[3781] 4/11-4/15 2011-04-20 (Wed)

4/11(月)

昼、小川町の方の「天鴻餃子房」でしそ餃子の中盛定食。おろし醤油で食べる。
夜、オフィスでセブンイレブンのサンドイッチとスパサラ。
仕事が終わったのが21時過ぎ。
帰ってきてチームラウンジに自己紹介を書いてこの日は終わり。

大き目の余震が続く。

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4/12(火)

昼、近くにできたばかりの「北陸しゅうらく」という店へ。
入ったら僕しか客がいない。さばの味噌煮を食べる。可もなく不可もなく。

定時で上がって、離の友人たちと新宿西口で飲む。
博多料理の店。もつ鍋と一口餃子。「603」という名前だったか。
いろんな餃子があった。安いんだけど生ビール飲みすぎて結構な額へ…
あれこれと最近のことを話す。
「実はあの時こうだったんだよね」といったこと。

3月から進めてきた案件がひっくり返る。

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4/13(水)

PJランチ会は「くろぶらきよし」でカツカレー。
夜、帰ってきてご飯を炊いて、青森から送られてきた鮭の塩焼きと
西友で買った惣菜のきんぴらごぼう、レンコンのきんぴら。
インスタントの豚汁。

3月から進めてきた案件がさらにひっくり返る。
海を目指していたのが山になり、それが空になったかのような。
これまでなんだったのか…

帰ってきて開講準備の作業を続ける。
それをやってたら夜が更けてしまった。
午前0時半に眠る。

昨日夕方「師範詰所」のラウンジに登録され、
今日の朝自己紹介を書いて送る。

昨日寝たのが遅かったので一日中眠かった。

余震が続く。一日中体が揺れてる気がする。

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4/14(木)

昼、「焼き鳥屋神保町」にて
親子丼の中サイズに自家製食べるラー油をトッピング、ミニサラダ。

終末の郡山・磐梯熱海温泉旅行の地図や予約控えなど
あれこれをプリントアウトして旅のしおりを作成する。

もちろん仕事もあって今週はとにかく忙しい。

夜、昨晩に引き続き、焼き鮭。西友で買ったポテトサラダ。
開講準備を進める。自分の時間は取れず。
午前0時に眠る。

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4/15(金)

朝起きて、開講準備の指摘を受けた箇所の修正を提出。
9時半に竹芝出社なのでゆっくりしている。
7時半に部屋を出る。
午前中は事業部キックオフ。
合併したとはいえこれといって面白い話はなく、退屈。
TwitterとFacebookを見て大半の時間を過ごす。
あと、開講前のダンドリメール。

昼、ハマサイト2階のカレー屋。
サラサラ系にベーコンほうれん草エッグというように
トッピング追加可能な、この手のインテリジェントビルでよく見かけるタイプ。
春野菜のカレーにチキンエッグとする。

オフィスに戻ってきて金曜の午後、やる気が起きず。
午前中ので腹を立てていたということもあり。
資料を作っていてもすぐ立ち上がってコーヒーを作ったり、コンビニ行ったり。
ひたすら定時を待つ。

帰ってきて、開講準備の続き。
そなえあればうれいなし。あらかたできた。
守破の教室からメッセージが届く。
夜、遂に教室のラウンジが整って師範代向けにオープンされる。
7名の学衆(生徒)の名前が公表される。リアルな教室となった。
ここまで来たか。感慨深い。

22時過ぎ、今日の分の作業を終えて缶ビールを飲む。
骨なしフライドチキンとおつまみ海老餃子。
イカを揚げたやつは食べすぎだと残す。

明日の磐梯熱海温泉1泊の準備をして
(と言っても着替えとノートPCぐらい)
午前0時に眠る。


[3780] 第28回感門之盟「Edit Cross 共読区」 2011-04-19 (Tue)

(昨日からの続き。4/17(日)のこと)

会場は「Zest」新入社員研修の打ち上げが行われた場所。なんだか懐かしい。
守破の先達文庫授与や物語講座の授賞式。
松岡校長がけっこう細かくダメ出しをする。
師範の方たちも立つ場所や間合いなど段取りを確認する。
待っている間、何人かこれまでお世話になった方とお会いして話す。
そんなこんなで自分の番となる。
ステージ脇から歩いてきて中央に出て、教室名の大きく書かれた紙を掲げる。
簡単なようでいて、どのタイミングで歩き出すかなど意外と難しい。
リハーサルしといてよかった。
(本番ではモタモタしていたら校長からさっさと来いと言われたけど…)

昼の弁当代わりのハンバーガーを食べて、12時より受付開始。
これまでのようなイベントホールとは違って、原点回帰でレストランの中。
「Zest」自体は大きいスペースなんだけど250人も集まったらすし詰め状態。
かつての感門之盟は今回のようなレストランにて開催されたという。

何で今回このような原点回帰へと至ったかというと、まさに3.11の震災。
本来ならば一ヶ月前、3/13(日)に開催されるはずだったのが急遽延期となった。
ギリギリまで開催の可否を検討したという。苦渋の決断だったと聞く。
そして今までとは場のトーンを改め、
演出も控えめに進行もあっさりとしたものとして
編集学校に関わる人で集まれる人は集まろうという趣旨のもと開催された。

最初の校長の言葉では「平時の中の有事」とあって、
これがこの日1日のキーワードとなった。
「心の中で津波を感じること」であるとか。

この数十年、日本には「欠けたモデル」が失われている、
だから誰もが1つの正解を求めてしまうという発言は
明日から師範代となる僕らに向けられたように思った。
そして、感門之盟のタイトルにあった「共読」で言うと
そもそも学衆・師範代・お題のやり取りが共読なのであると。

その他に3つ、心に響いたのは
「伏せられたものが書物であって、開けるのが読書である」
「知の編集工学と情報の編集工学はまだ重なり合っていない」
「本のできることを増やしたい、誰もが著者であり、編集者なのである」

13時に本編が始まって、16時過ぎには終了。
その後、「共座共読」と題して、まあ要するに「アフ感」(打ち上げ的飲み会)
知ってる方々からはこの前の花見のこともあって
「今日は飲み過ぎないように」と笑われながら注意され、
それほど知らない方々からも、「アロハ」の入った教室名にちなんで
「何で今日はアロハじゃないんだ?」と突込みが入った。
うぬー。ステージ衣装は常に持ち歩いてこそのステージ衣装なのだな。
(今回チームを組む師範の方はジャケットの中にアロハを着てくれていた)

落册市というブックオークションでは
『ロック・ピープル101』というガイドブックを競り損ない、
中公新書の『バルトーク―民謡を「発見」した辺境の作曲家』は落札できた。
(\1,000)

2次会も「ZEST」に居続けて、ビールとワインを飲む。
初めて会った方とも編集学校というつながりであれこれと話す。
23時過ぎまでいたのかな、そろそろ帰らないと明日の仕事に差し支える、
というか明日の25守開講に差し支えると思って帰ってきた。
周りを見渡すと25守の師範代でこの時間まで飲んでたの僕だけ…

郡山出身の師範の方と話す。
実はこの土日に磐梯熱海温泉に行ってきたんですよと言ったらとても喜ばれた。
何度も何度も、「郡山に来てくれてありがとう」と。
よかった…


[3779] 磐梯熱海温泉へ(その3 東京に戻る) 2011-04-18 (Mon)

目が覚めると4時。
その次が5時20分。起き上がったちょうどそのとき、地震が。
震度で言ったら2ぐらいの小さなもの。
5時半から温泉に入れると聞いていたので入りに行く。
誰もいない。露天風呂に浸かってあれこれとりとめなく考える。
これまでのこと、これからのこと。
昨日は夜眠るときも風が強くて宿が揺れていたけど、
今日はそんなこともなく穏やかで空も澄んだように晴れている。
そのうちポツポツと他の客がお湯に入りに来て、入れ替わりに僕が出る。

午前6時前。午後の感門之盟に出席するために
荷物をまとめて一足先に宿を出る。
帳場でタクシーを呼んでもらう。
震災後の磐越西線の運行状況について宿の男性の方と少し話す。
わざわざ外に出てタクシーが到着するまで一緒に待ってくれる。

タクシーは1メーターちょっと。5分も乗らない。
最近は大変なんですかと聞くと、やはりそうなのだと。
泊まっているお客さんのほとんどが
県内外から避難してきた方たちなのだそうだ。

6時過ぎに駅に到着したものの、始発電車は6:54発でだいぶ時間が先だった。
まあいいかとノートPCを立ち上げるが、イーモバイルは圏外。
明日の25守開講の事前準備として
今日の早いうちに教室に何通かメールを送ることになっている。
宿もまた圏外で、駅まで行けばなんとかなるかと思ったのだが…
当てが外れる。

自販機の紙コップのレモンティーを飲みながら
駅で配布されていた磐梯熱海温泉の案内と
今月末からの青森観光キャンペーンのパンフレットを眺めて時間をつぶす。
朝は寒く、駅員が石油ストーブを運んでくる。

磐越西線に乗る。周りは部活動に出る高校生たちばかり。
隣のコンパートメントでは丸刈りで学ランを着た高校生が
どこそこの高校は強いとずっと野球の話をしていた。
次の駅を出て試しにイーモバイルをつなげてみるとアンテナが立った。
ノートPCを膝の上に置いて、必要な情報をダウンロードする。

郡山の駅に到着する。
もしかしたら感門之盟のリハーサルに間に合うかもしれないと
新幹線の特急券指定席、9:34を7:54に1本早く変更する。乗車券も買う。
待合室で数十分待つ。さすがJR、コンセントがあった。
メールを準備して送信する。受け取り側でうまくいかず、焦る。
利用するシステムのマニュアルが手元にない状態で
どこをどう設定するべきか分からず。手探りでここだろうというのを試す。
「あ、分かった」というところまで来たものの時間切れ。
新幹線到着のアナウンスが聞こえ、
慌てて荷物をリュックサックに突っ込んでエスカレーターを駆け上がる。
多少時間があったので駅弁を買う。

あまりのバタバタさに磐梯熱海温泉土産、郡山・福島土産を買う時間無し。
会社に配るお菓子や、福島の地酒は入手できず…

乗り込んで、作業の続き。車内もコンセントがある。よし。
しかし、いざ送ろうとしたらトンネルに入ってイーモバイルがつながらなくなる。
小刻みにトンネルが続く。郡山⇔宇都宮間ってこんな多かったか。
諦めて山を抜けるのを待つ。
駅弁を食べる。「小原庄助弁当」会津若松の民謡に歌われるあの小原庄助。
包み紙にもユーモラスな絵が描かれている。
「なんで身上つぶした
 朝寝朝酒朝湯が 大好きでそれで身上つぶした
 ああもっともだもっともだ」
弁当としてはしめじご飯、にしん昆布まき、牛糸こん煮、
菜の花しめじ、みつばなめこ、鶏肉のみそ焼き。
なかなかうまかった。

宇都宮を過ぎて新幹線は都市部を走るようになる。
ようやく、この日送るべきだった5通の送信を終える。
ほっとした。こんな苦労するとは…
緊張してるつもりはなかったけど、ドキドキの連続で
忘れられない開講前日となった。

到着予定時刻9:24だったか。
東京駅にはすぐ着いて中央線で新宿へ、山手線に乗り換えて恵比寿へ。
10時のリハーサルにはどうにか少し遅れで間に合う。


[3778] 磐梯熱海温泉へ(その2 宿に到着) 2011-04-17 (Sun)

市役所まで戻ってバスに乗って、駅前に戻る。14時過ぎ。
JRで次の磐越西線の時刻を確認する。
事前に調べたダイヤとは変わってて(というか僕の調べ方が間違ってて)、
14:45に各駅停車、時刻表を見るとその1時間後に快速となっていた。
他のメンバーは着替えがないということで待ち時間の間に買いに行く。
駅ビルの中にはユニクロのような店はなく、
(このビルは青森市だとアウガのように地域のコミュニティセンターとなっていて
 最上階近くが空洞になっていて巨大な球体が浮かんでいる)
反対側のデパートは無印良品とタワレコが入っているはずが、秋まで改装中だった。
仕方なく探し回る。さくら通りに戻る。しかしどこにも何もなさそう。
歩いているうちに飲み屋街に入り込む。
パブやスナックが上から下までびっしりと詰まったきれいなビル「Elite」が
あちこちにあって「8」や「11」といった番号が振られている。
僕が見かけた限り最大「30」びっくり。夜の郡山は「Elite」の街か。

「うすい百貨店」というデパートを見つけて入る。
土曜の昼間だというのに、ガラガラ。大丈夫なのか、郡山…
結局コンビニで着替えを買う。

駅に戻ると14:45のが行った直後で、
じゃあ1時間後の快速で行こうかと思ったら
今は臨時ダイヤで走っていないということを知る。
次の各駅停車は2時間後…
思いっきり暇になる。

カラオケかボウリングか足裏マッサージか飲むか。
じゃあまあ飲むかと店を探すが、昼間っからやってるような店など無く。
自由行動にする。
僕は駅の喫茶店に入って、今書いてるような日記の続きを。
ノートPCのバッテリーが切れて諦める。
駅の総合案内所で、明日の磐越西線の運行状況を確認する。

明日の感門之盟でちょっとした役を急遽引き受けることになり、
明日の午前中リハーサルを行うので来てくださいとメールで連絡を受ける。
しかし、調べてみてもちょうどよく到着する新幹線がなさそう。
他の師範代でお願いしますと断りのメールを送る。

16時半、待ち合わせの場所で合流して磐越西線に乗る。
ドアがローカル線雪国仕様でドア脇のボタンを押して開閉するというもの。
席は2人ずつ向き合うコンパートメント型。
夕方だったので高校生ばかり。

郡山の駅を出る。
電車はゆっくりと住宅街の間を走る。
震災の影響なのだろう、瓦を石やブロックで押さえたり、
ビニールシートを敷いた家もちらほらと見かけた。塀だけが崩れた家もあった。

一つ目の駅を過ぎると、急に田舎、何もない山の中になる。
三つ目の磐梯熱海駅で下りる。
僕はPASMOだったので切符を買ったんだけど、残りの皆はSUICAで、
下りると改札は自動ではなく駅員が立っていてSUICAをタッチするセンサーがない。
聞くとSUICAの使える範囲は郡山までなのだという。やられた。

磐梯熱海駅周辺は何もなく、寂れた温泉街だった。
吹きつける強い風が寒々しく早々に宿までタクシーに乗っていく。

先日読んだニュースでは
磐梯熱海温泉は風評被害で客足が遠のいたということだったが、
実際どうなのだろう?
僕らの泊まった宿は見る限りほぼ満室のようで、隣のホテルの駐車場もいっぱい。
あれれ? どうなってるの?
好意的に捉えるならば、多くの人が「被災地支援旅行」に乗り出したとか。
あるいは、ニュースを見て今が穴場だと捉えたか。
(翌朝、タクシーの運転手に聞いてみたところやはり宿泊客は減っていて、
 泊まっている客のほとんどが県内からの避難者であるとのことだった)

とはいえ今回の震災に対する支援はいったんおいといて、宿としてはなかなかよかった。
温泉も入りやすいお湯だった。
(露天風呂に入るとゴーゴーと風が強かった)
食事はかつてほどの品揃えではないようだが、豚のしゃぶしゃぶにかき揚、
それとフキやワラビといった山菜を使った料理がうまかった。
会津若松の地酒「京の華」を飲む。”幻の米”を使っているとのこと。
料理人のおばちゃんが試しに最近作り始めたという大根の漬物がとても合う。

19時過ぎ。部屋に戻ってくると布団が引かれている。
何人かは横になった瞬間眠ってしまう。
僕は温泉に入りに行って、戻ってきて缶ビールを飲む。
ぼんやりと何も考えず、時間を過ごす。
本を読む気になれず、TwitterとFacebookとメールを読んで時間をつぶす。
再度温泉に入りに行く。再度缶ビールを飲む。
23時に眠る。


[3777] 磐梯熱海温泉へ(その1 郡山を歩く) 2011-04-16 (Sat)

先日チラッと書いたことだけど、ひょんなことから
福島県郡山市の先、磐梯熱海温泉へと1泊で行くことになった。
風評被害で観光客が激減、経営難に陥りつつも
なんとか営業を続けているというニュースを読んで、
ああ、僕らにできるのってこういうことぐらいなのかもな…、と。
いきなり素人が岩手・宮城に行ってボランティア活動ができるわけでもなし。
こういうことですら不謹慎なのか、
ただ遊んでるだけじゃないかと最初のうちは迷ったけど、
これもまたささやかなりとも人助けになるはずと信じて郡山へと向かう。
スケジュールを立てたり高速バスや宿の手配は僕が行った。

朝、普通に起きて開講準備のメールを読んで、
着替えてリュックサックを背負って部屋を出る。
明日は昼までに新幹線で戻ってきて恵比寿で感門之盟に出席。
その間、ノートPCをネットにつないであれこれ準備をしなければならない。

8時前に東京駅鍛冶橋の高速バス乗り場に集合。
今回5名で向かうけど、3名の方とは初めて。顔合わせしてバスに乗り込む。
最後尾1シートが僕らだった。ゆったり座る。僕以外は皆眠りだす。
バスはほぼ満席。高速に入って北へと向かう。
工事中のスカイツリーが至近距離から見えた。

東北自動車道に入って、1時間で久喜へ。
左右を緑地帯に囲まれる。
何の変哲もない埼玉の風景が広がる。
空を眺める。うろこ雲。
目覚まし時計をセットしたままだということを思い出す。

気が付くと山に囲まれていて、佐野。サービスエリアで休憩。
この辺りはまだ桜が満開だった。
時間もあまりなく、トイレに行ってすぐ戻ってくる。
佐野はラーメンが有名ということで
ガラス張りのブースで麺の手打ちを実演していた。
同じ時間帯にあの津田大介もまた佐野サービスエリアにいたことを
Twitterで知る。南相馬村に向かうとのこと。
自分たちがバカっぽく見えてくる…

しばらくウトウトする。
阿武隈サービスエリアで2回目の休憩。
お土産屋に入ってみると桜色のうどんが売られている。
栃木といえば、ということでレモン牛乳キャラメルをお土産に買う。
以前、栃木出身の人と仕事していたときによくもらってた。
バスの中でレモン牛乳アイスを食べる。

福島に入って高速を下りる。
明後日の開講に備えて、
ネットにつないで以前松岡校長の書いたことを読んだりして過ごす。

東京で地震があったことを知る。
震度や震源地など不明。
世の中の人たちは地震に関する情報をリツイートしなくなった。
ただ、自分がいる場所が揺れたということだけをツイートする。
福島も揺れたのだろうか。バスに乗っていて、気が付かず。

郡山市街に入る。
国道沿いのロードサイドの大型店舗が連なる。
駐車場にも普通に車が停まってて、
何の変わりもなく日常生活が営まれているように思われる。
3.11の震度は東京23区と同じぐらい、震度5弱ぐらいか。
倒壊した建物を見かけることはない。

12時前、郡山駅前に到着する。
「正月屋」というラーメン屋がうまいと聞いていて、そこで昼を食べることにしている。
駅前の大通り、さくら通りを西へと歩いていく。
チェーン店の居酒屋ばかり。あとはシャッターの下りた店舗が目立つ。
青森駅前と一緒。土曜の昼前なのに若者の姿が見えない。

歩いているとそこかしこに震災の影響が見える。
黄色いテープで囲われて立ち入り禁止になった建物。
ひび割れた壁がそのままになって「調査済み」などと貼り紙のされたビル。
歩道がでこぼこになって、足元が崩れている。
商店街には色のついた紙に「がんばろう郡山」とだけ書かれた簡素なポスター。
一見何の影響もなかったようでいて、
よく見ると壁のなくなった家屋や
2階の窓が割れたままになった店舗がそのまま残されている。
古びたコンクリートの一部が崩れて瓦礫のようになった箇所もあった。
屋根がひしゃげて、中もめちゃくちゃになって真っ暗なままのボーリング場。
郡山市役所は割れた窓に板を張って
屋上で小さなクレーンが2機のろのろと動いていた。
向かいの球場の脇には自衛隊のトラックが何台も整列して停車している。
街のあちこちを岡山県警や静岡県警、熊本県警のパトカーがパトロールしていた。
都内と変わらないと先ほど思ったのは嘘だった。

近くの中学校の生徒たちが放課後、トレパン姿で
屈託ない笑顔で騒ぎながら歩いている。
東北っぽいなあと思った。

風が強くて、しかも杉花粉が飛びまくってて、くしゃみが止まらない。
涙も鼻水も出てくるし、目がかゆくてたまらない。
見ると郡山は桜が満開。そうか、東京は収まりつつあって油断してた。

市役所を過ぎて、北に曲がる。
30分以上歩いて「正月屋」を見つける。広い駐車場のある大きな店だった。
昼時で店内で行列となる。家族連れが多かった。
入口の待つところに、「CREA」をはじめとして
紹介された多くの雑誌のページが飾られていた。
それによると元々和食の料理人だった店主のこだわりで作られたラーメンとのことで
醤油味の支那そばがイチオシのようだ。
しかし僕は味噌そばが気になってそちらにした。
合わせ味噌らしいんだけど、甘みがあって、うまみがあって。
おろした生姜が入っているのもアクセントとしてよかった。
これいいね。今度自分で味噌ラーメンを作るときにも入れてみよう。
ホロホロになるまで煮込んだ肉もうまかった。
塩味っぽい鳥そばであったり、辛みそばであったり、
また郡山に来るときがあったら違う味のを食べてみたいんだけど、
そんな機会は果たしてあるのか…


[3776] ”ロックンロールを永遠に変えた10の出来事” 2011-04-15 (Fri)

先日、Twitter上で見つけた。
ギターのメーカー「ギブソン」による
”ロックンロールを永遠に変えた10の出来事”
http://www.gibson.com/en-us/Lifestyle/Features/flashpoint-events-0411-2011/

10個のタイトルを訳すとこうなった。

「アイク・ターナー”Rocket 88”を録音」(1951)
「エルヴィスがサン・スタジオで録音」(1953)
「バディ・ホリーが飛行機事故で死亡」(1959)
「ビートルズがエド・サリヴァン・ショーに出演」(1964)
「ボブ・ディラン、エレキに転向」(1965)
「ウッドストック」(1969)
「セックス・ピストルズが”勝手にしやがれ”をリリース」(1977)
「MTVがスタート」(1981)
「ニルヴァーナがマイケル・ジャクソンから1位を奪う」(1992)
「ナップスターの登場とデジタル革命」(2000以後)

かなり妥当だと思う。無駄がなくて唸った。
60年代はこの3つだよなあ。やっぱり。
70年代以後、トピックを1つずつ選ぶとなると
僕も同じセレクションになると思う。

蛇足ながら僕が裏の10個を選んでタイトルをつけるとしたら。
こんなとこです。

「ジミ、ジャニス、ジムの死」
「キャロル・キングとジョニ・ミッチェル」
「No New York」
「サタデーナイト・フィーバー」
「3MCs+1DJ」
「4つか8つか」
「インダストリアル・ロック」
「世界音楽と音楽世界」
「プリンス、マドンナ、マイケル・ジャクソン」
「ベッドルーム・ポップシンガー」


[3775] こんなサントラを持っている その12 2011-04-14 (Thu)

――――――――――――――――――――――――――――――
□Underworld and Gabriel Yared『Breaking and Entering』

2006年の作品。
当時、あの Underworld が映画音楽を手掛けたということでかなり話題になった。
この頃には既に単なるダンス・アクトではなくなって、
Underworld という1つのジャンルとなっていたように思う。
音源のネット配信に力を入れ、
それと同時にアナログ限定の新曲リリースも積極的だった。
(日本盤のサントラのボーナストラック「JAL To Tokyo」がその1つ)

対するガブリエル・ヤレドは映画音楽の巨匠であって、
ゴダールの『勝手に逃げろ/人生』を皮切りに
日本でもファンの多い『ベティ・ブルー』を手掛け、
アンソニー・ミンゲラ監督とは
『イングリッシュ・ペイシェント』『リプリー』『コールド・マウンテン』
とコラボレーションが続いて、そして本作『こわれゆく世界の中で』へ。
近作には『善き人のためのソナタ』など。

両者がどのように楽曲を組み立てていったのかは分からないんだけど、
ピアノによるテーマの主旋律はガブリエル・ヤレドで
バックのリズムを伴った音色が Underworld となるか。
ダンスに向いたメリハリの効いた音ではない。
あくまでヨーロッパ的な上品な映画音楽。
これまたかなりよい。

Underworld というと、
やはり『Trainspotting』での「Born Slippy / Nuxx」が忘れられない。
映像と音楽が一体化する幸福な瞬間があった。
曲そのものも1990年代を代表する名曲なんだけどね。
今でも何かに付けて引き合いに出される。

――――――――――――――――――――――――――――――
□『The Adventures of Priscilla : Queen of the Desert』

「好きな曲を1曲だけ挙げてください」と聞かれたとしたら僕は
シャーリーンの「愛はかげろうのように」(I've Never Been To Me)を選ぶ。
ロックでもなんでもなくて、欧風懐メロなんだけど
詩も曲もシャーリーンの歌い方も全てがいい。
愛する人を求めて私は人生を旅した。
ジョージアからカリフォルニアへ、
ギリシアからニースへ、そしてモンテカルロへ。
私はパラダイスにいたつもりが、そうではなかった。
それが私の人生だった。

僕が小学生か中学生の頃、ドラマの主題歌となった。
日本人の歌手が日本語訳の歌詞で歌っていた。それが忘れられない。
調べてみたら椎名恵という歌手が1986年に発表した
『Love Is All 〜愛を聴かせて〜』だった。
http://www.youtube.com/watch?v=VzS232kKSGE
小柳ゆき、岩崎宏美、テレサ・テンもカヴァーしている。

10代のどこかでこの曲はカヴァーだということを知る。
原曲を聞いた。ラジオかCMで。
しかし、誰のなんという歌か分からない。
どこで聞いたのかも思い出せない。
心の中でずっと引っ掛かっていた。

それがある日、たまたま借りてきたビデオの1曲目で流れてきた。
エンドクレジットで恐らく、シャーリーンの曲だと知る。
いてもたってもいられなくなってサントラを買いに行く。
やはりそうだった。これだ! と心の中でガッツポーズ。
サントラにはそんな出会いもある。

テレンス・スタンプと若き日のガイ・ピアース、
エージェント・スミス役のヒューゴ・ウィーヴィング。
この3人がドラッグ・クィーンとなって
それぞれのささやかな夢をかなえるためにオーストラリアを横断する。
その冒頭、きらびやかな衣装を着たヒューゴ・ウィーヴィングが口パクで歌う。
(なお、全編で繰り広げられるゴージャスな衣装がアカデミー賞を獲得した)

この曲だけではなく、
Village People「Go West」
ABBA「Mamma Mia」
Alicia Bridges「I Love the Nightlife」
Gloria Gaynor「I Will Survive」
Vanessa Williams「Save the Best for Last」
などディスコ系ソウルの名曲がたくさん入っている。

――――――――――――――――――――――――――――――
□Randy Newman『Cold Turkey』

ランディ・ニューマンは
70年代ウェストコーストを代表するシンガーソングライターであって
『Sail Away』が代表作として挙げられる。
職業作家として Harpers Bizaar や Three Dog Night など
当時の人気グループに曲を提供していたが、
叔父たちが映画音楽の作曲家だったこともあって自然とその方面へ。
80年代以後はアカデミー賞の歌曲賞や作曲賞のノミネート常連となる。
たくさん獲得しているかと思いきや、意外と『モンスターズ・インク』だけだった。
今回も『トイ・ストーリー3』で候補になった。
(このシリーズの1や2でも候補となっている)

このアルバムは日本では公開されていない
『タバコのなくなる日』という1970年代初めのコメディー映画のサントラ。
昨年、大阪のアメリカ村の King Kong で見つけて買った。
1000枚限定で、当時のメモを見たら中古なのに2,800円と若干プレミアがついていた。
ランディ・ニューマンが歌うのは1曲だけで、後は劇伴のみ。
オールド・ファッションドな古きよきアメリカが聞ける。

――――――――――――――――――――――――――――――
□『Rockers』

レゲエと言えば『The Harder They Come』かこの映画、
というぐらいに有名なんだけど残念ながら僕はまだ観たことがない。
DVDで見てもしょうがなさそうで、リバイバルで劇場公開されるのを待っている。
1979年の作品。ストリートでレゲエが最もアツかったのはこの頃、なのだと思う。

メンツがすごい。
Junior Marvin, Burning Spear, Gregory Isaacs, Bunny Wailer, Peter Tosh,
Third World, Inner Circle, The Upsetters など。

ジュニア・マーヴィンの「ポリスとコソ泥」はもちろん、
The Clash がカヴァーした曲のオリジナル。

ベタな言い方だけど、レゲエの入門盤としてよいと思う。

――――――――――――――――――――――――――――――
□Arvo Part『Alina』

厳密にはサントラそのものではないけれど、
ガス・ヴァン・サント監督、
マット・デイモンとケイシー・アフレックが主演の『ジェリー』で使用された
「Spiegel im Spiegel」「Fur Alina」の2曲が
ヴァリエーション違いで計5曲収録されている。

アルヴォ・ペルトはエストニアに生まれた現代音楽の作家。
他の作品を聞いたことはないんだけど、極限まで行き着いたミニマリズム。
上述の2曲も前者はピアノとヴァイオリンないしはチェロ、後者はピアノだけ。
音数はものすごく少ない。
なのに隙間を感じさせない。
ただ単に空いているのではなく、「無」がそこに存在している。
変転するような、流れるような。
そういうところが、絵画的というより映像的である。

映画的なミニマリズムというと僕は他にベルギーのウィム・メルテンを思い出す。
こっちのほうがもうちょっと音が多い。人懐っこい。
『Maximizing the Audience』という作品が好きで僕はよく聞く。


[3774] 新入社員の頃 2011-04-13 (Wed)

今日の朝、丸の内線に乗っていたら紺の新入社員スーツを着た
そっくり同じ格好の女の子2人がそれぞれに日経新聞を読みながら
アメリカはなんでこういう政策をとったのか、たどたどしく解説しあっていた。
あの独特の硬い雰囲気。新入社員って一目見て分かる。
昨日は駅トイレの個室で空くのを待っていたら、
男の子が神経質そうに髪をとかしたり眼鏡の位置を直したりしていた。
何度も何度も鏡の向こうの自分の姿を確認する。
トイレから出てきても彼は不安げにあちこち触っていた。
緊張してるんだろうなあ。
かつ、会社の中にくつろげる自分の居場所がまだない。

入社式のあと、自分が新入社員だったときのことを思い出す。
環境の大きな変化というか
社会人になるということへの嫌悪感を体全体にまとっていたように思う。
あらゆる物事から遠ざかり、突っぱねたくなる気持ち。
身構えて、疑心暗鬼になって。
その裏返しで、全てに対して無関心を装う。
どんどんはぐれていく。
仲良くなって毎晩のように飲みに行く同期たちを尻目に早々と1人帰って
悶々とした日々を過ごしていた…
自分の人生にとって暗黒時代のひとつ。
スーツの着方も歩き方も、何もかもがどこかぎこちない。
様々な出来事のフラッシュバックになんだか今、とても憂鬱な気持ちになってきた。

何をどうしていいか分からず、とりあえず出社して研修を受けるだけの毎日。
家と会社とを往復して、目の前の出来事が全て右から左に流れていく。
4月の後半には早々と事業部に配属されてOJTが始まり、
先輩たちとの上下関係が生まれる。具体的にやることが出てくる。
それでようやく楽になった。
名前を付けられ、人として認められたような。
これが今の新人たちのように3ヶ月4ヶ月とロングで研修だったら
ノイローゼになってたんじゃないかと思う。やばかった。

そんなわけで僕は初々しさの全くない新入社員だった。
やさぐれ。そしてそれが今も続く…


[3773] 初めての選挙 2011-04-12 (Tue)

4月12日(火) 初めての選挙

先日の日曜、恥ずかしながら、この年になって初めて選挙に行って投票をした。

20代の頃はただただいきがっていた。
僕なんかが投票したところで何がどうなるわけでもない。
何十万票のうちのたった一票なんてあろうがなかろうが大して差はない。
吹けば飛ぶようなそんな無力さを、わざわざ感じたくはない。

30代に入ってからは実は、怖かった。
いい年して投票所でどう振舞うべきなのかを知らない。
とんちんかんなことをしでかして、失態を演じてしまうのではないか…
こんなことなら一生選挙に行きませんでしたというのを全うしてもいいな、
とすら考えていた。

それがさすがに今回のことでそうも言ってられなくなって。
この人を当選させていいのだろうか?

実際のところ、この人に入れたいという候補者はいなかった。
(イロモノとして面白いという人はいても)
バツをつけるのならいいのにな、と思った。

午前8時。
封筒を握り締め、恐る恐るビクビクしながら近くの中学校へと向かう。
広い部屋に入ると、目の前に机が並んで2人ずつ座っている。
よく分からず真ん中の机に向かって進んでいくと
「まずは受付をしてください」と言われ、隣の机を示される。
ひー。心臓がバクバクする。
自分が社会不適応者のように思えてならない。

しかしそこから先はなんとかなった。
都知事選挙の用紙を受け取って候補者の名前を書いて箱に入れる。
都議会議員補欠選挙の用紙を受け取って候補者の名前を書いて箱に入れる。
あとは何食わぬ顔をして会場を去る。

簡単なことだった。
なぜこれまでできなかったのだろう? 避けていたのだろう?

なんというか、身軽になった気持ちがした。

翌日、結果を知る。予想通りの結果になった。うーむ…
自分が投票した候補者の得票数を見る。
ああ、この中の一票が僕のか。
そういうことか。
そういうことなのか。
何かが、分かったような。
なぜ、投票しなければいけないのか。
勝ち負けや0・1の問題ではなくて、支えるのだということ。

これまでの自分はとてももったいないことをしていたと思う。
僕は間違っていた。


[3772] 4/4-4/10 2011-04-11 (Mon)

4/4(月)

震災直後に被災地を回った方が
「実際にその光景を前にして、心に焼き付けたほうがいい」と言う。
この僕が行ってみることを考える。
目的もなく、勘所もなく。
素人が土日にボランティアとして行っても足手まといではないか。
具体的に誰が何を求めているのか分からないのに
闇雲な想定で物資を運んでも意味ないんじゃないか。
それ以上に、「見てみたい」というだけの興味本位で訪れたりしたら
不謹慎で非国民ではないか。
でも、割り切って、「ボランティアはしない」「手ぶらで行く」
「自分に何ができるかは東京に戻ってから考える」というのもありなのかもと。
それでもやっぱり邪魔だったり迷惑なのかな。
今週末や来週末、行こうと思えば行けるのだろうかと気になり出して
盛岡や仙台行きの長距離バスを予約するサイトを見てみたら
来週末ならば十分に空きのあることを知る。そういうものなのか。

昼、すずらん通りのお洒落な方の三幸園。五目ヤキソバのセット。
後輩のフォローがだんだん行き詰まってくる。
僕の苦手な領域へ。どうしたもんかと家に帰ってきても悶々と悩む。

夜、オフィスでセブンイレブンのカツサンドとサラダ。
銀座まで歩いて、シャンテで『英国王のスピーチ』を見る。
とてもよくできたいい映画なんだけど、
不思議と思い出すのは『ソーシャル・ネットワーク』の得体の知れない面白さ。
その後、考える。今頃気付くのもなんだけど、
『ソーシャル・ネットワーク』が面白かったのは
そこはかとない虚無を描いていたからか。
虚無が漂っていた、ではなく。
掴みどころのないものを意図的に描こうとして
すりぬけようとするその瞬間を封じ込めるというか。
でもまあ僕がアカデミーの会員だったとして、
どっちに投票するかといえば『英国王のスピーチ』だな。
コリン・ファースもジェフリー・ラッシュもよかった。
コリン・ファースは今や世界一の名優の域に達していると個人的に思う。

帰って来て、眠る。午前0時。

単館系はそうでもないけど
普通の映画館はレイトショーっぽいのあんまりやってないようで、
本当は『ザ・ファイター』が見に行きたかったのに
会社帰りだと無理っぽかった。

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4/5(火)

仕事やプライヴェートにて
昨日いくつか憂鬱に思っていた事柄がどれも片付く。
それなりに手間がかかったけど。

昼、時間がなくて庶民的な方の三幸園にて麻婆豆腐とライスの日替わり定食。
夜、ようやくカレーヌードルのビッグが店頭に並ぶようになって
お湯ではなくホットミルクで作って食べる。
このご時勢に大変な贅沢。

編集学校つながりで今週末花見の誘いが。行くことにする。
帰って来て指南シミュレーションの振り返りを提出。

『森田療法』を読み終える。

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4/6(水)

来週末、郡山の先、磐梯熱海の温泉に行こうという話になる。
風評被害で壊滅状態なのだそうだ。
僕にできることって、それぐらいなのかもしれない。
高速バスの運行状況を調べて、温泉街のサイトで宿を見繕う。
多くの宿がトップページに
「営業しています」「お待ちしております」と悲痛なメッセージを掲げている。

先日の指南シミュレーションが再指南を指示される。
いけてないなあと思いつつ提出したら案の定。
ウツウツとして日中を過ごし、夜、3つ再指南する。
シミュレーションはこの日まで。焦る。守りに入って固くなる。
終わったのは午前1時近く。ぐったりと疲れきる。

昼、PJのランチ会。一昨日に引き続き、お洒落な方の三幸園へ。
五目あんかけご飯にする。
夜、いつだったか保存食と思って買った緑のたぬきのでかいやつ。

『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』を読み始める。

フロア内引越し。
捨てられない荷物が多くてめんどくさいことになる。

「離」の友人たちと飲もうとメールを送って調整する。

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4/7(木)

ようやくコートなしで通勤。春だ。
今日の最高気温20℃。

昼、靖国通りの以前さいたま屋だったラーメン屋に入ってみる。
「初代継承 哲麺」って名前なんだけど、初代はどこにあるなんなのか。
なんか最近こういう店が多いなあ。
それってつまるところ初代に存在感で負けてるってことでしょ?
そもそものラーメンのうまさに関係なく。
味噌とんこつにする。あっさりしてて意外といける。替玉。
でも、醤油とんこつや味噌とんこつってのがやっぱいまだに違和感あって。
とんこつはとんこつで勝負したらいいじゃん、と思ってしまう。
ツイートしたら友だちから「魚介とんこつも」と同意されて、
そこまで来るともうとんこつと名乗る意味ないじゃん。意味不明。

夜、セブンイレブンのサンドイッチとスパサラダ。

昼休み、引き続き磐梯熱海の温泉宿を見てみる。
いくつか目星をつける。
これはこれで忙しく、仕事は仕事で忙しく。
半年ぶり? に21時近くまで残業。

23時半に眠ろうとして、最近の中ではとても大きな余震が。
宮城県北部で震度6弱。

福島旅行の日程調整、宿の選定を続ける。

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4/8(金)

昼、三幸園で焼きそば。
来週末の宿とバスの予約をする。

定時後、PJの後輩たちと花見へ。

午前も午後も打ち合わせ。忙しい。

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4/9(土)

朝8時過ぎに起きる。渋谷へ。
神坐にて小チャーシュー煮玉子ネギにキムチを追加。
その後タワレコへ。Radioheadのフリーペーパーをもらう。
店員の方が写真を撮らせてくださいとのことで、(ぎこちない)笑顔で応じる。
その後シアターNで
ラース・フォン・トリアー監督の最新作『アンチ・クライスト』を観る。
これは期待はずれかな。
過激な性描写、暴力描写、動物虐待描写が出てくるんだけど、
21世紀の今、取り立ててどうこういうほどでもない。
キリストや悪魔について象徴っぽいものがペタペタ出てくるのがなんか安っぽい。
トリアー監督も普通の人になってしまったように思う。

宴会のできる花見スポットを求めて
新宿御苑→明治神宮→代々木公園と移動。
六本木で松江泰治の写真集を買って、
青森のアンテナショップで酒を買おうと新富町の方の店に行ってみるが、
土曜の営業時間は15時半までだった。早すぎ…
飯田橋の方の店はiPhoneのバッテリーが切れて地図を表示できず。
交番も見つからず。また明日来ればいいかとこの日は諦めて帰ってくる。

25守師範代への当番が決まる。
今回の震災で教室数が減った中で選ばれる。
まだ漠然としたものでしかないが、責任のようなものを感じる。

青森から荷物が届く。米、焼いた鮭、さばの味噌煮の缶詰。
ご飯を炊いて鮭をおかずに食べる。

TSUTAYA DISCASから届いた『サイタマノラッパー』を観る。
なかなか面白かった。
午前0時前に眠る。

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4/10(日)

7時半に目が覚める。近くの中学校に投票に行く。生まれて初めての投票…

新宿のピカデリーにて『ザ・ファイター』を見る。
しばらく行ってない間にピカデリーは新しく生まれ変わっていた。シネコン的。
『ザ・ファイター』はなかなか面白かった。
このところ見た4本ではこれが一番いいかな。
クリスチャン・ベールの演技がやはりよかった。うますぎ。
4年半トレーニングしたというマーク・ウォルバーグもよかった。
プロデュースも手がけているんですね。
タイトル・ロールの最後に実際の兄弟が出てくるんだけど、2人にそっくり。
外見が、ではなくて、身のこなしや喋り方が。
どちらもとことんなりきったんだなあ。

飯田橋の「あおもり北彩館」にて
「豊盃」とリンゴのワイン、リンゴジュースを買って代々木公園へ。
昨日とは打って変わって大混雑。そうか、昨日は雨が降った後だったからか。
原宿駅を出て公園とは反対側、表参道の方に向かって
コンビニで缶ビールを探すが、見事に完売済み。
2軒目でかろうじて見つける。
公園の入り口の屋台でジャンボフランクと焼きそばを買って食べる。
場所取りのビニールシートが見つからず、何度もウロウロする。
今回はFacebookでやり取りしていたんだけど
Facebookなのか、iPhoneなのか、Softbankなのか、全然つながらず。
ようやく合流。いろんな人がいろんな食べ物・飲み物を持ち寄る。
調子に乗って飲んでるうちに日が暮れるか暮れないかのうちに記憶をなくし、
気がついたら布団の中で寝ていた。目が覚めて「あ、あ、あれれ?」と。
いったい何をやらかしたのか…


[3771] こんなサントラを持っている その11 2011-04-10 (Sun)

――――――――――――――――――――――――――――――
□Art Zoyd『Nosferatu』

”架空のサントラ”には2種類ある。
架空の映画の架空のサントラと、実在の映画の架空のサントラ。
(それでいくと架空の映画の実在のサントラもありえる)

後者は、無声映画に対して後の人たちが音楽をつけるとか。
これはフランスのチェンバー・ロックのグループ Art Zoyd による
F・W・ムルナウ監督の『ノスフェラトゥ』に対するもの。1989年の作品。
このグループは他に、同じくムルナウ監督の『ファウスト』も同様に制作している。

チェンバー・ロックとはその名の通り、
クラシックの室内楽的編成で奏でられるロック。
ヴァイオリンやチェロ、オーボエといった楽器がよく登場する。

吸血鬼映画らしく、暗黒な音。ただただ不気味。
それでいて劇的に展開する。大胆不敵。

――――――――――――――――――――――――――――――
□大友良英 杉本拓 Sachiko M 「孤高 A Phileppe Garrel Film imaginary soundtrack」

最近存在を知って入手。
フィリップ・ガレルの無声映画『孤高』(1974年)を上映しながら
映画館で演奏したのをライブ録音。
CDの帯には映写機とのセッションとあった。

ターンテーブルとギターとサイン・ウェーブ。
この3人なので楽曲というよりは物音。
いわゆる映画音楽的な情感溢れるメロディを期待すると肩透かし。

コンセプトとしても実際の音としてもサントラの極北。

――――――――――――――――――――――――――――――
□大友良英『山下毅雄を斬る 〜大友良英プレイズ・ミュージック・オブ山下毅雄』

大友良英つながりでもう1枚。
テレビの主題歌やCM音楽など、7000(!)を超えるとされる曲を残した山下毅雄。
「プレイガール」「時間ですよ」「鬼平犯科帳」
「ルパン三世」「ジャイアントロボ」「クイズタイムショック」・・・

『早すぎた奇才 山下毅雄の全貌』のシリーズや、
『ヤマタケ・フォーエバー』のシリーズなど、編集盤がいくつも出ている。
(前者の1アニメ編と2ドラマ編は僕も買った)

ここに取り上げるのはその山下毅雄を尊敬する大友良英によるカバー集。
菊地成孔がサックスを吹く「プレイガール」
チャーリー・コーセーが新しく歌った「ルパン3世」
遠藤賢司が熱唱する「ジャイアント・ロボ」
冒頭の3曲からして相当、濃い。
その他、山本精一や鬼怒無月など。メンツすごすぎ。

――――――――――――――――――――――――――――――
□くるり『ジョゼと虎と魚たち』

くるりが手掛けたサントラ。2003年。『THE WORLD IS MINE』のあと。
30分にも満たない小品だけど、聞き直すととてもよかった。
秀逸。「ハイウェイ」ってこんな名曲だったのか。
ダブがあったり、スティール・パンがあったりとするんだけど、基本はギター。
踊れる打ち込みを導入したり、ウィーンでオーケストラと共演したり、
いろんな音楽的変遷があったけど
くるりはやはりギターロックなんだなあと思う。

映画もよかったなあ。
当時久々に面白い日本映画を見たように感じたもんだった。
岸田繁名義で今度『まほろ駅前多田便利軒』のサントラが出るようだ。

――――――――――――――――――――――――――――――
□『The Wickerman』

1973年のカルト映画。
クリストファー・リーやリンゼイ・ケンプが出演している。
スコットランドの小さな島が舞台。
失踪した少女の捜査をすることになった警官は
排他的な島民たちとその信仰する奇妙な宗教と出会う。
クライマックスの祭りの場面とそこに出てくる巨大ウィッカーマンがすごい。
これこそカルト。これこそB級。
驚いたことに数年前、『ベティ・サイズモア』のニール・ラビュート監督が
ニコラス・ケイジ主演でリメイクした。

人気作なのだろうか??
All Cinema Online を運営する Stingray からは
2枚組のコレクターズ・エディションが発売され、
”幻の傑作”とかそんな扱いで思わず買ってしまった。
サントラも豪華ブックレット付き。
音は1973年のスコットランドだけあって、民謡っぽいフォークが主体。
実はなかなかいい。雰囲気がある。神秘的かつ、牧歌的。

「Willow's Song」は90年代初めマンチェスターの隠れた名バンド
The Mock Turtles がファースト・アルバムでカヴァーしていて、
僕はそこから初めてこの曲を知った。
アルバムの最後には「Wicker Man」という曲も収録されている。


[3770] 今年の桜 2011-04-09 (Sat)

昨晩、会社帰りにPJの後輩たちと靖国神社と千鳥ヶ縁の桜を見に行った。
神保町から歩いていく。
靖国神社は真っ暗。闇夜に巨大な鳥居が浮かび上がっているのが異様だった。
屋台は少しぐらい出てるかなと思いきや、全くなし。
本数は少ないものの、桜は見頃。なのに捨て置かれている。
ちらほらと会社帰りの人たちが見に来てるだけ。もったいない。
百歩譲って屋台はいいとして、
数本ぐらいは桜を美しくライトアップしてもよいのではないか。

千鳥ヶ縁も同様。水面へとしなだれかかる満開の桜。その連なり。
ああ、美しいものを心に刻むことすら今の日本では自粛しなくてはならないのか。
例年のような行列にはならないものの、それなりに人手があった。
細長いルートをそぞろ歩く。
明かりの全くない中でここの桜を眺めるのも今年だけか。
貴重な体験と言えなくもないが、語り継ぐほどのものでもない。

(その後神保町に戻って、「もりちゃん」で焼肉を食べて帰ってくる)

今日は渋谷のシアターNで
ラース・フォン・トリアー監督の最新作「アンチ・クライスト」を観た後、
明日の花見に備えて、新宿御苑へ。
アルコール持ち込み禁止と聞いていたけど、
入口で見かけたのはずらりと並んだ手荷物検査の列。マジで鞄を開けていた。
こりゃいかんと関係者に報告して、場所を改めようと代々木公園へ移動してみる。

代々木駅から歩いて、明治神宮へ。
どっかで代々木公園に抜けられるかなと思いきやそんなルートないんですね。
グルッと中を一周する。
都内とは思えない、静かな木々の中を歩く。車の音もしない。
前を向いても後ろを振り返っても他に誰もいない。
背の高い凛とした緑の中に包まれる。
広場にも桜の木は数えるほど。だからいいのかもしれない。
初めて知ったけど明治神宮そのものは桜の名所ではないんですね。

代々木公園へ。こちらは賑わっている。
広い園内のうち、渋谷側から入ったときの展望デッキの辺りで
桜が折り重なっていて、ビニールシートを広げてあちこちで宴会が。
出店もいくつか出ている。
ゴミ捨て場があるのはいいけど、トイレが行列になっている。
ここ、例年なら場所取りが大変なんだろうなあ…
新宿御苑に入る前に買ったワンカップ大関ハイボールをここで飲んだ。

六本木へ。先週の「アーティスト・ファイル 2011」で気になった
松江泰治の写真集を国立新美術館と青山ブックセンターで計3冊買う。

明日の花見のために津軽の地酒を買いに行く。
青森県のアンテナショップが新富町の辺りにあると知って日比谷線で東銀座へ。
しばらく歩いて見つけたものの、土曜は15時半閉店とのことだった。
この時点で16時半。
気を取り直してもう一箇所、飯田橋の「あおもり北彩館」へ。
しかし、駅に着いたところで iPhone のバッテリーが切れて
地図を表示できず。しまった。
うろ覚えの住所と地図をもとに神楽坂の通りなど右往左往するが結局見つからない…
仕方なく手ぶらで帰ってくる。
(さっき見てみたら想定とは全然違う場所だった)

飯田橋の川沿いにある「CANAL CAFE」
ここは隠れた桜の名所っぽいね。
また機会があったら来てみたいけど、1人じゃ入れないな。


[3769] 正義というもの 2011-04-08 (Fri)

1人きり何も考えることがないとき、
昔の恥ずかしかったこと、謝りたくなったことばかりを思い出して
どうしようもない気持ちになる。
今更どうすることもできない。逃げ出すにも逃げる先がない。
その当人を捜し当てて形ばかり謝ったとしても何の解決にもならないだろう。
心の中のあちこちにそういうのが積み上がっていく。
不揃いな壁になって視界を遮る。
そこに、いつもの場所に立っている限り、
近付いて打ち砕くのはとても億劫な作業だ。
なんだかんだ理由をつけて、何もしないままになってしまう。

最近思い出すのは小学校のときのこと。
5年生か6年生か。転校生の××君と仲良くなった。
特に目立つことのない、普通のやつだった。
冬のある日、放課後だったと思う。
何かをきっかけに気が大きくなって肩を組んで歩いていた。
下駄箱のところまで来ると
僕はとあるいじめられっこの長靴を隠すことを提案した。

その次の日、教室にみんなが集まっているときに先生が
「誰が○○君の長靴にいたずらしたんだ」と聞いた。
僕はすっと手を挙げて「××君が隠しました」と答える。
先生は急に怒り出して、××君のところまで行って席に立たせて、
その顔を何回も引っ叩いた。
そして「人としてしてはいけない」ことについて、説教をした。
××君はずっと泣いていた。何も言わず、ずっと泣いていた。
僕はそれを無感動な気持ちで眺める。
何かに駆られるようにして手を挙げた瞬間、ゾクゾクしたことを覚えている。

もちろん、××君と僕はその後、互いを避けるようになった。
そこから先、記憶がない。中学でどうだったのか。
どの高校に行ったのかとか、青森を出たのかどうかとか。
ただ、××君の家が開いた小さな店が僕が高校の頃にはつぶれていたこと。
急ごしらえの安普請の建物が、そのまま夜逃げするように残されていた。
汚れたガラスの向こうにくすんだ色のカーテンがかかっていた。
そっと覗き込むと手書きの大安売りの紙が貼られていて、
床には大小様々な発泡スチロールの箱が散乱していた。

今更、謝る言葉はない。何をどう言っていいかわからない。
もし何かの巡り会わせで街で見かけることになったら、物陰に隠れると思う。
そしてその場をやり過ごすことを考える。何事もなかったかのようにしたい。
卑怯? そうなのだろう。
心の中にあるのはそういうものばかり。
僕はあの瞬間から、大人になり始めた。


[3768] One Big Yes 2011-04-07 (Thu)

自分を肯定することは難しい。
他人を肯定することも難しい。

あるがままを受け入れるというだけなのに。
流れを断ち切ったり逆らったりすることのほうが
よほど大変なように思えるのに。

なのにいつだって否定してしまう。
気がつくと既に否定してしまっている。

そしてそんな自分を見つけて、さらに否定する。
そしてそんな自分の周りにいる他人を否定する。

(否定の否定は肯定にならない。
 肯定の肯定が否定にならないように)

無に憧れる。空に憧れる。
そこに逃げたくなる。
しかし、そこにはない。
もちろん、どこにもない。

自分がいて、他人がいて。
ただ、それだけ。
ただ、それだけなのに。


[3767] 抽象の話の続き 2011-04-06 (Wed)


いつだったか書いた抽象の話の続き。
その後こんなことを考えていた。

物事を捉える視点について、突き詰めるとこういう4象限が成り立つ。

  |全体|部分|
――┼――┼――┼
抽象|  |  |
――┼――┼――┼
具体|  |  |
――┼――┼――┼

この4つの領域を自由自在に行き来できるといいよなあと思う。

時々、仕事していてこの「部分+具体」の視点が強すぎて、
全体を俯瞰したり抽象的に捉えるということに慣れていない人に出会う。
タスク山積みなんです、どれだけやっても片付かないんです、という。
あるいは、前にやったことを横展開するように言われても
どうしていいかわからないとか。

倉庫の中で箱がいくつありますか? と聞かれて、
目の前に100個あったらその100個を律儀に1つ1つ数えていこうとする。
そんでもって途中で話しかけられてどこまで来たのか分からなくなってパニクる。
1歩か2歩下がって、「ああ、この前数えたときこれぐらいだと100個だったな」
でもいいわけじゃないですか。

パッと見、大事なとこだけ押さえてあとははしょる。
そんなふうに仕事してる人が世の中には多いと思う。
優先順位をつけたり、力を抜いたり。
だけど、その「大事なとこ」を見極められない。
1個1個箱を開けてみないとわからないじゃないですかっていう。
でも、100個詰まれた箱のうち、やけにくたびれた外見のは要注意とか、
そういう見極め方ってありますよね。
ルールや法則。それを人に教えてもらったり、自分で試行錯誤して見つけたり。
そこで働いているのは具体から抽象に移って、また具体へと還元するという動き。
全体と部分についても同様。
勘のいい人ってのは、頭の中でそれをやっている。

それができる人・できない人がいるのではなく、
慣れてない人や不器用な人がいるのだと思う。
訓練というかトレーニングをすると、うまくなるんじゃないか。
でも、何をどうしたらいいのかというのは僕もよく分からない。
「頭の体操」的なものかというと、たぶん、そうではない。

4象限に話を戻すと
「部分+具体」と「全体+抽象」を行き来するのは慣れていても、
残りの2つ、「部分+抽象」「全体+具体」が
なかなか難しいという人が多いんじゃないかと思われる。
僕だってそれがどういう状態なのか分かるような、分からないような。
しかし、優れた建築家や写真家ってのはこの領域にこそ力を発揮してる気がして。
いや、4象限満遍なくなんだろうけど。

今日はここまで。また続きを考える。


[3766] The Pop Group 2011-04-05 (Tue)

先日、サマソニのラインナップを見てたら The Pop Group の名前があって驚く。
再結成してたのか?
調べてみたら去年の夏にはニュースが出てた… 全然知らなかった。
ヴォーカルのマーク・スチュワートと残りのメンバーの確執によって
空中分解しただけに、再結成するとは夢にも思わなかった。

マーク・スチュワートがバックのミュージシャンを集めて
「The Pop Group」と名乗るPiL方式ではなくて
ちゃんとオリジナル・メンバーを主体とした再結成だった。よいことだ。
ギターのギャレス・セイガー、ドラムのブルース・スミス。
ベースはサイモン・アンダーウッドではなく、ダン・カトシス。
http://www.cdjournal.com/main/news/the-pop-group/32395

見たいといえばそりゃ見たいが、
今年のサマソニ 8/13(土)・8/14(日) は時期的に無理そうだなあ…

怖いもの知らずの子どもたち。
パンク、ダブ、フリージャズ、民族音楽。
自由な匂いのする音は手当たり次第に本能と反射神経でどんどん飲み込んでいく。
剥き出しで荒削り、ロック史上最もささくれ立った反逆の音。

2nd『For Much Longer Do We Tolerate Mass Murder ?』
3rd『We Are Time』
これらは今、90年代半ばに再発されたきり、入手困難なのか。プレミアがついている。
逆に僕の学生時代は 1st『Y』の方がブートレッグじゃない限り入手不能だった。
(実際、僕が買ったのはシングル数枚が一緒になったブートだった)
確か The Pop Group は(少なくとも1stだけは)著作権を放棄しているはずで、
なのに権利関係が複雑で再発がままならない。
ここのところに自由を掲げた異分子と
それを取り巻く世の中の何たるかがよく現れている。

多くの若者たちが聴くべき音なのに。
高校時代、青森市の外れにてレンタルで借りた
『For Much Longer ...』を初めて聴いたときの
とくにあの出だしの、どこにもおさまりようのない異質感。禍々しかった。
(後にバリ島のケチャをコラージュしたものだったことを知る)

その後のメンバーたちのファンカラティーナ路線の
Rip Rig & Panic や Pigbag も入手が難しい。特に前者。
数年前に DiskUnion で買ったのはブートだったのだろうか?
Maximum Joy も今店頭にあるのを買い逃したらまたしばらく入手できなくなりそう。

『Y』と『For Much Longer ...』は21世紀の今聞いても、全然古びてない。
フリーキー。それ以上に刹那的。
ジャンルを作り出すことも、取り込まれることもない。孤高のまま屹立している。
This Heat と並んで、時代を超越した音。
パンクという反転のエネルギーが最も音楽的に昇華されて、瞬間パックされている。

未発表音源を編集した『We Are Time』はピアノやブラスを削ぎ落として
ギター、ベース、ドラム、ヴォーカルの骨格だけとなったとき、
意外と正統的なロックを DNA として持っていることを伝える。
「Colour Blind」のギターソロなど、聴いてると妙に切ない気持ちになる。
そして最後の最後、「We Are Time」のライヴ・テイクが全てを吹き飛ばす。
冒頭の「Trap」はパンク史上最もファンキーで攻撃的な音。
僕はこのアルバムが一番好きだったりする。
魔術はいかにして具現化するのか。そこのところを垣間見るようである。


[3765] 3/29-4/3 2011-04-04 (Mon)

3/29(火)

指南シミュレーションの準備が始まる。
というか、3/30(水)午前0時よりスタートだったため実質的にこの日から。
シグネチャを間に合わせで作成し、お題文を用意する。

昼、「ぶん華」で五目やきそば。
夜、西友でメンチカツを買ってきて、
ご飯を炊いてレトルトのカレーを温めてその上に乗せて食べる。

東京は昨日開花宣言だというが。
井の頭公園をはじめとして都内各地で花見は自粛しろと。

午前0時半に眠る。

最近余震が減ってきたな、と思っていたら地震が。

---
3/30(水)

昼、ランチ会。前から気になっていた「串揚げ 幹 」に入ってみる。
これはなかなか雰囲気のよい店でいつか夜、来てみたい。
ランチは1,000円で、鶏の唐揚、カニクリームコロッケ、煮込みハンバーグのプレート。
なかなかおいしかった。

夜、無性にカップヌードルが食べたくなり、
かつ、都内で牛乳の入手が困難となるとカレーヌードルかシーフードヌードルを
牛乳を作りたくなる。
コンビニをいくつか回って牛乳はそれほど難しくなく手に入ったが、
カレーヌードルのビッグがどこに行ってもない。しまった感あり。
シーフードがあったのでそっちにする。
サラダも買って食べる。

指南シミュレーション1日目ということで2人分を。
1人は偶然なんだろうけど昨季の離で一緒だった方の回答だった。
終わって23時。ぐったりして、午前0時に眠る。

花見について石原都知事から時代錯誤な発言が。
都知事選挙も行なわれはするが自粛モードで全然静か。
誰が当選するのか想像つかず。知名度から言って東国原なのかねえ。
票が割れてドクター中松だったりして。
今回の震災で名を上げた大前研一も以前出馬したことがある。
今回だったら…、あったかも。
さすがに今回は羽柴誠三秀吉も出馬しないか。

中三デパートが民事再生法の適用を申請したことをニュースで知る。
恥ずかしながら盛岡での爆発事故、中三だったのを今知った。

後輩のスケジュール管理を引き続き行なっているが、なかなかうまくいかず。
悩ましい。一緒に組み立てるところから始めている。
時間をかけているのでその分遅れる。
ああしろこうしろと指図をするのは簡単だが、それだと意味がない。

午前0時前に眠る。

会社の人たちと来週、千鳥ヶ縁の桜を見に行く話をする。
しかし夜はライトアップしていないとのことで、行くなら何らかの口実をつけて昼。

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3/31(木)

2010年度終了。明日は4/1か…

午前休。8時に起きて、メールを見て、墓参りへ。

午後、ボソボソと仕事を。
帰って来て指南シミュレーションを2つ。
夜は西友で買ったカツ丼とサラダ。

午前0時に眠る。

『森田療法』を読み始める。

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4/1(金)

この日から4月。確か13年目。会社が合併。
エイプリルフールなんだけど世の中はやはり自粛気味。
気のきいた嘘は何も思いつかなかった。

昼、徳万殿にてチャーハンと餃子のセット。
春休みなのか、店員の子供が注文をとる。

昼休みに指南シミュレーションを1つ。

午後はずっと打ち合わせ。
マンツーマンで後輩のスケジュールを立てる。
少し残業する。

帰って来て、西友で買った刺身のぶつ切りと牛角のキャベツ。
疲れきって何もする気になれず。
指南シミュレーションで溜まっている回答がないのをいいことに完全にオフ。
缶ビールを飲みながら手塚治虫の『エロス 1000ページ』の下巻を読む。
その後最新号の Rockin'on のディスクレビューを読みながらぼんやりと時間を過ごす。

午前0時近くに眠る。

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4/2(土)

8時起き。
この日はがっつりと指南シミュレーション。朝から晩までかかって5つ。
10時半過ぎに外に出て、図書館へ。借りていた本を返す。
例の作業のため杉並区外から届いた本があって
3月末の締切には間に合わず、残念ながら不要となる。
取消ができず、一応カウンターで借りる。ペラペラめくって返却する。
この場を借りて、この1冊のためにあれこれ仕事をしてくださった皆さんに謝ります。
ごめんなさい。
その後丸の内線に乗って新高円寺まで行ってスタ丼。

気がついたら夜になっている。指南の出来はいいんだかだめなんだか。
スパゲティーを茹でて、ミートボールと共にトマトソース。
『国家代表!?』という韓国映画を見る。
韓国の凸凹スキージャンプチーム結成秘話。実話に近いらしい。
クズの寄せ集めがオリンピック代表へ。
映画そのものは今ひとつなんだけど、
ここぞというところで泣かせるのはさすが韓国映画うまい。

午前0時過ぎに眠る。

あれこれと紹介がつながっていって
Facebookで編集学校関係の人たちと一気に「友達」になる。

学生時代から使っていた電気スタンドがついに壊れる。

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4/3(日)

9時半起き。大江戸線で六本木へ。
『トゥルー・グリット』を観ようとTOHOシネマでチケットを買う。
六本木駅の地下に新しく(?)できたラーメン屋で食べて、国立新美術館へ。
叔父の出品している団体の公募点を見る。時間がないので、叔父のだけを見る。
その後、「アーティスト・ファイル2011―現代の作家たち」
青山ブックセンターで時間をつぶしたのち、『トゥルー・グリット』
意外と人が入っている。
コーエン兄弟って今もこの国でそんなに人気があるんだろうか。
それとも主演のマット・デイモン、ジェフ・ブリッジズの人気なのか。
この2人に引けをとらなかった14歳の新人の女の子
ヘイリー・スタインフェルドがとても素晴らしかった。
もう50年近く前、ジョン・ウェイン主演で映画化された西部劇のリメイク。
それなりに面白かったけど、最近のだと『ノー・カントリー』ほどではない。
だけどアメリカでは大ヒットしたとのこと。
コーエン兄弟のフィルモグラフィーで最高となったとか。

パンフレットが完売で入手できず、見終わったあと新宿に移動して武蔵野館で買う。
ジュンク堂で探していた本を見つける。
しかし期待していたほど面白くなさそうだったのでやめておく。
帰って来て、洗濯、クリーニング屋。
母と電話で話す。

夜、昨晩同様スパゲティーを茹でて、ミートボールと共にトマトソース。缶ビール。
ウディ・アレン監督の『マンハッタン』を観る。


[3764] 「アーティスト・ファイル2011―現代の作家たち」 2011-04-03 (Sun)

今日の昼、六本木の国立新美術館に
「アーティスト・ファイル2011―現代の作家たち」を見に行ってきた。
今年で4回目。昨年は見れなかったけど、1回目と2回目は見に行っている。
国内外の注目すべきアーティストを8組取り上げるという趣旨は変わらず。
http://www3.nact.jp/af2011/artist
http://www.nact.jp/exhibition_special/2011/af2011/index.html

今回気になった3組について。

□鬼頭健吾
ベルリン在住。1977年生まれだというから僕よりも年下だ…
大きな部屋いっぱいに広がるカラフルなスカーフのパッチワーク。
エルメスっぽいのやアラビア風の、世界中から集めたのだろう。
それが送風機からの風を受けてモコモコと膨らんで揺れ動いている。
壁は四方を鈍い色の銀紙で覆われてぼんやりとした鏡のようになっていて
パッチワークの色彩や見ている僕が滲んで映し出される。
「こんなの初めて見た」そう思わせる作品だった。

□松江泰治
写真家。2002年に木村伊兵衛写真賞を受賞している。
経歴を見たら東大の地理学科卒とあって、なるほどなあと思う。
基本は風景写真なんだけど
理知的・幾何学的なエッジと感覚的・カオス的エッジとが
静かにせめぎ合っているようで。
世界各国の都市を上空から俯瞰する。なのに全体像は見えない。
無数の線と面と色彩。部分だけが増殖しているような。
背後に海や山といったものは入れ込まない。
ただ、建物の群れとその隙間の緑だけ。
それは地図とか風景とか空間というより、都市の地理というのが適している。
人物を映したのであっても、そう。
プールで泳いでいるとか芝生を歩いているといった何気ない瞬間なんだけど
その人の個性や歴史には何の興味もなく、
かといって単なる構成要素に過ぎないというのでもなく。
人間を捉えたミクロな地理学。
個々の写真のタイトルが「OSA 13829」や「27SVQ」というように
都市コードと数値の組み合わせってのもいい。
今回最大の発見。HASYMOのジャケットも手掛けたようだ。
この人の写真集を集めてみたくなった。

出口で売られてた『In-between』のシリーズ、
ヨーロッパの25の都市を13人の写真家が撮影するというもので
初めて知ったんだけど、松江泰治はイギリスとスロヴァキア。
たくさん売られていたのでそのうち買うかと思っていたら
その後訪れた青山ブックセンターにもなし、家帰ってamazonを見てもなし。しまった。
このシリーズ、EU・ジャパンフェストの一環として制作されたようで、
他にホンマタカシがデンマークとポーランドなど。
http://www.eu-japanfest.org/program/13/japan/et_link.html

□BIRDHEAD
上海の30歳ぐらいの若者2人組のユニット。
上海の今を切り取った写真がずらっと並んでいた。
なんというかその加速感と鮮度がすごい。
何十年経っても色褪せないような不思議な生命感が宿っている。
壁一面に広がってるのも壮観だけど、
どちらかというと写真集を家でじっくり眺めたいタイプ。
出口には中国版の分厚い写真集が売られてたんだけど、高くて買えず。
日本独自の写真集も出ているようだ。
http://www.amazon.ci.jp/dp/4434145169/
ちょっと探してみたらインタビューがあった。
http://www.shift.jp.org/guide/shanghai/insider/birdhead.html

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図録は相変わらずバラ売り不可で、
8人分セットになったのを松江泰治の写真のためだけに買う。
2,000円だから「ま、いいか」と思う。

国立新美術館は節電の影響で16時閉館となっている。


[3763] こんなサントラを持っている その10 2011-04-02 (Sat)

この辺で区切ろうかと最初は思ったのですが、まだまだ行くことにしました。

――――――――――――――――――――――――――――――
□『The Best of Bond』

『007』シリーズの主題歌を集めたCDがあったらいいのに、と思っていたらあった。
『ドクター・ノオ』から『ワールド・イズ・ノット・イナフ』まで全22曲とお徳。
かつ、優れもの。その時々の旬な人を起用するので、
ほんとゴージャスなセレクションなんですね。
曲目をいくつか抜き出すと、

Carly Simon「Nobody Does It Better」(私を愛したスパイ)
Duran Duran「A View to A Kill」(美しき獲物たち)
Sheena Easton「For Your Eyes Only」(ユア・アイズ・オンリー)
Paul McCartney & Wings 「Live and Let Die」(死ぬのは奴らだ)
Rita Coolidge「All Time High」(オクトパシー)
a-ha「The Living Daylights」(リビング・デイライツ)
Nancy Sinatora「You Only Live Twice」(007は二度死ぬ)
Tina Turner「Goldeneye」(ゴールデンアイ)
Sheryl Crow「Tomorrow Never Dies」(トゥモロー・ネヴァー・ダイ)
Moby「Tomorrow Never Dies」(トゥモロー・ネヴァー・ダイ)
Garbage「The World is not Enough」(ワールド・イズ・ノット・イナフ)

書き写していたら無性に見返したくなった…

このアルバム、似たようなのでもう一世代新しいのがあって
そちらには Madonna「Die Another Day」も収録されている。さらに豪華。

今見ていたら Tina Turner「Goldeneye」って
作曲が U2 のボノとエッジとなっていた。知らなかった。

――――――――――――――――――――――――――――――
□『Zabriskie Point』

ミケランジェロ・アントニオーニ監督『砂丘』
とても好きなサントラで、昔よく聞いた。
Pink Floyd の未発表曲が3曲。
特に、最後の爆破シーンでの「Come In Number 51, Your Time Is Up」における
ロジャー・ウォータースの絶叫。Pink Floyd のなんたるかがここにある。
それだけじゃなく、ジェリー・ガルシアも2曲。
『Live/Dead』からの「DarkStar」の抜粋と、リリカルなギターソロ「Love Scene」
後者の流れる場面、名前の通り全裸の男女が砂漠のあちこちに…
ジョン・ファーヘイや、デイヴィッド・リンドレー率いる The Kaleidscope の曲も。

ミケランジェロ・アントニオーニだと『欲望』の方が
映画としてもサントラとしても有名か。
The Yardbyrdsがギターにジェフ・ベック、ジミー・ペイジの2人を擁していた
短い、奇跡的な時期を捉えている。
主人公はライブの場面に出会い、ジェフ・ベックがギターを壊す。
サントラは他にハービー・ハンコックの音も。

――――――――――――――――――――――――――――――
□Brian Eno『Music for Film』

大事な人のことを忘れていた。ブライアン・イーノ。
ロック界随一の知性派イーノは1970年代後半から1980年代にかけて
環境音楽・アンビエントへと到達する。
ロックから大事とされていた何かをざっくりと切り捨て、
そこに現代音楽の理論や神秘主義の感性を持ち込んだ。
(後者は”ニューエイジ”にパクられた)

環境、状況、情景に寄り添う音楽、音。
声高に主張しない。そこにメッセージはない。
記号の記号の記号…、を目指す。
つまり、反復し続けるうちに”意味”を失い、まっさらな純粋さだけが残された音。

この作品は特定の映像作品のために制作されたものではなく、
こういうのがつくれますけど使いませんか?
というプロモーションのためのものだった。
そんなスケッチが18個並ぶ。
(解説を読んでみたら、デレク・ジャーマンがその後使用したとのこと)

その後のイーノは自ら映像をつくる方向へと向かっていく。
その内容もまた、アンビエントだった。

イーノでサントラというと、U2のボノ・エッジと共演した
The Passengersも思い出す。

――――――――――――――――――――――――――――――
□Carlos D'Alessio / Margueritte Duras『India Song』

マルグリット・デュラス『インディア・ソング』のサントラ。
音楽はカルロス・ダレッシオ。
ミュージカル・ソーが印象的だった『デリカテッセン』なんかも彼。
1度聞いたら忘れられない、というかどこかで聞いたことありそうな、
物悲しい場末の酒場で途切れ途切れに聞こえてくるのがふさわしいテーマ曲。
元々は現代音楽の人で、ジョン・ケージの影響を受けているようだ。
これもまた、いいサントラです。
良質な、この映画にしかない「ムード」がある。

店頭で見かけてたまたま気になって買ってみてほっといたら
廃盤になっていつのまにかプレミアがついている。
今回取り上げたCDのいくつかはそういうのだけど、
逆にプレミアがついて高過ぎて入手しにくかったものもある。
これがその1つ。amazonで見ていたら時には1万超えてることもあって。
それがある日2,000円ちょいで売ってる中古があって、即買い。
そういうこともあるんですよね。相場と無関係にポンと出てくる。
こういうのを見つけて買うのが快感だから、やめられない。

――――――――――――――――――――――――――――――
□Popol Vuh 「Best of Popol Vuh」

ドイツのプログレというと
CAN / Faust / Kraftwerk / Tangerine Dream / Amon Duul / Guru Guru
といった名前が挙がりますが。
忘れちゃいけないのが、この Popol Vuh ですね。
この名前はマヤの神話から取られたんだったか。
クラシカルな音楽と電子音楽との融合するバランス、
ギターとピアノの絡み合いの美しさはこの手の音楽では随一だと思う。
しかしその分、人によっては中庸に感じるかもしれない。
映画に向いてる音。
神秘的。内面に至る道がそのまま険しい外界に反映されているような。
南米の奥地のジャングルを僕は思い浮かべる。

中心人物フロリアン・フリッケはヴェルナー・ヘルツォーク監督と学生時代の友達
(同じサッカーチームだったというのをどこかで読んだ気がする)という縁で、
その代表作の音楽をいくつか手掛ける。
『アギーレ/神の怒り』『フィツカラルド』
『ノスフェラトゥ』『コブラ・ヴェルデ』
このベストアルバムはこの4枚からのセレクションと
サントラ以外のアルバムからも何曲か収録されている。
1曲目からして『フィツカラルド』の壮大なコーラス。やられる。


[3762] 父の墓参り 2011-04-01 (Fri)

昨日、昨年度分の半休が余っていたので午前休として父の墓参りに出かけた。
昨年は大阪長期出張中かつ「離」を受講中ということもあって、
東京に出てきて初めて墓参りに行かなかった。

9時半に部屋を出て、近くのバス停に行ってみたらちょうど
西武池袋線の中村橋駅行きが通りがかかったところだった。
平日午前のバスは中も道路もガラ空き。
狭い道をのんびりと進んでいく。
鷺宮を過ぎて小さなスーパーの前に差し掛かると10時の開店の前に
お年寄りを中心に既にして長い行列ができていた。

中村橋の駅へ。「こまねこ」の自販機があった。
各駅停車に乗る。空は雲ひとつなく晴れていて日差しが車内に降り注ぐ。
駅を3つか4つ。大泉学園で下りる。
ここにはスーパーマーケット的な小型パルコがあって昔は目立っていたけど、
「ゆめりあ」ができてからは地味な存在となった。
それがいつか閉店したようで、別なスーパーになっていた。

お寺さんに着く。
父の命日が彼岸過ぎでいつもならこの時期に来ると桜が満開なのに
明日からは4月だというのに全然咲いていない。
敷地内には幼稚園があって、園児たちが外に散歩に出るところだった。
見知らぬ僕に向かって保母さんも園児たちも「こんにちは」と挨拶をする。
僕もまた「こんにちは」と挨拶を返す。

墓地に入る。他に誰もいない。
はるかかなたに青空。こじんまりとした静けさ。
墓石に桶から水をかけて、マッチで線香に火をつける。
父の兄がお彼岸でお参りに来たようで、あちこちきれいになっている。
花が枯れていたりもしない。
手を合わせる。

帰りの西武線、池袋まで行こうとしたら朝のラッシュ並みに混雑していた。
いつもこうなのか。それとも今、この時期が状況としてそうなのか。
節電のため車内の空気を切っているという。
暑かったら窓を開けてくださいとアナウンスがある。

11時半。池袋で食べていこうと「無敵家」へ。
程よく入れなそうな行列だとつい、入ってしまう。
チャーシュー麺に味玉。サービスの大盛り。

丸の内線に乗って会社に向かう。
淡路町で下りて、神保町まで歩く。
明日からは4月。
そろそろコートが要らなくなる。


[3761] 伝習座(3/26-3/28) 2011-03-31 (Thu)

3/26(土)

ISIS編集学校25守伝習座。なんかついに師範代デビューとなる。
11時に麹町に集合。8時前に目が覚めて1時間ぐらいして部屋を出る。
松屋でシチューハンバーグ定食を食べる。
丸の内線に乗る。亀山郁夫と佐藤優による新書『ロシア闇と魂の国家』を読み始める。
西新宿で下りて、麹町まで歩いていく。
西新宿の地下街が薄暗くて人通りが少ない。いつにもまして閑散として見える。
地上に出て新宿通りもまたゴーストタウン寸前のような。
午前中だといつもこうなのか、世の中が停滞しているのか。
新宿駅地下の自販機で普通にミネラルウォーターが売られている。
コンビニに入ってもわずかに売られている。
どこでもそうなのだろうかと気になって、いくつかコンビニに入ってみる。

20時まで伝習座があって、23時まで懇親会。
僕の意識が低いのか、全ての話が右から左に抜けていって、何も変わらず。
何の話をしているのかはよく分かるけど、心に全く響いてない。
懇親会の場で一人一言ずつ感想を、となるんだけど、
「特に何も言いたいことはないです」って感じになってそれでも収まらず
適当にそれを何度も繰り返したんだけど、「もういい」となり。
その場にいるのが辛かった。師範代やめたほうがいいな、と思った。
他の人たちは皆ちゃんとその日出てきた話を元にアウトプットしてて、
これって僕の当事者意識の無さなんだろうかと考える。構えがなってない。
取り繕って演じる気にもなれない。
1日のプログラムにはところどころ発表の場もあってどれも上滑り。
元々のキャラがここではそうだけど、
1日ずっと「かっこつけたおばかさん」だった。
教室名にちなんで多少派手な格好をしていたらそれも浮いてた。
離以後、編集学校に関わる何もかもが恥ずかしい。
いたたまれなくなり1人四ッ谷駅まで歩いて帰るんだけど、
駅でばったり同期の師範代と会い丸の内線で一緒に帰る。

午前1時に眠る。

伝習座では1日ずっと地震の話題ばかり。
世間話でもオフィシャルな発表でも。
仙台の方が来ることができなくてメッセージを寄せた、
郡山の方が交通機関を見つけてここまで来た、
というのを聞くと僕の口からは地震の事は何も言えず。
身の回りの出来事をちゃかして喋るだけ。

悔しくて眠れない。
自分というものに負けてしまった。

---
3/27(日)

前の日寝たのは午前1時過ぎなのに、7時半には目が覚める。
それ以上眠れそうにない。
お湯を沸かしてコーヒーを飲んで、9時を過ぎて図書館へ。
例の作業、今日で終わりにする。まず1回目の往復。

歩きながら考える。天沼陸橋を渡る。
何で心に響かなかったか。
input / output がそこにあるというとき、なぜ output が出ないのか。
例えば師範代として指南を返すというのは常に”編集”状態にないとできない。
内側にあるものと外から受け入れるものとがあって、それを組み合わせていく。
それが常に動いているようでないといけない。
で、それって指南のときだけ動かしていればいいわけではない。突然は無理。
感想を述べなさいと言われて慌てて過去に遡って作動させることなどできないように。
よほどのトレーニングをした人でもない限り、無理。
だとしたら普通の人はまず、その都度その都度
生活のあらゆる状況に応じてたえず編集する意識をもち、
ギアを入れ替えながら頭をフル回転させている必要がある。
その心構えが昨日の僕にはなかった。その”準備”ができていなかった。
状況にその身を”晒す”ということ。
まずは穴を開けておく。どこに感動するかというのは後からやってくる。
必ずどこかに引っ掛かる。
興味がないから穴を開けない、ではなく。
単純なことだけど、ようやく気付く。

戻ってきて本のチェック。
11時半頃、外に出る。
四面道にある「四麺燈」に行ってみる。いわゆる二郎インスパイア系。
二郎よりは食べやすいが、その分パンチがない。あと一ひねりか二ひねり必要。
店でかかっていたテレビで、AC以外のCMがチラホラ増えていることを知る。

本のチェックが終って返しに行く。また借りる。
これが最後。

書いてあることをただ指し示すのではなく、
教えるためのメタなルールをつくるだけではなく、
教えることの図とその背景となる地をたえず揺り動かす。
自分の中だけだとやがて硬直化するから外から積極的に受け入れる。
それは教室の中にあるのかもしれないし、他の教室や出来事なのかもしれないし、
世の中なのかもしれない。
内側というのも指南する僕自身のこともあれば教室ということもあるだろう。
枠はたえず切り替わっていく。視点や見方と共に。
虫の目・鳥の目。スピードを変えて。
(昨日の用語では「インストラクチャー」やベンヤミンの「パサージュ」)
それはただ単に inside / outside を入れ替えるだけでなく、
その隙間に夢を見るようなものでなくてはならない。

チェックが終わって返しに行く。
1冊昨日から読み始めた『ロシア闇と魂の国家』以外は全て返す。
まとめの作業があと少し残っているけど、これでだいたい終わった。
これまでの半年の作業がこれで終わった。

西友に寄って、クリーニング屋に往復して、洗濯をして。
近くの小学校が見学会を開いていたので訪れてみる。

夜、残っていたのを最終提出。これで本当に終わった。
ぐったりしてもう何もする気になれず。
久しぶりに映画を見て、ビールを飲むことにする。
スパゲティーを茹でて、ミートボールと共にトマトソースで和える。

TSUTAYAからたまたま届いた
昭和のポルノ男優のフェイク・ドキュメンタリー
『その男、エロにつき』というのを観る。なかなか面白かった。
でもさすがにこのタイトルは今、不謹慎か。
でも、これ見てたら暗い気持ちが吹っ飛んで、前向きな気持ちになれた。

続けて、『ブラック・サンデー』1970年代のサスペンス映画。
スーパーボウルに沸き返るアメリカを舞台に
イスラエルのテロ組織「黒い9月」と
モサド(イスラエル諜報特務局)の息詰まる攻防。
よくできた良質のエンターテイメントなのに、
政治的配慮により上映されなかったという。もったいない。
原作は『羊たちの沈黙』『ハンニバル』のトマス・ハリス。
午前0時を過ぎてどうにも眠くなり、中断して眠る。

ハンカチにアイロンを掛け忘れる。

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3/28(月)

月に1度の部会で本社に出社。
8時には着いて『ロシア闇と魂の国家』の続きを読む。
部会が終わって貿易センタービルのいつもの内科へ。
アレグラだけでは今回の花粉症辛くて、朝は鼻水が止まらなくて、
今年出たばかりの新製品の点鼻薬を処方してもらう。

11時過ぎ。山手線を新橋で下りて銀座まで歩いて、
「はしご」で”ぱいこうだんだんめん”を。
新しい店に変わってから2回目。
ゆでたまごはなくなったのだろうか?

そのまま歩いて東京駅へ。ふらっとOAZO丸善の松丸本舗へ。
http://www.matsumaru-hompo.jp/
今回の作業でお世話になった方が今日のブック・ショップ・エディターだった。
あれこれと話す。
僕が師範代となるにあたって読むとよいのではという本を3冊選んでもらった。
やる気が出てくる。
指南ってそういうことなんだな、と気付く。
教えるでもなく、与えるでもなく、贈るもの。

観世寿夫『心より心に伝ふる花』
http://www.amazon.co.jp/dp/4044080011/
師範代全般のカマエとして。

岩井寛『森田療法』
http://www.amazon.co.jp/dp/4061488244/
「オカムラさんは一生懸命になりすぎるから、ふっと息のつきかたを」

ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』
http://www.amazon.co.jp/dp/4105900897
今この時代に読むべき本。現実とは何か。物語とは何か。

神保町まで歩いていく。
東京の空は晴れていて、気温は高くないのに、日が差して温かい。

午後、仕事なのだがやる気がおきず。
2台目のPCにThunderbirdのインストールをして、設定をしているうちに時間が来て、
あとはずっと打ち合わせをして定時になる。

帰って来て、ハンカチにアイロンをかける。

25守のラウンジに登録される。メールが届く。
明後日には指南シミュレーションが始まる。

昨日に引き続き、スパゲティーを茹でる。
『ブラック・サンデー』の続きを見る。


[3760] 3/21-3/25 2011-03-30 (Wed)

3/21(月)

8時起き。9時前に図書館へ。この日は終日雨。
床屋が開いていたので髪を切る。地震の話になる。
図書館で予約していた本を借りて帰ってくる。
例の作業を進める。昼、シーフードヌードルを食べる。
借りてきた14冊の本をチェックし終えて返しに行く。また14冊借りる。
西友に寄る。地震の翌日だった先週の土曜と比べると食べ物が少ない。棚がガラガラ。
あれは買占め問題の起きる前で、かつ在庫がまだあったからか。
とはいえ米も牛乳も売っていて買うことができる。
1人1袋まで、1人1本までと制限はあるものの。
徳用ローストビーフが商品ラインナップからなくなっている。
このまま消えてしまうのか…

西友でショートケーキを見かけたら無性に食べたくなるが
コンビニのシュークリームで我慢する。

大家さんに家賃を払いに行って、やはり地震の話をする。
部屋は大丈夫だったか。青森は無事だったか。
クリーニング屋、洗濯。ハンカチにアイロンをかけたかったが、時間がない。
その後ずっと博多、釜山の旅日記を書く。
気がついたら23時過ぎ。
スパゲティーを茹でてたらこのソースをかけて食べて寝る。
午前0時半近く。

西友では義捐金の100円募金。
今なら先着120名様にトイレットペーパーを1ロール差し上げますとのこと。
被災地に送る寄せ書きも募集していた。

Twitterも行方不明者の拡散希望がぐっと少なくなった。
落ち着きつつあるようでいて、
疲弊感や苛立ちゆえに関わりたくないとつぶやく人もこのところ見られた。

---
3/22(火)

朝、普通に出社。引き続き、雨。寒い。
オフィスにエアコンを入れないというのにも慣れてきたが、それにしても寒い。
仕事については、お客さんの取引先の関係で
案件が中止や延期になるというのが見え始める。

昼、「天鴻餃子房」で黒豚餃子の中盛定食。
節電で空調を切ってるのか自動ドアを開けたまま。寒くてたまらない。
そこまでして節電する必要はあるのか。

夜、西友へ。弁当と惣菜が軒並み半額になっていて、ラッキーと思い買う。
店内が無茶苦茶混んでいて、何でだろうと思いつつ並んでいたら
アナウンスで連日19時閉店とのことだった。

帰ってきて弁当と惣菜を食べて、旅日記の続きを書く。
午前0時半ようやく終わって眠る。

Twitterを見ていたら「Googleが大阪に本社移転」というのを見かけて、
思わず条件反射でRTしてしまう。しかし情報源が見当たらない。
これをキーワードにリアルタイムに流れるRTを眺めていると
たった十数分でとんでもない量に拡散される。
ここまでとめどなく広まるものなのか。初めて実体験した。
30分もしないうちにデマではないか、加担してしまったというコメントが出始める。
それでいうと僕も加担したことになる。
どうもGoogle日本法人の外国人社員が大阪に疎開したというのが
大袈裟に伝わって行ったようだ。

---
3/23(水)

PJランチ会の予定だったが、打ち合わせが長引いて流れる。
何人かで三幸園に行く。初めて3階に上がる。

午後、東京都の浄水場で乳児の飲用基準を超える放射線量が検出された
というニュースが流れ、世間が騒ぎ出す。
帰りに駅を出て家に帰る途中の自販機を見てみたら
ことごとくミネラルウォーターだけが売り切れ。
スーパーに食料品がなくなるよりもぞっとする。
家の近くで1つだけ、明かりを全て消した自販機があって、そこだけ売れ残ってた。
念のため買う。1本買って、もう1本。
あるだけ買い占めたくなるが、ぐっとこらえる。
混んでる車内での空席と一緒で、お年寄りが座るだろうと遠慮していたら、
無頓着な若者が来てひょいと座ってしまうような。
そんなことになるぐらいなら自分が、という気持ち。
自分が買わなくても他の誰かが、パニックに駆られた誰かが
買い占めてしまうのではないか。
いや、子どもが生まれたばかりの母親が見つけて買う可能性だってあるはずだ。
信じたい。葛藤する。悩む。
それ以上買わずに、立ち去る。

閉店間際の西友で買った半額の弁当とサラダを食べて、夜はずっと作業。
午前0時前に眠る。

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3/24(木)

昼、「さぼうる2」でエビピラフ。
夜、例によって西友で半額の売れ残り品を漁る。寿司にする。
トロ、ホタテ、玉子。

杉並区は乳児のいる家庭に500mlのミネラルウォーター3本を無償提供するとのこと。
しかし、全ての家庭は回れなかったという。

来週末の新会社への移行に当たって
あれこれやらなければらないことが増えてきて。めんどくさい。
情報もうまく流れてこない。
ちょっとしたことで腹を立て、会社に対して呆れる。

夜、作業。
午前0時前に眠る。

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3/25(金)

今週から後輩のタスク管理をフォローしているんだけど、
なかなかうまくいかない。
「ちゃんと見てんの?」って話になる。
今まで適当に生きてきたツケがこういうところに出る。

昼、今日もさぼうる2でナポリタン。
夜、西友で3割引の惣菜のパンをいくつかと半額のサラダ。
西友は今日から19時ではなく21時閉店となり、多くの惣菜が通常の値段で。
世の中は戻りつつあるんだな、と地味に実感した。

夜、作業。3月末の提出期限が迫っていて上げられるものを上げておく。
少し時間ができて「Deerhoof vs Devil」を聞く。なかなかいい。
午前0時過ぎに眠る。


[3759] 小学校を見学する 2011-03-29 (Tue)

日曜、近くの小学校の前を通り掛かったら見学会が開催されていた。
この日の午後のみ。最初で最後。
上履きと、外履きを入れる袋をご持参くださいとあったので
1度家に戻ってスーパーの袋に上履きっぽく見える白いスニーカーを入れて小学校へ。

身近に存在する公共の建物なのに、
ある時期自分もそこで、あるいはそこに類するもので長い時間を過ごしていたのに、
大人になってしまうと入れなくなってしまうという不思議な建物。
このご時勢ならば特に。
(本当に)母校の卒業生ですって言ってもたぶん見学させてくれないでしょ?

僕はここの卒業生でもなんでもないけど、
ここ何年か昔の校舎が壊されるところから工事が完了されるまで
毎日会社の行き帰りに眺めていた。
だから妙に親近感が湧いていた。

中に入る。上履きに履き替える。
受付で名前と電話番号を書いて番号の書かれたカードを受け取り、首からぶら下げる。
目の前にあった階段で2階へ。
1年生の教室。
実物大のミニチュアのよう。こんなに小さかったっけ? 机もおもちゃ。
3月末で入学式を迎える前の教室はまだガラーンとしていて子供たちの存在感がない。
上級生が描いた「にゅうがくおめでとう」の絵文字だけが後ろの掲示板にカラフルに。

図書室があって本棚が並んでいるんだけど、唖然とするほど少ない。
僕が小学生だったときには確実にもっとあった。
これって時代の差なのか、東京と青森の差なのか。
今時の子供って本をまったく読まないからなのかな。
校歌の作詞をしてるってことで谷川俊太郎のコーナーがあった。
図書室の奥にコンピューター室。こっちのほうが立派に感じられる…

2階の一角から「アリーナ」へ。
今、体育館とか講堂って言わないんですね。
2階から見下ろすと終業式が行なわれたまま時間が止まっていて、
椅子も並べられたまま。式次第が貼られていた。
そのまま再来週には入学式が行なわれるのだろう。

2階の真ん中からテラスへ。この辺りが21世紀の東京の小学校らしく、おしゃれ。
公立の学校なのに、デザインをそれとなく重視してゆとりのある感じ。
僕の通ってた青森市の小学校は新築でも質実剛健な造りだったが…
(それまでは木造だった)

4階まで上がる。住宅街を見下ろす。
もう10何年も住んでいて、この高さから荻窪を眺めるのは初めて。
これが今回最も新鮮な出来事だった。
なんて事のない普通の住宅地が遠くまで広がっている。
池袋方面にビルが見える。鉄塔や焼却場の長くて白い煙突のようなもの。
これが「東京」なんだよなあ。

4階のデッキをグルッと回ってみる。
プールがこんなところにある。既に水がいっぱいに貼られていた。
中に入る。上級生の教室。水槽。グループ学習室。
雑然として机の上の荷物や箱が片付けられていない教室と
きちんと片付いている教室とがあるのは担任の性格の違いか。

屋上に上がってみる。
ソーラー発電パネルが据え付けられていた。利用されているのだろうか?
ここには大勢の人たちがぶらぶらと集まっていて、
「あ、どーも」なんて挨拶している。
ここを卒業したと思われるお年寄りのグループや
中高生の子供を伴った家族連れが多かったように思う。

地下の郷土資料室(古い電話機やひな飾りなど)なんてのを見てから、
外に出て帰った。
子供たちの姿はなし。大人たちが物珍しそうに眺めてる小学校。


[3758] 博多〜釜山 その8(3/20:楽天地) 2011-03-28 (Mon)

「JR博多シティ」の中は芋の子を洗うような大混雑。
エレベーターが行列でエスカレーターはもっと行列。
並んで、待って、乗って、次の階でまた並んで、待って、乗って。
館内全体が妙な熱気に溢れている。5階までの東急ハンズの人手が特にすごかった。
フロアガイドを眺めていたら9階・10階のレストラン街のうち、
10階に博多一口餃子の店「テムジン」があると知って、ああ昼はここがいいなあと。
牛歩のごとく進んでようやく辿り着いたらここがまたさらに大混雑。
どの店もウネウネと待ち行列で人垣のようになっている。
ああ、こりゃ入れんな…、と諦める。
せっかくの博多、こういうところで時間を使いたくない。
また時間をかけて下りていく。下りも上りと同じだけの時間がかかるとは。恐るべし。
8階に丸善、7階にタワレコがあるのを知って、帰りにまた寄ろうと思う。
飛行機の中と羽田からの帰り道に読む本を買わないと。

では昼はどこにするかってことで一昨日見かけた「元祖長浜屋」の向かいの「長浜将軍」にする。
地下鉄に乗って西の赤坂まで移動する。
既に14時過ぎ。飛行機は19時25分。
本当は1度空港まで行ってリュックをコインロッカーに預けるつもりが、
そんな暇ないなと1日中背負って歩く。
赤坂で下りて地上に出て、最初に見かけたコンビニでビニール傘を買って、「長浜将軍」へ。

それほど混んでなくて、すぐ入れる。
全部乗せ(?)の「将軍ラーメン」と一口餃子と生ビール。
癖がなくて食べやすい。あっさりとして、それでいてまろやかな味わい。
ここのとんこつラーメンは「元祖長浜屋」とは対極にあるね。
近くにあったら毎週食べに行くような。
「元祖長浜屋」は観光地の名物系ラーメンというか。和歌山で言ったら「井出商店」と一緒。
一度は食べてみるべきだけど、個性が強すぎる。
でも僕としては両方ありだな。
誰かとまた博多に来てラーメンを食べに行くというとき、
それが男性だったら「元祖長浜屋」にするし、女性とだったら「長浜将軍」にする。
固めの替玉にして、紅しょうがと辛子高菜を入れる。
ガイドブックを参照したら辛子高菜はここの店が発祥とのこと。
(将軍ラーメンが600円、替玉50円、一口餃子350円、生ビール500円。けっこう使った)

店を出て15時近く。さて、どうするか。
17時には後輩から聞いたもつ鍋の店「楽天地」に入りたい。あと2時間。
「JR博多シティ」か、それともショッピングモールやホテルの集合体「キャナルシティ」か。
これはこれででかいみたいだし、後者かな。大きな本屋もあるだろう。
しかし、ここ赤坂からどう向かうと一番近いのか。
バスなんだろうけど、土地勘がないとどう乗り換えていいのかが分からない。
とりあえず地下鉄に乗って東へ博多駅方面まで行って、祇園で下りて歩いてみる。
雨の中、傘を差して全身ぐっしょり濡れて15分ぐらい歩いただろうか。
「キャナルシティ」に着いたのだが…、
デパートとしてOPAが入っていて、本屋は聞いたことない店で、CDは新星堂だった。
これは違うな…、と思ってすぐにも出る。
子供向けのイベントで吹き抜けの高い空間を気球に乗って上下するというのをやってて、
大勢の家族連れが集まっていた。

博多駅に戻ろうと思うが、これ以上雨の中を歩きたくない。
バスに乗ることにする。「キャナルシティ」を出てすぐの停留所に行くと
ちょうど100円で中心部を循環するというバスが乗客を乗せている。
しかし既に満杯で乗れず。次のにする。すぐ来る。
しかし、このバスが乗っても全然動かなくて。あちこちで渋滞している。
3つ4つ進んで天神まで来たところで諦める。下りて地下街に入る。
南北に長い、黒を基調としたシックな通り。女性向けファッションの店が左右に並ぶ。
ここが雨の地上とは打って変わって人の往来が激しく、
地下鉄の駅に着いてもホームが大変なことに。朝のラッシュのよう。
博多っていつもこうなの??
一昨日には新幹線と空港が近くて便利と思ったけど、その代わりに道路が狭かったり…

博多駅まで再度地下鉄で移動して、「JR博多シティ」の丸善へ。
相変わらずエスカレーターは激混み。
丸善にてスペイン内戦かロシア革命について書かれた新書がないか探す。
ありそうでないもんなんですね。「文庫クセジュ」なら出てるけど確実に寝そう。
ようやく『ロルカ――スペインの魂』というのを見つけて、これでいいかと。
タワレコは小さくて特に見るほどのものでもなかった。

「JR博多シティ」を出て、「楽天地」の駅前店を探す。割とすぐ見つかる。
17時の開店を待って入ったのだが、既に店はいっぱい。
予約してますか? と聞かれて「いえ」と答えると最初、断られそうになる。
それをなんとか2階の座席に入れてもらう。
http://www.rakutenti.jp/

メニューはもつ鍋と、つまみというか小鉢に酢もつとキムチしかない。
これらを単品(1人前、800円)で頼むかコース(1.5人前、1,900円)で頼むか。
コースにする。不思議なことに店の人曰く1人前だと足りなくて、
1人につき1.5人前か2人前がちょうどいい量なのだとのこと。
僕以外に2階は2組の男性客がいて、みな同じことを考える。
だったら最初から2人前を1人前にすればいいのに…
それはさておき、出てきたもつ鍋は
山盛りのキャベツとニラが突き上げんばかりになっていて
さすが本場は違うなあと嬉しくなる。
生ビールを飲みながら煮えるのを待つ。少しずつ山が小さくなっていく。
店の中の有線では90年代のヒット曲。
織田裕二の「歌えなかったラブソング」だとかイエローモンキーの「JAM」だとか。
店員のお兄さんが火加減を調整して、もういいですよと言ってくれるのを待つ。
出来上がったのを食べてみる。
しょうゆ味のあっさりスープなんだけど、煮込んだ野菜ともつが溶け合って…
深い。あまりにも味わい深い。ここまで来たらそんなふうにしか言えない。
僕がこれまで東京で食べてきたもつ鍋はいったいなんだったのだろう?
この3日間、何を食べても感激してきたけど、ああ…
最後にちゃんぽんを入れる。このシメが最高。

18時に店を出て、博多駅から2駅乗って空港へ。
さっさと手荷物検査を受けてロビーで搭乗を待つ。
直前になって機体変更があったようで事前に予約していた席から変わることになった。
恐らく小さくなったのだろう。
東京行きはさすがにこの状況だとガラガラで、後ろ1/4が空席。
なのに羽田空港が混んでいるということで離陸が20分ほど遅れた。
フライトの間ずっと、『ロルカ――スペインの魂』を読んでいる。
「楽天地」のもつ鍋の余韻に浸って、ビールを飲みたいという誘惑と戦いながら。

羽田に着いて、モノレールで浜松町へ。
山手線で東京駅、丸の内線で荻窪へ。
この3日間、余震はあっても大きなものとはならず、東京は無事だった。
駅を出ると明かりが乏しかった。こんなだっただろうか?
どれだけ人が歩いていてもひっそりとしていて、街がくすんで見えた。

23時近く。部屋に帰ってくる。
特に積み上げていたCDラックや本棚が倒れたりはしていない。
念のため床に下ろしていたCDや本を元の場所に戻す。
そんなことをしているうちに眠る時間になる。
午前0時。


[3757] 博多〜釜山 その7(3/20:博多も雨) 2011-03-27 (Sun)

船の時間は10時。ギリギリ8時までは寝てられるな、と考えていたけど
6時半に目が覚めてそれっきり眠れなくなる。
外が暗い。見ると雨。かなり強く降っている。
雨が降ることなんて考えてなくて、傘がない。
風呂を沸かして入って、Twitterをチェックして、荷物をまとめて、
としているうちに7時半過ぎ。早めにチェックアウトする。
1階のカウンターで鍵を返すと何の確認もなしにオーケーと言われる。

外に出る。1駅歩いて釜山港国際ターミナルまで行くつもりが、ずぶ濡れになりそう。
地下鉄の駅まで走っていく。隣の中央駅で下りて、また雨の中を歩く。
同じように欧米系の僕ぐらいの年の男性が
雨の中をフードをかぶって小走りになって急いでいる。

辿り着いてホッと一息つく。
ちょうど博多から乗客が下りてきて入国審査を受けてゾロゾロと出てきたところだった。
1階に下関行きや対馬行きやかめりあのフェリー会社のカウンターがあって、
2階がコービーとビートルのカウンターとなっていた。
8時半から搭乗受付開始ということでしばらく待つ。
お土産屋を見て回る。慶州パンに始まり、キムチチョコレート、ヨン様チョコレートまで。
今回は一応オフィシャルには誰にも博多〜釜山行きのことを言ってないので
親にも会社にもお土産を買っていかないつもり。
自分に対しても絵葉書一枚買ってない。とにかく金は使わない。
(とは言っても結局ばれてたが…)

8時半になって手続きをして搭乗券を受け取り、
オイルサーチャージ12,500ウォンと施設使用料3,200ウォンを支払う。
あとはウォンを使うこともないと両替する。
残ってた306,000ウォンが21,540円となる。4万もってきて半分使ったことになる。
…おかしい。感覚的にはそんなにお金がかかってないように思う。
9時になって出国審査と手荷物検査を受けて、
待合室の椅子に座ってここ3日間で使った金額をノートに整理してみる。
やはり50,000ウォンほど計算が合わない。
ホテルで財布の中を整理したときに
50,000ウォン札を床に落として気付かなかったのだろうか?
だとしたらかなりショックだ。
慌てて財布やリュックの中、書類をあれこれ挟んだクリアファイルの中を探す。
そしたら初日に博多で両替したときの銀行の封筒の奥の方に
折り畳んで皺になっていた50,000ウォンがひっかかっていた。
危ない。捨てるところだった…

『カタロニア賛歌』を読み終えて手元に読むものなし。
テレビのバラエティー番組を見る。
韓国では人気のある歌手なのか、ゲストに呼ばれていろんな人の真似をしながら歌う。
待合室の裏にロッテ免税店の受け取りカウンターがあった。
聞こえてくる会話から察するに韓国人よりも日本人の方が多そうだった。
何人かクリスピー・クリーム・ドーナツの箱をお土産に買っていた。
そう言えばどこかで見かけたな。
博多にないのかと思いきや、今月頭にオープンしたばかりだった。
かつての新宿サザンテラスの1号店のように今、ものすごい行列なんだろうな。
だとしたら当面釜山で買って持ち帰ったほうがお徳ということか。
先月までは東京や大阪で買うよりも釜山で買うほうが便利だったのかもしれない。

10時前になって、ようやくビートルに乗り込む。
船長なのか、乗船口の手前で傘を差してくれている。
3人掛けの席の窓際となる。
ビートルは日本側の会社で運営しているため、乗務員はみな日本人だった。
出航する。さらば、釜山。
斜面にへばりついた街並みとドック入りした貨物船と工事中の橋桁と。
当たり前だけど、来たときに見た風景を逆に辿っていく。

船内設備のビデオが上映された後に
NHKの番組で京劇を演じていた中国人の夫婦が
日本に亡命(?)して数十年、というドキュメンタリーとなった。
うつらうつらしているうちに終わってしまう。
iPhoneで音楽を聞きながら寝てようかと思っていたところに
ビデオの上映となって『おとうと』
そういや見てなかったな、と博多までの時間をこの映画を見て過ごす。
吉永小百合がしっかりものの姉で、笑福亭鶴瓶がダメな弟。
監督が山田洋次。名作ってほどでもなかったけど、
最後のここぞとばかりに泣かせる場面ではやはりほろっと来た。

途中、イルカやクジラの生息する海域を通り抜けるということで減速航行した。
それもあって5分ほど到着が遅れる。

到着。博多もまた雨が降っている。
入国審査はあっさりとしたものだったが、税関審査で思わぬ質問。
何人か立っていた中にかわいらしい、初々しい子がいたので
ああまだ新人なのかなあと思ってそっちに並んでみたら
僕の税関申告書とパスポートを見て、
「東京からだったら、なぜ飛行機で直接釜山まで行かなかったんですか?
 なぜわざわざ博多からフェリーに乗ったんですか?」
しどろもどろになる。
いや、あの、その、マイルが溜まって福岡まで往復できることになったんで、
そしたらフェリーで釜山まで行けることが分かって…
「釜山に知り合いの方がいらっしゃるんですか?」
いえいえいえ。
どうにかこうにか解放される。
荷物になるからとシェーヴァーをもってこなくて
ヒゲボウボウだったのがよくなかったのか。

50,000ウォン札1枚を両替して、博多港ターミナルの外に出る。
ちょうどよく来たバスに乗って博多駅へ。
港を離れて呉服町、祇園。
ああこの辺歩いたなあとなんだか遠い昔のように思いながら風景を眺める。
博多駅で下りると目の前には京都駅のように大きな駅ビルが。
3月3日にオープンしたばかりの「JR HAKATA CITY」これがそうか。

駅前にずらりと募金箱を持った総勢数十人の団体が
東北関東大震災の被災者への募金を募っていた。
1人が街往く人々に大きな声でお願いの言葉を呼びかけると
最後に全員で「お願いします!!」と繰り返す。これを1人ずつ続けていく。
なんだかぞっとした僕は何も見ていない、何も聞いていないかのように
背を向けてその場を離れた。


[3756] 博多〜釜山 その6(3/19:塩ホルモン) 2011-03-26 (Sat)

さて、どこで食べるか。
昨日見かけたホルモンの店が気になる。
その一方で『地球の歩き方』も参考にしてみる。
「プピョン・ヤンゴプチャン」
この界隈でうまいホルモンを食べたいなら迷わずここ、と書かれている。
そこにしてみるかと歩いていく。
17時前。狭い通りを屋台を引いて歩くおっちゃんがいる。
狭くて、ごちゃごちゃしてて、立ち話世間話の花があちこちに咲く。
着いてみると、昨日見かけた店が正に「プピョン・ヤンゴプチャン」だった。
自分の嗅覚のよさに嬉しくなる。
客はいなかったけど開いてたようなので入ってみる。
http://www.arukikata.co.jp/city/PUS/gourmet_2.html

日本人? と聞かれて「日本人」と答えると日本語のメニューが出てくる。
メニューといってもホルモン焼きの塩とキムチ、ホルモン鍋の3つのみ。
それを大中小のサイズで選ぶ。塩の小(1〜2人前)にする。
小でも25,000ウォンとなかなか高い。ビールも頼む。3,000ウォン×2本。

店のおばちゃんに「ジシン、タイヘンダタ?」と聞かれる。
「トウキョウカラキタ、デモ、ジシン、ダイジョウブダタ」
となぜかこちらも片言の日本語で返す。

折り畳まれた白い紙を取り出して、広げると真ん中に穴が空いている。
焼肉屋のエプロンかと思いきやテーブルの上に敷いた。
テーブルの真ん中に開いた円形の焼くところがすっぽり収まるようになっている。
おばちゃんはこれでもかこれでもかとおかずを運んでくる。
ピーナッツ、セロリのような色をした大根の漬物、キャベツのサラダ、
生のにんにく、青唐辛子とにんにくの漬物、水キムチ、ケジャン…
これだけで腹いっぱいになりそう。もったいないから全部食べる。

おばちゃんが皿いっぱいにホルモンを盛って現れる。他にジャガイモとエリンギと。
これを焼いてくれる。小腸やエリンギを鋏でジョキジョキと切る。
食べ頃になると僕の方に寄せる。ニンニクと塩、油のタレに付けて食べる。
アツアツでプリプリ。なのにふわっと柔らかい。
こんなジューシーなホルモン、食べたことない。なんなんだろ? 素材の差??
とにもかくにも、いやー鶴橋で食べたホルモンよりもうまかった。
このホルモンといい、パジョンといい、昨日の辛い鍋といい、
なんで釜山はこんなに食べ物がうまいんだ?
ただ食べ歩くためだけに釜山にまた来るのはありだな、と思う。
(ただしそのときは1人じゃなくて、数人でワイワイ言いながら食べたい)

食べ終えてホテルに戻ってくる。
まだ19時になったばかり。
ほろ酔いの僕は「今日はもういいか、釜山堪能した」と思う。
ホテルの1階の「Angel-in us coffee」に入る。
おしゃれな店でボサノヴァが流れている。
都会風のカップルや女性1人の客ばかり。
僕はカフェラテ(4,600ウォン)を飲みながら
この日1日移動の合間にずっと読んでいた『カタロニア賛歌』の続きに浸る。
ジョージ・オーウェルは学生時代に『1984』を読んで感銘を受けたが、
こちらもまた心にグッと来るものがあった。
いつかどこかで書きたいけど、スペイン内戦はいろんな意味で興味深い。
ロシア革命や第一次世界大戦と並ぶ、20世紀前半の大きな転換点だったんだな。

部屋に戻ってきてもずっと読み続けて、22時頃だろうか読み終わる。
昨晩買ったバドワイザーのもう1本を飲んで、
空けると下のコンビニで焼酎を小さな瓶で買って。
1,400ウォンと安くて、水で割らずにそのまま飲める。
韓国ではこういう焼酎を「ソジュ」と言うらしい。

「世界の名峰 グレートサミッツ「マッキンリー〜極北の偉大なる山〜」」
というNHKのドキュメンタリー番組を見る。
マッキンリーの頂上でギターを奏でるのが夢だという登山家の父親と
初めてマッキンリーを登る娘の話。

NHKのニュースをぼんやりと眺める。
テレビの向こう、海の向こうの出来事。
記者会見とヘリコプターから映した上空の映像と。
韓国のニュース番組もいくつか、そんな感じ。
23時ぐらいになって、眠る。

地下鉄のホームのモニターでクーポンサイトの広告を見る。
韓国でもはやっているのか。「Coupang」という名前だった。


[3755] 博多〜釜山 その5(3/19:サムルノリ?) 2011-03-25 (Fri)

「東莱ハルメパジョン」を出て駅に戻り、1号線を北に2駅の「温泉場」へ。
この駅はその名の通り、昔からの温泉地となっている。
町のあちこちに銭湯や足湯があるようだ。
駅を出ると目の前に大きな幹線道路。それほど交通量は多くない。
ひなびた、ってほどでもないが釜山中心部から離れ、どこかうっすらと色褪せている。
それでも高層ビルがポツンとひとつ、マンションなのかホテルなのか唐突に建っている。
「ビートル街歩きマップ」に載っていた「虚心庁」という大きな温泉を探す。
http://www.jrbeetle.co.jp/plan/map_pdf/map02.pdf

温泉街っぽい雰囲気がなくもなく、
観光客向けの飲み屋みたいなのがちらほらと片寄せあっている。
景気のいい感じはあまりしない。熱海に近いのかもしれない。
「虚心庁」の建物が見つかる。
温泉というよりはホテルの別館のようで、2階が結婚式場となっている。
マップによれば1階がドイツ地ビールのビアホールとなっているのに
日本レストランに変わっていた。それだとちょっと湯上りに入る気にならず。
案内の掲示がなくてどこに温泉の受付があるのか最初分からず、まごつく。
エスカレーターに乗って3階へ、と気付くまであちこちうろうろした。

入湯料は土日ということもあって、10,000ウォン。
受付で鍵のついた手首に巻くやつをもらい、下駄箱にスニーカーをしまう。
鍵の番号のロッカーにて着替える。この辺り日本の健康ランドと仕組は全く同じ。
大浴場へ。明るく大きな円形のドームの下に、同じく大きな円形の風呂が広がっている。
やはり日本のと雰囲気は一緒。
もっと暗くて古びたこじんまりとしたのを想像していたので、あれれ? という感じ。
韓国ならではの、釜山ならではの、という要素は特に見当たらない。
ま、いいかと思って風呂の中へ。

フーッと一息つく。
あれこれ考えるべきことはあったけど、いったんは何も考えずにボーっとする。
露天風呂に入ってみて、低温のサウナと蒸気のサウナに入って。
半身浴用の風呂ってのがあって
風呂の中からベンチのような台が突き出ていて、うつ伏せになれる。これいい。
緑色の薬草の湯や塩風呂なんてのもあった。
テレビの見れる風呂に入ると、ニュース。やはり地震の話題。
「フクシマ」「マイクロ」といった言葉が聞き取れる。
東芝が全世界の1/3のフラッシュメモリを生産していると英語の字幕が入る。

アカスリがあったので生まれて初めて受けてみる。
学生のバイトのような男性が腕に粗い布をグルグルと巻いてゴリゴリとこする。
顔にタオルを当ててたのでどれだけの垢が落ちたのか分からないけど、確かに気持ちいい。
アカスリは15,000ウォンで1,000円ちょっと。
この値段だったら日本でも定期的にしてもらいたいところだが、こんな値段ないよね。
マッサージも、となると40,000ウォンだったか。急に高くなる。
お金はなくもないんだけど女性だったらね、とやめておく。

もう一度風呂に浸かって上がったときにちょうどよく寝椅子が空いたので寝転がる。
気がつくと寝ている。1時間近く眠っていた。
目が覚めたとき、なんだかとても心地よかった。

「虚心庁」を出て駅まで戻って、西面へ。地上に出てみる。
釜山ではここが一番の繁華街なのか。新宿に当たるような。駅も地上も人通りが多かった。
大きなロッテ百貨店があって、その脇が屋台がずらっと並ぶ通称「うまいもの通り」
まだ16時前でほとんどの屋台が店を開けるところだった。
早めに開けてた店のいくつかで既にして大勢の客が楽しそうに飲んだり食べたりしていた。

目当ては『Beetle Busan Book』に載っていたブデチゲ専門店だったんだけど見つからず。
(「正統ウィジョンブ・ブデチゲ」日本に帰って検索してみたら地下にあったようだ)
諦めて昨日のチャガルチで夜を食べることにする。
駅に降りていくと騒々しい音がする。
立ち止まって聞き耳を立てると太鼓の音が重なり合っているようだ。
何だろうと思って近づいて行ってみると人だかりができていて、その向こうにステージ。
5人の男女が熱く激しく打楽器を叩いてポリリズムな音楽を奏でていた。
鉦や撥で両面を叩く鼓。床の上に紫の敷物を敷いてその上に座って、民族衣装を着て。
自由自在にリズムが変化していく。次々に放たれるしなやかな剛速球というか。
「サムルノリ」ってこういうのだったか?
http://www.konest.com/data/korean_life_detail.html?no=591
編成が違ったような。グループを指すのかジャンルを指すのかよく分からず。
それはまあともかくとして、これ、思いがけずいいものを見たなあというか。
聞いてるといてもたってもいられなくなる。結局途中から最後まで見た。
(日本に帰ってさっそく「サムルノリ」のCDをオーダーした)

チャガルチの駅に着いて改札を出ると今度は若者たちのグループが
アコースティックな編成で演奏を始めるところだった。
ベースの女の子、ギターとハーモニカの青年、ギター、パーカッション。
壁には大きく、韓国のポータルサイト「Daum」の垂れ幕。
今日は音楽の日、みたいなものだったのか。
彼らこの日、カヴァーを中心に演奏。
1曲目はベースの女の子が歌う、女性シンガーソングライターの曲でどうにも思い出せず。
ヴォーカルが若者に代わって2曲目がU2「One」で3曲目がNirvana「Come As You Are」
4曲目がハーモニカで演奏するブルージーな曲。カヴァーなのかオリジナルなのか不明。
ここまで聞いたところで、地上に出る。


[3754] 博多〜釜山 その4(3/19:東莱ハルメパジョン) 2011-03-24 (Thu)

この辺りから地図があったほうがよさそう。
釜山の地図  http://map.konest.com/marea/11
地下鉄路線図 http://www.konest.com/data/subway_busan_jp.html

---
3/19(土)

8時に目を覚ます。
一晩の間に溜まった膨大な量のツイートを見たり、メールをチェックしたりして過ごす。
9時半前に部屋を出る。
この日の予定として、北東の海雲台地区、センタムシティ駅の「新世界百貨店」を訪れて、
そのあと引き返して北の東莱地区へ。「東莱ハルメパジョン」を食べて「虚心庁」の温泉。
夕方には西面地区の繁華街で食べる。

地下鉄に乗る。1号線から2号線に乗り換えるため、遠くなる。1,300ウォン。
車両に乗り込むとなぜかドア付近に3輪スクーターが置かれていて、
周りの誰のものでもなさそう。それ以前にどうやって持ち込んだのか。
空いてた席に座って、最初の間は路線図を見ながら時間を過ごす。
駅によってはなぜか車内アナウンスの前に音楽が流れる。広告だったのか。
西面の駅で下りて2号線へ。
何か演説のようなことを一席ぶったおじさんが
車両の中でパンフレットか何かを女性の乗客に配って歩く。座っていた僕のところは素通り。
しばらくした後、パンフレットを回収して回る。何かを売っていたのだと思われる。
次に現れた男性はもっと分かりやすくて、J字型のパイプを手に
つまりを直すブラシがいかに役立つかを活舌よく大声で語る。しかし誰も買わない。
この日の午後、妙に哀愁溢れる、カシオトーンのような単色の音楽を
スピーカーで流しながら物乞いをするおじいさんが
車両の中を辺りはばかるように歩いているのを見かけた。皆、目を伏せていた。
(日本でこういう物売りや物乞いが車両の中に現れないのは警察の取締りが厳しいから?)

センタムシティで下りる。「ロッテ百貨店」と「新世界百貨店」とが並んでいる。
10時オープンかと思いきや、どちらも10時半だった。
「ロッテ百貨店」の地下のフロアが開いていて、コーヒーショップなど部分的に営業している。
従業員のおばちゃんたちが一箇所に集まって上半身を伸ばす簡単な体操をしていた。
開店前、「新世界百貨店」の前で子供たちの集団が集まってはしゃいでいる。
これは日本も韓国も変わらない光景か。
10時半になって我先に突入して一斉に駆け出す。この辺りも日本と一緒か。
ずらっと並んだ店員たちが「いらっしゃいませ」(に該当すると思われる韓国語)を唱和する。

ここ「新世界百貨店」は世界一大きなショッピングセンターとして
ギネスブックにも載っているという。スケートリンクやスパランドまである。
とは言ってもブランド物だったり韓国土産だったり、
ショッピングに興味があるわけでもないのでここをじっくり見てみるつもりもない。
とりあえずエスカレーターで最上階まで行ってみる。
吹き抜けになっていて解放感がある。
欧米系のブランドの英語のロゴを見ているとここは日本かと錯覚する。
http://www.konest.com/data/shop_mise_detail.html?no=2968
http://www.shinsegae.com/japanese/dept/dept_store.asp?STORE_CD=16
http://department.shinsegae.com/index.html

最上階は高級レストラン街となっていて、縁がないねと素通り。
その奥のスカイパークという屋上へ。
こじんまりとした庭園となっていて、眺めがよかった。
海雲台地区は釜山を代表するビーチリゾート。
今もまた続々と開発中のようで、海辺に面して高層マンションが建てられている。
どの方角を見てもモダンなビルが工事の途上にあった。
韓国は地震がないのだろうか。どのビルも競うように高い。そして細い。

下の階へ。映画館のフロア、ギャラリーと新世界アカデミーのフロア。
アカデミーは要するにデパート主宰のカルチャーセンターで日本にもよくありますよね。
僕が通り掛かったときには料理教室と楽器の教室がレッスンを始めていた。
その下がブックファーストのようなモダンな佇まいの大きな本屋。
「教保文庫」というようだ。
ハングルはさっぱり分からないので外国の書籍のコーナーを覗く。日本の本はなかった。
Jose Saramago『Blindness』の隣に Ian McEwan『Atonement』が並んでいた。

奥の方にCDショップを見つけ、入ってみる。
「K-POP」のセクションがあって、韓国でも「K-POP」と呼ばれることを知る。
「J-POP」もあった。ZARDの20周年記念の写真集があったような。
「Shibuya-kei」というジャンルが大きくフィーチャーされていた。

一番下まで下りてきて、食料品のフロアを見てみる。
色とりどりの新鮮な野菜たち。水槽の中でカニやエビが動いている。
いろんな種類の朝鮮人参を豊富に売るコーナーがあったのが韓国らしかった。

「新世界百貨店」を出て地下鉄に乗り、
西面まで戻ってきて1号線に乗り換えて北へ、東莱で下りる。
駅の中の店がおでんを売っている。
特に根拠もなく寂れた落ち着いた歴史的な街を想像して外に出たら全然違ってて、
大小様々な店が鎬を削っているような小ぶりだけど派手な商店街が続いていた。
道端で野菜や果物を売っている人たちも多い。多く見かけたのは苺か。
韓国産がそうなのか、どことなく細長い形をしている。
新しく開店したスナック(かキャバクラ)のような店に花輪がたくさん届けられていた。

通りを渡って、地図を見る限りこの辺だろうと「東莱ハルメパジョン」を探す。
路地裏に迷い込み、ラブホテル・モーテル街に。
韓国映画だとキム・ギドク監督の『サマリア』のような。
何気なく若い男女がふらっと中から出てくる。そして消えていく。
一角をグルッと回って遠回りして、ようやく見つける。
ラブホテルに囲まれてるとは思えないような、なかなか高級な店構え。
http://www.pusannavi.com/food/1020/

パジョンとはニラの代わりにネギの入ったチヂミとでも言うべきか。
衣にはうるち米ともち米が使われている。
下調べをしていてビートルの町歩きマップで見かけたとき、
釜山に行ったら絶対ここで食べようと決めていた。
http://www.jrbeetle.co.jp/plan/map_pdf/map02.pdf

小サイズ(20,000ウォン)のパジョンとドンドン酒(60,000ウォン)を注文する。
ドンドン酒はまっこりのようで大きな甕に入ってきてとても飲みきれない。
5杯ぐらい飲んでそれでも半分行ったか行かないか。
レタスのキムチ風サラダ、ゴマ豆腐(?)、大根の漬物、
キャベツの漬物(あっさりしていてキムチではない)、
デザート代わりに餡の入った、餃子のような形のお餅。
そしてパジョンが運ばれてくる。
外はサクッとしていて中がしっとり、トロトロ。もちろんアツアツ。
たっぷりのネギにエビと牡蠣。
こんなうまいチヂミは初めて! 他ではもう食べられない!!
タレはキムチとしょうゆから選ぶんだけど、つけなくても素材の味だけで十分いける。
ああ、このおいしさ、ここでしか食べられないのか…
ここのパジョンを再び食べたいがために釜山にまた来たいとすら思った。


[3753] 博多〜釜山 その3(3/18:チャガルチを歩く) 2011-03-23 (Wed)

港湾施設の長い一本道を歩いていって、大通りへ。
これをまっすぐ北に進むと釜山駅に出るようだが、しかしここは車両専用。
無愛想な建物の並ぶ中、さらにもう1本先まで行ってもう1つ大通りへ。
こちらは歩道もあり、賑わっている。赤や黄色の飲食店の看板。大きな広告。
当たり前だけどどこもかしこもハングル。韓国に来た。なんだか顔が1人にやける。
ここは大きな地方都市の、郊外の国道沿いを歩いているような感じ。
バスが何台も走っている。学生たちや会社員たちが家路に着く。
おばちゃんが頭の上にお盆を乗せてその上に白い布切れを掛けて歩いている。
ちらりと覗くと、宴会用の大皿料理だった。

一駅の距離はたいしたことなくて、釜山駅前の広場に面した
今回僕が泊まる「アリランホテル」がすぐ見つかった。
1階がファミリーマートと「Angel-in us coffee」というチェーン店のコーヒーショップ。
シティ・ツアーのバスも停まっている。便利な場所だ。
カウンターでは日本語が通じた。鍵を受け取って6階の部屋へ。
値段で選んだので全然期待してなくて部屋の設備はそれなりなんだけど、
無料で使えるPCが置いてあった。インターネットにも接続できる。
これ、ピンポイントで最高。
この状況なので常時Twitterを使いたい、と思っていたところで。
しかし、キーボードはハングルでOSもハングル。
日本のサイトは日本語で読めるけど、URLを打ち込むのに苦労する。
手探りで英語とハングルを切り替えるボタンを探し、
Twitterだとこの辺がログインボタンだよなってところを押す。

お金を崩すために下のコンビニへ。
バドワイザーの500mlの缶を2本買う。3,100ウォン×2。
アサヒスーパードライも売られてて、3,700ウォン。日本のビールの方が高い。
でも日本円に換算すると日本のコンビニで買うのとそう大差ないか。
他に買ったものとしてプリングルスの小さいのが1,500ウォン、
韓国のメーカーのチョコチップクッキーが2,000ウォン。

エレベーターに乗ると掲示が英語、日本語だけではなくロシア語も。
ロシア人も韓国には大勢来るのか。

買ったのを部屋にもっていって、外に出る。
ちょっとした観光兼夜メシということで。
地下鉄に乗って南西方面に3駅先のチャガルチに行ってみる。
切符を買うと1,100ウォン。100円しない。安い。
ホームに立つとちょうどよく地下鉄が来る。
それほど混んでなくて座って行ける。
車内アナウンスは観光客の訪れる主要な駅だと英語や日本語でも流れる。

パッと見の印象として、釜山の若い女性たちはごく普通だった。等身大というか。
ソウルで感じたような得体の知れない、競争感溢れる垢抜け具合がなし。
若者の何人かは iPhone かそれに相当するスマートフォンを使っている。
おばさんたちはほんと韓国のおばさんで、
ポン・ジュノ監督『母なる証明』に誰が出ても主演に抜擢されそう。

チャガルチに着いて駅を出る。
ここは街全体が市場のよう。国際市場と富平市場。
そこに至るまでの道筋はどこも飲食店で
豚足にあわびの茶漬けにチヂミに焼肉、専門店が並んでいる。
伝統的な韓国料理だけではなく、ケンタッキーみたいなフライドチキンの店もあった。
そして通りにはおでん、天ぷら、串に刺した肉、海苔巻きなど、屋台がひしめく。
バイタリティー溢れる猥雑なエリア。
さてどこに入って食べようか?
一軒ホルモンの店で気になったところがあったけど、もうしばらく歩いてみる。
(ここは次の日の夜、訪れることになる)

北の方へ。富平市場に出る。20時を過ぎて、店はどこも仕舞い支度だった。
何種類ものキムチを売る店、唐辛子だけを売る店、
祝い事の席に出すような惣菜の盛り合わせを売る店。
大阪、鶴橋のコリアンタウンの密集した市場を訪れたときのことを思い出した。
古きよき、数十年何も変わってないかのような市場。
南に引き返し、駅の方に向かう。屋台の立ち並ぶ一角に戻って、大きな通りを東へ。
開けてきて、いつのまにか若者向けのしゃれた雰囲気になる。
大きな音で音楽を鳴らす携帯屋、ブランド物の服、ABC-MARTなど。
ここは原宿と巣鴨が隣り合っているかのよう。
しかし、一歩通りの中に入るとバッタもんのヴィトンの財布が売られている屋台。

夜は結局、『Beetle Busan Book』に載っていた「ゲミジブ」へ。海鮮料理の店。
http://www.pusannavi.com/food/1019/
「ナンサッチポクム」というタコのぶつ切りを浅い鍋で辛く煮た鍋料理が有名。
他にも日本人観光客が何組か来ていて、「タコナベ」と呼びながら食べていた。
僕もそれを食べるつもりが
メニューを見ていたらホルモンの鍋があってそっちにしてしまった。
それはそれでうまかったけど。
各部のホルモン、ニラ、ネギ、にんじん、春雨…、煮えたらコチジャンを溶かす。
店員に勧められてチヂミも食べた。
他のテーブルの人たちは鍋の余りでチャーハンを作って食べていて
それが何よりもうまそうだったけど、大皿のチヂミでもうそれ以上腹に入らず。
瓶ビール(「MAX」だったか)が3,000円ウォンでチヂミが10,000ウォン、鍋が9,000ウォン。

地下鉄に乗って帰って来て、風呂を沸かして入って、
バドワイザーを飲みながら NHK のニュースを見たり
『カタロニア賛歌』を読んでるうちに眠ってしまう。


[3752] 博多〜釜山 その2(3/18:高速フェリーに乗る) 2011-03-22 (Tue)

歩き続けるうちに天神に出る。apple store があった。
さらに歩くと大丸と三越。向こうにキャナルシティの巨大でカラフルな建物が見える。
さらにさらに東へ。橋を渡り、この辺りが中州なのだろうか。
夜の中州の屋台を見てないからなんとも言えないけど、
博多は隙間の多いこじんまりとした都市に思えた。
ルースターズやアンジーに代表されるようなこゆくて熱い”めんたいロック”が生まれた土地、
かつ大阪よりもアジア圏に近いってことで
グツグツ煮えてる闇鍋のようなイメージを抱いていたんだけど、
平日の昼間だとさすがにそんな片鱗はなく。
どうなんだろうな。今回のショートステイでは上っ面をサラッと掠めただけ。
いつか真夏の夜の屋台にどっぷり浸かってみたい。

新地という飲み屋街を通り抜ける。
この手の名前で寂れかけた場末の飲み屋街ってどこの都市にもあるんだな、と思う。
祇園に出る。ここでまた大通りに交差して今度は北に向かって歩く。
呉服町というところに出て、どうもここがビジネスの中心街か?
港に近づいてふと見上げると道路の中央分離帯に背の高い椰子の木が生えている。

コンビニに入る。弁当が売り切れていて驚く。
時計を見ると12時半近く。昼メシ時だからだよな…?

さらに歩いて博多港国際ターミナルをようやく見つける。13時頃か。
(その隣にマリンメッセ福岡って大きな展示会場があって、「全国陶器展」ってのが開催されていた)
飛行機のように搭乗手続きが必要で、フェリー会社のカウンターがいくつかある。
受付開始は13時半からとのことでしばらく待つ。
その間、「フレンドリー・ガイド」ってのを申し込んでみる。
釜山の大学生によるガイド。穴場を案内してくれる。
8時間で5万ウォン(4,000円弱)だからとても安い。明日案内してもらうつもりでいた。
http://www.jrbeetle.co.jp/plan/friendly_guide_text.html
しかし、残念なことにガイドの空きがなくてNGとなる。
前の日だったから急すぎたか。
でも今回土壇場で行けなくなる可能性が高かったから事前に申し込むのもためらわれ。

13時半に搭乗手続き、パスポートを見せて座席指定をして、オイルサーチャージ800円を支払う。
券売機で港の利用料500円のチケットを買う。
カウンターで受け取った入国審査と税関審査の用紙に記載する。
その後14時まで待って、出国審査。
周りを見回してみると、会話を聞いてみると、韓国に戻る人の方が多そうだった。
ビートルの作成したガイドブック『Beetle Busan Book』をもらう。
http://www.jrbeetle.co.jp/magazine/index.html
これがコンパクトな割にはなかなか優れもので、
『滞在中は地球の歩き方』ではなくこちらを主に参照していた。

免税店があるけど、例によって興味がない。
しかし、売られていた缶ビール、スーパードライの500mlが200円。
余りの安さにフラフラっと買ってしまって下の待合ロビーで飲み始める。
大きなモニターではNHKではなく民放が映されていた。
今回の震災後初めて、民放を見た。
被災地の状況ですって避難所の前でずっとリポーターの顔が映し出されて喋ってる。
これを映像で見る必要性ってあるのだろうか?
そして中継がひと段落するとCMってことになって最近話題のACの素材が。
あーこれが「ポポポポ〜ン」か…(しかも、珍しい?1分のフルver.を見た)
趣旨はわかる。挨拶は大切です。みんなで挨拶しましょう。
でもこれが1日中繰り返されていたら、神経を逆撫ですることになりそう。気が狂いそう。
僕だったら怒るな…
いや、僕のような人間が民放を見てなくてよかった。
Twitterでよく震災後の民放の放送は不快なものが多く、局ごとの違いもないから
今この時期は不要だという意見が多かったので、僕もけしからんのだろうと思っていた。
だからTwitterに「初めて民放を見た。ラジオと動画配信だけでよい」と書いた。
だけど、(年配の方はテレビだけが情報原とならざるをえないことも多いですよという指摘も受け)
後になってから思うに、そのときの自分はかなり近視眼的だったような。
地震があってからの1週間、自分はどんどん視野が狭くなっていった。
Twitterもテレビもメディアとしてはどれもひとつの手段に過ぎないのに、
非常事態なのをいいことに、個人の主観というか好き嫌いだけで
短絡的な判断をしてしまうようにいつのまにかなっていた。
民放を見たくないなら、自分がそのとき見なければいいだけのこと。
受け入れること、想像すること、人として大事なこの2つが僕から失われつつあった。

そのテレビの向こうで14時46分、黙祷がなされた。

15時になってフェリーに乗り込む。
「ビートル」ではなくて「コビー」だった。
前者はJR九州が、後者は韓国の会社が運営している。
なので乗務員も皆韓国人だった。ここから既にして韓国が始まっている。
2階の1人掛けの席。出航する。
船内のアナウンスによるとこの高速フェリーは飛行機のエンジンを使用しているとのこと。
窓の外を眺めているとずっと湾の中にいるようでいて、遠くに陸地が見えたり消えたり。
iPhoneの電波が通じていたので地図を表示させてみると壱岐。
そしてああ、ここが玄界灘なのか、と知る。
陸地が見えなくなると缶ビールを飲みつつ『カタロニア賛歌』を読んで過ごす。

僕の予想と違っていたのは
このビートル/コビーはデッキがあって外に出られるということはなく、
席に座っているしかないということだった。その分小さくて高速になるわけか。
残念ながら旅の気分は今ひとつ。移動手段としての利用に軸足を置いている。
もう1つ就航している路線、ニューかめりあは「海の上のホテル」を謳うだけあって
大きくて、展望デッキやレストランに始まり、風呂やカラオケまである。
可能なら、行きはかめりあで帰りはビートルというのがよいのではないか。

18時。うたた寝しているうちにあっさりと釜山に着いてしまう。
山の斜面にへばりついた町のようだ。
巨大な橋が建設中で、橋桁だけが海から突き出ていた。
ヨーロッパからの貨物船がいくつかドック入りしている。
超高層ビルがいきなりニョキニョキと生えている。

船を下りて、目の前に大きな下関からの客船が停まっている。
入国手続き、税関。何事もなく通り抜けてターミナルを出る。
目の前にバスが停まっている。釜山駅までのシャトルバス。
1,000ウォンなので日本円だと100円もしない。
ホテルは釜山駅のすぐ近く。
乗ってもよかったんだけど、時間もあるし、1駅だしと歩き出す。


[3751] 博多〜釜山 その1(3/18:初めての博多) 2011-03-21 (Mon)

3/18(金)

4時起き。
前の晩は予告されていた大規模停電も結局回避されて、特に混乱は起きてないようだ。
丸の内線も東京モノレールも動いている。
M65のジャケットを羽織ってリュックを背負って部屋の外に出る。
外はまだ暗い。街に人気はない。節電でいつもより明かりが減っている。
サイレンが聞こえる。
サイレンが聞こえると、例えそれが何であろうとゾッとする。寒々しい気分になる。

丸の内線の始発に乗る。
さすがにこの時間帯はガラガラ。5時過ぎ、予定通りに駅を出る。
スペイン内戦に興味があって、ジョージ・オーウェル『カタロニア賛歌』を読み始める。

東京駅で乗り換えて浜松町へ。
余りの寒さにホームで缶のコーンポタージュを買って飲む。
食糧の買占めだとか言ってるけど、
ほんとにやばいのは自販機に缶コーヒーがなくなってからだ。そういうことを考える。

浜松町で東京モノレールに乗り越える。夜明け。天王洲アイルに向けて走り出す。
ここまで来れてホッとする。
月曜や火曜の時点ではいつ復旧するのか全然見通しが立っていなかった。
不安定な状態の日々がしばらく続くのではないか。そう思っていた。
大井競馬場の駅から厩舎が見える。
赤い肩掛けのようなものを被った馬が何頭か飼育係に率いられてどこかに消えていく。
整備場とかそういう途中の駅で下りる人がいる。朝早くから仕事なのだろう。

6時半には羽田に到着する。大勢の人がいた。
殺気だった雰囲気はなく、いつも通りの空港。
しかしこの何割かは「疎開」の人たちなのだろう。家族連れが目につく。
両替をしようとしたが、見当たらない。成田と違って国内線が多いからか。
そう言えばモノレールは国際線ターミナルの駅が増えていた。
フライトは8時過ぎで時間を持て余すが、特に見たいものはなく。
手荷物検査場へ。タッチ&ゴーってことでiPhoneにJALからのメールを呼び出して、
2次元バーコードを読み込ませる。
座席番号を印字した紙が登場案内の控えがプリントアウトされる。

出発ロビーでNHKの震災に関するニュースを見て過ごす。
被災地の首長は皆、地味な色のジャンパーを着ている。
活動しやすいってのもあるけど、
それ以外の格好をしていると不謹慎に思われてしまうのだろう。
あとは原発の話題。
何号機に対して何を行なっているのか、何が起きているのか、追えなくなってきた。
1号機2号機の配電設備に電気を通せるようになって、そうなると制御が可能となり…

飛行機の中へ。定刻通りに離陸する。
大半を眠って過ごす。飲み物としてコンソメスープをもらう。
JALのコンソメスープは市販されているだけあって、とてもうまい。
福岡に近づく。入り組んだ地形。高速道路。海辺に面して発展した都市。
あれは福岡ドームだろうか。

下りて出口を出て、見かけた銀行で両替をする。
3万8,000円が50万ウォンとなる。
昨今の円高で少しは得になってるのか。
空港内のコンビニで使い捨ての携帯充電器を買おうとしたら売り切れ。
東京以北から来た人たちが思わず買ってしまうのかもしれない。

地下鉄に乗って、赤坂まで行ってみる。
福岡出身の先輩におすすめのラーメン屋を聞いたら教えてもらった「元祖長浜屋」へ。
始発の駅。座って行ける。2駅でJRの博多駅。
新幹線の駅と空港が市の中心部からすぐ近くってものすごい都市計画だな。感心した。
中州、天神の駅を過ぎて赤坂へ。11時近くになっている。
地上に出て長浜方面へと向かう。ラーメン屋を探す。
初めて、福岡の地を歩く。
適当に入ったコンビニで携帯の充電器を念のため買う。
飛行機の中で電源を入れっぱなしにしていたら切れかけていた。

駅からそう遠くもなく、10分ほど歩いて「元祖長浜屋」が見つかる。
別な後輩から聞いた「長浜将軍」と向かい合わせ。
どうもこの2つが長浜ラーメンというか博多ラーメンの両巨頭のようだ。
この界隈、ラーメン屋がいくつか固まっていて、奥の方には屋台村のような店があった。
外の券売機でラーメン、替玉、替肉の食券を買って「元祖長浜屋」に入る。
ガイドブックに「入店で注文完了」と書かれていた通り、
「追加一杯」と厨房に声が掛けられ、僕の分の面が茹でられ、ラーメンが出てくる。
ラーメン以外のメニューは酒とビールがあっただけか。
食べてみる。ここ、賛否両論で地元の人も嫌いな人が多いようだ。
豚の臭みが強い。女性には不向きな味のような。
しかし僕としてはとても好きな味で、思いのほかスープがあっさりしている。
東京の”研究してる”とんこつラーメン屋が束になっても敵わないぐらいうまい。
替玉と替肉。替玉発祥の店がこことのことで、チャーシューも追加できた。
2杯目は紅しょうがを入れて食べる。あと、テーブルの上のゴマ。
具はきくらげや玉子、辛子高菜、メンマといった定番がなく、ネギとチャーシューだけ。
シンプルで潔いのもよい。
あとはヤンキー上がりって風情の店員に雑な態度がなければ…

店を出て赤坂の駅へ。さて、どうしたもんか。
船は15時15分で多少時間が開く。博多港国際ターミナルまで歩いていくか。
ちょうどいい地下鉄の駅が最寄になく、
バスになるんだけど土地勘がないからどう乗り継ぐのか分からず。
せっかくだから遠回りして天神の中心部を歩いてみようと思う。

赤坂の駅を超えて反対側へ。
警固というところに出て大通りを東へ。
この一帯はおしゃれな店が多く、あとでガイドブックを見てみたらそういう位置づけだった。
セレクトショップやカフェが並ぶ。


[3750] 3/7-3/10 2011-03-20 (Sun)

3/7(月)

仕事も山積み、例の作業も今週が山場。
しかも昼休みには教室のチラシも作らなくてはならない。
首が回らず。仕事やらないとまずいのに(しかも障害発生中)、
しれーっと定時で返って図書館へ。
ずっと作業して午前0時前に眠る。

昼、引き続きナンのうまいインドカレーの店を探すってことで
「ガネーシャ・ガル」の近くの「ガネーシャ」へ。
この辺り、似たような店ばかり。
チキンカレーと日替わりのシーフードカレーをペアで。
ここはナン・ライスおかわり自由だけど、腹のことを考えてやめておく。

夜、大家さんからもらったうどんが一袋余っていたので
カット野菜と豚コマを買ってきて焼きうどん。
辛くないラー油で味付けしたらうまかった。
しかしビールが飲みたくなる。我慢する。

朝から雨、9時過ぎから雪。大雪。
練馬ナンバーの車の屋根に分厚く雪が積もっていた。

---
3/8(火)

最高潮に忙しい。
しかし、定時で帰らないと副業が間に合わない。両方やばい。
今、思いっきり板ばさみ。

昼休みにチラシを作ってて、
午後イチの打ち合わせが終わったらメシにしようと時間をずらしたら
それが15時まで終わらず、15時からは別の打ち合わせ。
昼を食べたのは結局16時半。
キッチン南海も味噌やも行きたかったところはどこも準備中。
三幸園で昼の定食の麻婆豆腐にする。
時間が時間なので夜食べないつもりが、腹が減って我慢する。

夜、図書館に行って作業。
午前0時半に眠る。

---
3/9(水)

割と大型の来月頭サービスインの案件が立ち上がり、
来月にも同じぐらいの規模のが2つ。
打ち合わせをしているうちに、そのメモを書いているうちに1日が終わる。
疲れている。

昼、ランチ会で先日の「ガネーシャ・ガル」へ。
キーマカレーと日替わりの豆のカレーがうまかった。
夜、図書館。セブンイレブンのサンドイッチとサラダ。
ずっと作業。進んでるような進んでないような。
そうだ、と道が開けた瞬間があったが、それはごく一部分だけ。
終わりが見えたわけではない。
午前0時頃眠る。

昼前、東北地方で地震。青森は震度1だったか。

---
3/10(木)

午前中、行きがかり上、動作確認のテストを行う。
午後、マスタスケジュールを書く。

昼、「天鴻餃子房」で野菜タンメンを食べるつもりが
いつものよしもとの前のが準備中のままになっていて交差点を渡り、小川町の方へ。
よしもとの方にはないネギ味噌餃子ってのがあって、それにする。うまかった。
夕方、腹が減って裏の小諸そばで新作のキスとアスパラガスの蕎麦。

夜は図書館と作業。
午前0時前に眠る。

アレグラが全然効かなくてマスクしてるのに
会社の行き帰りに地下鉄の中で鼻水が止まらない。


[3749] 抽象というもの 2011-03-19 (Sat)

先月ベルリンに行ったとき、歩きながら、あれこれのものを見ながら、
「抽象とは何か?」ということを考えていた。

1月末ぐらいにイスラム教の聖地メッカとメディナの写真集をたまたま眺めていたら、
カアバ神殿とは実際には空洞になった石組みの直方体であることを知る。
その中に偶像や宝物があるのではない。
これを礼拝の日には何十万もの人たちが集まって、取り囲んで、
反時計回りに回るという。
究極の抽象。

ベルリンではホロコースト記念碑が同じように、
様々な高さの直方体を広場いっぱいに敷き詰めたものだった。
文字や彫像が彫られたり、写真が飾られたりということは一切ない。
普通、犠牲者をなんらか象った記念碑を作ったりするものだが。
しかしこの方がはるかに、歴史の重みや出来事の恐ろしさが伝わってきた。

あるいは、バウハウス資料館。
何が芸術で、何が生活用品なのか。
その違いは、その境目は、どこから生まれるのか。

それまでの僕は、抽象とは単純化だと思っていた。
違う。それは抽象の”現れ方”の一つでしかない。
抽象が何であるのかということを話すよりも、
なぜ抽象が必要なのかということを話した方がいいだろう。
それはごく簡単なことで、
そこに「意味」を込めるための枠組みや器を用意するということなのだ。
そしてそこにどれだけの意味(強さや多様性)を込められるか、
がそのまま抽象の度合いの高まりとなる。
リアルなものはどこまで行ってもリアルなものであって、
そこに例えばあなたの解釈や感想を与えるならば、
そこにはなんらか抽象化が働いたということになる。

ならば必然的に、抽象化のツールの最たるものは言葉、言語ということになる。
文章とはそこに意味を、その時々の意味を生み出すための言葉の連なりでしかない。
そしてその意味を特定の方向に誘導させるのか、受け手に委ねるのか、
そこのところをあれこれ強弱つけているに過ぎない。
言葉が記号であるというのは、そういうことなのだ。
小説を読んだり書いたりするということも、
突き詰めるとそういう抽象の操作ということになる。
レンズやフィルターの切り替えがそのまま、小説の技法となる。

「分かる」ということも、その前段に抽象の段階が働く必要がある。
対象を捉える、感覚器官が受容するということの次に。
それを何かしら並べたり結びつけたりするというのは
(言語による対象の完全な置き換えという以外に)
それらを可能とする糊代としての抽象化が働くのだ。

そのことに気付いたとき、抽象とはとても恐ろしいものに感じられた。
ぞっとした。

例えば2つの四角形がそこに並んでいて、それが全く同じ大きさだったとき、
そこに人は何を見出すか。
あなたは何を思い浮かべるか。
10年前のあなただったならば、10年後のあなただったならばどうか。
片方が大きくて片方が小さかったらどうか。
片方にだけ色がついていたらどうか。
それが黒や白やだったら。赤だったら。
一部分が重なり合っていたら、どちらかが完全に内側に入っていたら。
たったそれだけのことが多様な、もしかしたら無限の意味を生み出す。

それらの意味は浮かび上がっては消えていく。うつろっていく。
それはもしかしたら周りの人に、後世の人に、伝えたいものかもしれない。
そのとき初めて働くのが、「具体」化ないしは具現化ということになる。

そこまで考えて、本源的な「無」は抽象なのか具体なのか。
だったら「有」は何なのか。
インド哲学で言うところの「空」とは何なのか。
行き詰まって、それ以上考えることが怖くなった。

というか、今の僕が考えてはいけないと思った。
日々を生きるということが、とてつもないことになってくる。

何かが見えそうで、見えない。


[3748] 7日目:3/17(木) 2011-03-18 (Fri)

昼見たらYahoo!ニュースのトピックスに
「朝ドラ「てっぱん」19日再開」とあった。
テレビ欄を見たら「3年B組金八先生」の再放送とか
「欽ちゃんの仮装大賞」の名場面集とか。
そうか。僕は普段テレビをつけてもNHKしか見ないんで
もうこの1週間ずっと報道特番しかやってないと思ってたんだけど、
そうでもなくなってきたんだな。

行方不明の家族や友人を探すための拡散は昨日から減ってきたように思う。
その分、「電力会社の社員を装ってレイプ」とかみもふたもないデマが増えた。

昨日から寒くなって、被災地では大雪。
避難所で亡くなるお年寄りの方も増えてきた。
インフルエンザが流行っているというニュースも見た。
被災地では依然として厳しい状況が続く。
食料もガソリンも医療品も全然届かない。

都心に限っては峠を越えたかもしれない。
普通の人は普通に落ち着いて日々を過ごしているのに
一部の心ない人たちの行動や不安に駆られた人たちの行動が
世間一般の流れのように思われている。
そんなふうに感じる。

東京もまた寒くて、節電のオフィスはスーツでは寒くて
1日中コートを着て仕事をした。
昼間照明をつけないのも慣れてきた。

この寒さで今日の夕方は電力の需要が増して、停電の恐れがあるという。

昨晩ようやく旅行会社から旅程表もろもろのPDFファイルが届く。
もう後戻りきかない。出発は明日の朝早朝。
非国民的だな、と自分でも思う。
でも今は意味合いがここ数日で変わってきて、
東京を離れることではなくて、その分を募金に回すべきではないかという意味で。
身の回りの人のツイートも、思い切って大きな額を募金したとか。
(東京を含め)地域経済が立ち行かなくなるのもなんだから自粛せず、
これまで通りお金を使えばいいじゃんとここ数日思ってきたけど、
それはそれで自分に都合のいい解釈をしているだけなのかもしれない。

「自分は正しい」という思いは
そのままほっとくと少しずつ歪むようになっている。
悲しいことだけど、世の中というより
人間という生き物がそういうものなのだと思う。
だから身の回りの人と、あるいは遠くの人と、
リアルに話すということが大事になってくる。

---
ここまでが昼に書いたもので、ここからが夜。

「予測不能の大規模停電の恐れ」ということで
海江田経済産業相から節電のコメントが。
会社からも大事な要件の無い人は早めに帰りましょうと連絡が。
他のメンバーがリリース作業で忙しくしているのを横目にこっそりオフィスを出る。
16時半にオフィスを出たか。東京駅では普通に丸の内線に乗れた。
新宿の辺りで激混み。しかし、特に遅れはなく、荻窪まで戻ってくる。
今夜もまた帰宅難民が発生するか…
計画停電も拡大するとのこと。
もう落ち着いてきたんじゃないかとタカをくくると、何かが起きる。

こんなときに考えるのは明日の朝羽田まで行けるか。
羽田から飛行機が飛ぶか。
どこまで自分は利己的なのか。

母に電話する。留守電に折り返す以外に、自分から掛けたのって何年ぶりか。
特に困ったことなく生活できているようだ。灯油も食べ物も。よかった。
電話の向こうでラジオの話し声がした。

夕方からTwitterの調子がよくない。
負荷がかかりすぎているのか。
Twitterが使えなくなってしまうなんて、考えもしなかった。

明日の旅行の準備をして、さっさと眠ってしまおうと思う。

会社の災害対策本部のTwitterアカウントが作成されていた。

足元のセラミックファンヒーターだけにする。
寒さで手がかじかむ。

みずほ銀行の全ATMがストップするが、今回の震災とは関係がないとのこと。

大規模停電が回避される。

21時半に布団に入る。とても冷たい。
ウツラウツラしている間に余震が。とても大きい。


[3747] 6日目:3/16(水) 2011-03-17 (Thu)

昨日の夜は静岡東部の地震もあって不安になったが、
東海地震とは関係ないようだし一夜明けて楽観的な気持ちになる。
放射能の騒ぎもひと段落したように思う。
(今日になってもまだ都内で騒いでいる人は不安と混乱が先に来ているだけのような。
 ちなみに、Twitterでホリエモンに対して「逃げないのか?」「なぜ余裕なのか?」
 みたいな質問が多く寄せられてて、それに対してホリエモンが都度
 逃げる必要はない、その根拠はないと返しているんだけど
「それって東電の株を持ってるからだろ」なんて言う人もいるようで。恥ずかしい)

余震が続く、計画停電ところどころあり、買占め問題。
それ以外は都心もだいぶ落ち着いてきたんじゃないかと。
電車の本数もだいぶ戻ってきた。
最初の5日間を過ぎて、本当に事態が落ち着いただけではなく
慣れや麻痺のようなものが生まれてきたのではないかと思う。
日常ってやつはとてつもない力を持っていて、絶えず僕らを引き戻そうとする。
以前に戻るか、それが日常となるか。
そのどちらかの間に今僕らはいる。

福島第一原発では以前火災が続いている。
今日一番よかったニュースは仙台港が使えるようになって
物資が運べるようになったことか。
個人的にはシンディ・ローパーが明日から3日間、
予定通りに東京でコンサートを行うと発表したこと。見たい。
先日話題になったYouTubeの映像、
トラブルの起きた空港に居合わせたとき、場を落ち着かせるために
「Girls Just Wanna Have Fun」を歌いだしたときのはよかったな。

この日は出社をずらすことにして朝、図書館へ行く。
借りた本をコインロッカーに預けて出社する。
昼はPJメンバーとランチ会。
行こうと思っていた店は営業してなくて貼紙がなされていた。
この日はこのシーズンで最も花粉が飛んでいるようで、鼻水が止まらない。

帰りの地下鉄はそれほど混んでいなかった。
夜、昨日と同じ時間頃にまた地震が。
というか、このところ毎日この時間に地震が起きているように思う。気のせいか。

小川未明『赤い蝋燭と人魚』を何も知らず、たまたま読んでゾッとする。
底知れぬ怖さを感じた。
「人間は、この世界の中で一番やさしいものだと聞いている。
 そして可哀想な者や頼りない者は、決していじめたり、
 苦しめたりすることはないものと聞いている」
「幾年も経たずして、その下の町は亡びて、亡くなってしまいました」
薄幸の人魚の娘は、今、この状況下においてあらゆる物事のメタファーとなりえる。


[3746] 5日目:3/15(火) 2011-03-16 (Wed)

実は今週金曜から羽田から飛行機に乗って博多へ、
そして釜山へとフェリーで行くつもりでいた。2泊3日。
旅行会社には申し込んであって、お金も払っていた。
そろそろ旅行の案内が届くだろうか、と思っていた頃に先週末の地震。
音沙汰がない。メールで問い合わせしたら
月曜のうちに送りますとのことだったが、やはり届かなかった。
電話で話して平謝りされる。
どうもやはり今回の地震の影響でてんてこ舞いのようだ。
東北・関東へと向かう国内ツアーが軒並みキャンセルされる。
例えばディズニーランドとか。

ここまで来たら開き直ってキャンセルせず行ってしまおうかと考える。
3連休東京にいたら、そして1人きりTwitterを見て過ごしていたら、
息が詰まって気が滅入りそうだ。
それに、少しでも機会があるなら東京は離れたほうがよいかもしれない。
実際問題として。地震と、放射能と。
見捨てて逃げ出すのか、と問われたら、そうとしか言いようがない。
いや、いい。なるようにしかならない。

そんなふうに思っていたら夜、部屋にいたら大きく揺れる。
P波とS波というんだったか。
どっちがどっちだったか忘れたけど、縦揺れのあとで横揺れが追いついた。
(というか、何をもって縦なのか横なのかよく分からず)
静岡東部で震度6強。
ジワジワと東京が追い詰められているようだ。
いつ来てもおかしくない。それを東京で迎えるか、離れるか。
どうするか、あと1日考える。

昼は福島第一原発で4号機が火災、放射能が…という話でもちきり。
茨城にまで広がっているという巷の噂とか、
避難は30kmにまで拡大されたというニュースとか。
都心ではいっきに恐怖感が煽られたように思う。
津波だと対岸の火事なのに、放射能となるとパニックになる。
流れている解説の全てを理解したわけではないけど、
今のところ東京まで大惨事が広がる可能性は低い。
今日の福島は雨。屋内にいるように呼びかけられているという。

じたばたしてもしょうがない。
いつも通りに起きて、出社して、昼メシを食べて、仕事して、帰ってくる。
これまでの日々を繰り返す。今できることはただそれだけ。平常心。

食べ物を買い占めている人たちの話をよく見かける。
乱暴な若者がいるらしい。なんだかなあと思う。
有事の際はカップめんを1コ5000円で売るとか?
でもそこまで壊滅的な状況になったとき、お金がなんの役に立つのだろう?

例の作業を先に進めたく、どさくさに紛れて15時に退社する。明日も出社を遅くする。
丸の内線は空いていた。荻窪に着いて図書館へ。
帰って来て作業をモクモクとこなす。かなりはかどる。
さっさと終わらせたい。こんなことしてる場合じゃないように思う。
現実逃避でしかない。

会社携帯に電話がかかってきて、
明日、万が一、放射能が広がった場合に関する自宅待機の業務連絡が出たとのこと。
ぞっとする。何も起きないとは思うが…

今日の朝、東京駅地下の成城石井の前を通り掛かったら、
普通に食べ物が豊富に売られていた。
色とりどりの、おいしそうな。
コンビニの食べ物はいったん元に戻りつつあったのに、
地域によってはまたガラガラになっているようだ。
僕の周りでは今のところそれはない。よかった。

あともう1つか2つ、何かが起きたら東京は暴徒が現れるかもしれない
ということを考える。

昼、キッチン南海の前を通り掛かったら
珍しく行列になっていなかったのでカツカレーを食べる。
夜は何も食べない。

今さらだけどホリエモンをフォローする。
とてもまともな返答をその都度しているように見える。

夜は寝付けず。朝は余震で目が覚めた。


[3745] 4日目 2011-03-15 (Tue)

4日目、月曜日。
普通に起きて、普通に出社する。会社からは特に連絡はない。
今日は開くだろうと信じて、図書館に持っていく本を紙袋に抱えながら。
出る前に東京メトロのサイトを見てみたら
どの路線も大幅に本数を減らして運行しているとのこと。
駅まで行ってみるとホームに丸の内線が入っている。それほど混んでいない。
1本待って座っていこうと最初ホームに立ってみるが、
いつになるか分からないので目の前のに乗っていく。
特に遅れはなく、淡々と進んで到着する。

地上に出ると丸の内の巨大なビルの工事現場にて朝礼。
大きな声で「おはようございます!」と一言。
これを皆で順番に。建設会社の管理職なのか、若い女性も交じっていた。
スピーカーからその声だけが聞こえる。

歩いて神保町へ。いつもどおりの時間にあっさりとオフィスへ。拍子抜けする。
しかし常駐先のオフィスは開いてなくて、しばらく待つことになる。

音楽を聞きながら通勤してる人がぐっと減ったように思う。
自分も自粛する。節電とモラルと両方の理由で。
イヤホンをしてるってのは外界をシャットダウンしているようにも見える。
(いや、見栄えを気にしているわけではないですが)
今こそ音楽が聞きたいけど
iPhone で聞くものではなく何かもっと別な、リアルなものを。

9時の時点で出社は本社も常駐先のPJルームも半分以下。
駅で入場規制がかかっている、そもそも全面運休(川崎など)といった理由で。
メールだったりTwitterで状況を知る。
するっと来れた僕は相当ラッキーだったのか。

PJルームの臨時リーダーとなって、出社状況や案件状況を確認して報告する。
1日がそれで終わる。
時々忙しくなるが、たいがいの時間はそうでもない。
世の中の動きを土日同様、TwitterとYahoo!ニュースでチェックする。

計画停電は1グループも2グループもなし。混乱を呼ぶ。
東電自体が混乱しているのか、停止にならないようギリギリまでがんばったのか。
後者であってほしい。
夜、茨城と静岡で停電。明日は朝からとのこと。

京急が15時半をもって運休すると情報が入り、沿線に住むメンバーが慌てて帰る。

福島の原発は2号機も危うくなる。

昨日、事態が収束に向かいつつあると感じたのは、僕の間違いだった。
一瞬の凪の中にあって、今はまた爆風に吹かれだしたような。
もやもやとしたものに包まれていたのが、
急に視界が晴れだして物事がクリアに見え出した。
それだどれだけの惨事だったのか。
津波が大きかった、ではなくて、浜にどれだけ打ち上げられたか。
その数が具体的な数値になってきた。

Twitterの流れもまた、一枚岩としてまとまってきた。
なんか自分だけ調子はずれのように思う。
僕は人として何かが欠けているのか。

オフィスは節電の一環としてエアコンを切って、
日中は照明も消してブラインドを上げる。
出社してない人のPCはモニターの電源を消す。

図書館のサイトを見てみたら開館はしているが、
節電のため3月末まで17時までとなる。しまった…
今やってる例の作業はこれからが図書館フル活用だったが、これで終わった。
どうしたもんか…
ま、しょうがない。なるようになるか。

金曜からの3日間の間にやはり何かしら障害は起きているもので、
その対応の立会いのため、残業する。
昼はPJのみんなで下の居酒屋に行って食べた。

19時オフィスを出る。神保町の町はいつもと変わらないように見える。
皇居も何もなかったかのようにひっそりとしている。
だけど市民ランナーの姿がない。

東京駅で乗った丸の内線はガラガラ。座って帰る。
気がついたら新宿では金曜夜の中央線のように混んでいた。
終点の荻窪まで混んでいた。
この時間、銀座線と日比谷線は止まっていた他の路線からの
乗り入れ客がオーバーしたため運転見合せとなる。


[3744] 3日目 2011-03-14 (Mon)

8時半に起きる。
Twitterを眺める。僕が眠っている間に、一線が越えられたように思う。
それまで概ね一枚岩として突き進んできたのが、ばらけはじめたというか。
意見や主張の食いちがいによる摩擦が
反応ではなく人格のレベルで語られるようになった。
例えば、結局のところ気になることは皆即座にRTすべきなのか。
それとも事実関係を調べて、以前の文脈を辿って、取捨選択をすべきなのか。
何をしたところで思いがけず誰かの気に触るということは
今回の災害に関係なくごく普通に起こりえることだけど、
その辺り非常時だとお互い譲り合っていたのが、
数日続くうちに少しずつ慣れてきて、ささくれ立って。
ひとつにまとまっていたものが
それぞれ異なる意見や主張を放って衝突が起こるのは、
その集団が有機的になっているのではなくて無機的になっているということだ。
個々のパーツの間で調節ができなくなっている。その必要を感じなくなっている。
全体が硬直化へと向かう。惰性で物事が続くようになる。
その流れを変えるにはよほど強い声や力、意思をもった人でなければ難しくなる。
被災地の外側にいる僕らはそれまでの日常生活に戻りつつあるのだ。
というか物質的にはまだだとしても、精神的には既に戻ってしまっている。
それまでの自分に、戻ってしまっている。

コンビニに行ったらまだスカスカだけど、弁当の類が補充されていた。
東京メトロのサイトを見たら全線「現在、平常どおり運転しています」
明日は普通に出社だろう。
イベント系が当面延期というか自粛となるけど、仕事する分には影響がない。

ヤシマ作戦はまだしばらく続くというか、
14日以後計画停電を実施すると東京電力から発表がなされた。
23区は対象外となるかもしれないとのこと。
渋谷のスクリーンは消されているのだろうか? というのが気になった。

Twitterを見てて気になったのが、
茨城も救ってくれという声と、宮古が先だという声。
どっちが正しいということもなく、
これこそ政府には適切な対応を速やかに行なってほしいとしか言いようがない。
誰だって自分のいるところ、あるいは関係するところを救ってほしいと思う。
大事なのは見落とされることなく、的確な報告がなされるかどうか。
あとは、分析と評価と判断の問題だ。

救援物資は送らないでください、というのをよく見かけた。
「ないよりましだろ」的発想は完全に間違っていて、
仕分けたりあるいはダメになったのを処分するのに時間が取られるだけ。
当面は寄付だけのほうが嬉しいし、復興が始まったときに訪れて
その地方の名産品を買ったり味わったりしてもらったほうがよほど助かると。
青森県は個人の救援物資は受け取らないことにしたようだ。

献血だって何かしなきゃ今しなきゃってんで我先に行きがちだけど、
実際に大量に必要となるのは数週間後。
そのときには献血したくても一定期間開けなきゃいけないから献血できない。
今月末ぐらいに献血するのがベターじゃないかと誰かが呟いていた。

微妙な気持ちになったのは、千羽鶴はいらないという話。
手を動かして、時間がかかって、鶴は折られたけどそれが実際に何の役に立つのかと。
思いは思いだけでよく、それを形にされても扱いに困る。
じゃまだと捨てるわけにもいかない…

なんてことを今書いていたときにふと思ったのが、
IT業界だと「このプロジェクト中止(ないしは当面延期)です」ってのが
明日からジワジワと出てきて、仕事にあぶれたりするのではないか。
自分の部門のプロジェクトを思い出してみて、
直接的であれ、間接的であれ、復興には関係なさそうなものばかり。
現状維持で新サービス導入は控える。
計画停電による生産性低下も絡んで。

などなど。
明日から月曜。世の中はどうなるのか。
未曾有の危機の真っ只中にあるのか、それともいつも通りの日常生活なのか。

Twitterには地震に関係することしか呟けなくなる。
「キャラメルコーンを食べてたらピーナッツが全く入っていなくてショック」
みたいなことは不謹慎となりそう。(ま、地震の前からスルーされてたろうけど)
表現の自由というものを僕は信じてないけど、
かといってそれまでと違って統制がかかってしまうというのもちょっと怖い。
正論だけが流れる。それが全てだと思う人もいる。息抜きもできない。
どっかで破裂しそうになって、裏Twitterみたいなのができるのかもね。

あと、気付いてゾッとしたのが、
家族や友人の消息が分かって嬉しいですというのがよくRTされるけど、
その逆は一切目にしたことがない。
普通に考えれば、悲しい出来事に遭った人はTwitterどころじゃないわけで。
あるいはネットが使える環境にそもそもいない。
たいがいはそういうことなんだろうけど
やっぱ現時点でのTwitterは前向きな情報しか流れないように
暗黙のルールが自然にできあがってるんだなと。
それがいいことなのかどうなのか、Twitterの利点なのか限界なのか
今の僕にはよく分からず。

Twitterを見ていると、
今回の地震のこと以外何も考えちゃいけない、それが善意だ
と言われてるみたいで。
3日目にして、ちょっと分からなくなってくる。

身内に死傷者はいない。東京都心に住んでいる。
そのことが責められているようでもある。
対岸の火事。そう思っているのだ。


[3743] 2日目 2011-03-13 (Sun)

前の晩は午前1時頃眠って、目が覚めたのが8時。
しばらく例の作業を続けて、9時に着替えて外に出てみる。
セブンイレブンはおにぎり・弁当の棚が空っぽになっていて、
カップラーメンや菓子パンはほぼ品切れ。入荷が遅れていると貼紙されている。
ケーキやお菓子、ジュースやビールの類はまだ普通にあった。
ミネラルウォーターだけがごっそりなくなっている。
他のコンビニもそんな感じ。

下の階に住んでいた学生が宅配業者を呼んで引越しをしている。
そのトラックが停まって荷物を運んでいる。
近くの工事現場では普通に工事中だった。
床屋もクリーニング屋も営業している。
いつも通りの土曜日。
なのにジワジワと食べ物が少しずつなくなっていってる。
物流(に限らず多く)の人たちが昨日から頑張ってると思うけど、
これがいつまで続くのかちょっと怖い。

今日の夜とか明日の朝にはこれら、調味料すらなくなってしまうのだろうか。
物流の復旧とどちらが先か。
一時的なものだといいのだが。
食べ物が目の前から無くなると、人は急に理性を無くすと思う。

駅前の西友へ。黒山の人だかり。
24時間営業のはずが開いてなくて、9時開店と貼紙。なのに既に9時半過ぎ。
いつ開くかわからないので帰ることにする。
ドトールやケンタッキーで一部提供できない商品がありますと貼紙。
松屋に入る。ごく普通に営業していて、カレギュウを食べる。
心なしかいつもより混んでいる。
松屋が普通に営業できているのはいつまでだろう?
大きな全国チェーンだから東海地方から西の在庫を
必死になってかき集めて運んでいるのではないか。
調整して調整して調整して。
このカレギュウもいつもと同じ値段でありながら
実は大変なことになっているのではないか。
食べながらそんなことを考える。

帰る途中コンビニに寄ってカップヌードルをいくつか買って帰る。
こんなときにあの何の変哲も無いデザインを目にするととてもほっとする。
40周年記念限定というので大量に並んでいるのが、支給品のように見えた。
「ありがとう日清」と心の中で手を合わせる。
昨晩食べてなくてカレギュウでは足りず、ポークジンジャーヌードルを食べる。
こういうときのカップヌードルはやけにうまい。

作業を進める。
杉並区立図書館のサイトを定期的にチェックして
このところ予約した本が届いていないか確認するのだが、
いつも行く中央図書館にあるはずの本ですら取置済みにならない。
昨日は地震直後でも開館してたのにな。
トップページを見たらこの土日は地震の影響で閉館するとのこと。
作業の予定が大幅に狂う。やばい。でも、仕方が無い。
この日は夜までずっと、やれるところを作業として進める。

電車は一部運転を見合わせているようだ。
会社の後輩が今日、朝早く成田から飛行機に乗って海外に行くはずが、
電車がうまく動いてなくて空港まで全然辿り着けない。
その様子がTwitterに流れる。結局乗り遅れる。
というか乗れた人いるのだろうか?
日本から脱出しようと思って空港に向かった人が実は多かったりして。

この日もまたテレビのニュースは見なくて、
TwitterとYahoo!ニュースだけで状況を知る。
福嶋第一原発で何かが起きているということと、
電力の供給が追いつかなくて
東京電力が今日の夕方と明日の夕方、停電を予定しているということを知る。
流れている様々なものをRTする。なんでもかんでもRTしてるときりが無く、
僕は基本的に誰もが知ってたほうがよいことと、青森関係と、東京の交通機関と。
誰それの行方を捜してます、みたいなのは
行きっぱなしで消えそうになりそうだからそこは僕なりに流量を減らす。

氣志團の綾小路翔を前からフォローしてて、
昨日上海に到着したら地震が発生して何もできず、
これしかできないからと頼まれたのを一生懸命RTしてるのをずっと見てるんだけど
デマを見抜けないで思わず流してしまったらそれを批判する人が出てきたりで。
なんだか悲しい気持ちになる。

午後また西友へ。
中はレジ待ちが長蛇の列になっていた。これまで見たことが無いぐらいの。
カップラーメンのほとんどと缶詰の棚の半分が空になっている。
ミネラルウォーターもなくなりかけていた。
それ以外は特に何も変わらない。
意外なことにいつも愛用の徳用ローストビーフが売れ残っていた。
酒のつまみはさすがにこんなとき売れないか。
食べるものをあれこれ買っておく。
スパゲティーと混ぜるだけのソースとか、レトルトのカレーとか。
しかしこれら保存食にはなるけど電気やガスが使えるのが前提。
あるいは生ものか。
何も無くても保存できてそのまま食べるものって意外と見つからない。
クッキーや煎餅、缶詰ぐらいしか思いつかない。それはそれで新鮮ではない。
そう考えると漬物って偉大な食べ物だな、と気付く。

ケーキの売り場では普通に苺のショートケーキが売られていた。
そしてそれを買う人がいた。どこかが何か、おかしいと思う。
いや、売ってる方も買ってる方も悪いことをしているわけではなくて。
つまり、今、自分は日常とされていたものと
非日常とそのスレスレのところにいるのだということ。
あらゆる瞬間が、特異な時間を体験していることになる。

帰って来て、母から留守電が入っている。電話してみる。
青森市はようやく停電復旧したとのこと。
妹や仙台のいとこも無事だと知らされる。

停電を回避するために皆で夕方から節電しようという呼びかけがあちこちでなされ、
その節電が「ヤシマ作戦」と呼ばれる。
僕は知らなかったけど、エヴァンゲリオンでそういうのがあったそうだ。
日本中の電力を集めて敵を倒す。その間日本は停電するという。
18時台に一斉に炊飯器でご飯を炊くのはやめてもっと早い時間帯にずらそうとか。
渋谷やアルタ前の巨大モニターを消そうとか。
そういうのをRTしていると
自分もまた何かの集団の隅っこに加えてもらっているような感覚がある。
こちらはどうもうまくいったようで、今日は停電とならず。明日の停電もなし。

しかし、福島の原発はどんどんやばいことになっていて、
制御棒とかメルトダウンとか官房長官の記者会見とかそういうのばかりを目にする。
原発から3km以内の人は避難してくださいというのが10kmになり、20kmになり。
同じように死傷者の数も1000名、1500名、1600名と増えていく。
これは本当にやばいんじゃないか…
余震も続くし、長野県や新潟県など別な場所で地震が発生したり。
部屋の中にいて何度も揺れる。

福島や宮城が故郷の人たちからは
今日の午後になって家族は皆無事でしたという報告がツイートされる。よかった。
会ったことないんで詳しいことは分からないけど
この人ってたぶん東北在住だったよなあって人からもツイートが。
少しずつライフラインは恢復しているようだ。
しかし、思い出の場所が波に飲まれて消えてしまったとか、
避難所では混乱が続いて大変なことになっているとか、そういうのもちらほらと。

TSUTAYAが繁盛しているというのも見かける。
そうか。そうだよな。
特に興味がなく、いつもの土日と変わらず
ゲームをしながら過ごしてるって人も都内には多いんだろうな、と思う。
自分のブログのリンク元を今何気なく見たとき、
「いもや閉店」とか「ももクロ」とかそういうのが半分で、地震関係が半分。
自分の中での皮膚感覚として、アクティヴに興味をもって過ごしている人が半分で、
残り半分の人は「騒ぎ過ぎ」「自分には特に関係がない」と思っているのではないか。
どうなんだろう。
そんなわけで僕も TSUTAYA DISCAS で届いた DVD は今日見るのをやめる。

あともう1つ考えたこと。
サラリーマンにとって金曜の午後発生というのが幸か不幸か。
土日を挟んで家で大人しく過ごすことで根本的な混乱は和らいだと思うけど、
月曜にしょうもない混乱があちこちで生まれそう。
これが月曜や火曜の発生だったら、都内では展開がかなり違ってたのではないか。

それにしてもうちの会社。
月曜に出社してしばらくしたら「いや、今日休みでよかったよ」と言われそうな。
あるいは、本数は減ってても運転は再開してるってことで無頓着に当然出社扱いか。
後者なのかな。世間一般の会社としてはどういう対応を取るのだろう?
ディズニーランドは当面定業停止とのこと。

「原子炉に損傷なし」というニュースが流れる。
最悪の事態は免れた。

初めてテレビをつけて、津波で何もかもを流された宮城県三陸町の光景を見る。
小学校の屋上のような建物に避難している何人かの人々の姿が。


[3742] 3.11 東北地方太平洋沖地震 2011-03-12 (Sat)

昨日、というか今日のこと。

打ち合わせで昼を食べそびれて、14時過ぎにキッチン南海へ。
戻ってきてお茶を飲みつつ16時からの打ち合わせの準備に取り掛かる。

誰かが、「揺れてる」と言う。
あ、ほんとだ。ミシミシ揺れてる…、しばらく続いたあとでグラッと来る。
これは大きい。酔いそうなぐらい揺さぶられる。
「おーでかいねえ」なんて言いながら半分笑ってる。
部屋の中のCDラックや本が崩れるのではないか。
何よりもまずそれが気になる。

おさまって誰かが外に避難しようと言い出して、階段を下りて外に出る。
周りのビルからも続々と人が出てくる。いやあ揺れたねえって感じで。
何人かが僕らの仕事しているビルの屋上を指差していて、
見上げるとクレーンが大きな鉄骨を吊り下げながら静止していた。
それが今にもブラーンブラーンと落ちてきそうで、ハラハラする。

「この辺りが震源地じゃないですよね。ゆっくり遠くから来たようだし」
そんな話をする。その後揺れがないようだし、フロアに戻る。
Yahoo! のトップページから地震情報を見てみる。
東京は震度5強で、青森市は震度4。
母に携帯で電話してみるが、つながらない。AUもDoCoMoも。大丈夫だろうか?
震源地は三陸沖でマグニチュード7.9とあった。
確か、阪神大震災よりもこれは大きいのではないか?
先日の地震は前兆だったのか…

今日はもう帰ったほうがよいんじゃないか、という話になる。
さっそくTwitterにあれこれ流れている。
見ていると、お台場で煙が上がっているとか、
原発が停止したとか、サーバールームで死にそうになっただとか。
(サーバー…はデマだったと分かる。最低だ)

再度強い揺れが起きる。
今度は皆、コートやダウンジャケットを羽織って鞄を持って外に出る。
公衆電話に並んで母に電話をかける。
最初つながらず、ダメかと思ったが2回目かけたらつながった。
無事だった。よかった。しかし、停電だという。
テレビもラジオも使えず、状況が分からないとのこと。
震源地がどこなのかとか。知ってることを伝える。
他にも並んでる人たちがいるので、必要最小限を話して電話ボックスを出る。

お客さんと話して、この日はここで解散することになった。15時半過ぎ。
しかし、どうも皆が話しているのを聞くと電車も地下鉄も動いていないようだ。
待ってたらいつになるのか分からない。歩いて帰るしかなさそうだ…

皇居方面に歩いていくと、いくつかの会社ではまとまって避難するところだった。
支給されたヘルメットをかぶっている。
皇居そのものは入り口が閉ざされて、警官が立って、中に入れない。
平川門の周りは多くの避難してきた人たちでいっぱいになっていた。
不安そうにしている人もいれば、たわいのない会話を交わしている人もいる。
後者の方が断然多い。実際には深刻な雰囲気はあまりなく、
聞こえてくるのは家に電話してもつながらないとか、そういうことばかり。
停電になったわけでもなく、津波が東京湾まで来るわけでもなく。
パニックとなる閾値を超えることなく、皆淡々としている印象を受けた。

半蔵門までグルッと半周して、新宿通りを四ツ谷・新宿方面へ。
雨が降り出して一瞬どうしようかと困ったが、すぐにやむ。
(暖かくて花粉が飛んでいて、鼻水が止まらず目も痒い。
 正直な話、歩いててそっちの方が深刻な問題になった)

西へ西へと進む。家に帰る大勢の人たちの間に混ざって歩く。
電器屋の店先だったか。テレビの前で多くの人たちが群がっていて、僕も立ち止まる。
津波。どこの地域だっのたか分からないが、完全に水没していた。
それをヘリコプターに乗って上空から撮影していた。

地図を持った警察官があちこちに立っていて、大勢の人たちが取り囲んでいる。
急に歩いて帰ることになって道が分からない、
あるいは今、自分がどこにいるのか分からない、そういう人たちばかりだった。

公衆電話も行列になっている。
携帯が普及して見かけることの少なくなった公衆電話だけど
なくしちゃいけないないんだな。重要なライフライン。
それよりも携帯のこの弱さ。
回線そのものがパンクしているのか、それともシステム的にうまくいってないのか。

(そう言えば会社携帯に地震の際は安否確認のメールが来ることになっていて
 その避難訓練的なメールは定期的に来るのに、肝心の今日、全く来なかった)

信号に差し掛かる度にiPhoneでTwitterを見る。
この頃には「重要な情報以外流さないように」というルールが自然と成り立っている。
NHKによる最新情報や阪神大震災を経験した人からのお願いがRTされる。
(マスコミのヘリコプターの音は避難アナウンスをかき消すのでやめてほしい、とか)
デマもいくつか流れたようだけど、どれも役に立つ真剣な情報が多く、
いち早い状況はここから入手できた。
世の中まだまだ捨てたもんじゃないなーと思う。
僕は Soul Flower Union をフォローしてたんだけど、
やはり彼らは草の根、ローカルレベルでたくさんの情報を取捨選択して伝えていた。
熱い気持ちもある。さすがだな、と感心した。

音楽で思い出したが、歩いている周りの人たちをふと見たとき、
ヘッドホンやイヤホンをしている人が皆無だということに気づいた。
こんなときには誰もが、周りの音や声に耳を傾けるのか。

JRの四ッ谷駅に差し掛かる。中央線が停まっていて、ホームに人影がない。
駅係員だけが行き来している。
運転再開の目処が立たずということで
駅の構内から乗客は皆、外に出た(あるいは追い出された)のだろうか?
四谷三丁目の駅にて、丸の内線は復旧までまだしばらくかかると聞く。
新宿御苑は避難場所として解放されているようだ。

17時頃新宿へ。地下に下りてみる。
さらに大きな地震が起きたら危険だとは思いつつ、
花粉がより少ないかもしれないと。
階段に座ってぼんやりとうなだれてる人たちが大勢いた。老若男女限らず。
地下街も新聞紙を敷いて座って携帯を眺めている会社員であるとか。
どことなく地上よりもざわついた空気を感じる。
丸の内線も止まって、駅の係員が質問に答えている。
誰に聞いても復旧の見通しは今のところなし。
LUMINEはシャッターが下りていた。地下街のいくつかの店も営業を終らせていた。

小田急の方に出ると、女性用のトイレが長蛇の列になっている。
バスの乗車街はもっとすごいことになっていた。
地上のバス停から溢れて階段を超えて、延々地下まで。
最初何の行列か分からなかった。
Twitterを見てると、バスは動いているようだった。

17時半。依然として、西へと向かう大勢の人たち。
定時を過ぎて帰る人たちが増えたのか、一時的に人波が激しくなる。
西新宿から中野坂上へ。青梅街道沿い、丸の内線沿いに歩いていく。
この辺りから実際に動いているバスを見かける。
それほど乗客が乗っていないので落ち着いたもんだな、と思うが、
恐らく新宿駅始発だったりすると人数制限をしているのだろう。
よく見るとバスのドア付近に制服を来た職員が立っている。
混乱がないようにということか。

新中野、東高円寺、新高円寺。日が暮れだす。
いくつかの店、喫茶店やラーメン屋なんかは閉まっている。
いくつかの店、焼き鳥屋とか飲み屋は普通に営業している。
帰れない人たちが開き直って飲み始めて、実はこの日繁盛したりするのか。

18時半前。南阿佐ヶ谷を過ぎる。あと一駅。
中央図書館に寄ってみたら驚いたことに普通に開いていた。
入ってみると本棚に本も普通に収まっている。
利用者はいつもより断然少なかったものの、たいしたもんだと思った。
神保町からわざわざ紙袋に抱えて運んできた本10冊を返却して
予約していた本を借りた。

天沼陸橋を渡って、ようやく荻窪まで戻ってくる。
結局3時間近くかかった。
ホームタウン、という安堵感でじんわりする。
いつもと何も変わらないように見える。
蕎麦屋も八百屋も開いている。特に閉まっている店はない。
コンビニも普通にあれこれ売っている。
volvicと缶ビール、缶詰のつまみを買う。

辿り着いて部屋のドアを開ける。怖くてたまらない。
意を決して開けると案の定、
中は積み上げていたCDラックや本の山が崩れて、大惨事…
マジで足の踏み場がなかった。唖然として、相当へこんだ。
ケースが壊れて、CDが散乱して。ガラスも割れていた。
つっかえ棒を渡して掛けていた服が棒ごと落ちていたり。
あちこちのCDラックそのものは大丈夫だったけど、
固定せずにその上に積み重ねていたものは全部下に落ちた。
自業自得。いつか地震が来るだろうなあと思いつつ何もしなかった。
誰を恨むこともできない。
それでも、淡々と片付けているうちに気分が落ち着いてきた。
福島、宮城の人たちに比べれば何てことないか、と思う。
片付けるのにも3時間かかった。22時過ぎ。
その間、部屋の中で余震を何度も感じた。
ニュースを見るとこれから1ヶ月は余震に注意とのこと。

Twitterを小まめにチェックする。というかずっと見てる。
さすがに買ってきた缶ビールを飲む気にはなれず。
戒厳令的なムードも解かれ、
この頃から歩いて帰ってきた人たちがあれこれと呟きだす。
22時台で地下鉄は一部動き出しているようだが、
全線復旧にはまだかかる模様。
大学のキャンパスなど、帰宅難民に解放している場所のリストが
いろんな人から出回ってくる。
マグニチュードは8.8と観測史上最大で、阪神大震災の180倍だという。
仙台沿岸では200人から300人の遺体が…
何人か知っている人で東北地方の太平洋側が出身で、
実家や親戚と音信不通だというのを見る度に辛い気持ちになる。

そんなこんなで午前0時を過ぎて東京は少しずつ落ち着いてきたようだ。
コンビニでは食べ物がなくなったとツイートする人もいて、
実はこれから数日何かと大変なんじゃないかと不安になったりもする。
歩いて帰る途中、カップラーメンを大量にレジ袋に詰め込んで
コンビニから出てきたおばさんを見かけて、
地震が起きてからでは遅いじゃんとそのときは思ったんだけど、
実は明日とかスーパーも休みだったり
売ってる食材も限られてたりするのだろうか…


[3741] 2/28-3/6 2011-03-11 (Fri)

2/28(月)

午前中から午後にかけてずっと雨。
気温がぐっと下がる。

月に1度の部会の日で竹芝に出社。8時過ぎには到着する。
9時半から部会だがたまに来たところで席もPCもなくすることがない。
ずっと本を読んでいる。
仕事に関係のないアナキズムの歴史の本。
このところ読んでいて、この日上巻を読み終える。

貿易センタービルの内科に花粉症の薬をもらいに行く。
診察は受けず、薬だけ。
昼はビルの地下の「からなべ屋」でカレーを食べる。
昔よく仕事帰りに、銀座駅の地下の店で食べたもんだ。
懐かしくなって先日訪れたら駅の工事と共に店がなくなっていた。
メンチカツカレーとブロッコリーのサラダを食べる。
取り立ててうまいわけではないんだけど、毎日食べられる味。
この日はセール期間中(?)でトッピング不可だったため、
玉子や野菜を追加できず。残念。

夜、残業。週明けだというのにとても疲れている。
異様に肩が凝っている。

昼が少なかったので夕方腹が減る。
キッチン南海に行こうかどうしようか迷う。
そういう気分になるが、それはそれで食べすぎ。
間とって裏の小諸そばでカツ丼を食べるが、少なくてすぐ腹が減る。
我慢して帰ってくる。日曜に開けた焼きあたりめを少し食べる。

例の作業を少し進める。
月末なので作業状況をメールする。
午前0時過ぎに眠る。

先週より細かな障害が頻発。
積み上がって大きなものとなる。
今週も対応が続く。

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3/1(火)

早いものでもう3月。

夜、もんぷちさんと飲みに行くことになる。
新宿。小雨の中、20時半アルタ前集合。
花園神社の近くの立ち飲み屋へ。
人気の店らしく、満席。向かいの焼き鳥屋に入って待つ。
もんぷちさんが常連で、席が空いたら電話をもらうことにするが、
それでも2時間ぐらい待ったか。
田酒がおいてあって、2杯飲んだ。
その他にもあれこれと珍しい日本酒を飲んだ。
山形の濁り酒とか。どれもうまかった。
ポテトサラダやさつま揚げもうまかったなあ。いい店だ。
客は皆常連となるようで、人見知りの僕は静かなまま。
何杯も飲んでたけど、気を緩めなかったので記憶をなくさず。

久々にアルタに入ったのだが、CISCOってもうないんですね。

午前0時半に帰ってきてシャワーを浴びてすぐ寝る。

ヤフオクで落札した神聖かまってちゃん「夕方のピアノ」が届く。

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3/2(水)

先日から少しずつ左肩が痛み出し、今週はかなり耐え難くなり。
椎間板ヘルニア再発か。
ポンプで空気を送って膨らまして首をストレッチするやつ、
穴が開いて使えなくなっていたのを amazon で買い直して本日届く。
早速首を伸ばす。よくなった気はせず、より痛くなる。
しばらく様子を見る。

昼、PJランチ会。「メナムのほとり」へ。
最近ご無沙汰だったけど、ここはうまいね。
塩味系あっさりの麺類を食べる。

夜、「緑のたぬき」のみ。

図書館に寄って帰ってくる。
作業を淡々と続けて23時半に眠る。

博多から釜山に行くツアーを申し込んだ件、先週電話してそれっきり音沙汰無し。
電話してみたら忘れられてたようで平謝りされる。
ツアーの詳細や振込み金額を記したメールがその後すぐ届いた。
この時期旅行会社は忙しいのだろうと思うことにする。

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3/3(木)

ひな祭りの日。特に関係なし。

昼、先輩に聞いた中華料理屋「ぶん華」へ。二郎やBECO SHNINの近く。
焼きそばとチャーハンの盛り合わせにする。700円で結構な量。

夜、セブンイレブンのサラダスパ。

夜、作業。
契約書に判子を押す。いいのか。まあ、いいか。

昼、師範代のチラシをつくらなければならなくて、
仕事用のPCにだいぶ昔のPhotoshop Elementsをインストールして
先日暇なときに集めた画像を加工する。
締め切りは来週末。
やっぱ素人はイメージ通りのものが作れないね。

このところ「破」の教室で一緒だった方たちとMLでやりとりしている。

高校の友人から問い合わせがあって、
今日になって急にYouTubeの動画が真っ暗になって見れなくなったとのこと。
音声は聞こえる。
何が原因なのかよく分からず。

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3/4(金)

昼、来週のランチ会のリクエストでナンのおいしいインドカレーの店とあったので、
小川町方面でいくつか下見で回ってみることにする。
今日は「ガネーシャ・ガル」この界隈ではここがベターかな。
焼きたてのナンがおいしいと思う。

夜、PJの飲み会。「福兆」であんこう鍋のコース。
飲みだすと止まらなくなって、僕が言い出して2次会へ。
後輩の女の子が突然泣き出したのだが、僕が原因だったのか。
23時半ぐらいで切り上げて帰ってくる。
他の人たちはまだ遅くまでいたようだ。

帰ってきて午前1時頃眠る。

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3/5(土)

8時半頃起きる。
9時過ぎに西友へ。徳用ローストビーフが店頭に並ぶのを待つ。
カートがあちこちに山積みになって陳列棚に商品が並べられる。
9時半頃来るのがよいと知る。
帰ってきて図書館へ。その後クリーニング屋へ。

昼、カレーを作る。今回も割りとうまくできた。
半分残して一晩寝かせて、明日もまた食べようと思う。

その後ずっと、作業。夜、22時頃まで。
大家さんからもらったうどんで豚キムチ焼きうどんをつくって缶ビール。
徳用ローストビーフ。
ビールからウィスキーのロック。
『ゾンビランド』を観る。
主演は『ソーシャル・ネットワーク』のジェシー・アイゼンバーグ。
どことなくなんとなく、裏『ソーシャル・ネットワーク』のようだ。
心温まるエンディングが正反対。

午前1時頃眠る。

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3/6(土)

起きたら10時半。図書館へ。帰ってきてカレーを温めて食べる。
この日も暖かくて、花粉が飛びまくる。
夜までずっと作業。この土日でだいぶ進んで形になってきたが、気を抜けない。
次の土日で片を付けたい。

夜、同じく豚キムチ焼きうどんと徳用ローストビーフ。
『ロッカーズ』を観る。
ジャマイカのミュージシャンが多数出演のゆるい作品。
主演は Burning Spear のドラマー。
話はあってないようなもので、やはり演奏してるところや
サウンドシステムでDJが大音量でレコードをかけているところがよい。

午前0時過ぎに眠る。
明日は雪とのこと。


[3740] 2/21-2/27 2011-03-10 (Thu)

2/21(月)

昨晩羽田−福岡往復を予約したので、
この日はまず博多港−釜山港往復と釜山のホテルをどうするか。
それぞれ個別に取ったら正規料金で高くなる。
JR九州の高速船「BEETLE」だと休日料金は往復\26,000ですよ。
釜山1泊+福岡1泊とするか、それとも釜山2泊とするかというのは
この機会だから釜山2泊にするというか、その方が安く収まりそう。
調べてみたらやはりツアーがあって、安いものでは1万円しなかった。
片道3時間の「BEETLE」じゃなくて
6時間ぐらいかかる別会社の「ニューかめりあ」だけど。
「BEETLE」でも\15,500だったか。宿泊は最安値のホテルで。
1人参加代金が1泊につき\3,500で×2になって、
オイルサーチャージが\1,500だった。
トータルで2万円台前半ならいいやと早速申し込む。
しかし「BEETLE」はちょうどいい時間の便が満席ないしはそれに近そうで。
予約できるかどうか今のところ分からず。
旅行会社からの回答待ち。
昼休み、三省堂に釜山のガイドブックを買いに行く。

昼、開店ちょい前に行って、本店の方の「いもや」初めて入った。うまい。

午後ずっと半日がかりでシステム全体図を改めて書いてみた。
そのために珍しく遅くまで残業もした。
しかし、出来は今ひとつ。
システムも業務も複雑だからと他人のせいにしたらいけなくて、
何をどう描いたら人に分かりやすく伝わるのか、
もう一回基本から考えてみなければいけないと思った。
情報デザインってやつ。

夜、セブンイレブンのサンドイッチとサラダをオフィスで食べる。
帰ってきて少しばかり作業。
早めに23時半ぐらいに眠る。

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2/22(火)

帰り、図書館へ。図書館通いが復活。夜はずっと作業。

昼、「天鴻餃子房」で元祖の定食、中盛り。
早めに行ったので誰にも会わないつもりが、後からお客さんたちが…
夕方、どうにも腹が減って裏の「小諸そば」でかき揚げそばに玉子。

夜、母から電話あり。ようやくベルリンから絵葉書が届いたと。
貯金してるのかという話になり、気持ちが暗くなる。

帰ってきて昨日申し込んだ釜山行きについて、旅行会社と電話でやり取りする。
高速船「BEETLE」の往復が取れた。
本来泊まるはずのつもりだった
釜山タワーホテルが昨日から急に営業停止とのこと。
同ランクで港から近いホテルへと変更することになる。

午前0時に眠る。
ニュージーランドの地震。リビアのカダフィ大佐。
小沢一郎、民主党から追放? (資格停止って?)
世の中は動いている。

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2/23(水)

昼、PJメンバーのランチ会。デニーロへ。
1日違いで月1クリームの日ではなかった。
トマトソースにする。挽肉と米ナスとほうれん草。うまい。
後輩が半分以上残したのをもらって平らげた。2食分。
夜、さすがに何も食べず。ずっと腹いっぱい。
胃袋が活動しているのか、午後長いこと眠かった。
帰りの地下鉄も眠い。

夜、図書館へ。帰ってきてずっと作業。
午前0時に眠る。

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2/24(木)

昼、今日もデニーロへ。月1クリームの日。
しめじ、サーモン、大根など。

もんぷちさんと前からそろそろ飲みましょうというやりとりをしてて、
今日どうですか? ということで誘いを受ける。
しかしこの日仕事が終わらなかったようで会えず。
結局普通に帰ってきて図書館に寄って、夜はずっと作業。ガシガシ進める。
夜はカップラーメン。

午前0時に眠る。

---
2/25(金)

昼、1人で神保町食肉センター。Cセット(ハツ・レバー)でスタートして、
Bセット(味噌・塩)を追加。ご飯も半分お代わり。うまい。神保町最強のランチ。

夜、渋谷へ。
HMV企画の「ももクロとかまってちゃん」

帰ってきて腹が減っているが我慢して眠る。午前0時。

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2/26(土)

7時半起き。1日中微妙に眠かった。
少し作業を進めて、図書館へ。
床屋が開いていたので先に髪を切る。
西友で徳用ローストビーフを買う。図書館で本を借りる。

西友で昨晩の残りの牛肉が半額で売られていたので買う。
これをじっくりコトコト煮こんでカレーをつくったらとてもうまかった。
ルーは青森で買ったりんごカレールー。
http://www.iwakiya.co.jp/19_1.html

午後はずっと作業。
その後、東西線で落合へ。
『今日のノルウェー実験音楽』のコンサート編。
久しぶりにDELA君に会う。
Phonophani と Alexander Rishaug の2人がそれぞれ素晴らしかった。
2/16のもよかったけどあれはやはりショーケースで、
その魅力を小出しにしていたのだな…
全然違う内容で驚く。

焼酎お湯割りを飲みつつウダウダ起きていたら午前1時半となる。

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2/27(日)

前の日遅かったので目が覚めたら11時前。しまった…
着替えて外に出て、今週もまた昼は「もうやん」へ。
11時半チョイ過ぎについて中でビュッフェ待ち。
東京マラソンが都庁前でスタートだったので人手が多いかと思いきや
西新宿はそうでもなかった。

食べ終えて新宿西口のヨドバシへ。
先週見かけた Motorhead『Ace of Spades』の
SHM-CD紙ジャケ・デラックスエディションを買う。

帰ってきて大家さんに家賃を払う。うどんとインスタントラーメンをもらう。
図書館へ。本を返してまた借りる。
クリーニング屋。洗濯。
その後ずっと例の作業。
朝起きるのが遅かったので当初予定していた分まで進めず、
夜、借りてきた映画を観るのを諦める。

夜、タマネギをバターで炒め、しんなりしたところでコンビーフを入れる。
塩コショウ。カレーパウダーを振り掛ける。
焦げる寸前のカリッとしたところ見極める。
酒のつまみとしてとてもうまかった。
プラス、いつもの徳用コンビーフ。
缶ビールを2本飲んでその後ウィスキー水割り。

最高気温18℃と暖かく、かつ、前の日酒を飲んだということもあり、
目がかゆく鼻水が止まらない。
そんな日に限ってマスクし忘れたまま外出する。
大変な1日だった。

夜、Motorhead「Ace of Spades」を聞く。
最初数曲の流れがとんでもなくかっこいい。
中学・高校のときに聞いたらこっち方面に行っただろうなあ…

今更ながらナタリーの神聖かまってちゃんのインタビューを見る。

Fania All Stars のライブアルバムを何枚かまとめて聞く。
どれもすごい。国宝級。
これまで聞いてきた「Cheetah」が陽気なラテンだとしたら、
「Red Garter」はゴリゴリのどす黒いファンク。
「San Juan 73」は初のプエルトリコ公演。オーセンティックなようでいて、実験的。

午前0時半に眠る。


[3739] アナキズムというもの 2011-03-09 (Wed)

昨年末、訳あってフェミニズムにどっぷり浸かっていた。
それがひと段落して、どこに関心が向かうかと言えばアナキズムとなる。
(フェミニズムはアナキズムと同根なんですね。
 人類が社会というものをもったときから流れ始めた轟々たる地下水脈が
 例えばフランス革命をきっかけに噴出した)

これでもう、行き着くところまで行き着いたように思う。
世の中の様々な変化/事象の根源にある力学は
(ものすごく広義の意味での)アナキズムという呼び方に集約されると言っていい。
僕は今、そんなふうに考える。

正直な話、つい数ヶ月前まで僕もそれが何なのかちっとも分かっていなかった。
アナキズムとテロリズムの違いがついてない。
それどころかコミュニズムとの関係にも無頓着だった。大きな差はないというか。
いやー…
無知でした。

アナキズムはテロリズムと同義というか、アナキスト=テロリストというか。
あるいは、僕がアナキズムとかアナーキーというものに抱いていたイメージってのは
周りの人の迷惑を無視して好き放題やること、わめき散らすこと。
世の中の多くの人もそんな感じではないだろうか。
(とはいえ、長らくそういうイメージを与えてきたのは
 メディアの策略であって・・・、という議論は僕自身あんまり興味がない)

アナキズムを批判する立場の人たち、
特にコミュニズムの立場の人たちの書いたものをまだ読んでないので
僕は都合のいい解釈をしているのかもしれないけど、
そしてそれは人によっては「毒されてる」と言うかもしれないけど、
アナキズムの本質は個人の自由を”どこまでも””何よりも”尊重することにある。
ここで言う自由とは
上記のような短絡的な「好き放題やっていい」ってことではなく、
個人が選択肢の幅を広げられること、
その中から自ら選び取ることができるということ、
その選択について言葉に出して主張することも行動に出ることも
本質的に誰によっても妨げられるべきではないということを指す。

じゃあその個人が1人きりで生きていけばいいのかというとそんなことはなく、
何かしらの目的や利害関係の一致、あるいは地理的条件などにより集団が形成され、
それがひいては社会となっていく。
もしそれが有機的なネットワークを形成し、
各個人がそれぞれ顔の見える主体的な個人であり続けるならば
アナキズムはそれを否定しない。
しかしそのどこかに飛躍が生まれて、権力が独占されて、
国家や政府や画一的なグローバリゼーションというものになって
抑圧を行なうならば、アナキズムはそれを否定する。
つまり、その組織の全体性(=システム)が硬直化して
個々の人間たちの集まりという具体性が見えなくなって、
「上からの権威」が振りかざされるとき、
「下からの突き上げ」を行うということだ。

それは政治の場面に限らない。
変化の生まれるところ全てに当てはまる。
エントロピーの増大に逆らう局面全てと言っていい。
(そしてそこには、それが状況に対する「変化」として意味をもつための
 ルールや役割が生まれ、必要とされる)

だからまあ話が飛ぶけどエコロジーどころかスローライフなんかも
ある意味広い意味でのアナキズムの現われなんですね。
ヌーディストもただ裸になったら気持ちいいというだけじゃなく、
そこに何らかの意思や主張を込めるのならばアナキズムとなる。

うまく言えないな。これだと何でもかんでもアナキズムとなってしまう。
やっぱりまだ分かってないな・・・

とりあえず今僕はフランス革命とパリ・コミューンの間における
プルードン、バクーニン、クロポトキンといった
主要な思想家の概要のさらに荒いところをようやく押さえることができて、
第一インターナショナルにおけるマルクス主義者とアナキストたちの対立、
その後「直接行動」が19世紀末のテロリズムから
20世紀初頭のアナルコ・サンジカリズムへ、
と移り変わっていくという流れがだいたいのところ見えてきた。
そしてロシア革命とスペイン内戦へ。
日本では幸徳秋水と大杉栄へ。
流れは絡み合って、さらに労働組合とパリ5月革命と連合赤軍とアルカイダと。
そういうところに歴史はつながっていった。
アナキズムとは別の力学に取り込まれて、蝕まれて。

もちろん僕はそれらに肩入れするつもりもなく、
老子がそのルーツの1人だとするアナキズムの立場があるならば、
そういうゆるやかなアナキズムの考え方は受け入れられるというか。
だから目の前に共感できるデモがあったら加わるかといえば
これまで通り加わることはないだろうし、
印刷工(民衆と知識人の間をつなぐ労働者)に憧れるということもない。
ただ、その本質は興味深いというか。
その最もプリミティブな部分での力学が。

だから例えば最近「ノイズ」というものがとても気になっていて。
アトランダムな雑音・騒音のことではなくて、
エントロピーを反転する力の現われとして。
新しいものというのは表現であれ事象であれ、
最初得体の知れないノイズとして現れて、やがてそこにパターンが生まれていく。
世間に受け入れられて、ややもするとありふれたものになっていく。
そういう力学としてのアナキズム。

10代にパンク・ロックに目覚めて、
大学院でミハイル・バフチンを専攻しようとした僕からしてみれば
すんなり受け入れることができた。
というか逆になんでそういったものに興味を持ったのかが分かった。
盲従せず個々人が何かを変えようとすることが、僕は好きなのだ。


[3738] 2/14-2/20 2011-03-08 (Tue)

2/14(月)

バレンタインデー。職場の後輩2人からチョコをもらう。皆に配っている。
女子も大変だ。
この日、女性の営業職は各社を回ってチョコを配るのだとのこと。

休みの間に厄介な問題が起きていたことを知る。
気が重くなるが、話してみたら状況が緩和されていた。よかった。

職場でお土産を配る。

夜、大雪となる。
帰り、東京駅ではまだ雨だったのが、荻窪に着いたら大きなボタン雪。
これは積もりそうだ。というか早くも積もった。

例の作業。2週間の小休止を経て再開。
淡々と作業をする。今回のテーマはアナキズム。
下調べとそれに基づくアウトラインが残された状況から引き継いだので、
絵画を修復する人のようなスタンスで臨む。まとめるだけでも作業量が多い。
今週、いつも行く杉並区の中央図書館はメンテナンスで休み。

この休みで食べ過ぎた傾向にあるので、
昼は近くの蕎麦屋でかき玉蕎麦。
夜、西友で惣菜のパンと温野菜ディップを買ってそれだけ。

近々会う先輩に渡そうと
『惑星ソラリス』『鏡』『ストーカー』のサントラを
CDに焼こうとするが、うまくいかない。
明日会社から試す。

午前0時過ぎに眠る。

---
2/15(火)

昼、「焼き鳥屋」で親子丼とミニサラダ。
昼休みに自席のPCで昨晩のCDを取り込んでCD-Rに焼く。
こちらはうまくいく。

夜、打ち合わせがちょっと長引く。
帰りに職場の裏の「小諸蕎麦」にてかき玉蕎麦。
家の近くでかまくらと雪だるまを見かける。

夜、淡々と作業。
ひと段落着いてベルリン旅行の写真を整理する。
午前0時過ぎに眠る。

2月・3月、仕事が忙しくなってきた。

昼の打ち合わせにて「オカムラさんはプロのコンサルなんだからさ」と言われる。

---
2/16(水)

昼、PJランチ会。
相変わらず「神保町食肉センター」は混んでて入れず。
近くの「もちぶたや」にてカルビ丼の白(塩味)。
夕方、腹が減ってセブンイレブンで
厚揚げのサラダとチキンカツサンド。

夜、恵比寿にて「今日のノルウェー実験音楽」
”gift_lab”というイベントスペース兼ギャラリー兼セレクトショップにて。
終わって22時半。
帰ってきてとてつもなく腹が減っているが、我慢して寝る。

1日中打ち合わせ。

午前0時に眠る。

---
2/17(木)

今日もまたほぼ1日中打ち合わせ。
帰ってきてなんだか妙に疲れた。インフルエンザ? かと思った。
それでも作業を進める。
23時半前には布団に入る。
この頃から朝まで大雨。

昼、給料日前日でも素寒貧とはならなかったので
「味噌や」にて味噌ラーメン+チャーシュー+バター+コーン+味玉。
夜、何も食べず。

割と暖かい日だった。

---
2/18(金)

昼、天鴻餃子房で黒豚餃子定食の中盛り。

午後ずっと打ち合わせ。
ものすごく疲れている。まっすぐ帰ってくる。
しかし無性にスタ丼が食べたくなって新高円寺で下りる。
スタ丼暦20年になろうとしているが、初めてカレーを食べる。すたみなカレー。
意外とうまいということを知る。
次はすたみなカレーの肉増し+生玉子だな。

夜、作業を少々。

午前0時過ぎに眠る。

---
2/19(土)

9時前に目が覚める。
予定を変えてこの日はずっと作業に充てることにした。
早めにガッツリやっとかないとズルズル遅れそうだ。

西友へ。徳用ローストビーフを3パック入手。
給料日直後なので贅沢にもこの日は2パック食べることにする。
帰ってきて、今週もまたポトフをつくる。
今回はフランクフルトにしてみる。
野菜の皮を剥いて切って煮込むだけ。それだけなのにうまい。

20時頃まで作業する。今日はかなり進んだ。
ビールを飲みながら『True Stories』という映画を観る。
Talking Heads のデヴィッド・バーンが監督で、同名のアルバムが出てますよね。
これが当時のキッチュでキャンプだったんだろうなあ。
デヴィッド・バーン特有の硬直した笑いが随所に。
徳用ローストビーフは2パック一気に食べたらさすがに飽きてきた。
程よく押さえるということがやはり大事だ。
ビールの後は焼酎お湯割り。

午前0時半頃眠る。

---
2/20(日)

8時過ぎに起きる。
午前中、作業。

11時に部屋を出て、「もうやん」へ。
11時半に着いたら開店待ちの行列ができている。
入ってからもバイキングに長蛇の列。
うまいこと最初にカレーを盛ることができて肉をがっつりよそう。
腹いっぱいになる。

そのまま新宿に出て、
ハンズで浴槽を洗うスポンジとスラックス用のハンガーを買って
ヨドバシでCDラックを。たまったポイントをCDに引き換える。
Sarah-Jane Morris『August』
Blixa Bargeld の新しいプロジェクト「anbb」1000枚限定の日本盤ボックスセットが
売られていて、驚いた。なぜこのようなものがヨドバシに?
Motorhead『Ace of Spades』の紙ジャケ限定盤が売れ残っていた。
これを買うかどうか迷って保留する。

帰ってきて、クリーニング屋、洗濯。
その後作業。この日はバタバタしていて、あまり進まず。
19時過ぎで一区切り。
今日も徳用ローストビーフと缶ビール。その後焼酎お湯割り。
『プレシャス』を観る。
たまってた新聞を読む。
午前0時に眠る。

JALのマイレージを確認したら5月に大半が有効期限切れ。
3月中に利用しないとまずいということで
慌てて3連休前後の福岡往復の航空券を予約する。
行きは3/19(土)は全便満席で、3/18(金)朝8時台1便のみ。
会社休んでそれに乗っていくことにする。
よし、そこまでするなら初志貫徹で釜山にも行こうと決める。
シバゾウさんと行こうかということで日程調整することになっていたけど、
悠長なことは言ってられなくなった。
帰りは3/20(日)となる。


[3737] 「ももクロとかまってちゃん」 2011-03-07 (Mon)

2/25(金)会社の帰り、
HMVの対バン企画「ももクロとかまってちゃん」を見に行く。
ももクロってのは”ももいろクローバー”のこと。
全く知らなかったけど、アイドルグループであるらしい。
僕はもちろん、神聖かまってちゃんをナマで見てみたかった。
http://www.hmv.co.jp/news/article/1012020069/

SHIBUYA-AX 初めて行ったんだけど、何がどうなってんのかコインロッカーが少ない?
中にはないので外のをご利用くださいとのことだったけど、
開演1時間前に着いて入り口近くのは既に空いてるのなし。
他の場所にもあったのだろうか?
仕方なくコートを着て会社鞄を持ったまま入る。

「ライブは可能な限り前の方で見るべし」というポリシーの元、今回も前の方へ。
一つ目の柵の後ろ辺り。かまってちゃんは間近で見たい。
そしたら周りはモモクロファンばかりだった。
コアなファンのグループの真っ只中に入り込んでしまって、
それらしきコミュ系ノリの会話が聞こえる。
具体的に秋葉原とか石丸電気という名前が。しまった…

諸事情によりジョージ・ムアコック『アナキズム』を読みながら開演待ち。
超場違い。バクーニンの評伝。
シベリアの監獄で過ごしたのち、ヨーロッパに戻ってきて
第一インターナショナルに加わってマルクスと対立。
(amazonの中古で買ってブックカバーなしだったのを会社の行き帰りに読んでて、
 さすがにやばい人のように思えてきたので
 帰りがけにA3のコピー用紙で即席のまっさらのブックカバーをつくった)

注意事項のアナウンスによれば、この日のライブはニコニコ動画で生中継されて、
映画「劇場版かまってちゃん」にも収録されるとのこと。

ももクロ、始まる。
コアなファンたちが曲に合わせて決まり事・お約束事を次々に繰り出す。
コミュ内コール&レスポンス。赤や緑に光るヤツを振りながら。
低音の声で唸る。神宮球場の報燕会を思い出した。というか昔だったら親衛隊か。
飛び跳ねるだけでは飽き足らず、ダイブまで始める。
僕はボケーッと眺める。微動だにしない。会社鞄抱えて腕組みして見てる。
6人組の女の子たち。自己紹介によれば中2から高2まで。
1人ショートカットの子がいる他は、みな同じに見える。
数年前、サマソニで Perfume を見たときには
僕の心を瞬時で鷲掴みにするものがあったけど、
ももクロにはそういうの全くなかった。
終わって、僕の周りのコアな人たちはごそっといなくなった。
企画の趣旨はどうでもよく、ももクロが全て。

セットチェンジして、神聖かまってちゃん登場。
サングラスをした”の子”が古びたVAIOノートを手にステージへ。
括りつけた小型のカメラを客席に向ける。ニコニコ動画が客席を映し出す。
(けっこう前の方にいたので僕も映っていたかもしれない)

の子がおもちゃのようなギターを抱えて、演奏を始める。
1曲目は「あるてぃめっとレイザー!」
の子は天性のいじめられっ子が夢の中でヒットラーになって、
白昼夢のまま千葉の駅前のその辺でクダを巻いてるかのよう。
monoというかアゴはリーダーなので
ステージの真ん中にキーボードを2台置いてるんだけど、ほとんど仕事をしない。
最初の2曲ではノソノソしてるだけだったような。
たまにキーボードを弾いても片手。
この2人、喋ってることの半分が何言ってるか不明。
ドラムのみさこはほんと天然でフロントの2人が何してるかに関係なく
1人でのほほんとしゃべり続けていた。でもたぶん一番人気。
この日生まれて初めてラブレターをもらったという。

曲も演奏もたいしたことはない。目新しいものは何一つとしてない。
ロックの神様に魔法を掛けられたってのでもない。
でも、不思議なことに一生見ていたいと思わせるようなステージだった。
早い話が10年代リアルな進行形の、ロックに救われたクズ。天然危険物ワナビー。
なのにステージの上では”の子”が目を見開いて
ちゃんと汗をかいていた。そこがいい。
そんで聞こえたり聞こえなかったり、雰囲気100%のかっこいいアジテーション。
アンコールでギターは2本弦が切れて、床を転げまわって、
ギターはきれーにパカッと壊れた(らしい)。

社会不適応のダメなやつがギターを手にした途端覚醒するという、できすぎた話。
でも、見たいのはそういうのなんだよね。

喋っていたら時間が押したようで、アンコールは1曲だけと舞台裏で言われたのを
そんなの偉い人が謝ればいいだろと予定通り2曲。
最後は”死ね”を連呼する「夕方のピアノ」

僕は神聖かまってちゃんを見るのが初めてだったし、
もしかしたらこれが最後かもしれないけど
帰り道渋谷駅まで歩いていたら「今日のが一番よかった」という声も聞こえてきて。
僕としては思いかげず、いいものを見たと思った。

家に帰ってきて、昨年夏の限定盤シングル「夕方のピアノ」を
ヤフオクで4000円で即決、落札する。


[3736] こんなサントラを持っている その9 2011-03-06 (Sun)

――――――――――――――――――――――――――――――
□『Alphaville』

ゴダールの『アルファビル』のサントラ。
こういうのが国内盤として発売されているというところにニッチな市場を感じる。
折り畳まれたミニポスターが封入されているのが
コレクターズ・アイテムとしていかにも。
とっくの昔に廃盤になっているだろう。
全部で10分にも満たない。
サスペンス色の強い近未来SF映画を撮るにあたってシンセサイザーを使わず、
オーケストラで表現するならこうなるか、と思い描くまさにそのものの音。

じゃあこれが音源として珍しいかというとそんなことはなく、
『ジャン=リュック・ゴダール作品集』というアルバムに全曲入っている。
これは割りと中古で入手しやすいようだ。
その他に入っているのは『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』『軽蔑』
『勝手にしやがれ』はモダン・ジャズ。
『気狂いピエロ』はアンナ・カリーナが歌っている。

僕は特にゴダールに特に強い思い入れがなく映画を観てきたんだけど、
それでももう1枚ゴダールがらみで持っていた。
『シネマ・クラシック』シリーズのゴダール篇。
これ、タルコフスキー篇があったように思う。
調べてみたら、ヴィスコンティ、ベルイマン、アイヴォリーが出ていたようだ。
曲目を書き写すと、
勝手にしやがれ
 1. ワルツ第4番ヘ長調op.34-3「華麗なる円舞曲」(ショパン)
 2. クラリネット協奏曲イ長調K.622〜第3楽章(モーツァルト)
恋人のいる時間/カルメンという名の女
 3. 弦楽四重奏曲第9番ハ長調op.59-3「ラズモフスキー第3番」〜第2楽章
  (ベートーヴェン)
気狂いピエロ
 4. フルート協奏曲ヘ長調op.10-1「海の嵐」〜第1楽章(ヴィヴァルディ)
中国女
 5. ピアノ・ソナタ第13番イ長調D.644〜第1楽章(シューベルト)
ウィークエンド
 6. ピアノ・ソナタ第17番ニ長調K.576〜第1楽章(モーツァルト)
勝手に逃げろ!/人生
 7. 歌劇「ジョコンダ」〜自殺(ポンキエルリ)
パッション
 8. 左手のためのピアノ協奏曲ニ長調〜レント(ラヴェル)
ゴダールのマリア
 9. マタイ受難曲BWV244〜われら涙もてうずくまり(バッハ)
ゴダールの探偵
 10. 田園組曲~第4曲ワルツ・スケルツォ(シャブリエ)
ヌーヴェルヴァーグ
 11. 交響曲「画家マチス」〜第2楽章「埋葬」(ヒンデミット)

『アルファビル』のサントラは金に困ったら売ろうと思う。

――――――――――――――――――――――――――――――
□Tuxedomoon『Divine』

フランスを代表するバレエの振付師モーリス・ベジャールによる
1980年代初め頃の作品「ガルボの幻想」の音楽。
グレタ・ガルボの生涯をテーマとしていて
Tuxedomoonによる楽曲もまた、その主演作品から曲名が取られている。
「Grand Hotel」「Mata Hari」「Ninotchka」など。
肉声もサンプリングしている。
彼らのアルバムの中で最もヨーロッパ的で耽美的な音が聞ける。
代表作の1つ。

ベジャールは数年前に亡くなっている。
僕は1度だけ、2004年の来日公演を観に行ったことがある。
(この年は la la la human steps やピナ・バウシュの『バンドネオン』、
 アイーダ・ゴメスの『サロメ』、ニューヨーク・シティ・バレエを観ている)
当時の日記を見てみたら、演目は以下の4つだった。
「海」「バトリー・フュガス」「これが死か?」「バクチTUV」
自分の中でのステレオタイプなバレエのイメージを覆す、鬼気迫るものを感じた。
バレエの神、モーリス・ベジャールはカーテンコールで登場した。

――――――――――――――――――――――――――――――
□Jonny Greenwood 『Bodysong.』

未来の映画音楽の大家ってことになるんだろう。
ジョニー・グリーンウッドは。
既にしてトム・ヨークよりも「Radhioheadのメンバー」という肩書きから
相当自由であるように思う。
(トム・ヨークのソロはどこまで行っても
 そこから逃れるための強迫観念的な過程としか感じられない)

『ノルウェイの森』のサントラもかなり素晴らしかったですが。
BBC専属の作曲家となってからの成果を存分に発揮した
『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』もなかなかですが。
その原点と言えばこの作品。
詳しいことは分からないんだけど、人体に関するドキュメンタリーであるらしい。
既存の音楽概念のイディオムの残骸が不協和音として、ノイズとして、並べられる。
不安であるとか恐れであるとか、
直接的な感覚(触覚や聴覚)の先にあるものはやはり身体から発するのだ。
そんなことを思う。

ジョニー・グリーンウッドだと
レゲエの「Trojan」レーベルの楽曲をコンパイルした
『Jonny Greenwood is the Controller』もいいですね。
サントラではないですが。

――――――――――――――――――――――――――――――
□『Eastwood After Hours Liva at Carnegie Hall』

クリント・イーストウッドの監督や主演作品にて使われた曲の中から選んで、
息子のカイル・イーストウッドを初めとする大勢のミュージシャンが
コンボやオーケストラで演奏する。
場所はニューヨークのカーネギー・ホール。
それをクリント・イーストウッドが客席から鑑賞する。本人は主役とならない。
なんとも贅沢な一夜。

セロニアス・モンクの「Straight No Chaiser」や「'Round Midnight」
レスター・ヤングの「Lester Leaps In」
チャーリー・パーカーやエロール・ガーナー。
それにイーストウッド自身が作曲した曲。
演奏するゲストにジョシュア・レッドマンやジミー・スコットなど。

このときの模様が映画になっているけれども、
もちろん監督はイーストウッドではない。
演奏の合間合間に『ダーティー・ハリー』など実際の作品からの映像が挟まる。

単なる回顧的なコンサートではなく、
イーストウッドならではの乾いた緊張感のあるステージだった。

――――――――――――――――――――――――――――――
□『Blue in the face』

90年代ニューヨークを代表する小説家、
ポール・オースターの原作による『スモーク』の姉妹編。
ポール・オースター初監督作品ということになる。
(実際には『スモーク』のウェイン・ワンと共同監督)
『スモーク』はニューヨークの下町を舞台とする人情味溢れるいい話だとしたら、
『ブルー・イン・ザ・フェイス』はそのアウトテイク。
ポール・オースターが映画撮ってるぞってことで
友人・知人たちが撮影現場を訪れ、
そのときにカメラを回して遊びで撮った映像が元になっている。
即興で決めた設定と小道具・衣装で役柄を演じる。
マドンナがセクシーなメッセンジャーだったり、
ルー・リードやジム・ジャームッシュがしょうもないことを喋っていたり。
こっちのほうが断然面白い。

音楽はジョン・ルーリーやルー・リード、
Talking Heads のディヴィッド・バーンなど。オムニバス。
ちなみに Geggy Tah というグループは
数年前に日本でもヒットしたデュオ、
The Bird and The Bee の男性の方が在籍していた。


[3735] 『今日のノルウェー実験音楽』(後編) 2011-03-05 (Sat)

後編。2/26(土) 場所は落合の「soup」というクラブというかイベントスペース?
http://ochiaisoup.web.fc2.com/
行ってみたら以外に小さくて驚いた。マンションか雑居ビルの地下。

開場時間と開演時間を思いっきり間違えて
開演まで1時間暇になり、ビールを飲みながら音楽を聞いてボケーッと過ごす。
それもまたよし。

今回は CMFLG が企画だったので DELA 君と会って、少し話す。
4月の Peter Broderick のこととか。
気がついたら数年ぶり。 CMFLG のイベントはずっとご無沙汰でした。
http://blog.cmflg.com/

1人目:Taishi Kamiya
ソプラノサックスで出した音を
そのままラップトップに取り込んで加工して重ねていく。
(親指ピアノみたいなのも途中使っていた)
偶発性が歴然としてるわけであって。
リアルタイム性があってよかった。

2人目:細海魚
ピュアなラップトップ。ストイックな音。

3人目:c今回は一番前の席で観たので、Phonophani のすぐ目の前。
指の動きの細かいところまで見えた。ラップトップで何しているのかも分かった。
楽器は前回2/16のショーケースと同じ。
エレクトロニカ・バンドネオン(?)とヴォコーダー・ハーモニカ(?)
バンドネオンは今回、ノイズ・効果音として使うのではなく、
右手のボタンでサンプリングの音を変えつつも
左手のボタンでバンドネオン本来の切ない音を奏でていた。
そこにサンプラーの音が加わって、ミキサーで変調させる。
タンゴの哀感はあるけど、どこをどう聞いてもリズムも曲調もタンゴではない。
なんともカテゴライズできない、それでいて毅然とした意思を感じさせる音。
北欧特有の、未知の生命体に出会ったかのよう。
これこそが「今日のノルウェー実験音楽」か!

4人目:Alexander Rishaug
こちらも前回とは正反対の音。
前回が過去と未来の描写だとしたら、今回は正に今この瞬間に鳴っている現在の音。
無数のコインを床にばら撒く音がフィールドレコーディングされて使われていたり。
ノイズがどんどん音の強度を高めていく場面が何度かあったんだけど、
そこに確固たる必然性があった。
音とノイズに関してきちんとした「思想」があるというか。
つまみを回せばいくらでもヴォリュームは上がるじゃないですか。
そういうのとは違う。
メロディーの断片が流れて、秩序ある無秩序な音がそこに重なって。
音の位相が美しいコントラストを描く。
なんか久々にラップトップ系で
きちんとしたアートや音楽になっている音を聞いたなあ。

最後、この4人で短いセッション。
これはまあ蛇足だったかな。

1人演奏が終る度にドリンクのところに行って
ウォッカやテキーラをショットでオーダーして、椅子に座って演奏を聞きながら飲む。
それを何回か繰り返した。音楽と酒。いいもんです。

---
DELA 君はこれまでずっと主宰として CMFLG で頑張ってきたんだけど
走り続けて疲れがどっと押し寄せたのか体調がよくないみたいで
しばらく休養するとのこと。ゆっくり休んでください。

思えば、CMFLGの前身から含めて、いろんなアーティストを
DELA君のところで見せてもらったなあ。感謝。
Au Revoir Simone, I am robot and proud, テニスコーツ,
David Thomas Broughton, group_inou, 竹村延和 ...


[3734] 「今日のノルウェー実験音楽」(前編) 2011-03-04 (Fri)

先週・先々週の話になるけど、
「今日のノルウェー実験音楽 2011」というイベントに行ってきた。
2回に分かれていて、
2/16(水)が ”アーティスト・トーク&ショーケース・ライヴ”で
2/26(土)が ”コンサート”
http://jimushitsu.blogspot.com/
http://blog.cmflg.com/?eid=116654

ノルウェーというと2001年、生まれて初めて1人で海外旅行で行った場所であって。
そこのところが懐かしいというのと、”実験音楽”というところと。
(実際には、エレクトロニカ・音響系の流れを汲む音楽)

前回は2008年で、今回は2回目とのこと。
企画は「安永哲郎事務室」
2/26(土)の方は旧友の主催する”CMFLG”が協力。そういう縁もあり。

まずは2/16(水)の方について。
場所は恵比寿の「gift_lab」http://www.giftlab.jp/
イベントスペース兼音楽/映像のセレクトショップというか。
東京の最先端の1つはこういうところなんだろうな、と思った。
小さな部屋で、今回は予約制25人まで。
椅子が隙間なく並べられていて前方にささやかなステージ。
僕は一番後ろの隅の席に座った。
背後は大きな棚になっていて、CDがディスプレイされている。

20時開演で、19時半には席についていた。
1ドリンクの瓶ビール(レーベンブロイ)を飲みながら待つ。
今回の入場者特典として受付で「ノルウェー王国大使館特製エコバッグ」をもらった。
中には「ノルウェー音楽を収録したCD」が2枚入っていた。
中身はそれぞれ違うという。
後で司会・主催の方が言うには、ブラックメタル率が高いとのこと。
僕のエコバッグに入っていたのは

・Tri-Dim「Tri-Dimprovisations」
 http://www.hmv.co.jp/product/detail/169787
 (ジャケットの感じからしてエレクトロニカかと思ったら、ジャズだった)

・Mantric「Descent」
 http://www.hmv.co.jp/product/detail/3786632
 (今やノルウェー名物の1つ? ブラックメタル)

1セット目が始まる。
手作り楽器を演奏する Phonophani とオルガン奏者 Sigbjorn Apeland のデュオ。
オルガンを主体とした曲から、ラップトップを使用した曲へ。
大きなオルガンを持ち込むわけには行かず、
Sigbjorn Apeland は小さなハルモニウムとピアニカを演奏した。

後のアーティスト・トークで語っていたけど、
ピアノが弦を叩く楽器である一方、
ハルモニウムって足踏みペダルで空気を送ってリードが鳴る楽器なんですね。
19世紀後半から大量生産されるようになって、
安価なので小さな教会や学校や家庭へと普及する。
しかし、1970年代に電子オルガンが発明されると急速に時代遅れとなった。

Phonophani が今回用いた楽器は2つ。
1つは六角形のバンドネオンにサンフランシスコ製のサンプラーを組み合わせたもの。
主に古いノルウェー民謡のSP盤からサンプリングしたという。
なんというか、山の奥で木材が奏でる波の音のようだった。
もう1つは1週間前に作ったばかりという、木製の大きなハーモニカのようなもの。
客席に向かった面には3つのスピーカーらしき穴が開いていて、
ヴォコーダーで変調された声や空気音が出てくる。
どちらも中で空気を出し入れすることで音が生まれる。
(前者は蛇腹をふいごのように押したり引いたりするわけですね)
それがデジタルなサンプリング音に変換されて出力される。

参考「slttberg」 以前、楽器の製作過程を動画にしたものとのこと。
http://jimushitsu.blogspot.com/2008/12/slttberg.html

この Phonophani が後の自己紹介で語ったところではトロムソの出身ということで。
僕が訪れた港町ハシュタの割と近くだった。
僕はあのときに出会った風景を思い出しながら聞いていた。
雪に閉ざされた田舎道を一人歩いた日のこと。木々の間を抜ける。
透き通った空気。夕暮れの日差し。

トロムソではアンビエントな音楽が今、主流であるという。

デュオの次は Alexander Rishaug によるラップトップ。
波の音、風の音、砂の音。何千年と無人のままになった架空の都市の喧騒。
この世界の森羅万象のエッセンスを音にしたというか。
果てしなく続き過去と未来と。しかし現在はすっぽりと抜け落ちているような。
ヨーロッパでもアラビアでもアジアでもなく、
例えて言うならば別の惑星の別の自然、別の文化を描いたサウンドトラック。
フィールドレコーディングした音から組み立てているのだと言う。

僕の座っていた席の隣に「ここ空いてる?」と言って座った若そうなおっさん。
36歳と僕と同い年だった。家族を連れて来日していた。
最初のデュオのときまだ小学生になったばっかりぐらいの息子が客席で
(恐らくこの子が)いびきをかいて眠りだして。
あとで休憩時間にトイレの前で説教してた。

3人の演奏が終わって、アーティスト・トークへ。
いくつか話題があったんだけど、覚えているところで。

ノルウェー政府ってのは実験音楽であれブラック・メタルであれ、
音楽家を広く、手厚く、サポートするのだそうだ。
例えば海外への公演旅行への助成金など。
そういうのがしっかりしているから今回のようなコンサートも可能となるし、
(25人限定で、ドリンク代込みで2,500円でCDも2枚もらえてって
 どんなふうにペイしているのか最初想像もつかなかった)
「ノルウェー音楽」というものが全世界的に知られるきっかけにもなる。

しかし、その「ノルウェー音楽」ってジャンルが
実際に具体的な音の特徴をもって存在するかと言うとそんなことはなく、
3人とも「住んでる人からするとそんなのよくわからないんだよね」って
苦笑するような感じだった。
でも、司会兼主催の方が仰ってたように
木々のぬくもりのような、シンプルでオーガニックな生活から生まれる音っていう
イメージがそこにはあったように思う。

最後に質疑応答ってことで客席から質問が1つ出る。
Phonophani がデジタルな楽器を手作りするに当たって
日本で言うところの秋葉原みたいな場所はノルウェーにあるのか?
…もちろんそんなところはなくて、このインターネットの時代、
eベイなどを利用して取り寄せたりするとのことだった。

この日は22時半頃終了。
Sigbjorn Apeland は帰国するけど、
Phonophani と Alexander Rishaug は次の日より京都や大阪、神戸など
関西方面を演奏して回り、東京に戻ってきて2/26(土)のライブとなる。

(続く)


[3733] ベルリン その22(2/7:成田空港) 2011-03-03 (Thu)

行きは満席だったが、帰りは2/3ぐらいか。
僕の横の通路隔てて4席が全て空席。
窓側に座っていた青年がそちらに移りましょうかというので、僕が替わりにずれることにした。
左2席を僕が使うことになり、右2列はまた別の女の子が席を移ってきた。
(この子はずっと、NintendoDSかPSPでゲームをしていた)

離陸。行きと同じようにビールをもらい、機内食にてワイン。
チキンかパスタと言われて、パスタにする。
マッシュルームの入ったチーズグラタンのようなパスタ。
サラダ、クリームブリュレ。
食べ終わってもう1本ビールをもらう。
今回の旅行で確信したけど、日本発着の欧米系旅行会社の機内食は
チキンやビーフを選ぶとたいがいベチャベチャしたライスがついてきたり
なんちゃって中華だったりして失敗で、
パスタやオムレツ(卵料理)を選んだ方がいい。
無難だし、向こうの専門分野なのではるかにうまい。

昨日17時に食べたきりなので全然足りない。
行きの飛行機で隣に座っていた外国人がシーフードヌードルを食べていたなあ、
ともらいに行ったら3時間後から提供とのこと。
そのとき1個持ってきてもらうように頼む。
待っている間に本を読むつもりが、日本時間だと深夜だということを考えて寝ることにする。
結局6時間近く断続的に眠っていた。

起きて、やはり腹が減っていて、シーフードヌードルを。
「お持ちしようとしたのですが眠っておられましたので…」
とわざわざ取り置きしといてくれた僕の分をワゴンから取り出す。
チキンヌードルもありますよと言われて、そっちに。
同じ日清だけど日本国内用ではなくて海外用。珍しい。
お湯を入れてもらう。自席で3分待つ。これはこれでうまい。
というか飛行機の中で食べるカップラーメンってかなりうまい。
「合味道 鶏肉味」

着陸前の機内食はオムレツにする。トマト、マッシュルーム、豆が入っている。
マフィン、ヨーグルト、オーガニックなオレンジジュース、水。コーヒー。

着陸は日本時間にして9時。
成田の気温は3℃であるという。天気は…、雪。
税関の申告書を書く。今回はタバコを買ってないので気にすることは何もない。
何事もなく着陸。

入国審査。
手荷物受け取りを待つ間に母に電話を入れる。
iPhoneも機内モードをOFFにする。
スーツケースを受け取って税関へ。
外に出て、両替。310ユーロが3万3,000円ほどになる。
思ったよりも使わなかったので、帰りも成田エクスプレスにする。新宿まで。

何の集まりなのか10代末ぐらいの女の子5・6人と
60歳ぐらいの男性が1つのグループになっている。
短大生と教授による卒業旅行?
何なのだろうと気になって耳をそばだてる。今時の女の子たちの会話を聞く。
千葉に着く前ぐらいだったか、女の子たちが喚声を上げる。
窓の外を見ると雪。

新宿で丸の内線に乗り換えて、荻窪へ。部屋に帰ってくる。
スーツケースを開けて荷物を片付ける。
大家さんに1つクッキーを持っていく。ついでに更新する契約書を記入して渡す。
母と妹に1個ずつクッキーの箱を袋に入れて宅急便で青森まで送る。
スーツケースはトランクルームに持っていく。
図書館に行って借りていたガイドブックとドイツ語会話のハンドブックを返す。
帰って来て洗濯をする。
ベルリン旅行が一通り、終わった。


[3732] ベルリン その21(2/7:テーゲル空港・ヒースロー空港) 2011-03-02 (Wed)

3時に起きる。
目覚まし時計を3時にセットするのだが、夜中何度も目が覚めて
最後に目が覚めたのが3時前。起き上がることにした。
日本から目覚まし時計を持ってきていたのだが、いらなかった。
海外では常に慢性的な緊張状態にあって、起きたい時刻に目が覚めるようになっている。

着替えて歯を磨いて、髭を剃って、スリッパだとかスウェット上下だとか
残りのものを全てスーツケースに詰め込んで、ベルトをかける。
部屋の中に忘れ物がないか点検する。

チェックアウト。電話もミニバーも利用しなかったので追加清算はなし。
ホテルの外に出る。Zoologischer Garten のバス・ターミナルへ。
終夜営業の店から大きな音でヒット曲が流れる。
若者向けに酒を飲ませる店の類か。
駅前の花屋も開いていた。こんな時刻に買うものだろうか? と思うが、
実際に30代ぐらいの男性が買っていた。
帰りが遅くなってごめん、ということだろうか。

始発の03:30は出て行ったばかりだった。次の03:48のを待つ。
停留所には何人ものバス待ちの人たちがいる。
それぞれの路線のバスが来て乗り込んで消えていく。
ポーター・サービスのような赤い制服と
キャリーカートに箱を括りつけた男性たちを何人か見かける。

03:48になってもバスが来ない。
これはその次のを待つことになるのだろうか?
と思っていたら遅れてやってきた。
乗り込む。真夜中、バスが空港に向かって走り出す。
さらば、ベルリン。
街はひっそりと眠り込んでいる。
他の停留所から乗ってくる人たちは皆、空港で働く人たちのようだった。

部屋に volvic のペットボトルを忘れてきたことに気付く。
それ自体はたいしたことないのだが、
他にも何か忘れ物してるんじゃないかと気になって仕方がない。

空港に到着する。4時半前。
空港会社のカウンターまで行ってみるが、閉まっている。
スーツケースの持ち手に貼る行き先を記したシールを出力するプリンターが開けられて、
未使用のシールを巻いたのが取り出された状態になっていた。どこのカウンターも、そう。

椅子に座ってぼんやりと待つ。
ポツリポツリと他の旅行客がスーツケースを手に集まってくる。
5時を過ぎて、ようやくブリティッシュ・エアウェイズの人たちがカウンターへ。
パーティションポールというのか、それを並べ直してベルトを伸ばす。
コンピューターを稼動させる。プリンターにシールの一巻きをセットする。
準備ができて、チェックイン可能となる。僕は列の最初に立ってさっさと済ませようとする。
スーツケースを預けて、搭乗券を受け取る。
マイルを貯めたいと言うと既に入っていると言われた。
後で見たら確かに名前のところにJALマイレージバンクの番号が合わせて印字されていた。
搭乗はそこの横のところからと指示されて行ってみるが、
閉じられたドアを開けて中に入ろうとしたら係りのおばちゃんに怒られた。まだらしい。
カウンター前の椅子に座ってまたしばらく待つ。
中国人の団体がチェックイン・カウンターの列に並ぶ。ものすごい人数の団体。
ドアが開いたようなので中に入って手荷物検査と出国審査を受ける。

ゲートにてジェームズ・エルロイ『アメリカン・デス・トリップ』を読んで待つ。
時間が来て搭乗する。行きと同じように横6人の小型飛行機。
何事もなく、離陸する。飲み物を、ということでコーヒーをもらう。
2時間のフライトは本を読んでいるうちにあっさり終わる。

ロンドン、ヒースロー空港。
前回同様、フライト・コネクションズの指示に従って進んでいく。
セキュリティ・コントロール、手荷物検査。今日はとても混んでいる。
ベルリン・テーゲル空港07:05発、ロンドン・ヒースロー空港08:10着。予定通り。
ロンドン・ヒースロー空港12:35発。4時間以上暇になる。
行きのときに空いていたからとずっと座っていたA21のゲートの空き席に今回も座って本を読む。
疲れてくると歩き出す。店をブラブラと覗く。
HMVはCDのコーナーがなくなって、DVDだけになっていた。
ポール・スミスは服だけではなく、写真集も売っていた。
バレンタイン・デーが近いということでハートをモチーフにしたピンクの絵をいくつも飾っていた。
ハロッズ。トートバッグは前からおしゃれだなあと思っていた。
男性用があってもいいのに。ハロッズ仕様のモノポリーってのがあるんですね。

サッカー選手なのか、空港職員に頼まれてユニフォームにサインをしていた。

腹が減っているが、金もなく、飲み物も買えず。
紙幣はこれ以上崩したくない。日本に帰ってからの貯金に回したい。
待ちに待ってようやく、ゲートが決まる。搭乗へ。
飛行機までバスに乗る。複雑なルールに従ってターミナル内を右に曲がって、左に曲がって。
Eurythmics「Thorn In My Side」が小さな音で流れていた。名曲。


[3731] ベルリン その20(2/7:ベルリン&フレンズ) 2011-03-01 (Tue)

その後、ライヒスタークのドームが開いているだろうか?
と10分ほど川沿いに歩いて行ってみるが、やはり閉まっていた。
改修中とか何かしらの理由でこの期間閉まっているのか、それとも月曜が休みなのか。
残念。引き返す。
地下鉄に乗って Kochstr. へ。昨日の熱気球まで行ってみる。
これも強風のため今日も休み。また引き返す。
Sバーンで Zoologischer Garten まで戻る。
14時過ぎ。少し早いが、残りはこの近辺で過ごそうと思う。
ホテルの部屋に買ったばかりの写真集2冊を置いて、また外に出る。

ここ、Zoologischer Gartenはカイザー・ヴィルヘルム教会というのが観光名所で、
地図を見るとホテルの目と鼻の先ということになっているのに
それらしき建物が見当たらない。
目の前には工事用のシートで全面覆われた細長いビルがあるばかり…
あ、これか。よく見ると尖塔がちょこんと頭を覗かせている。
あーだからこの周りに土産物屋とかカリーヴルストのインビスが多いのか。
入ってみるが、工事中ということで入り口まで。
ガイドの若者がドイツ語でその歴史を解説していた。
19世紀末に建てられたが、1943年の連合軍の爆撃によって破壊される。
そしてそのまま後の世代への教訓として残されている。
壮麗なモザイク画。19世紀末の勇敢な兵士たちを象ったレリーフ。

外に出る。Zoologischer Garten と言えばもう1つ有名なのが名前の通り動物園。
これもまた全面的に工事中…。工事現場の柵で覆われている。
どうりでこの界隈に賑わいがなかったわけだ。閉まってる土産物屋も多い。
なんか今日はことごとく見たかったものが見れず。

バスのターミナルに行って、明日の朝早くバスが走ってないか時刻表を調べた。
X9ラインは始発が03:30で次が03:48となっている。早過ぎ。
フライトは07:05でその2時間前には着いていたかったのだが、
これだとバスに乗っていけばよく、タクシー代を払う必要がない。よかった。

土曜に訪れたヨーロッパ最大のデパート「KaDeWe」に行って追加で土産を買うことにする。
クアフュルステンダム通りを西へ。
途中、「ヨーロッパセンター」というのを通り抜けていく。
何を目的としたビルなのかよく分からないんだけど
上の階がオフィスビルとなっていて、下の階がショッピングセンターのようだ。
ピカピカしたジャスコという印象。
土曜にここの前を通りかかったときに「Internet」と書かれた看板を見かけたような気がするのだが、
それらしき場所は見当たらず。
iPhoneを接続しないことにしたので、日本を出てからインターネットに接していない。
どこかにありそうなんだけど、ベルリンはインターネットカフェみたいなのを見かけない。
もっと真剣に探せばあったのだろうか?
(日本に帰って来て気になって調べてみたら、確かにこの近辺にあったようだ。
 日本語が使えて30分2ユーロ。利用すればよかった)

「KaDeWe」の6階へ。先日のお土産系お菓子売り場にて、クッキーの詰め合わせを追加。
チョコレートの詰め合わせも2種類、念のため追加する。

これでもうお金を使うこともないか。
小銭は持ち帰っても両替できない。
通りを歩いて気になっていた物乞い2人にあげることにする。
1人は土曜に見かけた40代ぐらいの普通の格好をしたドイツの女性で
店の軒先の固い床に正座して右手にカップを持っていた。
2ユーロと余っていた小額の小銭。
もう1人はトルコかそちらの方から移民で来たと思われる母娘。同じく2ユーロ。

ホテルの部屋に戻る。買ってきたクッキーなどを置く。
最後の日の夜はカリーヴルストで缶ビールと思っていたので
近くのどこかに買いに行くことにする。
いや、待てよ。どうせなら有名なところで買って食べよう。
ガイドブックを見てみたら、ここ Kurfurstendamm の駅から2つ先の Guntzelstr. 駅に
「Currywurst Berlin & Friends」という店があって
ここは『ベルリン・天使の詩』の撮影にも使われたという。
マリオンと刑事コロンボが出会う場面とのこと。ここだ!

地下鉄に乗って、Guntzelstr. へ。地上に出てすぐだった。
土曜のコノプケス・インビスのように行列になっていない。
確かに『ベルリン・天使の詩』のスチール写真が壁に飾られている。
ポテトなしのカリーヴルストが1.7ユーロ。
店先のカバーの中に置いてあった、
トレイに入った豚肉と玉ねぎの串が気になって何なのか聞いてみたら
コンロにかけた鍋を指差して、自家製ソースをかけて食べるという。
じゃあそれもと2.5ユーロ。
テイクアウトにしてもらったらアルミホイルでグルグル巻きになった。
持ち帰って部屋で開けたときにもアツアツだった。

17時前。さっそく缶ビールと共に食べてみる。
ここのカリーヴルストはまさにカリーヴルストなのだと思う。
ケチャップとカレーパウダーをかけただけのソーセージではなく。
ケチャップをベースとしつつも、濃厚な味になるまでスパイスを加えてつくりこんだソース。
もう1つの煮込みもグッと来る味だった。
(串のままソースをかけているのではなく、串を外して煮込んでいる)

買ってきた写真集を見る。
『In einem stillen Land』は
1人の写真家が1965年から1989年にかけて
東ドイツの名もなき市民の生活を淡々と切り取ったものだった。
生きて生活している限り、それがどこであろうと人々の喜怒哀楽というものは変わらない。
工場で働き、水着を着て水浴びし、ロックに憧れる若者たちがいる。
結婚式と行進と。トランプに興じる兵士たち。
衣装を着て、舞台は今、幕を開けようとしている。

もう1つの『Die Mauer』はコール元首相の名前があって、監修ということなのだろうか。
1961年から1992年にかけての報道写真を集めたもの。
それぞれの写真に短いキャプションがドイツ語と英語で。それを読みながらページをめくる。
写真の1つ1つが、その瞬間の1つ1つが、歴史的な重みをずっしりと感じさせる。
国境となる橋を見守る兵士。屋根の上に立ち、泣きながら西側に手を振る女性。 
壁を越えるときに銃弾を受けて重態となりながらも命を取り留めた若者。
西側、何も知らずに壁の近くで無邪気に遊ぶ子供たち。
壁が崩壊する1年前、1988年に射殺された女性の写真を目にしたとき、
歴史の残酷さに思わず涙が出そうになった。
あと1年耐えることができたら、自由になれた。
しかし東ドイツに暮らす一般市民にはそんな未来は想像できなかった。

缶ビールを3本立て続けに飲む。
EURO SPORTでは先日に引き続き女子バイアスロンの試合を中継し、その後男子のジャンプ。
日本からは伊東大貴が出場していた。なかなかの好成績だった。
(そういえば、女子スキージャンプの国際大会ってないですね)

荷物をまとめて、あとは翌朝出るだけにする。
EURO SPORTはサッカーのトルコ対オランダ、それがダイジェストですぐ終わって、
次に力自慢系の競技へ。
橇の上に乗せた巨大なタイヤに民族衣装を着た女性3人が乗って
それを地面に置いた梯子の上で引っ張るというもの。
次に、「Farmer's Mill」というので、ものすごい重さと思われるミルクポットを両手に持って、
ポールとポールの間を一周する。
ウクライナの女性が登場し、ウクライナでの新記録を達成する。
ものすごい形相で競技に臨んでいた。

明日は早いと20時に眠る。


[3730] ベルリン その19(2/7:グッゲンハイム美術館) 2011-02-28 (Mon)

12時過ぎ。
U5ラインを引き返す。Magdalenenstr. から Alexanderplatz へ。
地下鉄の中のモニターで世界のニュース。
クリスティーナ・アギレラがスーパーボウルで歌ったとのこと。

Sバーンに乗り換えて Friedrichstr. で下りる。
駅を出ると Birkenstock の店があったので入ってみた。
そうか。名前からしてドイツがオリジナルか。
前から探していたオリーヴ色のがないか見てみるが、本場ドイツにもなかった。

ウンター・リン・デンまで歩いて、大通りを渡る。
すぐにもグッゲンハイム美術館が見つかる。
月曜は入場料無料。ここベルリンのは小さくて、
企画展1つとミュージアム・ショップだけから成り立っていた。
http://www.deutsche-guggenheim.de/dg/

企画展は Agathe Snow という人の「All Access World」というもの。
http://www.deutsche-guggenheim.de/dg/ex_agathesnow_full.php
上記のサイトに、公式の映像があった。
http://www.youtube.com/watch?v=8knUKrmjCGw

マクドナルド、自由の女神、ハリウッド、ベルリン、ピサの斜塔、古代ギリシャ人。
世界中のおもちゃ箱を素材にしたかのようなカラフルなコラージュとオブジェなんだけど、
だったら僕としては昨日タヘレスで見た Tim Roeloffs の方がよかった。
図録は買わず。

ミュージアム・ショップにてゲルハルト・リヒターの図録を見つける。
2002年から2003年にかけて開催されたようだ。
http://www.deutsche-guggenheim.de/alt/21/english/ausstellung/index.htm
欲しくなるが、我慢する。
アーカイヴを見ると他に、ビル・ヴィオラ、ナム・ジュン・パイク、マシュー・バーニー、
マーク・ロスコー、ジャクソン・ポロック、ロバート・メイプルソープらの名前があった。
日本人だと、やなぎみわ。
http://www.deutsche-guggenheim.de/e/ausstellungen-yanagi01.php

ニューヨークのグッゲンハイム美術館を3年前に訪れたことがある。
グッゲンハイム美術館って世界各地にあって、他にヴェネツィアとビルバオ。
今年、アブ・ダビ、グアダラハラ、エルミタージュが竣工予定であるという。

グッゲンハイムを出て、駅の方に戻る。
その途中にある「Dussman」という大きな本屋兼CD/DVDショップに入る。
http://www.kulturkaufhaus.de/
吹き抜けをいかしたつくりで、居心地がとてもいい。

4階建て。フロアの右側がCD/DVDで、左側が本。
右側だと1階がロック・ポップ、オルタナティブが中心。Vampire Weekendとかあの辺り。
2階がジャズとワールド・ミュージック。3階がDVDの映画。4階は本。地下がクラシック。
入り口ではこの前発売されたアデル「21」と
マリアンヌ・フェイスフルの新作が大々的にフィーチャーされていた。
Cold War Kids の新作と Regina Spektor のライブアルバムが出ていることを知る。
わざわざこっちで買う必要はないか。日本で買おうかと思う。
ロックの主流はやはりアメリカやイギリスのようで、ドイツのロックは隅の方に追いやられている。
これはジャズもそうだった。
ドイツのロックは、Einsturzende Neubauten のカタログがほとんど揃っててほっとした。
既に忘れられてるとか母国では評価されてない、というのではなさそうだ。
Nina Hagen もけっこうあった。
Kraftwerk はあっても、Can や Faust はなし。Can はなぜか欧米のロックの方にあった。
気になったのは、Element Of Crime というグループと、Philipp Poiselという人。
たくさん売られてて、人気がありそうだった。
2階のワールド・ミュージックのコーナーで売られていた日本のCDはなぜか SCANDAL だった。
でもまあこういうの受けるんだろうな。

本の方では写真集を物色する。ベルリンの壁の歴史を扱ったのがないか探していたら、
まずは3階の写真集のコーナーで東ドイツの写真集があって、
Roger Melis『In einem stillen Land』
http://www.amazon.co.jp/dp/3937146520/
1階のベルリンのコーナーでベルリンの壁に関する写真集があった。
Kai Diekmann『Die Mauer』
http://www.amazon.co.jp/dp/3771644305/
どちらも、中をめくってみてこれだよこれ! と思う。
日本でも、というか amazon でも取り寄せられそうだが、ここベルリンにて読むことに意味がある。
2冊で50ユーロ以上したけど、買う。今回の旅行で最も大きな出費になった。
絵葉書も1枚買った。

Dussmann を出て、近くのドイツ料理の店に入った。
「Alt-Berliner Kneipe, Treffpunkt」
気になっていた煮込み料理グーラッシュにする。
この店は豚肉のグーラッシュだった。パプリカがたくさん入っていた。
ロートコールという赤キャベツの煮込みと茹でたジャガイモが付け合せ。
黒ビールも飲む。
ここのグーラッシュ、とてもおいしかった。今回の旅行で最もおいしかった。
食べ終えてウェイトレスのおばちゃんから笑顔で何かを言われたんだけど、
「デザートもどう?」とかそういうことだろうか? と思って、
いやもう出るからと「チェック」と言ってしまった。
その後おばちゃんはちょっと不機嫌になる。
今思うと「おいしかった?」と聞かれたんだろうなあ。
なんかとても悪いことをしたように思う。
またいつかベルリンに来ることがあったら、またここでグーラッシュを食べたい。


[3729] ベルリン その18(2/7:シュタージ博物館) 2011-02-27 (Sun)

トイレに行きたくなって探す。駅の中にはなかった。
駅の反対側に出たらデパートがあって、そこで。2階に上がる。
トイレチップとして0.2ユーロ置いてくる。

地下鉄のU5ラインに乗って、Alexanderplatz から Magdalenenstr. へ。
7駅目。けっこうある。
ここまで来ると東ドイツ、東ベルリンの雰囲気が色濃く残っているだろうか?

この辺りは僕の持ってきた地図にはどれも載ってなくて
(三省堂で買った市内の大きな地図は旅行会社からもらった地図を拡大していただけだった)
ガイドブックには駅名とノルマネン通りというヒントしか載っていなかった。
もしかしたら見つけられない可能性がある。
11時のオープンまでに果たして間に合うだろうか?

駅に着く。ホームに付近の地図がないか探す。あった。
ノルマネン通りはあるだろうか…、あった。
そんなに遠くなかった。あとは出口の南北を間違えなければいいだろう。
地上に出る。ここが、典型的な東ベルリンとなるのか。
大通りに面したビルは骨組みは硬そうだが、隙間が多そうだった。
こっちだろう、西と思う方角へ歩いていく。
南北の小さな通りをいくつか越える。公園がある。
ノルマネン通りが意外とあっさり見つかった。
しかし、この通りのいったいどこに?
目の前には5・6階建ての横に大きなビルが建っている。
これだろうか? しかし、ガイドブックに載っている写真と概観が違う。
とりあえず通りの中に入ってみる。
何の変哲もない住宅街へ。
こういうところにシュタージ(秘密警察)の本部があったとは。
付近の住民も生きた心地がしなかったのでは…

基本的に1戸建ての家はなくて、どれも集合住宅。
壁は白や茶色、クリーム色。年月を経てどことなくくすんでいる。屋根は赤が多い。
通りのあちこちに車が停まっている。
ケーキ屋、花屋、雑貨屋があった。
通りの端まで来て、見当たらず。引き返す。南へ。
東西に伸びた大きな通りを渡る。
反対側には特に集合住宅はなし。スタジアムがあった。
しかし月曜の午前、試合が行なわれているわけがない。
通りの突き当たりに小さな教会があった。
ここでノルマネン通りは終わり。
やはり見つからず…

もしかしてこれは最初の勘の通り、あの大きな建物の中ではないのか?
行ってみる。正門付近まで来ると薬局があった。どうもここは総合病院であるらしい。
デパートで見かけるフロアガイドのようなものは診療科の案内ではないか。
うーむと思いながらキョロキョロしていると、ドイツ語で「シュタージ博物館→」とあった。
この建物群の中であるようだ。見つかった。中に入っていく。
医者や看護師、出入りの業者らしき人たちが建物から出ては別の建物に消えていく。
奥へ。ああ、これがガイドブックに載っていた建物だろうか…、というのを遂に見つける。
しかし全面的にシートで覆われ、工事中。一介の観光客は入れそうになかった。
ここまで来たのに…
インビスがあったのでコーヒーでも飲んで博物館が閉まっているか聞くか、
と振り向いた瞬間、そこにシュタージ博物館があった。
移転したのかガイドブックの写真が違うのか。
2階建ての小さな建物だった。
それにしても、当時は病院の中に秘密警察を隠していたのか…

時計を見ると10時45分。まだ時間がある。
さっき見かけた公園で暇をつぶすことにする。通りを渡る。
住宅街の間にある、普通の公園。石畳の小道を歩く。他に誰もいない。
真冬なので木々のほとんどが葉を落としていて、それが寒々しさを感じさせる。
ベンチにも人影がない。もう何十年と人が訪れてないかのような。
しかし小鳥の鳴き声が聞こえてきて、そこに救いのようなものがある。
端まで行って、外に出て、さっき歩いたノルマネン通りへ。
そしてシュタージ博物館に戻ってくる。11時になるのを待って中に入る。

入場料は不要なようだ。何も言われなかった。
付近の建物に番号を付けた地図を見る。
秘密警察はこの建物だけではなくて、
周りの今は病院として利用されている建物全部がそうだったことを知る。

1階は正直何があったのか覚えていない。
特に目を引くものはなくて、
勲章だとかマルクス・エンゲルス・レーニンの3人が並んだ絵だとか。

2階に上がる。
喫茶室の初老の女性と博物館スタッフの初老の男性2人が話し込んで笑いあっていた。
普段、暇なんだろうな…

2階は1959年から壁崩壊までの1989年の30年間、
秘密警察のトップにいたエーリヒ・ミールケの執務室が再現されていた。
よく磨かれた机と青い布張りの椅子、電話が2台。
机の脇にボタンのたくさん並んだ、なんらかの機械と1つになった電話機。
他に会議用の机と椅子が10脚。
ただそれだけ。この何もなさが逆に怖い。

その奥には、盗聴器の数々。
テープレコーダー、腕時計に始まり、折り畳みの傘、水筒、携帯用の石油タンク、切り株…

奥の部屋にはなぜか東ドイツにおけるエホバの証人の歴史。
廊下には地下出版用の印刷機。
(ロシア語で「samizdat」とあったから、旧ソ連のか?)

あっさりとした展示ですぐ見終わる。
僕の他にはカップルが1組いただけ。
さて出るか、と展示室を出て喫茶室の前を通り掛かると
植木に霧吹きで水を与えていた先ほどの初老の女性が「ヴィデオ見る?」と話しかけてくる。
せっかくだから見ていくか。時間はあるわけだし。
モニターの前の席に座る。
DVDではなく、ハードディスクに録画したものだった。
フォルダがたくさんあって、どこにあるのかすぐに見つからない。
おばあちゃんは横着してカウンターの中から身を乗り出して真横のモニターにリモコンを向ける。
「あ、上に行き過ぎた」「今度は下に」と何度もやり直す。
(僕個人は「ミックジャガー・イン・ベルリン」のフォルダがとても気になった)
ようやく始まる。
ただで見るのも悪いので、コーヒーを頼む。1.2ユーロ。
ビスケットがサービスで付いてきた。

こんな内容だった。
実話と思われる。ベルリンの壁崩壊の4年前。
身重の妻を抱えた若者が秘密警察に呼ばれる。
先日の西ドイツへの亡命の申請について疑わしい点があるらしい。
というか端的に言ってスパイ容疑。
西側に住む叔父への手紙に書かれたサッカーチームへの言及。
叔父がひいきにしているチームについて、若者が思っていたチームと、
秘密警察が調べて判明したチームとが食い違う。
身重の妻の両親は西側にいるのだが、その写真のやり取りが云々。などなど。
秘密警察の捜査官と若者が2人きりで夜遅くになるまで話し合う。
時には険悪なムードが生まれ、時には親しみが生まれ。
若者は絶えず自らと妻の正しさを訴え、亡命を求める。妥協しようとしない。
それが災いして第99条項に違反、スパイとされ、18ヶ月の刑務所入りとなる。

見ている間、おばあちゃんはのんびりと霧吹きで植物に水をあげ続けていた。
見終わってコーヒーカップをカウンターに下げて、ありがとうと言うと
おばあちゃんはとても喜んだ。
ここでのやりとりが僕個人としてはここベルリンで最も人間的だったなあと思う。
それがシュタージの跡地だったというのは不思議なものだ。

パンフレットをいくつかもらって帰る。
秘密警察の刑務所もまた、同じように今は博物館のようになって見学可能だという。
しかし事前に予約が必要でガイドが着くとのこと。
ここからは遠いようなので諦める。

『善き人のためのソナタ』はシュタージを扱っていたんだったか。
日本に帰ったらすぐ見てみよう、と思った。


[3728] ベルリン その17(2/7:ライヒスターク) 2011-02-26 (Sat)

3時半に目が覚めて、2度寝。時差ぼけか。
6時半に再度起きる。
朝食はヨーグルトとコーヒー、紅茶のみ。昨日のグリルで食べ過ぎた。
8時になって外に出る。今日は晴れている。

昨日ベルリン中央駅を出たとき、
旧帝国議会議事堂(ライヒスターク)もついでに見に行くべきかどうか迷った。
ガラス張りのドームからの眺めがよく、旅行客の訪れる定番であるという。
明日にしよう、と決めた。まずはそこへ。戦勝記念塔経由で歩いていこう。

この2日間で見たい場所はほとんど見た。
月曜が入館無料のグッゲンハイム美術館を残したぐらい。
昨晩ガイドブックを見ていたら
東側にシュタージ(秘密警察)の博物館があるのを知り、訪れてみたくなった。
ここはオープンが11時。
その後グッゲンハイム美術館と、文化のデパート「Dussmann」か。
明日はベルリン発が早朝7時と早い。
夜早々と寝るために、夕方にはホテルに帰ってくることにする。

Sバーンに乗って、Zoologischer Garten の隣の Tiergarten で下りる。
一昨日もバウハウス資料館に行くためにここで下りている。
同じように戦勝記念塔まで歩いていく。ボケーッと何も考えず。
林の中には小さな池があったり、子供たちのための遊戯施設があったり、
英雄なのだろう、銅像が建っていた。

戦勝記念塔からは北東の方角に進む。
ベルビュー宮殿に出る。白くて気品のある、美しい宮殿。
18世紀に建てられたが今は大統領官邸として利用され、
各国首脳が訪れたときの公式行事が執り行われる。
守衛が立っているが、それほど厳戒な警備ではない。

シュプレー川に出て、川に沿って歩く。
ジョギングをしている人がいる。
そういえばこれまでけっこうジョギングしている人を見かけたな。
朝8時過ぎ。土日だともっと多いのだろうか?
自転車に乗ってる人も見かける。気持ちよさそうだ。

この辺りまで来ると林の中というよりも庭園の中の林の中、という雰囲気になる。
ベルリン、というよりドイツの政治の中心地区。
「世界文化の家」という武道館? のようなドーム型の建物が見えてくる。
ヨーロッパの外にある文化を紹介するとのことだが、閉まっていた。
その横に、連邦首相府。建物そのものが現代アートの粋を集めてつくったかのよう。
それでいて浮ついたところはなく、毅然としている。ギリシアの神殿のようでもある。

さらにその奥にライヒスターク。こちらはもっと神殿っぽい。
間には芝生の植えられた広場が広がる。テクテクテクテク歩く。
目の前まで来て見るととてつもなく大きい。
警備員なのか何らかのスタッフなのか制服を着た人たちが大勢、
思い思いの方角へのんびりと歩いている。
(ベルリンの人々には常に、この緊張感あるのんびりがあったように思う)

どこがドームの入り口だろうと裏側に回ってみたら
各国の言葉で「The dome is closed !」とあった。
時計を見ると9時過ぎ。まだ早かったのだろうか。
しょうがない、また帰りに寄るかと決める。

シュタージ博物館に行くために Hauptbahnhof の駅を探す。
橋を渡る。少し進むと森鴎外記念館があった。
この辺りだろうかと右に曲がる。
劇場や高級なオフィスやホテルの立ち並ぶ通りだった。
突き当りまで来て、見渡してみる。駅のありそうな雰囲気にない。どうも違うようだ。
道を迷っている。慌てず、地図を見る。
恐らく Hauptbahnhof からかなり西まで来て、全然違う場所にいる。
ま、いいか、時間はあるしどこかに辿り着くだろうと川沿いに歩いていく。
川面を見るとボートが通り過ぎていく。
向こうにはテレビ塔が見える。最悪、テレビ塔まで歩いていけばいい。
普通の人が住んでいる地域に入る。
敷地はどこも門があって、鍵が掛けられていたように思う。

川の向こうに宮殿のような博物館のような建物が見えてくる。
相変わらずそこがどこなのか分かっていない。
そろそろ南に曲がってみるかと歩いていく。
工事現場に差し掛かる。ベルリンはどこもかしこも工事中だな…
もしかしたら、Friedrichstr.はこの辺りかも?
いや、通り過ぎたのかもしれない。やはり周りは駅がありそうな雰囲気にない。
テレビ塔がどんどん大きくなる。
こうなったらテレビ塔まで歩くかと腹を括る。東西の通りに入って西へ。
通りの先に先ほどの宮殿が。
遠くに「L'Oreal」の巨大な広告。見覚えがある…
あ、これって博物館島の博物館たちではないかと気付く。
ようやく、方向感覚がつかめてきた。
というかベルリン中心部を流れる川ってそんなにないのだから、
川を中心に考えれば土地勘が掴めたはず。
僕としたことが何たる失態。

ボーデ博物館、ペルガモン博物館、旧博物館、そして大聖堂。
大聖堂前の広場は中国人の観光客でいっぱいだった。
(3日間、ベルリンのあちこちで中国人の集団を見かけた)

アレクサンダー広場へ。
その前に一昨日ベルリンの壁のかけら買った店でもう1つお土産用にかけらを買って、
土曜には足を踏み入れなかったマリーエン教会へ。
13世紀につくられたという教会。素朴というか、清楚な佇まい。
大聖堂と比べるととてもこじんまりとしている。
礼拝の席は今でも大勢のベルリン市民が祈りを捧げるために利用されるのだろう。
中ではパイプオルガンの調律がなされていて、プーとかパーとかいう音が聞こえてきた。

テレビ塔の脇を通り抜けてアレクサンダー広場へ。
時計を見ると10時。2時間かけてベルリンを西から東へ歩き通したことになる。


[3727] ベルリン その16(2/6:ハンブルガーバーンホフ現代美術館) 2011-02-25 (Fri)

この時点で16時過ぎ。
1日を終えて夕食を取ってホテルに戻るか、もう1箇所どこかを訪れるか。
もう1つ美術館を訪れる時間がありそうだ。
Hauptbahnhof(ベルリン中央駅)のハンブルガーバーンホフ現代美術館にする。
Oranienburger Tor駅から地下鉄で、Friedrichstr.へ。
Sバーンに乗り換えて隣の Hauptbahnhof へ。

ここは2006年に完成したばかりの長距離鉄道発着の駅。とてつもなく大きい。
東京駅のような位置づけなんだけど、
吹き抜けを有効利用した空間に僕は横浜のランドマークタワーを思い出した。
スーツケースやバックパック姿の旅行客のグループがあちこちに固まっていた。
駅の構内は全て禁煙なのだろう、
駅の外に一歩出ると煙草を吸う人たちがワサワサと集まっていた。

美術館は駅の北側にある。
日が暮れかけている。17時になろうとしているところ。18時には閉館となる。
なのに入り口はなぜか長蛇の列。なかなか進まない。
明日休みだからか。それとも日曜だからか。
いくつかあった企画展のうち2つが今日、最終日だった。
チケットを持ってた人たちが駆け込みで訪れようとしていたのかもしれない。
ようやく僕の番になる。展示の全てを見るチケットで6ユーロ。安い。
http://www.smb.museum/smb/sammlungen/details.php?objID=21&n=13&r=3

残り1時間、駆け足で見る。
常設展はアンディ・ウォーホルがあった。毛沢東やエルヴィス・プレスリーなど。
他は思い出せず。ヨーゼフ・ボイスがあったようだが…
かろうじてアンゼルム・キーファー、サイ・トゥオンブリー、
ロバート・ラウシェンバーグの名前がメモに残っている。しかし何を見たのか…

企画展は5つあった。

・「Else Lasker-Schuler.The Pictures」
  http://www.smb.museum/smb/kalender/details.php?objID=29814&typeId=10

  エルゼ・ラスカー=シューラーと読むようだ。
  作品を見る限りではエジプトに影響を受けた女性の画家のようだ。
  時間があったらちゃんと見たかった。

・「Pause. Valeska Gert: Moving Fragments」
  http://www.smb.museum/smb/kalender/details.php?objID=29032&typeId=10

  これは全く思い出せず。

・「Philipp Lachenmann. Some Scenic Views」
  http://www.smb.museum/smb/kalender/details.php?objID=29033&typeId=10

  美しい動画を超スローモーションで再生するというもの。

・「Cory Arcangel. Here Comes Everybody」
  http://www.smb.museum/smb/kalender/details.php?objID=29371&typeId=10

  これはよかった! 唯一まともな記憶がある…
  Wikipediaで調べたら1978年生まれのブルックリンのディジタル・アーティストとあった。
  ホームページがあった。http://www.coryarcangel.com/
  今回の展示は音楽がテーマのようで、
  音楽に合わせてギターを弾くゲーム(既に日本のゲーセンにあるが…?)。
  ジミヘンのギタープレイが映し出されているモニターなど。
 
  「a couple thousand short films about Glenn Gould」ってのがすごかった。
  途中だけだけど僕が見た、ベルリンでの映像がYouTubeに上がってた。
  http://www.youtube.com/watch?v=K6_yLC3JeAk
  これで見ると雑音のようだけど、リアルに聞くととてもキャッチーな音楽でした。

  スクリーンは左右2つに分かれている。
  左にヘヴィメタギターを弾く若者、右にピアノの上を飛び跳ねる猫が映って、スタート。
  グレン・グールドのゴルトベルク変奏曲を
  様々な人が様々な楽器で弾いてる場面を1音ずつ切り取って繋げていく。
  どんな発想というか遊び心があったらこういうのが生まれるのか。
  これを日本で見ることができないのが残念だ。

・「Soma」
  http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2784784/6787902?utm_source=afpbb&utm_medium=topics&utm_campaign=txt_topics
  http://www.smb.museum/smb/hbf/exhibition.php?id=25193&lang=en

  美術館のメインフロアいっぱいに展開されていた近未来的なトナカイ牧場。
  冷蔵庫に笠の大きな茸が詰まっていたり。
  巨大茸のオブジェの側に寄り添うトナカイ。

---
閉館前にミュージアムショップに駆け込んで、これまで時々アート系土産物屋で見かけてきた
『Street Art in Berlin ver4.0』を買う。19.95ユーロ。
ベルリンのグラフィティの数々。

夕食はドイツ料理にしたいと考える。ガイドブックを見て、
Hauptbahnhofの隣、Bellevueのレストラン「Brewbaker」に決める。
ガード下にあるというのでこれだろうと入ってみる。
グリルの店だった。ドイツ語語のメニューをもらう。ふと見たら店が違ってた。
「Marjan Grill」という名前だった…
でもまあそれもよし。雰囲気のいい店だった。
混んでたので地元の人が気軽に利用する店なのだろう。
メニューがよく分からず、英語のに変えてもらう。
(持ってきたドイツ語会話のハンドブックは結局ここでしか使わなかった)

グリル盛り合わせにする。ベーコン、ポークチョップ、ハンバーグ、レバーなど。
ベーコンは厚いけどしょっぱかった。塩漬けにしてつくるのだから、本場の味はこういうものか。
ザワークラフトの入ったサラダと、付け合せはポテトと煮込んだ豆。
ビールは「bit burger」というのを2杯。
これで20ユーロしなかった。テーブルで払う。
チップとして釣り銭を置いてくるべきが、そこまで気が回らず。

2駅隣の Zoologischer Garten で下りてホテルへ。
19時半ぐらいだっただろうか。
シャワーを浴びて缶ビールを飲む。
EURO SPORT ではビリヤードのドイツ選手権決勝。神業のようなプレイが繰り広げられる。
2本目を途中まで飲んでいるうちに眠くなって、21時半だったか、ふらっとベッドへ。
その瞬間眠り込んでしまって、目が覚めたのは23時半。
缶ビールの残りを飲んで眠る。

日曜はドイツ語で「ソンタグ」と言うと知る。
スーザン・ソンタグはスーザン・日曜日ってことか。

ハンブルガーバーンホフ現代美術館がつまらなかったのは
駆け足だったからというだけではなく、
ベルリンの街全体が現代アートのようなものだから
相対的にそう感じられるのだ、と考えた。

野田努『ブラック・マシン・ミュージック』を読み終える。
ジェームズ・エルロイ『アメリカン・デス・トリップ』を読み始める。


[3726] ベルリン その15(2/6:クンスト・ヴェルケ現代美術館) 2011-02-24 (Thu)

続けて、クンスト・ヴェルケ現代美術館。
近くにはシナゴーグがあった。

ガイドブックを参照すると美術館はかつて、マーガリン工場であったという。
本館と別館みたいに分かれていて、
別館「KW69」はとても小さな2部屋だけのスペースに今注目の若手?の作品を。
僕が訪れたときには「Cold Society by Judith Hopf」というのが開催されていた。
仮面をかぶった人たちを写真に撮るなど。
こちらは入場料なし、寄付で賄われている。
http://www.kw-berlin.de/

本館にて、1993年、28歳の若さで亡くなったイスラエルのアーティスト、
アブサロンの回顧展「ABSALON」
展覧会の動画がありました。興味のある人は見てみてください。
http://architecturephoto.net/jp/2010/12/post_2662.html

こちらは入場料6ユーロ。
ギャラリーは5つのフロアに分かれていて、1つ上がるごとに作品の抽象性が増していく。
最初のフロアは「家」「インテリア」「居住空間」がモチーフとなるのだろうか。
住まいというものをデフォルメした実物大の真っ白なオブジェがポツリポツリと配置されている。
中に入ることができて、引き戸を閉めたり梯子を上ることも可能。
小さな子供はベッドに横たわることもできた。
美術館に雇われてるのか、ずっと机に向かってる人がいたり、中で本を読んでいる人がいた。
これが上の階に行くといくつかのパーツを含んだ単なる箱になり、空間になり。
最後はただの円や四角形の組み合わせとなる。
1階から5階へ。5階から1階へ。
何かの単位が大きくなっているのか小さくなっているのか。
退化しているのか進化しているのか。
変化はある。それがどこに向かっているのかが分からない。
単純化というのでもない。
それでいてどこか人懐っこい。
拒絶しているのではなく、迷子になって取り残されているような。
不思議な作品たちだった。
異星人が地球に来て家というものを見て見よう見真似で模型を造ったらこうなるのか。
これも面白かった。

外に出る。駅に引き返す途中で、画廊を見つけて中に入ってみる。
アルプスやノルウェーの大自然を不思議な色彩感覚で撮影する Charles Compere と、
モノクロの静物画を撮影する Alfred Ehrhardt この2人の作品を取り扱っていた。

この頃、ようやく雨が上がる。

思い出したのでここに書いておく。
ベルリンの地下鉄(Uバーン)や市電(Sバーン)って改札がないんですね。
駅の入り口から階段を上ったり下りたりするといきなりホーム。
とはいえ、ただで乗れるわけではなくて券売機があって、乗る前に打刻する。
でもそれを必ず誰かに見せなきゃいけないわけでもなく。
検札があったときにチケットを持ってないと罰金となるらしいが、一度もそういう場面には出会わず。

そういえば、3日間のどこかで地下鉄の車両にストリート・ミュージシャンが乗ってきて、
アンデス系の曲をギターと首からかけたサンポーニャ(様々な長さの笛が並んでるやつ)で演奏して、
曲が終わると乗客たちからチップを集めた。
駅のホームでスチールパンを演奏している若者を見かけたこともあった。


[3725] ベルリン その14(2/6:C/Oベルリン) 2011-02-23 (Wed)

クンスト・ヴェルケ現代美術館に向かうつもりが、途中で別の美術館を見つけて入ってみる。
「C/O Berlin」という名前。ガイドブックに載ってない。新しくできたのだろうか?
地図を見ると「旧王立郵便局」とあった。
ロバート・メイプルソープの回顧展を開催していた。せっかくの機会だから見てみようと思う。
入場料10.0ユーロ。
http://www.mapplethorpe.org/exhibitions/2011-01-21_c-o-berlin/
http://www.artfacts.net/en/institution/c-o-berlin-2552/news/robert-mapplethorpe-retrospektive-5852.html

C/Oベルリンのサイト
http://www.co-berlin.info/

ポラロイドがあって、セルフ・ポートレートがあって。
パティ・スミスだけで一部屋あったのは嬉しい。
こんな言葉が掲げられていた。
「I Was Robert's first model, he himself was his second」
かっこいいですね。
『horses』や『Wave』のジャケットの元になった写真が飾られていた。
他に、「flower」と「sex」と題された部屋など。
もうだいぶ前に上野で見た回顧展と大体は一緒かな。代表作の展示としては。
でも、局部をアップにした写真の数々は日本だと無理か。
このときに買ってるので、今回こちらでは図録は買わず。

僕としては興味深かったのは
もう1つ開催されていた「SHOOT! . Fotografie existentiell」の方。
http://www.co-berlin.info/3_cos/index.php?Itemid=13

第一次大戦終了後の1920年代、お祭りの場に
「photographic shooting gallary」というアトラクションが生まれた。
壁に掛けられた的を銃で撃って、見事中心に命中したらカメラのシャッターが押されるという。
銃を構えたポートレートが出来上がる。
長い間人気のアトラクションとなったが、今ではドイツやスイスにわずかに残るのみとなる。
この企画展はそのときに撮影された有名・無名の人のポートレートを集めたもの。
合わせて、「銃を手にした私」をテーマとした現代アートを幅広く。

いや、ほんと面白い。
銃の形や大きさ、銃を構えた人、服装、背景みなバラバラなのに
銃を構えて片目をつぶっているという構図はどれも一緒なんですね。
そして構えている人の周りを取り囲んでいる人たちとの関係性もそれぞれで面白い。
ひやかしたり、興味なさそうだったり、一緒になって喜んでいたり。
有名人としては、フェデリコ・フェリーニ、アンリ・カルティエ=ブレッソン、
ブラッサイ、ジュリエット・グレコ、ロバート・フランクなど。

僕個人がとても感銘を受けたのは
オランダのとある女性が1936年の16歳から、第2次大戦の1939年から1945年を除いて、
今に至るまで毎年このアトラクションでポートレートを撮影していたのを全て並べたセクション。
太った大柄なおばちゃんが銃を構えた姿、70年分。
(図録はこれらの写真をパラパラ漫画のようにページの隅に配置しているのが気が利いている。
 ページをめくるとおばちゃんがどんどん若返っていく。奇跡)

ああ、これこそがアートだ、これこそが芸術だと僕は思った。
撮ってるとき(撃ってるとき)のおばちゃんには芸術的な意図は全くなく、
たまたま生み出されたものに過ぎないだろう。
(このおばちゃんが自ら出品したのではなく、その存在を知ってコンパイルした人がいた)
今回、芸術とは何か? ってことを何度も考えた。
例えばナショナル・ギャラリーの、ベルリンの壁をキャンバスにして描かれた絵と
先ほど訪れたタヘレスのジャンク・アート。
前者は芸術の残骸だし、後者は残骸の芸術だった。
そういうのよりもこれらの写真の方が一段も二段も価値があると僕は思うんですね。
時間を超越して残されるべきはこちら。
うまくは言えない。歴史的・記録的価値と芸術的価値を混同しているのかもしれない。
ただ単にドキュメンタリーやノンフィクションが好きなだけかもしれない。
こういうことではないかと考える。
ナショナル・ギャラリーやタヘレスで見られたアートは
対象をAからBに変化する過程において美なり芸術的価値を生み出すというものだった。
目の前の作品/対象が全て。静的。
その一方でおばちゃんの連続した写真は「間」の芸術なんですね。
その間に様々な意味を込められる、引き出せる。
そしておばちゃんが生きている限り写真の数は増えていく。
死という終止符がいつか訪れるだろうけど
そのコンセプトにおいては未完成のままにあることを前提としている…

展示においては他に、銃を撃つ自画像のバリエーションがいくつか。
オッと思ったのはクリスチャン・マークレイの作品があったこと。
「Crossfire」というタイトルで
4面スクリーンにいろんな映画からサンプリングした銃撃の場面を映し出す。
その場に現れる。弾を込める。息を詰める。そして撃つ。撃つ。撃ちまくる。
撃たれる。撃つ。転げ回る。撃つ。撃ち尽くす。一瞬の静けさが訪れる。
弾を込める。そしてまた、撃つ。撃つ。撃ちまくる。
カウボーイ映画。ベトナム戦争映画。スパイ映画。アクション映画。
北野武の姿もあったなあ。
これもまた体験できてよかった。

「photographic shooting gallary」体験コーナーがあって、ライフル3発で2ユーロ。
最初の2発は的を外したが紙には当たった。3発目は全然当たらず。
なので写真は撮影されず。
見てると皆けっこう真ん中に当てて写真をもらってるんですね。
悔しいなあ。もう1回やろうかなあと迷っていたら
最初の1発で当てた男性が「やる?」と周りの人にライフルを差し出す。
別な人が1発試した後で、最後の1発を僕が撃たせてもらった。
でもやはり外してしまった。残念。
ここで写真を撮れたら自分への一番のお土産になったのに。

こっちの方は図録を買った。
メイプルソープはパティ・スミス「horses」の絵葉書を1枚買った。
ウィリアム・エグルストンのモノクロの写真集が48ユーロ。
欲しくなるが我慢する。

バルセロナで見た「ジャズの歴史」にメキシコシティの都築響一展。
そして今回の「Shoot!」
その国でたまたま見ることのできた企画展というのはどれも心に残る。

図録を読むと元々はパリで企画・開催されたものとのこと。
もしかしたら日本にも来るかも。来てほしいなあ。


[3724] ベルリン その13(2/6:タヘレス) 2011-02-22 (Tue)

午後になってこの日の後半戦。美術館巡り。
Friedrichstr. の反対側を訪れてみる。

Kochstr.から地下鉄に乗って、Friedrichstr.を通過して、
そのまま Oranienburger Torへ。
ここでの目的は「タヘレス」という芸術家村?と、クンスト・ヴェルケ現代美術館。

「タヘレス」は元々20世紀初頭に建てられたデパートだったのが
戦後東ドイツ政府によって接収され野ざらしとなり、
東西ドイツが統一された1990年に解体が行なわれることになったのを知って
芸術家のグループが占拠して今に至るというもの。
建物の歴史ははてなのキーワードが詳しい。 http://d.hatena.ne.jp/keyword/Tacheles

パッと見は廃墟。
上から下までびっしりとグラフィティで覆われていて、何も知らなきゃ怖くて近づけない。
僕はグルッと裏から回っていた。入り口を見つけて入ってみる。デパートの正門。
雨の降って水溜まりのできた地面にバラックがいくつも建っていて、
それらが作業場兼ギャラリーとなっている。
鉄屑で作られたオブジェ。人間や鳥、犬、亀、鶏、架空の生物たちが道のあちこちに立っている。
相当、怪しい。時間と空間が歪んでいる。
バラックの中は工具やガラクタが散らかり放題で、芸大の寮生活ってこんななのかと思った。
あるいは核戦争後の地球。
個人のギャラリーは日曜だからかどこも鍵がかかっていた。
一番大きなバラックが共同のギャラリーなのか、
右側にはコマゴマとした作品が展示され、左側には大きな顔の形をした暖炉。
芸術家の1人と思われる男性が火に当たっていた。
ここでは大きな音で音楽がかけられ、僕が最初入ってきたときには Depeche Mode だった。
それが David Bowie「Heroes」に続いたとき、妙に感動してしまった。
そうだ。「Heroes」はベルリンの壁を前にして生まれた曲だった。
”僕たちは1日だけなら英雄になることができる”

中庭へ。ステージがあった。夏には演劇やコンサートが行なわれるのかもしれない。
サイケデリックに塗られたバスや小屋。
デパートの1階に入るとなぜか卓球場があって、芸術家なのか旅行者なのか、
熱心に卓球をプレイしていた。

デパートの中のギャラリーへ。この階段がまたとんでもない。
スペースというスペースが全てグラフィティで埋め尽くされている。
4階か5階まで上がる。
デパートは例えて言うならば「門」の字型の構造になっていて、下の階は階段だけとなる。
上の階が細長く伸びるフロアとなって、個人のギャラリーが中に入っている。
その中の1つでは大きなフサフサとした犬を2頭放し飼いしていた。
いくつか覗いてみる。
韓国系のアーティストがハングルをモチーフにした作品を作成していたのを覚えている。

最上階が Alexandar Rodin 1人に当てられていた。ここでの大御所なのか。
http://www.bellabelarus.com/en/component/option,com_jsgallery/mode,by_artist/artist_id,23/Itemid,49/
偏執的なまでに細かい目次録的な絵の数々。
ある種のアール・ブリュット(アウトサイダー・アート)かと思った。
全ての作品? が展示されていて、それらが様々なサイズの写真となっている。
一番小さいのを一枚買った。2ユーロ。
受け取った年老いた男性は本人だったかもしれない。

もう1人気になったのは、Tim Roeloffs という人。
この人のコラージュがダントツでよかった。
http://www.roeloffs1.com/
↑上記のサイトのギャラリーを見て欲しいんだけど、カラフルでキッチュ。センスよすぎですよ。
何をどう組み合わせようが怖いものなしのような。
ベルリンをテーマにした絵葉書を5枚買った。
その場に居た初老の男性に支払って、「あなたが描いたのですか?」と聞いたら違ってた。
で、Tim Roeloffs という名前を教えてもらった。

このタヘレスも運営が順調ではないようで、
最上階では引き続きこの建物をタヘレスとして使用するための署名活動が行われていた。
http://super.tacheles.de/cms/
サイトを見てみると、ここで活動している日本人がけっこういた。
808 State のメンバーだった、A Guy called Gerald の名前もあった。
ここはとても面白い。ベルリンに来たら絶対訪れるべき。

建物を出て、駅の方に戻る。
カリーヴルストのチェーン店があったので入ってみた。
「Viva La Wurst」という。客なし。店員の若者が暇そうにしていた。
カリーヴルスト、ポテト、コーラのセットで5.2ユーロ。
ファーストフードとして、それなりにうまかったと思う。


[3723] ベルリン その12(2/6:チェックポイント・チャーリー) 2011-02-21 (Mon)

まだ、昼前。
Friedrichstr. から地下鉄に乗って、熱気球まで戻ってみようと思う。
3駅先の Kochstr. まで乗って、下りる。
地上に出ると目の前に、有名なチェックポイント・チャーリー。
東西ドイツの境界線上に置かれた国境検問所。
先ほどWikipediaを見てみたら
ジョン・ル・カレなどのスパイ小説にたびたび登場するとあった。

ちなみに「チャーリー」そのものに意味はなく、「検問所C」といった程度の意味。
航空業界で「ABC」を「エイブル、ベーカー、チャーリー」というあれですね。
アルファベットを聞き間違えないようにという。「エイブルのAです」とか。
正しくは「NATOフォネティックコード」ということを知った。
各国ごとに拡張がなされ、国ごとにABC…がそれぞれ何を指すか異なる。
航空業界のは「イギリス海上無線 JAN」から来ているようだ。

検問所は壁崩壊時に撤去されたが、ドイツ統一後復元される。
それが今も道路に残されている。
アメリカの国旗がはためき(ソ連・ロシアはない)、検問所の裏には土嚢が積み上げられている。
ソ連側の将校とアメリカ側の将校の大きな写真が裏表になって掲げられている。
(この人が「チャーリー」なのかと最初思ってたが、違った)
アメリカ軍兵士・ソ連軍兵士の格好をした人が立って、観光客と共に写真を撮っている。

ここの「壁博物館」に入ってみる。12.50ユーロ。かなり高い。
入ってみたら大混雑。なぜこれほどまでに人を集める?
http://www.mauermuseum.de/english/frame-index-mauer.html

なぜ高いかっていうと、私設の博物館だからだろう。
創設者ライナー・ヒルデブラントが1962年に国境線近くのアパートの一室で始めたものが
拡張に拡張を続けて、アパート全体に広がる今の姿となった。
日本語のパンフレットがあったのでもらって読んでみると、
逃亡計画がここで練られ、亡命者が一息ついたという。ふーむ。

印象としては、東京タワーの蝋人形館。あの、一生懸命なんだけど雑多な感じ。
セクションはいくつかに別れている。
逃亡してきた人たちの苦労や工夫を今に伝えるために
彼らが実際に使用した気球や小型飛行機を展示している箇所。見るべきはここか。
この辺りが最も混雑していた。
昨日ナショナル・ギャラリーで見かけた「The Fraternal Kiss」
ブレジネフとホーネッカーのキスの原画? あるいは模写があった。
これらの隙間に、個人的にあんまり好きになれない感じの現代アートの絵画。
知ってる人は見当たらなかった。

アパートの奥へ奥へと進んでいくと、世界平和を訴えかけるセクション。
サハロフ博士のデスマスクやガンジーの彫像、パブロ・ピカソ「ゲルニカ」の制作風景。
チェックポイントチャーリー近辺?の犠牲者の眠る墓地の模型。
「You Are Leaving The American Sector」とそのロシア語訳が大きく書かれた有名な立て札。
(恐らく、当時無数にあったものがここに1つ現存しているのだと思われる)
3歳半の息子を東側に誘拐?された女性の記事を集めた部屋。

そしてミハイル・ホドロフスキーとプラトン・レベデフの釈放を訴えかける部屋。
その所持品やメモなど。
どっかで聞いたことあるなあと思って日本に帰って来て調べてみたら
ロシアの石油会社ユーコスのCEOにしてロシア一の大富豪とそのビジネスパートナー。
ロシアの資源をアメリカに売ろうとしていたということで
ロシア政府(プーチン)によってシベリアの刑務所に送られた。
正直僕はプーチンとホドロフスキーが正しいのか、欲深いのかよく分からず。
(どっちもどっちというか…)
館内の何箇所かでミハイル・ホドロフスキーとプラトン・レベデフを自由に!
という絵葉書が2種類、無料で配られていた。
ミハイル・ホドロフスキーを描いた絵やマンガもたくさん飾られていた。

これら大きなものから小さなものまで全て
「どれも大事!」と言わんばかりに並列に並んでいる。
ガンジーもホドロフスキーも。そしてホドロフスキーの方が扱いが大きい。
このようなところに主催者側の「趣味」を感じる。
公立の博物館の客観性ではなく、私立の博物館の主観性。
面白いといえば面白いが…

ミュージアムショップで「You Are Leaving The American Sector」の絵葉書を買う。
ベルリンの壁崩壊の日の新聞が15.0ユーロ。
欲しかったが高かったのでやめた。
その日のオリジナルなら欲しいけど、複製かもしれないし。

博物館の前のインビスでカリーヴルストを見つけ、食べてみる。2.5ユーロ。
パンに挟まれて出てくる。
単にケチャップがかかっただけのホットドッグだった。

そういえばソーセージとウインナーってどう違うんだろうと思って調べてみた。
ウィンナーはソーセージの一種で、羊の腸に詰めたのがウィンナー、
豚の腸だとフランクフルトソーセージとなるとのこと。
http://www.tomato-ks.com/topics/mamechishiki/vol_28_p01.html

熱気球を再度訪れてみるが、やはり窓口は閉まったまま。
この日は諦める。

向かいの通りでロシア人と思われる女の子が
軍服やマトリョーシカ、ロシア帽などの露店を開いていた。


[3722] ベルリン その11(2/6:テロのトポグラフィー) 2011-02-20 (Sun)

もう少し歩いて、「壁の道」へ。
10時を過ぎた瞬間、街のどこからか鐘の音が聞こえてきた。
いつまでも鳴り止まない、弔うような鐘。

ベルリン州議会の荘重な建物の向かいに「壁の道」が残っている。
その裏手に「テロのトポグラフィー」というミュージアムがあったので入ってみる。
ここにはかつて、SS(親衛隊)とゲシュタポ(秘密警察)の本部があったという。
その歴史を伝える。なので1933年から1945年までを扱う。
1階が展示、地下がライブラリーとなっている。
2010年にオープンしたばかりだった。展示のディスプレイがとても垢抜けている。
入ると受付の若い男性が「High!」と声を掛けてきた。
http://www.topographie.de/
http://www.bmkberlin.com/Berlin/040719terror/text.htm
10時のオープン当初は僕ぐらいしか客はいなかったが、
30分を過ぎたら結構な人が入ってきていた。

ここではあまり詳しく見なかった。
ナチの高官たち。熱狂的な市民の姿と犠牲となった人たちと。
ドイツだけではなく、周辺諸国も合わせて。
その写真を見てるだけで重たい気持ちになった。
英語の解説を読むのが辛くなってきた。
「ベルリンの壁」と並んで重要な歴史なのだけれども。今回はパス。

建物の外に「壁」が残されている。それを見ながら歩いた。
レンガで組まれた土台の上に、壁が建てられている。
ここの壁が僕が見た中で最も物侘しかった。

端まで歩いて通りに出ると、向かいの広場が小さな遊園地のようになっていて
なにやら大きな丸いものが置かれている。
地球儀? その中心には「DIE WELT」と書かれている。
「welt」はドイツ語で「世界」だったか。
近づいてみると「Der Berlin Hi-Flyer」とあって、どうもこれは熱気球のようだ。
チケットは19ユーロ。これは安いかも。
乗りたくなるが、受付が閉まっている。
もしかしたら時間が早かったのか、それとも雨だと飛ばないのか。
後でもう1度来てみようと思う。
来た道を引き返す。

ポツダム広場へ。
ソニーセンターというショッピングセンターなどの複合体のビル群があって、
その中に「映画博物館」というのがある。そこに入ってみようと考える。
映画館も併営されているようで
イングマール・ベルイマン監督の回顧上映が行なわれていた。

結局のところ映画博物館には入らず。ドイツ映画の歴史ってことなんだけど。
なんとなく昨日のストーリー・オブ・ベルリンのようなものを想像して。
ミュージアム・ショップにだけ入る。
DVDがたくさん売られていて、ロミー・シュナイダー主演映画や
ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督の映画など。
これはもしかしたら掘り出し物が期待できるかも、
ヴェルナー・ヘルツォーク監督の『ノスフェラトゥ』があったので
『緑のアリが夢見るところ』が手に入ったりしないかと期待するが、
再生方式がどれもPALだったので諦める。

ホロコースト記念碑に戻る。
開館していたので地下の入り口へ。
セキュリティ・チェックがあって、空港のように手荷物検査を受ける。
日本語のパンフレットをもらう。

中欧やバルカン半島など各国のユダヤ人家族を国ごとに一家族ずつ取り上げて、
その残された写真や手紙を紹介し、どのような悲劇的結末を迎えたかを語る部屋。
その奥に、虐殺されたか行方不明のままの、
ホロコーストの犠牲となったユダヤ人の名前を読み上げる部屋があった。
暗闇の中に名前が浮かび上がる。
パンフレットを読むと、全ての人の名前を読み上げるのに6年と7ヶ月と27日を要するという。
その奥に強制収容所の位置を示す、ヨーロッパの地図が広がっていた部屋。
ドイツを中心に、数え切れないぐらいの数の収容所があったことを知る。
もちろん、アウシュビッツの名前もあった。
ユダヤ系の人たちが祈るような気持ちでその1つ1つを眺めていた。
僕のような人間が気安い気持ちで訪れる場所ではなかった。

帰りにミュージアムショップで絵葉書を3枚買う。
そのうちの1枚はフランツ・カフカの肖像写真。

熱気球まで歩いて戻るつもりが
道を間違えて、ウンター・リン・デンの大通りに出てしまう。
ここまで来ると Friedrichstr. の駅に近く。
1度そっちまで行って郵便局を探して絵葉書を出すことにする。

ブランデンブルク門の information で聞いた通り、小さい方の建物に郵便局があった。
「日本にエアメール出したいんですが」と伝えると、0.45ユーロだという。
安いなーと思いつつ絵葉書を渡して支払いをする。
後で気になって調べてみたら、国内が0.45ユーロで国外に出すのは1.0ユーロ。
ちゃんと伝わっていなかったのか。もしかしたら日本に届かないかもしれない。

ガイドブックに載っていた「ベルリン・ストーリー」という
大きな土産物屋に行ってみたら、閉まっていた。
中も空っぽ。貼紙がしてあって、つい先日移転したようだった。
移転先の住所が書かれていたが、パッとは分からず。


[3721] ベルリン その10(2/6:ホロコースト記念碑) 2011-02-19 (Sat)

6時半起き。前の晩寝たのが21時半だから、10時間寝たことになる。
外はまだ暗い。雨も降っている。
7時になって朝食を食べに行く。腹が減っていたのでたくさん食べる。
ソーセージがあったので2本。レベーペーストがあったのでパンに塗って食べる。
コーヒーをポットでもらって3杯か4杯飲む。紅茶も3杯。
『ブラック・マシン・ミュージック』を読みながら。
この日も日本人ばかりだった。40代の男性。50代と20代の母娘。
そして昨日も見かけた20代の女性2人組。
本を読んでるうちに男性と母娘は早々と去り、20代の女性2人組が大声で話し出す。
元気な方が合コンしてる夢を見たとかで、聞こえてくる方としてはだからなんだ、という。
僕も退散する。

8時を過ぎて、部屋を出る。
この日の予定はベルリンの中心部ミッテ地区。Friedrichstr. の駅を中心に。
傘を差すほどでもないが、雨が降っている。
日本から折り畳みの傘を持って来ればよかったと思う。
ダウンジャケットがグッショリと濡れる。

Zoologischer GartenからSバーンに乗る。
2日目ともなるとすっかり慣れている。
Friedrichstr. で下りる。
母に絵葉書を出そうと郵便局を探す。
地図にはこの駅にあると書いてあったが、駅の案内板を見ても見つからない。
駅の中をあちこち歩き回ってみる。確かにない。
informationのところには誰もいない。
そう言えばさっき、制服を着て巡回していた人たちがそうなのかもしれない。
駅には通りを渡って小さい方の建物もあるのだが、ま、いいかと思う。
帰りにそっちを当たってみよう。

駅を出てブランデンブルク門へ。
歩いて5分ほど。ウンター・リン・デンという有名な大通りに出て、すぐ。

トイレに行きたくなり、探していると公衆トイレがあったので利用する。
0.5ユーロを入れるとドアが開く。
中はなかなかきれいだった。飛行機のトイレを大きくしたような感じ。

ブランデンブルク門が見えてくる。
とても大きい。ギリシアの神殿のよう。建てられたのは1791年とのこと。
門の上には4頭立ての馬車に乗って槍?を手にした女神の像。
ナポレオンによって征服された際に一時パリに持ち去られたという。

1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊した日に最も有名になったニュースの映像は
ここに集まって喜び合っている人たちの姿だろう。
大勢の市民が壁の上に立ち、国旗が振られ、花火があちこちで打ち上げられていた。

ここのinformationで最寄の郵便局を聞く。
「Friedrichstr. の駅にありますよ」
「そこから今、来たんだけど」
「大きい方の建物じゃなくて、小さい方の建物の中にあるわよ」
とのことだった。

ホロコースト記念碑へ。近くにある。
広場があって、そこに記念碑の群れがグリッド状に広がっている。
群れ。1つじゃなく、無数。
縦2メートル、横1メートルの棺のよう。しかし、どこにも名前など記載されていない。
文字は皆無。
ただ、正確な寸法で作られた、滑らかな、灰色の、コンクリートの直方体があるだけ。
その角は風化して丸まってることはなく今も手が切れるように鋭い。
広場の端にあるのは高さ数センチと平べったい。
それが中心に向かうにつれて高くなり(同時に地面も低くなり)、数メートルの高さへ。
際限なく分裂したモノリスを思い浮かべてほしい。
それらがしとしとと降る雨に濡れている。
その中を歩く。迷宮のよう。
縦横同じサイズの石碑の間を歩くのだから出口が見つからないということはない。
しかし、中心部に近づけば近づくほど「出られなくなる」ように思えてくる。
手を伸ばしても届かないほどの大きさになっていて
それらに取り囲まれると沈み込むような重苦しい雰囲気を体全体に感じる。

これはやられた、と思った。
記念碑にもいろいろあるが、具体的に嘆くユダヤ人の像を作成したり、
犠牲となった人々の無数の写真をコラージュするでもよかっただろう。
石碑を彫って言葉の限りに様々なことを語り尽くすでもよかっただろう。
でも、そうしなかった。
言葉も、具体的な像もない。ただ、抽象あるのみ。
そこでは、向かい合う人がそれぞれに意味を見出す。意味が形作られていく。
イスラム教の聖地メッカのカアバ宮殿がやはり、
中が空洞の立方体となっていることにとてもよく似ている。
形あるものとして現れた抽象は大きければ大きいほど
より多くのものを込められ、汲んでも汲んでも汲みつくせない器となる。
…石碑をいくつもいくつも通り過ぎる。
この世にこんなものがあるなんて。震撼させられた。
僕は降り止まない雨の中、1つ1つの石碑の間を彷徨いながら歩いた。
触ってみると、昨日の記録センターのベルリンの壁と同じぐらい、冷たかった。
http://www.japandesign.ne.jp/HTM/REPORT/berlin_view/01/
http://berlinhbf.exblog.jp/1090258/

地下が博物館になっているが、オープンは10時。
あと15分ほど。雨の中外で待つのも嫌なので通りに出て先に向かうことにした。
南の方に下って「壁の道」を見に行く。
途中でポツダム広場とソニーセンターが見えてくる。
戦前のポツダム広場は昨日訪れたアレクサンダー広場と並んで繁華街の中心地であったのだが、
大戦後アメリカ軍、イギリス軍、ソビエト軍の占領地域の境界となり、
1961年後は「壁」によって分断された。
それが今やベルリンで最もモダンな場所へと変貌を遂げたのではないか?
かつての歴史を語るものなど何もなさそうだ。
「壁」を模した観光客向けの記念撮影用の板がいくつか並んでいて、
そこに東ドイツ軍、西ドイツ軍、それぞれの制服を着た兵士が立っている。
(もちろん、本物の軍人ではないはず)


[3720] ベルリン その9(2/5:ストーリー・オブ・ベルリン) 2011-02-18 (Fri)

16時頃。クアフュルステンダム通りの繁華街をさらに西へ歩く。
「ストーリー・オブ・ベルリン」という博物館へ。
特に強い興味は無かったんだけど、近いというのと核シェルター見学があるというので。
ショッピングセンターの中にあった。入場料10ユーロ。
スタッフは皆バイトっぽく、何語を話しますか?と聞かれて日本語と答えると、
少し話せるという女の子がどこかブロークンな日本語を流暢に話す。
「私、18時からシェルターのガイドします。
 あなたも18時、いーですね? そこのロビーに集合」
この子、普段はいい大学、例えば外語大なんかにいて専攻は違う言語・領域で、
日本語は片手間に何個目って感じで日常会話に必要な分だけ覚えてしまったのではないか、と思った。

核シェルターがガイド付きでないと入れないのはいいとして、
困ったことに集合時間が2時間後。暇そうだ…

僕が持っていったガイドブックは2冊あって、メインに活用していたのは
『地球の歩き方 GEM STONE』のシリーズの1冊『素顔のベルリン』だった。
http://www.amazon.co.jp/dp/4478071039/
このガイドブックとてもよかったんだけど、見方がだいぶ分かってきて、
旅行会社からもらった当たり障りのない地図には
「ストーリー・オブ・ベルリン」が紹介されていたのに
こっちでは取り上げられていない。
ははーん、たいしたことないんだなと。
確かにその通りだった。
上記の地図には「マルチメディアを駆使した展示が特徴」とあったんだけど、
日本人男性30代後半の僕としてはとても子供だましだった。
音が流れて映像も随所にあります、というような。
いろいろ工夫されてるんだけどシックなまとまりは皆無で、中高生向けかなあ。
実際、高校生と思われるグループが土曜だというのに2組見学に来てて、
「ナチの勃興」といったセクションで熱心な解説がなされていた。
階段ではゲッベルスの演説のテープが流れていた。

そもそもはヨーロッパにおけるベルリンの歴史を多角的に追うというもので、
コンセプトそのものは悪くない。
イスラムやユダヤとの関係。錬金術。産業革命。メトロポリスの誕生。
戦争を扱った場面では数世紀前の現存する紙人形を展示していたり。
細かいところは実は凝っている。
クラシックカーや鉄道の模型はマニアにはたまらないんだろうな。

ダメなところばかりじゃなくて、おおっというのが3箇所あった。
1つは20年代・30年代の映画の断片をつなげて流している部屋で、
『M』『メトロポリス』『カリガリ博士』『嘆きの天使』なんかが出てきた。
もう1本は、ニュース映像を編集したものだった。
夜、歓楽街にて興じる人たち。酒場のテーブルの上で酔っ払ってブリッジ。
竹馬みたいなのを履いてみんなで踊ったり。

もう1つは戦後のコーナーのジュークボックス。プレスリーやアニマルズ。
ビーチ・ボーイズの「Barbara Ann」があったので押してみたらほんとに曲が始まった。
続けて、フランソワーズ・アルディの「Qui Aime Till Vraiment」
最後の1つが、戦後のベルリンの一般家庭の居間を再現したもの。
箱のようなテレビがあって、大型のラジオがあって、という。

ナチスの戦争犯罪を問うセクションでは
特にこれといったものは飾られていなくて、
4つのガラスのドアを逆卍型に組み合わせたオブジェが飾られていた。

18時まで待って、核シェルターのツアーへ。
さっきの子は僕だけに日本語でガイドしてくれるのかと思いきや、
ドイツ語と英語で全員にガイドを行なった。
建物の外に出て、地下3階へ。
これは再現ではなくて、冷戦時代に本当につくられた核シェルターなのだという。
3,600人を収容、期間は2週間を想定。
暗闇の中に、柱から金属の太い棒が延びてて
トランポリンのような硬い布地で張ってるだけのベッドがひたすら並んでいた。
それが上下に二段だったか三段ずつ。
トイレ、キッチン、空気清浄機、発電機、司令官の部屋、水の濾過施設など。
「シャワーはなくても死なない」のでない、とのこと。
食糧はもちろん缶詰でした。
最後はシェルターの中で聞こえる戦闘の音を擬似的に再現。
冷静に考えて、「こんなところで生きていけるわけないじゃん」と思うが、
実際に核戦争になったらどうなるのか。
これはこれでユニークな体験ができた。

外に出て、また雨が降り出す。
通りを東にひたすら歩いて、「KaDeWe」へ。
日本語のフロアマップがあったのでもらう。
1階が化粧品や宝石で…、というのはどこも一緒か。
ブランド物が売られているだけだろうと何も見ない。
まっすぐ6階の食料品売り場へ。
世界の食材が手に入るという。確かにここはすごかった。
大きい。途方もなくて全部見て回る気がしなかった。
ピクルスの瓶詰めならピクルスの瓶詰めが、
缶入りの紅茶なら缶入りの紅茶がブワーッと壁一面に並んでいる。
しかもごちゃっとしているのではなく、気品ある並べ方でゆとりをもって。
ワインとリカーとビールのところだけちゃんと見た。
ビールもヨーロッパ中のを集めるとこんだけあるんだ!? とやたら感心させられた。
コロナなんかはあっても、日本のビールは残念ながらなかった。
500mlのビールを4本とヴォルヴィックを1本買って、どれも1ユーロしなかった。
あまりの安さにさらに追加で2本ビールを買った。
僕が買ったのは、正しい名前かどうか分からないけど
「Paulaner」「Padeberger」「Berliner Kindl」
「Tuborg」「Kostriber」「Schofferhofer」

会社へのお土産にクッキーの詰め合わせも5箱買っていく。30ユーロ弱。
「KaDeWe」ブランドらしい。

食材を売ってるだけではなくて、その場で調理して提供する
ちょっとしたレストランやバーのような店がいくつもあって、
そのうちの1つが鉄板で焼く中華。
これがうまそうで、かつ、客がたくさん入っていたのでここで夕食を取ることにした。
Tiger Beer を1本と、店で一番高かったペキンダックのグリル。
…が、これは失敗。海老のグリルやチャーハンにしておけばよかった…
ソースが日本ではまずお目にかかれない、海外特有のベタッとした醤油味で。
醤油から日本的風格・深みをごっそり削ぎ落としたような。
甘いわけでも酸っぱいわけでも辛いわけでもない、なんとも筆舌に尽くしがたい。
トータル20ユーロ近くして、ベルリン滞在期間中で最も高い食事となった。
繁盛していたのは、単なる異国趣味か。

ビールのつまみに出てきたフォーチュン・クッキーにはこんなことが書かれていた。
「You are going to have a long and joyful life.」

帰って来て、シャワーを浴びて、缶ビールを1本開ける。
テレビのチャンネルを変えてるうちに「EURO SPORT」というのを見つけ、
滞在の間ずっとここばかり見ていた。
競技は女子のバイアスロンだった。ノルディックのスキー、そして、ライフル。
見ている間に眠くなる。半分残っていた缶ビールを無理やり飲む。
21時半。ベッドに入る。


[3719] ベルリン その8(2/5:バウハウス資料館) 2011-02-17 (Thu)

食べ終わって地下鉄に乗って、Friedrichstr.へ。
Sバーンに乗り換えて、Tiergartenで下りる。
(ホテルのある Kurfurstendamm の1駅手前)

この日のメインメニュー、東ベルリン探索は終わって
残りの時間はホテルの周辺の地区を回って過ごすことにする。
駅を出てすぐの大通り、「6月17日通り」を東に向かって歩く。
ここは大きな林の中。かつては狩猟場であり、それが公園となったという。
歩いている人の数は少ない。
しかしベルリン中心部を貫くため、車の流れはそれなりにある。
まっすぐ30分ほどかけて歩くと、中心部に「戦勝記念塔」とその上に黄金の女神像が。
この女神像、どこかで観たことがある。
ヴェンダースなんかのドイツ映画を見たときに冒頭に写されるのがこの女神像ではないか。
というか『ベルリン・天使の詩』で出てきたんだったか。
右手に冠、左手に槍を持っている。背中には羽。
ドイツは第一次大戦、第二次大戦に負けたのに、いつの勝利なのだろう?
と素人っぽいことが気になる。
調べてみたら、19世紀後半、1864から1871年にかけて
デンマーク、オーストリア、フランスとの戦争に勝利した記念として
1873年に建てられたものとのことだった。

ここで南に曲がって、さらに15分ほど。
バウハウス資料館が見えてきた。
バウハウスもまた、ドイツで気になっていたものの1つ。
元々はワイマールに建てられていたのでなぜベルリンに、
と思って調べてみたら末期(1933年)はベルリンに移っていたんですね。
http://www.bauhaus.de/index+M52087573ab0.html

入場料7ユーロを払って中に入る。
左側が常設展で右側が企画展のようだ。
企画展は「FROM ART TO LIFE」というタイトルで、
バウハウスに属していたハンガリー人にフォーカスを当てるというものだった。
Sandor Bortnyik や Farkas Molnar といった人たちのドローイング、
そしてモホリ=ナジ・ラースロー。
あの特有な半円と平行四辺形の交差を描いた小品が掛けられていた。

常設展ではまず、校長のヴァルター・グロピウスら重要人物の紹介が。
そこから広がるようにバウハウスがデザインした数々が展示されている。
ティーポット、電気スタンド、チェスの駒、椅子、ベッド…
時代を超えた斬新なデザインの数々。
それでいていたずらにアヴァンギャルドではなく、実用されることを念頭に置いている。

日本人の彫刻家、水谷武彦の抽象的な作品も飾られていた。
(僕はこの人のことを知らなかった。 http://moeblermedmere.dk/group.asp?group=783

やっぱいいのは、フロアの両端に置かれた、椅子と建築。
椅子はもちろん、マルセル・ブロイヤー。 http://www.g-designer.info/special306.html
椅子のデザインって単に見た目の美しさだけではなく
座り心地も充たさなければならないから、やりがいがあるのではないか。
座り心地を無視するなら、それは椅子じゃなくてオブジェですよね。

建築は「Less Is More」の提唱でも有名な
ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエによる
1929年のバルセロナ万博でのドイツ館「バルセロナ・パヴィリオン」の模型が素晴らしかった。
平べったい1階建ての建物の中にこじんまりとしたシアター、奥に女性の彫像、外にプール。
一言で言うならば、言葉本来の意味でのクール。
http://tenplusone.inax.co.jp/fieldwork/photoarchi/index0311.html

図録と絵葉書を買う。
図録はCD-ROMが付いていた。
日本に帰って来て試してみたら、
この資料館をインタラクティブ・メディアから解説するというものだった。

ミュージアム・ショップではバスハウス・デザインの製品も売られていた。
お椀が小さいので12.5ユーロ。大きいので51.0ユーロ。結構な値段がした。
他にランプやチェスの駒のセットなど。

外は雨が強くなりだす。
さらに南へ歩く。大通りに出て、西へ。
まっすぐ行けば Kurfurstendamm 駅前のホテルに着く。
歩くうちに、ヨーロッパ最大のデパートとされる「KaDeWe」に。
夜、入ってみることにする。
昨晩歩いているうちに感じたのが正にその通りだったけど、ここは日本で言うところの銀座だった。
検索すると「クアフュルステンダム通りのショッピング街」なんて出てくる。
「H&M」はこの通りで少なくとも2つは見かけた。
「CAMPER」は恥ずかしながら日本だけだと思っていた。
高級食材の店にメルセデス・ベンツのショールーム。
(これが最初の、ということで三輪の電動自転車のようなものを飾っていた)

その分、物乞いをする人の姿もチラホラと見かけるようになった。
普通の人の普通の格好をした人がカップを片手に座り込んでいたりする。
この人にいったい何があったのだろう? と思う。
ホームレスで絶えず全財産と共に移動しているのでもなさそうで
どこかに住む場所があるのだろう。
最も気になった女性は普通に働けそうだったのに。なぜ?

いったんホテルに戻って、バウハウス資料館の図録などを置いてまた外に出る。

途中のインビスで「Bio」というミネラルウォーターを買う。
ドイツでよく見かける。
本来はカリーヴルストの店なので、ヴルストもどう? と言われるが、水だけ。
細かいのがなくて2ユーロ硬貨で払ったらお釣りをもらえず。


[3718] ベルリン その7(2/5:コノプケス・インビス) 2011-02-16 (Wed)

13時過ぎ。
初日の昼にしていきなり旅行のクライマックスを迎えてしまった。

駅まで引き返す。そのまま、歩いていく。駅の反対側の「壁公園」へ。
iPhone で Einsturzende Neubauten「Zeichnungen Des Patienten Ot」を聞きながら歩く。
鉄屑を叩いて、チェンソーやハンマーで破壊しながら、叫ぶ。
取り除かれた壁の鉄骨を見たとき、その音楽の根底にあるものが少し分かるような気がした。
壁の悲劇とは直接の関係はない。
しかし、コンクリートと鉄骨によって壁として形成されるものとその崩壊、
自然的な、同時に反自然的なそのプロセスがいったいなんであるのかを音楽で語ろうとする。
それは物言わぬから、人間が音にし、声に出さなければならない。
僕自身は素直に、現代アートに直結したロックとして
最もコンセプチュアルな成功を遂げたのは80年代の
Einsturzende Neubauten であるように思う。

ふと見上げると電柱には滑車が取り付けられ、電線が巻き取られている。
通りにいくつか、ポツンと「インビス」(屋台)が立っている。
安普請の小屋で酒と飲み物を提供しているような。儲かってそうにない。
建物のいくつかには壁一面に絵が描かれている。
そのような建物がベルリン中にあった。

壁公園へ。何があるか分かってないで行ってみたんだけど、実際何もなかった。
「壁」が残されているのでもない。
スタジアムがあって、その壁は隙間なくびっしりとグラフィティ・ペインティングされていた。
スタジアムに限らず、階段や子供用のブランコにも絵の描けそうな場所には全てに。

公園の脇にはバラック小屋みたいなのが並んでいて、夏の間は蚤の市で賑わうようだ。
しかし今は全く人気なし。付近の人が散歩に来るぐらい。

このスタジアムの小高い丘に立って見下ろしている間に、わずかに雪が降り出した。
この日は朝から小雨が降ったりやんだり。
そんなイメージはなかったんだけど、ベルリンって東京よりも寒くて、
最高気温が零度以下の日もあるんですね。
3日間、青森並みに寒かった。
特にこの日は風がハンパなく強く。青森だったら猛吹雪となるような。

近くの、オーダーベルガー通りへ。
この辺り一帯、プレンツラウアー・ベルクはガイドブックを見ると流行の発信地であるという。
歩くと古着屋が何軒もあって、そのうちの1つは「Goo」という名前で、
Sonic Youth のあのアルバムのジャケットが看板に使われていた。
おしゃれなカフェも並んでいた。
一回りして戻ってきて、Uバーン Eberswalder Str.駅近くのコノプケス・インビスへ。
ベルリンといえばカリーヴルスト、つまりカレーソーセージですが
(ってガイドブック読むまで僕も知らなかった)
最も有名な店がここ。

行列になっていて、すぐ分かった。
紙のトレイに輪切りのソーセージとポテト、
そこにケチャップを主体としたスパイシーなソースがたっぷりかかっている。
皆、インビスの前の広場で立ち食い。
この寒い日に人によってはビールを飲んでいる。
僕も行列に加わる。20分ほど待つ。
ポテトなしのカリーヴルスト、1.7ユーロにする。
そもそもソーセージがうまいんでそれだけで満足する。
ソースはほぼ、濃厚なケチャップ。カレーの味はしない。若干スパイシーかなという程度。
夏に来てればここでソーセージ何種類か食べてビールなんだけどな。そこがちょっと残念。

検索してみると東京でも食べられるみたいね。
丸の内の「カイザーホフ」は職場から近いので行ってみたい。
http://r.tabelog.com/tokyo/A1301/A130102/13112145/dtlphotolst/P4331662/
ミッドタウンでの「オクトーバー・フェスト」でも食べられるようだ。
今年もやるなら絶対行こう。
http://www.eyema-ent.co.jp/event/biergarten/2010_menu.html


[3717] ベルリン その6(2/5:ベルリンの壁記録センター) 2011-02-15 (Tue)

駅を出て西に通りを歩いていく。
日本で言うところの団地が立ち並ぶ、ごく普通の市民たちが暮らす一角となる。
ベランダにはボロボロになった映画のポスターやサッカーボール、衛星放送のアンテナ。
壁が黄色やレンガ色などカラフルに塗られているが、どれも落ち着いた色彩となっている。
葉を落とした寂しい木々がところどころにポツンと立っている。
そういう住宅街の中に「ベルリンの壁記録センター」があった。

小さなこじんまりとした建物だった。入場は無料。
どちらかと言うと資料館に近い。セミナーを行なうための教室であるとか。
中に入ると受付に座っていた初老の女性がパンフレットをいくつかくれた。
2階へ。ベルリンの壁に関してその歴史を説明するための展示。
映像とパネルと。その配置がアートとして美しい。さすがベルリンだな、と思う。
1945年の敗戦、1961年に壁が築かれて、1989年に崩壊、1990年に東西ドイツの統合。
その大まかな歴史、ソ連との関係や東欧の民主化運動など
大まかなところは頭の中にあるので、説明の文章は省く。

スライドを上映しているスペースがあった。
1961年から1967年までの膨大な量の写真が音もなくゆっくりと切り替わっていく。
ある日突然に築かれて、多くの人々を切り離した「壁」の存在。
そこから生まれた無名の人々の悲劇。
その一方で何事もなかったかのように引き戻され、続いていく日常。
兵士たち。市民たち。子供たち。若者たち。
哀しみを浮かべている人もいれば、とまどいを浮かべている人もいる。
兵士たちは命令に背くことのないよう、冷徹な振る舞いをしようとする。
スライドの合間にこんな言葉が挟まれた。
「But we are all Germans after all」
有刺鉄線、街頭の戦車、群がる人々。

外の階段を上って4階だったか5階だったか、
屋上から保存された壁を上から眺めることができる。
壁から離れた場所に小さな見張り所が建てられている。
さらに離れた場所にそっけない街灯がポツンと等間隔で。
直線の壁が淡々と続く。
壁は手を掛けにくいようにてっぺんが盛り上がって丸められている。
かつてはあの見張り所に兵士が立っていた。
そしてあの壁を越えようとして射殺された人たちがいた。

下りていって実際に壁を見る。壁に触れる。
寒々としていて、ぞっとした。
真冬だから、というだけではないだろう。
多くの人々の絶望や希望、悲しみや諦めを吸収して無言で立ち続けてきた壁。
その重苦しい歴史の重み。
何も語ろうとしない、風化した灰色のコンクリートの壁が
とてつもなく怖ろしいものに感じられた。

広場に入る。十字架が立っている。
壁。先ほどは通りに面して東側だったが、こちらでは反対側、西側から眺めることになる。
色褪せたグラフィティがそのまま残されている。
とりとめもなく、たわいもなく。
落書き一つ許されなかった東側と対照的。
しかし、この西側のグラフィティもまた自由への叫びに感じられるんですよね。
わずか数メートル先、壁の向こうに暮らす人たちがいる。
彼らは社会主義国に閉じ込められていて、自由を求めている。
あらぬことで疑われて死刑となる者もいる。
引き裂かれたが、かつては同じ国の人間だった。
そうと知ってて、いい加減な思いで描けるだろうか?
単なる気晴らしであるわけがない。
それは祈りであり、一方的なものであれ、希望を込めた交信だった。

広場の中央には簡素な棚が建てられ、その枠の1つ1つに写真がはめ込まれている。
東側からベルリンの壁を乗り越えようとして射殺された、名もなき人たちの写真。
そのうちのいくつかには花が供えられていた。
記録センターからもらったパンフレットにはこの一帯の地図が描かれ、
誰がどの位置で倒れて亡くなったかが1人1人記されていた。

壁が取り除かれた箇所には地面から突き刺さったままの、赤錆びた鉄芯が残されていた。
最初、ピンと来なくて、オブジェ? と思った。
それが何であるか気付いたとき、ぞっとした。
強い風に吹かれて、工事現場のビニールのカバーがまとわりついていた。

取り除かれた後の壁がいくつかまとめて並べられているエリアがあった。
都市部の壁ではなかったのだろう、
コンクリートが崩れて鉄骨がむき出しになって、枯れ果てた蔦が絡まっていた。

「ベルリンの壁」を見たかったら、必ずここを訪れるべき。
英語のサイト: http://www.berliner-mauer-gedenkstaette.de/en/
残念ながら後で気付いたんだけど、
通りの端に記録センターの他にもヴィジター・センターがあったようで
他にも展示があったようだ。
上記のスライドを写真集としたものが売られていたかもしれない。

記録センターの隣には「和解の礼拝堂」が建っていた。
配られていた日本語の資料を読んでみた。
かつてここには教会が建てられていたのだが、
監視の邪魔になるとして1984年東ドイツ政府によって破壊されたのだという。
小さな祭壇に、十字架が立てられていた。


[3716] ベルリン その5(2/5:ナショナル・ギャラリー) 2011-02-14 (Mon)

駅を出てすぐのシュプレー川沿いのナショナル・ギャラリー。
1300m に渡って壁が保存され、そこに東西ドイツが統一を果たした1990年、
世界中のアーティストが世界平和をテーマとしたペインティングを行なった。
(代表的なところではキース・ヘリング)
いたずら書きや痛みが激しいということで、2009年に絵の修復がなされた。

はやる気持ちを抑えてゆっくりと歩く。
赤信号を待つ。車が目の前を通り過ぎる。
横断歩道を渡る。

これか…

カラフルな「アート」が延々と連なる。
1人の受け持つ長さは5mから10mぐらいまで幅がある。
実にいろんなものが書かれている。
鳩。アメリカの国旗。ピースマーク。搾取される労働者。アインシュタイン。
様々なジャンク。手をつなぐ人々。日本。ユダヤの六忙星。瑞々しい植物。
直接的に平和を求めるメッセージ。モンスター。
壁に垂らされたペンキがそのままというのもある。
壁の存在した年を1つ1つ、1961 1962 … 1988 1989と並べる。などなど。
その上に若者や各国からの旅行者による落書き。日本人の名前もあった。
落書きの方が気の効いてるものもなくはなかった。
しかし、そのほとんどが単なる観光地の落書きだった。
そういうこともあって、がっかりした。
アート作品として面白いと思ったのは3つか4つぐらいしかなかった。
キース・ヘリングはベルリンの壁だろうと何だろうとキース・ヘリングだし。

「日本地区への迂回路」というタイトルのもと
富士山と五重塔が描かれた絵には「日本鬼子!」と落書きされていた。

「SAY YES TO THE FREEDOM, PEACE, DIGNITY AND RESPECT FOR ALL.
 SAY NO TO TERROR AND RREPRESSION TOWARDS ALL LIVING BEINGS」
と書かれたメッセージよりは
「ALL THE FREAKY PEOPLE MAKE THE BEAUTY OF THE WORLD」
と書かれた殴り書きの落書きの方がぐっと来た。

ここで唯一見るべきは、有名な
旧ソ連のブレジネフ書記長と旧東ドイツのホーネッカー書記長が
深々とキスをしている絵かな。「The Fraternal Kiss」
骨の髄までソ連には隷属しますよということか。
ブラックユーモアと呼ぶにはあまりにもおぞましい。

結局のところその絵が東西ドイツや冷戦やベルリンの壁とどういう関係にあるのか、
どういう必然性があるのかよく分からない「アート」が多かった。
「俺の思う世界平和」というか。
総じて、僕個人としてはベルリンの壁に対する無神経な侮辱に感じられた。
そもそも、その壁に元々何かが描かれたいのならばそれは消すべきではなかった。
地図から察するにギャラリーとなっていたのは東側で、だったらグラフィティはなかったのか。
とはいえ裏に回って西側を見てみると壁一面が白のペンキで塗りつぶされているわけで。
そこにさらに旅行者や若者が落書きを書いている。
歴史を消してしまうのはとても簡単なことだ。
やるせない気持ちになった。

一箇所、壁のペインティングの中に骨組みだけの扉があって、
その向こうに川と向こう岸が見えたのがペインティングそのものよりもよかった。
そう、大事なのは壁の向こうに何があるのか、ということ。

壁の切れ目から川岸に出る。
曇り空を映し出して灰色の川面は何事もなかったかのように
ゆっくりと、ささやかに波打ちながら流れていく。

1つ先の駅、Warschauer Str.へ。
ここでSバーンを引き返し、Alexanderplatzを通り過ぎて
ベルリン中心部の駅、Friedrichstr.へ。
Uバーン(地下鉄)に乗り換えて
「ベルリンの壁記録センター」のある Bernauer Str. へ


[3715] ベルリン その4(2/5:アレクサンダー広場) 2011-02-13 (Sun)

ここから先は、時々地図を見ながらの方がベターです。
日本語のベルリンの地図として、例えば「JALMAP」
地図17 セントラルベルリン を選択してください。
http://di.jal.co.jp/jalmap/?cityCode=FRA
あるいは、google map でベルリン。

---
7時半に目が覚める。久しぶりに夢を見ることがなかった。
外はまだ暗い。東京よりも緯度が高いことを思い出す。
テレビをつける。BBCやCNN、MTVを見つける。
ベッドサイドにチップを1ドル置いておく。
着替えて6階へ。朝食を食べに行く。
僕の他には20代後半ぐらいの日本人女性の2人組だけ。
ベーコン、スクランブルエッグ、クロワッサン、ヨーグルト、フルーツ。
ごく普通のモーニング・ビュッフェ。
係りの女性に部屋の番号を聞かれて、鍵を見せる。
ボケーッと食べて部屋に戻る。

ドアノブに引っ掛けられた「Do Not Disturb」の札に
Blue Man Group とミュージカル「We Will Rock You」のベルリン公演の宣伝が。
Blue Man Group 来てるのか。
その後地下鉄の駅や街中でことあるごとにあの3人組を見かけることになる。

ダウンジャケットを着て、Zoologischer Gartenの駅へ。
地下鉄(Uバーン)ではなく、市電(Sバーン)に乗る。
エスカレーターを上ってホームへ。
以前はここ、Zoologischer Gartenの駅は長距離路線の発着駅であったが、
近年は Hauptbahnhof駅(ベルリン中央駅)がその役割を引き継いだという。
そう考えるとこの駅は上野のようだ。

元は東ベルリン一の目抜き通りだったアレクサンダー広場に行って
ベルリン大聖堂とテレビ塔を訪れてみようと思う。
ホームのどっち側が Alexanderplatz 駅方面だろうか?
とキョロキョロしてどっちか分かったころ、
駅員のおじいさんに「Can I Help You ?」と声を掛けられる。

列車が到着して乗り込む。初めてのSバーン。
空いている。4人掛けの座席に一人で座る。
Zoologischer Garten から Alexanderplatz まで間に5つ。
この東西を横断する路線は途中で
Hauptbahnhof や Friedrichstr. といったベルリン中心部の駅を通る。
一駅の間隔は山手線の半分ぐらいか。
真冬ということもあってか、地味な格好をした人たちばかりが乗り降りする。
奇抜なファッションの人というのは
滞在した3日間の間に全く見かけなかったように思う。

Alexanderplatz で下りる。
駅の建物を出て、すぐ目の前に真っ白なテレビ塔が建っている。
上海のテレビ塔によく似ている。全世界共通のモデルなのだろうか?
細長ーい円錐の先端部分よりちょい下に展望台となる球が団子のように。
入ろうかと思ったら10時からで、今は9時を過ぎたばかりだった。
先に大聖堂へと向かう。歩いて5分ほどのところにある。
マリーエン教会の脇を通る。
橋を渡って、広場とも空き地とも判別不能な緑色の地面が広がる。無駄にだだっ広い。
こういうところに旧社会主義国らしさを感じる。
その横に「L'Oreal」の巨大な広告。
ガイドブックの地図を見たら、「共和国宮殿跡」とあった。

博物館島の一角にあるのだが、ここには他に
新旧の博物館やボーデ博物館、ペルガモン博物館、旧ナショナル・ギャラリー。
世界遺産にも登録されている。
時間がなくてどれも入ることができなかった。
あと1日あれば、終日かけて全部回ったと思う。
ヨーロッパの歴史や古代ギリシアの芸術といったところか。

大聖堂の中へ。5ユーロ。ベルリンで最も大きい教会となる。
見上げるとどれほどの高さになるだろうか。あまりにも高い。
壮麗なステンドグラスのはめ込まれたドーム。
キリストの磔刑など3つの絵を掲げた祭壇。
壁や天井いっぱいに広がるモザイク画。
燭台や列柱の1つ1つが麗しき彫刻で飾られている。
それぞれのパーツが中世からの粋を極めた芸術であって、
それが大聖堂という荘厳にして人智の限界にまで広がった大いなる芸術へと集約する。

階段を上って、最上階の小さな博物館へ。
大聖堂の歴史のようだ。模型やかつて聖堂の中に配置された彫像や飾りの数々。
死の床に横たわるカイザー・ウィルヘルム1世の絵。
階段には旧東ドイツ時代のだと思うけど、修復作業中の写真が多く掛けられていた。

地下にはフロアいっぱいに古びた大きな棺がいくつも並べられていた。
いくつか年代を見てみると17世紀だった。
一番奥のこじんまりとした部屋には小さな棺がポツンと。
悲嘆にくれる両親を描いた絵が掛けられている。
名前から察するに娘のようだ。

大聖堂を出て、引き返す。
土産物屋を見つけて入ってみる。
ベルリンの壁のかけら、その最小サイズがプラスチックの袋に入って3.5ユーロ。1つ買う。
絵葉書が0.5ユーロだったので6枚。
終戦後の占領下の写真をコラージュしたものやベルリンの壁のグラフィティなど。
ベルリンの壁のは2枚買って、1枚は母に送ろうと思う。

テレビ塔へ。ガイドブックを見たら並ぶとあったけど行ってみたら確かにそうで、
入場券(11ユーロ)に印刷された番号のブロック順に入場となる。
30分ぐらい待つことになった。
僕みたいな日本人やアラビア系の人々、イタリアやフランス、各国から集まって、
ドイツの若者たちもデートコースとして利用し、家族連れの姿も見える。

順番が来てエレベーターへ。展望台は200mぐらいの高さにあっただろうか。
このテレビ塔は東ドイルの威信をかけて1969年に建てられた。西側じゃないんですね。
その後3日間、ベルリンの中心部からは必ずここ、テレビ塔が見えた。
一周する。眼下にベルリンの街並みが広がる。思いがけなく大きい。
白い壁に赤い屋根の共同住宅がその大半を占める。
街を流れる川と、あちこちに教会と。
さっき訪れたばかりの大聖堂も小さく見えた。
3周か4周して下りてくる。
子供たちが有料の望遠鏡をせがむ姿は万国共通か。

Alexanderplatz駅に戻る。引き続きSバーンに乗って、東へ2つ。
Ostbahnhof駅(東駅)へ。
いよいよ、今回の旅行の目的であるベルリンの壁を見ることになる。


[3714] ベルリン その3(2/4:ベルリン、テーゲル空港) 2011-02-12 (Sat)

6人掛けの小さな飛行機だった。
ドイツの首都に向かうのにジャンボじゃない。
ヨーロッパ圏内の移動は近くていろいろとルートがあるから乗客もそれほど多くないのか。
それとも1日に複数回のフライトがあって、深夜到着のだと乗客も少ないということか。
乗ってみると若干空席あり。離陸する。23:20到着予定。
ドイツとの時差は1時間。実質的な搭乗時間は2時間程度。

機内食はなかったけど飲み物のサービスはあって、
ビールがあったので今回はグロールシュにする。
皮付きポテトチップの入った小さな袋をもらう。

既に外は夜。真夜中。
飛行機はあっさりとベルリン、テーゲル空港に到着する。
外に出ようとするが、通路に並んだ人の列がノロノロとしか進まない。
どうしたのだろうか? と思う。
5分ほど待って機内の外に出ると、すぐ先でパスポート・コントロールがあった。
その順番待ちとなっていた。終えるとその横に手荷物受け取りのターン・テーブル。
非常にコンパクトなつくりだった。
空港で1つの大きな入国審査、手荷物受け取りではなく、ゲートごと。
入国審査もお互いほぼ無言で進められてハローとサンキューを交わす程度。
スーツケースが無事に出てきて、バスのターミナルを探して空港の中を歩く。
チェックイン・カウンターも店も既に全て閉まっている。
それらを通り過ぎる。
足音とわずかな話し声、スーツケースやキャリーカートを引きずる音だけが聞こえる。

空港の外に出る、掲示を見るとバスのX9ラインが10分後に到着とある。
(ベルリンのバス停はどこも、あと何分で何が到着という表示がなされていた)
ほっとする。タクシーに乗らなくてよい。券売機でバスのチケットを買う。
あちこちにあった。Berlin City Tour Cardの5日間のを買う。28.90ユーロ。
バス、市電、地下鉄、路面電車が乗り放題となる。
同心円状にゾーンが決まっていて、Aは中心部、Cは郊外。
僕はAとBのを買う。もちろん、Cも可能なのを買うと高くなる。
バスが来る。刻印機で打刻すればよいようだが、見つからない。
とりあえずバスに乗る。黒人の運転手にチケットを見せる。
そこ、と刻印機を指差す。バスの中にあった。中に差し込むと日付と時刻が打たれた。
何人か乗り込んで時刻通りに出発する。
客はほとんどなし。機内にあれだけいた乗客はどこに行ったのだろう?
みな出迎えがあったのか。

バスの中にはもう1人車掌のような立場の人がいて
(といってもそれらしい制服や帽子などなくて)
停留所ごとに乗り降りする人の数をクリップボードに挟んだ紙に記載していた。
日本にいる間に僕が何よりも気になっていた
「バスの中でスーツケースはどうするのか? トランクに預けて大丈夫か?」
についてはただ単にバスの中が広くて持ち込み可能になっているだけだった。
4人掛けの席に1人で座って向かいの席との間にスーツケースを置いた。

バスが走り出す。真夜中。歩いている人は皆無。車がわずかに走っているだけ。
路上駐車の車が隙間なく並んでいる。
建物はゴツゴツと野暮ったく見える。
仕事帰りなのか停留所に寒そうに立って待っている人がいる。
市内中心部に近づくと15歳ぐらいの子供たち3人組が騒々しく乗り込んできた。
窓の外にTOSHIBAのネオンが見えた。

終点、Zoologischer Garten(動物園駅)で下りる。
ホテルが終点にあって助かった。
海外のバスは難しい。
今どこにいるのか分からなくなったり、今停まった停留所がどこなのか分からなかったり。
運転手が口頭で言うだけだったりしてそれを聞き逃したらアウトだとか。
ドイツのバスは、地下鉄も市電もそうだけど、
車内では必ず次の駅がどこでという表示がなされていて、
停留所や駅の掲示も大きくて分かりやすかった。
(ちなみに僕は日本で、BVG(ベルリン交通局)のバス路線図をプリントアウトしておいた。
 http://www.bvg.de/index.php/de/3761/name/Expressbus.html )

動物園駅。
酔っ払った若者たちが数人騒いでいた。しかし、数人程度。
荒廃している、危険、というイメージはない。
旅行に出る前に『哀しみのクリスチアーネ』(原題は「われら動物園駅の子供たち」)を読んで、
まだ10代前半の少女クリスチーネ・Fがヘロイン中毒になって売春客を取るようになる、
動物園駅前にてそういう人間たちが大勢集まっていたという悲惨な描写に何度も出会っていた。
果たして今はどうなっているのか…
とても気になっていた。今は完全に冷戦時代の過去が払拭されたようだ。

ホテルを探す。こっち方面だと勘で歩き出したら当たってた。
地下鉄の最寄り駅、Kurfurstendammの入口が見えた。
しかし、地図を見てもあるべき場所にホテルが見当たらない。
通りを東へかなり先まで歩いて引き返し、横断歩道を渡って西側へ。
やはり見つからなくて南側の通りへ。やはり見つからず。
周りを見渡してみるとグッチやバーバリーにロレックス。
ここは東京で言うならば銀座に該当する繁華街かもしれなかった。

最初に恐らくここだろうと見立てたポイントに戻る。
ちゃんと見ると入口があった。
店舗と店舗の間にあって小さくて分かりにくかった。
しかし落ち着いて見上げてみると建物の屋根に大きくホテルのネオンが光っていた。
ドアを開けようとしても開かず。鍵がかかっている。
たまたま中にいた旅行客が手真似で外のブザーを鳴らすようにと教えてくれた。
鳴らすと鍵が開いた。午前0時を過ぎていたからだろう。

エレベーターで受付のある6階へ。チェックインする。
ホテルの係りの人はテレビでサッカーの試合を見ていた。
そのことに妙にドイツっぽいな、と感じた。
鍵を受け取って5階の部屋へ。

格安の航空券とホテルを手配したので、部屋は観光客向けのビジネスホテルのようだった。
テレビと机と椅子、ベッドが2つあるだけ。
シャワーはあっても浴槽はなし。部屋にはシャガールのような絵がかかっている。
iPhoneを充電しようとしてコンセントがないことに気付く。
仕方なくドライヤーのプラグを抜く。コンセントの形状はC型だった。
テレビをつける。小さな音で聞く。
スーツケースを開けて荷物を整理する。
シャワーを浴びて眠る。
午前1時半過ぎ。日本では9時半か。さすがに眠い。
ベッドに潜り込む。


[3713] ベルリン その2(2/4:ロンドン、ヒースロー空港) 2011-02-11 (Fri)

飛行機はハバロフスクの上空を飛ぶ。
しばらく本を読んで、時計を見ると15時。シベリア、ヤクーツク。
読書灯を点けようとしたらボタンを押しても反応しない。
パーサーを呼ぶ。故障だとのことで、隣の人のを向きを変えて使うことになった。

食後に少しウトウトした他は眠れず。日本時間だと普通に午後。
コニー・ウィリスの『犬は勘定に入れません』がやめられず、読みふける。下巻へ。
これは大変面白い。『ドゥームズデイ・ブック』も『航路』も面白かったが、
というかこの3者甲乙付けがたいが、『犬は勘定に入れません』が一歩抜きん出ているか。
タイムトラベルの歴史改変ものなんだけど
複雑に絡み合っていた歴史的事象の全てがスーッと収束する瞬間があって…
そんで、途中で推理小説とは何ぞや? という話になって、そこで語られたトリックが…
いや、やめておこう。とにかくこれは読むべき。百点満点の小説。
その辺のミステリやSFや歴史物が全て独りよがりなゴミに思える。
http://www.amazon.co.jp/dp/4150117071

隣に座っていた外国人(英国人)が前方のアテンダント詰め所にて
シーフードヌードルをもらってきて食べているのがうまそうだった。
彼の体が大きくてまたげない。通路に出られず、トイレに行くのも我慢する。
本を読んでいたらスナックの箱が運ばれてきてもらう。
クラッカーやマドレーヌなど。クラッカーは野菜のスプレッドをつけて食べる。

窓を開けてみる。分厚い雲が見渡す限り広がっている。
それがずっと続いている。
ノルウェー上空に差し掛かってようやく視界が開けて、フィヨルドが広がる。

到着前の機内食。
「Seafood with Rice」と言っていたのでスシかと思ったら、中華丼だった。
チョコレートとコーヒー。
気流に入って揺れる。
入国カードが配られるが、乗り継ぎだけなので記載しない。

到着。気をつけていたので今回は眼圧の痛みなし。外は曇り。
空港が混雑していて、ゲートに移動するまで時間がかかった。

飛行機を出る。HSBCの広告。
アジアがテーマなのか、ポスターの1つは相撲取りがマンガを読んでいた。
Terminal5の中を他の旅行客と混ざって歩く。
「Flight Connections」の指示に従って進む。エスカレーターを下ったり上ったり。
セキュリティ・コントロールで簡単なパスポート審査があって、次に液体物のチェック。
エスカレーターで上の階へ。手荷物検査を受ける。
解放される。後は出発待ちとなる。
到着が14時半過ぎで、出発が19:20となっている。5時間以上時間が空く。
電光掲示板を見てみるとベルリン行きBA988はどのゲートになるのか未定。
1時間ぐらい前にならないとアナウンスされないようだ。

ヒースロー空港は国際線利用者数では世界一というだけあって、さすがに大きい。
免税店などをブラブラする。Harrods / NOKIA / PRADA / Paul Smith ...
HMVがあった。イギリスが本拠地だということを思い出す。
Slipknot の昨年出たライブアルバムで僕が見たことのないのがあった。
Download Festivalでのもの。買うべきか迷う。
空港で売ってるぐらいなのだから日本でも買えるだろうとその場はやめておく。
(しかし日本に帰って来て HMV と amazon を見てみたが売ってなかった…)
CDは安ければ4.98ポンド。1枚ものだとだいたい、セールス価格なのか7.98ポンド。
日本と比べると安い。今思うと何枚か買っておくべきだったか。
コーエン兄弟の6枚組DVDボックスセットがスーパーディスカウントで19.98ポンド。
『ビッグ・リボウスキ』『未来派今』といった日本では入手困難なものから
『バーン・アフター・リーディング』『シリアスマン』といった最新作が入っていた。
これは安い! と思うが残念ながら再生方式がPALで日本のプレーヤーだと再生できない。

お土産屋にて絵葉書を眺めていると、さっそく
婚約したウィリアム王子が2人で並んで立っている絵葉書があった。

隅の方の空いているゲートで本を読んで待つ。
自販機でコーラを買う。1.5と書いてあったのに、1.5ユーロ分入れても反応しない。
さらに0.5ユーロ分入れてようやく買うことができて、いくらか小銭が戻ってきた。
10PENCEとある。そうか、イギリスはユーロじゃなくてポンドなんだとここで気付く。

ガラスの前の席に座る。向こうには整備中の飛行機。
野田努『ブラック・マシン・ミュージック』を読み始める。
1970年代ニューヨークのディスコから、
1980年代のシカゴ・ハウス、後半のデトロイト・テクノへと至る歴史を綴る。
ものすごく詳しいことを書いているのに文章が平易で読みやすい。
変に思い入れをぶち込んだりもしない。
淡々と雑誌での発言などを適切な分量で引用していく。
史実的な出来事、レーベルやディスコという場、具体的なリリース、インタビュー。
これを読むと非常に多くのことが分かる。見えてくる。
パラダイス・ガラージのラリー・レヴァン、シカゴのフランキー・ナックルズ。
デトロイトのデリック・メイ、ホアキン・アトキンス、ジェフ・ミルズ…
全ては Underground Resisitance へとつながる。
語られるべき歴史としてはそういうことだったのか、とどこを読んでも目からウロコ。
これもまた素晴らしい本だった。
http://www.amazon.co.jp/dp/4309264948/

座っていると空港の職員のおばさんが現れ、話しかけてくる。
どうも椅子の一連なりをもう少し前に移動させたいようだ。手伝う。
おばさんが反対側の端に座る。

本を読んで疲れてくると空港の中を歩き回る。またいつもの席に戻る。
日が暮れるにつれて眠くなってくる。17時は日本時間だと時差が9時間で26時。
(ロンドンと東京の時差はそのまま、グリニッジ標準時との時差となることにアッと思う)
午前2時は普段寝ている。起きていられない。耐える。本を読んでると、眠くなる。

18時半を過ぎてゲートが決まっただろうかと電光掲示板
(大きなモニターに映し出される今、これはなんと呼ばれるのか?)
を見に行くと19:20ベルリン行きのゲートが決まっていない。
これだけではなくて、ほとんどの便が Delayed 遅延となっていた。何かが起きているのか。
しばらく待ってもう1度見に行くと
ゲートのオープン時刻が19:31で出発は20:30と表示された。
1時間遅れなのか。ベルリン到着は23時を過ぎそうだな…

さらに待って19時半に掲示板を見てみるがゲートのアナウンスはなし。
少し前の時刻に予定されていたフライトのゲートがバタバタと決まっていく。
Terminal5 を端から端までウロウロと歩きながらゲートが決まるのを待つ。
20時近くになってようやく決まってA22ゲートへ。席に座る。
どんどん人が集まってくる。さらに10分ほど待たされて搭乗となる。


[3712] ベルリン その1(2/4:成田空港) 2011-02-10 (Thu)

5時起き。目覚まし時計をスーツケースの中へ。
荷物の準備は昨晩のうちにあらかたできている。
普段部屋で着ているユニクロのスウェット上下とスリッパをそれぞれ袋に詰める。
手持ちの鞄にパスポートやホテルのバウチャーなど入っていることを確認する。
着替える。セーターにこの前買ったカーゴパンツ。青のダウンジャケット。
ガスの元栓を締める。エアコンやヒーターのスイッチを切る。
6時には部屋を出る。
駅までの道を半分まで来たところで腕時計を忘れたことに気付き、引き返す。

丸の内線に乗って新宿へ。6時半前。それほど混んでない。
新宿でJRに乗り換える。成田エクスプレスに乗る。
久々に乗ったらスーツケースはワイヤーロックをかけられるようになっていた。
前からか? 何年か前に乗ったときがバックパックだったから
気付かなかったのかもしれない。

4人家族が、固まらずにそれぞれ窓際の席に1列になって座っている。
父親は景色を眺め、息子はiPhoneを操作している。

渋谷、品川、東京、成田空港第2ビル。
コニー・ウィリスの
『犬は勘定に入れません −あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎』の上巻を読む。

空港に到着する。
改札を出てパスポートのチェックを通過して、3階へ。
ブリティッシュ・エアウェイズのカウンターへ。チェックイン。
スーツケースを預ける。JALのマイレージのカードを見せて登録してもらう。
帰りの分は帰りのチェックインのときにまた申し出て欲しいとのこと。
ロンドン・ヒースロー空港での乗り継ぎ案内の説明の書かれたコピーを受け取る。
ターミナル5の中での乗り継ぎになりますということで
それほどややこしいことにはならないようだ。
FAQもあってとても分かりやすい。
事前に調べてみたらセキュリティ・コントロールだけで入国・出国の審査は不要とあった。
BA(ブリティッシュ・エアウェイズ)とヒースロー空港は旅行者にとってとても親切だ。
http://www.heathrowairport.com/portal/site/heathrow/menuitem.ff9ffbbb109c73feac81cb109328c1a0/?lang_code=ja

身軽になって、まずは海外旅行の保険を申し込む。
ベルリン6日間の一番安いので7,180円。それなりにした。
両替。8万円が680ユーロになる。

昨日の夜からたいして食べてない。
4階に上がって食事のできる店を覗いてみる。
カツカレーが食べたい気分だったが、どれもお金のかかる割りにそんなおいしそうでもなく。
結局マックでメガマフィンのセット520円。
ベルリンのガイドブックを読みながら食べる。

携帯の充電器を買うかどうか迷ってやめる。
「もしかしたらあったほうがいいかも、保険として」なんて考えるが。
最初から最後まで携帯を使わない、
もしもの場合は日本語のできる人を探してなんとかする、でよいのではないかと割り切る。
不要な買い物はしない。

さっさと出国手続きへ。
ゲートでコニー・ウィリスを読んで時間をつぶす。
母に電話をする。

時間が来て飛行機に乗り込む。
僕の席は右側の窓際だったんだけど、非常口の関係で右横、大幅にスペースが空いている。
なんかそこだけビジネスクラスっぽい。

BAのビジネスクラス(「クラブ・ワールド」という)は各席に仕切りが設けられていて、
何十年も前のSF映画に出てくる宇宙船の中のよう。
席によっては後ろ向きになる。前向きの席、後ろ向きの席が交互に並ぶ。
参照 http://allabout.co.jp/gm/gc/53449/

iPhoneを機内モードにする。
DoCoMoの携帯も電源をOFFにする。
iPhoneは海外のパケットし放題を利用して目いっぱい使うつもりでいたが、
何か手違いがあって過大な請求になっても嫌だな、と一切利用しないことにした。
ことあるごとにTwitterを開いて、「ベルリンなう」と打つのもあほらしいし。

11時過ぎに離陸する。
機内サービス。飲み物を聞かれてビールにすると、ハイネケンとオランダのグロールシュ。
ハイネケンにする。
機内食のときには「ワインはいかがですか?」と。いいね。気前がいい。
白にすると「アルゼンチンにしますか、スペインにしますか?」
アルゼンチンにする。
機内食はチキンとパスタで、チキンにする。
マッシュポテトやタルトなど。

それにしてもいつも思うのは、こういうときについてくる
小さな容器に入ったミネラルウォーターはどう飲むのが正しいのだろう?
容器のまま飲むのだろうか?
カップにあけるのだろうか?
後者だと最初思ってたんだけど、
後でそのカップでコーヒーか紅茶を飲むことになるだろうし。
周りの人がどうするかそれとなくチェックするんだけど、飲んでる人を見たことがない。


[3711] ベルリン その0(総括) 2011-02-09 (Wed)

今日の朝9時過ぎに成田到着。
ベルリンでの3日間はたいしたトラブルもなく、淡々と過ぎ去り、
何事もなく無事日本に戻ってこれた。

…そんな意味では総じてジミだった。
僕自身がだいぶ旅慣れてきたので何事も動じることがなかったということと
そもそもベルリンが「壁」とそれにまつわる歴史という
とてつもなく大きなインパクトをいったん脇に置けば
(そんなの実質的に無理だが)
どこにでもある普通のヨーロッパの都市となってしまうところか。
3日間どこもかしこも薄暗くて灰色、翳って寂しい印象を受けた。
これってただ単に真冬でいつも空が曇っていたというだけのことなのかもしれない。
じゃあよい印象をもってないのかというとそんなことはなく。
結局は全てが「壁」の存在感に尽きてしまう。

どうなのだろう? 今のベルリン市民にとって「壁」の意味とは何なのか。
元々西側に住んでいた人にとって、東側に住んでいた人にとって。
壁が崩壊した1989年以後に生まれ育った世代にとって。
単なる観光資源に過ぎないのか。
それとも消し去るわけにはいかない戒めなのか。
壁は壁なのか。
そういう話をしてみたかったなあと思う。
それだけが心残り。

---
3日間、地下鉄に乗りながら、街を歩きながら、
”抽象”とは何かということをずっと考えていた。
詳しくはまた別途どこかで書きたい。
メッカのカアバ神殿(実際は石造りの立方体が1つ)について書かれた本を読んで、
ここベルリンで”壁”と、ホロコーストの記念碑(直方体が無数に並ぶ)を見て、
抽象って単なる単純化やパターン化ではないんだなと。
なんかそんなことばかりブツブツ考えていた。

---
今回特筆すべきは、とにかくお金を使わなかったことに尽きる。

飲食はマクドナルドで済ませるというようなケチに頼ったわけではない。
無駄な買い物をしなかったということ。後になって後悔、はなかった。
最初に8万を両替して680ユーロとなる。
これが310ユーロ残って、3万3,000円ぐらい戻ってきた。

メモとレシートをもとに、内訳を書き出してみる。
日本で使った分は省きます。
美術館や博物館は、オフィシャルなものだと入場料無料が多かったです。
交通費は空港に到着して、バスや近郊線や地下鉄のフリーパスを買ったのみ。
飲み食いと入場料と絵葉書と図録がほとんど。あと、会社へのお土産。

ちなみに、ビールは水より安かった。
(水は、水道水じゃなくてミネラルウォーターのこと。もちろん)


◆2/4(Fri)◆
|―――|―――――――――――|――――――――――――――|―――|
|飲食 |Heathrow Airport   |コカ・コーラ        | 1.90?|
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|交通費|Flughafen Tegel    |Berlin City Tour Card(5日間)|28.90 |
|―――|―――――――――――|――――――――――――――|―――|
|チップ|Kurfurstendamm(ホテル)|ベッドメイキング      | 1.00 |
|―――|―――――――――――|――――――――――――――|―――|

◆2/5(Sat)◆
|―――|―――――――――――|――――――――――――――|―――|
|入場料|Alexanderplatz    |ベルリン大聖堂       | 5.00 |
|土産 |           |ベルリンの壁の欠片     | 3.50 |
|絵葉書|           |(0.5×6)          | 3.00 |
|入場料|           |テレビ塔          |11.00 |
|―――|―――――――――――|――――――――――――――|―――|
|飲食 |Eberswalder Str.   |カレーソーセージ      | 1.70 |
|   |"Konnopke's Imbiss"  |(Currywurst)        | 1.70 |
|―――|―――――――――――|――――――――――――――|―――|
|入場料|Nollendorfplatz    |バウハウス資料館      | 7.00 |
|図録 |           |              |10.00 |
|絵葉書|           |(0.7×5)          | 3.50 |
|―――|―――――――――――|――――――――――――――|―――|
|飲食 |Nollendorfplatz    |「Bio」(ミネラルウォーター) | 2.00 |
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|入場料|Kurfurstendamm    |              |10.00 |
|   |(Story of Berlin)   |              |   |
|―――|―――――――――――|――――――――――――――|―――|
|土産 |Wittenbergplatz    |クッキー詰め合わせ(5.98×5) |29.90 |
|飲食 |"KaDeWe"       |缶ビール4本+Volvic+税   | 5.90 |
|飲食 |           |缶ビール2本+税       | 2.48 |
|飲食 |"Silverpagoda KaDeWe" |ペキンダックのグリル    |15.80 |
|飲食 |           |ビール1杯(Tiger Beer)    |19.70 |
|―――|―――――――――――|――――――――――――――|―――|
|チップ|Kurfurstendamm(ホテル)|ベッドメイキング      | 1.00 |
|―――|―――――――――――|――――――――――――――|―――|

◆2/6(Sun)◆
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|その他|Friedrichstr.     |公衆トイレ         | 0.50 |
|―――|―――――――――――|――――――――――――――|―――|
|絵葉書|Friedrichstr.     |(1.0x3)          | 3.00 |
|   |(ホロコースト記念碑) |              |   |
|―――|―――――――――――|――――――――――――――|―――|
|その他|Friedrichstr.     |日本に絵葉書を送る     | 0.45?|
|―――|―――――――――――|――――――――――――――|―――|
|入場料|Kochstr.       |              |12.50 |
|絵葉書|(壁博物館)      |(1.0×1)          | 1.00 |
|―――|―――――――――――|――――――――――――――|―――|
|飲食 |Kochstr.       |カレーソーセージ      | 2.50 |
|   |(Checkpoint Carlie)  |(Currywurst)        | 2.50 |
|―――|―――――――――――|――――――――――――――|―――|
|絵葉書|Oranienburger Tor   |Alexander Rodin (2.0×1)  | 2.00 |
|絵葉書|(Tacheles)      |Tim Roeloffs (1.5×5)    | 7.50 |
|―――|―――――――――――|――――――――――――――|―――|
|飲食 |Oranienburger Tor   |カレーソーセージのセット  | 5.20 |
|   |"Viva la Wurst"    |(ポテト、ペプシ)      | 5.20 |
|―――|―――――――――――|――――――――――――――|―――|
|入場料|Oranienburger Tor   |              |10.00 |
|絵葉書|(C/O Berlin)     |(1.0×1)          | 1.00 |
|その他|           |photografic shooting 3発  | 2.00 |
|図録 |           |「Shoot!」         |19.90 |
|―――|―――――――――――|――――――――――――――|―――|
|入場料|Oranienburger Tor   |「ABSALON」         |10.00 |
|   |(KW)         |              | 1.00 |
|―――|―――――――――――|――――――――――――――|―――|
|入場料|Hauptbahnhof     |              |06.00 |
|画集 |(Hamburger Bahnhof)  |「Street Art in Berlin」  |19.95 |
|―――|―――――――――――|――――――――――――――|―――|
|飲食 |Bellevue       |グリル盛り合わせ      |10.70 |
|   | "Marjan Grill"    |ビール2杯(Bitburger Pilsner)| 5.90 |
|―――|―――――――――――|――――――――――――――|―――|
|チップ|Kurfurstendamm(ホテル)|ベッドメイキング      | 1.00 |
|―――|―――――――――――|――――――――――――――|―――|

◆2/7(Mon)◆
|―――|―――――――――――|――――――――――――――|―――|
|入場料|Alexanderplatz    |ベルリンの壁の欠片     | 3.50 |
|―――|―――――――――――|――――――――――――――|―――|
|チップ|Alexanderplatz    |デパートのトイレ      | 0.20 |
|―――|―――――――――――|――――――――――――――|―――|
|飲食 |Magdalenenstr.    |コーヒー          | 1.20 |
|   |(シュタージ博物館)  |              |   |
|―――|―――――――――――|――――――――――――――|―――|
|絵葉書|Friedrichstr.     |(1.0×1)          | 1.00 |
|写真集|"Dussmann"      |東ドイツに関する写真集   |24.90 |
|写真集|           |ベルリンの壁に関する写真集 |24.90 |
|―――|―――――――――――|――――――――――――――|―――|
|飲食 |Friedrichstr.     |グーラッシュ        |10.90 |
|   |"Alt-Berliner Kneipe, |(ポテト・赤キャベツ付き)  |   |
|   | - Treffpunkt"    |ビール1杯(Paulaner Dunkel) | 2.95 |
|―――|―――――――――――|――――――――――――――|―――|
|土産 |Wittenbergplatz    |クッキー詰め合わせなど   |27.76 |
|   |"KaDeWe"       |              | 5.90 |
|―――|―――――――――――|――――――――――――――|―――|
|その他|Wittenbergplatz    |施し(女性)         | 2.00?|
|その他|           |施し(母娘)         | 2.00 |
|―――|―――――――――――|――――――――――――――|―――|
|飲食 |Guntzelstr.      |カレーソーセージ      | 1.80 |
|   |"Berlin&Friends"   |(Currywurst)        |   |
|   |           |串焼きの煮込み?      | 2.50 |
|―――|―――――――――――|――――――――――――――|―――|
|チップ|Kurfurstendamm(ホテル)|ベッドメイキング      | 1.00 |
|―――|―――――――――――|――――――――――――――|―――|

◆2/8(Tue)◆
 なし

◆2/9(Wed)◆
 なし


[3710] こんなサントラを持っている その8 2011-02-08 (Tue)

――――――――――――――――――――――――――――――
□Association『Goodbye, Columbus』

ソフトロックの雄 Association が手掛けた
青春映画「さよならコロンバス」のサントラ。
原作は重たいものを書く前のまだ若い頃のフィリップ・ロス。
角川文庫から出ていた中古を買って、学生時代に読んだ記憶がある。
このときの内容と音楽の感じからすると、相当甘酸っぱいんだろうな。

Association って再評価されてるんだか、その度に忘れられてるのか。
僕は普段全くソフトロックって聞かないけど、
この Association と The Free Design はたまに聞く。
Association は若さはじけるダイナミックなコーラスがいいですね。
これぞ西海岸って感じの。
初期の段階ではその筋では有名なプロデューサー、
カート・ベッチャーが関わっていた。
メンバーの一人ジム・イエスターの弟がジェリー・イエスターで
後期 Lovin' Spoonful に加わった。そういうつながり。

――――――――――――――――――――――――――――――
□Simon & Garfunkel『Graduate』

つながりで思い出す。
言わずと知れたアメリカン・ニューシネマ名作『卒業』
その最後に Simon & Garfunkel の「The Sound of Silence」が
流れるのも有名な話だけど、このサントラそのものは
彼らのアルバムの中で扱いが低いように感じられる。
彼ら自身の楽曲と、作家によるいわゆる映画音楽とが同居しているからか。
その辺り、The Beatles『Yellow Submarine』と似ている。

でもこのアルバム、なかなかいいんですね。
ここだけの話、彼らのアルバムの中で僕が最も聞くのはこれ。
アメリカの60年代を代表する「The Sound of Silence」が
”勝手にフォークロック調のバックを加えられた”正規のバージョン
(普段耳にするのはこっち)と
2人だけの、絶望と孤独と諦めが静かに鳴り響いてるバージョンとが収録されている。
これを聞き比べたくなる。

隠れた名曲「April Come She Will」や
CMでもよく使われる「Scarborough Fair/Canticle」も入っている。
映画音楽のほうもなかなかいい。

――――――――――――――――――――――――――――――
□The Cyrkle『The Minx』

”こんなサントラを持っている”といったとき、普通はこういうのなんだろうな。
ほぼ忘れられた1960年代後半の、知る人ぞ知るソフトロックのグループによる
知る人ぞ知るソフトポルノ映画のサントラ。
つまり、安易な言い方をすれば、モンドな映画、モンドなサントラ。

「モンド」ってよくよく考えるとどういうことなのか説明できない。
なんとなくあの感じってのはあっても。
ラウンジでもなく、キッチュでもなく。

ありがちなスキャットに、ありがちなボサノヴァ、
ありがちななんちゃってラーガ。
悪くはないけど持ち上げすぎる必要はないと思う。
この時代の標準的な音楽。

星の数ほどこういう音楽があって、星の数ほどこういう映画があった。
それがたまたま国内盤のCDで発売される。
幸福なことなのか、なんなのか。

――――――――――――――――――――――――――――――
□Jack Johnson『September Sessions』

大手外資系ショップで話題になりだした頃、僕もジャック・ジョンソンにはまった。
アコースティックというか、オーガニックな音。
べとつかない、さらりとしたソウルがあって、
ダンスフロアよりはドライブで聞くのにちょうどいいようなグルーヴィー。

ハワイ出身で昔はサーファー、
映像の学校に通ってサーフィンを主題としたプライヴェートよりな映画を撮っていた。
そこに音楽をつけようってことで自らギターを弾き始め、
曲作りをして仲間たちと録音してアルバムとして発表したら大ヒットとなる。

映画のDVDも何枚か買った。
『September Sessions』と『Thicker Than Water』ともう1枚ぐらい買ったはず。
腕に自身のあるサーファーたちがすごい波を求めて
ボード片手に世界の反対側まで旅する。
そしてボートに乗って沖合いまで出て、
何も言わずただ、ひたすらストイックに波に乗る。
うまくいったら浜辺で笑いあう。ただそれだけ。それが観てて心地いい。
季節がいつだろうと、夏だろうと冬だろうと、
缶ビール飲みながらボケーっと眺めるのにちょうどよかった。

このサントラはジャック・ジョンソンとその仲間たちって感じで、
Ozomatori や G. Love & Special Sauce が参加。さらっとおしゃれ。
気の置けない友人たちとのホームパーティーで流すのに最適な音。

――――――――――――――――――――――――――――――
□『Waking Life』

リチャード・リンクレイター監督の『ウェイキング・ライフ』のサントラ。
これまで何度も書いてきたことだけど、非常にこの音が大好きで今でもよく聞く。
タンゴなんだけどやさぐれてて、パンク。荒っぽい。
もっと聞きたいのだが
この Tosca Tango Orchestra って映画だけのプロジェクトだったのか、
他にアルバムは出ていない。残念。

ピアソラの漆黒の闇が密室に広がるような緊張感に毒気を感じ出すと
僕はこちらに切り替える。


[3709] こんなサントラを持っている その7 2011-02-07 (Mon)

――――――――――――――――――――――――――――――
□『To Have And To Hold』

ニック・ケイヴ、ブリクサ・バーゲルド、ミック・ハーヴェイ。
Nick Cave and the Bad Seeds の暗黒3人組。
(残念ながら、ブリクサ・バーゲルドは脱退)

この映画のことは全く分からないんだけど、1997年の作品とのこと。
最近知って取り寄せてみた。発売は MUTE だった。

この3人で映画となると思い出すのはもちろん「ベルリン・天使の詩」
しかしああいう音を想像していたら全然違ってた。
ニック・ケイヴのどす黒いヴォーカルも
ブリクサ・バーゲルドの高圧電流ギターも
ミック・ハーヴェイの不安を書きたてるシロフォンもなし。
ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、オーボエ、ハープ
という構成のオーケストレーション。
まごうことなき、これぞ、なサントラだった。
堂々としているんだけど、そこはかとなく弱々しい陰がある。
ヴォーカル入りの曲として、1曲、スコット・ウォーカーの歌うのが入っている。

この3人組のサントラだと僕は
『Ghosts ... of the Civil Dead』というのも持っている。
邦題は『亡霊の檻』というらしいが、日本でも公開されたようだ。
1991年。もちろん単館上映。
こちらのほうが3人の音らし、…くもないか。
女性ヴォーカルの入ったラウンジな曲のようでいて虚無的というか無機的。
それが何かと考えてみたら
映画の中で使われる曲ということで記号的なのだと気付く。
そうか。無機=記号の関係。

かろうじてミック・ハーヴェイのシロフォンが1曲で。

――――――――――――――――――――――――――――――
□Einsturzende Neubauten『Die Hamletmaschine』

ついでに、ブリクサ・バーゲルドの Einsturzende Neubauten (以下 E.N.)から。
今回のベルリン行きでライブが観れないものかと期待したが、
しばらくないようだ。残念。

現代アート的な構築的秩序をもつインダストリアル・ノイズ・ミュージックとして
E.N. の音楽は1980年代から、よく演劇で使われたようだ。
この作品はかのハイナー・ミュラーの『ハムレットマシーン』
僕も学生時代に全集(?)のここだけ買った。
ブリクサ・バーゲルドがハムレット役で朗読を行なっている。
有名なフレーズ「ハイル、コッカ・コーラ」に差し掛かったとき、ゾクッと来た。

音楽は E.N. だとしてもそれほど刺激的ではなく。
削岩機が唸ったりはしない。鉄板は叩かれるけれども。

E.N. のサントラや劇伴としては他に
メンバーの出演した『Faustmusik』や
映画『Berlin Babylon』などがある。

それにしても。最近E.N.を聞き直してるんだけど
2枚目『患者O.T.の肖像』や3枚目『半分人間』はかっこいいね。

――――――――――――――――――――――――――――――
□Elmer Bernstein『Music for the Film of Charles & Ray Eames』

20世紀を代表するインテリア・デザイナー、インダストリアル・デザイナーである
(椅子が有名ですよね)
チャールズとレイのイームズ夫妻は100を超える短編映像作品を残していた。
そのうち、「おもちゃの汽車のトッカータ」など代表作の音楽を収録したもの。
作曲はどれも映画音楽家エルマー・バーンスタイン。
イームズ夫妻の作品は実験的でありながら遊び心に満ち溢れていて、
ゆえに音楽も子供向けのミュージカルやアニメのよう。

僕も作品集のDVDを持ってるけど、
夫妻の「パワーズ・オブ・テン」と「おもちゃの汽車のトッカータ」は必見。
21世紀の子供たちに語り継ぎたい。

――――――――――――――――――――――――――――――
□『Donnie Darko』

藤子・F・不二雄のSF短編「ヒョンヒョロ」を読んで以来トラウマになって、
でかいウサギが出てくるものはなんでも傑作に思えてしまう。
これもその1つ。
映画そのもののできは今ひとつでも、心の襞に忘れられないものを残した。
世の中と対峙することへの不安に満ちて、想像力が暴走する少年の心。
切ない。見ててあまりにも切なくなった。

エンドロールで流れる歌がとても美しく、名前を見たらローランド・オーザバル。
どこかで聞いたことあるのに、思い出せない。
調べればいいんだけどたまにはしばらくほっといてみる。
その後だいぶたって何かで読んで、Tears for Fears だと思い出す。
「Shout」とかね。懐かしい。
この「Mad World」も名曲です。

サントラとしてはその他の曲は別な人が担当していて、神秘的な楽曲が並ぶ。
内に閉じこもった少年の心を表すような。

――――――――――――――――――――――――――――――
□Curtis Mayfield「Superfly」

カーティス・メイフィールドによるサントラ。1972年。
アイザック・ヘイズの主題歌「シャフト」も有名な『黒いジャガー』と並んで
ブラック・エクスプロイテーション・ムーヴィーの代表作とされる。
監督も黒人で、麻薬密売ものらしい。
そもそもの話、ビデオやDVDになったことはあるのだろうか?

そんなにソウルに詳しくはないですが、
カーティス・メイフィールドだと「Live」がゆるくていいですね。
iPhoneに入れて街を歩くのにちょうどいいソウル。
レコードに針を落とした瞬間、
真夜中のしっとりとしたムードの広がりが感じられるというか。


[3708] こんなサントラを持っている その6 2011-02-06 (Sun)

――――――――――――――――――――――――――――――
□サンガツ『波』

奥原浩志監督の『波』のサントラ。
(映画サークルの先輩の知り合いということで、
 上映会で16ミリの自主制作作品を観たことがある)

サンガツというグループのことは詳しくはしらないんだけど、
peleのようなギター主体のインスト・バンドというか、いわゆるポスト・ロック。
ホームページを見てみたら寡作だが活動は続いているようだ。
昨年新しいアルバムが出た。
http://sangatsu.com/

映画の内容からか、淡々と静謐な曲が続く。
弦の上を指が動く音すら、曲の一部のような。
波打ち際を遠くにして、ささやかに聞こえる波のよう。

――――――――――――――――――――――――――――――
□『Downtown81』

ジャン=ミッシェル・バスキア主演でニューヨークの
アンダーグラウンドな音楽シーンを伝える、という半ばドキュメンタリーの映画。
バスキアが街をフラフラしてる間に当時のいろんなバンドの演奏風景が挟まる。
「No New York」系のコンピって ZE Records や Soul Jazz Records も
張り切ったのを出していたけど、僕としてはこれにかなわない。
サントラの曲目を書き写すだけで震える。

Gray「So Far So real」
Coati Mundi Hernandez「K Pasa Pop I」
Tuxedomoon「Dresire」
Liquid Liquid「Cavern」
DNA「Blonde Redhead」
James White & The Blacks「Sax Maniac」
Marvin Pontiac「I'm a Doggy」
James White & The Blacks「Contort Yourself」
Gray「Drum Mode」
Lydia Lunch「The Closet」
Coati Mundi Hernandez (Poetry by Jean-Michel Basquiat)「Palabras Con Ritmo」
Lounge Lizards「Bob the Bob」
Pablo Calogero「Tangita」
Kid Creole & The Coconuts (August Darnell)「Mr.Softee」
Suicide「Cheree」
DNA「Detached」
Chris Stein「15 Minutes」
The Plastics「Copy」
Walter Steding & the Dragon people「New Day」
Rammelzee vs K-Rob「Beat Pop」

Grayってバスキアの参加してたバンドだったか。

Coati Mundi は Kid Creole & The Coconuts のメンバー。
いきなりこのコンピの最高潮。
サルサ系ラテン・ファンクとニューヨーク・パンクの最も幸福な邂逅。
ギターもリズムも前のめりにつんのめって熱い。
つまるところ、じゃがたら。必聴。
この時期の他の音源を聞きたいが、見つからず。

Tuxedomoon「Desire」
1981年はまだサンフランシスコだったか(その後ブリュッセルに移住)。
なぜニューヨークの映画に? と今でも疑問に。
とはいえ、メンバーが動いてる映像がなかなか入手しにくいので、とても貴重。
スタジオライブ。アルバムとは異なる音。
打ち込みのリズムも心なしか早くてパンキッシュ。
キーボードもノイジー。オリジナルよりも僕は好き。

DNA「Blonde Redhead」
あのアート・リンゼイがギターを弾いていたバンドとしてあまりにも有名。
『No New York』にも参加。
ベースのティム・ライトが元 Peru Ubu ってのも
アンダーグラウンド・ロックの系譜として感慨深い。
ドラムのモリ・イクエは日本人。
というか、ここで語るべきは曲名の「Blonde Redhead」
もちろん、Blonde Redhead というバンド名はここから取られたんですね。

Marvin Pontiac はジョン・ルーリーのソロですね。
Lounge Lizards も入ってるのが嬉しい。

The Plasticsは日本人のバンド。テクノポップに分類される。
立花ハジメ、MELONの中西俊夫や
佐久間正英(元:四人囃子、今やプロデューサーとしてときめく)
がメンバー。ある意味スーパーグループなのに、そういう扱いはされない。

ジェームズ・チャンスもリディア・ランチもスーサイドも入ってますよ。

――――――――――――――――――――――――――――――
□Peter Broderick『Music for Falling From Trees』

この人のことはよく分からない。
まだ若くて、いろんな楽器を演奏するということぐらいしか知らない。
デビューしてまだ5年にも見たいないんだけど、
たくさんアルバムを出している。Machinefabriek など共演も多い。
僕はどこで知ったのか。全然思い出せない。

この作品はコンテンポラリー・ダンスのための音楽。
ピアノやヴァイオリンを自分ひとりで演奏している。
静かな情感に満ちた音。室内楽的なようでいて、
ギターなどエレクトリックな楽器のないポスト・ロックのようでもある。

4月に来日するとのコト。これは見たい! チケットを予約した。
http://www.cotelabo.com/peternilstour.html

――――――――――――――――――――――――――――――
□Buffalo Daughter / Delaware『Jungle Park』

棚を見ていたら出てきた。これもまあサントラ? かな。
プレステの1996年のゲームに
「ジャングル・パーク」ってのがあってそれのテーマ曲などを再録したもの。
Buffalo Daughter なのでなかなかかっこいい。
この頃はまだギターロック・オリエンテッド。
気になってゲームの方も買ってみた。
…暇つぶし程度のもので、僕は1回か2回しかプレイしなかった。

無機的なリズムの反復が有機性を獲得する瞬間。
ってのが Buffalo Daughter の音楽のテーマだとしたら、
ゲームのサントラに合うのかもね。
いや、今聞いてるとかなりいいですよ、これ。

共演してる Delaware というもう1つのバンドについてはよく分からず。
ノルウェイに同名のバンドがあるけど、たまたま一緒なだけだろう。
どっちがどの曲って分からないんだけど、
カッコイイと思ったのは Delaware の方だったりして。

――――――――――――――――――――――――――――――
□『True Fiction Pictures: Music from the Hal Hartley』

その名の通り、ハル・ハートリー監督作の劇中歌を集めたもの。
いくつかの曲はネッド・ライフルという人によるものなんだけど、
ハル・ハートリーの別名だったりする。
何の変哲もない、アメリカ学生インディー系ギターロック。
他には Yo La Tengo が2曲(「Some Kinda Fatigue」「Always Something」)など。

映画は「シンプル・メン」「トラスト・ミー」など。
学生時代に「フラート」を見てあれこれ考えさせられたもんだけど、
残念ながら入っていない。
というかハル・ハートリーって1998年の『ブック・オブ・ライフ』が最後のはずで、
その後どうしているのか。

僕が持ってるのは日本盤で、嶺川貴子と佐々木敦が対談している。
このCDもまた、えらくプレミアがついている。


[3707] アカデミー賞を予想する '2011 2011-02-05 (Sat)

性懲りもなく今年も予想します。
「ソーシャル・ネットワーク」は蓋開けてみると惨敗、
「英国王のスピーチ」が主要な賞を獲得、
台風の目は「ザ・ファイター」ではないか?

――――――――――――――――――――――――――――――
【作品賞】
 □「127時間」
 □「キッズ・オールライト」
 □「ザ・ファイター」
 □「インセプション」
 □「ブラック・スワン」
 □「ソーシャル・ネットワーク」
 □「Winter's Bone」
 □「トイ・ストーリー3」
 ■「英国王のスピーチ」
 □「トゥルー・グリット」

ゴールデングローブ賞も制し、下馬評の高い「ソーシャル・ネットワーク」ですが。
僕自身はこれはないんじゃないかなあと。
あっと驚く番狂わせが起きるかも。
コーエン兄弟の新作「トゥルー・グリット」も気になりますね。
マーク・ウォールバーグとクリスチャン・ベールが主演の
ボクシング映画「ザ・ファイター」
僕が気になるのはこの4本。
意外と「トイ・ストーリー3」が取ったりして。

――――――――――――――――――――――――――――――
【監督賞】
 □ダーレン・アロノフスキー「ブラック・スワン」
 □ジョエル&イーサン・コーエン「トゥルー・グリット」
 □デビッド・フィンチャー「ソーシャル・ネットワーク」
 ■トム・フーパー「英国王のスピーチ」
 □デビッド・O・ラッセル「ザ・ファイター」

作品賞はなくても、あるとしたら監督賞がデビッド・フィンチャーか。
コーエン兄弟は「ノー・カントリー」で取ったばかりだし、
ダーレン・アロノフスキーとデビッド・O・ラッセルは
それぞれ個性はあっても、まだ若いような。

――――――――――――――――――――――――――――――
【主演男優賞】
 ■コリン・ファース「英国王のスピーチ」
 □ジェームズ・フランコ「127時間」
 □ジェフ・ブリッジス「トゥルー・グリット」
 □ジェシー・アイゼンバーグ「ソーシャル・ネットワーク」
 □ハビエル・バルデム「ビューティフル BIUTIFUL」

これは絶対コリン・ファースでしょう。
昨年も「シングルマン」でノミネートされて、逃している。
このとき受賞したのがジェフ・ブリッジス。
まさか2年連続はないよね。

――――――――――――――――――――――――――――――
【主演女優賞】
 ■アネット・ベニング「キッズ・オールライト」
 □ニコール・キッドマン「Rabbit Hole」
 □ジェニファー・ローレンス「Winter's Bone」
 □ナタリー・ポートマン「ブラック・スワン」
 □ミシェル・ウィリアムズ「ブルーバレンタイン」

世間的にはナタリー・ポートマンの評価が頭1つ出てるようですが。
僕個人としてはアネット・ベニングがそろそろかと思う。
「アメリカン・ビューティー」以来、ずっと逃してばかり。

――――――――――――――――――――――――――――――
【助演男優賞】
 □ジェフリー・ラッシュ「英国王のスピーチ」
 ■クリスチャン・ベール「ザ・ファイター」
 □ジェレミー・レナー「ザ・タウン」
 □マーク・ラファロ「キッズ・オールライト」
 □ジョン・ホークス「Winter's Bone」

クリスチャン・ベールは主演男優賞候補じゃないのか…
今回相当ハードな役作りをしたらしい。

――――――――――――――――――――――――――――――
【助演女優賞】
 □エイミー・アダムス「ザ・ファイター」
 □ヘレナ・ボナム・カーター「英国王のスピーチ」
 ■メリッサ・レオ「ザ・ファイター」
 □ヘイリー・スタインフェルド「トゥルー・グリット」
 □ジャッキー・ウィーバー「Animal Kingdom」

「ザ・ファイター」が2人で割れそうだけど、
メリッサ・レオがゴールでグローブ賞だったので。
ヘレナ・ボナム・カーターもそろそろ受賞してよいのでは? と思う。

――――――――――――――――――――――――――――――
【脚色賞】
 □ダニー・ボイル、サイモン・ビューフォイ「127時間」
 ■アーロン・ソーキン「ソーシャル・ネットワーク」
 □マイケル・アーント「トイ・ストーリー3」
 □ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン「トゥルー・グリット」
 □デブラ・グラニク、アン・ロッセリーニ「Winter's Bone」

「ソーシャル・ネットワーク」がかろうじてここだけ受賞と予想する。

――――――――――――――――――――――――――――――
【脚本賞】
 □マイク・リー「Another Year」
 ■スコット・シルバー、ポール・タマシー、エリック・ジョンソン「ザ・ファイター」
 □クリストファー・ノーラン「インセプション」
 □リサ・チョロデンコ、スチュアート・ブルムバーグ「キッズ・オールライト」
 □デビッド・サイドラー「英国王のスピーチ」

「ザ・ファイター」が作品賞・監督賞は逃しても、ここで本領発揮かと。

――――――――――――――――――――――――――――――
【長編アニメーション賞】
 □「イリュージョニスト」
 ■「トイ・ストーリー3」
 □「ヒックとドラゴン」

「トイ・ストーリー3」日本でもものすごく評判いいですよね。
これは確実でしょう。

――――――――――――――――――――――――――――――
【長編ドキュメンタリー賞】
 □バンクシー「Exit Through the Gift Shop」
 □ジョシュ・フォックス「GasLand」
 □チャールズ・ファーガソン「Inside Job」
 □ティム・ヘザリントン、セバスチャン・ユンガー「レストレポ アフガニスタンで戦う兵士たちの記録」
 ■ルーシー・ウォーカー「ヴィック・ムニーズ ごみアートの奇跡」

この辺からよく分からないので、個人的に観たくなったタイトルを。

――――――――――――――――――――――――――――――
【外国語映画賞】
 □「Hors La Loi」(アルジェリア)
 □「Incendies」(カナダ)
 ■「In a Better World」(デンマーク)
 □「Dogtooth」(ギリシャ)
 □「ビューティフル BIUTIFUL」(メキシコ)

「ペレ」を筆頭にデンマーク映画は伝統的に強いので。

――――――――――――――――――――――――――――――
【美術監督賞】
 ■「アリス・イン・ワンダーランド」
 □「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1」
 □「インセプション」
 □「英国王のスピーチ」
 □「トゥルー・グリット」

見てないけど、ティム・バートンがディズニーだしねえ…

――――――――――――――――――――――――――――――
【撮影賞】
 □「ソーシャル・ネットワーク」
 □「ブラック・スワン」
 ■「インセプション」
 □「英国王のスピーチ」
 □「トゥルー・グリット」

技術系の賞は「インセプション」が独占と思われる。

――――――――――――――――――――――――――――――
【衣装デザイン賞】
 □「アリス・イン・ワンダーランド」
 □「I Am Love」
 ■「英国王のスピーチ」
 □「The Tempest」
 □「トゥルー・グリット」

衣装はイギリス王家ものが強いので。

――――――――――――――――――――――――――――――
【主題歌賞】
 □“Coming Home”(「Country Strong」)
 □“I See the Light”(「塔の上のラプンツェル」)
 □“If I Rise”(「127時間」)
 □“Shine”(「Waiting for 'Superman'」)
 ■“We Belong Together”(「トイ・ストーリー3」)

どれも聞いてないけど、「トイ・ストーリー3」かねえ。

――――――――――――――――――――――――――――――
【音響編集賞】
 ■「インセプション」
 □「トイ・ストーリー3」
 □「トロン:レガシー」
 □「トゥルー・グリット」
 □「アンストッパブル」

「トゥルー・グリット」がひょっこり取ったりして。

――――――――――――――――――――――――――――――
【音響録音賞】
 □「英国王のスピーチ」
 ■「インセプション」
 □「ソルト」
 □「ソーシャル・ネットワーク」
 □「トゥルー・グリット」

でもまあ結局は「インセプション」かな。

――――――――――――――――――――――――――――――
【視覚効果賞】
 □「アリス・イン・ワンダーランド」
 □「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1」
 □「ヒア アフター」
 ■「インセプション」
 □「アイアンマン2」

クリント・イーストウッド監督の最新作「ヒア アフター」がここだけ…
しかも視覚効果賞…

――――――――――――――――――――――――――――――
【短編アニメ賞】
 ■「デイ&ナイト」
 □「The Gruffalo」
 □「Let's Pollute」
 □「The Lost Thing」
 □「マダガスカル 旅の日記」

以下3賞はタイトルからフィーリングで。

――――――――――――――――――――――――――――――
【短編実写映画賞】
 ■「The Confession」
 □「The Crush」
 □「God of Love」
 □「Na Wewe」
 □「Wish 143」

――――――――――――――――――――――――――――――
【短編ドキュメンタリー賞】
 □「Killing in the Name」
 ■「Poster Girl」
 □「Strangers No More」
 □「Sun Come Up」
 □「The Warriors of Qiugang」


[3706] 1/31-2/3 2011-02-04 (Fri)

1/31(月)

朝、本社で部会。
その後浜松町駅の貿易センタービル14階の内科に行って花粉症の薬をもらう。
この日は朝からマスク。花粉症というよりもインフルエンザが怖く。
14階は風邪やインフルエンザと見られる人たちばかり。
「インフルエンザからもしれないので検査したい」と受付で言いながら
マスクしてない人とか。ひーやめてくれと思う。
30日分の薬をもらう。
今年の花粉は昨年の3倍程度の飛散量になるとのこと。
その昨年は例年に比べて少な目の年だった。
なので今年はいつもより多いね、ぐらいの捉え方でちょうどよい。
マスコミは毎年大袈裟に騒ぎ、と先生は言う。

貿易センタービル2階の本屋でベルリンのガイドブックを物色したのち、
山猫屋でゴーヤチャンプルーとポークたまごのハーフ定食。
神保町へ。海外旅行に出るに当たって、ガイドブックやトラベル会話の本は
いちいち買わずに図書館で借りるでいいのではないか? と気付く。
昼休みに杉並区の図書館のサイトで物色する。
『地球の歩き方』のドイツは全館で貸し出し中。『旅の指さし会話帳』も。
何冊かこの辺りだろうかというのをまとめて予約して
明日受け取ってどれを持っていくか決めようと思う。

夜、有楽町に『キック・アス』を観に行く。
歩いていって東京駅の地下の「越後そば」で海鮮かきあげそば。
1時間ほど暇ができて、銀座をぶらつく。
CSN&Y『Dejavu』のSHM-CDをこのところ探してて、山野楽器へ。
普通の大型店には既に店頭在庫無し。
実は意外とこういうところに残ってるんじゃないかと
ビックカメラのCD/DVDコーナーに行ったらあった。

『キック・アス』を観て帰ってくる。
例の作業は今日が締切日。続々と駆け込みで提出がなされる。
今日は僕としては関わらず。昨日の提出を持って、一区切りとする。
別件で気になるニュースを見かける。

東京は雪が降るかもとのことだった。
夜、余りの寒さに耐え切れなくなり、焼酎お湯割り。
(身体というよりも心の寒さ)

午前0時半に眠る。

岩波新書からカラーで出ている『メッカ』という写真つきの紀行文を読む。
サウジアラビアのメッカとメディナを撮影するために
作者はイスラム教徒に改宗したという。
カアバ宮殿であるとか聖地は何千・何万と集まっている。
この光景が圧巻。誰もが同じ目的・意志のためにそこにいるというすごさ。

---
2/1(火)

ベルリンのバス路線図を調べる。

昼、てんやの季節のメニュー、芝えびかき揚天丼が気になっていたので食べに行く。
店の前を通り掛かるとうまそうなのだが、結局てんやなのでたいしたことなし。
夜、ご飯を炊いて鯖の味噌煮の缶詰。

早々と帰ってくる。
スーツケースに荷物を詰める。

コニー・ウィリスの長編『犬は勘定に入れません
−あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎』を読み始める。
これを機内で読みながらベルリンへと向かうことになる。
すさまじい博識に裏打ちされたスラップスティック。
やはり面白い。

---
2/2(水)

旅行資金、多めに10万円を下ろす。

昼、PJのランチ会。
相変わらず食肉センターは長蛇の列。
その近くの焼肉屋「牛王」へ。焼肉丼にする。
スープとサラダがお代わり自由というのがよかった。

定時後、恵比寿のリキッドルームへ。Mogwai来日公演。
前座はにせんねんもんだい。
終わって22時。荻窪駅までまっすぐ帰ってくる。
何も食べてなくて腹が減っている。
セブンイレブンでチキンカツサンドと温野菜のサラダを買って食べる。
ライヴの余韻に浸って、寝たのは午前0時半。

ヤフオクで落札したPussy Galore「Exile on Main St.」が届く。

行き詰まっていた課題の件、一時は辞表を考えるが、
上司に相談して意外とあっさり解決する。

---
2/3(木)

昨日夕方、恵比寿にいるなら飲みませんかというメールが来ていたが、気付かず。

Pussy Galore「Exile on Main St.」を聞く。
想像通り、ジャンクな音。

昼、天鴻餃子房で元祖の中盛定食。
昼休みに三省堂に行ってベルリンの地図を買う。

えらい勢いで仕事を片付ける。

定時で帰って来て、西友へ。
無印良品でポケットティッシュ、ウェットティッシュ、小型のノートを買う。
5階の生活雑貨で一番安いチューブの歯磨き。

カレー用のブロックの豚肉と玉ねぎを買い、
余ってたじゃがいもと人参と一緒に煮る。

花伝所の課題が1つ今月になって出てきて、ここ数日少しずつ取り組んでいた。
これを提出する。

明日の準備をして眠る。22時半。


[3705] 「MOGWAI An Experience with MOGWAI – Hardcore Will Never Die, But You Will」 2011-02-03 (Thu)

昨晩、Mogwaiのライヴを恵比寿のLiquid Roomに見に行った。
この日発売のニューアルバム『Hardcore Will Never Die, But You Will』の
HMVオンリーの限定盤パッケージに
Tシャツと共にチケットが封入されているというもの。
http://www.liquidroom.net/schedule/20110202/4437/

職場を定時に出て、Liquid Roomへ。何年ぶりだろう。前は何を見たんだろう?
今年初ライヴ。昨年は訳あって4月 Medeski, Martin & Wood の1回だけ。
今月は同じくHMVで取り扱っていた桃色クローバーと神聖かまってちゃん、
4月に Peter Broderick with Nils Frahm の来日。

それはさておき。
整理番号が800番台で入るのにかなり待たされる。
ロッカーにコートや会社鞄を預けるが、ドリンク代500円を忘れて鍵を開ける。
そうすると今度は小銭がなくなって、
コートを着て外に出て自販機でミネラルウォーターを買う。またロッカーに戻る。
ようやく中に入ってドリンクチケットをビールに引き換える。
既にしてステージ前は大勢の人だかり。
一昨日届いたばかりのTシャツを来ている人もちらほらといる。
このときCDも一緒だったんだけど、僕は聞く時間がなかった。
今回のライヴは新譜の10曲全部をそのままの順で演奏するというものだったのだが…

19時過ぎにオープニングアクトのにせんねんもんだいが登場。
ナマで見れてラッキー。僕は当日になって知った。
いつかどこかで見たように勘違いしてたのは
HELLAの来日公演のDVDで見たからだということを思い出す。
オシリペンペンズと共に強烈なインパクトがあった。
3ピースのどこにでもいるような普通の女の子たちなのに、
轟音系ギター・インストを演奏する。
ギターの子がとてもかわいくて、僕は部屋で一人デレデレしながら見てた。
その後すぐアルバムを買った。

今回演奏したのは3曲か4曲。1曲目はギターの子がキーボードを弾く。
3人で幾何学的なフレーズをひたすら繰り返す。
熱気を帯びて少しずつ有機的になっていく。
Buffalo Daughterに近いといえば近い。
ドラムの子は長い髪を振りかざし、
ベースの子は髪が短くてずっとクールに無表情。
最後の曲は Mogwai に通じるギター・ギャンギャン系の轟音へ。
ギターの子が最後にライヴの告知。
テレテレとしたロリ声でギャップがよかった。

セットチェンジして Mogwai へ。
終演後もらったセットリストをそのまま書き写す。
(分かる人は分かるが、長いタイトルだと省略されている)

 WHITE NOISE
 MEXCIAN GP
 RANO PANO
 DEATH RAYS
 SAN PEDRO
 LETTERS TO THE METRO
 THATCHER
 WEREWOLF
 TOO RAGING
 LIONEL RICHIE
 CHRISTMAS STEPS
 FLIES
 SATAN

 2 RIGHTS
 BATCAT

メンバーの5人はビールを飲みながら
時々楽器を交換しながら淡々と演奏を続けた。
音を聞く、感じる、ではなく、吸い込む。体に染み込ませる。
僕はノルウェーを旅したときに見た北極圏のフィヨルド、
その壮大な光景を思い浮かべていた。

僕個人としては本編最後に「Mogwai Fear Satan」をやったのがとても嬉しかった。
やはりここがこの日のハイライトだろう。喚声も大きかった。
世界の終わるときに鳴らされるサウンドトラック。
降り注ぐオーロラが全ての地平線と水平線を覆い尽くす。
全世界同時に始まった雪崩。そのスローモーションの映像。
突如静止して、静けさが訪れる。最後の瞬間がじれったく引き伸ばされる。
そしてまた突然にして全てが崩壊を迎える。後には塵だけが残される。

アンコール2曲、最後は馴染みの「BATCAT」で終了。
フロアを出て、セットリストをもらう。
5人のサイン入りとのことだったが、手書きではなくてコピー。
たまたま2枚受け取ったので見比べてみたら全く同じだった。
でもまあそれもよし。

僕は10年近く前のフジロック以来、2回目。
あの頃はまだ若々しかった Mogwai も年を取った。
僕も同様にオッサンになった。
年を追うごとに Mogwai の轟音は凄みを増していく。
必然性が増していく。
僕は今でも、聞くたびに発見がある。
そこに音を超えた何かを見出す。
そこにそれがあるような気がしてならなくて、また今日も聞いてしまう。


[3704] 『キック・アス』 2011-02-02 (Wed)

月曜の夜、有楽町のヒューマントラストシネマに『キック・アス』を観に行った。
なんかとても評判がいい。
先日読んだニュースでツウ好みな評論家が軒並み絶賛してた。

で、観たわけですが…

…僕、生まれて初めて、映画観て嬉しくて泣いた。
悲しいとか感動したじゃなくて、嬉しくて。
こんなことありえるのか。

名作でも傑作でもない。荒唐無稽で完成度も低い。
だけど心の琴線をガシッと鷲掴みして離さない。
恥も外聞もなし。
ここまで素直に、映画でやりたかったことをそのまま映像にするなんて。
というかこれまでの映画はどれほど取り澄まして、もったいぶっていたことか。

ニューヨーク在住のアメコミが好きなオタク少年が
なんで人はヒーローにならないだろうかと疑問に持ち、
通販で買った緑のウェットスーツを消て町に出て、活躍の機会を探す。
そんなうまいこといくわけがなく、チンピラたちにボコボコにされる。
しかしその姿が携帯で撮影され、動画サイトに投稿されて一躍人気者に。
本人は至って弱いまま謎のヒーローとして祭り上げられる。
その一方で、マジで悪に復讐しようとしている父親と娘がいて、
日々特訓に励んでいた…

最高なのはこの主人公ではなく、父と娘の方。
ニコラス・ケイジと『(500)日のサマー』のクロエ・グレース・モレッツ。
11歳の娘が派手なアクションでどんどん人を殺していく。
理由は単純で、彼らが「悪」だから。復讐しなきゃいけないから。
父親にそう教えられたから。
紫のウィッグをかぶってヒーローに変身した時の名前は「ヒット・ガール」
敵と対峙した時の唇の歪め方などイチイチ決まってる。
エンニオ・モリコーネ『夕陽のガンマン』のテーマ曲を流しながら、
チェックのミニスカート、白のシャツ、ネクタイというロリータな格好で
敵地に一人乗り込み、撃ち合いを始める。
タランティーノは本気で悔しがったのではないだろうか。

毎度毎度のことだけど、ニコラス・ケイジの笑顔が完全にいっちゃってた。
これまた言うことなし。
パパもまた変身するんだけど、
ごく普通にバットマンな格好というところが最もキチガイだと思う。

それまでさえなかった主人公はもてだした途端、ヒーローやめっか、となる。
そうか、だからこの世にはヒーローがいないのか、と気付く。

最初の殺戮シーンにかかってたガールズ・パンクな音楽が最高だった。
サントラ買わなきゃ。

そんなところです。
続編がつくられるみたいだけど、それはちょっと観たくない。
全てが一瞬限りの奇跡だったのだから。2回目は無理。
ヒット・ガールのスピンオフなら観たいが…
http://www.kick-ass.jp/index.html


[3703] 『ソーシャル・ネットワーク』 2011-02-01 (Tue)

日曜の午後、『ソーシャル・ネットワーク』を観た。
先週の興行収入が1位だったという。
新宿のバルト9で観たら満席。次の回も。その次の回も。
ささやかな社会現象になりつつある。
でも、なぜ? デヴィッド・フィンチャー監督の最新作だから?
ゴールデングローブ賞を獲得したから?
日本でも流行りつつあるアメリカの SNS がテーマだから?
どれも一助にはなってもメインではないように思う。
いったい何が起こっているのか。不思議だ。

この映画を観るために金曜はFacebookに会員登録してみて、
土曜は『ゾディアック』を借りて観た。
『ゾディアック』は大変面白い映画のように感じられたけど
(最初ジム・キャリーかと思ったジェイク・ギレンホールがよかった)
Facebookは、うーん、シンプルなのはいいけどそっけなくて
なぜこれが流行ったのか今のところ分からず。
日本向けにカスタマイズされているのだろうか?
映画を観ると「恋人の有無」って属性があったけど、
ざっと見る限り僕が触ったFaceBookにはない。
このサイトに5億人ものユーザーがいるってのは確かにすごいことだ。
とはいえ、僕としては今のところその実感はない。
登録しただけだと、何も見えてこない。

映画を見終わる。素直に面白かった。
でもこれって、作品や題材の面白さではなくて、
ただ単に今のデヴィッド・フィンチャーが脂乗ってて
何作っても面白くなるからというだけのことだと思う。

なんつうか、浅いんですよね。
嫉妬も裏切りもある人間のドラマなんだけど、どこにでも転がっているような。
かといってそれがリアルだ、現代という時代だ、と言ってしまうのも安易だ。
主人公、Facebookの創設者マーク・ザッカーバーグは
映画の大半を機関銃のように喋りまくる。
しかしその発言は自分や他人を取り立てて否定するのでもなく、肯定するのでもなく。
喜ばせるのでもなく(怒らせはする)。
思いついたことを反射的に口にしてるだけ。
つまり、葛藤を言葉に乗せてストーリーを展開させるという
古今東西の物語構造で重要視されていた役割がごっそり欠落している。
なのに周り(普通の人々)が勝手に動いていく。
本人は一心不乱に仕事するだけ。
何を考えているのか分からない。表情にも出ない。
かといってモンスターでもない。ただのその辺のギーク、ナードにしか見えない。
普通こんな映画つくっても失敗するのに。
そうはならなかったところにデヴィッド・フィンチャーの力量を感じる。
(アカデミー賞では作品賞を逃しても、監督賞だけ取るかもしれない)

話の展開で「おっ」と思ったのは
ナップスターの創始者ショーン・パーカーが
(あのジャスティン・ティンバーレイクが演じる)
Facebookのビジネスを拡大させるうえで大きな功罪のあったところ。
アメリカのエリート大学に特化したSNSで終わるはずが、
彼が加わった途端瞬く間に全世界へ。

面白いかどうかで言ったら僕は面白かったけど、他の人にお奨めはしない。
周りは例によってカップルばかりで、なぜこれを見る?
ってのがやはりよく分からず。

僕自身は
「ハーバード・コネクション」のアイデアを出したとされるが
マーク・ザッカーバーグに盗まれ、
大金持ちの息子でハーバードのボート部から北京オリンピック6位となった
双子のウィンクルボス兄弟の方が人間のドラマとして気になる。
マーク・ザッカーバーグも言っていたように
なぜ彼らがあれほどまでやっかんでいたかというと
彼らの人生において初めて、思い通りにならなかった出来事だったからだろう。


[3702] 1/24-1/30 2011-01-31 (Mon)

1/24(月)

昼、久しぶりに欧風カレーの店ガヴィアルへ。
野菜のカレーとビーフカレーのハーフで1,000円とサービス価格になっていた。
悪くはない、他の地域で食べたら十分やっていける味なんだけど
神保町で勝負するにはパンチが足りない。ボンディの方がうまい。

夜、図書館へ。帰ってきて、先日大家さんからもらった海苔巻きを2本食べる。
キュウリと明太子が入っていた。

その後ずっと作業。あと1週間で一区切り。(とはいえまだまだ続くが)
契約の件、メールで返答する。

午前0時に眠る。

このところ読んでいた井筒俊彦『イスラーム文化』を読み終えた。
これは非常にためになる本だった。内容も分かりやすく、かつ、深い。

---
1/25(火)

昼、三幸園で日替わりの麻婆豆腐定職。青梗菜と木耳が入っている。

夜、PJの新年会。
水道橋と神保町の間にある店。
「霜降り和牛寿司」「青森村越シャモロックのタタキ」
「アンキモの入った刺身五点盛り」「赤穂鯛の丸焼き」
「丸ごとチキン&チンゲン菜のクリーム煮」など。
食べ物はなかなかおいしかったが、いかんせんスタッフ不足で出てくるのが遅い。
絶叫が聞こえたので何かと思ったら、店員同士で喧嘩。
女性店員が「私、そんな体質じゃないから!!」
おそらく男性店員がセクハラしたのではないか・・・

22時過ぎに店を出て、2次会には行かず。
23時半頃帰ってきて、さっさと寝る。

読書は『かなしみのクリスチアーネ』を再開。

---
1/26(水)

後頭部に思いっきり寝癖のついたまま、通勤してた。

PJの後輩がインフルエンザ。前日、皆で新年会。蔓延するかも。危険。

昼、PJのメンバーと食べに行く。
食肉センターで焼肉のつもりが、混雑していて入れず。
BECO SHNIN へ。牛タンチャーシュー丼。うまい。
夜、図書館に寄ってその後ずっと作業。
ご飯を炊いて、桃屋の辛くないラー油をかけて
その上にキューピーのからしマヨネーズを。
いいアイデアのように思えて、かなりミスマッチだった。残念。
23時半、早めに眠る。

旅行会社から旅程表など、届く。

また腹を立ててしまう。
程度の低いところに合わせるのではなく、
超然として受け付けないとしたいのだが。

---
1/27(木)

昼、至って普通のカツカレーを食べたくなり、「青新軒」へ。
夜はご飯を炊いて、西友で買ったかき揚とイカカツ。
夜、作業。午前0時に眠る。
午前中打ち合わせに出て、午後その議事録を書く。
それだけで1日が終わる。

---
1/28(金)

昼、「かつぎや」で坦々麺。
少し早く着いて開店前。ブラブラと周りを歩いていたら、
入ったことのないラーメン屋がいくつかあることに気付く。来週行ってみよう。
でもたいしたことなさそう。

帰りの地下鉄で『かなしみのクリスチアーネ』を読み終える。
時間が空いて、ベルリンのガイドブックを読む。

夜、作業を22時まで。
その後、ジャガイモを茹でてジャーマンポテトをつくり、缶ビール。
たまってた新聞を読む。

ウダウダしているうちに気がついたら午前1時になっていた。

午後はずっとSQLの解析をしてた。たまにやると楽しい。

---
1/29(土)

9時前に起きて図書館へ。
今日で作業はほぼ一区切り。本を返しに行くだけ。
帰りに西友に寄って徳用ローストビーフ。
作業に取り掛かり、ひと段落して
西友で買った半額の牛肉と
ストックのあったじゃがいも・にんじん・たまねぎを煮る。
じっくり時間をかけてコトコト煮込んだらうまいものができた。

今日できる限りの作業を終えて、再度図書館へ。
これで借りてるのがゼロになった。
予約していた阿木譲『ロック・エンド』が届いてパラパラと読んでみる。
最後のディスクガイドが魅力だが、セレクションはこの時代においては常識。
1980年代にこれとは、早すぎた。
Tuxedomoon や Pere Ubu や Redidents など。
相当尖ってた人なのだろう。

大家さんに家賃を払う。
2年が過ぎて契約書を更新することになる。
「信用してるからほんとはいらないんだけど」

iPoneに入れて聞いていた Laura Nyro 「Season of Lights」が
途中からブツブツ音が入って音飛びする。
ミニコンポで聞くと何てことない。
これってなぜ起こるのだろう?
レートを「高音質」に変えて iTunes に取り込み直したら、音飛びしなくなった。
しかも容量が小さくなった。
なんだ、これまでも高音質にしていたらよかったと思いきや、
この高音質のほうがビットレートが低いんですね。
通常の設定のほうが高い。ややこしい。

例の作業。まだ少しやることが残っているが、終わったと思ったら
これまでの疲れがどっと出てきた。しんどくなった。

明日、『ソーシャル・ネットワーク』を観ることにする。
タイミングよくTSUTAYA DIACASからは『ゾディアック』が届いた。
ジャガイモを茹でてジャーマン・ポテトを作って缶ビール飲みながら観る。
とても面白かった。ジェイク・ギレンホールがよかった。

午前0時に眠る。

---
1/30(日)

8時過ぎに目が覚める。
旅行に向けて日数分のTシャツ、トランクス、靴下を揃える。
靴下は買いに行ったほうがよさそうだ。
トランクルームにスーツケースを取りに行く。
変換プラグはドイツだと「C」か稀に「SE」とのこと。
探したけれど「C」が見つからず。「B」系のとか他のはあったのに。
ヨーロッパに行くことがこれまでほとんどなかったからか。

昼、「もうやん」でカレーを食べたのちにヨドバシに買いに行く。
「C」と「SE」のセットで300円ぐらい。たいした額ではない。
ついでにiPhoneのイヤホンを買い換える。
コードが黒ずんで、レシーバーの部分のゴムがボロボロになっていた。
他のメーカーのだと安ければ1,000円ちょっとだったが、
同じのがいいとアップル純正で2,800円。

『ソーシャル・ネットワーク』はバルト9で14:20より。
事前にネットで席を予約しといた。
2時間ぐらい暇ができて、新宿をブラブラする。
旅行用のカーゴパンツを探す。
最初西武新宿の方へ向かう。
昔はあの辺りにいいジーパン屋が並んでいたものだ。
今は様変わりして全然たいしたことない。今回行ってみてもさっぱり。
次に新宿LUMINEのHANJIROへ。2,980円でたくさん売ってた。
特にこれだ、というものはなかったがこの安さならいいかと1本買う。
緑ではなく、くすんだ灰色っぽいので何サイズかピックアップして試着する。
1本、腰周りが多少きつかったけど長さや着心地がとてもいいのがあった。
もう少し痩せたらちょうどよくなるだろう。

『ソーシャル・ネットワーク』満席。恐るべし。
というかそもそもバルト9が大混雑だった。

帰ってきて、amazonから中古で届いた『イグアナの娘』を読んだ。
これはとんでもない話だ。深い。ストーリーも切ない。

徳用ローストビーフと缶ビールで
ホウ・シャオシェン監督の『憂鬱な楽園』を観て
(ボケーっと見ていたら筋がよく分からず)
溜まってた新聞を読んであとで午前0時過ぎに眠る。


[3701] こんなサントラを持っている その5 2011-01-30 (Sun)

――――――――――――――――――――――――――――――
□『O Brother, Where Art Thou?』

コーエン兄弟の『オー・ブラザー!』のサントラ。
コーエン兄弟が面白かったのもこの辺りまでかな。
ジョージ・クルーニーやジョン・タトゥーロによる脱獄モノ。
1930年代のアメリカ南部が舞台なので
音楽もカントリーやプリミティブなブルースとなる。
プロデューサーがT=ボーン・バーネットなので独特な音の広がりをしてて、
21世紀用にデジタル処理されたカントリーのよう。
曲の流れもムードもよくて、グラミー賞を獲得している。

エミルー・ハリス、アリソン・クラウス、ギリアン・ウェルチ、
コンテンポラリーなカントリーを代表する3人が
共演している曲が収録されているのが嬉しい。

ギリアン・ウェルチの『Soul Journey』というアルバムが好きで
iPhoneに入れて時々聞いてんだけど、新作がずっと出てない。
どうしてるのだろうと思う。

――――――――――――――――――――――――――――――
□大友良英『幽閉者』

あの足立正生35年ぶりに撮った映画。
1971年パレスチナで撮った『赤軍−PFLP・世界戦争宣言』が最後。
日本赤軍に加わって、90年代後半レバノンで逮捕され刑務所へ。
日本に戻ってきて、創作活動を再開。
この『幽閉者』も同じく日本赤軍で活動していた岡本公三を主人公としている。
(1972年にテルアビブ空港乱射事件を起こしている)

出演が田口トモロオに、PANTAに秋山祐徳太子に四方田犬彦という
なんだそりゃ!・なメンツ。
音楽は Sachiko M にジム・オルークに飴屋法水が参加。これもすごい。
(ジム・オルークは青山真治の『ユリイカ』で流れていた、
 同名タイトルのアルバムの曲がよいですね)

飴屋法水って人がとても気になる。
唐十郎の状況劇場にいたことぐらいしか知らない。
Einsturzende Neubauten と1980年代にコラボレーションしたというのを
どこかで読んだように思うが、詳しいことは思い出せない。

このサントラは大友良英によるものなので、ノイズとメロディを行き来する。
美しいギターの響きもあれば、大音量の無秩序なノイズもある。
もちろん、ここでのノイズは聞けるほうの。
(楽曲と呼ぶことができてパッケージされて販売されるノイズと
 そうじゃないノイズとの違いについていつか書きたいと思う)

大友良英はその音楽性ゆえにサントラを手掛けることも多く、
いくつか出てるんだけど、
僕は『大友良英サウンドトラック Vol.0』というのも持っている。
これもいい。歌もの中心で聞きやすい。
岡林信康のカバー「私たちの望むものは」がとても美しい。

――――――――――――――――――――――――――――――
□Chrome「Alien Soundtracks」

呪詛を撒き散らすヴォーカル。やる方が退屈しきったビート。
金属が腐蝕するかのようなギター。
ジャンクでガレージでサイケデリックで、雑。雑音の雑。
いかがわしい。アメリカ一、アングラな音。

”キング オブ ポルノ”ミッチェル・ブラザーズのサントラとして、
という触れ込みはあったものの実際には使用されず。門前払いか。
ジャケットが素晴らしいです。まさにアメリカのキチガイ。
大事なのはこの、テキトウなアイデアと中途半端な悪意ですよ。
(たぶん、マリリン・モンロー)

ということで、本作は厳密には架空のサントラということになる。
「架空のサントラ」を目指したコンセプト・アルバムって時々ありますよね。
1977年発表のこの作品が実はそういうののハシリなのかも。

僕が持ってるのは
同じく代表作『Half Machine Lip Moves』(1979)とのカップリング。
こちらも名盤。
しかし80年代以後、Chromeは疲れた労働者みたいな音になっていく。

――――――――――――――――――――――――――――――
□John Lurie『Stranger Than Paradise and The Resurrection of Albert Ayler』

ジム・ジャームッシュ監督の初期の代表作
『ストレンジャー・ザン・パラダイス』『ダウン・バイ・ロー』
共にジョン・ルーリーが主演で、音楽を担当している。
映画としてはオフ・ビート感覚のブラック・ユーモアで全編が成り立っている
『ストレンジャー・ザン・パラダイス』が有名だけど、
トム・ウェイツとロベルト・ベニーニの3人組のやりとりが楽しい
ボソボソとぶっきらぼうなコメディ『ダウン・バイ・ロー』も捨て難い。

それにしても。
最初見たとき、なんだこのハイテンションなイタリア人は? 誰? 
と思ったもんだけどそれが後に『ライフ・イズ・ビューティフル』で
全世界を泣かせることになる。
ロベルト・ベニーニはアカデミー主演男優賞まで獲得する。

いわゆるジョン・ルーリー節というか、
ヒョロロローロヒョーロ(ズンドコドコドコ)ってのは
『ストレンジャー・ザン・パラダイス』では聞けず、こちらは弦楽四重奏。
まじめくさってるのが逆にシュールな。
なお、このCDは後半、『アルバート・アイラーの復活』という
ダンス・パフォーマンスの音楽となる。

『ダウン・バイ・ロー』の方がいつものやつで、
ギターにアート・リンゼイなど。

どちらもオランダのレーベル、クラムド・ディスクの
「Made To Measure」のシリーズから出ている。
このシリーズ、この手のストレンジな音楽が多い。

――――――――――――――――――――――――――――――
□John Lurie『Fishing with John』

ついでにジョン・ルーリーをもう1枚。
最初にして最後の監督作品『フィッシング・ウィズ・ジョン』のサントラ。
1998年。ユーロスペースが昔の場所にあったとき、
就職活動の合間に見たことを覚えている。

ジョン・ルーリーがゲストを迎えて
ジャマイカやコスタリカなど世界の各地で釣りをして
それをビデオカメラで撮影するという。映画というより趣味。
でも集まったメンツは
ジム・ジャームッシュ、トム・ウェイツ、マット・ディロン、
ウィリアム・デフォー、デニス・ホッパーと豪華。
この1人ずつと出かけ、1話完結。
ジム・ジャームッシュが釣りをやるとは思えないし、
トム・ウェイツはやはりあんな感じだし。
なんかのオマケの最高のボーナス映像集といった感じ。
好きな人にはたまらない。

音楽は、オペラっぽいコーラスが入ったり、
トム・ウェイツが即興で歌う舟歌があったり、
ジョン・ルーリーの作品のなかでは最もサントラっぽい。
パーカッションにビリー・マーティンやカルヴィン・ウェストンの名前があるので、
当時率いていた John Lurie National Orchestra の発展系か。

なお、ジョン・ルーリーはライム病という感染症を発症して、
00年代以後は音楽活動も俳優活動も隠退、今は絵を描いているようだ。
そういえばこのところずっと何も発表されてないな…。
昨年は青山のワタリウム美術館で個展が開催されたという。
知らなかった。残念。


[3700] 1/3 or 1/4 2011-01-29 (Sat)

昨日青森のことを考えていたら、ふと、
ライブハウスの「1/3」と「Quarter」ってまだあるんだろうかってことが気になった。
実は僕、縁がなくて行ったことないんだけど、
「Quarter」の方はアスパムの近くだったのを覚えている。
この不況の時代、しかも新町周辺が寂れている。
もうないんじゃないかな、と思って探してみたらまだあった。
驚き。というか、いいことだ。とても。

僕が中学校や高校だった頃。
青森市で最も大きいホールである文化会館でやるほどの集客力がなければ
(僕はここで「Train-Train」の頃のブルーハーツを観た)
「1/3」というのが定番だった。

ホームページを見たら今は「Quarter」の方がメインで、「1/3」はバーになっていた。
「1/3」の方はもっと新町寄りだったような。夜店通りの辺り。
移転したのか。記憶が錯綜している。
http://www.aomoriquarter.com/
今月、「Quarter」はクロマニヨンズとくるりがそれぞれ来ることになっていた。

---
僕がよく買いに行っていたCDショップ「Be-Bop」は
サンロード青森の店を最後になくなったようだ。
これはとても悲しい。
こだわりとセンスのあるいい店だったのにな。
独自の品揃えで、学生時代、帰省するたびに散在してた。
夜店通りの店が先に消えて、
僕が社会人になる頃、新町の店もなくなった。
Television『Marquee Moon』もCANのボックスセットもここで買った。

「Pax」も成田本店の地下だけになり他のCDショップもなくなり、
青森市の若者たちは amazon なんかで買ってたりするのか。
東京に居ると何も感じないけど、
青森だとネット通販の威力、ハンパないんだろうな。

ライブハウスの方は健在というところに
ネットでは得られないリアルな体験はまだまだ
皮膚感覚で求められているようでほっとした。


[3699] 「ZUZU」「ガンダム立佞武多」「iPad」 2011-01-28 (Fri)

以前いつだったか、青森県はりんごの焼酎をつくるべきではないか?
ってことを書いた。
長芋の焼酎はある。六ヶ所村の六趣醸造工房にて「六趣」が販売されている。
http://rokushu.com/sb.cgi?month=200608

別件で調べ物をしていたら、りんごでつくられた焼酎ではないが、
「りんご貯蔵クーラー」で熟成させた焼酎・日本酒があるということを知った。
「ZUZU」と言って、東弘電機という電機メーカーが販売している。
http://www.toukoudenki.com/index.html
(トップページを開くといきなり「ZUZU」だし、
 トピックもショッピングもなので、もはや電機メーカーではないかのような…)

二日酔いの原因となるアセトアルデヒドが少ないので、
二日酔いになりにくい、とあった。老香もないと。
「じょっぱり」の六花酒造が製造とボトル詰め、
東弘電機にて熟成と販売というふうに担当が分かれている。
なお、「ZUZU」という名前は「ずずっと飲める酒」からきているとのこと。

ちょっと気になりますね。東京で売ってるのかな。
次に青森帰ったとき、探してみよう。

---
さらに別件。

五所川原といえば最近「立佞武多」の知名度が上がってきてますが、
ガンダム立佞武多があったのを先ほど発見。2007年とのこと。結構前ですね。
http://www.chara-hobby.com/neputa.html
http://www.excite.co.jp/News/bit/post/sid_50581/

「立佞武多の館」には今でも飾られているのかな。

---
青森がらみでもう1つ。
これも今知ったことなんだけど、
iPadって昨年のデビュー当時、青森県では販売されなかったのだという。
ソフトバンク直営のショップやアップルストアが青森になかったから。
欲しい人はわざわざ八戸から新幹線に乗って東京に買いに行った。

Yahoo!知恵袋参照。
「iPhone4ですが、前回のipadみたいに青森県など販売しない県もあるのでしょうか?」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1142836051

2ちゃんねるのまとめ。「ついに青森でも「iPad」販売へ」
http://huwanews.blog135.fc2.com/blog-entry-134.html
「愛パッド? そったらハンカクサイ物、持てばマイネ!」
「アップル?そんなもん青森の特産品だ」
「週刊少年ジャンプの発売日が火曜から月曜になって以来の大ニュースだな」


[3698] ベルリン旅行1週間前 2011-01-27 (Thu)

昨日の夜、旅行会社から来週のベルリン旅行の旅程表や
フライトのEチケット、ホテルのクーポンなどが届いた。

飛行機はロンドン・ヒースロー空港で乗り継ぎとあった。
あー事前に知ってたらロンドンで1泊したなあ。考えもしなかった。
ヒースロー空港のサイトは日本語のページがあって、すげーと思う。
たとえ1ページとはいえなんかとても助かる。
しかも間に合わせっぽくない。安心感がある。
http://www.heathrowairport.com/portal/site/heathrow/menuitem.ff9ffbbb109c73feac81cb109328c1a0/?lang_code=ja
成田空港に英語のページが用意されているというのとは立場が違いますよね。
荷物の受け取りのない乗り継ぎなら
入国・出国審査無し、セキュリティ・コントロールを通過するだけでよいと分かる。

航空会社はブリティッシュ・エアウェイズ。初めて乗る。
JALと提携してるので、貯まったマイルで福岡往復のチケットに引き換えて
可能なら3月の3連休にさっくり行ってしまおうと思う。
で、博多から高速フェリーに乗って釜山へ。1泊。
日帰りもできるようだ。
http://www.jrbeetle.co.jp/

BAだと成田は第2ターミナルか。スケジュールを見たら11時発。
今回は冬なので荷物も多いだろうし、
大型のバックパックではなくスーツケースで行こうと思う。
だとすると身動きとりにくいので
新宿から成田エクスプレスに乗ってみようかと考える。

あとはベルリンのテーゲル空港に着いてからだなあ。
周りを地下鉄が走ってないようなのでバスに乗ろうかと思うが、
スーツケースってどうなるんだろう? 
トランクに預けるのだろうか?
預けたとき、きちんと引き取れるだろうか。
そういう些細なことが今、一番気になることだったりする。
目的のバス停で下りられるかどうかよりも。

『かなしみのクリスチアーネ』という本を今、読んでいる。
原題は「われら動物園駅の子どもたち」となって、
このタイトルで映画化されているはず。
クリスチーネ・Fのことは僕は楠本まきの漫画で知ったんだったか。
ベルリンが舞台。12歳にして麻薬を覚え、14歳にしてヘロイン中毒となり、体を売る。
この動物園駅ってのを訪れてみたいと思っていたところ、ホテルが割りと近くだった。
日中気をつけて歩く分には、そんな危険なところではないように思う。

あとは道中で何を読むか? 
野田努『ブラック・マシン・ミュージック』と
コニー・ウィリスの『犬は勘定に入れません』が最有力候補。
毎度毎度のことながら、いつもここのところで最も悩む。


[3697] 天使たち 2011-01-26 (Wed)

天界から舞い降りて来たのかどうかは分からないが
天使らしきものを目にしたことがある。
小さな赤ん坊のような姿で宙を漂っていた。
背中には白い羽が生えていて、優雅にばたつかせ、
フワフワした髪の毛の乗った頭の上には金色に光る輪っかが浮かんでいた。
右手には短い杖のような何かを握っていた。
東京駅の地下街のベンチ。夜。
30になったかならないかの、疲れた様子のOLがバッグを抱えたまま眠り込んでいて、
その周りをゆっくりと往復していた。
「何?」と最初の瞬間驚いた。
マジマジと見るのはやめて視界の片隅に捉えつつさっと通り過ぎるようにした。
行き交う人は他に気付いてないようだった。僕だけに見えるのか。

歩き去ったあとに考える。
天使がついているというのは、その人が幸福な人生を送っている証拠なのだろうか。
生まれてからずっと見守っている。
いや、たまたまあの時だけあの人の周りにいたのか。
当人には見えていないというのが、なんというか、もったいなかった。
僕だったらそこに何らかのメッセージを読み解こうとするだろう。
「他人の天使は他人のもの」そんなようなことわざみたいなものを僕は考えた。
「他人の天使は他人のもの」

30分か1時間後、用事を終えて、まっすぐ帰る気になれず。
ちょっと気になった。あの場所にまだいるのだろうか。引き返す。
行ってみると天使もOLもいなくなっていた。
ベンチは穴が開いたように、ポツンとそこに存在していた。
半ば恐る恐る近付いて、腰掛けてみる。
何の変哲もないベンチだった。しばらく座っていても何も起きなかった。
先ほどの天使が舞い降りてくるわけでもない。
そのうちに眠くなって、鞄を抱えてウトウトした。

…目が覚めて立ち上がり、地下鉄の改札へと向かう。
夢を見たわけでもなく、暗闇が広がったわけでもなく。
一瞬の出来事のように感じられた。

そして、その後天使たちを見かけることはなかった。


[3696] 日々の泡 2011-01-25 (Tue)

僕がまだ若くて、携帯電話なんてものがなかった頃の話だ。

借りていた本を何冊か返そうと彼女の住んでいたアパートを訪れた。
いなかったら紙袋のままポストに入れておこうと思った。
チャイムを鳴らしてしばらく待ってみると、ドアが開いた。

知らない女の子が立っていた。
「誰? …もしかして」と僕の名前。「…さん?」
彼女に似ている。そっくりだと言っていい。だけど別人だ。
「はじめまして。妹なんです」
あ、ああと僕は言う。少し戸惑う。紙袋を前に出して、
「じゃあ、これ渡しといてくれないかな」
視線を少しだけ動かして、
「すぐ戻ってくると思いますよ。中で待ちませんか? いてほしいんです」
「いや、…ああ、じゃあそうする」
土曜か日曜の午後。他に用事があるわけでもない。
ここを出たらブラブラと駅前の本屋を覗いて、その後喫茶店に入るぐらいだった。

コートを脱いだ。
彼女の狭い部屋には不釣合いなほど大きなソファーがあって、僕はその端に腰掛けた。
持ってきた本のどれかを読み始めた。
コンロにかけられていたやかんが湯気を沸騰しているのが聞こえた。
棚を開けてマグカップを二つ、取り出す。
キッチンのテーブルに置かれた、コトリという音。
「コーヒーでいいですか?」返答を求めているような口調ではなかった。
ピンポンとドアチャイムが鳴る。
妹が玄関の方まで歩いていってドアを開ける。話し声。男の足音。
顔を上げる。部屋の中にヌッと若い男が入ってくる。
「誰?」と妹の方に聞く。妹はその袖を掴んでキッチンの方に引き込む。
僕よりも一つか二つ若そうだった。

僕は立ち上がって本を閉じ、持ってきた本を机の上に並べて置いた。
そして部屋から出て行こうとした。
キッチンで妹は三つ目のマグカップにお湯を入れているところだった。
「コーヒー…、三人分つくっちゃったから」
その脇で若い男が煙草を吸っていた。
はい、と僕にマグカップを手渡す。「ありがとう」
三人で立ったまま、コーヒーを飲んだ。無言で、特に会話もなく。
「向こうで座りませんか」若い男が隣の部屋へと促す。
そうすることにした。僕はソファーのいつもの場所に腰を下ろした。
反対側の端に男が、机の椅子には妹が座った。
妹がなんとはなしに僕と男とを紹介しあい、僕らは会釈した。
聞くまでもなく、二人は交際しているのだろう。

男がテレビをつけた。チャンネルをいくつか切り替えてゴルフの中継になった。
「ゴルフしたことあります?」僕に質問しているようだ。
「いや、ないけど」「俺もないんですよね」「そう」
妹はどこかで聞いたことのありそうな曲をかすかにハミングした。
僕が持ってきた本を取り上げて、興味なさそうに読み始めた。そんなふりをした。
そしてそれとなく、僕という存在を観察し始めた。
僕は何も言わなかった。

コーヒーを飲み終えて僕はマグカップをキッチンまで持っていった。
コートを着て、「じゃあ」と僕は部屋の中に向かって言った。
引き止められなかった。
二人は何の思いもなさそうに、それぞれチラッと僕のいる方を見た。

靴を履いて出て行こうとしたら、ドアが開いて彼女が立っていた。
一瞬、驚いた表情を浮かべる。
僕は言う。「いい? 歩こうか」彼女は黙って頷いた。
町内を二・三分、駅の方に向かって歩いた。すぐ横に彼女がいる。
二人とも何も言わない。
遂に口を開いて、「どうして?」と彼女は言う。
「中で待っててくれって言われたから、そうした」
僕はあの部屋の中で、二人がキスをしているところを思い浮かべる。
僕と彼女がそうしたように。
立ち止まって僕は別れ話を切り出す。
近いうちにそうなることはどちらとも分かっていた。僕の方から切り出した。
「さよなら」
そう言って僕は立ち去った。彼女を後に残して。
振り返らない。なんだかめまいがした。
駅まで着いて、電車を待った。ホームから彼女の住んでいた町を見下ろした。

そしてそれっきり。
二度と会うことはなかったし、電話もしなかった。
妹の方は一度町で見かけたように思う。すれ違った。
だけど向こうが気付いていなかったから、僕もそのまま歩き去った。


[3695] 1/17-1/23 2011-01-24 (Mon)

1/17(月)

若干二日酔い気味。
なぜか一日中ずっと眠い。

昼、吉野家で並+玉子+とん汁+コールスロー。
夜、青森から送られてきたシソの入った味噌を使って、
西友で買ったネギと鯖の水煮の缶詰を材料に鯖の味噌煮を作る。
水もミリンも適当な分量だったのに、割とちゃんとできた。

夜、作業。締め切りまで残り2週間。どこまで行けるのか。

午前0時に眠る。

---
1/18(火)

公私両方同時にトラブルになりそうなことが降りかかってくる。
気が遠くなった。片方ははらわた煮えくり返って夜、眠れなくなった。

昼、「まんてん」でカツとウィンナーが一緒。
先日食べたときには夜具合が悪くなったが、今回は平気。
「まんてん」とは何の関係もなかったのだろう。
夜、青森から送られてきた、焼いた鰯。
冷凍していたのを解凍したのだが、
ただ電子レンジで温めるだけよりはとオリーブオイルで炒めてみた。
オイル・サーディンのような感じで。割とうまかった。

帰り、図書館に寄る。
スーツ姿の男が毎晩10冊近く返して借りてを
繰り替えしているのはやはり異様か。

作業しているとあっという間に数時間。
午前0時に布団に入るが、眠れず。

Soft Machineの3枚目を会社の行き帰りにiPhoneで聞く。
改めて名盤だと思う。

---
1/19(水)

昨日トラブルになりそう、と言っていたことは両方回避される。

昼、チームメンバーでランチ。久々に1人じゃない。
ランチリーダー復活して「大金星」へ。
ミックスフライ定食を食べる。アジフライ、ハムカツ、串カツ。うまかった。

夜、一昨日同様、シソ入りの味噌、鯖の水煮の缶詰、長ネギで
鯖の味噌煮。バターを入れてみた。

帰りに図書館に寄って、夜はずっと作業。佳境に入る。
疲れていて早く眠るつもりが、結局午前0時。

給料日前日。5,000円余って貯金に回す。

---
1/20(木)

給料日。昼は「味噌や」で味噌+チャーシュー+コーン+バター+味玉。
腹いっぱいで夜は食べず。

例の件、やばいことになってきた。
関わらなかったほうがよかったかも。
なんにしても後味の悪いことになりそう。
どう振舞うべきか分からないので、しばらく様子を見る。

今週末は編集学校の師範代の面接。
破のコースでと今回の花伝所で一緒だった方から集まりませんか、
とのことで、行きますと返事する。

帰り、丸善の松丸本舗へ。インスピレーションをもらいに。
1時間ほどいて、今回の作業に関係のない、
『裏アンビエント・ミュージック』というSTUDIO VOICE系のガイドブックを
ついつい買ってしまう。しかし、優れものな予感。
帰ってきてずっと作業。

午前0時に眠る。

---
1/21(金)

昼、天鴻餃子房で黒豚餃子の中盛定食。
帰り、図書館に寄って本を借りる。作業。
終わって缶ビール。『江古田ちゃん』の5巻を読む。
午前0時に眠る。

大家さんから地デジのアンテナ立てましたと連絡があり、
試しにチャンネルを設定してみると映った。

---
1/22(土)

7時起きでずっと作業。図書館2往復。
1回目9時台は西友で徳用ローストビーフを入手。
帰りに床屋へ。

15時ぐらいに部屋を出て、丸の内線に乗って銀座へ。
マロニエ・ゲートの中の店に入ってかっこいいカーゴパンツがないか探すが、
なかなかないもんで。

東京駅まで歩いていって丸善の松丸本舗。
ここで待ち合わせて、編集学校の友人たちと飲む。
この土日は花伝所の面接が組まれていて集まりやすいということもあり。
OAZOの中の沖縄料理・九州料理屋へ。もつ鍋がうまかった。
教室運営のコツを聞く。

帰ってきて、部屋で缶ビールを飲む。
『サタデー・ナイト・フィーヴァー』を途中まで見て、寝る。
午前0時半。

---
1/23(日)

9時起き。作業。図書館へ。
大家さんに会う。地デジちゃんと映ってますか? という話。
海苔巻きをもらう。
クリーニング屋。洗濯。
昼は味噌ラーメンを買ってきて茹でて食べる。挽肉と野菜を炒めて、コーンとバター。
『サタデー・ナイト・フィーヴァー』の続きを見る。

夕方、師範代試験の面接のため赤坂へ。
今回のスケジュールでは最後の回となる。
筆記試験はまあまあ。不合格にはならない程度に。
ちゃんと時間をとってやってたらもっと気の効いた回答になったんだろうけど。
待ちの時間にて歴代の師範代のチラシを見る。
これまでちゃんと見たことがなかった。
この人はこういうのつくっていたのか、ふーむ、むむむ。
面接はガチガチに緊張して最初しどろもどろ。いいとこなかった。
90分を4人でと昨日聞いていたのが、僕の回はなんと2人だけ。
少なくとも45分は喋らなければならないわけで。大変だった。
対して向こうは大御所クラスが8人も。怖かった。

帰ってきて、徳用ローストビーフと刺身のぶつ切りで缶ビール。
焼酎お湯割り。西友で買った蟹あんかけ豆腐がうまかった。

『アフリクション 白い刻印』という映画を観る。
ニック・ノルティが主演。
ジェームズ・コバーンがアカデミー助演男優賞を獲得している。
それぐらいの予備知識で見たら
ウィリアム・デフォーとシシー・スペイセクが出ていた。うれしい。
雪深い田舎町。いろいろな物事が積み重なって、崩壊に向かう男。

午前0時半に眠る。


[3694] こんなサントラを持っている その4 2011-01-23 (Sun)

早いもので4回目。
最近は買った新譜も聞かず、サントラを聞く毎日。

――――――――――――――――――――――――――――――
□『Car Wash』

ロサンゼルスの洗車場を舞台にした群像劇風コメディー。
ガソリンスタンドにあるようなセルフサービスじゃなくて、
係りに分かれて車を洗うんですね。
ホースだったり、洗剤だったり、磨いたり。
明日を夢見る黒人たちや、落伍した白人たち。
人生いろいろあるけど楽しく仕事して1日を過ごそうとする。

1976年の作品で、コメディーに相応しく軽快なソウル&ファンクが聞いてて心地よい。
僕は一時期、iPhoneに入れてたびたび聞いてた。映画音楽を超えて秀逸なコンピ。

ポインター・シスターズが車を洗いに来た本人として登場し、1曲披露。
このサントラにも入ってる。

脚本のジョエル・シューマカーは後に、
1980年代の青春映画の金字塔『セント・エルモス・ファイアー』を監督。
(いわゆるブラット・パックの代表作)
近年は『フォーン・ブース』や『ヴェロニカ・ゲリン』など。

――――――――――――――――――――――――――――――
□『The Mission』

18世紀半ばを舞台にした歴史劇。南米の奥地にて
命がけで布教活動を行なうイエズス会の敬虔な神父たちと粗野な奴隷商人の邂逅。
ロバート・デ・ニーロ、ジェレミー・アイアンズ、リーアム・ニーソンらが出演。
1986年のカンヌでパルムドール。イグアスの滝から落下するシーンが忘れられない。

音楽はエンニオ・モリコーネ。映画音楽界の巨匠として
『荒野の用心棒 』『ニュー・シネマ・パラダイス』から聞いたことないタイトルまで
実に様々な映画を手掛けていますが、

キャメロン・ディアス、ケイト・ウィンスレット、
ジュード・ロウ、ジャック・ブラックの4人が主演で共演した『ホリデイ』にて
ジャック・ブラック扮する映画音楽家が
レンタルビデオにケイト・ウィンスレットを誘う場面で
「これまでで最高のサントラはこれだ!」と、
この『ミッション』のパッケージを差し出すんですね。

映画の壮大なテーマに相応しい、
雄大な雰囲気の曲が舞台となったパラナ川をたゆたうように流れる。

――――――――――――――――――――――――――――――
□天井桟敷(J・A・シーザー)『身毒丸』

『身毒丸』といっても蜷川幸雄のじゃないですよ。
寺山修司の劇団「天井桟敷」の方です。70年代のオリジナル。

何かで読んだときに、J・A・シーザーは日本で最初のヒッピーだったのだと。
60年代末とかそういう時期じゃなくて、
もっと前からこの国をあてもなく放浪してて、髪が腰まであったのだと。
寺山修司と出会って意気投合して、以後その舞台・映画の音楽を担当する。
ブルースやジャズについてどうこうと評論家ぶって言っていた
寺山修司が全面的に任せたわけだから、その音楽性は今聞いてもかなり高い。

このCDは1996年のCD化。見つけたときに買っとかないと、と思った。
J・A・シーザーのソロによるリサイタル、『国境巡礼歌』も合わせて買った。
寺山修司の他の作品、演劇だと例えば『奴婢訓』や
映画だと『田園に死す』や『さらば箱舟』の音楽が
CD化されてるのかどうかで言うと、分からず。
先ほど調べてみたら、この『身毒丸』や『国境巡礼歌』、そして『阿呆舟』が
昨年、SHM-CDで再発されていたようだ。劇団「万有引力」の音楽も。
『田園に死す』や『さらば箱舟』も2000年代前半に再発されていた。
それほど珍しくはないようだ。

『身毒丸』を今回改めて聞き直してみた。
1曲目は三味線による唄。歌い継がれるうちに枯れてしまったかのような。
それが2曲目以後は1970年代和製ロックの真骨頂のようなゴリゴリしたロック。
不器用な若者が、居住まいだけは正そうとしてそれが自己流の礼儀になってるような。
しかも、オペラ。フルコーラスの入った。
帯には「説教節による見世物オペラ」とある。
これ、すごくない? 今の耳でこそ聞くべき。
僕は1970年代のロックに詳しくない。
それでも、村八分や四人囃子と引けをとらない独自の音楽性を感じた。
劇伴ってことで不当な地位に追いやられ、それっきり?

架空の故郷、架空のノスタルジア。
架空の町外れにいつのまにか居ついているみすぼらしいサーカス。
架空の場末、架空のアングラ。
寺山修司と聞いてイメージするそのままが、鳴っている。
寺山修司が生み出したものって、言葉じゃなくて、イメージなんですよね。

――――――――――――――――――――――――――――――
□「Survival Research Laboratories」

これこそ、珍品かもしれない。
1978年、マーク・ポーリーンを中心にサンフランシスコで結成された
Survival Research Laboratories の公演の模様をいくつか収めたサントラ。
SRLの公式HP:http://www.srl.org/

どこから説明していいか、分からない。
今から数百年後か、数千年後か。
人類の死滅したあとの荒野でロボットたちが基本プログラムに基づいて
殺し合いを演じている、そんな場面を”アート”として演出し、実行する。
今も活動は続いているようだ。恐るべし。
僕は本気で尊敬する。

1999年に一度だけ来日した。そのときのイヴェントの模様を含めて、
以前、名古屋に住む映画サークルの先輩の家に泊めてもらったとき、
夜寝てるときにビデオを見せてもらった。愛知万博の頃だった。
これはやばいと思って、DVDをオーダーした。その当時たまたま日本盤が出ていた。
神保町の古本屋で『夜想』のSRL特集号を見つけた。
(残念なことに今、部屋の中で見つからないため何が書かれていたのか分からず)

サントラと言っても、もう、本気でノイズですよ。あらゆる意味で。
2曲目の解説にこんなことが書かれている。
「pre-recorded auto race & car crash sounds
 mixed live to active machine & robot noises.
 amplified hand-held hole-punches with orchestrated feedback.」
売る方も聞くほうもキチガイだと思う。

驚いたことに、amazonでこれら、1曲ずつMP3で売られていた。

――――――――――――――――――――――――――――――
□J.Spacemen / Sun City Girls「Mister Lonely」

かつて天才児と称されたハーモニー・コリン監督の現時点での最新作。2007年。
有名人のそっくりさんを集めた小さな
「誰も触れない僕たちだけの国」で暮らす孤独な人たちの悲しくて、優しい物語。
主人公ディエゴ・ルナはマイケル・ジャクソンになりきる芸を演じてて、
(タイムリーと呼ぶにはちょっとずれていた)
彼を「夢の国」に誘うマリリン・モンローは『モーヴァン』のサマンサ・モートン。
この設定だけでも、最初から最後まで切ない。
(ちなみに、同じぐらい天才の
 ヴェルナー・ヘルツォークとレオス・カラックスも出演)

そのサントラが
元 Spacemen3 にして現 Spiritualized のジェイソン・スペースメンと
サイケデリア隔世遺伝の弟子筋に当たる Sun City Girls であるならば。
そりゃもう、買いますよね。
音を聞いても、やはり切ない。


[3693] 天候の話 2011-01-22 (Sat)

先ほど、図書館の帰りに床屋の前を差し掛かったら
客がいなかったので入って髪を切ることにした。
「どうしましょうか?」「いつもぐらいで」「耳が自然に出るぐらいに…」
天候の話になる。東京は今日も晴れている。このところずっと青空だ。
でも、寒いですよねと。寒いから今週はお客さんが全然入らなかった。
「最初、暖冬なんて言われてたのにね」
「猛暑の年は冬、寒いですよ」
なのに雪が降らない。東京はまだ。
僕は青森に正月帰って、1週間雪かきをしなかったことを話す。
「生まれて初めてですよ」
富士山も降ってないらしい。富士五湖の辺り。例年なら雪が積もっている。
なのに今年は鳥取とか
東北人からすれば「雪降るんだっけ?」って思うような地域で大雪となった。
豪雪地帯とされる新潟県十日町でも年々雪が減っているとのこと。
「でも、アルプスはさすがに降ってますよ」

---
別件。先日職場の人たちと昼を食べに行ったとき
「雪かき用に、家にはスコップが3本ある」と話したら、
「何のために?」と不思議がられた。説明が必要となった。
そうか。そういうもんだよな。
普通のプラスチックのがあって、
凍りついたのを切り崩すための鉄の固いのがあって。ダンプもあって。
雪とスキーは結びつくとしても、雪と雪かきの結びつきは
住んでて体験した人でないとよく分からないのかもしれない。
どういう用具を必要とするどういう行為なのか具体的なイメージがない。
雪かきという概念がないゆえに、雪とは積もったら積もりっぱなしのもの、
だから豪雪地帯は毎年数mも積もるのだと誤解しているのかもしれない。
除雪のために毎年どれだけの負担が自治体にかかっているか、
ということも知られていない。
春になったら溶けてしまうためのもののために億単位のお金が使われている。
試しに調べてみたら札幌市は今年度147億円を雪対策予算として計上しているという。

---
東京は今日も晴れている。
今日久しぶりに立ち止まって、空を眺めた。

東京は今日も晴れている。


[3692] からっぽな天国 2011-01-21 (Fri)

イスラームの話、続き。
クルアーン(コーランのこと)の入門書として
講談社現代新書の『聖典「クルアーン」の思想』というのを読んだ。
あれこれ興味深いことが書かれていたんだけど、
僕個人としてとても興味を持ったのが、来世と「最後の審判」の関係のところ。

日本人の感覚からすると、それを信じようと信じまいと
死んだらすぐ「あの世」なのか、極楽浄土なのか、
それとも天国と地獄なのか、そこに行くことになっている。

イスラームの場合、すぐそこに行くのではない。
最後の審判の日が来たら死者が呼び起こされて、
その人が生きている間に側に付き従っていた天使たちが
善行と悪行とを事細かに数え上げて記入した2つの書物が読み上げられて、
そこで初めて天国に行くのか地獄に行くのか決まるのだという。
それまで留保の状態が、ずっと続く。
このとき、来世的な場所にいるのではなく、あくまで現世にとどまっている。

…ということは、思うに、イスラム教の信者たちは7世紀からこの方
1人もあの世に行ってなくて、沈黙する死者として終末の日が訪れるのを待っている。
イスラム教における天国も地獄も
今、この時点ではどちらも人がいなくて空っぽなのである。
(解釈が間違っているかもしれない)

よく分からなくなってきたのは、キリスト教における終末思想。
(一神教として、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のルーツは同じ)

キリスト教にも「最後の審判」がありますよね。
同じように死者が呼び起こされて
裁きを受けて永遠の生命を与えられるか地獄に落ちるか。
しかしその前に、イエス・キリストが再臨して
至福の千年王国が築かれ、その1000年を経た上で
悪魔との最終決戦(いわゆるハルマゲドン)がなされることになっている。はず。
これも結局その間、天国も地獄も空っぽなのか…
そもそも千年王国に生きるのが死者なのか、生者なのか。
さらっとWikipediaを参照するぐらいでは具体的なことが分からず。

今かなり混乱している。
例えば僕は『ヨハネの黙示録』がとても好きで
それだけで1冊持ってたりしたんだけど、
あれはハルマゲドンに向かう過程とその結末を描いていて、
かつ、苦よもぎの箇所はチェルノブイリの予言だったとかってなると
今は千年王国の真っ只中ってこと?
昔読んだときには『ヨハネの黙示録』のイメージに浸ってるだけで、
具体的にどういう状態にあるのかということは何も考えなかったなあ…

いや、これまでの十何世紀もの神学的研究により
諸説ありつつも説明がなんらかついているはずなのだが。
というか知ってる人からしたら「何言ってんだ? こいつは」という話。
この辺り、何がどうなっているのかもう少し掘り下げてみるか。


[3691] 東京 2011-01-20 (Thu)

会社を出た。既に日は暮れていた。
しばらく、歩きたくなった。
地下鉄に乗ったら、いつも通りの日々を繰り返すことになる。
交差点を渡る。ランニングをしている集団とすれ違う。
音楽は聴かない。今は何も考えたくはない。

皇居の周りに出る。お堀。取り囲む木々がシンと静まり返っている。
大手町へ。商社や官公庁のビルが立ち並ぶ。
出てきた人たちの群れの中に混ざる。
消防庁の建物の一階に、ヘリコプターが展示されていることを知っている。
閉じ込められて、見世物になって、二度とそれは飛び立つことがない。

永代通りで曲がる。巨大なビルが工事中で屋上にクレーンが静止している。
大きいのと小さいのと二台。ちらっと見上げて、またすぐ視線を落とした。
背中を丸めて歩く。ポケットに両手を突っ込んで。
前はここにホテルが建っていたんだったか。思い出せない。
交差点に差し掛かる。信号が赤になっていて、立ち止まる。

目の前に黄色いバスが停まっていた。「福島交通」と書かれていた。
中は蛍光灯が灯って明るい。見ると制服を着た女子高生ばかりだった。
東京駅へと向かうのだろう。
修学旅行。最終日。新幹線に乗って帰る。
疲れているのか、皆ぼんやりとしていた。空ろに、窓の外を眺めていた。

「東京」がそこに広がっている。
彼女たちにとって、それはどんなふうに感じられただろう。
この数日で何を見たのか。何が楽しかったのか。
また来たいと思った子はどれだけいるだろう。
高校を出たらすぐに。進学か就職で。19歳。そして大人になる。

なんとはなしに見つめていたら、女の子の一人と目が合った。
結局のところそれは一瞬だった。
バスは動き出し、のろのろと交差点を曲がっていった。
だけど僕にとってはその子との間に
かなりの時間が経過したように思えた。

どの子も同じに見えた。茶色く染めたりすることのない、黒い髪。紺の制服。
何の表情も浮かんでいなかった。
こちらには気付いていないかもしれなかった。たぶん、そうだろう。
僕が一方的に見つめていた。
ただ、それだけ。

信号が青になって、横断歩道を渡った。
また別の工事現場を通り過ぎて、駅の階段を下りる。
丸の内の高そうな店に、ビジネスマンのカップルが談笑しながら消えていく。
あの子はこれから先、どんな人生を送るのか。
僕は果てしなく広がる地下街を、当てもなく歩き続けた。


[3690] イスラムというものに興味を持つ 2011-01-19 (Wed)

イスラムというものに興味を持つ。
宗教というだけではなく、その文化や歴史を全般的に。
もうちょっと時間をかけてあれこれ読んでみてもいいなと思った。
手始めに講談社現代新書でコーランの成り立ちの入門書を読んだ。
今日の朝から、井筒俊彦先生の岩波文庫「イスラーム文化」を読み始めた。

このご時勢、「西洋か/東洋か」という二項対立からは
たいして有意義なものは生まれない。
その間にあって揺さぶるものとしてのイスラム存在はとてつもなく大きい。
奥深いミッシング・リンクが広がっている。

もちろん、原理主義とは何か? ってのも気になる。
何が「9.11」をもたらしたのか。
「イスラム原理主義のテロリストが」ってのは答えになってないですよね。
だったらキリスト教の原理主義とは?
ファンダメンタルに向かうものというのは、
個人に対して、共同体に対して、どのような力学が働いているのか。
根底に向かっているようでいて、ラディカルというのとは違う。

他に興味のあることとして、例えば、
イブン・バットゥータというような中世(14C)の旅行家は
中国にまで到達した。
それはイスラムを広げたかったのか、それともその外に出てみたかったのか。
つまり、イスラムがその全てなのか。そうではないのか。
など、など。

昨日そのコーランの入門書を読んでいたら
イスラム圏では1日の始まりは夜となると書かれていて。
そんな基本的なことすら今まで知らなかった。
ほんと何も知らない。
この地球上には何億ものイスラム教徒がいて、広大な領域を覆っているというのに。
得体が知れないから知らないのではなくて、知らないということが得体が知れない。

僕がこれまでに訪れた国の中で最も面白かったのは
やはりモロッコとドバイであって、
それはプリミティブな異文化体験としての
「イスラムなるものとの出会い」というのが大きい。
初めて礼拝の場に居合わせたときに、遠くから聞こえてきたコーランを朗誦する声。
町中に聞こえるような、スピーカーからのくぐもった声。
あれはテープを再生していたのだろうか。
カサブランカで訪れた壮大なモスク。中を歩くときに感じた冷徹な空気。
ドバイの金曜日、日中の静まり返った町と
日が暮れ始めて礼拝が終わったのちに突如溢れ出したムスリムたち。
あれはまさに「体験」だった。

またなんか考えたら、続きを書きます。


[3689] 字幕不要論 2011-01-18 (Tue)

先日、『赤目四十八瀧心中未遂』を観た。
大楠道代と寺島しのぶの演技が素晴らしかった。
あのピンと張り詰めた台詞回し。言葉と声と。
しかもそれが表情や仕草、立ち振る舞いと結びつく。
そうだ。映画は音ではなく、声なのだと思った。
(そして曲ではなく、唄となる)

今更ながら、ふと思う。
映画ってその言葉を話せる人が観ないことには正当に評価できないのではないか。
大切なところを感じ取れないのではないか。

本来監督が入れたものではない、字幕というものが
別の人間により別の工程で付与され、表面に貼り付いている。
映画そのものではなく、配給用のパッケージを僕らは「鑑賞」している。

「字幕を読む」という行為は「映画を見る」という行為の一部分のようでいて、
両者の間には大きな断層がある。
読むという行為は、そしてそこから付随して生まれる、
ストーリーを頭の中で再構築するという行為は
その映画を「感じ取る」(自然なものとして身体に受け入れる)
ことを妨げているのではないか。
結果、その作品を評価する基準としてストーリーのよしあしや好み、
場合によってはそれが理解できたかどうかにバイアスがかかってしまう。

文字の持つ力がそもそも大きく(情報量が多く)、
注意がそこに捕われてしまうということもある。
優れた映画ならば、字幕無しで、
語られた声の調子と役者の動き、その背景の結びつきを感じ取ることで
ストーリーの流れはつかめるものだし、
実際日本映画を見てるときはそんな厳密に耳で聞くセリフを追ってない。
なのに文字となった途端、読み飛ばすことを恐れてしまう。
その分、いろんなことを見落としているんだろうなあ。
これって僕だけ?

かといって今日からじゃあDVDで映画を観るときは字幕をオフにするか、
といったらそれはやはり怖くてできない。
文字・活字依存症。

でもやっぱ徐々に徐々に耳を慣らしていくべきなんだろうな。
英語がどうこうではなく、恐怖心を取り除くために。
『トラフィック』や『ファーゴ』など、あるいはタルコフスキー監督の諸作。
これまでに何回も繰り返し観てきて、ストーリーを把握している作品から。
近いうちにトライしてみたい。


[3688] 1/11-1/16 2011-01-17 (Mon)

1/11(火)

昼、天鴻餃子房へ。
今回はネギチャーシュー麺にしてみる。これはいまひとつだった。

夜、西友に寄ってその後図書館へ。
帰ってきてご飯を炊いてのりたまをふりかけ、
西友で買ったキムチと青森から持ち帰ってきた鮭の切り身を食べる。

ずっと例の作業。やりだしたらキリがなくて午前0時になっている。寝る。

タルコフスキー作品のサントラをまとめて聞く。
「アンドレイ・リュブロフ」なかなかよかった。

図書館から借りた『ウィトゲンシュタイン家の人びと』という本を読み始める。
20世紀初頭。ルートウィヒ・ウィトゲンシュタインは
ウィーンの大富豪の家に生まれ育ったものの、兄3人は失踪ないしは自殺、
もう1人のピアニストの兄は戦場で右腕を失う。
神経症的で陰鬱な家族の関係。

昼、ここ数日の昼飯代を捻出するために
DiskUnionにCDやDVDを売りに行く。
しかし、シングルやミニアルバムばかりだったためたいした額にならず。
17枚で1800円。残念。

この日は今年一番の寒さだという。

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1/12(水)

iPhoneを海外で使えるかどうか調べ、格闘する。

昼、牛丼各社値下げということで11時に吉野家に行ったら混んでいた。
いつもはこの時間帯ガラガラなのに。
それにしても、並+玉子+とん汁+コールスローで540円は安い。

夜、いつも通り焼いた鮭の切り身とキムチ。ご飯にのりたま。
野菜のたくさん入った味噌汁。
作業。23時頃まで。

午前0時過ぎに眠る。

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1/13(木)

昼、天鴻餃子房へ。
野菜あんかけ麺。アツアツがずっと保たれていて、なかなかよし。

帰りに東京駅の地下街に入る階段を下りていたら
イヤホンのコードが引っ掛かってピンと伸び切って、
コートのポケットに入れていたiPhoneが階段を転がり落ちた。
画面も裏面も無傷だったが、SIMMカードが刺されていないとメッセージが。
どこかが割れて中の何かが飛び出しているということはなさそうだ。
恐らくここだろうというのをそっと押し込むと電波を捉えるようになった。
特に表示がおかしくなっている箇所はなさそうだ。
このところ何回か同じように地面に落としているが、なんともなし。
iPhoneの頑丈さに驚く。
しかし音楽を聞いていてところどころパチパチ音がするような気がして。
神経質になっているだけか。

西友に寄って惣菜やインスタントの味噌汁を買ったのち、図書館へ。
帰って来てご飯を炊いて、師範代の試験の準備を少しだけして、
あとはずっと作業。
午前0時に眠る。

『ソーシャル・ネットワーク』が今週末から公開される。
観たいのだが、観に行ってる暇はなさそうだ。

『ウィトゲンシュタイン家の人びと』
第二次大戦に入ってから俄然面白くなり、ほぼ読み終える。

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1/14(金)

午前休で病院へ。
『ウィトゲンシュタイン家の人びと』を読み終えて、図書館に持っていく。
地下鉄の中で先日amazonで取り寄せた、『かなしみのクリスチアーネ』を読み始める。
1970年代後半のベルリン。
片親のもとで育った、まだ10代前半のクリスチアーネは
ハシッシュを経験したのをきっかけに、LSDやヘロインへとエスカレートし、
やがて体を売るようにまでなる。

病院では10時半予約だったのだが、とても混んでいて診察は11時半頃になる。
触診を受けて、完治していると。今回で通院は終了。意外とあっけない。
新大久保を歩いて、東新宿へ。昔よく食べたとんかつ屋に入る。
カツカレーを食べる。肉は脂身が多いし、ごはんはべちょべちょしている。
でも、なんか好きなのである。

午後はほぼずっと打ち合わせ。帰って来て図書館に寄って、例の作業。
23時頃終わる。酒を飲むかどうか迷い、やめておく。
夜は例によって焼いた鮭など。

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1/15(土)

8時過ぎに起きて、1日中作業。図書館には2往復。
昼、焼いた鮭がこれで最後。

夜、ジャーマン・ポテトと徳用ローストビーフ。缶ビール、その後焼酎お湯割。
アルモドバル監督の『神経衰弱ギリギリの女たち』を観る。80年代末だったか。
90年代以後の作品と比べてこなれてないところもあるが、脚本がよくできている。
さすが、面白い。

朝9時の開館ちょっと前に図書館に行くと入館待ちの行列が。10人程度。
みな男性。女性の姿なし。これってたまたまか。
9時半頃西友に着くと、徳用ローストビーフが残っていた。
これからは毎週末、朝、西友に買いに行くことになりそうだ。

午前0時頃眠る。
マンガを読みたくなって『江古田ちゃん』の最新刊を買うが、結局読まず。

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1/16(日)

8時ちょっと前に起きる。この日もまたずっと作業。

図書館に行こうとして外に出たら廃品回収車を見つけ、部屋の外まで来てもらう。
ストーブとプリンタを持っていってもらう。
回収費用3000円というのを渋っていたら2000円にまけてもらった。
値段なんてあってないようなものか。
自転車は4500円ということで諦めた。
ただで回収してくれる業者と
リサイクル費用みたいなのを取るところとあるんですね。
しまった。でも、まだ使えるものではあったので、
どこかでリサイクルとなるかも。その方がいい。

洗濯、クリーニング屋。
夕方18時ぐらいに作業はひと段落させる。
たまっていた新聞を読む。

昨晩同様、ジャーマンポテトと缶ビール、焼酎お湯割。
『赤目四十八瀧心中未遂』を観る。
前半の大楠道代、後半の寺島しのぶを見てるだけで良かった。
それにしても長い。最初、無駄に長い。
カフカのよう。つまりつながりに必然性がない。
160分あったんだけど、前半整理して100分にしたら名作になっていたのでは。
尼崎が舞台なのに脇役で津軽弁っぽい言葉を話す若者が出ていた。
新井浩文。弘前出身であるらしい。
ジョゼ虎、松ヶ根、ぐるりと調べてみたら結構出演作品を見ていた。

午前0時に眠る。


[3687] こんなサントラを持っている その3 2011-01-16 (Sun)

誰も望んでないかもしれませんが、その3です。

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□『Angel Heart』

アラン・パーカー監督、ミッキー・ローク主演のダークな探偵映画。
学生時代に観て、焼け爛れたような映像の印象以外に特に記憶に残らなかった。
音楽も記憶にない。
でもなぜサントラを持っているかといえば、
「角川mini文庫」ってので見つけてだいぶ前に暇つぶしで買った
『私のいちばん好きなアルバム』というのの中で
元 BlanKey Jet City / 現 Sharbets の浅井健一がこれを挙げていた。
そして「悲しそうな美しい世界」と評していた。

聞いてみると乾いた猥雑な音で
僕にとっては悲しくも美しくもなかったんだけど、
確かにその音には濃密な情景が篭っている。
恐らく、聞く人によって思い浮かべるものは異なるだろう。
皆それぞれ、抱えてるものが違うのだから。

なお、この『私のいちばん好きなアルバム』は
小室哲哉が Guns'N Roses『Appetite for Destruction』
草野マサムネが ZELDA『Carnival』
など、けっこう意外なセレクションばかり。その一方で
トータス松本が Sam Cooke『Live at the Harlem Square Club, 1963』
石野卓球が Kraftwerk『Computer World』
など、らしいなあというものも。面白いです。

――――――――――――――――――――――――――――――
□『Solaris』

僕が学生時代なんでもう10数年前のことなんだけど、
アンドレイ・タルコフスキー監督のサントラがシリーズで発売された。
Vol.1『僕の村は戦場だった』
Vol.2『アンドレイ・リュブロフ』
Vol.3『惑星ソラリス』
Vol.4『鏡/ストーカー』

Vol.5があったのかどうかは分からない。
つまり『ノスタルジア』や『サクリファイス』となるんだけど、
たぶんないんだろうな。
日本盤独自の企画のようで、スタッフは日本人で東映の関連会社から販売された。
Vol.3とVol.4は当時リアルタイムに買って、
Vol.1とVol.2は数年前に探し回って新宿の DiskUnion のサントラのフロアで見つけた。

Vol.1とVol.2の音楽はV・オフチンニコフで、
Vol.3とVol.4はエドゥアルド・アルチェミエフ。
聞き比べてどっちがどう、という明確な違いはなくて
どちらも水滴が感じられそうなほど深い、霧の中にいるような音。
タルコフスキー監督の趣味なのだろう。

E・アルテミエフの方はPARCO出版から出ていた
『現代音楽 CD×100』という本にて紹介されていた。
シンセサイザーを開発したエフゲニー・ムルジンのもとで
最初の作曲家・演奏家になったのだという。

改めて4枚聞き比べてみて、
やはり独特な音をしているなあと思うのは『惑星ソラリス』
ところどころバッハのオルガンの曲を使ってるようなんだけど、
誰もいない何百年と閉ざされた教会の中で虚ろに鳴り響くような。
批評家にとっては有名な、あの「鐘」の音も聞こえる。
その他は宇宙空間を模した、古典的なノイズの連なりであったり。
どこの国、どこの時代とカテゴライズすることが何の意味ももたらさない。
違う次元で鳴っていた、鳴りつつある、鳴ることのなかった、音。

――――――――――――――――――――――――――――――
□『Soleil trompeur』

エドゥアルド・アルテミエフでもう1枚。
同じくロシア、ニキータ・ミハルコフ監督の『太陽に灼かれて』のサントラ。
さすがにこちらは割と普通の映画音楽が並ぶ。

学生時代にロシア語の授業で毎週少しずつビデオで観たんだけど、
冒頭で流れるタンゴの曲『Outomlionne Solntce』がずっと印象に残ってた。
スターリンの大粛清時代を描いた映画。1994年の作品。
今思うとリアルタイムに教材として使われていた。

E・アルテミエフはアンドレイ・タルコフスキーだけじゃなく
対極的なニキータ・ミハルコフの作品もいくつか手掛けていて、
古いところだと『機械じかけのピアノのための未完成の戯曲』
最近だと『12人の怒れる男』どちらも名作ですね。

観てないけど、最新作『戦火のナージャ』でもコンビを組んでいるようだ。
『太陽に灼かれて』の続編とのこと。

――――――――――――――――――――――――――――――
□『sex, lies, and videotape』

スティーヴン・ソダーバーグ監督の26歳の処女作にして
カンヌ・パルムドール獲得という偉業を成し遂げた作品。
この映画だけ、他と違う何か異質な輝きを放っている。

8曲入りのミニアルバム。ケースもシングル用の薄いやつ。
どこかの中古屋で見かけて買った。
その後見たことない。
というか、そもそもソダーバーグ映画のサントラって観たことない。
有名なアーティストの有名な曲を使ってたことって、あったっけ?
ソダーバーグにとって必要なのは映画を構成するパーツとしての音楽であって、
曲とか歌じゃないんでしょうね。

改めてこのサントラを聞いてみると
その辺のシンセサイザーやリズムボックスなどで演奏したような
宅録のデモテープのような音。
解説を読むと音楽はクリフ・マルティネス(Cliff Martinez)という
ミュージシャンによるもののようだ。
ドラマーとしてキャプテン・ビーフハートやレッチリと競演しているという。
なんだかすごい経歴。
調べたら『KAFKA/迷宮の悪夢』から『トラフィック』『ソラリス』まで
その後のソダーバーグ監督作品の大半で音楽を担当したようだ。
amazonで検索してみたら、この人の個人名でサントラがリリースされていた。

――――――――――――――――――――――――――――――
□『Spinal Tap』

スパイナル・タップというイギリスのヘヴィメタのバンドが出てきて
全米をツアーして回るんだけど、
実は架空で、映画もドキュメンタリーのようでいて擬似。
バンド同様、伝説というか、もはや神話に近い映画。
何かと引き合いに出される。
SF映画における『ブレードランナー』のような位置づけ。

何がややこしいかって、スパイナル・タップって架空という触れ込みなのに
映画がカルトヒットしてそこそこ人気が出てしまったもんだから
その後もアルバムを出し続けたんですよね。再結成してみたり。
どこまで本気なのか・・・
でもこのサントラもパロディーなムード100%なのに
ポップなヘヴィメタでなかなか聴かせるんですよね。

監督は後に『スタンド・バイ・ミー』を撮ったロブ・ライナー。
ヘヴィメタは嫌いだとしても、ロックが好きなら絶対見たほうがいい。
今や有名な「ボリュームの目盛りが11まであるアンプ」とかさ、
腹抱えて笑えるエピソードの連続。


[3686] センター試験の思い出 2011-01-15 (Sat)

ニュースを見ていたら今日・明日とセンター試験であるという。
僕が受けたのは18歳のときだったから、ちょうど18年前になる。
人生の中間地点。それをきっかけに上京することになったのだから
大学受験というのは僕の人生にとって最大のターニングポイントとなる。

センター試験のことを思い出してみようとしたが、あんまり出てこない。
死活問題だったがゆえに、どの教科が何点だったかというのはすぐ出てくる。
英語は模試では毎回ほぼ満点だった。発音・アクセントが苦手なだけ。
なのに本番では一番最初の科目ということもあってうまく波に乗れず、
自分にしてみればありえないような点数となった。大番狂わせ。
その一方で苦手としていた数学がTの方でなぜか満点だった。
IIは案の定ボロボロでしたが。
トータル683点で志望校に入るにはボーダーラインすれすれ。

ま、そんなことは今となってはどうでもいいことで。
会場は青森市ではなく弘前市で、弘前大学だった。
2日間に渡って受けるということで前日、金曜から弘前入りした。
青森駅前に集合してバスに乗って移動する。
希望者を募ってということだったけど、学年の大半が利用したと思う。
私服で行ったら皆学生服を着てて、
念のため持ってきてたのを慌てて駅のトイレで着替えた。

そこから先、記憶がほとんどない。
バスの中、弘前に着いてから。
恐らくずっとZ会の英単語学習のなんかをずっと読んでたのだろう。
ホテルに着いてからも。
全科目の頼りにしてた参考書を持ち運ぶため、
バッグはとてつもなく重くなっていたはずだ。

ホテルは2名1室で、クラスの名簿順に組み合わせを決める。
僕が同室になったのはそれほど仲のよくなかった普通のやつで、
風邪を引いて熱を出していた。
かわいそうな状況で、その年は浪人したはず。
そんなことだけを覚えている。

構ってあげるわけにもいかず、僕はひたすら焦るようにして勉強していたのだろう。
外に出て、弘前の街並みをブラブラ見て回るってこともしなかった。
どこで何を食べたかすら記憶にない。ホテルの中なのか、外なのか。
そもそもチェックイン・チェックアウトは自分でしたのかどうか。
浴槽にお湯を張っておくと寝てる間乾燥しないということで、それをやっといたこと。
記憶に残っているのそれぐらい。
よほど切羽詰っていたのだろう・・・
帰りもバスに乗って帰ってきたのだろうか。

そもそもの話、その頃全体の記憶がない。
2学期の途中から授業がなくなって、
受ける科目とそのレベルに応じた補習で毎時間教室を移動する。
人によっては家で勉強してるのかしてないのか、ほとんど出てこなくなった。
流動的で何もかもが「仮」の状態にある毎日。
3学期は出てきていたのか、それとも家の中にいたのか。
正月も家で一人問題集を解いていたように思う。
小論文の課題を指導してもらいに職員室で待っていたら
担当の先生の機嫌が悪くてものすごく怒られた。
あれもいつのことだったか。

「四当五落」なんて言われてて、
4時間しか寝ないで勉強してるなら合格、5時間以上寝ていたら不合格。
そんな状態に近かったな。起きている間はずっと受験勉強。
あんなに集中して物事に取り組んで
全身をそこに預けていたのってあの時だけだと思う。

思い出せないのは、忙しすぎたからじゃなくて、
2度と思い出したくないからではないか。

各大学で受けた2次試験のことは、またどこかで書きたい。


[3685] 日々の行方 2011-01-14 (Fri)

去年のいつだったか、毎朝ホームで見かける女の子がいるということを書いた。

僕はいつも同じ時間にホームに着いて、柱の陰、同じ位置に立つ。
列の先頭で乗るために1本やり過ごす。
女の子はその時点で、僕よりも早く来て椅子に座っている。
携帯を眺めているか、本を読んでいる。
次のが来て、僕は乗り込む。ドア脇の端の席に座る。
女の子が立ち上がって、ホームに並ぶ。
彼女は少なくとも、2本はやり過ごしているわけだ。

なんでそんなことをしているのだろう? とずっと気になっていた。
だからと言って、話しかけて聞くようなことでもない。
東京で暮らすなら何事も知らないフリをしているほうがよいのだ。

昨年4月に大阪での生活を終えてこっちに戻ってきて、
夏になり、秋になり、そして冬になった。
もしかして僕に何かしら関係があるのだろうか? 気がある?
しかし、何かの弾みに彼女と目が合うというようなことはなく。
彼女は僕のことなんて、気付いてないかもしれなかった。

そんなある日、先月の初め頃だったと思う。
いつもの場所に立とうとしたら車両のドアのところで女の子が2人、
お互いの肩をギュッと抱いてたのをそっと引き離しつつ、
感極まって大声になりながら「ありがとう」「また連絡する」と言い合っていた。
手を振って別れて、ドアが閉じた。地下鉄が走り去る。
それとなく立ち止まっていた僕は
何事もなかったかのように移動して、柱の陰に立った。

もちろん、あの女の子だった。
そうか。…そうか。…でも。
ずっと会いたかった友達を探すために毎朝待っていた?
偶然を装って?

その日僕が車両に乗ると、彼女の姿はホームになかった。
いつのまにかいなくなっていた。
それっきり、女の子を見かけることはなくなった。

年が明けて僕はそのことをすっかり忘れてしまっていた。
今日になってふと、思い出した。やはり彼女はそこにいなかった。
何の変哲もない、早朝のホームが広がっていた。

どんな気持ちで、毎日待っていたのだろう。

僕はいつもの時間にいつもの場所に立つ。
いつもの車両に乗って、日々同じことを繰り返す職場に向かう。

僕は、何を待っているのだろう。
それは、来ることがあるのだろうか?

目を閉じて座席に沈み込む。
話している声はなく、誰もが無言でその場を過ごしていた。
車両が地下を走る音。ただそれだけが聞こえた。