジンバスだったりするのだろうか。

---
朝7時半に起きて、Tシャツにカーゴパンツ。
持って行くものは財布と携帯とチケット、暇なときに読む本だけ。
幕張に2日間いることになるけど、着替えは持っていかない。
リュックサックに背負って行動したくないし、コインロッカーも空いてないだろうし。
クローク使うのはめんどくさいし。
着てるものはホテルで軽く洗濯する。

あ、あと、前の日渋谷のタワレコで買ったタオル。
夏フェスのタオルって言ったらタワレコが定番でしょ?
昨年は Perfume 見てるときに揉みくちゃにされてなくしちゃったんだよなあ。
今年は「色即ぜねれいしょん」仕様。

平日の朝、通勤途中の人たちに混じって東京駅へ。
角川文庫から出ている、ジョー・R・ランズデールによるハップとレナードのシリーズの1冊
「人にはススメられない仕事」を読む。読みやすくて長さもちょうどいい。

東京駅に着いて京葉線のホームへ。
この頃から周りにはサマソニに行くと思われる若者たちの姿が。
というか首にタオル巻いてラフな格好をしてるのはほとんど、そう。

9時半過ぎ。海浜幕張の駅に着いて、幕張メッセへと向かう。
平日でまだ早いから、メッセへと向かう列はそれほど混みあっていない。
去年は当日券だったか、RブロックないしはLブロックだったかが
マリンスタジアムでリストバンドの引き換えで、遠くて不便だった。
今年は当日券のリストバンドが幕張メッセだったので楽でよかった。

イベントホールの中へ。即にして大きなフードエリアに行列ができ始めている。
MTVのブースに人が集まっている。
「ジャンクガレッジ」という黄色いテントの大きな店には
でっかく「これぞB級グルメの極致!!」って書かれていて、
まだ10時だというのにかなり人が並んでいた。
「まぜそば」の店のようだ。

さて、何を見よう。JAPAN -狂撃- SPECIALが見たかったけど、ちょうど始まってしまったばかり。
困ったら日本の女性シンガーを見るというのが、今年の僕のルール。
lecca というレゲエ系のシンガーを見ることにする。BEACH STAGE へ。
幕張メッセの空気を深々と吸ってから、ホールを後にする。

メッセの通路にはこれまでの10年分の SONIC ART (縦2m×横5mぐらいの横断幕に描く)が展示されている。
その横で今年の絵描きに選ばれた人が、一人で、グループで、淡々と白い幕に色を塗っている。

メッセの外に出る。去年もそうだったけど、今年もまた恐竜展と
(子供連れの家族の姿を見かけなかったけど、人は入っているのだろうか?)
エホバの証人の集会。
エホバの証人はもしかして若い人たちへのアピールのために
サマソニの開催時期に合わせてんじゃないかと思った。考えすぎ?

小道を南にテクテク歩いて、マリンスタジアムの方へ。
芝生の上にインドをモチーフにした絵やオブジェ。
向かい側に渡って、東へ。風車が回ってる。
サマソニ・ミュージアムってのがあって、過去10年分のポスターが並んでいる。
懐かしくて思わず見入ってしまう。
僕が初めて見に来たのは2002年だったなあ。
会社で休日出勤してたら後輩に会場まで一緒に行きませんかって誘われて急遽行くことに。
スタジアムで Weezer と Guns N' Roses を見た。今思えばすごいメンツだ。
サマソニのサイトで過去のアーカイヴを見てみたら、この頃ってまだステージが3つしかないんですね。
(毎年のステージ構成を調べてみたら、BEACH に ISLAND と今のラインナップとなったのは2007年と知る)


[3180] 2009神宮外苑花火大会 2009-08-28 (Fri)

8月6日(木)のこと。
毎年、大学の映画サークルの先輩たちが集まって神宮球場の花火大会を鑑賞。
僕はその年によって参加したりしなかったり。
平日に開催されるので、去年・一昨年は仕事が忙しくて見送り。
今年は割と暇になって、よし行くかと考えていたらなかなか連絡が来ない。
行かないのだろうか・・・、と思っていたら前の日になってようやく。
いつもは会場外の、日本青年館裏の駐車場でビニールシート引いて地べたに座って見ていたのに、
今年は秩父宮ラグビー場の招待券が3枚あるという。
誰か行く?ってことでもちろん手を上げる。

定時に会社を出て、渋谷へ。タワレコにサマソニ用のタオルを買いに行く。
「色即ぜねれいしょん」仕様のがあって、それを買う。
外苑前に移動。駅を出ると大勢の花火客。浴衣を着た女性がほんと、多い。
若い女性の間では、浴衣を着なきゃ花火を見てはならないという不文律が確立されてそう。
交差点に立つ交通整理の警官が、神宮球場は向かって右手、秩父宮ラグビー場は左手、
ここでは立ち止まらず待ち合わせは会場にてお願いしますと何度も繰り返す。
無料のうちわが配られて、それが路上に捨てられて。
道路に面した店が今が書き入れ時とビールや唐揚を売る。

19時に青山ベルコモンズ前で待ち合わせ。30分以上暇になって、地下の「CIBONE」へ。
初めて入った。一言で言えばセレクトショップってことになるか。
半分に分かれてて、大きい方がインテリア・雑貨など。小さい方が本とCD。
本は輸入ものの写真集など。ミュージアム・ショップのように結構揃ってる。
ゲルハルト・リヒターの分厚い事典のような「Atlas」を見つけ、買おうかどうか迷う。
ページをめくって中をつまみ見る。当然欲しくなるんだけど、我慢する。1万円弱。
CDはちょっとしか置いてなくて、店員の趣味で選んでるんだろうな。こんな感じ。
http://www.cibone.com/items/music/page1.html
当世風のジャズと、70年代のアフロ・ファンクと、ナチュラルなシンガー・ソングライター系ってとこか。
知らないものばかり。Judee Sillの3枚目と、The Innocence Mission「befriended」を見つけてホッとする。
「befriended」って国内盤は廃盤で手に入らないのに置いてあるということは、
ここは掘り出し物率が多いと見た。
indigo jam unit がたくさん置いてあった。
聞いたことはないんだけど、これだけあったら全部のカタログが揃ってるんじゃないかな。
メーカー側でも今、在庫は店頭に置いてあるもののみだろうとCDは何枚か、堪えきれずに買う。
・「Humair Urtreger Michelot」(澤野工房のシールが貼ってあったけど、カタログに見たことがない)
・Buddy Rich 「The Roar of 74」(俺様ビッグ・バンドの人。ジャケットがかっこよすぎて買った)
・indigo jam unit 「Demonstration」(1stアルバム。もしかしてここにあるだけかも?)
・「J-Dilla Originals」(J-Dillaがサンプリングした元ネタ集。Tortoiseの新作の解説でJ-Dillaを知る)

先輩たちと合流して、会場へ。
途中のありとあらゆる飲食店が花火仕様となっている。
ファミレスだったかな、店の前に大き目の広場があるとそこに大勢の花火客がビニールシートを敷いていた。

秩父宮ラグビー場に入る。
ビール売り場が行列になっていて、かなり並んでようやく入手。

スタンド席。フィールドではライブが行われていた。
「JAM project」って言うのだろうか。よく分からず。
サイトのゲスト紹介ってのを見たら
「日本のアニメソング界で活躍する実力派シンガーによって結成されたスーパーユニット」とある。
http://jinguhanabi.nikkansports.com/guest.html
このゲストってのが毎年すごくて、独自の人選。良くも悪くもかなり偏っていると思う。
いったいどこの誰をターゲットにしているのだろう?
国立競技場だと、郷ひろみ、class、中村あゆみ、小島よしおというラインナップ。
なぜこの2009年に?と素で思うけど、
他の会場を見るとこれがかなり普通に見えてくるようになるから、不思議。
秩父宮ラグビー場が、JAM Project、真野恵里菜、松原健之、Re*Girl・・・
軟式球場が、AKB48、move、Flare、宮脇詩音、鍵山由佳、松田陽子・・・
AKB48以外、全然知らない。これ、僕だけじゃないはずでしょ?
浴衣着てくる10代末、20代前半の女の子はこういうのを聞くのだろうか?
それとも、最大公約数的にセレクトしたら固まりとしてどこにもヒットしなくなったのか。
話題は国立競技場の東方神起。この頃ちょうど解散の噂があった。
果たして登場するのか?というのが話題だったけど、何事もなく歌ったようだ。

19時半、花火開始。次々に打ちあがる。
これまでとは違って会場の中なので、遮るものがなくてよく見える。
打ち上げは隣の神宮球場で行われてるみたいね。
その模様がスクリーンに映し出される。

ちょっと打ち上げると中断して、スクリーンにスポンサーのCMが入る。
日刊スポーツ、ヤクルトに始まり、KIRIN、明治記念館、
その後「激カワチェンジャー」など携帯サイトが続く。聞いたこともないサイトばかり・・・
日刊スポーツは2000発と多め。でも他のは少なくて、ちょっと打ち上げては広告。
これまで、日本青年館の裏側で見てたときには、なぜ中断してばっかりなのだろう?と不思議だった。
こういうことだったのか。
最後に3000発。合計、12,000発。
いやー、花火って年に1度は見るべきだね。

花火が終わって、神宮球場は小島よしお、神無月、ホリ。
こちらの会場にもスクリーンで中継。
普段テレビを見ない僕は初めて、「そんなの関係ねえ」「オッパッピー」ってのを見た。
なんだこれ。
2年前の日本はこれで笑っていたのか・・・
その後もやることなすこと全てすべりまくって痛々しかった。

歩いて信濃町まで出て飲んで、途中、後輩が合流して四谷三丁目で続きを。
「李さん私家菜」という店にはいる。
閉店間際だったのでゆっくりできなかったけど、ここの食べ物はおいしかった。
また来たい。


[3179] スペイン一人旅 その28(7/30:東京の夏) 2009-08-27 (Thu)

7/30(木)

眠って起きてを繰り返す。
頭上のモニターではマイケル・ジャクソンのビデオクリップが流れていた。
「BAD」や「Black or White」懐かしい。
今、世界中の飛行機で追悼というか時の人ということで
マイケル・ジャクソンのクリップが流れているのだろう。

次に起きたときには007の最新作が上映されていた。
今ってジェームズ・ボンドは誰なんだろう?
なんか全然知らない人だった。
ショーン・コネリー、ロジャー・ムーアとは全然違う。
小さい頃に水曜ロードショーで見たボンドが焼き付いて離れないから、正直違和感あり。

日本時間にして5時半頃。機内が明るくなって、朝食。
朝っぱらからまたビール。

あっけなく成田到着。
ぞろぞろと通路を歩いて、入国審査。
海外で入国審査だと「ハロー」ないしは現地の類する言葉を言ったりするんだけど、
日本人相手だと何も言わない。黙ってパスポートを差し出すだけ。
それで全て終わってしまう。

検疫を通過。
手荷物受取にていつまで経ってもリュックサックが出てこない。
もしかして、バルセロナ−フランクフルトのフライトから
積み込み忘れたかもしれない・・・
最後の最後の方まで残って、ようやく出てくる。

税関では「何を買ってきたんですか?」と「vaho」の鞄が4つ入った袋だとか、
バルセロナの空港で買ったお土産だとか中を開けてみせる。
「タバコは1カートンですか?」だったらオーケーだということで通される。
お客さんからはイベリコ豚のハムを買ってきてと頼まれていたけど、
ハムとかソーセージって持ち込み禁止なんですよね。
空港でたくさん売ってたけど買ってこなくてよかった。

両替。125ユーロを残して、1万6000円ほどとなる。
出発時より円はさらに少し下がっていたようだ。

下の階に下りていく。
京成スカイライナーも成田エクスプレスもちょうどいい時間のがなく、
京成線の特急に乗って上野まで行くことにする。1000円。安い。
でも、普通の電車。
スーツケースを持っていたら不便だけど、リュックサックなら網棚に乗せればいい。
ホームで待つ間に母に電話をする。無事帰ってきたと。
乗ってたのは1時間半ぐらいか。
中上健次の「奇蹟」を読み終えて、村上春樹の「意味がなければスイングはない」を読む。

上野到着。よく晴れた東京は日差しがギラギラとしていて、ムシムシした熱気がまとわりつく。
東京はどうしてこんななんだろうな。
バルセロナに比べたら「おかしい」としか言いようがない不思議な気候。
文明が発達しすぎたせいなのだろうか?

山手線から中央線に乗り換えて、荻窪まで。
たくさん荷物を抱えているというのに、西友の無印良品でポストカードのアルバムを2つ買って、
(過去の海外旅行で買った風景の絵葉書と、絵画の絵葉書をそれぞれ整理しようと思った)
西友で volvic を買って、本屋で今月号の Rockin'on を買って。
両手に持ちきれなくなって、さらにコンビニで緑のたぬきの大盛り。
帰りの飛行機の中から、食べたいなあと。西友で生卵を買って。
帰ってきて、まずはそれを食べる。うまいなあと思う。

荷物を片づけて、ひと眠りして、また西友へ。
夜食べるものを買いに行く。店内をブラブラ歩いて、焼きそばにしようと思い立つ。
富士宮の焼きそば、2食入り。
夜、作って食べる。
ダラダラ起きてウィスキーソーダを飲んでいたら、午前1時となっている。
あー、旅が終わったなあと思いながら、布団に入る。
スペインが、どんどん遠くなっていく。


[3178] スペイン一人旅 その27(7/29:さらばバルセロナ) 2009-08-26 (Wed)

7/29(水)

朝6時に目が覚める。
荷物をまとめて、忘れ物してないかあれこれチェックして、
7時に下に降りて、コーヒーを飲む。
部屋に戻ってリュックサックを背負って、フロントでチェックアウト。

空港までのバスはカタルーニャ広場から出ている。
地下鉄3号線に乗って「Passeig de Gracia」で降りる。
しまった、1駅前の「Catalunya」の方が近かったな、と下りた後で気づく。
地上に出る。さて、どっちがカタルーニャ広場なのか。
バルセロナの駅は必ず出口に周辺地図が掲示されていて、
現在地点もポイントされていてとても便利なんだけど、惜しいことに方角が分からない。
上が北だと思って歩き始めても、北に向ってるとは限らない。
そんなわけで、こっちかなと歩き始めたら思いっきり逆だった。
気がついたら一昨日訪れたカサ・ミラの近くまで来ていて、1駅分歩いていた。
急いで引き返す。
カサ・バトリョに差し掛かって、「あ」と思う。
そうか、一昨日「Passeig de Gracia」で下りてカサ・バトリョを見に行ったんだから、
そこを基準に方角が分かったはず。
落ち着いて考えていれば・・・

広場にはバスが停車していて、
スーツケースや大きなリュックサックを背負った観光客が続々と乗り込んでいる。
これが「T1」行きと「T2」行きとがあって、果たしてどちらだろう?と迷う。
ターミナルの1と2。地球の歩き方を見ても、旅行会社からの資料を見ても書いていない。
成田空港だったら隣り合わせていて、どうとでも移動できる。
バルセロナ・エル・プラット空港もきっとそうだろうと考えて、
荷物の大きさからこっちが国外観光客向けじゃないかと「T1」の方に乗ってみる。
5ユーロ。「T2」は国内線だろうか。

バスが走り出す。
歩いていると気がつかないけど、バルセロナ中心部の建物はどれも8角形なんですね。
次々と通り過ぎていく。
角張ってなくて町の雰囲気が柔らかい。

途中、信号待ちで噴水のある広場の前に停まる。
向こうに大きな宮殿が見える。周りには他に建物がなくて、国会議事堂並みの物々しさ。
噴水も威厳に満ち溢れている。
あれはなんだったんだろうな。

バスはやがて、バルセロナの郊外へ。
周りには空港らしき建物は何もないのに、「T1 ↑」と「T2 →」と目的地が分岐する。
もしかしてこれ、かなり離れているのでは・・・
少しドキドキしだす。ルフトハンザの国外行きが「T2」だったらどうしよう。
「T1」に到着する。「T2」は、いや、ほんと全然遠くで。
地下鉄で一駅とかそういうレベルじゃない。
とりあえず入ってみたらルフトハンザのカウンターが目の前にあって、ホッとした。

フランクフルト行きが2時間前ということもあってか、
ルフトハンザだけ行列となっている。ものすごく長くなって、ウネウネと。
30分ぐらい待たされただろうか。中上健次の「奇蹟」を読みながら過ごす。
チェックイン。荷物が重たくなっていたので、今回はリュックサックを預ける。
成田で受け取ると確認をする。
「Window or isle ?」と聞かれて、「Isle」と答える。
海外ではどちらにするか必ず聞かれるけど、日本だと窓側にするか通路側にするかあんまり聞かれない。
チェックインの時間に寄るのか。席に余裕がないと聞かれないのかも。

行きと同様、出国審査なし。手荷物検査のみ。ベルトを外してサンダルを脱ぐ。
出国審査を行っているブースがあったので、とりあえず行ってパスポートを差し出してみたら
スペイン人かどうか聞かれて、ノーと答えたら、こっちじゃないよと言われる。

出発ゲートへ。
免税店で会社へのお土産として、スペインのタバコを1カートンとスペイン製のお菓子を買う。
これがまたおいしいのかまずいのか、何個入ってるのか不明。とりあえず甘そう。
合計51.1ユーロ。
レジに行って支払いをしようとして、ドキッとする。
カーゴパンツの右サイドポケットに差していた搭乗券2枚のうち、
バルセロナ−フランクフルト間のがなくなっている。
フランクフルト−成田間のはある。どうして片方だけ無くすのか・・・
とりあえず落ち着け、と思う。
取り乱すことなく支払いを澄ませて、インフォメーション・センターへ。
搭乗券無くしたんですがと言ったら、係りの女性の方が日本語で「オカムラトヨヒコサンデスカ?」と。
届けられていたようだ。助かった・・・
受け取ってこんなにホッとしたことはない。一昨日スリにあった時以上。

vodafone の広告をバルセロナのあちこちで見かけて、空港内にもあった。
「We're Roaming in Latin America」
バックパッカーのきれいな女の子が、ペルーを旅行している。

30分ほど待つことになって、中上健次の続きを読む。
搭乗開始。エコノミーの列に並ぶ。
前に並んでいた若い女性は vaho の、僕が買ったのによく似たショルダーバックを使っていた。
大きく「Madrid」と書かれている。

飛行機に乗って、さらに読み続ける。
3人がけの席では隣に小さな女の子と母親。熱心になって英語を教えている。
女の子が泣き出して、キャビン・アテンダントからクッキーをもらう。
機内食では例によって、ドイツビール。
配られたのはサンドイッチ。

3時間後、フランクフルト到着。
乗り換えまで1時間しかなくて、モタモタしていられない。
Passport Control を通過して、すぐにも搭乗時間となる。

機内の各エリアの入り口に小さなラックがあって、
ルフトハンザの絵葉書が束になっている。これがかっこいい。
もらって帰る。成田行きに乗るとまた別の絵葉書が置いてあって、それももらう。

成田行きに乗り込む。
真ん中の4人がけの席の左端となる。
今回は乗客半分以下か。あちこち空いている。
すぐにも食事となって、ドイツビール2本にワインにコニャック。
機内食はいり卵にフライドポテト、フルーツ。
中上健次にのめり込んで、気がついたら眠っていた。


[3177] スペイン一人旅 その26(7/28:ALL THAT JAZZ) 2009-08-25 (Tue)

ピカソ美術館を出て、先ほど見つけたいい感じのバルを通り過ぎて、
本日最後の目的地「CCCB」へ。19時過ぎ。恐らく、20時には閉まってしまうだろう。急ぐ。
「Jaume I」駅から4号線に乗って1駅、「Urquinaona」駅へ。
ここから近くの「Universitat」駅へ行きたいんだけど、ちょうどいい乗換えがない。
まどろっこしくなって、地上に出て歩く。
カタルーニャ広場の周辺。
バルセロナ随一の目抜き通りを横切る。ショッピングを楽しむ大勢の人また人。
夕暮れの傾いた光がショーウィンドウに反射して眩しい。
チラッと見ると斬新そうなデザインの服を売るブランド。でも見てる暇がない。とにかく急ぐ。
「Universitat」駅まで来て、裏通りへ。

昨日は気づかなかったけど、ここ、何気に物騒な感じがした。
MACBA(バルセロナ現代美術館)の前の広場にスケボー少年たちがたむろしていたのも分かった。
乾いてゴミゴミした空気が漂っていて、
レストランと名乗る店が安っぽくていかがわしそうな雰囲気を醸し出していて。
でも、一見してかなり充実したラインナップを誇ってそうなCDショップがあったりもした。
確かに、そういう店ってこういう一歩はずれた場所にしかない。

昨日の夕方、どこをどう歩いたのかさっぱり思い出せず。
でもそんな長い距離を歩いたわけじゃないしな、とあてずっぽうに歩いて、あっさり見つかる。
「CCCB」の建物の前も広場となっていて、ここにもまたスケボー少年たちが退屈そうにしていた。
入り口が地下となる。だだっ広い空間があって、反対端にスクリーンが掛けられていた。
イベントによっては映画の上映もなされるのだろう。いいね。
(このスペースの真上が、スケボー少年の集まる広場なのだろう)

入場料は3.5ユーロだったか。企画展2つのうちのどちらかを見るか聞かれる。
「El segle del jazz」(The Jazz Century)
「Quinquis dels 80. Cinema, premsa i carrer」(GANGS OF THE 80s. Cinema, press and the street)

どっちも捨てがたい。後者はどうも80年代のB級・C級映画に対する愛に満ち溢れてそうで。
でも今回はジャズかなあ。
受付にいた女性は、渋谷の単館上映の映画館にいそうな、アンニュイな気分を発していた。

□公式サイト
http://www.cccb.org/en/

□「El segle del jazz」の一部を紹介(写真に、映像に、音声と充実していて、雰囲気がよく分かる)
http://www.cccb.org/elsegledeljazz/en/

エスカレーターで4階だったか5階へ。
「ジャズの世紀」入るなりいきなり、古びた音でディキシーランド・ジャズ(と僕が思っているもの)。
細長い通路の右側にとてつもなく長いガラスのケース。
中には19世紀末に始まって、年代順にレコードのジャケットやポスターが飾られている。
黒人たちがダンスホールで賑やかに演奏して、踊っている光景がコミカルに描かれている。
そのケースの上に細長いスピーカーが突き出ていて、当時の音源を再生する。
19世紀の、僕がディキシーランドと思ったものはシャーシャーブツブツと入った時代物の音だった。
かなり時代が下って、1931年の Duke Ellington「Mood Indigo」や
1940年の Fats Waller に Django Reinhardt のコンサートのポスターはかっこよかったねえ。
この時代になってくると、黒人が主人公でジャズの流れるアニメ作品の現存する映像が流されたり。
「ベティちゃん」みたいなやつ。
後は、ジャズを取り上げた「Life」や「Esquire」の表紙とかね。

通路の左側には年代ごとに小さく区切られた部屋が並ぶ。
その時々のジャズにまつわるアート(主に絵画)が展示されている。
マティスの切り絵(ジャズをテーマに作品を作ってますよね)があったり、本格的。
Bebopの時代になると、Blue Note のアルバム・ジャケットがそのままアートになるわけで。
並んでるのを見てたら、唸った。たまらん。
後でガイドを読んだところ、どれもなんとデザインはアンディ・ウォーホルだった。
・「Thelonious Monk with Sony Rollins and Frank Foster」(これだけ Prestige)
・Kenny Burrell (Blue Note 1543)
・Johnny Griffin 「The Congregation」

僕は知らない画家だったけど、Bob Thompsonという人の「La Caprice」という絵が
左右反転して、Steve Lacy「The Forest and The Zoo」のジャケットで使われている。
元の大きな絵が飾られていた。
カラフルで残酷でユーモラスなタッチが、なんだか強く印象に残った。

そして、Roberto Masotti の写真。タイトルは「You Tourned the Tables on Me」
1971年から1981年にかけて撮影されたジャズと現代音楽のミュージシャンのポートレート。
これがすごい。メモったところでは:
Telly Riley, Cecil Taylor, Sun Ra, Roscoe Michell, Meredith Monk,
John Cage, Carla Bley, Lol Coxhill

同じくポートレートでは、Giuseppe Pino による作品が正統派的なかっこよさで。
Art Blakey, Mile Davis(Get Up With It のあの六角メガネをかけている)
Coleman Humphrey, Thelonious Monk, Harbie Mann などなど。

右側に戻って、「Paul Bley Quintet」や Albert Ayler「New York Eye And Ear Control」
Ornette Coleman「The Empty Foxhole」のジャケット。
時代が現代となって、John Zorn「Masada」のシリーズが並んでいたのは驚き。
そうか、これはアート以前にジャズの歴史全てなのだ。感心させられた。

最後の部屋に掛けられていた大きな現代アート系の写真、
Jeff Wall「After Invisible Man by Ralph Ellison, The Prologue」
無数の電球のぶら下がった雑然とした部屋に、一人椅子に腰掛けて背を向けている男。
ジャズ・ミュージシャンなのだろう。
なんだこれは。この発想は。これも度肝を抜く。
http://www.tate.org.uk/modern/exhibitions/jeffwall/infocus/section5/img1.shtm

時間がなくてここも駆け足。
全然見れなかったけど、映像ライブラリーも充実していた。
これ、ほんと、すごい。日本でもやってくれないかな。
「ジャズ」の名の下、様々な角度・視点・素材からその歴史を包括的に語りきってしまう。
企画展の鏡だと思う。

外に出て、ミュージアムショップでガイドブックを買う。
18ユーロという安さにも関わらず、ものすごく分厚い。
全部スペイン語なんだけど、絵や写真、レコードのジャケットを眺めているだけで楽しい。
これはいい買い物だった。
ここに乗ってるアルバムを数々を、これから少しずつ買い揃えるんだろうな・・・

「CCCB」からまたピカソ美術館の方まで戻る。
大通りを引き返し、地下鉄に乗る。
「JAUME I」駅で下りてプリンセサ通りを歩き、夕方見つけたバルに入ってみる。
テーブル席に座る。ウェイターの1人が60歳過ぎたおじいさんで、雰囲気出てる。
日本で言うところのバゲットとオリーブが出てくる。
メニューを見る。タパスのみ。パエリヤはないんですね。
カタルーニャ風のオムレツと、ポーク・ソーセージにする。
さっそく生ビールを飲む。

ピカソ美術館で買った小さなガイドブックを読む。
読んでてなんかおかしいなあと思い始める。この絵もあの絵も見た覚えがない。
フランス人の館長による序文を読んでいてふと気づく。
これってパリのピカソ美術館のガイドブックだった・・・
でも、バルセロナで実際に絵を見て、ガイドブックでパリの絵を見て、
立体的に眺めることができるようになって、勉強になった。

カタルーニャ風のオムレツが届く。焼きたて熱々。
真っ黄色のオムレツ丸々1枚が皿に。ピザのようにナイフで6分割して食べる。
中にはジャガイモや豆が入っている。白っぽい。
(スペイン風はホウレン草やズッキーニが入っていて、カラフル)

食べ終えた頃に見計らって、ポーク・ソーセージが届く。
この辺り、ちゃんとしてる。一度に両方届いてそれっきりということがない。
ソーセージは大きいのがゴロっと。ごつごつしていて、自家製の腸詰なのだと思う。
付け合わせにサラッとしたポテトフライと豆。
ニンニク入りのマヨネーズをつけて食べる。おいしかった。

ガイドブックの絵を眺めながらビールを3杯飲んで、合計19.1ユーロ。安い。
皿に20ユーロ乗せて、残りはチップ。
食べ終わって、21時過ぎ。

4号線で「Passag de Gracia」まで出て、3号線で「Paral lel」まで。
ホテルに戻ってくる。シャワーを浴びて荷物を整理する。
スペイン最後の夜も淡々と過ぎていく。
テレビを見るのも飽きて、23時過ぎには眠る。


[3176] スペイン一人旅 その25(7/28:ピカソはいつピカソとなったのか) 2009-08-24 (Mon)

終点へ。とても高いタワーになっていて、こちら側はロープウェー待ちの人が大勢いた。
とても狭い発着場にて溢れんばかりの人たちが押すな押すなと。
エレベーターに乗って下りていく。

今回は時間もないのでビーチには下りていかない。
バルセロネータの、椰子の木の並ぶ遊歩道を歩く。
一昨日は向かって右側のレストランの立ち並ぶ側を歩いたけど、今回は左側のヨットハーバー側。
白い豪華なヨットがひしめき合っている。
どれも帆は降ろされ、キールがアンテナのように空に向かって突き出ている。

その頃にはミロ美術館で買ったあれこれに、いつも持っている virgin の袋。
これらを昨日 vaho の店でもらった透明なビニール袋に入れて持ち歩いていた。
そろそろ大きな紙袋を見つけないとやばいなあと考える。
どっかに売ってないものか・・・
絶えずキョロキョロする。
それが、とある電話ボックスの前に来たら受話器と電話機を結ぶ太いケーブルに
これだ!という紙袋が巻きつけられて捨てられていた。
茶色の地に「IKKS」と書かれている。中には包み紙。何か衣服が入っていたのだろう。
当然、もらっていく。
なんでこんなうまいこと落ちていたのだろう。喜んで使わせてもらう。
ちなみに、「IKKS」とは。http://www.ikks.com/
おしゃれやね。日本でも売ってるのだろうか?

今日もまた、たくさんのビキニの子が駅から吐き出される。ボディボードを抱えた男の子も多い。
「Barceloneta」の駅から4号線で1駅、「Jaume I」へ。
下りて地上に出てすぐの場所にカテドラルがある。
午後は17:15より入場可能。ちょうどいい時間だった。
王の広場という、茶色の地味な建物に囲まれた静かな佇まいの場所に出る。
中世の寡黙な雰囲気が色濃く残っている。
そこから簡素な、どことなく厳かな路地を歩いて、カテドラルへ。
あちこちにツアー客とガイド。
この辺ともなると観光名所としてのステイタスも高いのか、
スパニッシュ・ギターを弾くミュージシャンも風格がある。

カテドラルの中へ。前を歩いていた女性が入場を遮られる。僕はオーケー。
肩を出した服装はいけないとのことだ。

中は2畳ほどの広さの部屋に聖母マリア像を初めとして、あれこれの聖人の像が1体ずつ。
その前に鉄格子が敷かれ、しっかりと鍵がかけられている。
時々、開いているのがある。
寄進箱が置かれ、鉄格子の前には火のついた真っ赤なろうそくが何段にもなって並ぶ。
内側は中庭となっていて、夕方の光が降り注ぐ。池には白いガチョウが泳いでいた。
聖堂の中に入る。広くて、天井が高くて、圧倒される。
何もかもが茶色く色褪せ、歴史の重みを語っている。建設開始は13世紀であるという。
信徒用のベンチに座って熱心に祈りを捧げている青年の姿が印象に残った。
「石の寄進が今、キャンペーン」であるといくつかの言語で書かれていた。
もちろん日本語もあった。余っていた小銭2セントを入れといた。なんかの役に立つだろうか。

フレデリック・マレー美術館というのがカテドラルの裏にあったみたいなんだけど、
時間がなくて入れず。

次は「ピカソ美術館」へ。
同じ「Jaume I」にあって、駅の反対側。
交差点にはFCバルセロナの公式ショップがあった。
赤と青の例のユニフォームのレプリカが売られている。
時間があったらサッカーも見たかったな、と思う。
(最終日なので、そういうことばかり考える。何もかもが名残惜しい)

小さな店の立ち並ぶプリンセサ通りを歩く。
質実剛健な雰囲気の本屋があったような気がする。いや、それは別の通りか。
歩いているうちにいい感じのバルを見つける。
ショーウィンドウには料理したばかりのムール貝やソーセージの皿が並んでいて、とてもおいしそう。
今日の夜は絶対ここにしよう、と決める。

ピカソ美術館が路地を入ったところに見つかる。またここも行列。9ユーロ。
ここは写真撮影禁止。

ピカソの生い立ちを辿るようにコレクションが並んでいる。
1890年代、まだ10代のピカソの絵がすごい。
うますぎるんですよね。何描かせても。
単なるデッサンであっても、影の描き方だとか。1つ1つの線に必然性がある。
すげーと舌を巻く。天才ってこのことだよなあ。
うまい下手じゃないんですよね。ただ単に天才。神童。
でも、この頃の絵は、まだピカソじゃない。
うますぎてあれこれの手法を吸収して描いてるけど、自分というものがない。
それが10代も後半になってくると様々なものが溶け合ってフツフツとたぎるようになって、
18歳の頃、描かれる肖像画は例のあのけだるい視線をまとうようになる。
1901年、20歳、青の時代へ。それまで制御しきれなかったものが全てが一気に収束する。
そしてピンクの時代で芳醇さを身につけ、キュビズムの爆発。

時代が飛んで、1957年の赤・黄・黒とピアノと少女ばかりを描いた部屋があった。
絵皿の部屋。魚のレリーフが貼り付いていて、目玉が飛び出ている。
唸ったのは、葉書サイズの線描画を集めた部屋。主に裸の女性を描いている。
どれもタッチが違う。神経質に線を重ねたもの。原始的なもの。神話的なもの。
サイケデリックな色彩を感じさせるもの。風刺的なもの。
版画のように真っ黒な太い線がベタッとしているもの。南米の雰囲気を模したもの。
1970年の作品らしい。

ここは10代のピカソの天才っぷりと青の時代への移り変わりを味わう美術館であって、
これと言って有名な作品はなかったように思う。

□公式サイト
http://www.museupicasso.bcn.cat/

企画展として、Kees Van Dongen という画家の回顧展が行われていた。
詳しくは分からないけど、同時代の人なのだろう。
フォービズム、キュビズムの頃はピカソと併走していた。
しかしその後は、突き抜けなかった。そんな印象を受けた。
具象は具象としてしか描けないという諦めのような。
たった1つ、「Spotted Cinema」という白黒の馬?を描いた絵がよかった。

ミュージアムショップへ。
美術館のガイドブックを買おうとしたら、
4.9ユーロだったか、非常に小さな手の平サイズのガイドブックがあってそれにした。
あと、先ほどの線描画を集めてコラージュした絵葉書。2ユーロ。
Leonardo Balada というスペインの作曲家に「ゲルニカ」という作品があるようで、
そのCDが売られていた。迷って、日本でも買えるかもと思って、やめておく。


[3175] スペイン一人旅 その24(7/28:バルセロナ空中散歩) 2009-08-23 (Sun)

オリンピック・スタジアムへ。ここから先はもう、迷わない。
大通りに出て、テクテク歩く。
右側にピコルネル・プールが見えてくる。その奥にも遠くに野外アリーナのようなものが見える。
プールの隣には野球場のようなドーム施設。
オリンピック・スタジアムは残念ながら火曜日、休日だった。入場券売り場が閉まっている。
あーあと思う。中、入れないのか。
白っぽいクリーム色で統一されたスタジアムはどちらかと言うと大時代的で、
てっぺんには左右に空翔けるかのような2輪馬車の像。
おや、と入り口を見ると隅の方が開いていて、人が出入りしている。
もしかして、勝手に入れるのかも。
僕も入り口をくぐって、階段を上っていく。中に入ってみる。
中には割とたくさん観光客がいて、売店もカフェテリアも営業している。なーんだ。
タダで入れて、スタジアムを見学するだけなら休みの方がいいかも。
フィールドを見ると何人か固まって立っていて、何かを相談している。
運営スタッフが何かを整備しているのか。

スタジアムは、もちろん広い。
東京ドームとどっちがでかいんだろうなー、なんて思う。
緑色の芝生が青々とした陸上競技のフィールドがあって、
その周りを何重にも重厚にスタンドが取り囲む。
走り高跳びの青いマットが手前に置かれている。
1992年、ここでバルセロナ・オリンピックが開催された。
僕は目を閉じて大歓声を想像する。
あの時僕は高校生だった。
当時14歳の岩崎恭子が背泳ぎで金メダル。
「今まで生きてきた中で、一番幸せです」の名言を残す。
14歳でそれを言われちゃあねえ。でも金メダルともなるとそうか。
あと、女子マラソンで有森裕子が銀メダル。

スタジアムを出て、その隣がスポーツ博物館。もちろん休み。
地球の歩き方を見ると「ロナウジーニョのサッカーシューズ」が展示されている、とある。

しばらく歩いて、フニクラの駅まで戻る。
その上にゴンドラの駅。観光客というよりはバルセロナ市民だろうか。
友人たち、家族連れ。行列ができていて、並んで切符を買う。片道6ユーロ。
少し離れたモンジュイック城へと往復している。
ゴンドラはスキー場のリフトみたいなので、とても新しい。
モンジュイック城から戻ってきて、ゆっくり動いているところに乗り込む。
40代ぐらいの夫婦と一緒になる。
ドアが閉まると中はムッとして蒸し暑い。でも、風が入ってくると冷たい。心地よい。

のんびりと空中散歩。バルセロナの町を見下ろす。
グエル・パークの十字架の丘からだったり、あちこちからバルセロナの町を見たんだけど、
ほんとに大きいんだよね。想像以上に大きな都市。
背の高いビルは少ないけど、家々が遠くまでびっしりと詰まっている。
旅立つ前日、オフィスでミシュランの巨大な地図を広げて、
みんなで覗き込んで縮尺を計ってみたら、意外と散っちゃいんじゃね?って話になった。
いや、まさか。
ゴンドラは最初海の方角に向かって進んで、途中で90度曲がって丘の斜面に沿って上昇していく。

ゴンドラから降りて、モンジュイック城へ。
茶色の古びたレンガでロの字型を描いて、ところどころポツンと四角い見張り塔があるだけの小さな白。
城跡に近い。周りはよく手入れされた庭園で囲まれている。
たかだかそれだけでも、「城いいね」と思ってしまう。
そういえば僕、ヨーロッパの城ってこれが初めてなんですね。
ドイツで城巡りしたらはまりそうな気がする。日本だとそんなことないけど。

ここは軍事博物館も兼ねているようで、あちこちに砲台が置かれている。
近代戦争になる前の、恐らく鉄の玉を火薬で飛ばすとにかく大きな砲台と、
もしかしたら1930年代後半のスペイン内戦で実際に使用されたのか、細身で小ぶりの高射砲と。

まずは売店でコーラを飲む。1.8ユーロ。
ビールも同じ値段だったんだけど、さっき飲んだばっかりだし、甘くてシュワシュワしたコーラの気分。
青空の下、城のある高台からバルセロナを眺めながらコーラを飲む。

城の中に入って、階段を上って、ロの字型の中の広場に出る。
バルセロナの海辺を見渡せる。西側に機能的な港と工場地帯が広がる。
黄色のクレーン(マドリードもバルセロナも、クレーンは必ず黄色だった)。
赤や青のコンテナが無機的に並ぶ。白い豪華客船が停泊している。
真っ白なガスタンクが何かの部品のように並んでいる。
付近の高速道路を走るミニカーのような車たち。連なるコンテナ・トラック。
海辺の工場地帯フェチからしてみたらたまらない風景。
そして地中海は今日もまた、清々しくどこまでも青く。

帰りはゴンドラに乗らず、歩いて丘を下る。
道が整備されていて、ところどころ休憩所が設けられている。
ベンチに噴水。のんびりと休んで、ぼんやりと過ごす市民たち。

下りきって、ロープウェー乗り場へ。
ここはなぜかとても混んでいた。
先ほどのモンジュイックの丘ほどじゃないけど、バルセロナ市街が見下ろせて眺めがいい。
ミネラルウォーターを買って(2ユーロ)、ロープウェーに乗り込む。
9ユーロ。高いけどその価値あり。
真四角の小さなロープウェー。行き先はバルセロネータ。
黒人のカップルと制服を着た係員の女性と4人で乗る。
動き出す。スルスルと伝っていく。
これもまた、眺めがいい!!
しかも海の上を進んでいく。爽快なことこの上ない。
防波堤に囲まれて、水面が緑色に輝いている。
ビーチの上、ヨットハーバーや屋外プールの上を通り過ぎる。
バルセロナに来たら、ゴンドラに乗ってモンジュイック城の眺め、
このバルセロネータ行きのロープウェー絶対乗るべき。
ガウディだけじゃない。そこには素晴らしい景色が広がっている。


[3174] スペイン一人旅 その22(7/28:地球の裏側でクレヨンしんちゃんに出会う) 2009-08-21 (Fri)

次に向かうはカタルーニャ美術館。
モンジュイックの公園はとても広く、かつ、道が入り組んでいる。とても分かりにくい。
あちこち標識は立っているものの、矢印で大体の方角を指し示しているだけ。迷いやすい。
こっちなんだろうなあ、と思いながら恐る恐る歩いていく。

坂を下ったところに民族博物館ってのがあって、入ってみた。3ユーロだったか。
受付に女性がいて、暇そうにしていた。
最初のうち、観客は僕しかいなかった。
入ってすぐがカタルーニャ地方。オールとか鋤とか木靴とか人形とか。
薄暗い館内でたった一人ガラスケースの中のこういうのを見てるってのはなんとも怖いもんです。
古びたバンドネオンを見ながら、ふーむ、と腕組みなんかしてるうちに、サラマンカ地方へ。
アレッと思ったのはその次がいきなり、日本。しかも、なぜか漫画。
漫画的な浮世絵もありつつも、
ドラゴンボールが表紙の少年ジャンプと、ベルばらが表紙の週刊マーガレット。
もっと時代が前の、鉄腕アトムが表紙の少年マガジン。
恐らく日本の風物を伝えたくて
結婚式の情景を描いた漫画のスペイン語訳が大きく引き伸ばされて貼られているんだけど、
それがなぜか石川啄木の伝記。以後、あちこちに登場する。
日本的情緒大集合的なガラスケースの中には、お稲荷さんの狐に絵馬にダルマに雛飾りに、
なぜかクレヨンしんちゃんのスペイン語訳。一応、みさえが雛飾りを作ったって話だったけど。

集められて展示されたものは的外れじゃないけど、
その国の人からすればなんとなく苦笑してしまうような。
というか漫画が飾られてるのって日本だけだったんだけど。
アメリカのコーナーがあって、スパイダーマンやバットマンのコミックが貼られてたりはしない。
日本にとって漫画は今や民族学的に重要な手がかりなんだろうね。
この後、モロッコ、エチオピア、オーストラリア(アボリジニ)、
エクアドル、パプアニューギニア・・・、と続く。
パプアニューギニアは例の泥人形とか木製の舟とかでまあ割りと普通なのに。
なぜ日本だけが?
(地球の歩き方に紹介されていないのは、ここのところに理由が?)

カタルーニャ地方のカーニバルの衣装がすごかった。
青のズボン、黄色のシャツ、黄緑のベスト、ピンクのネクタイ。
頭部の被り物は象のように大きな右耳が赤で、左耳が水色。目の周りは青で縁取り。
緑色の鼻が長く垂れ下がっている。これって、つまり象なんだろうか?
写真に撮ってきたんだけど、これは是非とも見せたい。
お子様向けのテレビだろうが、お笑いだろうが、見たら絶対トラウマになる。
どんな傾奇者がこれを来てカーニバルに参加するというのだろう。
ちょっと覗いてみたい。

最後は20世紀前半のカタルーニャ地方の民衆の生活。
ラジオ、オーブン、馬の人形、ネッスルのチョコレート。
「ゲリラ時代の生活」という催し物に続いて、ガスマスクやポスター、当時のポスターなど。
(カタルーニャ美術館でロバート・キャパの30年代−40年代の写真展が行われていたので、
 そこと連動しているのだろう)

カタルーニャ美術館は民族博物館の近くにあった。
建物がとても大きくて趣があって、宮殿なのだろうかと思ったんだけど、
地球の歩き方を見たら「1929年の万博の際に政府館として作られた」とあった。
現在は工事中で、外側は工事用のネットがかかっていた。

手荷物検査を経て、中に入る。8ユーロ。
これがまた、とてつもなく大きい。
このスペイン旅行で一番でかかった美術館だと思う。
本気で見るなら、1日は絶対必要。

□公式サイト
http://www.mnac.cat/index.jsp

1階はロマネスクとゴシック。特にロマネスクがすごい。
中世の中ほどまでだったか?11〜14世紀?
当時の聖堂に描かれていた壁画を、そのまま持ってきている。
それが平面じゃなくてアーチの内側に描かれているので、
その枠組みを崩さないように半円の小ドームを丸ごと切り出してっていうのが何十個と。
こりゃあ確かに膨大な広さが必要となるわ。
もう右を見ても左を見ても古びた、かすれかけた、プリミティブな色彩のキリストと使徒たち。
余りにも時代が古すぎて、いいも何もわからない。
ただただ、「なんか分からないけどすげー」とひれ伏すのみ。
この当時の人たちはどのようなことを考え日々生きていたのか、
自らの信仰する宗教(それは今よりもはるかに大きな価値と意味を持つ)に関して
絵を描くことの苦しさとか楽しさってのはいかばかりだっただろうか、
そんなことに思いを馳せてみる。

広大な1階の向かって右半分がゴシック。15世紀〜16世紀か。
これはある程度分かりやすい。プラド美術館に飾られている宗教画たちの全史というか。
やはり、右を見ても左を見てもキリスト、天使、マリア、嘆き悲しむ人たち。
感覚が麻痺して、自分が何を見ているのかよく分からなくなってくる。
奥に進むに連れて年代が進んで、ゴヤやエル・グレコの絵も出てくる。
石棺だけを集めた部屋があって、興味深かった。
さらに奥には、ティッセン・ボルネミッサ美術館のコレクションを展示するコーナーがあった。
係員に促されて外に出たら、巨大な真っ白いアリーナ。観客席が取り囲んでいる。
何らかの祭典に使用されるのだろうか?

2階はバロックから近・現代となるけど、この辺りは特に面白いものはなく。
近・現代と言っても、スペインだけ。聞いたことない人ばかり。
XAVIER NOGUES という画家の、青を多用した、ユーモラスな絵が気になった。
ピカソだけを飾った小さな部屋があって、
キュビズム時代と思われる女性の絵だけが1枚、特別扱いされて手厚く展示されていた。
ダリも何枚かあった。
スペインに来てからダリをよく見かけるなあと思って、ここで初めて気がついた。
ダリもまた、カタルーニャ出身なのだ。
(でも、僕自身はダリ全然好きじゃない)

2階の片隅にひっそりと展示されている現代スペインの写真を見て、地下へ。
ロバート・キャパの戦争写真展が開催されていた。
1936年のスペイン内戦、1938年の中国、1944年のノルマンディ、1945年のライプチヒ陥落。
奇しくも、「崩れ落ちる兵士」を
マドリードのソフィア王妃芸術センターとここバルセロナのカタルーニャ美術館で2回見たことになる。
なぜか今回の旅行はロバート・キャパに縁があった。
ロバート・キャパの写真はたった1つの真実がそこに宿っているようで、いつ見てもいい。
生と死が、希望と絶望が隣り合っていて、
この瞬間、このアングルしかありえないというものを常に切り取っている。
まあほんとは何百倍・何千倍もの写真を撮ってきた中で
代表作ばかりを並べられて見ているわけだからそんなふうにもなるんだろうけど。
キャパと同じ時代を戦場カメラマンとして生きた、ゲルダ・タローの写真も合わせて公開。
(Wikipediaを見たら、ゲルダ・タローという名前は
 グレタ・ガルボと岡本太郎から取られていると知って驚いた)


[3173] スペイン一人旅 その21(7/28:フニクリ、フニクラ) 2009-08-20 (Thu)

寝てると携帯が振動して、メールが届いたのだと夢うつつの中で思う。
前の日会社のML宛てに送ったから、誰かが返事をくれたのだろう。
時々、会社の映画部のMLからも届く。8月上旬に社内で上映会を開催するという。

6時起床。シャワーを浴びたりする。
7時になって下のカフェテリアに下りていく。
ビュッフェがまだ開いていない。階段に座って待つ。
この日は最終日なので昼はどこかで食べるつもりでいる。
朝はホットミルク、ホットコーヒー、珍しく缶詰じゃない果物があったのでメロンを食べる。

カフェテリアで日本人の男子学生4人組を見かける。
彼らは僕がその後ロビーでインターネットをしていたら、スーツケースを抱えて出て行った。
恐らく同じ旅行会社で、同じ日程で旅行をしていたのだろう。
僕はバルセロナで延泊したので最終日だけ異なったけど。

インターネットでは、google のメールがログインできなくて四苦八苦する。
ドメインが gmail.com となるべきが google.com でログインしようとしていた。

この日の主な予定はモンジュイックの丘とピカソ美術館。
その前にまず、郵便局へ行く。
3号線で「Passeig de Gracia」まで行って、昨日行ったカサ・バトリョの反対方向。
窓口で「日本までお願いします」と絵葉書を差し出す。
黄色い制服を着た女性が機械で重さを測る。0.62ユーロ。
地球の歩き方を見ると0.78ユーロで、マドリードでもそうだった。
もしかして国内料金?届かないかも。

絵葉書を出すことができて肩の荷が1つ下りる。
あともう1つ問題は、昨日買った vaho のカバンを
全て詰めて持って帰れるような大きな紙袋を調達すること。
どっかで買えないものか?
日本のデパートだとエスカレーター脇で売ってたりもするが。

3号線で「Paral lel」駅までそのまま引き返してくる。
ホテルのあるいつも利用している駅なんだけど、
ここにはモンジュイックの丘までの「フニクラ」というケーブルカーがあるんですね。
1日乗車券でそのまま乗れる。
先頭車両に乗って、せっかくだからフロントガラスの前に立つ。眺めもよかろうと。
そしたら孫を連れたおじいさんが乗ってきて、その孫が車両の一番前へと駆け寄る。
フロントガラスにベタッと貼り付く。
「ごめんね」と言いたげにおじいさんが笑う。僕も笑い返す。

フニクラが発車する。10分おきに走っていて、僕が乗ったのは前のがちょうど行ってしまった後。
地下鉄のようにカウントダウンして、ゼロに近付いてドアが閉まる。
最初のうちは地下を走る。やがて先の方に光が見えてきて、地上に出る。
丘から下ってきたフニクラとすれ違う。
3分もなかっただろうか。すぐにも到着する。

さて、どこに行こう?まずは、手近なミロ美術館か。
歩いているうちに美術館の庭に出る。椰子の木の生えた涼しげな庭。
ミロの作ったと思われる彫刻というか摩訶不思議なオブジェが置かれている。
鉄製の赤茶けた巨大なプロペラが車輪をつけられて地面に立っている、などなど。

美術館に入ろうとしたら、開館は10時とのことで入り口前の座って何人か待っていた。
9時半過ぎ。どっか行ってまた戻ってこようと思うが、これだと恐らくどこも10時からだろう。
振り向くとレンガの階段があって、木々の中に消えていく。
試しに上ってみる。
藪の中に入る。一応段々の道が作られているが普段あんまり利用されないのだろう、
ほっとかれてる雰囲気があった。つぶれた缶ビールが何本か転がっていた。
黄色っぽい茶色の小さな蝶がヒラヒラと飛んでいる。
蜂も飛び回る。僕の周りをウロチョロして手で何度も払う。
とりあえず別の道路に出るが、何があるわけでもない。
ただし、眺めはいい。バルセロナが一望できた。
道路をさらに上っていく。時々、車が追い越していく。
建設途中の公園みたいなところに出る。周りには誰もいない。
引き返すことにする。

ミロ美術館の前で10時になるのを待って、中に入る。
入場料、8ユーロ。
「BE PART OF ART」ってキャンペーンが行われていて、
バルセロナの以下の美術館共通のチケットが22ユーロ。
 ・MUSEU PICASSO
 ・MNAC
 ・CCCB
 ・LA PEDRERA DE CAIXA CATALUNYA
 ・FUNDACIO ANTONI TAPIES
 ・FUNDACIO JOAN MIRO
 ・MACBA

「MACBA」(バルセロナ現代美術館)は昨日行っちゃったしなあ。
「FUNDACIO JOAN MIRO」がミロ美術館で、
ピカソ美術館と「CCCB」に行ったら元が取れそうだけど、
「CCCB」行くかわかんないしなあとやめておく。
そしたら後で分かったんだけど、「MNAC」ってこの後で行ったカタルーニャ美術館のことで、
結局1日のうちにミロ美術館、カタルーニャ美術館、ピカソ美術館、「CCCB」と回って、
この共通チケットを買った方が断然安上がりだった。損した。
こういうのって後々まで心の中でブツブツ言うことになる。

□公式サイト
http://fundaciomiro-bcn.org/

ミロ美術館はその名の通り、ジョアン・ミロの作品ばかりを集めた美術館。
僕は取り立てて、ミロの作品が好きかというとそれほどはっきりと興味を持ったことはなく、
でも、現代アートを集めた展覧会であれこれ奇抜なもの、難解なものが飾られた中で
ミロのあの隙間の多いフニョーンとした絵に出合うと、なんだかホッとする。
この機会に改めてまとめて見て、「意外といいじゃん」という感想を抱く。

「Miro - Dupin. Art i poesia」という企画展が行われていた。
Dupin とは詩人で、Dupin の詩にミロが挿絵を描いたりといったコラボレーションが
十年以上に渡って続いたようだ。
その貴重な書物や雑誌の展示と、ミロの代表作のいくつか。

1910年代、まだ20代のミロはなんとなく曖昧な普通の風景画を描いていた。
それが20年代に入ってシュールレアリスムの時代となり、ミロらしくなっていく。
その後なぜか、70年代のミロに飛ぶ。
(というか僕の記憶が途中抜けているのかもしれない。印象に残らなくて)
1974年の大作がたくさん掛けられていて、晩年のダリは神懸り的にすごかったことを知る。
たいがいが3部作。
「死刑囚の希望 I・II・III」という作品にとても感銘を受けた。
巨大な白地を斜めのフニャフニャした黒い線が横切り、
そこに赤や黄色のぼやっとした円が描かれている。
それは線で区切られたスペースの中だったり外だったりする。
この円が、太陽なのか、月なのか、神なのか、自分自身なのか。
下の方には草木や地面を表すと思われる黒い線がザザッと描き込まれている。
言葉では説明できない。
でも何かとてつもない精神が表現されている。

もう1つ気になったのは、「May 1968」という作品。
もちろんこれは、パリの五月革命のこと。
黒の線は大ぶりで、キャンバスの上をのた打ち回る。画面上部ではシルクハットのような線も見える。
赤や黄色の何か。花火かもしれない。
あちこちに黒の手形がベタベタと。
その上に黒のペンキの固まりをぶつけたのだろう、そこから黒の滴が垂れ下がっている。
類まれなインパクト。

ミュージアム・ショップにてこの五月革命の絵葉書を買う。
あとかわいらしいのをもう1枚で、2ユーロ。
そして、折りたたみ式のスペイン風モダン・デザインの袋が7ユーロだったので買う。
大きな紙袋が手に入らなかったときの保険のために。

もう1つミュージアム・ショップがあって、
スペインに限らず、現代アートの画集を集める。
欲しいものばかり。心を鬼にして立ち去る。

常設コレクションの方はこれと言って面白いのはなかった。

売られていた絵葉書を見ると
本当は屋上に出られるみたいだけど、この日は開いていなかったようだ。


[3172] スペイン一人旅 その20(7/27:東京でねぶたを見る) 2009-08-19 (Wed)

18:15 となる。
フラメンコに先立ってのディナーが19時からで、15分前には到着していてください、
とバウチャーには書かれていた。
地図を見るとそんな遠くないはずなので歩いていく。

おしゃれな佇まいのお土産屋を見つけて中に入ってみる。
「Barcelona」を中心に文字を配置しただけなのにとても目立つ絵葉書を買う。

「サン・ジュセップ市場」という観光名所が右側に見えて、ちょっとだけ入ってみる。
ゴツゴツと巨大な腸詰を売る店や、プリプリツヤツヤ新鮮な野菜や果物を売る店、カキ氷を売る店。
もっと奥まで入ってみたかったけど、時間がないので諦めて通りに戻る。

ランブラス通りには鳥の鳴きまねをする大道芸人が何人かいた。
この人たちはこの芸そのもので食ってるのではなくて、何かを売るのが目的のようだった。

10分か15分ぐらい歩いて、そろそろこの辺だろうか、
地下鉄の「Liceu」駅を過ぎた先なんだよな、と思いながら歩いていても
ちっとも駅に行き当たらない。
その内にもう1個先の「Drassanes」駅まで来てしまう。
これ、かなり行き過ぎ。バルセロネータのすぐ近く。
やっべー、間に合わないかもと思いながら急いで引き返す。

「Palau Guell」(グエル邸)の標識を見つけて、どうもこの辺のはずだと路地に入ってみる。
地球の歩き方の地図と旅行会社提供の周辺地図。どちらも分かりにくくて店の位置は推測するしかない。
店の名前は「Cordobes」看板がないかキョロキョロしながら歩く。見つからない。
グエル邸が見つかる。しかしこの日は休み。しかも、工事中。
路地の中じゃなくて、大通りに面しているのだろうか、
とそっちに賭けてみたらどうにかこうにか当たったようで。
2階の店へと階段を上っていく。

□公式サイト
http://www.tablaocordobes.com/

なんかちょっといかがわしさがある店。
猥褻って意味じゃなくて、観光客向けに安っぽいというか。落ち着きというか、趣がない。
ウェイターの1人がバウチャーを確認する。
パスポートを持ってるかと聞かれて、持って来てないと答えると、オーケー問題ないと言われる。
フラメンコの時間が来たら隣の部屋に行ってこれを、とチケットをもらう。

ディナーはビュッフェ。
飲み物は、と聞かれてビールと答える。
このビール、料金に含まれていたようで、もっとたくさん飲んでおけばよかった。
こういう店だと高いかもと2杯飲んでストップ。もったいないことをした。
ワインは安いのだとタダ、高級なのだと有料。
それも10ユーロしないものから100ユーロ近いのもあったと思う。

食事にありつく。昼食べてないから腹が減っている。
パエリヤ、仔牛の煮込み、スタッフド・トマト、タラのクリーム煮、ドイツ風のポテトサラダなど。
ウェイターの1人がフライド・フィッシュいかがですかと回ってきて、3切れほどもらう。
まあ、パエリヤを初めとして大味で、悪くはないけど、良くはない。日本で言ったらロイヤルホストか。
隣の部屋への扉をウェイターが開けると
ダンサーが練習しているのか、床を踏み鳴らす音が聞こえた。

店内は大きな団体が2つ。アメリカ人のような気がした。
皆60ぐらいで、引退して悠々自適な生活を送ってる人たちなのだろう。
筒井康隆じゃないけど「農協月へ行く」って感じで大はしゃぎ。
隣に座っている初老の夫婦は2人だけの旅行のようで、
僕に向かって「あなたはグループじゃないの?」と話しかけてくる。
僕は「いえ、違います」ぐらいのことしか言えなくて、自分の英語力のなさを呪う。
それ以上会話が続かない。もうちょっと話ができたら。
聞き取ることはできたとしても、
「バルセロナはどこを見ましたか?どこが良かったですか?」とか、そんな簡単なことすら言えない。

他に日本人の母娘が一組。
なんか常連っぽい人たちが一組。
気取ったラテン系の初老の男性は昔フラメンコのダンサーだったのか。そんな身のこなし、腰つき。
ワイングラス片手にウェイターたちの集まっているところに行っては、冗談を言い合う。
この人たちはそもそもフラメンコを見なかった。

20時近くなって隣の部屋へ。
扉の脇に立っていた男性にチケットを見せる。
じゃああなたはあっちの方へと奥を指示され、
そっちに行くともう1人の係りの男性がこちらへと端の席を。
ステージの真横、その2列目。
小さな丸テーブルがあったので便利だったけど、真横って・・・

他のテーブルの人たちもこちらに移ってくる。
団体のおじいさん、おばあさんはもうありえないぐらいのハイテンション。みなで記念撮影したり。
先ほどの常連の初老の男性に向かって、「あなたが今晩踊るんでしょ!?」と
男性はクルッと回って腰を振る。そうするとまたヤンヤヤンヤの大喝采。

待っているとシャンパングラスに白ワインが配られる。飲みながら待つ。
することがなくてデジカメの写真を整理する。1人ポツンとしている。

開演直前になって日本人の団体がゾロゾロと。ここでディナーを食べないのは正解だな・・・

場内が暗くなってフラメンコが始まる。
ギタリストが3人出てきて、情熱的な曲を奏でる。
歌い手の女性がステージの前に出てきて、歌う。
団体客があちこちでフラッシュをたいて写真を撮る。
歌い終えて、女性のダンサーが3人と男性のダンサーが2人が勢ぞろいして足を踏み鳴らし、踊る。
男女のデュエットになり、男性のソロになり、・・・
最前列に座っていた団体客の1人が中身の入ったワインのボトルを床に落として大変なことになる。

前半部分が終わって、後半へ。
男性は2人とも長身で、もしかして2mあるんじゃないかってぐらい。
どことなくキザで、やさぐれていて、だけど情熱的で、
悲しみを一身に背負いつつ、最後の最後には優しさを見せる。
なんつうか歌舞伎町のできるホストの中からプラスの部分だけを色濃く抽出したような。
フラメンコの踊り手じゃなかったら人生生きにくそうな。
日本からおばさん連中が見に行ったらキャーキャーと大変なことになっただろうな。
女性のダンサーもまた、情が深そう。
最後の方、フレンチカンカンのような裾の長いドレスを着て、振り回さんばかりに踊る。
長いショールを使ったときの踊り、あの動きは絶対ヌンチャクだ。

闘牛と一緒で、本場アンダルシアに行って見ないとダメだなと思った。
観光客向けのを見てどうこう言うわけにはいかない。
静かな場所で、静かに見たい。
外国人観光客が見たがってるからっていう理由で、東京にねぶた祭りをもってきてやるようなもの。
エッセンスは伝わるかもしれないが、大事な、本質的な部分は伝わらない。

でも、ステージに4人ないしは5人揃って床を踏み鳴らすときの激しいリズムっていいもんで。
そこにかぶさるスパニッシュ・ギターの音。

途中でデジカメのバッテリーがなくなる。

終わってさっさとホテルに戻る。
「Drassanes」からは1駅。
今夜もまた中学正たちが飛んだり跳ねたりしている。
午前0時頃眠る。


[3171] スペイン一人旅 その19(7/27:「vaho」とは蒸気のことです) 2009-08-18 (Tue)

1日にガウディの建築物を4つも回って、おなかいっぱい。
この日は夜19時より、ディナー付きフラメンコ。
15時。それまで時間が空く。

まずは先ほど地図で見つけた郵便局へ。
行ってみたらやはり閉まっていた。明日の朝訪れることにする。

バルセロナ現代美術館に行ってみる。
3号線で1駅、「Catalunya」へ。
カタルーニャ広場に出る。ここから空港までのバスが出る。
見ると確かに停まっている。明後日はこれに乗ればいい。簡単そうだ。
下見ができて安心する。
隣は観光バスの発着場だった。
ここは何もないけどとにかく大きな広場で、大勢の人たちがなんとはなしに集まっていた。
鳩が集まっていて、餌にパンを千切って与える人がいる。
奥に花壇があって、その中心に偉容ある大きな噴水。

広場の隣に、マドリードにもあったデパート「エル・コルテ・イングレス」が。
もしかしてマドリード同様に地下に郵便局があるかもと入ってみるが、案内を見てもなさそう。
ここはマドリードのよりもはるかに大きくて、五階にはガウディ関係のお土産を売っているそうだ。
日本語でデカデカとそんなようなことが書いてあった。

広場に戻って、突っ切って、ランブラス通りへ。
道路と道路の間の遊歩道になっていて、ここに小さな店が集まり、
例の静止する大道芸人が人を集めている。
首の離れた死体に恐る恐る近付いた女性がワッと驚かされたり。
店は花の種を売っていたり、籠の中の小鳥を売っていたり。
通りの側は名だたるブランドの店が並ぶ。H&Mなど。

バルセロナ現代美術館は分かりにくい場所にあるみたいで、
この辺だろうかと見当をつけて曲がってみる。狭い路地の中へ。
このときたまたま目に留まった店が気になる。
「vaho」というカラフルなリサイクル・バッグのギャラリー。
入ってみる。壁にたくさん飾られている。
カバンを膨らませる厚紙が磁気を帯びているようで、壁にペタッと貼り付く。
リサイクルっていうと freitag を思い出すけど、こちらの方がデザイン・色彩共に派手。
恐らく、広告写真を引き伸ばしているのではないかと。
様々な形のがあって、書類入れやトートバッグ、ボストンバッグ、ショルダーバッグ、財布など。
見るもの全て欲しくなる。
しかも書類入れは25ユーロ、ショルダーバッグも大きいサイズのが50ユーロという安さ。
日本で買う freitag ならこの10倍はする。
値段はサイズや機能性ではなく、デザインの斬新さで決まるようだ。
同じ形状のカバンでもデザインのいい方が高かった。
店員の女性の方に話しかけられるも、残念ながら財布の中に金はなし。
後でもまた来ますということにする。

バルセロナ現代美術館がすぐにも見つかる。
美術館前の広場にはティーンエイジャーが集まってスケボーに興じていた。
中に入る。7.5ユーロ。美術館の略称は「MACBA」
中では「Ag」という新聞を配っていて、その時々の展示物のニュースや解説記事が載っている。

□公式サイト
http://www.macba.cat/

マドリードのソフィア王妃芸術センターが
現代アートという20世紀以後の広い幅で扱っているとしたら、
バルセロナのここは、正に今を扱っていて、世界中の旬なアーティストの作品を集めている。
館内は白い巨大な箱のようになっていて、3階建ての展示室と吹き抜けの空間があって、
間を挟んで緩やかな長い階段という造り。この建物自体がアートなんですね。
奥の壁には大きな文字で文章が綴られていて、
それ自体が Lawrence Weiner という人の「Some Objects of Desire」という作品となっていた。

よほど熱心な現代アートのフォロワーでないと知らない人ばかりなんだろうな。
もちろん僕も全然知らなかった。
いくつか気になった人を挙げてみると、
・(アーティスト名なのかどうか分からないけど)Les ready-made appartiennent a tout le monde
 による、フェイクな広告アート
・Sanja Ivekovic による、広告写真とその隣に恐らく自らが扮した返歌としての写真を併置した連作集
・Hans Haacke の写真
・KP Brehmer のコラージュ
・Ignasi Aralu によるフェイクな映画ポスター
・sture johannesson による派手なポスター??
 サイトあり http://www.sturejohannesson.com/art.html

その他、ビデオ作品や部屋いっぱいのインスタレーションなど。
部屋に20個ぐらいモニターを横に並べてて、それ全部がホワイトノイズってのもあった。
あれはただ単に映像作品の上映が終わった後なのか、それともそもそもそういう作品なのか。

こういうときこそ画集が必要なんだけど、残念ながらなかった。
アーティストによっては略歴と作品を紹介する1枚ペラの資料が用意されていて、それを持ち帰ってきた。
スペイン語(というかカタルーニャ語?)なので読めないけど。

「MACBA」を出て、17時頃。
これからフラメンコだというのにデジカメのバッテリーが切れそうで、いったんホテルに戻ることにする。
適当に歩いていたら、「CCCB」という美術館の前に出る。
「Quinquis dels 80. Cinema, premsa i carrer」ってのと
「El segle del jazz」ってのと2つやってるみたいで、どっちもかっこよさそう。
明日時間があったら絶対見よう、と心に決める。

カタルーニャ広場に出るつもりが、「Universitat」の駅に出る。
ここからでも2号線に乗って帰れる。「Paral lel」駅までは2つ。
ホテルに戻って急いで充電して、地下の自販機でミネラルウォーターを買って、喉を潤してまた戻ってくる。

まずは先ほどの「vaho」の店へ。
ショルダーバッグでまだ壁に飾っていないのを倉庫から出して見せてくれる。
あれこれ迷った末に書類入れを2つ、ショルダーバッグの大きいのと小さいのとを買う。
小さいほうのは真っ黄色で「MADRID」と書かれている。この4つで156ユーロ。安すぎ。
現金を使い切るのが怖かったので、ここだけクレジットカードで支払う。
カードのスキミングとか余計なことをしてないかそれとなく注意深く眺める。

大きな紙袋にこれら全部入れてくれないかな、そしたらその紙袋を今後日々の移動に使おうと期待していたら、
ビニール袋2つに分けて入れることに・・・
とりあえずもう1袋もらって、持っていた virgin の買い物袋をこれに入れる。
ビニール袋が3つでかさばって動きにくくなる。

「vaho」って日本にも進出してるみたいで、大阪に去年店ができたみたい。
店を見つけたという人のブログしか引っかからないけど。
http://blog.dagwood.biz/?eid=884657

日本で卸して通販してるサイトもあるようだ。
ここを見ると、リサイクル・バッグって freitag や vaho だけじゃなくて他にもいくつかあるようだ。
http://www.asuhum.com/?mode=cate&cbid=428344&csid=0

他の卸業者。
http://ap-b2b.com/vaho/

vaho そのもののサイトと思われる。
http://www.vaho.ws/


[3170] スペイン一人旅 その18(7/27:「Casa」とは家のことです) 2009-08-17 (Mon)

「Lesseps」駅を探してひたすら西へ。ほんとにあるのかね?
グエル公園からそれまで続いていた観光客の流れも途絶えて、僕一人になる。
バルセロナ在住の人はバスに乗っちゃうんですね。
僕もバスに乗ればよかったんだろうけど。
でも、地下鉄と違ってバスは難しいんですね。いつ払うのか、いつ下りるのか。
日本でもバスに外国人旅行者が乗ってくることって少ないでしょう?
そう言えば、バルセロナは2階建ての真っ赤な観光バスがあちこちに走っていて、
屋根のない2階席はとても気持ちよさそうだった。
あともう1日滞在していたら、とりあえず乗ってみたと思う。

かなり歩いた末に駅を見つけ、3号線にて2駅「Diagonal」で下りる。
この辺りはバルセロナの目抜き通りのようで、CAMPER や KOOKAI といった店が並んでいた。

次は、「カサ・ミラ」
グラシア通りに面した、ガウディ設計による真っ白い、アパート?
波間をイメージしたのか、ウネウネしてる。
外からよく見ると各階のベランダには波なのか海草なのか、黒いオブジェが配置されている。
6階建てだったかな。屋上あり。
入場券を買おうとしたらとてつもなく長い行列。30分待ち。
この日ガウディ関係はどれもそうだったなあ。
することもなく、会社にメールを送ったりする。
9.5ユーロ支払って中へ。
まずは中庭。屋上から光が降り注ぐ。
中は結構、モダン。だけどなんというか蜃気楼のよう。
長い間時間をかけて自立的に形を変えていくような錯覚に捕われる。

階段を上って、最上階の一つ前へ。
この階全体が、今から100年前を再現する博物館のようになっている。
優雅なバスルーム。サロンのような部屋があって、ダイニング・ルーム、物置?
年季の入った乗馬の鞍や三輪自転車。
山のように果物の詰まれた籠を置いたキッチン。
お針子の部屋には足踏み式のミシン、その上に白のレース。アイロン台に白のテーブルクロス。
メイドの住む小さな部屋。
全体的に、これがアール・ヌーヴォーか、という雰囲気。

お土産屋はこのアール・ヌーヴォー趣味全開であちこちに「Art Nouveau」の言葉が踊る。
ポストカードもポスターもノートもその手のエキゾチックで瀟洒な復古調。
記念に1枚絵葉書を買う。1.1ユーロ。

最上階はミュージアムになってるんだけど、これが何というか独特の雰囲気を持っていて。
どことなく、オカルトとニューエイジの匂いあり。流れている静かな音楽もその手のヒーリング系。
アーチを多用した空間。薄暗い照明の中で、
飾ってあるものも化石となったとうもろこしや水牛の背骨、亀の甲羅に蜂の巣。
あれはいったいなんだったのだろう。
フロアの反対側にはカサ・ミラの模型など。

屋上に上がってみる。
ガウディのガウディたる摩訶不思議な白い尖塔がニョキニョキと生えている。
なだらかな砂丘のようになっていて、わずかばかりの階段で上に下に進んでいく。
なんつうか全体的なイメージで言えば、海の底に棲み始めたカタツムリが見る夢ってとこか。

このカサ・ミラの1階がおしゃれなアート系のお土産屋。
恐らく地元アーティストのデザインしたTシャツやカバンなど。
バルセロナの建物の写真集など見るものあれこれ欲しくなるが我慢する。
絵葉書を1枚だけ買う。1ユーロ。

喉が渇いたと通りの向かいのスターバックスに入ってみるが、混雑していて断念。

次は同じくガウディで、カサ・バトリョ。
3号線で1駅、「Passeig de Gracia」で下りる。

ここで事件が起きる。
カーゴパンツの左の内ポケットに穴が開いてしまって、物が入れられなくなってしまった。
でも、習慣でどうしても時々、無意識のうちにここに突っ込んでしまう。
主に財布を入れていて、このときもやはり財布を。
車両から出て改札に向かって歩いているうちに穴から落ちて左足の裾から財布がボトッと。
危ない危ないと拾い上げて左のサイドポケットへ。
改札をくぐる。
ふと見ると男の手が財布に伸びていて、スッと抜き取られる。
ドキッとする。とっさに振り向いて男の手首を握る。
諦めたのか、男は握っていた財布から手を離す。財布が床に投げ出される。拾う。
その間に男は改札から離れ、何食わぬ顔をしてホームに向かって歩き出していた。
すっごい凶悪な顔をしていたなあ。
ある意味バルセロナの人っておっとりしていると思った。
世界の他の国々のスリならば知らぬ存ぜぬでしらばっくれて絶対財布を返さないのでは。
その場に警察官がいるのでもない限り。
とにかく、あの瞬間の僕は1年に1度あるかないかの動体視力で動きを捉え、
これまた1年に1度あるかないかの反射神経で男の手首を掴んだ。
あのときの僕は武道の達人であるかのように、なんともかっこよかった。
側に女の子がいたら僕に惚れたと思う。

スリに遭ってなんともなかったというドキドキ感の中、カサ・バトリョへ。
こちらは並ぶの15分ぐらいで済んだかな。
暇なので何気なく地球の歩き方の地図を見ていたら、カサ・バトリョの近くに〒のマークが。
なんだ、郵便局あるんじゃん。
でも、この時点で14時半過ぎ、郵便局は普通14時で閉まるみたいなので恐らくもう終わってる。
残念。あともう少しで中に入れそうだったので、先に見学を終えることにする。

このカサ・バトリョ、入場料が17.5ユーロとバカ高い。
地球の歩き方に10%OFFクーポンのページがあって、見せたらほんとに10%OFFとなった。
ページには利用済みのスタンプが押された。
なんでこんなに高いかと言うと、音声ガイド込みなんですね。
ここには日本語含め10カ国分ぐらいはあったように思う。
マドリードだと王宮にプラド美術館、バルセロナだとガウディのあれこれ、
どこに行ってもたいがいはこういう音声ガイドがあった。2ユーロかな。
でも僕は全然利用しなかった。
なんだかまどろっこしいというのと、目で見たものが全てだという思いがあったから。
というかそれ以前に金かかるし。
今回聞きながら回ってみたんだけど、1番を聞いている間に6番まで来てしまって、
6番を聞いているうちに10番って感じで。
このモタモタ感が堪らない。
というか他の人の鑑賞ペースってこれぐらいなんだろうね。ゆったり見てる。
貧乏性の僕は1日のうちにあれも見なきゃこれも見なきゃって方だから、全部駆け足になってしまう。
あと、左手に受話器のような音声ガイドを持って、右手に荷物を詰めた袋を持って、
なおかつ右手にデジカメを持って写真を撮ろうとするときのブザマさと言ったら。
ガイド要らないから2ユーロ割引して、と言いたかった。
なお、借りるときに日本人だと言ったらアンケートですってことで
どこのホテルに泊まってるか聞かれた。

でもせっかくだから、聞くときはちゃんと聞く。
このカサ・バトリョは深海をイメージしたデザインであり、ネモ船長を云々かんぬん。
なるほどと思う。やはり海なんだよな。海辺の貝殻と引いては返す波と。
だから建物が砂色なんだな。
全てが緩やかな曲線から成り立っていて、儚い泡のよう。
あちこちにはめ込まれた丸いステンドグラス。
幾何学的な模様が漂うように広がる。
歪んで、よじれて、ねじくれて。
キラキラした輝きとヌメヌメした感触とが一度に表現されている。正に、海。
子供が心の中に思い描いて画用紙に描く夢の家を現実化したかのよう。
こういうのを設計して実際に現実化させるガウディってすげーなと感心する。

カサ・ミラと違ってここは建物全体を見学することができる。
建物の真ん中はエレベーターが貫かれている。
えらく旧式で、箱は木製。もしかしたら100年前のものなのかも。
中庭はないけど中心部の天井がガラス張りになっていて、建物全体に明るい日差しが入り込む。

屋上に出る。ここもまた、戯れる深海魚のよう。
音声ガイドを聞いたら水槽の部屋だったかな。小さなドームに入ったら壁を水が伝っていた。

下の階に下りると屋根裏部屋。
何に使うのか見当もつかない、何もないけどデザインだけは斬新な、そんな空間が広がっていた。

この日訪れたサグラダ・ファミリア教会もグエル公園も
カサ・ミラもカサ・バトリョも全て、世界遺産とのこと。


[3169] スペイン一人旅 その17(7/27:十字架の丘) 2009-08-16 (Sun)

次に向かうはグエル公園とその中のガウディ博物館。
最寄の駅がなくて、直線距離だとここだろうか?
と2号線の「Alfonse X」で下りて見当をつけて歩き始めるのだが、これがまた大変なことになった。
地図を見ると間違ってないはずだよなあと思いながら、
アルグエス公園を突っ切っると行き止まりになってまた引き返す。
公園の中では近くの幼稚園の子供たちなのだろうか、遊技場で遊び回っている。
2人の孫を連れたおじいさんがピクニック気分なのかテーブルに簡単な食べ物を広げる。
小学生ぐらいの3姉妹が黙々と木登りにいそしむ。
テニスをする音が聞こえ、そちらの方に行ってみると上半身裸でテニスをする老人たちの姿を見かけた。
公園の外に出て坂を上っていく。公園の壁はグラフィティ・アートの見本市となっていた。
一人一定のスペースを与えられ、さあ描いてみよって感じの。

住宅地の商店街に出る。西へ。
ここで日本から持ってきたミシュランのバルセロナ超巨大地図が役に立つ。
あー確かにここに交番がある。競技場がある。大き目の交差点に出て、北へ。
これをまっすぐ行けばグエル公園の端にぶつかるはずだが・・・

閑静な高級住宅地に入って、坂を上っていく。
目の前には確かに、グエル公園らしき緑が広がる。
しかし、入り口がどこにもない・・・
仕方なく公園の端に沿うようにして通りを歩いていく。
炎天下、坂を上ったり、下ったり。
歩いている人などいない。高級車がゆっくりと通り過ぎるだけ。
地図の通りに歩いていたらやがて、丘の上の大邸宅の裏庭に出た。
巨大な番犬が鎖も首輪もなく放し飼い。まじでびびった。
これ、住んでる人か使用人に見つかったら大変なことになるんじゃないの?
こんなところ歩いて大丈夫だろうか?
敷地の中、枯れ草の生い茂る荒れ果てた空き地にかろうじて踏み分け道ができていて、辿っていく。
丘を下る。崩れかけた門に出て、その周りに鉄条網と有刺鉄線。
もしかして思いっきり罠にはまったのだろうか?
引き返してあの犬にまた会うのか・・・
様子を探っていたら鉄条網の破れたところに出て、事なきを得る。
外に出たらバルがあって、昼間から近所の人たちがビールを飲んでいた。
ひょっこり現れた僕に眉一つ動かさず。
もしかしたら僕みたいなことをしでかす観光客はたまにいるのかもしれなかった。

そしてまた坂を上っていく。
向かい側から下りて来る人がちらほら出てきたので、間違ってないのだと思う。
大学生のような若いカップルのうちの男性の方が「ハイ!」と声を掛けてきて、僕に向かって手を振る。

ようやく、到着する。
まっすぐ歩いていれば正面の入り口から入れたものを、
こっちが近道だろうかと余計に折れ曲がって階段を上ったりして裏口の一つへ。
とりあえず人の大勢いる方に歩いていって、真っ白で優雅な正面の大階段を上っていく。
列柱が無数に並ぶ広間に出る。日陰になっていて涼しい。実に1時間ぶりの日陰。
スパニッシュ・ギターを鳴らしてチップをもらおうとするミュージシャンがあちこちにいた。
空手の実演をする怪しげなアジア人がいて、僕を見かけるとニイハオ!と大声で叫ぶ。
階段をさらに上って、「ギリシア劇場」という名のだだっ広い広場へ。
端まで行ってバルセロナを見下ろす。
今通ってきた大階段やその前の広場にはうじゃうじゃと大勢の人がいた。
扇子にTシャツにサングラス、ペンダント、観光客相手に様々な物が売られていた。
階段を上ると、飲み物を買える小さな店があって、生ビールを飲んだ。4.5ユーロ。
高かったけど、炎天下歩き続けた後だったから死ぬほどうまかった。

広場の後方は椰子の木が生い茂る。ウニョウニョした洞窟が連なる。
少し道を迷って、ガウディ博物館へ。本来はガウディの住処だったもの。
居間にはピアノやタイプライター。寝室など。
ガウディがデザインした椅子があるみたいなんだけど、
客間っぽい部屋にたくさん並んでいたのがそうなのだろうか?
緑色の不気味に美しい光を放つあの部屋は何だったのだろうか?

グエル公園は本来とても大きなもので、数時間では回りきれない。
遠くから見えた丘に上ってみる。
楕円形のモニュメントのようなものがあって、その上に十字架。
多くの人がここまで登ってきていた。
とても眺めがよかった。バルセロナを一望にする。
クレーンに取り囲まれたサグラダ・ファミリアが遠くに見える。けど、かなり大きい。

丘から下りてくる。大道芸人の変わったところでは、
スティールパンを逆さにしたような鉄の中華鍋のようなものを叩いて、
スティールパンのような音を出す老人。
巨大なシャボン玉を作って空中に飛ばす若者。

帰りは他の観光客に混じって歩く。坂を下っていく。
観光客目当てのお土産屋がたくさん並んでいる。こういうのは万国共通か。

やはり全然違う駅から向かってくるのが正しかったようだ。
「Lesseps」という駅。坂を折りきって、右へ。
見たらちゃんと「Parc Guel →」と標識があった。

タバコを売ってそうなキオスクやお土産屋に出会う度に
切手を扱ってないか聞いてみたが、どこに行っても首を振られる。


[3168] スペイン一人旅 その16(7/27:この世界が一つの演劇であるならば) 2009-08-15 (Sat)

6時には目が覚めただろうか。
朝食のため、7時に下りていく。
これだけ朝早かったら中学生たちにも会わないだろうと思っていたら、
早くも賑やかにテーブルを占領。
なんかどうもTシャツを見ている限りでは中学校の水泳部か地域ごとのスイミングクラブのようだ。
それが3チームほど。それぞれ着てるTシャツが違う。

今日は金を節約しようと昼を抜くことにする。その分ここで食べておく。
サラミ2種類、ハム、チーズ、ソーセージ、豆、パン、ヨーグルト、
缶詰の桃にパイナップル。ホットミルク、ホットコーヒー。
子供たちがトースト焼き器に群がる。

このホテルにもインターネットができるPCが置いてあったので利用する。
15分で3ユーロ。かなり非力。Yahoo!メールを見ようとしたら、OSが対応してませんと出たり。
Yahoo!ニュースを見る。近畿地方で大雨。清志郎さん母校野球部が初4強。
日本は一応、平和なようだ。

昨晩闘牛場で買った絵葉書を母に送ろうと郵便局を探すつもりでいたら、
フロントのカウンターの上に小型のポストが置いてあった。
だったら切手もあるかもと聞いてみたら置いてないとのこと。
タバコ屋に行けばあるのでそこで買いなさいと。がっかり。

この日はガウディ尽くし。
まずは本命サグラダ・ファミリア教会へ。
8:45にホテルを出て、9時過ぎに到着する。

はあ・・・、これか。
昨日は一駅前から目撃してあのでかさ。目の前にするとさらに大きい。
比較するものがない。ビル何階建てなのかもよく分からない。
とにかく、土色の尖塔がニョキニョキと何本も何本も天を目指して伸びている。
正面に回って入ろうとしたらガラガラでなんだ朝早いと余裕だなと思っていたら団体の入り口。
裏側に回って、\個人の入り口を見てみたら長蛇の列・・・
20分ぐらい待っただろうか。
グエル公園のガウディ博物館とセットの入場券を買う。13ユーロ。

中に入る。どこもかしこも白い。
真っ白な柱がどこまでも高く伸びているだけのがらんどうで、正に建築中だった。
出来上がっている箇所もあったけど、たいがいの柱の周りには果てしなく足場が組まれていた。
礼拝堂のようなものは完成しつつあって、長椅子が並んでいる。
その奥の壁には真っ青なステンドグラスがはめられ、
その向かい側の壁には赤やオレンジを基本にしたカラフルなステンドグラス。

早速エレベーターに乗る列に並ぶ。
(日本からのツアーだと、中入るだけで上まで行かないのもあるみたいですね。
 そう考えると、ツアーじゃなくてやはり個人で行った方がいいんじゃないかと)
10分ほど待つ。エレベーターに乗り込んで、乗り込んで別途2.5ドル徴収される。

上まで行く。
先頭の中の狭い螺旋階段を上ったり下りたりする。ところどころで風景を眺められるポイントに出会う。
どこもかしこも建築中。ヘルメットをかぶったその辺の工事現場のおっさんがあちこちにいる。
様々な高さの何基ものクレーンが右に左に物資を運ぶ。
出来上がった尖塔の外壁や内壁には様々な装飾。
磔にされるキリスト。聖母マリア。お供え物の果実。佇む賢人。

絶え間ない削岩機やグラインダーの音に、10時の鐘の音が重なる。
穏やかな、安らぎに満ちたメロディが流れる。
なんだか象徴的で、感動的な音だった。
ノイズ+安らかなメロディ。
Einsturzende Neubauten が目指していた音楽は実はこういうのだったのではないか。

感動が、そこにはあった。
会社のMLに充てて、恥ずかしくも僕はこういうメールを送る。
――――――――――――――――――――――――――――――
サグラダ・ファミリア教会。

これに感動せずして、人類が生み出した文化というものの、
いったい何に感動すべきだというのか?

この世界が一つの演劇であり、
たった一つの物語が紡がれ、語られるならば、
ここサグラダ・ファミリア教会は
その永遠に未完成の舞台装置だと言っていいだろう。

終わりがないと知りつつも一つ一つの作業を続け、
次の世代の若者たちに伝えていく。
これこそ、文化というものだ。

僕はやはり、文化とか芸術と呼ばれるもののために生きて、死にたい。

日本で暮らす生活のいかにちっぽけなものか。
――――――――――――――――――――――――――――――

バルセロナの風景と建築現場と。
ひとしきり眺めた後で先頭を下りていく。永遠に続くかのような螺旋階段。
見上げたときに眩暈がした。
途中の壁には世界各地の観光客が書いた落書き。
ありとあらゆる場所、ではなくて皆が配慮しているのか何箇所かに限定されている。
僕も名前を書いておきたかった。

1階に戻ってくる。
1階で作業している人たちの様子を見てみる。
彼らとの間には柵が設けられている。
見つめられることに慣れっこになっているのだろう、彼らは課せられた淡々と作業を淡々とこなしていく。
修行僧のようではない。
現代に生きる1人の人間として、ただ普通に自分のできることを続けていく。
周りの誰かと相談し、粉を水に溶かし、かき混ぜ、運び、数え、片付ける。
何もサグラダ・ファミリアだから特別なのではない。
ここでなされる営みそのものが文化・文明というものについて示唆的であるように思う。

完成の予定は、2256年であるという。
この世界は、人類は、それまで持ちこたえているだろうか?

教会の外に出る。
すぐ横の部屋に小さな博物館があった。
ガウディはどういうモチーフを組み合わせてこの建築物を構想したか?
どんな材料を用いたか?などを語る。
そのユニークなアイデアの数々。
完成形なのだろうか、あくまで部分なのだろうか、模型が飾られていた。

ミュージアムショップで一番安い日本語のガイドブック(5ユーロ)と
ガウディの建築の絵葉書のセット(2.9ユーロ)を買う。

地下にもう一つ大きな博物館があった。
ファサードに設置されたペリカンの像であるとか、
年代ごとの製作状況を追った写真の展示であるとか。
1890年代後半はまだ基礎部分を造っていくのみで、20世紀に入ってようやく縦に伸びていく。
尖塔が1本ずつ、1本ずつ、長い年月をかけて形になっていく。
建造に携わった歴代の建築家の写真とプロフィールを掲げた部屋があって、
中には日本人建築家の今井兼次氏の名前もあった。

□公式サイト
http://www.sagradafamilia.cat/


[3167] スペイン一人旅 その15(7/26:マタドールってそんなに大変なのかね?) 2009-08-14 (Fri)

僕が座ったとき、1セット目(何と数えるのが正しいのか分からず)が終わったばかりで、
とどめを刺されて倒れて死んだ黒牛が馬に引かれて、アリーナを横切るところだった。
灰色の砂に赤黒い血が跡を残す。
野球場のようにグラウンド整備係がレーキで砂をならして、何事もなかったかのようにする。

すぐ次のが始まる。
この日は計6セットかな。マタドールの衣装から察するに、2組が3セットずつだったと思う。
だいたいのところ2時間。ちょっとオーバーした。
段取りは決まっていて、毎回同じ手順で進んでいく。
僕が理解した限りにおいてはこんな感じ。

・黒牛がアリーナに登場。その後、ピカドール(槍方)が登場。
 このとき、3人いるマタドール(闘牛士)は搭乗しない。
 アリーナの周りの囲いの中でスタンバイしている。

・ピカドールが牛を煽って、牛の肩の間に槍を突く。
 槍はセットごとなのかピカドールごとなのか、それぞれ色が異なる。
 旗みたいなのがくっついていることがあって、
 スペイン国旗のように赤と黄色の旗が見事牛の肩に刺さると拍手が大きかった。

・1本刺したらピカドールはアリーナ脇に戻って、次の槍を受け取る。色が変わる。
 これで3本ぐらい刺すのかな。一発で刺さるとかっこよくて「オーレ!」と喝采を浴びる。
 刺した後でピカドールは勇気を示すかのように牛の頭をなでたりする。
 この頃、牛の両肩は真っ赤な血で染まっている。

・ピカドールが槍を突こうとして牛との間合いを計っている間、
 ないしは槍を取りに行っている間にマタドールが1人か2人ササササッと出てきて
 例のヤツをヒラヒラとやる。表がピンク、裏が黄色となっている。
 少しずつ牛に近付いて、牛を煽る。
 これ、見ててそんなかっこいいものではなかった。
 決めのポーズがピタピタ決まるようなキビキビしたものではなく、
 なんか恐る恐るなし崩しにやってるような。見てるとピカドールのオマケ。
 でも、それはそれで相当な勇気が必要そう。
 その頃たまたま読んでいたヘミングウェイの短編集に
 田舎者は自分でもできそうに思うが、
 いざ自分がやるとなるとビビッて逃げ出してしまうと書かれていた。

・3本刺したあと、ピカドールは今度は短い銛を3本立て続けに刺す。
 左右に1本ずつ持って両方一気に刺すといった荒業も繰り出す。
 ここまで一連の動作を馬の上に乗ったまま。
 ノッてる時のピカドールは馬をリズミカルかつ
 アクロバティックにクルッと回って見せたりする。

・マタドールが3人とも勢ぞろいして、アリーナ脇の壁に牛を追い込む。
 長剣を手にしたピカドールが馬を下りて、牛に近付く。
 肩と頭の間の中心に長剣を刺す。倒れなかった場合は、何回か場所を変えて刺す。

・牛が倒れた後は、マタドールの1人が探検を取り出して牛の喉をかっさばく。
 ここまでの一連の手際がよくて見ごたえありだと、観客は白いハンカチを振り回して応える。

・係りの者たちが三人、馬を二頭引き連れて現われ、
 馬から伸びたロープに牛を括り付けてアリーナを去っていく。

・その間、マタドールとピカドールは場内を一周して喝采を浴びる。

そんなわけで、どこをどう見ても大変なのはピカドールであって、
マタドールは添え物。見せ場なし。
これってバルセロナ風なのかねえ。
地球の歩き方の闘牛の紹介のページを見ると

*ピカドール(槍方)とバンデリーリョ(銛旗士)が別
*表がピンク、裏が黄色のカポーテを持ってるのは助手、
 マタドールは赤のムレータを持って登場
*剣を指してとどめを刺すのはピカドールではなく、マタドール

となっている。なーんか、似て非なるモノを見たような・・・
やはり闘牛はアンダルシアまで行って見るべきか。
この前見た、ソロホームラン2本だけで巨人が横浜に勝ったドームの試合を思い出した。
締まりがなくて、正にあんな感じ。

日陰の観客席には楽団のための席が用意されていて、
管楽器で20人ぐらいだろうか、盛り上がってくると扇情的な曲を吹き鳴らす。
皆、揃いの白い半袖のシャツを着ていた。
それとは別にトランペット2人と小太鼓が1人、要所要所でファンファーレを鳴らして場面を締める。

見てると気になるマタドールってのが出てくるもんで、
ほぼ何もしないマタドールってのがいた。ヒラヒラをやらない。
若干太り気味で年も食ってる様子。
ヘミングウェイの短編では臆病なマタドールや病気になったマタドールが出てくるけど、
実際はそうじゃないようで、何もしないけどそこにいることで逆に場面の押さえとなっているような。
アリーナには現れないけどちょこまかと周りの囲いの中を移動し、
牛が戦意喪失しかけてると囲いの板をバンバンと叩いて注意を引き付けたり。
そしてピカドールがとどめを刺して牛が倒れた後で、喉をかっさばく。
ここだけは必ずこの人がやる。
恐らく、目立つところは若いもんに負かして、ってことなのだろう。

僕の座った席はほんとは日なたってことになってたんだけど、全然日が当たらなかった。ラッキー。
時間帯によってはちょっとばかし足に当たっただけで。
そうすると前の人の背の陰になるように足を持っていく。
バルセロネータで足首を海水に浸して、その後シャワーもかけて日焼け止めが流れたはずだから、
足だけは守らなくてはならなかった。

観客席はガラガラ。1/3ぐらいしか入っていなかった。
バルセロナで闘牛の興行打ち切りが囁かれてるみたいだけど、
動物愛護団体の抗議ではなくてただ単に人気がなくなって誰も見に来ないからだ、
というのをどこかで読んだ。
日本だと相撲を若い人が見ないと一緒なのだろう。
しかもわざわざ国技館で見るような。

ガラガラなのをいいことに前に座っていた親子が柵を乗り越えて下の席に下りていった。
見てると周りで結構そうしてる。僕もやればよかったな。
(逆に、下りてたのを柵を乗り越えて上に戻ってきた人たちもいたので、
 どこかで誰かがチェックしてるのかなというのがちょっと怖くなった)

6セットあって、何が違うかといえば牛の気性の荒さだろうか。
だんだん上がって行ったような。
マタドールとピカドールの組み合わせ3組とも、特に実力の差はなかったように思う。

終わったのが21時近く。土産物売り場で大きなサイズの絵葉書を買う。
その年の目玉となるマタドールを描いたものがいくつかあって、どれもかっこよかった。
2ユーロで2枚買う。1枚は母に送ろうと思う。

地下鉄に乗って帰ってくる。
闘牛の雰囲気覚めやらぬ?改札では、何人かのおじいさんが無銭乗車。若いっちゃ若い。
切符を自動改札に通したらゲートが開くんだけど、
前の人が切符を入れて開けたらそこに無理やり自分の体を押し込める。
下りるときは切符が不要なのでこんなことができるんですね。

ホームで待っていたら白の制服を着た楽団のおじいさんが
ソフトケースに入れたチューバらしき楽器を抱えて目の前を通り過ぎた。
一仕事終えたら、後は家に帰るだけなのだろう。

ホテルまで戻る帰り道、裏通りに入って韓国系と思われる一家の店でコカ・コーラを買う。
0.6ユーロだったか。安い。その分、全然冷えてなかった。

部屋に戻ると中学生たちが階段を駆け回り、あちこちで騒ぎ声が聞こえ、正に修学旅行状態。
揃いのTシャツを着た男の子たち、女の子たち。
色気づくお年頃で楽しくてしょうがないんだろうなー。
そうか、昼間見た上の階の窓から身を乗り出した、ラリッてると思った若者って
ただ単に中学生がはしゃいでいただけなのか。

シャワーを浴びて、Tシャツの洗濯をする。洗剤は旅行用のを持ってきている。
シャワーカーテンを掛けているのが、つっかえ棒だったりする。
これにバスタオルとTシャツ2枚を掛けたら見事につっかえ棒が落ちた。
これを元に戻すのに時間がかかる。
できたと思ってシャワーカーテンをかけたら、5分後に落ちたり。

デジカメの写真を整理して眠る。
物音はうるさかったけど、23時頃だったか、すぐにも眠れた。


[3166] スペイン一人旅 その14(7/26:ビキニ、青空、地中海) 2009-08-13 (Thu)

まだ16時という時間。1日を終えるにはまだ早い。
日曜なので闘牛を見に行くことにする。闘牛場に行けばチケットが買えるだろう。
僕が泊まったホテルのある「Paral lel」駅ってのは何気にかなり便利で、
(旅行会社もその辺よく考えているのだろう)
2号線に乗ってモニュメンタル闘牛場のある「Monumental」駅まで乗り換えなし。
サグラダ・ファミリア教会のある「Sagrada Familia」はその次の駅。

地下鉄のホームに立つ。どこからか音楽が聞こえる。車両がホームにやってきて、乗り込む。
地元の人たちの間に溶け込んだつもりになる。
そう言えば、マドリードもバルセロナも地下鉄に乗ってて身の危険を感じなかったな。
Tシャツ、カーゴパンツ、サンダルという格好の僕は金を持ってるようにも見えず。
ドバイに行ったときからの Virgin の買い物袋だけを手にしてて。
中には地球の歩き方と、ミシュランの大きな地図ぐらい。
(カーゴパンツのサイドポケットにはデジカメとメモを取る無印良品のA6サイズの小型ノート)
ボロボロになった Virgin の買い物袋は今や海外に出掛けるときのお守りのようなものだ。

「Monumental」駅で下りて、地上に出る。
振り返ると、いきなり、サグラダ・ファミリア教会が。
隣の駅からでも普通に見えるのだから、とてつもなく大きいんだろうな。
唖然とする。「でけー」見も蓋もなく、そんなふうに思う。

闘牛場は駅のすぐ近く。
チケット売り場に窓口がいくつかあって、それぞれ4・5人ずつ並んでいる。
とりあえず並んでみて、僕の番が来たら窓口のおばちゃんは隣に行きなさいと何度も指差す。
見たら僕の並んでいた窓口は団体客用だった。
隣に並んで順番を待つ。
入場料はコロシアムの1階席、2階席、3階席という高さと、日に当たる・当たらないで値段が分かれる。
僕は日なたの、「Grada」という2階席にしたんだけど、それでも30ユーロという高さ。
一番高い日陰で1階のアリーナ近くだと125ユーロ。1万5000円以上。
チケットを見ると、18:30と書いてある。これが入場開始なのか闘牛の開始なのか分からない。
まあ、どちらにせよ18:30に戻ってくればいいだろう、と考える。

16時半過ぎ。2時間ほど暇になって、さて、どこに行くか?
サグラダ・ファミリアは一駅。でも、明日に取っておこう。明日、ゆっくりと見よう。
バルセロネータのビーチに行ってみることにする。
地中海を見てみたいと思った。
地下鉄2号線に乗って「Passeig de Gracia」駅で4号線に乗り換え、「Barceloneta」駅で下りる。

地上に出ると、ビキニの女性に上半身裸で水着だけの男性というカップルばかり。
日差しから何から何もかもが眩しい。
いきなり目の前が砂浜ってことはなくて、結構歩く。
僕が歩いていた向かって左側の通りは
その途中ずっと観光客向けのシーフード・レストランが並んでいる。
ビーチ近くにコンビニ「SPAR」があって、大勢の客で混雑していた。
(日本のホットスパーが海外展開しているのではなく
 元々海外の大手小売チェーン「SPAR」が日本に進出したのだそうな)

ビーチに出る。
砂浜は芋の子を洗うかのよう。びっしりと海水浴を楽しむ人たち。
右も左もビキニ。日本みたいなワンピースの水着なんて皆無ですよ。
泳いでいる人は比較的少なくて、砂浜で肌を焼いている人が多い。
せっかくだから僕も足首ぐらいまでは波に浸してみようと砂浜を下りていく。
雲一つない抜けるような青空。地中海もまた同じぐらい、青かった。
古来より様々な歴史の舞台となった地中海はこんなにも鮮やかに青いのか。
これだけ曇りのない表情を見せる海ならば
船を率い乗り出していく男たちの人生も狂ってしまうだろう。
そして様々な奸計を呑み込んで、更に青さを増していく。

ビーチの入り口には3輪の自転車が何台か停まっていて、
漕ぎ手が観光客が通りかかるのを待っていた。
この近くを1週してガイドしていくら、っていう。
時間とお金があったら乗ってみたかった。

ビーチから駅に引き返していく途中で適当に入ったシーフード・レストランで夕食。
ようやく食事にありつく。
シーフードのグリルを頼む。パーティーサイズで40ユーロなのを半分にしてもらう。
ハーフサイズなのにとんでもなく大きな皿が席まで運ばれてくる。
その上にあれこれと山盛り。注文がちゃんと伝わってないのかと冷や汗をかく。
ロブスター、タラ、イカ、30個近いエビ、50個近いムール貝。
ここまで来て大食いチャレンジとなるとは・・・
周りの人たちが目を剥いてた。
ビールを飲みながら淡々と食べていったら、あっさり完食。
味付けはオリーブオイルとにんにくのみ。
アツアツのうちに食べていたらうまかった。
エビを手で剥いていたので油まみれになったけど。
皮を剥いて、ムール貝の殻が積まれていって、何度も何度も皿を交換してもらった。

満腹になって、駅へ。
地上出口からはビーチへと向かう若者たちが限りなく吐き出されてくる。

「Monumental」の駅へ戻っていく。
開始の18:30を過ぎていて、闘牛場からは歓声が聞こえてきた。
そうか、これは開場の時間じゃなくて開演の時間だったのか。
でも、早めの時間はどうせ前座だろうと高をくくる。

チケットを見せて中に入る。
野球場のようにどのゲートから入るべきかが指定されている。
だけど僕のチケットに記載されたゲートが見つからない。
1/3周ほどグルッと回って、諦める。
どうもそもそも他の入り口から入るべきだったようだ。
日本の野球場と違って一周できない造りになっていて、壁で遮られている。
仕方なく適当なところから上っていって、観客席の中を歩いてどうにかすることに決める。

ゲートを探して歩き回っていたら馬舎に出くわす。
栗色の大きな馬が赤いポロシャツを着たスタッフに引かれてアリーナへと向かう。
その後ろでは同じく栗色の馬に乗ったピカドールが調子を探るように馬を前に進ませていた。

「Grada」の階に通じる階段を上っていって、出たところから自分のエリアへと進んでいく。
カメラを構えた人の前を通ったりして顰蹙を買う。
柵をまたいだりなんだりしてようやく見つける。空いている席に座る。
周りは家族連れや友達同士といった地元の人たちが半々と、観光客が半々。
左斜め前にはえらく発育のいいティーンエイジャーの女の子が数人固まって座っていて、
気になって仕方がない。
(スペインの女性は胸が大きいのが普通で、小さい人の方が少ない。その分太った人も多いけど・・・)
右斜め前にはまだ小学生と思われるガタイのいい男の子が一人で見に来てた。
マタドールかピカドールに憧れて、将来なりたいと思っているのかもしれない。


[3165] スペイン一人旅 その13(7/26:昼食抜きは何の罰なのか?) 2009-08-12 (Wed)

地下鉄ではなく、鉄道の方の「Atocha」駅へ。
とても大きな建物で、中に入るといきなり熱帯植物園。
スプリンクラーが霧のように水を撒いている。とてもユニークな駅。
待合室が2階にあるようなので、エスカレーターで上がっていく。
手荷物検査を受ける。
11時半過ぎに到着して、出発は12:30で1時間近く暇になる。
椅子に座って、リュックサックを抱えながらヘミングウェイの短編集を読んで過ごす。
12時発の他の方面の列車が8番線で改札を行っている。
どうも直前にならないと何番線となるか分からないようだ。

30分前になってようやく、バルセロナ行きの改札が始まる。
1番線の入り口に旅行者が続々と集まっている。
ホームでは飲み物を売ってないかもねと2階の売店でコーラを買う。
2.5ユーロ。ハイネケンが同じ値段だったので、だったらとビールにする。
そうか、アルコールに税金がかかってないんだ。
1番線で改札を済ませてエスカレーターで1階に下りていく。
僕が乗るのは7号車で、ホームのだいぶ先まで歩く。
7号車の前に立っていた女性の係員にチケットを見せる。
ニッコリ笑ってこちらにどうぞと言われる。
客車に乗り込む。広くてゆったりしてて、
2等車だというのに日本だとグリーン車ぐらいの居心地のよさ。
これ、1等車だとどんなすごいことになるのだろう。

乗車率は半分以下ぐらいか。海外からの観光客らしき人が多い。
12時半になって時刻通り発車する。
僕はハイネケンを飲み始める。ヘミングウェイの続きを読む。

駅の周辺はまだゆっくり走っていたけど、
ある地点を過ぎてからはぐっとスピードを上げて、早回しのように早くなった。
7・8階建てのレンガ色や砂色のマンションが続いていたのが、
いつのまにか背の低い草や木々が生えているだけの荒野となる。
時々、どこかの都市に差し掛かったのか、遠くにマンション群が見えてすぐ消える。
単調な景色が延々と続く。牧草地になったり、白茶けた土に戻ったり。
渓谷に差し掛かって、「お、素晴らしい景色」とデジカメの電源を入れようとすると過ぎ去ってしまう。
そういうのを何回か繰り返して、あほらしくなってやめる。
頭上のモニターではピクサーが作ったかのような 3D の犬のアニメ。

バルセロナまでの途中、ちょうど真ん中の地点にあるサラゴサの駅に到着する。
コンクリート打ちっぱなし、木目と赤を組み合わせた外壁を持つ部屋が連なる。
ここもまた、ユニークでおしゃれな駅だ。
ここで何人か降りていく。サラゴサで下りるっていうのは観光客ではなく地元の人のように思う。
サラゴサはアラゴン州の州都。

AVE(スペインの高速鉄道)について調べていたときにどっかで見かけたサイトにて
2等車でも食事が出ると書いてあったので、これで一食分浮くと期待していた。
だけどサラゴサを過ぎても出てくる気配なし。
もしかして時間によるかもしれない。
バルセロナまであと30分という頃になって、柔らかいグミのようなキャンディーを1つもらっただけ。
昼食抜きで腹が減る。

15:11 バルセロナ、サンツ駅に到着する。
駅を出る。日差しが眩しい。マドリードよりも開放感を感じる。
地下鉄3号線の「Sants Estacio」駅から、乗り換えなしで「Paral lel」駅へ。
1日乗車券を買う。5.2ユーロだったマドリードよりも高くて、5.8ユーロ。
駅の階段を下りていくとき、行方不明の子供のポスターを見かける。
マドリードと比較して治安が悪そうな印象を受ける。

バルセロナの地下鉄の駅は、常に次のが到着するまでの残り時間を表示している。
残り30秒ぐらいになると到着する。遅れない。
だいたいにして日中ならば5分おきで次のが来る。

「Paral lel」駅の改札をくぐって、外に出る。
ここは元々、荒廃しかかった、ガラの悪い地区なのかもしれない。ゴミゴミしている。
上半身裸で筋肉隆々のスキンヘッドの若者が自転車に乗って通り過ぎる。
あるいは上半身裸で全身刺青の若者が、同じく上半身刺青だらけと思われる女性と連れ立って歩く。
鼻ピアスは当たり前。鼻にピアスじゃなく、鼻輪のような。
地球の歩き方を見たら「ヴィクトリア劇場」と書いてあったのが、「アポロ劇場」に変わっていた。
これがまた非常に安っぽい劇場で。何か上演されている気配全くなし。
ゲームセンターとか娯楽施設に変わったようだ。
地元の映画館がある日ポルノ専用になったかのような。

ホテルを探す。見つからなくてゾッとした気持ちになる。
マドリードで泊まったホテルが4つ星だとしたら、今度のは2つ星。グッとグレードが下がる。
裏通りなんだろうなあと歩いていくうちに見つかる。大きく「HOTEL」と書かれた看板が。
そっけないドアが1つだけあって、鍵がかかっている。中に入れない。
こりゃ困った・・・
頭上からは騒ぐ声がして、どっかの窓から上半身裸の若者が数人体を覗かせてラリッて騒いでる。
なんなのだここは。正直、ここに泊まりたくないなあと思う。
日本で前払いしていなかったら絶対他当たったな・・・
表通りに回ったら普通に入り口があった。ちょっとだけホッとする。
チェックイン。部屋の鍵は毎回、フロントに預けてくれと言われる。
マドリードのホテルはカードキーだったけど、こちらは正に、鍵。
部屋は駐車場から回ったところにエレベーターがあるからとのことで、
言ってみるとほんとにそうで、安っぽいことこの上ない。

泊まることになった2階の部屋は僕の人生で最も格下の部屋だった。
エアコンがなく(次の日、暖房だと思ったのがそうだったと発見)、ドライヤーがなく、冷蔵庫がない。
冷蔵庫はマドリードのホテルにもなかったけど。
一人用のベッドで部屋はとにかく狭い。後は申し訳程度に机が置かれているだけ。
バスルームもそっけない。高級な監房のよう。
テレビもリモコンがなくて
ベッドに寝そべって眺めるのにちょうどいいように頭上に据え付けられていて、
これをイチイチ手を伸ばしてチャンネルを変えなければならない。
安く抑えようという選択だったから仕方なかったんだけど、
僕も30半ばだし、これからはもっといいホテルに泊まってもいいのではないかと思った。
後々強く感じたこととしては、冷蔵庫は絶対あったほうがいい。

ドタバタと子供たちが騒いでいる音が階段や上の階から常にしていて、うるさいことこの上ない。
ここに3泊か・・・


[3164] スペイン一人旅 その12(7/26:リヒター、すれ違いっぱなし) 2009-08-11 (Tue)

ぐっすり眠る。7時に起きて下で朝食。
スクランブルエッグとソーセージ1本とコーヒーだけにする。

インターネットを15分。
Yahoo!のニュースを見ると、東海地方で大雨。
元Winkの鈴木早智子がAV出演報道を事実無根と否定。

この日はバルセロナへの移動日。AVEは12:30発。午前中が空く。
まだ7:30という時間。外に出掛ける。
一昨日、マドリード到着日に出掛けたモンターニャ公園にもう一度行ってみようと思う。
サン・ビセンテ坂を歩く。早朝の町は人通りが少ない。
ダイナー的バルのいくつかが近所の人相手に店を開けている。カウンターでコーヒーを飲んでいる。
ほとんどの店は閉じている。
その1つの前で20代後半のカップルが、徹夜明けなのだろうか、座り込んでいる。
通りがかった30代後半の女性がタバコを分けてもらう。

公園前のベンチはゴミがそのままとなっていて、中身の開いた酒瓶が置かれていたりする。
緑色の制服を着た市の清掃局員が一つ一つ片付けていく。
階段を上っていく。芝生のスプリンクラーが作動していて、周りに水を撒いている。
ベンチに寝っ転がっている人は野宿していたのだろうか。厚着をして、荷物がまとめられている。
犬の散歩をする老人、軽快にジョギングをする男性。
他には誰もいない。閑散としている。
公園の外れの方まで歩いていく。早朝のマドリードの町を見下ろす。
静かな、落ち着いた町だと思う。

ホテルに戻ってきて、浴槽にお湯を張ってボケーッと過ごした後、9:30チェックアウト。
現地の旅行会社の方が日本人観光客向けのデスクに座っていたので、バルセロナの闘牛のことを聞く。
日曜なのでやってるはずで、19時か20時頃開始で2時間ぐらい続きますとのこと。
「良いご旅行を」と言われる。

昨日行けなかったプラド美術館の隣の植物園に行ってみようと思う。
リュックサックを背負って、「Principe Pio」駅から隣の「Plaza de Espana」駅へ、
乗り換えて「Sol」駅でさらに乗り換えて、「Atocha」駅へ。10号線→3号線→1号線の順。
地上に出て、プラド通りを渡ろうとすると人だかりができていて、見るとマラソン大会。
ゼッケンをつけたランナーが次々に通過していく。警官が何人か立って誘導していた。
街路樹の並ぶプラド通りを歩く。
日が高くなり始めて、ここでもスプリンクラーが芝生に水を撒いている。
日差しを浴びてキラキラと輝く。

植物園は10時開園で、ちょうど開くところだった。
おじいさんが先に来て待っていて、恐らくここで朝を過ごすのが日課なのだろう。
2ユーロ払って中に入る。
静けさに包み込まれる。すぐ外は道路で車の流れは絶え間ない。
なのに、頭上から鳥の声だとか聞こえてきて。いいなあと思う。
植物は特に見て回らない。
入り口でもらった園内の地図を見たらあれこれ区画に分かれてるみたいなんだけど。

奥にミュージアムみたいなのが建っていたので、行ってみる。
何かやっているようなので、入ってみる。
「Photo Espana 2009」というイベントだった。
スペインに限らず、現代アートとしての写真というフィールドで活躍している人の作品を集めている。
http://www.phe.es/festival/

こちらの会場では、Larry Sultan & Mike Mandel 「Evidence」と
Sara Ramo の2つの作品を展示していた。
僕が入った時点ではまだ準備中だったようで、奥から Windows を起動する音が聞こえてきた。

向かって左側の会場、Larry Sultan と Mike Mandel は共にサンフランシスコ出身。
警察や公共機関での日常風景を撮影するプロジェクトに携わる。
(その作品を集めた題名が「Evidence」)
交通事故を再現しようとしているのか、何らかの人体実験の模様を撮影していたりで、
どことなくシュールな写真の数々。

向かって右側の Sara Ramo はマドリード出身。1975年生まれというから僕と一緒か。
この人は写真というよりは映像系のアート。
その辺の物を利用して、ありえない場所にありえない物を置くなどして、
なんかちょっと変な光景を作り出す。どことなく暗めで静かなポップ。
ある朝目を覚ましたら、いつもの日曜の光景が変わっていた、というような。
写真とビデオが展示されていた。
センスがいいと、何をしても作品になってしまうんだなー。

真ん中の部屋は世界中から集めた山のような写真集を売っていた。
アンリ・カルティエ・ブレッソンに始まり、
ヘルムート・ニュートン、アントン・コービン、森山大道にアラーキー。
恐らくスペインの若手写真家のなんだろうなっていう薄手の写真集のシリーズがあって、
いくつか買ってみたくなるんだけど、かい出すとキリがないので我慢する。
替わりに、「Photo Espana 2009」の公式カタログを買う。
小さめのものあったんだけど、大きい方を。30ユーロ。
全部スペイン語だけど、写真さえ眺めてればまあいいかと。

レジ番をしていた若い男性は写真家を志しているのか、
朝イチに飛び込んできた珍しいアジアからの客に話しかけてきた。
マドリードには他にも会場があるってことでそれを説明したかったみたいなんだけど、
ごめん、僕今からバルセロナに発っちゃうんだと。
なんだお互いに残念な雰囲気になった。

カタログにはゲルハルト・リヒターの名前があって、おっと驚く。
えーだったら見たかった。もっと早く知ってれば・・・
カタログを見たら例によって、
日常生活を切り取った写真にベットリと色鮮やかな絵の具を塗りたくったもの。

そのゲルハルト・リヒター、昨晩ガイドブックを見ていたら
ソフィア王妃芸術センターにも1枚飾ってあるみたいで、「えー見落としてたのか!」と。
ミュージアムを出た時点で10時半。急げば30分ぐらい時間を作れる。
「ゲルニカ」をもう1回見て目に焼き付けておきたいということもあり、
再度ソフィア王妃芸術センターへ。
こんなふうに思い立ったらすぐ行動できて、一人で旅行してて良かったと思う。

日曜なのでこの日も無料。リュックサックを預けて中に入る。
「ゲルニカ」の前に立って、深呼吸する。細部を隅々まで眺める。
ゲルハルト・リヒターを探す。
2階にも4階にも見当たらず、やはり見逃しではなくてどこかに貸し出してるか、
入れ替えされたかしたようだ。諦めがついた。
これで心残りはなくなった。
後ろ髪引かれることなく、マドリードを発つことができる。


[3163] スペイン一人旅 その11(7/25:真の芸術家とは) 2009-08-10 (Mon)

4階へ。抽象芸術の部屋、モダニズムの終焉の部屋など。
4階の半分と3階は企画展の会場となっていて、
僕がパンフレットを集めたものとして6つ開催されていた。

4階で良かったのは、The Atlas Group (1989-2004) の実験的な写真。
これは次の日知ったんだけど、「Photo Espana 2009」という
現代アートとしての写真のお祭りがこの時期開催されていて、
マドリード各地に会場が散らばっている中で、
ここソフィア王妃芸術センターの一角もまた会場に充てられていたというわけだ。
この The Atlas Group (1989-2004) とはベイルートに生まれた Walid Raad による、
1975年から1990年にかけてのレバノンの記録を残すためのプロジェクト。
http://www.theatlasgroup.org/
写真のコラージュ、写真の上になされたペインティングなど。
絵葉書をモチーフに、何気ない日常風景とその裏に簡単な文章を記載した連作
(表と裏で2枚セットで並べられている)と、
海をイメージして、クリアな(幾種類もの)青で塗られた大きなスペースの下に
小さく人々の映った記念写真という組み合わせの「Secrets in the Open Sea」という連作がよかった。

3階はパンダの着ぐるみの映像がシュールだった
Peter Fischli / David Weiss による「Are Animal People ?」
You Tubeに僕が見た、呼吸するパンダとカワウソ?の寝てるぬいぐるみの映像があった。
http://www.youtube.com/watch?v=PCHXvT3Skmg

そしてもう1つ、僕自身は全く好きになれないけど
嫌でもインパクトを残した Juan Munoz の「Retrospective」
名前の通り、回顧展なのだろう。スペインの彫刻家。
気になる人は「Juan Munoz」で画像検索してみてください。正にこんな感じ。
ニヤニヤ笑ってるハゲの小男やドワーフたちの彫像が無限増殖したかのように並んでいる。
それが鏡を見ていたり、壁に映し出される自らの影を見つめていたり、空間の使い方が非常にうまい。
悪夢をそのまま現実世界に持ち込んで具体化したかのよう。
気持ち悪いと思いながらも気になって何枚も写真に撮ってしまった。
それがまた、素人の僕が撮っても絵になってしまうから怖い。
こういう人が、真の力を持った芸術家なのかもしれない。

4階から、新館(そのうちオープンするのだろうか?)への連絡通路が伸びていて、
ベンチがあったりして、ちょっとした休憩用の空間となっている。
真夏のこんな暑い日々でなければ居心地よさそうだった。
4階という高さからはマドリード市街も眺められるし。

1階に戻って、ミュージアムショップで買ったもの:
・日本語のガイドブック 22ユーロ(高い!80作品に厳選して、紹介)
・ロバート・キャパの写真集 11.5ユーロ(たまたま目に留まって、とても欲しくなった)
・マン・レイの写真の絵葉書 1ユーロ

美術館から外に出て、地下鉄に乗る。
先ほど聞いた郵便局まで行ってみようと考える。
「Atocha」駅から「Sol」駅まで戻って、2号線に乗り換えて2つ目の「Bacco de Espana」駅で下りる。
ここは日本で言ったら霞ヶ関みたいなところなのだろうか。
駅名そのままにスペイン銀行の本店があって、中央郵便局がある。
立ち並ぶビルは大きくというか恰幅がよく、物々しい。
観光客の姿は少なく、閑散としている。
これがその中央郵便局だろうというビルに行ってみたら、閉まっていた。
土曜の午後だからだろうか?
通りを隔てて小さな公園があって、
うまい具合にインフォメーション・センターがあってそこで聞いてみる。
プエルタ・デル・ソル内の「エル・コスタ・イングレス」という大きなデパートの
地下2Fに郵便局(Correos)があって、こっちは今日だと22時までやってると。
地図に書き込んで渡してくれる。
感じのいい女性の方で、「どこから来たの?」と気さくに話しかけてくる。

絵葉書の目処が着いてホッとする。キオスクでコーラを買って飲む。1.2ユーロだったか。
これがまた冷えてるを通り越して凍ってて、
なおかつリングプルもうまく開かないまま外れてしまって絶体絶命。
かろうじて開いた穴からコーラが泡となって吹き出る。
仕方なく缶をつぶして中身を押し出して液体化した泡を飲む。

地下鉄に乗って、「Sol」駅に戻る。
「エル・コスタ・イングレス」を探す。すぐにも見つかる。
地下2階に行ってみたら駐車場だった。本当にあるのだろうか?と不安に思う。
しかし、見ると「Correos →」と掲示があって、その先にちゃんと郵便局があった。
切手代は日本宛であっても、0.78ユーロ。安い。100円ぐらい。
どの国に行っても日本宛の郵便って安いんだけど、どういう仕組みなのだろうといつも不思議に思う。

コーラでベトついた手を洗いたいとトイレを探して一番上の階まで行ってみるんだけど、なぜかない。
ヨーロッパのデパートってそういうものなのかもしれないと考える。
外に出て、別館が家電用品とCDやDVDとなっていてフラッと入ってみる。
これと言って欲しいCDはない。日本でも買えそうなものばかり。
フロアの案内を見たら最上階にトイレがあるようなのでエレベーターに乗って行ってみる。
ダンスミュージックのコーナーで、アナログがたくさん壁に並んでいた。
Prodigyの新作やスペインのDJによる音源など。
CDはマドンナに始まり、ユーロビートっぽい安っぽいコンピがたくさん売られていた。

通りではチェレスタの2人とアコーディオン1人による演奏が大勢の人を集めていた。
熱気を帯びた演奏。激しく叩きまくる。とてもうまかった。
チェレスタは50代ぐらいのおっさんと、20代の若者で、恐らく親子なのだろうと思われる。

昨日見かけた、何かに扮して静止している大道芸人のバリエーションを見かける。
インディアン、兵士、闘牛士など。

気がついたら18時近くとなっている。マヨール広場へ。
昨日見かけたレストランの1つに入って、パエリヤを注文する。
ビールを2杯飲む。
夕暮れで日が傾きかけていて、食べている間に、石畳に伸びる影がどんどん長くなっていく。
パエリヤは観光客向けのレストランの観光客向けの味。
パサパサしていて、エビも小さい。
まあこんなもんか。11ユーロぐらいした。
ビールと合わせて、18.10ユーロとなる。チップを含めて20ユーロ置いていく。

マヨール通りを引き返して、
「Sol」駅から、ホテルの最寄駅の1つ手前「Plaza de Espana」で下りる。
三越があるというので入ってみる。
1階と地下があるだけの小さな店。客の姿はなく、店員は暇そうにしていた。1人だけ日本の方がいた。
地下にお土産のコーナーがあって、オリーブオイルの詰め合わせを2つ買う。
館内放送のテープがしきりに、ホームデリバリーサービスというのがあると繰り返す。
ここで伝票に書くと早くて3日後に届くという。送料は620円だったか。
店員に聞いてみたら、これってお土産コーナーの全品が対象となるのではなくて、ごく一部のみ。
ワインだとか。
つまり、即に日本に在庫があってそれを配送するだけ。なーんだ。
なので僕が買ったオリーブオイルは対象外。残念。
三越とJCBのロゴがプリントされた厚手のビニールのバッグが置いてあって、とても気になった。
あれはタダだったのではないか。
その後手荷物を持ち運ぶための大きなバッグを入手できなくて苦労した。
もらっとけばよかった。

ホテルに戻ってきて、19時半。
キャパの写真集とソフィア王妃芸術センターのガイドブックを眺めているうちに眠くなる。
21時頃ベッドに横になる。外はまだ若干、明るい。
横になったら起き上がれなくなり、22時に目が覚め、
何とか起き上がってシャワーを浴びて寝てしまう。
本当はホテルの近くのいい感じのバルで
ビールを飲みながらヘミングウェイを読むつもりでいた。残念。
歩き疲れたのか、時差ぼけなのか。


[3162] スペイン一人旅 その10(7/25:20世紀のブラックホール) 2009-08-09 (Sun)

ティッセン・ボルネミッサ美術館を出て、少し離れたソフィア王妃芸術センターへ移動。
母に絵葉書を出したくて郵便局を探すものの見つからず。
大通りではなく小さな通りにも入ってみるが、ポストすら立っていない。
坂道の裏通りにはバル(というよりはバー)や小さな店ばかり。
歩いているうちにアート・ギャラリーのようなのを見つけ、入ってみる。
ブルックリンを思い出す。入るとまず画集や写真集がセレクトされてて、
隣の部屋にはカバンやTシャツが飾られていて。
記念に「AAAAA」の第3集というアートな本を買う。絵とコラージュ。10ユーロ。
flicker で情報を見つける。マドリードを中心に活動してるみたいだけど。
http://www.flickr.com/people/aaaaa_serie/

ソフィア王妃芸術センターを探す。
大学のような場所に出て、これかなあ違うかなとまた別な方角に歩きかけて、戻ってくる。
「REINA SOFIA」と書かれている。これか。
「REINA」って王妃を表すのか、「Rainer Maria」ってエモ系?なバンドは
「マリア王妃」ということだったのか、ってことに妙に感心する。

この前にコンテナのような形をした
ツーリスト向けのインフォメーション・センターが立っていて、
中の女性に郵便局がどこかにないか聞く。
プエルタ・デル・ソルに1つ、
スペイン銀行(バンコ・デ・エスパーニャ)のところに中央郵便局があると言われる。
現在地点がここで、と3箇所に地図にマルをつけてくれる。
サンキューと言って地図を受け取る。

ソフィア王妃芸術センターは土曜が14:30から無料となるため、
僕含めそれ目掛けて来た人ばかりで入り口は行列ができていた。
10分ほど待って中に入る。手荷物検査を受ける。
(プラド美術館もそうだったけど、公共の場所で手荷物検査を受けることが多かった)
荷物を預けるように言われて、クロークに預ける。

いよいよ「ゲルニカ」ですよ。胸が高鳴る。
展示室「206」にあるということなので、エレベーターに乗って2階へ。
(いちいちエレベーターに乗って移動するというのが不便だったりする)
建物はロの字型になって、中庭は木が生い茂っている。
取り囲むようにして大小様々な展示室が並んでいる。

ソフィア王妃芸術センターは現代アート専門。
プラド美術館とはっきり時代を分けている。
ニューヨークで言ったら「MoMA」に当たる。佇まいがよく似ている。

□公式サイト(部屋ごとの展示作品の画像もいくつか載っています)
http://www.museoreinasofia.es/index.html

いきなり「206」まですっ飛ばずに、エレベーターを降りて最初にあった部屋から順々に見ていく。
部屋ごとにテーマが決まっている。
201号室だと「201 Modernidad. Progreso y decadentismo 」
なんとなく分かりますよね。「モダニズム。進歩とデカダンス」ってとこか。
どの部屋がなんだったのかは今となっては全く思い出せないんだけど、
ミロとダリの部屋があったり、
フアン・グリスに代表されるスペイン現代アートの部屋があったり。

そして、「206」
碁盤の目のように無数の小さな部屋に分かれていて、
いきなり「ゲルニカ」がバーンと広がっているわけではない。
入り口から3つ目だったかなあ。彫刻の部屋の次。人だかりができていてすぐに分かった。

「ゲルニカ」
はあ・・・、これか・・・
元々抱いていた印象と180度違っていた。
フツフツと煮えたぎる怒りをぶちまけた、エネルギーに満ち溢れた作品なのだと僕は思っていた。
そうじゃなかった。
静かな諦め、果てしない孤独がそこには広がっていた。
ラジエーターのようにそこにある何もかもを冷やしていく。熱を奪う。
悲しみとか怒りとかいう感情はそこにはない。
世界の終局の光景。その一瞬前で凍りついたような。
一瞬後には全てが消え去ってしまう。完全な無。
そこに向かって体が吸い込まれていきそうになる。
一言で言うならば、ブラックホール。
どれだけの叫びを上げたところで、もはやそこでは何も聞こえない。

20世紀に限らず、人類という生き物がこれまでになしえた文化・芸術の1つの極点と言っていいだろう。
こんな絵は他に見たことがない。別の次元から降ってきたかのようだ。
この目で見ることができてよかった。見ずして死ねない。
スペインまで来てよかったと、心の底から思った。

1937年4月26日、バスク地方の小さな村ゲルニカがフランコ将軍の要請によりナチスによって爆撃される。
同年のパリ万博のスペイン館の壁画として、ピカソは製作を開始する。
「ゲルニカ」の向かい側の壁には、当時の愛人である写真家ドラ・マールの撮影した
製作風景の連作が並べられている。
まずは線を描いて構図を決めていって、後に色を塗っていく。
万博終了後はニューヨークの「MoMA」に展示され、
ピカソの死後、1981年にようやくスペインに変換される。
プラド美術館にて公開された後、1992年からここソフィア王妃芸術センターにて展示される。

ここの美術館はフラッシュをたかなければ写真撮影OKで、皆がこのゲルニカの前でカメラを構えていた。
警備員が2人ほど立っていて、観客が一定のラインを超えた場合には警告音が鳴るようになっていた。

隣の部屋はピカソの作品だけが展示されている。
その奥の部屋はスペイン内戦(1936 - 39)の記録をテーマにしていた。
当時のポスターや雑誌の切り抜きがガラスのケースに収められている。
一番奥の部屋が写真となっていて、ロバート・キャパの有名な「崩れ落ちる兵士」も飾られていた。

2階は他に、あちこちで映像の上映がなされていて、ルイス・ブニュエルや、リュミエール兄弟など。
リュミエール兄弟の映像、初めて見た。1つは酒場で3人の男が談笑しているもので、
もう1つは工場から労働者が出てくるというもの。
後者を2回眺めた。時間にして1分もない。
工場の門が開く。ほとんどが女性の労働者だ。
長いふわっと(というかもさっと)したスカートをはいて、つばの広い帽子をかぶっている。
時々男性も混じっている。次々と途切れなく大量の人が吐き出されていく。
犬が横切る。
人の姿が少なくなって、門が閉じられる。ただそれだけ。
なのにリュミエール兄弟だからってんでそこに物語を見出してしまいそうになるのは、映画に夢を見すぎか。

204号室が写真だったか。マン・レイの写真が印象に残った。


[3161] スペイン一人旅 その9(7/25:ピカソの目、ホッパーの孤独) 2009-08-08 (Sat)

次はティッセン・ボルネミッサ美術館へ。
プラド美術館の斜め向かいにある。
通りに面した部分はとても小さくて、
「なんだこんなもんか」と思いつつ入り口を探したら実はかなり大きな建物で。
左上に位置する大きな部分(旧館)と右下に位置する割と小ぶりな部分(新館)とが
通路でつながっているという構造。僕は最初、この右下(新館)だけを眺めていた。
で、まあ何にせよこの美術館もまた結果として大きくて、駆け足で鑑賞ということになる。

地上階、1階、2階の3階建てで、ざっくり、
地上階が現代アート、1階が17世紀〜20世紀前半、2階が中世〜18世紀となる。

成り立ちとしては、ドイツ出身のハインリッヒ・ティッセン・ボルネミッサ男爵と
その息子ハンス・ティッセン・ボルネミッサ男爵のプライヴェート・コレクション。
(Wikipediaを見たら、個人コレクションとしてはエリザベス女王に次いで2位との記述あり)
息子の方が晩年、ミス・スペインにして女優だったカルメン・セルベラと結婚したことをきっかけに
親子二代に渡るコレクションをスペイン政府に譲渡することになったようだ。
ビリャエルモサ宮殿を改装する形でオープンしたのは1992年と最近で、
このときは作品を貸与する形だったのが
美術館としての評判の高さから1年後には展示されていた作品を全てスペイン政府に売却、今に至る。
カルメン・セルベラもまたコレクターとなり、新館の1階と2階が
「カルメン・ティッセン・ボルネミッサ・コレクション」となる。
親ハインリッヒの方が古典絵画を買い集め、子ハンスが近・現代の作品を、と興味が分かれていることから、
恐らく旧館の2階が父、1階と地上階が子、ということになるのではないか。
大事なことは、プラド美術館がスペイン国王を中心として国家としてスペインの絵画を集めたのに対し、
ティッセンの方はあくまで個人コレクションなので、しかも元々スペイン人でもないし、
スペイン絵画に対する拘りは特にないんですね。対象が幅広い。
ちなみに、古典絵画のコレクションの一部はバルセロナのカタルーニャ美術館にて出張展示されている。

□公式サイト
http://www.museothyssen.org/thyssen/home

余談だけど、日本に帰ってきて正に成田から荻窪まで戻ってきたそのときに
本屋で「週間 世界の美術館」というのの最新号(No.52)が
「プラド美術館Bとティッセン美術館」だった。買ってみる。
ティッセン美術館の見所として挙げられていたのは:
・カラヴァッジオ「アレクサンドリアの聖女カタリナ」
・エル・グレコ「受胎告知」
・ムリーリョ「聖母子と聖女ロザリナ」
・スルバラン「聖女カシルダ」
・ギルランダイオ「ジョバンナ・トルナブオーニの肖像」
・ホルバイン「英国王ヘンリー8世の肖像」
・ロートレック「白いブラウスを着た赤毛の女」
・クリストゥス「枯れ木の聖母」
・カルパッチオ「風景の中の若い騎士」
・ピカソ「鏡を持つアルルカン」
・ドガ「緑の服の踊り子」

こういう見所を事前に知ってたらねえ・・・
この中で記憶にあるのは、ドガとロートレック、エル・グレコぐらい。
ピカソのすら「これ、あったっけ?」というテイタラク。
エル・グレコは直前のプラド美術館で開眼したので注意深かった。
ロートレックの肖像画は髪が短くて女性なのか男性なのかはっきりしないが、
聡明で美しいと思われる人物が俯いて表情が分からないところに独特の憂いを感じた。

新館の地上階は企画展用のスペースで、
僕が見に行ったときには「Matisse 1917-1941」というのが開催されていた。
50歳を過ぎて円熟期のマティスを集めたもの。
これ、かなり人が入っていて入場制限がかかっていた。
15分おきに入場時間が決められていて、僕も1時間後ぐらいで指定された。
先に1階のコレクションをざっと眺めてからマティスを見て、
その後またコレクションに戻って2階と地階、と慌しかった。
マティスは、まあマティスですね。
柔らかいけど奔放な色彩。光も影(陰)も正邪もない。
ものすごく正確で気持ち的にまっすぐな色彩と形がそこにあるというだけ。
意図的なわざとらしい意味というものが皆無。
でも、これ、それ以前の人たちにも以後の人たちにもできなかった。
マティスがなくなったとき、ピカソは
「自分の作品を理解できる唯一の人物が亡くなった」と嘆き悲しんだという。
有名な「ダンス」のスケッチがあった。
(「ダンス I」はMoMAに、「ダンス II」はエルミタージュにある)
見終わってポストカードのセットを買う。5ユーロ。

1階は駆け足で、モロー、ルノアール、モネ、ゴッホ、ボナール、ゴーギャン、セザンヌ・・・
ムンク、ロートレック、シーレ、レジェ、ゴンチャロバ、ブラック、オキーフ・・・
有名どころを一通り押さえている。知らない人のはもっと多かった。
あんまりよく分かってない分野では19世紀のアメリカというのがあった。
地味で雄大な風景画ばかりで、ピンと来ない。
画家の出身地を見るとニューヨークが多くて、何かがどっか個人的に違和感あり。
昔はニューヨークも田舎だったというか、この頃はニューヨーク=意味深な現代アートではなかった。
個人コレクションだけあって、選ばれた・購入された作品のテイストがどことなく一貫してて、
かつ、どの作家であれ代表作は全世界の名高い美術館の所蔵となっているため、
ここにあるのはどれも著名な作家の裏バージョンを集めたかのよう。
こんな作品あったっけ?というようなのばかり。
パラレルワールドの美術館だという印象を受ける。
よかったのは上述のドガの「緑の服の踊り子」とロートレックの「白いブラウスを着た赤毛の女」
そしてゴッホの「Los descargadores en Ares」(日本語タイトル不明)
ゴーギャンのタヒチを描いたもの。

ピカソの、タイトルは忘れたけど1904年の作品を見て、
ピカソって描きたかったのは「目」そして「影/陰」なんだな、と思った。
それまでの絵画では目的物としての「目」だった。
そうじゃなくて、視線としての目、行為の主体としての目。
描かれたそれがどういう作用をもたらすかという力学。
目はピカソのシンボルと言っていい。
だから、キュビズムの時代を経て摩訶不思議なフォルムの絵を描いていたときも、
いろんなものが削ぎ落とされて、目だけは必ず残っているじゃないですか。
とにもかくにも、その後僕はソフィア王妃芸術センターやピカソ美術館で
ピカソの作品を鑑賞するときはその目がどこを向いているかに注目することになる。

でも、1階で僕にとっての最大の事件は
エドワード・ホッパーの有名な「ホテルの部屋」を見つけたときなんですね。
(Karin Krog の「New York Moments」のジャケットに使われている。
 http://www.amazon.co.jp/dp/B000099UC2 )
ここにあったのか!?
ちょうど絵の前に椅子が置いてあったので、座り込んでこれだけはひたすら時間をかけて眺めた。
ホテルの一室。脱ぎ捨てて床に転がった靴、無造作にソファーにかかった服。スーツケース。
もう若くはない女性が、下着だけになってベッドに腰掛けて何かを読んでいる。
本ではない。折り畳まれた、紙。手紙なのだろうか。
例によって吸い込まれるような、冷徹な孤独が描かれてるんですよ。
絵の中の上部1/3のスペースには部屋の壁を表す線しか描かれていなくて、
この空白、余白がゾクゾクするんですね。
ホッパーはもう1枚あった。海の中の砂州にかもめがとまっていて、その横に船。初めて見た。

2階は中世の、イコンのようなキリストに始まり、レンブラントの自画像など。
正直ほとんど記憶に残っていない。
Artemisia Gentileschi という画家の「Judit y Holofernes」という絵が
なぜか特別にフィーチャーされていて、人が集まっていた。なんだったんだろ。

地上階。キュビズム、ロシア・アバンギャルドを経て、現代へ。
モンドリアンの赤や黄色の線。
(よく見ると線は歪んでるし、背景の白は何かをかき消して黒く汚れてるんですね)
ジョセフ・コーネルの箱。
シャガール、ダリ、デルヴォー。マグリット、マックス、ポロック。
マーク・ロスコ、フランシス・ベーコン、アンドリュー・ワイエスもあった。
そしてリキテンシュタインに至る。
その他印象に残ったのは(どれもつい最近の絵画のはず):
・David Hockneyの諸作
・Michael Andrews「Daylesford」
・Robert Rauschenberg「Express, 1963」

ミュージアム・ショップで買ったのは:
・英語のガイド 6ユーロ
・エドワード・ホッパーの「ホテルの部屋」の額 6ユーロ
・絵葉書それぞれ 1ユーロ
 *エドワード・ホッパーの「ホテルの部屋」
 *ゴッホ「Los descargadores en Ares」
 *Robert Rauschenberg 「Express, 1963」

外に出る。日差しが眩しい。
かなり暑い。38℃とあった。


[3160] スペイン一人旅 その8(7/25:ゴヤってどうよ?) 2009-08-07 (Fri)

世界的な美術館を名乗るだけあって、大きい、広い。
時間をかけてゆっくり一つ一つ鑑賞していたら1日では見切れない。
今日これから3つ見なきゃと息巻いている僕はどうしても駆け足になってしまう。
そもそも、19世紀より前の宗教画って全然興味なかったし・・・

中は大きく地下と1階に分かれていて、2階にもちょっとだけ展示スペースがある。
あと、別館がある。こちらは企画展が行われているようで、
別途チケットが必要ということで今回は見送り。
たぶんスペインでは有名なんだろうけど、全然知らなかった人の回顧展だった。

他の都市がどうなのかは分からないけど、
地図を見てみるとマドリードとバルセロナはその土地の多くが碁盤の目のようになっている。
意外と理路整然としてるんですね。
それが影響してるのかどうなのか、
ここプラド美術館も展示室の多くが碁盤の目のようになっていて、
日本の美術館のように順路に沿っていけば全て見れる、とはなっていない。
なのである程度自分の中でルールを決めて前後左右動きながら見ていくんだけど、
これ、絶対どっか見逃してそう。大事な作品のいくつかを。
ゴヤの有名な「着衣のマハ」「脱衣のマハ」のセットと
同じく「わが子を食うサトゥルヌス」がどこを探し回っても見つからなくて、
恐らくどこかの美術館に貸し出されてるんだろうけど、
これがただ単に見落としただけならばかなり心残り。

ソフィア王妃芸術センターのように「ゲルニカを見るぞ!」という目的もなく、淡々と鑑賞する。
なぜ自分はこういった宗教画が苦手なのか?ってことを考えながら。
右を見ても左を見ても、キリストの磔だとか復活だとか
祈りを捧げる聖者の下に天使たちが舞い降りてきたとかそんなのばかり。
早い話が飽きてしまう。同じような主題でタッチが多少変わるだけ。
線が太いのか細いのか、色使いが明るいのか暗いのか、その程度の差でしかない。
描いた人が楽天的なのか悲観的なのかぐらいのことしか、僕には伝わってこない。
その人が何を訴えかけたかったのか、そのためにどのような方法を取ったのか、
ということにどうしても僕は興味があるんですね。
だから、日本だろうと海外だろうと美術館でこれらの時代の絵を見ることがあっても、
どうせつまらん、と端から拒否していた。
それが今回、ものすごく格調高い世界的に有名な美術館で、
「それしかない」となると嫌でもあれこれ考えてしまう。

分かった。こういうことだった。
情報量が多すぎるのだ。
つまり、この当時の画家にとって題材とは自らの内に見出すものではなかった。
画家が生まれる前からそれはあって、
そのために絵画というものが描かれるのは当たり前の決め事だった。
教会や王室のために描かれるという公式のものならばなおさらだ。
そしてそれは何よりも、「キリスト教価値観に基づく歴史的事実」を伝えるためのメディアだった。
マクルーハンじゃないけど、イコール、メッセージだった。
それは、器に過ぎない。そしてそこに、できる限りのことを盛り込まなければならない。
中世の絵画は時として3枚とか7枚のセットになっていて、1つのストーリーを伝えることになっている。
様々な登場人物がいて、着ている服の色からして意味というか意図があったりする。
それを読み解かなければならなくて、見てて疲れてしまう。
絵を鑑賞するのではなく、新聞を読むというのに近い。
その絵が美しいかどうかだけではなく、
「キリスト教価値観に基づく歴史的事実」がちゃんと伝わるかどうかもまた同時に問われる。
そしてその後者を一切遮断して眺めてると、味気なくて何が面白いのかちっとも分からないということになる。
裏返しに言えば、近代とは主題を自らの内に求め始めた時代と言えるのではないか。
主体性というものが生まれ、客体性もまた影のように生まれる。

1階で興味深かったのは、ベタだけど、
やはりボッシュの「快楽の園」の一線を画した享楽的な色彩と抜けるような空の青さ、
ピーテル・ブリューゲル(父)の描く「死の勝利」の殺戮の場面、
そのパズルのような謎解きのような上記宗教画とは別の意味での情報量の多さ。
あと、初めて知った画家で、ヨアヒム・パティニールの、
夜明け前を思わせるような独特の青の色使い。(この人もまた、フランドルの人だ)

2階は、エル・グレコとベラスケス。
エル・グレコの独特の輪郭をぼやかした曖昧な色彩の絵って僕はとても好きかもしれない。
初めて認識した。
周りの同時代の絵と全然違う。
当時「芸術」とされていたものが退屈なものに思えてきて、
突き破りたいんだけどどうしていいか分からない、そういう独特の乾きや飢えが感じられる。
そのもがいて苦しむ様がそのまま絵として結実している。
その歪んだ線は、この世は周りの画家が描くような美しいものではないという強い否定なのではないか。
僕は、フランシス・ベーコンの絵を思い浮かべた。
一歩間違うと全てが禍々しい。

ベラスケスはその魅力が何なのかよく分からない。
あえて言うならば、エル・グレコがあるがままに描いた己の苦悩を
ベラスケスは昇華させ、当時の芸術のあるべき姿として結実させたのではないか。
どことなく人間の二面性が感じられるんですね。
ベラスケスは「視点」の概念。見つめる人と見つめられる人の交差を導入し、
近代絵画の出発点とされた(と、どこかで読んだ気がする)
「『ラス・メニーナス』又は『フェリペ四世の家族』」を見ることができた。

これら2人については、展示スペースの片隅で1ユーロで小さな鑑賞ガイドが売られていて、
日本語のがあったので両方買ってみた。
夜、パエリヤを食べながらその経歴について描かれた個所を読んだ。
やはりエル・グレコ(これ、本名じゃなくて「ギリシア人」ってことだと今更ながら知った)は
自分の思うがままに生きていた天才肌であって、
ベラスケスは宮廷画家としてだけではなく、
私室取次係や衣裳部屋係といった宮廷の職務もこなすなどバランスの取れた人だった。

問題はゴヤ。同じく、その魅力が何なのかよく分からない。
そしてそれが今度は否定的な方に倒れる。
「脱衣のマハ」と「わが子を食うサトゥルヌス」を見れたら印象が全然違ったんだろうけどね。
多くの絵で人々の描き方が楽天的というか。ほっぺが赤くて。そこになんだかなあと。
無条件で人を信じた人なのだろうか?

ルーベンスは美しいものはとにかく美しく描くべし、という信念の揺ぎ無いところに好感を持った。

1階の奥に、18世紀末のモンゴルフェ兄弟の気球を描いた絵があった。
やはりこの頃の絵って、ジャーナリズムの側面、史実を伝える側面があったわけですね。

上記のミニガイド2冊以外に買ったのは、
ボッシュの「快楽の園」とピーテル・ブリューゲル(父)の「死の勝利」の絵葉書と、
ミニ版の見学ガイド(日本語ガイド)で7.5ユーロ。

一通り見終わって、昼近く。
カフェで生ビールとスペイン風オムレツで6.6ユーロ。
歩き回った後のビールはうまく、ほうれん草やズッキーニの入ったオムレツもおいしかった。

日本人観光客、特にツアーの集団を多く見かけた。


[3159] スペイン一人旅 その7(7/25:歴史の勉強が足らない) 2009-08-06 (Thu)

7/25(土)

何度か目を覚まし、7時前に起きて地下のカフェに下りて朝食。ビュッフェ。
ごくありきたりな内容。
ゴツゴツしたソーセージと塩辛いベーコン。トロトロのスクランブル・エッグ。
丸パンとオレンジジュース。コーヒー。

ロビーにインターネットのできるPCが置いてあったので利用する。15分で3.5ユーロ。結構高い。
フロントの横に、公衆電話利用のためのプリペイドカードを売っている部屋があって
インターネットも同様にカードを購入する。
記載されたユーザーIDとパスワードを入力する。
スペイン語のキーボードというのが慣れなくて、
どれが Shiftキーだ?コロンはどこだ?@はどれと一緒に打ったら入力できるんだ?
と試行錯誤しているうちに最初の15分が過ぎてしまう。
Back Space はあっても、Deleteがなかったり。
大文字小文字入り混じったパスワードをすんなり入力できる自信がなくて、
テキストエディタに打ち込んだのを貼り付けようとしたらメモ帳みたいなのがなく、
WORD を立ち上げたらフリーズ。そんな具合。
もう1度カードを買う。
それでやってることはたいしたことなくて、日本で事前に書いておいたブログの更新など。

王宮は9時から開くようなので、8時半に外に出る。
日焼け止めを顔や腕、足の甲など満遍なく塗る。
外は明るいもののまだ肌寒い。

まずは目の前の「Principe Pio」駅で地下鉄の1日乗車券を買う。5.2ユーロ。
サバティーニ庭園が開いていたので、入ってみた。
生垣が迷路のようになっている。
人の姿はほとんどなくて、犬の散歩をしている人や、1人の静かな時間を過ごしにきた人たちなど。

9時になって、王宮へ。隣のサバティーニ庭園との間にある庭を白い馬が歩いていた。
8ユーロ払って中に入る。アルマス広場という四角い石畳の空間が広がっている。とても広い。
王宮は丘の上に立っているようで、広場の端まで行くと、
昨日のモンターニャ公園の丘のようにマドリードの西側が見渡せた。

宮殿の中へ。写真撮影禁止。
地球の歩き方にはこんなふうに説明がなされている。引用します。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 フランスのヴェルサイユ宮殿で生まれ育ったブルボン王朝第1代の国王フェリペ5世は、
1734年のクリスマスに消失したハプスブルク王家の宮殿跡に、フランス・イタリア風の王
宮建設を命じる。イタリアの建築家シュバラからサケッティ、サバティーニらに受け継が
れ、1764年に完成した。
 150m四方の建物の中には、2700を数える部屋があり、現在も公式行事に使われている。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ボキャブラリーというかこの手の知識に貧弱なので何も言えないんだけど、正に王宮。
広間には細密画のような絨毯が敷かれ、
天井のアーチには天使たちが描かれるか、全部ダイヤ?のシャンデリアが吊り下げられているか。
「Hall of Colums」「Throne Room」「Carlos III Drawing Room」「Gala Dining Room」
といった部屋を通っていく。
ゴヤによる肖像画の掛けられた部屋、黄金と思われる玉座の並ぶ部屋。
銀器の納められた部屋にはティーポットに燭台。1m近い巨大な銀の皿。その隣がクリスタルの部屋。
真ん中に地球儀の置かれた部屋。チェンバロの置かれた部屋。ビリヤード台の置かれた部屋。
壁一面に中国的な装飾の施された部屋。
・・・なんか書いててイマイチ。
探していたら、写真を公開しているサイトがあった。これを見たほうが早いです。
http://www.pbase.com/khanh_hwang/palacio_real_de_madrid
こういうところだけは、ガイド付きで見学した方がいいなあと思った。
日本人ツアーが来ていたらこっそりくっついていこうと目論んでいたのに、残念ながら現れなかった。
それにしても、何百年か前に造られて、その頃には王侯貴族がここで実際に生活していたんですよね。
生活というよりも王家としての活動といった方が近いか。
その静かな重み、ある種の怨念のようなものがほんのりと染み付いているようで。
ああ!と思う。ヨーロッパに来るにはやっぱ歴史を勉強してからの方がいい。
漠然と見に来てしまうと一つ一つの価値が分からない。
「きれいなもんだね」「大きいね」で終わってしまう。
プラド美術館もそうなんだけど、
その背後に潜んでいる史実と重ね合わせて見て行かないと面白さが理解できない。

9時半になって、鐘が鳴るのを聞く。
(10時にも鐘が鳴った。そのときにはマヨール広場にいたんだけど、ちゃんと聞こえてきた)

王宮を出て、アルマス広場には「Real Farmarcia」王室の薬局もあった。
壁一杯に白磁の壷が並ぶ。それぞれに札が貼られていて、それぞれ調合されたものが違ったのだろう。
一番奥の部屋は「錬金術の間」だったみたいで、天秤や蒸留器のようなものが飾られていた。

10時近くなって日差しが強くなる。
お土産屋で、お客さんのリクエストだった扇子を買う。18.5ユーロ。

外に出て、昨日歩いたマヨール通りを逆に辿っていって、プエルタ・デル・ソルの地下鉄「Sol」駅へ。
地下鉄1号線に乗って、3つ目の「Atocha」駅へ。
ここにプラド美術館、ティッセン・ボルネミッサ美術館、ソフィア王妃芸術センターと
マドリード3大美術館が集まっている。
まずはプラド美術館へ。

駅を出て、黒人男性に「Excuse me, excuse me, sir」と話しかけられるが、無視する。
たぶん何のいいこともない。

通りを渡って、街路樹が涼しげなプラド通りを北に5分ほど歩く。右側には柵の向こうに植物園。
噴水の側を通って、プラド美術館のベラスケス口から入場。
行列ができていて、窓口の女性2人が何やらもたもたしている。
コンピューターの使い方が分からないとかそんな感じだった。
8ユーロ払って、入場。

□美術館の公式サイト。
http://www.museodelprado.es/

見終わった後で買った小さなガイドブックを見ると、
「はじめに」として美術館の紹介がなされている。引用します。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
プラド美術館は、1819年11月19日、王家の絵画コレクションを相続したフェルナンド7世
により開館されました。スペインを統治した歴代の王の多くは、美術品の収集に極めて熱
心で、そのコレクションが美術館の所蔵品の中核をなしています。スペインの国有となっ
た直後の1872年には、宗教画を主とする作品がラ・トリニダード美術館より追加され、さ
らに充実した所蔵を誇るようになりました。(中略)その元々の性質上、当美術館は、絵
画の歴史を詳しく概観していただくことを目的とするような百科事典的な美術館ではあり
ません。むしろ、スペイン王室のセンス、ひいてはスペインの歴史や思想の変遷を大いに
象徴するものです。とりわけ、エル・グレコ、ベラスケス、ゴヤ、ボス、ルーベンス、テ
ィツィアーノといった史上卓越した画家たちの作品を知るためには、必ず訪れるべき美術
館であるといえるでしょう。(後略)
コレクションにおいて最もよく代表されているのは、質的にも量的にも、スペイン絵画で
しょう。次にフランドル絵画およびイタリア画派が続きます。これは、何世紀かにわたる
この国の美的および政治的関心の反映といえます。フランス美術も、特に18世紀、ブルボ
ン王家によるスペイン王位継承後に際立った存在となっています。一方で、コレクション
が形成されていった時代において、スペインとの関係が疎遠となったオランダ、ドイツ、
英国の作品は、そう多くはありません。
収められている絵画の優れた質と、ヨーロッパ美術におけるその歴史的、芸術的卓越性に
より、プラド美術館は世界の最も重要な美術館のひとつとなっています。同時に現代美術
にも大きく貢献してきました。開館以来、それまではほとんど知られていなかったスペイ
ン画派の作品の価値が認められるようになり、たとえば、ベラスケスの芸術は、マネや初
期のフランス印象派に影響を与え、また、エル・グレコに関する知識を有していたからこ
そ、ピカソはその初期作品を生み出すことができたのです。ゴヤも、20世紀における多く
の芸術家にとって、必ず参考にされる画家となりました。(攻略)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

長くなったけど、つまり、
ここは15世紀から19世紀始め頃までのスペイン絵画のコレクションが充実していて、
それが他にはない格調の高さをもたらしてるんですね。
スペインを代表する3巨匠、エル・グレコ、ベラスケス、ゴヤ、
この3人を見るならやはりプラド美術館に来ないとってこと。
ボッシュ、ルーベンス、ピーテル・ブリューゲル(父)はフランドルの画家なので、
スペインだけじゃないよ、というアピールでもある。
確かに、この時代、16世紀から18世紀までの時代にこだわって見るのなら、
全世界的にここプラド美術館が最もよいのかもしれない。
そのエッセンスでムンムンしてる。
その雰囲気のよさ、まとまりのよさは特筆に価するかも。


[3158] スペイン一人旅 その6(7/24:幻のマカレナ) 2009-08-05 (Wed)

スペイン広場に戻る。
いつのまにかステージ前にはびっしりと人が集まっていて、演奏が即に始まっていた。
賑やかな、これぞまさしくラテン系の音楽。
ギター、ベース、キーボード、コンガ、ドラム、コーラス兼ダンサーの妙齢の女性が2人と、
みのもんたのような男性ヴォーカルが2人。
1曲終わったところで盛大な拍手。次の曲が始まる。
2人が掛け合いのように歌ったり、ユニゾンだったり。
サビの部分を観客に歌わせて、意外なことにみんなが大合唱。
目の前の70近いおばあさんがグルグル回るように踊ってて、
その前では20代の若者もクネクネとラテンっぽく踊っていた。
今調べてみると、Stravaganzza は何かの間違いで、どうも Ros del Rio らしい。
あの、「恋のマカレナ」の Ros del Rio ですよ。
いやー懐かしい。1996年の世界的大ヒット曲。えーそんな昔なの?と驚く。
Ros del Rio って大所帯のダンス・グループかとずっと思っていたのですが、オヤジ2人組なんですね。
http://www.youtube.com/watch?v=sN62PAKoBfE
このビデオクリップも懐かしい。
ヒット曲だからってたまたま目にしてるだけだと
このクネクネと歌って踊ってるセクシーな女性たちのことを Ros del Rio と思っちゃうよね。
途中出てきて合いの手のようにサビを歌ってるオヤジ2人は単なるオマケのコーラスなんじゃないかと。
その「マカレナ」を生でやるというのなら見たかったなあ。
セクシーな若い女性ダンサーなしで、相応に年食った女性コーラスだけの「マカレナ」
でも、その時よく知らなかった僕は2曲見て「懐メロだね」と広場を後にする。

なお、Stravaganzza は実在するミュージシャンで、全然違ってた。
http://www.stravaganzza.com/
音は聞いてないけど、メタルなのかねえ。
「vera nos dellavilla 09」のサイトで調べたらたくさんヒットするので、
別な会場で演奏していたものと思われる。

広場の芝生では高校生ぐらいの若者たちのグループがいくつもたむろしていた。
グループごとに追い求めているテイストが異なるようで、
パンクだったり、ゴシックだったり、拳法!?(おもちゃの刀を振り回していた)だったり。
なぜか皆、どのグループも黒のTシャツを着ている。

観客の間を、ビールの6巻パックを手に売り歩く、底辺層の男性たちの姿。

スペイン広場からマドリード中心部の広場プエルタ・デル・ソルまでは
1つの通りを一直線に進んでいくことができる。
ここがどうもマドリードの目抜き通りのようだ。ニューヨークで言ったら5番街。
古い建物をそのまま利用した瀟洒な高級ホテルもあれば、若者向けの派手なショップも並ぶ。

お土産屋のキオスクが立っていて、プエルタ・デル・ソルを撮った同じ絵葉書を2枚買う。
1枚は自分用で、1枚は母に送る。0.3ユーロ×2となる。安い。

プエルタ・デル・ソルに行くつもりが、1本間違って「Gran Via」駅へ。
ここの通りは新宿で言ったら歌舞伎町のような場所なのだろうか。
狭い通りを大勢の人が行きかう。高そうな服を売っていたり、派手な佇まいの店が多い。
小さなハンドバッグに、肌も露な格好の女性が1人か2人ずつ立っている。
何をするわけでもなく、誰かを待っているわけでもない。
商売女なのだと思われる。
歩いていたら僕も声を掛けられた。スペイン語なので何を言っていたのかさっぱり分からず。
付いていったら何がどうなっただろう?
どれぐらいの値段で、どこまでしてくれただろう?
スペイン語の話せない外国人観光客だと身包みはがされそうで怖い。

プエルタ・デル・ソルへ。なんと工事中で、風情なし。
18世紀のスペイン王、カルロス3世の馬に乗った銅像が離れた場所に見える。
スコットランドから来たと思われる人がバグパイプを吹いていた。

小さな通りに入って、マヨール広場を探す。
マドリードは坂が多くて、上ったり下りたりする。
3・4階の古びた建物が立ち並ぶ。その多くがバル。
とある店の前に、道路を掃除するブロンズ像が立っている。写真に撮る。
その近くに、シルクハットをかぶった男性の黄金の像。
これも撮っとこうとカメラを向けたらパッとポーズを取って驚く。
チップとして1ユーロ払う。
この後、この手の大道芸人をマドリードでもバルセロナでも街中でたくさん見かけた。
もしかして先ほどのブロンズ像もそうだったのかも。
次の日ここを通ったときには見かけなかったような・・・
カメラを向けても動じないなんて、プロ中のプロだ。

マヨール広場が見つかる。
四方を建物に囲まれた、石畳の広場。
ミッキーマウスの気ぐるみを着た人や、太ったスパイダーマンの姿が見える。
首を切られた屍骸に扮する3人組。首が3つ並んでいる。
地面の鉄格子に括り付けられた無数のトイレットペーパーが
鉄格子下の送風機に煽られてウネウネとシュールにくねっている。
観光客がその中で写真を撮る。

ここは観光客向けのレストランがひしめいていて、外にテーブルを並べている。
空は暗くなりつつあって、どこも混雑している。
機内食で腹いっぱいだった僕は明日の夜、ここのどこかでパエリヤを食べようと決める。

小さなステージが設営されていて、この日は夜、ジャズのピアニストが演奏するようだ。

広場を出る。
ガラス張りのおしゃれな建物があって、
中に入ってみると毟った鴨?を吊るした肉屋だったり、新鮮な果物を売っていたり。
大半はカウンターだけのバル。知的富裕層が集まっていそうな。
建物は「mercado de san miguel」という名前。
↓サイトと思われる。
http://www.mercadodesanmiguel.es/
ここでワインの一杯でも飲めばよかったんだけど、今回、正直気後れした・・・

マヨール通りを歩く。
小さな教会の前に差し掛かる。
大きな羽を持つ天子の像が通りに面して置かれていた。

歩いているうちに、アルムデーナ大聖堂の前に出る。
外はもう暗くなっていて、あちこちに灯かりが点っている。
その先が王宮前の広場。夕涼みの人たちなのか、歩いていたり、ベンチに腰掛けている。
子供たちがスケートボードに乗っている。
バンドネオンを演奏する人。女性の大道芸人が歌手を模した操り人形の芸を披露する。
通りには19世紀っぽい、オレンジ色の街頭が等間隔に並んでいる。
庭園にはいくつか、白い聖者の像。

王宮の前を通って、サン・ビセンテ坂に戻ってくる。
肌の浅黒いアジア人の経営する小さな店でミネラルウォーターを買う。0.8ユーロ。

戻ってきたのは22時過ぎだっただろうか。
シャワーを浴びて眠る。
テレビをつけると、サッカーの中継をやっている。


[3157] スペイン一人旅 その5(7/24:20時でも外は明るい) 2009-08-04 (Tue)

マドリード到着。
手荷物受け取りの外に出ると、家族や友人たちを出迎える人たちや、
名前の書かれた紙を持った旅行会社の送迎の人たちが待ち構えている。
僕はその脇を潜り抜けて、地下鉄を探す。
空港の外にあるのだろうか?見つからない。
その時僕は「T1」というターミナルにいて、とりあえず隣のターミナル「T2」に行ってみようとする。
頭上の掲示を見ながら歩いていたら「METRO」の文字が。あった。
矢印の方向に進んでいって、首尾よく入り口を見つける。エスカレーターを下りていく。
「Aeropuerto T1-T2-T3」駅。
券売機が並んでいて、乗車券を買う。
画面にあれこれ乗車券の種類が表示されて、素人にはどれがどうなのかよく分からない。
地球の歩き方に書いてあった。通常の乗車券ならば「Billete Sencillo」となる。
空港から市内までは2ユーロ。
ちょうどよく来た地下鉄8号線に乗る。
キョロキョロせず、落ち着こうとする。
旅行者ばかりが乗っているようなので危険なことはなさそうだが・・・

終点「Nuevos Ministerios」で環状線である6号線に乗り換えようとする。
しかし、僕が下りたホームは反対方向で、
着くには着くけど目指す駅「Principe Pio」がグルッと回ってえらく遠い。
反対方向のホームにはどこから行けばいいのだろう?
よく分からなくて、同じく「Principe Pio」を通る10号線に乗り換えることにする。
19時近く。会社帰りと思われる一般市民に混じって構内を長い距離歩く。
ストリート・ミュージシャンがバイオリンで
Kansas の「Dust in the Wind」を演奏していた。懐かしい。
10号線に乗る。ふと気付くと、全然別の路線図がドア脇に貼られていて、
間違ったのか?とギョッとする。
よく見るとドアごとに異なる路線図が貼られていた。
慣れると、これはこれで便利なんだろうな。

乗客は白人と黒人と、混血が入り混じっている。
そのそれぞれが階層と呼ぶべきものを成していて、
そのグループないしはカップルでまとまって行動しているように見える。
季節が夏ということもあって、多くの人がラフな格好をしている。
Tシャツにサンダル履きとか。

なお、車両がホームに着いてからのドアの開け閉めは自動ではなくて、手動。
下りる人ないしは乗る人がレバーを引くか、ボタンを押す。
バルセロナもそうだったけど、レバーなのかボタンなのか、路線ごとに異なるようだ。
新し目の路線はボタン、古くからの路線はレバーという傾向があったように思う。

「Principe Pio」駅に到着、改札を出る。
ホテルはすぐ目の前。チェックイン。部屋まで荷物を持っていく。
ポーターがいてチップを払うということはなかった。
2人用の部屋は大きかった。エアコンあり、冷蔵庫はなし。

19時半過ぎ。外はまだ明るい。
せっかくだからぶらっと近くを見て回ろうと思う。
ホテルの外に出ると道路の交差する地点が円形の広場となっていて、
その中心に真っ白いギリシア風?の門のようなものが立っているのが見える。

地球の歩き方の地図を片手に歩いていく。ここはサン・ビセンテ坂というようだ。
右側、道路を隔てて広がっているのはサバティーニ庭園か。
石造りの古びた高い塀が連なっている。
ここの門が今、閉じられようとしていて、時計を見ると20時。中には入れず。
木々が生い茂っていて、静かで心地よさそうだった。

左側には店が並んでいて、2軒に1軒はバルというか軽食堂。
地元の人向けで、ダイナーと呼んだ方がよさそう。
カウンターがあって、壁沿いにテーブルが並んでいるだけ。
羽振りがよさそうな店は店の外にもテーブルを出している。
カウンターの奥には酒瓶が並んでいる。
店によっては目に付くところにソーセージがぶら下がっていたりする。
ガラスの冷蔵庫兼陳列棚にコカコーラなど清涼飲料水が詰められている。
どの店もそこそこ人が入っているが、馴染みの客だけでやっていってるようだ。
その他の店は雑貨屋だったり、衣料品だったり。
コンビニはないんですね。バンコクで見かけたローソンもここまでは進出してないか。
後日、バルセロネータというビーチで「SPAR」を見つけた。日本だとホットスパー。

時間が時間なので閉まっていたけど、ところどころキオスクのような店が立っている。
タバコや雑誌を売るような。
その壁には様々な夏フェスやコンサートのポスター。
クラブ系だったり、ロック系だったり。
例えば「ELECTROSONIC」ではメインアクトが Richie Hawtin で、
その他には Jeff Mills に Carl Craig や Sven Vath とか。何気にこれ、すごい。
Bruce Springsteen のヨーロッパツアーでマドリード公演があって、
機会があったら大枚はたいてでも見たかった。

高架下をくぐって、階段を上ったところにスペイン広場があった。小さな憩いの場。
大きく半分に分かれていて、西側が真四角の池とオベリスク、
その袂にロシナンテ(馬)に乗ったドン・キホーテとロバに乗ったサンチョ・パンサの銅像。
広場の東側は広場になっていて、ステージが設営されている。
今まさにコンサートが開かれようとしていた。
ちょうどこの時期マドリードでは「vera nos dellavilla 09」という芸術祭が開催されていて、
http://www.esmadrid.com/veranosdelavilla/
マドリード中のあちこちの会場で催し物が行われていた。
音楽に限らず、ダンスやバレエ、演劇にフラメンコと多岐に渡る。
メインは大物アーティストのコンサートで、ラインナップがすごい。抜粋すると:
 7/13 John Fogerty (Creedence Clearwater Revivalのね)
 7/14 Laurie Anderson & Lou Reed(個人的にはこれが一番唸った。日本にも来てほしい)
 7/16 Jerry Lee Lewis
 7/20 Anastacia
 7/21 Youssou N'Dour
 7/22 Manhattan Transfer
 7/24 Jeff Beck
 7/26 Gilberto Gil
 7/27 Seal
 7/28 James Taylor
 7/29 Burt Bacharach

これら、今調べたら僕が泊まっていたホテルの隣の駅「Puerta del Angel」に
コンサート会場があったようで、もしかしたら当日券で Jeff Beck が見れたかもしれない。
あー惜しいことをした。
それにしても、バカラックってライブ演奏するんですね。

スペイン広場も会場の1つで、Stravaganzza というグループが演奏することになっていた。
ちょっと見てみようかと思う。でも開演まで30分以上待つことになるので、いったん外に出る。
隣のモンターニャ公園のデポッド神殿を見に行く。

公園は歩いて5分ほど。階段を上って、ちょっとした丘の上にある。
椰子の木が生い茂っている。
夕暮れ。ベビーカーを手に小さな子供を連れた家族が多かった。
細長い真四角の池があって、その前に夕日を浴びて黄金色に輝くデポッド神殿。
地球の歩き方を見たら、エジプト政府から贈られたものと書かれていた。
エジプトと言ってもピラミッドではなくて、
レンガを積み上げて作った、四角い廟のようなものと門のようなもの。

この前にて、テナーサックス、ベース、ドラム、パーカッション、コンガという編成のバンドが
サンバの名曲(名前を思い出せず・・・)を演奏していた。
なかなかうまかった。こんな場所でまばらな観客を相手に披露するのがもったいないほどの。
一曲終わって、家族連れが拍手する。

公園の西側の端は見晴らし台となっていて、マドリードの西側が見渡せた。街並みが遠く続く。
南の方、少し離れた場所に王宮が見えた。
据え付けられた望遠鏡をカップルが覗く。
ベンチの多くで、あるいは芝生に寝そべって、カップルが並んで座って楽しげに囁き合っていた。
友達同士といった若者たちの集団も多かった。

階段を下りる。テーブルがいくつかあって、
家族で食事をしていたり、お年寄りが集まってトランプをしていたり。


[3156] スペイン一人旅 その4(7/24:美女が口を開けて眠る) 2009-08-03 (Mon)

時間が来て、乗り込む。
搭乗券は切り取られず、二次元バーコードを当てるだけ。
帰りのフライトでは搭乗券ではなく、
プリントアウトした書面の二次元バーコードをピッと当てている人もいた。
本格的に e-ticket の時代になるんだなあと思った。

ルフトハンザは機体も機内も濃紺とチーズのような黄色でデザインが統一されていて、かっこいい。
でもエコノミークラスは各座席にモニターがないとか、前時代的。
ゲームができないし、音楽や映像のチャンネルも選べない。
ANA主体のコード・シェアリングだったらそういう機体だったかも。

早速食事となる。
ビールを頼んだら、もちろんドイツビール。「Warsteiner」これは嬉しい。
コンチネンタル航空みたいにアルコール有料とはならず、気前よく飲ましてくれる。
小壜で2本飲んで、その後は白ワイン。
メニューはチキンを頼んだら、
鶏肉のピカタ(ミラノ風)、ラタトゥイユ、トマトソース、スパゲティ。
あとはかっぱ巻きに果物(キウイ、ブドウなど)。
韓国に行ったときには機内食にキムチが出たのだから、
ドイツの航空会社だったらソーセージとじゃがいもがいいなあと個人的には思う。

ハバロフスクからシベリア上空を進んでいく。
本を読んで、ところどころ寝て過ごす。
「川は静かに流れ」が止められなくて、一気に読み通す。
ミステリーとしてどうこうというよりはこの小説、物語としての雰囲気のよさにあるのだと思う。
その後「プラナリア」へ。モラトリアムな女性たちを主人公とした連作の短編集。
表題作が神がかり的に素晴らしい。短編小説のお手本のよう。

3人掛けの席の真ん中となる。
右隣は恐らく大学教授で、フライトの間ずっと英語の論文に赤入れをしていた。
ドイツの学会で発表といったところだろうか。

左隣はモデルのように美しい女性。長身で白いパーカーを着て、胸元にサングラス。
時々爪を噛む。ソフィア・コッポラの映画に出てきそう。
最初のうちはiPodで音楽を聴きながら携帯で誰かにメールを送ってて、
チラッと見えた待ち受けの画像には友人たちと、アメリカかヨーロッパの大学の卒業式。
黒のガウンを着て学帽をかぶっている。
その後読み始めたのが「Vivi」で、日本語ペラペラなのか?と驚く。
それが何かの弾みで見えたパスポートが日本のもので、ということはハーフなのか。
驚く。全然日本人には見えない。うーん。何をして暮らしている人なのだろう。
まあそれはさておき、このきれいな人がフライトの間中ずっと寝てるんですね。
人間どうしたらここまで豪快に寝続けられるのだろうと感心するぐらい。
飛行機慣れしてるんだろうなあ。単なる長時間の移動手段でしかない。
時々目を覚まして、また眠る。窓に枕を当てて寝てみたり、姿勢を変える。
そのうちに僕に寄りかかるようになる。澄んだ甘い匂いがした。
寝相によっては口が開いてたり。
モデルのようにきれいな人が口を開けて寝ている姿を見るのって
生涯これが最初で最後かもな、と思う。
デジカメでこっそり撮ろうかな、これって犯罪に当たるんだろうかと真剣に悩む。

フランクフルト到着。
携帯の電源入れっぱなしにしていたら、DoCoMoからメールが届く。
海外での利用に当たって、みたいな内容。
試しに mixi に接続してみたら海外利用設定がなされていないとエラーが出て、設定をする。
そしたら普通に mixi が見れて、メールのやり取りもできるようになった。いくつかメールが届いた。
今、乗換えでフランクフルトにいますと返信する。
(この後、旅行中、会社に写真を送ったりで一日に2・3通のメールのやりとりをしていたんだけど、
 これってかなり割高なパケット代になるんだろうな・・・)

飛行機を降りて、入国審査があるかと思いきや何もなくて素通り。
乗り換えの掲示に従って歩いていたら、Passport Control があった。
入国と出国を一緒に兼ねるということなのだろう。便利。アメリカも見習ってほしい。
係官は僕を見て「コニチハ」と言って、パスポートを返す際には「アリガト」と言った。
僕も同じように「コニチハ」「アリガト」と返す。

国際空港なので世界的に有名なブランドの店ばかり。
Hugo Boss, Swarovski, TUMI といった並び。
小さな広場に、ピカピカ磨かれた水色の車が置かれていた。
ベンツのロゴマークが入っていた。

ドイツの空港はやはりどことなくなんとなく
ドイツ的イメージそのままの雰囲気が漂っていた。
機能的なデザインの追及というか。
すれ違う男性みな、ガタイがいいように感じられた。
スネアドラムが叩かれたらその場で行進を始めそう。

CAMELの提供する喫煙ブースが並んでいる一角があった。
利用者はそれほどいなかった。
ヨーロッパってほんと喫煙者が少ないみたいね。
その後マドリードでもバルセロナでもでも吸ってる人全く見た記憶なし。

フランクフルト空港の絵葉書を買う。0.95ユーロ。
(しかし残念なことに日本に帰ってきて、これが見つからない)

マドリード行きに乗る。
成田−フランクフルト間はジャンボジェットだったけど、
今度の機体は一回り小さくなる。通路を挟んで左右に3人掛け。
乗客は半分ぐらいだろうか。空席が目立つ。機内アナウンスがあって、何人かが席を移動する。
1つ空席を挟んで僕の隣に座った女性は40過ぎなのだろうか、
胸元の開いたとても派手な格好をしていて、髪は赤紫に染めていて、
大きくて真っ白な犬のぬいぐるみを抱えていた。
何に使うのだろう、お土産なのだろうかと思っていたらそのぬいぐるみを枕にして眠った。
スペイン語で何か僕に話しかけてきて、通じないと分かると残念そうにする。
しかし、頼まれて僕は機内食のペットボトルの蓋を開けたりする。

機内食が出て、ここでもドイツビールを飲む。
スパゲティを揚げたものなのか、じゃがいもなのか、
トマトソースのかかった不思議な食べ物が出た。

機体は何度も乱高下する。
なんとなく、アバウトな操縦のように感じられる。
滑走路に着陸した瞬間、陽気なラテン系の人たちが拍手をする。

ヨーロッパの携帯の着信音としてたぶんデフォルトで設定されている
「テレレーレ テレレーレ レー」というやつ、
あれがスパニッシュ・ギターで演奏されているのを耳にして、
ああ、僕はスペインに来たのだなと思う。

飛行機から降りて、腕時計を現地時間に合わせる。
麻薬捜査犬を連れた係員が歩いている。

入国審査はなし。地球の歩き方を見てみると、
「シェンゲン協定実施国」間での移動に当たっては、入国審査は行わないとのこと。
いきなりふらっと出口へ。
パスポートにスペインのスタンプが押されないことになって、ちょっと残念。


[3155] スペイン一人旅 その3(7/24:東京は雨) 2009-08-02 (Sun)

7/24(金)

翌朝朝早いからっていうことで前日は23時には寝た。
眠っているとインターフォンが鳴って、時計を見ると午前0時半。
なんだろう?と思って出てみると大家さん。
頼んでいた旅行中の新聞の取り込みを間違って前日から始めてしまって、
その中に佐川急便の伝票が入っていたから、
実は旅行で使うものが届くはずだったんじゃなかったかと。
寝ぼけて「いやー、どうもすみません」と言いながら受け取る。
でも、amazon からなので急ぎでもなんでもない。
PCを立ち上げて、佐川急便のサイトで再配達の手配を帰国後の30日としてまた眠る。

4時半に今度は目覚まし時計が鳴る。
荷物を再度詰め直す。ノートPCは持っていかないことにする。
旅行の手配時に特に指定しなくて安ホテルだったから
客室にLANが引いてあってインターネットを利用するってのは恐らく無理だろう。

机の引き出しから腕時計を取り出す。
5年前のモロッコ旅行の際に羽田空港にて買った安物のデジタル時計。
普段の生活では使わないけど、以後、海外旅行の度にお供することになる。
現地で時差を修正して、帰ってくるとそのまま直さず引き出しの中へ。
去年の9月にバンコク行ったときのままだったから、-2時間ずれていた。
これをそのまま手首に巻く。

関係各所に今から行ってきますと通知。
生ゴミを捨てて、ガスの元栓を締めて、リュックサックを背負って外に出る。
念のために最後部屋の中を確認すると、机の下に使い捨てのトランクスが転がっていた。
先ほど荷物を詰め直した際に転がって気付かなかったようだ。
確認してよかった。異国の地でトランクスの替えがなく、探し回るところだった。

5時過ぎ。鍵をかけて歩き出す。
いつも通り、格好はカーゴパンツ。
それにサンダル。靴下は荷物になるので持って行かない。
エアコンつけっぱなしじゃなかっただろうか?と気になる。
まあ消しただろうってことでそのまま歩いていく。
小雨が降っている。傘を差すほどではない。

コンビニに寄って、お金を下ろす。
ポケットティッシュを買っておく。1パック4袋。
昨年の教訓。風邪を引いてもポケットティッシュという便利なものは
旅先では容易に手に入らない。

中央線の各駅停車で新宿へ。
ハヤカワ文庫のミステリ、ジョン・ハートの「川は静かに流れ」を読み始める。
ノース・カロライナの川縁の大農園を舞台にした家族物。
父と子の葛藤。汚名を着せられて逃げ出した故郷との葛藤。
2008年度エドガー賞の長編部門を受賞。評判が良いようだ。書店でも平積み。
確かにグイグイ引き込まれて読んでしまう。
しおりがなくて、パスポートに挟まっていた、
以前どこかに旅行したときの搭乗券の半券を替わりにする。

成田エクスプレスに乗るために5・6番線へ。
ものすごく奥まったところにある。初めて利用する。
こんなホームがあるなんて知らなかった。目の前には南口の高島屋。
ここまで来ると代々木に近い。
成田エクスプレス以外には東武線直通の特急が利用するようだ。
ホームに立って始発を待つ。雨が強くなる。

池袋から到着して乗り込む。渋谷へ。
山手線の周りを走っているのだろう、恵比寿駅を通過する。
次は東京。そこから先は千葉方面へ。
二人掛けの席はガラガラで快適。成田空港まで東京駅からは1時間弱。
眠くなってウトウトする。

成田空港到着。第一ターミナルの南ウイング。
ルフトハンザのチェックインカウンターは長蛇の列。
修学旅行なのか、中学生たちが大勢並んでいた。
お金持ちの学校なんだろうな。いや、それにしては人数は少ない。1クラス分にも満たない。
夏休みだから、任意参加の語学研修ツアーみたいなものなのだろう。
並んでる途中で係員に促されて子供たちはビジネスクラスの方へと並び直す。
本当にお金持ち学校の生徒なのかもしれない。

チェックイン。リュックサックは預けない。
乗り換えのフランクフルトで受け取るべきなのかどうかってことでいつも悩むので。
たぶん、受け取ることにはならないんだろうけど。

両替をする。10万円分が735ユーロとなる。
果たしてこれで足りるのか。足りるも何もどうしようもないんだけど。
海外旅行保険は一番安いのに入る。スペイン7日間だとそれでも5000円近くする。

搭乗時間まで時間があって、上の階のレストラン街へ。
中華料理屋に入って麻婆丼を食べる。麻婆豆腐が無性に食べたくなる。
飛行機が落ちたらこれが最後の食事になるかも知れぬと。
朝8時前。客はほとんどいなくて、
5分もかからずに出てきて、5分もかからずに食べて店を出る。

TSUTAYAで旅先で読む文庫本を買い足す。
持ってきたのは:
 ジョン・ハート「川は静かに流れ」
 カート・ヴォネガット「ヴォネガット、大いに語る」
 アーネスト・ヘミングウェイ「勝者に報酬はない・キリマンジャロの雪」
 中上健次「奇蹟」
買い足したのは:
 村上春樹「意味がなければスイングはない」
 山本文緒「プラナリア」

出国手続きが済んで、搭乗ゲートへ。
母に電話をする。今から行ってくるよと。
東京は雨が降っているか、という話になる。
窓の外を見ると、雨が降っている。


[3154] スペイン一人旅 その2(要約の後半) 2009-08-01 (Sat)

7/27(月)

母に絵葉書を送ろうとしていたら、ホテルのカウンターに小さなポストを見つける。
話が早いとホテルの従業員に聞いてみたら切手は売ってないとのこと。
街中のタバコ屋で売ってると言われる。
その後2日間、切手を探すのと手荷物を入れて運ぶ紙バッグの調達が至上命題となる。

この日は当初予定通り、ガウディ尽くし。
まずは大本命、サグラダ・ファミリア。
昨日も見たけど、至近距離で見るとさらに大きい。
個人観光客向けの入り口は長蛇の列。
この日、カサ・ミラ、カサ・バトリョとガウディの建築物を訪れたけどどこも30分近く待たされた。
中へ。がらんどうで正に建築中だった。
エレベーターに乗って、上っていく。別途2.5ドル徴収される。
(日本からのツアーだと、中入るだけで上まで行かないのもあるみたいですね。
 そう考えると、ツアーじゃなくてやはり個人で行った方がいいんじゃないかと)
どこもかしこも建築中。ヘルメットをかぶったその辺の工事現場のおっさんがあちこちにいる。
様々な高さの何基ものクレーンが右に左に物資を運ぶ。
出来上がった尖塔の外壁や内壁には様々な装飾。
ここで見た光景を僕は一生忘れることはないだろう。
削岩機の音に、10時の鐘の音が重なる。ノイズ+安らかなメロディ。
Einsturzende Neubauten が目指していた音楽は実はこういうのだったのではないか。

次は、グエル公園とその中のガウディ博物館。
最寄の駅がなくて、直線距離だとここだろうか?と見当をつけて歩き始めたのだが、大変なことになった。
地図を見ると間違ってないはずだよなあと思いながら、公園を突っ切って坂を上ったり下ったり。
地図の通りに歩いていたら丘の上の大邸宅の裏庭に出て、巨大な番犬が鎖も首輪もなく放し飼い。びびった。
炎天下歩き続けて、ようやくグエル公園へ。ビールが死ぬほどうまかった。
ここもまた大勢の観光客。
スパニッシュ・ギターを鳴らしてチップをもらおうとするミュージシャンがあちこちにいた。
博物館はガウディの住処だったもの。
グエル公園は本来とても大きなもので、数時間では回りきれない。
遠くから見えた丘に上ってみる。楕円形のモニュメントのようなものがあって、その上に十字架。
とても、眺めがよかった。バルセロナを一望にする。
クレーンに取り囲まれたサグラダ・ファミリアが遠くに見える。けど、かなり大きい。
帰りは他の観光客に混じって歩く。やはり全然違う駅から向かってくるのが正しかったようだ。

次はカサ・ミラ、その隣の駅のカサ・バトリョ。
カサ・ミラは最上階と屋上。今から100年近く前の生活が再現されている。
お土産コーナーはアール・ヌーヴォーな装飾品や工芸品が数多く売られていた。
1階のアート系ショップでバルセロナの写真集やあれこれ欲しくなるが、我慢する。
カサ・バトリョは建物の中をそのまま見ることができる。広間やキッチンなど。
海をモチーフにしたデザイン。屋上に水槽をイメージした部屋があった。

このカサ・バトリョの近くに郵便局があるのを、地球の歩き方の地図を何気なく眺めていたら発見。
行ってみるも営業時間は14:30までで、そのときは15時過ぎ。
明日の朝また来てみることにする。

カサ・バトリョ最寄の駅の改札を出掛けたところで財布をすられる。
しかしとっさに気付いて、スリの手首を捕まえて事なきを得る。

ガウディがおなかいっぱいとなって、次はバルセロナ現代美術館へ。
中心地であるカタルーニャ広場にいったん出る。
美術館は奥まったところにあって、
この辺だろうかと歩いていくうちにカバンを売ってる店を見つけて
これが斬新なデザインでかっこいい。「vaho」と呼ぶブランドらしい。
freitag のようなリサイクルものみたいなんだけど、
広告の紙から作ってるみたいで、値段は freitag の1/10程度。
あれこれ見たものが全て欲しくなる。店員さんと片言の英語で話す。
お金がそのときはなかったので、後でまた来ることにする。

美術館へ。世界各地の若い現代アートの作品を集めている。
これはこれでとても面白かった。青田買いなんだろうな。
帰りに、「CCCB」というスペインの現代アートの美術館を見つける。
「ジャズの世紀」という企画展と80年代のB級映画の企画展をやっていた。
明日、時間があったらどっちかを見ようと決める。

デジカメのバッテリーがなくなって、かつ「vaho」のカバンがほしくなって、いったんホテルに戻る。
充電して、クレジットカードを財布から取り出して、またカタルーニャに引き返す。
(日本から持ってきた財布に入ってたんだけど、普段使うつもりはなかった)
「vaho」の店に戻って、ショルダーバッグを2つと書類入れを2つ買う。これで156ユーロ。
とても安い。

夜はディナー付きフラメンコ。日本で申し込んだオプショナル・ツアー。
「コルベドス」って店なんだけど、どうにもこうにも観光客向け。地元客、皆無。
ヨーロッパかアメリカのどっかの国からきたおじさん・おばさん連中のグループが2つ、大はしゃぎ。
ディナーはビュッフェ。可もなく不可もなく。
パエリヤはマドリードのマヨール広場で食べたものよりはうまいけど、
これが本格的においしいスペイン料理かというとそれは絶対違うように思う。
開演間際にディナー無しで日本人団体旅行客が大勢入ってきて、満席。ディナー無しは正解。
フラメンコや真横の席で、真横の角度からしか見られなかった。
でも、まあ初めて見る分にはよかった。
バルセロナはフラメンコが盛んでもなんでもないようで、
(たぶん、東京で火祭りを見たいと言うようなものなんだろう)
いつか機会があったら、もっと田舎の町で見たいと思う。

---
7/28(火)

この日はモンジュイックの丘がメイン。
先に昨日見つけた郵便局に絵葉書を出しに行って、引き返す。
宿泊しているホテルのある、Paral lel駅から出ている
「フニクラ」と呼ばれるケーブルカーに乗って、すぐ到着する。

9時半には到着したのに、ミロ美術館など見たかった場所はことごとく10時スタート。
ブラブラと高台に上ったりして時間をつぶす。

ミロ美術館。ミロの絵が好きかって言うと取り立ててそんなことはないんだけど、
せっかくの機会だし見てみる。
1974年の「死刑囚の希望 I・II・III」がとても素晴らしかった。
晩年の作品には鬼気迫るものがある。

カタルーニャ美術館の前に、近くの民族博物館に入ってみる。
観客ほぼ皆無。最初、僕だけかと思った。
カタルーニャ地方の民族衣装などが飾られているのかと思いきや、対象は全世界。
日本もあり。なぜか少年ジャンプや週刊マーガレット 、
クレヨンしんちゃんや石川啄木の伝記マンガのスペイン語翻訳が展示されていた・・・

カタルーニャ美術館。これはこれでハンパなく大きい。中にはアリーナ?まである。
本気でちゃんと見ようとしたら1日かかると思う。
ロマネスク、ゴシックの芸術品が果てしなく続く。
プラド美術館と並んで、好きな人にはきっとたまらないだろう。
後の時代の芸術品も2階に展示されている。
ほぼ100%スペインの芸術家のものと思われる。

次にスペイン村。スペイン各地の工芸品が買える。日本だとハウステンボスみたいなもの?
これがどこをどう行ったら辿り着くのか分からず、
近道はこっちだろうと試行錯誤するうちに、炎天下、ものすごく遠回りしていたことに気付く。
銀器の店、白の民族衣装の店。軽食系のレストランの数々。
1軒だけちゃんとした佇まいのレストランがあって、ランチコースを頼む。
ガスパッチョとミートボールのトマトソース。
おいしかったけど、ウェイターが回ってなくて何が出てくるのも遅い。
デザートはフレッシュジュースで、手間がかからないはずなのに30分待っても出てこない。
怒って出てきてしまう。彼らは悪くないんだけど・・・

かなり歩いて、オリンピック・スタジアムへ。
この日は休みってことになってたけど、入り口が開いていて中に入れた。

ゴンドラに乗って、丘の頂にあるモンジュイックの城へ。
バルセロナの都市と地中海が見渡せて、とても眺めがよかった。
ここが最も美しい景色だったなあ。バルセロナに行く人には絶対お勧めします。
丘を下っていって、ケーブルカーで今度はバルセロネータへ。
これがまたいいんですね。海の上を走って。これが2番目の景色かな。

この日はビーチを見ることなく、バルセロネータから駅へ。
途中、探していた大きな紙バッグがなぜか公衆電話の中にあって、ラッキーともらっていく。

一駅移動して、王宮とカテドラルへ。
カテドラルは17時から開くことになっていて、ちょうどいいタイミング。
ごく普通のヨーロッパの若者たちが祈りを捧げていたのが印象的だった。

その近くのピカソ美術館へ。
途中にいい感じのバルを見つけて、帰りに寄っていくことにする。
美術館はその名の通り、ほぼ全部がピカソの作品。
一部企画展的に後の世代の若者の作品が飾られていたように思う。
ここの見所はまだ10代に入ったか入らないかという頃の習作の数々。
正に天才としか呼びようがない。

昨日見つけた CCCB の開館時間に間に合うかもと、いったんカタルーニャ広場の方へ。
地下鉄で一駅乗って、テクテクと通りを横切って、うろ覚えの CCCB へ。
開いていて間に合う。「ジャズの世紀」の方を見る。
20世紀初めから今に至るまでのジャズにまつわるあれこれを展示する。
今から100年近く前のレコードのジャケットやポスターに始まり、
70年代に撮られた写真など。現代アートのインスタレーションまで含む。
ずらっと並んだスピーカーから当時の楽曲が流れ、記録映像の数々も上映。
これはとてもいい内容だった。時間がもっとあれば、映像の多くも見れたのに・・・

ピカソ美術館の方に戻って、先ほど見つけたバルへ。
カタルーニャ風のオムレツと、ポーク・ソーセージを頼む。
パンとオリーブが付け合せとして出てくる。
ウェイター長?はもう60歳ぐらいになろうとしているおじいさん。
オムレツも、にんにく入りマヨネーズをつけて食べるソーセージもおいしかった。
最後の最後、いいバルに入ることができてよかった。
ビールを3杯飲んで全部で19ユーロだったか。安いのもいい。

荷造りしてさっさと眠る。

---
7/29(水)

7時過ぎにチェックアウト、カタルーニャ広場へ。
空港までのバスに乗る。
行き先のターミナルは「T1」「T2」に分かれていて、どっちに乗ればいいのか分からない。
こっちの方がスーツケースを抱えて外国人っぽい、ってことでT1行きに乗る。当たり。
ルフトハンザのカウンターでチェックイン。
あれこれ買って重くなったからと今回はリュックを預ける。

行きのときと同様、出国手続きはなし。手荷物検査だけ。
会社へのお土産を買おうと DUTY FREE の店を覗いて、
タバコを1カートンとお菓子の詰め合わせをいくつか買う。
支払おうとして、搭乗券をなくしていることに気付く。
心臓がバクバクする。落ち着け、と思う。
とりあえず近くのインフォメーション・カウンターに行ったら届けられていた。ほっとする。

機内では中上健次選集の「奇蹟」を読む。
フランクフルトで乗り換え。時間はあんまりない。
Passport Controlを通ったりしていたらちょうど搭乗時刻に。

「奇蹟」の合間に、村上春樹の文春文庫「意味がなければスイングはない」を読む。
乗ってる間はドイツビールに白ワインにコニャック。飲み続けて、眠る。

---
7/30(木)

7:50成田到着。
手荷物受け取りで、なかなか自分のリュックサックが出てこなくて焦る。
125ユーロ余って、両替して1万6000円ほどになる。

成田エクスプレスも京成スカイライナーもちょうどいい時間のがなくて、
京成線の快速特急に乗って帰ってくる。上野まで1000円、安い。
今回はスーツケースじゃなかったので、この選択肢はありだった。

京成線のホームで母に電話をする。
こんな早くに到着するものと思っていなかったようで、驚かれる。

上野駅。
東京の余りの蒸し暑さに驚く。


[3153] スペイン一人旅 その1(要約の前半) 2009-07-31 (Fri)

旅日記を展開していく前に、まずは要約を。
7/25 付けのシミュレーションと実はあんま変わっていない。
計画を立ててその通りに行動して忙しくすることがほんと好きなんですね。
(会社の仕事がそうならないのは、残念だが・・・)

何の計画もなく、スポンティニアスな旅も憧れるんだけど。
行き当たりばったりで成り行き任せ、みたいな。
その方が思いがけない、新鮮な出会いがありそう。
でもその分スカも多そうで、僕としてはそちらを嫌う。

書いてたら長くなったので、この日は前半まで。

---
7/24(金)

朝から小雨。
新宿駅から成田エキスプレスに乗る。
5番線ホームってとこだったんだけど、普段絶対利用することがない、
ほぼ成田エキスプレス専用。奥まったところにこんなホームが隠されていたなんて、と驚く。
成田エキスプレスは高いけど、速くて快適。
お金があったら次も利用したい。

空港着。ルフトハンザのチェックイン・カウンターで行きの分の搭乗券をもらう。
背負ってたリュックは預けない。
海外旅行の保険に入る。一番安いのを。
10万円を両替して、750ユーロほどになる。

腹が減って、空港内の中華料理屋でマーボー丼を食べる。
持ってく本が足りなくなりそうな気がして(正解だった)、TSUTSYAで本を買う。

機内でジョン・ハートの「川は静かに流れ」を読み終えてしまう。
2008年度エドガー賞の長編部門を受賞。家族物のミステリ。
500ページ以上あって分厚かったのに、サクサクと読みやすく、一気に読み上げる。
その後うたた寝して、山本文緒の「プラナリア」これも一気に読み終える。
前から読もう読もうと思っていた短編集なんだけど、表題作が特に素晴らしい。
うまい短編の見本。

ルフトハンザ航空の機内で飲めるビールはもちろん、ドイツビール。
乗り換えも合わせて4・5本は飲んだだろうか。

フランクフルト到着。すぐ乗り換え。
入国審査と出国審査を兼ねた Passport Control を通過。

マドリード到着。EUから入ってきた場合、入国審査がないんですね。
パスポートにスペインのスタンプが押されないことになり、残念。

地下鉄に乗ってホテルのある駅へ。全然迷わず、楽勝。
ヨーロッパは旅行が楽でいいね。
ホテルでチェックインして、早速外に出てみる。
ホテルの近くのスペイン広場からモンターニャ公園へ、
そして市街中心部プエルタ・デル・ソルを経て、マイヨール広場へ。
スペイン広場の丘の上から眺めたマドリードの風景が心に残る。

グラン・ヴィアという通りを歩いていたら、派手な雰囲気の女性があちこちに立っている。
話しかけられる。恐らく街娼だったのではないかと。付いていったらどうなっていただろう。

機内食で腹がいっぱいだったので何も食べず、何も飲まずに眠る。

---
7/25(土)

午前中、王宮へ。その後、プエルタ・デル・ソルまで歩いていって、
プラド美術館へ。ゴヤ、エル・グレコ・ベラスケス。
さすが名のある美術館だけあって、かなり大きい。
日本人含めて観光客も多い。
カフェでスペイン風オムレツと生ビール。うまかった。

次は向かいのティッセン・ボルネミッサ美術館。
ここもまた広くて、見てると時間がかかる。
プラド美術館のコレクションは16世紀−18世紀がメインで、こちらは近現代までカバーしている。
個人の蒐集品から始まっているので、時代に差はあれ、どことなくテイストが似通っている。
美術館の雰囲気によるものなのか。
円熟期のマティスの作品を集めた企画展が開催されていて、そちらも見る。

そして次。ソフィア王妃芸術センター。
(これら3つの美術館は1箇所に固まっている)
土曜は14時半から無料ということで時間を合わせていったら、長蛇の列。
ここはニューヨークで行ったら「MoMA」に当たる。現代アート専門。
スペインに限らず世界各地の著名なアーティストの作品が展示されている。
何はともあれ、一目散に「ゲルニカ」の部屋へ。感動。
こんなすごい絵、見たことない。人類の文化の極点。

母に絵葉書を出そうと、郵便局を探す。
ソフィア王妃芸術センター近くのツーリスト・インフォメーションに行ったら、
プエルタ・デル・ソルに1つ、
スペイン銀行(バンコ・デ・エスパーニャ)のところに中央郵便局があると言われる。
スペイン銀行まで行ってみると閉まっている。
うまい具合にここにもツーリスト・インフォメーションがあって、聞いてみたら、
プエルタ・デル・ソル内の「エル・コスタ・イングレス」という大きなデパートの
地下2Fにあって、こっちは夜までやってると。
行ってみたら地下の駐車場。確かに開いてて、絵葉書を出すことができた。

マヨール広場まで歩いていって、広場を取り囲むようにして並んでいるレストランの1つに入る。
パエリヤを頼む。11ユーロぐらいだったので、1500円ぐらいか。
観光客向けの店だったのでたいしたことなし。

帰りは最寄の駅の1つ手前で下りる。
スペイン広場からプエルタ・デル・ソルまでが目抜き通りのようだ。
三越があったので入ってみる。
1階と地下があるだけの小さな店。客の姿はなく、店員は暇そうにしていた。
お土産のコーナーがあって、オリーブオイルの詰め合わせを買う。
三越とJCBのロゴがプリントされた厚手のビニールのバッグが置いてあって、
あれはタダだったのだと思う。
その後手荷物を持ち運ぶための大きなバッグを入手できなくて苦労した。
もらっとけばよかった。

19時頃ホテルに戻るが、外はまだ明るい。
ソフィア王妃芸術センターで買ったロバート・キャパの写真集を眺める。
時差ぼけなのか歩き疲れたのか、ベッドに横になると起き上がれなくなる。
ホテルの近くにいい感じのバルがあったのでビールでも飲もうかと思っていたのだが。

---
7/26(日)

バルセロナへの移動日。出発時刻は12:30となっていて、午前中暇となる。
朝8時。1日目に訪れたモンターニャ公園に行ってみる。
ほとんど人の姿はない。ランニングをしている人や、犬を連れて散歩している人々。

チェックアウトして、プラド美術館裏の植物園に行ってみる。
中のミュージアムでは写真展が行われていて、マドリードのあちこちで共同開催されているものだった。
アーティストごとに会場が異なる。
昨日見たソフィア王妃芸術センターの4階の写真が並んだ一角もその1つだったようだ。

もう一度、ソフィア王妃芸術センターへ。日曜は無料。
ツアーじゃなくて個人で旅行していると、好きなときに好きなだけ見たいものが見られるのがいい。
「ゲルニカ」を見納め。
昨晩パラパラめくっていた美術館のガイドにはゲルハルト・リヒターの絵が載っていて、探してみる。
見つからない。恐らくどこかに貸し出しているか、展示物を入れ替えて倉庫に眠っているのだろう・・・

AVEの駅へ。熱帯植物園がある、ユニークな駅。涼しげ。
待合室でしばらく待って、AVEに乗る。
発車する。2級だったのに、とても乗り心地がいい。日本で言ったらグリーン車に当たる。
日本で調べていたらどこかのサイトにて食事が出ると書いてあって、
期待していたんだけど出てこない。時間によるのか。
ヘミングウェイの新潮文庫の短編集「勝者に報酬はない・キリマンジャロの雪」を読み終える。
列車は荒野を突き進む。サバンナのように背の低い植物が生えているだけ。単調な景色が続く。

バルセロナ到着。地下鉄に乗ってホテルへ。
等級が低かったので裏通りにあるのだろうか?と探して、見つかるもののドアが閉じられていて入れず。
どうしたもんかとグルッと回ってみたら表通りに入り口があった。
チェックインするのだが、これまでの僕の人生で最も格下のホテルだった。
冷蔵庫なし(マドリードもそうだけど)。エアコンもなし(後に見つけたけど)。
ベッドと机が置かれているだけ。バスルームもそっけない。
恐らく、バルセロナのどこかで開催されているスポーツ大会に参加するため、
中学生たちが何チームか停まっていて、はしゃいで階段を駆け回ってうるさいったらない。
それが最終日まで続いた。
僕ももう30半ばだし、いいホテルに泊まった方がいいなあと思った。
泊まった地区がそういうものなのか、道行く人は柄がいいとはお世辞にも言えない。
男女問わず、刺青をした人ばかり。

日曜は闘牛をやってるということでモニュメンタル闘牛場へ。安い席のチケットを買う。
コロシアムの1階席、2階席、3階席という高さと、日に当たる・当たらないで値段が分かれる。
僕は日に当たる2階席にしたんだけど、それでも30ユーロという高さ。
1階のアリーナ近くで日陰だと120ユーロだったか。1万5000円。
でも、後でわかったんだけど勝手に柵を下りて下の席に移動することができた。

闘牛場はサグラダ・ファミリアのある駅の1つ手前。
この位置からでも普通にサグラダ・ファミリアが大きく見えた。すげーと思う。

始まりまで時間があったので、いったん、海辺に出てみる。
バルセロネータという海水浴場。駅を出るとビキニ姿の男女ばかり。ビーチは芋の子を洗うかのよう。
生まれて初めて見る地中海。砂浜を下っていって、足だけ浸してみる。
駅からビーチまでには観光客向けのレストランが並んでいて、そのうちの1つに入る。
シーフードのグリルを頼む。パーティーサイズで40ユーロなのを半分にしてもらう。
ハーフサイズなのにとんでもないのが席まで運ばれてくる。
注文がちゃんと伝わってないのかと冷や汗をかく。
ロブスター、タラ、イカ、30個近いエビ、50個近いムール貝。
ここまで来て大食いチャレンジとなるとは・・・
周りの人たちが目を剥いてた。
ビールを飲みながら淡々と食べていったら、あっさり完食。
味付けはオリーブオイルとにんにくのみ。うまかった。

闘牛場に戻る。18:30を過ぎて、即に始まっていた。20:30頃まで6セットあったのかな。
ふーむ、こういうものなのかと思いながら見る。地元の人が半々と観光客が半々か。
日なたの席のはずが、うまいこと日が当たらずに済む。
マタドールより(闘牛士)もピカドール(槍付き)の方が目立つし、勇気も技術も必要に思えた。

帰ってきて、22時頃か。早々と眠る。
子供たちが叫び回っている。


[3152] 無事、帰国 2009-07-30 (Thu)

今日、スペインから帰ってきた。
7:50成田着。家に着いたのが11時頃か。
大家さんにお土産を渡して、荷物を片付けて、洗濯して、眠くなって昼寝して。

ああ、帰ってきてしまった。
マドリードに着いたばかりの頃は、着いたのはまだ昨日で一昨日で、とつい数日前の気分でいたのに、
バルセロナから東京に戻ってくると、まだ1週間も経過していないのに、全てが遠い昔のよう。

日本に着いてまず最初に思ったのは、東京のいかに蒸し暑いかということ。
なんなのだろう。なんでこんなにジメジメしているのだろう?
いったいどんな仕組みなのか、異常としか言いようがない。
マドリードもバルセロナももっと気温が高くて、だけど湿度がなくてカラッとしていて、
日陰に入ると涼しく、風は冷たかった。
つまり、気持ちのよい夏だった。
空は雲一つなく真っ青で、生まれて初めて見る地中海もまた、青く澄み渡っていた。
こういうところで一夏過ごせたらなあ、と思う。
次は「観光」ではなくて、あくまで「滞在」で。
村上春樹のように、小説の仕上げで海外に1ヶ月部屋を借りて、とするなら
僕の場合断然バルセロナで。
夜はバルでタパスを食べつつ軽く飲んだり。
週末はトレドやグラナダに足も伸ばして。

マドリードではどうだろうか?
こじんまりとした大人しい都市で、仕事をするならこちらかもしれない。
スペインの中心部にあるから、
ドンキホーテの風車のある、ラマンチャ地方だとかどこに行くにでも便利だし。
でも海辺がないんだよなあ。
・・・というようなことに人生、1度でいいから悩んでみたい。

マドリードの「ゲルニカ」とバルセロナのサグラダ・ファミリア教会と。
見れてよかった。心の底からそう思った。
20世紀と限定せず、人類そのものの文明/文化の象徴として、特異点として、
これはやはり必ずこの目で見ておくべきだった。
片や終局の(寸前の)光景、片や永遠に未完成。
「ゲルニカ」はブラックホールのようであり、サグラダ・ファミリア教会は源泉のようであり。
この2つは表裏一体であって、重ね合わせたときに無言の大きな意味を感じる。
簡単に言うならば、絶望と、希望。
共にスペインという国に存在するというのが感慨深い。

---
今回スペインに行って、死ぬまでに絶対行きたかった場所はこれで全て訪れることができた。
モロッコでサハラ砂漠、ペルーでマチュピチュ、ニューヨーク、
そして「ゲルニカ」とサグラダ・ファミリア。

なんだか気持ちが楽になった。
でも、行けたら行きたい国はまだまだあるんですね。
ギリシアの島々、ナイアガラの滝とグランドキャニオン、カナダの西海岸、イスタンブール・・・
北欧の国々も全部回ってみたいし。東欧諸国も、特にクロアチアとスロヴェニア。

そんな中、今、一番行きたいと言うか次行くだろうと思われるのがドイツ。
今回ルフトハンザでフランクフルト乗換えだったんだけど、延泊しなかったことを後悔した。
行き先はベルリンとミュンヘン。
ベルリンもまた、20世紀文化の特異点じゃないですか。
ベルリンの壁がどういうものだったのが、見てみたくなった。

---
今回もまた、時間に追われての旅だった。
「アーあれも見たい、これも見たい」そればっかり。
僕はハワイだろうがグアムだろうが、どこ行っても貧乏性でじっとしてられなくて、
あちこち見て回るんだろうな。

何にもしないで南の島でゆっくり、という旅行はいつになったらできるだろうか。


[3151] 「1Q84」 たぶんその4 2009-07-29 (Wed)

スペインに行ってる間に、文春文庫から出ている
村上春樹の「意味がなければスイングはない」を読んでいた。
ブルース・スプリングスティーンとレイモンド・カーヴァーについて書いている章にて、
なかなか興味深い記述があった。

(一見全然接点がなさそうであるが、趣旨としては、
 2人ともブルーカラーの人々の「リアル」を開かれた物語として描いた、ということだった)

長くなるけど、引用します。

――――――――――――――――――――――――――――――
 僕が初めてアメリカに行ったのは1984年の夏で、その目的のひと
つは小説家レイモンド・カーヴァーにインタビューをおこなうこと
だった。アメリカに着いて空港からタクシーに乗ったとき、まず目
についたのは、発売されたばかりのLP『ボーン・イン・ザ・USA』
の巨大な広告看板だった。その光景を今でもよく覚えている。巨大
な星条旗と、色あせたブルージーンのヒップポケットに無造作につ
っこまれた赤いベースボールキャップ。そう、1984年はまさにブル
ース・スプリングスティーンのための年だった。そのアルバムは驚
異的なベストセラーになり、アメリカ中どこに行っても彼の歌が流
れていた。『ダンシング・イン・ザ・ダーク』や『ボーン・イン・
ザ・USA』。それはまたロスアンジェルス五輪の年であり、ロナル
ド・レーガンが大統領選挙に圧勝した年でもあった。失業率は二桁
を超え、労働者たちは不況のもたらす重圧にあえいでいた。経済構
造のドラスティックな転換が、一般労働者たちの生活を暗い淵に追
い込みつつあったのだ。しかし一介の旅行者の目に映るものは、明
るい見せかけの楽天主義であり、バイセンティニアル(建国二百周
年)やオリンピックがらみで派手に打ち振られる星条旗だった。

p.128-129
――――――――――――――――――――――――――――――

「1Q84」がなぜ1984年を舞台にしているのか、
手がかりとなりそうな、全然関係なさそうな。

それはともかくとして、
ジョージ・オーウェルが未来社会として描いた「1984年」は
実際にはこんな年だったというのだ。
あくまで「村上春樹の描いたアメリカ」でしかないけど。
少なくともアメリカは、
小説中にて語られていた全体主義的社会の予言とは全然異なる世の中に進んでいった。
(いや、もしかしたら引用した文章の後半に描かれる状況は、
 形は違えど本質的に通ずるものがあるのかもしれない。
 何よりも、『ボーン・イン・ザ・USA』が”愛国心の歌”として誤用されるあたりが)

じゃあ結果として、1984年はどんな年だったのか?

ここで、例の『情報の歴史』を参照してみる。
http://www.amazon.co.jp/dp/4871884430/

大見出し・中見出し・小見出しを抜き出す。

□繁栄と貧困
 *アフリカ一億五千万人飢餓
 *ブルネイ ニューカレドニア独立
 *原発規制国民投票
  −指紋押捺問題 地方議は反対
  −反マルコス・デモ アキノ夫人演説
  −I・ガンジー暗殺 15年間の政権
  −FSLN勝利 サンディニスタ政権誕生

□過剰な技術
 *ハイブリッド材料へ
  −シグマ計画
  −マッキントッシュ アップル32ビット
  −坂村健TRON
 *INS実験
 *牛肉オレンジ交渉

□複雑性と多様性
 *謎のゼータ粒子
  −トップクォーク
 *リーベルマン景観生態学
  −本庶佑・利根川進
 *情報ネットワーク社会論へ
  −身分け 丸山圭三郎 市川浩
 *柔らかい個人主義 新中間大衆の時代
  −イリガライ 性的差異のエチカ

□イメージ・カプセル
  −バーバラ・クルーガー
  −安藤忠雄・毛綱毅曠
  −操上和美・築地仁
 *ジャームッシュ
 *風の谷のナウシカ

□追落と快楽
 *サイバーパンク ニューロマンサー
  −方舟さくら丸
  −ワーキング・ウーマン
  −初の手話辞典
 *アフリカン・ポップ台頭
  −マドンナとスプリングスティーン

以下、本文をざっと眺めてみるのだが、ロナルド・レーガンが出てこない。
ロサンゼルス・オリンピックはソ連ボイコットのことしか書かれていない。
(ここで初めて気付いたんだけど、一般的なスポーツの記録は『情報の歴史』には載らないようだ。
 たぶん、政治的・文化的意味がない限り)

それはさておき、中を見てみると
第三世界を中心に政情は不安定、その裏でコンピューターが発展を続ける、
そして、大見出しにもあるけど何もかもが多様性に向けて突っ走っている、
そんな年だったようだ。
言うなれば、転換点の一歩手前。
1985年を見ると、中見出しは
「ゴルバチョフ時代へ」「G5 ドル安・円高へ」「超ひも理論」というように転換点そのもの。

1984年って、何かありそうで過去の世代の人間たちからも期待もされてて、
実際は「何もなかった年」なのかもしれない。
だから、スプリングスティーンも解釈をでっち上げられ、祭り上げられた。
朗らかに駆け抜けるカール・ルイスがヒーローとなった。

歴史の流れは途絶えることはなく、むしろめまぐるしく移り変わっているのに、
全体としては空白。
その隙間を埋めるために
「1Q84」が書かれた、1984年という年が選ばれた、のかもしれない。

一言で言うならば、引き潮の年。
村上春樹はそこに、砂浜に寄せられた様々な物体に、可能性を、物語を、見出した。
もしかしたらそれらは、潮(という名のストーリー)が満ちるときに
かき消されてしまうかもしれない。
しかし波の底でいくつかは残され、いくつかはまた別な場所へと引っ張られてゆく。
その、暗示。

2009年の今年は、ちょうど25年後。四半世紀が経過している。
50年でもなく、100年でもなく、10年でもない。
この絶妙な距離感。
そして2009年もまた半分が過ぎて、空白の年になるのではないかと僕は予感する。


[3150] 電話とカメラ 2009-07-28 (Tue)

いっそのこと、液晶ディスプレイなし、
ボタンは0123456789だけの携帯電話があってもいいのではないか。

電話を掛けるだけ、電話が掛かってくるだけ。
メモリーだのOSだのi-modeだのメールの送受信など一切なし。
受話音量や着信音を上げ下げするだけのダイヤルがあるだけ。

昭和の時代の黒電話の携帯化。
電話をかけるときには、数字のボタンを03、1234・・・と実際に押す。
アドレス帳が内蔵されていないので、実際のアドレス帳を見ながら、とする。
不便かねえ?
でも、これぐらい思いきって削ぎ落とした携帯があったら、
逆にすごく魅力的で僕は欲しいけど。
しかも、デザインだけは無茶苦茶いいとか。
とにかくね、大事なのは電話の原点に立ち返るってことですよ。

会社から支給される携帯で、受信専用だったらこういうのでもいいかも。
あるいは、プリペイド携帯の一番安いやつ。

というかね、携帯の通話料金って
使う機能に応じて上がったり下がったりしてもいいように思う。
携帯を全然使いこなさない人(例えば僕)が、ありとあらゆる機能を使いこなしている人と
同じ通話料金ってのはどうなんだろう、と。
目覚まし機能を使ったら毎月10円とかそういう細かいことじゃなくて。
上記のような携帯ならば通話料金が50%OFFでもいいのではないか、ということ。

---
話変わって。
デジカメが普及する昨今、
20年近く前にバカ売れして日本中あちこちで見かけた
「写ルンです」に代表される使い捨てカメラ、
これ、全然時代遅れなものになってしまったけど、
そろそろ使い捨てのデジカメが登場してもおかしくないのでは、と思う。

でも、使い捨てだと何か嬉しいことがあるか、って聞かれると特に思いつかない。
ただそれだけの理由で、世の中に存在していないのではないか。
技術的には既に十分ペイできるコストとなっていたりして。

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太陽電池で充電できる携帯が出たみたいで、それいいかも、と思う。
フルの充電は無理にしても、旅先でバッテリー切れといった事態からは免れそう。

など、など。
依然としてワンセグとか、興味無い。


[3149] とりとめないこと 2009-07-27 (Mon)

去年から神保町の客先に常駐している。
荻窪から丸の内線で新宿三丁目駅まで行って、都営新宿線に乗り換えて神保町、というルート。
丸の内線は始発なので必ず座って来れる。本を読んで、読み疲れると目を閉じる。
例え1つか2つの駅の間であろうとも、眠ろうとする。

新宿三丁目から乗るときは混雑している。座れることはまずない。
片方の手で吊革なり手すりを掴んで、もう片方の手で鞄を持っているので、
本を読むことができない。
吊革を握らずに本を片手に読んでてもいいんだけど、
ブレーキのかかったときに僕は必ずよろけるので、みっともないなとやめにしてる。

周りの人とギュウギュウ詰めになりながら、吊り広告を眺めるか、考え事をする。
そんなときは、いつのまにかとりとめのないことを考えている。
そのまま無に行きつくこともある。
「とりとめのないことを考える時間」ってのはとても大事だと最近思う。
人は、1日に1回そういう時間が必要なのではないか。
知的情報の input がなく、output もない。
皮膚感覚の刺激だけを受ける。
そういう状況下において、頭の中を、頭の中に、解放する。循環させる。

僕は通勤のときは基本的に、同じ時間の同じ車両の、可能ならば同じ座席に座ろうとする。
日によって変えるということはなく、極力習慣化しようとする。
丸の内線だと4両目。特に理由はない。
10数年前の新入社員当時は6両目の一番端だった。
それがある日隣のドアになり、5両目になり・・・
何年か前に4両目の端に移って、そこから先変わっていない。
それがどうしてそうなのか、自分でも分からない。
偶然が重なり合ってこの場所になって、なぜかそれがしっくりきた。
ただそれだけのことだと思う。

新宿三丁目で乗り換えるときも、最近いつも同じ時間の同じ車両の同じドア。
7月の前半、とある女子高生と一緒になることが多かった。
ちょっと気になる。僕のことに気付いているのだろうか?
僕が最初にホームのその場所に着いて、女子高生が後から来る。
30過ぎの男性が目の前にいつも立っている。嫌だったりしないのだろうか?
・・・いや、気が付いていないのだろう。気が付いていても、何とも思わない。
地下鉄が来て、乗り込む。僕が先となるので、女子高生は僕の背後に立つ。
僕は取りとめのないことを考える。
時々ふっと我に返って、女子高生のことを考える。
満員電車の中で体の向きを変えるふりをして、ちらっと見る。
だいたいは、ドアの向こうの真っ暗闇をなんとはなしに見つめている。
彼女は僕の1つ手前の九段下で降りていく。
その位置は階段や改札に近いわけではない。
彼女には彼女なりの理由があって、その位置に落ち着いて定着したというだけなのだろう。
新宿三丁目のホームの、隣のドアのところにはいつも40代ぐらいの女性が立っている。
新宿三丁目の駅の改札の前辺りで、毎日のようにすれ違う女性もいる。

神保町で降りて、オフィスへと向かう。
とりとめなく思い浮かんでいたことは、そのほとんどを忘れてしまう。
女子高生のことを考える。
言葉にならない言葉で、ただ、その存在のことを。

そして、今。
高校が夏休みになったせいか、女子高生と会うことはなくなった。
ぼくは前のように一人で、都営新宿線に乗る。


[3148] 7/18 - 7/23 2009-07-26 (Sun)

7/18(土)

(感門之盟の項を参照)

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7/19(日)

感門之盟から帰ってきたのが、午前6時頃か。
帰りの地下鉄では爆酔。荻窪駅で下りてたのが不思議。
(一緒に帰ってきた同じ教室の方は乗り過ごしてしまった)

9時半に目覚ましをかけて眠る。
一瞬にして目覚ましが鳴る。
眠い目をこすって起き上がる。
東京都近代美術館のフィルムセンターに
平野勝之監督の「愛の街角2丁目3番地」を見に行く。
「L.A.コンフィデンシャル」の下巻を探すが見つからない。
行きの地下鉄では寝て過ごすことにする。

銀座に11時に到着。映画は12時から。
腹が減ったなあと「はしご」でだんだんめんを食べることにする。
パルミーの地下に行ってみたら白衣を着たおばちゃんが2人立っていて、
パルミーはあと1年で取り壊しが決まっているから、店を移転したという。
ここから歩いて1分だと言うのでビルの外まで案内してくれる。
きれいな店に生まれ変わっていた。
ぱーこーだんだんめんにサービスの半ライス。ゆで卵追加。

食べ終わって、京橋のフィルムセンターへ。
プリントアウトした地図を忘れてきて、うろ覚えで歩く。
迷った挙句なんとか見つけることができたのだが、
遅れてしまって前売り時間の販売が終了していた・・・
上映そのものは始まってないんだけど、30分前までという決まりがあるらしく。
5分オーバーしただけでもダメ。
二日酔いでかつ眠かった僕は、ま、いいかとあっさり諦める。

新宿に出て、スペイン旅行用にハンズで使い捨てのトランクスを買う。
HMVで今月分のCDを買う。
なんでもない日に買ったのでポイントは1倍。僕はダイヤモンド会員だったので2倍。
HMVで見つけられなかったCDをタワレコに探す。
Bob Dylan の再発紙ジャケ、なんかすごい勢いで店頭から消えているみたいで、
先週見つけた「ベースメント・テープス」がもうなくなっている。
これはやばい、とLUNIMEのHMVで探し、次に向かったDiskUnionで見つける。
DiskUnionでは3階のサントラ・コーナーで
アンドレイ・タルコフスキーの「僕の村は戦場だった」と「アンドレイ・リュブリョフ」を買う。

帰ってきて、夜は西友で買った温野菜ディップとゴーヤ・チャンプル。
Perfumeの新譜を聞く。うーん、って感じ。耳に引っかかる曲は「edge」ぐらい。
その他聞いたのでは、Carl Stoneって現代音楽の人の「Mom's」という作品。
矢野顕子が参加している。

疲れきってて23時過ぎに眠る。

---
7/20(月)

3連休3日目。
泥のように眠って10時起き。
スペイン旅行の準備をする。準備って言ってもたいしたことはない。
着替えとノートPCとデジカメとノート、風邪薬・胃薬ぐらい?
リュックサックに詰める。たいした分量ではないので、今回はスーツケースでは行かない。
トランクスは古いのを履いて捨ててきて、後は使い捨てのを。
サンダルで行くから靴下不要。
Tシャツも7日分ではなく、ホテルで洗濯する。
旅行会社から送られてきた書類の類を読む。

昼はコンビニで買った焼きそばUFOの辛口のシーフード。
前日買ったバドワイザーと共に食べる。
日清の麺に縮れがなくなったと聞いていたが、確かになくなっていた。
これは賛否両論ありそうだね。

午後、することもなく「L.A.コンフィデンシャル」の続きを読む。
ハンカチにアイロンを掛ける。
シャワーカーテンを交換する。
浄水器のカートリッジを入れ替える。
使い古しの歯ブラシでシンクの排水溝の例のあれの目詰まりを掃除する。

夕方、先週書いた小説の手直しをする。
冒頭部分なので何度でも書き直ししたくなる。
先週は1年ぶりに書いたのでいま一つしっくりこない文章だったが、
昨日全面的に手を入れてだいぶよくなった。

夜、ゴーヤ・チャンプルを自分で作って食べてみる。
西友でゴーヤ、卵、豆腐、ランチョンミートを買ってきて、クックパッドでレシピを調べる。
意外と簡単に作れる。
隠し味にナンプラーを入れてみたら、掛け過ぎてしまった。
また作ってみよう。

この日あれこれ聞いた中では
Caveman Hughscore が断トツでよかった。
90年代以後のプログレでは最重要作品だというのも、もっともだ。
国内盤を入手したので、レコメン系と言えばこの人、坂本理氏が解説を書いている。
前後の文脈がわかって、いい。

あとは、Metronomy など。

昼、大家さんに家賃を支払いに行ったときに素麺をもらう。

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7/21(火)

3連休明けで仕事ってのはだるいもんであって。

昼、僕を含め何人かが土用の丑の日でうなぎを食べてないってことで
近くのうなぎ屋へ。
ここには親子丼とかうな玉丼とかあったはずなのだが、
丑の日前後ということでうな重のみとなっていた。
うな重にはそれほど高くないという印象があったが、一番下で1700円。
だったらと特上で2800円にする。
うな重を食べていると、日本人でよかったと思う。

先日、すずらん通りの magnif という古本屋で
COMME des GARCONS の広告アート集を買って机の上に置いていたのがきっかけで、
お客さんの会社の方から、COMME des GARCONS の去年と今年のパンフレットをもらう。
今年フィーチャーされたアーティストは The Quay Brothers という。知らなかった。
ウサギをモチーフにしたグロテスクなアニメ。
デヴィッド・リンチの「インランド・エンパイア」に出てきたウサギの着グルミのよう。

夜はセブンイレブンでおにぎり全部100円キャンペーンで2個買ってみる。
普通の鮭とベーコン・チーズ焼きおにぎり。
グリーンサラダと、豆のサラダ。牛乳。

会社の行き帰りに昼休み、帰宅後と「L.A.コンフィデンシャル」を読む。

家に帰ってきて花伝所の申し込み結果のメールを見ると、断られていた。
土曜の入伝式に出られない、なおかつ1週間出遅れるというのがやはりネックになった。

これでスペイン旅行はお気楽に観光をして本を読んでるだけとなる。
向こうでインターネットのできる環境を探して、回答を送る必要がなくなった。
ノートPCも持っていくのをやめる。荷物が軽くなる。
まあそれもよし。

教室のメーリングリストが作られる。
googleグループを利用しているんだけど、使うの初めて。
Yahoo!Groupsのメーリングリストが今度掲示板のようなサービスに生まれ変わるみたいだけど、
googleのに近づくんじゃないかと思う。

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7/22(水)

1日中打ち合わせ。
昼飯にありついたのは14時半。
先週に引き続きキッチン南海へ。
クリームコロッケとしょうが焼きの盛り合わせ定食。

夜、PJを離れることになった後輩の送別会ということで、
これまた先週に引き続き、九段会館のビアガーデン。
バニーガールは先週の方から途中で別な方にバトンタッチ。
このところ曇りに雨とビール日和ではなかったんだけど、
来たからにはひたすらビールを飲む。

昼休み、スペイン旅行の具体的なスケジュールを組み立てる。前半部分、マドリードまで。
サグラダ・ファミリア教会に行くにはどの地下鉄に乗って、どこで乗り換えて、などなど。

昨日・今日とそれほど暑くはなく、エアコンをつけずに眠る。

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7/23(木)

スペイン旅行前日。
今日もまた旅行のスケジュールを考える。後半部分、バルセロナ観光。
マドリードは2日間ひたすら歩き回るだろうと、三省堂に地図を買いに行く。
ミュシュランのとてつもなく大きいやつ。輸入物。
広げると、下手すると僕よりも大きいかもしれない。これを広げて街中を歩くのは大変そうだ。
というか、すぐにもスリが寄ってきそう。

昼、暖暮という博多ラーメンの店へ。チャーシューと味玉を追加して、替え玉。
夜、これが最後の日本食となるかも知れぬと荻窪駅前の松屋で牛めしと豚汁。

帰り道、雨が降り出す。
あともう少しで着く、と思って傘を差さないでいるうちに雨足が強くなる。

帰ってきて、携帯が海外で使えるかというか充電できるかを調べる。
準備はそれぐらい。あらかた、終えている。

オレンジジュースを飲む。
アンドレイ・タルコフスキーの「アンドレイ・リュブロフ」のサントラを聞いて、
23時には眠る。


[3147] スペイン旅行のシミュレーション 2009-07-25 (Sat)

海の日の3連休が明けて、
昼休みはスペイン旅行をシュミレーションして過ごす。
こういうのを考えているときが一番楽しい。

暇な時には地球の歩き方の「旅のQA掲示板」ってのを眺めてた。
http://bbs.arukikata.co.jp/bbs/local_list.php/local_id/23

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7/24(金)

朝4時半起きで、リュックサックを背負って、家を出る。
大家さんには一週間部屋を空けるので新聞を取り込んでもらうよう頼んである。

今回は朝早いということもあって、今回は成田エキスプレスの始発に乗ってみることにする。
片道3480円もした。高い。次回はやはり京成スカイライナーか。
でも今回はゆったり乗っていけそう。
06:07新宿発で、07:29成田空港着。

09:35 ルフトハンザでフランクフルトへ。14:15着。乗り換え。
このとき、スーツケースだったらここで受け取るのかどうかで迷いそう。
まあ貼り付けたタグを見れば分かって、
フランクフルトで受け取るってことはなくてマドリードまでなんだろうけど。
ということもあり、今回はリュックサック。
1人きりで乗り換えって、何かその場で手続きしなきゃいけないのに
気付かなかったりして、っていうのが怖い。

15:40発、18:10着。時差はどれぐらいあるんだろう。
長い一日になりそうだ。

マドリードの空港からは地下鉄で市街地まで出られそう。
ホテルはスペイン広場、プリンシペ・ピオ駅の近く。日本人が多く利用するようだ。
8号線に始発の「Aeropuerto T4」から乗って、「Nuevos Ministerios」で
10号線に乗り換えて、「Principe Pio」で降りる。
これは難しくなさそうだ。
(こういうの行き当たりばったりにその場で考える方が楽しい人もいるだろうけど、
 僕は小心者なので、できる限り事前に計画を立てておきたいタイプ)

ホテルに着くのは20時頃だろうか。
チェックインして、後はホテル周辺をブラブラしてみる。

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7/25(土)

ホテルから歩いてスペイン広場へ、王宮を見て、マヨール広場とプエルタ・デル・ソル。
ここまででだいたい午前中か。

午後は、「Sol」駅から地下鉄1号線に乗って、乗り換えなしで「Atocha」駅へ。
(隣の駅「Atocha Renfe」が、翌日AVEに乗る「Estacion de Atocha」駅となる)
というかこの辺りは歩いて行けるか。

ソフィア王妃芸術センターで今回の旅の一番の目的である「ゲルニカ」を見て、
次はプラド美術館でエル・グレコ、ベラスケス、ゴヤ。
そしてティッセン・ボルネミッサ美術館で現代アート。

昼食と夕食は広場で適当に。

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7/26(日)

移動日。
チェックアウトして、昨日と同じルートで「Estacion de Atocha」駅へ。
切符は手配済みなんだけど、改札をスムーズに見つけることができるかどうか。
そして列車に間違えずに乗れるか?
12:30発、15:27着。サンツ駅。
ホテルはパラレル通りにある。
地下鉄3号線の「Sants Estacio」駅から乗り換えなしで「Paral lel」駅へ。
チェックイン。
どう遅くとも18時前だろうから、歩いて海辺まで出て、夕暮れを見たいもんだ。

日曜なので、闘牛が見れるかも?
モヌメンタル闘牛場かスペイン広場のラス・アレナス闘牛場。
でもネットで調べてみると、
闘牛が元々盛んではないバルセロナでは興業がなくなるのだとか・・・
どうなんだろう。最後に1つ、モヌメンタル闘牛場だけが残っているようだ。
ランブラス通りの日本語案内予約センターがホテルから近いので、聞きに行ってみよう。

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7/27(月)

この日はガウディ尽くし。

地下鉄2号線の「Paral lel」駅からまっすぐ「Sagrada Familia」駅へと向かうことができる。
スペインと言えば、ここ。サグラダ・ファミリア聖堂。

西の方に数ブロック歩いて行って、カサ・ミラとカサ・バトリョ。
引き返して、地下鉄4号線の「Verdaguer」駅から2つ目の「Alfons X」駅ヘ。
ガウディ博物館とグエル公園。

4号線で「Passeig de Gracia」駅で地下鉄3号線に乗り換えて「Drassanes」駅へ。
グエル亭を見て、その後は「コルドベス」にてフラメンコ・ディナー。(手配済み)
19:00よりディナーで、20:15から別室に移動してショーを見るようだ。
ディナーは前払いだとして、追加で頼むアルコール類が片言の英語で通じるだろうか?
というのが気になる。

帰りは2駅ほどの距離なので歩いて帰れるかな。

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7/28(火)

この日はモンジュイック中心。
「Paral lel」駅から「フニクラ」(ケーブルカー)に乗って、モンジュイックの丘へ。
ミロ美術館、カタルーニャ美術館、スペイン村、オリンピック・スタジアム、
ゴンドラに乗ってモンジュイック城。
ロープウェーで海岸に出て、ゴシック地区へと北上。
ピカソ博物館、カテドラル、バルセロナ現代美術館と回る。

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7/29(水)

日本に戻る。
この帰りのルートが悩ましくて、
カタルーニャ広場から空港までのバスが出ているみたいで30分で着くらしい。
これ、うまく見つけられるだろうか。
それとも、タクシーに乗るか。

10:40発、フランクフルト行き。12:55着。13:50発、成田へ。

ドイツを訪れてみたくなる。
プラス1泊もありだったな・・・

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7/30(木)

7:50着。
あとは淡々と戻ってくる。

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お金はいくら使うことになるか?

1ユーロ:135円だとして、

・美術館など各種入場料が1か所につき、平均して10ユーロ(どこも結構高い)
 これが15か所だとして、150ユーロ

・画集とか買っちゃうんだろうな。1冊30ユーロとして、5冊買って150ユーロ。

・地下鉄の1日乗車券がだいたい6ユーロで ×3日分。(マドリード1、バルセロナ2)
 その他の日も移動があって、なんだかんだで30ユーロぐらいか。

・朝:ホテル、昼:10ユーロ、夜:25ユーロ で考える これが ×4日分。
 飛行機乗ってる日3日分はカウントしない。
 で、140ユーロ。まあ、ビールも飲んだりして200ユーロぐらいにはなっちゃうだろう。

・お土産の類を買う。200ユーロぐらいか・・・

しめて730ユーロ。節約して、700ユーロ。135円で換算して、\94,500となる。
結構かかるなあ。やっぱユーロは高い。8万ぐらいで収まらないかな・・・

なお、会社というか常駐先では
お客さんからお土産に扇子が欲しいとか、イベリコ豚がいいとか言われてるわけで。
無難にチョコレートを買って帰るのかな。


[3146] 感門之盟 その4 2009-07-24 (Fri)

アフ感(ほぼ全員、何百人という単位での飲み会)から、
さらにアフアフ感(2次会)へ。
アフター感門之盟のこと。まあこっちが主ですよね。学衆からしてみれば。

結局また今回も朝までいた…
でも、前回と違って明け方店を出るなり道端で××を××ってことはしなくて済んだ。
ちゃんとセーブして飲んで。僕も大人になったもんだ。
(守のときの師範からは「飲み方を間違えないように!」と釘を刺された)

アフアフ感ではいろんな人と話をした、というか聞いたけど、
誰と話したかは覚えていても、何を話したかということは何も覚えていない。
なんとなく、僕って感じの悪い人だったのではないかという印象が…

突破後のアフ感ではいつもそうなんだろうけど、
会う師範・師範代誰もが、誰を捕まえても
花伝所行くべきだよ!師範代やるべきだよ!と。
僕は離に挑戦するってことで直属の師範から説得に次ぐ説得を受ける。

「このまま離に行ったら岡村君はつぶれる。
 師範代を一度経験した方がいい。最低でも花伝所を。
 型がきちんと身についていないと、
 膨大な情報量を処理しきれなくなってしまう」

なんにしても、師範代を経験して、
これまでの学衆という立場から主客逆転させるというのが大きな糧になる
というのを聞いて、なるほどなと思った。

前にも書いたけど、守の時の師範代からは以前、

「師範代はそれまでに学んだことを
 次の世代に返すつもりでやりなさい。
 編集とは何か、思い悩んでいるうちはうまくいかない。
 まずは離まで行って、とことん極めなさい」

と言われたわけで、僕もずっとそう思ってきた。
それがかなり揺らいでしまった。

(編集学校の師範代・師範・もっと上の人たちは
 それぞれにみな考え方があって、
 意見はそれぞれ異なるんでしょうけど
 聞いてると皆正しい。なのでとても悩ましい)

来週の土曜が「入伝式」(入学式)で、
その前の日から僕スペイン旅行に行っちゃって次の週半ばまで帰ってこない。
そういう状態でも入れてもらえるのなら花伝所に行こうという気持ちになる。
直属の師範はそれでもいい、俺が身元引受人になると仰ってくれるのだが…
その夜、師範は僕を何人かの師範に紹介して、
「次こいつ花伝所行くからよろしく」と…
(「編集学校史上初めて、前代未聞の、AT賞で入賞して落ち込んだ奴」という称号と共に)

今、感門之盟が終わって祭りの後の寂しさがどことなく。
感門之盟の勢いで花伝書に入る人もいれば、
僕みたいに終わっちゃうんだな、という寂しさで入る人もいるんだろうな。
なんにしてもここから先、何年も、僕はがっつりと編集学校にはまってそうな。
絡め取られてしまった。

---
前回の汁講で仲良くなった学衆仲間に、
先日ヤフオクと amazon と同時に入手して
ダブってしまった「情報の歴史」を1冊譲ることになって、この場で手渡す。
1万6000円で落札したけど、1万でいいよと。

彼女は居合わせた人、1人1人に「情報の歴史」の自分の生まれた年のページに
一言コメントを求めて、書いてもらっていた。
なるほどなあ、そういう使い方があるのかと感心した。
自分にとっての「情報の歴史」ということで、さらにもう一ひねり編集したわけですよ。
次のレイヤーを足した。
この書き込みをまた更に続けていって、世界に一冊の「情報の歴史」が出来上がるとすごいね。

いつもの僕ならタワレコの「No Music, No Life」って書くところなんだけど、
前の晩に聞いた Basement Jaxx 「Romeo」にちなんでサビのフレーズ「Let it all go」と書く。
そう、何事も「Let it all go」なんですよ。

---
今回同じ教室だった方から、「季刊詩画集シエル」という同人誌を頂く。
白と黒だけのモノトーン。並べられた言葉の隙間、余白が心地よい。
海辺に建つ廃墟の中で、螺旋階段を上っていくような詩が綴られている。

(頂いたとき、そうか、僕もモロッコ旅行記を配ればよかったと思った。
 欲しい人がいたら差し上げます)

---
アフ感の後、店を出たところで、3月の京都の携帯ナビの実験でご一緒した方とお会いする。
京都を歩きながら、これから先の破のことを話したことを思い出す。
その中で彼は、「自分には物語なんて書けそうにない」って言ってたんだけど、
AT賞では大賞を獲得していた。正直、驚いた。
邪念なく稽古にスッと入っていけたかどうか、ってことなのだろう。

---
花伝所については、守の師範代からも「行きなさい!」と背中を押され、
「よし!やるぞ!!」と思ったものの、申し込んでみたらNGだった。
入伝式の出席は必須、特例は認められない。
なおかつ、最初の1週間演習ができないというのは
師範の側も真剣勝負の中、受け入れがたいとのことで。
感門之盟が終わってから数日、気分が盛り上がってきたところだったので
「あーあ」という気分。
まあ、しょうがない。

そんなわけで、二転三転したけど次は、当初の予定通り物語講座に進むことになりそう。
この夏は小説を書くことに専念する。


[3145] 感門之盟 その3 2009-07-23 (Thu)

そして、離の退院式。
これがまた、こゆいんですね。
そもそもがお題の数はどう少なく見積もっても150で、300ぐらいにはなるということで。
校長からの「この本を読みなさい」という指示を含めると1000近く。
途方にくれる。
校長自ら書いたテキスト「文巻」に基づく、
始まった瞬間からノンストップの知と情報のシャワー。
「春の嵐」に例えられていた。

退院(卒業)した27名全員が2回に分かれて全員ステージに上がって、
1人1人に松岡校長が卒業証書(何と呼んでいたか、思い出せず)を手渡す。
これがただ渡すのではなくて、「離論」(卒業論文)の核となる部分の抜粋を読み上げる。
ものすごくざっくり言えば、この世界の見方がどのように変わったか、といったようなこと。
どれも、内容が深い。
しかも、同じ内容のカリキュラムを受けているはずなのに、
1人1人が見出して発した言葉が全然違うんですね。
それぞれが人間というものの中をとことん掘り下げるからなんだろうな。
すげーと思う。
行きたくなる。行きたいという気持ちが、強まる。
知の何たるかを知るには、やはりここしかないのではないか?
来年の今頃、果たして僕はやり遂げているだろうか…
6年目の、「六離」

守の「番ボー」や破の「AT賞」のようなコンテストはないけど、
稽古への取り組み方の素晴らしかった学衆に送られる「別当賞」や
最優秀者に送られる「典離」の発表があった。
「典離」となると、それぞれに校長の書が送られる。スピーチも行う。
とある方が、そこに描かれていた「而」という文字に
接続詞という存在の不思議さ、間を生める柔らかさを語っていたのが印象に残った。

離のカリキュラムはこれまでその多くが秘密とされていたけど、
今回いくつか漏れ出てくるものがあった。
どうも自画像を描かされるらしい、とかね。

女性の学匠(そのコースの最高責任者)の左肩には、鳳凰の刺青。
びびった。

短い休憩時間を挟んで、メインイベントとして、校長講和。
1時間押していたってことで短めみたいだったけど、
例によって変化自在、話がどこまでも転がっていって落ちるべきところに落ちる。
冷静になって聞いていれば脈略ないのに、スムーズにつながっていく。
整合性ならぬ正剛性。
話は今回の感門之盟のタイトルともなったダブルページから始まる。
両面性、両頁性、両結性。
松岡正剛は若い頃、(西洋的な)二分法や一元主義と戦ってきたという。
例えば、ニーチェの超人思想。
同時代であれば、ワーグナーの庇護者ルートヴィヒ2世の孤独な狂気。ただ1人、狂っていく。
若い頃には、このような存在には熱病のように憧れてしまうもの。
しかし、あるとき一休さんに出会う。とんちの、ではなく、風狂の人としての一休さん。
彼は仲間たちと共に狂う、遊ぶ。
東洋的な両頁性に出会う。そこには主客の逆転が発生しえる。
…こういったところから始まって、
今の、という当時の日本には何が必要だったかという危機感が片方にあって、
その一方でインターネットの発達というものがあって。
ISIS編集学校が生まれるまでの歴史につながっていく。
そして、「書物にこだわる」という一点に絞り込んだ今後の方向性の意味が語られる。
メディアの交換、パッサージュとしての書物。
「暗い玩具」というキーワードが出てきた。世界の断片、アーカイヴ、ウィルスとしての…

締めとして、忌野清志郎がソロで歌う
RCサクセションの名曲「まぼろし」のライブ映像が流れた。
たぶん、これ。
http://www.youtube.com/watch?v=gpJy7_YjMMY
ギターの弾き語り。ハーモニカを吹く。
1人きりの、晩年の清志郎、かっこいい。
言葉にならない。言葉を必要としない。
その存在と、発せられる歌がそこにあるだけ。

最後に、4人3組のゲストのスピーチ。
1人は「業」を進めて来たみずほ銀行の方(19守・破を受けたという)、
今回史上最年少で突破(卒業)した2人、
1人は中学2年生の男の子で、もう1人は高校1年生の女の子だった。
最後にもう1人、第1期生の方。
この方の発声で三本締め、集合写真。

13時に始まって、終わったのは20時近く。
長かった…


[3144] 感門之盟 その2 2009-07-22 (Wed)

会場となるホールへ。2階に上がる。
ロビーで受付を済ませて、名札を首からぶら下げる。
ストラップの色がコースごとに分かれていて、
破が青、離が黄色、花伝所が緑、ゲストが赤?スタッフが黒。
青の名札を掛けている人を見かけたら、それとなく名前を見てみる。
100人も学衆(生徒)がいれば、16週間の稽古の間に目立っていた人っているもんで。
どういう人なのか見てみたくなる。
ふーん。こういう人だったのか・・・、と唸らされることになる。
発言する内容とその人の顔かたちが一致したり、一致しなかったり。

久しぶりに会った人と、あちこちでやあやあどうもと。
僕も守(基本コース)の教室で一緒だった方たちと挨拶する。

僕のブログをたまたま知って読んでくれている方がいて、
同じ教室の方を通じて紹介される。ああ、どうもはじめましてと。
ぎこちなく、お互い、何を話していいものやらって感じになる。
アフターの飲み会で話すのがいいかなとその場では、じゃあまた、となる。
でもその方はアフターには参加されなかったようで、その後会えずじまい。
なんだかもったいないことをした。

ホールはリハーサル中ということで入れず。
ロビーでは恒例の落冊市。松岡校長の蔵書で簡易オークション。
欲しい人は付箋に名前を書いて、100円単位で入札金額を書いて貼っていく。
僕はデレク・ジャーマンの「ラスト・オブ・イングランド」と
サザビーズの浮世絵のカタログ。もちろん洋書。
最初はだいたい100円ぐらいから始まるもんだけど、
他の人を寄せ付けないように僕はどちらともいきなり1000円でスタート。
その後休憩時間の合間合間に値が釣り上がっていく。
僕はずっとこの2冊を見張ってて、誰かが書くとすかさずそれよりも高い値段をつける。
「ラスト・オブ・イングランド」はもういいやと思って途中で放棄、
でもサザビーズのは絶対欲しかったので頑張り続ける。
結果、2000円で首尾よく落札。ほっとする。
師範代が入札したダンテの研究書だったか、最後は1万にまでなったという。
師範代が興味深いことを言う。
前回の感門之盟の落冊市と違って今回は離がメインだから、
今回選ばれた本もそれなりに高度な本となっていると。
そう言われてみると前回のときは守が幅を利かせていたせいか、
入門書的なものが多かったように思う。

30分ぐらい押して、ホールへ。
感門之盟、始まる。題して「真夏のダブルページ」
ダブルページってのはつまり、本の見開き2ページのこと。
必ず対となり、そこには無限の可能性を宿すことが可能。
書物の復権を謳う編集学校としては
このダブルページというメタファーに織り込みたいものがたくさんあるのだろう。
感門之盟の間に何度も何度もキーワードとして出てきた。

今回の司会は、守の師範だった(キレイで有名な)方。
晴れの舞台ではいつも着物を着ている方なんだけど、
アフ感(その後の飲み会)では着物を脱いでいて
替わりに斬新なデザインのハイカラな服を着ていて、一際目立っていた。

まずは破(応用コース)の突破式。
師範から師範代へと1人ずつ感門証が授与され、
校長から「先達文庫」として今後のヒントとなる本が2冊送られる。
師範には書が送られる。これが12教室分。
うちの教室だと、先達文庫が「江戸川乱歩の推理問題」「江戸川乱歩の推理教室」
書は「夏草に つはものどもを 追ひ秘めて」だったかな。
後にアフ感で先達文庫を見せてもらう。
こちらは表紙にサインをしただけではなくて、裏表紙にだったか、
1人1人に向けたメッセージが書かれている。
これはちょっとうらやましい。
先達文庫を受け取った師範代はスピーチをすることになっている。
とある師範代が語っていたことが心に残った。
守は「広げる」ことを追い求めて指南をして、破でも最初は広げることを心がけていた。
でもどこか違うということに気付いて、そこから先はあえて「狭める」ことを意識したという。

ステージには師範と師範代、校長だけが立つことになっていて、学衆(生徒)はあくまで観客。
ステージの上に立つことはない。
だけど最初の教室のときに学衆の女の子がふらっと上がっていって、
「あれは誰だ?」「何が起きたのか?」と騒然とする。
学衆もまた上がるものと勘違いしたのだろう…

突破式が終わって、GNNニュースが挟まる。「Gakurin Nawashiro Network」の略だったか。
何回か登場した。もちろん、CNNのもじり。
「苗代」は松岡校長がかつて語っていたキーワード。
これからの日本をちゃんとさせるために我々は苗代を育てなくてはならないのだ。
このGNNニュースで今後の編集学校のトピックが語られる。
守破離の前、超入門コースとして「序」が開設されること。
来月から編集学校関係者を中心に試験運用されるWEBサイト「本座」の発表。
千夜千冊を含むコンテンツポータルとSNS・ブログの融合。書評を書いたり、日記を書いたり。
自分だけの本棚も作れるという。背表紙が並ぶのだそうな。
(背表紙の表示は、どっかの本屋系SNSで以前見たことがある)
聞いてると「本座」は面白そうで、僕ははまるんじゃないかな・・・。
その他には、物語コースの第2期の紹介や「松丸本舗」の詳細などなど。

みずほ銀行の新入社員のための研修コースである「業」の開始ってのが僕には興味深くて。
編集学校という閉じられた、悪く言えばムラ社会から現実の世界へと足を踏み入れて、
この社会を変えていこうという試みのように思える。

休憩時間を挟んで、第10期花伝書の「放伝式」(卒業式)。

その次の休憩時間で、ランチボックスをもらって食べる。
毎回、特製。市販のものではない。
コースに引っ掛けて「破離花弁当」という名前だった。
中身は小ぶりのおにぎりなど。なかなかおいしい。普通に売ってもよさそうな。
守の教室で一緒だった方と立ち話しながら食べる。


[3143] 感門之盟 その1 2009-07-21 (Tue)

18日土曜は、編集学校の第23回感門之盟。
平たく言えば、コース別の卒業式。
(ほんとはちょっと違ってて、生徒(学衆と呼ぶ)一人一人に卒業証書を渡すってものではなく、
 どちらかと言えば、校長から先生(師範・師範代などなどのロールあり)に対して
 労をねぎらうというもの。そこに生徒が観客として参加するという)

卒業証書ってことで言えば、金曜、編集学校から「突破証」が郵送で届いた。
師範代の趣向を凝らしたメッセージが記載されている。
内容をここに書くわけには行かないんだけど、とても示唆的だった。
メインは、僕に向けた千夜千冊のポインティング。
第1252夜 『守破離の思想』藤原稜三
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1252.html

読んだ夜に、教室に向けてこんなことを書いた。
――――――――――――――――――――――――――――――
千夜千冊を読みながら、いろんなことを考えました。
どんなメッセージがそこには込められているのか?
謎解きのようでもありました。

例えば、ミーハーな気持ちで「離」に行くのは危険、
そこには覚悟が必要とされるのだということ、
そして何よりも守・破の意味を忘れてはならないということ。
だとしたら師範代を経験して、
別な視点からこの体に通してみることも正論だよな、と。
やんわり釘を刺されたように思いました。

例えば、僕は、型というものを差し置いても、
気ばかり焦って、いったんは先へ先へとにかく突き進んで、
まずはその裏に潜むものを暴こうとしていた。
そんな自分に気付かされたこと。

――――――――――――――――――――――――――――――
ただ単に「届いた」ではなく、僕は突破証を「受け取った」わけだ。

この夜の千夜千冊は師範代も舞台上でのスピーチで取り上げていて、
本文中の「型を守って型に出て、型を破って型へ出て、型を離れて型を生む」の箇所を
引用していた。ここ、全てに通じる非常に大事な話。
初心忘れずということで、これから先、
絶えずこの千夜千冊に戻ってきそうな気がする。

合わせて、松岡正剛校長が表紙にサインした「知の編集工学」も封入されていた。
うーん。これで2冊目。
せっかくだから読み返してみるか。
1人1人にメッセージが書かれていたら感動するけど、
サインだけだと今回突破した73人分を流れ作業的にこなしただけのようで、
あんまり「おー!!」って感じがない。
編集学校にいると、感門之盟の落冊市とかで
校長のサイン入りの本が比較的簡単に手に入るし。

---
本題に戻る。

前の晩、早く寝たので8時には目が覚める。
ランチ汁講(教室ごとのオフ会みたいなもの)が11時からで、東銀座駅の出口に集合。
することもなかったので、僕は着替えて早々と銀座へと向かう。
「おしゃれして来なさい」とのお達しがあって、僕は先日名古屋の無有1.5から取り寄せた、
赤地に鶴の描かれた古着物アロハを着ていく。
下はあちこちに穴の開いたジーパン。
洗濯できなくなってしまったので、思いっきりファブリーズをかけて。
これといって派手な格好をしていた人は余りなく、僕のアロハ、とても目立っていたように思う…

9時半には着いて、インズのアートコーヒーでカフェオレを飲みながら
ジェイムズ・エルロイの「L.A.コンフィデンシャル」の上巻を読み終える。
気違いじみた妄想に駆られて、事件を追う男たち。
乱雑なまま破天荒に語られていた物語が大きなうねりを作り出す。
それにしても、朝10時の銀座の安いコーヒーショップは女性客だけ。
そういう客層なのか。

待ち合わせの場所へ。
時間が近付いても誰も現れない。おかしい、と思う。
「A1」出口のはずだが。
あ、と思う。僕は銀座駅の「A1」出口と東銀座駅の「A1」出口を取り違えているのではないか。
やはり、そうだった。銀座駅と東銀座駅って地下でつながってなくもないじゃないですか。

イタリア料理屋に入って、適当にピザとパスタを頼んで食べる。
あれこれ、話す。

時間が来て店を出る。
歩きながら師範代と話す。
来春「離」を受講するなら、師範代をやっといた方が絶対いいと。
どうしたもんか、と悩む。

(続く)


[3142] 7/11 - 7/17 2009-07-20 (Mon)

7/11(土)

9時起き。午前中にあれこれと宅急便が届く。
名古屋の「無有1.5」から、和柄アロハシャツ。真っ赤な地に鶴が描かれている。
青森の母から、馬肉の燻製。
ぴあから、サマソニのチケット。
HMVから、オーダーした現代音楽のCDの数々。

昨日食べすぎたので昼は何もなし。

池袋へ。西武百貨店でスーツを買う。いつも通り、POLOで。
バーズアイ柄でいいな、と思うのがあったけど、サイズが合わず。
青の夏ものにする。セールで思いもかけず安値。
ネクタイも1本買おうとしたら、更にもう1本買ったら全部で20%OFFになるというので、2本買う。
その他、半袖と長袖のYシャツやトランクスなどを買う。

池袋のレコファンに行ったら、珍しく買いたくなったものばかり。
探していた、Tori Amos のファースト、
なんと、Gun's'n Roses の「Live?!@ Like A Suicide 」(1万円近くした)
Daniel Johnstonの限定1000枚の新作。
ここでこんなに使うつもりはなかったのにな・・・
Sloan の初期EP、Cursiveの90年代半ばのアルバムの日本盤、
Ute Lemperの歌う「リリー・マルレーン」、
カンタベリー系の隠れた90年代名盤、Caveman HughScoreの日本盤。
次の週末に給料が出て、裾上げしたスーツを取りにまた来るので、その時に買おうと思う。

夕方、家に帰ってきて、1年ぶりに小説を書き始める。
昔書いた短編小説の続き。
2つ足して100枚以上にして、コンテストに応募する。
久々に書いたら、やはり筆がなまっていた。
だけど、書き始めることができて嬉しく思った。
僕が僕を取り戻す感覚がそこにはあった。

その後「1Q84」を200ページほど読む。
やはりのめりこむ。やめられない。

夜、缶ビールを飲む。
西友で買ったやきとりと刺身のぶつ切りを食べる。トロ、サーモン、はまちなど。
ボーナスが出たので豪勢に食べたかったのだが、多すぎてまた腹いっぱいになる。
気分が悪くなる・・・

午前1時頃眠る。

---
7/12(日)

9時頃目を覚ます。暑い。
小説の続きをちょっとだけ書く。

中野ブロードウェーに行って、Recomintsで中古CDを買う。
3店舗間で棚の入れ替えをしたようで、Rockが3つに分かれてしまった。
不便なことこの上ない。1フロアに全て詰まっているあの雰囲気が好きだったのにな。

元に戻らないだろうか・・・
これと言って掘り出しものはなかったものの、結局いつも通り1万円近く使ってしまう。

Karla Bonoff の紙ジャケ、Francoise Hardy の70年代前半のアルバム、
Phewの90年代初めのミニアルバム、イルリメの弾き語りなど。
Paul Weller のライブアルバムが300円だったのでこの機会に買う。
その後は住友でかき揚げ定食の上にエビスビール。

新宿に出て、タワレコでCDを買う。Bob Dylan のライブアルバムの紙ジャケなど。
ハンズでシャワーカーテンと浴槽を洗うスポンジ。
ヨドバシで浄水器のカートリッジ。

帰ってきて、洗濯、「1Q84」の続き。

夕方また新宿に出る。
Karla Bonoff 3枚のうち、残り2枚を探す。Amazon を見たらプレミアが付いていた。

Recomints では普通の値段で買えた。
DiskUnionとレコファンを回ってみるが、見つからず。

新宿西口の「鳥一」(先週、合コンで入った店)で映画サークルの先輩・後輩と飲む。

2軒目に入って、帰りは夜遅く。
寝たのは午前1時。

---
7/13(月)

朝起きてなんだか調子がよくない。
昨日遅くまで飲んでて軽く二日酔い、それ以前に眠り足りない。
右肩が寝違えたのかなんなのかとても痛い。
取り立てて忙しくもないし、午前休しますと会社にメールを送って二度寝。
エアコンをつけてロフトに戻って寝る。
起きたら10時半。
二日酔いも眠気もない。やはり休んでよかった。
無理に会社行っても仕事にならなかった。
コンビニに行って緑のたぬきの大盛りを買う。昼は安上がりにこれだけ。
「1Q84」を1章だけ読む。
出社。外はとてつもなく、暑い。
梅雨は明けたのか。真夏のようだ。

午後から出社するものの、肩が痛くてどうにもならない。
あまりキーを打ちたくない。打ち合わせをした方が楽。
昨日の昼、洗濯ものを干そうとして右腕を変な方に曲げてしまった。
そしたら筋肉が攣った。ここが何か関係しているのかもしれない。
それともただ単に寝違えただけなのか。
曲げると、ズキズキ痛む。ぎっくり腰が肩に来たかのよう。

首相、衆議院解散を決める。
昨日の都議会議員選挙でも自公は大敗したのだとか。
例によって僕は投票に行かず。

夜、まだ明るいうちにオフィスを出て、同僚たちと九段会館のビアガーデンへ。
ズワイガニ食べ放題。カニまみれになる。
バニーガールの写真を撮る。
22時近く、閉店間際までいて、帰ってくる。

---
7/14(火)

相変わらず右肩が痛い。
午前中、オフィスを抜け出して近くのドラッグストアに湿布を買いに行く。
帰ってきてトイレの中で貼る。
痛みは多少薄れたが、根本的な治療にはなってない。
一週間ぐらいはこの状態が続くかもしれない。

東京が梅雨明け。真剣に真夏。暑い。
それにしてもここ数年、夕立があって梅雨明けってのがなくて、
気がついたらフェードアウトってのが多いね。
これはこれで異常気象なのか。

朝から蕎麦が食べたくて、近くの蕎麦屋に行くものの、
メニューにカツ丼を見たらあっさり翻す。
カツ丼の力、誠に恐ろしい。

夜、セブンイレブンのチキンカツサンドと1日の野菜の半分がとれるサラダ、牛乳。

昼休み、「1Q84」を読む。
帰りの地下鉄の中で上巻を読み終える。

昼、すずらん通りの古本屋で浮世絵のコピーが1枚300円で売られていて、
広重作の「近江八景乃内・比良慕雪」という涼しげな山を描いたものを買う。
仕事場の机の壁に立て掛ける。

---
7/15(水)

PJはまた(中略)
その後お客さんに呼ばれて、あれこれ話を聞く。
僕もひどい話だと思う。(後略)

昼、打ち合わせが長引いた関係で一人でキッチン南海。
カツカレーにマヨネーズをかけて食べる。

店を出たらばったりお客さんと会って、浮世絵を売ってる古本屋に入った。
今まで目にはしていたけど入ったことのなかった古書専門の店。
本物の浮世絵はもちろん何十万という価格になっていて、手が出せない。
僕が昨日買ったカラーコピーではなく、レプリカを刷ったものだと8000円程度。
この店には江戸時代の古書や福沢諭吉といった明治時代の古書、あり。

夜、ファミマのポテトサラダと、叉焼と煮卵のサンドイッチ。うまかった。

家に帰ってきて、エアコンのスイッチを押そうとしたら液晶の文字が消えてて、
電池が切れたのかと思う。
コンビニに買いに行く。交換しても液晶に文字が表示されない。
電池を納める箇所にリセットボタンがある。でも、反応しない。
壊れたのか?焦る。
エアコンそのものはタイマーセットしていたので、今のところ稼働している。
しかし、いったん電源コードを抜いたら二度とスイッチを入れられない。
どうしたもんか・・・
今日はまあいいとして、明日以後つけっぱなし?
このまま直らずにいて、来週のスペイン旅行の間は?
進むことも退くこともできない。
リモコンを交換すれば済む話だろうか?
電話すべきはヨドバシの修理センターだろうか?それともメーカーだろうか。
メーカーに電話したらリモコンだけ即入手できないだろうか?
だったら明日か明後日休んで、メーカーのどっかに直接買いに?行こう・・・
でも、故障しているのが本体側だったらアウトだな。
などなど考える。
もう一度だけリセットボタンを押してみたら、今度は反応した。
ほっとする。助かった。
かなりパニクった。

「1Q84」を8章分読む。

松岡正剛デジタオブックレットはこのところ高速編の「分母の消息」を読んでいる。

---
7/16(木)

勢いで「1Q84」下巻の残りを読み終える。
昼休み、地下鉄の帰り、夜家に帰ってから。

昼、「まんてん」の近くの日本酒・焼酎の充実してそうな居酒屋のランチ。
難しい漢字を書く。石焼麻辣ルーロー飯を食べる。意外とうまい。
夕方、足りなくなって、ファミマで玉子サウザンサラダとざるさばを買って食べる。
これはこれで夜、腹が減るが我慢する。

夜、家に帰ってからTropicanaのグレープフルーツジュースを飲む。
ウィスキーは飲まない。

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7/17(金)

給料日。
昼、丸香でさぬきうどん。釜たま。うまかった。
神保町で最もうまい食べ物の一つ。
ゲソ天、野菜天盛り合わせ(ここまで天ぷら)、海老天(カマボコ)をトッピング。
野菜天はオクラ、かぼちゃ、とうもろこし。
とうもろこしの天ぷらなんて初めて食べた。
もちろん、丸香は天ぷらもうまい。

夕方、池袋へ。先週買ったスーツを取りに行く。
レコファンで先週買い控えたCDを買う。
Caveman Hughscore, Cursive, Sloan, Ute Lemper の4枚。ジャンル無茶苦茶。
タワレコで「色即ぜねれいしょん」の限定シングルを買う。
くるりの岸田繁と銀杏BOYZの峯田和伸が共演。
スーツを受け取って、半袖のYシャツをもう1枚買い足す。

荻窪に戻ってきて、給料日ってこともあり、西友でやきとりと、レバーの甘露煮を買う。
CDを聞きながらビールを飲む。
最近話題の LADY GAGA を聞くが、ピンと来ない。

松岡正剛デジタオブックレット高速編の「分母の消息」の3冊目を読み終わる。
これで僕が先日入手したものは全て読みきった。

編集学校から突破証が届く。
松岡正剛校長が表紙にサインした「知の編集工学」も届く。


[3141] ファンタジー 2009-07-19 (Sun)

とある方とメールでやりとりをしていて、
以前問われていたことを、ふと、思い出す。
返していなかったので、返そうとして書き始めて、
いや、ブログに残しておこうと考え直す。
書いているうちに、私信を越えてしまった。

この文章を読んでくれているだろうと信じて。

---
(前略)

ふと、答え忘れていた質問があったことを思い出しました。

> 岡村氏はメイド体験はあり?

あるんですね。
秋葉原のメイド喫茶に行くってことなら。
僕自身はアキバ的なもの全般が苦手ですが。

3年か4年前に、ひやかしで行きました。
とあるビルの2階だったのですが、僕らの前には、
全身に海上自衛隊の真っ白な制服を着た
にきび面のまだ18か19と思われる若者が立っていました。
彼は、見るからに緊張していました。
オドオドしつつも、必死になって、
何食わぬ顔をしてそれを隠そうとしていました。

長い長い洋上生活。
いろんなファンタジーを夢見たことでしょう。
そのファンタジーが今、扉の向こうに待っているわけです。
メイドたちがニコッと笑顔を浮かべて、
「お帰りなさいませ、ご主人様」と迎え入れる。
ああ、その瞬間。

僕らからしたら、彼女たちは皆、ただのメイドに憧れるバイトの子たち。
それ以上でもそれ以下でもなく。
ふーん、とか、へー、とか心の中で思う。
すれてるっつうかなんつうか。
居心地の悪い思いをしながら。

今思うと、あのときの若者のいかに幸福なことか。
信じられるファンタジーが現実の世界にあって、
そこに今、手が届くのです。

ファンタジーって、きっと必要なんですよ。
世界とか物語とかに入っていく、リンクするために。手続きとして。
想像する、ということ。
現実という(名で誤解している)澱みを脱ぎ捨てて、自らのあるべき姿を。
世界はそこに、たぶん、答えてくれる。答えてくれるはず。
その、希望とでも呼ぶべきもの。
最近「1Q84」を読んでるから、なおさらそう思う。

そんなことを考えるとき、アキバ的なファンタジー以外の、
もっと別なファンタジーが東京にはもっと
あってもいいのではないかと思います。

あー、渋谷ってある意味そうなんでしょうけど。
でもそれは、女子高生にしか効果のない魔法のようなもの。
30過ぎた僕にとっては、渋谷は渋谷。
シネマライズとか短館上映の映画館があって、
HMVやタワレコの大きな店舗があって、
おしゃれなCDを売っているセレクトショップがあって。

どうして、いつのまに、
「現実と信じ込んでるもの」しか視界に入らなくなってしまったのでしょう?

いや、話をちょっと戻して。
ファンタジーってものを東京とか具体的な場所に結びつけるのは
そもそも間違いなのかもしれない。
自らの内に求めてみたり、あるいは外、半径3mに求めてみたり。
自らの内に留めておくか、外に発するか。
外に発するならば、それが受け入れられるか。

…なんだかとりとめのないことになってしまいました。
ごめんなさい。

まあそんなわけなんです。
それでは。


[3140] 「1Q84」 たぶんその3 2009-07-18 (Sat)

下巻の200ページを水曜に読んで、残り300ページを木曜に読んだ。

下巻の途中から、若干、進行が停滞したように思う。
以前述べられたことが繰り返されるようになった。
そこで語られるべき物語の枠組みが、遂に全て出そろったということなのだろう。
お膳立ては整った
逆にそこから先、読む側からすると物語が加速していくことになる。
ハッピーエンドなのかアンハッピーエンドなのか分からないけど、結末、終極に向けて。
言葉が突き進んでいく。

---
青豆と天吾は「物語」に翻弄される。
「運命」ではない。
(僕の気づいた限りにおいて、「運命」という言葉は出てこなかったように思う。
 少なくとも、これだけのストーリーを描いておきながら、重要なキーワードではなかった)

ここで上巻、冒頭のエピグラフに戻ってくる。

―――――――――――――――
ここは見世物の世界
何から何までつくりもの
でも私を信じてくれたなら
すべてが本物になる

It's a Barnum and Bailey world,
Just as phony as it can be,
But it wouldn't be make-believe
If you believed in me.

"It's Only a Paper Moon"
(E.Y.Harburg & Harold Arlen)
―――――――――――――――

この歌詞が、「1Q84」の全てを語っている。

物語には、虚構も現実も存在しない。
本物として信じるかどうか、その中に生きるかどうか、ただそれだけである。

---
90年代以後の作品ではベスト。
「ねじまき鳥クロニクル」なんかよりも。
語られた全ての物事が必然性に貫かれている、というのがいい。
「海辺のカフカ」にはまだ、ご都合主義的な展開、描写、言葉に頼るところがあって、
そこのところはやはり緩かった。
「1Q84」はパーツの組み合わせとしてどこか緩い箇所があるというレベルではなくて、
トータルな物語世界として全てが構築されきっている、という印象を受ける。
しかもそれは、最初から無傷なものとして生まれたのだ。
ものすごく大きな文学的達成だと思う。
日本文学としても、世界文学としても。

19世紀ロシアの「カラマーゾフの兄弟」や「アンナ・カレーニナ」に比べたら、
スケールの大きさや登場人物たちの形而上学的な悩みの深さとしては
はるかに「及ばない」かもしれない。
しかし、その時々の文学で何を描けるか、何を成し遂げられるか、という意味では、
同じぐらいのインパクトを持つものとして後世に語り継がれるのではないか。

この世界とはどういうものなのか。
物語とは何なのか。
人が生きる、生きていくというのはどういうことなのか。
例えそれが不完全なものだったとしても、私たちはそれを生きていかなければならない。

村上春樹はこの作品で再来年ぐらいにノーベル文学賞を獲得すると思う。
物語という名の世界、世界という名の物語。
21世紀の今、最もアクチュアルなテーマに対し、
一人の作家として最大限に誠実な回答をもたらしたということで。

---
物語であって、神話ではない。
次に向かう領域は、「神話」なのではないかと考える。


[3139] 小説と物語 2009-07-17 (Fri)

以下、編集学校の教室で書いたことを加筆・修正したものです。
とはいえ、あくまで、メモレベル。
この辺りの考えを深めるために、僕は今後も編集学校で学ぶのだと思う。

---
小説と物語の違い。
刹那的な、その時々の一瞬の価値観に燃え尽きるか、
より大きなものの一部となって還元されるか。
キーワードは「売れる」と「語り継ぐ」です。
そもそも、違うんです。

物語とは、大局的には、人が人として生きる大いなる営み、
その長い長い歴史に意味を与える行為ではないか?
だけど僕にもまだまだ分からないことばかり。
(クロニクルという縦軸があって、横軸は?…まだ分からず)

定型化して、固まって、でもまた崩されて、
という大いなる潮の満ち引きがそこにはあります。

小説はその時々で切り取って商品化する過程に過ぎません。

大いなるものの中に飛び込み、その流れに身を任せること。
流れの中で、自らもまた物語となること。
物語というものは、とてつもなく大きい。
猿から進化して頭でっかちになってきた人類を導き、
動かしてきたエンジンかもしれない。

---
物語は「語られる」ものだとしたとき、小説は「読まれる」もの、だと思います。
「書く」でも「読む」でもなく、「読まれる」
(ここで言う「読む」「読まれる」には
 ジュリア・クリステヴァ言うところの「読む」も含まれる。間テクスト性)

つまり、物語と小説の差異にはいろいろあるけれども、
例えば、小説というものははっきりと書き手と読み手が分かれています。
(注 作者は書き手にもなれば、読み手にもなる)

そして、文字ありき。
文字を並べていって文章としたものの背景となる、メディアありき。
それは文庫本かもしれないし、新聞や雑誌かもしれないし、
WEBページかもしれない。

(その逆に物語とは、顕在的なものであれ、潜在的なものであれ、
 言葉ないしはイメージとしてなんらか共有さえ果たされば、
 1人の中で閉じていても、1:1で向かい合って議論されても、
 集団の中で詠唱として聞いても、もちろん本や図鑑であっても、
 その手段は問われない、と思います)

ここで、書くと読むとが離れる、メディアを必要とするというのがポイントで、
一般的な読者に届くまでの間に、商品として企画され、製作され、流通され、
場合によっては広告や宣伝も受け、批評され、という過程が必要とされます。
ここに何か「よじれ」のようなものが発生するんですね。
小説って、そういうものだと思うんです。

売るということを目的としてなくて、
自分だけのために、身近な人のために書いたものだとしても、
そこには厳然と読み手が存在して、伝えなければならないものがある。
その届けるという行為が21世紀の今、ストレートにできない。

…なんかちっともうまく言えなくてもどかしいです。

物語がやはり「共有する」ものだとしたら、
小説とは「伝える」「届ける」ものなんじゃないか。
作者と読者との間の隘路を通るもの。

そしてそれが、
作者の側からしたら未知の不特定多数に対してなされるならば、
受け取る側にはそれを読む時間を費やすだけの魅力がなければならない。
消費社会においてそれは、端的に言って商品としての価値、
売れるかどうかという一言になってしまう。

図式的に言えば、

<物語:循環的>
 Aさん−(共有)−Bさん−(記録)−語り部的立場のCさん

<小説:一方通行的>
 書き手のAさん−(魅力)→読み手のBさん


[3138] サマソニ '09 2009-07-16 (Thu)

今年もまた、夏フェスはサマソニだけ行きます。
今年は10周年だということで金曜から3連チャンなんですね。
で、金曜になんと、Soulwax が出るという。
じゃあってんで会社休んで金曜も行くことにする。
去年・一昨年と土曜見てたので、今年もそれに倣う。ということで、金・土の2日で。
チケットも入手済み。

で、タイムテーブルを最近になって見始めたんだけど。
これがまた、難しいね。
見たいものは絶対重なるし、暇なときはとことん暇。

8/7(金)は Soulwax の裏に、
Nine Inch Nails / My Chemical Romance / Mogwai / Aphex Twin / Tahiti 80 が重なる。はあ。
ミーハーな僕としては、マイケミ見たかったよ。というか本命は Nine Inch Nails だけど。
時間帯かち合わなかったら、Aphex Twin は見たなあ。そりゃもちろん。
どんな演奏になるのか見当もつかない。
実はこの中で、一番いいライブをしそうなのは Tahiti 80 何じゃないかと思う。

Soulwax 以外にどうしても見たいのは Mercury Rev ですね。
今更旬でもなんでもないけど、1度は見ておきたい。
「Goddess on a highway」の頃、神がかっていた。
でも、この曲やらないんだろうな。

ざっと眺めてみて、一応、Dragon Ash は見ておこうかなと。
多少時間がかぶるフジファブリックとどっちにするか迷う。

あと、なんと言っても the HIATUS ですね。
活動休止後、遅ればせながらエルレいい、と思ったんだけど。
でも気になるっちゃ気になる。
Mercury Rev とどっちを取るか。

午前中、午後イチの早めの時間帯で気になるのは、JAPAN -狂撃- SPECIALと福原美穂。

8/8(土)はさらに、見たいものがなく・・・

MARINE STAGE : HOLLYWOOD UNDEAD
ISLAND STAGE : te'
SONIC STAGE : Little Boots
MARINE STAGE : Placebo
DANCE STAGE : Metronomy
DANCE STAGE : Tom Tom Club
MARINE STAGE : Linkin Park

まず間違いなく、こうなると思う。
あー何の冒険もない。

でも、Linkin Park 見たいなんだよなあ。
昔は「なんだこりゃ」と思ってたけど、やはり今、この時代の最重要バンドの1つだと思う。
目新しいものは何もない。
でも、かつての U2 とかレッチリのようなスケールを描けるバンドって今、ほんと少なくて。
正統的なものを引き受けるかっこよさがあるんですよね。
「Shadow of the Day」を聞けたら嬉しいなあ。恥ずかしながら最近のヘビーローテーション。

Tom Tom Club もそりゃ見たい。Talking Heads ファンとしては見逃せない。
Tom Tom Club は Talking Heads と違うと筋金入りのファンは言うかもしれないけど。
まあ4人のうち2人が揃ってんだからさ。
ギターの Jerry Harrison がゲストで参加とかないだろうか?ま、あるわけないか。

ORESKA BAND や the band apart に凛として時雨も見たくはあるが。

今年は土曜の朝以外に日本の若いバンドを見たりしなさそう。
これまで見逃してきたなあってのを落穂狩り。
まあ、ダラダラ過ごしますわ。

日曜は、The Flaming Lips にユニコーンとエレカシ、そしてなんと The Vaselines
よく見たら WAR も出るんですよね。WARって、あの WAR ですよ。
日本だから、「Raw Rider」もやるんだろうな。
その裏が Pay money To my Pain だったり。
あー日曜こそ、見るべきだったか・・・


[3137] 「1Q84」 たぶんその2 2009-07-15 (Wed)

昨日の夜、会社帰りに丸の内線の中で上巻を読み終えた。
最後のページに差し掛かって、荻窪に到着した。
結局、読んでて止められない、止まらない。

「1Q84」の「Q」とは何なのか、途中に出てきた。なるほど、と思った。
「阿Q正伝」の「Q」かと思ったら、全然違ってた。

今回の作品は、交互に語られる物語がいとも簡単に交錯する。重なり合う。
だけど、肝心の2人が出会うことはない。
少なくとも僕がこれまで読んできた上巻までは。
さて、ここから先どうなることか。

---
基本的にミーハーな僕はHMVのサイトで「1Q84」の記事を見かけたとき、
まだ読んでもいないのに
ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」が収録されたCDをオーダーしてしまった。
もちろん、ジョージ・セルがクリーヴランド管弦楽団で指揮してるやつ。
届いて以来、何度聞いたことか。

カップリングのバルトーク「管弦楽のための協奏曲」の方が
僕の捉える作品のイメージに近いように思う。
どちらにせよ、大雑把な輪郭はスッと捉えられても、細部につかみどころがなく、
毎回毎回これってどんな音楽だったっけ?と思うことになる。

ハイドンの「チェロ協奏曲」まで買ってしまった。
「海辺のカフカ」でハイドンが語られていたことも記憶に新しく。

とはいえ、いくらミーハーであっても
「平家物語」やチェーホフの「サハリン島」を読んでみたりはしない。
大変そうで・・・

---
世界が大きくよじれて、それに合わせて物語もまた、大きくよじれる。

村上春樹に限らず、世界と物語の関係性というものが気になりだす。
結局のところ、それは等価なものなのか?
(少なくとも「1Q84」においてはそう思える)

それとも、どちらかがどちらかに包含されるのか。
この世界を記述して、言葉によって束ねたものが物語なのか。
この世界は我々が生きる物語の、背景に過ぎないのか。

---
話はちょっと変わって。
小説を書き始めたと話したところ、会社の映画サークルの後輩からこんな言葉が。

『岡村さんが小説を書き出されたということなので、
 世界無き僕、あるいは僕無き世界が生まれることを期待しています。
 「結局、僕」じゃないやつを!』

うまいこと言うよね。
「結局、僕」というのは、安易な解決。
決して、そこに逃げちゃいけない。

物語なのか、世界なのか。
ただそこに立ち向かうのみ。


[3136] カニとバニー 2009-07-14 (Tue)

九段会館のビアガーデン。
「バニーガールがいる」ってことで前から気になっていた。
シーズンになって、調べてみたら隔週月曜はズワイガニ食べ放題ってのをやってるらしい。
色めきたつ。…男たるもの、いかねば。カニとバニー。
そんなわけで、昨日、早速行って来た。

予約不要だが、カニ食べ放題は各日100人まで。
案内の PDF にそう書いてあって、僕らはビビル。
100人なんてあっという間だよ。ダメだよ、ムリだよ、エトセトラ。
そう言われて、僕もそんな気になる。
でもまあ行ってみるべし。そっから、考えるべし。
だめならビール飲んでつまみ食って帰ってくればいいじゃん。
こういうときだけ、僕はポジティブになる。

定時を過ぎて、神保町から九段会館まで歩いていく。
エレベーターに乗って、屋上のビアガーデン会場まで。
「カニあります?カニ」って聞いたら、意外とあっさりと、僕らはズワイガニにありついた。
カニ食い放題+飲み放題で、4600円。

そんでずっと黙々とカニ食ってたんですけどね。
スーツの下はもう、溢れ出るカニ汁まみれ。ひどい有様。要クリーニング。
カニはね、青森で生まれ育って正月には親戚の家で高級品を食べてきた僕からしたら、
たいしたことはなかった。
殻から身の離れ具合の、なんつうかスカスカ感。これは、アウト。
でもさ、東京で1人暮らししててたまに食べるカニ。女性の眼を気にせずなりふり構わず食い放題。
これはこれでいいもんだよね。
4600円で都心だったら、これでも上出来。
両手でガシガシ剥いてって、「カニ、うめー」って原初の猿に戻る。
いいんじゃないですか、それで。

それはそうと、バニー。今回一番の懸案。
1人しかいなくて、遠くのテーブルでおっさんと1人ずつ写真を撮ってたりするんですね。
「あぁ!!」と焦らされる。
ようやく僕らのテーブルに来てくれて、写真撮りまくる。
バニーと2人でVサインなんかしたりして。
僕ら、超ミーハー。肩に手を回りしたりもする。大はしゃぎ。
来てほしいと思ってあれこれしていたら、ほんと来てくれたんですよ。

バニーは、この世で最も美人な人ではない。その辺の普通の人だ。
でも、大事なことに、でも、この場には1人しかいない。
その辺、商売がうまいなあと思った。
女性の店員全員がバニーガールの格好だったらよかったか?…それはない。
基本手が届かなくて、時々手が届く。この距離感のなんと絶妙なことか。
そんなんでいいんですよね。男たちの安っぽい欲望としては。
携帯を向ければ、笑顔でVサイン。そして注文をとっていく。
「おしぼりください」って言うと、人数分持ってきてくれる。
一人一人、手渡してくれる。
じゃあ、キャバクラでいいじゃん。人はそう言うと思う。
でも、キャバクラじゃだめなのだ。何の有り難味もない。
女の子が隣に座って、おしぼりを渡してくれたらそれでいいってもんじゃない。

そんなわけで、今、この場のバニー。
いいなあ、と思う。いい。とてもいい。
だけど僕なんかはその場で何も言わず、ヤイノヤイノ言いながらこっそり瞬時に観察する。
例えば、左耳に、どれだけピアスの穴が開いているか?といったようなこと。
夏はこんなふうにビアガーデンがあるけど、他のシーズンはどうしてるんだろう?ってことを考える。
聞いちゃいけないんだろうな、と思うから聞かない。ただ、はしゃぐだけ。
ファンタジーをわざわざ崩す人間は、野暮だ。
そしてバニーは、その全てを軽く受け流して、いくつかを受け入れる。

バニーガール足るもの、永遠に男たちの憧れでなければ。
(それはもう、神話の領域に近い。20世紀後半のアメリカ。
 ヒュー・ヘフナーがいて、「プレイボーイ」が創刊されて。
 そういうのの系譜を辿るのは絶対面白いと思う)

対比して考えたくなるのは、バドガールのいるビアガーデン。
もう、猫も杓子も店員の女の子のほとんどがバドガールの衣装着てるじゃないですか。
バドガールの衣装そのものにはファンタジーがあるとしても、
みんながみんなあれを着てたらそこにファンタジーはなくなりますよね。暑苦しくなる。

食べ物がおいしいかって言ったら、そんなことはない。
新装オープン前の東京駅大丸は僕の知る限り、最高峰だった。
九段会館は全然たいしたことない。
でも、(たった一人の)バニーガールというとてつもない切り札がある。
今の僕としては都内最高峰は、九段会館と言わざるを得ない。

バニーに会いに、もう一回行ってみたい。
そう思う僕は、幻想に浸りすぎなのか。
例え「役割」とはいえ、幻想を受け入れてくれる人というのは、
このご時勢、とても貴重なのだ。


[3135] 「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」 2009-07-13 (Mon)

金曜の夕方、東京国立近代美術館にゴーギャン展を見に行く。
http://www.gauguin2009.jp/
今回の目玉は、日本初公開の大作、
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」

上野や六本木の美術館はよく足を運んであれこれ見てるけど、ここは実は初めて。
というか存在自体知らなかったかも。
竹橋にあるので、神保町のオフィスから歩いて行く。

平日の午後ということもあって、館内はそれほど混んでなくて居心地よかった。
展示はいくつかのパートに分かれていた。
・30代半ばにして画家を志し、ゴッホと出会う、そのブルターニュ時代
・タヒチに移り住んでから
・紀行文「ノアノア」の挿絵の版画を現存する数種類のバージョンで
・「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」とその改題
・マルキーズ諸島移住後

美術的に難しいことはよく分からない。
ゴーギャンという名前を聞いて思い浮かぶ、
土の匂いのする赤、黄、緑の火照ったような色彩がそこにあった。
個々の絵については、余り惹かれず。
僕の中で好きなゴーギャンというのは、あくまでイメージに過ぎなかったのかもしれない。
伝記的な要素と、エキゾチックな色彩とが渾然一体となった。

興味深かったのは「ノアノア」の多色刷りと白黒の版画で、
眠っている娘に悪霊が取り付こうとしているとか、
大きな火を囲んで無言で座り込んでいるとか、タヒチの神話的風景を描いたもの。
絵画として描くよりも版木に彫られた線だけの方が、そういうのって伝わってくる。
聖なるものと禍々しいものとが不可分になったような情景。

そして、「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
今回のゴーギャン展はただこれだけを差し出すようなものであって、あとはオマケ。
でも、実際に壁いっぱいに広がった絵を見るとそうしたくなるのもよく分かる。
確かにこれは「行き着いて」いる。
絵画という表現形態を用いられて現出した、人類の到達した1つの場所なのだと思う。
ベタな話だけど、ピカソの「ゲルニカ」に系譜的につながっていく。
人類とは何なのか、描ききっている。
タイトルがいいよね。全てを物語っている。
混沌と静寂。生きとし生けるものがすべからく向かいつつある、死というもの。
善悪を超越した、彼岸。人間という生き物が抱く感情の全て。
人類というもの、その歴史というものの脆さと儚さ。
タイトルに言うように描かれた瞬間はあくまで通過点でしかなく、全ては流転し、移ろい行く。
圧倒される。

小ぶりな展覧会で、見てるとすぐにも終わってしまう。

ゴーギャン展が1500円で、一緒に、
所蔵作品展「近代日本の美術」と「寝るひと・立つひと・もたれるひと」を見ることができる。
もちろん見てみる。
http://www.momat.go.jp/
http://www.momat.go.jp/Honkan/permanent20090613.html#detail
http://www.momat.go.jp/Honkan/Lying_Standing_and_Leaning/index.html

っつーか調べてみたら今、
フィルムセンターでは「ぴあフィルムフェスティバルの軌跡」ってのをやってるみたいね。
http://www.momat.go.jp/FC/Cinema2-PFF2/kaisetsu.html
これ、見たいなあ。
平野勝行が大友克洋原作で撮った「愛の街角2丁目3番地」はゼッタイみたい。
次の日曜か・・・

「近代日本の美術」はサーッと駆け足で見ただけ。
この辺の時代の作品の良し悪しはよく分からず。
岸田劉生とか藤田嗣治とか、その辺を名前だけ知ってるぐらい。
しかも、この2人は見てて「何かある」とは感じるものの、
それが自分にとってしっくりくるものかというとそんなことはない。

たくさん展示されていた中で、佐伯祐三だけがいい。自画像が飾られていた。
燃え盛る炎の中で溶けた真っ白な鉄が、冷えていって屑鉄になるかのようだった。
(イースタン・ユースのアルバム「旅路ニ季節ガ燃エ落チル」にて
 「立てる自画像」がジャケットに使われていたことから僕は興味を持った)

時代順に並んでて、例によって、最後に東山魁夷とか平山郁夫が並ぶんだけど、
やはりそのよさが分からず。
岡本太郎は別な意味でよく分からないんだけど、それでも、すげーと思った。

「近代日本の美術」「寝るひと・立つひと・もたれるひと」のどちらとも関係なく
特集が組まれていたと思われる、
川田喜久治という写真家の「ラスト・コスモロジー」という連作が掛けられた部屋があって、
この写真は凛としていてとてもよかった。
「昭和最後の太陽」とか、「都市の全景」とか。
写真集があったら欲しいと思ったけど、現在入手不可のようだ。
他の写真集もどれもプレミアがついている。

あともう1人気になった写真家で、セバスチャン・サルガドの「サヘルの飢饉」


[3134] 7/4 - 7/10 2009-07-12 (Sun)

7/4(土)

(大阪出張の項を参照)

---
7/5(日)

9時半に目を覚ます。眠ってて暑くはなかった。

編集学校は突破締切日ということもあって大賑わい。
夜までお祭りが続く。
こちらの教室は8名のうち、1名が最初から顔を出さず、1名が途中でフェードアウト、
残る6名が突破。そのうち4人が今日の夜という。
1人は22時の締切30分前、1人はなんと1分前。
手に汗握ってハラハラする。
まあなんとしてもよかったよかった。
僕は僕で昼、プランニング編集術の2週目再回答を終える。

昼、肉野菜炒め+ラーメン。
夜、コールスローミックス、玉子とカニカマのサラダ、小エビの天ぷら。
突破祝いと称して飲む。
いつも通りNUDAでウィスキー・ソーダと、
コンビニで見つけたキリンから新しく出た焼酎の「淡麗ストレート」
瓶に入ってて、冷やして飲む。アルコール12%でストレートでいける。
というかどことなく水っぽい。でもなかなかいいかも。

夜はDVDを買った「最前線物語」を見るつもりが、
短編のアイデアを思いついてそれを書いていたら時間がなくなった。
忌野清志郎のRockin'onの特別号も読めず。新聞をまとめて読んで過ごす。

Regina Spektor のピアノ弾き語りライブなどを聴く。
この人はとてもいいね。

---
7/6(月)

昼、神保町の交差点のところに新しくできた「ガヴィアル」という欧風カレーの店。
調べてみると元々は神田にあった店で、食べログを見ても評価がいいようだ。
ビーフカレーを食べる。\1300もするだけあって、さすがにおいしかった。
欧風カレー特有のしっとりとした甘さの中に、ジワジワと来る上品な辛さ。
ライスの上にチーズがかかっていて、カレーの熱で溶ける。これがうまい。
あと、ここのジャガイモは神保町の中でダントツにうまいかも。

会社の後輩から「1Q84」を借りる。というか、思いがけず、はいと渡される。
先日話題にしてて、僕がまだ読んでないと言ったからか。サンキュー。
この週末は「1Q84」を読むことになりそうだ。

夜、オフィスにて、コンビニで買ったサンドイッチとサラダを食べていたら
お客さんから「オカムラさん、飲みに行くぞ」と。
明日でPJ最後となるパートナーさんがいて、その送別会。
焼肉屋に行く。食べたばかりで腹いっぱい。
でも結局ごはん2杯に皆が残した肉も平らげる。
お茶の水の駅まで歩いていって、総武線で帰る。
中野までだったので、四ツ谷で丸ノ内線に乗り換える。

「帝塚山講義」の4巻を読み終える。明日は5巻。

---
7/7(火)

世間一般的には七夕であるが、特に関係なく1日を過ごす。
笹に短冊を書くということもない。
(編集学校ではバーチャルな短冊に俳句を詠むことになったが)

昨日は降ったり止んだりが続いたが、今日は晴れ。
梅雨の晴れ間に青空が覗くと、真夏のようになる。
最高気温は30℃を越し、蒸し暑くなる。

昼、PJ離脱メンバーの神保町最後の思い出として
「キッチンマミー」に行くはずが、入ってみたら満席。
近くのハンバーグ屋「ランディ」へ。
今週金曜、ここで2kgのハンバーグに挑戦することになっている。
下見、というか作戦を立てる。
詳細は後日書くことになるだろうが、これは厳しい戦いになりそうだ。

夜、コンビニのサンドイッチとサラダ。

21時ぐらいにオフィスを出て、帰ってきて、後輩から借りた「1Q84」を読む。
ウィスキーをロックで飲む。
Francoise Hardy を聞く。今、僕の中で最大のブーム。
今週末にボーナスが出るし、買いそろえることになりそう。

午前0時前に眠る。

---
7/8(水)

午前中、と午後イチ、お客さんと打ち合わせ。
最近お客さんとの打ち合わせが少なくて、
主体的に関わっているのは水曜午前のこの枠ぐらい。
終わると疲れきって、1日というか1週間が終わった気になる。
特に何かが決まって物事が先に進んでる感覚はこのところあまりないのだが。

午後イチの打ち合わせが終わってようやく昼メシ。
いつもは大人数で行くのだが、水曜は1人。
混んでるか狭いかで1人でないと入れないようなところに行く。
キッチン南海でカツカレーを、と行ってみたら13時半だというのに混んでて入れず。
気分的にはまんてんだったので、まあいいかと。
いつものカツコロ一緒を食べる。
量が多かったので夜は食べず。

夕方、気分転換にDiskUnionに行ったら、商品棚の入れ替えがあったようで、
地下全体が中古CDとなっていた。
前から探していた、Frank Zappa 「Ahead of their Time」の日本盤を見つける。
しかも1400円と安い。色めき立つ。
財布を持ってきてなかったのでオフィスに戻って、またDiskUnionへ。
合わせて、J Mascis(Dinosaur Jr)のCBGBでのソロライブと、Tori Amos の4枚目日本盤。
Tori Amos は400円という安さ。

帰ってきて、「1Q84」の第2章・第3章を読む。

amazon の中古で見つけた、
Terry Rilly 「In C」の中国のオーケストラで録音したアルバムを聴く。
中国の楽器を使って、「ラストエンペラー」みたいな雰囲気の「In C」

午前0時前に眠る。

---
7/9(木)

ボーナス前日。この日もまた、暑い。
夜、1時間で切れるようにセットしてエアコンをつけて眠る。

昼、「ランディ」の近くで見かけたそば屋。
いい感じかも、と思って入ってみたら、なんと7月10日をもって閉店しますと。
でも確かにこりゃ閉店するわって雰囲気が随所にあった。
どことなく店がべたついているとか、メニューが破れているとか。
そばそのものは悪くない。商売が下手なのだろう。
月見そばにかき揚げの大を追加。
このかき揚げがかなり大きくて、満足。
しかし、揚げ立てではない。そこが商売の下手さだよな。
このサイズで揚げ立てだったら名物メニューになっただろうに。
昼時は忙しいから事前に揚げとくってのも分かるけど。

打ち合わせなし、ワークのみ。
ぼちぼち仕事して夕方早目に出て、東京ドームで野球を見る。

松岡正剛校長のデジタオブックレットは「本の読み方」の2刷目を終える。
昼休み、「1Q84」を読む。
合間合間に「L.A.コンフィデンシャル」

球場でビール飲んで気持ち良くなって居眠りしたせいか、
夜、眠れなくなる。

---
7/10(金)

夏のボーナス支給!!

昼、「ランディ」で2kgに挑戦するものの、あえなく撃沈。
1.2kgでギブアップ。

帰りに JANIS2 で Francoise Hardy の90年代以後と思われるアルバムを買って、
次に、magnif というすずらん通りに最近できたばかりで、
まだ立ち上げ途中のアート・ファッション系の古本屋に入って、
COMME des GARCONS の広告アート集を買う。海外の書籍。

腹いっぱいということもあって1日を通して、仕事する気なし。
夕方こっそり定時前に退社。

東京国立近代美術館にゴーギャン展を見に行く。
竹橋なので神保町から歩いていく。
今日もまた最高気温は30℃近くで、夕方になっても日差しが強い。
歩いていてじっとりと汗をかく。

ゴーギャン展を見て、併設の所蔵作品展「近代日本の美術」と
「寝るひと・立つひと・もたれるひと」を見る。
帰りにミュージアム・ショップに寄ってみる。
美術手帳の最新号がアウトサイダー・アートの特集号だったため、買っておく。

池袋へ移動。西武百貨店にて、靴を買う。
キャサリンハムネットの、同じ靴をこれで3回目。
履きつぶした靴を改めて眺めてみたら、
あちこち擦り切れててとんでもなくボロボロだった。
靴底も磨り減ってるし。
そのまま履いて帰るってことでそれまで履いてたのは捨ててもらう。

地下に下りて、Libroで本を買う。
コニー・ウィリス「犬は勘定に入れません あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎」
カート・ヴォネガット「パームサンデー −自伝的コラージュ−」
ナンシー・クレス「ベガーズ・イン・スペイン」
ジョン・ハート「川は静かに流れ」
アーネスト・ヘミングウェイ「勝者に報酬はない・キリマンジャロの雪 −ヘミングウェイ全短編2−」
「ベスト・アメリカン・ミステリ アイデンティティ・クラブ」
「スラムダンク あれから10日後―――」(例の黒板に書いたやつね)
ユリイカの増刊号で、「大友良英」と「白洲正子」

新宿へ。前のPJの飲み会で、寿司屋へ。割と高級な寿司食い放題。
西口に出て、ブックファーストでエリック・ホッファーの自伝を買う。

寿司屋に入って、昼1.2kg食べたはずなのに、またしてもたらふく食べる。
炙りトロ、鰆、穴子一本、焼きサーモン、鰻、・・・
懐かしいメンバーに会って、話す。
みんなで行った盛岡旅行のこととか。
あの日、携帯で撮影した動画を見せてもらう。
缶ビールの空き缶で窓を埋め尽くそうってことで
酔っ払って新幹線の中で記憶なくして、それでもはしゃいで飲んでる僕の姿。
22時過ぎ、早めにお開きになって解散。

帰ってきて、すぐにも眠る。部屋の中がモアッと蒸し暑い。
エアコンを午前3時で切れるようにする。


[3133] 大食いチャレンジ(ハンバーグ篇 その2) 2009-07-11 (Sat)

前回5月の「ザ・ハンバーグ」の1.5kgに引き続き、昨日は「ランディ」にて2kgに挑戦。
前回からなぜこんなに間が開いたかと言うと、
7月頭に健康診断で体重測定があるのでそれまでは無駄に肉を増やしたくなかったというのと、
(それでも計ってみたら昨年より4kg増えていた・・・)
ボーナスが出るまで金がないというのと。
チャレンジメニューで食べきったらタダ、というものではない。

この「ランディ」特に最高サイズが決まってるわけではなくて、
50g単位でいくらでも増やせるとのこと。
なぜ2kgかというと、これまでの最高が1.8kgだったので、だったら一気に大台を越そうと。
「ザ・ハンバーグ」の1.5kgが完食できたんで、ちょっと頑張ればいけるんじゃないかと考えた。
このときは、行けそうと思ったのだが・・・

金曜が挑戦の日で、火曜に下見に行く。
結果、なかなか手ごわいということが分かる。
店が「ステーキ感覚」と言う粗引きの肉がゴワゴワしていて、肉の質感がハンパない。
戦略を立てる必要がある。

・焼き加減はレアとすること(←ミディアムだとボソボソしていて食べにくい)
・事前に、消化を助ける胃腸薬を飲んでおく(勝つためには、手段を選ばず)
・前の日から食わない
・味が単調となってしまうため、3種類選べるソースは確実にばらけさせること
 →わさマヨ、キムチ、おろし醤油
・一番ゆったりしたスーツを着てくる
・とにかく、平常心で構える。動揺してペースを乱さないことが肝要

で、昨日。会社の人たち総勢11名で押しかけて、前回同様後輩と僕、2人で挑戦。
「2kgに挑戦します」とオーダーすると、思いもかけないことを言われる。
「鉄板が800gまでしか乗らないので、分けてお出しすることになります」

ええええっ!?
それは不利だ・・・
ペースが分断されて掴めなくなってしまうし、
それに鉄板が分かれていると、今の鉄板を食べきることに満足してしまう。
1回にでかいのが来ると、トータルなものとしての計算がイメージしやすい。
仕方なく、800gを2つ、400gを1つと分けて出してもらうことにする。
800gのハンバーグを乗せてしまうと鉄板にはそれ以上乗らないということで、
付け合せの野菜は自然と400gの方に回る。
この400gをどのタイミングで食べるか?
悩ましい選択となる。1皿目ということはないにしても、2皿目か3皿目か。
2皿目にあえて小ぶりな400gと野菜を挟んだ方がアクセントになって進めやすい?
前回1.5kgがいけたのだから、1.6kgまではなんとか行けるんじゃないか、
3皿目が小さかったら後は勢いで押せるんじゃないか。
そんなふうに考える。
よって、800g → 800g → 400g の順となる。
焼き方は、レア。

付け合せのソースは、全部で8種類のうち3種類ぐらいかと思いきや、
150gごとに1個となっていたため、合計13個選べることになっていた。
 @バターソース
 Aガリマヨ
 Bおろし醤油
 Cキムチ
 Dカレマヨ
 Eスパイシーマヨ
 Fごまマヨ
 Gわさマヨ
この中から選ぶ。僕は全部1種類ずつと、
Bおろし醤油、Cキムチ、Eスパイシーマヨ、Fごまマヨ、Gわさマヨで計13個。

焼き始める。
200gのレギュラーサイズのハンバーグが昼のランチ用に
即にバットの上に大量に用意されていて、それを4個取り出してボウルの中でこねる。
わらじのようなハンバーグが出来上がる。
それを焼く。
レアとは言え、ものすごく時間がかかる。
僕ら11人のうち、カウンターに6人座って、店側も心得たもので焼く順番を考慮して
僕ら6人の鉄板が同時に届くようにする。

運ばれてきたのは案の定、とんでもない代物。
通常サイズの鉄板にかろうじて入りきった、
というか無理やり押し込めて膨らんだかのようなハンバーグのおばけ。
一緒に食べにきた皆がこぞって見に来て、記念に携帯で写真を撮っていく。

スタート。最初の1鉄板目は易々とクリア。
最初の200gでライスを食べてしまう。
この頃はまだ、うまいうまいと。
店側もタイミングを見計らって、食べ終わる頃に2鉄板目を出してくれる。

ここからなぜか急に、がくんとペースが落ちる。
何かがおかしい。いつもの調子が出ない。食べてて汗だくになる。
やはり、粗引きというのが食べにくいんですね。
噛むのに時間がかかる。レアだとなおさら。噛んでる間にお腹いっぱいになってくる。
ミディアムにすべきだったか・・・
これは明らかに作戦ミスだった。
前回の「ザ・ハンバーグ」1.5kgは肉が粒子の如く細かくて、食べやすかったんですね。
だから達成できた。同じハンバーグとは言え、対極の2つ。

量の問題ではなく、「これ以上肉食いたくない」って気分になる。
店が混んでるということもあって(昼時には行列になる)、
次の400gを出してもらったのだが、このときには僕はまだ2鉄板目の半分を食べただけ。
合計1.2kgってところ。
ここでギブアップ。3皿目の野菜だけを食べる。
なんつうか、食べようと思ったらまだ多少入ったけど、2kgまでは入らないなあと。
無理して完食したら自分が壊れそうだった。
オリンピックのマラソンで、20kmぐらいで途中棄権するランナーの気持ちが分かった。
その時点ではあと5kmや10kmは走れたかもしれない。
しかし、42.195kmを走るのはその日のコンディションでは無理なのだ。

後輩もまたギブアップ。しかし1.7kgってところまで来てた。大健闘。
PJ内大食いの名もこれで代替わりだなあ。

これはほんと厳しい戦いだった。
というか自分の至らなさを痛感するばかりだった。
世の中の広さを思い知る。
ギャル曽根とかエステ三宅だったら、これってペロリなんだろうな。

大半を食べ残して、お会計は\4,450なり。高くついた。

---
この日は、夜、前のPJの飲み会で、寿司食べ放題・・・
結局また食べてた。飲み放題で、ビールも飲んで。
炙りトロ、鰆、穴子一本・・・
こっちの方が、よっぽど「食べ過ぎ」「もう入らん」の気分になった。


[3132] 東京ドーム、巨人−横浜戦 2009-07-10 (Fri)

昨日の夜、東京ドームに巨人−横浜戦を見に行った。
神保町で働いている間にドームで見たいなあと日々思っていたら、
なぜかうまいことお客さんからチケットをもらった。
チケットは2枚だったんだけど他に行ってくれる人もなく、1人で見に行く。

定時よりちょっと早くオフィスを出る。
神保町から水道橋まで三田線で一駅だけど、歩いていく。
水道橋の駅に近付いた頃から、巨人ファンの姿が目に付く。
ユニフォームを着たカップルや夫婦、親子連れ。
「HARA」と「OGASAWARA」の名前が多かったように思う。

僕がもらったのは2階内野指定席の引換券。
階段を上ってドームの前まで来て、窓口で交換しようと思って辺りを見渡してみたら長蛇の列。
どうも何かの抽選かキャンペーンがあって、その当選者が見にきているようだ。
僕がもらったチケットもそういう類なのだろう。
長いこと待たされて、ようやく入場券を入手。
一緒に、「メモリアル・ウィークス チャンスカード」というのがついてくる。
ラッキーナンバーが書かれている。僕は19505番。
抽選で記念品がもらえるようだ。
 S賞:メモリアル・ウィークス・特別セット
 A賞:アディダスグローブ
 B賞:ネックストラップチケットホルダー
(7回裏に当選者発表。オーロラヴィジョンに下何桁が何番と表示され、もちろん僕は外れた)
チャンスカードを読むと今年は読売巨人軍創立75周年であるらしい。
それもあって、7月7日・8日・9日の横浜との3連戦は
「復刻ユニフォームシリーズ」となっていて、
今回着用するのは1936年の第2回米国遠征時に使用されたものとのこと。
基本的にアンチ巨人で30余年の人生を過ごしてきたので、めでたくもなんともない。

入場ゲートに入るまでにまたさらに並ぶ。
2階への階段は大混雑。蒸し暑い。
18時の試合開始が近付いていて、周りは多少イライラしている。
中に入るときに、「ハローキティプリティリーグ歴代ユニホームストラップ(非売品)」
というのをもらう。
これ、日替わりになっていて、9日のは「V9時代」だって。
欲しい人がいたらあげます。

中に入って荷物をコインロッカーに預けて、生ビールを買ってスタンドへ。
試合は即に始まっていた。
客席はガラガラ、しかしすぐにも埋まりだして7回にはほぼ満席となっていた。
復刻ユニフォームシリーズだからか?
それとも本拠地ドームでの巨人戦っていつも満員なのか。
しかもそのほとんどが巨人ファン。オレンジ色が目立つ。
もう横浜の応援団なんて可哀想なもんで、
3塁側外野席の真ん中にちょこんと青のユニフォームが固まっているだけだった。

試合は2−0で巨人が勝ち。
小笠原と脇谷のソロホームランで1点ずつというなんとも大味な試合。
息詰まる投手戦には程遠く、ただ単に、打って盗塁しても後が続かないというだけの。
しまらなかったなあ。というかほんと横浜は弱いね。
東京ドームは超アウェイだし、負のオーラが漂っていた。
最後、9回表は3番内川の四球、4番村田のヒットに始まって
満塁となって盛り上がったものの、結局三振に倒れる。
見せ場はここだけだった。

最初5回の表までは19時までにサーッと終わってしまって、
こりゃ20時過ぎには終わるかもと思ったんだけど、
そこから先はダラダラと長くなって。
ビール2杯飲んだ僕はほんわかとした気持ちになって眠ってしまった。
僕の座った席は2階のほぼ一番後ろでグラウンドを斜め真上から見下ろす感じ。
ボケーッと考え事を始めるとたいがい、いい場面を見逃した。
気がつくとホームランがスタンドに入った後だったり。
席に座っている間の半分は他の事考えていたかなあ。
でもやはり、野球を見に行くことは楽しい。

あ、そうだ。
8回の裏1死という場面で工藤が登板して、2アウト取ってマウンドを下りた。
これが通算600試合目の登板だったようで、花束の贈呈があった。
これはいいものを見た。
だってさ、僕が物心ついた頃から投げてるんだよ?

あと、AKB48のメンバーが試合の合間合間に出てきて、オレンジのボンボンを持って踊ってた。
(これ、アナウンスがあったから「ふーん」ってとこだけど、
 知らなかったら、巨人のチアガールってやけに可愛いなーと思ったことだろう)

印象的だった出来事:
隣に、いけてない若者が1人座って試合を眺めていた。
朴訥として、不器用で、友達の少なそうな。
時々、携帯を取り出しては眺めてる。
3回ぐらいだったか、携帯に掛かってきたようで誰かと話し始める。
立ち上がって、通路を下りていく。
僕は「チェッ」と思う。なんだ、彼女が遅れてやってくるのか。

その後10分以上経過して、彼の後を付いて階段を上ってきたのは
彼よりも輪をかけていけてない、うだつの上がらなそうなオヤジ。
席に2人並んで座って、オヤジは息子にビニール袋の中の弁当を渡す。
安い日替わり弁当だった。そう書いてあった。
ドームの弁当屋にはもっと高いものがたくさん売られている。
「蟹工船」ブームで、北海道から蟹の弁当を売る業者まで進出していたぐらいだ。

その日替わり弁当が、オヤジ、縦にして持っていたようで
半分に寄ってしまってご飯とおかずがグチャグチャになってしまっている。
息子はそれを少しずつ少しずつ食べる。
オヤジは、「学校はどうだ?」とかボソボソと聞く。
息子はほとんど答えない。弁当を食べながら、試合を眺める。
特に巨人ファンでも横浜ファンでもなさそうだ。
オヤジは「昔の巨人は…」と一しきり思い出を語る。
そしてその思い出が尽きたのか、途中から黙りだした。
ボロボロになった手帳を取り出して、鉛筆の書き込みがびっしりで、
そこに何度も何度も前に後ろにページをめくって、鉛筆を動かしていった。
内容よりも、書くという行為そのものが大事だって感じで。
試合はもう、見ていなかった。
ファインプレーがあったりして、時々息子が歓声を上げた。
そのときだけ、オヤジは手帳から顔を離した。
在りし日の巨人軍をそこに見たのか、それとも…
試合の終わる頃、息子は弁当を全て食べきった。

試合が終わって、2人はすぐに立ち上がって出て行った。
僕もすぐに帰ろうとした。
大勢の人ごみの中を歩く。
隣の若者に、そしてオヤジに、幸あらんことを。


[3131] 「1Q84」 たぶんその1 2009-07-09 (Thu)

会社の後輩から「1Q84」を借りたので読み始めた。
ハードカバー。とても分厚い。1冊500ページ以上もある。
会社の行き帰りに読む気になれない。
一昨日の夜、家に帰ってきてから第1章を読んで、
昨日の夜、第2章と第3章を読んだ。
今日は会社に持ってきていて、昼休みに第4章を読むつもりだ。

「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」や「海辺のカフカ」のように、
2つの並行する物語が交互に語られる。
奇数の章は「青豆」という女性の物語。
偶数の賞は「天吾」という男性の物語。
共に30になったかならないかで、時代はタイトル通り1984年。
ジョージ・オーウェルが例の作品を書いた、あの年だ。
そこに何かの意味があるのかどうかは、まだ分からない。

最初の3章だけを読んだ感想として:
もしかして、これ、面白いかもしれない。
本気で書いてるかもしれない。
いや、その他の作品がつまらなくて、手抜きだというわけではない。
いつだって面白くて、その時々において表現は研ぎ澄まされていた。
しかし、今回、何かがガラッと変わったように思う。

村上春樹は遂に、普遍的な文学へと向かい合ったのかもしれない。
村上春樹ワールドではなく、
この世界そのものを描こうとしているのかもしれない。

村上春樹の文体を特徴付けるものとして、
比喩や象徴の圧倒的な正確さ、豊穣さというものがある。
「1Q84」では、言葉以外の何かでそれら、比喩や象徴を扱い、描こうとしている。
そんな印象を受ける。
何よりもそこのところが、深い。

…こういった印象を受けたのは、僕が、
いつものように遅れて文庫本になってから手軽に一気に読んでるのではなく、
ハードカバーで自分の部屋で少しずつ読み進めているから、というのもあるだろう。
文庫本とハードカバーというメディアの違いで、
受け取り方はかくも違うものなのか。

---
とまあ、そんなわけで。
1000ページもあるのでこれから先長くかかりそう。

村上春樹を好きという人は多いですが、
僕が好きなのはなんといっても「ノルウェイの森」。
今度映画化もされますね。

よく言う話だけど、文学的にすげーと一番唸らされたのは
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」ですね。
最も広い文学的世界がそこには広がっていて、
言葉によって描かれなかった闇もまたとてつもなく大きい。
その存在感に圧倒される。


[3130] うたかたの日々 2009-07-08 (Wed)

ある日突然、「球体」が見えるようになった。
「それ」は至るところに浮かんでいる。
赤に青に黄色、色とりどりの、様々な大きさの。
模様が描かれていることはなく、形が歪になることもなく。
完全なる球体。

屋外だろうと、屋内だろうと。
地下鉄の中、テレビで中継されている風景の中。
恐らく、空間さえあれば、人の体内にもそれは浮かんでいるのではないか。

それらは(いや、そいつらは?)動くことがない。
何日も何ヶ月もそこにじっと浮かんでいる。
風船のようにフワフワと揺れたりはしない。
時々入れ替わりがあるようで、消えたり生まれたりしている。
瞬間的に発生して消滅するものもあれば、
僕の知る限りもう何年も同じ場所にいるものもある。
会社の行き帰りにいつも出会うものについては、僕はこっそり名前をつけている。
だけど恥ずかしいから、何と呼んでいるのかは言えない。
もちろん、そいつらに話しかけたりはしない。
ただ、名前をつけていると言うだけ。

誰にもそのことは言わないでいた。
最初見たときは、会社の近くを商談の帰りに同僚と歩いているときだった。
「なに、あれ?」と僕は指差す。真っ赤な、直径1mぐらいの球体が浮かんでいた。
最初は風船だと思った。
「なにってなに?」
同僚にはそれは見えないようだった。
「いや、あそこにも」僕は指差す。黄色の巨大なのがビルの陰に見え隠れしていた。
「あれだよあれ」
「どれ?」
「あの、黄色のやつ」
疲れてるんじゃないの、と言われた。振り向くと緑色の小さいのが目の前に。
僕は、ハッと気付く。そして、目をこするフリをして、「そうかも」とだけ答えた。
同僚が怪訝な顔をして立っていて、僕はその日、そのまま早く帰ることにした。

改札をくぐる。その頃には至るところに見えるようになっていた。
階段を上がってホームに立つと、線路の上を白くて大きいのが静止している。
危ない、と思った瞬間、京浜東北線の快速がその中をスーッと通過していった。
「あっ」と僕は叫んでいた。周りにいた人たちが振り向いて僕を見た。
僕はうずくまった。駅員が駆け寄ってきて、大丈夫ですか?と声を掛けてきた。
「横になりますか?」
「いや、いいです。大丈夫です」
そう言って僕はホームの反対端まで歩いていって、
ちょうど来た山手線に乗って、丸の内線に乗り継いで、アパートまで帰った。

あれから何年?
もうすっかり慣れてしまった。諦めた。
始まったときと同様に、突然、見えなくなるということもなかった。
薄気味悪い思いをしながら最初のうちは恐る恐る暮らして、
球体が浮かんでいるという以外に何がどうというわけでもないと分かると、
どうでもよくなった。

東京の上空に水色のとてつもなく大きな球体が浮かんでいる。
そのはるか上に、もっと巨大なピンク色のが浮かんでいる。

諦めたつもりでいて、時々は情報を探し求めた。
google で検索しても取り立てて有意義な情報に出会うことはなかった。
僕以外に見えることはないのだろう。
この世界で僕だけ、たった1人。

…それがあるとき、他にも見える人がいるということを知った。
たまたま見つけた。女の人だった。
ブログに、助けを求めるように、わざとぼかして書いていた。
でも僕には、何のことか分かった。
ブログにコメントを書くことから始まって、メールのやり取りをするようになった。
「池袋の駅の西武のあるほうの出口を出てすぐに、オレンジ色のが浮かんでますよね」
「そうですか?池袋って普段行かないんでよく分からないです。すみません」
彼女は最近になって見え始めたようで、辛そうにしていた。
「大丈夫、日々の暮らしに何の影響もないから」と僕はメールに書く。
「でも、…でも」と彼女は繰り返す。
その後の何回目かのやり取りで、「そうですね、池袋、浮かんでました」と返って来た。
僕は彼女に、「今度会ってみませんか」とメールを送って、
彼女からも「いいですよ」と返事が来る。
その週末に新宿で待ち合わせた。

夏だった。僕は背格好はこんなで、その日はこういう色のTシャツを着ます。
目印にこういうカバンを持ってます、と伝えて、待ち合わせの場所に立った。
西口の交番の前。地下街。
そこにはマーブルチョコのように色とりどりの球体が浮かんでいた。
「遅れてごめんなさい」声がして振り向くと、彼女が立っていた。
「あの、××さんですよね?」
「ああ、○○さん?」
「そうです。どうもはじめまして」
「こちらこそ、はじめまして」
今日は暑いですね、そんなことを言い合いながら、
なんとはなしに都庁の方に向かっていって、展望台を上っていった。
エレベーターが上昇していく。
彼女は、きれいな人だった。

展望台に出て、ぐるっと回って、一番人気のない方面を探す。
奥多摩地方のガラスの前に立つ。
見渡す限り白っぽい建物が数限りなく広がっていて、
その上を無数の球体が浮かんでいる。
小さすぎて見えないものがほとんど。
遠くからでもはっきり見えるぐらいに大きなものがいくつか。
何かの大会で風船が一斉に放たれて、それが瞬間的に凍りついたような。
壮大な光景。世界の終わりのようだった。僕ですら、圧倒された。
…しまったと思う。彼女は声にならない叫び声を挙げて、気を失いかけた。
よろめいて、僕が助け起こした。
「ごめんなさい」
「座る?」
近くに椅子を見つけると、彼女は腰を下ろして目を閉じた。
僕はその横に座った。
彼女は目を閉じたまま、「慣れ始めたつもりだったのに」
「ごめん。もっと考えればよかった」
彼女はゆっくりと目を開けた。
「見える。いるね」そっと指差す。その先に、白いのが浮かんでいた。天井の奥。
「白い?」
「白い」
「1mぐらい?」
「そう」

そのとき、彼女は僕と、同じものを見ていた。
何かを共有していた。
だけどそのことにどんな意味があるのか、分からなかった。
意味なんてないのだと、そのときは思った。
この世の中にあるたくさんのものと一緒。
球体だから特別、そんなことはない。
僕はそう思っていた。

そこに何があるのか?
最初に気付いたのは彼女の方だった。
立ち上がって、次々に窓の外を指差して僕は色と大きさを答えていった。
彼女が初めて笑った。心の底から、笑っていた。
人は普通に生きていて、誰かと何かを、
秘密と言っていいような何かを、共有することなんてあまりない。
僕にも彼女にも、それが何なのかは分からないまま。
だけどそんなことは、どうでもよかった。

エレベーターを下りて行って、地上に出た。
彼女は「ありがとう」と言った。
「生きて、いけそう」

その後は喫茶店に入って、世間話をした。
「球体」の話はしなかった。
どんな仕事をしてるんですか、とか、趣味は何ですか、とか。
当たり障りのないことを。
何かが気まずくて、ぎこちない会話になった。

その後何回かメールのやり取りをして、自然と距離が遠くなっていった。
彼女は彼女の生活に、それまでの生活に、戻っていったのだろう。

時々彼女からメールが届いて、「まだ見えてますか?」と尋ねてきた。
「相変わらず見えてます」と僕は答えた。
「結婚しました」とか「子供が生まれました」とかそういうのが続いて、
球体のことには触れなくなって、いつからかメールが来なくなった。

そう、僕が今、あなたに語りたかったのはただそれだけ。
僕には今も、「それ」が見えている。
いくつもいくつも、無数に浮かんでいる。
僕は日々暮らしながら球体が奏でる、音にならない音に耳を傾ける。
完全なる静けさを思い浮かべて、目の前の白いそれを眺める。

見上げると今、この瞬間も、
巨大な球体が東京の上空に浮かんでいる。


[3129] 寓話 2009-07-07 (Tue)

「あるところに、幸福な人たちの住む国がありました。
 誰もがニコニコと幸せに暮らしていました。

 隣には、不幸な人たちの住む国がありました。
 飢えと病気と犯罪。
 この国の人たちは心の底から笑うことはないのでした。

 あるとき、幸福な国の人たちは考えました。
 不幸な人たちを救ってあげようと。
 幸福な国の大統領は、不幸な国の大統領に言いました。
 『どうだ、君の国を丸ごとくれないか。
  みんなが幸福の国に入ってしまえばいい』

 不幸な国の大統領はため息をつきながら首を振って、断りました。
 すると、幸福の国の大統領は『しょうがないな』と
 戦争をしかけることにしました。
 幸福な国の人たちが兵隊となって、不幸な国に侵入しました。

 戦争は長引いて、どちらの国の人たちもたくさん死にました。
 不幸な国の人たちは、もっと不幸になりました。

 幸福な国の人たちは、もっと幸福になりました。
 なぜなら、幸福な気分のまま、
 幸福の国のために死ぬことができるからです。

 結局、戦争は幸福な国が勝ちました。
 そして、不幸な国は幸福な国に併合されることになりました。
 (不幸な国の大統領は処刑されました)

 その後、元々不幸な国に暮らしていた人たちは
 元々幸福な国に暮らしていた人たちと一緒になって、
 幸せになりましたとさ。

 そして、幸福な国の人たちは、この世の中に、
 他に不幸な人たちの暮らす国がないか、探すのでした。

 めでたし、めでたし」


[3128] 大阪出張11回目 2009-07-06 (Mon)

3ヶ月ぶりの大阪出張。これで11回目。
前の日に準備して、朝4時に起きて部屋を出る。
寝ぼけてたのか、シェーバーで右の耳たぶをざっくりと。真っ赤な血が頬につーっと。
慌てて耳たぶに絆創膏を貼る。すぐにも血で染まる。
その後大阪で何人かの人から、「どうしたんですか?」「まさかピアスを?」
いやーと照れ笑い。

6:00の「のぞみ1号」に乗る。
カツサンドを食べて、コーヒーを飲む。
「帝塚山講義」の2冊目と3冊目を読む。名古屋に着かないうちに、読み終える。
これ、松岡正剛校長の入門書としてはなかなかいいね。
でも、エッセンスは「知の編集術」「知の編集工学」に引き継がれている。

その後ジェームズ・エルロイの「L.A.コンフィデンシャル」を読む。
エルロイは暗黒のL.A.四部作が一番いいねと再認識。
名古屋を出た辺りから、うたた寝。

いつもとは違って大阪駅へは行かず、新大阪の駅から直接御堂筋線に乗って淀屋橋へ。
お客さんのオフィスに着いて、東京駅で買った手土産のお菓子を渡す。
前の日買っておくかどうか迷って、雨も降っていたしやめておく。
しかし、早朝の東京駅って弁当屋もお土産屋もほとんどやってなくて、
かろうじてキオスクでクッキーを買う。

昼、「北浜食堂」へ。
日本全国にある、「まいどおおきに食堂」チェーンの1つ。
店名がそのまま地名となっているんですね。
東新宿で仕事をしていたときには「東新宿食堂」があった。
調べてみたら青森にもあって、驚いた。
カフェテリア方式で、お盆を手におかずや小鉢を選んでいく。
ごはん(中)+豚汁+玉子焼き+ゴーヤチャンプルー+鶏肉と夏野菜の甘辛なんとか+浅漬け
1つ1つは安いんだけど、積み上げていったら1,000円弱。
普通に定食屋で定食を頼むよりも割高になってしまう。
こういうの、目の前にあれこれ並んでるとツイツイ手に取っちゃいたくなるんだよねえ。
多くの常連らしき人たちのお盆をそれとなく見てみると、主菜と小鉢、ご飯と味噌汁と慎ましかった。
他の店はどうか知らないけど、ここは玉子焼きをその場で1つ1つ作ってくれる。
ホテルのバイキングのよう。アツアツはさすがにうまい。

午後、雨が降り出す。
缶コーヒーを買おうと外に出たら蒸し暑かった。
真夏の大阪は東京の比じゃないぐらい暑いんだろうな、と思う。

夜、お客さんたちと飲みに行く。
久々の大阪出張だし、自腹で一泊するかと決めていた僕はいつものビジネスホテルを予約している。
本当は1人で十三に行ってねぎ焼きを食べながらビールを飲むつもりだった。
3軒回って、遅くまで飲む。
今、このPJの大変な状況をどうするか、という話になる。
僕の会社からは僕1人だけで、アウェイな雰囲気。
一緒になって会社の悪口を言う。言わされる、ではなくてあくまでも本音。

お客さんの担当の方、去年あれこれお世話になった方のお父様が
急に亡くなられたという連絡が入って、バタバタする。

3軒目を出て、午前0時を回っている。
チェックイン。地下の大浴場に入りに行く。
出てきて、自販機で買ったリンゴジュースを飲んでまったりする。
気が付いたら午前1時半。眠る。

---
8時に目を覚ます。また大浴場へ。途中まで僕1人。

部屋に戻ってきてインターネット。
編集学校は明日、5日の日曜の夜が回答の締め切り。
ここまでに全番回答できていれば卒業となる。
夏休みの宿題のようでためている人が多く、この週末が山場。
教室を覗くとたくさんの発言が飛び交っている。
教室には関西に住んでいる学衆(生徒)さんもいるので
出張の機会に汁講(オフ会)ってことで会って飲んでと思うが、
さすがにこの週末だと無理。

チェックアウト。淀屋橋の駅から梅田へ。
帰りもまた直接、地下鉄で新大阪へというのも味気ない。
JR大阪駅の改札をくぐって、ホームに立つ。
日差しが眩しくてジワジワと汗ばむ。

新大阪の駅でいつも通り、551のシュウマイ、海老シュウマイ、餃子。
缶ビール3本。
夕方合コンだというのに、意に介さず飲み始める。
ハヤカワ文庫の「エドガー賞全集」の残りを読む。
読み終えて、駅で買った Rockin'on の最新号のディスク・レビュー。
そしてまたエルロイの「L.A.コンフィデンシャル」

東京に戻ってきて、東京も暑かった。

合コンは新宿西口で17時から飲んで、2軒目はボーリング。
その途中で出張の疲れがどっと出てきて、立ってるのがやっと、喋らなくなる。
スコアもひどかったし。
3軒目でまた居酒屋に入ったんだけど、ただそこにいるだけで話もできず。

帰ってきて、疲れきって、眠る。

早めに着いて16時頃、新宿西口近辺をフラフラしていたら
一緒に合コンに出る後輩に会って、地下のプロントで生ビールを飲む。
そこから参加。1日中飲み続けだった。


[3127] 6/27 - 7/3 2009-07-05 (Sun)

6/27(土)

10時過ぎまで寝ていたのだが、暑くてそれ以上眠れなかった。
床屋に行って髪を切る。7/22の皆既日食の話をする。

昼、カレーヌードルをホットミルクで作って、その上にマヨネーズ。
カロリーこってり。でも、満足。ストレスですね・・・

編集学校に対する今の思いをしたためて、投稿。
その後淡々と再回答。

夜、WeenのライブDVDを見ながらウィスキー・ソーダ。
コールスロー・ミックス、温野菜ディップ、ほうれん草のサラダ。

この日はとても暑くて、30℃を超えて真夏日。
初めて1日中エアコンつけっぱなし。
Rilo Kiley, Willows などを聞く。
Rilo Kiley はいいね。他のを聞いてみたくなった。
HMVでオーダーしたクラシックのCDが届く。
ショスタコービッチの交響曲7番「レニングラード」を
1972年ケーゲルの指揮で聞く。

---
6/28(日)

10時過ぎまで寝てる。
昨日と違ってそれほど暑くない。
日中も蒸し蒸ししているが気温はさほど上がらない。
エアコンはつけず、窓を開けて過ごす。
午後、雨が降りだす。夜中までずっと降っている。その後涼しくなる。

昼、お金を節約ということでカップヌードルだけ。
午後はラックを組み立ててCDを整理したり、
HMVから届いた大量のCDをリスト化したりと
そういった作業に追われる。
それにしてももう、CDラックを置く場所がない。どうしよう。
ようやく、電気ストーブを片づける。

夕方、クリーニング屋に行って、その後西友へ。
相変わらず夜は野菜だけのはずが、
フライドチキンのセットというのを見かけて無性に食べたくなる。
夜はそれをつまみに、NUDAでウィスキーソーダ。
サム・ペキンパー監督の「ガルシアの首」を見る。

聞いたのは、ロックでは The Go ! Team など。このバンドもいい。
HMVでオーダーした大量の現代音楽のうち、
Philip Glass , Julverne , Steve Reich など。
Steve Reich の「Six Piano」はいつ聞いても燃えるね。

午前0時を過ぎて、眠る。

---
6/29(月)

相変わらず広告批評の最終号を読んでいる。
谷川俊太郎×高橋源一郎×イッセー尾形×天野祐吉の対談とかね。
読んでると、言葉というもの、伝えるという行為、あれこれ発見がある。
「見立て」とか「典型」と「類型」とか、編集学校で学んだことが随所に出てくる。
編集学校が特殊なことをしているわけじゃなくて、
物事を深く考えていって、突き詰めていって、
それをパターン化していけばだいたい同じところに行きつくというか。

昼、とある焼肉屋へ。
500円で冷麺とミニ丼のセットということでこれは安いと行ってみたものの
「メニューに載ってないけど究極のカルビ丼ってのがあります」
と言われて、迷わずそれにする。
釣られて入って高いのをつかまされてしまう。思うつぼ。

夜、PJメンバーのいるもう1個の方のオフィスに行く用事があって、
その帰りにローソンで手巻きずしと1日の半分の野菜の取れるサラダを買う。
やっぱコンビニ弁当だとローソンが一番ダメだね。
サラダには必ずキュウリが入っているし。
なんにでも入ってるとかなりなところ貧乏くさい。

遅くまでオフィスにいて、帰る。
午前0時半頃眠る。

映画サークルの先輩絡みの集まりを2件、調整する。

先日ヤフオクで落札した猫田道子の「うさわのベーコン」
出品者が郵便振込(ぱるる)しか受け付けないみたいで、
どうやって振込をしたらいいのかよく分からない。
こういうとき、必ずカードか銀行振込を利用していたから。
郵便局のATMに行ったら郵便局のカードが必要みたいで、断念。
この年で窓口に行って「どしたらいいですか?」と聞くのも恥ずかしいし。
そうだ、銀行から振込できるかもと行ってみたら
ゆうちょ銀行は振込できてもぱるるはだめ。
違いがよく分からない。というか不便過ぎて意味不明。

---
6/30(火)

6月最終日。これで2009年も半分終わり。

今日は Yahoo ! の占いで山羊座は98点というとてつもなく高い点数で一位だったが、
取り立てて何もない一日だった。
昨日は57点だったかで12番目、最下位だった。
それはそれで何が起こったわけでもなく。

昼、とあるインド料理屋へ。神保町と小川町の間。
地下の店は広くて繁盛していた。
店員がみな日本人のおばちゃん。で、今日のカレーにホタテがあったりした。
インドにホタテがあるのだろうか。
向かいの店がナン・ライス食べ放題なので、対抗してこちらもお替り自由。
裏通りにも1軒インド料理屋があって、この辺りはかなりの激戦区だ。

夜、サンドイッチと1日の半分の野菜が取れるサラダ。それだけ。我慢する。

帰ってきて、編集学校の再回答の作業。
終わらず、提出せず。

クリント・イーストウッドの2枚組ライブCD「After Hours」が昨日届く。
それまでの映画で演奏してきた曲をピアノトリオだったり、ビッグバンドだったりで
編成を変えながら、というコンサート。
昨日1枚目、今日2枚目を聞く。
いい。クリント・イーストウッドだからってんで
どうしても贔屓目に見てしまうんだけど、とてもいい。

村上春樹の新作「1Q84」で取り上げられていたという
(いたという、は読んでないから)
ジョージ・セルがクリーヴランド管弦楽団で指揮したバルトーク、これも聞いてみた。

夜、雨が降りだす。酒は飲まず。
疲れきってオフィスを出て、23時半過ぎに眠る。

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7/1(水)

今日から7月。34歳とちょうど半分。

午前打ち合わせ、午後打ち合わせで疲れきる。
大学の先輩・後輩と久しぶりにカレーの会ということで飯田橋へ。
早々とオフィスを出て、時間があったので
水道橋、飯田橋、九段下、飯田橋とブラブラ歩く。
タイ料理の店に入って、あれこれ話す。
海老のカレー炒めを食べて、僕だけビールを飲む。
2人はそれぞれ職場に戻る。

数か月ぶりに、金曜、大阪出張となる。
せっかくだから1泊して帰ることにする。
何の予定もなく、ビジネスホテルで寝て昼頃帰る。
新幹線も手配する。

昼、1人だったのでいつもだと行けないような店へ。
「特製もりそば 桑山」へ。昼は混んでて、たまに行列ができている。小さな店。
東池袋の大勝軒で修業したようだ。
チャーシューメンマ麺を食べる。まあまあかな。
池上大勝軒のボロボロになった暖簾が壁に掛けられていた。
量が多くて、その後ずっと腹いっぱい。
明日は健康診断で体重を計ることになっていたので、あんまり嬉しくない。

広告批評の最終号を読み終える。

---
7/2(木)

健康診断の日。
朝、神保町に顔を出して、午前中のうちから竹芝のオフィスへ。
4月に芝浦から竹芝にオフィスが移って、ようやく引っ越しの荷物を片づける。
段ボールを開けて袖机に中身を移して、あれこれ書類を捨てる。
僕の目の前には部門に配属された新人たち5人が座っているみたいなんだけど、
特に接点もないし、向こうからしてもなんだこの人は?みたいなもんだろう。
午後、健康診断。体重は69kgってことで一昨年に戻る。
昨年は64kgまで減らしたのであるが、その後リバウンド。
年明けは一時72kgまで増えたので、そこから徐々に減らしてここまでは来たのだが。
5月に豚丼大魔神1.5kgと、ハンバーグ1.5kgを食べたのが
いまだに効いてるように思う。
あれがなかったら今頃あと、1kgは肉が落ちていたか。
後悔してもしょうがなし。
視力は裸眼で1.5のまま。

体重を減らすために朝も昼も食べてなくて、
診断を受けてすぐ、後輩たちと隣のビルに食べに行く。
とんかつ屋にてカツ重。

夜、早めに帰ってきて、コールスローミックスと水菜とキャベツのサラダ。
体重を計り終えてもまだまだ気が抜けない。

明日の出張の準備をする。
準備と言っても、1日分の着替えと、何を読むか文庫を選ぶぐらいのもの。
ジョージ・セルが指揮したバルトークを再度聞いてみる。
編集学校の課題を少し考えて、夜、22時には寝る。
帰りの電車にて、隣の人に寄りかかって迷惑をかけるぐらい眠ってしまったので、
最初のうち全く眠れない。

松岡正剛のブックレット「帝塚山講義」の1冊目を読む。
大学の新入生向け講義で、50ページしかないので、
行きの地下鉄でほぼ読み切ってしまう。
残り11冊。突破も果たしたし、今月の勉強はこれと千夜千冊を読むことか。

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7/3(金)

大阪出張の回を参照のこと。


[3126] 「ガルシアの首」 2009-07-04 (Sat)

30代も半ばとなると、人生辛いことばかり。いいこと何もない。
あーあとため息をついて、自分のウダウダさ加減にまた、あ゛ー!と心の中で唸ってみたりして。
そんなときには映画が見たくなる。
奮い立つような映画を。バカヤロー!!と張り手で殴られるようなやつを。
そしたら、ペキンパーじゃないですか。男だったら。
そんなわけで「ガルシアの首」を取り寄せて、見てみた。

結果、最高。これだよ、これ。
舞台はメキシコ。賞金を掛けられた男の首を求めて、愛する女と共に車に乗って旅に出る。
それだけ。そしてもちろん、ハッピーエンドなわけはなくて。
でもさ、男の生き様・死に様としてこれ以上のもの、ないんだよね。
サム・ペキンパーって僕、これと「ワイルド・バンチ」しか見ていない。
どちらも描かれているのは愚直なまでの、生き様と死に様。
それ以上のものを監督は求めていない。
真顔で、「俺はこうだと信じている。文句あるか」と。
そうか、とこちらも無言で頷く。
男と男の約束。だから僕も、無条件に信じる。
ペキンパーははっきり言って映画の撮り方が下手だ。
21世紀の今見ると、無骨というか不器用すぎる。
名刺代わりの撃って撃って撃ちまくるシーンのスローモーションも、紙一重だと思う。
だけどそれ故に、胸倉掴んでその目を覗き込む、そういうものになりえるんですね。

映画ってさ、結局ファンタジーなんだよ。
自分にないものを求める。
等身大の主人公がウダウダとした日常を最初から最後まで過ごす、なんてものは見たくない。
しかも金払って。
でさ、男が見たいものってはっきり言ってこれ、ハードボイルド。
永遠の憧れ。
「ガルシアの首」には、ハードボイルドにとって大事な3つの要素が前面に打ち出されている。
・どん底の状況であろうと付き従い、心配し、無条件に愛してくれる女
 (そしてその女を失う悲しみ)
・明日をも知れぬ無常の人生
・自分にだけは正当な理由のある、破滅的なバイオレンス

ガルシアの墓まで辿り着いて、真夜中、墓をあばく。
その瞬間、スコップで殴られる。
気がつくと、自分は土の中に埋められていた。愛する女と共に。そして女は、死んでいた。
主人公は朝、車に乗って、奴らを追う。
見つけて、殺す。銃を向けて撃つ。
虫の息。そこにあえて、もう一発撃つ。
主人公は観客の男たちに向かって語りかけるかのように題詞を言う。
「なぜか? …撃つと気が晴れるからさ」
これだよ、これ。
主役のウォーレン・ウォーツ、とてもかっこいい。
映画史では地味な俳優だけど。忘れちゃいけないよね。

「ガルシアの首」もいいけどさ、やっぱ「ワイルド・バンチ」ってつくづく、ほんといい映画だ。
あいつらが歩いてる場面、ゾクゾクするもんね。
理屈はないけど無条件にカッコイイ。それがどれだけ生み出せるかなんだよなー。
理論じゃない。例えば、「Pulp Fiction」の冒頭の有名なシーン。
強盗のアマンダ・プラマーはファミレスの座席に立って銃を手に、叫びだす。
あれだよ、あれ。

それがかっこよくなかったらさ、誰も映画なんて見ないんだよ。


[3125] Weekender 2009-07-03 (Fri)

金曜の夜。
会社から帰ってきてすることがなく、テレビを眺めながら缶ビールを飲んでいた。
携帯が鳴る。Nからメールが来て、明日、土曜日、
メンツが足りなくなったから合コンに来てくれないかと。
事務的に、時間と店と向こうの人数。
特に予定はなく、「いいよ」と返信する。
すぐにも「サンキュー」と返ってくる。
2本目のビールを飲む。テレビを眺める。

昼まで寝てる。近くの中華料理屋で麻婆豆腐の定食を食べる。
夕方になって、着替える。
穴の開いた黒のジーパンと地味な柄のアロハシャツ。それにサンダル。
手ぶら。携帯と財布をジーパンのポケットに入れる。
地下鉄に乗って、眠る。乗り換えの駅で下りる。
次の地下鉄に乗って、取り留めのないことを考える。
地下街を歩いて、大きな本屋へ。仕事で必要な本を探す。見つからない。

店に入ると他に誰もいない。僕だけ。
メニューを眺めていると、Nが来る。「早いな、相変わらず」
「ああ」とだけ答える。メニューに視線を戻す。
飽きてきて、向こうがどんな人たちか聞く。
Nが前の合コンで出会った子だという。派遣の事務。友達も皆、たぶんそう。
最近、合コンで出会う女の子のことごとくが派遣の事務で、
なんとなく、世の中大変だなー、と思う。
男の方の残り2人が来る。初めて会う。ここでは仮にAとBとしておく。
「あ、どうも」と挨拶をして、「どちらにお勤めですか?」なんて会話を交わす。
Nの携帯が鳴って、「女の子たち、ちょっと遅れるみたい」
僕がNとどういう関係で、みたいなことを説明する。
店員が来て、おしぼりを渡される。
AもBも、僕みたいな普通の人のように思えた。

女の子4人が到着する。駅で待ち合わせたのだろう。
「迷った?」「ぐるなびの地図だと分かりにくいよね」そんなことを言う。
男たちは4人とも生ビールで、女の子は2人が軽めのカクテルで2人がノンアルコール。
乾杯して、自己紹介。その後自然と2つの集団に分かれる。
僕とBと女の子2人。当たり障りのない、内容。海外旅行で行ったことがある場所とか。
僕がドバイに行ったことがあると言うと、
女の子の1人が「あ、私、ゼッタイ行ってみたいんですよー」と。
そこから、その子と話すことになる。ドバイのあれこれ。
でも、特に興味が持てない。波形は合うけど、波長は合わない。そんな印象を受ける。
いつのまにかまた4人の輪に戻って、席替えっつってその子は別な子に変わる。
この子が幹事のようで、陽気によく喋る。
仕事の話になる。目の前の子は2人とも以前、同じ会社に派遣で行ってたようで、
そのときのことを話す。僕とBは適当に相槌を打つ。
名刺を交換しようということになって、NとAとBが名刺入れを出す。
女の子も何人か受け取って、差し出す。
持ってこなかった僕は「あー、ごめん」と。

1次会の店が終わって、2次会に行くことになる。
女の子たちは誰も帰らない。
飲むのとボーリングとカラオケとどれがいい?ってNが聞くと、
幹事の子が手を挙げてボーリング!!と言う。どう?と残りの子に聞く。
3人とも顔を見合わせて、いいよー・・・?と。
ボーリング場へ。サンダルだった僕は仕方なく靴下を買う。高かった。
2組に分かれる。幹事の子とドバイの子と一緒になる。
久々のボーリングはボロボロだった。100を切る。いいとこない。
照れ笑いを繰り返す。それでいて女の子がストライクを取ると、ハイタッチ。
アルコールを置いてなくて、コーラを飲む。
1ゲーム終わって対抗戦にしようぜってなって、
負けた方が買ったほうにセブンティーンアイスを奢ることになる。
盛り上がる。奇跡的に僕もストライクとスペアを連発する。
分かりかけた気になってくると、ガター。
幹事の子がやたらうまくて、そのせいもあって僕らが勝つ。
その後、チームをシャッフルしてもう1ゲーム。

3ゲーム終わって、じゃあまた、バイバイとなる。
楽しかったよ。また会おうね。
駅まで歩いていって、そこで解散。
地下鉄に乗る人、JRに乗る人、私鉄に乗る人。バラバラに分かれる。
地下鉄に乗るのは僕ともう1人の女の子だけだった。
その子と話すのはこの日初めてだった。
1軒目の店でも、ボーリングでも、ことごとく別な方にいて。
キレイではないけど、ブサイクでもない。
まだどことなく酔いの残っていた僕は
「もう1軒飲まない?」と言う。なぜか口をついて出る。
「…じゃあ1軒だけ」とその子は言う。そしてぎこちなく笑う。

駅前の通りを歩いて、看板がかっこよかったので「じゃあ、あの店」と
階段を上がって2階のバーに入る。
カウンターだけの小さな店。2席だけ空いていた。そこに腰掛ける。
僕はラムコークを頼んで、その子はピーチフィズ。
乾杯、とグラスをぶつけ合う。
さて、何を話したものか。緊張してしまう。
幹事の子とどういう関係なのかを聞く。
そこから先、とりとめのない話をする。
転がってはどこかにぶつかって、止まって、また、転がってみる。
僕は僕のことを話し、彼女は彼女のことを話した。
僕は1人で、何杯も飲み続けた。酔っ払いだした。
僕はその子のことを気に入りかけていた。
だけど彼女は僕のアドレスを聞こうとしなかったし、
それゆえに僕も聞こうとしなかった。
彼女にとって、これと言って特に楽しい時間ではなかったのだろう。

どれだけ飲んで、どれだけ話したのか。
長かったようで、意外と短い間だったのかもしれない。
そろそろ帰らなきゃ、と彼女は言う。立ち上がる。
支払いになって、僕は「いいよ、俺が出すから」と1人で払う。
「いいんですか?」「いいからいいから、ありがとう」

階段を下りて店の外に出る。駅の方に向かっていく。
その子の歩調に合わせてゆっくり歩く。
どうせうまくいかないだろうな、と思う。
もう1回ぐらいは会えるかもしれない。でも、2回目はないだろう。
なんだか気まずい気持ちになる。ここで何を言うべきか?
僕は立ち止まって、「もう1軒飲んでいくから」と言う。
「じゃあね」反対方向に歩き去る。
その子をそこに置いていく。

意味もなく街を2周ほど歩いて、地下鉄に乗って帰る。
その子にばったり出会わないことを願いながら。
乗り換えて、駅で下りて、アパートまで歩いていく。
シャワーを浴びて、さっさと眠ってしまう。

昼まで寝てる。
近くの中華料理屋で、またしても麻婆豆腐の定食を食べる。
することがなくて、たまっていた新聞を読む。
日曜の夜。缶ビールを飲む。テレビを眺める。3本目。4本目。
明日は月曜。早々と、眠りにつく。
眠ってしまおうとする。


[3124] 初夏の東京散歩(神保町〜水道橋〜飯田橋〜九段下) 2009-07-02 (Thu)

昨日の夜は大学の先輩・後輩と数年ぶりにカレーの会。
飯田橋のタイ料理屋となる。
昨日はほぼ一日打ち合わせで疲れきって、夕方から何もできず。
18時過ぎ、早々とオフィスを出る。集合時間は20時で、2時間も空く。

何とはなしに歩きだす。水道橋方面へ。
昼飯の開拓で時々通るので目新しいことはない。すぐ水道橋の駅に着く。
東京ドームへ。巨人戦をやっているようだ。
何も予定がなかったら、見てもいいな、と思った。
来週か再来週にもまた来よう。いや、だったら神宮の方がいいか。
ドーム近辺は当たり前の話だけど、巨人のオレンジ色のYの文字ばかり。
お土産屋も本屋も。
遊園地のジェットコースターから歓声が聞こえる。
ああ、会社を早く出たらあれも乗ることができるんだな、と思う。

ドームから離れて、外堀通りへ。
この辺りから生まれて始めて歩く。ちょっとワクワクする。
でも、飯田橋まではたいした距離じゃない。
すぐにも着いてしまって、がっかり。
道々、旧○○の跡みたいな石碑が立っていておっと思い、立ち止まって眺める。

飯田橋から、南、九段下の方へ。
駅周辺を離れるとここもまた初めて歩く。
このラーメン屋気になるな、このカフェいいな、と思いながら歩いていく。
寂れたカレー屋のチェーン店があったりして。名前は思い出せない。

それとなくキョロキョロしながら歩いていると、「ボリショイサーカス」という看板を見つける。
え、あのボリショイサーカス?旧ソ連が崩壊してロシアとなった今もあるの?
僕が小学校一年生のとき、住んでいたむつ市に来たことがあって、父と見に行った。
デパートの福引で当てたチケットは2枚しかなくて、妹が泣いたことを覚えている。
そのボリショイサーカスがここに本拠地を??まさか、そんな。
路地に入って近くまで寄って、見てみる。
6階建てのビルの名前がボリショイサーカスで、
入っている会社の名前もボリショイサービス株式会社。
なんなんだろ?ロシアの本家本元から怒られないのだろうか?
1階は「スパシーバ」という名前のおしゃれそうなカフェだった。
ロシア語で「ありがとう」という意味。
帰ってきて調べてみたら、ここ、本当にボリショイサービスの日本法人(?)だった。びっくり。
http://www.bolshoicircus.com/index.html

夕暮れ。薄暗くなる。
九段下に出て、千鳥ヶ淵まで足を伸ばす。
公演がないのか、武道館がひっそりとしていた。
緑生い茂る周りの沼もまた、静止している。
千鳥ヶ淵の細長い公園も全く人がいない。中の通る人もいない。空っぽのベンチが並ぶ。
近所の人たちなのか、缶ビールを持ち込んで5・6人で宴会をしていた。それぐらい。
柵にもたれて千鳥ヶ淵の堀を眺める。何もかもが緑色に染まっている。
春の桜の季節しか来たことがなくて、初めて見る。全然顔つきが違う。
もちろん、ボートに乗る人もなし。
そうか、桜の季節の3週間ほど以外は、こんななんだ。

靖国神社へ。「みたままつり」と一文字ずつ書かれた提灯が壁にぶら下がっていて、賑やかそう。
桜の季節のように、屋台が出ているのかも。
しかし中に入ってみるとここもまたひっそりとしている。
どうもその「みたままつり」ってのは13日から行われるもののようだ。
だけど、それって何がどういうふうになってる祭りなのだろう?
真ん中の広い道路に背の高い囲いが作られていて、そこに提灯が吊るされるようになっている。
そのときは、きれいなんだろうな。
調べてみる。こういうの。夏祭りのようだ。屋台も出る。
http://www.yasukuni.or.jp/schedule/mitama.html
会社の誰かを誘って、飲みに行こうかと思う。

靖国神社の入り口にて、どこかの大学の体育会のサッカー部かな、一団になって筋トレをしていた。
声を出して数を数えて、リズミカルに。四つんばいになって足を突き上げる。
猛者なのか、一人だけ腕立て伏せをしている。
マネージャーなのか、女の子が2人、彼らの背後に立っている。
だけど何をするでもなし、携帯を眺めて「ちょっと、これ見てよ」って感じで笑いあっている。
ジャージを着るでもなく。1人はヒラヒラとした服を着て。

飯田橋へ。
落ち合ってタイ料理屋へ入る。
前はごく普通の居酒屋だったのだろう。テーブルも椅子もカウンターもそのまんま。
タイ人の一族なのだろうか、お母さんが料理して、娘が注文を取る。
娘の一人は日本語がそこそこ話せて、もう一人は全く話せなかった。
僕ら以外に客はいなかった。先輩に聞くと、いつも客はいないのだという。
どうして店が成り立っているのだろう?世の中は不思議な店ばかりだ。
エビのカレー炒めを食べて、シンハービールを飲んだ。


[3123] AT賞を終えて、その後 2009-07-01 (Wed)

以下、月曜の夜、師範・師範代・教室の皆に充てて書いた長い手紙の抜粋。
ここに載せるのもどうかと迷ったけど、
日曜の日記がそれっきりになってしまうのもなんだよなあと。

読み返してみると宗教団体が洗脳しているようでもあるが・・・
まあ、いいか。

――――――――――――――――――――――――――――――
こんばんは。岡村です。

今回の件につきましてはお騒がせしました。
あれから数日、かなり立ち直りました。
ケロッとしています。

いい意味で、あくまでいい意味で、
3席という結果は僕の中でどうでもよくなりました。
どうでもいい、と言うと言葉がよくないですね。
でも今、なんつうか、うまく言えないです。

また長文になります。すいません。

昨日の師範の「小説」と「物語」の違いについて書かれたのを読んで、
「あ、そうか!」と腑に落ちました。
今回の僕は小説という枠からしか物語というものを眺めることができず、
無理やり押し込めようとして、はみ出たものをあっさり切り捨てていたわけです。
そして見向きもしなかった。
僕がこれまで10何年とかけて磨いてきたつもりの
「小説の枠組」に必死になってしがみついて、そこから飛躍しようとしなかった。
ほんとなら、そこでこそブレイクスルーがあるべきだった。
なんか小さなことにこだわっていたなあと思います。

---
立ち直った僕は、当初の予定通り、
この秋は遊の物語コースに進んで、その後、離に行きます。
もう迷いません。

物語コースは、破を受ける前は
「小説を書く足しにでもなれば」ぐらいの気持ちだったのですが、
今では破で大きくやり残したことがあるから、もう一度やり直したくて。
今度こそきちんと物語に立ち向かってみたい。
物語というものの大きさと深さが今更ながらジワジワと見えてきました。

離の後で、師範代やります。
師範代の言うように先に師範代をやるべきなんでしょうけど、
正直今の僕には引き受けられないです。
このままだと僕も学衆と一緒になって迷ってしまいそうで。
自分の中で「やりきった!」と言える何かを掴んでからにしたいです。

守のときの師範代から

「岡村さんは突破したからってすぐ師範代をやっちゃだめ。
 師範代はそれまでに学んだことを次の世代に返すつもりでやりなさい。
 編集とは何か、思い悩んでいるうちはうまくいかない。
 まずは離まで行って、とことん極めなさい」

と言われたんですね。
で、僕は今でも、そうだな、と思っています。

---
ここから先の僕のテーマは師範代の言ってたブレイクスルーですね。
今回、持ち前のパワーとスピード(って自分で言うなですが)で
突破まで持って行きましたが、確かに自分でも、突き抜けた感はない。
「学んだ」けど、「変わって」ない。
でも、最後の最後、今回の件で
ちょっとは「揺さぶられた」ように思うので、
そこのところはよかったです。大きなヒントになりました。
(離はそういう「揺さぶり」の場なんじゃないかと予想しています)

>  なぜそういう結果になってしまったかを考えてみると、
>  早めに得られる満足感、それが原因だと私は思います。

>  岡村さんは、傍から見ていると、物の見方が多様では無い、
>  シンプルでまっすぐすぎる感があります。

あとは、ここのところなんですよね。
当事者なので、実はあんまりピンと来ていません。

こういうことなのかと思いました。
僕、物事を判断するのが異様に早いです。何事も即決です。迷いません。
店に入って何を食べるかに始まり、PJ運営の方向性だろうと。
大事なものほど、直観。後付で理由を考えます。

早く決断するとその分時間的なアドバンテージが生まれるので、
上手くいくことの方が多いです。
だからそれでいいのだとついつい思ってしまいます。

なんだか、物事の考え方、生き方の指南を受けたようですね。


[3122] Ween 2009-06-30 (Tue)

昔のライブのパッケージ化とか、
持ってないアルバムがひっそりと店頭に並んでいたら無条件で買うバンド。
30代も半ばになって、そういうの僕の中でめっきり少なくなってきたけど、
今でも Ween はリストのてっぺんにあって、フニョフニョした光を放っている。

この前の土曜、92年のライブアルバムのボーナスだったライブDVDを見た。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2805687
これ、若き日の Ween がほんとデタラメで、支離滅裂で、
だけど音楽的:センス、教養、腕がピカイチであることを伝える、なかなかの作品だった。
素人が撮影した、グラグラ揺れる画像最悪のホームビデオを切り貼りしたものなんだけど、
この粗雑さ加減が Ween の音楽にほんと最適。

メタル、パンク、カントリー、CM音楽、ティーンポップ。
何でも飲み込んでゲップで吐き出す。
歌も曲も演奏もうまいんだけど、超B級。
あえてわざわざ変なことをして、ニヤニヤとお茶を濁す。
風貌はアメリカの普通の、いけてない若者(今はおっさん)。
挙動はその辺のどこにでもいる、無害な変わり者。
ステージの上でもヨレヨレ、ヨタヨタしていて、
無駄にオクターブの広い喉と縦横無尽なギターを披露する。

中核にいるのは、ヴォーカルの Gene Ween とギターの Dean Ween の2人。
苗字がどちらも Ween なんだけど、たぶん兄弟ではないんだろうと思う。Ramones みたいに。
調べたらすぐ分かるんだろうけど、そんなことしたらつまんなくなるなーと、あえて調べない。
というか日本語の Wikiepedia に載ってなくて、英語の Wikipedia を読むのがめんどくさい。

以前、Soulwax について書いたとき、似てるバンドって何だろうと考えたとき、
僕の中では Ween だった。
でも、Ween に似てるバンドを考えてみると真っ先の思いつくのは Negativland であって、
Soulwax と Negativland は全然違う。
ま、そんなことはどうでもいいか。
なお、Soulwax がユーモアならば、Ween はジョークだと思う。Negativland はブラックユーモア。

どのアルバムもたくさん曲が入ってて、全部曲調が異なる。
なんでも手当たりしだい放り込んで、ミキサーにかけて5秒だけかき混ぜて出来上がり。
カラフルな万華鏡には程遠く、
どっちかと言えば、アメリカのケーブルテレビを無作為にザッピングしたようなもの。
説教師が熱弁を振るってるかと思えば、隣ではアメフトの試合でチアガールが踊ってて、
その隣では昔のアニメ、大安売りのTVショッピング、ソープドラマ、大自然をドキュメント。
なんつうかなあ、僕の中ではアメリカの郊外のごく普通の住宅地の一角のとある家、
適度に芝生を刈りつつ、適度に適当で、
子供の放り投げた雑多なガラクタが散らばってる、そんな感じ。
食ってるものは毎朝、ミルクたっぷりのチョコレート味のシリアル。
それを毎回欠かさず「まずい」っつって残すような。

どのアルバムもいいんだけど、1つだけお勧めを挙げるならば97年の「The Mollusk」かなあ。
これの「The Blarney Stone」ってのが大好きなんですね。
北欧のバイキングが毛皮着て、港に戻ってきて酒場で骨を振り回して、
みんなで肩を抱き合って合唱してるような曲。
最初に聞いたとき、何をどうしたら
ロックとカテゴライズされるバンドがこういう曲を演奏するのだろうと不思議かつ、
目頭が熱くなった。アーイヤーイヤーイというコーラスに叙情性たっぷりのアコーディオン。
人類の持つ原初の記憶に訴えかけるんですね。
「Live in Chicago」というライブDVDで最後に演奏される。これがまたいい。
(このライブDVDでは、カバー曲として Led Zeppelin の「All My Love」を披露。とんでもない選曲。
 この何のひねりもない大真面目な演奏が、Ween の何たるかを分かりやすく表している)

あと、なんと、Boredomsと合体した「Z-Rock Hawaii」これが真骨頂かなあ。
「The Mollusk」と同じ年なんだけど。
Boredoms は EYE / Yamamoto / Yoshimi / Yoshikawa という編成の時代。
Boredoms とやってるってのがこのバンドの何たるか、というか偉大さを物語っていると思う。
今ならもう、ありえへんよ。

こいつらすげぇ!!とぶっとんだ破壊力に浸るなら、
2枚組ライブの「Paintin The Town Brown」
90年代アメリカのオルタナの裏でどんな音楽がひっそりと奏でられていたか?
これぞ、歴史。絶対欠かせない。

こいつらは明日世界が終わろうとも、「で、なに?」って絶対ヘラヘラしてるはず。
だから、好き。


[3121] 三鷹バル 2009-06-29 (Mon)

26日の金曜のこと。早々とオフィスを出たら着信あり。
今度飲もうと言っていた映画系の後輩Sからで、今日どうですかと。
ちょうどいいねと三鷹台で20時に待ち合わせる。
M(という食通の後輩)の薦める、いいバルがあるみたいなんですよと。

井の頭線に乗って三鷹台へ移動。S君と会う。
さっそくその「三鷹バル」へ。スペインバルと書かれている。
10人も入ればいっぱいの小さな店。カウンターだけの立ち飲み。
即に満杯で、後からまた来ることにする。
客の中にはスペイン人らしき人もいた。
http://www.tokyo-calendar.tv/dining/12516.html

駅前に戻って、安い焼き鳥屋でビールを飲む。
串焼きは悪くはなかったけど、小蝿が飛んでいた。最悪。
最近どうよ?と話し始めたら、S君は近々、東京を引き上げて郷里に帰るとのこと。
いきなり聞いたので、びっくり。
向こうで飲食店をやろうとしているということで、その計画を聞く。
「カレー屋がいいと思うんですけど」と言うので、
「いいじゃんカレー屋って。どこで店出してもニーズがあると思うよ」と僕は言う。
餞じゃないけど、この1軒目は僕がおごる。

S君の出した同人誌に僕も短編を寄せた。
その同人誌はそれっきりになったけど、いい思い出になった。
そもそもS君と最初に会ったのは映画仲間の上映会で、
泥酔していた僕はS君と殴り合いの喧嘩になった。
もちろん、僕の方は記憶にない。
翌朝自分の部屋で目が覚めて、激しく二日酔い。
昨日俺なんかしてない?と周りに聞いてみて、あんた昨日大変だったんだから!!と。

バルに移動する。相変わらず混んでいる。
僕らが入ると、若い店主は中の人たちに詰めてもらえますか、と。
スペースを作ってもらう。
僕らの後にも客はどんどん入れ替わり立ち代り、だけど少しずつ増えていって、
こりゃどこまで入るのかと。マックスでは20人は詰め込んだだろうか?
ふらりと入ってすぐ出て行く人もいれば、僕らのように時間の許す限り長居する人たちもいて。
鶏の煮込みとか、アンチョビ、レバーパテなど。
どれを食べてもおいしかった。
僕はワインに詳しくないので何を飲んだのか覚えていないけど、
S君の頼むシェリーを、同じの、と言って飲んだ。

S君の所属していた早稲田の映件の話になる。
当時、8年生に金井康史ってすごい人がいて・・・、
あ、と思い出す。PFFでも入選した「きままちゃんはあんたたちじゃないからのぼるのぼる」が
TYUTAYAのレーベルでビデオ化されて、学生時代に借りて見たことがある。
保坂和志も早稲田で映画に関わっていたという話に移って、
「カンバセーション・ピース」がいかにすごい小説かとため息をつく。
僕はこの本ををニューヨークの地下鉄の中で読んで、コニー・アイランドへと向かった。
最近のすごい小説は?と聞いて、猫田道子の「うわさのベーコン」を教えてもらう。
余りの破綻っぷりに、ここには何かがあるととある新人賞の最終選考まで残ったんだけど、審査員が激怒。
高橋源一郎が激賞して出版。残骸のようなストリートいうか言葉が何の脈絡もなく続く。
この人は本物の××××であるようだ。
でも、持って生まれた小説家としての才能があるんだろうなと僕は思った。
音楽で言ったら The Shuggs のようなものなんだろう。アウトサイダー・アートの亜種かもしれない。
最後に最近調子のよくない、後輩Hの動向を聞く。聞いてて辛い気持ちになった。

井の頭線で吉祥寺へ。そこで別れる。
午前0時半。中央線はまだあったけど、なんとなく歩いて帰りたくなる。
吉祥寺から荻窪まで。1時間かかって、あれこれと考える。
これから何年先になるか分からないけど、S君が郷里で店を出したら会いに行こうと思う。
そしてその店がバーだったら、店を閉めた後、朝まで飲もうと思う。


[3120] AT賞を終えて 2009-06-28 (Sun)

破のAT賞:物語編集術の結果発表が先日あった。

・・・三席。入賞はしたけど、一番下。

小説家志望の端くれとして
ここで大賞を取ることを目的として取り組んできたため、愕然とした。
なぜこんなに低い?奈落の底に突き落とされた。
ここで大賞、最低でも一席が獲得できれば、ここから先も僕は小説を書き続けることができるだろう。
僕は自信を取り戻せるだろう。
根拠はない。勝手な思い込みに過ぎない。
でも他に今、僕を後押ししてくれるものはないのだから、ここにすがりつくしかなかった。
僕は追い詰められていた。

たった70人の中から選ばれる。
ほとんどの人は今回初めて、物語というものを書く。
なぜこの僕がその中で負けるのか?

自分では手応えを感じていた。
満足できる水準にまで達した。やりがいがあった。
しかしこれは自己満足だったのか?
結局、そういうことなのだろう。

講評としては、テクニカルなところは評価できるが、
今回の目的である物語の翻案としては弱いと。
まあ、そうなんだろうな。そこのところは恨むつもりはない。
自分では翻案をしたつもりでいて、できていなかった。小手先だけ。
そこには、思い上がりとうぬぼれがあった。

---
僕がなぜ小説家になれないのか、なれなかったのか、少し分かったような気がした。
やはり、どこかズレているのだろう。

与えられた一定の条件・制約の元でどこまで面白いものが書けるか?
(今回はそれが、物語の原型を読み取って、翻案するというものだった)
それができないようでは、小説家なんてなれないのだと思う。
自分の書きたいことだけを書いているようでは、どこからも相手にされない。

その気になれば、地道にトレーニングを続けていけば、文章力はいくらでも身につく。
しかし、もっと大事なのは、世の中に求められているものを察知してきちんと提供できる能力なのだ。
意識的であれ、無意識的であれ、こういうのが読みたいと思っている人に、それが届けられる能力。
書くではなく、その先にある、届けるということ。
思いを、伝えるということ。
それができるか、どうか。
僕はこの年にしてようやく、「物語を書く」ということの本質、その一端に触れたと思う。
・・・あーあ。遅すぎるよ。

というか、今回の僕の作品は、
応募作品の中での質は高かったんだろうけど、そもそもつまらなかったのだ。
それだけのこと。
ストーリーから何から、人を惹きつけるものがない。
(これ翻案じゃないけど面白いね、と言わせることだってできたはず)

玄人な分だけ、手垢のついた文章を紡いでいく自分。
片や、物語という形を借りて初めて自分という存在がこの世界と対峙する、
瑞々しい瞬間の発見、その清々しさの魅力・魔力。
そこにはやっぱ特別な何かがあって、
今回選ばれた人にはそれがあったんだろう。
今の僕は、そこに立ち向かうことができない。怯んでしまう。

そこが今回何よりの、負けということになる。
「物語」と本気で向き合っていなかった。

---
僕の中にある足りないもの、至らないもの。
僕とこの世界の間にある絶望的なまでに深い溝。
これはこのまま編集学校にいて、「遊」物語のコースや「離」応用コースに進んで、
その後師範代を経験してみたところで、決して埋まることはないだろう。
だとしたらそれは今の僕に必要なものだろうか?

20守で卒門第一号となり、20破でも突破第一号となった。
夢中になって駆け抜けた。
その中で多くの物事を学んだ。
しかし今、夢から醒めて、何もかもが色褪せてしまった。
僕を突き動かしていた熱狂や幻想がスーッと消え去った。

ここから先、編集学校を続けるかどうか分からない。
とはいえここでやめたら、後はウダウダと何もせず腐っていくだけ。
それぐらいなら続けた方がいい。
当初の予定通り物語のコースに進んだら、何かが得られるかもしれない。

だけど、これまでのように「楽しいなー」「面白いなー」っていうだけでは
編集学校と向き合うことはできない。
それなりの覚悟が必要となる。

---
それでもまだ小説家になりたいのなら、
今回のことをバネにして少しでも進んでいかなければならない。
乗り越えていかなければならない。

「これは翻案じゃない、だから選外」とすることだってできた。
なのに三席の位置を与えられた。
そこには何らかのメッセージが込められているのだ、そう思うことにする。
そこから、始めようと思う。


[3119] 6/20 - 6/26 2009-06-27 (Sat)

6/20(土)

突破から一夜明けて。
9時に起きて「マン・オン・ワイヤー」を見に行く。朝、初回。
高島屋だったのでCDを眺めて帰る。
ルミネのHMVに寄って、Tom Verlaine の1枚目を買う。
昨日給料日で神保町のDiskUnionで中古で買ったばかりなんだけど、
その後紙ジャケ・リマスターが出ているということを知り。

荻窪に戻ってきて、帰り道に最近できた風味堂というラーメン屋に入ってみる。
研究してるな、とは思うが至って普通のオーソドックスな東京ラーメン。

CDを聞こうとしたらミニコンポが上手く動かず。
前から調子悪かったけど、CDを取り込む部分が異常終了して電源が落ちる。
これがひどくなって、電源を入れてもすぐ切れてしまう。
もう10年近く使っているし、いっそのこと買い換えるか、と思う。
その前に1度、本体の埃を払ってあれこれ振ってみたりしたら動くようになった。
どっかに何かが詰まってるか接触不良になってるだけなんだろうな。
今回あれこれとCDをオーダーしているので、気軽に、ボーナスで買うかともできず。

マヌエル・デ・オリヴェイラ監督のDVD-BOXセットのうち、
「世界の始まりへの旅」を見る。
役者が演技して、それを撮ってるだけ。
なんてことない映画のはずなのに、味わい深い。
マルチェロ・マストロヤンニ始め、名優ばかりが集まっているからだろう。

先日の映画サークルの後輩の結婚式で久しぶりに会って、
今度飲もうぜと言ってた奴と電話でやりとりする。
暇なら今日にもと思ったんだけど、今、山梨に一泊して映画の撮影をしてるという。
ああ、あいつのか。結婚式でも今撮ってるって言ってたもんな。
まだ撮ってるというのはいいことだ。

夜は「現代音楽CD×100」というガイドブックを読みながら、ビールに焼き鳥。
15年近く前の本。買った当時、学生時代は知ってる人、ほとんどいなかった。
ジョン・ルーリー、ジョン・ゾーン、ジョン・ケージ、それぐらい。
でも今見てみたら結構知ってた。この10何年僕はかなり勉強したんだなあ。
ハリー・パーチ、フレッド・フリス、リンゼイ・クーパー、メレディス・モンク、
ジェルジ・リゲティ、ポーリーン・オリヴェロス、アストル・ピアソラ・・・
見てるうちにあれも欲しい、これも欲しいとなって、結構な額をHMVでオーダーしてしまう。
Michel Redolfi「Desert Tracks」というのがとても気になるが、これだけ入手不可。
それ以外は探せば割と見つかるようだ。

---
6/21(日)

深夜、土砂降りで目を覚ます。
書留が届いて8時に起こされる。
雨が降っていて、二度寝。昼まで寝てる。

何ヶ月か前にオープンした「やきば」という蕎麦屋に入ってみる。
いつもあんまり客が入っていない。
にしんそばを頼んでみる。結構うまかった。
客に媚びることなく、自分がこれだと思うものを出す店。
夜、蕎麦で一杯、というときにいいだろう。

午後、編集学校の再回答、ブラッシュアップ。
ゴールデンウィークの頃に取り組んでいたクロニクル編集術の残り。
自分の年表と映画史の年表と、融合したものに旗を立てる。
始めだすと時間がかかる。気がつくと夕方。

西友に食べるものを買いに行って、帰ってきて、
マヌエル・デ・オリヴェイラ監督のDVD-BOXセットの続き、「階段通りの人々」を見る。

amazon でオーダーした Espers のCDが届く。
科学ではなく魔術が発展した素朴な世界を垣間見せる、幽玄な音。これは、いい。
ヴォーカルの Meg Baird のソロを僕は先に聞いていた。

「No Wave Rare Live & Photo Collection: Newyork 1976-1980」を見る。
付属の、James Chance & The Contortions と DNA の CBGB でのライブアルバムを聴く。
たまらなくかっこいい。

コールスローミックス、温野菜ディップ、3割引の竜田揚げ。NUDAでウィスキー・ソーダ。
午前0時半頃、眠る。

---
6/22(月)

休み。
7時半に目が覚めて、8時半頃部屋を出て、渋谷に「レスラー」を見に行く。
見終わって、レコファン、タワー、HMVと回る。
レコファンで以前見かけて給料日まで待っていたCDを買う。
Bryndle, Association, You Am I, Kronos Quartet
道玄坂の前から気になっていたトンカツ屋に入ってカツカレーを食べる。
予報が外れて、雨が降りだす。梅雨だから仕方がない。
この日、せっかくの平日の休みなので
ワタリウム美術館でアロイーズ展を見ようとしたのだが、
月曜が休刊日だったので断念。

SFの古典的名作「黙示録3174年」を読み終えて
先週末から校長松岡正剛の最近出た新書「多読術」を読んでいる。
帰りの電車で読んでると気分が乗ってきて、
荻窪に着いてからドトールに入って、
カフェオレを飲みながら最後まで読み通す。
インタビューを元にしているのでとても読みやすい。
松岡正剛入門として最適かもしれない。

帰ってきて、オリヴェイラ監督のボックスセットで3本目、
「アブラハム渓谷」を見る。これはすごいね。やはり。
オリヴェイラ芸術としての完成をここに見る。

夜は例によって、コールスローミックス、水菜とキャベツのサラダ、
竜田揚げ、NUDAでウィスキーソーダ。
Rockin'on JAPAN の最近巷で話題のPerfumeのインタビューを読む。
午前0時頃眠る。

---
6/23(火)

先週三省堂をブラブラしていたら「広告批評」の最終号を見つけて、
たまにはこういうのを読むのもいいかと思って買ってみる。
橋本治のエッセーが巻頭にあって、
最終号に向けてのシンポジウムの採録。
これが各界第一線で仕事をしている人たちの対談となっていて、面白い。
最初のが佐藤可士和と村上隆で、次に出てくるのが横尾忠則と一青窈と天野祐吉。
村上隆ってあまり良く分かってなかったけど、発言を読んでみると、
この人頭いいな、パースペクティブを持ってるな、と感心させられた。

神保町のDiskUnionにCDを売りに行く。1000円ちょっとになる。

7月最終週のリフレッシュ休暇が承認されたので、早速JTBに行く。
昼は混んでて、夕方再度トライ。
スペイン旅行のパンフレットを見ていたら、
6日間でバルセロナとマドリード、グラナダ、バレンシアと、
世話しないけどダイジェスト的にあちこち見て回れるツアーってのがあって、
しかも安い。1人参加代金を足しても25万もしない。
こりゃあ早く申し込まないと定員オーバーするだろうな、
と行ってみたら逆に定員割れで催行中止となっていた。7月のは全部。
そういうものなのか。
カウンターの人が他の旅行会社に電話をかけて
同じような条件のを探してくれたんだけど、
どこも催行中止か、そもそも企画がないか。
いったん諦めて帰ってくる。

夜、お客さんと飲みに行く。
このプロジェクトどうしたもんかと。
また遅くなって、お茶の水から乗って中央線で帰ってくる。

昼、この辺でおいしいのないですかと聞いて教えてもらった「弁慶」という店へ。
寿司、割烹系の店。夜はすっぽん鍋が看板メニューか。
壁にすっぽんの甲羅がぎっしりと並べられ、飾られている。
それまでにお客さんが食べたすっぽんたちであって、
それぞれマジックで名前が書かれている。
ブリの塩焼き定食を食べる。うまかった。

---
6/24(水)

引き続き、広告批評の最終号を読んでいる。
対談でピエール瀧が出ていたりする。
別なのには宇川直弘、倉本美津留、ひろゆきの3人。豪華だ。

昼、和風パスタの店「スパ蔵」へ行く。
10時間煮込んだミートソース。うまかった。

昼休み、旅行代理店を回ってスペインツアーのパンフレットを探す。
帰ってきて、WEBであちこちの旅行会社のスペイン行きツアーを物色。
最初は添乗員付きでと考えていたけど、あれこれ悩んでみた結果、
一番安いエアー+ホテルのみにしようかと。

夕方、コンビニで買ったおろしそばと、キャベツのサラダを食べる。
早めに帰ってきて、今日は飲もうと缶ビールと枝豆を買う。

毎朝、荻窪駅で幸福実現党の候補者の演説を見かける。
これって荻窪だけなのだろうか。

帰りに渋谷に寄って、Karla Bonoff の2枚組ライブアルバムを探す。
タワレコかHMVで見かけて、そのうち買うかと思っていたところ、
amazon では中古で7,000円近い値段がついていることを知り、やばいと慌てて買いに行く。
HMVにあった。
タワレコではフジロックをフィーチャーした United Arrows のTシャツが売られていて、
かっこよかったので買った。色はピンク。
サマソニに着ていく。
Karla Bonoff のライブを聞く。収録は2007年なのかな。
僕はこの人のこと全然詳しくないけど、
70年代・80年代の代表曲を中心とする演目なのだと思われる。

---
6/25(木)

編集学校の物語コンテスト:AT賞の結果が発表される。
大賞を取るつもりで取り組んだのに、
フタを開けてみたら入賞はしたものの一番下の賞。三席。
愕然とする。講評としては、テクニカルではあるが今回求められた翻案の要素が弱いと。
今回大きな賞を取ることを目的に過ごしてきた応用コース「破」であるため、
最後全てが否定されたような気がした。足元をすくわれる。
1日をウツウツとして過ごして、編集学校もこの先続けるのをやめようかと考える。
いろんなことを忘れたくて、仕方なく、淡々と仕事をする。
頭の中がグルグルと回っている。

昼、焼肉屋を見つけて、牛・豚ハーフのセット。
夜、セブンイレブンで唐揚げの入った豪華なサラダとお結び2個セット。
食べすぎかなーと思っていたら、やはり食べすぎだった。

夕方、旅行会社に行って、スペイン旅行の手配をする。
エアーが満席で追加料金発生、しかしオイルサーチャージは思ってたよりも安く。
20万弱となる。ついでにディナーつきフラメンコの見積もりをお願いする。

帰ってきても酒は飲まず。
グレープフルーツジュースを飲んで、Cowboy Junkies を聞いて、寝る。

---
6/26(金)

昼、魚百で海鮮丼。うまい。
金曜なので早々とオフィスを出る。HMVでCDを買おうと新宿へ。
携帯を見たら、着信あり。
今度飲もうと言っていた映画系の後輩Sからで、今日どうですかと。
まだ時間があったので、高島屋のHMVへ。
渋谷のHMVが26日がポイント10倍だったので新宿もそうかと思っていたら、
新宿は27日の土曜が10倍の日だった。
埼京線で渋谷へ。HMVで今月分のCDを買う。
とは言っても、今月は即にボーナスを見越して大量にWEBでオーダーしていたので、
15,000円までと決めていた。
reyona、くるり、鬼束ちひろ、The Hiatus、Mars Volta、Tortaoise、
それと前から気になっていた Vivian Girls(名前がいい。ヘンリー・ダーガーからだよね?)

S君と落ち合って、2軒はしごして飲んで帰ってくる。
中央線は終わりかけていて、歩いて帰ってくる。

昼、旅行会社に入金。


[3118] 今年はスペインに行きます 2009-06-26 (Fri)

今、所属するPJは何かと厳しい状態にあり、年末まで気が抜けない日々が続く。
そんな中、7月の最終週にエアポケットのように休める一瞬があって、
目ざとく1週間のリフレッシュ休暇をねじ込む。申請が受理される。

じゃあどこに行くかって言えば、迷わずスペイン。
死ぬまでに行ってみたかった国を毎年1つずつクリアしていって、ようやくこのスペインが最後。
来年からは海外旅行というものとの向かい方が変わるかもしれない。
というか変わると思う。ノルウェーとか、もう1度行ってみたい国にも行けるようになる。
これまでは、「いや、その前に・・・」と自分の中でストップをかけていたわけで。

マドリードのソフィア王妃芸術センターでゲルニカを見たい。
バルセロナではもちろんガウディの建築物あれこれ。
この2つだけはどうしても見たい。
最初は、エアーとホテルとレールだけの安いパッケージツアーで行こうかと考えた。
あれこれ調べているうちに
JTBにて6日間でマドリード、バルセロナ、コルドバ、グラナダを回って
1人参加代金を足しても25万しないという格安添の乗員付きツアーを見つけて、
これはすごい、慌しくてどこもじっくり見てられないけど
初めてのスペインだったらこれでもいいかと心に決める。
早速JTBに行ってみる。こんな内容充実のツアーならもう即に満席かもしれない。
やばいかもなあと思ってカウンターに向かってみたら話は逆で、
募集が集まらなくて催行中止になっていた。
うーん、そういうものなのか。
カウンターの方は親切にも他の旅行会社に電話をかけて、
同じように6日間ぐらいで回るツアーを探してくれたんだけど、
そもそも設定がないか、あっても同じように催行中止となるか。
7月だったら海外旅行も人が集まりそうなもんだけどねえ。
その日はそれでいったん、諦める。

8日間、9日間だったらいくらでもツアーがある。
でもそれって、もちろん高くなる。
あんまりお金に余裕はない。
帰ってきて、あれこれ考える。
いっそのこと今年はマドリードだけにしようか。
一都市滞在でフリープランなら安いだろう。
そう思ってHISとか見てみたら、これまたそうじゃないんですね。
6日間、エアー+ホテル+一人参加代金で25万。(オイルサーチャージ込み)
大手は大体そんな価格設定だった。何がそんなにかかるんだろう?
これだったら、8日間で添乗員付きのツアーの安いのが28万ぐらいってのがいくつかあったから、
そっちの方が得だと思う。楽だし。
心が傾きかける。

・・・やっぱ金かかりすぎ。
そう思って、振り出しに戻って、
エアー+ホテル+レールでマドリード、バルセロナ6日間で最安値のパッケージツアーにする。
ホテルまでの送迎もいらん。なんとでもなるだろ。
Yahoo ! トラベルで見たら、\112,000ってのがあった。安すぎ。
IACEトラベルってとこ。
オイルサーチャージは別。
一人参加代金は\26,000で、こんなに安いならバルセロナでもう一泊しようと決める。
全部で20万もしないで済みそうだ。
これにする。最寄の店舗がどっかにあるだろうかとサイトを見てみたら、
神保町の常駐先の目と鼻の先にあった。
昨日、定時後に行ってみた。
エアーが満席で、プラス2万でルフトハンザの便にする。
元々が安かったからまあいいかと思う。
オイルサーチャージは\9,000だった。
出入国諸税とか空港施設使用料を足して、合計19万ぐらいとなる。
せっかくだからオプションでディナー付きのフラメンコも申し込む。

後は闘牛を見れたら言うことないんだけど、日曜しかやってないみたいね。
で、今回の僕はマドリードからバルセロナへの列車での移動日に当たる。
延泊をマドリードにして、闘牛を見るか?
いや、マドリードは最悪、プラド美術館とソフィア王妃芸術センターだけの1日でいいけど、
バルセロナはあちこち見たいんで1日じゃ回りきれない。
うーん。それにしても2日でガウディをどこまで見れるだろうか?

そんなわけで今、頭の中はスペインでいっぱい。


[3117] 雨音 2009-06-25 (Thu)

前にも書いたことがあると思うが、
「好きな音は何ですか?」と聞かれたら、屋根に雨が当たる音、と答える。
夜眠っているとき、朝起きたとき、雨が降っているとその音にじっと聞き入る。
休みの日の朝だと、気持ちよくてそのまま二度寝する。心がとても落ち着く。

雨にもいろんな雨があって、屋根に当たる音にも様々な表情がある。
土砂降りの朝の、情け容赦ない音。
シトシトと降る夜の、幽玄漂う音。
語りかけるようでもあり、拒絶するようでもあり。

僕が今のところに住み続けているのは、
1つには雨の音が聞けるからというのがあると思う。
ロフトの上が屋根になっている。
すぐ目の前に天井。
音が、直接聞ける。肌に、心に、ダイレクトに伝わってくる。

それはもちろん、違う家になると違う音になる。
たまに帰省した時に夜、雨が降っていると、
その音を長い時間をかけて聞く。いとおしむ。
それは僕が高校までの10何年の間、雨の降る夜に聞いた音なのだ。
郷愁、サウダージと結びつく音。

旅先で聞く音もいい。
だけど僕の場合、国内であちこち行っても安いビジネスホテルの一室なので
やはりそういう部屋の中で聞く雨の音はとても弱々しい。
表情と呼べるものは何もなく、雨は雨。

石垣島や屋久島に行って平屋の民宿に泊まって、
そこに台風が直撃したときの音。
これにはとても興奮させられるのでは、と思う。
自分の奥深く眠っている、野生の感覚が呼び覚まされるような。
あるいは雨季の時期に東南アジアに行って、安宿に泊まるとか。
自分の中の「雨」観が変わるかもしれない。

ノルウェーの小さい村を訪れたときの吹雪の音を僕は思い出す。
吹雪は、屋根との距離は関係がない。
窓がそこにあればいい。

眠りの浅い僕は、真夜中に雨が降り出すと目が覚めてしまう。
そして夢うつつの中で取りとめのないことを考える。

日曜の朝、目覚めると雨が降っていたので、
僕はそのまま昼まで眠り続けた。
雨が降ったりやんだりしている。
ただそれだけのことで僕は幸福な気分になる。


[3116] 「アブラハム渓谷」 2009-06-24 (Wed)

マノエル・デ・オリヴェイラ。ポルトガル、ポルト出身。
1908年12月生まれであるため、今、100歳の現役最高齢の監督。
90年代から00年代にかけて、ほぼ毎年のように作品を発表している。
僕は昨年ようやく出会って、2002年、94歳のときの「家宝」に多大な感銘を受けた。
枯れるどころか、その静謐な瑞々しさ。
奥行きのある画面、役者たちの織り成す佇まいの深み。
その後ずっと、代表作とされる1993年、85歳の「アブラハム渓谷」を見てみたいと思いつつ、
DVDは廃盤、もちろんレンタルではどこかに置いてあるんだろうけど、
絶対手元に持つべき、そう信じてずっと探し続けた。
90年代前半の「アブラハム渓谷」「階段通りの人々」「世界の始まりへの旅」
この3作を収めたボックスセットがかつて発売されたことがあって、
amazonでは一時期10万近い値段がついていた。
こりゃ手が出せない、どこかで安く売られていないかと引き続き探し続けていたら
先日 amazon で29,800円で売られているのを見つけて、こりゃ破格の安さだと即買い。
ま、オリジナルの値段からしたら倍近いんですけど。

ということでこの土日月と1本ずつ鑑賞した。
「世界の始まりへの旅」→「階段通りの人々」→「アブラハム渓谷」の順。

「世界の始まりへの旅」と「階段通りの人々」はどちらも単純ながら、
オリヴェイラ監督ならではの滋養に満ちていた。
練られた脚本と撮るべき風景、優れた役者のアンサンブルがあったら、
後は据え置きのカメラでどこまでも簡単に、素直に撮ればいい。
その潔さに敬服する。何一つ無駄がない。
この境地、ちょっとやそっとでは到達できないだろう。
余計な邪念というものが一切ない。しかし監督の意思、意識は画面の全てに漲っている。
映画というより、舞台やドキュメンタリーを見ているのに近い。

そして、「アブラハム渓谷」
ボヴァリー夫人の翻案ってことになっていて、主人公の名前はエマなんだけど、
残念ながら学生時代に読んだきり、どんな話なのかすっかり忘れてしまった。
主人公は大人しい旦那を家に置いて、
一人の成熟した女として、欲望の赴くが如く生きていく。
孤独なまま愛というものを知ることはなく、倦んで爛れた官能に身を任せて。
このエマが少女から大人になって、子供たちが大きくなって、
一人の女が熟して腐っていくその直前、という恐らく20年ほどを描く3時間。
上流階級をしたたかに生きるファム・ファタールの物語、と一言で言ってしまえば、
「家宝」と一緒。でも、どちらも甲乙つけがたい。

多くは語らない。というかほとんど何も語っていない。
大事なことは全て省略されている。ほのめかすだけ。
物事を推し進めるようなセリフは一切出てこない。
ただ、何かを語っている。そこは常に静けさに満ちている。
なのに、大きな流れの中で物語が激流のように進んでいることがシンシンと伝わってくる。
1つの大きな物語の中で、切り取って映像として提示するものと、暗示するだけのものと。
そして映像として提示することになった場面の中で、語られた言葉と語られなかった言葉と。
入れ子の状態になっている。この空間の組み立てが神がかり的に上手い。
どうしたらこんな作品を導き出せるのだろう?
構図と、視線と(そこにあって見つめられるものと)、様々な装飾品、
生々しさを一切消された息遣いと、登場人物たちの距離、間合い。
それらで多くの物事を語ってしまう、語らずに予感させてしまう。
直接語ることなくして、いかに広がりと深み、そして余韻を感じさせるか。
芸術ってそういうことなんだな、と思う。

文章を書くのであれ、絵を描くのであれ、楽器を演奏するのであれ、
何事であろうと芸術とか表現ってものは構造と力学なのだと僕は最近考える。
枠組みと、その中を流れるもの。
どちらかだけってことはなくて、分かちがたく存在している。
芸術を志して道半ばならば、自らの型を掬い取るのはとても難しい。
しかし優れた表現ならば、必ずそこに見て取れるはずだ。
オリヴェイラ監督のそれは、
ポルトガルの風景を映し出すシンプルな構図という簡素な枠組みの中を、
人智を超えた何かによって優しく翻弄される人々という
ゆったりとした清らかな流れとなって表れる。僕はそう思う。

揺るぎないようでいて、移ろいゆくものであって。
絶えず新しく生まれ変わっていく。
僕なんかが言うまでもなく、素晴らしい表現とはそのようなものだ。


[3115] 「レスラー」 2009-06-23 (Tue)

昨日、会社を休んで3連休。朝から映画を見に行く。
渋谷シネマライズに「レスラー」
月曜の初回ってこともあって、場内ガラガラ。
http://www.wrestler.jp/

その後、外苑前に移動して、
「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」を体験しに行く途中で見かけたワタリウム美術館にて
「アロイーズ」展を見るつもりだったのが、事前にもう1度調べてみたら月曜は休館だった。残念。

さて、昨年のヴェネチア国際映画祭で金獅子賞(最高賞)に輝いたこの作品、
ミッキー・ロークが主演だってことで、
え?ミッキー・ローク??まだ役者やってたの?カムバック??
と思った人も多かったはず、何よりもそこが話題だった「レスラー」
どうもこれがミッキー・ロークのはまり役、一世一代の名演技を見せるみたいだと評判で。
80年代の栄光の日々を引きずって、以来20年近く落ち目のプロレスラーが
心臓発作をきっかけに人生を見つめ直し、
ドクターストップを振り切って20年前の名勝負を復活させる。
これがミッキー・ロークの俳優人生そのまんま。
90年代以後出演作に恵まれず、離婚も経験、プロボクサーに転進するものもパッとせず。
(僕らの世代の人ならば覚えているかも知れないが、
 90年代の初めに国技館で1RKO勝ちを収めるものも「猫パンチ」と揶揄された)
スターダムからどん底までの転落人生。
セクシーな甘ささが売りの俳優が長続きするのは難しく、やがて忘れられ・・・
それが今や、ゴールデングローブ賞を初めとしてあちこちの映画賞で主演男優賞を獲得。
ベタだけど、「パルプ・フィクション」でのジョン・トラボルタに匹敵する復活劇。

20年前がキャリア最盛期ともなれば、プロレスラーとはいえ、
どれだけ鍛えようと体はハムのようにブクブクしているもんであって。
「ナイン・ハーフ」や「エンゼル・ハート」からすればまるで別人。
そっくりさんとしてはなかなかいい線いってるねー、お兄さんですか?ってほめたいぐらいの。
全編そのみっともない醜悪な裸体を晒してるか、
その上に穴が開いてツギハギしたダウンジャケットを着ているか。
とにかく、哀れを誘う。広い背中が常に無言で泣いている。
でも、それがいいんだよなあ。見る側からしたら。
不器用な男が、最後の最後、たった1つ自分が信じている物事を胸に、現実に戦いを挑む。
そういう話、どうしても入り込んで贔屓目に見てしまう。
そして僕もまた、このミッキー・ロークにやられた。
最後彼はボロボロになった体でリングに立つ。もうその姿だけでウルウルする。
この役を演じるために生まれてきた、そのためにこれまでの人生があった。
そうとしか言いようのない、有無を言わさないものがあった。
役者冥利に尽きるだろうし、こちらとしても観客冥利に尽きる。

彼は勝ったのか負けたのか、そこで死に絶えたのか、生き延びたのか。
映画は何も語らず終わってしまう。
その直後エンドタイトルに流れるブルース・スプリングスティーンの曲のかっこよさったらない。
ボスだよ、ボス。さすがいい曲を書くなあ。ジンワリと素晴らしい余韻を残す。
落ち目のミッキー・ロークを主演に据えるということで
監督のダーレン・アロノフスキーはスタジオと対立、予算を極端に減らされたようだ。
そのせいもあってか、ミッキー・ロークは旧友のブルース・スプリングスティーンに
無償で曲を書いてくれるように手紙で頼んだ。
そしてボスは快く引き受けたのだとか。なかなかいい話だ。

蛇足ながら、80年代のプロレスがテーマだけあって、往年のヘビメタが劇中のあちこちに流れる。
最後のリングへと向かうミッキー・ローク、その入場の際に流れる曲がなんと
Guns'N'Roses「Sweet Child O'Mine」
(僕ら世代だとあのイントロが流れただけで涙腺が弱くなりますよね)
よく使えたなあ、使用するのにいくらかかったんだろうか?と下世話なことが頭の片隅で気になった。
エンドクレジットを見ていたら、Axel Roses に最大限の感謝を表すると特別な一行が流れた。
たぶん、企画に賛同してこれまたタダで使わせてあげたのだろう。
これはこれで、地味にいい話だなあと思った。

なんかそういう「いい流れ」が随所にあって、後押しされて、このヒューマンドラマを傑作ならしめた。
映画の神様に愛されてるんだろうね。
どん底から這い上がろうとしたミッキー・ロークにも振り向いてくれた。

そんな彼は次に何を演じるのだろう?
二枚目セクシー路線で女性にモテモテの役だったら、がっかりだ・・・


[3114] 「No Wave Rare Live & Photo Collection: Newyork 1976-1980」 2009-06-22 (Mon)

「No Wave Rare Live & Photo Collection: Newyork 1976-1980」
一昨日の土曜、新宿高島屋のHMVで見かけて、即買い。
1970年代後半のNY / No Wave の写真集。
James Chance & The Contortions と DNA の
(恐らくこれまで未発表の?)CBGBでのライブアルバムがオマケ。
この音もまた、No Wave そのままでいかれてて、かっこいい。
写真の合間に、次代を担った Thurston Moore(言わずもがな、Sonic Youth)
による当事者たちのインタビューが載っている。日本版は抄訳付き。
2000セット限定。興味のある人は急いで購入を。
こんなすごいドキュメント、今逃したらまたしばらく出てこないだろう。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3577369

あくまでも No Wave であるため、
主役は Brian Eno プロデュースの「No New York」に収録されている4バンド、
DNA / James Chance & The Contortions / MARS / Teenage Jesus & the Jerks の写真が多い。
そしてそれ故に、ニューヨーク・パンクと言っても
Ramones / Talking Heads / Television / New York Dolls / Patti Smith らの写真は一枚も出てこない。
つまり、同時代のニューヨークだからと言って、
Patti Smith を写した Robert Mapplethorpe の写真が出てくるわけではない。
かろうじて、Richard Hell と、Blodie の Deborah Harry が一枚映っているだけ。
逆に、Suicide / Glenn Branca / Richard Quinn って辺りはよく登場する。
Lounge Lizards と The Cramps もわずかに紛れ込んでいる。
No Wave の人脈がよく分かる。
(元 Pere Ubuで当時 DNA の Tim Wright が、
 かの Jean-Michel Basquiat 共に写っている写真ってのも出てくる)

ロックの歴史も半世紀以上経過しているが、
写真にとってかっこいいのはやはりパンクに尽きる。UK / NY 問わず。
2005年の正月に原宿のラフォーレで見た、
Dennis Morrison による Sex Pistols の写真展もかっこよかった。
言葉本来の意味でクールだった。凍えそうなぐらいの。
何も信じてない。何かを変えようという気もない。金もない、未来もない。
明日は何をしているか?
適当にどっかの誰かのアパートで寝て、起きて、ダラダラと過ごして、その辺の安っぽいものを食べて、
夜はCBGB か The Kithen でいまだ演奏のデタラメなライブをしているか、誰かがやってるのを見てる。
ただただ本能の赴くままに、当事者としては何も考えず、何も過ごしただけ。
だけどそれがロック史上最大級にして最後の、価値観の転倒を演じてみせることになった。
しかもそれは、演じる側も見る側も、当事者はほんの一握りだった。
なんかすごいことが起きているらしい、起きていたらしいと伝え聞いた人が想像力を膨らませて
後付けで評価された、そしてそれが伝説となって今に至るまで尾鰭が付け加えられた、それだけのことだ。

だから、そこに写っているのは、
やせ細って変てこな服を着ているけど、
ただのその辺のフラストレーションを抱えただけの若者でしかない。
恐らく最初の頃の Arto Lindsey を写した写真なんて、
恐る恐る NY を覗き込んでいる純朴な少年そのままだ。
伝わってくるのは痛々しいまでのナイーヴさと、飢え、めくるめくような混沌。
酒とタバコとフロア。
伝説が伝説になる前の、儚くて切ない、瞬間。

そんな中、どれを見ても、ステージ外であってもあの髪型で
マイク片手に身を捩じらせてシャウトしている James Chance の筋の通しっぷりはすごい。
妖婦・毒婦として後に知られることになる 女帝 Lydia Lunch も
機嫌悪そうなただの化粧が濃い女、のようでいて
その「飢餓感」足るや見るものをゾッとさせるものがある。
もちろん、後年の Arto Lindsey は
どこにも属せない異物としての寒々とした存在感をまとうようになる。

後代に語り継ぐべき、貴重な文化遺産。
当時のことに興味のある人は、絶対買っておくべき。
結局ね、かっこいいんですよ。
刹那に生きる彼らの、彼女たちの、姿は。


[3113] 6/13 - 6/19 2009-06-21 (Sun)

6/13(土)

9時に起きて、ずっと編集学校の課題。
昼はカット野菜と挽き肉を炒めて、コーンとバターを入れて味噌ラーメンを茹でる。
夕方「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」に行くことになっているが、
その前に竹芝のオフィスに顔を出す。
先週に引き続き今週も、PJメンバーが出社していて終日打ち合わせ。
1時間だけ打ち合わせに参加する。

銀座線に乗って外苑前へ。
サッカーかなんかの試合があったのか、駅には大勢の人がいた。
子供たちとその保護者たち、大学のサッカー同好会みたいな人たち。
日本代表のTシャツを着て顔を青くペインティングしている人もいた。

青山キラー通りを歩いて、会場となるMTVジャパンのオフィスへ。
「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」を体験。
その後、鉄板焼き中華という不思議なジャンルの店を見つけて入る。
名前は「シャンウェイ」
http://r.tabelog.com/tokyo/A1306/A130603/13006081/

キラー通りで見かけたワタリウム美術館が気になった。
今、アウトサイダー・アートのエロイーズ展を行っているようだ。

昼、「情報の歴史」90年版が届く。ズシリと重い。

---
6/14(日)

9時起き。この日もまた編集学校の課題。果たして突破第一号となれるか?
うまくいけば来週の土日で全部いけるかも。平日どこまでできるか次第。
夕方、煮詰まっていったん提出。
夜も引き続き別の課題に取り組む。

昼、カット野菜と豚コマを炒めて、醤油ラーメンを茹でる。
夜、西友で買ったいつもの水菜とキャベツのサラダとコールスロー。
プラス、安売りのキムチ。

夕方、郵便局にて取り置きになっていた
オリヴェイラ監督のDVDボックスセットを取りに行く。
「アブラハム渓谷」早く見たいんだけど、突破(全課題提出)するまで無理か。

ウィスキーのソーダ割り(NUDA のグレープフルーツ)を飲む。

Curlew, Regina Spektor, Ween などを聞く。

午前0時半眠る。

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6/15(月)

昨晩が野菜だけだったこともあり、
安っぽくてギトギトしていてがっつりしたものを食べたくなる。
ということでステーキの「くいしんぼ」へ。
タルタルソースハンバーグに目玉焼きをトッピング。
半ライスおかわり。

夕方、腹が減って仕方がなくなる。
キッチン南海のカツカレーにマヨネーズをかけて食べたくなるが必死でこらえる。
コンビニでサバ飯と1日に必要な野菜の半分が取れるサラダを買って食べる。

この日は、というか今週は仕事があれこれと立て込んでいて、遅くなる。
帰りに雨が降っている。
金曜に引き続き、お客さんと飲む。
ダイアログ・イン・ザ・ダークの話をして、クラシックの話へ。
フルトヴェングラーがどうでこうでと。
バッハの平均律クラヴィアが旧約聖書で、ベートーヴェンのソナタが新約聖書であると。
飲んでる間も、つまみは味噌をつけて食べるキャベツに、おしんこ。やはり野菜ばかり。

またしても丸ノ内線の終電を逃す。
お茶の水から中央線各駅停車に乗って、いつのまにか眠り込んでいて、
気がついたら西荻窪。歩いて帰ってくる。
午前1時に駅に着いて、部屋に戻ってきたのは1時半。
そこからすぐ眠る。

飲んでる間、土砂降りになる。
帰る頃やんでいる。
西荻窪から歩く間も降ってなくてよかった。

半袖のシャツだと肌寒かった。

---
6/16(火)

お客さんから、「世界遺産だ」と
フルトヴェングラー指揮のベートーヴェンの全交響曲5枚組と
バッハの「シャコンヌ」のCDを借りる。
家に帰ってきて、まずは交響曲の1番と3番のCDを聞く。
お返しに僕はフルトヴェングラーの「ワルキューレ」を貸す。

昼、有名な店に行きたいというリクエストにより、共栄堂へ。
ポークカレー、ソース大盛り。
ここのご飯は普通盛りでも普通の大盛りぐらいあるということを皆知らず、
大盛にして苦戦する。
僕みたいに昔から神保町にいる人間は
共栄堂何回も行ったことあって最近遠ざかっていた。
そうなると後から来た人は有名どころのことごとくを行ったことないという事態になり。

朝、ずっと腹減っていてチキンカツサンドを食べる。
昼食べて夕方また腹が減る。
ファミリーマートでテリマヨチキン丼だったか、そういうのを買って食べる。
おにぎり1個とサラダだったら絶対に夜まで持たないように思った。

昨日に引き続き、夕方から土砂降り。
昨晩あまり寝てなくて疲れていたので、23時過ぎ、早々に寝る。

昼、銀行でお金を預けようとしたら、ATMでカードが認識できないと言われる。
窓口へ。そういえば4月に割れたカードの交換をお願いしたのに
その後音沙汰なくて届いてないな、ということに気づく。
調べてもらうと、以前住所変更したときの登録内容が間違っていて、
一度送付したものの宛先不明で銀行に返送されていたとのこと。
住所を訂正して、再度送ってもらうように手続きしてもらう。

---
6/17(水)

お客さんのところの2周年パーティー、というか飲み会に参加。
2軒目も行って結局遅くまで飲んでて、またしても中央線で帰る。

昼、「くろぶたきよし」の日替わりで肉じゃが。
拳骨大のじゃがいもが丸のまま入っている。おいしかった。

話は変わるが、今週の月曜だったか火曜だったか、
荻窪駅前にて幸福実現党の党首のおばさん
(苗字が大川なので、教祖の妻ということなのか)が演説しているのを見た。

昨日・今日と急遽テストシナリオ作成の作業が入って、ずっとそのワーク。
月曜・火曜と遅くまで仕事をした。

---
6/18(木)

寝不足、かつ、軽く二日酔い。
PJメンバーを朝イチで集めて、昨晩行われた経営層への報告会議のフィードバック。
芝浦へ。早めに着いて、応接室のソファーに寝っ転がって本を読んでうたたね。
9時になるが全然集まっていない。
上の偉い人から営業からPJ関係者を集めて檄が飛ぶのかと思いきや、
30分程度で淡々と状況が伝えられて終わり。
終日打ち合わせで夜も遅くなるかと憂鬱に思っていたので、拍子ぬけ。
9時半に解放される。

神保町に戻る。
山手線に乗るのだが、歩きたくなって新橋で降りる。
銀座、八重洲、大手町と歩いて行く。
そのまま風に吹かれてあてもなく歩いていきたい気分。
何もかもが空しい。

昼、まんてんでウィンナーとシューマイを一緒に。
他のみんなもまんてんにはまりつつある。

昼休み、編集学校の課題の提出。
このところ昼に少しずつ作業してようやく1つ完成。
夜、定時で帰ってきてもう1つ手間のかかるものに取り組む。
これで残り2つとなる。明日の夜、勢いで押して突破できるかも。
というか突破しますと教室に宣言する。
果たして、第一号となっているだろうか?

夜、西友で買ったコールスローミックスと温野菜ディップ。
腹が減って、コンビニで買ったえびせんを食べる。
フルトヴェングラーの交響曲5枚組のうち、最初の3枚を聞く。

---
6/19(金)

給料日ということもあって、昼は和牛の店「いぬ居」へ。
一日限定10食のカツレツ定食 \1,500 を食べる。おいしかった。

この日もまた夜、早々と帰ってきて編集学校の課題。
最後の2番に連続して取り組む。
午前0時を回ったところで全番回答達成。いわゆる突破。
疲れきった・・・
フルトヴェングラー指揮の
ベートーヴェンの全交響曲5枚組を昨日から引き続き聞いてて、
一番最後に取り組んでいるときに交響曲の9番「合唱」の、
いわゆる「第9」と呼ばれる「歓喜の歌」に差し掛かった。
なんかちょっと感動的だった。

夜、西友で買った20%OFFの寿司:玉、ホタテ、アナゴ。
突破達成してから飲もうと缶ビールに焼き鳥。
缶ビールは飲んだものの腹が減ってなくて焼き鳥は明日の夜に回す。
ボケーッとしながら2時まで過ごして、寝る。


[3112] 「マン・オン・ワイヤー」 2009-06-20 (Sat)

昨日の夜、編集学校は突破。
再回答がしばらく続くとはいえ、久々に暇な土日となる。
となるとまずは映画を見に行きたくなるもので。
新宿高島屋のテアトルタイムズスクエアにて「マン・オン・ワイヤー」
今年最も見たかった映画のうちの1つ。
ニューヨークの今はなき世界貿易センタービルのツインタワーで綱渡りをした
伝説の大道芸人フィリップ・プティの、その歴史的な挑戦に至るまでのドキュメンタリー。
今年のアカデミー賞で長編ドキュメンタリー賞を獲得。
http://www.espace-sarou.co.jp/manonwire/

独学で綱渡りを体得。
パリのノートルダム寺院、シドニーのハーバー・ブリッジと無許可でゲリラ綱渡りを演じる。
そして1974年、長年の夢だった世界貿易センタービルへ・・・
若くて無鉄砲な仲間たちと共に、
どうやって忍び込む?
どうやってツインタワーに綱を渡す?
様々な苦労を乗り越えて決行当日へと至る。
「史上、最も美しい犯罪」とあったけど、確かにそうだろう。

ドキュメンタリーってことになってるけど、素材となるオリジナルの映像は余り残ってなくて、
フィリップ・プティを初めとする当時の仲間たちの回想と、再現映像を中心に構成する。
再現映像は若い頃のプティそっくりな主人公が実際に大道芸や綱渡りを演じてみせて、
いつのまにか映画だということを忘れて、これは実際の記録映像なのだと思ってしまう。

ツインタワーに張ったケーブルを渡っていくフィリップ・プティの姿は確かに、気高くて美しい。
残念ながら映像は残っていなくて、地面からのアングル、屋上からのアングル、
いくつかの写真を組み合わせて形作っていく。
だけどそれだけでも、十分手に汗握る雰囲気が伝わってくる。
第一歩を踏み出そうとするプティ、綱の上に寝そべるプティ、
通報を受けて上ってきた警官たちを背後にして綱の上に立つプティ。
全部で45分、8往復。
人類のなしえた挑戦としては最高峰の出来事の1つ。
そのあらゆる瞬間が特別なものだったことを知るには、写真の方がふさわしかったかもしれない。
静止した光と影、その一瞬に焼き付けられた、孤高の緊張感。

綱渡り、というのがいいんだと思う。
このご時勢、CGを駆使したら爆破にカーチェイス、どんなアクション映画も実現できる。
でも、どんなに技術が発展しても合成できないアクションってものがあるんだよね。
綱渡りをCGやアニメで描いたら、なんと興ざめなことか。
生身の人間が、身一つでその空間に立ち向かうことに魅力があるんであって。
しかも綱渡りって、バランスを取るための長い棒を持って、
細い綱の上を「歩く」という姿がとても神秘的。
綱の上で自転車に乗るとかいろんなアクロバットが世の中にはあるもんだけど、
最も崇高な綱渡りはやはり、ただ単純に「歩く」だけのものだと僕は思う。

テアトルタイムズスクエアは、映画のキャンペーンなのか、
先週の土日と今週の土日と整理番号でクジをやってた。
フィリップ・プティのサイン入りポスターやTシャツが当たるという。
残念ながら僕ははずれ。

当日の綱渡りの模様は、YouTubeの↓で雰囲気が分かるかも。
http://www.youtube.com/watch?v=6ddpV1GvF7E


[3111] 名付けえぬもの 2009-06-19 (Fri)

ある朝目覚めると君は「彼女」の「中」にいることを知った。
そこはいつも通りの君の部屋だった。
だけど君はそれと同時に、彼女の中にいるのだった。
それがどういうことなのかは分からなかった。
ただ、彼女の中にいるというだけだった。

朝食を作ってテレビを見ながら食べて、スーツに着替えて会社に出掛ける。
満員電車に揺られて、地下鉄に乗り換える。
仕事をする。昼食を取る。会議に出る。仕事をする。
帰りに街に出て、あれこれと欲しいものを眺める。何も買わずに帰ってくる。
スーパーで食べるものを選ぶ。

そしてまた一人の部屋に戻ってきて、シャワーを浴びて、
テレビを見ながら買ってきたものを食べる。
君はまだ彼女の中にいることに気付く。
彼女の側にいる、ではない。彼女が君の中にいる、でもない。
君は改めて彼女のことを考える。

君が彼女について知っている、一つか二つの物事。
君は君がどこにもいないということを知る、知っている。
だけどそこには君の生活があって、君が住んでいるはずの世界が、そこにある。
それが何なのかは分からない。いくら考えても答えが出ない。
君の人生は、そのようなものだった。

君は眠ろうとする。だけど眠ることができない。
彼女の眠り、君の眠り。
夢を見る。そこに彼女は出てこない。
君がいるわけでもない。
誰もいない、そんな夢を見る。

そしてまた目覚める。彼女の中にいるということは何も変わらない。
何の変化もない。そしてまたいつも通りの一日が始まる。
彼女という存在、君という存在。
忘れてしまおうとする、全て忘れてしまおうとする。
だけど、何一つとして忘れることができない。

会社に出掛ける。電話が掛かってきて電話に出る。君は誰かと話す。
話し終えて、メモを片付けて、君は誰と何を話していたのか1時間後には思い出せない。
同僚と外に食べに行く。とりとめのない話をする。なぜかその内容は覚えている。
帰りの地下鉄の中で向かいに座った女性のことが気になる。
彼女のことを思い出す。そして、振り払えなくなる。

そのとき、そこに彼女はいた。
何もない空間に君と彼女がいた。
それが、永遠になる。
もう一つの世界では、そういう時間が今も流れている。
だけど今、ここにはいない。

地下鉄が駅で停車して、目の前の女性もいなくなった。
君は一人取り残されたように思う。
何に?うまくは言えない。強いて言うならば、あらゆる物事に。
だけどそれは君だけじゃなくて、誰もがそうなのだということを君は知っている。
君は君の駅で下りる。改札を出て、いつもの道を歩く。


[3110] 14:49 JST 14 Jun 2009 35.7N 139.6E 2009-06-18 (Thu)

君の家が火事だ
町中にサイレンが聞こえた
僕は君のことを探そうとした
だけどどこにも見つからなかった

君の家が火事だ
町中にサイレンが聞こえた
空はよく晴れていて雲ひとつなかった
そして全てが灰になって燃えつきた

君の家が火事だ
町中にサイレンが聞こえた
君の家が火事だ
町中にサイレンが聞こえた


[3109] ダイアログ・イン・ザ・ダーク(その4) 2009-06-17 (Wed)

その後、あれこれと考える。
例えば、こういうこと。
視覚と触覚の結びつきってとても強いんだなと。
普段の僕らの触覚の使い方としては、目に見えたものに興味を持って「触る(さわる)」となる。
視覚が失われるとその結びつきが失われて、触覚は単独で動くものとなる。
無防備に、受身に、「触れる(ふれる)」ことになる。
いや、音のする方に手を伸ばして触る(さわる)ことだって可能だろう、あるだろう。
しかし、そういうことを日常生活の中で行う機会は極端に少ないのではないか。
あるとしても、気になる音があって、目でそれが何か確認してから、手を伸ばすのではないか。

幼子だったら、音のするものに直接手を伸ばすということはあるかもしれない。
しかし我々は成長して大人になっていく過程の中でどんどん、
頼るべきものとして聴覚よりも視覚に対して比重を置くようになっていく。

視覚、この恐るべきもの。
僕らの感覚を支配している。
ゆえに失うことをとても恐れる。それは時として「死」にもなぞらえられる。
目に対する攻撃は残虐な行為として受け止められる。
目の病を忌み嫌う。
例えばガンのような直接に死と隣り合わせの病気とはまた違うニュアンスがある。

逆に、テクノロジーの進化の歴史、文化の発展の歴史は
視覚の拡張の歴史と言っていいかもしれない。
もっともっと、見えるようになること。
ものすごく小さなものが見えるようになる。
生身の体では行くことのできない場所の光景が見えるようになる。
それは「生」の拡張を暗に表している。
代理的に視野を拡大することで、そこに至るまでの時間の短縮を行うこと。

記号表現の発達もその1つに数えていいだろう。
イメージを定型化して共有化できるようにするということ。
それはまず視覚に対してなされる。
(クイズ番組で間違えたときの「ブブー」という音など
 聴覚の記号的表現も確かにあるけど、
 それは視覚に比べたら圧倒的に少ないのではないか?)

とはいえ、視覚も聴覚も単なるインタフェースの違いに過ぎなくて、
脳に情報として届いたときにはそこに優劣はないのでは?
ただ単に視覚はその情報量が多いというだけの話で、
そこが遮断されたならば聴覚や触覚の情報量が増えるということなのでは。
生きていく、そのために反応する、という究極の目的の前では、特に。
(「自由な」人ほど五感の使い方が上手いのはそういうことかも)

でも、色彩というものを目にしなくなるのは正直、嫌だなあ。
空の青、そこに浮かぶ白い雲。
いや、待てよ。視覚=色彩なのか。
なんか、そういう気がする。形よりも色。
フォルムよりも、色の取り合わせの方を僕らはより強く味わう。印象に残す。
というか、色の取り合わせがあってこそのフォルム。
色の境界線が、形の境界線となる。

なんか取り留めなくなってきたので、今日はここまで。

最後に。
目に見えるものよりも手に触れることのできるものの方が大事だ。
誰かがそういう発言をしていて、読んだときに僕もそう思った。
それが誰だったか思い出そうとして苦労した。
たぶん、いろんな人が同じことを言ってるのだと思う。
例えばブルーハーツの「ドブネズミの詩」の中、たぶん、ヒロトだけど、
「実際に手に触れられる場所が一番大切だと思うわ」という一節がある。
そういうこと。

---
付記。

視覚の情報量が他の感覚と比べて圧倒的であるため、
そのまま受け取ると処理しきれなくなる。
よって、そこに情報の省略や統合というプロセスが生じる。
目の前の情報を絶えず分割して相互に関係性を見つけていく、
シンボルや連想を利用して圧縮をかける。
それがそのまま言語にも応用されたのではないか。
そんなことを考えた。


[3108] ダイアログ・イン・ザ・ダーク(その3) 2009-06-16 (Tue)

バーがあるので行ってみましょう、とアテンドの方は言う。
緩やかな坂を上って、手すりのある1段だけの階段を下りて、
(たったこれだけのことでも、怖くなる)
バーの前の広場?へ。

ここでひとまずゲームをしましょうってことになる。
全員で輪になって、手を握って(暗闇の中で誰かの手を握るというのは不思議なものだ)、
こういうゲーム。
・全員で1から21まで数字を言う、21まで言えたらOK
・数字は誰がいつ言ってもいい、順番はない
・ただし、自分がある数字を言ったら、その次は言わないこと
 (つまり、僕が「11」と言ったら、僕が「12」と言ってはならない、誰か他の人が言うのを待つ)
・数字を言う声が誰かと重なり合ったら、NGでイチからやり直し

これが単純なようでいて、案外難しい。
でも、僕らは1回失敗しただけで2回目ですんなりクリアした。
間合いが計れるようになると、スラスラいけるようになる。
全員の呼吸が合うというか。
暗闇の中で輪になって1つのことを行おうとすると、自分の呼吸を他の人と合わせるようになる。
そこに集団としての一体感が生まれる。
エントランスにて企業向けの研修としてこのダイアログ・イン・ザ・ダークを利用しませんか?
と案内のポスターが貼られていたのを思い出す。あれこれ書かれていた中で
PJチームを組んだばかりでまだまとまっていない場合に有効、とあった。
そのときの僕はなるほど、と納得した。
もっとも、アテンドの方は、いくらやってもうまくいかないグループもありますよ、とのこと。
打ち解けられなかったり、緊張したり、ダイアログ・イン・ザ・ダークというものに混乱していたり。
そういう人もいるだろう。

バーの中へ。名前は「バーくらやみ」そのまんま。
バーテンダーの方がいて、手を引かれて席に案内される。
(恐らく8人掛けの)テーブルがあって、椅子を引いて座る。
飲み物をどうぞってことで、他の人はみなグレープフルーツジュース、
アルコールもありますよと、もう1人の方がワイン、僕はビール。
バーテンダーの方がグラスに慣れた手つきでジュースを注ぐのが聞こえる。
なんで暗闇の中でそう易々とできるのだろう、と皆驚く。
こぼしたとか、注ぎ過ぎたとか、そういうことは全くなく。
その後、それぞれ頼んだ人のところへ間違うことなくグラスが運ばれてくる。
ビールが最後に出てくる。
よく冷えたグラス、シルクのように細かな水滴が感じられるほどのグラスを手に持たされて、
缶を開ける、プシュッという音。
グラスにゆっくりと液体の注がれるコクコクコクという音。
炭酸が泡となって沸きあがる音。
その一つ一つ、これまでの人生で何度も聞いてきたはずの音が、
どれもはっきりと、瑞々しく感じられる。

皆で乾杯をする。こぼすことのないように低い位置で手を伸ばして、グラスをぶつけ合う。
位置を教え合うために、グラスでテーブルの上をコンコンと叩く。
海苔巻き煎餅を隣の人に手渡しする。
ビールはもちろん、おいしかった。爽やかなコクと苦味。その冷たさ。
泡の一つ一つが喉元を通り過ぎていく。
最近の僕はビールを味わっていなかった、と気付く。
そのおいしさを忘れていた。酔っ払える清涼飲料水ぐらいにしか思っていなかった。
そうじゃないんだよなー。
もっと飲みたかったけど、酔い過ぎないようにというためか、
グラスに注がれたのはほんの少しだけ。残念。

バーテンダーの方が後ろで洗いものをしている中、僕らはあれこれと雑談をする。
とある方が、長野の善光寺の地下にこういう暗闇の通路があって、進んでいく、
鍵を探して、見つけることができて触れるとご利益があるという話をする。

バーを出る。
暗闇の中でアルコールを取ると酔いやすいのではないか。
これから先大丈夫だろうか?と思っていたら、ツアーはここで終わりだった。
アテンドの方は今、19時15分、開始から75分経過していると言う。
驚いた。もうそんなに経ってるの?
まだ最初の30分ぐらいだと思っていた。あっという間。
これだけの時間の速さは暗闇だからなのか、それとも未知の体験をしているからか。

わずかばかりの照明を隅に置いただけ、かすかな明るさの残る部屋へと進んでいく。
ここでしばらく目を馴らす。
アテンドの方とパーティーの6人で雑談。
目が不自由でも普段の生活は可能、
駅を歩いていても人々が下りていく気配でそこに階段があることも分かる、
でも、コンビニのATMはどこを押すと何があるのか分からなくて不便ですね、と。
「あー、そうか」と皆うなずく。
最近は iPhone も iPodTouch もボタンを押すと音が出るものができたみたいで、
私にも使えるかも、持ってみたいな、と語っていたのが印象的だった。

パーティーの中の女性の方が、
おじいちゃんの家のあの縁台のあった部屋はどれぐらいの広さだったのか、と質問をする。
逆に、「どれぐらいだと思いますか?」と返される。
女性の方は2畳ぐらい?と答えて、僕は8畳?と。
それぞれに思い描いていたものが違っていた。
アテンドの方は結局、答えを教えてくれず。
実は、かなり狭かったのではないか。
明かりのついた中で「セット」を見てみたら、ものすごく驚くことになると思う。
「え、こんなに狭かったの!?」「こんなだったの!?」と。
暗闇を手探りで進んでいたから
そこは何もかもがものすごく広く感じられたのではないか。
赤外線カメラでその場の模様を中継したら、かなりシュールなことになったのでは。

最後に、なぜ「19時15分」と時間が分かったのかカラクリを教えてもらう。
アナログの腕時計で、長針と秒針が触れるようになっている。
触らせてもらうと文字盤に細かな突起があって、
恐らく点字で数字が読み取れるようになっているのだろう。
こういう腕時計は普通の時計屋には置いていないが、
頼めばすぐ取り寄せてもらえるものだとのこと。
海外には文字盤の大きいものがあったり、様々なタイプが選べるようだ。

もう少し明るい部屋に移って、ここでアテンドの方とはお別れ。
アンケートを書く。
パーティーの方たちと「お疲れ様でした」と言い合って、そこで解散。
ダイアログ・イン・ザ・ダークのプログラムはこんなふうにして終わった。
そこには一言で「ユニークな体験だった」では済まされない、特別なものがあった。


[3107] ダイアログ・イン・ザ・ダーク(その2) 2009-06-15 (Mon)

(言葉で書いても大事なことは何も伝わらず、
 一人ひとりの人間が体験すべきと思うが、それでも書き残しておく。
 家があった、ブランコがあった、バーがあったということを「読んだ」としても、
 それは「知った」ことにはならない)

目を閉じてみる。
網膜に浮かぶかすかな残像が、わずかながらもそこに光が無いか追い求める。
やがてそれも消えていく。
目を開けていても、閉じていても、一緒になる。
盲いた人たちの世界は、こんなふうなのか。

カーテンをくぐると、森が広がっている。
小鳥たちがさえずり、足元には(触らなかったけど恐らく)土か大粒の砂、
手に触れる木々、そして森の匂い。
この辺りはまだ、「自分は暗闇の中でバーチャルな森を体験している」という感覚が強い。
アテンドの方に手を引っ張ってもらって、森の外れにある池まで。
しゃがむとそこにひんやりとした水面がある。
暗闇の中で水に触れるってのは何やら宗教的な儀式、秘儀のようにも感じられて。
ここから急速に暗闇の世界へと引きずり込まれていく。

アテンドの指示の元、パーティーが少しずつ動き回る。
自然と杖を使って足元を探るようになり、声のする方に絶えず気を配る。
皆から離れないようにする。
ぶつかると「誰ですか?」「○○です」といったやりとりがなされる。
声を掛け合うって日常生活だとほんとなくなっている。

丸太を3本渡しただけの橋を渡る。手すり無し。
自分の足の感覚と全身のバランスで渡っていく。
(こういうの最初にやるのはたいがい、僕)

渡り終えるとそこにはおじいちゃんの住む家があって、縁側に上がる。
この辺りだっただろうか、足元がコンクリートになる。いや、この先だったか。

そこには家があって、確かに縁側があった。座ってみる。
後ろに倒れこんで、寝転がると畳があって、その先には座布団があった。
誰かが「ちゃぶ台があった!」と喜びの声を上げる。
靴を脱いで皆、上がりこむ。
(後でここまで戻って来れて、ちゃんと履けるだろうか?ってのが皆、気になる)
手探りで部屋の中を進んでいって、そこに何があるかを各自探ってみる。
ちゃぶ台の上には野菜が置かれていた。
しんなり、ドテッとしたキャベツ。
ゴツゴツ、無口なかぼちゃ。
デコボコ、ツルッとしたみかん。
あー野菜や果物の感触ってこうだったよなあ。
それぞれに手に触れる表情と存在感があるんだよな。

部屋の隅には棚が置かれ、麦藁帽子が乗せてあった。
昭和の時代の黒電話、鉛筆、メモ帳、鉛筆削り。
この頃には、視覚以外の感覚、手に触れるもの、空気の流れ、ちょっとした音の違い、
そういったものに少しずつ敏感になって、
その空間の在りようを認識、再構成できるようになっている。
視覚的なイメージを補完する、頭の中に映像を思い浮かべる、というのではなく、
視覚がなくても十分にそれができる、自然にできるというか。
一言で言うと、割と馴れてしまっていた。
そこに何があるか分かっていたならば、普段の生活もある程度可能となるだろう。
視覚障がい者の方たちの生活って、こんな感覚なのか。

みな、縁側に戻って来れて、各自の靴を履いて外に出る。
庭の隅にブランコがあるという。
2人掛けの木造の。ここに2人ずつ乗ってみる。
揺れる。揺らす。
暗闇の中で動きのあるものに身を任せる。
いつもよりその重力のかかり方というか、力の流れが強く、強く感じられる。
それまでは自分の足で歩いて、全身で動いていた。そこから解き放たれる。
何気ない遊具のようであって、感覚の体験としてはこれが一番強力で発見があるかもしれない。
ここにブランコがあったのは、あくまでも必然性によるものなのだ。
全てのアトラクションに、意味がある。
いろんな角度から、人間の感覚とはどういうものなのか、問いかける。

庭にあった切り株に腰を下ろすと、牛の鳴き声が聞こえた。

(続く)


[3106] ダイアログ・イン・ザ・ダーク(その1) 2009-06-14 (Sun)

昨日の夕方、前から気になっていた
「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」というイベントに行ってきた。
場所は外苑前のMTVジャパンのスタジオ。
巨大なコンクリートブロックが地面に埋まっているような、
おしゃれだけど不思議な建物だった。

エントランス。観葉植物の周りにソファー。
心地よい音楽が流れている。ゆったりとしたラウンジのよう。
受付を終えると、財布に携帯、あらゆる私物をコインロッカーに預ける。
スタッフたちはダイアログ・イン・ザ・ダークの黒いTシャツを着ていて、
それらが記念品・お土産として売られている。
その一角に大小様々なサイズの白杖が並んだ箱が置かれている。
壁に掛けられたパネルには発案者である
ドイツの哲学博士アンドレアス・ハイネッケの日本へのメッセージが書かれていた。
日本という場所が気に入って、毎年訪れている、というものだった。

時間が来るまでの間、ソファーに座って
ダイアログ・イン・ザ・ダークのパンフレットを読む。
そのまま引用します。
――――――――――――――――――――――――――――――
 目以外のなにかで、ものをみようとしたことがありますか?

 暗闇の中の対話。

 鳥のさえずり、遠くのせせらぎ、足元の葉と葉のこすれる枯れた音と、
 その葉を踏みつぶす感触。
 土の匂い、森の体温。水の質感。
 仲間の声、乾杯のグラスの音、白杖の先の触感。

 ダイアログ・イン・ザ・ダークは、まっくらやみのソーシャルエンターテイメントです。

 参加者は完全に光を遮断した空間の中へ、何人かとグループを組んで入り、
 暗闇のエキスパートであるアテンド(視覚障がい者)のサポートのもと、
 中を探検し、様々なシーンを体験していきます。
 その過程で視覚以外の様々な感覚の可能性と心地よさを思い出し、
 そしてコミュニケーションの大切さ、あたたかさを再確認することになります。

 世界全体で600万人以上が体験したこのイベントは、1989年にドイツで生まれました。
 1999年以降は日本でも毎年開催され、約3万6千人が体験しています。
――――――――――――――――――――――――――――――

僕が知ったのは2年前か3年前だろうか。
WEB上のニュースで知った。
完全な暗闇の中で行動するというのが面白そうだな、
日常生活では決して体験できないことが待ち受けてそうだな、と思った。
だけどその時には「ま、機会があったらかなあ」ってそれっきり。
チケットの入手が大変そうだったし。
今回、東京で長期開催ってことになって、じゃあ行ってみるかと。

時間が来て、18時の回が始まる。
(昼から、20分おきに開催される)
視覚障がい者の方のアテンドのもと、
1回につき最大8人パーティーとなって暗闇の中を体験するんだけど、今回は6人。
いきなり真っ暗の空間に入っていくのではなく、まずは薄暗い部屋で目を馴らす。
ここで白杖の使い方を教わる。
杖のてっぺんから握りこぶし2つ分下がったところを鉛筆を持つようにして握る。
1歩半先の地面を探るように、左右に先端を揺らす。
左手(利き手じゃない方)は顔の前に持ってきて、
その先に触れるものがないかというアンテナとなる。
このとき、指を水平にしていると何かにぶつかって突き指してしまうので、
必ず手の平を外に向けるのではなく、手の甲を外に向けるようにする。

さらにもう一段階暗い部屋へ案内される。
アテンドの方が紹介されて、僕らもパーティーの中で自己紹介をする。
暗闇の中で目の前にいる誰かとやりとりすることになり、
これから先は頻繁に名前を呼び合うことになると。
ニックネームか名前を共有する。
しゃがむときや立ち上がるときはぶつかることのないように
「オカムラ、しゃがみます」「オカムラ、立ち上がります」と言わなくてはならない。
(こういうのえてして、女性は守るけど、男性は恥ずかしがって言わない)

6人の中の1組のカップルは昨日入籍したとのこと。
そういう記念でのダイアログ・イン・ザ・ダーク。
2人のこれから先の人生を進めていく上での、象徴的なイベントになりそう
(もう1組もカップルで、前の回を終えて出てきた人たちもカップルばかり。
 これって気の合う仲間たちと体験を共有するものとして参加するのかと思いきや、
 映画や美術館に物足りなくなった、恋人たちの新しいデートコースなのだろうか?)

この部屋で照明を完全に落として、完全な暗闇の中へ。
何も見えない。どこに誰がいるのかも分からない。
ただ、どこかに誰かがいるのは、気配で分かる。
声とか体温とか空気の震えのようなもの。

部屋の端に次の空間との境目となるカーテンがあって、
くぐると、そこから90分の冒険が始まる。

(続く)


[3105] 6/6 - 6/12 2009-06-13 (Sat)

6/6(土)

9時起き。肌寒く、雨が降っている。
傘を指してコンビニに行って、カット野菜と挽き肉を買う。
味噌ラーメンを茹でて食べる。

物語は今日の夜22時が締切。でも、おそらく明日の昼頃まで延長となるだろう。
映画サークルの後輩の結婚式の2次会に出て、夜遅く帰ってきて、
やはり延長となっていた。

昼の間、作品の手直しを続ける。
師範代からの指南が届いて、さらに直し続ける。
夕方ギリギリまで手を入れて、エントリー。

表参道へ。山手線で原宿まで行って、歩くことにする。
土曜夕方の原宿はものすごい混雑。神宮前の交差点とか。
それが表参道までびっちりと続く。

2次会の会場はフレンチで蕎麦という変わった店。
雰囲気がなかなか良かった。「麓屋」
http://www.fumotoya.com/aoyama/

3次会へ行く。新郎の会社の人たちと僕ら映画サークルばかりだった。
終電間際、井の頭線で吉祥寺へ。
何人か朝まで飲みそうだったけど、僕と後輩1人がそこで別れて帰ってくる。

帰ってくると、物語のやり取りのメールが大量に。
午前1時頃眠る。

---
6/7(日)

この日もまた9時まで眠る。
タオルケットを洗濯して、干す。
物語は何人か徹夜したようだ。引き続き修羅場が続く。
結局この日は夕方ギリギリまで果てしなく。
エントリーを終えていた僕はのんびりと過ごす。

朝、豚コマとカット野菜をコンビニに買いに行って肉野菜炒めを作って
とんこつラーメンを茹でて食べる。
夕方、西友へ。生の餃子を焼いて、作品完成おめでとうってことで缶ビールを飲む。
Perfumeの武道館ライブを見る。
西友の総菜でオクラとイカの甘辛炒めというのがあって、次にそれを食べる。

ヤフオクで見つけた情報の歴史、今日まで3,000円だったのが昼に4,000円になって、
ま、これで落とせるかと思ったらそんな甘いわけはなく、
あれよあれよというまに、1万6,000円まで釣り上がって、
酔ってた僕は負けてらんないと最後まで抵抗。
落札できたが、果たしてこの値段でよかったのか。

Linkin Park や ISIS の新作を聞く。

---
6/8(月)

編集学校の物語も一段落し、今日から普通の会社員に戻る。
PJは土日の間、大変なことになっていたようだ。
スケジュールを立て直し、見積もりを出すために
上の方では徹夜が続いたものと思われる。
芝浦の自社オフィスに缶詰。
一方、現場、神保町側には温度差があり。
しらーっとした空気が流れている。

昼、前から気になっていたとんかつ屋。
チキンカツカレーを食べる。
特に変わったところはないけど、僕は好きな味。
でも他の人には不評だったようだ。

夜、コンビニのおにぎりとサラダ。
婚活おにぎりとかいうものみたいで、
味噌ソースのかかったトンカツが入っている。
サラダは一日に必要な野菜の半分が取れるというやつ。

することもなくなり、早々と返ってくる。
編集学校は最終クォーター、プランニング編集術が始まる。
お題が全て出題される。途方に暮れるぐらいの物量。
20守に引き続き、20破でも突破第一号を目指そうと思ったけど、
これはちょっと厳しいかも。

人と会って飲む計画を立てようと、あちこちいろんな人にメールを送る。
酒が飲みたくなって、ラムをロックで。
Prefuse73を聞く。

ヤフオクはまりそうな予感は的中。
昼休みになんかないか探して、即落札可のものをまた落札してしまう。
裸のラリーズが聞いてみたくて、珍しそうな音源のものを見つける。

午前0時に寝る。
今、ウォルター・M・ミラー・ジュニア「黙示録3174年」を読んでいる。
核戦争後の荒廃したアメリカ。
書物を保護する修道院を舞台に、文明復興についての物語。

---
6/9(火)

6月9日はロックの日。

昼、「升屋」という鉄板焼き系の居酒屋でハンバーグランチ。
テリマヨハンバーグに目玉焼き追加。
この店、夜のメニューを見てるとあれこれおいしそうで、使えるかも。
夜、セブンイレブンでチキンカツサンドと1日の半分の野菜が取れるサラダ。
クジを引いたら、チップスターが当たる。

夕方、息抜きで三省堂に行って転職活動に関する本を見てみる。
どれもこれといってたいしたことは書いてなさそう。
帰ってきて、システムエンジニア向けの職務経歴書のテンプレートを
ダウンロードしてきて試しに書いてみる。

編集学校のお題、プランニング編集術の最初の方を答える。
架空の町の、町おこし。僕は日本酒をテーマにする。
昔からの酒蔵があって、町の名前は「ほまれ」町で。
「鬼ころし神社」ってのがある。

夜は毎晩、Rockin'on JAPAN を寝る前に少しずつ読んでいるのであるが、
The HIATUSのインタビューで細見武士がとてもいいことを言っていた。
この人が今、日本でもっとも旬なんだろうな。

---
6/10(水)

朝、出社して仕事を始めるまでの間、つらつらとまた、ヤフオク。
マノエル・デ・オリヴェイラ DVD-BOXの第1集を見つける。
「アブラハム渓谷」「階段通りの人々」「世界の始まりへの旅」
これ、amazon のマーケットプレイスでは時には10万近い値段が付いていた。
手が出せなくて買えず。あちこち探すも、見つからず。
それがヤフオクで32,000円。これは、買いでしょう。
と思って入札するも、念のため amazon を見たらなぜか 29,800円で出てた。
即買い。こんなチャンス滅多にない。5点出てて、他は5万円以上。
出品者が相場を知らなかったのだと思われる。
オークションの方はほっといてもその日が来れば値が吊り上がっていくだろう。

夕方、Rockin'on JAPAN の忌野清志郎追悼特集を探す。
そういえば、あれ、まだあっただろうか、そろそろ買っとかないとと思って
三省堂と東京堂に行ってみるが、見つからず。
やばいと書泉や他何軒か回るが、どこにもない。
HMVで見たら限定版で完売とあった。
どうしよう。帰りにOAZOまで行くか。
そして銀座のHMV2軒で探してみるか。
amazon で調べてみたらまだ在庫があって、かろうじて入手。
それにしても最近、amazon で買い過ぎ。
ボーナス前だからいいか。というかボーナス使い切りそう。

昼、「魚百」という新しく(?)できた魚介系居酒屋。
ミックスフライ定食を食べたんだけど、他の人が食べてた海鮮丼がうまそうだった。
フライもうまかった。この店、当たりだと思う。

夜、帰りに西友に寄って、たまらなく腹が減っていて、
コールスローミックスと温野菜ディップと唐揚げ。(もちろん、ご飯なし)
編集学校の課題を1つ仕上げて、
観学会にて音楽の話題(じゃがたら)を書く。
昨日は何も飲まなかったが、今日はラムをロックで。
午前0時前に寝る。

---
6/11(木)

雨が降っていたので、オフィスの隣のそば屋でかつ丼。
夜、閉店間際の西友で
コールスローミックス、水菜とレタスのサラダ、玉子とカニカマのサラダ。

編集学校の課題をいくつか。

先週、「情報の歴史」90年版を競り落としたわけであるが、
今日帰ってきてメールを見たら、
amazon のマーケットプレイスから96年版を出荷しましたと。39,800円。
しまった、と思う。4万円を上限に予約していて、解除し忘れた・・・
版は違うが、これで2冊。どうしたもんか。
というか来月のカード明細が怖い。

この日は酒を飲まず。
月曜・水曜が飲んだ日で、火曜・木曜が飲まなかった。
代わりにグレープフルーツのジュースを飲む。
このところ毎晩飲んでいる。

---
6/12(金)

ほぼ1日打ち合わせ。
あちこちで日々の不満が爆発する。
何人かは徹夜明け。

昼、打ち合わせの合間に1人で餃子屋に行って、麻婆丼を食べる。
夕方の打ち合わせの前に、どうせ長引くだろうとラーメン缶を食べる。
終わって資料を直して、23時過ぎにオフィスを出てお客さんと飲みに行く。
どうしたもんかと。
焼き鳥を何串かと、モツ煮。

午前0時近くに店を出て、御茶ノ水駅まで歩く。


[3104] 初めてのヤフオク 2009-06-12 (Fri)

編集学校に入って応用コース「破」に進むと、
教材の1つとして自分の生まれた年の年表が送られてくる。
「情報の歴史」これは編集工学研究所が「電話100年」を記念して編纂し、
NTT関連の会社から出版されたとてもユニークな代物。
オリジナルの90年版は非売品、その後、増補改訂されて96年版が出ているが絶版。
生徒たちの多くが欲しくなるみたいで、
amazon に出品されると、4万近い値段がついていてもすぐ売れていく。
(買っていくのはほぼ編集学校の生徒なのだと僕は思う)
http://www.amazon.co.jp/dp/4871884430/

2ヶ月前ぐらいにしばらくぶりに amazon のマーケットプレイスを見てみたら、
なぜか4冊も出品されていた。
それがしばらくの間、売れなかった。
なんだ、4冊もあればしばらく売れ残るだろう、7月のボーナスで買おうと思った。
それがある日、2冊になって、1冊になって、在庫無しとなった。
(誰かが売ってると知って、教室仲間に知らせた??)
しまった、と思う。買っとけばよかった。
そしてその後なぜか、1冊も出品されない。
あーあという気分。

それが先日、ふとヤフオクだと売ってないだろうか?と見てみたら、あった。
しかも、3,000円という破格の安さ。ありえない。
出品者は amazon での高騰ぶりを知らなかったのだろうか?
早速入札する。僕は出品日にたまたま見つけたようだ。

とはいえ、ヤフオクを利用するのはこれが始めて。IDの取得から始まる。
意外に思う人もいるかもしれない。
「オカムラさんってはまってそうですよね」とたまに言われたりもする。
でも、これはまったら金がいくらあっても足りないし、
(amazon のマーケットプレイスだけでも今、十分大変なことになっている)
それに、出品者から届かなかったという話を聞いたこともあり。
周りのはまってる、あるいははまってた人の話を聞くと、
人によってはこれ、中毒になるみたいで。
入札って行為がスリリングでギャンブル性が高いんだろうなー。
あるいはフリーマーケットでとんでもない掘り出し物を見つけるときの感覚。

出品日に3,500円で入札して、2日間変動無し。
お?これ誰も気付いてない?ラッキー。逃げられるかも。
ほんとなら増補96年版が欲しいけど、3,500円で手に入るなら90年版でもいいや。
ホクホクした気持ちで2日を過ごす。

それが落札日の、この前の日曜。
昼に yahoo メールを見たら高値更新のメールが届いてた。
残り10時間近くになって、突如、動きが。
2人目の入札者が3,600円。なにー!!と思って、4,000円で再度入札。
ボタンを押したらノーと突っ返されて、同じタイミングで3人目の誰かが4000円としたようだ。
僕は冷静になって、「じゃ、5,000円!」としないで4,100円と打って、様子を見る。
もしかしたら誰かが釣られて値を上げるかもしれない。
戦うべきときが、来たんじゃないか・・・

ま、その後誰も入札しなくて4,100円のまま止まって、ホッとしたんだけど、
あの入札が立て込んだ瞬間のあの感覚。確かにゾクゾクする。
これははまるね。
その後ずっとPCに張り付いて、他の入札者が現れないか固唾を呑んで見守った。

もしかして逃げ切れる?と思いきや、残り2時間で動きが。
4,100円が4,200円になり、4,300円、誰かが仕掛けてきた。
5,000円、6,000円、どんどん釣り上がっていって、
10,000円を超えて、100円・50円の単位で細かく刻んでいって、
それがめんどくさくなって僕は気付いたら11,000円で入札。
そこがしばらく高値で続いて、誰も入札しなくなる。止まったか?
なーんか、いつのまにか引くに引き下がれなくなり、結構な額になったなあと。

しかしまた始まって、12,000円が13,000円になり。
15,000円、15,100円、15,200円。キリがない。で、16,200円まで来て、僕が最高値に。
確かにこれ、はまる。釣り上げられていったら、乗っていきたくなる。
・・・・でも、履歴見たら4人だけでやってることが分かって、なんだかなあと。
結局は編集学校つながりなんだろうか?いや、絶対そうだ。
こうなったら意地でも落札してやると思う。←ヤフオクの思う壺。
なんかもう、最後の30分は針のムシロ。
最後10分で仕掛けてくるんとちゃう?
ヤフオクもさあ、そろそろ終了ってそんなメール出さなくてもいいのに!

で、結局、16,200円で僕が落札。
よくよく考えるとこの値段で90年版が手に入っても、あんま嬉しくない・・・
要するに、負けたよ。

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10年以上探し続けている
Sonic Youth「Walls Have Ears」と Pussy Galore「Exile on Main St.」を検索してみるが、見つからず。
出品されてたら金に糸目をつけず、入札するんだろうなあ。
あちこち探っていたら、Caroliner Rainbow の CD を見つけ、それも入札。
月曜は裸のラリーズの珍しい音源を見つけ、即落札可だったので落札してしまった。

いかん。・・・はまりつつある。


[3103] Perfumeと私 2009-06-11 (Thu)

先日、とある場所で
「普段ロックとか言っときながら、実は Perfume 好きなんですよ」
って言ったら、
「オカムラさん、のっち好きでしょ?」
って当てられちゃいました。
そんなわけで、以下、どうでもいい話。

去年のサマソニで見て以来、Perfume 熱衰えず。
ライブを見たのはそれっきりであるが、
今、中古市場ではプレミアのついたQuickJapanの特集号も入手したし、
写真集「Perfume Portfolio」もほぼ発売日に何食わぬ顔でタワレコに買いに行った。
去年出たライブDVDももちろん見たし、最近出た武道館のも当然。
でもシングルを全部揃えたりはしないし、
初回盤のみの「Fan Service Prima Box」は買ったけどベストがあればいいかと売ってしまった。
なんかどうも Perfume の存在感と何曲かのよくできた曲が好きなのであって、
プロダクトにはあんまり興味がないのかもしれない。

今迷ってるのは、「GAME」初回盤のDVD付きを amazon のマーケットプレイスで買うべきかどうか。
ボーナスも出るし、買っちゃうのかもなあと。
新品未開封だと最低2万で、中古だと1万2000円が相場。
普段の僕だと中古で買うんだろうけど、
誰か知らない人が封を開けた Perfume って嫌だなあなんて思う。
複雑なオトコ心。

僕のことを昔から知っている人は、僕が10年以上前、
モー娘。にはまっていたことを覚えているかもしれない。
でもそれって長くはなくて、稀代の名曲「LOVEマシーン」の前後1年ぐらい。
オーディションを繰り返して小学生や中学生の子が増えていってからは興味が全く無くなった。

思うに僕は、素人っぽい、かつ、グループが好きなのだと思う。
のっちがソロで歌ってて、今と同じ規模で売れていたとしても、見向きもしないのでは。
あーちゃんとかしゆかがいての Perfume であり、のっちなのである。
・・・って俺、何言ってんだか。

生身の彼女たちがどういう人たちなのか、知らない。
出てくる情報は所属する事務所なりレコード会社によって
完璧にコントロールされている。演出されている。
そのアウトプットである、グループとしてのトータルなイメージがまずは気に入るかどうか。
そこに最初の幻想があって、その中でじゃあ僕だったら誰を?ってのを選ぶことになる。
2段階目の幻想。
枠を定義されて、境界線内で想定される出来事を提示されて、その中で楽しむ。
1:1のダイレクトな、リアルなものにはならない。
たぶんソロアーティストよりも、受け取り手は傷つきにくい。
グループ交際は、曖昧なものに逃げ込むことができる。
僕に狙ってる子がいて、その子がつれなくても、
そのときみんなが楽しければそれでよし、とすることもできる。
上手くは言えないが、そういうこと。

といった話はどうでもよくて、
来月出る新しいアルバムを早く聞きたい。
去年の夏みたいに、会社から夜遅く疲れきって帰ってきて、
Perfumeを何曲か聴いて死んだように寝る、そんな毎日が続くんだろうな。

なんにせよ、Perfumeが売れた一番の理由って、
2人がロングヘアで1人がショートヘアっていうバランスだからだと僕は思う。


[3102] Sonic Youth 「the eternal - sonik tooth box」 2009-06-10 (Wed)

Sonic Youth の最新作「the eternal」が発売されたので、即買いに行く。
しかも今回はボックスセットも出るということで、これは今買い逃すと2度と出会えないかもと。

・メジャーのゲフィンを離れ、Matadorに移籍
・前々作で脱退したジム・オルークに替わって、元Pavementのマーク・イボルドが参加
・プロデューサーは前作「Rather Ripped」に引き続き、ジョン・アニェッロが担当
・ジャケットの印象的な絵は、ブルース・ギターの民俗学者、故ジョン・フェイヒーによるもの
・「永遠」というタイトルが示唆的

といったところが話題となるだろうか。
新作もまた「さすが Sonic Youth」と言わしめる出来。
いや、ここ数作、上っ面の部分を除けば曲やサウンドの構造は何も変わっていないと思う。
だけどそれが彼方、不動の極点から鳴り響くように僕には聞こえて。
それ以上先のない、行き着いた地点から時折届く、写真入りの分厚い手書きの手紙のよう。
Sonic Youth はロックというジャンルの音楽で
最深部まで辿り着いたグループの、数少ない生き残りだ。
このバンドを信頼できなくて、他に何を聴くべきか?

ボックスセットにはTシャツと「Sonic Death '09」という名の、
写真と書き殴りのイラストや言葉だけのモノクロのファンジンが付いてくる。
そしてボーナスディスクとして「Live atBattery Park '08」というライブアルバム。
これがとてつもなく素晴らしい。
近年の Sonic Youth の中ではベストじゃないか?
緊迫感、リアル、ノイズ。
金属的なギター、脅迫的なリズム。
性急で焦燥感に満ち満ちた音。乾ききった、絶対零度。
Sonic Youth の最良の部分がここにある。

曲目を挙げる。カッコ内はオリジナルのアルバム。
01.「She is not Alone」 (Sonic Youth '82)
02.「The Sprawl」 (Daydream Nation '88)
03.「World Looks Red」 (Sonic Youth '82)
04.「Jams Run Free」 (Rather Ripped '06)
05.「Hey Joni」 (Daydream Nation '88)
06.「Silver Rocket」 (Daydream Nation '88)
07.「The Wonder」 (Daydream Nation '88)
08.「Hyperstation」 (Daydream Nation '88)
09.「Bull in the Heather」 (Experimental Jet Set, Trash and No Star '94)
10.「100%」 (Dirty '92)
11.「Making the Nature Scene」 (Confusion Is Sex '83)

最近の Sonic Youth のセットリストが普通どんななのか、正直僕はよく分かってない。
しかし、このライブが特別な位置付けのものだったことは想像に難くない。
昔からのファンだったらこの選曲、唸らざるを得ない。
前作「Rather Ripped」からの曲が1曲ありつつも、
最重要作「Daydream」の曲が中心となり、
「Dirty」「Experimental ...」といった中期の代表作のナンバーも織り込まれる。
そしてファーストの曲で始まって、セカンドの曲で終わる、挟まれるという構成が泣ける。
必聴。このライブアルバムのためだけに6,980円払っても高くない。

続ければ続けるほど、彼らの原点である「No Wave」へと近付いていく。
どんどんいろいろなものを削ぎ落としていけばいくほど、深まり、高まっていく。